■お断り■◆蒼い危険な賭け・京香はあくまでも文学作品です。 ◆申し訳ありません。第二回作「蒼い危険な賭け・京香」の続きは、順次UPします。
いよいよ最終話(六十六話)を現在執筆中ですので、完成は暫(しばら)くお待ち下さい。
◆本格エロチック調教ファンタジー・サスペンス◆
「蒼い危険な賭け・京香」第五部・四十二話〜五十話を予告公開中(全六十六話)
話の展開
◆第一部(第一話〜十話)
第一話 (事の起こり)
第二話 (屋根裏)
第三話 (覗き見たもの)
第四話 (甘い誘い)
第五話 (陵辱計画)
第六話 (生け贄)
第七話 (そして輪姦)
第八話 (妻の決意)
第九話 (第二の処女)
第十話 (ア*ル調教)
◆第二部(第十一話〜十九話)
第十一話 (変貌しつつある妻)
第十二話 (本格的生け贄)
第十三話 (完成したア*ル調教)
第十四話 (生け贄にされたア*ル)
第十五話 (独立と資金稼ぎ)
第十六話 (忌み祓い開所式)
第十七話 (壮絶な輪姦祈願)
第十八話 (生島夫婦)
第十九話 (小泉順子の願望)
◆第三部(第二十話〜三十一話)
第二十話 (順子の夫小泉武司)
第二十一話(始まった順子の輪姦)
第二十二話(順子極楽を味わう)
第二十三話(父と娘の絆)
第二十四話(消えたわだかまり)
第二十五話(仕上がった順子)
第二十六話(喜美子の開所式)
第二十七話(増員された女達)
第二十八話(乱倫同志経営)
第二十九話(不穏な動き・公安部)
第三十話 (ある日常)
第三十一話(事業規模拡大)
◆第四部(第三十二話〜四十一話)
第三十二話(公開剃毛)
第三十三話(うなぎ責め)
第三十四話(新参者佐和子)
第三十五話(佐和子玩具になる)
第三十六話(佐和子の輪姦忌み祓い)
第三十七話(福井様のお相手)
第三十八話(極秘情報・見せ付けられた妻の痴態)
第三十九話(調教の成果)
第四十話 (山崎様のお相手)
第四十一話(本物に仕上がった妻)
◆第五部(第四十ニ話〜第四十八話)現在この部です。
第四十ニ話(佐和子獣姦する)
第四十三話(宗教法人化)
第四十四話(村での出来事)
第四十五話(巫女舞・山狩り)
第四十六話(最期の接待)
第四十七話(水揚げ)
第四十八話(女優妻)
◆第六部(第四十九話〜五十三話)現在この部です。
第四十九話(陰謀・女子アナ議員)
第五十話 (秘密パーティの誘い)
第五十一話(良子秘密パーティに引き出される)
第五十二話(雌犬の手本・女優妻)
第五十三話(良子陵辱・雌犬)
◆第七部(第五十四話〜六十話)現在この部です。
第五十四話(卑猥なハッスル囃し)
第五十五話(その後の良子)
第五十六話(良子、大森に犯られる)
第五十七話(陵辱再び)
第五十八話(気まぐれ・衆道)
第五十九話(康子の縁談)
第六十話 (謎の極上の女)
◆第八部(第六十一話〜六十八話(最終話))
第六十一話(長官へのお持て成し)
第六十二話(新たなる遊び仲間・凛子)
第六十三話(凛子お披露目で奮闘する)
第六十四話(代議士の娘・響子)
第六十五話(精神力と経験)
第六十六話(響子お披露目を犯る)
第六十七話(良子見本を見せる)
以下執筆中・暫くお待ち下さい
第六十八話(麻生康子の結婚式)
第六十九話(事件)
第七十話 (抗争そして終焉)【ジャンプク・リック】
◆第一部 第一話〜十話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現在この部です。
◆第二部 第十一話〜十九話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【第二部に飛ぶ。】
◆第三部 第二十話〜三十一話・・・・・・・・・・・・・・・・・【第三部に飛ぶ。】
◆第四部 第三十二話〜四十一話・・・・・・・・・・・・・・・【第四部に飛ぶ。】
◆第五部 第四十二話〜五十話・・・・・・・・・・・・・・・・・【第五部に飛ぶ。】
◆第六部 第五十一話〜五十七話・・・・・・・・・・・・・・・【第六部に飛ぶ。】
◆第七部 第五十八話〜第六十話・・・・・・・・・・・・・・・【第七部に戻る。】
◆第八部 第六十一話七十話(最終話)・・・・・・・・・・・【第八部に飛ぶ。】登場人物(物語の登場順)
私・・・・・・・・・・・・・・・・・・この物語の証言者・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
里美・・・・・・・・・・・・・・・・私の妻・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
岩代・・・・・・・・・・・・・・・・物語の主人公・・・・・・・・・・・・・・・・(当時25歳)
京香・・・・・・・・・・・・・・・・岩代の細君・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時24歳)
寮生(学生)達・・・・・・・・岩代の教え子(体育系)・・・・・・・・(当時19〜22歳)
生島喜美子・・・・・・・・・・里美の友人・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
竹中氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(元教師・定年)・・・・・・・・・(当時66歳)
小泉順子・・・・・・・・・・・・竹中の娘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
だみ声の専務(片山)・・元の勤務先の上司・・・・・・・・・・・・・(当時43歳)
田嶋氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(無職の遊び人)・・・・・・・・・(当時48歳)
企業舎弟・坂元・・・・・・・「龍信会」系の企業舎弟・・・・・・・・・(当時35歳)
石上氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(伊豆でレストラン経営)・・・(当時52歳)
生島・・・・・・・・・・・・・・・・喜美子の夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時34歳)
小泉武司・・・・・・・・・・・・順子の夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時33歳)
安部、麻生、
福田、谷垣・・・・・・・・・・女性接待係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時25〜30歳)
吉井警視・・・・・・・・・・・・警視庁公安部・公安総務課長・・・・(当時43歳)
大森警部補・・・・・・・・・・警視庁公安部・公安総務課員・・・・(当時36歳)
**康子巡査部長・・・・警視庁公安部・公安捜査員・・・・・・(当時28歳)
佐和子(片山)・・・・・・・・だみ声の専務の妻・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
福井・・・・・・・・・・・・・・・・大蔵省(現・財務省)銀行局次長・・(当時45歳)
山崎・・・・・・・・・・・・・・・・文教族代議士(文部大臣経験者)・(当時78歳)
老・宮司・・・・・・・・・・・・・妙見犬神宮・宮司(南家当主)・・・・(当時80歳)
筆頭総代・・・・・・・・・・・・東家当主(京香の兄)・・・・・・・・・・・(当時50歳)
伝書鳩の女・・・・・・・・・・元人気美人アナ(参議院議員)・・・・(年齢不詳)
女優妻・・・・・・・・・・・・・・超人気美人女優(新婚の代議士夫人)(当時29歳)
吉井良子・・・・・・・・・・・・吉井警視婦人・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
星野徹・・・・・・・・・・・・・・参議院議員立候補予定者・・・・・・・(当時35歳)
星野凛子・・・・・・・・・・・・星野徹婦人(元五輪選手)・・・・・・・(当時28歳)
古賀響子・・・・・・・・・・・・古賀代議士令嬢(フルート奏者)・・・(当時32歳)
(佐和子獣姦する)
◆蒼い危険な賭け・京香◆
第四十二話(佐和子獣姦する)
当時の土地投機筋の仕事は荒っぽく、目的の無い土地を買い漁(あさ)って転売利益を狙う。
それがバブルが膨らんだ原因である。
いずれ誰かが「ババ掴み」をするのは目に見えていたが、金融機関がやたら金を貸せるんで皆「行け行けドンドン」に成ってしまった。
あの頃は、「先に落とし穴が待っている」などと、冷静に考えた者は少ない。
その波に乗って儲けたあだ花が、「KIYOUBI(京美)」だった。
資金が出来た株式会社「KIYOUBI(京美)」は警戒感を強め、急に新規の活動を弱めて行く。
昭和天皇陛下が崩御され、年号が平成に改まったこの年も、騒然とした世相に中で、暮れつつあった。
私も、小泉や生島も半信半疑だったが、岩代は「来年の夏場までは動か無い方が良い」と宣言して、それが会社の方針になっていた。
福井大蔵省銀行局次長からの情報が、煮詰まって来ていたのである。
翌年(平成二年・1990年)の正月は、竹中、田嶋、石上、の出資者と、私達夫婦、岩代夫婦、小泉夫婦、生島夫婦に接待四人組で、それこそ乱恥気騒ぎをした。
それから二ヶ月強、その乱恥気騒ぎは続いた。
皆で始めたゴルフも岩代が会員権を全て売り払い、ゴルフに関しては接待相手の名義を借りる始末だった。
時折、政官界の情報収集に動く位で、やる事がほとんど無くなり、仲間内での裸の交流しか「する事がない」のが現状だったのである。
二月の末に成ると、福井から「イヨイヨだ」と連絡が入った。
お礼に妻の肉体(からだ)を貸せる約束だから、また妻を連れて例の箱根の保養所へ行く事に成った。
それは良いのだが、岩代はその「イヨイヨだ」の対策が忙しく、今回は私が細君と二人で愛奴隷姿の妻を連れて行った。
目の前で繰り広げられた妻と福井のお遊びは、前回とさほど代わりは無かったが、岩代が居無い分、岩代の持ち場はこちらに廻って来た。
相変わらずと言えば身も蓋も無いが、妻は私の目の前で福井の欲棒を挿し込まれた大股開きの恥部を生々しく丸出しに腰をクィクィと使い、善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けて見せる。
佳境に入れば男二人に拠るア*ルと恥部への二穴同時ファック、シイシイスタイルの駅弁スタイル前後二本挿し性交で福井のえげつない遊び方は変わらない。
とても体力のある岩代の真似は出来なかったが、妻の皮一枚を隔てて伝わって来る福井の抽送が、何とも心地良い刺激だった。
そして三月、バブル経済が崩壊する。
大蔵省銀行局長 土田正顕(まさあき)から通達された「土地関連融資の抑制について(通称・総量規制)」による人為的な急ブレーキが、本来自然に起きるはずの景気後退を不適切に加速させた。
危なげな投機ブームは有ったものの、終(つ)いには日本の経済の根幹を支えてきた長期信用全体を崩壊させてしまった。
また、日銀による金融引き締めは完全に後手に回った上に、崩壊の最中においても続けられ、経済状況を極度に悪化させた。
総量規制の通達が出された当初は、まだ楽観的で、岩代を除く後の者は、まさかアレほど酷い事態が日本に訪れるとは、思っては居なかった。
チョットくらい景気が悪くなっても、「二〜三年で回復する」と、日本の経済力を信じていた。
恐らく日本中がそんなもので、「深刻な事態に成った」と気が付いたのは、それから暫(しば)らくして、株が暴落を始めた頃だった。しかしその時には、日本中が手遅れだったのである。
平成二年(1990年)八月の始め、日本のバブル崩壊に合わせた様に、イラクがクウェートに侵攻、湾岸戦争(わんがんせんそう)が勃発する。
八月末には 日銀、公定歩合を年率六%に引き上げ、不動産融資規制が制定された。
金融機関から不動産業界への資金流入にストップをかけるもので、土地の買い手が居なくなり、土地の値段が下がり始めて投げ売りが始まった。
土地での損は株を売って穴埋めしようと、株を売る人も急増し、株価も下がり、日本経済の投機ブームはついに終わりを告げ、バブルは崩壊した。
時間を掛けて沈静化する方法があったのだから、この官僚主導の「稚拙」とも言うべき誤った政策によって「人為的に資産としての土地の価格を下落させた」とする視点から、政策判断のミスが引き起こした「財産権の侵害である」と主張する声もある。
なお、前年昭和六十年に導入された消費税、六十三年のアメリカの株価大暴落「ブラックマンデー」、平成三年の湾岸戦争勃発による石油が高騰、円高、低金利、原油安だったものが、一気に円安、株安、債権安になっ事も「景気に悪影響を及ぼした遠因」と考えられる。
いずれにしても、それが実際には十数年続き、格差社会を生み出す元になった「失われた十年」の、幕開けだったのである。
福井から得られた情報で、かなり正確なバブル崩壊の時期を予測していた岩代は、三ヵ月前から全ての事業活動を縮小して本社ビル以外の不動産は現金化している。
本社ビルも三階を残し、一〜二階はテナント貸しに踏み切った。
まさにギリギリの所での戦線離脱だった。
こう言う事態になると金融機関の借り入れが命取りだったが、幸い「KIYOUBI(京美)」には借り入れが一円も無い。
岩代が金融機関を信用していない手持ち現金主義だったので、かなり担当者に誘われたが借り入れしてまで運転資金を増やす事はなかった。
日本全体の経済活動が急激に冷え込んで行って、バブル当時の営業手法は継続出来ない。
会社を危なげなく存続させる為には、テナント収入など堅実なものに転換しなければならない。
小泉と生島は突然の事業規模の縮小に驚いたが、岩代から福井の情報を聞きその予測を伝えられると、岩代に絶対の信頼を置いている彼らは岩代のやる事に異論は挟まなかった。
まぁ、今後は硬く経営する事にしたのだが、実は行きがけの駄賃も岩代は稼いでいる。
岩代は福井の情報を下にバブル崩壊を予測し、チャッカリ市場で株式の空(から)売りをして暴落後に買い戻して数十億稼いでいた。
空(から)売りと言うのは持ち株が無いのに先に株を売り、株価が下がった所でその銘柄を買って引き渡す典型的なギャンブルだが、岩代は事前に「総量規制」を承知していたのだから、然程(さほど)危ない橋を渡る訳ではない。
つまり妻の愛奴隷としての性奉仕の価値を、岩代が数十億円に膨らませた事になる。
岩代は今後の方針として、手持ち現金及び手持ち資産の運営を「株式会社KIYOUBI(京美)の柱にする」と言う。
不況の長期化も考えられるので、岩代は仲間の長期的生活を確保する為の新しい模索も始めていた。
資産を山分け出来れば簡単だが、個人に会社資産を移す方法は、課税対象額が半端でない。
私も節税を考えると、「KIYOUBI」を存続させ、合法的に「時間を掛けて個人に移したい」と考えたのだが、その為には何とか一定の事業を継続させ、細く永く移すしかない。
この先倒産が増え、「出物の不動産が溢れる時が有る。」と予測した岩代は、それを見極める為に暫(しば)らくは大人しく経過を見る積りだった。
岩代の予測の通り、物凄い土地と株の下落が始まった。
ゴルフ会員権などを含め、土地や株と買い手の値が着かないままの暴落で、底が無かったのだ。
「岩代君は、何故このバブル崩壊が予測出来たのだ。」
「社長、この一連の出来事は、官僚が仕組んだ事です。奥さんを始め、内の接待チームを動員して、陰謀は把握していました。その為に、奥さんをお借りしていたのですから。」
「なにッ、これだけ国民が苦しんでいる。国がバブル崩壊を仕組んだなどと、それは到底信じられない。」
「社長、官僚が国民の事を考えて何かした事はありますか?彼らか考えているのは、あくまでも国家の事です。」
「そりゃあそうだが、どう言う事だ。」
「だから、国民に対して口に出してはとても言えないけれど、今から大企業優先策を採る筈です。」
「そんな国民生活を無視した陰謀を、官僚がするかなぁ?」
「人件費の問題です。このまま行けば、追いかけてくる中国やインド、ベトナムと言った国々に、日本企業は太刀打ち出来なくなります。一度大不況を起こして、人件費を圧縮する事で国際競争力を取り戻す。」
「おぃ、企業がバタバタと潰れているぞ。」
「彼らのはあくまでも血の通わないデスクワークの論理です。」
「確かに、アメリカと違って移民を入れないから、人件費は途上国と比べ高騰しているが・・・」
「国民個々の生活など、ポーズはともかく官僚も政治家も考えてなど居ません。あくまでも国家の論理で、その為の国民の犠牲など、当たり前なのです。」
「それで、この先どうなる予測だ?」
「失業率が上がり、正規雇用が減って人件費が下がるまで、ノラリクラリとして居るでしょう。」
「それが本当なら、全く酷い話だ。しかし、話を聞くと有りそうな陰謀だなぁ。」
「六十年前の戦争だって国家の論理で、国民の犠牲など何とも思って居なかった。」
「そう言われれば、自分の為に戦争を起こす庶民はいないな。」
「国家の為と国民の為は必ずしも一致しません。むしろ国民の犠牲の上に国家は成り立っているのかも知れません。」
世間がバブル崩壊で混乱していた頃、「乱倫同志経営」の株式会社「KIYOUBI(京美)」の仲間内では、ろくにする事が無い。
一般社員は解雇し、幹部の半数が当番制で出社する程度でも仕事らしいものは大して無い。
情報収集の為、主だった数人の接待は続けていたが、それだけでは女達の出番も知れている。
その数人の中には福井大蔵省局次長や山崎代議士も居たが、彼らもバブル崩壊の混乱を収拾する事に追われて、ユックリ接待を楽しむ暇など無かった。
福井や山崎とは性接待を繋いでいるからには、岩代にはまだ何か目論みが残っているのだろう。
しかし周囲の状況は激変して行く。
言わば、蒼い絨毯のプレィルームで退屈紛れに仲間内で遊び呆ける日々が続いた。
本音の所、「退屈な日々」が続いていたのだ。
バブル崩壊後、企業が疲弊して求人が細り「就職氷河期」が訪れた。
企業側は効率が良い非正規職員の採用に走り、学校を卒業しても正規社員の求人が無い時代だ。
だが、求職者の方は環境が激変したに関わらずまったく臨機応変さに欠け、「就職氷河期」と言う認識に欠け、景気が良い時と同じ就職活動をして居る。
この段階に在りながら、現状維持を原則にして発想して居る限り、楽かも知れないが全てに於いて進歩は無い。
比較するに、女性接待係の四人組・安部、麻生、福田、谷垣の就職活動にはシリアス(真面目で深刻)な覚悟が在った。
最も、神戸大震災の時二ヵ月後位から、川崎堀の内や東京吉原のソープ嬢に関西弁を話す女性が急増し、その覚悟はシリアス(真面目で深刻)に現実的だった。
つまり建前だけでは親の二重住宅ローンは救えないし、そこで災害支援だけで世間並みな生活を求めても机上の空論だった。
いずれにしても環境が激変したら、それに対応する為に既成概念を超越する柔軟性ある覚悟が必要である。
それで例え意に添わない事でも、犯って見ればその体験を通して自分を磨く新しい繋がりや発見がある。
所が、大概の人間は犯る前から否定してしまうので、幸せを掴(つか)む為の進歩も無ければチャンスも無い。
一般的とか普通とかの既成概念が必ずしも正しいとは限らないので、物の考え方には柔軟性が必要である。
脳科学者が指摘するに、固体に差があるものの人間の脳の自然発達は一般的にそのピークが凡(およ)そ三十六歳である。
従って、三十六歳以降の人間が幾ら考え方を変えようとしても思考が固定するアンカリング効果と一貫性行動理論が顕著になる。
まぁ本人にして見れば思考を固定した方が楽かも知れないが、日々発生する命題に対処できないから、世の中に遅れを取る。
本来、五覚(五感)も思考も脳が管理しているのだから、先入観で結論を決め付けずに脳が正しい情報を得て正しい指令を送る柔軟性を持った脳の訓練が必要である。
それ故に柔軟性を持った考え方を習得するのは、多少世間を知った三十歳前後が好ましく、この時期に固定観念を棄てて考え方に柔軟性を持たせる学習をする事が肝心である。
つまり三十歳前後から先の六年間が、学習を必要とするする大人の学校で、ロマンチック(現実を離れた空想的想い)よりもシリアス(真面目で深刻)な発想の方が具体的である。
そんな時佐和子が、性懲(しょうこ)りも無く二度目の助けを求めて来た。
暫(しば)らく噂を聞か無かったが、だみ声の専務夫婦はバブル崩壊の煽(あお)りを受けて、今度こそ現実に五千万円を越える借金に追われていた。
性懲りも無く、雁首(がんくび)を揃えて「KIYOUBI(京美)」の支援を頼って来たのだ。
これが「退屈な日々」を送っていた我々に嵌(はま)って、当時としては一大イベントに発展した。
本来なら見捨ててしまえば簡単だったのだが、奇妙な事に、だみ声の専務夫婦を縛っている相手が「某やくざ組織の企業舎弟」と聞いて、岩代の顔色が変わった。
龍信会系企業舎弟・坂元の街金(消費者ローン)と成れば話は別だ。
そして、私から言い出すまでも無く、岩代の方から「社長、助けてやったらどうです?」と言い出した。
「良いのか?規模を縮小までしているこの時期に、そんなにまでしてやって・・・」
「仲間の手前もあるから佐和子にはきついお仕置きをさせますが、二人がどんなお仕置きでも受けると言うなら納得させられるでしょう。」
「そりゃぁもう、佐和子は元々皆さんに調教されて、今回どうなるか位は承知で伺ったのですから。」
このKIYOUBI(京美)への完全降伏の時点でもう、佐和子への陵辱舞台の幕が上がってしまっていた。
佐和子は、KIYOUBI(京美)グループが生贄(いけにえ)として山崎代議士に裸に剥(む)いて引き渡した、山崎が意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)である。
こう成ったら、「小娘じゃあるまいし」と佐和子は自分に言い聞かせて、ポルノ映画の様に生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインを務めるしか選択肢は無い。
こうも赤裸様(あからさま)に周囲の合意の下で同性を甚振(いたぶ)れるとなると、「そんな事可愛そう」は口先ばかりにメラメラと加虐心が湧いて来て、卑猥(ひわい)な事を面白がって強いる女性の本心が露(あらわ)に噴出する。
そりゃあ誰だって多様性が在る人間だから、正直に言えば本能に虐(いじ)め心は存在する。
生ライブ(生実況風景)のセクハラで卑猥(ひわい)な事を逆らえない同性に強いるのは気分が良いし、それを犯られる同性の羞恥反応を真近に観るのも愉しみなものだ。
切羽詰まっているだみ声の専務の方は、一も二もなく必死である。
「佐和子さんご本人はどうですか?」
「前回あんな事をしましたから、並みのお仕置きではないのでしょ?覚悟は出来ています。」
「それなら、皆に諮(はか)ってみましょう。」
だみ声の専務夫婦に絡んだのが、例の「龍信会」系企業舎弟・坂元の街金(消費者ローン)で、生易しい事では通用しない。
金を返すか、佐和子と家を売り飛ばして死ぬしかないのである。
それにしても、こう度々選りに選って坂元の街金(消費者ローン)が絡んでくるのはどうした事か?
坂元と言う男は、企業舎弟をして居るだけに悪知恵が働き、一筋縄では行かない
何か重大な問題でも起こらなければ良いのだが・・・。
この昭和末期の時代に、家庭用ビデオデッキが急速に普及している。
そのピークが、昭和の終わる昭和(裕仁)天皇崩御(ほうぎょ)の年だった。
この家庭用ビデオデッキの普及を、当初男性の圧倒的購買意欲で加速させたのは、実は裏ビデオテープの存在である。
冷蔵庫や洗濯機と違い、購買意欲を燃やしたのが「裏ビデオ見たさ」の男性側である事から、高価にも関わらず家庭での購買合意は早かった。
裏ビデオの存在そのものは違法であるから、その生産に関わったのは坂元達のような裏社会である。
坂元の扱っていた裏ビデオは、旨みがあるから製造から販売まで手掛ける組織を上げての凌(しの)ぎだった。
当初は、八ミリフィルム以来の関西や四国が裏ビデオの産地だったが、この頃には関東で撮影、長野・山梨の人目につき難い山間地で大量にダビングしたものが裏市場に出回っていた。
色物写真業者、映画・TVの下請け製作会社崩れが沢山いたから、スタッフには事欠かない。
個人商店の電気屋など、家庭用ビデオデッキのおまけ(販促)に、内緒で裏ビデオを付けたくらいだから、需要はかなりに上った。
佐和子夫婦は、企業舎弟・坂元の街金(消費者ローン)で金を借りていた。
いずれにしても、金にこまった女性が稼ぐ手段はソープ嬢や裏ビデオ女優、宅配ヘルスなどで、裏社会が絡む場合が多い。
ご多分に漏れず、企業舎弟・坂元の所も裏ビデオの製造から販売まで一枚噛んでいたから、街金(消費者ローン)で支払い不能になった女性は、因果を含めて裏ビデオに出演させる事もある。
シャブ漬けにして売り(売春)をさせるのは奴等の本業みたいなものである。
佐和子は、「KIYOUBI(京美)」が助けなければ、いずれソープ嬢や裏ビデオ女優、宅配ヘルスで稼がされる運命だったのである。
岩代は業(ごう/カルマ/行為)の深い生き物で、ある種想ったよりも「感性が強い曲者(くせもの)」だったからこそ、リーダーシップを発揮していた。
実は既に佐和子は勤め先の上司婦人時代から、岩代のお眼がねに、「この女性なら愛奴隷に良いでしょう」と適(かな)っていた。
岩代の、女性のM(マゾ)性の強弱を見分ける嗅覚は天性のもので、僅かな可能性も見落とさない。
佐和子は「性癖」の深層を封じて隠し生きる為に、日常地味な装いをしていて、それが実は強いM(マゾ)性を滲ませていた。
夫のダミ声の専務には衝撃的だったが、つまり元々佐和子には天性のM(マゾ)性が滲んでいた。
佐和子は内心、高校生の頃から自由に伸び伸びした性交に興味があった。
それを阻(はば)んで居たのは、言わば世間のモラル(道徳)・インモラル(不道徳/背徳的)と言った建前のパラダイム(時代の合意事項)だった。
しかし人類に於けるパラダイム(時代の合意事項)など、正直、不確(ふたし)かな事この上ない。
感性で言えば、中世のパラダイム(時代の合意事項)は「地球は平で在り、天が動いている」が信仰上の感性だった。
正直、シエアリング(共同所有)のソーシャルセックス(社交的な性交)、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)など、想像しただけで胸がキュンとする。
もしかしたら佐和子のそうした興味は、本性を素直にバラせば世俗的には「あばずれ」と言われそうな眉をひそめるSEXの遊びへの密かな憧(あこが)れだった。
だが、佐和子の深層心理のイメージでは、性玩具(おもちや)として扱われる露出羞恥や輪姦と言うM(マゾ)性の「服従の性交」を予感させるインモラル(不道徳/背徳的)で多様な性交に密かな憧(あこが)れが在った。
結局の所、女が男を甚振(いたぶ)っても、シュール(説明が難しい状態)な違和感ばかりで落ち着かない。
つまり女性には根っ子からM(マゾ)性が本性で、罪悪感的な想いは在ったが、それ以上に感じられる快感に佐和子は魅力が在った。
実はこの時、岩代は難問を抱えていた。
山崎代議士から「里美を犬と犯らせて見たい。」と提案された時は、岩代も正直悩んだ。
山崎代議士に言わせると、人間は清純とエロス、善意と悪意に揺れながら生きる動物で、代議士が清廉潔白などと言うのは建前でしかない。
品行方正な権力者など滅多に存在せず、唯の庶民の希望に過ぎないにも関わらず、そんな現状で大物政治家や高級官僚、財界の重鎮として生き残った者を、「偉い人」と称えている。
つまり大局観を持てば、「正義が勝つ」や「指導者の品行方正」は夢物語で、残念ながら庶民受けする娯楽物語りのように善人が生き残る事は現実世界では少なく、少々ずる賢く時には卑怯な悪人の方が遥かに生き残って権勢を振るう確率が高い。
クールな岩代も、いざ妻に獣姦をさせるのは余りにも強烈で、岩代にはその感性が無いからとても山崎の欲望に付いては行けない。
実はある事情で妻を愛奴隷に仕立てた岩代にすると、事が獣姦では余程の事で無いと、いくら里美相手でも持ち出すのをはばかるような話だった。
「京香、弱った事になった。山崎代議士の遊びがエスカレートして、ラドール犬と里美さんを掛けたいと・・・幾ら何でもそれは出来ん。」
「やはり獣姦をさせたがりましたか。」
「知っていたのか。予知していたなら、次の手も考えているだろう。」
「今にあの佐和子が金を借りに来ます。」
「あの夫婦、今更ここに顔を出せるのか?」
「そこですよ、出せない顔を出すのですから、無理も聞きます。」
「佐和子ならラブとの獣姦を請けると言うのか・・・間違いないか?」
「えぇ、それであの夫婦には先の人生が開ける筈です。」
「なら、佐和子に獣姦を薦めても、悪いようには成らないんだな。」
「私の例の予知では、あの夫婦は意外な幸運を掴むみたいですよ。」
「お前(京香)がそれを予知しているなら間違いはなかろう。」
「私だけでなく、里美さんもそう言っています。」
「そう言えば京香、もぅ里美さんの予知能力はかなりのものに成るようだが?」
「えぇ、ヒョットすると私(京香)に匹敵するかも。」
「パワーはまだお前(京香)までは行かないだろうが、里美さんにはかなり犯らせたからな。」
「元々素質があったのでしょう。輪姦(まわ)される都度に里美さんの予知夢が強く成りました。」
「それも、お前(京香)の予知通りの結果な訳だ。」
「私(京香)と違って、里美さんのパワーはまだ成長しています。」
「するとまだ、輪姦(まわ)しを犯れば犯るほど強くなると・・・」
「限界にはまだ余裕が有るようです。」
「しかし、かなりの予知をしているのにほとんど自分の胸にしまって居るとは。」
「もぅ、私達の事も全て読めています。」
「読めていて何も言わないのか?」
「ある時点から、読めているからこそ何も言わないで私達に従っていたのです。」
「利巧なお人だ。」
「そろそろ次のステージの準備をする時期ですね。」
「次は何をすれば良い。」
「皆さんに引き会わせる時期かと・・・・神社を買う計画を始める時期でしょう。」
「すると、ソロソロ目的を明かす所まで来たと言う事か・・・」
「漸(ようや)くですね。」
ある事情があって妻を愛奴隷に仕立てた岩代としては、先の事を考えると流石に「犬と犯れ」とは里美に言い難い。
しかし相手は国政の実力者で、山崎の希望を放っても置けない。
エラく我侭(わがまま)なオネダリだが、裏を返せば、地位有る山崎代議士が、「心を赦して鎧(よろい)を脱げる相手」と我々を認めた事になる。
そこに飛び込んで来たのが、佐和子夫婦だった。
山崎にすれば、今更「KIYOUBI(京美)」相手に格好を付けても仕方が無い。
裸の付き合いだからこそ、互いにプライドも脱ぎ捨てた我侭(わがまま)も言える事に成る。
人それぞれに思惑が違う課題には、正解はないから、単に「山崎代議士の我侭(わがまま」)と切って捨てては、こちらが至らない事になる。
我々を頼りにしている山崎代議士のオネダリは、無理をしても叶えてやらなければならない。
「如何にしたものか?」と岩代が悩んで居た所に、だみ声の専務夫婦が救いを求めてきた。
何も無い時には中々言える物ではない。
それで、「これ幸い」と話を持ち出して見た。
しかし岩代には隠している訳が有って、他の女なら正直獣姦も構わないが里美だけは幾ら何でも獣姦は困る。
岩代の持論からすれば、精神と肉体の分断を標榜している以上だみ声の専務夫婦が容認すれば、肉体の方は別に何を相手にしようが、精神(こころ)は傷付かないし、気にするものでもない。
それに私としてはだみ声の専務夫婦は助けたいが、「KIYOUBI(京美)」としては周りの感情は良くない。
岩代としては佐和子に獣姦とSMをさせて一挙に追い詰め、「お仕置きは済んだ」と、周囲に心を開かせ、「仲間の資格を与えてしまった方が良い」と、読んだのである。
恐そる恐そる言い出して見ると、意外にも佐和子は顔色も変えずに「判りました」と簡単に応じた。
佐和子の本音は判らない。
しかしこちらの都合で、「畳掛けても」これを進めなければならない。
そう思って獣姦に臨んだのだが、これがとんでもない。
ラブラドールの「ダンディ・ファック」を相手に、見事な犯されぶりで善がり、雌豚に成り切った。
佐和子は精神(こころ)と肉体の分離を完全に消化して、見事に精神を分離、肉体の快感を貪(むさぼ)って見せたのだ。
竹中、田嶋、石上、私、里美、岩代、岩代京香、小泉、小泉順子、生島、生島喜美子の十一人が集まった。
伊豆でレストランを経営する石上も、バブル崩壊の煽(あお)りで休業状態に近く、今では「株式会社KIYOUBI(京美)」の投資配当が役に立って居る。
「甘いなぁ社長は。このままでは皆が赦す訳が無いでしょう。」
皆経緯を知っているか良い顔はしない。小泉や生島は、出先で多少なりとも妨害を受けているから辛(しん)らつだった。
だみ声の専務夫婦は、まるで魔女裁判でも受けているようにうなだれて、話し合いの行方を案じている。
「しかし、どうにかしてやらないと・・・」
批判が多い中、「挨拶代わりに佐和子にシャブらせて見ましたが、今度はどうやら邪気は無さそうです」と、岩代が助け舟を出した。
「そうですよ、考えて見れば喜美子さんの所も、順子さんの所も会社に助けられたのじゃあないですか。」と、妻の里美も横から助け舟を出している。
「しかしねぇ、私達は佐和子さんみたいに一度も裏切りませんよ。」
だみ声の専務は、「佐和子にお仕置きを覚悟させています。何とかお助け下さい。」と、必死で懇願する。
「それなら裏切りの罰として、私が悩んでいたゲストの注文が在るので、当分それらをさせましょう。」
岩代が、頃合を見て条件を切り出した。
ゲストの注文は断らないのが原則で、信用されて来た。
所が、そうなると要求が段々エスカレートして来る。
ここまで来ると、KIYOUBI(京美)」としてはその無茶な要求をもこなせる者(女)の育成が、急務だったのである。
実は、山崎代議士が、「知り合いに調教済みの犬がいるから、里美と犯らして見たい。」と言って来たのだが、岩代も流石にそれには即答が出来ずに困って居た。
その犬の相手を、「佐和子にさせよう」と言うのだ。
「私は賛成。あの娘はそれなりの罰を受けるべきだと思う。」と、真っ先に順子がその話に乗った。
「えぇ、佐和子を犬と犯らすのか・・・それは酷く無いか?」
いくら裏切りの罰と言っても、流石に犬とは、「チョット可愛そうじゃないか」と私には躊躇がある。
しかし、下手(へた)をすればその役目は妻の里美に廻って来かねない。
確かに、今後のゲストのエスカレートを考えると、一人、その為のキツイ要求を受ける愛奴隷を用意しておく必要があった。
流石(さすが)にその全てを、妻に負わす訳には行かない。
それなら確かに、佐和子夫婦の五千万円を肩代わりしても惜しくは無い。
「大丈夫ですヨ、山崎代議士の話しではチャンと予防接種済みのラブラドールですから。」
岩代が、何が何でもの勢いで押し切ろうとしている。
「そうかぁ、佐和子さんが犬に犯られる処、見てみたいと言えば見てみたいな。」
どうやら、細君(京香)が興味を示したようだ。
「ねぇ、そうでしょ、徹底的にお仕置きしないと、私は腹の虫が収まらないワ。佐和子がどんな顔しながら犬と犯るか、すごく楽しみ。」
順子は根が陽気で、何時(いつ)も前向きにものを見る。
M気も強いが、SMへの好奇心が強いから、獣姦にも興味深々である。
元々ドライな性格の順子は、自分自身にもアッサリしているから、こう言う事には余り変な同情はしない。
「ハハ、順子はキツイね、でも面白そうだな。させても問題は無いが、佐和子が応じるかな?」
竹中が余裕の表情で、口を挟んだ。
「やっぱり、犬と犯らせるのは可愛そうじゃない。」
喜美子は戸惑いの表情を浮かべていた。どちらかと言うと温厚な性格の喜美子は、自分がかなりの事をする愛奴隷に成っても、それは自分の内面で処理する事と決めて居て、自分から口を挟んで「他人にどうこうさせよう」と言う気はない。
「佐和子のご主人はどうなのだ。犬と犯らせる事が出来るのか?」
「私はその・・・」
だみ声の専務の戸惑いを打ち消すように、「大丈夫です。私、犬と犯って見せます。皆さんに納得してもらう為のお仕置きですもの、覚悟の内です。」と、佐和子が割り込んで言い切った。
切羽詰まっているのが、態度からも判る。
「喜美子は何を優しい事を言っているの、本人が良いって言っているでしょ。それに、そうしなければ里美さんが犯る接待なのよ。」
「知らない仲じゃないのだから、罰として役目をこなすのなら、佐和子を助けて遣れよ。」
「そぅね、裏切りの罰もあるし、じゃぁ佐和子を犬と犯らしちゃおうか?」
「何ょ、喜美子、さっきは可愛そうだって言ったのに。」
社長の私と、岩代夫婦が乗り気なので、大勢がその方向に傾きつつあった。
五千万円を立て替えて、「だみ声の専務夫婦を助ける」と成ると、当分は佐和子が最下位の身分で接待に精を出す日々に成るが、それも夫婦で了解した。
正直こう言う犬との獣姦ショーは、温泉観光地へ行くとたまに鑑賞を誘われて観ているから、女性が応じさえすればまったく不可能な行為ではない。
犬(ダンディ)との獣姦が条件だった。
嫌なら佐和子は逃げ出すしかないが、ここまで追い詰められた佐和子には逃げ出して解決する話ではない。
所が、佐和子の中の脳の思向は奇妙な事に、M(マゾ)性がフッフッと湧き上がって来ていた。
意外な事に佐和子は、KIYOUBI(京美)の社長応接室に全裸で繋(つな)がれ、犯され捲くられてスッカリM(マゾ)性に目覚めていたのだ。
人生が「思い通りに行く」などと思っているのは、稚拙な甘えである。
本人の思い通りに行く人生などある訳がないのだから、アクシデントをアグレシブ(攻撃的)に受け止めなければ生きては行けない。
此処まで運命が進行してしまえば引き返せないのだから、もう佐和子には輪姦だろうが獣姦だろうが嫌も応もなく笑って股を開く。
そう言う所に身を置いた以上、出来る限りの事を犯って性欲をかき立て、自分も相手も満足させる責任が佐和子にはあるのだ。
実は夫の借金の相手、「龍信会」系の企業舎弟・坂元を見た時、佐和子はその顔に見覚えがあった。
坂元と佐和子では六年ほど年格好が違う。
夫婦で坂元の事務所に呼び付けられ、佐和子は好色そうな目で坂元が、自分の身体を舐め廻すように見るのを耐えた。
「おゃ、久しぶり。直ぐ判ったよ、この奥さんまんざら知らないでもない。」
相手の金貸しが、妙に馴れ馴れしいのだ。
「はて、何処で会ったのか?」と考えて、ある悪夢がよみがえって来た。
ちょうど十年前、当時十九歳だった佐和子は、二十代半ばの坂元とそのグループ五人に輪姦されていた。
意図的に忘れたくて努力し、もう数年前からその過去を忘れていたのだが、冷たい笑顔の顔を見て思い出した。
坂元は最低の男だった。
佐和子はデェスコに遊びの来ていてヒョンな事から因縁をつけられ、彼らのアパートに連れ込まれ、「処刑」と称して輪姦された。
十九歳と若かった佐和子には、相手が不良グループ六人では怖くて抵抗など出来る訳もなく、ほとんど言い成りに裸に成り、言い成りに股を開いた。
不良グループの輪姦は、女の体の事は考えていないから半端なものではない。
佐和子の思い出した悪夢は酷いものだった。
いざ犯ると言う段になってスキンゴムを使用するから、まだ彼らに「少しは良心があるのか」と思ったのだが、そうではなく、自分達の悪逆な楽しみの為だった。
佐和子は縛り上げられて無理やりに山芋をアソコに突っ込まれ、その痒(かゆ)さに七転八倒させられた。
残酷な事に、それが彼らの輪姦遊びの常套手段(じょうとうしゅだん)だったのだが、坂元達不良グループの魂胆は酷い話である。
佐和子が山芋を突っ込まれた中の痒(かゆ)さから逃れる為には、嫌でも彼らの押し込む欲棒を、腰を使って必死で擦(こす)るしかない。
奴らの方は、スキンゴムでカバーしているから呑気なもので、佐和子が痒(かゆ)さから逃れようと腰を使って必死で擦(こす)るのを楽しみながら、「俺は三回目だ。」などと残酷に競い合って楽しむのだ。
犯らせる方は楽しいかも知れないが、犯られた方は、大事な所が気が狂わんばかりに痒(かゆ)くて、堪(たま)ったものではない。
その悪共のリーダー格が、坂元だった。
「奥さん、金返せなかったら、肉体(からだ)で稼いでもらうよ。」
借金のかたに身体を押さえられたら、まずは坂元の餌食に成るのは判っている。
あの残酷な性癖の坂元だけに、昔みたいに何をするか判ったものではない。
佐和子には、それだけは我慢が成らない。
結構経験を積んで大概の事なら犯り通すが、奴だけにはどんな事をしても、意地でも肉体(からだ)を許したくはなかった。
あの坂元の玩具(おもちや)に成るくらいなら、まだプロが管理している犬が相手の方が佐和子にはよほど益しだったのだ。
此処まで追い込まれてしまえば、佐和子はどんな事に肉体(からだ)を供してもけじめを着けねばならず、空(そら)を使ってばかりは居られない状況だった。
しかし運命とは不思議なもので、この佐和子夫婦の決断が彼女達夫婦に取ってまさに幸運を呼び込む事に成るのだが、その話をするのはまだ少し先になる。
坂元と佐和子の過去の経緯(いきさつ)を知らないから、佐和子が本来嫌がる筈の獣姦に余りにも素直だった点について私はある疑惑が浮かんだ。
岩代理論で言う祈願巫女を極限状態に追い込む輪姦を、佐和子は体験している。
つまり佐和子は、逃れられない自分の未来を「密かに予知していたのではないか?」と言う疑いである。
そう成ると、妻はもとより喜美子や順子などの「KIYOUBI(京美)」の女達も、口にこそ出さないが未来を見た上で、岩代夫婦に素直に従っている事になる。
道理で、岩代夫婦に拠る彼女達の制御が容易な訳で、それであれば全ての説明が着くのだ。
しかしこの神懸(かみがか)った奇妙な推理など、誰が「信じる」と言うのか?
本音の所、メンバー皆が退屈していた時期で、言わば佐和子夫婦の事は「飛んで火に入る夏の虫」みたいな話である。
山崎が望む獣姦は、そのテストの意味合いも込め、全員が居る中で行う事になり、話しが決まった。
勿論、佐和子の夫(だみ声の専務)も同席させる。
正直かなりの人数に、意地悪心が湧き上がっていたのである。
早速岩代が、佐和子の夫(だみ声の専務)を伴って、素裸に剥(む)いてコート一枚にした佐和子と一緒に山崎代議士の所へ連れて出向いた。
山崎代議士「この夫婦の妻に、山崎先生の希望する獣姦とSMをさせたい」と伝え、コートを取り払って佐和子の裸身を山崎の目に晒(さら)し、「里美の代わりをこの女が勤める。」と山崎の了解を取り付けた。
佐和子の裸身を見せられて、山崎も「ウン」と言う事は、岩代も最初から読めていた。
山崎の目の前で、佐和子の裸身からは例のオーデコロンの香が匂い立って居る。
「おぉ、岩代君が薦めるだけ有って、この雌豚も良い肉体(からだ)をしている。これなら里美の代役もまぁ良いだろう。」
佐和子の裸身を眺め回した山崎が、乳首を「グリグリ」と摘みながら満足そうに言った。
岩代は厳選した女性しか触手を動かさない。
夢を広げるのは美しい女神(愛奴隷)の働きに掛っているからで、佐和子もこの範疇(はんちゅう)に入る。
佐和子も裸身にすれば、出る所は出ているし引き締まっている所は引き締まって、つまり、里美とはタイプは違うが、佐和子も美人でスタイルも良い。
その白い肌を見せ付けられて、食指が動かない訳は無かった。
「さて、この美乳の触り心地はどんなじゃろう。」
山崎は近寄って丸く膨らんだ佐和子の乳房をムンズと掴んだ。
手始めに、ポルノ映画のように、乳首を硬くした柔らかそうな佐和子の乳房が無遠慮に山崎に揉みしだかれて波打ち、掌(てのひら)の指に幾分コリコリと挟まれて間から突出した佐和子の可憐な乳首が刺激を受けている。
「そうか、この雌豚が犬の相手をすると言うのだな。それは楽しみだ。」
「ここに居る雌豚の夫(だみ声の専務)もこの雌豚本人も了解済みですから、仰せの通りに従います。」
岩代が、床に正座させている「だみ声の専務」を指差した。
だみ声の専務が、岩代の言(げん)を追認するように「宜しくお願いします」と頭を下げた。
「なるほど、ご主人も承知と言うなら、間違い無いじゃろう。」
「どれ、その前に雌豚のオマ*コでも攻めて観るか。」
山崎代議士は佐和子を立たせてまま脚を広げさせると、柔ら壺に指二本をグイと挿し込んで中をまさぐり始めた。
佐和子の柔ら壺に挿し込まれた山崎代議士の指先が、コリコリとポルチオを刺激している。
膣(ウァギナ)の奥、子宮入口の、指で触るとコリコリ感触がある突起物が、「女体で最も敏感」と話題の性感帯・ポルチオである。
指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ佐和子の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身する。
佐和子の猥褻な善がり声が、山崎代議士のポルチオ刺激の効果を示している。
「どれ、充分にほぐれたな。佐和子、早速おシャブリのご挨拶をしなさい。」
「はぃ喜んで、先生失礼します。」
岩代の命令で、佐和子が山崎の欲棒を咥(くわ)えに掛かった。
交渉事はこれが一番で、「KIYOUBI(京美)」の女達はそれを充分に心得ている。
山崎代議士は堂々としたもので、「まて、リラックスしたいから横に成る」とソファーに横たわった。
全裸の佐和子に欲棒を咥(くわ)えさせ、唇で扱(しご)かせながら、山崎は岩代の話を聞いた。
「それで先生、我が社の幹部が皆で立ち会いたいと申しております。勿論、先生の見物中、今その雌豚がして居る事のお相手は、選り取り見取りですから。」
佐和子には、当分お仕置きをさせる理由がある事も山崎には伝えた。
「そうか、亭主も承知しているなら話が早い、皆も凄く期待していた様だから、三日後にでも企画して見るか?」
佐和子が床に座って、ソファーに横たわる山崎代議士の股間に覆(おおい)い被(かぶ)さり の欲棒のカリ首を口に咥(くわ)えて、右手で握ってせっせと扱(しご)いている。
覆いかぶさる佐和子に、下から腰を使ってクイクイと欲棒を喉の奥まで突き入れる度に、山崎代議士のやや膨らんだ腹が佐和子の鼻を潰す様にクイクイと押し付けられて居る。
佐和子も空(そら)は使えないから、上半身を使ってウゴウゴと山崎代議士の欲棒を喉の奥に必死に迎えに行く。
山崎代議士のカリ首を喉の奥まで飲み込めば流石(さすが)に「オェッ!」と苦しいが、口をすぼめて咥えた山崎代議士の欲棒に歯を立てられないので、佐和子は涙を流しながら我慢する。
山崎代議士の欲棒を咥えた佐和子の口元で、唇を擦(こす)りながら唾液に濡れ光る陰茎が生々しく見え隠れしている。
山崎代議士の腰の動きに連れて、坊主頭・海綿体のカリ首が佐和子の口中でまで届いて口蓋垂(こうがいすい/喉チンコ)を押し分け、山崎代議士の欲棒根元の恥毛が佐和子の唇に容赦無く押し付けられている。
これは男性が女性に対する征服欲を満たす行為としては一種の服従儀式で、喉の奥まで欲棒を挿し込む行為は中華大陸で一般的なので大陸式フェラチオとも呼ぶ。
だからこの大陸式フェラチオは単なるおシャブリ以上に過激だが、その方に服従するお遊びのSEXのお相手を、これから始める「挨拶代わりの覚悟のしるし」と言う事になる。
征服気分が上々のシュチエーションだから、もう山崎代議士の腰が浮き上がって微妙に揺れていたが、突然から「ウォー。」と言う声が漏れて浮き上がった腰の力が抜けて行った。
どうやらの口の中に発射したようだが、佐和子はまだそのままシャブリ続けて発射したものをゴクンと飲み込んだ。
「先生の方は、三日後で大丈夫ですか?」
「判った。犬の手配は任せておけ。当日は君の所のプレィルームを使おう。」
「先生、犬と犯らせる前に、豚の味見はどうですか?」
「当たり前じゃ。雌豚、今度は下の口で咥(くわ)えろ。」
「化け物か?」と思うほど元気なもので、山崎代議士の欲棒は又元気を取り戻している。
「はぃ喜んで、山崎様。」
命じられた佐和子が立ち上がり、向きを変えて前向きに山崎を跨ぎ、少しずつ腰を下げ、右手で彼の欲棒を支えてカリ首を花弁の中心に宛がい、M字開脚で腰をユックリと下げて行く。
佐和子の肉花弁を押し退ける様に、山崎の欲棒がユックリと呑み込まれて行くのが、スローモーションに見えている。
「アァァ。入ります山崎様。」
吐息と伴に腰が深々と降り、山崎の欲棒が佐和子の花弁の中心に嵌(はま)り込んでカリ首が埋没し、陰茎さえも見えなくなった。
佐和子は、左右に広げた両足を踏ん張って腰を上下し始め、佐和子の恥毛の付け根、二枚の肉花弁の中心に山崎の陰茎が、愛液に光りながら見え隠れして、山崎の欲棒を咥え込んだ二枚の肉花弁の中心を岩代に見せ付けている。
岩代が、山崎代議士と性交する佐和子の様子を見て「今度こそ、あれは化けますよ。」と私に囁(ささや)いた。
「佐和子が化けるって?」
「えぇ、代議士(山崎)に認められるように成ります。」
「そうか。君が言うのなら、間違いなくそうなるだろうな。」
それにしても獣姦話である。
それを受けた佐和子の思い切りの良さを不思議に思って聞いて見ると、佐和子の血液型はAB型だった。
血液型がAB型の女性の性格は二面性にあり、センシティブな感情を持ち多趣味多才で多くの事に興味を抱く。
その一方で気持ちを率直に表現出来ないから「何を考えているか判らない」と思われてしまうミステリアスな所が在る。
只、多方面に興味が在るからセックス観にもそれが反映されてアブノーマルなプレィにも興味が強く、性向も愛情と肉欲が同時進行も有りの二面性で、気分次第では何でも犯って見る性格である。
今度のダンディとの獣姦性交も、AB型の佐和子ならではの興味が幸いした事かも知れない。
佐和子は、夫(だみ声の専務)に見せつける様に腰を使っている。
「おぅ、オマ*コも中々良い具合じゃ。これなら内の犬(ダンディ)も喜ぶだろう。ナァ、雌豚!」
「はぃ喜んで、山崎様。」
この佐和子夫婦の捨て身の決断、後に夫婦に思わぬ幸運をもたらせるのだが、それは少し先の話である。
イヨイヨです。
「犬が相手」と言うお仕置きの具体的な打ち合わせの話を、山崎代議士の欲棒を咥えながら聞いて、私(佐和子)の頭に「キーン」と言う疲れた様な不思議な被虐の感覚が湧きました。
話の進展に私(佐和子)への加虐の気持ちが高ぶったのか、口の中の山崎様の欲棒が硬さを増します。
女の身体は、一筋縄ではありません。
「味見をする。」と言われた時は、もう、私(佐和子)も待ち切れない状態だったのです。
夫(だみ声の専務)の立場は、それを見守る以外何も言えないし何も出来ないのです。
山崎様の欲棒が、私(佐和子)の花弁の中心に嵌(はま)り込んでカリ首が埋没すると、私(佐和子)の両足を踏ん張った腰の動きが激しくなります。
こうする事で、口に出さずとも私(佐和子)の犬と犯る気は、山崎様に通じる筈です。
私の中で、山崎様の欲棒が「ピクン、ピクン」と波打っています。
もう、相手が誰なのかは問題ではありません。
私(佐和子)の好きな行為、繋がったまま恥骨を擦り合わせるようにグラインドをします。
今は、誠心誠意尽くして山崎代議士に気に入られ、「里美さんの代わりに私(佐和子)で良い」と了解して貰わなければなりません。
相手はやくざの企業舎弟です、どの道家は取り上げられ、私(佐和子)は売り飛ばされて、売り物のSEX地獄から一生浮かび上がれない所でした。
こちらの「KIYOUBI(京美)」の支援条件なら、同じ裸の接待をするにしても家は残るし、時間は掛っても立て替えて貰った借金は返せます。
元を正せば、そんな思い遣りの相手を一度は裏切ったのです。
ですから、山崎代議士の獣姦接待は、結果的に私(佐和子)もその条件を飲まざるを得なかったのです。
山崎代議士に、「雌豚」呼ばわりをされて、当分そう生きる決心をしました。
考えて見れば気分の問題で、獣姦も見も知らない他人(ひと)との性交も、安全で在れば然(さ)して変わりは無いのです。
あの坂元達の毒牙に掛かって、一生丸裸で生きる拠りは獣姦のお仕置きを受けてでも仲間に戻る方が余程益しです。
そう、私(佐和子)はもう腹を括った「雌豚」ですから、相手が犬でも驚く事は無いのです。
案の定、佐和子夫婦の借金の清算は簡単には行かなかった。
企業舎弟・坂元の経営する高利の街金(消費者ローン)は、度重なる「KIYOUBI(京美)」との関わり合いが面白くない。
それに、バブルが崩壊して凌(しの)ぎがきつく成っていたから、一生掛けても中々払い切れない状態で、長々と佐和子を飼い殺しにして、利子だけを稼ぎ続けさせるつもりでいた。
一度に清算されては、それ以上の稼ぎには成らない。
今は金を返されても、中々佐和子のように利子だけを稼ぎ続けさせる上玉(じょうだま)の、次に貸出せるせる相手が見つからないのだ。
坂元が、「返済はもぅ遅いから、佐和子を押さえる」と言い出したので、本格的なトラブルに成った。
一触即発状態になって、岩代の寮監時代の教え子軍団二十数名まで集めたが、事情を聞いた山崎代議士の口利きで、坂元の所属とは違う山崎派に繋がる組織団体を中に入れて、上の者同士で手を打った。
坂元の所も、相手が同業で「大きな抗争に発展する」と成ると、忌々しいがそこまで意地を通す気はない。
上が手を打った事で、「スンナリ」と手を引いた。
しかし、この時の個人的な遺恨が坂元に残って、後にとんでもない事態を招く事になる。
明るい照明の下、だみ声の専務の目の前で一組の全裸の男女が絡(から)み合って、ユックリとうごめく様に濃厚な性交を此れ見よがしに犯っている。
その濃厚な性交の男女は、男は山崎代議士で、女はだみ声の専務の妻・佐和子の組み合わせだった。
つい先ほどまで、佐和子は前戯と言うには余りにも強烈な山崎代議士の指攻めで何度もアクメ(絶頂)状態に追い込まれていた。
指攻めは、山崎代議士に二本指を挿し込まれての激しい抜き挿しで、佐和子の極(きわ)まった善がり声が絶える事無く周囲に鳴り響く。
佐和子は泣き喚く様に善がって腰を浮かし、堪(こら)え切れずに「潮吹き」と呼ばれる愛液をほとばしる醜態姿を曝(さら)け出す。
佐和子の性感度が高まり、何度かアクメ(絶頂)状態に出来上がった所で山崎代議士に欲棒を抽入され、一転して今はジックリとした攻めを始めた。
もぅ始まって十分を越えているが、山崎代議士がだみ声の専務の妻・佐和子の性感反応を愉しむかの様に、優しく柔らかくねっとりとした腰使いでユックリと生々しく突き入れて佐和子を攻め続けるのだ。
それは先ほどから、だみ声の専務の妻・佐和子の股間に山崎代議士の欲棒の抜き挿しが、「何時(いつ)まで犯るのか」と想うほど質濃く永々と続けられている。
無理も無いのだが、本音で言えば犯られている間の佐和子は快感を貪(むさぼ)るに無我夢中で、正直、余計な事は考えられないのが普通である。
性交の佳境に入ってしまえば、もぅ女の性(サガ)で山崎代議士にああされ様がこうされ様が、要求されるままに身を任せて止められない。
佐和子も、明らかに行為に集中して反応しているが、だみ声の専務が合意して山崎代議士との性交を認めたのだから、愉しんでジックリ犯られても仕方が無い。
山崎代議士のネチッ濃いお愉しみに佐和子も感じて居て、それに呼吸を合わせて快感を貪(むさぼ)る様に恍惚の表情を浮かべてねっとりと濃厚な受け腰で応じている。
佐和子の粘膜の感触を味合うかの様に、山崎代議士の生々しく愛液に濡れ光る陰茎が、喘(あえ)ぎ声と伴にユックリと見え隠れしている。
佐和子は、羞恥の感性の中で気取(キドリ)を捨て去り、今進行しつつ在る自分の性交プレィにジックリ気分を出して、本能で没頭して居る。
しなやかに軽快に、あられもない裸身をなやましく絡(から)ませて、佐和子は本能のままに山崎代議士との濃厚な性交姿を観せて居る。
互いの目の届く範囲で、性交ショー化してギャラリーに観せながら大胆に犯るオープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)が、夫婦合意の遊びの性交である。
正直、目の前で自分の妻が他の男に抱かれているのは胸が詰まる想いも在るが、その嫉妬と興奮は帰宅してからの夫婦の性交で責め晴らせば癒される。
山崎代議士が用意したのは、犬・白(女)性交ショー用に調教した白ラブで、名を「ダンディ・ファック」と呼ばれていた。
ラブの飼い主夫婦が、婦人の肉体(からだ)を使って獣姦用に調教した貴重なラブラドール・レトリバーだそうである。
当日、プレールームには、竹中、田嶋、石上、私、里美、岩代、岩代京香、小泉、小泉順子、生島、生島喜美子、安部、麻生、福田、谷垣の十五人、それに、だみ声の専務とその妻佐和子、白ラブの「ダンディ・ファック」とその飼い主夫婦が集った。
佐和子は、この白ラブの「ダンディ」に犯され、それを出席者に見せる為にここに居る。
イヨイヨ舞台に佐和子と「ダンディ」が昇り、次いで京香と飼い主の妻が舞台に昇り、観客が周りを取り囲む。
見物の特等席には、佐和子の獣姦とSMのお仕置きを、ま近で見物する為主賓の山崎代議士が場所を占め、まずは「ダンディ」に佐和子の股間を舐めさせる所からショーが始まる。
産科の開脚診察椅子を上手く改造した椅子が用意され、素っ裸の佐和子が深く座ったまま両足を脚掛に乗せられた形で大股開きにベルトで縛られて固定される。
次に大股開きに固定されて露(あらわ)に成った佐和子の敏感な所に、飼い主婦人にタップリとバターを塗られ、ダンデイに「かかれ。」と命じる。
ダンデイは尻尾を振りながら佐和子の股間にムシャぶり付き、慣れた様子で敏感な所を舐め始めた。
「アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、」
「ダンディ」に佐和子のバターを塗った股間を舐めさせると、強烈な快感に襲われたらしく佐和子は早くも肩を震わせ舐められている腰を浮かせ身悶え始める。
「ダンディ」の舌がペロペロと佐和子の花芯ボタンや二枚の肉花弁を舐め上げ、佐和子はその凄い刺激に股間を襲われ、顔を左右に振りながら腰を浮かせて仰(の)け反るが、「ダンディ」は飼い主婦人の指示が出るまで舐めるのを止めない。
勿論佐和子は、それを自分の意志で避ける事は許されて居ないから、快感に腰を振りながら大声で善がり、舐められ続ける。
「アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、」
これが想像以上に見応えの有るショーで、一同固唾(かたず)を飲んで佐和子の反応を見守った。
それが飼い主婦人の「ダンディ止め」で終わると、息絶え絶えの佐和子の椅子の固定ベルトを解き、飼い主婦人はイヨイヨ生獣姦の体制に入った。
京香が佐和子に命じて「ダンディ」の雄のしるしを口で丁寧に愛撫し立たせ、「ダンディ」の雄のしるしが硬くなると飼い主婦人の誘導で後背位の定番体位になり、佐和子は夫(だみ声の専務)の目の前で最初の交尾をした
「ダンディ」の前足に専用の靴下を履かせ、爪で佐和子を傷つけない様にして両足を佐和子の腰の辺りに乗せ、後背位で抽入を果たさせた。
犬(ダンディ)の欲棒は、細長い筆の頭の様な形状のピンク色のカリ首に淫茎には細かい毛がビッシリと生えている。
あのダンディの淫茎が佐和子の中に入って抜き挿しされると思うと、その内壁を擦(こす)る刺激は強烈に違いない。
佐和子の中にそれが納まる、まさに突っつき入れる様に「ダンディ」の腰が前後して、先太の物が、短い毛に覆われた根元まで、私(佐和子)の花弁を押し退けて、中に潜り込んで行く。
佐和子の、ピンク色の蕾を持つ陰門(いんもん)に「ダンディ」の欲棒がズブリと納まって、行き成り「ダンディ」が腰を使い始めた。
ダンディの激しいピストン運動に佐和子の顔が歪みながら左右に嫌々をし、股間に抜き挿しされるその毛むくじゃらの淫茎は、佐和子の根元近くまで中に達している。
「アッ、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、」
佐和子や我々の考えでは、本格的な犬との交尾はそう長い時間は出来ない筈だったのだが、それが人間の男性より交尾時間が長いのには驚いた。
結構気持ちが良いらしく、その交尾の感触を楽しんで居るのか佐和子の反応は激しく善がり声を挙げている。
「アッ、アァァ〜、アッ、アァァ〜、アッ、アァァ〜、アッ、アァァ〜。」
「ダンディ」にズンズンと突き入れられる度に、佐和子の半開きに開けた口から「ハァ、ハァ。」と声が洩れ、乳房が揺れ、佐和子は大声で善がり声を上げ、受け腰を使って「クイ、クイ」と「ダンディ」の腰使いに応じている。
それは雄犬(ダンディ)と佐和子を獣姦交尾させて皆で鑑賞するなど、佐和子に取っては困った大人達の遊びかも知れない。
だが、いざ犯って見ると案ずる依り生むが易しで、今は目の前で雄犬(ダンディ)に高速腰使いで抜き挿しをされて涎(よだれ)を垂らしながら全身を震わせ、受け腰気味に腰を動かしながら絶叫に近い善がり声を挙げている。
犯って(体験)しまえば佐和子には、相手が男性(おとこ)でも雄犬でも快感を感じるのは一緒で、雄犬(ダンディ)との獣姦交尾も想像とは違って「さほど大した事ではない」と感じたらしい。
その証拠に、佐和子は周囲の好奇の視線も忘れて襲い来る快感を貪(むさぼ)っている。
私(佐和子)の獣姦とSMのお仕置きが、イヨイヨ始まります。
「KIYOUBI(京美)」の役員メンバー全員とラブの飼い主夫婦、そして山崎代議士と私(佐和子)、それに夫でした。
折角の私(佐和子)の「初獣姦」ですから、その調教は、京香さんがする事になりました。
こう言う時、やはり主導権があるのは京香さんです。
彼女なら、私(佐和子)に「獣姦」をさせても、平然と指揮を執る事でしょう。
この際、目的からして、手加減は赦されません。
その点、最良の人選なのです。
私(佐和子)には、自分の中に犬の物が入って来るなど想像も付きませんけれど、不思議と嫌悪感は湧きません。
それに、とっくに覚悟は出来ています。
私達接待愛奴隷の御奉仕では、ゲストが楽しみとして茄子やバナナを使い、中に入れて遊ぶのは当たり前です。
私(佐和子)は、もぅ獣姦だのSMのお仕置きだのと、個々の事に拘(こだわ)ってはいません。
冷静に考えれば、例え犬の物だろうが、拘(こだわ)らなければ中に入って来ても茄子やバナナと大した違いは無いのです。
何としても犯り通して、「KIYOUBI(京美)」の仲間に入れて頂かない事には、私達夫婦の明日は無いのです。
私(佐和子)の性に関する呪縛は吹っ切れています。
この会社で幸せに成る早道は「己を捨て去り、全てを受け入れる事だ」と思いました。
それ故、獣姦もSMも拘りません。
パートナーが望み、他人を楽しませ、自分が楽しむ気持ちになれば、新しい倫理観が生まれ、世間に押し付けられたお仕着せの倫理観など関係なのです。
それで、事なかれ主義を前提とした倫理観から解放され、気持ちは楽になりました。
以前には、KIYOUBI(京美)スタイルの輪姦もしました。
今度は「獣姦」です。
ここまでやってしまうと、「今更何を言え」と言うのでしょう。
犬も山崎代議士の用意した「バイブレーター」と思えば何でもないのです。
元を正せば夫(だみ声の専務)にそそのかされて「KIYOUBI(京美)」の真似事をして、失敗したのが原因だけれど、聞いて見ると上手く行かなかった原因が、「自分に覚悟が足りなかった事だ」と、岩代さんに知らされました。
それに、これは「KIYOUBI(京美)」の仲間に成る為の第一段階なのです。
私(佐和子)犬相手でも、キット「オマ*コ気持ち良い。」と、腰を振って見せます。
当日プレールームに行くと、早い時間帯に飼い主夫婦が白ラブの「ダンディ」を連れてきていました。私(佐和子)が「ダンディ」を相手に鳴くのは夕方からの予定です。
「ダンディ」は、たれ耳で、可愛いい澄んだつぶらな目をした、大人しい大型犬でした。
飼い主夫婦は、私(佐和子)が「ダンディ」の相手と聞いても別に驚きません。
「こう言う仕事は、良く有るのですよ。刺激が欲しいお金持のお客さんは、結構多いのですから・・・」
「えぇッ、そんなに多いのですか?」
傍(そば)で聞いて居た私(佐和子)の夫(だみ声の専務)が、驚きの声をあげた。てっきり犬相手の獣姦など特殊で「めったに無い事」だと思っていたのだ。
「バカな質問を・・仕事が無ければ、私達商売に成らないじゃありませんか。暇な金持が刺激を求めて結構需要は有りますよ。」
「本当ですか?」
「それにね、何事にも融通が利くからお金持ちで、馬鹿真面目に正論に拘(こだわ)っているから貧乏人なの。」
「それなら、ダンディと犯っても大丈夫なのですね。」
「えぇ、ダンディは良く調教してありますから、上手く交尾出来ると思いますが、早くから佐和子さんに馴れていた方が良いでしょう。」
「そうですか、すみません。内の奴を宜しく願います。」
「えぇ、それじゃぁ奥さんこっちに来て。」
そう言うと、飼い主の奥さんが私(佐和子)を誘い、二人で「ダンディ」を私(佐和子)と慣れさせるウオームアップを始めました。
飼い主の妻は、自分の身体でラブに人と犯る事を(獣姦)を仕込んで売る事で稼いでいるそうです。
夫婦で出張して、飼い主の妻が実演デモンストレーションの交尾もして歩くのですが、「結構、交尾犬の貸し出しや買取の注文も来る」と言います。
当初の頃はビデオ製作会社等だけだったのですが、「最近は密かにセレブ階級や、個人アダルトサイト運営者からの交尾犬の貸し出し注文が多くなっている」と言うのです。
「私が注文主に交尾を犯って見せるのですから、この子達は定期的に予防注射をして、綺麗なものですよ。」と、愛想笑いをしました。
年に一、二頭売れれば、彼らは遊んで暮らせるのです。
飼い主さんの指導で、その時から飼い主の奥さんと女二人とも全裸で、「ダンディ」と、じゃれ合ったり餌をやったり、親近感を作って行きます。
開始時間が近く成ると、女二人で「ダンディ」を風呂に入れ、隅々まで洗ってやりました。
その頃になると、山崎代議士も現れます。
「ダンディ」は頭が良く、「今日の相手」と状況が理解出来るらしく、可愛い事に私(佐和子)に擦(す)り寄って来ます。
見ていた山崎代議士が、「ほぉ、利巧な犬だ、今日の交尾の相手が誰か判っている。」と、感嘆の声を上げました。
「KIYOUBI(京美)」の幹部さん達も、今回の「私(佐和子)の初獣姦」は興味津々です。
時間が来ると飼い主の奥さんは着衣し、調教師に変わります。
愛犬「ダンディ」の交尾の相手は、今日のヒロインの私(佐和子)です。
始まる時間が近く成ると、雌豚の私(佐和子)は裸のまま京香さんに犬首輪とリードを着けてもらい、「ダンディ」とプレィルームの玄関前に四つん這いの姿勢で参加者を迎えます。
今日の私(佐和子)調教人だから、京香さんが開催の挨拶をしました。
「今日はこの裏切り者を赦す為のお仕置きをします。」
豪華な食事が用意され、私(佐和子)以外の会食が始まります。
彼女の挨拶によると、今日のゲストの「ダンディ」は、私達夫婦の経緯を知っている山崎代議士から、私(佐和子)への入社祝いで、「ダンディ」の招請費大枚二十万円は「代議士のポケットマネーだ」と言います。
セレブで美しく気品に満ちた女を、非日常では有り得ない「落差のある汚され方をさせたいから。」と、私(佐和子)に「ダンディ」と交尾させる趣旨を言いました。
山崎代議士は、女体を汚す事に興奮を感じるのです。
今夜私(佐和子)は本格的に雌豚でしたから、京香さんの命令で、会食して頂いている間四つん這いで皆様の股間の物を男女に関わらず、次々と舌と唇でご奉仕して歩きました。
カリ首の付いた欲棒は、パクッと咥(くわ)えてジュポジュポ扱(しご)き、花心ボタンは舌先で弄(なぶ)り、二枚の肉花弁の間には舌を挿し入れて内壁を刺激します。
中には、その奉仕で仰け反ってしまう方も居ました。
京香さんも、会場の雰囲気に調子を合わせていましたから、私(佐和子)を「雌豚」としか呼びません。
尻尾が無いのはおかしいと、京香さんから革鞭を柄の方からア*ルに挿しこまれ、「雌豚、尻尾を振りながら食え」と、皿に盛った餌を床に置いて与えられました。
それを、尻尾を振りながら「ダンディ」と一緒に食べました。
イヨイヨ舞台に私(佐和子)と「ダンディ」が昇り、観客が周りを取り囲みます。
あとは、京香さんと飼い主の奥さんが舞台に昇り、私(佐和子)の調教は京香さん、「ダンディ」の調教は飼い主の奥さんが担当します。
見物の特等席は、主賓の山崎代議士が場所を占めます。
山崎代議士のお楽しみである私(佐和子)の獣姦とSMのお仕置きを、ま近で見物する為です。
全て心得た岩代さんの段取りで、周りには里美さん、喜美子さん、順子さんの美しい女神(愛奴隷)幹部達が素裸でかしずいています。
私(佐和子)のお仕置きをご覧に成る山崎様は、彼女達におシャブリ奉仕をさせながらの贅沢な見物をする為です。
まず私(佐和子)は、皆さんの見ている所で立ったまま「ダンディ」に股間を舐めさせる所からショーが始まります。
「ダンディ」に私(佐和子)のバターを塗った股間を舐めさせると、強烈な快感に襲われました。
「ダンディ」の舌がペロペロと私(佐和子)の花芯ボタンや二枚の肉花弁を舐め上げます。
凄い刺激が股間を襲い、私(佐和子)は腰を浮かせて仰(の)け反りますが、飼い主の奥さんが指示を出すまで、「ダンディ」は舐めるのを止めません。
私(佐和子)はそれを、自分の意志で避ける事は許されて居ませんから、快感に腰を振りながら舐められ続けるのです。
お返しに私(佐和子)は、「ダンディ」の雄のしるしを口で丁寧に愛撫し立たせました。
「ダンディ」の雄のしるしが硬く成った時は、私(佐和子)、内心感動して心で喝采をしました。
硬くなると、飼い主の奥さんの誘導で、後背位の定番体位になり、夫(だみ声の専務)の目の前で最初の交尾をしたのです。
今日の主賓の山崎様も、ソファーに寝かされた私(佐和子)が「ダンディ」に犯される頃には、里美さんに欲棒を咥(くわ)えさせ、唇で扱(しご)かせながら私(佐和子)の交尾をご覧に成っています。
「ダンディ」の前足に専用の靴下を履かせ、爪で私(佐和子)を傷つけない様にして頂きました。
本格的な犬との交尾は、そう長い時間は出来ない筈でした。
それが、人間の男性より交尾時間が長いのです。
両足を私(佐和子)の腰の辺りに乗せ、後背位で、まさに突っつき入れる様に「ダンディ」の腰が前後して、先太の物が、短い毛に覆われた根元まで、私(佐和子)の花弁を押し退けて、中に潜り込んで来ます。
それが、結構気持ちが良いのです。
「アッ、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、」
私(佐和子)は大声で善がり声を上げ、受け腰を使って「クイ、クイ」と「ダンディ」の腰使いに応じてその感触を楽しみました。
「ダンディ」にズンズンと突き入れられる度に、私(佐和子)の半開きに開けた口から「ハァ、ハァ。」と声が洩れ、乳房が揺れているのを感じます。
上に「ダンディ」を乗せているので、振り落とさない程度に、腰を疲れるくらい振りましたが、私(佐和子)としては気持ちも良く、良い交尾でした。
でも、独り善がりだったのです。
見物の参加客から、「この体位では、花弁の中に入って出入りして居る肝心な所が良く見えない。」とクレームが来ました。
女達に代わる代わる欲棒をシャブらせながら見物して居た山崎代議士が、やはり「結合部分が見難い」と言います。
これには困りました。
皆はそれを愉しみに見に来たのですから、クレームも無理はありません。
私(佐和子)も皆さんに見て満足して頂かなければ「ダンディ」と交尾した意味がありません。
山崎先生(代議士)の所には、元々医師資格を持つ議員がメンバーに居ますから産科の開脚診察椅子を上手く改造し、性交遊具として男性の平均的な腰の辺りに開脚診察椅子の高さを合わせ、欲棒が抽入し易く仕上たプレィ用の器具を用意しています。
それも背もたれの部分を起こせる様にして在り、女性の四肢をバンド固定したまま輪姦(まわ)せる様に細工して在るのです。
その産科の開脚診察椅子は高さが調節できるのですから、ダンディの腰が届く高さに調節して私(佐和子)を固定して寝かせ、背もたれを起こして私(佐和子)にも下半身の情況が見えるように設定する。
佐和子のこの開脚診察椅子は、これからも山崎山荘で大活躍する事に成ったのです。
「良くお見せしよう」と言う事に成り、私(佐和子)は参加者が取り囲む開脚診察椅子に仰向けで大股開きになり、見易い体位の交尾を試みます。
「ダンディ」のいきり立った物を受け入れようとしますが、抽入は「ダンディ」だけでは困難で、飼い主の奥さんが手で介添えして、「ズブリ」と抽入を果たしました。
「ダンディ」の太い物が、ブスリと私(佐和子)の花弁を掻き分けて入って来たかと思うが早く、「ダンディ」は嬉しそうに尾を振りながら激しく腰を前後に使いシンボルを抽送ます。
「アッ、アアアア、オマ*コ気持ち良い。アッアッ、気持ち良い〜ァァァァァ」
京香さんから、「どうだ雌豚、気持ち良いか?」と声をかけられます。
こんなに声を出しているのですもの、良いのに決まっているのに・・・・・・。
激しい快感を覚えながら私(佐和子)は受け腰で応戦し、激しく腰を使って快感を貪ります。
「オマ*コ気持ち良い。オマ*コ気持ち良い。」と、心でつぶやきながら・・・・。
チラリと周りを見たのですが、やはり皆さん異様な目付きをしています。
その中でも、主人の目付きが皆さんと同じ光を放っていて、私(佐和子)の獣姦の反応に興味深々だったのです。
どうせ人間なんてそんなものです。
こうなったら、清々と「ダンディ」に犯されて、夫(だみ声の専務)に見せ付けてやります。
私(佐和子)の短目の恥毛の一部が生々しく絡む二枚の肉花弁の真中を、「ダンディ」のピンク色の細長い肉矢尻とその根元の短い毛に覆われた太い幹が、「ダンディ」の腰の動きと共に見え隠れしています。
日頃は専務婦人として振る舞い、独立後も気品を持って暮らしていた私(佐和子)の、これ以上無い恥ずかしい姿です。
この恥ずかしい姿を、夫(だみ声の専務)を始め皆さんが、血走った目で凝視しています。
衆人環視の中、犬に犯されているを見られる羞恥心は、想像以上の卑猥感に私(佐和子)の脳を刺激します。
犯されるだけならまだしも、それで善がってしまう事が、強烈な晒(さら)し者です。
いくら強がっていても、犬に善がらせられ、それを皆さんに見られるのですから、恥ずかしくない訳は在りません。
でも、私(佐和子)のそんな思いなどお構いなしに、「ダンディ」のピストン運動は続き、私(佐和子)の肉体から、止め処も無く快感を引き出します。
強烈な「ダンディ」のピストン運動に私(佐和子)は圧倒され、皆の見守る中、私は外にまで響くような、大きな善がり声を上げ続けました。
「アッ、アァァ〜、アァァ〜、アッ、アァァ〜、アァァ〜、オマ*コ気持ち良い〜。」
ひとしきり開脚診察椅子を使っての正面向き交尾で「ダンディ」のピストン運動で責められたあと、「ダンディ」の自然な射精に合わせて本来の犬の交尾である四っん這い交尾に戻ります。
また、「ダンディ」の前足に専用の靴下を履かせ、爪で私(佐和子)を傷つけない様にして頂きました。
本格的な犬との交尾は、そう長い時間は出来ない筈でした。
それが、人間の男性より交尾時間が長いのです。
両足を私(佐和子)の腰の辺りに乗せ、後背位で、まさに突っつき入れる様に「ダンディ」の腰が前後して、先太の物が、短い毛に覆われた根元まで、私(佐和子)の花弁を押し退けて、中に潜り込んで来ます。
それが、結構気持ちが良いのです。
「アッ、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、」
私(佐和子)は大声で善がり声を上げ、受け腰を使って「クイ、クイ」と「ダンディ」の腰使いに応じてその感触を楽しみました。
「ダンディ」にズンズンと突き入れられる度に、私(佐和子)の半開きに開けた口から「ハァ、ハァ。」と声が洩れ、乳房が揺れているのを感じます。
犬の雄(オス/欲棒)は、射精段階に入るとジックリ注(そそ)ぎ込む為に雌(メス/柔ら壷)の中で膨れ上がって抜け難くなります。
つまり後背位で激しく腰を使っていた雄(オス/欲棒)は、膨れ上がって抜け難く成った所で身を反転させ、互いに尻を合わせる形で時間を掛けて雌(メス/柔ら壷)の中に注(そそ)ぎ込むのです。
四つん這いの私(佐和子)は、俗に言う「犬のサカリ状態の体勢」で「ダンディ」と互いに尻を合わせ、ジッと制止を始めたのです。
「ダンディ」は今そこまで達し、私(佐和子)はギャラリーの視線を浴びながら顔を真っ赤にして、「ダンディの雄(オス/欲棒)」が注(そそ)ぎ終わるまで待っ時間でした。
岩代さんの獣姦提案で私(佐和子)は救われました。
株式会社「KIYOUBI(京美)」の「乱倫同志経営」の中に入るには、自分の気持ちの中でも、けじめは必要だったのです。
私(佐和子)自身が、使命に対する達成感を感じなければ、過去の裏切りを引きずらなければなりません。
それを払拭して、仲間と認められなければ、ここを頼れません。
だからこそ、自他共に認める身の証明をしなければなりません。
その機会の始めの一歩が、この白ラブ「ダンディ」との獣姦だったのです。
だから私(佐和子)、「ダンディ」に犯され、受け腰を使いながら、「皆さんこの私の姿を確りご覧になって」と、心で叫んでいたのです。
やがて私(佐和子)は、股間から愛液を噴出し、クチョクチョと「ダンディ」のピストン運動に陵辱されながら気絶して行きました。
その公開交尾で、山崎代議士やメンバーの男達は満足したようですが、京香さんから「雌犬がそんな格好でするものか。」とクレームが付き、また本格ドックスタイルで交尾する事になり、介添は「私が入れる。」と京香さんが買って出ました。
少しずつ互いを近つけて、最後に京香さんの手で抽入を果たし、「待ってました」とダンディのピストン運動が始まります。
そのダンディのピストン運動がピタリと静止し、雄(オス/欲棒)は膨れ上がって抜け難く成り、ダンディは私(佐和子)の中に挿し込んだまま反転して尻を合わせ、永い射精に入っのです。
その細かい毛がビッシリと生えた淫茎での激しいピストン運動の交尾と、膨れ上がって抜け難く成った雄(オス/欲棒)を永く挿し入れたままの射精が犬の性交スタイルなのです。
このスタイルでは、もう二匹で激しい動きは出来ません。
繋がったままじっとするだけです。
その代わり私(佐和子)の中で「ダンディ」の物が脈打っているのがハッキリと感じられます。
犬の射精は、一度にバッとでるものではなく、だらだらと長い為、私(佐和子)の中で脈打ちながら続いて居るのです。
公開交尾の羞恥と「ダンディ」のピストン運動の快感の凄さに、雌豚の私(佐和子)は、全てを曝け出して果てたのです。
私(佐和子)が「ダンディ」と尻を合わせて繋がると、京香さんが「言え」と耳打ちをします。
「皆様、雌豚佐和子は、ただ今、犬のダンディと交尾をしています。」
私(佐和子)は、「ダンディ」と交尾したまま、大声でそう叫んだのです。
言わせておいて「まぁ助平な雌豚、だこと。」と、京香さんは楽しそうに勝ち誇って笑いました。
少し芝居染みて居ましたが、雰囲気は盛り上がります。
「ダンディ」とお尻を合わせて交尾する私(佐和子)の口に、すかさず参加者の一人田嶋さんが自分の欲棒を押し込んで来て、腰を動かし始めます。
それを見ながら山崎が「この後雌豚を開脚診察椅子に縛り付けて、皆で弄(なぶ)ってやれ。」と言い出しました。
やはり、生来のSMの血が騒いだのでしょう。
ゲストの注文ですから、もう流れは止まりません。
思わぬ話の進展に、佐和子への加虐の気持ちが高ぶって欲棒が硬さを増し、田嶋さんの動きが激しくなりました。
それは喉の奥までグイグイと潜り込んで来きますが、相手がほとばしるまで涙目で耐えました。
参加者男性の欲望の始末もして帰ってもらうのが、私(佐和子)の責任でもあります。
「私は交尾する雌犬なのだ。」と、私(佐和子)は思い知らされました。
五分ほどするとイヨイヨ気分が変わり、SMの責めに取り掛かる雰囲気に成りました。
漸(ようや)く萎(しぼ)み始めた「ダンディ」の雄のしるしが私(佐和子)の花弁の中央から引き抜かれ、舞台中央にパイプ椅子が置かれて私(佐和子)が座させられます。
まだ、M字大開脚の私(佐和子)の股間からは、さきほどの「ダンディ」のが発射した白く白濁した液体が湧き出す様に流れ落ちます。
全裸の私(佐和子)がM字大開脚に両手は万歳の体制で、両手足を拘束され、その艶かしい格好のまま、「この通り、明け広げてお待ちしております、如何(いか)様にも存分にお楽しみください。」と挨拶をします。
態勢が秘所開けっぴろげですから「お好きにどうぞ」で、物理的にもどんな悪戯もけして抗えず、これ以上の無防備はありません。
面白がる男女が思い思いの責め具を手に、アッと言う間に男達が私(佐和子)に群がって来ます。
十秒もしないうちに私(佐和子)は快感に打ち震えます。
始まってしまえばもう千客万来で、股間は休む間がありません。
器具で責めるもの、そのまま圧し掛かって抽入する者、何をされても身動き出来ず、相手が私(佐和子)から離れるまで、唯、快感に耐えるしか成すすべがありません。
花弁を押し広げて深く浅く出入りする様々な物が、愛液に濡れて音を立てています。
身動きが出来ない分、感覚が一点に集中して快感が並ではありません。
多くの方の物が、花弁の中にほとばしります。
凄(すご)い善がり声を上げ、腰を振り続けて私(佐和子)はパイプ椅子の上で気を失いました。
それでも山崎様は、私(佐和子)を休ませません。
今は、「責め上げる時だ」と仰(おっしゃ)いました。
「岩代君、雌豚を吊れ。吊れ、吊れ。」
このプレイルームには天井にロープを通す太いパイプが据えてあります。
岩代さんが私(佐和子)を抱き起こすと、真ん中に立たせ、両手を縛って縄を天井のパイプに通し、縄を上に引きます。
山崎様の指示が、岩代さんに飛びます。
私(佐和子)に「吊り」を施(ほどこ)して、「責め上げ様」と言うのです。
私(佐和子)の両手は天井に向かって目いっぱい挙がり、足がやっと届く所で止まりました。
私(佐和子)の裸身が縄の吊り支えで立たされています。
岩代さんの支度が終わるのを、皆が待ち構えています。これから、半吊りの状態で「自由が利かない私(佐和子)を弄(もてあそ)ぼう」と言う体制です。
私(佐和子)の片足に縄をかけ、岩代さんが上に絞って、私(佐和子)が片足立ちに成っています。
私(佐和子)の肉体(からだ)はバランスを保てずに揺れ続け、股間は大きく広がって茂みも花弁も丸見えを晒(さら)していました。
数人が近寄り、私(佐和子)の股間にバイブレーターを挿しこみます。
いきなり抽入されて、「あっ、」と私(佐和子)は小さい声を漏らします。
片足立ちで吊るされて、京香さんにバイブを股間に挿し込まれ、ズコズコと抜き差しされて責められ、善がり声を上げ続けます。
その後、京香さんから代わった里美さんが、暫(しばら)くバイブを出し入れして、私(佐和子)の反応を楽しんでいましたが、何を思ったのか、急にタマゴ型ローターをア*ルに押し込んだのです。
続いて花芯にもローターを充てがうと、細縄で固定をして、両方のスイッチを入れました。
ものすごい二つのローター音と同時に、私(佐和子)の悲鳴に近い善がりのさえずりが起こり、片足吊りの不安定な身体は、ビクンビクンと絶頂を向かえ尚鳴き続け、仰け反りながら揺れ続けます。
固定されたローターは私(佐和子)が何度天国へ行っても、花弁ボタンから離れません。
「気持ち良いです、良過ぎて死にそうです。あぁ、た、助けてぇ・・・・」私(佐和子)は、快感を押し殺すように訴えました。
四〜五日前までの金策の苦労は、これで消滅するはずです。安堵の気持ちが、今、快感の海に漂っています。
掛けられた縄は食い込んで痛いのですが、それとて妙に快感を覚えます。私(佐和子)は、自分が完全に「マゾ」に仕込まれたのを改めて自覚しました。
責め続けてくれる京香さんに、今は感謝の念が湧いています。
彼女の思惑とは違うのでしょうが、彼女が躍起になるほど、こちらは極楽浄土なのです。もう、明らかに陵辱される事に日頃の癒しを依存しています。
私(佐和子)は当分の間、社長応接室に全裸で鎖に繋がれて飼われる事に成っています。
今度は、どんな経験が出来るか楽しみです。
お仕着せの理性に拘らなければ、この状態を「オマ*コ気持ち良い」と楽しみながら生きていけます。
だみ声の専務夫婦の合意の上、「同じ過ちは犯さない」と言う約束の下、当分の間、佐和子は社長応接室に全裸で鎖に繋がれて飼われる事になった。
何しろ「五千万円」と言う破格の立替金で、佐和子夫婦も嫌も応も無い。
出番があれば、連れ出されて仕事をする。
以前に一週間ほど同様な事をして居るから、佐和子は全て心得ている。
社長応接室には、シャワールームもトイレもある。
素っ裸にして犬の様に鎖で繋で飼って、出入りする男性幹部に、気が向いた時に好きな様に徹して嬲(なぶ)らせる。
つまり、ご使用自由の「慰安用公衆奴隷」と言う訳だ。
「KIYOUBI(京美)」の幹部全員のOKが出るまで、何ヶ月でもそのお仕置きは続ける。
岩代は飼い主夫婦に、交尾犬「ダンディ」を譲るように注文をした。
調教済みを一頭買い取るのに「千数百万かかる」と言う贅沢なものだが、今後佐和子を「獣姦OKの愛奴隷」として売り出す為に「散財する」と言う。
佐和子は、それをこなして初めて「KIYOUBI(京美)」の仲間に成れるのかも知れない。
あの竹中家に居た座敷童子(ざしきわらし)は、今は「KIYOUBIのプレィルームに居る」と言う。
どうやら賑(にぎ)やかに大人達が集いて遊(性行為)ぶ「この場所が気に入ったらしい」と岩代は言う。
「まさか、竹中家の福を横取った訳ではないだろうな?」
そう言った私に、岩代はニヤリと笑って「いえ、むしろここまでの事はその座敷童子の仕業かも知れませんよ。」と言った。
私はフト、座敷童子(ざしきわらし)は「岩代そのものではないか?」と思った。
童子(わらし)と呼ぶには、ここに住む座敷童子(ざしきわらし)が余りにも助平だからで、岩代の「念」が座敷童子(ざしきわらし)を生み出しているものなら、全てガテンが行く。
そう言えば岩代の顔が時々妙に童顔に見える事があり、確信は持てないが私にはそれが疑えるのだ。
(宗教法人化)
◆蒼い危険な賭け・京香◆
第四十三話(宗教法人化)
平成三年(1991年)に入ると景気は急激に下降線を描き始める。
金融機関や証券会社がバタバタと倒れ。
大手スーパーや百貨店も、担保価値が下がって資金危機にあえいでいた。
この大不況に、中小零細企業など為す術(すべ)も無い。
大企業は採用を手控え、中小零細企業の子弟は後を継ぐべき企業や商店を失って、失業率は高くなる。
先が見えない世の中だから、新規の投資は減り、物価も低迷して「デフレ・スパイラル」の声が聞(きこえ)ている。
勿論、「KIYOUBI」も手の打ち様は無く、莫大な資金を抱えて寝たふりをするしか、無いのが現状だった。
誰かが「誰かに付いて行く」と言う事は、その人物に惚れる事である。
「誰かに付いて行く」と言うその背景の「夢の中身」は色々でも、付いて行けば夢の達成への可能性が見込めるからで、何も無いのに「付いて行こう」と言う事は世間では在り得ない。
私達KIYOUBI(京美)のメンバーが乱倫共同体を実践している事は、現代の倫理規範からすれば理解出来ない淫乱なものかも知れない。
だが、見方を変えれば「関わり方の質と量」の努力で、肉体(からだ)で奉仕しているのだからけして批難されるべき筋では無い筈である。
乱交や輪姦(まわし)などの行為は、社会的倫理観で見れば「明らかに不健全」と見られるだろうが、本能を満足させ非日常の時間を作る事は脳の複雑な発達から癒(いや)す行為とすれば精神的には健全状態の確保である。
言うなれば、このメンバーは既成概念を克服した「個人の意識改革が為されている」と解釈すべきである。
とは言え、現実から目を逸(そ)らしたロマンチックな事を望む勢力の方が圧倒的に多いのが現実である。
しかし相手に本音を伝える事が大事で、現実から目を逸(そ)らす事は、怖い事に未来に向けて「建前の偽り」を発信する事に成るのである。
結局の所、何の能力も無い筈(はず)の私を事業の盟主に担いだのは、岩代にとって私達夫婦が「唯都合が良かっただけ」ではないだろうか?
