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リアルタイム忍者ビジター
samurai 【蒼い危険な賭け・京香 第二部】作者本名鈴木峰晴

この小説は、【謎の小説家 未来狂冗談(ミラクルジョウダン)】の小説です。
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蒼い危険な賭け・京香 第二部



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姉妹シリーズ・】・・・【現代インターネット奇談シリーズ】
【小説参考先リスト】【夜鳴く蝉・葉月*蒼い危険な賭け・京香の参考先御紹介】
【◆】姉妹編・葉月イメージモデル【葉月さん】裏葉月HPトップ頁に飛ぶ。


【非日常の愛・妻達の調教千夜一夜物語】

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

陵 辱 の 貴 婦 人

蒼い危険な賭け・京香

(あおいきけんなかけ・きょうか) 完 全 版 第二部


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


お断り蒼い危険な賭け・京香はあくまでも文学作品です。

申し訳ありません。第二回作「蒼い危険な賭け・京香」の続きは、順次UPします。
いよいよ最終話(六十六話)を現在執筆中ですので、完成は暫(しばら)くお待ち下さい。


◆本格エロチック調教ファンタジー・サスペンス◆
「蒼い危険な賭け・京香」第二部・十一話〜十九話を予告公開中(全六十六話)



話の展開

第一部第一話〜十話
    第一話  (事の起こり)
    第二話  (屋根裏)
    第三話  (覗き見たもの)
    第四話  (甘い誘い)
    第五話  (陵辱計画)
    第六話  (生け贄)
    第七話  (そして輪姦)
    第八話  (妻の決意)
    第九話  (第二の処女)
    第十話  (ア*ル調教)
第二部(第十一話〜十九話)現在この部です。
    第十一話 (変貌しつつある妻)
    第十二話 (本格的生け贄)
    第十三話 (完成したア*ル調教)
    第十四話 (生け贄にされたア*ル)
    第十五話 (独立と資金稼ぎ)
    第十六話 (忌み祓い開所式)
    第十七話 (壮絶な輪姦祈願)
    第十八話 (生島夫婦)
    第十九話 (小泉順子の願望)
第三部(第二十話〜三十一話)
    第二十話 (順子の夫小泉武司)
    第二十一話(始まった順子の輪姦)
    第二十二話(順子極楽を味わう)
    第二十三話(父と娘の絆)
    第二十四話(消えたわだかまり)
    第二十五話(仕上がった順子)
    第二十六話(喜美子の開所式)
    第二十七話(増員された女達)
    第二十八話(乱倫同志経営)
    第二十九話(不穏な動き・公安部)
    第三十話 (ある日常)
    第三十一話(事業規模拡大)
第四部(第三十二話〜四十一話)
    第三十二話(公開剃毛)
    第三十三話(うなぎ責め)
    第三十四話(新参者佐和子)
    第三十五話(佐和子玩具になる)
    第三十六話(佐和子の輪姦忌み祓い)
    第三十七話(福井様のお相手)
    第三十八話(極秘情報・見せ付けられた妻の痴態)
    第三十九話(調教の成果)
    第四十話 (山崎様のお相手)
    第四十一話(本物に仕上がった妻)
第五部(第四十ニ話〜第四十八話)現在この部です。
    第四十ニ話(佐和子獣姦する)
    第四十三話(宗教法人化)
    第四十四話(村での出来事)
    第四十五話(巫女舞・山狩り)
    第四十六話(最期の接待)
    第四十七話(水揚げ)
    第四十八話(女優妻)
第六部(第四十九話〜五十三話)現在この部です。
    第四十九話(陰謀・女子アナ議員)
    第五十話 (秘密パーティの誘い)
    第五十一話(良子秘密パーティに引き出される)
    第五十二話(雌犬の手本・女優妻)
    第五十三話(良子陵辱・雌犬)
第七部(第五十四話〜六十話)現在この部です。
    第五十四話(卑猥なハッスル囃し)
    第五十五話(その後の良子)
    第五十六話(良子、大森に犯られる)
    第五十七話(陵辱再び)
    第五十八話(気まぐれ・衆道)
    第五十九話(康子の縁談)
    第六十話 (謎の極上の女)
第八部(第六十一話〜六十八話(最終話))
    第六十一話(長官へのお持て成し)
    第六十二話(新たなる遊び仲間・凛子)
    第六十三話(凛子お披露目で奮闘する)
    第六十四話(代議士の娘・響子)
    第六十五話(精神力と経験)
    第六十六話(響子お披露目を犯る)
    第六十七話(良子見本を見せる)
以下執筆中・暫くお待ち下さい
    第六十八話(麻生康子の結婚式)
    第六十九話(事件)
    第七十話 (抗争そして終焉)

ジャンプク・リック
第一部 第一話〜十話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現在この部です。
第二部 第十一話〜十九話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【第二部に飛ぶ。】
第三部 第二十話〜三十一話・・・・・・・・・・・・・・・・・【第三部に飛ぶ。】
第四部 第三十二話〜四十一話・・・・・・・・・・・・・・・【第四部に飛ぶ。】
第五部 第四十二話〜五十話・・・・・・・・・・・・・・・・・【第五部に飛ぶ。】
第六部 第五十一話〜五十七話・・・・・・・・・・・・・・・【第六部に飛ぶ。】
第七部 第五十八話〜第六十話・・・・・・・・・・・・・・・【第七部に戻る。】
第八部 第六十一話七十話(最終話)・・・・・・・・・・・【第八部に飛ぶ。】

登場人物(物語の登場順)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・この物語の証言者・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
里美・・・・・・・・・・・・・・・・私の妻・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
岩代・・・・・・・・・・・・・・・・物語の主人公・・・・・・・・・・・・・・・・(当時25歳)
京香・・・・・・・・・・・・・・・・岩代の細君・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時24歳)
寮生(学生)達・・・・・・・・岩代の教え子(体育系)・・・・・・・・(当時19〜22歳)
生島喜美子・・・・・・・・・・里美の友人・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
竹中氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(元教師・定年)・・・・・・・・・(当時66歳)
小泉順子・・・・・・・・・・・・竹中の娘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
だみ声の専務(片山)・・元の勤務先の上司・・・・・・・・・・・・・(当時43歳)
田嶋氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(無職の遊び人)・・・・・・・・・(当時48歳)
企業舎弟・坂元・・・・・・・「龍信会」系の企業舎弟・・・・・・・・・(当時35歳)
石上氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(伊豆でレストラン経営)・・・(当時52歳)
生島・・・・・・・・・・・・・・・・喜美子の夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時34歳)
小泉武司・・・・・・・・・・・・順子の夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時33歳)
安部、麻生、
福田、谷垣
・・・・・・・・・・女性接待係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時25〜30歳)
吉井警視・・・・・・・・・・・・警視庁公安部・公安総務課長・・・・(当時43歳)
大森警部補・・・・・・・・・・警視庁公安部・公安総務課員・・・・(当時36歳)
**康子巡査部長・・・・警視庁公安部・公安捜査員・・・・・・(当時28歳)
佐和子(片山)・・・・・・・・だみ声の専務の妻・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
福井・・・・・・・・・・・・・・・・大蔵省(現・財務省)銀行局次長・・(当時45歳)
山崎・・・・・・・・・・・・・・・・文教族代議士(文部大臣経験者)・(当時78歳)
老・宮司・・・・・・・・・・・・・妙見犬神宮・宮司(南家当主)・・・・(当時80歳)
筆頭総代・・・・・・・・・・・・東家当主(京香の兄)・・・・・・・・・・・(当時50歳)
伝書鳩の女・・・・・・・・・・元人気美人アナ(参議院議員)・・・・(年齢不詳
女優妻・・・・・・・・・・・・・・超人気美人女優(新婚の代議士夫人)(当時29歳)
吉井良子・・・・・・・・・・・・吉井警視婦人・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
星野徹・・・・・・・・・・・・・・参議院議員立候補予定者・・・・・・・(当時35歳)
星野凛子・・・・・・・・・・・・星野徹婦人(元五輪選手)・・・・・・・(当時28歳)
古賀響子・・・・・・・・・・・・古賀代議士令嬢(フルート奏者)・・・(当時32歳)





(変貌しつつある妻)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十一話(変貌しつつある妻)


性行為を犯りながらのおねだり・・・「色仕掛け」は古典的な手段だが、永く使われて居るからにはそれなりの成果が在るからだ。

しかもこの愛奴隷接待の色仕掛けは、大金が動く不動産業界だけに色気をほのめかすだけのソフトなものでは無く、トコトン性癖を満足させるハードなものである。

こう言う接待の特性だが、他でチョイチョイ見かける程度の色ものでは余り価値が無く、他では中々犯れない事を犯って見せて始めてクライアント(得意先/顧客/依頼人)様を満足させる。


夜は夫に連れられて岩代さんの所でア*ルセックスの調教を受けていますが、昼間は娘を学校に送り出してから夫に内緒で京香さんに連れられて行き竹中さんの愛奴隷調教を受けています。

竹中邸に行けば直ぐに裸に脱がされ、京香さんに後ろから両脚の足の裏を手で抱えられる大股開きの姿勢で京香さんに寄り掛かり、竹中さんに股間を晒(さら)します。

目の前に素っ裸の女性(里美)が、踵(かかと)を宙に浮かせた股を開いて、それが扱(あつか)い自由の生肉体玩具(オモチャ)であれば、男として当然愉しまない手はありません。

生肉体玩具(オモチャ/里美)の顔を観ながら股間に咲く二枚の肉花弁を指二本でパカパカとで開いたり閉じたり、突起した敏感な蕾(つぼみ)の実(サネ)をグリグリと弄(いじ)って観るのです。

「奥さん(里美)もドスケベじゃな。もぅスケベ汁(淫液汁)が溢れているわ。」

次は本格的にお愉しみで、生肉体玩具(オモチャ/里美)の柔ら壺やア*ルに指を挿し込んで抜き挿しし、弄(いじ)って反応を愉しみます。

これは性接待の調教ですから、私(里美)は何をされても生肉体玩具(オモチャ/里美)はジッと耐え、股を開いたまま恥ずかしいところを、竹中さんが為すがままに弄(いじ)らせています。

あらゆる性癖に応じて存分に愉しませる事が、愛奴隷の使命なのです。

そして柔ら壺が充分に潤ったところで、竹中さんが私(里美)の鼻先に欲棒を突き出しシャブらせ、いっそう硬さを益したところで柔ら壺に抽入します。

「ホ〜レ、ホ〜レ、このドスケベ女、犯られて気持ちが良いか?」と竹中さんが欲棒を私(里美)の柔ら壺に突き立てて攻め立てます。

私(里美)の柔ら壺にズッポリ嵌(はま)った欲棒が抜き挿しされ、陰茎が愛液に濡(ぬ)れ光りながら観え隠れしています。

勿論私(里美)の腰も、竹中さんの抜き挿しに受け腰で応じて互いの性感を高めます。

昼間は竹中さんの調教、夜は岩代さんの調教と猥褻三昧(わいせつざんまい)の毎日ですが、早く性接待で何でも犯れるようになる為には仕方が在りません。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)の満足の為に、「ガチで性接待に臨める女性が要求される」と教えられています。

他人前(ひとまえ)で性器の結合を観せながら性交するなど、私(里美)の思考ではとてつもない事でしたが、それを「お好きにどうぞ」と何でもない事にするのです。

私(里美)は、その快感に腹の肉を波浮かせて身悶え、セックスハィの桃源郷を彷徨(さまよ)っていて、ビクンビクンと小さく痙攣(けいれん)しながら、全身で性感反応をしています。

流石(さすが)の私(里美)も、どう言われようが現実に合意の上で竹中さんに犯らせているのですから、「ドスケベ女」と言われても仕方がないのです。

現に今、ドスケベ女(里美)の脳が、竹中さんの抜き挿しの快感に気持ち良くトロケて行くのです・・・。



竹中は、余り大した事では無いかの様に「色々犯らせて、日頃鍛(きた)えて居るから大丈夫(だいじょうぶ)じゃろう。」と私に告げた。

その竹中が振り返って妻(里美)に声を掛けた。

「奥さん、これからはクライアント(得意先/顧客/依頼人)の皆様にタップリと可愛がって頂(いただ)きなさい。」

「はぃ、承知しています。」


こうして妻の接待愛奴隷奉仕の日々が始まり、我が家の生活は一変して行った。

そして性接待の女(里美)のご愛用クライアント(得意先/顧客/依頼人)は、ドンドン増えて行った。

以前の私は仕事に追われ、部下に気を使って飲みに連れ歩き、酔って帰って来てバタン・キューで寝る。

たまには飲みに行った先のホステスに心惹かれる事もあった。

それが不思議なもので、最近はそんな行動を執る気が一切起きない。

何しろ、「妻のリアルタイムの調教」と言う毎晩の密かな楽しみが、妻の変身で実現しているからである。

それで妻も出歩かない夫には満足しているし、互いに理解も思い遣りも深まり、夫婦仲は到って良い。

元々好きで一緒になった妻である。

しかし今までの彼女は自分中心に生きて居て私に我侭を言い、性の面でも自説を言い通し、それを私が受け入れるのが「自分への愛情」だと、ずうずうしく勘違いしていた。

まぁおかげで私は、何年もつまらない夫婦生活だった。

それが奇跡的にも、あの夜を境に、妻は明らかに二つの顔を持ち始めた。

妻は私への性奉仕はおろか、私の命ずるままに恥ずかしい姿を晒(さら)して、肉体で他人にまで奉仕させられる女になった。

想像力が無い人間は平凡な今日しか創れないが、想像に柔軟性を持つ者は限りなく可能性が広がる明日を創る。

被虐の服従はそれだけで妻の感性を刺激し、大量のドーパミンを妻の脳内に充満させ、それが快感に結び付く。

元々妻はM性が強かったのか、岩代家の二階で犯られた輪姦以来、性接待にも遊びにも肯定的に成っていた。


確りと見た事だが、妻(里美)が初めて岩代の家の二階で学生達に「ヒィ〜、ヒィ〜。」と悶絶(もんぜつ)するほど輪姦(まわ)された時の光景が、私の脳裏に焼き付いて離れない。

生贄(いけにえ)として修羅場が始まれば、次々と入れ替わる学生達の欲棒で無遠慮に犯られてクィクィ抜き挿しに攻めたてられ、妻(里美)は昇り詰めさせられる度に腰を浮かし背を反らしてセックスハイ状態に到達して素の女性(おんな)を曝(さら)け出す。

恥毛に覆われた恥丘のデルタゾーン(三角地帯)の上部にポッンと敏感な花芯と縦に二枚の肉花弁、その妻(里美)の花弁の真ん中にモロに串挿しとなって突き挿さった欲棒の陰茎・・・。

白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を、その恥毛に覆われた丸みを帯びた恥丘の下に見え隠れさせてクィクィと受け腰を使うエゲツ無い行為の風景が展開している。

妻(里美)の下半身の一点で男達と繋がった肉体(からだ)と肉体(からだ)が、抜き挿しの腰の動きに共鳴して股間から太腿(ふともも)に淫液の雫(しずく)を垂れ流しながら私の前で打ち震えている。

その極限の快感を彷徨(さまよ)う妻(里美)の性交光景は、強烈な映像として私の脳裏に永く残っていた。


現実は考え方で消化すべきで、何事も辛い想いと思うから辛い。

少し考え方を変え、人生の裏も表も夫婦一緒に渡れば道は広がり、気兼ねなく遊びの性交にも向き合える。

岩代夫婦が妻(里美)に施す容赦の無い調教を見るのは、愛する妻だからこそ心弾むと同時に一抹の憐憫を抱くもので、心中複雑な時も無いではないが、案外妻はそれを前向きに受け入れて、自ら「被虐を楽しもう」と言う気になっている。

何故か夫婦間の性交には「愛情」と言う名の優しさが求められ、優しく甘い代わりに刺激の少ない物に終始してしまう。

しかしその夫婦間の性交は永い夫婦生活に於いては平凡で、トキメキは永くは続かない物である。

それ故に女性の肉体(からだ)は、亭主以外の遠慮の無い他人(ひと)の手が入って初めて真に開発されるものであると気が着いた。

妻(里美)の貞淑観念は、一気に破壊された様だった。

幸い妻(里美)は一連の性体験で本来の女の性(さが)に目覚め、憑き物が落ちて目から鱗が取れた思いかも知れない。

つまり、高い知性の持ち主ほど、この感性に共感する。

簡単に言うと、利口者の女性ほど性に前向きで、理屈が判るから、性のタブーにネガティブな拘(こだわ)りは無い。

妻は何を思い、何の為に、そして誰の為に今を生きているのか?

突き詰めて言えば、それは人間だからである。

あくびの同調一つ採っても、その共感性は霊長類にしか存在しない。

つまり、知能が発達して初めて複雑な感性が生まれる。

そうなってしまった事を、今までは倫理観や道徳観、宗教観で蓋をしてきた。

今は、怪しげな建前で、抑圧し過ぎた事によって、コントロールの尺度を失い、若年層が犠牲になる性犯罪が多発して、その手法が問われている。

覚悟を決めれば、完璧に変身出来るのが女性である。

結局の所、誰にとっても人生明日はどうなるか判らないもので、それ故に人は命賭けの刹那刹那の生き方に共感する。

そうとなればチャンスに賭けるのが人間であるが、残念ながら近頃の男性にはそれ程の覚悟は出来ない。

そもそも他の動物であれば、カップリング(交尾対象)の主たる理由は愛情ではなく非常にシンプルな打算である。

そのシンプルな打算の基準は、相手が優秀な子孫を残すに足りるかどうかの価値観である。

そして子作りと子育てが終ると、カップルは解消される。

長期間カップリングが継続する場合は、それに餌を良く獲(採)って来るかどうかの打算基準が加わるだけで、人間のようにややこしい感情はない。

その人間だけが持ち合わせる特殊な能力が「感情」であるが、これが不安定なもので充(あ)てにはならない。

人間の性格は人それぞれで、定型はない。

定型のない個性だから、他人の物差しでは計り果(おお)せるものではない。

しかし、その簡単な理屈さえ理解出来ずに自己の物差しを押し付けるのが、残念ながら生身の人間である。

性癖に於いても同様で、自分の物差しでノーマル(正常)、アブノーマル(異常)の判断をする。

例え変態行為でも、納得すれば出来るのが人間である。

「一貫性行動理論」と言うらしいが、人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求がある。

つまり何か出来る出来ないは、意識と一致していないから「出来ない」と言う事で、裏を返せば意識を変えてしまえば、出来ない事が出来る様に成る。

そうした事は何も特別な事ではなく、それが、極普通の人間に持ち合わせる資質である。

所が、その簡単な理屈さえ思い込みが邪魔して理解出来ないのが、人間の人間たる由縁である。

平凡はそれなりに良い生活かも知れない。

しかし、刺激の無い生活は退屈で、慣(な)れは緊張感を失う。

それに比べ、妻の生活は刺激的に成った。

肉体的にも精神的にも刺激的で、「一度味合うと忘れられない」らしい。

「才能が有った」と言う表現が適切かどうかは計り知れないが、とにかく妻は夫の私も改めて驚くほど、日常生活と上手く分離してその性接待のシステムに溶け込んでいる。

愛奴隷接待が始まると、妻にはハラハラドキドキの破廉恥な期待感を抱くディープ(深く嵌り込む様)な被虐感覚が自然に育って行った。

考えて見ると、妻のM(マゾ)性は、蒼いジュータンの上で私の想像を越えて育っていたのである。


妻(里美)には性交修行が待っていた。

性交そのものは普通世間で誰でも行なう事だから、その気に成ってしまえば妻にとって問題がある訳ではない。

但し、事「愛奴隷に仕込む為の修行」とも成ると、生半可な事を犯られた位では収まらない。

愛奴隷の基本は何でも有りの濃厚性交接触を積極的に果たす事で、ゲストに求められた行為を愛奴隷・里美は一切拒否は出来ないルールである。

その到底考えられない状況に、妻は半ば無抵抗に迷い込んで行った。

勿論(もちろん)、普段見れない卑猥なものを見て普段出来ない事を犯らなければ、接待の意味が無い。

どんな仕事でもお呼びが掛からなく成ればお仕舞いで、愛奴隷だって仕事となればおざなりで良い訳が無い。

元々それなりの見返りを求めての事だから、犯る以上は精々根性を入れて嫌応無しにゲストが喜ぶ様に性接待をしなければならない。

論理、理性の【左脳域】が発達し過ぎた人間は、【右脳域】の原始本能を封印してしまった。

ところが【右脳域】の事は感性であるから、ピカソやムンクの作品のように元々論理的でも合理的でもない。

つまり、性行為が合理的発想にほど遠い脳域の思考で在るからこそ、【右脳域】の本能的無意識リラックス状態を生み出すのであり、その性行為を【左脳系本能】で「そんな嫌らしい事・・」と合理的に解釈しようとするから、ストレスや抵抗感が生まれる。

そんな妻の思考を、岩代はこじ開けてしまった。

【右脳系本能】は、言わば計算されない魂の感性である。

妻は新しい世間に身を置いて封印していた【右脳域】の原始本能に覚醒(かくせい)した。

そして激しい性交の中で【右脳域】の原始本能が開放され、妻は予知夢を見た。

性行為が合理的発想にほど遠いからこそ、【右脳域】の本能的無意識リラックス状態を生み出し、原始的な予知能力が再生するのだろうか?

とにかく論理的で無い事が起こっているのだが、【右脳域】の事は元々論理的ではない。



翌日は晴天だった。

もう四月を目前に控え桜が七分から八分ほどの咲き加減で、事務所でも花見が話題に成り始めている。

本社から専務が視察に来て、私は対応に追われた。

幸い岩代の活躍で予定を少し上廻っていたから、だみ声の説教は聴かずに済んだ。

しかし、新い地区の仕事をまた持ち込まれた。

事と次第によっては、独立後の新会社でデベロッパーと契約した方が良さそうだ。


ごった返す事務所の喧騒の中、夕方、岩代が帰社して朗報が舞い込んだ。

岩代が目を付けて交渉していた会社の仕事とは別の物件が、「譲渡の成約が出来た」と言う。

大方細君の協力があっての事だろうが、独立資金で地上げした始めての物件だ。

これが相場より安く上がって、転売で三千万ほど利益がでた。

転売と言っても譲渡税が絡むので、一旦我々が仮決済をして本契約で実際のデベロッパーと売主が取引した事にする。

とにかく相手に譲渡を契約させればそれで、その物件を売って欲しい相手は山ほど居る。

岩代は会社の仕事をこなしながら、そつなく独立準備の個人の仕事もしている。

「所長、二、三度転(ころ)がしたら、まず所長の家を買って独立しましょう。自宅兼事務所です。」

「そうか、独立に踏み出せば内の奴も喜ぶ。」

「自宅で接待が出来るような建物を見つけ出して、もう交渉に当っています。それも奥さんに伝えて下さい。」

「伝えて置く。所で岩代君は、内の奴に変わったオーデコロンを教えたらしいな。」

「あれですか、興奮すると匂う奴でこれから奥さんの接待には欠かせなく成ります。」

「確かに良い匂いがする。」

「イタリーのメーカーが性交時用に開発したもので、香りに媚薬効果がありますから、男性にはたまらないはずです。」

「性交専用で媚薬効果か、どうりで興奮させられる訳だ。」

どうやら妻が教えられたのは、香料濃度がたった二・五の、「魔法のオーデコロン」と言う訳だ。

「あの時は、接待する方もされる方も、互い楽しむに越した事はないですから。」

「しかし、内の奴が感じると大噴水をするとは思わなかった。」

間に娘まで為しながら、私は、妻のそうした特徴有る性感反応さえ知らなかったのだ。

「奥さんが性的に飛べなかったのは、強い性欲を潜在的に恐れていたのかも知れません。あれ(輪姦)も何度か経験すれば、抵抗は無く成ります。」

「なるほど、強い性欲に恥じらいが有って、潜在的に性欲を押さえていたのか。」

「そればかりでは無いにしても、結構気にしていたかも知れません」


帰宅して岩代の伝言を妻に伝えた。

「そうですか、自宅が買えそうですか?やはり竹中さんに感謝しなければね。」

「あぁ、岩代夫婦にもな。」

「私、昼間薬局へ行って来ました。早く私のお尻で竹中さんにも満足して頂かないと。あなたそれで、宜(よろ)しいのでしょ。」

「そうだな。満足させてやってくれ。」

妻に拠ると、私が仕事に出かけている昼間も、細君(京香)とは交流が頻繁(ひんぱん)に成っている。

娘が小学校に居る間(あいだ)に、暇(ひま)を見ては細君が我が家を訪れて来る。

どうやら、今後必要な細かい性技などを妻に教育するのが目的の大半で、結構厳しく教えられているらしかった。

細君の口を使って欲棒に素早くゴムを被せる神技を、必要だからと「伝授された」と報告した。

「そうか、今後役に立ちそうなら、良かったじゃないか。」

「えぇ、まあ・・・・色々すごい事も教わりました。」


妻がイソイソと食事の支度をしている。

この何年も見慣れた風景で、私が見る限りこれと言って変わった所は無い。

淡々とした中にも、むしろ楽しそうな表情が浮かぶ。

妻の、この心境の変化は、何なのだろう?

この後待っているのが、「非日常のア*ル調教」と言うのに気後(きおく)れなど微塵(みじん)も無い。

「あなた、今夜もお隣りに行きますからお食事早めに済ませて下さいね。」

そう言う妻からは奇妙な使命感みたいなものが感じられた。

「あぁ、判った。」

娘を寝かし付けると、妻は隣へ行く支度をした。

支度と言っても着ていた物を脱ぎ捨て、全裸に成るだけだ。

二人で玄関を出たが、妻は素っ裸で外に出たにも関わらず昨夜と違いコソコソとは歩かない。

しかも左手にグリセリンの五百CC壜をぶら下げている。

「おい、今夜は近所に見られても良いのか?」

「良いのです。どうせ、噂になる頃にはお引越しでしょ。」

なるほど、いざとなると女は度胸がある。

岩代も「女が割り切ったら男は適わない」と言って居る。

昨夜のように、玄関で岩代に迎えられた。

だが、今夜の岩代は直ぐには中に招き入れない。

「やぁ奥さん感心に、言われた通りに買って来ましたね。やる気満々です。」

目ざとく妻の左手に提げた壜を見つけ、岩代が誉めた。

「はぃ、お約束の通りに買って来ました。」

岩代の手が、もう妻の股間に伸びて花弁を嬲(なぶ)っている。

「それなら、もう一つ言いますが、聞いてくれますか。」

「判りました。何も仰(おっしゃ)らなくても出来ます。」

妻は何も聞かずに携(たずさ)えた壜を私に渡し、岩代のファスナーを下げて欲棒を取り出すと、岩代に操られた居るように玄関先のドアの外でシャブリ始めた。

「これが出来れば、ソロソロ良いでしょう。」

「ハィ。岩代さんここで私にこうさせるお積りだったでしょ。アア。」

欲棒が硬さを増すと、黙って玄関脇の柱に手をやり体を支えて岩代の欲棒を後ろから柔ら壺に受け入れた。

「アァ。」

玄関灯が明(あ)かく灯(とも)る家の外だった。

時折車のヘッドライトが、岩代にクィクィと突き責められている妻の尻を灯かりで浮き立たせる

「良く判りましたね。」

「そんな気がしました。アア、ァァァ。」

妻の思わぬ度胸の良い行動を、見せ付けられた。

これも、岩代の「気」のなせる業か。

「気」とやらは凄(す)ごい威力だった。

実の処私は、この頃から妻の急激な変化に、いささか行き過ぎの感が芽生えていた。

妻の、歯止めの無い進化が、脅威に思え始めていたのだ。

しかし、放たれた矢はもう戻らない。

妻は一気に走り始めて居たのだ。

いずれにしても目の前の妻は、夜間とは言え近所に見られかねない露天で、夫の部下を相手にこの痴態を自ら進んでしている。

「アッ、奥さん、俺の方が先にイキました。」

突然岩代が動きを止め、肉体(からだ)を外すと白い物が彼の欲棒の先端、坊主頭の先からほとばしり出て玄関の「たたき」を汚した。

実は後日談で、妻のこの全裸訪問が案の定近隣の住人に見られていたのだが、それは後に成って思わぬ所で判明する。


玄関での痴遊戯は、岩代が果てて、漸(ようや)く終わりを告げた。

妻は岩代に命じられて、元気が無くなった坊主頭を咥(くわ)えて雫(しずく)を口で拭い、綺麗に後始末をした。

毎度の事だが、妻は夫の私が焼けるほど岩代に従順である。

やっと中に招き入れられ二階に上がった。

いっもの蒼いジュータンの部屋に案内されたのだ。

そこには、既にビニールシートが敷かれ、準備も良く器具類諸々が取り揃(そろ)えられていた。

前日と同じ手順で妻はア*ル調教を受ける支度をすると、四つん這いで尻を差出し、細君(京香)からグリセリン溶液を三本入れられた。

少し大きなア*ル栓を押し込まれ、昨日より少し長く頑ん張る事にした。

「所長、また犯って下さい。これをする時は、気持ち良いのが半分ある方が良い。」

私は言われた通り、妻を後ろから犯した。

妻のお腹は、グリセリン溶液と戦っている為か定期的に律動し、その度に花弁の中の柔ら壺もも引き締まる。

「アア、アーァ、アア、アーァ、アア、アーァ。」

私の欲棒の出入りに合わせて、妻のくぐもった善がり声が漏れている。

「どうです?昨日より具合が良いでしょう。」

「アァ、良いけど・・・・。」

「奥さん少し慣(な)れたのですよ。余り長く我慢させても逆効果なので、一度出させましょう。」

また、妻の長い噴射が続いた。

定期的に催すらしく、五回に余る回数の噴射で出し切った。

「終わったら、またお湯で中を洗いましょう。」

今日はぬるま湯は五本入れられた。そして、噴射。

「さあ、綺麗になったから、今日は指より少し太いのを入れて見ましょうね。」

細君が、頃合の太さの玩具を妻の顔の前に並べている。

中に細めのきゅうりと、細長い人参と言った野菜もある。

「奥さん今日はこれを入れるから、覚悟してね。」

「はい、お願いします。」

ハンドクリームを蕾に塗って、細君が妻のア*ルに玩具を挿し入れ、抜き挿しを始めた。

ア*ルの蕾肉が、玩具の出入りに合わせて巻き込まれたり引きずり出されたり、怪しくうごめいて見える。

「どうだ里美、少しは感じるか。」

「いぇ、京香さんが仰(おっしゃ)るようには、まだ良くありません。ただ不思議な感覚があるだけです。」

「その不思議な感覚が育って、その内良くなります。まだ、慣れていないから。」

「そうでしょうか、後何日も無いので心配です。」

「大丈夫です。明日(あす)あたりから太いのも使いますから。」

「でも、竹中さんには使って頂(いただ)くだけじゃなく、私も良い反応をして差し上げないと。」

「良し、夕べの様にタマゴバイブを花芯ボタンに使いますが良いですか。」

「構いませんけど、あれをして頂くと、私、また夕べの様になるかも知れません。」

「あれはあれで見る人は喜びます。どうせ奥さんは見世物痴女になるのだから、全てを曝(さら)け出す覚悟しなさい。」

「はぃ、判りました。」

返事をして妻が股を開くが早いか、既に細君が花芯ボタンにタマゴバイブを宛(あて)がっている。

今ア*ルの方は、細目の太さのきゅうりが刺さっていて、その抜き挿しは岩代がしている。

ビーンと音がして、妻がまた感じ始めている。

「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ。」

妻が、尻を高く掲げたまま左右に振り、凄い善がり声をあげて悶え狂っている。

「アッ、アッ、アッ、アッ、アァー、アァー。」

「所長、これが奥さんの目玉シーンで特に行けそうです。奥さんの反応が良いから、竹中さんの本番の時もこれを犯らせましょう。」

「そうだな、これだけ感じれば中が締まって犯る方も良いだろう。」

妻が、凄い声で善がっている。

あの、今までの貞淑ぶった妻は何処にも居ない。

やがて、「アッ。」と言って、昨夜同様に放尿を始めた。

何故か凄い勢いで「シャー。」と音を立て、細君の宛がった洗面器に放っている。

どうやら妻は、この状態に追い込まれると、全身の力が抜ける様だ。

「所長、これが毎回出来れば、竹中さんも喜びます。」

岩代は、妻を「見世物にする」と宣言した。

烈な性的刺激を加え、毎回放尿をさせて見せ、「客の晒(さら)し者にしよう」と言うのだ。

妻は放尿を止めたが、タマゴバイブ攻めと善がり声は続いている。

「アッ、アァー、アァー、アァー、アァー、アァー、アァー。」

全身に震えが来るほどの善がり振りで、見ている方も息詰まる調教だった。

それも、十分程で終わった。

妻の戒めを解くと、妻は恥ずかしそうに、「また、おしっこ我慢出来なかった。」と言った。

「やぁ、あれはあれで良いです。」

「でも私、あれは我慢できないので、自然に出てしまい恥ずかしい。」

「そう言う自然な反応を隠さず見せる方が、相手が喜びます。」

「私、結局みんな見せちゃう女に成るのですね。」

「そうです、奥さんに飛び切り恥ずかしい事をさせるから相手が喜ぶのです。」


「でも、それを見られて私、本当は余計感じてしまいます。」

妻が本音の告白をした。

細君が「感じるでしょ、女性は、本当は見せたがりなのです。」と、応じる。

元々魅せる事が、「魅力を発揮する事だ」と本能的に知っているのが、女性である。

「でも、ここまでは・・・・。」

「刺激が強いほど、余計感じます。奥さん自分で判っている筈(はず)だ。」

「えぇ、判ります。キット建前で認めたく無いだけなのですね。」

「今日はここまでにして置きましょう。」

また、正座の礼をさせ、全裸の妻を連れ帰った。

もう、ヘッドライトの光を浴びても、大して慌てる風情(ふぜい)もない。



後で聞いたが、このア*ル調教は狂言に近い話で、密かに妻の調教を始めていた岩代夫婦や竹中が実態の調教との辻褄(つじつま)合わせに妻に命じてさせた事だった。

つまり妻の愛奴隷の調教は、当初の竹中との約束通り、私に断る事無く実行されていたのだ。

つまり私に見せた妻のア*ル調教は岩代に命じられた脚本で、既に本格的に愛奴隷調教を進めていた妻をカモフラージュする為に、私に対するアリバイ創りの八百長だった訳である。

何の事はない、「知らぬが仏」で、私だけがこのゲームにスリルいっぱいだった訳である。


一度灯(とも)った被虐の灯りは、簡単には消せない。

妻の里美は夫の目の前で他人に犯され、本能のままに性交の快感を貪(むさぼ)ってしまった。

その強い刺激は、正直癖になる。

強引に開発された妻の性癖は、「夫公認」と言う気易さもあって私の想像以上の速さで一気に開花していた。

「独立して事業をする」と言う事は、里美が思うほど簡単なものではない。

簡単なものではないからこそ、大概の人間は夢を抱(いだ)いても苦難に踏み出す勇気が無いから夢が夢で終わる。

もし踏み出す勇気がある人間でも、他人と同じ事をしていては夢は叶わない。

竹中に「本当に奥さんに事業をする根性があるのか?」と念を押された。

気取って居ては夢が叶わないから、形振(なりふ)りをかまっていては居られない。

つまり、「夢に踏み出すからには相応の覚悟が要る」と言う事で、出資する竹中にはその覚悟を確かめる意図と権利がある。

里美は、それが例え外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い事で有っても、竹中の融資を受けるには口先だけでなく、「その覚悟をここで見せなければならない。」と言う事に気が付いた。

大人同士の話合いだから、女の里美が「接待で根性を見せる」と言う方法は一つしかない。

里美は皆から「貴女に出来るのか?」としつこく聞かれて気に成って居た。

「そう言う事だったのか・・・」

これは、自分(里美)の考え方を大きく切り替える必要がある。

夢を叶えるには他人の何倍もの努力が必要で、独立して事業をするからには、自分(里美)は今後も接待で根性を見せ続けなければ成らない身に成るのだ。

性玩具(おもちゃ)に成るなら成るで、何事も躊躇(ためら)い無く上手く実行するには訓練が必要である。

アスリートだった妻は、自分の生き方を変えなければ独立が叶わないなら「根性の証明を実行し続ける為の訓練が必要である。」と考えた。

妻はその事に気付いて、「いっそ、岩代夫婦や竹中の言い成りに肉体(からだ)を預けよう。」と、この事を世間知らずの自分の頭で考える事を放棄した。

「逆らわない」と覚悟すれば、後はもう自分はマナ板の鯉である。

培(つちか)ったアスリート魂でどんな端無(はしたな)い事でも命令通りに実行するだけだ。


帰ると酒の支度をして、私に旨い酒を飲ませる。

つまり今、妻は首を固定した形で上半身を使って頭を高速度でクィクィとリズム良く、前後しながら欲棒をシャブっている。

私の坊主頭のカリ首の割れ目を妻の舌先が押し分けて刺激し、カリ首の粘膜質のエラの淵を舌先が舐(ねぶ)り、首を上下する度に唇がカリ首の淵を擦(こす)る。

舌先で舐(ねぶ)られた私の欲棒は、そのまま擦(こす)れる様に妻の喉(のど)の奥まで飲み込まれて行く。

何時の間にか、妻は欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)える「大陸フェラチオ」と呼ばれる中国人の性技習慣を教わっていたのだ。

私は、岩代の妻への調教に行き過ぎの感を感じていたが、妻が何処まで行くのか、見届けたい思いもある。

やがて何時ものように私の上に乗って、腰を上下し始めた。

無論私の欲棒は、快感を伴って妻の花弁を出入りしている。

「あなた済みません。今日の私、犯り過ぎですか?」

流石(さすが)に妻も、今夜の事は気にしていた。

そう聞かれても、成る様に仕掛けたのはこっちだ。

「お前、改めて聞くけど接待で客の見世物や玩具にされる覚悟は、本当にあるのか?」

「始めてしまったお仕事ですから、あなたがしろと言えば、そうします。」

充実した人生に必要なのは充実した性行為で、今更元の平凡な夫婦に戻るのも、もったいない思いである。

「しろよ。仕事と割り切って。」

「ハィ。」

ここに到って、私にはある疑問が生じていた。

この一連の経緯(けいい)を見ると、妻が拒否するタイミングは何度も合ったにも関わらず、妻は流れに身を任せた。

思うにこの「抗(あらが)いもせず他人に輪姦(まわ)される」と言う妻の行為は、消極積極に関わらず「合意」と言う前提がなければ成り立たないものだから、妻の内面ではそうした事に密かな願望が有ったのではないだろうか?

そう成ると、夫として取るべき道は二つ、妻の密かな願望を黙って見守るか強行に阻止するしかないのだが、私は黙って見守る事にした。

岩代夫婦の影響と言えばその通りだが、私の考え方も変化している。

世間一般の考える事など、私にはどうでも良い事かも知れない。何故なら、彼らは批判こそすれ助けの手を差し伸べる事など、現実には金輪際無い。

何も持たぬ者がこの世でのし上がるには、持てるものをフル動員しなければならない。

その意味では、岩代の考えには同調できる。

要は何を基準に思考し、行動を決めるかである。

厄介で不合理な事に、人間と言う動物には持って生まれた「冒険心を満たしたい」と言う欲求がある。

家庭の主婦なんて、真面目に三年もやっていれば毎日が退屈になる。

余りにも平凡な日々を送って居ては、「自分の人生は一体何なのだ?」と、満たされない思いが募っても不思議は無い。

しかし大概の人間は、不満が有っても冒険にはリスク(危険)が伴うから、自制している。

人間の贅沢は無いものねだりで、何と言っても刺激の無い人生は平和でも詰まらない。

世間の常識を疑いも無く信じて居は、心(精神)の方は逃げ場が無く成って泥沼に落ちて行く。

何事においても、想像力や好奇心が無ければ思考の扉は開けられない。

かと、言って妻には冒険に踏み出す勇気など無い。

そこに、お誂(あつらえ)え向きの遊びの誘いが夫から掛かった。

しかも「開業の為」と言う言い訳まで付いていて、正直言えば、主婦に取って後腐れの無い遊びは望む所の刺激だったのかも知れない。


こう言う事に成って以来、妻の返事が面白いくらい良くなった。

そう成ると、妻が何処まで従順なのか確かめたく成るのが人情である。

ふと思い付いて、我侭(わがまま)を言いたく成った。

妻がこちらの希望を聞いてくれる様に成ると、私には犯って見たかった事が沢山ある。

その中でもひとつだけ、昔から思い描いて居て「妻に言い出せなかった。」いたずらのアイデアがある。

試しに、それをさせて見る事にした。

「おぃ、今直ぐ実家に電話して、独立の話と自宅を買う話しをしておけ。」

「良いのですか?」

「あぁ、お前が接待の覚悟を決めたなら、計画は失敗しない。ついでに昔からしたかった事をさせてもらう。」

「何ですの?」

「お前が実家と話をしている間、俺が後ろから犯らしてもらう。」

「はぃ、少し遅い時間ですけど、今なら父も帰っていると思います。じゃあ電話しますから。あなたのお好きになさって居て下さい。」

妻(里美)にバックスタイルで尻を突き出させて、その格好で抽送しながら電話をさせた。

独立の話は、元々早く伝えたかった良い報告だから、妻はいそいそと電話をした。

その最中に、まず花弁の中に指を二本入れて抜き挿しして妻(里美)を嬲(なぶ)った。

妻(里美)は尻を少し揺らしながら刺激に耐え、指の抜き挿しにはリズムを合わせながら話をする。

妻(里美)の肉花弁の奥・柔ら壺は何の抵抗もないほど潤っていて、中のヒダがヒク付いて居るのを指先が感じさせた。

今日、妻(里美)は相当の刺激を受けている。

途端に感じ始めるが、実家の父と話をしていて私に犯されながら電話をしている事を相手に気取られる訳には行かない。

口数が少なくなり、盛んに相手の話しに「ウン、ウン。」と合い槌を打つのが精一杯になる。

刺激に耐えるのが精一杯で、私に抜き挿しされながら尻を振り、まともに話が出来ない。

母親が電話に出る頃には妻(里美)を横たえ、正常位で欲棒を突き立てて腰をグラインドしていた。

「ウン、そう、ウン、資金も出来たから。そうそぅ。」

襲い来る快感を耐えながら、妻(里美)が受話器を握り締めて話しをしている。

しまいに感じ過ぎて妻(里美)の声が出なく成ったので、欲棒を抽入したまま抽送を止めた。

電話が終わると、妻(里美)は「フー。」と溜息をついた。

「あなたぁ、キツかったぁ。だって、声が出せないのだもの。」

電話が終わると、妻(里美)は甘えて来た。

電話相手が両親と言う条件で、「快感を堪(た)えながら犯られる刺激は強烈だった」と言う。

結局「イキたくてもイケ無かったから」と、妻は電話を置いた後に清々犯りたかったようだ。

「もぅ、意地悪」と言いながら、両手を私の首に巻いて、抱き着いて来た。

そのまま、ソフアーにもたれ込むと、まだ勃起していた欲棒を握って股間に誘った。

妻の性感度は格段に上がっているようで、電話中は、感じているのにイケ無い生殺しのもどかしさが、強烈に快感を誘ったようである。

そんな趣旨の事を言いながら、妻は私の腰使いに「クイクイ」と受け腰で応じて、近頃の変身振りを見せ付け、激しく反応して果てた。


「もう電話はこりごりか。」

「あなたが電話しろと言えば、たまには良いかな?」

「たまには良いって?」

「だって、気持は良いのだけど声が出せ無いって、凄い強烈、あなたも意地悪だわ。」

こりゃあ、妻の考え方が完全に変わっている。

SEXを「積極的に楽しもう」と言う姿勢だ。

性の感度も以前より格段に良く、こう成れば行く処まで妻の調教は岩代に任せて続けよう。

確かに、どうせ男女の事はエロい方が結構愉しいからだが、世間では建前上は大っ開(おおっぴら)にはしないだけで、私の知る限りでも非日常の刹那を愉しむエグイ実態は幾らでもある。

性癖は夫々(それぞれ)だから、エクスビショプレィ(露出行為)、SMプレィ(加被虐行為)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)などセクシャルオリエンテーション(性的嗜好/せいてきしこう)は多彩である。

そしてそこを満たす為の営業も在れば遊び仲間も存在し、それは「無い」とは否定出来ない現実である。

嫌、「そんな事実は無い」と強情を張る方が嘘っぽい。

否定出来ない現実ではあるが、そう言うエグイ実態は例え事件に成ってもマスメディアは自粛してオブラートに包んでしまうだけで真相は闇の中である。

つまり絵空事でなく現実であるならば、その時確かに憂鬱(ゆううつ)な矛盾の中に「どちらも真理で在る」と言う混沌とした想いが私に在った。

岩代に薦められたのは正に私達夫婦を、非日常の刹那を愉しむエグイ実態に引き入れる事である。

我が身のプライド(誇り)を採るのか、プライド(誇り)依りも豊かな人生を採るのか、安易に結論など出せない情況に置かれ、いったい何を採り何を棄てれば良いのか。


つくづく想うが、人生何て予想外の展開の連続で、結果の良し悪しも含め予測など誰も出来ないし、ましてや計画通りに成る事などまず在りはしない。


(本格的生け贄)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十二話(本格的生け贄)


岩代が面白い話を持って来た。

「おはよう、昨日はどうも。」

「お早うございます。昨日はお疲れさんです。所で所長、チョット面白い六百坪の宅地物件があります。」

「面白い物件?」

「えぇ、四十八歳の男性が一人で所有する優良物件ですが、接待の犯りようで話が付きそうです。」

「そんな優良物件を、君一人で扱えそうか?」

「少し相談事が在りまして。」

「詳(くわ)しい話を聞こうか?」

「田嶋と言う人物なのですが、もうご両親が他界していまして、未だ独身なのです。他にも持ち地所があったのですが、相続税と浪費で、今は五十坪の自宅とこの物件だけ残ったようです。」

田嶋と言う男は、親の遺産で遊んでいる様なだらしない男だが、酒と女で一千万円ほどの借金を作り、ヤクザの企業舎弟金融会社から、追い込みを掛けられている。

遊んでばかり居て余り社会勉強をせずに大人になったので、借金の処理の方法が判らない。叔父叔母クラスの身内は居るのだが付き合いが無く、相談相手に成れる友人も居無いので途方に暮れていたのだ。

岩代が、たまたま目を付けた建設資材置き場の持ち主がその田嶋だった。

「ほら、以前絡まれた龍信会系企業舎弟・坂元の街金(消費者ローン)ですよ。」

「ヤクザ絡みじゃ、ややっこしい話にならないか?」

「いぇ、独断ですが、二人で出かけて行って、田嶋の借金を先方から千五百万で買取の話をつけて肩代りしました。少し高く付きましたが、この際まとまった六百坪は魅力です。」

「その程度で、良く話が付いたな。」

「街金会社は田嶋の土地について値打ちを知りません。それに揉め事に成って当局に目を付けられるより、五割上乗せで面子が立ち、片が付いて喜びました。」

「うーん、思い切った事をしたな。岩代君の度胸には呆(あき)れる。」

「田嶋も、取り上げられそうな土地が帰って来て、喜んでいます。それで、この土地を処分させて、投資させようと考えています。」

岩代が住宅地図に印を付けたコピーを手渡した。なるほど、申し分ない優良物件だ。

「こりゃあ、良い。高く売れるだろう。」

今まで見落として居たのが不思議なくらいだが、誰でも知っている中堅企業が使っていたので、先入観で、てっきり「その企業の持ち物」と思い込んでいた。

周囲の開発業者もそんな所だろうが、龍信会系企業舎弟・坂元が、六百坪の土地について値打ちを知らない訳が無い。

そう成ると、また岩代の不思議な「気」の力で切り抜けた事になる。

「それで、上手く説得して、田嶋を取り込む事が出来るのか?」

「所長、信頼関係ですよ。折角仕込んだのですから、奥さんをお借りしたいのですが、奥さんの接待の犯りようで話が付きます。所長も立ち会いますか?」

「イヨイヨ内の奴(里美)に犯らすのか?まぁ、仕事で必要なら仕方が無いが。」

そう言えば、最近は細君(京香)に接待の心構えやら、何やら特訓を受けているらしい。

なるほど、イヨイヨ妻に「信頼関係の実践をさせよう」と言う魂胆か。

これは妻を一人で行かせる訳には行かない。

妻に接待をさせるのが共同経営の条件だから、今更断れる話のものではない。

内心複雑な心境だが、妻が竹中や岩代に何を仕込まれたのか観てみたい気も大いにある。

「内の奴に接待を犯らせるのなら立ち会うが、場所はどうするのだ。」

「場所の事でしたら、小さいビルを一軒借りましたので、そちらを使います。」

もう決まった事のような態度で、岩代が事務所兼私たち夫婦の住宅候補の一軒を、「下見の名目で借りた」と言う。

何しろ岩代のやる事には卒が無い。

「そう言えば、今日は習い事の日だが?」

生憎(あいにく)妻は家に居ない曜日だったのである。

「それじゃあ所長、奥さんに接待の仕事が出来たと呼び出して下さい。」

妻は最近、岩代の勧めで細君と一緒にエアロビックスと日舞を始めた。

岩代に言わせると、「社長婦人の余裕と気品、それに体力を育成する為だ」と言う。

習い事の出先を当たり、捕まえて電話で妻に用件を話すと、「そう言うお話なら直ぐに家に帰り、支度をして細君と一緒に出掛けて来る」と言う。

少しは不安そうにするかと思ったが、ここまで来ると女の方が度胸が良い。

電話の途中で、接待用に借りた場所が少し郊外に成るので、岩代とここまでの足の相談をして岩代が会社の車で迎えに行き、私は現地で合流する事にした。

「岩代君が会社の車で家に迎えに行くので、京香さんと来るように。」

「判りました。」


岩代が借りたのは三階建てのビルで、間口五間、奥行き七間、床面積がワンフロワー三十五坪と贅沢なくらいだった。

前に五台ほどの駐車スペースもある。

一階は「以前ナイトクラブが入店していた」と言うので、岩代から預かった鍵で中を見たが、中は設備がそのままで岩代が業者を入れて綺麗に掃除させてある。

ナイトクラブとしては場末の立地と呼べる物だったが、確かに飲食を伴う秘密の接待にはこのまま使えて「お誂(あつら)え向き」だった。

店の中に敷き詰めた蒼いジュータンが、岩代のお気に入りだった。

彼の構想では一階は社交・接待用スペース(プレィルーム)、二階が事務所、三階が「私達夫婦の住居だ」と言う。

暫(しばら)くすると、田嶋と名乗る男が「約束がある。」と遣って来た。

身なりはそれ成りにして居るのだが、見るからに持てそうも無いぶ男で、風采の上がらない男だ。

しかし、金ずるには違いない。

岩代は、この男に妻を充てがい、「出資をさせよう」と言うのだが、これほどぶ男では嫉妬心も薄くなるから、人間の感情などそれほど大それたものではないのかも知れない。


田嶋を一階に通して、岩代の用意した洋酒を振舞った。

冷蔵庫には用意周到に、つまみになりそうなひと通りの食材と酒が各種揃えてある。

なんて奴だ。

気がはやるのか、田嶋の酒のピッチが早い。

背が低くやや太り気味の上に頭髪が薄い田嶋は、おせいじにも格好が良い男とは言えない。

むしろ不潔感が漂う汚い感じの男だが、この際妻の肉体を汚すには、嫉妬の対象と思えない分相応しいのかも知れない

「社長さん、俺が岩代の言う事を聞いて印鑑を押せば、アンタの奥さんと面白い遊びが出来るって本当か?へへ、俺ワクワクして今日を待っていたのだ。」

どうやらこの男、岩代から接待の内容を聞いては居るが、事が事だけに半信半疑らしい。

「岩代からどう聞いている?」

「時々ここに来て、社長の奥さんと岩代の奥さんを、好きにして良いと聞いているけど。」

「あぁ、土地の処理と融資の話が付けば、時々好きにして良い。」

「それなら、俺の土地は勝手にしても良いぞ。」

「馬鹿に話が早いな。人が良過ぎるぞ。」

「ヘヘ、この間、街で買い物中に岩代の奥さんにアンタの奥さんを紹介されて、二人とも顔だけは合わせている。涎(よだれ)が出るほど色っぽい奥さんだ。」

言われて見れば、近頃妻は垢抜けて「ハッ」とするほどの色気を発している。

妻には、このところ毎日性修行をさせているから、色気が出ても仕方がないか。

岩代め、もうチャッカリ連れ出して、内の奴とも面通しは済ませている。

相当計画的に事を進めている様だ。

「何しろ京香さんの味見はさせてもらったから、岩代の事は信用しているけどね。」

岩代が言う「信頼関係」の構築は、細君(京香)に関する限り終わっていて、今度は妻の番と言う訳である。

田嶋が細君(京香)の、「禁じ手」とも言える大胆な性技(テクニック)の洗礼を受けた後では、妻を弄(なぶ)るに躊躇(ためら)いや遠慮などある訳も無い。

妻がこっ酷い目に合いそうな予感がした。

「社長、この話嘘じゃないだろうな?あんなに好い女を・・」

男がまたしつこく念を押す。

「嘘かどうかは、今に内の奴が来れば判るよ。」

品は無いが相手は大事な客で、余り邪険には出来ない。

もう私もその気で妻を呼んだのだから、この男に犯らせるしかないのだ。

妻は確かに「支度をして来る」と岩代は言った。

想像するに、どうせ妻は覚悟のノーパンティにノーブラだろう。

捲くって見せれば、この男も判を押す筈だ。


どうせその辺り、「黙っていても岩代に抜かりなど無い」と思って居たが、これが凄かった。

この田嶋と言う男、後に永く付き合って見て判ったが、ムチャクチャに気の良い純真な男で、それ故に今まで騙されてばかりいた様である。

それでも凝りもせず、また岩代の話に乗ってここに居る。

岩代の田嶋評に「学も無い男だが、人を騙すような男ではないから、放って置けない。」とある。

彼の場合は「田嶋に残された唯一の財産を守ってやろう」と言う意志が見えた。

岩代の奥底に有る優しさの一端が、掻い間見えた一瞬だった。

この辺りが、岩代の中に同居する冷酷さと優しさの不思議なハーモニーで、どうも女性には魅力に映るらしい。


外で、車の来た音がした。

クラウンが、駐車場の入り口に止まった音だ。

車も岩代が新車を二台買い、私には当時高級車の黒のトヨペット・クラウン、自分は白のトヨタ・マークUを割り振った。

ただ、接待の必要に応じてクラウンを使わせている。

今は私の車を使って、妻と細君(京香)を迎えに行ってこちらに連れて来た。

クラウンが到着すると、「外に出て来い」と言う合図なのか、二度、小さくクラクションが鳴った。

「田嶋さん、内の奴が来た様だ。何んかの都合で外で呼んでいるみたいだ。」

私が立ち上がって玄関に向かうと、「俺も行く」と、田嶋も付いて来た。

外の駐車場に出ると、ちょうど細君(京香)が手を貸せて、妻の里美を車から降ろしている所だった。


既成概念をぶち破って「まさか?」と思う「有り得ない事」が出現すれば、それはゲストにとって強烈なインパクトでありその価値観が圧倒的に違う。

驚いた事に、クラウンから降りて来た妻の格好はノーブラ・ノーパン所の生易しいものではなかった。

まっ昼間の駐車場で、妻は素っ裸だったのだ。

男の脳中枢(のうちゅすう)を刺激してHモードにさせるのは、まずは視覚、次に触覚で、瞬時に「ドキッ」とさせられるビジュアル(視覚感)は、プレィ導入時の大きな興奮効果をもたらせる。

妻の姿を一目見て、その強烈なインパクトにゾクゾクと鳥肌が立ち、唖然としたがグッと抑(おさ)えた。

例の良く肌に馴染む岩代が使い込んだ麻縄で、妻の裸体は後ろ手亀甲縛りに上半身をキッチリと縛り挙げられ、乳房はおろか下半身まで丸出しの状態で犬首輪に繋がれたてリードで曳かれて来たのだ。

乳房も乳首も、股座の恥丘も、二枚の肉花弁も、生々しく丸見えだった。

立場上、慌(あわ)てた素振(そぶ)りを田嶋には見せられない。

「落着け」と自分に言い聞かせると、言い知れない奇妙な興奮も湧き起こって来た。


夫としての感情と男の本能は違う。

妻の全裸拘束の愛奴隷姿を初めて見せ付けられたが、男の一番弱い所がこう言う視覚の誘惑である。

車から降りて来た妻の格好は、そこら辺りを物の見事に演出していた。

妻に見ず知らずの男相手に性接待をさせる事など、岩代が言うようには、「そう簡単には思う様に行かない」と思っていたが、妻は素っ裸に剥(む)かれて麻縄で後ろ手に括(くく)られ、犬首輪を装着されて細君(京香)にリード(引き綱)で曳かれて田嶋の目の前にいる。


耳元で岩代が「こう言う事は、一気に犯らせて馴(なれ)れさせるのです。」と囁いた。

「コイツ、人の女房を勝手に馴(なれ)れさせるなどと・・」と思ったが妻に性接待をさせるのは約束で、どうせ遅かれ早かれ素っ裸に剥(む)かれるのだから、凄い露骨な格好をさせられているが任せた以上今更岩代に文句は言えない。

何しろ目の前に全裸拘束姿の愛妻が立って居る。

それも大それた事に、少し奥まった駐車場とは言え野外である。

何と言う事か?

しかし考えてみれば、相手の大金が目当てなのだから、これが相応の接待かも知れない。

岩代の妻の扱いを怒るでもなく私の男の本能はトキメキ、正直私を異常な興奮に導いていた。

極上の性交接待を提供する(犯る)のが愛奴隷の仕事で、妻の張りが有る柔らかそうな肌の、魅せる為に大胆に全裸に剥(む)かれた美しくしなやかな肢体は生々しく、それだけで見る者の本能を身震いする程くすぐり甘美な誘惑を思わせる。

流石(さすが)に頬(ほほ)をホンノリと紅潮させ、愛奴隷姿の妻は恥ずかし気で在ったが、乳首を勃起させた乳房を揺すり、くびれたウエストから丸みを帯びた腰と尻、その腰の中央には陰(かげ)る様に生えた陰毛と二枚の肉花弁まで曝(さら)け出している。

私も男だから、車から降りて来た妻のあのエロチックな格好の理由は判る。

官能とは性本能を揺さぶられる事であり、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚)を満足させるお膳立てが良いほど官能的な胸中(きょうちゅう)に入る事が出来る。

岩代はその辺りを計算し尽くして、あのようなエロチックな格好を妻にさせたに違いない。

つまり妻のSMチックな全裸後ろ手拘束姿での野外露出は、一瞬で田島の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚)を満足させ、妻の虜(とりこ)にてしまう威力がある。


妻は車から降りるに既に露出調教の全裸晒(さら)し者状態だったが、そこで細君がコートを一枚肩に掛けて羽織(はお)らせる。

春物のコートを羽織ったが、前が肌だけ、亀甲縛りに縄がかかった胸の乳房が覗いて居た。

おまけに、後ろ手に両腕は組ませてガッチリと拘束されている。

明らかに妻の乳首が硬くなって、平静を装う顔をしても興奮している事は隠せない。

それは躾(しつけ)の領域を越えて、最早(もはや)調教済みの美しい素っ裸の愛奴姿である。

拘束された妻は、両手が使えないから、細君の介添えが無ければ車も降りられないし、屋外で前がはだけ、露出しても本人に隠す手立ては無い。

コートから垣間見える妻の剥(む)き出しの内太腿(うちふともも)の白さが、既に田嶋を魅了しているに違いない。

高価そうなダイヤを散り嵌めたネックレスが、皮の犬首輪の下から胸元に垂れ下がり、ウエストには宝石入りのチェーンが、豪華に巻かれている。

女性の裸体の曲線ほど美しいものはない。

それを妻は惜しげも無く丸々曝(さら)け出しているのである。

ここだけの変な話だが、後ろ手に拘束された妻の裸身を見て私は、客観的に、一瞬「格好が良い」と思い、次に「美しい」と思った。

見とれた後で、「これは自分の妻だった」と、改めて頭の中を整理したくらいだ。

この第一印象は強烈で、当然気分は「勃起モード」である。

恐らく、理性ではなく本能が勝った事の成せるものであるが、亭主でさえこの調子だから、ゲストの田嶋の衝撃は強かった筈(はず)だ。

全てを曝(さら)け出してゲストの性玩具(おもちゃ)に成る意志は、妻の完ぺきな格好を見れば明らかだった。

何しろ全裸の上に後ろ手拘束で、本人が抵抗して承諾しなければ成り立たない恰好で、それを受け入れたからこそなのだ。

妻はその格好を受け入れ、犬の皮首輪を嵌(はめ)められ、細君(京香)にチェーンで曳かれて遣って来た。

常識に照らせば凄(すご)い判断かも知れないが、それだけに接待としての威力(いりょく)はある。


「これは岩代の仕事に違いない。」

そう思ったが後の祭りで、妻の大胆な姿を見せられても、私には今更何の行動も取れない。

確かにあの時、私は妻の全面協力を了解している。

つまり今日ある妻の痴態は、全て私の了解の下で進んだ事である。

細君(京香)は役目を心得ていて、妻を接待させる時には彼女はS(サド)風の役割も充分に熟(こな)すらしい。

正面からは、妻の縄掛けされた全裸の肉体が丸見えで、私も田嶋と名乗る男も、唖然と見とれて佇(たたず)んでいた。

岩代夫婦の演出だろう。

少し小ぶりだが、美乳の部類に入る妻の柔らかそうな両乳房が歩く度に上下に揺れ、股間に茂る恥毛も露(あらわ)で隠す術(すべ)も無い。

確かにこう言う事には演出が大事で、雰囲気を高め盛り上げるには相応の怪しいビジュアル(視覚的)は欠かせない。

それに本人にも置かれた立場を自覚させる事が大切で、拘束姿の素っ裸で露天の駐車場に曳き出されれば、妻は嫌でも愛奴隷である事を思い知らされる事に成るだろう。

こう言う事は、体験して始めて学ぶ事もある。

確かに、人は現実を受け入れる度量がないと生きては行けない。

しかし性的な事を言うと、直ぐに「下ネタ」と毛嫌いする妻の大変身には、正直驚かされた。

何時の間に妻を躾(しつけ)たのか、何しろ敷地内とは言え見通しの聞く野外の駐車場で素っ裸である。

まさか岩代の妖気のせいではないだろうが、どうして妻がこう言う心境に成ったのか、それにしても女性心理には謎が多い。

時折クィと曳きながら、リード(引き綱)で細君に操られる妻の裸身は、陽光に照らされて眩(まぶ)しく輝いている。

妻の、この執拗(しつよう)に屋外に晒(さら)された裸身は、見咎められれば世間では目を疑う「まさか?」の格好で、白昼の死角に僅(わず)かに紛(まぎ)れていた。

「あいつ(岩代)、ここまで犯らすのか・・・。」と、心中穏やかではない。


妻の姿には驚かされたが、岩代の魂胆は判っている。

人間に備わった五感の感性は、衝動を刺激する。

性衝動は、視覚の刺激から始まる興奮であり、人間の脳は、興奮すると性欲や物欲に限らず、明らかに欲求が強くなる。

つまり周辺環境も含む、それなりの演出は「相乗効果」と言う付加的な果実をもたらす。

それらを全て計算してこそ、最高の接待は産まれるのである。


妻の足の長さには定評があり、同じ水泳部員と写した競泳時代の写真を見ても、上背はさほど変わらないのに腰の高さが握りこぶし一つ分ほど周囲の娘より高い。

手足の筋肉が締まって、現役の高校時代は、今より少し細身だったらしいが、流石(さすが)に肩の筋肉は着いていたらしい。

その肩の筋肉は、卒業して暫(しば)らく経った今は少し落ちたが、その分女性らしく柔らかい見かけに成った。

その美しいボデーが今日は全裸で、白い肌の下腹部には妖しげな黒い蔭(かげ)りが浮き上がって、鮮やかな対比を見せている。

私の目の前で信じられない事が起こっているが、妻のこの卑猥な情況は現実だった。

だが慌(あわ)てる事はない。

これはもう信念になっているのだが、その性交に相対(あいたい)の愛情が絡まなければ岩代夫婦が言うように「只の誓約(うけい)の証明」に他(ほか)成ら無い。


人間に取って、均整の取れた裸体ほど、美しいフォルム(形状)はこの世には無い。

何故なら、それは本能にインプットされたものだから、理屈抜きに人間に備わる感性なのである。

妻の乳房はさほど大きくないが、相応にバランス良く丸みを帯びて柔らかそうに育っている。

なだらかな曲線を見せて引き締まったウエストのくびれ、丸く膨(ふく)らむムッチリとした腰、そのバランスが取れて眩(まぶ)しく輝く体型の裸身は、男心を引き付けて当たり前である。

しかし、陽光に照らされて浮き上がった妻の裸身は、確かに美しかったのである。

妻のおわん型の二つの乳房は、典型的な日本人独特の黄色の肌に掛けられた縄で、亀甲に引き絞られ、その縄が後ろに廻って両腕を後ろ手に拘束していた。

くびれたウエストに縦長の臍、やや薄めの恥毛に覆われて、柔らかそうに丸身を帯びて膨らむ恥丘、その下の小さ目で、厚さは並程度の可憐な二枚の肉花弁も、隠し様も無く外気に触れている。

岩代が、田嶋の接待と言う事で、生け贄(いけにえ)然とした予想以上の格好を妻にさせていたのだ。

元々人間の一生などアクシデントの連続で、計画的に行く人生などある訳がない。

もう、仕事に必要なら「愛奴隷として犯られる」と一度決めた妻には、こうして素っ裸でゲストの前に引き出されても、嫌も応もない事だった。

「今日の接待は、話し合って奥さんにお任せしましたから。」

近寄って来た岩代が、いたずらっぽく笑って私に囁(ささや)いた。

「う〜ん、内の奴が犯ると言うなら、させて構わないが。」

妻のさせられている格好は、車で移動するにしても想定外の大胆さで、田嶋も私も「胸ドキッ物」だった。

「社長、社長。こりゃ凄い、凄いなぁ社長、俺は感激だよ。」

行き成り妻の全裸拘束姿に驚かされて半ば照れ隠しもあるのだろうが、田嶋はハシャギながら饒舌(じょうぜつ)に成った。

細君(京香)と並んで近寄ってくる妻は顔を赤く高潮させ、肌蹴(はだけ)たコートの間から乳房や太腿、股間の痴毛まで覗かせて、妻は股下が長い為、見るからに脚が長く体型のバランスが良いのだが、拘束されてバランスが取り難いのか、うつむけ加減にヨロヨロと歩いて来た。

近付いて来て細君(京香)に促(うなが)されて一旦顔を上げた妻は、その煽情的(せんじょうてき)な格好に似合わない優しい笑顔をしていた。

首には大型犬の皮製首輪がしてあり、鎖のリード(引き綱)の先をジャラジャラと細君が曳いていた。

亀甲縛りに縄掛けされた妻の乳房が、少し窮屈そうに絞(しぼ)られて私はドキッとさせられる。

その格好を見るなり、田嶋が感嘆の声を上げた。

「色々お愉しみ在るとは聞いていたが、成る程こりゃあ凄い。鼻血ものだ。社長、奥さんのこの格好を見てあんたの気持が判ったよ。こんな経験は初めてだ。」

勿論田嶋の方は、妻が何をしてくれるのか期待して来たのだから、妻の格好がその期待に適(かな)う姿だった事に感激する。

物事何でも同じだが、それなりの結果を出すには例え性接待でも「良い加減な気持ち」は禁物で、妥協が許されない性接待に専念する事が、唯一絶対条件として妻に要求されるのである。

これから起こる事への期待に、田嶋が興奮してしつこく話し掛けるので、面倒に成った私は、「構いませんから、遠慮なく嵌(ハメ)倒してください。」と、返事をした。

横から、「日頃犯りたいと想っていた事も遠慮は要りませんよ。」と細君(京香)も口を添える。

「そうかね。遠慮無しに犯って良いのかね。」

田嶋にすれば、抗(あらが)わない人妻を「夫の前で好きに扱える」と言う事は、蜜の味で、すなわち性的肉体支配は、心理的優越感、心理的支配感を満足させてくれる。

妻のこの格好は、語らずともその欲求を存分に満足させる事を暗示していて、大いに田嶋を期待させるのである。

細君が、口上を述べながら、不安気で必死な笑顔の妻を田嶋に引き渡す。

「はい、お待ちかねの奥さんをお渡ししますよ。田嶋さんに遊んでもらう為ですから、今日は首輪をさせてペットの躾(しつけ)をして来ました。」

ジャラリと鎖のリードを細君から受け取った田嶋は、妻を引き渡されて満面の笑みを湛(たた)えた。

細君は、まるでプレゼントを渡すようなテンションで全裸の妻を引き渡した。

受け取った鎖のリード・チェーンの先には、大型犬の皮製首輪をした全裸の妻が、後ろ手に拘束されて繋がっているからだ。

「エッヘヘ、ナルホドこれじゃあビンビンにオッ立っちゃうぜ。」

誰に言うとも無く、照れくさそうに田嶋は言って、クィとリード・チェーンを曳いた。

田嶋の「品が無い第一声」と言えばその通りだが、飾り気が無く正直な反応とも言える。

「これが、お愉しみのお世話をさせる里美です。御要望にNG(no good)が無いように仕込んでありますから、遠慮なく我侭(わがまま)を言い付けて下さい。」

岩代は田嶋にそう言って笑ったが、実際、後で事情を聞いて見ると、妻の里美にはあらゆる手段を講じて愛奴隷としての性接待の初期教育を徹底して施(ほどこ)して在った。

田嶋に鎖のリード(引き綱)で引かれた妻は、肌蹴(はだけ)たコートの前から見える乳首を硬くして、乳房を揺らしながら近付いて来て、少し赤くした目でうつむき加減に足元を見ながら私の前を無言で通り過ぎる。

この状態では、彼女にすれば私の存在は無視して掛らねばならない。

引き渡された以上、今の支配者は夫の私ではなくゲストの田嶋なのだ。

私を無視する態度こそ、妻の里美には岩代夫婦に拠って「愛奴隷の心得が確りと躾(しつけ)てある」と言う事だ。

亀甲縛りに縄掛けされ、少し窮屈そうに絞(しぼ)られた妻の乳房が歩く度にユサユサと揺れている。

田嶋は見るからに興奮して、品の無い顔をニヤケさせて獲物(えもの)が繋がったチェーンを曳いている。

おかしなもので、例え性接待の愛奴隷でも、犯る以上は「あの女、使い物にならない」と評されるのは女としてプライドが許さない。

それにこうなってしまえば、妻は夫に気兼ねなどして居る暇(ひま)は無い。



初めてブッケ本番の相手に接待をするように言われた時は、私(里美)、本音の所は「凄く嫌」でした。

恥ずかしい、気持ちが悪くて凄く嫌でも女なら当たり前です。

いくら竹中さんや岩代さんと性体験しても、誰彼(だれかれ)構わずは「チョットどうか?」と思います。

でも、岩代さんに弱みを見せたく無かったので、強がって平気な顔をしました。

そしたら、行き成り「衣類を脱ぎなさい」と命じられ、岩代さんに素っ裸に剥(む)かれました。

後ろ手に拘束されて亀甲縛りに乳房を絞って縄掛けされ、大型犬の皮製首輪にリード(引き綱)を装着されて「接待に連れて行く」と言われた時きは衝撃的でしたが、もぅ、転がり出したものは簡単には止められません。

初対面の相手に、「この格好で連れて行き、引き渡す」と告げられました。

駐車場に着いてからは春物のコートを羽織らせてくれましたが、前は意図的に肌けたままで動けば捲れ上がり、コート下の全裸が露出します。

そのコートも京香さんに玄関ドアの前でまた取り上げられてしまいました。

今更考えたって仕方が無いのです。

「犯ったからと」言って重大事に考えるから厄介に成るので、性を遊ぶにはもっと気楽に考えれば良いのです。

しかも考えて居る暇(いとま)もなく、私(里美)は素っ裸で家から連れ出され田嶋と言う品の無い男に、「好きに遊んで下さい」と宛(あて)がわれてしまいました。

不思議でしたが、私(里美)の何処かにこの接待性交への使命感を感じていたのか、犯り終わった直後は気だるい疲労感だけでしたが、暫(しばら)くすると達成感と爽快感が湧き上がって、「私犯り遂げた」と誇らしくさえありました。


これは私達夫婦の未来が掛かった事ですから死ぬ気で掛からなければ成らない試練で、もう心身ともにその準備は出来ていました。

実は夫に内緒で竹中さんの家に性交技を仕込まれに通う行き帰りに、露出の格好も仕込まれていましたから、本番の接待でこう成る予感はありました。

「そんなバカな」と安易に言う人は、そうした状況に追い詰められた経験が無いからです。

すっかり状況を固められていましたから「裸で連れ出す」と言われても心理的にはもう完全に岩代さん夫婦のペースで、逆らえない私(里美)は言い成りに言う事を聞いていました。

自分でも驚いたのですが、「約束通り竹中さんに仕込んで頂くから」と裸にされて縛られ、竹中さんの所へ京香さんに連れられて行く時、私(里美)、はしたない事に胸がトキメクいたのです。

そしてそれが数回続くと、「意識変化」と言うのでしょうか竹中さんに呼び出されあらゆる行為を仕込まれる事に、私(里美)は明らかに期待するように成なって居たのです。

それでも、その指示を聞いた私(里美)、多分、顔が真っ赤く成っていた筈です。

でも、変な事に気が付きました。

その時私(里美)、下半身がギュウッと熱くなるような感覚に襲われたのです。

そしてまた私(里美)は、追い立てられるように、「犯らなければいけない」と言う魂の叫びのような不思議な感覚に、心の片隅から突き動かされます。

これから、「見ず知らずの男に性玩具(おもちゃ)にされに行く」と思っただけで、不思議な興奮を感じたのです。

岩代さんが言った、「素直(すなお)に成りなさい。素直(すなお)が好い女の条件だよ。」が、私の呪文に成っていました。

その感覚に襲われた時、何故か気持ちの上での「嫌さ」より、「性玩具(おもちゃ)にされて見たい」と言う誘惑に借られました。

後で考えると、私(里美)の中に眠っていたM性が、ここひと月ほどの体験で、覚醒(かくせい)したのかも知れません。

「岩代君、このままわしが里美を性玩具(おもちゃ)にして本当に良いのかな?」

「構いません。竹中さんの好きにして犯って下さい。本人も所長も、竹中さんの投資の条件が、性玩具(おもちゃ)に成る事ですから、竹中さんが性玩具(おもちゃ)にする分には文句は言えない筈です。」

「それで良いんだな里美。」

「お約束ですから、私(里美)は竹中さんの意のままにお任せ致します。」

この時私(里美)は、恥ずかしい事を強要され、それに従う自分に子宮が締め付けられる様なジーンとする感覚に襲われ、股間がうずいて来るのを感じていました。

自分が今させられている格好は、夫にも始めて見せる痴態で、湧き上がる羞恥心を押さえるのに必死だったのです。

それはそうでしょう、指示されて覚悟は決めましたが、実を言うと強がっているだけで、心の奥底には後悔も、戸惑いもあります。

長い間、違う価値観で生きて来たのです。この期(ご)に及んでも、私(里美)の心が揺れ動くのは仕方有りません。

勢いだけで、ここまで恥ずかしい姿を晒(さら)す事に成ってしまったのが実情です。

ただ、始まって色々犯ったからには、無駄にはしたくない心理も働き、行き掛かりの上とは言え、「責任を果たさなければいけない。」と言う使命感は有りました。

そこまでなら、まだ納得が行く私(里美)の心情です。

所が、気が付くとその羞恥心が、私(里美)に奇妙な感情を抱かせるのです。

被虐感が、こんなに心地良いものだとは、今まで気が付かなかったのです。

同時に、こんな姿の私を見て舞い上がるように喜ぶ田嶋と言う男も、可愛いとさえ思いました。

もぅ幕が上がってしまったのですから、今更格好を付けても仕方がありません。

たとえ「愛奴隷として弄(もてあそ)ばれる」と言う立場にたたされても、要は意識の問題で、それを好き(ポジティブ)に受け止めれば良いのです。

永い事競泳の世界に居て、何事も「マイナス思考」はろくな結果に結び付かない事を知って居ましたから、「気持ちの持ち方が大事だ」と、私(里美)はプラス思考に切り替えが上手く行きました。

人それぞれに思惑が違う課題には、元々正解はないのですから、世渡りは「プラスに思った方が勝ち」みたいな話です。

要は心の持ち方で、他人に「強制されて」とか思うから何事にも嫌(ネガティブ)な意識的に成るのです。

考えの出発点の問題ですから、何事も私(里美)が自分で行動を決めた時から、それは「好き(ポジティブ)な選択」に変わらなければ成らないはずです。

そして切り替えたからには、相手や周囲の責任には出来ません。

「あっさり」と、自らの責任に於いて「プラスに思ったが勝ち」と、思考を置き換えたのです。


実は私(里美)、夫には内緒で竹中さんと京香さんに、愛奴隷として何度も仕込まれていたのです。

出資時の約束でしたから、竹中さんの呼び出しは断れません。

何しろ私(里美)は、夫公認で竹中さんが好きにして良い女なのです。一々夫に報告はしませんが、約束は守らなければ成りません。

念を押されるまでも無く、私(里美)が接待を担当する事は、出来上がっている既成事実で、今更後には引けません。

竹中さんの所へ、素っ裸に犬首輪を着けリードで曳かれ、コート姿で連れて行かれましたが私は納得ずくでした。

これは私への調教の一環で、接待の予行演習なのです。

初めてのお相手にご挨拶する時から、普段晒(さら)す事の無い乳房を含めお尻も股間さえも露出してお迎(むか)えするのです。

それは内心、何時(いつ)も全身を覆(おお)っている衣類を脱いで全裸で他人前(ひとまえ)に立つ事は、実に頼り無く心細いものでした。

こんな格好を他人前(ひとまえ)に晒(さら)すなど、女性として恥ずかしい筈です。

それが、どうした事かその心細い思いが胸を締め付け、奇妙な興奮に脳がとろける思いをさせるので、私(里美)に露出癖が有ったのでしょうか?

何でこんな気持ちに成ったのかは、私(里美)自身でも判りません。

でも、事ここに到っては、犯るっきゃ無いのですから、この判断が「最良の判断」なのです。

いままで培(つちか)った貞操観念や羞恥心(しゅうちしん)を引きずっていては、性奉仕の接待など出来ません。

今までの自分を綺麗サッパリ捨て、私(里美)が自信を持って愛奴隷の奉仕が抵抗無く出来る様に成る為には、反復する性行為の訓練が必要なのです。

「お約束通り里美さんをトレーニング(調教)に連れて来ました。」

「おぅ、もう犯られる気満々の格好だな。」

「里美さんを可愛がる権利が竹中さんの投資の条件でしたからね。それに今後のお仕事の訓練もさせなければ・・・。」

竹中さんは、コートを取り去った私(里美)の拘束姿をジロリと眺め、満足そうに言ったのです。

「なるほど、接待の予行演習も兼ねている訳だ。」

「えぇ、これは里美さんの躾(しつけ)ですから竹中さんが犯りたい事を、里美さんに何を要求しても良いですよ。」

竹中さんの視線に向けて、M字開脚に私(里美)を座らせながら京香さんが言います。

「里美さんの肉体(からだ)は、投資して頂く時の条件で竹中さんの使いたい放題の約束ですから。」

「あぁ、その約束じゃった。自分の口で約束したんじゃ、里美さんも承知しているね?」

「はぃ、そのお約束でした。」

「一々旦那様の了解は取らずに呼び出すが、わしに何をされても文句は無いな。」

「はぃ、承知しました。」



そんな事が進行しているとはつゆ知らずに、私には内緒の妻の性技特訓が始まっていた。

良くも犯ってくれたものだが、どうやら妻は竹中と岩代夫婦に散々嬲(なぶ)られて性接待を実地で仕込まれたらしい。

「まさか、そこまで妻にさせまい」と言う私の期待が甘かったのだ。

他人(ひと)前でパンティも剥(は)ぎとられてシークレットゾーンも露(あらわ)な心不安な状況の中、無条件で強制的にゲストに性交を執行されるのが、素っ裸のM(マゾ)性玩具(おもちゃ)の立場だった。

そしてそれには、心の片隅に「そうされたい」と言う気持ちと覚悟がその性玩具(おもちゃ)に在っての事である。

人格を否定された素っ裸の性玩具(おもちゃ)が乳房を撫(な)でまわされ、双(ふたつ)の尻肉を左右に開かれて尻穴の菊座を撫(な)でられ、股間の二枚の肉唇の間さえ指の進入を許し陵辱を受けるのだ。

性接待はゲストの一方的な支配に拠る性交を前提とするから、愛奴隷は素っ裸後ろ手拘束姿で隷属の意思を示す。

その行為にした所で、性接待の性交はあえて「情」が絡まない事が前提だから、行為相手に対する思い遣りなど知った事ではない。

いや、思い遣りを示す様では後腐れのない遊びとしてルール違反だから、一方的な支配に拠る性交が前提になる。

広げさせた股間に、竹中の手が里美の股間に伸びて二枚の肉花弁を弄(まさぐ)り花弁の間に指が二本潜り(もぐ)り込んで中でうごめき始めた。

「アァ〜。」

「こら里美、わしに指を出し入れさせて良いのか。自分で腰を使いなさい。」

「はぃ、こうですか?」

里美は腰使いを始め「ウゥ〜ン、ウゥ〜ン。」と吐息交じりの息使いをしながら、竹中の指が自分の中で深く浅く滑るのを感じていた。

自分が性接待をする事を条件に大金を投じた竹中の言い付けである。

何しろ五万や十万の端(はした)金ではない。

むしろ自分の肉体(からだ)に高額の価値を認めてくれた竹中には精一杯尽くさなければ成らない。

「里美、腰を使う事を恥ずかしがっては遺憾。何事も、生半可な事をして効果がないでは犯らない方がましだろう。」

「竹中さんの仰(おっしゃ)る通りです。」

「それは性接待でも同じ事だから、犯る以上は横着は出来ないから相手の満足の為に精一杯犯ってもらう事になる。」

「承知致しました。」

「判ったなら、当分わしがタップリ可愛がって犯るからな。」

確かに何事も、生半可な事をして効果がないでは犯らない方がましである。

「はぃ、何も接待の犯り方を知りませんので、仰(おっしゃ)る通りに致しますので宜(よろ)しくお願います。」

それは性接待でも同じ事だから、犯る以上は横着は出来ないから相手の満足の為に精一杯犯る事である。

その一方的な支配に拠る性交が、妻の様に人に拠っては堪らない快感なのだから世の中不思議な世界である。

世間の常識として、夫を含む多数が見守る中での晒(さら)し者の性交披露は、女性としては歓迎すべき立場のものではない。

所が意外な事に、一度その官能を経験してしまった女性は滅多な事で二度目から拒否する事がない。

妻の様に基本的に露出癖がある女性の立場では、恥ずかしさが突き抜けると羞恥心が快感に変わる特別な瞬間があるらしい。

そしてその羞恥心快感は一度味わうと癖になる快感らしいのだが、普通の女性にはそれを叶えてくれる時と場所には、中々こんな風には恵まれない。

幸い妻の場合は、「夫に仕掛けられた」と言う安心感と「夫の独立の成功の為」と言う大儀名分がある。


と言う事は、夫に気兼ねなくその「快感の時間が持てる」と言う事である。

いずれにしてもここまで従順に「他人に弄(なぶ)られる事を選んだ」と言う事は、妻にアンカリング効果が働き、「独立の成功の為」と自分を納得させる「一貫性行動理論を構築し始めた」と言う事である。


M字開脚に広げられた私(里美)の股間に手を伸ばしながら、「そうだな、ゲストは何を要求するか判らんから、一通りは仕込んで置かんと遺憾じゃろう。」と竹中さんは言いました。

すかさず京香さんが「そうよ。だから、少しくらいキツイ事も遠慮なくお願いします。」と、話を受けます。

「判った。判った。里美さんもそれで良いね。」

「はぃ、里美と呼び捨てて下さい。」

「どれ、それじゃあ遠慮なく犯ろうかな。」

竹中さんに、「これからは、じっくり責め上げて、里美の肉体(からだ)に仕込んでやる。」と宣言されましたが、私(里美)は「宜(よろ)しくお願いします。」と応じました。

私(里美)はこれまで、こちらの(性的な行為)方面は無知でしたから、皆さんに教えて頂かなければ何も出来ません。

竹中さんに言われるまでもなく、自分達の事業の成否掛かっているのですから、何事も犯る以上は失敗は出来ません。

仕事に私情は挟(はさ)めませんから、他人と性奉仕に」慣れるより他は無い事でです。

実践を続け、愛奴隷魂を身体で覚えるしか方法がない事は、私(里美)も判ります。

それで私(里美)の特訓は、半ば私(里美)自身の心配を払拭(ふっしょく)する為にも望む所では在ったのです。

岩代さん夫婦から命じられています。

この竹中さんとの特訓で、ゲスト様のどんな要求にも、股間から愛液を垂れ流し応じる「愛奴隷魂」を、私(里美)は習得しなければ成りません。

「ダメ、そんな腰使いじゃだめ。」

「ピシリ」と、京香さんの平手が私(里美)の尻を叩き、厳(きび)しい声が飛びます。

私は、竹中さんの欲棒を股間に咥(くわ)え込んだまま、必死で乳首が立った乳房を上下に「ユサユサ」と揺らしながら、「クイクイ」と受け腰を使います。

「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

私(里美)の内壁の粘膜を、竹中さんのカリ首が擦(こす)れ続け、快感が脳に伝わってきます。

「アァ〜、こ、擦(こす)れる・・・」

「ホレ里美、相手がだれでも気持ち良くなったら自分で肉蕾の実(サネ)をグリグリと刺激しなさい。」

竹中さんは、相手が抜き挿しを始めたら自らが指で敏感な肉蕾の実(サネ)をグリグリと刺激するのを見せつける淫乱の演出を繰り返し私(里美)に仕込んでいました。

愛奴隷は、接待相手の期待に応える為に果てしなく淫乱でなければならないのです。

また、この躾(しつけ)の最中、良く竹中さんは欲棒を私(里美)に抽送をしながら囁(ささや)いていました。

「里美は馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、元来スケベ心は馬鹿馬鹿しいものだ。それを承知で一生懸命奉仕するから相手が心理的に癒(いや)されると言う事だ。」

馬鹿馬鹿しい性奉仕を一生懸命奉仕する。

オーガズムを感じながらの竹中のこの言葉が私(里美)の心に残って、愛奴隷の心得に成りました。

調教を始める時、「里美は犬と同じで、躾(しつけ)られないと御主人の言う事を聞かなかったから。」と岩代さんに言われ、「接待の時は、躾(しつけ)を忘れないように、犬と同じで素っ裸に犬首輪を着ける。」と宣言されてしました。

でも、私(里美)が悪いのです。

ずっと自分の感性で「嫌」と思うと、主人の気持ちや性欲なんて思い遣らない自己中心でした。

「良いね」と念を押された時、頭は拒否していたのですが、その格好を想像すると、下半身の方は「ジーン」と異様な感覚に襲われ、何故か、私(里美)の肉体は期待感で興奮しているのが判りました。

そして、思わず「ハイ」と返事をしてしまいました。

岩代さんは、キット私(里美)の中に眠っていたM性本能を見破っていたのでしょう。

「それで良し。」と、岩代さんは頷いて早速私(里美)に犬首輪を着けました。

返事をしてしまうと、もう引っ込みは着きません。

生来私(里美)は負けず嫌いですから、泣き言や嫌がる事は出来ません。

その時から私(里美)、岩代さん夫婦や竹中さんに躾(しつけ)られた事をいつも自覚している為に、素っ裸に皮の犬首輪、リードを引かれてゲスト様に渡される事に成ったのです、

私(里美)が、岩代さん夫婦の接待SM調教を受け、肉体に卑猥な責めの快感を味合わされながら、最初に教え込まれた礼儀は、「嫌」も「ダメ」も「ハイ」に置き換えて口にする事です。

間違えて、「嫌・ダメ」を口にしょうものなら、それこそ口に出せない様な手酷いお仕置きが待っています。

ゲスト様への応えは全て言いなりに「ハイ」で、それも必ず笑顔でしなければ成りません。

接待は、私(里美)の仕事ですが、役目に難(むずか)しい事はありません。

つまり、拒否する言葉は愛奴隷には無いのです。

全て相手の性癖に合わせるだけで、私(里美)は何も考える必要は無いのです。

気楽に肩の力を抜いて、性玩具としてまんまの素っ裸で接すれば良い事なのです。

「その程度で相手が感謝する」、そう考えれば他人の性玩具(おもちや)に成ったくらいで大袈裟に騒ぐ事もないのです。

心得として、愛奴隷は如何なる要求にも従順に応じて、全身で尽くす奉仕が出来なければ、「仕事がヘタ」と言う事に成ります。

引き受けた以上、ゲスト様が満足するまで性玩具(おもちゃ)に成り切り、口もア*ルも、股間の花弁の奥もお好きに使って頂いて、存分に私(里美)で楽しんで頂かなければならないのです。
その方法を、竹中さんと京香さんに手加減もなく仕込んでもらいました。

つまり、「仕事」を仕込まれたのですから、内緒ですが、夫が見たら驚くほどに扱いが厳(きび)しくても仕方はありません。

この事は一度や二度で終わる話では無く現在進行形の話しだったのですが、何故か気が付くと、それに居心地良く馴染んで行く自分(里美)が居たのです。

欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)える「大陸フェラチオ」も、岩代さんに竹中さん相手の実技で教わりました。

中国人の性技習慣では「大陸フェラチオ」が一般的で、欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)えるのが極普通なのだそうです。

もうこの世界に足を踏み入れた私(里美)ですから、これからはこれからの生き方で生きて行くしか無いのでしょう。

夫が出社し、子供が登校した後の時間が、竹中さんのお楽しみの時間でした。

竹中さんがその気に成った時に、「接待の訓練だ。」とコート一枚の裸に剥かれて、京香さんに連れられて竹中邸に行きました。

私(里美)は、竹中さんとの訓練の時間は、唯の雌(メス)として過ごします。

それから先の私(里美)の体験は、この先に起こる出来事で、徐々に発揮して行く事でしょう。



私(里美)、気が付いたのです。

「エロくない人生なんてつまらない」

だって「接待の訓練だ。」と京香さんに裸に剥(む)かれて連れ出される度、期待で胸がワクワクするのですもの。

今までの地味で詰まらない生活、いったい何んだったのでしょうか?

