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リアルタイム忍者ビジター
samurai 【蒼い危険な賭け・京香 第一部】作者本名鈴木峰晴

この小説は、【謎の小説家 未来狂冗談(ミラクルジョウダン)】の小説です。
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【十八禁 小説サイト◆公式ウエブサイト公開作品◆このまま下にお読みいただけます。

本格エロチック調教ファンタジー・サスペンス

蒼い危険な賭け・京香」連載公開中・下にお読みいただけます。

お断り 十八歳未満の方や性に偏見の有る方はお読みいただけません。ご遠慮下さい。

Less than 18 years old cannot be read. Please hold back.

また、お読みになって恋人や連れ合いを押し倒したり、利き腕(手)をお使いになっても、ご自分の責任です。
作者は一切責任が持てませんので、悪しからず。

【本作品は著述業未来狂冗談(ミラクルジョウダン)の作品です。】

無償で公開はしていますが、
著作権はあくまでも作者にありますので、作者の了解無く
本作を金品収受の対価とはしないで下さい。
もし違法行為を発見した場合いは、法的手段に訴えます。
なお本作に登場する組織、団体、人物キャラクター等は創作であり、
実在の人物を描いた物では無い事をお断り申し上げます。


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姉妹シリーズ・】・・・【現代インターネット奇談シリーズ】
【小説参考先リスト】【夜鳴く蝉・葉月*蒼い危険な賭け・京香の参考先御紹介】
【◆】姉妹編・葉月イメージモデル【葉月さん】裏葉月HPトップ頁に飛ぶ。

【非日常の愛・妻達の調教千夜一夜物語】

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

陵 辱 の 貴 婦 人

蒼い危険な賭け・京香

(あおいきけんなかけ・きょうか) 完 全 版 第一部


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


お断り蒼い危険な賭け・京香はあくまでも文学作品です。

申し訳ありません。第二回作「蒼い危険な賭け・京香」の続きは、順次UPします。
いよいよ最終話(六十八話〜七十話)を現在執筆中ですので、完成は暫(しばら)くお待ち下さい。


◆本格エロチック調教ファンタジー・サスペンス◆
「蒼い危険な賭け・京香」第一部・一話〜六十七話を予告公開中(全七十話)



話の展開

第一部第一話〜十話)現在この部です。
    第一話  (事の起こり)
    第二話  (屋根裏)
    第三話  (覗き見たもの)
    第四話  (甘い誘い)
    第五話  (陵辱計画)
    第六話  (生け贄)
    第七話  (そして輪姦)
    第八話  (妻の決意)
    第九話  (第二の処女)
    第十話  (ア*ル調教)
第二部(第十一話〜十九話)
    第十一話 (変貌しつつある妻)
    第十二話 (本格的生け贄)
    第十三話 (完成したア*ル調教)
    第十四話 (生け贄にされたア*ル)
    第十五話 (独立と資金稼ぎ)
    第十六話 (忌み祓い開所式)
    第十七話 (壮絶な輪姦祈願)
    第十八話 (生島夫婦)
    第十九話 (小泉順子の願望)
第三部(第二十話〜三十一話)
    第二十話 (順子の夫小泉武司)
    第二十一話(始まった順子の輪姦)
    第二十二話(順子極楽を味わう)
    第二十三話(父と娘の絆)
    第二十四話(消えたわだかまり)
    第二十五話(仕上がった順子)
    第二十六話(喜美子の開所式)
    第二十七話(増員された女達)
    第二十八話(乱倫同志経営)
    第二十九話(不穏な動き・公安部)
    第三十話 (ある日常)
    第三十一話(事業規模拡大)
第四部(第三十二話〜四十一話)
    第三十二話(公開剃毛)
    第三十三話(うなぎ責め)
    第三十四話(新参者佐和子)
    第三十五話(佐和子玩具になる)
    第三十六話(佐和子の輪姦忌み祓い)
    第三十七話(福井様のお相手)
    第三十八話(極秘情報・見せ付けられた妻の痴態)
    第三十九話(調教の成果)
    第四十話 (山崎様のお相手)
    第四十一話(本物に仕上がった妻)
第五部(第四十ニ話〜第四十八話)現在この部です。
    第四十ニ話(佐和子獣姦する)
    第四十三話(宗教法人化)
    第四十四話(村での出来事)
    第四十五話(巫女舞・山狩り)
    第四十六話(最期の接待)
    第四十七話(水揚げ)
    第四十八話(女優妻)
第六部(第四十九話〜五十三話)現在この部です。
    第四十九話(陰謀・女子アナ議員)
    第五十話 (秘密パーティの誘い)
    第五十一話(良子秘密パーティに引き出される)
    第五十二話(雌犬の手本・女優妻)
    第五十三話(良子陵辱・雌犬)
第七部(第五十五話〜六十話)現在この部です。
    第五十四話(卑猥なハッスル囃し)
    第五十五話(その後の良子)
    第五十六話(良子、大森に犯られる)
    第五十七話(陵辱再び)
    第五十八話(気まぐれ・衆道)
    第五十九話(康子の縁談)
    第六十話 (謎の極上の女)
第八部(第六十一話〜六十八話(最終話))
    第六十一話(長官へのお持て成し)
    第六十二話(新たなる遊び仲間・凛子)
    第六十三話(凛子お披露目で奮闘する)
    第六十四話(代議士の娘・響子)
    第六十五話(精神力と経験)
    第六十六話(響子お披露目を犯る)
    第六十七話(良子見本を見せる)
以下執筆中・暫くお待ち下さい
    第六十八話(麻生康子の結婚式)
    第六十九話(事件)
    第七十話 (抗争そして終焉)

ジャンプク・リック
第一部 第一話〜十話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現在この部です。
第二部 第十一話〜十九話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【第二部に飛ぶ。】
第三部 第二十話〜三十一話・・・・・・・・・・・・・・・・・【第三部に飛ぶ。】
第四部 第三十二話〜四十一話・・・・・・・・・・・・・・・【第四部に飛ぶ。】
第五部 第四十二話〜五十話・・・・・・・・・・・・・・・・・【第五部に飛ぶ。】
第六部 第五十一話〜五十七話・・・・・・・・・・・・・・・【第六部に飛ぶ。】
第七部 第五十八話〜第六十話・・・・・・・・・・・・・・・【第七部に戻る。】
第八部 第六十一話七十話(最終話)・・・・・・・・・・・【第八部に飛ぶ。】

登場人物(物語の登場順)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・この物語の証言者・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
里美・・・・・・・・・・・・・・・・私の妻・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
岩代・・・・・・・・・・・・・・・・物語の主人公・・・・・・・・・・・・・・・・(当時25歳)
京香・・・・・・・・・・・・・・・・岩代の細君・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時24歳)
寮生(学生)達・・・・・・・・岩代の教え子(体育系)・・・・・・・・(当時19〜22歳)
生島喜美子・・・・・・・・・・里美の友人・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時30歳)
竹中氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(元教師・定年)・・・・・・・・・(当時66歳)
小泉順子・・・・・・・・・・・・竹中の娘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
だみ声の専務(片山)・・元の勤務先の上司・・・・・・・・・・・・・(当時43歳)
田嶋氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(無職の遊び人)・・・・・・・・・(当時48歳)
企業舎弟・坂元・・・・・・・「龍信会」系の企業舎弟・・・・・・・・・(当時35歳)
石上氏・・・・・・・・・・・・・・出資者(伊豆でレストラン経営)・・・(当時52歳)
生島・・・・・・・・・・・・・・・・喜美子の夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時34歳)
小泉武司・・・・・・・・・・・・順子の夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時33歳)
安部、麻生、
福田、谷垣
・・・・・・・・・・女性接待係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時25〜30歳)
吉井警視・・・・・・・・・・・・警視庁公安部・公安総務課長・・・・(当時43歳)
大森警部補・・・・・・・・・・警視庁公安部・公安総務課員・・・・(当時36歳)
**康子巡査部長・・・・警視庁公安部・公安捜査員・・・・・・(当時28歳)
佐和子(片山)・・・・・・・・だみ声の専務の妻・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
福井・・・・・・・・・・・・・・・・大蔵省(現・財務省)銀行局次長・・(当時45歳)
山崎・・・・・・・・・・・・・・・・文教族代議士(文部大臣経験者)・(当時78歳)
老・宮司・・・・・・・・・・・・・妙見犬神宮・宮司(南家当主)・・・・(当時80歳)
筆頭総代・・・・・・・・・・・・東家当主(京香の兄)・・・・・・・・・・・(当時50歳)
伝書鳩の女・・・・・・・・・・元人気美人アナ(参議院議員)・・・・(年齢不詳
女優妻・・・・・・・・・・・・・・超人気美人女優(新婚の代議士夫人)(当時29歳)
吉井良子・・・・・・・・・・・・吉井警視婦人・・・・・・・・・・・・・・・・・(当時29歳)
星野徹・・・・・・・・・・・・・・参議院議員立候補予定者・・・・・・・(当時35歳)
星野凛子・・・・・・・・・・・・星野徹婦人(元五輪選手)・・・・・・・(当時28歳)
古賀響子・・・・・・・・・・・・古賀代議士令嬢(フルート奏者)・・・(当時32歳)




(事の起こり)

蒼い危険な賭け・京香◆
第一話(事の起こり)


小学校を終える頃には薄々気が付いていたが、人は皆、様々な想いを持ちながらも日々に追われて生きている。

ただ、その様々な想いが若い時には漠然としていて、先など容易に見えないものである。

それが三十路を迎える頃には何かが見え初めて、驚きの展開を見せる人生もある。

「事実は小説より奇なり」と言うが、確かに世の中にはそう言う奇妙な経緯(いきさつ)の物語もある。


あなたは子供の頃に、お殿様や王様お妃様に成る夢を、それとも大金持ちに成る事を夢見た事はないだろうか?

多くの美女を裸ではべらせて・・・ムフフ。

実は私、それらの全てが叶った男である。

エッ、「冗談を言うな。」ってか。

まぁ冗談かどうかは、貴方の眠れぬ夜の為にこの物語を読んでから決めて欲しい。

人には、「大きくなったら・・・」と言う夢がある。

生き物としては当然のシグナルだが、特に思春期は異性との嫌らしい妄想事で頭が一杯になる。

そうした子供の頃に置き忘れた夢の忘れ物を、大人に成って掴(つか)み取れるかどうかは、本人の決心次第なのである。

シンデレラは夢物語だが、まんざらバカにしたものではない。

つまり人生に羅針盤は存在せず、何が今の貴方の人生を変えるかは誰にも判らない。

人の人生はその人夫々(それぞれ)で、様々に特異な物語が存在する。

その物語が「自分の人生観とかけ離れているから」と言って、それが「無い事」とは誰も言い切れない。

こんな夢物語みたいなものが在れば、人は奇跡と言うかも知れない。

しかし例えそれが奇跡的な事であろうとも、何もしないでその奇跡は訪れない。

意味の無い事など、世の中には一つも無い。

どんな人間にも夫々(それぞれ)に人生と歴史が在るが、例え危険でも臆病では人生は開けない。

人間、訪れたチャンスを拒否するか前向きに受け入れるかで、一生に数少ない幸運の転機を逃(のが)すか掴(つか)むかである。



生きる目的が見えないから、どう生きるか判らないから、人はイラついたりムカついたりする。

つまり希望が見えないからだが、しかし細かい事で一々イラついたりムカついたりして居ては、世の中上手く渡っては行けないし、ろくな人生など歩めない。

人生の質を向上させるには、果たしてアンカリング効果(行動形態学上の基点)と一貫性行動理論(思い込みを基に行動する)は必要なのだろうか?

私がこの物語で語る目的は、一歩踏み出した時に新しい未来が広がる真実を、ただ貴方に語り伝える為だけである。


実は「在り得ない」と言う常識に意表を突く事こそが、人生に於いての勝敗を分ける事が多い。

「それで幸せ」と言うのなら別にそれで良いのだが、私に言わせれば常識的発想からは何も生まれず、常識を自慢して幸運の到来を待っていても平凡な生涯が待っているだけである。

そんな訳で、裏の顔を持つ者は大勢(おおぜい)居る。

これは、一つの壁を飛び越える勇気があれば、「経験が人生の質を高め、新しい人生を手に入れる。」と言う典型的なサクセス(成功事)の見本みたいな話なのだ。


「ロマンチック」とは、現実を離れ情緒的で甘美な空想的様やそのような事柄の夢に浸(ひた)る事を好む様と解説されるが、この形容動詞を一言で言う日本語は無い。

日本語に、英語の「ロマンチック」に相当する一括(くく)りの言葉が無いから、意味を説明するに多くの言葉が必要になる。

つまり西洋文明が入る前の古い日本には、「ロマンチック」と言う言葉に相当する「感性その物」が存在せず、現実を離れた空想的様を形容する概念が無かった。

そして辞書の解説に、「現実離れした甘美で理想的な雰囲気や成り行きである様」と在るからには、その言葉自身が「右脳域の感性」の範疇にある。

しかしその日本には無かった「右脳域の感性」が、困った事に現代の文学や映像ストーリー、そしてリアルな恋愛の駆け引きに大威張りで重きを為しているのである。


この「ロマンチック」と言う言葉に対する英語の形容動詞に「シリアス」がある。

「シリアス」は「極めて深刻で真面目な様や事態」とやや解説がし易いので、「ロマンチック」ほど「シリアス」の方は日本人の古い感性と離れていない。

夢に浸(ひた)るのも良いが、「ロマンチック」は本来現実離れした「空想的感性」なのである。

だから、そんな「ロマンチック」に固執して居ては、本当の「シリアスな人生」など遣っては行けない。

身勝ってな「ロマンチック」に格好着けて生きるより、「シリアスな覚悟」の方が人間には余程立派なのである。

人間、何が人生を変えるかは判らない。

そこで大胆な決断をしただけで、私の人生はシリアスに恐ろしいほどの広がりを見せたのだ。


街に目を遣れば、何事も無いような日常の日々を営む人々が居る。

夜景を見れば、散りばめられた見知らぬ窓に明かりが灯り、名も知らぬ人々の車がヘットライトの明かりを流しながら行き交っている。

だが、そのひとりひとりが何を思い「如何なる生活を送っているか」は、私の想像の他である。

つまり私達は、他人の生活など互いに知らずに生活しているのである。


まず、この物語を読まれる貴方に言って置きたい事が有る。

卑猥(ひわい)な物語は作り物だけで「現実の事では無い」と想っている方、それは世間知らずに想っているだけである。

つまり想像だけで否定しているが、隣近所に親戚知人、友人夫婦がどんな性生活をして愉しんで居るかなど本当の所は知らないではないか。

世の中には貴方の知らない現実がごまんと在るから、例えこれから話す物語に貴方の想像できない現実が在っても不思議はない。

だから人生面白いのだが、登場人物が夢にも想像出来なかった事がこの物語では再三起こる。

「夢にも想像出来なかった事」のそれもこれも、世間の建前の物差しのおかげで「若い頃は、私も無知だった」と言える。

実は真相心理を知らなかったからで、本物の付き合いに「中途半端な妥協」は在り得ない。

その極意であるが、判り易い話が人間には誰にでも性欲があり性交の快感は極自然な「神の恵み」である。

矛盾する事に、「人間正直に生きるものだ」と言いながら性欲だけは中々正直に出す場所が無い。

建前は小さな嘘だから、建前ばかり言う者はけして正直とは言い難く、私に言わせればむしろ嘘つきである。

それをさも正論のごとく言う輩こそは到底信用するに値しない。

こんな簡単な事に気が付かずに「禁欲が尊い」とする社会倫理は、それだけで胡散臭い。

だから、そうした事に片意地張らず拘(こだわ)らず、柔軟に対応しなければ人生の勝者には成れないのである。

この物語を書く事は、若い頃の自分に会いに行く様なものだが、この年齢に差し掛かると「それも良い」と思えて来る。


悩みを抱えている人間は数多いが、実は自分可愛さに「不幸がって居る」だけである。

何故なら、人間生きていれば抱える不幸など幾らでもやって来る。

幾らでもやって来るものなら誰の所為(せい)にも出来ないのだから、一々とりあわず悩まずに笑い飛ばす強さがないと人間などやっては行けない。

人間の人生何んてものは百人百様で、一人として同じものは無い。

フレーム(枠)に嵌(はま)って生きるのも一つの人生だが、それでもどんな人間にもそれぞれの波乱万丈がある。

つまり毎日同じ道を歩いていても雨や嵐、強い日差しの日もあるだろうが、道を変えて試(み)なければまったく新しい景色に出会う日は訪れない。

学問や芸術、人生その物も同じ事で、新しい発想を見るには道を変えて試(み)る必要があるのだが、人間楽に生きたいから見なれた道を歩こうとする。

楽に生きたいのならそれも一つの生き方だから非難はしないが、つまり物事の全ての価値観は同じ事象に於いても抑制的か積極的かの個人の軸足の掛け方一つで変わって来るのだ。

平坦な道などないのだから思い切って生き、結果がどう有れ悔いは残さない事である。

どうせ人間の一生など、苦難と災難の記録に過ぎない。

また、「難題が降り掛かって来た」としても、何も「特別な事」と考えなければ気が楽になる。

幸福も不幸も解釈だけの問題で、自分が不幸である事を自慢している事こそ、不幸な人間である。

つまり自分自身を「幸福だ」と思わない人は決して幸福になれないし、幸福なんて「特別必要でない」と悟る事こそ幸福を手に入れる事である。

それは、運命何んてものが何が切欠(きっかけ)でどう開けるかは判らないからである。

まぁ突き詰めて言うと、往々にして想像出来ない現実に突き当たるのが人生である。

それが例え意外な事でも、そこで柔軟な生き方が出来るかどうかの境目が、私の人生を決めた。


世の人は総じて現状容認派が多く、それを「常識派」と言うが、世の中に「常識」と言う事実は存在せず存在するのは「解釈」だけである。

同情よりも軽蔑が与えられる事が多いのは、不平を溢(こぼ)す人間である。

人間は自分が考えるほど不幸でもないしそれほど幸福でもないのだが、とは言え、現実から目を逸(そ)らしたロマンチックな事を望む勢力の方が世の中には圧倒的に多いのが現実である。

しかし怖い事に、それは未来に向けて「偽り」を積み重ねる事に成るのである。

元々こう言う話は建前上表ざたには出来ないから、この事が特殊な事かどうかさえ本質的に判断は難しい。

或いは表ざたに成らないだけで案外事例の多い事かも知れないので、つまり「在るか無いか」は貴方の判断に任せるより仕方が無い。

世間の「常識」が虚構(きよこう)であれば前提が変わり、この物語の受け取り方は変わって来る。

言うなれば、私の様に他人が聞いたら驚くような数奇な人生が日本のどこかに在っても良い訳だ。

とにかくこれは、私がある決断をした為に始まった驚嘆(きょうたん)すべきサクセス・ストーリーである。
,BR> もっとも私の成功体験は、駄洒落ではないが限りなく「性交体験」と言って間違いは無いかも知れない。


最初に言って置くが、「良いSEXをして居ない貴方」に明るい未来は無い。

こんな事を露骨に言うと、世の建前主義者からヒンシュク(顰蹙)を買うかも知れないが、性器だって「使う為にある」と言うのが私の主張である。

金は使えば減るが、頭は使えば知識が貯まって行く。

それを楽をしようと、「むずかしい事は嫌いだ」と逃げる人間が多い。

誓約(うけい)の性交にした所で、もっとも有効な究極の交流手段だが使っても減るものではない。

有効な究極の交流手段と承知していながら「そんな無節操は嫌だ」と敬遠する者が大多数だが、その事が無数のチャンスを失う事かも知れない。


人生に於いて、性は生に通じる大事な脳内シグナルであり、人間も生物で有る以上は法律や信仰だけではその影響を避けられない。

性を制御するだけではその影響が避けられない以上、本来なら人間社会は素直に誰にでも「なるべく良いSEX」が出来る環境を、精神思想において慈愛の中で醸成すべきだった。

にも関わらず性本能が避けられないもので有るからこそ、言わば「禁欲」を信仰上のもったいを付ける為の手段として主に知恵の浅い宗教家の陰謀で、禁欲的な性に対する考え方が広がった。

人間が事を起こす最初の動機は、「モテたい願望」である。

これに男女の差はない。

生欲と性欲は同じではないが密接な関係にあり、性欲は生欲への気力に成る。

生きる原動力も、何らかのジャンルに挑戦する向上心も、その動機はこの「モテたい願望」がベースに有るのは間違いない。

異性に対する「モテたい願望」もそうであるが、広義には、両親や家族に対してもその「モテたい願望」はある。

つまり、本能的な要求である「モテたい願望」が、美や芸術を、そして理・化学を発展させ、或いは出世欲を掻き立てる原動力に成っている。

特に男性は、存在そのものが生殖本能の塊であり、今は社会環境(社会的制約)が許さなく成って、発揮する範囲が極端に減ったが、本来「男性の向上心や闘争心」の原動力は女性の存在である。

男性の基本的本能にある潜在意識は女性と良い交尾する事で、その為に努力するように思考回路は出来ている。

この辺りの否定出来ない男性の本能には女性の理解が必要で、そこを無視して女性の感性を押し付けるから男性の向上心や闘争心が削(そ)がれて、近年、頼り無い男ばかりが出現する事に成る。

貴女の旦那様が面白くも無い無気力で平凡な男性なら、それは貴女に原因があるかも知れない。

現在の社会事情では、当然ながら男性が無分別に良い交尾をして歩く事は出来ない。

男は、単純な生き物であるから、いたずらに本能が抑制されれば力を発揮する意欲は減退する。

そう言う制約の中で旦那様が本能に火を着けて、向上心や闘争心を発揮させるには、「貴女の心掛けが必要」と言う訳である。

つまり、貴女が妻や娼婦を使い分けて演じ、旦那様の本能に火を着ける事で、新しい未来が開けるのかも知れないのだ。

そうした貴女の心掛け無しに、ただ「頑ん張れ」と餌も無しで尻を叩いても、単純な男性である旦那様としては、向上心や闘争心が燃える訳が無いのである。

突き詰めて言えばこの物語は、男と女の生欲と性欲へのアタック(攻撃・挑戦)の物語である。



元を正すと、本能に魂を売ったような所から始まった話なのだが、まてよ、魂は理性なのか本能なのか・・・・・

本来、繁殖本能は生き物の自然な欲求であるから、「スケベでない」と言う人間の方が嘘つきか異常である。

所が人間は、建前それを「恥ずべき事」として認めたがらないで居る「怪しい生き物」である。


私の人生も、無数に在る筈(はず)の生き方の中から半ば成り行きで選んだだけであるから、ふと、立ち止まって人生を振り返ると、暗たんたる思いが湧き上がって来る。

自分の半生に、果たして意義が有ったのだろうか?

今はまだ、その答えは出ていない。

歳月と言うものは、人間の思惑などは関わりも無く流れて行くもので、時には残酷でさえある。

若い頃(青年時代)は何が在っても不思議では無く、私もそれなりにムチャをやって来た。

しかしもう人生の半分は過ぎて、私は歳も五十代に入る所だ。

つまり私の人生は佳境に入りつつある。

今の私を見ると年令相応に落ち着いた親父で、経歴を知らなければ「平凡な人生を歩んで来たもの」と、解(かい)されるに違いない。

しかし、「振り返って見る」と若い頃は違った。

実を言うと私と妻の青年時代は、多くの人々と比べ到って充実したものだった。

いや、大きな声では言えないが、随分と良い思いのセックスライフの経験をさせて貰(も)らったのだ。

とにかく色々在って、哀しい事も在ったが一人の男の人生としては「良い旅路」だった。

今辿り来た道程(みちのり)を振り返ると、それは私達夫婦にとって、愛(いと)しくも激しい青年時代の日々だったのである。

ここだけの話だが、今思えば、ああした青年時代を経験出来た事は、相当に幸運な事だったのだろう。

ふとした弾みで始まったようなそれは、何もかも上手く行って、他人が聞けば嫉妬の炎が燃え盛るに違いない、「色気に満ちた青年時代」と言える。

それは、私達夫婦の生き行く日々のカケラだった。

だがそれは、時の移ろいと伴に色あせて行く、儚(はかな)い幻かも知れない。


権力者の名前が有名だけでは「偉い」とは限らない。

善人が、権力者にのし上がる事など有り得ないからである。

その過程において、相応の事をしなければのし上がれないのが権力者である。

まぁ権力者の虚像など人為的につくられた幻想で、事実は「生々しいもの」と相場は決まっている。

現在では私もその部類だが、それでも今の地位にのし上がる過程は千差万別で、悪い事を上手くやってのし上がる者が多い中では、私など大した悪事はしては居ない。

だから少しは色気が多かったが、益しな方法でのし上がった方だ。

まぁ、人生などチョットした切欠で、決まるものらしい。


人類ほど矛盾した生き物は居ない。

その中でも、日本人ほど矛盾が多い人種は少ない方で、勘違いしているかも知れないが品格が在ったら指導者など成れない。

現実の所、競争相手を権謀術策で退(しりぞ)け、勝ち組みとして伸し上がるには品格も何もあったものではないのである。

それを奇麗事にしてしまい、ウッカリすると神社に祭られて神様に成る。


多神教の国・日本人の「良い加減(イイカゲン)」を妥協と見るかバランス感覚と見るか、難しい所である。

これは一神教を信ずる人種には信じ難い事だが、少なくとも、正月に宮参りをし盆には寺に参りクリスマスも大して意義を知らなくても祝う人種で、宗教的な対立感情は薄い。

良い悪いを別にして、いずれにしても極限まで強情を張らず「良い加減(イイカゲン)」で妥協を模索する人種である。

人生何があるか判らない。

選択を誤ると、チャンスを失うのが人生であるが、私の場合は絵に描いたように上手く行った。

とにかく、それまでのパッとしない人生が、ほんの僅(わずか)な転機に拠って薔薇(バラ)色に成り、今は人が羨(うらや)む生活をして居る。


いずれにしても、今は私も身分のある身なので素性は明かせないが、私達夫婦の辿った数奇な運命は、匿名(とくめい)にしてもその秘密を語らずには居られない。

そして断って置くが、差し障りがあるので登場人物は全て仮名と解釈してもらいたい。

最近に成ってPCの扱い方を覚えた私は、急に私の辿(たど)って来た半生、それも大きな転機になった五年間を、個人として秘匿性が高いウェブログ(ブログ)の様な書き物にして残す気に成ったのである。


私としては、良くもまぁ二十年間からの長い間、この物語を「胸に仕舞って居れたものだ」と、自分の事ながら感心している。

今の私は、政界に影響力を持つ影の支配者として電力も通信手段も独立したある種の「現代の結界」の中に、日々の大半を過ごしている。

そこは表面的に見れば、ひなびた山里の村落にしか見えない。

それでも、情報だけは溢れるほど入って来る。

私が支配しているその山里の村落は、大半特殊な歴史背景を持っている「奇跡の里」であるが、その話はいずれ話さなければ成らないだろう。

私の住むその山里の村落は、このせせこましい世間をよそに、のどかにユックリと説きを刻んでいる。

それにしても今の政治家や官僚は自分達の利ばかりに熱心で、お世辞にも誉(ほ)められるものではない。

困ったものだが、今はパホーマンスばかりで人気取りの上手い軽い男が首相をして居る。

まぁ、彼が辞めて一年もしない内に、化けの皮が剥(は)がれるだろう。



物語の舞台に成った時代は、昭和の時代が終る前後の事だ。

この物語を信じようが信じまいが貴方(あなた)の勝手だが、何しろ当時の日本はバブル経済の真っ盛りで、巨額の資金が飛び交い土地の名義が朝と夜で三人も変わった時代だった。

その時代だからからこそ、全てが過激な生き方をして他人が羨(うらや)む富を築いてのし上がった夫婦が居ても良かったのである。


振り返った思い出を物語りにしただけだが、若い方ならこれを読めば貴方の人生設計が変わるかも知れない。

体験から色々学んで、知る前と知った後では人間が変わる。

それは理屈では無く、体験した事は事実として信じられるからである。


とにかくあの頃は、私達夫婦も二人とも若かった。

あの頃の事を夫婦で思い出し、笑って話し合える年齢に成ったのを機会に、私達夫婦が体験した数奇(すうき)な青年時代を、「思い出せる限り、丁寧(ていねい)に書き残そう」と思い立ったのである。

まぁ長い物語だから、毎晩少しずつ読み進めて頂(いただ)ければありがたい。


今、妻は全裸である。

この歳に成っても体型に崩れの無い妻の裸体は若々しく、充分に鑑賞に耐え得るのだ。

その光景を素直に想像して欲しい。

奇跡的にも思えるが、その訳が「何故(なにゆえ)か」は、私が充分に認識している。

不老(アンチ・エージング)の特効薬は、言うまでも無く色恋の刺激である。

気力が若ければ、肉体にもその影響が出る。

反論があれば言って欲しいが、それと倫理問題が異質なものである事は明白なので、この論議に於いて事前に倫理問題を持ち出す事は考慮して欲しい。

一言で言ってしまえば、若さの秘訣は「気の持ち様」と言う事だが、この物語にその全ての秘密がある。

女性は恋の季節(年頃)に選り美しくなり、肌を露出する女性の見せたがり癖は、男性を誘う性本能が根底に在る「無意識の意識」である。

女性の「見せたがり」は男性を誘う性本能であるが、女性の「見られる」は男性からの「性的な被選別意識」に繋がるから、従って「見られる意識は美に繋がる」と言う連立方程式が成り立つ。

まだ解明されていない分野ではあるが、「見られる」と言う意識に対しては本能で脳から「美しさを保とう」と言う指令やホルモンが全身の細胞に出ていても不思議ではない。

世の中は表面的で、表向きはさし障りのない嘘ばっかりだから、私は「あえて本音でこの物語を書いてろう」と思った。


それにしても、この物語を書くに当たって過ぎ去った過去を色々と思い出さねば成らない。

近頃は、人の思い出が移ろい易いものである事をシミジミと実感させられる年齢(とし)になった。

私は、或る地方都市の県立高校から東京の私学に進学したのだが、もうその学生時代の思い出さえ思い出すのは断片的で、それより若い頃の事は印象深い出来事くらいしか覚えていない。

気分を高揚させ、感情をよみがえらせながら思い出の糸を紡(つむ)ぐには、妻を全裸にさせる必要が有った。


今私はソファーに腰掛け、焼酎のお湯割が入ったグラスを啜(すす)りながらPCのキーボードを叩いて居る。

酔いも手伝って、下半身から快感が突き上げて来る。

それが我が家のルールだから、PCのキーボードを叩き始めた私の膝の間に、割って入った形で膝間着いて先ほどから私の欲棒を咥(くわ)え、首を固定した形で、上半身を使ってクィクィとリズム良く頭を上下しながら欲棒を唇と舌を使って熱心に愛でている全裸の妻に声を掛けた。

「そうだ、足りない所もあるだろうから、お前も一緒に話をしたらどうだ?」

突然の提案に、妻は咥(くわ)えていた私の欲棒を吐き出し、私の顔を見上げながら言った。

「あなた、私もですか?」

「今更恥ずかしいでもないだろう。」

「そうですね、私達の遅い青春の記録ですから、洗いざらい話しましょうか。」

「それが良い、キット良い話になる。」


やれやれ、夫は妻の私にまで「この物語を話せ」と言います。

世間が聞けば、私の事を「酷く淫乱な女だ」と思うでしょうが、この際仕方がありません。

夫の話の合間に、どうして「酷く淫乱な女」に成ったのか、その時の私の思いなどを挟んで、追々披露してみましょう。

元々女性が慎(つつし)み深く生きる様に決め付けられたのは、男性の独占欲の反映で、女性が願った訳ではないのでしょうが、それが世間の常識として定着しています。

モラルとはそう言うもので、現在の常識は現在の社会で認められているに過ぎないのです。

その慎(つつし)みを私が外した切欠は、夫の方から望んで仕掛けて来たのです。

私はそれを受け入れ、慎(つつし)みを外して、本能のままに生きる「酷く淫乱な女」に成りました。

この物語を読めば、世間では「何と言う女だ」と非難するかも知れません。

しかし、チョット待って欲しいのです。

少なくとも私は、世間とは違う領域を生きて、理解した事も多いのです。

何事も、犯って見なければ判らないのです。

憶測で物を言うのはもっともらしい建前論で、当事者に成るとまた違ったものも見えて来ます。

そして、違ったものも感じ取れるのです。

性と愛を考える時、愛情も欲情も情念の内ですから混同され易いのですが、本来異質の情で、分けて考えるべきでなのです。

これに、個人的な尺度に拠る感情が絡みますから、まったく人間は厄介な動物なのです。

一言で「愛情」と言いますが、愛情も千差万別で定型はないのです。

求める愛情も有れば与える愛情もあるのですから、その辺りの匙加減(さじかげん)が必要で、一方的に「愛しているなら・・・こうしてくれ。」は、愛情ではなくて打算なのです。

元々生き物は、動物植物に限らず精一杯生き、その間に子孫を育て残します。

そう、「種の保存」の本能です。

生き物には、繁殖期(発情期)が有りますが、その繁殖期(発情期)が、人間だけは年中(発情期)なのです。

自然の原理に逆らって子孫を育て残す事を放棄し、自らの「享楽的生活のみを追求する年中発情期の生き方」を選ぶ生き物は、脳が異常に発達した「人間と言う生物」をおいて他には無いでしょう。

この「本能」と、建前で刷り込まれた「性への嫌悪感」がぶつかり合い、そこに「本音と建前」の二面性が生じます。

それ故、脳は本能と精神の板挟みに合って、絶えず苦悩しているのです。

「本音と建前」の二面性は、言うまでも無く人間以外の生物(動植物)には存在せず、これをもって「優秀な生き物」とする意見も有りますが、ある意味、それこそが人間の存在その物の苦悩なのです。

凡(およ)そ、社会性を加味した人間独特の発想の行き着く先が「性への嫌悪感」なのですから、本能とは相容れない拒否意識が働くのですが、その分潜在的な欠落感(不安)が始終付きまとい、「不安定な精神状態を生じさせるのだ」と思います。

つまり、押さえ込んだ「本能」は、人間の中で行き場を失うのです。

実は、この苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の「擬似生殖行為」として、生殖を伴わないSEX行為の合意が、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられたのです。

それは、他の動物と比べ脳の発達が異常に進歩した為に、セーフティネットとしての逃げ場が、遺伝子的に長い年月を経て完成したものなのです。

つまり、他の動物には限定されている繁殖期が、人間には制約されていない。

それが、他の動植物では有り得ない「恒常的な発情期」なのです。

自然の与えた本能にけして無駄はない筈(はず)で、そこに人間が生き行く為の必要性を感じます。

この「擬似生殖行為(快楽性交)」の欲求も、氾濫(はんらん)する情報を、人間が脳で「緩和処理」しながら生きて行く上で必要だから与えた筈で、悪いものである訳がないのです。

つまり、生き物本来の性交目的は子創り(繁殖)なのです。

しかし人間の場合、それより圧倒的に多いのがコミュニケーション(付合い)目的の性交であり、その本質は快楽目的の性交(疑似生殖行為)なのです。

コミュニケーション(付合い)目的の性交の相手は、夫婦や恋人で在ったり、場合位に依っては上司や支援者と言う事も在るのです。

要するに、生きて行く為に必要なコミュニケーション(付合い)目的の性交も充分に在り得るのが、社会の現実なのです。


楽しいSEXはストレス解消の妙薬で、脳に優しかったり過激だったりします。

でも、優しかろうが過激だろうが、脳に「一方は精神的安定、一方は精神的興奮」と言う、質の違う快感をもたらします。

そのいずれもが、脳内麻薬のベーターエンドロフェンを生成させ、脳から不安感や痛みなどを緩和する役割を果たしているのです。

その意味するものは、精神ストレスを緩和する必要性を感じた脳が、「擬似生殖行為(快楽性交)」を欲望として促(うなが)すように、自然に本能が進化したものに他なりません。

人間の性癖が多岐にわたるように成ったのは、脳が複雑に発達した事とは無縁ではありません。

だから、本来どう付き合って行くべきかを真剣に考えるものである筈(はず)が、臭い物には蓋(ふた)式にタブーにされているのです。

世間では認知され難いSMプレイの性癖についても、その本質は脳を癒す為の要求で、拘束や露出に拠る心理的な支配感や被支配感そして加虐感や受虐感、それらは美しい物に癒されたり、荘厳な物に圧倒されたりの、視覚によるディスプレイ効果などと同じなのです。

つまり良いSEXは、外傷性の疾患に対する自然治癒能力と同様に、自ら脳の負担を緩和する機能をも、「擬似生殖行為(繁殖や繁殖期に拘らない快楽性交)」と言う形で人間は持ち合わせているのです。

所が、愚かにも人間は、まともな人間なら誰でも行(おこ)なって居る性行為にも関わらず、感情的にその恵みさえ建前の中に「封じ込めよう」としています。

性交に拠り脳内で生産されるベーターエンドルフィンは、脳内の情報ストレスを緩和する無害な脳内麻薬なのです。

本来、発達し過ぎた脳を持つ人間の、ストレスの良い持って行き場(解消方法)は、「擬似生殖行為(繁殖や繁殖期に拘らない快楽性交)」に拠って解消する機能を持ちました。

人間自身が「脳の発達に対応して本能的に作っていた事に成る」のですが、そこを活用しないで、幼児虐待や家庭内暴力、禁止薬剤の乱用にストレス解消方法を持って行くのは、世間の風潮があまりにも「擬似生殖行為(快楽性交)」を罪悪視して、子供を育てているからではないでしょうか?。

考えて見れば、それは私達夫婦の何も未来に展望の無い所からの始めの一歩でした。

「いざ」と成ると、女の方が度胸は良いのです。

恥じらいを取り外したアタック(攻撃・挑戦)精神で一線を度胸良く飛んでしまえば、もう私に歯止めはありません。

「そんな事私には出来ない。」は臆病な言い訳で、実は、制御している自分の中の淫乱性を、剥(む)き出しにすれば良いのですから、女性がその気に成ればさほど難しくはないのです。

後は限りなく淫乱な女を演じ、それに自らが酔い痴る事が出来れば良いのです。



私達夫婦の私生活がこうした大胆で卑猥(ひわい)なものになるまでには、普通では凡(おおよ)そ考えられない深い経緯(いきさつ)と経験があり、それは僅かな時間では語り尽くせない物語なのだ。

正直に言ってしまえば、世の中、何処かの御伽噺(おとぎばなし)のように、「真面目に生きたから」と言ってその人物が「幸運に恵まれる」とは限らない。

何か仕掛けられた時、自分がどう出るかの判断で先の運命は決まる。

しかし実の所は、傍目(はため)他所から仕掛けられたように見えても、それは元々望んでいた事を後押しされただけかも知れない。

多くの人間が格好良く生きようとするが、それは自己満足に過ぎない。

もっとも他人の表面的な格好良さだけを見て、その本質が判らないまま表面的な真似ばかりして居る人間が多いから今の社会が成立しているのかも知れない。

つまり努力無しに「俺は、私は、人生が楽しければそれで良い。」と格好をつけても、むなしい自己満足に過ぎないのだ。

本当に「格好良い」と認められたいなら泥臭くても懸命な努力が必要で、自己満足で格好良く生きようとしても世間はそれを認めない。

それでも自己満足に生きたいのなら、傍目余り格好の良くない人生が待っている事だろう。

つまり本当の格好良さは表面的な物では無く、キッチリと影の努力を積み重ねて実績を残す事である。

平凡な人生が「悪い」と言う訳ではないが、社会は競争が原則で、むしろ真面目で平凡に生きる人生には大したチャンスは訪れない事だろう。

つまり口には出さないだけで、運を掴んだ奴に真面目な人生など無かった筈(はず)である。

だからと言って悪行(あくぎょう)を薦めている訳ではない。

この物語を読み進めば、悪行(あくぎょう)を為さなくても既成概念を破壊する事で充分に新しい道が開けるのである。

人間は誰しも、自分の生き方を否定されたくない。

そして平凡な人生を送る人間が大半である。

だから、非凡な人生を送る者に対しては、羨望(せんぼう)や嫉妬(嫉妬)が先に立ち、その生き方には批判的である。

それでも到底適わない場合は、やたらと美談・美化してしまい誤魔化そうとする。

しかしそれは「余計なお世話」と言うもので、思いも生き方も人それぞれで、違っていて当たり前なのである。

何しろ、目の前に出現する避けられない状況を、「嫌(ネガティブ)」と思うか「好き(ポジティブ)」と思うかは、本人の「気の持ち様」と言う事である。

それでも私はあなた方に、何事にも「好き(ポジティブ)」と思う生き方をお薦めする。

隠すだけでは「問題は解決しない」と言う現実は多いのだが、建前を使う事に慣れ過ぎたこの日本国においては、都合の悪いものには「見っとも無い。外聞が悪い。」と蓋をして、何一つ解決せずにやり過す風潮が多過ぎる。

例えば「SMプレイ」と言うと眉をひそめるのは無知な者達で、知性的な人間の方が世間の表面的な建前に惑わされない。

混同されそうだが、猟奇的な残酷とSMプレイは全く別で、プレイは安全を前提にした互いの性向を満足させる為の「合意の上の行為」である。

性行為が秘すべき事であるが故に表面化しないが、何もSMプレイは特殊なものでは無く、実はそれが身近なものである証拠に全世界のどの時代にも、文学・絵画、映像と言った芸術として否定出来ないSM文化は存在している。

実は高学歴・高知性の者の方が「性」に対する考え方が弾力的で、圧倒的にSMプレイ愛好者が多い。

知性があればこそ、乱交・輪姦・露出・緊縛(きんばく)・鞭(むち)打ち・・・悪戯(いたずら)に建前の倫理観に惑わされず、「それが一つの性行為の形である」と解釈して居るからである。

近頃は女性週刊誌にソフトSMなる言葉も踊る様に成ったが、当時はSMプレイが世間的に正式認知がされないから、表沙汰にするのが「見っとも無い」ので隠していただけである。

最も本質的な事を言えば、男にしろ女にしろ股間に着いている性器は間違いなく使う為に着いているものである。

それを何処(どこ)でどう間違ったのか、使う事に勿体(もったい)ばかり付けている。

元々、人間が百人居れば百の思いがあるのだから、個々にとってはそれらは全て正解なのだろう。

しかし個々の思いと言うものは、我輩の思いも含めて「誰のものが正解」と言うのではなく、それは論議の出発点に過ぎないのである。

考えて見れば人間には誰にでも性欲があり性交の快感は極自然な「神の恵み」で国王だろうが奴隷だろうが性行為はする。

女性のヒステリーには性感マッサージ治療や性感バイブレーター治療が有効で、実際に医療行為として医師に施術されている。

つまり女性のストレスの解消の良処置は「性的な刺激」と言う事になり、男性のストレスの解消も同様の「性的な刺激」と言う事になる。

それならば、わざわざ医療行為として施術されなくても、ストレス解消の問題解決の為に夫婦合意で遊べば良い。

そして最も重要な事だが、性欲を無くせば「生命の営み」と言う重要なものを失い人類は滅びてしまう。

こんな簡単な事に気が付かずに「禁欲が尊い」とする歪(ゆが)んだ綺麗事だけの抑制的な性規範の倫理観は、それだけでもう胡散臭い。

凡(およ)そ男女の間具合(まぐあい/性行為)に貴賎の別がなければ、何を持って性交を「低俗なもの」と言わしめるのだろうか?

信じたく無いかも知れないが、皆んな総論では綺麗事を言い各論では自分だけは「コッソリ性交を犯って居る」と言うのが人間なのである。

それでも性欲を「罪だ」と言う歪(ゆが)んだ綺麗事の抑制的な性規範の矛盾は、この世の中で最大の理解に苦しむ謎である。

性交をする間柄は、さしずめ法的には密接交際者と言う事に成るのだが、現実と乖離(かいり)する事に、そこに「遊びの性交」は前提とはされて居ない。

つまり建前上は、性交をする間柄に「情」が無い「遊びの性交」は存在するにも関わらず法的範疇に存在せず、前提とはされて居ない矛盾がある。

簡単に言ってしまえば、認めたくない現実に蓋をして「社会での蔓延を抑止しよう」と言う計算で、建前上無いものは承知していても無視して済ませようとするのだ。


体験からは「色々学んだ」と、妻は言う。

怖がって前に踏み出さなければ、永遠に貴重な体験は出来得ない。

青年男女は老い易く、その体験をしなかった事を、「良かった」と思うか、「惜しかった」と思うかは、個人差のある事だが、いずれにしても老いてからではもう遅く、その体験の機会は若くなければ得られない性質のものである。



キーボード打つ勢いが乗って来たので、ソロソロ私も本題の話に入ろう。

話が長くなりそうな「妻達の調教千夜一夜物語」なので、毎晩一話づつ読まれる事をお薦めする。


この物語の全ては、一人の男の「奇想天外な事業手法」で始まった。

考えて見れば、それは私達夫婦の何も未来に展望の無い所からの始めの一歩だった。

こうした物語の全ての始まりは、案外本人の想定外の切欠で訪れるものである。

その奇想天外な物語が始まったのは、今から二十年ほど前の昭和六十二年(1987年)の春まだ浅い頃の事である。

この年は年明けから大事件があった。

中国・北京の天安門前広場で、学生らが「デモの自由」など民主化を求めてデモを行い、警官隊が、数人を連行するが大暴動になり、軍隊が大出動して武力鎮圧した「天安門事件」がある。

また年の暮れには 、大韓航空機が北朝鮮の工作員に拠って爆破墜落させた「大韓航空機事件」で幕が閉じた年である。

そんな大事件には及びも付かないが、この騒然とした年に地方都市の片隅で生きていた私達夫婦にも人生を変える大事件が起こった。

今でも鮮明に覚えているが、昭和六十二年(1987年)と言う年は私達夫婦の人生がある事を切欠(きっかけ)に激変した年である。

昭和三十三年生まれの私は当時三十歳、青年期真っ盛りで、少しは世の中の裏表が判り始めた頃だった。

事の顛末(てんまつ)はこれから順次お話しするが、単なる夢物語ではなく、本当にこんな現実が「世の中には存在する」と、心して聞いて欲しい。

こう念押しするのは、それだけ不思議な体験だったからで、断って置くが、実際に経験した私達夫婦でさえ、あれが現実なのか夢だったのか、今では過ぎ行く歳月の中で、確信が持てなく成りつつあるのだ。

こんな卑猥(ひわい)な物語を書くと、世の良識人を自称する実は「上辺(うわべ)主義者」の方々にお叱(しか)りを受けるかも知れない。

だが、本来自由に航行出来る筈(はず)の船も、アンカー(錨/いかり)を降ろしてしまうと、そのチェーン(くさり)の長さの範囲しか、動ける遊びの幅が無く成る。

現代に於ける性的な社会合意の解釈は、アンカリング効果(行動形態学上の基点)が行動を規制しているだけで、現実には然(さし)したる理由は無い。

そのアンカー(錨/いかり)を、夫婦で巻き上げる決意をしたからこそ、この物語りは始まったのである。

今思えば不思議な経験をしたものだが、目の前で妻が淫(みだ)らなに他人と性交していても、全く妻の私への気持ちを疑う気には成らない。

そぅ、どんな変態行為をしていようが、妻の私への変わらぬ愛情が、躊躇(ためら)いも無く信じられたのだ。

これも、その奇妙な夫婦の施した「結界」の中の出来事だったからか?

今、改めて思えば、彼ら夫婦は見事なまでにアタッカー(挑戦者)だったのである。



私達は、或る奇妙な夫婦の知己を得た。

その夫婦の事は二十年を経た今日でも、未だに忘れられない。

彼ら夫婦が、妻のアンカリング効果(行動形態学上の基点)を劇的に変えて、私達に強烈な人生体験をさせた張本人だからだ。

彼らに会うまでは、私は極普通の思考の持ち主だった。

だから発想も平凡で、そんなスケベな事を実践する奴(やつ)の存在何て、小説やドラマの上の夢物語であると考え、「世間にそんな奴(やつ)が、本当に居るものか」と思ったが、本当に居たんだなこれが。

凡人だった私の人生が突然開けたのは、この岩代夫婦との出会いだったが、その経緯(いきさつ)は追々詳(くわ)しく話す事に成る。

たった一人の相手との出会いで、人生が変わる事が往々にしてある。

それだから面白いのだが、その出会いを掴(つか)むか見過ごすかが人生の大きな分れ目かも知れない。

その出会いの連続が人生なのだから、確かな事は「持つべきは、師と仰(あお)げる友」である。

それにしてもこの出会いは、いったい何の為に天が用意したのだろうか?

その夫婦の事は、私達の仲間内では既に「伝説」に成ってしまったが、今も私はその答えを探し求めて生きて居る。

そして彼ら夫婦の意志を継ぎ、実はある戦いに挑もうと現在準備中である。

ヒョットすると、私の知力、財力、人脈の総力を挙げる一大政争に発展するかも知れない。


人間の考える事は、凡(およ)そ大したものではない。

何千年も基本は変わらず、最(もっと)も古い手法が、新しい発想手法に化ける程度の知恵が、人類発祥以来堂々巡りをして居るだけの事かも知れない。

そう言う意味ではこの経験で、固定観念が、如何に発想を抹殺しているのかが思い知らされた。

それにしても、私が現在の地位と財産を得るまでのこの物語は、考え様に拠っては実に御伽噺(おとぎばなし)のようなものである。

性に関して嫌悪感を持つ無理解な相手には非難されそうだが、正にそれは、「人生の楽園」と言うべき、得難(えがた)い思い出である。

そしてその事が、人生を賭ける大勝負に私達を導いたのも事実だ。

彼ら夫婦との出会いが、私と妻に違う人生をもたらせ、今はその変わってしまった後戻り出来ない人生を、私達は歩んでいる。

思えば、繁栄を謳歌(おうか)して居た日本経済が、断末魔の悲鳴を上げる僅(わず)か数年前に始まった思いがけない出来事だった。

いずれにしても泡と膨らみ、はじけたのは、「バブル・マネーゲーム」と言う虚像経済であり、その前後の私達夫婦の生き方も、夢、幻だったのかも知れない。

そして、その奇妙な夫婦との関わりは約七年続き、強烈な体験だけを残して忽然と消えた。



昭和も六十数年を数える様に成り、バブル景気に日本中が湧き上がっている頃の事だ。

私は東京の郊外の、遥か遠くに秩父連山を望める「と或る街」に居た。

当時私は三十歳代に入ったばかりで、同じ歳の妻と小学生に成ったばかりの女の子がひとりいる三人家族だった。

まぁ一言で言ってしまえば、その他大勢の一人として平凡な家庭を創り平凡な人生を、私はそれなりに歩んでいた。

それほど他人に誇れる能力が有る訳ではないから然(さ)したる野心もなく、まぁ私の人生は「こんなものだろう」と達観していた。

その頃私は、或る不動産関係の商事会社に在籍し、地区の営業所長をしていた。

「営業所長」と言っても所長以下営業員四人、女性事務員二人の小所帯で、仕事の内容も余り大きな声では言い難い。

実は、私の会社は当時悪名高い「地上げ屋」が仕事だった。

当時は土地の価格が鰻上(うなぎのぼ)りに上がる時代で、用地を買収する事はそれだけで価値があった。

何しろ大きな金が動くから、おかしな連中が暗躍(あんやく)して仁義など全く無い。

この時代の地上げは手が込んでいて、美人局(つつもたせ)のスキャンダルを脅しのネタにしたり、中には裏から手を廻し、地権者を取り込み詐欺などに引っ掛けて資金不足にしたりと、身動き取れなくする強引な乗っ取りの手口までする連中までいた。

少々強引な事をしても、それに見合う上がり(利益)があったのである。

私の勤めている会社は合法に徹していたからまだまともな方だが、それでも相手の都合などお構い無しの、シツコイ地上げをして居るには違いはない。

まぁ、持ち主を無理やりその気にさせてまで、他人の財産を売り買いして利鞘を稼ぐのだから、「押し売りならぬ、押し売らせ」である。

土地投機ブームが燃え盛っていたから、地上げして大規模土地再開発をし、「付加価値を付けて儲け様」とする大手デベロッパーのお先棒担ぎが地上げ屋の仕事である。

計画通りに地上げがまとまると、他人の資金で大きな利益が出る。

その計画に、コバンザメの様に横から土地を買い占め、「転売差益で儲けよう」とする強引な地上げ屋も現れ、正に早い者勝ちの様相を呈して居た。

妻は嫌がっていたが、私達家族はその恩恵の端で食べている事には違いないのだ。

こうした土地投機ブームに連れ高するように、大手デベロッパーの計画を外れても、少しまとまった土地なら、次のレベル規模のデベロッパーが中規模マンション用地に触手を伸ばす。

そうした土地の投機が、土地その物の利用目的は無くても、転売差益で儲けようとする「土地転がし」の投機が盛んに行われていた。

当時の金融機関は、その利益(金利収益)に目が眩(くら)んで「他行に乗り遅れまい」と競って貸し出しに奔走し、無秩序な土地投機ブームに「火に油を注ぐ」がごとき結果を招いていた。

実を言うと、この「土地投機ブーム」と言う条件が揃ったおかげで、私達夫婦が貴重な経験をする千載一遇の機会に恵まれ、金持ちに成った訳である。


前の年(昭和六十一年・1986年)プラザ合意が、先進G5諸国(日・米・独・仏・英)の間で合意された。

名目はG5諸国(日・米・独・仏・英)の各自国が為替レートを調整する政策協調だが、実質は日米の政策合意である。

ドル高に悩んでいた米国の意図は、日本への借金を大幅に減らす事にあり、プラザ合意により一ドル二百四十円前後だった為替レートが一ドル百五十円台になり、数字のマジックみたいなものだが、日本円換算にした時の借金額が、三分の一ほど煙と消えた。

また、この円高為替レートは、米国への日本の輸出は不利(売り難い)と成り、米国の貿易赤字は減った。しかし円高は日本が物を買い易くなり、他国に対して一躍金持ちに成ってしまった。

これにより、金融緩和が実施され、不動産や小売業、住宅への融資を拡大して行った。

当時、銀行は土地を担保に簡単にお金を貸し、それで買った土地が値上がりして、また担保の枠(担保価値)が増える自転車操業的融資拡大に発展し、金融緩和を背景に拡大した融資は投機目的の土地の買占め、株の買い上がりに向かい、過剰な投機熱によるバブル景気が形成された。

この土地投機ブームに暗躍し、細かい土地を買収でまとめ、使い易い広い土地にして価値を上げるのが、私が仕事としている「地上げ屋」である。

何しろ長年、もしかすると先祖代々住んでいる土地だから、簡単には手放さない。

それを脅し好かして手放させるのだから、やり方は少々荒っぽい。


バブル景気で勤めていた会社が急成長していたから、僅(わず)か八年ほどの勤続でも私はベテラン扱いで、一年前突然の所長栄転でこの街に来た。

私の直接の上司は、営業を担当している「だみ声の専務」だが、彼の後押しでこの営業所の所長になった。

この「だみ声の専務」とは腐れ縁見たいなもので、この物語では最後まで関わって行く運命だった。

栄転と言えば聞こえは良いが、実の所、少し難しい地上げを押し付けられて居た。

古い住宅街が、勝手に大手デベロッパーによって、マンション、ショッピングセンターの複合ビル用地に指定されたからである。

用地として指定されれば、それが業者の勝手なものでも売買の交渉は始まる。

住民には住み慣れた土地で、愛着が強い。

それでも札束を積み、なだめ賺(すか)し、時には脅して、この一年何とか仕事はしていた。

昭和六十二年(1987年)の春浅い三月頃には、虫食い状態だが、あと十数戸残すのみの所まで地上げは進んでいたのだ。


社命で、行き成りこの街に親子三人でやって来たので知人は少なく、仕事が荒いので会社の風評も悪く、在住して一年経つが、この街では余り新規の友人は作れない境遇だった。

もっとも、妻の方は小学校のPTAや町内の子供会を通じて、数人の親しい友人を確保している様だった。

私はそちらの方は妻任せで、余り顔は出さないが、結局の所、PTAや子供会は、親の親睦会と化し親同士の男女の過ちも多いらしく、妻の顔をしかめた噂話は「不倫騒ぎ」である。

近い年齢、それも盛り年齢の男女が酒席で一緒になる回数が多いのだから、「推(お)して知るべし」である。

妻は、今の職場を「やくざな仕事」と嘆いているが、同年代と比べ収入が良いから、計算高い妻も何とか納まっている。

確かに近頃の評判からすると、「地上げ屋」は世間には言い難い職業と言える。

それでも、余り上等とは言えないが住居も会社持ちで、就職条件は良い。

今家族で住んでいる所は、「連棟式二階建て」と言う建築方法の家で二戸分を一棟で建築してある安普請の代物だった。

それを会社が借り上げて、社宅代わりにしている。

でかいビルを作る為の、金額の大きい仕事をしていながら、本人が住んでいるのはこんな物だ。


妻の里美は、身長が163センチ、女としては中肉中背、股下が長いのが自慢の体型(からだつき)で、たまご型の顔に均整の取れた目鼻立ち、涼しげで黒目勝ちな瞳の眼の持ち主でプリッとした上下の唇、まぁ、見てくれだけ言えば純情そうな顔付きで、正直私には勿体無い位の美人である。

私が妻の顔立ちが良いのを気に入って、口説きに口説いて結婚に漕ぎ着けた相手だが、性格が地味で大人しく余り派手な髪型や服装はしない。

最初は身持ちも硬そうなので、理想の女性に見えたのだ。

妻の里美が結婚を承諾した時、それは正直、「夢か」と思うほどの美女を妻として手に入れて感激した。

涼しげで黒目勝ちな瞳の眼の持ち主の妻は、芸能界に紛れ込んでも遜色がない。

しかし、人生そう何もかにも上手く行くものではない。

その感激が落胆に変わるのも、早かったのである。

いざ結婚して見ると、キッチリ屋でA型気質の里美は亭主とのSEXまで真面目過ぎて、性生活に硬さが一向に取れないつまらない女だった。

たまに要求に応じてもマグロ状態で、「恥ずかしい」と照明を落とさせ、折角の美しい裸体も、夫の私にろくに見せようとしない。

ただ「一方的に私が妻を犯る」と言う、実に味気の無い状態が続いていた。

本来なら心掛けは大切で、性交は相手に心地良い贅沢をさせるのが礼儀である。

これは夫婦にとって不幸な事で、夫婦関係を維持するのには「互いの努力は必要」と言う事だが、その態度が妻に無い所が問題である。

性交は、秘する行為で在っても恥ずべき行為ではない。

一定の倫理は必要だが、生き行く為の支えである本能を抑制する事は、ある種の偽りである。

まぁ、亭主の事を無視して自分の主張や感情だけを大事にするのは、幾ら美人でも最低の女だ。

愛情が「性交の前提条件」と建前にするが、考えてみれば愛情など醒(さ)める場合もあるのだから、そんな不確かなものを持ってあたかも絶対条件とするなど甘ったれた稚拙な考え方である。

大体において、性交が見られて恥ずかしい「秘する行為」に成った理由は、性交時は周囲に無防備に成るので、サバイバル時代に外敵から身を守る必要が有った事で、隠れて性交をする様に成ったのが原因である。

そこを混同して、性交即「恥ずべき行為」と考えるのは知性が無い証拠である。

結婚して気が付いたのだが、妻は性への嫌悪感を持つ事が「上等な女」と勘違いしている詰まらない女で、まぁ、何年も「それは性格だから仕方が無い」と、半ば諦めていた。

諦(あきら)めてはいたが、これには甘い性生活を夢見ていた私も、いささか参って居た。

そんな夫婦生活でも、確りと娘が独り出来たのだから、妻の里美は、何処の家の夫婦生活も「そんなものだ」と、勝手に思い込んで自分を騙(だま)していた。

こればっかりは、口でこちらの不満を話したくらいでは妻の先入観は拭い去れないし、私の様々な試行錯誤も頓挫(とんざ)していたのだ。

考えて見れば、相手が「同じ事を考えている」何て期待はこの世にはほとんど無い事だし、期待する方が間違っているのかも知れない。

しかし互いのそれが不満を募らせ、口喧嘩(くちげんか)から暴力沙汰(ぼうりょくざた)に成ったり、口も利かない夫婦仲に発展する事も世の中稀(まれ)では無い。

それにしても夫婦関係(性交)を拒否する妻は、何を考えて一緒に暮らしているのだろうか?

妻のこの「性」に対する嫌悪感、日本女性にはけして珍しいものではない。

それも後で調べて見ると妻の血液型はA型で、血液型がA型の女性の性格は日頃の態度から品性人格が高く一見清楚で誠実・勤勉・几帳面を挙げられる場合が多い反面、事、性には異常なくらい格好を付けたがる。

つまりA型血液の女性は恋愛においても控えめで、引っ込みがちな行動傾向がある。

根本的にプライドが高く裏を返せば意地っ張りだから、本音は性交(セックス)を犯りたくても建前の世間体を誤解して「素振りには出さない」と言う男性には詰まらない女性が一般的なA型女性の傾向だった。

考えるに、日本の文化を担うのが、「侘びさび恥の文化」と言う、どちらかと言うと地味な美を愛でる感性(性格/精神)の文化である。

この感性の根底には、統治者が「領民(庶民)の浪費を嫌う」と言う統治上の思惑があり、鎌倉末期辺りから儒教精神を取り入れた仏教の布教に伴なって「節約が美徳」と教え広げ、それが永く定着して日本人の感性と成った。

同じ仏教寺院でも、他国の寺院は基本的に金ぴかばかりであるから、世界的に見ても、落着いていて美しい様式美のすばらしい精神世界を含む、日本の建造物や技術工芸、舞台芸術などの精神文化の感性は、けして悪いものではない。

つまり日本人の感性は、派手さを恥と嫌い、地味な中に「奥ゆかしさ」の美を求めた。

だが、そんな建前とは裏腹に、権力者が豪華な建造物を建て、金ぴかにしたり、傾向(カブキ)者が現れて、殊更派手な衣装振る舞いで自己顕示するなど、別の側面も持ち合わせていた。

所が、時代が下がるに従って、その時代背景などの要因から永く続いた武家社会の時代に「侘びさび恥の文化」が至上のものと成り、精神思想や感性として定着して行った。

結果、現在の日本人は至極当たり前の事として「侘びさび恥の文化」の中に生きている。

しかし、「侘びさび恥の文化」が影響し過ぎて歪(ゆが)んでしまったものもある。

感性の基本が「侘びさび恥」であるから、何事に対しても、地味で「奥ゆかしい」と言う抑圧的な暗い発想に成る。

この地味な性格の「侘びさび恥の文化」の感性が、本来在って当然の「性本能や性欲」を、建前、酷く陰湿なものに位置付けさせているのではないだろうか?

生物である以上、性欲は「基本的本能」である。

それを、日本人は限りなく陰湿なものにしてしまう所に、「侘(わ)びさび恥の文化」の感性の行き過ぎた影響を感じさせる。

この日本人の感性は、持って産まれたものではない。

両親を含む社会環境が醸成させたものである。

母親の味や土地柄の味と言った味覚と同じで、経験的に記憶し認知していくものである。

従って個人に記憶された味を、別の者が食しても口に合わない事態も起こり得る。

同様に、性に対する「暗く抑圧的な感覚」も社会環境が後天的に醸成させたものである。
勿論、他国に於いても「性」に対する制約(タブー)は存在するが、もっと明るい感覚で、日本ほど陰湿な感覚で捉(とら)える国は少ない。

また、日本式に「性」を抑圧的な暗い発想で、建前「忌みもの」のように扱う事が「性犯罪を抑止すると」考えるのは、馬鹿気たものの考え方で、明るく正しく必要なものとして扱うべきものである。

理性や精神と伴に、「本能」をも持ち合わせているからこそ人間で、その「本能」をいかにコントロールして付き合うかが、問題なのである。



明日は桃の節句・雛(ひな)祭りで、妻の里美が子供を連れて小田原の実家へ帰ったので、一人で久し振りの休日を過ごしている。

珍しく営業所全体で連休が取れたのは、突然の会社の命令だった。

テレビ局で、相手の都合を考えない悪質地上げ屋を取り上げて報道していたので、土日は休業して交渉に押しかけない、まともな会社をアピールする為に、月に一度の土日連休を今月から始めたのである。

まぁ、取り上げて報道された地上げ屋程ではないが、大なり小なり強引な手法を取らざるを得ないのが、実情だった。

これは余談に近いが、江戸期に入って盛んになった雛(ひな)祭り、子供は夢を託して無邪気な喜びの日である。

しかし、良く考えて見ると段飾り雛は、世界でも珍しい「身分制度を表したもの」で、雛(ひな)段の上に上るほど高位の雛(ひな)の居場所である。

これを平等の現代社会では「おかしい存在」とは誰も思わない所を見ると、およそ氏姓制度が「日本人の中に染み付いている」と言う事だろう。

一応「祭り」と言うからには信仰行事で、子供の健やかな成長を祈りながら、ついでに身分制度も学習させる寸法だったのではないか?

まぁ、目くじらを立てる程のものではないが、逆説的に言うと、存在するものは深く考えないで容認するのが日本人気質かも知れない。


十分ほど前、キッチンで焼酎のお湯割りを作って居間に持って来た。

居間と言っても一階の六畳の畳部屋に、古ぼけたソファーのセットを無理やり置いただけだ。

焼酎は私の好物で、大抵酒は焼酎と決めている。

息を吹きかけて、少し冷まして飲み始めた焼酎を、もうグラス三分の二ほど空(あ)けた。

タバコを一本箱から取り出して、灰皿を手元に寄せると、火をつけて長椅子の上にごろりと横に成った。

この姿勢でタバコを吸うのは防火上危険だ。

それに妻に見咎められたら、また、お小言を喰らう。

幸い留守なので、今は安心だ。

タバコの煙を吸い込んで、フーと吐き出した。

白い煙がワット広がって見る見る消えた。

手元で指に挟(はさ)んだタバコの先端から青い煙が上がり、何処からか風の流れがあるらしく少したなびきながら上がって行く。

何気なく煙の行き先を追うと、今まで気が付か無かったが、天上板に節穴が有る。

フト、或る有名作家の猟奇小説を思い出した。

アパートの住人が、屋根裏へ潜り込んで、節穴から他所の部屋を覗き歩く話だ。

今時屋根裏の有る家は少ないが、ここには有る。

アパートではないが、二軒続きの連棟式借家と言う奴で、二階の和室からなら天井裏に行ける。

確かあの話では押入れの天袋から屋根裏に行けた。

起き上がって、吸いかけのタバコをもみ消し、残りを飲み干してから二階の押し入れに行った。

押し込んで有る布団の隙間から覗くと、「在る在る」押入れの天井に外れそうな天板が。

蒲団を六畳の座敷に放り出し、押入れの上段に上がり、天板を上に押してみた。

ギシッと音がしたが、天板は上に跳ね上がり、埃(ほこり)が落ちて来た。

これは後が厄介だから先に対策を講じる都合がある。

まず着ている物をジャージに着替え、古新聞の束から応分の量を抜き取り、押入れ上段の床に引いた。

登って天板を跳ね上げ、屋根裏側に頭だけ入れて、隣と天井が繋がっているのを確認した。

目の前に思った以上の空間が広がった。

充分に、身を潜ませる場所はありそうだったので、両手で懸垂しながらよじ登って、少し天井裏を這い、隣の天井側に行って見た。

有る、有る、こちらと同じで天井に張った板は節穴だらけだ。

それだけ確かめると、一旦戻って仕度する事にした。

何故「突然こんな事を思い付いたのか」と言うと、昨夜の妻の話からである。


「ねぇあなた、今度いらしたお隣の岩代さんの事ですけど、夜の声が五月蝿(うるさ)いって小川さんから苦情が来ているの、少しは遠慮して、声を抑(おさ)えるように言って下さらない。」

妻は、こう言う噂話しには敏感で良く口にするが、まるで汚い物の話題を口にする様な口振りである。

「オイオイ、いくら部下だからって、そんな夜の生活の事までは中々言えないぞ。」

「でもねーぇ、小川さんの所、高校受験の男の子がいて、毎晩あんな声を聞かされては受験に差し障るって、目を吊り上げているわ。それに、内の会社の夫婦でしょ、私まで体裁が悪いわ。」


隣の岩代夫婦の「あの時の声が大きい。」と、私は妻から聞かされた。

確かに戦後の復興期に安普請(やすぶしん)で建てた物だから、少し大き目の隣の声は互いに筒抜けだった。

私も並みの男性感覚の人間だから気を引かれる話で、その妻の言(げん)は何故か印象的に強烈なインパクトを持つメッセージとして、深く私の意識の中に残った。

しかし、「夜の声が五月蝿(うるさ)い」とは困った問題である。

しかも「毎晩」とは、内心羨(うらや)ましくもあるが、確かに世間体と言うものもある。

その時はまぁ、余り興味を持った風でも妻に勘繰られると、極力平然と話題を続けさせた。


「隣、そんなに五月蝿(うるさ)いか?俺は気が付かなかったが。」

「内も少しは聞こえますけど、小川さんの所は勉強部屋の窓が、ちょうど岩代さんの二階寝室の真下だそうで、それは良く聞こえるらしですよ。」

「そりゃあ一度確かめて、それとなく注意するか。」

「そうして下さい。私達まで白い目で見られたら適いませんもの。」

とまぁ、こんな会話があって興味が湧き、部下の私生活にも監督責任もある事だから、何がそんなにうるさいのか確かめる必要を感じていた。

自分が事実を確かめないのに、岩代に苦情は言えない。

こうした苦情は程度の問題で、一方的な言い分を採るのではなく確認しなければならない。

まぁ、興味本位の半分こじ付けだが、急に気に成った事は事実だ。

それにしても、夜間に岩代と小川家の間の狭い窓の下に行くのは、気が引ける。

こちらが「覗き痴漢」と間違えられかねない。

それで思案していた所に、節穴を見つけ、「屋根裏の怪人」を思い出した。

高校時分に読んだから結構エロくて、衝撃を受けた覚えがある。

あれなら、隣りの生態を確実に確かめられる。

それに岩代夫婦が、何故に夜の声が大きいのかも興味がある。

岩代の所は、どう見てもカカァ天下で、あの気の弱い岩代と強そうな奥さんのコンビで、どんな事をしたら、五月蝿(うるさ)いほどの声が隣まで響くのか?

幸い、確かめたら岩代夫婦は夕方まで留守らしいので今の内に体制を整えて置こう。

今夜は、一晩屋根裏に滞在するかも知れないから食事や排尿の心配もして置こう。


およそ二ヵ月前、真冬に本社の辞令を携えて岩代夫婦はここに遣って来た。

前任者が転出して空になっていた隣の住人に納まったのだ。

岩代は二十五歳で、私より四歳ほど年下だが、身長が高く筋肉質で体格も良い。

聞くと「大学でアメフトをやっていた」と言う。

一見して周りが一目置く剛の者だ。

「アメフト」と聞いて、少し意外に思った。

競技名から想像するほどの巨体風ではなく、相撲で言えばそっぷ型の体形で、バランスが取れている。

体格が良いのは歓迎で、何しろ競合するやくざ紛いの地上げ屋とも熾烈な争いをしていたから、彼の体格は戦力になる。

処が、恐妻家と言うか気が優しいのか、細君にはメチャメチャ優しい。

大きい身体を小さくして、細君の言う事を「ウンウン」と何でも言う事を聞く。

会社でも強持ての外見と違い、細やかな気使いで、女性社員にも評判が良い。

私はそのスポーツに興味がなく、良く知らないが岩代が現役の頃は、アメフトで相当鳴らしたらしい。

大学卒業後も、つい最近まで母校のアメフト部のコーチをしていて、三年ほど夫婦で大学寮の寮監をしていたそうだ。

細君とは一歳、齢(とし)の違いがあるが高校時代からの付き合いで、その頃から男女の関係があったらしい。

その細君、名前を「京香」と言うが、中々男好きのする色っぽい顔付きで、目鼻立ちが通った可愛らしい美人で、初対面ではドキッとさせられた。

妻とは雰囲気が違うが、こちらも天性の色気を持っ美人である。

否、男好きする雰囲気を漂(ただよ)わせている分、妻より余程魅力的である。

身長は165センチ前後と高めの、切れ長黒目勝ちなひとみを持つ面長な美人顔で、上唇がやや薄い魅力的な受け口が、肉感的な魅力を感じさせる。

岩代京香の髪型は、面長な顔に似合う「ロングレイヤー」と言われる肩胛骨から下の長さの清楚なストレートロングのヘアスタイルで、何処か神秘的な彼女に良く似合っていた。

顔だちや雰囲気の印象は落ち着いていて清純そうで良いのだが、何しろ服装の格好が、それに似つかわしく無く大胆なのだ。

大きめの胸が大きく大胆に開いたセーターから覗いていて、頭を下げて挨拶された時には、私の目は思わず胸の谷間に向いていた。

それは私もただの男だから、正直機会があれば部下の細君とは言え胸元が開けば覗きもするし、スカートが翻(ひるがえ)れば内腿(うちもも)の一つも拝もうと目をやる。

正直男は、誰だってこう言う視覚の誘惑には弱いものである。

まだ肌寒い季節にも関わらず、乳房が半分ほど覗いていたからで、フト、「この細君はブラジャーをして居無いのでは?」と思ったが、まさか聞く訳にも手を入れて確かめる訳にも行かない。

胸に秘めた小さな疑惑が、私に残った。

それにしても、自分に相当自信があるのか、地味な亭主と比べ、着る物が露出気味で、大胆で派手な感じの細君(京香)だった。

経緯(いきさつ)は本人が語らないので知らないが、岩代は今年に成ってその母校の寮監を止め、人手の欲しかったこの会社に面接し、途中入社でこちらの営業所に配属されて来た。

初対面では、「どう」と言う事の無い印象で、スポーツマン風の身体のがっちりした純朴な若者に見えたが、一月後には「只者ではない奴」と知れた。


岩代が赴任して来た頃には、手掛けていた地区の地上げが終盤に入って居たから、試しに残り地上げ対象の内から一件の説得を割り振った。

地上げの会社に営業で入社して来た以上、奴も仕事は手掛けなければならない。まったくの素人だから早く経験させて、仕事を覚えさせねばならなかった。

とは言え本音で言うと、私はその岩代に割り振った物件の契約成功に彼の成果を期待はしていなかった。何故なら、私の手に余っていた難物件だったからだ。

敷地百坪、築四十年と言う物件で、こちらの提示した条件も良く、どのみち建て替時期に来ていたので、当初の予想では話が早く着く筈(はず)だった。

処が、持ち主の竹中氏は誰が行っても中々「ウン」とは言わない。

竹中氏は当時六十六歳、奥さんに先立たれて、三十歳前後の娘さんと二人暮しだった。

幾ら古くとも、「妻との想い出が残る家を手放したくはない。」と頑ん張って、話しを聞いて貰えないで居た。

そんな訳で、勤続五年の古参の部下と私は、頑固親父の竹中氏に手を焼き、説得に攻め悩んで居たのである。

それを、何を思ったのか、着任早々の岩代が自ら名乗り出て、「試しに自分にやらしてくれ。」と言う。

そして、どんな手を使ったのか定かでないが、一ヶ月弱で見事譲渡契約書に判を貰って来た。

素人がそんなに簡単に、「ものに成る仕事なものか」と、たかを括(くく)って居た私としては、いささか面子を潰されたが、営業所としては大いに成果である。

後で竹中氏の娘さんが営業所に苦情を言って来たが、名義人が承諾しているので問題には成らない。

その娘さんも、岩代の説得で諦めたのか、帰りは笑顔で帰って行った。

いったい、奴は竹中氏をどう説得したのだろう・・・。

とにかく当時は恐ろしい時代で、地上げで開発の片棒を担ぎながらも「こんなに急速に全てを新しくして良いのだろうか?」と疑問は抱いていた。

人間の飽く無き欲望の象徴(しょうちょう)とも言うべきか、都会で十年も経つと乱開発が進み、微(かす)かに道には面影があるが街並はスッカリ変わったしまう。

地元生まれの人々に取っては、子供の頃の懐かしさを抹殺(まっさつ)するような商売だった事は確かだ。

竹中氏の娘さんに取っても、そうした思いは在った筈だ。


若い岩代夫婦は、テレビ、ベッド、ロッカーなどの設備が備え付けだった寮監生活が長かったので、家財道具は少ない。

唯、彼らが持ってきた物で、唯一目に付いたのは、六畳敷きの蒼い絨毯で、毛足の長い高級品だった。

独身時代、結婚時代を含めて、「寮から出たのが初めて」と言う事で、私と家内でかなりアドバイスをして、漸く家庭らしい体裁を整えていた。

そんな訳で、岩代家の中なら、私は家具の配置など手に取る様に判る。

と言っても、ほとんど家具らしきものもない状態で、これから「少しずつ揃(そろ)える」と言う所だ。

岩代の仕事振りは、スポーツマンらしく要領は悪いがおよそ生真面目で、信頼は置けた。

それが、功を奏すのか、その後も二件ほど単独で話を付けていた。

しかし大きな金額を動かす仕事で有る。

素人がいきなり営業に行って、そう易々と仕事を取って来るとは、先輩としては面目が無い。

彼のそうした仕事の成果が何故なのかは、謎だった。

「地上げ」と言う仕事柄、早朝・夜間は当たり前だが、仕事が終わると彼は帰宅を急ぐ。

別に陰気でもないが、同僚との付き合いは地味で、滅多な事では、仕事帰りの仲間との寄り道はしない。

「何だ、スポーツマンにしては付き合い下手な奴だなぁ。」

岩代が極度の恐妻家で、「夜遊びは出来ないのか」と、私は思っていた。

まぁ、あの美人の細君(京香)では真っ直ぐ帰っても仕方がない。

しかし私の妻に言わせると、寮監時代の学生が慕(した)っているらしく、休日前夜など結構多人数で押しかけて来るそうだ。

「酒盛りの声も聞こえている。」と言う。

「でも、前の寮の学生さん、わざわざ訪ねて来ますわ。賑やかな夜も多いのですよ。」

「何だ、外で夜遊びしている私の方が知らないだけか。」

「貴方が酔って帰って来て、バタン・キューで寝るからですょ。」

「仕事、仕事、私だって本音では速く帰ってユックリ寝たい。お客さんとの付き合いもあるし、部下に飲ませるのも仕事の内だ。」

やれやれ、何か話をすれば、結局は何時(いつ)の間にか矛先が私に向かって来る。

「あなたが飲みたいから会社の方を誘うのでしょう。」

この女、私が家に帰って来ても中々SEXを犯らせもしないで、つまらないから帰りたくないのに、そう言う所は全く思い至らない。

つまり、妻は単純に現象を批判し文句は言うが、原因が何処にあるかなど全く要因を考える余地が無いのである。

「真面目に帰って来て、岩代君の所のように何か良い事があれば俺も跳んで帰るのだが・・・。」

精一杯の嫌味を言ったのだが、ミッションスクールの中学・高校で、「姦淫は罪深いものだ」と教わった妻である。

「いゃねぇ、直ぐにそっちの話しばかり、私はそんな女じゃないわ。」


真面目ぶった妻の言い草が、私の鼻に付く。

「そんな女じゃない?それじゃあ、どんな女なのだ?」

この物言い、「傲慢だ」と私は思った。

色気のある話を拒絶するのが「上等な女だ」と勘違いして、すっかり思い込んでいるが、男から見れば、気取って入るだけの「鼻持ち成らない、そして詰まらない女」である。

本来、人間は普通に善人であり、普通に悪人である。

同様に、性においても普通に純粋で、普通にスケベである。

つまり、多面性を自然に持ち合わせているのが人間で、「私はスケベではない」などと言うのは、理性的な「欠陥人間」か「嘘つき」のどちらかである。

本来、夫婦の間の性行為にタブーなど有ってはならない。

世の中で一番「気取り」とかけ離れているのが、性欲・性行為である。

実際の性交が「美しくないから」と言ってそれが現実で、例えその行為がグロテスクだろうが、「する必要がある行為」と肯定すべきである。

大体に於いて、性行為は嫌らしいからこそ「興奮」と言うスパイスを楽しめるもので、妻のように夫婦の間の性行為に「嫌らしい事は嫌」とタブーを持ち込むのは馬鹿げた話である。

何を勘違いしたのか、「貞操観念が淑女の条件」とばかりに思い込みが偏向して、亭主相手にでも性行為に砕(くだ)けられないでは、自尊心ばかり強い「バカな女」である。

「気取り」は理性のもので、「性欲」は本能のものである。

その入り口の違うものを、ぶつけ合っても問題が解消する訳が無い。

互いに気取っていては、欲求を満足させる事は出来ないのが性行為で、それを「私にはそんな事出来ない(犯りたくない)」と気取っているのなら、そんな詰まらない夫婦生活は、止めた方が良いのである。

どうも世の中、建前だけで物事を処理し、その根本には触れたがらない。

本来、人間の性欲と理性は脳の別の部分で対応するもので、その質の違う事を混同し、「理性で性欲を処理させよ」うと言う所に、根本的な無理がある。

その無理を、何世代も押し通して居る間に、人間の人格そのものが壊れて行っているのではないか?

ものの考え方は、受け取り方で全て違う。

例えば「壁(かべ)」一つ取っても、それは遮(さえぎ)り邪魔するものなのかそれとも外敵から護る為の物なのか、それを少し用途を広げて見ると、壁(かべ)はアートの為だったりする。

つまり、固定した考え方は「百害あって一利無し」である。

貴方の考え方は、固定観念に害されてはいないか?

人が活き活きと生きる為には発想の自由が必要で、それを妨げるのは「独善的な独自思想」である。

馬鹿な事だが、浮気相手に愛情を感じてコッソリ逢い、他人目(ひとめ)を忍んで性交するなんて事は、実にシュール(発想が越えてる)な冗談である。

既成概念に囚われた挙句の浮気で「禁断の性交」と言う事だが、こうしたシーンで愛情を簡単に使って欲しくない。

それは夫婦愛にしても近隣愛にしても、そして民族愛にしても状況次第で、本音の所では自己愛を優先するのが偽(いつわ)らない人間である。

また、孫子に対しては本能的な愛情が在るかも知れないが、それも近頃では怪しい親も居る。

つまりこうした浮気事の現実は、日常の薬味(スパイス)が無い夫婦生活を前提にした刺激を求めての、思い込みに過ぎない愛情だからである。

料理でも薬味(スパイス)が無ければ味に深みは生まれない。

同様に、性交には卑猥な薬味(スパイス)が無ければ興(きょう)は乗らない。

その薬味(スパイス)が禁断の他人目(ひと)を忍ぶ刺激的性交である拠りも、夫婦仲を壊さない工夫の上で薬味(スパイス)の「味の深み」が必要である。

つまり知的に夫婦が心を通わせるには、夫婦揃っての合意の上で遊ぶ非日常の時間と言う薬味(スパイス)の深みが必要である。

SMプレィやマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)の方が遥かに罪が無い薬味(スパイス)なのだ。

何、「そんな遊びを夫婦で犯らなくても、内の亭主の事は信じている」てか。

そんな御気楽・能天気・無頓着な事だから、貴女本人や御亭主が道ならぬ性交に燃え上がるのではないのか。

夫婦仲は怪しげ不確かな建前にすがる横着ではなく、日頃の日常生活のストレス解消など、夫婦で利口に成って創意工夫しなければならない。



なるほど、聞いた限りでは私の知らない面も、部下の岩代の生活にはある。

寮監時代は学生には慕われていたらしい。

未だに遣って来るとすると、「単なる寮監と学生の域を越えた交流が有った」と言う事である。

私の岩代に対する認識が、少し変わった。

何なのだろうか?

「変哲も無い」と言えば何の変哲も無い若夫婦なのだが、妻の話を聞いて何故か謎めいた印象が私に残った。

それにしても、隣家から苦情が出るほどの「あの時の声」とは、気に成る話だ。

そんなこんなが有って、今私は天井裏に上る気で居る。

これは犯罪である。

しかし、フラフラとこんな気持ちに成ったのは、後で考えれば運命の導きかも知れない。

しかし、人間独特の好奇心は、そう簡単には押さえられない。

私は用意万端整えて、屋根裏に上った。

この天井覗き見事件が、この刺激的な物語の端緒(たんちょ)に成るとは、その時はまだ知らない私だった。


(屋根裏)
蒼い危険な賭け・京香◆
第二話(屋根裏)


屋根裏に上って暫(しばら)くすると、何時の間にか眠りに落ちた。

暫(しばら)くウトウトしていて目覚め、気がついた時、腕時計は夕方五時半を指していた。

唯でさえ暗い屋根裏で、しかも冬のこの時間では外の陽も落ちている。

用意していた懐中電灯が頼りで、腕時計の針は点灯して読んだ。

五時半を確認して大事な事を忘れているのを思い出し、一度自分の部屋に戻った。

妻の実家に電話をし、今日は確実に泊まるのか確認する為だ。

電話に出た妻の電話の向こうでは、妻の一族の賑やかな声が楽しそうに弾んでいた。

「お前達、やはりそちらに泊まって来るのか?」

「えぇ、そのつもりですけど、そちらは大丈夫ですか?」

「こっちは大丈夫だ。それより折角久し振りに実家に帰ったのだ、何なら、もう一泊して月曜日の帰りでも良いぞ。」

「えっ、良いのですか?」

妻の弾(はず)んだ声が受話器から伝わって来た。

「こっちは俺一人だ。二日ばかりなら外食と買い食いで何とかなる。たまに帰ったのだからユックリ親孝行して来い。」

「そうね。じゃ、タマにはそうさせてもらいます。」

妻は実家に二泊する提案に、あっさり同意した。

いや、むしろ喜んでいた。

子供が小学生にも成ると、町内の子供会やPTAの用も出来、妻も最近はメッタに帰らなく成っていた。

生まれ育った土地と家、孫との逢瀬を楽しむ妻の両親、一泊では慌(あわただ)しい。

時には亭主の事を忘れて、親元で、のんびりとした時間を持ちたかったのだろう。


恋愛の発端は、その異性を「好ましい」と言う「感覚的な片思い」が、双方一致した物で、この感覚的な片思いは思い込みに拠る直感的な物だから、勿論愛情では無い。

異性に対する「好ましい」と言う「感覚的な片思い」は、あくまでも自分にとって「好ましい」と言う物で、相手に過大な期待を寄せると「こんな筈では無かった」となる。

その恋愛が愛情に変わる時は、「自分にとって好ましい」と言う付帯条件を外した時である。


夫婦って何だろうか?