そんな疑問が、未だに私の脳裏をシバシバ掠(かす)めている。
それにしても、私達夫婦は仕立てられてそれなりに収まっているのだから、岩代の眼力は相当なものである。
或る日突然、その岩代が「神様を手に入れる」と言い出した。
何しろ不動産屋の「KIYOUBI」が、いきなり「神様」である。
「また、何を言い出すのか?」と凡人の私は、彼の真意を疑った。
所が岩代は真剣で、話を聞いた私は、「なるほど」と唸(うな)った。
突飛な展開であるが、良く話岩代の話を聞くと、そこには先を読んだ意味深い計画が潜(ひそ)んでいた。
確かに豊富な資金を抱いて、「KIYOUBI」の存続だけでは、大人数の仲間に生き甲斐としての遣るべき仕事を、何とも割り当て切れない。
そうかと言って、このご時世に迂闊(うかつ)な事をするのは資産減らしの何ものでもない。
かと言って、今更資金を分け合い、それぞれが勝手に生きて行く道を取る事も危なっかしいし、そうなると、折角手に入れた自由な性生活が送れなくなる。
そんな時に、岩代の「神社を手に入れよう」と言う提案である。
私は閃(ひらめ)いた。
元を正せば岩代の不思議なパワーが事の始まりである。
「KIYOUBI」のある種信仰じみたベースがあるのだから、いっその事、開き直って宗教化してしまえば、それなりに仕事も創造出来る。
我々には、もってこいの教祖が居る。
そう、竹中である。
都合が良い事に、彼には娘夫婦である小泉一家が居る。
後継ぎの教祖にも困らない。
メンバー全員を集めて相談すると、この岩代のアイデアは、何故か全員が簡単に賛成した。
そうだろぅ、ある種、岩代を中心とする信仰じみたベースの「乱倫同志」の精神を確たるものにし、本来の拠り所にしたい気持ちが、皆にあったのだ。
それに皆、岩代の並々ならぬ決意を感じていた。
何時(いつ)に無い殺気のようなものまで漂っている。
彼は、私達を説得させる為に、持てる「気」の威力を精一杯発揮していたのかも知れない。
いずれにしてもメンバーは皆、岩代の神懸り的な影響力に嵌っている。
幹部全員が賛成して、当然全員が入信するが、役割は「KIYOUBI」と「この宗教」を分担して担当を二つに割る事にした。
一同、事業縮小で退屈していた事もあり、早速、その「神様に会おう」と言う事に成って話が進んで行った。
実は、謎に包まれた岩代夫婦の全貌が、明らかになったのはこの時である。
そして以前していた竹中の推理が、ズバリ当たっていたのである。
秩父の山里に、世間から隔絶された二百戸・五百七十人程の山村があり、そこに「妙見宮が祭られている」と言う。
その妙見宮、別名を「犬神権現」と言い八百年は経って居るが、過疎が進んで荒れ放題なのだそうだ。
岩代は、その「犬神権現」を手に入れて宗教法人格にしてしまえば、「KIYOUBI(京美)」の資産管理に節税を兼ねて利用出来、「今のKIYOUBIメンバーを食べさせて行ける」と言う計画だった。
なるほど、今となってはKIYOUBIの莫大な資金を、個人で山分けなどすれば課税額が多くて何ぼも残らない。
「犬神権現」の宗教法人に資金プールして少しずつ引き出した方が、メンバーの為であるのは間違いが無い。
その頃アジトで、吉井警視が大森警部補から捜査報告を聞いていた。
しかし調査対象の動きは、突拍子も無く奇妙で、「何を考えているのか?」、吉井達には皆目(かいもく)見当が着かない。
「KIYOUBI(京美)の代表の生家に身元照会をしましたが、非行歴も犯罪歴も無く、近隣や同級生の証言でもあの会社を立ち上げるまでは到って平凡なサラリーマン人生ですね。」
「平凡なサラリーマン人生ねぇ。それが何故あんな露骨な接待経営を・・・。」
「どうやら傍(そば)に付いている岩代と言う男が、全てを取り仕切っているようですね。」
「操り人形か、判らんなぁその岩代と言う男、何故自分でトップに着かないのだ?」
「う〜ん、操り人形と言えばそうかも知れませんが、代表と岩代の間には何か別のものが在りそうです。」
「何だね、それは。」
「説明は着きませんが、何かこう代表を大事にしている岩代の態度が本物に見えるのです。」
「益々判らんな。」
「康子巡査部長から連絡で、KIYOUBIの岩代が神社を手に入れると言い出したそうです。」
「うぅ〜ん、信仰が絡んで来ると成れば、奴らの動きは要注意で、益々監視対象になるな。」
「この間の取引で、相当な資金を掴(つか)みましたから・・・その神社、手に入れる可能性があるかと。」
「しかし神社をな〜、奴ら何を画策しているのか俺には皆目判らん。」
警視庁公安部・公安総務課長の吉井警視は、盛んに首を傾(かし)げていた。
KIYOUBI(京美)に拠る性行為の提供(妻達の肉体)が賄賂(わいろ)に当たるかは、便宜供与の証明が難しい。
接待を受ける側に物品収受も金銭収受も無い事から、組織的な売春行為にも当たらない。
良く出来た話で、何しろ「愛し合って居た」と言われてしまえば只の情事であり、その性交自体も跡の残らない事だけに「犯っては居ない」と言われれば法的証明は難しい。
「うぅ〜ん、それにしても売春婦でも雇って宛(あて)がったのならともかく、夫の社長同席で社長婦人が性交接待を犯ると言うのは巧妙だな・・・」
これは見事な隠蔽(いんぺい)方法である。
社長婦人が肉体(からだ)を供して「性交を接待した」としても、その場に「亭主や部下の男性役員その他の女性幹部も同席していた」となると突飛過ぎて世間ではそんな非常識な行為を到底信じない。
しかも、「他にも同席者が居る場で、夫婦揃っての只の会食だった」と強弁をされれば、同席が事実で証人も多いだけに社長婦人が性交を接待した証明など難しい。
部屋の昼間の採光は、窓からの自然光だけで薄暗い。
この間の、康子巡査部長から犯りながら受けた報告もここだった。
吉井警視の脳裏に、先日の康子巡査部長の艶かしく甘美な行動がよみがえって来る。
それにしても、どんな洗脳をされたのかは知らないが、康子巡査部長は実に大胆だった。
吉井警視は、麻生康子の言を思い出していた。
「KIYOUBI(京美)グループは世間の概念では成立していないのです。」
「それはどう言う事だね?」
「グループの概念では性交接待は信頼関係の構築手段で、贈収賄が目的ではないのです。」
「すると、今君が私の一部を受け入れて腰を使っているのも、ウム、ウム、信頼関係の構築かね?」
「えぇ、ア〜ァァこの国に古代からある誓約(うけい)の精神です。」
「誓約(うけい)?」
「信頼関係を証明し構築するには、性交と言う現実的な実践行為が伴うと言う考え方が誓約(うけい)です。」
「それで、その誓約(うけい)ならば亭主同席で性交接待をしても納得出来るのかね。」
「警視、アァ、アァ、誓約(うけい)は信頼関係を結ぶ儀式で愛情は絡まないのです。アァ〜。」
「ウム、ウム、愛情が絡まない儀式・・・」
「私(康子)と警視も誓約(うけい)の信頼関係を結ぶ為に今性交しているのですから、アァ、アァ、これは浮気ではないし、奥さんの良子さんから警視の愛情を盗む気もありませんので安心してください。」
簡単な話し、肉体(からだ)を許し合う「極親密な信頼関係」と言う間柄が、誓約(うけい)の基本である。
「すると、君とはこう言う行為をする信頼関係の間柄と解釈すれば良い訳だ。」
「そう言う事ですから、アァ、アァ、警視も肉体関係が出来たと、アァ、世間並みの負担には思わないで下さい。」
潜入させている康子巡査部長も、潜入捜査の仕事とは言えあの分ではかなり犯られ捲くっているに違いない。
性交に慣れてしまったのか、康子巡査部長は実に大胆だった。
それにしても、これでは部下を増員する理由も見つからないので、二人だけの専従捜査を続けさせている。
吉井警視は、大森警部補の声で現在に引き戻された。
「で、近々現地を見に行くそうですから、追って見ます。」
「うっ、あぁあぁそうか、追って見てくれ。ご苦労だが、頼む。」
吉井警視は我に返って、「俺も、岩代とやらの毒気に中(あ)てられたかな?」と、心中苦笑いだった。
「はぃ、また報告に伺います。」
岩代が言う宗教法人(しゅうきょうほうじん)とは、公益法人の一つで法人格を取得した宗教団体の事である。
宗教団体に法人格を与える目的を、「宗教法人法(昭和26年4月3日法律第126号)」にもとづいて宗教団体に附与している。
この法律では、「宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他の目的達成の為の業務及び事業を運営する事に資する為、宗教団体に法律上の能力を与える事(第1条第1項)」と規定している。
宗教法人の所轄庁は、その主たる事務所を所管する都道府県知事とされるが、広域に都道府県内にある(境内建物等の資産を備える)宗教法人を包括する宗教法人は、「文部科学大臣の所轄(宗教法人法第5条)」となる。
宗教法人と成ったからと言って、宗教団体としての「格が上がる」と言う訳ではなく、不動産等を所有する「権利主体」と成れるだけである。
法人格を取得していなくとも、宗教活動を行う事は自由であるが、税制上の特例は法人格を有しないと受けられない。
宗教法人には、三人以上の責任役員を置き、その内の一人を代表役員とする必要条件がある。
代表役員は当該宗教法人を代表し、その事務を総括する。
しかし、これらの役員の、法人の事務に関する権限は、「宗教上の機能に対するいかなる支配権その他の権限をも含むものではない(宗教法人法第18条)」と規定している。
つまり、信仰を主体とし、経営上の都合で信仰を左右してはならない」と言う事である。
ほとんどの場合、寺社や教会を有する宗教法人は、公益事業を行う事が出来るが、収益が生じた時、「その収益の処分は自己又は関係のある宗教法人若しくは公益事業の為に使用しなければならならない(宗教法人法第6条)」とされている。
こらは簡単に言うと、宗教法人で上げた収益は、その宗教法人や公益の為に使用するもので、個人の為など他の目的には使えないのである。
日本人が、季節ごとに喜びを感じる精神行事が、日本古来から伝わる神事・節句の祭りである。
五月の連休明けが、旧暦(グレゴリオ暦で年始から百二十六日目)節分の立夏に当たる。
岩代の言に拠ると、ちょうどその神様で「節句のお祓(はら)いの、大祭がある。」と言うので、その祭りに合わせて連休にその村里に出かけ、神様に会う事にした。
手回しが良い事に、先方には岩代が電話して「大方の話は付いている」と言う。
相いも変わらずの、岩代らしい抜け目の無さである。
断って置くが、色々と差し障りが有るので、その村の詳しい事は今でも明らかに出来ない。
私としても、そこは気を使って話を進めたいのだ。
つまり、そっとして置いて欲しい思いが強い、「のどかで貴重な村」なのである。
これから申し上げる内容で、その点は「なるほど」と、どなた様にも御理解していただけると確信する。
秩父山系の何処かの村落と言う事で、後は勝手に想像して貰いたい。
株式会社「KIYOUBI(京美)」の主力メンバー、竹中、田島、石上、私達夫婦に岩代夫婦、小泉夫婦、生島夫婦、幹部女性の四人組(麻生、福田、安倍、谷垣)が連れ添って三台の乗用車に分乗、岩代の言う秩父山系に在る山里の村に向かった。
内緒の話だが、例に拠って女性メンバーは全員前開きボタンのワンピース姿で、下着は身に着けては居ない。
佐和子夫婦は幹部ではない上に、今は山崎代議士にペットとして愛犬「ダンディ」と一緒に貸し出しているので、今回は山崎の下に置いてSM山荘に預けて来た。
実は、山崎代議士が気に入って、夫のだみ声の元専務ごと自分の事務所に引き取り、夫の方は連絡秘書、妻の佐和子は「遊び相手に使う」と言う事に成りそうだ。
佐和子は、最近始まった山崎派の秘密パーティのヒロイン(主役)を務めている。
通常のアトラクションは、愛奴隷・佐和子の出番だが、秘密パーティが始まってからは、山崎代議士の鶴の一声で、派内の夫の不始末は夫人が責任を取って、パーティの場で公開お仕置きを受ける事に成ったそうだ。
派内の結束を高め、忠誠心を計り、代議士激務のストレスを皆で解消と、中々効率が良い目論見である。
その秘密パーティの派閥代議士婦人とのお遊びには、佐和子夫婦は「助手が勤まる」と、二人の「KIYOUBI(京美)」での経験を買って、「調教犬のダンディも込みで、身柄を引き取りたい」と言って来ていた。
どうやら二人も、これで落ち着き先が出来たようだ。
まぁ、岩代夫婦が仕込んだだけに、そのくらいの仕事の手順は二人も心得ている。
特に佐和子は体験学的に学んでいるから、加減もツボも心得ていて任せても安心だった。
山崎代議士は、性癖を別にすれば人情に厚い男で、二人の将来を悪いようにはしない筈である。
代議士活動もストレスの溜まる仕事であるから、仲間内の秘密パーティでの発散も、善意で受け止めれば「必要悪」かも知れない。
それにしても山崎代議士は、調教犬の「ダンディ」まで引き取っている。
その場に出席する訳ではないので私の想像の域を出ないが、山崎派秘密パーティで、公開お仕置きの生け贄に成る代議士婦人も、かなり大変な目に合いそうだ。
しかしこう言う事は、「誰も知らない事に成っている。」のである。
所で、調教犬の「ダンディ」を山崎代議士に献上したのは、贈収賄に問われるのだろうか?
佐和子も高価な調教メス犬なのだが、「ダンディ」は、結構高価な調教犬なのだ。
あの、年季の入ったSM癖の山崎代議士の事である。
今頃佐和子とダンディの二匹は、山崎代議士の玩具(おもちや)を必死で勤めているに違いない。
そう言えば、山崎代議士に呼ばれて様子を見に行った妻と京香が、佐和子夫婦の新しいショーの習得を私に報告して来た。
片山と佐和子の夫婦合体獣姦ショーは、好き者の山崎代議士の思いつきで犯らされて出来上がり、夫婦とラブラドールの「ダンディ・ファック」がトレーニングを続けて来たものだ。
新しいショーは、まずソファーに寝る様に座った夫・片山の欲棒を、後ろ向きに片山の上に乗るように座りながら佐和子のアナルに抽入させる。
夫・片山の欲棒でアナルを串刺しにされた佐和子が片山の上で仰向きに肉体(からだを横たえると、片山の脚が佐和子の脚に絡んで股を広げるように固定する。
夫・片山の脚に絡まれて大きく開いた佐和子の股間が露出し、そこに京香が佐和子の腰の少し上辺りにダンディ・ファックの前足を乗せ、位置を調整させて交尾体制に入る。
つまり夫・片山とダンディ・ファックの変則前後二本挿し獣姦三Pショーで、世界初の試みかも知れないが、勿論ギネスには申請できない。
都心から、秩父山系の或る目的地に向かって、出発する。
不景気のあおりを喰ったのか、近頃は路上を走行するトラックの数が減った。
この道は「混雑覚悟」と認識していたルートも交通渋滞は無く、この峠の登り口まで来た。
そう言えば、歓楽街のバー・スナックの類も火が消えたように静かに成り、閉店するものも数が多い。
ほんの一年、いや数ヶ月前の賑わいは何処に行ってしまったのか?
奥秩父の「山里の村」と聞いて未舗装のデコボコ道を想像していたが、最近開通したと言う見事な完全舗装の林道が走っていた。
林道は途中から霧が出て前が見難くなり、フォグランプを使うほどだったが、岩代が苦も無く先頭を走って追尾する車を誘導する。
登り始めて一時間ほど走ると、林道の脇に立つ標識が、谷間(たにあい)に広がるその村の存在を、愛想もなく知らせてくれた。
下に降(くだ)り始めると、あれほど有った霧は瞬く間に消え、明るく視界が広がった。
一時は、「岩代が、とんでもない霧の中に連れて来た」と思ったが、視界が広がって安堵した。
右に外れ、下に十分ほど崖を這うようにつづら折りにくねりながら降(くだ)って、漸(ようや)く目の前に思いの外広い平坦地を持つ谷間の村落が現れた。
谷の中央を、川幅はさほど広くは無いが豊富な水量の清流が流れている。
その川の両側に、僅かばかりの平坦地を拠り所として、のどかな村里は佇(たたず)んでいた。
実は一同で峠越えの山道を目指した我々を、一台のバイクが追尾していた事は、誰も知る由が無かったのである。
ちょうど田植えの時期で、水を張った稲田が青々とした苗を並べて陽の光を反射している。
水田の水面(みなも)が小さく風に揺れると、苗がそよぎ、波打つ水面(みなも)が光をキラキラと放っている。
車の窓を開け、竹中が深呼吸しながら言う。
「いゃあ、心が洗われるなぁ、久しぶりに懐かしい日本の源風景を見る。」
「俺が小さい頃は、まだ東京の練馬辺りにも水田が残っていた。」と田嶋が、しみじみと言った。
村の中心まで降(くだ)ると、立派な石橋が架かっていて、その橋を挟んで川に沿って手前と先に十字路が二つ並んだ形になっている。
「橋を渡ったら右に折れ、あの森を目安に行って下さい。」
岩代が、その森を指して言った。
見ると、村の中心から二百メートルほど東側に、こんもりした森が見えている。
どうやらこの里の、唯一の幹線道路らしい曲がりくねった農道を、七・八百メートルばかり進むと、目の前に、古いが立派な構えをした神社が現れた。
入り口には、「別格郷社・妙見犬神宮(みょうけんいぬがみぐう)」と彫られた石柱が立って居る。
私は、「別格郷社(べっかくごうしゃ)・妙見犬神宮(みょうけんいぬがみぐう)」とそれを読んで確認した。
別格郷社・妙見犬神宮(みょうけんいぬがみぐう)に祀われているのは西日本に最も広く分布する犬霊の犬神である。
それが、朝廷の東日本統治政策の一環として為した陰陽修験の山岳信仰の活動で、西日本以東に広がった。
この地は関東だが、武蔵国秩父山系、相模国丹沢山系一帯、伊豆国箱根山塊、甲斐国(山梨)や信濃国(長野)の山岳地帯などの地域は、オオカミ(狼)信仰=犬神信仰が盛んである。
このオオカミ(狼)信仰=大神信仰は修験道の山岳信仰であるから、天の犬=天狗(てんぐ)とも関わりがある。
そして天狗(てんぐ)と犬神は呼び方が違うだけの同じ「イヌ」である。
天狗(てんぐ)修験道は、猿田彦(サルタヒコ)と天宇受売命(アメノウズメノミコト)の誓約(うけい)の古事に習う「人身御供伝説」を村々に仕掛けた特殊組織だった。
車が停車すると皆争って降り、中には延(の)びをして居る者も居る。
定員一杯に乗車しての車の長旅は、窮屈なのである。
竹中、田島、石上、私達夫婦に岩代夫婦、小泉夫婦、生島夫婦、幹部女性の四人組(麻生、福田、安倍、谷垣)の計十五人が、大型のクラウンとは言え、三台の乗用車に詰め込まれていたのだ。
駐車場で車を降り、皆でゾロゾロと鳥居を潜(くぐ)った。
一間幅ほどの参道には石畳が敷いてあるが、その両側には小砂利(こじゃり)が敷いて有って、一度に全員が参道は歩けないからはみ出して歩くと「ジャリジヤリ」と音がする。
何しろこの大人数では、傍目(はため)チョットした旅行の御一行の風情である。
「ハハ、まるで、KIYOUBI観光御一行様だな。」
田嶋が、一同の気持ちを代弁するように言った。
私達夫婦も鳥居を見上げ、鎮守の森を眺め廻して、岩代の真意を測りかねていた。
それにしても、何故この由緒がありそうな神社を、岩代は「手に入れる」と言いだしたのか?
石畳の参道の両側には桜が並び、その後ろには公孫樹(イチョウ)や楠木(クスノキ)・しだ椎(しい)・たぶの木・白樫(しろかし)等の巨木が育って、鎮守の森を形成している。
暖地系の樹木が多い所を見ると、山間にも関わらずこの盆地は暖かいらしい。
関東の山間部に有りながら・・・不思議な山里である。
三十メートルほど歩いた所で、社殿の方から歩いてくる男に出合わせた。
「辰オジ、久しぶり。」
「何だ、西家のボンじゃないか。良ぅ帰って来た。」
その、岩代に「辰オジ」と呼ばれた村人は、岩代の事を「西家のボン」と呼んだ。
どうやら岩代は、この地の出身らしい。
「宮司さんは居るかね?」
「明日は妙見犬神祭りだで、支度の打ち合わせに、今まで本殿でわしと話しながら飲んで居たわ。」
「そんなら、本殿に廻る。」
立ち話で「辰オジ」とやらと言葉を交わした岩代は、またスタスタと歩き出した。
参道が終わり、拝殿の前に差し掛かる頃には狛犬(こまいぬ)が一対設(しつら)えてあるのだが、風雨に洗われて彫りが所々浅くなり苔(こけ)むして佇(たたず)んでいる。
余程古いものなのか、珍しい事に今風に丸味を帯びた身体の物ではなく、細身で獅子より明らかに山犬(狼)に近い。
社殿は遠目でも立派だったが、近付いてその見事な造りの良さに目を見張った。
正面に拝殿がそそり立っている。
その裏に本殿があり、本殿の右に側は玉砂利を敷き詰めた広い庭があり、庭の奥に本殿から延びた回廊がこの村里には不釣合いに立派な「屋根つき・せり出しの大舞台」に繋がっている。
本殿を見上げて気が付いたが、流石(さすが)に「犬神権現」、社殿の背後に高々とそびえる数本の巨木は犬槙(いぬまき)と言う槙の木である。
岩代に導かれ、拝殿腋(わき)をすり抜けて、本殿の入り口から「ゾロゾロ」と中に入った。
「宮司さん、今着いたよ。」
岩代が賽銭箱越しに社殿の奥に声を掛けると奥から「オゥ」と返事が有り、褌(ふんどし)一丁の老人が出て来た。
「おぉ、来たか、来たか。待っとったよ。」
「皆さんも良く来られました。ま、上がって下さい。」
宮司から行き成り挨拶されたので、一同慌てて頭を下げ、竹中氏が代表するように「始めまして」と挨拶した。
「何の何の、今か今かと待っとりました。」
宮司が来客を迎えるのに褌(ふんどし)一丁とは、さばけ過ぎに思えるが、ご当人は屈託(くったく)がない。
そして一同は、この一見何の変哲も無い村里の秘密を、この宮司から明かされる事になる。
急かされるように、一同ゾロゾロと本殿の広間に上がると、酒席が用意してある。
と、言っても、先ほどの辰オジとか言う男と飲みながら待っていたらしい。
それでも、酒肴の用意は一応揃っている。
「宮司さん、手回しが良いねぇ。」
「独りだでなぁ、前もって支度をしとかにゃ、皆さんと落着いて話せないわぃ。」
「そんな事だと思って酒の肴は、俺らも持って来たから。」
岩代が、来る途中で買い求めて来た、酒の肴の入ったポリ袋を差し出した。
「それは良い。皆さん、話は西家のボンから聞いている、まぁ飲みながら話そう。」
「それじゃあ、少し狭いので私達が座卓を並べて、席も広げます。」
妻が、口を出した。
なるほど、先程まで二人で飲んでいた席である。
このままでは五〜六人しか座われそうも無い。
「それなら、神座の後ろに座卓と座布団、その二部屋先の土間が厨屋に成っている。」
「ハィハィ、任せて、任せて。」
神社だけに、座卓と座布団は山ほど有る。
そこはKIYOUBIのメンバーである、女性軍が妻の指揮で一気に卓上の酒の肴と席を設営する。
「こりゃあ、段取りが良い。都会の女衆でも、こんな真似が出来るのだねぇ。」
老宮司は、女性軍の手際の良さに感心したが、人間、何が幸いするかは発揮してみないと判らない。
要領の良さは、彼女達の日頃の経験が習得させたものである。
何しろこのメンバーは、接待の酒席が「性的奉仕の裸の職場」みたいなものだったから、酒席の設営が「お手の物」である。
「アッ」と言う間に設営が終わり、皆が思い思いに座って、岩代が一通りメンバーの紹介をした。
「いゃあぁ、宜(よろ)しくとは挨拶はさせて貰ったが、この歳では皆さんを一度には覚え切れない。失礼に成ると申し訳ないので、予めお詫びする。」
老宮司は、苦笑いしてそう言った。
「それはそうでしょう、これだけの数だ。とりあえず社長の**さんと奥さんの里美さんだけは覚えて置いてください。」
「まさか、これほどの大人数で来られるとは思わなかったで、まぁ気楽に、勝手に酌をして飲んで下さい。」
そう挨拶されたが、初対面でお酌に気を使うより勝手に飲ませてもらう方が確かに場が和(なご)む物だ。
老宮司の一言で緊張が解け場がガヤつき始める。
「南家のおじいちゃん、お久振りです。」
後ろに居た細君(京香)が、身を乗り出して親しげに挨拶をする。
「おぉ、東家の京香ちゃんか。ボンと一緒に来ていたのか後ろに隠れていて気が付かなかった。元気じゃったか?」
老宮司が、格好を崩して満面の笑みを浮かべた。
「元気よ、おじいちゃんも元気でしたか?」
「元気、元気、腰も息子(欲棒)もこの通り仕えるぞ。これも犬神権現様の御利益だで。」
宮司は、来客の目も気にせず、褌(ふんどし)の脇から無遠慮に欲棒を握り出して見せる。
黒光りしたそれは、もう硬さを誇って立ち上がっていた。
「ほぅ、失礼じゃが、お年の割にお元気で。」
竹中が、宮司の振る舞いに動じず、感嘆の声を上げた。
「なぁにぃ、南家のおじいちゃんのはしょっちゅう使って鍛えているからでしょう。」
宮司に向かって言いながら、細君(京香)が懐(なつ)いて居る感じで近寄って直ぐ脇に腰を下ろす。
「ハハ、それに違いないか。水揚げ親もまだ現役だでなぁ。」
脇に腰を下ろした細君(京香)に、宮司が目を細めて言う。
「京香ちゃんの便りが無いので心配しとった。」
「南家のおじいちゃんが水揚げ親ですもの、私は、息災、息災。」
細君(京香)の口の利き方からは、何時もの毅然としたものは無く、すっかり娘気分に戻った感じだった。
「それは良かった。所で、こっちは今も変わらないかな?」
老宮司はそう言うと、人目もはばからず京香のスカートを捲り上げた。
京香にすれば、スカートの下に何も身に着けては居ないのは定番である。
モロに下半身が、眩(まぶ)しく露に成った。
「ほら、街場に居ても私はチャントと変わりませんよ。」
京香は、宮司に捲り上げられたスカートの裾を更に胸の辺りまで引き上げ、自分で落ちないように押さえ、立ち上がってグルリとひと周り回り、露になった下半身を宮司に見せた。
例のオーデコロンの香りが、細君(京香)の裸身から立ち昇ぼって来た。
「良し、良し、後で久振りに、この水揚げ親の相手をしてもらおうか。」
「はぃ、おじいちゃん。」
「ここは、山間の割に暖地系の樹木が多くて暖かそうですね。」
私が、話題を変える為に宮司に話し掛けた。
「判るかね。この谷の下には、八百年程前に修験山伏が見つけた高温の温泉脈が流れていてな、その為にこの地方一の温かい土地じゃ。」
「修験道所縁(ゆかり)の地ですか。」
「この神社も、修験犬神の人身御供伝説の神社で、その様式が残った居るのじゃ。」
飄々として奇妙な宮司なのに、一同に違和感を持たせず、何故か穏やかな親しみが湧いてくる。
「なるほど、ずっと不思議だったが、岩代君の師はこのお方(宮司)だったか。」
竹中が、岩代の不思議な能力に納得して呟(つぶや)き、深く頷いた。
そう言えば、この宮司と竹中のかもし出す雰囲気は、良く似ている。
その竹中が感心して言い出した。
「確か妙見信仰は、平安初期に朝廷が風紀を乱すと畿内(当時の首都圏)に禁令を出したはずじゃが、地方では残っていたか。」
岩代が口を挟む。
「朝廷の二重政策です。地方統治には妙見修験は大いに利用されました。」
「だろうな、最初は信仰も畏怖(いふ)だけではなく、民を引き付ける魅力を兼ね備えてこそ、広がる(布教の成功)ものだから。」
「この状態では、農村はいずれ崩壊する。」と、宮司が言い始めたのは十年前、細君(京香)の水揚げ親を務めた頃だった。
その頃から宮司の考えに共感し、村の将来に危機感を抱いた岩代の父親が、息子を「宮司の下に本格的な修験修行に出した」と言うのである。
教わったのが、この村里の氏神・妙見犬神宮に伝承する「修験密教の奥義」の数々だった。
「昭和三十三年生まれの戌(いぬ)年の夫婦と組め」と、アドバイスを受けた岩代の「師匠」が判明したのは、この時だった。
岩代の「師匠」は、京香の水揚げ親、別格郷社・妙見犬神宮の宮司だった。
その「修験密教の奥義」の理論と実践の直伝修行の相手に選ばれたのが、年恰好が合う東家の娘・京香だったのである。
京香は、爺にまとわり着く小さな孫娘のように、宮司の膝にスカートを捲り上げたまま乗り、しなだれ掛って甘えている。
老宮司は、照れるでもなく京香を膝に乗せたまま話し始めた。
「山に囲まれた辺ぴな村里じゃ、楽しみと言えば男女の交わり位しか無いでな。」
この妙見宮「犬神権現」には、その村独特の伝統奇祭がある。
立夏と立秋の節分の夜がその「妙見犬神祭り」で、巫女舞の舞台神楽を主としたお祓いをする。
巫女舞の巫女は村の家柄の良い娘が、小さな時から舞を仕込まれて、年頃に成ると巫女舞の舞台に上がる。
この巫女舞、主題が人身御供伝説の伝統行事で、悪い大猿が村人を脅し、村娘を人身御供にさせて弄(もてあそ)ぶのを、犬神の使い(修験山伏)が現れて退治する。
村人は喜んで、犬神の使い(修験山伏)に村娘を夜伽(よとぎ)に提供、娘が身ごもって生まれた三人の子が、「代々村長三家になる」と言う筋書きである。
「ほら、本殿横の舞台に通じる廊下(回廊)を見てみい、壁の上部に面(おもて)がズラッと並んどるじゃろぅ。巫女舞の舞台では、村の男衆がその面(おもて)を被って巫女と交(まじ)わるのじゃ。ここのせり出し舞台は柵もないので、三方から良く見える。」
犬神(いぬがみ)様、実は昔日本の山地の何処にでも居た「日本狼」の事である。
狼(おおかみ)は大神(おおかみ)に通じ、天の神の使いとして地上に降りて来た。
天皇は天の使い神であり、修験道の山伏は陰陽道を用いる天皇の使いである。
従って、犬神(いぬがみ)様は修験道の山伏とは意味が同じなのである。
それで、全国の由緒在る村々には、人身御供伝説にまつわる伝承や奇習が残っている。
「村人全員が、巫女舞の目撃者ですね。」
「アァ、村の者全員が身内と言う合意の証じゃからな。」
「街から来たら理解出来ないじゃろうが、この里にとって巫女舞は真面目な神事でな、真似事では神様に失礼なのよ。」
「真似事では神様に失礼・・」
「じゃから、ここの巫女舞は本当に神楽舞で交わって見せる仕来(しきた)りじゃ。」
一同が注目した京香の腰の動きが奇妙なので、皆の目が宮司の下半身に集中した。
「これか、京香ちゃんは待ち切れんと見えて、もう勝手に交わっておる。」
宮司が捲り上げたスカートの下では、褌(ふんどし)の脇からいきり立った宮司の欲棒が、確りと京香の中に嵌(はま)り込んでいた。
「京香は十五歳の時に、わしが水揚げ親として責任もって仕込んだ娘じゃ。」
「そぅ、おじいちゃんが京香の初めての男。懐かしいオチ*チン・・」
「京香は、宮司さんに会うと途端に子供になる。そんなに慌てなくても、後で充分可愛がってもらえ。」
岩代が苦笑いして、京香に声を掛けた。
「じゃ、お話の間はおシャブリしている。」
身体を外した京香は、言うが早いか、宮司の欲棒を「パクリ」とやって、唇でジュポジュポと扱(しご)き出した。
「これ京香ちゃん、もう少しユックリやれ。落着いて話が出来ん。」
「ここの里は昔からその伝説の東家、西家、南家の三家で治めて来た。」
それで昔から東家、西家、南家の三家が、村長と宮司を交代で出して居るので、元々「西家の岩代には宮司を継ぐ資格があるのだ」と言う。
岩代の計画によると、現在の村の本宮を綺麗に改修して別宮とし、本宮は秩父山系のふもとの町場に遷宮して「このメンバーで運営しょう」と言うのである。
「この妙見犬神宮を綺麗にすると言うなら、依存は無い。昔は七百戸近く在って、そこそこに維持が出来たが、今は過疎が進んで、社(やしろ)の修繕もままならない。わしも歳じゃで、跡を継いで貰わねばならんからな。」
「なぁに、その通りまだ元気じゃないですか。」
「先程も言ったが、ここは辺ぴな村里じゃ。若者が村を捨てないように、楽しみも無ければ成らない。」
「なるほど、村を維持する為の知恵ですか?」
「そうじゃ、昔は疫病やらでタチマチ村人が減つたり、産まれ方で男女のバランスが壊れると相手の取り合いに成る。じゃから、様々な形で掟(おきて)を採って人口を維持して来た。」
性的衝動は、生き物にとって自然な欲求であるから、人間に有っても仕方が無い。
それをどうコントロールするかが問題で、それを村里単位で心配してやる。
その様々な知恵のこの村の掟(おきて)が、巫女舞や犬掛け祓い(いぬかけばらい)、水揚げ親、寝宿(寝屋子親)制度と娘遊び、総代回し等である。
実は、この数々の村の掟(おきて)、ほとんど全てが性行為に関わるものである。
「現代人は、邪心を持つから、愛だ恋だと託(かこつ)けの奇妙な自己主張をする。素朴な気持ちがあれは、生身の人間がたとえ一時でもひとつに繋がるのじゃ、親近感が湧いて当然じゃろう。」
勿論、現代の性に関する異常な「倫理観や嫌悪感」とは、いささか趣(おもむき)が違う。
「人は独りでは生きては行けない」と言う原理原則に乗っ取った、遥かに純粋で素朴な命のリレーであり、平和に寄り添って生きる為の、「村社会」としての知恵が掟(おきて)であり、風習である。
人間が持つ社会性、実は、「失う物の在る無し」が根本基準である。
反社会的行為が、生活基盤や愛する者の信頼等を失うのが怖いからこそ、個人の意識の中に社会性は担保されている。
逆説的に言うと、失望の内に「失うものが何も無い」と結論が至った人間ほど、危険な存在は無い。
この村里が、開け放しで鍵を掛ける事も無く平和な八百年を過ごせたのは、この村その物が社会性を担保する為に、性的要求の解決策を含め、「掟(おきて)」と称する村民一体の特殊な乱倫同属の生活基盤を構築していたからである。
そして何よりも、村を維持する最低条件は人口を確保する事で、人間の居ない里は、唯の空き地である。
この里は、世間から隔絶された掟(おきて)に拠って村をズット守って来た。
奇習と言われようが、奇祭と言われようが先人が知恵を絞り、村を守る為の正しい選択として、この妙見信仰の村は八百年栄えた。
「こんな辺ぴな所では、村を維持して来たのが奇跡に近い神のご利益だわい。」
老宮司は、皆の同意を確認するように見回した。
その奇跡の村が、近年、都会との価値観の違いから、その大事な村の掟(おきて)が世間では異様なものにしか判断されなくなり、村は過疎が進んで荒れ放題に成りつつある。
「勝手なものだ。何が善で何が悪かなど、他所に生きる他人が決めるべき事ではないわ。」
老宮司の嘆きが、もっともに聞えた。
なるほど、「時勢」と言えば時勢であるが、折角上手く遣って来た村にとって外部の思想で村が壊されるのは、至極理不尽な思想なのかも知れない。
元々生き物は、動物植物に限らず精一杯生き、その間に子孫を育て残す。「種の保存」の本能である。
その自然の原理に逆らって子孫を育て残す事を放棄し、自らの「享楽的生活のみを追求する生き方」を選ぶ生き物は、脳が異常に発達した「人間と言う生物」をおいて他に無い。
この「本能」と、刷り込まれた「性への嫌悪感」がぶつかり合い、そこに「本音と建前」の二面性が生じる。
それ故、脳は本能と精神の板挟みに合って、絶えず苦悩している。
「本音と建前」の二面性は、言うまでも無く人間以外の生物(動植物)には存在せず、これをもって「優秀な生き物」とする意見もあるが、ある意味、それこそが人間の存在その物の苦悩である。
凡(およ)そ、社会性を加味した人間独特の発想の行き着く先が「性への嫌悪感」であるから、本能とは相容れない拒否意識が働くが、その分潜在的な欠落感(不安)が始終付きまとい、不安定な精神状態を生じさせる。
つまり、押さえ込んだ「本能」は、人間の中で行き場を失うのである。
実は、この苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の「擬似生殖行為」として、生殖を伴わないSEX行為の合意が、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられた。
脳が発達し過ぎて不安定な人間特有の精神状態を、「擬似生殖行為に依り安定化させる」と言う合理的なものだ。
所が、愚かにも人間は、まともな人間なら誰でもして居る性行為にも関わらず、感情的にその恵みさえ建前の中に封じ込めようとしている。
犬掛け祓い(いぬかけばらい)は、この里では村衆に拠る神行(しんぎょう)である。
毎月の月中、犬神(大神=狼)の吼える神聖な宵、満月(望月・もちづき)の夜とその前後を含め三日間の夜が「妙見犬神祭り」で、村公認の「犬掛け祓い」の夜である。
真贋の程は定かではないが、月の満ち欠けの影響で、狼だけでなくその他の動物も、そして人間にも「高揚感が生じる」と言う説が、経験学的に古くから伝わっている。
「妙見犬神祭り」の宵(よい)に行なわれるのが「犬掛け祓い」の神行事で、村の男達が十五歳の「腰巻祝い」を済ませ、長老の「水揚げ」が済んだ娘の家々を廻る。
縁起物の神々の到来であるから、家人はこぞって歓迎するのが慣わしで、この里には拒む家などない。
該当する娘は、日が落ちる頃に夕刻の食事を済ますと裸に成り、身を清めて手拭で目隠しをし、寝床に横たわって村衆が「犬掛け祓い」に訪れるのを待つ。
このシステム、娘の方は目隠しをして相手が誰だか判らないから、好きも嫌いも無い。
娘の愛情は問題ではないから合理的な事に、思いを寄せる男衆は、誰でも「思いを遂げる事」が出来るのである。
「犬掛け祓い」に該当する娘の居る家は、軒下に一回り大きな提灯を掛けて、直ぐに判るようになっている。
村の男達は、門口で「犬神様の御祓いぞぅ」と声を掛ける。
すると、その家の家人が「かしこみて候」と応じて中に招き入れ、娘の待つ寝床に案内する。
村衆が連れ立って訪れ、家人の案内でその家に上がり込み、娘を輪姦で犯し捲くるのが、無事息災祈願の節句の御祓いである。
「犬掛け祓いで出来た子は犬神様の子じゃで、授かり者としてその家で大切に育てる。」
「誰の子か判らない子をですか?」
「あぁ、犬神様の子じゃで、わざと誰の子か判らないように、大勢で押し掛け皆で犯し捲くるのが掟(おきて)じゃ。」
「男親を特定しない?」
「それが特定されれば、夫婦者の中が壊れるだろうが、じゃから、神の授かり者なのじゃ。」
「えぇぇッ、結婚した女性も犬掛け祓いの対象ですか?」
「当たり前だろう。小さな村だから、対象条件を独り者に絞ったら娘は何ぼも残らないわぃ。」
「亭主の方に抵抗感はないのですか?」
「その亭主も含め、村中皆が犯ってる神事じゃ。永く続いた大事な村の掟(おきて)に疑問などはない。」
「つまり、自分も他所の家に犬掛け祓いに行くから、お互い様と言う訳ですね。」
何か、何処かの会社で聞いたような心理の話である。
どうやら岩代は、KIYOUBIの運営にそのままこの村のシステムを取り入れていた。
良くしたもので、肉体を許し合えば心も許し合えるから、村で争い事は滅っ多に起きない。
誰の子か判らない神の子が沢山出来れば、村中が身内の心理を醸成して一致結束する事に成る。
何しろ神事である。
犬掛け祓いの相手となる女衆は、その役目を「精一杯、心を込めて努める」と言う。
世間と隔絶した里の「村社会」に在って、互いがストレスを解消するには、家庭と言う枠を外した発散しかない。
村の女衆に、観音の慈悲の心が育ち、初めて村の掟(おきて)は成立する。
現代の女性は自分勝手なの感性で自己主張ばかりして居るが、良くしたもので慈悲の心が無い女性に回りからの慈悲は無い。
性行為まで共同の観念が育っているこの村里では、互いに隠し事は無い。
この考え方は、最近流行り出した、学校・教室における連帯感を育てるオープンスペースの概念が、拡大したようなものである。
昔の日本家屋は、家族集団で一箇所に集まり、部屋の仕切りも紙障子一枚で個室に閉じ篭る生活ではなかった。
昔の生活では、隣近所の人間が留守に勝手に上がり込んで食事をして居ても、誰も何とも思わないほどオープンだった。
普段から全て晒(さら)け出して生活しているから、今更何の遠慮も、格好付けも要らない。
だから、安心して素(す)の状態で付き合える。
その一体感・連帯感が、この村では里全体を気負う事無く包んでいるのである。
寝宿制度の寝屋子親も、主に東家、西家、南家の三家、後は村役の家が別に五家が寝屋子親を引き受けていた。
村役五家の一軒は、真言宗(**派)の寺の住職を兼ねている。
犬掛け祓いの風習もあり、広い意味では村人は皆線引きの無い血縁に繋がるから、村の結束も強くなる。
「水揚げ親や寝宿制度は、村社会に於ける若い衆の教育の制度である。」
女性の場合は初潮、或いは数え年の十三歳を節目として成人と見做され、おはぐろ(お歯黒)祝い、またはコシマキ(腰巻)祝いが開かれ、暫(しばら)くすると「水揚げ」の儀となる。
この「水揚げ」、娘の親がその相手を探し、「是非に」と頼んで依頼する事が多かった。
つまり、娘の初めての男は、親がそれなりの男に依頼し、娘の幸せを願うのである。
「水揚げ」は村の年長者で、性行為の経験が豊富な事には勿論の事、人柄が良く、その後も娘の相談相手になれる後見人として、実力者の男性が選ばれた。
それが、「水揚げ親」である。
その水揚げを経る事によって、その娘に対する「夜這い」が解禁となる。
これらは、信仰深い人々にとって「神の計(はか)らい」だったので有る。
「夜這い」は「娘遊び」とも言われ、寝宿制度とは一対のものに成っている。
寝宿は、村の若い衆の共同生活の場で、「娘遊び」の出動本拠地でも有る。
「夜這い(娘遊び)」とは、村落共同体を維持する為の有用な慣習だった。
従って、現在の性に対する意識をそのまま当て嵌(は)めて、「野蛮だ」と眉をひそめるほど単純な話ではない。
夜這いは、村にとって重要な物であるから、その規則は住民達によって細かく決められていて、その取り決めは村ごとに異なる。
その差異は、「村の規模や性格によるものだ」と、されている。
若い衆に夜這いが解禁される基準も、村によって異なるが、数え年の十五歳と言う年齢が一つの目安と成って居る。
それは、「寝宿入り」と時期を同じくしている。
つまり、「夜這い(娘遊び)」は、寝屋子親の「指導で行う」と言う村公認の教育だった。
「寝宿入り」の年齢、数え年の十五歳は、武士社会の「元服式」にも通じるから、数え年の十五歳の身体は、肉体的には立派に大人なのである。
現在の肉体的成熟以外の理由から、いつまでも若者を子供扱いにして居るよりは、現実的かも知れない。
冷静に考えると、「寝宿制度」と「夜這い(娘遊び)」は、自然に成熟する若い男女に、大人としての自覚(社会的責任)を身体の成長に合わせて周りがキチンと教える「理に適った」習慣である。
現代のなるべく性に蓋をして無責任に放置しているよりは、余程事故も無く良い制度かも知れない。
山深い里の事である。
街場と違い遊郭のひとつも在る訳ではない。
だから、普段は真面目で素朴な生活を送る村人にとって、そう言う工夫も有って当たり前かも知れない。
何しろ人間の生活は、建前と本音のバランスの上に成り立っている。
女性の性に対する価値観の合意はその時々で違い、それがその村里の、その時代の普通の性に関する考え方だった。
村全体がそれで当たり前なら、村の女衆もそれを疑問には思わない。
歴史的習慣に根付いた、普通の生活なのである。
「理屈や精神論ではない。現金なもので、時々良い思いをさせてもらえれば、人間は生きられる。」
老宮司は、胸を張ってそう言った。
この村里のアッケラカンとした性規範を、読者は異様に思うかも知れないが、誓約(うけい)の国・日本では、明治維新の文明開化までの日本人は性行為を「猥褻(わいせつ)」とする考え方は薄かった。
日本人は、人間としての性規範に対してはナチュラル(自然体)な考え方を持っていた。
性行為を「猥褻(わいせつ)」と強く感じる様に成ったのは、明治維新政府の急速な欧米化政策に伴う学校教育方針で、欧米キリスト教性規範を植え付けられたからである。
古来自然主義の日本列島の民(大和族)は、性におおらかだった。
性行為は神との共同作業であり、新しい命の恵みを授かる「お祭り」と言う神事だった。
自然と折り合って生きていた日本人(大和族)が、明治維新と伴に欧米化の中で自然との折り合いを忘れ始め、敗戦後の自由主義化で見事に自然を破壊する欧米型資本主義社会になった。
この村里は或る種のロストワールドで、頑なに日本古来からの共生主義村落の性習俗を守り続けているに過ぎないのだ。
村の掟(おきて)に守られた「村社会」は、人間の本能を村人漏れなく満足させる事で、絶妙なバランスを素朴に守って来たのである。
「何かこの里の人達は、それなりに村の生活を素朴に楽しんでいたのですね。」
「街場では、金を払ってつまらない遊びをするのが関の山じゃ。金が無い奴や持てない奴は、我慢して堪えて居ろと言う、そんな人情のない社会の何処が良いのじゃろぅ?」
「そう言う意味では、村社会は平等ですね。」
「当たり前だ、村社会は人間味を思い遣る考えが基本で、街場のように相手の事など知った事では無いは、人間の住む環境では無いじゃろうが。」
「そんな教えの妙見大神宮を、奉り守りたいと思いまして・・・。」
「そぅそぅ、教えを広めたいくらいです。」
「すると、この皆さんが氏子として妙見宮・犬神権現様を奉り守ってくれると言うのか?」
私が、代表してその宮司の問い掛けに答えた。
「えぇ、皆その気です。」
「しかし、この妙見宮の氏子に皆さんが加わるには、村の仕来(しきた)りで女衆が総代回しを受けねばならんぞ。」
「その事なら、こちらの皆さんは大丈夫です。」
岩代が、確信に満ちた返事をする。宮司が知らないだけで、このメンバーは世間とは違う思考と体験をして来ている。
「うむ、そりゃあそうだろうな。こちらの皆さん、先程からの京香ちゃんの振る舞いを驚きもせずに見ておる。恐らくその辺りの意思表示も、暗に京香ちゃんの行動から教えられた。」
「このメンバーなら、自信を持って村の掟(おきて)や風習にも理解が出来ます。」
「そうか?他所(よそ)者には苦い経験ばかりでな。ほれ、昔新婚で街から赴任して来た駐在の嫁さんが、総代回しの三日目に、これ以上は耐えられないと自殺したからな。」
「あれは、駐在さんは犬掛け祓い(いぬかけばらい)に参加したくて、村に溶け込もうとしたのに、嫁さんが理解出来なかった。」
「宮司さん、その総代回しって言うのは何ですか?」
「即席で氏子に成るには、村の衆と他人ではまずかろう。それで村の総代八家の主に肉体を許して回され、身内になる儀式じゃ。」
それが亭主の見ている前で、東、西、南の三家と村役五家の計総代八家の八人を相手に、三日三晩犯れ犯れで輪姦される事で、その間に「顔見世道中」で村道を裸で引き回され里の人々に顔も覚えてもらう風習がある。
それが終わって、漸(ようや)く氏子の仲間入りをする「掟(おきて)なのだ」と言う。
「どうせその後も犬掛け祓い(いぬかはばらい)などで、村衆とは付き合わねばならんから、引き返せない様にそう言う事に慣れんとな。」
「私達の事なら、犬掛け祓い(いぬかけばらい)の事も総代回しも心配は要りません。」
妻が身を乗り出して宮司に言い、「私達、皆これですから。」とスカートを捲くって見せた。
白く柔わらかそうな妻の下半身が、宮司の目に晒(さら)された。
「ワハハ、なるほど、とっくに岩代のボンが教育済みと言う事か。」
今まで岩代は何も言わなかったが、この成り行きからして、狙いは明らかだった。
「我々は、岩代君のリーダーシップで既にこの里と同じような乱倫同志経営を会社内でしています。」
「それなら、早速総代回しを仕切っている辰夫を呼び戻して試(ため)してみるが、皆さんそれで良いか?」
「えぇ、それで結構です。」と全員の返事が聞えた。
「まったく、辰夫を返すのではなかった。先程まで一緒に飲んでいたのに、ここまで話が進むとは・・。」
「宮司さん、この人達には条件の全てが揃っています。」
「なるほど、それなら話は早い。岩代のボン、もしかしてこの皆さんは・・・・。」
「お気付きですか、お察しの通り村岡様所縁(ゆかり)の方々の末裔です。」
「するとこの社長さんの先祖が・・・・」
「えぇ、関東鎮守将軍・村岡(平)良文様の孫・平忠常様の末裔です。」
「そうだっったか、この里の者は皆、村岡様の郎党だった者の末裔です。」
急に宮司が威儀を正し、頭を下げながら言った。
「私が、その村岡良文の末裔?」
「村岡は相模の郷の名で、本名は平氏です。」
「私の氏が平(たい)ら・・・・平氏の末裔だと言うのか?」
「お二人が何の話をしているのかサッパリ判らん。」
竹中が口を挟んだ。
それは竹中が代弁しただけで、このメンバーの大半が疑問に持った事だ。
「うん、確かにこの里は岩代君達の故郷のようだが、我々は何んで、連れてこられたのか?」
納得が行かなければ、私達がこの辺ぴな里の神社に拘(こだわ)る理由がない。
「それは縁起(えんぎ)に拠るものです。」
「縁起(えんぎ)と言えば、この里には寺が見あたりませんね。それに仏教用語とはまた宮司様の説明とも思えませんが?」
縁起(えんぎ)は、仏教用語の「因縁生起」(いんねんしょうき)を略した言葉で、仏教の根幹をなす思想で縁起(えんぎ)は「縁って起こる」事である。
「因」は直接原因、「縁」は間接原因の事であり、世界の一切は直接にも間接にも何らかの形ちで「それぞれ関わり合って消滅変化している」と言う考え方をさす言葉である。
「この宮は神仏習合でな、境内に小さなお堂もある。」
「それで、縁起(えんぎ)に拠るとはどう言う意味ですか?」
「この国は永い事血の縁・・・つまり血統の縁(えにし)が価値観として認められて来た。」
「血統の縁(えにし)と私が関係があるのですか?」
「それが、この方が村岡様の末裔なら大有りなんじゃ。」
平安の昔、平将門の乱のしばし後に相模で反朝廷の旗を揚げた村岡(平)良文の孫・平忠常様が、本人も知らない「私の先祖だ」と言うのである。
村岡良文(よしふみ)の孫・平忠常(上総介)が上総国で起こした大反乱「長元の乱」は有名で、「歴史好きなら誰でも知っている」と竹中が解説した。
それにしても、この一切の出来事が「私の血統の縁起(えんぎ)に拠るものだ」と言うのである。
いったい、どうなっているのだ。
天井の「節穴覗き」と言う他愛(たあい)のない悪ふざけから始まった物語が、何と神様や平氏の末裔まで飛び出してくる。
すると、岩代のいままでは手の込んだ陰謀で、彼のシナリオ通りに、「事が運んでいた居た」と言う事か?
それにしても奇妙な話を聞かされたものだが、不思議な事にその総代回しを犯る事に、一行の誰しもから異論らしきものは出ない。
この村落独自の歴史経緯に拠る制度設計が、こう言う独特な形に成って居るのだから郷に入れば郷に従うしか仕方が無いのだ。
「岩代のボン、済まんが、辰夫を呼んで来てくれ。明後日の節分の日程からすると、今日の夜と明日の祭り支度の終わった後、明後日の節分の三晩に、舞台で総代回しをせねば間に合わない。」
「判りました。大方の話は、来る途中でしながら来ます。」
総代回しを仕切っている辰夫とは、先程岩代が「辰オジ」と呼んだ男の事らしい。
その辰夫が、岩代と肩を並べて裏口方向から本殿に入って来て、興奮気味に宮司にまくし立てた。
「おぅ、急な話で驚いたが、今夜から総代回しを掛けるそうだな。」
「あぁ、来たか辰夫。済まんが氏子入りだで、七人同時に回しに掛けるので支度が大事じゃ。」
「あんたらか?村の衆に認めてもらうには、舞台の犬神権現様の前で素っ裸にされ、後ろ手に竹竿に括(くく)られた晒し者にされて、総代衆八家の八人を相手に犯れ犯れで廻されるのだが、覚悟は本当に出来ているのか?」
妻が、ワンピースの前ボタンを全て外し、裸体を辰夫に晒しながら応じた。
「私達大丈夫です。村の皆さんに確り認めて頂きますから。」
「なるほど、皆さん承知の上らしいな。それなら、話は早い。」
辰夫の話に怯(ひる)む女性は、世間の女性はともかくこのメンバーの中には居ない。
このメンバーなら、裸で吊るされて犯されるなど、造作も無い事である。
岩代はこのゴールを計算して「多額の資金を稼ぎ、女達を仕込んで来た」とすれば、見事としか言いようが無い。
その頃には、メンバー全員が前ボタンを外して、前を開け広げている。
「そうか、それが終わればもう客じゃあない。犬神権現様も納得して立派な氏子だ。」
確かに、肉体的な関わり合いが出来れば、究極の親近感が湧き、気分は他人ではない。
最も素朴で納得ずくの受け入れ策として、これ以上有効な手段は無い。
余所者(よそもの)や村八分を出さない為に、究極の納得手段として、「総代回し」は在る。
「総代回し、犬掛け祓い」と、村の「掟(おきて)」をこなして行けば、自然に村に溶け込んで行くのである。
その時、顔を伏せて、宮司の欲棒を咥えていた細君(京香)が、ヒョイと顔を上げたので、その顔を見た辰夫が驚いたように言った。
「何だ。さっきは岩代のボンしか気付かなかったが、東家の京香ちゃんも居たのか。」
「私ら夫婦だもん。」と、屈託無い口振りで細君(京香)が応えた。
「今年の巫女舞は、久振りに京香に勤めさせるから・・・。」
「おぅ、それで村の衆も文句は無いだろう。今から、総代衆に召集を掛けに行く。村の衆には総代衆から連絡してもらうので、岩代のボンと京香ちゃんは、宮司さんと男衆の皆さんで、女衆を竹竿(たけざお)に括(くく)る支度をして置いてくれ。」
村人に受け入れられる環境を整える為に、「今年の巫女舞は、細君(京香)が勤める」と、岩代は言った。
楽しみな事に、KIYOUBIメンバーも明後日の節分の晩に、この村の伝統的行事である細君(京香)の巫女舞姿を鑑賞出来る訳である。
いずれにしても、総代回しに掛けられる「KIYOUBI」の接待メンバーは、その真価を問われる事になった。
「それじゃあ、皆さんお聞きの通りですから、今から縛(しば)きます。」
岩代夫婦と宮司に促されて、一同「総代回し」の支度に取り掛かる。
「良し、それじゃあ俺がひとっ走り振れ回って来るか。」
辰夫と呼ばれた男が、「総代回しの若嫁嬲(わかよめなぶ)りが始まる」と里の総代達に告げる為に小走りに走り出した。
その間に、岩代夫婦と宮司があれこれ指図して「KIYOUBI」の女衆を裸に剥(む)き、一人一人後ろ手に括(くく)ってから「これから総代回しの若嫁嬲(わかよめなぶ)り行列をする」と継げた。
「裸で行列ですか?」
「なぁに、この神社の周囲を行列して触(ふ)れ歩くだけだよ。」
岩代京香はこの土地の者で若嫁嬲(わかよめなぶ)りの洗礼の必要は無く、この催しの全般を取り仕切りながら指導するので、裸行列には加わらない。
岩代夫婦と宮司が有無を言わせず始めたのは、KYOUBI(京美)のメンバーである女性軍七人が、全裸に麻縄で後ろ手に括(くく)られて晒(さら)し曳き縄の裸行列である。
曳き縄の裸行列最前部に私の妻・里美、小泉順子、幹部女性の四人組(麻生、福田、安倍、谷垣)の七人の最後部は生島喜美子だった。
各々(おのおの)が後ろ手に括(くく)られて居るのとは別に太目の麻縄をウエストに一回り巻かれ、その縄で後ろから尻の窪みに沿って通り前に抜けて股間を擦(こす)る様に出す。
その前側の股間に出た縄を各自の夫が担ぐように肩に乗せて道を歩くと、夫の肩と妻の股間の高低差で、妻の股に縄が食い込む形で沿道を曳かれる事になる。
縦て一列に四メーター間隔くらいで列を作って、各自が直径が1・5センチと太い麻縄後ろから前に股に通した曳き縄で、神社周囲の村里道を、全裸後ろ手括(くく)で連れられて行く。
幹部女性の四人組(麻生、福田、安倍、谷垣)は、同様の格好で福田は同棲相手の竹中に、谷垣は田嶋に、安倍は石上に、相手が居ない麻生は駆け付けて来たこの村里の有力者の一人に曳かれて歩いている。
手を後ろに括(くく)られてバランスが取り辛い上に、股を通して前に出した縄で夫に曳かれる行列だから、おっかなビックリのヨタヨタ歩きに成る。
全裸で曳かれた女達は乳首が立った乳房が揺(ゆ)れ、周囲の視線など気にする余裕も無く、転(ころ)ばぬ様に神経を集中して注意深く歩く事になる。
直ぐに村里中に知れ渡ったのか大勢の村人が神社の周囲の沿道に掛け付けて来るは、子供達が異様な光景に驚きも見せず歓声を挙げながら全裸で曳かれ歩くKYOUBI(京美)の女性メンバーの裸行列の廻りを駆け回っている。
「裸お練りだ〜。」と興奮した童(わらべ)が集まって来る。
この裸晒し行列を村人は古い言葉で「裸お練り」と呼び、お披露目に村落内を練り歩く仕来(しきた)りである。
この村里では、この晒(さら)し曳き縄の裸行列も「神事」と教えてあるから、子供達も別段異様とも想わないで育つらしい。
裸行列の後、一同が戻って来て社殿の舞台に案内されると、上の方に竹竿が締め縄風に縒(よ)り上げた紅白の縄で吊るしてある。
その竹竿の縄の先が舞台袖に括(くく)ってあり、縄を緩(ゆる)めると下に降りて来る。
「ほぉう、昔から人間の知恵は対して変わらないな。」
女性達を括(くく)る布縄は、一尺(九十センチ)ほどのやはり紅白の布を縒(よ)った細く良く使い込んで居る奴で、手にすると手に馴染んだ。
「それじゃあ、ソロソロ彼女達を括(くく)って待ちましょうか?」
「良いですよ、少しくらい早くても私達は構いませんから。」
女性達が一斉にワンピースを脱ぎ捨て、全裸で吊るした竿の前に立つ。
天井の張りから両側を縄で吊るした竹竿(たけざお)を凡(おおよ)そ女達の臍(へそ)の辺りまで下げる。
その竹竿(たけざお)に両腕を揃(そろ)えて手首を乗せ、女達を前屈みに手首を縛り付ければ台潰しの台の様に尻が突き出た後ろから犯り放題の状態に成って「吊るし掛け」の支度(したく)が完成する。
「良し、それでは縛(しば)かせて貰おうか。」
その女性達を、男達が手分けして後ろ手に縛り上げ、その端を竹に括(くく)付けて行く。
素っ裸の女が次々に竹竿に括(くく)られて秘所の露(あらわ)な白い尻が順番に並び、あの「開所祈願」の態勢と全く同じ尻を開放した状態が舞台上に七人揃って出現した。
良く十人十色と言うが、女達が七人も揃うと顔だけでなく二枚の肉花弁もそれぞれで、こうして並べて見ると大小に厚いのやら薄いのやら随分と色々で、壮観である。
私と岩代で、女性達がつま先立ちに成るように竹竿の高さを調整して、準備が整った。
「アァ、アァ。」
最初に右隅の方に括(くく)た妻の声が、突然聞えたのでそちらを見ると、宮司が早々と妻に取り付き、欲棒を突き入れて妻の味見を始めている。
この宮司、何とも歳とは不似合いの若さで、恐れ入る。
「宮司さん、早業ですね。」
どうせ細君(京香)が、「犯れ、犯れ。」と宮司に味見を勧めたに違いない。
宮司の、妻の乳房を揺らしながらの腰の突きのリズムに、吊るされた肉体(からだ)は前後に揺れている。
「おぉ社長、奥さんは良く仕込んである。こりゃ上出来だ。」
「そうですか、どうせの事ならついでに皆(全員)の液(つゆ)払いをしてやって下さい。」
「そうか、それなら順番に行くとするか。」
宮司が、生島の妻・喜美子を味わい、五人目の小泉の妻・順子にとっ掛っていると、総代衆がゾロゾロ現れた。
「ドレドレ、流石(さすが)都会者だ。美形ばかりで犯るのが愉しみじゃ。」
総代衆が、グルグルと歩いて吊るされた女達を眺め、手で裸体に触れて選び始めた。
「何をして居るのです?」
「あれは、総代預かりを選んでいる。何しろ総代回しは三日三晩犯れ犯れだから、夜は舞台だが昼間は昼間で総代の家に預かって、廻され続けるのでな。預かり先が決まれば、そこで食事を取りながら犯れ犯れの神事を続け、夜は舞台に上がって犯れ犯れだ。」
「それじゃあ、きつ過ぎて普通の女性じゃ精神がもたないな。」
「なぁに、駐在の嫁の時は独りで八人の総代衆が相手だったが、これだけ女衆の人数が居れば、総代の寝屋子を動員しても、三日三晩犯れ犯れは間に合わんわ。」
「どうやら総代衆が、気に入った女子が落着いて、預かり先が決まったらしい。」
「何しろ預かり先の総代の家で、素っ裸で三日間暮らすのだからな。」
「良いですな、その間、亭主や男親、仮の夫は、彼女達の犯れ犯れに立ち会って見守るのが総代回しの掟(おきて)です。」
気が付くと何時の間にか太陽が傾き、夕日が青しらみ、夜が訪れ始めている。
舞台の三方には村人が群がり始め、段取り良くかがり火が焚かれている。
宮司が「皆の衆、今夜から三日三晩犬神権現様の御前にて、この者達十五人の氏子入りの為、女衆七人の総代回しを執り行う。良く見定めてくれ。」と宣言する。
「おぉう」と言う時の声の様な大勢の返事が帰って来た。
その頃には、総代衆が思い思いに総代回しに掛けられた女の尻に取り付いて、一斉に腰を使い始めている。
鳥居内の神社神域(境内/けいだい)においては、性交そのものが「神とのコンタクト(交信)」であり、巫女、或いはその年の生け贄はその神とのコンタクトの媒体である。
祭りに拠っては、その神とのコンタクトの媒体である巫女、或いはその年の生け贄の前に、「ご利益を得よう」と、神とのコンタクト(交信)の為の行列ができるのである。
【右脳系本能】は、言わば計算されない魂の感性で、呪詛巫女として素っ裸になった瞬間、【右脳系本能】の魂の感性だけの領域に入った事になる。
そして呪詛巫女は、陰陽導師と性交を結ぶ事に拠って呪詛巫女のオーガズム・ハイが高まり、神懸り状態の境地へと導かれる。
御託宣は、この呪詛巫女の魂を通じてもたらされる「神の声」なのである。
「アアアァ〜。」
半吊るしに吊るされた女達も、歓喜の声を上げ始めて受け腰を使って応じている。
素っ裸の女がズラリ八人、尻を並べて括(くく)られ、一斉に犯されて善がる様は壮観である。
二周り、三周りと総代衆が入れ替わりながら犯し続け、舞台の上は熱気に溢れている。
「アアァ〜、アアァ〜、アアァ〜、アアァ〜。」
七人の女達の善がり声が、谷底の里に響き渡って、見守る村人衆の中には、手を合わせて拝み始める者も現れる。
それはもう、隠避な雰囲気なのではなく、厳(おごそ)かでさえある。
「おぉ、荘厳(そうごん)で良い総代回しの神事じゃ。」
宮司が感極まって、唸った。
「さて、かれこれ時間じゃ、後の神事は総代衆の家でしてもらおうか。」
「そうだな、そしたら俺はこの女を連れて行く。」
大勢が見守る中、一時間半ほど続いた総代回しは、宮司の合図で終了し、それぞれ預かり先に曳き立てられる事になる。
女達は、括(くく)られた竹竿からは放たれたが、後ろでガッチリと締められた布縄は解かれない。
総代回しの若嫁嬲(わかよめなぶ)りに掛けられた女はそれぞれ総代衆に預けられるのが仕来りで、素裸・後ろ手に結わえられたそのままの姿で、縄先をそれぞれの預かり総代に引かれて、かがり火に先導され預かり家に向かう。
私は、妻の里美に割り当てられた総代の家に同行する事に成っている。
総代回しの立会いは、夫婦の組み合わせが基本である。
私は妻の里美、小泉は妻の順子、生島は同じく妻の喜美子である。
竹中は同棲相手の福田、田嶋は谷垣、石上は安倍で、カップルの相手が居ない麻生は立会いが居ないので、何をされても見定める者は居ない。
まぁ、麻生も性奉仕の経験だけは他の者に負けないから、大抵の事は熟(こ)なして切り抜けるだろう。
今頃、体型は小柄だが、陽気で賑やかな生島喜美子が、総代回しに掛けられている様が想像出来る。
あの、水泳で鍛えて均整が取れている裸身が、波打って犯されているのが思い至っている。
小泉順子も総代回しに掛けられ、Hモードに入って少女のような清純さで、可愛く廻されているに違いない。
順子の、あの鍛えらた裸身が私の脳裏に浮かんで来る。
谷垣、福田、安部、麻生の四人組も、同様に粗方(あらかた)の様子は想像に難くない。
初夏の香漂う農道を、素裸後ろ手の妻は、松明(たいまつ)の火に浮かび上がる裸身を晒(さら)し、股を通して前に出した縄で私に曳かれながら、大勢の村人に囲まれて曳き立てられて歩いて行く。
足元は確り舗装がされていて、さして危なくはないが、昼間見た限りでは脇に農業用水用の水路が走っていた。
かなり深かったので、それだけは私も注意した。
しかし良く見ると、意識的なのか結果的なのか、見物の大勢の村人が、通路を作って安全を確保している事に気が付いた。
結果的に大勢に見守られながらの「顔見世道中」と言う道行きで、腋(わき)に逸(そ)れる事は無い。
股を通して前に出した縄で私に曳かれ数百メートル歩いて預かり家に着くと、その家の女衆が三人待ち構えていて玄関先に妻をしゃがませ、バケツの水を頭から何杯も、容赦なくぶちまける。
谷川の清水で、裸身を清めてから家に入れるのが古くからの習いである。
恐らく他の女性達も、今頃は同じ洗礼を浴びている事だろう。
水しぶきだけでも冷たい水だったが、妻の裸身からは湯気が上がっている。
その家の女衆がタオルで妻の水気を取り、総代が縄を引いて妻を家に上げると、そこにはこの家の宿子達が五人ほど待っていた。
「オォ。」と喚声を上げた後、彼らは妻の顔と裸身を、ジロジロと無遠慮に眺め、その中の一人が「おぅ、流石(さすが)街場の女は垢抜けて綺麗だ。
ジックリ味見をさせてもらうよ。」と妻に言った。
その言葉も終わらない内に、もう何人かが思い思いに妻に取り付いていた。
これから三日、妻はこの家の宿子達と総代(宿親)の相手をする事に成る。
私はそれを、唯見ているのが役目だった。
妻のこの家での総代回しも、細君(京香)の立夏の節分大祭の巫女舞も見応えがありそうで、楽しみである。
それにしても、私が鎮守将軍・平良文(たいらのりょうぶん・村岡)の末裔とは、どう言う事だろうか?