先入観を踏み越えて、エロい生活を体験したから、初めて私(里美)の認識が変わったのでしょう。

そうなのです、私(里美)はこう言う日の為に、岩代さん夫婦から少しずつ接待の方法を躾(しつけ)られて、少しは戸惑わないまでに、やるべき事はもう全て知っています。

「この人は、私のこの格好に満足だろうか?」

そう思いながら、おぼつかない足元を庇って駐車場を歩き、夫の前を通りました。

私(里美)、自分でも理解出来ない別の顔を、意識し始めて居ました。

悲壮感は有りません。

正直自分が、想像も付かない卑猥な要求を強いられて性玩具にされる事は、被虐心に脳みそが溶けるような強烈な、歓迎すべき快感で、知ってしまうと癖に成ります。

見っとも無い格好で、あさましい事を犯る。

その快感がエンドレスに継続して、休む間も無く続く事は、このシュチェーション意外に在り得ないのです。

単純明快な話、誰もが了解して非難する者が居なければ、このシュチェーションを楽しむのも選択肢として充分に考えられるのです。

「誰がいけない事と決めたのだろう?」

次々と廻される快感にのた打ちながら、「フト」私はそう思ったのです。

岩代夫婦に厳しく仕込まれているのですが、接待時、愛奴隷のストリップ・サーチ(全裸検査)はゲスト様の特権で、私(里美)はゲスト様に隅々まで触れられ、指を入れられて確かめて頂かなければなりません。

気が付けば、自分の意志とは関わり無く裸身を衆人環視の下に晒(さら)し、下半身を快感に波状攻撃されて、口から涎(よだれ)を垂れ流している自分が居ます。

正直、この場所ではそんな私を誰も非難する者が居ないし、むしろ「歓迎している」となれば、話は別です。

何と言ってもあの絶頂感の連続は、言葉には言い表せない現実なのです。

脳が溶けるほどの強烈な快感は、そう簡単に忘れられるものではありません。

その内、接待性奴隷の「事業の為奉仕」は、自分を納得させる為の「唯の言い訳」になっていました。

何と言っても、口に出しては言い難いだけで、あの絶頂感の連続は否定できない現実です。

その機会が「また自分に訪れる」と思っただけで、乳首や花弁の上の花芯ボタンが硬くなり、身体が火照るほど興奮して来るのです。

気持ちが開放出来れば、肉体も開放出来るのです。

そうなれば、他人に見せるべきでない姿を、人前に晒して自分が性玩具にされる事は、被虐心に脳みそが溶ける快感であり、「一度経験すると病み付きになる」不思議な現実でした。

つまり興奮物質ドーパミンが発生して、それがベーターエンドロフィンと言う快感脳内麻薬に変わり、人は「性行為に快感を得る」と、岩代さんに教えられました。

見られながら犯される快感。

そこに、本来女性が持つ「見せたがり本能(露出願望)」が介在しているのですが、女性は容易にそれを認めたがらないのです。

多分、普通の女性が普通に考えれば、私(里美)のこんな気持ちは判らないでしょう。

でも、人間の脳の容量は、自分が考えるほど小さなものではありません。

元々被虐的な性に共感する感性が、私(里美)は強かったのでしょう。

その感性が、環境が整って一気に噴出して来たのかも知れません。

今の心境では、被虐的な愛奴隷の境遇が胸が締め付けられるほど心地良く、性玩具に成り切って楽しめるのです。

そう、脳の別の部分で分けて考えれば、私(里美)のこのエロい生活が「それほど大した事では無い」と思ったのです。

もう夫の前で、見ず知らずの男に弄(なぶ)られても、罪悪感は無い筈(はず)です。

性への罪悪感は、社会秩序の為に世間や学校に植え付けられたもので、性は基本の本能ですから、誰しも、本音の部分では抑圧感が残っても不思議はありません。

その抑圧から、私(里美)は一番良い形で開放されたのかも知れません。

何しろ私(里美)の場合は、夫の陰謀に嵌められてこの淫靡な世界に引き込まれたのですから。

確かに普通の女性は、スンナリとは認めたがらないのでしょうが、経験すると、何時の間にかそ知らぬ顔をして、行動ではそれを容認しているものです。

何と言っても、あの絶頂感の連続は言葉には言い表せない現実です。正直な気持ち、別に支障がなければ今の境遇はけして不幸ではないのです。

不可思議ですが、気持ちを決めれば、辱(はずかし)められ甚振(なぶ)られても「どうって事は無い」のです。

何度も体験すると身体が慣れて来て、知らない内にそれを楽しむようになります。

不思議だけれど、自分が性玩具にされるあられもない姿を、衆人環視の元に晒(さら)される羞恥心は、突き抜けると官能的な喜びに変わるのです。



玄関ドアの前まで来ると、介添えの細君が「田嶋さん。ここで奥さんを、良くお見せしますから。」と田嶋に声を掛け、妻を立ち止まらせた。

細君は、妻に羽織らせていたコートも外して、改めて全てを田嶋に見せ、「ご希望は、この肉体(からだ)で間違いないですね。」と念を押した。

素っ裸で露天に晒(さら)された妻は、二枚の肉花弁さえも恥ずかし気に咲かせて佇(たたず)んでいる。

女性をチャーミング(魅力的)に魅せるには肌の露出が一番で、それが男女共通の認識だから公式の場のドレスデザインもある程度の露出は許されていて、むしろ普段より大胆である。

それが非公式の場で「もっとチャーミング(魅力的)に魅せ様」と言うのだから、この魅惑的な全裸に縄掛けした妻の「後ろ手拘束姿」も愛奴隷として当然なのかも知れない。

それにしても、妻の美しい全裸拘束姿を見せられれば男は誰でも想像力が膨(ふく)らんで思わず頬(ほほ)が緩(ゆる)み、生唾を飲み込んでも不思議は無い。

妻の全裸拘束姿は無抵抗を象徴しているから、これから自分の要求が「全て満たされる」とこれから起こる幸運に思いを馳(は)せ、股間の持ち物が自然に硬く成って当たり前である。

妻の顔にも変化が生じていた。

田島を見つめる顔に、淫(みだ)らで妖しげな表情が浮かんで、既にそう言う気分に成っているらしい。

その光景を見ると、私はエロスに美が有る事を感じさせた。

妻の恥毛は、逆三角形に生え揃ったやや薄めで細く柔らかいものが、花芯ボタンの上辺りに、恥かし気に密集している。

妻の引き締まったウエストの下に縦長の臍(へそ)が、頼りな気に見えた。

「間違いないとも。俺も約束は守る。」と、田嶋が眩(まぶ)しそうに妻を見ながら応えた。近頃は岩代の家で毎日拝んでいる妻の拘束姿だが、ここは屋外だ。



状況に慣れないのだから無理も無いが、こう言う状況に合っても普通の男は「どこまで出来るのか?」と疑心暗鬼になって探(さぐ)りを入れる。

「なるほど、これなら愉しませてくれそうで、期待出来るな。」

「えぇこの通り、田嶋様を愉しませるのが役目で社長夫人を素っ裸にさせていますから、何でも犯らせられると期待していて下さいね。」

そこらを心得ている細君が、田嶋の探(さぐ)りにすかさず応じて安心させている。

「サァ、遠慮なさらず・・・里美には贅沢を申し付けて構いませんから。」

「ほぅ、この肉体(からだ)を本当にここで触って良い訳だ。」

余程想像以上だったのか、田嶋はまた念を押した。

田嶋は、まず妻の全身を眺め回し、近着いて頬(ほほ)に右手をやり、妖しげな目付きで妻の顔をいじり出した。

妻は、全裸で引き渡された愛奴隷だから、眺められ、触られ、弄(もてあそ)ばれる為にここに居る。何をするのもゲストの勝手で、されるままに受け入れるしかない。

四本の指先で頬(ほほ)を押すようにグリグリと廻し揉(も)んで、その指先を二本唇まで移動させて唇を撫でた後、その指を口の中に突っ込んだ。

されるがままの妻の口は顎(あご)を下げて大きく口を開け、その口から、唾液が糸を引いて胸先に落ちて行った。

口に入っていた右手は手の平(ひら)で首筋を撫でながら降りて行き、胸元から妻の乳首が立ち上がった左乳房を撫で、次の瞬間には「グイ」とその乳房を手の平でワシ掴(つか)みにしていた。

右手の指先が妻の乳房を弄(もてあそ)び始めると、少し膝を曲げた田嶋の腰の位置が下がり、空いている方の左手の平(ひら)が妻の腰に廻り、その左手が撫で降ろされて尻肉を摩(さす)り出した。

「アッ」

見ると、右手の乳房同様、左手も同様に尻肉を掴(つか)んでいる。

乳房と尻肉を同時に掴(つか)まれた妻は小さな声を漏らしたが、その後は口を固く結んで、襲ってくる二本の手の攻撃に耐えている。

左乳房を掴(つか)んでいた田嶋の右手がそれを離すと、今度は親指と人差し指を輪にして、指先で硬く勃起している妻の右乳房の乳首を「グリグリ」と摘(つま)んだ。

その刺激に、妻の顔の表情が少し歪(ゆが)んで見えた。

「ハハ、アソコもココも触りたいと欲をかいても手は二本しかない。」

言いながら田嶋の右手が臍(へそ)に向かって降りて行き、通り過ぎてほのかな茂みを見せる恥丘に差し掛かっていた。

「逃げはしませんから、慌てないで、ユックリ可愛がってやって下さい。」

細君(京香)が横から声を掛け、ついでに「もう半歩足を広げ、腰を突き出すようにしなさい。」と妻に命じた。

「はぃ喜んで。」と応えながら、妻が半歩足を広げて腰を突き出すと、それが合図のように田嶋の指先が、露(あらわ)に成った短い恥毛が絡む二枚の肉花弁を弄(もてあそ)び始める。

「へへこう精々と、こんな美人の奥さんの観音様を触らしてもらえるとは、極楽だ。」

妻の肉花弁を、摘(つま)んだり引っ張ったりしていた田嶋のその指先が、少しずつ花弁の奥・柔ら壺に潜り込み始めていた。

「アァ〜」

夫を始め、岩代夫婦と言う「ギャラリーに見られながら」と言う異常な嬲(なぶ)られ方に堪え切れなく成ったのか、妻から声が漏れ始めて腰が田嶋の指先の快感を追うような微妙な動きを始めている。

左手は妻の尻肉を掴(つか)んだまま、右手の指先はもう花弁の奥に潜り込んで、指先で中の肉壁を確かめていた。

幸いな事に、この駐車場は後から造られたものらしく、両側のビルに窓は無く道路側以外は死角に成っている。

或いはこうした事も計算して岩代が此処を選んだのかも知れない。

時折道路を車両が通過して「ビクン」とするが一瞬で、駐車場で起こっているこの卑猥(ひわい)な出来事など通過車両の目には入らない事だろう。

「へへ、奥さんも結構スケベだね。まだ駐車場と言うのに、もぅグッショリ濡れていて指もスッポリ入る。」

田嶋が抜き挿しするに連れて、妻の尻が左右に揺れて感度の良さは一目瞭然である。

「その腰つきですもの、もぅ体は出来上がって里美は正直に反応していますよ。」

細君(京香)が妻に代わって田嶋に応えている。

「そうだねぇ、奥さんもスケベスイッチが入ったようだから生殺しでは可愛そうだ。それじゃあ、この奥さんの肉体(からだ)、中でユックリ使わしてもらおうか?」


「そりゃあ愉しみだ。ほれ、奥さん中へ歩きな。」

田嶋は漸(ようや)く妻の裸体から手を離し、首から下がっているリードを握ってクィと曳き、屋内に誘導した。


思い切った事を野外でさせたものだが、これはまだ前哨戦である。

駐車場に奥行きがあるので目立たない分いくらか良いが、外であの格好と行為はかなり強引で、前の道路は人の通りも車の通りもある。

あの格好にされて覚悟を決めたのか、妻は度胸良く玄関外で全裸を晒(さら)し、田嶋に散々嬲(なぶ)られた後、リードで田嶋に曳かれて屋内に入る。

田嶋の方はもう手に入れた女体だから、引き歩かせながら胸を撫でたり尻を撫で回したり「ギュウ」と掴んだり、ニヤつきながらやりたい放題である。

それでも妻は勤めて冷静を装い、黙ってされるがままにして居る。

最も、騒げば人目を集めるだけで、恥を掻くのは妻である。

後から付いて入ると、ちょうど「まずはご挨拶。」と細君が蒼い絨毯(じゅうたん)の床に正座をさせ、田嶋にひれ伏させて居る所だった。

「里美と申します。何なりと申し付け下さい。」

「本当に、何なりとかい?」

「はぃ喜んで、田嶋様。」

性処理玩具としてゲストを楽しませるのが、妻に課せられた役目だ。

「おシャブリをさせますが、里美は手が使えないので、失礼します。」

細君が田嶋のジッパーを降ろして欲棒を取り出すと二、三度しごいて妻に「お世話になるのだから、丁寧にネ。」と命じた。

ソファーに腰掛けた田嶋の欲棒を、後ろ手拘束のままソファーに乗って、妻の大きく開いた唇が、田嶋の生々しく硬さを益した欲棒を唇でしごく為に、ギンギンに張り詰めたカリ首に近付いて行く。

左側から妻がうつむきで咥(くわ)えて唇で「チュポ、チュポ」と愛でると、ちょうど田嶋の左手が妻の白く柔らかい尻に届き、田嶋は尻のお触(さわ)りも楽しめる。

田嶋の欲棒は、妻の唇を押し広げる様に直ぐに硬く成って、妻のプリッとした口いっぱいの太さに、膨らんだのが見て取れる。

それを丁寧に妻の唇が擦(こす)り上げ、陰茎が見え隠れしている。

その内、何時の間に仕込まれたのか、例の「大陸フェラチオ」も妻は犯り出した。

首を固定した形で上半身を使って、破れかぶれとも見えるほど頭を高速度で前後しながら喉の奥まで欲棒をシャブって、その口元に濡れ光る陰茎が見え隠れしている。

田嶋氏の生身の陰茎が妻の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)が妻の顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。

「こりゃ、気持ち良い。ご亭主の前で人妻にフェラチオをさせるのは、格別に気分の良いものだ。だけど、社長はこんな事させて良いのかね?」

チヨット照れ臭いそうに、田嶋が私に言った。

ここまでさせるとは岩代からは聞いて居ないが、良いも悪いも妻はもう奉仕を始めている。

「約束ですから、お好きにどうぞ。」

「そうかね、悪いね。あんたは信用できる良い人だ。」

田嶋は嬉しそうに言って、自分の欲棒が見え隠れする妻の口元を見下ろした。

一体、何処でどう成ったのか?

私にもハッキリと把握できないまま、思惑を超えて事は進んでいる。

強情な妻を、少し性教育する積りが、弾みで想像以上の展開に成っていた。

ここまで行ってしまうと、もう夫としては「悪ふざけだった」では済まされない。

「さぁ田嶋さん。奉仕はゲスト様のフリー・オプション(自由選択権/自由選択)ですから何なりと命じて下さいね。」

「フリー・・・何だね?横文字で言われても判らんわ。」

「自由選択ですから田嶋さんが犯りたい事を、この社長夫人に犯らせると言う意味です。」

「ハハハ、ソープ何かと比べ物にならないな。」

「田島さん、ソープみたいな短い時間じゃありませんから、じっくりお愉しみいただけますよ。」


折角の接待である。

愛奴隷に性奉仕を提供される側も、こんな事でも無い限り滅多に味わえない快楽を思う存分満喫(まんきつ)したい。

それで性癖を発揮して「あれも犯りたいこれも犯りたい」と成るが、そこでダメが出ては一瞬で興醒(きょうざめ)目で、折角の接待の意味が無くなる。

確かに接待を効果的にするには、ゲストの「あれも犯りたいこれも犯りたい」の性癖にフリー・オプション(自由選択権/自由選択)で全て「イエス」で応じてこそ本物の愛奴隷である。


今更口出しは出来ないが、妻が他人に陵辱される姿を見ての気持ちは複雑で、「ワクワク」と胸弾む気持ちと、後悔の念が半々と言う所か。

しかし、私の欲棒は限りなく硬さを増しているから、やはり妻が他人に陵辱される事には、理性とは別の感性で正直興奮する。

これが妻ではなく他人の女性だと「ワクワク」の一辺倒なのだから、人間は身勝手な生き物である。

こうした性接待のルールでは、旦那が「妻を玩具(おもちゃ)にしてくれ。」と合意して好意的に貸したのである。

だから原則として、借りた男が愛奴隷の妻に何を犯らせようが借りた方に使用権がある。

それでも犯らせる以上は、何を犯られるにしても私も愉しみながらに越した事はない。

人間の「責任感」とは不思議なもので、そう言う所に身を置いた以上出来る限りの事を犯って性欲をかき立て、「自分も相手も満足させる」と言う責任を妻に感じる。

そう思うと、一旦はそれを認めた夫として他人に陵辱される妻にヤキモキするのは、見っとも無いような気がして、口出しは憚(はばか)られるのである。

妻はチヤプチャプと音が聞こえて来そうに、咥(くわ)えた田嶋の欲棒を飲み込んでは吐き出している。
「奥さん、様になっているでしょう。」

A型血液女性の特徴で、何事にもキチンとしている風にしたいから、「性奉仕を犯るのが職務だ」と思えば陰日なた無く尽くすので「愛奴隷向きで在る」と岩代には耳元で囁(ささや)かれた。

何でも犯れると判ると田嶋はもう犯りたい放題で、妻に欲棒を咥(くわ)えさせると両手を妻の首に巻いて固定し、腰を突きだしてクイクイと根元まで突き入れる。

妻に欲棒を咥(くわ)えさせた田嶋の腰の動きが激しくなり、田嶋が欲棒を抜き挿しする度に、田嶋の腹が妻の額に当たっている。

妻の鼻と唇には彼の陰毛を蓄えた恥丘が波状攻撃で当たり、咥(くわ)えた田嶋の欲棒の陰茎が妻の唇を擦(こす)り、硬く張り詰めたカリ首が情け容赦なく喉の置くまでグイグイと潜り込んで行く。

「ウグェ、ウグェ、ウグェ、ウグェ。」

妻は涙を流し涎(よだれ)を垂れ流して結構辛そうだが、勿論、愛奴隷には行為の全てに拒否権はない。

田嶋の犯るに任せて耐えるだけである。


田嶋はワイシャツを脱ぎ、スラックスもトランクスもじれったそうに取り去って、今はランニングシャツ一枚の下はスッポンポンに成っている。

「田嶋さん、印鑑を持って来たでしょうね。」

気持良さそうに妻に欲棒をシャブらせている田嶋に、岩代が声をかけた。

「あぁ、持って来ている。あんた方は約束を守ったのだ、こっちも約束は守る。それにしてもこの奥さん良い具合にシャブる。」

「その雌犬の奥さんは、さっきリード(引き綱)ごとお渡ししましたから、お帰りの時刻までは、田嶋さんの玩具(おもちや)です。好きにして楽しんで行って下さい。」

岩代が当然の様に田嶋に言っている。

田嶋の持ち味はざっくばらんの品の無さで、言いたい事は飾らない。

「こんなに美人の奥さんの素っ裸を見せられれば、俺は背中がゾクゾクっとさせられる位い興奮するよ。」

口も品が無いが表情もニンマリと品が無く、満面の破顔で、妻の全身を舐めるように眺めまわし、「今から奥さんヒィヒィさせてやるからな。」と言った。

妻は、「よろしくお願いします。」と笑顔で応えた。

「俺の好きにさせて良い訳だ。奥さん。そうかね、」

「はぃ、田嶋様。里美と呼び捨てで、何でもご命令下さい。」

「それじゃぁ里美、身体を隅々まで良く見せてもらおうか。」

暫(しば)らくシャブらせていたが、田嶋もその気に成って、妻に命令をし始めた。

「里美、股を開いてオマ*コを良く見せてみろ。こんな事は滅多に無いから、ジックリ確かめてから楽しませてもらうよ。」

「はぃ、田嶋様。それでは開き放しにさせますので、良くご覧になって下さい。」

「里美さん股を開いて田嶋様に見ていただきなさい。」

「はぃ、京香さんこうですか?。」

ゲストの注文に応える妻は手を拘束されている操り人形で、体勢を変えるだけでも一苦労だから、時々細君(京香)に介添えされないと、田嶋の要求通りの事が出来ない。

勿論、接待時に行われる愛奴隷のストリップ・サーチ(全裸検査)はゲスト様の特権で、妻の大開脚された股間は田嶋に弄(なぶ)られる為に始めから目の前に晒(さら)されている。

「それじゃあ里美、ジックリと見せてもらうよ。」

田嶋が念を押すように言い、妻の大開脚された股間の前にしゃがみ込んだ。

田嶋が最初に何をするかと見ていると、握りこぶしひとつ近つければ鼻先が肉花弁にクニュリと触れるほど妻の大開脚された股間に顔を近づけて異様な目つきでジッと眺めた。

次に妻の表情を見つつ利き腕を伸ばして妻の花芯ボタンや二枚の肉化弁に触れ、指を操りながら妻の表情と今正に自分が弄(なぶ)りつつある妻の大開脚された股間を交互に見ている。

「おぉ、ここはまだ余り使い込んでいないと見え、ピンク色で綺麗なものだ。」

田島の感激交じりの声が聞こえた。

ストリップ・サーチ(全裸検査)はゲスト様の特権で、妻はゲスト様に愉しんで頂く為にソフアーに両脚を乗せた大股開きの股間もア*ルも剥(む)き出しのM字開脚に開くのだが、生々しい何て物じゃない光景だった。

その開いた妻の太腿(ふともも)の付け根に、床絨毯(ゆかじゅうたん)に座り込んだ田嶋が手を伸ばし、ニヤつきながら小豆(あずき)大の花芯ボタンを指先で押したり擦(こす)ったり、二枚の花びらを摘(つま)んで引っ張ったりと弄(もてあそ)んでいる。


田嶋は細君に手伝わせ、妻の脚をソファーに乗せた大股開きで座らせ、前にしゃがみ込んで、股間の肉花弁や花芯ボタンを指で嬲(なぶ)って愉しんでいる。

その田嶋の指が、肉花弁を押し広げ、スリットの中・柔ら壺へ生々しく潜り始めた。

「おぅ、中がチャンと濡れている。里美、脚は閉じるな。」

「はぃ喜んで、田嶋様。」

妻の呼吸が荒くなり、ハァハァと荒い息使いが口から洩れ始めている。

股間を嬲(なぶ)られている間、妻は目をつぶって、少し小刻みに震えながら、田嶋の成すがままにさせている。

恥ずかしいのか、気持ち良いのか、妻の震えの意味は判らない。

その光景を想像して見て欲しい。

乳房だろうが尻肉だろうが、それが股間の女性器であっても触らせ放題で、ゲストには抗(あらが)う事は赦されていない引き渡された肉体(からだ)だから、田嶋は妻の裸身を撫で廻してその柔らかい感触を楽しんでいる。

ゲストに存分に触らせるのも接待ルールだから、妻は黙って笑顔で撫で廻わされ続けているのだ。

見ていると、今度は田嶋が妻に後ろを向かせ、二つの尻肉を撫で、やがて左右の尻肉を両手で掴み、グイと左右に広げた。

田嶋にすれば、女体を気兼ね無く弄(いじ)り倒せるまたとない贅沢な瞬間で、遠慮など思考の片隅にも無い。

「ウッ。」と妻が小さく声を洩らしたが、為(な)すがままで耐(た)えている。

「おぅ、この蕾も可愛くすぼんでいる。奥さんア*ルにもチョコット指を入れて良いか?」

「はぃ喜んで、田嶋様どうぞお好きにして下さい。」

「こりゃあ良い。この奥さんは本当に何でもさせる。岩代さん、この奥さんは本当に何でも犯るんだなぁ。」

田嶋は花弁の中・柔ら壺とア*ルに交互に指を挿しみ、抜き挿しを繰り返しながら感心したように岩代に言った。

「支配(コントロール)するのは田嶋の権限です。お相手の要求は、拒否が出来ないルールで仕込んでいますからご遠慮なく。」

「そうかい、そりゃあ嬉しいね。」

田嶋の顔は、これ以上崩れないほどにニヤケて居た。


ゲストの特権であるストリップ・サーチ(全裸検査)に、聖域は無い。

愛奴隷の女体鑑賞も性交姿の鑑賞も、こんな事でも無い限り滅多に味わえないゲストには楽しみなものである。

ゲストのされるがままにストリップ・サーチ(全裸検査)を受ける事が、接待愛奴隷にとっては基本中の基本で、撫(な)でようが掴(つか)もうが、摘(つま)んで引っ張ろうが、ゲストの勝手で、可愛そうだが、ルールだから仕方が無い。

愛奴隷はされるままに、乳房を揉みしだかれ、口の中はもとより、女性器の中だろうがアナルの中だろうが、これからゲストが堪能(たんのう)する女体は隅々まで触れられ、指を入れられて確かめられるのである。

不安気に、それでも抗う事無く足を踏ん張って揺れる肉体(からだ)を支えながら、ゲストに身を委(ゆだ)ねて、ストリップ・サーチ(全裸検査)を受けている妻の表情が印象的である。


田嶋が撫で廻している妻の裸身から、例のオーデコロンの香りが立ち昇って、妻が興奮している事を証明している。

「おぉ、奥さん良い匂いがする。堪(たま)らないねぇ、興奮させられるぜ。ハハ、最も裸を見せられてからは、俺は立ちっ放しだが。」

「さぁ、遠慮は要りませんよ、この奥さん、今は田嶋様の玩具(オモチャ)ですから。」

細君(京香)が、その立ちっ放しの田嶋の欲棒を手で扱(しご)きながらけしかけている。

「そうだよ、この奥さんは俺の性玩具(オモチャ)だ。」

今度は妻の乳房を掴み、もみしだきながらオウム返しに田嶋が妻に言った。

「はぃ喜んでその通り田嶋様の性玩具(オモチャ)です。」

「それじゃあ、旦那様の前で俺の尻の穴も舐めるのか?」

「はぃ、お命じになれば・・・・喜んで。」

田嶋が「良し、仰向きに成れ」と命じて妻を仰向きにさせると、妻の顔を跨いで腰を下げて行き、「ほれ、尻の穴を舐めろ。」と命じた。

田嶋の尻が妻の口元に乗り、直ぐに妻が応じて尻の谷間、蕾の辺りに舌を這わし始めた。

「おぉ、里美、そうだそうだ。良いぞ、良いぞ。」

良く見ると、妻の舌先が蕾の皺(しわ)を押し広げてア*ルの中までめり込んで、出入りしている。

「どれ、俺も里美のオマ*コを舐めて見るか?京香、どうせならシャブらせながらのシックスナインが良いな。」

「はぃ、今させます。里美ここに横に成って膝を立て、田嶋さんが舐め易いように足を広げなさい。」

妻が細君に支えられながら態勢を変え、シックスナインの受け入れ態勢を整える。

「出来ましたのでどうぞ。」

「どれ、里美のオマ*コの味はどんなかな?」

後ろ手拘束のまま仰向けに転がされた妻の上に、田嶋がシックスナインの形でうつ伏せに覆(おおい)い被(かぶ)さり、妻の尻を抱え、股間に顔を埋めて花芯ボタンに舌を這わせている。

舌先が二枚の肉花弁や花芯ボタンを舐め上げ、それに応じるように妻の腰が生々しく小さく揺れている。

妻の全身が小刻みに揺れ、つま先の指が丸まっているから相当に感じて居る様子だ。

その田嶋の舌先が、時折妻の短い恥毛が絡む二枚の肉花弁の中まで潜り込んでいるのさえ、私には生々しく見えている。

田嶋の舌に花芯ボタンを弄(なぶ)られながら妻は感じて居るのか腰を振り、善がり声を洩らしながら、それでも咥(くわ)えた田嶋の欲棒をチュパチュパと、必死に唇で扱(しご)いている。

見ていた私は内心溜息をして居た。

以前の夫婦生活において、こんな事をする妻は考えられない。

それが細君にでも教え込まれたのか、傍若無人な田嶋相手に妻は大胆な行為を易々と熟(こ)なしている。

素っ裸で連れて来られた妻の里美の身に起こったのは田嶋のエゲツ無い陵辱行為だったが、正直私にはそれを止める事は出来なかった。

田嶋相手の妻の奮闘振りには、驚きを超えて唖然とした。

これほど淫(みだ)らな晒(さら)し者は、余程の覚悟がないと行えない。

とにかく妻は、まるで別人のように「結合部分を見せる体位で性交する」と言う恐ろしく卑猥(ひわい)な事を、私の目の前で苦も無く熟(こな)している。

そして私は、嫉妬よりも興奮を覚えている自分を知った。

想いも拠らなかったが、妻は違和感無くおシャブリも腰使いも上手く犯れて次第に大胆(だいたん)に成って行った。

恐らくもう周囲の事など意識に無いのか、日常の倦怠感(けんたいかん)を埋める様に全裸体を躍動させ大胆(だいたん)かつ奔放(ほんぽう)に性交に応じている。

今は唖然(あぜん)と眺める私の前で、口と言わずア*ルと言わず女陰に到るまで欲棒を受け入れて、性感に拠る忘我の境地に入っているのだ。



妻が田嶋に、おまかせのリクエスト奉仕を始めると、私が岩代に小声で声を掛けた。

「おぃ、俺は何時から社長になった。」

「抱く方の田嶋にして見れば、相手が社長婦人の方が気分が乗るでしょう。」

「そりゃあそうだが。」

「もう、有限会社の法人設立の手続きを始めています。このビルも手金を千五百万払いました。後は、社長の印鑑証明を揃えて、判を貰うだけです。」

「手回しが良いな。会社の名前はどうした。」

「奥さんと内の奴、二人の名を取って京美企画にしました。まずかったですか?」

「いや、この二人の頑ん張りで仕事が出来る様なものだ。社名として良いのじゃないか。」

「そう言ってくれると、思いました。役員は、社長と私と竹中さんにしました。」

「当然だな。」



田嶋の要求が聞こえて来た。

「里美、そろそろオマ*コの中に入れさせてくれ。」

「はぃ喜んで、田嶋様。」

妻が細君(京香)アシストされ、座っている田嶋の前にしゃがみ込み、細君(京香)譲りの神技で口を使って素早く田嶋の欲棒にゴムを被せる。

その欲棒にお世話になるのだから、丁寧な口の挨拶は欠かせない。

その後は、細君のアシストで田嶋のエラの張った坊主頭の張り詰めたカリ首を、二枚の肉花弁の中心に宛(あて)がってもらい、脚をがに股に広げて腰を降ろして行き、中腰に抽入を果たそうとする。

妻の二枚の肉花弁を圧し分けて、田島の張り詰めた欲棒がグゥ〜ッと挿し込まれて行く。

他人の欲棒が、大きく開いた妻の二枚の肉花弁の内側にピンク色の蕾を持つ陰門(いんもん)にズブリと挿し込まれ、柔ら壺に納まるのを見て興奮する私がそこに居た。

何度見ても、妻の秘所に他人の欲棒が挿し込まれて行く様は奇妙な感覚で興奮する。

正直、嫉妬(しっと)交じりの奇妙な感覚で興奮している事は否定しないが、まぁものは考えようで、今の私の感覚からすると他人の欲棒も「私の意志で妻に使用するバイブ性玩具みたいな物」と考えれば良いのである。

「アッフン」と、嵌(はま)った瞬間、妻は小さな声を上げた。


目の前で妻が、細君によってソファーに座った田嶋に前向きで跨がされている。

そこから両足で踏ん張りながら腰を少しずつ下げさせ、田嶋の欲棒を、細君が妻の花弁の隙間に上手く収まる様に誘導して、カリ首を嵌め込んだ。

田嶋の欲棒に貫(つらぬ)かれた妻は、細君に支えられて踏ん張りながら、「うんちんぐスタイル」で、腰を中腰にスクワットの様に上下し始めた。

妻のスクワットの様に上下が、妻の柔ら壺の内壁を田島のカリ首が擦(こす)っているに違いない。

妻はM字に開脚して、確りと貫(つらぬ)かれた田嶋の欲棒を呑み込んで結合した己の生々しい女性器を晒(さら)し、夫の視線も構わず激しくクィクィと抽送している。

欲棒を咥え込んだ生々しい大股開きの股座(またぐら)の恥部を丸出しに、妻はクィクィと腰を使い善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けているのだ。


他人妻の柔肌の感触は蜜の味で、妻の肉体(からだ)の柔らか味が田島の手の平を伝わって脳髄を刺激する筈で、これから「性玩具(おもちゃ)に出来る」と思えば、妻の肌触りは格別田島の男の本能を刺激するものである。



この、妻の大きく開脚した結合体位には驚かされた。

しかしまともに結果を考えれば、ゲストを気持ち良くさせて犯れば愛奴隷家業も結構楽しい。

少し腰を浮かせたM字開脚スクワット・フアックで、脚力が無ければ結構辛そうな体位である。

無理な体勢だが、水泳で鍛えた妻は易々とその行為を続けている。

流石(さすが)妻は元平泳ぎの選手で、強靭(きょうじん)な脚腰は健在である。

妻はインリン・オブ・ジョイトイ並のM字開脚で田嶋の欲棒を受け入れ、スクワット形に乳首の立った小振りの乳房を上下に揺(ゆ)すりながら「腰を上下する」と言う生々しい痴態を見せ付けているのだ。

妻の受け腰による抜き挿しの律動が始まって、丸見えモロ挿しの欲棒の田嶋の陰茎がユックリと見え隠れを始めると、饒舌(じょうぜつ)だった田嶋から言葉が消えた。

聞こえて来るのは、田嶋の「オッ、オッ」と言う小さなうめき声だけで、田嶋の欲棒を肉ひだがまとわりつく様に包み込む妻の括約筋が、グィグィと締め付けて居るに違いない。

この頃は、丁度家庭用のビデオデッキが普及を始めた頃である。

裏ビデオと称する違法ビデオ映像の「侍の娘」や「コンバット」などが、巷(ちまた)を席巻していた時代だったが、性器結合アップ場面のそれらに負けない卑猥(ひわい)な見せ方を、明らかに意識した大胆な体位である。

それにしても、股間を貫(つら)かれている部分をわざと周囲に晒(さら)すあんな体位は、急に命令されてその場で簡単に出来るものではない。

益してや、如何に接待の為とは言え、堅かった姿勢が漸(ようや)く柔軟さを持ったばかりの妻である。

自分からあそこまで大胆な事を始める可能性は少ない。

「内の奴、どこであんな事を覚えたのだ?」

妻は、何処かで「予め教えられたのではないか?」と疑問が湧く。

妻の「ウッ、ウッ」と言う腰の上下に伴ない、男女の裸体がソファーをきしませながら、まるで映像を見るように妖しく波打っている。

短い恥毛が生々しく絡む二枚の肉花弁を押し分ける様に、田嶋の陰茎が見え隠れする妻の股間のV字を形つくる恥丘の陰毛に、愛液の小さな粒が数滴、生々しく光っている。

男と女が交尾して居るのである。

自然に性感を得て当たり前で、妻は結構感じて居るのか、その顔は快感を噛み殺すように歯を食い縛り、M字に開脚した足先に目をやると、足の指先まで丸めていた。

股間を貫(つらぬ)き硬く勃起した田島の陰茎が、濡れ光リながらズミカルに見え隠れし、艶(なまめ)かしい妖気が一組の男女の周囲を包んでいる。

田嶋の、ギンギンに硬くなった坊主頭の海綿体が、目の前で妻の柔ら壺の内壁を擦(こす)りながら、見え隠れしている。

細君は全て心得ている様で、岩代の指示はいちいち仰(あお)がない

「里美、もう少し早く腰を使え。」

「はぃ喜んで、田嶋様。アァ。」

妻が渾身(こんしん)の精神力を込めて、高速回転の受け越しを使い出す。

田嶋に命じられて妻の腰の上下が速度を増し、短い恥毛が絡む二枚の肉花弁を捩(よ)じらせ巻き込みながら恥部のスリットを出入りする田嶋の陰茎の見え隠れが激しくなる。

「おぉ里美、良いぞ、その調子だ。」

「はぃ、田嶋様。アァ、アァ、アァ。」

妻の里美の大きく開いた股間に田嶋の欲棒が嵌まり込んで、愛液に濡れた陰茎が、生々しく見え隠れして居るのが、正面から丸見えだった。

「アァ、オチ*チン様が擦(こす)れるぅ〜」

妻が大胆な台詞(せりふ)を口にしながら、田嶋の欲棒を見え隠れさせながら「ズブズブ」と攻め腰を使い続けている。

呼応して、田嶋の「オッ、オッ、オッ」と言う吐息混じりの声も漏れ聞えてくる。

「擦(こす)れるぅ〜」の台詞(せりふ)は、気分を盛り上げる為に、受け腰を使う時に吐く様、細君(京香)に仕込まれた台詞(せりふ)らしい。

両手を拘束された妻は、バランスが取れず、つかまる事も出来ないから、細君に支えられないと腰を浮かせて上下する事も出来ない。

それでも必死にMの字に開脚した両の太腿を使い、股間の陰門(いんもん)に嵌まり込んだ欲棒を外さぬように腰を上下させて、田嶋の要求に応えている。

「ア〜ァ、ア〜ァ、アァ、アーッ。」

その姿は、生々しく煽情的(せんじょうてき)で、こちらの欲棒が鎌首を持ち上げかけ、私は密かに焦(あせ)った。

滑らかな触り心地の妻の肌が浪打ち、乳房が上下に揺れ、妻の首を左右に振りながらの善がり声が聞こえてくる。

細君に支えられ、前向きで跨がされている妻の股間の付け根で、黒光りする田嶋の欲棒の陰茎が見え隠れしている。

「ア〜ァ、アァ、アァ、アーッ、アーァ。」

「ほら、旦那様も見ているぞ。善がれ、善がれ。」

「はぃ、田嶋様。ア〜ァ、アーッ。」


「いったい、妻はどう成っているのだ?」

素っ裸で股を広げ、愛液を股間から垂れ流しながら、田嶋の欲棒をリズムも軽ろやかに腰を使って抜き挿しをしている。

「アァ、擦(こす)れる、擦(こす)れる、アァ、オアマ*コ気持ちが良い。」

腹を括(くく)ったのか意識を変えたのか、目の前で繰り広げられる妻の想像を絶する田嶋との接待交尾には、あの貞節の面影もない。

内心少し嫉妬心で、私の心は複雑に焼けている。

妻は田嶋の欲棒を股間に咥(くわ)え込んで、クィクィとリズミカルに腰使いをしている。

性交の極意は「相手に贅沢をさせるもの」とは言え、あんな妻はついこの間まで思いも拠らない。

あの妻の腰の動きを見ていると、どうやら妻は岩代夫婦の特訓で腰使いの呼吸の合わせ方を覚えた様である。

この信じられない光景の何もかもが、現実だった。

妻の後戻りが出来ない生真面目な性格が、一旦自分の決断で犯り出した性奉仕をより過激なものにさせて居るのかも知れない。

考えて見れば本人が性に目覚め、他人と性交してもさして抵抗が無いのであれば、妻が目の前で他人と性交していても私が「こちらも見て楽しむ、単なる遊び」と考えれば案外どうって事は無い。

どちらにしろ、犯られたからと言って被害意識など持たずに、ポジテブに積極的に愉しんで犯れば全ては良い方に解決する。

田嶋相手の妻の愛奴隷デビューは素晴らしい内容で、肉体(からだ)も良く動いて居たし、田嶋の欲棒を受け入れてからの腰の動きも言う事が無い。

「奥さん、良かったですよ。今日の接待は内容が良くて素晴らしい出来でした。あの調子で犯って下さい。」と岩代がベタ褒めだった。

いずれにしても性接待で男性を喜ばせる事の実行は、古今東西に於いて金に成ったり権力と結び付いたりの効果的手段である。

多少嫉妬交じりだが妻が犯られているを見るのは勃起もので、妻を他人に陵辱させ、それを眺めて脳をトロケさせる様な刺激が、胸躍らせる癖に成って行った。



余分な事は考えまい、妻は性接待の愛奴隷として当然の事を犯っているだけなのだ。

私はそう考えて動揺を抑(おさ)えに掛かったが、そんな妻の行為を見せ付けられた私の欲棒は見事に勃起し、スラックスの一部を見事に脹(ふく)らませていた。

「所長、恥ずかしがる事はありませんよ。奥さんが他人と犯って居る所を観ると旦那は興奮するものです。」

「この情況を愉しめと言うのか?」

「まぁ、そんな所です。所長にとってはセクシャルレボリューション(性革命)でしょうが、いずれこの興奮が病み付きになりますよ。」

「それにしても、君は何時も内の奴を素っ裸にさせるのだな。」

幾分抗議めいた口調で、私は皮肉を言った。

それに応えて岩代が、「良いじゃないですか、どうせ奥さんは遅かれ早かれ素っ裸で性玩具(おもちゃ/ジョイトイ)に成るのだから、最初から脱がせて置いても同じでしょう。」と、涼しい顔でそう私に言った。

私にすれば、妻を岩代に自由勝手に弄(いじ)られている感があった。

「そうは言うが、幾らなんでも素っ裸に剥(む)いて野外で思い切り露出させるのが普通か?」

「ハハ、一種のけじめですよ。素っ裸に剥(む)いてあの格好にさせれば、奥さんの意識が嫌でも日常モードから接待愛奴隷に切り替わるでしょ。」

「淫の覚悟か・・・。それは、非日常モードへの意識の切り替えと言う事か?」

「まぁそんな所で、変身する事によって意識を開放させるのです。それに接待相手に与えるインパクト(衝撃とその影響や印象)が違いますから。」

確かにどうせ妻に性接待をさせるのであれば、出し惜しみをした所で直ぐに脱がして嫌らしい事をさせるのであるから、平凡な登場よりこの方が「インパクト(衝撃とその影響や印象)がある」と言う点では衝撃的印象には違いない。

「内の奴は、素っ裸のシンデレラと言う訳だ。」

「そうです。良く見てご覧なさい。奥さんはあの格好にさせただけで、興奮で股間から愛液を垂(た)らして居ます。」

言われて見れば岩代の言う通りで、妻は完全に日常の里美ではない。

「確かに、内の奴は感じているようだ。」

どこでどう心境が変化したものなのか、信じられないほどの素っ裸のシンデレラ振りである。

「要は奥さんに、自分の立場を自覚させ続ける事です。時々内の奴と俺で、空いた時間に奥さんを仕込ませて貰っていますからあの裸露出も後ろ手の拘束も効果があります。」

岩代は、笑いながら妻の進歩した訳を言った。

やはり妻は、私に相談も無く岩代に色々仕込まれているようだが、今更文句も言えない。

「まぁ、それは構わないが、全て計算づくか。」

「躾(しつけ)が終われば、相手の好みで色っぽい下着を着せても良いですが、今は駄目です。女性にして見ればたとえ布切れ一枚でも、気持ちの上では少し気が楽になります。その甘えをさせない為です。」

「それに、立場はハッキリさせなければ成りません。」

岩代の真意では接待に恋愛感情は不要で、あくまでも肉体奉仕だから、「着衣で着飾る事は許さない」と言うポリシーがある。

妻を全裸拘束姿でゲストに引き渡す狙いは、あくまでも肉体奉仕が目的である事を、双方に認識させる為である。


妻が「はぃ喜んで。」を連発している。

何時(いつ)の間に決められたのか、愛奴隷の立場は絶対服従ルールで、「はぃ喜んで。」が唯一許されて居る返事のようである。

判り易い話で、ゲストの命令には全て「はぃ喜んで」と応じて実行する決め事らしい。

「里美さんも、良い露出マゾにも大分仕上がって来ました。」

岩代は自慢そうに私に言った。

「そうらしいな。あの姿で連れて来たのには驚いた。」

「後は実践の数を重ねるだけです。」

確かにあの格好を見せられれば、妻は私が度肝を抜くような羞恥露出をさせられても無抵抗で、さして気にしては居ないようだ。

あれほど性に潔癖だった妻の、堰(せ)きを切ったような変身には驚かされる。

信念は思考に拠って決定されるものだが、人間の思考能力は無限大で、思考方向も無数に存在するにも関わらず、既成概念で自らを縛ってしまうのがアンカリング効果(行動形態学上の基点)と一貫性理論(意識と行動の一致)の罪の部分である。

まぁ信念は人間が生きて行くのに必要だが、現実の話、それがたいして立派なものでなければ強情を張らずに変えて行かないと新しい人生は開けない。

妻も「そんな卑猥(ひわい)な真似は絶対に出来ない」と思っていた筈である。

所が、人間誰しも先の事は闇で、人生多かれ少なかれ思いも拠らぬ事を仕掛けられて困惑する。

だが、人間の感覚など可笑(おか)しなもので、こう言う状況で相手に強く出られると以外に弱く、その一瞬で人生は変わる。

「豪(えら)い事を犯ってしまった」と思うだろうが、冷静に考えればそんな事は、「周囲の環境が許さない状況にあって犯ってしまう」と、単に自らが意識の中で縛っていただけで、それが案外「安易な事だ」と気が付く。

そう成ると今度は、新しい価値観のアンカリング効果(行動形態学上の基点)と一貫性理論(意識と行動の一致)を構築して「納得しよう」とするのが人間である。

人間の思考能力は無限大で、脳の思考は本人が思っている程平面的ではなく、必要と在れば多面的な展開を見い出す。

妻は思考の切り替えにいち早く成功し、非日常のオンステージ(舞台上)のヒロインとして普段出来ない事を犯る事に楽しみを見出している。

「勿論、ガチンコ本番をさせる事に成りますが・・・普通の事を犯ってもゲストは感激しないでしょう。奥さんには普通以上の事を犯って貰う事になります。」

岩代が私に言った意味が判って来た。

妻が素っ裸に剥(む)かれて引き渡されてしまえば、妻の肉体のあらゆるパーツは、接待相手の快楽の為に供される事に成る。

一切の要求に拒否が出来ないルールだから、あらゆる卑猥(ひわい)な行為で思い通りに妻を支配(コントロール)するのは、スタンダード(標準化)に成っているゲストの権限である。

目の前で妻がM字に開脚して、確りと貫(つらぬ)かれた田嶋の欲棒を咥(くわ)え込んで結合した己の生々しい女性器を晒(さら)してユックリと抽送をしている。

妻を支配(コントロール)していたのは岩代だった。

見ているだけで勃起(ぼっき)するような、脳みそが溶ろけるような複雑な感覚が私に湧き上がって来るが、自然の与えた本能にけして無駄はない。

この「擬似生殖行為(生殖無き快楽性交)」も、生きて行く上で必要だから人間に与えた筈で、悪いものである訳がない。

まぁ、人生に於いて「快楽を楽しむ事は罪ではない」と言う事で、神が人間の脳に与えた擬似生殖の行為が快楽の性交ならば、妻が快楽の楽しみ方を探求しても良いのかも知れない。


なるほど、岩代にレクチャーされた予備知識をもって変貌する妻を見ていると、私も岩代の言い分が判って来た。

彼は妻の事を「利巧な女性だから接待に向いている」と言った。

確かに高度な知能の持ち主ほど探究心がおおせいで「脳内の淫乱変態性回路も発達する」と思われる。

人間は、求めて学び求めて経験を積む事で成長する。

これは全てに通じるが、学びもせず経験も積まずに、何でも「私には出来ない。」で逃げていては「横着に生きている」と言うもので、柔軟な発想でアグレシブ(攻撃的)に対処して行かなければ「如何に生きるか」の正しい答えは得られない。

あらゆる学問学術や芸術でも、高度な知能の持ち主でなければ新しい思考回路を創造する事は出来ないのだが、それは性本能に対しても同じで、建前「性の事だけは別物」などと言う事は、本音に於いて存在しない。

つまり、「そんな真似は絶対に出来ない」と言う女は、余り脳が発達してない事になる。

岩代の言う通り、利巧な女性なら一度輪姦(まわし)や3P、露出や緊縛責めを経験させると、脳内でそれを消化して新しい思考回路を創造する。

そして性の愛奴隷と成った妻は、ゲストの慰み者としてその経験が豊富に成れば成るほど新しい思考回路は消化発達して、利巧な女の脳内の淫乱変態性回路は成熟して行くのである。

どうやら妻は、あの竹中に奉仕した初日の体験とそれに続く学生達との輪姦(まわし)で、すっかり脳内の淫乱変態性回路のスイッチが入ってしまったようだ。

岩代に、「所長も、これからは奥さんがあの格好で引き渡される事を、承知して置いてください。」と、そう念を押された。

つまり、愛奴隷の全裸後ろ手拘束姿は、ゲストの言い成りに奉仕する為の言わばユニバーサルデザイン(誰でも使い易い工夫)である。

「そうかね、思い切った格好だねえ。」

あの全裸拘束姿が、「妻の仕事着(制服)」に成ると言う事である。

接待の性奉仕は「誓約(うけい)」の実践である。

事の良し・悪しや賛成・不賛成を別にした事実として、「誓約(うけい)」と言う形の性交は神代から存在した。

誓約(うけい)の性交は相手に対する服従を意味し、それを具体的に証明する手段である。

従って「契(ちぎり)」も性交であるが、情を絡ませた同等の愛情によ拠る「契約(けいやく)」とは少し違い、妻が性接待でする「誓約(うけい)」の性交はあくまでも「服従的な行為」と言う事に成る。

「接待の時は通常の生活とは、気持ちを切り替えて貰わなければなりません。」

縄での拘束と全裸は、「自覚し、慣れさせる為に当分欠かせない躾(しつけ)の一歩だ。」と言うのである。

こう言う事を始終犯っていると抵抗感が薄くなり、そうされるのが普通になる。

彼は、「修行を積めば、奥さんの精神は徐々に昇華して行きます。」と、言った。

どうやら、妻は当分素裸で接待に精を出す事になりそうだ。

「けじめを認識させる為」と岩代は言ったが、岩代には岩代流の哲学が在る。

人間、理屈を一枚一枚剥(はが)がして行くと、本能が残る。

つまり、物事を突き詰めて行った答えが本能である。

本能だけでは頼り無いから理屈で守ろうとし、裸では頼り無いから服を着る。

理屈も着衣も一緒で、岩代が愛奴隷にさせている格好は、剥(はが)がして行って残った全裸体(肉体)が、本能そのものが残った状態(結論)だからである。

全裸後ろ手拘束が、理屈抜きの愛奴隷を象徴した姿であるが、同時に突き詰めた答えが本能そのものである事を、岩代は言いたかったのかも知れない。


「社長、今から奥さんにあの特技をさせて、田嶋さんにお見せしますから。オィ京香、田嶋さんにタマゴバイブ。」

「おぅ、このまま使うのかね?」

こちらに向いて田嶋の欲棒を飲み込んだ妻の花芯ボタンに、田嶋が右手で後ろからタマゴバイブを宛がうのが良く見える。

田嶋は、バイブのスイッチを入れた。

ビーンと振動が起こり、花芯ボタンにタマゴバイブを宛がわれた妻の腰が、感じて怪しく動いている。

上の方は細君(京香)が支えているが、妻の揺れが大きく支えるのが結構キツそうだ。

「アァ、アーッ、気持ち良いィー、アァ、アーッ、アァ、アーッ。」

「社長、こりゃあ良い、奥さんの中が良く締まる。」

妻は暫く「アァ、アァ」と堪えていたが、「アァ、ッ、」と言うと、身体がそり返って善がり声が止まった。

「うわッ。・・・アッ、アッハハハアー。」

奇声が上がった。

田嶋が、突然しぶきを浴びたのだ。

田嶋が驚いて声を上げ、そして、濡れた手とバイブの水分を振って落としながら笑った。

うな垂れて居る妻の股間は、田嶋の欲棒を咥えたまま噴水が噴出している。

「ジットしていちゃ駄目、続けなさい。」

「はぃ喜んで。」

細君(京香)の激が飛び、妻が噴水を止めないまま再び腰を上下し始め、妻はクネクネと受け越しを使い出した。

ピユッ、ピュッと小刻みに放尿しながら、妻の上下運動は続いている。

噴出は終わったが、途切れる事無く 田嶋の欲棒が生々しく出入りしている妻の恥丘に遠慮勝ちに自生する恥毛には、まだ雫(しずく)の小さな粒がまとわり着いて小さく光っている。

「ア〜ッ、ア〜ッ、ア〜ッ。」

妻の大きく開いた股間には、田嶋の太い陰茎が短い恥毛が絡む花弁を巻き込みながら見え隠れし、恥丘に密集した陰毛が濡れて雫(しずく)が光っていた。

「ヘヘ、社長、あんた良い奥さんを持っているねぇ。ここまでしてもらうと気持も良いが、本気の反応を曝(さら)け出されたのが面白(おもしろ)くて気分がもっと良いよ。」

そんな事で細君(京香)は怯(ひる)まず、「もっと早く動く。」と妻に命じる。

再び細君(京香)の激が飛び、妻の放尿しながらの上下運動が、競馬のラストスパートのように渾身(こんしん)の精神力を込めて激しくなる。

「アッ、アッ、アッ。」

歯を食い縛り、必死でスクワット腰を続ける妻の顔は、快感に歪(ゆが)んでいた。

「すげぇ、この奥さんの腰つき・・・」

田嶋が真顔で言った。

顔は感動の面持ちだった。

確かに、社長婦人がここまで露骨に性接待を犯る事は通常考えられない。

それが現実なものに成っているのだ。


体勢が代わって今は私の目の前で、上半身拘束のままソフアーに仰向けにした妻に、田嶋が一点で繋がったまま覆いかぶさり、気持ち良さそうにユックリと腰を使って欲棒の抜き挿しを続けている。

妻の股間に生々しく田嶋の陰茎が濡(ぬ)れ光って見え隠れし、少し間延びした妻の善がり声が圧し殺した様に漏れ初めていた。

後腐れが無い環境で、クライアント(得意先/顧客/依頼人)が望む面白い遊びをさせるのは、最高のおもてなしである。

愛奴隷は、接待相手の期待に応える為に果てしなく淫乱でなければならない。

「アァ〜ア、アァ〜ア、アァ〜ア、アァ〜ア。」

やがて田嶋の腰使いが早くなり、妻のオマ*コに激しく抜き挿しされる田嶋のカリ首が、内壁を擦(こす)るのが気持ちが良いから妻は腰を使う。

「アッ、アッ、アッ、アッ、アッ。」

竹中の教えに従い、パホーマンス(身体表現)として妻自らが指で敏感な肉蕾の実(サネ)をグリグリと刺激するのを見せつながら、股間ガップリに田島の抜き挿しを味わっている。

より快感を得たければ、自然にその腰使いが田嶋に呼応してクィクィと激しくなり、人目もはばからず快感を貪(むさぼ)るのはむしろ当たり前の本能である。

そのうち田嶋は「ウッ。」と言って果て、ソフアーに横たわった。

「里美、口で綺麗にしろ。」

どんな我侭(わがまま)も言えると聞かされているから、田嶋はどん欲に命令する。

「はぃ喜んで、田嶋様。」

細君に指示されて、妻がソファーの上で四つん這いに成り、口で田嶋の欲棒を綺麗に拭っている。

思えば、大都会の片隅で、こうした隠避な行為が行われて居ても、それは無数にある事かも知れない。

田嶋は細君(京香)から「中出しはお構いなし」と聞いていたから、トロ〜リと粘性のある田嶋の白い液体が、糸を引いて妻の股間から生々しく垂(た)れている。

放尿しながら交尾をした後である。妻の陰毛にキラキラと光る多くの水滴は、細君(京香)に拭ってもらうしかない。

細君(京香)の手に持つタオルが、妻の二枚の肉花弁を圧(お)しひしゃげるように股間を拭って、そのタオルが股間を擦(こす)れる感覚に、妻は股を開いたまま「ウッ」と仰(の)け反(ぞ)った。



建前上は無い事に成っていたが、夜の飲食業の接客嬢やママさんの優良客を繋ぎ止める為の枕営業(性接待)は立派な営業努力である。

正直、内々の秘密ではあるが、別の業種でも高額取引をスムース(円滑)に運ぶには枕営業(性接待)が効果的である。

テレビ局の女子アナはアナウンサー室に待機して、おのおので番組出演の声が掛かるのを待つ立場だから、個人の営業努力として局内の権限者に枕営業(性接待)のうわさは多かった。

正直枕営業(性接待)は相手の家庭を壊すものではなく、ステークホルダー(利害関係)として目的をスムース(円滑)に運ぶ為のものだった。

女子アナにも枕営業(性接待)が在り、局内の権限者に対してはインサイダー(組織内部)として外部に秘密が漏れない安心が在った。

バブル期の女性保険外交員(生保レデェイ)は、保険契約の為の枕営業(性接待)は建前上は無い事に成って居たが、現場では立派な営業努力とされていた。

この生保レデェイ達の枕営業とも言われそうな宴会営業は、建前、会社は知らない事でレデェイ達のリーダーが会社には勝手自主的に犯っている事に成っている。

しかしそれは暗黙の奨励で、成約件数が多いグループのリーダーには、それなりのギャランティが積み増しされる余禄があるから、形振り構わず必死になる。

これも裏話だが、生保レデェイには母子家庭が多かった。

一つには子供を抱えて中々日勤の職業には着き難かったが、生保レデェイは実績さえ挙げれば比較的時間の自由が利いた事と、本人の「性的な渇き」は枕営業(性接待)で解消していた。

現実的に考えれば、枕営業(性接待)はステークホルダー(利害関係)として、最高に高レベルのコスパ(コストパホーマンス/費用効果)として機能する。

従って枕営業(性接待)のヒロイン・愛奴隷には、女性としての高度な「スペック(性能)」が要求される。

勿論、枕営業(性接待)を「これはお仕事だから」と言う言い訳ができれば、「全ては相手を喜ばせる為」と割り切って行為に対処ができる。

接待の性交プレィだからこそ、犯る以上は「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの努力をする。

そして枕営業(性接待)は猥褻(わいせつ)であればあるほどそのコスパ(コストパホーマンス/費用効果)は高くなる。

「スペック(性能)」は元々コンピューター用語だが、人の身体的特徴、技術、趣味、学歴、仕事などのランク(階級)を表す言葉としてある。

枕営業(性接待)は相手の家庭を壊すものではなく、目的をスムース(円滑)に運ぶ為のものだった。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)に対する性接待は、不倫でも愛人契約でも無く,言わば広義の意味での売春である。

つまりそれは相手の家庭を壊すものではなく、法的に言えば、優良な顧客をつなぎ止める為の性交渉を女性が提供する、つまり「枕営業(まくらえいぎょう)」の類(たぐい)である。

正直、接待相手のクライアント(得意先/顧客/依頼人)にしてもこの遊びは漏れたらスキャンダルで、インサイダー(組織内部)として外部に秘密が漏れない安心がある。



何とも微妙な気持ちにさせる現実が、目の前で繰り広げられている。

確かに、赤の他人相手に愛妻に性接待をさせるなどと言う事は、余り「綺麗な手法」とは言い難い。

しかし突き詰めて言えば、過酷な生存競争の原理を「建前で覆い隠している」と考えるのが現実かも知れない。

残念では有るが、その辺りを「悪魔に魂を売った連中が成功する」のがこの世である。

どうやら妻にしてから人間は贅沢な者で、波乱万丈であれば平凡を望み平凡であれば冒険を望む。

平穏無事な生活は時として退屈であり、「このまま一生これで良いのか?」と考え込む。

そこにこの刺激的な場面が用意された。

これは明らかに妻の意志でもありそうで、つまり主婦としての日常生活が平凡で有ればあるほど、非日常の刺激的な遊びが魅力的に思えるのかも知れない。


いくら気取って居ても、どんなに貞操観念の強い女でも性欲や性癖は持ち合わせている。

どうやらあれだけ従順に性玩具(おもちゃ)を勤めている所を見ると、妻にはこの性接待の愛奴隷がピタリと嵌(はま)った様である。

考えて見れば妻も生身の人間だから、妻にも性癖の一つや二つ有っても何の不思議も無い。

目の前の妻は、私の知る貞操妻とはまるで別人のように善がり声を上げ、夫の前もいとわず田島に挿し込まれた欲棒を股間に咥(くわ)え込んで快感に拠る苦悶の表情を浮かべながら乳首を勃起させた乳房を揺すり、無我の境地に入り込んでクィクィと受け腰を使っている。

とても嫌そうには見えないから、「味を占めた」と言うか、この非日常の瞬間を雌に徹して従順に性玩具(おもちゃ)を勤め、妻は内心それを満喫しているのだろう。

結果を見ると妻はM(マゾ)性が強い様で、妻のその性癖の存在を私が素直に認めて、その性欲や性癖を目覚めさせて満たして犯る場所を造ってやる事が理に適っているのかも知れない。

それはどんな男だって、選り取り見取で性癖を剥(む)き出しに女と犯れるなんぞは桃源郷である。

それが「妻公認」となると旨い話で、妻が目覚めたM(マゾ)性を黙って満たして犯らせても、多少嫉妬心は湧くがお愉しみは夫婦五分五分である。



一回戦終わると、田島が印鑑を渡し「必要な所に勝手に押せ」と言う。

印鑑を渡しても、田嶋は舐(なめ)取らせて居る妻の裸身を、満足そうに撫で回している。胸も下半身も触り放題で、股間は閉じていないから時折指が潜り込んでいる。

良くしたもので、身体を赦した親近感からか、妻の裸身からは打ち解けた雰囲気さえ漂っている。

「安易に印鑑を預けると、悪徳不動産屋に騙し取られますよ。」と言ったが、「悪徳不動産屋がこんな誠意を見せるかい。ヤクザの追い込みから救って貰った上に、この接待だ。相場の半値でも良いから値段は好きにしろ。その代わり、時々こんな接待をしてくれ。」と笑った。

田嶋の欲棒は、舐め取ってもらっている間にまた元気付いて、「アレ、また立っちまった。里美、せっかくだから今度は後ろから入れるぞ。」と言って、今度はソファーの背もたれに拘束された身体をもたれさせ、後ろから欲棒を捻じ込んでまたクィクィと抽送を始めた。

途端に、妻の善がり声が始まった。

「アッ、アッ、アッ、アアアァァ、イク、イク、イク、アァー。」

「ウッ」

ほとんど同時に二人は果てた。

妻は、再びプリッとした唇の口で田嶋の欲棒を綺麗に拭い、岩代に急かされ、後ろ手拘束の全裸のまま蒼い絨毯に正座をさせて、「今日はお使い頂きまして、有難うございました。ご満足頂きましたか?」と田嶋に礼を言い、漸く一息付いて居る。

「内の奴のご奉仕、満足して頂けましたか?」

「いや〜恐縮恐縮、堪(たま)んないねぇ社長、最後の挨拶まで・・これ、良いねぇ。」

「いいぇ、これも躾(しつけ)の一環ですから。」

楽しい時間を過ごして、機嫌が悪く成る人間は居ない。

それは「はぃ喜んで。」と、何事にも必死さ一生懸命さが相手に伝われば、自然に相手から可愛がられる。

終わって田嶋に肉体(からだ)を触られながら一息付いている妻を、岩代が横目で見ながら言った。

「田嶋さん、執りあえずここの開所式には是非来て下さい。また面白い趣向を用意しますから。」

田嶋も妻の乳房を触りながら見上げて眺め、応えた。

「この上また良い事の続きがあるのかね、そりゃあ愉しみだ。」

喜色満面で、田嶋の顔が崩れそうに笑っている。

「お愉しみは、投資して頂くお礼の条件ですから。」

岩代はここの開所式に、又何か企んで居る様だ。



そもそも多くのオスを誘って選別し、良い子種を得る事がメスの原始本能だから、女性に男性を誘う為の露出趣味が本能的に在っても不思議はない。

いや、むしろ露出癖の無い女性の方が「女性本能が欠落している」と考えても良い。

「普通じゃない」と言う事は、人間に取って堪(たま)らない魅力で、非日常の性行為は外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い事だからこそ興奮するのだ。

全裸拘束姿で連れ出された事にさして抵抗感が無い所を見ると、そう言う意味で妻は本能に目覚めたのだろう。

何らかの「自分を納得させられる理由があれば、女は股を開く。」と岩代は言った。

それが何なのかはまだ飲み込めないが、素っ裸の「露出愛奴隷姿でここに現れた」と言う事は、妻にはそれを受け入れる為の「納得させられる理由が出来た」と言う事である。

只、その理由「起業の為」と言うのは自分を騙す建前に過ぎない筈だ。

つまり妻は、この間の竹中への接待とその晩の輪姦(まわし)で日常生活の抑圧(よくあつ)から開放されて、非日常の性交に味を染(し)めたに違いない。

考えて見れば、人間はあらゆる抑圧(よくあつ)の中に生きている。

その抑圧(よくあつ)から開放される僅(わず)かな時間が、【右脳域】の感性に埋没出来る性交の時である。

妻も例外ではなく、既成概念に囚(とら)われて頑(かたく)なに生きて来た。

「日常生活の抑圧(よくあつ)から解き放たれた」と言う安堵(あんど)を味わった事で、妻はその価値観を知ったのかも知れない。

そこに危険が伴(ともな)わなければ、その非日常を受け入れる事も確かに選択肢ではある。

最初は、精々妻を「少し性的に仕込む」位の軽い積りだった。

軽い悪戯(いたずら)の気持ちで岩代の誘いに乗った。

竹中とは既に犯らしてしまったから「今後も仕方が無い」と思っていたが、イヨイヨとんでもない事に成った。

チョットした悪戯(イタズラ)心が成功して、妻を性玩具(おもちゃ)にしてトッチメ(取り締め)、最初は痛快な思いもあった私だが、妙な方向に具体的な話がドンドン進んで行った。

岩代がここまで普通に「接待を妻に犯らせる」とは考えては居なかった。

実の所、「具体的に妻に性接待をさせる」となると、ズルイようだが本音の所そこまでの決心はしていなかった。

しかし考えて見れば、これは「独立時」の約束で、「軽い気持ち」とは言え承諾した事は承諾した話で、今更止められない雰囲気だった。

この分では、相手構わず妻に犯らせる事に成りそうだ。


人間の気持ちは複雑で、例え意に添わない性交プレィでも犯る以上は「下手糞」と言われるより「上手(うま)い」と言われる方が女性としての自尊心はまだ傷が付かない。

それで、夫の前で此処までおシャブリも腰使いも上手(うま)く犯っちゃうと、もぅ「変な事を犯(させ)て・・・」と怒って観せても今更に嘘ぽくて始まらない。

こんな凄(すご)い接待をするなら、愛情と性行為を思考の中で分けて考えなければ、愛奴隷は犯っては行けない。

だがしかし待てよ、これは接待の性交で浮気の性交ではないのだからムードタップリの優しい性交は似合わない。

元々遊びなのだからなまじ優しい性交などして「接待の性交」を勘違いし、愛を育まれてもお互いに困る。

情が絡まない事が前提の性交であれば、それは理屈からしても性接待をする妻が虐(いじ)め犯かされる被虐性交の形が相応(ふさわ)しい事になる。

予想に反して、妻がどんどん破廉恥な行為に抵抗が無く成って行く。

安心して命じられた事を実行する環境を得て、妻は変身し、貪欲(どんよく)な性欲を持ち始めた。

もしかすると、妻の脳の中に卑猥(ひわい)で奔放(ほんぽう)な新しい回路が接続したのかも知れない。

幾(いく)ら「引き返せない道に足を踏み居れた」とは言え、この不可思議な現象を私はどう理解したら良いのか?

私「はどうかしていた」のかも知れない。

私と妻は、つまずいたのだろうか、飛び立ったのだろうか?

しかし今はまだ、結論を出すのは早過ぎて悩んでも仕方が無い。

同じ事が、或る人にとってはつまずきであり、或る人にとっては飛び立ちなのかも知れないのだ。

それにしても、謎だった。

あれほど身持ちの固かった妻がまるで岩代の妖術に操(あやつ)られるかごとくに、見ず知らずの相手と罪悪感も無く淫乱な行為をしている。

そぅ、「岩代の妖術のせい」とでも考えないと合点(がてん)が行かないその現実に慣れるまで、私はかなりの時間を費やす事に成る。



田嶋が帰る時も、細君(京香)が出迎えの時同様に、妻を裸で外の車まで見送りに出した。

日産スカイライン2000GTが、遊び人の彼らしい愛車だ。

車に乗った田嶋に、「田嶋様、有難うございました。ご奉仕は気に入っていただけましたか?」

「あぁ、良かったよ。大いに気に入った。」

本心満足そうで、興奮冷め遣らぬ顔の田嶋だった。

細君(京香)が妻に耳打ちをして、「それでは、また私でお遊び下さい。」と、礼を言わせ、頭を下げさした。

「おぅ里美、また遊ぼう。」

上機嫌で田嶋が、自分の女のように妻に声を掛ける。

「はぃ、田嶋様」

田嶋は車の窓から出した手で「それじゃぁな。」と最期にまた妻の乳房を揉(も)みし抱き、上機嫌で帰って行った。


田嶋が帰ると、妻の後ろ手拘束の戒めを解き、四人で話をした。

人間の奥底に潜(ひそ)む本性は、表面を見ても判らない。

ソファーの背にしどけなくもたれかかった妻は、全身の力を抜いた虚脱状態で座り込んでいる。

どうやら妻は、屈辱的に扱われた方が性感度が益すらしい。

妻の顔には、私の嫉妬心を燃え上がらせるような心地良い虚脱感の表情が浮かんでいた。

自分に都合の良い環境なんかは、待って居ても金輪際やっては来ない。

環境は自分で切り開くもので、結論から言えば「何が幸せか」は、妻本人が決める事である。

妻は、初めて竹中氏の接待をしたあの日の夜、岩代と学生達の「輪姦を受ける」と言う引き返せない事実を切欠に生き方をリセットした。

「奥さんが、俺らが私達を立ててくれるのが申し訳ないから、今日は自分が頑ん張ると言うので、一人で接待を遣ってもらいました。」

「でも、私恥ずかしくって、あそこまでさせられるとは思いませんでしたもの。」

「今日は上出来ですが、奥さんには度胸を付けて貰わないと、まだ仕事は始まったばかりです。処で、事務所に買うのはこの物件です。」

「そぅですか、この建物ですか。一息ついたら、後で上の階も見せて下さいませ。」

「今度竹中さんの所に行って了解を取り次第、有限会社を立ち上げます。奥さんは、この間の竹中さんの宿題をこなせば、とりあえず社長夫人だ。」

「はぃ、吊るされてア*ルで遊んでいただく件ですね。責任を果たします。」

「里美、この一階の店だったスペースがお前の接待場所、二階が会社の事務所、三階が俺達の住居だそうだ。」

「軌道に乗ったら此処は会社だけにして、社長の家は庭付きの一戸建てに又買い変えますが、スタートはこのビルで、良いでしょう。」

「良いのですか?そんなにして頂いて。」

「遠慮は無用です。投資ですよ。奥さんは会社の売り物にしますから、豪邸の貴婦人の方が良いし、着る物も身に着ける装身具も、それなりに一流の物で飾る様にしましょう。」

「貴婦人の誕生と言う訳か。」

「何んと言っても、奥さんが貴婦人の方が相手は喜びます。手に届きそうもない貴婦人を好みに汚す事で男は興奮するのですから。」

「本決まりですか、此処が私の見世物性人形(玩具)としての仕事場ですか?いよいよ本稼動ですね。」

皮製の犬首輪を付けて、全裸のままの妻は一階の中を感慨深気に見渡した。

人間、場合に拠っては腹を括(くく)って勝負に出なければ成らない時も在る。

今にして考えれば、岩代から事前に詳しく話を聞いてそれを受けたのだったら、確かに妻が今更恐れる事も嫌がる事もおかしな話である。

現実を見せ付けられると、確かに如何なる仕事でも不平不満を持って臨んでは成功はおぼつかない。

成功の秘訣は任された仕事を誠実にこなす事で、その原理原則は如何なる仕事でも変わらない。

私としても、もう乗ってしまった事業として「妻に接待を続けさせる」と言う事は一過性の物では意味は無く、現在進行形の話しである。

狙いは、今までに無い快感体験を妻に与えて本人に犯る気を起こさせ、当分継続的に仕込む必要があった。

岩代夫婦の企(たくら)みに見事に嵌(はま)って、妻は変化し始めていた。

経験は新たな思考の母で、妻の考え方には明らかな変化を感じる。

正直、屈強な体育系学生達に輪姦(まわし)を施(ほどこ)された妻の快感の記憶は、覚めやらないものに成っていた。

妻は屈辱的な性行為が案外刺激的で、その被虐感が想像を絶する快感を得られる事を知ったのである。



初めて手に入れたビルの一階のレイアウトは、今でも鮮明に記憶している。

何しろ愛奴隷としての妻の本格的なデビューの舞台だ。

建物の正面向かって右側に入り口があり、入ると左側に以前会計に使っていた小さな事務室がある。

その隣にロッカーとシャワールーム、更に奥には壁で入り口を目隠ししたトイレルームがある。

トイレの隣に簡単な厨房室、カウンターと続いて、カウンターの前側にはドアで隠した建物の内階段が設けられ、カウンターが終わった所から奥が、建物幅いっぱいに広がりボックスシート席とカラオケの舞台がある。

カラオケの舞台は、建物の最深部の正面真中に、幅二間、奥行き一間くらいのスペースで、二十センチほど高くなって設けられている。

ボックスシート席は、その舞台を囲むように左右の壁側に二人掛けにして左右二席ずつの四席、舞台正面に向いて二席、いずれのボックスシート席も向かえ側には円形の背無しシートが二脚ずつ付いていた。

まぁ、客席は店の女の子を入れても三十席くらいで、店とすればギリギリ中規模の部類に入る。

いくらか辺ぴな場末ではあるが、今時この規模でやって行けないのが不思議だったが、経営者が余程能力が無かったのか良い女の子が集まらなかったのだろう。

しかし今度は使用目的が違う。

舞台を照らすスポットライトも用意されていて、後から考えると確かに岩代の目的にはピッタリの設備だった。


「私(里美)もあなたも、接待はあくまでも単に仕事のツール(道具)と割り切れば良いと想っています。」

確かに、単に仕事のツール(道具)と割り切って大人同士が愉しく攻めたり責められたりする分には後腐れも尾を引く事もない。

妻の大変身で、私達夫婦は今までとは別の人生を歩み始めた。

私達夫婦は、岩代に濁流へ突き落とされたのかも知れない。

いや私達夫婦は、もしかしたら岩代に濁流の中から拾い出されたのかも知れないのだが、これも受け取り方次第である。

心は揺れ動くが、こう激しく展開が変わっては安易に結論が出せない私だった。


「処で岩代さん、私少しぐらいなら耐えますから、今夜にでも一度宿題の予行演習をして欲しいのですが。本番日に備えて早く安心したいのです。」

妻が前向きの提案をした。

早くも調教三日目で「ア*ルに入れてみたい。」と言うのだ。

「奥さんがそう言われるなら、出来ない事は無いでしょう。それなら、今夜社長に貫通式をしてもらいましょう。最初はご主人が一番です。」

「判りました。」

私に取っても男のスケベ心に期待を抱かせる、今夜が楽しみな話だった。


(完成したア*ル調教)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十三話(完成したア*ル調教)


人間、生きていれば何度も決断の時を迎える。

その岐路に立った時の決断が、正しかったかどうかの結果はどうせ人生の最期(さいごの時)を迎えて見ないと判らない。

か、と言って、臆病に生きてばかりいては、運命は開けない。

何か、チャレンジするには、思い切って飛ぶしかないのだ。

如何なる仕事でも、不平不満を持って臨んでは成功はおぼつかない。

成功の秘訣は任された仕事を誠実にこなす事で、その原理原則は如何なる仕事でも変わらない。

妻は素っ裸の肉体を駆使して誠心誠意勤め、見事に最初の性接待を犯って退(の)けた。

その妻が、田嶋相手に淫らに奮戦する様を、私は見応えがあるポルノシーンを見るように怪しい気分を感じながら黙って見ていた。

私はそこで、妻の淫らな性奉仕を見ながら欲棒を勃起させる自分の男の性(さが)を思い知らされた。

何しろ生の陵辱劇の主演が愛する妻で、男に採ってこれ以上のファンタジック(非常にすばらしい光景)はそう多くは考え着かないのだ。


実は、世間の約束事を壊すのが成功の秘訣である。

約束事は人まねであり、その範囲で物事をするだけなら安全だが注目もされないし進歩も無い。

若干無礼な表現だが、私を含め凡人はこの「約束事」に拘(こだわ)ってしまう。

目標に苦悩する事は大いに結構だが、「約束事」に迷っては進歩も成功も無い。

迷う者は、生涯迷い続ける事に成る。

つまり、何をするにしても如何なる事でも、如何に早くその境地に辿りつくかで、その道で大成するかどうかが決まる。



岩代夫婦に犬首輪リードチェンに引かれて会社の駐車場に降り立った妻の一糸まとわぬ在られも無い後ろ手拘束姿は、一瞬の間に非日常の空間を創り、様々な性遊戯で「非日常の興奮の愉しみ」から脳を刺激する事を試みるに充分な格好だった。

それにしても「ここまで大胆な格好で現れた」となると、私の知らない間に何時(いつ)の間にかそれに耐えられる実地訓練を、妻は岩代夫婦に施(はどこ)されていたのだろうか?

脳の発達に拠って、他の動物に在る「繁殖期」を無くした時から神は人間に、脳を癒す為の生殖を伴わない「擬似生殖行為(快楽性交)」を与えた。

つまり建前論を外せば、脳は、乱交や公開輪姦、露出プレィやSMプレィなどを、非日常空間を創り出す事で相互にメンタル面の劇場型脳プレ効果を生み出す事を期待していてる。

考えて見れば、ゲストは日頃の憂(う)さを精々発散したくて性接待の誘いに乗る相手だから、劇場型脳プレ効果を期待していて普段出来る程度の遊びでは納得しない。

当然ながら誘う方の京美企画側も予(あらかじ)めその辺りは、「普段出来ない事も好きに犯れる」とゲストにアピールして接待が成り立っているのだから、この性接待の際は秘めたる性癖を満足させる事を無遠慮に愛奴隷に要求する。

そしてそれは他の何ものでもない、いずれにしても妻はそうなるべくしてそうなったのだ。


妻は、私の知らない間に驚くほど変身している。

そう言えば、私が仕事に出かけ子供が学校へ行った昼間の数時間は私の知らない時間帯である。

この想像を絶する妻の変身は、考えられる限りその時間帯に関係があるに違いない。

その私の知らない時間帯に、いったい「妻の身に何があった」と言うのか?


正直私(里美)は、犯って見るまでは自分に「性接待の愛奴隷が勤まる」とはとても思っては居ませんでした。

女性なら誰だって、ゲスト様に素っ裸で引き渡されて先様の性癖に適う様に思いのままに性的に甚振(いたぶ)られる愛奴隷など、恐怖が先にたって踏み込めるものではありません。

それが、竹中さんや岩代さん夫婦にジックリと調教されると、不思議な事に私(里美)は日常生活の時よりも非日常な時間を過ごす時方が、興奮と緊張感を感じて遥かに充実しているのです。

つまり私(里美)は、日常時よりも非日常時の方が体調も良く気力・体力も充実しているのです。

竹中さんにその事を告げると、体力の充実は「人間の脳は刺激に拠って興奮する事でアドレナリンの放出前駆体ドーパミンの脳内放出に拠りストレス脳神経系物質アドレナリンの血中放出状態に拠る興奮状態下の筋肉細胞の成せる業」だそうです。

同時に、性的興奮を覚えると体内で生成される無害の分泌ホルモン脳内麻薬ベータ・エンドロフィンを大量に発生して快感に到る」と言います。

キットその脳内麻薬が、私(里美)の脳を非日常の感性でトロケさせているのでしょう。

元々抑え込んでいるだけで、女性は本能的に露出癖を内在していますから性的に恥ずかしい行為を愛奴隷として露出する事は本能を満足させる興奮の快感です。

私(里美)が愛奴隷としてゲスト様の激しい性行為に応じられるのも、この脳内快感物質ベータ・エンドロフィンの発生に誘発されて送り出される伝達阻害物質・セロトニンのお陰だそうです。

セロトニンは、神経を通じて痛みを伝達する体内物質をブロックするので、脳にはその行為の全てを快感だけに受け入れられるそうです。

そうして見ると、この性接待の愛奴隷の試みは私(里美)の肉体にとって可能な事で、後は精神的に受け入れられるかどうかの問題だったのです。

幸せは自分の努力で掴(つか)まなければならないのですから、私(里美)の「愛奴隷を続けよう」と言う決断を綺麗事で批判する女性に言いたいのは、一度他人(ひと)前でオマ*コをモロ出しにして「犯って見てから結論を出せ」と言いたいのです。



近頃の妻の口癖は、「幸せは、自分の努力で掴(つか)まなければならない。」である。

「仕事を成功させる」と決心した以上、「今までの考え方は全て捨てろ。」と岩代は妻を諭(さと)したらしい。

まるで、性交こそは成功の秘訣であるかのように信奉している。

妻の様な女の強情も、一旦犯られる方に傾けば意地でも犯られて見せて「負けまい」とするのかも知れない。

人間、世間の約束事を引きずりながら生きていて、結構それが手かせ足かせに成っている。

そこから抜け出す為に、例え「生まれ変わろう」と思っても、何もきっかけが無ければ人間中々けじめは着け難い。

今までの事を引きずっていてはけじめが着く訳はないから、思いを全て吐き出す為にここで一度、「スパッ」と素っ裸に成って、オーガズム・ハイで「頭の中をマッサラにしてしまえ。」と岩代は教えたのである。

確かに「生き方を変えよう」と言うのなら、それ成りの強烈な何かの区切りが必要なのかも知れない。

最初は妻の反応を心配したが、例え素っ裸に成って他人の前に放り出されても、何事も堂々としていればネガティブには成らない。

物事を深刻に考えたり、不満に思っては良い事は無い。

例え性玩具(おもちゃ)として弄(もてあそ)ばれても「どうって事は無い」と考えれば、大抵の事は前向きに受け止められる。

ゲストの性的要求は人それぞれで、思いも拠らぬ卑猥(ひわい)な事をさせられる。

しかし何か有っても「辛い」とは考えず、「良い経験」と思えば同じ事がポジティブに受け取れる。

それ以上に思う為には、その卑猥(ひわい)な行為をアグレシブ(攻撃的)に「好きに成れば良い」ので、ネガティブに萎縮する事など無いのである。


まぁ、深刻に考えるから難(むずか)しくなる。

こんな事は気の持ち様で、ポジティブに性感を「楽しめば良い」と簡単に考えれば、身も知らぬ男に弄(もてあそ)ばれる事も前向きに楽しめる。

実を言うと、男と女が交尾する事に大した理由は要らない。

犯って気持ちが良いから犯るのだから、「したい」と思えば良い事だ。

どうせ擬似生殖行為のSEXは、夫だろうが妻だろうが、他の男だろうが女だろうが基本的に遊びである。

それを、「大した理由が必要だ」と誤解する所に、人間のバカバカしい所がある。

理由が必要な最大の理由は「怖い」と言う事である。

そして「怖い」の中身は人それぞれで皆違う。

それは、本人の「性に対する姿勢」だったり、「社会的な制約」だったり「家庭を壊す危険」だったりする。

それらの全てが立派な理由であるが、か、と言って、それが答えの全てではない。

最大の理由である「怖い」と言う事から逃れる手段として、「私には無理」と言う逃げ口上が、人間には有る。

しかし無理は理に適わない事で、「私は嫌」とは全く違う。

所が大半の「私は嫌」が、「私には無理」と表現される理に適わない事を聞かされる。

つまり、語句の用法が間違っているのだが、これは逃げ口上に拠る意図的な間違いである。

「怖い」と言う理由が無い所に場所与えられた妻は、その呪縛から解き放たれた。

人間にはそれぞれに「思い」が有る。

「思い」は個人のものだから、その内容についてトヤカク言うものではない。

しかしながら人間には、「個人の思い」を、「誰でもが受け入れる」と誤解し、それが受け入れられないと、相手が間違っているがごときに考える独善的な所がある。

「私には無理」の言い分も「個人の思い」であるから、妻の決断を「良くそんな事が出来る」と、一方的な尺度で非難されるべき筋合いのものではない。

どうも世の中は、一般的に建前だけで物事を処理し、その根本には触れたがらない。

妻が性的に前向きな感性に目覚め、痴女に変身した事には、世の中の理解は得られないかも知れない。

しかし本来、人間の性欲と理性は脳の別の部分で対応するもので、その質の違う事を混同し、「理性で性欲を処理させよ」うと言う所に、根本的な無理がある。

その無理を、何世代も押し通して居る間に、人間の人格そのものが壊れて行っているのではないか?