僅か十年足らずでも、永く一緒に生活していると良い思い出ばかりでは無いのが夫婦生活で、妻に対しては愛情も有れば不満もある。

その最大の私の不満は、妻のガチガチの性に対する認識である。

私の勝手な言い分だが、私の人生は一度しかないのだから例え勘違いでも世間に良くある事でも、妻の余りにも面白くない貞操観念の性生活に「付き合う義理もない」と思えて来る。

夫婦なのだから、良い事も悪い事も二人で責任を持たなければ夫婦の意味が無い。

そんな事は一生続く訳はないのに、自分の言う事は「何でも聞いてくれる」と、互いに甘い夢だけで結婚してその覚悟が無い夫婦が多いから、「相手が勝手な事ばかりする」と離婚申請が多発する。

人生の道のりには都合の良い事ばかりが続く訳ではないのだから、夫婦は良い事も悪い事も二人で責任を持たなければならない。

つまり肝心なのは本人同士の互いの覚悟で、「相手の勝手」に付き合ってこそが本物の夫婦なのだ。

性交為そのものは、相手が恋人だろうが夫だろうが赤の他人だろうが、気分が違うだけで基本的に「犯る内容」は然して変わる訳ではない。

そして男女の出会いに定型がないだけに、相手が例え赤の他人だろうが、性交を犯ってしまえば肉体(からだ)の方は構造的に快感を得られるように当たり前に設計されているのだ。

今回二泊するよう薦めたのは、勿論隣の覗きの為である。

しかし、この実家に二泊もさせた事が、妻の運命を大きく変える第一歩に成るのだが、我々夫婦はまだその事を知る由もなかった。


シメシメ、これで二晩は時間が自分の自由に使える。

妻を誘導するのに成功して、私は小さな成功を喜んだ。

この、軽い気持ち出始めた「覗き」が、私達夫婦の人生を大きく変える事など想像だにする事も無く、私は興奮していた。

妻に対しては、些(いささ)か後ろめたかったが、湧き立つ興味には勝てなかった。

何しろ、「あの時の声が凄い」と言うのだから・・・。

実を言うと電話中も、何時岩代夫婦が帰って来るのか、気が気では無かった。

彼らが帰る前に天上に上らなければ、チャンスを失う。

早速、また屋根裏に潜り込み、隣の天井位置まで這い進んだ。

この時点で、夜の七時に成って居たが、岩代夫婦はまだ帰っては来ない。

ジッと我慢する事がこんなに大変とは思わなかったが、始めた事なので意思は変わらなかった。

こんな事でも、始めてしまえば挫折はしたくない。

奇妙なものだが、人間の心理何んてものはこんなもので、「バカバカしい」とは思いながらも、半ば意地になって粘り始める。


正直、覗き見に「罪悪感が無かったか?」と言えば、多少後ろめたい気持ちは在った。

人間は 社会性(集団で生活する必要性)から 側坐核(そくざかく/脳部位)を機能的に成長させて「善悪の概念」を持つ。

「善悪の概念」を持った人間は、自らを「ヒューマン」と呼び、その意味はつまり性善説で「人間らしい、人間味、人間的」と言う。

しかしながら、現実に「人間て何だろう」と考えた時、本当は「性善説」は綺麗事で、一人の人間が結構善人でもあり結構悪人でもある。

本音で言って、場面場面で善悪併せ持つのが人間ならば、人間何て然程(さほど)上等なものでは無い様な気もする。

まぁ、「人間らしく生きる」と言う事は、思いがけない事も犯ってしまう恐ろしささえも「在りうる」と言う事で、ヒューマン(人間らしい、人間味、人間的)の「建前のべき論」と現実には、明らかな矛盾を感じる。

そして当然ながら人間は繁殖時期を持たず、他の動物種では滅多に無い年中発情型で、「擬似生殖行為」と言う生殖目的以外の「癒し目的」と言う性交を必要とする生物である。

つまり発達した「脳の苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の行為」として、生殖を伴わないSEX行為の合意が、人類の意識の中に「必要な行為」として与えられた。

人間のスケベ差を難しく言えばそんなものだが、簡単に言えば性交を愉しむ目的だけでも行為に及べるのがヒューマン(人間らしい、人間味、人間的)と言う事になる。


九時近く成って、漸(ようや)く下で男女の声が聞こえた。

男の声の方は、毎日職場で聞き慣れていた。

岩代夫婦が帰って来たのだ。

トントンと階段を上る音も聞こえて来る。

「おぃ京香、調べてやるから脱げ。」

部屋に入った途端、意外な岩代の命令口調の声が聞こえて来た。

いきなり「脱げ」は、壷に嵌(はま)り過ぎな声だった。

節穴から、無数の光の帯が立ち上がって居る。

その内の一つを、昼間のうちに選んで印を付けて居た。

私は慌(あわ)ててその節穴から下を覗いた。

「はい。」

細君(京香)のこれまた素直な声が聞こえた。

二人の会話の様子が、予想していた夫婦のイメージとかなり違う。

命令して居るのは、恐妻家の筈の岩代の方だった。

それにしても予測に反し、いきなり始まって私は慌てた。

始まるにしても、「それなりのプロローグがある」と思い込んでいたのだ。

そんな面倒な事は、この二人はしない。

しかも二人の声の在り処(ありか)は、予(あらかじ)め予想していた四畳半の寝室ではなく隣の六畳間の方だった。

先ほど確かめたが、蒼い絨緞(じゅうたん)が引き詰められただけの家具も無い部屋だった。

音を気にしながら慎重に身体を移動して、この部屋用に目を付けて居た大き目の節穴から覗いた。

「オッ、見える見える。」

幸い、岩代は視界に入らないが、細君の姿は視界に入っている。

それが期待以上の結果で、細君(京香)の脱衣風景が目の前に見て取れる。

細君は、躊躇いもなく両手を前で交差させ、スェーターを胸の上まで捲り上げた処だった。

これは想定外に、「ラッキー」と言わざるを得ない。

一旦、首で引っ掛ったスェーターの下から、行き成り両の乳房がこぼれ出た。

やはり細君は、ノーブラだったのだ。

次にミニスカートのサイドジッパーを外し、そのままスカートを床にハラリと落とした。

下に身に着けていたパンストを前屈(まえかが)みでズリ下げると、パンティも履いていない。

どうやら細君は、普段下着は身に着けていない様だ。

そのくせ普段の格好は大胆で、酷く大きな前開きのスエーターか色物のブラウス、大き目の乳房は半分ほど覗き、スカート丈もミニ丈で、太腿(ふともも)が眩(まぶ)しい。

ニ十四歳と言う「若さ故の格好」と解していたが、この分ではそれだけでは無さそうだ。

細君は、岩代のたった一言で素直に最後まで脱ぎ、今は全裸で窓際に佇(たたず)んでいる。

それが、まるで私に見せるかのように、お誂(あつら)え向きに、私の視界の正面を向いていた。

正直な話、妻でさえ滅多に見せないのだから、妻以外の裸身などそれこそ見れるものではない。

目を凝らして良く見ると、雪国の出身かと見紛(みまが)う程しなやかで張りが有る色白の美しい肌の持ち主で、私は生つばを飲み込みその美しくたおやかな裸身を見ていた。

それこそ私は、胸をときめかせると共に興奮をしていた。

マジマジと見た細君(京香)の肉体(からだ)は、思った通りの肉感的な身体に、濃い目の恥毛もはっきりと見えて、辛抱して屋根裏で待った甲斐が有る。

予想以上の幸運に、私は興奮した。

天井裏で万歳(バンザイ)は出来ないが、盗み見の成功は誰にとっても蜜の味がする。

生まれて初めて「覗き」をしたが、相手夫婦を知っているだけに興奮する。

素知らぬ顔で、明日にも顔を合わせる相手だ。

二人はゲームでもするかの様に命令し、それに従っている。

良し良し、確り見届けるから早く先に進んでくれ。


細君が、夫の岩代に命じられて全裸に成った事から、今から「夫婦の営みでも始めるのか」と想って期待したが、岩代から想わぬ話が飛び出した。

「で、俺が京香を置いて喫茶店に時間を潰しに行った後はどうだった。竹中の爺さんは、満足したテイ(体)か?」

「えぇ、お喜びでした。」

「あの爺さん、今日で京香とするのが二回目だから少しは慣れて、遠慮が無く成ったか?」

奇妙な会話だったが、どうやら二人の話題の主が土地の買収に成功した「竹中の爺さんの事だ」と、私は理解した。

どうやら二人で竹中氏を訪ねての帰りらしい。

「えぇ、今日は硬さが取れて、かなりお好きに為(な)さっていました。」

「それで、お前も感じたのか?」

「はい、私も充分楽しみました。」

「竹中の爺さんは、何か言ったか?」

「竹中さんは、後一回残った私との約束が楽しみだと・・・。」

「うん、そりゃそうだろう。六十歳の余にも成って、目の前にお前見たいに若いのが素っ裸で縛られていて、お好きにどうぞは天国だ。」

「えぇ竹中さん、済まんな、済まんな、って言いながら私を撫で回すから、遠慮なさらず何でもお好きになさって下さいって、言ってさし上げました。」

「なるほど。」口振りから察するに、どうやら岩代夫婦は、竹中との譲渡契約に「細君の肉体を提供する」と言う特別なサービス条件を付けたらしい。

それなら、或る意味入りたての素人に譲渡契約を出し抜かれた私としては安心である。

道理で、素人の交渉話がスムースに運んだ筈(はず)だ。

そんな芸当が出来るなら私だってもっと契約が増えるのは明らかで、世間の禁じ手だから思い付かないだけである。

細君の顔には一見あどけなく可愛らしい印象を得て居たが、それにしては大胆な事をする。

しかし、その顔の印象とはアンバランスな開放的な衣装に、初対面の時に私もソソラレたくらいだから、あの細君の肉体は男なら心惹(こころひ)かれても無理はない。

なるほど、「あの堅物の竹中氏も男だった」と、自然に私の口元が緩(ゆる)んでいた。

何しろ、私が再三説得に通って落ちなかった相手である。

むしろ何かカラクリが無ければ、納得出来ない所である。

ずっと不思議に思っていたが、これで謎が解け、私は納得した。

なるほど人間現金なもので、「亡くなった妻の思い出」より、竹中も現実の楽しみの方が魅力はあるに違いない。

もっとも、六十歳の半ばを過ぎて、二十歳を少し超えた若い細君の肉体を抱くなど滅多にある機会ではない。

そんな据え膳に飛びつかない男が居るとしたら、余程猜疑心が強く「臆病者」としか言い様が無い。

何しろ彼は妻に先立たれた一人身で、相手は合意の上で夫から提供された女である。

誰憚(はばか)る事は無い。

或いは亡き婦人も、いつまでも自分に操(みさお)を立てて孤独に暮らす夫を心配しているかも知れない。

性接待はビジネスの代償或いは謝礼である。

確かに、最初から後腐れの無い只の遊びが前提で、妻君(京香)の様な妖艶な美女が、素っ裸でどんな性癖の我侭(わがまま)も受け入れての至れり尽くせりの性接待を受けて、こんな美味しい話しに怒る男など居ない。

充分に納得できる事だった。


節穴から覗く私の目に岩代の手だけが見え、細君(京香)が数歩手の方に歩み寄った。

岩代の手は、細君の股間に伸びて行く。

オッ、イヨイヨあの岩代手が細君の裸体に触れる。

そう、そう、これを見にここ(屋根裏)に登ったのだ。

岩代の手は、細君の丸く膨らみを帯びて恥毛が茂る柔らかそうな股間を、指先ですくう様に覆(おお)うと、細君が「ビクッ」と身震いした。

残念ながら岩代の手元までは見えないが、思うに、岩代の指が細君の花弁の中へ、めり込んでいるに違いない。

「竹中は京香をどう楽しんだ?」

岩代が、畳み掛けるように質問しながら、肩と二の腕を震わしている。

「アァ、体中おなめになりました。オマ*コから、それこそお尻の穴まで・・・」

細君のする返事の声が、甘さを増している。

「そうか、京香は感じたか。」

岩代の手首が、小刻みに動いているのが、見えている。

「はい、のけぞるほどに・・・・ウッ、ム、ム。」

岩代は、細君(京香)の股間を指で嬲(なぶ)りながら、竹中との痴遊戯を話題にし、その表情の変化を楽しんでいるのだ。

「爺様に感謝されるのも良いものだろう。どれ、竹中はここも色々に使ったか?」

突然岩代の背中が視界に入ると、肩越しに細君(京香)の顔が歪(ゆが)んで身も震わせて見えた。

「はい、ア、ァァ、私のオマ*コを色々にお使いに成りました。」

岩代のからだの右側に細君(京香)の裸身が縦半分見えたかと思うと、岩代の右手が細君の股間で、リズミカルに動いているのが目に入った。

私には、恐らく彼の右手の指が何本か「細君(京香)の股間・柔ら壺にに潜り込んでいる」と見えた。

「そうか、道理で京香のオマ*コがグチャグチャに濡れている。」

岩代の右手が、肩から腕にかけて躍動し、手首はスナップを利かせて激しく細君(京香)の股間を攻めている。

細君(京香)が岩代の身体にもたれ掛る様にしながら、歯を食い縛って立っているが、その口から「アァ、アァ、」と声が漏れ始めた。

「竹中の爺さんには、良くしてやったのだろうな?」

岩代の右手の肘(ひじ)が前後して、忙(せわ)しなく繰り出す指先を連想させる。

「それはもう、あなたの言い付け通りに、アア、竹中さんにおシャブリもタップリして差し上げました。アッ、アア」

「そうか、指だけでなく、オチン*ン(欲棒)もここには入れたか?」

「アァ、に、二度です、ア、アァ。ズコズコと・・・ァァ」

「あの爺さん二度も嵌(ハメ)たか、意外と元気なものだ。」

「あなたが迎えに来るまで、アァ、二時間、目一杯お楽しみでした。アァ、イキます。アァァ、イキます。」

会話中も、細君(京香)の腰が奇妙に卑猥(ひわい)なクネリを見せ、まるでポルノ映画のシーンを思わせる凄(すご)い情景である。

想像以上の展開に、私は固唾(かたず)を呑んで見入ってしまった。


「おい、ソロソロ奴らが来る頃だ。支度をするぞ・・・。」

「はい。」

細君(京香)の返事はあくまでも素直で、私の彼ら夫婦に対する先入観は事ごとく裏切られていた。

これが、傍目(はため)恐妻家・岩代の正体か?・・・・。

それにしても、「奴ら」とは、何者だ?

岩代の手から開放され、そのまま全裸で余韻を残すように窓際に佇(たたず)んでいる細君を尻目に、岩代が軽い身のこなしで機敏な動きを見せる。

岩代は押入れから蒲団を出し、六畳の真ん中に引くと、「オィ、こっちに来てしゃがめ」と呼び寄せて細君(京香)を横座りにしゃまがせた。

色白の美しい肌、大きめの二つの乳房、ウエストのくびれにS字型の臍、濃い豪毛に覆われて、丸身を帯びてせり出した柔らかそうな恥丘、その下のやや小ぶりな二枚の肉花弁までそれと判る。

ジッとしている細君(京香)を、岩代は機敏に動いて縛り始めた。

細目の麻縄を二本束にしたものを使い、手馴れた手付きで後ろ手に一気に縛り上げ、アイ・マスクで目隠しをしてその蒲団(ふとん)の上に転がした。

細君(京香)の両の太腿(ふともも)の付け根、モジャモジャと恥毛を蓄えた恥丘の下部に、二枚の可憐な肉花弁が少しアンアンバランスな大きさでプリッと咲いて生々しく見えている。

オィオィ、この夫婦「何をオッ始めるのか」と思えば、行き成りこれか?

SMを始めるとは、思いの外大胆な奴らだ。

「お前、今日は忙しいナァ。昼も夜もで、嬉しいだろう。」

岩代が、細君を弄(なぶ)るように言いながら、縄を操(あやつ)っている。

「あなたの御意思ですから・・・・。」

麻縄が胸を引き絞り、喰い込んで殊更乳房が強調されている。

拘束は細君(京香)の下半身だけを自由にしていた。

これは、夢では無く、現実に私の目の前で起こっている事だ。

岩代は慣れた手つきで縄を引っ張り、縛り具合を確かめると、細君(京香)に言い渡した。

「何時もの様に、終わるまで脚は閉じるな。」

「はい。」

細君(京香)は、仰向けのまま操り人形の様に膝を立て脚を大きく広げて丸出しの股間を晒(さら)した。

「どれ、奴らが来る頃だ。明るくして置くか。」

岩代が独り言を言いながら立ち上がって、パチッと電灯の明かりを切り替えた。

室内の明るさが増し、細君の白い裸身が一層鮮(あざ)やかに浮かびあがり、黒い硬そうな濃い恥毛のかげりも、二枚のふっくらした肉花弁さえも、半開き気味に見て取れる。


「寮監、コンバンワー。」

階下で数人の声がした。

「おーっ遅いじゃないか、上だ。台所からビールとレッドを持つて二階に来いやー。」

「押忍、グラスもですね?」

「ガヤガヤ」としたざわめきと「ドヤドヤ」と言う人の動きが伝わって来る。

恐らく、噂の以前の教え子、寮生の一団がやって来たのだ。

「オゥ〜、お前らの人数分に、俺達の分を後二個加えて持ってこい。」

「押忍。」

慌てた様子もなく岩代は着衣を脱ぎながら下に声を掛け、下の連中を二階に呼び寄せている。

見る間に、岩代はパンツ一丁に成って座り込んだ。

六畳間の真ん中に敷かれた布団の上には、全裸で上半身を麻縄で後ろ手に拘束された岩代の細君(京香)が、パックリ股を開いたままで居る。

脚は閉じられない命令だ。

この距離だと天井から以外と近くに見えるもので、鮮明とは行かないまでも、二枚の肉花弁も小さく膨らむ花芯ボタンも肉花弁の内側にピンク色の蕾を持つ陰門(いんもん)さえもそれと判って艶(なまめ)かしい。

このままにしていて、細君に身に何が起こるのか、私の胸は高鳴った。

これはもう、考えていた覗きの範疇(はんちゅう)を遥かに越えているのだ。

「押忍、ゴッアンです。」

「押忍、押忍。」

ドヤドヤ入って来た寮生と思しき集団は、岩代に最敬礼をして入室して来る。

その数は八人を数えていた。

「おう、勝手に座って遠慮なく飲め。」

「押忍、失礼します。」

「オッ寮監、もう支度済ですね。」

「お前ら、今夜もタップリ犯らしてやるぞ。」

「押忍、ゴッアン、ゴッアン。」

入って来た若者の一団は、裸にアイ・マスクの目隠し姿で縛られている細君(京香)に特段驚くでもなく、細君の裸身が晒(さら)された布団を取り囲む様に周りに座り込んで、酒盛りを始めた。

どうやらこの卑猥な光景も彼らには珍しい事では無い様で、誰もが平然と酒を口にし、まるで唯の宴席の風情に楽しそうである。

「何だ、こいつらは?」

いずれ劣らぬ立派な体格の学生達だった。

以前から岩代夫婦は、壁一つの隣りの部屋でこの寮生達と「こんな遊びをしていた」と言う事か?

道理で「あの声が五月蝿(うるさ)い」と、隣家から苦情が出る訳である。


私は思いも寄らない現実を、節穴を通して垣間見る結果になった。

通常の生活の中に、「こんな事は滅多に無い」と信じて三十年からを生きて来たからだ。

その思いも寄らない事が、目の前で起こりそうだった。

当然私の期待も、実は身体の一部も・・膨らむ。

考えて見れば岩代夫婦は二十台半ばの犯りたい盛りである。

これは、有っても不思議では無いのかも知れない。

これは輪姦パーテーで、生け贄(いけにえ)は脚を閉じる事を禁じられた細君(京香)なのだ。

彼らは時折裸で転がって居る細君に目をやりながら、ひとしきりアメフトの東京都予選などの話題で平然と酒を酌み交わして居たが、学生の一人が言い出した。

「寮監、そろそろ宜しいですか?俺溜まっているので・・・・我慢が・・その。」

彼は、飲酒で高潮し血走った目を岩代に向けている。

「アァ、その為に転がしてある。構わないから何時もの通り楽しめ。」

岩代は当然の事のように、すんなりと申し出を認めた。

窮屈な姿勢で覗いていた私は、「そうそう、これを待っていたのだ。」と、心の中で呟いていた。

「押忍、ゴッアンです。」

最初に言い出した奴が、嬉しそうに立ち上がった。

「押忍、寮監、自分もゴッアンです。」

二人ほど名乗りを上げて、学生が細君の下に近付いて行く。

早くもジャージズボンを慌しく取り去り、ブリーフを降ろして下半身は丸出しだった。

節穴から覗く私は、「今から、あの細君を拘束したまま、学生どもの輪姦(まわし)が始まる。」と、想像しただけで勃起していた。

こんなスケベな事を実践する、そんな奴等(やつら)が「本当に居るのか?」と、小説やドラマの上の世間の夢物語と思って居たが、本当に目の前に居た。

勿論、細君(京香)の日頃の日常生活は自然に周囲に溶け込んでいて、こんな卑猥(ひわい)な事を平気で熟(こ)なせる女性とは露(つゆ)にも想わない私だった。

強烈なカルチャーショックだったが、それを知ると私の既成概念は軟化して簡単に崩れて行ったのである。


ど太い太腿をした毛深い男が、膝を使ってにじり寄る様に細君(京香)の顔に手が届く所に達した。

その馬鹿でかい尻がもぞもぞと動いて、どうやら自分の欲棒を細君の口に捻じ込でいるようだ。

それらの行為が細君には全て想定内の事らしく、抗(あらが)う様子は見せずにされるがままに応じている。

目的を達したらしく、腰を小さく前後に動かして細君の口の中で抽送をしている。

「押忍、ビンビン来ます。」

もう一人は右の利き手で細君(京香)の股間をまさぐり、左手で自分の欲棒をしごいていたが、一度中断してゴムを装着し、細君の両足を上に上げさせ、花弁に先の硬くなった坊主頭のカリ首を宛がい「グィ」と挿入を果たした。

「アッフン」

鼻に掛った細君の声が、カリ首の進入を告げている。

抽入を果たした学生が肉体(からだ)を起こして姿勢を変えると、私の覗く眼にも細君の肉花弁内側、ピンク色の蕾を持つ陰門(いんもん)に学生の欲棒がズブリと納まって居るのが見える。

細君(京香)の上で、学生のでかい尻がヒョコヒョコと上下運動をして、パンパンと肉体の一部がぶつかり合う音を出している。

「クチャクチャ」と、欲棒が細君の花芯を出入りする音が聞こえて来そうだ。

「ウグ、アッ、アア、アッ、ウグ、ウグ」

咥(くわ)えた欲棒の隙間から、細君の善がり声も漏れている。

「おぃ、どうだ使い心地は?」

「イィッス、奥さんが下で受腰を上手に使うから、堪(たま)らないです。アッアア。」

確かに細君(京香)の腰も、妖しくリズミカルに動いて見えている。

学生が突き入れる所を、細君が受け腰で応戦するから、互いの腰が生々しくガッガツとぶつかり合って、いかにも「犯っている」と言う感じで見えている。

細君を犯っている学生は、「堪(たま)らないス」と言いながらも、若いから一気にヒートアップして、勢いそのままにガッガツと突き入れ続けて歯止めが効かない。

体格が良いから、もう汗が玉に成って流れ落ちている。

「アア、アアア、アァ、アァ」

行き成りの激しい攻撃に細君も感じていて、口から大きな善がり声が漏れ出した。

「おぃ、慌(あわ)てるな。それじゃぁ、長く楽しめないだろう。」

岩代が声を掛けたが、彼はもう昇り詰めていて、手遅れだった。

「押忍、自分はもう堪(たえ)えられません。」

細君(京香)に抽入していた男は、「アッ。」と声を発すると、欲棒を引き抜き、身体を外して細君の横に仰向けに転がった。

「何だ、もう駄目か?粘りの無い奴だ。」

細君の股間が大きく広がったまま、節穴から覗く私の目の前に現れた。

その露(あらわ)に成った太腿(ふともも)の付け根には、大粒ほどに大きく育った花芯ボタンが勃起し、広がった二枚の花弁がまるで湯気が立っているかの様に濡れて見えた。

ポルノ映画何んてものではない。

眼下で起こっているのは、私の短い人生経験では、ついぞ巡り会わ無かった凄(すご)い光景で、一般論的には、「変態行為」以外の何ものでもないのである。

いったいこの夫婦は、どんな考えで、こう言う生活を送っているのか?


呆気(あっけ)無い結果だったが、これで終わった訳ではない。

「何だ、イマイチだったな。あれでは内の奴に笑われるぞ。」

グラスを片手に、岩代が余裕を見せながら、細君の横に仰向けに転がった最初の学生を叱(しか)りつけ、若い連中を叱咤(しった)した。

「次行け、根性のある奴次。」

細君(京香)のアイマスクの目隠しは、されたままである。

命じられた通り細君の足は広げたままで、まだこの出来事は、始まったばかりだった。

「押忍、自分がオマ*コを犯りに廻ります。」

細君(京香)の口に入れていた男が身体を外し、慌(あわ)てて懸命にゴムを欲棒に被せている。

「よ〜し、犯って見ろ。」

被(かぶ)せ終ると、右手で支えながら細君(京香)の花芯に充てがい腰を突き入れた。

もう、腰を細君の股間に打ち込むように動かしている。

体格が良く、重量があるから、「ズシン、ズシン」と言う感じで、見るからに迫力がある。

目の保養と言うには余りにも生々しいが、これは偶然なラッキーだった。

どうした訳か、細君はまるで私の視界を意識して居るかのようにお誂(あつら)え向きの体位で、学生にズンズンと突き入れられる度に細君の乳房が揺れている。

細君の尻の辺りからは、「パンパン」と肉体が当り合う音が聞こえている。

音に合わせて、細君の口から善がり声が絶え間なく洩(も)れて来る。

「アァ、アァ、アア、アアア、アァ、アァ」

細君の性感が高まったのか、かなり迫真の善がり声に成っている。

「おぃ、もっと激しく腰を使え。」

「押忍。」

何と言う男だ。

岩代は、妻の輪姦を面白そうに煽(あお)り立てている。

傍(かたわ)らで伸びていた最初の男が、ノロノロと起き上がって、蒲団の脇の自分の席に戻った。

席に着くと、もうビールを一杯、一気に飲み干し「フー。」と一息入れた。

「良し、次も嵌(ハメ)る用意して置け。」

「押忍、自分が行きます。」

次の男がグラスを床に置いて立ち上がり、もう、順番を待ち切れない様に前の男の動く尻を見詰めていた。

その男の体の一部も、既に立派に立ち上がっている。

「押忍、自分も轟沈します。」

細君(京香)に乗っていた男の尻が身震いをして動きを止めた。

二番目の男が果てると、名乗りを上げた三番目の男が細君の横に膝ま付いて耳元で何か囁いた。

細君が頷くと、彼は力任せに細君を起こし、強引にうつ伏せにさせると膝立ちに腰を上げさせた。

細君も拘束された身体を懸命に動かし、相手の意図する体制を何とか取る事が出来た。

両手は後ろ手縛りに拘束させてあるから顔で身体を支え、前屈みに尻だけが上がって少し脚が開き気味に構えている。

まるで、「どうぞお入れ下さい。」と尻が誘って居る様な体制で、酷(ひど)く性欲をそそられる光景である。

上からは見え難いが、細君の股間の肉花弁もその中心の割れ目も、菊様の皺(しわ)を刻むア*ルも丸見えに晒(さら)されて、寮生の欲棒が訪れるのを待ち構えているに違いない。

細君(京香)に思い通りの姿勢を取らせた彼は、ゴムをは嵌(は)めた欲棒を細君の花弁の入り口に宛がい、腰をグイと入れて抽入を果たすと、両手で細君の腰を掴み、前後に揺らして犯し始めた。

細君の白い尻が男の欲棒を納めたまま、リズムを刻んで前後している。

すると、顔を布団に押し付けられた細君の口から、再び善がり声が響き始めたのだ。

「アッ、アッ、アア、アッ、アッ、アア」

その声が、三番目の男のリズミカルな腰の動きに見事に合っていた。

天井の節穴から、細君の股間を貫抜いた欲棒が、ヌメヌメと出入りしている事さえ、克明に見て取れる。

「すごい・・・・・」

この分では、学生達が一周りするのにかなりの体力負担が細君(京香)に掛かる。

益してやアイ・マスクで目隠しをされて上半身に縄を掛けたままでは、かなりキツイ筈(はず)だ。

岩代には、そうした配慮は無いのか?

なすがままの細君は、この輪姦をいかなる心持で受け入れているのか?

夫婦の営みに、多少の性癖は仕方が無い。

まぁ、犯罪に成らなければ、猥褻(わいせつ)だって人間の尊厳の内である。

それにしても最初の印象では、細君(京香)は派手目な服装こそしていたが、温和で快活な若い人妻だった。

それが、この輪姦騒ぎである。

すごい変身振りで、私の目は点になった。


この夫婦は・・・普通じゃない。

しかし「普通じゃない」と言う事は、人間に取って堪(たま)らない魅力で、非日常の性行為は外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い事だからこそ興奮するのだ。

後で考えると、私はあの時既に岩代ワールドに引き込まれていた。

男には、こう言う時には理性よりも感性が働く。

覗き見る私の股間の欲棒は、並みの男性感覚に正直に反応して、堅い物に成っている。

平凡な夫婦生活をして来た私には刺激が強く、こんな事が、「本当にあるのだ」と言う、まるで大衆週刊誌の世界が目の前に広がっている気分だった。

眼下で起こっている卑猥な輪姦陵辱劇に圧倒された私だが、他人の生き方など、勝手にどうこう言うのは要らぬお世話で、批評するべきものではない。

その程度の事は、私でも判断がつく。

当の本人達が良ければ、夫婦でどんな性生活を送ろうが問題ではない。

衝撃的だったが、「他人事」としてやじうま的な感想を言えば、岩代夫婦が「羨(うらや)ましい」と思えてくる。


と、その時、「ギシッ」と天井板が音を立てた。

「しまった。つい覗きに夢中で、体重を直接天井板に掛けてしまった。」

固唾(かたず)を飲んで事の顛末を見守っていた私の注意力は、酷く希薄になっていたのだ。


(覗き見たもの)
蒼い危険な賭け・京香◆
第三話(覗き見たもの)


「ドキッ」とした。

小説では、首尾良く覗きに成功して何度も覗きを繰り返すのだが、現実は、中々小説のように上手くは行かない。

私は天井裏で立ち往生ならぬ這いつくばって身動きが取れず、固まって往生していた。


「寮監、何か天井で音がしませんでしたか。」

学生の一人が上を見上げている。

「これはヤバイ。」

上司が天井から覗きでは、幾ら何でも言い訳が立たない。

慌(あわ)てて、節穴から目を逸(そ)らした。

焦(あせ)り捲(ま)くって腋(わき)の下に、冷や汗が流れている。

下から、騒ぐ学生を抑(おさ)える岩代の落着いた声が聞えて来た。

「良い良い騒ぐな、お前らは気にしなくて良い。俺はさっきから気が付いている。京香に集中しろ。」

「でも、良いのですか?」

「大丈夫だ、お前らみたいのがゴロゴロしていれば、泥棒も逃げ出す。」

「覗(のぞ)きですか?」

「良いのだ。覗きなら、タップリ見せ付けてやるさ。それよりこいつは終わった様だ、次はお前が行け。」

三人目が果てるのと、入れ替った次の男は、「押忍、俺、尻の方を良いですか。」と岩代に了解を求めた。

「おう、上の覗きさんにもお前が内の奴のケツの穴に嵌(ハメ)ている処を良く見せてやれ。」

「押忍、奥さん四つ這い。」

四人目の男が命令口調で言い渡し、細君が「ハィ。」と返事をした。

「やっぱり・・・ヤバイ。」

岩代にはとっくにバレていた。

それでも岩代は、「天井裏の覗きさんに見せ付ける」と言う。

何か、妙な展開になったが、「見せる」と言うなら良いだろう。腹を据えて節穴に目を当て、覗きを再開した。

命令口調で声を掛けられた細君(京香)は、心得たもので、素直に四つ這い向きを変え、「どうぞお使いください」とばかりに尻を高々と上げた。

その格好は煽情的で、見るからに「ドキッ」と、興奮させられる。

尻を掲げた同じ姿勢で待っている細君(京香)の、後ろの方の「もう一つの穴」に四人目が、エラの張った海綿体のカリ首を宛がうと、ユックリ欲棒をねじ込んだ。

もう、仰向(あおむ)けに寝かしたりうつ伏せにヒックリ返したり、四つん這いにさせたりと細君(京香)を犯りたい放題である。

「アゥン」と、細君の声が漏れ聞えて来た。

細君のア*ルにズブリと学生の欲棒が挿し込まれて見えている。

「ア*ルSEX」と言う奴で、話には聞いていたが私には経験が無い。

それを、彼らは平然と犯ろうとしている。


四人目のこの学生は中々に強(したた)かで、ユックリと抽送を繰り返し始めた。

「アッァー、アァー、アアー。」

細君(京香)の間延びした善がり声が始まった。

肌には薄っすらと汗が滲んでいる。

天井裏と言っても、床からは二メートル五十センチとは離れていない。

細君(京香)と学生の変則後背位は少し高い位置だから、僅(わず)かに二メートルくらいの距離だ。

細君(京香)の尻の穴に納まった太い欲棒が、蕾の皺(しわ)も伸び切る程に押し広げてユックリと浅く深く出入りする学生の陰茎が、ハッキリと見て取れた。

夢中で見ていてフト気が付くと、岩代の目が私の覗く節穴を真っ直ぐ見つめている。

こちらとしては覗き見と言う後ろめたさがある。

ギョッとしたが、目を節穴につけたままそらす事ができない。

彼はニャッと笑って、最初に果てた学生に声を掛けた。

「おい、五分ほどしたら隣に行って、ご主人に、内の奴を肴(さかな)に一緒に飲みませんかとお誘いして来い。」

「押忍、隣ですね。」

「俺の勤め先の所長だ。失礼の無い様に、京香も支度したままでお待ちしているから是非どうぞと伝えろ。」

やはり、屋根裏の主を見通されている。

明らかに、こちらの存在を承知しての岩代の物言いである。

細君(京香)のア*ルSEXは続いていたが、指示された学生が脱ぎっぱなしのジャージズボンを履(は)き始めている。

「所長もこちらで仲間に入った方が、一人で退屈して隣に居るより良いだろう。」

岩代が、奇妙な独り言を、聞こえよがしに言って、節穴めがけて片目をつぶって見せた。

その岩代の目と天井裏の私の目が、合ってしまった。

「ヤバイ、奴は全てお見透しで、物を言っている。」

そう言えば、今日妻が里帰りするのを、私は事務所で話していた。

岩代は、予め可能性を考えていたのか?

迎えに来られたら、こりゃあもう「後には引けない話」だ。

きしむ天井板も構わず慌てて天井を這い、下に下りると丁度先ほどの学生がドアを叩いている所だった。

「隣の岩代から言われて使いに来たのですが、酒を御一緒しませんか?京香も支度したままでお待ちしているから是非どうぞと伝えるように言われてきました。」

「判った。俺も酒を差し入れしよう。」

岩代は、私が覗き見た細君陵辱の場に招くと言う。

私は奮発(ふんぱつ)して、もらい物のジョニーウォウカーの赤ラベルを携えて、隣に向かった。

唯の覗きの積りが、今やとんでもない方向に進んでいる。

迎えに来た学生と隣りに歩いた。

その学生が玄関の戸を開けると、一階の玄関まで、パンツにランニング姿の岩代が迎えに下りて来ていた。

いささかバツが悪かったが、「お誘い有難う」と挨拶した。

岩代の方は気に留めている様子もなく、平然と「京香が面白い事をしながら待っていますから、近くで見てやってください。」とニコニコ顔で二階に案内する。

「らしいね。取り込み中らしいけど、上がって良いのか?」

「ハハ、構いません。内の奴はこう言う事に慣れていますから。歓迎します。どうぞ、どうぞ。」

言うが早いか、岩代はもう二階へ上がり始めている。

岩代の後を追って二階に上がると、細君(京香)はまだ白い尻を掲げた四つ這いの姿勢で四人目にクイクイとア*ルSEXをされている最中だった。

「おぃ、所長が来てくれたぞ。」

細君(京香)はまだ目隠しをしているが、岩代に告げられて「私が来た」と知ると、ア*ルに欲棒を抜き挿しされての苦しい姿勢ながら私の来訪にも動じる風情も無く、平然と「いらっしゃいませ。こんな格好ですみません。」と、何とも返事に困る挨拶をされた。

「はぁ、・・・・」

「どうぞそのままお続け下さい」もお可笑しいし、「お邪魔します。」もこの光景ではシックリしない。

岩代が、「良い酒貰いました。早速開けさせて貰いました。」と、その場をつないだ。

細君(京香)が「済みません。お酒まで・・・アァ」と、また善がり声混じりの礼を言う。

確かに夫の上司が来客では、細君も知らん顔も出来ないだろうが、この挨拶は今の痴態には似つかわしくない。

なにしろ、高く上がった細君の尻の穴には、学生の欲棒が生々しくも深く浅く出入りしているのだ。

「アァ、アァ、ア〜ァ、ア〜ァ、ア〜ァ。」

もぅ、細君(京香)も現状の快感に引き込まれていた。

「おい、ホラ、そこに所長の席を空けて。」

岩代は自分の右横の学生を追い払い、私に着席を勧めると、早速持参したジョニー赤をグラスに注(そそ)いだ。

琥珀色(こはくいろ)の液体が、トクントクンと音を立ててグラスに注(そそ)ぎ込まれたのだが、私の気はソゾロである。

手を伸ばせば届く距離で学生の欲棒が深く浅く細君(京香)のア*ルに出入りして、蕾の皺(しわ)も伸び切るほどの太い陰茎が、細君(京香)の尻の穴を攻め立てている光景が、強烈に生々しく見えているのだ。

「ア〜ァ、ア〜ァ、ア〜ァ、ア〜ァ。」

「こいつ。」

と岩代はア*ルを犯されて善がっている細君(京香)に目をやり、自慢そうにいった。

「俺、こう言う事が出来るように、高校時代から徐々に仕込んでいます。今では俺の命令には異論は挟(はさ)みません。」

「うぅーん。大したものだ。」

私と夫の岩代が話題にする中、細君(京香)は平然と全身を汗でビッショリと濡れ光らせ、性玩具(おもちや/ジョイトイ)を務めている。

真近で見ると、学生の欲棒が生々しく細君のア*ルに嵌(はま)り込んで抜き挿しされ、細君の白い肌と対照的な黒褐色の陰茎が濡れ光って見え隠れしている。

私は心底感心した。

ここまで細君を言い成りに扱えるのはある種男の夢、男子の本懐でも有る。

その夢を、岩代は手に入れていた。

私の所は散々な体(てい)たらくだから、一介の男として岩代に尊敬の念まで持った。

「思わぬゲストですが、所長がお見えで京香も喜び、張り切ります。ナァ、そうだろう。」

「はい、歓迎、アッ、します。アッ、お楽しみ頂きます。ア〜ア。」

全裸に四つ這いの姿勢でア*ルに欲棒を抜き挿しされ、感じているのか時折黄色い声を漏らしながら、細君は岩代に応じた。

「で、京香は何をして所長に楽しんでもらう?」

「京香のお口とオマ*コで、ァァ、所長さんがお好きなだけ。」

「丁寧にな。」

「はい。それはもう・・大事な方ですから。ァァ。」

細君は根っからの淫乱なのか、それとも岩代に仕込まれたのか、恥じらいも見せずに学生とのア*ル交尾を続けながら受け答えをして居る。

その生々しい情景に気押されて、私はしきりに喉が渇きグラスを口に運んでいた。

私は既に、この淫靡な雰囲気に飲み込まれていたのだ。


ひとしきりア*ル交尾が続いて、漸(ようやく)く学生が細君(京香)の尻を離した。

ゴムの先に白い物が溜まっていた。

細君の尻の穴がポッカリと生々しく口を開けている。

「所長、京香にシャブらせますから、下を脱いでナニを出して下さい。気持ち良いスよ。」

「あぁ、判った。」

こうなれば、郷に入らば郷に従えで、私は、岩代に言われた通りジャージを脱ぎ捨てた。

それにしても、この夫婦の神経はいったいどう成っているのだ。

覗きを知られているから、今更気取っても始まらない。

それに相手が「する」と言っている。

勿論、据え膳を断るほど私は馬鹿な男では無い。

強がって動揺を隠していたが、この歳まで真面目に生きて来た私だから、正直、こんな経験は初めてで、頭の中は舞い上がっていた。

しかし、この夫婦の性感覚は一体どうなっているのか?

この非日常の状況に対して事も無げで、凡(おおよ)そ世間とはかけ離れているが、痛快ではある。

「おい京香、こっちに来て所長におシャブリ。」

「はい。失礼します。」

マスクで目隠しをした細君(京香)が、しなやかで張りが有る白い肌を波打たせて、今尻を攻めていた学生に誘導され、乳房を揺らしながらにじり寄って来て私の下半身に顔を近付けた。

香水のような香りが、ほのかに香って来た。

近寄って来て、間近で目にした細君(京香)の白い肌は、私には怪しく眩(まぶ)し気である。

乳首が立った剥(む)き出しの両乳房、なだらかに括(くび)れたウエスト、腰から続く内太腿(うちふともも)の間には仄(ほの)かに蔭る恥毛までが隠される事無く晒(さら)されている。

男の性(さが)だから仕方が無いが、こう言う視覚の誘惑には男どもは弱いもので、細君(京香)の周囲に異様な雰囲気が充満していた。

細君(京香)は、私の前でしゃがみ込まされて、暫(しばら)く私の欲棒を荒い息を吹きかけながら舌と唇で探っていた。

やっと探り当てて「パクッ」と咥(くわ)えると、生暖かい物に欲棒が包まれ、細君が首を固定した上半身をユックリ上下し始めると、細君(京香)の髪の毛の匂いが立ち上って来て、心地良い感触に包まれた。

ネットリと京香の舌が坊主頭の海綿体に絡み着き、私の張り詰めた欲棒のエラを舌先が舐(な)め廻して刺激する。

その内京香が、グィと顔を近付けて私の欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)え、京香の喉(のど)を私の坊主頭が擦(こす)れるのを感じて驚愕した。

「所長、どうですか、奥まで咥(くわ)えて具合が良いでしょう。それ、大陸フェラチオって言うのですよ。」

「大陸フェラチオ・・・、うん、良いねぇ。」

横で岩代が、中国人の性技習慣では「大陸フェラチオ」が一般的で、欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)えるのが一般的だと講釈を言ったが、私は快感で上の空だった。

マスクで目隠しをしているから、細君の、上唇がやや薄い魅力的な受け口が殊更強調され、そこに私の硬くなった陰茎が見え隠れしている。

欲棒も、「ただ咥(くわ)えれば良い」と言う物ではない。

すぼめた唇がエラの張ったキノコ状のカリ首のエラに引っ掛かる様に、坊主頭と唇が擦れ合わねば、快感効果は少ない。

エラ下の部分に、舌を這わせるのも刺激的だ。

細君は相当訓練を経ているのか、柔らかい唇と口腔にヌメヌメと包まれる刺激が長々と続き、私の脳に恐ろしい快感が突き上げて来る。

もう細君にされるが任せで細君にシャブられながら、「オヤッ。」と尻に異変を感じた私は、細君の指がア*ルにギュッと入って来たのを感じた。

「オォ・・・」

強烈だった。

細君は、私のア*ルに指を挿し入れて刺激しながら欲棒をシャブリ、唇で扱き始めたのだ。

「ウムム・・・オォ〜・・・」

「どうです、京香は上手いでしょう。こいつにチ*ポをシャブらせながら酒飲むのは心地良いものです。」

グラス片手に岩代が講釈を垂れたが、どうやら「この何でも言う事を聞く細君」が、自慢の様だった。

確かにこの奔放(ほんぽう)な生き方も、夫婦の在り方の一つかも知れない。

大体、SEXに「愛の証(あかし)」などと言う重たい建前の意味を持たせるから頑(かたく)なにその価値観でのみものを考え、ばか気た不倫騒動に成るのだ。

とかくこの世に生を受けた男女の仲は、欲情を抱くのが男性の作法であり欲情を抱かせるのが女性の作法である。

もし、異性に欲情を抱かないとすれば、それは「相手に対して失礼」と言わざるを得ない。

つまり本来は異性に欲情を抱く事が極自然な事であるから、相手の欲情に応じる事が「自然な礼儀」と言うものである。

それにしても、岩代の細君はおシャブリが上手い。

内の奴なんか、いくら要求しても咥(くわ)え様ともしない。

「あぁ、こうして飲む酒が旨い。」

「所長、グラスは利き腕で持たないで、利き腕は京香の身体を何処でも好きに触って犯ってください。」

ここまで来れば悪乗りも極まって、遠慮(えんりょ)と言う言葉は私の思考から消え失せている。

「そうか?それならそうするか。」

薦(すす)められたから、京香の膝をこじ開けて股間に手をやった。

今までの奮闘を示す、細君の汗まみれのペタペタとした柔らかい肌触りが、指先に触った。

細君が気を利かして、私の手を受け入れ易くする為に、太腿(ふともも)を広げた。

指の感触がサワッと恥毛に触れ、湿り気が残る花芯や花弁のクニュッとした感じを捉(とら)えている。

花弁の中にクイッと中指を入れて見たが、細君は黙ってシャブリ続けている。

指先に感じる中は、濡れて暖かかった。

調子に乗って私の指は二本になり、何時の間にか細君の中をかき回していた。

柔らかい女体の肌の「ネットリ」と触れた感触が、私の指を通して伝わって来る。

生暖かく、ぬめりを帯びて指先に伝わる内壁の触り心地は、男に取って興奮物だが、女性にはこの気持ちは理解され難い。

「ウッ、ウッ、ウッ、」

小さな声が、細君の私のエラの張ったカリ首の隙間から、漏れている。

何しろ細君は、脚を閉じる事を赦されては居無い。

細君の唇の、ヌメヌメと包まれる欲棒のキノコ状の海綿体への刺激に、恐ろしい快感が度々突き上げて来て、とてつもなく水割が旨い。

男と生まれてこんな旨い酒は、生まれてこの方飲んだ事など無い。

「ウッ、しかし、・・・まったく気持ちが良い。しかし君、それにしても奥さんを良く仕込んだものだな。」

襲い来る下半身の快感を堪えながら、私は感嘆の声をあげていた。

「京香は私が良いと言うまでおシャブリを続けます。」

一心に私の欲棒を咥(くわ)えて首を上下する細君の髪の毛が、私の膝にサワサワと当る。

細君のおシャブリは、昔公開されたポルノ映画「デーブ・スロート」も顔負けの喉(のど)への飲み込み方で、私には「腰が抜けるか」と思うほどの快感だった。

私の欲棒には、生暖かく柔らかい唇と口腔にヌメヌメと包まれる刺激が長々と続き、「ビクン、ビクン」と快感が押し寄せている。

「ウッ、岩代君、イキそうだ。」

「出したくなったらそのまま口の中に発射して構いません。京香は飲み込む様に仕込んであります。」

岩代は、そのまま細君の口中に「発射しろ」と言う。

「良い嫁さんだ。まったく羨(うらや)ましい。どうしたらこう成る。」

「ハハ、所長がご自分の奥さんを同じ様に仕込むなら、俺に任せて下さい。相談に乗りますよ。」

「内の奴をか?ありゃ百年経っても無理だなぁ・・・」

ふと、私は岩代の細君の様に妻を仕込む妄想にかられ、その姿を想像した途端に欲棒が二、三度ピクつき、身震いして細君の口の中に射精していた。

「ウッ、ウムッ、ウーン。」

細君を征服した様な幸せな放出感が、私を包んでいた。

細君(京香)の喉がゴクリと波打つのを見定めた岩代が、「所長、一度休憩しよう。お楽しみはまだこれからです。」と言い出し、私に酌をした。

酌と言っても水割りだったグラスにジョニ赤を注ぐだけだが、濃くなったウイスキーが今は気に成らない。

「おい、縄を解いて、目隠しを外してやれ。これから所長に内の奴を抱いてもらう。」

「押忍、自分が縄を解きます。」

もう、三人程が群がって細君(京香)を蒲団の上に立たせ、アイ・マスクを外し、縄を解き始めている。

縄を解かれ、目隠しを外された細君(京香)は、私に軽く会釈をすると全裸のまま真っ直ぐビール瓶の所へ歩み、グラスを手にしてビールを自分でグラスに注ぎ、立て続けに三杯飲み干した。

立て続けに四人相手にしてかなりの運動量だったから、よほど喉が渇いていたのだろう。

喉を潤した細君(京香)が、何故か屈託を感じさせない清純そうな笑顔で、「ニコッ」と笑った。

その細君(京香)の笑顔が、この淫媚な修羅場とは場違いと思えるほど愛らしいので、驚いた。

彼女自身が、この場面をさほど異様とは思っては居ない事が伺(うかが)える。

冷静に観察すると、過激な内容にも関わらずリアクションが少ない事から、この若夫婦にとって、この事は取り立てて異常な事ではなく、極日常的で、自然体の事に思える。

私には、この五〜六歳年下の若い夫婦が急に大人に思えて来た。

こんな破廉恥な事をしているのに、この細君(京香)の気品有る裸身は、「何なのだろう?」眩(まぶ)しい位だ。

細君(京香)の若さ溢れる内太腿(うちふともも)が、妖しく私の男心を誘っている。

感心する私は圧倒され、完全に飲まれていた。

乳首が立った美しい乳房、生々しくくびれたウエスト、丸みを帯びて膨らむ恥丘、その下に垣間見える二枚の肉花弁も隠すでもなく、細君(京香)は堂々としている。

細君(京香)の肉花弁は、小さ目でプリッと指でつまみ易い位厚く、正面斜め上から見ると可憐なものが二枚、丁度鳥のクチバシが下を向いているように見える。

その可愛い肉花弁に似合わない、濃いピンク色した大豆ほどの花芯ボタンが印象的だった。

「おぃ、京香、何時もお世話になっている所長に、次は何を御奉仕するのだった。」

中腰で立ったまま、ビールをグラスで三杯ほど立て続けに空けて、息を整えている細君に、岩代が先を促した。

その声に、細君(京香)はニッコリと笑って応じる。

「ハィ、只今致します。」

落ち着いたのか、細君(京香)は立ち上がり、近寄って来て私の欲棒を咥(くわ)え、硬くすると、口を使ってゴムを被せた。

口を使って欲棒にゴムを被せる技は、細君(さいくん)の神技である。

今度は私の膝の上に、手を首に絡めて向かい合わせに乗った。

細君(京香)の柔らかい全身が・・・胸の膨らみも尻も私に密着して、また違う願望が沸き上がって来た。

「早く中に入れて擦(こす)りたい・・・。」

何時(いつ)の間にか、私の欲棒は細君の手に握られて、扱(しご)かれて硬さを増していたのだ。

硬く成ったのを確認すると、細君(京香)は身体を外して岩代から受け取ったゴムを、口を使って器用にそこに被せた。

こちらから要求しなくても、今度は抽入を果たす積りだ。

細君は、そのまま向かえ合わせに座り直す形で中腰に成り、硬くなってそそり立った私の欲棒のエラの張ったカリ首に手を添え、それを花芯に宛がい何度かクニュクニュと花弁に擦(こす)り付けた。

花弁に擦(こす)り付けて的(まと)の位置を決めると、細君は「グィーッ」と腰を下ろして、私の欲棒を難なく柔ら壺にグーッと飲み込んで行く。

細君の二枚の肉花弁を圧し分けて、私の欲棒が内壁の抵抗を欲棒の先で感じながらググィと挿し込まれて行く。

ヌルリと生暖かい抵抗が、私の張り詰めたカリ首の感覚を通して、脳まで上ってくる。

不覚にも「ウッ」と私は、思わず声を洩らした。

細君(京香)の裸身からは、甘い香りが立ち昇っている。

その香りに、私は新鮮な興奮を覚えていた。

そうだ、今思えば細君(京香)との初対面の時にこの香りが、かすかに匂ったような気がする。

細君の花弁の中に私の欲棒が収まると、また包み擦(こす)れる刺激がカリ首の海綿体を伝って襲って来る。

女体の肌の柔らかい感触が、私の張り詰めた欲棒を通して「ネットリ」と伝わって来た。

細君は掴(つか)まるように私の肩に両手を掛け、早くも腰を浮かしたり下ろしたりしている。

私の欲棒が、細君(京香)の股間に突き刺さる様に立ち上がって、細君の花弁の中を擦れながら深く浅く出入りしている。

私の欲棒を包み込む細君(京香)の括約筋が、微妙な律動とともにグィグィと締め付けて来る。

今私の欲棒は、細君が下半身で咥(くわ)えたままのスクワットで、陰茎が見え隠れして、細君の花弁の中を擦れながら深く浅く出入りを繰り返している。

細君(京香)は先ほど来の刺激がベースにあるから、直ぐに善がり声をあげ始めた。

その、「アァ、アァ。」と言う声が、身体を上下させながら、荒い吐息と一緒に耳元で聞こえて来る。

水気を帯びた花芯の中は適度の擦(こす)れ具合で、絶品で有る。

しばしこの快感に浸って居たい心境だった。

その夫の前で、大胆に密着した互いの裸身を伝わって来る他人妻の柔肌の感触は、男に取って蜜の味である。

抽送を繰り返す細君(京香)の左右の乳房を私が両手でムギュと掴(つか)むと、細君(京香)の肉体の柔らか味がムニュと手の平を伝わって来て、他人の妻の肌触りは格別男の本能を刺激する。

「どうです。内の奴の嵌(ハメ)心地は?」

「いやぁ、適度の擦(こす)れ具合で最高だ。」

「良かったら、所長のお好きな時に京香を御貸し致しますから。ナア京香。」

「ハィ、所長さんこれからも宜しくお願いします。」

「何時でも貸せる」と言う岩代の言を、細君は私と交尾しながら、いとも容易(たやす)く肯定した。

会社の部下夫婦とは言え奇妙な話だが、たぶん私は幸運なのだろう。

気持ちが良い。左手に持っているジョニー赤の水割りを飲みながら、このサービスは男にとっては夢である。

「はて?」

軽い気持ちで覗(のぞ)きを始めた筈が、いつの間にか岩代のペースに乗ってしまった。

私はこんな事をして良いのだろうか?

常識的に考えれば、「部下の細君と犯る」なんて事は、私としては夢のような信じ難い状況であるが、現実だった。

だが、そんな葛藤(かっとう)は置き去りに、火の付いた私の本能の勢いは止まらない。

流石に慣れたもので、細君(京香)がクィクィと腰使いの呼吸を私の動きに合わせて来る。

その官能的な腰使いの感触が、私の欲棒を通してビンビンと心地良く脳に伝わって来ている。

性交の極意は「相手に贅沢をさせるもの」とは言え、正直これは、「とても堪らない・・・。」と言う心地だった。


性器が接触すれば、交わる肉体は自然に共鳴する。

細君(京香)のしなやかで張りが有る白い肌の乳房を揉みし抱くと、快感が込み上げて来た。

「ウッ。」

私は突然、二回目の「達する」を向かえた。

気配(けはい)でそれを察知した細君が素早く肉体(からだ)を外し、私の欲棒からゴムを外すと、発射して大人しくなった精液まみれのものを、躊躇(とまどい)もなく咥(くわ)えてまたシャブリ始めた。

まるで、男を愛でる事に徹して隙が無い。

股間にうずくまって欲棒を熱心にシャブる細君を見下ろしながら、何故か私は観音様の温(ぬく)もりを感じた。

そして私は、目を細めて細君の為すに任せていた。

すると、岩代がまた酒を注ぐ。こんな接待は受けた事が無い。


「所長、落ち着いたら相談があるのですが。」

「おぅ、それにしても君の奥さんは良く仕込んである。俺は女房の里美にでさえ、こんな丁寧な事はしてもらった事は無い。」

「羨(うらや)ましいですか?何なら俺が奥さん仕込んでも良いですよ。」

「無理だ、無理だ。里美には出来ないよ。そんな事。失敗したら離婚ものだ。」

私は、慌(あわ)てて岩代の提案を否定した。

下手な事をすれば、夫婦離婚の大騒動に発展する。

女房に限って根っからの身勝手な堅物で、性に関する嫌悪感はある種病的なものがある。

それは世の中にはSEX好きな女性も多いのだろうが、とてもじゃないが、妻に限ってそんなキャパシティは無い。

「まぁ、そう簡単に諦めないで、協力しますから。」

岩代は、それでも自信満々でそう言った。

岩代は、私と妻をこの変態行為の仲間に誘っている。

「ハハ、有り得ないよ。あいつは超堅物だ。」

私は、もう半分は妻の里美の性に関する嫌悪感には諦めている。

本音で言えば、妻の里美は見てくれだけが良いけどSEXに関して酷く詰まらない女だ。

チャンとした家庭に育った確りした女性は、抱いても面白くない。

共通するのは「姦淫は即ち悪」と言う誤解を持って育ったからだが、「姦淫は即ち悪である」と言う先入観は人生の落とし穴に成る。

物の判断をする時に、単純な既成概念に囚われて結論を誤まってはいけない。

世の正論に迎合すれば楽に生きられるかも知れないが、世の正論が必ずしも正義では無く、「実態を勘案して結論を出すのが正義」と言う奥深い考え方を持たなければ成らない。

つまり「情操教育」と言うものは功罪合い半ばするもので、男女の仲に於ける性交への嫌悪感を正しいと「教育」してしまってはその女性が不幸に成る。

「所長、奥さんが助平に成って何が悪いのですか?今より余程良い事でしょう。」と岩代は、なおも自信ありげにそう言は放った。

彼に言わせると、「正常な女性なら、性の問題は仕込めば必ず適応する」と言うのだ。

「そりゃぁ、俺だって助平な女房は大歓迎さ。」

岩代の言い分に、溜息混じりに答えるしか、私には術が無い。

「奥さんを、内の京香みたいに魅力の有る女にしましょうよ。」

岩代に言わせれば、細君(京香)にあって妻に無いものは、女性としての「魔性だ」と言う。

魔性が無ければ、「残念な奥さん」で女性としての魅力は無い。

岩代は「自分に任せれば、妻を魅力的に仕込む。」と言う。

「良いセックスライフの無い人生なんか詰まらないでしょう。」と、岩代は言った。


確かに岩代の言う通り、「良いセックスライフの無い人生」は、生涯の半分は詰まらないものだ。

この岩代夫婦の、世間が見たら「とんでもない」行為が、実は「理想的」とも私には思える。

無い物ねだりは贅沢かも知れないが、私達夫婦には創意工夫が必要なのかも知れない。

一般的に「夫婦間が安定しているのは結婚後二〜四年だ」と言われている。

男性の場合、興奮が無ければ肝心の欲棒がエレクトせず性交の行為達成は難しいのだが、興奮の切欠の半分は視覚的情報で、半分は心理的(精神的)な刺激である。

つまり夫婦間で刺激の創出が必要なのだが、この心理的(精神的)な刺激の演出の努力が疎(おろそ)かにされるから、夫婦間に飽きが来る。

馬鹿な話だが、努力が疎(おろそ)かにされながら、それで浮気騒ぎでも起き様ものなら泥沼の感情騒ぎに成るのが夫婦の間柄だ。

「妻は私の事に心を砕いているのだろうか?」

そう考えると、そんな素振りは妻に微塵も無い。

大体妻の里美は、亭主が悶々としているのに「私は清純派」とばかりに澄まし顔で子供にかまけるか習い事に励(はげ)んでいる。

こうした不信感はやがて怒りに変わるのだが、そこに心使いが到らない他人事が世の習いである。


偏見は時として罪で有る。

他人の性癖を批難するのは簡単だが、理解する事の重要さは否定され勝である。

子供を狙うなどは言語道断だが、大人同士で相手に同意がられればそれは個人の事で別に問題ではない。

しかし、全ての物差しを自分に置き、人の行動を「ふしだら、非倫理」と安易に推(お)し量り非難する人間は多い。

それまで踏み込んで自分の意見を言うのは、人間として未熟なのである。

その違いが判らないと、大人の対応は出来ない。

この物語で追々紹介して行くが、この国には古来からの誓約(うけい)文化がある。

誓約(うけい)は本来、相手の「情」を求めない善意の性交である。

実は現代の日本社会でも代議士や社長の女性秘書、部課長と女性の部下など性交を持って信頼関係と共通の利害を構築する誓約(うけい)もどきの関係は珍しく名のだが、本来ならこれは仕事や人間関係がスムースに行く為の善意の性交と割り切るべきである。

所が現在の我が国には残念ながら誓約(うけい)の概念が無いから、職場不倫などと恋愛関係にあるがごとく愛憎入り混じりのドロドロの性交になる。


正直、夫婦の間では、あらかじめ合意があれば二人でセックスライフを楽しむ分には何をしても構わない。

他人に強制する訳ではないから、判り合えば確信して赦し合える。

夫婦の赦し合いの延長上に、プレイは存在する。

そもそも愛とSEXをワンセットにして考える倫理観は、建前的な誤解である。

元々生命科学的に言えば、人類の男女は惚(ほ)れ脳内ホルモン・フェール・エチル・アミンの作用に後押しされ、出会いを持って「性交相手の選択行為」をする生物である。

「惚(ほ)れる」と言う事は「恋する」と言う事で、気取らないで生物学的に言えば脳内処理的には「性交相手の選択行為」である。

その男性と女性の脳内ホルモン的な「性交相手の選択行為」の「惚れ薬」がフェール・エチル・アミンと言い、これが、「恋のトキメ」を促進させる影の立役者の物質である。

フェール・エチル・アミンは、異性に対して脳内で分泌されるトキメキホルモンで、この時点では「惚(ほ)れ行為」であるが、その「惚(ほ)れ行為」に集中力や快感を倍増させる作用がある。

簡単に説明すれば、「恋する」や「惚(ほ)れる」と言う行為そのものに快感を感じさせたり、その想いを募(つの)らせる(集中させる)作用がある脳内ホルモンなのだ。

つまりフェール・エチル・アミンは、「人類の種の保存」を脳科学的に促進させる作用があるホルモンである。

そしてその「惚(ほ)れる」が片思いであれ両思いであれ、パターンに関係なくフェール・エチル・アミンの作用であるから、迷惑なストーカー行動の源も「惚(ほ)れる」の範疇にある。

当然ながら、フェール・エチル・アミンに後押しされて、双方が「惚(ほ)れの合意」に到れば性交に及ぶ事に成るが、「愛」は連れ添ってから時間を掛けて育(はぐく)むもので、この時点での価値観はまだ「恋止まり」である。

昔から「恋の病」と言う様に、ここを勘違いしているから「こんな筈ではなかった。」とカップルの解消や結婚を解消し離婚する事に成る。

つまりフェール・エチル・アミン効果で、良く知らない相手とでもフィーリング(感覚)で性交が可能で、ならば深い意味での「愛情」なんかなくても別の理由でも性交は可能である。

だから、誓約(うけい)目的だろうが、親の薦める結婚だろうが、地位や財産目的だろうが夢を適える手段で在っても、永く続いて「愛情」が芽生えればカップルとしては最高の結末と言える。


角度を変えて考えて見ると、この先入観的倫理観で愛を条件にSEXをするから、「どっちを愛しているの?」と修羅場が生まれ、家庭崩壊や男の取り合い、心中などと言う弊害が出る。

およそ男女の営みに於いて、人それぞれに個性も性癖もある。

元々「秘め事」と呼ばれるほどおおぴらには出来ないのが性的行為で、つまり、例え他人が見て無い様でも、その欲求は満たしたいものである事がその証でもある。

性的行為に於いて、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)を刺激する興奮が必要である以上、その形態に確たる定型はない。

形態に定型が無い以上、社会的に「性的行為の、何処までが許容範囲であるか」の線引きは在り得ない。

だ、と言うのに、個人の感性で他人の性的行為をあれこれ判断するのは、明らかに間違いである。

そこまで行くと、その相手が単数であろうが複数であろうが、その形態がアブノーマルであろうが合意の上の遊びなら何処に問題があるのだろうか?

元々愛とSEXは、脳の違う所で情報として処理される。

従って、誤解を恐れずに提案するなら、不倫に「愛を条件」とするべきではない。

それ故、愛の無いSEXをするのは、不倫ではなく只の遊びである。

そして只の遊びであれば一度に多数相手が理想的で、相手は限定されない方が後腐れはない。

本来SEXは男女の合意で成り立つものであるから、不倫は性的遊びで「最初から愛を挟まず互いが楽しむべき」と言う約束事に捉(とら)えれば、世間の家庭は平和である。

増してやそれがオープンに、夫婦同席で性的遊びを楽しむスタイルなら理想的で夫婦にトラブルなど起き様がない。

それを、「愛していない相手とSEXなど出来ない」と、「情」を絶対条件にして居るから、「馬鹿な誤解」と言いたく成るのだ。


目の前で、学生達が細君(京香)に群がっている。

修羅場は、もう始まっていた。

見ると、驚いた事に細君の上下の口も裏口も御使用中で、男三人掛かりの修羅場に四人の裸体がうごめいて、細君は獣の様な善がり声を欲棒の隙間から漏らしている。

学生達はエンジン全開の勢いで、細君(京香)は激しく突き上げられ、凄い形相(ぎょうそう)で口をパク付かせ涎(よだれ)を垂れ流し、輪姦(まわ)されている興奮と刺激に、えも言われぬ善がり声を発し続けている。

「実は俺、一度計画を所長に相談しようと思っていました。」

落ち着いて酒を飲みだした私に、岩代はそう切り出した。

「所長、行き成りでなんですが、二人で独立しませんか?」

「独立?また突拍子も無い提案だな。」

何でも、胸襟を開いた相談事は、互いの垣根が取り払われた「こう言う時が一番だ」と言う。

そりゃ確かに、今は股間の粗末な物まで曝(さら)け出しては居るが・・・。

私が軽く聞き流した岩代のこの提案、まさか私の一生に残る大変な出来事になるとは、この時はまだ思いも拠らなかった。

私としては、「部下の細君の陵辱に参加する」と言う生まれて始めての異様な性体験で、興奮で眠られない夜だったが、不覚にも知らぬ内に寝入っていた。

岩代が言うように、独立は簡単ではない。

第一我々には金が無い。


(甘い誘い)
蒼い危険な賭け・京香◆
第四話(甘い誘い)


翌日昼ごろ、岩代夫婦が尋(たず)ねて来た。

妻はまだ実家にもう一日出かけたままで、留守である。

細君(京香)は相変わらずの艶(つや)やかさだが、夕べの事など「無かった」かの様にニコヤカでスガスガしい。

相変わらず男好きな色っぽい顔付きの京香は、見るからに男心をそそるが、昨夜の事は、まるで拘(こだわ)るのが可笑しいかの様な自然な接し方で、私のあらゆる危惧を打ち消した。

内心、えらい秘密を掴(つか)まれた感じで、何かとんでもない要求をされるかと、彼ら夫婦の出方に一抹の不安があったのだ。

だが、どうやら私の取り越し苦労らしい。

岩代は、夕べの相談事を改めて持ち出して来たのだ。

「俺、少し仕事をやって見ましたが、この業界、何も会社に設けさせる事無いと思います。」

確かにバブルで高騰を続ける地上げ業界は札束が乱れ飛び、旨味も半端では無い。

やれるくらいなら、私もやりたい。

「気持ちは判る。そうは言うが、第一、用地買収に使う金が無いだろう。よその使い走りでは今とさして変わらないし、文無しを銀行が相手をするとは思えないし。」

「所長、金なら出来ますよ。」

岩代はさして問題なさそうに言って、資金確保のアイデァを話し始めた。

彼が言うに、現在買収に成功している竹中氏などは大変な現金が手元にある。

彼ら、にわか成金に「出資をしてもらったらどうか。」と言うのである。

土地の投機ブームは加熱しているが、素人は自分では方法が判らない。

竹中氏の場合、何しろ坪単価が跳ね上がって、東京近郊とは言え坪当たり二百三十万円は破格で有る。

冷静に成って後で考えると、とてつもない狂乱時価だったが、その時点ではそのムチャな土地価格が相場だった。

百坪で締めて二億三千万円。

なるほどこの再開発ブームで、使い道に困る「にわか土地成金」は掃(は)いて棄てるほど居る。

「すると、土地を売らせておいて、虫が良くまた投資させると言うのか?」

確かに岩代が言う通り、土地を手放したばかりの相手なら差し当たり使い道の無い資金は遊んでいる。

「そうです。彼らにも、もっと増やしたいと言う欲も有り、私との信頼関係も有る。」

「信頼関係ねぇ。」

私は、岩代が細君(京香)を竹中に貸し出した話を、天井裏から聞いている。

「戦争も事業も、そんなに格好の良いもんじゃない。」は、岩代の口癖である。

勿論、出資者の人柄など厳選して決めるので、「誰彼(だれかれ)構わず」と言う訳ではない。

人柄が良く、信頼が置ける「これと言う男は決めている」と言うのである。

「聞いていましたでしょ。京香を裸に縛り上げて竹中に貸せたのを。あれ、三回限りの約束だけれど、判を押(突)いた後でも約束をしっかり守っているから竹中は俺を信用しています。」

「君の言う、胸襟(きょうきん)を開いた形の相談事と言う事か?」

「そりゃ人間、相手を信用するにはそれなりの重い現実が存在しないと駄目です。胸襟(きょうきん)どころか股も開かせました。」

岩代の言う重い現実が、「細君を生け贄にする」と言う事らしい。

当初こう言う考え方は理解出来なかったのだが、岩代の言い分では、要約すると個人の感情(独占欲)に起因して性行為を倫理として聖域化するのは本来「詰まらない事だ」と言うのである。

「それにしても、岩代君は思い切った事をさせるな。」

「普通に仕事をやっていたら負けですよ。但し後ろに手が廻っては困りますから、金品を一切介在させない方法です。」

「確かにそこまでは誰も思いつかないが・・・・」


大金が動く不動産業界に在って、只の飲食接待やゴルフ接待などは何処の会社でもしていて当然の様に想われる時代だった。

そんなものには接待される方も驚きも感激もしないから、確かに余程思い切った事をしなければ中途半端な接待では相手の気持ちなど掴(つか)めない。

そこで世の中には、仕事の円滑の為に性接待の愛奴隷プレイを密かに行っている人々が居る。

そして性癖など元々秘めたるものだから、その人々は誰にも暴(あば)かれず、普通に一般社会人としてその辺を歩いている。

愛奴隷の良いところは、願望優先のきわどい快楽プレイも犯らせ放題の所である。

それに亭主が承知の上なら安心で、多人数の男達と遊びで性交したからと言って何も大袈裟に考える事は無い。

つまり性癖や性交プレィに関しては、表向きの常識など通用しない深いものが世の中には存在する。

性接待を付け加えるなど常識的に「無茶」と考えるのは当たり前かも知れないが、実は飛鳥時代の昔からこの国での接待のルーツ(起源)は、「官人(高級貴族役人)の接待に神社が巫女を充てた事に拠る」とされる事から、接待に性行為は付き物だった。

元々の歌舞音曲の遊芸もそうした環境の中で育ち、次第に様式化されて源義経の愛妾・静御前で有名な平安期の白拍子などもその巫女起源の遊女の分類に入る。

つまり、「飲み喰い抱かせる」が接待の基本で、アンカリング効果的な常識に囚われた発想からは何も生まれず、型破りな発想からこそ未来が開けるのである。


それにしても思い切った関係構築方法だが、確かに私もこう言う事に成ってからは精神的に岩代夫婦には気が赦せる。

相手が、「徹して身を委(ゆだ)ねて来た」と言う感触が、脳裏に残っているのだ。

決定的なのは、「性的繋がり」と言う心や身体を赦した信頼関係が、「強い信用を生み出す」と言う事である。

なるほど、通常以上の誠意を示して「信用の獲得をする」と言う事か。

彼の考えは判った。

しかしそれには疑問がある。

「それなら私は要らないじゃないのか?君と奥さんで相手と話が着く。」

それは確かに私が加われば、営業の資格も業界のノウハウも問題が無く成る。

宅建資格(宅地建物取引主任)は、会社の支援で二年前に取得して居た。

しかし資金面獲得に関与しなければ、只の雇われで発言権は無い。

資金面の獲得には岩代夫婦の特殊な接待が不可欠で、私はそこには立ち入れない現実がある。

「それなのですよ所長、そうなれば所長も肩身が狭い事に成るので、その為には、奥さん(里美)の全面協力が必要です。」

「全面協力・・・・」

「お宅の奥さんを、京香の様に調教しようと思うのです。奥さんが接待を出来る様になれば、所長も気が引ける事は無い。」

岩代は、出資者の説得には「二人の妻達の接待で当ってはどうか」と言う。

「新しく起業する以上は、それなりの強味を創る覚悟がなければその他大勢の只の会社です。奥さんにも裸踊りや性交の接待くらい仕事と割り切って貰いましょう。」

「オイオイ、またそれか?内の奴にそんな真似が出来る訳がない。性交に関しては俺にさえ態度が硬いのだから考えられないよ。」

「勿論所長、奥さんにはガチンコ本番をさせる事になりますが・・・普通に仕事をやっていたら負けですよ。但し後ろに手が廻っては困りますから、金品を一切介在させない方法です。」

強引な言い方だったが、岩代の細君とこう言う事になっていては彼の非礼は咎(とが)められない。

「随分ストレートに言うな。」

「気取って言っても意味は同じ事です。」

「それはそうだが・・・・内の奴(里美)には難(むずか)しい注文だな。」

確かに財産がない私達夫婦には、投資資源は妻の肉体(からだ)しかない。

「うぅ〜ん、他に資源は無いからなぁ〜。」

「内も一緒ですよ。資源が無ければ、有る手持ち資源を使うしか浮かび上がるチャンスはないでしょう。」

「しかしなぁ、ドライに割り切って使える資源ではないからなぁ。」

「そんな生真面目な事を言っているのは庶民だけですよ。」

この岩代が言う「庶民だけ」は、後に立証される。

後に出会う成功した者達は、私が想像するよりも遥かにアグレシブ(攻撃的)に世渡りをしていた。

つまり、生真面目に生きるだけでは慶事を招来するのは難しいのが真実である。

世間では簡単に「常識、常識」と言うが、結局の所は何事にも創造性が無ければ新しい道は開けない。

どうせ起業するなら他では在り得ない強味があれば、確かに弱小企業でも競争力は持てる。

男の性欲と出世欲は比例していて、性欲の無い男には出世欲も無い。

性欲の無い男が出世した試しは無いし出世欲の根源が性欲なのだから、その性欲を抱かせるのは妻の役目である。

これまで私が平凡な生き方しか出来ないのは、自分の性欲を抑えて生きて来たからかも知れない。


「しかしなぁ、簡単にウンとは言えない話しだ。」

「でも所長は、ああ言う遊びが出来る京香の事を、羨(うらや)ましい、と言いましたよ。」

「それは言ったさ。俺も男だから、出来るものならああ言う遊びを里美にもさせて見たいさ。」

私が「羨(うらや)ましい」と言ったのは正直な感想で、そこに嘘偽りは無い。

「でしょう、俺、所長に俺と同じ匂いを感じます。」

「羨(うらや)ましい」とは確かに言ったが、言った事が何でも叶うならこの世は世話が無い。

岩代と押し問答をしている間に、フト妻の里美が裸に剥(む)かれて、あの滑らかな触り心地の肌を晒(さら)し、竹中の前に縛り上げられている光景が浮かんだ。

「そうなれば、確かに面白いが・・・」

「根本的に刺激が無さ過ぎるからで、夫婦で解決出来ない問題は、案外他人が入れば解決するものですよ。」

「夫婦でさえ上手く行かないのに、他人が入った方がか?」

「所長心配はありませんよ。奥さんが身持ちが良ければスケベに仕込むにはちょうど良いのです。」

「ちょうど良いって・・・俺は、奴の身持ちが良過ぎて困っているんだ。」

「極端なものを二つ、五分でぶつけ合うとバランスが良くなる事を抑制効果と言うじゃないですか。

「つまり二つの極端な性質をぶつけて中和してしまうと言うのか?」

「そうですよ。ぶつけ合うには両者が極端なほど抑制効果が出ます。」

「相手は生身の人間だぞ、そんなに上手く行くのか?」

「何度も試して効果は覿面(てきめん)でしたよ。」

「えぇ、何度もか・・・君は今までどんな生活をしてたのだ?」

「効果は覿面(てきめん)だ」と岩代は自信あり気に言う。

その岩代の理窟で行くと、気取りが強く身持ちが固い女ほどその気取りを大胆にぶっ壊す過激な性交をさせる事で「抑制効果」が働き、素直な良い女に生まれ変わると言う。

つまり極限まで犯らせてしまえば身持ちが固い女ほど衝撃が強く、自ら日常生活と非日常の時間のバランスを執ろうとして非日常の時間は素直な良い女に抑制する。

その効果は、後に次々と立証される事になるのだが、女を性的に仕込むチョットしたコツみたいなもので、これが結構効果があるのだ。


考えて見れば、私がこのまま妻(里美)の調子に泣き寝入りするのは馬鹿馬鹿しい話である。

しかし何も行動を起こさなければ、いずれ私が浮気をするか情が冷(さ)めて結婚生活そのものの危機を迎えかねない。

子供を産んだ女性は、どうしても子育てに気が行ってしまい、夫の性事は二の次の「つれない状態」に成って夫婦危機の芽が生まれる。

夫の方は子種を残す雌を探すのが雄としての自然本能で、妻がつれない状態に成ると夫は益々性交相手を外に求める事に成る。

そこを理解して妻が夫を満足させる対応を工夫をしないで夫の浮気だけを責める妻では、余り「良い女」とは言えない。

男女に拘(かか)わらず、夫婦が連れ合いに内緒で浮気の性交をする何て寂しい事ではないだろうか?

それならば、夫婦揃って合意の上の遊びの性交の方が、男女の本質を理解した大人の対応である。

だからこそ、浮気とは呼べないコレクティブセックスプレィ(集団乱交)で夫婦揃って遊ぶのが理想的である。

こうした夫婦揃っての無難な遊びを、建前で悪趣味と指摘するのは簡単だが、各々(おのおの)が別々に浮気遊びをする方が余程悪趣味である。


不倫の原理は典型的な「吊橋理論」で、つまり吊橋の恐怖感のドキドキ感と不倫の背徳感のドキドキ感が「恋」のドキドキ感と誤認混同され脳に認知される。

つまり、一瞬の「惚れる」はドキドキ感と伴に脳内に発生するホルモン、フェール・エチル・アミンの誤認混同され脳に認知される。

「吊橋上の口説きが極めて有効である」と同様に、不倫には誤認の「トキメキが付きまとう」と言う理論である。

そしてそれらは、平凡な日常生活に不満を感じれば殊更大きな誘惑に膨らんで行く夫婦間のリスクなのだ。


人間は個々の理性は知能の発達と伴に右脳・左脳が巨大化して高度化し、比較、判断、推理、計算、発明などの能力を持って、ホモサピエンス(知性人)を名乗っている。

しかしながら、他人の心理状態を「生理的に合わない」や「考えられない」と言って、相手の感性も考慮せず、即座に否定するのは間違いである。

人類は群れて生きる動物で、人間が群れ社会を形成し集団で仲間として生きる為に発達した脳の部位が、脳の左右に鎮座する「側坐核(そくざかく)」である。

その「側坐核(そくざかく)」は感性を司どり、人間の資質に存在する報酬、快感、恐怖、嗜癖(しへき)などの感性に重要な役割を果たす脳部位である。

逆説的に言えば、群れ社会を形成する為には「側坐核(そくざかく)」の働きに拠る報酬、快感、恐怖、嗜癖(しへき)などの感性が、「人間の群れ社会の根底にある」と言う訳である。

厄介な事に、その「側坐核(そくざかく)」を有する故に、恐れ(恐怖)をベースにした信仰心や、嗜癖(しへき)をベースにしたSM性癖(サド・マゾ)などの感性をも、持って生まれて内在している。

つまり「側坐核(そくざかく)」が感性を司どる脳部位であるが故に、理性では理解できないスピリチュアル(霊的潜在意識)やSM(サド・マゾ/加被虐願望)性癖なども、感性として存在する事になる。


こんな事は誉められたものではないかも知れないが、ここで手を打たねば一生後悔するかも知れない。

そう言う意味では、岩代の提案が私が踏ん切りを付ける良いチャンスかも知れない。

仲が良いので定評がある「おしどり」と言う鳥のつがい(カップル)、実は一年(一繁殖期)だけの仲で翌年の繁殖期には別の相手を見つけ、新カップルを作るそうである。

自然とはそう言うもので、人間の基本的な性本能の傾向では夫婦間の性的関心は、学説に拠ると「四年くらいしか持たない」と言われている。

事実データー的に、結婚後四〜五年目に入るとSEXレス夫婦が急増する。

考えて見れば幾ら好きでも材料(肉体/からだ)も同じ、メニュー(調理方法/行為の内容)も同じでは、性的な夫婦仲が永くは持たずに飽きが来ても不思議は無い。

飽きが来る要因の一つに、男性の場合の特異な例として「おしどり的本能」つまり子供を産んだ女性の肉体(からだ)に関心が無く成るケースや女性の場合は性行為より「子育て」に関心が移るケースがある。

これは精神心理的なもので、現在の社会環境・家族構成社会からすると酷く困った問題ではある。

妻(里美)の場合は、ズバリ関心が「子育て」に移って女性から母性に完全シフトし、亭主の性本能(性的衝動)を置き去りにしてしまっているのである。

飽きが来ても夫婦が成立している要因は、子供への愛情に拠る「子育て」への協調と夫婦間にSEXを介在しない精神的愛情が成立するか、もしくは金(生活)の為である。

しかしながら性本能(性的衝動)は男女双方に存在するのであるから、その本性を建前で「愛情が在れば」や「信じている」などと誤魔化すのは現実を見ない白馬の騎士的な夢物語である。

「愛情」と言うのは、結局は自分が創り出した大切な物語であるから、その構築された「情」に嘘は無い。

しかし物語であるからには伴に生きる時間が永く在っての事で、少なくとも出会いの時点では、物語のプロローグ(序章)に過ぎない。

だからこそプロローグ(序章)に過ぎない結婚前の異性経験など、原則問わない事が男女間の暗黙のルールである。

従ってプロローグ(序章)の時点での性行為に於いては「恋」は在っても、とても「愛情」にまでは到っていない現実がある。


愛情と独占欲は脳の処理に於いては別物だし、愛情と性欲(性本能/性的衝動)も脳の全く違う部分で処理されるデーターにも関わらず混同して扱おうとするから、間違った夫婦関係を作り上げてしまうのである。

どうも世の中、建前だけで物事を処理しその根本には触れたがらない。

本来、人間の性欲と理性は脳の別の部分で対応するもので、その質の違う事を混同し、「理性で性欲を処理させよ」うと言う所に、根本的な無理がある。

その無理を、何世代も押し通して居る間に、人間の人格そのものが壊れて行っているのではないか?