(村での出来事)
◆蒼い危険な賭け・京香◆
第四十四話(村での出来事)
預かった総代の家で、総代回しに掛けられる妻の一晩目が始まった。
私達夫婦が連れて行かれた部屋は、六畳の和室と八畳の和室ニ間(ふたま)の障子をぶち抜いて広げた広間で、張りや柱は溜息が出るほど太く立派だった。
その三間(みま)続きの真中、八畳の部屋に蒲団が三枚連ねて引いてあり、そこに妻が転がされると、「総代回しの主役が納まった」と言う所である。
妻はこれから犯られるのだが、私にはする事が無い。
私がボンヤリと立ったままで、転がされた妻を所在無く見ていると、総代は「そこでジックリ見て居なさい。」と、私にも酒と座布団を宛がった。
一番奥の六畳の和室には、妙見犬神宮の文字が読み取れる祭壇が飾られ、どうやらこの神事の荒行は、祭壇に見守られながらするものらしい。
転がした途端(とたん)から、妻には、この家の宿子達と総代の宿親の何人かが衣類を脱ぎ捨て、思い思いに妻に取り付いていて、無遠慮に全身を嬲(なぶ)り始めている。
総代回しには、掛けられる女性を神懸り状態にさせる為の、荒行の側面を持っているのである。
八本ほどの手が妻の全身を這い回り、その指先が妻の花弁の中や後ろの蕾にも、容赦なく潜り込んでいる。
「アッ、アァ〜ア、アア、アァ〜ア」
妻の堪(たえ)え切れないような善がり声が始まり、男達もいっそうエキサイトするのが見て取れる。
「どれ、それじゃあお邪魔するか。」
一人が、欲棒の先の、硬くなった坊主頭の海綿体を、妻の花弁の割れ目に宛がい「クイッ」と腰を入れて抽入を果たす。
「アァ〜ア、アッ」
抽入を果たしたと思うと、もう「グイグイ」と抽送をして、欲棒の茎が見え隠れして居る。
取り付いていた他の男は、妻の手を誘導して欲棒を握らせると妻の乳房を揉みしだき、もう一人は、妻の頭の下に自分の右足を入れて膝を枕代わりにして顔を少し起こし、欲棒を口に捻子込んだ。
「ほれ、気持ち良く成るまで、確り頭を振ってシャブれ。」
言われるまでも無い。
妻は下半身で「クイ、クイ」と受け腰を使い、頭は頭で前後に振りながら「ジュパ、ジュパ、ウゴ、ウゴ。」と唇で欲棒をしごいている。
「凄い、なぁ旦那さん、あんたの仕込みが良いと見え、この奥さんは美人の上にこっちも達者だ。」と、感嘆の声が上がった。
妻にすれば、この程度の事は散々して来ている。
「どれ、どれ、おぉ凄い腰の使い方だ。今度は俺に犯らせろ。」
欲棒を握らせ、妻に手でしごかせていた男が交代を促した。
抽送をしている男は、その声を掛けられると、ヒヨイと欲棒を引き抜き「良し、交替だ。」と、身を翻(ひるがえ)し身体を妻から外す。
声を掛けた次の男が、間髪を容れず欲棒を充てがい「クイッ」と腰を入れて二人目が抽入を果たすと、いきなり「グイグイ」と抽送をして、また欲棒の茎が妻の股間に見え隠れを始めた。
「アッ、アァ〜ア、ウゴ、アッ、アッ、アッ、ウゴ。」
また、妻の「クイ、クイ」と言う受け腰が、相手に応じている。
「こりゃあ良い。堪らんわ。」と、二人目の男が、抽送を続けながらうめいた。
「アッ、アッ、ウゴ、アァ〜ア、ウゴ。」
「そんなに良いのか?じゃ、次は俺と代わってくれ。」
妻の口に欲棒を咥(くわ)えさせて腰を使っていた男が、三人目を名乗り、次の抽入順番を待っている。
「判った。あと少しまて。」
二人目の男の抽送が早まり、パンパンと肉体がぶつかる音が、部屋に響いている。
あぶれた者は、私と同じく酒を飲みながら、慣れた雰囲気で様子を観て交代のタイミングを計っている。
男達も慣れていると見え、見る間に発射寸前の絶妙のタイミングで何人かが入れ替わり、妻はもう上り詰める感覚に襲われ始めているようだ。
「アァ〜、イク、アァ〜、イク、イクゥ。」
「おぉ、この奥さん顔が神様が降りて来た顔に成って来た。良し、譲るぞ。」
男達は交代を繰り返し、妻の肉体が空く事が無い壮絶な状況で妻を攻め続け、威力が継続する術(すべ)を知っている。
私が見た所、既に妻は何回もオーガズム(性的絶頂)を繰り返し続けているようである。
一度オーガズム(性的絶頂)に達した妻の状態を、維持する絶妙の交代で、私が見た所、休みを与えない分「KIYOUBI」の開所式を上回るハードさである。
これだけ凄ければ、妻の喉が渇いても仕方が無い。
総代回しは長丁場なので、水分補給が大事なのは彼らも心得ているらしく、時折手の空いた男が傍(そば)に行き、脇から妻に飲み水を与えている。
それを、妻は旨そうに飲む。それも犯られながらである。
この村の掟(おきて)では、妻の総代回しを、傍(そば)で観ているのが夫(私)の役目である。
妻との会話も、総代回しへの介入も許されない。
目の前でイカセ続けられる妻を、黙って見守るだけである。
「アアッ、アアッ、イッタ、イッタ、アァ〜ア、アァ〜ア」
既に妻は、オーガズム・ハイの状態に入って、快感の海を彷徨(さまよ)っているようだ。
入れ替わり立ち代り、何本もの欲棒が妻の股間を訪れ、その欲棒の茎が見え隠れするのを私は酒を飲みながら眺めていた。
微妙な心理の中で、妻の組つ解(ほぐ)れつの奮戦を観る私の欲棒は、確りと硬さを益していた。
「アァ〜、イク、アァ〜、イク、イクゥ〜。」
強烈な快感に襲われたのか、妻は堪らず失神した。
妻が失神すれば、お馴染みの放尿である。
「オッ、この奥さん洩らしおった。」
総代回しは「犯れ、犯れ」だから、そんな現象では宿子の男衆も怯(ひる)まない。
失神しようが、放尿しようが、おかまいなしに抽送を続けている。
欲棒を受け入れたままの妻股間から液体が噴出し、宿子の男衆の腰の動きに応じるようにしぶきが飛び散った。
頃合を見て宿子の男衆は交代し、次の男が失神したままの妻に抽入を果たし、また「グイグイ」と抽送を開始する。
暫(しば)らくすると、妻が正気を取り戻し、根性の受け腰を「クイ、クイ」と再開する。
「気が付いたか、まだ腰を使いよる。この奥さん大した者だ。」
「アァ〜ア、アッ、アッ、アァ〜ア、アッ、アッ、アッ、アッ。」
目の前で腰をグイグイと使い、妻を責め立てている宿子の、リーダー挌の体格の良い青年を見ていて、フト、この背中と尻に何処かで見覚えがあるような気がした。
「アァ〜、イク、アァ〜、イク、イクゥ〜。」
少し記憶を辿って、気が付いた。「そうだあの青年は、岩代軍団にいた。」と思いあたったのだ。確信は無いが、接点はそこしかない。
私は、機会を見てこの家の総代(村役)にその事を確かめる事にした。
「この奥さん、犯られながら神様が降りて来た良い顔しているわ。」
抽送をしながら、その宿子の男衆の男が妻の表情を楽しんでいる。
「アァ〜、イクゥ、イッタ、イッタ、アァ〜ア、ダメ、ダメ。」
問答無用の抽送が延々と続いて、二時間程が経過していた。
妻の奮戦は続いていたが、流石(さすが)に疲労の色が浮かんでいる。
「おぃ、そろそろ限度だろう、縄を解(ほど)いて、少し休ませろ。」
総代が、妻に群がる宿子衆に声を掛けた。
役目柄、抜け目無く妻の様子を観て居たようだ。つまり、この連中が「犯りっ放しでは無い」と言う事でホッとし、安心して妻を預けられる事が判った。
その後は、妻の様子を見ながら休みを挟んで神事が続き、明け方近くに妻の肉体を放し、その場に六時間ほど全員でごろ寝、朝の十時頃に起き出して総代が、家の女衆に声を掛ける。
「おぉい、朝飯をくれ。」
支度が済んで居たのか、女衆三人が直ぐに朝食を運んで来た。
勿論、私を除いて部屋の者は全員全裸のままだ。
食事を並べて、彼女達は「別室に下がる」と思っていたら、彼女達もそのまま食卓を囲んで座ったのには驚いた。
良く見ると、どうやら総代の夫人と娘二人で、娘達はまだ若く、妹は未婚で二十歳(はたち)を少し出たか、姉と思(おぼ)しき方でも三十路前に見える。
夕べは迎えに出て、妻に清め水を被(かぶ)せている。
その後の、妻のあの物凄い善がり声も、この家中に響いていたはずだ。
しかし、娘達は総代回しの事も、男集や妻が全裸のままで居る事も、まるで動じず、何でも無い事のように平然としている。
やはりこの村での「総代回し」は、その家の娘が驚く程特別な事ではなさそうである。
食事が始まると、和やかな雰囲気が広がり、私も含めて街場(東京)の話題で談笑に花が咲いた。
この三日間、私達は互いの会話は禁じられているから、直接妻の体調やら感想は聞けないが、大概の所は、宿子衆や女衆との妻の会話で判るように成っている。
何しろ娘二人が興味津々で、当の妻に、総代回しに掛けられた感想をあれこれ容赦なく質問をして、口にさせるのである。
どうやらこの村では、年頃の娘で在っても世間の常識など意に介しては居ないようである。
宿子衆が横から妻の奮戦振りを「美人の上に性技も達者だ」と誉め、感度も良いから、途中で失神し「洩らしたのも良い」と言った。
「それでもこの奥さん、そのまま続けたら気が付いてまた腰を使う。大したものだ。」
余り誉宿子衆が誉めるので、仕舞いには、娘二人が「午後の回し掛けを、私達も見学する」と言い出した。
こう言う伝統のある村の年頃の娘達だから、都会から来た妻の輪姦される様子に「興味津々」と言う所である。
それにしても、堂々と「見たい」と言う所が、ここの娘らしい。
「掟(おきて)に問題が無ければ、私(里美)は、娘さん達が観に来ても構いません。」
「うゎあ愉しみ。また感じて洩(も)らすかしら?近くで見せてもらうわ。」
出された朝食は典型的な田舎料理だが、私達夫婦には物珍しく口にすると案外いける。
山菜のてんぷらに漬物、肉は放し飼いの鶏(ニワトリ)と、自家製だが心尽くしが並ぶ。
中でも「手造りだ」と言うこの家秘伝の味噌で作った大根の味噌汁は絶品で、お代わりをして結局三杯飲んだ。
一同が遅い朝食を採り終わると、時間はもう昼を少し回っていて、総代に促(うなが)され、また昨夜の続きが始まった。
「見学する」と言ったこの家の娘二人が、平然と現れた。
輪姦(まわし)現場を娘に見学させるなど世間が聞いたら大騒ぎだだろうが、こんな事はこの村里では神事で珍しい事では無いのかも知れない。
二人は、私と向かえ併せの場所に陣取って正座に座り、「さあ来い」と蒲団の上で仰向け大股開きに転がっている全裸の妻を見下ろしている。
男衆の宿子の内、三人が妻の裸身に取り付いて行き、その内の一人が妻の開いた両足の間に座り込み、昨夜の始まりと同じ様に自分の欲棒の先のエラの張った坊主頭の海綿体を妻の花弁の割れ目に宛がい「クイッ」と腰を入れて抽入を果たす。
欲棒を挿し込まれた大股開きの股座(またぐら)の恥部を生々しく丸出しに、娘二人の突き刺さる様な視線を意識して燃え上がる羞恥心に、妻の脳みそが溶けて行く。
男衆の抜き挿しが始まると、妻が反応して「アッ、アァ〜ア」と声を上げると、腰を使って「グイグイ」と抽送を始めた。
欲棒を挿し込まれた大股開きの恥部を生々しく晒(さら)して妻は受け腰をクィクィと使い、善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。
取り付いていた他の男は、妻の頭の下に自分の右足を入れて膝を枕代わりにして顔を少し起こし、欲棒を口に捻子込んだ。
もう一人が妻の乳房を揉みしだき、妻の手を誘導して欲棒を握らせる。
三人同時に攻め立てるのを、妻は昨夜同様に下半身で「クイ、クイ」と受け腰を使い、頭は前後に振りながら「ジュパ、ジュパ」と唇で欲棒をしごき、「ウゴ、ウゴ」と喉までいれる。
握らされたもう一人の欲棒は、小刻みにそれを扱(しご)き出した。
永い事、接待愛奴隷の奉仕経験が有る妻だからこその技で、これには娘達も一目置いた。
「うゎあ、里美さんて凄い。」
娘達の見学申し込みで、妻も意地に成ったのか、それから二時間、一時間ほど休んでまた二時間、もう、上に成ったり下に成ったり、激戦をして見せ、極め付けは妻が誘導して、前、後ろ、口と三人同時に受け入れての大奮戦して、「これでどうだ」と娘達に見せつけた。
「ウゴウゴ、アァ〜ア、アッアッ、アァ〜ア、アッアッ、ウゴウゴ」
大胆にも娘達は、妻の三箇所をうごめきながら見え隠れする三本の欲棒の様をジット見ていた。
三箇所同時だろうが、総代回しは「犯れ、犯れ」だから、宿子の男衆が妻の輪姦陵辱に間を空ける事は無い。
態勢がそう成ると、三箇所同時攻めそのままに宿子衆は交代を繰り返し、固唾を飲んで見ていた娘達の両手も、自然に硬く握られている。
「アァ〜、イク、アァ〜、イク、イクゥ。」
妻の三箇所で、それぞれに見え隠れする三本の欲棒が、リズミカルに躍動している。
「アァ〜、イッタ、イッタ、アァ〜ア、ダメ、ダメ、イッタ、またイッタァ〜。」
壮絶な六対一のバトルが延々と続いている。
観ていた娘達が堪(たま)らず立ち上がって私に近寄り、妻の痴態を観て硬く成っていた私の欲棒を握って、「抱け」とねだり出した。
話がややこしくなると困るので、親の総代に「どうすれば良いか?」と聞くと、「構わないから、相手をして犯ってくれ」と言う返事が帰って来た。
いったいこの村の連中は「どう成っているのだ」と思ったが、娘達は服を脱ぎ捨てて私に襲い掛かって来た。
それから二時間あまりは、私も娘二人を相手に白昼の乱戦に成った。
水分補給はこの家の女衆も承知しているらしく、この家の夫人が飲み水の補給に姿を現し娘二人が私に絡らんでいるのを目撃したが、笑って一べつしただけである。
つまり、母親でさえ娘達の所業を問題視しない事になる。
驚(おどろ)くべき事であるが、一番古い掟(おきて)の村社会の伝統が、実は限りなく現代の先進的な性意識と同様のモラル感覚なのかも知れない。
そう言う意味では、人間は性的には何も進歩してはいない事に成る。
「そろそろ、犬神権現様に連れて行く時間だ。」
夕方に成って、神社の二晩目の舞台まで、昨夜預かった総代がまた裸の妻を引いて行く時間に成った。
娘達を引き離し、妻以外は全員服を着て体裁を整え、熱いお茶を飲んだ。
昼間は解(ほど)いていた後ろ手の布縄を、総代が確りと結び直し、縄尻を引いて外に出た。
外は、まだまったく明るい。
この明るさは、幾ら村中合意の上でも大胆な話である。
この時間に出てくるのは承知らしく、外にはもう大勢が出てくるのを待ち受けていた。
そこに、妻は全裸後ろ手拘束で引き出され、「顔見世道中」が始まった。
待ち受けていた大勢の村人から溜息が漏れる。
スタイル抜群の妻の裸身に、誰しもが認める美形の顔が乗っている。
私としては自慢の、誰に見せても恥ずかしくない妻の裸身である。
歩く度に、柔らかそうに上下に揺れる妻の両乳房は、誰が見ても美乳である。
まぁ、妻の裸身は自慢ではあるが、これが並の世間では「どうだ」と素っ裸にしては中々見せられない代物でもある。
それがこの村ではそんな気使いは不要で、誰も道徳心を振りかざすでもなく、この美しい晒(さら)し者を見物に来た。
妻にしても、その性癖に露出趣味があるのは明白だから、まぁ、心配する事はない。
妻の心境は聞けないが、今までの特異な経験が妻には有る。
この姿でも、極力堂々と歩く事に勤めている所を見ると、開き直って大勢の見物にも動揺は無い様である。
いゃ近頃の妻の事で、案外楽しんでいるのかも知れない。
最初の日と同じ同じ総代回しの顔見世でも二日目は少し様式が違って、全裸後ろ手拘束は同じだが今度は総代が縄を操って尻にピチピチと打ち縄を入れながら引き回す。
唯一つ難点は、ヨロヨロと歩き始めた妻が、ガニ股気味に道を歩き出した事である。
昨夜からの総代回しで、股を開き続けさせられた妻は、まともに歩けないほどのダメージを負っていた。
そのガニ股姿は、一見滑稽(こっけい)に見えたが、村人達には、それが奮戦の証である事が判っていた。
「おぉ、昨夜はだいぶ頑ん張ったと見え、股が閉じら切れずに開いている。」
「その位で、当たり前だ。氏子仲間に入れるからには、生ぬるい事は出来ない。」
「宿子衆から聞いてが、あの女子(おなご)は腰使いが抜群だそうな。」
「それも、何時までもつか?明日の引き回しは、どんな格好で歩くか見物だな。」
ヒソヒソ話なのか、聞えよがしなのか、意図は判らない声が妻の引き回し姿の評価が聞えて来た。
子供達も、娘や女房と思われる人々も、当たり前のように妻の引き回しに群がって、ゾロゾロと付いて来る。
その村人達の様子が余りにも普通なので、返って不気味に感じられる。
私には、村人達の感覚が信じられないのだ。
幾ら山奥の村里でも、今は平成年代の始めである。事情を知らないものが見たら、騒動に成る。
私は、横を歩いて居た妻を預かった総代に聞いてみた。
「こんな昼間に、公道を裸で歩かせて大丈夫ですか?」
総代は、自信を持って疑問に応えた。
「大丈夫、こう言う時は、村に部外者は入ってこない。本当は、こうしながら引きまわす。」
応えながら総代が、手に持って妻を拘束している布縄の端を、手首のスナップを利かせて波打たせると、たるんだ縄が「ピシリ」と妻の白い尻を叩いた。
「アッ」、行き成りの洗礼に、妻はよろめきながら、それでも態勢を立て直した。
「部外者は入って来ない?」
「二時間も前から、ここ(村里集落)の駐在が峠の入り口に出張って検問をしているから部外者は入れない。」
外界と結んでいるのは、あの「峠道一本だ」と言う。
「駐在が、この総代回しに協力するのですか?」
「こんな事件ひとつ無い平和な村里で、駐在の仕事はそれくらいしか無い。」
「しかし、素っ裸の女を後ろ手に縛って公道を引き回す。街場なら公然猥褻で現行犯逮捕物ですよ。」
「なぁに、永く続いた村里の伝統行事を円滑(えんかつ)にする為の協力だ。観ているのは里人だけで心配は無い。」
「それで、この村里の伝統が世間に知られなかった謎が解けました。」
「昔から、郷に入れば郷に従えと言うで、里の伝統があるから里に価値がある。」
「しかし、良く今まで外部に知られませんでしたね。」
「もっともじゃが、この村は比較的暖かいので峠の林道は霧が多い。昔は難所の峠越えだった。」
「そう言えば来る時も霧で、慣(なれ)れている岩代君が一緒でなければ迷っていたでしょう。」
「峠の林道は、霧で年中通行禁止に成る道でな、余程の用が無ければ、滅っ多に部外者は上って来ない。」
「面白いですね、ここはこんなに明るいのに・・・。」
「この里は、地べたの下に温泉の泉脈が有って、暖かいのでな。」
「聞いています。」
「それにこの山間の盆地は、その霧で春と秋は完全に雲海(うんかい)に沈みます。」
「雲海(うんかい)ですか?」
「ここは温泉が出て普段から湿度が高く、その上無風状態が重なる日は、夜明け前から早朝に掛けて放射冷却の自然現象によって霧が広域に発生するです。」
「なるほど、入る道が一本だけの雲の海に沈む秘境ですね・・・。」
「あぁ、ここは天然の要害に囲まれとる。」
「谷川沿いに入って来るルートは無いのですか?」
「この里の終わりの所が断崖になって、小さな滝に成っておる。誰も登っては来ない。」
「隔絶された村里ですね。」
「あぁ、だから安心しろ。奥さんが素っ裸で曳き廻されても、外部の者の目には止まらん。」
「なるほど、そう言う事ですか。」
「昔は落ち人(おちゅうど)村と呼ばれ、近在に恐れられた事もある。」
「落ち人(おちゅうど)村ですか。」
正(まさ)しくここは、落ち人(おちゅうど)村に相応しく近代まで陸の孤島だった。
「それでな、話のついでにご亭主に言って置くが、奥さんにその駐在にも礼をさせる事に成っている。」
「エッ、内の奴に駐在とも犯らせるのですか?」
「あぁ、駐在もそれが愉しみで検問封鎖をしとるから、奥さんが気張って、駐在を喜ばしてくれ。」
「そう言う事なら、そうするしかないでしょうね。」
総代がまた、手に持っている布縄の端を、手首のスナップを利かせて波打たせ、再びたるんだ縄がしなって「ピシリ」と妻の白い尻を叩いた。
「アッ」と、妻の小さな悲鳴がまた漏れた。
「見事な、縄の扱いですね。」
「こんなものは、半日練習すれば上手く成る。」
総代はまた、手首のスナップを利かせ、「ピシリ」とやった。
「所で、駐在を愉しませるのは何時(いつ)ですか?」
「節分の祭りが終わってからだから、四日後の晩に一晩貸せて犯ってくれ。」
「判りました。回し掛けが終わって会話の禁止が解けたら、本人に申し付けます。」
「もぅ、あんたの奥さんには、今の話が聞えているはずじゃ。」
「そう言われれば、近くだから本人に聞えていますね。」
「これは、あんたの奥さんの役目だで、嫌も応もない。」
「強制ですか?」
「あぁ、あんたの奥さんが美人でスタイルも良いから、駐在の起(た)っての御指名でな、まぁ、一晩だけ貸して犯ってくれ。」
「判りました。」
「その代わり、その晩は内の娘を二人ともあんたの寝床へ行かせるから、精々愉しんでくれ。」
「えぇ、そんな事して良いのですか?」
「何を言っている。良いも悪いも、あんたはもう内の娘と一度ナニをした仲だろう。」
「アハハ・・。所で総代さん、宿子の中に一人体格の良い青年が居ますが・・・見覚えが有って。」
「あぁ、あの子はわしの長男だが、大学でラクビーをやって居って、西家の岩代のボンの所で世話になって居った。その時にでも会ったのでしょう。」
「ヤッパリそうでしたか、デ、息子さん今は何をなさっています?」
「あいつは、家の農作業をしながらここの青年団の副をしとります。もっとも団長は西家の岩代のボンで、普段ここに居らんから、団長の代理と言う訳です。」
「この里の男達は、戦前の徴兵はどうされました?」
隔絶した村里での太平洋戦争(二次世界大戦)がどう関わったのか、気に成った。
「あぁ、徴兵には応じたが、ほとんどが特殊能力を認められて特殊工作の諜報員だった。」
「特殊工作諜報員ですか・・・」
「ほとんどの里の者が、大陸の満州・中国の諜報活動をして居った。宮司なんぞは、陸軍中野学校の訓練教官だった。」
「中野学校の教官ですか?凄いですね。」
「この里の者は多少の忍び術を使うから、単身山岳戦闘や単身行軍能力に優れて居って軍も重宝した。貰った階級は曹長から准尉が大半で、宮司は旧制高校を出て大学在学中だったから、初任官で陸軍中尉だった。」
「特殊能力」だと・・・・岩代夫婦ばかりではない。やはりこの里の住民は半端無く普通ではない。
「役に立ったんでしょうね。」
「そりゃあ優秀じゃった。一人も欠ける事無く生き抜いて帰還したのが、里の者の自慢だでな。」
「あの戦争で、亡くなった人は居なかったのですか?」
「あぁ、この里に千年伝わる生き抜く術(すべ)を知っている者ばかりじゃったでな。」
話をしていて、「ゾクゾク」と、言い知れぬ寒気がした。
この不思議な里に、私達夫婦は「選ばれた」と言う事なのか?
「勿論、諜報活動には持って来いだった里の娘達も動員されて、性を武器に活躍したわぃ。」
飛鳥期の「神前娼婦(巫女)」も簡単な情報収集の使命も負って居て、現代風に言えばハニートラップ(性を武器にする女スパイ)だった。
何故なら、神社側は旧支配者が土着した郷士の末裔であり、貴人・官人(高級貴族役人)は現支配者として朝廷から赴任して来た相手である。
鎮守氏神の神官に納まった旧支配者が一定の勢力を維持するには、新たに赴任して来た貴人・官人の御機嫌取りと腹の内を探る必要が在った。
その神前娼婦(巫女)の進化形ハニートラップ(性を武器にする女スパイ)が、平安期に活躍した勘解由小路(かでのこうじ)党の遊妓・「白拍子(しらびょうし)」だった。
その遊妓・「白拍子(しらびょうし)」の遊芸や神楽舞(かぐらまい)から発展したのが、室町期の足利文化として育った「能楽(のうがく)」や「狂言(きょうげん)」、そして戦国期の「阿国歌舞伎」だった。
諜報活動兼芸能従事者に関わる氏族出自の者は、実は修験道から派生した武術忍術の技能集団である。
諜報分野に於いては情報収集、及び広報活動が要求される事から、遊興を通じての情報収集や、民衆に意図的なプロパガンダをする目的手段としての氏族芸能従事者は存在した。
となると、氏族の諜報活動兼芸能従事者の中から、観阿弥・世阿弥親子のように猿楽を猿楽能として大成させる者も出て来る。
彼らは、明らかに氏族の出自だった。
ほかにも、歌舞伎や人形浄瑠璃と言った日本の古典芸能は、こうした氏族の諜報活動兼芸能従事者の下で育まれた。
だが、これを被差別民衆が「芸能と関わる側面が大きかったから」と言って、「賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)」と言う被差別民衆の間から、「種々の芸能が生まれた」とするのは、明らかに間違いである。
つまり「阿国歌舞伎」の出雲の阿国は、歌舞音曲を用いて旅回りをしながら、情報収集を為すハニートラップ(性を武器にする女スパイ)だった。
その阿国を使ったのが、諜報活動を能(よ)くする在地の勘解由小路党の草・雑賀鈴木党で在った可能性は、極めて高い。
日本は平和ボケしているからハニートラップ(性を武器にする女スパイ)など夢物語だが、現在でも世界中の諜報機関で採用されている最も有効な手段である。
しかし参りました。
総代回しは、「KIYOUBI」の接待奉仕何て生易(なまやさ)しい物ではありません。
最初の一晩だけでも、私(里美)が経験した何よりも過酷な輪姦(まわし)なのです。
あれだけ間無しの輪姦では、イキ始めたらそれこそイッてもイッても、次の欲棒にまたかき回され、イキッ放しで止め処(ど)も在りません。
あれは、総代回しを掛けられた者にしか判らない体験です。
それにしても、私達「KIYOUBI」の接待奉仕の調教を受けた者には、輪姦でのオーガズム・ハイ状態の良さを知っていますが、普通の女性(ひと)なら総代回しは、考えただけで地獄の試練で、恐ろしさが先に立つでしょう。
私(里美)、驚きました。
この文明の世の中にこんな村が存在するなんて、考えられない現実です。
国家の法律より、村の掟(おきて)が優先される社会がまだ在ったのです。
様々な伝統の掟(おきて)もさる事ながら、この村里では、総代回しに掛けられた私達を、夕刻とは言え白昼中堂々と全裸後ろ手拘束にした状態で、総代預かりの家から神社まで、里人看視の中を毎晩引き回すのです。
二日目の神社行きは夕刻の五時で、まだ、全く太陽は落ちては居ません。
村の子供達も娘や女房と思われる人々も、ハシャギながら当たり前のように群がって私達の「顔見世道中」を見物するのです。
輪姦の相手など「お手の物」と甘く見ていたのですが、気が遠くなるほど、時間が長いのです。
本来が、手抜きの無い性交の荒行に拠って神懸り状態にさせるのが目的ですから、オーガズム・ハイの状態を継続させる事に長けているのです
この里に来て総代回しに掛かってからは、あの不思議な「未来予知夢」が一段と強烈に成って来ました。
やはり輪姦のあの強烈な快感が、私(里美)の「予知能力を引き出した」と言うのでしょうか?
夫には言えませんが、最近では先に起こるほとんどの出来事が、私(里美)には読めていました。
夫は私(里美)が余りに素直な事を不思議がって居ましたが、未来が読めて居るからこそ、全て納得して行動して来たのです。
夫は傍(そば)で見守って居ますが、総代回し中の三日三晩は会話が禁止されていて、直接苦情も泣き言も言えません。
そこに総代の娘達が「観る」と言ったので、私(里美)は、意地に成って犯って見せました。
おかげで今、裸で引き回されて歩くのに酷いガニ股で、物理的に股間を閉じて歩けません。
でも、ここまで堂々と晒(さら)し者にされると、さっぱりして気持ちが良いです。
基はと言えば、物心ついた時から習っていた水泳のおかげで、競技用のハイレグ水着姿を観客に始終見せていました。
高校の二年生に成る頃には身体もスッカリ大人に成って、股の恥丘の丸みの膨らみやウエストのくびれ、体型がはっきり判る太腿は付け根まで生丸出しでした。
観客の刺さる様うな視線に晒(さら)される刺激が、密かに楽しみな願望に成って、見られる事が癖に成りました。
もうとっくに、見られる楽しみを知っていますから、この引き回しも「見られて恥ずかしい」も、私(里美)の露出願望を満たすものでしか在りません。
百五十メートルほど歩いた所で、小道から出て来た別の集団と合流する形に成りました。
私(里美)と同じ格好で、総代の男に引かれて来たのは、キミチャン(生島喜美子)です。
あちらも夕べの神事が相当きつかったのか、疲労の色を浮かべ、酷いガニ股でヨロヨロと歩いてきます。脇には夫の生島さんが付いています。
キミチャンの様子を観ると、恐らく私(里美)も傍(はた)から見れば、似たような見苦しい格好で、引き回されて居るのでしょう。
途中から完全に合流して、キミチャンと並んで歩きましたが、勿論口を利く事は禁じられていますから、話し掛ける事は出来ません。
キミチャンを引いていたのは、「総代回しを仕切っている」と言われていた「辰夫」と言う男で、キット「回しに掛け」に預かるのに、自分好みのキミチャンを選んだのでしょう。
何しろ裸で並んでいる七人から選んだのですから、肉付きから体の部分まで、確かめた上の事です。
矢張り、「辰夫」と言う男も布縄を上手に操り、手首のスナップを利かせ、キミチャンの尻を「ピシリ」と遣りながら、引き歩いています。
多分この「尻ピシリ」も、神事の所作(しょさ)の一部なのでしょう。
都合五百メートルほどの晒(さら)し者道中を歩くと、やがて「別格郷社・妙見犬神宮」と彫られたあの石柱が見えて来た。
総代回しに掛けられて「氏子と認められ様」と言う目的は、妙見宮「犬神権現」を手に入れ奉る事である。
もう、参道の両側は村人が群がって、妻達が引き回されている様子を見ている。
神社までに、麻生、福田の二人とも合流し、舞台に引き立てられると、小泉順子と安倍、谷垣が、もう例の竹竿に吊るされかけて居る所だった。
前の晩と同じ様に、七人が尻を突き出す形で吊るされた。
裸に剥(む)かれ、半歩開いて前屈みに固定された取り取りの尻が並んで「お好み次第でお犯り下さい」と言うのも中々壮観な景色である。
妻や生島喜美子が竹竿に吊るされると、また舞台の上で総代回しの預かり先の選定が総代衆の間で始まった。
何とは無しに総代衆の話を聞くと、「乳の型が良い。腰の括(くび)れが良い。尻肉の格好が良い。」と、まるで家畜の品定めだった。
それも、預かり回しを掛ける彼らにすれば、生け贄を選ぶ楽しみなのかも知れない。
三日三晩の預かり先が毎晩変わる掟(おきて)を、私はその時初めて知った。
理由は判らないが、昨夜妻を預かった総代の家には、誰か別のメンバー女性が行く事になる。
まぁ、目先を変えた方が、犯る方も犯られる方も互いに新鮮ではある。
神社の舞台で行なわれる総代回しは、ズラリと並んだ女達の尻に、八人の総代衆が順番に抽入をしてグルグルと相手を変えるだけで、さして見応えがあるものではない。
あえて言えば、村人を目で納得させる為の公開回しである。
唯、昨夜と少し違う事は、余程昨夜の激しい回しが糸を引いているのか、七人の反応が敏感で激しくなった事である。
舞台上で、七人の善がり声が、合唱の様に永く続いていた。
妻が二日目に当たったのは、最初の晩に小泉順子が行った細君(京香)の実家で、村では「東家」と呼ばれる名家である。
細君(京香)の、歳の離れた長兄が当主を勤めている。
この盆地の東に面した一段高い位置にまるで砦のような屋敷が、築いた石垣の上に乗っている。
なるほど、文字通り東に在る家で、造りからしても「村の中心を為す名家であろう」と思われる。
屋敷まではなだらかな私道が、ゆるいカーブを伴って延びている。
昨夜と同じ様に、松明(たいまつ)の火に裸身を照らされながら、東家の総代に布縄を引かれて公道を数百メートル歩き、更に百メートル程私道を登って行く。
屋敷に着くと、立派な門の入り口に岩代夫婦が待ち構えていて、玄関脇の谷川の清水を引いている樋のタタキに妻をしゃがませ、昨夜のようにバケツの水を頭から何杯も、容赦なくぶちまける。
谷川の清水で、裸身を清めてから家に入れるのは総代回しの神事作法である。
水しぶきだけでも冷たい水だが、同じ洗礼を浴びて妻の裸身からはまた湯気が上がっている。
細君(京香)を含め、その家の女衆がタオルで妻の水気を取り、総代が縄を引いて妻を家に上げる。
相手が細君(京香)であっても、総代回しに掛けられている妻は、勝手に口を利く事は許されない。一方的に命令を聞いてその通りに行動するだけである。
私は村人とは口が利けるが、総代回しに掛っている妻や他のメンバーとは話せない。
総代達の家は、どこに行っても「建築後百年から百五十年は経っているか」と思われる年季ものだが、柱や張りは太く重厚、見事な造りで惚れ惚れする。
どの家も昔は囲炉裏を使っていたらしく、柱や張りは煤(すす)で黒光していて、それにしても典型的な武家造りの立派な屋敷である。
「東家」には、この家の寝宿子達が七人ほど待っていて、総代回しに掛けられる妻の二晩目が始まった。
私達夫婦が連れて行かれた部屋は、十二畳の和室三間(わしつみま)の障子をぶち抜いて広げた広間で、張りや柱は昨夜を上回る溜息が出るほど太く立派だった。
三間(みま)続きの真中の十二畳の部屋に蒲団が三枚連ねて引いてある。
二人程が、妻を蒲団に転がそうとすると、「待った」が掛った。
「オィ、折角の総代回しだから少し奥さんを嬲(なぶ)らせてもらおうぜ。」
部屋に入ると、宿子衆の一人が言い出した。
「それもそうだな、それじゃあ吊るし嬲(なぶ)りにしよう。」
「しかし、駐在の嫁さんは吊るし嬲(なぶ)りで参ったらしいぜ。」
「この奥さんは、そんなに柔(やわ)じゃないから、遠慮しないで犯っチャイナさいよ。」と、細君(京香)が口を出す。
「そんなら、久しぶりに愉しまさせてもらうわ。」
宿子衆が、天井の黒く太い張りに布縄を廻して吊り下げ、「奥さん前屈みになって足を広げな。」と指示をする。
妻が命じられるままに脚を広げると、後ろ手に結わえた布縄と繋げ引き絞って、つま先立ちの位置に止めた。
「どれ、お道具の具合を確かめさせて貰おうか。」
言い出した宿子衆が、嬉しそうに妻の開かれた脚の股間辺り膝立ちでにじり寄り、親指を丹念に花弁に擦(こす)りつけ、その手を妻の後ろへ廻すと、妻の尻の辺りでクイッと動かした。
不安定な状態で吊るされている妻が、「アッ」、歯を食いしばって、半歩前に出そうに成るのを踏ん張ると、後ろ側から股間にその宿子衆の親指以外の指が、四本前に出て来た。
その指の内、人差し指と中指の指先が、グリグリと妻の花芯ボタンを弄(なぶ)ったかと思うと、少し下がって花弁を掻き分けてスリットにズブッと潜り込む。
「ウッ」と、妻がまた小さく悲鳴を上げた。
瞑(つむ)っていた目は衝撃で見開かれ、チラリと私を見ていた。
「うん、後ろのア*ルも親指がスンナリ入る。前も二本入って受け入れ準備はOKだ。」
宿子衆の手が、モゾモゾと妻の股間でうごめいて、妻の裸身も細かく揺れている。
「ウゥ、アァ〜、アァ〜、アァ〜、ウゥ、アァ〜、アァ〜、ウゥ。」
ぼんやりと見て居た私は、この景色が見た記憶がある事に気が付いた。
あの「確かめの儀式」にそっくりだった。
「ほれ、親指の入り具合も、上々だ。」
宿子衆が、妻のア*ルに親指を「ズブリ、ズブリ」と根元までメリ込ませて抜き差ししている。
前にも指を二本入れ、後ろも確り親指を入れて前後の穴に入れた指三本で妻の身体をわし掴(つか)みにしているのである。
「おぉ、この奥さんは辛抱が良い。駐在の嫁さんのようにジタバタしない。」
「あの駐在の嫁さんは、嫌がってケツを振ってたものな。」
「それでも、お前達があの嫁さんの尻をズボズボ嬲(なぶ)り続けたのじゃないか。」
「そう言うが、総代回しの若嫁嬲(わかよめなぶ)りの間は何をされても文句は言えない決まりだ。」
「あれは駐在さん所の嫁さんが悪い。総代回しの若嫁嬲(わかよめなぶ)りはこの村里の掟(おきて)で、掟(おきて)に馴染んで貰わねばこの里ではやって行けない。」
「折角掟(おきて)に馴染んで貰おうと里の男衆総出で受け入れの若嫁嬲(わかよめなぶ)りを犯ったのに怨(うら)まれては迷惑じゃ。」
「そぉよ、総代回しの若嫁嬲(わかよめなぶ)りを受けなければ村八分じゃ。」
「あの嫁さん、覚悟が足りなかったのだろう。まだ新婚の世間知らずだったから、駐在の前で俺達に嬲(なぶ)られたのが嫌だったのだ。」
「だから都会者は自分勝手な個人主義なんだ。肉体(からだ)を許した者同士、身内意識の仲間で村を守って行こう何て、これっぽっちも思っていない。」
「時代が違う」と言われそうだが、そもそも「知らない相手となど性交は出来ない」は本人の気分の問題で、昔は親同士が決めた結婚で婚礼の夜が初対面でも夫婦の契り(性交)は出来た。
総代回しの若嫁嬲(わかよめなぶ)りはこの村里の習俗で、「乱交などふしだら」と言うけれど特別な相手では無い性交は元々神事に名を借りた遊びなのだ。
だから、それこそ特定な相手との浮気よりは相手が特定出来ない乱交の方が相方は嫉妬もしないし後腐れはない。
その辺りに信仰神事として続いた庶民の娯楽、暗闇祭りの真髄が在ったのかも知れない。
恐らく、駐在の嫁は建前と常識の塊(かたまり)だった為に、総代回しの恥辱経験が、彼女の耐え得る限界を超えてパニックにな成ってしまったのでは無いだろうか?
元々女性に貞淑(ていしゅく)を求める社会通念は、男の独占欲から発生したもので、それが長い間に定着したに過ぎない。
幸も不幸も貴重な経験で、頑(かたく)なな物の考え方は、けして人間を成長させはしない。
それで満足するのは、独り善がりな思いだけである。
亭主の駐在の方が認めていたのに、何故、「多彩な性経験が出来て幸せ」と、気楽に考える柔軟な思考を持てなかったのか?
「しかし、この吊るし嬲(なぶ)りは、面白くて止められないぜ。」
「おぃ、それは遊びじゃあ無いぞ。」
「そうよ、随分昔で、何時の時代だかまでは知らない話だが、昔、南家の当主(宮司の所)が始めた事だ。」
「そうそう、誰が支配者か思い知らせる為だ。」
「その話、聞いた事がある。何でも戦に破れた大家の姫が下僕を一人連れて逃れて来て、村で受け入れる事に成った。所が酷く生意気なお姫さんで言う事を聞かない。それで、南家の当主が服従させる為に始めたのが最初だ。」
「そのお姫さん、これをされて自分の立場を思い知らされた訳だ。」
「ばか、そのお姫さん、この東家の嫁に成ったそうだ。」
「すると、おぃ、京香はそのお姫さんの血筋だ。」
その吊るし責めで代わる代わる、四人ほどが妻を嬲(なぶ)ったが、他の宿子衆は、早く欲棒を抽入して使いたかったのか、「そろそろ、蒲団に寝かそうぜ」と言い出した。
人間好みの問題で、色々な性癖が有る。
当然ながら、関心は交合一本槍の者も居て、窓路越(まどろこ)しいのは待ち切れない奴も居る。
「あせるな、今、そっちに廻すよ。」
部屋に蒲団が三枚連ねて引いてあり、そこに妻が転がされる。
今夜は細君(京香)が最初から同席していて、笑いながら「里美さん、今夜の総代回しは、昨夜のように生ぬるくは無いからね。」と言った。
妻は口が利けないから、細君(京香)の宣言を聞きながら、返事の代わりに足を開いて見せた。
宿子衆が取り囲むと、細君(京香)が「のこぎり引きで犯ってね。」と命じた。
「判った。任せろ。」
一人が、妻の開いた両足の間に座り込み、昨夜の始まりと同じ様に自分の欲棒の先のエラの張った坊主頭の海綿体を妻の花弁の割れ目に宛がい「クイッ」と腰を入れて抽入を果たすと、と、腰を使って「グイグイ」と抽送を始めた。
良く見ると、腰の動きが微妙に制御されていて、欲棒をユックリ抽入して素早く引き抜く運動をして居る。
妻が反応して「アッ、アァ〜ア」と声を上げる。
どうやら、欲棒をユックリ抽入して素早く引き抜くのが「のこぎり引き」と呼ばれる性交の技らしい。
「アァ〜、イク、アァ〜、イク、イクゥ。」
早くも妻は反応して、善がり声が響き始めた。
妻が受け腰しで応戦を始めたが、相手のリズムに合わせると刺激が強まるらしい。
昨夜よりも刺激が利くらしく、早くも受け腰しの間に足をバタつかせる堪え切れ無そうな動作が入っている。
「アァ〜、イク、イクゥ、イッタ、イッタ、アァ〜ア、ダメ、ダメ、イッタ、イクゥ、またイッタァ〜。」
今夜の宿子衆は、一人ずつトライする。
その代わりイカず(射精せず)交代を繰り返し、全て「のこぎり引き」で妻を徹して責める戦法を展開する。
それも、昨夜は二時間だったのだが、妻を知っている細君(京香)が付いているから三時間ブッ続けに成った。
しかし「のこぎり引き」は相当刺激が強いらしく、妻はイキッ放しで休まる時がない。
何度も失神し、失禁して放尿し、三時間、更に同様な責め苦の挙句、妻はまた三時間犯られてやっと朝飯まで辿りついた。
これは、「朝食を済ませてから、睡眠を取る」と言うハード・スケジュールである。
「社長さん、京香から話は聞いています。良かったら、奥さんがお休みの間に、風呂に入りませんか?」
妻が寝て居る間に、細君の兄である東家の総代に内湯に誘われる。
湯殿に案内され、飛び込んだ。
しかしこの風呂は、心が洗われるほど気持ちが良い。
湯船に入っていると細君(京香)と、兄のこの家の主が入って来た。
世間だったら、例え兄弟でも中々同時に風呂には入らない。
この村らしい混浴である。
「湯の温度は良いですか?」
「えぇ、ちょうど良いお湯です。」
「ここの源泉は熱いので、時々水を足さないと成らないのです。」
驚いた事に、案内されて使っていたのは温泉だった。源泉は「東家の左奥の裏山に在る」と言う。
その大地の恵みが、「各戸に引かれている」と言う。
ゴタゴタしていたので聞きそびれたが、今朝初日の総代の家で進められたのも温泉だったのである。
この村では、豊富な噴量を誇る温泉の湧出をひた隠しにし、温泉地として外部に名乗る事も無く、現在に至っている。
「何故、温泉地としてこの里を売り出せば村は裕福になります。何故そうしなかったのですか?」
「温泉地にすれば、他の土地と同じに、里が世間と同じ社会になる。今の、他人との関わりを避け、自分の言い分だけ主張する世間は、良い社会かね?」
「そう言われれば、個人の身勝手ばかりが目立ちます。」
「じゃろぅ、だからこの村は、金の為に伝統を捨てる訳には行かない。他所の伝統を捨てた村は、結局は過疎化を続けて廃村に至っている。」
総代回しには「隠された意味が在る」と言う。
実は、犬神権現の伝承に基ついた信仰により、外からの者を仲間に迎え入れる為の荒行「悪魔払い」をして居るのだ。
犬神様の代理として輪姦性交の荒行を行い、拠って神懸り状態にさせ、「犬神権現」様の光臨をうながし、漸く村に悪行をもたらすものを追い払うのである。
「社長さん、この里の外は悪魔ばかりだからな。」
言われて見れば、今の社会に良い所は無い。
この村は、小さいが「群れ社会」からの「誓約(うけい)文化」の精神を引き継いで、独特な村社会を構成している。
しかし村内は平和で、共存共栄の精神が豊かに実り、助け合って生きている。
これだけ日本社会の人心が疲弊している現在、この村の「性を介在とした究極の結束」を、果たして「異常」とばかり言えるだろうか?
昔の村落共同体においても、連れ合いを失ったり容姿に問題がありもてなくて独り身の者も居た。
村落共生主義における村落へのロイヤリティ(忠誠)とも言うべき誓約(うけい)は、本来相手の「情」を求めない善意の性交である。
建前に囚われずに本質的な現実として来た村落共生主義であれば、誓約(うけい)の性交が有るのなら善意から発生する「思い遣りの性交」もあるのが「共生社会」である。
この「思い遣りの性交」など、村落共生主義を棄てた現在の私権社会では、本質的問題でありながら建前で切り捨てて最初から対策思考の範疇(はんちゅう)に無い。
この村里では、開びゃく以来千年に渡って「里人同士の争い事はない。」と言う。
元々人間は群れ社会の動物なのに、近頃では親子の会話さえない。
各々が別室で過ごすから茶の間の団欒(だんらん)はなくなり、親子の会話でさえ仕方を失っている。
村社会の原点である「性を介在とした究極の結束」は、村内皆身内の信頼関係で、判り易い社会である。
現代でこそ、こんな手段は社会的に異端かも知れないが、これは、人間の本質を生かして調和して行くのか、建前に紛らわしてしまうかの「せめぎ合い」だった。
だが、結果的にこの国は性をタブー視し、建前に紛らわす無理な方法を採ってしまった。
しかし、不思議な事にこの教え、支配階級だけは血統の維持を名目に例外で、天皇を始め、氏族(貴族や武士)から大商人まで「妾」を沢山こしらえた。
つまり、姦淫を禁じられたのは貧しい民ばかりで、「お前らは家庭や社会を乱さず、真面目に働いて上納しろ。」と言わんばかりである。
戦後になって、一夫一婦制建前が現実に成りつつあるが、同時に現在は他人の事など関わりが無い極端な個人主義社会である。
「確かに、東家のお兄さんの仰(おっしゃ)る通り、街場に信じられるものはありません。」
「でしょう、この国は鎌倉時代以降、行く方向を間違えてばかりだ。」
「人間本来の、助け合って生きて行くなんて気持ちは、街場の人間には無いですね。」
自分の為なら、うっかりすると身内でも殺しかねない今日この頃の個人主義の風潮は、どこで曲がってこうなったのか?
「矛盾する全てが一度に適い、解決に向かう訳が無いのに、理想ばかり並べ立てて、好きに振る舞う。それでは社会など成立しません。」
「そうですね。その成立しない理想を、互いが何時までも言い立てて居るだけで解決する事は無い。」
「所で京香さん、岩代君の姿が見えないが?」
「済みません。実は、次の段取りを昨夜から準備に行っています。」
「次の段取り?」
「宗教法人の申請手配です。それでまた、里美さんに接待の御用が出来るかも知れません。」
なるほど、やはり岩代は、里の神社を宗教法人化する積りに嘘は無いらしい。
それにしても、岩代が隠して目論んでいたとんでもない話が飛び出した。
「どこまでどう成って居るのか、良く判らないが・・・」
「総代回しが終われば、村岡良文の末裔である社長が、神社(妙見犬神宮)の氏子棟梁(盟主)と認められます。」
「私が氏子棟梁(盟主)・・・」
「えぇ、京香が奥さんにキツく当たるのも、これで最期(さいご)です。この儀式が済めば奥さんも氏子棟梁の正室様で、京香も含めこの村の女氏子は、例外なく全て奥さんの傘下に入ります。」
「東家の総代さん、私には良く理解出来ないが、どう言う事だ?」
「あなたの血が、この村人の主筋だからです。」
「今時、主筋の血統・・・だと言うのか。」
「神社どころか、村全てが氏子棟梁(盟主)様のものです。その棟梁が、軍資金を持って村に来てくれた。」
東家の総代が言うに、この村はおよそ九百年ほど前、東家、西家、南家の三家、村役の家五家の総代衆八家五十人が、村岡良文の乱に敗れて後、手の者二十人余りを連れて流れて来て住み着き、都合七十人余りで「開墾から始めた村だ」と言うのである。
「すると、岩代君は承知で私達夫婦に近着いたのか?」
「承知でしたが、あなたが軍資金を作るお手伝いをして、村に御案内する準備をしたのです。」
「何と、驚いたな。」
「ですから、例え氏子棟梁の正室様でも、村の掟(おきて)はこなして頂かないと示しが付きません。」
「判った。唐突で心の準備はまだ無いが、私も後には引けないようだ。」
「判って頂ければ、七日の後(のち)にはあなたに逆らう者は、氏子の中に居なくなります。」
「七日の後(のち)・・・・」
「立夏の節分大祭が終わって総代会を開き、この事を公にします。奥さんが総代回しを受けた上に、西家の岩代のボン、南家の宮司、東家の私が承知しているので、異論は誰も無いはずです。」
「私が村岡(平)良文の子孫とは、何を証拠に・・・」
実にいぶかしい話である。
第一、そんな昔まで遡(さかのぼ)って先祖を調べる事など余りまともとな発想とは思えない。
「あなたの、実の父親の姓は寺西氏ですね。」
「確かに寺西だが、君達は良くそこまで調べたな。周りの者もほとんど知らない。」
「お母さんが寺西氏と結婚してあなたをもうけたが離婚、その後再婚した為に、あなたは現在の姓を名乗っておられる。」
「すると、その寺西が関係があると・・・・」
「御説明します。」
第五十代・桓武天皇の皇子であった葛原(かずはら)親王から五代目に、桓武平氏として平良文(たいらのよしふみ)がいる。
平良文(たいらのよしふみ)は下総国の豪族として武蔵国・下総国などを開発して勢力を確立し、相模国村岡にその住居を定めて村岡姓を名乗り、村岡(平)良文として関東鎮守府将軍となる。
やがて、村岡五郎(平)良文の孫・平忠常(上総介)が「長元の乱」を起こし、平忠常(たいらのただつね)は清和源氏の源頼信(みなもとよりのぶ)に討ち取られている。
この時に敗れた近習が八騎、女や郎党を連れて秩父山中に逃れ、谷間の盆地を開墾して里を作った。
一方、平良文(たいらのよしふみ)の子供は生き延びて領国の一つ下総国にて再起を図り、次第に勢力を盛り返し、良文の孫・平忠常(たいらのただつね)の頃には房総三カ国に勢威を振った。
千葉氏は平良文(たいらのよしふみ)の孫・平忠常が千葉氏の祖で、その千葉氏が朝廷の命を受けた源頼信(みなもとよりのぶ)の追討により四散する。
千葉氏の一部は赦免され、子孫は代々千葉氏を称して下総国に繁栄したが、尾張国に流れ、寺西を名乗る者が現れる。
この尾張寺西(平)氏が、安芸国寺西氏や陸奥国寺西氏、豊後国寺西氏、加賀国寺西氏などの「祖」と言われて居る。
「そう言えば、寺西家は愛知県では歴史がある地主で、母は家に馴染まなかったらしい。」
「お判りいただけましたか?これは運命です。」
何て事だろう。
思いも拠らなかったが、岩代夫婦との出会いは偶然では無く、岩代は始めから私達夫婦に的を絞って計画的に近寄ったのだ。
「それにしても、ここまで代を重ねれば村岡(平)良文の子孫は大勢いるだろう。何で私なのだ。」
「あなたが生まれたのは昭和三十三年戌(いぬ)年ですね、そして奥さんも娘さんも同じく戌(いぬ)年です。この村の言い伝えでして、次の棟梁は、戌(いぬ)年生まれで戌(いぬ)年の奥方を娶った者と・・・・」
私は「アッ」と思った。
そう言えば以前に岩代から、私達夫婦が昭和三十三年の戌年生まれだった事が「近付いた理由だ」と聞いている。
私達夫婦が昭和三十三年の戌年生まれの同い年で、その私達に縁が深いのが戊戌(つちのえいぬ)の天一神(てんいちじん、てんいつじん)と言う十二将神の中央に居る「強力な神だ」と言う。
つまり村岡(平)良文(たいらのよしふみ)の血を引き、戊戌(つちのえいぬ)の夫婦こそが「お館様夫婦に相応(ふさわ)しい星を持った夫婦だ」と言うのである。
「私が、条件にピッタリだったと言う訳か。」
「永い事待ち望んでいた方がやっと現れたのです。」
「それで、ここの村には村長は居ないのですか?」
「この村は、明治以来行政的には国の勝手な地区割りで、近隣二ヵ村を合わせて一つの村に成っているのです。私が地区長をしています。」
何と私達夫婦は、岩代に選び抜かれた上にこの村里の氏長(うじおさ)に成る為の教育されたのである。
「そうですか。こちらの皆さんは、良く永い事この里を守ってこられました。今、感動しています。」
「先祖の方々が、その時々の領主には逆らわないでジット従い。役人には村の娘を宛がって懐柔(かいじゅう)し、何とか繋いで来ました。」
「人身御供ですか・・・・・・。」
「つまり、この里の者は永い事氏上(うじがみ)が遣って来られるのを待っていた。」
「氏神(うじがみ)?」
「氏上(ううじうえ)と書いて(うじがみ)と読みます。神様の氏神と同じです。」
「その氏上(ううじうえ)が、私だと言うのか。」
てっきり「岩代が主役」と思っていたこの物語の主役が、私だった事に驚いた。
「そうです。あなたこそ、この里の氏上長(うじがみおさ)様にあたる方です。」
「私が氏上長(うじがみおさ)・・・。」
まったく、私が予想だにしなかった局面が、勝手に展開していた。
犬を祭る犬神権現(妙見犬神宮)がここの守り神で、私と妻は戌(犬)年生まれの夫婦の上に「平良文(たいらのよしふみ)の末裔だ」と言うのである。
地熱、清流、陽光、自然界の良い「気」が集まる所が、真正のパワースポットである。
驚いた事に、この村里全体が八百年からの永い間、「修験結界の中で眠っていた」と言うのか?
話が終わった頃に、寝屋子衆(宿子)と妻が仮眠から起き、宿子衆が妻を連れて湯を使いに来た。
宿子七人と妻が一斉に湯船に浸かる。
「東家の宿親さん、この奥さん美人でスタイルも良いし、腰使いも良いので堪んないねぇ。」
「それによう、この奥さん、気絶すると漏らすのも堪(たま)んない。」
宿子の一人が、本人を目の前に無遠慮な感想を言った。
「良かったじゃないか、総代回しは無礼講だ。遠慮は要らないから、夕方の神社引きまではもう一回戦楽しめ。」
東家の総代が、宿子に応えている。
掟(おきて)の儀式が終わるまでは、妻はただの総代回しに掛けられている女なのだ。
この後この家での総代回しが再会され、三時間ほどすると、妻はまた「顔見世道中」で裸のまま神社まで引き回され、舞台に登る。
今夜、次の総代の家に廻されて明日の夕方まで頑張れば、そこで漸(ようや)く総代回しが終わる。
その夜は、イヨイヨ大祭の巫女舞神楽で、細君(岩代京香)の出番である。
気が付くと、外がもう明るい。
夜明けだったが、雨が降っていた。
この山里の村も、もう直ぐ梅雨の季節になる頃だった。
そしてこの時点で、国家権力の黒い影が、ヒタヒタと「忍び寄っている」とは、露知らない私だった。
(巫女舞・山狩り)
◆蒼い危険な賭け・京香◆
第四十五話(巫女舞・山狩り)
どうやら私達夫婦は、計画的に岩代夫婦に導かれてこの村里に辿り着いたようだ。
この数日、私は昔にタイムスリップしたような感覚に包まれて日を過ごしている。
服装こそ現代的だが、この村里の人々には時代劇染みた空気が漂っていた。
信じられない事に、この怪奇で歴史に取り残されたような、岩代夫婦の故里(ふるさと)である村里は、現実に存在している。
この里の名誉の為に言って置くが、勿論こんなSEX漬けの日々ばかりを送っている訳ではない。
普段は粛々(しゅくしゅく)と農作業や山仕事にいそしみ、一見のどかながらも季節ごとに忙しい日々を送っている。
この村里には、一見異様な雰囲気は一切ない。
だが、現代の物差し(尺度)からすると、この村里は異様な風習慣を持つ歴史ある里だった。
表面上は何の変哲も無い村里で、異様な雰囲気が無いだけに返って不気味に思えない事も無い。
否、確かに不気味だった。
しかし彼らに接して見て、それは「私の色眼鏡ではないか」と気が付いた。
物差し(尺度)を変えて見ると、この村里の里人は「底抜けに素朴」だったのである。
純粋に素朴で、そこにやましい思いが無いからこそ、異様な雰囲気がこの里に無いのである。
つまり、「底抜けに素朴」だったから上辺(うわべ)だけの建前に染まらず、人間の本性(本能)に忠実だった。
昔ながらの村落では男も女も集まって農作業でも神事でも、何でも皆が共同で遣る。
その群れ社会精神が寝宿の習慣に成った所で、果たして異常な事だろうか?
最近の流行かも知れないが、ものの考え方に個人的心情を持ち出すと、結果、周囲に対して虚像の演出を強制する無作為の罪を犯す事になる。
しかしながら、事実を無視してでも物事の全てを作為的な心情で解決しようとする者は後を絶たない。
陰陽岩戸神楽が伝承されている所を見ると、当初は、千年前の陰陽修験者の教えの影響が切欠かも知れない。
いざそれを実行すると、それが一番村社会として争いも無く結束出来るので、互いが生きて行き易かったのである。
そしてその本性(本能)に忠実な心を、里人は共有し、永い時を生き継いで来た。
入り口から違ったものを、同じ物差し(尺度)で評価は出来ない。
それでも世間は、建前の価値観で評価し、簡単に「嫌らしい、不気味な村里」と評価するだろう。
しかし建前社会の現代が、心寂(さび)しい人間を造り続けている現状を見ると、果たしてどちらが正しかったのか?
この素朴な村里の里人達に触れると、自分勝手で孤独な社会を創り出した「世間」と言う名の怪物の方が、私には余程不気味な存在に思えてならない。
実の所、「罪悪感」は人間が育つ過程で育(はぐく)まれるものである。
従って、何かの社会的不都合が前提に有るから、性に対する「倫理観や罪悪感」を、意識として社会が植え付けた。
その社会的不都合の中身が、多分に「周囲の都合」が主体である所が、他の「倫理観や罪悪感」と、性に対する「倫理観や罪悪感」には性質に違いがあるのだ。
人間は基本的に生殖活動で子孫を残す生物であるから、本来、性的な欲求は「自然な本能」である。
その「自然な本能」と「倫理観や罪悪感」が絶えず意識の中で葛藤(かっとう)する事になる。
どうも世の中、建前だけで物事を処理し、その根本には触れたがらない。
本来、人間の性欲と理性は脳の別の部分で対応するもので、その質の違う事を混同し、「理性で性欲を処理させよう」と言う所に、根本的な無理がある。
その無理を、何世代も押し通して居る間に、人間の人格そのものが壊れて行っているのではないか?
人間は、あらゆる自然を破壊して地球の鼻つまみ者であるが、仕舞いには「自然な本能」を否定し、自分達の内部(精神/心)まで破壊に向かっている。
その抑圧(よくあつ)が、男女の正しい性本能を駆逐して、本来、性の対象に成らない筈の子供に性欲の捌け口を求めたり、合意の無い性犯罪行為に走ったりの歪(ゆが)んだ性癖を産み出す原因になっている。
そうした諸条件を無視して「〜〜に決まっている。」は禁句である。
決め付けてしまってはそこから論議が進まず、正しい思考を始める事が出来ない。
つまり、決め付けは人間性を無視した歪(ゆが)んだ合意を作り上げ、個人は「表面的建前と密かなる本音」を不気味に使い分けて、孤独に生きて居るのである。
二日目の夜遅くからは雨で、三日目の午前中は降り続いていた。
その雨音を聞きながらの妻の奮戦は、休み休みではあるが果てる事無く続いていた。
不謹慎な事に、妻の肉体を貫き擦(こす)り上げる「パンパン」と言う雄と雌の肉体のぶつかり合う音を子守唄に、知らぬ内に私は眠りこけて後半の出来事は見届けていない。
一眠りして目が覚めると、まだ妻の輪姦(まわし)は続いていた。
しかし、何か様子が違う。
どうやら妻は、受け入れながらも眠りに落ちているらしく、男の一人が単独で、熱心に尻を前後させて妻を攻め立てている。
犯っている彼らも遊びではなく、真剣な神事で手は抜けない。
三晩も続いて居るこの荒行だから、妻を取り囲む男達も、疲れてほとんどが半ばまどろんでいる様子だった。
東家の総代もご多分に漏れず、力尽きて可愛く成った男の物を、人目に晒(さら)したまま、だらしなく眠りこけている。
午後に成ると雨が止み、一転して雲間から光陽が差し込んで来た。
のどかな鳥のさえずりも聞えて来る。
「やぁ、祭りの支度がどうなるかと心配したが、予報通りに雨が上がったようです。」
この家の主、東家の総代が顔を崩して話し掛けて来た。
笑うと結構可愛い顔をしていて、細君(京香)の面影がある。
やはり兄弟なのだ。
「そろそろ、犬神権現(別格郷社・妙見犬神宮)様に連れて行く時間だ。」
夕方に成って、東家の総代から声が掛った。
「晴れて良かったですね。」
「なぁに、この時期は毎年こんな天気ですが、この大祭は不思議と晴れます。」
神社の三晩目の舞台まで、昨夜預かった東家の総代がまた裸の妻を引いて神社まで連れて行く時間になった。
昼間は解(ほど)いていた妻の後ろ手の布縄を、総代が確りと結び直し、「さぁ、顔見世道中に行くよ」と妻に声をかけた。
当然晒(さら)し廻しだから、妻は布縄以外身に着ける事は許されない美しい素っ裸で外に曳き出される。
東家の総代が縄尻を引いて外に出るのに私も衝(つ)いて出ると、外はまだまったく明るい。
この明るさは、素っ裸で外に曳き出すには幾ら村中合意の上でも大胆な話である。
この里にすれば晒(さら)し廻しは大イベントだから、この時間に出て来るのは承知らしく、前日の様に外にはもう大勢の里人が出て来るのを待ち受けていた。
そこに、妻は全裸後ろ手拘束で引き出され、待ち受けていた大勢の村人から溜息が漏れる。
スタイル抜群の美乳を備えた妻の裸身に、誰しもが認める美形の顔が乗っている。
私としては自慢の、誰に見せても恥ずかしくない妻の裸身である。
歩く度に、柔らかそうに上下に揺れる妻の両乳房は、誰が見ても美乳である。
総代廻しは「お披露目晒(さら)し廻し」で、「顔見世道中」と言うが、実際の所は顔どころではない。
しかし、全裸に縛(しば)かれて村道を歩いているのである。
こうなると妻の恥毛の生え具合、うっかりすると花びらの形まで里人の知る所と成る。
これが並の世間では「どうだ」と素っ裸にしては中々見せられない代物でもある。
しかし惚れ惚れするほど均整が取れた美しい素っ裸が、何んで猥褻(わいせつ)なのだろう?
女性の衣装だって結構露出が大きい方が、憧(あこが)れの格好だったりするから、突き詰めて行けば裸体美が猥褻(わいせつ)では矛盾するではないか?
それがこの村ではそんな気使いは不要で、誰も道徳心を振りかざすでもなく、この美しい晒(さら)し者を見物に来た。
まぁ、私にとって妻の裸身は自慢ではあるから、それほど妻本人に裸の「お披露目晒し」への抵抗が無い
抵抗が無い以上、それこそ「郷に入れば郷に従う」の精神で見せ開かすだけの事である。
妻には、半端ではない今までの特異な経験が有る。
妻にして見れば、あのウエストチェーンとの組み合わせで股間の肉花弁を強制的に左右に開くプラチナクリップを装着され、肉花弁を左右に開いた過激な愛奴隷姿で他人(ひと)前に晒(さら)す事を想えば、素っ裸で村中を引き歩かされても何の事は無い。
今考えれば、里人に舐(な)められないだけの躾(しつ)けを、岩代は計画的に妻に施(ほどこ)していた事になる。
しかし、それで資金までもついでに稼がしたのだから、まったく何て奴だ。
妻の心境は聞けないが、この姿でも極力堂々と歩く事に勤めている所を見ると、開き直って大勢の見物にも動揺は無い様である。
「奥さんには、荒行に拠って観音菩薩の悟りを得て頂(いただ)かなければ、成らなかったのです。」
東家の総代が、私に弁解するような口調で言った。
「気にしなくても、内の奴(里美)は承知しているようですから・・・」
「そうはおっしゃっても、外で生まれ育った方ですから、この里の常識とは大分違うでしょう。」
「確かに違いますが、事前に岩代君の特訓を受けていますから、こなしています。」
「西家のボンは軍師としてあなた方御夫婦についたのです。」
「軍師ですか?」
「戌(いぬ)年生まれの村岡(平)良文の子孫として村に入るにあたり、あなた方夫婦が自分で作った軍資金を持って現れねばならない。だから、奥さんに肉体(からだ)を張ってでも作らせた。」
「そう言う事でしたか。岩代君の目論見がやっと判りました。」
「あの夫婦は似合いでしょう。西家のボンも使い手だが、我が家の京香も二百年に一人と言われる修験呪詛の使い手でな。」
「修験呪詛の使い手ですか?」
「そうだ。あの娘(こ)は子供の頃から、難無く人を操る。」
「なるほど、そう言う事ですか・・・」
「いくらお館様の血筋の方の妃(きさき)でも、都会者にはこの里の掟は理解出来ないと思って、実は疑って居った。流石(さすが)西家のボンじゃ、良く仕込みおったわ。」
「合格ですか?」
「あぁ、あれだけ出来れば総掛け回しも済ませて立派な后妃様に成れるじゃろう。」
「総掛け回しですか?」
「今に判るが、后妃に成る為の里の者との儀式じゃよ。」
もしかすると、細君の京香の方が岩代を操っていた可能性が出て来た。
私が「あぁじゃないか、こうじゃないか」と思い悩んでいたよりも、遥かに凄い術(じゅつ)を、岩代夫婦はしていた事になる。
この三年余りを、周囲に起こる不思議な現象に悩み続けて生きて来たが、今更ながら、「逆らえない運命だった」と思うばかりである。
東家の総代が言うに、東家は修験呪詛巫女の血を受け継ぐ家系で、特に姫にその特性が現れるらしい。
なるほど、どうやら細君(京香)は岩代以上の術(じゅつ)を操るらしい。
道理で「KIYOUBI」の女達の上に君臨していた訳だ。
それにしても私に対し、細君(京香)は随分と慎重に事を運んだもので、中々その能力を見せなかった。
或いは私には見せない所で、妻を始め「KIYOUBI」の女達に、過酷な特訓を施(ほどこ)すにあたり、その術(じゅつ)を駆使していたのかも知れない。
話をして居る間に神社が近く成って、お披露目晒しの「顔見世道中」は終盤を迎えていた。
しかし三日目終了ともなると、総代回しで、股を開き続けさせられた妻は、例のガニ股は殊更酷く成っていた。
妻が、ガニ股気味にヨロヨロと道をまともに歩けない。
それも奮戦の証であるから、そのガニ股姿は一見滑稽(こっけい)に見えるが、里人達は実はそれを見に来ている。
現場を見ていない里人にすれば、妻のガニ股姿で「想像たくましくする」と言う寸法である。
途中で喜美子の一行と遭遇し、我々の後を付いて来た。
勿論喜美子の全裸体も、お披露目晒しの「顔見世道中」で衆人環視の中にあり、ヤハリ、ガニ股が酷かった。
喜美子の両足の太腿(ふともも)の付け根は、ビキニラインとも呼ばれるV字型のラインである。
そこから切り替わって丸く膨らみながら逆三角型に密集した見事な豪毛を蓄える恥丘、陰毛の隙間から小豆粒大の桃色の花芯ボタンが覗き、その最下段に可愛く開いて咲く喜美子の二枚の肉花弁が男を誘っている。
鳥居が近付いて、他の「顔見世道中」のギャラリーが合流し、ごった返している。
「祭りは例年盛況ですが、今年はお館様一行が里にお見えで、百年に一度の盛り上がりです。」
確かに、我々が加わって通常の祭りよりは遥かにイベント性が高いのだろう。
「ウゥン?」、それにしても、東家の総代の口調が鳥居を境に急に改まって更に丁寧に成り、呼び方がお館様に変わっていた。
この口調の変化は何を意味するのだ?
私や東家の総代を含め、妻の「顔見世道中」の一行が犬神権現に到着すると、宮司がニコニコしながら待っていて、他の「KIYOUBI」の女達が舞台の上に尻を並べて三日目総代回しを待っているのを無視し、そのまま奥に案内された。
案内された奥の座敷に、古式豊かな衣装が男女一対掛けてある。
「さぁ、これからお二人はこの里の氏神長(うじがみおさ)様じゃで、正装に着替えて下され。」
この大祭に、私達二人は正装で上座に座らされると言う。
この奇妙な隠れ山里の村落が、私にとって大和(やまと)の神が導く約束の地だったのである。
寺西(平)氏として、この村岡(平)良文所縁(ゆかり)の子孫達の氏神長(うじがみおさ)に成るのである。
案内されて南家の宮司の下に私達夫婦が行くと、私が着用する為の本格的な束帯(そくたい)と妻が着用する為の十二単(じゅうにひとえ)が用意されていた。
「こんなものを着せられるのか・・・」
時代錯誤もはなはだしいが、この土地でそれは言えない。
立派な衣装ではあるが、着慣れないと歩くにも厄介だった。
着付けの為に集められたと思(おぼ)しき若い女性が私に三人、妻に五人付いて着付けさせると言う。
私に付いた三人の内二人に見覚えがあり、初日に妻を廻しにかけた総代の家の、例の娘二人である。
どさくさ紛れに交尾した仲なので、どうやら私の着付けを買って出たらしい。
「さぁお館様。お着替えです。」
その二人が、拠って集(たか)って着ていた私の服を剥ぎ取り、パンツまでずり下ろして膝間着き、目の前にぶら下がった物(欲棒)をものともせずに顔を腹につけ、手を腰に巻いて下帯を着ける所から初めて、着物に着がえさせた。
過(か)って知った仲だから、パンツをずり降ろして転げ出た私の欲棒を、娘二人でキャッキャ言いながら交互に口に含む悪戯(いたずら)までした。
それにしてもこの里は、性におおらかである。
妻の方は、初めから何も身に着けていなかったが、流石(さすが)に手間がかかるらしく、そちらも五人が大奮闘して漸(ようや)く様に成った様だ。
着替えて舞台に案内される頃には、神社の舞台で行なわれていた「KIYOUBI」の女達の総代回しは、終わっていた。
しかし、私達が座った一段高い所と言い、この衣装と言い、まるで内裏雛(だいりびな)である。
それにしても、この里のペースで有無を言わさない早い展開の為に、「あれよあれよ」と言う間も無く、このひな壇に乗せられてしまった。
これも運命と受け入れる他は無い。
いよいよ巫女姿の細君(京香)が舞う神楽舞が始まるのだが、その前に宮司と東家の総代の口上で、私達夫婦を正式に里人に紹介する段を作った。
どんな紹介と反応があるかと身構えたが、拍子抜けするくらい簡単な挨拶だった。
もぅ、事前の通達が村中に浸透していたのである。
神楽舞を始める前の宮司挨拶で、「皆の衆、こちらのお二人は、この里の氏神長(うじがみおさ)様とお妃(きさき)様じゃで、以後その積りで、お館様にお仕えするように」と、到ってシンプルな紹介をした。
歓迎を表す「ワーッ」と言う歓声が一度上がって、儀式は終わった。
それこそ一夜にして私はお館様だった。
所が、その後の付帯連絡みたいな宮司の話で、妻の処遇を聞いた村里の民は驚いた。
何と、大祭が終わった後、中七日間をおいて妻を休養させ、一日宮司預かりにして、「総掛け回しを掛ける」と言う。
妻が、里人全ての母妃と成る為の儀式で、それが済むと天上からの御託宣を司る氏神の后妃様と成り、そのお言葉に逆らう里人は居なく成るのである。
以後、氏神長(うじがみおさ)様の私と、后妃様の里美がこの奇妙な里を統治する事に成るのである。
巫女舞が始まっていた。
舞台上には、肌が透ける薄絹をまとった細君(京香)が、荘厳な笛太鼓に合わせて華麗に舞い始める。
あの印象的だった、宮司に「おじいちゃん」と甘えながら交尾する少女のような顔付きから、いつもの謎めいたりりしい美しさの顔に戻っている。
南家の宮司の解説では、「最も原形に近い岩戸神楽(かぐら)だ」と言う。
里人が奏でる古式豊かな音曲に乗って、何ともエロチックな細君(京香)の舞である。
四幕八場のこの神楽舞、「天岩戸神楽」には違いないが、一幕目の二場から大勢の神々が登場し、宴(うたげ)の場面に成って、神々の手囃子で細君(京香)の天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)が岩戸の前で衣類を脱ぎ出す。
神々の歓声が上がり、舞は益々エロチックな腰使いに成って、裸体の天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)が神々に扮した男達の間を舞い回る。
神々の手が天宇受売の命の裸身に伸び、無遠慮に触れている。
同調するように舞台下からも歓声が上がり、岩戸と思(おぼ)しき岩が少し開く。
すかさず天宇受売の命が、鏡の光を岩戸内にかざす。
神々の中から男が一人立ち上がり、少し開いた岩戸を掴(つか)んで「グイ」とこじ開ける。
天手力雄命(あめのたちからおのみこと) 役は、良く見るとあの消防副団長で、確かに相撲取り体型の奴が上半身裸で岩戸をこじ開けるのは恐ろしいほど似合っている。
天手力雄命(あめのたちからおのみこと) が、岩戸の中から天照大神(あまてらすおおみかみ)を引き出した。
引き出された天照大神(あまてらすおおみかみ)を、須佐之男命(すさのうのみこと) が舞台上で犯し始めた。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は誰か判らないが、須佐之男命(すさのうのみこと)は、西家のボンこと岩代だった。
神社の舞台の神楽で、生ファックとは凄(すご)過ぎる。
「お館様、あれで、誓約(うけい)が成立して、二つの部族が一つに成ったのです。」
「なるほど、手打ち式でしたか。」
「平和が訪れて、暗かった世の中が明るく成る訳です。」
舞台上で舞踊る細君(京香)を眺めながら、南家の宮司が私に言った。
「あの娘(こ)は、天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)の生まれ変わりです。」
「あの岩戸神話のですか?」
天照大神が、隠れ籠もってしまった天岩戸を「天手力男(あめのたじからお)の命」がこじ開ける時に、天照大神が「何事か?」と、覗き見の隙間を開けさせたのが、この「神楽(かぐら)の始まり」と聞く。
その、岩戸に隙間を開けさせる歴史的きっかけになった神楽の原型は、「天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)の胸も女陰も露わなストリップダンス」、と言われている。
天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸(天石屋戸/あまのいわと)に籠った時に、岩戸の前で踊った女神である。
「宇受(うずめ)」は「かんざし」の意で、髪飾りをして神祭り(神楽舞)をする女神、更には「神憑った(かみがかった)女性の神格化を示す」とされている。
つまり巫女の神楽(かぐら)舞は、天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)の岩戸(石屋戸)神楽が原形である。
記紀(古事記・日本書紀)の記述からは「神懸かって舞った」と読める天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、神託の祭事を行なう巫女である。
列島の民(日本人)は、「先住民(縄文人)と渡来人(弥生人)の混血だ」と言われていて、とうに天宇受売(アメノウズメ)の夫神・猿田毘古神(サルタヒコ)は先住民(縄文人)、后神・天宇受売命(アメノウズメノミコト)は渡来人(弥生人)だった。
神話に於いては、猿田彦が天孫降臨を感知して雲に上って上天し、「途中まで出迎えた(渡来を歓迎?)」とされ、その時天孫(渡来人・進入部族)は猿田彦に対し天宇受売命を「使者として交渉させた(誓約・性交による群れの一体化の儀)」と言う。
つまりこの夫婦(めおと)二神の役割もまた、「新旧民族の融和(誓約)の象徴」と言う訳である。
この夫婦(めおと)二神が、天狗(猿田彦)とオカメ(天宇受売)に成り、後世に伝承される神楽舞の面(おもて)として残った。
誓約(うけい)の精神に従って、「戦いを止めてベット・インをしよう」の精神の為、神楽舞の面(おもて)、天狗の鼻は男性器を表し、オカメの口は女性器を表していて、合体の為にサイズが合わされているのが本式である。
これを、この素朴な村里の地では神楽面を使わず、猿田彦と天宇受売に紛した男女が生身を持って演舞するのである。
つまり、全国各地に伝わる神楽の中でも、最も原形に近いものが、舞台上で舞踊る細君(京香)の裸形(らぎょう)岩戸神楽(かぐら)である。
祭事として「神懸かって舞う」下りは、新旧民族の融和(誓約)の象徴を精神的に祝う神への奉納の舞である。
猿女君(さるめのきみ/朝廷の祭祀に携わる氏族の一つ) の祖神とされている天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)は、猿女君の氏は「神楽の事に供す」として、宮中に奉仕し、主として「神楽に携わった女子」であるとされ、各地に神楽や芸能の神として祀られている。
この誓約(うけい)の精神は、時代が下って行くと、やがて争う敵将を味方につける為の「政略結婚」に変化して行くのである。
南家の宮司が私に言った言葉が象徴的だった。
「あの娘(こ)は、天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)の生まれ変わりです。」
京香の本性が明らかに成ったのは、この時だった。
私の認識が、長い事間違っていた訳である。
岩代の影に隠れているが、未来にチャンネルを合わせ、強力な予知能力を発揮していたのは、京香の方だった。
性感を高める事で、お告げ巫女としてのビジョンを見て、岩代の行動をコントロールしていたのである。
つまり、気が付くのが遅かったが、この物語の全ては岩代京香から始まっていた事に成る。
本当の超能力者は、自分の能力をひけらかさない。
相手がそれと知らない方が、警戒されないからである。
京香に操られた女達は、それと意識せずに京香に逆らう事を忘れる。
そしてどんなに卑猥な要求にも、何の抵抗もなく応じるのである。
中でも妻は特別な存在で、京香に操られて過酷な性奉仕を続け、ビジョンを見るお告げ巫女に仕立てられたのである。
それでは、何で京香が恐るべき能力を持ち、妻にその能力を持たせる事が出来たのか?