考えて見れば、愛しあって「結婚したから」と言って、良い男や良い女と性交する相手を一生一人に限定するなど、いかにも堅苦しい話である。

或いは「結婚しないから」と言って、良い男や良い女と性交する機会に恵まれないなど、不条理な話である。

その堅苦しさから「抜け出そう」と言う心理が働き、浮気騒ぎが起こって社会的な枠組みを壊す事に成る。

そんなリスクを抱えるくらいなら、まぁ、社会的な枠組みを壊さない事が前提なら、個々の「好いた惚れた」とは関わりない性の楽しみ方が一番良く、合意の上での限定されない相手構わずの性交や乱交が理想的である。

まぁ愛情は愛情、性交は性交で、この場合は情が絡まない不特定多数との行為の方が心理的に安全なのだ。

特定の相手に情が絡まないサラッとしたSEXならば、単なる遊びで「浮気ではない」と割り切れる。

それを夫婦合意の上で一緒に遊べば、夫婦間のマンネリ感も回避出来る一つの生活スタイルで人生に幅が出来る。

要は自分達の性に対する考え方の基点で、重要なのはその置き方である。

人間は、己(おのれ)が「未知なも」のを、いとも簡単にやりこなす相手には、驚きを覚える。

技術や学問などの専門分野が良い例だが、やりこなしている本人は、案外普通に思っているのである。

簡単な話、近頃流行りのハイテク機器・PC(パソコン)など、やってみればある程度は誰でも使いこなすのだが、最初から拒否していては「未知なもの」で終わってしまう。

元々人間の能力にさほどの差はない。

余程特異な才能に恵まれるケースを別にすれば、大抵の場合は本人のやる気と努力で、ほとんどのものがある程度の所までは出来る様に成るのが普通である。

思い切って「変態行為」に踏み出したからこその新しい世界で、踏み込んだ事の無い建前人間には理解出来ないのである。

つまり、一度その領域に足を踏み入れた妻にとって、案外本人は普通の感覚に成りつつあるのかも知れない。

それを、「やれない」と決め付けて、思いを断ち切っているだけの事で、「俺(私)には出来ない」は、言い逃れである。

ただしこう言う場合の世間は、自分の正統性を主張する為に攻撃的に成るのが一般的である。

その相手をするのが面倒なバッカリにこうした事は密かに行なわれ、表立ってはそうした行動をしないし、そう言う意見も言わないのが大人の対処ではある。


独立話は、私にしたら思い切った決断だった。

私が岩代の誘いに何故乗ったのか考えていたら、近頃良く見る不思議な「夢」の事に思い当たった。

それにしても、三十路近くまでそんな夢は見た事が無かったのだが、近頃頻繁に見るようになった。

もしかしたら、あの不思議な「夢」が私をその気にさせたような気がする。

それがまるで奇妙な夢なのだが、私が超能力を発揮して見えない架空のロープを手繰り寄せると空にフンワリと舞い上がるものだった。

空に上がる夢は「私の向上心の表れか」と思ったが、そんな時に岩代から独立の誘いがあった。

その岩代の独立話に半ば強引に導かれて、気が付いたら貞淑だった妻が酷く淫乱な女に変身を遂げていた。

こうなって見て思い当たったのだが、あの夢を見始めた時期と岩代が会社に遣って来た時期が一致しているのだ。

まさかとは思うが、岩代と言う男は何かとてつもない妖術めいた力を持っていて私達夫婦に念を送り、私にあの奇妙な夢を見させ妻を心を思い通りに操って居るのではないか・・・・。

だ、としたら、私は到底岩代には太刀打ち出来ない。

しかし岩代は、何故私達夫婦なのだ・・・・・。



妻の里美は、腹が立つほど岩代夫婦の言い成りで、今ではもう「自分の人生を預けられる」と、全幅の信頼が置ける相手を岩代夫婦に決めて居るかの様である。

あの日以来、世間の女性が聞いたら卒倒(そっとう)しそうなもう一つの顔を、妻は持った。

そして私の心配をよそに、今日も田嶋の相手を結構楽しそうに役目に励(はげ)み、股間に嵌(はま)り込んだ欲棒の隙間から愛液を垂らして責任を果たしている。

しかし、大仰(おおぎょう)に構える事は無い。

割り切ってしまえば、妻は役目として性奉仕の接待をしている。

それだけの事である。

妻も私も今更後悔など出来ないもので、過ぎた時計の歯車はもう誰にも戻せないのだ。

濃厚な快楽感を一度知ってしまえば、直ぐ終る夫一人相手の単調な行為だけでなくたまには贅沢もしたくなっても不思議ではない。

何しろ妻は、大人数で休む間も無く輪姦(まわさ)れる犯られっ放しで、オーガズムが継続する濃厚な快感にイキ続けて失心している。

そんな体験は、忘れようとしても肉体(からだ)が忘れさせない。

接待の性奉仕にした所で、スリリングな興奮は夫相手では望めない。

あれだけの格好をして、あれだけの事を犯ってのけたのである。

私が見る所、どうやら妻は裸に剥(む)かれて性玩具(おもちゃ)にされる接待の仕事に然(さ)したる抵抗感はないようである。

結論から言えば、それが本人の意志であれば、「何が幸せか」は本人が決める事である。

例え性奉仕の愛奴隷でも、本人が選択した事であればどんな事を要求されても誰かに強制されて犯っている訳ではない。

あの愛奴隷の全裸姿にしても、「何だかんだ」と言ってもポーズに気を配り、女性は少しでも自分を魅力的に見せるコツが「肌を露出する事だ」と本能で知っている。

男性は女性の露出度が多いほど魅了される本能の動物で、つまりこの場面では、性接待係りの愛奴隷は全裸の方が合理的なのである。

それにしても、全裸拘束姿で現れた時の平静を装いながらも、僅(わず)かに興奮で血走った妻の目を私は見逃さなかった。

性交の最中も、あの善がり様は演技ではなく私の視線をも憚(はばか)らず本気で快感を感受していた。

キット妻の本音の部分では、例え恥さらしな露出をし外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い性交をしても肉体的に「満足して帰った」と思えるのである。

こう言う話に成ると大方の女性は奇麗事で、「そんな事を犯る女性が居る何んて信じられない」と言うだろうが、本当は心の奥底で、「そう言う女性もタマには居る」と思っているだろう。

論理で打ち消しても、本能の奥底では共感するものがある事を感じて居るのが、大方の女性である。

つまり、環境が無いから目覚めていないだけで、大方の女性はM(マゾ)性が強い。

例えば、本人は否定するだろうが、心理的に計れば悲劇のヒロインに憧(あこが)れる女性の深層心理には、ある種の願望として強いM(マゾ)性が潜んでいる。

所が、悲劇のヒロインとM(マゾ)性を、何とも都合良く「別もの」と決め付けるから始末におけない。

即ち女性の感性はメルヘンチックで、事実を御伽噺の中に包み隠してしまうのである。

それでいて女性のメルヘンチックな感性は、危険な香りのする冷たい男に心引かれる。

つまり女性には、「ジュピター・コンプレックス」と言う被支配の願望(感性)があり、「強くて残酷な者に心引かれる」と言う。

このジュピター、ローマ神話に登場する気象現象を司る神ユピテルの英語名なのだが、太陽系の惑星・木星の名でもある。

コンプレックスは「劣等心的複合体」と言い一種の複雑な深層心理を表現するものだが、木星(ジュピター)は太陽から遠い惑星で、太陽の陽光の恵みは少ない冷たく大きな惑星(太陽系の惑星最大)で、地球から見上げると蒼く冷たく光っている。

つまり強くて冷たいジュピターに心引かれる被支配の願望(感性)はイコール「M(マゾ)性」と言う事に成る。

妻は岩代夫婦の策略に拠って、本能の奥底に眠っていた強いM(マゾ)性を見事に引き出されたのだ。

身体(からだ)が自覚したものは、もぅ論理で打ち消せない。

本能と論理の二面性を持ち合わせているのが人間で、大事なのは心であり、肉体なんか入れ物に過ぎない。

だから本能で「入れ物を使ったから」と言って心まで汚れるとは限らない。



妻は性感だけでなく、あらゆる感覚がシャープ(切れ味鋭く)に成なった。

その変身を冷静に考えると、どうやら妻の中に日頃の言動とは裏腹のM(マゾ)性が本性として眠っていて、この京美企画設立の試みで、そのM(マゾ)性が目覚めたのかも知れない。

そうは思うのだが、どぅも腑(ふ)に落ちない。

何しろ、あれだけ性行為に嫌悪感を持っていた妻の事である。

妻がこちらの企みに易々と乗ったのにも驚いたが、その後方向付けられた接待業務を、意外にも妻が「素直に精一杯こなそう」とする事が謎だった。

その謎が私に解けたのは随分と先に行ってからで、それも「実に不思議な理由だった」のである。

まぁ、それもこの物語を読み進めば解明(わか)るだろう。


「奥さん電話が有ったでしょ。社長に言われてお迎えに来ました。」

「あの、お相手するのはどんな方ですか?」

「田嶋さんと言う方ですが、奥さん、接待をするのに相手は誰でも構わないでしょう。」

「そうですね、私(里美)にお相手は選べませんものね。」

「今日は、その上着とスカートも取って下さい。」

「でも、下は何も着けないでお待ちしてましたけれど。」

「えぇ、でも今日からは奥さんを裸にして縄掛けでお連れしますから。大丈夫ですよ上からコートを掛けます。」

「私(里美)、そんな格好で出かけるのですか?」

「接待の時は、奥さんの意志は有りません。それにどうせその場になれば何もかも見せるのですから、今脱いでも結果は同じでしょう。」

「そうおっしゃられればそうですが・・・何も今から裸でなくても・・」

「奥さん、元々衣服の役目は肉体(からだ)を隠し守る為の物でしょ。」

「はぃ。改めて言われればその通りです。」

「それなら奥さん(愛奴隷)はゲストに対し肉体(からだ)を隠し守る事を放棄しているのだから、素っ裸でなければゲストに失礼でしょ。」

「そう言う事ですか・・・」
岩代さん自信タップリに言われて、里美は反論が出来なかったのです。

岩代さんからは、「接待は恋愛ごっこのSEXじゃ無いんだから、男性を興奮させるビジュアル(視覚感)も大切だ。」と教わりました。

言われてみれば接待なのですから、犯る以上はビジュアル(視覚感)も含めた最大限の努力と工夫(くふう)をするのが当たり前なのでしょう。

それに夫が電話して来ての事ですから、この要求も「夫の意志だ」と思ったのです。

「それじゃあ、今後は素っ裸でゲストに引き渡すけど良いね。」

「ア・・・・はぃ。判りました。」

「判ったら直ぐに脱ぎなさい。先方はもうお待ちだから。」

「はぃ。」
つまり、ゲストに贅沢な時間を過ごさせる事が私(里美)仕事で、その為には何でも有りなのです。

慌てて全裸に成った私(里美)を、岩代さんが器用に後ろ手拘束から上半身亀甲縛りに縄掛けし、上からコートを掛けて外に連れ出しました。

誰かにこの恥ずかしい姿を「見られるのでは」と気に成りましたが、意識して気にしているのはこちらだけで、誰も他人の事などさして注目している様子はありません。

この世間の常識に意表を突いた格好は、大胆過ぎて意外と誰も予想外なのです。


それにしても岩代さんは、私(里美)がこうなる事を見通して素っ裸に脱がしたのでしょうか?

躊躇(まよう)事無く私(里美)を素っ裸にすると、亀甲縛りに縄掛けをしてコート一枚で接待の場に引き出しました。

私(里美)の「本性を読まれていた」としか思えません。

夫は、想像を越えた私(里美)の全裸拘束姿をいぶかりましたが、本音で言えばジャスト・ストライクだったのです。

私(里美)もこうなって思い出したのですが、実は自分の美尻が自慢でした。

それに乳房にも自信が有り、競技会場の妻の水着姿が注目されたのも確かで、締まって持ち上がった私(里美)の尻と乳房は、ロッカールームで同じ水泳部の仲間の垂涎(すいぜん)の的だったのです。

でも卒業して競技生活を終えると場所が場所だけに美尻や美乳を見せて歩く訳にも行かず、競技水泳で鍛えた私(里美)の美尻も折角ですが披露するところがなく結婚生活の中で忘れて行きました。

岩代さんに命じられたこの愛奴隷の全裸拘束姿は、「美尻、美乳を披露する」と言う私(里美)の秘めたる露出願望を満たすものだったのかも知れません。

おかしな話しですが、とにかくこうしたハレンチな格好が許される場がそこにありました。

そこに身を置いてみると、もう全裸拘束姿にされた時点で理性は捨てていますから、私(里美)の性本能だけが妖しく機能しします。

私(里美)は、赤の他人に「生の美尻、美乳を披露する」と言う究極の羞恥心に富んだ異常な興奮に、子宮がジーンと熱さを感じ、私(里美)の全裸拘束姿を見た相手の興奮にも共鳴して爽快な快感を感じてしまったのです。

熱く成った私(里美)の子宮は、私(里美)の脳に性的衝動を促(うな)がし、私(里美)の花芯ボタンは充血して膨(ふく)れ、二枚の肉花弁が愛液を滴(したた)らせてバクバクと欲棒の到来を求めているのを感じます。

犯ってしまって正直言うと、この始めての性接待は私(里美)の内心ではおシャブリも腰使いも上手く犯れて相手を満足させたのだから、結構満足が行く出来(デキ)だったのです。

まぁ他人前(ひとまえ)素っ裸で禁断の露出公開性交だからこそ、此処まで激しく犯れば上出来(ジョウデキ)で、仕掛けた夫に褒めてもらいたいくらいでした。



岩代が平然と声をかけ、妻に注文を付けている。

「奥さん、お疲れさん。次はもっと思い切って卑猥(ひわい)に犯って下さい。」

その物言いが、内容の凄さに似合わない自然な感じなのである。

「はぃ、もっと思い切って卑猥(ひわい)にですね。承知いたしました。」

応じる妻の方も、フィトネスのインストラクターを相手に、出来栄えを会話するような風情である。

「えぇ、奥さんは相手を楽しませてナンボの役目ですから。思い切って卑猥(ひわい)に行きましょう。」

全裸で膝を六〜七十センチ離した開脚を閉じる事無く座ったまま、妻は頷(うなず)いた。

「判りました。次回は思い切ってもっと卑猥(ひわい)にして見ます。」

「そうそう、おシャブリももっと色っぽい表情で、犯ってる時も気持ち良さそうに良い顔で・・・・」

「はぃ判りました。良い顔を心掛けます。」

おいおい、この二人どう成っているんだ?

目の前の愛奴隷然とした妻は、完全に岩代がコントロールしていた。

私にすれば、妻の変化は度を越し始めていて、一体、妻に何が起こっているのだ。

余りにも神懸(かみが)かった妻のらしからぬ変化は、得心が行かない。

だが、岩代に操られているにしては妻は到って冷静に見える。

表面的な事は、私にも判る。

これは約束事で岩代の提案を受け入れた私も参加し、確かに事は始まっている。

だが、それだけにしては妻の様子が少しおかしい。

しかし、妻の内面的な変化は、幾ら夫の私でも判らない。

理由は思い当たらないが、何か別の所で妻の内面に何か特別な感性が生まれて居るような、気がした。

それにしても、岩代夫婦に対する妻の徹した素直さには違和感を感じる。

幾ら経営仲間と言っても、本来赤の他人である。

その他人に命じられて、妻は易々と他人との性交をして居る。

何が妻をそうさせたのか、これは常識的に見れば考えられない異常事態である。

果たして妻は正気なのか?

もしかしたら、妻には岩代の意志(気?)が強烈に働いているのかも知れない。

また、岩代に関わる説明の付かない現象を実感して、私を「ゾッ」とさせた。



娘の下校帰宅時間に間に合わせる為に、午前中に一仕事(ひとしごと)した妻は、皮製の犬首輪を付けたまま、さわやかな笑顔を残し、全裸にコート一枚で岩代夫婦に送られて家に帰って行った。

岩代が「また戻って来る」と言うので、私は飲みながら岩代を待つ事にした。

それにしても、此処は信じられない妻の激戦が有ったばかりの所だ。


妻を送って細君も降ろし帰って来た岩代と、二人で反省会の真似事見たいな話に成った。

「いゃ、今日は奥さんが良く犯ってくれました。案外スムースだったでしょう。この調子で犯って頂ければ御の字です。」

「うん、内の奴の大胆さには驚いたよ。」

「人間は夫婦でも中々本性は出しませんからねぇ。」

「それにしても君ら、随分内の奴(里美)に厳(きび)しいな。まるで情け容赦が無い犯り方だ。」

「理由が在るのですよ。接待の奉仕々事で情け容赦があったら拙(まず)いでしょう。互いに情を介在させないから嫉妬に至らないのです。」

「情け容赦があったら拙(まず)いのか?」

「拙(まず)いでしょう。擬似恋愛ムード作って気分に情が絡むと、社長が嫉妬をしますよ。」

「なるほど、互いに情が絡まないから私も嫉妬をしないと言う事か・・・」

「これは愛情を介在しない慰み(遊び)の行為だから、ゲストが里美さんの使い心地を楽しむ為のもので愛し合うでもなければ抱き合うでもないのです。」

「内の奴(里美)は、使用する物扱いか・・・・」

「奥さんにはそれに徹して犯られてもらう様に言ってありますから。」

「そうか、そう言う事で内の奴(里美)が承知しているなら仕方が無いな。」

こうなって判ったが人間の感覚など可笑(おか)しなもので、妻のように気が強い女性でもこう言う状況で相手に強く出られると以外に弱(もろ)いものである。

不思議に思って岩代に聞くと、実は気が強く装っている女性ほどM(マゾ)気が強い事が多く、強く出られると本能が感じて「M(マゾ)スィツチがオンに入ってしまうのだ。」と言う。

「君は、内の奴の本質がM(マゾ)だと言うのか?」

「えぇ、矢張り奥さんには愛奴隷に持って来いの素質が生まれつき在りますね。」

「・・・・信じられないが、結果を見るとそうなのだろうな。」

「奥さんのその素質、内にこもらせるより発散させてやりましょう。」

「うぅ〜ん、黙って見て居てやれと言うのか?」

「その方が、この先色々と上手く行きます。」

私が不思議に思うほどの能力が垣間見える岩代の言では、とても否定は出来ない。


正直な所男は単純だから、純情そうな顔付きの女の美しい全裸体を見せ付けられれば、それだけで誰でもイチコロである。

しかも、その全裸体の美女がスタイルも良く、おまけに、あの「後ろ手に拘束されていて大股開き」とくれば興奮の序曲としては申し分はない。

確かに、妻の愛奴隷姿は美しかった。

実は、わざとらしい如何(いかが)わしさは、芸術の原点である。

そう言う意味で、これから正に汚されんとする妻の美しい素っ裸は、芸術の原点そのものかも知れない。

罰当たりかも知れないが、そう思うのはあくまでも私の感性である。

性を純粋に理解すると、犯罪性を含まない限りは個性の判断に帰するべき事である。

何故なら、性癖の個性はけして一様ではないからである。

それ故、事は感情に委(ゆだ)ねるのではなく「客観性」を重視すべき事柄である事がおのずと知れる。

しかし惜しむらくは、「独善的な独自思想の感情」が主役に成るのが世の習いである。

これは、そうした「感情主役」を破壊する事に挑戦した一団が、存在した物語でもある。


なるほど、これは死角を突いた犯った者勝ちの接待である。

金で買った女性に接待させるのとは訳が違う。

普段犯れない事、言わば、社長婦人以下幹部婦人の接待性奉仕が、世間で言う所の常識を逸脱(いつだつ)しているからこそ、奉仕される側にも値打ちのある死角に成る。

口で奇麗事を並べても、何の誠意も証明出来ないし信用もされない。

誠意の証(あかし)として行動で証明するには、相応の事をしなければ誠意は伝わらない。

その意味で、肉体を供して全てを曝(さら)け出す性奉仕の接待は合理的かつ現実的なもので、相手を納得させる最も有効な誠意の意志表示には違いない。

皮製の犬首輪に全裸拘束姿はハッキリした狙いと意思表示で、この格好にさせられれば愛奴隷は覚悟を決め開き直って接待に臨(のぞ)む。

それにこの格好で引き渡せば、受け取るゲストの方も一瞬で遠慮の壁を取り外す。

つまり、この愛奴隷姿は、一瞬にして日常の世界に結界を張り、非日常の異次元空間を作り出す威力がある。

そこは私も同感だが、岩代が妻に教えたには接待の性奉仕は夫や恋人相手の性行為とは別のもので、一線を画す「割り切った意識が必要だ。」と言うのである。

夫や恋人相手の愛情が絡むSEXの場合は「抱いてもらう」だが、愛奴隷の性奉仕の時は愛情が絡まないからあくまでも「肉体(からだ)をお使い頂く」と言う考え方なのだ。

妻を納得させる為の方便かも知れないが、接待の性奉仕に対する岩代の考え方は独特で、「ものは言い様」みたいなものである。

しかしまぁ、上手い事言ったものだが「お使い頂く」と言う考え方ならゲストの要求に妻の感情は混じらず嫌も応もない。

ゲストを楽しませる事が眼目(がんもく)だから、視覚を楽しませる露出プレイや精神的に楽しませる拘束プレイと羞恥プレイは接待の基本セットに成っていて、引き渡す時の愛奴隷の全裸拘束姿に象徴させていた。

まぁあの格好も一種の変身ヒロインみたいなもので、その姿に成れば、妻は世間並みの立場は忘れて愛奴隷として犯るべき事を犯るだけである。

あのオーデコロンの香りも、行為の度に使用されると「刷(す)り込み」みたいなもので、匂いを嗅いだだけで機能的にHモードのスイッチが入るように、脳が習慣付けられるものだ。

アレだけの事を私の目前で犯って見せ、ケロリとしている所を見ると、妻は「それはそれ、これはこれ」と、今は完全に割り切っているようだ。

もっとも、割切らなければ夫の前であんな事は出来るものではない。

今と成っては手遅れだが、とにかく、妻にあそこまでさせたのは「私のせい(責任)」なのだ。



会社の仕事がハネ、私が帰宅すると、今朝の事など何でも無なかった様な何時もの妻が待っていた。

駅前のスーパーからでも買って来たのか、手抜きの「とんかつ」が食卓に乗っている。

それをホークで口に運びながら今朝の事を話題に振った。

夕食の最中で、娘が居るから抽象的な表現になる。

「お前、随分(ずいぶん)思い切った事が出来る様に成ったな。」

今までは、アアした事の話題は余りしたがらない妻だが、即座に返事が返って来た。

「あぁ、今朝の格好ですか?あれは岩代さんにしろと言われたからです。」

アレだけの事を、「岩代に命じられたから」と言って、妻は大して抵抗も見せず犯って退けた。

それで、今まで私の要求は余り聞かなかっただけに、「ムカッ」と来た。

「岩代に言われれば、何でもすると言う事か?」

「でも、電話で来いと仰(おっしゃ)ったのはあなたですから、少しキツイ格好とは思いましたが、あれもあなたの指示だと思いました。だって近頃あなたは、私を嬲(なぶ)ってお楽しみだったじゃ有りませんか。」

「あぁ、そりゃそうだが、あそこまでは考えては居なかった。」

「でも、お仕事で接待が必要だったのでしょ。」

「確かに仕事の上でお前の協力は必要だった。相手も喜んだし。」

「でしょう、結果が良ろしいなら少しばかり変態でも犯る私が我慢すれば良いではありませんか。」

女性は経験を積めば度胸が据わり、大概の事は平気になる。

人間、事態に本気で向き合えば「ここまで犯るか。」と思う事もする。

岩代には、「今後仕事の時はこの格好で連れて行く。」と宣言されて居る様で、それも素直に引き受けたらしい。

「岩代に何を仕込まれたか知らないが、しかしお前(里美)もあんな思い切った格好で現れたな。」

「だって岩代さんからは恋愛ごっこのSEXじゃ無いんだから、男性を興奮させるビジュアル(視覚感)も大切だと教わりましたもの。」

「それで露出狂のように素っ裸に縛られて、駐車場から歩いたのか?」

「そりゃ少しは度胸が要りましたけど、言われてみれば接待なのですから、犯る以上はビジュアル(視覚感)も含めた最大限の努力と工夫(くふう)をするのが当たり前でしょ。」

「いゃ、責めているんじゃない。お前(里美)の度胸に少し驚いただけだ。」

確かに私も驚愕するほどの、思い切った妻の全裸拘束姿である。

「あんな美しい女性が何故」と思うかも知れないが、立派な理由が推測出来る。

実は自分の容姿に自信が無い女性ほど警戒心が強く、美しい女性ほど自信があるから思考に融通の範囲が広い。

つまり美しい女性ほど自己顕示欲があり、露出癖の潜在本能が強く羞恥心をも羞恥快感に感じる露出願望を持ち合わせている。

妻のその女性的潜在露出本能が、最近の体験で覚醒(かくせい)してしまったのだろう。

妻の魅せたがり露出癖を非難する事は無い。

女性は肌の露出を「ファッションだ」と言うが、ファッションは如何(いか)に己を魅力的に魅せるかの為であり、何が自分を引き立てる要素なのかを潜在本能として知っているから肌の露出がファッションになる。

生物学的な潜在本能として、男性は見たがりであり女性が見せたがりが備わっていて初めてカップルが成立する。

しかし女性は、社会環境の「建前」から面と向かって己の露出癖を認められない。

勿論、肌を露出させる事で多くの男性を引き付けて置いて相手を選択するのは女性側の権利であるが、それ故自覚の有るなしに関わらず、「見たい願望」と「見せたい願望」が男女の性的欲求やその先にある快感欲求の基本的なものとして成立している。

そうした潜在本能は、羞恥心をも羞恥快感に感じる露出願望を持ち合わせている。

それ故理由が大切で、パーティのドレスや海水浴場の水着など、環境が許せば当然ながら露出癖は如何(いかん)無く発揮される。

理由があれば露出願望を納得したい事に気が着いたのだから、妻は理由を得て究極の露出、全裸拘束姿を受け入れたに違いない。


「これは、私に対するあなたのお仕置きのゲームですか?」

妻が突然、核心に触れる質問をして来た。

恐らく、彼女が気にしていた私の気持ちを確かめに掛ったのだろう。

本音の所、私に確信が固まっては居なかったから、この問い掛けにはシドロモドロした。

「まだ、良く判らないが、そうかも知れない。」

正直な気持ち、答える事が難しい質問だった。

私にも判らないのだ。

「不思議だったのですが、あなたは私が他の男に抱かれて嫉妬をしないのですか?嫉妬をしないって事は、私を愛していないような気がして・・・」

実を言うと、答えは何通りも有る。

「嫉妬はするさ、しかしそれは唯の独占欲の嫉妬で愛ではないと思う。今でも里美を愛しているさ。」

「そうですか、こうして居る私でも愛せるなら、それで安心しました。」

「今の方が、返って愛しさは増していると思う。」

「やはり私、自分の感情ばかりをあなたに押し付けて居ましたから、あなたのお仕置きを受けて居るのですね。」

「それも、無いと言えば嘘に成るかなぁ?」

あぁ言う事をさせておいてこう言ってはなんだが、それ程「明確な意志のもの」と言うより、かなり行き掛かりに近い話である。

例え妻が目の前でゲストに良い様に弄(なぶら)られ犯され身悶えていても、夫の私が合意の上で私の為に何か目的が在っての妻の接待性交性交や夫婦揃っての合意の上での乱交遊びであれば、私がその性交に嫉妬するのは返って見苦しい。

そして妻が演じる愛奴隷接待の奇妙な緊迫感の陵辱劇を目の当たりにすると、その臨場感に見ているだけで私の脳にドーパミンが放出されその淫靡な雰囲気に、私は快感さえ覚えたのである。

正直ここまでは、まんまと岩代に持って来られた気がするが、混乱しそうで、それは口にするのを止めた。

「所で、岩代達にあんな事をさせられて、お前は本当に良いのか?」

私の問い掛けに、「そりゃあ、あなたも賛成して仕事を始めた以上、良いも悪いも途中で投げ出せませんわ。私が我慢すれば良いのですから。」と、妻はキッパリと言った。

気丈夫な妻の言い分である。

確かに、ここで投げ出したら犯り損ではあるが、止めるなら早い方が良い。

それが判らない妻ではないだけに、妻の覚悟の硬さを改めて知った。

投げ出さないと言うのであれば、今日見たいな接待が長期に続く事を覚悟しなければならない。

こう成ると私は、肉体の独占欲を問題にしない精神的愛情が試される事になる。

妻の言うように、単に仕事のツール(道具)と割り切って大人同士が愉しく攻めたり責められたりする分には後腐れも尾を引く事もない。

妻の接待に拠る肉体的な性交には嫉妬せず、私は妻を愛せ続ける事が求められていた。

訪れた不幸を嘆き悲しむか、「良い経験を得た」と捕らえるかは本人の「気の持ち様」である。

何事も前向き(ポジティブ)に捕らえれば、人は上手に生きて行ける。

一生を後ろ向きに(ネガティブ)に生きる事くらい、その人間に取って不幸な人生は無い。

それに、どうせ愛奴隷として接待しなければ成らないなら、嫌々犯ってもそれをする意味が無い。

接待は、相手を喜ばせて、初めてそれをした事に意味がもたらされるものである。



夫の指摘を否定はしましたが、夫の指摘通り私(里美)の本音は、自分が岩代の言葉に弱い事を感じていました。

訳は判らないのですが、岩代さんに何か指示されると、それが「無理」と思われる卑猥な事でも、抗う気には成らず、素直に言う事を聞いてしまうのです。

まったく理解できない所で、岩代さんの「不思議なパワーが働いている」としか思えないのです。

流石(さすが)そこまでは「させない」とは思いますが、この分では「街中でSEXをしろ」と言われても、犯ってしまいそうな自分に恐怖を感じていました。

しかしこの不思議な岩代さんのパワーが、自分の新しい感性を育ててくれているのが判ったのです。

夫には「嫌だ」と言っていた行為が、他人の岩代さんに言われると「出来る」と言う事は、夫が「私(里美)を愛していてくれる」と言う事実に甘えていた事に成ります。

上手に、主人達に誘導されたのかも知れませんが、こう言う世界が在った事に気付かされると、それも認めるべきで、今更「他人のせい」には出来ません。
話し合って、私(里美)は納得した筈(はず)です。

人間には、実は、置かれた環境で考え方を変え、その状況に応じる適応力が備わっています。

目的さえ有ればその状況に応じる適応力が発揮出来、それで充分納得して私(里美)には性接待の奉仕が出来るのです。

決定的な事に、私(里美)の本性は「強いM(マゾ)だ」と岩代さんに言われ、それを認めるしか答えが出せなかったのです。


こう成って判ったのですが、人間は優しく慣れるのです。

それも、限りなく・・・・。

不思議な事に、今までの私(里美)は、こんな優しい気持ちに成った覚えはありません。

何故か、愛奴隷の性奉仕を経験し始めてから、私(里美)の心境が変わったのです。

愛奴隷の成果は、ゲスト様にその裸身を預け、日頃は叶えられ難い性癖を堪能(たんのう)して頂く事にあります。

優しい気持ちで、ゲスト様に「真剣に奉仕しよう」と思えば、相手の無理な我侭(わがまま)も、それをさせてあげる事に喜びを見出せば、苦には成りません。

私(里美)にすれば、夫からの電話による接待の後、迎えに来た岩代に命令された格好は、お嬢さん学校出の貞淑な私(里美)としては、火の玉が出る様な羞恥心に満ちたものだったのです。

大事な取引だから、全裸にして、犬首輪を付けて後ろ手に拘束、「春物のコートを羽織っただけで連れ出す」と言うのです。

それに前のボタンは「掛けさせない」と言うのでは、完全に露出調教の晒(さら)し者状態で、とても尋常な事ではないので、「断ろう」と思えば断れました。

しかし、「大事な取引」と言われると「どうせゲスト様の生け贄にされ、玩具(おもちゃ)にされる身体だ」と思い、「えぇい、やってしまえ。」と言う気に成ったのです。

それに夫には内緒の事でここだけの話しですが、この格好は竹中さんの所へ奉仕の訓練に連れて行かれる時に、既に経験しています。

夫は出資の条件に、私(里美)を竹中さんに貸し出す約束をして居るのですもの、時々京香さんに連れられて行っても、仕方ないのです。

ですから、口では上手に私(里美)の心理状態を説明出来ないかも知れませんが、少なくとも笑顔で受け入れた事で、私の意志は夫に伝わるはずです。

だって考えてみれば、夫や岩代さんと違って、私(里美)に他に仕事が出来る訳ではありません。

たとえ女郎(売春婦)で在っても、身体は汚れても心(精神)までは「汚れるべきではない」のが道理なのです。

私(里美)が会社に参加して出来る事は、晒(さら)し者の生け贄にされ、玩具(おもちゃ)にされる事くらいしかありません。

それに、ゲスト様相手に口で奇麗事を並べても、何の誠意も証明出来ないし信用もされないのです。

誠意の証(あかし)として行動で証明するには、私(里美)が相応の性奉仕をしなければ、ゲスト様に誠意は伝わらないじゃないですか。

その意味で、肉体を供して全てを曝(さら)け出す性奉仕の接待は、合理的かつ現実的なもので、「相手を納得させる最も有効な誠意の意志表示には違いない」と、納得したのです。


私(里美)の高校時代は、まだ今のような覆う部分が多い競泳水着では在りませんでした。

高校時代競泳で大会に出て、股のV字ラインまでは太腿(ふともも)も露出して見せて居た競泳水着ですから、水着姿を見られる事には「軽いときめき」がありました。

でも、この姿は「軽いときめき」所ではありません。

もっと強烈な羞恥心の快感に、「心臓バクバク」と気持ちを揺(ゆ)さ振られます。

その、私(里美)の愛奴隷姿を見せ付けた相手が想像以上に感激して、実は少し自分の肉体(からだ)に自信が付き、内心気分が良かったのです。

それで女の本性は見せたがりで、「見られる事が快感だ」と、納得したのです。

それに、ここまで行ったら見られるだけではありません。

接待に駆りだされた時は、愛奴隷のストリップ・サーチ(全裸検査)はゲスト様の特権です。

だから、私(里美)は乳房を揉みしだかれ、口の中はもとより、女性器の肉花弁だろうがその中だろうが、そしてア*ルの中だろうが、隅々まで触れられ、指を入れられて確かめられるのです。

その、強烈な被虐的羞恥心の快感に、私(里美)の脳みそはトロケて吹っ飛ぶのです。

「ふしだら」と言われればその通りですが、これは経験しないと判らない快感なのです。


私(里美)が岩代さんから命じられた事はかなりキツイ注文で、ゲストに忠誠を尽くし自ら進んで気分良く性感の快楽を貪(むさぼ)らせ、「贅沢な時間を過ごさせよ。」と言う事なのです。

つまりゲストの要求に少しでも逆らえば気分を悪くさせますから、「どんな要求も無条件で受け入れる」と言う究極の「生きた性玩具(おもちゃ)に成れ」と言う事なのです。

ゲストに対し肉体(からだ)を隠し守る事を放棄しているのですから、隠し守る為の衣服など最初から許されなかったのです。

里美さんが私の裸身を被(おお)っているコートを剥(は)ぎ取ると、ゲスト様が性玩具(おもちゃ)として私(里美)を弄(なぶ)る奉仕の時が始まります。

始まってしまえば、もう行為はネチョネチョ、グチョズチョ、ドロドロで組みつ解れつゲストに至福の時を与える為に素っ裸で奮闘するのです。

いざ田嶋さんに、後ろ手に拘束された素っ裸で引き渡されてからは、私(里美)は只々必死でした。

その場に身を置いてみないと、こんな心境は理解出来ないでしょう。

つまり、私情の全ては意識から外れて、理屈以前にするべき事をする事に気持ちが先走っていたのです。

使命感と言うか責任感と言うか、「恥ずかしい」とか「気持ち悪い」とかの次元ではなく、相手の要求に応え贅沢な時間を過ごさせる事だけを考えて、余分な事は考える暇も在りません。

そう言う特殊な状況が時としてある事に、この時改めて思い知りました。

田嶋さんが私(里美)に欲棒を咥(くわ)えさせ、クイクイと抜き差しを始めて口喉(こういん)性交を試みます。

「ウグ、ウグ、ウグ、グ、グ、グ」

私(里美)に欲棒を咥(くわ)えさせた田嶋さんの腰の動きが激しくなり、咥(くわ)えた欲棒の陰茎が私(里美)の唇を擦(こす)り、硬く張り詰めたカリ首の先が喉の奥までグイグイと潜り込んで来ます。

「グェ、ウグ、グェ、ウグ、グェ、グェ。」

田嶋さんが両手で私(里美)の頭を押さえて固定し、クイクイと根元まで突き入れるので、田嶋さんの腹(おなか)が私(里美)の額に当たり、鼻と唇には陰毛を蓄えた彼の恥丘が波状攻撃でグィグィ当たって来ます。

喉が塞がって息が苦しく、私(里美)は結構辛くて涙を流し涎(よだれ)を垂れ流して、「グェ、グェ。」と苦しい奉仕をしますが、愛奴隷には行為の全てに拒否権はありません。

奉仕中の私(里美)は、ゲスト様の快楽のみに御使用頂く愛奴隷なのです。

ゲスト様の要求には私(里美)のNGは有りません。

私(里美)の全身をお好きに使って頂いて、肉体的にも精神的にも機嫌良く(気持ち良く)犯って頂かなければなりません。

変なもので、愛の無い性交でも「快感は感じる」と言う信じられない事を散々に竹中に仕込まれて経験した私(里美)は、愛奴隷もゲストを遊ばせるコツを掴めば最後はレジャー感覚で性玩具(おもちゃ)に徹する術も会得するものですね。

だから田嶋様にはゲスト様の特権ストリップ・サーチ(全裸検査)を確りして頂き、強制口喉(こういん)性交で喉の奥まで使って頂いた後、勿論オマ*コもタップリとお使い頂きました。

勘違いしては困るので言いますが、抱いてもらうのは愛情が絡む相手、私(里美)の場合は夫相手のSEXの時だけです。

愛奴隷の時はあくまでも性奉仕で愛情が絡みませんから、「肉体(からだ)をお使い頂く」と言う考え方です。


夫には内緒で竹中さんと京香さんに、愛奴隷として「何度も仕込まれていた」と言いましたが、強制口喉(こういん)性交もその内の一つです。

「こう言う事が好みのゲストも多いから」と竹中さんに、咥(くわ)えた私(里美)の頭を押さえられて散々犯られていました。

呼吸がし難くて苦しいには苦しい御奉仕ですが、覚悟はしていましたから田嶋さんに欲棒を喉に挿し込まれてもさして問題はありません。

御奉仕の性交時に、M字開脚で欲棒を咥(くわ)え込んだ私(里美)の股間をお見せしながら犯る事は、岩代さんに義務付けられているのです。

わざわざ究極の交尾状態を曝(さら)け出すのは最も非日常の事で、恥ずかしい姿を見られる興奮の快感が得られます。

どの道人前で犯るのですから、そこで股を開いて交尾状態を見せるか見せないかは五十歩百歩で、今更拘(こだわ)っても仕方がありません。

性行為をするのに、計算をしても楽しめません。

それで、周りも一緒に楽しめるならば、潔(いさぎよ)く感じて見せ付けた方が良いでしょう。

接待の性行為は浮気や遊びではなく、私(里美)に取って神聖な仕事です。

仕事には精神的な男女の愛情は絡みません。

つまり、精神的にはリアリティの無いバーチャル(仮想世界)なのです。

言い換(か)えれば、情の絡まない欲望のはけ口に、私(里美)の奉仕が徹しているからこそ、愛奴隷として成立する話で、後ろめたさが無いのです。

最初からそうキッチリ分けていますから、接待の性行為は愛情ではなく奉仕の心掛けに拠る性交です。

元々奉仕の性交ですから、難しい人間感情は必要がありません。

全ては接待相手の喜びの為の行為に成ります。

それだからこそ、「夫との愛とは別」と割り切って晒(さら)し者に成れるし、どんな卑猥(ひわい)な事でも出来るのです。

それでも、夢中で性行為をすると、身体の方は正直に感じます。

「あぁ、感じる。気持ちが良い・・・夫の視線も感じて、興奮する・・・アア。」

キット、田嶋さんの坊主頭の海綿体のエラが、私(里美)の内壁を擦(こす)りながら花弁のスリットを、陰茎が見え隠れしている様が、夫に丸見えの筈(はず)です。

「お仕事の為」と、例え性接待を犯ったとしても「私(里美)が我慢すれば良い事だから」と言う積りが、夫の前で善がり声を挙げて生々しく迎(むか)え腰を使ってはもう誰の所為(せい)にも出来ません。

その気になって犯って見れば倫理的な抵抗感はあるものの、実は肉体構造的には相手など誰とでも出来るのが性行為なのです。

恋人にしろ夫婦にしろ、元々は偶然の中で性交相手は決まるもので、肉体(からだ)の方は誰が相手でも性交に快感反応するように出来ているのですから。

田嶋さんのエラの張ったキノコ状の海綿体が擦(こす)れ続ける肉体的刺激と、夫の突き刺さるような視線の精神的刺激が、強烈に私(里美)を感じさせます。

岩代夫婦と竹中さんにコッテリと性感を開発された上に、素っ裸にされてゲスト様の前に曳き出されれば、そこは私(里美)の非日常のオンステージ(舞台上)で、羞恥心と露出の快感を綯交(ないま)ぜにの興奮が私(里美)の性感を極限まで高めるのでしょう。




妻は娘の食べこぼしを拾って食べながら、「ほら、ほら、こぼさない。」と言った。

私が見つめる妻の顔は、以前より生き生きと輝き、明るかった。

女は、刺激がある生活の方がより輝くのか?

「良いのか、今の方法を続けて。」

言っておいて、私はこの事ばかり確認している事に気付いて苦笑した。

「えぇ、家で、ボーッとしているより、外に出た方が刺激になります。あなたに独立も成功して頂きたいし・・・。」

妻は、知ってしまった世界を彼女なりに楽しみ始めている様だった。

急に腹が立って来た。

以前の妻の性格からすると、泣いて悲しみ、嫌悪の表情を浮かべるだろう。

これじゃあ、お仕置きにはならない。

「そうか、お前がその気なら、何処まで付いて来るのかトコトン甚振(いたぶ)ってやる。」

妻の晴れやかな顔を見ながら、腹の中で呟(つぶや)いて居た。

解けない方程式はないし、お仕着せのルールも怪しい。

世の中なんて、入れてやる数値でいかようにも答えが変わる公式なのだ。

そして、全て正解なのか?

人間、何が切欠(きっかけ)に成るかは判らない。

驚いた事に、竹中お仕置き事件その後の輪姦事件の後、妻(里美)の思考回路が級速度で変貌して行く。

妻が変わったのは、性に対する偏見だけではなかった。

性に対する考え方が変わると同時に、それに習ってものの考え方に柔軟性が出て来た。

今まではどちらかと言うと固定観念に縛られ、妻は自分の世界を構築してそこから踏み出す事をしなかった。

それが、別人のように「角度を変えたり、設定を変えたり」と、数通りの考えを一旦してみる様に成り、思考に幅が出来て来た。

妻は頑(かたく)なに守っていた既成概念が人生を詰まらない物に縛っていた事を知ったのだ。

妻の接待振りを見て気が付いた。

そして、確信した。

これはもう立派な仕事で、内々の遊び事ではない。

そして妻の顔付きが煽情的で、美しいのだ。

少なくとも、本心嫌ならこんな淫媚(いんび)な性奉仕の接待は、本人が拒絶する事も出来る筈(はず)である。

それが、易々と全裸に拘束姿でこの場に姿を現し、明らかに興奮しながらも熱心に田嶋に尽くしている。

その姿が、何故か私を見とれさせるほど美しいのである。

ほんの少し、妻の「性への嫌悪感」を開放し、性生活を楽しむ積りで岩代に方法を託した筈(はず)が、そんな上手い仕込み加減など現実には出来る物ではない。

その甘い気持ちで仕掛けた事が、妻の中に眠っていた本性を剥(む)き出しにさせる結果を招いた。

人は、想像するだけでは何の意味も無い。

そして経験しなければ何も得られない。

妻は、究極の性体験と引き換えに美しく輝き、度胸も強(したた)かさも、そして優しさも手に入れていたのだ。

人は経験を持って成長する。

結果的に、機会を得て妻は変わった。

事実、妻は「変わりたい」とは思っていたが、私の受け取り方と世間体を気にして、飛ぶ事に躊躇(ちゅちょ)して居たのだ。

何事も心が好き(ポジティブ)と思えば好結果がもたらされ、嫌(ネガティブ)と思えば、同じ事をしでも良い結果は得られない。

益してや、全て自分が主体で物を考えていて、嫌(ネガティブ)な批判心ばかりで生きている者に、好結果がもたらされる訳が無い。

意外な事に、妻の顔が以前よりずっと輝いているのだ。

もぅ、あの頃には戻れない・・・・。

「えらい事に成ってしまった。」

人生まま成らないもので「チョットした事だ」と思って居た事が思わぬ事態に発展する。

内心そう思ったが、事業を立ち上げての転がり出した物の勢いは、もう止まりそうも無い。

それに、妻の本性を剥(む)き出しの変身について私の本心で言えば、楽しみと嫉妬が感情合い半ばである。

私は妻を愛していて、その気持ちは今も変わらない。

その妻が、卑猥(ひわい)そのものの本性を剥(む)き出しにして、痴態を繰り広げている。

或る意味、特別な感情を抱く妻の痴態だけに、それを見る事自体胸が高鳴る興奮を得られ、複雑ながら楽しめる矛盾も、私は感じていた。

これは、直面した者でないと、判らない心境かも知れない。



娘を寝かし着(つ)けると、妻は言った。

「私、あなたと娘の事を愛しています。だから、それが人生の中心。」

「それは、精神的な愛だろう。俺も一緒だ。」

「えぇ、岩代さん夫婦に教わりました。夫婦の間にもう一つ肉体的な愛がある事を。それはこれから精一杯あなたに捧げます。」

「それじゃあ、愛の無いSEXは、どう思う。」

「愛が無くても、身体は感じます。それについては、あなたが望めばその範囲で身体だけ楽しみます。だって、嫌な顔したりすると相手に失礼でしょ。」

「精神的愛と身体は別と言う事だ。」

「私、判ったのです。あなたの命令で、あなたの目の前でする限り、どんな恥ずかしい事をしてもあなたを裏切っては居ない。むしろ、他人を通してあなたに犯かされている。と、思えてきたのです。そう思えば置かれた立場を楽しめるのです。」

「影では、しないと言うのだな。」

「隠してやるのは夫への裏切りで、まったく別の話し。私は今でも心はあなたに貞淑なのです。」

そりゃあ、心が移っては困(こま)る。

この遊戯は、元々肉体(からだ)だけの遊びの話しだ。

「あのビルは、もう手付けが打ってある。竹中さんに報告して会社を設立し、勤めている会社をやめる。」

「明後日ですね、竹中さんの所に行くのは。」

「そうだな、後二日か。」

「ソロソロお隣りへ伺う時間ですね。」


妻が着ているものをスルスルと脱ぎ始めた。

もう妻の意識は切り替わっていて、隣に行く支度だった。

躊躇(ためら)いなど何処にもない。

何かに取り付かれた様に変わってしまった妻はサッサと全裸に成り、当然のようにそのまま隣へ向かった。


何時ものように素っ裸で岩代を訪ね、何時ものように拘束され、グリセリンの浣腸を昨日より一本余分に入れ、堪えている間におシャブリをして岩代の射精を口で受けた。

毎日ともなれば、妻にとってそれらはもう普段・日常の事である。

慣れるのが目的であるから、淡々とこなす妻の反応も仕方が無い。

お湯は細君(京香)が五本分入れたがそれでは私が赦さず、残り五本分を私が自分でねじ込んだ。

素直に待ち受ける妻の少し膨らんだ蕾に薬剤注入器の口先をねじ込む行為、これは私の征服欲を満足させるに十分な事だ。

妻のお腹が少し膨れて、中年腹になったが踏ん張って耐えた。

暫く痛がるのを我慢をさせて、私の欲棒シャブらせ、岩代の合図で大噴出をした。

妻の腸の中が綺麗に空(から)なると、岩代が「それじゃあ、入れてみましょうか。」と上半身拘束のまま妻を立たせた。

少し足を広げて踏ん張る妻を、岩代が前屈みに支えて細君がハンドクリームをア*ルに塗る。

私が後ろから欲棒を宛がい、ユックリと入れて行く。

それはニュルリと中に収まった。

「アッ。」と妻は声を漏らし、暫(しばら)く息を止めジットしていた。

やがて妻が息を抜くと、それが欲棒を通して伝わって来た。

凄い抵抗感と言うか、締め付けられ感がある。

「あわてないで、ユックリと動かしてみてください。」

岩代の声をきっかけに妻のウエストに手をかけ、腰を両手で固定してユックリと出し入れしてみる。

グイ、グイと奥深くまで抽送をする度、妻の顎(あご)が上り、「ウッ、ウッ。」と声が漏れる。

抵抗感は強いが、思ったよりスムーズに出し入れが可能だ。

「どうだ、里美。痛くはないか?」

「痛くはない無いですけど、少し苦しい。ウッ、ウッ。何かあなたに身体全部を占領されたような気分です。」

「まだ、気持は良くないのか?」

「ウッ、ウッ。気持ち良いと言うよりも、たとえ様の無い不思議な感覚ですが、ウッ、ウッ、嫌ではありません。」

「嫌で無ければ、とりあえず良いだろう。」

「慣れてくれば、二人とも病み付きになりますヨ。」

岩代が確信しているように声をかけた。

彼の存在がなければ、私達夫婦に今のこれは無かった。

折角ここまで来たので、「十二分に楽しませてもらおう。」と心の中で思って居た。

抽送を繰り返しながら、私は岩代に声をかけた。

「岩代君は開所祝いに又何か企んでいるらしいな。」

「えぇ、その日は社長婦人には特に頑ん張って頂かないと。」

「何処まで内の奴に犯らせるのだ。」

「奥さんにはキツイですが、その日は修行を兼ねて皆で輪姦(まわし)をさせますので、それが終わるまで休めません。皆さんに楽しんで頂きますので、覚悟して置いてください。」

「はぃ、判りました。ウッ、ウッ、記念の日ですから。ウッ、ウッ。」

「社長、企画は任せといてください。盛り上がると思います。」

岩代が、冷たい口調でそう言った。

「うっ。」

私は妻のア*ルで絶頂を迎えていた。

「私、途中から少し感じていました。」

拘束を解かれた妻が言った。

男は最初から具合が良いが、女性はそんなに早く感じる様になるものだろうか?

ともかく、妻はそう言い出した。

岩代が、「明日は自分達で、訓練して置いて下さい。」と、我々夫婦を送り出した。



自宅に帰って、例の晩酌をしながら妻が言うに、「恥ずかしい事をさせられると、胸がキュッと成って、それが病み付きになりそうだ。」と言う。

恥ずかしい事に変わりは無いか、それとは違う何か別の快感を、妻は感じるらしい。

他人に嬲(なぶ)られる事も、最初は強がって居ても内心抵抗があったが、これも精神的に「今から他人に汚される。」と思うと、「自分の花芯がうずいて濡れてくる」と言うところまで素直に告白した。

運命何んてものは、何が切欠(きっかけ)で開けるかは判らない。

これは、思い切って「変態行為」に踏み出す決断をしたからこその新しい官能の人生で、この世界に踏み込んだ事の無い建前人間には理解出来ないのである。

私には、自分の気持ちを知って欲しいから、「本音を、何でも話す事にした。」と、妻は言う。

妻の中に「被虐願望が育っている」と言うのか?


翌日の昼間、私が長い事疑問に思っていた事を岩代に聞いた。

思い付きで始めた屋根裏の覗きが、ここまで発展している。

これが因果なのか果報なのか。

「君が良く言っている気の事だけど、あれはいったい何んだ。それに内の奴に修行だとか?」

「ハハ、気になりましたか?あれは陰陽道(おんみょうどう)の呪詛(じゅそ)です。」

「あの、安部清明のか?あれは、迷信みたいなものじゃないのか?」

「違います。それでは詳しく説明しましょう。」

インドに起こった仏教が中国での道教・儒教・陰陽道などの星(座)信仰とが習合し「七仏八菩薩・諸説・陀羅尼神呪経(妙見神呪経)」や「般若波羅蜜多理趣本(品・ぼん)」として「大蔵経」の密教部に組み込まれ、これが古代中国に伝わり、、帰化人の来邦と伴に日本に伝わった。

「元は外来宗教なのか?」

「その元は素朴な自然信仰から始まっています。」

天体の中で動かないように見える北極星は、方向を指し示す事から世界中で神格化されて来た。

北極星の化身としての妙見信仰(妙見神呪経)が日本に渡来したのは紀元後五百〜六百年代である。

伝来当初は渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であったようだが、次第に畿内などに広まって行った。

しかし朝廷の統制下にない信仰であったため、延暦十五年(七百九十六年)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。

表だった理由は「風紀の乱れ」であった。

「風紀の乱れ?・・・祭りでか?」

神事が風紀の乱れとは意外な話である。

「元々自然信仰から考え付く自然現象が、信仰の対象だから信仰としてのSEXがあっても不思議じゃあ無いでしょう。」

「しかし、神聖な祭りで・・・・。」

「だから、頭が固いのですよ。神聖だからこそ、神聖なものを奉じる。SEX行為は、自然な欲望で有り、命を未来に繋(つな)ぐ神聖なものです。」

「すると、SEXを奉じて何かを願う信仰か?」

「それが、強烈なエネルギーに成り、実りが産まれます。」

これは何を意味するのか、諸説・陀羅尼神呪経(ダラニシンジュキヨウ・妙見神呪経)は本来日本に渡来した時は仏教の経典の一部として真言宗の密教部に属している事にある。

陀羅尼の尼は女性を現し、観音菩薩も女性で有る。

つまり、慈悲の女性神の存在が、真言宗の密教の真髄なのである。

この観音菩薩は別名十二面観音菩薩と言う。

この十二面の意味は一度に十二人相手に出来るという意味だが何の相手が出来るのであろうか?

千手観音や十二面観音の原型は、インドの性典、カーマ・スートラの壁画がモデルであり、多くの男性を一度に受け入れる皇女(姫)の姿が仏法の慈悲深い菩薩になった。

この密教の教えが、時の大和朝廷には認め難いもので、「風紀の乱れ」として禁止された。

当初は現世利益の神であり、性交による陀羅尼神呪経(妙見神呪経)によりご利益を願うエロチックな教えの仏教で、「北辰祭(妙見祭)」はその教えを信者が具現化する為の乱交を伴う呪詛行事の祭典だったのである。

平安時代末期から南北朝並立時代末期に掛けてこの現世利益信仰が一つの潮流を為す。

今でこそ、こうした性的な事は「世間がこぞって破廉恥で低俗な事」としているが、実はそうでも無い時代があった。

つまり、真言密教は生きている人々を幸せにしてくれる仏様(神様?)で、そのダキニ天が、真言立川流の御本尊である。

その、ダキニ天の法力を高める秘法が、密教の男女和合の儀式と、経典にある。

ダキニ天の法力を高めるには、日常を超えた激しい男女和合のエネルギーがいる。

この激しい男女和合の教義を取り入れた事が、この宗教の基となり、当時原始性本能の煩悩に悩む人々の支持を得、密かに信者を集め増やしている。

「すると、SEXで発生する気のエネルギーが、君の力の源だと言うのか。」

「そうです、時間、人、運命、元々決まっている流れを、気の力で変えて行く。それが忌み祓いの儀式です。」

「そんな事が出来るなら、何か、気味が悪いな。」

「もう、貴方はその現実を目の当たりにしているのに、認めたがらない。覚悟を決めるしか、選択肢はないのです。」

妻の変身がその一旦であれば、その現実を私は目の当たりにしている。

「確かにそれは、認めざるを得ないだろうな。」

真言とは呼んで字のごとく「真理を言ずる」と言う事である。

およそ理性と性欲では司る脳の部分が違う。

だからこそ人間は、理性で理解しながらも、一方で原始性本能の煩悩に悩まされる。

従って全ての人類がこの葛藤に悩まされ、中には犯罪さえ引起す。

その性欲を肯定し実践する所に、信者が解放される真の救いがある。

日本では室町時代以後、呪いの強い隠避(淫乱)な邪教とされているが、ヒンズー教のカーマ・スートラに影響された印度仏教や、ネパール、チベットなどのラマ教では、こうした性的教えは、仏法と矛盾しない。

性は「生きる活力の源」と解釈されている。

弘法大師(空海)、伝教(でんぎょう)大師達が、我が国にもたらした密教は、当初強力な「現世利益の秘法」であったのだ。

つまり、初期の仏教は信じればご利益があると言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、社会合意の道徳的な目的から「悪行をつむと地獄に落ちる」と言う死後の利益に変わって行った。

本来の仏教は祈り(呪術)による「現世利益」で、まずは手っ取り早く、「長命や裕福の願い」と言った幸せを願う物だった。

この「現世利益」については、現在の中国式寺院にその面影を見る。

お金(札)に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様先祖に祈るのだ。

本来仏教で言う所の「極楽往生」は、言うまでもなく死んでから先の事ではない。

あくまでも「楽しい人生を送り、悔いなく死んで行きたい。」と言う庶民の素朴な「現世利益」の願いで有る。

庶民の願いなどささやかな物で、ストレートに言ってしまえば、その中に気持ち良い性行為をする楽しみも極楽として含まれる。

そうした庶民の生きがいを取り入れた教えが、真言宗の密教として伝えられ、男女和合に拠る「現世利益招来の秘法」、真言密教・立川流が成立した。

本来神聖なものを、社会の安定の為に隠避な隠すべきものとしてしまった。

何故なら、独占欲と言う人間の煩悩が、嫉妬や妬(ねた)みを産むからだ。

これを開放し、肉体的性感と精神的愛の分離を試みた。

そして、肉体的性感エネルギーが「不思議な力を発揮する」と言う呪詛を「現世利益招来の秘法」としたのだ。

そもそも、弘法大師(空海)が日本にもたらした真言密教の教えでは、男女の性的和合は肯定されていた。

理趣経(りしゅきょう)によると、男女の愛欲、性の快楽は「菩薩の境地」とある。

この理趣経は、正式には「般若波羅蜜多理趣本(品・ぼん)」と言う経典で、いかがわしいものでは無い。

道教系・陰陽師の安部清明は宮中秘祭・「泰山府君(北辰大祭)」祭祀を司り宮中に大きな勢力を持った。

宮中で密かに行われた「泰山府君(北辰大祭)」が、安部清明の呪詛であるが、そのエネルギーの源に何を使ったのか?

(注)「泰山府君」とは陰陽道の主神、冥府の神

この陰陽師であるが、真言密教・立川流の開祖見蓮(もくれん)と言う真言宗の僧侶も陰陽師の出身で、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶仁寛(にんかん)に、真言密教の秘伝を授けた者である。

真言立川流は理趣経(りしゅきょう)を主な経典として、多くの信者を集め、南北朝並立時代から室町初期にかけては後醍醐天皇の庇護を受、政局にかかわるほどの力を有したのだ。

「良くは理解出来ないが、すると岩代君はその呪詛エネルギーの源がSEXだと言うのか。」

「私はそれを習得し、時空を超えた真言密教の秘術を妻の京香と実践しています。」

「それで君には、あんな不思議な力が有るのか?」

「えぇ、だから奥さんが頑張って和合のエネルギーを出せば、事業は発展を続けます。」

「しかし、信じられない。あれは、妻や君の細君の身体を囮(おとり)に使って取引しているので、仕事の話が有利に進むと思っていた。」

現実的な発想をする私としては、極当たり前の意見である。

所が、岩代は笑ったそれに答えた。

「やたらに身体を使ってSEXをしたからと言って、仕事が成功するとは限りません。呪詛エネルギーが相手に伝わって初めて相手が操れるのです。」

「すると、呪詛エネルギーを出すのはどうすれば良い。」

「激しい輪姦や乱交が一番です。気が上昇し天地を支配する。学生を呼んで内の奴(細君)に輪姦呪詛をしている処を貴方が天井から覗いた。」

「そう言えば、あれが始りだが。」

「奥さんを呪詛巫女に育てる事になったのは、貴方の興味本位の結果責任です。もう、何があっても奥さんにやって頂くしかありません。」

「これは私の覗きの代償で、妻がそれを身体で償うと言うのか?」

「奥さんはあなたの戯れの償いに、呪詛エネルギーを出す役目を負いました。これからまだまだ奥さんへの要求はキツくなりますが、これを避けると、貴方の一家が不運に見舞われます。」

「判った。あの時の私の性心理エネルギーが、君の呪詛エネルギーにシンクロしたと言うのだな。」

「そんな所です。貴方が奥さんのSEXに不満があるのも伝わって来ました。明日の竹中さんの事、宜しく。」

「陰陽師の呪詛エネルギーを発するには、あらゆる感性を研ぎ澄まさねばなりません、奥さんは性感の発達が止っていた。あれでは、幸せは掴めない。」

建前を話す者は、見栄えは美しいかも知れないが、建前には本物の中身はない。

「戦争も事業も、そんなに格好の良いものじゃない。」は、岩代の口癖である。

往々に起こる事だが、裸の接待に関して「私にはとても出来ない。」が、判断基準であれば、それは「単なる我侭」が基準である。

自分が出来ない事を、敵視するのは単なる個人の都合である。

彼に言わせると、【左右の脳】の「活動感覚のバランスだ」と言う、性感が発達して初めて霊感も発達する。

性感を押さえるから【右脳系】の感性が抑圧され、脳全体のレベルが下がるのだそうだ。

それは確かに、妻とSEX三昧の楽しい人生を送るのは「極楽」には違いないが。


(生け贄にされたア*ル)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十四話(生け贄にされたア*ル)


岩代がイヨイヨ正体を現し始めた。

彼の強烈な力は、「古代から伝わる呪詛エネルギーだ」と言う。

とても私には太刀打ちは出来ない。

しかし彼は悪人では無く、手の内は全て私に話している。

それとも、「絶対的な自信がある」と言うのか。

岩代は敵に廻すと恐い相手だが、今の処はどう見ても、見事なまでに味方には違いない。

ただ、妻の変貌は何処まで行くのか、最近では不安に成りつつある。

岩代の不思議な能力は強烈で、妻の里美はまったく奴の言い成りだ。

男の本能をくすぐる岩代夫婦の甘い誘惑にすっかり惑わされてしまったが、一方で私は何か感じていた。

「何なのか?」

理屈では理解出来る事ばかりで、岩代の言動に怪しい点は無い。

しかし私は、「感」とでも言おうか、本能的に岩代の周囲から、奇妙な「違和感」みたいなものを感じている。

岩代に関わる説明の付かない現象には、時折私を「ゾッ」とさせるものが有る。

当初は、欲求不満だった私の性的な欲求を、想像以上に満足させる状況の楽しさにスッカリ嵌(はま)っていた私だが、暫(しば)らくすると、段々に不安が頭をもたげて来た。

冷静に考えれば、甘い話しばかりではない。

妻の置かれた状況は、当初の私の想像を遥かに越えて明らかに異常な状態にある。

しかしそれに気付いた時、妻はスッカリ調教されていて、それを「異常」と認識する者は私だけに成っていた。

私は何をして居るのだ。?

人生、総(す)べからくそう言うものかも知れないが、何か判らないけれど思いも拠らない力が働いて、必ずしも私の想いとは一致せず、違う方向に事が進んでいる。

これは、逆らうべきか受け入れるべきか?

そう思うと、私達夫婦は岩代に操(あやつ)られて居る気がする。 

選択すべき岐路だったのだが、揺れ動く気持ちの中で、結局私は流れに任せていた。

余り信じては居無いが、「万に一」と言う事もある。

岩代から「一家が不運に見舞われる。」と脅された以上、今は私の感情を殺すしかない。

それにしても信じられない事が次々と起こる。

妻の行く先が不安である。

私も岩代に「操られている」と言うのか?

当面の課題、妻のア*ルファックは翌日も私が実施して使い具合を確かめた。

使い心地は上々で、もうその事に心配は無い。



正直、世間に言わせればこんな無茶苦茶な性奉仕をする私は色気違い(イロキチガイ)かも知れません。

でも、人生は二度は無いのです。

そしてあの時間だけは、妻でも母でもない唯一匹の雌(メス)に成り切れる時間なのです。

こう言う生活を送るように成って、夫は良い方向に変わりました。

今まで以上に、私を大事にしてくれます。

私(里美)にすれば、体験してみて初めて気付いたのですけれど、在る意味、これほど深く自分に命を感じさせるものは、他に無いのです。

確かにさせられた事は、世間から見れば「異常」な事だったのです。

しかし考えてみれば、夫だって元は他人なのです。

相手を無理に選択線引きした所で、性行為をする事は一緒で「何処かが違う」とは思えません。

つまり一歩違えば、めぐり合わせで隣の主人と夫婦だったかも知れないのです。

そんな不確かなものが肉体関係を赦す基準なのでしょうか?

そんな事を言えば、性行為そのものが「異常で不潔」なものに成ってしまうでしょう。

それは、世間知らずの自分の、独(ひと)り善がりで傲慢(ごうまん)な考え方だったのです。

岩代さんが言ったのです。

「素直(すなお)に成りなさい。素直(すなお)が好い女の条件だよ。」が、私の呪文に成っています。

気が付いたのですが、人間は、日々の鬱憤(うっぷん)を発散しなければ、生きて行くのには辛過ぎます。

鬱憤を発散する事は、日常生活の範囲では難しい課題です。

幸いな事に私(里美)の場合い、浮気をしなくても夫公認の接待仕事で非日常の発散が出来ます。

それで、「こうしなければ成らない」、「こうでなければならない」は、何処かに飛んでしまいました。

恥ずかしい事に、経験して初めて判るものを、私(里美)は「想像だけで結論を出していた」のですね。

本音で言えば、専業主婦なんて娘のPTA仲間の、まるでスケールの小さい噂話が冒険だったりする退屈で淋(さび)しい仕事なのです。

無いものねだりなのでしょうが、専業主婦は皆刺激に飢えて、習い事を始めます。

しかし、そんな事では刺激の飢えは癒えません。

人間は贅沢な者で、平穏で刺激が無い生活は、「幸せだけど物足りない思い」だから、浮気騒ぎを起こす心境も、話の上では判ります。

でも、私(里美)の場合は、夫が用意してくれた非日常の舞台があります。

その舞台に立ったら、私(里美)は変身した愛奴隷・・・全裸で股を開きます。

それで目的が達せられるのなら、私(里美)が愉しんでも良いではないですか。


夫達は私(里美)を「仕込む、躾(しつけ)る」と言いますが、私(里美)に言わせれば気が付いただけなのです。

それは私(里美)の様に、世間で「変態行為」と言われる所まで踏み込んだ者だけが得られる官能の世界なのです。

私(里美)の様に、性奉仕のプレィ中は全く自分の意志は認められ無い為に、余分な事を考え無しに要求に応じて犯られ、ただ何も考えずに溜まったストレスを吐き出すだけが、意外と心地良い興奮の時間なのです。

輪姦(まわし)と成るともうメチャクチャで、到る所から手が伸びて、至る所が弄(もてあそ)ばれます。

何しろ多い時は、私(里美)ひとりの肉体(からだ)に四人も五人も取り付いて、股間だろうがお尻の穴だろうが、胸の乳房も口も所構わず手を伸ばして揉みし抱いたり指先をメリ込ませたり、可能な所は何処にでも欲棒を捻じ込んで来ます。

合間の無い刺激で攻め立てられ、興奮と快感は持続したまま失神まで続くのです。

こんな私(里美)を、世の同性に「ふしだらな女」と非難されそうですが、感情を別にして非難するに足りる合理的な言い分があるのでしょうか?

男性と違い、女性が飛べない理由の大半は警戒心なのです。

真面目に手堅く、必死に生きるほどストレスはキツイもので、それは男女に差はありません。

それでも日常生活のストレスの掃け口を、女性が手軽に求められないのは、妊娠や諸々のトラブル・・・

女性の方が、圧倒的にリスクが有るのですから仕方ありません。

女性の貞操観念を信じていた私(里美)にすれば、その事を理解して凄く新鮮な発見だったのです。

自分で言うのも可笑しいかも知れませんが、「犯り遂げた」と言うか、「犯られ遂げた」と言うか、使命感に拠る或る種不思議な達成感も有ったのです。

独占欲に縛られない体験させてもらって、実は夫に感謝しています。

私(里美)、全てが頑(かたく)なな性に対する誤解を基準に考えていました。

キットあのままの私(里美)だったら、何も知らずに年老いていました。

こうした事は、若い内の自分の肉体に自信がある間(あいだ)の方が、周りが喜んで受け入れてくれます。

年老いてから気が付いても、相手にされない事でしょう。

それを、無理やりこじ開けてくれたのが、この夫達のメンバーでした。

私(里美)は、性行為を無条件に「不潔だ」と思っていた自分が、何とも恥ずかしく思えて来ました。

当然ながら、夫にも済まない事をしていました。

それで、どんな行為でも、全て夫からの「お仕置き」と甘受する事にしたのです。

平凡だった日々の暮らしが突然刺激的なものに成って、正直生活にメリハリが出来ました。

だってスリリングな事に、素っ裸で連れて行かれて知らない男と行き成りSEXするんですよ。

その羞恥心と被虐感の興奮は、私(里美)の性感度を最高値まで高めます。

最高値の性感度で抱かれれば、誰だって天国です。

人間贅沢なもので、その快感を一度知ってしまった刺激は捨てられません。



竹中氏との約束の朝が来た。

桜舞い散る中、何時ものように、四人で出かけた。

待ちかねていたのか、竹中は転がる様に玄関に向かえ、直ぐに座敷に通した。

「もうじき明け渡す」と言う竹中邸は、かなり整理が進み、僅(わず)かな家具しか残っていない。

「もう、ここにある家具は家と一緒に始末してもらう。長い事世話になったが、今更持って行くほどの物でもないのでナ。」

竹中が一抹の寂しさを浮かべた。

とりあえず、何時ものように五人で持参の酒肴で酒盛りを始めた。

こう言う事は、酒が入って気分が砕けた方が、先に進み易い。

妻はこの先に、竹中氏に求められた大任があるので、早いピッチでロックに注がれたグラスの焼酎を空けていた。

確かに、少し酔った方が気が楽かも知れない。

「竹中さんのお陰で、内の奴(里美)を大胆な性接待が務まる様に皆様にタップリ磨いて頂きました。」

「犯る事を確り犯らせんと、本人にソーシャルセックス(社交的な性交)の良さが判らないでな。」

「はぃ、内の奴(里美)が犯る事を確り犯れば、取引先の皆に可愛がってもらえます。」



竹中邸の庭に一本大きな桜の木がある。

植えられたのが親の代で、何年経っているのかも竹中氏にさえ判らないらしいが、枝ぶりも太い巨木である。

戦争にも生き残り、竹中氏が子供の頃に「良く登って遊んだ」と言う。

残念ながら近隣の土地とまとめて開発されるので、この桜は残せない。

「この桜は処分するには惜しいですね。見事な木です。」

「こいつとも今年が見納めだ。今日は君らも眺めてやってくれ。」

妻達二人は竹中氏の両側に付いて酌を始めたが、暫(しばら)くして酒が廻り始めると、竹中が何時ものように妻の里美に手を出し、身体に触れようとする。

以前と違い妻も心得ているから膝を立てて腰を浮かし、竹中氏がスカートを捲り易くした。

竹中氏の手が妻の太腿を撫(な)で、その手がスカートを托(たく)し上げ股間の方に這い上がって行く。

勿論妻は、ノーブラ、ノーパンティだ。

「どうでしょう、奥さんを吊るすのはあの桜にしましょうか?」

岩代が竹中に言い出した。

「そりゃあ風流だ、塀があるからそうは外からは見られないと思うが、奥さんは構わないか。」

「奥さんに依存はないですよねぇ。」

有無を言わさない岩代の声が妻に飛ぶ。

「はぃ、竹中さんがそうしろと仰(おっしゃ)るなら私に異存は無いので、どちらでも構いません。」

「それじゃ、奥さん支度をしましょう。」

岩代が妻を促(うなが)し、桜の木の根元に伴った。

細君が寄り添って、妻に何事か囁いた。

私と竹中は縁側で酒を飲みながら、見守っている。

妻が着ていた物をゆっくりと脱ぎ、細君に手渡している。

見る間に妻の脱衣は進み、そこに岩代の仕事振りを心配そうに待つ全裸姿が佇(たたず)んで居た。

岩代が桜の木の周りを忙しく立ち回り、持参した縄をセットしている。

「桜は日本の象徴ですけれど、綺麗な花の間に毛虫がたくさん居ます。あれは蛾に成るのですか?それとも蝶に成るのですか?」

今から縄目を受け吊るされるのを待つ裸の妻が、「場違い」と思える呑気な質問をし、竹中氏がそれに応える。

「あれは、モンクロシャチホコの幼虫で、別名、紋黒天社(くろもんてんしゃ)と言う体長二センチの目立たない蛾(が)じゃよ。食害により枝を枯らす、まるで役人(官僚)みたいな害虫だよ。」

「すると、毛虫は日本の役人の象徴ですねェ。」

やがて、岩代は妻を手元に寄せ、手早く縄を掛け始める。

かなり修練を積んでいるのか、見る見る進んで毎度惚れ惚れする見事な縄掛けだ。

充分に縄掛けが終わると、一端庭土の上に仰向けに転がし掛けた縄に吊り縄を通して行く。

岩代が細君(京香)に手伝わせて、妻を支えながら少しずつ縄を引き絞り、吊り上げ始めた。

少しずつ妻の身体が浮き上がる。

やがて、妻が全裸で木から縄で庭土まで七十センチくらいの高さに、うつ伏せ状態で吊り下げられた。

平行に吊るして置いて上半身の吊り縄の丈を短めに絞ると胸が反り返って、顔が正面を向く。

あの、以前細君にした吊るし方である。

肉体(からだ)が震えているのか、吊り上がった妻の体が僅(わず)かに揺れている。

まるで縛り絵のように桜の花びらに晒(さら)されながら、妻の裸身が吊るされて息を呑むような美しさだった。

後ろ手で縛ってうつぶせに地面と平衡になるように胸と胴で大目の縄で支え、足二本は上に折り曲げて足首を縛って各々天井に引き、正面から見ると逆さMの字の形になる。

後ろから見ると妻の股間もア*ルも目いっぱい開いて花芯ボタンも短い恥毛が絡む二枚の肉花弁も丸見えである。

縄を何本も胸から胴、腰にかけて巻き、体重を分散させて入るがそれでも妻の肉体に食い込んでいる。

乳房もガッチリと縄掛けされ、引き絞られて肉が縄からハミ出すように膨らんでいる。

「こりゃあ、見事な眺めだ。」

竹中が満足そうに溜め息をついた。

私も同感だった。

頭側を少し低めに尻の側を少し高めに、まるで、蛙(かえる)が水面を前に進んでいる時の様な格好で、吊るされた方はまったく無防備に成る。

妻を頭側を少し低めにして吊るしたのは以前岩代が言っていた角度の問題で、直腸が真っ直ぐな角度に成ると欲棒をア*ルにスムースに入れられるからである。

妻の、細く頼りないくさむらに守られた花弁も、やや開き気味に色も形も見て取れる。

これなら吊るしたまま、男が犯りたい事が何でも出来る。

これはその後の接待の習慣になったのだが、京美企画の接待でゲストが愛奴隷のア*ルを使う時にメンバー御用達で使うのが殺菌剤入りのハンドクリームで、男性の欲棒と女性のア*ルに塗布するのは立会いの女性か、愛奴隷の亭主の役目である。

この時は、竹中の欲棒に細君(京香)がハンドクリームを塗(ぬ)っている間に、妻のア*ルには私が塗布した。

塗布が終わると、妻は吊るされながらも、「竹中さん、この通り支度が出来ました。どうぞ早くア*ルを犯して下さい。」と声を掛けた。

吊るされているのがキツイのか、真剣な表情で妻が懇願(こんがん)する。

「そうか、早くして欲しいか?」

「はい、早く気持ち良くして下さいませ。」

苦しい体制で顔を上げ、竹中を見つめながら妻は答えた。

「良し、それじゃあ、遊ばして貰(もら)おうか。おぅ、だいぶ濡れておるワ。」

竹中が無防備に開いている妻の股間に手をやり、無遠慮に花弁の中に指を一本差し込んだ。

「ビクン」と反応した妻の股間からは、既に期待汁が滴っていた。

こう言う不安定な宙に浮いた状態で、「今から犯される」と思うと、興奮するのは当たり前かも知れない。

竹中が、妻のア*ルに、妻の股間の潤いを手ですくって塗り付けている。

グニュグニュと、妻の短い恥毛が生々しく絡む二枚の花弁が、押し潰されたり折れ曲がったり、竹中の揃えた指先に翻弄されている。

妻の蕾が濡れて光り、竹中の指先が時折中に潜り込んだりしている。

「うん、余程訓練したのかこっちの穴も以前よりだいぶ解(ほぐ)れておる。」

竹中は容赦の無い態度で確かめると、「どれそれじゃあ味見するか。」と欲棒を引き出した。

竹中が妻のア*ルに先の硬くなった坊主頭の海綿体のカリ首を宛てがい、グィと腰を入れて欲棒を貫いた。

「ウッ。」

妻が短い声をあげ、吊り下がった縄が波打った。

ロープで吊るされた妻の裸体は、竹中が腰を入れてクイッ、クイッとア*ルに突き入れる度にガクンガクンと揺れ、反応して肉体(からだ)は、悲鳴のような声と伴に、何度も仰(のけ)け反った。

「おぅ、良く締まるわぃ。」

ズブリと里美のアナル(尻穴)に嵌(はま)った欲棒が、直腸の内壁を擦(こす)りながら抜き挿しされ、陰茎の見え隠れに応じるように里美の善がり声が響き始めた。

「里美、尻の穴は第二の性器じゃから、開発すれば気持ち良く成るぞ。」と、竹中氏が平然と言った。

「どのくらいで慣れますか?」

「これからは始終使う様になるから、多分直ぐじゃで。」

竹中に突かれる度に吊り縄がキシミ、蛙(かえる)様に吊るされた妻の口から「ウッ」と言ううめき声のような噛み殺した声が漏れている。

それを塞ぐように、岩代が口に欲棒を捻じ込んだ。

以前のお返しだから、私は岩代に「口の方を使え」と伝えてある。

「良く締まる」と感嘆の声を上げた竹中が、早くも抽送を始めている。

横から覗き込んで見ると、竹中氏の欲棒が生々しく妻のア*ルに嵌(はま)り込んで抜き挿しされ、妻の白い尻に黒褐色の竹中氏の陰茎が濡れ光って見え隠れしている。

それに合わせる様に、吊られた妻の肉体(からだ)も前に後ろに振れて動き出し、自然に咥(くわ)えた岩代の欲棒のカリ首を飲み込む事になる。

「ウグ、ウグ、アッ、アッ、ウグ、ウグ、アッ。」

妻の声が、岩代の欲棒に塞がれた口から竹中の抽送に合わせて漏れている。

ロープで吊るされた妻の裸体は、竹中が腰を入れてクイッ、クイッとア*ルに突き入れる度にガクンガクンと揺れ、反応して肉体(からだ)は、悲鳴のような声と伴に、何度も仰(のけ)け反った。

呆然と立ち尽くして妻の痴態を見守る私の処へ、妻の口から引き抜いた欲棒を仕舞いながら、岩代がやって来た。

「社長、少し面白い話しが有ります。」

「君まで社長か?」

「これで決まりです。晴れて社長と呼ばせてもらいます。全て竹中さんも了解しました。」

どうやら、全てが岩代の目論見通りに話が進んで、私の社長就任も「本決まり」と言う訳だ。

「そうか、君のおかげだ。それで面白い話って、何だ。」

「社長、生島喜美子と言う奥さんの友達を知っていますか?」

「あぁ、知っている。内の奴(里美)がキミチャンと呼んでいる。」

「チョットした切欠で生島夫婦と知り合いました。」

「それで、何か面白い事があるのか?」

「今度の開所式に生島夫婦を呼ぶ手配をしました。」

「呼ぶって、内の奴が輪姦されるのをキミチャンに見せると言うのか?」

話し掛けた私の言葉は、急に岩代にさえぎられる。

「アッ、竹中さんが終わった様なので、先に奥さんを降ろしましょう。長く吊っていては可哀想うだ。」

話し途中で、私の問いに返事も無く岩代は立ち上った。

岩代は、そのまま桜の木に駆け寄り、何か声を掛けながら細君と二人で妻を下に降ろしている。

慎重に操作しないと、妻は庭の地べたに激突する事になる。

入れ替わりに、竹中がファスナーを上げながら近付いて来た。

「おぉ、楽しませて貰(もら)ったよ、社長。」

竹中の呼び方も変わっている。

「事前に大分(だいぶ)訓練しましたから。」

「そうらしいな、所で社長、実は今度岩代君の紹介で箱根に安い別荘を買った。」

「それは、良かったですね。今度お住まいの所は都心のマンションですから。」

「その事だが・・・・仲介が小田原の生島と言う業者だったが、その業者、何か君の所の奥さんと知り合いらしいナ。」

「エェ、生島は知り合いですが。」

「その生島と言う業者、だいぶ物件を抱えて内情が悪いらしい。岩代君が目を付けて、新会社の湘南支店にする積りらしい。」

「ハァハアー。」、なるほどそう言う事か。

私には、どうやら岩代の魂胆が見えて来た。

まてよ。

それにしても、岩代はまだ妻の輪姦(まわ)される痴態をキミチャンの見世物にして、「妻を追い詰めよう」と言うのか?

彼は、何処まで何を考えているのか。

妻が木から降ろされて縄を解かれ、手足を細君(京香)に揉んでもらってい居る。

吊るすと、どうしても血行が止り肌に縄目の後が付く。

こう言う時に細君(京香)は手馴れているから、やる事に卒は無い。

多少過激な事にも後に支障を残さない知恵があるから、私は岩代夫婦に任せざるを得無いのである。

散々攻め立てた竹中のア*ル吊るし責めが終わって岩代と京香が桜の木下で緊縛を解き、マッサージで妻の肉体(からだ)を手入れをして居た。

京美企画での拘束プレィの後は、立会いをして居る岩代か京香が必ず血行促進剤・ヒルドイドを使って縄目(緊縛痕)や鞭痣(むちあざ)などを消す。

非日常のプレィの事はあくまでも日常に持ち込まないのがこの世界のルールである。

解き放たれた妻が、裸のまま手を揉みながら戻って来た。

「やぁ、奥さん立派立派、その覚悟なら、私の財産は任せられる。」

「認めて頂いて良かったです。私まだこんなですもの。」と妻が応え、腰を屈(かが)めてポッカリ空いてまだ戻り切れないア*ルを見せた。



ジュピターは、ローマ神話に登場する気象現象を司(つかさど)る神ユピテルの英語名なのだが、太陽系の惑星・木星の名でもある。

人間は「深層心理や気象現象」と言ったままに成らないものに対峙(たいじ)すると、必ず神にぶち当たる。

コンプレックスは「劣等心的複合体」と言い一種の複雑な深層心理を表現するものだが、木星(ジュピター)は太陽から遠い惑星で、太陽の陽光の恵みは少ない冷たく大きな惑星(太陽系の最大惑星)で、地球から見上げると蒼く冷たく光っている。

蒼く冷たく光っているジュピターに、妻の「危険な賭け」は被支配の願望なのだろうか?

自然が生物に与える性機能は必然が前提で、不要な性機能を付加する事は無い。

この生殖を伴わないSEX行為である「擬似生殖行為」が、苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の合意として、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられたのである。

で、あれば、その目的は「苦悩を緩和する事」であるから、乱交だろうが輪姦やSMだろうが、妻が合意の上で犯られたければ犯られれば良いのである。

勿論、本質的に愛情を伴わない「苦悩を緩和する為の行為」であるから、特定の相手に偏らない乱交や輪姦、多数参加のSMの方が、夫婦愛とは一線を画す上で理に叶っている。


チョットした妻のア*ル吊るし責めが終り、岩代が桜木の下で、枝に掛けた縄を解き手繰(たぐ)り寄せて手早く後始末をして居る。

妻と細君は、風呂場に行って身体を清めている。

今は私と竹中が、岩代の手馴れた仕事振りを眺めて居た。

手馴れた岩代の動きを見て居て、私に不気味な不安が湧いて来た。

「それにしても岩代の事が、妖怪みたいに感じます。」

私が、傍(かたわ)らで一服して居る竹中にそう告げると、彼は「それならあなたは妖怪の親分だ」と言った。

「どう言う事ですか?」

「勿論、今の実力は岩代君が上だと認める。いずれ判ると思うが、岩代君はあなたを唯一の盟主として選んだのだよ。」

竹中にそう告げられると、あの確信に満ちた岩代の事だ、確かに岩代の態度からそれと思い当たらないでもない。

何が有るのかは謎だが、こちらには心当たりが無い何んとも不思議な関わり合いで、私と妻はどう成ってしまうのだ?