妻の里美もそうした建前を拠り所に、安易に生きて来ていた。

本来別々のものである「精神的愛情と性的衝動」は男女各自が思考を整理して、分けて対処すべきものである。

ここが社会的合意になれば、まったく違う社会が成立する筈である。

しかし、そうは成らない。

事実関係から導き出されるのは、「飽き」や「独占欲」が引き起こす紛争から「家庭や社会の安定」と言うご都合主義と結び付いた強引な「蓋をする思考」である。

そう言う意味では、私の妻(里美)に対する性本能(性的衝動)の不満は爆発寸前に来ていた。

飽きが来た夫婦間のSEXがSEXレス状態に成る事は、浮気や買春に拠る浪費、事件や事故、性病の罹病(りびよう)などのリスク(危険)が発生する事になる。

最近では飽きが来たら簡単に離婚しているカップルも多いが、それでは本人達を含め子供や親など周囲を不幸にするから、けして薦められるものではない。

そうなると夫婦間のSEX行為に、性本能(性的衝動)を満足させるべく飽きが来ない相応の創意工夫が必要になる。

つまり夫婦関係と家庭を安定して維持する為には、SEX行為の創意工夫は大事な要点なのだ。

所が、女性は感性の動物だから「嫌なものは嫌」とまるで関心が無く、努力しない癖に問題が発生するとさも夫が悪い様に言う。

妻の里美もそうした思考の持ち主だから、亭主の私が浮気をすれば曰(いわ)く「飛んでもない男だ」と言い自分が浮気をすれば曰(いわ)く「亭主が構ってくれないから」と言ってのけ、全て相手の私のせいにするのが「常套手段」と決まったようなものである。

女性は、結論に到るプロセスを大事にする生き物で、相応の理由があれば自身を納得させる素養を持ち合わせている。

こうなれば、愛情と性欲(性本能/性的衝動)は違うのだから、岩代の言う通り「独立を話し」を餌に妻をガンジ絡めにして納得させ、性の接待をさせて肉体(からだ)にそれを判らせるしか無い。


「どうです所長。犯っちゃいましょうよ。」

まだ岩代は、妻を変態仲間に引き込む事を諦(あきら)めていない。

しかし妻は性に対する行き過ぎた嫌悪感の持ち主で、とてもそれが「変わる」とは思えない。

女性は、妊娠や性病感染のリスクを抱えているから当然の事であるが、心理的に「性行為は恐ろしいもの」と言う意識があり、そこに男性の独占欲が反映したモラルが影響するから、始末が悪い事に、「貞淑(ていしゅく)が正しい」と思い込んでいる。

しかし、それが「夫に対してまで」と成ると、それは流石(さすが)に勘違いに基着く「病的な心理」としか言い様が無い。

大きな誤解であるが、本来重要なコミニュケーション手段である筈(はず)の性行為を、妻は「下品で下等な行動」と思い込んで疑わない。

そうした一人善がりの貞淑(ていしゅく)観念は、夫に欲求不満を持たせるくらいで、何の得にも成らない。

まぁものの考え方は千差万別で、夫相手に性に対する嫌悪感を持つのは行き過ぎでは有るが、妻の考え方もけして少数意見ではない。

か、と言って一生妻の感性に付き合うほど、私を含め世の男性は辛抱強くはない。

夫の私に欲求不満が募って行けば、お定まりの「浮気騒ぎ」か何かで、けして幸せな夫婦には成れない。

現に岩代の細君の誘惑に易々と乗っているからには、正直私にそれを抑制する自信も無い。

ここは妻の、「性に対する行き過ぎた嫌悪感」の考え方を変えれば、違う人生が開ける。

ただ、アレだけ心理の奥深く染み込んだ妻の感性を変えるには、岩代が言うように夫婦だけの話し合いでは実現性は低い。
選択肢は二つしかない。

このまま、妻の感性を放置して不満を抱えながら生きるか、思い切って岩代の誘いに乗り、ここは、そう言う事に手馴れたこの夫婦の力を借りるべきなのか、悩む所である

平凡な人生の夫婦間では、時と伴に刺激が欲しくなり満ち足りない想いが育って行く。

しかもこの現代社会だから、皆、大なり小なり重篤(じゅうとく)なストレスを抱えていて本能が逃げ場を求めて居る。

逃げ場を創ってストレスの発散は大事だが、夫婦が毎日暮らしている住居で、同じ相手に代わり栄えしない性交に及んでもそれは侘(わび)しい日常生活の延長で、当然ながら刺激に欠けるマンネリ(独創性や新鮮味が無い)となり、脳の興奮は薄らいで行く。

そこで脳の興奮を再活性する為に独創性や新鮮味を求めると、限りなく日常性を否定した形態に工夫して行かざるを得ない。

日常性を否定する事は非日常の空間を創る事であり、脳の興奮を再活性するに手っ取り早いのは違う相手と代わり栄えする形態で遊びの性交を心掛ける事である。

しかしこの違う相手と代わり栄えする形態で遊ぶを、世間の建前に縛られて内緒で個々に行動するから家庭崩壊に繋がる。

結婚して置いてまだ未練たらしく「もっと良い相手が居るんじゃないか」と探すのは論外だが、例えそれでパートナーを代えても工夫も無く日常生活の延長を続ければ同じ事で、マンネリは再び襲って来る。

どうせ本能で誰にも刺激的な性交願望の性欲はあるのだから、互いに野放しにするよりも理解し合って夫婦同時参加と言う枠(わく)の中で性欲を満たして発散させる方が右脳的には合理的で、それで利口に夫婦のマンネリが凌(しの)げれば越した事は無い。

この夫婦同時参加で遊ぶ非日常の発散空間を求める際は独占欲は厳禁で、パートナーにだけ貞淑(ていしゅく)を求めるのは配偶者の横暴である。

目的がそう言う事であるなら、非日常の性交ほど脳が興奮し媚薬効果を発揮するのだから夫婦揃っての遊びの性交は一対一の情交ではなく、輪姦・乱交・公開SMと相手不特定が理想で、卑猥(ひわい)であれば卑猥なほど良い理屈だ。

やっぱり岩代夫婦は私には羨(うらや)ましい。

確かに、妻にそれを気付かせ彼女の目を覚ますには、ショック療法しかないだろう。


入り口で間違えたものは、最後まで間違いである。

純粋は美しいが「罪」である。

純粋ゆえに否定された不純なものも、また、真実の本能だからである。

凡(おおよ)その所、表現の美しさに誤魔化されて真実(人間の本質)を見たがらない者は、本質的に「愚か者」である。

この細君(京香)と違い、内の奴は「思い違いの自尊心ばかり強いバカな女だ」と羨(うらや)ましかった。

「奥さんの事、バカな女と思っているでしょう。本当は利口ですから上手く追い込めば必ず行けます。任せて下さい。」

岩代の言う事は、ズバリ当たっていた。

確かにあいつ(妻)には腹が立つ、まるでつまらない義理のようなSEXで、俺相手にお茶を濁(にご)して来た。

考えて見たら、妻には一度「キツイお仕置きをさせても良いのではないか?」と思えて来た。

どうせあの頑(かたくな)な妻の事である。

シヨックを与えなければ、とてもこの閉塞状態の現状は変わらない。


岩代が言うに、「男は見て興奮するが、女は実践しないと興奮しない。」と言う。

一度犯ってしまうと、女は「ガラリ」と変わる。

つまり女は、「犯らせて見ないと理解出来ないから、犯らせるべきなのだ。」と言うのである。

「奥さんに、内の京香みたいに犯らさせて見たいなら、段取りを上手くやれば所長の想う様な奥さん躾(しつ)けは適(かな)いますよ。」

岩代が言うに、引けない所に追い込めば、「子供も産んだ女だ、一度ぐらいは」と覚悟はする。

所が、一度一線を超えてしまえば、気分的に一度も二度もさして変わりは無い。

後は一気に追い込んで、仕込むだけだ。

人間の心理は不思議なもので、中途半端に線引きをし直すなどの小さな修正は出来るものではない。

一線を超えればシメたものである。

その先は「これは良いが、これは悪い。これは出来るが、これは出来ない。」と、一々細かい比較基準は考えられない。

多分妻も、一度犯ってしまえば心理的に「どうせもう、同じ事」としか思えなくなる気がして来たのだ。

良く調べてみると、実は何の根拠も無い「常識」と言う悪魔の単語は、自由な発想を妨げる最大の敵である。

その奇妙な「常識」を根拠に、妻は事私達二人の性行為に関して、今まで、自分の気分で私を適当にあしらって来た。

その罰が当たって、一度世間を骨身に沁みさせるのも、世間の実体を知らしめる「有効な手段だ」と思った。

何で私がそう思ったのかは判らないが、今から考えるとその時はまるで妖術にでも掛けられた様に、疑いもせず頭の中が変態モードのスイッチが入っていて、妻をこっ酷く犯させる気に成ってその状況ばかり思い浮かべていた。

ヒョットすると、この時既に岩代夫婦の「気」の力に、翻弄(ほんろう)されていたのかも知れない。

岩代に煽(あお)られて、何か、私の見果てぬ夢が膨(ふく)らんでいた。

「それにしても、上手い事、行くのかなぁ?」


「所長、京香とは楽しんでいて、奥さんには犯らせない積りですか?」

岩代が痛い所を突いて来る。

そう言われれば、都合良く「その積り」とは言えない。

「いゃ、そんな事は無い。内の奴の認識が変われば、そりゃあ君にも抱かせるさ。」

嫌でもそう応える事になる。

「所長がその気なら、奥さんは利巧だから今までが詰まらない女だったと直ぐに気がつく筈です。」

「本当かなぁ。内の奴が少し進歩すれば、確かに人生が楽しくなるけど・・・」

「所長、信じられないかも知れませんが、奥さんみたいな女性(ひと)、実は脳の一部の発達が止まっているのですよ。」

「何だって?内の奴の脳が未発達だと言うのか。」

「性感だって、脳で感じます。抑制し過ぎて、そちらの感性が育たない。一種の欠落です。」

「すると、直るのか?」

「えぇ何事も経験させれば、考え方が変わるのが人間です。環境を作って大いに感じさせ、脳の発達を促(うなが)してやれば良いのです。」

「そこの所の理屈が判らない。内の奴の脳の発達を促(うなが)なんて、本当にそんな事が可能か?」

「それじゃあ理屈から話しますが、奥さんは現在【左脳派人間】で、感覚より理性に偏っています。だから性感を与えて【右脳】を活発にしてやれば良いのです。」

岩代は、内の奴の「脳が未発達だ」と言う。

突拍子も無い事を言い出し、そして経験させて脳の発達を促(うなが)してやれば「考え方が変わる。」と言う。

まぁ、亭主の事を無視して自分の主張や感情だけを大事にするのは、幾ら美人でも最低の女だ。

岩代に拠ると、人間の脳は大別して左右二つに分かれていて【右脳】は本能的無意識能力系統を司(つかさど)る役割で「無意識脳」と言われ、イメージ記憶・直感・ひらめき・芸術性・創造性・瞬間記憶・潜在意識・リラックス本能などの活動の機能をしている。

そうした意味で【右脳系】の職業人は、性に対しては開放的で奔放な心理の持ち主が多数であっても不思議は無いのである。

それに対し【左脳】は理性的意識能力系統を司る役割で「意識脳」と言われ、言語認識・論理的思考・計算・じっくり記憶・顕在意識・ストレス本能などの活動を機能をしているのだ。

【左脳系】はその理性的意識から絶えずストレスに晒されているにも関わらず性に対しては禁欲的で、返って暴発の危険を抱えて生きている。

固体としての人間に取っては、この【左右の脳】の活動バランスが問題である。

つまり、一方に傾倒したままの人生を送る事は余り得策とは言えない。

いずれにしても、【右脳系】【左脳系】に関わらず、「俺は・私は」こちらが得意だから、或いはこちらで成功しているのだから「そっちの方は知った事ではない。」と安易に考えていると、思わぬ落とし穴に遭う。

つまりバランスが悪い「偏向傾向人間」に成ると、その本人にとってはそれが弱点になる。

例を簡単に取り上げると、【右脳派人間】である芸能関係や芸術関係に「薬物常習者」が多いのは、【左脳】の理性的意識能力を発揮すべき問題に直面した時にその能力が不足している為に、より【右脳】に逃げ込もうとする所に有る。

反対に、オーム教団事件に見られるように教団幹部に科学者や医師が幹部として多数含まれていた謎は、【左脳派人間】は理性的意識能力が得意だけに、【右脳】の本能的無意識能力系統に対して劣等感的弱点があり、「何故あれほどの知識人が?」と言う結果を招いた。

【左脳】が悲鳴をあげるほど理性的意識に抑圧されるストレス職業に役人(官僚・公務員)、教職関係者、司法関係者(警察官を含む)、宗教指導者、科学者、医学関係者などがあり、本来最も理性的であるべき立場の者が痴漢行為や淫行などの事件を起こす。

つまり職業柄【左脳域】ばかりを使っているストレス職業に携わる人間ほどバランスの癒しを求めて【右脳域】に暴走する。

これは理性だけでは人間が生きて行けない事を意味している。

所が、この【左脳域】ばかりを使うストレス職業に対する世間の理解は不足していて、彼らに【右脳域】のケアをしようと言う風潮は周囲はもとより本人にさえない。

本来は【左脳域】の理性ばかりに囚(とら)われず、たまには気晴らしに、羽目を外す事も必要なのである。

一般的には【右脳派人間】も【左脳派人間】も、宗教のペテンに信者として引っ掛かってしまうと、そこから先は都合良く【右脳】ばかりを刺激・コントロールされて「盲信」に陥る事になる。

勿論、本能的無意識能力系統ばかりに傾倒した極端な【右脳派人間】も、社会性の部分では大いに問題が有るが、結論を言えば人間は適当に本能的であり適当に理性的でなければならない。

つまり【右脳】はリラックス本能的、【左脳】はストレス本能的に活動するものであるから、【左脳】のストレスと活動バランスを上手に取る為に【右脳】の信仰(宗教)や他の動物に無い「擬似生殖本能(性行為のみの欲求)」は生まれた。


ちなみに男女の一般的な【右脳域】と【左脳域】の得意不得意を調べると、男性は【右脳域>】の活用が得意で、女性が【左脳域】の活用が得意と「男女綺麗に分かれる」と言われている。

つまり【左脳域】を活用する記憶力は女性が優れているが、【右脳域】の活用を必要とする方向(方位)や地図の読み取りなどは男性の得意分野で女性はまるで駄目と言うケースが多い。

買い物一つ取っても、男性の方が直感的で即決力があり、女性の方が最後まで選択をし続ける為に中々物事を決めかねる特性を持っている。

これは男女の特性であるから、互いにその「感性の違い」を理解しないと、すれ違いの感情が起きる事に成る。

夫婦の気持ちが離れて行くのは、この感性のすれ違いが増幅して行って「こんな相手ではなかった。」と、感情が抜差し成らない所に立ち至る為である。

女性は【左脳域的】な感性の為、肉体への直接的な「接触刺激が無いと興奮し難い資質」なのだが、その女性が、物事を「理性」で考えてしまうから、性を誤解して嫌悪感を抱く。

女性がその「理性」で完ぺきに生きようとすれば、自分も周囲も行き詰まってしまう。

そんな「理性」は女性の独り善がりのプライドを満足させるだけで、ろくな結果には到れない。

男性は【右脳域的】で本能の感性が強い為、夫の前では崩れて見せる位の利巧な女の方が、妻として可愛いのである。

某局のテレビを見ていて、私は面白いデーターを見せられた。

これは要因のほんの一部だろうが、或る研究データーに拠るとSEXレス夫婦の増加が、「少子化の一因に成っているのでは?」と言う問題提議だった。

そのデーターの一部が、「一ヶ月以上性的関係が無い夫婦が三十二パーセントに達する」と言うものであった。

そして、わが国(日本)の全体的な夫婦間の「性交の頻度」は、比較的上位発展国、四十一ヵ国中最下位の「四十一位だった」と言う。

このデーターが本当なら忌忌(ゆゆ)しき問題である。

つまり、日本の夫婦は他国に比べ「余りSEXをしていない」と言う事だが、それを、「余りにも、現代の男性が忙しいからではないか?」と、方向違いの見方をしていたようだ。

これは、人間性そのものを否定した発想で、これが本当なら、日本の未来は終わりで有る。

何故ならば、近頃囁かれる「男性の弱体化」を表して、少子化が指摘されているからだ。

本来、自然で当たり前の「男性の原動力は女性の存在」で有る。

もてたい本能が力を発揮するから「闘争心や向上心が起こり、学び働く」それが、忙しすぎてSEXが出来ないでは、男性の原動力を削(は)ぎ取るようなものではないか。

勿論、女性の好きな純愛の存在も否定はしない。

男性の脳の「別の部分」にはそう言う感情を司(つかさど)る所も間違いなくある。

だが、基本的には「種の保存本能」から素朴な性的要求を抱えて生きているのが、人間の自然な姿である。


確かに考えて見れば、岩代の言う通りだ。

事が事だけに触れたがらないが、見かけは健常者と変わらず日常生活の上で何とも無くても、性感発達障害や異性嫌悪障害も、本来は真剣に対応すべき立派な精神障害である。

「そう考えれば理屈は判るが、しかし面と向かってお前の脳が未発達だとは言えないなぁ。」

「うぅーん、そう言う女性に限って、自分の考えが正しいと頑(かたく)なに言い張ります。理屈では通じないでしょう。」

「そう言えば内の奴は、SEXに限らずこうと思ったら何でも頑固だ。」

「でしょう、柔軟性がまったく無い。違う側面がある事を脳が思い付かない。」

「すると、環境次第で学習すれば改善するのか?」

「まず、身を持って体験させれば、脳が自分で学習します。答えも自分で出す筈(はず)です。」

また、竹中の前で裸に剥(む)かれた妻の里美が大股開きに縛り上げられ、陵辱を待つて居る光景が浮かんで胸が熱く成った。

一度空想してしまうと、中々その幻想から逃れられない。

「しかし、どう言い聞かせて接待をさせるのだ?内の奴は、強く言っても反発して拒絶する筈だ。」

私は、最大の疑問を口にした。

「そりゃあ、暴力で無理強(むりじ)いをさせたら、例え奥さんでも犯罪です。」

「すると、本人に納得ずくで接待を犯らせると言う事か・・・・。」

「奥さん、学生時代に運動をしていたでしょう。」

「小学校から、高校まで競泳(水泳)の選手で、県大会の常連だった。おかげで滅法気が強い。」

「そう、それが良いのですよ。永く運動を続けられる素質を持つ奥さんは、仕込むには一番向いているタイプです。」

岩代に言わせると、一見気弱な女性の方が強く出れば言う事を聞きそうだが、何でも「嫌々聞く言う事」は、この件に限らず長くは続くものではないらしい。

接待の奉仕性愛奴隷に向いている性格は、気が強くて責任感があり、スポーッ選手が良い。

矛盾しているようだが、実はこのタイプが「一番M性が強いのだ」と言う。

これは正規の論文にも載っているが、アスリート(体育会)系の部活経験があり礼儀作法が確りとしている厳しい規律の中で育った女の子ほど、強い押しに遭うと「従わなければ」と言う意識が働き、最後は言う事を聞くそうだ。

妻のような水泳の選手など、岩代に言わせるとスポーッ選手中でも更に向いているらしい。

水泳選手は、肌の露出が多い状態で観客の視線を浴びるから、見られる快感も自然に養われるし、コーチ(指導)される事にも慣れていて、引退するとコーチ(指導)されない事の不満足感が「内心に育つ」と言う。

つまり、命令されない不満感である。

逆転の発想だが、一見強そうなスポーツ選手ほどM性が強く、M性が強いからこそ辛い練習に耐えられる。

スポーツ選手は耐える事を知っていて、その先に、ランナーズ・ハイに代表されるトリップ感覚の快感がある事を、理屈では無く身をもって肉体で知っている。

そしてスポーッ選手は、協調性を叩き込まれていて、「自分が枠を乱す事は自然に控える」と、その心理を岩代は読んでいる。

その点、運動もしない気弱な女性の方が、実は耐える事を知らない我侭(わがまま)女で協調性も無く、本質的には、何事も扱い難い性質なのである。


「そうは言っても、内の奴はかなり強情だから、簡単に言う事を聞くとは思えない。」

期待を裏切り続けられた、切実な私の感情である。

「ハ、ハ、ハア、気が強い女性の方が、返って仕込み易いのですよ。」

岩代に言わせると、気が強い女性の方が「潰れる事無く仕込める」と言う。

それに頭が良い女性の方が、納得する理由さえあれば自分の感情をコントロールしてくれるので、「仕込み易いのだ」と言うのである。

つまり妻のようなタイプは、自分が納得さえすれば、「今度は意地でも弱音は吐かない。」と言うのである。

一見気の弱い女性の方が素直に言う事を聞きそうだが、岩代に言わせると精神的にグズグズに成ってしまうし、頭の悪い女は直ぐに勘定的に成って「使い物にならない」と言う。

つまり気が強い女性で、状況を把握する頭の良さを持ち合わせて居る女性の方が、仕込のに向いているから、妻は「最も理想なタイプ」だと、いとも簡単に言うのである。

「そんなに言うのなら、俺は構わないから君が仕込んで見ろ。」

妻の強情さに手を焼いていた私は、岩代の言い分に高を括(くく)って、挑戦するように妻へのアプローチを承諾した。

「構わない・・・良いですね。俺の目に狂いは有りません。奥さんは磨けば光ります。」

岩代に言わせると、妻の里美は経験さえさせれば、必ず細君(京香)の様な良い女に成る保証付きの原石だそうだ。

目に狂いは無いそうで、岩代には「イケル」と言う絶対の自信があるそうだ。

「良いセックスライフの無い人生なんか詰まらないでしょう。」と言った、岩代の言葉が耳から離れない。

妻の貞操を進んで他人に提供するなど世間では「異常」の一言で済ます事かも知れないが、いざその身に成って見ると、一生連れ添う妻が性的に詰まらなければ私としては大問題である。

自分でこの不満を解決出来ずにここまで来た。

それが「解決する」となると、「多少の事は仕方が無い」と言う気にも段々成って行く。

夫の本音で言えば、妻にくらいは自分の性的欲求や性癖を叶えてもらいたいものである。

それが「いけない」と成ると、一方的に妻の価値観による人生に付き合わされるばかりで、不満だけが残る事になる。

これを、「愛しているなら私に合わせて」と言われても、そう長くは理性が持たないのが男である。


人間には、理性と計算の左脳域とは別に感性を司る右脳域の本能が存在する。

左脳域と右脳域を兼ね備えている動物が、人間の本質である事をまずは理解すべきである。

つまり、どう頑張っても右脳域の本能は左脳域の理性だけでは制御出来ず、それを無理やり左脳域の理性で押さえ込むだけでは、心が悲鳴を上げる。

夫婦関係や家庭を守りたいなら、まずは聖域(性域)を排除して相手を満足させる性的努力は惜しまない事である。

「あれも嫌、是も嫌」と聖域(性域)を設けて性行為に横着して居ては、性的満足度でプロや不倫相手の努力に及ばない。

幾ら「夫婦関係や家庭を守りたいから」と言って、自分は聖域(性域)を設け性行為に横着して相手を満足させないで居て、「外での浮気は赦せない」では論外でである。

例えプロと浮気をしても金を払って妻と犯るより詰まらなければ「バカバカしい」と虚(むな)しくなり、懲(こ)りる話である。

所が、大体において横着している妻の方が相手として詰まらないから、自業自得でプロや不倫相手に気持ちを取られてしまう。


妻を納得させる為には、「辛抱強く成らなければ成らない」と思ったが、どうやら何か行動を起こさないと問題は解決しそうも無かった。

本心、ここ数年は妻の堅くなさに私は苛立(いらだ)っていた。

そこに、ピッタリと嵌(はま)ったのが、岩代の誘いだったのだ。

改善出来るのであれば、元々妻の態度が悪いのだから荒療治も仕方が無い。

妻を「他人に抱かせる」などと言う事は、今までだったら一笑に付す所だが、何故か岩代に詰め寄られると、その気が湧いて来る。

いゃ、段々にそれが一番良い選択に思えて来る。

何しろ私にはズボシの、妻への恨みにも似た性的な不満がネガティブに充満していた。

後で考えると、半分細君(京香)の強烈な色香に迷わされていたのかも知れないが、とにかく淫靡(いんび)な雰囲気に飲まれて、確かにその気に成っていた。

それでも、その時点では、まさか内の妻(里美)が、その岩代の話に「易々と乗る」とは思えなかったのだ。


岩代との話の間に、突然細君(京香)が行動を起こした。

座る私の傍(かたわ)らに立ち膝に成ってすり寄った細君(京香)が、私の手首を握ってスカートの中に誘(いざな)った。

細君(京香)のスカートの中はノーパンティで、柔らかい肌がクニャリと直接私の手に触れドキリとさせられる。

細君(京香)は巧みに私の手を股間に運ぶと、親指を摘むように誘(いざな)て既に潤っている自身の肉体(からだ)の中に挿し込んだ。

挿し込まれた親指の他は股間から後ろに回り、四本の指は細君(京香)の尻の丸みに届いていた。

ヌメッとした生暖かい感触が私の親指を包む中、そのままの体勢で細君(京香)は私のスラックスのファスナーを降ろし、まだ衝撃でショボクレていた欲棒を摘(つま)み出すとパクリと咥(くわ)えてシャブリ始め、私の欲棒は見る見る張り詰めて行く。

私の生身の陰茎が細君(京香)の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)が顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。

それは、普段からあれだけ色っぽい細君(京香)だから、私も男として「そそられなかった」と言えば嘘になる。

だが、「一度はお願いしてみたい」と思っても夢に終わるのが通常で、現実に今、素っ裸の細君(京香)に自分の欲棒をシャブらせているのさえ信じられない。

私の坊主頭のカリ首の割れ目を細君(京香)の舌先が押し分けて刺激し、カリ首の粘膜質のエラの淵を舌先が舐(ねぶ)り、首を上下する度に唇がカリ首の淵を擦(こす)る。

舌先で舐(ねぶ)られた私の欲棒は、そのまま擦(こす)れる様に細君(京香)の喉(のど)の奥まで飲み込まれる。

細君(京香)は欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)える「大陸フェラチオ」と呼ばれる中国人の性技習慣を身に着けていた。


それにしても細君(京香)のおシャブリは、私を感激させるほど巧(たく)みである。

見下ろす私の目に、首を固定した形で上半身を使ってリズム良く細君(京香)の頭が前後しながら欲棒をシャブっていて、その口元に濡れ光る陰茎が見え隠れしている。

細君(京香)の頬(ほほ)を丸く突き上げながら口中の頬肉(ほほにく)の壁が私のカリ頭を擦(こす)り、咥(くわ)えたままジュポジュポと柔らかい唇でカリ頭を擦(こす)り、舌先でカリ首の付け根を舐(な)め上げ、快感が・・・突き上げて来る。

「さぁ、立派に成った。所長、今身軽に成るからチョット待って。」

細君(京香)は耳元で囁(ささや)きながら立ち上がった。

おシャブリを中断して立ち上がった細君(京香)が、話している岩代の後ろで服を脱ぎだしているのがハッキリと見えている。

彼女の場合、服と言ってもカーデガンとその下のセーターを脱げば乳房が躍(おど)り出る。

相変わらず、細君は下着を身に着けては居ない。

生脚だったから、スカートを落とせば下半身を覆う物は無い。

細君(京香)の若さ溢れる内太腿(うちふともも)が、そしてその付け根の陰りが、妖しく私の男心を誘っている。

色白の美しい肌、大きめの二つの乳房、ウエストのくびれにS字型の臍、濃い豪毛に覆われて、丸身を帯びてせり出した柔らかそうな恥丘、その下のやや小ぶりな二枚の肉花弁まで、直ぐに露になった。

彼女は、全裸で私の傍(そば)に寄ると、スラックスの元止めボタンを外してトランクス・パンッをスラックスと諸共に脱がしに掛るので、私は腰を浮かせてその作業を助けた。

つまり私は、遠慮なく細君(京香)の奉仕を受ける事にしたのだ。

細君(京香)の唇が、私の欲棒のカリ首に近付いて来た。

次の瞬間、「ニュルリ」と言う柔らかい感触と伴に、私の欲棒が殊更硬さを益してカリ首が膨張し、細君(京香)の喉を塞で行くのが、自分でも感じられる。

もぅ裸身も私にもたれかけて、既に細君(京香)の肌はシットリと柔らかく汗ばんでいて、私は興奮を隠せない。

もう私の欲棒は、細君(京香)の上唇がやや薄い魅力的な受け口の中にある。

今度はアイ・マスクはしていないから見開いた目が、煽情的に私を上目使いで見詰めながら、咥(くわ)えた欲棒を唇でしごいている。

この状態で妻の調教話をすると、異様な快感と合いまって、どうしても過激な妄想に襲われる。

「幾ら言っても、内の奴には通じないよ。」

諦めていた。妻は、性に関して余りにも頑(かたく)なに育って来た。

その点では私は手に余っていたのだ。

岩代は、「甘いから仕込めないのですよ。」と、反論した。

誤解した妻を知らないまま放置して、年老いさせるのは、「けして思い遣りではない。」と岩代は言う。

「どうです、交渉事は互いの垣根が取り払われたこう言う形が一番でしょう。」

「ウ、ムム、竹中氏とも、ウッ、これで譲渡交渉をしたのか。」

「えぇ、菓子折りよりは余程喜ばれました。」

話をしている間に、細君の手が私の手首を掴み、胸先の乳房をかすめて股間に導いた。

こうした誘惑は跳ね付ければ格好は良いが、男は、誰だってこう言う視覚の誘惑には弱いもので、それに私はそれほど気真面目でもない。

私の二の腕にはベッタリと細君の乳房が当たり、手の平にはザラリと恥毛に覆われた恥丘、指先に、彼女の小さく開いた花弁がクニュ・クニュと触れている。

そりゃあ、今細君(京香)が私にして居るように、欲棒を咥(くわ)えられる奉仕つきの商談なら、相手の説得も楽になるだろう。

妻が細君のように、欲棒を咥(くわ)えて奉仕している光景が浮かんで来た。

「しかしなぁ、ウッ、ウッ、内の奴に、君の細君の真似が出来るとは思えないが。」

折角のサービス付きのお誘いだが、私には否定的な思いしか浮かばない。

「大丈夫、奥さんなら出来ますよ。」

「ミッション学校育ちのお嬢様だから、愛情の無い性行為など納得するとは思えないよ。」

「それは所長の誤解です。元々別のものですから、愛情と性行為は分けて考えないと・・・・。」

「愛情と性行為は別と言われてもなぁ、内の奴には、それ以前に性行為そのものに嫌悪感があるようだし。」

「所長は余り女性の本質を理解して居ませんね。奥さんは倫理観の鍵を施錠(かけ)られているだけだから、開放してやれば良いのです。」

「俺が、女性の本質を知らないからか?」

「えぇ所長、離婚夫婦の再婚例を考えて見て下さい。一時でも愛し合って居たら、未練たらたらは男の方で、女の方が遥かにあっさりと、次の男を作って再婚していますよ。」

言われてみれば、世の中にはそうした現象が遥かに多い。

簡単に「選んだ相手が間違っていた」と割り切れる愛情は、女性の感性の方が強い。

チャッカリ「間違った相手」と性行為はしていても、「違っていた」と判断すれば、その事もあっさり忘れる。

愛情に拘(こだわ)る性行為を言い立てる割に、「愛情にドライ」と言うのが女性の本質なのだろうか?

「確かにそう成ると、女性は割り切りが早いが・・・」

「でしょう、愛情と言う精神的なものに拘(こだわ)りを持つようなら、別に慌てて次の男を探すのは真似はしませんよ。もっとドライな思考回路を持っています。」

「すると、どう解釈出来る?ウッ、しかしこりゃあ気持ちが良い。」

「つまり、女性の本質は割り切りが早いから、愛情と性行為は別と認識すれば、呪縛が溶けて相手に拘らずに性行為が出来る様に成る。」

「う〜ん、内の奴もそう言う本質を持っているのかなぁ?そう言う変身した内の奴を、見て見たいとは思うが・・・」

「任せてください。奥さんなら、既成概念の呪縛が溶ければ驚くほど大胆に出来るように成りますよ。」

里美は純情そうな顔付きで、確かに汚(けがし)したくなる顔である。

角度を変えて第三者的に考えれば、接待奉仕には「持って来い」の女では在った。

また、妻の里美が妖艶な裸身を晒(さら)して、細君(京香)のような大胆な騎乗位奉仕をする光景が浮かんで来た。

それは普通の男である私は、最初この岩代夫婦が異常で、虫が良い事に据え膳だった細君(京香)を喰らいはしたが、「自分の妻を他人に抱かせるなど、とんでもない事」と常識的に思っていた。

所が、何しろ岩代がこの提案を持ち出す時、私の脳の中が細君(京香)の行為でHモードが充満している。

この岩代夫婦の私に対する異常な行為が余りにも自然で、段々「こう言う夫婦も居る」と、肯定的に思えてくるのだ。

少しそうした気持ちが芽生えると、そうした私の思いは徐々に高まって行く。

いずれにしても夫婦関係を維持するのには「互いの努力は必要」と言う事だが、それが妻に無い所が問題である。

実は聖女なんて女性は、男に取ってまったく面白くはない。

所が、男は一度女性を手に入れてしまうと「自分以外には聖女で居ろ」と矛盾した要求をする。

つまり女性の性格の問題ではなく只の男性の独占欲の問題で、そこを「都合良く立ち回れ」と意っても、聖女は聖女、悪女は悪女である。

そう言う事が「在る」とは想いたくないので、「無い物と建前で判断する。」で遣り過ごそうとするのが日本流の怪し気な処世術である。

それには「社会的秩序」と言う言い分も在るだろうが、女性も紛れない人間であり、対する男性の発想は言わばアンカリング効果的な男性固有の発想である。

アンカリング効果は学習効果を自ら阻害するもので、そこに陥(おちい)ると思考が停止してしまうものである。

そう成ると、日頃性に淡白な妻に腹も立って来るし、もし実現出来れば「妻がどうな成るものか」と関心がフツフツと湧いて来る。

おかしなもので、人間は関心を持つとその答えが無性に知りたくなる。

そうした私の心理状態を見透かすように、岩代が繰り返し提案を持ち出すので、これはもうマィンド・コントロールだったのだが、私の妄想は、細君(京香)のサービス行為と合いまって膨らんでいた。

先程から、細君(京香)に咥(くわ)えられている私の欲棒はギンギンに張り切って強烈な刺激を感受している。

脳みその方は、百パーセントHモード全開で、他に意識が廻るはずは無い。

「内の奴にも大胆に出来るのか?本当に上手く行くなら、犯って見るかな。」

「そうです。そうです。人生楽しくなりますよ。」

妻との性交に飢えていた私には、「人生楽しくなりますよ」は魅力的な誘惑だった。

細君(京香)の手が今一度私の手首を引くと、指先は花弁を押し分け濡れそぼった中へと潜り込んだ。

相変わらず私の欲棒のカリ首は、チュパチュパと細君の唇で絞り上げられている。

「奥さんは利巧な方だから、その場に成れば自分で考えます。」

岩代が自信タップリに言っているが、彼は「妻を観察していた」と言うのか?

いずれにしても、性癖は夫婦で共有すべき物で、性癖まで夫婦間でさえ隠して「建前」で処理して暮らしていて、良い夫婦生活が送れる訳が無い。


それにしても、細君(京香)のおシャブリが脳みそを突き上げる快感に成って、気持ちが良い。

この状況でまともな思考が出来るとは思えないが、素っ裸の妻が怪しい表情をして腰を使っている状況が脳裏に思い浮かんで来て、それが実現するような気分にも成る。

私に言わせれば、男女の出会いは偶然から起こるもので、そんな事に順番は選べない。

今時真剣交際に到る年齢まで性交経験が無い方が珍しく、男と女は出会う前の互いの異性遍歴は問わないのがルールである。

だから例え出会う前に相手が誰かと性交をしていたからと言って、そんな事に拘(こだわ)っては恋愛も出来ないし人生など遣っては行けない。

理想を言ってしまえば、人生の裏も表も夫婦一緒に渡れば気兼ねなく遊べる。

大切なのはその夫婦の信頼関係で、少し考え方を変えれば遊びの性交に嫉妬するのは「小さい男」かも知れない。

つまり犯った犯らないはあくまでも感性の問題で、只の独占欲に拠る嫉妬心(しっとしん)に過ぎないのである。

確かに、妻は利巧な女だから状況も雰囲気も読んで大人の対応が出来る女だから、下手な行動に出る事は無いかも知れない。

妻は私に対しては甘えがある行動出来るかも知れないが、キッチリ屋のA型気質で他人相手には自分への評価を気を使う方だ。

多少見栄っ張りで自分を良く見せたい性格だから、案外周囲に追い込まれるとその気に成りそうではある。

と成ると、妻がそうせざるを得無い状況と雰囲気を作れば良い事になる。

ああ言う女は、「自分で最終決断をした」と言う事なら、納得してこちらの思う壷に嵌(はま)るかも知れない。

「どうです、所長。奥さんの躾(しつけ)、挑戦してみようと思いませんか?」

岩代の悪魔の声が、私の耳元で囁いた。

私の方は細君(京香)のおシャブリ口撃で、脳みそはH本能が満杯だった。

「ウ、ゥゥ、内の奴に、ウッ、これが出来る様になるなら、させてみたいさ。ウ、ウゥ。」

本音の所、私は深く考えて返事をした訳ではない。

単純に妻の消極的な性的サービスに不満があっただけだ。

他人(ひと)に見られている所で他人と性交を犯るなんて、ど肝を抜かれる破廉恥(はれんち)な事は妻には想像も着かない事である。

しかし妻のあの性に固い考え方を「何とかしなければ成らない」と言う気持ちは在った。

そしてそれは、相当なインパクト(衝撃)のある事でないと、何とも成らないと予測された。

想像力が無い人間は今日しか創れないが、想像に柔軟性を持つ者は明日を創る。

クレバー(賢い)に少し考え方を変えれば夫婦生活に幅が出来て、日々に飽(あき)きが来ない。

だいたい、「嫌らしい」とか言って男の性癖やビジュアル(視覚的)感性を理解出来ない定番の技の定食女が、良い女に成れる訳が無い。

夫婦の間で「嫌らしい」も「恥ずかしい」も無いもので、精一杯嫌らしく曝(さら)け出して相手を愉しませてこそ夫婦ではないのか?

それなら思い切って妻を落とし入れ、否応無く経験を積ませる環境に追い込んで見るのも手かも知れない。


「良し、話は決まった。奥さんの事は、俺の言う通りに進めて下さい。俺達、良いパートナーになれそうですね。」

しかし岩代は、私が「応諾した」と勝手に決めてしまった。

勝手に決めて置いて岩代に「本気ですね、」と私は念を押された。

いずれにしてもここに到っては、岩代の提案から「逃げられない」としか考えられない・・・・・

何となくでは在るが、上手く事を進めれば岩代の計画も「可能ではないか」と、私は思い始めていた。


直面する感情に囚われずに冷静に考察すれば、人にはそれぞれに縁(えにし)が有り、その縁(えにし)が他人と言えども強い絆(きずな)に育つ事がある。

それが夫婦の成立だったり何かの仲間成立だったりするのだが、その最も現実的な絆(きずな)が、古来、肉体的な繋がりを裏付けとした誓約(うけい)なのである。

詰まる所、歴史的に見れば組織内で「何が信用出来るか」と言えば肉体的な繋がりで、現代でも典型的なのが上司と部下の関係にある職場不倫型の誓約(うけい)である。

上司は組織内に気が許せる絶対的な相手が欲しいし、部下は組織内で安住(安心)するには力の有る頼り手が必要である。

誓約(うけい)は本来、相手の「情」を求めない「善意の性交」と割り切ったものでなければならない。

つまり本来の目的は愛情ではない繋がりであるが、秘するものだけに現実から目を逸(そ)らしたロマンチックな事を望む為に、愚かにも誓約(うけい)である筈の職場不倫が「勘違いの情」に発展し、修羅場に成る。

それもこれも、現代人が私権主義の建前の倫理観と独占欲に縛られてそこから抜け出す発想が無いからである。

「嫉(そね)み」とは女が疾(わずらう)事を表し、「妬(ねた)み」とは「石のような女」と言う意味で妬(ねた)みと書く。

その二つが合わさって嫉妬(しっと)が生まれる。

そして男が嫉妬(しっと)すると「女々(めめ)しい」と成る。

正に、性愛に於いての肉体的独占欲を象徴する言葉が、嫉妬(しっと)なのである。

そこで問題なのが発想の基点である。

表面真面目にしていても、どうせ浮気心は誰にでもあり「倫理、倫理」と遊びの性交を問題にするが、性交を倫理と結び付けるのはある種の防衛手段で、言わばカップルや夫婦の枠を壊さない為の約束事項である。

それならば影でコソコソ犯って大揉めに成るよりも、大人の考え方で遊び相手を含めカップルや夫婦の枠を壊さない工夫が合意されていれば、その方が利巧である。

フト、私がそんな気に成ったのは、岩代夫婦の卑猥奔放(ひわいほんぽう)な学生達との遊びに巻き込まれたからかも知れない。

とにかく岩代夫婦の遊びは衝撃的で、私のその後の判断の基準が見事に変わってしまったのである。


「石のような女」と言う意味で「妬(ねた)みと書く」と言ったが、自分が何も努力しないで居て、勝手な事を思うのが「妬(ねた)み」である。

つまり、詰まらない女ほど自分勝手に自分の不勉強はそっち退(の)けで他人を妬(ねた)んで生きている。

男の本質を知らない女ほど、詰まらない女は居ない。

それでいて男に女の感性を「押し付けて事を済まそう」と言うやましい考え方で、生きているのである。

そんな態度の妻に、私はもう逃げ場など作らない。

今少し男の感性に気を配り、薄っぺらいプライドを捨てれば、妻のような女は魅力的に成る筈だ。

第一、「愛の無い性交など想いも拠らない」と言うが、人間の感情なんて好い加減なもので、立場が代わってしまえば他人の亭主だろうが人妻だろうが、明らかにその夫婦に性交暦があるのにまったくそれは問題には想わない。

つまり燃え上がった感情には、性交暦や昨夜犯って居ようが問題では無く、あえて言えばそれだからこそ他人の亭主だろうが人妻だろうが奪い取る。

理屈から言えば本来さほど問題にするべき他人との性交を、手に入れてしまえば豹変し、「相手が性交する事を許せない」とすれば、それはやはり只の嫉妬に過ぎない。

とにかく人間の行動や感情は、理屈では割り切れない。

人間が刹那を生きる動物なら、その刹那を遊びの性交で愉しむ事が悪なのだろうか?

「私にはそんな事は犯れない」、「私は嫌だ」は、あくまでも気分の問題で、犯って確かめた訳ではない。

しかし、犯って見ないと判らない事を、想像だけで「嫌だ」と決め付けて良いものだろうか?

答えは簡単で、好感を持っての浮気への戒(いまし)めなどは夫婦や家族と言う社会性の縛りであるから、夫婦同意の遊びの性交はそれと混同する性質の物ではない。


凡人とは、「凡(おおよ)その人」の事である。

真面目な凡(おおよ)その人間は今日しか創れないが、はみ出し者は明日を創る。

知らない世界を、犯っても見ないで常識を盾に否定し続けるだけでは、凡(おおよ)そ知的な対応とは言えない。

そして結局犯るのであれば愉しむ気で掛かるべきで、自分で気分を抑えてもろくな事は無い。


世の中には愛情と独占欲を混同する人種が多過ぎる。

愛情と独占欲には微妙な違いがある。

処が、世の中の男女の殆どが愛情と独占欲を混同して「それが正しい」と勘違いしている。

それは思考が固まり過ぎてはいないか?

「愛情は性的繋がりでは無い」と理想を言いながら、パートナーが別に性的行為をする事を極端に恐れる。

実はパートナーを「取られないか」と不安なのである。

嫉妬は独占欲に起因し、それに気が付かないから望まない不慮の犯罪に合ったくらいで被害者なのに強姦された相手(妻や恋人)が赦せなくなる。

本来、そうした精神的愛情を伴わない行為は唯(ただ)の事故で有るから、独占欲的な嫉妬心を持つべきではない。

「愛は複雑」と言えばその通りだが、与える愛もあれば受け入れる愛もある。

そして、本来無条件と思える愛が、実は条件付だったりするから愛にすれ違いや誤解が生じる。

つまり、愛の形態は一つではなくあらゆる愛の形態が存在する。

違いがあるから、それぞれの人格が成立し、それぞれの人生に成る。

それを、「型に嵌(は)め様」とするから矛盾が生ずる。

建前を話す者は、見栄えは美しいかも知れないが、実は本物の中身はない。

「戦争も事業も、映画みたいに格好の良いものじゃない。」は、岩代の口癖である。

例えばだが、昔、「夜這い」を公認していた村落内には性的な事件は起き難かった。

この場合、親や亭主は「夜這い」を拒(こば)め無い約束だったが、その代わり村落まんまる身内意識で、平和だった。

元々昔の村落は娯楽に乏しい。

唯一修験が布教した神事が楽しみなイベントだった。

だから全国的に性交を「お祭り」と表現する表現が残った。

性交は新しい命を生み出す「神事」なのである。

神事に独占欲や嫉妬心はありえない。

つまり日頃から精神と肉体に線引きをして自由な性生活が送られていた事が、この種のトラブルの芽を摘んでいた。

純粋に真面目に生きると言う事も、質と方向が違えばこれは充分に理解出来る事である。

俗な言い方だが、社会常識や倫理観など「そう言うものだ」と慣れてしまえば、それだけのものである。

この様に考え方が違うと、また違う社会環境が出現する。

愛情を伴わない性行為は、娯楽として「互いに大いに楽しめば良い。」と言う理解が成立していたので有る。


神がくれた感覚に触感がある。

それは霊長類が特に優れ、たとえば「くすぐったい」と言う感覚は、脳の発達した霊長類のチンパンジーや人間にしかない。

脳が感じさせると言う事は相応に目的が有り、その主眼は異性同性の別なき同種内の友好にある。

通常くすぐられても笑いながら「何をする?」で、怒らない。

つまり「くすぐったい」はコミニュ・ケーションの方法である。

この触感によるコミニュ・ケーション手段は、脳が互いに共感する様に出来ていて、握手、手を握って歩く、腕を組む、抱擁(ハグ)接吻などはこの「共感する効果」を目的としている。

実は「共感する効果」を最大に感受出来る様に設計されているのが、一連の性行為である。

つまり、この「共感する効果」と「精神的効果」が一体となって「性感」と言うものになる。

「性感」は、種の継続的保存をする為に神が「性行為の結果」として与えし物であるが、二次的には「共感する効果」と言う最大の信頼関係は性行為によって構築される。

岩代の狙いは、独占欲を排除した「共感する効果」として、性行為の形に拠るコミニュ・ケーション手段で、信頼関係の構築する事だった。


それから私は、岩代の細君(京香)にサービスを受けながら、妻の躾(しつけ)を始める作戦を聞いた。

独立の話に連携して、妻に竹中との性交を「自ら納得させよう」と言う周到な計画で、言わば、今回の融資を引き受けた竹中氏の協力を仰ぎ、妻を「後に引けない所に追い込もう」と言う作戦だ。

岩代が言うには、妻が本当に納得して居無いと、後がグズグズに成って、始末に負えなく成ってしまうそうだ。

こちらは細君の口攻撃に快感に襲われながらの話し合いで、頭の中はHモード全開だから、半ば妻の痴態を想像した光景ばかりが浮かんで来る。

いずれにしても夫婦関係を維持するのには「互いの努力は必要」と言う事だが、それが妻に無い所が問題である。

彼が言うに、この年まで普通に生活して来てからでは、妻の里美をその手の躾(しつけ)に持ち込むには、話で説明して納得させるのは難しい。

つまり、説得をするより「止むを得ない事情」で決心する様に、気持ちを追い込む方が「話は早い」と言う。

その、止むを得ない事情は、二人が独立すれば色々と発生する。

彼の持論では、女性は「納得出来る理由があれば」意外と思い切った事が出来るらしい。

環境が変われば、心得方が違うのは当然の心理ではある。

つまり、「納得出来る理由」を作ってやれば良い訳である。

この、本来ならおよそ人間の真実とかけ離れた性に対する自制心を、「正しいもの」としている背景には、「社会的な枠組みの維持」と言う、本能とは別の事情がある。

英語で言う本当のリホームの意味は、住宅の改築や洋服の仕立て直しではない。
人間を改良する事を言う。

「人間形成的リホーム」と言うと「大袈裟だ」と思われるが、「既成概念の破壊」と言うやり方で我々のガチガチに固まった 「日本人」 を崩す必要がある。

正しい性本能の対処を身に付けようとすると、凝り固まっている日本人としての嫌悪感に満ちた性への偏見、隠蔽(いんぺい)的な性に対する習性、独善・独占欲的な愛し方、ほとんど全てにリホームを試みねばならないのだ。

結婚して妻を手に入れれば「妻とあれもこれもして見たい」と言う願望は、男の誰にでも有る。

正直な所、安全ならば週刊誌や小説、ビデオ映像の真似(まね)など、妻に色々と試させて観たい誘惑に駆られても、それは普通の男の想いである。

しかし妻と言っても夫の持ち物ではないのだから、幾ら夫婦でも「願望性癖」と言う事が事だけに、妻に自分の思い通りの性行為をさせようと中々「こうしてしてくれ」と言い難い微妙な機微のものがある。

例え言ったところで「拒否されるのが関の山」と言うもので、夫婦合意に至らなければ気拙(きまず)いものに成る。

中々決心が要る事だからこうした他人の力を借りて一気にそこまで持ち込むのも、確かに一つの方法ではある。


その妻を追い込む手順だが、段取りの手始めに妻以外の全員が共謀して罠を仕掛ける計画である。

追い込み劇の主役は竹中氏に成るので、まずは強力要請と段取りの打ち合わせである。

妻の里美を抱かせる計画だから、竹中氏が計画に乗らない筈(はず)は無い。

打ち合わせが出来た所で、独立の融資話を持ち込む振りをして妻を含む四人で竹中氏を説得に行く。

竹中氏の芝居で難航するその席に妻にも同席させて、酒席の相手をさせて少しずつ追い込みを謀る。

その時に、どうせ岩代の細君(京香)が、以前約束の「三回目のお楽しみのお相手」を果たすが、二時間後に迎えに行った時に、わざと玩具(おもちゃ)にされている岩代の細君のあられもない姿を、妻に目撃させる。

しかしそこまでしても、あらかじめ打ち合わせておいて、その日は竹中氏の色好い回答は得られない。

二度目の交渉にまた四人で行き、この接待が成功しなければ、「融資は決裂する」と言う状況の中、難色を示す竹中氏の融資の見返りに、私の妻の里美を、接待相手として強行に指名してもらう。

前回の京香の身体を張った姿を見せられて、里美がいくらかでも責任を感じていれば、しめたものである。

あらかじめ妻以外が全員示し合わせて追い詰めてしまえば、妻は逃げられない筋書きだ。

そこで少しでも拒否に迷いが有る様なら「脈有り」だから、有無を言わさず、三人で妻を素っ裸に縛り上げて観念させ、「二時間ほど竹中の爺さんに預けて来る」と言う手荒い計画だ。

「竹中に犯らせてしまえばこちらのものだ」と岩代が言うのだが、妻の性格からすると、案外行けそうな計画である。

「ウッ、アッ、ウゥ〜ン」

この時はもぅ、細君にシャブられた私は半ば上り詰めていて、脳が快感の波状攻撃に晒(さら)されていた。

「これは堪(たま)らない・・・ウッ。」

そこまで話を進めた所で、私は不覚にもまた細君(京香)の口の中にドクドクと射精していた。

思い切り興奮していたのだ。

それにしても、細君(京香)のおシャブリ・テクニックに、妻を陵辱する幻想の組み合わせは、脳に強烈である。

「必ず成功します。実行しますか?」

「ウ〜ン、方法は判ったが、こちらの連携が上手く行くかな〜ぁ。」

「あらかじめ打ち合わせをして、竹中さんに投資をぐずる芝居をしてもらいます。」

なるほど、投資をグズられれば、妻も必死に接待をする気に成る。

竹中氏にすれば、既に手を打った融資話に、降って湧いた様な美味しいおまけが付く話で、断る可能性は無い。

「そりゃぁ竹中さんでなくても、この話は断る奴は居ないだろう。この計画、行けそうな気がして来た。」

「そうでしょう、もう一人、別の女が夫公認で玩具(おもちゃ)に出来るなら、竹中氏も協力するでしょう。」

あの細君(京香)の現実を見れば、妻を接待性奉仕の愛奴隷として素っ裸のガチンコSEXハイターに仕立てる事が岩代の目論見である。

それでも妻の頑なに閉じた倫理観のドアを抉(こ)じ開けるには、「欲棒の鍵」を挿し込んで輪姦(まわ)すしか手がない。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的で、これは妥協では無く工夫である。

まだ、細君(京香)は発射後の私の欲棒を、口と舌で拭っている。

快感の治まらない私は、その舌の刺激で身震いをした。

ここまで強く勧められては、もう断る余地が無い。

「失敗しないで内の奴をそこに持ち込めるなら、君に任せる。」

「決まりですね。」


性的な肉体支配は、心理的優越感や心理的支配感を満足させてくれ、ある種の愉快感を与える。

理由はある。

人間は脳が発達して、思考も感性も豊かに複雑になった。

その分、その複雑な脳をコントロールして生きる為に、「様々な性的嗜好(せいてきしこう)」を生み出してしまった。

つまり、膨大で雑多な情報を白紙にして、精神的ストレスをリセットする為に、一時的な性的肉体支配或いは被支配が有効だからこそ、それに癒(いや)される。

癒されたい為に、心理的支配感、被支配感が必要で、実はその要素を加味する事が性行為の本質的醍醐味である。

何よりも細君は、見るからに生き々と人生を送っている。

私は、愛しながら、妻を支配したかった。

その躾(しつけ)が、「可能だ」と言うのだ。

岩代夫妻のアプローチに、すっかりその魅力を味わった私はその気になり、妻の変身を強く望む様に成って、その実現性まで信じる様に成って居た。

考えて見れば、細君(京香)のおシャブリ・テクニックで私の頭の中はHモード全開だった。

日頃味わえない性的な快感を味わっていれば、頭の水準がその位置に合わさって、卑猥な計画が当たり前に思える事も、当然なのだ。

近頃私は、良く「空に上る夢を見る」・・・。

フト私は「もしかしたら、この岩代の誘いは運命の誘いかも知れない。」と思った。



翌日の月曜日、夕方何も知らない妻の里美が子供の手を引いて実家から帰って来た。

早く独立話をしようと思ったが、こう言う事は取っ掛かりが肝心で、タイミングと言うものがある。

岩代が提案した独立の件を、「どう持ち出そうか」と思案していた所、お誂(あつら)えの話が、里美の方から出た。

どうやら妻の運命も、「その方向に向いていた」と言う事なのだろう。

「ねぇあなた、いつか話した私の高校の同級生で生島さんて言う女性(ひと)の話しを覚えていますぅ?」

「あぁ、仲が良かったって言う、スレンダーなキミチャンの事だろう。」

「あら、私の友達の事、あなたには珍しく覚えていましたのね。」

普段妻の友人など余り気に留めない私が、キミチャンを覚えていたので、妻は少し嫌味っぽく私を誉めた。

「覚えているさ。お前の大親友だろう。」

いつもならムカツいて嫌味の一つも返す所だが、今日はこちらに「お灸を据えてやろう」と言う計画が有る。

機嫌を良くさせて、妻を計画に引っ張り込まねばならない。

何しろ主役は妻の予定だ。

キミチャン(喜美子)は、中学高校と妻と同じ水泳部で記録を競っていた友人である。

本人は余り関心が無かったが、当時高校生の里美の水着姿は一際目立っていて、追っかけの男の子達も出現したらしい。

高校時代のピチピチした妻の美しい水着姿の容姿からすれば当然の結果だが、何しろミッションスクールで、本人も学校もガードが固かったらしい。


生島喜美子の所は結婚が早かったので、十一歳(小5)の娘と九歳(小3)の娘がいる。

妻の里美が言うに、キミチャン(生島喜美子)は「気が強い女だ」と言う。

私に言わせれば、気が強いのは親友同士ドッコイドッコイで、妻は友人の事など言えた義理ではない。

惚れた弱みで我慢しているが、妻も相当強情で手に余る自己中心的な発想の持ち主である。

それにしても、妻のこの気の強さが発揮されて、まさか私達夫婦の人生を変える事に成るとは、私もまだ思いも拠らなかったのである。

「その、キミチャンがどうした?」

「小田原の駅前で、偶然会ったのです。」

「良いじゃないか、旧友に合えたのだから。」

「でも、後ろからクラクション鳴らされて、振り向いたら、キミチャンがベンツ運転していたのです。」

「久し振りの相手はベンツだった訳か。」

「何か羽振りが良さそうなので聞いたらご主人、不動産屋を自営しているのですって、同じ不動産を扱っていてもやっぱり勤め人は駄目ね。」

独立した生島のご主人が、土地の投機ブームのバブル景気に乗って、しこたま儲(もお)けたらしい。

「まったく、キミチャンお客様とのお付き合いで、ご機嫌取りが急がしいって、着飾ってダイアの指輪見せ付けるの。」

どうやらキミチャンは妻の目に輝いて見えた様である。

妻はその差がショックだったのか、真剣な眼差しで盛んに悔しがる。

この時代、バブルの土地ブームに乗って「にわか成金」が続出していた。

妻は、まるでこちらの目論見に合わせた様に、お誂(あつら)え向きの話題を振って来た。

会社勤めの私への皮肉の積りが、自ら過酷に躾(しつけ)けられる為の「墓穴を掘る」とは思いもしない。

「そうか、やっぱり、サラリーマンじゃ、稼げないものなぁ。」

親友のキミチャンとのライバル心は思ったより強烈で、悔しがる、悔しがる

これなら、上手く独立話を持って行けば、里美もその気に成って罠(わな)に落ちる。

「そうですよ、あなたも頑張ってもらわないと。キミチャンに差をつけられて悔しいわ。」

着飾ったキミチャンの姿を、思い浮かべているかのような顔付きで、まだ、妻が勢いを抑え切れないで居る。

この分では、岩代の罠に簡単に乗りそうな勢いである。

妻は相当悔しかったのだ。

何だこの展開は、妻の結論に到るプロセスを後押しするような天の意志が、私に「犯れ、犯れ。」と働いているような奇妙な気分だった。

こう成ると、天が私の味方をして居るような不思議な気持ちに成るものだ。

それとも、岩代の「気」がそうさせているのか。

人間、やる気に成れば出来ない事など何処にも無い。

「私にはとても出来ない」と言うけれど、実は出来ないのではなく、「やりたくない」だけなのだ。

それは、どんな物にも個人の能力差があるから、やる事に早い遅いや上手い下手はある。

しかし、そう言う成果主義の条件無しにやるだけなら、誰でもトライする事は出来る。

犯りたくない事を、「私にはとても出来ない」と言うのは、卑怯(ひきょう)な言い分である。

いずれにしても、妻は一度お仕置きをされなければ成らない。

また、素っ裸にひん剥(む)いて縛り上げられた里美が、竹中に嬲(なぶ)られている姿が浮かんだ。

それも、脳で考えただけにしては、やけにリアルなものである。

良し、妻の話題を掘り下げて、「もう少しこちらの意図する所を妻に明言させて置こう。」と考えていた。

「なるほど、生島家は順調に仕事をしている訳だな。」

「私は、あなたにもキミチャンの所のように頑ん張って欲しいわ。」

シメシメ話が壷に嵌(はま)って来た。

こうなれば、こっちの計画ラインに誘導、誘導、・・・・。

確かに岩代の言う通り、女性が結論に到るプロセスを大事にするものであれば、引っ込みが着かない所まで話を広げて行けば良い。

「俺も考えて居ない訳では無いけれど、しかしなぁ、独立となると世間は生ぬるい物じゃない。俺にはバックも無い、資本も無い。それに、小人数の独立となると家族の協力も必要だからなぁ・・・。」

喜美子は「妻が夫の仕事を手伝うのは当然でしょ」と里美に笑って見せた。

「それは、私も居るじゃない。そうなれば私だって、一肌も二肌も脱ぎますわ。」

里美は結婚以来専業主婦で通して来たから「夫の仕事を手伝う」何て事は考えた事もなかった。

やはり自分が出来る何かで、夫の手助けをするべきなのだろう。

オッ、自分も協力する姿勢を打ち出して、言うは、言うは、この世間知らず。

今に一肌所か諸肌脱がされ、目いっぱい性交を躾(しつけ)られるとも知らないで・・・・。

「お前、一肌も二肌も脱ぐってそんな覚悟、お嬢様の里美に本当に有るのか?奇麗事を無責任に言われても、なぁ。」

いずれにしても、話を切り出す上手いタイミングである。

これは一気に岩代の独立話を、妻にその気にさせて進めなければならない。

また、竹中の前で裸に剥(む)かれた妻の里美が、大股開きに縛り上げられ陵辱を待つて居る光景が浮かんで、欲棒が硬くなるのを感じた。

「ばかにしてぇ。あたしだって覚悟はあります。それに、親に頼めば一千万くらいなら資金も借りられます。」

「だから、里美は甘いなぁ、このバブル時代にそれくらいの額の金じゃあどうにもなら無い。」

「それなら、どのくらい要るのです。」

「今のバブルに乗って土地で稼ぐには、最低でも元手が二、三億円はかかる。」

「フゥ〜、そんなに掛かるのですか?じゃぁ、あなたが考えても追いつかないじゃ有りませんか。」

ほら、やはり金額の大きさに食い付いて来た。

ここは一度ガッカリさせて希望を持たせる押し所である。

「だから、もう信用して投資してもらう相手を交渉している。俺はチャンと追いつく様に考えている。」

「そんな方が居るのですか?」

妻は即座に興味を示し、身を乗り出して来た。

「ほら、うちの社が地上げしたお客さん、売った土地代金を現金で抱えているだろ。それを投資してもらう。」

「なら、そう言う方に頼めば独立出来るのですか。」

妻は能天気な事に、さも、いとも簡単に出資が得られるかのごとく聞いた。

「お前、簡単に言うが、そうなれば今度は会社と言うバック(後ろ盾)が無いのだから、信用して投資して貰うには、俺だけじゃない、妻のお前も相手に信用してもらわないとならない。」

「それはそうですね、何も無い人に投資するのですから信用して頂かないといけませんね。」

「だから、今までの様に家に居て、私は仕事の事は知りませんじゃあ通らない。一緒に挨拶に行って、妻もこう言う人間ですと頼み込むくらいでなければ、とても投資などしてもらえないぞ。」

「そりゃあまあ、先方からすればそう成るでようね。」

「俺達夫婦に出来るかなぁ?]

決断しかねている風を装い、わざと思案気に妻の出方を伺う素振りを見せる。

「あなた、段取りが出来ているなら挑戦してみません?私はやって見るべきだと思いますけど。」

案の定、私の思わせ振りに喰い付いて来た。

妻が切り込んで来るのはお見通しだった。

「お前、バカに熱心だな、投資するのがたとえ嫌な相手でも、酒の相手とかして、目いっぱい機嫌をとって信用してもらう覚悟があるのか?それなら、話を進めて見るけれど。」

「だって、チャンスは思い切って掴(つか)み取らないと逃げちゃうワ。」

「うぅ〜んお前に色気を振りまいてもらう事もあるだろうし・・・・。そんな事は、お前にさせられないし・・・。」

ここは妻の勢いに乗らない素振りで話しをかわす。

こちらが弱気を見せるほど、妻は積極的に成る。

元々こちらには目論見が在っての話しだから、今の内に逃れられない「念押し」を少しずつ確りやって置く。

妻はその術中に嵌(は)まって行くのだ。

「私、そうなればお酒の相手も遣って見せると思います。」

里美は、鼻息を荒げて言い放った。

ここで言う私が言う「目いっぱい機嫌を取る」は、妻の想像を越えた生易しい事ではないのだが、今に思い知る事だろう。

「そう言えばキミチャンも、お客様のご機嫌取りが大変だって言っていたワ。ヤッパリ個人ともなると夫婦で協力するものね。」

妻なりに勝手に解釈して、納得している風情である。

「なぁ、そうだろう。奥さんの役目も大変で、接待となれば多少色気も必要だし、軌道に乗ったら着る物も宝石も必需品だ。」

「そうそう、色気、色気、キミチャン胸元広く開けて、ミニスカートで決めて居たわ。」

「キミチャンは半乳見せて、太腿も見せる派手な格好をして居たのだろう。最初から意識して男の気を引く気配りをしている。お前は主婦然として、堅物で地味だからなぁ。」

「だからぁ、必要が有れば私だって着飾って、お付き合いのお相手もやって見せます。」

妻が食い下がって来たが、私は内心思って居た。

何が「やって見せます。」だ、投資家相手にお前の甘い考えなど通用するものか、「もろ肌脱いで、股を開いて見せます。」でなければ相手にされまい。

また私の欲棒が硬くなり、竹中の前で裸に剥(む)かれた妻の里美が大股開きに縛り上げられ、陵辱を待つて居る光景が浮かんだ。

今にタップリ思い知らせてやる。

「しかし、一旦独立したとなると生活も変わるし、もう後戻りは出来なくなる。良く考えて決心しないと。」

「後戻り出来なくなっても、始めたら前に進むしかないでしょ。」

「出資者とは信頼関係が大事だから、多少の我侭(わがまま)を言われたからと言って、大切な資金を預かる以上、むげには出来ないぞ。」

「そうですねぇ、相手は出資者で立場が強いですものねぇ。何かと立ててあげないと。」

そうそう、確かにお前が相手を確実に立ててあげるのだ。

ただし、お前が立てる所は決まっているが・・・

目論(もくろ)みがあるから、内心そう言う思いを心で呟(つぶや)いていた。

「子供じゃないのだから、忍耐するところは忍耐する。場合によっては、相手へのご機嫌取りで犠牲にするものも出て来る。それでも後悔しないのか?」

「そりゃあ、今のままと言う訳には行かないのでしょうね。相手の機嫌を損(そこ)ねる訳には行かないでしょうし。」

「そう、そう、お前がそのリスクを自分で選択すると言うなら、話は進める。」

「何があっても後悔しない覚悟は出来ているワ!」

「言っとくけど、お前がケシカケたのだから、独立の資金調達の仕事に後で解決に困った時、尻を俺に押し付けて逃げるなよ。」

「信じ無いのですか?私で解決出来る事は、キチンと私の責任で解決します。」

「そうしてくれ。付き合いも仕事の内だから、お前の気分で相手の機嫌は損ねられないぞ。」

「大丈夫ですョ。だから話を進めて下さい。」

「そりゃあ、お前も子供ではないのだから、下手な付き合いはしないとは思うけど、友達同士の交際とは訳が違う。何しろお前は、余り世間を知らないから・・・」

「そうやって直ぐに子供扱いしますけど、私は大丈夫ですョ、お仕事の交際はその積もりで気は使います。」

良し、良し、妻は完全に嵌(は)まって来た。

これなら、後に引けない状況に追い込んで、こちらの計画で引導を渡せそうだ。

また、大きく股を開いて全裸で縛り上げられ、竹中に嬲(なぶ)られる妻の姿が浮かんだ。

「判った。その覚悟なら話を進めるから二、三日くれ。」

どうしても岩代の細君のあの痴態が、妻のこれからの姿とダブって来る。

岩代の目論みは、まるで予測が付いていたかの様に動き出したのだ。


妻に覚悟を迫ったが、私は岩代のおかげで場合に拠っては離婚騒ぎに成るかも知れない大きな人生の賭けをする事に成った。

今度の事は、妻と人生(仕事)を一度に賭けるようなものだ。

平凡な家庭の妻をSEXマシーンに変身させ、仕事も独立すると言う大博打だ。

勿論失敗すれば妻も仕事も失う。

だが、このまま大人しくしていても、どうせろくな人生ではない様な気がして気分は巡って来た千載一遇のチャンスに思えていた。

他人の稼ぎの為にサラリーで働き、妻とつまらないSEXをして暮らすのは、どう考えても一生の不覚だ。

妻は、地元で「お嬢さん学校」と言われる小田原のミッションスクールに、中学・高校と通った。

貞操観念を植え付けてお嬢さんを作る学校だが、使えない、面白くも無い貞操ぼけ女を作って何が名門校だ。

私に言わせれば建前ばかり教えて、「感性の育て間違いではないか。」と、思えて来る。

それにしても妻の母校は、妻に何を教育したのだ。

実社会で本当に必要な事を何一つ教えないで、本当に「教育」と言えるのだろうか?

ミッションスクールでは食育や体育は出来ても、「性育」はまったく成っていないではないか。

大方微妙な問題なので、触れずに放置して卒業させたに違いない。

この物語の出だしでも記述したが、人間には誰にでも性欲があり、性交の快感は極自然な「神の恵み」である。

こんな簡単な事に気が付かずに「禁欲が尊い」とする宗教系の学校は、それだけで胡散臭い。


その夜妻に性交を誘った。

パンティをずり降ろして、ザラッと言う恥毛の感触と、クニュッとした二枚の肉花弁の柔らかい感触が指先に伝わって来た所で、「里帰りで疲れている。」と拒否された。

一人で留守番させた夫への気配りも、思いやりもまるで無い。

おやつを前にお預けを食らったような気分で、無性に腹が立った。

妻が、東京のある会社の事務員をしていた時に知り合い、八年ほど前に結婚したが、これが如何にしてもSEXには晩生(おくて)過ぎる。

他人が聞いたら噴出しそうだが、何を要求しても、夫相手にまるで色キチガイみたいな目でこちらを見て拒否をする。

妻は、相変わらず私の性的欲求の苛立(いらだ)ちに、まるで気付く気配が無い。

妻の現状を、「このままで良いのか」と言われれば、それは良い訳は無いだろう。

「夫は優しいから、私が嫌なら無理には求めない。」や、「私の夫はそんなにスケベでは無い」と、自分の希望で勝手に決め付けて澄ましているのである。

そして、それでも強(し)いれば、「私を愛して居ないのね。」と成る。

こんな思い遣りの無い態度の妻では、益々岩代の提案に乗りたくなる。

まぁ三十路前後は色気ムンムンの熟れ時期で、大方は「私はそんなにスケベでは無い」などと勘違いしているが、壷に嵌(はま)ればSEX好きの本性は誰にでも在る。

その本性が抑制されるのは、子供を産んで本能的関心が育児の方に傾倒しているからで、本来は一時的な筈がそのままSEX拒否の方向に向かってしまうのは、育児の本能的関心が醒(さ)めないからである。

元々人間の営みには必要なのがSEXで、「不要だから行わない」と言う方が、実は病的である。

SEXは「人間同士の大事なコミュニケーションだ」と言う基本的な事さえ、妻は忌み嫌っている様だ。

岩代が言う様に、妻には躾(しつけ)が必要だった。

それも、強烈な経験を目の前でさせて、「ここまでやってしまえば、一度するのも二度するのも同じ。」と思う位の諦(あきら)めの心境にさせる事だ。

今度の事で思い知らされたが、キミチャンとの対抗意識があれほど強いなら、妻をこちらの思う壺にけしかけるには、この意識は十分に利用出来る。

また同じ私の妄想、妻が竹中の前で裸に剥(む)かれた大股開きに縛り上げられ、陵辱を待つて居る光景が浮かんだ。

ここは行動あるのみで、妻の電話帳を内緒で調べ、明日にでもキミチャンに電話をして「独立するには内助の功」とか自慢させて上手く煽(あお)らせよう。


岩代の独立の誘いは、ほのかな背徳の香を漂わせ、一生地味に真面目に生きるのか、この転機に掛けるのか、私の決断が必要な分かれ道だった。

正直男は、誰だってこう言うエロチックな妄想の誘惑には弱いものである。

「妻を巻き込んで、独立の話に乗る。」

この決断をした私の事を「非常識」と言われそうだが、常識の中からはけして「奇跡」は起こらない。

妻の常識を根底から覆(くつがえ)すには、相応のショックを試(こころ)みる必要を感じたのだ。

女性がその「理性」で完ぺきに生きようとすれば、自分も周囲も行き詰まってしまう。

そんな「理性」は女性の独り善がりのプライドを満足させるだけで、ろくな結果には到(いた)れない。

人間、生きるのにそうプライドに拘(こだわ)って頑張らなくても良い。

何事も独り善がりのプライドで「頑張ろう」とすれば無理をしたり負担に成る。

思慮分別は人生を安全にはするが 往々にして幸せにはしない。

賢明な思考よりも慎重な行動が重要で、ロマンスは夢に過ぎず冒険は現実である。

生きていれば色んな事態に遭遇するのだから、妻は既成概念に潰されたら一生平凡な人生を送る事に成る。

妻は物事を「理性」で考えてしまうから性を誤解して嫌悪感を抱く。

夫の私がとやかくは言えないが妻には冒険が必要で、岩代に誘われた「ここがその出発点」と思うのである。

私の頭の中で、先ほど来の妄想の誘惑が膨らんでいた。

夫のリード(主導)に拠る婦人の性修行行為は、大ヒットしたフランス映画のエマニエル婦人シリーズの様に、毎回エマニエルが夫の命令で性的冒険をさせられる物語に成って居る。

人間は、色々な出会いと経験を通して成長する。

夫婦合意の上の性修行行為は、説明こそ出来ないが確実に他では得られない「何か」が得られるアイテムである。

つまり文学や映像に成るのだから夢物語では無く、一種の夫婦合意の上の代表的な遊びの性癖として世の中に存在する。

こうした夫婦合意の上の性修行行為は、アドベンチャー(冒険)的要素を愉しむ非日常のシーンとしてその存在は密かに認められてもおかしくは無い。

こう成ったら、周到に事を進めるしかない。

岩代とも打ち合わせて、二世帯合同で仕事を独立する事に妻を納得させる事から始めよう。

この時点では、岩代は「少し身入りの良い金儲けの手段を考えている」とばかり思って、彼には別のある野望がある事など、私は知る由も無かった。

その時私は、大変な一歩を歩み出そうとしていたのだ。


(陵辱計画)
蒼い危険な賭け・京香◆
第五話(陵辱計画)


翌火曜日の朝になって、岩代と打ち合わせをした。

話せば話すほど、岩代は不思議な奴だ。

何か特殊な能力があるような気がする。

「実は、カクカクシカジカで、思わぬ話題が妻の方から入って来て、里美とも独立話しが上手い方向に話が進んでいる。」

「そうですか、所長の奥さんに対する不満も、直感でそんな気がしたのです。奥さんがその気に成れば、奥さんの躾(しつ)けの事も強行して大丈夫でしょう。」

岩代は直ぐにでも妻の躾(しつ)けが始められそうな自信タップリの口調である。

「本当にそう思うか?」

「えぇ、奥さんには俺が気を送って、環境がそう進む様にしますから、大丈夫です。」

「気を送る?」

「まぁ、信用して任せてください。」

岩代が、奇妙な言葉を持ち出し、不思議な事を言う。

岩代の自信が影響してか、私も何時の間にかその気になっている。岩代には伺い知れない力があるのか?

「早速、今から竹中さんの所へ、打ち合わせに行きましょう。夜は、京香と四人で独立の話も決めてしまいましょう。」

岩代は事を一気に進める積りだ。
私は、多少の危険を感じたが、妻への性的不満の解消を、岩代に賭ける事にした。

二人で竹中家に出向くと、娘さんが応対に出た。

「あら、岩代さん、今日は所長さんも御一緒ですか?」

順子と言う三十歳位の娘だが、以前会った時よりも大分雰囲気が良い。

私が買収交渉に通った当時は、私の顔を見ても口も利かなかった。

ほんの僅(わず)か前に、親が押した判を撤回させ様と事務所に来たので、私も面識がある。

勿論、判は貰ったが、屋敷の取り壊しにはまだ時間がある。

用地一帯の買収が片付かないと、本格的な工事には入れない。

竹中邸の取り壊しは、現在近隣の買収交渉のの「進捗(しんちょく)待ち」と言う所である。

まさか岩代が、娘の方にも特別なサービスをしたとも思えないので、こちらは岩代の何が気に入ったのか?

ともかく、順子は随分慣れ慣れしく成った。

話を聞くと、婚約が決まって会社から渡した手付金の一部、五千万円を受け取ったらしい。

今は、都内の婚約者の家に居る事が多く、竹中氏も「いずれそちらに引き取る」と言う。

この譲渡で、返って生家から離れる踏ん切りが付いたので、今は「良かった」と思っている。

その娘が話すに、この古い屋敷には「座敷童子(ざしきわらし)が居る」と言う。

小さい頃から、「足音や声、姿も見た事がある」と言う。

「やはり、感じましたか。」

「えぇ、長い事一緒に暮らしていました。それが残念で。」

「どうでしょう、その座敷童子、私が東京のお宅の方へお連れしたら、お父さんの投資のお話賛成してくれますか?」

岩代が、竹中の娘に奇妙な申し入れをした。

座敷童子は出会った人に「幸運をもたらす」と言い伝えられている。

「えぇッ、そんな事が出来るのですか?今では唯一の心残りなのです。」

驚いた事に、岩代は娘さんとも良いコミュニケーションが取れている。

「そうですか、お手伝いが出来ると思いますので、明日こちらから東京のお宅までご一緒させて下さい。」

「それが出来たら、岩代さんを信用します。」

「そしたら、明日お父さんと三人で一度、座敷童子(ざしきわらし)を送って行きましょう。」

話の内容が突拍子もないので私は驚いたが、岩代は自信満々だった。


竹中氏は、私が接していた頃からするとまるで対応が違う。

岩代を全面的に信用している様だ。

まぁ、私も細君の奉仕テクニックに骨抜きにされた方だから、他人の事は言えない。

娘さんが嫁ぎ先の家に帰ったので、改めて竹中氏と今後の打ち合わせをした。

岩代が言うに、男は妄想(もうそう)の生き物で、女は感性の生き物だそうだ。

女性は周囲の雰囲気に感性で入り込むものだから、私が岩代の誘いに拠って妄想(もうそう)した事を妻に実行させるには、妻の感性を周囲の雰囲気誘導する事で怪し気な気分にさせる事である。

「それじゃぁ竹中さん、二人で伺(うかが)った本題に入りますか?」

「ハテ?出資の件なら、引き受けた筈(はず)だが?」

「いぇ、実は独立となると内の京香だけでは手が足りなく成りそうでして。」

「足りないと成るとそれは困るな。」

「それで所長の奥さんをもう一人、竹中さんの御協力を得て育成しょうかと思いまして。」

岩代が提案した出資の件も、竹中氏は既に了解する勢いだったが、私の妻の「仕付け計画」の事を持ちかけると、この唐突な提案に直ぐに乗って来た。

「そうか、投資をすれば所長の奥さんにも楽しませて貰えそうで、期待出来るな。」

「えぇ、愉しませるのが接待の役目ですから、所長の奥さんも鍛えねばなりません。竹中さんも期待していて下さい。」

細君との事があるから、この新しい陵辱(りょうじょく)話を竹中氏もまんざら冗談とは受け取らない。

竹中氏の投資話にかこつけて妻を抗えない様に追い込み、世間と性を仕込みたいから、「その仕込み役を引き受けて欲しい」と告げたのだ。

「そう言う事ですから、是非竹中さんにも協力を頂いてその仕込み役のお役目をお願いしたいと・・」
岩代が、妻の性に対する態度と、私の物足りなさを理由に竹中を口説いた。

「そうかね、そう言う残念な奥さんなら少しお灸を据えた方が良いかも知れないな。しかし、後々のトラブルは御免だぞ。」

腕を組んで聞いていた竹中が、もっともらしくそう言った。

「夫の私が依頼しているのですから、トラブルは大丈夫です。構いませんから、ジックリ妻の体に教え込んで下さい。」

「それはまぁご亭主がそう言うなら、わしには責任が無いが・・・」

「亭主が薦めている」とは言え、れっきとした強姦話のようなものである。

竹中が納得したように口篭もりながら応えた。

「そうですそうです、話して判らなければ、奥さんの肉体(からだ)に教え込むしかないでしょう。」

「すると、わしは芝居をすれば良いのか?」

「えぇ、最終的には所長の奥さんの貞操と引き換えに投資を承諾すると言う筋書きで・・どうです引受けてもらえますか?」

「わしが、そんな旨(うま)い話を断る訳がないだろう。所長は奥さんを私に抱かせて本当に良いのだな。」

「大丈夫です。所長もすっかりその気ですから。兎に角、独り勝手な奥さんにキツイお灸を据えましょう。ねぇ所長。」

「う〜ん、そうだな。この際亭主に不満ばかり抱(いだ)かせたあいつにはお灸が必要だ。」

私の相槌(あいづち)に、すかさず細君(京香)も煽(あお)りたてる。

「そうよ、旦那さんも満足させないなんて奥さんは、確り仕込み治(なお)さなくっちゃ。」

まったくその通りで、その時には「妻には荒療治が必要だ。」と、私は本気で思っていた。

兎に角、現状の夫婦の貧しい性生活を今後何十年も続けるのは、私には堪(たま)ったものではない。

岩代夫婦の卑猥なアプローチに、抑制的(よくせい)だった私の姓意識は吹っ飛んでいた。

先程から、脳裏に妻が拘束されて竹中に犯されて居る情景が想像され、脳の理性はかき消されている。

皆で結託して、「愛しい妻に卑猥(ひわい)なお仕置きをする・・・・」、私は、この恥遊技計画を話しながら、股間が硬く反応しているのを感じた。

「所長の奥さんは抵抗出来ないように素っ裸にして、後ろ手拘束縛りに転がしますから安心して犯っちゃて下さい。」

「据え膳にして犯り放題と言う訳か・・・所長も思い切ったな。」

こうした計画は、妄想がドンドン膨らんで、もう歯止めは掛からない。

「えぇ、構いませんからお好きに犯っちゃって下さい。」

何時(いつ)の間にか私は、岩代夫婦と一緒になって竹中を煽(あお)りたてて居た。

冷静な考えで竹中の場合は、出資者と成るからにはどのみち折に触れて妻が接待する機会も多い筈(はず)だ。

取引に関わる上客を豪華フルコースの贅沢でもてなす習慣は、古(いにしえ)より洋の東西に関わらず存在した。

そして妻の仕事は、竹中のような出資者に細君のような性接待が出来る様に成るのが筋だった。

最初から後腐れの無い只の遊びが前提で素っ裸の美女を宛(あて)がわれて、どんな性癖の我侭(わがまま)も受け入れての、至れり尽くせりの性接待を受けて怒る男など居ない。

接待としてはこれほど完璧なものは確かに考えられないのだ。

岩代が言う通り何かの答えを決めるのは「どれが大切か?」と言う軸足選択の問題でである。

性接待もビジネスの代償或いは謝礼として単なる仕事と割り切れば、確かに純粋に真面目に生きると言う事も質と方向が違えばこれは充分に理解出来る事である。

「まぁ、所長のその奥さん(里美)に根性があれば犯られ通せる筈だな。」

「大概の女性はイザトとなれば、犯り通しますよ。」

「そこの所は、所長のその奥さん次第だがな。」

「上手く仕込めたら、時々妻と皆で遊ぶ時に竹中さんにも出資者として仲間に入って楽しんでもらう予定です。」

「それなら決まりだ。岩代君から所長の所の奥さん(里美)は凄い美人と聞いている。こりゃ楽しみだ。キツイお仕置きと行くか。」

「まぁ、出資をして頂くのですから、竹中さんには多少良い思いもして頂かないと。」

「岩代君のそう言う律儀(りちぎ)な所が、信用出来るのだ。」

「ハハ、大丈夫です。奥さん(里美)を確り追い込んで、竹中さんの前に素っ裸に縛り挙げ、股を開いた奥さんを転がして見せますから。」


岩代を誉めていた竹中が私に念押しをして来た。

岩代と細君の事があるから、この話も頭から信用している。

「しかしなぁ、所長も思い切った事を、奥さんにさせる気に成ったものだ。」

「いえネ、自分の女房にいたずらする位、他人様の子供に手を出す様な奴らより余程良いと思いませんか。」

「そりゃあ、嫁さんにする分には、子供やアカの他人にいたずらする犯罪よりズット上等だが。」

一瞬そう答えて、それから、「人間を長くやっていると、思わぬ幸運が舞い込む物だ。ハハハ。」と竹中は笑った。

「まったく、内の奴の勘違いには参(まい)っています。この計画が上手く行って、少しは世間が判ると良いのですが。」

「まぁ人は迷いながら生きるものだ。時には後ろから押してやる事も必要だ。私も一役買おうじゃないか。」

私の愚痴に竹中はそう応えた。

そうかここで一押ししてやらねば、私達夫婦は不満を抱えた仮面夫婦のままに成るかも知れない。

「それで竹中さん、所長の奥さんですから一応避妊はしてやって下さい。」

岩代が、念を押した。

「いぇ、大丈夫ですから生で犯って結構です。」

私が慌てて口を挟(はさ)む。

事が事だけに、いざと言う場面でモタモタするのは返って失敗の元である。

「え、生で良いのか?」

「病気の心配がなければ構いません。内の奴は避妊の心配は不要の身体ですから、清々生で犯って結構ですから。」

「旦那さんがそう言う事なら、生で犯らして頂くか・・・」

「それは、心配が無くて良いですね。」

岩代が、愉快そうに口を挟んだが、実は、妻には妊娠の心配はない。

妻(里美)は長女を出産した後、残念ながら子宮外妊娠で第二子を失い、不妊症に成って居た。

岩代は彼の鋭い嗅覚で、妻に妊娠の心配が無い事を察知していた。

いゃ後で考えたら、嗅覚では無い何かが岩代に合ったのだが、この時点ではそうとしか考えられなかったのだ。

根本を言えば、「それが、幸か不幸か」などと言う受け止め方は、人間の脳が発達して、余分な知恵が着いたから思うものである。

夫婦としては手放しで喜べるような事ではないが、接待には好都合な条件を、天が妻に与えたのかも知れない。

予定している二回の説得工作の筋書きを、私はワクワクしながら竹中氏と綿密に打ち合わせて竹中家を辞した。

しかし、一人の真面目な人妻を、夫の依頼で性的に仕込もうと言う、猥褻で実現可能な計画を大の男が三人ですると、異様に盛り上がる。

三人とも、いたずら小僧が何か企(たくら)むように、それは熱心だ。

「せいぜい難癖を付けて、心理的に追い込んでください。」

「それじゃあ、岩代君の細君の様に、縛り上げた所長の奥さんを犯って良いと言う事だな。」

「えぇ、裸に剥(む)いて大股開きに縛り上げ、身動き出来なければ嫌も応もないでしょう。」

思惑は一致していた。

その日確かに、妻の意志に関係無く何が降りかかろうと知った事が無い連中で、その後の筋書きが既(すで)に決まった。

私などは、妻の縛り上げられた全裸姿に竹中の欲望が挿し込まれるのを想像して結構に勃起しながら話をしたが、他の二人はどうだろうか。


夕方帰宅すると、妻が「キミチャンから電話があった」と報告する。

実は今日の午前中、「妻に駅前で出会った」と聞かされて、「用は無いが、つい挨拶の電話をする気になった。」と、理由をこじつけて電話をした。

妻をその気に煽(あお)らせるのがこちらの目的だから、「実は独立話がある。私から電話が在った事は伏せて、自営業の内助の心得を教えてやってくれ。」と依頼した。

勿論、こちらから誘導して、酒席の付き合いなどの話題も引き出して「先輩としてアドバイスしてくれ。」とキミチャンをその気にさせた。

キミチャンはまんまと嵌(はま)って、思い通りに妻に独立を煽(あお)る電話が在った様だ。

キミチャンからの話題がそちらに触れれば、妻の方も関心が在るからその話題で長電話に成り、「独立したら、ヤッパリ内助の功ね」と、判った様に私に言った。

「さぁ、イザとなると、その内助の功が本当にお前に出来るかなぁ?」と挑発した。

「あたしだって大丈夫よ。キミチャンに出来るのですもの。」

妻は対抗心剥(む)き出しに、言って見せた。

少しずつ手繰(たぐ)り寄せるように、罠の口が引き絞られて行く・・・。


夜に成って、予定通り岩代夫婦が独立の話で尋(たず)ねて来た。

「奥さん、四人で力を合わせて、可能性に挑戦して見ませんか?」

岩代が、自然な雰囲気でそう妻に切り出した。

段取りの通りに妻が独立話に乗れば、竹中氏の所に連れて行って素っ裸にヒン剥(む)いてしまう事になる。

この企(たくら)み、本人の同意が無ければ例え夫婦間で仕掛けた事でも唯の虐待になる。

例え打つ手無しの状態に追い込んでも最終的には本人に「犯る」と言わせなければ成らない。

それほど深い打ち合わせが私と岩代夫婦の間で出来上がっているとは、妻はつゆ知らない。

出資をしそうな竹中氏の担当が岩代と聞いて、一緒にやる事に妻は直ぐに賛成した。

「そうですね、未来の為には挑戦しなければ始まらないものねぇ。」

それから四人で酒を酌み交わし、まずは竹中氏の融資を得る為の説得成功が、「この事業に踏み出す第一歩だ」と三人掛(がか)りで妻に刷り込んだ。

ここでも岩代から、わざと「奥さんは経験が無さそうだからどうかな?」と言う接待経験の無い妻を危ぶむ話がされ、妻が「やって見せる。」と見栄を切った。

わざわざ「生島喜美子に電話をした成果」と言う私なりに考えた作戦も覿面(てきめん)である。

どうも昼間のうちにキミチャンに、相当電話で独立話しを煽(あお)られたらしく、独立して成功している友人夫婦の事を口にして、妻も相当入れ込んでいる。

「戦争も事業も、そんなに格好の良いもんじゃない。」は、岩代の口癖である。

「そうでしょうね。格好良くばかりには行かないでしょうね。」

岩代の方には目論見があっての事だが、妻は一般論だと思っているから上機嫌で岩代に合い槌を打っている。

岩代は、「奥さんが本気なら、信じましょう。」と念を押した。

岩代が言うにその気のない者に無理強(むりじ)いはご法度で、こう言う事にはモチベーション(動機付け/犯る気)が大事だから、それには追い込んででも「妻本人の承諾意思が必要なのだ」と言うのである。

妻はこの企(くわだ)てが、自分を性的に仕込まれる立場に「追い込む為の陰謀」だとは知らないから「今日はお酒が美味しい。」と、いささかハシャギ過ぎに見えるほど上機嫌で、酒を飲んだ。

妻なりに場を盛り上げようと気を使ったのだろう。

「さぁ奥さんは、これからは忙しく成るよ。」と岩代は言った。


最初の竹中氏説得日は、三日後の「土曜日の午前中」と決まった。

小学生の娘が居るから、その娘が学校に行っている時間が安心して使える。

妻は興奮気味で帰宅したが、「岩代夫婦は、思ったより感じが良い」と感想を述べ、暫(しばら)くすると[眠いから」とサッサと寝床に入って寝てしまった。

良い話で興奮したのなら、夫婦の営みに発展したとて良いではないか?

その発想その感覚がこの女にはない。

妻の寝顔を見ながら、私には「今に見ろ、少しは増しに仕込んでやる」と、沸々と加虐心が沸いて来た。

やはり、ヒィヒィ言う位責め上げて、性感度が良い従順な女に仕上げなければ、私のこれからの人生は真っ暗である。

それほど、男として妻に対する性の遺恨が強かった。



昔から、「江戸っ子は女房を貸し借りする」と言う諺(ことわざ)が在る。

つまり一部のキリスト教信者以外の江戸時代当時の庶民社会では、そぅ厳格に女房の貞操観念にこだわっては居なかった。

あくまでも、維新後のキリスト教の価値観の影響が現在の貞操観念で、江戸時代以前は武家社会ででも出世の為に主君の所望に応じて妻を差し出すなど対して奇異な事ではなかった。

江戸時代の商家のおかみさんは、手代や番頭の性の面倒まで見ていたし、相撲部屋のおかみさんはつい二十年位前まで「弟子の性の面倒をみている」と言ううわさが在った。

いずれも使用人や弟子が外で不祥事を起こさない為の知恵だった。

また、「江戸っ子は女房を質に入れても初カツオを食う」と言う。

庶民に貞操観念自体が薄い時代で不倫は当たり前、初カツオの代金が女房の貞操代金に化けたとは、江戸庶民の粋な話かも知れない。


農村ではお祭りの際に若い男女の乱行的な性交渉を認める地方が多くあり、結果、子供ができれば神事に授かった子供として大切に育てられた。

また、江戸時代当時の旅人(旅行者)は、庄屋(しょうや)・名主(なぬし)、村長(むらおさ)と言ったその土地の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣のある地方では、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた性風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在した。

当時の農村では、働き手である人口の増加や少ない娯楽として「夜這い」が認められていたが、何世代もの長期に渡ると一村全てが血液的には身内に成ってしまう。

つまり狭い範囲の村落での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスクが在り、村に訪れる旅人を「マレビト(稀人・客人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

勿論、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

この習俗の日本列島への知的伝播の元は、モンゴルの遊牧人の習慣と考えられる。

それは、仏教の伝播と伴に伝来したヒンドゥー教・シヴァ神の経典などと伴に伝えられた処世術だった。

モンゴルの遊牧人の習慣として、砂漠の旅人(旅行者)は族長と言ったその部族の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、砂漠の民には「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣があり、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在し、この情報が早い時期に日本列島に伝播し、村落の習俗となった。

狭い範囲の部族での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスク経験が在り、訪れる旅人を「マレビト(稀人・客人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

勿論、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「性的夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

つまり部族や村の維持の為に「性的夜伽(よとぎ)歓待」は必要だった。

確かに一夫一婦制に於いては、貞操観念的に疑義がある習慣だが、一つの価値判断が、「全てに渡っては正解では無い」と言う事例の一つである。



期待に胸を弾ませながら、私の二日間は過ぎた。

妻と岩代の細君(京香)は、この二日で急速に仲が良くなり、土曜日を迎えた。

四人で説得に出かける算段だが、妻の服装が何時もより艶(あで)やかで、聞くと「細君(京香)からアドバイスを受けた」と言う。

余り地味だと、貧しそうに見え、「多額な金額の話には馴染まない」と、教えられたらしい。

日頃の妻からすると、妻なりに気合が入っている。

そりゃあ、接待に来た融資先の女達が、余り地味では竹中氏のその気も損なわれる。

性に関しては多分に気分の問題で、雰囲気を壊したら台無しなのだ。

妻にも、せいぜい色気を出してもらわねば困る。

今日は岩代の細君(京香)が主役で、例の接待を竹中氏と犯って見せる段取りだが、それを直(じか)に見せられた妻の反応が楽しみである。


竹中邸に着くと、迎えた竹中が開口一番、岩代に例の座敷童子(ざしきわらし)が東京の家に出現した事を伝えた。

「岩代君、君いったい何をどうしたのだ。まるで、手品みたいだが。」

「そうでしょう、やはり上手く行きましたか。」

岩代は淡々としていて、竹中が感心しても手柄顔一つしない。

不思議な事もあるものだ。

竹中氏も驚いた様だったが、私の岩代に対する不思議な能力に、底知れない畏怖の念を感じた。

座敷童子(ざしきわらし)の件も、例の「気」と言う事なのか?