動物には危険を察知する能力がある。
所謂(いわゆる)「動物的感」と言うやつである。
遠くの音が聞えたり、微細な匂いをかぎ分けたり、危険な場所は、一瞬の判断で本能的に避けたりする。
人間にこうした能力が低いのは、余りにも知性が発達して、論理的な思考が優先されるからである。
そこで古(いにしえ)の統治者が考えついた方法が、巫女を限りなく動物的本能の状態にする事である。
動物的本能の状態、つまり激しい性交を実地する事で性感を高め、お告げ巫女に「動物的予知能力を発揮させよう」と言う、案外論理的な試みだった訳である。
本来なら信じられない事象であるが、それが事実なら全てが符合する。
私としては岩代のあの自身が「何処(どこ)から来たのか」と不思議に思っていたが、細君の京香が、未来が見える「予知夢を見ていた」とは・・・・。
どうやら妻も京香も、イッてもイッても犯られ続ける凄まじい臨界状態の輪姦(まわし)を体験すると、ドーパミンが噴出してベータエンドロフィンと言う脳内麻薬が・の脳内に充満し、言わばセックス・ハイの状態に意識が移行して神懸りと成るらしい。
現代科学に於いても、エクスタシー状態(ハイ状態)とは恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態で、宗教的儀礼などでは脱魂(だっこん)とも解説される。
その宗教的儀礼に於けるエクスタシー状態の際に体験される神秘的な心境では、しばしば「幻想・予言、仮死状態などの現象を伴う」とされている。
この時私は、これで京香と言う不思議な女性の謎が「粗方(あらかた)解けた」と思った。
その安堵が、「まだまだ甘いものだった」と知ったのは大分先の話である。
細君の神楽舞を見ながら傍(かたわ)らの妻と、この山里に来て始めてユックリと話す機会を得た。
それにしても、この内裏雛(だいりびな)状態、妻の方は子供時分の夢だったらしくご機嫌だが、私にとっては、実に窮屈(きゅうくつ)なものである。
「お前、既にこう成ると前から予知出来ていたのか?」
「えぇ、あなたがお館様に成る事は判っていました。」
「どのくらい前から判るのだ?」
「そんなに先は見えないけれど、平均すると半年位先が見えているわ。」
「先が判るのは半年前からか・・・それじゃあ、この村里の出来事も承知の上で賛成していたのか?」
「逆らえない運命ですもの、凡(おおよ)そこう成ると想像が着いていました。」
「回避は出来なかったと言う事か・・・」
「予知夢で得られるのは心構えだけで、回避は出来ません。」
一見非科学的な現象だが、予知夢が確実に存在する以上妻に「何か」が作用している。
細かい化学的理屈は判らないが、「予知夢現象」を引き出すには「輪姦(まわし)の最中」と言う状況条件がいる。
とにかく輪姦(まわし)の最中は自分の意志など思考する余裕などは無く、身は「極楽の境地」を彷徨(さまよ)い、操られるままに無我夢中で次々と身を任す。
導き出される答えは一つで、「無我夢中に成る」と言う事は理性や計算を担当する【左脳域的知能】を働かせる隙が無くなり、「無心に成る」と言う事で、邪念が消えて【右脳域】の本能的な能力が最大限に引き出される。
邪念が消えれば「神懸り状態」に成り、「予知夢を見る」と言う寸法だ。
後は感度の問題で、これは固体(個人)に拠って差が有るらしく、京香や妻は特に資質として「神懸り」に適しているらしい。
【右脳域】の本能的な活性状態、つまりオーガズム・ハィの状態は癖に成る「極楽の境地」である。
妻は、初期の「岩代と学生達の輪姦(まわし)」と言う早い時期にこの「予知夢現象」を見て以来「神懸り」の誘惑に取り憑(つ)かれて、頑固だった既成概念をアッサリと捨ててしまったのだ。
本能的な感性を司る【右脳域】と理性や計算を担当する【左脳域】では役割機能が違う。
【右脳域】の欲は性欲(種の保存本能)と食欲(自らの生存本能)で、【左脳域】の欲は物欲や金銭欲、つまりは計算が介在した欲である。
妻がオーガズム・ハィの状態で得る「予知夢現象」は、【右脳域】の本能的な感性がマックス(最大)に成って現れる現代科学では未知の現象かも知れない。
ここに到って私は確信した。
岩代はけして怪しげな術で、妻を始めとする女達を操(あやつ)っていた訳ではない。
岩代は、彼女達の能力を、引き出す「手助けをしたに過ぎない」と気が着いた。
生き物の身体は、生きる為にあらゆる進化を遂げて、その為の備え調整装置を作り出している。
「女の感」とは良く言ったものだが、それはチョットした表面的なもので、女性(母性)にはもっと素晴らしい、命を未来に繋ぐ為の潜在予知能力(危険予知)が未開発のまま存在する。
但しこの潜在予知能力(危険予知)何もせずに開発される筈(はず)がない。
古来より大和の国に伝わる呪詛巫女は、神楽巫女舞のトリップ現象に拠るドーパミンの過剰生成から発生する脳内麻薬ホルモン・ベーターエンドロフィンの効果で、脳の予知能力の精度を高める事で能力を発揮し任じられた。
呪詛巫女の「修験」修行は読んで字の如しで、輪姦修行に寄り「経験を修め」脳の予知能力の精度を高める事だった。
その引き出された予知体験から、女達は岩代に服従したのだ。
岩代は女達を輪姦呪詛に掛ける時、一度「スパッ」と素っ裸に成ってメチャメチャに犯られ捲くり、オーガズム・ハイで「頭の中をマッサラにしてしまえ。」と言い、それこそ多人数で強烈な輪姦(まわし)をさせる。
そこで得られる「超臨界性感覚」が、潜在予知能力(危険予知)のオン・スイッチに成っているのだ。
岩代が女達に施(ほどこ)した輪姦呪詛は、限界を超える過剰な性感を女達に施(ほどこ)す事で脳内麻薬ホルモン・ベーターエンドロフィンの大量発生を促がすのが目的である。
つまり岩代の輪姦呪詛は、女達の性感を開発すると伴に潜在予知能力を引き出す合理的な手段でも在ったのである。
今の妻は、「超臨界性感覚」に達すると未来予知が出来る。
この三日間、妻の総代回し生活は少なくとも「臨界点ギリギリ」だった筈(はず)である。
妻は輪姦(まわし)を受けている間に「予知夢を見る」と言う。
【右脳】は「無意識脳」と言われ、イメージ記憶・直感・ひらめき・芸術性・創造性・瞬間記憶・潜在意識・リラックス本能などの活動の機能をしている事から、妻の【右脳】はこの一連の輪姦性交でパワーアップし、潜在していた「予知能力までも覚醒(かくせい)した」と言うのだろうか?
「それじゃあ、これから先の事も、この三晩で見えただろう。」
「えぇ、少しは見えましたが、取り敢えずはここの盟主にあなたがお成りになれば、私達は良い方向に向かいます。」
「私達?」
「少し、岩代さん達に気懸かりな事が・・・」
何だろう?無敵とも思える岩代夫婦に、妻は「暗雲が漂っている」と言うのか。
何も見えていない私にはもどかしい話だが、こればかりは見えない私の方が普通なのだから仕方が無い。
実の所、実感の無い私にすれば、気持ちは半信半疑である。
私に見えないものが「妻に見えている」と言う事は、いささか妙な気分である。
しかしながら、女性特有の能力であれば、私はそれを認めざるを得無いのかも知れない。
それにしても、妻が予知して居る内容を私に話さない不満を言うと、「私は仕方ありませんけど、先を知ってしまうと人生がつまらなくなりますよ。」と言われた。
「なるほど。」と思った。
実を言うと、運命を変える事が出来ないなら、その運命を予め知る事こそつまらない人生は無い。
妻は気が付いて居ないが、どうやらその予知夢みたいなものは、妻が休む間も無く輪姦(まわさ)れ、イキ過ぎて失心した時のほんの短い時間で見るらしい。
それにしても不思議な現象で理屈では理解出来ないが、この京美関係で妻も含め「何人かが見ている」と成ると、頭から否定する訳にも行かない。
その条件が、全て休む間も無く輪姦(まわさ)れる犯られっ放しで、オーガズムが継続する濃厚な快感でイキ続けて失心する事だった。
信じ難い事だが、妻は「性感」が連続でマックス(絶頂)に達したSEX・ハイ状態(性感陶酔状態)の時に「脳裏にリアルな未来の映像が浮かぶ」と言う。
そんな事象が有るなどと想像もしなかったが、これは「霊感」ではなく「生(性)感」である。
どうやらその「生(性)感」が、妻の里美は特に強いらしい。
事実なら妻の「予知夢」は脅威(きょうい)であるが、残念ながら私は男性だから性機能的に連続で「マックス(絶頂)」と言う訳には行かない。
妻も、最初から未来が見えていた訳ではないらしい。
「修行」と言う表現も適当ではないかも知れないが、とにかく岩代夫婦の「念波動」を受けながら性交を重ねる事で、徐々にその能力を開発されるらしいのだ。
陰陽術における超臨界性感覚を獲得する為には、「適切な性交期間が必要」と言う事で、その習得期間が「感受性期」と言う事に成り、そこを乗り越えれば妻に恒常的な「未来予知能力のスイッチ(起動ボタン)が出来る」と言う訳である。
つまり、超々快感状態における沸点の連鎖反応の量が、壮絶な輪姦行為で時間とともに増加していく場合、この状態を超臨界性感覚と呼ぶ。
どうやら、岩代が妻に施した強引とも言える性調教と愛奴隷の仕事の謎は、ほぼこれに尽きる。
勿論、資金稼ぎや組織創りなどの付帯的な効果も一石二鳥ではあるが、岩代の本当の狙いは、この未来予知能力を妻に持たせる事だったらしい。
そして妻が、あれほどの厳しい性体験の場に身を置き、岩代の言い成りで素直過ぎるくらいに行動した理由もまた、「未来予知能力」と言う現実に裏付けされたものに違いなかった。
それほど、得られた未来予知が正確だった証拠である。
「KIYOUBI」の一同が連れ立って訪れた秩父山中の山里は、潜入捜査官・康子の想像を遥かに上回る奇妙な村だった。
実は岩代夫婦の「念波動」を康子も受けているから、同行する前からおぼろげながら判っていた。
しかしこれほど徹して「中央の治世を無視している」と成ると、ただ事ではない。
目の前に繰り広げられ、自らにも「総代回し・お披露目晒し」として降りかかったこの里の猥褻(わいせつ)観念は、国の法律とは大きくかけ離れている。
潜入捜査の性格上、康子も素っ裸でそれらの洗礼を受けたが、公安部の潜入捜査官としては無視出来ない事態だった。
康子は、総代回しを受けながら思った。
「この里は一体何なのだ。」
とにかく尋常ではない。
里人公認で、全裸で村道を引き回されるは、老若問わない男達にグチャグチャに廻されるは、世間の倫理観など何も無い。
まるで思い遣りなどないから、正直、総代廻しが終わった後でも、何か棒を突っ込まれて居るような感覚が、股間に残っている。
今までは、単なるスキャンダルの塊(かたまり)に過ぎなかったが、一集落まん丸の住人「数百人が絡む」となると、これは、スキャンダルの域を越えている。
容易成らない集団の出現に、康子も単身では対応しかねていた。
それなりの自治をして居る村落である。
事が村落の祭られている神社が絡んでいると成ると、信仰の自由にも抵触し、古くから伝わる「伝統慣習」となると、国家権力が介入するにしても難しい部分もある。
定法通りに「悪いものは悪い」では割り切れない要素があるのだ。
それに、「KIYOUBI」に潜入して性と向き合う生活をして居ると、この世間の常識とかけ離れた発想や行動にも、一理ある事が判って来る。
「私も、岩代マジックにすっかり影響されたのかしら・・・・」
いつの間にか、苦笑いしている自分がそこに居る事に、康子は気が付いた。
同僚上司の大森警部補も、恐らく尾行している筈(はず)だから、「何とか繋ぎを」と大森警部補の出現を待っていた。
一方の大森警部補も、密かに里に侵入し用心深く様子を伺おうとしたが、里人の目がある。
そもそも駐在の巡査が、村落の入り口で封鎖していたのが気に成った。
常駐警察官(駐在)まで妖しいのでは、慎重を期すべきで、誰が味方で誰が敵か判らない状態で、ヘタに姿を見せる訳には行かない。
それで大きく迂回し、下の方から川伝いに上って来て、里外れの滝をよじ登る冒険をした。
若い頃ならともかく、この年齢(とし)では体力的にキツイ話だ。
漸(ようや)く外れの山ノ神の祠(ほこら)に辿り着き、昼間はそこに隠れ、夜間に行動した。
奇想天外な村だった。
専従捜査員の大森警部補は、KIYOUBI(京美)メンバーの後を追ってこの村里に踏み込み、この文明の世に「こんな里が在ったのか?」と、驚愕した。
実は、不思議な気持ちに陥るほど、奇妙な現実を大森警部補は目撃していた。
同僚の康子巡査部長も、潜入捜査とは言え抗うでもなく素っ裸で「総代回し・お披露目晒し」に掛けられているのを目撃していたのだ。
流石(さすが)の大森警部補も男だから、同僚の康子巡査部長が全裸で里の道を引き回され、里人達に犯され続けるのを見せ付けられては、奇妙な気持ちに成っても仕方が無い。
祭りが終わった翌日の早朝の事である。
その大森警部補が、康子巡査部長と連絡を取ろうとして、うっかり里人の一人に見つかってしまった。
何しろ里人全員の目が相手では、為す術(すべ)もない。
四方を山に囲まれて世間と隔絶した山里に、騒ぎが勃発した。
半鐘が「カンカン」と鳴り響いて異変を知らせると、どの家からも里人が飛び出して来た。
驚いた事に、多くの里人が古い太刀(日本刀)を手にしていた。
大森警部補は身を翻(ひるがえ)して山に逃げ込んだが、騒ぎを聞き付けた総代衆が、それぞれが十二〜三人の男衆を引き連れ、それが八隊ほどの編成を成して、百人ほどが山狩りを始めた。
駐在も出動して、のどかな里が、蜂の巣を突付いたような騒ぎである。
騒ぎに驚いた私が外に出ると、KIYOUBI(京美)メンバーの竹中や小泉、生島、田嶋なども、「何が始まったか」と出て来ていた。
宮司が私に近寄って来て、「神社に伝わるお館様の一振りじゃ」と正絹の掛袱紗(かけふくさ)に包まれた、ズッシリと重い一振りを渡して寄越した。
私が巻いてある掛袱紗(かけふくさ)を解くと、立派な太刀が現れた。
「これを受け取っても使いこなせない。」
「形だけです。形だけ・・・西家のボンやわしの息子達が心得ていますから。」
腋(わき)から、辰夫と呼ばれた総代の一人が口を出した。
騒ぎの原因が判った。
誰か他所(よそ)者が、明らかにこちらに気取られないように、この里を「窺(うかが)っていた」と言うのである。
間違いでなければ、「意図的に探っていた」と言う事で、この里の存在が世間に暴かれる恐れがある。
「そりゃぁまずい。私らも捜索に加わりましょうか?」
小泉、生島、田嶋と言った所が参加を申し出たが、この山肌を都会育ちの連中が捜索に出ても、見るからに役には立ちそうも無い。
「ここは我々に任せてください。」
岩代が他のKIYOUBI(京美)メンバーを圧し止め、神社(別格郷社・妙見犬神宮)の境内に「作戦本部もどきを立ち上げる」と言う仰々しさである。
「大げさに思うかも知れませんが、長年護って来た村の秘密は、外部には漏られません。」
潜り込んだ他所(よそ)者は、「何が何でも捕らえねばならない」と言う決意が、里の誰の顔にも溢れていた。
「捕らえてどうするのだ?」
まさか殺しはしないだろうが、侵入者を捕らえた後の事が急に心配に成った。
目の前でリンチ殺人でも有っては、しゃれにならない。
「殺したり怪我をさせてはならない。」
思わず口を突いて出た私の言葉が、何と「お館様(氏神長・うじがみおさ)の命令」と成った。
「お館様の命じゃ、無傷で捕らえよ。」
東家の総代が、直ぐに大声でそれを四方に告げた。
里山の赤土斜面を、横一列に並んで強引に登る大捜索が始まって居た。
「無傷で捕らえよ。」
「おぅ。」
命令とその返事の声が、そこかしこから聞えた。
「ウ、ウン?」
改めて生け捕りの指示が伝えられて所を見ると、私がそう命じ無かったらどう成っていたのだろう?
もしや、切り殺すつもりだったのか・・・一瞬背筋が寒く成った。
どうやら「お館様など柄にも無い。」と思っていたが、私がそれを照れないでこなす事が、その侵入者の命を救う事に成りそうだ。
そうと判れば、私は嫌でも「お館様」で居なければ成らない。
何とも、時代錯誤(さくご)しそうな里が在った物である。しかし、現実である。
それにしても、リアルとバーチャルの狭間(はざま)に、私は「スッポリ」と落ち込んだような気がする。
この騒動、初動の段階で勝負は着いていた。
総代衆が引き連れた最初の八隊は、いずれも里を取り囲む四方の山腹まで駆け上り、里を包んで下る戦法を取っているから、侵入者は追い落とされる事になる。
神社(別格郷社・妙見犬神宮)境内の作戦本部に十人、その他の辻々に、三人ずつの警備が立って、蟻の這い出る隙もない。
「ほぅ、見事な配置じゃ。」
竹中が感心したが、恐らく里人は、里の秘密が暴かれる恐れの「事有る」を想定して、訓練が行き届いていたに違いない。
こうした防御体制が日頃から施かれている所を見せ付けられると、ここは正に鉄壁の隠れ里である。
やがて侵入者は見つけ出され、それを知らせる声が、里に木霊(こだま)して響いた。
「おおぃ〜、居たぞ〜。居たぞ〜。居たぞ〜。」
「南の山ノ神の祠(ほこら)の天井だ〜。」
「天井だ〜、天井だ〜、天井だ〜。」
「良し、包んで取り押さえろ。」
天井で発見された時、大森警部補は、シグ・ザウエル社が開発した私服警官用拳銃P230の32口径タイプ(幹部用)を携帯していたが、多数の里人相手に、威嚇(いかく)も発砲も出来なかった。
日本の警官の哀しい所で、この状況で発砲しても警察官として説明が出来ない。
それに相手の人数が多過ぎる。
危害を加えれば、対応して反撃が強烈なものに成るのは明らかで、彼に残されていた手段は、手を挙げて出て行く事だけだった。
発見の一報が入ると、岩代が傍(かたわ)らの細君(京香)に何か耳打ちをして、その声の方向に山道を走り出していた。
岩代の機敏な動きを目で追っている間に、細君(京香)もほぼ同時に、私の視界から「フィ」と消えていた。
暫(しば)らくすると、岩代が里人達と侵入者を私の前に引き立てて来た。
「怪我はさせていないだろうな?」
「仰せの通り無傷です。」
無傷と聞いて、安堵した。いくら秩父山中の時代離れした里で起こったにせよ、ここは法治国家の一部である。
乱交などと違い、殺傷は望む所ではない。
「紛(まぎ)れ込んで来たのはこいつです。拳銃を所持しています。」
何と、時代劇宜(よろ)しく、囚われ人の面通しに成った。
その顔に、私は見覚えがあった。
「その顔、大分前から様子を窺(うかが)っていた顔だ。一体何者だ。坂元の所のものか?」
「・・・・・・・」
相手は無言だった。
しかし、以前から尾行(つけ)て来ていた位だから、何か魂胆が在って遣って来たに違いない。
「お館様、その者の正体は、こちらの康子に吐かせます。」
細君(京香)が、麻生康子を引き連れて来ていた。
「麻生君が何かしたのか?」
「その男の仲間です。とっくに察知していましたが、泳がせていました。」
「麻生君がこいつの仲間?」
「麻生康子、正体を吐かねば、この男が死ぬぞ。」
「判りました。どの道もぅ判って居るのですね。」
「そうだ。君らの口からお館様にハッキリ言ってもらいたいだけだ。」
「話せば、その人を放してもらえますか?」
「そこまでは約束出来ないが、お館様の命令もあるから命は必ず助ける。」
「判りました。あとの事は私(康子)に提案があります。」
「で、君らが何者かお館様に言ってみろ。」
「その方は警視庁公安部・公安総務課所属の捜査員、大森警部補、私は巡査部長の麻生康子です。」
「やはりな、見当は付いていた。」
岩代夫婦は、麻生康子が「潜入者」と気付いて居て、泳がしていたのである。
何と言う事だ。私は、驚きを隠せなかった。私の見えない所で、想定外の事実が進行していたのだ。
「何で公安がマークしていた。」
「国税局から、異様な利益を上げていると通報が有ったのが発端です。」
覚悟を決めたのか、麻生康子が躊躇(ためら)いの無い返事をする。
「たったそれだけの事か、公安も暇(ひま)だな。」
「岩代君、何でそんな事でここまでややこしい事に成るのだ?」
まずい状況だった。
この男(大森警部補)を消すかこの里を消すか、そんな究極の状態に、望みもしないのに私は置かれた事に成る。
「それでも、国家とすれば異端な存在と言う事に成ります。」
「それで、どうする積りだ。どうにか上手く決着しないと、死人が出かねない。」
「私が公安本部を説得します。」
麻生康子が私に言った。
「潜入捜査員の君の言葉を信じられるか?」
急に、私には麻生康子が知っている麻生と違う人間に見えていた。
「私は、KIYOUBI(京美)のメンバーでもあります。」
「どう言う意味だ?」
私が麻生の真意を測りかねていると、突然横から岩代が口を挟(はさ)んだ。
「お館様、麻生君には、上手くやってくれる意志が有ります。」
急に岩代が麻生康子擁護に廻ったので、私は声を落として聞いた。
「また、例の気の話か?」
岩代も、小声で返事をした。
「この際、麻生に任せましょう。私の術が効いていて、彼女の心があながち公安部側とも言い切れません。」
「判った。任せるのは良いが、弱った。私は一度家に帰りたいのだが・・・」
「判りました。娘さんの事も心配でしょう。お帰りまで、二人とも身柄を押さえさせて置きます。」
どうやら解決は、「一週間先延ばし」と言う事になる。
「麻生君、お館様が一週間留守にするから、その間に、まず彼(大森警部補)を説得しておいてくれ。」
「判りました。」」
「お館様がお帰りに成ったら、君だけ公安部の説得に行かせてやる。それまでは、二人とも拘束する。」
「全て承知しますから、大森警部補と同室にして下さい。」
「承知している。君には彼の世話と説得を頼む。」
岩代には、麻生康子の「思考の中まで読める」と言うのか?
思わぬアクシデントだったが、大森警部補は西家の奥に設けられた座敷牢に監禁し事態は執(と)り合えず終息した。
妻の両親に預けた娘が気懸かりだったので、祭りが終わって、私達夫婦は一度下界の家に帰る積りだった。
侵入者騒ぎで一日遅れたが、「娘が気懸かり」と言う気持ちは強かった。
若干、捕らえた侵入者の扱い等(など)が心配だったが、何としても帰らねばならない。
私達夫婦の頭が痛いのは、その愛娘(まなむすめ)の事である。
村に娘を連れて来る事は、まだ決心が着かない。
唯、平常の基盤は山里に置かねば氏神長(うじがみおさ)と、后妃は勤まらない。
何しろあの里の「お館様」に成ってしまったのだ。
家に帰ってまずやった事は、妻の両親に「新規事業の都合で数年間夫婦だけで転居する。その間現在の屋敷に娘と住んでいて欲しい。」と頼み込む事だった。
勿論娘を預けるのだから、夫婦揃ってか妻だけかで始終帰る事には成る。何とか妻の両親を口説きながら、短い日々を送った。
娘は、いずれこの里の姫に成るのだろうか?
岩代の目指す所に私達夫婦が誘導されて行く感は、常に私の意識の奥底には警戒感として在ったのは確かだった。
しかし警戒感が在ったにも関わらず、何故か岩代の不思議な魅力に引きずられてここまで来て居た。
生島や小泉、田嶋などは自分の妻の言い成りに、この里住民に成る事を押し切られた。その他の女達も、永住する腹を決めて子供達を呼び寄せ、一緒にこの里住むと言う。
どうせこの里の習慣に馴染ませるのなら、子供達は保育園程度の若年の内の方が問題は少ない。
一人年齢的に問題に成りそうな娘(こ)が居るので心配に成って生島に聞いて見た。
この里の倫理観は、世間と全く違う。
春美と言う生島喜美子の上の娘はもう中学生に成って居るので、いきなりこの極端な性風俗の習慣が有る里に放り込む事は、大いに心配だったのだが、生島夫婦から「心配ない」と返事が帰って来た。
もぅ、生島夫婦と岩代で話し合い、対策は出来ていて岩代の「念波動(電磁波の波動による意志の伝達や誘導)」で娘の思考をこの里娘並に誘導、解決する筈(はず)らしい。
この生島喜美子の上の娘に関しては、後ほど私の個人的な問題が発生するが、現時点では親夫婦と岩代に任せておけば良いらしい。
ここまで周囲を巻き込んだ挙句の事で少々身勝手だが、自分の娘を巻き込むのは親として複雑な気もするので、この件付いての結論は先延ばしにするしかないだろう。
確かに隔絶した山里ではあるが、車を飛ばせば二時間程度で行き来が出来る距離で、娘の面倒見も可能だ。
当面住居の方は二重生活になるが仕方が無い。
いずれにしろ、七日の後には妻がこの里の后妃に成る為の儀式、「総掛け回し」が待っている。
元々性交は「自然行為(繁殖行為)」であるから、性交のルールやカップリングの条件は後から付いて来た。
その点では他の動物と余り変わりは無い。
そもそも、日本民族の基本的精神は「農耕の文化」から成り立ち、自然に優しく自然と共生する知恵も持っていた。
在るものを見つけ出す事が「自然との共生」であるから、性欲を頭から否定する風潮や信仰はこの国には無かった。
有史以前の古代日本列島では縄文人が住んでいて、男女の関わりが現在のような一夫一婦制ではなくもっとも自然な「集団婚(群れ婚)」の形だった。
また日本民族は、全村(共通生活地域)身内気分の精神で、隣人と力を合わせて生活する「村落共生社会(村社会)」と言う形式の「群れ社会」だった。
全村身内気分の精神の根底に在るのが、長く続いた日本民族の「性におおらかな感性」である。
思えば岩代は、群れとしてのKIYOUBI(京美)の結束と資金集め、そしてこの村里の習慣に馴染む訓練を同時に合理的に為し得た事になる。
警視庁公安部・公安総務課長の吉井警視はイラ立っていた。
捜査に出した大森警部補も、潜入させた麻生康子巡査部長も、連絡義務の三ッ日(みっか)を遥かに経過し、十日も音信不通だった。
途中報告では、怪しげではあるが「命の危険までは無い団体」と判断していた。
それが、突然消息を絶ったのである。
別々に行動していたから、事故などの不測の事態でも同時に巻き込まれる事は無い。
二人とも「同時に音信不通」と成ると、捜査対象組織が何らかの行動を起こした可能性がある。
厄介な事に、「秩父の神社を買収する」と言う漠然とした計画が、麻生康子巡査部長から入っていただけで、秩父の何処かさえ雲を掴む話で、特定出来るものではない。
天下の警視庁公安部も、案件を多く抱えている上に、現状では事件性が証明出来ない。
半分謎の組織などと言われて居るが、いざ「人員を動かす」と成ると、保身絡みの役所の論理が働く。
執り合えず、課長の自分をキャップに据え、五人ほどの追跡班を編成したのがやっとだった。
聞いて見ると、SMプレィなどの過激な事もしていて、生半可な接待の性奉仕ではない。
康子に身を持って教えられたが、肌触り、肌の温もりは無言のメッセージで、それを供する事は、相手に対する最大限の誠意である。
警察では、関係が在る人間を関係者と呼び、性交相手も「(肉体)関係が在った」と表現する。
つまり「(肉体)関係が在った」は捜査上の重要な要件であるが、コレクティブ(集団的・組織的)なものとなると或る種の新興宗教絡みでもない限り前例が無い。
しかし康子が言うようにそれが「誓約(うけい)」と言う意味の「(肉体)関係」であれば、それが犯罪に該当するかは判断の外である。
結局の所、「女達の貞操に拠って会社を大きくした」と世間が非難するだけで、何もせずに非難だけをしても、或る意味「覚悟の無い女」の遠吼(とうぼ)えに過ぎず、「文句があるなら犯って見ろ」と言う事に成る。
それにしても、軍師のように就いている岩代と言う男の計画には無駄が無く、並大抵の男ではない。
(最期の接待)
◆蒼い危険な賭け・京香◆
第四十六話(最期の接待)
この里には、鎌倉期から室町期に掛けて弾圧され姿を消した古い修験真言密教の神仏混合信仰がそのまま残っていた。
岩代夫婦が試みた呪詛は、正しくこの里に伝承された真言密教立川流の奥義だったのである。
そう言えば、「この秩父山塊を下った先には立川の地もある」と、私は納得した。
この奇妙な隠れ山里の村落が、私にとって大和(やまと)の神が導く約束の地だったのである。
七日後、再びこの村を訪れると、神社腋(わき)の別殿に里の宮大工の手を入れ、仮の館(やかた)が出来上がっていた。
驚くべき事に、この里には宮大工(みやだいく)、瓦職人、左官職人など日本の伝統建築職人が揃っている。
それらが指揮をして里人総出で手伝うのだから私が驚くほど早く完成した。
この新築成ったお館様の屋敷、仮屋敷とは言え柱や張りは神社の修復用に蓄えていたもので、柱は一尺〜尺五寸、張りは尺五寸〜二尺と、ど太い見事な木を使っている。
その仮の館(やかた)の一室に、早々と妻の「総掛け回し」の支度が整っていた。
私の一段上がった上座と、下に褥(しとね)を引いた妻が「総掛け回し」を受ける場所、左手側に見届役の総代達の座布団が並んでいる。
他に、京香が指揮を取る世話係の女性は、KIYOUBI(京美)メンバーの女性達が妻の世話をする事に成っていた。
里人の数が五百、男が半数として二百五十、総代回しの時に既に当たって妻と犯った者は終わっているので、全く接触の無かった者が、それでも二百十人ほど相手をする計算になる。
一日三十人として七日は掛る計算だが、妻の経験を持ってすれば、何とかこなせる人数だった。
予定が割り当てられているのか、「総掛け回しを開始する」と言う「お触れ」が廻ると、朝十人、昼十人と里の男達が順次仮館に詰め掛けてくる。
その為に宛がわれた妻の寝室の控えの間は、まるで診療所の待合室がごとき状態であった。
そこから七日間は、后妃に成る為の儀式「総掛け回し」が厳(おごそ)かに執(と)り行われた。
妻は着衣の間も無く、七日間は食事も寝るも素っ裸のまま、行列を成す里人の相手を務めていた。
里人の母(后妃)として一度胎内へ納める意味合いがあり、今まで会社(KIYOUBI)の為に使われていた妻の肉体(からだ)が、今度は里の為に使われる事に成った訳である。
朝九時から三時間、昼三時から三時間、夜は又九時から三時間、一人三十分のペースで十人ずつ交尾をこなして行く。
朝食、昼食、夕食時に休憩を取りながら、朝から晩までまるで母親が子供を抱くような優しい感じで、妻の受け腰が続く。
平成四年が近付いていた。
宮澤喜一内閣が発足し、共産圏の超大国・ソビエト連邦が崩壊し、ゴルバチョフ大統領が辞任する年末だった。
共産主義は人類の理想だった。
しかし生産された富の平等は建前で、「平等分配なら人の働きを果実として貰えば良い」と、勤労意欲が減退して生産力は激減し、連邦は崩壊した。
やはり人間には欲心と楽をして生活したい気持ちがあり、理想だけでは人間の本音はコントロール出来ないのだ。
八百六年(大同元年)、ちょうど桓武天皇が崩御し、第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)の準備をしていた頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。
空海(弘法大師)の教えは、身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる事)、口に真(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事により「即身成仏(煩悩にまみれた生身のままでも救われる)に成る事ができる。」としている。
空海(弘法大師)が唐から伝えた経典の一部に、密教がある。
密教とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結び付いて発展した。
手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。
つまり本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。
この真言宗の教えの中の密教と日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者(しゅげんじゃ)が生まれている。
修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。
当然の事ながら、陰陽修験は呪詛を使う。
呪詛の目的は、それを行なう事に拠ってあらゆるものを操ろうとするものである。
修験道には、役小角(えんのおづぬ)を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。
弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのだ。
本来の仏教は祈りによる現世利益で、まずは手っ取り早く長生きや裕福と言った幸せを願う物だった。
この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。
お金に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様、先祖に祈るのだ。
そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、陰陽修験の呪詛を使う真言密教・立川流が成立した。
真言密教・立川流は陰陽修験の呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行を採用した。
立川流の教義は、真言宗の「即身成仏・即事而真(そくじにしん・物そのものが真実)」、「当相即道(とうそうそくどう)」の意味は、「ありがたちそのままが理想」と言うであり、つまり「自然の欲望(煩悩)は自然な事である」としている。
「本有平等(ほんぬびょうどう)」の意味は「本来もっているものが皆同じく真実を宿す」という真言を、男女二根の交会、淫欲成就の妙境をそのまま「即身成仏の意味」に解したもので、ごく自然な人間の命の営みを、素直に容認したものである。
この教義の根拠として「首拐厳経」、「理趣経」などが用いられて、なかでも「理趣経」の十七清浄句の、「欲望は浄らかなり〈大楽の法門〉」と言うその教えは「一切の法は清浄なり」と言う句門であった。
この時点で、愛欲に対する罪悪の考え方はまったく存在しない。
「一切の法は清浄なり」を「男女の性交も清浄なり」と解すれば、良いのである。
如来(にょらい)は十七の清浄なる菩薩の境地を挙げて、男女交合の「妙適なる恍惚境」も、欲望、箭の飛ぶ様に速く激しく働くのも、男女の触れ合いも異性を愛し堅くい抱き、男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由である。
男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由とは、解釈の仕方では現代で言うSM的な行為まで性愛の形として肯定している。
つまり、欲望に身をゆだねて「恍惚境」に入る事を、真言密教は教義として肯定しているのである。
それはそうだろう。禁欲主義は生き物としての最も基本的な「種の保存本能」に矛盾している。
「全ての主である様な心地となる事」、「欲心をもって異性を見る事」も、また、男女交合して「適悦なる快感を味わう事」、男女の愛、これらの全てを身に受けて生ずる「自慢の心」も、ものを荘厳(おごそか)る事。
全て思うにまかせ「意滋沢ばしき事」、満ち足りて光明に輝く事も、身体の快楽も、この世の色も、香も、物の味もまた清浄なる菩薩の境地である。
と、立川流では全てのものをその本質において積極的に肯定している。
つまり色欲の煩悩を含めて、人間の存在が完全に清浄なもの菩薩のものとして肯定されており、性欲肯定の句として知られている処である。
何が故に、これらの欲望の全てが「清浄なる菩薩の境地」となるのであろうか。
それは、これらの欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定しているからである。
故にもし、真実を見る智慧の眼を開いて、これら全てを「あるがままに眺める」ならば、人は真実なる智慧の境地に到達し、全てに於いて「清浄ならざるはない境地」に至るのである。
真言宗開祖・弘法大師(空海)は、仏教とは異教である儒教を廃してその禁欲思想に攻撃こそすれ認めてはいない。
儒教の抑制的な考え方は人間の本質と矛盾する教えであるから、現実に起こり得る様々な事象を闇に葬るばかりで結果的に「在る事」を「無い」と建前で覆い隠すに過ぎず、何ら解決には至らないからである。
所が、後世の真言宗僧侶達は時の権力におもねり、開祖・弘法大師(空海)の教えを翻して儒教の抑制的な考え方を取り入れて真言密教の王道たる立川流を「淫邪教」と廃し始め、弾圧の挙句その存在まで闇に葬った。
愛欲は生きる事の一部であり、後世に血脈を引き継ぐ原点である。
開祖・弘法大師(空海)が「あるがままに眺める」とした真言宗の抑制的改宗は信念とは別の御都合主義の為せる業であり、人間の本質として必ず「在る事」を「無い」と建前で覆い隠して対処を放置する事こそ、現実に正面から向き合わない「邪教」ではないのか?
立川流の経典は理趣経(りしゅきょう)を習している。
そして呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行「歓喜行」を採用した。
邪神とされる荼枳尼天(だきにてん)を拝し、特に髑髏(どくろ)を本尊とする為、世間から邪教と解される原因と成っている。
妻が岩代にさせられていた「接待」は、私が想像して居たような甘いものではなかった。
目の前で繰り広げられるゲストの妻への陵辱は、欲望剥き出しの悪趣味・無遠慮なもので、一切の手加減は無い。
唯々ゲストの欲望を満足させる為に、妻は全裸の全身を提供して奮闘している。
この所、そう言う妻の「性交接待振り」をまざまざと見せ付けられる機会が増えていた。
福井大蔵省銀行局次長の時と山崎代議士への接待立会い以後、私の接待立会いが解禁されたかのように頻度を増していた。
どうやら亭主の前でその妻を好きに弄(もてあそ)ぶのは誰しも密の味らしく、私が立ち会えば相手の機嫌もすこぶる良い。
だが、実の所私は妻を愛しているから、余りにも惨めな「性奴隷と化した妻」を見るのは正直辛い者が有るのだ。
しかし、気持ちが揺れ動くのは私の方で、妻は平然と接待愛奴隷を引き受け続けている。
まるで、私のイタズラに復讐をしているかのようである。
人間は、変わる気に成れば変われるもので、大概の所は、意地を張って変えないだけである。
妻は、「見事に変わり果(おお)せた」と言う事である。
何か得るものがあれば、必ず失うものが無ければ成らない。
虫が良い思いで、「得るものだけ得よう」と言うのは、現実には有り得ない。
金持ちには金持なりの不幸があり、権力者には権力者なりの不幸の代償は必ずある。
岩代の言によれば、妻が夫の私も嫉妬するような惨めで猥褻な生け贄に成る事で、その代償を払い続けているから「バランスが取れている」と言うのだ。
つまり、妻の惨めで猥褻な性玩具としての生け贄が、続かなければ、他の形で家族や家庭が代償を払う事になるのだ。
しかしそうした環境が、村里の氏長に祭り上げられる事に拠って今転機を迎えている。
里に居る時は東家の当主が、「里の事は何でも聞いてくれ」とほぼ付きっ切で私の話し相手になる。
私も早くこの里の事を飲み込まねば成らない。
「この里の女達は、抱くも良し抱かせるも良しのいずれにしてもお館様の手の者です。」
何と私は、この奇妙な村里の絶対君主に祭り上げられていた。
「この里の秘密、良く子供達の口からとか他所(よそ)に漏れませんね。」
「中学生に成ると町の方に通学するが、小学生はこの里の分校で六年生まで居るから、その間にここ(里)の風習は他所での他言はせんように教えて居ります。」
この里に降りる道の途中に、分校があるらしい。
子供の口は「中々抑えるのは難しい」と思ったが、どうやらこの村里の秘密が守られたのは、その分校があるからだろう。
「分校の先生は代々ここの分校を出た女子(おなご)先生でな、今はほれ、お館様が最初に行った家の姉妹の姉の方が勤めて居ります。」
「あの着付けを手伝いに来た姉妹の姉の方が、分校の先生でしたか。」
「あぁ、じゃから性教育も小学生からで、日本一じゃろう。それにここ(里)では中学に成って勃起(ぼっき)するように成った男子生徒の筆卸しは、親に頼まれて近所のお姉さんがして犯る事に成って居ります。」
「なるほど、小学生の時に里の秘密を漏らさないように教え込むのですね。」
「中学生に成る頃には肉体(からだ)も発達するし、この里の子供達は周囲の環境で性に対して理解できるように成ります。」
「これだけおおっぴらですから、子供も自然に受け取りますね。」
「それに、隣町の中学へ行けばこの里が他所と違う事くらいは判るように育っているから、自分達の為に町とどっちが良いかは自分達で良く判っているからここ(里)で生まれ育った者はここの風習は誰も漏らさんのです。」
或る日、岩代が何時もの調子で「妻の出番」を告げに来た。
岩代は、これが妻の長妃(おさひ)としての「最期の接待だ」と言う。
相手が少し変わっていて、神社庁の人間だった。
既に宗教法人申請手続きの根回しは終っていて、お礼の座敷を設ける段取りだった。
「何だ、神主の親玉が接待相手か?」
「今後の為に、妙見犬神宮(犬神権現)の宗教法人の資格を確立しておきましょう。山崎代議士の口添えも有りますから、まぁ、儀式みたいなものですが。」
「判りました。これが最後と言うのは少し寂しいですね。」
「まぁ、その件は長妃(おさひ)としての別なお勤めがありますから。」
「そうですか、それでは支度しますから手を貸してください。」
妻はあい居変わらず状況を聞くだけで、決まった事には、意見は口にしない。何と言おうと決まった事で、従うだけだ。
「出かける」と告げられて、黙って着衣を脱ぎ出した。
その心境は窺い知れないが、淡々と着衣を脱ぎ、全裸に成った。
全裸になると岩代に背を向け、慣れた感じで両腕を背中に廻して岩代の縄掛けを受けている。
妻は淫乱な愛奴隷に仕上がって出かける支度は淡々とこなす。
出張接待に出かける時に、着衣は赦されない。
外出は縄掛け拘束にコート一枚羽織るのが、決められている妻の奉仕愛奴隷の準備だ。
下半身の方は、ゲスト用に無防備に更け出すが、上半身は両腕を背中で組ませてガッチリと手首を縛り、両肩に縄を巻いて、実に見栄えのする見事な拘束愛奴隷姿が出来上がる。
従順に奉仕する為の証だ。
拘束が完成したら次は浣腸で、ゲストには、どこもかしこも心おきなくお使い頂く為の心使いで、準備するのが美しい女神(愛奴隷)なのである。
後ろ手に組んで手が使えない状態の妻を膝間着かせ、前屈みの四つん這いにして、尻を高く掲げて抽入器でグリセリン溶液をア*ルに抽入する。
もう貸し出される手順の内なので、妻は淡々とグリセリン溶液の抽入をア*ルに受け入れている。
放出を暫(しば)らく耐えさせると、尻が左右に踊り出して色っぽく限界をアピールする。
一度噴出させ、もう一度水を抽入して中を洗えばア*ル洗浄は完成で、後は陵辱の場に引き立てて行くだけである。
妻の拘束された全裸体に、唯一身に着ける事を許されている装飾が施(ほどこ)される。
愛奴隷と化した妻に装飾を施(ほどこ)すのは京香の役目で、高価そうなダイヤを散り嵌めたネックレスを胸元に垂れ下げ、ウエストには豪華な宝石入りのチェーンが巻かれる。
支度の最後に犬首輪とリード・チェーンを装着させ、「さぁ、出来た。頑ん張りましょうね。」と、京香が、妻の剥き出しの尻を「ポン」と叩いて言った。
「はぃ。」と、妻が頷(うなず)きながら応えた。
後はコートを羽織らせて、ヨロヨロと不安定に歩く妻を、接待用の黒のクラウンに押し込んだ。
今回は岩代は出席せず私が運転して、妻と京香を連れて行く事に成った。
後部座席にはコートを羽織っただけの妻が乗り、助手席には京香が座った。
首都高速と街道を乗り次いで、車は銀座方面に向かった。
妻はゲストに対する性奉仕を「幸せを与えている」と考えて、「相手が満足すれば良い」と考えている。
男の性本能を満足させる機会は意外と少ないから、こうした遊びは刹那的(せつなてき)ではあるがそのゲストの人生に取っては結構に価値がある。
愛奴隷はゲストに取って無条件に自由に扱える生きた性玩具(おもちゃ)で、中々手に入る幸せな時間ではない。
「手に入らない」と思うものが手に入る事は望外の幸せで、「ころがり込んで来た幸運」と言える。
つまり、手に入らない筈(はず)のものが手に入って、ゲストは幸せを噛み締める時間を持つ事が出来る訳である。
東京の片隅には、赤坂・神楽坂と古くからの料亭街が残っている。
昔からの、身分の有る者達の遊び場所だから口が堅いのが売りで、どんな遊びをしても建前では外に漏れる事は無い。
妻に、いつものように愛奴隷の格好をさせて連れて行き、部屋に案内されて行く料亭の廊下では、京香が掛けていたコートを取り払った。
少し薄暗い料亭の廊下に、妻の裸身が浮かび上がる。
京香に拘束姿を露出させられても、本人に隠す手立ては無い。
唯、顔色も変えずに無言で歩くだけだった。
全裸の上に、胸の乳房には亀甲状に縄が掛り、後ろ手に両腕は組ませて、ガッチリと拘束されていたが、料亭と言う商売柄、時々こう言う遊びをする客が他にも居るらしく、「まぁ、お支度が宜しい事」といっただけで、女将も仲居も別段驚きもしなかった。
そして、「あらぁ、こちら良い石(宝石)をして居らっしゃる。」と女らしい感想を述べた。
余分な事は言わず、見て見ぬ振りも遊び場所の心得で、そう言う遊びを安心して出来るのが料亭奥座敷である。
京香が、女将と仲居二人に気持ちの紙包みを渡すと、笑顔を作って「有難うございます。」と礼を言い、「何かお言いつけは?」と聞いた。
「遊びが少し騒がしいかも知れませんが、何をしていても仲居さんの出入りは遠慮しないで下さい。」
「はぃ、普通にお世話すれば宜しいのですね。」
「出来れば遊びの最中に、仲居さんにはお酌などお付き合いして頂(いただ)ければ、その分も気持ちは出しますので・・・」
「あぁー、そう言う事ですね。判りました。」
女将は仲居二人を振り返り「お客様ご希望ですから、あなた達二人はお酌のお相手をしながら、お客様のお遊びを見せて頂きなさい。」と命じた。
女将は万事心得ていて、京香の「お言いつけ」の意味を直ぐに理解していた。
最も妻の全裸拘束姿を見れば、どんな遊びかは「察(さっ)しが着く」と言うものである。
女将が襖(ふすま)を開け「お連れさんがお越しに成りました。」と声を掛け、私達を部屋に案内する。
部屋に入ると、男が二人待っていて、京香が部屋に顔を見せると、飲みながら待っていたゲストが声を掛けた。
「おぉ京香、来たか、来たか。この間は世話になった。今日はまた豪華な所に済まんな。」
なるほど、やはり京香の根回しは終っていた。
「今日は、代表夫婦をご挨拶にお連れしました。」
ゲスト達は妻の拘束姿を見ても驚かない。
多分根回しの時も、京香で似たような思いをして居るからだろう。
襖腋(ふすまわき)の座敷の隅に、仲居が二人並び、その前に私達三人が座って挨拶をした。
「私が代表の**です。今日は、お忙しい所をお運び頂きまして有難うございます。何卒無礼講で、日頃の憂さを晴らして頂きたく思います。」
「妻の里美と申します。今日は私でお愉しみ頂きます。」
「おぉ里美か、そんな所に居ないでこっちに来い。それから、里美ばかり裸も不公平だろう。京香も脱げ。」
「はぃ、それじゃあ私も。」
京香が、前開きボタンを外してスルスルと着ていたワンピースを脱ぎ始める。
勿論ノーパン・ノーブラだから、手間は掛らない。
一気に二人目の裸身が、この部屋に出現した。
京香は、張りが有る色白の美しい肌の持ち主で、たおやかで肉感的な乳房を持つ裸身に、濃い目の恥毛もハッキリと股間に見えている。
「これでご希望通りですね。」
「良〜し、良〜し、それで愉しく成った。」
ゲストが上機嫌で酒を煽り、いつの間にか仲居が横に着いてお酌をして居る。
どうやら二人の内の上席らしい男が、「そんな所に座っていないで君もこちらに来て飲みなさい。」と誘った。
「はぃ。」と応え、座卓近くに座り直して杯を受け取ると、「別嬪(べっぴん)の嫁さんで羨(うらや)ましいよ。」と酒を注がれた。
「いぇ、ご遠慮なくお遊びください。」
そこに京香が口を挟み、「丸山様、まずは儀式をしましょう。」と言った。
この上席の男は、丸山と言うらしい。
「そうか、この里美にもあの確かめ儀式が犯れる訳だ。そしたら、京香の確かめ儀式は滝君にさせよう。」
丸山と言う男が、立ち上がりながら楽しそうに言った。
聞いていた里美が、確かめ儀式を受けようと立ち上がり、京香が「滝様、この状態では里美に介添えが要りますから、私の確かめ儀式は里美と丸山様が終った後にして下さい。」
「それじゃあ、まず俺が・・・」
素っ裸の京香が、乳房を揺らしながら確かめ儀式を仕切り始めた。
「里美の足を広げさせますので、何時もの様に、里美の服従をお確かめ願います。」
妻の「服従の確かめ」儀式は、もう何度も目にして居る。
最初の儀式は、例の京香の一言で始まった。
「里美、確かめ手頂くから足を広げなさい。」
「はぃ喜んで。丸山様、どうぞ服従をお確かめ願います。」
妻は、命じられるままに足を広げ、幾分前屈みになると、目を瞑った。
「どれ、確かめさせて貰おうか。」
その妻言葉に、膝立ちのゲストが嬉しそうに妻の開かれた脚の股間辺りににじり寄り、親指を丹念に花弁に擦りつけ、その手を妻の後ろへ廻すと、妻の尻の辺りでクイッと動かした。
立っていた妻が、「アッ」、歯を食い縛って、半歩前に出そうに成るのを踏ん張ると、後ろ側から股間の肉花弁の前に、丸山の親指以外の指が、四本うごめきながら出て来た。
その指の内、人差し指と中指が、グリグリと妻の花芯ボタンを弄(なぶ)ったかと思うと、花弁のスリットにズブッと潜り込んだ。
見ていた中居達も、これには流石(さすが)に驚いたのか、お酌の徳利(とっくり)を持つ手が止まって、唖然としている。
「ウッ」と、妻がまた小さく悲鳴を上げた。
瞑(つむ)っていた目は、衝撃で見開かれ、チラリと私を見ていた。
「うん、後ろのア*ルも親指がスンナリ入る。前も二本入って受け入れ準備はOKだ。」
妻は中腰で、膝を少し曲げる女性の立ち小便のような姿勢に成って態勢を維持している。
「ほれ、廻って後ろ側の親指の入り具合も、旦那様に良く見せてやれ。」
「はぃ喜んで。丸山様、お見せします。」
命じられて、ユックリと身体を廻した妻のア*ルには、丸山の親指がズブリと根元までメリ込んでいた。
「旦那様、ご覧に成れましたか?」と丸山に命じられた台詞を、妻が言った。
「あぁ、里美は前も後ろも確り指を入れて貰っている。」
丸山は、前後の穴に指を三本入れ、妻の身体をガッチリとわし掴(つか)みにしていたのだ。
「こりゃ楽しい。」と、丸山が、指が妻の身体に入り込んだその手を下に引いたり上げたりすると、連れて妻の立ち小便のような姿勢が上下に動き出す。
上半身は後ろ手に拘束されているから、危なっかしくバランスを取り、丸山の責めに必死に耐えている。
「これで里美の服従が証明された。今度は滝君と京香の番だ。」
漸(よおや)く丸山が妻から指を抜き、そう言うと「ドッカ」と席に座った。
「それじゃあ滝様、私の服従の確かめ儀式をお願いします。」
直ぐに京香が確かめ儀式の姿勢を取り、立ち上がって近付いて来る滝を待った。
「さて、京香の確かめ儀式の見物は、里美に咥(くわ)えさせながら見ようか。」
京香が、滝の指先を受け入れる頃には、丸山は里美を横に侍(はべ)らせて欲棒を咥(くわ)えさせていた。
丸山の欲棒を咥(くわ)えるには、身体を倒して丸山の太腿に胸の乳房を乗せて支えにする事に成る。
丸山の右手は妻の股間をまさぐり、左手は杯を掲げて中居の酌を受けている。
妻の頭と首がユックリと動き、唇から丸山の陰茎が見え隠れしているのを、中居が何とも言えない真面目な顔付きを装い、時折その口元を見据えながら酌をして居るのが笑わせる。
その目の前では京香の確かめ儀式が進行していたが、これがまた凄い。
滝が手を動かしているのではなく、京香の方が中腰のまま膝の屈伸を使い、位置を固定された滝の指先が三本、前後の穴を同時に出入りしている。
「良い眺めでその気に成った。里美、その咥(くわ)えている奴を、ソロソロ跨って里美の中へ入れろ。
丸山が妻を抱き起こし、咥(くわ)えていた欲棒を引き剥(は)がして、両手で腋下(わきのした)を持ち上げて立ち上がるように誘導しながら言った。
「はぃ喜んで、丸山様。」
妻は、丸山に命じられた通り向え合わせに丸山の両膝を跨いで、少しずつ膝を曲げながら、丸山が手で支える欲棒をめがけて腰を降ろして行く。
その降ろす腰がチョットと止まって丸山が微調整を試み、位置が決まると丸山のカリが張った欲棒が、妻の花弁スリットの中へ飲み込まれた。
半ば丸山に裸体を拠り掛けるように膝の上に落着いた妻から、「アッ。」と吐息が漏れた。
その後、妻は、暫(しば)らく、丸山の膝の上で彼の欲棒を支点にしてグラインドを繰り返していた。
「里美、お前が自分で抜き差ししてみろ。」
「はぃ喜んで、丸山様。」
丸山の命令で、欲棒を飲み込んだ妻の腰の上下運動が始まり、愛液に濡れ光る陰茎が見え隠れをし始め、同時に、腰使いに合わせるような妻の善がり声が漏れ出した。
「アッ、アッ、アッ、アッ、アッ、」
「おぅ、その調子だ。」
「アァ、擦(こす)れます丸山様、アッ、アッ、アッ、オマ*コ気持ち良いア〜。」
「おぅ、おぅ、おぅ、里美、俺も気持ち良いぞ。」
気が付くと、何時(いつ)の間にか確かめ儀式が終って、京香が滝を畳に転がし、こちらも上から騎乗位で交わっている。
流石(さすが)の腰使いで、滝が「ウッ、ウッ、ウツ」と唸りながら発射を耐えている。
「ウッ。おぃ、待て。待て里美。イッタ、イッタ、少し休め。」
突然丸山が妻の腰使いを止め、妻が「はぃ、丸山様。」と欲棒を抜いて立ち上がった。
妻の股間から白い愛液が滴(したた)り出て、妻の太腿にスーッと白い糸を引いた。
「フー一休みする。」
そう言って杯を手にした丸山の欲棒は、再び丸山の股間の顔を埋めて屈(かが)み込んだ妻に、咥(くわ)えられている。
「京香、こっちももう駄目だ。アッ、イッタ〜」
間も無く滝も轟沈して、京香から身を外し、「理事、一服したら選手交代しましょう。」と言いながら席に着いた。
「あぁ、二回戦はそうしよう。里美、京香と変われ。」
「はぃ喜んで、丸山様。」
「丸山様、私達、逃げはしません。タップリ遊んで頂きますから、内の代表に認可の書類を渡して下さい。それと、里美さんの拘束は外しますから。」
京香が丸山に言った。
「おぅ、そうだった。判は押してある。これで立派な宗教法人だ。」
丸山が、身をよじって座椅子の後ろから取り出したバックの中から、ファイルケースごと書類を私に手渡した。
「さぁ、里美さんも手が使えるし、書類も受け取ったから、これで落着いてお相手が出切るわ。」
「待て待て、こっちは充電してから二回戦だ。」
丸山理事も滝も、欲棒を咥(くわ)えさせながら、中居の酌を受けている。
「全くこれが最高の酒の飲み方だ。なぁ、滝君。」
「全くです。理事。」
暫(しば)らくはその旨い酒の飲み方が続き、十五分ほどが経過して、交代した組み合わせの二回戦が始まった。
その二回戦目とも成ると、もぅハチャメチャの乱交状態で、忙し過ぎて「何処がドウナッタ、誰がコウナッタ」と明細が説明出来ない。
「どうだ滝君、里美を二人で責めてみようか?」
「はぃ理事。それじゃあ私は顔の方を使わして貰います。」
丸山が妻を促(うな)がして仰向けに寝かし、グィと抽入を果たして腰を使ってクィクィと攻め始めると、早くも妻の口から善がり声が漏れ始める。
「アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
「どれ、その五月蝿(うるさ)い声を塞(ふさ)ぎますか。」
もう一方のゲスト・滝が仰向けに寝た妻の顔の上に腰を降ろしすと、心得たもので妻の舌が滝のア*ルに挿し込まれ、腕が当然の事のようにゲスト太腿越しに前に回されて手が欲棒を掴んで扱(しご)き出した。
「良し良し、流石(さすが)に心得ている。」
とにかくそれからはメチャクチャで、雄と雌の獣が休み休み絡み合って、それが後三時間は続いた。
見ていた私の方が疲れたくらいである。
それにしても、同席させられた二人の中居の無表情は見事なもので、仕事とは言え感心しきりである。
最(もっと)も後で聞くと、何時の間にか京香が握らせる物(ご祝儀)を握らせていたらしい。
とにかく妻の働きで、宗教法人挌が手に入った。
宗教法人「別格郷社・妙見犬神宮(みょうけんいぬがみぐう)」は、今後神事に関わる歳入は非課税扱いに成る。
一度株式会社「KIYOUBI(京美)」の資産を寄付しておいて、神社の維持管理の人件費を捻出すれば、何人も食える計算である。
私があの不思議な里の「お館様」に収まった頃、私の知らない周辺も含め、一度に色々な事が進行していた。
少々忙しく成るが、外せない話しばかりなので、お付き合い願いたい。
それにしても、平成の御世に成ったこの時代に、「平氏の旗を揚げよう」とは、意味も無く凄い事で、私の運勢はハチャメチャである。
今時「平氏の血脈」などと言う亡霊がよみがえる事それ事態が、当事者の私でさえ不思議な気持ちにさせる程度の自覚しかない。
この時下界は、大変な政治局面を迎(むか)えていた。
付き合いのある山崎派や山崎代議士も必死で派の結束を固めていた時期で、置いてきた佐和子夫婦は結構お役に立って居るらしかった。
実は混乱する政局絡(から)みで、派閥の結束は山崎派としても急務だった。
ここ数年、バブル崩壊後の経済の混乱から政界では政党が乱立して政局は流動化し、乱立した新党からの引き抜き攻勢が強まり、党を鞍替えする代議士も現れていた。
前年(平成五年・1993年)永く続いた自民党政権の五十五年体制が崩壊し、日本新党・新生党・新党さきがけ・社会党・公明党・民社党の政党と社民連、民改連の会派に拠る細川連立内閣の政権が発足した。
だが、誓約(うけい)で結束した山崎派はビクともしなかった。
実はこの頃、大学を手に入れる話が持ち上がっていた。
それが思わぬ抗争の火種に成った。
暴対法(組織暴力対策法)は、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律として平成三年五月に制定された。
以後、実情に合わせて改正を繰り返し、今日に到っている。
坂元の上部団体「龍信会」も、東京都公安委員会の指定を受けて立派な指定暴力団である。
バブルが崩壊して地上げの仕事が無くなった坂元の次の仕事は「整理屋」だった。
どうせ坂元は、「企業舎弟」と言う形態をとるアウトローである。
景気が悪くなったら成ったで、ひとの弱みを突く仕事は有るもので、「整理屋」とは、倒産した企業に乗り込み、暴力を背景にその企業の経営を乗っ取り、残った資産を喰い尽くしてしまう「しのぎ」である。
それが、どうした事かまた我々に絡んできた。
東家の総代の姓は石原と言い、勿論細君(京香)の旧姓も石原である。
岩代が寮監を務めていた大学には、その石原家の縁があった。
山崎代議士を通して「KIYOUBI(京美)」の社有地一万坪を売ったのは、実は岩代の母校だった。
その大学の常務理事を勤めていたのが、東家の総代の弟・石原常務理事だったのである。
石原常務理事は、大学運営の主導権争いで理事長派と対立していた。
ところが理事長派はバックに暴力団が付いていた。
その理事長派の理事長は天下りの元官僚を据えた傀儡で、実権は理事の高柳が握っていた。
理事長派が使ったのは、高柳理事の叔父にあたる人物が、戦後のどさくさに愚連隊から起こした有る暴力団の組織、「龍信会」である。
暴力団組織の会長は、中国系帰化人高柳元(たかやなぎはじめ)と言い、高 龍元(ガオ ロンユェン)が、親から貰った元々の名前である。
常務理事派は、その理事長派に圧されて、一時風前のともし火だったのである。
岩代は、身内だから常務理事派に組していて、寮監の職を追われた。
岩代は、理事の派閥抗争のあおりで、理事長派に母校の寮監の職を追われて以来、復讐の念に駆られていた。
細君の京香は、「東家の総代の妹」と言う事に成っているが、実は石原常務理事の認知された「妾の子?」だったので、岩代としても何とかしたかった。
岩代は反撃の機会を窺(うかが)い、バブル崩壊で資産価値が下落する「KIYOUBI(京美)」の社有地一万坪を、山崎代議士の口利きで若干相場より高いくらいの値段で掴(つか)ませていた。
岩代の母校は、「哲学心理学部」と言う新設学部を予定していたのだが、支援監督する文部省(現・文部科学省)も緊縮予算に追い込まれて学部の新設は先送りに成り、その計画はバブル崩壊で吹っ飛んでしまっていた。
バブル崩壊直前に校地として購入した一万坪が不良資産化した事で、大学は一気に財務内容を悪化させていた。
「この経済状態では、新設学部どころではあるまい。」
実はこの文部省の動き、肝心の推進派だった山崎代議士が、バブル崩壊を理由に手の平を返すように、計画の撤回を迫ったのである。
借入金残高が膨れ上がり、金利の支払いにも窮屈に成った母校に資金を背景に乗り込んだのが、岩代だった。
バブル崩壊(平成二年・1990年)から三年(平成五年・1993年)、岩代は有り余る資金に物を言わせ、僅か三十一歳の若さで、彼の悲願であった母校の理事に就任した。
勿論私に、そこに至る経緯(いきさつ)を洗いざらい話し、了解を得た上での行動である。
里の人間・東家の総代の弟が実権を握り、岩代や私が理事で入れば「お館様」の息の掛った大学である。
「KIYOUBI(京美)」のメンバーも含め異存の有る者は一人も居なかった。
大学の経営権を手に入れるのが目的だから、理事長派と理事の票の争奪合戦になる。
議決の為の「過半数を取る」と言うよりも高柳理事を孤立させ、大学から追い出すのが望ましい。
岩代には、資金と岩代軍団と呼ばれる体育系OB、接待軍団の女達が居た。
理事の掌握には、接待軍団の女達が活躍し、圧力には岩代軍団と呼ばれる体育系OBが、活躍した。
しかし、高柳理事のバックは「龍信会」である。
その手先の一つ坂元のところが、高 龍元(ガオ ロンユェン)会長の指名で、嫌々全面的に先頭に立たされたのである。
その坂元が、資金繰り悪化の隙に乗じる「整理屋」の手口で絡んで来た。
最初は、理事長派が発行したかなり高額面の手形の買取または理事退任(手を引け)を持ちかけて来た。
勿論でっち上げで支払う根拠の無いものだから、岩代が両方突っぱねて揉め事になった。
互いに、今までのように後には引けないから、直ぐに小競り合いが始まっていた。
嫌がらせを、力ずくで排除する場面もあり、私は「警察沙汰に成らないか」と心配した。
だが、本格的な抗争が始まったのは、これより少し先の事である。
一方、警視庁公安部の方も、激変した現状を放置する訳には行かない筈(はず)だった。
携帯電話の普及前で、尾行報告にも一々公衆電話を使う時代のだったから、大森警部補に連絡手段は無く、村里を特定する可能性は低かったが、大森警部補も麻生康子巡査部長も、連絡を絶ってから、二週間は過ぎている。
当然吉井警視が漫然と報告を待っている事は有り得ない。
大森警部補の問題は、私達夫婦が一旦里を留守したからかなりの時間ロスが出ている。
もぅ、時間は無かった。
案の定、大森の上司が動き始めていたのだ。
村里から東京の自宅に帰って来て神社庁の人間を接待して宗教法人挌を手に入れた頃、吉井と言う男から私の自宅に電話が有り、「聞きたい事が在る。人を迎(むか)えにやるので任意で出頭するように。」と警視庁に呼ばれた。
理由を聞くと「捜査員が一人連絡が付かない。」と言う。
私が麻生康子に吉井と言う者の事を訪ねると「康子の上司で、公安部・公安総務課長(警視)だ」と言う。
憂鬱(ゆううつ)だったが岩代に相談すると、「何とか早めに帰す様に働きかけるので、一応出頭して下さい。」と言う。
何でも山崎派に警察庁公安関係OBの大物議員が居て、「圧力は掛けられそうだ」と言うのである。
「で、大森の事を聞かれたらどうする。」
「任意なので、お館様は知らないで通して下さい。」
「判ったが、上手く行くかな?」
「大丈夫です。康子に聞きましたら、任意の取調べは事情を聞くだけで拘束力は無いそうです。黙っていれば手は出せないそうですから。」
「そうか、それじゃあ知らないで通して置く。」
電話で岩代と話をしている所に、妻が「来客が応接で待っている」と告げに来た。
「あぁ、どうやら大森と麻生の件で二人の上司が一人動いているらしい。」
「大丈夫ですよ。予知で見えていましたが、直ぐに帰えれる筈ですから。」
「何だ、予知済みならアタフタする事は無いな。」
「えぇ、堂々と自然に振舞って下さい。」
連絡を取っている最中に捜査員の迎(むか)がやって来て、応接で待っていた。
「恐れ入ります。少し事情を伺いたいので、ご足労願います。」
まるでテレビドラマの決まり文句のような事を言われて、警視庁公安部の分室とやらに連れて行かれた。
そこで公安総務課長の吉井と言う男と会ったが、意外に若いので驚いた。
「あなたは、大蔵省銀行局次長の福井氏とは奥さんを通じて親しいようですが?」
「えぇ、個人的な付き合いは有ります。」
「個人的ですか?何か国の方針でも聞かれていたのではないですか?」
「イィエ、何か聞いていればバブル崩壊は良い機会でしたから、株の売買でもして儲けさせて貰ったのですが・・・」
「なるほど、インサイダー取引ですか。こちらで調べさせて貰いましたが、法人のKIYOUBI(京美)、あなたを始め幹部の方達個人共に株を売買した形跡は無かったです。」
「でしょう。福井氏から情報を得ていたなら、見す見す儲け損ねる事はないでしょう。」
「確かに、そう成ります。所で、山崎代議士とも個人的なお付き合いですか?」
「何をお聞きに成りたいのか知りませんが、二人ともまったく個人的な趣味の付き合いです。」
「そうですか。こちらの調べではお二人とも奥さんを通じて親しいようですが?」
「えぇ、妻の個人的な趣味でしてあなたのご存知のような関係ですが、違法ですか?」
「イェ、それだけでは違法とは言えません。しかし奥さんの只の趣味のお相手にしてはお二人とも立派な肩書きで。」
「その返事は簡単ですよ。妻の趣味が趣味ですから立派な肩書きの方が口が固くて良いでしょう。あなたの奥さんもご一緒にどうですか?」
「内の奴はそちらの趣味はない様ですから、遠慮しておきます。なるほど、どうやら答えも用意されているようですね。」
「知りません。用意してなど無いですよ。」
事情聴取は想像より遥かにソフトな対応だったが、私が「知らない」の一点張りなので吉井と言う男は相当に苛立(いらだ)っているようだった。
二時間ほど質問され、「知らない」を連発して相手を根負けさせたらしく、「今日はお帰り願いますが、またおこし頂くかと思います。」と言われた。
この事情聴取が、この後に吉井公安総務課長の人生を変える事になるのだが、この時点では私も吉井もそんな事は想像もしなかったのである。
警視庁公安部とあの里が、全面的な戦いになるのは避けねば成らない。
私の出した結論は、麻生康子に拠る公安部の説得だった。
「私もそうしたいと思っていました。是非、課長の説得を遣らせて下さい。」
麻生康子は、自ら手を上げて吉井警視の説得を買って出た。
女性は、覚悟を決めて行き着く所まで行く気に成れば、その覚悟に見合うものを得るチャンスが生まれ、成果が生まれます。
私(康子)の場合は、「潜入捜査」と言う職務上の覚悟でしたが、性接待の奉仕を経験してみると私は覚醒(かくせい)しました。
経験する前に想像していた事と「覚悟」に対する思いが、全く変わったのです。
「KIYOUBI(京美)」に潜入し、乱倫同志経営と性接待の奉仕を経験して見て、私(康子)は、愛情と独占欲には微妙な違いがある事が理解出来ました。
そこを混同してしまうから、性行為に「嫉妬」が付きまとうのです。
つまり、性行為に愛情との合致を拘(こだわ)る事は、意味が無いのです。
本能を満たすだけのSEXをして、何が悪いのでしょう。
「嫉妬」を基準にするから、悪く思えるだけです。
元々本能と理性は脳の別の部分で思考します。
愛情を切り離した本能部分を真摯に考えて見れば、「そこを互いに満たしながら」と言う別の生き方が出来る筈で、そう言う考え方の上では、性交は「単なる究極の信頼を結ぶ手段」と解釈出来る筈です。
一見女性だけが恥ずかしいように考え勝ちですが、性行為なんて男性だってそう格好の良いものではありません。
つまり、その恥ずかしく格好の悪い全てを、曝(さら)け出すからこそ、性交が「究極の信頼を結ぶ手段」なのです。
ところが、ほとんどの女性が、薄っぺらいプライドを後生大事に守って、覚悟を決めた女性の方を異端児として非難します。
しかし、自分と「価値観が違うから」と言って、相手の価値観を「間違った考え」と頭から決め付けてはいけないのです。
そうした非難の懸念を振り払い、自らのプライドを捨てても、成果が生まれる事にチャレンジする女性が、そんなに悪い人間なののでしょうか?
言わば本人の意志次第で、飛び切りの官能の世界に巡り逢う事は、身を持って体験しなければ判らないものなのです。
そうした経緯の中で、覚悟を決めて行き着く所まで行く気に成った女性が、性接待の奉仕を実践して成果を上げているだけで、とても犯罪とは思えません。
そこに気が付いた私(康子)は、職務上の懸念はともかく、個人的にはこの「KIYOUBI(京美)」グループの考え方に共感しています。
それで、報告の為に吉井警視と会うごとに、究極の信頼を結ぶ手段である性奉仕を、実践しました。
私(康子)が自ら手を上げて、「手を引くように」と吉井警視を説得にかかったのは、そうした思いからです。
麻生康子巡査部長は、大変な役目を負って公安総務課長の吉井警視の下を訪ねた。
大森警部補を無事に帰すには、公安総務課長の吉井警視に手を引かせるしかない。
逮捕監禁は立派な犯罪である。
しかし現実的な問題として、里人全員が口裏を合わせるに決まっていて、目撃証言も期待出来ないから、一村落五百人全員の共犯は立証し難い。
それどころか、現状の処理を誤れば、大森警部補の命も危ないのだ。
今回の件のような、特殊な村落のの事案は、やっかい極まりない。
つまり、第三者の証言が期待出来ない土地では、事故死に見せかけて殺されても、里人全員が口裏を合わせば、それを立証する事は技術的に難しい。
私は、不思議な自信に包まれていた。
この件の解決は、私の決断で決まる筈である。
大森警部補と麻生康子に取っては、幸いな事だが、「お館様」の私が冷静に平和解決を望んでいたのだ。
私は、麻生康子巡査部長に吉井警視の説得を依頼した。
麻生康子にして見れば、彼女が潜入捜査官と知ってからも、何故か「お館様」の私は麻生康子を信頼している。
何処にその根拠があるのか麻生康子にも判らなかったが、「お館様」は、「麻生康子なら味方に成る」と、総代衆を説得し、西家の奥に設けられた座敷牢に監禁した大森警部補の説得と世話係りを麻生康子に任せた。
麻生康子を信頼しているからこそ、大森警部補を彼女に任せてから、私達は、一旦自宅に帰って行ったのである。
逃亡防止を理由に、西家の座敷牢に監禁した大森警部補は全裸にされて後ろ手に縄を掛けさせた。
そこに、同じく全裸の麻生康子巡査部長を世話係りに放り込んだのは、私の計算だった。
これで、大森警部補の全ての面倒は麻生康子巡査部長がする事に成る。
それこそ、大森警部補の食事から小大便の始末に到るま、で麻生康子巡査部長が手を貸さねば始末が出来ない事になる。
その上双方が全裸であれば、散々「KIYOUBI(京美)」で仕込まれた麻生康子が、説得の為に親密になるのは計算ズクだった。
案の定、麻生康子は私達夫婦の留守中に大森警部補と性交を繰り返して、完全に篭絡(ろうらく)していた。
両手が使えない大森警部補は、小便をするにも麻生康子巡査部長の手を借りて添えてもらわねば成らない。
それだけでも刺激的なのに、二人とも全裸では、麻生康子がその気なら行き着く所は見えていた。
確かに大森警部補は後ろ手に拘束されていたから、全ての主導権は麻生康子巡査部長に握られていて、欲棒を咥(くわ)えられようが、それを麻生康子の柔ら壺の中に抽入され様が為すがままだった。
しかしそれが、警視庁の警部補が、部下の女性巡査部長と「肉体関係を持った」と言う事実に変わりは無い。
そう成ると、純朴な大森警部補は康子巡査部長に極端に弱くなる。
今はお館様が里人を抑えて居るが、説得が不調に終われば大森警部補の命は無い。
麻生巡査部長にして見れば、大森警部補の命を助けたい一心で、性交渉を梃子(てこ)に何が何でも味方にさせねばならなかったのである。
もっとも大森警部補にしてみれば、適わぬ思いながら、麻生巡査部長は一度はSEXをお願いしたい密かな願望の相手だった。
康子の口で強引に勃起させられた欲棒でも、上から騎乗位で抽入されれば、面目ない話だが自然に腰が動いて、快感を貪(むさぼ)っていた。
異様な状況下でも、男と女が居れば性交は出来るものである。
いや、異様な状況下だからこそ、禁断の性交が出来るのかも知れない。
「囚われ」と言っても、待遇は悪くは無い。
食事もご馳走が出て来るし、麻生康子が日々目いっぱいの性交で大森警部補を癒してくれる。
自宅に居る時より余程居心地は良いが、まさか麻生巡査部長に性交の相手をさせていたなど、帰ってから所属する公安部の吉井警視には何と言って説明すれば良いのか?