「しかし竹中さん、彼のしている事はまともとは思えない。」

「まともか、まともでないかは君の主観だが、歴史的に見ればまんざらまともでないとは言い難い。」

また、竹中が難しい事を言い始めた。



人が人を信じ、共同で暮らす為に群れが出来る。

群れを構成する要件は身内意識であり、他人が身内に成る早道は、身体を許す事である。

日本神話における誓約(うけい)の概念は、この早道を実践し、群れ同士が肉体(からだ)を許す身内に成る事である。

岩代の言い分では、「京美企画」はこの原理原則を取り入れて身内意識の群れを「組織的に構成したい」と言うのである。

彼の理想とする目標は判った。

確かに理論上の企業経営は、それが最高の組織かも知れない。

大和朝廷成立前後の古(いにしえ)の日本列島は、民族(部族)の坩堝(るつぼ)だった。

古い時代に住み着いた在来部族と、後期に渡来した進入(流入)部族の生きる為の争い。その手打ち式が天の岩戸の宴席、岩戸神楽だった。

日向の地で決戦に破れ、高千穂の天岩戸で手打ちを行い、誓約(うけい)を持って、心身ともに和合する事で「両者統一に向かった」とするなら、ドラマチックではないか。

異民族の王同士の結婚、これは民族の和解を意味し双方が滅びないで済む。

究極の和解であり、民族同化の象徴である。

この誓約(うけい)の概念が、実はその後の二千年の永きに渡り、日本の民の形成に大きな影響を与えて行く

東アジアの遊牧民は、長旅をする遠来の客を「大事にもてなす習慣」が在った。

驚いた事に、客人に愛妻を「一晩差し出す習慣まで合った」と言う。

「そんな馬鹿な」とは言って欲しくない。

広大な台地を行き来して生活する彼らにとって、出会いに対する選択は二つしかない。

つまり、争うか歓迎するかのどちらかなのである。

それは、いつどんな相手に遭遇しないとも限らない条件下に在って、互いに平和を維持する為の究極の知恵である。

この「遠来の客を大事にもてなす習慣」の和合精神、時代の経過と伴に大分変則的に変化しているが、遊牧民の末裔トルコ民族のベリーダンス(回教国なのに、女性ダンサーの露出度が高い)や、中国(漢民族を含む)人の来客もてなし時の「面子(めんつ/恥をかかない接待)」にも、その影響として残っている。

チンギスハーンと孫のフビライ・・・・、大モンゴル帝国(元帝国)の発展は、優秀なら人種や出身国を問わずに登用した事により、「広域な大帝国を築き上げた」と言う。

この「優秀なら人種や出身国を問わずに」の精神には、東アジアの遊牧民の精神「遠来の客を大事にもてなす習慣」が生きていたからに思えて成らない。

大モンゴルは、自分の出身民族に拘っていたら、成されなかったで在ろう偉業なのだ。

この事は、古代日本列島に発生した「誓約(うけい)」と言う民族融合の知恵と、ある種共通する所がある。

確かに「口先だけで気持ちが伝わる」と言うのは、建前主義の幻想である。

事実、誓約(うけい)の古事にしても政略婚や人質にしても、担保したのは現実的な性交行動だった。

そう言う意味に於いて、理想的な在るべき姿がこの「性奉仕の接待方式」とすれば、論理的な間違いは無い。

有るとすれば、私の独占欲を基準とした感情の問題である。

ここで、自分の感情を露(あらわ)にすれば、それはそれで至極当然、当たり前の事である。

だが、何故か私は別の選択をした。

持って生まれた冷静さが、そうさせたのだ。

そう考えると、理論上はそれが最高の組織かも知れないが、今はこの現代社会である。

私には「とんでもない考え」に思えるが、岩代のこの目論見、果たしてどれだけの者が理解して着いて来るのだろうか?

少なくとも妻の里美を含め、数人がその群れに取り込まれつつあるのは確かだった。

いったい岩代は、どんな術(すべ)を使って、彼女達の心と身体を操っているのか?


チチチチ、チ、チュチュン、チュチュンと、長閑(のどか)な小鳥の囀(さえず)りが春風に乗って縁側から聞えて来る。

今日は花曇の曇天(どんてん)で、先程からすると風も幾らか強く成って来た。

「鳴き声が激しいようだから、降って来るかも知れないな。」

「雨ですか?春雨(はるさめ)ですね。」

また四人で酒盛りが始まり、この会話をしている竹中氏の上には細君が跨って善がり声を上げながら腰を使っている。

柔ら壺に嵌(はま)り込んだ竹中氏の欲棒を支点にして、細君は腰を「クイクイ」とローリングさせている。

そのローリングが縦の動きに変わると、竹中氏の濡れ光る陰茎の根元が細君の腰の上下に連れて見え隠れをし始めた。

「ア、アァ〜、ア〜、ア〜、ア〜。」

細君(京香)はここでは攻め役に廻って出番が少ないが、岩代はまだ、自分達の所へ時折寮生達を呼んで、彼等に細君と犯らせているそうだ。

妻は、四つん這いで後ろから岩代の欲棒を「ズンズン」と突き立てられながら、私の欲棒をシャブっている。

「奥さん、社長夫人。」

岩代が、妻を犯りながら声を掛けて来た。

「ふぁい。」

欲棒をシャブったまま、妻が応える。

「開所式は、会社の登記が出来次第に成りますから。今月末には開けられるでしょう。」

「ふぁい。わくぁれますた。」



明るい照明の下、最初に始めた濃厚な性交の男女は、その男は竹中氏で、女は私の妻・里美の組み合わせだった。

私の目の前で一組の全裸の男女が絡(から)み合って、ユックリとうごめく様に濃厚な性交を此れ見よがしに犯っている。

つい先ほどまで、里美は前戯と言うには余りにも強烈な竹中氏の指攻めで何度もアクメ(絶頂)状態に追い込まれていた。

指攻めは、竹中氏に二本指を挿し込まれての激しい抜き挿しで、里美の極(きわ)まった善がり声が絶える事無く周囲に鳴り響く。

里美は泣き喚く様に善がって腰を浮かし、堪(こら)え切れずに「潮吹き」と呼ばれる愛液をほとばしる醜態姿を曝(さら)け出す。

里美の性感度が高まり、何度かアクメ(絶頂)状態に出来上がった所で竹中氏に欲棒を抽入され、一転して今はジックリとした攻めを始めた。

もぅ始まって十分を越えているが、竹中氏が私の妻・里美の性感反応を愉しむかの様に、優しく柔らかくねっとりとした腰使いでユックリと生々しく突き入れて里美を攻め続けて居る。

それは先ほどから、私の妻・里美の股間に竹中氏の欲棒の抜き挿しが、「何時(いつ)まで犯るのか」と想うほど質濃く永々と続けられている。

無理も無いのだが、本音で言えば犯られている間の里美は快感を貪(むさぼ)るに無我夢中で、正直、余計な事は考えられないのが普通である。

性交の佳境に入ってしまえば、もぅ女の性(サガ)で竹中氏にああされ様がこうされ様が、要求されるままに身を任せて止められない。

里美も、明らかに行為に集中して反応しているが、夫の私が合意して竹中氏との性交を認めたのだから、愉しんでジックリ犯られても仕方が無い。

竹中氏のネチッ濃いお愉しみに里美も感じて居て、それに呼吸を合わせて快感を貪(むさぼ)る様に恍惚の表情を浮かべてねっとりと濃厚な受け腰で応じている。

里美の粘膜の感触を味合うかの様に、竹中氏の生々しく愛液に濡れ光る陰茎が、喘(あえ)ぎ声と伴にユックリと見え隠れしている。

里美は、羞恥の感性の中で気取(キドリ)を捨て去り、今進行しつつ在る自分の性交プレィにジックリ気分を出して、本能で没頭して居る。

しなやかに軽快に、あられもない裸身をなやましく絡(から)ませて、里美は本能のままに竹中氏との濃厚な性交姿を私に観せて居る。

互いの目の届く範囲で、性交ショー化してギャラリーに観せながら大胆に犯るオープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)が、夫婦合意の遊びの性交である。

正直、目の前で自分の妻が他の男に抱かれているのは胸が詰まる想いも在るが、その嫉妬と興奮は帰宅してからの夫婦の性交で責め晴らせば癒される。


「里美さんを皆で犯っちゃいなさいよ。」と京香にけしかけられ、竹中氏と岩代と私が始めたのは男三人で里美を弄る事だ。

「毎日のように三人でしっかり責め挙げたからな、里美は良い具合に仕上がった。折角の人生だから、社長も里美の素の姿を見て置く方が良いだろう。」

元々女性は赤子を産む為に痛みに強い肉体(からだ)に出来ていて本質は被支配のM感性であるから、最初の段階で究極の性交体験を施し、性交に対する抵抗感を奪う事に目的がある。

折角の人生だから、勿論、人前で素っ裸にされて性交をして見せる情況に、世の中ほんの一部を知るだけでエゲツ無い行為が出来る嫌らしい成熟した大人の女性(おんな)として、妻の里美の脳にはドッとドーパミンが噴出している筈である。

世の中ほんの一部を知るだけで、ビックリするような事実は想ったより世の中にあるものだ。

「アゥ、アゥ、ア、ア、ア、ア、ア〜ァ、ア〜ァ・・・」

恥毛に覆われた柔らかそうな恥丘のデルタゾーン(三角地帯)の上部にポッンと敏感な花芯と縦に二枚の肉花弁、その里美の花弁の真ん中に突き挿さった欲棒の陰茎・・・。

白濁(はくだく)した愛液に濡れ光り、妻の里美にモロに串挿しとなった陰茎を、恥毛に覆われた丸みを帯びた恥丘の下に見え隠れさせて受け腰を使うエゲツ無い行為の風景を、里美は善がり声を目一杯叫びながら夫の私にイージー(簡単)に閲覧させている。

悔しい事に、毎日のよう呼び出されて竹中氏と岩代夫婦の三人に素っ裸にされて呼吸が荒くなる程に弄(なぶ)られると、その環境に脳や肉体(からだ)がセックスハイ状態に到達して性玩具(おもちや/ジョイトイ)として慣れて来る。

そうなればもう里美は、男達に無遠慮に犯られて何もかも素の女性(おんな)を曝(さら)け出し、究極の快感の中で身を震わしてイクところまで全てを見せてしまう。

そして里美は無条件で身を任すエゲツ無く気持ち良いM快感に溺れ、余分な思考など考えずに只々快楽に脳や肉体(からだが)を置いてそこのみに漂うようになる。

「社長の前で犯られても動じない所を見ると、奥さんの愛奴隷調教はどうやら上手く進んでいるようだな。」

この竹中の言で「ヤハリ」と言うか、既に妻の里美が夫の私に内密に何度も呼び出されて、過激な性調教を受けていた事を知った。


後は入り乱れて、二対三の乱交に成った。

女が少ないから、どちらかが男を二人引き受ける事に成る。

妻もその中で、楽しんでい居るかの様だ。

私達夫婦もこの所乱交の数を重ねているから、「特別な事をしている」と言う意識は薄れ、こうした事をする羞恥心の物差しは変わって抵抗感は無く成っている。

幸せな事に、細君(京香)の肉壁をかき分けて、私のカリ首が「グーィ」と潜り込んで行く感触が伝わって来る。

しかし私は、岩代の開所計画が気に成って成らない。

流石に妻も、キミチャンの見世物になるのは抵抗がある筈(はず)だ。

或いは、泣き叫んで「嫌だ。」と抵抗するかも知れない。

どう考えても、自分の輪姦される姿など、親友のキミチャンだけには見せたくないのが人情だ。

そんな無謀な事をさせる岩代の意図は、何なのか?

岩代の心理を、私は測りかねていた。

そして、妻にそれをさせる「勝算がある」と言うのか。

それさえも、あの不思議な「気の力で操れる」と言うのか?

この先、どう成るものやら・・・。

妻にはこのキミチャン参加の話、私は黙って居よう。



これで出資の件は済んだので、「念を押しに奥さんに言って置くが。」と竹中が妻に話し始めた。

竹中は、私や岩代が妻の里美をこの会社の接待役に引き込む計画の趣旨を理解している。

「勿論この出資は、奥さんの接待協力が前提だからわしが始めにアドバイスして置くが、性接待の性交は情が絡(から)まない事が前提だから、里美が愛奴隷として犯るSEX行為は恋人ムードの優しいSEXじゃない。と覚悟して置きなさい。」

「優しいSEX行為じゃないって事は・・・・?」

「言わば接待は奥さんがゲストの性玩具(おもちゃ)に徹して相手の性癖を満足させる事だ。里美が愛奴隷として犯る性接待の性交相手は、里美の気持ちなどは知った事じゃない。のだから、思い遣りの有るSEX行為は旦那様とだけ・・とハッキリ別ける事じゃ。」

「私(里美)の気持ちは知った事じゃないSEX行為で、私(里美)はゲストに犯られるのですか?」

「そうだ。ゲストが一方的に愛奴隷の里美の肉体(からだ)を支配して、理不尽なくらい犯りたい放題好き勝手に犯して楽しんで貰うだけだ。」

「ゲストに性玩具(おもちゃ)の愛奴隷として好きに私(里美)を犯して楽しんで貰う・・・。」

「気持ちの上ではその方が情が絡(から)まないSEXで、旦那様も嫉妬しないから安心じゃ。なぁ所長。」

確かに感情の問題からすると、夫としての私の立場では一方的な支配に拠る性交の方が嫉妬せずに見て居れる。

「そうですね。扱いに情が有ったら返って変ですね。理不尽なくらいのSEXで犯られる方が、後で夫婦間に問題がないのでしょうね。」

そう応えてハッと閃(ひらめ)き、竹中が「食えない親父」と気が付いた。

どうやらこの竹中の話は妻への覚悟の念を押しではあるが私への念押しも兼ねていたようで、返事をした以上扱いに「情」が無い犯りたい放題好き勝手に妻が犯される性接待を私も認めさせられた事になる。

「あなたもその方が夫婦間に良いと思うのでしたら、私もそう心得ます。」

これで妻は、自分への思い遣りなど知った事ではない犯りたい放題好き勝手な性行為を相手に犯られ方が、返って「私を嫉妬させない」と理解した。


(独立と資金稼ぎ)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十五話(独立と資金稼ぎ)


辞表の提出、引継ぎ、自宅の引越し、法務局への設立書類作成とめまぐるしい日々が続いた。

在籍していた会社からは、二人とも退職を引き止められた。

営業所の主力に、一度に二人抜けられるのは会社としてもキツイ。

それで、引き止めを試みた。

わざわざ引き止めに遣って来た「だみ声の専務」は、引き止められないと知ると、仕事の提携を申し出た。

新会社の有限会社京美企画と仕事面で協力関係をする事で、円満に退社させる事に決まった。

つまりは外注として、今までの会社の仕事もする事になる。

引っ越した今度の住居兼用のビルには、勿論天井の節穴はない。


実は私は、岩代に内緒で興信所を雇い、岩代の身元を調べさせている。

奇妙な陰陽師(おんみょじ)の呪詛(じゅそ)の話を聞かされて正体が知りたく成り、どうにも我慢がならなかったので有る。

しかし調査は難航しているのか、興信所の連絡は未だない。

いったい彼は、いかなる人物なのだろうか?

細君の京香も謎と言えば謎で、あの若さで「凄い女」と言えば凄いに尽きる。

経費の問題もあるので、こちらの方は経歴と出自だけの調査を依頼している。

「感」とでも言おうか、京美企画設立初期の段階から「違和感」みたいなものを、私は早くから感じていた。

私も手をこまねいてばかり居た訳ではない。

当然興信所を雇って、岩代の正体を探るくらいの知恵はある。

その結果は「報告待ち」としても、私の感覚から「違和感」が抜けない。

当初それは、妻をも巻き込んで岩代の推し進める「卑猥(ひわい)な接待営業に対する葛藤(かっとう)だ」とばかり思っていた。

所が、その「感」みたいなもので察知していた「違和感」の正体は、後に漸(ようや)く判るのだが、岩代の持つ常人離れした「特殊な何か」なのだった。


支配・被支配は想像を超える興奮をもたらすもので、無茶をしなければ性交に到る味付けとしては効果的でマンネリ感を払拭(ふっしょく)する。

ティードアップ(縛り)、ビリンデス(目隠し)、ハンダードラッシュ(鞭叩き)、ハングアウト(吊るし)は、SMの基本形である。

そしてそうした用語が英語を始め世界各国にも存在する以上、人間の性(さが)とも言うべき性技習慣としては洋の東西に関わらずSM絡みの性交は何も異常な事ではなく、愉しみ方として昔から現在まで存在する。

人間の本能に於いては、強い刺激は危険でなければ喜びに変わる。

SMプレィのM性が一部の人間に病み付きに成るのは、ストレスが解消して後がスッキリするからで、これは経験してみないとその喜びは判らない。

わさびや唐辛子の嗜好(しこう)の理屈と同じで、辛さは最初に酷い思いをしても「食べて安全」と判ると、食後スッキリするから病み付きに成る。

つまり人間は、本能において刺激を求める傾向を持っているのだ。

それにしても、人間はここまで劇的に変われるものなのか?

岩代が、妻に潜在した情熱的な情念を引き出し、妻は呪縛が溶けて水を得た魚のように今を泳ぎ始めた。

妻は、何を受け止めたのか?

私が知らない時間に、彼女が新しい領域で、その脳に記憶したのは一体何なのか?

止める事は出来なくとも、「知りたい」それが偽(いつわ)らない私の気持ちだった。

妻は、拘(こだわ)りを捨てて精神的にも開放されたのか、顔が柔和に成り、まるで菩薩像の穏やかな表情を浮かべている。

己を捨てる事で、「生きる道が開ける」と言われるが、妻は己を捨てた事で己を拾い上げたようなものである。

近頃の妻は、守り隠すべき拘りが無くなって、女性が持って産まれた本性とも言うべき感性を、素直に外に出せるのである。

持って産まれた女性の本性を、素直にそのまま表に出せば見せたがりで、女は「見られる方が美しくなる」と言うが、妻の場合は接待愛奴隷であるから全身全裸まで他人に晒(さら)して見られる事に成り、裸身まで美しく成った。

己を捨てる事こそ、実は「己を伸び伸びと生かす事だ」と、この時初めて妻は悟(さと)ったようである。

岩代夫婦のおかげで「貞女の呪縛が溶けた」と言う事なのか、穏やかな心で接待愛奴隷の役目を、己を捨てて拒む事無く務めている。

その態度こそが、妻の本性の中に眠っていた露出願望や性的な欲求が、無理なく叶えられるのである。

この選択は、思わぬ効果を妻にもたらせ、妻は益々自分の決断に自信を持った。

妻は愛奴隷に大胆に変身すると垢抜けて美しくなり、道を歩くと他人が溜息を持って振り返る程である。

女性の「肌の露出願望」は、優しく表現すると男性の「注目を浴びたい」、強く表現すると、男性に「関心を持たれたい」と言うもって産まれた本能的な心理からである。

少なくとも男性の注目を浴びるには「肌を露出する事だ」と、女性は感覚的本能で知っている。

つまり、見せる事が魅せる事だと本能に導かれているから、見せたい願望は女性の本質である。

確かにそこは痛い所で、女性は指摘されると「肌の露出は唯のファッションで、男性に見せる為ではない」と猛反発するかも知れないが、それならそう言う「見せびらかす格好」を止めてから言うべきで、都合に良い言い分である。

不思議な事だが、平凡な主婦時代の妻よりも現在の性愛奴隷の妻の方が、誰が見ても遥かに光って見えるのである。

勿論女性の肌は魅力的であるし、美しく見せ「注目を浴びる」には肌の露出は有効な手段である。

奇妙な事に、この「注目を浴びたい」と言う心理が実現されるのは、社会的に女性の権利が強まった事に比例する現象で、別に男性から強要された訳ではないのである。

女性の露出願望は本人が自覚している居ないに関わらず、潜在的本能として存在する。

潜在的本能が存在するから、それが許される混浴場や海外のビーチで、この時とばかり思わぬ行動に出る淑女も多い。

女性の権利が社会的に低い国ほど、実は肌の露出は少ない。

これは、女性の意志と言うよりも、男性の女性独占欲を反映しているからである。

つまり女性は、社会的制約の為に本能である「肌の露出願望」を制御していたに過ぎない。

これを感情的な建前で、「自分の満足の為のファッション」といくら否定しても、それは現実が物語っている。

戦後の六十年間のファッションの歴史は正にその証明で、女権が確立しつつあると、女性達はそれに伴って社会的制約から開放されて本能を発揮し始め、「肌の露出」が段々大胆に成って行くからである。



理由は判らないが、岩代夫婦は何か確信を持っているように、妻の調教や接待の実践に対して「加減」と言うものをしない。

不思議な事に、妻は魅入られたように、その過酷な調教や接待に耐えているのである。

この岩代が女達に施(ほどこ)した性調教、後にまったく無駄のないものだった事が判明する。

そんな事は知る由も無く右往左往する私の心理を尻目に、彼は、ある秘密の目的を持って、無言の内に一歩一歩そこに近付いていたのである。


「妻は、どう成っているのだ?」

しかし輝く女に変身した裸身の妻が美しくそこに居て、私に不思議を感じさせる。

不思議な事だが、女性は注目を浴び、見られる事を意識すると美しくなる。

従って、映像や舞台で顔を見せるのが仕事になると、女優や俳優は愚か、男女を問わずにアナウンサーもコメンテーターも、年齢を聞くと驚くほど若く美しかったりする。

つまり人間の適応力は想像以上で、他人から「見られる事を意識する」と、それだけで脳が見られる事への対応を顔に指示する。

当然の結果であるが、他人に裸身を見られる機会が多ければ、肉体にも脳から「見られる事への対応」の指令が行く。

それで脳は、より美しくなる為の指令を、細胞の隅々まで送るのである。

結果的に言うと、女性の「露出願望」は、脳のメカニズム的にも正解で、当然ながら無意識の本能が働いているのである。

この理屈からすると、見られる機会が少ないほど、人間は老いが早いのかも知れない。


妻は、接待奉仕を始めてから、見かけも雰囲気も良い女に成って、性感だけでなく、あらゆる感覚がシャープ(切れ味鋭く)に成なった。

後(のち)に聞くと、妻は特訓の為に竹中に呼び出され、日々精進怠(おこた)り無く躾(しつけ)の性行為を肉体(からだ)に施(ほどこ)された結果、「男にとって極上の女に変身した」と言う事に成る。

肌触り、肌の温もりは無言のメッセージで、それを供(きょう)する事は相手に対する最大限の誠意である。

結局の所は男と女、愛情があろうが無かろうが、信頼関係を構築するなら男女として交わるのが近道である。

そこで、接待した相手が笑顔に成らなければ、接待した意味が無い。

そう成ると、手抜きが出来ないのが接待の性奉仕で、それは愛奴隷にガッチリ仕込まなければ成らない。

そして、色々な男を知った女は、磨かれて良い女に成って行く。

妻が変身した今でも、私にとって一番大切なのは妻である。

その心境に、偽りは無い。

しかしこれは、関係に自信が在って始めて言える事だが、それは妻の肉体ではなく、妻の「里美」と言う人間の存在だった。

実は、いずれ話す事も有るだろうが、少し複雑な家庭環境に育った私にとって、妻と娘は架け替えの無い存在である。

妻は、愛奴隷として進化を続けて居るようで、時には自分の身体に降り掛かる被虐の性を、楽しんで居るかのようにさえ思える。

時折、妻は岩代夫婦の指示で、私に報告も無しに動いているようだが、岩代からも妻からも私に相談が無い所を見ると、さして問題がある事でも無さそうである。

それにしても、私の知らない所で愛奴隷として動いている妻はどんな事をして居るのだ。

この状況は内心不安で私を惑わすが、妻や岩代夫婦は、私を試しているのだろうか?

夫婦と言えども、私に取って空白に成る「妻の時間」は存在した。



慌(あわただ)しい独立騒ぎの合間に、岩代が又、良い仕事を取って来た。

凡(およ)そ二百坪程あるチョットした繁華街にある物件で、持ち主は石上と言い、土地は遺産分けで手に入れ遊んでいたのだが誰もその持ち主が捕まえられない。

岩代が調べに調べ漸(ようや)く辿り着くと、石上は伊豆の方で呑気(のんき)にドライブイン・レストランを経営していた。

五十年配の男だが、見るからに真面目でお人好しだった。

ちょうど彼には老朽化した木造店舗をビルに建て替える計画があり、「現金が要る」と言うので売却話を持ち込み、接待する事になった。

こっちの勝っ手な都合だが、キミチャンの生島不動産を早急に支援する為にも、ここは一番稼(かせ)がねばならない。


稼(かせ)ぐとすれば、あくまでも合法が前提ではあるが独創性が無ければ企業に未来は無い。

どんな仕事でも、多少の後ろめたさは感じながらするものだ。

商売の本質は、安く仕入れてそれに「利」を乗せて売る。

その「利」のどこまでが正当なもので、何処からが儲け過ぎなのかの線引きは永久に無い。

正当な商売なのか暴利を貪(むさぼ)るのか、それを決めるのは相場であって、善意や悪意ではない。

「利潤を上げる」と言うのはそう言う事で、その駆け引きにおいて必要と在れば、誰でも有利に事が運べるべく手段を講じる。

或る意味商売において、その双方が満足する取引が理想である。

その点、我々の「特別な接待付き」と言うのは、限りなく良心的ではないか。



世の中上っ面の綺麗事の建前ばかりで誤魔化されているが、世間の実態はそんなものではない。

現実に妾・愛人は娼婦であり、もしかすると結婚した妻も永久就職の娼婦かも知れない。

会社でも、職場妻や職場娼婦の方が幅を利かし、水商売の女性も例え銀座の女でも常連客の引止めにはホテルデートもするし、大学の女助教でも出世するには教授の後押しの為に性的関係を持つのは常識である。

女子アナなどは年俸制だから年中番組担当を漁(あさ)る立場で、仕事をもらえなければ日干しだから典型的な職場娼婦である。

単純に「そんな事、良い訳がない。」と想うかも知れない。

だが、考えて見ればそんな良い悪いの判断はいったい何時(いつ)誰がどう言う価値基準で決めたのだろうか。

戦後開校したある大学・高校の女性創始者は、生涯独身で養子が現在のオーナー学長だが、戦後直ぐに米軍の将校に性的に取り入って旧連隊敷地の払い下げを受けて校地にした。

その後も性的関係のスポンサーを沢山創り、その学校を発展させて教育関係で成果を上げ、自らの夢を成し遂げている。

その女性創始者の、第一の教育目標が「情操教育」だと言うのだから笑わせるが、案外世間とはそう言う矛盾の塊かも知れない。

実態はそんなものなのに、「綺麗事の建前」と言う蓋をして取り繕っているのが世間である。

つまり利の為の性交は情交では無く、倫理感・貞操観念などと言った所で、女の武器は、「使ったら使った者勝ち」が正直世間の実態である。


「社長、例の生島不動産の買収計画が、この取引で可能に成ります。」

「そりゃあ、買収資金は潤沢に越した事は無いが・・・」

「生島喜美子は奥さん同様に良い戦力になりますよ。」

「しかしな、内の奴の友人と言うのが引っ掛かる。」

「社長、奥さんの親友を抱くと言うのも興奮しませんか?」

「そりゃあ私も男だから、内の奴の親友を抱くと言えば正直興奮する話だな。しかし内の奴が反対しそうだな。」

「奥さんなら大丈夫です。キミチャンなら気心が知れているから仲間に入れても良いと、もう了解しています。」

「本当かいな。それじゃあ、俺が喜美子を抱く事も承知なのか?」

「当たり前でしょう。もう自分が大勢に抱かれていて、社長には喜美子を犯らせない何て言えませんよ。」

すると、後は喜美子を追い込むだけだが、何しろ岩代マジックでお硬い妻の変身を私は目の当たりにしている。

「それで亭主が了解しているとしても、喜美子の方は大丈夫か?」

「まぁ、楽しみにしていて下さい。」

岩代が喜美子を妻同様に性接待の愛奴隷に仕立て上げる積りなら、もう喜美子は京美企画に絡め取られたようなものである。

生島喜美子も妻と同様に利巧な女だから、そうせざるを得無い状況と雰囲気を作れば案外大人の対応が出来る女かも知れない。

こう話が進んでしまえば、恐らく生島喜美子は岩代マジックで上手に追い込まれて素っ裸にされ、私の前に現れて私の欲棒を咥(くわ)える運命だろう。

そうと決まれば遠慮は要らない。

どうせ性接待の愛奴隷に仕立て上げる積りなら、喜美子の肉体(からだ)には大勢の男が通り過ぎる事に成るから、私一人が遠慮しても始まらない話である。


石上の持ち地所買収と投資の件は、早速岩代と話し合って、田嶋の時と同様に、接待は妻に任せる事に私が同意している。

ここでつまずき、次を探していては事業計画が遅れる。

岩代からは、「奥さんを仕込むには、一気に何度も犯らせて慣れさせる事です」と煽(あお)られている。

今度は、私が直接妻に根性を入れた接待を命じた。

「ここは資金獲得の正念場だから、里美も気合を入れて接待して犯ってくれ。」

私も同席し、新事務所の一階で妻達が過激な接待をして、調印に漕ぎ着ける事にしたのだ。



それにしても、説明を受けた当初は簡単に考えていた性接待も、本格的な愛奴隷接待だった事に、私は今更に驚愕(きょうがく)した。

それが、夫の私が会社で使っていた部下の岩代夫婦と立場が入れ替わって、「アッ」と言う間に過激に調教され、今は恥や外聞を捨て他人前(ひとまえ)で生ライブ性交ショーの主役である。

しかし人間の想いなど不思議な物で、同じ事でも悩んでしまえば大変な事で、堂々と「何でもない」と思えば、それは「何でもない事」である。

この卑猥(ひわい)な愛奴隷接待を「犯る」と応じた以上、里美は気取りを捨てて、相手の腰使いにアクティブ(前向き・攻撃的)に受け腰を使わざるを得ない。

夫の私を含む他人前(ひとまえ)に素っ裸で曳き出され、、クライアント(得意先/顧客/依頼人)を遊ばせる目的の愛奴隷接待性交に応ずるのだ。

この状況下では、愛奴隷接待のお約束で里美の接待プレィに一切の妥協は無い。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)を、濃厚な性交で堪能(たんのう)させなければ接待の意味が無いからだ。

全裸で曳き出された時は里美も「恥じらい」の表情を浮かべていても、プレィが始まってしまえば「恥じらい処」ではない。

犯り始めれば肉弾の修羅場で、どうせ里美が気取って居ても、肉体(からだ)からは正直に「嫌らしい反応」が滲(にじ)んで来て隠しようが無い。

そしてガチ・バトルの刺激的マラソン性交プレィに嵌(はま)れば、ランナーズハイと同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・「セックスハイ現象」に達する。

まぁ、人間は元々判らない生き物で、表面からは裏の非日常の場面では何を犯って居るのかまではどうせ想像など出来ない。

そう、日常生活の穴を埋める夫婦公認のこの愛奴隷接待を、大袈裟(おおげさ)に禁欲的に考えなければ、里美の人生は、まんざら悪くは無いのかも知れない。



田嶋の次に仲間に加わった石上に妻が奉仕した最初の日の事を、私は鮮明に覚えている。

あの日は、雨こそ降っては居なかったが、分厚い雲の覆われた暗く風の強い日だった。

「奥さん社長に言われていると思いますが、接待ですのでお出迎えの支度してください。」

「はぃ。」

妻は躊躇(ためら)いも無く、衣類を脱ぎ出した。

男性を興奮させる怪しいビジュアル(視覚感)として、露出は物凄い破壊力があり、生け贄はそれらしくすれば、そう見える。

妻は裸に剥(む)かれ、岩代から後ろ手に縄掛けをされている。

自分の魅力に下駄を履かせるには、ビジュアル(視覚感)として露出が一番である事を女性は本能的に知っている。

立場上「見られる」を意識すれば、自然に脳の内側の美の要求を刺激するのだが、確かに、出る女と篭(こも)る女では一見して見た目が違う。

益してや、屡々(しばしば)裸身をも人前に曝(さら)け出す情況に置かれたとなると脳がそれに対応して、肉体(からだ)もそれなりに香るような美しさになるのかも知れない。

柔らかい曲線を描く裸身を惜しげもなく晒した妻は、「ハッ」とするほど益々美しく輝いていた。

こう言う事は、あくまでも妻に自分で「犯る」とコミットメント(約束、誓約、公約、確約)をさせる事である。

コミットメントは、意思を明確にする事に拠る一種の自己縛(じこしば)りであり、妻の里美本人に「犯る」とコミットメントさえさせてしまえば、それが縛(しば)りと成って威力を発揮し、心理的に如何なる行為もNGは言えなく成る。

妻はロックイン(囲い込まれる)され、もぅ「コミット(自己縛り)したのだから」と縛られて、全裸拘束姿にも応じ、心身ともに縛られたのである。

正直言うと、この愛奴隷事業は妻が岩代イズムに囲い込まれたロックイン効果(囲い込み戦略)の結果なのだが、見事に嵌(はま)って妻の淑女時々娼婦の生活がドラマチックに始まった。

元々のロックイン効果は経済学用語で、「囲い込み戦略」を意味する。

「ロックイン効果」と言う考え方の始まりは、顧客(ユーザ)がある商品を購入すると、その商品から他社の製品への乗り換えが困難となり顧客との継続的関係が維持され易くなる効果である。

しかしこのロックイン効果(囲い込み戦略)は、慣れを前提として男女の関係でも「使い易さや任せて安心の信頼度」と「精勤に対するリターン」が合致すれば良いのだ。

それは一種の相互ロックイン効果「惚(ほ)れる。気に入る。」の成立で、愛奴隷はゲストに対して行き届いた気配りの性行為が求められているのである。

勿論そうした関係を解消するにはスイッチングコスト(乗り換えコスト)を払うリスクも生じる為、一度ロックインしてしまうと中々離反の決断は着け難い。

それでロックイン(囲い込まれる)された妻は、時々素っ裸の愛奴隷となって娼婦を続ける事に成った。


「さぁ、支度が出来たらゲストのお出迎えに出る。」

岩代が妻に外で迎えるように言っている。

支度が出来ると、妻が石上の来社を全裸に春物のコートだけを羽織って、強い風にコートを捲くられながら外まで迎え出た。

これは後に妻に聞いた話だが、妻が岩代に言い聞かされたには、実は全裸でゲストに引き渡すのは「奥の深いメッセージだ」と言う。

元々衣服の役目は肉体(からだ)を隠し守る為の物である。

接待性交に於いて、愛奴隷はゲストに対し肉体(からだ)を隠し守る事を放棄しているのだから、本来一部たりとも衣服を身に着ける事は、「ゲストに失礼な行為である。」と言うのだ。

つまり愛奴隷は、その全裸で引き渡される意思表示に「私の全てを、ゲストの好きに弄(なぶ)る事をお任せします。」と言う意味合いを持たせていたのである。

亀甲羅縛りに麻縄で括(くく)られた眩(まぶ)しい妻の裸体は頼りな気にまったく無防備だった。

興奮で乳首が立った見事に張りのある両乳房に、括(くび)れたウエストから曲線を為して広がる腰、露に恥毛を蓄えた股間、剥(む)き出された柔らかそうな太腿(ふともも)が男心を惑わす。

なだらかに丸みを帯びてツンと競り上がる白い尻肉、水泳で鍛えた肉体美を余す所無く全てを晒(さら)して、石上の欲望をそそっている。

縄掛けされた妻の乳房が少し窮屈そうに絞(しぼ)られて、前に絞り出されるように突出し、歩く度にユサユサと揺れている。

その格好にさせた事で、妻は日常生活から非日常の接待モードにスイッチが入るのである。

また、妻はあの優しい笑顔を浮かべて、これから始まる卑猥な奉仕の時間を待ち受けている。

外の駐車場まで出迎えた妻の格好は、例の露出調教の晒(さら)し者状態で、全裸上半身拘束姿のまま、両手が使えないから屋外では前が肌け露出しても本人に隠す手立ては無い。

そこに、コートを巻き上げるような強風に、コートの前は肌けたたままで、縄がかかった胸の乳房が覗いて、両腕は後ろ手に拘束されていた。

妻はまさに、躾(しつけ)の領域を越えた調教済みの愛奴隷である。

妻が調教されたマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などの遊びの性交も多人数相手ではかなりの運動量である。

おまけに性接待の実践も始まって、この環境では裸体を始終見られる事を意識しているから妻の肉体(からだ)が適度に美しく引き締まり、いっそう魅力的になった。

妻の裸身は、見るからに妖艶な美しさに輝いていた。

拘束された上半身と違い、自由にされている両足の太腿(ふともも)の付け根は、ビキニラインとも呼ばれるV字型のライン、そこから切り替わって丸く膨らみながら陰毛を蓄える恥丘が怪しい。

陰毛の隙間から小豆粒大の桃色の花芯ボタンが覗き、その最下段に可愛く開いて咲く短い恥毛が絡む二枚の肉花弁が、生々しく男を誘っている。

それが私には妻が美しく羽化(うか)し、「さなぎから蝶(ちょう)に変身した」と映った。

もぅ、全裸で石上を出迎える妻は堂々としていて、私が知る地味な性格の妻は居なかった。

石上が車から降りる駐車場まで迎え出た妻は、生け贄(いけにえ)然としていた。

肌けたコートの間から縄掛けされ、恥毛さえ外気に触れてそよぐ全裸の妻の肉体(からだ)が丸見えだった。

明らかに妻の乳首が硬くなって、平静を装う顔をしても、興奮している事は隠せない。

こう言う時にリードするのは細君(京香)の方で、妻は言い成りにしているだけの様だ。

いくら性奉仕の接待とは言え、行き成り全裸拘束姿の美女の出迎えである。

岩代には効果狙いの手段なのだろうが、「まさか?」と思う「有り得ない事」が既成概念をぶち破って出現すれば、それはゲストにとって強烈なインパクトでありその価値観が圧倒的に違う。

それは、犬首輪にリードチェーンを着けられ後ろ手に拘束された素っ裸の女を「ごユックリどうぞ」と引き渡されれば、「どうにでもしろ」とハッタリを咬(か)ますには充分なメッセージである。

石上と名乗る男も、思わぬ美しい素っ裸の出迎えに見とれてその場に佇(たたず)み、妻の裸体を繁々(しげしげ)と見ていた。

確かに、妻の美しい全裸拘束姿を見せられれば、男は誰でもこれから起こる幸運に想像力が膨(ふく)らんで思わず頬(ほほ)が緩(ゆる)んでも不思議は無い。

石上は、接待に「女を抱かせる。」と聞いては居たが、ここまで徹しているとは思わなかったのだろう。

しかし、ど肝を抜く意外性に徹しているからこそ「レア(珍しい)」な価値があるのだ。


質濃い様だが、人間に取って均整の取れた裸体ほど、美しいフォルム(形状)はこの世には無い。

それも、妻の場合は「飛び抜けて良い」と評判で、或いは本人も、自分の裸身には自信を持っているのではないか?

男は単純だから、美人でスタイルも良い女の全裸体を見せ付けられれば、正直それだけで興奮して、心は鷲掴みである。

おまけに、その全裸体の美女が「後ろ手に拘束されていて大股開き」とくれば、ケチの付けようがない。

石上に近寄って来た岩代が、「こちらが当社の社長で、こちらが社長の奥さんです。今日はご覧の通り、この社長婦人を石上さんのお相手にしましたから。」とコートを捲り上げ、いたずらっぽく笑って告げた。

妻の裸体は、尚更バッチリと石上の目に晒(さら)されたが、妻は動じない。

「石上様、ご奉仕の最中は、里美と呼び捨てに願います。」

妻も優しく穏やかな顔付きで、石上に告げた。

「この社長婦人は、調教済みですから、石上様の言う事は何でも聞きます。お好きに扱って下さい。」

例の、屈託を感じさせない清純そうな笑顔で、「ニコッ」と笑いながら、細君(京香)が脇からキツイ事を、事も無気に言う。

「調教済みとはそそられる話だが、良いのカイ、社長婦人が俺の接待相手とは、また変わった趣向だ。」

「他の女性がお相手では、石上様に誠意が伝わらないでしょう。さぁ、好みのままに可愛がってやって下さい。」

繁々と妻の裸身を確かめながら、石上は妻にもう一度「それはそうだが、この美人の奥さんを俺が本当に好きにして良いのカイ」と念を押した。

「はぃ、石上様。私が精一杯ご奉仕いたします。」

「そうカイ、それじゃぁ、遠慮なく楽しませてもらうので、案内して貰おうか。」

そう言った石上は、もぅ、期待で顔をクシャクシャにして居る。

「はぃ喜んで、石上様。」

妻が先に立って、石上を奥へ案内しようとする。

下半身の方は、ゲスト用に無防備に更け出すが、上半身は両腕を背中で組ませてガッチリと手首を縛り、両肩に縄を巻いて、実に見栄えのする見事な拘束愛奴隷姿だ。

だが、両手が固定されている上にコートが強風に煽(あお)られて、ヒールで歩き回るにはバランスが取り難い。

細君の介添えが無ければ上手く歩けない妻は、顔を赤く高潮させ、肌蹴(はだけ)たコートの間から乳房や太腿、股間の痴毛まで覗かせて、両腕の拘束でバランスが取り難いのか、幾分踏ん張り気味にうつむけ加減にヨロヨロと歩いて居る。

後に続く石上の方は、もう、内心ウハウハ顔で足取りも軽く、これから起こる事にニヤケ崩れている。

何しろ、美しい素っ裸の人妻のお出迎えを受けたのだ。


いきなり予想以上の格好をさせた妻の出迎えを受け、石上は「必ず気に入る接待」と言う事の内容(中身)を知った。

ゲストは、この妻の格好に度肝を抜かれ、やがてエキサイティング(興奮)する。

涼しげで黒目勝ちな瞳の眼の持ち主が、美しい裸体を晒(さら)しての拘束愛奴隷姿で出迎えた。

すましては居るが、石上は驚き、先の奉仕に期待したに違いない。

妻の首には大型犬の皮製首輪がしてあり、鎖のリードの先をジャラジャラと細君が引いていた。

あれ以来、犬首輪をしたリードに繋がれて、全裸でゲストに引き渡され、夫である私の目の前で、嬲り者に成るのは妻の役目だ。


接待奉仕に供された身では、如何(いか)なる行為も拒む事無く受け入れて、卑猥(ひわい)に愉しませなければ成らない。

これは、「他人前素っ裸(ひとまえすっぱだか)で、淫乱にシャブて見せ性交を犯って見せる」と言う非日常の卑猥な陵辱プレィの行為で、嫌が応でも本能のスィッチがオンに成る場面である。

妻は羞恥心と被虐感を刺激に、肉体(からだ)の性感が燃え上がる様な連続したアクメ(絶頂)を感じ続けていた。

同じ行為でも、「他人(ひと)に見られている」と言う脳みそが痺(しび)れる様なその刺激は公開性交だからこそで、夫や恋人との普通の性行為ではとてもその快感は得られない。

正直本音で言えば、 「禁断の露出公開性交」と言う異常な舞台設定だからこそ違和感無く形振(なりふ)り構わず大胆・奔放に愉しめる。

「取引相手をゲストに、社長婦人も内の京香もこう言う格好にさせて奉仕させますので、仕事は取れます。」

「なるほど、社長婦人もこの通りなら仕事は取れる。それに、出資をすれば愉しませてくれると言うのだから期待出来るな。」

石上が思わず漏らした一言に、直ぐ細君(京香)が反応して応える。

「それはその為に、この格好をさせているのですから、ゲストは何でも犯りたい放題ですよ。」

「知らない連中に投資しても大丈夫かと思ったが、これだけの奉仕が出来るなら商談もまとまるだろうな。」

「えぇ、心配は要りません。社長婦人もこの通りですから、我々は商談仕事を外しません。」

妻は、皮製の犬首輪に全裸拘束姿で股を開いたまま、石上の手がそこに伸びるのを待っている。

「さぁ、取り敢えず石上様も社長婦人の使い心地を試して見れば、確実なのが解りますよ。」

こんな事でも無い限り、滅多に味わえない快楽を提供するのが京美企画の愛奴隷接待である。

「そうかね、それじゃあ奥さん、試させて貰おうか?」

「はぃ、確りお相手させますから、ご希望のままに何でもお試し下さい。」

石上は見るからに興奮していたが、それを気取られない様に、気取っていた。

しかし、どんなに気取っている者でも、どんなに地位のある者でも、異性と性行為を励(はげ)む時には本音が出る。

とどのつまり、満足する性癖を発揮するのには、気取ってなんかは居られないからである。

いざとなると石上も、己の性癖を剥(むき)き出しにして妻の裸体にむしゃぶりついた。

究極の拘束状態に置かれ、何もかも剥(む)き出しにされた恥じらいなのか、妻の顔と裸体に赤味がさしている。

妻は裸の晒(さら)し者として石上に与えられたのだから、隅から隅まで裸体を点検されても、為すがままである。

犯ると決めた以上「恥ずかしい」とか「嫌、出来ない」は招待した側としては筋合いではない禁句で、愛奴隷の里美が中途半端では相手のゲストに対して失礼でしかない。

接待時、愛奴隷のストリップ・サーチ(全裸検査)はゲストの特権で、妻は乳房を揉みしだかれ、口の中はもとより、女性器の中だろうがア*ルの中だろうが、隅々まで触れられ、指を入れられて確かめられるの事がお約束である。

「そうかい、それじゃぁ、まずはお楽しみで、奥さんの肉体(からだ)をジックリ見せて貰おうか。」

「はぃ喜んで、石上様。どうぞお楽しみください。」

「まずは、後ろからだ。四っん這いに成って尻りを見せな。」

「はぃ喜んで仰(おお)せの通りに致します。京香さん手を貸して下さい。」

両手を後ろ手に縛られていて自分では動きが出来ない妻は、細君の手を借りて、何とかリクエスト通りの四っん這いになる。

四っん這いで後ろから二つの尻肉を石上に掴まれて「グィ」と広げられ、菊の蕾や二枚の肉花弁が恥ずかしげに半開きに成る様を見られ、「おぅ、こりゃあ良い眺めだ」と指で蕾を弄(もてあそ)ばれている。

「よぉし、次は前から点検だ。」

「はぃ喜んで、石上様。済みません京香さんまた手を貸して下さい。」

「はぃはぃ、石上様に良く見て頂きなさいね。」

妻はまた細君の手を借りて起き上がり、大股開きのM字開脚に股間を晒して座りな直すと、石上に両手で二枚の肉花弁を広げられ「ジッ」と見られる事に耐えている。

目の前に素っ裸の女性が、踵(かかと)を宙に浮かせた股を開いて、それが扱(あつか)い自由の生肉体玩具(オモチャ)であれば、男として当然愉しまない手はない。

生肉体玩具(オモチャ)の顔を観ながら股間に咲く二枚の肉花弁を指二本でパカパカとで開いたり閉じたり、突起した敏感な蕾(つぼみ)の実(サネ)をグリグリと弄(いじ)って観る。

次は本格的にお愉しみで、生肉体玩具(オモチャ)の柔ら壺やア*ルに指を挿し込んで抜き挿しし弄(いじ)って反応を観る。

何をされても生肉体玩具(オモチャ)はジッと耐え、股を開いたまま恥ずかしいところを為すがままに弄(いじ)らせている。

石上の動きを観ていて判ったが目の前に素っ裸の女が供された時の男の行動はほぼ同じで、ストリップ・サーチ(全裸検査)の手順は田嶋と大差は無い。

まず乳房を掴み次に尻を撫(な)で、太腿(ふともも)の付け根辺りを擦(さす)り、次に突起した花芯ボタンを指で擦(こす)り、二枚の肉花弁を押し開いて入り口を確かめた後その指を抽入し、何度か抜き挿しを試みる。

石上の利き腕が妻・里美の尻に廻って手の平が尻肉を撫(な)で廻し、指先がモソモソと菊座の穴や二枚の肉花弁の間に潜(もぐ)り込んで弄(なぶ)り廻している。

その弄(なぶ)りに、妻・里美は恥ずかしそうに顔を赤らめながらも身を捩(よじ)って避けもせず、股間を広げてのお愉しみに為すがままに耐えている。

広げさせた妻・里美の股間を眺めながら、石上は指先で淫毛に隠れた実(サネ/花芯ボタン)を弄(なぶ)り、二枚の肉花弁を押し広げ刺激を加えて中を潤ませる。

その湿り気を増した里美の肉花弁の中に、石上は人差し指と中指を揃えて挿し込む。

挿し込んだ二本の指を中の感触を確かめる様にユックリ抜き挿しをしながら、刺激を感じる里美の顔の少し歪み気味な表情変化を眺め愉しんでいる。

目の前で妻・里美の股間に他人の指が抽入され、スナップ(手首を捻って効かせる)が利いた手首と肘(ひじ)でリズム良く抜き挿しされ、二枚の肉花弁と指の隙間から愛液が噴出している。

感じているのか、里美の顔が歪(ゆが)み、半開きの口から「アァァァ〜。」と善がり声が漏れ、腰も抜き挿しのリズムに合わせるかのように見えている。

里美のヒィヒィと言う善がり声を聞きながら、石上はその二本指抜のき挿しのスピードを徐々に速め、グィグィと里美の女性器を弄(なぶ)って行く。

やがて抜き挿しに応じる様に里美の尻穴の菊座がヒクヒクと収縮とし緩を繰り返し、腰が浮いて二本の指の抜き挿しに卑猥(ひわい)に呼応する。


元々人生何ぞは、回り舞台の上で頼りな気に裸踊りを踊っている様なものかも知れない。

妻のように中途半端に綺麗事で刹那刹那を掻(か)い潜り、逃げてばかりで解決する問題など世間には無いのだ。

幾らエロティックな行為でも愛奴隷が嫌々では興醒(きょうざめ)めで、エゲツ無い行為に誠意と熱意が無ければ相手のゲストも感謝しない。

こんな事でも無い限り、滅多に味わえない快楽を提供するのが京美企画の愛奴隷接待である。

使って頂く素材の公開はムード的に必要で、ソフアーに座る時は立て膝開脚が当たり前の姿勢で二枚の肉花弁がパックリ開いて、妻の内側のピンクの蕾が丸見えである。

あからさまにM字開脚した妻の魅力的な剥(む)き出しの内太腿(うちふともも)の白さも、その付け根の卑猥(ひわい)な部品も、見る石上に充分魅力的に違いない。

何しろ、ひだに囲まれた桃色の花芯ボタンも二枚の肉花弁も周囲に短い陰毛もへばり付くア*ルの蕾まで丸見えだった。

最初に、「石上が何をするか」と見ていると人間犯る事は大概同じで、笑える事に行動が寸分の狂いも無く田嶋の時と同じである。

元々それなりの見返りを求めての事だから慌てる事は無い、男は抗う事も無く思う様に好きに出来る女性の裸体を手に入れれば、まず確かめる様に胸の乳房を撫で尻の肉を撫で、太腿(ふともも)を撫でて赤裸様(あからさま)にその感触を愉しむ。

妻は大開脚の姿勢で上体を仰け反(のけぞ)らせ、石上は握りこぶしひとつ近つければ鼻先が肉花弁にクニュリと触れるほど妻の大開脚された股間に顔を近づけて異様な目つきでジッと眺めている。

次に妻の表情を見つつ利き腕を伸ばして妻の花芯ボタンや二枚の肉化弁に触れ、指を操りながら妻の表情と今正に自分が弄(なぶ)りつつある妻の大開脚された股間を交互に見ている。

勿論、接待時に行われる愛奴隷のストリップ・サーチ(全裸検査)はゲスト様の特権で、妻の大開脚された股間は石上に弄(なぶ)られる為に目の前に晒されているのだから、石上は遠慮は要らない。

このひと時、素っ裸で石上に引き渡された妻は、何をされても文句は言わない究極の愛奴隷なのである。

あからさまにM字開脚した妻の魅力的な剥(む)き出しの内太腿(うちふともも)の白さも、その付け根の卑猥(ひわい)な部品も、見る石上に充分魅力的に違いない。

何しろ、ひだに囲まれた桃色の花芯ボタンも二枚の肉花弁も周囲に短い陰毛もへばり付くア*ルの蕾まで丸見えだった。

接待何んて物は、相手ゲストが納得する珍しくて贅沢な内容でなければ価値は無く、接待の意味が無い。

何処でも受けられるような珍しくも無い在り来たりの酒食の接待ではなく、「こんな事は中々犯れない」と相手ゲストが納得する開放感溢れたお愉しみがなければ、接待など成功しない。

最初から後腐れの無い只の遊びが前提で、清楚(せいそ)な雰囲気の妻・里美が素っ裸でどんな性癖の我侭(わがまま)も受け入れての、至れり尽くせりの性接待を受けて怒る男など居ない。

私で在ってもこんな美味しい話し乗らない訳はないのだから、性接待も単なる仕事と割り切れば、純粋に真面目に生きると言う事も質と方向が違えば確かにこれは充分に理解出来る事である。

完璧に愛奴隷を演ずる妻の姿が、此処に在った。

「オッ、この奥さん見られるだけで感じているのか、花弁の内側が潤(うる)んで来た。どうだい、正直に言ってみろ。」

「はぃ、石上様。感じています。」

「奥さんも美人だが、遠慮はしないぞ。何だかんだ言ってもこの世は男と女、どんな美人でも皆一皮剥けば影で股座(またぐら)に欲棒を突き込まれてズコズコと腰を使って犯っているんだから。」

「ハィハィ、今日はその奥さんを好きに犯っちゃってミッチリ嵌(は)め倒して構いませんよ。」

石上の言に京香が応えている。

生はんかな事では返って今までの倫理意識を引きずる。

だが、今までの倫理意識を破壊する衝撃的な事を徹して犯れば、意識が百八十度変わるものである。

「そうかい。奥さん、チョット指を入れて見るけど・・良いかい。」

「はぃ喜んで、石上様。どうぞお試し下さい。ウッ。」

妻の返事を待つまでも無く、石上の指が二本、妻の陰部に差し込まれ、短い恥毛が生々しく絡む二枚の肉花弁の下部を、巻き込みながら深く浅くうごめき始めた。

しばらく指先の感触を楽しみながら、妻の歪(ゆが)む顔を楽しんでいた石上だったが、やがて破顔満面の顔つきが妖しくなり、「こりゃあ、面白い遊びだ。ソロソロ中に入れさせて貰おうか。」と呟(つぶや)いた。

それを聞いた細君が、「はぃ、今横にしますから」と応えて、「さぁ、石上様に入れて頂くのですよ。」と、妻に申し渡し妻を操り始めた。

京香は役割を心得ていて、いざと成ればS(サド)風の調教者の役目も充分にこなす。

見ていた私は、ふと、細君(京香)は表情にこそ出さないが、素直で仕付け甲斐が有る妻を「面白がって弄(もてあそ)んでいるのではないか」と、疑った。

細君に操られるように妻の体がソフアーに横たえられ、「石上様、どうぞ里美のオマ*コをお使いください」と妻が口にすると、石上は硬く立ち上がった欲棒を、利き腕と見られる右手で握り締め、妻に近寄って行った。

大股開きのM字開脚に成っていた妻は、細君にソフアーに横たえられたが、足は細君に命じられて大股開きのままで閉じられず、石上が宛がうカリ首を迎(むか)え、「アッフン」と甘い声を洩らして欲棒をスンナリと受け入れた。

仰向けM字大股開きにさせた脚の間に陣取って抽入した欲棒をグィグィと石上が抜き挿しすると、妻が堪(たま)らず顔を歪(ゆが)め、嫌々をする様に顔を左右に振る。

しかしその嫌々は快感の表現で、石上の欲棒を咥え込んだ妻の乳房は大きく波打ち腰は浮き上がって左右に振られ、口からは大胆な善がり声をわめく様に発している。

妻の恥毛に覆われたなだらかな丘の下で、石上の陰茎が濡れ光ながら見え隠れして確りと見えている。

今石上は、妻の肉体(からだ)を欲棒で串刺しにしてグィグィと攻めて居るのだ。


石上に欲棒を挿し込まれた大股開きの股座(またぐら)の恥部を欲棒を挿し込まれた生々しい大股開きの股座(またぐら)の恥部を丸出しにクィクィと腰を使い、善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。

妻は生々しく丸出しに、突き刺さる様な私の視線を意識して燃え上がる羞恥心に脳みそが溶けて行く。

妻の受け腰に陰茎が見え隠れを始め、抜き挿しの律動がグィグィ激しくなると聞こえて来るのは「ウッ、ウッ」と言う石上の小さなうめき声だけである。

石上の欲棒を肉ひだがまとわりつく様に包み込む妻の括約筋が、グィグィと締め付けて居るに違いない。

私の目得の前で、石上の尻が「ウッ、ウッ」と上下を始め、妻の陰部の二枚の肉花弁を捩(よ)じらせ巻き込みながら、太い陰茎が淫液に濡れて光りつつ見え隠れしている。

他人の欲棒を股間にグサリと嵌(は)め込まれた妻の腰が、肉花弁が捩(よじ)れるのも構わず受け腰を使い、快感を貪(むさぼ)るがごとく生々しい抜き挿しの動きを私の目の前で見せているのだ。

「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜」

タイミングを計っていた岩代が、「里美、腰を使いながら皆さんに聞こえるようにオマ*コ気持ち良いと言って見ろ。」と妻に命じた。

「はぃ、アァ〜オマ*コ気持ち良〜い。アァアァ、オマ*コ気持ち良〜い。」

馬鹿でかい妻の声が部屋中に響いた。

性交中に「オマ*コ気持ち良い」を言わせるのは、それが本人を燃え上がらせる魔法の言葉だからである。

「オマ*コ気持ち良〜い」と叫べば叫ぶほど妻の快感はボルテージを上げ、肉体(からだ)体の方は正直で、妻の乳首が硬くなって立ち上がり興奮している事を隠せない。


あの石上との生々しく鮮烈な妻の接待性交の光景は、今でも鳥肌が立つほど色濃く目に浮かんで来る。

大きく開いて欲棒を咥え込んだ股座(またぐら)の隙間から、突き腰と受け腰の抜き挿しで白く濁した下半身の涎(よだれ)を太腿(ふともも)に垂れ流しながら、妻は奮戦を続けている。

腰使いも激しく愛液に濡れ光らせた陰茎を股座(またぐら)に見え隠れさせられながら、乳首が立った乳房を揺らして犯られている妻の痴態だった。

例え性接待でも、性交をする以上は「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで這い上がる為に抜き挿しの努力をする。

それが、愛奴隷として置かれた立場の妻が素っ裸で相手に尽くすべき最低限の礼儀で、疎(おろそ)かには犯れないから笑って奉仕する覚悟は出来ていた。

何しろ熟れ盛りの他人妻(ひとつま)が抱けるのだから涎(よだれ)が出そうな話で、その性接待を断る理由は男達には無い。

言っては何だが、その疎(おろそ)かには犯らない妻の、笑って性奉仕する直向(ひたむき)な愛奴隷姿は神々(こうごう)しい程である。

正直、妻にした所で犯ってる間は無我夢中だから、肉体(からだ)が素直に快感を求めるだけで、けして愛奴隷が嫌では無い想いである。

奇妙な発想かも知れないが、求められた性行為を真面目に一生懸命犯る究極の新感覚が、果たして不真面目な事だろうか?

その石上の突き腰に平然とガップリ組んで、赤裸々に生々しく見え隠れする愛液で濡れ光らせた陰茎を、妻は快調に受け腰で抜き挿しを快適に熟(こ)なしていた。

そして互いに通じる情が無くても、大人の男女の成熟した性器と性器が正常に抜き挿しされて海綿体が接触すれば、妻が得られるのは神の与えた「快感」である。

だからその結果として妻が石上の欲棒を股座(またぐら)の柔ら壺に咥(くわ)え込んだまま腰を浮かしてヒィヒィと「気持ち良がって」も、何人(なんびと)も非難は出来ない。

それにビジュアル(視覚的効果)としては、妻が犯られながら身悶(みもだ)えて、感じ捲くって居る生姿を魅せてこそ、本当の意味での相手が満足する性接待である。


妻が愛奴隷としてゲストに奉仕する姿を見て居るのは、胸が詰まる憐憫(れんびん)の思いが有る切実な感情なのだが、本気で「止めさせよう」と言う選択肢が、本音の所私に無い。

矛盾した話だが、それは一方に「妻の痴態を見て興奮する」と言う、気持ちの中で合い半ばの、複雑でスケベな思いが私に有るからである。

「アァ、オチ*チン様が擦(こす)れるぅ〜」

騎上位に石上の下半身を跨いだ妻が、例の細君(京香)に仕込まれた大胆な台詞(せりふ)を口にしながら、石上の欲棒を「ズブズブ」と生々しく見え隠れさせ、二枚の肉花弁の下部を巻き込みながら、激しく受け腰を使い続けている。

呼応して、石上の吐息混じりの「ウッ、ウッ、ウッ」と言う声も漏れ聞えてくる。

妻の性交姿は生々しく煽情(せんじょう)的で、こちらの欲棒が鎌首を持ち上げたが、もぅ、そんな事を気にしていたのでは、この仕事は勤まりそうも無い。


妻はまるで別の生き物のように、石上と交尾を始めた。

石上の欲棒が確りと妻の柔ら壺に嵌(はま)り込んでぬきユックリと挿しされ、黒褐色の陰茎が妻の肉花弁を捩(よじ)りながら愛液に濡れ光って見え隠れしている。

夫としての妻への身勝手な思いで、多少嫌な予感がしなかった訳ではないが、今、その「嫌な予感」は的中していた。

田嶋の時と同じで、接待の場では妻の意識の中にはもう貞節の文字はない。

石上の腰使いが激しくなり、目の前にいる妻はそれに呼応するようにさかりの付いた雌犬の交尾のごとく激しい腰使いで石上の欲棒を見え隠れさせている。

「アァ、オマ*コ気持ちが良い。アァ、擦(こす)れる、擦(こす)れるぅ。」

相手が違っても、性器が接触すれば交わる肉体は自然に共鳴する。

「アァ、アァ、アァ、アァ、アァ。」

顔を歪(ゆが)ませて受け腰を続け、快感に耐えている妻の顔に、思わず臨場する私の欲棒は勃起した。

妻は、「いったいどう成っているのだ?」まるで心の鎧(よろい)を脱ぎ捨てたように、活き活きと石上に接待交尾をしている。

この妻の変身を見て、妻が完全な性交接待奴隷に変身した事を思い知らされたのである。

これは、さながら痴女のライブショーで、素っ裸の妻が石上の欲棒を咥(くわ)え込んだ己の女性器を晒(さら)してスクワットファックでネチョネチョ、グチョズチョと奮闘している。

妻が素っ裸に剥(む)かれて引き渡されてしまえば、妻の肉体(からだ)を思い通りに支配(コントロール)するのは石上の権限である。

見ているだけで勃起(ぼっき)するような卑猥(ひわい)な行為にも一切の要求に拒否が出来ないルールが接待のスタンダード(標準化)に成っているのだ。


無心の境地を彷徨(さまよ)いながら、M字開脚で石上の欲棒を生々しく咥(くわ)え込んだ妻の下半身は、激しくの石上陰茎を見え隠れさせ、湯気が立ち昇りそうな勢いで上下運動を続けて、乳首の立った乳房も上下に波打っている。

短い恥毛が絡む二枚の肉花弁の間を、石上の陰茎が見え隠れする妻の生々しい股間で、陰毛に愛液の小さな粒がキラキラと光っている。

「おぃ、チョット、おぃ肉体(からだ)を外せ。」

「はぃ喜んで、石上様」

「ヤバイ、ヤバイ。このままイッチマウのはまだもったいない。」

突然石上は、想像以上の身のこなしで妻の柔ら壺から欲棒を引き抜くと、ソファーに転がって「里美、舐めろ」と、妻の愛液で光る欲棒を、咥(くわ)えさせようと要求した。

「はぃ喜んで、石上様」

妻は、石上の投げ出した右足を跨ぐ形でソファーに右膝(ひざ)を着き、左足は床を踏みしめて支えにして前屈(まえかが)みに成り、石上の股間に顔を近い着けて行く。

仰向けにソファーに転がった石上のそそり立つ欲棒を、前屈(まえかが)みに成って舌で根元の方から舐め上げ、カリ首を舐め廻し、口に含んで「チュポ、チュポ」と石上の快感を引き出す作業をして居る。

妻の口元を眺めて、満足そうに目を細めた石上の顔は、極楽を彷徨(さまよ)う境地だった。

その内に細君(京香)の誘導で、妻がそのたわわな乳房を石上の右膝に乗せる形でうつ伏せにソファーに身を預ける。

ソファーに腰掛けた石上の欲棒を、ソファーに乗って右側から妻がうつむきで咥(くわ)えて唇で「チュポ、チュポ」と愛でる。

すると、ちょうど良い具合に石上の右手が妻の白く柔らかい尻に届き、尻肉を撫でまわしたり割れ目に指を這わせたりとお触(さわ)りも楽しんでもらえる。

石上は、横たわって妻に欲棒を咥(くわ)えさせ暫らくシャブらせると、突然両手を妻の首頭に巻いて固定し、リズム良くコントロールして妻の顔を引き下げたり離したりさせ、同時に腰を突き上げてクイクイと欲棒を根元まで妻の口中に突き入れる。

妻は涙を流し涎(よだれ)を垂れ流して結構辛そうだが、石上は構わず突き立てて腰を使う。

勿論、接待愛奴隷の妻にはゲストの行為の全てに拒否権はない。

欲棒を咥(くわ)えさせた妻の首頭と石上の腰の動きが激しくなり、石上が欲棒を抜き差しする度に石上の腹が妻の額(ひたい)に当たっている。

石上の生身の陰茎が妻の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)が妻の顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。

鼻と唇には石上の陰毛を蓄えた恥丘が波状攻撃で当たり、咥(くわ)えた石上の欲棒の陰茎が生々しく妻の唇を擦(こす)り、硬く張り詰めたカリ首が情け容赦なく喉の置くまでグイグイと潜り込んで行く。

「ウグェ、ウグェ、ウグェ、ウグェ。」


「そうだ里美。何を注文しても良いのなら、尻の穴を舐めながら手で俺のチ*ポを扱(しご)いてくれ。」

「はぃ喜んで、石上様。京香さんお願いします。」

後ろ手拘束のままでは、妻の手は使えない。

石上の要求を聞いた細君(京香)が、石上の欲棒を舐めさせたまま、慌(あわ)てて妻の後ろ手に縛り上げた麻縄を解いている。

漸(ようや)く両手が自由に成った妻が、手で石上の欲棒を扱(しご)きながら、一段と前屈(まえかが)みに成り、舌先が石上の菊門を捕らえ始めた。

「おぉ、充分に気持ちが良いが、扱(しご)きながら舌の先を穴の中に入れて見てくれ。」

「はぃ喜んで、石上様」

妻の首が小さく上下し始めて、どうやら舌先を硬くつぼめた妻の舌が、時折石上の尻の穴に挿し込まれているようである。

「おぉ、お〜ぉ、良いぞ良いぞ・・・」

その奉仕が、五〜六分間続いた。

原則、ゲストが次の要求をするまでは、愛奴隷が勝手に止める事は赦されない。

「判った。良いだろう。美人の社長婦人がこれだけの接待奉仕を出来るなら、取引先も満足で投資しても上手く行くだろう。」

石上が、私に顔を向けて話し掛けて来た。

「御満足ですか?」

「あぁ、奥さんの奉仕は合格だ。」

床に座るにしても椅子に座るにしても、基本のM字開脚をしないまでも愛奴隷・里美には膝頭(ひざがしら)を大きく離して座る事が命じられている。

膝頭(ひざがしら)を離せば自然に愛奴隷の股が開いて、ビジュアル(視覚感)として絶えず剥(むき)き出しの股間がゲストに晒(さら)されるからである。

最初は恥ずかしいかも知れないが、なぁーに繰り返し躾(しつけ)けて癖を付けてしまえば自然に身に着く事である。



見る限りでは、愛奴隷の立場は絶対服従ルールで、「はぃ喜んで。」が唯一妻に許されて居る返事のようである。

田嶋の時もそうだったが、ゲストの命令には全て「はぃ喜んで」と応じて実行する決め事らしい。

石上を建物の中に迎え入れてからは、全て「おぃ、里美。」、「はぃ喜んで、石上様。」の調子で、おシャブリから初めて、最後はタマゴバイブ放尿ファックまでやり切って、相手は感動した。

細君の方は、ほとんど妻の介添えだが、少しずつ本性が出て来たのか、妻に対する要求や躾(しつけ)は徹して厳しく、私が妻を哀れに思うほどまったく手抜きはさせず、甘えさせない。

見ていると、細君は余程心得ているのか、「ここでこうして欲しい」と言う男性の気持ちを見事に先読みして、妻に指示を与えている。

これがパターン化したのか、田嶋の時とほぼ同じ手順だった。

今は妻と正常位で抱き合った石上の欲棒が「グイ」と妻の股間に根元までめり込んで、スッポリと収まって見えていた。

石上が腰を使い始め、彼の陰茎が見え隠れし始めると、妻は渾身(こんしん)の精神力を込めて激しく受け越しを使い出した。

石上が腰を入れてクィクィと欲棒を妻の股間に突き入れると、「アッ、アッ」と言う妻の善がり声が洩れ始め、後ろ手拘束は解いたが亀甲縛りに絞られた左右の乳房が乳首を硬くし、石上に突き入れられる度にユサユサと揺れている。

「アァ、アァ、アァ、アァ、アァ。」

そうなれば、交わる肉体は抵抗感を解き、自然に共鳴して二人の世界に没頭して行く。

そう仕込まれてこの場に臨(のぞ)んでいるのであるから、私にそれを咎(とが)めだては出来ない。

いゃ、むしろ妻を誉(ほ)めてやらねば成らないのではないか?

石上のカリ首がリズム良く抜き挿しされ、オマ*コの内壁を擦(こす)るのが気持ちが良いから妻は腰を使う。

刺激に誘発された本能が、より快感を得たければ、自然にその腰使いがクィクィと激しくなり、妻が「アァ、アァ」と快感を貪(むさぼ)るのはむしろ当たり前の事である。

やがて、体位が変則騎乗位に変わって、妻の裸体がソファーをキシマセながら、M字に開脚の股間を貫(つらぬ)いて咥(くわ)え込んだ石上の陰茎を支点にして「ウッ、ウッ」と腰を上下させている。

その動きが田嶋の時よりも一段とダイナミックで、妻は経験を重ねる度にパワーアップしているように見える。益々岩代の術中に嵌(はま)ってしまったのだろうか?

妻の腰の動きに応じて、石上の腰使いも「クイクイ」と激しさを増して行く。

「あぁ、オマ*コ気持ちが良い。アァ、ア〜ァ、アァ、ア〜ァ、アァ。」

妻の激しい善がり声と伴に、目の前で、石上の濡れそぼった陰茎が、光ながら妻の目いっぱい広げられた股間を見え隠れする様は、続いて居る。

妻の裸身に玉の汗が光り始めているから、この受け腰使いは結構な運動量なのだろう。

妻は生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして、仮面の下の素顔を暴(あば)き出されるように荒い呼吸をしながら壮絶に攻めたてられている。

しかしこれはあくまでも妻には非日常の時間で、日常の生活はそれが普通だが平凡でこんなスリリングな遊びの時間など無い。

勿論そんな卑猥な時間を妻が過ごしているなど、日常生活は到って普通だから世間は知りもしない。

つまりこれは、妻の身に時たまに訪れる遊びの時間で、何も大袈裟(おおげさ)に考える必要は無いのだ。


「しかし、これ(愛奴隷)は良い。面白いように言う事を聞く。」

「この調子で取引の接待をさせますから、事業は順調に行くと思います。」

「奉仕はゲスト様のフリー・オプション(自由選択権/自由選択)ですから何なりと命じて下さい。」

「フリー・オプション・・・この遊びの選択権は自由と言う事かね?」

「えぇ、自由選択ですから石上さんの犯りたい事を犯らせると言う意味です。」

「なるほど、核心を突いた接待だ。それで素っ裸でゲストに引き渡すのか。うぅ〜ん、確かにこの調子で面白いように言う事を聞く接待をさせれば相手は一たまりも無いないな。」

「投資をして頂ければ仲間ですから、これ(愛奴隷)を今後もお好きに可愛がって犯ってください。」

石上の話相手をして、妻をまるで自分の持ち物のように勝ってを言う岩代の言を聞きながら妻の修羅場を見ている私に、卑猥モードと嫉妬モードが入り混じり、あの何んとも奇妙な心境がまた襲ってくる。

これが、唯の嫌悪感なら結論は出し易いのだが、半(なか)ばワクワク感も感じて居るのだから、およそ男の感性など正直「性も無いもの」だ。

この嫉妬混じりの複雑な感覚が奥深い衝撃的なものに成って、バカな話だが一度経験してしまうと脳がとろける様な捨て難い蜜の味で、実は今日も先ほどから期待半分だったのである。

それに心の奥底までは読めないまでも、本当に「されて嫌なもの」なら妻も抗(あらが)い、次の誘いには絶対乗らない筈である。



不思議な事に、私達夫婦の日常生活は到って順調である。

私も妻も、連れ合いに対する不満など吹っ飛んだ感がある。

正直、夫婦間の平凡な性行為だけではこうは行くまい。

本来、恋人や夫婦間意外を相手にした性行為にはリスクがある。

しかしそのリスクは、「愛情」と言う言葉の陰に隠した「独占欲」であるから、本当の愛情はそんな「独占欲」ではない。

夫婦が合意すれば夫婦間の「独占欲」などは解決する問題で、それに、ここまで徹して犯ってしまえば日々が刺激的で、私にも妻にも夫婦間の倦怠感など全く無い。

もしかしたら、もっとも有効な「夫婦和合の秘訣かも知れない」とさえ思えて来る。

充実した人生に必要なのは充実した性行為で、妻も同様らしいが今更元の平凡な夫婦に戻るのも、もったいない思いである。

考えて見れば、誰の何の為の貞操観念なのだろう?

苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の「擬似生殖行為(快楽性交)」として、生殖を伴わないSEX行為の合意が、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられた。

だからこそ、他の動植物にはある繁殖期(生殖行為期間)が人間には無く、年中発情期なのである。

それならば現在の接待性奉仕の状況は、特定の愛人を相手にする「浮気」とは明らかに違いがあり、不特定な相手とする単なるセックス・セッション(乱交)の発散行為である。

単なる発散行為の相手(ゲスト)などバイブレーター性玩具も同じで、私の嫉妬の対象には成らない。

嫉妬の対象どころか、愛する妻がゲスト相手に全裸で弄(もてあそ)ばれ、犯されて性奉仕に奔走(ほんそう)する姿は、愛すればこその何とも言えない複雑な喜びを感じる。

もっとも、素っ裸で引き渡されるまでは、初対面の相手の情報も判らず、ゲストを選ぶ事も相手の性癖を拒否する事も、妻には出来ない立場だから、私も嫉妬の仕様が無い。

驚いた事にその光景は、私にとって心理的な愛情を確かめ深める効果があるのだ。

つまり、経験も無しに既成概念の建前で「性本能を葬り去ろう」と言う低俗なレベルでは、人間の本質など判らない。

確かな事は、夫婦の合意があれば愛の形はそれぞれで、定型などないのである。

その定型などない事を枠に嵌めて倫理観とし、他人を評価する事には無理がある。

人間の本質的には、「擬似生殖行為」は精神的な脳の欠落感を埋める為の、ある種の補完作用であって、性行為そのものはけして「恥ずべき行為」ではない。

性行為を取り立てて、不純なものにしたのは誤解からではないだろうか?

性行為そのものは、無防備に全てを曝(さら)け出すものであるから確かに格好の好いものではない。

その点では、男女共に恥ずかしいから「秘すべき行為」では有る。

この「秘すべき行為」が誤解を呼び、性行為そのものを「恥ずべき行為」と取り違えているのだ。

また、人間も生き物であるから保身の本能が働く。

確かに女性には妊娠、また男女共に性病を罹病(りびょう)する危険はある。

このリスクを背景に、「性行為のリスク」が誤解を呼び、性行為そのものを「恥ずべき行為」と取り違えている。

これも本質を外した間違いで、こうしたリスクはルールや心配りの問題だから、返って不慣れの者が突発的な行動で起こす性行為のアクシデントの確立が高い。

つまり事前の心構えの問題で、ある種慣れた者同士間の性行為の方が、リスクは少ないのである。

性行為は、平和の営みである。

冷静に考え、既成概念の倫理観に囚われなければ、肉体的接触は実体の伴う究極のメッセージで、殺し合いや騙し合いよりは遥かに友好的な行為である。

妻はその究極のメッセージを実体化する為に、興奮の中でゲスト相手に全裸で弄(もてあそ)ばれ、犯されてゲストの性癖に「はぃ喜んで。」と応えて過激な性奉仕をして居るのだが、見るからに奔放(ほんぽう)にそれを楽しんでいる。

それを妻が「良し」とするなら、私としては容認するのが「愛情」と言うものである。

この妻の変身は、万事地味だった普段の妻の雰囲気も一変させ、見るからに優雅なレディ(淑女)の立ち振る舞いに成った。

岩代と竹中の愛性接待奉仕の奴隷の躾(しつけ)テーマが、「時に淫乱になれるレディ(淑女)」だった。

かなり後に知ったのだが、私の知らない昼間・日中の子供が小学校に居る間に毎日呼び出され、外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い愛奴隷の調教特訓を受けていた妻は、調教中にかなり口煩(くちうるさ)く躾(しつけ)られたらしい。

所がこの調教特訓で、性的に責められながらの躾(しつけ)が妻には心地良かったらしく、すっかりM(マゾ)性に目覚めてしまったのだ。



私が違和感を感じていた事だが、妻が細君(京香)に異常に弱い。

それが、何時(いつ)からだったかの区切りは定かではないが、良く見ると細君(京香)への気の使い方が半端ではなく、まるで妻は細君(京香)に支配され服従してているようだ。

「お前、京香さんに弱いな。」

「仕方ないじゃあない。接待の犯り方は特訓で教えてもらわないと私には判らないですもの。」

「何だ、上手な犯られ方でも教わっているのか。」

「もぅ何もかも。それに、接待現場では京香さんが私(里美)を仕切っているのですもの。」

「それで、あんなに素直に命令を聞いているのか?」

「えぇ、何事でも秩序が必要で、現場では私(里美)は言われたままに絶対服従で京香さんに操られる立場なの。」

「なるほど、接待現場でお前が京香さんに絶対服従で操られれば、頭の中でどんな要求の性奉仕にも迷う必要がない訳だ。」

「そぅ、私(里美)が無理だとか嫌だとか考える必要を無くす為の絶対服従秩序なの。」

「上手い事考えたな、その秩序ならお前は限りなく卑猥な事でも犯らざるを得無い。」

「その上手い事を考えたのは京香さん。彼女、世間知らずの私(里美)よりズット大人だわ。」

なるほど、「尊敬や信頼に裏打ちされた服従」と言う訳で、細君(京香)は思わぬリーダーシップを持ち合わせているらしい。

どうやら細君(京香)は、スケベなだけの小娘ではないらしい。

この時はまだ私は知らなかったが、細君(京香)のリードで妻に対する性奉仕の特訓が、私の知らない昼日中の子供が小学校に居る間に毎日呼び出され、毎回素っ裸に剥(む)かれて絶対服従の下(もと)、竹中氏を交えて過激に行なわれ居たのである。



一度目の接待として妻は、愛奴隷として良い仕上がりだった。

世間では考えられない筈の過激な性行為を、「遊びのプレィはそんなもの」と他人前(ひとまえ)で平然と熟(こな)すほどに成長していたのだ。

後から聞いた話だが、妻を愛奴隷に躾(しつけ)る性交特訓は岩代が竹中氏に任せたらしい。

その事は、最初から私には知らされては居なかったが、竹中氏は妻がゲストのあらゆる要求に応えられる様にする為に、遠慮の無い行為を妻に強いて、「ジックリ教え込んだ」と言う。

「はぃ喜んで。」や「アァ〜、オチ*チン様が擦(こす)れるぅ〜。」そしてソファーに座る時は必ず「両足を座部に上げ置いたM字開脚の股間開っぴろげ」の躾(しつけ)は、その「竹中氏の調教の産物だった」と、後から知った。

まぁ、竹中氏に出資してもらう時の条件が「妻を貸す事だった」のは確かで、「内緒で調教特訓されたから」と言って、今更文句も言えない。

愛奴隷の妻はレディ(淑女)然として、「常に暖かい言葉を選択して丁寧な態度でゲストに接し、性奉仕をさせて貰う事に感謝して接する様に」と、細君(京香)から義務付けられている。

「オマ*コ気持ちが良い」や「擦(こす)れる」などの言葉は、気分を盛り上げる為に、「感じたら素直に口にしろ」と命じられている。

「里美さん、どうせ性奉仕の接待をするなら嫌々は駄目、レディ(淑女)然として誠意を持って尽くし、ゲストを満足させて何ぼでしょ。」

その言葉通り、妻の献身ぶりは徹していて尋常(じんじょう)ではない。

何時の間に、レディ(淑女)然とした愛奴隷として「仕込まれた」と言うのだ。

思うに、余程の事を仕込んでいなければ、身持ちの硬かった妻が、ブッツケ本番でこれほどの事が出来る訳が無い。

やはり、妻の大抵の男が音を上げる切れの良い腰使いは、竹中氏の仕込みだった。

妻が、躾(しつけ)の名目で竹中氏に弄(もてあそ)ばれる姿が想像出来る。

嫉妬の炎が燃え上がったが、直ぐに「私はものを言う立場に無い」と気付いた。

大口出資者の竹中氏には、妻を弄(もてあそ)ぶ権利を与えてあるのだ。

竹中氏にしても岩代夫婦にしても、私との約束の下に、接待愛奴隷として当然の事を、妻に施(ほどこ)しただけである。

一々私にそれを断り、了解を得る理由は無い。

従って、私に苦情も言わずに、その躾(しつけ)を妻は「甘んじて受けて居た」と成れば、妻も「その境遇を受け入れた」と言う事である。

妻が私に報告も無く、性的躾(しつけ)を施(ほどこ)されていても、それを咎(とが)める権利は私には無い。



素っ裸に犬首輪を着け、リードで曳かれる・・・。

この格好をさせられれば、私のスイッチが日常生活から非日常生活に切り替わり、もう下半身がギュウッと熱くなるような感覚に襲われ、肉体が被虐の期待に充ちて来ます。

正直本音を言うと、あの竹中邸の出来事の日から自分(里美)の日々の生活に張り合いが出来ました。

昼間の竹中さんへのお相手と言い、夜の学生さん達に輪姦(まわ)されて事と言い、ど肝を抜かれる破廉恥(はれんち)な事をさせられましたが、それが新鮮で日頃の退屈な日常がフッ飛びました。

つまり、あの刺激的な体験に比べれば、平凡な日々にはメリハリが無いのです。

そして岩代さんから「奥さんを性接待の愛奴隷にさせ働いて貰う。」と宣言され、時々この刺激的な日が私(里美)に訪れる生活に入った事を知りました。

岩代さんに確りと肉体(からだ)に叩き込まれて、他人に支配される被虐の快感を知りました。

そぅ、私(里美)は躾(しつけ)られた犬と同じで、ゲスト様の言う事を聞くメス奴隷なのです。

岩代さんに教えられて、愛と肉体が常に合致するなど、「幻想」である事を私(里美)は知りました。

いざ体験して見て判ったのですが、「他人とSEXしたから」と言って、「今まで何を拘っていたのか?」と思うほどあっけなく、具体的には別に何でもないのです。

夫や私(里美)に精神的な拘(こだわ)りがなければ、さして問題が起こるものでもありません。

そうなのです。愛と肉体を分けて考えれば、もっと気楽に性行為を楽しみながら生きられるのです。

だから、ゲスト様に求められれば、どんな事でも何でもします。

私(里美)の中に眠っていた露出狂の感性が、岩代さん夫婦に拠って引き出されたのです。

でも、岩代さんに言わせれば、露出狂の感性は解き放たれないだけで、普通の女性の「ほとんど全てに内在する資質だ」と言います。

確かに、策略とも言うべき罠に嵌(はま)って、私(里美)は精神(こころ)な迷宮(ラビリンス)に落ちたのかも知れません。

しかし、その性交迷宮(セックスラビリンス)の住人に成る選択をしたのは、間違いなく私(里美)自身です。

私(里美)の女性としての資質が開花したと言う事でしょう。


石上様に引き合わされ、全裸の肉体(からだ)を引き渡されると竹中さんの声が聞えて来ます。

「里美は馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、元来スケベ心は馬鹿馬鹿しいものだ。それを承知で一生懸命奉仕するから相手が心理的に癒(いや)されると言う事だ。」

だから私(里美)は、馬鹿馬鹿しい事を一生懸命犯るだけで、気取ってなど居られません。

それは私(里美)も生身の女ですから、裸にされれば恥ずかしいのは当たり前です。

それでも私(里美)は逆らえ無い状態で、裸の晒(さら)し者にされる事を、強(し)いられます。

所が、男性の熱い視線に晒(さら)されると、その恥ずかしさが脳みそに「ジーン」と来て、何故か裸体を見られる事が、裏腹に心地良いのです。

矛盾する事にそれが度重なると、恥ずかしい反面、私(里美)の思考に裸を晒し見られる事が密かな快感に育っていました。

まずはゲスト様の特権である、愛奴隷のストリップ・サーチ(全裸検査)です。

私(里美)は裸の晒(さら)し者ですから、相手が隅から隅まで裸体を点検しても、為すがままです。

四っん這いで後ろから二つの尻肉を広げられ、菊の蕾や二枚の肉花弁が恥ずかしげに半開きに成る様も見られたり、大股開きの股間で二枚の肉花弁を広げられ「ジッ」と見られたりする事に耐えると、花弁の内側が潤んで来るのが自分でも判ります。

感情がそのを恥ずかしさの快感を認識すると、まんざら嫌でない自分が居ました。

そう、不思議な事に、卑猥に辱(はずかし)められ、愛に関わり無く弄(もてあそ)ばれるワクワク感が、嫌ではないのです。

不思議なもので、素っ裸で引き渡され、相手の好みのままに他人に料理された方が、夫相手よりも興奮するのです。

つまり、自分が岩代さんに飼いな慣らされて行くのが判るのですが、それが心地良いのですから、女の感性は上手く出来ているものです。

石上さんは、横たわって私(里美)に欲棒を咥(くわ)えさせると両手を私(里美)の首に巻いて固定し、腰をクイクイと突き上げて欲棒を私(里美)の口で抜き挿しします。

こうすると、ゲスト様の加虐感と征服欲は満足して頂(いただ)けまますが、奉仕する私(里美)の方はおシャブリも拷問みたいなもので、結構辛いのです。

「ウグ、グェ、ウグ、グェ、ウグ、グェ。」

石上さんがクイクイと根元まで突き入れるので、石上さんの腹(おなか)が私(里美)の額に当たり、鼻と唇には陰毛を蓄えた石上さんの恥丘が波状攻撃で当たります。

咥(くわ)えた石上さんの欲棒の陰茎が私(里美)の唇を擦(こす)り、硬く張り詰めたカリ首が情け容赦なく喉の奥までグイグイと潜り込んで来ます。


その後、石上さんとの本格的な交合に入ります。

仰向け空中大股開きにさせた接待愛奴隷の私(里美)の左右の脚は、トレーナー(調教師)の京香と私の亭主がマングリ返しに固定して、石上さんが私(里美)を犯り易くします。

自分の意志とは関わり無く、快感に下半身を波状攻撃されて、口から涎を垂れ流している私(里美)が居ます。

正直、この場所ではそんな私(里美)を誰も非難する者が居ないし、むしろ「歓迎している」となれば話は別です。

石上さんに犯られる為に連れて来られた私(里美)です。

京香さんから石上さんに「どうぞお好きにお使い下さい」と引き渡されたのですから、好きに犯して頂くしかありません。

当然なのですが、石上さんは遠慮無しに上から圧(の)し掛かって抽入した欲棒をグイグイと抜き挿しします。

腰を密着して恥丘の陰毛が擦(こす)れる位に激しくグラインドするから、花芯ボタンの膨らみもグリグリと微妙に圧迫されて具合が良いのです。

「アァ、凄い、凄い、感じる・・・・アァ、アァ、アァ〜。」

ズブリと柔ら壺に嵌(はま)り込んだ石上さんのカリ首が、性器の結合を観せながら腰の動きで抜き挿しされ、私(里美)の柔ら壺の内壁の粘膜を気持ち良く擦(こす)っています。