岩代は謎である。

「内の娘も、岩代君には妙な関心がある様でな、声をかけられると付いて行きそうだが、頼むから手を出すなよ。」

「ハハ、先に釘を刺しますか?気を付けます。」

それから、改まって四人が頭を下げ、出資の話を始めたが、打ち合わせ通り、「検討して置く」とはぐらかされ、埒があかない。

妻も心配そうに成行きを見守っている。

流石(さすが)に岩代夫婦とは「感嘆会い照らす」の仲が滲(にじ)み出ている。

「なるほど、君らは共同で経営するのか。しかし所長の処はよく知らない。気心も知らない相手に、いきなり多額の投資など出来ないじゃろう。」

「まぁまぁ、気心も、少し砕けて話せば信頼も通じる物です。」

とりあえず「今日は酒でも飲んで気心を通じましょう。奥さんも竹中さんのお酒のお相手をする積りで来ていますから。」と岩代が提案、持参の酒肴で酒盛りを始めた。

「さぁ、女性軍は竹中さんの隣々、両隣に座って機嫌良く飲んでもらって。」

私に促(うなが)されて、妻達二人は竹中氏の両側に付いて酌を始めた。

「そうか、所長夫婦ともこれを機会に気心を通じるのだな。」

予定の行動だが、暫(しばら)くして酒が廻り始めると「昼間の酒は回りが早い。」と言い出した竹中が、必要に妻の里美に手を出し、身体に触れようとする。

妻を除くこの場の全員が了解して居るから、竹中は気がね無く振る舞える訳で、妻の意識改革を企む、仕掛けの第一歩が始まった訳だ。

竹中氏の手が妻の太腿(ふともも)を撫(な)で、その手がスカートを托(たく)し上げ、股間の方に這い上がって行く。

罠とも知らず、妻は困惑した表情で助けを求めて私をチラチラと見るが私は取り合わず、愛想良く笑って竹中に酒を進める。

「バカめ、それ位の事で驚いてどうする。」

コッチは妻をトコトン追い詰める積もりだから、内心竹中氏には「もっと犯れ」で、このお触りなどは序の口である。

妻の救いを求める視線を無視して私が「ワハハ、今日は竹中さんに楽しんで頂かないと・・・」と声をかけ、酒の酌をする。

そして困惑する妻に、「おぃ、何て言う顔をしている。お前がそんな顔じゃ竹中さんも気分が乗らないだろう、もっと楽しそうな顔をしろ。」と声をかけて妻をたしなめる。

勿論芝居だが、妻が困った顔をするのを岩代の細君が、かばうように「こっち、こっち。」と竹中氏の手を自分の方へ引き寄せ、胸に誘い入れたり、スカートの中へ誘い入れたり、必死でかばう振りをする。

流石に妻も「細君(京香)に悪い」と思ったのか、服の上から胸に触るくらいは、じっと我慢するようになった。

本人にすれば想像を遥かに越える展開だが、夫に「一肌も二肌も脱ぐ」と見得を切った手前もある。

誰も咎めない所を見ると「容認された行為」と解釈するしかない。

そのうち酒が入って、打ち合わせ通りの予定の行動だが、竹中が怒り出す。

「何だ、この嫁さんは。」

岩代の処の嫁さんは良いが、所長の処の嫁さんは「事業資金を調達しようと言う覚悟が足りない」と難癖をつける。

無遠慮に肉体(からだ)を弄(まさぐ)る竹中の手を、精一杯我慢していた妻にとっては衝撃の展開である。

「所長の処の嫁さんは世間知らずで、接待をする気がまったく無い。」と、まくし立てた。

私が「そんな事は無いですよ。」と反論すると、竹中が岩代の細君(京香)のスェーターを捲り上げ、行き成り乳房をプリンと露出させた。

「ほれ見ろ、ちゃんと覚悟して来ている。これに比べて、君の所の細君は何だ。ガチガチに下着でガードしおって、接待する気があるのか?」と、恫喝(どうかつ)する。

打ち合わせ通りの芝居だが、流石(さすが)に年の功で真に迫っている。

妻がオロオロし始めると、竹中は「君、チョット立って見なさ。」と、細君を立たせ、細君のスカートを巻くり上げてノーパンティの下半身を露にして妻に見せる。

「どうだ、この立派な覚悟は・・・旦那様の仕込みが良いのだろう、コッチの奥さんは接待を良く心得ている。」と岩代夫婦を褒(ほ)める。

「所長の所は、奥さんに接待をチャント教えていないのか。君が出来ないなら、わしが丸裸に剥(は)がして仕込んでやろうか?」

「はぁ、行き届かないですみません。そりゃあもう、これからは長い付き合いですから内の奴の事も宜(よろしく)お願いします。」

「奥さん、旦那様がそう言っている。良いね」

たたみ込むように言った竹中氏が、「奥さん、これを良く見て見なさい。奥さんみたいにぬるい女は、魅力が無いもんだ。」と細君(京香)のスカートを捲って見せる。

細君(京香)の、剛毛気味の恥毛に覆われた丸みの有る恥丘の膨らみが、何の拘(こだわ)りも無く晒(さら)された。

その捲(まく)られたスカートを、細君(京香)は降ろすでもなく、捲(まく)れ上がったままにして立って居る。

妻は細君の露出したモロ出しの下半身を見せられて、眼球が飛び出るほど驚いて息を呑んだ。

しかし妻の驚きなど、誰も意に介し無い。

「奥さん、大きな取引で夫婦が接待するって事は、相応の覚悟をして来るものだ。まさかこのセチガ無い世の中で、口先だけで信用されると思っているのじゃないだろうな?」と言う。

そしてなおも、「奥さん、スカートを巻(まく)くって見ろ。下着をごっそり履(は)きおって確りガードしておる。何が接待じゃ」と竹中氏が妻に詰め寄った。

妻は思いも寄らない現実を見せられ、うつ向くばかりである。

「なまじ美人で、スタイルが良いのを鼻に掛けおって、甘ったれておる。美人でも面白くない女は最低じゃ。」

「まぁまぁ竹中さん、チョット面白い嗜好がありますから。支度しますから落ち着いて機嫌を直してください。」と、岩代がなだめて、細君(京香)を連れて隣の部屋に行き何事かゴソゴソ始めた。

「サァ、竹中さん。チョットこちらにお出(いで)下さい。」

暫(しばら)くして竹中氏を隣の部屋に呼び入れ、何事か話をしていたが、五分もすると岩代一人が部屋から出て来た。

彼は、私達夫婦に「竹下氏のご機嫌を戻す為に二時間ほど内のを(京香)預けましたから、チョット座を外しましょう。」と促(うなが)して、強引に外に出た。

「岩代さん、奥さんを一人竹中さんの所に残して来て、どうなさったのですか?」

屋敷の外に出ると、妻は盛んに置いて来た細君の事を気にする。

「何しているのですか?ですって、奥さんが、口ばかり頑(が)ん張るで実際は何とも話しに成らないじゃないですか。」

「済みません。接待が良く判らなくて・・・」

「何もかも君の奥さんにさせて済まんな。」と私が追い討ちを掛ける。

「そうですよ。奥さんが世間知らずで竹中さんを怒らしたから、機嫌直しに内の奴が犠牲になるよりしょうが無いでしょう。」と、岩代がどう仕様もなさそうに妻を追い詰める。

「岩代君、悪いな。本当に申し訳ない。」

調子を合わせて私が詫(わび)びを入れる。

「そぅですよ、もう少し奥さんに言い聞かせてもらわないと・・・会社の設立が掛かっているのに。」

「いゃ、済まない。内の奴が世間知らずだから、迷惑を掛ける。」

調子を合わせて謝って置いて、私が、「だから世間知らずの癖に、見栄ばかりで大丈夫だと・・、お前は何も判って居ない。」と追い討ちをかける。

「京香さんが私の犠牲に・・・」

芝居とは知らないから、大方の予想が着いた妻は参ってうつむき、声も発しない。

「仕方が無い。とにかく時間を潰して、また迎えに行きます。」

「そうだな、ここであぁこう言っても仕方が無い。内の奴には今後は勉強させるとして、今はファミレスでも行って時間を潰そう。」

「そうですね。奥さんも今後は接待の勉強して貰うと言う事で、それで良いですね。」

岩代が混乱する妻に追い討ちをかけ、ドサクサ紛れに接待の勉強を妻に同意させる。

「エッ、ハィ、皆様にお任せします。」

妻はその場の勢いで「任せる」と言ってしまった。


三人は、二時間ほど近くのファミレスで時間を潰した。

「どうでしょう、奥さんに勉強させるなら、現実をしっかり見せた方が良いでしょう。」

「そうだな、自分の目で見た方が判るだろうからな。」

勿論打ち合わせ通りだから、他の出演者の息は合っている。

頃合を見て、細君を迎えに行く事にした。

竹中は細君とお取り込み中だろうから、三人で勝手に竹中邸に上がり込んで、奥の部屋に声をかける。

「帰りました。入って良いですか?」

「おぅ、帰って来たか?構わんよ。ソッチの奥さんも連れて来なさい。」

「宜しいのですか?」

「所長の奥さん、勉強の為だ。入って来なさい。」

先ほど怒らせただけに、竹中にそう言われては妻も断れない。

「判りました。それではお邪魔します。」

部屋に入った妻は仰天した。

想定を超えた事態には、人は情況を飲み込むまで「キョトン」とする。

妻は、正にそう言う情況に在って立ち尽くしている。

大股開きで縛り上げられた素っ裸の細君(京香)が、柔ら壺に欲棒を挿し込まれて、生々しく竹中氏に犯されて居る最中だったのだ。

細君(京香)は畳の上に寝かされ、左右の足首を別々に何重かクルクルと巻き、その縄を左右順番に頭方向に引いて両足が耳の辺りに無理やり引き絞られ、その縄先がどこで見つけたのか首の下を通した鉄パイプに縛り付けられて強制マングリに固定されて居た。

その固定された細君(京香)の股間に竹中氏の欲棒が突き刺さって、竹中氏の腰のリズムに連動して「深く浅く」と抜き挿しが続いている。

「どうです竹中さん。内の奴のお相手で、ご機嫌は直りましたか?」

「おぅ、中々調子が良いぞ。岩代君の嫁さんは、誰かと違って良く頑張って居る。」

「ご機嫌が直って良かったです。そのまま充分にお楽しみ下さい。」

「そうだな。もう少しこのまま京香を使わせてもらうよ。」

細君(京香)は、全裸の上に身動き取れない様にマングリ返しに大股開きに麻縄で縛り上げられ、竹中氏の欲棒を生々しく股間に受け入れて二枚の肉花弁を捩(よ)じらせ巻き込みながら深く浅くと抜き挿しされていた。

その細君(京香)のしなやかで張りが有る色白の美しい肌が、赤く染まって「アァー、アァー。」とあえいでいる。


とにかく、結合部分までも丸見えだった。

妻(里美)の想像を超える在り得ない衝撃と動揺の、現実の光景が目の前に在った。

しかし確かに、大きく開いて縄掛けされた京香の股間には竹中氏の欲棒が生々しく突き刺さり、竹中氏の腰の動きに連れてその陰茎が見え隠れしている。

「嘘、こんな事在り得ない。」と言い掛けた妻(里美)だったが、この場の発言として「適切に非ず」と思ったのかその言葉を飲み込んだ。

正直、この女性(ひと)は「こんな事を犯って何を考えて居るの」と言う懐疑的想いも浮かんだ。

でも此処は仕事の場で、子供染みた常識など返って格好悪く、世間には通じないとも思えた。

性癖は夫々(それぞれ)だから、そこを満たす為の営業性行為も在れば遊び仲間も存在し、それは「無い」と否定出来ない事実である。

どうせ男女の事は、世間では建前上は大っ開(おおっぴら)にはしないだけで非日常の刹那を愉しむエグイ実態は幾らでもある。

人生、エロい方が結構愉しいから幾らでもあるが、そう言うエグイ実態は例え事件に成ってもマスメディアは自粛してオブラートに包んでしまう。

「事実は小説より奇成り」と言う、「在り得ない」と思っていたのは「私(里美)だけだったのかも知れない」と想いをねじ伏せた。

目の前の現実を認め、信じるしか無かった。

剥(む)き出しの細君(京香)の内太腿(うちふともも)の中心に、ひだに囲まれた小豆(あずき)粒大の妖しげな花芯ボタン、その下に縦に割れた二枚の肉花弁がパックリ開いて竹中の欲棒を受け入れ、生々しく抜き挿しされている。

そのズブリと細君(京香)の柔ら壺に挿し込まれた竹中の欲棒が、リズムに乗って激しく抜き挿しされる。

その度に、細君(京香)の二枚の肉花弁が愛液に濡れ光る欲棒に卑猥(ひわい)に巻き付き捩(よじ)れて踊って見えている。

その格好は煽情的(せんじょうてき)で、見るからに私は「ドキッ」と興奮させられた。

細君の、半開きの上唇がやや薄い魅力的な受け口からは、粗(あら)めの吐息が漏れ、時折善がり声も混じっている。

正直六十歳代半ばでも結構凄いのに、竹中氏の年齢からすれば、欲棒を漲(みなぎ)らせてまともに性交が出来ると言う事はご立派としか言いようが無い。

確かにセオリー(公式手法)を越えた特別な舞台設定が在っての、シュール(奇抜)な刺激が在るシチュエーション(状況)ではあるが、まさに男が憧れる性豪である。

まぁ価値観を変えれば、「人生愉しまなければ長生きする意味が無い」と言う竹中氏の言い分も事実である。

細君の恥毛は、他人に見せる為か綺麗に整えた濃い豪毛の菱形で、後で知ったが時折剃毛(ていもう)を繰り返したので、濃くなったそうだ。

その細君の恥毛は濃い豪毛ではあるが、綺麗に整えてあるから、欲棒に貫かれた股間を妻に見せ付ける視界の邪魔にはならない。

視覚効果を狙った拘束体勢だから、竹中氏の欲棒に貫かれた細君の女性器が欲棒を呑み込んで結合し、太い陰茎が見え隠れしている股間がはっきりと見て取れる。

強烈な光景だから、それを目にした妻はほとんど固まっていた。

その光景を、竹中が抽送を続けながら「奥さん、目を逸(そ)らさないで良く見て置きなさい、この細君はあなたを庇(かば)ってこうしている。」と、言った。

竹中に語気強く言われて、妻は五分ほど逃げる事も目をそらす事も成らずに見せ付けられた。

平凡な女には正視に堪(た)えられない修羅場の構図だ。

妻にしてみればビジュアル(視覚的)としてショックが強烈過ぎ、凝視したまま立ちすくんで声も出ない。

「奥さん、よーく観なさい。本当に独立を望むならこの岩代君の奥さん(京香)の様に肉体(からだ)を張ってでも伸し上がる気持ちをわしに行動で示せ。」

「あの、肉体(からだ)を張ってでもですか・・・?」

「当たり前じゃろう。何も無い君達夫婦が、他にどうやってわしの出資を納得させる。何を気取っているのじゃ。」

「・・・・。」

応えに窮(きゅう)した妻に竹中は、「夫が稼いだ財産が夫婦共有のものであれば、理屈から言っても夫の不足する所はカバーするのが当たり前だろうが。」と言った。


細君は心得ているから、あえぎながらも時折妻の方に恨めしげな視線を向ける演技に怠りはない。

視線が合ったりすると、妻は絶えられなくて目を逸らす。

竹中は、「奥さん、下を向かない。しっかり目に焼き付けなさい」と妻が目を離す事を許さず、「ワハハハ、それにしても使い心地が良い。」と抽送を繰り返して居る。

欲棒を挿し込まれた大股開きの細君の股座(またぐら)の恥部を生々しく晒(さら)して、竹中は構わず腰をクィクィと使い細君が善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて居るのに抜き挿しを続けている。

卑猥な光景が長々と続き、十分ほどして竹中は漸(ようや)く「君らが帰って来たから一服するか」と細君(京香)から欲棒を引き抜いて肉体(からだ)を離した。

まだ立派な欲棒が、大きく存在を誇示したままだった。

彼は、岩代に向かって「この奥さん(京香)は覚悟も決まって良く出来た人だ。」と褒めている。

「お褒(ほ)め頂きまして、ご機嫌は収まりましたか。」

「機嫌は良くなった。所で所長、あなたは岩代君夫婦と言う良い部下を持っている。」
「はぃ。仰(おお)せの通りです。」

「あなたの奥さんにはもう少し勉強させなさい。世間知らずで、危うく出資話しを潰す所じゃった。」

「済みません。それはもう、これから妻にはミッチリ勉強させます。」

肉体(からだ)は離したがまだ未練があるのか、竹中は細君の花弁の中に指を二本差込み、まだその指をこれ見よがしにズボズボと抜き挿しをしながら話をしている。

細君の濡れた小豆粒大の花芯ボタンが赤く膨らみ、抜き挿しされる二本の指の動くにつられて、肉花弁は生々しく捩(よ)じれ巻き込まれて見えている。

妻にはその光景を見るに耐えないもので、顔をうつむいて目を離した。

途端に、竹中の叱責(しっせき)が飛ぶ。

「誰が目を離して良いと言った。奥さんは、この指先を見ていなさい。岩代君の細君がこうして頑張とるのだ。」

その声に、顔を上げたまま妻は固まった。

細君のあえぎ声は続いていた。

「アァー、アァー、アァッ、アァッ。」

大股開きに縛り上げられて身動きが出来ないから、細君は相手が止めない限り受け入れて善がり続ける以外に選択肢は無い。

竹中が指を抜いたのはそれから暫(しばら)くしての事で、呆然と見詰めていた妻も、漸く視線を外す事を許された。

岩代が細君(京香)の戒めを解きソッと抱き締めると、細君はしおらしさを漂わせて哀れぽくジットしていた。

妻に見せ付ける芝居だが、岩代夫婦の呼吸はピッタリだ。

「仕方が無い、融資の件は少し竹中さんに考える時間を持って頂きましょう。」

岩代が、私達夫婦に言った。

暗に妻にも「考えろ」と言いたいのだろう。

細君(京香)は、妻に見せ付ける様に裸のまま正座をして、竹中に「今日はお使い頂きまして、有難うございました。」と礼を言い、頭を下げた。

抱いて頂いたら礼を言うのは当然の礼儀だ。

妻にとっては、何と無く微妙な雰囲気が流れていた。

後の人間はグルだからシナリオ通りで、次の展開は「明日妻に犯らせる」と承知している。

岩代が縄の片付けを始め、酒肴などの跡片付けと洗い物を妻と細君がしている。

妻に岩代が「これでは、今日は話を進められない。」と声を掛け、跡片付けが終わると一同で竹中に挨拶した。

「今日はこれで帰ります。所長夫婦と良く打ち合わせをした上で、明日にでもまたご相談に伺います」

子供の下校時間も迫っていたから、妻がここで時間を潰す訳にも行かない。

状況的にも「妥当な判断」と言える。


強烈なショックだったのだろう、帰る道すがら妻はズット細君(京香)に詫(わび)びていた。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」

私は、「岩代の細君にあそこまでさせて、この話上手く行かなかったでは済まされない。」と妻に言った。

「本当にごめんなさい。初めての事で驚いてしまって・・・」

「だからおまえ、出来る事は、きちんと自分の責任で解決すると大口を叩いただろう。」

「ごめんなさい。あんな風に成るとは想像していなかったものですから。」

「奥さん、子供じゃあるまいし笑って座っているだけで相手が喜ぶとでも思っていたのですか?」

岩代が畳み掛けて、認識の甘さを責める。

私が「済まんな、内の奴も判っただろうから、もう一度竹中氏を説得しょう」と岩代に持ちかけ、「明日の日曜日に、もう一度四人で行こう」と決めた。

もう、ここからゲームは始まっていた。

例え形式的であっても、非常識で卑猥(ひわい)な事をさせるのだから、嫌々ではなく本人の納得ずくでなければ面白くはない。

「犯る。」と言うその決断は本人の意志でなければ成らないのだ。

そこに追い込む為のこうした遊びの初歩は精神的な心理の駆け引きで、それも興奮を誘う性的な遊びの内である。

岩代は「こう成ったら、もう後には引けないですからね。」と、大仰(おおぎょう)に気色ばんで見せる。

芝居じみているが、もう片方の細君(京香)が「身を投げ出している」と言う事実は、妻に「自分だけ犯らず逃げに成る」と相当な心理的圧力と参加意識を抱かせる。

すかさず「そりゃあ引けないさ、京香さんには犯る所まで犯って貰ったからな。」と同調して、私は妻に「お前も、今度は良いな。」と念を押し、「はい。」と返事をさせた。

今、竹中氏に逆らうのは得策ではない事が判っていて、妻にはネグレクト(責任放棄)は出来ない。

妻もたちまち素っ裸に剥(む)かれ、マングリ返しに固定されて竹中氏にズブリと入れられてしまえば、覚悟も決まり「もぅ、こうなったら根性を入れて犯られるっきゃ無い」と想うしかない筈である。

単純に「そんな事、良い訳がない。」と想うかも知れない。

だが、考えて見ればそんな良い悪いの判断はいったい何時(いつ)誰がどう言う価値基準で決めたのだろうか。

唯一の考え方に絶対性を求める事自体に無理が在り、人生何てものは一つの壁を乗り越える勇気を持てば道は開けるもので、性に関する考え方にも多様性や使い分けが在っても不思議ではない。

夫婦間の愛情でも、現実には「私だけのあなたで居て欲しい」や「僕だけの君で居て欲しい」を「嬉しい」と想うのは精々一年半くらいまでで、そこから先は刺激の少ない日常に束縛感と退屈感が膨(ふく)らんで来る。

そうなると「・・・だけの」は綺麗事で、相手の独占欲ばかりが鼻に付き、「こんな筈では無かった」と外に刺激を求めて家庭を壊す事態も起きて来る。

近頃では男女の権利意識は同等だから、家庭を壊す刺激を外に求めるリスクは男女双方に在り、そう成ると、そうした事態を放置するパートナーにも罪が在る事になる。

「平凡で穏やかな人生が一番」などと言う輩は、自らが守りに廻るばかりの何もしない逃げが優先した者の言い訳である。

何もしなければ、幸運など転がり込んでは来ないし、一方で安全ならば週刊誌や小説、ビデオ映像の真似(まね)など色々と犯ってみたい想いも心の底にはある。

考えて見れば、地球上で最も稼いだ女性歌手のマドンナは手段を選ぶ事を棄て、ステージで過激な露出の半裸体を晒(さら)す衣装で女を売り、ホームレス同然のどん底から這い上がって毎年間五十億円稼ぐ。

まぁ裸体は最も魅力的な衣装で、ビジュアル(視覚感)的にはフォワード(主に攻撃を受け持つプレーヤー)のパホーマンス(肉体を用いた表現形態/遂行能力や性能)である。

半裸体を晒(さら)しても自分の魅力を最大限生かす事がマドンナの哲学で、世間体さえ拘(こだわ)らなければ女性は本能的にエクスビショニズム(露出症)の傾向があるから、その生き方に憧(あこが)れと共感を呼び人気がある。

マドンナのそんな生き方を批判する連中は、無意識に何も為し得ない自分を守ろうと言う本能があるから「トンデモナイ」と否定する。

だが笑わせる事に、生き方を批判する人々は結局何も為し得ずの唯の独善で、言わば「元々モチベーション(動機付け/犯る気)が無い」と言う事なのだ。


後から考えると、頑固だった私(里美)を陥(おとしい)れる策略だったのでしょうが、部屋に入って見た光景に、私(里美)は驚愕しました。

京香さんがおかしな格好に縛られ、身動き取れない状態で竹中さんに犯されていたのです。

そんな事は、私(里美)の生きて来た今までの世界では、想像も出来ません。

京香さんは真っ裸にされ仰向けに寝ていましたが、足は顔の方向に向けて大きく広げられ、両足首を縛った縄が背中を廻って足が動くのを妨げています。

そしてその京香さんの閉じる事の出来ない股間に、竹中さんの欲棒が濡れて光ながら、深く浅く出入りしていたのです。

その生々しい状況を、竹中さんは私(里美)に「目を逸(そ)らすな」と命じます。

勿論あまりの事に、私(里美)は目を逸(そ)らす事も出来ないまま固まってしまいました。

頭の中は混乱して何も考えられないまま、私(里美)は「世間の現実は甘くは無い」と言う強烈なメッセージとして、京香さんの股間を出入りする竹中さんの欲棒を眺めていたのです。

正直、ああ言う他人の行為をまともに見せ付けられると、怪し気な変な気分になるもので、心臓が高鳴る興奮を押し殺すに必死でした。

そして私(里美)を除く全員に、この光景を私(里美)に見せつける意図がある事に気が着きました。

竹中さんとの話が翌日再交渉に成った時、「ここは考え時だ」と感じました。

例え私(里美)が多少鈍感でも、首の上に付いているのは頭です。

あれを見せ付けられれば、もう、共同経営の企画を諦(あきら)めて、平凡で慎ましい一生を送るか、京香さんの様に貞操を投げ出す事も割り切って現状を受け入れて行くか、その決断を迫られたようなものです。

私(里美)、うろたえを他人に見せるのは性格的に出来ないのです。

心境は複雑でしたが、この状況では動き出した運命を私(里美)はもう止められなかったのです。

人間、訪れたチャンスを拒否するか前向きに受け入れるかで、一生に数少ない幸運の転機を逃(のが)すか掴(つか)むかです。

それで、結果は予測出来たのに強がって交渉の同席を「はぃ。」と返事をしました。

ムチャな話だけれど、促(うなが)されての決断などそんなものかも知れません。


この「はい。」と言う返事は、もう竹中さんのお仕置きを覚悟した様なものです。

私(里美)としては、このメンバーから「世間知らず」と指摘されて、攻め立てられて見ると、「自分は確かに世間を知らないらしい」と思ったのです。

そう言えば以前にも、娘のPTAの仲間と懇親会をしていて「下ネタ話」に付いて行けずに、仲間内に酒の勢いで「一人だけ気取っている」と、面と向かって非難された事があります。

確かに、夫にも岩代さんにも「お前が本当に出来るのか?」と、念を押されて連れて来られたました。

すると世間では、こう言う場合はどうやらそこ(女体を供する)までするものらしいのです。

だ、とすると、最初から私(里美)は、世間の接待の意味を勘違いしていた事に成ります。

それに、夫もそれを承知で「お前に出来るのか?と確認した」とすれば、「そこまで犯れ」と言って居る事に成るのです。

そこには、私(里美)が見知らぬ夫の中の別の夫が居たのです。

私が、知らないとは言え「犯って見せる」と返事をした、となれば、今更「出来ません」とは言えないのです。

自分が「進めてくれ」とせがんだ独立話の条件でもあるのですから、「自分も覚悟をしょう」と考えました。

余分な事は考えないで頭を切り替え、単に仕事のツール(道具)と割り切れば良いのでしょう。

竹中さんは、「夫が稼いだ財産が夫婦共有のものであれば、理屈から言っても夫の不足する所はカバーするのが当たり前だろうが。」と言いました。

確かに私(里美)も、そろそろ勝負するなら女としてはもうギリギリの年齢を迎えて居ます。

目の前で京香さんに現実を見せられて、「それが必要なら私も犯って見ようかな。」と思ったのです。


家に帰ると、私は格好をつけ「あなた達、接待、接待って言って、いったい何を考えているの、信じられない。」と非難めいた事を言ったのです。

所が反対に、「それじゃぁ、どうするのだ。」と夫に問い返されても、「明日の訪問を止める」とは言えなかったのです。

「投資をしてもらうチャンスはそうは無いから、今更竹中さんの話を止められないだろう。それに岩代の細君にあそこまでさせたんだから。」

「それは、そうだけど・・・私が少し我慢すれば良いのね。」

「それじゃぁ、説得を続行するが、今後は今日の様に竹中さんを怒らせるなよ。」

「判った・・・ここで止めたら、ヤッパリもったいないもの。」



何かの答えを決めるのは「どれが大切か?」と言う軸足選択の問題で、それは人夫々(ひとそれぞれ)である。

幸せを願うのは誰でも同じだが、当ても無しに幸運を待っていても夢を適える事は出来ない。

都合が良い偶然が当てに出来なければ夢を適える為には前に進む舞台に登るべきで、ここで立ち止まれば妻の人生は停滞期を迎えるのは必定だった。

純粋に真面目に生きると言う事も質と方向が違えばこれは充分に理解出来る事で、詰まり新しい始めようと言う妻は自分の意思で「真面目に性接待に励(はげ)む」と言う結論を出した訳である。

妻に決断を突き付けられたのは、「囚人のジレンマ」と言う選択肢の難題である。

囚人のジレンマとは、群れ合意(社会性)と個人の意志が必ずしも一致しない為に、個人の意志を優先すると群れとしての利益を失い、結局個人も大局的には「利」を失う事を言う。

これは二人の隔離した囚人の自白ゲームがモデルとなっている為に「囚人のジレンマ」と呼ばれている。

自らを有利にする自白は、同時に友人を陥(おとしい)れて失う事である為、合理的な各個人が自分にとって「最適な選択」(裏切り)をする事と、全体として「最適な選択」をする事が同時に達成できない事が、ジレンマ(板挟み)なのである。

つまり個々の最適な選択が全体として最適な選択とは成らない状況が存在する事を指して「囚人のジレンマ」と言う。

結局個人は、「群れ」と言う社会性に囚われているのだから、個人が確実に「利を得る方法」を選ぶなら、群れに対する協調性が必要に成る。

妻の心境は判らないが、取り敢えず投資説得の接待作戦続行には微妙に同意していた。

面白い物で、細君が竹中氏に犯られている「交尾姿」を見せ付けられて、「嫌らしい」と、突放(ツッパ)れない所を見ると、自分の役目は完全放棄でもないらしい。

どうやら少しは心の片隅に、「しても良い」と言う許諾心(きょだくしん)なり、「自分もされて見たい」と言う期待感が、片隅に潜んでいるのかも知れない。

「もしや」と思って、洗濯機に放り込んだ妻の下着を確かめると、先ほどの刺激で布の一部が酷く湿っていた。

まぁ、あれで平気ではいられない筈で、里美なりに、あの光景を見て何か感じたのは確かだった。

元々人間の営みには必要なのがSEXで、「不要だから行わない」と言う方が、実は病的である。

その性の営みに、様々な様式(形態)があっても個人の感性で、「自分と認識が違うから」と、一方的に非難するには当たらない。

精神的な愛情を「独占欲」と混同するから、世の中は複雑になる。

スッキリと肉体的性行為を分離し、ジェラシー(嫉妬)は、生活の味付け位がちょうど良く、本気になっては洒落にならない。

建前を話す者は、見栄えは美しいかも知れないが実は本物の中身はない。

「戦争も事業も、映画みたいに格好の良いものじゃない。」は、岩代の口癖である。

人間は、変わる気に成れば変われるもので、「素直に変わったから」と言って、さして不都合がある訳ではない。

大概の所は、意地を張って変えないだけである。

頑(かたく)なに意地を張って変えない事は、運命としては運否天賦で、変えない事が良い場合いも有れば、変えなければいけない事もある。

唯言える事は、疑いや迷いが有りながらそれでも頑(かたく)なに意地を張るのは得策ではない。

違う自分に出会えるチャンスを、みすみす潰すかも知れないのだ。

それでも、絶対の自信が有るのなら、大いに意地を張れば良いのである。

チャールズ・ダウィンは、その著書・進化論で「変化できる種だけが生き残る。」と結論付けている。

なぁに、そんなに永いスパンで考えなくても、「変化できる人間だけが人生の勝者として生き残る。」と言うのも一つの真理かも知れない。

毎日同じ道を歩いていても雨や嵐、強い日差しの日もあるだろうが、道を変えて試(み)なければまったく新しい景色に出会う日は訪れない。

学問や芸術、人生その物も同じ事で、新しい発想を見るには道を変えて試(み)る必要があるのだが、人間楽に生きたいから見なれた道を歩こうとする。

楽に生きたいのならそれも一つの生き方だから非難はしないが、つまり物事の全ての価値観は同じ事象に於いても抑制的か積極的かの個人の軸足の掛け方一つで変わって来るのだ。

今日見せ付けられた京香が拘束された姿で竹中に犯かされているシーンは、妻に鮮烈に焼き付いて居る筈だった。



翌日、妻の格好は更に艶(いろ)っぽく成った。

卵型の顔立ちを持つ妻の里美は、およそ学生時代と変わらない髪型で、結婚以来肩まで届くナチュラル・ストレートヘアを、カチュウシャで留めたり、後ろで束ねたりして居た。

まぁ、元々化粧気の少ない地味な性格だから、女性として今までは髪型に疎い方だった。

それが、今日は違った。

岩代の細君に薦められ、昨日の午後ヘアーサロンで「セミロングレイヤー」と言うボリュームを強調した髪型にして、「顔周りすっきり」に美しく変身している。

数万円と言う豪勢な費用を掛けて、パーマ、カット、フェース・エステをしたのは、勿論、里美の「裸の接待奉仕」に、価値観を持たせる為である。

岩代の細君に耳打ちされたが、朝方相談に来て「出かける格好を打ち合わせた」と言う。

目的はともあれ贅沢な髪型は妻の心を弾(はず)ませるらしく、以外に明るい表情で家を出た。

細君に念を押され、触られるくらいは遂に覚悟を決めたらしく、スェーターとミニのスカートに「ノーパンティにノーブラだ」と言う。

「こんな事を犯ってどうなんだろう」と言う思いは妻に在ったが、夫達の始めた事業に何らかの貢献はしたかった。

そして組んだ岩代家の妻・京香は、身を投げ出しても竹中氏の融資を狙っている。

妻にしてみたら一大決心であろう。

「そうそう、お前はこれから竹中に犯られに行くのだ」

女には、覚悟を決めると、理由さえあれば自分を納得させる能力がある。

いずれにしても、独立計画に熱心で、「頑ん張る」と言ったのはお前の方だ。

しかしこの時、細君(京香)の痴態を見せつけられた妻は、脳の片隅で竹中氏と自分の性交恥態姿を妄想して正直に発情していたのも確かだった。


経済活動は生の仕事で、上辺(うわべ)だけの綺麗事を言っても相手に誠意は伝わらないからこそ、世間に性接待の性交は存在する。

そしてこう言う事は、表向きの恋愛行為とは目的が違うから、犯ると決めた性奴隷の里美には相手も行為内容も選べないが、お試しだから犯って初めて納得されるので、理屈では無くとにかく実行する事である。

妻が竹中氏の接待をする事を引き受けた以上、絶対条件として今はそれなりの結果を出す事に専念すべきである。

この話は他人に任せる性質のものではなく、誓って私が妻にアプローチしなければならない。

つまり、「愛は不確か」だからこそ確かめたくなるもので、愛を確かめるには「私が命じて他人と犯らせる」と言う極論が相応しいのだ。

私は心の中で、妻に語りかけていた。

妻は私達を「変態」と思うかも知れないが、私がこうした暴挙に出る責任は世間知らずの妻にもある。

余りにも、性に関して詰まらない認識しか無いからだ。

肉体(からだ)をシエアリング(共同所有)する遊びの性交なんか、完璧に洒落(しゃれ)の乗りで犯るもので、そんなものは「浮気」とは呼べない。

そう考えれば安心して、妻の頑(かたく)なに閉じた倫理観のドアを抉(こ)じ開けるには、此処での接待性交で「欲棒の鍵」を挿し込み、躾(しつ)けし倒すしか手がない。

まぁ、妻がここまで私に追い込まれるのも「自業自得」と言うものだろう。

これから繰り広げられる情況を想うと、内心私の興奮もヒートアップして歯止めの無い状態だった。

細君が妻に手渡したミニスカートは、太腿(ふともも)所かヒップ下の小尻が生々しくはみ出して見えるテニスウエアと見まがうもので、妻・里美の少し激しい動き次第ではノーパンティの太腿(ふともも)の付け根、恥毛の丘や肉花弁まで曝(さら)け出す。


それにしてもノーパン(ノーパンティ)は私の男心をときめかせるもので、益してや現在、愛妻のスカートの下がノーパン(ノーパンティ)で「風に晒(さら)されて居る」と思うと、それだけで妖しい気分に成る。

日本の男性が「ノーパン(ノーパンティ)」と言う響きに胸をときめかせるようになったのは、永い歴史の上では百年も経たないつい近年の昭和の初期の事である。

日本の文化は、ノーパンティ文化である。

日本女性の性意識は、穿(は)く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。

勿論、明治新政府成立以後の急速な欧米化路線は、おおらかだった日本人の性意識を折に触れて変革させようと多くの禁令を乱発した事も事実で、性意識におおらかだった陰陽道や、暗闇祭りの性風俗の禁止などである。

しかしそれ以上に、穿(は)く下着(ショーツ・パンティ)の着用でガードした事が、日本女性の性意識を劇的に変えたのである。

昭和の十五年頃までは、日本女性には永い事ショーツ・パンティ様式の「穿く下着」を身に着ける習慣は無かった。

下着(ショーツ・パンティ)の着用が普及した時期は、千九百三十二年(昭和七年)の白木屋の火事で、確かに新聞の論説では「下着未着用の恥じらいの余り多数の女性が焼死した」と評される例の事件は、実際には女性が一斉にパンツを穿く契機には成っていない。

時代的に一斉に穿(は)く下着を穿くのは先の大戦(太平洋戦争)の戦時中に、もんぺの下着として「ズロース」と呼ばれて普及した事が正解である。

劇的に変化したのは日本女性の性意識だけではない。

男性の性意識も、女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。

本末転倒な事に、中には女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の方に性的興味や性的興奮を覚える性としては邪道の感性を持った男性まで現れたのである。

本来日本の女性は、今で言うノーパンティが普通だった。

「呉服」に「腰巻」が普通の衣装だったからで、この着物は和服またはルーツを取って「呉服」と言う。

三国史時代の中国・呉の国(蘇州・杭州)で作られた服装様式が、呉人と伴に日本列島に移り住んでその服装様式が渡って来た。

現在の 江蘇省(蘇州) 昆山市は呉の中心地で「日本の着物(呉服)のルーツ」と言われている。

その「腰巻」だが、厳密に言うと安土・桃山期〜江戸時代以前の高級武家女性の夏の正装として使用が始まり、江戸期〜明治維新以後昭和初期以前には、現在の穿(は)く下着(ショーツ・パンティ)の代わりとして広く着用されていた。

気をつけて欲しいのは、高級武家女性の間で「腰巻」が使用され始めたのが安土・桃山期であり、それまでは存在すら無かった事で、「腰巻」が一般的に使用されるようになったのは江戸期以後である。

つまり庶民は、江戸期までは「腰巻」さえ着用しなかったし、農漁村では江戸期もかなり後になってから漸く普及したのが腰巻使用の実体である。

数え年の十三歳を迎えた正月に祝った「腰巻祝い」の風習が文献に残っているが、あくまでも武家や裕福な町家、裕福な豪農の娘達の祝い事だった。

従って町場ならともかく農漁村の村娘の腰巻着用場面のある時代劇は間違いである。

何もミニ丈ファッションは洋風が元祖ではない。

農漁村の娘は、ノーパンティに「腰巻」さえ着用して居ず、おまけに水田に入る事から丈が短い野良着姿が通常の服装であった。

野良着姿は木綿紬(つむぎ)の一重(ひとえ)か二重合わせの着流しで、水田作業の時は膝ぐらいまで裾をシッ端折(パショ)りして作業をする。

普段でもそんな服装だから、野良着のすそが肌けて性器が露出するケースが日常的で余り気にしては居ず、性器が人目に晒される事に対する羞恥心は、当時の娘には「随分と薄かった」と考えられる。

股間が自由空間である開放的な服装は風俗に影響を与え、同時に日本では「女の性欲」が否定される事がなかったから奔放に性を楽しめた。

何しろ女神様が天の岩戸の前でストリップを踊る誓約(うけい)の国である。

日本人は歴史の大半を通じて性にたいへん寛大で、日本ほど性に開放的で、肯定的に「あけっぴろげ」な国はなかった。

不義密通は氏族の文化であり、卑猥な文化が繁栄した庶民には無縁のものだったのである。

こうした話をすると直ぐに「品が無い」とか「セクハラだ」とか言うが、これはあくまでも明治新政府主導の啓蒙に拠る世間体を慮(おもんばか)っての事だった。

しかし嘘も度重なると本当に思えて来るがごとく日本女性の意識が次第に変遷を遂げ、欧風化して行ったのである。



女性を口説くなら「吊橋の上が良い」と言う吊橋効果とは、恐怖や危機感を共有する事で側坐核(そくざかく/脳部位)が働いて親近感が湧き、好意的な感情が芽生える心理効果である。

或いは、露出プレィの強制者(S)やSMプレィの施(ほどこ)し相手に、女性が究極の羞恥心や恐怖、危機感を抱く事も、或る種の吊橋効果としてM心理が働くのかも知れない。

同様に一度有無を言わせず、こっ酷くグチャグチャに輪姦(まわ)してしまう工夫(くふう)も、広義の意味で側坐核(そくざかく/脳部位)が働くM心理の吊橋効果かも知れない。


ここまで来ると、妻・里美を竹中氏に犯らせるのは、岩代夫婦に同調した私の「明確な出来レース」だった。

イヨイヨ、妻の「お仕置きその一」が始まる。

とにかく細工は隆々で、計画通り妻を心理的に追い込んである。

日頃の男心を踏みにじる傲慢(ごうまん)な態度に、思い知らせる時が来たのだ。

私は、日頃の妻への不満もあったからこの計画にワクワクして、結果を楽しみにしていた。

細工は隆々で、まさか四人が妻の陵辱(りょうじょく)の罠を共謀しているとは、妻も知らない。

パンティを脱がせばスカートの下がスースーするが、それが自覚を促(うなが)して妻の心積もりとしてもまぁ決心が付き、竹中氏接待の準備は万端である。

目的の為には妻に相当過酷な事が要求されるが、意識を変えるにはショックが必要だ。

この際だからしっかり型に嵌(は)めて、今日こそは甘ったれて居た事を思い知らせてやる。

腹を決めたから、これから先は妻に生易しい事はしない。

今までの生ぬるい根性を打ち砕いて、「素っ裸にシバキ(縛き)上げて叩き直してやる。」

その蜘蛛(くも)の糸の中に、妻は今日絡め取られて中心に引きずられて行く。

妻に取っては、日頃の想像を超えた非日常の世界を初めて体験する運命の日だった。



また、四人で竹中邸を訪れた。

妻は、「ここを乗り越えなければ次には進めない。」と腹を決めていたらしかった。

それならば、心身ともにその準備は出来ている。

岩代が、「総理大臣だろうが一庶民だろうが嫌な事を避けて遣って行けるほど、人生は甘くは無い。」と妻に言ったらしい。

確かに、総理大臣だろうが一庶民だろうが嫌な事を避けて遣って行けるほど、人生は甘くは無い。

どうせ目的は決まっているから、今度は挨拶もそこそこに省(はぶ)いて、酒の席から始めた。

もう、出資依頼の趣旨は話してあるから、妻に対する建前の話だが、接待で竹中との信頼関係が築けるかどうかに掛かっている。

つまりは、罠に掛かった妻がどれだけ恥辱(ちじょく)に耐えるのか、「それが楽しみ」と言う訳だ。


愛の無い性交には世の中では建前として批判的で、益してや遊びの性交など「持っての外」と言うかも知れない。

しかし一般的に、恋は一瞬の閃(ひらめ)きと伴に遣って来るが、愛は月日の積み重ねで築き上げるものだ。

「惚(ほ)れる」と言う事は「恋する」と言う事で、この時点で性交を許す間柄に成るのであれば、それを愛と想うのは勘違いである。

つまり愛情は、永い時間を掛けて育つべき奥深い精神である。

だから「惚(ほ)れたから」と言って、性交を許すその時点では互いの間にはまだ愛情など存在する訳が無い。

そう成ると、愛情が性交の絶対条件ではないのだが、愛が無い勘違いでも性交すれば肉体(からだ)は快感を感じる。

言うなれば、肉体(からだ)は愛情と関係なしに、性交すれば感じるように出来た居る。

その証拠に大人の玩具(おもちゃ)を使って試せば、愛情に関係なく肉体(からだ)はかなり強烈に性感を感じる。

つまり人間の肉体(からだ)は、愛ではなく「好み」と言う短絡的な感性だけで性交に到っても、犯れば充分に快感を感じる訳である。



昔の認識では、十八歳が自然に女盛りの年齢だった。

所が現代では、自然に逆らうように三十歳(みそじ)過ぎの晩婚が当たり前に成りつつある。

しかし女性も三十歳(みそじ)とも成る頃には、少なくとも四〜五人の男性経験が在るのが一般的である。

これをその都度「愛が在って」と弁明した所で、そんなに早く醒(さめ)める愛は愛では無いではないか?

そこで「ものは考えよう」だが、どうせ人間は生きている限り他人と関わりを持つ。

その関わりが夫婦の人生に於いて、確信的に只の通りすがりの性交遊技で在っても良いではないか。

どの道人間は、生き行くだけで「あらゆる穢(けが)れ」と向き合いながらの人生を送る。

だから性に対して不自然に潔癖で在る事は、それだけでもう人間性を病的に失っている事に成る。

であるなら、「性交を愉しみたい。」と言う別の短絡的な感性だけで、遊びの性交に到っても不思議は無い。



打ち合わせ通りだから、五人で酒を飲んでまた徐々に竹中が羽目を外し始めた。

やたらに妻の肉体(からだ)を触りだしたのだ。

今度は妻も、不安気で必死な笑顔を崩さずに、流石(さすが)に竹中の手を避けない。

ここまで来れば自分なりに真剣に向き合った末の結論で、もう独立計画の幕は上がったのだから、「周囲の期待に応えるしかない」と、妻も吹っ切れている様に見える。

どの道昨日の経緯(いきさつ)からして、口にこそ出さないが里美は、素っ裸に剥剥(む)かれて竹中に性玩具(おもちゃ)に弄(いじ)られる事を覚悟でここに来ている。

触られるくらいは覚悟のノーパンティにノーブラだから、胸も股間も触り放題にさせて、耐えている。

それでも妻の乳首が硬く成って、肉体の興奮は隠せない。

竹中は無遠慮にまさぐるから、ノーパンティもノーブラも、前に座って飲む私には実は丸見えで、それを必死に隠そうとするが、次第に露出が激しくなる。

じれったく成ったのか、しまいには細君(京香)に横から「いっその事こうしなさい。」とばかり片膝立てさせられて、妻はそのまま固まって、その立て膝を下げられない。

立て膝にさせれば、竹中氏の手は何処からでも妻の股間に潜り込む。

「ほぅ、奥さんも、少しは学習したようじゃ。」

立てた膝の隙間から、竹中の手が股間をまさぐる。

指が花芯ボタンを嬲(なぶ)り、花弁も掻き分けて柔ら壺の中にも入り込む。

竹中の手を振り払う訳にも行かないから、竹中の指が花弁も掻き分けて大事な所に潜(もぐ)り込んで来ても、妻はジットされるに任せて耐えている。

多分妻は、最初は悲壮な決意だったかも知れないが、それも竹中への接待が始まってしまえば周囲のペースで事が運び、哀しいや恥ずかしいなどと考えている余裕など無い。

私と岩代が座る向かえ側からは、妻の股間は丸見えで、本人は顔を赤くして懸命に隠しているが、竹中の手の動きで触られている乳房も股間もチラついて生めかしい。

恐らく、今までの貞淑(ていしゅく)ぶったプライドは「ズタズタ」と引き裂かれている事だろう。

そのうち竹中が、「出資は間違いなくするにはするが、昨日岩代君の細君(京香)があれだけ頑ん張ったのだから、所長の奥さんが何もせずに知らん顔では不公平だ。」と言い出した。

恐らく、弄(なぶ)りに弄(なぶ)られて妻の秘所が潤いを益し、「頃合は良し」と判断したのだろう。

竹中の事だから、妻の秘所が変化したのを指先で確認したに違いない。

こうした異常うな状態で弄(なぶ)られれば、肉体(からだ)は勝手に感じてしまうものである。

直(じか)に全身を触らせて既成事実化をした所で、「いよいよ追い込みに掛かろう」と言うのだろう。

投資をさせるからには、「今日は所長の奥さんの覚悟を見せろ。」と言う。

竹中氏の言い分では、私と岩代が「女性陣が接待で頑張るから信用して出資をして欲しいと言ったのだから、それを確認させろ。」と言うのだ。


抗(あらが)う事も許されず触られ捲くられてしまえば、妻の気分の方は犯されたも同然に成る。

それは硬い妻もやせ我慢をしている間に、これだけ何処もかしこも触られると、そろそろ気分的には「犯られた」と同じ事で、段々抵抗心の境目が低くはなる。

今度は覚悟の上だから、竹中の強引なお触りにも妻は何食わぬ顔をして居た。

だから私の視線の先で、抱き寄せたまま「奥さんどうだね、良いだろう?」と妻に詰め寄った竹中の指が二本、確りと肉花弁の中、柔ら壺にめり込んでいた。

指が二本、スンナリ入るからには、恐らく肉体的には感じていて受け入れ態勢が整うくらいに妻の秘所も濡れているのだろう。


「大丈夫ですよ竹中さん。今日は里美さんに本物の接待が出来る事をキッチリ証明させますから。」

細君(京香)が、ドサクサ紛(まぎ)れに横から留(とど)めを刺すように言う。

他の者には予定の行動だが、妻は心理的に追い詰められて呆然(ぼうぜん)と言葉も無い。

断る事は出来ないし、さりとて「良い」とも応えられない。

半ば許諾(きょだく)したようなものだが、それでも中々一線は超えられない。

妻が竹中の要求の返事に困り、立てた膝を下ろしもならず花弁の中の柔ら壺にめり込んだ二本の指の抽送を私の視界に晒(さら)したまま、私に救いの眼差しを送っている。

今、何が大事な事であるかを突き止めれば、おのずと答えは決まるもので、妻の非日常の時間が半ば強引に始まった。

妻は、「こうなったら何でもする」と言う気持ちでこの状況に向き合わなければ現在を乗り越えられない。

それで、乳房だろうが尻肉だろうが、それが股間の女性器であっても触らせ放題だった。

妻は抗(あらが)う事は赦されていない引き渡された肉体(からだ)だから、竹中は妻の裸身を撫で廻してその柔らかい感触を楽しんでいる。

先に進む情況が整い、後はもう周囲が切欠を作るだけだった。

前夜で学習済みだから、ゲストに存分に触らせるのも接待だと、妻は黙って笑顔で撫で廻わされ続けている。

撫で廻わされ続ければ妻に限らず感じるのが女体で、妻の呼吸が荒くなりハァハァと荒い息使いが口から洩れ始めている。

肉体(からだ)が感じ始めたのなら、ソロソロ縛り上げて竹中の前に大股開きで転がす頃合だった。

まさかこんな事が、世間の片隅で行なわれているなどとは誰も思うまい。

妻を助けようと言う者は、最初からここには居ない。

「君らは知らないだろうが、昔はな、ガードが無い事をノーズロと表現した。」

「エッ、竹中さんそのノーズロって何ですか?」

「ノーズロとはな、今で言うパンティみたいな下着・ズロースを穿(は)かない事で、つまり今の君らみたいなノーパンティはガードをしませんと言う意思表示だ。」

「そうですよ。今日は二人ともノーズロですから。ねぇ、里美さん。」

「エッ、えぇ・・・そうですね。」

竹中の言葉責めやお触りは、これから善がり囀(さえず)る里美と言う楽器(女体)をチューニング(調律・同調)させるようなものだった。

妻・里美への調教計画は順調に進んで、この時点でもう妻への陵辱舞台の幕が上がってしまっていた。

此処までお膳立てが出来て追い込まれてしまえば、妻は空(そら)を使っては居られず、肉体(からだ)を竹中に供してもけじめを着けねばならない状況だった。

妻・里美は、私が生贄(いけにえ)として調教を依頼し、竹中氏に裸に剥(む)いて引き渡した意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)である。

こう成ったら妻は、「小娘じゃあるまいし」と自分に言い聞かせて、ポルノ映画の様に生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインを務めるしか選択肢は無い。

竹中氏が立ち上がり、里美の前に半ば硬さを益した剥(む)き身の欲棒を突き出すと、「犯り方を知らない小娘じゃないのだから、早く咥(くわ)えなさいよ。」と細君(京香)が急(せ)き立てる。

有無を言わせぬ細君(京香)の勢いに推された妻の里美が、慌てて竹中の欲棒を咥(くわ)え、シャブリ始める。

妻の里美が必死で首を前後させて竹中の欲棒をシャブるから、口元で竹中の陰茎が見え隠れしている。

「竹中さんに一度イッてもらいます。里美さんは頭だけ咥(くわ)え止めて居なさい。」

里美が咥(くわ)えた竹中氏のいきり立つ欲棒のカリ首頭だけ咥えておシャブリの動きを止めさせ、細君(京香)が手を添えて陰茎をクィクィと扱(しご)き、竹中氏が発射する白濁した液体をを口中で受け止めさせる構えである。

竹中氏の欲棒が咥(くわ)えられた妻の里美の唇と陰茎との隙間からは、細君(京香)の扱(しご)きにつられて里美の涎(よだれ)が滴り落ちて行く。

とその時、竹中氏の欲棒がビクンビクンと脈打ちながら里美の口中で暴れ、青臭い体液がほとばしり出てドロリと里美の喉チンコにまとわり着いた。

赤の他人の射精を、口中に夫の目の前で受け止めれば妻の里美も、もうこの独立計画から引き下がれないに違いない。

情況が盛り上がって、もう断る事が出来ない事くらい妻も承知しているから、ここで私が「犯れ。」と引導を渡せば、妻に逃げ道は無いだろう。

頃合良しと竹中が「奥さんどうだね、ソロソロ本題に入っても良いだろう?」と妻に詰め寄った。

私が「判りました。」と返事をして、「おぃ、そうして頂け。竹中さんに愉しんで頂くのだぞ。」と言い渡した。

それを受けて岩代が、「それじゃぁ、奥さん支度をしよう。」と、腕を取って妻を立ち上がらせ、隣の部屋へ連れて行く。

ズルイと言えばズルイ事に、充分話し合った末の曲がりなりにも本人に選択させる手口であるから、妻の里美もその場に成って嫌とは後に引けない。

私と細君(京香)が直ぐ後ろから、付いて行き、もうそこからは妻に考える暇は与えず、「脱兎(だっと)のごとく」で有る。

三人で隣りの部屋に連れ込んで、「まさかまた岩代の細君に代役をさせる訳には行かないから。」と言い包(くる)め、「もう、逃げ場は無い。」と引導を渡した。

「さぁ、竹中さんに可愛がって頂く支度をしましょうね。」
細君(京香)が妻に言いながら、背後から妻のミニスカートの止め金を外し、フアスナーを降ろしに掛かる。

私は妻にバンザイをさせ、セーターを上に捲り上げ、細君(京香)と私でミニスカートとスェーターをほぼ同時に剥(は)ぎ取る。

薄々覚悟はしていたのか、隣の部屋に連れ込まれて着衣を剥(は)がされ始めた妻は、さして抗(あらが)わずに驚愕の表情で身を委(ゆだ)ねている。

ノーパン、ノーブラだから手間は掛らない。

驚愕する妻を、三人掛りで強引に素っ裸にヒン剥(む)いた。

易々と逃げ切れない状況に追い込まれて、妻・里美は今、素っ裸で此処に居る。

岩代は、既に持参の麻縄を紙バックから取り出して畳の上に広げ始めている。

妻に向って、「さぁ、人間こう言う事を避けては成らないお勉強なのよ。」と細君(京香)が言った。

妻は上背は程々だが、日本人離れして股下が長い為、見るからに脚が長く、体型のバランスが良い。

三人掛りで脱がしたからたちまち乳房がこぼれ出て、次には恥毛が蔭る股間もと、妻は一糸まとわぬ美しい姿を晒(さら)した。

陰毛の下部に開く二枚の肉花弁など生々しく卑猥(ひわい)な自分の股間を大勢の他人前(ひとまえ)で晒すなど、妻は考えても見なかった。

だが、その考えられない事態をイザ犯って見ると、妻は多くの他人の視線を意識して胸を締め付けられ脳が痺(しび)れるような特殊なM(マゾ)感情が湧いて来た。

つまり妻は、人前で多くの突き刺さる様な視線に全裸体を晒す異常な状況に置かれて、不覚にも感じてしまったのだからそれは素直に認めねば成らない。

正直、密かに自慢のプロポーションだから、他人の視線を意識して全裸体を見せる事にも妻は「どうだ」と言う半ば自慢の想いがある。

そしてこの延長線上に自分への輪姦陵辱が待っていると想うと、妻は子宮がカーッと熱くなり中が濡れて来るのが判った。

思考が常識的に否定する行為を、恥ずかしいけれど妻の肉体(からだ)が期待していた。

自然の造形美とも言うべき妻の裸身である。

およそ平均的な日本人らしい黄色く張りのある滑らかな触り心地の肌が、興奮でシットリと汗ばんでいるのが判る。


だから人生と言うものが面白いのかも知れないが、人間誰しも先の事は闇で、人の生き方は多かれ少なかれその一瞬の思いも拠らぬ事で変わる。

「して犯られた」と怒りは感じて居ただろうが、妻はもう今までの自分ではイケナイ状況だった。

選択肢は二つに一つの、ここは妻にとって正念場で、嫌なら逃げ出すしかないが逃げ出せばこの独立話は終る。

「竹中氏は事業のスポンサー」と言う手付けの段階で、妻・里美には契約上犯られる義務が生じているのだから、今更契約の不履行は出来ない。

心理的に追い詰められて妻のM(マゾ)性が覚醒(かくせい)したのか、妻はもう明らかに興奮の極(きわ)みに達していた。

三人掛かりで、何も覆(おお)う物の無い全裸に剥(む)かれ、乳首が立った乳房を揺らしながら、妻は竹中家の使い込んだ畳の上にうずくまった。

中肉中背(ちゅうにくちゅぜ)い、おわん型の二つの乳房、くびれたウエストに縦長の臍、やや薄めの恥毛に三角形に覆われて、柔らかそうに丸身を帯びて膨らむ恥丘が露(あらわ)になった。

その下の一見無駄毛にも見える短い恥毛が絡む小さ目で厚さは並程度の可憐な二枚の肉花弁も、最早(もはや)隠し様が無い。

夫として多少憐憫の情は有ったが、妻を、限りなく恥ずかしく卑猥に攻め立てる事によって、妻の性に対する概念を変えて行く計算だったから、ここで手は緩められない。

岩代が縄を取り出し、「それでは、公平に昨日の京香と同じにする。」と宣言して、妻に「子供じゃないのだから良いね」と念を押した。

横から細君が、「昨日竹中さんに逆らって、私に迷惑掛けたお仕置きだから。」と追い討ちを掛ける。

困惑顔の妻が、岩代夫婦に言われた応えを聞いて私は安心した。

術中に嵌(はま)って吹っ切れたのか、妻が小声で「ハィ、判りました。」と言ったのだ。

予(あらかじ)め岩代が用意した拘束プレィ用の縄が使われた。

プレィに使用する縄は肌に直接巻く縄に太い麻縄を使う事は無く、五ミリ太程度の細めの麻縄を肌に馴染む様に良く扱(しご)いて揉み慣らして柔らかくし、それを三本ほど一本に束ねて使い、太い縄はその三本縄と結んで吊るし用などに使う。

私と細君の手を借りて、スルスルと岩代の縄目が妻の裸体にまとわり着き、後ろ手拘束、上半身亀甲縛りに絞った上に畳に仰向けに倒して寝かせる。

両足の太腿と脛(すね)を片方ずつ足首まで縄を巻いて束ね、それぞれの縄掛けした膝頭(ひざかしら)を縄で左右に引いて固定すれば、妻は、股間剥(む)き出しの大股開きに固定される事になる。

剥(む)き出しの股間には、薄めの陰毛の隙間から桃色の花芯ボタンが、小さい丸みを帯びてむき出しにせり出し、左右に開き気味の、小さ目で、厚さは並程度の可憐な肉花弁が露(あらわ)に成って、僅(わず)かに濡れて光っている。

興奮すると香りが強く成るのか、妻の裸身からは、覚えのある甘い香りが立ち昇っている。

フト、「この香りは、細君(京香)の香りと同じだ。」と思った。

もしかして、こう成る予感は妻にも少しは在ったのかも知れない。

もう、抗う気が失せている妻を立たせ、三人がかりで有無を言わさず縄掛けし昨日の細君(京香)と同様に畳の上に寝かせると、股間を上向きの仰向(あおむ)けに寝かした。

妻は昨日の細君(京香)と同様にマングリ返しに縛り上げて竹中に引き渡すと決めてある。

左右の足首を別々に何重かクルクルと巻き、その縄を左右順番に頭方向に引いて両足が耳の辺りに無理やり引き絞られ、その縄先が例の鉄パイプに縛り付けられて強制マングリ固定が完成した。

妻の両の太腿(ふともも)の付け根、モワ〜ッと妖しげな恥毛を蓄えた恥丘の下部に、無駄毛にも見える短い恥毛が絡む二枚の可憐な肉花弁が二枚貝のように生々しく閉じて見え。

大きく開いた股間の、剥(む)き身の二枚の肉花弁の内側にピンク色の蕾を持つ陰門(いんもん)も、周囲に短い陰毛もへばり付くア*ルの蕾まで丸見えである。


何事にも「止めるか夢中に成るか」のどちらかが人間の一般的心理で、根が真面目な妻は、「犯る」と決めた以上それが例え性奉仕の接待でも真面目に努める積りらしくされるがままで居る。

妻には、現実を自覚させる為に目隠しはしない。

思うにここで、現実を妻に実感させる事が大事である。

あえて誰に犯されているのか、躾(しつけ)の為にも視覚と脳に焼き着つかせる積りだ。

縄支度の間、妻は操られる様に手足を委(ゆだ)ね、指示に頷きながら体を動かして、されるに任せていた。

時折、岩代の手や私の手が妻の裸体に触れるが、この拘束作業では妻も恥ずかしがる余裕も

古い表現だが、拘束されて「縛(ばく)に着く」と言う事は、「自由を奪われる」と言う事で、この時点で妻は、自らの自由を放棄し、愛奴隷に成った事を意味する。

究極の拘束状態に置かれ、何もかも剥(む)き出しにされた恥じらいなのか、妻の顔と裸体に赤味がさしている。

「この閉じた二枚貝みたいな肉花弁は、少し多目に経験させて股を開いたら直ぐに開(ひら)くくらいにしなきゃ駄目だな。」

「そうですか。それじゃあ会社が軌道(きどう)に乗ったら宝飾の花びらクリップを造って奥さんに装着させましょう。」

岩代が、閉じた妻の肉花弁を一指し指と中指で広げた。

「そりゃ良いな。宝飾クリップで開きっ放しにさせるのか。是非見たいものだ。」

「キット良い接待の目玉に成ります。」

「それだけインパクト(衝撃)が在れば相手も驚くじゃろう。」

冗談だと想っていたこの竹中氏と岩代の卑猥(ひわい)な宝飾クリップの会話が、まさか後で本当に実現するとは想わなかった私である。


例え「仕方が無い」と言う消極的な心境でも、「直(すなお)に縄掛けに応じた」と言う事は妻には竹中に犯られる覚悟が決まっている事を示している。



岩代さんが、「総理大臣だろうが一庶民だろうが嫌な事を避けて遣って行けるほど、人生は甘くは無い。」と言いました。

私(里美)が「はぃ。」と、力無く承諾した時点が、決断の瞬間だったのです。

分かれ道に、何と私(里美)は「陵辱の道」を選んで、その後を決めました。

この課題、どう生きても人生は人生で、「後悔」はどちらを選んでも在るのです。

そうなると、将来にチャレンジ出来る方は捨てられません。

「どうせもう逃げられない。どうせなら後悔はしたくない。」

私(里美)は悟ったのです。

笑う事も、泣く事も、実は精神のバランスを取る為の、「必要な事だ」と言う。

それなら、真正面からの、「ハチャメチャなセックスで、頭を真っ白にして見るのも、一つの方法だろう。」と言い聞かせました。

私(里美)には、夫の「本当に、お嬢さんのお前に、接待が出来るのか?」と言う言い分に対して、意地もありました。

第一、共同経営者の岩代夫婦に「犯る」と応諾の言質(げんち)を取られてここまで来てしまえば、もう背を向けるのは「卑怯者」と言う事です。

覚悟を決めれば、もう目を瞑(つむ)ってその場を犯り過すしか有りません。

どうやら本音の世間は、私(里美)の想像以上で、独立して仕事をする事を選択した以上、皆が言う様に、これからはその世界に身を置かねばならないのです。

それには、「従来の倫理観に囚われていては、何も出来ない。」と言う事だったのです。

それで、何度も皆から念を押された意味が判りました。


京香さんから粗方(あらかた)接待の心得を聞いていて、パンティの一枚も穿(は)かない素裸に前空きボタンのワンピース一枚着ただけで竹中邸に連れて行かれたのですから、私(里美)の運命は凡(おおよ)そ想像が着きました。

その想像をあれこれ思い巡らしていて、不安と同時に何とも言えない呼吸が荒くなる程のドキドキ感が私(里美)にある事に気着きました。

つまり恥ずかしい事に、腹を括った自分(里美)は結構強(けっこうしたた)かに竹中氏に陵辱される自分(里美)を想い描いて密かに興奮していたのです。

正直下着を脱いだ時点で私(里美)の気分は既に娼婦で、そうなると後は非日常の性体験を期待するのは然(さ)して異常な事では無いのかも知れません。

馬鹿正直な「そんな事は在り得ない」と言う希望的先入観だけで、世の中を判断する事は安易に過ぎるのでしょう。

私(里美)は世の中ほんの一部を知るだけで世間の裏側を覗けば、想像を遥かに超えるエロティックな闇が、私(里美)が気が着かないまま潜んで居るのかも知れないのです。


誰も口には出さなくても、昨日京香さんが犯ったのですから今日はもう私(里美)の番だと薄々気が付いています。

自分で選んだ事で今更後には引けませんから、もう最後は「どうにでも成れ」と言う心境でした。

内心覚悟の上ですから、京香さんの言い成りにノーパンティの股を開いて片膝を立て、竹中さんが触り易い姿勢で酌を始めました。

直ぐに無遠慮な竹中さんの手が私(里美)の股間に潜り込んで来ます。

竹中さんの指先が私(里美)の開き気味に片膝立てた太腿(ふともも)を撫で回し、コソバユイ感触が脳に伝わって来ます。

サワサワと鳥肌が立つようなけして気持ちが良い訳ではない感触で奇妙な感覚ですが、接待を引き受けた私(里美)には耐える意外に選択肢は無く、撫で回される事を抗(あらが)う訳には行きません。

振り解きたい衝動を抑えて撫で回す竹中さんの指先を受けていると、その指先が股間をまさぐり、「アァ・・・」私(里美)の肉花弁の隙間に花弁を押し退けて入って来ました。

京香さんに強いられて片膝立てて大きく開いた股間は閉じられませんから、竹中さんの指先が私(里美)のアソコを犯す様が、前に座る夫や岩代さんから丸見えの筈です。

コッソリ触られるならまだしも、竹中さんの指先に犯される私(里美)のアソコは夫達には全開で晒(さら)し者になっています。

夫や岩代さんに観られていると意識した途端、頭の中が真っ白くなると同時に、脳みそを串刺しにされたように自分でも驚くほどの快感が股間から脳に上って来て、思わず腰を使って竹中さんの指先の抜き挿しに応じていました。

「ホゥ、意外と感じ易い奥さんだ。」

竹中さんの囁(ささや)く声が耳元で聞こえ、ハッと我に返って夫の顔を見ましたが、当然見えているのに夫は見て見ぬふりでそ知らぬ顔をしています。


岩代さんに「それじゃぁ、奥さん支度をしよう。」と一声掛けられると、不思議な事にその支度が昨日の京香さんのように「裸で縛り上げられる」と判っていながら、私(里美)の抵抗感は薄れて居ました。

だから覚悟を決めて岩代の指示通りに身を任せていたら、昨日の京香さんと同じ恥ずかしい格好で、縛り上げられてしまったのです。

覚悟は決めていた積りでも、正直寄って集(たか)って一枚きりの衣服を脱がされ岩代さんに縄掛けされている間は、心臓がバクバクするくらいの驚きと不安で呼吸が息苦しかったのです。

それが吹っ切れたのは、股を開いた形に拘束されて身動き出来ない私(里美)の中に竹中さんの欲棒が入って来た瞬間でした。

だってもう犯られちゃったのですから、吹っ切るより仕方がないでしょう。


もう私(里美)は、竹中さんに犯られる覚悟をしてここに来ていたのです。

覚悟してしまうと不思議なもので、矛盾する事ですがどこか心の片隅に「自分はどんなに恥ずかしく犯されてしまうのだろうか?」と言うほのかな期待が芽吹いて、下半身にジーンと熱い物を感じていました。

この心境の変化を可とするか不可とするかの葛藤は、「独立の為には断れないのだから仕方が無い」と言う立派な理由が逃げ道になって、自分を納得させてくれました。

それは、鳥肌が立つほど恥ずかしかったのですが、不思議な事に「嫌」と言うよりむしろ快感だったのです。

ここまで事が運んでしまえば、今更何を考えても遅いのです。

非日常の異常な状態に置かれた異様な羞恥心の興奮が、私(里美)の脳を刺激します。

両手は後ろに廻され、手首と二の腕をガッチリ合わせて縛り、肩から胸に廻して縛り上げられ、両乳房も亀甲に縄掛けされて、両足の足首を縛った縄を、乳房の位置の脇まで持って来た状態で、胸に廻した縄に繋いで固定され転がされました。

所がどうでしょう、何かジワーンとした感情が湧きあがり、私(里美)の秘部は、「これからあの竹中さんの欲棒が私の中に入って来る」と思い、もう隠し様が無い状態で潤いを見せ、竹中さんの陵辱を待っているのです。

少し身をよじって見て、身動き取れないと感じると、何故かこれからされる事は、「動けない状態でされるのだから仕方が無い。」と、言い訳が出来た様な気に、私(里美)は成れました。

それにしても、望まない筈なのに、自分の子宮が「ジン」と熱く成る気がするのは、何なのでしょうか?



形としては、背中が床に着いたやや倒し気味の変形なマングリだが、見事なマングリ返しの据え膳が出来上がり、私が竹中を呼んだ。

「竹中さん、内の奴の支度が出来ました。」

私が竹中にかけた声を聞くと、妻は目を閉じて観念した様だった。

キット昨日の細君(京香)の陵辱の光景が、頭を駆け巡っているに違いない。

妻にとって、あれが今日のわが身である。

妻の二つのふくよかな乳房も、興奮でコリコリに成った乳首を立てて麻縄に引き絞られ、ヒシャゲ気味に美しさを誇っている。

そして丸く膨らむ恥丘の、薄めの陰毛の隙間から桃色の花芯ボタンが、小さい丸みを帯びてむき出しにせり出している。

花芯ボタンと繋がるように左右に開き気味の、一見無駄毛にも見える短い恥毛が絡む、小さ目で厚さは並程度の可憐な肉花弁が露(あらわ)に成って、大きく開いた股間の、二枚の肉花弁の内側にピンク色の蕾を持つ陰門(いんもん)さえも露出している。

縛り上げて良く見ると、竹中に散々に触られていたから妻の股間は濡れて光っていた。

危険な賭けだが、仕方が無い。

投資してもらうのだから、妻には「どんな事でもする。」と言う「淫の覚悟」が必要になる。

殆ど考える暇もなく、妻は抵抗の出来ない姿にされ、頬を幾分赤く染め、無言で戸惑いの表情を浮かべていた。

「おぅ、コリャ奥さん見事なオマ*コおっ広ろげポーズじゃな。」

「竹中さん、折角大人しく縛(しば)かれた内の奴を余り刺激しないで下さいょ。」

「馬鹿を言うな、本人(里美)も腹を括ってその気に成って縛(しば)かれて居る様だ。こうなったらもう、卑猥な言葉でグィグィ責め絶(た)てる事じゃ。」

「そんな事を言ったら、水をぶっ掛けるように内の奴が興醒(きょうざ)めに成りませんか。」

「良いか、男はな見て愉しむ方の性癖が強いが、女の本性はな卑猥な言葉で虐められると興奮する性癖が強いのだ。理屈は後で教えてやるが、こう言うプレィの時は言葉責めが効果覿面(こうかてきめん)じゃ。わしに任せておけ。」

陰茎に青筋が立つほど硬くそそり立つ竹中氏の欲棒は、眩(まぶ)しいくらいだった。

「竹中さんもお元気ですね。」

「岩代君に京香を宛がわれて生き返った。人間、若さを保つには色気が一番だからな。」

「私も素直(すなお)に、竹中さんを見習いたいものです。まぁ、遠慮なくお愉しみ下さい。」


さて、これは竹中が妻を犯り終えて岩代にバトンタッチした時に、岩代と妻の一戦を見ながら私に教えたのだが、要約すると男女に於いては視覚要求と聴覚要求の違いが在る。

その原因であるが、【右脳】・【左脳】の大別した働きのさりながらもう一方で男女の特質的な得意分野の違いが、そのまま脳分野部分の発達箇所に男女違いが出来ている事である。

脳はその部分ごとに役割を分担して受け持っているが、男女には特質的に夫々の得意分野があり、その得意脳分野部分の発達箇所に男女違いが在り、その顕著な違いは「男性は立体空間認識が得意」で「女性は言葉の記憶認識が得意」と言う物になる。

それを逆に簡単に言うと、女性は男性に比べ方向音痴、男性は女性に比べ結婚記念日でさえ覚える事が苦手と言う訳である。

一方、思考に拠って問題解決をしようとした時、男女は夫々の得意脳分野部分の発達脳部分を使って答えを導き出す。

学問でも恋愛でもその男女の答えが「最終一緒に成った」としても、男女は夫々に得意分野の発達脳部分を使っている。

男性は立体空間認識・・・つまり視覚情報から立体映像化して、女性は言葉の記憶認識・・・つまり聴覚情報から文字化して発想を開始するので、答えを導くプロセスに違いが出る。

つまり男女の仲に於いては、固体に拠り程度の差こそあれ男性はロマンチックな愛の囁きよりも視覚に拠る女性の肉体に興奮し、女性は言葉の記憶認識で愛情を確認するのだから毎日でも毎時間でも「愛しているよ」と囁いて欲しいとする根本的な違いがあるのだ。

そうした聴覚要求を持っているからこそ、卑猥モードに切り替わった脳を拠り刺激するには現在自分が置かれた立場を拠り卑猥な言葉と共に犯し責められる事が女性が拠り肉体的刺激を感じ易くして快感を高める効果があるのだ。



後戻りが出来ない人生の岐路なんてものは思わぬ所から始まる物で、私達夫婦の場合は妻の里美が素裸に縄掛けされて大股開きでマングリに固定され、竹中氏の欲棒を受け入れて抜き挿しされた瞬間だった。

妻のM字に開脚された両足の真中には、ビキニラインとも呼ばれるV字型の太腿(ふともも)の付け根と、そこから切り替わって丸く膨らみながら陰毛を蓄える恥丘、その最下段に可憐に開いた二枚の肉花弁が、これ見よとばかりである。

「後ろ手、まんぐり返し縛り」の体制で縛り上げられて固定されているから、股間が丸出しの状態で妻の恥ずかしい陰毛と花芯、アナルの蕾(つぼみ)までが天井を向いて花弁は少し開いている。

お嬢さん育ちの妻は、縛られるのも好きでもない男に犯されるのも多分初めての体験だ。

恐らく、何がどうなったのかの判断も出来ないほど、思考が混乱しているに違いない。

妻には自分の身に信じられない事が起こっているが、その性交に相対(あいたい)の愛情が絡まなければ、岩代夫婦が言うように「只の誓約(うけい)の証明」に他ならない。

いずれにしても、絵本の夢物語を未だに信じて暮らしている様な妻は、岩代が言う様に「脳の一部の成長を、自分から押さえ付けているのかも知れない。

ここは自分でそれを認識させ、開放せねばならない。

人間皆、普段は何食わぬ顔をしていても、性行為はチャッカリ行っている。

それに夫婦に成れば、性行為をするのが当然の事で、変に性への嫌悪感に拘(こだわ)る理由は無い筈だ。

「内の奴は、何を考えて結婚したのだ?」

そう考えると、「今までの夫婦生活は何だったのだろう?」と、忌々(いまいま)しい思いが湧きあがって来る。

妻への加虐心が沸々と湧いて来た。

良ぉし、ここは自分から竹中氏に「してくれ。」と言わせよう。

性感は体感だけではない。

メンタル的な部分も比重が大きい。

これはお仕置きだから、恥ずかしさと快感を一度に妻に味合せるのが理想的だ。

そして妻に、自分から「してくれ」と言わせれば、もぅ嫌も応も無い。

「おぅ、これは美乳の良い肉体(からだ)じゃ、これなら良い接待女性(せったいおんな)に成るじゃろう。」

竹中氏が目を細め、改めて妻の裸体を品定めしている。

ポルノ映画のように、大股開きに固定された妻への竹中の調教は始まった。

「さて、この美乳の触り心地はどんなじゃろう。」

竹中は天に向かって丸く膨らんだ妻の乳房をムンズと掴んだ。

手始めに、乳首を硬くした柔らかそうな妻の乳房が無遠慮に竹中に揉みしだかれて波打ち、掌(てのひら)の指に幾分コリコリと挟まれて間から突出した妻の可憐な乳首が刺激を受けている。

妻の、縄掛けされ閉じる事を禁じられた柔らかそうな太腿(ふともも)の内側が、そして恥毛をかざす二枚の肉花弁も、眩(まぶ)しく竹中を誘っている。

「おぃ里美、礼儀だろう、竹中さんにどうぞ私のオマ*コをお使い下さいと挨拶しろ。」

もぅこの時とばかりに、妻に強制的に恥ずかしい事を言わせた。

「早く言え。接待する方が、場の雰囲気を壊してどうする。」

身動きが出来ないあられもない姿の妻が、頭を動かして僅(わず)かに頷(うなず)き、「どうぞ、私のオマ*コお使い下さい。」と、妻のか細い声がした。

「そうか、どれどれ。奥さんのマ*コの味はどんなじゃ?まぁ、これも経験じゃ。一皮剥(む)けたら女は拠り美しく成るからな。」

竹中氏が、使い込んだ古畳にマングリ状態で拘束されて転がっている妻の下腹部にしゃがみ込んだ。

戸惑いの表情を浮かべながらも抗えないでいる妻を尻目に、竹中氏は妻の裸体を笑いながらまさぐって感触を楽しんでいる。

「所長、流石(さすが)に肉体(からだ)の方は正直と見えて、スラックスの下でテントを張っているじゃないか。」

「いぇ、内の奴がこれから竹中さんに犯られるのかと想ったら不覚にも興奮してしまいました。」

「良いじゃないか、この場では奥さんを客観的に女性と観ているのだから。此処はそう言う非日常のお愉しみの場だ。」

「そうですね。この場は開き直って、内の奴の善がり振りを客観的に観て愉しませてもらいます。」


「それじゃあ、まずは奥さんのお道具を見せてもらおうか。」

竹中が、尻の双丘をギュッと握って左右にグィ開くのを妻の里美は感じた。

「あぁ、私(里美)の女の部分を見られている・・・。」

妻(里美)が想像するに、自分のア*ルの菊の蕾(つぼみ)はおろか二枚の肉花弁までパカッと開いて、余す所無く竹中の目の前に曝(さら)け出されている事を感じている。

それは妻(里美)に取って精神的には究極の辱めなのだが、それだからこそ乳房の乳首が勃起して居る所を見ると、子宮が熱くなるのを感じたに違いない。

股間の剥(む)き出された小豆粒ほどの可愛いい花芯ボタンや二枚の肉花弁内側、柔ら壺の入口に、竹中氏が舌先を走らせる。

舐められて細かく下半身を震わせて、突き上げる快感に耐えていた妻(里美)に、一瞬困惑の表情が走る。

妻(里美)の花芯ボタンが、竹中氏の舌先に強烈に弄(なぶ)られて居たのだが、竹中氏の頭の位置が移動を始めた。

見ると、後ろ手、M字まんぐり返し縛りに拘束された妻(里美)の尻肉の双丘は、竹中氏に荒々しく掴(つか)み広げられ、舌先を菊座に入れられて小刻みに身体を震わせている。

それが、これから起こる陵辱劇の助走だった。

竹中氏の支度は細君がした。

口を使って素早く欲棒にゴムを被せる技は、細君(京香)の神技である。

妻(里美)は、夫の私が生贄(いけにえ)として竹中氏に、裸に剥(む)いて引き渡した意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)である。

こんな状況で素に戻ったら犯っては居られないから、妻(里美)はこう成ったらもう犯られ役のAV女優気分に徹するしか無い。

手に入れた妻の柔らかそうな肌の感触を、竹中氏は面白がって嬉しそうにニヤつきながら撫(な)でて確かめている。

まぁ、竹中氏が妻の裸体の乳首を容赦無く摘(つま)もうが太腿(ふともも)を撫(な)でようが、二枚の肉花弁の中に指先を挿し込もうが妻(里美)は耐えるしかない。

「これからは接待で頑張ろうと言う奥さんが、何を恥ずかしがって居(お)る。」

「いぇ、・・・・・・。」

妻は言葉を飲み込んだ。

竹中氏の手の平が指先が妻の膝頭を撫でながら這い進み、太腿(ふともも)に達していよいよ大きく開放され露(あらわ)に成った股間の二枚の肉花弁に触(ふ)れて居る。

妻(里美)の脳が、この先の欲棒の受け入れを意識してか、二枚の肉花弁のスリットの奥は既に淫液に潤んでいた。

「成る程この嫁さん、此処は期待汁でもうビショビショじゃないか?」

それはこの非日常の環境の中でこれから起こる事を想像した結果を肉体(からだ)が勝っ手に反応したのだが、竹中氏「期待汁でビショビショ」と指摘されてしまえば、妻はもぅ格好を付けても仕方が無い。

その水々しく潤(うるお)った妻(里美)の花弁の隙間に、竹中氏の二本の指先が「さて、どんな声でさえずるかな?」と今コジ入れられて行く。

そしてその数十秒後には、指の抜き挿しに攻められて腰を浮かして身悶(みもだ)えながら、妻(里美)は竹中氏に敏感な花芯肉ボタンやら二枚の肉花弁まで舐(な)め廻されて、確かにヒィヒィとさえずりながら耐えている。

「アーイー、アーイー、アーイー、アーイー。」


妻(里美)は、縄で拘束されパックリ左右を固定されて、仰向け大股開きで竹中氏の凌辱を待っている。

竹中氏が妻(里美)に引導を渡したのが、指の根元まで柔ら壺に挿し込むポルチオ攻めの手淫性技だった。

この手淫では、子宮頸部のうちで膣(ウァギナ)に突出した部位(子宮膣部)のポルチオ攻めが女性の快感効率が良い。

ポルチオとは、膣(ウァギナ)の奥の方に存在する、「子宮口(子宮の入口)」ので、触るとコリコリしていて、軟骨っぽい感じがする。

ポルチオは、「Gスポットの何倍も気持ち良い」と言われていて、確かに、ポルチオは強烈な快感を感じる事のできる性感帯である。

指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ妻(里美)の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身する。

本来ポルチオは、欲棒のカリ首が突っいたりカリ首エラが擦(こす)れたりの感触に反応する事に優れて存在している。

この指の根元まで挿し込む手淫は、妻(里美)のポルチオを刺激して悶絶(もんぜつ)直前まで追い込む目的の行為だった。

ポルチオとは、膣(ウァギナ)の奥の方に存在する、「子宮口(子宮の入口)」の事で、「Gスポットの何倍も気持ち良い」と言われている強烈な快感を感じる事のできる性感帯である。

本来ポルチオは、欲棒のカリ首が突っいたりカリ首エラが擦(こす)れたりの感触に反応する事に優れて存在している。

この手淫性技に掛かったら、余程鈍感な女性で無い限りは全身が性感帯に成ったがごとき猥褻(わいせつ)な感覚に善がり身悶(みもだ)える事になる。

海綿体の粘膜は性感帯で、男女の性器だろうが唇やア*ルの菊座だろうが鼻の穴の内側まで、擦(こす)れは快感に通じていて、竹中氏はそれを同時に攻めているのだ。



「自分の責任で解決する覚悟をしていると自分で言っただろう。お前は今から竹中さんに嵌(ハメ)て貰うのだ。そうお願いしてみろ。良いな。」と私が叱咤(しった)した。

「はぃ。竹中さんどうぞ里美のオマ*コに嵌(ハメ)てお愉しみ下さい。」と、力無い返事が返って来た。

「さあ、竹中さん妻(里美)も覚悟をしているそうですから。遠慮なく犯って下さい。」

「当たり前じゃ。それじゃあ頂くとするか。」

竹中が、妻(里美)の花弁に硬くなった欲棒のエラの張ったキノコ状の張り詰めたカリ首を宛がうと、妻(里美)が「ビクン」と反応した。

いよいよ、身動きが出来ない妻(里美)の二枚の肉花弁を圧し分けて、花弁中(柔ら壺)に竹中氏の欲棒が挿し込まれグィと捻じり込まれて行く。

夫の私が見守る眼前で竹中氏の欲棒が妻(里美)の大きく広げて固定された股間にズブリと突き挿さって、妻の貞操感は文字通り止(とど)めを刺された。

目の前で、竹中の黒光りする使い込んだ坊主頭の海綿体が、ユックリと妻(里美)の大きく開いた股間の、二枚の肉花弁の内側にピンク色の蕾を持つ陰門(いんもん)の中にズブリとメリ込んで行くのがわたしに見えていた。

「アァ。」と妻(里美)が小さい声を出した頃には、その欲棒が根元までスッポリ嵌(はま)っていた。

二枚の肉花弁がパックリ開いて、他人(竹中)の欲棒をグサリと嵌(は)め込まれた妻(里美)の生々しい柔ら壺の入り口も丸見えである。

羞恥心もあるのか、妻の柔らかい肌触りが興奮でシットリと汗ばんでいる。

女陰器諸出(じょいんきもろだ)し諸見(もろみ)せで拘束され、欲棒を抽入されてしまえば、もう夫に気兼ねなどして居る暇(ひま)は妻には無い。

私が見ているのも構わず竹中氏が腰を使い始め、気持ち良さそうにユックリと欲棒の抜き挿しを続けている。

その抜き挿しで妻(里美)の股間に生々しく竹中氏の陰茎が二枚の肉花弁を捩(よじ)らせながら見え隠れし、少し間延びした妻(里美)の善がり声が圧し殺した様に漏れていた。

ズブリと竹中の欲棒を受け入れた自分の女陰への私の視線を意識すると、妻(里美)はカァーと下半身が熱くなる羞恥心を覚え目を瞑(つむ)る。

瞑(つむ)ると、竹中がクィクィと腰を使って繰り出す抜き挿しで内壁を擦(こす)るカリ首の刺激が妻(里美)の中で一層興奮が高まって来る。

妻(里美)の股間にズブリと嵌(はま)った他人(ひと)の欲棒が、生々しく抜き挿しされ、陰茎が見え隠れしているのを目の当りにするのは夫として衝撃的である。

しかし妻(里美)が、多くの他人(ひと)に犯られて身悶えているのを観て、「愛しい」と想ってこそ、究極の「独占欲無き本物の夫婦愛」かも知れない。

性行為と愛情は必ずしも一致しないもので、性行為は性的興奮だけで犯れるものだから、「愛か無ければセックスなど出来ない」などとややっこしい事を言うから世の中が混乱する。

つまり、婚姻相手以外の他人(ひと)と遊びの性交をしたからと言って、それは愛情の有無として問題にするべきでは無い。

そうしたアクティブ(前向き・攻撃的)な夫婦間の感情こそ、評価すれば「あっぱれ」である。


私は、竹中氏が妻の花弁に「グイ」と欲棒を抽入し抜き挿しする所まで見届けると、「置いて行きますので、よろしくお願いします。」と言い置いて、無防備の妻を預けて岩代達と外に出た。

竹中には、手加減せずがっちり甚振(いたぶ)る様に頼んである。

日頃私に対して横着なSEXをしていたお仕置きだから、身に染みてもらわねば成らない。

さて、無理やりここまで持ち込んだが、今度は終わった後の妻が「どう出るか」が心配だ。

まぁこちらとしては、これを機に少しは色気のある女に変わってくれれば良いのだが・・・。

避けられない状態で、様々な性体験を強引に強制された後、体験後に、性に対して「既成概念に囚われない柔軟な発想」が、妻(里美)に出来るかどうかが、問われる事になる。

本音の所、清く正しい性交など誰が望んで居るだろうか?