相手が「KIYOUBI(京美)」の接待奉仕で鍛(きた)えた麻生康子巡査部長では、大森警部補も一溜まりもない。
それに、拘束されているから、食事や大小便の世話、も全て麻生巡査部長の手を煩(わずら)わせるのだから、特別の感情も湧く。
とにかく、大森警部補は麻生康子巡査部長の説得を受け入れて、この里に対する敵対感情は捨てた。
もっとも、内偵当初から大森警部補にはさして感情的なものは無い。
内偵をすればするほど、あまり悪印象が湧かない相手である。
どちらかと言うと、最初から半ばフアンタジックなエロ話で、この件には凶悪な匂いが無かったからだ。
大森警部補の次は吉井警視の説得である。
麻生巡査部長が連絡を取り、例のアジトに行った時は、ソロソロ「KIYOUBI(京美)」を継続監視対象に格上げするつもりで居た所だった。
麻生康子に依頼した私から吉井警視への伝言は「放って置いて欲しい」である、
吉井警視は、麻生巡査部長から大森警部補が拘束されている事を知った。
「それは、立派な監禁じゃないか。」
吉井警視は声を荒げたが、康子はもぅ吉井の前に膝間着いて、ファスナーを降ろしていた。
例の報告以降、吉井警視と麻生巡査部長は暗黙の了解のように、報告を受ける時の決まりみたいに成っていた。
康子は吉井の半ば硬くなった欲棒を外に引き出し、パクリと咥(くわ)え、唇で扱(しご)き出した。
吉井は、自分の欲棒が、暖かいものに包まれたのは感じていた。
「警視どうですか?」
「あぁ、気持ちが良いよ。・・・」
「暫(しば)らく動かないで下さい。」
康子が立ち上がって吉井を跨ぎ、その硬くなった欲棒に手を添えて自分の股間に宛がい、「ウッ」と捩(ね)じり込んだ。
吉井の欲棒はさほど抵抗感も無く康子の柔ら壺に収まっていた。
吉井の欲棒を柔ら壺に収めた康子は、腰を浮かすように上下に動かし、「ウッ、ウッ、ウッ。」とリズムを取り始めた。
アァ、具合良く擦(こす)れる・・・、何時も通り手際が良く康子の中に自分の欲棒が嵌(はま)り込み、直ぐに康子の内壁を擦りながら、生暖かく湿った肉壁に包まれた吉井の欲棒が、康子の腰の動きに歓喜の刺激を感受して、快感が脳天に上って来る。
「吉井警視、大森警部補も、穏便にして欲しいと言っています。」
甘く感じる康子の吐息混じりの声が、耳元で囁いた。
「君は、大森君とも犯ったのか?」
「はぃ、警部補を救うには彼に意地を張られては話に成りません。それが一番と判断しました。」
「すると、手を引く事も君の判断かね?」
康子巡査部長が、笑いながら言い始めた。
「やっている事は少し変わっては居ますが、リーダーは平和主義者で信用が置けます。ですから、そっとして置くのが何事も起きない最良の方法です。」
「判った。これは私が勝手に判断する。大森君は返して寄越すのだろうな?」
「はぃ、私の潜入捜査継続を吉井警視が許可していただければ。勿論今みたいに報告には帰って来ます。」
実は、麻生巡査部長には言っていないが、吉井警視も困った事が出来て「どうしたものか?」と思案の最中だった。
本庁からこの別館(アジト)に来る直前に、吉井警視は総監(警視総監)の電話を受けていた。
山崎代議士から警察庁を通して、総監に直接「大した疑惑も無いのに何の捜査だ?」と苦情が入っていたのだ。
言わば、露骨な政治圧力だった。
或る日の夕方、本来なら警視総監が退庁している時刻に、吉井警視は総監に呼ばれた。
「何事か?」と思ったが、呼ばれる心当たりが無い。
吉井達警視クラスは、警視総監室には滅多な事では呼ばれない。
単独で呼ばれた時はほとんどが悪い事だから、総監室に向かうエレベーターや廊下を歩く時から余り良い気はしない。
ドアの前で深呼吸を一つして吉井がドアをノックすると、中から「待って居ったぞ」と総監本人の返事があり、「入って来い。」と入室するように促(うな)がされた。
「吉井入ります。」とドアを開け、総監室に入って見回しても他に誰も居ない。
吉井警視は、デスクに居た総監の前に進んだ。
「総監、何か特別の御用でしょうか。」
「吉井君、何か不動産業者を調べているようだが、どう成っているのだね?」
「ハァ、もっか内偵中でして・・・」
「内偵かね?ウゥ〜ム・・で、その業者から何か出たのかね?」
「今の所はこれと言ってご報告するような事は浮かんで来ません。」
「そうか、それなら手を引いて見てはどうか?」
「ハァ、それにしても総監(警視総監)がご存知とは・・・」
「いやな、後藤寺(警察庁長官)君から廻って来たんだ。」
「何とおおげさな・・・庁(警察庁)の長官からですか?」
「どうやら、山崎派の山崎代議士から後藤寺(警察庁長官)君を通して内(警視庁)に質問が来た。山崎め、直に言わずにわざわざ警察庁を通して来た。その業者の一件、確証の無い話なら手を引かんと君が厄介な事になる。」
「今から部下の報告を聞いて、改めてご返事を致します。」
吉井は、総監にそう返事をして時間を稼いで別館(アジト)に来ていた。
上から圧(お)しが在っては、ややこしい情況は避けねばならない。
「良し、先方が大森君を無事に返せば、君(康子)の言う通り穏便(おんびん)に手を引こう。」
厄介事は御免である。
それに、麻生巡査部長に恩を売っておけば、時々この余禄がありそうだ。
吉井警視の承諾を聞くと、「アッ、アッ、アッ。」と康子の腰使いが急に激しくなった。
康子は、安心して性交に没頭する積りに成った様だ。
吉井は、総監に女性捜査員一名を残し、「撤退する」と報告した。
ヘタに全面的に認めると、こちらの落ち度になる。
警視庁では、継続捜査の芽を残しながら、傷を負わずに関係者の顔を立てて「撤退する」形が、一番収まり易い手法なのである。
私は、麻生康子を通して吉井警視と直接電話で話をし、近々会う事で合意し、大森警部補を開放した。
敵対しかけたこの吉井警視とは、後にその婦人も含めて腐れ縁に成るのだが、それは順次紹介する。
無事生還した大森警部補から改めて報告を受けた村井警視は、その異例の報告内容に驚いた。
「うぅ〜ん、霧に抱かれた密室状態の村落・・・今時、そんな時代錯誤の村落が残っていたのか。」
何やら、「今まで良く外部に漏れなかった」と不思議なくらい猟奇的な風習(性風俗の習慣)が残った村落である。
「えぇ、現代風のせちがなさが、本当に正しかったのか考えさせられました。」
確かに、現代生活における「隣りは何をする人ぞ」の無関心が殺伐とした世相を生み出している。
元々人間は群れを作る動物で、考え様に拠っては、その村落の風習は人間の生き方の方法の一つある。
現代社会の個人主義的な社会合意の正しさを、その村の風俗風習が、改めて問い掛けて来る感さえある。
その原点とも言うべき風俗習慣をその村落は伝承し、千年を超えて守り通していた。
「ふぅ、貴重な村だが厳密に言うと公然猥褻、常習的な違法行為の村落だがな。」
法治国家たる我が国の現代法に於いては、一村落丸々変態行為の猟奇的な村落だが、まるで国の法律とは無縁の風俗習慣を未だに実施している。
「硬い事を言えばそうでしょうが、あれ(性風俗の習慣)はあの土地の固有の文化でしょう。」
麻生康子が、両者の激突回避を願っているのは明白だった。
「やはり、目を瞑(つむ)るべきか・・・」
「我々の判断を超える奇跡のような村落です。警視、ソッとして置きましょう。」
実働の大森警部補も麻生巡査部長も、この案件からスッカリ気が抜けていた。
「こう難しい話しでは、触らない方が良いだろう。」
確かに現行の法規では違法部分もあるが、千年に余る習俗の上に村里全部落が共犯では官憲が手を入れる訳にも行かない。
しかも女性潜入捜査官が「その村里の性習俗を実践していた」となると、公にすればマスメディアの格好の餌食になるばかりで、公安警察とすれば百害有って利なしの結果が容易に想像できる。
麻生康子が公安の別館(アジト)に出かけている間は、「KIYOUBI(京美)」の女性達が大森警部補の面倒を見ていた。
だから大森警部補は、ご多分に漏れずスッカリ味を占めていて、開放される時も、「今後も役に立つから」と隠れメンバーを希望し、了承されると嬉しそうに帰って行った。
まぁ、時たま女を宛がえば、役に立つ事もあるだろう。
吉井警視の方は、都合が悪くなると官僚が使う奥の手、「放置する事」を決めた。
山崎代議士から総監に苦情も入っている。
逆らって捜査を続行する事も出来たが、三文記事止まりの点数を稼げない案件で、この諸々のややこしさは、ウンザリだった。
所がこの悪夢のような案件は吉井警視の思惑のようにと「放置」は行かず、向こうの方からやって来て、吉井は個人的に巻き込まれる事に成る。
しかし、この里は不思議な所である。
世間だったら、里の男全員と交尾した妻を、卑下こそすれ尊敬などする訳が無い。
ところが、里人全ての母妃として、妻は尊敬を集めている。
環境が変われば、物差しも変わる。
この村では、全ての男性に性的恵みを施(ほど)す女性は尊敬され、個人主義的な性交への独占欲は、恥ずべき事なのだ。
それはこの里特有の歴史が在ったからである。
思うにこの里は、最初は僅(わず)かな人数で落ち延び、漸(ようや)く探し当てた山間の開墾地である。
当然ながら、生きて行く為には開墾に人手が必要で、里の発展には里人は多いほど良い。
里人仲良く公平に暮らし、生み育て家系を絶えさせない為には、性交の権利を夫婦のみに限定する訳には行かなかった。
そうした必要に駆られて出来上がった掟(おきて)が、隔絶された歴史ある山里に、現代まで残っていたのである。
元々人間は、群れ社会を形成して互いに助け合い、生きて行く動物であるから、群れをまとめ発展させる任にあるリーダーは、率先して群れの者に分け与えねば尊敬はされない。
その原理原則を考えると、この素朴な山里の掟(おきて)と、一見スマートで現代的ではあるがリーダーが私利私欲に走り、ギラギラに独占欲剥(むき)き出しの今の社会と、どちらが良いものか、問うて見たいものである。
女好きの私としては余り感激はしなかったが、実は妙見犬神宮の老・宮司と筆頭総代・東家当主(京香の兄)の勧めでKIYOUBI(京美)幹部の岩代、小泉、生島との間で改めて「衆道臣下の義」と言う誓約の儀式を略式でしている。
何やら上下関係をハッキリさせる儀式で、本来ならアナル性交まで行くのらしいがそれは勘弁して貰って、略式だから妙見犬神宮の社殿で宮司と筆頭総代立会いの下、私の欲棒を三人にシャブらせている。
儀式と割り切れば良いのだが、まさか彼等三人の男に自分の欲棒を丁寧(ていねい)にシャブらせる羽目になるとは思わなかった。
この「衆道臣下の義」、岩代はともかく「小泉、生島には抵抗が在った」と思うが、郷に入れば郷に従えで意を決したらしく、順番に咥(くわ)えて丁寧(ていねい)にシャブって来た。
「良くその気になった。」と感心したが、「私等が知らん顔して、妻達だけに犯れ犯れとは言えんでしょう。」と、別の自尊心を言われた。
確かに考えて見れば、自分達は何もせずに妻達だけに自尊心を捨てさせるのは不公平で、小泉、生島も自分達だけ抵抗する事は「潔(いさぎよ)く無い」と思ったらしい。
女好きの私としては男にシャブらせる気分的な抵抗は在ったが、実はシャブらて欲棒が感じる快感は然程(さほど)変わらない気持ちの良さだった。
なるほど「臣下の義」と言う意味では決定的な支配感や被支配感が生まれ、別の意味で加虐的な高揚感がある。
今までの感性からすると男にシャブらせる事は私には抵抗が在ったが、欲棒を丁寧(ていねい)にシャブらせる事は絶対服従の証(あかし)である。
つまり私は、この儀式に拠って絶対君主としてこの村里に君臨する証(あかし)を岩代、小泉、生島させ、彼等を領主直臣の地位と村里の民に認知させたのである。
この時の経験が、後に別の場面で生かされるとは、まだ思いも拠らない私だった。
小泉家と生島家、田嶋家(小泉・生島より一段下だが)は、氏神長(うじがみおさ)の直臣として認められ、新屋としてそれぞれ「小の新屋」、「生の新屋」、「田の新屋」の屋号を受けて里役待遇に列せられ、神社の社有地を分け与えられた。
竹中氏は「小の新屋」の長(おさ)で、宮司代に収まった。
石上は家庭の都合で住み着く訳には行かないが、通って来る事になる。
平成六年(1994年)に入って、まだ政界の混乱は続いていた。
不可思議な事件も起き、この年、松本市の住宅街で有毒ガスが発生して七人死亡が死亡した事件でサリンが検出され、「松本サリン事件」と呼ばれる。
また政局が動き、自民党、社会党、新党さきがけが村山富市社会党委員長を首相指名し 村山内閣発足して山崎派の所属する自民党は与党に復帰していた。
山崎代議士は、彼としては珍しく表舞台に立って政府中枢の一郭に**会長の椅子を得て党要職にあった。
北朝鮮の金日成主席が八二歳で死去、また向井千秋氏が日本人女性初の宇宙飛行士として「スペースシャトル」で宇宙飛行に成功している。
近頃は、都内の自宅と山里の館を行き来する日々である。
バブル崩壊以後の街中は「うら寂し気」であるが、山里の穏やかさは都会の不条理を忘れさせてくれ、ホットする。
里の水田は田植えが終り、キラキラと光をたたえた水面(みなも)に早苗の緑が映えている。
神社の境内に設(しつら)えた館は、初夏の緑の古木に囲まれて木漏れ陽の日差しも強い。
青空に薄い雲が流れている。
「そろそろ目的を聞かせたらどうだ?」
初夏の落着いた昼下がり、私は傍(かたわ)らに居た岩代にそう問い掛けた。
「そうですね、時期が来たようです。」
「あぁ、私が村岡良文の末裔である事は判ったが、何かさせる為に一芝居打ったのだろう。」
勿論岩代の事である。ただ、私を氏神長(うじがみおさ)に据(す)えて「はい目出度し」ではないだろう。
「お館様、お答えしましょう。そろそろ言わねばならないと思っていました。」
いつの間にか、岩代まで「お館様」呼ばわりで、KIYOUBI(京美)の社長は下界限定の呼び名に成っている。
手間を掛けて私をここに据えたが、岩代が「念波動(電磁波の波動による意志の伝達や誘導)」を使えば、もっと簡単に「私を操れたのではないかと」不思議に思って岩代に問い質(ただ)した。
「とんでもない、私がお館様を術で操る訳には行かないでしょう。」
道理で私だけが覚めていただけである。
岩代は、盟主の私には密かに敬意をはらい、術(じゅつ)を施(ほどこ)さず妻を始め周辺に術を掛けて、ここまでもって来たのである。
その岩代が、この先の道筋を語り始めた。
「お館様には、この先為(な)さるべき事があります。」
岩代にとって、金儲(かねもう)けは元々目的ではない。
実は私達夫婦も、現状のような想像を越える金持に成っても実感は湧かないし、「これ」と言う目的(金の使い道)も無い。
本音で言うと、人生、物質的に贅沢しても身体を壊すくらいで、目的を持たずに得た金の使い道ほど厄介なものは無い。
いつの間にか、有り余る資金を手に入れた上に、一村落に君臨する絶対的な盟主に祭り上げられ、その気に成れば村落の婦女子は思いのままである。
精神的にも性的な要求にも満たされていて、何に金が必要なのだろうか?
「どうしたものか」と、贅沢な悩みに案じていた所、岩代の真の目的を聞かされた。
この里は、遠い記憶の「結界」の中で生き続けた亡霊のようなものだった。
そして驚いた事に、千年も前の村岡(平)良文の怨念を今に伝え、一族の再起と「天下取り」が悲願だった。
岩代は、その特殊な能力で未来を予測し、ここを好機と踏んでいた。
彼は、私を盟主に据え、「日本を救う」と言う驚くほど大胆な構想を抱いて、事を進めていたのである。
岩代の予測では、ほぼ十年後に政権政党の或る派閥の番頭挌である幹部から登用されて、思っても見なかった危険な宰相が現れる。
彼は派閥を持たず、言わば部屋住みの幹部だった。
派閥を持たなかった為に、金集めの必要が少なく、政治的にクリーンに見える。
しかし本来、支持する同僚議院も少なく、総理になるには遠い立場にあった。
党内実力者達は、今リリーフ登板させるには、「持って来い。」だと思った。
党内基盤が弱いので、計算では容易に周囲がコントロール出来る筈だった。
僅(わず)か数名の実力者達の密談で、ほとんど対抗者もいないまま、彼の総理就任は、ほぼ決まる筈である。
現代の悪魔とも言うべきその男は、自らの政党を「ぶっ壊す」と言って人気を得、その実ぶっ壊すのは国民生活である。
彼はパホーマンスで民意を掴(つか)み、五年間は絶対権力を誇るが、結果は悪魔の所業とも言うべき政策を強引に押し進め、国民を疲弊させ一部の財界に富を集中させる政策を取る。
明らかに、改革派イメージには程遠い「他を受け入れない独裁の色が滲んでいた。」のだ。
岩代は、彼独特の能力でこの未来予測に危惧を抱いていたのである。
悪魔とも言うべきその男が去った後、多くの中小企業の屍(しかばね)が横たわる惨状が出現し、弱者の居場所は無く成る。
企業も役人も己たちの利に走り、人々は何を信じ誰を信じられるのか、途方(とほう)に暮れ、まるで羅生門の世界のような情の無い弱肉強食の時代が現実となる。
それを、私達夫婦が盟主と成り、「阻止しなければならない。」と言うのである。
思えば岩代も手の込んだ事を仕組んだものだが、今考えれば資金稼ぎと一石二鳥だし、最初から面と向かって話されても私達夫婦が納得する訳が無い事だった。
私はその突飛な役目を応諾した。
奇想天外な構想だったが、どうやらこれが私達夫婦の「天命」なのかも知れない。
「天命」なれば背を向けて逃げる訳には行かないのだ。
この里の氏神長(うじがみおさ)、「お館様」に成って初めての夏を迎える。
KIYOUBI(京美)時代から比べると、規模が大きく成ったものだが、この村落における男としての私の立場は、昔の朝廷においての内裏(だいり)の女官や幕府江戸城大奥の女中みたいなもので、定めの上では全ての村落女性と仮の婚姻関係に在る。
つまり平たく言えば、「全ての村落女性が、喜んで私の意のままに成る」と言う事で、私は、この村落の皇帝なのである。
そしてこの「にわか造りの皇帝」が治めるこの村落の男女は、世間に放り出したら、「果たして生きて行けるのか?」と思えるほどに、驚くほど心が綺麗で、素直である。
困った事に、うっかり村落の娘や女房に声を掛けると、「気に入られた」と勘違いされて家の者に差し出される。私が気楽に「桃源郷」と思えば良いのかも知れないが、その立場に成って初めて皇帝成りの気苦労が理解出来る。
あの総代回しのドサクサで抱いた娘二人は、「着付けを手伝いに来た」と思ったが、その後も身の回りの世話から、湯殿まで付いて来て、お抱えソープ嬢である。
今気使っているのは、私が立場にのぼせ上がらない事と、盟主に相応(ふさわ)しい人間に成長する事である。
「地位が人間を創る」と言うが、私も集中力が増し、自分でも少しはそれ成りに成長したような気がする。
他人はそう簡単に信じられるものではない。
だからこそ信じ合える手段として、自然に性交に拠る誓約(うけい)が成立した。
水揚げ儀式や夜這いに根宿、暗闇祭りに総代回し・お披露目晒し、犬掛け祓いと犯り放題、犯られ放題の里内だから全員身内気分で結束が良い。
これが個々の私権に拘(こだわ)っていたら、この結束が数百年間も保てる筈がない。
盟主として君臨するからには、里人の為を第一に考えなければ成らない。
永い間培(つちか)って来たこの里特有の性風俗の習慣も、それは守られて来た風習であるから勝手に否定は出来ない。
妻が、生島夫婦から「お館様に是非に」と頼まれ事を引き受けて来た。
例の、生島喜美子の上の娘、晴美はもう高校一年生に成って居るので、この村の「夜這い(娘遊び)」や「犬掛け祓い」などの習慣に馴染ませる為に早い所「水揚げの儀」を済ませなければ成らない。
当然「水揚げ親は然るべき相手」と言う事に成るのだが、生島夫婦にすればその相手は「お館様」を置いて無いのである。
生島晴美は、小学生の高学年から私達の事を母の友人であり、父の会社の上司と承知して育った。
その晴美と言う命名自体、親友の里美から一字取ったので、ややこしい事に成っている。
それで、私の事は「社長のおじさん」と呼んで育った。
その晴美本人は、「既に水揚げの儀を応諾している」と言う。
岩代の「念波動(電磁波の波動による意志の伝達や誘導)」と両親の生島夫婦の努力で、娘の「水揚げの儀」に対する洗脳は、既に終わっているらしい。
そう言えば普段着の晴美は、もう充分に大人の雰囲気を持った若い女性だった。
思春期の難しい時期に、この難題だったが、両親の生島夫妻が時間を掛けて言い含めた。
親とすれば、村の「夜這い(娘遊び)」や「犬掛け祓い」などの習慣に、早い所馴染ませたい。
最終的には晴美も、相手が私と納得して「ウンと言った」と言う。
もっともこの話、後で晴美本人に聞くと、親が思うほどたいして悩んだ末の事ではなかったらしい。
江戸期当時の成人式は男性が数え年の十五歳、女性は数え年の十三歳を迎えた正月に祝った。
そこから先は男女伴に大人の扱いで、当時なりの性教育もした。
そう言う昔の計算では生島晴美は十五歳で、一応肉体年齢は達している事になる。
一番の間違いは、人間本来の生物的な肉体的発情期は十五歳くらいから始まり本能的に興味も湧く。
これは自然な生物現象で男女同じであるから、古来からの日本の性規範の方が本来の生物的な肉体的発情期だけを採ると理に適っている。
現代に在って、この時期の男女の禁欲は社会規範がさせているだけであるから、実は精神衛生上余りよろしくは無い。
晴美は成長して、見違えるほど美しく成って居た。
この年頃の少女独特の輝く様な若さが溢(あふ)れている。
「ヤッパリ引き受けるべきかなぁ?」
「そりゃあそうですよ。あなたが水揚げ親なら、この里で一番顔が効(き)くのですもの、私(里美)が引き受けたから晴美ちゃん、もうあなたに抱いてもらえるものだと信じ込んでいますわ。」
私も男だから、「若い娘が抱ける」と成ると悪い気はしない。
しかし相手が若過ぎて近代法では明らかに違法な性交になるので、「どうしたものか」と悩んでいた。
それを、妻が「この里の風習ですから疎(おろそ)かには出来ない。」と積極的に進めるので、私は引き受ける事にした。
現代日本では、日本中の都道府県の大半で「淫行条例」なるものが出来、高卒未満及び十八歳未満の女性は性的保護下にある。
確かに現代社会的に考えれば守るべき貞操かも知れない。
しかしこれが難しい所で、現代の不妊問題に関しては、男性の「虚弱精子劣性遺伝」の問題だけでなく、現代では晩婚女性の「卵子の老化(らんしのろうか)」も問題になっている。
これは、晩婚化した現代社会が自然の摂理に逆らって居るからに他ならない。
生き物には「種の保存」と言う最低限の使命が在り、人間の場合も母体が健康である若い内の妊娠が望まれる。
それ故に人間には、誰にでも自然体(ナチュラル)の性欲が在り、性交の快感は極自然な「神の恵み」である。
所が文明の発達と共に、人類は「生きて命を次代に命を繋げる」と言う大事な事を忘れて来た。
忘れて来た大事な事とは、自然体(ナチュラル)の群れとして生きる近隣愛の共生であり自然種の動植物や環境との共生である。
過っての日本の村落では、「夜這い制度」や「寝宿制度」、「若い衆宿」が自然体(ナチュラル)で存在し、そうした風俗習慣は明治維新まで続いた。
所が、明治新政府は、欧米列強と肩を並べるべく近代化を目指す。
維新後、政府は急速な文明開化(欧米文化の導入)を図り、為に政府が「各種の禁令」を出して伝統的な性風俗習慣は終焉を迎えている。
おおらかだった性に対する概念を欧米文化の「罪の意識」に変えた事が、建前上日本と言う国の村落から「共生社会」を取り上げてしまう。
嫌、実は地方に拠って、伝統的な性風俗習慣は終戦後の集団就職の頃まで密かに続いていた。
しかし敗戦後の欧米化は、「群れ社会」を消滅させて極端な「私権社会」に走り、「親子兄弟でさえも殺す」と言う殺伐とした社会を創造してしまった。
現に、日本独特の「共生社会」の性文化を批判した西欧文化も裏面では「不倫と売春の文化」で、その辺りを念頭に物事の発想を始めないと、思考の柔軟性を自(みずか)ら縛る事になる。
つまり現代の、「この世の表面上の合意認識が、正しい生き方」だと言う確信など無いのである。
現在の社会事情を排除すると、生物学的な人間の生殖適齢期は十五歳〜二十歳が最良で、現代社会に於ける晩婚化は妊娠には不向きな大問題の側面を有している。
女性は出産の準備の為に、十歳頃から脳下垂体が子宮に指令を出して女性ホルモンを分泌し、乳房が大きくなるなど体形を女性らしくする。
女性ホルモンは寝ている時に分泌されるので、中高生の時期に睡眠を沢山採ると正に「寝る娘(こ)は育つ」で乳房の発達が良い。
つまり貧乳女性は、夜更(よふか)し遊びや勉強で発育期に睡眠時間が少なかったのが原因で、けして遺伝などでは無い。
明治期以前は、照明が発達していなかったから夜に成ると寝るしかない生活で、女性の乳房はふくよかだった。
しかし現代はこう言う時代だから、あらゆる状況で女性の発育期の睡眠時間が少なく成って居る。
そう言う事だから、俗に言う「彼氏に揉んでもらうと乳房が大きくなる」も、発育期であれば刺激に拠って脳下垂体が活性し、女性ホルモンの分泌を促す理屈かも知れない。
で、あるならば、肉体的成熟は女性ホルモンの分泌に起因し、中高生時期の発育年齢を過ぎてから幾ら刺激しても乳房は成長しない事に成る。
女性の妊娠に於いて、人間界の環境の変化による社会性から結婚の高齢化が進み、「卵子の老化(らんしのろうか)」が問題に成って居る。
日本人男性の童貞喪失年齢は十六・五歳、女性の処女喪失年齢は十五・五歳となっていて、やっている事は立派に大人である。
なのに、建前無い事になっているので、予(あらかじ)め対処する教育システムも確立してはいない。
「無い筈の事」にされているから、返って親や社会の目の届かない影の所で、それは危なげに行われる。
勿論、避妊や性病などの危険に対する教育も、自然の摂理に反して「無い筈の事である」と思考を止めて半ば放置してしまうから不充分だ。
しかし過去に遡(さかのぼ)ると、つい百年ほど前の江戸時代でも、女性は十四・五歳で嫁に行き子供を産んで育てて居る。
男性でもほぼ同じ頃には、そろそろ時期だと考えた父親や兄貴などに、教えてくれる所に連れられて行き、なかば公に性行為を経験していて当たり前の時代だった。
また結婚も出来、それでその時代は然(さ)したる問題はなかった。
つまり現代の十四・五歳は、生物学的には既に充分成長し、自然に交尾時期を迎えていて、しかも「読み書きそろばん」時代よりはるかに高度な知識をもってそこにいる。
身体と知識の方がとっくに出来ているのにそれを無理やり抑え、「法律で決めてあるから無い筈だ」と無責任に、現実を放置するのは現代社会の弊害である。
元々生物学的に言えば十五歳以上が妊娠適齢期で、十八歳から二十歳が妊娠最盛期なのだが、べつの社会事情に拠ってその妊娠最盛期は無視される現状にある。
つまり現代社会に於いては、「卵子の老化(らんしのろうか)」に拠って妊娠し難い状況を招いている。
世界的には数ヵ国に過ぎない「二十歳以下を子供」とする日本の甘やかしの法律の上に女性の独立心や権利意識の高まりが晩婚化を高め、結果「卵子の老化」と言う笑えない状況にある。
日本独特の「共生社会」の性文化を批判した西欧文化も裏面では不倫と売春の文化で、その辺りを念頭に物事の発想を始めないと、思考の柔軟性を自(みずか)ら縛る事になる。
つまり、「現代のこの世の合意認識が、正しい生き方だ」と言う確信など無いのである。
女性の妊娠に於いて、人間界の環境の変化による社会性から結婚の高齢化が進み、「卵子の老化(らんしのろうか)」が問題に成って居る。
元々生物学的に言えば、人間は十五歳以上が妊娠適齢期で、十八歳から二十歳が妊娠最盛期なのだが、べつの社会事情に拠ってその妊娠最盛期は無視される現状にある。
何時(いつ)までも子離れしない「二十歳以下を子供」とする日本の甘やかしの法律は、世界的事例は数ヵ国に過ぎない。
その甘やかしの法律の上に女性の独立心や権利意識の高まりが晩婚化を高め、結果「卵子の老化」と言う笑えない状況に日本はある。
つまり現代社会に於いては、「卵子の老化(らんしのろうか)」に拠って妊娠し難い状況を招いているのである。
成人年齢に達しない生島晴美を水揚げする事は明らかに違法な行為だが、何しろここでの「水揚げの儀」は生きた文化財みたいなこの村里の伝統行為である。
代々受け継がれた風習や伝統はその土地の者に取っては当たり前の事で、他所(よそ)から勝手な倫理観でとやかく言われたくはない事実である。
「それじゃあ、引き受けると返事をしよう。」
了解の返事を出すと、生島夫婦が早速晴美を伴なって現れ、私が改めて晴美本人に意志を確認して、「お願いします」と頭を下げられ、イヨイヨその段に成った。
その「水揚げの儀」だが、思っていたほど簡単なものでは無かった。
その後に続く人影があった。
添い寝人、見届け人、立会い人と、同席者がいっぱい居る。
正しく儀式で、影でコソコソと犯るものとは訳が違った。
その詳細は、次話で話す事にするとしよう。
(水揚げ)
◆蒼い危険な賭け・京香◆
第四十七話(水揚げ)
イヨイヨ「水揚げの儀」が始まる。
里の習慣では、原則添い寝人はその娘の母親か姉が勤める。
立会人は父親か兄が勤め、見届け人は総代クラスの有力者と宮司が同席して成り行きを見守る仕来(しきた)りだった。
なるほど、これだけ性にオープンな土地柄に育てば、ここで育った娘達が京香のように性交に何の拘(こだわ)りも無い娘が育っても不思議は無い。
しかし村娘と違い、晴美は中学三年生に成るまで他所(よそ)で育った普通の娘である。
「水揚げの儀」をどう受け止め、どう考えるのかが全く未知数の存在だった。
晴美はもう高校生に成って居るので、確かにこの奇習とも言うべき習慣が残っている村里で生きて行くには、この村の「夜這い(娘遊び)」や「犬掛け祓い」などの習慣に馴染ませる為に早い所「水揚げの儀」を済ませなければ成らない。
生島夫婦にすれば差し迫った問題で、正直早い事済ませて安心したいのがどうやら本音である。
晴美の同級生くらいの里娘達は、既に「夜這い(娘遊び)」や「犬掛け祓い」の習慣に、極自然に参加していて、それがこの村里にすれば平凡な日常生活でもある。
本来なら、十四〜五歳で「夜這い(娘遊び)」は解禁になる年頃である。
この村里で、「夜這い(娘遊び)」や「犬掛け祓い」の習慣を受け入れなければ、出て行くしかない。
水揚げ親の責任は重大で、晴美が村里の一員の成る為にそうした性習慣を、水揚げ親の私が心身ともに受け入れられる娘に仕込まなければならないのだ。
水揚げ親の私には、水揚げだけでなく生涯晴美を抱く権利が得られるが、その代わり水揚げ親は「我が子同然」の気持ちで、物心両面で支援をする決まりである。
そうした先々の制約が出来るから、無制限で水揚げ親は出来ない。
里の「氏長・お館様」と言えども精々五〜六人が良い所で、その一号が生島晴美と言う事に成る。
当の晴美は、高校生に成って肉体(からだ)も大きく成り、体形も幼児からすっかり少女に成っては居た。
高校の制服を着ているとブラウスをはち切らせて胸が育っているのも見て取れ、ルーズソックスを着用するなど、確かに同級生よりは発育も良い。
それでも、私は少女マニアではないから、正直、十五歳に成ったばかりの小娘を抱く事は、それなりの期待感はあるものの一方では気の進まない気分でもある。
矛盾したこの二つの思いが、正直、理性と本能の攻めぎ味合いなのだが、謀らずも氏上(うじがみ)・氏長(うじおさ)に祭り上げられた責任もある。
そして、小学生の頃から見守っていた春美に定められた運命を思うと、この水揚げの儀は私の責任に於いて正面で受け止めなければ成らない事かも知れない。
しかしこの事は、私には複雑な思いである。
「始める前に晴美本人と話がしたいのだが。」
晴美も、相手が私と納得して「水揚げの儀をウンと言った」と言うが、両親の添い寝人・立会いの前に、自分で本人の意志を確かめたく成って、話を聞く事にし、父親の生島に告げた。
「それなら連れて来ますが、晴美は支度が出来てもぅ裸で待って居ますが、そのまま連れて来て良いですか?」
「そこまで話が進んでいるなら、まぁ裸で連れて来ても良いだろう。」
この後に及んで、裸で待って居る者をわざわざ「服を着直して来い。」と言うのはヤボな話である。
生島が「判りました」と返事をして、喜美子に伝えに席を立った。
入れ替わりに、添い寝人の喜美子が晴美を伴なって現れ、部屋の入り口で佇(たたず)んだのだが、母子共に全裸だった。
「何だ、喜美子まで裸か?」
「一人では可愛そうですから、今日は私(喜美子)が先に裸に成って晴美の支度をしてやりました。」
「そぅか、その裸の晴美を一人にして可愛そうだが、少し二人だけで話をさせてくれ。」
「それじゃあ、晴美を置いて行きますので、話が済んだらまた呼んで下さい。」
晴美の裸体は始めて見た。
部屋の入り口で佇(たたず)んでいる晴美は、私の視線を感じて、少し眩(まぶ)しそうな顔をした。
小学生の頃から生島夫婦の娘として可愛がっていて、気分は乱倫同志経営共通の子供である。
そうした気分だったから、理屈では判っていても晴美が「大人に成って来た」と言う意識が私には中々出来なかった。
しかし晴美の、「ピチピチの裸体」と言う現実を見せ付けられた。
身体つきとしては幼さも残ってはいるが、少女とは言え立派なオンナの肉体(からだ)である。
胸の乳房の膨らみと言い腰周りの丸味と言い、晴美の裸体は充分に女だった。
正直男は、誰だってこう言う誘惑には弱いもので、気持ちは既にグラつきつつ在る。
「ヘェヘェヘ、遂(つい)におじ様に私(晴美)の裸を見せちゃった。チョッピリ恥ずかしい。」
晴美はそう言いながらスタスタと歩いて、私の前で腰を降ろし、足の平を床に置き、膝を立てた開脚座りで座った。
見ると、晴美の両足の太腿(ふともも)の付け根は、くっきりとビキニラインとも呼ばれるV字型のライン、そこから切り替わって丸く膨らみながら黒い陰りを見せる逆三角型の恥毛を蓄える恥丘も丸見えである。
晴美の若い肉体(からだ)が眩(まぶ)しく胸を張って、ピンク色の乳首を立たたせた大振りの乳房がたわわに誇っている。
膝を立てて開脚座りした晴美の、恥毛が密集する柔らかく丸みを帯びたなだらかな恥丘の先に、実(サネ)と呼ばれる花芯ボタンが少し遠慮気味のサイズで見えている。
開脚座りで座った晴美の若く柔らかそうな太腿(ふともも)の内側が眩(まぶ)しく私の本能を誘い、その花芯ボタンの下に二枚のピンク色の肉花弁に囲われて縦に割れるスリットが、股下に潜り込む様に見えている。
晴美の股間に、可憐に可愛く開いた二枚の肉花弁が男を誘って咲き、そこだけ見ていると、とても十五歳には思えない充分大人の景色だった。
現にそれは、十五歳の少女にしては生々しい女の部品を、私はモロに見せ付けられた思いだった。
「何だ。チョッピリ恥ずかしいと言う割に、晴美は股座(またぐら)まで開いて見せて大胆だな。」
私は、年端も行かない少女に翻弄(ほんろう)された気分に成り、少し抗議の気持ちを込めて晴美に皮肉を言った。
「だってこの方がマ、マの様に社長のおじ様を喜ばせられるでしょ。」
晴美は、「男の視線を意識して居る」と、言いたいらしい。
「そんな事を、誰に教わった?」
「もう直ぐに十五歳ですもの、自然に覚えたのです。それに社長のおじ様は氏長(うじおさ)・お館様で皆の支配者でしょ。皆の支配者なら私(晴美)の支配者だから全て見せて当たり前の隠す所は無しでしょ。」
「確かに周りは私を支配者だと言ってくれるが、私にはそれ程自覚がある訳じゃあ無いんだよ。」
「周りが認めれば本物でしょ。だからぁママの身体(からだ)も、私(晴美)の身体(からだ)も社長のおじ様が自由に出来るじゃない。」
「自由に出来るって・・・」
「隠さなくても大丈夫よ、ママが社長のおじ様と犯って居るのは子供の時から知っていたもの。」
「そぅか、知っているのか。」
「社長のおじ様は支配者だから、京香さんも順子さんも皆犯っていたし、私(晴美)も大人に成ったらキット社長のおじ様と犯るのだって思っていた。」
「じゃ晴美は、私が水揚げしても本当に良いのか?」
「はぃ、私(晴美)は、相手が社長のおじ様で良かった。」
「そぅか、晴美が本気でそれなら良いけれど・・・」
「えぇ、私(晴美)本当は中学に入って早く犯りたかったのです。」
「何だ、随分積極的なオマセさんだな。」
「ここの同級生は、もぅ夜這い(娘遊び)や犬掛け祓いで結構SEXを楽しんでいて、あの男(ひと)とは気持ち良かったとやら、話しをして居るもの。」
「その同級生達の話に、晴美は良く入って行けたな。」
「だって私(晴美)、前から会社の大人達がして居る事、時々盗み見て知っていたのです。だから、大人が何をして居るか小学生の頃から知っていました。」
フト、「小学生の頃から知っていた」と言うそれには、晴海の感想に興味が湧いた。
「知っていてどう思っていた?」
「最初は驚いたけど、口には出せなくて黙っていたのです。その後も時々盗み見ていたら段々胸がキューンと熱くなって・・・私(晴美)、キット生まれつきスケベなのです。」
晴美は、KIYOUBI(京美)での乱倫同志経営の性的交流も、母親や妻達の性接待奉仕の様子も、「盗み見ていた」と言う。
そして、幼いながらも段々自分も「犯って見たい(犯られて見たい)」と言う感情が湧き上がって来て困ったのだ。
晴美は、「大人に成ったらあれが出来る。」と、成長を心待ちにしていたらしい。
本来なら、「子供の教育上あまり良くない事」と言うべきだろうが、そうした環境が、この特異な習慣を持っている村里に溶け込める「晴美を育てた」と言う事なら、結果、何が正しいのか難しい所である。
本来なら十五歳の少女を抱くのは違法だが、この村里の特異な環境では目を瞑(つむ)るしかないようだ。
「接待のお部屋を最初覗いて見たのはいつ頃だった。」
「最初見たのはパパとママが会社に合流した頃で、ママは時々知らないお客さんに裸にされてお父さんの前で虐(いじ)められるようになったの。」
「その時何を観たんだね?」
「ソッと接待のお部屋に覗きに行ったらママがパパの前でビール瓶を挿し込まれてうなりながら虐(いじ)められていたの。」
「晴美ちゃんは、お母さんがお客さんと犯っている事を隠れて見ていたんだ。」
「それが終わってママ以外は外に出てお客様を送っていたのに、ママは縛られてお股の所にビール瓶が入っていたの。ビックリしたけど、隠れて見ていたらおじ様が帰って来て、ビール瓶を取って縄も解いてくれた。」
「でもその後見ていると、今度は社長のおじさんが裸のお母さんを「アァアァ」言わせて虐(いじ)めていた。」
「そうだったのか。」
「でもそれも、パパは黙って見て居たし、ママは嫌がっている風でもないので大人のお遊びをして愉しんでいる様にも見えたの。」
そぅ言えば、どうやら晴美が覗いたのは例の中沢の接待だったようだ。
あの中沢の接待の時は、先に外見送りに行ったので、数分間ビール瓶を挿し込まれたまま、喜美子はM字開脚縛りの晒(さら)し者状態で放置されていた。
その淫らな格好を見てムラムラして喜美子の戒めを解き、私が犯った所も見ていたのだ。
何度か接待のお部屋のママをコッソリ覗き観をして、最初は晴美も母の喜美子が「虐(いじ)められている」と思ったらしい。
確かに縛られ攻められて挙げる善がり声は、虐(いじ)めにも聞こえる。
でも、観察しているとどうもそうでも無さそうで、むしろママは愉しんでいる様にも見えた。
それで子供心にも「大人のお遊びをして居るのだ」と解釈した。
幼い晴美は、その喜美子の生々しい痴態をまともに覗き見た訳である。
その接待のお部屋へ行く時、ママは晴美に「お仕事をして来る」と元気に言って部屋を出て行く。
虐(いじ)められに行くにしてはとても嫌そうではない。
そしてその後の母・喜美子の知らないお客さんに裸にされて虐(いじ)められる仕事振りを時々覗き観て、「母も絶対愉しんでいると何と無く理解した」と言う。
「だから、私(晴美)もママみたいにこうして社長のおじ様に見せたの。」
母親のM字開脚縛りに挿し込まれたビール瓶を見て直ぐ後の、小泉順子の三日間の調教も、そのほとんどを晴美はソッと目撃していて、大人に成ったら「皆でそうい言う事をするものだ」と確認したらしい。
こうして聞いて見ると晴美への影響が大きく、流石(さすが)に子供に性行為を見せたのには気は引けた。
「そぅか、ママのそんな姿を見たら驚くよね。」
やがては男女の事も知るのが人生とは言え、思春期の晴美には、インパクトが強かったかも知れない。
「でもパパとママはいつも私(晴美)に、お仕事の接待に行くからって言っていたから、ママのお仕事だと思っていたの。」
「それで晴美は、納得していたのかね?」
「えぇ、だってパパもママも神奈川でお店(不動産屋)をして居る時よりズーッと明るくて楽しそうだったし、会社に入ってからは凄く仲良しだし、おじ様達皆とも凄く良い雰囲気で、あぁして皆で犯って居れば仲良く成れるのだって・・・・」
「そうだね、皆が仲良く成れる方法だから。」
「おじ様達、子供扱いしないでよ。あれは子供の頃の話で、もう高校生だから今は皆大人として解った上よ。」
中学生に成る頃には、学校の友達の情報や、本・週刊誌の情報からもママが何を犯って居たのかは、想像出来た。
そして晴美は、それが母のお仕事だと認識していた。
「そうだね。もう春実は誤魔化せる齢ではないな。」
段々成長した晴美は、ママが後ろ手に拘束された素っ裸に成って、それをパパが連れて行って居た事も承知していた。
「ママも楽しそうにお仕事に出かけるし、そのママを連れて出かけるのはパパだから、ママの接待のお仕事は疲れて大変だけど頑ん張って犯って来るから、今でも別に嫌らしい事だとは私(晴美)は思いません。」
生島喜美子の上の娘・晴美に言わせると、KIYOUBI(京美)グループ入りしてからの「両親の夫婦仲が良いにホッ」としたそうである。
子供心にも、親が資金繰りにギスギスしていては心が休まらないのだ。
それで晴美は、KIYOUBI(京美)グループ入りを手放し喜んでいたから、「水揚げ」の事も話が早かったのである。
子供は親を選べないが、親の生き方を理解する事は出来るのかも知れない。
Mの字に開脚した晴美の股間を見て、二枚の肉花弁の上にある卵型でピンク色に膨らむ花芯ボタンが異様に大きい事に気が付いた。
「晴美のこれは少し大き目だね。」
私がその膨らんだ花芯ボタンを指差すと、晴美は自分の股座(またぐら)を両手で広げるようにしながら覗き込んで。
「アハハ、小さい時に触ったら気持ちが良かったので、いつも触っていたらママより大きく成っちゃった。」
「晴美は触って大きくしたのだ。」
「ママのお仕事で犯る事を見ていたから、私(晴美)は自然にここ(股間)に関心が強かったの。」
「そうか、ママは頑ん張っていたものね。」
「うん、ママは裸で恥ずかしい事をいっぱいしていたけど、いつもパパが見守っていたから、悪い事はしていないと思ってたの。」
「そうそう、ママはいっぱいしていたけど悪い事はしていない」
「でも、ママいつも気持ちが良さそうで、ずっと羨(うらや)ましかった。」
「そぅか、それで晴美はそのオマメを弄(いじ)っていたんだ。」
「そう、ママが犯って居る事は、悪い事では無いのだから、私(晴美)は早くママみたいにしたかったワ。」
晴美の顔に、母を憧れている乙女の表情が浮かんでいる。
「ママが気持ちが良さそうに犯って居たから、晴美も犯りたかった訳だ。」
「パパとママが一緒に犯っているのだから、悪い事では無い。晴美が子供だったから、教えてくれないだけだって・・・・」
なるほど、幼い頃から両親のする性奉仕を盗み見聞きしている晴美には、こうして私に水揚げをされる事がさして抵抗感が無い事なのだろう。
しかしこの年頃の娘はどう扱(あつか)ったら良いのだろう?ちょうど、大人と子供の境目が、中学生かも知れない。
どうやら、思春期をそうした情報環境に囲まれて、晴美は悶々としながら成長の日々を送って来たようである。
異様な雰囲気は、性知識が無い子供でも肌で感じます。
パパとママが子供の私(晴美)に何と無く内緒して、「KIYOUBI(京美)のお仕事に行って来る」とママが裸で縛られてパパと出かけるので、小学校も高学年の五年生〜六年生にも成ると、パパとママが何をして居るのか凄く気に成って、心配したのです。
でも、ママのお仕事は何か言ってはいけない気がして、お友達にも言った事はありません。
パパとママが車で遠くへ行った時は、見る事は出来ませんでしたが、会社の一階にある「お客様のお部屋(プレィ・ルーム)」は、ソーッと行けば見つかりません。
それで隠れて入り込み、何をして居るか覗(のぞ)くと、ママが裸で、私(晴美)の知らないおじさんと、オチ*チンをお口で舐(な)めたり、お股におじさんのオチ*チンを入れて「アァ〜アァ〜」と犯って居たのです。
お仕事だから、気持ちは良さそうだけど、私(晴美)が知っている事が判るとママが恥ずかしがるような気がして、「私(晴美)は知らない事にしなければいけない。」と思いました。
それに、パパとママは「会社の人達とは仲良くしなければいけない」といつも言っています。
だから、会社の社長のおじさんは、いつもママをパパの前で裸にして、オチ*チンをお口で舐(な)めさせたり、お股に社長のおじさんのオチ*チンを入れてお馬さんゴッコをさせています。
でも、社長のおじさんは大切な人だから、パパもママも社長のおじさんを凄く大事にしていて、社長のおじさんに一所懸命サービスしています。
時々パパも、社長の奥さんと同じ事をしているから、皆「仲良くする為に犯っているのだ」と思いました。
中学二年生に成って、私(晴美)の身体が急に大人ぽく成って来ました。
正直パパや会社の社長さんがママにしている仲良しの意味も判る年齢になっていました。
あれは大人がする「凄く気持ちの良いSEX」と言うものです。
大人に成ったら「私(晴美)も犯ってみたい」と早く大人に成るのが楽しみでした。
それが・・・やっと「ママに負けない大人に成れそうだ」と思っていたら、会社のお仕事で突然山の中の村里に住む事に成りました。
最初は凄い山奥でビックリしましたが、私(晴美)に取って凄く良い所でした。
だって会社でしていた仲良しの方法を、皆がして居る村里だったのです。
キット怖い街中と違って、私(晴美)もママのようにして、皆で仲良く暮らせるでしょう。
それでパパとママが、社長のおじ様に「水揚げの儀と言う仲良しの方法を教えて貰え」と私(晴美)に言ったのです。
私(晴美)は、ズーット前から最初は社長のおじ様が最初のような気がしていてから、直ぐに「はぃ。」と返事をしたのです。
そしたら社長のおじ様館へ連れて行かれてママが裸に成り、私(晴美)を裸にして「社長のおじ様に預ける」と、社長のおじ様の部屋へ連れて行かれました。
それで、社長のおじ様に私(晴美)のお股を見てもらう為に、足を開いて座ったのです。
「おじ様、もぅ良いでしょう。早くパパ達を呼んで、水揚げを始めましょう。パパもママも社長のおじ様は大恩人だから、晴美が頑ん張って、ここで満足してもらいなさいって・・・晴美は頑ん張るから。」
晴美は、Mの字に開脚して居る股間を、無邪気に指差した。
「それじゃあ、始めるからとママ達を呼んで来なさい。」
「はぃ、おじ様。」
晴美は、機敏に立ち上がって、別室の母親(喜美子)を呼びに行った。
アッと言う間に、別室で待ちかねていた立会人の東家の総代やら宮司やら、立会人の生島、添い寝人の喜美子が、晴美と一緒になだれ込んで来た。
私に脱衣を促(うなが)して裸にさせると、宮司が指示をして裸の添い寝人・喜美子が、これまた裸で寄り添う晴美に、手本を見せるように私の欲棒を咥(くわ)えて見せた。
喜美子の口元で、私の張り詰めた欲棒の茎(くき)が見え隠れを始めた。
ひとしきり「ジュポジュポ」とシャブって見せた後、晴美に「犯って見て」とバトンタッチをする。
「はぃ。」
晴美の口が近付いて来て、私の欲棒を咥(くわ)えて、ぎこちなくシャブっている。
「それで硬く成ったら、こうして寝転んで足を広げてそれをここに入れてもらいなさい。」
喜美子が横になって足を広げたので私は欲棒に手を添えて喜美子に抽入し、晴美に見せた。
晴美が横に成って母親と同じ姿勢を取り、「おじ様。お願いします。」と言ったので、抽入して居た欲棒を喜美子から引き抜き、晴美の肉花弁の間に宛がって、グイと突き立てた。
突き立てて腰を入れ、私はそのまま晴美に圧(の)し掛かった。
晴美の二枚の肉花弁を圧し分けて、私の欲棒が柔ら壺の中に深く挿し込まれて行く。
そのまま覆(おお)い被(かぶ)されば、上半身が全て密着し晴美の柔らかい乳房や腰、太腿(ふともも)の感触が伝わって来る。
母親の喜美子は熟れ盛りのシットリとした肌の肉体だが、娘の晴美の方は流石(さすが)御年十八歳で、触る私の指を跳ね返すほどピチピチの張りがある肌をして居る。
「アァ〜ッ」と晴美から悲鳴が上がり、それでも私の欲棒はスッポリと嵌(はま)って、晴美の中に納まった。
「痛かったか?」と、私は晴美の耳元で囁(ささや)いた。
「痛いけどうれしい・・・・」
「晴美ちゃんコッチを見て。」
何時(いつ)の間にか、生島と喜美子の両親が隣りで同じ体位で交尾を始めている。
二人はクィクィと腰を使っていて、「晴美ちゃん、ジットしていては駄目、こうやって腰を使って。」と犯って見せながら晴美に発破(ハッパ)を掛ける。
不思議なもので、こうなると両親は娘の処女喪失の痛みへの思い遣りより、性行為を仕込む方に厳しく出る。
「ハィ、ママ。」
晴美が目に涙を溜めながら、痛さを堪(こら)えて見様見真似(みようみまね)で受け腰を使い始めた。
「うぅ〜ん、うぅ〜ん、うぅ〜ん。」
「晴美、始めは少し痛いが、腰を使っていればその内に気持ちが良くなるでな。」
見届け人の宮司が、脇から晴美に優(やさ)しく声を掛けた。
晴美は、「クゥ〜」と言葉に成らない声を出しながら、それでも必死で受け腰を続けている。
私は暫(しば)らくその受け腰を晴美にさせていたが、反応を見る為にグラインドを掛ける事にした。
圧(の)し掛かっていた身体を離し、両腕で身体を支え、抽入している欲棒を支点にして腰をグイグイと廻して見た。
晴美の恥骨がグリグリと私の恥骨が擦(こす)れ合い、「ウフン」と晴美の鼻が鳴った。
このグラインドが、処女を喪失したばかりの晴美にも、気持ち良さをもたらしたらしい。
横を見ると、晴美のパパ(生島)とママ(喜美子)が、我を忘れて本気モードで縺(もつ)れ合っていた。
隣りの両親が佳境に入り始めると、晴美は私を仰向(あおむ)けに寝かし、跨ぐようにして私の欲棒を股間に呑み込み、「ウン、ウン」と言いながらスクワットファックを始めた。
「晴美は、こんな事誰に教(おそ)わったの?」
「教(おそ)わったのじゃ無く、ママが社長のおじ様にしていたのを見たの。」
「随分何回も見たんだ。」
「ママが他の人としているのも沢山見たから、晴美は何でも真似出来るよ。」
「ウッフウ〜ン、ウッフウ〜ン、ウッフウ〜ン。」
晴美はM字に開脚して、グチョズチョとスクワットファックで私の欲棒を咥(くわ)え込んで、結合した己の女性器を晒(さら)し、隣りで絡み合う両親を見ながらユックリ抽送を続けている。
「晴美は痛く無いかい?」
「もぅ痛く無い。変な気持ち良い感じ、ウ〜ン、ア〜、ウ〜ン、ア〜、おじ様は気持ち良いの?」
「あぁ、良いよ。」
急に、晴美の腰使いが激しくなり、歳に似合わない甘い声で晴美が耳元で囁いた。
「ママに念を押されているけど、おじ様に満足してもらうまで、何時(いつ)でも何でも教えて貰いなさいって。」
「ママは私に晴美を預けちゃったの?」
「だって、パパやママが私(晴美)を抱いて教える訳には行かないでしょ。だから水揚げ親のおじ様が教えてくれるのでしょ。」
「それは、その通りだけど・・・・」
「でしょう、だからおじ様を満足させるまで預けられましたから、何でも厳(きび)しく仕込んで下さい。」
「預けられたって?」
「水揚げの儀の期間は、水揚げ親の所で裸で生活する決まりだって・・・だから私(晴美)は、おじ様と一緒に住んで仕込んでもらうの。」
「うぅ〜ん、水揚げの義はそんな話に成って居たのだ。」
「私(晴美)、おじ様に裸で預けられて、毎朝おじ様のおシャブリをして、その後抱いてもらって毎日過ごすの。」
「裸って・・・ここ(氏上館)にいる間、服はずっと着ないの?」
エライ事に成った。
裸の娘、がここ(氏上館)で暫(しば)らく私にまとわり付くらしい。
「おじ様とですもの私(晴美)は平気、宮司さんが水揚げの修行中は服を着てはいけない決まりだって。」
「そんな事言っても、私には奥さんの里美が居るよ。」
「えぇ、奥さんは親友だから、奥さんにも可愛がってもらえるって、ママが言っていました。」
立会人の宮司の顔を見ると、頷(うなづ)いて間違い無い事を認めている。
晴美を「裸で預けられる」とはややっこしい事に成ったが、それがこの里の習慣らしい。
「晴美、駄目じゃない。お話に夢中になって腰の動きが止まっていますよ。」
喜美子が、話に夢中に成っている晴美を叱った。
「あっ、おじ様のオチ*チンが中で元気が無く成ってる。」
「そしたら、もう一度お館様のオチ*チンを口で咥(くわ)えて元気にしなさい。」
今度は、父親の生島がそう晴美に声を掛けた。
それを聞いた晴美が慌(あわ)てて身体を離し、先ほどの貫通で血が着いているのも物ともせず、私の欲棒をパクリと咥(くわ)えて熱心にシャブリ出した。
晴美の口中の暖かくヌメッとした感触が、欲棒を通して伝わり、見る見る堅くなるのが感じられる。
見る見る堅くな成って、晴美が「おじ様のオチ*チン元気が出た」と、嬉しそうに言う。
「堅くなったら、お館様を跨いで上に乗って入れなさい。」
「はぃ、パパ。」
晴美が、しゃがみ込んで咥(くわ)えていた欲棒を離して起き上がり、父親に言われた通りに私を跨ぎ、元気に成った私の欲棒のカリ首を肉花弁の隙間に宛がい、腰を降ろして「ウッ」と抽入を果たす。
「よぉ〜し、嵌(はま)ったら足で踏ん張り、膝を使って腰を上下させなさい。」
「はぃ、パパ。」
「良いか、お館様が気持ち良く成るまでそれを続けなさい。」
本来なら、娘の処女喪失とその後の性交実践指導まで父親がするのは異様な感があるが、立会い人だけに、生島は娘に厳しく指導する。
確かにこの里では、晴美には性交術を仕込む方が親心かも知れない。
それに生島とすると、娘には「私を満足させるような奉仕をさせたい」と言う願望も有るのだろう。
「はぃ、パパ。おじ様これで気持ち良く成りそう?」
晴美は、股間に私の欲棒を咥え込んだまま腰を上下させ、カリ首の海綿体のエラを内壁に擦(こす)りつけ、続けている。
刺激が継続しているから欲棒はギンギンで、小娘相手にイカされそうである。
これは・・・堪(たま)らん。
「おぉ、晴美、イクイク・・・ウッ」
結局、「水揚げの儀」は私の射精で終り、添い寝人(母・喜美子)も、立会人(父・生島)も、見届け人達も、「暫(しば)らくお預けしますから、みっちり仕込んで犯ってください。」と裸の晴美を館に置いてアッサリと帰って行った。
涼しい筈の山中に在りながら、この盆地は雪が積もらないだけにとにかく暑い。
水面(みなも)に秩父山塊を映す八月初旬の水田が、陽光に照り返って煮えたっいる。
老宮司から「この季節が水揚げに良い」と教えられたが、なるほど確かに、水揚げ娘(こ)が水揚げ親の元で全裸で暮らす慣習がこの村里に在るなら、この時期が最適なのである。
預けられて驚いたが、私が館内(やかたうち)に居る間は、裸の晴美が飼い子犬のように何処でもまとわり着いて来る。
寝床は勿論、お館様として執務している間も、食事、風呂の何処でも着いて来て肌を寄せ、欲棒を咥(くわ)え仕舞いには性交をせがむ。
こんな小娘相手に、私は何をしているのだろう?
私は「どうかしていた」のかも知れない。
妻の里美もこれには苦笑いで、呆れて見ている他に手立てが無い。
やがて晴美水揚げ期間も終り、宮司が待ち構えていて「お館様の水揚げ子だから、京香の後釜の巫女に仕込む。」と言った。
どうやら里のスターに、晴美は「仕込まれる」と言う事だ。
晴美は、里中では「お館様の水揚げ子」とハクが付いて結構大事にされている。
勿論晴美は、「夜這い(娘遊び)」や「犬掛け祓い」の付き合いは卒なくこなしているが、その後もすっかり懐(なつ)いて私に付きまとい、里に滞在している間の私の性欲処理係りにチャッカリ納まっている。
まだ少し先の話だが、晴美には二歳下にもう一人妹が居る。
そちらは十二歳で小学校の六年生だが、どうやら姉の晴美にくっ着いて歩いて、晴美同様に性教育の方は勝手に出来上がっているらしい。
不用意だった点で、子供の影響については反省するべきだが、結果はこの村の習慣に馴染み易く、「良し」とせねばなるまい。
世の中、何も一箇所で事が起きて居る訳ではない。
この水揚げ儀式の最中、岩代夫婦と小泉武司は例の大学問題で攻防戦に入って奮闘していた。
つまり、岩代の仕事と坂元の仕事がぶち当たった訳だ。
京香の実の父・石原常務理事は、バックに暴力団が付いた理事長派の黒幕・高柳理事と対抗する為に、母校の理事に就任した岩代を頼りにし、坂元一派のでっち上げ発行したかなり高額面の手形の後始末に追われていた。
法的な争いは、資金と接待軍団の女達を動員し、京香に指揮をさせて事を有利に進める。
司法関係者も、接待軍団の威力にはひと溜まりも無い。
大学に乗り込んで来て、事務局に居座った坂元の手下は、ややこしい連中が多いので、岩代軍団と呼ばれる体育系OBを動員して力で排除した。
それが中々のもので乱闘騒ぎになったが、事が公に成ると不利なのは暴力団が付いた理事長派で、マスコミに知れる前に揉み合いから引いた。
そこまで露骨な揉め事に成った所で、山崎代議士が手を廻して文部省から理事長派の解任助言と警視庁の特捜が暴力団の組織、「龍信会」に圧力を掛け、強引に手を引かせる事に成功した。
岩代の少し挑発して揉め事にし、それを口実に理事長派を追い落とす作戦に、坂元一派がまんまと嵌(はま)ったのである。
当然ながら、敗れた「龍信会・坂元一派」はえらい目に遭っていた。
「チキショウ、あのKIYOUBI(京美)の岩代とか言う野郎、おかげで俺はエンコ(指)詰めさせられたワ。」
組織は、誰かが「けじめ」をつけないと事は収まらない。
大学の経営権を巡るシノギに失敗して、その責任を龍信会組長が坂元におっ被せて来たのだ。
「坂元、我が下手打つたんじゃ、エンコ(指)詰めろや。」
左手の小指を無くした坂元が、包帯をグルグル巻きにした手を顔の位置まで掲げて事務所で荒れ狂っていた。
これでは、堅気のふりをして企業舎弟を続けられない。
「これでおれのシノギは、お先真っ暗だ。」
「社長、奴を始末しましょうか?幾ら強くても弾(ハジ)キなら奴も・・・」
「殺らいでか。だがな、奴のバックには大物代議士も付いて居る。闇雲にチャカ弾(ハジ)いて済む話しじゃない。」
「っていいますと?」
「公安も動いているから、下手を打って事件に成っては上手くない。派手なドンパチで親(組長)に迷惑かけたら、それこそ今度は指詰めじゃあ済まなく成る。」
「バラした体が上がっちゃあ拙(まず)いのですか。じゃあ、浚(さら)って来て始末は慎重に・・・」
「お前に何か良いアイデアでもあるのか?」
「まぁ社長、奴をこっそり始末する段取りは、ジックリ考えますワ。」
岩代の方は、筋書き通りに事が運んで上機嫌である。
坂元達が良からぬ相談をしているなど、予測は出来ても歯牙にも掛けない。
「お館様、ご心配掛けましたが、やっと決着が着きました。」
「そうか、石原常務理事もお喜びでしょう。」
「それでお願いなんですが、石原常務が行き成り理事長では余りにも露骨なので、暫(しば)らくお館様に理事長をお願いしたいのですが。」
「それは構わんが、大学の理事長が私で良いだろうか?」
「お館様なら立派なものです。それに私に少し考えがありますので、大学理事長の肩書きが必要なのです。」
「まぁ、そこまで岩代君が言うなら、揉め事のほとぼりが冷めるまで引き受けよう。」
私が大学の理事長に就任した後、山崎代議士の尽力で予定していた新設学部「哲学心理学部の認可を受ける作業に入る」と言う。
まったく、最初から岩代の段取りが出来ていたような話である。
大学の理事長など私の柄ではないのだが、岩代に何か次のステップの目論見があるらしい。
それにしても、理事長派の黒幕・高柳理事の追い出しに成功して、私達は大学を一つ手に入れた事に成る。
岩代の凄さを、改めて見せ付けられた。
しかしこの事が、将来大変な結果をもたらすとは、この時私は思いも拠らなかった。
他人の為に泣けるのが人間である。
しかし矛盾した事に、他人に冷たく成れるのも人間である。
他の動物は「本能」のみで生きるから判り易いが、人間には「本能」以外に「感情」と言う厄介なものが有る。
地球上に、「限りなく優しく成れ、限りなく残酷に成れる」と言う不思議な生き物は、人間しかいない。
簡単に言うと、同一人物でさえ「定型が無い」と言う事で、どっちに転ぶかは本人にしか判らない。
嫌、本人にも、直面しなければ判らないのかも知れない。
従って、人間ほど危険な生き物はこの世に居ない。
「感情」は、その時々の状況で豹変するからである。
(女優妻)
◆蒼い危険な賭け・京香◆
第四十八話(女優妻)
村里の盟主に収まって半年ほど経った頃、私達夫婦に一つの転機が訪れた。
ややっこしい経緯(いきさつ)が在ったのだが、要は山崎代議士の誘いに拠る私の代議士選挙出馬の話だった。
信じられない事に、中々見れない筈の「夢の続き」が、私にはまだ続いていた。
降って湧いたような私の代議士出馬話だが、不思議な事に妻も周囲も慌(あわ)てた様子がない。
或いは例の予知能力で、妻も周囲も既に承知していた事かも知れない。
勿論、山崎代議士が関わった話だが、まるでこの事あるを想定したような岩代のレール上の事で、切欠(きっか)けは山崎SM山荘に預けてある「佐和子夫婦」だった。
ムツムチだった佐和子の肉体(からだ)が、山崎代議士に預けられて引き締まって来た。
まぁ結構ハードなSMプレィで運動量も豊富だから、あの調子でプレィのお相手をしていれば、佐和子の肉体(からだ)が筋肉質に引き締まっても無理もない所か・・・。
手元に置いて気に入ったらしく、山崎代議士から連絡があり、正式に「佐和子夫婦をこちらで飼いたいから譲れ」と言って来た。
まぁ、「そんなに使い道があるならば」と私は佐和子夫婦を山崎代議士に譲った。
片山佐和子は、夫・片山(元・だみ声の専務)と伴にKIYOUBから山崎代議士に預けられた。
山崎代議士は、彼の遊びの趣味を愉しむ為の本拠地・山崎山荘での秘密パーティを、いずれ片山夫妻に仕切らせる予定を立てていた。
その為に、これから政和交歓倶楽部に加入する女性には挨拶代りの輪姦(まわし)を犯らせてお披露目する事を、まずは佐和子にさせる事にしていた。
山崎代議士は、「猿には猿回(さるまわ)しが必要じゃで、猿回(さるまわ)しにも猿の気持ちを味わう必要がある。」と片山夫妻に言った。
つまり加入する女性の輪姦(まわし)を操る佐和子に、「輪姦(まわ)される経験をさせよう」と言う試みだった。
そして山崎派を中心としたパーティが催(もよお)され、佐和子は夫の片山に素っ裸にされて山崎山荘の大広間に曳き出された。
山崎代議士は佐和子に、「倶楽部の男全員と犯り、それを倶楽部の女全員に披露しろ」と命じた。
それを申し付けられても山崎代議士の性玩具(オモチヤ)を自覚していたから、佐和子には逆らえない。
そしてここから、山崎代議士に依る政和交歓倶楽部のお披露目輪姦プレィが始まった。
佐和子も犯る前は、大勢の他人前(ひとまえ)で性器の結合を観せながら大人数相手に性交するなど、佐和子の思考ではとてつもない事だった。
しかし佐和子が知らない、世間の建前の倫理観では想像つかない生々しい遊びの世界が、ここに確かに在った。
それならば、これも考えようで、難しく考ず簡単に「遊びの性交を犯って何が悪い」と、開き直って思うしかない。
夫の片山も承知の上だから、犯られるのを愉しんでも文句は言われない。
政和交歓倶楽部のこれは、参加者全ての夫婦やカップルが認める遊びのソーシャルセックス(公開・社交的な性交)プレイで、誰にも佐和子への遠慮はない。
大人の対応なら、「お好きにどうぞ」と身を任せ、柔ら壺の内壁の擦(こす)れ具合いを愉しみながら性器の結合の性交生ライブでギャラリーに全てを曝(さら)け出すのだ。
この場の男女は、他人女(ひと)が男達に輪姦(まわ)されて善がり悶えるのを観るのは、ギャラリーの女達にとっても、サディスティック(S性)に興味深々の蜜の味である。
既(すで)に佐和子は、平然と下半身を露わにして犯る気満々に欲棒を扱(しご)いて硬くしている大勢の男達に囲まれていた。
男達にしてみれば,欲望の捌け口に佐和子の柔ら壺を使おうが、ア*ル(尻穴)や口腔を使おうが勝手である。
こうなったら全てを曝(さら)け出し、敢(あ)えて爽(さわ)やかに生ライブで犯って観せるしかない。
性行為なんてものは、見た目それほど美しいものではなく、猥褻(わいせつ)だからこそ興奮するものである。
ルーテイン(きまりきった作業)ではないオリジナリティー(独創性)を含む性交パホーマンス(身体表現)が要求される。
佐和子は、欲棒を硬くして取り囲んだこの男達の全ての性的欲求を満足させる為に、肉体(からだ)を駆使して股間ガップリに奮闘する事に成る。
人妻が大勢のギャラリー(見物人)と犯る気満々の男達の前で、全裸仰向(ぜんらあおむ)きでM字に開脚すれば、それは服従のポーズである。
そこまで行けば佐和子は、後は男達に立て続けに抽入され、彼らが気が済むまで淫乱に犯らせるしかない。
佐和子は、両足を宙に浮かせた大股開きのポーズで待っているから、男達はズブリと欲棒を佐和子の柔ら壺に挿し込んで、股間ガップリにグィグィと抜き挿しするだけである。
佐和子が善がり悶絶する長い時間が、あっさり始まった。
次々に抽入された欲棒が、佐和子の股間ガップリに嵌(はま)って、柔ら壺の内壁をカリ首の擦(こす)れ具合いを愉しみながら佐和子は腰を使う。
ハァハァと言う荒い息と伴に、佐和子の善がり声は止まらない。
正直、性玩具(オモチャ)を務める佐和子には、「何でこんな事(ソーシャルセックス)を犯るのか?」と言う想いも確かに在った。
だが、「だからと言って、今に逆らって何の得(とく)が在るのか?」と言う打算・計算も、脳裏を掠めて行く。
佐和子の二枚の肉花弁を押し分けて抽入された欲棒が、股間ガップリに嵌(はま)って激しく抜き挿しされ、愛液が股間から飛び散る情景を観せている。
見物するギヤラリーの期待に応えるパホーマンス(身体表現)として、佐和子自らが指で敏感な肉蕾の実(サネ)を刺激しながら、股間ガップリに男達の抜き挿しを味わっている。
硬くなった欲棒で激しく柔ら壺を突(つ)っかれて中に発射され、引き抜いた欲棒をシャブらされ、シャブらされている間に次の男がまた抽入して来る。
佐和子は口に頬張り、ジュポジュポとシャブりながらも、両足を宙に浮かせた大股開きのポーズで待っているから、男達はズブリと欲棒を挿し込んで、グィグィと抜き挿しされるだけである。
発射して引き抜いた男の欲棒を、佐和子が舌を絡(から)めてシャブっている間に、もぅ下半身は次の男の抜き挿しに身悶(みもだ)えている。
佐和子は両足を宙に浮かせ、尻穴も丸見えの大股開きのポーズで、柔ら壺ガップリに嵌(はま)った欲棒の性器の結合を観せながら、善がり悶えて声を響かせている。
次の男は佐和子のア*ルに指で殺菌軟膏を押し込み滑り易くし、穴をほぐす様に指の抜き挿しでア*ル性交の準備をしている。
彼は佐和子のア*ルに欲棒を挿し込み、サディスティック(S性)にグィグィと攻め立て、発射して引き抜くと佐和子の顔の前に腰を運びシャブらせる。
次の男がシャブらせている間に交代で佐和子に取り付いた男も、ア*ルに欲棒を挿し込み内壁のカリ首の擦(こす)れ具合いを愉しみながら腰を使う。
股間ガップリに、柔ら壺に確りと嵌り込んだ欲棒の性器の結合を他人に観せながら生々しく犯ってしまえば、もぅ後戻り出来ない現実だった。
そうなるともう、その現実を肯定しなければ成らないし、体感的に快感を優先すれば、気持ち的に「それも在り」だった。
佐和子が性的興奮で追い詰められ、脳内にドーパミンを噴出させ、セックス・ハィ状態になるのはもう直ぐだった。
まぁ、このハィ現象(脱魂)が、マラソンのランナーズハィや山登りのクライマーズハィ、そしてデスコダンスや盆踊りのダンシングハィなどに共通する現象だった。
何度も犯られて失神し、失禁して放尿し、三時間犯られてようやく休みを与えられ、挙句、更にまた同様な責め苦を三時間犯られてやっと佐和子は朝飯まで辿りついた。
その十五日後の政和交歓倶楽部のパーティでは、佐和子のダンディとの獣姦性交も披露され、これには倶楽部メンバーも佐和子を一目置く相手と認めるようになる。
何しろ、山崎代議士が「佐和子に仕切らせる」と宣言したからだ。
つまり佐和子の肉体(からだ)は、山崎代議士とラブラドールの「ダンディ・ファック」の「ご愛用」と言う事である。
まぁ佐和子はその後の山崎代議士の呼び出しに、「お座敷が掛かった」と時間調整までして犯られに出席していたのだから、本音では「代議士に嬲(なぶ)られるのが嫌だった。」とはとても思えない。
今はもう片山夫妻は、秘密パーティ於いて倶楽部メンバーに絶対権限を持つ山崎山荘の女王と執事長である。
当たり前だが輪姦(まわし)の時は、山崎グループのレギュラー男性(正規メンバー)が皆汗ビッショリで慌(あわただ)しく突きせめるから、受け入れる佐和子の方も汗と愛液塗(まみ)れでヒィヒィ言わされる。
佐和子は生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして、仮面の下の素顔を暴(あば)き出されるように荒い呼吸をしながら壮絶に攻めたてられている。
しかしこれはあくまでも佐和子には非日常の時間で、それが普通だが日常の生活は平凡でこんなスリリングな遊びの時間など無い。
勿論そんな卑猥な時間を佐和子が過ごしているなど、日常生活は到って普通だから世間は知りもしない。
つまりこれは、佐和子の身に時たまに訪れる遊びの時間で、何も大袈裟(おおげさ)に考える必要は無いのだ。
こうなると佐和子は、経緯(いきさつ)に関係なく世間では立派な淫乱女である。
しかしそれを批判する女性達が、性交技も下手(へた)な癖にそれをまったく認識せずでは、呑気に何も判って居ない世間知らずである。
人間も生物の一種属であるからには、強弱の差こそあれ性交への衝動は男女に拘(かか)わらず誰にでも在る。
そこを上手く岩代夫婦に引き出された格好だが、夫婦合意の上の仲間内の性交は、夫婦に取ってローリスク(安全)の愉しめるセックス・セッション(乱交)だった。
一度犯っちゃえば、「別に犯っても全然大丈夫」と言う事に自分を言い聞かせて行為を納得し、気持ちの上で納得すれば今更もう二度目を否定は出来ない。
いずれにしても、性癖は夫婦で共有すべき物で、性癖まで夫婦間でさえ隠して「建前」で処理して暮らしていては行き詰まって、良い夫婦生活が送れる訳が無い。
何らかの心理状態を植え込んでいる疑いは有るのだが、岩代夫婦には拘(かか)わる女性達が逆らえない或る種カリスマ(超人)的な影響力がある。
それでなければとても納得できないような卑猥(ひわい)な事を、女性達が他人前(ひとまえ)でいとも簡単に犯ってしまうからである。
佐和子の調教が上手く行ったのは、岩代夫婦の「特殊な能力の為」と想い到るのは、私だけかも知れない。
それにしても佐和子は、岩代夫婦の期待通りに見事な犯り犯り女に成ってローリスク(安全)のセックス・セッション(乱交)ライフを満喫(まんきつ)している。
以前岩代が、山崎と引き合わせて「今度こそ、あれは化けますよ。」と佐和子の事を言っていた。
岩代の読みはズバリ当たった様で、さなぎから蝶に孵(かえ)った佐和子は無敵だった。
何となれば、怖いもの無しの自信が佐和子に備わったからである。
気持ち良いマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)を経験してしまえば、夫婦だけでチマチマとしたSEXを犯るよりは、本当は乱交を犯った方が愉しいに決まっている。
正直、乱交の虜にしてしまう程の衝撃的快感をマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)で味わってしまえば、佐和子は動じる風情も無く平然と次の誘いに応じるようになる。
勿体無い事に、このまま佐和子が平凡な人生を送れば、性感がマックス(絶頂)に到る極限のディープ(深く嵌り込む様)な興奮(ハィ状態)も知らずに女盛りを無駄に過ごす事になる筈だった。
山崎代議士からすれば、佐和子の方は、手元に置けば何時(いつ)でも山崎の趣味の相手が出来て、好きに弄(なぶ)れ、重宝する。
それに夫の方の、私の勤めていた会社の元上司「だみ声の専務」は片山直太郎と言い、元々は強気の部下掌握、強気の営業で鳴らした男である。
片山(だみ声の専務)は調整能力も優れているから、立場が確立して壷に嵌(はま)れば相応のリーダーシップを発揮する。
山崎代議士が、片山直太郎(だみ声の専務)が立場を与えれば才能を発揮する事を見破って手元で使う気に成った。
それで山崎派の秘密パーティを仕切らせたら、派の並み居る代議士夫婦を締め上げてしまったのだ。
党内有数の派閥・政和研究会(山崎派)を率いる山崎代議士は、交流会「政和交歓倶楽部」を主催している。
この倶楽部の対外的な公表目的は有志の交流倶楽部で在るが実質は少し違う形態の交流の場で、山崎代議士が主催する政和交歓倶楽部の「歓」は歓喜を意味している。
政和交歓倶楽部で使う「交歓」は、日本語で解釈すれば公式行事の歓迎会だが、中文(ツンエン/中国語)解釈では、「ズバリ乱交パーティ」の意味である。
日本で一般的には、誰もそこまで想い至らないだろうが、政和交歓倶楽部員はインテリの集まりだから、当然そうした隠れた意味合いが在るのは了解済だった。
実はこの「政和交歓倶楽部」は、山崎代議士が「KIYOUBI(京美)」の性接待からヒントを得て始めたもので、つまり「歓」を交(まじ)える事が目的の仲間内の交流の場だった。
山崎派グループは、何しろ国会議員と言う特殊な立場の集団で、戦後活躍した議員が老齢化して、ここ二回の衆議院議員選挙(第三十九回・平成二年/第四十回・平成五年)で若手への入れ替わりが激しくなった。
若手への入れ替わりが激しく、結果付き合いが短いから信頼関係の構築が進まずに派閥の結束には頭を痛めていた所である。
山崎派は衆参両院で八十名を越す大派閥だが、このSM山荘のメンバーは二十歳後半から四十歳代後半までの若手の妻帯者を三十名弱ピックアップして、「政和交歓倶楽部」は表向き婦人同伴の「若手の勉強会」と言う事に成って、山崎親衛隊を構成している。
山崎代議士の趣味を満足させ、同時に派閥の明日を担(にな)い、日本の明日を担(にな)う為の組織の結束手段である。
そう言う訳で、派内の若手代議士を抑えている山崎代議士を脅(おびや)かす存在は派内のベテラン議員の中にも居ない。
派内の長老連中には老体の婦人しか居ないので、山崎代議士の趣味に用がないから勿論SM山荘へのお誘いはない。
どちらかと言うと、山崎代議士が個人の趣味的に派閥の若手代議士の忠誠心を計る目的で、婦人をSMプレィの餌食(えじき)に弄(もてあそ)んでいたのだ。
だが、KIYOUBI(京美)と知り合い京香や妻(里美)の全裸接待を受けている内に乱倫同志経営のシステムを耳にし、共感して派閥の結束に取り入れる事にした。
そう成ると、片山佐和子夫婦はノウハウを知っているから手元に置いて使いたかったのである。
「なぁに、ご婦人方は最初は渋々でも、一度犯らされてしまえば病み付きに成るわ。」
面白いもので、最初は派閥のしがらみで嫌々参加する代議士婦人達も、いざ犯らされてしまうと認識が変わる。
素っ裸にされてシャブらされ、犯し廻されるのも恥ずかしいが、それで感じまくって淫らに腰を振って見せてしまえば、正直その現実を受け入れざるを得無い。
情が絡まない事が前提の性交であれば、それは優しい性交では無く容赦なく責め犯す一方的に支配される服従隷属(ふくじゅうれいぞく)の形で虐(いじ)め犯かされる性交が相応(ふさわ)しい。
愛奴隷の全裸後ろ手拘束姿は、ゲストの言い成りに奉仕する為の言わばユニバーサルデザイン(誰でも使い易い工夫)である。
女性はM(マゾ)性が強く、「怖い怖い」と言いながらお化け屋敷もスリラー映像もジェットコースターも大好きである。
つまり酒やタバコと同じで、M(マゾ)の感性は体験して見ないと判らない嗜好(しこう)の問題だから、たまには気晴らしに脳を開放させ、自由奔放に活動させる非日常の時間が有っても良いのではないか?
群れのボスは山崎代議士である。
掟は厳しく、この群れの集まりで山崎代議士の意向に逆らったら誰でも「ヤキ」を入れられる。
山崎派の代議士夫人(妻側)達が、この変態遊びグループの仲間入りを「良く、揃って納得するものだ」と、あなたは疑問にお思いだろう。
だが、理屈は簡単で、代議士婦人として現実的な対処を考えればおのずとこの「政和交歓倶楽部」の上手い仕組みに納得するのである。
「スワッピング乱交は我が国の伝統だで、夫婦合意なら誰に恥じる事は無い。」
「歌垣(うたがき)の事ですか?」
「そうだ。流石(さすが)若いのに良く知っているな。」
「いぇ、内の竹中と言う顧問の受け売りですが。」
「あぁ知ってるぞ、何時か京香が連れて来た君の所の順子と言う娘(こ)の父親だろう。あの娘(こ)も扱い易くて良い女だった。また連れて来てくれ。」
「承知しました。機会があればお相手をさせます。」
「アァ、楽しみにして待っているぞ。」
古来この国では、口先だけの仲は「真の仲間」とは言えない。
この国には、伝統的に「誓約(うけい)」の概念が介在して来た歴史がある。
人間の認識など変えうるものだから本人が「これが正解」と思い込んで居るだけで、本来常識とか普通と言うものは存在しない。
そこを念頭に物事の発想を始めないと、思考の柔軟性を自(みずか)ら縛る事になる。
普通の生活をしていれば、人の一生中に性交の機会などそう多くはない。
不謹慎かも知れないが、それでは「人生がモッタイナイ」ではないか?