石上さんの腰の動きに、私(里美)の善がり鳴きの声が接待ルームに生々しく響いています。


人間の欲には際限(さいげん)が無いもので、美しい景色を見ればそれ以上の景色を望み、美味しい物を食べれば、より美味しい物を求めます。

性感も同じで、より快感を感じたく成るのが、生身の人間なのです。

より快感を感じるには、非日常の興奮が必要です。

その非日常の興奮が誰にも咎(とが)められず安全に、むしろ喜ばれてその快感を得られるのですから、今の性奴隷の境遇を変え様などとは思いも寄りません。

なまじ世間体(せけんてい)やら、私情を挟(はさ)むからいけないのです。

無心に成れば、何でも出来ます。

石上さんにお尻の穴を舐めさせられましたが、竹中さんに色々仕込まれて経験済みでしたから驚きも無く、私(里美)の気持ちの上では何でもありません。

一度性の愛奴隷として引き渡されたら、ゲスト様の、どんなに卑猥な要求でも、嬉しそうに従うのが礼儀です。

そこに己の意志を挟む事は有りません。

それが、接待愛奴隷としての私(里美)の心得(考え方)で、己の意志を挟めば返って夫への愛との精神的な境が出来ないのです。

接待愛奴隷に選択権がないからこそ、それは「別世界(非日常)の出来事で居られるのだ」と心得ています。

「何故そんなに誠意をもって接待をするのか?」ですって。

人間には、立派な五感があります。感覚で感じ取るものは、誤魔化しが効きません。

つまり、どんな形のコミニュケーションでも、おざなりにすれば直ぐにこちらの気持ちが相手にバレてしまいます。

どうせお楽しみ頂くなら、嫌な顔をしながらも良い顔をしながらも、犯るのは同じ事です。

中途半端な気持ちで肉体の接待をして、ゲスト様に心残りや不満を持たせては、接待の意味がありません。

だから私(里美)で、目いっぱいお楽しみ頂く覚悟で、接待の役目を誠心誠意、真心込めて尽くす事にしています。


接待愛奴隷として選択権を放棄すると、思いも拠らなかった被虐の喜びを味わいました。

全ては、オシャレで官能的に「ゲスト様の快感の為に行動する」と言う制約の中で、私(里美)は動物に成り切るのです。

私達愛奴隷には、ゲスト様の欲棒を受け入れての受腰使いは、ゲスト様の意志無く止める事は赦されていないのです。

そう躾(しつけ)られているから、誰に見られようが、歓喜の悲鳴を上げながらでも、止める事なく激しく受腰を使い続けるのです。

その刺激は、私(里美)の脳をとろけさせる快感なのです。

何事も、犯って見もしないで想像だけで結論を出すから、生きる幅が狭くなるのです。

「とてもそんな事は・・」と人生に於いて私(里美)が迷った道が、実はその迷い道こそ自分の道で、遠周りこそが近道かも知れません。

元々人間は二面性を併せ持つ生き物ですから、性的快感には貪欲なのです。

本来他人に見せるべきでない姿を人前に晒(さら)すからこそ、羞恥心の炎が燃え盛り、脳みそが溶ける快感を味わえるのです。

そこに、本来女性が持つ「見せたがり本能(露出願望)」が介在しているのでしょう。

つまり興奮物質ドーパミンが発生して、それがベーターエンドロフィンと言う快感脳内麻薬に変わり、人は性行為に快感を得ます。

それが心の安定をも齎(もたら)すから、一種の必要悪的な要素も含んでいるのでしょう。

これから、自分の意志に関わり無く、自分が衆人環視の元に生け贄にされ、「性玩具として犯される」と想うと、股間がキューンと熱くなり、愛液が溢れ出して居るのが感じられます。

何と言っても、あの絶頂感の連続は言葉には言い表せない現実です。

そして、正直脳みそが溶けるような強烈な期待感で、愛液が「フツフツ」と溢れ出ます。



妻は、石上の射精が終わってその欲棒を口で拭い、一段落すると、石上の横に座って胸などをいじらせている。

石上も、ジッとはしていない。

幸せそうな顔付きで、妻(里美)の柔らかい弾力の触り心地の肌を、撫でたり掴んだりして楽しんでいる。

段取り通りだが、今度は細君(京香)がスルスルと全裸になり、石上の欲棒をシャブって大きくすると股間に宛がいグイッと抽入して跨った。

細君の股間の恥毛の一部が生々しく絡む肉花弁スリットはズブリと貫かれ、石上の欲棒を咥(くわ)え込んで深く浅くと動き出し、陰茎が見え隠れをしている。

どうやら細君(京香)の味見は既に終わっているらしく、石上の細君に対する態度は親し気である。

経験は学習をさせるものだから、私も知る細君(京香)の大胆な性技(テクニック)の洗礼の後では、妻を弄(なぶ)るい石上が妻により高度な奉仕を求めても仕方がない。

なるほど、細君の後で接待する以上、理屈から言っても妻の方に、生ぬるい接待奉仕をさせる訳には行かない。

何しろ、あの年に似合わない妖艶な細君(京香)の奉仕した後の仕上げが、妻の出番である。

細君(京香)の存在を意識する妻の後戻りが出来ない生真面目な性格が如何(いかん)無く発揮されて、性奉仕をより過激なものにさせて居るに違いない。

そして細君(京香)の過激な性奉仕を経験したゲストなら、妻にも遠慮なく卑猥な事が出来る訳だ。

先日の、「田嶋の接待の時」と言い、今回の「石上」と言い、妻にあの破廉恥な愛奴隷そのものの格好をさせて、ちょうど細君と吊り合いが取れるのかも知れない。

そして細君の秘処を、石上の欲棒が出入りするのを眺めながら、私達は譲渡契約と投資の話を持ちかけた。

「いゃあ、人間五十年やっているが、こんな経験は初めてだ。内の奴何んか、仕事さえやっていれば、夫の性欲の事なんてどうでも良いと思っていやあがる。それでいて、俺が浮気をすれば怒り出す。身勝手なものだ。こちらの奥さん方は、まったく良く出来ている。」

石上は照れ臭いのか、「自分の細君が性的に詰まらない」と、盛んにこぼしていた。

「君らの細君は、二人とも良く出来て居てうらやましい。いや、本当だ。こりゃあ、天国だよ。」

「投資して頂ければ仲間です、時々こちらにお見えになって日頃のストレスを解消し、英気を養えば良いではありませんか。利益は別の話でチャンと分配しますから。」

パッと石上の顔が明るさを益した。

「また、こう言う良い思いが出来るのかね?」

「石上さんのご都合の良い時に、こちらにお越し頂ければ。」

「内の奴には内緒だヨ。まったく亭主にサービスする気は無いくせに、外で遊んだら大騒ぎだから、釣った魚に餌をやらないのは、どっちだと言いたいヨ。」

「それは、もうナイショですよ。」

勿論、石上の家庭を壊す気など微塵も無い。

ここでの事は、「リアルな幻」と考えれば良い。

我々の生き方としては、恨み、嫉(そね)み、哀れみなど微塵も無い。

そこには、愛しみ、慈しみの心があるだけである。

「なるほど、私の心のケアへの投資か?どうせ、人間の一生なんか短い、踏み出さなければ何も起こらない。自分へのご褒美にその提案を受けるよ。」

石上は感激して、買い上げ金額の半分を、「女房に内緒でこちらに再投資する」と言う。

石上の有限会社京美企画への投資額は一億二千万に上る。

期待の開所式には、石上も参加する事に成った。

出資した金額からすれば当然かもしれない。

「また良い思いが出来る」と言うので、家人には資産処分の後始末を名目に、「開所式に参加する」と石上は言った。

細君の股間は相変わらず石上の欲棒を咥(くわ)え込んで、上下運動を繰り返している。

細君と交尾を続けている仰向けの石上が、両足を掲げながら「このまま里美に、尻の穴を舐めてもらおうか。」と命じると、直ぐに妻が応じてにじり寄り、石上の尻の谷間、蕾の辺りに舌を這わし始めた。

既に細君にでも教え込まれたのか、良く見ると妻・里美の舌先が石上のア*ルの中までめり込んでいる。

「ワハハ、こりゃあ堪(たま)らん大名気分だ。」

「出資の件はどうでしょうか?」

「するとも、そのカバンから黒いケースを出して押してくれ。」

「エェ、文面も見ないで押しちゃって良いのですか?」

「今忙しいから岩代君に任す。」

彼も岩代にカバンの中から印鑑を取り出させ、勝手に判を押させた。

何しろ、一人にア*ルを舐めさせながらもう一人と交尾をするなど、石上にしても初めての経験である。

二人の美女に奉仕させる快楽に忙しくて、中断をしたくはなかったのだ。

「配当はともかく、これで人生が楽しくなる。ウッ。」

「配当は大丈夫ですよ。この接待付で営業しますから。」

「あぁ、それなら商売になるな。」

石上は投資話の最中に、細君の中に二度目の射精をして果てた。

果てた後の石上の欲棒を、妻・里美が舌で拭うようにシャブり出す。

と、妻の指がア*ルにギュッと入って来たのを感じ、「オォ・・・」と石上から歓声が上がった。

石上の欲棒をシャブリながら、妻は石上のア*ルに指を挿し入れて刺激し、ジュポジュポと欲棒をシャブリ、唇で扱き始めた。

「ウムム・・・オォ〜凄い・・・効く効く。」

一度果てた後である、強烈な快感が石上を襲っているに違いない。

堪(たま)らず石上は、腰を使い出す。

腰を使ってクイクイと欲棒を喉の奥まで突き入れる度に、石上のやや膨らんだ腹が妻の鼻を潰す様にクイクイと押し付けられる。

妻も空(そら)は使えないから、上半身を使ってウゴウゴと石上の欲棒を喉の奥に必死に迎えに行く。

石上のカリ首を喉の奥まで飲み込めば、流石(さすが)に「オェッ!」と苦しいが、口をすぼめて咥えた石上の欲棒に歯を立てられないので、妻は涙を流しながら我慢する。

石上の欲棒を咥えた妻の口元で、唇を擦(こす)りながら唾液に濡れ光る陰茎が生々しく見え隠れしている。

当然ながら、石上の腰の動きに連れて坊主頭・海綿体のカリ首が妻の口中でまで届いて口蓋垂(こうがいすい/喉チンコ)を押し分け、石上の欲棒根元の恥毛が妻の唇にクイクイと容赦無く押し付けられる。

これは男性が女性に対する征服欲を満たす行為としては一種の服従儀式で、喉の奥まで欲棒を挿し込む行為は中華大陸で一般的なので大陸式フェラチオとも呼ぶ。

だからこの大陸式フェラチオは単なるおシャブリ以上に過激だが、その方に服従するお遊びのSEXのお相手を、これから始める「挨拶代わりの覚悟のしるし」と言う事になる。


漸(ようや)く奉仕が終った頃は、石上は完全に骨抜き状態だった。

「お楽しみ頂けましたか?」

細君(京香)が、石上に声を掛けた。

「あぁ、おかげでスッキリしたよ。」

「出資して頂いたのですから、石上様はもう身内です。上京の際はいつでも私達でお愉しみにお寄り下さい。」

「おっ、良いね、また君も奥さんも相手をすると言う事だ。」

「えぇ、遠慮なく言って頂ければ私(京香)も里美にも何時(いつ)でも犯らせますので。」

「こりゃあ良い。ふぅあ〜〜」

こう言う遊びの疲れは「心地良い」ものであるが、朝一番で伊豆から出て来てこの遊びである。

相当疲れたのか、あくびをしそうな間延びした声の石上だった。

上機嫌で石上が帰ると、岩代がいっものように声を掛ける。

「奥さん、お疲れさん。上出来でした。後はユックリして下さい。」

まるで、ワンステージ終わった芸能人みたいな扱いだが、妻が淫乱な愛奴隷を演じているのだから、確かにそんな雰囲気かも知れない。

妻の心の奥底に潜(ひそ)む本性を、石上に情け容赦なく散々に暴(あば)き出された。

また妻の顔には、あの屈辱的に扱われた時の、私の嫉妬心を燃え上がらせるような心地良い虚脱感が浮かんでいる。

これは同じ裸の一番で、竹中部屋で仕込まれた妻が本場所で「ガチンコの取り組み」を勝負するようなものである。

「お前(里美)、接待が上手く成ったな。」と私は溜息を付いた。

「だって、愛奴隷はゲストの期待を裏切れないでしょ。」と、妻は皮肉交じりに私に応えた。

気が付けば、既に妻はゲストに素っ裸で引き渡されるペット(愛玩物)だった。

実際、妻にしても、例えめぐり合わせの遊びのプレィでも性交をする以上は粗相(そそう)が無い様に気を使う。

つまり、「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの快感に努力するのが、置かれた立場の最低限の礼儀である。

そして大人の男女の成熟した性器と性器が正常に抜き挿しされて海綿体が接触すれば、得られるのは神の与えた「快感」である。

だからその結果として、妻が夫の目の前で腰を浮かしてヒィヒィと「気持ち良がって」も、何人(なんびと)もそれを非難出来ない。

当日の性接待プレィの場では強がって耐えて居ても、家に帰えれば張っていた心が崩れて泣きながらまだ他人の抜き挿しの感触が残ったまま亭主と性交に及ぶ。

それで妻は互いの愛情を確かめて、漸(ようや)く倫理観の負い目を吹っ切る場合も多い。

しかしそれは感情的なもので、妻の肉体(からだ)の方は充分にマルチSEX(複数性交)プレィやマルチタスクSEX(同時実行性交)の強烈な快感を記憶してしまっている。

そうなると性癖を植え付けられた妻は次のプレィのお誘いを断れないから、まぁ順調に環境が整えば人類は皆快楽性交マニアである事を否定は出来ない。


不倫の性行為は、特に相手との情が絡む所から世間では「情事」と呼ぶ。

しかしセックス・セッション(乱交)は不特定多数相手で、この「情事」の定義は当て嵌(はま)らない接待や遊びの性交である。

遊びの性交を妻・里美犯らせるならば、非日常の卑猥(ひわい)さが濃いほど上等な遊びなのは言うまでもない。

実は女性が変身する適齢期がこの三十歳前後で、此処で何らかの外部要因を受けるとガラリと違う生き方を選択する事もある。

里美は、裸身を人前に晒(さら)す機会が増えてからはブラジャーやパンティと言った生々しく着衣跡が残る下着を身に着ける習慣が無くなった。

里美は、セックス・セッション(乱交)を竹中氏と岩代夫婦にミッチリと仕込まれて、肉体(からだ)にその快感を植え付けてられている。

そう成ると正直、誰の欲棒を咥(くわ)えさせられても「これで可愛がってもらえる」と想うと、そのカリ首が愛しく想う様に成っていた。

だから里美は使いたい時に即接待に使え、操り人形のように素直に応じて京美企画では重宝(便利)している。


岩代夫婦や竹中に磨かれて、完璧に愛奴隷を演ずる妻・里美の全裸姿が此処に在った。

しかし当の本人は、何故か平凡な主婦生活の時よりも生き生きとしていた。

勿論(もちろん)私は、今でも妻を愛している。

つまり、妻が他の男と性交して居ようが居まいが、彼女が私を愛して居さえすれば私の愛情とは関わりが無いのだ。



それにしても何故だろう、外に出ると見知らぬ視線を感じる。

最近、街を歩いていて、誰かに見られているような感じがするのだ。

心あたりは無いが、誰か尾行(つけ)て居るようなスッキリしない気分だった。

周囲を見渡すが、誰も居ない。

私が、「性の接待」と言う奥の手に、後ろめたさを感じているせいなのか?

「気のせいか」と思うのだが、何故かリアルな感触がある。

それにしても、この奇妙な不安感がリアルなものなら、その正体はいったい何なのだ?

生まれて以来私が初めて感じる、何か想像も出来なかった事態が起こりそうな、不思議な感覚だった。



ともかく石上の出資を受け、京美企画の資金は飛躍的に余裕が出来た。

「社長、資金が出来ましたので、近々生島不動産と生島夫婦を手に入れて来ます。」

「生島夫婦と言うと、会社だけ買い取るのじゃないのか?」

「里美さんの親友夫婦では放り出す訳には行かないでしょう。二人とも戦力に成りますから、納得の上で奥さんには接待に参加させますょ。」

「そう言う事か・・・。」


二日後、岩代は小田原に飛んだ。

手にした一億二千万で「生島不動産の銀行融資を清算して身軽にする」と言う。

「これで、生島不動産と抱えている物件、そして喜美子が手に入ります。」

岩代が、意味ありげに言った。

生島喜美子に、妻同様の接待をさせる積りらしい。

まぁ、「放置すれば時間の問題だった」と言うのでは、他に救済する所も無いだろう。

岩代は、生島家の全ての抵当権を銀行から外し、有限会社京美企画に抵当権を移して来た。

そのまま住まわせるので、傍目近隣に恥じはかかない。

ベンツを始め金目の物は全て処分させ、親戚知人の借金を清算させて丸裸にしたが、足りない分は会社が立て替えても夫婦を身軽にした。

生島喜美子は、妻の会社が救済の手を差し伸べた事に感謝し、「暮々(くれぐれ)も里美に宜しく。」と岩代に言(こと)付けた。

ベンツに乗ったりして見得は張っていたが、ここ半年ほど、返済に追われて内情は火の車だったらしい。

「これで、資金繰りに追われる精神的苦痛から逃れられる。」と、喜美子は安堵の表情を浮かべた。

有限会社京美企画の湘南支店として再出発するに当って、生島は「商売の仕方を夫婦に一から仕込む事も了承した」と言う。

彼女は、その内容を知って仕込まれる事を了承したのか?

しかし、もう岩代の手に落ちたも同然だ。

いずれ判るだろうが、岩代の術中に掛かったら、生島喜美子を妻の様に淫乱に仕込む事など造作の無い事だろう。

人間が何かに挑戦する時は、何事も思考が斬新でなければ新しいものは得られない。

度胸を決めて京美企画に参加する以上、喜美子はもう引き返せない所まで卑猥(ひわい)な人生にドップリ浸(つ)る事に成るのだから、どうせなら血湧き肉踊る遊びを大胆に夫婦で犯れば良い。

そう開き直れば喜美子には、貞操観念などそれほど拘(こだわ)るべきものでは無かったような気がする。

一度喜美子がこの場の禁断の性行為を経験してしまえば、その強烈な快感体験に次からは肉体(からだ)が狂惜(くるお)しい位その強烈な快感を愛欲(いとほし)くなる。

そうなれば、黙っていても喜美子もその現実を認めざるを得ない筈である。



妻とゆっくり話が出来たのは、開所式の二日前だった。

もう五月の連休が始る、四月の終盤に差し掛かる所まで暦が進んでいた。

裏の開所式は、その連休が始る前日に設定した。

こちらは役員や出資関係者だけの行事だ。

表の会社設立披露は一般客を交えたもので、翌日の連休初日にする事にした。

コンパニオンを呼んで、「盛大にやる」と言う。

こちらは、前の会社のだみ声の専務や、付き合いのある業界関係なども呼んである。

「岩代が私の話し方が魅力的で、社長の役席には持って来いだと言うのだが・・・・」

「そうですね。ご自分では気が着かないでしょうが、あなたの話し方は結構魅力的ですよ。」

身内の贔屓目(ひいきめ)かも知れないが、妻にそう太鼓判を押されれば亭主はその気に成るものである。

心配なのは、妻が主役の「裏の開所式・開所祈願」の方だ。

「ねえあなた、開所祈願の方にキミチャンを呼ぶって言っていましたけど。」

「えぇッ、岩代に何か聞いたのか?」

「エェ、聞きました。私、輪姦される所をキミチャン夫婦に見せて良いかしら?」

「お前は、どう思う?親友の前で輪姦されるのだぞ。」

「そりゃあ恥ずかしいですけど、岩代さんがどうしても犯りなさいって・・・。」

「嫌なら、無理にキミチャン夫婦を開所式に呼ばなくても良いぞ。」

「うぅん、私、あなたが良いと言えば、キミチャンに見られても構わないと思いました。」

妻が、意外な事を言い始めた。

「エッ、見られても構わない。何で、そんな気に成った?」

「だって、相手を選んで居ては、この先の仕事の歯車がどこかで止るって岩代さんが・・・・。」

予想外の妻の出方に、私は困惑していた。

「お前、自分が輪姦(まわ)されて居る見っとも無い所を、キミチャンに見られても良いのか?」

これは常識的には、構えて輪姦される所など見せたくない相手である。

それを、「良い」と言う妻の心境が信じられない。

「そりゃあ、葛藤(かっとう)は有りましたけれど、岩代さん、いずれキミチャンにも同じ事をさせるって言って居ましたから、私、それなら良いと思ったの。」

「親友を引き込む訳か・・・。お前が良いのなら、何も俺が反対して社内で波風を立てる事は無いのかナァ。」

「それに、岩代さんはあの子達(学生達)も来ると言っていますから、私(里美)は構いません事よ。」

嫌悪感さえ払拭すれば、輪姦(まわし)を受ける魅力に魅入(みい)られた女性はそこから中々抜け出せない。

何故なら、極限のスポーツ・ハイと性交快感の複合効果を得られるからである。

ランナーズ・ハイにしてもクライマーズ・ハイにしても肉体的にしんどい事は極限のしんどさに成ると脳がしんどさを緩和する為の脳内麻薬・ベータエンドロフインを脳内に噴出して一種の麻痺陶酔(まひとうすい)状態に成る。

正直、人間の固体が一度経験した危険でしんどい登山やマラソンを止めないのは、癖になったスポーツ・ハイの麻痺陶酔(まひとうすい)状態の快感を得たいからで、目標達成の爽快感は思い込みに過ぎない。

そして同じ麻痺陶酔(まひとうすい)状態を得たいなら、まぁ女性も合意の上のと注釈付きだが登山やマラソンと比べると輪姦(まわし)の方が余程簡便で手軽な手段である。

その只でさえ麻痺陶酔(まひとうすい)のハイ状態が継続している肉体的情況で、相手構わずの連続性交で犯られるのだから性交の快感は通常の何十倍にもなり、スポーツ・ハイの麻痺陶酔(まひとうすい)状態以上の他の方法では中々得られない体感なのである。

輪姦(まわし)を経験しなければ理解できないだろうが、この極限のスポーツ・ハイと性交快感の複合効果を体験すれば、結果はその魅力に肉体(からだ)が魅入(みい)られて繰り返し続け、精神的、身体的に依存するように成るのである。

どうやら妻は、今度の呪詛輪姦を「内心愉しみにしている」としか考えられない。

この呪詛輪姦話、意外にも妻は何かを期待している風情だった。

こに到って考えるに、大勢の学生を相手にした妻は咽返(むせかえ)るような精液の香りに包まれたが、どうやらそれも慣れると癖になる香りだったらしい。

香りの記憶と言うものは、他の五感との組み合わせで成り立つ。

つまり続け様に輪姦(まわ)される極限の快感の記憶と精液の香りに包まれる事は妻の脳にワンセットで記憶され、その精液の香りは一度刷り込まれてしまえば自分の身に何をもたらせるのかを予測させるものと成る。

岩代は常に女性心理を計算づくで、妻が納得出来る逃げ場は、チャンと作ってある。

「あぁ、内の京美企画の傘下に組み入れる積りらしい。それに開所式当日から躾(しつけ)を始めるそうだ。」

「それなら、私が我慢すれば良いじゃありませんか。それにこの話はあなたがキミチャンを抱ける話で、まんざらでもないのでしょ。」

「それは俺も男だから、その気が無いと言ったら嘘だろうな。」

「でしょう。キミチャンを犯っちゃって愉しめば良いわ。」

岩代の「気」に妻は操られているのか、自分から思い切った事を言い出した。

いざとなると、女の方が覚悟は良い。

これで、岩代の企みは上手く進みそうだ。


どうやら私(里美)は、何か不思議な力に引かれた「逆らえない運命のレール」に乗っているようです。

私(里美)が思うに、卑猥(ひわい)の限りを尽くす行為でゲスト様をお慰めしては居ますが、何事も慈悲の心で応じる接待の性奉仕は、あくまでも、ある種「私(里美)の修行のようなもの」かも知れません。

愛奴隷として、見っとも無い事を犯るのが私(里美)を精神的に育てる「修行」であれば、それで納得出来る事ですから、露出羞恥プレィ、複数プレィ、SMプレィ、何を要求されても嫌も応もありません。

中学、高校とミッションスクールで教わったのは真実ではありません。

岩代さん夫婦から学びました。愛情が介在するならともかく、夫婦で一緒に遊んだり接待で犯る分にはSEX行為も唯の出来事に過ぎないのです。

私(里美)、夫達に引きずられるように乱交の世界へ入ってしまいましたが、それは夫婦だけの味気ない性行為に比べ、遥かに興奮と快感を覚えるものでした。

頭で考える事と違い、身体は正直に「気持ちが良い」と反応して、それを教えてくれました。

人生、何事も気の持ち様です。

プラス思考で考えれば、受け取る思いも違ったものに成ります。

人間、「嫌」と思えば嫌ですが、同じ事を「好き」と思えば、好きなのです。

ゲストに性玩具(オモチャ)として遊ばれる事が好きに成らなければ、愛奴隷は犯っては居られません。

非日常のスイッチが入れば、私(里美)の精神は愛奴隷に変身します。

目の前にぶら下がるゲスト様の欲棒も、「不気味」と思えば不気味ですが、同じ物も「愛しい」と思えば愛しいのです。

それが出来ない内は、「嫌なものは嫌」と主張する、唯の「自分本位な女なのだ」と気が付きました。

五感の感覚の中で、味覚は余り性に関係が無いように思うでしょうが、そうでもないのです。

最初に、竹中さんの物(欲棒)を咥(くわ)えた時、説明出来ない奇妙な味を感じました。

そして、その後多くの欲棒を咥(くわ)えて見て、その味を、私(里美)が「好きに成っている」と確信しました。


人間の行動には、「思い」と言うものが込められています。

今では、「これが、今から私に快感を与えてくれる」と思うと、股間が「ジーン」と成り、愛(いと)しくて、自然に咥(くわ)えてたく成ります。

好きになれば、その欲棒を愛しく成ります。それで私(里美)は、ジックリと味わいながら、ゲスト様の欲棒を口で丁寧に愛(め)でるのです。

説明は出来ませんが、それなりにその味覚が、私の脳に何かを伝えているのかも知れません。

いずれにしても、これ(欲棒)が「私の中に入って来るのか」と思うと、条件反射のように胸がいっぱいに成り、それ(欲棒)が愛(いと)しくなる私(里美)が居ます。

自分で自分の心は偽れません。

それが「本音」と気付いた時、もぅここまで来てしまったのですもの、「今更否定しても仕方が無い」と、潔(いさぎよ)く心に決めました。

その方が、清々と接待の奉仕が出来る筈(はず)で、今の私(里美)の気持ちはオシャレで官能的なお相手が目標なので、純粋にゲスト様の喜ぶ顔が楽しく成れば、SM行為でも素直に受け入れる事が出来のです

世間から見れば、私(里美)は「淫乱」だと言うでしょう。

えぇ、私(里美)は「淫乱」です。

でも、ここまで突き進んで、今更私(里美)は貞淑な女には成れません。

全てを曝(さら)け出して、本能のひと時に身を委(ゆだ)ねる事がそんなに罪な事でしょうか?

貞淑(ていしゅく)に拘(こだ)る理由は何なのでしょうか?

愛を伴わなければ、SEX行為も唯の出来事に過ぎないのです。

でも、そんな小さな私(里美)の悟りとは違う、大きな目的が岩代さん夫婦には有ったのです。




翌朝、岩代と開所祈願の件で話が出来た。

実を言うと、細君(京香)が付いて来て信頼関係を再認識するオマケ付だ。

つまり私は、またも細君にシャブられながら、岩代の話を聞いた。

「内の奴に呪詛でもかけているのか?何でも君の言う通りだが。」

「ハハ、まぁ、そう緊張しないで。リラックスリラックス。」

彼が言うに、開所式で妻の輪姦をいきなり生島喜美子に見せつけ、一気に覚悟をさせるつもりらしい。

「奥さんと京香が犯っていれば、生島喜美子も、自分だけ知らん顔は出来ないでしょう。」

「驚くには驚くだろうが、その先に上手く持って行けるかどうか・・・。」

「この件は、だんなの方には話を通して、了解させています。その上でまだ本人には、ショックが大きい様に伏せてあります。」

「そんな事だとは思っていたが、大丈夫か?その場にな成って、計画が壊れると、台無しだぞ。」

「俺が気を操(あやつ)りますから、大丈夫です。京香に言ってありますが、生島喜美子の初の相手は社長にしてもらいます。」

「客(出資者)じゃなく私が最初か?」

正直なもので、妻の友達の喜美子を「犯れる」と言う話に、私の欲棒は見事に反応し、細君の口の中でなお更固さを増した。

「まずは、社長が喜美子の支配者である事を、判らせます。もっともその頃は、奥さんも輪姦されている真っ最中でしょうが。」

岩代は、さも普通の事の様にそれを私に告げた。

いったいこんな会社他にあるだろうか?

「内の奴にそんな事をさせて、肉体(からだ)が持つのかなぁ?」

「開所・事業成功祈願ですから、奥さんの肉体(からだ)で会社発展の呪詛エネルギーを出すのが目的です。」

事業成功祈願を京香にやらせても良いが、「それだと、俺らの方に幸運が偏って社長の意味が無い。」と言う。

そう言われれば、可哀想うだが妻には犯らせるしかないだろう。

岩代の言で行くと、女性が連続する絶頂感に長く晒(さら)されると、脳内にベータエンドルフィンが発生して強力な脳波の呪詛エネルギーを発し、それが「邪気を祓い、関係者を繁栄させる」と言う。

にわかには信じ難い話であるが、既に全体の流れはその方向で固まっていて、私が止められるものでは無さそうである。

「その呪詛エネルギーを出す為に、内の奴(里美)に輪姦をさせるのか?」

「えぇ、激しいほど良いのです。それで、奥さん(里美)を固定するように、一階の内装を少し変えて可動式のパイプを設置しておきました。」

「固定する?内の奴(里美)にそこまでするのか。」

「今回は奥さん(里美)が気絶しても止められませんから、そのまま輪姦され続けられる体勢を、固定して取ってもらいます。」

岩代は、事も無げに言う。

他人の妻だと思って、あっさり酷い事を言う「こいつ、何を言っているのだ。」と、ムカついた。

「おぃ、気絶してもって、いったい内の奴(里美)にどんな事をさせる積りだ。」

「大丈夫です。両手を十字に固定して、半吊り状態にするだけです。まぁ、安心して任せてください。寮の学生も企画を手伝わせる為に、アシスタントに呼んであります。イキの良い若いのが多い方が、忌み祓いの儀式には良いでしょう。」

岩代は、余り大した事では無いかの様に「色々犯らせて、日頃鍛(きた)えて居るから大丈夫(だいじょうぶ)でしょう。」と私に告げた。

これは、バトル‐ロイヤル・セックス(多数が参加し公開で戦う性交方式で、ロワイヤルは仏語発音)なのだ。

一瞬、気絶した妻がそれでも犯され続けている姿が脳裏を掠めた。

正確・公平に考えて見れば、男の私だけが他人の京香と遊びの性交を犯って置いて、妻には「誰とも犯るな」では随分身勝手で不公平な独占欲である。

妻本人が性に目覚めてさして抵抗が無いのであれば、妻が目の前で他人と性交していても、私が「こちらも見て楽しむ、単なる遊び」と考えれば案外どおって事は無い。

妻が私の目の前で他の男と性交をしても、接待の性奉仕は浮気とはその質が違う。

確かに愛奴隷には選択権も拒否権も無く、勝手に決められた相手に好きに犯られるのだから、とても「浮気」とは言い難い。

言って見れば少々卑猥な肉体労働で、性接待の奉仕だからゲストが「何を求めているのか」まで気を配って、始めて「良い愛奴隷」と言える。

それ故ゲストの性玩具(おもちゃ)に成り切っている妻に、嫉妬しても始まらない話である。

そう割り切ってしまえば、目の前で繰り広げられる妻の痴態も、慣れとは恐ろしいもので「結構な見物」として楽しめる私だった。



「ウッ、フー。」

突然、快感が私の全身を貫いた。

結局、岩代の有無を言わせぬコメントと、私が細君の口の中に射精したのと殆ど同時だった。

これでは、異論など挟めるものではない。

岩代の話しに拠ると、開所祈願は「伝統ある修験呪詛の形式を踏襲(とうしゅう)する」と言う。

彼の言に拠れば、全国各地に残る人身御供伝説が、修験呪詛に拠る祈願をする為のものなのだ。

女性の、命を生み出すエネルギーを、「輪姦で引き出して祈願をする」と言うのである。

その生け贄に相応しいのが、社長婦人である妻なのである。

「奥さんも既に了解しています。」

「内の奴が、良いと言ったのか?」

「だいぶ、社長婦人の自覚が出て来たようで、まんざらでなく楽しみにして居る様です。」

主役が犯ると言うのなら、私が反対するのは可笑しな話しに成る。

実は、輪姦乱交にしてもSM行為にしても単独の性交の数十倍気持ちが良いから、女性がその刹那的な快楽を一度経験してしまうと脳がその快感を覚えて常習性が出て来るのだ。

一度嵌(はま)ってしまって味を占め、忘れられない快感の記憶を脳に刻み込まれた妻が、その誘いを断る訳が無かったのだ。

勿論本音の半分は、括(くく)りつけられて犯りまくられる妻が、どう成ってしまうのかは、私も見てみたい。

持前のアスリート魂で、どんなに苛酷な忌み払いの陵辱(りょうじょく)でも妻はギブアップはしないだろう。

「本人が良いなら、それで行こう。」

いずれにしても妻は「嫌では無い」と言う事で、それを簡単に言うと「癖になる又は忘れられなくなる」と言う事だ。

実は連続性交に拠る快感の持続は強烈で、妻を心体共に追い込んでクライマーズ・ハイやランナーズ・ハイと同じようなセックス・ハイの状態に導き、脳内麻薬べェータエンドルフィンを発生させる。

べェータエンドルフィンは体内麻薬で安全だが、麻薬使用時に近いドリップ感覚を体験するから妻は一度経験して覚醒(かくせい)してしまった。

それを知った後の妻は、「またそれを体験したい」と言うセックス・ハイを求める常習性が妻の思いに出て、正直乱交が止められなくなる。

妻は、乱交でしか得られ無いその特別な快感を知ってしまったのだ。

どうやら、何もかもが岩代の思惑通りに進んでいる。

今回の妻の試練は、妻に決定的な何かを植え付ける事に成るかも知れない。

勿論世間体(せけんてい)に拘(こだわ)っていると、前に進めない事がある。

時には冒険も必要で、女性を「輪姦する」と言う事は「酷い」と思い勝ちだが、元々女性は肉体的にそれに応じられる。

それは構造の問題で、男性はイッテしまうと性交を続ける事は出来ないが、女性はイッテも構造的に性交が続けられる。

つまり女性は「それが犯れる」と言う事で、肉体的には充分可能なさほど問題ない事を、別の精神的価値観で判断している事になる。

だから、妻は犯って見て輪姦(まわし)に抵抗感が無く成った。

今ではむしろ、積極的に輪姦される事を楽しむ構えである。

大人数で休む間も無く輪姦(まわさ)れれば、犯られっ放しでオーガズムが継続する濃厚な快感でイキ続けて失心する。

こんな快感の連続は、夫一人相手では望むべくも無い。

そんな濃厚な快楽感を一度知ってしまえば、直ぐ終る夫一人相手の行為だけでなく、たまには贅沢もしたく成っても仕方が無い。

赤の他人から、息も出来なくなるくらい代わる代わる責め上げられて、終って開放された時の虚脱感と充実感は、経験しないと得られない満足感らしい。

こう言う背徳の性行為は堪(たま)らない密の味で、精神的にも肉体的にも、極限の興奮が得られのだ。

これは、あくまでも大人の節度を保った範囲での夫婦参加の遊びで、例えどんな変態行為をしても、夫婦間で合意が為されていれば原則問題は無い。

妻が本能で感じて「そう在る事」を望めば、全ての拘(こだわ)りから開放されるのだ。


岩代さんに、会社の繁栄を願う「忌み祓い開所式で、私(里美)に輪姦をさせる」と宣言されました。

「おぃ里美、どうするのだ?」

「大丈夫です。会社の将来の事ですから、犯りましょうよ忌み祓い。」

私(里美)、一度岩代さんの所で学生相手に経験していますから、あの被虐の何とも言えない快感が思い出され、子宮がうずく思いで期待感が膨らみます。

女性としては、はしたない事かも知れませんが、雌(おんな)としての本能は直感的で、もぅその気に成っている私(里美)でした。

「そぅか、お前が良いなら、そうするか。」

肉体(からだ)が快感を覚えてしまうと、考え方まで変わるものですね。

本能と論理の二面性を持ち合わせているのが人間で、肉体(からだ)なんか只の精神の入れ物に過ぎないのです。

それ故、本能を癒(いや)す為に「入れ物を使ったから」と言って精神まで汚れるとは限らないのです。

そう割り切っては見ても、メチャメチャに犯されれば、私(里美)の身体がどう成ってしまうのか、正直それが心配でした。



忌み祓い開所式で妻を輪姦するなどバカバカしい話しではあるが、岩代が言うと、その馬鹿馬鹿(バカバカ)しい事が、本当に思えるから不思議である。

この奇想天外な申し出、理不尽な話だが、今と成っては断れるものでもない。
既に京美企画と言う船は、港を出てしまっているのだ。

「竹中さんに、スケベ心は本質的に馬鹿馬鹿しいものだ。と教(おそ)わりましたもの。」

「なるほど」と思った。

確かに【左脳】を働かせて冷静に見ると、性行為は馬鹿馬鹿しい行為に映るが、これは【右脳域】の領域でイメージ記憶・直感・ひらめき・芸術性・創造性・瞬間記憶・潜在意識・リラックス本能などの感性が活動する場面である。

つまり性行為において【左脳域での思考】は余分な事で、性行為の場では【左脳域での思考】を捨てなければ快感を楽しめないのである。

妻の里美は「独立話し」と言う合理的損得勘定に拠る納得の理由の下、私の合意を得た岩代夫婦や竹中氏の策謀(さくぼう)に嵌(はま)って一日の内に理性の壁をクリア(跳び越える)した。

理性の壁をクリア(跳び越える)してしまえば、その非日常の行為は癖になるほど官能的であり、何よりも夫の合意の上と安全が在るなら一度味を占めた里美にはそれを拒(こば)む理由は無い。

人間界に於ける性交と言う行為は元々日常生活とはある種分離された感覚のものであり、性交そのものが感性に於ける非日常の行為と位置付けられるものなら、その行為の範囲は限定的なものでは無いのではないか?

そしてその性交行為が感性に於ける非日常の行為と位置付けられるものなら、性交に於ける道徳観は言わば社会性との整合性であるから、そこさえクリア(跳び越える)出来れば元々自然界に於ける性交相手や行為内容は限定的なものでは無い。

社会性との整合性を求められる道徳観は理性で支えられているが、理性には左脳域の計算に於ける損得勘定が背景にあり、それが感性の抑制を為している。

従って、左脳域の計算に於ける合理的損得勘定と右脳域の感性を満足させる性行為とが一致してしまえば、それを妻の里美が拒(こば)む理由は個人の感性の問題だけである。

そうした考え方から、性交行為に右脳域の感性を満足させるフォアー・アミューズメント(おもしろ半分の慰み)の要素が在っても不思議は無く、今後の里美に「それを愉しみたい欲望が在っても何の不思議も無い」と理解した。


確かに、新しい事業は順調に船出をするかに見えていた。

所が、岩代の目的は唯の金儲けではなかった。

彼の心中にはある野望が渦巻いていた事に、私はまだまだ気が付かなかったのである。

いずれにしても、開所式を明日に控えている。

不思議なもので「心配と期待が半々」と言うのが、偽らない心境である。


(忌み祓い開所式)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十六話(忌み祓い開所式)


開所式の日が来た。

昨夜の内に、妻は翌日の会社設立披露の両親出席依頼とその準備を理由に、娘を小田原の両親に預けて来た。

勿論、娘の心配をしないで開所式に望む為だ。

妻の肉体(からだ)が忙しくなれば、娘を両親に預ける機会が増えるかも知れない。

今日一日は娘の心配が無い。

妻はあらかじめ岩代から聞いて居る様だが、私とはそれを話題にしない。

そして、何事も無いかの様に飲食の支度をしている。

私と妻の本性を言えば、正直で小心者だから余り器用な生き方は出来ない。

それが岩代夫婦に操られて生き方を変えてしまい、それが習慣着いてしまったのか、こう言う場面では私達夫婦はもう日常生活とは違うチャンネルに考えを切り替えている。

妻は大勢の男達に犯られる事に成るが、輪姦(まわし)は既に岩代の所の二階で学生相手に経験済みで、妻にとっては一度味わった魅惑の記憶である。

こうなると根性の問題で、犯る気になれば女性の方が子供を出産するだけの肉体的な素養を持っいて、根性も有れば肉体的にもそれを受けるだけの体力や構造を持っている。

それにしても、人間とは不思議な生き物である。

時としてその強さには驚かされる。

近頃の妻を見ていると、尽々(つくづく)思う。

所謂、あれほど世間では破廉恥と思われる事を平然と為し、激しい行為にもけして傷付かず、何事も無きがごとく生活を送っている。

普段の妻の生活に、別段変わった様子は微塵も無い。

良い妻であり良い母なのだ。

つまり非日常の行為は、別の事と割り切って居るのかもしれない。

確かに、何事も中途半端な心掛けで成功する事業などない。

決まった方針も、徹底しなければ成果を上げられない。

つまり、甘い心掛けと甘い方針ならば、事業結果は最初から判っているのだ。

全く犯りたい放題の性接待がバリュー(付加価値)付きの取引では、競合する他社(よそ)が内の会社に適う訳が無い。

「普通に仕事をやっていたら負けですよ。但し後ろに手が廻っては困りますから、金品を一切介在させない方法です。」

以前聞いた岩代の声が、ズーッと永く耳に残っている。

ここで私が「何もそこまで・・・」と異論を唱えては、事業など最初からしなければ良い事に成る。

言って見れば、何事にも自信の無いやり方で成功する事は難しいのだ。

従って、方針を決めて踏み出した以上、如何に妻が卑猥な接待をしょうが、私情で躊躇(ためら)う余地は無いのである。

妻にもそれが、充分判っている様である。



開所式は、朝の九時半頃から集まって十時から始めた。

この開所式は、岩代に密かに画策された喜美子のお披露目披露でもある。

最初に来たのは岩代の元居た寮の学生達十人で、彼らは九時五分前にピタリと来た。

私は二度ほど岩代の処で彼らと顔を合わせていたから、気楽に言葉を交わした。

妻は彼らには身体まで赦していたが、その時は目隠しをして輪姦されたから顔を見たのはこれが初めてだった。

彼らは細君(京香)の仕切りで、でかい図体を小さくして「押忍、押忍。」と何でも迅速に動く。

続いて、生島夫妻、竹中氏、石上氏、田嶋氏と九時半には今日のメンバー全てが揃っていた。

私達夫婦と岩代夫婦を足すと、総勢十九人になる。

岩代はこの人数で、事業開運の呪詛エネルギーを使うと言う。

計画を知らない生島夫婦は、固くなって出資者と挨拶を交わしている。

会社設立披露の前日に行う内々の開所式が、何を意味するものか測りかねているのだ。

これから起こる事を予感させる怪し気な期待の空気が忌み祓い開所式の会場を充満していた。

情況を把握(はあく)していないのは生島夫婦だけだった。
私としては、何でも有りの考える暇を与えない怒涛(どとう)の展開で、「あれは犯っても良いけど、これは犯るのは嫌」と言った分別を喜美子にさせない内に一気に犯ってしまう岩代の手口を使う事になる。

生島夫婦の緊張を他所(よそ)に、「時間が来たので飲み始めましょう。」と、岩代が口を切った。

生島喜美子には思いも拠らなかったが、もう、喜美子を追い込むゲームは始まっている。

興奮を誘う性的な遊びの初歩は、精神的な心理の駆け引きで本人を追い込む過程の楽しみがゲームである。

内々に当たる九人で酒盛りが始まった。

不思議な事に、この異空間はもう非日常的な意志が支配している。

学生達は酌をして廻り、「手伝いに来た」と言う立場から酒は遠慮している。

生島喜美子は、これから親友に起こる事も、自分に起こる事も知らずに、愛想良く振舞っている。

性格的には快活な生島喜美子は、頭のてっぺんの方から徐々段になっている「マッシュウルフカットハイレイヤー」と言われている卵形の顔に似合う髪型で、まぁ、彼女としては精一杯自分を良く見せる努力をして、今日は来ていた。

慣れないメンバーの中に在って、幾分遠慮気味だが、流石に妻の里美には気を許しているのか、何かと声を掛ける。

妻も「キミチャン、キミチャン」と、何事も無い様に、ケロりとした顔で生島夫婦をあしらっていた。

「いざ」と成れば女性も結構残酷で物見高いので、妻はこれから降り掛かるキミチャンへの試練に対する彼女の反応を、或いはそ知らぬ顔で内心楽しみして居るのかも知れない。

この時点では何の変哲も無い親睦会で、喜美子は、明日は主催者のホスト、ホステス側だから、今日のうちに気心の知れた物で、宴でもしているのかと理解していた。

事実、岩代には、「硬い信頼関係を結ぶ為の大切な行事だ」と教えられていた。


だいぶ酒が進んで来ると、全体が砕けて来る。

石上も田嶋も新手の喜美子には興味津々で、「今日初めて仲間内の躾(しつけ)をする」と聞いてはいるが、どう言う顛末(てんまつ)になるものか、無遠慮に様子を伺っている。

喜美子は身長155センチと小柄で、どこか放って置けない感情を抱かせる得な顔をして居る。

スレンダーと表現する細身の身体の持ち主で、キツイ顔の美人と言うより鼻の作りが小振りの可愛らしい顔立ちで、やや厚めの唇が印象的なのだが、女学生時代はさぞかし美少女だったろう。

今日は、鮮やかな青色のスーツと白いブラウスで決め来ている

どこまで本当かは判らないが、妻と生島の所の喜美子の自慢話に拠ると妻の里美と喜美子が例のミッションスクールの競泳部に在学していた頃は、関東の競技会で「追っかけまで出た」と言う噂だった。

つまり今と違って、ハイレグに股間に切れ込んだ里美と喜美子の競泳水着姿がアイドル並みに人気が出るほど、観てくれが良かった訳である。

確かに二人は美貌(びぼう)の上にスタイルも良く、その女子高生が競技会場では太腿(ふともも)も露(あらわ)の競泳水着姿では絶好の見世物なので人気も出たに違いない。

京美企画は、その二人の肉体(からだ)を性接待用に手に入れた事になる。

「喜美子さん、貴女は支店のお客様付き合いは上手く出来るかな?」

ほら来た。竹中が口火を切って喜美子の躾(しつけ)を始める積りだ。

「はぃ、今まで以上に頑ん張ります。」

喜美子は極当たり前の返事をした。

普通なら、これで終わりの会話だが、しかしここではそれが通用しない。

「それじゃあ、まずは出資者の私(竹中)を接待してもらおうか。それが出来なければ不合格だ。」

岩代が割って入って、聞こえよがしに念を押す。

「生島さんの所も、もう自宅も全て京美企画の担保ですから。それなりの覚悟は出来ていると思います。」

「そうか、そうか。まさか奥さん(喜美子)、ここまで来てまだ中途半端な気持ちじゃあ無いだろうな?」

竹中の手が、喜美子の肉体(からだ)をまさぐり始め、胸だろうがスカートの中だろうが、無遠慮に竹中の手が潜り込んで居る。

突然の無体(むたい)な竹中の行動に、喜美子はどう対応して良いのか、困惑して身をよじり、夫の生島に目で助けを求めている。

喜美子には、いきなり飛んでもない話で無理な事を求められた思いが強いが、助けられると言う立場が立場だけにガツンとは断れない。

救済の条件で、「取引先の接待に駆り出される」とは聞いていたが、生島も甘く考えていて、行き成りここまでさせられるとは思わなかった。

生島が妻の喜美子を心配して立ち上がり掛けたが、岩代が押し留めて何事か耳打ちしている。

話を聞いて、生島は困惑した表情を浮かべ、浮かしかけた腰を下ろした。

彼は腕を組み目をつぶると、現状を容認する様にソファーにもたれ掛かった。

考えてみれば既に生島は、岩代から話を持ち込まれて妻・喜美子に接待の仕事をさせる事も、開所式の当日にはその訓練を始める事も内諾している。

正直、妻・喜美子が犯る事を犯らなければ接待には成らない。

他人前(ひとまえ)で素っ裸の露出を晒(さら)す事も、例え夫の目の前でも弄(なぶ)られ犯されて見せる事にも慣れなければ、生島喜美子に愛奴隷の性接待は勤まらない。



実は四日ほど前に、岩代と生島の間で凡(おおよ)その話が着いていた。

「すると、京美企画に吸収される形なら借金は全て引き受けると・・・」

「えぇ、奥さん(喜美子)共々京美に移って貰います。」

「それは、内(生島不動産)は助かりますが、もう金融機関も見放した状態にしては何かお話が良過ぎて返って不安です。」

「当然心配でしょうが、京美流の経営なら持ち直せます。」

「京美流の経営ですか?」

「そうです。ですからあくまでもこの吸収救済の条件は、奥さん(喜美子)共々参加して頂いて奥さんには営業接待部門を受け持って頂く事に成ります。」

「営業接待部門をですか。」

「そう心配なさらなくても、当方の社長婦人の里美さんや私の家内の京香も営業接待部門を受け持っておりますから。」

「それにしても、そう言うお話しですと普通の接待とは思えませんが。」

「仰(おっしゃ)る通りです。お断り頂いても結構ですが、生島不動産とあなた方夫婦に他に取るべき道は無いでしょう。」

生島としては迂闊(うかつ)な話しには乗れないから、ここは生島にとって集中力を必要とする場面である。

と、言っても生島にそう選択肢がある訳では無かったが・・・

「生島さん、今までみたいに普通に仕事をやっていたら負けですよ。勿論、奥さんにはガチンコ本番セックスをさせる事になりますが・・・」

「内の奴にそこまで犯らせると言うのか・・・」

無言の時が流れた後、生島は「フゥー」と大きな溜息を付いた。

落着くには息を吐き出す事が一番で、冷静さを取り戻す。

誉められた判断ではないかも知れないが、生島にして見れば背に腹は替えられない。

複雑な心境だが、現実を採(と)ればそれも有りなのかも知れない。

「どうやらそのお話に乗る以外に、我々夫婦の道は無さそうですね。」

「それはイエスと受け取って良いお返事ですね。でしたら自動的に奥さん(喜美子)も営業接待役で京美に参加を了承と言う事で。」

「はぁ、私(生島)は納得しましたが、内の奴(喜美子)の方はこれから説得しなければなりません。」

「その件は、奥さん(喜美子)に面と向かって説得しても妙な先入感で説得がこじれてもいけません。当方に任せて頂けますか?」

「私(生島)からは内の奴(喜美子)に何も言わなくて良いと・・・・」

「えぇ、お任せ下さい。生島さんが承知してさえ居て下されば、奥さん(喜美子)には合併後に流れの中で納得して頂きます。」

「つまり、この件は岩代さんにお任せして、私(生島)は口を出すなと言う事ですね。」

「そう取って頂いて結構ですが、それを承知すれば今担保抵当に入っている生島さんの個人資産を京美企画が肩代わりして保全し、生島さん御夫婦の働きで徐々(じょじょ)に返済する救済策が条件ですから、生島家に取っても奥さん(喜美子)の働きは重要です。」

「すると接待の方法も岩代さんにお任せして、内の奴(喜美子)に実地で教えて頂く事に成りますか?とても内の奴(喜美子)が承知するとは・・・。」

「大丈夫、奥さんの事は私が上手く収めます。勿論奥さんには色気の有る接待をして頂きますが、ここまで状況が詰まったお話しですから全てお任せ願う事を承知願います。」

「矢張りそうでしょうね。実は金融機関は倒産処理で済んでも、危ない消費者ローンや親戚友人からの借り入れは返す目途が建たない背負い込みに成ります。」

「只のサラリーマンでは、返済に一生かかるでしょうね。」

「えぇ、この状況ではどうせ内の奴(喜美子)にソープランドで働かせるくらいしか、他に挽回の余地はない筈ですから、思い切って京美さんで色気の有る接待をする位は仕方ないでしょう。」

「勿論奥さん(喜美子)には京美流の接待を仕込む事に成りますが、本人が納得しなければ無理強(むりじ)いはしません。」

事が事ですから、奥さん(喜美子)には厳しい要求も有りますが、御主人として予(あらかじ)め奥さん(喜美子)の教育は当方に任せて頂く事を了承ください。」

「内の奴(喜美子)の教育を任せるって・・・。私(生島)はそれでも良いのだが・・・。」

緩(ゆる)い口ぶりで意志を表現した生島は、「私(生島)はそれでも良いは本気ですね。」と岩代に念を押された。

いずれにしても生島には、この要求から「逃げられない」としか考えられない・・・・・

「生島さんが奥さん(喜美子)の身柄を我々に預けて、教育を任せてくれさえすれば、奥さん(喜美子)本人の納得尽くで接待教育は直ぐ出来ます。」

生島喜美子を愛奴隷に躾(しつけ)るには性交特訓が必要で、そのくらいは生島も直ぐにそれと察した。

「それはイエスですが、内の奴(喜美子)にそんな娼婦みたいな事をさせて大丈夫かな?」

「なぁに、当社では社長夫人も内の京香も犯って居る事です。女は環境に直ぐ適合する生き物ですから奥さん(喜美子)も大丈夫、直ぐに接待役で使える様に成りますよ。」

「判りました。そうですよね、内の喜美子だけが犯る訳ではないのですね。会社の皆さんが接待の仕事を内の奴(喜美子)本人の納得尽くの方向に、持って行く気を使って頂けるなら安心です。」

「そこはお任せ下さい。断って置きますが、我々の考え方はあなた方に接待仕事を強制をするのではなく、姿勢の変化を促(うな)がすだけです。つまり、仲間入りを拒否する事も出来ます。」

「仰(おっしゃ)る意味は判ります。理解としては姿勢の変化が無ければ仲間入りしても京美企画の手法に馴染馴染(なじ)まずお役に立てないと言う事になります。」

「そう言う事です。違う価値観のプライドもありますから、奥さん(喜美子)にはプライドの中身を替えて貰わなければ成りません。」


そこまで詰めた話をすれば、生島としては覚悟を決めるしかない。

「結論とすれば、京美企画の手法に馴染(なじ)む姿勢の変化を内の奴(喜美子)に理解させるしかないでしょう。」

「御了承でしたら、奥さん(喜美子)を接待仕事が出来る様に仕込ませて頂きます。」

「判りました。その条件で進めてください。」

「念を押しますが、奥さん(喜美子)を性接待の戦力に組み入れるには、性奴隷として従順に犯られる特訓をさせる事になります。ご本人の納得の範囲であれば何をさせても宜しいですね。」

「念には及びません。内の奴(喜美子)の身柄は預けます。社長さんにも宜(よろ)しく伝えてください。」

「えぇ、伝えて置きます。早速御一緒に、金融関係から処理に歩きましょう。」

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的である。

生島喜美子の頑(かたく)なに閉じた倫理観のドアを抉(こ)じ開けるには、「欲棒の鍵」を挿し込んで輪姦(まわ)すしか手がない。

接待性奉仕の愛奴隷として、喜美子を素っ裸のガチンコSEXハイターに仕立てる事が京美企画の目的で、これは妥協では無く工夫である。

その生島不動産救済合併の話し合いの時点で、生島は妻の身柄を「どう料理されても依存は無い」と、身柄を預ける決心をして居たのだ。

しかし流石(さすが)にこの開所式で、「まさか、行き成りそこまはで妻にさせまい」と言う生島の考えが甘かった。

如何なる仕事でも、不平不満を持って臨んでは成功はおぼつかない。

成功の秘訣は任された仕事を誠実にこなす事で、その原理原則は如何なる仕事でも変わらない。

本人に自覚させる事が大切で、生島喜美子は今日の開所式で自分の立場を思い知らされる事に成る。

行き成りなので生島も慌てたが、喜美子を仕込む事は「岩代にお任せ」と了承済みで、どうせ仕込むなら早い方が良い。

生島は、妻の喜美子に接待係りをさせるのは「本式に仕事を始めてから説得だ」と思い込んでいた。

しかし初日の今日から、喜美子への躾(しつけ)が始まっていたのだ。

ここで動揺をしても見苦しいだけである。

それを再確認した以上、もう喜美子の助けを請う様な困惑した表情も生島を行動に移させる事は出来ない。

生島も、妻の喜美子には岩代との密約を言い出せないままに性接待を引き受けてしまっての今日の出席だった。

しかし生島も、この後まさか妻の喜美子が恐るべき根性を発揮するとは、この時はまだ想い到らなかったのである。


夫が知らん顔なので、喜美子は自分で抵抗を試み、何とか竹中の手が進入するのを防いでいる。

「皆さん硬い雰囲気ですねぇ。」

岩代が、行動を促す様に、座に声を掛けた。

それを合図に、すばやく細君(京香)が、生島のスラックスのファスナーを下ろし、引き出した欲棒を咥(くわ)えている。

生島が全てを察し、妻の喜美子に「僕達は新入りの身だから、君も皆さんの言う事を聞きなさい。その竹中さんはこの会社のスポンサー役員だ。」と、声をかけた。

「ほら、旦那もあぁ言っているだろう。何じゃ、君はこんな日に何故下着を履いているのか。そんな事では支店は任せられない。」

竹中が触りながら、喜美子に説教を始めた。

喜美子は唖然(あぜん)として、竹中に返事をするでもなく固まってしまっていた。

恐らくこの展開に喜美子は混乱しているだろう。

目の前では、他の女性が喜美子には信じられない衝撃的な光景を展開していた。

今日のファースト・レディ、妻の里美は、もうノーパンティのスカートを田嶋に捲り上げられ、乳首の立った乳房を揺すり、石上の欲棒を口で咥(くわ)えながら膝を立てて、田嶋に剥(む)き出しの股間を触らせている。

岩代の細君は何時の間にか全裸になり、夫の生島に跨って彼の欲棒を秘所の柔ら壺に受け入れ、腰を上下している。

親友であり、立場上威張っても不思議ではない私の妻里美も、田嶋や石上に身包(みぐる)み脱がされて、全裸で上の口も下の口も二人を相手に塞がってうごめいていた。

目の前の事は喜美子の思考上では信じられなかったが、これはリアル(現実)な出来事だった。

「何なの、この人たち?」

喜美子は心の中で呟(つぶや)いたが、口にする勇気は無かった。

余りにも想像を絶した事実が、目の前に在ったからだ。

それに、今の生島不動産の状態は確かに藁(わら)をもすがる状態だったから、ここで「嫌だ」と尻は捲くれない。

いや、尻どころか周りを見る限り、ここに居合わせたら腸(はらわた)まで捲(まく)って見せなければ成らないらしい。

夫の生島に跨がる前に座って談笑していた岩代の細君は、見せびらかす様に両足を座部に上げ置いたM字開脚の股間開っぴろげの姿勢だった。

周囲を見回した喜美子は、自分の股座(またぐら)に付いて居るグロテスクなものが、ここ(京美企画)では男に見せびらかせ可愛がって貰う為に在る事に気が付かされた。

それどころか、ここ(京美企画)では口やア*ルでさえ別の使い方がある事を要求されているのだ。

あっという間に事態が進んで、経済的に自分達を助けた社長婦人・親友の里美や、上司になる岩代夫人(京香)がもう全裸で恥ずかし気もなく絡み合っている。

それが欲棒を秘所の柔ら壺に受け入れて腰を使いながら、「口にも、もう一本咥(くわ)えてシャブる」と言う乱れた行為で、その卑猥な状態が何か特別な事をしている風情ではなく、妙に自然な雰囲気で喜美子も唖然である。

その渦の中に、自分の夫・生島もチャッカリ巻き込まれている。

夫の生島が妻(喜美子)の貞操の危機に動かない所を見ると、本人はこの事態を「了承済み」と言う事である。

「ハァ?」と驚くほど、この世の常識では現実的で無い事が、何の違和感も無く進行していた。

何しろ 生島喜美子の肉体(からだ)を、何時でも女性器も露(あらわ)に素っ裸に剥(む)いて自由に御使用できる訳である。

周囲が犯り始めてしまうと、拒否する事で喜美子一人がこの場で浮き上がってしまう不安を感じた。

この時点でもう、夫の生島と岩代の話しは着いて居て、喜美子への陵辱舞台の幕が上がってしまっていた。

喜美子は、夫の生島が生贄(いけにえ)としてKIYOUBI(京美)グループに裸に剥(む)いて引き渡したメンバーが意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(オモチャ)である。

こう成ったら喜美子は、「小娘じゃあるまいし」と自分に言い聞かせて、ポルノ映画の様に生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインを務めるしか選択肢は無い。


乱取(らんど)りは柔道用語で、ぶつかり稽古は相撲用語でいずれも一対多数の廻し対戦練習試合だが、ここでは勿論一対多数の輪姦(まわし)性交対戦を意味している。

「岩代君、ソロソロ喜美子に乱取(らんど)りでもさせるか。」

「良い頃合ですね、竹中さん。それじゃぁぶつかり稽古を社長相手からさせますか。」

竹中氏と岩代には生島の妻・喜美子にまったく遠慮と言う姿勢など無く、勝手に喜美子への輪姦(まわし)を命じる気配である。

竹中氏と岩代氏の会話は喜美子にも聞こえて来て、意味は判るのだが理解したくない話である。

社長婦人(里美)や専務夫人(京香)が「犯っチャッて居る」と喜美子にはプレッシャーだが、反面、一人では無い分思い切るには「気楽」とも言える。

喜美子の脳裏に、走馬灯のように様々な思考が巡っていた。

考えて見れば、資金繰りの苦しさにかまけて好条件に見境も無く飛びついたが、到底払えない借入金を肩代わりするからには相応の要求が有ってしかるべきである。

「接待要員として奥さん(喜美子)の参加が条件」と言われてそれに乗った時からこの程度の要求は覚悟すべき事柄だった。

今なら喜美子には「崖っぷち」と言う理由がある。

思いように拠っては、さして若くない子持ちの自分(喜美子)に法外な値を付けてくれたのだから、期待に添わねば成らないのかも知れない。

しかし、突然こうした状況に巻き込まれた喜美子とすれば、「服を脱いで乱交の仲間に入れ」と言われても「はぃそうですか」とは決心が着かない。

喜美子は、行動に窮して呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしている。

「参ったな岩代君、この奥さん(喜美子)を何とかしろ。切欠があれば、覚悟するだろう。」

竹中がじれったそうに岩代を呼んだ。

「竹中さん済みません。今支度させます。」

「あぁ、頼む、手を焼かしおって、後この女は後でお仕置きものだ。」

「奥さん、チョットこっちに来てください。」

岩代が喜美子を壁際まで連れて行き、旦那を指差して何事か話をしている。

指した指の先で、生島が細君(京香)とSEXをしているのが見て取れる。

自分の身に信じられない事が起こっているが、それだけに喜美子はこの卑猥な要求が「現実だ」と理解した。

この情況では喜美子が行き止まりで立ち往生するか、その壁を乗り越えるかは本人の決心次第である。

何かを為(な)す為には迷いは禁物で、一度抱いた信念を曲げ無い事は大きな力になるのだが、それにしても最初に抱(いだ)く信念が間違っていては幾ら拘(こだ)ってもどうにもならない。

人間の思考能力は無限大で、思考方向も無数に存在するにも関わらず、自らを縛ってしまうのがアンカリング効果と一貫性理論の罪の部分である。

三十路近くまで永く信じて来た喜美子のアンカリング効果と一貫性理論を覆(くつがえ)すのは大決心である。

だが、岩代には勝算があり、この開所祈願に参加させてアタック(攻撃)し、新鮮で開放的な性体験をさせる事で覆(くつがえ)してしまえば、新しいアンカリング効果と一貫性理論が彼女の心理の中に生まれる筈(はず)だった。



私(喜美子)、「会社の開所祈願だ」と聞いて神事だと思って出席したのです。

そしたら会場が異様な雰囲気で驚きました。

岩代さんからまるで大した事では無いかの様に私(喜美子)承知させようと「裸になって嫌らしい遊びの仲間になれ」と命じられました。

しかも、主人もそれを「了解済だ」と言うのです。

夫も承知の上だと言われれば、確かに岩代さんに「この淫乱な仲間に加われ」と命じられる私(喜美子)の困惑を、夫は知らん振りをしています。

私(喜美子)にここまで犯らせるこの連中は、果たして正気なのでしょうか狂気なのでしょうか・・・。

見ると信じられない事に、岩代さんの奥さんの京香さんが、突然夫(生島)のスラックスのファスナーを下ろし、引き出した欲棒を咥(くわ)えているのです。

想像も着かない事態に、私(喜美子)が唖然として固まってそれを見ていると、夫(生島)が、「僕達は新入りの身だから、君も皆さんの言う事を聞きなさい。」と、声を掛けて来ました。

夫(生島)が「何もかにも承知」と判って、私(喜美子)は脳みそを真っ白にして慌てました。

そして驚いた事に、今日のファースト・レディ里美は、もうノーパンティのスカートを田嶋さんに捲り上げられ、乳首の立った乳房を揺すり石上さんの欲棒を咥(くわ)えながら膝を立てて田嶋さんに股間を触らせているのです。

まさか、私(喜美子)の友人・里美が、「そんな卑猥(ひわい)な事を犯る筈が無い。」と目を疑いましたが、それは間違いなく現実でした。

それにしても親友の里美が、夫以外の男と肌をも露(あらわ)に淫らな行為を親友の私(喜美子)に見せつける。

挙句に私(喜美子)が素っ裸にされて里美の夫に宛(あて)がわれても、夫の生島も親友の里美も「平然としている」と成ると、もうこの全てが私(喜美子)以外合意の上と言う事になります。

夫からお客様の「取引接待を担当する」とは曖昧(あいまい)に聞いていましたが、ここまでの要求は想像していなかったので、私(喜美子)は、自分の身に何が起きているのか、理解するに時間が掛りました。

それでもこのメンバーは「特別な事をしている」と言った風でもなく、極ナチュラル(自然体)な賑わいの中で、奇妙で卑猥(ひわい)な空間がその場を支配していました。

一度に色々な考えが、私(喜美子)の頭の中を駆け巡ります。

そして何故かこの時は、私(喜美子)自らがそれに引き寄せられる魅力を感じて能を刺激し、無意識に子宮を熱くさせて居たのです。

その異様な仲間に、私(喜美子)にも入れと言うので躊躇(ちゅうちょ)したら、岩代さんに部屋の隅に呼ばれました。

「喜美子さん、何を躊躇(ちゅうちょ)しているのです。早く服を脱いで社長の所へ行ぎなさい。」

「えぇ、私(喜美子)そんなの嫌です。」

「喜美子さん、あなた方夫婦に我侭(わがまま)は言えませんよ。」

「でも、私(喜美子)には出来ません。」

「困った女(ひと)だ。貴女の親友の里美さんは、今から皆に輪姦(まわ)されるのですよ。」

「輪姦(まわ)すって?」

「だから開所祈願に、ここの男達に全員に輪姦(まわ)されるのです。」

「そんな、・・・・。」

「貴女が、小田原の駅前で声を掛けたのが切欠です。里美さんは会社の出資者に肉体(からだ)で接待をするのです。」

「出資者の接待だからって、里美さんを輪姦するなんて非常識です。」

「里美さん本人が、それを承知の上です。」

「えぇ・・、あの里美が平気でそんな事を・・・。」

「喜美子さんも、ご主人の事なら大丈夫ですよ。内の奴(喜美子)もどうぞ犯っちゃって下さい。って言われましたから。」

「・・・・。」

「喜美子さん、ズウッと資金繰りが大変だったでしょ。ここ数ヶ月の資金繰りの苦労、身も心も裸になってパッと発散しなさい。」

「発散しなさいって言われても・・・。」

「サァ、ご主人は今日の事も承知の上です。見てご覧、もうご主人はあの通り内の奴(京香)にシャブられている。アッ、犯り出した。」

見ると岩代さんの奥さん(京香)の情況は里美さんよりもっと進んでいて、何時の間にか全裸になり夫の生島に跨って彼の欲棒を秘所に受け入れ腰を上下しているのです。

つまり夫(生島)は、私(喜美子)の見ている前で京香さんと「犯っちゃっている」のです。

主人が岩代さんの奥さんと性交を始めてしまい、私(喜美子)も、もう「どうしょうも無い」と思い、「ハィ。」と返事をして、言われた通りにする覚悟を決めてしました。

不思議な力でも働いたのか里美達の妖艶(ようえん)な姿態を見せられたからなのか、何時(いつ)もと違う反応が自分(喜美子)にビビッと感じられました。

本来なら決定的に忌み嫌うべき話を聞かされたのに、悪魔が囁(ささや)いたのか一時の気の迷いなのか、「どうせ気取っては居られない立場だから、エェイ、逆らわずに言ってしまえ」と頭中に同調するGOサインが灯ったのです。

ここまで来てグズっても京美企画から放り出されるだけですし、助けてくれた里美が肉体(からだ)を張っているのですもの・・・もう皆さんに同調するしか在りません。

岩代さんに命じられて、パンティは自分で降ろしました。

他人(ひと)前でパンティが尻を通過しながら摺(ず)り下げられて、尻と股間が露(あらわ)に成った「ドキン」と言う気恥ずかしさが露出プレィの原点で、露出裸身や露出性交は魅せる者の羞恥心を煽(あお)り、見る者を愉しませます。

そして奇妙な事に、その恥ずかしい姿を他人(ひと)に見られる事を意識すると、胸を締め付けられる公然猥褻の羞恥心が快感に変わるのですから人間の感性は不思議です。

私(喜美子)は、陰毛の下部に開く二枚の肉花弁など生々しく卑猥(ひわい)な自分(喜美子)の股間を、大勢の人前で晒すなどこの場に来るまで考えても見なかったのです。

でも、その考えられない事態を開き直ってイザ犯って見ると、私(喜美子)には多くの他人の視線を意識して胸を締め付けられ脳が痺(しび)れるような特殊なM(マゾ)感情が湧いて来ました。

つまり私(喜美子)は、人前で多くの突き刺さる様な視線に全裸体を晒す異常な状況に置かれて、不覚にも感じてしまったのですから、それは素直に認めねば成らないのです。

正直、プロポーションには密かに自信が在りましたから、他人の視線を意識して全裸体を見せる事にも私(喜美子)は「どうだ」と言う半ば自慢の想いが在りました。

そして親友の里美を始め岩代京香の卑猥な行動を見せられていましたから、賢い女性ならこの後何を犯られるのかは理解していたのです。

この延長線上に自分への輪姦陵辱が待っていると想うと、私(喜美子)の子宮がカーッと熱くなり中が濡れて来るのが判ります。

私(喜美子)の思考が常識的に否定する行為を、恥ずかしいけれど私(喜美子)の肉体(からだ)が期待していたのです。



岩代の説得は、天性の「人間力」とでも言うべきもので、岩代に目で射すくめられると、これと言って確たる理由は無いのに大概の女性は逆らえずに言う事を聞いてしまうのだ。

やがて目を赤くしている喜美子を連れて岩代が帰って来ると、喜美子はテーブルの上のグラスにウイスキーを注ぎ、ストレートであおって飲み干した。

いずれにしても此処までお膳立てが出来てしまえば、喜美子はハッキリと腹を括(くく)ってけじめを着けねばならず、この状況に空(そら)を使っては居られない。


この喜美子の生まれて始めての公開ストリップには、男達の視線が集まっている。

此処で喜美子が皆に犯られるのは、妻(里美)には当たり前である。

里美は内心、「喜美子は以前、妻が夫の仕事を手伝うのは当然と言っていたじゃない。私(里美)も犯っているのだから、今度はチャント手伝いなさいよ。」と思っていた。


人間誰しも先の事は闇で、人の生き方は多かれ少なかれその一瞬の思いも拠らぬ事で変わる。

岩代に「この場で全裸になれ」と覚悟を迫られた喜美子は、嫌なら逃げ出すしかないが逃げ出せばこの救済話が途切れて終る正念場だった。

正直怒りも感じたが、ここまで追い詰められた喜美子には結局逃げ出して解決する話ではない。

人間誰しも少し不幸が重なると、「人生良い事は一つも無かった」と思い勝ちだが、誰にも楽しい時間はある筈で自分達の生活の中で日々を楽しむ術(すべ)を編み出して行くしかない。

もし、人生に絶望している者が居るのなら、開き直って新しい楽しみを探せば良い。

人間の思考能力は無限大であるにも関わらず、自らを縛ってしまうのが一貫性理論の罪の部分である。

死んだ気に成れば、嫌らしい事でも見苦しい事でも何でも出来るのだ。


最初に申し上げたが、往々にして想像出来ない現実に突き当たるのが人生である。

喜美子にとっては、昨日までと百八十度違う運命が始まった訳だ。

行き成り中級調教編が始まったが、この場では、喜美子に対して初級調教編から始める何て甘い考えを持つ者などさらさらに居ない。

今更後には引けない事業の情況だから、喜美子も私にズブリと柔ら壺に入れられてこの狂宴が始まってしまえば覚悟も決まり「こうなったら根性を入れて犯るっきゃ無い」と想うしかない。

こちらの勝手な言い分だが、考えて見れば喜美子がやたらに恐れる事も嫌がる事もおかしな話で、性交は基本的に本能が要求する性質のものであるから、試してみない事には結論など出ない。

人間の本質を問うには思考的リノベーション(刷新、改善)は必要で、実は喜美子が決意さえすれば簡単に出せる答えである。

そう成ると、常識的な発想では対処出来ないのが「自明の利」で、突破するには柔軟な発想で対処しなければ成らない。

生来利巧な喜美子であるから、直ぐに自分の立場を察してどう心得るか悟った。

拒(こば)む事も出来た。

それでも生島喜美子は、「エェイ、気の持ち様でこの連中に溶け込む事も可能だ。」と言い聞かせ肉体(からだ)を京美企画に預ける決断した。

この決断で、自分達夫婦が沈むか浮き上がるかの分れ目だった。

「何が幸せか」は喜美子本人が決める事で、人生は自分で切り開くものである。

京美企画が欲しいのは接待要員としての生島喜美子である。

だったら決意をするには、「輪姦を受ける」と言う引き返せない事実を実行する事で、喜美子も踏ん切りが付く。

過去を捨てたいなら、産まれた時と同じ素っ裸に成る事から始めなければならない。

この会場で、パンティを脱ぎ捨てる決断をした事で、喜美子の生き方は完全にリセットされる。

強い酒を入れて決心が付いたのか、喜美子が着ている物をノロノロと脱ぎだした。

思ったよりスレンダーな身体が、少しずつ露(あらわ)に成って行く。

まず青色のスーツの上着を脱ぎ、スカートのハスナーを下に下げ足を左右順番に抜き取った。

白いブラウスとパンティストッキング姿になると、ブラウスのボタンを外し始める。

ブラウスを脱いでソファーに掛けると、薄い肌色のレースのブラジャーが現れた。

喜美子は前屈(まえかが)みに成ってパンティストッキングをスルスルと下ろし、ソファーに腰を浅く掛けてパンストを抜き取った。

同じく薄い肌色のレースのパンティが現れたが、見た所余り特徴は無い。

続いて手を後ろに廻し、ブラジャーのホックを外すと、小振りだが立派に存在を主張している乳房がこぼれ出た。

パンティ一枚になった所で、喜美子は夫の生島の方をチラリと見たが、生島がそ知らぬ風を装い、何の意思表示をしなかったので、諦めて最後のパンティを一気に下げ下ろし、脱ぎ落して仁王立ちに成り「これで良いか」と言う感じで、岩代を見た。

他人の前に全裸を晒(さら)し、相手の要求を待つ身のこの無防備の羞恥心は被虐の興奮そのもので、何故か途中から卑猥な期待が喜美子の脳裏に浮かんでいた。

スレンダーながら、シットリと吸い付く様な柔らかい肌、小振りの二つの乳房、引き絞られたウエストに、I字型の臍(へそ)の溝が、恥ずかし気に現れた。

細身の身体に似合わず、他人に見せるには少し堂々として居すぎる、柔らかく丸身を帯びて膨らむ恥丘に逆三角形に密集した見事な豪毛が、喜美子の恥毛である。

その全裸になった喜美子はスレンダーながら柔らかい肌の持ち主で、岩代が「奥さんの身体は会社のものだから、まずは社長に使い心地を見てもらいなさい。」と、たたみ掛けてポンと尻を叩いた。


こう言う事は、例え形式的であってもその決断は本人の意志でなければ成らない。

喜美子は、どんな気持ちで着ていた服を脱いだのだろうか?

まぁいぃさ、そんな事は私には関係ない。

自ら脱いで肌を晒したのだから、性接待要員でもここに残ると言う意思表示だ。

人は現実を受け入れる度量がないと生きては行けないのだから、泥沼から抜け出せる好機(チャンス)に、個人的な感情で嫌も応もないのである。

この瞬間から、起こる事の全ては喜美子の選択した結論の結果で、「ずさんな事は出来ない」立場なのだ。

喜美子の現状を考えれば、己を捨てる気で思い切って行動する決断が大事で、自らの運命を切り開くには古い観念で凝り固まった皮を脱ぎ捨てる決意をしなければ成らない。

仕事も人間関係も、それなりの誠を尽くせば動かぬ人間は居ない。

何しろ喜美子は、本人の意志などお構い無しに京美企画の戦力として勤めて貰わねばならない。

喜美子の場合は、文字通り古い観念で凝り固まった皮と同時に衣類も全て脱ぎ捨てて、心身ともにモデルチェンジしする第一歩に成った。

生臭い話だが、岩代は彼の鋭い嗅覚で、喜美子が妊娠の心配の無い事を察知していた。

と言っても、岩代と生島は予(あらかじ)め今日の打ち合わせをしていて、喜美子の身体が避妊の心配が無い事を知っていた。

その秘密を知っている岩代は、喜美子に容赦はしない。

いきなり私との性交を、喜美子に命じた。

妻と言い喜美子と言い、「揃(そろ)って」と言う事に成ると、永くプールの水に浸(つ)かっているのは、子宮には余り良くないのかも知れない。

少し前屈(まえかが)みで立つ喜美子の乳房が揺れ、やや大き目の乳首は硬くなって立ち上がり、恥ずかしさに興奮している事を隠せない。

「さっき愚図(グズ)った分、社長に確り奉仕しないと裸で建物の外に追い出しますよ。」

後ろから、岩代の叱咤(しった)が追いかけて来た。

喜美子は、最初に犯るべき事が何かハッキリ理解出来た。

此処での性交トリアージ(優先選別)の順番は、盟主に担ぎ上げられた私である。

喜美子に課せられたのは、今や自分達家族の支配者になった里美の旦那様に、身も心も捧(ささ)げて性奉仕をする事だった。

「幾ら美人が性接待をしても、ご奉仕が下手クソではどう仕様も無いだろう。これから皆で良く仕込んでやるょ。」

「はぃ、大丈夫です。」

本来は喜美子を追い込む役目は細君の予定だったが、生島の相手で手一杯だから、岩代が喜美子を仕込む段取りをしている。


急(せ)き立てられて、裸体の喜美子が私に近寄って来る。

喜美子の白い肌の下腹部に、黒く陰毛がクッキリ浮き上がって、艶(なまめ)かしい。

岩代と話をして決意したのか、裸に成って私の下に遣って来た喜美子は、やはり以前に見た妻と同様に目が少し泳いで居た。

確証は無いが、岩代は何か別の力を使っているような気がして成らない。

喜美子は岩代に全裸を強要され、里美の旦那さんの所へ歩いて行く間、「こんな事可笑しい」と一瞬喜美子は思ったが、頭を下げて助けを請い事が始まってしまったのだから今更後悔しても始まらない。

目を凝らして良く見ると、喜美子は、脱ぎ落としたパンティを未練たらしく足首に引っ掛け、引きずりながら近付いて来た。

見咎(みとが)めた私が、そのパンティを指差し「キミチャン、未練たらしく引きずらないで、脱ぎ捨てなさい。」と叱(しか)った。

「はぃ」

頭の中が真っ白だったのか、弾(はじ)かれたように返事を返した喜美子は、慌(あわ)ててパンティを足首から外して左手で握り締め、思い直したようにサッと畳んでソファーに置くと、「これで良いか」と私の顔を見た。

照明の灯りに浮かび上がるこの素っ裸に剥(む)かれた喜美子の裸体は、今日仲間内の男達で弄(なぶ)る為に手に入れた肉体(からだ)である。

易々と逃げ切れない状況に追い込まれて、生島喜美子は今、素っ裸で此処に居る。

張りのある両乳房に、括(くび)れたウエストから曲線を為して広がる腰、露に恥毛を蓄えた股間、剥(む)き出された柔らかそうな太腿(ふともも)が怪し気に近寄って来た。

なだらかに丸みを帯びた白い尻肉、水泳で鍛えた肉体美を余す所無く全てを晒(さら)した喜美子の裸体が眩(まぶ)しく私の加虐心をそそっている。

一度人前で犯ってしまえば覚悟も決まり、後戻りは出来ないから一気に犯って乱交に慣れさせるのが理に適(かな)っている。



ここまで来れば、喜美子は、「ここを乗り越えなければ次は無い。何でも犯ってやる。」と腹を決めていた。

喜美子にとって、貞淑(ていしゅく)な女で在り続ける事も飛び切り淫(みだ)らに変身したとしても、人生に悔いを残さなければそれで良い。

唐突(とうとつ)に降りかかった試練だが、例え意にそぐわなくても避けられないものなら落ち込んで居ても仕方が無いから、喜美子は元気を出して切り抜ける事にした。

この情況で元気を出す何んて奇妙に想うかも知れないが、思考に於いて仲間内でのコンセンサス(合意/意見の一致)がズレて居ては意味がないので、喜美子には他に考えられる事が無かったのだ。

全裸で私の所へ近寄って来る間に、喜美子は「硬い信頼関係を結ぶ」と言う事の意味がやっと理解できた。

それは信頼を結ぶ相手に肉体を投げ出し、性交に拠って全てを曝(さら)け出す事を意味していたのだ。

そうと判っても、今更喜美子には別の選択肢が無い。

「喜美子さん、君達(生島)夫婦が出直しするにはそれしかないのです。」

岩代から止(とど)めを刺されている。

周囲もこの淫靡(いんび)な雰囲気が極自然なのだから、自分(喜美子)が愚図って、大事な会合の雰囲気は壊せない。それにこの状況は、「仕方が無かった」と、喜美子自身を納得させるに充分だった。

「済みません。岩代さんに言われて来ました。社長に入社ご挨拶の奉仕をさせて下さい。」

生島喜美子が、懇願するような口調で、性交のお相手を私に宣言した。

岩代の一言は、他人の「人生をも変える」と言うのか?