性交など、その行為の味付けとして依り濃い猥褻(わいせつ)な物でなければ興奮はしない。

つまり世の中、表面的な綺麗事だけで済む筈も無く、妻(里美)が人生の裏側も認めて女を曝(さら)け出さないと良い夫婦生活など望むべくも無い。


縛られて股間も閉じられないこの恥ずかしい格好を「他人の竹中さんにマジマジと観られている」と羞恥心(しゅうちしん)を感じると、興奮で脳にアドレナリンがドバッと吹き出るのを感じます。

防衛本能から脳が感受性を好転させる為にアドレナリンやドーパミンを噴出させるのらしいのですが、結果的にそれが性交快感をより増幅させて今まで経験しなかった快感を得るのですから堪(たま)りません。

一方的に支配される服従隷属(ふくじゅうれいぞく)の被支配感も、何故か何かを期待させます。


こんな行動が間違った結論かどうかは、永久に出せない結論かも知れません。

それでも結論を出さなければ成らない時はあります。

夫の目の前で竹中さんに抽入されたその一瞬で、「女の貞淑」に対する脅迫観念から開放された思いでした。

今は私(里美)一人が竹中さんに預けられ、抽入された竹中さんの欲棒がユックリ深く浅く抜き挿しされています。

「良いかね奥さん、良く聞きなさい。これはあんたの為でも有るのだ。」

抽送を繰り返しながら、竹中さんが仰(おっしゃ)るには、「躾(しつけ)の出来て居ない女は、亭主に他所で遊ばれるか捨てられるかじゃ。」と言うのです。

そんな事を言われても、「それは男の身勝手ではないか。」と、私(里美)は思っていました。

口には出さなかったのですが、私(里美)は胸の内で抗議していました。

そんな思いを無視するように、私(里美)の中を、貫(つらぬ)いた竹中さんの欲棒が、内壁を擦(こす)りながら執拗(しつよう)に抜き挿しされています。

アァ・・感じてしまいます。

「あのぅ、これは一度きりですよ。」

気持ち良く成りかけた自分が腹立たしく成り、思わず私(里美)はそう口にしていました。

しかし現実には、竹中さんの欲棒が、今自分の肉体を貫き、彼が支配者だったのです。

「何じゃ、その言い草は、それが接待をする女の根性か?勘弁しないぞ。」

しまった。

余分な事を言ってしまいました・・・・。



(生け贄)
蒼い危険な賭け・京香◆
第六話(生け贄)


妻の里美を竹中邸に置いて、三人で昨日のファミレスに来た。

決り文句しか言わないウェイトレスにオーダーを済ませ、今はテーブルに乗ったカップから、コーヒーの香りが立ち上っている。

妻はどんな気持ちでノーパン・ノーブラに成り、竹中邸に向かったのだろうか?

その心の動きまでは、私には判らない。

しかし妻が選択したそれが、全ての結論だった。

結論を出した以上、妻は竹中氏に対して「ずさんな事は出来ない」のだ。

周囲の客から見れば男女三人が、何かの都合でテーブルを囲む、「どうと言う事の無い」日常の光景である。

まさか、亭主が妻を裸に剥(む)いて初老の男に預け、陵辱を依頼して置いて来た時間潰しとは、想像も付かない事だろう。

しかし現実には、隣のテーブルに居る他人の事情など、誰も見当など付くものではない。

実はこの時、私は単純に謀(はかりごと)の成功を喜んでいた。

妙なもので、何か妖しい興奮が湧き起こり胸が弾むのである。

この事の起こりの切欠は、岩代夫婦の強烈な誘いに乗って、湧き出た本能の勢いで魂を売り渡したようなものだった。

それがこの先、人生を左右する笑えない方向に膨(ふく)らんでしまうとは、私の想像も着かなかったからである。


「内の奴、岩代君の言う通りに成ったな。」

「そうでしょう。後は奥さんが精神的に潰れる前に、こう言う世界もあると、一気に身体と頭に覚え込ませるのです。」

「途中でおかしくならないか?」

「大丈夫です。頭の良い女性なら、一度肉体(からだ)が知ってしまえばその世界を肯定します。」

元々、命を宿す為の感度(性感)の良さが、神の恵みとして「女性には有るのです」と、岩代は言った。

今頃妻は、竹中の玩具(おもちゃ)にされ、欲棒を突き責められて、快感にヒィヒィ言っている事だろう。

思えば、内心複雑に揺れ動く心境で、妻への憐憫(れんびん)の情と、お仕置きの愉快な心情が交錯している。

そして、その複雑な思いが、私には奇妙に心地良いのである。

例え妻が、竹中に欲棒を突き責められて善がり鳴いても、人間の体は上手く出来ていて、気持ちとは別の所で刺激があれば、脳は快感を覚える。

子孫を残す為に神がくれた感性で、「感じたから」と言って恥ずかしいものではない。

いや、むしろ大いに感じてヒィヒィと善がってくれなければ女として欠陥品で、亭主として恥ずかしいくらいだ。

置いて来た妻の、女陰器丸出しの無防備な体勢が目に浮かぶ。

股間を大股に開いて縛(しば)かれた見応えのある醜態で、あの体制では妻の意志に関わり無く指も欲棒も受け入れ放題で、竹中の意思で止めるまで何時までも陵辱のし放題である。

今頃、妻は何を考えて、竹中の陵辱を受け入れているのだろうか?

それは恋女房だから、恥ずかしい姿で陵辱される姿を見るのは心底切ない。

しかし、いざさせて見ると違う感情も湧く、私は、一方でその切なさを「堪(たま)らなく感じたい」と思うのである。

つまりそれが、私の「確かな嗜好(しこう)」と言う訳だ。

それもこれも、今までノホホンと私に対して手抜きSEXをしていた事のお仕置きだ。

せいぜい竹中氏に嬲(なぶ)られれば良い。


ファミレスでコーヒーを啜(すす)りながら、次の作戦を岩代が提案した。

「実はこの後、俺が奥さんを犯る段取りで、竹中さんには話を付けてあるのですが、それで良いですか?」

岩代は感心する様に、何でも見通して先を考えている。

なるほど、今なら妻は身動きが出来ない。

当然、途中誰が入れ替わって犯そうと、広げた股間は閉じられない。

あの拘束状態のまま、たたみかけて私の前で岩代に甚振(いたぶ)らせれば、その既成事実でイヨイヨ妻の覚悟も決まるだろう。

その先は、一人に犯られれば二人目もさして変わらない心境になる。

二人に犯られれば、大勢も大して変わらない

確かに岩代が考えるように、ここで妻を嬲(なぶ)る手は緩(ゆる)めない方が良い。

こっ酷く犯れば犯るほど、妻の心境も絵本のお嬢様には戻れまい。

多くの女性が勘違いをしているが、現実を踏まえてこそ、メルヘンは「生きたものになる」のである。

それが無ければ真のメルヘンは描けない。

「それは良い、一気に行かないとあれ(里美)に引導も渡せないだろうから、そうしてくれ。」

「じゃあ、良いのですね。所長はキット賛成すると、思っていました。」

岩代も細君(京香)もニコニコしながら、話を進める。

私は、意を決していた。

心境は複雑だったが、動き出した運命を止める勇気は私には無かった。

妻にあそこまでさせた以上、今更、「間違いだった」とは言えない。

「こうなれば、四人で一蓮托生だ。」

差し当たり、細君(京香)の様に何でも出来るように「早く妻を仕込まなければ成らない。」のである。

何事も、中途半端は意味が無い。

折角ここまで犯ったのだから、私の不満解消だけでなく妻のセレブ向上心を適えてやらなければ成らない。

それには、妻の徹した変身が不可欠だった。

セレブ向上心を適える為に接待をするなら「どんな事でもする。」と言う「淫の覚悟」が、妻には必要なのだ。


方針が決まったので、三人は少し早めに竹中邸に戻った。

部屋に入ると、まだ竹中がマングリ姿の妻の乳房を揺らしながらクィクィと犯していた。

大股開きに拘束された「さあどうぞ」の姿態に嫌応(いやおう)無く女を曝(さら)け出されて、汗ばんだシットリ感の肌は、妻の脳にドーパミンを放出させる興奮の証(あかし)である。

そのいささかグロテスク(異様)な股間の妻・里美の部品に、竹中氏の欲棒が生々しくズブリと挿し込まれて嵌合し、二人は結合していた。

自ら仕掛けたとは言え、私にとっては正に衝撃的な光景だった。

目の前で妻・里美の肉体(からだ)に竹中氏の欲棒を挿し込まれて、白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら腰を使う竹中氏と、妻は股間で生々しく繋がっていた。

股間を大きく広げられて身動きも成らないから、妻は僅かに腰を浮かして竹中氏の欲棒の抜き挿しを、喘(あえ)ぎながら受けている。

それでも、ここまで行ってしまえば女性の肉体(からだ)は反応するもので、妻は時折「ウフン」と甘い声を漏らして鼻を鳴らし、媚を売るように身悶えて見える。

見ると、竹中氏の欲棒が確りと妻(里美)の股間に嵌(はま)り込んで抜き挿しされ、妻の白い肌と対照的な黒褐色の陰茎が肉花弁を捩(よじ)りながら愛液に濡れ光って見え隠れしている。

股間が丸出し状態の妻(里美)の、小豆(あずき)粒ほどの可愛いい花芯ボタンの下、短い恥毛が絡む二枚の花弁を掻き分けて、竹中の黒く使い込んだ坊主頭の欲棒が、生々しくゆっくりと出入りして、愛液に濡れた陰茎が見え隠れしている。

その挿し込まれた欲棒で股間を激しく抜き挿しされる度に、妻(里美)の二枚の肉花弁が愛液に濡れ光る欲棒に巻き付き捩(よじ)れて、他人の目に晒(さら)されながら生々しく踊っている。

慎(つつし)み深い筈(はず)の妻の抑(おさ)えた善がり声が、漏れ聞こえて来る。

性器が接触すれば、交わる肉体は自然に共鳴する。

偽らない気持ち、性器が擦(こす)り合えば、得られるのは神の与えた「快感」であるから、それを「気持ち良がって」も何人も非難出来ない。

欲棒を挿し込まれた妻の生々しい股座(またぐら)の恥部を、大股開きの丸出しに私の突き刺さる様な視線を意識して燃え上がる羞恥心に妻(里美)の脳みそが溶けて行く。

「アァ、アァ、アッ、アッ。」

妻(里美)は竹中氏に犯されて、感じているのだ。

竹中が、腰を入れてクィクィと妻(里美)の股間に欲棒を突き入れると、妻(里美)の亀甲縛りに絞られた左右の乳房が乳首を硬くして、妻(里美)の善がり声と伴にユサユサと竹中に突き入れられる度に揺れている。

「アッ、アッ、アッ、ア〜ァ」

竹中氏はクィクィと腰を使い、妻(里美)の欲棒を挿し込まれた生々しい大股開きの股座(またぐら)の恥部を丸出しに、善がり声を妻(里美)に挙げさせながら愛液を滴(したた)らさせて抜き挿しを続けている。

妻(里美)が竹中氏に犯されている様子を目(ま)の当たりにして、心臓をギュウと握られる様に締め付けられる。

胸が熱くなるのを感じて、私は「どうした」と言うのだ。

承知していた筈(はず)なのに、自分でも動揺して、たじろいだのが判る。

私は何を犯って居るのか?・・・妻(里美)を「他人に抱かせる」など、まともに考えれば狂気の沙汰である。

それが岩代夫婦の余りにも性に解放的な様子に麻痺(まひ)されたのか、深く考える間も無く最後は自分で「それを選んだ」のである。

妻を他人男(ひと)に抱かせる気分はサディスティック(S性)な興奮だが、妻を他人男(ひと)に自由に抱かせて観ると、それが妻だからこそ胸が痛いほどマゾヒスティック(M性)な興奮をも覚えさせられる。

つまり妻を提供すれば、自分はサディスティック(S性)だと自覚していても、実はマゾヒスティック(M性)な感性をも持ち合わせている事に気付かされる。

感性としてのサド(S性)とマゾ(M性)は表裏一体で、人間は状況次第ではどちらにも針が振れるから、質の高い淫乱は大いに愉しめるSM性交あそびである。


妻(里美)は、犯られる為に連れて来ている。

しかし実際、竹中の使い込んだ太い陰茎が生々しく見え隠れする妻の陰部を見れば、卑猥モードと嫉妬モードは入り混じる何んとも奇妙な心境に襲われるのだ。

実はこの心境、私はこの後永く味わう事に成るのだが、この時は迂闊(うかつ)にもそれ程先の事まで考えては居なかった。

正直妻・里美は、岩代夫婦の陰謀で竹中氏にキッチリ仕留め(しとめ)るられた事になる。


妻(里美)の恥毛は、逆三角形に生え揃った、やや薄めで細く柔らかいものが、恥かし気に密集している。

その恥毛も、今は愛液に濡れて光っている。

激しく攻め立てられたのか、竹中氏も妻も肌に汗の玉を浮かべて居る。

性交の快感を得るには、獣と成って互いの敏感な結合部を擦(こす)り合わすのが極自然な本能行為である。

肉体(からだ)の方は正直で、里美の乳首が硬くなって立ち上がり、興奮している事を隠せない。

私は、犯される妻(里美)の姿を真近に見て、胸が締めつけられる様な奇妙な衝動に駆られた。

その姿の妻(里美)が「愛しい」と感じたのだ。

「おう、帰って来たか、この奥さん勘違いしているので、今、説教しながら犯っていた所だ。中が締まって使い心地は良いのだが、根性がなぁ、素直じゃない。」

竹中は額に汗をかきながら、クィクィと腰を入れ、妻(里美)への抽送を続けていた。

妻(里美)の太腿(ふともも)の付け根に咥(くわ)え込ませた欲棒をユックリと抜き挿ししながら、竹中は「さっきの生意気な事を、旦那様にもう一回言って見ろ。」と攻めている。

白濁(はくだく)した愛液に濡れ光るモロに串挿しとなった陰茎を、菱形に恥毛に覆われた丸みを帯びた恥丘の下に見え隠れさせて受け腰を使う妻は、「いぇ、二度と言いません。アァァ、アァァ、アァァ。」と、妻臨場感溢れる返事をしている。

「アーァ、アッ、アーァ、アッ、アーァッ」

夫に見られている意識か、この場に臨場する私の目の前で、興奮した妻の顔が見る見る快感に歪(ゆが)んで行った。

「ほれ、これでどうだ生意気女。」

妻(里美)は私達が帰って来たのを知ったが、股間が丸出しの状態でガッチリ拘束されているから、バッチリ見られても、竹中の抽送を股間に受け続けるだけで、身動きは出来ない。

細君の時と同じ体勢なので、妻(里美)の肉花弁を押し分けた竹中氏の黒く使い込んだ坊主頭の欲棒に貫かれて、陰茎が花弁を巻き込みながら、うごめいて居るのがはっきりと見て取れる。

妻(里美)の方も、この体勢では隠し様が無いから、私にその陰茎が見え隠れする様をマジマジと見られている事を自覚しているに違いない。

想像の答えを、妻(里美)が頭で考えていても始まらない。

幸い肉体は、犯られてしまえば愉しめるように出来ているから、こう言う事は理屈では無く犯らせて理解させるしかない。

猥褻な風情の上に、「それが妻(里美)の身に起きている」と思うと、尚更興奮する。

竹中は年相応に中年腹の出た体型だったが、一物(欲棒)の方は立派なもので、黒光して太さも硬さも申し分が無い。

「お持ちの物が立派ですね」と、私が素直な感想を伝えると、「わしは愛妻家じゃったから、折角の名刀が錆(さ)びとった。やはり刀(欲棒)は、鞘(さや/女性器)に入れるものじゃ。」と、苦笑いをして腰をクィクィと使った。

そして漸(ようや)く復活した自慢の名刀が、妻(里美)の肉花弁の中心で見え隠れするのを、愛しそうに見た。

「この名刀も、近頃、漸(ようや)く日の目を見たワイ。」と、竹中は聞こえよがしに呟(つぶや)いた。

「どれ所長、見てなさい。少し腰を入れて奥さんを責めて見るぞ。ほれ、これでどうだ。」

竹中氏の腰の動きがクィクィと速く成り力強くなると、そのリズムに呼応して妻の縄に引き絞られ乳首を硬くした乳房も激しく上下に揺れ始めた。

坊主頭の海綿体のエラが、妻(里美)の内壁を擦(こす)りながら、見え隠れしている。

激しい抜き挿しに連れて、手首を固定されながらも手を握り締め、首を左右に振り快感を押し殺した様な妻(里美)のあえぎ声が一段と大きく成った。

「アッ、アッ、アーァ、アーァ、アーァ。」

私は、今日に成って初めて繁々と妻(里美)の股間を見た。

花芯ボタンの大きさも花弁の花びらが左右少し大きさが違うのも、尻の穴の蕾の形も、私は今までは繁々と見る機会がなかった。

気取って、今までは私にもハッキリとは見せた事が無い妻(里美)のめいっぱい広がった股間の、これまた広がった左右の花弁の真ん中に、竹中氏の欲棒が愛液に濡れて生々しく出入りしている。

「アーァ、アーァ、アーァ、アッ、アッ、アッ、アッ。」

いずれにしても、性器の結合の様など通常はマジマジと見れる光景ではない。

しかしこの光景を見れば、世の男共は本能的に興奮するのだから、仕方がない。

妻(里美)の股間の二枚の肉花弁の間を、竹中氏の陰茎が押し分ける様に生々しく見え隠れし、陰毛に数滴の小さな愛液の粒がキラリ光った。

いじらしい事に、私を含(ふく)めて人間の本能は、もって生まれたものが忠実に反応するのだ。



「所で竹中さん、内の奴が勘違いで説教ですか?」

「あぁ君の奥さんは、俺に一度切りですよ。とか、ほざきおって失礼な、単発取引と勘違いしておる。それじゃあ只の娼婦だ。」

「そんな事を申し上げたのですか?」

「後の三人は長い信頼関係を築くと言っておるのに、この奥さんはそれが判らん。躾(しつけ)がしてないのじゃないか。けしからんから犯りながら説教をして居った。」

「エッ!すみません。バカ、永いお付き合いに成る竹中さんにお前そんな事を言ったのか?えらい恥かきだ。」

「ア、ァァ、ごめんなさい。ァァ。」

こいつ、何処まで世間知らずだ。

留守の間に、また自分でお誂え向きの墓穴を掘っている。

「済みません。お見苦しい所をお見せして。」

「まったく、バカにされてまで投資など出来ないわ。最もこの奥さん(里美)、肉体(からだ)の方は正直で、良くさえずってはいるが・・。」

「いぇ、そんな事を言わずに、構いませんから内の奴にキツイお仕置きをして犯ってください。」

「この分では接待では役立たずだ。根性が直るまで、暫(しば)らく躾(しつけ)を続けにゃ遺憾ナァ」

「そりゃもう、竹中さんの仰(おっしゃ)る通りです。」

妻(里美)は自分で墓穴の穴を深く掘り下げた。

バカな事を言って、この分ではお前(里美)は自分でお仕置きの口実を増やすばかりだ。

「奥さん、根性も無いのに独立など出来んぞ。」

「ごめんなさい。ア、ァァ、ごめんなさい。ァァ。」

吐息と善がり声が混ざった様な声が、妻(里美)のプリットとした唇から漏れて、妻の謝っているのか、善がっているのか判らない返事が聞こえてくる。

「里美、竹中さんには投資をして頂くのだから、永い付き合いに成るのだぞ、判っているのか?」

「はぃ、アァアァ、永いお付き合いアァ〜ンを致します。」

何だ、あれこれ言うが、こいつ竹中に犯されて結構感じているじゃないか。

何とも不思議な事に、妻の屈辱感は竹中の欲棒の抜き挿しで快感に変わっていた。

それにしても、大股開きに開いた妻(里美)の女陰に赤の他人・竹中の欲棒が挿し込まれて、陰茎を愛液で濡れ光らせ、肉花弁を巻き込みながら抜き挿しされている。

竹中に遊びで犯られて居るのが妻(里美)だけに、その様は私には生々しく鮮烈な胸締め付けられる光景である。

しかしその抜き挿しされる妻(里美)の股の光景を怪しく目を輝かして私が観ていたのも事実で、そ知らぬ顔はしていたがそんな姿の妻を眺(なが)める私の肉体(からだ)は正直で、欲棒は硬く勃起していた。

例え「仕方が無い」と気の乗らない性交でも、官能を享受する為の装置に立て続けに欲棒を挿し込まれて抜き挿しを攻め立てられれば、誰だって善がり狂う。


ふと、妻にあえて聞きたく成った。

意地悪心が湧き上がり、現実を更に再認識させて妻の反応を見たく成ったのだ。

「自分のせいで、こんな恥ずかしい姿を俺に見られる気分はどんな感じだ?」

「恥ずかしいです。アッ、こんな、アァ、あなたに見られるなんて。」

「世間知らずに独立する事を甘く見て、調子の良い事を言うからだ。恥ずかしいと思わず、大事な接待は当然の仕事と身体で覚えろ。」

「はぃ、アッ、これが二肌も脱ぐ、本当の接待なのですね。アッ、ァァア」


そうそう、大分判って来た。

「里美、信頼関係は続くものだぞ。末永く投資して貰う相手に、何が一度きりだ。申し訳が立たないじゃないか。」と、私は妻を叱り付けた。

横から細君(京香)が口を出す。

「竹中さん、お遊びですから遠慮なく贅沢を仰(おっしゃ)って頂いて良いんですよ。」

「そうとも、なまじのお仕置きでは赦さないぞ。」と、竹中氏が抽送を続けながら言った。

「はぃ、信頼関係は続くものです。アァァ。ス、済みません。」

「本心で済まないと思っているのか?」

「判りました。思っています。アァ、思っています。」

上の口で小言を言いながらの竹中の抽送を、妻は股間に受け続けるだけで身動きは出来ない。

妻の花弁を押し分けた竹中氏の黒く使い込んだ坊主頭の欲棒に貫かれて、陰茎が生生しく花弁を巻き込みながら、リズミカルにうごめいて居る。

「どうせここまでしたら何度しても同じだ。判ったなら、永いお付き合いなのだから失言のお詫びに当分お前にこのお仕置きをさせるが良いか?」

性交をされながらの妻に、今更拒否の選択肢はない。

「アァァ、はぃ、施(し)て頂きます。アア」

「間違いないな。竹中さんの処へ飲みに伺ったら、毎度お仕置きで良いな。」

「はぃ、間違いないですぅ。アァッ、アァァ〜」

これで妻のお仕置きは、竹中氏相手に何度させても約束が終わる事は無く、妻を抱く竹中の権利に期限は無くなった。

「ハァ?」と驚くほど、この世の常識では現実的で無い事が、何の違和感も無く進行していた。

何しろ竹中氏は岩代夫婦の協力の下、妻の肉体(からだ)を何時でも女性器も露(あらわ)に素っ裸に剥(む)いて自由に御使用できる訳である。

竹中は出資者であり、付き合いが無くならない以上はその場限りの逃げ口上では終わらせない。

ここまで卑猥(ひわい)な体験させれば、ショック療法で少しは性感に刺激があっただろう。

犯られてしまえばそれがスタートで、既成事実が積み重なれば妻の性に対する抵抗心も少しは薄らぐ筈(はず)だ。

しかし思い知ったが、こう言う形で妻を責める事も夫としての私は結構興奮するものだ。

先ほどから私の体の一部が反応して、内心始末に困っている。

実はこの時の竹中氏との約束が後の妻が辿る方向を決めたのだが、私はそこまでの予測をしては居なかった。


「なるほど」と思ったが、接待を仕込むには、結局は妻のような負けん気の強い女性の方が、平然と受け入れるのかも知れない。

岩代の言う通り、思いも拠らない状況に変化しても、妻は「負けまい」と言う強い精神力が支えに成って、突然訪れた理不尽な陵辱にも潰れる事無く精一杯の対応をして居る。

気弱な女ならショックで潰れて、恐らくこう上手くは行かないだろう。

改めて分析すると、妻は確かに自分の置かれた状況を知的に判断して、感情だけに走らない冷静さも持ち合わせている。

彼女の持って生まれた気の強さ、強情な所が「負けん気に成って発揮された」と言う事である。


異常な状態は、正常な状態より遥かに激しい興奮をもたらす。

思い出せば、妻の股間に嵌(はま)り込む他人(竹中)の欲棒が妖しく抜き挿しされる様は、私を望外に興奮させる風情だった。

この興奮は、夫婦だけの行為では金輪際味わえない代物で、正直癖に成る興奮だから「たまには良いか」とさえ思った。

事実、妻に竹中氏への性接待の今後の継続を約束させたのだから、それは期待出来た。

しかし岩代の目論見は、そんな甘いものではなかった。

妻は性接待の愛奴隷に仕立てられる運命だった。

つまり私に実感が湧かなかっただけだが、この時点ではその後こうした妻の光景を「嫌」と言うほど見せつけられる現実に向き合うとは、夢にも思わない私だった。


チャンスがあれば、それが例え過酷でも「行くっきゃ無い」が性(さが)とも言えるアスリート根性で、突き進む内に夫達に見事に嵌(はめ)られました。

幾ら独立の為とは言え貞操を手放す話ですから、私(里美)には「どうしたら良いのか」と言う迷う思いも在りましたが、夫を始め周囲に味方は居ませんでした。

私(里美)にすれば、追い詰められて仕方なく酒席のお触り接待を受け入れた筈(はず)でした。

所が、そんな事で済む訳も無く、私(里美)は半ば無理やりに寄って集(たか)って生け贄状態にされ、竹中さんにお説教をされながら抽入された欲棒を抜き挿しされました。

恥ずかしいやら悲しいやらで、頭の中はパニック状態に成り「降り掛かった不幸」としか思えないのです。

世の中など勝手なもので、そこで妥協した私(里美)を、「そんなに嫌なら断れば良い」と言うでしょうが、本当にその場に立たされると理屈で言うような簡単なものではありません。

唐突(とうとつ)に降りかかった試練でしたが、例え意にそぐわなくてもこう成って避けられないものなら落ち込んで居ても仕方が無いですから、「元気を出して切り抜ける事に」しました。

所が、それが凄く「感じる」のです。

脳に、ビンビンと快感が伝わって来て、それが初めてとも言うべき経験でした。

異常な状態で、年配の男性に無理やり犯されると言う興奮もあったのでしょうが、いざ犯られてしまうと、奇妙な被虐感に襲われて身体が「気持ちが良い」と感じてしまうのです。

あれこれ逃げ回っていただけで、「私(里美)は性に臆病なだけなのかも知れない」と思えました。

夫の目の前で他人(ひと)に抱かれる背徳の官能は強烈な快感で、犯られて見なければ私(里美)の味わったその良さは理解できなかったでしょう。

愛奴隷として自らの意志を封じられ、相手の性玩具(おもちゃ)として無防備な全裸を晒(さら)して身を託した奇妙な羞恥心と、被虐感と伴に犯される興奮は、私(里美)の脳をトロケさせる強烈な快感でした。

子孫を残す為の自然の欲求である性交為を、「嫌らしい事」とは何故(なにゆえ)を持って言うのでしょうか?

それよりも、嫌らしからこそ興奮するのに「嫌らしく無い性交為」など在るのだろうか?

此処まで来れば後の祭りで、夫も犯らせる積りで連れて来たのですから、今更、躊躇(ためら)っても仕方が無いのです。

そう割り切って黙って衣服を脱がされ、気持ちも肉体(からだ)も全裸に成って余分なプロテクト(防御)を外した時、正直さっぱりしました。

思い切って犯ってしまえば、いぇ、「犯られてしまえば」が正確な表現かも知れませんが、案外簡単な事でした。

私、何を拘(こだわ)っていたのでしょう?

素っ裸に剥(む)かれて、身動きも出来ない状態で縛られ、竹中さんに犯られて、初めて今まで盲信していた価値観が、さして意味の無い事に気が付いたのです。

私(里美)、凄く恥ずかしい思いをさせられましたが、脳みそが吹っ飛ぶほど気持ち良かったのです。

そして、「今までの私(里美)が虚飾だった」と、凄く素直な気持ちに成りました。

考えて見れば、元々夫の了解の下では他人に犯られた事は問題ではありません。

それでも、私達夫婦に精神的な揺ぎ無い愛が互いに在るのなら、それを確かめる良い機会です。

夫は、私(里美)が犯られた事に拘(こだわ)りを見せません。

むしろ異様な目付きで私(里美)の陵辱姿を見てはいましたが、終った後の表情は満足気でした。

結局私(里美)は、赤の他人である竹中さんに「夫の目の前で犯される」と言う醜態を晒(さら)して、夫を楽しませたようです。

夫に教わったのですが、人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)があるそうです。

つまり、何かを出来る出来ないは、意識と一致していないから「出来ない」と言う事で、裏を返せば意識を変えてしまえば、今まで「出来ない」と思っている事が、出来る様に成るのだそうです。

価値観何てものは、別に唯一絶対な訳ではないのです。

私(里美)が「良し」と感じれば、それは素直な価値観です。

つまり私(里美)は、「羞恥心の中の快感」と言う新しい価値観に目覚めたのです。

確かに強がっては居ましたが、後で考えると私(里美)の気持ちはそればかりではなかったのです。

他人(ひと)前でパンティをスルリと下に捲(めく)り下げ、尻と股間が露(あらわ)に成った「ドキン」と言う気恥ずかしさが露出プレィの原点で、露出裸身や露出性交は魅せる者の羞恥心を煽(あお)り、見る者を愉しませます。

奇妙な事に、その胸を締め付けられる公然猥褻(こうぜんわいせつ)の羞恥心が、「他人(ひと)に見られる」と言う快感に変わるのですから人間の感性は不思議なのです。


最初は私(里美)、行き掛かりの意地だったのです。

でも、実際にその場になると私(里美)、夫や岩代さん夫婦に見られながら竹中さんに犯されている途中から羞恥心が「気持ちが良い・・・」と気付いていました。

正直本音では、性交と言う恥ずかしい行為を、「他人(ひと)目に晒(さら)しながら行う」と言う自分でも想像できないようなこの情況が気持ちが良かったのです。


性感だけは不思議なもので、私(里美)は性行為のスパイスが乱交だったり輪姦(まわし)だったりと卑猥(ひわい)な情況ほどより興奮のボルテージは高くなる事に気付きました。

何しろ夫の目の前で、竹中氏の欲棒が柔ら壺にスッポリと収まったこの恥ずかしい私(里美)の格好を「夫に見降ろされている」と言う羞恥心(しゅうちしん)を感じると、興奮で脳にまたアドレナリンやドーパミンがドバッと吹き出るのを感じます。

そしてその衝撃的な興奮が脳をトロケさせて、私(里美)に更なる快感をもたらせるのです。

「アァ、私の股間に、竹中さんの欲棒がクィクィと抜き挿しされているのを夫がジッと見ている・・・。」

竹中さんの欲棒がスッポリと収まったこの恥ずかしい格好を「夫に見られている」と羞恥心(しゅうちしん)を感じると、興奮で脳にまたアドレナリンやドーパミンがドバッと吹き出るのを感じます。

また脳が感受性を好転させる防衛本能を発動したのでしょう・・・。

今は脳を極限まで刺激されて、抜き挿しされる竹中さんの欲棒が、アァ、普通の夫との性交の数倍は気持ちか良いのです。

裸でM字大股開きに縛られ、夫の前で竹中さんにクィクィと犯られてしまいました。

「アァ、見られている・・・。」

薄目を開けて見た夫も、目を異様に光らせて、私の股間を出入りする竹中さんの欲棒の様を、確り見ていました。

後ろ手に拘束されて仰向(あおむ)けに転がされた私(里美)は、両膝を掴(つか)まれて押し広げられた股間に、夫の見ている場で竹中さんに欲棒を抜き挿しされているのですから、今更嫌も恥ずかしいも有ったものでは無かったのです。

もぅ、恥ずかしさを通り越して頭の中はパニックでしたが、少し落着くと、私(里美)も生身の人間ですから、犯られ続けると身体の芯から快感が突き上げて来るのです。

そう成ると、「犯られている所を、夫に見られる」と言う、非日常の恥ずかしさは特別な興奮に変わり、いっそうの快感が私(里美)の脳を襲ってくるのです。

平凡な日常は詰まらないもので、正直、背徳の香りがするSEXは行為が卑猥(ひわい)で有るほど脳を刺激し、単調な夫相手のSEXと違い興奮と刺激に拠る濃厚な快感を味合わせてくれました。

今までにない快感(オーガズム)を味わって、本音で言えば、それは「新鮮だった」のです。

気持ちは「嘘だ。」と否定したかったのだが、疲れた様なその快感(オーガズム)の感覚は、脳味噌を痺(つか)れさす様に、竹中さんに犯られて居る間、途絶える事無く繰り返し訪れていました。

「皆に、見られている。この犯されて居るあさましい姿を・・・」

今、夫の目にも岩代さん夫婦の目にも、私の股間を出入りする竹中さんの濡れた欲棒が、確りと見えている筈(はず)です。

そう思うと不思議なのですが、嫌悪感よりも被虐の興奮が感じられ、思わぬ快感に襲われます。

この歳に成るまで、建前の拘束に自分を押さえて、貞淑(ていしゅく)に生きて居たのは、いったい何だったのでしょう。

正直に自分の肉体の反応を見て、熱き血が流れるのを知り、私(里美)はもう迷う事は止めました。

究極の恥ずかしさを味合うと、気持ちが突き抜けるのですね。

白状すると、私(里美)は、詰まらなかった日常生活と比べ、奇跡とも思える贅沢な快感を、この時覚えてしまったのです。

それでこの後の行動は、私(里美)自身が信じられない、大胆なものに成りました。

後から考えれば、私(里美)が性に対して頑(かたく)なだったので、夫婦の人生を「つまらなく」していたのです。

この、「竹中さんに犯されて居る」と言う快感は、初めて味わう感覚でした。

子宮の中が熱いのです。

恥ずかしく卑猥に攻め立てられる自分が、隠せないほど乳首が硬く成って、酷く興奮している事に気付きました。

そして気が付くと、「アァ、アァ、アァ」と夫にも聞かせた事が無い善がり声を上げていました。

そして、そのあさましい姿を夫達に見られて、余計興奮する自分の肉体が、そこに在るのを、私(里美)は自覚させられたのです。

京香さんから、「相手の方に失礼が無いように」と興奮すると臭うと言うオーデコロンを教得られました。

そのオーデコロン、身体にかけた時は匂うのですが、直ぐに香りは薄くなります。

でも、香りを匂いだ徒端、何故か気分はHモードに成ったのです。

所が、そのオーデコロンには私(里美)驚きました。

興奮するとまた匂い始めるのです。

竹中さんの家で初めて裸にされた時も、抵抗心が薄かったのは、あのオーデコロンの香りの為かも知れません。

それからは、接待の時は欠かせない身支度の一部に、そのオーデコロンが成りました。




ここまで犯ってしまえば妻は今更引き返せないし、妻にも竹中に犯られ損で引き返す積りも無い。

だから妻は、竹中に犯られながら「はぃ、永いお付き合いを致します。」と言わされた。

「そうか、奥さんが当分わしとSEXをして、わしを楽しませるなら失言を赦そう。」

「はぃ、ですからどうぞ御機嫌を直して下さい。」

これで当分、妻は竹中の誘いを断れない。

「判った。今後も犯るなら機嫌は直すが、さて、奥さんにはもう一踏張りさせようか・・。」

「させよう」は強制力のある支配用語だが、岩代は「そうですね、もう一踏張りさせましょう。ここで手を抜いては奥さんの為にはならないでしょう。」と、簡単に竹中に応じた。

妻は、他人の二人に支配されていたのだ。


竹中氏は妻の里美に挿し込んだ欲棒でクィクィと抽送しながら、「奥さん旦那さんから聞いているぞ、アンタは自分の亭主とも滅多に犯らんと言うじゃないか。」と切り出した。

勿論妻は、下半身で竹中の抽送を感じながら話しの相手をしている。

「夫がそんな事まで・・・。アァ〜アァ。」

「あのなぁ奥さん、奥さんは間違っているが、男は性欲を失ったら向上心も闘争心も萎(な)えるもんじゃ。これから事業を起こそうとするのに、奥さんがそんな事でどうする。」

「闘争心ですか?」

「あぁ旦那さんの闘争心を向上させるには、奥さんが頑張るか他女(ひと)と犯らせるしかないだろう。」

「アァ、アァ、アァ〜、済みません。」

「これで反省して、旦那さんの闘争心を向上させるな。」

「ハィ。アァ〜、アァ〜、アァ〜、判りました。」

流石(さすが)竹中氏、老獪(ろうかい)にも妻の下半身を欲棒で攻めながら、口では説教責めである。

どうやら竹中氏は、この程度の事では妻の肉体(からだ)を放す積りはないらしく、妻に説教しながら抽送を続けている。

後で考えると、竹中氏は全て筋書き通りに事を進めていたのだ。


「しかし、どうせこの分じゃあ、この奥さんは一緒に仕事をする岩代君との信頼関係もまだ築いていないじゃろう。」

「エッ・・・・・」

「岩代君、この奥さんに教えてやれ。奥さん、今ここで、岩代君にも太い奴で躾(しつけ)をしてもらえ。良いね。」

「エッ、待って、アァ、アアア。下さい。同じ会社の岩代さんとですか?」

妻(里美)は驚愕した。

竹中が、抽送を続けながら信じられない事を口にする。

竹中の相手だけでは、終わらせないつもりなのだ。

しかし、遅い来る快感には逆らえず、思考も麻痺して戸惑うばかりだった。

竹中のユックリした抜き挿しに連れ、坊主頭の海綿体のエラが妻の内壁を擦(こす)りながら見え隠れしている。

妻は身動きが出来ないから、下半身は竹中の抽送を受け続けながらで、自由に成るのは口だけである。

「アァ、待って、アァ、下さい。」

「何が待てじゃ。わしの、出資だけじゃ足りなかろう。この奥さんの根性、岩代君がしっかり躾(しつけ)し直せ。」

「はぁ、立場上無理強いは出来ませんが、本人が犯って下さいと頼むのなら私はそうしても良いですが。」

岩代が、とぼけて妻の口からそれを言わそうとする。

本人の口から「岩代さんに犯られます」と言わせれば「こちらとしてはしめたもの」と言う寸法だ。

話が違う方向に展開し始め、妻は竹中の抽送を受けながらも顔を左右にイヤイヤをしている。

急に竹中の腰の動きが速くなり、抜き挿しが激しくなる。

「ほれ、奥さん、岩代に躾(しつけ)をお願いしますと言え。どうせもうこの姿を見られているのだ。今更恥ずかしくも無いじゃろう。」

「岩、アッ、岩代さんとは・・・アアア、恥ずかしい。アッアッ、アー。」

「ほら、根性を見せろ。旦那さんの闘争心の為だ、言え。岩代さん太いのを嵌(ハメ)てください。と言え」

考える暇(ひま)を与えず、次から次に現実だけを積み重ねさせるのが、躾(しつけ)のコツである。

「それに君らは一緒に仕事をする仲間じゃろう。ほれ、オマ*コに嵌(ハメ)て貰って仲良くせんか。」

「アァ、入って来る。アァ、引き出される。」と抜き挿しが始まると、流石(さすが)にそこに意識が集中して周囲は見えなくなり、腰を使って反応し、快感を貪(むさぼ)る現在進行状態の性交を曝(さら)け出してしまう。

恋人や夫でも無い相手と「性行為を犯るなんて到底考えられない」、益してや「感じるなんてとても信じられない」などと建前の精神論で、安易に現実を否定しないでもらいたい。

性交為そのものは、相手が恋人だろうが夫だろうが赤の他人だろうが、気分が違うだけで基本的に「犯る内容」は然して変わる訳ではない。

そして男女の出会いに定型がないだけに、相手が例え赤の他人だろうが、性交を犯ってしまえば肉体(からだ)の方は構造的に快感を得られるように当たり前に設計されている。

その先は「息も途切れるか」と思わせる善がり声と伴に、太腿(ふともも)の付け根に咥(くわ)え込んだ欲棒に激しい受け腰で行為に応じて、愛液に濡れ光るモロに串挿しとなった陰茎が見え隠れしている。


竹中に畳みかかられて、妻も瞬時に考えたのだろう。

言われてみれば、もう竹中に犯られているのをトックリと岩代に全て見られていて今更守り隠すものも無い。

それに大股開きで縛り上げられているのだから、「嫌」と言っても相手がその気ならブスッと犯られればそれまでである。

妻にして見れば、ここまで犯られて、この上また竹中氏を怒らせては元も子もない。

「ハ、はぃ、アッアッ岩代さん、おっ、お願いします。アァ、根性をお見せますから、アッ、アア。私のオマ*コに嵌(ハメ)てください。」

とにかく色々考えるよりも、今は竹中をこれ以上怒らせない様にするのが先決だった。

それで、ついに妻が岩代に抱かれる事を、竹中に言わされた。

「判りました。竹中さんのご指名ですから。」

岩代がスラックスとトランクスを脱ぎ、下半身を晒(さら)すと、「よし、バトンタッチだ」と竹中は欲棒を引き抜いて妻の身体を離し、妻の顔面に頭方向に跨って妻の口へ、その抜いたばかりの欲棒を念じ込んだ。

妻は、いきなり口に入って来た竹中の欲棒に仰天したが、耳学問で凡(おおよ)そどうするのか位は知っている。

ぎこちなくシャブリだした。

「何んじゃ、シャブリ方も知らんのか。こっちも少し上手に成るように仕込まなけりゃ、下手糞(ヘテクソ)じゃ。」

毒着いた竹中が、「ほれ、もっと丁寧に舌を使ってシャブらんか。これじゃあ投資も集まらんぞ。」と、妻の頬を叩き叱責した。

「ふぎまふぇん。」

妻はマングリの態勢で横たわったまま、首を窮屈に曲げ、必死で竹中の欲棒にシャブリ付いている。

妻の口中に挿し込んだ欲棒が、ヌメヌメと舌先で嬲(ね)ぶられる快感で、竹中は目を細めてそのおシャブリを愉しんでいた。

竹中の生身の陰茎が妻の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)が顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。

「そぅそぅ、おシャブリだって只咥えれば良いと言うものではない。オマ*コに入れた時と同じ刺激がシャブる欲棒にあるように、利巧な女なら頭を使って考え、口と舌で工夫(くふう)するわぃ。」

妻は、股間に岩代の欲棒が一本、口に竹中の欲棒が一本、肉杭(にくくい)が射(う)ち込まれていて、身動きが取れないまま、連動の抜き挿しに耐えねばならない。

下半身で岩代の欲棒が抜き挿しが続き、上半身では妻の顔面に頭方向に跨って竹中がおシャブリをさせている。

クイクイと腰を使って竹中氏の太鼓腹が妻・里美の鼻を潰して容赦なく喉(のど)の奥まで突き入れら、竹中氏の硬く張り詰めた欲棒を咥(くわ)えてシャブる里美の口元から、涎(よだれ)が一筋二筋と垂れ下がって床に落ちて行く。


妻は、マングリの形で両足を顔の側面まで持ってこられ、股間が丸出しの状態で縛り上げられている。

その妻の両足の太腿(ふともも)を掴んで、岩代がイヨイヨ欲棒を捻じ込もうとしていた。

岩代の持ち物を、この時始めて確り見た。

見た目「並みだ」と思ったが、膨張力が大きいのかエラの張ったカリ首が見る見る大きくなり、それが妻の肉花弁の真中に宛がわれて、「グィ」とめり込で行く。

岩代のものが大きくても、散々竹中に突っつかれた妻のマ*コは、スルリと難なく嵌(はま)り込んだ。

岩代が替わって妻をリズミカルに犯し始めると、妻の表情が変わった。

「アッ、アアア、アッアッ、アー。」

今度は岩代の欲棒が確りと妻の股間に嵌(はま)り込んで抜き挿しされ、妻の白い肌と対照的な黒褐色の陰茎が肉花弁を捩(よじ)りながら愛液に濡れ光って、スローモーションのように見え隠れしている。

「アァア、アァア、アァア、アァア、アァア。」

身動きもままならない状態で、一方的に犯されているのだが、その被虐感が妻の性感に火を付けたようだ。

顔を歪(ゆが)ませながら快感に耐えている妻は、臨場する私の存在も含め、もう、周囲の事は忘れているようだった。

開脚状態で縄掛けされた丸見え状態の里美は、私の目の前で他人の欲棒を抜き挿しされ、快感に応じて腰を使う自分を夫である私にハッキリと見られている。

夫の目の前で醜態(しゆうたい)を晒(さら)して、口には出せない卑猥(ひわい)な行為を犯ってしまえば、後は怖いも恥ずかしいも在ったものではない。

妻の里美は一発で岩代に仕留められ、後は全ての意志を放棄した性玩具(おもちゃ)として「犯られ放題」と言う訳だろうか?


妻が竹中の性玩具(おもちゃ)にされて犯かされている姿を見た時は、流石(さすが)に心が痛んだが、実は思考の片隅に在った私の長年の妄想が適えられた気もしていた。

そうした流れの中で、妻に与えられた次の試練は、夫の部下岩代との性交である。

それにしても、迂闊だった。

こう言う事をさせられた妻が何を考えるか、先入観に囚われて夫の私でさえ正確な答えを出していなかったのだ。

私は妻が「嫌がるもの」と決めて掛かっていたのだが、ところが或いは妻にも私と同じような妄想が在ったのか、妻は組み敷かれた下側から岩代の腰の辺りに両足を両足を絡めて、岩代の欲棒を咥(くわ)え込んだ腰をクィクィと使い始めたのだ。

妻の顔には、「夫にはしたない姿を見られている」と言う興奮も合いまったセックス・ハイ状態(性交・陶酔状態)が浮かんでいた。


二枚の肉花弁の間を、岩代の陰茎が愛液に濡れ光ながら見え隠れしている。

妻は相当感じているのか、善がり声が大きくなる。

その声が、恥じらいを忘れて屋敷中に響き渡っている。

岩代には、神でも懸(か)かっているのか?

妻のこんな善がり方は初めてだった。

正直、男は誰だってこう言う視覚の誘惑には弱いものである。

男の性(さが)だから仕方が無いが、妻が目の前で他人に犯かされている光景でもその卑猥(ひわい)な情景に興奮して欲棒をおっ立ててしまう。

岩代の細君(京香)が、「奥さん、そっちばかり信頼関係を築いて、私と所長さんはどうなるの?」と仕掛けて来た。

岩代の攻撃に「アッ、アッ、アーァ、アーァ。」と、それ所じゃない妻に、「ねぇ、奥さん。どうなの?」と、しつこく返事を迫る。

「アア、ごめんなさい。おっ、お願いします。京香さん、ア、内の主人をお願い・・私だけ気持ち良いのでは申し訳けなくてアア、アッお願いします。どうぞ内の主人と犯って下さい。」

善がり声の合間に妻が返事をした頃には、私の欲棒は細君の口の中だった。

今考えて見れば、あの時が貞淑(ていしゅく)な妻が飛び切り淫(みだ)らに変身した瞬間だった。

「意外だった」と言えば意外だが、後になって考えて見ると、日常抑制しているだけで「誰にもその資質は在った」と言う世間知らずの当時の私としては迂闊(うかつ)な話である。


妻は、岩代に犯されながら竹中の欲棒をシャブって居る。

散々気取って居たので良い気味だが、こう成ってしまった現実を妻は否応無く受け止めなければ成らない。

一度マーキング(烙印や標識を付ける行為)されてしまえば、それが新しい価値観である。

この事態に、私を始め妻以外の全員が平然として居れば、接待の何たるかを知らない妻は、いざ直面して見ると「こう言う事は結構在り得る事かも知れない。」と考えるだろう。

この生々しい現実からすると、「在り得ない」と妻の信じていた世間の建前など「奇麗事の幻影」に過ぎなかった事になる。

人が生きて行く事は何かを失い何かを得る事で、この体験で妻は何を失い何を得るだろうか?



私(里美)、訳の判らない内に皆で拠って集(たか)って、昨日の京香さんと同じ恥ずかしい格好にされてしまいました。

それで信じられない事に、好きでもない初老の竹中さんに何も抵抗できずに犯されてしまいました。

股間が丸出しの状態で縛り上げられて、私は身動きが出来ないので、犯されても私の意思ではありませんから、何も悪くはないのです。

でも、どうしたのでしょう。

竹中さんに犯されて、罪深い気持ちが興奮で気持ちが良いのです。

私の口からは、抑え切れない善がり声が、「アァ、アァ、アァ」と次々と突いて出ます。

「はした無い」と、堪(た)えようとするのですが、身体は私の意思に反して、気持ちが良いのです。

もう、思考する気力も無しに、私(里美)は善がり続けています。

これでは、竹中さん達に犯された事も「嫌だった」とは嘘っぽくて言えません。

挙句に、今度は岩代さんにも・・・き、気持ちが良い・・助けて・・。

岩代さんのものが私の中に入って来ると、いきなり脳味噌がジーンと痺(しび)れます。

何故か入って来た欲棒が、違う感じなのです。

岩代さんのエラの張った坊主頭の海綿体が、私(里美)の中にめり込んで来て、内壁を擦(こす)り始めました。

丸見えの羞恥心状態で岩代さんに欲棒をクィクィと抜き挿しされる私(里美)の下半身から、肉壁の摩擦感と伴に快感が脳に登って来ます。

「アァ、気持ちが良い、アァ、アァ、この興奮は、何なの?」

普段貞淑を意識していた私(里美)と、別人の淫乱な私(里美)が居ました。

それは、心の中で思い当たりました。

「あの感覚と似ている。」

考えて見れば、学生時代の競泳(試合)の前後は妙に興奮して、エロい妄想に耽(ふけ)った思い出もあるのです。

観客席からの視線が水着姿の私に集中して居るのを意識し、密かに見られる快感を楽しんでいた思いも在りました。

その頃から少し、私(里美)に露出の快感が無意識に育っていたのかも知りません。

「すっかり忘れていたあの感覚です。」

その事に気が付いたら、頑(かたく)なだった私(里美)の貞操観念が、「私の本性では無いのではないか」と、思えたのです。

それにもう、素っ裸で五人の輪の中に居ました。

現実から目を背けても、それは「偽りの生き方」でしかありません。

結局私(里美)の今の敵は、欲棒を口に捻じ込んで居る男でも股間に欲棒を抜き挿しして居る男でもなく、性接待の愛奴隷としての私(里美)の気構えの問題に過ぎないのです。

確信とは行かないまでも、フト、それを確かめたい誘惑に駆られ、その場の成り行きでは在ったのですが、思い切って竹中さんの欲棒を握り、私(里美)の方から騎乗位で交わり、抱っこスタイルでも腰を使いました。

もう凄い経験に、興奮しているは感度は良くなっているはで、私(里美)、身体を震わせてイキ続けて居たのです。

そしたら、京香さんが「私(里美)ばかりが楽しんでいる」と抗議します。

成り行きとは言え京香さんに促(うなが)されて、私(里美)の口から夫との性行為のお相手を、京香さんにお願いしてしまいました。

私(里美)がお願いしたのですから、京香さんと夫が抱き合っても文句は言えません。

それにその方が気が楽と言う計算も在りました。

その京香さんと夫の抱き合う気配や息使い、そしてあえぎ声が横から聞えて来きます。

私(里美)はと言えば、岩代さんに犯されながら、竹中さんに口をこじ開けられ欲棒を咥(くわ)えさせられています。

無理やり咥(くわ)えさせられた欲棒も、このシュチエーションでは邪険には出来ません。

私(里美)は夢中でシャブリ続けました。

「嘘だ」と思いたかったのですが、それは現実なのです。

その場の勢いとは凄いもので、私(里美)はさして疑問を挟む間もな無く三対二の乱交に混ざっていました。

途中まで犯りかけて上手く話が進んでいるものを、私(里美)が水を掛けて台無しにはできません。

あぁ成ってしまったら、嫌応など言う事など出来なかったのです。

そして犯ってしまえば肉体(からだ)が勝手に感じて、「もうどうでも良い」と堰きを切ったように性行為にのめり込みます。

説明の着かない何故かフンワリとした気分で、自然な流れの様にそう意識はしない間に、私(里美)は、竹中さんと岩代さんを相手に、いつの間にかスーッと物凄い事を犯って居たのです。

私(里美)が、無我夢中で犯っている間に、岩代さんと竹中さんが入れ替わりました。

不思議な力でも働いたのか、気が付いた時は、事もあろうに竹中さんと座位で性交しながら岩代さんの欲棒をシャブって居ました。

本来私(里美)は、そんな事が出来る人間では無い筈でした。

所が、それが凄い事なのに何故か全(まった)く抵抗感が無く、極自然な事を犯って居るような気分です。

体位が変われば、京香さんと夫が激しく抱き合っているのも良く見えます。

その内に、無秩序に相手が代わって乱交となり、夫とも交わります。

「ここまですれば、今更恥ずかしがっても遅い。もう何でも犯っちゃえ。」

そんな心境に成って、二対三の乱交状態の中、男達に要求されるままに何でも応じ続けました。

人間おかしなもので、犯ってしまえばその現実を肯定して「自分を納得させよう」とします。

大体、起こり得た物事を後に引きずるのは男性の方で、元々肉体的構造が輪姦(まわし)に応じられる造りの女性の方が、スッパリと現実的割り切りは早いのです。

自分で自分を騙(だま)したのかも知れませんが、外聞を憚(はばか)るような「端無(はしたな)い事」も、一歩踏み出して極めてしまえばそれ以上の抵抗感は無かったのです。

そこでセックス・セッション(乱交)に違和感を感じるのは、私(里美)が「既成概念に囚われているからに過ぎない。」と思いついたのです。


それにしても、何だったのでしょうか?

あの不思議な空間は、私(里美)の思考を全く別の方向に導きました。

驚きました。

夫意外の相手に抱かれるなど「絶対に出来ない」と思っていた私(里美)なのに、その場の雰囲気なのでしょうか、罪深い興奮と伴に京香さんんのペースに引きこまれて行くのです。

不思議です。

何処で心境が変化したのか自分でも判らないまま、嫌悪感も抱(いだ)かず、同時に竹中さん岩代さんの二人を相手にする淫乱な行為をしていました。

それが、私(里美)の心を癒してくれ、少しも、「いけない事だ」とは思えなかったのです。

呪縛から解き放たれた快感を知ってしまうと私(里美)の肉体(からだ)の反応は騙せません。

正直夫婦仲が気拙(きまず)く成らなければ、「これも有りかも」と思えたのです。

確かに寄って集(たか)って犯られてしまいました。

でも、それが独立後の接待の為で、私(里美)の今後の考え方を変えさせる躾(しつけ)目的で犯ったのなら仕方有りません。

私(里美)にそう言う発想がなかったのですから、手っ取り早く寄って集(たか)って犯ったのでしょう。

選択肢が無い状態に追い込まれて、初めて自分が「我侭だった」と気付く事も有ります。

今までの私(里美)は自分主体の自由な考え方で生きて来ましたが、自由とは時に選択肢が多過ぎて、場合に拠っては「決定しかねる」と言う欠点もあります。

犯られてしまえば話は別で、それは容認すべき現実なのです。

私(里美)思いました・・・人間、背負った運命や不幸を不服に思ったら負けなのです。

不服に思う凡(おおよ)その事は、現実に向き合わず単なる個人感情に意地を張ったり、「他人のせい」にする事で自分を安全な位置に置きたいだけで、そこで強情を張っても良い結果に成るどころか泥沼に成るのが現実なのです。

ものは受け取り様で、経験は思考の為の財産だから背負った運命や不幸を「他人には出来ない経験をした。」と前向きに考えれば、不幸も不服も価値あるものに変え得る「人生の達人」と言うものです。



頃合を見て岩代が妻の縄を解いたが、もう流れの中で、ハチャメチャとも言うべき二対三の乱交状態になった。

妻の突然の行動は、私の思考上では信じられなかったのだが、貞淑の堰(せ)きが切れたのかリアル(現実)だった。

こんな乱交状態が実現出来るなど思っても見なかったので、巡り会った幸運が先に立ち、前後の見境も無く興奮して私に他の事を考える余裕はない。

今はあの堅物の妻が竹中に犯されながら岩代の欲棒をシャブっている。

当然妻には「どうしたら良いのか?」と言う迷う思いも在っただろうが、この竹中邸に同行して来た所を見ると決心は固めていたのだろう。

妻の心境は伺い知れないが、もう行き懸かりから自然に乱交に持ち込まれた様である。

勿論これは岩代夫婦に魂胆が在っての事で、普通の生活をしていればこんな場面に出喰わす事など考えられないのだが、それだけに私にとっては興奮を覚える出来事である。

暴走し始めればブレーキが効かないのがSEX本能で、当たり前の様に私は全てを忘れて、乱交プレイに没頭していた。

とくに細君(京香)は受腰の達人で、欲棒の抽送に合わせて腰を上手に使うから相手は堪(たま)らない。

妻の肉体(からだ)も、私を含め三人に次々に襲われたが、吹っ切れたのか、もう誰が相手でも善がりながら腰を使って応じていた。

あの滑らかな触り心地の肌が、怪しく波打って弾んでいる。

こうなると里美は、貞淑な人妻ではなく快楽を貪るただの牝(メス)だった。

女性上位で腕を仰向(あおむ)けで寝る竹中氏の両脇に立てて覆い被(かぶ)さった全裸の妻の白い尻が、欲棒を咥(くわ)え込んだままそれを基点軸に恥丘を擦(こす)るように回転運動をして快感を貪(むさぼ)っている。

意外だったが、妻はこの刺激的なコレクティブセックスプレィ(集団乱交)に対して、乳首が立った乳房を揺らしながら積極的に腰を使い始めていたのだ。

この試みを実行する前、「所長の奥さん(里美)は確かに美人だが、美人だろうが美人で無かろうが犯ってしまえば女としては同じ事で、後は素(す)を如何に引き出すかだ。」と竹中氏は言った。

つまり妻は、女としての素(す)を出し始めていたのだ。

あれが妻の、眠っていた女が覚醒した瞬間だった。


今考えて見ると、どうやらあの抗(あらがえ)えない情況の中で、妻の潜在して眠って居たマゾ性が確実に引き出されて来たのは間違いない事実だった。

妻はこの時、脳域に於いて新しい心理の領域に足を踏み入れていたのかも知れない。

一旦内在するマゾ性に火が着けば、辱(はずかし)められ弄(もてあそ)ばれる事に上質な快感を感じるものらしい。

人間の行動など奇妙なもので、意識した行動と無意識の行動をする場合がある。

妻の里美の魂(たましい)は今、全ての意識を排除した幻想の快感のごとき世界に居るに違いない。

つまり人間は、入り込んでしまうとそこから先は「無意識の行動」になる。

その時妻は、私と結婚して以来見せた事が無いような妖しげな表情をして、二人の男と絡(から)んでいた。

思っても居なかった違う世界が広がっている事に、肉体が気付いたのかも知れない。

今までの私生活では凡(おおよ)そ考えられない、経験した事が無い奇妙で卑猥(ひわい)な空間がその場を支配していた。

実に刺激的で扇情的な妻の痴態にショックを受けたが、望んで実現した事で今更後悔しても始まらない。

竹中の屋敷は束の間の異様な雰囲気に包まれていたが、脳が喜ぶ最高の性感は性的接触感覚と性的視覚の相乗効果で、それは「乱交状態でないと得られない」と私は感じて居た。

妻が陥(おちい)ったこうした事態は、男としての私の独占欲と官能欲との身勝手なせめぎ合いだが、行動に移すかどうかは別にして思いの点では男で聖人君子はこの世に誰も居ない。

まぁ夫婦の間柄でも時々違う景色も見せなければマンネリ化は否めないのだから、「トライ(挑戦)する価値は在る」と言うものだ。


それにしても不思議だ。

幾ら「罠に掛けた」とは言え、妻の行動は余りにも普段と違っていた。

どうやら妻の中に潜む「淫」が、竹中氏と岩代に拠って「上手い事引き出された」としか思えない現象だった。

まるで岩代夫婦に魔法でも掛けられたかのように、妻は言い成りだった。

ここまで行けば竹中氏と岩代夫婦が寄って集(たか)って妻を犯し、女としての性感をブラッシュアップ(磨き上げ)して犯る事に成る。

つまりこのマルチSEX(複数性交)は、妻を愛奴隷に調教する為のエキシビション(公開実演、模範試合)なのである。

後で聞くと、里美にすれば長い事「変態」と思っていた事を何故かスンナリ受け入れられる自分に驚愕(きょうがく)だったそうである。

しかし、理解は出来なくても、妻の心はその行為で確実に癒(いや)されたのである。

その最中、細君(京香)が近寄った来て、「今夜、この前の学生達を呼んである。」と言う。

「あの学生連中をか?」

「えぇ、仕上げに奥さんをあの子達に輪姦(まわ)させてしまえば、一丁上がりよ。」

「凄い。まだこの先を用意するなど用意周到一気加勢だね。」

「こう言う事は中途半端だと返って迷いが出るの。良い選択肢は考える暇を与えない事です。」

なるほどこの夫婦、妻の調教を簡単には終わらせない、今夜まだ畳み掛けて、妻を学生達に犯らせる積りだ。

全て経験して、その事を亭主が公認なら、以後その事に躊躇(ちゅちょ)する理由は無くなる。

有無を言わさず一気に「里美を嵌(ハメ)倒して、トコトン既成事実を作ってしまおう。」と言う計画だった。

企てが成功して、目の前で竹中氏に犯られる妻の痴態を見た時は、込み上げて来る感動があった。

何しろ、永年不満に思っていた感情が私に積もり積もっていたから、「ザマーミロ」位の気持ちだった。

お仕置きとしては充分過ぎる結果だったが、一度味を占めると、次の誘惑に歯止めが掛らない。

「判った。それじゃあ今夜はそうしよう。内の奴を、上手く誘ってくれ。」

また、岩代夫婦の誘いに乗ってしまった。

学生を呼んである事は妻には内緒にして、四人で飲み会を始め、学生が来る頃には、信頼関係と言い張って拘束、目隠しマスク状態にして布団に転がす。

学生には私の妻で有る事を内緒にして、いつも細君と犯っている様に嬲(なぶ)らせる計画だ。

あの、天井裏事件の細君の痴態を妻で再現して、一気に引き返せない所まで、「妻を追い込む」と言うのだ。

私としては、妻の反応が楽しみな計画だった。

もう、岩代夫婦の周到な計画には恐れ入る。

しかし禁断の肉体経験を一度してしまえば、おのずと大した事ではなくなり、ハードルは低くなる。

何しろそれは、唯の精神的枷(かせ)なのだから、外してしまえば、何の事はないのである。

妻の里美は、この一連の性体験で、禁欲的だったSEXに関する考えを、百八十度変えさせられるに違いない。


人生には、体験して初めて気付く事がある。

妻は、抜き挿しされるカリ首が内壁を擦(こす)るのが気持ちが良いから、人間の「因果な性(さが)」と言える感性を炙(あぶ)り出されて、私の予測とは全く違う相手構わずの行動に出た。

その光景を直視するのは私には複雑な心境だが、妻の里美は善がり声を挙げながら明らかに受け腰で応じている。

実際に妻・里美の股間を、他人(ひと)の欲棒が愛液に濡れ光ながら生々しく抜き挿しされているのを見せ付けられる事は、切(せつ)なくもありながら異様な興奮を覚えるのは、私の男性(おとこ)の性(さが)なのだろうか?

それは、妻の人生が変わった瞬間だったのだ。


目の前で、妻が抱っこ状態に竹中の膝の上に股がり、竹中の肩に手を掛けて支えにし、腰を上下して貪る様に欲棒を出入りさせている。

その横に、仁王立ちの岩代がいて、岩代の欲棒は妻の唇を擦(こす)りながら口元を出入りしている。

「コリャ堪(たま)んない・・・」と驚かされた。

妻は行為の流れの中で自然にマルチタスクSEX(同時実行性交)に入って居た。

マルチSEX(複数性交)は相手を次々に代える性交行為だが、マルチタスクSEX(同時実行性交)は同時に複数が絡む性交行為で、依り刺激的なシチュエーション(状態/情況)を演出できる行為である。

何んと、素っ裸の妻が竹中を跨(また)いで欲棒を股間に呑み込み、結合した己の女性器を自らM字開脚に晒(さら)してスクワットファックで乳房を揺らして抽送をしながら、岩代の欲棒を咥(くわ)えてシャブっているのだ。

もう、吹っ切れているのだろう。

勢いが付いた乱交は、「待った無し」だから、妻は流れに身を任せて居る間に、通称三Pと言う一対二の体勢に持ち込まれて、口と股間に同時に二本の欲棒を受け入れいるのだ。

やがてその三P行為は激しさを益し、傍(はた)から見る私には、妻が同時に二人から攻め立てられて居るその光景は恐ろしく官能的だった。

ハァハァと荒い息使いが口から洩れるその恍惚の表情は、私が始めて目にする妻の別の女の顔だった。

妻は、岩代に口に欲棒をズンズンと突き入れられて涎(よだれ)を垂れ流しながら懸命にシャブらされ、竹中に股間に欲棒をズンズンと突き入れられ、愛液を垂れ流しながら懸命に受け腰をクィクィと使っている。

妻と竹中の絡み合いながらの会話が聞こえて来た。

竹中は、抽入した欲棒をクィクィと腰を使ってリズム良く妻に突き入れながら、不満そうに言った。

「奥さんは、まったく酷い下手(へた)くそじゃ。こんなので、良く旦那さんを我慢させていたな。このままでは使い物に成りはせん。」

卑猥(ひわい)な動きの受け腰で応じながら「経験不足ですみません。」と妻が謝っている。

「まぁ良い。ジックリ仕込んで犯るが良いな。」

「ハィ、上手(うま)く成りますのでお願いします。」


エッ、淑女である妻が何故、受け腰を使う娼婦に変身したのかってか?

それはもう妻が股間の柔ら壺に挿さった欲棒を、他人前(ひとまえ)の晒(さら)し者状態で「抜き挿しされる」と言う非日常のリアルな性交状態に在るからである。

通常の状態で妻が性交を考えるのは「理屈(理性)」だが、坊主頭のカリ首の海綿体に肉内壁を擦(こす)られ続ける性交最中の妻は「感覚(感性)」だけである。

つまり肉体的な「感覚(感性)」がモロに脳に伝わって来るのだから、快感を貪(むさぼ)るが先で嫌とか恥ずかしいなどの「理屈(理性)」を考えている暇は妻に無い。

肉体(からだ)が悶絶するような性交の快楽に溺れて、妻・里美は人前で性交を犯って居る恥じらいも忘れていた。


こんな卑猥(ひわい)な事が、平気で犯れる自分など以前は全く想像も着かない妻・里美だった。

だが現に今、里美は善がり声を振り絞り、口元から涎(よだれ)を垂れ流し、欲棒を咥え込んだ股間から愛液を滴(したた)らせている。

里美は、目の前で外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い非日常のセックス・セッション(乱交)を素っ裸で、内心興奮しながら熟(こな)していた。

妻は「落ちて居た」のだ。

それに気が付き、確信を持ったのはズ〜ッと先の事であるが、「落ちる」は女性の最も基本的な原始感性である。

つまり有史以来の原始感性として、「落ちる」は女性の最終的な「一線」だった。

落ち手しまえば、その後の事は全て本能の為せる業(わざ)だから仕方が無い。


眼前で想定外の事態が妻をめぐって進行していた。

性行為への嫌悪感や不潔感は気分の問題で、それを超越しなければとても亭主や恋人の欲棒を素直におシャブリするなど出来はしない。

益してや遊びのプレィに拠る他人の欲棒をシャブる事など、気分を超越して掛からなければ出来ない事で、素直に「犯る」と吹っ切れなければ先には進めない。

奇妙な発想かも知れないが、避けては通れないなら疎(おろそ)かにプレィは犯れないから、妻も根性入れて犯るっきゃ無い。

ここは踏ん張り所だから、求められた性行為を真面目に一生懸命犯笑って奉仕する覚悟は出来ていた。

多少嫉妬交じりだが妻が犯られているを見るのは勃起もので、言っては何だがその姿は神々(こうごう)しい程だった。

此処は善がり声を抑(おさ)える必要など無い場所だった。

まぁ妻も、他人前(ひとまえ)で晒(さら)し者の素っ裸に剥(む)かれて、不安に頼り無い想いをさせられて居ては、今更格好付けても仕方が無い。

「この先は長い。今日はまだ序の口だ、ジックリ味わいなさい。」

こう言う事は妻・里美の犯る気次第だが、竹中氏の行き成りの長期化宣言だった。

それにしても、一人の女性を躾(しつ)けの為に結束して攻め挙げ、仕上げるには仲間内の連帯感の絆も生まれるものである。

出資仲間は大切にしなければ成らず、勿論性交流を犯る以上は愉しく遊んで貰わなければ成らず、妻に半端な事はできない。

遊びの性交は、元を正せば非繁殖目的の「擬似生殖行為(快楽性交)」で在って、他の動物のように繁殖期を持たない年中発情の人間種独特のものである。

そして年中発情の人間種の本能が満足を求めて遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそあらゆる性癖が発生して次第にエスカレートする。

その「擬似生殖行為(快楽性交)」が脳の活動に組み込まれているからこそ、人類の皆が「性」に興味が在って、「尋常な性交など詰まらぬもの」と言う共通意識が密かに育つのが人間である。


雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。

しかし、勿論男女の仲はデンジャラス(危険)で、未婚・既婚を選ばず買い食い(売春)にも拾い食い(浮気)にもリスクがある。

それを踏まえて私が想うに、人生・・・劇的に中身が濃い方が良い。

性交だって、人生の最も良い一時期しか愉しめないのだから、中身が濃い性交遊びを夫婦揃って遊ぶ方が良いに決まっている。

泡を吹くほどの「濃い性交感」を得るには、こうした浮気とは呼べないマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が理想的である。

結論を出すには想像より経験が必要で、この濃厚なマルチSEX(複数性交)を何度か熟(こ)なすと、女体も馴れて来て適度に感度の良い成熟を見せる。

それに女性のヒステリーには性感マッサージ治療や性感バイブレーター治療が有効で、実際に医療行為として医師に施術されている。

つまり女性のストレスの解消の良処置は「性的な刺激」と言う事になり、男性のストレスの解消も同様の「性的な刺激」と言う事になる。

どうせ性交の動機付けに、金だったり地位だったりと、とにかく世の中打算が働く場合も多いのだから、要は里美本人が必要と判断すれば良いだけの事である。

それならば、わざわざ医療行為として施術されなくても、ストレス解消の問題解決の為に夫婦合意で中身が濃い遊びを犯れば良い。

この竹中氏に対する破廉恥な出資者接待を、どの時点で妻・里美が腹を括ったのかは判らない。

しかし今、里美は他人前(ひとまえ)で素っ裸の裸身を躍動させながら、相手構わずの性交に欲棒を咥(くわ)えたままの腰を振って善がり声を挙げながら興じている。

他人(ひと)が聞いたら驚く事だろうが、愛奴隷は接待の場ではゲストには全て従順でなければ成らない。

まぁ貞操観念から言えば多少の抵抗感は在ったかも知れないが、それでも乗りかかった船に、里美は今更尻尾(シッポ)を巻いて降りられない意地があるった。

愛奴隷を務める時は勿論、買い物で出かけるにもノーパンティで出かけ、あんな卑猥(ひわい)な事を平気で犯るように成った妻・里美だけど、すれ違う街行く人々はそんな事は知る由も無いのだ。

言わば夫の私が想うほど、「妻・里美の懐(ふところ)は浅くないし、腹も据(す)わっている」と言う事だ。



不思議な感覚だった。

妻が淫(みだ)らなに他人と性交していても、全く妻の気持ちを疑う気には成らない。

どうせ現代人は溢れるストレスの中、僅かな幅の塀の上を歩いて正気と狂気の堺を彷徨(さまよ)っている。

その時私に有ったのは、脳を溶かすような淫(みだ)らな興奮だけだった。

後に成って考えて見るに、あれは、岩代の施した「結界の中の出来事」だったのではないだろうか?

妻は竹中と岩代の二人を相手に、私の視線も気付かず夢中でその肉体をうごめかしている。

何だ、二人相手に同時にサービスか、やれば出来るじゃないか気取りやがって・・・・。

いくら「勢いに押された」とは言え、今の姿はお前の嫌いな淫乱女そのものではないか。

性の呪縛から開放される切欠は創ってやるべきで、あれだけの輪姦(まわし)を私の前で犯ってしまえばもう妻がトンガっても今更似合わない。

だから犯ッちゃって開き直ればスッキリで、自然に立場を柔らかく素直にするしかない心境なのだろう。

良くしたもので、人間、曝(さら)け出す事で救われるものもある。

これで、良かったのだ。

もっとも、こちらも細君(京香)を組み伏せて抽入を果たし、腰を使いながら話をしているが。

理屈では無く、その非日常の状況が私に教えたのだが、確かにこうして実行して見ると胸がセツナイ思いはあるが、岩代が言う通り「個人の感情(独占欲)に起因」して性行為を倫理として聖域化するのは本来「詰まらない考え方」かも知れない。


子供を迎えに行く時刻が近付いた午後二時頃、漸(ようや)く乱交は終わりに成った。

「うん、今日は奥さん(里美)に中々良いものを見せてもらった。」

「竹中さん、どう何んですか、この所長夫人の素質は?」

「まぁ良いんじゃないか。暫(しばら)く仕込めば良い接待夫人に成りそうだ。」

「それじゃあ、我々の事業は進めて良いですね。」

「この奥さんが、このまま接待の勉強を続けるならな。幾ら里美の様な美人が性接待をしても、ご奉仕が下手クソではどう仕様も無いじゃろぅ。。」

「奥さんは、それで良いですね。」

「はぃ、そう言う事でしたら・・・この勉強を続けますのでお仕事の話を進めて下さい。」


岩代が、「これも躾(しつけ)の一環だから。」と、妻の里美に裸のまま正座させて、竹中に「今日は可愛がって頂きまして、有難うございました。」と礼を言わせ、頭を下げさせた。

妻に指示したのは岩代だが、抱かれた相手に礼を言わせるのは私の方針だ。

世間の女の「抱かれてやった」みたいな傲慢(ごうまん)な考え方は、妻には許さない。

あくまでも、「抱いて頂いた」が、今後妻に植え付ける基本姿勢である。

それが礼儀だから、今後も妻を犯した相手には必ず「可愛がって頂きまして、有難うございました。」と礼を言わせる積りだ。


ひとしきり身繕(みずくろ)いと跡片付けをして、帰途に着いた。

化粧はし直したが、着衣の方は元々ミニスカートにスェーターだけで下着無しだから簡単である。

やれやれ、綱渡りの企みも一区切りついた訳である。

帰り道、「大変だったな。」と声を掛けると、「大丈夫よ。」と、妻の短い返事が在った。

当然ながら、この接待には羞恥と苦しさばかりが予見され、妻は快感など余り期待して居なかったのだが、犯られて見ると濃密・濃厚な性感を感受した時間だったのだ。


(そして輪姦)
蒼い危険な賭け・京香◆
第七話(そして輪姦)


妻の里美は、二人きりになっても先ほどの破廉恥な出来事を話題にしない。

家に帰って来ても平然として、先程の事を批難もしない所を見ると、終わった事を「いたずらに騒ぎ立てても仕方がない」と判断する強さが、彼女を無言にして居るのかも知れない。

それにしても、想像を裏切られた思いを私に抱かせるほど、妻の反応は静かで呆気(あっけ)ないものだった。

私に非難めいた事も言わない所を見ると、あえて話しにしない事で、暗に現実を認める積りらしい。

まぁ、竹中氏相手にあれほど善がっては、今更「不本意だった」とも言い難いだろう。

それに、今夜の岩代の誘いも避け様ともしない所を見ると、妻は今朝の出来事も「嫌悪感」と言うほどでもなさそうだ。

いざとなると女は強いもので、あんな事では傷付かないものらしい。

本能は正直で、あの時妻は間違いなく竹中の腰の動きに呼応して、自然に腰を使っていた。

妻と竹中の腰の動きがシンクロして、生々しく妻の股間に嵌(はま)り込んだ竹中の欲棒の陰茎が、見え隠れしている情景が私の脳裏に浮かんで来た。

竹中に抜き挿しされるカリ首が内壁を擦(こす)るのが、気持ちが良いから妻は呼応して腰を使う。

妻が、より快感を得たければ自然にその腰使いが激しくなり、快感を貪(むさぼ)るのはむしろ当たり前の事である。

切ない事だが、いつの間にかその切ない事を楽しめるのが、人間の「因果な性(さが)」と言えるのかも知れない。

性的視覚の鮮烈な相乗効果は充分で、私は竹中や岩代と犯り終えて立ち上った妻の露(あらわ)な内太腿(うちふともも)に、確かな証拠として股間から白く濁った愛液が生々しくリアルに筋を作って垂れ流れ落ちるのを、もしかすると新鮮な気持ちで見た。


女性は、気が強くて状況判断が出来る利口な女性が良い。

穢(けが)れの思想は、情交が介在する欲望果てし無い人間を戒めるものであるから、交通事故に遭うような情が絡まない「強姦の被害に遭った」からと言って「穢(けが)れた」などとは想わない方が良い。

益してや夫婦間の性交に穢(けが)れなど存在せず、夫婦合意の上で情が絡まない遊びの性交など穢(けが)れの意味を持たないものである。

現実を見れば、結婚なんかは女性が夢見るメルヘンチックなものではない。

日常生活はそんなに甘いものではなく、それこそ力を合わせて世間の荒波を二人で乗り越えて行く最小単位である。

大体に於いて、他人との奔放な性交を不道徳などと評するが、実害はその行為が嫉妬で家庭を壊す恐れが在るからで、詰まりは夫婦合意の上なら最大の危険が除去できる底の浅い話しなのである。

実は高学歴・高知性の者の方が圧倒的に「性」に対する考え方が弾力的で、利巧に後腐れも尾を引く事もなく大人同士が愉しく遊べる工夫をする。

そこが理解出来なくて、結婚相手の欠点を上げ連ねて不満を言い合うのでは夫婦とは言えないのだが、近頃はそう言う組み合わせばかりが目に付く。

男と女として、「一晩過ごした知り合いの関係・・・それ以上でもそれ以下でも無い友情」と成れば、中々粋な仲ではある。

それで、互いに感謝の念が抱(いだ)ければ、一人前の大人の遊びである。


竹中邸からの帰り道、「岩代さんから今夜呑みに来ないか?と誘われたけど、どうします?」と、妻が私に相談風に言った。

こちらの手の内を何も知らない妻が、「私の了解を取り付けよう」と言う訳である。

午前中、子供を小学校のPTA友達の家に預けていたので、途中でそちらに寄る為に、岩代夫婦と分かれて違う道を歩いていた。

その今夜の誘いの話は事前に聞いて承知はしているが、作戦で知らぬ振りをして里美本人の口から「行こう。」と言わせる必要があった。


「今朝の今夜だ、お前疲れて居ないか?」

意地悪く、わざと気の無い物言いをして妻の反応を見た。

「でも、これから一緒にお仕事する方との大事なお付き合いですから・・・・・。」

妻が言うに、仲間意識を育てるには「気心を通じないとまずい。」と、岩代に「言い聞かされた」と言う事だった。

「いきなりスタートから断るのも何ですし。」

「その話、俺はどちらでも良いが、お前はどう思う?」

「私は絶対行った方が良いと思います。独立計画を始めたばかりで、お誘いを断ると良くないでしょ。」

「酒の席では、笑顔を絶やさないのが礼儀と言うものだが。さっきの闇討ちの事を引きずらないか?」

「判っています。あの方達の気分を壊さないように心掛けますから、今夜はなお付き合いに伺わないと。」

これも岩代マジックなのか、妻は妙に隣へ行きたい風情で有る。

あの乱交中の遣り取りだから、もしかすると私に相談なしに既に「行く」と返事はしていて、私が同意しないと困るのかも知れない。

こちらには、「妻をもう少し追い込もう」と言う下心があるから、岩代の所へ今夜行く事はキッチリと妻の責任にして置きたい。

「ヤッパリ、今夜は行かないとまずいか?」

「私は行った方が良いと思います。朝の事(竹中の接待)は、半分は私も承知していた事ですから。」

妻が性交に恐怖を持っては、この問題は解決しない。

要は、性交が安心感と快感をもたらすものである事を、妻の身体に染み込ませる事が必要だった。

「そうか、お前が自分の責任で座をシラケさせないと言うなら、子供を寝かせてから隣に呑みに行って見るか?」

私の承諾に、妻は安堵の表情を浮かべた。

「えぇ、竹中さんにあれだけ犯らせて、後が上手く行かない何て癪じゃない。私は大丈夫ですから、そうしましょう。」

この時には、既に岩代の隠れたパワーが、妻の「性的に幼稚な脳」を揺り起こしていたのだが、私の方こそまでそれに気付かない。

「所でお前、さっきは竹中や岩代と結構腰を使って乗って犯ってる風に見えたぞ。」

「だって犯っちゃったらもぅ後戻りはできないから、あそこで嫌そうな顔しながら犯って何か徳になるの?あれじゃ気分良く犯らなくちゃ駄目じゃない。」

妻は大人の女性で、そこでゴチャゴチャして「その場の雰囲気や相手の気分を壊すのは得策ではない」と考えたらしい。

「そりゃ、そうだが。」

「自分で犯らしといて焼き餅何てバカみたい。」

起きてしまった事実に対して精神バランスを取る為に、自分の行為を正当化する心理は誰にでも在る。


基本的に情が絡(から)まず、金だけが絡(から)む性行為はドライな感性で、夫の焼き餅など似合わない

夜の飲食業の接客嬢やママさんは、建前上は無い事に成っていたが優良客を繋ぎ止める為の枕営業(性接待)は立派な営業努力である。

正直、内々の秘密ではあるが、別の業種でも高額取引をスムース(円滑)に運ぶには枕営業(性接待)が効果的である。

テレビ局の女子アナはアナウンサー室に待機して、おのおので番組出演の声が掛かるのを待つ立場だから、個人の営業努力として局内の権限者に枕営業(性接待)のうわさは多かった。

正直枕営業(性接待)は相手の家庭を壊すものではなく、ステークホルダー(利害関係)として目的をスムース(円滑)に運ぶ為のものだった。

女子アナにも枕営業(性接待)が在り、局内の権限者に対してはインサイダー(組織内部)として外部に秘密が漏れない安心が在った。

バブル期の女性保険外交員(生保レデェイ)は、保険契約の為の枕営業(性接待)は建前上は無い事に成って居たが、現場では立派な営業努力とされていた。

この生保レデェイ達の枕営業とも言われそうな宴会営業は、建前、会社は知らない事でレデェイ達のリーダーが会社には勝手自主的に犯っている事に成っている。

しかしそれは暗黙の奨励で、成約件数が多いグループのリーダーには、それなりのギャランティが積み増しされる余禄があるから、形振り構わず必死になる。

これも裏話だが、生保レデェイには母子家庭が多かった。

一つには子供を抱えて中々日勤の職業には着き難かったが、生保レデェイは実績さえ挙げれば比較的自由が利いた事と、本人の「性的な渇き」は枕営業(性接待)で解消していた。

現実的に考えれば、枕営業(性接待)はステークホルダー(利害関係)として、最高に高レベルのコスパ(コストパホーマンス/費用効果)として機能する。

従って枕営業(性接待)のヒロイン・愛奴隷には、女性としての高度な「スペック(性能)」が要求される。

勿論、枕営業(性接待)を「これはお仕事だから」と言う言い訳ができれば、「全ては相手を喜ばせる為」と割り切って行為に対処ができる。

接待の性交プレィだからこそ、犯る以上は「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの努力をする。

そして枕営業(性接待)は猥褻(わいせつ)であればあるほどそのコスパ(コストパホーマンス/費用効果)は高くなる。

「スペック(性能)」は元々コンピューター用語だが、人の身体的特徴、技術、趣味、学歴、仕事などのランク(階級)を表す言葉としてある。

正直枕営業(性接待)は相手の家庭を壊すものではなく、目的をスムース(円滑)に運ぶ為のものだった。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)に対する性接待は、不倫でも愛人契約でも無く,言わば広義の意味での売春である。

つまりそれは相手の家庭を壊すものではなく、法的に言えば、優良な顧客をつなぎ止める為の性交渉を女性が提供する、つまり「枕営業(まくらえいぎょう)」の類(たぐい)である。

正直、接待相手のクライアント(得意先/顧客/依頼人)にしてもこの遊びは漏れたらスキャンダルで、インサイダー(組織内部)として外部に秘密が漏れない安心がある。

京美企画のこれは法的に言えば、優良な顧客をつなぎ止める為の性交渉を女性が提供する、つまり「枕営業(まくらえいぎょう)」の類(たぐい)である。

只、京美企画の場合、特徴的なのが「夫同伴の枕営業(まくらえいぎょう)」と言う特殊性で、それが結構相手に好評な事である。


いずれにしても妻はこの時点で既に、この大人の遊びがけして嫌では無く、気分をリフレッシュさせる良い時間で有る事に明確に気が付いて居た。

そう、妻はもう逃れられない性感地獄、いや、性感天国に足を踏み入れて居たのだ。

妻にしてみれば、易々と逃げ切れない状況に追い込まれて、止むを得ずに承知した遊びの公開性交だった。

頭で考えている間は感覚的に、エンジョイ・トゥギャザー(ごいっしょに愉しみましょう)のソーシャルセックス(社交的な性交)など神仏も恐れる大それた事だった。

しかし、いざ一度ソーシャルセックス(社交的な性交)を経験してしまうと、それは妻の意識の中で「時には肯定すべきステージ(舞台)」に変わっていた。

ソーシャルセックス(社交的な性交)は、それほど妻の肉体(からだ)に否定出来ない最高の快感を与えた事になる。

これが始めての「岩代の奇跡」だったが、まだ私にはその奇跡に半信半疑だった。

所が、この後その奇跡が次から次に起こるのである。


あれだけの事があったにも関わらず、怪しげな岩代の誘いに妻は「行く。」と言う。

既に妻は、岩代の誘いを断る事など考えていない。

この夜の事は、後で考えると妻に完全に引導を渡した画期的な輪姦(まわし)だった。

そしてその事が、岩代のパワーの源になる事も、私は後で知ったのだ。


「お誘い頂(いただ)きましたので伺いました。」

「えぇ、ようこそ大歓迎。お待ちしていたのですよ奥さん。ユックリして行って下さい。」

「それじゃ、岩代さんお邪魔します。」

「お邪魔なんて・・・とんでもない。奥さん仲良く犯りましょうよ。」

岩代の妻への返事が、私には意味深に聞こえた。

岩代の家に行くと、二階に案内された。

あの蒼いジュータンを敷いただけの殺風景な部屋だ。

アルコール類と簡単なつまみが用意されている。

何故か中央に蒲団が敷いてあり、細君は既に全裸で座って居た。

その傍(そば)に居た全裸の細君(京香)は、あの屈託を感じさせない清純そうな笑顔で、「ニコッ」と笑った。

「奥さん、今日から我々は隠し事の無い裸の付き合いだ。内の奴もあぁしている。だから着ている物を脱ぎなさい。もう奥さんも、腹腸(はらわた)まで見せた様なもので、今更私達相手に恥ずかしいもないでしょう。」

「はい。そうですね。私達は信頼関係ですから・・・。」

岩代マジックにでも掛かっているのか、妻は意外にすんなり着ているものを脱ぎ始めた。

驚いたが、昼間味わった極限の興奮(ハィ状態)が継続して醒(さ)めないのか、誰に言われた訳でもないのに妻は下着を付けていなかった。

薄手の春物のスェーターをたくし上げると、興奮して硬くなった乳首が立ち上がる乳房が「ポロリ」と転がり出た。

中肉中背、おわん型の二つの乳房、くびれたウエストに縦長の臍、やや薄めの恥毛に覆われて、柔らかそうに丸身を帯びて膨らむ恥丘、その下の二枚の肉花弁も、最早(もはや)隠し様が無い。

例の香りが、また妻の裸身から立ち昇って来た。

ノーブラ・ノーパンは、「酒席の心得」と承知したのかも知れない。

「今、奥さんを仕込む手を緩めると先に行って辛く成りますから、連中に徹して犯らせます。」

岩代が、私にそう囁(ささや)いた。

既に彼の頭の中は、妻を細君(京香)並の「接待SEXドール」に仕立て上げる事で、揺らぎ無いのである。

それにしても女は怖い、強烈な体験をしてそれを見られ、「隠す所が無く成った相手」とは言え、今日の一日でこの変身である。

いゃ、もしかしたら今朝の今夜で、考える時間を、間に何日も置かないからこその、「一度するのも二度するのも同じ」と言う連続性感覚のマジックなのかも知れない。

岩代は、「切欠が有れば」と言ったが、妻を性的に開花させる事は、夫である私が幾らジタバタしても、成し得なかった筈である。

大勢の協力者が居て、寄って集って妻追い込んで、初めて達成出来た話である。

逃れられない既成事実が出来てしまえば、もう否定は出来ない。

つまりこの種の解決策は説得ではなく、目の前で他人と体験させる事が唯一の有効な「切欠」である。

度胸が着けば女は変わるもので、妻は「アッ」と言う間に大胆に成った。


私(里美)にすれば、この際「破れかぶれ」の心境だったのです。

思いも寄らぬ立場に追い込まれて、とてつもなく恥ずかしい姿で、父親くらいの男の陵辱を夫の前で受け入れてしまいました。

夫は、その私(里美)が犯されて善がり狂うのを、少し興奮気味に黙って見ていました。

その事実は消えないから、もう開き直るしか手がないのです。

そう開き直って冷静に考えると、そこまで覚悟し、他人の陵辱を許して置いて、独立計画が失敗すれば、身も蓋もありません。

それに、そうした計算もありましたが、何故か違う感情も私(里美)には有ったのです。

あの竹中さんの欲棒が、京香さんの陰部を抜き挿ししている光景をマジマジと見せ付けられて、何も感じない訳は有りません。

私(里美)も人間ですから、京香さんが竹中さんに犯されている光景を見せ付けられて、何処か心の隅に「何かおかしな気分を感じていたのではないか」と思います。

私(里美)の心の奥底に、何かを期待する気持ちが目覚めてのかも知れません。

目の前でパートナーの京香さんにお手本を犯って見せらては、私(里美)も「私は犯らない」とは到底言えません。

そんな訳で私(里美)の深層心理に奇妙な期待感があり、その上散々竹中さんに指で陰部を弄(なぶ)られて、その屈辱感に正直思っても見ない興奮を感じていました。

だから縛られて竹中さんに犯される頃には、私の身体の中を深く浅くうごめく竹中さんの欲棒の刺激に異常な興奮をして、我慢出来ないくらい感じていたのです。

女性が性交を受け入れる覚悟を決めると、そこから先は別の心理が働き、当然脳裏に性交への快感期待も横切って犯られるのを待つ心境に成ります。

つまりその時点で私(里美)に心境に変化が在った上での事だから、心理が淑女から娼婦に変わてもけして異常な事ではないでしょう。

ですから相手が誰で在れ、坊主頭のカリ首が肉体(からだ)の中に入って来て私(里美)に内壁を擦(こす)りながら暴れれば、快感を覚えて無意識に受け腰を使い、快感を求めても仕方が無いのです。


夫の心理は判りませんが、確かに、私(里美)が他人に犯されても、慌てては居ませんでした。

夫とは、「互いに判り合えている」と思ったのは、ただの甘えだったのでしょうか?