表面真面目にしていても、どうせ口約束などあてにならないし浮気心は誰にでもある。
何よりも、性スキャンダルは政治生命に関わるばかりでなく、家庭崩壊の可能性も含んでいながら制御し難いのが性本能だから、只「気をつけろ」や「愛情を信じている」だけではリスク対策には成り得無い。
世間では倫理、倫理と遊びの性交を問題にするが、性交を倫理と結び付けるのはある種の防衛手段で、言わばカップルや夫婦の枠を壊さない為の約束事項である。
ストレスが多いのが代議士商売で、こればっかりは時々発散しておかないと身が持たない。
そうは言っても政治家の場合、まぁ代議士商売は例え金で買った遊びでもスキャンダルの命取りである。
下手に芸能人やアナウンサーなどと懇ろ(ねんごろ)に成れば、それこそ週刊誌やワイドショーの餌食である。
昔みたいに妻公認で妾を持たせても金は掛るし、子供でも出来たら認知問題などで厄介だし、妻側にしても、情交をさせて何時(いつ)夫の心が妾に傾かないとも限らないのはリスクである。
「政治家は、その手の職業の女を安易に買う訳にも行かないからな。」
倫理観を問われるから、各自の自主管理に任せて万が一にもスキャンダルが公に成れば、選挙戦を戦わねば成らない代議士のダメージは大きいし、党内に於ける派閥のダメージもある。
しかし代議士稼業はストレスの多い職業で、その抑圧(よくあつ)から開放される僅(わず)かな時間が【右脳域】の感性に埋没出来る性交遊技の時間で、その時間を安全で合理的に確保する必要がある。
綺麗事では無い現実として、特に議員や消防士・教師など公職者・公務員などは、性スキャンダルは職業上命取りに成る。
だから女房の方も、家庭や生活の防衛上亭主の自制心だけを頼っていては無責任で努力不足ではないだろうか?
つまり亭主のストレス解消に、女房が馬鹿に成って秘密の遊びに素っ裸で付き合う事が、家内安全の特効薬かも知れない。
それならば影でコソコソして大揉めに成るよりも、大人の考え方で遊び相手を含めカップルや夫婦の枠を壊さない工夫が合意されていれば、その方が利巧である。
そしてその遊びが、どちらか一方との情交行為ではそれが理解されないから、婦人に乱倫の性体験をさせる事で倫理意識を変え、確り巻き込んで夫婦同時に遊ぶ事である。
つまり山崎派「政和交歓倶楽部」の秘密パーティは、代議士夫婦や派閥のリスク管理の要素を含んでいるのである。
山崎代議士が言うに、スキャンダルが命取りになる代議士商売に於いて、夫達の外での浮気を封じるには並以上の魅力的な「場所と事」があれば良い。
いざ山崎派グループ「政和交歓倶楽部」の秘密パーティに身を置いて見ると、これには色々と思わぬ効用があるから婦人達は更に納得して、参加する事に意義を見出す。
日頃は、世の手本然として気取っていなければ成らない窮屈で特殊な立場にあるだけに、代議士夫人(妻側)達も素っ裸に成って辱められ、問答無用で犯しまくられれば、性本能を発散出切る場所として貴重なストレス解消に成る。
これ(性的欲求)ばっかりは男性ばかりに性欲があるのではなく、種の保存本能があるから女性にだって性欲が有るのが当たり前で、それを「無い」と言う方がおかしいのである。
外で遊べば、どんな性悪の男女に引っ掛からないとも限らないが、その点互いの夫や妻の肉体(からだ)を遊びに融通しあえば互いにスキャンダルを恐れる身であるから部外秘で、これほど安心安全しかも安上がりな事は無い。
そうした諸々の危機管理を考えればこの「山崎派の遊び」を奥方達も論理的に納得で、後は経験を重ねて、この変態行為の遊びを「そう言うものだ」と慣れてしまえば、人間、たいしてそれに抵抗は無く成る。
つまりここ(山崎山荘)に居る間の奥様方は、代議士婦人でも女性代議士でも無く、性奉仕を愉しむ性玩具(おもちゃ)だった。
その「人間を棄てる時間だ」と言う認識切り替えの象徴的な格好が、そう、日常生活から外れる非日常の時間に切り替えるチャンネルが彼女達に増えただけなのである。
山崎代議士が提唱する一対一の情交とは異なる禁断の乱交や輪姦(まわし)責めを一度経験すれば、襲いくる快感に肉体は理性ではなく本能に共鳴し、そのエロスのトキメキの興奮と刺激に思わず腰を使い悶絶する。
人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)があり、行動の方が輪姦遊びをさせられてしまえば、意識の方をそれに合わせるのが普通で、婦人達は皆認識を変えて納得する。
つまり、代議士の妻が互いに共同して、面白い変態遊びを工夫をしながら肉体を提供し合えば、好きに犯れる女を多数揃えても全て身内で金もかからないし秘密も守れ、夫達の外での浮気を封じには「持って来い」と言う事に成る。
そうと判れば御婦人方も、後は大いに非日常の変態遊びを愉しんでストレスを発散し、火照(ほて)った子宮を癒せば良いのである。
それに、例え代議士やその夫人と言えども、これ(性行為)ばっかりは自分の性本性を曝(さら)け出すから、機(はた)から見れば無様(ぶざま)なもので、本当の所は男も結構恥かしい。
この秘密パーテーは、それが目的でもあるから、その性本性はもとより無様(ぶざま)に犯っている所まで見せ合いで公表する変態遊びの場だから、互いの秘密が共有され、派閥としては裏切りが出ない仕組みである。
実の所、山崎派もメンバーは海千山千の代議士の集まりで必ずしも意見が一致している訳ではない。
同舟異夢(同じ仲間に居るがそれぞれに思う所が違う)の組織には求心力が必要で、この国では戦前までは永い事「お血筋」が求心力の条件に成って来た。
しかし戦後の民主憲法下では、山崎派も他聞に洩れず「お血筋」の求心力に変わる仲間内の団結が必要だった。
見つけたのが、誓約(うけい)の概念に添った乱交仲間内の団結方法だったのである。
性に関して女性には本音と建前に微妙なズレが在り、信じられそうも無い夢物語の建前が、「愛が無い相手と性交は出来ない。」である。
世の人々は性交などには興味が無い様に装っているが、まともな性癖の男女なら性交を愉しもうと言う本能が在って当たり前である。
そしてその性交には心地良い気分の姦淫ムードを愉しむだけの関係も新鮮で在り、必ずしも性交に「愛情」が拘(かか)わる訳ではない。
互いを縛り付ける「愛情」などと言う一人善がりの感情の苦悩を捨て去りさえすれば、人はもっと自由に性交を謳歌(おうか)できる。
大袈裟に言えば、人間の欲望には際限が無く、それを安全に満たしてくれる性欲装置があれば「奔放な性交遊びも悪くは無い」と想えるものだ。
だから表向きは性交など興味が無い様に装っていても、秘したる本音ではカップルなり夫婦なりであらゆるパタ−ン(構成)の性交を大いに愉しんで居ても不思議は無い。
そのストレス解消の為の奔放な性交遊びの性欲装置が、お愉しみの為なら何でも在りの「政和交歓倶楽部」だった。
「譲れ」と言われて話を聞くと、片山直太郎(だみ声の専務)は政治的に使い易く、連絡秘書にもってこいの才能がある。
片山佐和子の方は佐和子で、山崎代議士の性的趣味に献身的に尽くす。
何しろ夫婦揃って心身ともに山崎代議士に尽くすから、誰よりも信用が置ける。
短い間に山崎代議士の信任を得、派閥をまとめ、所属議員の忠誠心を計る秘密パーティを片山夫婦に仕切らせるほどに成った。
何しろ、「政和交歓倶楽部」の秘密パーティで代議士婦人を淫(みだ)らに調教するのも片山佐和子夫婦のむな三寸で、逆らったら婦人がこっ酷い調教をされる。
すっかり秘密を共有して力を着け、いつの間にかペイペイの代議士より片山夫婦の方が派閥内での力が強く成っていた。
それで、派閥をまとめる裏方の筆頭私設秘書で、「片山を使いたい」と言うのである。
この政治家グループ、気晴らしにとんでもない遊びをしていた。
自然は必要に応じて生き物を進化させる。
脳の発達に拠って、他の動物に在る「繁殖期」を無くした時から神は人間に、脳を癒す為の生殖を伴わない「擬似生殖行為」を与えた。
つまり生殖を伴わない擬似生殖行為は「癒しのバランス効果」を期待したもので、ややこしい建前論を外せば、脳は、乱交や公開輪姦、露出プレィやSMプレィなどを、非日常空間を創り出す事で相互にメンタル面の劇場型脳プレ効果を生み出す事を期待していてる。
そして山崎派のお披露目パーティは、元々の所普段羽目を外せない議士生活の憂(う)さを晴らす意味合いがあるから劇場型脳プレ効果を期待していて、誓約(うけい)の性交に普段出来る程度の遊びでは納得しない。
山崎代議士は、「政治家の重圧」と言うメンタル面のケア、年齢を積み重ねる脳年齢の老化から「脳トレ」と言う考えを一歩踏み越えて「脳プレ(脳トレ+プレイング)」と言う概念を打ち出した。
ここ(山崎山荘)は遊びの意味合いを持たせ 、様々な性遊戯で「非日常の興奮の愉しみ」から脳を刺激する事を試みる脳プレの場である。
山崎代議士は、面白がって山崎派の秘密パーティに使う「生け贄代議士婦人」の選択指名権を、片山佐和子夫婦に与えている。
この権限は異常に強く、パーティであろうが無かろうが、片山夫婦が「代議士婦人」をどう扱かおうが勝手で、呼び出して裸に剥(む)き、股を開かせてSM調教を施(ほどこ)す事も出来、それに逆らえば夫諸共に派を除名される事に成る強力な権限だった。
しかしこれは、ある種山崎の思い遣りでもある。
山崎派在籍する以上、代議士婦人には秘密パーティで、メイン・プレィヤー(陵辱のヒロイン)に使われる試練がある。
派の秘密パーティの趣旨から言って、見られたくない姿を晒(さら)して見せる事に意義がある。
お披露目のパーティ・デビューに掛けられると、人間性など全く認められない「生け贄」で、素っ裸の晒(さら)し者に辱められながら、寄って集(たか)っての陵辱の限りを受け入れ攻め立てられ、思わず恥ずかしい思いも嫌らしい思いも曝(さら)け出して驚愕する。
そこまで追い込まれると、生け贄に成った女性は何故か素直な気持ちで相手と接触するように成る。
実はこの方法、世間から隠している本性を曝(さら)け出す最も有効な手段で、その垣根が壊れて初めて互いの信頼関係を構築出来る理屈なのだ。
派の秘密パーティで身も心も曝(さら)け出す事で派内の結束が生まれる。
「生け贄」にされたら、口も乳房も禁断の股座(またぐら)も、尻の穴さえ秘密パーティでは共有されて奉仕に供される為のものである。
山崎派の乱倫グループは、一種の群れである。
群れにおいて信用出来る事は、肉体(からだ)で証明する群れに対する相応のロイヤリティ(忠誠)である。
元々はこの調教役を、趣味を兼ねて山崎代議士が犯っていたが、歳も歳なので片山夫婦に調教を任せ、出来上がった「生け贄」で楽しむ事に方向転換したのである。
もっとも、忙しい代議士仕事の合間に山崎代議士が慌(あわただ)しく調教するよりも、片山佐和子夫婦に専門で任せれば、ジックリと時間を掛けて調教させる利点もある。
派閥に参加すれば、立場上、どの道その試練を断れる訳でもないのだから、見苦しい真似はさせられない。
それで、「自分の女房も躾(しつけ)られないのか。」と恥じを描くのは、夫である代議士の方である。
いきなり山崎派「政和交歓倶楽部」の秘密パーティに「生け贄」として使われるよりは、片山佐和子夫婦のSM調教を受けて充分に仕込まれていた方が、上手に「生け贄役がこなせる」と言うものである。
亭主の方もそれを知っているから、因果を含めて佐和子夫婦の下(もと)に送って寄越す。
最近の目玉は、親の代から代議士だった三十三歳初当選の若手代議士が、三十歳に少し手前の女優を嫁にした事だった。
山崎派の政和交歓倶楽部は、エンジョイ・トゥギャザー(ごいっしょに愉しみましょう)のソーシャルセックス(社交的な性交)である。
だからメンバー若手代議士の女優妻との結婚話しで、倶楽部メンバーは女優妻と犯れる期待が膨らんで、新婚の嫁は清純派で売っていて純情そうだったから、山崎派でも歓迎していた。
この若手代議士は、平成五年に行なわれたばかりの第四十回衆議院議員選挙に、親の看板と地盤を受け継いで勝ち上がって来た。
所がこの女優妻、代議士婦人に納まってから化けの皮が剥(は)がれた。
清純派は彼女の役者としての演技で、かなり我侭(わがまま)な生意気娘である。
現実の彼女は、芸能ニュース等で女優と若手代議士の結婚をもてはやされ、それでなくても売れっ子で芸能事務所にチヤホヤされいた。
自分の立場を勘違いしていて、山崎派の代議士会では新入りの癖にお高く止まって先輩達に態度が大きかったので、山崎代議士や仲間のほとんどを敵に廻してしまった。
そう成ると、その初当選の若手代議士は山崎派内では四面楚歌で、早い所その女優妻に「派の秘密パーティ」の洗礼を受けさせ、誓約(うけい)の信頼を確立せねば、新米代議士としてやっては行けない。
かなり身勝手な組織論かも知れないが、運命共同体において口先の言葉は何の意味も無い。
要は誓約の性交を持って始めて信頼は生まれる。
その事が、女優妻にはまだ判っていない。
しかし運命共同体の仲間内では信頼関係を構築しなければならない。
それが代議士仲間の派閥の結束とも成ると、国政にまで影響が出るから個人ベースの感情とは次元が違う。
勿論、そんな所で個人の感情を出す様では失格で、代議士商売などやっては行けない。
そこで、互いが共有する秘密行為が、「確実な証明行為」と言う意味で、最も原始的だが、「誓約(うけい)」と言う手段がある。
仲間の信頼を勝ち取る為に、幾ら奇麗事を並べても実体が無ければ何の信頼性も証明出来ないのだから、互いが特別な間柄に成らねばならない。
特別な間柄とは、限りなく身内に近い関係でなければそれは成立しない。
限りなく身内に近い関係を具体的に言うと、夫婦同様に肌を許す関係である。
山崎派の乱倫グループは一種の群れで、群れにおいて信用出来る事は、肉体(からだ)で証明する群れに対するロイヤリティ(忠誠)である。
まぁ簡単に言ってしまえば、「仲間内(フアミリー)での性交は拒否は出来ない」と言う事で、互いに肉体(からだ)を許し合えば、身内の気分で仲良く成れる訳である。
「誓約(うけい)」とは、古来から伝わる最善の手段であるが、相互信頼の証(あかし)として肉体を供する事で、全てを曝(さら)け出す性交は、最も有効な信頼関係を構築する行動手段である。
その行動実体が伴って、初めて仲間の信用・信頼を勝ち取る事になる。
原始的だが、他に変わる手段などないので仕方が無い。
つまり組織の結束としては、仲間内(フアミリー)に居たいのなら相互信頼の証(あかし)として、つべこべ言わずに誠意ある行動で互いに証明する必要がある。
代議士の妻とも成ると、その位の事は笑って飲み込んで懸(かか)からねばならないのである。
無茶な事をさせるようだが、綺麗事だけで海千山千の政治家グループなど束ねられない。
確かにひとつの群れにおいて、忠誠心の証明は口先だけでは物足りない。
益してやそれが命のやり取りをする時代であれば、忠誠心を試す方も試される方も、真剣勝負かも知れない。
考えて見れば、この国の長い歴史の中では、もっとキツイ忠誠心を試されていた時代も有る。
戦国武将の昔の事を思えば山崎派の輪姦パーティなど甘いもので、昔の誓約(うけい)には稚児小姓の慣習があった。
つまりは支配者は臣下の忠誠心と服従を、肉体を犯す事で直接試した。
稚児小姓上がりで最も有名なのは織田信長の側近・森欄丸である。
稚児小姓とは閨房で夜伽の相手(男色)をした小姓を言い、森欄丸の前は若い頃の前田利家が稚児小姓を務めていた。
つまり、加賀百万石(加賀藩百十九万石)の太守に成った前田利家も、織田信長の男色(衆道)寵愛を受け信長側近から出世している。
この二年前に織田信長が十六歳でこの二年前に織田信長が十六歳で濃姫(帰蝶)を娶っているから、信長は利家より四歳年上の十八歳になる。
この頃前田利家は、信長とは衆道(同性愛)の関係にあり、「武功の宴会で信長自らにその関係を披露された」と加賀藩の資料「亜相公御夜話」に逸話として残されている。
つまり両刀使いの信長は、濃姫(帰蝶)との新婚生活と近習(小姓)・前田利家との衆道(同性愛)関係は同時進行していた事になる。
「傾(かぶ)く」は、言わば現代の若者にも通じる奔放主義の事である。
若き日の主(あるじ)織田信長が「虚(うつ)け者」として傾(かぶ)いて居た頃で、従う近習・前田利家も「相当に傾(かぶ)いて居た」と言われている。
これはあくまでも推測だが、たとえば濃姫(帰蝶)を前田利家に正上位で犯らせてその背後から信長が利家のア*ルを犯れば、三人が同時に繋がって犯る荒業である。
何事にも探究心旺盛な信長の事であれば、濃姫(帰蝶)との新婚生活と前田利家との衆道を合体させた今で言う三P(三人プレィ)何て事を、奔放にしていたともにいなかったとも言い切れない。
何しろ濃姫(帰蝶)と利家の支配者が、大虚(おおうつ)けの両刀使い織田信長だったからである。
また、徳川家康における井伊直政との間柄も有名な話で、徳川譜代大名・井伊家の藩祖・井伊直政は、家康に見出され小姓(児小姓)として男色(衆道)相手として最も深く寵愛され、やがて側近として育てられた子飼いの武将である。
戦国期は、親兄弟息子に到るまで油断がならない。
増してや部下などは、下克上を虎視眈々と伺っているやも知れないから大方が自分もそうして来たようにそれが世の習いだった。
それ故この時代、大名は稚児小姓を愛でる習慣があったが、それは、硬い絆の元に安心できる部下の確保育成を目的とする一面を持っていた。
稚児小姓になる方も、主君の信頼を獲得し、出世が保障される所から、世間でもこの関係を、「さして異様なもの」とは扱われていなかった。
結局の所、人間の能力のサポートは血統か「縁」である。
血統に弱い者が「能力以上の成果を上げたい」と思えば、「縁」に頼るしかない。
誓約(うけい)の概念に置いて、絶対服従の具体的な証明は身を任す事である。
そう言う意味において、「稚児小姓」として権力者の寵愛を受ける事は、むしろ武士として「潔(いさぎよ)い行為」なのかも知れない。
その時代、誓約(うけい)の概念における男色(衆道)相手の稚児小姓を寵愛し、最も信頼が置ける側近に育てる事は異常な事ではなかったのである。
森欄丸は織田信長の男色寵愛を受け、稚児小姓から岩村城五万石の大名にまで取り立てられ、二世代の織田・家臣団のトップとして本能寺の変の折も最後まで信長の傍近くに居て討ち死にしている。
お下げ渡しの代表格にあげられるのは、あくまでも俗説だが、第五代将軍・徳川綱吉と大老格側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)と吉保側室・染子の関係である。
側室の染子は、かつて綱吉の愛妾であり綱吉から吉保にお下げ渡しされた「拝領妻である」とも、懐妊した側室・染子を護る為に、柳沢吉保が「母子の身柄を預かった」とも言われている。
事の真相は定かではないが、柳沢家が異例の松平の姓を綱吉から許され、柳沢家を「連枝(将軍家血筋)の待遇」とした為に、柳沢家の家督を譲った長男の柳沢吉里(やなぎさわよしさと)は「綱吉の隠し子である」とも言われる。
染子が吉保の側室になってからも息子・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)の顔を見に柳沢私邸を訪れる将軍・綱吉は、側室・染子を「綱吉の寝所に召される事が多かった」とされている。
綱吉の柳沢保明(やなぎさわやすあき)の寵愛振りから、綱吉と吉保(よしやす)が男色(衆道)関係であれば、一人の女性(にょしょう)を共有しても然したる抵抗は無いかも知れない。
世の中には、組織の団結の為に身内公開の輪姦プレイを密かに行っている人々が居る。
そして性癖など元々秘めたるものだから、その人々は誰にも暴(あば)かれず、普通に一般社会人としてその辺を歩いている。
山崎派では、身内公開の輪姦プレイお披露目輪姦を組織の団結のイベントとしている。
お披露目輪姦の良い心得は、願望優先のきわどい快楽プレイも犯らせ放題の所である。
それに亭主が承知の上なら安心で、多人数の男達と遊びで性交したからと言って何も大袈裟に考える事は無い。
つまり性癖や性交プレィに関しては、表向きの常識など通用しない深いものが世の中には存在する。
本音の所、清く正しい性交など誰が望んで居るだろうか?
性交など、その行為の味付けとして依り濃い猥褻(わいせつ)な物でなければ興奮はしない。
つまり世の中、表面的な綺麗事だけで済む筈も無く、女優妻が人生の裏側も認めて曝(さら)け出さないと良い夫婦生活など望むべくも無い。
山崎派では、新参とも成ると参加の決意表明みたいなものだから、女優妻はこっ酷い輪姦(まわし)の目に合わされる。
代議士の妻は並みの根性では通用しないから、「根性の入魂」みたいな所が有って、一種の試験と教育を兼ねているのである。
夫婦であれば、良い刺激は在った方が良いが浮気などで道は外せない。
しかし日常生活する変わり栄えしない場所で、変わり栄えしない相手と犯ってもマンネリに陥(おちい)るだけである。
一夫一婦制社会では貞操観念は理想とされるが、それは本能を抑止するだけで不満ストレスを生む結果になる。
男性は子孫繁栄の為に本能が多くの女性との性交を求め、女性は優秀な子孫を残そうと多くの男性をその性交候補対象とする本能が存在する。
代議士先生だって官僚のお偉い様、大企業経営者だって、ストレス社会で生きている以上は永年連れ添った相手との日常とも言える定食SEXばかりでは飽きてしまう。
しかし迂闊(うかつ)に非日常の外食SEXなどしようものならマスメディアの餌食で、地位も名誉もたちどころに吹っ飛びかねない。
夜のネオン街の怪しい明かりに誘われても、そんな遊び場は無秩序で立場に在る人間にはリスクが多過ぎる。
立場に在る人間は「自制せよ」と綺麗事を言うが、自制出来ないからこそどうしょうも無くスキャンダルを起こす。
つまり永い夫婦生活に於けるマンネリ打破には、情交では無く非日常の遊びの性交と言う本能に対する逃げ場は必要である。
そうした暗黙了解のタブーが存在するのなら、「夫婦同席・合意の遊び」と言う枠(わく)の中で工夫し、性欲を満たして発散させる暗黙了解のタブーが在っても良い。
人生に於いて、性は生に通じる大事な脳内シグナルであり、人間も生物で有る以上は法律や信仰だけではその影響を避けられない。
性を制御するだけではその影響が避けられない以上、本来なら人間社会は素直に誰にでも「なるべく良いSEX」が出来る環境を、精神思想に於いて慈愛の中で醸成すべきだった。
そこで考えたのが、仲間内夫婦が集って自給自足するマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などの時間を共有する事である。
これは本能に対する合理的なリスク回避が目的で、それ故に恋愛だの愛情や嫉妬などまったく関係ないお遊びの肉体的官能を愉しむ世界なのである。
そしてリスク回避だからこその、嫉妬に関わらない公開性と密かな浮気に対抗する極上の刺激が求められているのだ。
最初は女優妻も参加を渋っていた。
しかし、若手代議士は独身時代に他所の代議士婦人を散々犯って来ていて、今更自分の女優妻だけ「仲間に肉体を供さない」と成ると、言い訳は効かない。
それは仲間内では当たり前の事だから、結婚式の当日でさえ式に出席した議員仲間の夫婦から「早く仲間内のお披露目(輪姦/まわし)をするように」と催促されて、若い二世議員にして見ると正直仲間の期待がプレッシャーに成っていた。
超人気で、今をときめく可憐な女優が仲間入りすると成ると、それは派閥メンバーの仲間が本音の所「早く素っ裸にひん剥(む)いて輪姦(まわ)したい」と期待するのは無理も無い話しである。
新参が美人と評判の高い女優の**と聞いて、仲間内(フアミリー)の代議士達はもう犯る気満々で、妻達も面白がって女優妻がどんな鳴き声をさえずるか興味深々である。
女優妻が輪姦(まわ)されてどんな声で「鳴く」のか、早速メンバーは味見をする気満々だった。
山崎派の仲間から、早くヒィヒィさせたいから、女優妻に直ぐにでも「生け贄」の役目を果たさせる様に要求された。
代議士にして見れば、確かに顔や肉体(からだ)に惚れたが、「選挙の集票に役に立つ」と言う打算もあり、その点では先方の女優の方も「議員婦人」と言う打算の部分がある結婚だから、こう言う時には役に立って欲しい。
所が、犯らしたくても女優妻を口説く自信がその代議士に無い。
妻の教育の必要を感じた若手代議士が、派閥の長である山崎代議士に相談すると、「片山夫婦に預けて調教をさせろ」とアドバイスをされた。
そこでベットで抱いた後に、素っ裸の女優妻を無理やりに縛り上げて乗用車に押し込んでから嫁に事情を説明し、片山夫婦の所に「何とか仕込んでくれ」と泣き付いて来た。
女優妻は性交時のままの素っ裸に剥(む)かれた姿で夫に乗用車に乗せられ、そこで夫の代議士に山崎派「政和交歓倶楽部」の参加義務として輪姦の洗礼を受ける事を必死で口説かれた。
突然の夫の申し出に、女優妻は自分の身に何が起きているのか理解するに時間が掛ったが、要は自分が「快楽生贄パーティ」のヒロインに成る事と状況は飲み込めた。
いずれにしても此処までお膳立てが出来てしまえば、女優妻は代議士の嫁として腹を括(くく)ってけじめを着けねばならず、この状況に空(そら)を使っては居られない。
若手代議士と結婚した時点で、実はもう女優妻の山崎グループへの陵辱舞台の幕が上がってしまっていたのだ。
女優妻は、夫の若手代議士が、生贄(いけにえ)として山崎グループに裸に剥(む)いて引き渡したメンバーの意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)である。
こう成ったら女優妻は、「小娘じゃあるまいし」と自分に言い聞かせて、ポルノ映画の様に生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインを務めるしか選択肢は無い。
考えて見れば、代議士も女優も同じ実体が無い夢を売る虚業だから、国会や映画・舞台に行き場が無くなってしまえば唯のみすぼらしい人間である。
それならば、これは「新しい舞台への出演依頼が来た」と思えば良い。
性を遊ぶには、「犯ったからと」言って重大事に考えるから厄介に成ってる。
要はもっと気楽に考えれば良い事で、真剣に考えたって仕方が無い。
こう言う事は一気に仕込むのが一番で女優妻は夫に屋敷から連れ出され、考えて居る暇(いとま)もなく素っ裸で此処にいる。
状況が理解できれば、代議士を夫に選んだ女優妻には、「ここを乗り越えなければ次には進めない。」と言う思いが在った。
それに、女優の演技力には経験がものを言うから彼女自身好奇心は大盛で、女優に取ってこう言う非日常の経験は「避けては成らないお勉強」なのだ。
山崎山荘に、女優妻が素っ裸で連れて来られたのは初夏の頃だった。
女優妻のバランスが在る全裸体が眩(まぶ)しく、乳首が勃起(ぼっき)した二つの乳房、曲線を描いて括(くび)れたウエスト、チャーミングな臍(へそ)を堺に下半身に続く。
恥毛が密集する柔らかく丸みを帯びたなだらかな恥丘の先に、実(サネ)と呼ばれる花芯ボタン、その下に二枚の肉花弁に囲われて縦に割れるスリットが、女優妻の股下に潜り込む様に見えている。
女優妻の調教に入ったのは、若手代議士との結婚が公表されて結婚準備で暫く活動中止を宣言した休暇期間の最初の三日目で、女優妻達カップルには結婚式と披露宴が待っていた。
そしてそこに、山崎派「政和交歓倶楽部」の秘密パーティグループ入りの為の女優妻の躾(しつ)け話が持ち上がっていた。
夫婦になるには乗り越えなければ成らない問題が持ち上がるもので、仲間入りの信頼構築の為に「女優妻が輪姦(まわし)を受け入れる」と言う信じられない様な内容だ。
しかしそれが、グループの掟であればグループを脱するか仲間の輪姦(まわし)を受け入れるのいずれの選択しかない。
輪姦(まわし)の口開けは山崎代議士で、その代議士は女優妻達の晴れの結婚式の媒酌人も勤める予定だから、疎(おろそ)かなお相手は出来ない。
そのお披露目の為の事前訓練を、世間知らずの女性の調教に手馴れている佐和子達夫婦に頼んだのだ。
迂闊(うかつ)な話、夫の話を聞いて女優妻は、自分が「性的にメチャメチャにされる」と聞いて、何故か自分の子宮が熱く成るのを感じた。
理屈では「とんでもない」と考えるのだが、肉体は違うM(マゾ)の反応をして居るのが判る。
夫の話しを聞いて居て、その輪姦(まわし)の惨状に在る自分を想像し、女優妻は乳首が立ち子宮が熱く成った。
何処か心の片隅で、これから自分の肉体(からだ)に訪れる卑猥(ひわい)なマルチSEX(複数性交)に、期待と恐怖が交互に来ていた。
自分を安全な所に置いて他人(ひと)の批判ばかりしている卑怯(ひきょう)な女性拠りも、自分を曝(さら)け出しても目的に向かう女性の方が「余程立派な覚悟だ」と言う見方も出来る。
親戚や隣近所にバレれば流石(さすが)に恥ずかしいが、綺麗事だけの世間にバレなければ仲間内でどんなに破廉恥(はれんち)な事をした所で恥ずかしくは無く、組織の秘密の共有は無限の価値を産むものである。
女優妻は、自分のどこかにそれを期待するものがあるのを感じた。
夫には言えないが、女優妻の心の片隅で新たな性体験への期待が芽生えているのかも知れない。
女優妻は、お高く止まって態度が大きかったので代議士仲間をかなり怒らしてしまっているから、派閥のパーティでの女優妻のお仕置きは、半端では終らない。
その仲間内の、心身共に辱(はずかし)められながらの陵辱の限りを、予め女優妻が何とか受け入れられる様に片山佐和子夫婦は仕込まなければ成らない。
政和交歓倶楽部のメンバーでお披露目輪姦の遊びを犯るにあたって、女性が一気の連続性交(輪姦・まわし)で「どのくらいもつか」の限界は既に試していた。
山崎代議士は用意周到に幾つかのパターンの連続性交(輪姦・まわし)をさせる生贄(いけにえ)女性の限界を、佐和子を使って試していた。
これは、男達が自分が短時間でイク事だけを考えてのガチンコ(真剣勝負)の行為だから、抽入即快速発射体勢で佐和子を激しく攻め立てる。
佐和子で試した限りに於いては、女性の連続性交(輪姦・まわし)はトータル二十人、ワンセット三十五分間は、ガチンコ(真剣勝負)で充分に熟(こな)す事が可能な能力が在った。
元々山崎代議士には、女性を限界まで攻め立ててその反応を愉しむ趣味が在る。
山崎代議士は佐和子に、そのトータル二十人、ワンセット三十五分間を給水タイムを十分ほど挟んで三セットも犯らせた。
流石(さすが)の佐和子も悶絶(もんぜつ)し続け、三セット目には途中から気絶させられている。
つまり佐和子は、自らの実体験を元に生贄(いけにえ)女性の限界を測るお披露目輪姦の会場コーデネーター(全体の調整や進行の担当者)役を任じているのだ。
連れて来られた女優妻は、内心不貞腐れていた。
全裸で連れて来られたから、裸体を見れば、流石(さすが)売れっ子女優だけに顔も身体も綺麗だが、根性の方はどうも「美しい」とは言えない。
「人間形成的リホームを施(ほどこ)して欲しい」と夫の代議士は言うが、女優妻にはリホームを施(ほどこ)して観音菩薩・弁財天の慈悲の心境を植え付けなければ、派の秘密パーティの生け贄が勤まらない。
結局片山夫婦が二週間ほど預かって、徹底的に実践して仕込む事に成った。
幸い女優妻は、映画を撮り終わったばかりで、一月ほどオフを取って居た。
マネージャーには「新婚故、夫婦水入らずの時間が欲しい」と、行き先を隠してここに来た。
連れて来る道々車の中で事情は説明して来たので、優妻は仕込まれる事を納得はしていないが、連れて来られた事情は承知している。
「このままでは、派内に私の席がなく成ります。何とか成りませんか?」
若手代議士が片山夫婦に、悲痛な声で頼み込む。
性意識がガチガチに固まった女優妻に、「人間形成的リホームを施(ほどこ)して欲しい」と言うのである。
「そりゃあ、頼まれれば犯っては見ますが、最終的には本人次第ですから・・・」
「さて、この美乳の触り心地はどんなじゃろう。」
片山は若々しく丸く膨らんだ女優妻の乳房をムンズと掴んだ。
手始めに、ポルノ映画のように、乳首を硬くした柔らかそうな女優妻の乳房が無遠慮に片山に揉みしだかれて波打ち、掌(てのひら)の指に幾分コリコリと挟まれて間から突出した女優妻の可憐な乳首が刺激を受けている。
初当選の若手代議士は、「何とか宜しくお願いします。」と頭を下げ、「お前、この方達の言う事を、何でも逆らわずに聞くんだぞ。」と素っ裸のまま、女優妻を柱に縛り付けて帰って行った。
山崎代議士に逆らうのが得策ではない事が判っていて、女優妻には夫に対するネグレクト(責任放棄)は出来ない。
つまり、これから起こる躾(しつ)けとやらは、本番前の「舞台稽古」だと思えば良いのだ。
片山佐和子が女優妻に話しを聞くと、新婚夫婦は車の中で話し合ってどうやら理屈の上では「代議士業界が世間と違う信頼関係の世界だ」と言う事は理解しているようだ。
つまり、「頭で判っていて、身体が拒否する状態」と言う事だが、実はこれ、本当の意味では頭も判ってはいないから拒否反応が出るのである。
それにしても、女優妻が代議士業界で通用しなければ、夫の若手代議士が言うようにこの結婚は意味が無い。
日本人は不都合な提案に対して「ノー」と言わず「考えて置く」と返事をするが、「考えて置く」はズウーット何時(いつ)までも検討中の実質お断りで、後は察してくれの意味である。
つまり日本人は建前ばかりを使う本音を言わない人種で、腹の中で何を考えているか判らない。
「ノー」がそんな「考えて置く」だから正直「イェス」と言われても不安で、とても信用出来ずに信用する為には具体的なものを必要とする。
人が生きるには秩序が必要だが、その秩序には民族ごと或いは土地ごとに無数の別バージョンが在る。
つまりその土地の者がそう信じているだけで、秩序の形式には定型など存在しない。
政治的集合体にも秩序は必要で、「政和交歓倶楽部」は、そんな不確かな結びつきを誓約(うけい)の性交を使って一つの群れにまとめるものだった。
元を正せば女優妻の抵抗感は「恥ずかしい事や嫌らしい事を犯るのは嫌だ」と言うあくまでも個人の感情で、考え様に拠っては「我侭(わがまま)」でしかない。
佐和子にもKIYOUBI(京美)での調教で経験が有るが、この際徹底的に女優妻の性感本能の部分を刺激して「被虐の快感」を覚え込ませ、脳の発想回路を繋ぎ直せば、別人に成れる。
やはり永く信じて来た女優妻のアンカリング効果と一貫性理論を覆(くつがえ)すのは彼女にとって大決心である。
この強引なアタック(攻撃)で開放的な性体験をさせ、人間の思考能力が無限大で思考方向も無数に存在する事を知れば、新しいアンカリング効果と一貫性理論が彼女の心理の中に生まれる筈である。
まぁ、「恋だ愛だ」と何だかんだ理屈をこねても、突き詰めてしまえば赤の他人と性交する為の事前の感情に過ぎない。
そして綺麗事の建前を言った所で、売春やら浮気がデンジャラス(危険)に成立するくらいが、偽(いつわ)らない世間の現実である。
大人同士がその気に成れば恋人や夫婦でなくとも肉体(からだ)だけシエアリング(共同所有)の遊びの性交が、女優妻に犯れ無い事はない。
そしてその遊びの性交が夫婦揃っての合意の上であれば、内緒で犯る売春やら浮気依りは遥(はる)かにリスクが少ない好適環境ではないだろうか?
輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。
つまり経験こそ重要な事で、何ら経験も無しに想像しているだけで他人や他人の行動を非難していて、それを正義と勘違いしている女性は滑稽な事である。
それで女優妻が、そのM性交プレィやマルチSEX(複数性交)プレィに馴れてしまった事で、「調教された」と言うのならその通りかも知れない。
女優妻も、承知はしたが内心は本意ではない。
しかし、一応口先だけでも承知して片山夫婦の下に預けられる事を合意したのだから、佐和子夫婦も遠慮は要らない。
強引に女優妻の「被虐調教」を開始した。
最初の内は何を命じられても不貞腐れていたので、食べ物も与えず柱に縛り付けて放置しておいた。
こう言う調教には、施(ほどこ)す方にも忍耐が要る。
女優妻の方にも、「抵抗したが仕方なく」と言う、自分を納得させるセレモニーが必要だったのである。
夫に「内の奴を躾(しつけ)てくれ。」と素っ裸で山崎代議士の山荘に預けられたが、置かれた立場に「納得が行かないから」と言って不貞腐れても、代議士夫人としての女優妻の現状は打破出来ない。
これはもう婚姻関係を解消するか、「郷に入らば」で佐和子夫婦の言う事を聞くしかなかったのだ。
それに女優妻は利巧だから、「我が身を守る」と言う女性の生理的な本能部分で抵抗していただけで、夫の立場は把握していた。
つまり、どちらを取るかの踏ん切りの問題だったから、こう成れば選択の余地が無い状況だった。
女優妻は「夫婦なのだから、良い事も悪い事も二人で責任を持たなければ夫婦の意味が無い」と考えた。
甘い夢だけで結婚してその覚悟が無い夫婦が多いから、「相手が勝手な事ばかりする」と離婚に到るケースが多発する。
つまり肝心なのは本人同士の覚悟で、「相手の勝手」に付き合ってこそが夫婦だから、女優妻は夫の理不尽な要請に応じる覚悟をした。
それに、本音で言えば女優業は経験がものを言う世界だから、自分に性的調教を施(ほどこ)されるなど結果がどう出るか、女優魂(じょゆうだましい)としては興味が有る経験だった。
極端な事を言えば、夫に「大勢の男に輪姦(まわ)し犯されろ」と言われて、それを「理不尽(不幸)」と思うか「ラッキー」と思うかは当人の置いているアンカリング効果の価値観の問題である。
これを「嫌だ恥ずかしいだ」と考え過ぎると、代議士である夫の好機(チャンス)を逃す事になる。
それどころか、派閥から追い出され、政界の孤児に成りかねない。
妥協が必要な時に女優妻が意地を張るのは愚行だから、人生観を如何に弾力的に使うかで、その人間に置ける人生の充実度は変化する。
兵糧攻めは結構効いて、その内、「言う事を聞くから何か食わせろ」と泣き付いて来る。
そこから先は、片山夫婦のSM特訓が女優妻に始まる。
佐和子の夫・片山の手の平が指先が女優妻の膝頭を撫でながら這い進み、太腿(ふともも)に達していよいよ大きく開放され露(あらわ)に成った股間の二枚の肉花弁に触(ふ)れる。
女優妻の脳が、この先の欲棒の受け入れを意識してか、二枚の肉花弁のスリットの奥は既に淫液に潤んでいた。
その水々しく潤(うるお)った女優妻の花弁の隙間に、佐和子の夫・片山の二本の指先が「さて、どんな声でさえずるかな?」と今コジ入れられて行く。
そしてその数十秒後には、指の抜き挿しに攻められて腰を浮かして身悶(みもだ)えながら、女優妻は片山に敏感な花芯肉ボタンやら二枚の肉花弁やらア*ルの菊座まで舐(な)め廻されて、確かにヒィヒィとさえずりながら耐えている。
片山は、性のテクニシャンだった。
海綿体の粘膜は性感帯で、男女の性器だろうが唇やア*ルの菊座だろうが鼻の穴の内側まで、擦(こす)れは快感に通じていて、はそれを同時に攻めているのだ。
気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的である。
この清純派の女優妻を、政和交歓倶楽部で素っ裸のガチンコSEXハイターに仕立てる事が目的で、若手代議士は女優妻を片山夫婦に預けたが、これは妥協では無く工夫である。
そう、女優妻の頑なに閉じた倫理観のドアを抉(こ)じ開けるには、「欲棒の鍵」を挿し込んで輪姦(まわ)すしか手がない。
女優妻が佐和子夫婦に散々猛特訓を受けた中に、「これは必ず覚えろ」と命じられた欲棒を扱(しご)きながら尻の穴を舐める性奉仕の特訓がある。
ア*ル舐めは服従の意志を示すもので、佐和子の夫・片山(だみ声の専務)の欲棒を扱(しご)きながら尻の穴を繰り返し舐めさせられた特訓だった。
大方の所は、佐和子が昔「KIYOUBI(京美)仲間」にされた拘束躾(しつけ)から入り、何しろ使い物に成るように大股開きの拘束を掛け、身動き出来なくして佐和子の夫・片山直太郎(だみ声の専務)がトコトン犯して責め続ける。
それでも足りなければ、電動玩具で無理にもヒィヒィとイカかせて責め上げる。
片山佐和子が調教者として心得ていて、女優妻に行なうS(サド)風の役割は京香の直伝だった。
京香に仕込まれ多くのゲストの相手を経験し、山崎代議士の気晴らしのお相手を勤める片山佐和子である。
自らの女体の豊富な経験と、この山荘での代議士婦人達の調教経験も積み重ねて来た。
女優妻も佐和子のポイントを心得た責めに遭えば一溜まりも無い。
朝から夜中まで断続的に攻め立てられて、女優妻は快感地獄に善がり狂う。
身体が被虐の快感を覚えると、考え方まで変わってくる。
段々女優妻は「こう言うのも良いかな。」と、思い始めていた。
肉体(からだ)の感度が益したら、佐和子の夫・片山に拠る性交責めである。
最初は抵抗していた女優妻も、佐和子の夫に犯され続けると肉体(からだ)の方は素直なもので、少しずつ感じ始め、仕舞いには大声で善がり、腰を振って抽送に応じるように成る。
そう成ると、自分が快感に負けてしまったのだから「恥ずかしいも嫌らしい」も有った物ではなく、自分がそう言う事を犯られるのが「まんざら嫌いではない」と自覚せざるを得無い。
強情で気位が高いほど、一度その壁が崩れれば後はしめたもので、女優妻の調教に当たった片山佐和子は、京香仕込の尻平手打ちで、彼女をコントロール、徹底して言う事を聞く愛奴隷に仕上げた。
そこまで行ったら、女優妻も観念するから、後は性技を色々教えて佐和子の夫・片山直太郎(だみ声の専務)に実践奉仕させ、覚えさせたらほぼ出来上がりである。
散々仕込まれて覚悟が出来たのか、女優妻は見違えるように素直に成った。
そこまで調教が進んだ所で、若手代議士に連絡を取り、一度立会いで成果を見てもらう。
「先生、充分なリハーサルをさせましたので、ソロソロ奥さんのお披露目が出来ると思いますが、一度ご覧に成りませんか?」
「出来ましたか?有難うございます。それでは見せてもらいに伺います。」
亭主の若手代議代議士立会いで、女優妻を責め上げて見せ結論は亭主が出した。
「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
亭主の目の前で、躊躇(ためら)いも無く股を開き、片山佐和子夫婦に責め上げられる女優妻の素直な態度に、亭主の若手代議代議士は感激した。
派のパーティで、仲間に責めたてられても大丈夫そうだった。
「これなら、良いでしょう。早速山崎先生に連絡してパーティの開催をお願いします。」
初当選の若手代議士に、調教の仕上がり具合を確認させて、お披露目パーティの準備をする。
夫の代議士の方は、気が気でなかった事に目途(めど)が着き、「これでひと安心」とばかりに声を弾ませた。
女優妻が預けられたここ(山崎山荘)は、山崎派のメンバーがバトル‐ロイヤル・セックス(多数が参加し公開で戦う性交方式)を繰り広げる場所なのだ。
夫から聞いては居たが、信じられない想いは在った。
それはまるで小説の中にしか無い様な淫靡異様(いんびいような)な空間のパーティだったが、まさかそれが現実に存在するとは女優妻もそこに連れて来られて初めて知った驚きだった。
この連中は、いったい何を考えてこんな遊びを犯っているのか?
夫に泣き付かれて、事態が深刻な事を知りました。
最初に思ったのは、「何と言う変態グループなのだ」と言う思いです。
しかし夫の説得で、政治家のグループは重い意味合いの信頼関係を構築する必要があるのだから、仲間の信頼を勝ち取る為に幾ら奇麗事を並べても、「実体が無ければ何の信頼性も証明出来ない」と言われ、それには納得しました。
つまり、組織の結束としては、相互信頼の証(あかし)として、誠意ある行動で互いに証明する必要があるのです。
武士の世なら人質ものの話しでしょうが、現代ではそうも行きません。
そこで、代議士派閥とも成ると生半可な口約束で事が済む筈(はず)は無く、秘密の共有が必要なのです。
個人の感情ではなく、組織の論理で全ての物事を発想すれば「それも有り」と、私(女優妻)は思考を切り替えました。
性交に対する思いは、絶対的なものではなく、本人の意識の持ち様でどうにでも変わるものなのです。
つまり、「夫意外と性交をする」なんて事は考え方の問題で、個人感情で「飛んでもない事」と思えば飛んでもない事です。
ですが、組織の論理で相互信頼の証(あかし)と考えれば、素っ裸で輪姦(まわし)を受け入れ、晒(さら)し者にされる事で、組織への忠誠心を証明する事には「意義が有る」と言うものではあります。
元々私(女優妻)は女優ですから、必要があれば生ライブで見せる事に使命感もあります。
そんな訳で、派の秘密パーティの趣旨から言って、見られたくない姿を見せる事に意義がある事も理解しました。
そうなれば「これでどうだ」と女優魂で犯られて見せます。
本能と論理の二面性を持ち合わせているのが人間で、大事なのは心であり、肉体なんか心の入れ物に過ぎないのです。
だから、夫の為に生け贄と成って「入れ物を陵辱されたから」と言って、「心まで汚れる」とは限りません。
そう割り切っては見ても、メチャメチャに犯されれば、私(女優妻)の身体がどう成ってしまうのか、正直それが心配でした。
女優なんて職業は、見られる見せるの感性が求められ、元々M(マゾ)性が無いと勤まりません。
夫に、片山佐和子さん夫婦へ預けられ、私(女優妻)は本能の奥底に眠っていた強いM性を見事に引き出され、パーティの生け贄に成る覚悟を固めたのです。
覚悟を決めてしまうと、案外簡単でした。
人間の感性何んて、私(女優妻)の想像以上に不思議なものです。
いざ「避けられない」と成ると、私(女優妻)は知らず知らずに子宮が熱く成るのを感じて居たのです。
肉体(からだ)は正直なもので、脳が勝手にHモードに切り替わり、既に私(女優妻)の女の性(さが)が、興奮と伴に頭をもたげていたのでしょうか。
今売れに売れている人気女優が、「何を好き好んで輪姦(まわし)を応諾するのか」と思うだろうが、人間の脳はその部位ごとに役割が違い超高性能で、従って得られる結論にも条件に拠って柔軟性がある。
本来、愛情と性交は分けて考えるもので、その愛情を性行為の条件に混同するから話が厄介になるのだ。
女優妻は新進気鋭の若手代議士と結婚した。
この夫婦が未来像を描(えが)く時、大切なのは前提条件に囚われない柔軟な考え方で、何を主体に置くか考えればその答えはおのずと決まって来る。
つまり結論に到る条件の何を主体に置くかで導き出す結論は違うのであるから、故に不変的な結論などこの世に存在はしないのである。
夫の青年代議士が生き行く道は「政治」と言う名の魔界で、若造一人では乗り切れない荒波の世界である。
頼れる仲間は必要だが、虚飾に色採られた上辺(うわべ)だけの綺麗事の付き合いからは、真実の心情は浮かび上がらない。
純粋(ピア)に生きようとするならば、それは虚飾を剥(は)ぎ取ったものでなければならない。
お披露目をされる女優妻の立場では、例え素っ裸で他人前に曳き出されても、集まる視線に平然と気品在る好い女でなければならない。
そしてお披露目舞台の女優妻は、政和交歓倶楽部ご愛用の生贄(いけにえ)として官能的に淫(みだ)らに、遊びの性交で腰が抜けるほど犯られ尽くさなければ成らない。
直ぐ底が割れるような、上っ面ばかりの薄っぺらな虚飾の宴である只のパーティなど、「何の意味も無い」と女優妻は納得した。
職業柄パーティの誘いは数多いが、着飾って飲み食いするだけの虚飾の宴では、確かに互いの真実が見えないからである。
何でも有りの濃厚性交接触を、女優妻が積極的に果たす事がこの山崎派のパーティで求められ、行為の一切に女優妻は拒否は出来ないルールである。
この乱交行為は誓約(うけい)に拠るマーキング(烙印や標識を付ける行為)であり、ペイ・リスク(支払うべき危険負担の代償)やコンプライアンス(要求や命令への服従)の意味合いがある。
例え見苦しくても、自然体(ナチュラル)に身も心も曝(さら)け出して初めて相手にその誠意は伝わるものである。
女優妻にした所で、それは衆人環視の中で輪姦(まわし)犯される所を披露するなど恥ずかしいに決まっている。
「そんな恥ずかしい真似は出来ない」と多くの人間は自分だけが大切で格好良く生きようとするが、それは自己満足に過ぎない。
もっとも他人の表面的な格好良さだけを見て、その本質が判らないまま表面的な真似ばかりして居る人間が多いから今の社会が成立しているのかも知れない。
つまり努力無しに「俺は、私は、自分の人生が楽しければそれで良い。」と格好をつけても、むなしい自己満足に過ぎないのだ。
本当に「格好良い妻」と認められたいなら、女優妻は泥臭くても素っ裸に成っての懸命な誓約(うけい)努力が必要で、自己満足で「私はそんな恥ずかしい真似は出来ない」と格好良く生きようとしても世間はそれを認めない。
それでも自己満足に生きたいのなら、傍目余り格好の良くない平凡な人生が待っている事だろう。
つまり本当の格好良さは表面的な物では無く、キッチリと影の努力を積み重ねて実績を残す事である。
普段は百も承知で「建前しか言わない」事が常識の政界仲間である。
仏教用語に、「大信不約(たいしんふやく/五経の一つ礼記の中の一則)」と言う言葉が在り、「大信は約せず」と読む。
つまり大きな信用に「ルール(約)は必要が無い」と言う事で、本音の立証の為の誓約(うけい)の性交を結べば「本当の理想の人間関係」には改めての約束(ルール)は不要である。
その「大信不約(たいしんふやく)」の境地まで到達するには、具体的に派閥仲間内での「性の共有」こそが唯一現実的な答えなのである。
人が生きる上で、欠点の無い完璧は実は平凡と然(さ)して変わらず、味や素っ気は不完全を兼ね備えてこそ出て来るものである。
例えて言えば、制限時速(倫理)は守るべきものだが、人生には時としてそれを無視しなければ成らない場面もある事はリアリスト(現実主義者)なら理解できる。
だから誓約(うけい)の場で女優妻が衣服で身を包むのは持っての他で、虚飾を剥(は)ぎ取ったものでなければならないのある。
つまり、女優妻が真の派閥仲間になる為には、仲間に見守られながら全てを曝(さら)け出して輪姦(まわ)されなければ、大信不約(たいしんふやく)は得られないのだ。
政治家は人気商売だから、実は芸能人と共通する露出感性が無いと大成しない。
つまり一般庶民と同じ精錬な精神構造では、その政治家に魅力など無い。
芸能人と政治家は、元々傲慢で不道徳にスレスレの所を卑猥(ひわい)に生きていなければ面白味は無い。
その露出感性を日頃は世間体の為に抑制しているのだから、何処かで発散させなければ気分的に行き詰まってしまう。
つまりその発散を、「安全な仲間内で調達しょう」と創造された場が、「政和交歓倶楽部」と言う組織である。
まぁ、どの業界にもそれなりの裏の掟(おきて)はあるもので、手っ取り早く馴染むには掟(おきて)を平然と受け入れるしかない。
業界を嫌応なく躾(しつ)けられる何て「可愛そう」と言う論議も在るが、実は「躾(しつ)けられ無い方が可愛そう」と言うロジック(論理)もある。
つまり世間には、多くの真反対の考え方が密かに在るのだから、それを考慮しないで結論を出すべきではない。
女優妻は、佐和子夫婦に何日も「仕込まれていた」とは言え、今度は代議士仲間に陵辱される事に成る。
彼らの環視の中で「輪姦(まわ)される」と言うので、これはかなりの羞恥心を女優妻にもたらせた。
嫌なら女優妻はこの場から逃げ出すしかないが、逃げ出せば若手代議士との結婚生活の全てが終る。
所詮政治家は出世に対して嫉妬深い脚の引っ張り合いの人種で、自分の地位を脅かさないような余程下位の者でないと育てようとはしない。
つまり自分の妻を性玩具(おもちゃ)として仲間に差し出すくらいでないと、政治家の仲間同士など味方として充てに成らないのだ。
女優として売れてからは順調だったが、こう言う業界に居るから女優妻もデビュー前は売り出す為に所属事務所の指示で、プロデュサー、監督、相手に肉体(からだ)を使った多少の挨拶はして歩いた。
親が業界に居たとか派手な新人オーデションで最初から名を売る以外、プロダクションの所属や劇団所属などでは下積みが十年十五年と永くなり売れる頃には三十路を超える。
それが待てなければ、肉体(からだ)を使った挨拶は手っ取り早く、それでも新人の貰える役は若手の売れっ子が敬遠するような裸の露出が多い作品だったりする。
そこを思えば、所属事務所が上手くカバーして何とか表向きは清純派で通して来た。
つまり業界の世渡りも挨拶は肉体(からだ)で、そう言う大人の世界は知っていたから女優妻は「政界もこんなものだ」と納得した。
考えても答えは変わらない。
こう言う事は、自分自分達夫婦の為に「何が出来るか」を考えれば、必要が有れば犯れるし無ければ犯れないもので、他に答えが出せないのなら女優妻夫妻は女優妻の身を持って群れへの服従を証明しなければならない。
単純な話し、披露目プレィで女優妻に求められているのは夫に対するユーティリティ(役に立つ・有効な)で、それを受けるからには相手構わず何でも犯れなければ成らない。
幸い女性の肉体は、誰でも犯られてしまえば愉しめるように出来ているから、こう言う事は理屈では無く常習性が着くほど乱交を犯らせて慣らし、肉体(からだ)に理解させるしかない。
夫からは、「ここ(山崎山荘)は世間とは離れたバーチャル(仮想現実)の世界だと思いなさい。」と言われている。
それにここまで心理的に追い詰められると、奇妙な事に自分の中のM(マゾ)性がフッフッと湧き上がって子宮が熱く感じられ、明らかに興奮の極(きわ)みに達していた。
女優妻の肉体(からだ)は、既に陵辱を期待するものに成って居たのだ。
本来人間は群れて暮らす動物で、その本能は現代でも深層心理に内在している。
群れにはボス(支配者)が必要で、逆に被支配を好む深層心理の存在も無視出来ない。
群れのルールはボス(支配者)が決める。
そうした心理の影響が「擬似の群れ」を作り出し、S(支配者)・M(被支配者)の要求を満たす心理的遊びを欲くするのは、さして異常な事ではない。
群れへの服従は、目に見え肌で感じるもの、つまり性交で無ければ成らない。
シンプルに考えれば、性欲は「子孫を残す」と言う生物本能から始まっている。
従って、秩序をクリアとすれば性欲そのものを「恥ずかしいもの」とするのは勘違いである。
人間だけは生殖時期(発情期)に関係ない「擬似生殖行為(生殖なき性交)」を神様に認められている。
性欲を「恥ずかしいもの」とする事が「勘違いだ」とすれば、情無き性交を問題視する事は愛情の問題ではなく、ただの既成概念に囚われたプライド(誇り)の拘(こだわ)りか独占欲の拘(こだわ)りの問題である。
そこで誓約(うけい)の性交が群れの維持に重要な役割を果たし、その証明としてS(支配者)・M(被支配者)遊技の「擬似の群れ」が誕生する。
つまり合意の上なら、S(支配者)・M(被支配者)願望の深層心理を安心させる事は、宗教観や思想を廃して人間に内在する本質的な心理(学)を採用すればさして異常な事ではないのである。
しかし物は考えようで、男性は勿論女性だって大勢の相手と性交して普段出来ない快感を得る事は「贅沢」と思えばこれ以上贅沢な事はない。
女優妻は、片山佐和子夫婦が預かって以来、素っ裸のまま山崎代議士のSM山荘の柱に繋いである。
ミツチリと仕込むのには衣服は邪魔だから、素っ裸で置くのは当然である。
勝負する必要がある時は勝負が出来る女に、女優妻は佐和子夫婦が充分に洗脳してある筈(はず)だった。
夕方五時頃から、その山荘に女優妻のお披露目パーティ・デビューの連絡を受けた派閥仲間の代議士が、妻同伴で全員が集まって来る。
国会開催中だったから、元々皆が関東エリアに終結していた。
女優妻の評判は最悪だったから、どの夫婦もこっ酷(ぴど)く思い知らせようと犯る気万々で遣って来た。
それを素っ裸の女優妻が、玄関腋(げんかんわき)まで引き出され、玄関の柱に皮製の犬首輪をしたリードを繋がれ、膝間着いて出迎えて「私をお試し頂く為に、わざわざお来し頂きまして有難うございます」と挨拶をする。
女優妻の、乳首が勃起(ぼっき)した乳房の柔肌が赤く染まって明らかに彼女の脳内にドーパミンが噴出し、佐和子が施(ほどこ)したのか例のオーデコロンの香りが、女優妻の清純そうな裸身から立ち昇っていた。
何しろ今日は待ちに待った有名女優のお披露目の日で、これから起こる何でも有りの一大性交イベントに、怪し気な期待の熱気が会場を充満していた。
女優妻も含め、出席メンバー女性が全員着ているミニドレスの丈は、膝上何センチと言うよりは股下数センチと言う超ミニ丈である。
勿論、ノーパンティなら椅子に座れば股間(股)が丸見え、屈(かが)んだだけでも尻が丸出しに成るしろものである。
女優妻に考える暇を与えない怒涛(どとう)の展開で、「あれは良いけどこれは駄目」と言った分別をさせない内に一気に犯ってしまうのが、このお披露目輪姦の常套手段(じょうとうしゅだん)である。
山荘の中に全員が揃うとリラックスタイムが始まり、飲みながら談笑する参加者の間を女優妻は膝を着いて動き、一人一人欲棒を咥(くわ)えて挨拶をする。
少し酒が入った所で、女優妻の本格的なお披露目が始まる。
佐和子の夫(片山)が麻縄を二本束ねたもので、女優妻の上半身をスルスルと亀甲縛りに縛り上げる。
山崎代議士のリクエストで後ろ手拘束はせず、手足は自由にさせてあるが、会場の上手(かみて)中央に立たせ、犬首輪を装着してリードで繋いである。
山崎代議士が挨拶に立ち、「今夜は女優妻のお披露目を兼ねているので、充分に楽しむ様に」と言い、「今夜から当分の間、内の派の会合に出席中の**(女優妻)は、雌豚(めすぶた)として扱うから全員その積りで。」と、派閥会長の山崎代議士がそう宣言する。
「さぁ支度が出来ましたので、皆さんで充分にお好きに可愛がって犯って下さいね。」
米国には「トロフィーワイフ」と言う言葉がある。
つまりそれは、各界の成功者が勲章代わりに芸能関係の美しい女性を嫁にする婚姻関係で、一種の成功の証である。
豪邸や高級車と並ぶステータスシンボルとしての所有感覚であるから、情に薄い婚姻関係で通例永くは続かない。
そうしたトロフィーワイフは、実業家や政界の大物に多いケースで山崎派のメンバーにも数組存在していたのだが、原則愛人などの代理を認めないこの誓約(うけい)の性交パーティを始めてから、彼等夫婦の絆は深まった。
石原代議士と元フアッションモデルのニーナ夫婦も互いに愛人を持って遊び歩く仮面夫婦だったが、この誓約(うけい)の性交パーティに参加してからはトロフィーワイフは解消され、互いに愛人を整理して石原夫妻の夫婦仲は良い。
その元フアッションモデルのニーナがこのパーティ会場を闊歩していたが、モデルウオーキングで歩くその二ーナは全裸だった。
このニーナは、順番から言うと女優妻の二人前にお披露目をした女性だ。
正直な所、山崎派の秘密パーティで素っ裸の晒(さら)し者にされお披露目の輪姦(まわし)に掛けられても、ニーナにとっては何の事は無かった。
モデルと言えば傍目(はため)世間の脚光を浴びる商売だから派手な存在であるが、内実は結構大変な商売で、時間に追われる楽屋裏の着替えは人目を気にしては居られない素っ裸である。
舞台に上ったら上ったで、デザイン次第ではスケスケの半裸を見せて歩く露出など職業上当たり前で酷い衣装に成ると乳房丸出し何て言う巨匠の作品もある。
そんな仕事だから肉体(からだ)に下着跡はご法度で、寝る時はおろか外出時も衣装の下は素っ裸の常時露出プレィ状態で生活している。
モデル兼業でタレントにも転進し、タレントデビュー当時は愛くるしい顔に似合わない露出過多のレザーフアッションで、それこそ両尻丸出しで尻穴だけ隠すT(ティ)バックのSMフアッションで一年ほどTV番組に出演して不動の地位を確立した。
それでニーナは「度胸が良い際物タレント」と評判で結構バラエティに使ってもらったが、愛くるしい顔に似合わない露出趣味が本人に在った事も幸いした。
ニーナは、目的の為には「羞恥心」など押さえ込める割りきりが結構出来る性格だったから、今も大胆で物怖(ものお)じはしない。
どうせニーナは、業界ではセックスシンボル的な扱いで、通常は胸元の乳房の半部が露出し太腿(ふともも)もビキニラインまで露な衣装が出演条件に成る。
当然の事ながら、日頃の言動もその線で話題を提供しなければ世間の期待に応えられないし、肌も露なニーナでなければ映像媒体に於ける商品価値は無い事になる。
そう言う情況のニーナがこの政和交歓倶楽部のコレクティブセックスプレィ(集団乱交)会場に居れば、依り過激なエクスビショニスト(露出狂)でなければ存在価値などない。
「心理的な物」だと思うが、女性は女優業にしてもモデル業にしても「納得した大事な仕事」と割り切れば人前で裸になって平気で、例え映像を残しても悔いる事はない。
つまり程度に差こそあれ自分に言い訳出来る条件が揃えば元々の露出癖を正統化させられる訳で、ストリッパー業もAV女優業もその心理は同じである。
いずれにしても女独りが、競争の激しいモデル業界で頭角を現すのは並みの事ではない。
フアッション・ショウーごとに主催者が違い、モデルとして使って貰えるかどうかは主催者やデザイナーの胸先三寸次第だから、此処だけの話し業界の常識としてニーナも相手が喜ぶ相応の「肉体(からだ)を張ったお付き合い」はしていた。
それにニーナには下地が在って、石原代議士のトロフィーワイフになる前の二十歳チョット過ぎた頃は「犯りマン・リーナ」と言われたくらい業界でも結構遊んでいる事で有名だったから、乱交も輪姦(まわし)も遊び仲間と経験済みで難なくこなした豪の者である。
それに業界そのものが、性は潤滑油のような常識が通用している。
女性タレントは、業界フィクサー(裏の実力者)への肉体(からだ)を張った挨拶など当たり前だし、実力芸人司会者の控え室に挨拶に行って挨拶代わりに内緒でシャブって来るれば本撮りで可愛がって貰える。
新人はどんな事をしても仕事を取らなければならず、タレント生命に関わるから、収録やロケ現場の場外での肉体(からだ)を張った挨拶を犯らないNGは芸能プロダクションとしてもご法度である。
新人には有力者のバックアップが必要で、地方撮りロケの場合はバレなければその実力芸人司会者のホテル部屋に呼び出されて肉体(からだ)を張った挨拶も勿論有りである。
芸能タレントを抱えて映画製作やテレビ局、イベント、コマーシャル出演などにモデルや俳優、お笑いタレントなど派遣営業している企業を芸能プロダクション(芸能事務所)と言う。
芸能プロダクション(芸能事務所)にとってはタレントは商品で、本人のタレント性は要件だがそれだけでは売り出せず、売り出すにはマネージャーに拠る売込みに努力と金が契約を取るまでに掛かる。
従って元が取れなければ損害だから、タレントは事故が無いように管理をするのだが何しろ生身の人間で、事件を起こして水の泡になるリスクも抱えている。
映画製作やテレビ局、イベントなどに使ってもらうには芸能プロダクション(芸能事務所)の力も重要で、売れているタレントを抱えていれば、その出演と抱き合わせで新人を潜り込ませる。
そうした力が無い所は深刻で、出演契約を取るのに業界用語で「枕営業」と言うのがある。
人間は何かに拘(こだわ)るとそれ以外の周囲が見えなくなる生き物で、新人タレントも自分が業界で売れる事を夢見ているから業界で常識と言われれば例え肉体(からだ)を使ってでも努力をするから下積み時代は皆経験する。
「枕営業」は有力な業界関係者と肉体関係を持って出演契約を売り込む方法で、業界では一般的な公然の秘密であり、女性新人タレントは本人は勿論、芸能プロダクション(芸能事務所)総体の営業活動に駆りだされる。
つまり別の男性タレント売り出しの代理玉や売れているタレントの代理玉になる事も、「枕営業」で有力関係者とのコネクションを得る切欠と説得されれば言う事を聞かざるを得ない。
また裏話しとしてコマーシャルスポンサー兼愛人契約と言う形式があり、大企業経営者に可愛がって貰うのも秘密が守れる立派な「枕営業」である。
余り芳(かんば)しくない芸能プロダクション(芸能事務所)では、売れ始めても当初は安い給料制だからそれで「枕営業」を慣れさせると売れ始めてまだ喰えないタレントに売り(売春)をさせる事もある。
タレントには業界かどうかの判断は着かないから仕方が無いがこれは「純粋枕営業」で、少し名が出たタレントだと一晩五十万くらいの値が付く。
そんな業界だから、元々ニーナも結構そっちの修行は積まされているのだ。
芸能界には業界のモロモロを取り仕切るフィクサー(裏の実力者)が居て、プロダクションから領収書の無い顧問料(上納金/みかじめ料)を受け取る代わりに所属芸能人がプロダクションの意向無しに独立などしても干される(仕事が出来ない)情況を創っている。
ほんの数人の大手ロダクション主がフィクサー(裏の実力者)として牛耳っていて、逆らったら出演先を潰されるから場合に拠っては「新人の物納(人身御供)」も存在するが、業界が特殊な為に滅多に表面化しない。
どの道リーナの所は二十歳近い年齢(とし)の差のトロフィーワイフだったから、夫の代議士だけではニーナの性欲は満足させられないし、そのくせ愛人を持っていたのだから仮面夫婦も良い所だった。
当然ながら必然性が在っての事だが、神様から生殖目的でない「擬似生殖行為」を認められ、「繁殖期」に制約されない常時性交が可能な唯一の動物が人間である。
まぁ、「政和交歓倶楽部・秘密パーティ」のメンバーは「多士済々」と言う所だった。
この秘密パーティを支配しているのは片山佐和子と夫の片山直太郎(だみ声の専務)だった。
人間、何が幸いするか判ったものではない。
佐和子が捨て身で愛犬「ダンディ」の交尾の相手をした事で、山崎代議士にスッカリ信用され、可愛がられて今日の立場がある。
人間どこでどう運勢が開けるかは水もので、あれを断っていれば、彼女(片山佐和子)は精々坂元の所で飼い殺しの売春婦が良い所である。
結局の所、「ダンディ」との獣姦交尾をしても嫌かどうかは気分の問題で、現実、別に後で肉体(からだ)に支障がある訳ではない。
佐和子個人が嫌応の感情に拘(こだわ)らなければ、それで何らかの得があるなら「犯った者勝ち」なのである。
山崎代議士は、そうした片山佐和子の根性をプラスに見ていたのだ。
決定的なのは、人間が「悲しい生き物だ」と言う事で、人間には、支配欲や被支配欲(支配されたがる)が深層心理に強く存在する。
これも人間の本質である群れ社会を、「無意識に構成しようとする本能」に起因するものだ。
深層心理の世界の現実として、SEXプレィに「SMの様式」が存在するのは、実は「優劣主従の関係」を確認する本能的欲求を補完する擬似行為として、支配欲や被支配欲を満足させる為にSMプレィは成立している。
言い換えれば、「S(サド)の狂気」を持ち合わせ無い人間では他人の上には立てない。
権力は、冷酷非情と隣り併せに存在する。
古来より「英雄色を好む」と言われているが、山崎代議士のように強烈な「S(サド)の狂気」を持ち合わせている人間のみが他人の上に立てる。
その点山崎派の代議士面々は、いずれ劣らぬ「S(サド)の狂気」の持ち主だからこそ、代議士商売をしている。
許す実践は、必ず相手に通じる。
「愛妻の肉体(からだ)を仲間に許す」と言う事は究極のメッセージの実践であり、誠意の体現である。
山崎派は「S(サド)の狂気の群れ」であり、若手代議士もその一員だった。
つまりこの場では「優劣主従の関係」を強制性行為で確認する事で、女優妻の肉体(からだ)に「仲間としてマーキングしてしまう」と言う儀式なのだ。
山崎派「政和交歓倶楽部」の秘密パーティでデビューする女性への輪姦(まわし)を、派内では「可愛がり」と言う。
ここまで来れば女優妻も自分なりに真剣に向き合った末の結論で、もう舞台に上がったのだから、「夫の期待に応えるしかない」と吹っ切れている。
女優妻は、夫に「皆さんで、お好きに可愛がって犯って下さい」と、派閥仲間に全裸で差し出された人身御供だった。
とにかくテレビを見ていれば、化粧品のコマーシャルで毎日顔を見かける美人の女優妻が、此処では股間も露(あらわ)な素っ裸の雌豚である。
政界は芸能界以上に厳しい所で、提供した以上どう可愛がられようが文句は言えない。
群れの獲物は真っ先に群れのボス(支配者)に供されるから、「可愛がり」は山崎代議士から始まる。
これは山崎代議士の口癖だが、何時(いつ)も「美しい女性はその美しさの代償を奉仕で払わなければ世の中のバランスが悪い。」と言う。
つまり厄落(やくおと)しみたいなもので、例えここを逃れてもその代償は何時(いつ)か形を変えて降り掛かって来る。
だから山崎代議士は、美しい女性を辱(はずかし)める事に躊躇(とまどい)はない。
美しさの代償・・・確かに美しく生まれた幸運に大してそのくらいの奉仕義務がなければ不公平かも知れない。
可憐で名高い超有名美人女優が、スッポンポンの全裸だった。
お披露目の女優妻は、何をされても、何をさせられても拒めないからもぅここに居る野獣の男達は、そのプレィに於いて野放しだった。
そして夫の若手代議士も、目の前で女優妻に何をされても、女優妻が何をさせられても抗議など出来ない状況だった。
女優妻の口腔(口中)も柔ら壺も、ア*ル(尻穴)さえも、只々男達の快楽の為に使用される生肉部品として彼らに供される運命だった。
ここ(山崎山荘)は、当たり前のように有無を言わさず誰でも欲棒をシャブらせ、許した事の無いア*ルも当然のように犯られてしまう所だ。
自分の高く掲げた白い尻肉に「視線が集中している」と言う羞恥感覚は、嫌でも女優妻に痛いほど感じられた。
衆目集まる中を生々しく四つん這いで歩く全裸の女優妻は、全てを晒(さら)す惨めな頼りなさにある種被虐的で奇妙な興奮を感じていた。
その女優妻の、素っ裸の背中から引き締まったウエスト、高く掲げられた腰からなだらかに続く双(ふた)っの尻肉の間に、モコモコと動きながらも菊模様に膨らんだア*ルの蕾と半開きの二枚の肉花弁さえもが可憐に露(あらわ)に成っている。
乳首を勃起させた乳房を揺すり、くびれたウエストから丸みを帯びた腰と尻、その腰の中央には陰(かげ)る様に生えた陰毛と二枚の肉花弁まで曝(さら)け出す。
女優妻の見るからに柔らかそうな肌の、魅せる為に大胆に剥(む)かれた生々しくしなやかな極上の肢体は神々しいくらいで、甘美な誘惑を見る者に思わせる。
此処は国民の誰もが知っている有力代議士の別荘である。