岩代の考えでは、生半可に扱うとかえって彼女に迷いが生ずる。けして許され無い事を、一気に身に染みて判らせるのが、思いやりと言うものだろう。

生々しく全裸に剥(む)かれた喜美子の、張りが有る柔らかそうな肌の美しくしなやかな肢体は、それだけで肉体(からだ)がうずくほど見る者に甘美な期待を抱かせる。

突然卑猥な空間に巻き込まれて全裸を晒(さら)した喜美子は頬(ほほ)を紅潮させ恥ずかし気で在った。

それが、乳首を勃起させた乳房を揺すり、くびれたウエストから丸みを帯びた腰と尻、その腰の中央には陰(かげ)る様に生えた陰毛と二枚の肉花弁まで隠し様がない。

喜美子はヨロヨロと私の前にやって来て、「どうしたものか?」と、何も出来ずに不安そうに立ち尽くしている。

岩代には予め「喜美子には後々の接待仕事があります。構う事は無いですから、好きに弄(なぶ)って犯って下さい。」と焚(た)き付けられている。

喜美子が、夫を含む周囲が「必ず自分に合わせてくれる」と想っているのは傲慢な心得違いで、当然ながら自分が周囲に合わせる必要もある。

この異様な会場で全裸にされたのだから輪姦(まわ)されるのは必至だったが、ものは考えようで、一対多数の変則マルチSEX(複数性交)はスケベ女なら涎(よだれ)が出そうな御褒美で、「豪華フルコースの贅沢」と言えない事も無い。

これは妥協では無く工夫で、こう成ったらこの破産の窮地から這い上がる為には喜美子が元気を出して犯るっきゃ無い。

そしてこうなると、自分の妻・里美が性接待の先頭に立っている事実は、喜美子を弄(なぶ)る上で引け目を感じない強味である。

勿論(もちろん)こんな美味しい話、誰が遠慮などするものか。

突然、竹中に「裸に成って私に奉仕しろ」と命じられたのだ。

喜美子にも「そんな真似は絶対に出来ない」と言う思いはあった筈である。

しかし冷静に考えれば、そんな事は周囲の環境が許さない状況にあった。

何しろ苦境を助けられた上に、資産は全て会社に管理されている。

そして何よりも仕掛けた岩代が見事に狡猾(こうかつ)な事に、この仕掛けられた難問は、結論を喜美子自身の選択に委(ゆだ)ねられている事である。

救済の条件が夫婦で会社に入り、喜美子には「接待の仕事をする様に」とは言われて居るが、これは「その訓練だ」と言うのである。

細君(京香)の言い草ではないが、喜美子の身の上に取ってはこう言う事が、「避けては成らないお勉強」なのである。

夫の生島から、「多少は色気のある接待だ」とは聞いて覚悟していたが、親友の里美の会社だから「まさか自分に余り酷い事はさせない」と思っていても不思議は無い。

しかし肝心(かんじん)の親友・里美は既に素っ裸になって、笑顔で男達に弄(もてあそ)ばれていた。

つまり喜美子自らが「犯る」と言わざるを得無い環境が整えられていて、結局喜美子は「ハイ」と応えざるを得無い。

「ふくすい盆に帰らず」で一度吐いた唾はの見込めない。

「犯ります」と応えて全裸に脱いだ以上、喜美子はおおぴらに犯られても仕方が無いのだ。

置かれた立場に「納得が行かないから」と言って、不貞腐(ふてくさ)れても生島喜美子の現状は打破出来ない。

まぁ信念やプライドは人間生きて行くのに必要だが、それがたいして立派なものでなければ強情を張らずに変えて行かないと新しい人生は開けない。

信念は思考に拠って決定されるものだが、人間の思考能力は無限大で、思考方向も無数に存在するにも関わらず、既成概念で自らを縛ってしまうのがアンカリング効果(行動形態学上の基点)と一貫性理論(意識と行動の一致)の罪の部分である。

現在の生島喜美子の追い詰められた状況を打破するには、つまらないプライドを捨てなければ未来が開けない所に来ていた。

生島夫婦が再生するには以前の価値観を引きずる事無く全て投げ出し、新しい価値観で再出発しなければ、「何時(いつ)か来た道」になる。

これはその禊(みそぎ)の儀式で、私は妻の親友である喜美子の心を開放する為に、こじ開けて犯るだけである。


確かに、性交する間柄なら親しくなる。

「親身になる」と言うのはそう言う事で、この誘いを断り真面目に清純に暮らしているからと言って誰も助けてはくれない。

自分を安全な所に置いて他人(ひと)の批判ばかりしている卑怯(ひきょう)な女性拠りも、自分を曝(さら)け出しても目的に向かう女性の方が「余程立派な覚悟だ」と言う見方も出来る。

利巧な喜美子は考えた筈である。

このまま自分が強情を張っても、親子四人素っ裸で世間に放りだされるだけである。

人間、自分が切り開ける運命は精々百の内の十くらいで、後の九十は周りが造るものである。

その時確かに、喜美子の意志に関係無く筋書きが決まっているのを喜美子は感じた。


何しろ、この大金が動く不動産業界の事で、正直、喜美子は今までも夫の生島を自分の力で支えて来た。

喜美子がまだ二十五歳の独立間もない頃に夫の代役で大口得意先の酒の席に出て、チョットした事が在った。

その酒の席、四人の小宴席に女は一人だったので相手の社長に面白がられて、酔った勢いの酒宴の戯れで「余興をやれ。」、「只顔を出しただけか?」と質濃く迫られ進退窮(しんたいきわ)まった事がある。

結局、相手の社長が目論見を同席した芸者に「耳打ちしていた」と見え、その芸者の助言と手伝いで屏風(びょうぶ)の陰で脱ぎ、お囃子(はやし)に合わせてスッポンポンの裸踊りをさせられた事も在った。

喜美子は「酒宴の戯れ」と、宴席でのその余興の事は夫の生島には内緒にしていたが、お陰で先方からは大きな仕事が入り、後で聞くと喜美子の代役出席も先方の社長のご指名で、「奥さん(喜美子)には余興をさせる」は、夫も凡(おおよ)そ承知の事だった。

つまり夫の生島は相手社長のバイネーム(名指し/指名)に応じて、多少のお座敷遊びに「喜美子がクレバー(賢い)に対応する」と期待していたのだ。

それ以来、取引先との酒席で野球拳をやらされ、顔で笑って心で泣いて、パンティまで脱がされた位の付き合いは、仕事と割り切って過ごして来た自分の筈である。

まぁ、女性が酒宴接待の場に出て「無事で居られる」と想う方が間違いで、その代役にプロの芸者が着物の裾を端折って捲り上げ、コンパニオンが肌も露(あらわ)なミニドレスや肌の透けるネグリジェで花を添える。

実は最近親友の里美を小田原駅前で見かけた時も、前の晩に宴会に呼ばれて裸踊りをひと踊りさせられて来た帰りだから目一杯洒落(しゃれ)たものを身に着けていたのだ。


喜美子にして見れば、自分に要求されたこの生贄(いけにえ)の状況は、信じられない程余りにも衝撃的だった。

他人前(ひとまえ)で性器も露(あらわ)な素っ裸に剥(む)かれた裸体を晒(さら)すのは、喜美子に採って何とも恥ずかしく無防備で頼りない想いである。

それだけでも羞恥心でアドレナリンが噴出するのに、岩代はこの衆人環視の中で「輪姦(まわ)されて見せろ」と囁(ささや)いて、聞いただけで脳みそが溶けるような衝撃的な事を命じるのだ。

しかしこの際、喜美子本人が何をどう考えるかは、京美企画のメンバーが構う事ではない。

必要なのは、只、喜美子を嫌応無しに素っ裸にして皆の前に連れ出し、休む間も無くこっ酷く犯して善がり続けさせるだけの事である。

この場では、社長婦人の親友・里美でさえ犯っているのだから、覚悟を決めれば「自分にも犯れない事は無い」と、喜美子は考えたのに違いないのである。

以前竹中が、「人は迷いながら生きるものだ。時には後ろから押してやる事も必要だ。」と言った事を思い出していた。

これは喜美子から肩の荷を下ろしてやる儀式だから、ここで喜美子の後ろから私が一押ししてやらねば成らない。

それにしても、喜美子が何を考えて私の下(もと)へ来ようが私の知った事ではない。

妻の親友の肉体(からだ)を弄(もてあそ)んで楽しむだけである。

女は感性の生き物であるから、生島喜美子もこの卑猥(ひわい)な雰囲気ではそれなりに怪し気な奇妙な気分に成っても不思議は無い。

車の運転でもそうなんだが、女性は変な感性の生き物で「その方向に行きたい」と思うと、もうそれに入り込んで周りが見えなく成り、強引な運転をする。

生島喜美子は、戻れない橋を渡りかけている。

幾ら考えても、自分が夫の為に「何が出来るか」を考えればその答えは変わらない。

夫がそこまでこの情況を無視するのなら現実は深刻で、確かに喜美子は「楽観出来ない」と理解したのだろう。

他に答えが出せないのなら、喜美子は身を持って私への服従を証明しなければならない。

つまり「必要が有れば犯れ、無ければ犯れない」と、そこに到る喜美子の心境を信じれば良いのである。

そして犯ってしまえば犯ったそこまでが喜美子基点になる。

性的刺激を求めるのが性交だから、その基点以上更にエスカレート(段階的に増大又は激化する)しなければ周囲も喜美子本人も満足はしなくなる事が、求められる性的刺激である。

入り込んで周りが見えなく成るのが女性の感性で、感性は雰囲気に同調するものだから出来上がった周囲の雰囲気を自らの行為では壊せない。

こうしたパーティの舞台背景では覿面で、周囲の雰囲気がそちらに傾(かたむ)くと、当然それに入り込んで怪し気な気分になる。

周囲の雰囲気は申し分ないから喜美子も気分が入り始めた筈で、この時私は喜美子の中に潜む「淫」を私がこじ開けて引き出す快感を感じていた。

そうなると、この場の雰囲気は壊せない。

私は喜美子に「内の奴は、仕事のツール(道具)と割り切って大人同士が愉しく攻めたり責められたりする分には後腐れも尾を引く事もないと言っているよ。」と告げた。

「里美がそう言っているのですか?仕事のツール(道具)と割り切れば何でもない・・・。」

「さて、この美乳の触り心地はどんなじゃろう。」

私は、乳首を立たせて丸く膨らんだ喜美子の乳房をムンズと掴んだ。

手始めに、ポルノ映画のように、乳首を硬くした柔らかそうな喜美子の乳房が無遠慮に私に揉みしだかれて波打ち、掌(てのひら)の指に幾分コリコリと挟まれて間から突出した喜美子の可憐な乳首が刺激を受けている。

乳房の感触に気が逸(はや)る私は、自分の幾分硬くなった欲棒を摘(つま)んでポロリと取り出し「シャブって。」と命令した。

「はぃ。」

喜美子には戸惑いは有った。

だが、結局、「切欠と理由」があれば、羞恥心はあったが要求された卑猥な事をする自分を納得させる事が出来た。

人間は清純とエロス、善意と悪意に揺れながら生きる動物で、他人(ひと)前でパンティが尻を通過しながら摺(ず)り下げられて、尻と股間が露(あらわ)に成った気恥ずかしさに貞操観念が吹っ飛ぶ。

露出裸身や露出性交は、魅せる者の羞恥心を煽(あお)り見る者を愉しませる仕掛けで、もう喜美子は、後は股をオッ広げて欲棒を挿し込まれ股間で生々しく繋がっている陰茎を見え隠れさせながら犯られるしか無い。

何かの答えを決めるのは「どれが大切か?」と言う軸足選択の問題で、それは人夫々(ひとそれぞれ)である。

確かに性接待はビジネスの代償或いは謝礼で、単なる仕事と割り切れば「純粋に真面目に生きる」と言う事も質と方向さえ違えばこれは充分に理解出来る事である。

此処で全裸にされるのは、生島喜美子にとっても最初は悲壮な決意だったかも知れないが、それも私との生々しいお相手が始まってしまえば、もう哀しいや恥ずかしいなどと考えている余裕など無い。

そして当たり前の事だが、今日此処でメンバーに使い心地をお試し頂いてこその仲間入りだから、喜美子は突っ張る余裕も無く次々に股間を挿し貫(つらぬ)かれる事が待っている。

まぁ、最初から後腐れの無い只の遊びが前提で、喜美子の様な美女を素っ裸で宛(あて)がわれて、至れり尽くせりの性接待を受けて怒る男など居ない筈である。

そして、そうと腹を決めれば急速に喜美子の抵抗感は無くなった。

こう言う事は目的が違うから相手も行為内容も選べないが、お試しだから犯って初めて証明されるので、喜美子はなるべく皆に行為の様を見せようと心掛け、理屈では無く実行する事である。

いずれにしても「他人に鑑定される」と成ると話しは別で、それなりの「褒められたい」と言う精一杯の対応をしてしまうのが女心かも知れない。


喜美子を完璧な愛奴隷にする調教が、今始まった。

恐る恐る喜美子はしゃがんで、私の欲棒に手を添え、意を決したように、やや厚めの唇の口でパクリと咥(くわ)え、まるで破れかぶれのように全てを振り切り、欲棒を咥(くわ)えた首を攻撃的に上下し始めた。

確かに喜美子の口の中に、私の欲棒が収まっている。

破れかぶれに首を振るから、擦(こす)れ方に勢いはあるのだが、こんな口の使い方では快感には程遠い。

「もう少し心を込めてシャブって。」

「はぃ、済みません。」

妻の親友だから自分の結婚式から相手の結婚式、時折の交流と顔を合わせている。

元気で気さくな性格だが、今は流石にしおらしい。

まぁ、喜美子もベンツに乗って多少は贅沢した時期も有るのだから、こうして追い込まれたからには素直に裸に剥(む)かれて、ジックリ私のお仕置きを受けるのが「世間の習い」と言うものである。


おシャブりの駄目出しに喜美子の舌が、熱心に私の張り詰めた欲棒のエラをネットリと舌先が舐(な)め廻し、坊主頭の海綿体に絡み着いて刺激する。

喜美子の口中に挿し込んだ欲棒が、ヌメヌメと舌先で嬲(ね)ぶられる快感に、私は目を細めてそのおシャブリを愉しんでいた。

私の坊主頭のカリ首の割れ目を喜美子の舌先が押し分けて刺激し、カリ首の粘膜質のエラの淵を舌先が舐(ねぶ)り、首を上下する度に唇がカリ首の淵を擦(こす)る。

親友の夫におシャブリ奉仕する喜美子の気分はどうだろうか。

まぁ、妻の親友におシャブリ奉仕をさせるのは、気分的に私は満更でもない。

しかし、細君(京香)と比べ、何と下手糞(へたくそ)だ。

他人の事は余り言えないが、生島は今までどんな教育をして居たのだ。

「キミチャンはおシャブリ下手だなぁ、これじゃあ女性として三十点だ。当分練習して貰わなければ駄目だ。」

私の声を聞いて、女のプライドに火が着き、喜美子の首の上下がジュポジュポと急に早く成り、舌先がカリ首に絡まって来た。

喜美子も、この情況では私の欲棒を咥(くわ)えたままボケっとしては居られない。

私の生身の陰茎が喜美子の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)が喜美子の顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。

私がクィクィと腰を使って攻め始めると、良子の頬(ほほ)を丸く突き上げながら口中の頬肉(ほほにく)の壁が私のカリ頭を擦(こす)り、咥(くわ)えたまま必死にジュポジュポと柔らかい唇でカリ頭を擦(こす)り、舌先でカリ首の付け根を舐(な)め上げて来た。

私の硬く勃起したエラの張ったキノコ状の海綿体が、漸(ようや)く快感を感受し始めた。

彼女なりに必死なのだろう。

素っ裸にされて肉体(からだ)の隅々まで見られ、触って確かめられるストリップ・サーチ(全裸検査)は、精神的に「セックスハイ(性感陶酔)の序章」とも言うべき刺激である。

生島喜美子はもう、大勢の他人の前で全裸を晒(さら)した刺激で否応(いやおう)無く燃え上がっていた。

そこに半裸で、明らかに卑猥な事をしていた妻の里美がフラリと現れ喜美子のおシャブリの動きを止めさせる。

「一度口の中でイカせてあげてね。」

喜美子が咥(くわ)えた私のいきり立つ欲棒のカリ首頭だけを咥(くわ)えさせて、里美が手を添えて陰茎をクィクィと扱(しご)き、私が発射する白濁した液体を口中で受け止めさせる構えである。

私の欲棒が咥(くわ)えられた喜美子の唇と陰茎との隙間からは、里美の扱(しご)きにつられて喜美子の涎(よだれ)が滴り落ちて行く。

とその時、私の欲棒がビクンビクンと脈打ちながら喜美子の口中で暴れ、青臭い体液がほとばしり出てドロリと喜美子の喉チンコにまとわり着いた。

この突然の里美の行動は、どうやら岩代の指図と見当が着いた。


全裸にさせ衆人観視の中で他人の欲棒をシャブらせ、口中発射までさせたら、もう本人も流石に覚悟が出来ている。

突き詰めれば、常識的に「性交」が待っているのだ。

どの女性にも、最初は安全かどうかを確かめる慎重さは、本能的にある。

しかし、脳みそが痺(しび)れるようなこの淫媚(いんび)な雰囲気に巻き込まれると、やがて抵抗感は薄れて行く。

「皆で犯れば、怖くない」と言うのは本当だった。

元々日本人は周りに合わせ様とする習慣的心理があり、浮いてしまうと不安になる。それが、異常な事であっても、切欠があれば「早く周りに合わせて安心したい」と言う心理が働く。

喜美子はその心理に導かれて、岩代の罠に嵌(はま)った。

雌の発情を思わせる独特な香りが、喜美子の肉体から匂って来た。

何と言い繕っても、肉体の方は正直に反応するのが女の性(さが)だ。

固さが増したので、「ソロソロ喜美子に入れてみようか?」と期待が過(よ)ぎった。

喜美子を立たせ、前屈(まえかが)みにソファーの背もたれに、脚を少し広げさせて、手を着かせた。台潰しの台の形で、秘所が上向きに見て取れる。

手に触れると、柔らかいクニュッとした肉花弁の感触が指先に伝わって来る。

喜美子の持ち物・・・大き目で薄く大胆に広がる二枚の肉花弁を、私はシゲシゲと見た。

「キミチャン、此処は期待汁でビショビショだよ。」

哀しいかな女性は、いざ犯ると認識すると自然に潤みを益して欲棒を迎え入れる準備をする。

喜美子は顔を真っ赤にして反応したが、私に「期待汁でビショビショ」と指摘されてしまえば、喜美子はもぅ格好を付けても仕方が無い。

喜美子は半ばパニック(恐慌/きょうこう)状態だったが、それでもこの時はもう無意識脳が防御の準備体制に入って一種の興奮をし、アドレナリンを発生していた。

私が指で秘所の濡れ具合を確かめると、喜美子はビクンと反応したが「その指を避ける」と言ったそれ以上の動きは無く、黙って大人しく触(さわ)られている。

妻の親友・喜美子の女の部品が、絡み合う陰毛の下部に花芯ボタンと二枚の肉花弁も露(あらわ)に生々しく私の前に曝(さら)け出されている。

つまり「ご使用可能です」と私に据えられた訳である。

喜美子の女の部品をマジマジと観て「これが犯りたい放題好きに出来るのだ」と思うと、私にメラメラと加虐心が湧いて来た。

それにしても、女の肉体(からだ)は良く出来て居る。

喜美子の女の部品は、もうしっかりと濡れて受け入れ態勢が出来ている。

つまり彼女の頭の中で、既に私に犯られるイメージが出来ていて、「肉体(からだ)が準備をしている」と言う事だ。

心なし、喜美子は腰を振っている様に見える。

気持ちはともかく、肉体(からだ)の方はもう犯される期待で満たされているのかも知れない。

喜美子の花弁も花芯ボタンも、ア*ルの蕾さえも、今は私の支配下にある。

「少し、じらしてやろう。」

行き成り抽入はもったいない。

今からお邪魔させてもらう所を、じっくり見せてもらう事にした。

股間に手をやると、ザラザラと言う恥毛の感触と、柔らかいクニュッとした肉花弁の感触が指先に伝わって来る

喜美子はジットしているが、いじられ、見られているのは感触で想像が付く。

女性は、こうして秘所をジックリ見られると、どう感じるのだろう?

花芯ボタンを左手で押しながら、右手で左右のクニュッとした花弁を広げて中の色を確かめて見た。

背中の肌に薄っすらと汗が滲み、感じているのかジワーッと小粒の泡交じりの体液が滲み出て来る。

肉体(からだ)を弄(もてあそ)ばれながら全裸の喜美子が、媚を売るように「ウフン」と甘い声を漏らして鼻を鳴らして身悶えてみせる。

岩代のおかげで、今この女は抗う事も忘れて私の手の中に落ち、自分に起こる運命を待って居る。

まずは指攻めで、貴美子の肉体(からだ)をほぐしに掛かる。

喜美子の柔ら壺に挿し込まれた私の指先が、コリコリとポルチオを刺激している。

膣(ウァギナ)の奥、子宮入口の、指で触るとコリコリ感触がある突起物が、「女体で最も敏感」と話題の性感帯・ポルチオである。

指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ喜美子の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身する。


生島達夫婦にとって、以後の生き方が大きく変わる後戻りが出来ない人生の岐路なんてものは、想像も着かない所から始まる物である。

生島達夫婦の場合は、妻の喜美子が岩代に素裸にされて大股開きで固定され、私の欲棒を受け入れて抜き挿しされた瞬間が人生の岐路だった。

私はカリ首を花弁の真ん中へ宛がい、クニュクニュと花弁を捩(よ)じりながらこ擦(こす)り付け、加虐心を抑え切れずに喜美子に言った。

「今から入れてやるけど、宜(よろ)しくお願いしますと言いなさい。」

「宜(よろ)しくアッ。お願いします。」

喜美子の言葉が言い終わらないうちに、私の欲棒は、カリ首から「グイ」と、彼女の柔ら壺の中に潜り込んでいた。

こう言う時は、一気呵成(いっきかせい)が宜(よろ)しいのだ。

正直この場面で、生島喜美子は岩代の陰謀で私にキッチリと仕留め(しとめ)るられた事になる。

喜美子の二枚の肉花弁を圧し分けて内壁の抵抗を欲棒の先で感じながら、私の欲棒がグィグィと挿し込まれて行く。

突然の思わぬ状況に、喜美子は相当興奮していたのか、私の欲棒は「ヌルリ」と抵抗も無く嵌(はま)り込んで柔ら壺の中に収まった。

生暖かい感触が、私の欲棒を包んでいる。

生島夫妻を支配下に置いたこれ以上の実感は、他に無い。

シットリした吸い付く様な肌の乳房を揉みしだきながら私がユックリ抽送を始め、短い恥毛が絡む二枚の肉花弁を捩(よ)じらせ巻き込みながら深く浅くと抜き挿しすると、交わる肉体は自然に共鳴する。

そこは大人の女の喜美子だから、股間に咥(くわ)え込んだ欲棒の動きに腰使いの呼吸の合わせ、クィクィと応じて来る。

喜美子はズブリと私の欲棒を柔ら壺に受け入れた自分の女陰への周囲の視線を意識すると、カァーと下半身が熱くなる羞恥心を覚えた。

そしてクィクィと腰を使って繰り出す抜き挿しで、喜美子の内壁を擦(こす)る私のカリ首の刺激が喜美子の中で一層興奮が高まって来る。

情況を把握した喜美子も、流石(さすが)に此処まで来れば私の「期待に応えるしかない」と吹っ切れて、明らかに積極的に成っている。

これから喜美子に仕込む愛奴隷は、接待する相手に贅沢させるのが役目である。

この分なら、「喜美子は充分に戦力になる」と私は思いながら、欲棒を通してその官能的な心地良い腰使いの感触を楽しんでいた。

私は、抽入した欲棒をクィクィと腰を使ってリズム良く喜美子に突き入れながら、不満そうに言った。

「喜美子、まったく酷い下手くそじゃ。こんなので、良く旦那さんを我慢させていたな。このままでは使い物に成りはせん。」

卑猥(ひわい)な動きの受け腰で応じながら「経験不足ですみません。」と喜美子謝っている。

「まぁ良い。ジックリ仕込んで犯るが良いな。」


「ハィ、上手く成りますのでお願いします。」

私の欲棒で貫(つらぬか)れた喜美子は、予想外の大きな善がり声を上げた。

「アァー、アァー、アァー、アァー。」

女性が性交を受け入れる覚悟を決めるとスイッチが入れ替わり、そこから先は別の心理が働いて当然脳裏に性交への快感期待も横切って、犯られるのを待つ心境に成る。

つまりその時点で喜美子に心境に変化が在った上での事だから、心理が淑女から娼婦に変わてもけして異常な事ではない。

だから海綿体で出来た坊主頭のカリ首が肉体(からだ)の中に入って来て喜美子の内壁を擦(こす)りながら暴れれば、快感を覚えて無意識に受け腰を使っても仕方が無い。


成熟した性器と性器が正常に接触すれば、得られるのは神の与えた「快感」であるから、それを「気持ち良がって」も、何人も非難出来ない。

妻と違い、喜美子は性格が社交的で開けっ広(ぴろ)げだから、こうなると最初の段階から意外と大胆に成れる。

喜美子はもう、周囲の目も忘れて快感を貪(むさぼ)り始めている。

相手が妻の親友である喜美子だからこそ、ヒィヒィ善がり声を上げさせながら密着した互いの裸身を伝わって来る喜美子の柔肌の感触は、私に取って征服欲を満足させる蜜の味である。

喜美子の秘所を、二枚の肉花弁を左右に分けながら私の欲棒が浅く深く潜り込むのを目で確認しながら突き入れた。

私の欲棒を包み込むの生島喜美子の括約筋が、肉ひだがまとわりつく様に微妙な律動とともにグィグィと締め付けて来る。

私がズンズンと突き入れられる度に、喜美子の乳房が揺れている。

「グイグイ」と少し抽送を早くすると、喜美子のその声は音色を変えた。

「アッ、アッ、アッ、アッ。」

スレンダーな腰に手をやって、柔らかい、シットリとした肌触りを感じながらパンパンと音をさせ欲棒を抽送すると、喜美子のその音色は激しく成りまるでわめいて居る様だ。

欲棒をクィクィと抜き挿しする都度に喜美子が物凄い善がり声を上げながら受け腰で応じ、ヌュルリ、ヌュルリと内壁を擦(こす)る感触が快感と成って私のカリ首頭を刺激し、妻の親友・喜美子を犯す実感を感じさせる。

まぁ、京美企画に於いての友と仲間の微妙な違いは、互いの男女の間に性交があるかどうかである。

抜き挿しを早めて全力で腰を使うと喜美子が受け腰を使い出し、互いの動きが激しくなり汗がしぶきに成って飛び散っている。

もう亭主の事など打ち忘れて、快感を貪(むさぼ)る雌(メス)が一匹、半開きの 口から涎(よだれ)さえ流して腰を振っている。

「ア〜ッ、ア〜ッ、ア〜ッ、ア〜ッ。」

女性は、本能的に男性の誘いに「落ちるスイッチ」を持っている。

現金な物で、喜美子から罪悪感と嫌悪感が拭い去れれば、残るのは刺激的な状況下での快感だけである。

有史以来の原始感性として、「落ちる」は原人時代から女性の最も基本の感性である。

喜美子は極限の状況で、妻同様に「落ちた」事に成る。

倫理的な議論は有るだろうが、その気になって犯って見れば、実は肉体構造的には相手など誰とでも出来るのが性行為である。

恋人にしろ夫婦にしろ、元々は偶然の中で性交相手は決まるもので、肉体(からだ)の方は誰が相手でも性交に快感反応するように出来ているのだ。

そこは明確で、そう成ればその後の事は全て本能の為せる業(わざ)だから大胆であっても仕方が無い。

妙に素直になった喜美子の「落ちた切欠」を後で聞くと、喜美子にして見れば、思いも拠らない破廉恥な要求だった。

が、不思議な事に岩代に「裸になってパッと発散しなさい。」と声を掛けられると抵抗感が薄れて、何故か操られる様に「何でも犯る気に成って居た」と言う。

後は弄(なぶ)られた肉体(からだ)が勝手に感じていて、もう止まらなく成っていたのだ。

この後喜美子には、陰茎に青筋が立つほど硬くそそり立つ何人もの陰茎を、入れ替わり立ち代り突き込まれる脳みそが溶ける様な快感地獄が十分〜十五分と続く場面が待っている。


この場での喜美子の心理状態であるが、人間は集団環境に影響される群れ社会の動物で、しばしば「集団同調性(多数派同調)バイアス」と言う行動現象を引き起こす。

これは脳のメカニズムの問題だが、人間は群れ本能から緊急事態に陥ると周りの人々がどう対応しているかも個人の行動に影響する。

此処で言うバイアスとは「特殊な、或いは特定の意見等で偏っている事」を意味し、つまりは本来向かうべき思考とは違う方向に偏る事で、「集団心理」と言ってしまえばそれまでだ。

それが、一人でいる時には直ぐ緊急判断に対応できても、集団で居ると「皆で犯って居るから」と言う安心感で緊急判断が遅れ勝ちになるそうである。

これが「集団同調性(多数派同調)バイアス」で、人数が多ければ多いほど他の人と違う行動を取り難くくなり、他の人が犯っているのに自分ひとりが「犯らない」と言い出す事は難しい。

つまり喜美子の心理状態は、集団の一員としてこの卑猥(ひわい)とも言うべき異様な集団の雰囲気に同調する事を本能的に選択していたのである。

論理的には、その判断が正しいか正しくないかを周囲に求め、個人の判断を封じてしまうのが「集団同調性バイアス」と言う行動現象で、結果喜美子は周囲に同調する様にパンティを脱ぎ私の欲棒をシャブって股を開いたのである。

なるほど岩代が言う様に、肉体と精神は別の所でコントロールしている。

喜美子も、今は肉体の感覚が勝(まさ)って精神的抵抗感など無いのだろう。

調教中の妻の状態もそんな所で、何しろ一度知ってしまった行為が大人数で休む間も無く輪姦(まわさ)れる犯られっ放しだから、オーガズムが継続して繰り返しイキ続ける凄い濃厚な快感なのだ。

その感触が忘れられない癖になって、時折それを要求する肉体に成っているのかも知れない。

抽送を続けながら、喜美子の陵辱風景を周りがどう見ているのかと見回すと、竹中が手招きするのが目に入った。

参加したいのだろう、「良し、喜美子を親くらいの歳の爺さんに、抱かせて見よう。」と思い立った。

一度犯ってしまえば二度目の抵抗は少ない。

岩代ではないが、喜美子が余分な事を考える前に、私との既成事実を積み上げればそれが普通の事になる。

「場所を変える」と喜美子に命じ、一旦立たせて私は喜美子を竹中の近くに連れて行き、ソファーに転がして伸(の)し掛かり正常位に体位を変えた。

ニュルリとしたカリ首の抽入感を感じて、喜美子は見事に仰(の)け反(ぞ)った。

ヌメッとした生暖かい感触に、私のカリ首が包まれる。

征服感がみなぎって、私はクィクィと抽送を始める。

クニュクニュと喜美子の二枚の肉花弁を捩(よ)じらせ巻き込みながら、深く浅くと抜き挿しする。

感じ始めたのか、呼吸がハァハァと荒くなり、喜美子の口から荒い息使いが洩れ始めている。

肉体(からだ)は正直なもので、感じて居る喜美子の受け腰使いが激しく成り、カリ首が喜美子の内壁を擦(こす)って何とも心地良く、私のカリ首の海綿体が暖かく感じて喜美子の子宮が火照(ほて)っている事が判る。

「アッ、アッ、アッ、アッ、イー、イー。」

喜美子から善がり声が漏れ始め、やがて恐る恐る受け腰を使い始めた。

性交の快感を得るには、獣と成って互いの敏感な結合部を擦(こす)り合わすのが極自然な本能行為である。

だから性交始まってしまえば本能が勝(まさ)って、喜美子が夫の前も構わずに思わず腰を使ってもそれは仕方が無い。

私の抜き挿しされるカリ首が内壁を擦(こす)るのが段々に気持ちが良いから、喜美子は顔を歪ませて硬く勃起した乳首の乳房を波打たせ、私の抽送に呼応して腰を使う。

喜美子がより快感を得たければ自然にその受け腰使いがグィグィと激しくなり、快感を貪(むさぼ)るのはむしろ当たり前の事である。

妻の友人の股間を、私の欲棒が浅く深く潜り込むのを目で確認しながら貫抜いた欲棒で喜美子の中をかき回す様にローリングを始めると喜美子は、ローリングする私の腰と反対に腰を回しながら、上半身をのけ反(ぞ)らせて善がり続けた。

自分の身に訪れた意外な展開に、当初は顔面蒼白(がんめんそうはく)、同様に蒼白かった喜美子の裸身も、輪姦(まわし)が始まってしまえば最初の私の抜き挿し攻撃で赤味を帯び、肉体(からだ)は意志とは関係なく反応をし始める。

その先は全身を汗でビッショリと濡れ光らせ「息も途切れるか」と思わせる善がり声と伴に、太腿(ふともも)の付け根に咥(くわ)え込んだ欲棒に激しい受け腰で行為に応じて、愛液に濡れ光るモロに串挿しとなった陰茎が見え隠れしている。

ここまで勢いが付けば、喜美子も相手が誰であろうが滅多な事ではもう止まらない。

「ア、アァー。」

喜美子が堪(たま)らず上体を起こし、私に抱き着いて来た。

両の腕が私の胴に回り、小振りの乳房が私の胸に「グシャッ」とへばり付いて来る。

隣で見ていた竹中がそれを引き剥(は)がし、構わず欲棒を喜美子の口へ念じ込んだ。

破れかぶれか、まるで操り人形の様に喜美子は、私の抽送を受けながらその欲棒も口でチュポチュポと勢い良く愛(め)で始めた。

もう、一々相手を選択している余裕は喜美子に無い。

降り掛かる目先の要求の対応に、喜美子は追われていた。

それを眺めながら暫(しばら)く抽送を繰り替えし、「今、妻の親友を犯している。」と頭の中で確認すると、私は「ウッ」と喜美子の中で果てた。

「妻の親友を弄(もてあそ)ぶ」と言うシュチエーションは興奮する。

唯、性器が擦(こす)れるだけよりも、気分的な付加価値が、行為の快感を高める事は間違いない。

ドクンドクンと喜美子の中に発射したが、勿論終わるまでは余韻(よいん)を楽しんで、抽入は外さない。

この場の喜美子は、夫が裸に剥(む)いて性調教を施(ほどこ)す生贄(いけにえ)として了解の上で引き渡した性玩具(オモチャ)である。

私が肉体(からだ)を外(はず)すと、「待って居ました」と入れ替わりに竹中が喜美子に取り付いた。

京美企画が意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(オモチャ)として手に入れた喜美子の乳房や今から使用する股間の柔らかそうな感触を、竹中は露骨にニヤつきながら面白がって撫(な)でて確かめている。

まぁ、出資者の竹中が喜美子の裸体の乳首を無遠慮に摘(つま)もうが太腿(ふともも)を撫(な)でようが、二枚の肉花弁の中に指先を挿し込もうが喜美子は耐えるしかない。

こんな状況で素に戻ったら犯っては居られないから、こう成ったらもう喜美子は犯られ役のAV女優気分に徹するしか無い。

少し弄(もてあそ)んだ後、「まぁ、こんなものじゃろう。」と呟(つぶや)いて竹中が喜美子に伸(の)しかかった。

「ほれ、さっきグズったお仕置きじゃ。甘えとったら会社の戦力にならんぞ。もうお前さんはグズれる身分じゃない。」

まったく年に似合わない元気な爺さんだ。

竹中の年齢に似合わない硬く太い欲棒が、喜美子の短目の恥毛の一部が生々しく絡む二枚の肉の花弁の真中をカリ首から貫いた。

「ウグゥ、アァァァァ、アッ、アッ、アッ。」

喜美子の花弁の中・柔ら壺で、今、竹中の黒光りする使い込んだ欲棒の、坊主頭の海綿体が躍動している。

「アッ、アァー、アッ、お仕置き、気持ち良いィー、アァー。」

竹中の腰が軽快なリズムを刻(きざ)んで、喜美子の肉体(からだ)の中心を貫抜いた欲棒の陰茎が、愛液に濡れ光って深く浅く見え隠れしている。

これは凄い見世物だが、正直、喜美子が涎(よだれ)を垂(た)らしながら大口を空(あ)けて善がり犯られていても、喜美子の抑圧されて居た本能が剥(む)き出しに成っただけだ。

だから夫の生島が、随喜の刺激に顔を歪(ゆが)ませる喜美子から目を背(そむ)ける事はないだろう。

坊主頭のカリ首に肉体(からだ)の中心を貫かれてしまえば一瞬で心境に変化が起こり、警戒心で入った喜美子の力は抜けて行く。

現実にもう皆の前で犯られちゃったのだから気取っては居られず、覚悟を決めて本気モードのスイッチを入れるしかない。

当たり前の事だが、性行為は観るにしても犯るにしても、勿論、犯られるにしても下品な方が人間は興奮する。

まぁ元々上品な性行為など無いのだから、依り下品を追求しながら喜美子を犯る愉しみ方が正しいのかも知れない。


妻・喜美子の奮戦と性反応を確り確認させる為に、ギャラリーの最前列・目の前が夫・生島の定位置である。

父親以上の年齢の爺さんに犯され、それでも肉体は感じるのか、喜美子が思わず腰を使っている。

竹中の坊主頭の海綿体が内壁を擦(こす)りながら、見え隠れして濡れて光っている。

クィクィと抜き挿しに応じて見え隠れする竹中の陰茎に、喜美子の肉花弁が生々しく巻き込まれ捩(よじ)れ震えて見えている。
生挿しの欲棒が喜美子をヒィヒィ言わせながら、喜美子の股間に嵌(はま)って蠢(うごめ)く様に夫としてドッキリさせられ、一瞬後悔の念も浮かぶ。

夫の生島は、妻の喜美子が自分の父親以上の年齢の爺さんに犯されるのを呆然と見ていた。

生島もまた、妻を他人男(ひと)に抱かせる気分はサディスティック(S性)な興奮だが、妻を他人男(ひと)に自由に抱かせて観ると、それが妻だからこそ胸が痛いほどマゾヒスティック(M性)な興奮をも覚えさせられた。

後で落ち着いて考えるに、このプレイは生島自身には自虐的であり喜美子には加虐的と両方の感性を震(ふる)わす、良質の遊びだった。

つまり妻を提供すれば、自分はサディスティック(S性)だと自覚していても、実はマゾヒスティック(M性)な感性をも持ち合わせている事に気付かされる。

感性としてのサド(S性)とマゾ(M性)は表裏一体で、人間は状況次第ではどちらにも針が振れるから、質の高い淫乱は大いに愉しめるSM性交あそびである。

そしてこの情を挟まない遊びの場では、その生挿しの欲棒は妻・喜美子に与えた「大人の玩具(おもちゃ)」と想うしかない。

肉体(からだ)が強烈な性交の快楽に溺れて、喜美子は人前で性交を犯って居る事も忘れていた。

まさかこんな事を犯る自分など、以前は全く想像も着かない喜美子だった。

だが、現に今は善がり声を振り絞る口元から涎(よだれ)を垂れ流し、欲棒を咥え込んだ股間から愛液を滴(したた)らせている。

喜美子は、目の前で外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い非日常のセックス・セッション(乱交)を大股開きで受け腰を使い、正直内心興奮しながら熟(こな)していた。

「竹中さん、お元気ですね。」

「いゃ、君らのお陰だよ。娘が不思議がるほど若返ったわぃ。何も自分からわざわざ年を取るものじゃないな。」

喜美子に激しく抽送を繰り替えしながら、竹中が言った。

「アッ、アッ、アッ、アッ、イー、イー。」

そう言えば初対面の頃より、竹中は余程若々しい。

妻に先立たれた初老の男がこの変わりようだ。

そう言えば妻も、子持ちの主婦から若々しく色っぽい女に成った。

岩代の言う呪詛エネルギー、竹中や、妻に限っては満更(まんざら)出鱈目(でたらめ)でもなさそうだ。

暫(しば)らく攻め立てて満足したのか、竹中が喜美子の肉体(からだ)手放すと、田嶋が「俺もお願いするか。」と襲い掛かり、抽入を果たすと、石上も「それじゃあ俺も味わうか。」と続いて、喜美子の口に捻じ込んだ。

正直こう言う多人数の輪姦(まわし)を一人で受けるとなると相手が順番で続くから、喜美子が渾身の受け腰使いで早く何本ん抜けるかが勝負になる。

最初に何人か熟(こな)して受け切れないと、喜美子の方が中々相手を抜けないまま一方的に責められてイキ過ぎ続ける無残な姿を見せる事に成る。

見事に岩代の企(たくら)みに嵌(はま)って京美の連続性交が始まってしまったのだから、ここはもう喜美子の踏ん張り所で根性入れて犯るっきゃ無い。

次から次に相手が代わり、男達が絶え間無く欲棒を喜美子の股座に抽入し、性器と性器が抜き挿しされて海綿体が接触し快感が襲って来る。

だから喜美子は、乳首が立った乳房を揺らし持続する快感の中で、歓喜の涎(よだれ)を垂れ流しながら受け腰を使い続ける事になる。

どうせ接待を犯る身なら、愉しませる男の欲棒の数は一本も二本も同じだし、十本二十本なら、そのプレィはいっそう接待らしい。

つまり性交相手の数が多いほど、特定の男との浮気気分では無い「接待の性交そのもの」を証明しているのである。

愛奴隷は、奉仕でクライアント(得意先/顧客/依頼人)をうならせなければならない。

京美の男達のテクニックに依ってようやく喜美子が弾け、益々現場の熱気が上がって来た。

ズブリと柔ら壺に嵌(はま)り込んだ欲棒のカリ首が、何度も性器の結合を観せながら腰の動きで抜き挿しされ、喜美子の内壁の粘膜を気持ち良く擦(こす)っている。

展開する惜しげも無く贅沢(ぜいたく)な性交プレィに、喜美子の善がり鳴きの声が、開所式会場に生々しく響いている。


男性を受け入れるかの決断は本能で在るから、イザと成ると性交に関しては女性の方が余程(よほど)男性より度胸が良い。

生島喜美子の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、京美企画の接待プレィルームに響き渡っている。

「まるで私では無いみたい」と喜美子は想いながら、今は貫(つらぬ)かれた初対面の男の欲棒に夢中で受け腰を使って応じていた。

つまり喜美子は、想ったよりもこの卑猥(ひわい)な遊びと、肉体(からだ)が肉欲的に水が合った事に成る。

集団乱交の遊びなど「現実には存在しない噂」だと想っていた喜美子にはにわかには信じ難い事だっが、その噂だけの世界が現実に存在した。

しかし喜美子は、京美の開所式の生贄(いけにえ)のヒロインに仕立てられ、こんな乱交プレイを愉しみ愉しませる遊びを犯る連中が居る事を、肉体(からだ)で知らされ様としていた。

京美に助けられた身で、この遊びの性交プレィを拒絶しても回避できない環境であれば上手く犯るべきで、頑(かたく)なに気持ちだけで拒絶するのは聡明な事では無い。

こう言う事を否定しないで上手く犯るには、気を入れて気分を卑猥(ひわい)に持って行き、積極的に受け入れて性交を愉しむのが利口な女の処し方である。

喜美子は、今からこの「大勢の他人前(ひとまえ)で犯される」と想うと、恐ろしさと恥ずかしさで胸がキュンと成った。

けれど不思議な事に、この観られる快感が癖に成りそうな予感が、喜美子の心の片隅に複雑に存在した。

現に喜美子は、大勢の視線を意識して乳房の乳首を硬く立たせ、戸惑いの表情を浮かべて指示に従っている。

自然な男女の性癖を区分けすると、観て感じる男性と見せて感じる女性に分けられる。

頭の思考で露出癖を論理的に否定していても、経験から別の答えを感性的に受け入れる事もある。

タブーの世界だから余り正面切って表明は出来ないが、現実にAV女優の志願者は多く、事務所登録しているだけで数万人は居て、その彼女達が金の為だけで無い。

建前はともかく本音では、彼女達に「他人前(ひとまえ)で犯られて見せる」と言う究極の露出癖をも満足させる目的でも無ければ、そんな仕事は犯っては居られない。

日本でも欧米でも、大ヒットを飛ばす歌姫に露出の多い衣装は定番である。

つまり女性の「見せたい願望」は女性が男性を誘うカップリングの本能で、それで集まって来た中から相手を選ぶ為に、見せて誘う意識が感性的に働くと言って良い。

男性は観たい癖があるから露出の多い衣装は歓迎だし、女性も本音では「見せたい願望」で歌姫の露出に共感している。

だから喜美子は本能をくすぐられ、こう言う特別の場でしか味わえない女性特有の究極の露出癖に目覚めたのかも知れない。

此処まで来てしまえばまな板の鯉で、喜美子の顔は、一見すると覚悟の「はにかんだ微笑(ほほえ)み」の表情を含んでいた。

もっともこの快楽の場では今更抵抗は見苦しく、喜美子は場の雰囲気を壊さない為に悲壮な顔や嫌な顔は出来ない。

結局の所喜美子は、「どうにでもしろ。」と覚悟を決め、秘部も露(あらわ)に股を開いて相手の犯りたい事の受け入れを待つしか選択枝は無い。

そしてどんなに美人で、どんなにスタイルが良くても、絡み合う恥毛の丘とグロテスクな女性器は、性交の為の肉体の一部として違和感タップリに備わっている。

その場に全てを晒(さら)して素っ裸大股開きにされた喜美子の顔は、羞恥心を含んだ困惑の表情だった。

その喜美子の困惑の表情などお構い無しに、少し乱暴に輪姦(まわ)しは始まった。

この連中はこう言う事に慣(な)れて精神的にも図太く、他人前(ひとまえ)でも躓(つまずく)事も無くズブリとインサート(挿入)を確り決めて来る

自分達が日頃犯って居る事だから犯る方も犯られる方も笑顔で、この連中が無遠慮に喜美子に犯って居る事は当たり前で、悪いとも可愛そうとも想わない。

しかし女性は、一度そちら側に飛んでその露出感覚の快感を味わってしまうと感性の快感が優先されて、次からのプレィは意外とそこまでは抵抗がない。

何しろ休みたくても休めない状態で後ろから前からと輪姦性交が続いて、喜美子の絶頂(アクメ)は途切れなく性感に拠る忘我の境地を彷徨(さまよ)っている。

夫の視線も忘れ、口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、喜美子の口から垂(た)れ流されている。

バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パンと言う喜美子の尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこの接待プレィルームに響き渡っている。

雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。

原始回帰すれば、男性が良い母体を探し女性が良い精子を探す「種の保存本能」で相手を代える感性は、ふしだらでは無く当たり前だった。

その性交本能を剥(む)き出しに男女伴に、喜美子の肉体(からだ)でタップリ愉しむ事が、この場の約束事だった。


まったく不届き者連中の所業だった。

生島は愛妻が犯られて愛液塗(まみ)れ汗塗(まみ)れで受け腰を使いながら善がり、身悶えているのを観て興奮が隠せず想わず自分の欲棒を硬し、立派に立ち上がらせて居た。

笑わせてくれる事に、男の性(さが)なんて見っとも無い程正直で単純である。

それを「あらお元気だわ」と岩代京香に見咎められた。

「いや〜面目ない。」

「良いのですよ。だいたい殿方の反応は皆同じですから。」

「それなら安心だが、この親不孝息子(欲棒)の始末には困った。」

見咎めた京香に、「アラアラ、どうしようも無い親不孝息子ね。今、お口で良い子良い子してあげますからね」と応じられた。

京香に「どうしようも無い男性(ひと)ね」とスラックスのファスナーを開けられ、欲棒をつまみ出されてパクリと咥えられ、ウゴウゴと気持ち良くシャブられる始末だった。

基本的な性別特性として、女性は「触覚」で感じ男性は「視覚」で感じるから、この愛妻が輪姦(まわ)されのを観ながらシャブらせる状況は極上のプレィの一つである。

この場面で京香がこう言うおシャブり行動に出るのは、プレィ経験豊富で男性の性(さが)を心得ているからである。


勿論、犯られて居る喜美子には、当面の相手を早くイカせるのが先決で、それを夫が見ている何んて事を考える余裕など無い。

正直愛妻が必死だからこそ、他人男(ひと)が犯る愛妻への陵辱を観ながら他人妻(ひとづま)にシャブらせる快感に浸(ひた)るのは、癖に成る様な贅沢な遊びである。

この非日常が舞台の「奔放な性交遊び」が夫婦合意の上であれば、夫婦間のマンネリを埋めて余りある知恵の結晶かも知れない。

喜美子にしてみれば輪姦(まわし)は想像以上にキツかったが、こんな事でノンバメてゲームオーバーにでもなれば、喜美子の奇妙なプライドが赦せない。

しかしそれでも、輪姦(まわし)の究極の快感を一度も味遭わない女性の人生など、勿体無(もったいな)い人生かも知れない魅力が、この遊びに在りそうだった。


遊びの性交ならエゲツ無いほど中身が濃くなり、非日常の刹那を愉しむ性交など本当は「有り触れた話」なのに、何故か「特別なものだ」と信じたがる狡(ずる)さが人間にあるのかも知れない。

そこがマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の良い所だが、抗(あらが)う事が無い性玩具(おもちゃ)状態で、人前で「見られながら犯られる」と言う普通では考えられない羞恥の興奮がエゲツ無いからこそ喜美子の脳をトロケさせる。

皆の視線の中心に、輪姦(まわし)終わるまで犯られ続けなければ成らない素っ裸の喜美子が居た。

想いも拠らなかったが、妻・喜美子は違和感無くおシャブリも腰使いも上手く犯れて次第に大胆(だいたん)に成って行った。

恐らくもう周囲の事など意識に無いのか、日常の倦怠感(けんたいかん)を埋める様に全裸体を躍動させ大胆(だいたん)かつ奔放(ほんぽう)に性交に応じている。

今は呆然(ぼうぜん)と眺める夫の前で、口と言わずア*ルと言わず女陰に到るまで欲棒を受け入れて、性感に拠る忘我の境地に入っているのだ。


露出癖は、非日常の空間に於いて否定する物ではない。

胸や背中を大きく露出したホーマルドレスにも太腿(ふともも)を露に出したミニスカートにもそんな感性が在る所である。

そしてローライズの臍出(へそだ)し半尻出しの大胆露出フアッションも、言い訳は「流行しているから」だが、そもそもそれに女性が飛び付くのだから流行(はやる)のだ。

同性も見詰める他人前(ひとまえ)で恥ずかしい事を犯らされて、喜美子は羞恥心に燃え上がったが、羞恥心も陵辱の極限を突き抜ければ観られる快感に変わる。

その雌に変わる本能の微妙な機微が判らないと、この陵辱のヒロイン感覚の本質は理解できない。

今、男達に肉体(からだ)を弄(もてあそ)ばれながら、股間にズブリと欲棒が抜き挿しされる生々しい情況に周囲の視線が注(そそ)がれている事を、喜美子は自覚しながら犯されていた。

男達に輪姦(まわ)されると言う、日頃は在り得ない卑猥な条件設定の羞恥心に、喜美子のアドレナニンが脳内で決壊したのか、感度は抜群だった。

仰向け大股開きにさせた喜美子の脚の間に田嶋が陣取ってに抽入した欲棒をグィグィと抜き挿しすると、喜美子が堪(たま)らず顔を歪(ゆが)め、嫌々をする様に顔を左右に振る。

しかしその嫌々は快感の表現で、喜美子の欲棒を咥え込んだの乳房は大きく波打ち腰は浮き上がって左右に振られ、口からは大胆な善がり声をわめく様に発している。

喜美子の恥毛に覆われたなだらかな恥丘の下で、田嶋の陰茎が濡れ光ながら見え隠れして確りと見えている。

赤の他人の田嶋が夫・生島の目の前で、喜美子の肉体(からだ)を欲棒でズブリと串刺しにしてグィグィと攻めて居るのだ。

この時点ではもう、例えエゲツ無く嬲(なぶ)られるとしても生島喜美子は犯るべき事を犯なければ後で後悔する所まで情況が切羽詰まっていた。

喜美子に採って見れば、この顔合わせでいきなり全裸を要求されるのはハプニング(突発的な事・思いがけない事)だったが、勿論、出席者全員を敵に回して抵抗などできる訳が無い。

夫を含め周囲は全て承知の上の事で、素っ裸に剥(む)かれて中央に曳き出されたその場の乱交は犯るべくして犯った事になる。

繰り広げられている喜美子への陵辱(りょうじよく)に次の希望者が列を成し、或る者は喜美子の口に欲棒を捻じ込んでシャブらせ、ある者は身近に居る女性にシャブらせて速戦に備えている。

腹を括(くく)って、生身の欲棒だろうがシリコンラバー製の男根型性玩具(オモチヤ)だろうが、それを股間に咥(くわ)え込んだままの腰振りダンスをクィクィと公開して喜美子は吹っ切れた。

そして後から考えると大それた想いは想像だけで、犯って見れば絶頂の快感を貪(むさぼ)るだけの案外イージー(簡単)な事で、喜美子は夫の前で結構凄い乱交を味わってしまった事で淫乱のオンスイッチが入ったのだった。

妻・喜美子の、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべ絶え間ない善がり声をあげて腰を使い奮戦する痴態(ちたい)を目撃し、生島はモヤモヤとしたエロス効果に入り込む奇妙な感覚に襲われていた。

田嶋を満足させて一服に入った喜美子は、ソフアーに座る竹中の右側に、右足の膝を立ててソフアーに座る喜美子の右手が竹中の硬くなった欲棒をクィクィと扱(しご)きながら、喜美子は上半身を捩(よじ)って竹中の乳首に舌をペロペロと這わせている。

その膝を立てた喜美子の股間に竹中の右手が滑り込んで、親指が肉花弁を押し退けてピンク色に光るひだの中に潜り込み、薬指が喜美子のアナルにズブリと押し込まれているのを、亭主の生島が覗いていた。

喜美子が流れに乗って乱交行為を続けている所を見ると、早くも新参者としての「コツを掴(つか)んでいる」と言う事である。

こうなれば京美企画のメンバーが、生島喜美子を寄って集(たか)って犯し、女としての性感ブラッシュアップ(磨き上げ)して犯る事に成る。

つまりこの開所式でのマルチSEX(複数性交)は、喜美子を愛奴隷調教する為のエキシビション(公開実演、模範試合)なのである。

此処に到って「馬鹿な事を・・・。」と批判するのは簡単であるが、人間の感性は算数ではなく、辻褄が合わない事をするから息抜きが出来る。


喜美子は、マルチSEX(複数性交)からマルチタスクSEX(同時実行性交)へと持ち込まれて、その性交形態を移行されて行った。

「ほら、愛奴隷は愉しそうに笑って犯る。雰囲気や気分を壊しちゃ駄目でしょ。」

無表情だった喜美子が京香に強制されてホヤッと笑顔を見せ、媚を売るように笑いながら次の男の欲棒を向かえ入れている。

強引に追い込んでの事だが心配する事は無い、苦悩から歓喜へ替わる一瞬が喜美子の顔にも表情として表れていた。

男性が直ぐ終わる一対一の「夫婦の性交」と違い性交感覚の刺激が繰り返し続くのだから、喜美子にして見れば肉体的本音は「癖に成るほど良い」に決まっている。

喜美子が知ってしまった一対多数の変則マルチSEX(複数性交)で、自分を大事にする感性の裏返しに、性交時の感度さえ良い方に転がれば何でも犯れるのが女性である。

だから喜美子は男達の激しい抜き挿しに耐え切れず、途中からタガが外れて欲棒に串刺しにされたまま腰を浮かして物凄い反応で喘(あえ)ぎ善がる。

今度は石上の、手の平が指先が喜美子の膝頭を撫でながら這い進み、太腿(ふともも)に達していよいよ大きく開放され露(あらわ)に成った股間の二枚の肉花弁に触(ふ)れる。

喜美子の脳が、この先の欲棒の受け入れを意識してか、二枚の肉花弁のスリットの奥は既に淫液に潤んでいた。

その水々しく潤(うるお)った喜美子の花弁の隙間に、石上の二本の指先が「さて、どんな声でさえずるかな?」と今コジ入れられて行く。

そしてその数十秒後には、指の抜き挿しに攻められて腰を浮かして身悶(みもだ)えながら、喜美子は に敏感な花芯肉ボタンやら二枚の肉花弁まで舐(な)め廻されて、確かにヒィヒィとさえずりながら耐えている。

海綿体の粘膜は性感帯で、男女の性器だろうが唇やア*ルの菊座だろうが鼻の穴の内側まで、擦(こす)れは快感に通じていて、石上はそれを同時に攻めているのだ。


自然の流れで竹中と石上の三Pが完成して、今は喜美子が同時に二人から攻め立てられている。

人妻が他人の男二人から攻め立てられているその光景は、何度見ても私には官能的だった。

男に欲棒を挿し込まれて、喜美子の肉体(からだ)が男と股間で繋がり、連続する快感のアクメ(絶頂)に身を震るわし、気持ち良いも極限に達して堪(たま)らない。

堪(たま)らず身を捩(よじ)って避けようとしても、そんな喜美子には構わずに勃起したカリ首が内壁を擦(こす)る刺激の欲棒の抜き挿しが続く。

「ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、・・アゥ、アゥ、アゥ、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

股間が空(あ)く事の無い男達の猛攻に喜美子は半ばトリップ(無意識)状態で、欲棒を咥え込んだ腰を相手の抜き指しのリズムに肌から汗の玉が滲(にじ)み出るのも構わず応じている。

制御もまま成らなく開いた喜美子の口元からは、激しい息使いと伴に悩ましい善がり声が「アァ、アァ、アァ。」と漏(も)れ、その唇の脇からは涎(よだれ)が糸を引いて落ちて行く。

夫の生島の眼前で、堪(こら)え切れずにやや浮き上がった喜美子の股間を貫いて、愛液に白濁した泡に濡れ光る欲棒の陰茎が、男の腰の動きに応じて生々しく見え隠れしている。

喜美子に施(ほどこ)されるマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の目的は、喜美子が犯られ続けて快感が尽き抜け、究極のセックスハイ状態に追い込まれる事である。

この開所式パーティで、愛奴隷の仲間入りの試練として輪姦(まわ)される為に、素っ裸で引き出された喜美子だった。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は喜美子には無い。

そして避けられない性交遊びであれば、オーガズムの到達点に到るまで喜美子は愉しんで犯って見せるしかない。

奇妙な心理だが、既に少なからぬ妥協をした後では引き下がれば犯られ損で、乗りかかった船は今更尻尾(シッポ)を巻いて喜美子には降りられない。

彼らは次々に入れ替わって喜美子を欲棒でズブリと貫き、クィクィと腰を入れてリズム良く抜き挿しをして来るから、もぅこう成れば喜美子も気合を入れて必死に受け腰を使うしかない。

周囲を順番待ち組と鑑賞組の人の輪で囲まれる中、喜美子は生々しく結合部も露(あらわ)に、乳房を揺らし善がり声を挙げながら壮絶に抜き挿しに受け腰で応じている。

激しいピストン運動に喜美子の顔が歪みながら左右に嫌々をし、股間に抜き挿しされるその淫茎は抜き状態では濡れ光り見え、挿し状態では根元近くまで中に達している。

次から次と切れ目無く妻・喜美子の股元の柔らかそうな肉花弁の間に、愛液に濡れ光ながら男達の欲棒が生々しく抜き挿しされて、見ている生島には卑猥(ひわい)だった。

まぁ素っ裸の妻・喜美子が、他人の男達にシャブらされ嬲(なぶ)られ犯かされ、咥え込んだ腰を振って散々に善がっている光景は、嫉妬交じりの刺激的な感情を揺さぶるもので新鮮だった。

その無遠慮な性交の激しさに唖然(あぜん)として観ていると、「どうだ、壮観な眺(なが)めだろう。」と、先ほどまで喜美子を犯っていた竹中氏が笑いながら話し掛けて来た。

「はぃ、しかしあの喜美子の腰を振りながらの善がり反応は意外でした。」

「表向き格好付けて居るが、本音ではこう言う卑猥(ひわい)な事をするのが好きな奴が世の中の大半だよ。正直に気持ちが良いと見えて良い腰使いだ。」

「はぁ、内の奴(喜美子)もあれだけ受け腰を使って善がっていますから、結構馴染んで犯って居ますね。」

「こう言う場だ。もぅ犯っちゃってるのだから奥さん(喜美子)も、今は目先の行為にのめり込んで忘我(ぼうが)の世界を愉しんで居るんじゃろう。」

「しかしあれだけ酷(ひど)く犯らせては、後で内の奴(喜美子)が正気に返った時に抗議されそうです。」

「大丈夫だよ。あの輪姦(まわし/性交遊び)を一度犯られると、奥さん(喜美子)もその忘れられない快感に人妻としての抵抗感を失うほどリピート中毒になるからな。」

「そうですか。内の奴(喜美子)がこの遊びのリピート中毒に成るのですか?」

「そりゃあそうだ。旦那と二人でチマチマと犯るよりも余程ワイルドで刺激的な上に、相手が替わるから絶頂時間が持続するだろう。」

結果的にこの遊びを妻に仕掛けたのは自分(生島)だから、妻・喜美子への陵辱光景は加虐心を満足させ、愛妻が嬲(なぶ)られ犯かされと意識すれば被虐心をも満足させる複雑な心境だった。

しかしその後は、人間の欲望には際限が無い。

この行為に入り込んで盛上がってしまえば、夫婦の枠組みよりも目先のエロスを満たしてくれる奔放な性交遊びの魅力に、夫婦でのめり込んでしまった。


勿論こんな非日常の興奮は、喜美子に取って夫婦で犯る日常の性交ではとても味わえない強烈な刺激で、羞恥心など只の味付けだった。

次々と無遠慮に犯られる喜美子は、公開性交の露出羞恥心も脳内に噴出する興奮のドーパミンの快感に後押しされて、脳内麻薬・ベータ・エンドロフィンの誘導が起こる。

やがて喜美子は、セックスハイ状態に到達して涎(よだれ)を垂(た)らしながら尻を振り、性交を続けて快感を貪(むさぼ)り、素の女性(おんな)を曝(さら)け出す。

イキ過ぎていっぱいいっぱいでも拒否が出来ないから容赦無い欲棒の抜き挿しに身悶えるばかりで、喜美子にとっては正に仰天(ぎょうてん)の快楽拷問に近い性交責めのエゲツ無さが続いた。


自分の運命とは上手に付き合うべきで、強情を張るだけの無駄な抵抗は更に事態を悪化させるだけである。

亭主が承知している以上、生島喜美子に求められている性接待の愛奴隷ともなれば、ショウ(見せる・見えるようにする・示す)的な要素が必要だから、ゲストを愉しませる為にいかに卑猥(ひわい)なパホーマンス(表現)をするかである。

接待で相手構わず何でも犯れる京美企画に対するユーティリティ(役に立つ・有効な)で、喜美子を犯り倒して何でも犯れる接待愛奴隷に仕立てるには、広範囲に対応可能なユーティリティ(役に立つ・有効な)・プレィヤーに仕込む必要がある。

そして女性の肉体は犯られてしまえば愉しめるように出来ているから、こう言う事は理屈では無く喜美子に行き成り乱交を犯らせて理解させるしかない。

岩代に聞いるが、こんな事は少しづつ仕込む手では逆効果で、喜美子にはあらゆる性交テクニックを広範囲にこの場で一気に攻め立てて常習性が着くほど肉体(からだ)を慣らしてしまう事に成る。

息を整える程度の時間を断続的に挟んでのオーガズム(絶頂)が継続しているから、喜美子はもう夫の目もギャラリーの目も気にしている余裕など無い。

喜美子は相手が代わる度に大きく開いた股間に生々しく下半身を貫(つらぬ)かれる欲棒の間を空(あ)けない性交の快感に汗ばんだ肌を鈍く光らせながら上体を仰(の)け反らせて上半身をのたうち、大声で善がりながらイキ続けている。

激しい運動量だから喜美子の裸体に大粒の汗が溜まり、欲棒を咥(くわ)え込んだ喜美子の腰がクィクィと跳ね上がる度、その汗の雫(しずく)が肌を伝わり床に落ちて行く過激な行為が目の前に在った。

喜美子への輪姦(まわし)を目の当たりにした生島も、その刺激的な光景に我を忘れている。

全てが妖艶なライブショーである乱交の魅力に魅入(みい)られた生島は、これでそこから中々抜け出せない筈である。

確かこの光景に似たような事を私が始めて目にしたのは、以前妻が初めて竹中と岩代相手にセックス・セッション(乱交)した時で、まるで複写してように良く似ていた。

人間の心とは、すなわち「自己意識」の事である。

喜美子の「自己意識が、魔法にかかったように変わった」と言う事は、喜美子は妻と同じように性に対して哲学的な悟(さと)りを開いたのだろうか?

喜美子はゴロリと大の字に横たわった石上に後ろ騎乗位に股がると、夫の生島に見せ付ける様に石上の欲棒を自ら股間に挿入してズブリと腰を下ろし、改めて腰を浮かせてユックリと上下させ始めた。

それは、こんな事でも無い限り滅多に味わえない脳みそをトロケさせさせる程の怪しい興奮を生島に覚えさせ、彼を夢中にさせるには充分な体験だった。

私にも覚えがある事だが、正直生島にとって目の前で妻・喜美子の他人相手の性交をまざまざと見るのは刺激的で、その刺激は嫉妬心よりも癖になりそうな魅力を持って抑え切れない心臓の鼓動と伴に生島を勃起(ぼっき)させる筈である。

実際あれは刺激的で、そんな生島の心境はお構い無しに、生島は妻・喜美子の腰がユックリと上下する度に、二枚の肉花弁がパックリ開いて内側のピンクの蕾も丸見えの状態だった。

喜美子の開脚スクワットの中心で、グサリと嵌(は)め込まれた石上の陰茎が生々しく見え隠れする様子を異様な目で眺めている。

生島喜美子はもう完全に居直って、生島の目を憚(はばか)らない。

夫・生島の前で輪姦されると言う背徳の香りは、喜美子の素朴な精神を魅了してその快感の虜(とりこ)にし、癖になる香りである。

いずれにしても岩代の囁(ささや)き一つで、喜美子はまるで魔法に掛かったように大胆に成った。

今、喜美子は口に欲棒をグィグィと突き入れられて涎(よだれ)を垂れ流しながら懸命にシャブらされ、股間に容赦無く欲棒をズンズンと突き入れられて居るのだ。

もう開き直ったのか喜美子の唇が彼女の頭ごと動いてシャブらされた欲棒を扱(しご)き、腰が怪しく微妙な動きを始め、愛液を垂れ流しながら懸命に受け腰をクィクィと大胆に使って快感を追うように動いている。

ソフアーに押し倒され仰向(あおむ)けに転がされた喜美子は、両膝を掴(つか)まれて押し広げられた股間に、夫の見ている場で他人の欲棒を抜き挿しされているのだから、今更嫌も恥ずかしいも有ったものでは無かった。

生島喜美子は、ほとんど思考をする暇も与えられず、息も絶え絶えになるほど男達から次々に求められ、今は恥ずかしい姿を晒(さら)している。

様子を見ながら「少しずつ仕込もう」と言うのが大間違いで、要点は、考える暇を与えず、一気に高度な水準までさせてしまう事と、同じ境遇の者(女)がかならず一緒に居る事で、勝負が早くなる。

そして、「仕方が無かった。」と言う自らを納得させる言い訳が、彼女にあれば良いのである。

喜美子に取って見れば、突然勝手に運命を変えられた事になる。

所が、岩代が喜美子に一声掛けた時から喜美子の迷いが吹っ切れたようで、妻の時同様に岩代の怪しげな「気に拠るものではないのか?」と言う疑念が、心の隅に引っ掛かった。

私が怪しんでも無理も無い話しだが、喜美子は昨日とはまったく違う状況に在って、女に目覚めたのか抗(あらが)う事も無く友人の夫である私や今日が初見の男達と、まるで何かに操られているように卑猥な行為を行っているのだ。

生島喜美子は後で私に、最初に露出性交を体験した心境を「信じられないほどの快感だった」と供述している。

多くの経験と教訓が証明しているが、要はアドレナリン作用に拠るドーパミンの発生で脳をトロケさせれば「性感度が上がる」と言うこの現象に符合する理屈は歴然と在る。

人前での露出性交の羞恥興奮がアドレナリン作用に拠るドーパミンの発生で欲情を高める効果があり、他で得られない性感度の快感が有るものなら喜美子が割り切ってしまえば、そこにそれを犯る価値は見出せる。

つまり妻の時もそうだったが、妻や喜美子のド淫乱な変身は何も特殊な事例ではなく、どんなに貞操観念に優れている女性でも、情況と環境次第で潜在的に持ち合わせている淫乱性が「開発され得る」と言う事で在る。

そこで「そう言う遊びが好き」と改めて喜美子が口に出して表明しなくても、黙って周囲の要求に素直に従えば良いので在る。

これは喜美子のプライドの問題だが、卑猥(ひわい)な要求を拒否して自らが傷付かない事もプライドなら、卑猥な要求を受け入れて自らが傷付ても押し通すプライドもある。

大人の女性である喜美子には、現状がこうした場合に最善のプライドとして何が出すべき答えで、どう行動すべきかは充分に察しが着いての行動になる。

結局喜美子は、京美企画に夫婦で拾って貰う為のケジメを、素っ裸に成って肉体(からだ)で着けなければならない。

つまり喜美子は、確信を持ってリスペクト(価値を認めて心服する・敬意を表す)した相手と犯って見せるプライドを選んだ。

欲棒を挿し込まれた生々しい股座(またぐら)の恥部を、喜美子は大股開きに晒(さら)して、友人の里美を始め多くの突き刺さる様な視線を意識して燃え上がる羞恥心に、喜美子の脳みそが溶けて行く。

欲棒を挿し込まれ、股間で生々しく繋がっている陰茎を見え隠れさせながら喜美子の初めての公開性交は、口元から漏れる善がり声と伴に続いていた。

その挿し込まれた欲棒が激しく抜き挿しされる度に、喜美子の二枚の肉花弁が愛液に濡れ光る欲棒に卑猥(ひわい)巻き付き捩(よじ)れて、参加者の目に晒(さら)されながら踊っている。

喜美子は今、賢(かしこ)く京美企画の男達の「輪姦(まわし)の抜き挿し」に夫の目も忘れて、恥毛が絡む肉丘を躍らせ受け腰で応じている。


輪姦(まわし)が始まってしまえば、泣こうが喚(わめ)こうが参加者全員を満足させるまでは喜美子の肉体(からだ)を離す事は無い。

正直、喜美子にとっては感情込めた性交では無いから、次々と襲って来る男達は生身の大人の玩具(おとなのおもちゃ)みたいなもので、互いに愛だ恋だの感情の発露などは無い。

喜美子の気分も、こうなると大きなスポーツ試合に奮闘しているアスリート気分で、性交も一種の勝負である。

まだ連続性交へ若干の抵抗心が残る輪姦プレィの出だしはともかく、犯り出して感じ始めて来れば女性の性体感は現金なものである。

喜美子も、次々と入れ替わる男達の欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を浮かせ、口をパクつかせて善がり声を挙げ、涎(よだれ)を垂(た)らしながらリズム良く尻を振る。

その振られる尻の股間で抜き挿しされる肉花弁と欲棒の隙間から、もう何人分かの溜まった愛液が、押し出されて喜美子の白い太腿(ふともも)を伝い滴(したた)って床に落ちている。

この輪姦(まわし)で良い様に弄(もてあそ)ばれ、嬲(なぶ)られてメチャメチャに犯られるのを体験すると、その快感に溺れない方が不思議なくらいの威力がある。

その快感体験で喜美子が、今までとは違う考え方を遊びの性交に対してしても、それは自然な反応かも知れない。

元々このお愉しみのメインイベントを仕掛けたのは岩代に説得された彼女の夫の生島で、喜美子も半ばそれ(輪姦)を承諾(しょうだく)した様なものである。

そうなると、どんなに卑猥(ひわい)な姿で性交に応じようが、夫に嫉妬される謂(いわ)れも無い。

喜美子の愛液に濡れる二枚の肉花弁の間で、善がり声とリズム良い腰の動きと伴に濡れ光る陰茎が、喜美子の内壁・海綿体の粘膜を刺激的に擦(こす)りながら見え隠れしている。

始まってしまえば喜美子も生身の女性で、股間を貫いた欲棒が生々しく抜き挿しされれば、相手の如何(いかん)に囚われず終わらない快感がある。

だから、次々と入れ替わる相手に貫かれて受け腰を使い、女性の素(す)も露(あらわ)に性交快感を味わい、貪欲(どんよく)にイキ続けて見せるしかない。


腰を浮かせて善がり声を挙げながら喜美子の受け腰が踊る股間に、生々しくスッポリと挿し込まれた陰茎を濡れ光らせながら見え隠れさせて見えている。

つまりこのまま何度も犯り続け、喜美子の肉体(からだ)をマルチSEX(複数性交)環境の中で熟生させてしまえば、それが彼女の「生活の一部になる」と、生島には岩代が伝えていた。

この先に喜美子が「京美企画」に呼び出されて愛奴隷を務めれば、毎回フアィティング(闘志・好戦的・挑戦的)行為でゲストの欲棒を生々しく善がりながら熟(こな)して見せる事に成る。

やはり何本もの欲棒を次々に挿し込まれ、公開で股間で生々しく繋がっている陰茎を見え隠れさせながら尻をクィクィと躍(おど)らせて性交を熟(こな)せば、これは性交した所で秘匿性が強い個人的な「浮気・不貞」とはまったく違う唯の仕事である。

脳科学的に必要性を真剣に考えれば、綺麗事とは行かないがマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)で人間が創った全ての決まりを破壊するからストレスから開放される。

欲棒を挿し込まれ、股間で生々しく繋がっている白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら喜美子の公開性交は続いている。

休む間も無い連続性交に、喜美子は全身を汗でビッショリと濡れ光らせ、快楽なのか苦悶なのか表情を歪(ゆが)めて涎(よだれ)を垂らしながら喘(あえ)ぎ、吠(ほ)えるような善がり声を上げながら肉体(からだ)を震わせて悶(もだ)え、奮戦している。

既に開所式の輪姦(まわし)の開始からは一時間ほどが経過していたが、激しい抽送に攻め立てられた喜美子は、呼吸が止まるかの様なオーガズムに襲われ続けたまま、終わらない輪姦(まわし)に翻弄(ほんろう)されていた。

まだズブリと犯られて他人の欲棒をキッチリとモロに咥え込んだ喜美子の卑猥な受け腰使いと、けたたましい善がり声は見事に続いていた。


妻である喜美子が新しい仲間の男達に立て続けに犯されているのだから確かに修羅場だったが、目の前で妻が犯られているその衝撃の光景に生島はむしろ感動さえ覚えた。

それでもそこまで行ってしまえば喜美子の女性としての肉体(からだ)は現金なもので、「ウフン」と甘い声を漏らして鼻を鳴らし、媚を売るように身悶えて見せている。

輪姦(まわし)の後半は、悶絶を示す壮絶な善がり声を繰り返しながらも、喜美子は愛液に濡れ光る欲棒の生々しい抜き挿しにクィクィと受け腰で応じ、結合部の肉花弁の隙間から押し出される白濁した愛液が、喜美子の太腿を伝って床に落ちて行く。

最初は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の責め苦だった不謹慎とも言える無軌道(むきどう)な連続輪姦に、強張(こわば)っていた喜美子の表情が、有り余る何かがこぼれる様に生島の欲棒を勃起させるほど何時の間にか恍惚(こうこつ)の表情に変わる。

輪姦(まわ)され終わった後の喜美子の気分は、盆踊りを夜明かし踊った後のようなけして嫌では無い贅沢でさわやかな疲労感だった。

散々に肉体(からだ)で快感反応した後で、犯られ終わって呆然と抜け殻みたくなった喜美子が、精魂尽きた風情で素っ裸のまま大股開きで床に転がっている。

姦淫ムードの心地良い気分を煽(あお)り、輪姦(まわし)を熟(こな)してあれだけ大勢の男達に犯られ続けイカされ続けたのだから、今はその余韻に浸(ひた)って床にしどけなく転がるこれも仕方が無い。


コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が始まってしまえば嫌でも喜美子の肉体(からだ)が反応して思考が停止し、もう周囲の視線を気にするどころでは無い。

他人事で聞けば「そんな酷い事、何で断らないのか?」と訝(いぶか)るかも知れない。

だが、大勢のギャラリーの中に素っ裸で連れ出された当事者の身に成ってしまうと話しは別で、周囲の誰もがそれを赦さないと判っては、喜美子も中々「嫌」とは言い出せない。

それは成り行きで上がってしまった嫌も応もない引っ込みが着かない舞台の上も同然で、喜美子も「犯りたく無い」とは言えない状況だった。

こう言う状況に成ればジタバタしても見苦しいだけで、もう吹っ切れてギャラリーの期待を裏切れない心境に喜美子が成っても自然の流れである。

此処での公開性交は、ギャラリーに結合部分を見せて姦淫ムードをるのが煽(あお)ルールだから、輪姦(まわ)される間は喜美子は大股開きで脚は閉じない。

股間を貫(つらぬ)かれた欲棒のカリ首が、堪(たま)らない程に激しく抜き挿しされて、思わず快感を貪(むさぼ)る喜美子の無意識な腰の動きが艶(なまめ)かしい。

カリ首が喜美子の下半身の内壁を擦(こす)り、快感に顔が強張(こわば)る喜美子のその汗に濡れた表情が眩(まぶ)しい。


喜美子は、入れ替わる男達の好みに応じて素っ裸で操(あやつ)られ弄(もてあそば)れながら、ギャラリーに結合部分を見せる大股開きで輪姦(まわ)される公開性交を勤めている。

それは他人の欲棒が抜き挿しされている自分の股間の結合部分に夫・生島の熱い視線を感じるのだから、喜美子が二重に興奮しても仕方が無い。

ヌメヌメとした感触と伴に抜き挿しされる坊主頭のカリ首が、喜美子の内壁を擦(こす)って堪(たま)らない快感刺激が脳に伝わって来る。


妻の喜美子が他人に抱かれている光景を見るのは、生島には初めての経験だった。

ハァハァと荒い息使いが口から洩れるその恍惚の表情は、生島が始めて目にする妻・喜美子の別の女の顔だった。

だが、いずれにしても今は他人の欲棒を股間にズブリと咥(くわ)え込まされた妻の喜美子の腰が、快感を貪(むさぼ)るがごとく生々しい抜き挿しの動きを、肉花弁を捩(よじ)らせながら夫・生島の目の前で見せ、生島を思わず勃起(ぼっき)させている。

生島は、腹を決めた自分の妻がこんなにも堂々と他人前(ひとまえ)で性交をして見せるとは想いも寄らなかった。

しかし妻の喜美子は、股間にグサリと他人の欲棒を嵌(は)め込まれ、肉花弁が捩(よじ)れるのも構わず受け腰を使い、快感を貪(むさぼ)るがごとく生々しい抜き挿しの動きを生島の目の前で見せている。

恥ずかしいのは最初だけで、全ての意志を放棄した性玩具(おもちゃ)として夫の目の前で醜態(しゆうたい)を晒(さら)し、口には出せない卑猥(ひわい)な行為を丸見え状態で犯ってしまえば、後は怖いも恥ずかしいも在ったものではない。

その性玩具(おもちゃ)として夫の目の前で醜態(しゆうたい)を晒(さら)す事が出来て、性接待の愛奴隷としての格好の良さも在るのだ。

例えラレックス製の大人の玩具(おもちゃ)でも、見ず知らずの他人の欲棒でも、抜き挿しされれば肉体(からだ)は感じるように出来ている。

だから無理もないのだが、喜美子は執拗(しつよう)に輪姦(まわ)されてイキ続けさせられ、息も絶え絶えに疲れて他人(ひと)の目を憚(はばか)る余裕も無く大股開きで伸びてしまった。

仕上げに石上が、散々に喜美子を突き倒した欲棒のカリ首頭で、欲棒のカリ首頭でイッタ後の敏感に成って居る喜美子の実(サネ/花芯ボタン)をヌラヌラと擦(こす)る。

すると喜美子は、耐えられない表情で断末魔の善がり声を漏らし、腰を振りながらガクンガクンと身震いする。

これが息つく暇(ひま)無くイカされ過ぎて荒い息をし、呼吸を整えている喜美子への輪姦プレィの堪(たま)らない「とどめ」になる。

肉体(からだ)は正直な物で、この隠せない喜美子の充分にイッている「とどめの性反応」が犯る者観る者のこの場の醍醐味なのだ。



今、この建物の一階は、そこかしこで女達の善がり声が上がって非日常の猥褻(わいせつ)な空間が支配している。

何度か組み合わせが入れ替わり、何時(いつ)の間にか何人もの男が喜美子を抱いていた。

最初は不安で一杯だった喜美子も、考える余裕も無い無我夢中の中に在って要領が判ると喜美子の顔から緊張も悲壮感も消えて行った。

喜美子だけではなく、今、女性達は全て乱交の渦中に在る。

男達は欲棒を硬くしてうろつき回り、女達は愛液を花弁の奥から滴らせて、貫抜(つらぬか)れるのを待っている。

一時の間は、手の付けられない乱交状態だった。

暫くするとそれも止み、全体が一服休みの雰囲気に包まれた。


最初は、「この人達、何でこんな真似を?」と驚きました。

でも、それ所ではない程、私の気持ちが追い詰められていました。

それに親友の里美が、私(喜美子)に隠すでもなく積極的にその輪の中に居ました。

そして、岩代さんに「資金繰りの苦労、裸になってパッと発散しなさい」と囁(ささや)かれたのです。

今まで、何事にも頑(かたく)なでしたから、「恥じをかくまい」とそればかりを思っていました。

フト、「何もかも曝(さら)け出せば楽に成れるのだ」と言う気に成りました。

どうせ、失う物が無い状態まで追い詰められて、とにかく楽に成りたい気持ちが強かったのです。

バカだったのですね。それでも、頑(かたく)なに「恥じをかくまい」と、無駄な抵抗を続けて、ニッチもサッチも行かない事に成りました。

岩代さんに囁(ささや)かれて、ハッと気が付いたのです。

郷に入れば郷に従えで、こんな場では幾ら理不尽な要求でも「私(喜美子)には犯れない」等(など)と、とても逆らえ無い雰囲気だったのです。

夫もあの調子ではこれは承知の上の事で、こうなれば覚悟を決め満足するまでメンバーに身を任せて犯されるしか無いのです。

生まれ変わるには、「恥じをかく所」から始める必要が有ったのです。

主人は「承知の上だ」と言い、それなら叱(しか)られる心配も無いですし、周りも皆「承知の上」の様でした。

だから私(喜美子)、決心して生まれて始めての公開ストリップをし、薄い肌色のレースのパンティを脱ぎ落としたのです。


そう言えば夫の生島が、京美企画に救済されて一緒に仕事をするようになれば、「今までの様に甘い気持ちでは勤まらない、それでも助けて貰うか」と言って私(喜美子)に妙に念を押していたました。

営業のサポートで「接待係をする」と言う事はこう言う事で、夫もそれを了承していたのです。

覚悟は決めていた積りでも正直私(喜美子)、素っ裸で里美のご主人(社長)の所へ歩く間は心臓がバクバクするくらいの驚きと不安で一杯でした。

でも、確かに幸せは空から降って来るものでは無いのですから、肉体(からだ)を張ってでも自分の努力で掴(つか)まなければならないものです。

情況からして、此処で考えたって仕方が無いのです。

しかも考えて居る間もなく素っ裸にさせられて、私(喜美子)は里美のご主人(社長)に宛(あて)がわれてしまったのです。

そうなれば犯る事は一つで、精一杯満足させねば成らない事は理解しました。

最初は恥ずかしくて全身が赤くなる思いだった私(喜美子)ですが、里美のご主人(社長)の生身の欲棒を咥(くわ)えてシャブった頃には、その現実に不安も吹っ飛んでいました。

里美のご主人(社長)の指先が私(喜美子)の太腿(ふともも)撫で回し、コソバユイ感触が脳みそを串刺しにして脳に伝わって来ます。

サワサワと鳥肌が立つような感触で奇妙な感覚ですが、私(喜美子)には耐える意外に選択肢は無く、撫で回される事を抗(あらが)う訳には行きません。

それが異常なシュチェーションなだけに、「アァ、自分(喜美子)がこんなに助平だったのか」と驚くほど感じるのです。

究極の恥をかけば、私(喜美子)も強い女に成れる筈(はず)で、最後に残っていた「貞操観念」を捨てればもう物心共に丸裸です。

それは私(喜美子)も、子供まで産んだ女ですから、男の前で裸に成れば次に何をするか位は知っています。

只、「貞操観念」が邪魔していただけですから、それを捨てれば出来ない事はありません。

嫌悪感など感じて居る間は無かったのです。

そこから逃れられない状況を前提に、異様な環境に置かれて思考が混乱しました。

それでも、心のどこかに「この仲間について行かなければならない」と言う瀬戸際の思いは在りました。

「無我夢中状態」とはそう言うもので、余裕が無く成ると抗(あらが)う間も無く罠に落ちてしまいました。

女の感性は複雑で、私(喜美子)は認めたくは無かったのですが、「イザ犯ってしまった」と成ると私(喜美子)の女の心理部分が頭をもたげ、陵辱への期待に肉体(からだ)が反応して、私(喜美子)は子宮がジーンと熱く成って来るのを感じまた。

私(喜美子)は「夫が了解済み」と気が付いたその一瞬で、「女の貞淑」に対する脅迫観念から開放された思いでした。

複雑な心境ですが、現実を採(と)れば私(喜美子)にも「仕方が無い」と思えます。

もうその後は、私(喜美子)が後悔する間も無くドンドン物事が進んで、流れに身を任せるより仕方が無かったのです。

稼業である生島不動産の苦境が続いて、色んな意味で我慢の日々が続きました。

所が、我慢すればするほど気力が失せて、深みに填(は)まるばかりです。

人間は「我慢」とばかり言って抑えてばかり居ては気力を失い、ろくな事が無いのかも知れません。

その意味で心を開放する為に過去を捨て、生き方そのものを変えなければなりません。

人前で素っ裸に成り、他人に抱かれて全てを晒(さら)し、性的に自由な気持ちで出直しをした事が気持ちの区切りとなり、深刻だった精神状態の開放に繋がります。

里美のご主人(社長)やその他の何人かに、夫(生島)の前で抱かれてしまいましたが、「悩んでも仕方が無い」と抱かれる度に心が開放されて行くのを感じました。

私(喜美子)の脳に、股間の内壁を擦(こす)り続けるカリ首の刺激が、トロケるように伝わって来ます。


元々遠慮がある理由は、夫に対する忠誠心的な配慮と世間体だけです。

正直に本音を言うと、夫の生島相手の単調なSEXと違い、背徳の香りがする皆さんとの遊びのSEXは、行為が卑猥(ひわい)で有るほど脳を刺激し、興奮と刺激に拠る濃厚な快感を味合わせてくれました。

女の体は、心を解き放てば相手構わずの性交でも犯れば感じるように出来て居るのですね。

「夫(生島)や皆さんの見て居る前」と言う凄い刺激的なシュチエーションで、里美のご主人(社長)に抱かれて、私(喜美子)はあえぎ声が掠(かす)れるほどの強烈な快感に、ドーパミンで脳みそが溶けるような思いがしました。

犯り初めてしまえば度胸が着き、後は求められるに任せて相手が誰彼の見境はありません。

思えばこんな快感は望んでも夫が許さなければ中々出来ない経験で、ある意味幸運に感謝すべきかも知れません。

正直、衆人看視の丸見え状態の究極の羞恥環境の中で、全ての意志を放棄した性玩具(オモチヤ)として相手構わず犯られて見せる被虐感(ひぎゃくかん)が、私(喜美子)の脳みそをトロケさせ、思わず私(喜美子)に貪(むさぼ)るがごとく生々しく腰を使わせます。

細かろうが太かろうが短かろうが長かろうが、ありとあらゆる欲棒が私(喜美子)の事などお構い無しに挿し込まれて、私(喜美子)の肉花弁を巻き込みながら抜き挿しを繰り返し、勝手に満足(射精)して次と交代するのです。

張り詰めたカリ首頭のエラが次々に私(喜美子)の内壁を容赦なく擦(こす)って、休む間が無いマックス(絶頂)が私(喜美子)の肉体(からだ)を震わしながら続いています。

でも、大勢の男達に連続して犯られる事を「アンハッピィ(不幸)」と思うか「ラグジュアリー(贅沢・豪華な様)」と思うかは、結局私(喜美子)本人の性感次第なのです。

そう、私(喜美子)が欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を夢中で使うアスリート・ハイ(恍惚忘我)状態に陥れば、アンハッピィ(不幸)などとは思わないものです。

次から次に私(喜美子)の肉体(からだ)の穴と言う穴に面白そうに笑いながら他人(ひと)の欲棒がグサリと突き入れられ、露出性交行為の興奮と快感と伴にカリ首の頭やエラが口中だろうが女性器だろうがア*ルだろうがお構い無しに肉壁を摩擦して来ます。

夫の生島がア*ル好きで使い込んで居たから良かったものの、初めてで行き成だったらと思うとゾッとします。

まぁこの肉体(からだ)の反応を素直に取れば、人生に於いて「快楽を楽しむ事は罪ではない」と言う事で、神が人間の脳に与えた擬似生殖の行為が快楽の性交ならば、「楽しみ方を探求しても良いのかも知れない」と、段々に思い始めていました。


「案ずるより産むが易し」と言うが、犯って見ればサバサバしたもので、喜美子は「何で今まで貞操に拘(こだわ)っていたのか?」と思い知らされました。

肌触り、肌の温もりは無言のメッセージで、それを供する事は相手に対する最大限の誠意であり、今度は私達夫婦の支配者になる親友の里美の旦那様(社長)とも、まるで魔法のように一瞬で垣根が消えました。?



まだまだ変態修行が足(た)りないのか、私が「いきなり喜美子に犯らせて大丈夫か」と危惧(きぐ)した事は、杞憂(きゆう)だった。

人間が納得した思考(意識)を基に行動をする行動形態学上の基点を「アンカリング効果」と言う。

つまり人間は、納得した思考(意識)に錨(いかり/アンカー)を降ろしてしまうと、そこから中々抜け出せない。

同時に、人間には「思考(意識)と行動(行為)を一致させよう」と言う行動形態学上の要求がある。

つまり人間は、自分の思考(意識)で自分を縛り、「柔軟性の無い考え方」を基に生きているのである。

喜美子に変態性行為が出来る出来ないは、その思考(意識)と一致して居ないから「納得出来ない」と言う事で、裏を返せば思考(意識)を変えてしまえば、「到底出来ない」と思う変態性行為が出来る様に成る。

つまりこの理論、「思考(意識)と行動(行為)の一致」を逆手に取ると、喜美子の思考(意識)を変えるには、例え少し強引であっても行動(行為)の方を先に体験させる事である。

一度行為を体験してしまうとその体験に「正当性を与えよう」と言う意識が喜美子に働き、思考(意識)の方が現状に近付いて来る。

論より証拠で、どんな変態性行為を楽しんでいても人間の考え方(思考/意識)は人それぞれだから、その人を他人が批難する事は出来ない。

喜美子夫婦が我々の仲間に成る為のこの誓約(うけい)に求められるのは、仲間内でのセックス・セッション(乱交)である。

誓約(うけい)のそもそも論は「対立の解消」にあり、その究極の証明形体が契(ちぎり/性交)に拠るコンプライアンス(要求や命令への服従)の実践である。

セッションには(協議や会議)の意味もあり、言わば「語らい」である所から、性行為を通じて親近感を醸成し「意志を通じ合う」と言う意味もある。

つまりセッションは、解り合える為の究極の手段なのである。

一度体験してみないと理解出来ないかも知れないが、「セックス・セッション(乱交)」には真反対のコンプライアンス(要求や命令への服従)の実行に拠り心の悲鳴を晴らす気晴らしの側面がある。

そしてそれは、喜美子を性奉仕の愛奴隷に変身させる第一歩だった。

あの顔付きなら、喜美子はこれからも犯って行けるだろう。

その爽(さわ)やかな顔付きから、喜美子が何かを思った事は伺えるのである。

愛情と性交をセットにして考えるから思考や行動の範囲が狭くなる。

しかしそうした単純な縛りは単なる独占欲に過ぎないから、大人の対処としては思考の壁を突き破って生島喜美子がそこを使い分ければ問題は解決する。

元々性欲に於ける男女の仲は元々自然界に於ける性交相手は限定的ものでは無く、本人が認識していない無意識脳に於ける意識では右脳がリード(導く)するのだから、命を繋ぐ生き物としての人間の本性は性交好きで当たり前である。

喜美子本人が「世間の常識」とする性交に対する嫌悪感も罪悪感も、単純に気分の問題だから本人の気分が変われば実は何とも無い。

そして他人相手の遊びの性交も、数を重ねれば慣れで嫌悪感も罪悪感も麻痺して来るだろうが、それが生島喜美子本人にとって悪い事だろうか?