認識が、変わります。

不思議なもので、一線を超えてしまうと別の感情が湧いて来るのです。

ここまで犯ってしまったのだから、今更元の堅い女に戻ったら、自分のした決断を否定する事に成るのではないでしょうか?

そう思うと、もう、自分を否定しない為にも、意地でもこの状況からは、私(里美)は引き返せないのです。

それにこの卑猥(ひわい)な空間が、案外自分には居心地が良い事に私(里美)は気が着いたのです。

考えて見れば、やると決めたからには、資金確保も信頼関係も損なう訳には行きません。

手を組む仲間も出来、夫にも「自分が出来る事はする。」と大見得を切りました。

ここまで来て、私(里美)のせいで独立に支障をきたす事は赦されないのです。

それに、貞操観念を無理やり取り払われてみると、自分の肉体は思わぬ快感を味わいました。

好きでもない男に犯されても、身体が「気持ちが良い」と感じてしまうのです。

つまり、ものは考え様で「けして犯られ損ではない」と思えるです。

そうした諸々を勘案すると、多少の困惑はあったのですが、ここは孤立を避けて同調して行くのが得策だったのです。


夫には内緒でしたが、実は、竹中さんの家で岩代さんに抱かれた時、私(里美)、「本気で会社をやる積りなら、奥さんが気持ちから変えなくちゃダメだよ。」と囁(ささや)かれたのです。

岩代さんは、犯罪にさえ成らなかったら、「他人がやらない事で夢をかなえる分には、犯ったもの勝ちだ」と言います。

確かに、他人がやる事と同じ事をしていては、容易に勝てません。

それで岩代さんは、私(里美)に「意識改革をさせる」と目的をハッキリさせ、「勉強の続きを犯るから、今夜ノーパンで家においで」と告げたのです。

私(里美)は、もう竹中さんに「勉強を続ける」と返事をしてしまっています。

岩代から「勉強の続き」と誘われれば断れません。

岩代さんとは仕事を上手くやって行きたいし、もう岩代さんに抜き挿しされて犯っチャッテル最中でしたから、今更嫌だとも言えなかったので、「判りました」と約束してしまったのです。

だから、行けばどう成るかは察(さっ)しがつきましたが、まさか夫に「犯られるのを承知で誘われたから行く約束をした」などとは言えません。

私(里美)、想像だけで「嫌らしい事は嫌だ」と決め付けていましたが、この卑猥(ひわい)な出来事で本当の事は犯って見ないと判らない事に気が付いたです。

一度、夫や岩代さん夫婦の見ている前と言う異常な情況で竹中氏に犯られて見て判ったのですが、想像以上に刺激的でこれまでに経験した事の無い快感を味わいました。

それは、「嫌らしい事」だからこそ悶絶(もんぜつ)するほどの濃厚な性交だったのです。

そうして見ると、犯って見ないと判らない事を想像だけで「嫌だ」と決め付けて良いものでしょうか?

岩代さんに「夜家に来い」と誘われた時、今朝の今夜ですから何かあるとは想いましたが、どうせもう朝から一度は犯ってしまった後なので、何処かで続きを期待する私(里美)が居たのです。

羞恥心でカァーッと肉体(からだ)が熱くなる想いが、まさかこれほどの興奮と快感をもたらすものであるとは、犯ってみないと判らないものです。

勢いと言うか、気持ちの良い事を犯っている最中で「判りました」と、私(里美)が約束してしまったので、夫が「行かない」と言えば私(里美)が困ります。

それで、何とか夫をその気にさせるのに必死でした。




妻が美しい素っ裸になると、男達もトランクス一枚で酒盛りが始まった。

見るからに均整の取れた妻の裸体だが、今までの妻だったらこんな他人を交えた酒席で素っ裸になるなど思いも拠らない。

何気なく妻の顔を見て気が付いたが、妻が岩代を見る目が少し泳いで居るような気がした。

「おやッ」と思ったが、この悩ましいSEX本能を刺激する状況の誘惑には勝てず、その懸念を振り払った。

少し酒が廻り始めると、妻も全裸を気にしていた姿勢が崩れ、膝が開いて明らかに気も緩んで来た。

やがて、リラックスして脚を大股開きに前に投げ出し、股間も隠さない。

昼間、恥ずかしい姿で恥ずかしい事をされている処を見られたり、抱かれたりしているから、「今更隠すのもおかしい」と言う気持ちがあるのだろう。

確かに、今朝の今夜で、今更見られる事を拘(こだわ)るには理由がない。

岩代の「慣れさせる」と言う基本的な調教が、順調に行っている証と言える。

女達は全裸でも、飲めば話題は独立計画で有る。

その格好で、四人で力をあわせ独立を成功しようと気勢を上げた。これだけ見せ合った仲では、結束は深まる。

やがて酒が廻って、細君(京香)がトランクスの前から岩代の欲棒を引き出し、それを上唇がやや薄い魅力的な受け口で咥えて、これ見よがしにシャブリ始める。

「奥さん、男はこうしてシャブらせながら飲むのが一番旨い酒だ。今後の投資家相手の酒席では、こう言う事も出来るようにして下さい。」と岩代が言う。

妻は、もう竹中氏に「勉強を続ける」と返事をしてしまっている。

岩代から「勉強の続き」を誘われれば断れない。

「判りました。」

突然、妻が私のトランクスを下ろし、取り出した私の欲棒をプリッとした上下の唇で咥(くわ)えて、熱心にシャブリ始めた。

何時(いつ)の間に覚えたのか妻は利(き)き手で私の欲棒の陰茎を握(にぎ)って素早く十回ほど扱(しご)き始めた。

私の欲棒が半立ちに成った所でカリ首に口を近付け、舌を使ってエラの方からペロペロと舐(な)め上げる。

舐(な)められている私の方は、そんな妻の口元を気持ち良さそうに目を細めながら見下ろしている。

「おぃおぃ、何で岩代に言われたらそんなに素直なのだ?」と腹の中で思ったが、今は黙ってシャブらせて置くのが得策だ。

それにしても、完全に細君が妻の見本的存在に成っている。

いざ腹を括(くく)れば、女性の方が遥かに度胸は良い。

妻には目的達成の為に、「周りに行動を合わせて行こう」と言う気持ちがあるのだろう、有り有りと、妻は岩代流の全てを受け入れ様としている。

「所長、奥さん素直(すなお)に成って良かったですね。暫(しばら)くはこのままシャブらせて置いて、愉しみながら、独立後の地上げ計画でもしましょう。」

「あぁ、計画も良いが、内の奴が、気心を通じて仲間意識を育てる飲み会だと聞いたと言っていたぞ。」

「それなら、互いの組み合わせを変えましょうか?」

「そうだね、おぃ里美、岩代君のをシャブリに行きなさい。その方が色々教わって気心も通じるだろう。」

「はぃ。」

酒を酌み交わす間、おシャブリは途中で相手を変えて続いている。

今は何か込み入った話しをしながら、岩代の欲棒を妻がシャブっていた。

乳房も揉みしだかれながらで、下半身は蒼い絨毯に投げ出している。

話の内容は判らないが、熱心に聞いている所を見ると、岩代の話に、妻は共感しているらしかった。

その落ち着いた時の流れが止まり、事態か進んだのは飲み始めて小一時間程した頃だった。

ここら辺りまでは、私も少し羽目を外した大人の遊びの気分だった。

しかしこの後、岩代夫婦には「妻を学生達に輪姦(まわ)させる」と言う企(たくら)みが在るのは私は承知していた。

妻に引導を渡す事になるのだが、そこに妻をいったいどう言う手段で「持ち込む」と言うのだろうか?


時間が来たのか、岩代がおシャブリをさせていた妻を促(うなが)して立たせ、何事か耳打ちをすると、妻は顔を赤らめたが「はぃ。」と小さく頷(うなず)いた。

妻の顔が、やはりあの妖しげな表情に変わっていた。

後で岩代に何を言ったか聞くと、「今後の為に、奥さんを縛って遊びますが、良いですか?」と、「了解を取った」と言う。

驚く事に、以前だったら確実に抵抗する破廉恥なその要求を、里美は即答で「はぃ。」と頷いたのだ。

まったく、俺には間違っても言わせもし無い事を、他人に言われると「嫌」と断れもしない。

腹が立ったが後で知ると、実は岩代に魔力でも在るのか岩代に命令される大抵の女性は、何故か相当抵抗のある事を要求されても不思議と言う事を聞く様だった。

多分細君(京香)相手に使い込んであるらしい、例の竹中邸に持ち込んで妻を縛きに使った肌に馴染む様に良く扱(しご)いて揉み慣らして柔らかくした麻縄の束を持ち出した。

岩代は妻に手を後ろに組ませ、麻縄の束ねた三本使いで手首と腕の固定から手早く縛り始めた。

手馴れた手つきで妻を操りながら、縄を亀甲に美しく巻いて行く。

亀甲縛りに縄掛けされた妻の乳房が、少し窮屈そうに絞(しぼ)られて行く。

岩代は、妻の裸体を見る間にキッチリと縛り上げたが、どうしたらこんなに素直に妻を操れるのか?

魔法に掛かった様に、妻は俯(うつむ)いて岩代の為すがままである。

両腕を背中で組ませてガッチリと手首を縛り、両肩に縄を巻いて、胸元も乳房も縄目で引き絞られ、実に見栄えのする見事な全裸後ろ手上半身拘束の愛奴隷の姿が出来上がった。

岩代の縄掛けを受けている間、妻は細君(京香)にシャブられながらそれを眺めていた私の方を無言で見ていた。

妻の裸体に縄が食い込み、乳房が縄目に囲まれて強調されている。

私はその初めてジックリ見る妻の縄掛け姿に、惚れ惚れと見とれた。

柔らかい曲線を持つ裸体に、巻き付く様に掛かる縄目は美の極致かも知れない。

岩代は、妻の里美を蒲団に座らせ、目隠しマスクで目隠しをしてそっと横たえると、「縄を解くまでは、奥さんは意思のないただの玩具(おもちゃ)だから、何があってもオマ*コが使い易い様に、脚はけして閉じるな。」と言い渡した。

「はい。脚は閉じません。」

究極の拘束状態に置かれ、何もかも剥(む)き出しにされた恥じらいなのか、横たわる妻の顔と裸体に赤味が挿している。

妻のか細い声を、細君(京香)にシャブられながら私は聞いた。

下半身には快感が走っていた。

部屋の中央に敷かれた蒲団に脚を広げて縛り上げられた里美は、次の展開を知らないまま横たわっている。

岩代が妻の開いた脚の間に座り込み、股間をまさぐり出してその柔ら壺に指二本を挿し込んだ。

里美の柔ら壺に挿し込まれた岩代の指先が、コリコリとポルチオを刺激している。

膣(ウァギナ)の奥、子宮入口の、指で触るとコリコリ感触がある突起物が、「女体で最も敏感」と話題の性感帯・ポルチオである。

岩代の指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ里美の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身する。

里美の善がり鳴く声が、直ぐに聞こえ始めていた。


妻が縛り上げられ、ポルチオを弄(いじ)られて五分としない内に、階下から「ガヤガヤ」と学生の声が聞こえる。

「押忍、寮監。」

学生の声が聞こえて、妻の里美がピクンと反応した。

妻には予期していなかった出来事が始ったのだ。

恐らく妻は、マスクの下でさぞかし驚愕した事だろう。

しかし、この格好では動けない。

妻は目隠しマスクに全裸で拘束され、岩代から「足は閉じるな。」と命じられている。

「おう、支度が出来ているから、早く上がって来い。」

「押忍、失礼します。・・押忍、押忍、押忍。」

若い知らない声が来訪を告げ、階下から多人数の声が聞こえて、里美は仰天した。

目隠し拘束で遊ばれるのは、「このメンバーだけの事」と、甘く思い込んで居たのだ。

岩代が下から聞える学生達の声に応えても、妻が生々しい陰部を晒(さら)して広げた足を、固まったように閉じない所を見ると、命じられている事を破る意識は無いようだ。

今のままでは、二階に上がって来る学生達の生け贄にされるのは目に見えている。

こうなればまな板の上の鯉で、岩代の命じる様に、「脚を開き続けているしかない」と、覚悟を決めた事だろう。

こうなってしまえば、妻は何をされても、何をさせられても拒めない状況だった。

そして私も、目の前で妻に何をされても、妻が何をさせられても抗議など出来ない状況だった。

妻の口腔(口中)も柔ら壺も、ア*ル(尻穴)さえも、只々男達の快楽の為に使用される生肉部品として彼らに供される運命だった。

こう言う状況下で、「嫌や」と言う「右脳域の感性」の心理心情だけで自分だけ安泰に逃げるのは卑怯(ひきょう)である。

だからこそ今でもそれを受け入れる覚悟をした妻のあの鮮烈な陵辱輪姦光景は、私の目に浮かんで来る。

岩代に謀(はか)られたのだが、しかしもう遅い。

この身動き出来ない体勢で、ジタバタしても始まらないのは竹中の一件で判っている。

そして妻は心の隅に、多人数の前に晒(さら)し者にされた自分が、如何に弄(もてあそ)ばれるのか、少しだけ期待感がある事も、自覚したに違いない。

階段を上がる音と同時に、細君が咥(くわ)えて居た私の欲棒を離し、身を翻して隣の寝室に身を隠した。

今、視界に入るのは、目隠しをして全裸後ろ手、上半身拘束姿で足を広げて蒲団に横たわる妻だけである。

「押忍、押忍、押忍。」

ドヤドヤと入って来た学生は、私の顔を見ると一斉に「押忍。」と挨拶して、蒲団の回りに陣取った。

前に同席して皆顔見知りだから、私を岩代の上司と知っていて違和感が無い。

妻は良く見ると小刻みに震えては居たが、仰向けに後ろ手に拘束され、言われた通り膝たて状態で足を広げ、花芯ボタンも花弁も露(あらわ)に晒(さら)して転がって居る。

女の性(さが)と言おうか、無意識に見せ様と大股開きに股間を開いた妻の恥毛が絡むデルタ地帯の肌の下に、敏感な花芯ボタンが小さなピンク色の実を膨らませて、淡い光を放ちながら弄(なぶ)られるのを待っている。

後で考えれば、この卑猥(ひわい)な輪姦(まわし)の演出を、「妻は大丈夫か」と心配したのは私だけだった。


この連中は本気で、「嫌だ」と言って止める連中では無く、素っ裸の里美はもう、どうせ輪姦(まわし)で大勢の学生に犯られるのが避けられない。

こう成った以上、恥ずかしがったら面白がっている夫や岩代夫婦の思う壺だし、嫌がっても、泣き喚(わめ)いても、見苦しいだけで余計に良い事はない。

それならば、腹を括(くく)って覚悟を決め、堂々と彼らとの性交にアクティブ(前向き・攻撃的)に応じて観せ、見っとも無い態度は止め様と想って心に決めた。


妻の、この諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せの破廉恥(はれんち)なコレクティブセックスプレィ(集団乱交)に拠る究極の羞恥心が、堪(こた)えられない狂気の興奮と快楽に変わる事を岩代夫婦は最初から知っていたのだ。

岩代が立ち上がって、転がって居る「偽の細君(妻)」の処へ行って股間に手をやり「所長、触ってみてください。内の奴こんなに濡れています。」と言って私を呼んだ。

ナルホド!岩代の芝居が始まったのだ。

「ドレドレ」と、私が「偽の細君(妻)」に近付いて股間を触ると、クニュッとした二枚の肉花弁の柔らかい感触が指先に伝わって来て、その中は、確かにグチョグチョに濡れている。

「こりゃすごい。期待で感じている。」と言いながら、私は指を二本、二枚の肉花弁の下部を巻き込みながら、中へねじ込んでかき回した。

「ヒィー。」

こんな形で、妻を甚振(いたぶ)る事が出来るのは、刺激的だ。

泣いたって遅い、お前はこれから若い連中にタップリと輪姦(まわ)されるのだ。

「所長、こんなのもあるから内の奴(にせの)で試してみて下さい。」

岩代から、当時はまだ珍しい電池式の張り型バイブを手渡された。

ラテックス製のお地蔵さんみたいな頭と、ペンギンのクチバシみたいな突起を持った物が付いた張り型バイブだ。

私はそれを花弁のスリットの中へ抽入しようと試みた。

想定外のパニック(恐慌/きょうこう)でも無意識脳は防御の準備体制に入って一種の興奮をし、身を守る為にアドレナリンを発生し、既に妻の脳を「ハィ状態」にしている。

妻のムチムチの太腿(ふともも)の付け根に在る二枚の肉花弁を張り型バイブの坊主頭が開いて、恥部の中を覗く。
そしてグィと突いてみた。

妻の恥部は水浸(みずびた)しだから、すんなりとそれを飲み込んだ。

バイブのスイッチを入れとビーンと音がして、張り型バイブの小さな突起が振動を始めた。

「所長、振動しているそいつを、花芯に宛てて見て下さい。面白いですよ。」

言われた通りに先を挿し込んだまま、突起のベロ状のものを小豆粒ほどのピンク色した花芯ボタンに宛がうと、妻はいきなり肩を左右に振り、腰も浮き上がり、のけ反(ぞ)って振り始めた。

感じるままに踊る腰の動きが、妙に艶めかしい。

「アッヒィー、アアアアアアアァー、イク、イク、アァー。」

妻は襲い来る刺激に耐えられず、ガクンガクンと上半身を跳ね上げてその快感に浸(ひた)っている。

それは、バイブ初体験の妻にとって、耐え難(がた)いほどの快感だったのである。

ものすごい善がり声がしたかと思うと、妻は目いっぱい腰を浮かし、背骨を反り返えらせて数秒耐えたが直ぐに果てた。

妻が思ったよりあっけなかったので、駄目押しでバイブを抜き挿ししてみた。

抵抗感はなく、滑る様にヌルヌルと妻の恥部を出入りをしている。

思い切ってクィクィと抜き挿しの速度を速めてみた。

花弁がよじれて中に潜り込むのも構わず、「このやろー、これでどうだ。」と、攻め立てたのだ。

「アッ、ワ、ワ、ヮヮー。」

思う壺だった。妻は、両足をバタつかせて、刺激に耐えている。

再び妻が感じ始め、腰を浮かせ、両足の太腿を震わせながら反(ぞ)って又果てた。

「社長構う事ありませんから、内の奴(にせの)をガンガン責めて見て下さい。」

生贄(いけにえ)にしているのは妻の里美だが、岩代がとぼけて私をけしかける。

私も調子を合わせて、「それじゃあ、遠慮なく。」と応えて、内心「どうだ里美。」と思いを込め、愛液に塗(まみ)れた張り型バイブを激しく抜き挿しする。

素っ裸に大股M字開脚縄掛けで布団に転がされ、当初は顔面蒼白(がんめんそうはく)、同様に蒼白かった妻の裸身も、最初の私のバイブの抜き挿し攻撃が始まってしまえば赤味を帯び、肉体(からだ)は意志とは関係なく反応をし始める。

私には意外だったが、その先は全身を汗でビッショリと濡れ光らせ「息も途切れるか」と思わせる善がり声と伴に、太腿(ふともも)の付け根に咥(くわ)え込んだバイブに激しい受け腰で行為に応じて、愛液に濡れ光るモロに串挿しとなったバイブの茎が見え隠れしている。

「アッ、アアアアアアアア〜。」

張り型バイブの激しい抜き挿しに呼応して再び妻の裸身が腰を浮かし、全身が反り返る。

私が意地悪く電動玩具を挿し込んだまま放置して様子を見ると、妻は股間にラバー製の電動玩具を咥(くわ)え込んで、その振動に悶絶するような表情を浮かべながら「ヒッヒヒヒヒ〜ッ」と奇声を発して腰を振っている。

面白い様な腰の振り方で、暫(しばら)くその妻の悶絶姿を堪能(たんのう)してから電動玩具を引き抜きたのだが、その性感反応だけでかなりの運動量だったのか、妻の肌に薄っすらと汗が滲(にじ)んで来た。

学生達の好奇な視線の中、この性玩具で夫にイカされた位は何でもない。

この後妻・里美には、陰茎に青筋が立つほど硬くそそり立つ何人もの陰茎を、入れ替わり立ち代り突き込まれる息も詰まる様な快感地獄が十分〜十五分と続く場面が待っている。


張り型バイブを抜いても、妻の「フゥフゥ」と言う荒い息が止まらない。

過去の夫婦生活を振り返ると、これは新鮮な感動である。

しかし、この新鮮な感動は、中々女性である妻には受け入れられないで今日まで来た。

自分は「そんな淫(みだら)な女ではない」と、安っぽいプライドを振り回すからである。

それ故大概の場合、こうした新鮮な男の心理の発揮する行為が、夫婦間ではなく外で起こるから、結果が悲惨なものになる。

本来、こう言う楽しみは夫婦揃って犯るのが理想的で、つまり今この場に、私達が単独では無く夫婦で居る事は、理屈に合っているのだ。

私のバイブ攻めに、のけ反(ぞ)って果てた妻は、肩で「フゥフゥ」息をして呼吸を整えている。

私は妻に心で語りかけていた。「どうだ、気取っていても、お前は充分淫(みだら)な女じゃないか。」と・・・・・

今夜はお前の肉体(からだ)を学生達に投げ与えて「嫌」と言うほど責め上げてやる。

「所長、満足しましたか?」

「まだ責めたりないが、取り敢(とりあ)えずはな。」

「そしたら、内の奴(にせの)のお仕置きは後を若い連中に任せて、それを肴(さかな)に飲みましょう。」

「あぁ、後のお仕置きは彼らに任せよう。」


固唾を呑んでこのバイブ攻めショーを見ていた学生達も、一段落すると賑やかに会話を始める。

直ぐに、酒盛りが始まったが、「押忍、寮監、奥さん髪型を変えましたか?」と一人が異変に気が付いた。

「細かい事は言うな。何時もの様に、転がしてあるだろう。余計な事を言わずに、構わないから嵌(ハメ)倒して楽しめ。今日は誰からだ。」

岩代の一括に学生達は一気に戦闘モードに入った。

「押忍、寮監、俺が行きます。」

「おう、気合を入れて犯れ。」

「押忍、寮監。ごっちゃんです。」

「おぃ、これを使え。」

学生相手に避妊ゴムは欠かせない。今夜も岩代がその都度渡している。

「オッ、今日のはイボ付きの良く効くやっですね。」

「お前、それで内の奴が感じなかったら承知しないぞ。」

「押忍、自分は目一杯気合を入れて行きます。」

当然妻には、この会話が全て聞こえている。

しかし、「玩具(おもちゃ)にする」と言われ、言い成りに了解して拘束されて学生達に宛がわれた以上、妻はもう、「思った相手と違う」と今更抗(いまさらあらが)う事も出来ずに玩具(おもちゃ)として輪姦(まわ)される事を覚悟するしかないのだ。

妻にして見れば、自分に要求されたこの生贄(いけにえ)の状況は、信じられない程余りにも衝撃的だった。

性器も露(あらわ)な素っ裸に剥(む)かれた裸体を他人前(ひとまえ)で晒(さら)すのは、妻に採って何とも恥ずかしく頼りない想いである。

それだけでも羞恥心でアドレナリンが噴出するのに、岩代は多数のギャラリーの中で「輪姦(まわ)されて見せろ」と、聞いただけで脳みそが溶けるような衝撃的な事を命じるのだ。

しかしこの際、妻本人が何をどう考えるかは、岩代の問題ではない。

必要なのは、只、妻を素っ裸にして皆の前に連れ出し、嫌応無しに休む間も無く犯して可愛がり、善がり続けさせるだけの事である。


妻が、夫を含む周囲が「必ず自分に合わせてくれる」と想っているのは傲慢な心得違いの甘えで、当然ながら自分が周囲に合わせる必要もある。

これは妥協では無く妻の傲慢思考を変えさせる工夫で、こう成ったら新たな事業の為に妻は元気を出して犯られるっきゃ無い。

妻を輪姦(まわ)させるなんて酷い様だがものは考えようで、一対多数の変則マルチSEX(複数性交)は、スケベ女なら涎(よだれ)が出そうな御褒美で、「豪華フルコースの贅沢」と言えない事も無い。

私は妻の肉体(からだ)を学生達にバトンタッチする事にしたが、挿し込んだ張り型バイブはそのまま放置した。

その周りに学生達が集まって妻の肉体(からだ)を触り始めた。

全裸に剥かれて提供された肉体(からだ)だけのシエアリング(共同所有)は、仲間内の既成事実だった。

当然男達は妻の肌触りを愉しむべく裸身を撫(な)で廻すが、此処まで来ればそれは極自然な行動と言える。

それで妻は、手始めに裸身その物を男達の玩具(おもちゃ)にされる。

妻は被虐感と伴に、乳房を掴(つか)まれ乳首を摘(つま)まれようが、股間を撫(な)でられようが指先を入れられようが、相手任せに触り放題で弄(もてあそ)ばれるしかない。



名乗りを上げた学生が、私が挿し込んでそのままに放置し、「ビーン」と小さなモーター音を響かせていた張り型バイブを抜き取り、開いていた妻の脚を両手で持ち上げて肩に乗せた。

持ち上がった股間の二枚の肉花弁の間に、その学生がエラの張ったキノコ状のカリ首を宛がい、花弁の間の恥部に「グイ」と欲棒を押し込んだ。

「アッ。」と小さな声が妻から漏れたが、その口に次の学生が「押忍、失礼します。」と欲棒を押し込んだ。

妙な気分だったが、目の前で乳房を乱暴に揉みしだかれる妻のプリッとした上下の唇の口と花弁に二本の欲棒が出入りし、陰茎が愛液に濡れ光って恥部で見え隠れしている。

妻の口の隙間から、「ウゴッ、アッアッ、アッアア。」と善がり声が漏れている。
感じているのだ。

何時(いつ)の間にか、妻の腰は学生のリズムに呼応して怪しく欲棒を向かえ動き、ユックリと抜き挿しに腰の動きを同調させ、別の学生の欲棒へのシャブりの為に、首を固定して咥えた上半身も艶(なまめ)かしく動いていた。

学生達は、殆ど同時に「ウッ。」と言って果てた。

正直こう言う多人数の輪姦(まわし)を一人で受けるとなると相手が順番で続くから、妻が渾身の受け腰使いで早く何本ん抜けるかが勝負になる。

最初に何人か熟(こな)して受け切れないと、妻の方が中々相手を抜けないまま一方的に責められてイキ過ぎ続ける無残な姿を見せる事に成る。

「次は誰だ。トットコ続け。」

「押忍。自分が行きます。奥さんうつ伏せの犬スタイル。」

今度の学生は、性交体位のリクエストをした。

妻を後ろから、「バックスタイルで攻めよう」と言うのだ。

始終細君とは性交をして居るらしく、慣れた態度で目隠しされている妻を抱き起こし、手で誘導してうつ伏せの姿勢を取らせている。

妻は縄で上半身拘束されて腕が使えない状態でいるから、それこそ前屈みに頭と首で支えて尻だけ上がった状態で、目の前に持ち上がった秘部丸見えの妻の尻が生々しく出現した。

大股開きに股間を開いた妻の恥毛が絡むデルタ地帯の肌の下に、敏感な花芯ボタンが小さなピンク色の実を膨らませて、淡い光を放ちながら弄(なぶ)られるのを待っている。

小さく膨らんだ菊座の蕾も、プリティな二枚の肉花弁も花弁の間のスリットも、太腿(ふともも)の間に覗いている。

その尻に取り付いて、学生が膝立ちに立ったままエラの張ったカリ首を花弁のスリットに宛がい、二〜三度擦(こす)り着けてから欲棒を後背位で恥部に捻(ねじ)り込む。

「アゥ。」

その学生の腰が始動をして前後にユックリと動き始める。

「アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

私に張り型バイブで散々弄(なぶ)られた後だから、偽の細君(里美)は直ぐに感じ始めて善がり声を上げている。

身動きが不自由ながら、妻の背中が反り返って、エラの張った坊主頭の海綿体が妻の中にめり込んで行き、内壁を擦(こす)り始めたに違いない。

「ドレドレ。上手く入った様だな。」

屈み込んで接合部分を覗くと、私の目の前で妻の股間を貫(つらぬ)く硬く勃起した欲棒が、花弁をヒク着かせながら、艶(なまめ)かしく濡れて鈍く光ながら深く浅く出入りするのが手に取る様に判る。

「アッ、アッ、アッ、アッ。」

パンパンと言う学生のリズムに合わせて妻が発していた声が、何かの変化で少し音色(ねいろ)を変えた。

妻の腰が怪しく微妙な動きを始め、快感を追うように動いている。

「アァ、アァ、アァ〜。」

その善がり声とともに、妻の汗が飛び散っている。

この乱交パーティで輪姦(まわ)される為に、素っ裸で引き出された妻だった。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は妻には無い。

そして避けられない性交遊びであれば、オーガズムの到達点に到るまで妻は愉しんで犯って観せるしかない。

奇妙な心理だが、既に少なからぬ妥協をした後では引き下がれば犯られ損で、乗りかかった船は妻には今更尻尾(シッポ)を巻いて降りられない。

もぅ、学生達は次々に入れ替わって妻を欲棒でズブリと貫き、クィクィと腰を入れてリズム良く抜き挿しをして来るから、こう成れば妻も気合を入れて必死に受け腰を使うしかない。


妻・里美の公開性交に於いて、その奮戦と性反応を生々しく確り確認させる為に、ギャラリーの最前列・目の前が夫である私の定位置である。

クィクィと抜き挿しに応じて見え隠れする学生の陰茎に、妻の肉花弁が生々しく巻き込まれ捩(よじ)れ震えて見えている。

生身の欲棒が妻をヒィヒィ言わせながら、妻の股間に嵌(はま)って蠢(うごめ)く様(さま)に、夫として私はドッキリさせられ、一瞬後悔の念も浮かぶ。

だが、この情を挟まない遊びの場では、その生身の欲棒は妻に与えた「大人の玩具(おもちゃ)」と想うしかない。

後で落ち着いて考えるに、このプレイは私自身には自虐的であり妻には加虐的と両方の感性を震(ふる)わす、良質の遊びだった。

周囲を順番待ち組と鑑賞組の人の輪で囲まれる中、妻は生々しく結合部も露(あらわ)に、乳房を揺らし善がり声を挙げながら壮絶に相手の抜き挿しに受け腰で応じている。

激しいピストン運動に妻の顔が歪みながら左右に嫌々をし、股間の柔ら壺に抜き挿しされるその淫茎は抜き状態では濡れ光り見え、挿し状態では根元近くまで中に達している。

勿論こんな非日常の興奮は、妻に取って夫婦で犯る日常の性交ではとても味わえない強烈な刺激で、羞恥心など只の味付けだった。

次々と無遠慮に犯られる妻は、公開性交の露出羞恥心も脳内に噴出する興奮のドーパミンの快感に後押しされて、脳内麻薬・ベータ・エンドロフィンの誘導が起こる。

やがて妻は、セックスハイ状態に到達して涎(よだれ)を垂(た)らしながら尻を振り、性交を続けて快感を貪(むさぼ)り、素の女性(おんな)を曝(さら)け出す。

意外な事に、妻はもう周囲の事など忘れて自ら受け腰を使い快感を貪(むさぼ)っている。

不謹慎とも言える無軌道(むきどう)な連続輪姦の責め苦に、最初は阿鼻叫喚(あびきょうかん)だった妻の表情が、何時の間にか私の欲棒を勃起させるほどシンクロ(連動)させ、何とも艶(なまめ)かしい恍惚(こうこつ)の表情に変わっている。

輪姦(まわし)と言うアブノーマル(異常)な狂気を内在する性交は、妻の脳内に噴出したドーパミンの興奮で一層の激しさを益したのだろうか?

学生達の妻への欲棒の抽入と抽送は、妻の愛液に濡れた股間をズブリズブリと生々しく串刺しにして深く浅く陰茎が見え隠れするを私に見せ付けながら続けられ、絶頂の連続と言う責め苦にあえいでいた。

突き立てられた欲棒が絶頂に達して力を失っても、直ぐに引き抜かれて又次のいきり立つ欲棒が突き刺さって来て抜き挿しが始まる。

だから一旦治まりかけた妻の絶頂は継続し、休む間も無く肌に汗を滲ませ、その汗を光る雫(しずく)にして床に滴(したた)らせる。


いずれにしても、これは「夫公認の性交遊び」と言う避けられない事態に妻は巻き込まれた。

こう成った以上は夫の面子(めんつ)や自分の意地も在り、夫の眼前でどうせ犯られるなら他人に「下手(へた)な女とか詰まらない女」とかは言われたくない。

つまり自分の値打ちを評される場面だから妻は、女の意地を賭けて形振(なりふ)り構わず大胆に、おシャブリも腰使いも上手(うま)く犯ろうとする。

こんな事は、別に「世間に公表すべき」とは想わないだけで、何を犯っても「夫婦が遊び」と認め合えば良い事と妻は思考を整理する。

腹を括(くく)ってしまうと奇妙な心理が働くものだが、輪姦(まわし)と言う現実に直面すると、「無理も無い事」かも知れない。

男達が群がって来て、無遠慮に乳房を掴(つか)む者、股間の柔ら壺に手を入れ指先を肉体(からだ)の中まで挿し込む者、尻の穴に指を挿し込む者、もう数人が一度に妻の裸身に取り付いて犯りたい放題である。

その一度に多人数に攻められると言う激しい刺激に、妻は無抵抗で耐えるしかない。

その先は妻に欲棒を咥えさせる者、性交に及ぶ者が次々に現れるが、相変わらず周囲に群がる男達の手も妻の裸身を同時進行で無遠慮に襲っている。

「所長、奥さん(里美)もこれだけ沢山の男と一度に犯ってしまえば、性接待なんてお手のものですよ。」

学生達の欲棒を、間も開けず柔ら壺に突き立てられ続けて身悶える妻を眺めながら、岩代が私に囁(ささや)いた。

これも今後親しくお付き合いする為の「ご挨拶代わり」と言う事で妻が承知したのだから、岩代夫婦に何を犯らされても仕方が無い。

入れ替わり立ち代り、相手が嫌応無しの連続性交を挑んで来るのを、形振(なりふ)り構わず必死で応じる妻の眩(まばゆ)い裸身は流石(さすが)に加熱している。

この輪姦陵辱舞台に登ったら、次々に襲って来る相手におシャブリも腰使いも上手く犯って、次々にイカ(絶頂)さなければ行為が何時(いつ)までも終わらないから観応えが在る。

激しい運動量で無理も無い事だが、触るとペトッと吸い付くほど肌から玉の汗が噴出し口をパクつかせて善がりながら、裸身を濡れ光らせて奔放に腰を使って抜き挿しに応じて居る。


今、男達に肉体(からだ)を弄(もてあそ)ばれながら、股間に欲棒が抜き挿しされる生々しい情況に周囲の視線が注(そそ)がれている事を、妻は自覚しながら犯されていた。

何と言っても、大勢のギャラリーが焦点を合わせて見詰める視線の先で、妻は別の選択肢は無い状況のままに恥ずかしい性交姿を今、素っ裸で披露しているのである。

「見られながら犯られている」と言う羞恥心も凄いが、妻に押し寄せて来るM性(マゾ性)も半端でなく、その場面状況がに意識されて依り性感を高めている。

これからこの奇妙な感覚が自分の肉体(からだ)に訪れる事に、妻は期待と恐怖が交互に訪(おとず)れて来ていた。

生々しく股座にズブリと突き挿さった他人の欲棒の抜き挿しに、妻は善がり声を挙げながら腰を浮かして受け腰で応じているのだから、もう気取っては居られない。

性交は最も姦淫ムードが在る性行為が上等で在って、スマート(格好が良い)な性交など元々在りはしない。

そこがマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の良い所だが、人前で「見られながら犯られる」と言う普通では考えられない羞恥の興奮が、エゲツ無いからこそ妻の脳をトロケさせる。

流れに乗って乱交行為を続けている所を見ると、妻は早くも愛奴隷の「コツを掴(つか)んでいる」と言う事である。

非日常の刹那を愉しむ性交など本当は「有り触れた話」なのに、何故か「特別なものだ」と信じたがる狡(ずる)さが人間にあるのかも知れない。

遊びの性交ならエゲツ無いほど中身が濃くなり、最後の所で節度を保てば後はどんな卑猥(ひわい)な事を手加減や妥協が無い真剣勝負でさせても良いのが愛奴隷で、妻は抗(あらが)う事が無い性玩具(おもちゃ)と言う被支配状態だった。

恍惚(こうこつ)の表情を浮かべ絶え間ない善がり声をあげて腰を使い、奮戦する妻・里美の痴態(ちたい)を目撃し、私はモヤモヤとしたエロス効果に入り込む奇妙な感覚に襲われていた。

考えて見れば「馬鹿な事を・・・。」と批判するのは簡単であるが、人間の感性は算数ではなく、辻褄が合わない事をするから息抜きが出来る。

学生達の激しいローテーション(交替)攻撃に遭う妻は泡を吹くがごとく「ギャーギャー」と激しい善がり声を挙げて相手の抜き挿しに呼応し、受け腰を使い応戦している。

彼等の輪姦(まわし)が止まらないから絶えず快感に襲われて、もうその性交に流されるままに周囲の目も忘れて、涎(よだれ)を垂(た)らしながら奇声を発し、髪を振り乱し腰を振って善がる妻がいた。

目隠しをしたまままだ見ぬ男達を相手にこれ以上無い破廉恥な事を犯っては居るが、本人が快楽の中を漂っているのならその刹那(せつな)は彼女に取って幸せな時間なのである。


コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が始まってしまえば嫌でも妻の肉体(からだ)が反応して思考が停止し、もう周囲の視線を気にするどころでは無い。

他人事で聞けば「そんな酷い事、何で断らないのか?」と訝(いぶか)るかも知れない。

だが、大勢のギャラリーの中に素っ裸で連れ出された当事者の身に成ってしまうと話しは別で、周囲の誰もがそれを赦さないと判っては、妻も中々「嫌」とは言い出せない。

それは成り行きで上がってしまった嫌も応もない引っ込みが着かない舞台の上も同然で、妻も「犯りたく無い」とは言えない状況だった。

こう言う状況に成ればジタバタしても見苦しいだけで、もう吹っ切れてギャラリーの期待を裏切れない心境に妻が成っても自然の流れである。

女性だけ輪姦(まわ)されると成ると一見不公平に見えるが、男性は一回発射すると機能的に回復に遅れ、肉体的には多人数の女性に輪姦(まわ)される能力すら無い。

これだって「公平不公平に何を採るか」の採り方の問題で、快感の享受と言う観点からすれば男性側に不公平かも知れないではないか?

此処での公開性交は、ギャラリーに結合部分を見せて姦淫ムードをるのが煽(あお)ルールだから、輪姦(まわ)される間は妻は大股開きで脚は閉じない。

股間を貫(つらぬ)かれた欲棒のカリ首が、堪(たま)らない程に激しく抜き挿しされて、思わず快感を貪(むさぼ)る妻の無意識な腰の動きが艶(なまめ)かしい。

カリ首が妻の下半身の内壁を擦(こす)り、妻の汗に濡れた顔が快感に強張(こわば)るその表情が眩(まぶ)しい。


妻は、入れ替わる男達の好みに応じて素っ裸で操(あやつ)られ弄(もてあそば)れながら、ギャラリーに結合部分を見せる大股開きで輪姦(まわ)される公開性交を勤めている。

それは他人の欲棒が抜き挿しされている自分の股間の結合部分に夫である私の熱い視線を感じるのだから、妻が二重に興奮しても仕方が無い。

ヌメヌメとした感触と伴に抜き挿しされる坊主頭のカリ首が、妻の柔ら壺の内壁を擦(こす)って堪(たま)らない快感刺激が脳に伝わって来る。


妻の里美に採って見れば、学生達の参加はハプニング(突発的な事・思いがけない事)だったが、夫を含め周囲は全て承知の上の事で、素っ裸に剥(む)かれて縄掛けされて転がされたその場の乱交は抵抗などできる訳も無く、犯るべくして犯った事になる。

腹を括(くく)って、生身の欲棒だろうがシリコンラバー製の男根型性玩具(オモチヤ)だろうが、それを股間に咥(くわ)え込んだままの腰振りダンスを目隠しのままクィクィと公開して里美は吹っ切れた。

そして里美は夫の前で結構凄い乱交を味わってしまった事で淫乱のオンスイッチが入ったのだが、後から考えると大それた想いは想像だけで、犯って見れば絶頂の快感を貪(むさぼ)るだけの案外イージー(簡単)な事だった。

この狂宴の場に全裸で曳き出されたら、妻はタップリと陵辱プレィで弄(いじ)り放題の女体である事を意味している。

全ては遊びの発想から生まれたもので、深刻な事実は無い。

輪姦(まわさ)れる事を恐がったらギャラリーを愉しませるだけだから、こう成ったら意地でも恐れの表情なんかギャラリーに見せられない。

余り大した事では無い振りでもしなければ、妻も大勢の他人前(ひとまえ)で晒(さらし)し者で犯られては居られない。

その場の雰囲気を感じ取ったのか、妻に恥ずかしい想いは在っても、何故か開いた股をこの場では閉じてはイケナイ気がした。

それで妻は、この狂宴が終わるまでグロテスクな女の部品も露(あらわ)に股を大きく広げたままだった。


どうせゴチャゴチャした理由など不用の妻お遊びだから、その場の者が性癖を曝(さら)け出して日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らせば良い。

妻も、全てを曝(さら)け出して奔放(ほんぽう)に愛玩(かわいが)って貰(もら)えば、仮初(かりそめ)でも親近感が湧き、情が醸成される。

大勢の視線を浴びる輪姦ショーのヒロインを勤めさせられるのだから、妻の性感が日常の夫婦の性交より過敏に成って当たり前である。

女体は良く出来ているもので、妻は素っ裸で奥座敷に曳きだされた時点で、もぅ滑りを良くする潤滑油が股間で湧き出しているのを感じていた。

大勢の視線を浴びる輪姦ショーのヒロインを勤めさせられるのだから、妻の性感が日常の夫婦の性交より過敏に成って当たり前である。

女体は良く出来ているもので、妻は素っ裸でプレィルームに曳きだされた時点で、もぅ滑りを良くする潤滑油が股間で湧き出しているのを感じていた。

勿論、女性心(おんなこころ)としては、犯られた相手に「使いものに成らない」などとは言われたくないから、精々踏ん張って喜ばせようとする。

始まってしまえば、皆が妻の性感反応興味深々で、ギャラリーは面白(おもしろ)そうに囃(はや)したて、性交相手はグィグィと過激に攻めたてる。

後背位を採らされた妻が、口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、妻の口から垂(た)れ流されている。

バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パン、と言う妻の尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこの会場に響き渡っている。

相手が替わって体位が変わり、騎乗位に欲棒を咥え込んで妻自(みずか)らが腰を浮かして沈めて陰茎を見え隠れさせている。

今は貫(つらぬ)かれた欲棒に歓喜の受け腰を使って応じながら、妻の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、形振(なりふ)り構わず「ヒィヒィ」とプレィルームに響き渡っている。

めいっぱい感じているのか反応が凄く、妻は上半身をガクンガクンと奇妙に揺(ゆ)らし、乳房は踊り腹は小さく波打っている。

タップリと弄(いじ)り放題に、大勢から愉しそうに責め上がられた妻だったが、その狂宴が終わってみると意外な事に嫌悪感は無く、達成感と疲労感、そして満足感が在った。



男性を受け入れるかの決断は本能で在るから、イザと成ると性交に関しては女性の方が余程(よほど)男性より度胸が良い。

妻の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、岩代家の二階に響き渡っている。

「まるで私では無いみたい」と妻は想いながら、今は貫(つらぬ)かれた名も知らぬ学生の欲棒に夢中で受け腰を使って応じていた。

つまり妻は、想ったよりもこの卑猥(ひわい)な遊びと、肉体(からだ)が肉欲的に水が合った事に成る。

集団乱交の遊びなど「現実には存在しない噂」だと想っていた妻にはにわかには信じ難い事だっが、その噂だけの世界が現実に存在した。

しかも妻は、接待の生贄(いけにえ)のヒロインに仕立てられ、こんな乱交プレイを愉しみ愉しませる遊びを犯る連中が居る事を、肉体(からだ)で知らされ様としていた。

新しい事業の為のこの遊びの性交プレィを、拒絶しても回避できない環境であれば上手く犯るべきで、頑(かたく)なに気持ちだけで拒絶するのは聡明な事では無い。

こう言う事を否定しないで上手く犯るには、気を入れて気分を卑猥(ひわい)に持って行き、積極的に受け入れて性交を愉しむのが利口な女の処し方である。

妻は、今からこの「大勢の他人前(ひとまえ)で犯される」と想うと、恐ろしさと恥ずかしさで胸がキュンと成った。

けれど不思議な事に、この観られる快感が癖に成りそうな予感が、妻の心の片隅に複雑に存在した。

現に妻は、大勢の視線を意識して乳房の乳首を硬く立たせ、戸惑いの表情を浮かべて指示に従っている。

自然な男女の性癖を区分けすると、観て感じる男性と見せて感じる女性に分けられる。

頭の思考で露出癖を論理的に否定していても、経験から別の答えを感性的に受け入れる事もある。

タブーの世界だから余り正面切って表明は出来ないが、現実にAV女優の志願者は多く、事務所登録しているだけで数万人は居て、その彼女達が金の為だけで無い。

建前はともかく本音では、彼女達に「他人前(ひとまえ)で犯られて見せる」と言う究極の露出癖をも満足させる目的でも無ければ、そんな仕事は犯っては居られない。

日本でも欧米でも、大ヒットを飛ばす歌姫に露出の多い衣装は定番である。

つまり女性の「見せたい願望」は女性が男性を誘うカップリングの本能で、それで集まって来た中から相手を選ぶ為に、見せて誘う意識が感性的に働くと言って良い。

男性は観たい癖があるから露出の多い衣装は歓迎だし、女性も本音では「見せたい願望」で歌姫の露出に共感している。

だから妻は本能をくすぐられ、こう言う特別の場でしか味わえない女性特有の究極の露出癖に目覚めたのかも知れない。

此処まで来てしまえばまな板の鯉で、妻の顔は、一見すると覚悟の「はにかんだ微笑(ほほえ)み」の表情を含んでいた。

もっともこの快楽の場では今更抵抗は見苦しく、妻は場の雰囲気を壊さない為に悲壮な顔や嫌な顔は出来ない。

結局の所妻は、「どうにでもしろ。」と覚悟を決め、秘部も露(あらわ)に股を開いて相手の犯りたい事の受け入れを待つしか選択枝は無い。

そしてどんなに美人で、どんなにスタイルが良くても、絡み合う恥毛の丘とグロテスクな女性器は、性交の為の肉体の一部として違和感タップリに備わっている。

その場に全てを晒(さら)して素っ裸大股開きにされた妻の顔は、羞恥心を含んだ困惑の表情だった。

その妻の困惑の表情などお構い無しに、少し乱暴に輪姦(まわ)しは始まった。

この連中はこう言う事に慣(な)れて精神的にも図太く、他人前(ひとまえ)でも躓(つまずく)事も無くズブリとインサート(挿入)を確り決めて来る

自分達が日頃犯って居る事だから犯る方も犯られる方も笑顔で、この連中が無遠慮に  に犯って居る事は当たり前で、悪いとも可愛そうとも想わない。

しかし女性は、一度そちら側に飛んでその露出感覚の快感を味わってしまうと感性の快感が優先されて、次からのプレィは意外とそこまでは抵抗がない。

何しろ休みたくても休めない状態で後ろから前からと輪姦性交が続いて、妻の絶頂(アクメ)は途切れなく性感に拠る忘我の境地を彷徨(さまよ)っている。

岩代夫婦や学生達、そして夫である私の視線も忘れ、口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、妻の口から垂(た)れ流されている。

バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パンと言う妻の尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこの岩代家の二階に響き渡っている。

雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。

原始回帰すれば、男性が良い母体を探し女性が良い精子を探す「種の保存本能」で相手を代える感性は、ふしだらでは無く当たり前だった。

その性交本能を剥(む)き出しに男女伴に、妻の肉体(からだ)でタップリ愉しむ事が、この場の約束事だった。


夫婦なんて、互いが建前で居る間は知った気に成って居るだけで肝心な所では相手が良く判らないものである。

特に男女の間のセックス・ジェンダー(生物学的性意識差)は顕著なので互いを理解し合うのは難しく、結婚後二年も経つとすれ違い感が育って浮気や離婚の問題に発展する。

すれ違いの克服は中々出来ない事だが、夫婦は本性を曝(さら)け出してこそ初めてセックシャルライフポリシー(性生活方針)が共有される。

セックス・ジェンダー(生物学的性意識差)の違いは在るから、妻にも複雑な思いは在ったかも知れないが、乗ってしまった船は港に着くまで降りられない。

こう言う遊びの露出性交は、世間的にジェンダー(社会的文化的な性差)を有するから恥ずかしければ恥ずかしい行為ほど逆に興奮する。

今は妻の表情が随喜(ずいき)の表情に変わり、顔をクチャクチャに涙と涎(よだれ)を垂れ流し、受け腰で抜き挿しに応じている。

この日確かに、妻は責め挙げられてセックス・ジェンダー(生物学的性意識差)をも凌駕(りょうが)するM(マゾ)気質を開花させたのかも知れない。


他(ほか)でも無い、陵辱(りょうじょく)を受けて居るのが自分の妻であれば、加虐(S)・被虐(M)のどちらもないまぜの、癖(くせ)に成りそうな特別な感情が私に湧く。

信じないかも知れないが、愛する者が、目の前で他人に肉体的陵辱を受けるのを見るのは、歪(ゆが)んだジェラシー(嫉妬)を満足させる不思議な快感である。

ただ、これには「合意の上」と言う絶対条件がある。

つまり、精神的意味に於いて、愛する者を肉体的に陵辱している相手は、自分が指定した「生きた電動性具だ」と思えば良いのだ。

岩代が学生達を「遠慮せずガンガン行け」と煽(あお)り立て、気分を盛り上げている。

「アァ、アァ、アァー、アア、」

口を半開きにした妻の顔は、臨場する私の目の前で快感に歪(ゆが)んでいた。

相手の学生が勃起した欲棒を引き抜き、四つん這いに近かった妻をひっくり返し、体位を変えると、今度は前から抽入して腰を使い始めた。

見ると、妻は足の指先まで丸め、必死で襲い来る快感に耐えている。

目隠しマスク超しの妻の頼り無気な表情が随喜(ずいき)の表情に変わり、興奮に顔をクチャクチャに涙と涎(よだれ)を垂れ流し、乳房を揺らし尻を躍らせて善がり声を上げ、貪欲(どんよく)に受け腰で抜き挿しに応じている。

マルチSEX(複数性交)ではクライマックス(絶頂)が連続するから、仕舞いには泡を吹きながら善がり声も掠(かす)れて行く壮絶な輪姦性交である。

勿論女性には性交相手を選ぶ権利はあるが、悶え狂う快感はマルチSEX(複数性交)でなければ得られないし、ディープ(深く嵌り込む様)を求めるならマルチタスクSEX(同時実行性交)が濃厚である。

妻がこの時嵌(はま)ってしまった注目を集める露出性交は非日常の遊びだから、恥ずかしければ恥ずかしい行為ほど興奮し、異常とされる行為ほど掛け値無しに官能的なものである。

「アァ、アア、アァ〜、アア、アァ〜ア。」

妻の善がり声が大きく成って来た。

ふといたずら心が沸いて、妻の耳元に這って行き囁(ささや)いた。

「おぃ、気持ち良いのは判るが、余り声が大きいと隣の小川さんからまた苦情がでるぞ。」

何よりもこの卑猥(ひわい)な遊びは、禁断の露出公開性交だからこその観て興奮する男性と魅せて興奮する女性の「性(サガ)」がもつれ合って気分を高めて行く。

夫が合意している遊びだからこそで、此処で他人(ひと)の欲棒を咥え込んだ腰を振りながら妻が善がり狂っても、安心して家庭の平穏は保たれる。

嫌、従来の夫婦常識を外した事で、その最高に官能的な非日常の時間は本能に対して嘘が無い一瞬の煌(きらめ)きである。

だからむしろ、この非日常の時間を持つ事が、家庭の平穏を創り上げる為の一つの手段かも知れない。

この連続性交の快感を妻の股間と脳が記憶してしまえば、その後の彼女の「性」に対する答えは新しい遊びの発想で出す事になる筈だ。


前の男の欲棒が抜き去られる交代の時、妻は気持ちがつかの間の一瞬にホッとする。

だが、次の瞬間にはもう新しい男の欲棒が挿し込まれ、妻の顔が歪(ゆが)み、半開きに開けた口から「ハァ、ハァ。」と声が洩れ、妻乳房を生々しく揺らしながら下腹部の中で快感と共に暴れまわる。

妻に四人目が取り付く頃には、素っ裸の細君(京香)がヒョッコリ隣の部屋から戻って来て、また私の勃起した欲棒をシャブリだした。

てっきり、岩代の細君(京香)が相手と思い込んでいた学生達は驚いた様だが、岩代が口に指を当てて制したので、何食わぬ顔して妻への容赦ない陵辱は続いている。

一段落した所で岩代が学生の内から三人を指名、「お前ら一度に掛って、内の奴がヒイヒイする所を、所長にお見せしろ。」と命じた。

「押忍!」と、学生達が早速妻の肉体に取り付いて行く。

輪姦の生け贄となった妻は、「後ろ手拘束に目隠しアイマスク」と言う逆らえない姿で、一度に三人の男に同時に襲われて、もうメチャクチャな修羅場に在った。

寄って集(たか)って欲棒を挿し込まれ続けられ、攻めたてられれば妻の成熟した女の各部位が自然に反応し、受け腰で応戦する以外に採るべき道は無い。

妻は若い学生に組み敷かれた下側から、学生の腰の辺りに両足を両足を絡めて学生の欲棒をブスリと咥(くわ)え込んだ腰をクィクィと使い始め、連れて学生の陰茎が生々しく見え隠れを始めた。

手の届きそうなそこで、私が知っている清楚(せいそ)な妻とはまったく違う生態の知らない一人の素っ裸の雌が一匹、股間に他人の欲棒を咥(くわ)え込んで快感を貪(むさぼり)り蠢(うごめ)いている。

「アァ〜、ヒィ〜、ヒィ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

「夫にはしたない姿を見られている」と言う興奮も合いまって妻の極まった善がり声が部屋中に響き渡り、妻はハイ状態(陶酔状態)の快感を貪(むさぼ)っていたのだ。

大勢が発射した跡に構わず次の男が欲棒を捻じ込むから、腰を入れて突き入れる度に結合部分から愛液と精液の入り混じった白い粘着力の強い泡が吹き出して、妻の黒い恥毛に大小の雫玉(しずくたま)を生々しく散り嵌める。

妻は容赦無い学生達の、流石(さすが)手馴れた輪姦(まわし)の激しさに、乳房を波打たせて顔を歪(ゆが)め、吼(ほえ)えるように口を開け放し、涎(よだれ)を垂れ流してして、襲い来る快感に善がり声を発し続けて居るのだ。


欲棒を挿し込まれ、股間で生々しく繋がっている白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら、妻の学生相手の輪姦性交は続いている。

妻は休む間も無い連続性交に全身を汗でビッショリと濡れ光らせ、快楽なのか苦悶なのか表情を歪(ゆが)めて涎(よだれ)を垂らしながら喘(あえ)ぎ、吠(ほ)えるような善がり声を上げながら肉体(からだ)を震わせて悶(もだ)えながら奮戦している。

妻である里美が、若い学生達に立て続けに柔ら壺を犯されているのだから確かに修羅場だったが、目の前で妻が犯られているその衝撃の光景に私はむしろ感動さえ覚えた。

それでもそこまで行ってしまえば妻の女性としての肉体(からだ)は現金なもので、「ウフン」と甘い声を漏らして鼻を鳴らし、媚を売るように身悶えてみせる。

綺麗事とは行かないが、脳科学的に必要性を真剣に考えればマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)で人間が創った全ての決まりを破壊するからこそストレスから開放される。

世間で「浮気・不貞」と定義されるのは、男性にとっても女性にとっても連れ合いに内緒で犯す過ちで、情が絡(から)むから赦せなくなる。

しかしリスペクト(価値を認めて心服する・敬意を表す)したゲスト相手の激しい性接待は、もはや性交した所で「フアィティング(闘志・好戦的・挑戦的)行為」と言う表現が正確に思える。

これは妻のプライドの問題だが、卑猥(ひわい)な要求を拒否して自らが傷付かない事もプライドなら、卑猥な要求を受け入れて自らが傷付ても押し通すプライドもある。

現状がこうした場合、大人の女性である妻には最善のプライドとして何が答えで、どう行動すべきかは充分に察しが着いての行為である。

いずれにしても此処に到って妻は確信を持ち、犯って見せるプライドを選んで多くの男達相手に生々しく尻をクィクィと躍(おど)らせて善がって見せるジェニタリア・コンフロンテイション(性器対決)を余儀なくされた。

結局妻の里美は、今までの夫に対する性的横着のケジメを肉体(からだ)で着けなければならないのだ。


性に対するすれ違いが「夫婦の危機に発展する」と言う意識が「妻の里美に欠如していた」と言う事で、その代償が今の妻の輪姦姿に繋がっている。

犯ってしまってからの事後承諾的な輪姦(まわし)なので、最初は妻の拒絶反応を心配した私だったがそれは杞憂(きゆう)で、妻に抵抗する気配は無かった。

私は、腹を決めた自分の妻がこんなにも堂々と他人前(ひとまえ)で性交をして見せるとは想いも寄らなかった。

しかし妻の里美は、股間にグサリと他人の欲棒を嵌(は)め込まれ、肉花弁が捩(よじ)れるのも構わず受け腰を使い、快感を貪(むさぼ)るがごとく生々しい抜き挿しの動きを私の目の前で奇妙な構図を見せ付けながら見せている。

二人だけの閉ざされた行為の場から、開放感溢れる公開輪姦(こうかいまわし)に舞台が移って、犯ってしまえば覚悟が決まり妻は私の存在など何処吹く風で溌剌(はつらつ)と犯られている。

恥ずかしいのは最初だけで、全ての意志を放棄した性玩具(おもちゃ)として夫の目の前で醜態(しゆうたい)を晒(さら)し、口には出せない卑猥(ひわい)な行為を丸見え状態で犯ってしまえば、後は怖いも恥ずかしいも在ったものではない。

元々性交時の格好など他人(ひと)に見せられるような格好ではない。

それを公開状態の大股開きの素っ裸で、ゲストの性癖に合わせて弄(なぶ)られ放題、犯られ放題に身を任すなど究極の格好悪さかも知れないが、「それが出来ると言う格好の良さもある」と気が付いた。

明らかに苦悶の表情を浮かべる里美の表情から、恐らく学生達の入れ替わり立ち代り無遠慮に訪れる欲棒にクィクィと抜き挿しされる里美の下半身から肉壁の摩擦感と伴に快感が脳に登って来て居るのが判る。

代わる代わる男達の欲棒に抜き挿しされる股間から愛液を垂れ流しながらクィクィと受け腰を使い、悶絶の連続を繰り返す妻は、「皆で犯れば怖くない」の心理状態に誘導されて、明らかに集団同調性(多数派同調)バイアス状態に陥(おちい)っていた。

人間は集団環境に影響される群れ社会の動物で、しばしば「集団同調性(多数派同調)バイアス」と言う行動現象を引き起こす。

これは脳のメカニズムの問題だが、人間は緊急事態に陥ると周りの人々がどう対応しているかも行動に影響する。

つまり妻の心理状態は、集団の一員として同調する事を選択していたのである。

此処で言うバイアスとは「特殊な、或いは特定の意見等で偏っている事」を意味し、つまりは本来向かうべき思考とは違う方向に偏る事で、「集団心理」と言ってしまえばそれまでだ。

だが、一人でいる時には直ぐ緊急判断に対応できても、集団でいると「皆で犯って居るから」と言う安心感で緊急判断が遅れ勝ちになるそうである。

これが「集団同調性(多数派同調)バイアス」で、人数が多ければ多いほど他の人と違う行動を取り難くくなり、他の人が犯っているのに自分ひとりが「犯らない」と言い出す事は難しい。

つまりは、その判断が正しいか正しくないかを周囲に求め、個人の判断を封じてしまうのが「集団同調性バイアス」と言う行動現象なのである。

勿論この「集団同調性(多数派同調)バイアス効果」は私にも効いて居て、妻の股間に抜き挿しされる欲棒の陰茎が、妻の腰使いに呼応するように愛液に濡れて光ながら見え隠れする刺激的な光景を、固唾(かたず)を飲んで見守っていた。

学生達相手の輪姦(まわし)などとても身が持たないと思われた妻は、私の目の前で見事に複数の男を相手に奮戦していた。

私は、妻のその乱交輪姦場面を目の当たりにして、その女性としてのポテンシャル(潜在能力)をまざまざと見せ付けられた。

一度射精すると回復に時間と体力を要する男性にはとても適わない事だが、女性には潜在的に多数の男性相手に乱交輪姦に応じるポテンシャル(潜在能力)は肉体構造的に充分に備わって居て、輪姦(まわ)される妻を心配する事は無いのである。



学生達には生け贄が細君とは別人と判ったが、口元に人差し指を立てて首を横に振る岩代から「知らぬ振りをしろ」と合図された。

裏を返せば、例え別人であっても、暗に「何時もと同じ事をして構わない」と言う事である。

状況が判れば、相手が誰だろうが彼らは楽しめれば別に良い。

当然、妻の里美を輪姦(まわし)で犯る学生達も、ギャラリーの視線を意識するから性交パホーマンスの内容には力を入れエゲツ無く見せる。

一人の男は妻を騎上位に腹の上に乗せ、花弁を押し広げて欲棒を股間に捻じ込み、下から突き上げる様に腰を上下して抽送を繰り返している。

もう一人の男は、欲棒を妻の口に咥(くわ)えさせて両手で頭を掴み、汗を流れ落しながら、激しく抜き挿しをしている。

残りの男には、騎上位の背後から型の良い乳房を荒々しく揉みしだかれて、その指の間から興奮に硬くなった乳首が指に挟まれて、ひし形に潰れて覗いている。

そこから様々な体勢の変遷を経て、男達の位置が入れ替わり立ち代り妻の肉体(からだ)に挑(いど)んで行く。

熱気を帯びた複数の肉体が激しく縺(もつ)れ合って、今は横たわった男の欲棒を前屈みに咥えながら膝を揃えて尻を突き上げる格好を取らされている。

後ろから別の男に尻肉の双丘を掴み広げられ、欲棒を捻じ込まれてパンパンと肉が当たる音が聞こえるほど激しい抽送を受け入れ周囲に男の汗が飛び散っている。

もぅ、妻は学生達に意志の無い人形のように扱(あつか)われて、犯され続けている。

圧(の)し掛かった学生がパンパンと思い切り良く突き入れるので、突かれる度に妻の乳房が踊っている。

その妻は、観られながら犯る事で萌え上がった様で、見るからに興奮状態はマックス(極限)に見える。

所詮世の中男と女、異性に萌えなければアイドルは存在できないし、その右脳的特性から言えば男性は観る感性であり女性は観られる感性である。

輪姦(まわし)の相手が替わって、妻のこれ観よがしに開いた股の付け根にズッポリと欲棒を挿し込んだ当初、まずはユックリした生々しい抜き挿しから始まる。

こう言う状況だから、妻もユックリした抜き挿しで攻められて居る時は快感を得ようと硬さを緩(ゆる)め和らげた表情の良い顔して犯られている。

それにしても、女の性(サガ)なんてものは男には判らないもので、これから一戦交える相手には自然と優しい穏(おだ)やかな表情で迎え入れる特質が備わっているらしい。

信じ難(がた)い事だが、相手に身を委ねたあの穏(おだ)やかな良い顔はこれから起こるアクメ(絶頂)への期待の表情に違いない。

相手の交代時の度(たび)に垣間(かいま)見せるその女としての表情は、やがて激しく突き責められて歓喜に顔を壊すまで続く。

「所長、奥さん結構良い顔して犯られて居るじゃないですか。」

岩代がニコニコして私に声を掛けて来た。

「そうだね。驚きだが、この状況で内の奴は意外に良い顔して犯られている。」

「珍しくは無い普通の反応ですよ。奥さんも、腹を決めれば後は清々愉しんで犯られる気持ちに成ったのでしょう。」

「そうだね。遊びのSEXを苦痛に想ったら人生が詰まらないからな。」


妻のワーワーに近い我を忘れた善がり声が、部屋中に響き渡っている。

それは待った無しに構わずの勢いで、ノンストップに輪姦(まわ)されれば、妻の頭の中も全くの空(くう/カラッポ)になっても不思議はない。

人は慣れない環境に身を置くと、初めて建前ではない自分の本当の姿が見えて来る。

妻は拘束されて逆らえないのを良い事に、学生達にこっ酷く輪姦(まわ)されてしまった。

「それとこれとは違う」と逃げるのを承知で指摘すると、「異性を愛するのに条件は要らない。」と言いながら「別の異性と性交するのは許せない。」と条件を付けるのは矛盾している。

だいたいに於いて、性交を「愛し合う事」などと限定して表現をするから愛の無い性交が認められなくなり、実は異質な筈の遊びも浮気も同じ意味を持ってしまう。

性に関しては世間の奇妙な建前もあり、中々自由奔放と言う訳には行かない。

しかし世間では際(きわ)どい事かも知れないが、本音では誰にでも性欲はあるし犯れば気持ちが良い。

それは極自然な事なのだが、自然を礼賛しながら欲の為に自然に逆らい、もっとも不自然な結果を出そうとするのが人間の悪癖である。

若い連中は、「これでもか?」とばかり腰を入れて挑(いどむ)む様に突いて来る。

妻の柔らかく伸びやかな裸身が次々と男を受け入れながら、その度に肉体(からだ)を震わせて欲棒を串刺しに咥え込んだ腰を、生々しく受け腰に踊らせて善がっている。

無遠慮に、絶える事無く股間の柔ら壺に抜き挿しされる欲棒に快感刺激を受け、嫌でも妻の肉体(からだ)の性感は高まりを見せ、善がり声が大胆に成って行く。

「ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜。」

それは私に取って、複雑な浮世を離れてジックリ観たい場面が見られる瞬間であり、妻に取ってジックリ犯りたい場面でもある心地良い瞬間がそこに在った。

左脳域的に考えて、確かに夫の目の前で容赦なく輪姦(まわ)されれば、惨めな思いに駆られるかも知れない。

しかし結構に素太(ずぶと)いのが「納得」と言う確信を持った人間で、そうなると輪姦(まわ)される妻が惨めなのか、それを見る私の方が惨めなのかは判らない複雑な心境である。

妻は周囲を学生達に囲まれて、次々に入れ替わる相手に堪(こら)え切れない激しさで、グィグィと容赦無く突き上げられる。

皆手慣れた連中ばかりだから、輪姦(まわし)が始まってしまえば一気呵成で妻に間を与えず、攻めによどみが無い。

荒波に翻弄(ほんろう)されるように確りと欲棒に挿し貫(つらぬ)かれ、リズム良く抜き挿しされて攻め立てられ、妻は息つく暇も無い。

強引に追い込んでの事だが心配する事は無い、苦悩から歓喜へ替わる一瞬が妻の顔にも表情として表れていた。

男性が直ぐ終わる一対一の「夫婦の性交」と違い性交感覚の刺激が繰り返し続くのだから、妻にして見れば肉体的本音は「癖に成るほど良い」に決まっている。

妻が知ってしまった一対多数の変則マルチSEX(複数性交)で、自分を大事にする感性の裏返しに、性交時の感度さえ良い方に転がれば何でも犯れるのが女性である。

だから妻は男達の激しい抜き挿しに耐え切れず、途中からタガが外れて欲棒に串刺しにされたまま腰を浮かして物凄い反応で喘(あえ)ぎ善がる。

必要に犯られ続ける妻は、またセックス・ハイ(性感陶酔状態)の恍惚(こうこつ)の域に達して行く・・・・。


恋人にしろ夫婦にしろ、元々は偶然の中で性交相手は決まるもので、犯って見れば肉体構造的には誰とでも出来るのが性行為で、性交相手の選択は情況に拠るものだから、本来性交相手を「特別な存在」と言うのは誰にとっても幻想に過ぎない。

「時代が違う」と言われそうだが、そもそも「知らない相手となど性交は出来ない」は本人の気分の問題で、昔は親同士が決めた結婚で婚礼の夜が初対面でも夫婦の契り(性交)は出来た。

目の前で妻が、クィクィと迎(むか)え腰を使いながら周囲の目も気にせず狂乱の善がり声を挙げて居る。

無理は無いのだが、妻には私達が仕掛けた今朝からの卑猥モードが続いて、今は完全に性本能のスィッチが「オン状態に成っている」と見え、興奮に嵌(はま)って止まらない。

この場の妻はもう犯っちゃっているのだから、性交快感が妻の倫理思考を凌(しの)げば夢中に成って思わず迎(むか)え腰を使い、性感を貪(むさぼ)っても極自然な反応なのだから理解してやらねば仕方が無い。

他人の欲棒を無遠慮に挿し込まれて抜き挿しされ、善がり声を上げながら股間から愛液を滴(したた)らせて受け腰を使っている所を見られてしまえば、もう妻に何も隠すものは無い。

興奮と刺激に拠る止めど無く襲い来る快感に、妻は思わず呼応して腰を使い、吼(ほえ)えるように口を開け放して凄い悶絶の形相(ぎょうそう)で、善がり声を発して輪姦(まわ)され続けている。

グィグィ思わず悶絶しそうな勢いの激しさに、乳房を波打たせて突き上げられ、妻は口を開け放して顔を歪(ゆが)め、快感に凄い形相(ぎょうそう)で口をパク付かせている。

涎(よだれ)を垂れ流し、乳房を波打たせて、悶絶しそうな究極の輪姦(まわし)責めに、ヒィヒィ善がりながら腰を使い続けていたのである。

理屈でものを考える倫理観はともかく肉体(からだ)の方は性交に快感反応するように出来ていて、つまり犯っちゃえば性交相手に関わらず快感は得られるのだ。

まぁ、「恋だ愛だ」と何だかんだ理屈をこねても、突き詰めてしまえば赤の他人と性交する為の事前の感情に過ぎない。

そして綺麗事の建前を言った所で、売春やら浮気がデンジャラス(危険)に成立するくらいが、偽(いつわ)らない世間の現実である。

大人同士がその気に成れば恋人や夫婦でなくとも肉体(からだ)だけシエアリング(共同所有)の遊びの性交が、妻に犯れ無い事はない。

そしてその遊びの性交が夫婦揃っての合意の上であれば、内緒で犯る売春やら浮気依りは遥(はる)かにリスクが少ない好適環境ではないだろうか?

輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

つまり経験こそ重要な事で、何ら経験も無しに想像しているだけで他人や他人の行動を非難していて、それを正義と勘違いしている女性は滑稽な事である。

それで妻が、そのM性交プレィやマルチSEX(複数性交)プレィに馴れてしまった事で、「調教された」と言うのならその通りかも知れない。


妻の相手は入れ替わり立ち代りで、今は妻が目隠しのまま学生に導かれてゴロリと大の字に横たわった学生に後ろ騎乗位に股がると、私に見せ付ける様に学生の欲棒を自ら股間に挿入してズブリと腰を下ろし、改めて腰を浮かせてユックリと上下させ始めた。

正直目の前で妻の他人相手の性交をまざまざと見るのは刺激的で、正直滅多に味わえない脳みそをトロケさせさせる程の怪しい興奮を私に覚えさせる。

不思議な事に、その刺激は嫉妬心よりも癖になりそうな魅力を持って私を勃起(ぼっき)させた。

そんな私の心境はお構い無しで今現実に私の目前(がんぜん)に、二枚の肉花弁がパックリ開いて内側のピンクの蕾も丸見えの妻の開脚スクワットの中心にグサリと嵌(は)め込まれた学生の陰茎・・・・。

その陰茎が、妻の腰がユックリとピッチング(上下動)する度に生々しく見え隠れしている様子が在ったのだ。

赤の他人の欲棒を生々しく咥(くわ)え込んだ妻の、既(すで)に絶頂域を続けている腰の動きが妙に艶(なま)めかしい。

「アッヒィー、アアアアアアアァー、イク、イク、アァー。」

妻は襲い来る刺激に耐えられず、ガクンガクンと上半身を跳ね上げ、明らかに絶頂を貪(むさぼ)ってその快感に浸(ひた)っている。

それにしても男性と違って肉体的に、連戦で赤の他人との性交を犯る事が出来るのだから女性は凄い。

私の目も憚(はばか)らないで性交に興(きょう)じている所を見ると、妻は完全に居直っているようだ。

夫の前で輪姦されると言う背徳の香りは、妻の素朴な精神を確実に魅了してその快感の虜(とりこ)にし、癖になる香りなのかも知れない。

何しろ妻の肉体に他人の欲棒が無遠慮に入り込み、ひたすら溜まったものを吐き出す瞬間を求めてクィクィと生々しく抜き挿しされているのである。

所が、Hモードのスイッチが入った状態でそれを見た私には、嫌悪感どころかそんな浅ましい姿の妻を「もっと見たい」と言う怪しい興奮が喉(のど)を乾かせながら湧き上がって来る。

これこそ左脳域の理性の問題と右脳域の感性の問題だろうが、その時は「右脳域のHモード感性が勝っていた」と言う事である。

それにしても、妻のあのセックスハイ状態(性感陶酔状態)は見物だった。

私には妻の肉体(からだ)が、この輪姦体験で何を感じたのかが問題だった。

嫌な思いをしたのなら思い出すのも嫌な筈で、あの場面を思い出して「胸がジーン」と熱くなるのは明らかに別の感情で、これは「癖になる」かも知れないのである。

明らかにあの時、妻の肉体は自由なハイ状態(陶酔状態)に在った。

妻のまったく新しい側面を「見ちゃった」と言う思いだった。

考えて見ればそれも赦すべきで、何時までも同じ拘(こだわ)りに固執せずしぶとく価値観を変えて生きて行ければ、私に思い悩む事は無く成る。

二周りほど輪姦(まわし)た後雰囲気が一服になり、学生達が妻の肉体(からだ)を離した。

目隠しされたまま全裸で後ろ手拘束され、蒲団に転がされて両手の使えない妻に、細君(京香)が抱きかかえてプラボトルを妻の口に直接宛がってミネラル・ウォーターを与えている。

それでも妻は、岩代に命じられて余程気にして居るのか、膝を半折に足を立てて広げた股間を閉じる事は無い。

学生達が散々使った妻の秘所が、二枚の肉花弁も無残に押し広げられたままの状態で、まるで湯気が立って居るよう見えた。

「良しお前ら、今度は一度に掛かって嵌(は)め倒せ。」

頃合を見計らって岩代の命令が下り、つかの間の休憩が終わってまた妻の肉体(からだ)に学生達が群がって行く。

妻への輪姦攻撃形式を、岩代がマルチSEX(複数性交)からマルチタスクSEX(同時実行性交)へと移行を命じたのだ。

一度にマルチSEX(複数性交)を掛かられた妻はもうメチャクチャで、一人が強制口喉(こういん)性交で口中を突き捲くれば、一人は交尾を敢行して突き捲くり、それにあぶれた十本に余る手が全身を弄(まさぐ)っている。

その壮絶な状態に、妻は痙攣(けいれん)して居るような肉体反応でその刺激に耐えている。

外れた男達は横合いから手を伸ばし、乳房を掴(つか)み、太腿(ふともも)を掴(つか)んで揉みしだいている。

そして、妻の欲棒を咥(くわ)えた口の隙間からは、「アァー、アァー、アア、アァー、アァー、アア。」と、最早(もはや)慎みを忘れた善がり声が続いている。

待った無しの勢いで、学生達にノンストップで次々に輪姦(まわ)されてしまえば、その時は肉体(からだ)が現状の行為に精一杯で、妻に考える暇などない。

そんな状態でも、肉体(からだ)は正直に反応するから妻の腰は浮き上がり、妖しくクイクイとうごめいての受け腰使いは明らかに感じて居る証拠だった。

肉体(からだ)が反応して「思わず使った」とは言え、夫の目の前で生々しく受け腰まで使っては妻も言い訳は出来ないだろう。


まったく不届き者だったが、笑わせてくれる事に男の性(さが)なんて見っとも無い程正直で単純である。

私は愛妻が犯られて愛液塗(まみ)れ汗塗(まみ)れで受け腰を使いながら善がり、身悶えているのを観て興奮が隠せず、想わず自分の欲棒を硬し、立派に立ち上がらせて居た。

それを「あらお元気だわ」と細君(京香)に笑いながら見咎められた。

「いや〜面目ない。」

「良いのですよ。だいたい殿方の反応は皆同じですから。」

「それなら安心だが、この親不孝息子(欲棒)の始末が困った。」

細君(京香)に、「アラアラ、どうしようも無い親不孝息子ね。今、お口で良い子良い子してあげますからね」と応じられた。

見咎めた細君(京香)にスラックスのファスナーを開けられ、欲棒をつまみ出されてパクリと咥えられ、ウゴウゴと気持ち良くシャブられる始末だった。

基本的な性別特性として、女性は「触覚」で感じ男性は「視覚」で感じるから、この愛妻が輪姦(まわ)されのを観ながらシャブらせる状況は極上のプレィの一つである。

この場面で細君(京香)がこう言うおシャブり行動に出るのは、プレィ経験豊富で男性の性(さが)を心得ているからである。

勿論、犯られて居る妻には、当面の相手を早くイカせるのが先決で、それを夫が見ている何んて事を考える余裕など無い。

正直愛妻が必死だからこそ、他人男(ひと)が犯る愛妻への陵辱を観ながら他人妻(ひとづま)にシャブらせる快感に浸(ひた)るのは、癖に成る様な贅沢な遊びである。

この非日常が舞台の「奔放な性交遊び」が夫婦合意の上であれば、夫婦間のマンネリを埋めて余りある知恵の結晶かも知れない。

妻にしてみれば輪姦(まわし)は想像以上にキツかったが、途中まで犯った挙句にノンバメてゲームオーバーにでもなれば、妻の奇妙なプライドが赦せない。

しかしそれでも、輪姦(まわし)の究極の快感を一度も味遭わない女性の人生など、勿体無(もったいな)い人生かも知れない魅力が、この遊びに在りそうだった。


操り人形と化した妻の痴態を見ながら、岩代の細君におシャブリをしてもらい、酒を飲むのはこの上無く贅沢な話だ。

極上の酒の飲み方を楽しむ目前で、妻はもう一度に六人に取り付かれ組敷かれ、ハチャメチャの様相を呈して来ていた。

「アァ、イク、イク、イク。」

思いも拠らない展開で、妻は輪姦の修羅場に居る。

その場の状況で流れが出来てしまうと、妻は持前の負けん気で腹を括(くく)ったのか群がる学生の行為に腰を使って応じている。

受け腰で応じながらヒィヒィ善がり声を上げさせられている妻を私は、興奮しながら見つめていた。

なるほど、こう言う「貞操意識」の拘(こだわ)りの問題は自身のプライドとの勝負だから、本人がその気になればプライドはねじ伏せられるのだ。

結局の所、輪姦(まわし)が始まってしまえばお仕舞いまで、勢いは止まらない。

妻の肉体(からだ)には休む間も無く入れ替わり立ち代り男達の欲棒の抽入が繰り返される。

欲棒の抜き挿しが続いて攻め立てられ、内壁を擦(こす)るカリ首の刺激にどの妻も淫(みだ)らで妖しげな表情を浮かべて、その激しさに涎(よだれ)と愛液を垂れ流しにして善がり狂う。

例え感じ過ぎて苦しくても妻への輪姦(まわし)は止まらないから、両手を握り締め足の指を丸め肉体(からだ)を震わせながら仰(のけ)け反(そ)るしかない。

目の前では、妻が学生達に輪姦(まわ)されて快感にのた打っている。

「アァー、アア、イク、イク、イッタ、イッタ、もうイッタ。」

私は、学生達に輪姦(まわ)されて曝(さら)け出す妻の善がりの反応を見せられて、鳥肌が立つほど興奮した。

凡(およ)そ結婚して始めて、妻の切なそうな快楽の表情に「女を見た」気がしたのだ。

妻の苦しげなオーガズム(絶頂)宣言にも、誰も怯(ひる)むものはいない。

イッテも、イッテも、学生達は入れ替わりながら妻の肉体を離さない。

本音の所、妻が輪姦されるのを見るのは、結構しんどいものがある。

実は、実際に妻が輪姦される姿を見て居るのは、空想の世界とは違い胸が詰まる思いと興奮する思いが合い半ばで、複雑な喜びである。

それは、愛故の妻へ憐憫(れんびん)と、男としてのスケベな欲求の葛藤(かっとう)が、入り混じる「特殊な興奮の魅力」なのかも知れない。

輪姦地獄は長々と続き、汗まみれで快感を噛み締めている妻の口からは「アア、アア。」と善がり声が漏れ、今まで私が見た事が無い表情をしている。

口をパク付かせ、善がり声を洩らしながら、顔を歪(ゆが)ませて快感に耐えている妻の顔に、愛(いと)しさが募った。

「アァ〜、アァ〜、アア、アァ〜。」

キット妻は、初めて味わう桃源郷を彷徨(さまよ)っているのだろう。

目の前で他人の欲棒に嵌(は)め突っ突かれてる妻を見ながら、自分の欲棒は京香にシャブられている。

これはもう情交ではなく、官能の刺激が脳天に伝わる只の遊びである。

情交なら浮気になり問題だが、只の遊びであれば夫婦で伴に愉しむ方が合理的で、人生何てものは壁を乗り越える勇気を持てば道は開けるものだ。

人間最初は抵抗がある事でも、慣れて来れば案外別の考えを持つもので、私は妻の淫らな行為に興奮していた。

なるほど、夫婦相互に理解さえあれば、他人の男と妻の性交為も「見物(みもの)」として楽しめるもので有る。

正直、結婚後今まで淑女の仮面を被(かぶ)り続けた妻に対する復習の加虐心もそれを後押ししていて、言わばこの事態を招いた責任の一旦は妻本人にもあるのだ。

この私の心理を他人(ひと)は「異常だ」と評するかも知れないが、私の精神心理はまったく正常で、この事態を論理的に処理している積りだ。

妻が悶絶(もんぜつ)しながらも「クィクィと受け腰を使う」と言う、私が思っても見なかった痴態を無意識に曝(さら)け出しているのである。

目の前で繰り広げられる妻の性交に多少の嫉妬を感じながらも、意外と「これは遊びの性交だ」と冷静にそれを見る私に気付いていた。

確かに妻は、他人と性交して身悶えている。

しかし考えて見れば、夫婦間の愛情など「精神的な情の問題」で、夫婦の相方が再婚だったり双方が再婚だったりしても以前の性交履歴は済んだものとして受け入れられる。

ましてや、互いの独身時代の性交履歴を問題などにしたら、結婚相手など見つからない御時勢で、誰しも目を瞑(つぶ)るものである。

そして過去の性交履歴に目を瞑(つぶ)れる愛情が有るなら、独占欲による嫉妬は愛情とは関わりの無い感情である。

とにかく今は、若い連中に組み敷かれた下側から、妻は彼等の腰の辺りに両足を両足を絡めて欲棒をブスリと咥(くわ)え込んだ腰をクィクィと使い始め、連れて彼等のど太い陰茎が生々しく見え隠れしている。

「ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、・・アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

一切の恋愛感情を抜きにして、ひたすら性感のみを楽しむ・・・。

拘束されて転がされた今の妻には、欲棒を挿し込まれ続けられても受け腰で応戦する以外に採るべき道は無い。

そんな浅ましい姿の妻を「もっと見たい」と言う怪しい興奮が喉(のど)を乾かせながら湧き上がって来る。

いずれにしても、他人の欲棒を股間にグサリと嵌(は)め込まれた妻の腰が、肉花弁が捩(よじ)れるのも構わず快感を貪(むさぼ)るがごとく生々しい抜き挿しの動きを私の目の前で見せている。

或いは岩代の罠に嵌(はま)って居るのかも知れないが、目の前の淫靡(いんび)な世界に見せられてそれを思う余裕など私には無かった。

ここで妻に施(ほどこ)されるマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の目的は、妻が犯られ続けて快感が尽き抜け、究極のセックスハイ状態に追い込まれる事である。

妻の肉体(からだ)が、男に欲棒を挿し込まれて股間で繋がり、愛液に白濁した泡に濡れ光る欲棒の陰茎が、堪(こら)え切れずにやや浮き上がった妻の股間を貫いて、男の腰の動きに応じて生々しく見え隠れしている。

「ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、・・アゥ、アゥ、アゥ、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

妻にとっては正に仰天(ぎょうてん)の情況で、イキ過ぎていっぱいいっぱいでも拒否が出来きない。

抜き挿しに身悶えるばかりで陵辱(りょうじょく)は続き、勃起したカリ首が内壁を擦(こす)る刺激の快楽拷問に近い性交責めのエゲツ無さが続く。

連続する快感のアクメ(絶頂)に身を震るわし、気持ち良いも極限に達して堪(たま)らず身を捩(よじ)って避けようとしても、男達はそんな妻には構わずに容赦無い欲棒の抜き挿しが続く。

マックス(絶頂)の連続に喉が渇くのか、妻は輪姦(まわし)の途中にしきりと水を欲しがる。

細君(京香)が学生を一分ほど中断させて、市販のプラボトル入りのミネラルウオーターを与えている。

正に水入りで体勢はそのままだから、ウオーターを飲む間もズブリと欲棒を挿し込まれたままで飲んでいる。

見事に周囲の企(たくら)みに嵌(はま)って連続性交が始まってしまったのだから、ここはもう妻の踏ん張り所だった。

次から次に相手が代わり、男達が絶え間無く欲棒を妻の股座に抽入し、性器と性器が抜き挿しされて海綿体が接触し快感が襲って来る。

だから妻は、乳首が立った乳房を揺らし持続する快感の中で、歓喜の涎(よだれ)を垂れ流しながら受け腰を使い続ける事になる。


輪姦(まわし)が始まってしまえば、泣こうが喚(わめ)こうが参加者全員を満足させるまでは妻の肉体(からだ)を離す事は無い。

次から次と切れ目無く妻の股元の柔らかそうな肉花弁の間に、愛液に濡れ光ながら学生達の欲棒が生々しく抜き挿しされて、卑猥(ひわい)だった。

まぁ素っ裸の妻が、他人の男達にシャブらされ嬲(なぶ)られ犯かされ、咥え込んだ腰を振って散々に善がっている光景は、刺激的な感情を嫉妬交じりに揺さぶるもので新鮮だった。

正直、妻にとっては感情込めた性交では無いから、次々と襲って来る男達は生身の大人の玩具(おとなのおもちゃ)みたいなもので、互いに愛だ恋だの感情の発露などは無い。

妻の気分も、こうなると大きなスポーツ試合に奮闘しているアスリート気分で、性交も一種の勝負である。

その学生達無遠慮な性交の激しさに唖然(あぜん)として観ていると、「どうです、壮観な眺(なが)めでしょう。」と、岩代が笑いながら話し掛けて来た。

「うぅ〜ん、しかし腰まで振る内の奴(里美)の善がり反応は意外だ。」

「気持ちが良いと見えて、正直良い腰使いです。表向き格好付けて居ますが、本音ではこう言う卑猥(ひわい)な事をするのが好きな奴が世の中の大半ですよ。」

「内の奴もあれだけ受け腰を使って善がっているから、正直言えば結構馴染んで犯って居るのだろう。」

「こう言う場です。もぅ犯っちゃってるのですから奥さん(里美)も、今は目先の行為にのめり込んで忘我(ぼうが)の世界を彷徨(さまよ)って居るのでしよう。」

「しかしあれだけ酷(ひど)く犯らせては、後で内の奴(里美)が正気に返った時に抗議されるかな。」

「大丈夫ですよ。あの輪姦(まわし/性交遊び)を一度犯られると、奥さん(里美)もその忘れられない快感に人妻としての抵抗感を失うほどリピート中毒になりますからな。」

「内の奴が、この遊びのリピート中毒に成ると言うのか?」

「そりゃあそうです。どうせ一度に何人もと犯った事は無いでしょう。旦那と二人でチマチマと犯るよりも余程ワイルドで刺激的な上に、相手が替わるから絶頂時間が持続します。」

まだ連続性交へ若干の抵抗心が残る輪姦プレィの出だしはともかく、犯り出して感じ始めて来れば女性の性体感は現金なものである。

妻も、次々と入れ替わる男達の欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を浮かせ、口をパクつかせて善がり声を挙げ、涎(よだれ)を垂(た)らしながらリズム良く尻を振る。

その振られる尻の股間で抜き挿しされる肉花弁と欲棒の隙間から、もう何人分かの溜まった愛液が、押し出されて妻の白い太腿(ふともも)を伝い滴(したた)って床に落ちている。

この輪姦(まわし)で良い様に弄(もてあそ)ばれ、嬲(なぶ)られてメチャメチャに犯られるのを体験すると、その快感に溺れない方が不思議なくらいの威力がある。

その快感体験で妻が、今までとは違う考え方を遊びの性交に対してしても、それは自然な反応かも知れない。

元々このお愉しみのメインイベントを仕掛けたのは夫の私で、妻も半ばそれ(輪姦)を承諾(しょうだく)した様なものである。

そうなると、どんなに卑猥(ひわい)な姿で性交に応じようが、夫の私に嫉妬される謂(いわ)れも無い。

夫に嫉妬される謂(いわ)れが無いのなら、妻にとっては非日常の世界でストレスの発散が出来る「好適環境を手に入れた」と言う事である。

性交のシエアリング(共同所有)と言う新たな価値を得られるのだから、それに折り合いを着ける事が出来ない人間は不幸である。

生き方は無数に在り、利口な人間なら「何事も、気持ちを切り替えれば答えも変わる」と言うものなのだ。

妻の愛液に濡れる二枚の肉花弁の間に、善がり声とリズム良い腰の動きと伴に濡れ光る陰茎が、妻の内壁・海綿体の粘膜を刺激的に擦(こす)りながら見え隠れしている。

始まってしまえば妻も生身の女性で、股間を貫いた欲棒が生々しく抜き挿しされれば、相手の如何(いかん)に囚われず終わらない快感がある。

だから、次々と入れ替わる相手に貫かれて受け腰を使い、女性の素(す)も露(あらわ)に性交快感を味わい、貪欲(どんよく)にイキ続けて見せるしかない。

結果的にこの遊びを妻に仕掛けたのは自分(私)だから、妻・里美への陵辱光景は加虐心を満足させ、愛妻が嬲(なぶ)られ犯かされと意識すれば被虐心をも満足させる複雑な心境だった。

しかしその後は、人間の欲望には際限が無い。

後々はこの行為に嵌(はま)り込んでしまい、夫婦の枠組みよりも目先のエロスを満たしてくれる奔放な性交遊びの魅力に、夫婦でのめり込んでしまった。


途中で一度、私も輪姦に加わったが、かなり機械的にバトンタッチしたから妻は相手が私と気が付いただろうか?