まさかこんな事が、世間の片隅で行なわれているなどとは誰も思うまい。
簡単な話し、最初から信用できない群れなど群れの体(てい)を為しては居ない。
綺麗事を排して敢(あ)えて言えば肉体(からだ)を許せる仲こそ気を許せる事の証明で、犯る事を犯らなければ誓約(うけい)の証明は成り立たない。
信頼関係構築の為の誓約(うけい)の性交は、恋愛や浮気とは次元がまったく違う親交のツール(道具)としての性行為だから、その手の甘い愛情ムード(雰囲気)には本質的に要が無い。
むしろ必要なのは、情を排除した生々しいビジュアル(視覚感)に、全てを割り切って受け入れる犯られる感剥(む)き出しのSMムード(雰囲気)である。
何しろ輪姦(まわし)はスポーティなSEXで、メンタル・トリートメント(精神的手当て)には持って来いなのだ。
女優妻にして見れば、予め片山夫婦に仕込まれて「想定していた」とは言え、自分に要求されたこの生贄(いけにえ)の状況は、信じられない程余りにも衝撃的だった。
何しろ性器も露(あらわ)な素っ裸に剥(む)かれた裸体を他人前(ひとまえ)で晒(さら)すのは、女優妻に採って何とも恥ずかしく無防備で頼りない想いである。
それだけでも羞恥心でアドレナリンが噴出するのに、山崎代議士はこの衆人環視の中で「輪姦(まわ)されて見せろ」と、聞いただけで脳みそが溶けるような衝撃的な事を命じるのだ。
しかしこの際、女優妻本人が何をどう考えるかは、政和交歓倶楽部メンバーの問題ではない。
必要なのは、只、女優妻を素っ裸にして皆の前に連れ出し、嫌応無しに休む間も無くて可愛がり犯し、善がり続けさせるだけの事である。
まずは口開けに、佐和子から山崎代議士に雌豚(めすぶた・女優妻)のリードが渡されて、その陵辱劇は走りだした。
山崎代議士は、握った女優妻のリードを上にかざすように引き、「雌豚(めすぶた)、ここで四つ足で回りながらブゥブゥ鳴け。」と命じた。
多少劇的なのは、お愉しみだから仕方が無い。
「はぃ喜んで、山崎先生。」
惨(みじ)めに扱われるのは、女優妻はもう承知の上だった。
此処での山崎代議士は、ソーシャルセックス(社交的な性交)の独裁的なサプライヤー(供給者)である。
この山荘はソーシャルセックス(社交的な性交)のラボラトリー(実験室)であり、山崎代議士のシャングリラ=ユートピア(理想郷)だった。
「こんな事を犯ってどうなんだろう」と言う思いは女優妻に在ったが、それが夫の出世に関わるとなると、受けるのが妻の役目と心に決めた。
意に添わない事に直面したこんな時は、こんな時は、醒めて観る(理性)か熱く観る(感性)かで出す答えが変わって来る。
その違いを認識しないまま、自らが想った事を絶対であるかの様に想う所が留意すべき事かも知れない。
後は山崎代議士に命じられた通りに、雌豚としてブゥブゥ鳴くだけだった。
素っ裸四つん這いで犬首輪を装着されて佐和子にリードで曳かれ、派閥メンバー男女の好奇の目に晒されて余す所無く全てを晒(さら)した女優妻の裸体が、眩(まぶ)しく男達をそそっている。
メンバーの期待通りの、張りのある両乳房に、括(くび)れたウエストから曲線を為して広がる腰、露に恥毛を蓄えた股間、剥(む)き出された柔らかそうな太腿(ふともも)、なだらかに丸みを帯びた白い二つの尻肉・・・・。
全裸に剥(む)かれて提供された肉体(からだ)だけのシエアリング(共同所有)は、仲間内の既成事実だった。
当然男達は女優妻の肌触りを愉しむべく裸身を撫(な)で廻すが、此処まで来ればそれは極自然な行動と言える。
それで女優妻は、手始めに裸身その物を男達の玩具(おもちゃ)にされる。
女優妻は被虐感と伴に、乳房を掴(つか)まれ乳首を摘(つま)まれようが、股間を撫(な)でられようが指先を入れられようが、相手任せに触り放題で弄(もてあそ)ばれるしかない。
山崎代議士がKIYOUBI方式を採用したので、秘密パーティの場では絶対服従ルールで、参加女性は「はぃ喜んで。」が唯一許されて居る返事である。
全裸の女優妻は、両手を床に着き、足はがに股に開き気味にして四っん這いになり、「ブゥブゥ」と鳴きながらグルグルと床を回った。
奇妙な話だが、女優妻はフト、「子供の拭き掃除の格好(態勢)みたい。」と、呑気な感想を思った。
女優だって他の人間と変わりはないから、裸に剥(む)けば肉花弁もあればア*ルの蕾も付いているし、陰毛(恥毛)だって人並みに生えている。
四っん這い姿を尻尾(しっぽ・後ろ)側を見れば、ア*ルの可憐な蕾(つぼみ)はおろか、恥毛に囲まれた生々しい二枚の肉花弁まで剥(む)き出し丸見えの恥ずかしい格好で、どちらかと言うと、愛奴隷には定番の要求である。
山崎代議士は、新たな生贄(いけにえ)を得てお披露目を開催する時、佐和子には「いい日旅立ち」のメロディを流すように命じている。
幾分サーカズム(皮肉)めいていてこんな輪姦陵辱の場には相応しく無い様な曲だが、S(サド)気が強い代議士のポリシー(方針)なのだろう。
つまり女優妻の雌豚としての新しい旅立ちは、今始まったばかりなのである。
「それ雌豚(めすぶた)今度は四つ足のままこれをシャブれ。」
山崎代議士がリードを手繰り寄せて雌豚(めすぶた)を近付け、半ば硬くなり掛けた欲棒を取り出して手を添え、女優妻の鼻先に突き出した。
女優妻が這って行って、顔を山崎代議士の股間の正面まで上げ、その欲棒を「パクリ」と咥(くわ)え、四っん這いの不自由な態勢で、懸命にシャブリ始める。
良いも悪いも無く、女優妻は全裸のまま、やや腰を前に突き出し気味に腰に手をやった仁王立ちの山崎代議士の欲棒を、床に膝を着いた形で上半身前後に動かしながら熱心にシャブっている。
首を固定した形で、上半身を使ってクィクィとリズム良く頭を上下しながら欲棒をシャブる女優妻の胸元で、乳首が乳房に翻弄されるように上下に踊って居る。
山崎代議士の唾液に濡れ光る淫茎の丈が、女優妻の口元で唇を擦(こす)りながら見え隠れする様を僅(わず)か一メートル足らずの目の前で見た夫(若手代議士)のインパクト(衝撃)は強烈だった。
「良〜し雌豚(めすぶた)、うぅ〜む中々良いぞ。」
どうやらこの政治の世界は親分子分の世界で、仁義を通さないと代議士として生きては行けない。
呼び止められた女優妻は、呼び止めた男に突き出された欲棒をおシャブリで硬くし、雌豚の定番である雑巾掛けスタイルの四っん這いで白い尻を突き出して求められた男に欲棒を挿し込まれるのを待つ。
山崎派「政和交歓倶楽部」の秘密パーティでは初ライブだが、そこは流石(さすが)に現役の女優で、覚悟さえ決めれば雌豚(めすぶた)でも性奴隷でも、その場の雰囲気に合わせて演じ果(おお)せる所は女優魂である。
どの道避けられない事なら、嫌々犯って叱られるより、懸命にこなして誉められるに越した事は無い。
卒なく雌豚(めすぶた)に成り切って、四っん這いのまま懸命に山崎の欲棒をシャブリ続けている。
此処での性交トリアージ(優先選別)の順番は、派の盟主である山崎代議士である。
女優妻は、夫の若手代議士が生贄(いけにえ)として政治団体(政和交歓倶楽部)に裸に剥(む)いて引き渡した意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)である。
こんな状況で素に戻ったら犯っては居られないから、女優妻はこう成ったらもう犯られ役のAV女優気分に徹するしか無い。
手に入れた女優妻の柔らかそうな肌の感触を山崎代議士は面白がって嬉しそうにニヤつきながら撫(な)でて確かめている。
まぁ、山崎代議士が女優妻の裸体の乳首を容赦無く摘(つま)もうが太腿(ふともも)を撫(な)でようが、二枚の肉花弁の中に指先を挿し込もうが女優妻は耐えるしかない。
少しの間、女優妻の肉体(からだ)を弄(もてあそ)んだ山崎代議士は、美人女優で評判の女優妻に欲棒を咥(くわ)えさせると両手を女優妻の首に巻き顎(あご)に手の平を掛けて固定し、腰を突きだしてクイクイと根元まで突き入れる。
山崎代議士の生身の陰茎が女優妻の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)が女優妻の顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。
顎(あご)を押さえられているから、女優妻の口中で山崎代議士の欲棒が暴れても犯されるがままである。
それに、例え苦しくても女優妻の立場では恐ろしくて山崎代議士には逆らえない。
流石(さすが)の美人女優も、山崎代議士の欲棒を咥(くわ)えさせられては間抜け顔になるが、本人はそれ所ではない。
これをすると、山崎代議士の加虐感と征服欲は充分満足させられるが、おシャブリ奉仕も女優妻には拷問みたいなもので、奉仕する方の女優妻は涙を流し涎(よだれ)を垂れ流して結構辛そうだ。
見ると女優妻の口に山崎代議士が欲棒を抜き挿しする度に、山崎代議士の腹が女優妻の額に当たり顔を押し潰す。
鼻と唇には彼の陰毛を蓄えた恥丘が波状攻撃で当たり、咥(くわ)えた山崎代議士の欲棒の陰茎が女優妻の唇を擦(こす)り、硬く張り詰めたカリ首が、口中発射を求めて情け容赦なく女優妻の喉の奥までグイグイと潜り込んで行く。
「ウグ、グェ、ウグ、グェ、ウグ、グェ。」
勿論、雌豚として夫から秘密パーティの生け贄として派閥仲間に供された女優妻には、要求される行為の全てに拒否権はない。
このステージに上(のぼ)ったからには、女優妻の誇りなど打ち忘れて弄(もてあそ)ばれる雌豚なのだから・・・
「良ぉし雌豚(めすぶた)、おシャブリは良く出来た。御褒美に尻の穴に入れてやるから尻を上げて振りながら入れて下さいとお願いしろ。」
勿論、こんな事も「当然ある」と踏んで、ア*ルの方の開発も佐和子夫婦が施(ほどこ)してある。
女優妻も、受け入れる自信が有るからスンナリと応じた。
「はぃ喜んで、山崎先生。雌豚(めすぶた)のお尻の穴に、先生の立派なものをお入れ下さい。」
女優妻は、言われた通りに四っん這いのまま、尻を高く挙げて振りながら、山崎代議士に彼の欲棒の抽入をねだった。
山崎代議士は、「そのまま脚を少し開いて踏ん張り、腰を安定させろ。」と命じて背後に回り、「どれ体制は整っているのか確かめてやる」と女優妻の肉花弁が湿りを帯びて居る事を指で確かめる。
その作業の間、犯られる方の雌豚・女優妻は、命じられら通りに脚を少し開いて踏ん張り、腰を安定させて何とも言えない待ちの表情を浮かべての欲棒が捻(ねじ)り込まれるのを待っている。
その、高く掲げた女優妻の尻穴の入り口へ、山崎代議士は欲棒に手を添えての湿りを帯びた肉花弁の間にエラの張った坊主頭を二〜三度擦り付けて滑りを良くしてから、菊座に的を定めて固定しグィと突き入れる。
山崎代議士のド太い欲棒が宛(あて)がわれて挿し込まれ、グィグィと押し込まれると、女優妻の菊座の皺(しわ)を圧し分けて代議士の欲棒が呑み込まれて行く。
「ぎゃあぁ。」と、女優妻の堪(こら)え切れない声が聞えた。
かなり強引で情け容赦の無い抽入だったから、挿し込まれた衝撃が半端ではなかったのだ。
見ると目が潤んで、数滴の雫も流れているが、女優妻は歯を喰い縛ってジット耐えて見せた。
一瞬の間を置いて山崎の抽送が始まり、女優妻の尻穴辺りに山崎代議士の陰茎が見え隠れしている。
女優妻は、ズブリと欲棒を受け入れた自分の尻穴への夫代議士の視線を意識すると、カァーと下半身が熱くなる羞恥心を覚え狼狽した。
夫代議士どころか数十人の視線に晒(さら)され、山崎代議士がクィクィと腰を使って繰り出す欲棒の尻穴抜き挿しで女優妻の内壁を擦(こす)るカリ首の刺激が一層興奮が高まって行く。
「うぅ〜、うぅ〜、うぅ〜、うぅ〜。」
山崎の抽送に合わせて、女優妻の堪(こら)えたような奇妙な善がり声が始まった。
かなりキツそうだったがそれでも女優妻は、少しずつ自分からもリズムを合わせて腰を前後し始めた。
「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
やがて善がり声の音色が変わり、順調なア*ル性交に成った事を周囲に知らせた。
女優妻の夫代議士にとってはお披露目輪姦自体は見慣れた光景だったが、流石(さすが)に清楚(せいそ)な妻のア*ル性交シーンは正に仰天(ぎょうてん)の光景だった。
目の前で妻のア*ルに山崎代議士に欲棒を挿し込まれて、白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら腰を使う山崎代議士の欲棒と、女優妻は肉体(からだ)で生々しく繋がっていた。
例え女優と言えど女性の肉体(からだ)は現金なもので、性交すれば快感は「ウフン」と甘い声を漏らして鼻を鳴らし、貪(むさぼ)るように欲棒がア*ルに嵌(はま)った腰を使い、媚を売るように身悶えてみせる。
ギャラリー然とした出席者の人囲いが周囲に出来、性反応を伺っていてエゲツ無いと言えばエゲツ無いが、デビタント(お披露目者)は恥を晒(さら)してこその本当の仲間入りで、この場は女優妻の公開性交が原則だった。
山崎代議士にズンズンと突き入れられる度に半開きに開けた口から「ハァ、ハァ。」と声が洩れ、女優妻の乳房が揺れているのが生々しい。
山崎の抽送速度も女優妻の腰の動きも早くなり、女優妻の善がり声も短くなった。
「アッ、アッ、アッ、アッ、アァ、アッ、アッ、アァ。」
「雌豚(めすぶた)発射するぞ。」
山崎が一声吼(ほ)え、「はぃ喜んで、どうぞ山崎先生。」と女優妻が応じた。
女優妻も、ア*ル性交は「屈辱的」と思ったが、片山夫婦に「妊娠の危険が無いから」と教えられ、言われてみればその通りだからア*ル性交を積極的に受け入れる事にしたのだ。
所が、イキそうに成った山崎が、慌(あわ)てて女優妻のア*ルから欲棒を引き抜き口に咥(くわ)えさせて、フィニッシュを決めようと突き入れ始めた。
腰を使ってクイクイと喉(のど)の奥まで突き入れられる山崎代議士の硬く張り詰めた欲棒を咥(くわ)えて必死にシャブる女優妻の口元から、白濁(はくだく)した涎(よだれ)が垂れ下がって床に落ちて行く。
生暖かいものが、女優妻の口中に青臭く広がった。
秘密パーティでは妊娠事故の回避が必要なので、秘密パーティのルールでは発射は口で受ける事に成っている。
勿論、山崎グループには医師出身の議員が多いから、必要な女性は経口避妊薬(ピル)を使用しているが、それは万一のアクシデントの備えである。
その辺りは既に仕込まれているから女優妻もパクリとやったが、考えて見ればア*ルだったのだから、そのまま発射してくれても差し支えは無かった。
山崎は、ア*ルに入ったものも女優妻がシャブれるのか試したのかも知れない。
口の中で山崎に発射されて、「ウェグゥッ」と女優妻は咽(むせ)たが、まだ山崎は腰を使って女優妻の口の中を突付き荒らしていた。
明るい照明の下、若手代議士の目の前で一組の全裸の男女が絡(から)み合って、ユックリとうごめく様に濃厚な性交を此れ見よがしに犯っている。
その濃厚な性交の男女は、男は山崎代議士で、女は若手代議士の女優妻の組み合わせだった。
つい先ほどまで、女優妻は前戯と言うには余りにも強烈な山崎代議士の指攻めで何度もアクメ(絶頂)状態に追い込まれていた。
山崎代議士の指攻めは、夫の若手代議士に女優妻を仰向けに抱え込ませて攻め始めた。
今女優妻は、夫の若手代議士に寄りかかった仰向け大股開きで、若手代議士ににパックリ左右の膝裏を抱え込まれて固定されている。
そこに群がった男の一人が、指二本を女優妻の柔ら壺に挿し入れてポルチオを攻め始める。
この手淫では、子宮頸部のうちで膣(ウァギナ)に突出した部位(子宮膣部)のポルチオ攻めが女性の快感効率が良い。
ポルチオとは、膣(ウァギナ)の奥の方に存在する、「子宮口(子宮の入口)」の事で、触るとコリコリしていて、軟骨っぽい感じがする。
ポルチオは、「Gスポットの何倍も気持ち良い」と言われていて、確かに、ポルチオは強烈な快感を感じる事のできる性感帯である。
指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身する。
本来ポルチオは、欲棒のカリ首が突っいたりカリ首エラが擦(こす)れたりの感触に反応する事に優れて存在している。
その態勢でポルチオを弄(いじ)られるのを、女優妻自らが指で敏感な肉蕾の実(サネ)を刺激しながら、善がり身悶(みもだ)えている。
山崎代議士に二本指を挿し込まれての激しい抜き挿しで、女優妻の極(きわ)まった善がり声が絶える事無く周囲に鳴り響く。
柔ら壷の内壁から湧き出る愛液汁の、ピチャピチャと言う指弄(ゆびなぶ)の妙な音と、女優妻の喘(あえ)ぎ声と、微妙な腰の痙攣(けいれん)が、臨場感溢(あふ)れるその場面を切り取っている。
柔ら壷の内壁を、子宮口(子宮の入口)を、挿し込んだ指で擦(こす)り弄(なぶ)られて、女優妻のハァハァと漏(も)らす吐息の声色(こわいろ)が甘く変わって来た。
女優妻は泣き喚く様に善がって腰を浮かし、堪(こら)え切れずに「潮吹き」と呼ばれる愛液をほとばしる醜態姿を曝(さら)け出す。
女優妻の性感度が高まり、何度かアクメ(絶頂)状態に出来上がった所で山崎代議士に欲棒を抽入され、一転して今はジックリとした攻めを始めた。
もぅ始まって十分を越えているが、山崎代議士が女優妻の性感反応を愉しむかの様に、優しく柔らかくねっとりとした腰使いでユックリと生々しく突き入れて女優妻を攻め続けて居る。
それは先ほどから、女優妻の股間に山崎代議士の欲棒の抜き挿しが、「何時(いつ)まで犯るのか」と想うほど質濃く永々と続けられている。
無理も無いのだが、本音で言えば犯られている間の女優妻は快感を貪(むさぼ)るに無我夢中で、正直、余計な事は考えられないのが普通である。
性交の佳境に入ってしまえば、もぅ女の性(サガ)で山崎代議士にああされ様がこうされ様が、要求されるままに身を任せて止められない。
女優妻も、明らかに行為に集中して反応しているが、夫の若手代議士が合意して山崎代議士との性交を認めたのだから、愉しんでジックリ犯られても仕方が無い。
山崎代議士のネチッ濃いお愉しみに女優妻も感じて居て、それに呼吸を合わせて快感を貪(むさぼ)る様に恍惚の表情を浮かべてねっとりと濃厚な受け腰で応じている。
女優妻の粘膜の感触を味合うかの様に、山崎代議士の生々しく愛液に濡れ光る陰茎が、喘(あえ)ぎ声と伴にユックリと見え隠れしている。
女優妻は、羞恥の感性の中で気取(キドリ)を捨て去り、今進行しつつ在る自分の性交プレィにジックリ気分を出して、本能で没頭して居る。
しなやかに軽快に、あられもない裸身をなやましく絡(から)ませて、女優妻は本能のままに山崎代議士との濃厚な性交姿を夫・若手代議士に観せて居る。
互いの目の届く範囲で、性交ショー化してギャラリーに観せながら大胆に犯るオープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)が、夫婦合意の遊びの性交である。
正直、目の前で自分の妻が他の男に抱かれているのは胸が詰まる想いも在るが、その嫉妬と興奮は帰宅してからの夫婦の性交で責め晴らせば癒される。
夫婦間には、生物学的本能に依る浮気の危機が宿命として付きまとう。
浮気だろうが本気だろうが、性行為自体は人間なら誰しも「犯りたい本能」を持っていて、通常は誰しもが犯る事で在り珍しくは無い。
何故ならば、男性にはより多く子孫を残す種(精子)ばら撒きの性交本能があり、女性には選り優秀な種(精子)を得る為に違う男性と性交する欲求がある。
つまり男女共に社会の倫理観とは裏腹に浮気本能が在るのだが、その浮気本能は一夫一婦制と矛盾し、安易に実践すれば夫婦生活崩壊に到る危険がある。
これを、「愛情や精神力」と言う不確かななものだけで規制して、無理やり乗り切ろうとするから「ほころび」が多く、結果、離婚に繋がる。
であるならば、平安期の「歌垣の遊び」の様な浮気本能を代替するような遊びの性交の場を、「夫婦合意の遊びシステム」として構築した方が理想的かも知れない。
その「夫婦合意の遊びシステム」の絶対条件は、浮気の様に影でコッソリ他人(ひと)と性交する事ではない。
夫婦合意の遊びの性交だからこそ互いの目の届く範囲で、隠し事無くセックスショー化してギャラリーに観せながら犯るオープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)が絶対条件である。
遊びの性交を互いにオープンセックスで観せる分には、嫉妬(しっと)無く種(精子)ばら撒き本能や選り優秀な種(精子)を得る本能を擬似的に満足させられる効能が在る。
勿論、オープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)の興奮を抱えて帰るから、帰宅後の夫婦の一戦は濃厚な性交に成る。
そしてこの遊びを始めて以後の女優妻夫妻の夫婦仲は、互いに互いを思い遣る事で以前よりズット親密に成った。
山崎代議士が遊び終ると、派内の序列の順で「雌豚(めすぶた)に洗礼をする事に成る。
完膚(かんぷ)無きまでに卑猥に辱(はずかし)め、仲間内のプライド(誇り)を葬り去る「見せしめ」をコンセプトにしているのが山崎派仲間入りのお披露目である。
女優妻に派閥への絶対服従を実感させるには、ストリップ・サーチ(全裸検査)やエクスポースフィールドワーク(野外露出)、ティードアップ(縛り)、ビリンデス(目隠し)、ハンダードラッシュ(鞭叩き)、ハングアウト(吊るし)など可愛がって頂く為のSMプレィの基本形をマスター(習得)させる事である。
女優妻は、テーブルの上に伏せる様に手を着いて腰を突き出した男から「尻の穴を舐めろ」と命じられた。
女優妻が佐和子夫婦に散々猛特訓を受けた中に、佐和子の夫・片山(だみ声の専務)の欲棒を扱(しご)きながら尻の穴を繰り返し舐めさせられた特訓があった。
それで直ぐに要求を理解した女優妻は、素直(すなお)に男の後ろに廻って目の前に尻が在る位置にしゃがみ込んだ。
女優妻は、その男のリクエストに応じ後ろから手を回しての欲棒を扱(しご)きながら、男の尻に顔を埋(うず)め、舌先を尖(とが)らせてア*ルに挿し込んだ。
女優妻の舌先は、躊躇(ためら)いも無くその男の菊座の皺(しわ)を舐め回し、尖(とが)らせた舌先はア*ルの中に挿し込んで来、性衝動の増進効果は抜群である。
欲棒を扱(しご)かせ、尻の穴を舐めさせながら、「天下の清純女優に尻の穴を舐めさせるのは極上の贅沢だ」と、その男は満面の笑顔で愉しんでいる。
政和交歓倶楽部の秘密お披露目パーティで、生贄に他人の尻の穴を舐めさせるのは然して驚くに値しないが、生贄の夫・若手代議士の反応は別で、彼の股間は明らかに膨(ふく)らんで興奮が隠せ無い。
ア*ル舐めは服従の意志を示すもので、女優妻にM(マゾ)心が無ければ他人のア*ルに舌を挿し込んで舐め廻すなど出来ないと若手代議士のS(サド)心が胸をときめかせた。
性行為には多様性が在っても良い筈で、妻が他人の尻に顔を埋(うず)め、ア*ルを舐めて居る光景を見るのは衝動的勃起ものである。
つまり若手代議士は彼なりの愉しみ方をして自分のS(サド)的な性癖を満足させて居たのだ。
欲棒を扱(しご)かせながら、他人の女房・女優妻に尻の穴を舐めさせるなんてプレィは、男にしたら願っても中々成立しない桃源郷である。
テーブルの上に前のめりに手を着いた男に、女優妻は欲棒を扱(しご)きながら同時に舌先が男のア*ルを多少くすぐったく刺激し、そのM(マゾ)奉仕的なスチェーション(構図)に快感度は上昇した。
女優妻の舌先が男のア*ルに挿し込まれる度に女優妻の鼻先が尾てい骨辺りに当たり、生々しい息使いを男が感じる。
次は佐和子が女優妻を仰向けに寝かし、手早く太腿と脛(すね)に縄を巻いて引き絞り、M字開脚縛りに縛り上げる。
女優妻の左右の太腿には、片山佐和子の操る二本束ねの麻縄が生きているかの様にまとわり付いて、女優妻の裸身を固定して行く。
素っ裸に剥(む)かれた女優妻は、後ろ手拘束、上半身亀甲縛りに絞った上に、仰向けにして両足の太腿と脛(すね)を片方ずつ足首まで縄を三箇所くらい巻いて束ね、それぞれの縄かけした膝頭(ひざかしら)を縄で左右に引いてMの字に固定すされる。
女の裸身はどこも魅力的だが、特に女優妻の肉体(からだ)は商売柄観賞用で、乳房、ウエスト、尻と見所一杯だが、剥(む)き出しの内太腿(うちふともも)も捨て難い。
Mの字に固定された女優妻は、股間が無防備に剥(む)き出しに成つて晒(さら)されている。
一見無駄毛にも見える短い恥毛が絡む二枚の肉花弁も丸見えの大股開きに固定され、剥(む)き出しに開脚された女優妻の内太腿(うちふともも)の中心に、ひだに囲まれた小豆(あずき)粒大の妖しげに桃色な花芯ボタンが興奮で丸みを帯び、膨らんでせり出している。
その下に小さ目で左右に開き気味の、縦に割れた二枚の肉花弁が開き加減に露(あらわ)に成って、「どうにでも、好きにお使い下さい」と、僅(わず)かに濡れて光って咲いている。
決定的な事は、美人女優のア*ルの蕾の周囲にまで短い陰毛がへばり付いているのが丸見えだった事だ。
これも生け贄には定番の据え膳態勢で、ゲストの玩具(おもちゃ)に成る為に女優妻は裸で縛り上げられて、大股開きの女性器丸出しで派閥仲間の代議士達の前に据えられメンバーの玩具(おもちや)に成る訳だ。
舌舐めずりする代議士達の目に入って来た柔らかそうな女優妻の太腿(ふともも)の内側は、もう隠す事を禁じられて眩(まぶ)しく彼らを誘っている。
縄掛けされ、強引に広げられた女優妻のモジャモジャと恥毛を蓄えた恥丘の下部、両の太腿(ふともも)の付け根に、恥毛が絡む二枚の肉花弁が半開き気味に可憐に咲いて見えている。
「出来た。出来た。さぁ皆さんにお好きに可愛がって犯って貰いなさい。」
その態勢で、いよいよ派閥仲間の代議士達の、遠慮の無い輪姦は始まった。
参加者の議員仲間は「お好み」で、身動き取れない女優妻のオマ*コでも後ろの尻の穴でも、或いはその両方でも犯し放題である。
山崎代議士の指示で政和交歓倶楽部メンバーの数人が、愉しそうな雰囲気で会場ホールの中心に直径六センチほどの円形パイプの束を持ち出した。
その円形パイプを組上げ、「コロシアム(輪姦闘技場)」と呼ぶヘンスとして囲った八畳間ほどのスペースを倶楽部のメンバー何人かで設営する。
競技参加者(輪姦参加者)はスペースの内側に順番待ちをし、不参加者はパイプヘンスの外側を囲んで観覧する。
そのコロシアム(輪姦闘技場)に、素っ裸に剥(む)いた雌豚・女優妻を入れて、男達が次々に襲い掛かって犯す公開性交に挑(いど)む。
何しろ、コロシアム(闘技場)の中に素っ裸で待っているのが待望のあの有名女優妻である。
男性陣は希望者続出で、皆衣服を脱いでグロテスクな物を剥き出しにブラ下げ、コロシアム(闘技場)の中に殺到した。
そぅ、コロシアム(輪姦闘技場)は雌豚・女優妻を一気に攻め挙げる為に、新たに山崎代議士が用意したスペースだった。
「この娘(こ/女優妻)に、ア*ル(尻穴)十五本攻めを犯って観せて。面白いと思うは。」
ギャラリーの女性の一人から女優妻への「ア*ル(尻穴)十五本攻め」のリクエストが入り、女優妻はうつ伏せ尻高四っん這いの体位をとらされる。
他人女(ひと)が、男達にア*ル(尻穴)を犯されて善がり悶えるのを観るのは、ギャラリーの女達にとっても、サディスティック(S性)に興味深々の蜜の味である。
連続ア*ル(尻穴)攻めが始まり、うつ伏せ尻高四っん這いの体位で、女優妻がア*ル(尻穴)に男達の欲棒を次々に受け入れている。
ズブリと股間ガップリに、女優妻のア*ル(尻穴)に嵌(はま)った欲棒が、直腸の内壁を擦(こす)りながら抜き挿しされ、陰茎の見え隠れに応じるように女優妻の善がり声が響き始めた。
行為が佳境に入ると男達の腰の動きが激しくなり、グイグイと生々しく突き入れる度に「アッ、アッ、アッ。」と女優妻が鳴き悶(もだ)える。
前の男が発射した白濁した白い液が次の男の抜き挿しで、女優妻のア*ル(尻穴)から吹き出し床にポタポタと滴り落ちている。
うつ伏せ尻高四っん這い体位で犯られ続ける女優妻が、相手が五人ほど経過した時点で「指マンを犯りますので、残りは仰向けで犯(し)て下さい。」と仰向け開脚の体位に変更を願い出て許される。
連続十五本攻めは強烈で、女優妻は、ア*ル(尻穴)性交の衝撃を快感い変える為に佐和子夫婦に仕込まれた卑猥な技を実践するのだ。
既に女優妻のア*ル(尻穴)にバックで発射犯(し)終えた男の一人が、女優妻の背後に回って両膝裏に手を回して抱え込み、パックリ左右に脚が開いて尻が浮き上がる体位に固定した。
出された課題をクリアするには、残りがまだ十本もある。
再び女優妻のア*ル(尻穴)に嵌(はま)った欲棒が、直腸の内壁を擦(こす)りながら抜き挿しされ始め、「アッ、アッ、アッ。」と女優妻の善がり声が漏れ始める。
女優妻は、指で敏感な肉蕾の実(サネ)を自ら刺激しながら、ア*ル(尻穴)ガップリに男達の抜き挿しを味わっている。
狂わんばかりにヒィヒィと鳴きながら犯られ続ける時間が、女優妻には長く感じられた。
ア*ル(尻穴)に続けて十五本も犯られて耐え終ると、女優妻のア*ル(尻穴)はポッカリと開いたまま中々閉じない。
設宴(宴を設ける)には、場を盛り上げるヒロインが必要である。
つまり残酷な物で、宴を開催する側からすれば参加者に愉しんで頂くには目玉になる生贄(いけにえ)のヒロインは欠かせない。
そのヒロインが美人の上に素っ裸で、皆で容赦無く犯りたい放題の陵辱の生贄(いけにえ)なら宴は気分良く成功する。
山崎山荘のプレィ会場には、京美ビルの接待室と同じ造りの天井からフックが吊り下げて有る。
天井からの吊り物は、円形パイプを組上げて「コロシアム(輪姦闘技場)」を設ける位置に予め合わせて山崎代議士が京美ビルの設備を参考にして設置した。
その定位置のコロシアム(輪姦闘技場)に代議士の一人が仰向けに寝、女優妻におシャブりをさせて硬く成った所で後ろ向き騎上位で女優妻を跨(また)がせて抽入を命じる。
天井からはフックが吊り下げて有り、その先に電車のグリップ付きつり革が肩幅程度で左右に下げてある。
後ろ向き騎上位で欲棒を貫かれた女優妻に、そのグリップ付きつり革をまるで体操の吊り輪の様に左右の手で握らせ、懸垂様に腰をピッチング(上下動)させて犯り始める様に命じた。
その女優妻の顔面に、代議士の脚を跨(また)いで別の代議士が欲棒を突き出し、女優妻にシャブらせれば公開三Pが完成する。
多人数の輪姦(まわし)を女優妻一人で受ける修羅場が始まった。
コロシアム(闘技場)で輪姦(まわし)が始まってしまえば、泣こうが喚(わめ)こうが参加者全員を満足させるまでは女優妻の肉体(からだ)を離す事は無い。
元々このお愉しみのメインイベントを仕掛けたのは夫の若手代議士で、女優妻も半ばそれ(輪姦)を承諾(しょうだく)した様なものである。
この狂宴の場に全裸で曳き出されたら、女優妻はタップリと陵辱プレィで弄(いじ)り放題の女体である事を意味している。
全ては遊びの発想から生まれたもので、深刻な事実は無い。
輪姦(まわさ)れる事を恐がったらギャラリーを愉しませるだけだから、こう成ったら意地でも恐れの表情なんかギャラリーに見せられない。
余り大した事では無い振りでもしなければ、女優妻も大勢の他人前(ひとまえ)で晒(さらし)し者で犯られては居られない。
その場の雰囲気を感じ取ったのか、女優妻に恥ずかしい想いは在っても、何故か開いた股をこの場では閉じてはイケナイ気がした。
それで女優妻は、この狂宴が終わるまでグロテスクな女の部品も露(あらわ)に股を大きく広げたままだった。
どうせゴチャゴチャした理由など不用の女優妻の肉体(からだ)を使ったお遊びだから、その場の者が性癖を曝(さら)け出して日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らせば良い。
女優妻も、全てを曝(さら)け出して奔放(ほんぽう)に愛玩(かわいが)って貰(もら)えば、仮初(かりそめ)でも親近感が湧き、情が醸成される。
大勢の視線を浴びる輪姦ショーのヒロインを勤めさせられるのだから、女優妻の性感が日常の夫婦の性交より過敏に成って当たり前である。
女体は良く出来ているもので、女優妻は素っ裸でプレィルームに曳きだされた時点で、もぅ滑りを良くする潤滑油が股間で湧き出しているのを感じていた。
大勢の視線を浴びる輪姦ショーのヒロインを勤めさせられるのだから、女優妻の性感が日常の夫婦の性交より過敏に成って当たり前である。
女体は良く出来ているもので、女優妻は素っ裸でプレィルームに曳きだされた時点で、もぅ滑りを良くする潤滑油が股間で湧き出しているのを感じていた。
勿論、女性心(おんなこころ)としては、犯られた相手に「使いものに成らない」などとは言われたくないから、精々踏ん張って喜ばせようとする。
始まってしまえば、皆が女優妻の性感反応興味深々で、ギャラリーは面白(おもしろ)そうに囃(はや)したて、性交相手はグィグィと過激に攻めたてる。
後背位を採らされた女優妻が、口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、女優妻の口から垂(た)れ流されている。
バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パン、と言う女優妻の尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこの会場に響き渡っている。
相手が替わって体位が変わり、騎乗位に欲棒を咥え込んで女優妻自(みずか)らが腰を浮かして沈めて陰茎を見え隠れさせている。
女優妻の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、形振(なりふ)り構わず「ヒィヒィ」とプレィルームに響き渡っている。
「まるで私では無いみたい」と女優妻は想いながら、今は貫(つらぬ)かれた欲棒に歓喜の受け腰を使って応じている。
めいっぱい感じているのか反応が凄く、女優妻は上半身をガクンガクンと奇妙に揺(ゆ)らし、乳房は踊り腹は小さく波打っている。
女優妻の気分も、こうなると大きなスポーツ試合に奮闘しているアスリート気分で、性交も一種の勝負である。
女優妻の公開性交に於いて、その奮戦と性反応を生々しく確り確認させる為に、ギャラリーの最前列・目の前が夫の定位置である。
まだ連続性交へ若干の抵抗心が残る輪姦プレィの出だしはともかく、犯り出して感じ始めて来れば女性の性体感は現金なものである。
クィクィと抜き挿しに応じて見え隠れする倶楽部メンバーの陰茎に、女優妻の肉花弁が生々しく巻き込まれ捩(よじ)れ震えて見えている。
遊びで犯るなら、愉しませる男の欲棒の数は一本も二本も同じだし、十本二十本なら、このプレィはいっそうお遊びらしい。
つまり性交相手の数が多い輪姦ほど、特定の男との浮気気分では無い「遊びの性交そのもの」を証明しているのである。
ズブリと柔ら壺に嵌(はま)り込んだ欲棒のカリ首が、何度も性器の結合を観せながら腰の動きで抜き挿しされ、女優妻の内壁の粘膜を気持ち良く擦(こす)っている。
展開する惜しげも無く贅沢(ぜいたく)な連続性交に、女優妻の善がり鳴きの声が、輪姦会場に生々しく響いている。
女優妻も欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を浮かせ、口をパクつかせて善がり声を挙げ、涎(よだれ)を垂(た)らしながらリズム良く尻を振る。
その振られる尻の股間で抜き挿しされる肉花弁と欲棒の隙間から、もう何人分かの溜まった愛液が、押し出されて女優妻の白い太腿(ふともも)を伝い滴(したた)って床に落ちている。
生身の欲棒が女優妻をヒィヒィ言わせながら、女優妻の股間に嵌(はま)って蠢(うごめ)く様(さま)に、夫としてはドッキリさせられ、一瞬後悔の念も浮かぶ。
だが、この情を挟まない遊びの場では、その生身の欲棒は女優妻に与えた「大人の玩具(おもちゃ)」と想うしかない。
後で落ち着いて考えるに、このプレイは若手代議士自身には自虐的であり女優妻には加虐的と両方の感性を震(ふる)わす、良質の遊びだった。
人間の気持ちは複雑で、例え性交プレィでも犯る以上は「下手糞」と言われるより「上手(うま)い」と言われる方が女性としての自尊心はまだ傷が付かない。
それで女優妻も、夫の前で此処までおシャブリも腰使いも上手(うま)く犯っちゃうと、もぅ「変な事を犯(させ)て・・・」と怒って観せても今更に嘘ぽくて始まらない。
遊びで犯るなら、愉しませる男の欲棒の数は一本も二本も同じだし、十本二十本なら、このプレィはいっそうお遊びらしい。
男性を受け入れるかの決断は本能で在るから、イザと成ると性交に関しては女性の方が余程(よほど)男性より度胸が良い。
女優は、舞台の上で観客をうならせなければならない。
ようやく女優妻が弾けて、益々現場の熱気が上がって来た。
ズブリと柔ら壺に嵌(はま)り込んだ欲棒のカリ首が、何度も性器の結合を観せながら腰の動きで抜き挿しされ、女優妻の内壁の粘膜を気持ち良く擦(こす)っている。
展開する惜しげも無く贅沢(ぜいたく)な連続性交に、女優妻の善がり鳴きの声が、輪姦会場に生々しく響いている。
「まるで私では無いみたい」と女優妻は想いながら、今はテレビ画面で顔だけ知っていた男性議員の欲棒に貫(つらぬ)かれ夢中で受け腰を使って応じていた。
女優妻の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、山荘のプレィ会場に響き渡っている。
つまり女優妻は、想ったよりもこの卑猥(ひわい)な遊びと、肉体(からだ)が肉欲的に水が合った事に成る。
集団乱交の遊びなど「現実には存在しない噂」だと想っていた女優妻にはにわかには信じ難い事だっが、その噂だけの世界が現実に存在した。
しかも女優妻は、政和交歓倶楽部の生贄(いけにえ)のヒロインに仕立てられ、こんな乱交プレイを愉しみ愉しませる遊びを犯る連中が居る事を、肉体(からだ)で知らされ様としていた。
夫の面子が掛かった仲間内の、この遊びの性交プレィを拒絶しても回避できない環境であれば上手く犯るべきで、頑(かたく)なに己の気持ちだけで拒絶するのは聡明な事では無い。
こう言う事を否定しないで上手く犯るには、気を入れて気分を卑猥(ひわい)に持って行き、積極的に受け入れて性交を愉しむのが利口な女の処し方である。
女優妻は、今からこの「大勢の他人前(ひとまえ)で犯される」と想うと、恐ろしさと恥ずかしさで胸がキュンと成った。
けれど不思議な事に、この観られる快感が癖に成りそうな予感が、女優妻の心の片隅に複雑に存在した。
現に女優妻は、大勢の視線を意識して乳房の乳首を硬く立たせ、戸惑いの表情を浮かべて指示に従っている。
自然な男女の性癖を区分けすると、観て感じる男性と見せて感じる女性に分けられる。
頭の思考で露出癖を論理的に否定していても、経験から別の答えを感性的に受け入れる事もある。
タブーの世界だから余り正面切って表明は出来ないが、現実にAV女優の志願者は多く、事務所登録しているだけで数万人は居て、その彼女達が金の為だけで無い。
建前はともかく本音では、彼女達に「他人前(ひとまえ)で犯られて見せる」と言う究極の露出癖をも満足させる目的でも無ければ、そんな仕事は犯っては居られない。
日本でも欧米でも、大ヒットを飛ばす歌姫に露出の多い衣装は定番である。
つまり女性の「見せたい願望」は女性が男性を誘うカップリングの本能で、それで集まって来た中から相手を選ぶ為に、見せて誘う意識が感性的に働くと言って良い。
男性は観たい癖があるから露出の多い衣装は歓迎だし、女性も本音では「見せたい願望」で歌姫の露出に共感している。
だから女優妻は本能をくすぐられ、こう言う特別の場でしか味わえない女性特有の究極の露出癖に目覚めたのかも知れない。
此処まで来てしまえばまな板の鯉で、女優妻の顔は、一見すると覚悟の「はにかんだ微笑(ほほえ)み」の表情を含んでいた。
もっともこの快楽の場では今更抵抗は見苦しく、女優妻は場の雰囲気を壊さない為に悲壮な顔や嫌な顔は出来ない。
結局の所女優妻は、「どうにでもしろ。」と覚悟を決め、秘部も露(あらわ)に股を開いて相手の犯りたい事の受け入れを待つしか選択枝は無い。
そしてどんなに美人で、どんなにスタイルが良くても、絡み合う恥毛の丘とグロテスクな女性器は、性交の為の肉体の一部として違和感タップリに備わっている。
その場に全てを晒(さら)して素っ裸大股開きにされた女優妻の顔は、羞恥心を含んだ困惑の表情だった。
その女優妻の困惑の表情などお構い無しに、少し乱暴に輪姦(まわ)しは始まった。
この連中はこう言う事に慣(な)れて精神的にも図太く、他人前(ひとまえ)でも躓(つまずく)事も無くズブリとインサート(挿入)を確り決めて来る
自分達が日頃犯って居る事だから犯る方も犯られる方も笑顔で、この連中が無遠慮に に犯って居る事は当たり前で、悪いとも可愛そうとも想わない。
しかし女性は、一度そちら側に飛んでその露出感覚の快感を味わってしまうと感性の快感が優先されて、次からのプレィは意外とそこまでは抵抗がない。
何しろ休みたくても休めない状態で後ろから前からと輪姦性交が続いて、女優妻の絶頂(アクメ)は途切れなく性感に拠る忘我の境地を彷徨(さまよ)っている。
議員仲間達の視線も忘れ、口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、女優妻の口から垂(た)れ流されている。
バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パンと言う女優妻の尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこの山荘のプレィ会場に響き渡っている。
雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。
原始回帰すれば、男性が良い母体を探し女性が良い精子を探す「種の保存本能」で相手を代える感性は、ふしだらでは無く当たり前だった。
その性交本能を剥(む)き出しに男女伴に、女優妻の肉体(からだ)でタップリ愉しむ事が、この場の約束事だった。
まったく面目無(めんぼくな)い事だが、男の性(さが)なんて見っとも無い程正直で単純である。
若手代議士は、愛妻の女優妻が輪姦(まわ)されているのを観て、S気分とM気分がない交ぜの興奮に想わず自分の欲棒を硬くし、スラックスにテントを張った。
それを「あらお元気だわ」と佐和子に笑いながら見咎められた。
「いや〜面目ない。」
「良いのですよ。だいたい殿方の反応は同じですから。」
「それなら安心だが、この親不孝息子(欲棒)の始末が困った。」
見咎めた佐和子に、「アラアラ、どうしようも無い親不孝息子ね。今、お口で良い子良い子してあげますからね」と応じられた。
佐和子にスラックスのファスナーを開けられ、欲棒をつまみ出されてパクリと咥えられ、ウゴウゴと気持ち良くシャブられる始末だった。
基本的な性別特性として、女性は「触覚」で感じ男性は「視覚」で感じるから、この愛妻が輪姦(まわ)されのを観ながらシャブらせる状況は極上のプレィの一つである。
この場面で佐和子がこう言うおシャブり行動に出るのは、プレィ経験豊富で男性の性(さが)を心得ているからである。
勿論、犯られて居る女優妻には、当面の相手を早くイカせるのが先決で、それを夫が見ている何んて事を考える余裕など無い。
正直愛妻が必死だからこそ、他人妻(ひとづま)にシャブらせる快感に浸(ひた)りながら、他人男(ひと)が犯る愛妻への陵辱を観るのは、癖に成る様な贅沢な遊びである。
この非日常が舞台の「奔放な性交遊び」が夫婦合意の上であれば、夫婦間のマンネリを埋めて余りある知恵の結晶かも知れない。
つまり若手代議士は、愛妻が愛液塗(まみ)れ汗塗(まみ)れで犯られて受け腰を使いながら善がり、身悶えているのを観て他人のポルノを見る様に興奮させられたのだ。
女優妻にしてみれば輪姦(まわし)は想像以上にキツかったが、こんな事でノンバメてゲームオーバーにでもなれば、女優妻の奇妙なプライドが赦せない。
しかしそれでも、輪姦(まわし)の究極の快感を一度も味遭わない女性の人生など、勿体無(もったいな)い人生かも知れない魅力が、この遊びに在りそうだった。
山荘のパーティ会場の壁サイドに、中心を囲むようにセットしてある高さ六十センチの大型宴会用角テーブルには、飲み物と食べ物が用意してある。
だが、それとは別に何故か二台だけ、ビニルクロスを敷いただけの角テーブルが、会場中央にポッンと置いてある。
このテーブルの高さ六十センチは本来、クラブやスナックのテーブルの高さだが、明らかにそれと違うのはガッチリした縦横百二十センチ・正方形の大型宴会用角テーブルだった。
これが曲者で、実際に使用例を見せられてガテンが行ったが、この低い角テーブルはコンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)のプレィ用テーブルだった。
高さ六十センチ、縦横百二十センチ、正方形の大型宴会用角テーブルを二台繋げて縦二百四十センチ、横百二十センチの台を作る。
その台に、厚さ五センチ、縦二百センチ、横百二十センチ低反発素材のマットを敷けば、ギャラリーの視線も愉しませる至近距離の立派なガブリツキのショー舞台が完成する。
所詮(しょせん)人間の煩悩(ぼんのう)など生々しいもので、愛情に関わり無く普通に性欲があるのは自然な本能である。
その乱れた性欲を安全に満たす為にこそ、ソーシャルセックス(社交的な性交)の発想がある。
要するに、独占欲に根ざした「愛欲」でも「欲情」でもなく、明快に「性欲を満たす為だけ」の行為がソーシャルセックス(社交的な性交)である。
つまり最初から「愛欲」や「欲情」が関わらない遊びのプレィなら、性交後にややこしく後に引く事が無い。
だからソーシャルセックス(社交的な性交)に、コソコソと他人目(ひとめ)を憚(はばか)る陰湿なSEXプレィは似合わない。
スカッと開けっ広げで、堂々とスポーティな乗りの公開セックスが信条のプレィがポリシーだからショウー舞台が設けられる。
実際この低いテーブルの上に淵と代議士仲間の一人の腰の位置を合わせて女優妻を仰向けに寝かせると、そのまま立って欲棒の抽入が可能に計算されている。
そのテーブルのショー舞台を使用して、今、女優妻の脚を抱えた代議士仲間の一人が抽入箇所も露(あらわ)にクィクィとギャラリーに抜き挿しのピストン(往復)運動を披露している。
ギャラリーの視線も愉しませる至近距離の宴会用角テーブルを二台繋げたショー舞台で、代議士仲間の一人の欲棒を咥え込んだ女優妻の腰が、ピストン(往復)運動の抜き挿しに応じて怪しくクネリを見せている。
もぅ女優妻は、恥ずかしいも何も考えている間も無く、只々「イクイク」と声を枯らして喚(わめ)きながらもヒィヒィと荒い息をし、無抵抗に犯られ続けている。
イキ過ぎて失神しても、容赦無く犯り続けるのが輪姦(まわし)のルールで、どうせ直ぐに正気に戻される。
刹那(せつな)の性交に充分に感じているのか、代議士仲間の一人の愛液に濡れ光る欲棒を咥え込んだ女優妻の腰が、ピストン(往復)運動の抜き挿しに応じて怪しくクネリを見せて反応している。
その後、その代議士仲間の一人が仰向けにテーブルの上に寝てテーブルの淵に立つ女優妻に欲棒をシャブらせる。
すると、その突き出た女優妻の尻の中央に後ろに立った別の代議士仲間が後背位で抽入し、クィクィと「三人プレィ」と言うやつで攻め始める。
角テーブルのショー舞台を中心とした三P(三人プレィ)は、「信じられない」などと言うレベルの状態では無い。
固唾(かたず)を飲んで見守るギャラリーの視線の中、抜き挿しのピストン(往復)運動が加速され、女優妻は堪(たま)らず絶頂感に喘(あえ)ぎながら乳房を揺(ゆす)すり腰を振る。
別の代議士仲間が抽送する陰茎の見え隠れと伴に白い精液が陰茎の隙間から湧き出し、女優妻の太腿(ふともも)に筋を作りながら床に滴(したた)り落ちている。
この輪姦(まわし)で良い様に弄(もてあそ)ばれ、嬲(なぶ)られてメチャメチャに犯られるのを体験すると、その快感に溺れない方が不思議なくらいの威力がある。
その快感体験で女優妻が、今までとは違う考え方を遊びの性交に対してしても、それは自然な反応かも知れない。
正直、女優妻にとっては感情込めた性交では無いから、次々と襲って来る男達は生身の大人の玩具(おとなのおもちゃ)みたいなもので、互いに感情の発露などは無い。
そうなると、どんなに卑猥(ひわい)な姿で性交に応じようが、夫に嫉妬される謂(いわ)れも無い。
夫に嫉妬される謂(いわ)れが無いのなら、妻にとっては非日常の世界でストレスの発散が出来る「好適環境を手に入れた」と言う事である。
性交のシエアリング(共同所有)と言う新たな価値を得られるのだから、それに折り合いを着ける事が出来ない人間は不幸である。
生き方は無数に在り、利口な人間なら「何事も、気持ちを切り替えれば答えも変わる」と言うものなのだ。
女優妻の愛液に濡れる二枚の肉花弁の間で、善がり声とリズム良い腰の動きと伴に濡れ光る陰茎が、女優妻の内壁・海綿体の粘膜を刺激的に擦(こす)りながら見え隠れしている。
始まってしまえば女優妻も生身の女性だから、次々と入れ替わる相手に貫かれて受け腰を使い、女性の素も露(あらわ)に性交快感を味わい、イキ続けて見せるしかない。
輪姦(まわし)は一般的に、「女性を蹂躙(じゅうりん)している」とする一方的な解釈も在る。
しかしそれを性的官能に絞って考えれば、夫や恋人など一人相手の性交とは圧倒的に違い、これほど性感を堪能(たんのう/愉しむ・満足)する事は無い。
元々性行為なんてドロドロの欲求を満たすもので、誰が犯ってもそんなに格好が良いものでは無い。
言わば性行為なんてものは、多少は我侭(わがまま)で変態的の方が気分が乗り、プレィに燃える。
つまり当該(とうがい/あてはまる)女性のプレィに対する価値観の問題である。
女性が性的官能を満喫したいのであれば、その輪姦プレィはリピート(繰り返し)として成立し第三者がとやかく言う事では無い。
宴の参加者にしてみれば、ヒロインの輪姦(まわし)に参加して犯るも良し、犯られてあえぐヒロインを観るも良しである。
仲間にする為の条件として、派の秘密パーティで素っ裸にさせ仲間内の公開形式で晒(さら)し者にし愉しみながら輪姦(まわし)犯す。
山崎派の秘密パーティを上辺だけの建前で評すれば、「破廉恥(はれんち)極まりない連中」である。
しかし人間には、元々裏と表がある。
典型的な事象は職業の選択で、火事が好きな放火魔消防士(消防団員)や幼児・少年少女が好きな変態教員、こういう事例はたくさん有るがいずれも「仕事熱心」と言う評価である。
つまり「好きな事」だからこそ熱心なのだが、「好きにも裏と表がある」と言う事で、「仕事熱心」な相手に「全幅の信頼」が置ける訳ではない。
この理屈で行くと、本来犯罪を取り締まるべき人間(司法関係者や警察官)があるまじき犯罪を犯しても不思議は無い理屈である。
いや、むしろ「仕事熱心な相手」こそは、疑って掛かるべき相手かも知れない。
勿論宗教家も半分は真面目な方も居られるのだが、人の心を操るのであるから半分は邪(よこしま)な心から宗教家に成った者がいて、性に生臭であっても不思議は無い。
しかし待てよ、性に生臭である事が本当に邪(よこしま)な心なのだろうか?
「良いSEX」をして居る人間に「絶望」は無い。
これを言い代えれば、貴方が「良いSEX」をして居なければ、貴方には明るい未来が無い理屈である。
人生に於いて、性は生に通じる大事な脳内シグナルであり、人間も生物で有る以上は法律や信仰だけではその影響を避けられない。
つまり性を制御するだけではその影響が避けられない以上、本来なら人間社会は素直に誰にでも「なるべく良いSEX」が出来る環境を、精神思想において慈愛の中で醸成すべきだった。
にも関わらず性本能が避けられないもので有るからこそ、言わば知恵の浅い宗教家の陰謀で、主に「禁欲」を信仰上のもったいを付ける為の手段として禁欲的な性に対する考え方が広がった。
性欲が人間にとって大問題だったから哲学や宗教の中で処理しようとするのだが、元々本能に起因する事を理論でねじ伏せようとするのは無理があり、制御できないから性欲を問答無用で「恥ずかしいもの」にしてしまった。
男女平等を誤解して男女の生物的特性まで否定する事は、他の動物同様に持ち合わせている人間の「生態系を壊す」と言う事に成る。
つまり人間は、生き物としての自らを否定するほど傲慢な恥ずかしい存在なのである。
そこまで判って来ると、結構に素太(ずぶと)いのが確信を持った人間で、白々しい建前の善意などは信じられない。
「公僕」と言われる官僚や「選良」と言われる議員先生もそんなところで、半分くらいの人間が白々しい建前の善意ばかりで、裏に潜む本音の心は別の価値観(己の欲)に生きている。
そう言う意味では、仲間内にだけでも合意の上で本性を曝(さら)け出す事は、精神的に良い事かも知れない。
基本的に人間である以上は「公僕」だろうが「選良」だろうが息抜きの時間は必要で、要は如何にそれを問題なく創造し消化するかである。
だから初参加の者への輪姦性交試練は、派の仲間内で何の遠慮もしない勝手な陵辱(りょうじょく)を面白がりながら与える事が基本で、それを甘んじて受けるのが誓約(うけい)のルールである。
つまり山崎派の仲間内の本根の付き合い、輪姦性交に中途半端な「妥協」は在り得ないのである。
覚悟を決めて全裸を晒した女優妻の下半身に草むらが生えて、なだらかな丸みを帯びる柔らかそうな女優妻の丘が恥ずかしそうに膨らんでいる。
最初の代議士がその女優妻に取り付いて、中央に花芯ぼたんの実(サネ)を配してその下、二枚の肉花弁の恥部に欲棒を挿し込み、気持ち良さそうにユックリと腰を使って欲棒の抜き挿しを始める。
女優妻の股間恥部に生々しくその代議士の陰茎が濡(ぬ)れ光って見え隠れし、少し間延びした女優妻の善がり声が圧し殺した様に漏れていた。
代議士達の腰が軽快なリズムを刻(きざ)んで、女優妻の肉体(からだ)の中心を貫抜いた欲棒の陰茎が、愛液に濡れ光って深く浅く見え隠れしている。
これは生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして凄い見世物だが、女優妻の抑圧されて居た本能が開放されて剥(む)き出しに成っただけだ。
だから、正直女優妻が涎(よだれ)を垂(た)らしながら大口を空(あ)けて善がり犯られていても、夫の若手代議士が随喜の刺激に顔を歪(ゆが)ませる女優妻から目を背(そむ)ける事はないだろう。
坊主頭のカリ首に肉体(からだ)の中心を貫かれてしまえば一瞬で心境に変化が起こり、警戒心で入った女優妻の力は抜けて行く。
現実にもう皆の前で犯られちゃったのだから気取っては居られず、覚悟を決めて本気モードのスイッチを入れるしかない。
当たり前の事だが、性行為は観るにしても犯るにしても、勿論、犯られるにしても下品な方が人間は興奮する。
まぁ元々上品な性行為など無いのだから、依り下品を追求しながら女優妻を犯る愉しみ方が正しいのかも知れない。
一つ目小僧・坊主頭のカリ首が無遠慮に女優妻の確信部分にズブリとご厄介になり、愛液に濡れ光る陰茎が二枚の肉花弁も押し広げて巻き込み、見え隠れしていた。
観せる事を命じられ、意識して抽入部分をタップリ披露する究極の羞恥心(しゅうちしん)が、女優妻の貞操観念を根底から覆(くつがえ)している。
女優妻は、強(し)いられて他人前(ひとまえ)で公開性交を披露するその被虐感と集まる視線にも、此処まで追い込まれてしまえばもう「惨(みじ)め」何て言っては居られない。
現に女優妻は、脳みそがトロケそうな刺激を感じながら善がり声を絞(しぼ)り出し、抜き挿しに涙に涎(よだれ)に玉の汗、受け腰で激しく応戦して居る。
後ろに順番待ちの行列が出来ている女の修羅場だから、女優妻が相手をノタノタ愉しまして犯っていてはどれだけ時間が掛かるか判らない。
何しろ女優妻一人に相手は大勢の輪姦(まわし)だから、数を熟(こな)すに時間を喰っては体力を失う。
歯を食い縛ってでも、他人目(ひとめ)も憚(はばか)らず腰をグィグィ使って早く相手をイカし、数を熟(こな)さ無ければ終わらない側面も在るのだ。
女優妻を犯る男達が盛上がってしまえば、シナリオ(脚本)の無い無遠慮な輪姦遊びが続々と続いて、女優妻を散々に善がらせながら想い想いに陵辱して行く。
後ろに順番待ちの行列が出来ている修羅場だから、女優妻が相手をノタノタ愉しまして犯っていてはどれだけ時間が掛かるか判らない。
何しろ素っ裸の女優妻一人に相手は大勢の輪姦(まわし)だから、数を熟(こな)すに時間を喰っては体力を失う。
衆人環視の中、素っ裸の女優妻が他人の男達に何度も替わりながら切れ目無くシャブらされ嬲(なぶ)られ犯かされ、忘我(ぼうが)を彷徨(さまよ)い続けている。
歯を食い縛ってでも、他人目(ひとめ)も憚(はばか)らず腰をグィグィ使って早く相手をイカし、数を熟(こな)さ無ければ終わらない側面も在るのだ。
相手が替わる度に、その男が坊主頭のカリ首を二枚の肉花弁のスリットへ縦に二〜三度擦(こす)って馴染ませ、抽入位置を合わせる。
その位置を合わせたスリットにカリ首を宛がい、腰を入れてグィと押し込み、中に収まったらクィクィと抜き挿しを始める。
女優妻は抜き挿しされる欲棒の擦(こす)れに腰を浮かし、他人目(ひとめ)も憚(はばか)らず欲棒を咥え込んだ腰を、生々しく卑猥(ひわい)に振って善がっている。
性感極まった顔が左右に振られ、乳房が不規則に揺れ、股元に欲棒を咥え込んだ卑猥な腰が多人数相手に譲らない凄(すご)さでリズム良く踊っている。
頭の中が姦淫ムードいっぱいの中、非日常の卑猥な空間に在って、快感に人妻としての抵抗感を失うほど、女優妻は「歯止めが利かない極上の性感」を貪(むさぼ)っているに違いない。
確かにこの連中はこう言う依頼調教遊びに慣れて居て、見るからに素材(女性)を上手く調理する無遠慮に長けて居た。
この奔放な性交遊びを女優妻に仕掛けたのは夫の若手代議士だから、女優妻が股元に欲棒を咥え込んで善がりながら腰をクィクィ使っても文句は言えない。
まるでポルノ映像を観ているように客観的に、次から次と切れ目無く女優妻の股元の柔らかそうな肉花弁の間に、愛液に濡れ光ながら男達の欲棒が生々しく抜き挿しされて、ボンヤリと卑猥(ひわい)だった。
その目の前で他人男(ひとの)欲棒を咥え込んだ腰を振って散々に善がっている女優妻の光景は、夫の若手代議士の嫉妬交じりの刺激的な感情を揺さぶるもので、心地良い気分を煽(あお)り新鮮だった。
夫の若手代議士には想いも拠らなかったが、女優妻は違和感無くおシャブリも腰使いも上手く犯れて次第に大胆(だいたん)に成って行った。
恐らくもう周囲の事など意識に無いのか、日常の倦怠感(けんたいかん)を埋める様に全裸体を躍動させ大胆(だいたん)かつ奔放(ほんぽう)に性交に応じている。
今は呆然(ぼうぜん)と眺める夫の前で、女優妻は口と言わずア*ルと言わず女陰に到るまで欲棒を受け入れて、性感に拠る忘我の境地に入っているのだ。
それにしても大袈裟に言えば、人間と言う生き物の愚かさか、その欲望には際限が無い。
夫の若手代議士は目の前で愛妻が男達に輪姦(まわ)され犯されるのを観て、けしてそれが不機嫌では無い他人事めいた微妙な感情に襲われていた。
男達の女優妻への陵辱光景は加虐心を満足させ、女優妻が嬲(なぶ)られ犯かされと意識すれば被虐心をも満足させる複雑な心境である。
つまり「妻が輪姦(まわ)されている」と言う非日常の設定の陵辱光景を、特別な珍しい見物(みもの)と愉しんで居る夫の若手代議士がそこに居たのだ。
冷静に考えて見れば、「恋の感情」など儚(はか)く消える虚(きょ)の迷いであり、愛情は永く一緒に生活し時間を掛けて湧いて来る本物の感情である。
つまり「恋の内の感情」を「愛」と間違えるから後々「こんな筈じゃ無かった」と離婚する者が後を絶たない。
そう言う経緯が在るならば、大概の男女の性交は「恋の内の感情」で肉体(からだ)を許していて、いわば「相手への情」は泡沫(うたかた)の儚(はか)ない確信である。
つまり恋の時点では、事実上行きずりの性交に過ぎないから、馬鹿正直に、「品行方正・清廉潔白」と言う世間体(せけんてい)を信じて居る方が、お人好しかも知れない。
それなら、元々愛情が性交の条件など現実には成り立たず、只の自己満足に過ぎない事に女優妻は気が付いた。
元々人間の本性は好き者だから、こうした遊びの実行は表面化しないだけで影では結構そこかしこで行われているのかも知れない。
それが表面に出ないだけで、どんなに貞淑な女性でも正直言えばメチャメチャに犯され弄(もてあそ)ばれたい衝動本能を片隅に秘めている。
だから客観的に心の深層を知ってしまえば、上面(うわっつら)では無い真実が心に刻(きざ)まれて行く。
例え女優妻が仲間内で秘すべき遊びを犯ったとしても、世間体(せけんてい)を恐れているだけだから、関係者の口が固ければ心配するほどの事ではない。
そして女優妻が、衆人環視の場で他人の欲棒を幾本シャブろうと、幾人と性交しようが、そこで「何が起きているか」など、世間の知る由も無い秘められた謎でしか無い。
つまり隔絶された場所に在っては、女優妻が腹を括(くく)れば済む事で、そこで何か在ったとも何も無かったとも世間はどうせ知る由も無い。
タップリと弄(いじ)り放題に、大勢から愉しそうに責め上がられた女優妻だったが、その狂宴が終わってみると意外な事に嫌悪感は無く、達成感と疲労感、そして満足感が在った。
正直、こう言う多人数の輪姦(まわし)を一人で受けるとなると相手が順番で続くから、女優妻が渾身の受け腰使いで早く何本ん抜けるかが勝負になる。
最初に何人か熟(こな)して受け切れないと、女優妻の方が中々相手を抜けないまま一方的に責められてイキ過ぎ続ける無残な姿を見せる事に成る。
その挿し込まれた欲棒が激しく抜き挿しされる度に、女優妻の二枚の肉花弁が愛液に濡れ光る欲棒に卑猥(ひわい)巻き付き捩(よじ)れて、参加ギャラリーの目に晒(さら)されながら踊っている。
コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が始まってしまえば嫌でも女優妻の肉体(からだ)が反応して思考が停止し、もう周囲の視線を気にするどころでは無い。
他人事で聞けば「そんな酷い事、何で断らないのか?」と訝(いぶか)るかも知れない。
だが、大勢のギャラリーの中に素っ裸で連れ出された当事者の身に成ってしまうと話しは別で、周囲の誰もがそれを赦さないと判っては、女優妻も中々「嫌」とは言い出せない。
それは成り行きで上がってしまった嫌も応もない引っ込みが着かない舞台の上も同然で、女優妻も「犯りたく無い」とは言えない状況だった。
こう言う状況に成ればジタバタしても見苦しいだけで、もう吹っ切れてギャラリーの期待を裏切れない心境に女優妻が成っても自然の流れである。
此処での公開性交は、ギャラリーに結合部分を見せて姦淫ムードをるのが煽(あお)ルールだから、輪姦(まわ)される間は女優妻は大股開きで脚は閉じない。
股間を貫(つらぬ)かれた欲棒のカリ首が、堪(たま)らない程に激しく抜き挿しされて、思わず快感を貪(むさぼ)る女優妻の無意識な腰の動きが艶(なまめ)かしい。
カリ首が女優妻の下半身の内壁を擦(こす)り、女優妻の汗に濡れた顔が快感に強張(こわば)るその表情が眩(まぶ)しい。
女優妻は、入れ替わる男達の好みに応じて素っ裸で操(あやつ)られ弄(もてあそば)れながら、ギャラリーに結合部分を見せる大股開きで輪姦(まわ)される公開性交を勤めている。
それは他人の欲棒が抜き挿しされている自分の股間の結合部分に夫(青年議員)の熱い視線を感じるのだから、女優妻が二重に興奮しても仕方が無い。
ヌメヌメとした感触と伴に抜き挿しされる坊主頭のカリ首が、女優妻の内壁を擦(こす)って堪(たま)らない快感刺激が脳に伝わって来る。
そこから先が大変だった。
山崎代議士が選挙区の自宅出入りの宮大工を山荘まで呼び寄せ、頼んでスケベ椅子に皮を張って木製の脚立梯子状の台で支えた手作りの乗馬バイブ台が作らせてある。
まぁ、昔の処刑責めで言う跨(また)ぎ木馬責め台の現代版で、両脇に足枷を装着させて足が台に付かず宙に浮くようになっている。
跨(また)がせれば足が宙に浮くので、踏ん張って股間や尻穴の位置などずらそうと思っても困難にしてあり、乗馬バイブ台だからスケベ椅子の下側から張り型バイブの固定が可能に成って居いる。
それも前後二本まで施設が可能に加工されていて、つまり同時二穴責めも在りの乗馬バイブ台だった。
責められる女優妻を、全裸後ろ手縛りに乗馬バイブ台へ跨(また)がせてバイブを下側から抽入し、装着して固定してやると、もう女優妻の腰はバイブが嵌(はま)ったままビクとも逃れられられない。
山崎代議士はそのまま放置し、生贄(いけにえ)を善がり続けさせて失禁させるのがお気に入りである。
スイッチを入れられれば女優妻は、攻め手が張り型バイブを抜いて足枷を解くまで、堪らず随喜(ずいき)の善がり声を挙げてのたうち悶える。
女優妻は大勢のギャラリーを前にバイブにイカせ続けられる醜態を晒(さ)らすのだった。
輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。
イク状況に昇り詰めたままの性交が続けば、女優妻にSEXハイ状態が続いて脳内麻薬ベーターエンドロフィンが脳内に発生され、一種の超快感状態に成る。
現に女優妻は連続する性交で、カリ首のエラの海綿体が感度良く内壁を擦(こす)る抜き挿し攻撃に、脳みそがトロケ出して居た。
肉体の中心を貫かれたまま、女優妻の股間に生々しく抜き挿しされるリズム良く激しい欲棒のピストン運動に、女優妻は快感に顔を歪ませながら左右に嫌々をしている。
その女優妻の反応にも構わず入れ替わり攻め立てる淫茎は、抜き状態では濡れ光り見え挿し状態では根元近くまで中に達しているのが見て取れる。
過酷な状況に在って、女優妻も既に限界は過ぎて居るかも知れないが、此処はもぅ意地と根性で頑張り、歯を食い縛って快感に耐えながら受け腰応戦をしている。
理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は女優妻には無い。
行き着く所まで行ってしまえば、女優妻はもぅ犯ってしまったのだからそれを改めて否定する材料は無い。
気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的で、これは妥協では無く工夫である。
そして避けられない性交遊びであれば、全員を満足させる到達点に到るまでは女優妻は愉しみながら犯って見せるしかない。
輪姦(まわし)の洗礼が始まり、次から次に代議士達の欲棒が女優妻のオマ*コや尻の穴に潜り込み、腰を使って激しく陰茎を見え隠れさせる。
騎乗位で後ろに両手を着いて後方に反り、抽入された欲棒を生々しく咥(くわ)え込んだ股間を、観せながら腰を使って観せる。
前技含みの濃厚な十五分間のセックスショーを、女優妻は犯って観せるのだ。
このセックスショーパターンで二人ほど熟(こな)し、後は女優妻を仰向けに転がして連続性交輪姦(まわし)に入る。
挿し込まれた欲棒で肉体(からだ)の一点を固定されたまま、強烈な性感に全身を打ち震(ふる)えさせ、ハァハァと漏(も)らす女優妻の吐息が大きく成って会場に響き渡る。
これは、男達が自分が短時間でイク事だけを考えてのガチンコ(真剣勝負)の行為だから、抽入即快速発射体勢で激しく攻め立てる。
女性が一気の連続性交(輪姦・まわし)で「どのくらいもつか」の限界は、山崎代議士が既に試していた。
後で聞いた所では、山崎代議士が佐和子を使って用意周到に政和交歓倶楽部のメンバーで、幾つかのパターンの連続性交(輪姦・まわし)の限界を試していた。
「かなり激しいですね。内の奴(女優妻)大丈夫ですか」
「大丈夫だ壊れはせん。佐和子を使って予め限界を試してある。」
「加減が判っているのですね。」
「あぁ、身を持って知っている佐和子に会場コーデネーター(全体の調整や進行の担当者)役を任せてある。」
「それにしても、彼女(女優妻)の性感反応が半端ではないですね。」
「輪姦(まわし)の最中は理性を捨てなければ愉しめんから、脳全体が理屈抜きの感性に成るものだ。」
女優妻は、トレーナー(指導者)の佐和子には、「突っ込み易い様にお股を開いて、良い娘にしていなさい」と容赦無く調教されている。
女優妻は、柔ら壷の使用を一対男性多数の相手に委(ゆだ)ねて、根性を入れて踏ん張って犯るしかない。
つまり佐和子は、自らの実体験を元に生贄(いけにえ)女性の限界を測るお披露目輪姦の会場コーデネーター(全体の調整や進行の担当者)役を任じているのだ。
それで試した限りに於いては、女性の連続性交輪姦(まわし)はトータル二十人、ワンセット三十五分間は充分に可能な能力が在る。
そしてその連続性交輪姦(まわし)に於いては、ガチンコ(真剣勝負)の奔放(ほんぽう)な性交ファイトが続く。
すると、女優妻は相手が十人目くらいから表情が変わり、目付きが優しい菩薩(ぼさつ)になる。
連続性交で感度が高まって、後半の十人ほどは抽入を受け入れただけで女優妻は身震いするほど性感を感じていた。
それほど感度が高まって悶絶(もんぜつ)し続けている女優妻を、男達は容赦なく高速の腰使いで攻め立てる。
連続性交輪姦(まわし)は、一応ワンセット三十五分間が目安だ。
だが、周囲のギャラリーから駄目だしが在ると、給水タイムを十分ほど挟んで再び二十人ワンセット三十五分間を追加で熟(こな)す事に成る。
何しろ知らない人は居ない有名美人女優の他人妻(ひとつま)が、陵辱パーティのヒロインとして抱けるのだから涎(よだれ)が出そうな話で、そのパーティ参加を断る理由は誰にも無い。
例え挨拶代わりの性交でも、性交をする以上は「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの努力をする。
言っては何だが、その疎(おろそ)かには犯らないど根性娘の女優妻の、笑って性奉仕する直向(ひたむき)な雌豚姿は神々(こうごう)しい程である。
それがその時は理不尽な事だとは想っても、政和交歓倶楽部に飼われる雌豚として置かれた立場の女優妻が、避けては通れない素っ裸で相手に尽くすべき最低限の礼儀である。
奇妙な発想かも知れないが、輪姦プレィの場で求められた性行為を真面目に一生懸命犯る事が果たして不真面目な事だろうか?