夫婦揃っての堂々の遊びで背徳の官能を身を持って知ってしまえば、次に「また犯ろう」と声が掛かる頃には喜美子はそれを聞いただけで子宮をジンとさせる淫乱に変身を遂げている筈である。


喜美子の挨拶代わりの輪姦(まわし)は終わった。

同じ相手のリピート(繰り返し/再性交)も在ったから、喜美子はいったい何本の欲棒に肉体(からだ)の中心を貫抜かれ、犯られ責められた事か。

続け様(さま)に二時間に渡る壮絶な輪姦(まわし)の激戦の官能の時間が過ぎた後は、心地良い疲労感と伴に喜美子の股間にはまだ何か突き刺さっているような感覚が残っていた。

犯られてしまって正直言うと、喜美子はおシャブリも腰使いも上手く犯れて相手を満足させたのだから、内心「結構満足が行く出来(デキ)だった」と想った。

禁断の露出公開性交だからこそ、他人前(ひとまえ)で此処まで激しく犯れば上出来(ジョウデキ)で、仕掛けた夫(生島)に褒めて貰いたいくらいだったが、癖に成りそうな想いも芽生えていた。


座が落ち着いて、それぞれが息を整えにソファーに落ち着くと、喜美子が下着を捜したが、細君が片付けて見当たらない。

それに、この場の女性は誰も衣服を身に着け様とはしていない。

それで、喜美子は漸く自分の立場に気が付いた。

この場で女達に衣服は不要なのだ。

細君が遣って来て、喜美子に「今から里美さんが、舞台の上で皆に輪姦(まわ)されるから、良く見て置きなさい。」と、耳打ちした。



男はバカな動物で、視覚から興奮に入る。

つまり女性の肌や裸を見て興奮するのだが、女性は現実的で、肉体的刺激を受けて初めて興奮に至り快感を感受出来る。

しかるに、妻は肉体的刺激を最初から拒否していたのだから、私は妻との性行為に手を焼いた。

その妻の性的拒絶を、見事解き放ったのが岩代夫婦であり、今では、男の自然本能「見て興奮する」に相対する女の本能「見せて気を引く楽しみ」を、妻は学習的に知ってしまったのである。

舞台上に、生け贄の社長婦人が(妻・里美)が、美しい素っ裸の裸身を誇るように上がって来た。

浴びる視線を感受するように歩き、妻のさほど大きくは無いが美乳の部類に入る両乳房が、歩く度に柔らかそうに上下に揺れている。

足が長く、ウエストはくびれ、草むらが生えてなだらかな丸みを帯びる柔らかそうな丘が、恥ずかしそうに膨らんで見えている。

妻(里美)の肉花弁は見るからに小さ目で、厚さは並程度の可憐なものが二枚、短い恥毛を絡ませて貝が閉じるような見栄えで着いている。

花芯ボタンは、薄いピンク色した小豆(あずき)大の大きさで、さほど目立たなかった。

ウエストに宝石入りのチェーン、首にダイヤを散り嵌(は)めたネックレスをして豪華に飾って居るが、ネックレスの上から皮の犬首輪が巻かれ、リードが繋げてある他は全くの全裸で、女性の全てのパーツが隠す事無く晒(さら)されている。

いよいよ、開所式輪姦祈願の始まりとなる。


(壮絶な輪姦祈願)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十七話(壮絶な輪姦祈願)


朝からすがすがしい目覚めで、今日は始まった。

春日選りの良い日だった。

何時からだったのだろうか?その美しさを忘れていたのは。日の光は明るく、風は暖かく、青空はこんなにも美しい。

今日と言う何の変哲も無い日に、私は何をやっているのだ。

日常がひっくり返ってしまうと、良くしたもので行き成り波乱の日々が始まるものだ。

おかしな言い回しではあるが、人間の人生なんて何の変哲も無い事が幸せなのか?
それとも、怪しく魅力的な日々を、辛くても幸せに生きるのか?
恐らくそれくらいの違いしかないのだが、何故か大げさに考えるのが人間である。


妻の支度を待ちながら酒(焼酎の水割り)を飲み始めると、そんな私が暇そうに見えたのか竹中が声を掛けて来た。

「社長、奥さん良くなったな。わしも腕に選りを掛けて楽しませて貰ったが、仕込み甲斐が有ったと言うものだ。」

「しかし竹中さん、岩代君から持ちかけられた時は、こんなにトントン拍子に事が進むとは思いませんでした。」

「奥さんの変身が意外だったかね?」

「そりゃそうですよ。こうなる前の内の奴は身持ちが病的に固かったのですから。それが大変身ですからね。」

「社長は乱交などと言うと、飛んでも無い不道徳な事と思っているだろうが、この国は昔から伝統的に乱交の国だったからな。」

「昔から伝統的に乱交の国・・・・良く判りませんが?」

「歌垣(うたがき)じゃよ。」

「それは何ですか?」

「万葉集の時代にな、歌垣(うたがき)と言う公式なスワッピング乱交の場があった国じゃ。」

「公式なスワッピング乱交の場ですか?」

「正確に言うと、この国は実り・・・つまり豊穣/生産祈願には性交を持って祈願する国でな、その時は夫婦だろうが独り者だろうが、詠み歌を交わして相手を探(さが)し合うのじゃ。」

「へ〜、そんな風習が有ったのですか?」

「今から解説してやるから、良く聞きなさい。」

そもそも儒教が入る前の列島の国・大和(日本)は、元々、歌垣(うたがき)の風習に代表されるように性に対して開放的な習風俗の国だった。

万葉集(巻九)の高橋虫麻呂が詠んだ歌に「率ひておとめおのこの行きつどひかがふ嬥歌」に 「他妻に吾も交はらむ 吾が妻に他も言問へ・・」は、「男女を率いて集い行き、自らが人妻と交わり、わが妻も他が言い寄っている」と歌垣(うたがき)の開放感を詠んでいる。

こうした歌を堂々と発表出来るほど、当時の性は開放的だった。

この歌垣(うたがき)、春の予祝(実り・豊穣/生産祈願)及び、秋の実り(豊穣/生産)の感謝行事としての性格を持って始まり、春秋の特定の日時に若い男女が集まり相互に求愛の歌謡を掛け合い性愛の相手を選ぶ風習俗である。

どうやら歌垣(うたがき)の源は南方文化らしく、同様の風習は中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる所から、所謂原ポリネシア系縄文人か海人族(呉族)系氏族(征服部族)が持ち込んだ「南方文化」と考えられるのである。

古代日本における歌垣(うたがき)は山頂、海浜、川、そして市などの境界性を帯びた地が場所に選ばれ、特定の日時と場所に老若男女が集会し共同飲食しながら歌を掛け合う行事であり「性の解放を伴っていた」とされる。

その歌垣(うたがき)の風習が民衆の間で広く行われていた事が歌集「万葉集」などに拠り伺う事が出来る。

つまり古代日本において、万葉集の時代に歌垣(うたがき)の性風習が存在した訳である。

この歌集・万葉集の時代とは仏教が伝来し蘇我氏と物部氏がその取り扱いを巡って争った五百二十年代から平城京遷都後十年ほど経た七百二十年の二百年間を言い、儒教が入る前の列島の国・大和(日本)に広く長く存在した性風習で有った事は間違いない。

歌垣(うたがき)の記述は、「万葉集」の他に「古事記」・「常陸国風土記」・「肥前国風土記」などにも見える。

その習風俗は日本列島の広い範囲に分布していた痕跡があり、現代でも沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣(うたがき)の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣(うたがき)の遺風が見られる。

長く続いた歌垣(うたがき)の風習俗も、次第に流入する新しい大陸文化の影響で平安時代から鎌倉時代を経て消滅の過程を辿り、近世になって、儒教道徳が氏族社会(貴族・武士)の生活意識を支配し始める事になる。

足利時代に成ると南北朝並立の経緯から北朝方と足利氏が勢力を増し、仏教に儒教が習合されて「氏族(貴族・武士)社会」は禁欲的な方向に傾倒して行くが、庶民社会(民の社会)は性に対して開放的な感覚を維持し続けて明治維新を迎える。

儒教精神を基とした「固定した身分制度・封建社会」に抗していた民衆の武器が、思想や道徳に囚われない人間の恋愛感情や男女の交情であったから、民衆の風俗思想は性に対しては寛大であったのである。

「なるほど、時代時代で倫理観は違うものですね。」

「だからな、わしは岩代君が会社の反映を願ってスワッピング乱交の場を作るのが、言わば豊穣/生産祈願の現代の歌垣(うたがき)じゃと思っている。」

「その祈願は、効果がありますかね?」

「それは今に判るわ。暫(しば)らくは着いて行ってみなさい。」


男性の視覚本能と女性の露出本能を同時に満足させる手段が、セックス・セッション(乱交)である。

結論から言えば、見る喜びと見せる喜びをどう演出するかのゲームで、セックス・セッション(乱交)は外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い非日常の性行為だからこそ本能を満足させ興奮するのだ。

妻の里美は今、生け贄の開所式輪姦祈願の輪姦態勢を、全裸で固定セットされている最中だった。

岩代はこの接待ルームに、滑車とギア(歯車)を組み合わせて二本のチェーンで平行に横に渡した鉄パイプを上下させる設備を設(もう)けていた。

その平行に横に渡した鉄パイプに、女性に両手を広げさせた形で腕を十字にパイプ固定して半吊り状態にする吊り下げ設備である。

この時妻は、細君(京香)の指示で両脚を後ろに下げ、高さ七十センチ程に下げられたパイプを背負う形で舞台上に前屈みを強いられた。

ちょうど台潰しの台が、素っ裸で両手を広げてパイプに固定された形で足を広げ、尻を突き上げる様に見物席に向けて居る。

妻の花弁が開き気味の秘所は後ろから丸見えで、心なしか湿って居るように光って見えている。

妻は今、期する所が在って自らが選択した試練に立ち向かっている。

ギリギリとチエンギアの音がして、ユックリと向きが九十度変わった。

妻の十文字に縛られて尻を突き出した前屈(まえかが)み「くの字」の姿勢と顔が横向きに見て取れる様になった。

この体勢では、妻にあらゆる選択の自由は無い。

妻の全裸半吊るしが完成して、このSM的なビジュアル(視覚的)効果は、これから起こる事を予感させる怪し気な期待の熱気で、奇妙な空気が会場に充満していた。

前屈み「くの字」の尻を突き出した姿勢は、来るものは全てその股間に受け入れる為の被虐的姿勢で、見る者も興奮させられる。

高さ二十センチほどの舞台上と、私の座るソフアーの距離はニメーターくらいで、さして距離は無い。

スポットが当たっているから、舞台上の妻の姿は浮き上がって良く見えている。

細かい所までは無理だが、角度が邪魔しない視覚の範囲では、正に「ガブリ付きの臨場事」と言える。

妻の里美は、これから輪姦祈願を受ける事に成るのだが、これは男には出来ない芸当である。

肉体的な構造の為に、一度上り詰めると中々次ぎに続かない男性と比べ、女性には連続しても性交に応じられる構造的な耐久力と持久力がある。

神懸りに成るには究極の興奮(ハイ)状態が必要だが、ランナーズハイのように成れる突き抜けたSEXハイの状態まで性行為が連続して継続出来るのは、女性の肉体だけである。

呪詛巫女の永い歴史がある事から、歴史的に見ても呪術に拠る光臨は女体に齎(もた)らされるものかも知れない。

日本人は「協調性の人種だ」と言うが、私は大いに賛成である。

第一に、周りが全てこう言う卑猥な雰囲気になると、全員が同調して過激な輪姦現場に居合わせても、誰も眉をひそめて奇麗事を言う者は居ない。

本音で言えば、皆が輪姦される女(妻の里美)がどう反応するのか「興味津々」で、こんなに楽しみな見世物は滅っ多に無い。

つまり、皆で渡ればの安心感で、他人が「自分をどう思うか」と言う不安が無ければ、建前の格好をつける事も無い。

こうした仲間内の遊びでは雰囲気が大事で、陰湿なものより明るい乱交が雰囲気が良い。

むしろその輪姦光景に面白がって目を輝かし、全員がノリノリで積極的に楽しんでいる。


京美企画は、発展を続けています。

しかし、どんな仕事でも進化し続けなければ、発展はそこで止まるのです。

ですから、「恥ずかしい」などとは言っては居られません。

ノーパンティも、最初こそスースーして違和感がありましたが、履くのは単なる癖のようなもので、慣れるとそのスースーが気持ち良く、時たまパンティを履くと気持ちが悪いほどに成りました。

京美企画の接待奉仕は、例えSMプレィでもオシャレで官能的でなければなりません。

接待の先頭に立つ私(里美)が、常に新しいニーズに応える開拓者でなければ、思い切った進化は続けられないのです。

だからこそ私(里美)は、この場に身体を投げ出しています。

今、私(里美)の裸体は大勢の視線に犯されて、私(里美)は羞恥心で興奮しています。

この、見られる恥ずかしさの興奮は、実は、私(里美)が育った過程で育まれた懐かしい感覚です。

物心ついた時から習っていた水泳も、私(里美)が成長するに連れて女らしい体型になる頃には、観客の刺さる様うな視線が刺激的で気に成ります。

何しろ、股の恥丘の丸みの膨らみやウエストのくびれ、体型がはっきり判る競技用のハイレグ水着で、太腿は付け根まで生丸出しです。

最初は羞恥心による抵抗感が有ったのですが、やがて高校の二年生に成る頃には、その観客達の、太腿の付け根に刺さるような視線に晒(さら)される刺激が、密かに楽しみになります。

試合前後の興奮時には、いっその事観客の前で、全裸で泳いでやりたい妄想に駆られました。

勿論、そんな事は出来ないと自制心は有りますが、「全裸を見せてみたい」と妄想をするほど、見られる恥ずかしさの興奮は、感じていたのです。

何しろ「花も恥らう」と例えられる高校時代の奇妙な衝動で、当然ながら、誰を相手にしても「観客の前で、全裸で泳いでやりたい」と言う衝動に駆られるなどと口には出せません。

そんな思春期の秘めたる記憶が、思い出されます。

こう言う事に成って考えて見ると、私(里美)自身が知らなかった私(里美)の性分が、この接待の経験で少しずつ洗い出されて来るような気がします。

どうやら私(里美)の性分は酷くM性が強い様で、何と無く命令される事に安心感を抱(いだ)きます。

だから性奉仕の愛奴隷が、私(里美)にピタリと「嵌(はま)ったのではないか」と思います。

そう言えばキミチャンは、水泳コーチの事を「あのコーチは嫌らしい」と時々悪く言っていました。

私(里美)が晩生(おくて)だったのか、コーチには指導名目で水着の上から身体に触られましたが、別に疑問も抱かずにさせるがままに成っていたのです。

本当は、高校生活時代にはその徴候が顕(あら)われていたのかも知れません。

大会で、ハイレグの水着姿を見られる事も意識して興奮していたし、今考えると、密かにコーチに触られ事を楽しんでいたような気がします。

それに私(里美)、性分で「コーチに逆らう」何て事は出来なかったのです。

キミチャンと違って、身体を触られても苦情を言わない私(里美)は、何だったのでしょうか?

それにしても、最近の競泳水着は記録優先で色気が無くなりました。

今日の開所式は、その若い頃の密かな露出願望が、やっと遂げられたのかも知れません。

私(里美)は今、京美企画接待部の部員で、性奉仕の競技者です。

岩代さんは監督、京香さんはコーチ(指導員・調教者)で、素直に言う事を聞いて色々教えを受け、良い競技者になるべきなのです。

キミチャン(喜美子)は、中学高校と妻と同じ水泳部で記録を競っていた友人です。

岩代さんの話を聞くと、どうやらキミチャン(喜美子)も接待部の部員として参加し、私と同じ様に競技を始める事に成りそうです。

あれあれ、見たらもうキミチャンは岩代さんに脱がされて、内の主人に犯られて居ます。

これは「全てに通じるものだ」と思いますが、何事にも、「仕事や競技は無心夢中でこなす方が結果は良い」のです。

それほど甘くないのが「世間」と言うもので、余り不服にばかり思ったり、下手な野心の駆け引き(邪心)を持ったりして仕事や競技をやっても、そんな事は通用しないのが現代の世の中です。

どんなに取り繕(つくろ)っても、邪心があれば相手に伝わるものです。

その仕事や競技に成功したかったら、肝心なのは姿勢で、まずは自分の仕事や競技を好きに成り、無心夢中でこなす姿勢に越した事は無いのです。

この接待修行も、一方的に相手に奉仕しているようで、そうでもないのです。実は、自分も救われる思いがあります。

それに気付けば、苦もなくこなせる様に成ります。




遊びの性交は、元を正せば非繁殖目的の「擬似生殖行為(快楽性交)」で在って、他の動物のように繁殖期を持たない年中発情の人間種独特のものである。

そして年中発情の人間種の本能が満足を求めて遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそあらゆる性癖が発生して次第にエスカレートする。

その「擬似生殖行為(快楽性交)」が脳の活動に組み込まれているからこそ、人類の皆が「性」に興味が在って、「尋常な性交など詰まらぬもの」と言う共通意識が密かに育つのが人間である。

接待相手は大切にしなければ成らず、勿論接待を犯る以上は愉しく遊んで貰わなければ成らず、愛奴隷の妻には半端な事はできない。

此処は善がり声を抑(おさ)える必要など無い場所だった。

まぁ妻も、他人前(ひとまえ)で晒(さら)し者の素っ裸に剥(む)かれて、不安に頼り無い想いをさせられて居ては、今更格好付けても仕方が無い。

「この先は長い。今日はまだ序の口だ、ジックリ味わいなさい。」

こう言う事は妻の犯る気次第だが、行き成りの長期化宣言だった。

それにしても、一人の女性を躾(しつ)けの為に結束して攻め挙げ、仕上げるには仲間内の連帯感の絆も生まれるものである。


サーカスは古代エジプト時代に始まり、ローマ時代にその原型がなされた動物を使った芸や人間の曲芸など複数の演目で構成される見世物の事である。

一般的に円形劇場や天幕劇場などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られる。

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)も複数の演目で構成される見世物と言えない事も無い。

まぁ、群集が取り巻いて見下ろす中での「公開輪姦嬲(こうかいりんかんなぶ)りのプレィ」も、ある種のサーカスかも知れない。


妻のセッティングが終わって、学生の大半が舞台から降りて来た。

「君らも酒を飲め、これからは君らにも頑張って貰うからな。」

「押忍、押忍、押忍。」

「今から開所式を行おうと思います。これからする事は忌み祓いと言う意味があります。ここに居る十六人が全員もう出来ない、と言うまで止めない決まりです。それじゃあ社長・・・・。」

「じゃあ、開所式を初めて下さい。」

私の、実にシンプルな挨拶で、それは始まった。

「まず始めに、御出席の皆さんの好みもございますので、ご希望の方にア*ルもお使いいただける様に、公開洗浄を行います。」

私も妻も聞いては居なかったので驚いたが、岩代は勝手に段取りを決め、最初に「浣腸」を公開するらしい。

もっとも控えている間に、細君(京香)が手伝って既に洗浄は済ませているから、ここは衆人観視の中で「晒(さら)し者にする」と言うショー的な要素が強い。

用意したぬるま湯を太いガラス注入器で五本分、細君が助手の学生から受け取り、次々とア*ルに注入し、真横から見える妻の腹が、見る間に丸みを帯びて膨らんで行く。

口をパクつかせて苦しそうな妻を、ア*ル栓をして三分程待たせて噴出させた。

始め、妻の「ウワー」と言う悲鳴と伴に凄い勢いで噴出し、その後何回も断続的に、空気音交じりに吹き出てきた。

喜美子は友人のあられもない姿に驚き息を飲んだが、大半の観客は歓声を上げた。

ア*ルを使う時にメンバー御用達で使うのが殺菌剤入りのハンドクリームで、男性の欲棒と女性のア*ルに塗布するのは立会いの女性か、愛奴隷の亭主の役目である。

男性の欲棒は順次立会いの女性がクリームを塗布するとして、妻のア*ルには私が塗り込んだ。


後始末が終わると、イヨイヨ妻の輪姦劇が始まる。

竹中にしても田嶋や石上にしても、要は間違いなく妻(里美)や岩代の細君(京香)の肉体(からだ)に投資しているのだ。

「竹中さんからどうぞこちらにお上がり下さい。」

細君(京香)が竹中を舞台に呼び上げ、彼の欲棒を、あの上唇がやや薄い魅力的な受け口で咥え、硬くさせる作業をしている。

竹中は細君に奉仕されながら、妻の菊座の蕾もパックリ左右に割れた二枚の肉の花弁も丸見えの股間に手を遣り、潤い具合を確かめた竹中が感心して言った。

「おぉ、社長良くしたものだ。奥さんの此処はもうビショビショだ。」

まな板上の「鯉」の表情で、私からは見て確認出来ない竹中の手を、股間に受けて居る妻の不安そうな顔が印象的だ。

「よおーし。それじゃあ、お先に使わして貰うか。」

竹中が妻の後ろに立つと競り上がった尻の花弁に、硬くなった欲棒をズブリと入れて、ユックリと深く浅く、腰を使い始めた。

「おぉ、良く締まる。こりゃあ。天国だ。」

「アァー、アァー、アァー。」

早くも、妻の顔が快感に歪み、善がり声が部屋中に響き始めた。

「おぉ、こちらの使い心地もバツグンじゃ。」

竹中は、途中で欲棒を一旦抜いて入れ直しているから、こちらからは確認できないが、ア*ルの使用に切り替えたらしい。

その入れ直しの時は、妻の顔が上に跳ね上がり、「アッ」と言う切羽詰った様な声が漏れた。

しかしその後は調教の成果か、竹中の抽送に「アァー、アァー、アァー。」とまた善がり声を上げ始めた。

「締まる、締まる、こっちも良い具合じゃ。」

その横では、細君(京香)が田嶋を呼んで彼のカリ首に舌を這わせ、欲棒を唇でアグアグと咥(くわ)え、硬くさせる作業をしている。

次は、田嶋と言う訳だ。

竹中の腰の動きが早く成り、パンパンと妻の尻肉が鳴り始めた。

「アッ、アッ、アッ、アッ、アー、気持ち良いィー、竹中さん。アッ。」

妻が最初の「イク」に達した様だ。

「ウッ。」連れて竹中も達した。

「イクに達したから」と言って、妻に休憩はない。

竹中が身体を外すと、休む間もなく直ぐに田嶋が入れ替わって欲棒を押し込み、腰を使い始める。

田嶋にグイグイと突き入れられる度に妻の半開きに開けた口から「ハァ、ハァ。」と声が洩れ、うごめく妻の白い尻には玉に成って流れ落ちる汗が光り、乳房がユサユサと揺れている。

妻はもう安っぽいプライドなど曖昧(あいまい)に構(かま)っては居られない。

「生け贄にされている」と言う現場の雰囲気に乗って、妻はころげ落ちるように限界に達し、快感の享受に集中すればそのクィクィと言う腰使いに渾身の切れがある。

初めてでは無いので緊迫感は無いが、互いに気心が知れ安心感が漂っている。

「社長、竹中さんが言う通り、奥さんの中が良い具合だぞ。」

「アァー、田嶋さん気持ち良いィーです。アァー、アァー、アッ、アッ。」

岩代の狙い通り、休む間もない妻の善がり声が再び響き始めた。

快感に歪(ゆが)んだ妻の顔が、口をパク付かせて善がり声を上げている。

身体を固定されているから、妻の快感の逃がし所は声を発するしかない。

田嶋の、腰を入れた欲棒に後ろからグイグイと突かれる振動で、下を向いた二つの乳房が前後に波打っている。

傍(かたわ)らで、細君(京香)が石上の欲棒を口で咥(くわ)え、次の準備に怠り無い。

呆然と見守っていた喜美子に、「何をボーッとしいてる。良く見て居るか?」

竹中がソファーの隣に喜美子引き寄せて、「前を向いて目を閉じるな。」と命令し、身体をまさぐりだした。

刺激を与えながら、この輪姦を見物させる積りだ。

「アッ、アー・・・アッイク、イクゥー。」

妻が再び「イク」に達したが、まだ田嶋は汗を光らせて抽送を続けている。

「イッタ後」も抽送続けられて、刺激が強烈なのか妻の顔が口をパク付かせて、歪んでいる。

「オッ。」

漸(ようや)く田嶋が果て、妻から肉体(からだ)を外した。

直ぐに石上が妻の尻に取り付いて、固くなった物を捻じ込んだ。

固定されているから避けようが無い。

再び、深く浅く攻められて、妻の善がり声が始る。

男達は妻を休ませずに責め続けるのが、「忌み祓い」の呪詛エネルギーを出す「コツだ」と聞かされている。

妻の股間の潤いは増し、愛液が跡を作って太腿を伝っている。

「アッ、アッ、アッ、アッ、イ、石上さんイー、気持ち良いィーアッアッ。」

田嶋が帰って来て、喜美子の脚を大股開き(M字開脚)にソファーの上に乗せ、開いた花弁に指を入れて柔ら壺をかき回している。

竹中は喜美子の花芯ボタンをグリグリと弄(いじ)りながら、乳を舐めている。

男供に挟まれてお触り攻撃を受け、喜美子は身をよじりながらも、妻から目が離せない。

それを眺めている私は、今、細君(京香)のおシャブリを受けている。

どうやら次は私の番らしい。

細君が次々に男達の勃起をアシストしているが、その合間には、身動き取れない妻に、ボトル片手に近寄ってミネラル・ウォーターを補給する事を忘れない。

猛烈に喉が渇くと見え、妻はその都度ミネラル・ウォーターを旨そうに「ゴクゴク」と採る。

勿論、男供の攻撃を受け入れながらの水分補給で、その間も下半身は忙(いそが)しいままである。

岩代が解説するに、水分を補給しないと「身体が続かない」そうで、まるでフルマラソンみたいに過酷である。

「うっ。」と石上が達して肉体(からだ)を外した。

私の番が来た。

実は妻の滅っ多に無い善がり方に、私は十分に興奮していた。

妻の身体を労わるより気持ちより、自分の欲望が勝っていたのだ。

後ろから捻じ込んで、ユックリと味わう様に抽送を始めた。

「アァー、アァー、アァー。」

妻の善がり声が始まった。頃合を見て、私は腰使いを早めた。

「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」

妻が、簡単に何度目かの「イク」に達した。

しかし私はイッてはいない。

そのまま抽送を続けると、妻はもの凄い声を出している。

妻のその声を聞いた途端、「ウッ。」と、私も達した。

岩代が、次を引き継いだ。

彼はユックリと早くの腰使いを巧みにして、妻を攻め立てている。

「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ、アァー、アァー、アァー。」

一時の様子と違って、妻が少し元気を取り戻した様子だ。

妻に、明らかな変化が現れたのはこの時だった。

顔が恍惚の表情に変わって、岩代の抽送を噛み締めるように受けている。

「来た、来た来た。」岩代が叫んでいる。

「アァー、アァー、アァー。」

「奥さん良い女に成ったな。良い顔して犯られているじゃないか。」と竹中氏が話しかけて来た。

「いぇ、世間知らずでどう成るかと心配しました。」

「な〜に、立場を認識すれば能力は経験から引き出されるものだ。」

基本的に、性交が男女で愉しむ為のものなら、エンジョイ・トゥギャザー(ごいっしょに愉しみましょう)のソーシャルセックス(社交的な性交)と言う濃厚な遊びが在っても良い。

途切れないアクメ(絶頂)感覚に汗ばんだ全身を震わせながらも、多くの視線を感じながら、股間に見え隠れする欲棒に応じる腰使いも上手く犯って、大股開きに股間を広げ披露する。

その濃厚な遊びの味を一度覚えると、その女性は他人目(ひとめ)や外聞など「どうでも良い」と思えて来る。


本来、「行く(イク)」の意味は、「極楽浄土へ行く」と言う仏教思想から来た、国民合意でアクメ(絶頂)に達する事である。

ここまで犯らされる筋合いは無いかも知れないが、あのイッてもイッても相手が替わってまた犯されるあの物凄いアクメ(絶頂)快感地獄が、また味わえる。

イッてもイッても相手が替わってまた犯される快感地獄のエクスタシー状態(ハイ状態)とは、恍惚忘我(こうこつぼうが)のアクメ(絶頂)快感状態である。

宗教的儀礼などでは脱魂(だっこん)とも解説され、その宗教的儀礼に於けるエクスタシー状態の際に体験される。

その神秘的な心境では、「神迎え又は神懸かり」に相応(ふさわ)しく、しばしば「幻想・予言、仮死状態などの現象を伴う」とされている。

女性が本当に発情(興奮)すると、生臭い獣の吐息を洩らす。

これは内臓に至るまで興奮の信号が伝わっている証拠で、実はそこまで追い詰め無ければ女性は本当の快感は得られない。

それをこじ開けてでもこち込むのが、岩代の性交だった。

「ウッ。」

時間は掛かったが、先に岩代が果てた。

帰って来ると、「気を入れ過ぎて、持たなかった」と、苦笑いだった。

後でもう一度、仕上げをするそうだ。

細君(京香)の命令で喜美子が細君と入れ替わり、生島が妻の喜美子に欲棒をシャブられている。

次が生島の番なので、細君(京香)がそのウオームアップをさせる事にしたのだ。

親友を犯す亭主の準備を、妻にさせる趣向だ。

此処まで来ると、生島にも戸惑いは無い。

舞台に上り妻に取り付いて、欲棒を抽入し、深く浅く抽送を始めた。

「気持ち良いです。アッ、生島さん、アッ、生島さん。アッ、アッ、アッ、アッ。」


何しろ何人もの他人が臨場する開けっ広げの場なのに、信じられない事にこの陵辱行為に妥協など許されない。

世間では考えられない筈の目の玉が飛び出るほど過激なシーンが、妻をヒロインに平然とこの場で生々しく繰り広げられている。

「そう言うプレィをする世界が在る」と噂ではおぼろ気に聞いていたが実在し、今、妻はその世界の現実のヒロインだった。

ギンギンに張り詰めた他人の欲棒が、蛙(かえる)の脚様に足を開いた仰向き体制の妻に次から次に襲って来る。

前の欲棒が抜けて締まりかけた妻の柔ら壺の内壁を、次の欲棒のカリ首がまた押し分けて突き入って来てグィグィと突き立てながら一気加勢に追い込んで行く。

息も絶え絶えに、ガクンガクンと肉体(からだ)を反応させ「止めてもう嫌。」と言う口とは裏腹に、妻の腰の方はリズムを合わせて生々しく、確り受け腰を使って居る。

もう妻は性感に拠る忘我の境地に入って快感を貪(むさぼ)るだけで、周囲の事など気にして居る余裕などない。

連続性交は運動量が激しいから、妻の肌から汗が玉に成って溢れ裸身が照明でキラついている。

それで途中の水分補給は欠かせないが、それも欲棒を抽入されたままミニボトルを渡される徹底振りで、犯る事には妥協はない。


一度夫婦で経験してしまえば、夫婦だけでチマチマとしたSEXを犯るよりは、気持ち良いマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)を犯った方が愉しいに決まっている。

正直、乱交の虜にしてしまう程の衝撃的快感をマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)で味わってしまえば、妻は動じる風情も無く平然と次の誘いに応じるようになる。

「夫婦だけの性交関係で止(とど)めていたら、突き抜ける性感など得られないものだぞ。」と竹中氏が私に声を掛けた。

言われて見れば、このまま妻の里美が平凡な人生を選択すれば性感がマックス(絶頂)に到る極限のディープ(深く嵌り込む様)な興奮(ハィ状態)も知らず、勿体無い事に女盛りを無駄に過ごす事になる筈だった。

強制輪姦が一旦始まってしまえば、里美の肉体(からだ)は中々開放されないが、中途半端では相手に失礼だからエゲツ無く弄(もてあそ)ばれてもそれで良い。

妻の恍惚の表情は、まだ続いている。

「いゃあ、前も後ろもスンナリ使えて、結構、結構。」

帰ってきた男達の「賛辞」の口振りからすると、良くしたものでどうやら一様に、「チャッカリ」とア*ルも味わっていた。

私の思いは、内心複雑である。

矛盾した話だが、妻が開所祈願の輪姦姿を見て居るのは、胸が詰まる憐憫(れんびん)の思いと、興奮するスケベな思いが私の気持ちの中で合い半ばするもので、複雑で特殊な興奮の喜びなのかも知れない。

生島の次は学生達だが、彼らの欲棒もすぐに使える様に準備しなければならない。

そのお口を使う準備は、喜美子が細君に命じられもう咥(くわ)え始めている。

岩代の開運祈願は、妻の里美の性感エネルギーを使った「忌み祓いの呪詛だ」と言う。

その性感エネルギーを発する為には、尋常ではない所まで「妻を追い込まなければならない」と言う。

彼の、その不可思議な呪詛(じゅそ)は、本当なのか。

そんな事で、本当にご利益などあるのか?

まだ、私は半信半疑である。

生島が果てると、学生が次々に妻に挑(いど)み掛って行く。

学生は遠慮が無いから、前もア*ルも使いたい放題で、メチャメチャに突きまくる。

私はそれを見ながら、岩代が叫んだ「来た。」の訳と、妻の恍惚の訳を聞いた。

「あぁ、あれが呪詛エネルギーを出し始めた証拠です。まぁ、科学的にはランナーズハイと同じ現象ですけど。」

「あのマラソン選手が一定の線を越すと掛かる奴か?」

「えぇ、奥さんの運動量と性感の登り詰めが、ピークに達して、突き抜けたのです。」

「突き抜けたのが、呪詛エネルギーを出し始めたと言うのか?」

「真言密教的には無我の境地に入って、極楽をさまよう状態です。今奥さんから違う脳波が流れ出ています。」

岩代に言わせると、女性の発する連続する絶頂感が、「邪気を祓うエネルギーを発する」と言う。

その連続する絶頂感のエネルギーを発する為に犯され続けるのが、妻の役目なのだ。

それ程のハイ状態に成れば、腹の底から善がった後は、一種の虚脱状態になる。

それでももう、学生も六人目を迎えて、妻にとっては都合十二人目になる。

妻はもう声も発しない、攻め立てている男の動きで、身体が波打っているだけだ。

「奥さん、どうやら気を失ったみたいですね。」

「おぃ、どうするのだ。」

「このまま続けましょう。続ければ、その内に気が付きます。」

「その内に気が付く?」

「えぇ、まだ予定の半分も行っていません。」

覚悟はしていたが、何て事だ。

「いくら何でも・・・。」

流石に私は妻が哀れになったが、岩代は、「こなものだから心配ない」と後に引きそうもない。

しかし細君(京香)と内の奴(里美)を比べられては堪(たま)ったものではない。

岩代は悪魔か、黒い天子か?


「まぁまぁ、肩の力を抜いて下さい。余分事を考えていては良い結果は出ません。」

余分事・・・・力を抜けぇ?

・・・これが平静で要られるか。

岩代の言に腹が立って来た。

それをお見通しなのか、岩代が「人の感情は、その人のものだから他人がトヤカク操れない。

しかし煩悩、邪心が在るから、人間は悟りを開けない」と言って、笑った。

「悟(さと)りを開くにはどうしたら良い。目の前でこの状況ではなぁ、とても平静では要られない。」

「だから、社長が空(くう)に成る事です。」

「空(くう)に成る・・・」

「えぇ、密教の教えの詰まる所は空(くう)なのです。空(くう)に私心は無い。」

「無(む)とは違うのか?」

「無は無心であり、まだ心が残っている。有にしても無にしても、そこには私心が介在するから、空(くう)に成れば、如何なる行(ぎょう)を求められても、それを不条理と思う事は無いのです。」

岩代が言うに、あらゆる煩悩を取り払い、空(くう)の内にて「初めて極楽浄土の境地が訪れる」と言うのである。

実は、岩代が良く使う「気」も、奇跡と扱うには「ペテン染みた」物理現象である。

言わば、思い込み(既成概念)と言う物差しを外した所に奇跡とも思える現象が生じる。

しかし、施(ほどこ)される者がそこに到達するには、「空(くう)」が要求されるのである。

それが開所祈願のルールだから、生け贄がイキ過ぎて悲鳴を上げようが、いっぱいいっぱいに成ろうが、失心しようが、容赦のない男達の欲棒の攻撃はバトンタッチされ、妻は犯られ続けて善がり声が止まらない。

妻は両腕をポールに十字に固定されたまま、台飛びの台のように両足を広げて踏ん張る形で、上半身を前屈(まえかが)みに固定されているから、生け贄として性交を受け入れ続けるだけで、自らの意志で避けられはしない。

後ろから「クイクイ」と激しく突き立てられ、その度に妻の裸体が数センチ前に振れては戻り、突き立てられ度に、下向いた妻の乳房が、リズミカルに揺れ続けている。



「社長、奥さんがこう成ったのは、元々希望された社長の責任です。」

「だが、気を失ったあのまま続けて、意味があるのか?」

「これは、そう言うものです。気絶したからと言って赦されるものではありません。見守ってやるしか無いでしょう。」

岩代は、妻に徹底して冷酷な生け贄を要求しているのだ。

妻の淫虐な姿に、心中複雑だった。

何でこんな事に成ったのか、私に後悔の念が生まれていた。

しかし、一方でこの性のゲームが面白くてしょうがない自分もそこに居た。

残酷のようだが妻の反応からすると、実は妻には天国かも知れない。

人の思いなどそんなもので、こう言う本能に訴え掛けるような状況は、非日常であれば在るほど、抑さえ様にも抑え切れない性的好奇心が湧き上がっても来るのだ。

そんな中、妻の壮絶な輪姦が目の前で実行されていた。

例の清純そうな笑顔で「ニコッ」と屈託なく笑い、細君(京香)は、「ここまでさせるか」と思う事を平気で妻にさせる。

そして周りの全員に勢いがあった。とっても止められるような状況にも無い。

妻をこう言う状況に追い込んだのは、私の中にある男と夫の二つの感性が戦った挙句、男が勝ったからで、元はと言えば私に責任がある。

とかく素(す)を出す(本音)のか演じる(建前)のかは、人の触れ合いに於いてかなり難しいテーマである。

特に性癖に関しては、夫婦でさえ素(す)を出すのは躊躇(ためら)われるものだ。

しかもこれは、受け取り側(相手)の心境で、出る答えが正反対なのだから始末に負えない。

本音で接する事を願うのか、建前のみを信じて生きるのかの、あくまでも「個人の思いが尺度(物差し)に成る」と言う。

非合理的な姿勢の問題である。


妻は禁断の露出公開性交を仕掛けられて羞恥心で溶けそうな想いに耐え、ギャラリーの熱い視線を集めながら次々に男の欲棒を受け入れて性交を繰り返し続けている。

男達の欲棒が生々しく抜き挿しを繰り返され、犯られては果て、犯られては果ての激しい輪姦行為の中、妻は極上のオーガズム(絶頂感)を体感し続けていた。

「情動性身体反応」と言うのは色々なパターンが存在するが、過去の学習を基にして無意識に選択される無意識行動や反応である。

欲棒が挿し込まれて抜き挿しが始まれば脳が反射的無意識行動で快感を求め、肉体(からだ)が勝手に反応して抜き挿しに応じる受け腰が始まるパターンも在る。

本格的な露出公開性交の場合、性玩具(おもちゃ)扱いに嬲(なぶ)られながら休息と水分補給の時間を三分ほど数回挟み、堪(たま)らない官能の輪姦行為は二時間〜三時間続く。

妻の輪姦ショー公演中の脳内は、非日常の羞恥心と興奮で脳内快感麻薬・ベーターエンドロフェンが充満し、半ば快感にラリる状態の反応が明らかだった。

 は禁断の露出公開性交を仕掛けられて羞恥心で溶けそうな想いに耐え、ギャラリーの熱い視線を集めながら次々に男の欲棒を受け入れて性交を繰り返し続けている。

男達の欲棒が生々しく抜き挿しを繰り返され、犯られては果て、犯られては果ての激しい輪姦行為の中、妻は極上のオーガズム(絶頂感)を体感し続けていた。



目の前で、妻がぐったりとパイプに吊られたまま陵辱を受け続けている。

何しろ体力が有り余っている体格の良い体育寮の学生達が相手で、学生が突く度に、妻の身体がガツン、ガツンと波打って見える。

その状態が三人ほど続き、妻が息を吹き返した。

「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」

再び恍惚の表情を浮かべて、妻が善がり声を上げ始めた。

それからは、妻は最後の一人まで正気を持ち堪えて、陵辱を受け続け、善がり声を絶やさなかった。

それも一通り終わると、妻は細君の手でミネラル・ウォーターを補給し、パイプに固定されたまま三十分間の休息を取った。

今は落ち着いたのか、妻が不自由な体勢で客席に目をやり、照れくさそうに全体を見回している。
観かねる位ハードなので、この時点で開運呪詛を終了したい位だったが、何しろ岩代の「妻の調教がステップ・アップして行く」と言う宣言を、私は否定しなかった。

容認した以上、岩代が妻の調教を「継続する」と言うものを、今更、強い反対などは出来ない。
岩代は、妻の状態を冷静に観察している様だから、信じて、精々経過を見守るくらいしか私には出来なかった。


「奥さんの体勢を変えて、皆の気分を変えましょうか。」

一回りして十六人目が終わると、岩代が細君に指示、今度はパイプの位置を九十度変え、妻の顔が正面に来るようにセットし直した。

先ほどまでは背後からで、余り相手が判らなかったが、今度は互いに顔が見える。

パイプの後ろに行っていた妻の胴体をパイプの前に持ってきて、背中がパイプに持たれるように寄り掛けた。

パイプの高さを少し下げ、妻の両足は一本ずつ両側から学生が持ち上げている。

妻は両手を十字にパイプに縛られたまま、学生に片足ずつ掲げ支えられて、正面に向けて股間を大きく広げた体制になった。

股間が大きく開いて妻の秘所は皆に丸見になり、痴毛の絡まる花芯ボタンや、ピンク色に濡れそぼる中身まで見せるほど開いた二枚の肉花弁が、そして、もう閉じ切れなくなって「ポッカリ」と空いたままのア*ルが次の訪問を待っている。

「さぁ、ふた周り目です。竹中さん、行って下さい。」

「あぁ、又わしの番か。」

細君(京香)が素早く竹中の欲棒をシャブって固くしている。

「度々(たびたび)済まんなぁ、これで犯れそうだ。まったく岩代君の所は気が効く良い奥さんだ。」

慌(あわ)てて、生島喜美子が田嶋の欲棒を咥(くわ)えに走った。

自分の役目に気が付いたのだ。

広げて持ち上げられた脚の間に立って竹中が妻に抽入を果たし、妻の尻を持ち上げて手元に寄せたり放したり繰り返しながら深く浅く抽送を始めた。

「こりゃあ良い、わしのが、奥さんの花弁の中を出入りしているのが良く見えて刺激的だ。」

「アァー、アァー、アァー。」

妻の掠(かす)れた善がり声が始った。

もぅ、妻は散々善がって、声も出なく成りつつある。

「奥さん、気持ち良いカイ。」

「はぃ、こんなに良いのは初めてです。」

「ほれ社長、奥さんが凄く良いってよ。わしも極楽じゃ。」

「そうですか、三回目も行けそうですか?」

岩代が声をかけた。

男は女と違い、休み休みでなければ続かない。

「いゃあ、俺はこれでイカして貰えばもう充分だ。もう一回りは遠慮するよ。それにしても奥さん良い表情をしている。まるで菩薩様じゃ。」

竹中の抽送が早く成った。

両足を抱えた学生達も、妻の腰を前後させ抽送のアシストをしている。

「アッ、アッ、アッ、アッ、アー、ア〜。」

妻が、また達したようだ。

程なく、竹中も射精したらしく、「フゥー。」と言って、しゃがみ込んだ。

順番が待ち切るれなかったのか、田嶋がチャッカリ喜美子に入れて抽送をしていた欲棒を慌てて引き抜いて妻に駆け寄り、移し変えて妻と始めた。

「アッ、アッ、アッ、アッ、」

もう、妻の善がり声が「ハッハッハッ」に聞こえる。

田嶋の様子を見ていた石上が、「それは名案」とばかりに同じ様に喜美子に入れて、ウオームアップ代わりに抽送をしている。

もう喜美子も、訳が判らず犯られ放題になって善がっている。

重いのだろう、妻の脚を抱えて支える学生も、時々入れ替わっている。

田嶋が果て、石上が妻と始める。

「ハァー、ハァー、ハァー。」

相変わらず妻は恍惚の表情を浮かべて、口を半開きにして、涎(よだれ)を垂れ流しながら、石上の欲棒が深く浅く出入りするのを受入れて、自分も受け腰を使っている。

「社長、今の奥さんの顔を見てごらん、まるで、観音様でしょ。」

岩代が、私に同意を求めた。

「そうだよ、俺はさっき拝(おが)みながら犯っていた。」

田嶋が横から口を挟んだ。

なるほど妻の顔は、天国を彷徨(さまよ)って居るような良い顔をしている。

男は本能的に、女性の絶頂する顔が拝(おが)みたいものらしい。

負けん気の強い妻の事である。

女性の肉体的特長から「輪姦(まわ)される」と言う受身の状態に成らざるを得無いが、明らかに私の意識に反し、「見事に犯られてやろうじゃないか。」と妻はこの開所祈願に対してアグレシブ(攻撃的)な精神で臨んでいた。

つまり妻の、輪姦(まわ)され抽入されて犯られながら、抽入された腰を大胆に振る受け腰使いの見事さが、それを物語っている。


「オォ、オォ、イク、イクゥ・・」

石上が果てて、私の番が廻って来た。

それにしても我妻ながら女は凄い。

これほど輪姦(まわ)されて、この顔が出来る。

妻の前に立って、脚を大きく開かれ、濡れそぼった痴毛を外れた辺りからパックリ左右に割れた花弁秘所を見た。

流石に使い込んで、菊座の蕾の上にポッカリと穴が開いて湯気が立っている様に見える。

愛液は止らず、まだ垂れ流しが続いている。

私の順番が来たと妻が認識して、「良かった。あなた、早く。」とかすれた声を掛けた。

妻の中に入れると、「あなたぁ、あなたぁ。」と言いながら、僅かに腰を使っている。

ウットリと快感を貪(むさぼ)る妻のこんな顔を、私は始めて見た。

深く浅く抽送を繰り返しながら、「気持ち良いのか。」と声を掛けると、「もう、ずうっとイキッぱなしでとても良いので、今あなたにされたかった。」と応える。

妻は私の番を待っていたのだ。

恍惚の表情から、妻の脳内の感覚が別の次元に切り替わって、幻覚や妄想、催眠を催して、今はトリップ状態に入っているのが在り在りと判る。

過激な遠距離走であるマラソンの「ランナーズ・ハイ」、激しい運動が継続する登山の「クライマーズ・ハイ」や、激しいダンス(踊り)によるトリップ状態も、同じ様に一種の快感をもたらす。

この「ハイ状態」を突き抜けた所で、トリップ状態が始まり、普段とは違う感覚が味わえる。

この開所祈願の輪姦呪詛に掛けられた妻の善がり顔を見せられて、鳥肌が立つほど興奮した。

今の妻の快楽は、彼女の意志に反して攻め手が次々に代わり、妻は途絶える事無く善がらなければならないのだ。

どうやら妻は、あの岩代夫婦の二階の部屋で味わった始めての輪姦で性に目覚め、その快感を覚えてしまったようである。

トリップが、まだ妻に続いていた。

宗教の奇蹟とはこうしたトリップ状態を言うのか?

「あなたぁ、アッ、イッた、あなたぁ、アッ、またイッた。」と、妻が果てしない。

私としていてイキ過ぎたのか、妻はまた気を失った。

細君が慌てて駆け寄り、妻の首を支えている。

本当に万事心得た細君だ。

「気を失った女と犯るのは、どんな感触だろう?」と言う誘惑に負けて、私はそのまま抽送を続けた。

妻の股間は十分潤っていて、愛液が止め処も無く流れ出ている。

なるほど、気を失っても出来るものだ。

その内、私も「ウッ」と来てイッた。

岩代が、細君(京香)と何やら話しながら、気を失った妻を事も無げに犯している。

学生を捕まえて聞いたが、岩代は現役時代に伝説の選手だったそうで、「数々の記録実績がある」と言う。

細君はその頃から、彼の守り神だったそうだ。

現役の時から、歴代の寮生は細君のお世話になっていたらしい。

彼の陰(女)陽(男)を使う呪術は、選手時代から既に伝説になっているのか?

未だに敗れない、それこそ「神がかりな記録だ。」と言われているそうだ。

次の生島は、喜美子と夫婦で、本番ウオームアップをしている。

私が近付いて、喜美子に欲棒をシャブらせると、生島が抽入したまま言った。

「社長、今、内の奴と話したのですが、内の奴も、たまにはこう言う事も良いと言っています。」

「あぁ、二週間後は支店の開所祈願だ。支店の忌み祓いはキミチャンの役目だから。」

「岩代さんから聞いています。任せて下さい。もう、内の奴もこれをやると納得していますから。」

「岩代が終わった様だ。さぁ、今度は君が内の奴を犯りに行って遣ってくれ。」

生島が妻と始めた。

こう言うマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)はアブノーマル(異常)な狂気を内在するディープ(深く嵌り込む様)な性交で、現実を知らない人間には「とんでもない事」と思うだろう。

だが、知らないだけでは否定する筋合いのものでは無く、「本当は何処かで起こって居るかも知れない。」と言われると「そうかも知れない」とも思える在り得る事なのである。

正直こうした乱交は体力的には「キツイ」と言う表現では済まないほど過酷だが、それ故にこそ途中から肉体的な極限の中で脳が刺激されてアスリート・ハイ(恍惚忘我)状態に陥る。

大勢の男達に連続して犯られる事を「アンハッピィ(不幸)」と思うか「ラグジュアリー(贅沢・豪華な様)」と思うかは、結局本人の性感次第で、欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を夢中で使うアスリート・ハイ(恍惚忘我)状態に陥ればアンハッピィ(不幸)などとは思わない事だろう。

喜美子は熱心に私の欲棒をシャブっている。

喜美子にとって、私は支配者なのだ。

喜美子の口中に挿し込んだ欲棒が、ヌメヌメと舌先で嬲(ね)ぶられる快感に、私は目を細めてそのおシャブリを愉しんでいた。

途中で、喜美子が私の欲棒を咥(くわ)えたまま、「支店の開所式には、私がアレをするのですね?」と念押しで聞いた。

喜美子の視線の先では、妻が吊るされて輪姦(まわ)されている。

私が「そうだ。キミチャンを、あんな風に嵌(ハメ)倒しの目に合わせる」と答えると、咥(くわ)えた喜美子の首の動きが急に早く成った。

彼女も、この異様な雰囲気に溶け込んで、興奮しているのだ。

その喜美子には、田嶋が乳房を掴み、後ろから取り付いて抽送を始め、中をかき回す様に腰をグラインドしている。

「アーッ、アーッ、アッ、アッ、次は私のアーッ、カ・イ・ショ・・の番です。」

田嶋に腰のグラインドで犯されながら、うわ言の様に喜美子は言った。

舞台上の里美の姿が、喜美子の脳の中で、いずれ訪れる自分の姿に重なって興奮していたのだ。

浮世のしがらみが外れさえすれば、一度は経験したい事かも知れない。

岩代のリードで、私達夫婦がこう言う状況になったが、別に私達夫婦の愛に変わった所は無い。

むしろ発散する場所が出来て「二人の絆は強まった」と言って良い。

それで私は確信した。

元々性感と愛情を感じる脳の部分は別で、愛情が無くても性交をすれば性感覚はあるように、人間の身体の方は出来ている。

簡単に言えば、愛情が無いSEXでも快感は得られる。

つまり、性感と愛情は全く別の感性だからである。

その、全く別の感性である愛と性行為を混同するからややっこしい事になる。

最初から分けてしまえば愛が無くてもSEXは出来る。

あえて言えば、社会構成上の保全的発想から、愛情を担保に性行為の相手を設定して、倫理を合意しているだけなのが事実である。

逆説的に言えば、社会構成上の保全に問題が無ければ、倫理の合意そのものも意味はない。


生島が、妻を執拗(しつよう)に攻め立てている。

「あいつ、まだ終わってなかったのか?」

「そりゃ、まだでしょう。思い切り犯ってくれれば、それで良いのです。生島さんにも早く馴染んでもらわないと・・・」

岩代が何時の間にか隣で、私の欲棒をシャブリながら田嶋に犯されている喜美子や生島が取り付いている妻の様子を眺めて居る。

元を正せば人間は、優しくも成れるが、冷酷にもなれる。

妻の立場がそれを受け入れる立場なら、ここに居る男は心理的にある種の愉快感を抱きつつ、躊躇(とまど)い無く責め続け、犯し続ける。

抗わない人妻を「好きに扱える」と言う事は蜜の味で、すなわち肉体的支配は、心理的優越感、心理的支配感を満足させてくれる。

所が、それで妻が傷付く訳ではない。

何度も言うが、相手が誰であろうとも、刺激を受ければ肉体は感じる。

いずれにしても神の与えた「快感」であるから、愛に関わらない性行為で、「妻が気持ち良がって」も、何人も非難出来ない。

つまり、彼女も癒されたいから、進んでこの場に居る。

むしろ私は、妻に皆さんに犯して頂いた礼を言わせるつもりだ。

この場では、それが一番相応(ふさわ)しいからである。

まだ、妻には学生達が十人も残っている。

拘束されて、両足を大きく広げて学生に掲げられた妻の里美に、快楽から逃れる自由はない。

涎(よだれ)をダラダラと垂らしながら、襲い来る快感に応じているのだ。

様々な欲棒が出入りを続けている股間からも、愛液が止め処も無く流れ出ている。

妻は今、岩代が言う様に、「極楽を彷徨(さまよ)って居る」と言うのか?

今思えばあの初日に強行された学生達との輪姦が怪しい。

妻はあの輪姦で、既にセックスハイ状態(性感陶酔状態)まで追い込まれ、その快感を求める事が「癖になった」としか考えられない・・・・・

何しろ世間では、アスリーと・ハイ(極限陶酔状態)の快感を体験すると、中々そこから卒業出来ない」と言われている。

セックスハイ状態(性感陶酔状態)も同じで、あれだけ間無しに嵌(は)め責められれば妻の肉体と精神が極限まで行ってしまった」と想像してもたいした間違いは無いに違いない。

六年間以上も競泳をしていた妻は、ハードな練習で自分の肉体(からだ)を虐(いじ)めて来たアスリートならではの持久力とM(マゾ)性を持ち合わせている。

そして何よりも妻は、アスリート・ハイ(極限陶酔状態)の快感を体験的に知っているのだ。

考えて見れば、「アスリート・ハイ(極限陶酔状態)の快感は癖に成る」と言うから、過激な輪姦に拠るセックスハイ状態(性感陶酔状態)がそれと同様の効果を示すなら、妻が岩代の策略に嵌(はま)っても不思議はない。

つまり妻には、岩代が言う「愛奴隷の条件が揃っている」と言う事で、それが見事に嵌(はま)って今は私の目の前で怪しげな忌み祓いの輪姦儀式を受けている。

しかし不思議なもので、女性は平均して男性では想像も着かないほど驚異的な乱交を受けて見せるが、考えて見ればそれは不思議でも何でもない。

長丁場の苦痛に耐える出産能力のスタミナ(体力)が女性に兼ね備わっているからで、この真似はとても男性には適わない事である。

それは輪姦乱交をするなど犯る前は女性に抵抗感はあるだろうがそれも最初だけで、妻の里美がそうだった様に犯られてしまえば意外にそれほど嫌な事でないのに気が付く。

多くの目撃者に囲まれて大勢を相手に一度輪姦(まわし)で犯られちゃえば、全てを曝(さら)け出して犯られている所を見られているか一度は犯った相手も多い中、今更二度も三度も同じ事である。

そして乱交で大勢に犯られる魅力に魅入(みい)られた女性は、そこから中々抜け出せない。

他人の目に晒(さら)されての息つく間も無い快感に拠る絶頂の連続は、他では得られる事のない質の濃い性感なのである。


岩代に目をやると、全体の状況を冷静に見ていた。

確かに、常識など通用しない、彼の言う奇想天外な事は、次々に実現している。

そのパワーは凄い威力で、目の前の妻を見ると否定の仕様が無い。

あの夫婦には、ヒシヒシと感じる理屈では割り切れない「何か」が或る。

彼らの正体は、依然不明だった。


(生島夫婦)
蒼い危険な賭け・京香◆
第十八話(生島夫婦)


今の妻は、単なる事業繁栄祈願の生け贄である。

恐らく、他人の妻がどうなろうと、周りの人間は「楽しめさえすれば良い事」で、私達夫婦がどう成ろうが、知った事では無い筈である。

世間とはそう言うもので、とどの詰まりは皆他人であり、面白ければそれで良いから私のように妻の心配などしない。


妻の里美が、学生達に次々と犯されて善がっている。

正気だろうが気絶をしてようがお構いなしで、前の聖域もア*ルも好き勝手に犯し続けられている。

学生達の激しい動きで、吹き出た彼らの汗が飛び散り、舞台上は湯気に包まれた様に熱気がある。

岩代に仕込まれた学生達だから、手加減などする事は金輪際無い。

「・・ァ、・・・、・・ァ、・・・、・・ァ」

犯されながら乱暴に乳房を揉みしだかれ、一時気絶していた妻も今は気が付いて、口をパクつかせて、出ない声を張り上げている。

不思議なもので、気絶をしても立ちっ放しの乳首は硬いままだから、肉体的刺激があれば気絶とは関係がないらしい。

堪(こら)え切れない激しさで妻は攻め立てられ、乳房を波打たせて突き上げられ、流石(さすが)の輪姦(まわし)の激しさに顔を歪(ゆが)め、吼(ほえ)えるように口を開け放して、襲いくる快感に共鳴しながらながら腰を使い続けている。

呪詛祈願の会場は多くの射精によって咽返(むせかえ)るような精液の香りに包まれたが、慣れるとそれもまた香(かぐわ)しき癖になる香りだった。

妻の興奮は、私から見てもピークのまま続いている。

くどいようだが、香りの記憶と言うものは他の五感との組み合わせで成り立っている。

恐らく妻は、あの初めて夜に岩代の所で体験した学生達に続けざまに輪姦(まわ)される極限の快感の記憶と精液の香が結び付いて、その精液の香りが自分に何をもたらせるのかを予測させる本能のスイッチに成っているのだ。

まさに「嵌(ハメ)殺し」の状態で、妻には止め処も無い絶頂感が続いている様だった。

輪姦陵辱されている妻は、在る意味輝いていた。

不思議な事に、誰もがその姿に感動していたのだ。

この異様な開所式も、早終盤にさし掛かっていた。

今、この空間は異常な雰囲気の中、強い不思議な力に支配されて独特な怪しさをかもし出している。

岩代が築いた結界の中で、「我々は忌み祓い呪詛を行っていた」と言って良い。

そう、出席者の全員が非日常のバーリィヤーの中に居たのだ。

「いったい、これは何だ?」

それに気付いた時、私は身震いをした。

外の音がまったく聞こえなかったので有る。

「社長、そろそろ終わりですが、最後に奥さんの得意技で今日の止(とど)めを刺しましょうか?」

「得意技って、アレか?」

「アレです。皆さんに奥さんのアレを披露させましょう。」

「まだ恥をかかせるのか?本人がアレは恥ずかしいと言っていたが、それで無くとも十分にあさましい姿を晒(さら)させたが。」

「その恥ずかしさが、強力なエネルギーに変わるのです。」

「それで、どうしょうと?」

「社長が本人に命令して、タマゴバイブも社長が奥さんに使ってください。」

そこまで妻をグチャグチャにする必要があるかどうかは判らない。

しかし、ここで押し問答をしていても仕方が無い。

「それで、これを終わりにするのか?それなら、やろう。」

相変わらす両手を十字に拘束され、両足を開いて掲げられた妻の秘所は、見守る者に向かって見る人の目を誘っている。

その姿も、長くさせるのはいささか哀れに思えて来た。

「今から、社長が奥さんの止(とど)めを刺します。奥さんはこれが一番恥ずかしいそうです。」

岩代の解説を聞きながら、私は舞台上に上り、細君からタマゴバイブを受け取った。

「里美、今日最後のお仕置きだ。良いか?」

私は妻の耳元で、少し声を大きめに囁いた。

「はぃ、何をなさるのですか?」

「バイブを宛がうから、思い切り感じまくれ。」

「そぅ、また、私にアレをさせるのですね。」

妻には、その意図が直ぐに判った。

「そうだ、するしか無い。」

「判りました。」

私は妻の背後に周り、後ろから花芯ボタンにタマゴバイブを宛がって嬲(なぶ)り始めた。

「アァー、アァー、アァー、アァー、アァー、アァー。」

感じ過ぎて耐えられないから、最後の力を振り絞るように妻の腰が前後左右に揺れて、バイブを避けようと試みる。

当然、それは赦さない。

バイブ責めをやり始めると、妖し気に腰を振る妻が艶(なまめ)かしいから胸がときめき、妻の反応に私の加虐心が頭をもたげ容赦が無くなる。

狙い目の花芯ボタンに着けたり離したり断続的にバイブ宛がい、追い込んで昇り詰めさせていく。

「ウ〜、アッ、アッ、あなた、ウ〜、アッ、アッ、イク、イク、イク、アー。」

「シャー」と音を立てて、妻の股間から勢い良く黄色い液体がほとばしり出ている。

「おぅ凄い凄い、こりゃあ見事だ。」

男達の感想は、感動だった。

妻は放心したようにグッタリしていたが放尿口は開いて止らず、放尿は想像を超えて長く続いた。

「これで当社も明日の設立パーテーが無事に行われます。

奥さんが当社の守り神ですから、これから先も必要がある時は奥さんにも頑ん張ってもらいますが、普段の接待は出来るだけ京香と生島婦人に頑ん張ってもらいます。」

岩代が挨拶をしている。

威圧感の中にも優しさが漂う岩代のオーラには、「天性のもの」と言うべき独特なものがある。

取り付かれた様に、皆が、それを頷いて聞いている。

生島喜美子は、自然に接待要員に取り込まれ、生島もそれを了承している。

喜美子にして見れば、心理的には夫に対するユーティリティ(役に立つ・有効な)精神の発露から抵抗できずに追い詰められた消極的な性接待話しの愛奴隷だった。

だが犯って見ると相手が多人数で快感の絶頂が続く、それでどうせ犯るなら刹那的な性交は「遊びとして愉しめば良い」と覚悟した。

生島夫婦は、まるで操り人形の様に素直な態度で、この一風変わった会社に溶け込んでいた。

生島喜美子は本質的には【右脳派人間】で直感や本能の無意識能力系統に強味が有り、壷に嵌(はま)れば本性が開放的で奔放な心理の持ち主だった。

これで生島喜美子も、仕事で下着を着る事は無いだろう。


何時(いつ)の間にかもう、皆が片付けを始めている。

欲棒で嵌(ハメ)倒された妻は戒めを解かれソファーに座らされたが、皮製の犬首輪を装着したまま放心状態は続いている。

来賓に当る出資者三人はそれぞれ家路に付いた。

「あなた、見えました。大きな本社ビルと和風の大きな自宅が・・・。」

妻が少し落ち着いて私に言った言葉で有る。

あのトリップの最中に、妻は幻想の中に「未来が見えた」と言うのか?

極限に陥ると「人間は意外な能力を発揮する」と言うが、妻の現象もそうした類のものなのか?

当の妻も、自らが輪姦されている最中に見た予知映像については半信半疑で、とても私に告げる自信は無かったらしい。

考えて見れば、未来予知など、予告は出来ても証明は出来ない。

結果が出るのはそこに時間が到達してからであるから、それが度重なって始めて体験的な確信を得る。


普段の妻を見ていると、世間体に於いては京美企画を始めた後も一見極普通に母であり妻である。

それが、非日常の世界では別人であるかのごとく淫乱な女に変貌する。

正直、本当の私の妻はどっちなのか、戸惑うばかりである。

散々悩んだ挙句、私は一つの結論に達した。

実は、その両方が私の妻の人格である。

まぁ妻ほど過激でなくても、世間の大半の人間は何食わぬ顔をしていても性行為くらいは普通にして居る。

その行為だって、変態と言えば大半が変態かも知れず、何処までが正常で何処からが変態などの線引きは、その線を引く人間に拠って基準が違う。

つまり人間の真実は、他人が簡単に決めつける事が出来るほど単純ではなく、「幾つもの顔を持ち合わせている」と言う事である。



片付けが終り家路に付く者も増えて、今は明日の設立披露に出席の為に泊まる生島夫婦だけに成っていた。

岩代夫婦も、「奥さんは直ぐに回復します。」と言い残して帰っ行った。

不思議な事に、十分もすると妻は元気を回復して来た。

「あぁ、きつかったけど、気持ち良かった。あそこまで続けた事は無かったもの。もうクタクタ。」

苦笑いめいた笑みを浮かべ、言い訳じみた事を口にした妻は流石(さすが)にグタグタしている。

それは固定されていても、運動量は並ではない。

「里美ちゃん凄い。本当に頑ん張ったわ。」

生島喜美子は妻に感動の様子で、掛けた声に悪意は無かった。

「見せちゃったわね。輪姦(まわ)されている所をキミチャンにも。」

「うぅ〜ん、お相子(あいこ)よぅ。私だって皆と犯っちゃったもの。」

妻の吊るし輪姦(まわし)の間も代わる代わる犯られ続けた喜美子は、素っ裸の肉体を駆使して見事に私と犯って退(の)け、仲間入りは合格した。

「キミチャンに判って、仲間に入ってもらえば私(里美)は安心。」

「奥さんはお疲れでしょう。休ませたらどうでしょう。後は何でも喜美子にさせますから。」

生島が声を掛けた。

人の数が減って、ガランとした此処は居心地が悪い。

「じゃあ、三階に上がって、妻を休ませましょう。」

内階段を、妻を裸のまま背負って上がった。

最も、妻は最初から全裸で降りて来ていたから、衣服など最初から無い。

喜美子が、細君が隅に片付けていた自分の衣類をかき集めて付いて来たが、それ身に着ける事は無い。

三階の住居で妻をソファーに横たえ、又、生島夫妻と飲み直す事になった。

まだ、こう言う立場の関係に成って、四人でユックリ話しをする時間は無かった。

もっとも、先ほど互いの妻を抱き合った仲ではあるが・・・。

「一層気心を通じ合いたい」と生島が言うのだ。

人間は、強情に「メルヘンに生きよう」とすると押し潰される。

大切なのは「リアルに向き合って如何に生きるか」であり、それを知る事である。

飲み物の用意は、素っ裸のままの喜美子がした。

慌(あわ)てて服を着る雰囲気でもなく、この流れの中で服を着る機会はタイミング的に喜美子には無い。

それに善がり方まで全てを曝(さら)け出しておいて、「今更恥ずかしい」は返って不自然でもある。

喜美子にも「どうしたら良いのか」と言う迷う思いも在った筈だが、もう自分(喜美子)にノーの選択肢は既に無い事に気が付いて吹っ切れたのだろう。

他人の家の台所で裸身を晒(さら)して立ち振る舞う生島喜美子の、ウェストの縊(くび)れも内太腿(うちふともも)の白さも、そして陰毛で黒くかげる股間も、恥ずかし気に眩(まぶ)しく観えている。

明るい所で下半身も丸見えに成り、私が見た所逆三角形に密集した見事な豪毛が、喜美子の恥毛である。

人生をどう生きるのか、自分(喜美子)が敢えてこの勝負から遠ざかれば、どんな言い分を言おうが中途半端な生き方しか出来ない。

喜美子は大人の女性で、こう言う状況下でも立場を忘れずに姦淫ムードの心地良い気分を煽(あお)り、周囲との雰囲気に対する対処を忘れない。

どちらにしろ、犯られたからと言って被害意識など持たずに、ポジテブに積極的に愉しんで犯れば全ては良い方に解決する。

そう成ると、犯っちゃったら犯っちゃったでもぅ後戻りはできないから、そこでゴチャゴチャして「その場の雰囲気や相手の気分を壊すのは得策ではない」と考えた。

それは誰しも、表向きとは違う格好が悪い一面も持って生きている。

つまり全てを曝(さら)け出して居る人間など居る訳も無く、敢えて言えば皆格好付けて上っ面を生きている。

性交は最も姦淫ムードが在る心地良い気分の性行為が上等で在って、スマート(格好が良い)な性交など在りはしない。

性行為の一端を称して「嫌らしい」と言うが、元来、性行為に品の良し悪しなど無く、むしろ下品な方が拠り興奮し愉しめる性質の物であるから、犯る事に品が良くては興醒めである。

まぁ口や股座(またぐら)に他人の欲棒を咥(くわ)え込んで、互いにドロドロの性行為を披露するセックス・セッション(乱交)の場で、スマート(格好が良い)な性交など在る訳も無い。

セックス・セッション(乱交)は下品な方が拠り場が盛り上がり、外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い非日常の性行為を不恰好に犯るからこそ興奮する。

つまり人間の感性を刺激するなら、依り下品に犯る事こそ性行の醍醐味で、そこを建前で無視ししては人間の本質としての心地良い真実など見えて来ない。

喜美子は無意識にそこを曝(さら)け出す覚悟で、女の性(さが)と言おうか己の生々しい女性器を晒(さら)して大股開きに股間を見せ様と開いた。

喜美子の恥毛が絡むデルタ地帯の肌の下に、敏感な花芯ボタンが小さなピンク色の実を膨らませて、淡い光を放ちながら弄(なぶ)られるのを待っている。

喜美子の肉花弁は、大き目で薄く大胆なものが開き美味に二枚、恥毛を絡ませて着いて居て、厚みが無いだけに指でつまんで引っ張ると良く延びる。

花芯ボタンは、濃いピンク色した小豆(あずき)大の大きさで、妻と同じくらいだった。

「不道徳」と言われるのを覚悟で言うと、例え友人や上司・部下の細君であろうと、魅力的な女性であれば「一度くらい(性交を)お願いしたい」と思うのが男の性(さが)である。

その事を、私は「恥じ」とは思わない。

喜美子は妻の友人だが、充分に魅力的だったから「一度くらい(性交を)お願いしたい」と思う相手の一人だった。

この事は私の永い謎だったが、魅力的な女性に対して「下心」がある事が失礼なのか、「下心」が無い事が失礼なのかは永遠の課題らしい?

これを女性側に言わせると「それは相手によりけりよ。」となるから、勝手なものである。

そう成ると、「下心の有る無し」の失礼の基準も「女性の気分の問題」と言う極めて不公平な基準で可、不可の結論に成る。

しかしながら、「犯りたい」と言うのは男にとって自然の感性であるから、世の男性が「犯りたい」と思われない女性の不幸も含めて、不条理に満ちているのがこの人類社会である。

素っ裸の他人の妻が、我が家の台所を立ち振舞っている。

それも、妻の親友の喜美子で、行き掛かりとは言え、本来ならありえない異様な光景ではある。

だが、岩代の策謀でそれは現実に起こっている。

水泳で鍛えた喜美子の全裸体が眩(まぶ)しく、乳首が立った二つの乳房、曲線を描いて括(くび)れたウエスト、チャーミングな臍(へそ)を堺に下半身に続く。

恥毛が密集する柔らかく丸みを帯びたなだらかな恥丘の先に、実(サネ)と呼ばれる花芯ボタン、その下に二枚の肉花弁に囲われて縦に割れるスリットが、台所を裸で立ち振舞う喜美子の股下に潜り込む様に見えている。

もっとも、喜美子がこの時点で今更衣服を身に付けるのは返って場違いだった。

何しろ、男二人もまだスッポンポンだったのだ。

しかも、喜美子の肉体に関しては、「何時でも私の自由勝手になる相手」と言う合意が、既に為(な)されている。


岩代からは、「生島夫婦は社長が飼っているのだから、遊びの相手をさせるのに遠慮するな。」と念を押されている。

勿論行き着く所まで犯ってしまえば、喜美子はもぅ犯ってしまったのだからそれを改めて私に否定する材料は無い。

岩代が言うに、「喜美子の本性が、愛奴隷としてのマッチング(相性/適合)している事は確り見ていた」と言うのである。

喜美子も、マーキング(烙印や標識を付ける行為)されてしまえば、それが喜美子の新しい価値観である。


「社長は何をお飲みになります?」

素っ裸の喜美子が乳房を揺らしながら台所から出て来て、酒の好みを私に聞いた。

「私は何時(いつ)も焼酎のお湯割りだけど。」

「はぃ。」

私は、相変わらず焼酎のお湯割りだが、喜美子は自分の亭主の為にウィスキーを見つけ出し水割りの用意をした。

喜美子が台所から戻ると、「社長の隣へ行って」と、生島が気を使って素裸のまま喜美子を私の横に座らせた。

喜美子は、妻か細君に教え込まれたらしく、ソファーには両足を座部に上げ置いたM字開脚の股間開っぴろげの姿勢で座った。

開っぴろげの喜美子の股間は、夫の生島の方を向いている。

その妻の股間を眩(まぶ)しそうに見ながら、「いやぁ、この度はどうし様もない所を助けて頂き、そのまま会社に拾って頂きまして、感謝しています。」と生島が口を切った。

すると喜美子も、「本当、私達は社長さんにも里美にも感謝しています。」と続けて、改めて生島夫婦に礼を言われた。

そう言えば奇妙な気分だったが、彼らの生活は私が握っている事に成る。

決定的な事は、その気に成ればi何時(いつ)でも喜美子の肉体(からだ)を好きに出来る立場に在るのだ。

現に今の喜美子は、全裸の上に愛奴隷の心得であるM字開脚の股間開っぴろげで私の隣に座っている。

億を超える資金を投入して生島夫婦の負債を肩代わりし、金融負債を綺麗に消し担保も外した。

もう返済を迫られる事も、自宅を取られる事も無い。

生島不動産の不良資産化していた土地物件は、余裕を持って処分しつつ資金を回収して行く体力が、京美企画にはある。

生島夫婦の自宅は会社が肩代わりして押さえているが、取り上げる事は考えていない。

それも生島には伝えていて、今後二人の働きからユックリ払えば良い。

それも喜美子の接待仕事次第では、永くは掛らない。

いずれにしても、喜美子の肉体(からだ)の接待用の使用権が担保みたいなものだ。

夫婦で覚悟の上だから、喜美子は精々気張って犯られまくる運命だった。

喜美子の「貞操と引き換え」と言えば身も蓋も無いが、喜美子が世間で単に肉体(からだ)を売っても、簡単には大金は稼げない。

返済の目途が立たなかった彼ら夫婦にしてみれば、考えられないほど良い条件で助けられたのだ。

これで、京美企画の宅建資格(宅地建物取引主任)は二人に成った。


「社長、喜美子で良かったら、何時(いつ)でも社長のお愉しみに使って犯って下さい。」

先程味見をしたから言われても仕方がないが、生島が揉み手をせんばかりに愛想笑いをしながら、改めて妻の喜美子をさし出した。

「私は君達を助けたからと言って、恩に着せる積りは無いけど。」

「イェイェ、金融機関が放りだして、ニッチモサッチモ行かない所を、手を差し伸べて助けてくれたのは京美企画だけで、感激しています。社長のお相手でしたら、私は喜んでさせます。なぁ、お前。」

「はぃ、岩代さんには社長に飼われていると考えろと言われています。もう犯っちゃったのですから、今後も遠慮なく仰(おっしゃ)って頂ければ・・・・精一杯お慰めします。」

先程の極限の興奮(ハィ状態)からまだ醒(さ)めて居ないのか、喜美子も卑猥(ひわい)な意味合いを口にする。

つまり素っ裸のまま他人の家に居る喜美子には、非日常のHモードが続いていたのだ。

本人が私に飼われているのを自覚するなら、後は犯り易い。

喜美子にしてみれば、夫の前であれだけマルチSEX(複数性交)の快感に痺(しび)れ、欲棒を咥(くわえ)た腰を浮かせて振ってしまえば、今更格好を付けて「その性交遊びが嫌だった」とは言い難い。

むしろ、思わず向かえ腰クィクィで応じて快感を貪(むさぼ)ったそのマルチSEX(複数性交)は、正直な所「凄く気持ちが良かった」としか喜美子には言い様がなかった。

しかも大勢の他人が、その快感を貪欲(どんよく)に貪(むさぼ)る喜美子の、欲棒を咥(くわ)え込んだ生々しい腰使いの様子を目撃しているから、今後はそのメンバーにも今更格好は付けられない。

どうせ喜美子を性接待の戦力に組み入れるには、性奴隷として従順に犯られる特訓をさせる事になる。

喜美子はともかく、生島は岩代から京美企画の全容を聞いている。

接待要員として喜美子に性奉仕をさせる事も、腹を括(くく)ってこの話に乗ったらしく、今更迷うものでもないらしい。

それに一度犯ってしまった私に対しては、喜美子も今更犯り惜(お)しみは出来ないものだ。

前にも言ったが、元々人間の一生などアクシデントの連続で、本人の思い通りに行く人生などある訳がない。

もう、この「京美企画で生きて行く」と覚悟を決めた喜美子には、私との性交は嫌も応もない。

むしろ積極的に態度に出し、行動で証明しなければ成らない。

此処が「そう言う所」と理解した以上、脳の思向は本人が思っている程平面的ではなく、必要と在れば多面的な展開を見い出す。

喜美子は出来る限りの事を犯って社長である私の性欲をかき立て、自分も相手も満足させる責任がある事に気づいた。

可笑(おか)しな物で、犯る以上は何を犯られるにしても楽しみながらに越した事はないのだ。


「何か、面と向かってそう言われると、照れ臭いなぁ。」

「そんな、水臭いですよ。先ほど一度可愛がって頂いたのですから・・・私(生島)としては、返って喜美子を可愛がって頂いた方が、仲間として安心です。なぁ、お前もそうだろう。」

「えぇ、是非そうして下さいませ。」

全てを曝(さら)け出し、肉交をする事に拠って此処での信頼関係は成り立つ。

本音の所、どう見ても妻の喜美子に嫌がっている素振りはないのだから、生島も「これで全てが収まる」と安堵していた。

人生中途半端に逃げてばかりで解決する問題など、世間には無い。

例え望まない人生でも、人間は神に与えられればそれを生きなければ成らない。

刹那刹那を生きる事で、それなりに「別の人生を送る楽しさもある」と言うものである。

目の前の、しかも妻の親友でもある人妻が、夫に見守られながら全裸で私の奉仕命令を待っている。

こう言うシュチエーションに成ると、私にもS気分がムラムラと湧いて来る。

全裸にした私の妻を、「御自由に。」と宛(あて)がわれたゲスト達も、恐らく気分はこんなもので、「よし、この綺麗な花を汚してやる」と、興奮のボルテージが上がる事が理解出来る。

当然の心理として、「この女が、何処まで言う事を聞くものか」と、意地悪く確かめたく成り、要求は殊更卑猥(ことさらひわい)なものに成るのが当たり前で、それに応じるのが性奉仕の接待なのだ。

「そこまで言うなら、キミチャン、シャブって。」

夫の目の前でここまで犯ってしまえば、喜美子は今更引き返せないし引き返す積りも無い。

「はぃ。」

喜美子が、素直に私の欲棒に手を添え、エラの張った坊主頭の海綿体をやや厚めの唇をした口で咥(くわ)え、ユックリと舌と唇を使って愛で始めた。

良いも悪いも無く、生島の妻・喜美子は全裸のまま、やや腰を前に突き出し気味に腰に手をやった仁王立ちの私(京美企画社長)の欲棒を、床に膝を着いた形で上半身前後に動かしながら熱心にシャブっている。

私(京美企画社長)の淫茎の丈が、妻・喜美子の口元で唾液に濡れ光って唇を擦(こす)りながら見え隠れする様を僅(わず)か一メートル足らずの目の前で見た生島のインパクト(衝撃)は強烈だった。

妻の喜美子の口元を私(京美企画社長)の陰茎が見え隠れしている様が、夫の生島に丸見えの筈である。

生島は、その喜美子の口元を眺めながら静かに水割りを口に運んでいる。

焼酎のお湯割りが入ったグラスを、口に運んで一口喉を通し、私はその生島に話し掛けた。

「私は、妻に毎晩こうさせて、旨い酒を飲むのを習慣にしている。」

「なるほど、夫婦の間で、その習慣は良いですね。」

生島がその習慣に賛同すると、喜美子が咥(くわ)えていた私の欲棒を口から放して「あなた、私達もそうしましょうよ。」と言い、またパクリと咥(くわ)えた。

「それが良い、男は単純だから、それだけで旦那さんは奮(ふる)い立つ。」

どうやらこの夫婦も、夫に旨い酒を飲ませる事に成りそうだ。

私は喜美子の小振りな乳房を掴み、これ見よがしに乳首を摘みながら聞いた。

「生島君、君は奥さんにこうさせる私に、腹は立たないのか?」

「いゃ、社長の奥さんとも犯らせて貰ったし、ここまで互いにオープンにしちゃうと、独占欲は小さな事に感じます。」

「これで君ら夫婦とは、まるで垣根の無い信頼関係と言う訳だ。」

「今のこちらの立場からすると、内の奴を社長に可愛がって貰った方が余程安心出来ます。」

亭主が「差し出す」と言うなら役得である。

男は生来ややっこしい事が無ければ、遊びのSEXは歓迎である。

「それじゃあ、今後好きな時にキミチャンを貸して貰おうか?」

「えぇ、お願いします。構いませんから、会社で使い易い様にみっちり仕込んで犯って下さい。なぁ、お前」

「あなたの意志なら、社長さんのお相手は特に一生懸命いたします。」

どうやら生島は、喜美子にキチンと告げていなかっただけで、喜美子を会社の接待要員に取り込まれた意味を承知していたらしい。

最もこう言う事は、事前に言ってゴチャゴチャするより、有無を言わさず犯らせてしまって既成事実を作る方が、下手な説得より話が早い。

そこまで言うなら、楽しみながらこの夫婦を試してやろう。

「キミチャン、少しキツイおシャブリをさせるけど良いね。」

「はぃ。」

「じゃ、入れるからあ〜んと口を開けなさい。」

生島の目の前で彼の妻喜美子に、私は強制口喉(こういん)性交を試みた。

喜美子に欲棒を咥(くわ)えさせると私は両手を喜美子の首に巻いて固定しクイクイと加虐的に抜き挿しを始める。

「ウグ、ウグ、ゲホ、オエ、ウグ、ウグ、ゲホ、オエ、ウグ、ウグ。」

喜美子の口中に捻じ込まれた私の欲棒を、喜美子が上半身を前後して必死にシャブるのも構わず頭を抱え、夫の生島の目前で腰を使ってクィクィと喉元まで突き入れ、咽(むせ)ながら耐える喜美子の目から涙が溢れている。

腰を使ってクイクイと喉(のど)の奥まで突き入れられる私の硬く張り詰めた欲棒を咥(くわ)えて、必死にシャブる喜美子の口元から白濁(はくだく)した涎(よだれ)が垂れ下がって床に落ちて行く。

喜美子は結構辛そうだが、夫の生島が「どうぞ可愛がって遣って下さい」と差し出した喜美子には行為の全てに拒否権はないから、私の生島夫婦に対する加虐感と征服欲は満足だ。

喜美子に欲棒を咥(くわ)えさせた私の腰の動きが激しくなり、私の硬く張り詰めたカリ首の欲棒を強引に抜き挿しする度に、私の腹が喜美子の鼻を潰して額に当たる。

突き入れておいて、喜美子の鼻を潰したまま腰をグラインドさせる。

「ウグ、ウゲ、ウゲ、ゲホ、オエ、ウゲ、ウゲ、ウグ、ゲホ、ゲホ。」

強制口喉(こういん)性交は拷問みたいなもので、生島の前で私に容赦なく欲棒を喉の奥までグイグイ突き入れられている喜美子は、喉を塞がれてし難い呼吸に涙を流し涎(よだれ)を垂れ流して、私への服従を証明する。

喜美子の鼻と唇には私の陰毛を蓄えた恥丘が波状攻撃で当たり、咥(くわ)えた私の欲棒の陰茎が喜美子の唇を擦(こす)り、硬く張り詰めたカリ首が情け容赦なく喉の置くまでグイグイと潜り込んで気持ちが良い。


男女の仲を、独占欲で推し計る勘違いがある。

とかく一方通行の独占欲は身勝手なもので、愛とは言えない場合も多い。

何でも言う事を聞いてもらえるのが「自分に対する愛情」などと、都合の良い幻想は、最初から心が無い事ではないか。

それでは、独占欲の象徴とも言える形の肉体愛が。

正しい愛なのか?いゃ、多くの人間が、肉体愛には懐疑的で、精神愛を男女の本当の愛と感じている。

ならば、肉体愛は、愛の本質に存在しないはずなのに、大矛盾として、「愛が無ければ肉体の接触は出来ない」と世迷い事を言う。

人間皆、何食わぬ顔をしていても、性行為はしている。

勿論、神が種の継続の為に与えし快感を得られるからである。

自然が生物に与える性機能は必然が前提で、不要な性機能を付加する事は無い。

この生殖を伴わないSEX行為である「擬似生殖行為(快楽性交)」が、苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の合意として、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられたのである。