恐らくあの勢いだ、妻はそれ所ではなかったのかも知れない。

正直、輪姦(まわし)の場合は、先に二〜三人に犯られたイッ(絶頂)た後の女性の方が肉体(からだ)の感度が上がっていて、ヒィヒィもので面白い。

散々に学生に犯られてイキ(絶頂)捲(ま)くった妻(里美)を抱いた時は、既に物凄く感度が上がって忘我の境地に入っていて、周囲にギャラリーが居る事も忘れて善がり狂った。

過って無い程のエゲツ無い性体験に異常に興奮していたからだろうが、正直私は、抽入してみて初めて妻(里美)のそこがまるで別人の様にこんなに締まる物だったのかと驚かされた。

迸(ほとばし)る善がり声と伴に受け腰にうごめく妻(里美)のそこがニュルリと受け入れて、私の欲棒を食い千切らんばかりに締め付けて来たのだ。

こんな妻(里美)を知ってしまえば考え方も変わるもので、「満更乱交も悪くない」と思った。

口を使って素早く欲棒にゴムを被せる技は、細君(京香)の神技で、その技が岩代に使われ、縄を解かれた妻が、今、バックで岩代に犯されて大きな善がり声をあげている。

今もど太い岩代の陰茎が、妻の肉花弁の間で愛液に光りながら見え隠れを繰り返している。

妻の、慎みをを忘れた善がり声が、部屋中に響き渡っている。

これでは、例の隣接する小川家の明日の苦情も間違いない事だろう。

もっとも今夜のそれが私の妻の声とは、小川家も流石(さすが)に気付かないだろうが・・・・


乱交やSM行為を「異常(いじょう)行為」だと、頭から勝手に思い込みたがるのは結構な事だが、考えて見れば世間の実態はそんなものではなく、現実にそれは実社会でフォアー・アミューズメント・プレィ(おもしろ半分の慰み行為)として存在する。

輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

イク状況に昇り詰めたままの性交が輪姦(まわし)で続けば、妻にSEXハイ状態が続いて脳内麻薬ベーターエンドロフィンが脳内に発生され、一種の超快感状態に成る。

現に妻は連続する性交で、カリ首のエラの海綿体が感度良く内壁を擦(こす)る抜き挿し攻撃に、脳みそがトロケ出して居た。

散々に肉体(からだ)で快感反応した後で、犯られ終わって呆然と抜け殻みたくなった妻が、精魂尽きた風情で素っ裸のまま大股開きで床に転がっている。

姦淫ムードの心地良い気分を煽(あお)り、輪姦(まわし)を熟(こな)してあれだけ大勢の男達に犯られ続けイカされ続けたのだから、今はその余韻に浸(ひた)って床にしどけなく転がるこれも仕方が無い。

私達夫婦の主導権は、完全に岩代に握られていた。

余計な遊びを教えて少しは面白い女にさせるつもりが妻は突然大変身して、岩代の命令にはまるでマインドコントロールをされて居るかの様に実質的に絶対服従に近い行動に出た。

彼女は、岩代に言われるままに使命感さえ漂わせて肉体を曝け出し、どんな陵辱も受け入れる。

私と岩代の立場はこの時入れ替わって、以後「離反するまでの数年間」と言う長い間、「実質的に支配されて居た」と言える。

こう言う経験は、切欠が無ければ一生未経験で終わる。

それが不幸なのか幸福なのかは、「本人の考え方一つ」と言うファジーなもので、他所の誰にも、それをジャッジ出来る物ではない。

妻の里美は、その結論を「幸福」と、ジャッジした。

一皮捲って見ると妻は、幸いにも「非日常の被虐感を好む性格」だった。

否(いな)、潜在していたその性格がこの経験に拠って引き出された故に、その場に直面すると臆する事無く対象相手の要求に応じた。

妻は時間調整までして輪姦(まわし)を犯られに出席していたのだから、本音では「嬲(なぶ)られるのが嫌だった。」とはとても思えない。

オーガズムの快感反応の一つに、背骨の反り返りと足の指が開くバビンスキー(ババンスキー)反射がある。

学生達と奮戦中の妻の反応をジックリ見せて貰ったが、妻の肉体(からだ)は明らかにバビンスキー(ババンスキー)反射を示して居た。

判り易く言えば足の指が開くバビンスキー(ババンスキー)反射は性交中の女性の「イク時」の反応のひとつである。

まぁ、バビンスキー(ババンスキー)反射までは演技では出来ないので、妻がそこまで反応すれば演技では無く、「本当にイッタ」と言う事である。

当たり前だが輪姦(まわし)の時は、レギュラー(正規メンバー)の男性が皆汗ビッショリで慌(あわただ)しく突きせめるから、受け入れる妻の方も汗と愛液塗(まみ)れでヒィヒィ言わされる。

輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

現に妻は、連続する性交のカリ首のエラの、海綿体が感度良く内壁を擦(こす)る抜き挿し攻撃に、脳みそがトロケ出して居た。

肉体の中心を貫かれたまま、股間に抜き挿しされるリズム良く激しいピストン運動に、妻の顔が歪みながら左右に嫌々をし、その淫茎は抜き状態では濡れ光り見え挿し状態では根元近くまで中に達しているのが見て取れる。

股間が空(あ)く事の無い学生達の猛攻に妻は半ばトリップ(無意識)状態で、欲棒を咥え込んだ腰を相手の抜き指しのリズムに肌から汗の玉が滲(にじ)み出るのも構わず応じている。

制御もまま成らなく開いた妻の口元からは、激しい息使いと伴に悩ましい善がり声が「アァ、アァ、アァ。」と漏(も)れ、その唇の脇からは涎(よだれ)が糸を引いて落ちて行く。

過酷な状況に在って、妻も既に限界は過ぎて居るかも知れないが、此処はもぅ意地と根性で頑張り、歯を食い縛って快感に耐えながら受け腰応戦をしている。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は妻には無い。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的で、これは妥協では無く工夫である。

そして避けられない性交遊びであれば、全員を満足させる到達点に到るまでは妻は愉しみながら犯って見せるしかない。


こうなると妻は、経緯(いきさつ)に関係なく世間では立派な淫乱女である。

しかしそれを批判する女性達が、性交技も下手(へた)な癖にそれをまったく認識せずでは、呑気に何も判って居ない世間知らずである。


一人当たり五分として延べ十二人、既に岩代家二階での輪姦(まわし)の開始からは一時間ほどが経過していた。

だが、まだズブリとモロに犯られて他人の欲棒を生々しく咥え込んだ 妻の卑猥な受け腰使いと、けたたましい善がり声は、好奇の目に晒(さら)されながら見事に続いていた。

妻は今、賢(かしこ)く学生達の輪姦(まわし)の抜き挿しに、恥毛が絡む肉丘を躍らせ、我を忘れて受け腰で応じている。

腰を浮かせて善がり声を挙げながら妻の受け腰が踊る股間に、生々しくスッポリと挿し込まれた陰茎を濡れ光らせながら見え隠れさせて見えている。

つまりこのまま何度も犯り続け、妻の肉体(からだ)をマルチSEX(複数性交)環境の中で熟生させてしまえば、それが彼女の「生活の一部になる」と岩代や竹中は確信していた。

永延と陵辱が続いて、股間から湯気が立ち上る様な激しさの妻の輪姦(まわし)が一回りする頃には、私は隣で細君(京香)と一戦交えていた。

細君(京香)は受腰の達人で、攻める私の欲棒の抽送に合わせて腰を上手に使い、同調して快感を誘う。

妻は輪姦(まわ)されている間、善がり以外に声を一言も言葉を発しなかった。

この輪姦(まわし)は彼女にとって地獄なのか極楽だったのか?

岩代が妻の里美の縄を解き、目隠しを外したのは学生達を帰した後だった。


水泳部だった妻・里美は毎日練習で二キロは泳いでいたし、試合では予選、準決勝、決勝と勝ち上がれば二百メートル三本は泳いで体力には自信がある。

それにしても手加減抜きの学生達の輪姦(まわし)、あの驚愕の犯られ方にしては里美の体力回復力は驚異的だった。

同じ相手のリピート(繰り返し/再性交)も在ったから、妻・里美は続け様(さま)に、いったい何本の欲棒に肉体(からだ)の中心を貫抜かれ、犯られ責められた事か。

二時間に渡る壮絶な輪姦(まわし)の激戦の官能の時間が過ぎた後は、心地良い疲労感と伴に妻・里美の股間にはまだ何か突き刺さっているような感覚が残っていた。

それでも学生達に輪姦(まわ)され終わった後の妻・里美の気分は、盆踊りを夜明かし踊った後のようなけして嫌では無いさわやかな疲労感だった。


例えラレックス製の大人の玩具(おもちゃ)でも、見ず知らずの他人の欲棒でも、抜き挿しされれば肉体(からだ)は感じるように出来ている。

だから無理もないのだが、妻は執拗(しつよう)に輪姦(まわ)されてイキ続けさせられ、クタクタに疲れて他人(ひと)の目を憚(はばか)る余裕も無く大股開きで伸びてしまった。

仕上げに岩代が、散々に妻を突き倒した欲棒のカリ首頭で、欲棒のカリ首頭でイッタ後の敏感に成って居る妻の実(サネ/花芯ボタン)をヌメヌメと擦(こす)る。

すると妻は、耐えられない表情で断末魔の善がり声を漏らし、腰を振りながらブルブルと身震いする。

これが息つく暇(ひま)無くイカされ過ぎて荒い息をし、呼吸を整えている妻へのプレィの堪(たま)らない「とどめ」になる。

肉体(からだ)は正直な物で、この隠せない妻の充分にイッている「とどめの性反応」が犯る者観る者のこの場の醍醐味なのだ。


考えように拠っては、夫との日常定食セックスと違って、非日常のマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)は豪華フルコースの贅沢セックスである。

犯利もしないで、逃げて居てばかりでは結局未来など開けない。

肝心な事は、例え意に沿わない事でも正面からチャレンジしてこそ未来を開くチャンスは生まれる。

正直こう言う場面では、男にとって勃起物の修羅場が展開する事を、私は始めて知った。

私は、「やったぁ〜」と心の中で喝采(かっさい)をしていた。

上手く行って、想像していた以上の経験を妻にさせ、自分も楽しんだ。


注意深いだけで、女性だって秘めたる性欲や好奇心は旺盛にある。

世の人々は性交などには興味が無い様に装っているが、まともな性癖の男女なら性交を愉しもうと言う本能が在って当たり前である。

そしてその性交には心地良い気分の姦淫ムードを愉しむだけの関係も新鮮で在り、必ずしも性交に「愛情」が拘(かか)わる訳ではない。

日常の空(むな)しさ埋める様に行為に集中すれば、この瞬間だけは意外と頭が空(から)に成り「無(忘我)の境地」に入れる事に気が付いた。

妻結局は、自分を納得させる理由が在って安心安全の環境が許せば、本音はこう言う事も「犯って見たかった行為」なのかも知れない。


半(なか)ば面白半分の遊びの積りだった。

所が、実はこの時が私達二人の大変な転機だったのである。

日本人の「良い加減(イイカゲン)」を妥協と見るかバランス感覚と見るか、難しい所である。

いずれにしてもあえて言えば、日本人は極限まで強情を張らずマァマァと「良い加減(イイカゲン)」で妥協を模索する人種である。

その「良い加減(イイカゲン)」を、妻は選択した。

そして妥協をした時から、それが妻の「新しいアンカリング効果の基点に成る」と言う事である。

同時に私も、犯られ狂う妻の痴態に勃起して、いや、犯られ狂って居るのが妻だからこそ、それを見て興奮する自分の性癖を思い知らされた。

そして本来なら、一生埋もれたままの筈だった妻・里美の女としての性(さが)を、これで「目覚めさせてしまった。」とまでは、この時はまだ気付いて居ない私だった。

輪姦(まわ)され終わった後の妻の気分は、盆踊りやディスコダンスを夜明かし踊った後のような、けして嫌では無い贅沢でさわやかな疲労感だった。

激しい行為の後で、恐らくまだ妻の脳の中には興奮状態で発生されるドーパミンに誘導された脳内麻薬・ホルモンベータ・エンドロフィンの癖に成りそうなトリップの名残が、心地好く残っていたのだ。


やがて嵐の時間が過ぎ、学生が帰りの挨拶をすると、岩代は余り大した出来事は無かったかの様に「おぅ、お疲れさん。」と、軽く言葉を返して連中を帰していた。

学生達を帰した後に妻は戒(いまし)めを解かれ、ビールを二〜三杯口にした。

それからホットしたような安堵の表情を浮かべて、素っ裸のまま酒やビールを酌み交わしてひとしきり雑談めいた世間話をし、「あなた、そろそろ帰りましょうか?」と私に聞いた。

「そうだね、じゃぁ帰ろうか。岩代君俺達帰るわ。」

「えぇ、奥さんもお疲れさんでした。」

妻が、慌(あわ)てて衣類をかき集め、身支度を整えて岩代夫婦に「お邪魔しました。」と挨拶した。

「帰る」と言っても家は隣で、玄関から玄関までの歩数は知れている。

それでも、家に帰ると気分が落着くから不思議だ。

家に帰っても、妻の里美は今朝と同じ態度で、二人きりになっても先ほどの破廉恥な出来事を話題にしない。

相変わらず非難めいた事も言わない所を見ると、怒っている訳でもない様なので、暗に現実を認める積りらしい。

性交している姿など、自分が想像しても傍(はた)から見ても恥ずかしく不恰好に違いないから、心理的に「他人(ひと)に見せる姿では無い」と言う思いが羞恥心(しゅうちしん)に繋がる。

その一方で、潜在的に露出癖も持ち合わせているのが人間だから、それを密かに満足させる場があれば羞恥心(しゅうちしん)と露出の心理作用が性感を見事に増幅させマックス(絶頂)の快感に変わる。

妻の顔には安堵(あんど)の優しい表情が浮かんでいた。

正直妻には、あのシュチェーションでの性交は想像を絶する快感だったのだろう。

私としては妻の感想を聞きたい所だが、あれだけの事をさせてどう出るか、妻の出方が判らないので、下手に聞けない。

二人とも、慌しく寝床に入って寝入ってしまった。



一方の私(里美)は、うかつな話、多人数相手の性行為が「こんなにも快感を得られるものだ」と始めて知って、感動さえして居ました。

一瞬「私何犯ってんのだろう、こんな事犯って・・・。」と想ったのですが、抜き挿しされる欲棒に応じて受け腰を使いながら、「今更何を考えている」と自嘲する間も無くそれは直ぐに快感にかき消されました。

肉体(からだ)を弄(なぶ)られる喜びを知ってしまったのですから、私(里美)にはマゾッ気が元々在ったのでしょう。

それを、岩代さんが一目で見破っていたからこそ、あんなに強引に事を運んだのです。

私(里美)、他人(ひと)前で性交して見せるなど恥ずかしかったのですが、その羞恥心で脳内に放出されるドーパミンは他のシュチェーションに拠る性交時の興奮と同じ性的興奮なのですから、結局は性交の快感を感受する後押しの効果に変わりは無いのです。

その快感を得て私(里美)、他人(ひと)前露出の羞恥心が性交時の快感を増幅させる「格好なスパイス(味付け)だ」と知り、一度経験すると、「癖になるくらい強烈な快感が得られ」と判りました。

「変だ」とは思ったのですが、岩代さんに見詰られ「飛んでしまえば新しい世界が広がる」と言われて、まるで手品のようにフラフラとその気に成ってしまったのです。

でも、後悔はしていません。

事実、まったく新しい世界が、私(里美)の前に広がったのですもの。

夫に内緒で、こうなる事は半ば岩代さんに承知していたのです。

だから、股間に誰とも判らない学生の欲棒を突き立てられてから今更後悔しても遅く、もぅ犯られチャって居るのだからジタバタしても仕方が無かったのです。

夫を始めギャラリーは多いけど、こうなればそんな事は意識せずに相手との性交行為に集中すれば気に成らない。

私(里美)の粘膜質の内壁を、相手の欲棒のカリ首がズボズボとリズムを以(もつ)て擦(こす)れながら深く浅く抜き挿しされるのを感じながら、私(里美)はクィクィと受け腰を使って応戦する。

敏感な粘膜質の内壁を粘膜質のカリ首でリズム良く擦(こす)られるのだから、もぅ相手が誰か何んかに拘(こだわ)る意味も無く快感に溺(おぼ)れて行く私(里美)だったのです。


竹中さんのお宅に出資のお願いに行って、何でこう成ったのかも判らない内に、気が付いたら乱交の渦の中に居ました。

見れば、夫は京香さんを相手に欲棒を抜き差ししていましたし、私(里美)は竹中さんの欲棒を受け入れて股がって居ました。

流れが余りにもスムースだったので、廻りへの遠慮もあり、とても拒めないままに、三人の男性が次から次に私(里美)の体を襲いました。

何かそこまでやってしまうと、もう途中で何か言い出すのは可笑しな気がして、結局終わるまで身を任せるしかありませんでした。

それで、「もう役目が済んだ。」と思ったのですが、岩代さんから夜の打ち合わせを誘われました。

夫には言わなかったのですが、岩代さんに抱かれながら「何故、私(里美)にこんな事をさせるの?」と聞いてみたのです。

そしたら岩代さん、魅力的な目で私(里美)を見詰て「夜になって訊ねてくれば教える。」と囁いたのです。

「本気で会社をやる積りなら、奥さんが気持ちから変えなくちゃダメだよ。」とも言われました。

「この接待の事ですね。」

「あぁ、犯罪にさえ成らなかったら、他人がやらない事で夢をかなえる分には、やった者勝ちだ」

「そうですね、他人がやる事と同じ事をしていては、容易に勝てませんもの。」

私(里美)、岩代さんの言葉に何故か納得していました。

そして、耳元で囁(ささや)かれたのです。

「意識改革をさせてあげるから、今夜ノーパンで家においで」

それで私(里美)、「判りました。行きます。」って約束したので、その手前、いぶかる夫を説得してでも岩代さんの所へ行きたかったのです。

力の無い者が現実から逃げて、夢ばかり追っても世の中には通用しません。

事業独立の為に必要な事をするのですから覚悟の問題で、私(里美)は愛奴隷の接待を犯っても後悔はしません。

愛奴隷の接待は、性癖を剥(む)き出しにするゲスト様に気楽に私(里美)との性交を愉しんで貰(もら)わなくては成りませんが、求めに応じるままに股を開いて雌の本性も露に頑張るしか在りません。

岩代さんは私(里美)の耳元で囁(ささや)きました。

「素直(すなお)に成りなさい。素直(すなお)が好い女の条件だよ。」

ハッとしました。

確かに私(里美)は、世間体(せけんてい)ばかり気にして、素直(すなお)で無かったのです。

そう言うのって、私が意固地なっていた分だけ心に響くものですね。

素直(すなお)が好い女の条件なら、私(里美)は「詰まらない女」と言う事に成ります。

その「呑みにおいで」が、唯の打ち合わせではありませんでした。

行ってみたら、なんと私(里美)の性意識を変える為の「輪姦の罠」だったのです。

主人には内緒だったのですが、岩代さんに耳打ちされて縛られるのを承知した時に、輪姦(まわ)される事も告げられました。

その時岩代さんから「乱交などふしだらと言うけれど、特別な相手では無い性交は元々遊びなのだから、それこそ特定な相手との浮気よりは相手が特定出来ない乱交の方が署長が嫉妬もしないし後腐れはない。」と言われれば、断れなくなります。

今更「詰まらない女だ」と思われたく無かった意地も在って輪姦(まわ)される事も素直(すなお)に承知してしまっていたのです。

それに恥かしい話、輪姦(まわ)される事態に成った私(里美)は、おかしな事に期待で子宮が熱く成るのを感じた自らの深層心理を、誤魔化せはしなかったのです。


何も考える余裕を与えられないまま、信じられない卑猥な事が、学生達に拠って次から次に私(里美)の体を襲いました。

でも、その犯られている最中は、「嫌」では有りません。

今までの自分を否定するような気がして言い出せなかったのですが、強烈に体が快感を得て、脳が溶けるほど「気持ち良かった」のです。

周囲を囲む学生達の視線が、私(里美)の下半身の恥部一点に集中しているのを感じます。

しかし困った事に私(里美)は、女性が本来持ち合わせている露出願望から欲棒を抜き挿しされる恥部を晒(さら)す事にエロスのトキメキを感じてしまうのです。

若い人達は遠慮無しにグイグイと抜き挿しし、上から圧(の)し掛かって抽入した腰を密着し、恥丘の陰毛が擦(こす)れる位に激しくグラインドするから、花芯ボタンの膨らみもグリグリと微妙に圧迫されて具合が良いのです。

「アァ、凄い、凄い、感じる・・・・アァ、アァ、アァ〜。」

学生達に欲棒を挿し込まれた大股開きの股座(またぐら)の恥部を生々しく丸出しに、妻は腰をクィクィと使い善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。

岩代さんが学生達に「遠慮せずガンガン行け」と言うのを聞いて、「これからガンガン犯られるのだ」と脳が溶けて行きます。

相手が代わる度に、その抜き挿しに応じて腰を使う私(里美)を、夫に目の前でハッキリと見られている「丸見え状態の輪姦(まわし)」と言う状態を意識させられます。

究極の羞恥心の中、全ての意志を放棄した性玩具(おもちゃ)としての被虐感(ひぎゃくかん)が、嫌でも脳みそをトロケさせるのです。

今日はもう朝から、今までの人生では思っても居なかった卑猥(ひわい)な経験が続いて、スイッチがオンに入りっ放しでした。

だから、この輪姦(まわし)も肉体(からだ)の方が勝手に反応し始めると、もう相手が誰だろうが欲棒を挿し込まれてしまえば反射的に快感を貪(むさぼ)ろうと自然に迎(むか)え腰が動きます。

アァ、カリ首の傘の肉縁(にくへり)が・・・私(里美)の内壁を繰り返し擦(こす)ります。

この輪姦(まわ)されて快感にのた打ち、腰を使いながら善がり声を張りあげて居る私(里美)が「本当の私かも知れない。」と思えて来ます。

相手が入れ替わっても直ぐに抽入されて抜き挿しが繰り返され、止め処も無くオーガズム(絶頂)が続き、意識は天国を彷徨(さまよ)います。


膝を少し立てて大きく開いた私(里美)の股間で、学生の誰とも判らない欲棒のカリ首が、私(里美)の内壁を擦(こす)て深く浅くうごめいています。

私(里美)今、呼吸が止まる程に息もつけないほど激しく犯される「本番まな板ショー」を、夫の前で大声で善がりながら犯っているのです。

輪姦(まわし)を掛けられ、息も出来ないくらい攻め立てられて、私(里美)は快感の中を彷徨(さまよ)いました。

経験も無しの想像が、いかに頼りないものであるか、それは経験して初めて判ります。

もっと「嫌悪感があるのか」と思っていたのですが、実際に犯かされてみると違いました。

それは、変態行為以外の何ものでもなかったのですが、想像していた事と結果は全く違いました。

一度味わった被虐心は強烈です。

「今、夫の前で犯られちゃってる」と思うと、興奮して羞恥心の炎が燃え盛り、脳みそが溶ける快感を味わえ、癖になるのです。


面白そうに笑いながら、次から次に私(里美)の肉体(からだ)の穴と言う穴に他人(ひと)の欲棒がグサリと突き入れられ、カリ首の頭やエラが口中だろうが女性器だろうがア*ルだろうがお構い無しに肉壁を摩擦して来ます。

グヤラリー看視の丸見え状態の究極の羞恥環境の中で、全ての意志を放棄した性玩具(おもちゃ)として相手構わず犯られて見せるのです。

被虐感(ひぎゃく)露出性交行為の興奮と快感が、私(里美)の脳みそをトロケさせ、思わず私(里美)に貪(むさぼ)るがごとく生々しく受け腰を使わせます。

結果、私(里美)の肉体は、世間の建前通りの嘘が付けなかったのです。

驚いた事に、全てを曝(さら)け出し、男の望み通りに陵辱される事が、気持ちが良いのです。

「嘘・・・・」

何とも言い難いのですが、私(里美)の常識は、「たった一度の体験で、もろくも崩れた」と言えました。

体験も強烈だったのですが、犯ってしまうと意識の変化も強烈だったのです。

平静に考えると、私(里美)は、単なる思い込み(既成概念)を基準に、正しいと判断していたのかも知れません。

その初めての輪姦体験の最中に、実は不思議な幻想を、私(里美)は脳の中で見たのです。

それが、不思議な位にリアルな映像だったのですが、何しろあの最中の快感と伴に、頭の中に浮かんで来たものです。

最初はただの幻覚に過ぎないと思い、夫には言いませんでした。

だって、確信が持てない絵空事を言っても、「お前、感じ過ぎて脳みそが吹っ飛んだのじゃないか?」と笑われるだけですもの。

それにしてもこの時はまだ、この不思議な幻想が、私(里美)の意志を「支配するものだ」とは、夢にも思いません。


実は、独立話が具体的に進んだ頃には、私(里美)にも「これは夫も一枚噛んだ罠だ」と察しがついていました。

しかし、散々貞淑(ていしゅく)ぶっていたから、体裁(ていさい)が悪くて「良かった」とは言い難いのです。

しかも、据え膳に輪姦など、大きい声で「犯られた、犯られた」と、夫と楽しく話題にする内容でありません。

それで、何もこちらから切欠を作る事は無いから話題を避けて、堂々とした素振りで「気にもしてない」と何でも無い振りをする事にしました。

しかし、肉体が受け入れた「通常では得られない快感」と言う濃厚な情報は、一度その良さを知ってしまうと、「もう消し去るのは手遅れ」と感じて居ました。

恥ずかしくて、口には出せなかったのですが、こうした性的な遊びが、確実に自分の性に合っている事に気が付いたのです。

夫との間が、私(里美)の性に対する嫌悪感のせいでギクシャクしていたのは判っていました。

でも、「私(里美)を愛していれば私に合わせてくれる」と、身勝手な甘えがありました。

竹中さんに指摘された通り、これから事業を始めるのなら夫の闘争心の為にも、私(里美)はスケベ女に成らねばなりません。


それは私(里美)だって、持って生まれた性欲が無い訳ではありませんし、性的刺激を受ければ、快感は肉体から湧いて来ます。

岩代さんからも言われて気が付いたのですが、私(里美)、その意識が現実離れたものであるのにそれと気付かず、夫に対しても頑なに貞淑を装っていました。

それが、私(里美)がいけなかったのです。

確かに性行為は生々しいもので、性行為中は誰でも不恰好な姿を晒(さら)す事に成ります。

でも、岩代さんに諭(さと)されました。

岩代さんが言うに、知能を持った人間は「外敵に無防備」だから隠れて性行為を行なうように成り、返って人間は「秘する喜びを覚えた。」と言うのです。

つまり秘する喜びを覚えたからこそ、性行為が「生々しいものに成った」と言うのです。

そう成ると「秘する喜び」の裏返しに未成熟の子供を狙ったり、外身の下着に興奮する異常な感性を育てたのかも知れません。

そう考えるとあまりエスカレートし過ぎた「性への嫌悪感」は、意味の無い行過ぎではないでしょうか?

それにしても昨今の風潮はそれがエスカレートして、下手に話すとそれだけで「嫌らしい」と言いますが、そこに真剣な思考が有っての事でしょうか?

安易で中途半端な感性で、軽々しく「嫌らしい」と言う方が無知かも知れません。

確かに性行為中は不恰好(ぶかっこう)ですが、性交が「美しくないから」と言ってそれが現実で、岩代さんから利巧な人間なら、例えグロテスクだろうが、「人間にはする必要がある行為と肯定すべきだ」と言われ、それを受け入れました。


心を開放する事に拠って人は相手に優しく成れ、おのずと生きて行く道が開けるのです。

閉じ篭って自分だけ大事にすると、人生は不幸なものに成るのです。

その心を開放するには、「なまじの事では間に合わない」と岩代さんに囁(ささや)かれました。

それでも最初は、今まで蔑(ないがし)ろにしていた夫へのしょく罪の気持ちもあり、「夫に求められたお仕置き」くらいに理解していました。

所が、竹中さんの生け贄にされた後、何故か優しく「全てを曝(さら)け出せ」と岩代さんは言います。

そう言われて私(里美)、「はぃ。」と思わず返事をしてしまいました。

岩代さんの目を見ながら話をすると、何故か素直な気持ちになります。

そしてこれから私(里美)は、「限りなく恥ずかしく卑猥に攻め立てられ、確りと躾(しつけ)られる。」と、告げられました。

そんな馬鹿な事を、 事も無げに面と向かって言われたのに、興奮した乳首は硬くなり、子宮が「キューン」と成るような衝撃を覚えました。

夫達の周到な陰謀なのです。

犯られちゃいました。

代わる代わるメチャメチャに輪姦(まわ)されて・・・・・

結局追い込まれるまで決心は着かなかったけれど、こう言う事は中途半端だと返って迷いが出るもので、幸い一気加勢にタップリと仕込まれて刹那を愉しむ事を覚えました。

犯ってしまうと「何であんなに拘(こだわ)ったのか」と思えて来るから不思議です。

夫と岩代さん夫婦に上手く仕掛けられ、「一日に何人もに犯される」と言う情況に拘(こだわ)りは飛んでしまいました。
,br> 正直、岩代さん夫婦に「飛ぶきっかけ」を作って貰って見ると、反省しきりです。

今まで夫に対して性的につまらない女だったのは確かで、そうなると夫の仕掛けた今度の事も大目に見なければ成りません。


もぅ、犯られ続けると思考が吹っ飛んで、何も考えられなく成ります。

構わずに待った無しの勢いで次々と輪姦(まわ)されてしまえば、私(里美)は快感に反応する肉体(からだ)だけの本能の塊に成って、頭の中も全くの空(くう/カラッポ)に成って理性は吹っ飛んでしまったのです。

脳が快感を受け止めるだけに機能して、自然に私(里美)の腰がクイクイと勝手に反応します。

私(里美)は、「あぁ、いざと成ると、人間こう言う事が出来るのだ」と思いました。


思っても居なかった経験をすると、人は自分を見つめな直します。

岩代さん夫婦は、私(里美)の知らない官能の世界が現実にある事を教えてくれました。

人生観が変わりました。

輪姦(まわ)され、休む暇も無く犯られ続けながら閃(ひらめ)きました。

今までの人生とは全く違う生き方が有る事に気が着いたのです。

こう言う事を夫に許されるなら、いゃ、求められるなら、私(里美)はそれを「奔放(ほんぽう)に楽しむ」しかないでしょう。

だって相手は大人数で、休む間も無く輪姦(まわさ)れる犯られっ放しですからオーガズムが継続して繰り返し繰り返しイキ続けるのですよ。

そんな濃厚な快楽感を一度知ってしまったのですから、正直魅力を感じても仕方がないじゃあないですか。

それに夫の目の前で赤の他人に犯られ、我を忘れて善がる醜態を曝(さら)け出す羞恥の興奮は、心理的に「何物にも変え難い究極の露出快感なのだ」と知ってしまいました。


不思議な事に私(里美)は、腹が立つ所か無条件でその躾(しつけ)に応じる気に成ったのです。

後ろめたさは最初だけでした。

一つの夢を掴(つか)む為には、手持ちの夢(メルヘン)を一つ棄てなければなりません。

犯ってしまえば「もう後戻りは出来ない」のですから、自分を納得させる為にも新しい価値観を構築しなければ成らないのです。

覚悟を決めれば、私(里美)はもう振り返りません。

それからはもう大変です。

合意してしまったのですから、後へは引けません。

あらゆる場面で、私(里美)には、煽情的で新鮮な興奮の日々が待っていました。

前置きはあっても、とどの詰まりは淫乱な性交なのです。

多少の困惑はあったのですが、「アッ」と言う間に素裸に剥(む)かれ、全てを曝(さら)け出し、乳房を荒々しく揉みしだかれます。

様々な体勢の変遷を経て、男達の位置が入れ替わり立ち代り私(里美)の肉体に挑んで来ます。

私(里美)は次々に太い陰茎に貫抜れて、湯気が立ち上る様な激しさで、股間に欲棒を抜き挿しされて居ました。

心を解き放てば、女の肉体(からだ)は相手構わずの性交でも犯れば感じるように出来ています。

夫の目の前で学生達に輪姦(まわ)され、羞恥心と陵辱感に骨まで溶けるような強烈な快感に襲われ、脳にドーパミンが溢(あふ)れ出して自分でも驚く程のあえぎ声を張り上げ、そのあえぎ声さえ掠(かす)れます。

もぅ肉体(からだ)が周囲など見えなく成って夢中で腰を使い、快楽を貪(むさぼ)るその現(あら)れもない私(里美)の姿を、夫が見詰ているのです。

これほど刺激的なシュチエーションなど中々有りません。

私(里美)は、目隠しされたまま輪姦(まわし)されたのですが、途中で雰囲気が一服になり学生達が私(里美)の肉体(からだ)を離しました。

全裸で後ろ手拘束され、蒲団に転がされて両手の使えない私(里美)に、京香さんが私(里美)を抱きかかえてミネラル・ウォーターを与えてくれました。

その休憩の間も、私(里美)は岩代さんに命じられた「足を広げ続けろ。」が気に成って広げた股間を閉じられません。

もっとも、散々犯られたお股には何か嵌(はま)り込んで居るような感覚が続いていて、私(里美)が閉じる気に成らなかったのも事実です。

その内に岩代さんの「よしお前ら、今度は一度に掛かって嵌(は)め倒せ。」の掛け声が掛かり、また学生達が私(里美)の肉体(からだ)に群がってきました。

一度に掛かられた私(里美)はもうメチャクチャで、一人が強制口喉(こういん)性交で口中を突き捲くれば、一人は交尾を敢行して突き捲くり、それにあぶれた十本に余る手が私(里美)の全身を弄(まさぐ)って、気が狂う位の強烈な刺激です。

肉体がその刺激に反応して、まるで痙攣(けいれん)して居るようなもの凄い性感覚でした。

私(里美)は、玉になって流れ落ちる汗も忘れて、首を左右に揺らしながら「気持ち良いィー」と 愛液を花弁の奥から滴らせ善がり声を上げ続けました。

それはヤッパリ亭主独り相手とは違い、端た無(はしな)いかも知れませんが脳天を突き抜ける様な快感が持続するのですから、「私はそんな女じゃ無い。」と格好を付けて一生この経験を知らずに終わる方が女性として勿体無い人生かも知れません。

息が出来ないほど代わる代わる犯られて、頭の中は真っ白です。

白と言うより「空っぽ」と言った方が良い感動かも知れません。

それで、私(里美)は「心が開放された。」と感じ、感極まって目頭が赤く成りました。

学生達に輪姦(まわ)され、彼らが帰ってからも夫と岩代さんに仕上げに犯られて、犯り終ったら私(里美)は全裸のまま大股開きに大の字で床に転がされていました。

好き勝手に扱われまたから、私(里美)の感覚では股から使用後の湯気が出て居るような気分だったのですが、興奮と刺激に拠る濃厚な快感を味合わって心地良い疲れだったのです。

生々しい話しですが、肉体(からだ)が感じる様にそう設計されているのですから、エラの張ったキノコ状の海綿体が妻の内壁を擦(こす)り続ける肉体的刺激の連続に、私(里美)が自然に恍惚の快感を感じても仕方が無いのです。

そして初めて体験する物凄い絶頂感の連続に心地良い疲労感が残っただけでした。

あれだけ犯られた後ですから、正直私(里美)の股間にはまだ何か突き刺さっているような感覚が残っています。

それでもあれ(乱交)はその時その場所限りのもので、世間の誰もそれを見破る事はなく日が昇れば私(里美)には何の変哲も無い日常生活が待って居たのです。


でも、どうせこの分では誰とでも犯れるように私(里美)仕込むつもりでしょうから、この先に続きがある話なのでしょう。



(妻の決意)
蒼い危険な賭け・京香◆
第八話(妻の決意)


「長い一日が終わった。」と、言っても、時計の針は既に月曜の朝、深夜三時を回っていた。


妻にしてみれば、夫の前であれだけマルチSEX(複数性交)の快感に痺(しび)れ、欲棒を咥(くわえ)た腰を浮かせて振ってしまえば、今更格好を付けて「その性交遊びが嫌だった」とは言い難い。

むしろ、思わず向かえ腰クィクィで応じて快感を貪(むさぼ)ったそのマルチSEX(複数性交)は、正直な所「凄く気持ちが良かった」としか妻には言い様がなかった。

しかも大勢の他人が、その快感を貪欲(どんよく)に貪(むさぼ)る妻の、欲棒を咥(くわ)え込んだ生々しい腰使いの様子を目撃しているから、これからはそのメンバーにも今更格好は付けられない。

気持ちの上での興奮は、私の脳みその中ではまだ妻の輪姦(まわし)の情景を引きずっていた。


息を整える程度の時間を断続的に挟んでの、間を空(あ)けない性交にオーガズム(絶頂)が継続しているから、妻はもう夫の目を気にしている間など無い。

相手が代わる度に大きく開いた股間に生々しく下半身を貫(つらぬ)かれる欲棒の快感に汗ばんだ肌を鈍く光らせながら乳首が立った乳房を揺(ゆ)らし、上体を仰(の)け反らせて上半身をのたうち、妻は大声で善がりながらイキ続けていた。

妻は、次から次の果てし無い輪姦性交に応じて悶絶を示す壮絶な善がり声を繰り返しながらも、愛液に濡れ光る欲棒の生々しい抜き挿しに、クィクィと受け腰で応じる修羅場を見せている。

その抜き挿しが為される度に、結合部の肉花弁の隙間から押し出される白濁した愛液が、妻の太腿をユックリと伝って床に落ちて行く。

相手の腰が軽快なリズムを刻(きざ)んで、妻・里美の肉体(からだ)の中心を貫抜いた欲棒の陰茎が、愛液に濡れ光って深く浅く見え隠れしている。

これは生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして凄い見世物だが、里美の抑圧されて居た本能が剥(む)き出しに成っただけだ。

だから正直、妻・里美が涎(よだれ)を垂(た)らしながら大口を空(あ)けて善がり犯られていても、私が随喜の刺激に顔を歪(ゆが)ませる妻から目を背(そむ)ける事はないだろう。

坊主頭のカリ首に肉体(からだ)の中心を貫かれてしまえば一瞬で心境に変化が起こり、警戒心で入った妻・里美の力は抜けて行く。

現実にもう皆の前で犯られちゃったのだから気取っては居られず、覚悟を決めて本気モードのスイッチを入れるしかない。

当たり前の事だが、性行為は観るにしても犯るにしても、勿論、犯られるにしても下品な方が人間は興奮する。

まぁ元々上品な性行為など無いのだから、依り下品を追求しながら里美を犯る愉しみ方が正しいのかも知れない。


あの輪姦(まわし)は、妻と多人数の成熟した性器と性器が抜き挿しされて海綿体が接触するのだから、流石(さすが)に犯られっ放しの妻の運動量は半端ではない。

それでも妻が渾身(こんしん)の受け腰使いで快感を迎えに行き、抜き挿しの努力をすれば、一人熟(こな)すのに二〜三分、永くて五分あれば相手はイクから、三十分あれば連続十人は快適に行ける。

インターバル(休憩時間)を五分ほど挟(はさ)んで通算五十分ほどあれば、壮絶には違いないが相手の重複トライを数えても累計で二十人は熟(こな)せる計算だ。

終盤にさしかかると、流石(さすが)の妻も息切れして「ムフムフ」と小さく善がるばかりに反応が小さく、受け腰の動きも少なくなる。

まぁ、これだけの人数を相手に続けて性交すれば、妻が体力を消耗しても仕方が無いが、それでも順番待ちして居た連中は順番が廻って来れば息切れした妻を容赦無く攻め立てている。

これを毎回徹底して繰り返させて持久力を身に着ければ、輪姦(まわし)何か妻にはもう何でもない事だろう。

それ処か、大変過激には違いないが過激故に所謂スポーツハィ状態に酔えば天国も見れるのがご褒美で、それを経験すると「また犯りたい」と病み付きになる。

この妻への輪姦(まわし)を目の当たりにした私は、その刺激的な光景に我を忘れていた。

全てが妖艶なライブショーである乱交の魅力に魅入(みい)られた私は、その光景を目にして依頼その魅力から中々抜け出せない事になった。

その一瞬は、長年の鬱憤(うっぷん)が晴れて、確かに感動的だった。

背徳の夜遊びに疲れたが、こう言う遊びの疲れは「心地良い」ものである。

この頃はまだ、この一連の出来事が、後に起こる妻の驚くべき変身の序章とは私は考えては居なかった。

人間の欲求は贅沢なもので、今度はより刺激的な感動を、期待する私が居た。

若気の至りと言おうか、単純に岩代が作り出すSEXゲームの面白さに引きずられ、妻の反応を楽しみ、さして先の事を考えていた訳ではない。

所が、そうした私の軽い気持ちとは裏腹に、後で気が付くと抜き差し成らない状況に事が運んで居たのである。


男女平等と言うけれど、男と女では磨き方違って当然である。

その原理原則を無視する事が、本当に「女性を想い遣る事」とは思えない。

つまり女性には女性の磨き方があり、それは誰が考えても男性と同じでは在り得ない。

男女対等を言うにしても、双方の性の特性は考慮に入れるべきである。

今朝は九時半頃から竹中邸に出かけ、結局乱交までして夜九時半頃から翌朝の四時半頃まで七時間かかって妻は犯られ、全てが終わった頃には夜が白み始めていた。

学生達に輪姦(まわ)されてヒィヒィ言わされたが、妻にはそのアドレナニンが脳内を決壊させた興奮に拠る脳内麻薬・「ベータ・エンドロフィン」の脳内快感が家に帰ってまで残ったそうだ。

脳の快楽的喜びを記憶するのは、右脳と左脳の中心下部にある一対の大脳基底核の主要な構成要素のひとつ「線条体(せんじょうたい)」と言う部位である。

「線条体(せんじょうたい)」は、運動機能への関与や意思決定などその他の神経過程にも関わると考えられている。

SM性交プレィやマルチSEX(複数性交)が繰り返し行われる事で、中脳からのドーパミン入力に拠って興奮性が高まり、その「線条体(せんじょうたい)」と言う部位での快楽的喜びの完成条件が完結して行く。

連続性交に於いて、スポーツハイの快感から導かれる脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果と同じセックスハイ状態に導かれる。

これは興奮の中、デェスコや盆踊りを夜明かし踊った後のような快感に溢れた心地良い疲れも同じ脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果である。

益してや集団乱交で「性交を他人に観られている」と羞恥心(しゅうちしん)を強く感じると、興奮で脳にアドレナリンがドバッと吹き出るのを感じる。

防衛本能から脳が感受性を好転させる為にアドレナリンやドーパミンを噴出させるのらしいのだが、結果的にそれが性交快感をより増幅させて今まで経験しなかった快感を得るのだから堪(たま)らない。

その快感の記憶は純粋に快感だけで思考条件などは無く、喫煙や飲酒の快楽感と同等の習慣性を知らず知らずに持つ事になる。

妻は岩代達に、「密度の濃い快楽」として「線条体(せんじょうたい)」にミッチリ記憶されて習慣付けられた訳である。


今日一日の事は、私にとっては快挙だった。

これは「金の為」と言うよりも、私の内なるに思考情念に住み着いている「スケベ心」と言う悪魔に、妻を渡したようなものである。

その意味では、長年の胸の痞(つか)えが取れた思いだった。

しかし、現実は拍子抜けだった。

妻の反応が、期待外れだったのである。

「取り乱すか泣き出すか」と予想していたが、「競泳」と言う勝負の世界に居た妻は、私が思っていたよりもズーット精神的に強(タフ)かった。

タフ(強く)でなければ修羅場は乗り越えられない。

私の目の前であれほどの行為を為しながら、妻はまるで何事も無かったように、日常生活に戻ったのである。

そして「嫌だった」とも言いださないし、今後の接待を拒否する話を持ち出すでもない。

女にとって、片意地張った「完ぺき」はけして良い事ではない。

何時(いつ)も隙が無い態度を維持する事は本人にしても大変な事をしている訳で、自尊心に拘(こだわ)らず外見だけでも裸を晒(さら)せる位の「抜けて見せる知恵」の余裕がなければ「利巧な女」とは言えない。

男だって、「抜けて見せる利巧な女」の方が、自尊心に拘(こだわ)った完ぺきを誇る女より可愛いに決まっている。

つまり「完ぺきに利巧な女」を主張して、得るものは自己満足だけである。

正にここ一番は、その「抜けて見せられる」かどうかを問われる妻に取ってはターニングポイント(転換点)だった。

妻は「隙を見せまい」と竹中相手に虚勢を張って、木っ端微塵に打ち砕かれる学習をした。

考える余裕も無い無我夢中の状況に在って最初は不安で一杯だった妻も、「身に危険が無い」と要領が判って来れば何時(いつ)しか妻の顔から緊張が解けて居た。

本当に利巧な女は、「利巧ぶって自分の主張だけをする事はない」と・・・・。


妻が、あれだけの事を経験して「無言でいる」と言う事は、言外にそれを肯定した事で、裸の接待を「続けても良い」と言う事を意味している。

結局の所あれ(竹中の接待)もこれ(学生達の輪姦)も「行き掛かり上の仕方が無い事」と納得挿せたのかも知れないが、私は妻の女としての強さを、無言の内に見せられたような気がする。

後で考えると、実は妻には乱交にしても輪姦やSMプレィにしても未経験故の恐怖だったが、案ずる依り生むが易しの諺(ことわざ)通り、いざ犯って(体験)しまえば妻の想像とは違って「さほど大した事ではない」と、妻は感じたらしかった。

人間は面白(おもしろ)い生き物で、妻がこうもアッケラカンと輪姦性交で「皆に犯られてしまう」と後味が清々(すがすが)しく、返って性行為の陰湿さなど吹き飛び清々(せいせい)してしまう心境である。

犯って愉しくなるのが性交で、愉しくなければ本当の性交ではない。

妻の心を縛っていたのは恐怖感と倫理観だったのだから、元来群れ社会動物である人間として「集団同調性(多数派同調)バイアス」と言う感性の中で愉しい性交を経験すれば、妻の心境の変化は当然でその答えは違うものになるのは当然である。

人間は感性の生き物だから、それを容認する集団の中で「卑猥(ひわい)モード」と言う舞台も背景もムードが整った合意の上の輪姦(まわし)なら、「最高の突き抜け感が得られる」と言う点では、究極の興奮をもたらす程に卑猥(ひわい)である。

だからこそ妻には我を忘れる位の棄(す)て難い魅力的な性交体験だった。

追々この物語で説明して行くが、妻の大胆な変身は「ジュピター・コンプレックス」と言う女性本能の感性が、この間の一日で一挙に目覚めた為らしい。

人間には、必ず深層心理の中に別の顔もある。

環境さえ整えば、男女を問わず自分を解放する為にその別の顔を曝(さら)け出だしても一向に不思議な事ではない。

後々心境を察するに、妻の里美は竹中邸での性接待と岩代の家で経験した若者達の輪姦(まわし)の余韻に浸っていて、自分を解放する為にはその「非日常の時間と空間が必要だ」と改めて感じていた様だった。

世の中に於いて、思い込みに拠る奇妙な拘(こだわ)りは、それを「真実」とは言えない。

ものは考え様で、食べ物でも同じ事だがどんな組み合わせでも旨ければ良いので在って王道や邪道などを既成概念で決めてしまうから奥行きも広がりも抑えてしまう。

性交の愉しみ方だって、刺激的な乱交や輪姦そしてSMプレィを一度知ってしまえば、夫婦合意の上ならメニューが様々に多い方が良いに決まっている。

捨てる事は拾う事であり、性行為を「特別な事」と捉えないで「遊びの一環」と捉えれば、パートナーに対する嫉妬や独占欲、薄っぺらなプライドを捨てて人間が勝手に構築した性交に対する奇妙な倫理観から開放される。

奇妙な倫理観から開放されれば、スッキリと夫婦間のエゴを全て超越した人生観が残るのである。


いずれにしても、貞淑な妻を演じてトンガって居た妻にすれば、私に仕掛けられた秘密の輪姦遊びはかなりのお仕置きだった。

この秘密の輪姦遊びが終わった当初、妻は「こんな事を犯るのは、もうこりごり」と言う気持ちが強かった。

所がそれはほんの二〜三日で、一週間もすると、あの連続性交の快感が脳の中によみがえってなっかしく、子宮がジンとし、妻は次に秘密の遊びの声が自分に掛かるのを密かに待つように成った。

一度輪姦(まわし)の修羅場を体験して、否定したくても出来ない期待が妻に膨らんで来て肉体(からだ)が疼(うず)いていた。

つまり妻の中で、理性と感性の大きな行き違いの葛藤(かっとう)が起きていたのだ。


結局妻は、「大勢に犯られたから」と言って、悲しんでいても怒っても意味はない。

涎(よだれ)を垂らし愛液を滴(したた)らせながら悶絶の表情を浮かべて受け腰を使うほど、癖に成りそうな気持ちの良い思いをしたのだから、人は前向きに何事にも「良かった」と笑っている方が幸せに成れるのだ。

岩代に言わせると、「奥さん(里美)は性に対して哲学的な悟(さと)りを開いたのだ」と言う。

妻が私に何も言わない所を見ると、岩代の言う通りかも知れない。

後で考えれば、上手く行過ぎるほど上手く行った企(たくら)みだったのだが、その時の私は有頂天で、これが「岩代の奇跡の始まり」とはまだ気が付いては居なかった。

唯、不思議だったのはこの事態に在って、私には「夫婦の絆が途切れる」と言った危機感がまるで湧かなかった事である。

それが私達夫婦に、「妖しい力が働き掛けている為だ」とはまるで気が付かなかったのは、迂闊(うかつ)だった。

いずれにしてもこの日の出来事が、次から次に妻の身に起こる非日常の卑猥(ひわい)な時間の引き金に成ったのだ。



驚いた事に、岩代の家を辞す時も、自分の家に帰って来ても事も無げに振る舞い、妻は何も言わない。

非難めいた事も言わないが自分が「行った方が良い」と言って出かけた結果だ。

今夜の事も、あえて二人の会話の話題にしない積りで居るらしい。

学生達の遠慮無い輪姦(まわし)に遭った妻が、家に返って落ち込むかと想っていたが結果は逆で、何事も無かったように淡々としていて、「面白く成って来た」と言うのが偽(いつわ)らない私の感想だった。

それにしても、改めて妻の強(したた)かさを知った。

気取って居ては人生何も起こらないから、プライドを棄てないと浮上できない。

輪姦されて「泣き喚(わめ)くか」と思ったが、妻は、自分の身の上に起こった事にビクともしないのである。

性接待なんてものは、女性の人権など最初から棄(すて)る事が条件で、それを犯ると言うのだから、蓋(ふた)を開けて見ると元々妻は人生を負ける積もりで生きている様な弱い女性では無かったのだ。

しかし物は考え様で、男性は勿論女性だって大勢の相手と性交して普段出来ない快感を得る事は「贅沢」と思えばこれ以上贅沢な事はない。

結局の所、感情的な言い分だけ言い立てて融通が利かない女は、使い物に成らないのかも知れない。

利巧な女は、妻のように生き方に融通を利かす事が出来るのだ。

あれほどの痴態を晒(さら)して、知らぬ顔をする積りか?

当然ながら妻のあの恥ずかしい行為がその善がり方の全てが、私に目撃されている事を承知している。

所が、妻は非難も言い訳も、その事すら話題にする事も無く、床に就くと、直ぐに寝息を立てて寝入ってしまった。


昼間行き成り味わった中級調教編体験の興奮(ハィ状態)から醒(さ)めない内に、その日の夜に味わった極限の上級調教編(輪姦)は、妻に極限の興奮(ハィ状態)をもたらせ、一気に貞操の壁を乗り越えるに充分な経験だった。

少なくとも、道が無ければ造れば良い。

アクション(行動)も起こさないで、只明日の成功を夢見てもそんな奇跡は起こらない。

結局そんな甘い考えよりも、恥も外聞も無く犯る気になった妻の決意の方がまともで立派な事かも知れない。

それにしても、私と違って妻は図太いのか、あれほどの体験をしたのに、呆気なく寝入ってしまったのである。

拍子抜けだったが、まぁ、疲れているだろうから今夜は寝かせて、出方を待って見よう。



一晩眠り、翌日目覚めた時には一瞬「昨日(きのう)の事は夢だったのか」と思った。

それほど信じられない事が、まんまと成功した。

半ば無理やり術中に嵌(は)めて、性接待を引き受けさせた妻である。

しかしこの後、まさか妻が恐るべき愛奴隷根性を発揮するとは、この時はまだ私も想い到らなかったのである。


翌朝、我が家の台所から、「タッ、タッ、タッ、タッ。」と小気味良くリズムを刻んで、包丁の刃先がまな板を叩く音が聞こえて来る。

あんな衝撃的な展開は予想の外(ほか)だったが、目覚めて暫(しば)らくすると「夢ではない」と思い直した。

朝食の支度をしている妻と顔を合わせた。

嵐のような一夜が明けて、我が家は何も無かった様に普段の朝を迎えている。

登校前の子供が妻にまとわり付く何時(いつ)もと同じ朝の風景だった。

しかし昨夜の記憶なのか、何処と言って変化(かわり)がないのに、何故か妻が色っぽい。

その妻の顔が、窓から射す朝の光陽に晴れ晴れと映(は)えて見えた。

妻の変化に気付いたが、話題にはしなかった。

彼女も、一向にその事に触れる気配は無く、敢(あ)えて話題にするのを避けているのは明らかだった。

翌朝の妻にして見れば、犯る前も犯った後も、生活に於いて周囲は全く変わりは無い。

奇妙な気持ちだったが、別に咎(とが)める者も現れない。

何の事はない、「大それた事をした」と思うのは本人の罪悪感だけである。

チョット岩代夫婦の犯り口に驚かされたが、これは度量を試される問題で、考えて見れば妻が不特定多数に輪姦(まわし)で弄(もてあそ)ばれた位で、まともに嫉妬するのは「小さい男」かも知れない。

それにその場に立てば、多数相手の究極の性交は妻に絶頂の連続を与える壮絶なもので、その性感反応は自分ひとりでは到底与えられないし、翻弄(ほんろう)されながらも快感に身を捩(よじ)るそんな妻の姿に思わず勃起したのだ。

大切なのは信頼関係を構築する事で、少なくとも「可能性が広がる」と想ったら現実的な考え方で消化し、何でも犯るべきである。


結局の所、関わりが無なければ知る由も無いのだから、要はその事を承知しない世間は、現実問題として妻が複数相手に犯ろうが犯らまいが知った事では無かった。

そう成ると、犯った事を気にするかしないかも、妻だけの案外簡単な拘(こだわ)りの問題だったのだ。

劇的な変換期の事実を通り過ぎれば、人間そこから元にはもう誰も戻れない。

戻ろうとしても、取り返しが着かないのが経験で、誰もがその洗礼を受けながら自分の人生を歩み続けているのだ。

後で思えば、あの一昼夜の出来事で、妻は見事に変身した。

あの集団輪姦を、常識的な発想で判断すると本質を見失う。

一見無茶苦茶な性行為を、自分達の楽しみの為に女性に強いて居るように見えるが、それは誤解で、実は岩代の女性への思い遣りである。


性接待の愛奴隷ともなれば、ゲストを愉しませる為にショウ(見せる・見えるようにする・示す)的な要素が必要だから、いかに卑猥(ひわい)なパホーマンス(表現)するかが求められる。

性接待と言う非日常の空間でゲスト様に贅沢をさせるには、日頃は出来ない禁じられた遊び(プレィ)を熟(こ)なせる事が愛奴隷・里美に求められる。

絶対服従を象徴するストリップ・サーチ(全裸検査)やロープ(縄)、スラッシャー(鞭)、ディルド(張形)などのSM的なツール(道具)の使用は、卑猥感漂うビジュアル(視覚的)効果を高めてプレィを興奮させる。

課題としてマスター(習得)が必要なのが、ツウエクスポース(露出する)、ティードアップ(縛り)、ビリンデス(目隠し)、ハンダードラッシュ(鞭叩き)、ハングアウト(吊るし)などで、愛奴隷・里美が可愛がって頂く為のSMプレィの基本形なのである。

妻の里美を接待愛奴隷に仕立てるには、相手構わず何でも犯れる広範囲に対応可能なユーティリティ(役に立つ・有効な)・プレィヤーに仕込む必要があり、女性の肉体は犯られてしまえば愉しめるように出来ているから、こう言う事は理屈では無く犯らせて理解させるしかない。

此処で妻の里美に求められているのは、立ち上げる会社に対するユーティリティ(役に立つ・有効な)の精神である。

接待は相手構わず何でも犯れなければ成らないからだが、こんな事は少しづつ仕込む手では逆効果で、あらゆる性交テクニックを広範囲に「この場で一気に攻め立てて、常習性が着くほど肉体(からだ)を慣らしてしまう。」と岩代は私に宣言して居た。

この輪姦手法、犯し続けて女性に休む間を与えてはいけない。

性感の快感を脳に連続して与え、それを持続させる事が肝心で、刺激の集中から生まれるのがハイ状態(高揚状態)の覚醒(かくせい)である。

ランナーズ・ハイ(長距離走陶酔状態)やクライマーズ・ハイ(登山陶酔状態)の生理現象で、それと同じ現象を女性の脳内にセックスハイ状態(性感陶酔状態)として作り出すのが、岩代の輪姦調教方法である。

普通の人間には、マラソンや登山は簡単には出来ない。

彼らが幾らキツイ事でも懲りずに再挑戦したがるのは、このランナーズ・ハイやクライマーズ・ハイの感応の虜(とりこ)に成る為だ。

そのハイ状態(陶酔高揚状態)の覚醒(かくせい)に加え、自分が異常な状態に晒(さら)される「羞恥心や被虐感」と言った興奮が、効果はてき面で、一度この集団輪姦を施された女性は人生観が変わり、性への認識が変わって違う発想を持つ。

妻は自分の股座(またぐら)に付いて居るグロテスクなものが、男に可愛がって貰う為に在る事に気が付いた。

それどころか、口やア*ルでさえ「男の欲棒を受け入れる」と言う別の使い方がある事を岩代夫婦や竹中に教わった。

岩代は、結果を計算し尽くして、この集団輪姦を多用して居るのである。



出社すると、岩代が待っていた。

他の者の目もあるから、早速同行営業の名目で外に連れ出した。

昨夜の事で、どうも社内で話せる内容では無い話したい事が山ほどある。

それに、パートナーだから新会社についても意見交換が必要だ。

「お前ら夫婦、いつも内の奴(里美)に手荒な事を犯るな。」と今更ながら昨夜の輪姦(まわし)を岩代を咎める。

すると岩代は、「私の故郷の住職から教わりましたが、」と私に輪姦(まわし)について説明を始めた。

現代の常識では、女性を男達が輪姦するなど「トンデモナイ事」と思うだろう。

しかし女性の元々の基礎本能や肉体構造から言えば、「女性は単独姦よりも遥かに輪姦(まわし)に適しているのだ」と言うのだ。


その本質情報であるが、一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、霊長類の基本的な生殖行動は「群れ婚」である。

チンパンジーの雄(オス)達は一頭の発情期の雌(メス)に順番に群がり、雌(メス)は一日に何頭もの雄(オス)と交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、雌(メス)が依り強くて優秀な精子に回(めぐ)り逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。

これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、雄(オス)雌(メス)の生殖機能には目的に添った違いが在る。

当然、雄(オス)の方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、雌(メス)の方は連続交尾を受け入れられる構造を生殖器がしている。

つまり生物としての現生人類は、「確実な種の保存の為」に本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを生殖機能として知っていた事になる。

人間と同じ類人猿・チンパンジーやオランウータンは群れ婚で、本来発情期の雌(女性)は依り良い遺伝精子を得る為に複数の雄と連続性交するのが普通だった。

最も人類に近いチンパンジーの生殖行動でも判る通り、元々人間の元である霊長類の雌(メス)には強い精子を受け入れる為に発情期に多くの雄と連続して性交する資質がある。

ただ、人間社会が自然本能・群れ婚を否定して行く過程には、資産とか経済とかの群れとは別の個人の「財」が介在するようになる。

「財」が「子育て」に必要不可欠になり、女性の家に男性が通う「呼ばう(夜這い)婚」を経て、概念としての「家制度」が生まれ、群れ婚は崩れて行った。

しかしこの自然本能的に多くの異なった遺伝子を必要とする女性脳の思考メカニズムは、現在でも深層部分で自然本能として存在する。

実は子を為した後の女性が本能的に次の遺伝子を求め、連れ合いの男性に嫌悪感を感じてセックスレス夫婦に陥(おちい)る傾向が在る。

群れ婚だった人類が、「子育て」に絡んで成立させた人間社会が、自然界に於ける脳科学的な生殖機能とは乖離(かいり)しているからである。

つまり自然界に於いては、子供が出来ればその遺伝子の男性は「用済み」と脳が勝手に想うのである。

それが現代では、女性の関心が夫から離れ子供に傾倒して夫婦間に隙間が生じ、多くの離婚の芽が生まれる一因と成って居る。

霊長類・類人猿のチンパンジーは輪姦行為が一般的であり、群れで生活していた原生人類も、永く生殖行為の相手は「群れ婚状態」で基本は乱交だった。

その「群れ婚状態」の子育ては「群れ」で担(にな)っていたのだが、個々に「財」を持つようになり、子育てが夫婦と言う番(つがい)に移った本能とは別の要因で社会合意が為された。

言わば「群れ婚」から子育て単位の「つがい婚」に形態が変わって、自然な生殖形態から人間の実社会に即した生殖形態に代わってそれなりのルールが出来た。

こうした生き物としての生態系が人間社会の我侭(わがまま)で無視され、人間の実社会が自然な種の保存と乖離(かいり)してしまった現状で、社会矛盾に拍車が掛かっている。

つまり本来の生殖形態から導けば、女性の本能は男達と輪姦する方が自然なのである。

この学説を証明する為に、新疆ウイグル自治区の四千年前に描かれた世界初のエロ本とでもいうべき壁画には、女性一人に順番待ちする多数の男性の姿が描かれている。

女性の元々の基礎本能がそれならば、日常の社会性にストレスを感じたら、いっそ野生に戻って非日常の性交快感を素直に愉しめば良いのかも知れない。


一通り説明すると、岩代は「どうです。奥さんも犯らせれば出来るでしょ。」と説を肯定する様に妻(里美)の事に話を戻した。

「そうだな〜。君(岩代)の言う通り、妻(里美)は見事にリピート(反復)段階に入ったな。」

「あの夜ノコノコと家(岩代邸)に犯られに行った所を見ると、昼間のプレィで味を占めたのじゃないですか。」

「そりゃあ昼間に竹中さんに犯られて散々に善がって、涎(よだれ)を垂らしながら柔ら壺に咥え込んだ腰を振ってプレィして居たからな。」

「本人が経験して始めて判る事だが、あれ(マルチSEX)は具合が良いから犯られると大抵の女性は淫乱中毒になります。」

「やはりあれ(マルチSEX)は、抵抗感を失うほど堪らなく良いんだな。」

「そりゃあ奥さんは、泡を吹く程の天国を愉しんだのですから簡単ですよ。」

「それで夜も、妻(里美)はプレイへの期待が先に立って、犯る気満々で股を開いて居たのだ。」

結果的には岩代の言う通りで、私が想像していた妻に対する理解は敗北である。

私には、女性に対する理解がまだ足りないのだろうか?

昨夜の輪姦(まわし)で犯られている妻の強烈な記憶映像が、スローモウションのような私の脳裏によみがえって来る。

輪姦(まわ)しを過酷と想うのは実は一方的な既成概念の発想で、世の中には色々な性癖を持つ女性が存在し、輪姦(まわ)される女性が好き者ならそれが天国である。

そして何の変哲も無い女性が切欠が在って輪姦(まわ)しを経験すれば、案外その魅力に嵌(はま)るのだから、経験してみなければその良し悪しは判らない。

人間の考え方など都合の良いもので、同じ人間でもその時の考え方を「理性(左脳域)」で採るか、「感性(右脳域)」で採るかでその言い分は違う。

そしてそこを本音で抜けないと、「理性(左脳域)」と「感性(右脳域)」を合わせ持つ人間の本質に辿り着けない。

見るからに激しい運動量だから妻の裸体に大粒の汗が溜まり、欲棒を咥(くわ)え込んだ妻の腰がクィクィと跳ね上がる度、その汗の雫(しずく)が床に敷かれた布団の上に伝わり落ちて行くのを、私は目撃した。

「それにしても、昨日はありがとう。内の奴に凄いものをさせて、胸の痞(つか)えがとれたよ。想像以上の成果だった。強引だと思ったが、内の奴が逆らわずに犯ったので驚いた。」

「そうでしょ、奥さん、黙って犯ったでしょ。満足しましたか?所長、判りました。夕べ奥さん(里美)、学生達に廻されて善がり狂って居たでしょ。最初から上手く行くと思っていました。」

確かに妻は、何処の誰とも良く知らない学生達を相手に次々とチ*ポをシャブらされ、次々犯されて「娼婦に成った気分」に異様な興奮をし、気持ち良さそうに受け腰を使って抜き挿しに応じ、善がる姿を曝(さら)け出して居た。

岩代に言われて、夕べの妻の物凄い痴態が浮かんで来た。

あぁ成ると流石(さすが)の妻も肉体の感応に意識を奪われて抑制が効かず、私の目の前で獣の雌に成って奮戦していた。

「あぁ、あんな嫌らしい反応をする内の奴(里美)は、私としても始めて見た。」

「ハハ、見物だったでしょう。所長も、あの奥さん(里美)の善がり狂うのを見て興奮したでしょう。」

「そうだなぁ、正直内の奴(里美)も並の女で、いざあんな状況で犯られるとあんなに淫乱に成るのだと、感心した。」

「SEXで興奮する為には状況と思いの味付けが大切です。」

「状況と思い・・・。」

「目隠しをして大勢に廻されれば、廻された奥さんも見る所長の方も、普段めぐり合わない状況と思いに、興奮は数倍、数十倍と成って、脳を刺激し、SEXを楽しめるものです。」

妻が興奮しても不思議は無い。

何しろ、夫の目の前で目隠しをされたまま大勢に廻されたのだ。

確かに、刺激的な状況下での妻の性反応は尋常ではなかった。

妻の性反応を思えば、愛は魅力的なものだがどうやら私の嫉妬心で束縛の道具にしてはいけないものらしい。

「どうやら、奥さんを使う目途(めど)が立ったようですね。」

「しかし驚いた。内の奴が簡単にあんな風に成るとは・・・」

「人間、経験して一皮剥(む)ければ、考え方も変わります。」

「内の奴(里美)は、調子を合わせて芝居をして居るだけじゃないのか、男と違って女は簡単に考え方を変えるとは思えないが?」

私は、妻が「簡単に変わった」とは思えないので、独立の為に「我慢をして居るのでは」と思っていた。

いゃ気持ちの上で、そう思って居たかっただけかも知れない。

そんな思いは、直ぐに岩代に打ち消された。

「いぇ、芝居をして居る訳では有りません。奥さんも夫婦で一緒に遊ぶ他人との性行為の快感を知れば、夫婦だけの味気ない性行為の何倍も興奮の快感を味わえる事に気付きます。」

「内の奴(里美)は、身を持ってそれを知ってしまったと言う訳か。」

妻に、「時間を与えては成らない」と岩代は言う。

時間を与えると、忘れたい事を何事も無かったように忘れる能力が有るのが、女である。岩代は、この際に妻に追い討ちを掛けて追い込む事を、画策していた。

「鉄は熱い内に打てと言うでしょう。奥さんはもう嵌(はま)りましたから、間を空けずにドンドン犯らせれば、何でも犯れるように成りますよ。」

まったく岩代は、「他人(ひと)の妻の事だから」と言って勝手な事を平気で言う。

でも、確かに妻の消極的な性意識は、トコトン性交体験をさせて前向きに意識改革をすればもっと豊かになるのは明らかだった。

「そうかなぁ。コロリと内の奴の態度が変わる事はないのか?」

岩代の「とてつもない存在」は、私達夫婦には脅威である。

既に岩代は、妻を次のステージに上げる積りだ。

岩代は、「大丈夫ですよ。」と自信満々に応え、そして、一度露出乱交の羞恥心に拠るドーパミンの興奮を経験すると「性癖として癖になるくらい強烈な快感が得られる」と言う。

私は「まだ犯るのか?」と思ったが、事ここに到っては仕方が無い。

岩代が言うには、究極の羞恥心から出たドーパミンも他のこれから性交に到る興奮に拠るものと同じ性的興奮で、結局は性交の快感を感受する「後押しの効果に変わりは無い。」と言う。

つまり、他人(ひと)前露出性交の羞恥心が性交時の快感を増幅させる格好なスパイス(味付け)で、その興奮が「性交時の快感を増幅させ癖になる」と岩代は言うのだ。

この現象に符合する理屈は在るもので、要は羞恥心に拠るアドレナリン作用のドーパミンの発生で脳をトロケさせれば、妻の性感度は格段に上がる。

人前での露出性交が欲情を高める効果があり、他で得られない性感度の快感が有るものなら妻が割り切ってしまえば、そこにそれを犯る価値は見出せる。

周囲の環境が揃っていれば、「私はそれが好き」と口に出して表明しなくても、妻は黙って素直に従えば良いので在る。

「奥さんは第一段階の経験を済ませましたから、これからは所長もお二人でSEXを楽しめます。」

岩代が、ニコニコしながらそう言った。

「SEXを愉しめる・・・。」

「そうでしょう所長、お二人で幾ら犯っても、あんな興奮は得られない。奥さんも口では何と言うか判らないけど、夕べは廻されて感応したので、肉体が理屈抜きで愉しみ方を知った筈(はず)です。もう、奥さんは後戻りをしませんよ。」

そう言えば、自分(里美)の周囲の家庭ではセックスレス夫婦が増えていたが、考えて見れば毎度お馴染みの相手と定番の技ではいささかあきが来た定食で、胸はトキメかない。

トキメく刺激が無いと、結局数ヶ月も犯らない夫婦に成って外で刺激を求める結果に成って、家庭の危機を招いてしまう。

「内の人に限って、内の妻に限って」は、只の希望的な言い分なのだ。


楽しくないSEXは、確かに不毛だ。

色々状況を変えたり、精神的な刺激を工夫したりすると、それなりに濃い興奮が有り、楽しめるのが、本来の人間特有のSEXかも知れない。

「内の奴(里美)は、変わるのか?」

「確実に変わります。所長も一緒に、奥さんの変身を楽しんで下さい。」

この時岩代は、「奥さんの変身を楽しんで下さい。」と言ったが、私はあの時点で妻があれほど性交に貪欲な女に変身するなど、夢にも思わなかったのである。



「どうですか奥さん(里美)の様子は、続けられそうですかね。」と岩代が声を掛けて来た。

「実の処、内の奴(里美)の様子は、嫌だったと言うよりも、むしろ愉しんでスッキリした様な雰囲気だった。」

「でしょう、あれ(輪姦プレィ)を経験した女性の大概は好感触ですよ。」

「家に帰った後も、まんざら嫌そうでは無い様子だ。」

岩代が、「もう一度奥さんに学生と輪姦(まわし)を犯らせてみれば、反応感度で調教の出来が判りますよ。」と笑って私に言い放った。

「そうだな、学生を連れて来て、また犯らしちゃうか。」



岩代宅の二階で、妻・里美が学生達にグチャグチャに犯られるのを見せ付けられた私は胸キュンものだった。

それが反面、その光景を目(ま)の当りにすれば勃起(ぼっき)もので、プレィさせる事はそれほど嫌には思えなかった。

私は、家に帰って来ても当分の間、多くの学生達と妻・里美が犯って観せたあられもない究極の性交姿が脳裏に浮かんで来て興奮が醒(さ)めなかった。

客観的に観ればこれは自分が仕掛けた事だから、全裸で妻・里美が学生達との公開性交舞台で犯り遂げた事は、夫として褒めてやらねば成らない。

そして一週間後、「所長、奥さん(里美)をミッチリ仕込むには此間の学生達との輪姦(まわし)を繰り返させるのが一番ですよ。」と誘われた。

私は岩代の言い分を「もっともだ」と想って、「そうだな、犯らせよう。」とそれを了解した。

今度は岩代が妻・里美に「奥さん、もう一度学生達と犯りなさい。」と予(あらかじ)め命じて、また岩代宅の二階に学生達との公開輪姦の舞台が設定された。

私が岩代に妻の返事を「どうだった?」と聞くと、「奥さんは、はぃ。と承知しました」と応えた。

いずれにしても妻・里美は、この誘いを拒(こば)まずむしろ積極的に応ずる構えだった。

恐らく妻・里美は、あのランナーズハイに似た快感のプレィに味を占めたのだろう。

とにかく「他人前(ひとまえ)で性交して観せる」と言う非日常の羞恥心と興奮で妻・里美の脳内には興奮物質・ドーパミンが溢(あふ)れ出す。

ドーパミンの活性で、妻・里美の脳内に脳内麻薬ホルモン物質・ベータ・エンドロフィンが生成されて、一種のランナーズハイに似た「心地良い疲れ」の快感を得る。

ベータ・エンドロフィンは、体内で生成される無害の分泌ホルモンで、脳内麻薬(快感ホルモン)である。

この脳内麻薬(快感ホルモン)は無害ではあるが、一旦脳に記憶させると脳がその分泌快感ホルモンを発生するシュチエーションを学習して無意識に要求する。

つまり非日常の快感に味を占め、ソーシャルセックス(社交的な性交)、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などのプレィが癖になる脳内メカニズム(構造)なのだ。

つまり妻・里美は再びパンティを脱ぎ、あの壮絶なハードボイルド生ポルノ(冷酷非情で妥協しない性行為の実演)輪姦性交を味合う事に成るのだ。


里美は考えた、「性的快感も経験無くして、幸せな人生など無い」と・・・。

人間と言う生き物は、格好を付けたところで他の動物の繁殖期と違い「擬似生殖」と言う生殖目的無しの性交を随時に「遊びのプレィ」として行う。

勿論、「愛が無ければ性交出来ない何て話し」は建前の綺麗事で、人間は愛など無くでも性的興奮だけで充分性交は可能である。

つまり、何を持って正常・異常を問うならば、「擬似生殖」と言う「遊びの性交」を愉しむ時点で、半ば本来の正常な生殖行動とは立派に外(はず)れている。

その「擬似生殖」の相手が恋人だったり夫婦だったりするのだが、理屈で言えば、どうせ生殖目的無しの「遊びのプレィ」としての性交なのだ。

遊びが前提だから、性交相手の範囲をプレィ仲間に広げて大胆な性交で遊んでも、遊びは遊びである。

まぁ、人間は元々判らない生き物で、表面からは裏の非日常の場面では何を犯って居るのかまではどうせ想像など出来ない。

大人(おとな)なら、恋と性愛の違いくらい承知していて、馬鹿者は利口者振るが利口者は会心の洒落(しゃれ)か喜劇で馬鹿な振りが出来る。

それで理屈の上では、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)やマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)のソーシャルセックス(社交的な性交)が成立する。

人間の想いなど不思議な物で、同じ事でも悩んでしまえば大変な事で、堂々と「何でもない」と思えば、それは「何でもない事」である。

つまりそれらは特別な事では無く、時と場合、条件が一致すれば、「その遊びのプレィは、誰にでもアクティブ(活動的・積極的)に犯る可能性がある」と言う事である。

そして人間の脳は、一度強烈な快感の味を占めてしまった性癖は、「抑えよう」と想っても中々抑えられない。

何しろその時に得た尋常では無い快感を思い出すと、涎(よだれ)が落ちそうになるほどの執着(しゅうちゃく)を感じるものだった。


ミッチリ仕込まれた愛奴隷が性接待してこそ、クライアント(得意先/顧客/依頼人)は濃厚な性行為が堪能でき、そこに価値が生まれる。

愛奴隷としてアベソルティオベデンス(絶対服従)と言う合意の中で指図(さしず)されれば、それは相手の性癖を満足させる為のエグゼクティブ(高級・贅沢)な愉しみである。

表面的な偽善社会の世論感覚からすれば、性接待のソーシャルセックス(社交的な性交)は大いに羞恥心や罪悪感を感じる行為である。

しかしもぅ妻・里美は女性(おんな)として覚悟を決めたからこそ、モチベーション(犯る気)を証明する為に柔らかそうな肌の全裸で此処に居る。

要領も判っただろう二度目の輪姦プレィでは、犯らされる里美も淑女の仮面を脱ぎ捨ててプレィをテンポ良く熟(こな)し観せ、モタツキなどは赦されない。


再び、岩代宅の二階だった。

岩代が使って居る学生達との二度目の輪姦(まわし)が用意された。

例に拠って妻・里美は目隠しマスクに全裸で拘束され、岩代から「足は閉じるな。」と命じられて布団に転がって居る。

「押忍、来ました。」

前回と同じ様に、また階下から多人数の声が聞こえて来た。

「おう、支度が出来ているから、早く上がって来い。」

「押忍、失礼します。・・押忍、押忍、押忍。」

また、若い声がゾロゾロと来訪を告げる。

例の学生メンバーに、アベソルティオベデンス(絶対服従)と言う合意の中で目隠し拘束で遊ばれるのだ。

岩代が下から聞える学生達の声に応えても、妻が生々しい陰部を晒(さら)して広げた足を、固まったように閉じない所を見ると、命じられている事を破る意識は無いようだ。

この世に生まれた幸福をエンドレスに感じる絶叫悶絶の快感に、偽善社会の罪悪感も吹っ飛ぶ究極の心地良い疲れは理屈を超越していた。

「あの犯され続ける時間がまた遣って来る」と想うと、次の誘いを心待ちにする妻・里美がそこに居た。



もぅ二度目だから、二階に上がって来た学生達に岩代がいきなり「構わないから好きにトットコ犯れ」と声を掛けた。

一人十分間から十五分間、五〜六人ごとに十分間のインターバル(休憩時間)を加え、妻・里美は十二人の相手をこなして凡(およ)そ三時間前後の生ライブだった。

取り囲んだギャラリーの男女には、手を伸ばせば絡み合う男と妻・里美の肉体(からだ)に触れられる程の至近距離である。

欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せるこの見世物状態を、西洋ではサーカス(群集が取り巻いて見下ろす見世物)と言う。

夫である私の目の前で、全裸の妻・里美が学生にに乳房を握(にぎ)り掴(つか)まれ、揉みしだかれ、M字開脚をさせられて股座を晒(さら)している。

ストリップ・サーチ(全裸検査)は、愛奴隷の引渡しやSMプレィの基本の様式で、委(ゆだ)ねられる肉体(からだ)の「品定め権の行使」みたいなものである。

晒(さら)した股座の肉花弁を指で広げられてスリットの中を観られたり、笑いながらスリットの中に指を入れられて弄(なぶ)られている。

全裸体の妻・里美を左手で抱きかかえて、ギャラリーに良く観える様にM字開脚で股を開かせ、右手の指二本を妻・里美の大股開きの中心にズブリと挿し込む。

妻・里美の太腿(ふともも)の眩(まぶ)しい大股開きの中心を、二本指をクィクィと抜き挿しをして攻めたてる。

妻・里美は、ギャラリーの注目が集まる股間を少し浮かせ、「アゥ、アゥ」と善がり声を挙げて健気(けなげ)に指の抜き挿しに耐えている。

指攻めに股間からクチャクチャと言う愛液音を発しながら、妻・里美の腰は艶(なまめ)かしくクネリ、時折ビクンビクンと動いて激しく反応して見せている。

抽入された指二本で膣中をディスターブ(掻き回す)され、妻・里美は猛烈な快感に上半身を海老ぞりに反り返り、腰をビクンビクンと痙攣(けいれん)させる。

例え指で攻められても、感じ始めれば「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声も出て来るし、腰もリズムを合わせて使い始める。

妻・里美は、わめく様に善がり声を挙げ、のけ反(ぞり)りながら腰を浮かし、身震いして快感反応を露(あらわ)にして居た。

それが続いて、妻・里美がもう耐えられない風情で腰を引き脚を閉じようと試みるので、学生が抜き挿しを止め、指を肉体(からだ)から抜かれて、やっと妻・里美はホッとした表情を浮かべた。


次は全裸の妻・里美が白い尻を掲(かか)げて這いつくばり、目を怪しく光らせたゲストに双っの尻肉を左右に広げられてア*ルの菊座と肉花弁のスリットを晒(さら)している。

快適なプレィは、おシヤブリから始まる。

全裸で膝間着(ひざまつ)く妻・里美の目の前に、抜き身の名刀(欲棒)が学生の股間にポロリとぶら下がっていた。

その名刀(欲棒)を、妻・里美が利き手で握って扱(しご)き始め、ムクムクと反応が始まった。

妻・里美が手で扱(しご)いていきり立った学生の欲棒を、上から被せる様にして親指をカリ首に廻し、軽く握って手の甲を腹に充てる様に欲棒の裏を顔に向ける。

妻・里美は、その欲棒の「裏筋(うらすじ)」を、鼻を擦(こす)り着けながら舌先を使って舐(な)め挙げ、玉袋も舌先で舐(な)め挙げて来る。

頃合を見て、妻・里美はその裏筋(うらすじ)舐(な)めで握って居た手を放し、パクリとカリ首ごと欲棒を咥(くわ)え、クィクィとシャブり始めた。

妻・里美の口技に身を委(ゆだ)ねた学生の顔は、そのまま極楽を彷徨(さまよ)っている。

シャブられて欲棒が硬さを益せば、次は妻・里美への抽入と抜き挿しで、学生は、上にさせたり下にさせたりと思い思いの体位で、妻・里美との性交を愉しむ。

始まってしまえば、相手は代われど妻・里美には二時間や三時間は「犯られっ放し」と言うか「犯りっ放し」と言うか、ともかく絶頂(イク)が継続する過酷な他人前(ひとまえ)性交ショー状態が続く。


シュール(非日常的)で衝撃的なプレィ光景が、固唾を飲む周囲のギャラリーに良く見えていた。

全裸の妻・里美が四つん這いに尻を高く掲げた姿勢をさせられて、後ろから眺めるとア*ルの菊の蕾(つぼみ)が恥ずかしそうに皺(しわ)を見せている。

そのア*ルの下部、柔らかそうな肌の太腿(ふともも)の付け根に、こんもりと二枚の肉の花びらが「触れてくれ」と怪しく男を誘うように左右から閉じ気味に割れ目を見せている。

今妻・里美の肉体使用権を得ている男が、右手を開いて中指で二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて柔ら壺に挿し込み、クィクィと抜き挿しして攻め始める。

「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」

攻められた妻・里美が善がり声を挙げ、腰を震わせて反応を始める。

指攻めの反応に興奮したのかその男が硬く張り詰めた自分の欲棒を左手で握り締めて四〜五回扱(しご)き、その欲棒のカリ首を妻・里美の割れ目へ二〜三度擦りつけてグィと挿し込んだ。

四つん這いに左右に開いた妻・里美の太腿(ふともも)の中央に、その男の欲棒がズッポリと嵌(はま)った。

後背位で生々しく嵌(はま)った欲棒が、男の腰の動きに応じて愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら抜き挿しされている。


その後も妻・里美への学生達の輪姦は続き、今妻・里美は、脚を床に踏ん張った騎乗位で欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せながら、乳首が立った乳房を上下に揺(ゆ)らし、腰から上半身を上下させている。

すると、仰向(あおむ)けに横たわる男の愛液に濡れ光る陰茎が、妻・里美の上半身上下に合わせて見え隠れしている。

ギャラリーの女達から「ハッスル、ハッスル」の囃子立(はやした)てが起こり、その掛け声に合わせる様に妻・里美の腰の上下が激しくなる。

腰の上下が激しくなった妻・里美は、「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声を発しながらリズム良く腰を上下させ、ギャラリーの期待に応える。


学生達の輪姦(まわし)が始まってしまえば、京香にシャブらせながら列を作って順番待ちの学生が並ぶ。

学生達は、里美の両膝に手を置いてパカッと脚を左右に開き、遠慮も無く股倉に欲棒を抽入して来る。

欲棒が中に納まると学生達は、抽入した欲棒を「此処ぞ」とばかりに気分を高めてピッチ良く攻撃的にグィグィと抜き挿しして里美を攻め愉しんで来る。

パカッと開いた股倉に怪しく欲棒を咥(くわ)え込んだまま、里美が会心の受け腰でクィクィと応戦して観せている。

その攻撃が、里美が被っていた淑女の仮面を脱ぎ捨てさせ、気取を捨て去ってしなやかに軽快にあられもなく裸身を弾(はず)ませいる里美が、そこに居た。


妻・里美の肉体(からだ)の中心に、やっと順番が廻って来た学生の欲棒が挿し込まれ、クィクィと腰の動きと共に陰茎が見え隠れしている。

学生の欲棒を咥え込んだ腰も、妻・里美の口から漏れる「ハッハッハッハッハッハッ」の連続音と共に受け腰で応戦している。

妻・里美の左右に開いた太腿(ふともも)の中央に、二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて生々しくズッポリと嵌(はま)った欲棒が、愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら激しく抜き挿しされている。

妻・里美の快感が強くなったのか、暫(しばら)くの間、「アァー、イクー、アァー、イクー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と言うけたたましい妻・里美の絶頂の善がり声が会場中に響いていた。

正直輪姦(まわし)の場合は、攻める順番で言えば「先に二〜三人に犯られてイッ(絶頂)た後」の女性の方が肉体(からだ)の感度が上がっていてヒィヒィもので、犯るのが堪(たま)らなく面白い。


一人犯り終わると、まだ前の学生の欲棒が引き抜かれたばかりで湯気が立っているような里美の股間に次の学生の欲棒が続けて突き入れられ、また抜き挿しが始まる。

里美が歯を食い縛って乳房を躍(おど)らせ、渾身(こんしん)の受け腰使いで学生の抜き挿しに素直(すなお)に応じ犯る。

ガチの性交バトルが続くこの圧倒的な刺激的マラソン性交プレィを、世間はどう受け止めるべきか?