正直、女優妻にした所で犯ってる間は無我夢中だから、肉体(からだ)が素直に快感を求めるだけで、けして大勢に犯られるのが嫌では無い。
女優妻はその男の突き腰に平然とガップリ組んで、赤裸々に生々しく見え隠れする愛液で濡れ光らせた陰茎を、女優妻は快調に受け腰で抜き挿しを快適に熟(こ)なしていた。
そして互いに通じる情が無くても、大人の男女の成熟した性器と性器が正常に抜き挿しされて海綿体が接触すれば、女優妻が得られるのは神の与えた「快感」である。
だからその結果として、ど根性娘の女優妻が他人の欲棒を股座(またぐら)に咥(くわ)え込んだまま腰を浮かしてヒィヒィと「気持ち良がって」も、何人(なんびと)も非難は出来ない。
それにビジュアル(視覚的効果)としては、女優妻が犯られながら身悶(みもだ)えて、感じ捲くって居る生姿を魅せてこそ、本当の意味での相手が満足する挨拶代わりの性交である。
女優妻のあの生々しく鮮烈な性交光景は、今でも鳥肌が立つほど色濃く目に浮かんで来る。
大きく開いて欲棒を咥え込んだ股座(またぐら)の隙間から、突き腰と受け腰の抜き挿しで白く濁した下半身の涎(よだれ)を太腿(ふともも)に垂れ流しながら、女優妻は奮戦を続けている。
腰使いも激しく愛液に濡れ光らせた陰茎を股座(またぐら)に見え隠れさせられながら、乳首が立った乳房を揺らして犯られている女優妻の痴態だった。
羞恥心も、突き抜ければ快感に変わる。
そこの微妙な機微が判らないと、この陵辱のヒロイン感覚の本質は理解できない。
女優妻の伸びやかで柔らかな裸身が次々と男を受け入れながら、その度にズブリと欲棒を串刺しに咥え込んだ腰をクィクィと受け腰に踊らせて善がっている。
周囲の視線を浴びながら欲棒を挿し込まれた大股開きの恥部を生々しく晒(さら)して女優妻は腰をクィクィと使い、善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。
その連続性交の勢いに女優妻の顔が歪(ゆが)み、悲鳴に近い善がり声がパーテー会場にこだまする。
犯る方にも面子(めんつ)があるから、女優妻を良い声で鳴かしたい。
それで夢中で攻め立てる。
「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
相手のメンバーが無遠慮にガブリ腰で突いて来るのを、女優妻がクィクィと受け腰で応戦する。
メンバーの男達にグサリと嵌(は)め込まれた陰茎が愛液に濡れ光ながら、女優妻の股間に生々しく見え隠れする。
性器と性器の海綿体が抜き挿しで接触し女優妻に快感が襲って来るが、女優妻にとってはここは踏ん張り所だった。
どちらにしろ遊びなのだから、犯られたからと言って被害意識など持たずに、ポジテブに積極的に愉しんで犯れば全ては良い方に解決する。
当然のように次々と交代する相手に、素早く人数を熟(こ)なすには挿し込まれた欲棒をモロ出しの股間に咥(くわ)え込んだまま腰を使って頑張り、雌豚の女優妻は自ら積極的に抜き挿しに精を出して射精を促すしかない。
ノンストップで激しく続く連続公開輪姦に雌豚・女優妻は壮絶な快感地獄で苦悶し、快楽とも苦悶とも思える表情を歪(ゆが)め、涎(よだれ)を垂らしながら喘(あえ)ぎ、全身を汗でビッショリと濡れ光らせて吠(ほ)えるような善がり声を上げながら抜き挿しに精を出す。
雌豚・女優妻は肉体(からだ)を震わせ乳房を揺らし、上半身を仰(の)け反(そ)らして身悶(みもだ)え、白濁(はくだく)した愛液に濡れ光るモロに串挿しとなった陰茎を菱型に恥毛に覆われた丸みを帯びた恥丘の下に見え隠れさせて受け腰を使う。
大股開きに開いた太腿(ふともも)の付け根に挿し込まれた欲棒で生々しく股間で繋がり、露出裸身や公然猥褻のモロ見せ性交に身悶える事は、魅せる雌豚・女優妻の羞恥心を煽(あお)り見る者を愉しませる。
交代の時、前の欲棒が抜き去られ動きが止まって女優妻は気持ちが一瞬ホッとするのだが、間を空けずに次の男の欲棒が挿し込まれて女優妻の顔が歪(ゆが)み、欲棒はズンズンと突き入れられて乳房を揺らしながら下腹部の中で快感と共に暴れまわる。
高まって行けば「オマ*コ気持ち良い。」と連呼しながら受け腰で応じる。
身動きが取れない状態にされているから、どんなにされても感じても女優妻には顔の表情を変えるか善がり声を挙げるくらいしか、快感反応を表す方法は許されて居ない。
それでも僅(わず)かに身体を「よじったり、肉体を震わしたり」と結構賑やかい。
「おぉ、奥さんが良い声で鳴くじゃないか、これで**君も一安心だな。」
「はぃ、お蔭様で何とか格好が付きました。」
どの女の場合もさして変わらないが、女優妻の輪姦(まわし)も始まってしまえば四つん這いやM字開脚縛りのまま、休む間も無く入れ替わり立ち代り議員仲間の男達の抽入が繰り返される。
欲棒の抜き挿しが続いて攻め立てられ、内壁を擦(こす)るカリ首の刺激に例え感じ過ぎて苦しくても輪姦(まわし)は止まらないから、両手を握り締め足の指を丸め肉体(からだ)を震わせながら仰(のけ)け反(そ)るしかない。
女優妻も淫(みだ)らで妖しげな表情を浮かべて、その激しさに涎(よだれ)と愛液を垂れ流しにして善がり狂う。
激しい運動量だから女優妻の肌に大粒の汗が溜まり、欲棒を嵌(は)め咥(くわ)え込んだの腰がクィクィと跳ね上がる度、女優妻の裸体をその汗の雫(しずく)が伝わり流れて蒼い絨毯の床に落ちて行く。
気を入れて受け腰を使う女優妻が、絶頂に達するのは間も無くと想われた。
女優妻の夫である若手代議士は、手酷く嬲(なぶ)られながら輪姦(まわ)される新妻の姿を見て、想像して居たより遥(はる)かに興奮していた。
この性交は、愛情が絡(から)まない誓約(うけい)の儀式で、思い遣りなど最初から無い陵辱(りょうじょく)劇である。
只々、口で有ろうが股間であろうがア*ルでさえも、寄って集(たか)って抽入出来る所は全て使って攻めたてて行くので、女優妻の肉体(からだ)も激しく快感に反応して抑え様はない。
正直、人前と言う非日常のシュチエーションで公開性交を犯り始めれば、もう快感を貪(むさぼ)るだけで女優妻には貞操も糞もない。
皆の視線の中心に、輪姦(まわし)終わるまで犯られ続けなければ成らない恥毛も二枚の肉花弁も露な素っ裸の女優妻が眩(まぶ)しく見えて居た。
しかし身勝ってな「ロマンチック」に格好着けて生きるより、大人の「シリアスな覚悟」の方が人間には余程立派なのである。
他人前(ひとまえ)で恥ずかしい事を犯らされて女優妻は羞恥心に燃え上がったが、晒(さら)し者としての羞恥心も陵辱の極限を突き抜ければ観られる快感に変わる。
そこの女性から雌に変わる本能の微妙な機微が判らないと、この陵辱のヒロイン感覚の本質は理解できない。
まぁ、此処までアッケラカンと「他人前(ひとまえ)で犯れる」と言う事は、見られる事にある種の快感を感じて居るからに違いない。
欲棒を挿し込まれ、股間で生々しく繋がっている陰茎を見え隠れさせながら女優妻の性交は続き。
脳の中が性交モード一色の女優妻は白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら歯を食い縛って快感に耐え、男達の突き腰とガップリ組んで、受け腰で快調に熟(こ)なしていた。
その女優妻は欲棒を突き入れられ抜き挿しされている所から愛液を噴出し、太腿(ふともも)に垂らしながら連続する陵辱(りょうじょく)に身悶え、媚を売るように甘い声を漏らして鼻を鳴らし身悶えてみせる。
連続性交は運動量が激しいから女優妻の肌から汗が玉に成って溢れ、裸身が照明でキラついている。
それで途中の水分補給は欠かせないが、それも欲棒を抽入されたままこの場をコーデネィト(段取り指揮者)している佐和子からミニボトルを渡される徹底振りで、犯る事には妥協はない。
お披露目の輪姦(まわし)では人数が多いので、基本的には五〜六人連続で十分〜十五分休ませ、また五〜六人連続で十分〜十五分休ませるインターバル・パターンで、攻め上げて行くから犯られる側の連続性は強烈である。
しかしその場に置かれた女優妻は、肌を汗で光らせ、善がり声に息を荒げ、口から涎(よだれ)を垂らしながらも肉体(からだ)を躍動させ、股間の欲棒との隙間からは白く濁る愛液さえ噴出して太腿(ふともも)に流れ落ちる雫(しずく)の跡を作っている。
勿論それらは演技でもメイクでもなく、男達に無遠慮に犯られる素の女優妻の輪姦性交姿だった。
女優妻は禁断の露出公開性交を仕掛けられて羞恥心で溶けそうな想いに耐え、ギャラリーの熱い視線を集めながら次々に男の欲棒を受け入れて性交を繰り返し続けている。
ヒロイン・女優妻の輪姦ショー公演中の脳内は、非日常の羞恥心と興奮で脳内快感麻薬・ベーターエンドロフェンが充満し、半ば快感にラリる状態反応が明らかだった。
欲棒が挿し込まれて生々しく抜き挿しされ、犯られては果て、犯られては果ての激しい輪姦行為の中、女優妻は極上のオーガズム(絶頂感)を体感し続けていた。
容赦無く攻めたてられて、新妻(女優妻)の「女」が曝(さら)け出されるのを目の当たりにした若手代議士の欲棒は、正直に硬くそそり立っていた。
「おぅ、**君、君も奥さん(女優妻)の奮戦姿に興奮しているようだな。」
そそり立った若手代議士の欲棒を見つけて、山崎代議士が声を掛けた。
「はぁ、まぁ迫力に圧倒されました。」
「佐和子、それを何とかして犯れ。」
「はぃ、喜んで。」
瞬く間に佐和子が若手代議士の前に膝間着き、そそり立った欲棒は佐和子に咥(くわ)えられ唇で扱(しご)かれ始めた。
「どうだ、扱(しご)かれながら愛妻の輪姦(まわ)されるのを眺める気分は?」
「こりゃ、堪(たま)りませんね。」
「刺激が強いから、大体どの亭主も病みつきに成る。」
「どうやら私(若手代議士)も癖(くせ)に成りそうで、その病みつきの仲間入りですかね。」
何も考える必要はない。
輪姦(まわし)が始まって女優妻に要求されるのは、挿し込まれた相手のカリ首がクィクィと内壁を擦(こす)る快楽の為の「リズムと集中」の腰使いで相手をイカす事である。
例え快感が込み上げて来ても、腰使いをは止められない。
それが雌豚・女優妻の身分で、怠(なま)ければ、「横着したら失礼でしょ。」と佐和子のレザー鞭(むち)が所構わず飛んで来る。
女優妻の奏(かな)でる愛液交じりの善がり声が続いている。
「アッ、アッ、アァ〜、アァ〜、アッ、アッ、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
思う存分に、議員仲間の暴れ欲棒にかき回され、終ったら一々「ふつつかな雌豚(めすぶた)を犯って頂いて有難うございました。」と、女優妻にお礼を言わせるのは大人の礼儀と言うものである。
何しろ何人もの他人が臨場する開けっ広げの場なのに、信じられない事にこの陵辱行為に妥協など許されない。
世間では考えられない筈の目の玉が飛び出るほど過激なシーンが、女優妻をヒロインに平然とこの場で生々しく繰り広げられている。
「そう言うプレィをする世界が在る」と噂ではおぼろ気に聞いていたが実在し、今、女優妻はその世界の現実のヒロインだった。
ギンギンに張り詰めた他人の欲棒が、蛙(かえる)の脚様に足を開いた仰向き体制の女優妻に次から次に襲って来る。
前の欲棒が抜けて締まりかけた女優妻の内壁を、次の欲棒のカリ首がまた押し分けて突き入って来てグィグィと突き立てながら一気加勢に追い込んで行く。
息も絶え絶えに、ガクンガクンと肉体(からだ)を反応させ「イキ過ぎてもたない。もう止めて。」と言う口とは裏腹に、女優妻の腰の方はリズムを合わせて生々しく、確り受け腰を使って居る。
もう女優妻は性感に拠る忘我の境地に入って快感を貪(むさぼ)るだけで、周囲の事など気にして居る余裕などない。
連続性交は運動量が激しいから、女優妻の肌から汗が玉に成って溢れ裸身が照明でキラついている。
それで途中の水分補給は欠かせないが、それも欲棒を抽入されたままミニボトルを渡される徹底振りで、犯る事には妥協はない。
勿論、御婦人方も黙っては居ない。
と言うか、イザと成ると女性の方が本性は残酷で、逆らえない生け贄には当然ながら面白がって目一杯キツイ事をさせ、自分達が楽しみたいのである。
面白がって「ほれ、この雌豚(めすぶた)」と、結構口汚く罵(ののし)りながら、茄子、キュウリ、電動玩具で、女優妻を攻め立てる。
始まって、男女構わず次々に犯られてしまえば、もう理性など突き抜けて、考える暇など女優妻には無い。
この陵辱(りょうじょく)ゲームは仲間内のフォアー・アミューズメント(おもしろ半分の慰み)であるから、女優妻にはショウ(見せる・見えるようにする・示す)的な要素が必要で、彼女には如何(いか)に見せるパホーマンス(表現)を犯って見せるかが求められて居る。
正直言えば、他人の女性が虐(いじめ)め犯られる陵辱プレィを観るのは、顔がニヤつく程に政和交歓倶楽部の女達には蜜の味だった。
他人のおシャブり技術を確かめるように欲棒を加えた女優妻の口元や、腰使いを確かめるように欲棒を抽入された女優妻の股間に、女達の無遠慮な視線が集中している。
酷(ひど)い様だが、女優妻は素っ裸でこの陵辱舞台に上がった晒(さら)し者だから、「恥ずかしい」何て甘っチョロイ事を言っては居られない。
卑猥(ひわい)なヒロイン・女優妻は次から次に弄(もてあそ)ばれるので、それに応じるが精一杯で余分な事を考える余裕も無い。
メンバーの女性達も本音は残酷で、女優妻が大勢の男に次々に激しく犯られて居る同性の犯られぷりやイキ(絶頂)の表情などを興味深々で愉しそうに眺めている。
まぁ、「他人の性反応に関心が無い」と言ったら嘘になり、「可愛そう」などと言う口とは裏腹に、この時とばかりに歓声を挙げながら女優妻が犯られるのを確りマジマジと眺めている。
こう言うシチュエーション(設定された状況)では、男性よりもメンバーの女性の方が同性の陵辱には熱心で、生贄(いけにえ)に供される晒し者・女優妻への卑猥な悪戯は愉快犯的に残酷である。
例のオーデコロンの香りが、女優妻の裸身から立ち昇っていた。
代議士夫人の一人が、「ソロソロ雌豚の**(女優妻)にハッスル囃(はや)しをさせましょうよ」と言い出した。
持ち出して来たのは、長さが三十センチはあろうかと思われる吸盤付きで床や壁などに固定して使用するタイプの妙に生々しいカリ首を持つシリコーン・ディルド (張形)である。
一人の夫人がその男根型の性玩具(おもちゃ)を両側を踏んで固定される床板に立て、固定している。
「そうね、それじゃあ雌豚はここに来てこれを跨いで両側を踏み、腰を降ろしなさい。」
男根型の性玩具(おもちゃ)を床に立てて「跨いで腰を降ろせ」と言う事は、ディルド (張形)の抽入を命じている」と女優妻にも判る。
位置を合わせてユックリしゃがみながら、床に立って入る男根型の性玩具(おもちゃ)を抽入した。
「そうそう、それで良いからそしたら皆さんの掛け声で、雌豚は気持ちが良くなるように自分で腰を上下させて。ハィのお返事は?」
「はぃ喜んで。」
「それじゃぁ、膝を開いてそれ、ハッスル、ハッスル。ほら、スクワットの要領よ。」
「はぃ喜んで、こうですね。アァ、入りました。」
「そうしたら、抜けないように気を付けながら腰を上下させなさい。」
「はぃ喜んで。アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
「そうそう、そうやって皆さんにお見せしながら自分で性玩具(おもちゃ)に犯され続けなさい。」
「それ、ハッスル、ハッスル」
掛け声に促(うなが)がされて、女優妻は強制的に腰を上下させられるシュチエーションに成る。
性玩具(おもちゃ)のシリコンラバーのカリ首が、想像以上に女優妻の内壁を擦(こす)り、思わず善がり声が漏れて、女優妻の羞恥心が引き出される。
後で知ったが、最近インリン・オブ・ジョイトイと言うタレントが巷で人気を博して居ると言う。
ジョイ・トイは大人の玩具と言う意味で、そのインリンと名乗るタレントが皮製ハイレグ衣装でM字開脚をして見せる。
マァ、こう言う遊びにはジョイ・トイ(大人の玩具)は欠かせないアイテムで、此処でのハッスル囃子には、吸盤付きで床や壁などに固定して使用するタイプのディルド (現代の張形)が使われる。
勿論、インリン・オブ・ジョイトイの様な生易しいものではなく、ディルド (現代の張形)を股間に咥(くわ)え込んだM字開脚で、ハッスルの掛け声に合わせて腰を上下させ、ギャラリーに感じ悶えている所を見せる趣向である。
「アァ、・・・気持ちが良い。」
女優妻は、「こんな姿を皆さんに見せて、恥かしいけどオマ*コ気持ち良い〜」と感じていた。
代議士夫人達は、女優妻の股間で濡れて光りながら見え隠れする性玩具(おもちゃ)を確かめながら、「ハッスル」と囃(はや)し掛ける。
言うまでも無くハッスルの囃(はや)し掛け声は、女優妻に、夫人の一人が床に手で床固定する性玩具(おもちゃ)に、強要して自分で犯させる為の代議士夫人達の残酷なお愉しみである。
女優妻が深く腰を降ろしてラバー玩具を呑み込むから、腰の上下の動きに玩具の茎が見え隠れしている。
「それ、それ、ハッスル。」
「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
「それ、止まっちゃ駄目よ、ハッスル、ハッスル」
「アッ、アァァ〜、アァァ〜、アッ、アァァ〜、アァァ〜。」
「それ、ハッスル、ハッスル、まだまだハッスル。」
こうも赤裸様(あからさま)に周囲の合意の下で同性を甚振(いたぶ)れるとなると、「そんな事可愛そう」は口先ばかりにメラメラと加虐心が湧いて来て、卑猥(ひわい)な事を面白がって強いる女性の本心が露(あらわ)に噴出する。
そりゃあ誰だって多様性が在る人間だから、正直に言えば本能に虐(いじ)め心は存在するし、その虐め対象の反応も愉しみなのだ。
生ライブ(生実況風景)のセクハラで卑猥(ひわい)な事を逆らえない同性に強いるのは気分が良いし、それを犯られる同性の羞恥反応を真近に観るのも愉しみなものだ。
代議士夫人達の意地悪い囃(はや)し声が、何時(いつ)までも続く。
その囃(はや)しに乗って女優妻は、何時(いつ)終わるとも判らない陵辱ショーに必死で腰を上下する。
女性群の弄(なぶ)りのお愉しみが終わると、また男達が群がって来て輪姦(まわし)責めが再開される。
政和交歓倶楽部の基本理念として、他人(ひと)前でパンティも剥(は)ぎとられてシークレットゾーンも露(あらわ)な心不安な状況の中、無条件で強制的に性交を執行されるのが、素っ裸のお披露目のヒロインの立場だった。
そしてそれには、心の片隅に「そうされたい」と言う気持ちと覚悟がそのお披露目のヒロインに在っての事である。
倶楽部に人格を否定された素っ裸のお披露目のヒロインが乳房を撫(な)でまわされ、双(ふたつ)の尻肉を左右に開かれて尻穴の菊座を撫(な)でられ、股間の二枚の肉唇の間さえ指の進入を許し陵辱を受けるのだ。
一人終われば三つ指ついて「有難う御座いました。」と礼を言い、また次の男に股を開く事が続いた。
議員仲間の究極の輪姦(まわし)責めは強烈で、エンジン全開の勢いでグィグィと、堪(こら)え切れない激しさで容赦無く突き上げられる。
流石(さすが)の激しさに、女優妻は顔を歪(ゆが)め、凄い形相(ぎょうそう)で口をパク付かせて涎(よだれ)を垂れ流し、硬く勃起した乳房を波打たせて激しい受け腰を使う。
襲い来る快感に、女優妻は肉体(からだ)を共鳴させながらながら相手に呼応してクィクィと腰を使い続けている。
女優妻は、特訓中に佐和子から「そこを見せろ」と命じられているから脚を大きく開いて股間の肉花弁のスリットに嵌(はま)った欲棒をギャラリーに見え易くし、その腰をクィクィと生々しく使って抜き挿しの様子を鑑賞させる。
相手が次々と交代して襲って来るから、女優妻は全身を汗でビッショリと濡れ光らせ、快楽なのか苦悶なのか表情を歪(ゆが)めて涎(よだれ)を垂らしながら喘(あえ)ぎ、吠(ほ)えるような善がり声を上げながら肉体(からだ)を震わせて悶(もだ)えている。
細かろうが太かろうが短かろうが長かろうが、ありとあらゆる欲棒が女優妻の事などお構い無しに挿し込まれて、女優妻の肉花弁を巻き込みながら抜き挿しを繰り返し、勝手に満足(射精)して次と交代する。
張り詰めたカリ首頭のエラが次々に女優妻の内壁を容赦なく擦(こす)って、休む間が無いマックス(絶頂)が女優妻の肉体(からだ)を震わしながら続いている。
これはもう根性SEXで、女優妻は美景の顔とは似ても似つかないグロテスクな肉花弁のスリットに、これまたグロテスクなキノコ様の白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る肉棒を股間にズッポリと咥(くわ)え込んで、クィクィと生々しく腰を使う。
マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の連続の場で、女優妻の股間に次々にズッポリと咥(くわ)え込まれた男達の欲棒が、その男の陰茎が尻の上下と伴に白濁(はくだく)した愛液に濡れ光りながら見え隠れさせている。
それでも、大勢の男達に連続して犯られる事を「アンハッピィ(不幸)」と思うか「ラグジュアリー(贅沢・豪華な様)」と思うかは、結局本人の性感次第で、欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を夢中で使うアスリート・ハイ(恍惚忘我)状態に陥ればアンハッピィ(不幸)などとは思わない。
派閥仲間の代議士達に攻め立てられる裸身の女優妻の表情に、夫の代議士はその一瞬の美しさを見てドラマチックな感動さえ覚えていた。
例えラレックス製の大人の玩具(おもちゃ)でも、見ず知らずの他人の欲棒でも、抜き挿しされれば肉体(からだ)は感じるように出来ている。
だから無理もないのだが、女優妻は執拗(しつよう)に輪姦(まわ)されてイキ続けさせられ、クタクタに疲れて他人(ひと)の目を憚(はばか)る余裕も無く大股開きで伸びてしまった。
仕上げに順番が廻った男が、散々に女優妻を突き倒した欲棒のカリ首頭で、欲棒のカリ首頭でイッタ後の敏感に成って居る女優妻の実(サネ/花芯ボタン)をヌメヌメと擦(こす)る。
すると女優妻は、耐えられない表情で断末魔の善がり声を漏らし、腰を振りながらブルブルと身震いする。
これが息つく暇(ひま)無くイカされ過ぎて荒い息をし、呼吸を整えている女優妻への輪姦プレィの堪(たま)らない「とどめ」になる。
肉体(からだ)は正直な物で、この隠せない女優妻の充分にイッている「とどめの性反応」が犯る者観る者のこの場の醍醐味なのだ。
元々惚れて一緒になった女優妻の、夫にも見せた事が無い恍惚の表情だった。
天下の代議士先生の集団が、たかが女優程度で遠慮などする訳がない。
注意深いだけで、女性だって秘めたる性欲や好奇心は旺盛にある。
世の人々は性交などには興味が無い様に装っているが、まともな性癖の男女なら性交を愉しもうと言う本能が在って当たり前である。
そしてその性交には心地良い気分の姦淫ムードを愉しむだけの関係も新鮮で在り、必ずしも性交に「愛情」が拘(かか)わる訳ではない。
日常の空(むな)しさ埋める様に行為に集中すれば、この瞬間だけは意外と頭が空(から)に成り「無(忘我)の境地」に入れる事に気が付いた。
男達に次々と弄(もてあそ)ばれながら、夫との生ぬるい性行為などと比べ物に成らない興奮と刺激が自分にもたらされて、襲い来る快感に悶絶しながら腰を使い、その予期せぬ反応に内心女優妻本人は驚いていた。
結局女優妻は、自分を納得させる理由が在って安心安全の環境が許せば、本音はこう言う事も「犯って見たかった行為」なのかも知れない。
その女優妻の柔らかい肌触りが、興奮でシットリと汗ばんでいるのが本人にも判つていた。
佐和子さんに「あなたは雌豚(めすぶた)に成るように山崎先生(代議士)から命じられた。」と伝えられました。
お披露目パーティ・デビューの間は、赦されるまでは「別命無きは四っん這い」を義務付けられ、私(女優妻)は全裸の上に、子供の拭き掃除の格好(態勢)みたいに尻を高く掲(かか)げた四つん這いで曳き廻されました。
お披露目の最初は山崎先生(代議士)の立派な物をおシャブリして硬くし、そのまま強制口喉(こういん)性交に持ち込まれて両手を首に巻き顎(あご)に手の平を掛けて固定し、腰を突きだしてクイクイと根元まで突き入れられました。
山崎先生(代議士)の加虐感と征服欲は充分御満足でしょうが、私(女優妻)の方は拷問みたいなもので、涙を流し涎(よだれ)を垂れ流して結構辛いおシャブリ奉仕でした。
その後山崎先生(代議士)にはア*ルの方に欲棒を挿し込まれました。
かなり強引で情け容赦の無い構わずの抽入でしたから、挿し込まれた衝撃が半端ではなく痛みで目が潤んで数滴の雫も流しましたが、私(女優妻)は喰い縛ってジット耐えて見せました。
一瞬の間を置いて山崎先生(代議士)の抽送がユックリ始まり、私(女優妻)の方も少しずつ自分からもリズムを合わせて腰を前後して抽送を請けました。
やがて山崎先生(代議士)の抽送に合わせて、私(女優妻)の堪(こら)えたような奇妙な善がり声が自然に出始めて、苦痛が快感に変わり、善がり声の音色が変わって私(女優妻)も山崎先生(代議士)も昇り詰めました。
山崎先生(代議士)が発射して終ると、派内の序列の順で「雌豚(めすぶた)に洗礼をする事に成りました。
佐和子さんが、旦那さんと二人で私(女優妻)の左右の柔らかい太腿(ふともも)と脛(すね)を縄で束ね、束ねた足の膝(ひざ)と細い足首を縄で結わえて左右に引いて身動き出来ないM字開脚の形で固定します。
それで私(女優妻)の股間は閉じる事の出来ない大股開きに成ります。
露(あらわ)に成った私(女優妻)の女性器は何に使われ様がウエルカムで、指責め、器具責め、何本の欲棒でも物理的に拒否出来ないから受け入れ続ける事に成りそうです。
元々、見られたがリ屋が女優になります。
人間の思いは不思議なもので、避けられない事態に追い込まれた私(女優妻)は「ここで他人目(ひとめ)に晒(さら)されて輪姦(まわ)される」と思うと、その興奮に私(女優妻)の子宮はジーンと熱く成って居ました。
女優は見られてナンボの商売ですから、見られる事に喜びを感じます。
人間の深層心理は不思議なもので、理性とは裏腹に、脳で感じる私(女優妻)の心理的感性は、期待で「子宮が熱く成る」と言う予測とは別の反応を私(女優妻)の肉体(からだ)に与えていたのです。
変態の限りを尽くして男達に次々と弄(もてあそ)ばれながら、夫との性行為などと比べ物に成らない興奮と刺激が自分にもたらされて、襲いくる快感に悶絶しながら欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を使う。
その予期せぬ反応に私(女優妻)は自らの性癖に気付いて内心驚いていたのです。
究極の輪姦(まわし)責めに会った私(女優妻)は、周囲を観客に囲まれて、容赦無く突き上げられる輪姦(まわし)の流石(さすが)の激しさに、口を開け放して顔を歪(ゆが)め、襲いくる快感に思わず呼応して受け腰使い、その興奮と刺激に乳首を硬く勃起させて善がり声を発し続けたのです。
片山さん夫婦に仕込まれて、覚悟していたとは言え、素っ裸に剥(む)かれた雌豚にされ、半(なか)ば身動きが取れない状態で、私(女優妻)は派の皆さんに好き勝手に輪姦(まわ)されました。
相手は入れ替わり立ち替わりですから間断なく男達の欲棒が私(女優妻)の股間を貫き、そのカリ首が私私(女優妻)の内壁を擦(こす)り続けます。
襲い来る快感に悶絶しながら思わず股間に欲棒を咥(くわ)え込んだ腰をクィクィと使い、その予期せぬ反応に、私(女優妻)は自らの性癖に気付いて「私(女優妻)は淫乱なのだ」と内心驚いていました。
私(女優妻)、この体験をするまでは普通の女性でしたから、「こんな淫乱な事をしていて良いのか?」と最初は「やましい気分」がありました。
当然の事ですが、「夫に頼まれた」とは言え、こう言う輪姦(まわ)を合意の上で受け入れる事は背徳の香りがします。
それも中途半端なものではなく、電動玩具責めや器具責めプレィ、複数プレィ、同時三穴3Pプレィ、拘束SMプレィ、露出プレィ、輪姦プレィ、果ては獣姦だのSM輪姦プレィと何でもござれの犯りたい放題です。
情け容赦なく男達に次々と弄(もてあそ)ばれながら、夫とのチマチマした性行為などと比べ物に成らない興奮と刺激が私(女優妻)に襲って来ます。
でも考えて見たら誰に「やましい」のでしょう、世間体に対してでしょうか?
私(女優妻)、確信を持って言えますが、こう言う事は体験して見ないと判らないのです。
夫の意向も有りますし、あの時私(女優妻)はセックスマシ−ンに変身したヒロインだったのです。
男性の欲望を、唯、女体に吐き出すだけの積りなら女性もそんな相手は二度と御免の筈です。
でも、犯られて見ると精神的興奮と肉体的快感で失心するほど気持ちが良く、しかも「夫の政治を性事で支援する為」と言う相応の理由があるのですから都合良く自分の理性を納得させられ、本能を貪(むさぼ)る事が出来るのです。
プライド(誇り)とは奇妙なものである。
相手に対してプライド(誇り)を全面に出す事は諸刃の剣で、それで身を律するのであれば良い事だが、ややもするとそれが相手を理解しょうとしない心無い態度となってしまう。
側面から見るとプライド(誇り)の脇には比較として見下げる相手が必要になる。
耳触りの良い話しを聞けば気持ちが良いかも知れないが、プライド(誇り)を肯定するだけでは安易では無いだろうか?
大事なのは真実で、「個人のプライド(誇り)」と言う言葉に踊らされてはならない。
人間だけは生殖時期(発情期)に関係ない「擬似生殖行為(生殖なき性交)」を神様に認められている。
性欲を「恥ずかしいもの」とする事が「勘違いだ」とすれば、情無き性交を問題視する事は愛情の問題ではなく、ただの既成概念に囚われたプライド(誇り)の拘(こだわ)りか独占欲の拘(こだわ)りの問題である。
既成概念で、「私(女優妻)が大勢のギャラリーの前で輪姦(まわし)犯されるなど我慢が成らない」などと、個人のプライド(誇り)の拘(こだわ)ると、判断が鈍り今代議士の妻として何が必要かが見えて来ないのである。
ここ(山崎山荘)は、秩序をクリアとした大人の遊び場で、女優妻に必要とされるプライド(誇り)は、相手を「嫌らしい」と見下げるものではなかった。
シンプルに考えれば、性欲は「子孫を残す」と言う生物本能から始まっている。
従って、秩序を前提にすれば性欲そのものを「恥ずかしいもの」とするのは勘違いである。
実社会での経験は女優にとって宝で、清純な色気にしても妖艶(ようえん)な色気にしても色気の無い女優など役に困る。
女優妻に要求されているのは、見事個人のプライド(誇り)をかなぐり捨てた雌豚に成り切って、輪姦(まわ)し犯される女優魂のプライド(誇り)だった。
昔から役者にしても落語家、講談師、漫才師、歌手にしても、遊びは「芸の肥やし」だった。
いや、芸能界ばかりでは無く、小説家や脚本家、政治家から企業家まで経験は物を言い、世間知らずでは良い仕事は出来ない。
まぁ良い仕事の為には経験学が大事な職業も在るから、そんな経験を必要とする結婚相手に不満なら、そうした経験を必要とする職業の相手とは始めから結婚しない事である。
女優妻もそうした職業の世界に居るのだから、女優妻に取って必要な演技とは感性のもので、役者は上面(うわっら)の演技テクニックで誤魔化している内は大根役者で、煮物大根の様に確り味が染(し)みこんで、その場面に入り込んでこそ名演者である。
愛人役一つ取り上げても、良く世間の女性は娼婦や愛人・二号、浮気する女性を「イケナイ事だ」と軽蔑したり敵意を抱くが、それは全て自分は努力しないで略奪から自らを防衛する為の敵意からである。
その証拠に、映画やドラマを見ても主人公が愛人・二号や浮気女性だったりするとスッカリそちら側に立って思い入れも出来、実際本人が愛人・二号に立場が変わったり浮気相手が出来る。
そしてそれらの全てに性交が伴っていても、「イケナイ事だけど、愛しちゃったのだから仕方が無い」と、ご都合主義で開き直るのも女性である。
本気で這い上がりたければ、プライドを棄てなければ成らない。
女優妻は思ったより芯が強く、本質的に人生を負ける積もりで生きている様な弱い女性では無かったのだ。
しかし物は考え様で、男性は勿論女性だって大勢の相手と性交して普段出来ない快感を得る事は「贅沢」と思えばこれ以上贅沢な事はない。
そうした人間の機微を女優妻が理解する為には、あらゆる経験をして感性を磨(みが)き、味が確り染み込(し)まなくては良い役者には成れないものである。
それにしても、助平なのは男だけではありません。
プライド(誇り)を棄てた雌豚は、奥様方の良い気晴らしの性玩具(おもちゃ)なのです。
いざとなったら女性の加虐性も凄い物で、面白がって何でも犯らせる事の出来る雌豚の私(女優妻)を性玩具(おもちゃ)にして、淫乱な事を犯らせます。
それは男性陣だけがお楽しみでは詰まりませんから、その日の生け贄は御婦人方にも楽しんで頂かねば成りません。
その極(きわ)め着きが、御婦人方の「恐怖のハッスル囃(はや)し」です。
一人の夫人が、手で床固定した男根型の性玩具(おもちゃ/シリコン製のディルドー)を私(女優妻)に跨がせて腰を降ろして抽入させ、スクワットの要領で私自身が腰を上下させて男根型の性玩具(おもちゃ)に犯され続けるのを命じます。
腰を降ろしてシリコン製のディルドー女陰器に押し込むと、何故かあの小椋佳作曲・梅沢富美男の「夢芝居」の曲がバックミュージックで流れ出し、「あやつりつられる夢舞台」の強制オウンマークスポート(自主弄び)ショーが始まったのです。
御婦人方全員が、男根型の性玩具(おもちゃ)に貫かれた私(女優妻)の股間を眺めながら、私(女優妻)に「ハッスル、ハッスル」と口を揃(そろ)えて囃し(はや)たて、腰を使わせて私(女優妻)自ら性玩具(おもちゃ)に犯され続けるのを強要します。
「それ、ハッスル、ハッスル」
あぁ、性玩具(おもちゃ)のシリコンラバーノカリ首が、想像以上に私(女優妻)の内壁を擦(こす)ります。
「アァ。」
「それ、それ、ハッスル。」
「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」
どうせ見世物商売(女優)の私(女優妻)です。
御婦人方に、私(女優妻)の股間で濡れて光りながら見え隠れする性玩具(おもちゃ)を、御婦人方に見て頂いています。
私(女優妻)の股間を貫くシリコンラバー製のディドル(張り形/男根型性玩具)が、乳首が立つ乳房を上下に揺らし髪を振り乱してギラギラした視線を浴びながら腰を浮かせば浅く、沈めれば深く見え隠れしている事でしょう。
「それ、それ、ハッスル、ハッスル。」
こう言う設定は面白い物で、「酷い事をさせる」とは私(女優妻)が想っても、それを他人(ひと)前で犯らされるのですから、脳が爆発しそうな羞恥心と湧き上がる被虐の興奮が入り混じって、私(女優妻)に特別な感性を味合わさせます。
最悪の羞恥心を引き出されるシュチエーションで、その「恐怖のハッスル囃(はや)し」に掛けられ、私(女優妻)は腰をピッチング(上下動)させ続けるのです。
「それ、止まっちゃ駄目よ、ハッスル、ハッスル」
チョット待ってください。
御婦人方の意地悪い囃(はや)声が、何時(いつ)までも続きます。
あぁ、恥かしいけどオマ*コ気持ち良い〜。
「アッ、アァァ〜、アァァ〜、アッ、アァァ〜、アァァ〜。」
「それ、ハッスル、ハッスル、まだまだハッスル。」
「エゲツ無い行為を閲覧させる」と言う要求に応えて、シリコンラバー製のディドル(張り形/男根型性玩具)を股間にを咥(くわ)え込んだ浅ましい格好の女優妻に拠る強制オウンマークスポート(自主弄び)ショーのエクスビショプレィ(露出行為)が始まった。
彼女は首を少し曲げて顔を右に傾(かたむ)け、口を半開きにして善がり声を漏らし、乳首が立った乳房を上下に揺(ゆ)らしながらギャラリーの「ハッスル」の掛け声に合わせて腰をピッチング(上下動)している。
「それ、ハッスル、ハッスル、ハッスル、ハッスル。」
「ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、ア、ア、オマ*コ気持ち良いー。ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜。オッ、オマ*コ気持ち良いー。」
女優妻の腰がユックリと上下する度に二枚の肉花弁がパックリ開いて内側のピンクの蕾も丸見えの彼女の開脚スクワットの中心でグサリと嵌(は)め込まれたピンク色シリコンラバー製のディドル(張り形/男根型性玩具)の陰茎が生々しく見え隠れする。
勿論女優妻には、浅ましい見世物を演じさせられている自覚はある。
その卑猥(ひわい)で惨めな女優妻の様子を、周囲のギャラリーが残酷に微笑みながら異様な目で眺めていた。
この輪姦(まわし)の間中、生け贄の女優妻は変態の限りを尽くして攻め立てられ、「ギャーギャー」と善がり声をあげ続け、失心を繰り返しつつ次の相手に犯されながら正気に戻されるる修羅場を繰り返して、いつ果てるとも知れない時間を過ごした。
女優と言う性(さが)は、例え裸の時でも自分がどう見られるかについては厳しく、犯っていてもギャラリーにどう見せるかに気を使う。
つまり渾身(こんしん)の舞台だから、彼女の性交姿は、周囲を飽(あき)きさせない「見事な犯られっ振り」と言う事に成る。
一人終われば三つ指ついて「有難う御座いました。」と礼を言い、また次の男に股を開く時間が続いた。
まぁ、これでわだかまりは洗い流され、生意気だった女優妻も派閥の仲間と認められたのだから仕方が無い。
輪姦(まわし)は、女優妻と多人数の成熟した性器と性器が抜き挿しされて海綿体が接触するのだから、流石(さすが)に犯られっ放しの女優妻の運動量は半端ではない。
それでも女優妻が渾身(こんしん)の受け腰使いで快感を迎えに行き、抜き挿しの努力をすれば、一人熟(こな)すのに二〜三分、永くて五分あれば相手はイクから、三十分あれば連続十人は快適に行ける。
インターバル(休憩時間)を五分ほど挟(はさ)んで通算五十分ほどあれば、壮絶には違いないが相手の重複トライを数えても累計で二十人は熟(こな)せる計算だ。
これを毎回徹底して繰り返させて持久力を身に着ければ、輪姦(まわし)何か女優妻にはもう何でもない。
それ処か、大変過激には違いないが過激故に所謂スポーツハィ状態に酔えば天国も見れるのがご褒美で、それを経験すると「また犯りたい」と病み付きになる。
男性が直ぐ終わる一対一の「夫婦の性交」と違い性交感覚の刺激が繰り返し続くのだから、女優妻にして見れば肉体的本音は「癖に成るほど良い」に決まっている。
彼女の湧き上がる達成感がそうさせたのだが、縄を解かれて仲間と認められると、女優妻は感激して、命じられもしないのに先ほど世話になった議員仲間の欲棒を、四っん這いで一本一本口で拭(ぬぐ)って歩き、また誉められた。
性交の宴(うたげ)では、あらゆる手段を講じてど肝を抜かれる破廉恥(はれんち)なトライアウト(適性実技試験)を徹底し、親交のツール(道具)としてスマート(洗練された形状)なデビタント(お披露目者)にリノベーション(刷新、改善)されてこそ目的に適う。
しかも女優妻は、職業柄舞台に登れば監督の操り人形として指図通りに成る事には成れている。
そして、多数の目に晒される環境下で犯って見せると言う想像を超える強烈な狂気の興奮と快楽の世界を味わってしまえば、どんな女性でも並の平凡な性行為では興奮などしなく成り、エスカレート(激化)する事に抵抗が無くなるのかも知れない。
「政和交歓倶楽部」は、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)を親交のツール(道具)とする場で、女性を興奮させるパホーマンス(肉体を用いた表現形態/遂行能力や性能)として、乱交や輪姦性交は物凄い破壊力があるのだ。
この女優妻は、「演ずる」と言う意味では岩代言う所の【右脳派人間】で、職業柄性に対しては開放的で奔放な心理の持ち主であった。
このお披露目パーティで、政和交歓倶楽部のメンバーに輪姦(まわ)される為に、素っ裸で引き出された女優妻だった。
「腰を使いながら皆さんに聞こえるようにオマ*コ気持ち良いと言って見ろ。」
「はぃ、アァ〜オマ*コ気持ち良〜い。アァアァ、オマ*コ気持ち良〜い。」
馬鹿でかい女優妻の声が山荘中に響いた。
性交中に「オマ*コ気持ち良い」を言わせるのは、それが本人を燃え上がらせる魔法の言葉だからである。
「オマ*コ気持ち良〜い」と叫べば叫ぶほど女優妻の快感はボルテージを上げ、肉体(からだ)体の方は正直で、女優妻の乳首が硬くなって立ち上がり興奮している事を隠せない。
理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は女優妻には無い。
そして避けられない性交遊びであれば、オーガズムの到達点に到るまで女優妻は愉しんで犯って見せるしかない。
奇妙な心理だが、既に少なからぬ妥協をした後では引き下がれば犯られ損で、乗りかかった船は女優妻には今更尻尾(シッポ)を巻いて降りられない。
もぅ、彼らは次々に入れ替わって女優妻を欲棒でズブリと貫き、クィクィと腰を入れてリズム良く抜き挿しをして来るから、こう成れば女優妻も気合を入れて必死に受け腰を使うしかない。
赤の他人の欲棒を生々しく咥(くわ)え込んだ女優妻の、既(すで)に絶頂域を続けている腰の動きが妙に艶(なま)めかしい。
「アッヒィー、アアアアアアアァー、イク、イク、アァー。」
女優妻は襲い来る刺激に耐えられず、ガクンガクンと上半身を跳ね上げ、明らかに絶頂を貪(むさぼ)ってその快感に浸(ひた)っている。
それにしても男性と違って肉体的に、連戦で赤の他人との性交を犯る事が出来るのだから女性は凄い。
周囲を順番待ち組と鑑賞組の人の輪で囲まれる中、女優妻は生々しく結合部も露(あらわ)に、乳房を揺らし善がり声を挙げながら壮絶に相手の抜き挿しに受け腰で応じている。
激しいピストン運動に女優妻の顔が歪みながら左右に嫌々をし、股間に抜き挿しされるその淫茎は抜き状態では濡れ光り見え、挿し状態では根元近くまで中に達している。
勿論こんな非日常の興奮は、女優妻に取って夫婦で犯る日常の性交ではとても味わえない強烈な刺激で、羞恥心など只の味付けだった。
次々と無遠慮に犯られる女優妻は、公開性交の露出羞恥心も脳内に噴出する興奮のドーパミンの快感に後押しされて、脳内麻薬・ベータ・エンドロフィンの誘導が起こる。
やがて女優妻は、セックスハイ状態に到達して涎(よだれ)を垂(た)らしながら尻を振り、性交を続けて快感を貪(むさぼ)り、素の女性(おんな)を曝(さら)け出す。
夕方五時頃から翌早朝の三時頃まで十時間かかって、終わった頃には睡魔が襲って来ていた。
輪姦(まわ)され終わった後の女優妻の気分は、盆踊りやディスコダンスを夜明かし踊った後のような、けして嫌では無い贅沢でさわやかな疲労感だった。
恐らくまだ女優妻の脳の中には興奮状態で発生されるドーパミンに誘導された脳内麻薬・ホルモンベータ・エンドロフィンの名残が、心地好く残っていたのだ。
女優妻にしてみれば、夫の前であれだけマルチSEX(複数性交)の快感に痺(しび)れ、欲棒を咥(くわえ)た腰を浮かせて振ってしまえば、今更格好を付けて「その性交遊びが嫌だった」とは言い難い。
むしろ、思わず向かえ腰クィクィで応じて快感を貪(むさぼ)ったそのマルチSEX(複数性交)は、正直な所「凄く気持ちが良かった」としか女優妻には言い様がなかった。
しかも大勢の他人が、その快感を貪欲(どんよく)に貪(むさぼ)る女優妻の、欲棒を咥(くわ)え込んだ生々しい腰使いの様子を目撃しているから、今後はそのメンバーにも今更格好は付けられない。
連続性交で嵌(は)め倒されて無理も無い事に、女優妻は素っ裸大の字で心地良い疲労感を愉しんでいた。
散々に肉体(からだ)で快感反応した後で、犯られ終わって呆然と抜け殻みたくなった女優妻が、精魂尽きた風情で素っ裸のまま大股開きで床に転がっている。
同じ相手のリピート(繰り返し/再性交)も在ったから、女優妻は続け様(さま)に、いったい何本の欲棒に肉体(からだ)の中心を貫抜かれ、犯られ責められた事か。
十時間に渡る壮絶な輪姦(まわし)の激戦の官能の時間が過ぎた後は、心地良い疲労感と伴に女優妻の股間にはまだ何か突き刺さっているような感覚が残っていた。
姦淫ムードの心地良い気分を煽(あお)り、輪姦(まわし)を熟(こな)してあれだけ大勢の男達に犯られ続けイカされ続けたのだから、今はその余韻に浸(ひた)って床にしどけなく転がるこれも仕方が無い。
とんでもない夜遊びだが、楽しい事を犯っている時は眠気も醒めるものらしい。
元来人間は群れ社会の動物で、精神心理の中に支配欲(S性)や被支配欲(M性)を内包している。
その潜在欲求を満足させる事でSMプレィは成立し、山崎派と言う群れの絆が図られている。
山崎派の秘密パーテーの生け贄は究極の誓約(うけい)だから、挨拶代わりに抱かれてしまえば気心も通じる。
勿論、仲間の結束を確認する意味もあるが、代議士は落選すれば只の人で、即失業する過酷な仕事である。
代議士の座は、妻が肉体(からだ)を張ってでも護(まも)らなければならない。
それ故に、辱(はずかし)められ様が、弄(もてあそ)ばれ様が、修羅場に絶えられないようでは、代議士の妻など出来た話しではないのである。
「美人女優だから」と言って、天下の代議士先生の集団が遠慮などする訳がない。
派閥の秘密パーティで、生け贄の試練を受けるのはその意味で、代議士の妻としての根性を入魂する儀式でも有るのだ。
それが礼儀だから、雌豚の女優妻は、全裸四つん這いで山荘の外まで曳き出され、「今日は可愛がって頂きまして、有難うございました。」と感謝を込めて仲間を玄関で見送り、パーティデビューを締めくくった。
此処(山崎山荘)は善がり声を抑(おさ)える必要など無い場所だった。
まぁ女優妻も、他人前(ひとまえ)で晒(さら)し者の素っ裸に剥(む)かれて、不安に頼り無い想いをさせられて居ては、今更格好付けても仕方が無い。
「この先は長い。今日はまだ序の口だ、ジックリ味わいなさい。」
こう言う事は女優妻の犯る気次第だが、行き成りの長期化宣言だった。
それにしても、一人の女性を躾(しつ)けの為に結束して攻め挙げ、仕上げるには仲間内の連帯感の絆も生まれるものである。
「また遊ばせて犯るから直ぐおいで。」は、飼い主(山崎代議士)からの輪姦プレィのお誘いである。
夫が世話に成る政和交歓倶楽部の仲間は大切にしなければ成らず、勿論お披露目を犯る以上は愉しく遊んで貰わなければ成らず、夫の為にも女優妻に半端な事はできない。
遊びの性交は、元を正せば非繁殖目的の「擬似生殖行為」で在って、他の動物のように繁殖期を持たない年中発情の人間種独特のものである。
そして年中発情の人間種の本能が満足を求めて遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそあらゆる性癖が発生して次第にエスカレートする。
その「擬似生殖行為」が脳の活動に組み込まれているからこそ、人類の皆が「性」に興味が在って、「尋常な性交など詰まらぬもの」と言う共通意識が密かに育つのが人間である。
人間の行動には必ず自身の思い入れがあり、それが無ければ納得は出来ない。
理解出来ない人が多くて困るが、人間の認識など変えうるものだから本来「常識」とか「普通」と言うものは存在しない。
それを「常識」とか「普通」と言い張って他の視点を受け入れない所に矛盾が有る。
人間の思考角度や方向は、そんなに単純なものでは無いのである。
ものは考え様で、女優妻に輪姦(まわし)は良い経験だった。
名女優は、どんな役でも演じる事が出来る。
「演じる」と言う意味では経験も大事だし、究極の経験は役者度胸も着く。
当たり前の事だが、誰でもが持ち合わせている顔に似合わない卑猥(ひわい)な女の部品が、女優妻にも付いている。
どんなに美人で、どんなにスタイルが良くても、このグロテスクな女性器は性交の為の肉体の一部として違和感タップリに備わっている。
それを目一杯使って新しい境地を掴(つか)めば、新しい感性が身に着いて演技の幅も人間の幅も広がるに違いない。
女優妻は、容赦ない欲棒の訪問が果てし無く続く輪姦(まわし)を、息を絶え絶えに素っ裸の肉体を駆使して見事に犯って退(の)けた。
お披露目の公開性交を犯ってしまって正直言うと、女優妻はおシャブリも腰使いも上手く犯って相手を満足させたのだから、内心結構満足が行く出来(デキ)のお披露目だった。
禁断の露出公開性交だからこそ、他人前(ひとまえ)素っ裸で此処まで激しく犯らされれば上出来(ジョウデキ)で、女優妻の脳みそは羞恥心で心地良く溶けそうだった。
その後も女優妻が、素直に「雌豚を続けて居る」と言う事は、つまり本音が「ストライクだった」と言う事である。
それからの女優妻は、明らかに依り美しくなった。
人間の脳は必要に応じて全身に指令を発して制御するから雌豚に成ってからは、他人前で裸身を晒(さら)す機会が増えたのを女優妻の脳が敏感に他人目(ひとめ)を意識して綺麗に成ろうとする。
勿論、良い性交を度々経験すれば、女優妻の性フエロモンが活性化して驚くほど変化を魅せ、魅力的な女性(おんな)醸成される。
それで他人目(ひとめ)に磨かれた女優妻には経験が滲み出る様な「良い女オーラ」が着衣の上からも発散され、周囲は日常生活の中からも女優妻の裸身を想像する雰囲気になる。
女優妻は、安心して自分を曝(さら)け出せる環境を得て、卑猥(ひわい)で奔放(ほんぽう)な新しい回路が女優妻の脳の中に接続し、「犯られる」と言う貪欲(どんよく)な受身の性欲を持ち始めたのである。
深く考えれば、何事も犯らない内から「犯れない」では話にはならず、犯って見て考えるべきである。
犯ってしまえば変なもので、見ず知らずの男達に輪姦(まわさ)れても、応じるコツを掴めばそれほど嫌なものではない。
経験学は大事で、昔から役者にしても落語家、講談師、漫才師、歌手にしても、遊びは「芸の肥やし」だった。
いや、芸能界ばかりでは無く、小説家や脚本家、政治家から企業家まで経験は物を言い、世間知らずでは良い仕事は出来ない。
そうした人間の機微を理解する為には、あらゆる経験をして感性を磨(みが)き、味が確り染み込(し)まなくては良い役者には成れない。
いずれにしても、チヤホヤされてトンガって居た女優妻にすれば、夫に仕掛けられた秘密の輪姦遊びはかなりのお仕置きだった。
この秘密の輪姦遊びが終わった当初、女優妻は「こんな事を犯るのは、もうこりごり」と言う気持ちが強かった。
所がそれはほんの二〜三日で、一週間もすると、あの連続性交の快感が脳の中によみがえってなっかしく、子宮がジンとし、女優妻は次に秘密の遊びの声が自分に掛かるのを密かに待つように成った。
一度輪姦(まわし)の修羅場を体験して、否定したくても出来ない期待が女優妻に膨らんで来て肉体(からだ)が疼(うず)いていた。
つまり女優妻の中で、理性と感性で大きな行き違いの葛藤(かっとう)が起きていたのだ。
女優にとって、経験は演技の糧(かて)である。
益してや芸術に於いて発想が自由でなければ斬新な思考は創造(う)まれないし、女優はその能力に於いてやれる事が増えて始めて生き方の幅が広がる。
女優妻は輪姦(まわし)を経験し、もう引き返せない所までドップリと山崎派の仲間に浸(つ)かってしまったのだから、どうせ卑猥(ひわい)ならいっそ血湧き肉踊る遊びを夫婦で犯れば良い。
この若手代議士婦人の女優妻、清純派で人気を博していて、「結婚で人気が落ちる」と思っていたが、返って結婚後は清純の中にも「時折ゾッとする色気が着いた」と評判に成った。
女優妻の人気は、見かけの可憐さに気の強そうな中にも優しさが滲み出る日本女性として理想的な雰囲気にある。
そしてそれは実際に彼女の本性で、この山崎派の雌豚として仕込まれてからは M(マゾ)性を自覚して妖し気な色香が加わり、いっそうその理想的な雰囲気に磨きが掛かっている。
芸能事務所の清純路線はそのままだったが、裏で山崎派のパーティ呼び出されて、こっ酷いSM調教の洗礼を受け続けているのだから、女優妻からM(マゾ)の色気が漏れても仕方が無い。
そして、何よりも傲慢(ごうまん)さが消え、監督やデレクターの評判も「素直に言う事を聞く」と上々である。
「あの**(女優妻)、最近演技に幅が出て来たなぁ。一皮も二皮も剥(む)けたと監督も感心していた。」
「そう言えば、滲み出るような色気もあるし・・・」
「国会議員の旦那様の躾(しつけ)が良いのかなぁ?」
「旦那に犯り倒されて素直になり、世間が判るように成ったのじゃないか?」
「言えてるかもな。」
監督やデレクター仲間の評判に成ったのだが、代議士婦人に納まって「益々お高く止まる」と思った女優妻が、安に相違して腰が低い低い。
結婚して世間を知ったのか、今まで断っていた酒の付き合いはするし、酒の上で下着に手を入れられたくらいでは女優妻も動じず、笑って触らせているくらいに付き合いが大人に成った。
「おぃ、驚いたよ**(女優妻)の奴。」
と、若手のデレクターが、居酒屋でグラスを傾けながら同僚のデレクターに自慢話を始めた。
奴(女優妻)を酒に誘ったら「付き合う」と言うから例の六本木のクラブへ連れて行って個室に入ったんだ。
それで呑みながら撮影(とり)の話をしていたんだが、何しろ個室席だから段々に酒を飲まして酔わせ、頃合を見て奴(女優妻)の下着に手を入れた。
そしたら、俺の手を払い退けるどころか「判りました。チョット待って」と来た。
何をするのかと思ったら、その場でブラとパンティを脱いで来て、「ドーゾ、これなら邪魔が無いでしょ。」だって、「もう触(さわ)り放題だったよ。あいつ(女優妻)代議士と一緒になって人が変わったなぁ。」
「なあ〜んだ、それくらい甘い甘い。俺なんか奴(女優妻)にシャブらせたぞ。」
「本当か?」
「俺が嘘を言うか、**(女優妻)の奴は、仕事で世話に成っている相手の言う事なら、おシャブリでもチャント素直に言う事を聞くぞ。旦那の代議士先生が仕込んだのかな?」
「本当か?じゃ俺も今度は代議士夫人におシャブリをさせよう。あの清純そうな顔に咥(くわ)えさせたら堪(たま)んないだろうな。」
「それなら、奴(女優妻)に優しく言うな。お願いするのじゃなく、命令口調で強く言ってみろ。黙ってパクリと咥(くわ)えるから。」
「何ぁんだ、強く言えば言う事を聞くなら、**(女優妻)の奴はマゾだな。」
「そう言えば、あの**(女優妻)、今、大浜岸(おおはまきしべ)監督のハードコアポルノ映画の主演話があるらしい。奴(女優妻)がマゾなら本当に有りかも知れない。」
「大浜岸(おおはまきしべ)監督と言うと、あの戦後哀歌の事か?」
「そうそう、戦争で未亡人に成った若妻が、進駐軍(米兵)の性の防波堤として臨時政府が募集したパンパンに成る話。」
「しかしあれ、米兵との純情恋愛ストーリーには違いないが、本番SEXシーンが総尺の三分の一はあるらしいぞ。」
「あいつ(女優妻)は犯るつもりらしいけど、代議士の御亭主が許すまい。」
「しかしあのオッサン(大浜岸監督)、主演も助演もキャステイング面接テストで女優なら犯っチャウって有名だぞ。」
「あぁ、それなら本当だ。あのミスユニバース日本代表だった嫁さんもそれで手に入れたし。」
「まぁな、この業界は撮影がスムースに行くように競演する俳優と女優が挨拶代わりに寝る習慣もあるから、映画競演で結婚まで行くのは珍しくないからな。」
「まぁ競演が一度寝てしまえば息もピッタリで、良い画(よいえ/映画)が撮れると言うからな。」
「確かに、大浜岸(おおはまきしべ)監督作品なら話題性も抜群で、海外の引き合いも多いから国際女優に成れる。奴(女優妻)が本番撮影を思い切っちゃえば、チャンスだぜ。」
「しかしなぁ、国内は修正版でも、海外用はあそこが丸出しの無修正版だぞ、犯るかあいつ(女優妻)が・・・。」
「犯らせ兼ねないぞ、あの大浜監督には伝説の武勇伝があるからな。」
「何だ、その伝説の武勇伝て?」
「あのオッサン(大浜岸監督)の奥さんも美人女優だろう。彼女ほとんどの大浜作品に出ているのだが、結婚後の大浜映画でも主演男優にその嫁さんを構わないから本当に犯れとけしかけて撮影したそうだ。」
「本当に犯らせて撮ったって、その伝説話、本当か?」
「あぁ、作品の出演中に犯るのは演技だから犯って構わないと、ラブシーンで共演俳優をけしかけて掛け布団の下で本当に犯らせて撮ったと伝説がある。」
「そう言えばあの監督、その噂が立った監督婦人が主演の映画の濡れ場を撮る時、相手役の俳優と前々日からホテルの部屋に二人っきりにさせて閉じ込め、充分リハーサルをしろと言ったと噂を聞いた。」
「それよ、丸二日部屋に閉じ込めてリハーサルを監督命令でさせて、犯り慣れさせたから本番はスムースに撮れたそうだ。」
「そりゃあ、表向きは迫真の演技と言う事に成っているが、それだけ犯り慣れさせたら本番でも出来るだろうな。」
「確かに本当に犯っていれば、演技が本物になって臨場感がある良い画(よいえ/映画)が撮れるな。」
「掛け布団の中だったが、監督婦人の美人女優の悶え方が大迫力だったそうだ。」
「なら、ヤッパリ犯らせて撮影したんだ。あの監督、日本でも一〜ニを争う国立大を出(卒業)た秀才だから脳みその出来が違い、感性が一般人のように小さく縮んでは居ないのだろうからな。」
「今では奥さんの美人女優も年配に成ってその伝説だけ残っているが、共演俳優が何人も本当に犯ったと証言しているし、週刊誌にも載った事がある。」
「うぅ〜ん、その後に撮ったのがあの有名な本番映画か・・・・」
「まぁ、そう言う事だ。」
「女優に成る奴は基本的に注目を浴びたい見せたがりの上に、ドが付くM性だからあいつ(女優妻)本気で撮りたがって居るのじゃないか?」
「すると、後は議員の旦那様の説得だけか。」
「それだがな、もう夫婦で大浜岸(おおはまきしべ)監督の所へ挨拶に行ったと言う噂もあるぞ。」
「あいつ(女優妻)の本番撮影なんて見物だろうなぁ。」
「うぅ〜ん、まさかとは思うが、あいつ(女優妻)が犯るなら見物だから俺はギャラがタダ(無償)でもスタッフに潜り込むぞ。」
「戦後哀歌は中身も敗戦直後の哀しい時代の話で、社会派のテーマ・ストーリーだから、政府管理の売春婦と若い米兵の純愛に裏腹の現実、生々しい売春本番SEXシーンが矛盾して存在しないと映画にはならない作品だ。」
「そうだな。無名女優でなく今人気絶頂のあいつ(女優妻)が犯れば歴史的傑作として、間違いなくのあいつ(女優妻)の代表作に成るぞ。」
「大浜組が撮影(とる)のなら京都(京都撮影所)だろうな、今の内に当たりを付けて置くか。」
実は映画業界の裏話をすると、ベテラン俳優のキスシーンなど、フイルムが廻って居て女優がNGに出来ないのを良い事に、強引に舌を入れて来るのはまぁそれは挨拶代わりである。
その時の女優の反応次第でベテラン俳優なら絡みの場面(性交シイーン)の撮影の時には布団や毛布の影で股間に手を入れて来て弄(なぶ)りながら撮影する。
これもフイルムが廻って居てNGに出来ないから黙って弄(なぶ)らせるしかないのだが、勿論布団や毛布が妙にリアルな動きをする。
場合に拠っては、どさくさ紛(まぎ)れに本番まで行ってしまう事もあるが、その犯られて居る女優の表情がリアルで撮影OKに結び付く。
だから撮影現場では、二人が「本当に犯って居る」と想像が着いても、観て観ぬ振りでなのは、業界人なら周知の事実である。
例え女優の方がそれで被害を訴えても、ベテラン俳優との力関係で「この業界はそんなものだ」と事務所やマネージャーに説得されて引き下がる事になる。
勿論大物俳優が相手だと、ラブシーンの予行演習を名目にホテルの部屋を訪ねて特訓を受ける事も在る業界である。
まぁ女性は勝手なもので、好む相手なら訴えない事も嫌な相手だと「セクハラ」だと言い出す。
「セクハラ」が、例え男性の一方的で邪悪な欲求でも、ハネつければ恨みが残る。
逆説的に言えば、女優妻に取って自分を支える映画やドラマの関係者は好むべき相手だから、「セクハラ」だとは言えない。
そこで利巧な女優妻は、例えお触りやおシャブリでも相手の要求に応える事は、相手に対する「好意の表現」と心に決めたのである。
自分が思考や感情をコントロール出来てこそ大女優に成れる。
雌豚調教の試練の後では、お触りやおシャブリなど何でも無い。
犯る事を犯れば相手も悪い気はしないから、仕事振りで相応の支援をするようになる。
役者は起用されてこそ仕事になるのだから、周囲に対する心使いを忘れてはいけないのである。
肌触り肌の温もりは無言のメッセージで、それを供(きょう)する事は感謝する相手に対する最大限の誠意である。
良い方に転べば、次々と悟りが開けるもので、「肉体(からだ)を許す位簡単な事だ」と悟れば、それなりの使い方が出来る。
女優妻自身も気が付いていたが、不思議なもので、山崎派の秘密パーティでトコトン辱められて素直に成ったら業界周囲の評判がすこぶる良く成った。
そう成ると、薄っぺらいプライドを後生大事に守って居た事がバカみたいで、応用編は幾らでもある。
今までは夫の後援会でも浮いた存在だったが、派のパーティで世間を学んだ。
これからは、地元の後援会の実力者との付き合いにも気を配り、酒の席でのささやかなお触(さわ)り御乱行のお相手もこなして、これも素直におシャブリ位の誠意を示して接するように成ったら皆が認めて女優妻の存在を立ててくれる。
とどの詰まりは代議士なんて、派閥の支援と地元の後援会が無ければ当選など有り得ない。
当然、主だった後援会の実力者には、日頃の助力のお礼は肉体(からだ)を許して内助の功を発揮する。
それで、「代議士の嫁は女優なのに、腰が低い良く出来た嫁だ」と評判になり、本人も、「月に数度の秘密パーティで犯られる事は、自分にとって良いかも知れない」と思うように成って居た。
「どうだね奥さん(女優妻)の様子は、続けられそうかね。」と山崎代議士が、電話で若手代議士に公開調教の首尾を聞いて来た。
「実の処、内の奴(女優妻)の様子は、嫌だったと言うよりも、むしろ愉しんでスッキリした様な雰囲気でした。」
「じゃろう、あれ(輪姦プレィ)を経験した女性の大概は後も好感触だよ。」
「はぁ、家に帰った後もまんざら嫌そうでは無い様子でした。」
山崎代議士が、「もう一度奥さん(女優妻)に輪姦(まわし)を犯らせてみれば、反応感度で調教の出来が判るだろう。」と笑って若手代議士に言い放った。
「えぇ、命じていただければ連れて行きますからまた皆さんで犯ッちゃって下さい。」
正直、政和交歓倶楽部の一回目のお披露目輪姦は「お試(た)めし」で、二回目を呼ばれないと倶楽部の入会を認められないから「只の犯られ損」である。
そして要領も判っただろう二度目の輪姦プレィでは、犯らされる女優妻も淑女の仮面を脱ぎ捨ててプレィをテンポ良く熟(こな)し観せ、モタツキなどは赦されない。
元々「変態の素質」はアンソロポロジー(人類学)的な生物学的特性で、唯一ホモサピエンス(知性人)に潜在する性癖だから、他の生物に「変態」は存在しない。
何しろ女優妻は、本来なら世間では「ふしだらな淫乱女」と罵(ののし)られる卑猥(ひわい)でエキサイティング(興奮させる)な遊びを、大勢を相手に犯らせているのだ。
表面的な偽善社会の世論感覚からすれば、お披露目の生贄(いけにえ)性行為は大いに羞恥心や罪悪感を感じる行為である。
しかしこれは、犯らせたい相手への仕掛けた相手の拘(こだわ)り上、若手議員の妻である女優妻にしか出来ない役回りだった。
それでもぅ、女性(おんな)として覚悟を決めたからこそ、モチベーション(犯る気)を証明する為に女優妻は全裸で此処に居る。
相手の男が、パンパンパンと二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて女優妻に欲棒を突き入れる度に、女優妻の身体がガツン、ガツンと波打って見える。
マットレスを敷いた性交舞台の上で、女優妻はライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)の卑猥(ひわい)な視線を集めながら「ハッスル、ハッスル」の囃子声(はやしこえ)に急(せ)かされるように欲棒を咥え込んだ肉体で奉仕をして居る。
ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)は、女優妻の乳房を上下に揺(ゆ)らしながら大きく広げた股間に欲棒が抜き挿しされ、女優妻の腰がその欲棒の抜き挿しに同調してうごめく様を愉しんでいた。
出来るだけ早く人数を消化しなければ身が持たないから、恥女に変身した女優妻は、クィクィとリズム良い腰使いで咥え込んだ欲棒に快感刺激を与えている。
女優妻は、半ばランナーズハイ現象に似たセックスハイの陶酔の中で、男達の輪姦(まわし)に応じて噴出した汗に塗(まみ)れ、精液混じりの愛液を垂(た)れ流しながら奮戦していた。
女優妻が、妖艶(ようえん)な姿態を露(あらわ)に、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)と凄(すさ)まじい性交を繰り広げている。
多数の男達を相手に、大勢で寄って集(たか)って激しく攻め犯され、乳房を揺(ゆ)らし、腰を使い、裸体を踊らせながら奮闘している。
男達に続けて犯られれば、例え他人前(ひとまえ)で在っても肉体の反応の方は「理性(左脳域)」だけでは快感反応を抑(おさ)えられない。
だから女優妻は、男達の激しい抜き挿しに耐え切れず、途中からタガが外れて欲棒に串刺しにされたまま腰を浮かして物凄い反応で涎(よだれ)を垂(た)らしながら喘(あえ)ぎ善がる。
続けて性交しているから、アクメ(絶頂)に陶酔してまだ前の男の欲棒の感触が残っている女優妻の股間に、次の男がまた欲棒をコジ入れて来る。
股間に欲棒を咥え込んだ女優妻の裸体が、大胆にそしてしなやかに受け腰を使い、男達の激しいプレィに応じて怪しく踊っている。
この輪姦(まわし)は一プレィあたり十分から十五分、五プレィごとに五分ほど休ませて二十プレィほど男相手の取り組みが続き、当然女優妻は数プレィを消化後から快感反応の連続陶酔状態でプレィを続ける事になる。
女優妻は、男が変わる度に絶頂に達して歯を食い縛り、腰を小刻みに震わせながら同時に左右に捩(よじ)り、仕舞いには海老ぞりに反り返り絶叫する。
亭主としては、それを眺(なが)めて女優妻の奮闘振りを褒めているのだから、他者が聞けば冗談みたいな「おかしな話」に聞こえるかも知れない。
しかしその時は、被(かぶ)っていた仮面を夫婦共に脱ぎ捨てて居たから、女優妻の奮闘振りを「流石(さすが)内の奴だ」と褒めてやれた。
セックスショー化してギャラリーにライブ(実況)で観せる事で気分が高まり、脳内に発生するドーパミンの興奮がセックスハイの陶酔を引き起こして、密度が濃いプレィが演出される。
言わば舞台装置みたいなものだが、観られてこその興奮で、このショー化が綺麗事の裏側に存在するもう一人の女優妻の本性を暴(あば)き出す。
そして女優妻は、羞恥の感性の中で気取(キドリ)を捨て去り、しなやかに軽快に、あられもなく裸身を弾(はず)まさせてギャラリーの前で性交プレィをする。
一匹の獣(けもの)の雌(メス)と化した女優妻の恥さらしな激しい性交姿を、夫の若手代議士もライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)に紛(まぎ)れて眩(まぶ)しそうに観ていた。
目の前で妻が犯られている気分は複雑だったが、女優妻の肉体(からだ)に他人の欲棒が抜き挿しされている光景には、正直抑え切れない興奮も感じていた。
女優妻の性反応が、とても日頃の夫(若手代議士)相手では見せないほど激しく大胆だったからである。
もっとも、あれだけ次から次に輪姦(まわ)し犯されてはアクメ(絶頂)が繰り返し続いて、女優妻がセックスハイの陶酔の中で性交を続けていても不思議は無い。
女優妻の肉花弁が欲棒の抜き挿しに連れて、よじれたり中に巻き込まれたりと生々しい様子まで、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)が目を光らせて確りと観て居るのを女優妻は感じてた。
肉体(からだ)の中心を、次から次に入れ替わる男達の欲棒で突かれながら、肢体を躍動させる女優妻は「セックスハイの陶酔」を感じていた。
周囲から丸見えの性交舞台の上で、もぅ興奮がピークに到達して弾(はじ)けたセックスハイ状態の女優妻は、善がり声を挙げながら裸体を震わせ、受け腰で激しく応じながら裸体を躍(おど)らせ続ける事になる。
本人には赤面物かも知れないが、恥ずかしげも無いソプラノ発声の周囲に良く通る善がり声が、女優妻の喉を通って唇から漏れて来る。
いささか恥ずかしいが、腹を括(くく)って観られるのを愉しみながら犯られるしか仕方が無い。
お披露目の生贄(いけにえ)性行為が、当初は女優妻が納得が行かない事でも、それに一旦応じてしまえば後は自分で納得が行く理由を見つけるしかない。
女優妻が体験したお披露目の生贄(いけにえ)性行為は、息も絶え絶え(たえだえ)に成る程に強烈だった。
「もぅ懲り懲り(こりごり)」などと格好を付けては居られないほど、後を引く快感体験だった。
最初は仕方なしに犯られるだけの気分でも、次から次に犯られれば感じ始めて当たり前で、自然と受け腰で抜き挿しにクィクィと応じ始める。
快感を貪(むさぼ)り始めたらもぅ止まらず、そのまま容赦無(ようしゃな)くイカされ続けてやがて絶叫する。
その女優妻の肉体反応を、夫の若手議員が見知らぬ倶楽部会員の女に欲棒をシャブらせながら目をキラつかせて観ている。
この世に生まれた幸福をエンドレスに感じる絶叫悶絶の快感に、偽善社会の罪悪感も吹っ飛ぶ究極の心地良い疲れは理屈を超越していた。
政和交歓倶楽部から「また可愛がって犯るから来なさい。」とお呼びが掛かると、「もぅ、しょうがないわね〜。」と言いながら、内心これから自分の身に起こる出来事に期待してパンティを脱いで出かける女優妻が居た。
「あの犯され続ける時間がまた遣って来る」と想うと、次の誘いを心待ちにする女優妻がそこに居た。
女優妻の二度目のお披露目は、本人のロケの予定と重なった為に永い時間が取れず、時間切れ再続行(サスペンデット・ゲーム)となった。
時間切れ再続行(サスペンデット・ゲーム)は、本来「一時預かり試合」とみなされ天災や施設の事故等に拠って開催が一時的に停止され、後日(通常翌日)改めて中断する前の時点から競技が再開される事を言う。
だが、このお披露目パーティの場合は、勿論(もちろん)犯って居たカップルの性交が翌日或いは翌開催時にそこからスタートする事である。
つまり女優妻は、三度目の時には二度目の時間切れ時点でお相手をしていた男の欲棒を、股間に挿し込まれた状態から次のお披露目を再スタートする事になる。
世間の常識的に考えれば、女優妻の輪姦お披露目は鳥肌が立つような濃厚で卑猥(ひわい)な情景だった。
「そうたいした事では無い」と甘く観て居たが、それが想像以上に膨らんでいた事がその場に立って初めて理解出来た。
政和交歓倶楽部のお披露目輪姦(おひろめまわし)の場では、生贄の女性は上半身を拘束された全裸で曳き渡される。
見た目からも服従の性交を容認する趣向(しゅこう)で、相手の性衝動をムラムラと増進させるプロモーション(効果的活動)である。
良く肌に馴染む使い込んだ麻縄で、女優妻の裸体は後ろ手亀甲縛りに上半身をキッチリと縛り挙げられ、倶楽部の男達に供(きょう)される。
女優妻は、乳房はおろか下半身まで丸出しの晒(さら)し者状態で、犬首輪に繋がれたリードで曳かれて来る。
柔らかそうな半球状の乳房に少し膨らんだ乳輪の中心で乳首が硬く立つ女優妻の括(くび)れた胴回り、適度に熟れた肉体(からだ)の全裸体が当然の様に晒(さら)されている。
陰毛が密生した柔らかそうな三角デルタの下部に卑猥(ひわい)な肉花弁が二枚、可憐に突出して、尻や太腿(ふともも)が眩(まぶ)しい。
均整がとれた肢体が眩(まばゆ)く見え、卑猥(ひわい)そうで官能的な、男がそそる裸身だった。
素っ裸の女優妻の股間にズブリと収まった倶楽部の男達の欲棒が、二枚の肉花弁の隙間に生々しく抜き挿しされて見えている。
女優妻は、妖艶な表情を浮かべながら身悶(もだ)え、叫び声を挙げ、腰が抜ける程にイカされ続ける犯られっ放しの生贄(いけにえ)だった。
この場は、本気で真剣に弄(もてあそ)ばれ、刹那(せつな)の性交を愉しむ行為を犯らないと評価されないパホーマンス(披露)の場所である。
汗と愛液に塗(まみ)れた修羅場で海老ぞりに反り返り、欲棒が抜き挿しされている股座を見せ付けて他人前(ひとまえ)で犯って見せるお披露目の性交だった。
基本此処での女優妻には、男の満足の為に肉体(からだ)を提供するルールで、要求される行為にNGはない。
一人一人の男性にも性癖に別々な違いが在り、生贄の女性はそれを形振(なりふ)り構わず満足させねば成らない。
元々性行為なんてドロドロの欲求を満たすもので、誰が犯ってもそんなに格好が良いものでは無い。
こんな場では妥協無く痴女に成り切らなければ、期待される様な脳が震える新感覚の面白味(おもしろみ)が無く成る。
元々性行為なんてものは、多少は我侭(わがまま)で変態的の方が気分が乗り、プレィに燃える。
女優妻は艶(なまめ)かしい怪しい表情を浮かべて、相手を満足させるべく行為に専念する。
ガチ・バトルが続くこの非日常の刺激的マラソン性交プレィを愉しめる痴女の方が、人生は濃いものに成る。
女優妻は、股間に欲棒を咥(くわ)えて気持ち良さそうに受け腰を使い、男のリズム好い抜き挿しの腰使いとのやりとりを愉しんでいる。
初めての時は戸惑いも在ったが、女優妻は政和交歓倶楽部のソーシャルセックス(社交的な性交)を一度経験して、今は女優妻自身が犯る事に好感触の自信も確信もした。
自信も確信も「確りとモノにした」から、女優妻の生々しく卑猥(ひわい)な性交ガチ・バトルは裸身を躍(おど)らせながらも安定した乗り切りを観せて次々に熟(こ)なし続けている。
確かに女優妻は、セックスショー化してギャラリーに観せながら犯る過激で破廉恥なソーシャルセックス(社交的な性交)を行っている。
そしてそれが、今までの女優妻の貞操観念の意識からすれば、世間の解釈ではこのソーシャルセックス(社交的な性交)は「充分過度に破廉恥」で在る事は女優妻も承知している。
しかしその「破廉恥」な性交遊びを、女優妻がアクティブ(活動的・積極的)に犯れるには、それなりに確りした理由や納得出来る自然な感情がある。
「破廉恥」な遊びの性交は、元を正せば非繁殖目的の「擬似生殖行為」で在って、他の動物のように繁殖期を持たない「年中発情の人間種独特のもの」である。
つまり、生殖目的では無い「擬似生殖行為」そのものが、人間の本質として単に「快感を愉しむ目的の遊び」に他ならない。
そして「年中発情の人間種の本能」が快感の満足を求めて遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそ、あらゆる性癖が発生して次第にその内容が過激にエスカレートする。
その性癖を満足させるソーシャルセックス(社交的な性交)を行っている事は、「他人(ひと)に言えない破廉恥な御乱行」と言えばその通りだ。
だが、最も人間らしい本能なのだから、例え「破廉恥な行為」であろうとも「合意の上の遊び」ならば、そんなものは公表しないで個々に愉しめばそれで良い。
そして公表されない「破廉恥な御乱行」は秘すべきものとして隠されが、実は何処にも在るエピソードで、本当は然して珍しくは無い。
しかしこう言う事は、個人の想像だけで「破廉恥」と批判して良い物だろうか、ソーシャルセックス(社交的な性交)の経験を通じて初めて綺麗事の疑惑を感じる。
つまりその「破廉恥」を、然(さ)して遊びを経験しない連中が、善人振って表向きの綺麗事だけで批判する。
どうせそう言う事なら、女優妻は大袈裟(おおげさ)に考えずに痴女に成り切ってソーシャルセックス(社交的な性交)を愉しめば、人生はまんざら悪く無い。
そもそも現代の倫理観では、乱倫(乱交)や輪姦が「非倫理的」だと言う印象が強いが、本来の人類は「群れて生きる」が基本で、婚姻関係も「群れ婚」だった。
そして人類の生殖スタイルの基本は、雌に対して多くの雄が群がる輪姦で、その性交の結果多くの精子から最も優秀な精子が子宮に定着する子孫選別システムだった。
つまり人間の生物学的な婚姻関係の正しくは「群れ婚」で、天が与えた自然本能としての性交の基本は乱倫(乱交)や輪姦だった。
そしてその乱倫(乱交)や輪姦の「群れ婚実践」は、日本の場合、平安期から形を「呼ばう=夜這い」に変えて昭和の大戦終戦まで、村落地域で永く続いた。
即ち人類は、現代の環境条件である「夫婦つがいの子育て条件システム」を思考から除外すれば、性的興奮だけで性交は充分可能で、女性の肉体的構造と性感もそれが可能に出来ている。
だからこそ人類は、日常のストレスを本能的に消化する為の非日常の部分で、遊びの性交は必要かも知れない。
もしかしたらそれは、遠い過去から人類が引き継いで来た本能として女優妻の目の前に広がった新たなる道かも知れないのだ。
大人(おとな)なら、恋と性愛の違いくらい女優妻も承知している。
性行為と愛情は必ずしも一致しないもので、性行為は性的興奮だけで犯れるものだから、「愛か無ければセックスなど出来ない」などとややっこしい事を言うから世の中が混乱させる。
そうした嫉妬(しっと)は恥ずかしく、婚姻相手以外の他人(ひと)と遊びの性交をしたからと言って、それは愛情の有無として問題にするべきでは無い。
つまり他人との性交プレィは、日々のストレス解消程度の只のシュール(非日常的)な遊びであると容認出来なくは無い。
このシュール(非日常的)で衝撃的な性交プレィの機会を得て、女優妻の性生活に於けるバリエーション(変化)が格段に広がり、多くを学習したのは現実だった。
政和交歓倶楽部のお披露目輪姦(おひろめまわし)の場では、性交相手が何を望んでいるか生贄の女性は察知して大胆・奔放応じる。
女優妻の適度に熟れた肉体(からだ)の白い尻や太腿(ふともも)が眩(まぶ)しい。
女優妻の臍(へそ)の下のV字ゾーンのちじれ毛が密集した柔らかそうな恥丘の下部で、男の腰使いに漲(みなぎ)る欲棒がその陰茎を生々しく見え隠れさせている。
ネバネバとした愛液に塗(まみ)れて抜き挿しされる欲棒に女優妻の肉花弁が押し開かれ、或いは絡み着きながら生々しくうごめいている。
女優妻はもう、連続性交の性感に拠る忘我の境地に入っていて欲棒を抽入された正常位素っ裸で、倶楽部の男達に激しく乗り熟(こ)なされている。
抽入した欲棒で膣中をディスターブ(掻き回す)され、女優妻は猛烈な快感に上半身を海老ぞりに反り返り、腰をビクンビクンと痙攣(けいれん)させて反応する。
抽送する男の腰の動きに応じる女優妻の無意識な腰の動きが艶(なまめ)かしい。
女優妻は、ソーシャルセックス(社交的な性交)のサプライヤー(供給者)として、おシャブリも腰使いも、行為に専念する怪しい表情で上手く犯られている。
女優妻を相手に良い汗をかき、溜まったものを抜(ヌ)いて満足すると欲棒を抜いて次の順番待ちの男に女優妻の使用権を譲る。
犯られ終わった女優妻の方は、直ぐに次の男が行為の要求を始めるから、前の男との行為の余韻に浸(ひた)る間もなく、また喘(アエ)ぎ始める。
この場の女優妻の肉体(からだ)は、参加男性のシエアリング(共同所有)がルールだから、彼らの全てに満足を与えるまでヒィヒィ言いながら犯られ続けられても文句は言えない。
汗と愛液に塗(まみ)れた修羅場に肉体が躍動して、海老ぞりに反り返る女優妻の性反応が激しくなって犯る男達も見物のギャラリーも盛り上がって来た。
続けて何人もと性交するから、女優妻は時々ガクンガクンと落ち(イキ)ながら、犯られ続ける事に成る。
つまり絶頂が繰り返し続くのだから、性愛欲の極限と言う究極の新感覚に脳が震える至福の時を過ごす事になる。
破目を外して刹那(せつな)の性交を愉しむ連中に犯られっ放しの生贄(いけにえ)状態だから、叫び声を挙げるほどイカされ続けて女優妻は上半身を海老ぞりに反り返り、腰をビクンビクンと痙攣(けいれん)させ悶絶する。
輪姦(まわし)は一般的に、「女性を蹂躙(じゅうりん)している」とする一方的な解釈も在る。
しかしそれを性的官能に絞って考えれば、夫や恋人など一人相手の性交とは圧倒的に違い、これほど性感を堪能(たんのう/愉しむ・満足)する事は無い。
夫婦間で、「夫或いは妻としか性交しない。」と言う硬化した倫理感は実は相当に重い人生で、永い時間経過の末に息が詰まる事に成る。
そこで夫婦合意の下、ソーシャルセックス(社交的な性交)で複数のメンバーと遊びの肉体関係を築く事で、女優妻には新たな人生が始まる。
そのプレィも、影でコソコソ二人きりの別室プレィではなく、ギャラリー観視の中で遊ぶ開けっ広げのオープンセックスだからこそ、後腐れも執念も嫉妬心も湧かない。
そしてこの他人前(ひとまえ)で犯って見せるコンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)は、夫や恋人など一人相手の性交とは圧倒的に違う快感が伴っているのだ。
言わば性行為なんてものは、多少は我侭(わがまま)で変態的の方が気分が乗り、プレィに燃える。
つまり当該(とうがい/あてはまる)女性のプレィに対する価値観の問題である。
女性が性的官能を満喫したいのであれば、その輪姦プレィはリピート(繰り返し)として成立し第三者がとやかく言う事では無い。
所で、片山佐和子夫婦の処遇に関して大きな課題が残っていた。
山崎代議士から「片山夫婦を飼いたいから譲れ」と言われても、あの夫婦には大金を投じてある。
何しろ「五千万円」と言う破格の立替金で、闇金融の坂元から救った片山佐和子夫婦である。
私は「どうしたものか」と悩んだが、岩代がとてつもない事を言い出した。
この際だから「代議士の議席一つと交換にしたい」と言い出したのだ。
「ウム、代議士の議席・・・・議席と言っても、派の推薦くらいでは中々当選しないぞ。」
「先生、今検討中の小選挙区比例代表並立制が、三年後には可決する日程でしょ。」
「おぃおぃ、岩代君は物騒な事を言う、まだ日程は部外秘だぞ。しかし、君の話はそこまで読んでの事か?」
「えぇ、比例代表並立制に成れば、内の社長を名簿上位にして頂ければ比例当選は確実です。大学理事長の肩書きがあれば、そう見劣りはしない筈(はず)です。」
代議士の議席一つとは比例名簿上位に登録して、私を「衆議院議員にしよう」と言うものである。
「うぅ〜ん、確かに平成六年(1994年)の改革法案成立を目指しておる。しかし、第四十一回衆議院議員総選挙は平成八年頃に成るぞ。」
「そのタイミングで良いと思います。」
「それなら、取引は成立だ。それにしても君は恐ろしい男だ。」
当然ながら、議席が一つ手に入れば、山崎派に資金を提供(上納)しても立派な理由が在る事になる。
それに私達夫婦は、妻の肉体を通して山崎代議士とは身内みたいな連帯感が既に出来ている。
この交換条件を山崎代議士は飛びついて、「是非そうしよう。君とは穴兄弟の身内だ。いずれ派閥をそっくりやる。」とまで言い出した。
確かに山崎は高齢で、「あと一期勤めれば上がり」と言うのが、世間のもっぱらの予測である。
しかし、未だに卑猥なSM遊びに興じる彼の精神的若さが世間の予測を裏切って、彼の野望を衰えさせてはいない。
本人は派閥を拡大して、あと二期は現役の代議士を勤めたい腹積りで居たから、これは願っても無い勢力拡大の話で、「その後の事は、君らで好きにしろ」とまで言い放った。
都合が良い事に、今の選挙制度では派閥を上げて推薦名簿の上位に登録させれば、無名でも名簿順位で比例当選は間違いない。
諸々の話し合いの中で、片山佐和子夫婦の処遇に関しても思い切った提案が山崎代議士から出た。
片山直太郎(だみ声の専務)を次期事務局長含みで派閥の事務局次長に就任させ、派内に「睨(にら)みを効かせる」と言うのである。
考えて見れば、裏で派閥をまとめ、所属議員の忠誠心を計る秘密パーティを片山佐和子夫婦に仕切らせているのだから、派閥の裏の心臓部を握っているようなもので、陣笠クラスのペイペイ代議士夫婦は頭が上がらない存在に成っている。
そう言えば、佐和子の夫(元だみ声の専務)はこの幸運に近頃貫禄が着いて、すっかり昔の自信を取り戻している。
「いずれ君が派閥を率いるのだから、彼を事務局長に据えれば君が使い易いし、派内がスムースに回るじゃろう。」
「そうですね。ご配慮有難うございます。しかし、流石(さすが)に一流の政治家、先の先まで読んでいますね。」
「バカを言うな、君らこそ先読みが凄いじゃないか。」
「それから、片山佐和子の事だが。」と山崎が新しい提案をする。
わしも散々お楽しみの世話に成っているし、これからも世話をさせる積りだから、「予定されている平成七年の第十七回参議院議員選挙に、派からマドンナ候補で立てようと考えている。」と言うのだ。
私が考えても、女房が代議士で夫が派閥を握る事務局長なら文句はあるまい。
「先生はあの夫婦の将来を、そこまで考えて居られるんですね。」
「あぁ、わしは可愛がった相手は裏切らない限り最後まで面倒は見る。それにな、二人は君の息が懸かっているし、飼い猫の片山佐和子が女代議士様なら、ワシのお楽しみに責め甲斐感もふえるから一石二丁だ。マドンナ議員の吊るし責めもおつじゃろうでな。」
片山佐和子の、山崎に吊るされ責めたてられる裸身の情景が私の脳理に浮かんで来た。
「なるほど、それも良いですね。」
「まだまだ有る、どうせ君の派に成るのだ。君の所の岩代君、小泉君、生島君も選挙区を選んで立てたらどうだ?」
「あの三人もですか?」
「岩代君から聞いているが、君の所は結束も堅いし、それくらいの資金は握っているだろう。なぁ、理事長さん。」
なるほど、どうやらこの図面を引いて私に大学理事長の肩書きを持たせたのは岩代の計画だったようだ。
最後まで「喰えそうも無い奴だ」と私は岩代の顔を思い浮かべた。
ここに到って、やはり疑問が残る。
山崎代議士が、の影響で山崎派の誓約の儀式を始め、何時の間にか私が派の後継者に指名されている。
まるで岩代が書いたシナリオ(脚本)通りに事が運んでいるようで、これでは「岩代に不思議な力が有る」としか考えられない・・・・・。
彼は否定しているが、岩代の力はどこまで本物だろうか?
帰りがけに、山崎代議士が言った「この先は、公共事業選挙でも無いだろう。君らみたいに、既成概念に囚われない新しい発想で未来を切り開く時代だ。」と言う言葉が耳に残った。
山崎代議士にすれば、山崎派グループの派閥の結束システムを構築するに、参考にしたのがKIYOUBI(京美)の乱倫同志経営システムで、言わば師匠にあたる。
倫理思考は共有出来る上に、KIYOUBI(京美)の資金力は並大抵ではない。
口利きで絡んだから経緯(いきさつ)は十分知っているが、SMで可愛がっている里美の夫(KIYOUBIの代表者)が大学理事長に納まって議員候補者として納まりも良い。
岩代の提案を膨らませて、KIYOUBI(京美)幹部四人を山崎派グループに取り込む算段に出たのである。
どうやら私は、岩代の策謀で代議士はおろか派閥の長まで昇り詰めそうである。
社長、氏上(うじがみ)、氏長(うじおさ)様、お館様、大学理事長、次は代議士先生か・・・・肩書きがいっぱい付いたものだが、これから先私には、どんな運命が待って居る事やら・・・・
続く
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