であれば、その目的は「苦悩を緩和する事」であるから、乱交だろうが輪姦やSMだろうが、妻が合意の上で犯られたければ「犯られれば良い」のである。

性欲がその存在を否定出来ないものなら、それはそれで認めて精神愛と肉体愛を混同しない事が肝心だ。

つまり、肉体愛の拘(こだわ)りから脱して、「精神愛が本質」と定義つけた生き方が夫婦の理想だ。

そこを克服すれば、人間、恨み、嫉(そね)み、嫉妬、哀れみなどの感情は微塵も無く、愛しみ、慈しみの幸せな心があるだけである。

肉体愛の方は、別に位置付けて独占欲的嫉妬に走らず、精々ストレス解消に性感を楽しめば良い事である。


「所で、今日の開所祈願をどう思う?」

「いやぁ、最初驚きましたが、考えてみれば、仲間が一体化する為の儀式の様でもあるし、事実、何時の間にか出席者全員の息が合って一体化していました。」

「不思議なのだが、君達から抵抗する心が無くなっている。」

「そうです。そうです。自分も喜美子も最初は驚きましたが、段々極自然な事をしている様に思えて来ました。」

夫の言葉に、傍(かたわ)らの喜美子も頷(うなず)いている。

「岩代の最初の耳打ちは何と言ったのだ。」

「あぁ、あれですか。黙って奥さんの気持ちを解放させましょうと言いました。」

「意外と、簡単な話だな。」

「えぇ、そうなのです。喜美子が抵抗を続けるかと思ったのですが、黙って裸には成るし、その後はああでしょ。」

「黙って見て居る気に成った訳だ。」

「私も、気持ちを解放した喜美子がどう成るのか興味が湧きましたし、あそこまで追い込まれた喜美子を見るのは初めてでしたから興味も湧きます。」

「キミチャンの方は、隅に連れて行かれて岩代に何と言われたの?」

喜美子のシットリした吸い付く様な肌を、利き手で嬲(なぶ)りながら私は聞いた。

最初は、「旦那様の事なら内の奴も犯っちゃって下さい。と言っているから大丈夫だと言われた。」と、喜美子は応えた。

「犯っちゃって下さい。」と言っている・・・・。

妻の時と同じで、突き抜けてしまった事実は、喜美子も現実として受け入れるしか考えられない。

そして、「ここ数ヶ月の資金繰りの苦労を裸になってパッと発散しなさい」って言いました。

内の人も黙って見ている様だし、それで覚悟を決め、「溜まっていたストレス、全部吐き出してやれ」と思ったのです。

「キミチャンも、岩代にその気にさせられた訳だ。」

私の手が喜美子の股間に滑り下り、二枚の肉花弁の内側に指が這い始めて喜美子が、気を使うように方膝(かたひざ)立てて、太腿(ふともも)を広げ、私の手指の自由を確保した。

向え側に座る生島には、妻の喜美子のそうした行動が丸見えの筈だ。

「えぇ、今日で吹っ切れてスッキリしました。これが本当に裸からのやり直しですね。」

生島喜美子には京美企画の即戦力として股を開かせ、淑女の仮面を剥(は)ぎ取られて雌の本性も露に、性癖をむき出しのゲストに気楽に喜美子との性交を愉しんで貰(もら)わなくてはならない。

手間を掛けても喜美子を仲間に引き入れなければならなかった。

これは集いて時間を行為の時間を共有するセッション(共演/協議)であるが、あくまでも合意が前提で、喜美子に無理強(むりじ)いする気はない。

目的は愛奴隷として乱交(セックス・セッション)のプレィヤーを務めさせる事で、その為にはトコトン格好悪く惨(みじ)めに扱い、弄(なぶり)り者にされる被支配の快感を味わせて慣れさせ心理的に開き直らせるしかない。

喜美子の本音が肝心(かんじん)なのだが、どうやら「嫌では無い」らしい。


何事にも区切りは必要である。

喜美子は散々苦しんだ資金繰りから開放され、素っ裸に成って性行為を周囲に晒(さら)した事で、何もかも吹っ切れて洗い流し、「癒された」と言う事か。

「いゃ、二人とも救われました。見栄を張って無理して頑ん張っていて、追い詰められて、疲れ切っていましたから、夫婦仲も壊れかけていました。ここまで見栄も外聞からも開放されれば、二人とも腹が据わって、行く先何の心配もありません。」

「すると、これで良かったのだ。」

「えぇ、喜美子の姿を見て愛しくなり、それを喜美子に話すと、誰に抱かれても私を思って抱かれて居ると言うのです。もう、以前より心が通じた様で、それにしても妻が他人に抱かれるのを見ると、特別な感情が沸くものです。」

「嫌な気分だったかね?」

「いぇ、何とも不思議な興奮をしただけで、余り抵抗は無かった。むしろ、時々ああ言う喜美子見たいくらいですから。」

「私だけが犯られるのではなく、里美さんが率先しての話しですから、気は楽でした。」

「君らは違う味を知ってしまった訳だ。」

「えぇ、これからは気の置けない身内と言う事で、今から喜美子を抱いてやって下さい。おぃ。」

「はぃ。」

「さっき二人で話し合いました。今までとは違うのですから、こいつにも、早く里美さんのように慣れさせないといけません。なぁ・・・」

「はぃ、早くお役に立つように接待に慣れないといけませんもの。」

なるほど、ここに参加する以上キミチャンも、裸の接待愛奴隷として厳しく仕込まれる運命にある。

つまり、ずさんな躾(しつけ)は「本人の為には成らない」と言う事である。

「良し、それじゃあ、まずは旦那様の前で、キミチャンに私と犯らせて見ようか。」

喜美子の肉体(からだ)は夫の生島のものだったが、今日からは私と会社のものでもある。

手を伸ばして喜美子の肌に触れると、シットリとした柔らかい肌触りが指先を通して伝わって来た。

「はぃ、失礼します。」

ソファーに座った私の膝を跨いで、喜美子がソファーの上で立ち上がると、目の前に、遠慮勝ちに茂る陰毛とその外れの小豆粒ほどの可愛いくピンク色した花芯ボタンも、恥毛の絡む二枚の肉花弁も生々しく、喜美子の陰部が迫って来た。

先ほど細君に、「こうして陰部を見せろ」と教えられて、早速実行したのだろぅ。

明らかに「感じて居る」と見え、喜美子のそこは既に濡れそぼっている。

そのまま喜美子が大股開きのM字開脚で腰を降ろし、私の欲棒のカリ首を花弁のスリットに宛がうと、「グィ」と腰を下げて「アァ」と、嵌(は)め込んで結合を果たした。

社長(私)に欲棒を挿し込まれた喜美子の肉体(からだ)が白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら腰を使う社長(私)と、喜美子は股間で生々しく繋がっていた。

エゲツ無いと言えばエゲツ無いが恥を晒(さら)してこその本当の仲間で、この際喜美子に性接待をさせる事は仕方が無いと応諾したが、それでも現実に目(ま)の当たりにした生島にとっては正に仰天(ぎょうてん)の光景だった。

それでも京美に於いて本当の仲間になるには喜美子の接待は必要条件で、ここで恥を晒(さら)して置かなければとても愛奴隷接待など勤まらない。

犯っちゃって性器が接触すれば、交わる肉体は自然に共鳴する。

もう、ここまで行ってしまえば女性の肉体(からだ)は正直なもので、喜美子は「ウフン」と甘い声を漏らして鼻を鳴らし、媚を売るように身悶えている。

「そうだ。キミチャンは歌が上手かったろぅ。腰を使いながら、十八番の与作を歌って。」

「エッ、犯りながら歌うのですか?」

「内の奴の噴水みたいに、接待の裏芸に何か売りがなきゃいけないだろぅ。」

横から、生島が口を出した。

「ホレ喜美子、社長に言われたら素直に聞きなさい。」

「そうですか、じゃあ、犯りながら歌います。与作は木をきる〜ヘイヘイホ〜ヘイヘイホ〜こだまはかぁえるよ〜ヘイヘイホ〜ヘイヘイホ〜女房は、はたを織る〜トントントン〜トントントン〜気だてのいい嫁だよ〜トントントン〜トントントン〜」

喜美子は、柔ら壺に私の欲棒を咥(くわ)え込んだまま、与作のリズムに合わせて、時にユックリ、時にトントントンと、乳首が立った乳房を上下に揺らしながら、腰を上下し始めた。

もくろみ通り、中々に興奮するシュチエーションで、喜美子の目玉に成りそうだ。

良く締まって抵抗感がある喜美子へのカリ首の抽入感と伴に、喜美子のでん部(尻肉)がリズミカルに私の膝に当たっている。

乳房に手をやると、硬めに張った乳房の弾力とこれ以上硬くはならないだろうと思われるほど硬さを益した乳首がコリコリと指に当たった。

素っ裸の喜美子が「与作」を歌いながら、私の欲棒をグチョズチョと柔ら壺に咥(くわ)え込んだ己の生々しい女性器をM字開脚に夫(生島)に晒(さら)してスクワットファックで抽送を続けている。

「こりゃあ犯り具合が良い。生島君も後で試して見ると良いよ。」

「えぇ、そうします。謳わせながらは名案ですね。見て居て私も興奮します。」

向かえ側のソファーに座る夫の生島の目の前で、私は向え合わせの抱っこで喜美子に抽入した性交のまま、喜美子に腰を上下させて犯りながら話をした。

生島には、「愛奴隷は増長させると行為が心理的に横着になり接待結果が悪くなるので性交マナーを厳しく仕込んで学習させる。」と告げ、「よろしくお願いします」と了解は取った。

結局喜美子にして見れば、私の言い成りに成るのが、接待愛奴隷としてゲストの言う事を素直に聞く訓練である。

「旦那さんが興奮しているそうだから、今度はキミチャンのオマ*コに私の物が入っている所を見せびらかそう。」

「はぃ。」

私の言う意味を理解した喜美子が歌を止め、一旦欲棒を引き抜く様に立ち上がると、尻をクルリと目の前にさせて前向きに成り、またしゃがむように腰を下げ始めた。

そのままの態勢で、キミチャンが私の欲棒を掴(つか)んで前向きに私に跨って来た。

花弁スリットの入り口に、私の坊主頭のカリ首を宛がうと、M字開脚にグッと腰を下ろして、「ウッ。」と言い、自分の身体の中に飲み込んだ。

生島には、私のエラの張った坊主頭の海綿体が、ユックリと妻の喜美子の中にめり込んで行くのが見えた筈である。

私の欲棒の、坊主頭の海綿体が、肉壁をかき分けて喜美子の中へ入り込む感触に、内心喝采していた。

喜美子の体制が前倒し気味になるから、私が手を廻して支える事になるのだが、当然喜美子の柔らかい乳房を握って楽しむのが成り行きである。

完全に根元まで飲み込むと、腰をローリングしてして見せ、それから腰を上下し、「ウッ、ウッ、ウッ。」とリズムを取り始めた。

ヌメッとした感触が私の欲棒を包み、狭い所を擦れ動く感触が伝わって来た。

中の擦(こす)れ具合が良くて、こちらも時折うめき声が漏れイキそうになる。

それで、このまま直ぐにイクのは勿体無いから、体位を正常位に変えて攻めてみる。

私は喜美子の上位に体位を取ると、挿し込んだ欲棒を支え軸に喜美子の肉体(からだ)の上で恥骨が擦(こす)れるくらいに腰をグィグィとグラインドさせる。

すると、喜美子の最も敏感な花芯ボタンの小さな盛り上がりが私の陰毛にゾリゾリと擦(こす)れ、堪(たま)らず喜美子の鼻の穴がプクッと広がって「アハッ」と溜息に似た善がり声を漏らす。

結局犯られちゃって喜美子は、行為に気持ちが入り込んで受け腰を回しながら両手を私の背中に回して上半身を寄せて抱き着いて来る。

私に欲棒を挿し込まれた大股開きの股座(またぐら)の恥部を、喜美子は生々しく丸出しに腰をクィクィと使い、善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。

性格が似ているから「気が合う大親友だ」と妻が言うだけあって、喜美子も後戻りが出来ない生真面目な性格である。

その彼女が素っ裸で我が家の台所に立ち、私の酒の用意をしている。

一旦は「どう成る事か」と心配したが、自分の決断でその気に成ったのだから全てが順調に進むに違いない。

妻の時と同じだった。

喜美子の脳の中に、卑猥(ひわい)で奔放(ほんぽう)な新しい回路が接続したに違いない。

安心して命じられた事を実行する環境を得て新しい回路が接続すれば、喜美子の本能に火が着き、価値観が変わって性欲は貪欲(どんよく)なものになる。


また、「岩代の奇跡」だった。

今、生島夫婦は京美企画の手の中にあり、私の欲棒は生島喜美子の柔ら壺にスッポリと収まっている。

喜美子の肉体(からだ)が、何時(いつ)でも御使用自由の状態で手に入ったのだ。


生島は、少しばかり異様な眼差しで、我が妻・喜美子の痴態を酒の肴(さかな)に、忙(せわ)しなくグラスを口に運んでいる。

夫の生島にとって、恥毛が生い茂る妻・喜美子の股間に私の欲棒を咥(くわ)え込んで、喜美子自(みずか)ら受け腰を使って興奮でシットリと汗ばんだ肌を鈍く光らせながら抜き挿しして居る姿をまざまざと見るのは勃起させるほど刺激的である。

興奮して時折漏らす喜美子の艶(なまめ)かしい善がり声を聞きながら、あの、私が味わったSとMの感性が相半ばする異様な心理を、彼も感じているに違いない。

「社長、喜美子のオマ*コに、社長のモノが出入りしているを見ながら、酒を飲むのも乙な物です。」

生島の複雑な心理状態は、経験者の私には良く判る。

「あぁ、良く見えるかね?エラの擦(こす)れ具合が何とも言えない良い具合だ。」

「内の奴(喜美子)が社長に犯られていると思うと、この景色は結構艶(なまめ)かしいですね。」

M字開脚に剥(む)き出しにされた喜美子の両の内太腿(うちふともも)の中心に、ひだに囲まれた小豆(あずき)粒大の妖しげな花芯ボタン、その下に縦に割れた二枚の肉花弁がパックリ開いてそこに私の欲棒が挿し込まれている。

性器の結合の様が、あからさまに公開されているこんな光景、いずれにしても通常はマジマジと見れるものではない。

そしておかしな事だが、合理的な説明はほとんど付かない本能として男共は視覚で興奮するのだから、意図的に「見せる」と言う形態がこうしたプレイでは選択されるのである。

しかも目の前で私の欲棒が挿し込まれている女性器は、生島にとつては我妻・喜美子のものだった。

これは複雑な真理をくすぐって、生島を経験した事の無い興奮に誘(いざな)うのである。

自分の妻の痴態を見るのは愛憎相半ばするもので、生島は自分と喜美子を「別の固体」と考えて、今、愛妻を貫いている私の欲棒を「己の代行気分」にしてSの感性がうずいて居るのかも知れない。

私にも経験があるが、自分の妻が他人として居る姿は、「見物」と言えば、酷(はど)く興奮させられる見物ではある。

坊主頭の海綿体のエラが、喜美子の内壁を擦(こす)りながら、陰茎が見え隠れしている様が夫の生島に丸見えの筈(はず)である。

奇妙な事に、今度は愛妻を自分と一体化して考えると、同じ景色がMの感性で見えてくる。

つまり被虐意識である。

恐らく私同様に、生島もこの誘惑から逃れられなくに違いない。

別の意味で興奮が楽しめる悪魔のような機会が、目の前で繰り広げられている。何故かこの場所は、それが互いに赦される場所(結界の中)なのである。

「京美企画の幹部は、皆そう言う仲間だ。」

脳が喜ぶ最高の性感は、何と言っても性的接触感覚と性的視覚の鮮烈な相乗効果で、生島は私と犯り終えた妻・喜美子の露(あらわ)な内太腿(うちふともも)に、股間から白く濁った愛液が怪し気に筋を作って垂れ流れるのを、もしかすると鮮烈な印象で見て居た。


開所式が終って、改めて里美の旦那様(社長)と私達夫婦が話し合う場がセットされていました。

岩代さんの配慮でしょうが、私(喜美子)は「今までの事は捨てて、立場を鮮明にするように。」とアドバイスをされています。

恐らく夫の生島も同じ事を言われている筈で、式後も全裸で居る私(喜美子)に着衣を促(うな)がそうとはしません。

キット里美の旦那様(社長)の前で私(喜美子)を全裸のままにして置くのは、私達夫婦の隷属の証(あかし)なのでしょう。

仕方が無いから、全裸のまま厨房に入り酒席の支度をしました。

そうこうする内に、夫にまた「里美の旦那様(社長)に奉仕をしろ」と命じられます。

里美の旦那様(社長)と「犯れ」と言う事で、何しろ夫に見られながらの親友(里美)の夫との性交尾なのです。

新しい環境に慣れる事を要求される私(喜美子)の立場なのですが、先程のどさくさ紛れとは違い落着いた中での改めての状況では、脳みそが溶けるような異様な興奮と恥かしさが湧き上がって来ます。

しかし夫の生島にしてみれば、妻の私(喜美子)が変態に徹して里美の旦那様(社長)を喜ばせ事が出来なければ、夫の沽券(こけん)に関わる事になるでしょう。

選択の余地など有りません。

ここは私(喜美子)が積極的に犯るっきゃ有りません。

ネットリとおシャブリを充分に楽しませ、花芯ボタンから二枚の肉花弁にかけてカリ首をクニュクニュと擦り付けて、的(まと)に宛がい、腰を降ろして行きます。

私(喜美子)の火照(ほて)った子宮の中へ、里美の旦那様(社長)のカリ首がニュルリと入って来ます。

「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

そのカリ首の抽入感にジワ〜と愛液が溢れるのを感じて、私(喜美子)は仰(の)け反(ぞ)りました。

私(喜美子)が貫抜かれたまま腰を上下させて抽送を始めると、里美の旦那様(社長)の腰も呼応して下から突き上げて来ます。

クニュクニュと私(喜美子)の恥毛が絡む二枚の肉花弁を捩(よ)じらせ巻き込のを感じなながら深く浅くと抜き刺しすると、自然に腰使いが激しく成ります。

「アァ〜ッ、アァ〜ッ、アァ〜ッ、アァ〜ッ。」

里美の旦那様(社長)のエラの張ったカリ首が、私(喜美子)の内壁を擦(こす)って何とも心地良く、カリ首の海綿体が私(喜美子)の子宮が火照(ほて)って熱くなるのを感じさせます。

グィグィと腰の上下を激しくして快感を貪(むさぼ)り始め、フト気が付くと夫がグラスを口に運びながら私(喜美子)の性交尾を眺めています。

「あぁ夫にこのあさましい姿を見られている」と思いましたが、突き上げる快感を貪(むさぼ)り始めた私(喜美子)の肉体(からだ)は抽送が止まりません。

私(喜美子)が里美の旦那様(社長)と犯って居るのを目の前で見て、これで夫は満足なのでしょうから、私(喜美子)がより快感を得たければ自然にその腰使いが激しくなり、快感を貪(むさぼ)るのはむしろ当たり前の事ではないでしょうか?



「アラ、キミチャンの歌が聞えたから来て見たら、あなた、キミチャンに犯って頂いているのですか?」

何時の間にか、さわやかな笑顔の妻が起きて、覗き込むように様子を見ていた。

妻は憑(つ)き物が落ちた様に、さっぱりとした顔をしている。

先程散々遊びの性交をした後の妻にすれば、私が親友の喜美子と遊びの性交をしていても、屁(へ)とも思わない。

「おぅ、キミチャンの旦那さんが何時でもキミチャンを使ってくれって、今借りて犯らせている。」

「そうですか、良かったですね。済みません生島さん。時々キミチャンを貸して犯って下さい。」

「いぇ、もぅ私達とはこう言う一蓮托生の仲に成ったのですから遠慮なくどうぞどうぞ。」

「そうそう生島君、君も遠慮なく何時(いつ)でも内の奴(里美)と犯って構わないぞ。」

今日は興奮し過ぎ、犯り過ぎでイキ(射精し)難くなっているから、長い事抽入を楽しめる。

「あぁ、里美、気持ちが良いよ。」

「そうね、気持ち良さそぅ、キミチャンに悪いから、私も生島さんに犯って差し上げようかしら。」

「里美ちゃん、今日は大活躍で疲れているでしょ、無理しなくても良い〜よ。」

「あっ、奥さんはお疲れでしょう。私は社長の後で、喜美子と犯りますから。」

「そぅよ、今は私が二人とも面倒を見るんだから。休んで居なさいよ。」

「それならお前、生島君のチ*ポをシャブって遣りなさい。」

「そうですね。生島さん、前で二人が犯るのをご覧に成りながら、私のおシャブリを楽しんで下さい。」

「いゃ、恐縮です。じゃあ、お願いしますか。」

まつたく、この二組の夫婦の自然な会話は何だろう?

考えて見れば、世間でけして有りそうも無い内容の会話が続いている。



血液型がB型の女性の性格はマイペースで解放的、集中力があって勝負強い。

喜美子の血液型はこのB型だったから、この情況下での勝負所を一瞬で理解したのかも知れない。

B型の女性は気分屋で常に自分の感覚で物事を判断し行動する為気持ちの切り替えが早く、周囲の目には「一貫性が無い」と取られる。

マイペースで解放的な面が発揮され、特に好きでもない相手にも簡単に着いて行き、場所も気にせずその場の気分で犯ってしまう性格がB型だから、喜美子がこの場の雰囲気に溶け込む事は容易だったのだろう。

ちなみにB型女性は、性行為に於ける内容も許容範囲は広く研究熱心で積極的に挑戦する傾向はあるが、あくまでも自分本位に積極的で自分主導である。


「暖かかったのです。」

大股開きのM字開脚で、喜美子の二枚の肉花弁を巻き込みながら、私の欲棒が愛液に濡れ光って抜き挿しされるのを見下ろしながら、ポツンと喜美子は言った。

彼女が言うに、普通だったらどんな事情が有ってもこんな怪しげな事をさせられる誘いを受けはしない。

いきなり巻き込まれるように乱交に誘われたが、それでも仲間に入る気に成ったのは、私達も岩代夫婦も怪しげな事を感じさせない「暖かい感じがしたからだ」と言う。

ここまでズブズブと犯った所で、私が喜美子の耳元で囁いた。

「キミチャン、これで判っただろう。この会社は皆で文字通りズブズブの関係だから・・。」

「はぃ、判りました。皆さんとズブズブの関係なのですね。」

会話しながらも、喜美子との抜き挿しはまだユックリと続いていた。

つまり里美の親友・喜美子の肉体(からだ)は、私の「ご愛用」と言う事である。


何しろ妻・里美の友人で、熟れた美人の他人妻(ひとずま)が抱けるのである。

勿論(もちろん)こんな美味(おい)しい話を誰が遠慮などするものか。



人間には、誰でも潜んでいる別の顔がある。

岩代は、彼の不思議な能力で生島夫婦の別の顔を見透かして、京美企画に引き込んだのかも知れない。

夕方五時頃から翌早朝の三時頃まで十時間かかって、終わった頃には睡魔が襲って来ていた。

とんでもない夜遊びだが、楽しい事を犯っている時は眠気も醒めるものらしい。


妻に開所式の生贄にされた気分を聞いた。

私(里美)、田嶋さんや石上さんのお相手の時はまだ夢中で、自信がありませんでした。

どうせ今後も接待を継続するなら、開所祈願で自分が何処まで出来るのか、自信を持ちたかったのです。


私(里美)、ポールに両手を広げて縛られ、お尻を突き出す格好で前屈みにされた時、「あぁ、これで誰の欲棒も、何度でも拒めない。皆が好きなだけ私を犯せる。」と、思っただけで、「ジーン」と股間が濡れてくるのが判りました。

自分がどうなってしまうのか、恐い反面心の何処かに、「期待する物があった。」のです。

背徳の香りは、実は密の味がします。普通の女性は建前の壁に阻まれて、こんな経験は一生出来ないのでしょう。

私(里美)は、自分の強い被虐性を認識するとともに、それをカバーするには「心の衣装も脱ぎ捨てるべきだ。」と思い当たりました。

最初は訪れる人数を数えていました。

処が、途中からあまりに強烈な刺激に、気が付くと頭の中は刺激を受け入れる事に専念していました。

これは、格好を付けても仕方が無い非日常の別世界の事です。

私(里美)、低めの位置でポールに両手を広げて縛られ、お尻を突き出す格好で犯されながら、感じ過ぎて気を失っていたようです。

でも、私(里美)が気を失っても誰も犯す事を止めなかったらしく、気がついたらまだ犯され続けられて居る最中でした。

それが岩代さんの狙いだったのでしょうが、もう、物凄い快感が絶え間なく続いて、脳みそがぶっ飛んだように理性などカケラもありません。

迷うのは、最初の一歩なのです。

一歩踏み越えてしまえば、今までとは百八十度正反対の、愛など何の関係もない卑猥で隠避、そして背徳的な本能の世界なのです。

それが、予測した想像に反して、私(里美)の感性に的中したのです。

いざ踏み込んで見ると、私(里美)の肉体は、知らない男の欲棒に犯されて快感に泣き叫びます。

嵐に翻弄(ほんろう)される小船のように、堪能の海に身を任せて漂うしか有りません。

あの開所祈願の輪姦、理不尽にも一方的に犯られているようで、実は、そうでもないのです。

輪姦による継続的なオーガズム(絶頂)を経験すると、オーガズム・ハイの状態に成り、オーガズムそのものが違う感じになり、自分も救われる思いがあります。

それは、マラソンのランナーズ・ハイや登山のクライマーズ・ハイの何倍にもなる「興奮の快感」をもたらせます。

オーガズム・ハイを一度経験すると、女性はその感覚が忘れられなく成るのです。

肉体は正直です。相手はどう在れ生きたバイブを使うみたいなもので、性交をすれば、生身の肉体は快感を得ます。

被虐感の入り混じる非日常の獣のような接待交尾に逃げ込む事で、うっとうしい日常から救われた気がします。

この性行為の遊び、一度経験してしまうと、「忘れられない感応の記憶体験」なのです。

そして一度経験してしまうと、正直「一度も二度も同じ」と言う、引き返せない開き直りの思いも湧きます。

実は、この開所祈願の輪姦の最中(さなか)、オーガズム・ハイの状態に入った私(里美)の脳裏には、信じられない映像が浮かんでいました。

そぅ、またあの不思議な幻想を、開所式祈願の最中に見ました。

立て続けに入れ替わり立ち代って強烈に男達から攻め立てられ、快感にイキ続けて失心している間も、その不思議な位にリアルな映像が、私(里美)の脳の中に浮かび上がります。

恐らく、笑われて終わりでしょうから、夫には詳しい事は言いませんでしたが、その鮮明な映像が、何故か私(里美)達夫婦の未来を暗示しているように思えたのです。

それがどうも会社や私達夫婦の未来を暗示私(里美)には、過去に見た事も無い建物まで、未来の本社として見えてくるのです。
あれは何なのでしょう。

けして、感の良さを磨こうと意識した訳では無いのですが、「ゲストの意向を汲み取ろう」と言う気持ちが、私(里美)の「感」を研ぎ澄ませて行きます。

そして、輪姦の快感時に幻想のように浮かび上がる不思議な未来予知映像・・・・

勿論説明は着きませんが、それらが、予め岩代さんが私(里美)に耳打ちをして予告していた事とは、完全に符合しました。

唯、そうした予知のようなもの存在を、その後幾度となく私(里美)が経験した事は、紛れも無い事実だったのです。

夫には説明できませんが、予(あらかじ)め見えている結果に、私(里美)が素直なのが当たり前なのです。


人は何時でも、「らしく生きたい」と言う願望を持っています。

人間らしくや、女性らしくなど、一つの生きる為の指標かも知れません。

しかし私(里美)に言わせれば、この「らしく」は、本当に「自分らしく」なのでしょうか?

非日常の性行為を経験して見て、初めて理解出来たのですが、社会の建前で定義つけられた人間らしくや、女性らしくなどは、その事そのものに何故か本音の違和感があるのです。

とどのつまり、本質的な人間らしくや、女性らしくなどは、社会の建前による定義とは必ずしも一致するものではないからなのでしょう。

確かにこの卑猥な光景は、上辺だけで固めた奇麗事の建前世界では、けして支持はされないでしょう。

しかし、「エッ、そんな酷い事が、女の身で良く出来る」と、個人の感性で決め付けるのは筋違いなのです。

「女の感性」と言っても人間の本質は複雑で、状況、環境、あらゆるものに影響され、変わるものですから、「これが正しい」と言う定義は無い筈です。

まぁ、その点は「男の感性」も似たようなものでしょう。

「普通こうだ」は通用しないのが男女の仲で、極端な話、どんな性交を楽しもうが個人の生き方ですから、犯罪以外は「個々の自由選択の問題なのだ」と思います。


そのうち意識が朦朧(もうろう)となり、凄まじく気持ちが良い性感覚の中を漂い、恍惚の中に、意識が現実と妄想の中を行き来した。

あらかじめ岩代さんから聞かされていたトリップ状態を迎えていたのです。

意識が突き抜けたその快感は、襲い来る男達の止らぬ陵辱の中で、長々と続いて止め処が無いのです。

自分の意識は現世と極楽を行き来して、その間もフト気が付くと、あらゆる陵辱が男達によって施(ほどこ)され、私(里美)は痴態の限りをさせられていました。

私(里美)には、それを「恥ずかしい」と思う余裕さえなく、快感は繰り返し襲って来ます。

声はとっくに枯れ、時折薄れ行く意識の中で、「もう、好きなだけ犯せば良い。」と開き直る自分が居ました。

そして、ある筈の無い奇蹟の映像を見ました。

もぅ、何があっても、私(里美)に恐れる物は何も無いのです。

そこかしこから聞えてくるのは、メンバーの肉体が触れるうごめきの音と善がり声ばかりです。

ここは、恥じらいから開放された場所・・・・。
私(里美)も、思い切り淫乱に成れば良いのです。

何の後悔もありません。オーガズム・ハイの強烈な快感の余韻と、唯々「大切な役目を成し遂げた」と言う達成感が得られました。



男同士で意気投合しても、互いの妻が蚊帳の外では事業の共同経営など砂上の楼閣である。

人間同士、信頼し合う事が一番だが、現実の問題として身も心も通じ合わないとそれは中々難しい。

だからこそ、事業共同で為す為の「新しい形の友人関係」として、夫婦互いに信頼し合う為の、遠慮の無い肉体関係の合意が有っても良いのではないだろうか?

愛情は精神的な夫婦間だけのものにして、肉体を互いに共有する事が出来れば確かに親身であるから、共同経営としては確かに理想的である。

その点では、妻や京香、喜美子も合意であるから、余分な説明など要らない。

ゲスト相手の性奉仕でも、相手が多人数で輪姦(まわ)されるにしても、始まってしまえば求められる事をこなすのが精一杯で、妻にはもう考える余裕など無い。

元々格好を付けている場合ではないのが性交で、益してや相手が多人数で「輪姦(まわ)」され、一度に複数相手に休む間なく責めたてられると成ると、生々しく涎(よだれ)も垂らすしオモラシもする事も大いに有る。

「あぁそれにしても私、変態の限りを尽くしチャッた。」

「皆を楽しませたのだから、良いじゃないか。」

「そうよね。キミチャン達も仲間に成ったし、あなた、これで邪気が祓(はら)われて、事業が上手く行けば良いですね。」

妻は、前向きに今回の事を消化していた。


唯々、少しだけSEXライフを楽しむ積りのスケベ心で始めた妻の調教が、事業を左右する接待に発展して、思いも寄らない資金を獲得している。

現在に至ると、実は想像さえしなかった大金が京美企画に毎月転がり込んで来ていた。

正(まさ)に、岩代の呪詛にでも掛ったように劇的な変化で、私達夫婦の生活は一変した。


注意深いだけで、女性だって秘めたる性欲や好奇心は旺盛にある。

世の人々は性交などには興味が無い様に装っているが、まともな性癖の男女なら性交を愉しもうと言う本能が在って当たり前である。

そしてその性交には心地良い気分の姦淫ムードを愉しむだけの関係も新鮮で在り、必ずしも性交に「愛情」が拘(かか)わる訳ではない。

日常の空(むな)しさ埋める様に行為に集中すれば、この瞬間だけは意外と頭が空(から)に成り「無(忘我)の境地」に入れる事に気が付いた。

結局喜美子は、自分を納得させる理由が在って安心安全の環境が許せば、本音はこう言う事も「犯って見たかった行為」なのかも知れない。

不思議な感覚だった。

愛は理屈や計算では計れない。

嫌でも現実を直視させられるが、妻が淫(みだ)らに他人と性交していても、全く妻の気持ちを疑う気には成らない。

心から愛していれば、「他の事は問題ではない」と言う事だ。

不思議な事だが、未だにどうしてそう言う心境に私が成ったのかは判らない。

岩代が、妻に潜在した情熱的な情念を引き出し、妻は確かに水を得た魚のように泳ぎ始めた。

私が、この輪姦を妻に施(ほどこ)した岩代の本当の目的を知ったのはズット後の事だが、その目的は、妻を神懸(かみがか)り状態にさせ、未来予知の映像を見せる事だった。

後に成って考えて見るに、あれは、岩代の施(ほどこ)した「結界の中の出来事」だったのではないだろうか?


妻を辱め、他人に抱かせて置いて矛盾した話だが、不思議な事に夫婦の仲は、明らかに深まっていた。

そして妻も私も、以前より遥かに充実した日々を送っている。

明日は祭日で、お披露目したい部外関係者を招待しての設立パーテーだが、明後日には興信所が、岩代調査の報告に来るのだろうか?

岩代の正体、早く知りたい。

彼には、何か私の窺い知れない計画があり、口癖は「今の日本が長く続く訳が無い。」である。

もう、五月の連休が目の前だった。


(小泉順子の願望)
蒼い危険な賭け・京香◆第十九話(小泉順子の願望)


年明け早々、NTT株が株式上場となり、百六十万円の初値が付くが、三月にはNTT株が三百万円台を記録する。

また、ゴッホの「ひまわり」を安田火災が手数料込み五十八億円で落札し、四月末の日本の外貨準備高が六百八十六億二千万ドルとなり、西ドイツを抜いて世界一となる事が判明、日本の金満振りが頂点に達し始めた年だった。


「社長、どうでした?生島喜美子。」

「あぁ、夫婦揃って素直なものだ。まだ喜美子の善がり声が耳に残っている。」

「喜美子は、使えるように俺達夫婦でジックリ仕込みますから。社長もその積りで時々抱いて下さい。」

「そうだなぁ、接待の奉仕と言っても、どうすれば良いかは実践で仕込んでおかないと、本人も犯り方に困るだろう。」

「はぃ、仰(おっしゃ)る通りですから、奥さん(里美)共々ゲストが喜ぶように、デビュー前に暫(しば)らく特訓をさせます。」

「内の奴(里美)と一緒に特訓・・・か。」

「熟れ始めの肉体です。きつい事をトコトン毎日させて、喜美子が快感の喜びを知れば、それが普通に成って抵抗感が無くなり、仕舞いには体が求めるように成ります。」

「生島の方は大丈夫か?厄介なトラブルは御免だが・・・」

「内の奴(京香)や奥さん(里美)が、埋め合わせにホローしていますから、本人もまんざらでは無いようで、喜美子の特訓も仕事と割り切っています。」

「社内の合意が生島に理解出来ていると言う事だな。」

「えぇ、肉体の独占欲に拘(こだわ)らない形に考え方を変えれば、結構この社内は生島にも楽しい筈(はず)です。」

「ところで、喜美子に施(ほどこ)す特訓とやらは、内の奴(里美)にもして居るのか。」

「最初は奥さん(里美)も、接待奉仕をゲストにどうしたら良いのか、犯り方が判らなかったようで、教えて欲しいと逆に頼まれました。」

「そぅか、内の奴(里美)の方から特訓を頼んだか。」

「奥さんにしたら、どうせするなら下手な奉仕は出来ないと言う気持ちだったのでしょう。」

恐らく里美独特のプライドなのかも知れないが、確かに里美にはそう言う妙な負けず嫌いな所がある。

そして、いざ「それをする」と成ったら、例え肉体奉仕と言えども「一定の精度を持とう」と言う律儀(りちぎ)さもある。



このままじゃ悔しい、「何とかして」が、私(里美)の変身のきっかけでした。

つまり、この事態は自分が選んだのです。

只、この社会は「頑ん張る」と言う気持ちだけでは、「どうにも成らない」と言うのが現実だったのです。

夫とだけ犯って居た時の性行為は夫任せで「あぁこんなものか」と思っていたのですが、こうしてゲスト様の要求に応じて、露出羞恥プレィ、複数プレィ、SMプレィと、色々犯らされて見ると奥が深いのです。

物事の考え方には柔軟性は必要で、確かに卑猥(ひわい)の限りを尽くす行為でゲスト様をお慰めしては居ますが、私(里美)にしてみると、接待の性奉仕は「私(里美)の修行のようなもの」かも知れません。

「その気に成る」と言う事は、甘えてはいけない真剣勝負に、気持ちを切り替えなくては成らないのです。

忌々しい事に、「気持ちだけで通じる」と言うのは幻想です。一方的に得るもの求めても、それではバランスの真理が保てません。

現実にはそれに匹敵する何かを失わずして、それは得られないのです。

私(里美)に出来る事は、そう多くはありません。

それを理解した時、私(里美)は女の甘えを捨てました。

それを、決心させてくれたのが、夫の広い心と岩代さん夫婦の調教なのです。

それが、専業主婦時代の些細(ささい)な事に一喜一憂する詰まらない人生より余程刺激的で、直ぐに「素裸を他人に晒(さら)すのは当たり前、貞操さえ簡単に供されてしまう」と言うスリリングな場面に追い込まれました。

最初の心境では、「恥ずかしくても、歯を食い縛って耐えるしかない。」と思いました。

でも、私(里美)にも誇りがありますから、意地でも見苦しく泣き叫んだりせず、「堂々と受けて立とう」と考えました。

それで、なるべく平然を装い、やせ我慢に徹していると、肉体(からだ)の方が思い掛けず、既成概念とはまったく違う反応をするのです。



接待時、愛奴隷のストリップ・サーチ(全裸検査)はゲスト様の特権なのです。

ゲスト様の前に曳き出された私(里美)は、ゲスト様の目から見れば、黒い陰りを見せる恥毛や丸く「曲線を描く恥丘も丸見え」で、その股間に、二枚の肉花弁が可愛く開いて咲いている事まで想像出来ます

究極の拘束状態に置かれ、何もかも剥(む)き出しにされた恥じらいの中、乳房を揉みしだかれ、口の中はもとより、女性器の中だろうがア*ルの中だろうが、隅々まで触れられ、指を入れられて確かめられる事は、思っただけでも私(里美)の被虐心を熱くさせます。

その期待の中でゲスト様への御奉仕は、現実に始まるのです。

気持ちが良いのです。

肉体(からだ)は、倫理観など関係ありません。

脳みそが痺(しび)れるような快感に我を忘れさせられ、他人の欲棒を迎え入れて腰を使う私(里美)が、そこに居たのです。

恥ずかしくて、口には出せなかったのですが、自分の性に合っている事に気が付いたのです。

そうなると女はずるい者で、黙って、言われるままに従って居れば良いのです。

その何食わぬ態度が、愛情とは分離した性行為の存在を、私(里美)の肉体に、確りと教え込まれたのです。

決心してその場に身を置いて見ると、思わぬ事を知りました。

「誰でもそうだ」とは言いませんが、本音で言えば私(里美)の場合、何もかも忘れる非日常の行為は、「日常のストレス解消」と言う面で有効だったのです。

岩代さんはそう考える私(里美)の資質を、見破っていたのでしょう。

まったく人格を否定され、只の生身の肉体を持った玩具、私(里美)の身体が全て他人の為に供される時間は、実は私(里美)の日々にとって、たまには有って良い時間なのです。

本人も知らなかった私(里美)の資質は、岩代さん夫婦の調教で開花します。

SMの陵辱を受けて、ダメージに思うかどうかは、それを受け入れる事が、本人の意思で有るか無いかに掛っているのです。

私(里美)に関して言えば、答えは出ています。

これも一種の信仰かも知れないのですが、安心に、快適に暮らすには、「信じる所を進む事が正しい」と思いました。

信じる所を進んだ結果がこれで、時折訪れる愛奴隷の時間は、ペイ・リスク(支払うべき危険負担の代償)なのです。

それが、いかに卑猥な行為でも、その事が、自らに課せられた「平穏への代償である」と考えて、命じられた通りの陵辱を、納得の上感受して来ました。

私(里美)がシンプルに考えれば、不完全な人間が「いかに調整を繰り返しながら生きるか」と言う事で、不完全な者に完全を求める社会常識に、始めから問題があるのかも知れません。

もう、完全を求める逃げ場の無い建前の社会常識を強いる事に、限界点が見えているのです。

不完全を容認して、そこからどう社会合意を形成し直すかを真剣に考えないと、十年、二十年先に、親子関係すら危うい社会が成立するでしょう。

なぜならば、建前と現実のせめぎ合いの限界を超えた時、残るのは身勝手で深刻な「個人主義思想のいらだち」だけだからです。



結局妻は、日頃の貞淑な生活態度とは裏腹に、この性交天国の理不尽なくらいに思い遣りも無く犯される非日常の魅力に嵌(はま)ってしまった。

だから世間では、フトした切欠けでもあれば浮気騒ぎを起こすのだろうが、淡々とした子育て中心の生活と代わり映えしない夫との人生行路など、妻にして見れば退屈極まりない。

思い掛けない展開で始まった非日常の性交天国だったが、「情」が絡まない理不尽なくらいの勝手な性交で犯されるから、バーチャル気分でのあらゆるシュチエーションの性交が可能だった。

その時間が妻の平凡な日常生活を補完し、冒険心を満たしてくれるような出来事のヒロイン気分が味わえるのだ。

それはそうだろう。

普段インサイドで真面目に生活しているからこそ、アウトサイドの不良の冒険の癒しが必要になる。

人間は、リアリティー(現実)よりもバーチャル・リアリティー(仮想現実)に精神的な救いを求める。

脳が成長し過ぎた人間には、リアリティー(現実)ばかりでは生きて行くのが辛いのだから、小説でも映像の物語でも変化波乱が有るから面白く、現実には適わない事を、バーチャル・リアリティー(仮想現実)の意識の中で消化し、「思考的な満足を得よう」とする。

一般的なバーチャル・リアリティー(仮想現実)は、それが小説だったり舞台だったり、今時はアニメだったり果ては信仰の奇跡だったりするのだが、この性交天国はリアル(現実)でありながらバーチャル(仮想)で済ませる非日常の世界である。

退屈で平凡な日常に比べ、非日常の性交天国での「情」が絡まないあらゆるシュチエーションの性交であれば、悲劇のヒロインからライブのスターまでバーチャル気分で味わえる。

つまりこのリアル(現実)でありながらバーチャル(仮想)で済ませる卑猥な冒険は、妻の心の隙間を埋める又と無い舞台だった。



岩代は妻の開所祈願の輪姦は、その快感に拠る妻の脳派エネルギーを、「京美企画発展の力にしたい」と言うのである。

にわかには信じられない事であったが、事実妻は、その最中に何かを脳内で見たらしい。

単なる幻覚かも知れないし、正確な予知性が有るのかも知れないが、その真贋の判断は私には出来ない。

どうやら予知したのは、私達夫婦と「京美企画」の未来らしいのだが、唯その内容を、妻は私には漠然としか話さない。

それで厄介な事に、妻は益々岩代の言う事を信奉するように成って行った。

岩代理論では、動植物が種別ごとに持ち合わせているもので、人間が過去に失った五感以外の超感覚が、休止している別の脳領域に存在する。

動物がある機能を獲得する為には、適切な感受性が必用で、適切な臨界圧力状態に達した臨界連鎖反応の量が時間とともに増加して行く「輪姦性感覚」の極限が、超人的な脳派エネルギーを醸成するのだ。

祈願巫女を極限状態に追い込む輪姦の目的は、巫女の脳内を「臨界点」ぎりぎりの「超臨界性感覚」にし、休止している別の脳領域を多少回復させる事に拠って、脳派エネルギーを放出させる。

それが古来から行なわれていた実効性を伴なう「陰陽祈願術の正体だ」と言うのである。



五月晴れの空に、鯉のぼりが旗めている。

設立記念パーテーは私の想像を超える規模で、盛大に行われた。

岩代の手配に抜かりは無く、会場の設営、パーテーコンパニオン、出張パーテーディナアー業者など他所と見劣りは無い。

昨日の学生達も、今日は表向きの祝賀会だから、かしこまって岩代の号令に従い、淡々と作業を分担している。

正に彼らは岩代親衛隊なのだ。

岩代夫婦が、昨日早々に引き上げたのはこの支度の為だった。

昨日のメンバーに加え、私の唯一の身内である兄貴と、妻の里美の両親、前の職場のだみ声の専務夫婦、銀行の担当者に業界の繋がり先が二十社ほど、一階の接待フロアーを使った会場は、立食パーテーで無ければ入り切れない。

料理は奮発して、一流ホテルのケータリングから取り寄せた。

岩代、生島の両細君、京香と喜美子も今日は和服に着飾って、何時も以上に栄えている。

和服は借り物だが、一日三十万もする上等なもので、二人とも着付けをされている時から喜んでいた。

着物は「日本文化」とされているが、そうした表面的なものだけを見れば良いものだろうか?

着物姿の女性は確かに美しく見える。

しかし女性の着物は、その構造上から察するに父長制(男性社会)の象徴的もので、現実には、意図的に活動性に乏しい社会的な拘束衣でもある。

指輪などの装飾も全て岩代が手を回して金を掛け、彼女達を引き立てている。

やはり二人からは、昨日の痴態など、微塵も感じさせない。

朝、早くから岩代が予約していた美容院に、三人連れ立って行ったらしい。

岩代の、「落ちの無さ」には今更ながら感心する。

妻は、昨日の事など無かったかの様に、「岩代が用意した」と言う宝飾を身に着け、一流の処で誂(あつら)えたパーティドレスを身にまとい、「貴婦人然」と社長婦人を演じている。

妻が着ているのは、後ろが大きく大胆にえぐれ尻が一部見えそうに開いて、胸も大きく大胆に半乳見える紫色のパーティドレスだが、目出度い席で余り違和感は無い。

露出気味のドレスを、妻だけに着せたのは岩代の演出で、特に主役として妻が何処に居ても目立つし、誰が見ても美しい。

「この宝飾だけで、五百万だって。」と、妻は私に嬉しそうに言った。

妻の身に着けている物は、「今後必要だ」と、全て岩代が購入した物だ。

昨日あれだけ彼女の自尊心を失わせた性人形(SEXドール・愛奴隷)の見返りとして、このパーテーで、彼女の虚栄心は十二分に満足している事だろう。

妻は「独立して、良かった。」と、無邪気に手放しで喜んでいる。

まぁ、彼女が身体を張って稼いだのだから、私としても着飾る事に一言も無い。

「お前が着飾っているのは、売り物だからだよ。」

私は、皮肉りたかったが、止めた。

何も、妻の気分を壊す事は無い。

背景を知らない妻の両親は、誇らしげに私を見ていた。

娘婿の思わぬ出世に、私を見直した思いだろう。

しかし現実は、仕掛けたのが岩代で、私は乗っているだけだ。

ここまで来ると私はただのお飾りの様で、男として釈然としない。

そして、あなた方の娘は、輪姦(まわ)されてヒィヒィ言いながら「アァァ、気持ち良い、気持ち良い。」と腰を振る女に成っている私の妻だ。

そんな思いも、この状況では口に出せない。


昨夜と打って替わった華やかな開所式が始まりました。

岩代さんが何もかも手配済みで、私(喜美子)には見るからに高価な着物が用意されていました。

社長婦人の里美は、後ろが大きく大胆にえぐれお尻が一部見えそうに開いて、胸も大きく大胆に半乳見える鮮やかな紫色のパーティドレスを着ています。

この場に立って、改めて新しい未来が開けた事を感じます。

思い切って何もかもお仕舞いにしたら、新しい未来が始まりました。

借金で首が廻らない苦労から脱する為に、裸一貫身一つで再出発する積りが、言葉の綾(あや)ではなく本当に素っ裸にさせられて、まったく新しい未来に引き込まれたのです。

でも、サッパリしました。

人前で素っ裸に成り、里美さんの旦那(社長)さんに抱かれた時、何もかも砕けて、本当の意味で過去をスッパリ捨て、気持ちを切り替える事が出来ました。


まぁ、覚悟さえ決めれば、過去を引きずらず心身ともに出直すには、倫理観や常識さら捨てられた方が、人間「決まりがつく」と言うものです。

新しい未来は、或いは世間に知れれば袋叩きに合うような、妖しく世間とはかけ離れた倫理認識の世界でした。

突然その場に立たされて、怯(ひる)んだのは事実です。

永い事世間の倫理観や常識に制約されて生きて来た私(喜美子)ですから、仕方ありません。

でも、どうやら主人(生島)も承知の上らしく、岩代さんにも「これをきっかけに思い切って過去を捨てろ」と教えられました。

何よりも、私にだけそれを強いる訳ではなく、親友の社長婦人(里美)がその場で犯っているのですから、飛ぶ勇気には成ります。

そして飛んで見たら案外簡単な事で、拘(こだわ)る事でも無かったのです。

確かに世間の認識からすると、恐ろしく卑猥で倫理観のない未来かも知れません。

でも、苦労していて身に染(し)みたのです。世間のそうした倫理観や常識は、押し付けられるだけで何も助けてはくれませんし、役に立ちません。

手を差し伸べてくれたのは、里美さんの所(京美企画)だけでした。

それも凄く有利な条件で、新しい未来まで提示されましたから、それを信じて飛べました。

岩代さんに、「犯罪にさえ成らなかったら、他人がやらない事で夢を叶える分には、犯ったもの勝ち」と教わりました。

イヨイヨこれから、私(喜美子)は性奉仕が立派に出来る様に実践で仕込まれるそうです。

主人(生島)から、「俺が承知したから。」と、それを命じられました。

本音で言うと、「案外拘(こだわ)る事でも無い」と思っていましたから、主人(生島)が承知なら心配はありません。

後は私(喜美子)が、積極的に京美企画の皆さんと交わり、皆さんに溶け込んで、脳に染(し)みついた倫理観や常識を早く破壊し、その境遇を楽しめるように仕込んでもらうだけです。



竹中氏との間で喜美子の事が話題に成った。

「喜美子は、無事リピート段階(反復)に入りましたね。あの後自宅の方で一戦犯りました。やはりあれ(マルチSEX)は、堪らなく良いんですねぇ。」

「自宅の方にイソイソと犯られに行った所を見ると、喜美子はプレィで味を占めたのじゃないか。」

「そりゃあ散々に善がって、涎(よだれ)を垂らしながら咥え込んだ腰を結構激しく使ってプレィして居ましたからね。」

「頭で考えた事と違って、あれ(マルチSEX)を犯られると女性は大抵淫乱中毒になるからな。」

「えぇ面白(おもしろ)いもので、喜美子のあの様子を見れば良く判ります。」

「何しろ喜美子は、泡を吹く程の天国を味わったのだから簡単なものだ。」

「それで喜美子はプレイへの期待が先に立って、犯る気満々で居たのですね。」


このパーテーの最中、私は岩代の接待計画に於ける手駒増員の、次の意外な接待メンバーのターゲットの話を聞いた。

「社長、今日竹中さんが例の娘さんを連れて来ています。それで、社長と私に話があるそうです。」

竹中氏が、娘さんを連れて来ていたのは私も承知していた。

しかし、まさか竹中氏の愛嬢が、自分からこの淫乱な桃源郷の渦中に飛び込んで来るとは普通は思えない。

それが驚いた事に、「出資者の娘として当社の営業に参加する」と言うのだ。

「えっ、その話、竹中さんは承知しているのか?」

「勿論、竹中さんから宜しくと頼まれた上での事です。」

「それで、どう扱うのだ。」

「勿論、みっちりと全力で仕込んで、戦力に成ってもらいます。」

「戦力って、あの娘に他の女性達と同じように接待を犯らせる積りか?」

「実は俺、前々からこんな風に成るような気がしていました。だから、結果は決まっていると思います。」

岩代は冷静に、「この事有るを予想して居た」と言う。

「つまり、逆らえない運命・・・と言うのか?」

「えぇ、だれも運命の流れには逆らえません。」

ここに参加する以上小泉順子も、他の妻達と同様に、裸の接待愛奴隷として厳しく仕込まれる運命にある。

順子は、それを承知で「京美企画に参加したい」と言うのだ。

それも岩代は、「順子の定めだ」と言うのか。

「先日娘さんに直接相談を受けて、貴女では勤まらないと断ったのですが、お父さんを問い詰めたらしくて、断り切れなかったのです。」

順子の本性が「愛奴隷としてのマッチング(相性/適合)している」と、岩代は言うのである。

物事何でも経験が物を言う。

その道の達人とも思える岩代が言うのだからまずは間違いは無いのだろう。

私は、「あの娘が、この淫靡な仲間に入る」と意思表示した事に、戸惑いと期待を抱いていた。

「で、竹中さんの本心は、どうなのだ。」

「諦(あきら)めて、私達に任せるそうです。」

あの清楚な感じをしている竹中の娘・順子の、普段着の姿が浮かんだ。

あの娘を裸に剥(む)いたら、どんな裸身だろうか?

シメシメ、「仲間に入る」と言う事は、私も無条件で「あの娘が抱ける」と言う事だ。

「そぅか、本人も親も了承済みと言う事なら、断る理由も無いな。」

頬(ほほ)をつねりたい位の事だが、あの竹中の娘を私が抱けそうな話しだった。


私の見た所、順子の芯の強さは一級品である。

頭も良さそうだし、岩代に言わせると「接待愛奴隷に向いている」と言う条件にピッタリではある。

確かに、相手を竹中氏の娘と考えなければ、子供を二人も産んだ女性で、SEXも十分経験している立派な大人だ。

本人が希望しているのに断れば、現在の、自分達の存在そのものを自分で否定する事になる。


その課題は、設立記念パーテーの喧騒の中で持ち上がった。

以前にもこの話に登場したが、出資して貰った恩人の竹中氏には娘さんが居る。

嫁いでいるから姓は小泉に変わっているが、竹中氏の娘で有り唯一の身寄りである。

名を「順子」と言った。

嫁に行って四年、男女二人の子持ちで有る。

その小泉順子が、岩代に「相談事を持ちかけた」と言う。

その切欠の一つが、実家売却時に父親から受け取った五千万円にある。

これもバブルの功罪の一つだが、大金が入った事が幸せとは限らない。

思わぬ大金が手に入った娘の亭主が気を大きくして取り巻きを作り、見栄で友人におごり廻る内はまだしも、良からぬ遊びを覚え、急に身を持ち崩して気が付いた時には博打と女で五千万を超える借金をこしらえていた。

妻の持参金に甘えがあったのか、当時のバブル経済の風潮に、夫・小泉武司は乗せられた感がある。

この竹中の娘、小泉順子の夫・小泉武司の博打と女でこしらえた借金の一部、八百万円ほどだが「龍信会」系の街金(消費者ローン)で借りていて、またも企業舎弟・坂元の処が絡んでいた。

まったく坂元の処も、良くも抜け目無く浸透したものだが、度々顔を出す名前である。


これは私が後から小泉武司に聞いた話だが、竹中の相談を受けて彼の借金清算の為に、坂元の街金(消費者ローン)へ同行したのは、岩代だった。

「久しぶりだな。彼は内の会社の者だ。」

「何だ。また我かい。そうか、そのお客さんお宅の身内か。それで、厄介事を持ち込んだのじゃないだろうな。」

街金の担当者は、岩代の顔を見るなり渋い顔をした。

「心配するな。今日は、後腐れがないように綺麗に清算する。」

「そりゃあ、助かるぜ。早いとこ済ませて帰ってくれ。」

「誰がこんな所に長居をするか、耳を揃えて持って来たから、早く返済書類を書け。」

「へぃ、毎度。おぃ、書類を早く出して、早く帰って頂け。」

小泉は、岩代と坂元の互いに一歩も引かない遣り取りに驚愕した。

義父の竹中が付けて寄越すだけ有って、小泉は、「とてもこの男には適わない。」と、それだけで岩代に心服してしまった。

何しろ相手は一般の素人では縮み上がる、恐持(こわも)ての業界人である。

「社長、岩代さんの度胸は、並じゃあない。とても適わない。」

初めて坂元の部下に、地上げの件で絡まれたあの時の私同様、小泉は温厚な雰囲気の岩代から予想だにしなかった恐持(こわも)てが垣間見え、正直「只者ではないと、たまげた・・・」のである。

結局、嫁に行く時に順子が竹中から持参した金を全て吐き出し、足りない分を竹中氏が補い、借金の全てを清算して彼女は離婚を決意した。

父の精一杯の思い遣りをみすみす無駄にした夫を見限る事にしたのだ。

それを、「子供が居るから。」と竹中に説得されて、現在は別居の形を取っている。

しかし彼女は、子供二人背負って生きて行かねばならない。

一度、「自分の人生を、冷静に見定めたい。」と考えた。

自分も平坦な子育てばかりの生活には、ウンザリしていたから、大金を掴んだ夫が羽目を外した事も判らないではない。

何も無い人生は詰まらない。

かと言って、野放図にアバンチュールを求めて焼けどするのは利口な大人のする事ではない。

それなら、「信頼出来る仲間内で遊ぶのが、利口な大人のする事だ」と小泉順子は思ったのだ。


そんな時、彼女は或る不思議な現象に気が付いた。

妻に先立たれて以来、とみに老け込んでいた父の驚異的な変身である。

見るからに若々しく成り、父はまるで別人の元気さである。

偶然や自然は有り得ないから、「かならず何かある筈だ。」と、興味を抱いた。

思い中(あ)たる事は一つしかない。

この一連の出来事、有限会社京美企画設立に関わってから、父は驚くほど元気に成ったのだ。

父が、家の買収後に設立した京美企画に出資した事は知っている。

これは、常人の想像を上回る奇跡的現象で、順子は何か強く引かれる興味が湧いた。

そして、岩代に座敷童子(ざしきわらし)の奇蹟を見せられている。

例の不動産屋の岩代さん達と、父は親しい付き合いを始めて以来変身している。

それでなくても順子は、直感的感性で岩代に最初から畏怖(いふ)の念を抱いていたのだ。

女の直感なのか、岩代があえて自分にメッセージを送ったのかは判らないが、順子には岩代の不思議な能力が確信出切る。

「父は、あの人達とキット何か有る。岩代さんが元気にさせてくれたのではないか?」

どう考えても、思い中(あ)たる事はそれしか考えられない。

岩代に不思議な能力があるのなら、自分の今後が託(たく)せるかも知れない。

それで父に何が有ったのか、それを知りたがった。


昨夜の事だが、開所式に出かけていた竹中の帰りを自宅で待ち詫(わび)ていた娘の順子に捕まり、問い詰められた。

「おとうさん、最近若さを取り戻したのかバカに元気だけど、岩代さん達と何があるの?」

「いや、何も無いよ。」

「そんな訳がないでしょ。目に見えて変わったのだから。」


「それは、新しい仕事に首を突っ込んだから、気が若くなったのだよ。」

「それだけの事で若返るなんて信じられない。本当は何なの?」

「判った。今夜は遅いので、明日にでも話すよ。」

返事に困った父親が、夜遅く「岩代君、娘が不審がって困っておる。」と岩代に電話で相談した。

娘の反応を予測したのか、岩代はさほど慌てず「やはりそう言って来ましたか。」と話を受けた。

岩代のアドバイスは、「隠すと返って娘さんは納得しないので、余計に疑心暗鬼を招く、娘さんも子持ちの大人なのだから全て正直に言ったらどうか?」と言う返事だった。

「話すのか?娘に。」

「えぇ、最初の京香との事から順番に洗い浚(ざら)い話されるのが良いでしょう。」

「しかし、私は娘の信頼を失いかねない。いゃ、あれを話せばキット嫌らしいオヤジだと信頼を失う。」

「安心してください。二人の子持ちですし、娘さんはそれ程無理解ではない筈です。」

「そうか、わしには信じられんが・・・・岩代君がそう言うなら、そうして見るか。」

「正直に話せば、理解されると思います。隠しても信頼を失う事に変わりは無い。」

岩代に勧められて、竹中氏は、仕方なしに「恥を忍んで開所式までの経緯を詳しく話した。」と言う。

当然、大半は細君や妻などとの「忌み祓い(桃源郷)」の話しになる。

それで、「この不良親父、良い年令(とし)をして。と娘に叱られる。」と父親は思ったらしいが、案に相違して娘の言い分は違った。

彼女の出した結論は、遥かに予測を飛んでいたのである。

子供にして見れば、「両親がSEXをして居る」なんて事は想像したくないのが心情である。

しかし真実とは不都合なもので、両親がSEXをしなければ自分はこの世に生まれ出ては居ない。

つまり厄介な事に、「嫌なものは嫌」と、現実とはかけ離れた希望的な心情を、「正しい主張」と勘違いしている事が、大半の人間が抱く性に対する誤解である。


順子はパートタイマーで働いてみたが、流れ作業の平坦な職場に永く勤めると、人間どうせ刺激が欲しくなる。

その職場は上司の正社員男子に露骨に媚を売る同僚主婦や、酷いのに成ると上司と不倫関係に成って露骨に威張る主婦もいるなど、ドロドロで小さな職場社会だった。

順子にして見れば、そんな後ろめたくビクついた薄暗い不毛な遊びを夫に内緒で犯るくらいなら、京美企画の様に仕事のツール(道具)と割り切った性交の方が後腐れも尾を引く事もない。

小泉順子は、その清楚な風貌(ふうぼう)に似合わず秘めたる本性は相当にスケベだった。

それが、父・竹中の話を聞き、押し込めていた性癖に火を灯してしまった。

本来なら隠し通すべき性癖だが、順子の本性だから仕方が無い。

つまり順子は、性についてスケベの前にドが付くくらい貪欲(どんよく)だったのだ。

その好き者順子は、興奮しながら父・竹中と京美企画の絡みを自分の事のようにリアルに感じた。

素っ裸にされて肉体(からだ)の隅々まで見られ、触って確かめられるストリップ・サーチ(全裸検査)から始まり、やがてバトル‐ロイヤル・セックス(多数が参加し公開で戦う性交方式)の渦中にあってセックスハイ状態(性感陶酔状態)に落ちて行く・・・・

小泉順子はそれを自分の脳の中で想像し、想像したそれだけでジンワリと子宮に熱いものを感じて、「自分も犯りたい。」と、自ら性交迷宮(セックスラビリンス)の住人に成る志願をした。

順子が思うに、その気になって犯って見れば肉体構造的には相手など誰とでも出来るのが性行為である。

恋人にしろ夫婦にしろ、元々は偶然の中で性交相手は決まるもので、肉体(からだ)の方は誰が相手でも性交に快感反応するように出来ているのだ。

義父・竹中の話しを聞いて居てその性玩具(おもちゃ)の惨状に在る自分を想像し、順子は乳首が立ち子宮が熱く成った。

何処か心の片隅で、これから自分の肉体(からだ)に訪れる卑猥(ひわい)なマルチSEX(複数性交)に、期待と恐怖が交互に来ていた。

自分を安全な所に置いて他人(ひと)の批判ばかりしている卑怯(ひきょう)な女性拠りも、自分を曝(さら)け出しても目的に向かう女性の方が「余程立派な覚悟だ」と言う見方も出来る。

親戚や隣近所にバレれば流石(さすが)に恥ずかしいが、綺麗事だけの世間にバレなければ仲間内でどんなに破廉恥(はれんち)な事をした所で恥ずかしくは無く、組織の秘密の共有は無限の価値を産むものである。


竹中は、かなり具体的に愛奴隷の性交接待の細部まで順子に聞き出されたらしく、当初私はそれを聞いて「竹中も良くそこまで愛娘に話した」と思ったが、後で聞くと実は竹中にある願望的な訳が在った。

とにかく竹中が包み隠さず順子に話した結果、順子は愛奴隷に躾(しつけ)る性交特訓を受け、「京美の仲間に加わりたい」と申し出たのである。

後で事情を知って見ると、竹中もそこまで期待した訳では無いが無意識にその方向に話していたのかも知れなかった。

フト私は、竹中親子の間に「何かの暗黙の意思表示が行きかったのではないか?」と疑った。

折角の夫の好機(チャンス)到来で、これが宝の山に入る時であれば己を捨てる気で思い切って行動する決断が大事で、小泉順子がもう一歩踏み込む時である。

言って見れば、「嫌なものは嫌」は、我侭(わがまま)な個人主義の発露で、恐らくその個人主義を押し通す者に、幸せが訪れる確率は低くなる。

何故ならば、人は群れ社会を形成する動物で、社会と個人の両舞台(ステージ)に生きているからである。

一人身の父親が性行為をしている位の事で驚くほど、もぅ順子は子供ではないから、父親が淋(さび)しくない方が余程安心する。


短大を卒業して結婚する数年、順子は老人ホームに勤めながら、老齢看護の勉強をして介護師資格を取得していた。

それで、高齢者の「若さを保つ秘訣」が何であるかは知っていた。

だから、それが何か「ピン」と来た。

知っていてあえて父親に話さなかったのは、父親を、綺麗綺麗な「幻想の中において置きたい」と言う「娘としてのエゴ」かも知れない。

テストステロンは、男性の性的機能に影響する内生的・性ホルモンである。

当然ながら、生体の体内で自然生成されている。

しかし近頃の研究では、この生体に有効なテストステロンが低濃度に成ると、「身体活動能力や気力の低下が見られる」と言う。

年齢とともに減少するテストステロン濃度は、老人の無気力化を促し、「鬱病状態との相関性が見られる」と言う。

当然ながら、テストステロン濃度の減少は、認知症などの疾患の発生に影響があるかも知れない。

性的興奮は、テストステロンを活性化し、「性欲増強の働きがある」と言われている。

性ホルモン・テストステロンは、老人の無気力を「改善する可能性がある事を示唆する」と言うテスト結果を出している。

古来から伝わる経験学的な「若さを保つ秘訣」はまんざらホラではない。

つまり、加齢に逆らって若さを保つに必要なのは、色恋沙汰と性的興奮である。

しかしながら、あらゆる社会的制約は、こうした生理的な事情よりも、「良い年齢をして、見っとも無い」などと言う奇妙な感情が支配している。



順子は、身長が170センチ近くあり、乳房も大き目な女性としては大柄のナイスバデイで、一重まぶただが目は大きく、精悍な感じがする冷たい顔つきに、すっきりした上下薄い唇の持ち主で、純粋に日本人だが、日本人離れした雰囲気がある。

妙齢の娘ではあるが、三十路に近くなって子供も二人居るから十分に大人で、今更SEXを、まんざら知らない訳では無い。

確かに娘の立場では理屈は判っていても、親のSEXは認め難い。

一個の人間で有る以上、父親に性的感情があっても何の不思議も無い。

しかし、そんな事を考える次元ではなかった。

自分が嫁に行き、母が亡くなって以来、父は急速に老け込んでいた。

それが、ある時を境に見るからに若返ったのだ。

元気でイケテルじいさんには生気(せいき)がある。

生気(せいき)は性器に通じ、そちらも現役でなければ元気でイケテルじいさんには成れない。

まぁ、自分で老けて行く者に良い仕事など出来ない。

戦前までの利巧な婦人はその辺りを承知していたから、案外妾の存在に寛大だった。

竹中の義父は現役を取り戻して「活力を得た」と順子は理解した。

その義父の様子がヒントに成り、順子は夫の活力を取り戻すに「妻として何をすべ行きか」を気が着いた。

そして何より、心配していた父が元気を取り戻した事に、「自分は父が男で有る事をまったく忘れていた。」と、詫(わ)びた。

父を「何よりも換え難い元気にさせてくれた京美企画のメンバーに感謝した」と言う。

この世間の娘とは異なる「解釈の違い」が発展して、「一緒に京美企画の仕事がしたい。」と言い出したのだ。


私(順子)は考えました。

人間同士、信頼し合う事が一番ですが、究極まで考えれば身も心も通じ合わないと、それは中々難しいのでしょう。

それに、人間の本能には蓋は出来ません。

互いの性欲を安全に手軽に、しかも濃厚に満足させる事は、家庭を守る上では最良の方法です。

それなら、事業共同で為す為の「新しい形の友人関係」として、夫婦互いに信頼し合う為の肉体関係の合意が有っても良いのではないでしょうか?

父が京美企画に参加した事は正解なのです。

愛と恋は別物で、愛ではなく「恋」ならば第一印象で抱(いだ)く感情ですが、これには当たり外れが有り、恋をしただけで良い婚姻相手に成るとは限らない危険が有るのです。

確かに恋はロマンチックなもので、愛情とは違う初期の感情ですが、それでも恋は当事者同士には充分に性交の理由に成ります。

所がこの恋心は、困った事に未婚・既婚の別はなくても抱(いだ)く感情ですから、時として浮気の理由に成る所に、夫婦家族と言った単位には脅威の存在に成らないとも限らないのです。

つまり、「恋」は純真な感情ではあるのですが、恋する人間の立場に拠っては不純な感情でもあるややこしいものなのです。

一方で永い夫婦生活には変化の無い日常が当たり前で、倦怠感も付きまといます。

人間は贅沢な者で、他の動物とは違って脳の能力が多様複雑に発達しているのですから、変化の無い日常を愛情だけでは埋めきれる筈は有りません。

岩代さんから教わりましたが、その調整手段として「擬似生殖行為」の快感によるオーガズム・ハイの興奮で発生するドーパミンの変成フェロモンである脳内麻薬・ベータ・エンドルフィンによる生活緩和効果が有効なのだそうです。

つまり恋や愛などの感情と、その感情のバランスを取る為の「擬似生殖行為に拠る生活緩和効果」は、人間に取って「生き行く上で必要な両輪なのだ」と言う訳です。

ですが、「擬似生殖行為」とて永い夫婦生活ではマンネリ化して興奮出来なく成り、ドーパミンの発生が抑制されてしまう所に、夫婦間の「擬似生殖行為」では、生活緩和効果が期待出来ない事態に陥る事に成ります。

そこで、倦怠感が付きまとう夫婦生活には愛情以外の刺激も必要なのですが、それを夫婦別々に内緒で求めるから夫のように「家庭崩壊」の危機を創造する事に成るのです。

この場合の結論として、家庭を壊さない最も理想的な解決方法は、夫婦合意に拠る恋愛を関わらせない安心安全を前提とした「遊びによる擬似生殖行為の興奮」と言う事に成ります。

建前主義者には暴論かも知れないですが、我が家の危機体験から私〔順子)はそれを学びました。

自然が生物に与える機能は必然が前提で、不要な機能を付加する事は無い筈です。

私(順子)は、「理に適っている」と、京美方式に共感を持ちました。

この生殖を伴わないSEX行為である「擬似生殖行為」が、苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の合意として、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられたのです。

それであれば、その目的は「苦悩を緩和する事」なのですから、乱交だろうが輪姦やSMだろうが、合意の上で、犯られたければ犯られれば良いのでしょう。

岩代さんから、京美方式の特定の相手に偏(かたよ)らない多数の相手との性交の理由も聞きました。

本質的に愛情を伴わない「苦悩を緩和する為の行為」なのですから、特定の相手に偏(かたよ)らない多数参加の乱交や輪姦そしてSMの方が、夫婦愛とは一線を画す上で「理に適っている」と思います。

勿論私(順子)は、小泉家と夫を再生するのが目的ですから、夫婦愛とは一線を画す京美方式の接待や乱倫同志経営に参加する覚悟で、例え多数参加の乱交や輪姦、SMでも犯って行くつもりで、父や岩代さんに 京美企画に加えて頂くようにお願いしました。



こう言う現実に直面し、一歩退いて自分の心を見詰れば、「嫌も恥ずかしいも」それは本人の個人的な感情である。

先入観のアンカリング効果で決め付けた感情に拠る流れない水は、澱(よど)んだまま腐る。

人間も同様で、グズグズ考えている場合で無い時は、澱(よど)まずに自然の感性で挑(と)ぶべきである。

抵抗は有っても、「嫌も恥ずかしいも」言わば本人の個人的な感情やプライドなのだ。

そう考えれば、吹っ切る為に己を捨てる気で思い切って行動する決断が小泉順子には大事である。



清楚(せいそ)に見えても、根がスケベな女性は結構多い。

結果的に判ったのだが小泉順子は典型的なそれで、彼女の場合機会が無かっただけで本音は「大勢にグチャグチャに犯られて見たい」と言う悶々とした空想を何時(いつ)も頭の中で描いていたらしい。

そこに父の竹中の話しで「そんな事が適う仲間が居る」と聞いただけで子宮を熱くし、「思い切って考え方を変えれば良いのだ」と飛び着いたのである。


小泉家は、離婚危機と言う行き止まりにさし掛かっていた。

順子が行き止まりで立ち往生するか、信頼の証の誓約(うけい)の性交に拠る証明で、その壁を乗り越えるかは本人の決心次第だった。

小泉順子は、夫の武司共々人生のリセットを京美企画に託(たく)す決意をした。

過去を捨てたいなら、産まれた時と同じ素っ裸に成る事から始め、肝心なのは、「輪姦を受ける」と言う引き返せない事実を実行する事で、順子の心身も踏ん切りが付く。

順子は小さい頃から聡明で、利発な少女だった。

頭が良いから、余り一般的な他人の押し付ける考え方には拘(こだわ)らない。

その順子が、夫の厄介事に頭脳をフル回転して考え出した結論が、今回のゴタゴタを払拭する為にも、「自分が忌み祓いをしたい。」と言う事だった。

それには、流石の竹中も驚いた。

他人の妻達を散々楽しんでいて虫の良い話だが、自分の娘が同じ事をするのは親として抵抗がある。

そこをズバリと娘に指摘された。

「他人の奥さんなら何をしても良くて、自分の娘にはさせたくないは、かなり虫が良過ぎるじゃない?」

そう言われると一言もないが、「何でそんな道を選ぶのか?」と問いただした所、「幸せに辿り着く道の様に思える。」と言う。

そこまで気が行ってしまっては、「娘とは言え生娘でもなし、いい大人だから後には引かない。」と判断した。

それで、試(ため)しに私や岩代に身を委(ゆだ)ねさせ、「懲りさせるしかない。」と判断したようだ。

つまり父親としては、「犯っちゃってくれ。」と言う訳だ。

「岩代君の手法を見て思ったのだが、中途半端は駄目(だめ)じゃ。本人も希望している事だ、どうせの事なら順子は嵌め倒されるに限る。」

「そんなキツイ事をさせて良いのですか?」

「旦那様も居る身だから、生半可では只の気晴らしに成る。内の順子もそれで生まれ変わるだろう。」

「それは、あの調子で嵌(は)め倒されれば、浮気も遊びも無い真剣勝負ですからね。」

「上手く行ったら夫婦で会社に入れて、営業と接待に使ってくれ。」

それで、その事を頼む為に、この設立パーテーに娘を伴ってやって来た。

しかし、竹中氏は岩代の霊的な力(パワー)と、徹底した陵辱志向を知らない。

そんな訳で、私はミイラ取りがミイラになる危さを百パーセント感じたが、竹中氏の要望は、「娘が懲りるくらいきついのを頼む。」と言う内容だった。

「それは危険です。どちらに転ぶか判りませんよ。」

「まぁ、ここまで娘と話が詰まったのだから、結果が悪ければ諦める」と竹中氏は言う。

しかし聡明な娘である順子は、岩代が仕掛けたこの一連のSEX遊戯が、一つのポリシーに基付いている事に気が付いていた。

夫婦のどちらかが、連れ合いに内緒で別の相手と性交すれば浮気だが、夫婦一緒の場面で別の相手と性交すれば、それは只の気晴らし遊びである。

精神的な愛を分離し、夫婦合意の遊び心で肉体の快楽を甘受する。

もとを正せば、隠れてやるから「浮気」で、互いの独占欲からの嫉妬や「寝取られないか」と生活基盤の崩壊を心配する。

まかり間違って相手の方が「性的に手慣(だ)れ」なら、心が移ってしまう。

だが、京美企画のこれには、世間で想定される夫婦間のリスクは無い。

こんな形で、日頃の鬱憤を発散出来れば、返って夫婦の愛が深まり、相手に鬱憤(うっぷん)をぶつける事も無い。

結婚して五年、順子にしてみたら骨身に染みた、夫婦間の「感情のすれ違い」と言うリスクと葛藤(かっとう)だった。

今回の事を冷静に考えると、夫も自分も鬱積(うっせき)した葛藤(かっとう)や不満の捌(は)け口もないまま、ぶつかりあって生活していた。

そんな鬱積(うっせき)した物を身体だけの遊びで一度全て吐き出せば、それが、一気に解消出来るかも知れない。

既成概念から解放され、生まれ変わるエネルギーは、恐くて個人では中々生み出せない。

その可能性を、このグループに参加する事で見い出せたのだ。

順子がこの「乱倫同志経営」に参加する事は、即(すなわ)ち肉体(からだ)を投げ出して男の玩具(オモチャ)に成る事である。

性奉仕の接待では、ゲストに何をさせられようがされようが、開いた股を閉じる事無く黙ってお楽しみ頂くだけが使命である。

彼女はその事実を認識していて、そんな無茶苦茶なそれを承知の上で夫婦参加を望んでいる事になる。

そして順子は、その洗礼を受ける自分の恥ずかしい姿を、密かに「夫の小泉武司に見せたい」と願っていた。

理性派の小泉順子は【左脳派人間】の閉塞感で、自分が押し潰されるか暴発するかの境目に居る事を自覚していた。

このままではどうにも成らないが、このグループに参加する事で場合に拠っては夫を巻き込み、伴に新しい人生を踏み出せるかも知れない。

そう信じて、順子は「幸せに辿(たど)り着く道」と表現したのだ。


順子を性接待の戦力に組み入れるには、順子に性奴隷として従順に犯られる特訓をさせる事になる。

岩代の提案で、「連休中の三日から五日に京美企画の三夫婦で引き受けよう」と言う話になった。

後で判ったが、娘の順子は父親の話を聞いていて「ピン」と来る期待の様なものがあったようだ。

その話を父に聞くまでは、夫の悪い所だけを考えていた。

今になると、夫が遊びにのめり込む原因に、「自分の性的つまらなさ」があった気がしたのだ。

「自分が夫をSEXで満足させていれば、こんな結果にならなかった。」と思い当った。

そして自分もかいま見ていた岩代の性的霊力に、異常な関心を感じた。

聞けば、連続する絶頂感に「邪気を祓うエネルギーを発する」それはもう、その性行為で「女性を神懸(かみがか)り状態にさせる事である」と言う話だ。

理屈はともかく、ご利益は京美企画の現状が証明している。

それに仕事のツール(道具)と割り切れば、大人同士が愉しく攻めたり責められたりする分には後腐れも尾を引く事もない。

「これを取得すれば、幸せに辿り着く道が開ける。」と、順子は考えたのだ。

それで御誂(おあつら)え向きに、岩代の霊的な力(パワー)の中へ自分で飛び込んで来た訳である。


この頃から、岩代の性的霊力の目的に、私はおぼろげながら或る疑惑が湧いた。

彼が目指しているのは、一体何なのか?

京美企画の事業は目的では無く、手段ではないのか?それ故、こちらの代表は私に任せたのではないだろうか?

私は岩代の構想に担ぎ上げられた「裸の王様」と言う思いがあった。

だが、この思いは既に私一人の孤独な思いだった。

妻を始め大半の人間が、私ではなく現実として岩代の性的霊力に心酔している。

妻に、竹中氏の娘の事を言うと、意外な意見が返って来た。

「竹中さんには散々私が愉しんで頂きましたから、今度はあなたが娘さんで楽しませてもらえば良いじゃありません。」

「良いのかそれで?」

「今は、信頼できる仲間を少しでも確保する事が大事でしょ。特に女は戦力ですから。」と、今までの妻では考えられない台詞(せりふ)を吐く。

妻は自覚こそして無いが、完全に岩代教の信者に成っているのだ。

いゃ、自覚していて私に言わないだけかも知れない。


「はて、しかし奇妙だ。」

岩代の自信満々な態度に、私は何と無く疑わずに信じてしまうのだが、考えて見れば妻を始めこう次から次と都合の良い女達が現われるものだろうか?

それも、揃いも揃って世間の常識とはかけ離れた卑猥な行為を、躊躇(ちゅうちょ)無くしてしまうのである。

正直信じられない。しかしその現実は、確実に目の前で繰り広げられている。

或いは妻達は、「自らの選択」と思い込まされているだけで、その実岩代にコントロールされて居るのかも知れない。

これはキット、私の知らない「不思議な何か」があるに違いない。

いずれにしても、岩代は家庭や夫婦を壊す気は無い。

むしろ性的霊力で、「幸せの連環構築」を強力に推し進めているのだ。

考えて見れば私は、行き成り細君(京香)を宛がわれて、すっかり岩代を信用してしまった。

しかし本来なら、これほどいかがわしい事は無い。

未だ岩代夫婦の素性さえ定かではないのだ。

所が、私に警戒心が一向に湧かないまま、細君(京香)の色香に迷わされ、彼の口車に乗せられてしまったのだ。

その点で言えば、妻より遥かに覚悟が出来ていなかったのだろう。

いずれにしても、妻の考える事も小泉順子の考える事も、本音の部分では私には理解出来ない。

しかし、人それぞれ感じる事があって選択をする。

その感じ方が「私と違うから」と言って、「私が正しい」とは言い切れない。

とは言うものの、妻も含め、女達が次々に岩代の性的霊力に心酔する所は、男性としては理解し難い。

だが、女性の本質(本性)に訴える何らかの見えないエネルギーが、彼女達の「本能をくすぐっている」としか思えない。



翌日の公式設立パーテーも終ったが、一人終らない女性がいた。

犯ると決めた以上、「甘えは赦さない」と言う岩代の助言に生島が承諾して、早速喜美子は接待のレクチャーを受ける事になった。

前の取引関係の後始末があったから生島は一旦小田原に帰ったが、喜美子の方はそのまま岩代夫婦に預けられた。

生島夫婦には小学生と幼い娘の二人がいるが、小学生の娘は喜美子の実家から学校に行かせ、下の娘は喜美子がレクチャーを受けている間は上の階に里美が預かる事になった。

生島喜美子の調教初日は、私が「立ち会う」事になった。

責任者である社長が、喜美子の調教を岩代夫婦に完全委託した事を形で示す必要もあった。

まぁ、それでなくても妻の友人キミチャンの初調教となれば、これは見物だから私が断る手はない。

岩代夫婦が喜美子を階下に曳き立てて行って、十五分もすると「支度が出来た」と呼びに来た。

最初は喜美子の肉体(からだ)に「快感を覚えさせる事から始める。」と岩代が言う。

レクチャーと言っても、勿論岩代夫婦の愛奴隷調教である。

快感中心の責めなら、上半身亀甲縛りのM字開脚固定が定番で、生島喜美子もメチャメチャに攻め立てられる筈だ。

あれは効くから股間から愛液を垂れ流してイカされ続けられるに違いない。

いずれにしても、SEXが楽しくなければ長続きはしない。

一階の接待部屋に入ると、案の定喜美子は開脚縛りで固定され上半身は亀甲縛りに縄掛けされて乳房が少し窮屈そうに絞(しぼ)られ、困惑した表情を浮かべて舞台に転がされていた。

左右の柔らかそうな太腿(ふともも)と脛(すね)を縄で束ね、束ねた足の膝(ひざ)と細い足首を縄で結わえて左右に引いて身動き出来ないM字開脚の形で固定すれば喜美子の股間は閉じる事の出来ない大股開きに成る。

剥(む)き出しにM字開脚にされた喜美子の両の内太腿(うちふともも)の中心に、妖しげなひだに囲まれた花芯ボタン、その下に縦に割れた二枚の肉花弁が生々しくパックリ開いて、一度責め終わったのか既に大人の玩具(おもちゃ)が挿し込まれたままだった。

性的な責めは十分間責めて濃厚な快感を味あわせ、五分〜三十分間は休ませ、その間に愛奴隷の態度振る舞いや口の効き方をレクチャーしてそれらしく仕込み、一日五時間は「みっちり調教する」と言う。

まぁ、喜美子にとって、今までの何も知らない平凡な人生が幸せとは限らない。

性感が研ぎ澄まされると、見えなかったものが見えて来る。

たまたまの人生が重なって、喜美子は隠す術(すべ)の無い喜美子の剥(む)き出しの内太腿(うちふともも)は、M字開脚に剥(む)き出しにされ、火照(ほて)った子宮を感じながら今ここに居る。

「ほら、社長が見に来てくれたぞ、喜美子は何と言うのだ?」

岩代が、行き成り喜美子に言葉責めを振った。

「喜美子は、一刻も早く接待が完璧に出来るように皆さんに教えて頂きます。その為にはどんな事でも喜んでして頂きます。」

「良し、早速天国に行くほどイカし倒してやる。」

「はぃ、玩具(おもちゃ)が用意してありますので宜しくお願いいたします。」

「ここに挿し込まれている玩具(おもちゃ)の事か?」

「はぃ、宜しかったらお使い頂いて、喜美子をお弄(なぶ)り下さい。アッ。」

喜美子の台詞が言い終わらない内に、私はもうスイッチを入れて抜き挿しを始めていた。

「アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜、アァァ〜。」

露(あらわ)に成った喜美子の女性器は何に使われ様がウエルカムで、指責め、器具責め、何本の欲棒でも物理的に拒否出来ないから受け入れ続ける。

最初は喜美子の気持ちが抵抗していたが、何しろ一番刺激に敏感な所を身動きも出来ない態勢で攻め立てられている。

手心は誰も加えないから刺激は強烈だが、固定されているから避け様が無い。

次第に感じ始め、善がり声が段々に高くなってやがてわめきや悲鳴に変わる。

そうなればもう、喜美子に恥じも外聞も無い。

ギャーギャーわめきながら腰を振り、仰(の)け反(そり)りながら乳房を振り、イカされ続けて仕舞いには声も出なくなった。



実は岩代から、私はある告白を受け驚愕した。

彼が想像以上に「緻密な男だ」と知ったのはこの時だか、驚く事に、岩代は入社直後から私達夫婦の事を調べ上げていた。

岩代は私が承知しているこの物語の関わり合いの遥か前から、緻密な計画性を持って、私達夫婦を巻き込む独立計画を工作していたのである。

竹中氏の地上げの成功時点では、既に生島喜美子が妻里美の親友と把握していて、竹中氏の箱根の別荘購入を斡旋し、生島不動産とも交流は出来ていた。


妻には内緒だが、妻が娘と実家に帰った時、小田原駅前で喜美子に会ったのは偶然ではない。

岩代の周到な計算だった。

私から里帰りを聞いていた岩代が、喜美子に依頼して偶然を装い待ち伏せして声を掛けさせたのだ。

そして妻の里美は、喜美子の優雅な装いに羨望の念を抱かせる事に成功した。

当然妻は対抗心を燃やす。

計画は図が当たり、妻は私に独立を強引に薦める事に成った。

何の事は無い、緻密に計画されたアリ地獄に妻は落ち、私は岩代の手の中で踊らされた事になる。

それが目的だから、高級外車にダイヤの指輪、露出度の高い服装を喜美子にさせていた。

現実には生島不動産はかなり厳しい状態にあったので、十万円と言う謝礼で岩代の計画に乗り、外車はや指輪は岩代が用意した借り物だった。

当然ながら話の内容も、その方向の話を喜美子に言い含めてあったのだ。

服装は謝礼金以外に「岩代が買い与えた」と言う。

岩代の先を読んだ緻密さは、私の知らない所でその後も発揮され続けた。

来週には、小泉順子の三日間の戦力教育が始まる。

今、岩代と意見が対立しているのは、その場に竹中氏を同席させるかどうかの考え方の違いだった。

幾ら何でも、娘の陵辱に父親を同席させるのはどう考えても問題がある。

しかし、岩代は「この際その垣根を外せ」と言う

「社長、どうも貴方だけが私を信頼していない様ですね?信じれは楽に成りますよ。」

岩代は笑って抗議をした。

それで、私は何も言わなく成った。

実は後で考えると、京美企画の発展は岩代にとって手段に過ぎなかった。

岩代の隠された野望が現実のものになるには、まだ一年以上の時間が、必要だったのである。




続く

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