その歯を食い縛った里美の口から、「ウゥ、ウゥ、ウゥ。」と叫び声の様な善がり声が漏れて、取り囲み観るギャラリーの加虐心を満たす。

大勢の学生達に犯され続ける女がどう言う反応をするのかを観る愉しみは、至近距離から性交ライブ(実演)を観る私の醍醐味である。

妻・里美は、もはや許容範囲を超えたセックスハイの陶酔(とうすい)の中で無意識に歓喜の受け腰を使い、女を曝(さら)け出して快感を貪(むさぼ)って居る。

妻・里美に求められた恥女としてのマラソン性交プレィを採点すれば、かなりの高得点が与えられるであろう渾身(こんしん)の大奮闘である。

やはり妻・里美は、岩代に拠って肉体(からだ)に覚え込まされた、アベソルティオベデンス(絶対服従)の「高機能性交マシンに調教された」と言って過言では無い。

欲棒を挿し込まれ、白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら、股間で生々しく繋がっている妻・里美の学生相手の輪姦性交は続いている。

このマラソン性交プレィの状況からすると、今はまだまだやっと折り返し地点を廻ったくらいで、激しい性交ライブ(実演)プレィのゴールまではまだ程遠い感覚だった。

イク(絶頂)に達したのか、妻・里美は肩を震わせながら上半身をガクンガクンと大きく揺(ゆ)らしているが、股間を串刺しにした欲棒の抜き挿しは容赦なく続いている。

襲い掛かる人数を熟(こな)し続けて妻・里美は相当体力を消耗しているが、ここは気力で乗り切るしかない。

只、この疲労困憊(ひろうこんぱい)の時機に、ランナーズハイ・と同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に見舞われ、妻・里美の味方に成る。

妻・里美は、終わらない性交ライブ(実演)の被虐快感に悶絶し、痙攣(けいれん)しながら堕ちて行く。


妻・里美の肉体(からだ)は、その感度が上がった状態で次の訪問者の男性を迎えた。

しかしその内、妻・里美の肉体(からだ)から「ガックリ」と力が抜け、「だらり」と動かなく成った。

「奥さん、気を失ったみたいですね。まだ予定の人数の半分も行っていません。このまま続けましょう。続ければ、その内に気が付きます。」

「判っている。構わない、続けさせよう。」

妻・里美がこう成ったのは私のせいで、「気絶したから」と言って赦(ゆる)されないから、そのまま犯らせて見守ってやるしか無い。

目の前で、妻・里美がぐったりと動かなく成ったまま、男達が入れ替わりながら壮絶な陵辱を受け続けている。

何しろ輪姦(まわし)に馴れた男達が相手で、男がパンパンパンと突き入れる度に、妻・里美の乳房が上下し、肉体(からだ)がガツン、ガツンと波打って見える。

その状態が三人ほど続き、再び妻・里美が息を吹き返し、「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と善がり始めた。

再び恍惚の表情を浮かべて、妻・里美が「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声を上げ始め、またクライマックス(絶頂)に達したようだ。

妻・里美のクライマックス(絶頂)の悲鳴も一度で終わらず、この輪姦性交ではもぅ何度と無く聞こえていた。

それにしてもあれだけ善がっている妻・里美を観ると、この輪姦(まわし)を「可哀相(かわいそう)な事をさせた」と同情して良いものかどうかも疑問になる。


学生のクィクィ言うと腰の動きに応じて、「アッアッアッ」と妻・里美の喘(あえ)ぎ声とハァハァと荒い息の呼吸が他人前(ひとまえ)にも抑(おさ)えるでもなく漏れている。

快感を貪(むさぼ)り始めたらもぅ止まらず、そのまま容赦無(ようしゃな)くイカされ続けて学生達は二回(ふたまわ)りに入(はい)り、やがて妻・里美は絶叫する。

その妻・里美の肉体反応を、夫の私が岩代の妻・京香に欲棒をシャブらせながら目をキラつかせて観ている。



実際の所、私は岩代の提案には半信半疑だったのだが、まるで狐(きつね)に摘(つま)まれたように、上手く行ってしまった。

それは岩代の計算の内だったのか、それとも奴の中に「不思議な力でも有る」と言うのか?

岩代の巧(たく)みには正直舌を巻いた。

それにしても、岩代の格好良さは、有る面かなりズルイ。

「あれが出来れば」と、男として嫉妬した。

「危なっかしい」と思った時は、「危険な橋を渡った後だった」と言うのが、人生である。

それに気付くのは、興奮が冷めて現実を見せ付けられた時である。

この、妻の巻き込み成功が、私達夫婦の大きな転換期だったのだが、私にはまだ、その認識がまるで無かったのである。



岩代に言わせると、人間は多面性の生き物だから理性が邪魔するだけで、他の欲求も持ち合わせている。

自分を納得させるだけの理由が有れば、理性に言い聞かせてでも「肉体の感応を貪欲に貪る様になる」と言うのだ。

「奥さん(里美)には、会社を興す為と言う理由が出来たのです。」

「それで内の奴は、興奮する為の状況と思いの味付けにも、自分の理性に言い聞かせられると言うのか。」

「試せば判りますが、後はもう抗(あらが)っても格好だけで、強く言えばウンと言います。」

「そんなものかナァ・・・」

岩代のこの自信は、いったい何処から来るのか?

まったく、若い割には女の事に詳し過ぎる奴だ。

しかし私としても、あんな内の奴(里美)のSEX反応は初めて見た。

また、夕べの妻の痴態が脳に鮮明に浮かんで、私の意識をHモードに持って行く。

他人に抱かれる妻の姿を見る事は、確かに、強烈な興奮を得られる。

たまにはあぁ言う善がり狂う妻を見るのも良いだろう。

「判った、君に任せて様子を見る。」

「念を押して置きますが、こう言う場合、奥さんの事は休む暇を与えないで、SEX漬にして一気に追い込むのがコツですょ。」

岩代が自信満々に言い、「奥さんは磨(みが)けばまだまだ行けますよ。」と付け加えた。

「まだ行けるって?」

「近々、ア*ルと吊りも出来る様に仕込みましょう。」

世間知らずの妻にとって、ア*ルSEXは究極の性行為で有る。

それを、岩代は事も無げに言った。

「そこまで犯らせるのか?」

「それくらい犯れなくてどうするのですか?居るのですよ、接待するなら結構そう言う遊びを犯りたがる人が・・・それを仕込めば、美人の奥さんは貴重な戦力になります。」

それは確かに、ア*ルSEXをしたがる男は多いだろうが、それはあくまでコッチ(男性側)の都合である。

接待の話が「進んでいる」とは言え、「直ぐにでもア*ルSEXを仕込もう」と、妻の意志は全く無視である。

「だがなぁ、余りキツイ事は内の奴にはどうかなぁ?」

「甘いですね。何事も、中途半端は意味が無いですよ。所長は心配には及びません。女性は感性の動物だから、上手く犯らせればSMでも出来る様に成ります。」

簡単にそう言われても、そりゃあ想像出来ない事である。

第一里美は岩代の細君ではなく、私の妻である。

勝手に決められたようで「ムッ」とした。

しかし、正直そんな妻の姿を見てみたい思いも、私に無い訳ではない。

妻にア*ルSEXを仕込むと言う事は、「私も楽しめるように成る」と言う事である。

男として関心がある上に、それが妻の事と成ると、尚更期待感も湧いて来るから、人間の心は複雑だ。

次々に岩代が繰り出す卑猥なアイデアは、根がスケベな私には、引き込まれて無視出来ない。

「そんなに上手く行くかなぁ?」

「大丈夫、大丈夫、もうこれで追い込んで行けば、奥さんはには何でもさせられます。」

「内の奴に何でもさせるって・・・?」

「社長、奥さんは接待要員を引き受けたのですよ。性玩具(おもちゃ)に成りきって貰いますから、社長も承知していて下さい。」

「しかし、どう言って仕込む。」

「もう竹中さんに頼んであります。出資する一億円の現金を目の前に積んだ所で、先に京香にさせますから。一週間後には覚えて来る様に奥さんに宿題を出してもらいます。」

「なるほど。」

「後は三人で腕によりを掛けて、奥さんを仕込みましょう。所長、愉しみが増えたでしょ。」

岩代は、私の心の中まで見通している。

恐ろしい程だ。


男性に独占欲が在る所から女性の淫乱症は敬遠される為、女性は駆け引きで一見「性」に関心が無いようにして居る。

しかし現実には、女性に「性」の関心が無い訳がない。

人間として子孫を為す本能があるから、女性にも男性に負けない秘めたる性欲が在るように出来ている。

本音の性本能がそうで、世の中再婚を繰り返したり浮気を繰り返すのだから、家庭崩壊のリスクが無ければ女性も安心して犯られ放題を愉しむ遊びの性交がある。

だから本当に性欲が無い女性は一種の病(やまい)であるから、一度医者に診てもらった方が良い。

そして、男女伴に「性」に興味が在っても、観て興奮する男性と魅せて興奮する女性、元々男女の資質と役割に少し違いがある。

男女に資質と役割の違いがあるこそ、こうした公開性交の「秘密の遊び」がワクワク感を持って成立する。

それは嘘が無い男女の生き様として、一瞬の煌(きらめ)きかも知れない。

そして、その「秘密の遊び」を犯った者でないと判らないが、一度その秘密の遊びを問題も無く犯れてしまうと癖に成るほど嵌(はま)る遊びに違いない魅力が在った。

あの時、皆の視線の中心に輪姦(まわし)終わるまで犯られ続けなければ成らない恥毛も二枚の肉花弁も露な素っ裸の妻が、眩(まぶ)しく見えて居た。

他人前(ひとまえ)で恥ずかしい性交を犯らされて妻は羞恥心に燃え上がったが、羞恥心も陵辱の極限を突き抜ければ快感に変わる。

その女性から雌に変わる本能の微妙な機微が判らないと、この陵辱のヒロイン感覚の本質は理解できない。

妻は私の了解も得ずに、接待要員を引き受けていたのだ。


「あの晩、奥さんに輪姦(まわし)を犯らせると聞いて居ったが、首尾はどうじゃった?」

竹中氏に声を掛けられ、その脳みそを溶かすように卑猥なあの情景が、突然にフラッシュバック(体験が明確な感覚)として脳裏に浮かび、思い出される。

正直けして嫌な記憶ではなく、それを思い出す度にアドレナリンが脳内に噴出して、また犯られたくなる。

「知って居らしたのですか?」

「それは前もって聞いていたさ。奥さんの調教は今後どうしても必要だからな。」

ベータ・エンドロフィンは脳内麻薬(快感ホルモン)であるから、その体験は脳に記憶された好感覚となる。

「はぁ最初に岩代が裸に剥(む)いて、縄で縛(しば)いて床に転がしてから始めたので、想ったより順調でした。」

「そうかそうか、女性は始めてしまえばそう抵抗は無いのでな。」

「始めてしまえばそう抵抗は無いのですか?」

「あの極楽を、一生味わえない女性が多いからな。勿体無い事だよ。」

竹中氏が、真顔で呟(つぶや)いた。

「あぁ、女性は元々そう言う事が出来る機能と下地を本能的に持っている。」と竹中氏が、ある学説を話し始めた。

こうしたソーシャルセックス(社交的な性交)の遊びをするのは、何も特別な女性では無く極普通の女性が状況次第で幾らでも覚えて犯るものである。

そしてその資質は、「どの女性にもある」と言う。

変態的に弄(なぶ)られる羞恥心は脳内にアドレナリンを噴出させ、脳内物質分泌ホルモン・ベータ・エンドロフィンが生成される。

現代日本人の倫理感覚では、「夜這い婚」の一妻多夫形態など到底理解できないかも知れないが、実は「種の保存」を優先する自然界では人間の生殖倫理の一夫一婦制の方が異例である。

いささかタブー染みた情報であるが、一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、霊長類の基本的な生殖行動は「群れ婚」である。

チンパンジーの雄(オス)達は一頭の発情期の雌(メス)に順番に群がり、雌(メス)は一日に何頭もの雄(オス)と交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、雌(メス)が依り強くて優秀な精子に回(めぐ)り逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。

これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、雄(オス)雌(メス)の生殖機能には目的に添った違いが在る。

当然、雄(オス)の方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、雌(メス)の方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての現生人類は、「確実な種の保存の為」に本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。



竹中氏の評価で、妻・里美の接待性奴隷としての女体使い心地鑑定は合格である。

岩代も竹中氏も、新会社の社長は「私に成ってくれ」と言う。

給料も私が七十万円、自分らは四十万円で、「当初会社を始めれば良い。」と言う。

妻の里美に三十万円、細君には二十万円の給料を、「役員として出す」と言う。

馬鹿に私達に分が良いので、「それじゃあ、こっちばかり良くて申し訳ない。」と言うと、「その方が、奥さんを犯る気にさせる理由になるでしょう。」と笑った。


そりゃあどんなに頑張ってもやっと税込み支給額が三十万円、諸々引かれて手取りが二十四万円そこそこの者が、支給額百万円になるなら、「妻もその気に成る」と言うものである。

こりゃあもう、妻は素っ裸にされて吊るされ、ア*ルを犯されたも同然だった。

「この計画書を持って竹中さんの出資金を受け取りに行く、そこで、もう少し奥さんにこれを覚えろと宿題がでる。どうでしょう。」

「なるほど、あそこまでさせたのだから、今更後戻りはしないだろう。」

「女性は自分に言い聞かせると言うか、自分を騙せる理由さえあれば、結構何でも出来るものです。それも、言われたからではなく自分で判断した。と言う形で。」

「そうか、それでこちらが要求しても拒むのか。」

「つまり本人が、そうする事が必要だと思えば良いのです。」

人間誰しも、命令されて素直に言う事を聞くのは、安っぽい抵抗感がある。

所が、後で理性的に考えると抵抗した事が、マイナスでしか無い事が多い。

抵抗感を持たせないで行動するのは、本人が決める事である。

つまり「そうする事が必要だ」と理性的に思わせる段取りをして、本人に決めさせる手法が一番良い。

それなら納得ずくで、無理と思う事でも自分の意志で何でもする。

女性にとって、必然性があればそれでどうにでも変化させられるのが、女性で有る。

受身の様で、そうではない選択を持っているのが実は女性で、けして男の玩具(おもちゃ)ではない。

そこには、「納得」と言う必然性が付きまとう。

絵本のメルヘンを標榜しながら、「打算」はとても男性の比ではない。

そんな女心を、岩代は神のごとく把握している。

一見男性の言う事を聞いている様だが、納得して初めてそれは為されるのだ。

普通に生きて来た女性がアンカリング効果ごと変わる為には、相当インパクトがある出来事の体験で、型に嵌(は)める事が必要である。

後で考えれば、行き成り学生達と妻に輪姦(まわし)をさせたのも、岩代にはその辺りの効果の計算が有っての荒療治だったのかも知れない。



私はその会話の後、底知れない岩代の能力を目の辺りにした。

彼の喧嘩(けんか)強さは、並大抵ではない。

「おぃ、お前ら。最近チョロチョロと目障りだ。内の会社が絡んだ物件に手を出すな。」

同行営業の名目で二人で外に出、地上げ交渉がてら街を歩いていて、偶発的に例のやくざがまいの地上げ屋三人組に遭遇した。

それが、「競合する地上げ物件の仕事から手を引け」と脅して来たのだが、岩代は一歩も引かない。

そして、「ひと騒ぎ有つた」のである。

見るからに威圧的な服装と態度で、「礼儀を教えてやろうか。」と、いきなり凄んで見せたのだが、岩代は涼しい顔をして「こちらも仕事ですから」と応じた。

「何を〜ぅ、このやろう。」

相手は毒付いて、挙句の果てに殴り掛ったが、三人とも岩代に触れる前に吹っ飛んでいた。

一瞬の事で、吹っ飛んだ連中は、三人とも倒れたままキョトンとして岩代を見ていた。

緊迫した場面だったが、彼らの表情は間抜け面(つら)で、私には滑稽(こっけい)だった。

そして岩代の技には「何だ今のは・・・」と、私驚いた。

私が見る限り、岩代は人差し指一本で相手を倒したようなので、聞いて見ると「気で倒した」と言う。

「イテ、テテ、野郎これで済むと思うな。」

気付いて立ち上がった相手の三人組は、酷く怯(おび)えて後ずさりをし、距離が出来ると決まり文句の捨て台詞を吐いて、振り返らずに走り出した。

意外とあっけ無かったが、相手が逃げて「決着が付いた」と言う事である。

私に取っては、始めて見た迫力物の生ライブの立ち回りだった。

奴らはスゴスゴと引き上げたが、私も内心、岩代の口だけでない凄さに舌を巻いていた。

奴らを「やくざまがい」と言ったが、どうやら「企業舎弟」と言われる連中で、堅気の看板を上げてはいるが、裏に回れば「金看板」と言うところだろう。

奴らは関東一帯に勢力を持つ暴力団の組織、「龍信会」系の下部組織に裏で所属する企業舎弟・坂元が経営する地上げ屋で、その強引さは定評がある。

彼らにとっても、強引な地上げは美味しい飯の種だったのだろう。

こちらの立ち回り先にも、力づくで絡んで来て、以前から手を焼いていた。

巷(ちまた)の評判は悪いが、結構大手のデベロッパーが「そ知らぬ顔」で使っているのだから、世間の建前と本音は、明らかに違う。

企業舎弟・坂元は、高利の街金(消費者ローン)も併営していて、そちらの方も取立てが熾烈で評判が悪い。

岩代はそうした背景を知ってか知らずか、その坂元一派と折に触れて事を構える事に成った。

その筋相手で、その後も二〜三度似たような事が有ったが、まるで恐れを知らないかのような態度で、冷静に対応し、岩代が動くと何時も話が着いていた。

正直、私も「この男には逆らえない」と内心戦慄を覚えるものが有ったのである。

正直、温厚な雰囲気の岩代から、私が予想だにしなかった恐持(こわも)てが垣間見え、その岩代の別の一面に「たまげた・・・」のである。

彼の力量に一目置かざるを得なく成ったが、それほど怖いもの無しの彼が、私達夫婦を熱心に仲間に誘い、私を「盟主に立てよう」とするのかは、依然謎だった。

その謎が明らかに成るのは、まだズゥーツと先の話である。



その夜、私は会社から真っ直ぐ家に帰った。

別段何の予定も無かったからだが、妻のその後が気に掛かっていた。

私が家に帰っても、妻は昨夜の件は何も口にはしない。

最も娘が起きているから娘の話題を三人で少ししただけで、まるで普通に今までと同じなのだ。

それなら私も、昨夜の件は敢(あ)えて何も言わない積りで居た。

妻と娘のの話に合い槌(づち)を打ちながら、出て来たカレーライスを掻き込んだ。


何時もの食事が終わり、居間のソファーに座ってテレビを見ていると、妻は娘を寝かしつけて「あなた、お飲みに成ります?」と、妻がやけに明るく声をかけて来た。

「あぁ、飲もうか。」

「じゃ、ツマミをお持ちしますね。」

声を掛けて台所に行き、昼間買って置いたのか、鯵の刺身と焼酎のお湯割を持って来た。

姿を見て驚いた。

妻の里美は、完璧な全裸だった。

里美の均整が取れた全裸体が眩(まぶ)しく、乳首が立った二つの乳房、曲線を描いて括(くび)れたウエスト、チャーミングな臍(へそ)を堺に下半身に続く。

恥毛が密集する柔らかく丸みを帯びたなだらかな恥丘の先に、実(サネ)と呼ばれる花芯ボタン、その下に二枚の肉花弁に囲われて縦に割れるスリットが、里美の股下に潜り込む様に見えている。

「いやに景色が良いな。」

「岩代さんに言われたのです。今後の為に、裸で奉仕する事に慣れて置きなさいって。」

妻は、照れくさそうに全裸で現れた訳を行った。

裸で奉仕する事に「慣れる」と言う事は、例え変態行為を求められる事でも、この新しい人生の試みを妻としては「前向きに続ける」と言う事である。

かもし出す妻の淫(みだ)らで妖しげな表情は、妻がそう言う気分に成っている事を表していた。

他人に預けられてのSM調教やマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などの行為は、被虐感タップリで刺激的な行為である。

脳が欲しがる人間の感性なんてそんなもので、人間の遣る事だから一見奔放(ほんぽう)のようでもデタラメは難しく、油断すると秩序立ってしまう。

「だって竹中さんにお説教されたもの、男の闘争心は性欲と比例するんでしょ。仕事を始めようと言う時に、あなたの闘争心が減退したら困るもの。」

かすかにハニカんだ妻の表情が、印象的だった。

つまり妻は、新しい性交快感をそれなりに肉体的に納得し、それにもっともらしい理由を構築して遊びの性交ウエルカムの現状を見事に肯定してしまった。

妻の思いがけない行動で初めて判ったのだが、実は昨夜の非日常の興奮は持続していてあの輪姦(まわし)の強烈な快感の余韻を引きずっていたのだ。

この後続いた接待行為後も、妻は疲れて帰って来るのに不思議なのだが妻の非日常の興奮は持続していて、家に帰ってからも暫くの間は接待の余韻に浸って夫婦で性交し、互いの愛を確かめ合うのが一般的な日課になったのである。


慣れは、人の気持ちを変える。

つまり、基準は本人の物差しで、慣れた事には抵抗感は無い。

岩代の「休む暇を与えないで、SEX漬にして一気に追い込む」と言う持論の実践効果は、覿面(てきめん)と言う訳だ。

いずれ妻は、細君のように平然と性接待を繰り広げる事になるのだろうか?

いずれにしても岩代は、「中途半端は駄目だ」と言う。

中途半端に調教すると、気持ちが「どっち付かず」に成って、場合拠っては気持ちが戻ってしまうが、気持ちが元に戻れないほど一気に「きつい経験」をさせてしまえば、それを基準にものを考える様になる。

私が何も言わずに飲みだすと、妻は黙言でソファーに座った私のスラックスのベルトを緩(ゆる)め始めた。

ベルトを緩(ゆる)め終わると、「少し腰を上げて下さい」と耳元で言い、腰を浮かさせスラックスとトランクスパンツをずりさげて足首から外し脱がした。

妻は足元に割り込んで欲棒を咥(くわ)え、シャブリ始める。

咥(くわ)えられると、口中にクニュッとした柔らかい肉の感触があり、それが舌の上で見る見る硬く成って、私のカリ首が妻の喉を塞ぐのが判る。

また、妻の裸身から甘い香りが立ち昇って来た。

「妻は、どう成っているのだ?」

気味が悪いほど素直で、凡(およ)そ今までの妻らしくない。

まるで岩代が魔法でも掛けたような、不思議な変身をしていた。

しかし、輝く女に変身した裸身の妻が、美しくそこに居て、私に不思議を感じさせる。

「おぃ、この良い香りは?」

「気が着きました。相手に失礼が無いようにと京香さんに教わったオーデコロンです。」

「うん、普段はそうでも無いのだが、里美が裸に成ると香って来る。」

「えぇ、このオーデコロンは香水の十分の一の成分ですけれど、特殊な加工で興奮すると香りが強く成るのですって。」

「そうか、興奮すると香りが強く成るのか。そんなオーデコロンがあるのだなぁ。」


あの輪姦性交の後、妻の態度が極めて従順に変化したにはそれなりの動機を持つ体感学習がある。

生物学的に種の保存に必要な性交は、それを促すように犯れば快感を得られるように脳にインプットされて居て、だから本来誰にでも性欲はある。

性交の快感は本来「非日常の快感」で、全ての日常を一瞬なりとも遮断する刺激的なものである。

日常生活でも非凡な刺激は在る事は在るが、生々しくドロドロしたアクシデントで、苦悩や恐怖そして絶望だったりして、心理的な悪しき苦痛ばかりでストレスの元である。

勿論、非日常のマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)は、妻にとって我を忘れてそれらの苦悩を吹き飛ばす快感の刺激だった。

そして連続性交に於いて、スポーツハイの快感から導かれる脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果と同じセックスハイ状態に導かれる。

これは興奮の中、デェスコや盆踊りを夜明かし踊った後のような快感に溢れた心地良い疲れも同じ脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果である。

まぁ妻は次々に代わり来る男達の欲棒を股間に咥(くわ)え、明らかに受け腰を使って抜き挿しに応じながら善がっていたのだから、今更その反応を隠し様が無い。

考えように拠っては、夫との日常定食セックスと違って非日常のそれは、望んでもチャンスが無ければ中々得られない豪華フルコースの贅沢セックスである。


私の左足が妻の肉体(からだ)の中心に位置しているから膝小僧に妻の乳房が当たり、左足の指先には計算されたように妻の股間の花弁が触れている。

柔らかい感触と伴に、妻の温もりが伝わって来た。

こんな事で感動するのは癪(しゃく)だが、以前の妻は行為の時でも頑(かたく)なに上半身の衣類を離さず、興醒(きょうざ)めしたものである。

暫(しばら)く熱心におシャブリを続けていた妻が、「お酒、おいしいですか?」と聞いた。

「あぁ、何時もより格段に旨いよ。」

「あなたに喜んでもらえれば、甲斐があります。」

妻の深い愛を感じた。

彼女は夫婦の枠組を放棄していなかったのだ。

里美は、このグロテスクな物を「口にする」などと言う事は、元々考えても居なかった。

そうした行為は、神聖な子作りの行為とは「関わりが無い」と考えていたからだ。

それ故に、例え夫が要求しても、その不潔な物を「口にしろ」などと言う夫が、「かなり異常だ」と解釈していた。

まぁ、SEXに関して、「正常な女は慎み深いものだ」と、信じていた。

しかし、その建前があっても、皆、何食わぬ顔をしてSEXをしている矛盾は感じていた。

その辺りのモヤモヤが、漸(ようや)く晴れた気がする。

愛は魅力的なものだが、どうやら束縛の道具にしてはいけないものらしい。


正直強烈な体験でしたが、世の中には体験して初めて知る事は無数にあります。

「私にはそんな事は犯れない」、「嫌だ」は、あくまでも気分の問題で、犯って確かめた訳ではないのです。

知らない世界を、犯っても見ずに想像だけで否定し続けるだけでは、凡そ知的な対応とは言えないと知りました。

犯って見ないと判らない事を、想像だけで「嫌だ」と決め付けて良いものでしょうか?

そして犯るのであれば愉しむ気で掛かるべきで、自分で気分を抑えてもろくな事は無いと思えます。

勿論(もちろん)私(里美)は、こんなに多くが見守る中で輪姦(まわ)される様子を披露するなどフアーストトライ(初めて試みる)です。

でも、これはオンスケ(予定通り/オンスケジュール)なのですから、今更嫌な顔をするような見っとも無い真似は出来ません。

この試練は、私(里美)にとって愛奴隷になる為のアジェンダ(課題・議題・目標)であり、トライアウト(適性実技試験)でもありました。

岩代夫婦にとってはリマインド(念を押し/確認)だったのでしょうが、合意の上でアプローチ(迫る、接近する)するからには、「自分で気分を抑えてもろくな事は無い」と想ったのです。

気分を抑えようとしてもこの異様な雰囲気の中では、これから次々と男達に犯されると想うと想像しただけで興奮のドーパミンを脳内に放出させます。

目隠しされれば尚更で、相手の顔が見えない分意識は下半身に集まります。

そして現実に自分の女陰器に欲棒が抜き挿しされ始めれば、その贅沢な刺激に快感を感じてしまうもので、私(里美)欲棒を咥(くわ)え込んだ腰は思わず自然に動いていたのです。

後はとにかく、男達に次々に輪姦(まわ)されるその「止まらない絶頂の連続」と言う強烈な性交の快感の中で私(里美)の理性はフッ飛びます。

只の淫乱な雌と成った私(里美)はもう、股間に抜き挿しされる欲棒の隙間から愛液を垂れ流し、善がり声を張り上げながら涎(よだれ)を垂れ流し、受け腰を使って快感を貪(むさぼ)ったのです。

あの赤裸々な姿を見せてしまった夫に、今更カマトト振っても仕方ありませんもの。



どうやら【左脳派人間】の妻の【右脳】はこの突然の独立話を切欠に行き成りこじ開けられ、抑圧から解放されて暴発した感がある。

何しろ、今まで感じた事の無い性的快感を経験させられた。

それで、憑(つ)き物が落ちて、目から鱗(うろこ)が取れた。

実の所、「すごく気持ちが良かった。」のだ。

こうした夫婦揃っての性体験は、けして夫の為だけではない。

犯って見れば、相手が誰であろうとも女の肉体(からだ)は感じる。

妻とすれば自分自身も快感を味わった。

それは他人(ひと)の愉快の為に性交を犯られて不愉快な思いをするのは、誰だって自分が可愛いから御免(ごめん)である。

しかしそれも自分が可愛いからの気分の問題で、もしかしたら不愉快はネガティブな思い込みに過ぎない。

自分が可愛いから「自分の為の愉快な事」とポジティブ考えれば、性交を犯られても「不愉快ではない」と納得が出来る。

いずれにしても神の与えた「快感」であるから、それを「気持ち良がって」も何人も非難出来ない。

今は、過去に拒否した夫の要求が、「その為のものだった」と理解出来た。

単純に、肉体(からだ)の感覚は建前に拘らず、夫婦互いに楽しむ気持ちに、考えを切り替えれば良い。


「私、考え違いをしていました。」

やっと、妻は昨夜の事を話題にし、胸の内を吐露し始めた。

妻は、昨夜岩代におシャブリをしながら、「岩代から教えられた」と言う。

「貴方に私を信じて居てもらいたいから貞淑にしていたのに、貴方にまで貞淑にしているなんて、間違いでした。あなたには娼婦でなければ行けなかったのですね。」

「そうだよ、それがズ〜ッと不満だった。」

「嫌だわ、何をニヤついているのあなた。岩代さんの所で犯(させ)た私(里美)の恥ずかしい格好を思い出しているのでしょう。このスケベ。」

「お前こそ、俺の言う事は聞かないで、他人(ひと)の言う事は何でも聞いて犯るくせに。」

「良〜ぃわよ、今度からあなたの言う事も何でも聞いて愉しませますから。」

性を達観(たつかん)したのか解脱(げだつ)したのか、別人の妻がそこに居た。

それを「大人(おとなに)に進歩した」と喜ぶべきか、「ふしだらに堕落(だらく)した」と批判するべきか、それはボールを投げられた夫のキャッチ次第(しだい)と言う訳である。

「私、これからは努力して、貴方に旨(お)いしいお酒を飲ませなければ・・・・」

妻は、そう言ってまたシャブリ始めた。

プリッとした妻の唇に包まれて、私の陰茎が見え隠れしている。

「そうしてくれ。」

妻のこの怪しく魅力的態度には、正直感動した。

私の欲棒の張り詰めたカリ首が、ヌメヌメと妻の唇に弄(もてあそ)ばれ、快感で酒が進む。

何時の間にか、妻におシャブリのテクニックが着いていた。

「学習の効果」と言う奴なのだろう。

もっとも、あれだけの事を私の前で犯られて妻の里美も今更純情振る事は出来ないだろう。

とにかく性的刺激を求めるのが性交だから、輪姦(まわし)を犯られてしまえば犯ったそこまでが妻の里美の基点になる。

それ以上にエスカレート(段階的に増大又は激化する)しなければ、周囲も里美本人も満足はしない。


暫(しばら)くおシャブリをすると妻は台所に立ち、お湯割のお代わりを作って来て手渡した。

そして今度は向かえ合わせに身を乗り出し、私を跨いで欲棒の先を股間の導いた。

ザラッと言う恥毛の感触と、クニュッとした二枚の肉花弁の柔らかい感触がカリ首先を通して伝わって来る。

的(まと)を探し当てた妻が、自分の手で花弁の中へ導くと、ニュルリとした感触と伴に中に納まった。

妻は、「アッフン」と耳元で声を洩(も)らし、両足を踏ん張って腰を上下し始めた。

「気持ち良いですか?私こうしていますから、旨(お)いしいお酒を飲んでいて下さい。」

「あぁ、これじゃあ、外で飲むのがバカバカしくなる。」

私が呟くと、「私、がんばりますから、独立を成功させてください。」と言った。

妻・里美の性交に関する不倫感や堕落感は環境に植え付けられたものであるから、本来その観念が「絶対に正しい」とは言い切れない。

要は性的な倫理観は精神的縛りであるから、他に立派な思想思考があれば囚われずにその精神的な縛りは薄れて来る。

驚いた事に里美は、究極の羞恥心の中で全ての意志を放棄した性玩具(おもちゃ)としての被虐感(ひぎゃくかん)が自分(里美)の脳みそをトロケさせるのを感じていた。

愛奴隷の快感を肉体(からだ)が体感してしまえば、もうこの究極の羞恥心と背徳の快楽は止められない。

一つの価値観が崩れ去れば、新しい価値観で生きて行くしかない。

凡そ考えられる性行為を一気に犯ってしまった妻にして見れば、性行為に変態(へんたい)・卑猥(ひわい)などの線引きは無く、どれも行為の一部に過ぎないのだ。

平凡な人生が、突然刺激的なものに成ったのである。

人間誰でも、鬱憤(うっぷん)が溜まれば暴発する事もある。

妻がこう言う密やかな遊びに嵌(はま)れば、或いは積もって行く鬱憤(うっぷん)の良いガス抜きかも知れない。

「あぁ。」と言いながら、私はお湯割りをすすった。

それ以上一連の出来事の事は何も言わなかったが、つまり妻は、「貞淑を捨てる覚悟を決めた」と私に言いたいらしい。

「あさっての朝、竹中さんが出資金を預けてくれるそうだ。またまた一緒に飲みたいとお前も隣の京香さんも呼ばれて居る。」

「そうですか、お仕事ですから今度はチャンとあの方(竹中)に機嫌良くして頂きます。」

「チャンと機嫌良くして貰う」と言う事は、つまり彼女の決心を置いて他に無い。

「何があっても、大丈夫だな。」

「今後はあの方(竹中)のお相手はチャンとするとお約束したのですから、私(里美)はもう大丈夫です。」

「また俺の前で竹中に犯られても構わない訳だ。」

「嫌ねぇあなた。私(里美)が犯られて居る所をジックリ見ていたんでしょう。」

「アァ、善がり声を挙げながら貪欲に腰を使う所をジックリ見せて貰ったよ。」

「あんな風に犯られている所をあなたに見られたら、今更、格好付けてももう仕方が無いじゃない。」

「それにしても結構激しい善がり声だったな。」

「私だって女よ、肉体(からだ)が感じれば乱れもするワ。」

「相手構わずか?」

「そぅ、あなたの期待を裏切れないし、肉体(からだ)が感じて気持ち良ければそれは相手構わずょ。」

「それで結構激しく、咥え込んだ腰をクィクィ使っていたのか?」

「あなたは犯られている私(里美)を見て愉しむのですもの、犯る以上は私(里美)は気持ち良く犯られて、愉しまなければ犯る意味が無いでしょ。」

此処での公開性交は、ギャラリーに結合部分を見せるのがルールだから、つい先ほど垣間見た妻・の欲棒を咥え込んだ腰が、卑猥にうごめく光景が脳裏に浮かんで来た。


確かに世の現実の問題として、ただ口先で「信用してくれ」だけでは何も相手には伝わらない。

別の群れとの融合や外部の者を迎え入れるに必要なのが、親密さを増すに必要な「互いの関わり方の質と量」の努力で、その究極の手段が倫理観や独占欲を超越した誓約の(うけい)の性交である。

習慣性がある物は、脳がその快感を記憶する。

喫煙のタバコの記憶から麻薬に到るまで、その快感の記憶を脳が呼び起こして要求するから中々止められない。

当然ながら、妻が体験したコレクティブセックスプレィ(集団乱交)も、数を重ねれば脳がその快感を記憶する。

人間の感性は算数ではなく、辻褄が合わない事をするから息抜きが出来る。

妻に染み付いた「世間の常識」とやらを逸脱したコレクティブセックスプレィ(集団乱交)の快感は、脳がリピート(反復)を要求するに足りる脳に焼き付いた快感である。

「お前、随分変わったな。」

馴染んでしまえば、結構妻に「抵抗感はない。」と言う事である。
Mbr> まぁ、自分の幸せだけ考えている者に周囲を幸せにする事は出来ない。

妻もやっとそれに気付いたようである。

シンプルに考えれば、性欲は「子孫を残す」と言う生物本能から始まっている。

従って、秩序をクリアとすれば性欲そのものを「恥ずかしいもの」とするのは勘違いである。

人間だけは生殖時期(発情期)に関係ない「擬似生殖行為(生殖なき快楽性交)」を神様に認められている。

性欲を「恥ずかしいもの」とする事が「勘違いだ」とすれば、情無き性交を問題視する事は愛情の問題ではなく、ただの既成概念に囚われたプライド(誇り)の拘(こだわ)りか独占欲の拘(こだわ)りの問題である。

「岩代さんに、愛と独占欲は違うと教わりました。あなたが認めているのですから、精神が確りしていれば肉体(からだ)は何をしても心は汚れないと。」

言った妻は、SEXドールに成り切る事に、「迷いは無い」と言う事だ。

自分が勝手にSEX好きで、夫に黙って犯るのならともかく、夫の意志の裏付けが有っての事であれば、浮気にさえ成り得無い。

ただの仕事か、夫の遊びの付き合いである。

世の中に於いて奇妙な拘(こだわ)りは、それを真実とは言えない。

食べ物でも同じ事だが、どんな組み合わせでも旨ければ良いので在って王道や邪道などを既成概念で決めてしまうから奥行きも広がりも抑えてしまう。
< br> 冷静に考えれば、性交の愉しみ方だって夫婦合意の上ならメニューが多い方が良いに決まっている。

何となれば、性感だけは不思議なもので行為のスパイスが乱交だったり輪姦(まわし)だったりと卑猥(ひわい)な情況ほどより興奮のボルテージは高くなり快感は増幅する。

つまりそうした環境下でいちど輪姦(まわし)や乱交を経験すると、夫との単純な性交は物足りなくなる。

それからの妻は、明らかに依り美しくなって若返ってさえ見えた。

人間の脳は必要に応じて全身に指令を発して制御するから愛奴隷に成ってからは、他人前で裸身を晒(さら)す機会が増えたのを妻の脳が敏感に他人目(ひとめ)を意識して綺麗に成ろうとする。

勿論、良い性交を度々経験すれば、妻の性フエロモンが活性化して驚くほど変化を魅せ、魅力的な女性(おんな)醸成される。

それで他人目(ひとめ)に磨かれた妻には経験が滲み出る様な「良い女オーラ」が着衣の上からも発散され、周囲は日常生活の中からも妻の裸身を想像する雰囲気になる。


この性交遊びを、妻は結構気に入ったのかも知れない。

人間の心理など微妙なもので、誰だって定食ばかりでは飽きが来るのである。

無いものねだりは人間の業(ごう)かも知れないが、接待の性交には情を前提としないから、情の絡(から)む夫婦間の繊細な行為には無い大胆な荒々しさで犯られる事に、妻には新鮮な感動があるらしい。

岩代は、妻の本性を看破して愛奴隷としてのマッチング(相性/適合)を「確り見ていた」と言う事である。

妻の急激な変わり様はミステリアス(謎めいている)だった。

そして私が、「この雰囲気は似ている」と真っ先に思い当たったのが、岩代の細君のあのミステリアス(謎めいている)な、色気漂う雰囲気だった。

まぁ妻も大人の女であるから、何時までもメルヘンチックにだけでは生きられない。

そう考えれば、妻が至極現実的な考え方に舵を取ったからと言って、そう慌てる必要はない。

理由は判らないが、考えて見るとあの細君は他人(ひと)さえも操りそうな雰囲気を確かに持っていると、私にはそう感じるのである。

いずれにしても、「気分」と言うものは個人の気持ちの反映だから、その事に定型は無い。

つまり個人の気持ちであれば、起こり得る事象に対する個人の気持ちは持って行き様があるもので、同じ事が起こってもその「気分」が楽しいか辛いかは個人の受け取り方である。

それにしても、知らない事象に遭遇するのは誰に取っても恐怖で、私も何らかの答えを出さなければ落ち着きそうも無い。



実は妻の里美は、高校時代の夢(水泳競技)が「過日のもの」と成って、主婦の平凡な日々に物足りなさを感じて退屈だった。

そこにこの独立話で、性接待の役が廻って来た。

渋々犯って見ると、背徳の香りがする性交は脳みそが解けるほどの興奮と快感を味わった。

家でジット帰りを待つのも片方が甘えた夫婦関係であり、互いが別々に出歩くのも事故の元で、それが始終の夫婦の形ではけして褒められたものではない。

そうした状態は放置出来るものでは無く、本来は真剣に何とかしなければ夫婦間の溝が広がりかねないものである。

欠点の無い完璧は、実は平凡と然(さ)して変わらないのであるから、生身の人間に完全を求める事は、「愚行」と言える。

味や素っ気は、ユニークな不完全を兼ね備えてこそ出て来るものである。

どうせ本能で、誰にも刺激的な性交願望の性欲はあるのだから、互いに野放しにするよりも夫婦共有の遊びと言う枠(わく)の中で性欲を満たして発散させる方が右脳的には合理的である。

ある程度の社会性を維持できるなら、ナチュラル(自然体)な性思考に拠る「非日常の時間が在っても良いではないか」と考えるように成っていた。

こう成って見て気が付いたが、心底惚れていれば配偶者が他人と遊びの性交を犯った所で本物の愛情に変わりは無い。

表面的には「トンデモナイ事だった」が、気持ちの何処かに物足りない平凡な日々から「抜け出せるのでは」と言う期待が在った。

自分を納得させられる理由が有りさえすれば、妻は「犯って行ける」と思ったのだ。


人間、白馬の王子様的な絵空事では生きて行けないし、現実を認めなければ前には進めない。

当然の事ながら、他人であれば通常見返りが無ければ誰だって一銭足りとも金は出さない。

益してや「大金を出資する」となると、信用信頼を実践証明する特別の関係(誓約/うけい)以外は滅多に在り得ない。

誓約(うけい)は古代日本列島における異部族同士が信用信頼を実践証明する手段として用いられた性交の事である。

つまり、争いを避ける為に肉体を供する事で信用信頼を実践証明し、異部族が身内同士に成った。

古代日本列島では、現在のような一夫一婦制ではなく「集団婚(群れ婚)」だった。

「集団婚(群れ婚)」という婚姻形態は、一言で言えば「複数の男と女がグループ」で婚姻関係を結ぶもので、日本を含めて採取狩猟時代から人類の間で歴史的に長く行われていた。

言ってしまえば、群れ内は「フリーセックス」と言う事に成る。

特別の信用信頼関係を構築するには、特別の間柄が継続して実践証明し続けなくてはイケナイのだが、そうなると一夫一婦制の既成概念は取り払わなくてはいけない。

私達夫婦は、岩代に誓約(うけい)の実践証明を迫られた訳であるが、そんな事は口で言っても既成概念で凝り固まった妻は納得しない。

論より実践で、下手な説得をするよりも妻に竹中への肉体提供をさせ、その流れのまま五対二の乱交に持ち込み、強引に学生達の輪姦(まわし)をも経験させて一晩で「既成事実化してしまうのが一番だ」と踏んだのである。

結果出資者たる竹中に対し、妻は性交を通して特別の間柄を継続して実践証明し続ける事(誓約/うけい)を、「それと知らずに結んだ」と言う事に成る。

実はこの誓約(うけい)の概念に拠る「集団婚(群れ婚)」が、後で考えると岩代が目指した「乱倫共同経営」と言う強い絆で結ばれた会社だったのである。


私の妻に対する試(こころ)みは、一般論的には「変態行為」の強要以外の何ものでもない。

「騙(だま)す」と言うと余り聞えは良くないが、世の中には相手を幸せにする為の善意の騙(だま)しもある。

今回の目論見では、ここら辺りの善意と悪意の線引きが、難しいのである。

どう言う訳か、妻は途中からこの体験を納得しているようだった。

実は、「悟(さと)りを開いた」と言う事は、言い方を変えれば自分をも「騙(だま)し果せた」と言う事である。

人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)がある。

つまり、何かを出来る出来ないは、意識と一致していないから「出来ない」と言う事で、裏を返せば意識を変えてしまえば、今まで「出来ない」と思っている事が、出来る様に成るのだ。

価値観何てものは、別に唯一絶対な訳ではない。

例え世間の評価が「変態行為」であっても、妻が「良し」と感じれば、それは「素直な価値観」と言う訳である。

実を言うと人間は、「恐怖心や高揚心、羞恥心」と言った興奮を背景にすると、普段の判断とは全く違う感覚で物事を受け止める。

こうした興奮の心理的な影響は、極、論理的なものであるが、当事者は意外と「興奮に影響されている」とは思い到らずに「自分の正常な判断」と結論着けてしまう。

その興奮に影響される判断が興奮が覚めても「正常な判断」と確信されて残る所に、所謂(いわゆる)「洗脳状態」に陥(おちい)る状態が、妻の心理状態の変化に影響を与えて居るのかも知れない。

愛情は育(はぐく)むものであって、突発的な情ではない。

恋愛であろうと見合いであろうと、例え閨閥色の強い強引な無理強(むりじ)い婚でも、いずれの切欠であっても知り合う前は赤の他人である。

婚姻の事実を持って伴に生活し、情交(肌を許し合う)を重ねれば特別な相手に成り、「それ成りの情も湧いて来る」と言うもので、他者との区別を認識する特別な情が湧けばそれが夫婦の情である。

確かに特別な情が立派な夫婦関係の絆なら、愛情が伴わない妻の性交を問題視するのは夫として間違いである。

既成概念に潰されたら、一生平凡な人生を送る事に成る。

生きていれば色んな事態に遭遇するのだから、それを「幸福」と思うかどうかは個人差がある事で、他人がとやかくは言えない。

だが、そうした平凡を「退屈」と思う感情の主婦は多く、虚(むな)しさの不満が蓄積する。

不満の解消に、「買い物をしたり習い事をしたり、趣味のサークルに入ったり」と、平凡な「退屈」を何とか抑(おさ)えようとするのだが、心に空いた虚(むな)しさの穴は埋められない。

これはスワッピング(夫婦交換)とは筋が違い、集いて時間を行為の時間を共有するセッション(共演/協議)である。

セックス・セッションであるから、「乱交」と言う事に成る。

無理強(むりじ)いする気はないから肝心(かんじん)なのは妻の意志であるが、こいつ(里美)はさして抵抗を示さず、途中からは極自然に話を進めた。

「接待役を務める」と言う事は、乱交(セックス・セッション)のプレィヤーを務めさせる事に成るだが、こいつ(里美)どうやらそれが「嫌では無い」らしいのである。

「嫌では無ければ、これで良かったのだ。」

あの貧しい性の夫婦生活から考えれば、妻が多少淫乱に接待をするように成っても、得るものが大きい。

切ない事だが、いつの間にかその切ない事を楽しめるのが、人間の「因果な性(さが)」と言える。

これからは、私も妻の肉体(からだ)で愉しめる。


私(里美)気が付いたのです。

人間はたくましいもので、目茶目茶に犯かされ輪姦(まわ)されて「ボロボロになるか」と思っても、次の日は何事も無かったように生活出来るのです。

昨日の痕跡など、「通り過ぎた時間」と言うだけで、私(里美)の何処にもありません。

朝起きて夫の態度が変わらなければ、何も変わりは無い日常なのです。

学生時代の競技人生(競泳)で、思い迷って良い結果が出た事は在りません。

覚悟は決まりました。

ふっ切れてしまえば私(里美)の生き方だから、もう「土俵に上ったらつっ走るだけ」とコーチから叩き込まれた通りに行くだけです。

半(なか)ば強制的に他人と犯らされて見て、初めて自分(里美)の中にM(マゾ)の性癖がある事に気付きました。

それは経験した事の無い屈辱的な興奮と被虐感、そして肉体的な刺激に拠る奇妙な思考が解けてしまう快感で、とても言葉で言い表せるものでは有りません。

他人に言わせれば誉められたものでは無いのでしょうが、これは限界(オーガズム・ハイ)に達した経験で本能に目覚めたのですから、淫乱に弄(もてあそ)ばれる輪姦(まわし)の背徳な快感に溺(おぼ)れてその性欲の虜(とりこ)に成った私(里美)が、そこに居ました。

あの快感体験を思い出すと子宮が熱くなります。

若い学生達に輪姦(まわし)されて、次から次に休む間もなく欲棒が私(里美)に挿し込まれ、私(里美)が達しようが達しなかろうが、構わず中で暴れ犯されましたから絶頂が続き、やがて突き抜けた心地良さに包まれながら私(里美)は受け腰を使い続けるのです。

頭だけで考えれば信じられないかも知れませんが、経験すると評価が変わるものも有ります。

あの絶頂の連続を経験して夫を含め誰も咎(とが)めないのなら、「時々犯られたい」と思っても当たり前です。

何故か私(里美)は、屈辱的に嬲(なぶ)られて、その快感に翻弄(はんろう)されてしまったのです。

正直に告白すると、問答無用で肉体を支配された屈辱感が、呼び起こし、私(里美)は、屈辱的に嬲(なぶ)られる事が、まんざら嫌ではないM性が強い自分を認識しました。

岩代さんは、そんな私(里美)の目覚めを、最初から見透かしていたのかも知れません。

ビックリでしたけれども、岩代さんに言わせると、一般的な女性の大半は、目覚めていないだけでM性が強いのだそうです。

女性のM性は、「ジュピターコンプレックス」と言うのだそうですが、そう言われて、少しは気楽に成りました。

性に対してはタブー意識が強く、現実を見つめる事を避けて誰もその事に触れようとしないのですが、率直に言えば或いは新しい倫理観を構築する必要を感じても、一向に不思議は無いのです。

こう言う事は、体験して始めて学ぶもので、私(里美)は「奇麗事と言うのは欺瞞(ぎまん)偽善である。」と気が付きました。

行き掛かりで大勢を相手にしてその時は夢中で頭が真っ白だったのですが、終わればフッと我に返ります。

しかし一度犯ってしまった事に後戻りは無いのです。

そうなると開き直るしか無いし、それにあの浮世離れした快感の行為は終わってみれば正直棄て難かったのです。

世間では乱倫を大げさに考えますが、実はさして大それた話しではなく、嫌も応も本人の感情ですから、夫婦参加で単純に互いの合意さえあればグループSEXは成立するのです。

私(里美)の場合は、屈辱的に嬲(なぶ)られる快感の味を、知ってしまったのですから、仕方がありません。

今までの態度の手前、夫には言い難かったのですが、M性が強い自分を認識させられてからは、もう岩代さんの言う屈辱的な命令に、陰部を濡らして期待感さえ抱(いだ)く私(里美)が居ました。



夫や岩代夫婦が見守る前で学生達の輪姦(まわし)の陵辱を受ける・・・恥ずかしく無い訳がありません。

世間の建前倫理観を基準にすれば、不謹慎で子持ちの人妻にあるまじき刺激的な行為です。

羞恥心で思考回路が止まって頭の中が真っ白になりましたが、どうせ私に何か出来る訳ではないので、覚悟しました。

覚悟を決めて見ると、「自分がどうなるのだろうか?」と言う興味も有りました。

輪姦(まわ)され始めると抽入が繰り返され、欲棒の抜き挿しが続いてやがて肉体(からだ)が勝手に内壁を擦(こす)るカリ首の刺激の快感に反応します。

両手の平を握り締め足の指先まで丸めて快感を堪えながら我を忘れ、気が付いたら私(里美)は、大きな善がり声を上げ受け腰使いで応戦していました。

生まれて始めて乱交を経験しましたが、結局の所、受け入れた欲棒を抜き挿しされて欲棒のカリ首が内壁を擦(こす)り始めれば犯す相手が誰でも受ける快感は同じで、思わず受け腰を使ってしまいます。

女の肉体(からだ)何て哀しいもので、一度性感が高まれば、結局の所それは貪欲に快感を求めてしまうものなのです。

未経験者には理解出来ないかも知れませんが、輪姦(まわし)の翌日はまだ興奮状態で私(里美)には生々しくその性交体験が思い出され、思わず股間に手が行ったり夫に性交を求めたい感情に駆られます。

二〜三日もするとその性交体験の興奮は冷めて来るのですが、徐々にその輪姦体験が懐かしくなります。

何しろ肉体の極限を突き抜ける心地良い疲れの中でのセックスハイ(性感陶酔状態)を経験したのです。

それで、輪姦(まわし)のセックスハイ(性感陶酔状態)を一度経験して味を占めてしまったら、もうその魅力には逆らえなくなる事を私(里美)は知りました。


どうも周囲の評価を気にするキッチリ屋のA型気質の私(里美)が、周囲に上手(うま)く図られた勢いだったのです。

それが、夫の前で竹中さんに犯されただけでなく若い学生さん達にも輪姦(まわ)されてしまいました。

それも凄い快感に思わず受け腰を使い、善がり声を挙げる所を夫に見せてしまいました。

そこまで犯ってしまうと人間は思考する生き物ですから、私(里美)も自分の行為行動を正当化しなければ生きては行けない心境に成ります。

犯ってしまった事には後戻りが出来ないのですから、誰でも自分を納得させる理屈を考えます。

それにしても、「他人前(ひとまえ)で輪姦(まわ)された」と言う現実も只の本人の意識の問題です。

翌日、日常生活に入ってしまえば周囲の他人はそんな行為をした女とは誰も気が着かないのです。

つまり平凡で退屈な日々が続くだけで、普段通りに振舞っていればまさか私(里美)が「そんな卑猥な事をした」などとは誰も想わないのです。

考えて見れば当たり前なのですが、案外性接待も「気にしなければ犯って行ける」と気が付きました。

最初は信じられない事でしたが、私(里美)の身に起こった事に夫はじめ皆が当然の事の様に平然としていました。

そうなると、世間の皆んなが総論では綺麗事を言い、各論では自分だけは「コッソリ犯って居ると言うのが人間なのではないか」と考えます。

そして何よりも犯られた私(里美)が、夫相手では到底得られない非日常の快感を知ってしまいました。

禁断の果実をかじってしまったのですから、本心その「非日常の快感は棄てられない」と思いました。

そこまで自分を納得させる理屈が構築されれば、それが否定できない新しい思考基準ですから、結局私(里美)は接待を理由にどんなに破廉恥な行為行動でも犯れるように成るしかありません。

あの場で受け腰を使った私(里美)を、夫を始め皆さんが確り目撃しています。

そうなると、女性(おんな)を曝(さら)け出した私(里美)は、今更格好を着けた奇麗事など言っても通用しません。

「手回しが良い」と言うのか「段取りが良い」と言うのか、岩代さんは次の手順として、私に特訓をさせるべく素早く手を廻して来ました。

実はこの頃から、私(里美)に対する京香さんの特訓が、週に一〜二度のペースで、夫に内緒で始まっていたのです。

最初は、あの青い絨毯の部屋に連れて行かれ、「里美さんは晩生(おくて)だから本当のSEXを身体が知らない。」と京香さんに言われて、それがズバリの指摘のような気がしたのです。

散々嫌悪感を抱いて敬遠していましたから、確かに私には上手に性奉仕の接待が出来る自信はありません。

幾ら懸命に私(里美)が奉仕をしても、奉仕行為がへたくそで、ゲストのお気に召さなければ何んにも成らないのは目に見えています。

「京香さんの言う通りで、私(里美)どうして良いのか判らなくて悩んでいました。」

「困ったわね。そうだ、娘さんを学校に行かせている間に私(京香)が毎朝教えるわ。」

「えぇ、京香さんが?」

「そうよ、会社を始めれば色々あると思うから、里美さんが接待を引き受けても嫌々じゃぁ苦しいだけでしょ。SEXが好きに成れば、接待が楽しく出来るわ。」

竹中さんは、「そうと決まれば後は皆でトコトン里美を扱(しご)て愛奴隷の境涯(きょうがい)に慣れさせるしかない。」と言います。

「この齢(とし)になると、余程の刺激がないと愚息(欲棒)も立たん(勃起しない)からな。しかし奥さん、これから仕事で接待をして行くならわしみたいな齢の相手も結構居るじゃろうから甘い接待では通用せん。」

「どうすれば宜しいのでしょうか?」

「それを今から実践で仕込んでやる。少々キツイが、奥さんが形振(なりふ)り構わず頑張らん事には接待に成らんでな。」

単に仕事のツール(道具)と考えれば、割り切って接待ができるようにマスター(取得)するしかない。
「はぃ、承知しました。」

トコトン格好悪く惨(みじ)めに扱われ、里美が被支配の快感を味わってしまうと心理的に開き直り、「他人(ひと)前で雌の本性を剥(む)き出しに弄(なぶり)り者にされる愛奴隷の快感が忘れられなくなる」と竹中さんは言うのです。

「後は奥さん(里美)を皆で扱(しご)いて慣れさせるしかなかろう。」

「私(里美)を皆さんで慣れる様に扱(しご)くのですか?」

「あぁ、奥さん(里美)はこれから、わしらにトコトン格好悪く惨(みじ)めに扱われて淑女の仮面を剥(は)ぎ取られれば、雌の本性を剥(む)き出しに接待ができるようになる。なぁに慣れればどうって事はない。」

「私(里美)の淑女の仮面を剥(は)ぎ取るって・・・?。」

「奥さん、犯る事を犯らなければ接待にはならんだろうが。どんな事でも受けられるように仕込んでやるからな。」

愛奴隷は「犯ってなんぼ」だが、只犯れば良い訳ではない。

ゲスト様の性癖を満足させる形で犯られてこそ、性接待を犯った意味がある。

竹中氏に言わせれば、愛奴隷の仕込みは酒や焼酎の仕込みと同じでモロミ(生裸身)を平板(舞台)の上に広げて片時も離さず揉んで揉んで味の深見を出して行くものである。

「奥さん(里美)も此処でわしらとドリル(反復練習)をタップリ犯れば性接待に抵抗感は無くなるじゃろう。それが躾(しつ)けと言うものじゃ。」

「はぃ。宜(よろ)しくお願いします。」

「さぁまだ蒼いから確(しっか)り揉んで、奥さんを早く熟(じゅく)させなければならんわ。早く発酵してくれな。」

この竹中さんの宣言は、言うなれば私(里美)を縛(しば)き上げ、犯り(性交)倒してイカせ上げ色情狂女(犯り万女)に発酵(仕立て上げる)させる事を意味していたのです。

夫が聞けば「驚き」でしょうが、もう話題は犯る犯らないの域ではなく、サッサと「上手く犯る」と言う段階に入っていたのです。

「そんな事が私(里美)に出来るように成れるのですか?」

「なれるとも、それに里美さんがSEXを好きに成れば、旦那様も喜ぶわ。」

「そうね、内の旦那様はずっと私(里美)とのSEXに不満だった見たい。」

「でしょう、損するのは貴女。里美さんがSEXを間違えたまま、心の持ち方を変えなければ、一生不幸で終わるわ。」

「でも、女性にとって、SEXは妊娠とか病気とか不安が多いでしょ。幸い私は避妊の心配は無い身体だけれど。」

「それは、男性側の最低のマナーだから、ルールがあれば乗り越えられるものでしょ。後は里美さん自身の考え方を変えるだけ。」

「私(里美)に、考え方を変える事が出来るかしら?本当は私(里美)、この先会社の接待が、凄く心配だったの。」

「でしょう、もう貴女は引き返せないのだし。自分からSEXを好きに成らなくちゃあ・・・それに接待するには上手にも成らなくちゃあいけないし、どう、私(京香)に任せる?」

「今のままでは私(里美)、頭が混乱してどうして良いか判らないですから、教えて下さい。お願いします。」

「でも、里美さんの場合もう手遅れに近くて、今までの三十年を変えるのだから、優しくすこしずつと言う訳には行かないわ。かなりキツイけど覚悟出来る?」

「京香さん、私(里美)やるわ。このままじゃあ、会社が出来ても私(里美)は何も出来ないもの。」

不思議なのです。こんな事が出来る私(里美)では無い筈なのに、心の片隅から「犯らなければいけない」と言う魂の叫びのような感覚に突き動かされます。

「それじゃあ、私(京香)に絶対服従よ。無理とか嫌は無し、返事は全て、はぃ、だけ。」

「はぃ。」

「まずは、服を脱ぎなさい。脱いだら股を開く。」

「はぃ。」

そんな経緯(いきさつ)が有って、夫には内緒の特訓が始まりました。

何しろ私(里美)が勝手に決めた事だし、内容が内容ですから、こっそりと内緒で習って置きたかったのです。

京香さんは、世間の女性達に「あなたは好きでもない相手と、良くSEXが出来る」と批難されるかも知れませんが、「それは論理的ではないのです。」と言いました。

彼女は言います。無意味な「罪悪感」は、理屈に合いません。

私が罪悪感を持つとしたら夫に対してだけのはずで、その夫が望むのですから、残るのは自分の感情だけです。

もうそこからは、私(里美)が後悔する間も無くアレヨアレヨと私(里美)への調教が進んで、それが普通の感覚に成っていました。

そぅ、見知らぬ男に素っ裸で引き渡され性玩具(おもちゃ)にされる羞恥の快感に魅せられてしまったのです。

まぁ、複雑な思考を持つまでに進化した人間が生きて行くには辛い事も多いから、神が人間の脳に与えた擬似生殖の行為が快楽の性交ならば、「快楽を楽しむ事は罪ではない」と言う事で、楽しみ方を探求しても良いのかも知れません。



人間には、他の動物と同じ「子孫を残す」と言う基本的な本能があります。

単純に、この部分で考えれば「子孫を残す事」に適した相手と「生殖行為」としてのSEXをすれば物足ります。

だから、他の動物には「繁殖期」があり、「生殖行為(発情)」としてのSEXはその期間(繁殖期)に限られます。

所が人間は、そうした動物から飛び抜けて進化し、脳が異常に発達して行きました。

色恋沙汰では無いSEX行為があるとすれば、それは本能を満足させる為の単なる「擬似生殖行為」なのです。

その目的は、脳に「生殖行為」の快感を伝達して安心させる、ストレス解消機能なのです。

その人類が勝ち取って発達した脳が、人間にあらゆる複雑な事を可能にさせたのです。

物事、バランスと言う物があるもので、良い事が有れば悪い事も付いて来ます。

異常に発達した脳は、複雑な事を可能にさせると同時に、「思考」と言う苦しみを与える結果に成りました。

つまり、脳が異常に発達した為に思い悩む様に成り、単純な動物本能を指針にしては生きられない社会を創造しました。

シンプルな生き方が出来なく成って、ストレスを抱える人類はそのストレスから逃れる機能を獲得したのです。

人間にだけ備わった「繁殖期」に関わらない発情能力で、「擬似生殖行為」をする事なのです。


「駄目、動かない。」

京香さんの叱責(しっせき)が飛びます。

私(里美)、慌(あわ)てて居ました。

だって、出社した筈の岩代さんが、突然帰って来たのですもの。

岩代さんが帰って来た時、私は素っ裸でM字開脚をして、あそこに京香さんの指を二本入れられ、抜き挿しされている所でした。

「オッ、犯っているな。」

京香さんの一言で身動きが取れない私(里美)に、岩代さんは近づくと、スラックスのファスナーを下げ、「シャブれ」と欲棒を抜き出して私(里美)の口に押し込んで来ました。

必死でおシャブリしてそれが硬くなると、「上から犯れ」と言って岩代さんが寝転びました。

「躊躇(ためら)わない。早く、入れて乗りなさい。乗ったら抜けないように腰を上下する。」

京香さんの命令が飛びます。

何をすべきかは判ります。私(里美)は、岩代さんの腰の辺りを跨ぎ、マツタケ状に硬くなったカリ首を股間の二枚の肉花弁の間に充て、腰を降ろしました。

「アァ〜。」

柔ら壺の肉壁を掻き分けて、岩代さんの太いものが入って来ました。

京香さんに言われた通り、ユックリと腰を上げ下げすると、腰が痺(しび)れるほどの快感に襲われます。

「ヒィ〜、気、気持ちが良い〜。」

何故こんな気持ちの良い事を、今まで気が付かなかったのでしょう?キット、感じる前に心が拒否していたからなのでしょう。

「ほら、気持ち良いでしょ。」

「はぃ、良いです。」

「当分里美に躾(しつけ)をします。朝呼び出されたら、ここに来なさい。」

「はぃ、伺います。」

その日から、夫に内緒の京香さんの特訓が、始まったのです。



妻はこの独立話に乗って、性接待を引き受ける気に成った様だ。

自然な流れの中で妻は田嶋への性奉仕を勤めさせられ、性接待の愛奴隷に仕上げられつつ在った。

それは取りも直さず自分が性接待を引き受ける立場に成る事だったが、何しろ今はバブル景気に湧き上がって、ノーパン喫茶、ノーパンしゃぶしゃぶ、奇麗事などお題目とも思われるほど、風俗営業は活況を呈している時代である。

「あのノーパン何とかって、お尻が丸見えなんでしょ。それをお金払って身に行くのだから、男って嫌ねぇ。」

耳学問的には、妻もそんな世間の実情は知っていた。

「尻だけじゃないさ、前のおマ*コも丸見えだから金を払って観に行くんだ。」

「嫌ねぇ、お尻が丸出しなら前も丸出しくらい私にも判りますよ。」

我々夫婦も含め、のぼせ上がったバブル意識が根底にあり、この卑猥な性接待に対するハードルの低さに成った事は間違いない事実だった。

妻は人生を平凡に生きるべきなのか、少々リスクが有っても野心を叶える為に官能的に生きるのか、これはどっちが幸せか一概には言えない話である。

だが、既に一歩踏み入れてしまった魔道は、妻にはもう引き返せ無いのかも知れない。
,br> しかし、これは単(ひとえ)に考え方の問題である。

確かに数百数千の発想の中から何か新しいものに挑戦して僅かに生き残った独自の物以外、既存業種に挑戦して常識論や理想論だけで新規事業に成功するのはかなり難しい。

岩代の言で私達夫婦に確信が持てたのはこの点で、つまり独立事業成功の鍵は、「他に類を見ない独特(ユニーク)なもの」と言う事に成る。

「まぁ、これも経験じゃ。一皮剥(む)けたら女は美しく成るからな。」

竹中の、あの判った様な台詞がよみがえって来る。

困った事に世間は、独占欲を前面にして愛情と性交をセットにして考える。

しかし「決まっている」は進歩を妨げ、脳に刺激が在って初めて脳は活性化するのだから、それを避けて何も考えないではろくな結果は得られない。

現実はそんな単純な事ではなく、それでは思考や行動の選択範囲が狭くなるから、こうなれば独占欲と愛情を使い分ける事が里美の大人としての対処なのだろう。

性交に対する嫌悪感も罪悪感も元々自然界に於ける性交相手は限定的ものでは無く、気分の問題だから里美本人の気分が変わり「世間の常識」と言う思考の壁を突き破ってしまえば何とも無い。

性交好きは生物の天性で性欲に於ける男女の仲は、本人が認識していない無意識脳に於ける意識では右脳がリード(導く)するのだから、命を繋ぐ生き物としての人間の本性は性交好きで当たり前である。

私達に追い込まれたとは言え、他人相手の遊びの性交も一度夫婦揃っての堂々と犯ってしまえば吹っ切れて、里美本人が気分良く数を重ねればその内慣れて嫌悪感も罪悪感も麻痺して来る。

妻の里美が背徳の官能を身を持って知ってしまえば、次に「また犯ろう」と声が掛かる頃には、里美はそれを聞いただけで「子宮をジンとさせる変身を遂げている筈だ」と岩代に告げられた。


大人の女が「仕事の為」と或る種関わりを自覚しながらも、知らない相手(ゲスト)に素っ裸で身柄を預けたらもうウンもスンも否応も無い。

それが性接待の現実で、最初こそ妻に抵抗感が在っても元々の人類はある時までは群れ婚だったから、正直こう言う乱交行為に於ける女性の「出来ない」の大半は出来ないのではなく「犯りたくない」の精神的抵抗なのである。

行き着く所まで行ってしまえば、妻はもぅ犯ってしまったのだからそれを改めて竹中や岩代夫婦に否定する材料は無い。

愛奴隷の立場では、例え素っ裸で他人前に曳き出されても、妻は集まる視線に平然と気品在る好い女に躾(しつ)けられなければならない。

そして愛奴隷の妻は、生贄(いけにえ)として官能的に淫(みだ)らに、遊びの性交で腰が抜けるほど犯られ尽くさなければ成らない。

まぁ、情況がそこまで行ってしまえばここで騒いでは得られたのは見苦しく、「見っとも無い」と言う心理が妻に働くから、相手に納得される様に「上手く犯ろう」と言う気が優先される結果に成り、あれよあれよと事が進んでしまう。

それでも誰にでも潜在的な淫乱性は在るのだから、妻の肉体(からだ)の方は犯れば快感を感じる様に出来ていて、性接待のそれは強烈な背徳の官能を伴うもので、得られたのは想像以上に刺激的な妻の興奮のマックス(絶頂)である。

それ故にこう言う行為は「犯れば嵌(はま)る事」であるから、妻も身柄を預けられたからには如何なる変態行為にも犯ってしまえば一貫性理論が働いて、今度は自分の行動を自ら納得させに掛かる経緯を辿るのだ。



竹中氏の所へ、四人で出資金を受け取りに行く日に成った。

妻は子供を学校に送り出すと、身支度をして、岩代の細君(京香)と連れ立って会社まで来た。

妻のいでたちを見ると、前ボタンでミニのワンピースの上にカーデガンを羽織っている。

時々ボタンの隙間が僅かに開いて、肌の一部が見え過ぎるくらい見えている。

もう迷いがないのだろう、直ぐにでも竹中氏のお触りに応じられる体制のようだ。

岩代の細君(京香)はベージュ色の前開きのワンピースを着て、ボタンを掛けた状態で居るが、私にはワンピースの下が「何時もと同じあろう」と想像出来る。

訪れると、早速居間に案内された。

座卓が二つ用意して設(しつら)えてあった。

一つには酒食の用意、一つには現金の帯付の束が百束、一億円で有る。

妻の札束を見る目は、真剣そのものだった。

夢見た事が、現実味を帯びて目の前に積まれている。

これで、これから先に起こる事は、夫も認める「お仕事の接待」と、自分に言い聞かした事だろう。

私は、「割り切って頑ん張れ。」と耳打ちして、竹中の傍に座らせた。

皆で酒を飲み始めると、妻は早速ワンピースのボタンを全て外して、乳首が硬くなって興奮を隠せない程前をはだけ、下着を着けて居ない素肌の乳房を晒(さら)した。

細君(京香)から強く言われて覚悟して来たのか、片膝立てて竹中の股間に顔をうずめ、竹中の欲棒をシャブリ始めた。

膝を立てているから股間も丸見えで、竹中が手を入れるのにも遮(さえぎ)るものは無い。

人類は群れて生きる動物だから、セッション(交流)が大事である。
,br> そのセッション(交流)の最高の形が、身も心もセッション(交流)する誓約(うけい)に拠る性交である。

体を許したせいか、何時(いつ)の間にか妻は、竹中に懐(なつ)いて居る感じである。

僅(わず)かだが、嫉妬(しっと)を感じた。

「おう、少しは躾(しつけ)が出来て来たな。」

「先日のお約束ですから。」

竹中は妻の乳房や股間をまさぐりながら、上機嫌で、酒を飲んでいる。

「指を中に入れるが良いか?」

「どうぞ・・・」

「この指を入れたまま、感じるまで自分で腰を振ってみろ。」

「はぃ。」

妻も、もう指を花弁の中の柔ら壺に指を入れられた位では驚かず、その指に応じてリズムを取り、クィクィと腰を使って竹中の指を抜き挿しして居る。

人間も生物の一種属であるからには、強弱の差こそあれ性交への衝動は男女に拘(かか)わらず誰にでも在る。

そこを上手く岩代夫婦に引き出された格好だが、夫婦合意の上の仲間内の性交は、夫婦に取ってローリスク(安全)のセックス・セッション(乱交)だった。

一度犯っちゃえば、「別に犯っても全然大丈夫」と言う事に自分を言い聞かせて行為を納得し、気持ちの上で納得すれば今更もう二度目を否定は出来ない。

いずれにしても、性癖は夫婦で共有すべき物で、性癖まで夫婦間でさえ隠して「建前」で処理して暮らしていては行き詰まって、良い夫婦生活が送れる訳が無い。

それにしても妻は、岩代夫婦の期待通りに見事な犯り犯り女に成ってローリスク(安全)のセックス・セッション(乱交)ライフを満喫(まんきつ)している。


十分もすると「今度は内の奴(京香)にお相手させます。そろそろ交代させましょう。」と、岩代が言い出した。

「チョット面白い趣向(しゅこうをさせていますから・・・オイ。」

岩代の細君(京香)がワンピースを脱いで、しなやかで張りが有る白い肌を晒(さら)して妻と交代した。

それを見て、私は驚いた。

細君(京香)のワンピースの下は勿論全裸だが、細君は縄で亀甲模様縛りに縛り上げられ、乳房も絞りあげられ、何と股間には張り型バイブが固定されて中に入った状態で装着されていた。

「おう、これは面白い趣向(しゅこう)だ。」と言いながら、竹中が縄で細君(京香)の胴の辺りに固定してあるスイッチをONにした。

ビーンと音がして、バイブが振動し始めると、細君(京香)の尻や腰が振れだした。

その状態で、細君は竹中の欲棒を咥(くわ)えて腰を怪しく揺らしながらおシャブリをしている。

「これ、使っても良いかな?」

竹中が、細君の股間んに突き刺さっているバイブを指差している。

「勿論構いません。どうぞお好きにお楽しみ下さい。」

岩代が、即座に答える。

竹中はバイブを縄から外し、ズコズコと細君(京香)の股間を刺激し始めた。

「アッ、アアァー。」

細君が、悲鳴に近い善がり声を上げて腰を振りながら悶えまくって居る。

「岩代君には毎回色々と楽しませてもらう。」

「いぇ、恐れ入ります。」

「岩代君、どうだろう、私は昔から女を吊るしてア*ルを犯してみたいと夢見ていたのだが?」

「良いですよ、内の京香に犯らせましょう。」

岩代が簡単に提案を受け入れ、直ぐに行動に移る

「支度をしますので、チョット待って下さい。」、岩代は隣の部屋に、細君(京香)を連れ込む。

その間は、妻が竹中の上にまたがり、欲棒を股間に受け入れてクイクイと腰を使って、空いた時間の埋め合わせている。

目の前で、竹中の欲棒が妻の花弁に嵌(は)まって、その陰茎が見え隠れするのを見ながら、酒を飲むのも景色良くまた一興だった。

隣の部屋で暫く何かしていたが、十分程して岩代は皆を呼んだ。

「出来ました。皆さんどうぞ。」

私と妻は、和室の中に目をやって驚いた。

岩代の細君(京香)が全裸で、天井から縄で畳みまで七十センチくらいの高さにうつぶせ状態で吊り下げられていた。

吊るし方が中々見事なもので、興奮させる。

後ろ手で縛ってうつ伏せに畳みと平衡になるように胸と胴で大目の縄で支え、足二本は上に折り曲げて足首を縛って各々天井に引き、正面から見ると逆さMの字、後ろから見ると股間もア*ルも目いっぱい開いて見える。

まるで、カエル(蛙)が水面を前に進んでいる時の様な格好で、吊るされた方はまったく無防備に成る。

細君(京香)の、草むらに守られ恥毛の一部が生々しく絡む二枚の肉花弁も、やや開き気味に見て取れる。

これなら吊るしたまま、男がやりたい事が何でもできる。

しかし今回は、竹中が細君の尻の菊座を御所望だ。

細君(京香)は吊るされながらも、「竹中さん、どうぞ早くア*ルにして下さい。」と声をかけた。

実は、この吊るされた格好が、余り長くは細君(京香)の肉体(からだ)が持たない。

体力的に長く耐えるには余りにも厳しい体勢で、早く済ませて欲しいのが細君(京香)の本音だった。

何でもスイスイと熟(こ)なす細君(京香)でも、流石にこれは真剣だった。

「そうか、して欲しいか?」

「はい、気持ち良くして下さい。」

苦しい体制で顔を上げ、竹中を見つめながら、細君は答えた。

「良し、それじゃあ、遊ばしてもらおうか。」

竹中が、細君(京香)のア*ルに、細君の股間の潤いを手ですくって塗りつけている。

細君の蕾が、濡れて光り、竹中の指先が時折中に潜り込んだりしている。

こう言う不安定な宙に浮いた状態で、今から犯されると思うと、興奮するのは当たり前で、細君の股間からは、既に期待汁が滴っていた。

「良おーし、それじゃー入れて見よう。」

縄で大きく両足を広げて吊るされて居る細君(京香)の脚の間に、竹中は立った。

「竹中さん、前に入れる時は前から滑らせますが、ア*ルに入れる時は後ろから滑らせると入り易いですよ。」

「そうかね。」

細君のア*ルに宛がった竹中の欲棒のカリ首が、ゆっくりとメリ込んで行く。

「アッ、ウゥ〜ン・・・」

「あ、なるほど上手く滑り込んで入ったよ。」

「アァ〜。」

「おぉ、いい具合だ。中が良く締(し)まる。」

「そうしたら、最初はユックリで段々に早く責めてみて下さい。」

「良おーし、それじゃあ行くよ。」

吊られている細君の、腰の辺りの縄を掴み、竹中の腰はユックリと前後に動き始めた。

細君の中の太い陰茎が、生々しく蕾の皺(しわ)も伸び切る程に押し広げて、見え隠れしている。

「アァー、アァー、アァー。」

細君の善がり声が漏れ始め、次第に大声になった。

「ア、アァ〜、ア、アァ〜、ア、アァ〜、ア、アァ〜。」

「所長。おぃ、所長。」

竹中が細君(京香)のア*ルに抽送を繰り返しながら、私に話しかけた。

「はぃ、何か・・・・。」

「来週は君の奥さんの番だ。一週間で、これくらいの事は出来るようにして来い。そこまで出来る様になれば、信頼関係も問題ないし、岩代君が言うように、君が社長で奥さんの給料三十万円と合わせて給料百万円取っても文句は言わない。」

打ち合わせ通り、竹中は妻の里美にア*ルと吊るしの躾(しつ)けの宿題を振って来た。

実はこの妻を吊るす調教話、竹中も面白がって大いに乗っていた。

妻と細君(京香)の二人が両手に花で、ア*ルの「吊るし責めまでさせる」と言うのだ。

彼の年齢からして、こんな良い思いは、願っても滅っ多にめぐり合えない。

「はぃ、おぃ、お前はどう返事をするのだ?」

私は、妻に返答を預けた。

本人が自分で「犯る。」と返事をすれば、こっちが調教し易い。

「判りました。来週は私の番です。」

負けん気の妻が、虚勢を張って応えた。

そうそう、お前はまだお仕置き中だ。

これで、妻のア*ルを散々甚振(いたぶ)れる。

何しろ、一週間でア*ルSEXが出来るように開発しなければならない。

「所長、どうせですから、京香の口の方をどうぞ。」

「良いのか、そこまでして?」

「まぁ、試して見て下さい。」

「そこまで言うなら、そうしよう。」

私は、吊るされている細君(京香)の前に立ち、欲棒を細君の口にねじ込んだ。

この吊り方、縄の絞り具合で吊られる方の細君(京香)が反り身になるので顔が正面を向いて、充分に口中性交が出来る。

正面から差し込むと、入れられた方は苦しそうに咳き込むが、欲棒は喉チンコを擦りながら喉の奥までスルリと入る。

竹中が後ろからア*ルを突くと、上手い具合に細君が咥(くわ)えた私の欲棒が細君の喉の奥まで潜り込む。

これは、存外に気持ちが良い。

是非妻にもさせて、今日のお返しに岩代には口の方を譲ろう。


竹中や岩代が言うように、本来「愛情と性欲」は混同すべきものではない。

妻を愛奴隷に仕込むには、甘くして増長させると心理的に行為が横着になり接待結果が悪くなる。

それで「性交マナーを厳しく仕込んで学習させる」と岩代から言われ、私はそのプレィを了解しているから竹中も目の前で容赦無くヒィヒィさせて責める。

どうやらその辺りを、妻が肉体の体感を通して理解しつつあるのが楽しみだ。

「愛情と性衝動の分離」とその処理方法に関しては、形態は悪かったが、昔から種々の様式が存在した。

それは、本音の部分で「必要悪」と言う認識があり、「せめて管理が必要だ」と、現実的な認識をしていたからに他ならない。

セクシャルオリエンテーション(性的嗜好/せいてきしこう)は各自夫々(かくじそれぞれ)だから、愛奴隷に成る以上は、妻には何んでも熟(こ)なせる機能性が要求される。

欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)える「大陸フェラチオ」など当たり前で、エクスポースフィールドワーク(野外露出)、マルチSEX(複数性交)、マルチタスクSEX(同時実行性交) 、バリエーション(種類)が豊富なSM行為などディープ(深く嵌り込む様)に破廉恥なほど良い。

SMの基本形であるストリップ・サーチ(全裸検査)、ティードアップ(縛り)、ビリンデス(目隠し)、ハンダードラッシュ(鞭叩き)、ハングアウト(吊るし)など何んでも熟(こ)なせなければ愛奴隷は勤まらない。



昭和三十三年と言う年は、日本国が「性についての本音」を捨てた日である。

滑稽な事に、捨てた「本音」は闇に潜り、その世界と結び付いただけで無く成りはしなかった。

つまり、女性人権運動家の「建前」を満足させたに過ぎない。

捨てた「本音」とは、前年成立した「売春防止法」が、昭和三十三年戌年の四月一日から施行された事に象徴される。

戦後女性は強くなった。

結果、男性は弱くなった。

それが【絶滅危惧品種・日本人】の言わば生存エリアの縮小(動物で言えば森が無くなる)に繋がった。

昭和二十年の敗戦が、意識改革の引金にはなっているが、日本人のハッキリした精神的転機は昭和三十三年の「売春防止法」ではないだろうか?

この「売春防止法」は、建前上誰が見ても反対出来ない。

「不幸な女性を生み出さない為」と、精神は立派で、その点を取り上げれば立派な良い法律なのだろう。

しかし、世の中「法律で縛る」と、良い事ばかりでは無い。

必ず反作用が出て、その悪影響も有る。

当然有るべき本能のはけ口を規制すれば建前無い事に成って売春は闇に潜り、無法の温床と成った。

つまり、管理出来ない所に本質が遠退き、闇で従事する女性は返って保護の機会を失い、「危険に晒(さら)される結果」と成っている。

どうせ違法行為だから年齢制限も無視され、低年齢の少女もその危険に晒(さら)される。

当然、性病などの予防も、「建前無い以上」蔓延予防検査の手は及ばない。

人間の本能と実社会の間には、建前と言う「隔(へだ)たりや矛盾が」ある。

それを全て都合良く「人間性」だけに負い被(かぶ)せて、そこから「はみ出ない」と勝手に取り決めた。

当時の「男勝(おとこまさ)りまたは男性を必要としない精神の理想」に燃えた女性達の運動の成果だ。

この手の女性には生涯未婚、または離婚経験者が極端に多い。

そして、人間の深い性衝動を頭から否定して「思い遣ろう」とはしない単細胞な思考の持ち主で有る。

しかし、現実には立法処置だけで解決できる物ではないし、取締も「いたちごっこ」で有る。

そんな単純な話で解決するなら、人間は人間では無い。

あらゆる面で複雑だから人間で有る。

世の中は天秤棒で、何か棄てなければ何かは得られず、全てを得ようとすると何も得られない。

自然を礼賛しながら欲の為に自然に逆らい、もっとも不自然な結果を出そうとする際(きわ)どさが人間の悪癖で、「愛がなければSEX何か出来ない」などと、ややっこしい事を言って居られる様に成ったのは実はつい最近の事である。

建前を並べ立てて、本能に反する上辺だけを繕(つくろ)っても真理は得られず、日本には社会通念上暗黙の内に認めていた夜這いや暗闇祭りの性文化が在った。

そこまで付き詰めると現実はもっとリアルで、こんな建前の奇麗事は納得が行かない事になる。

ラビリンス(迷宮)に陥(おちい)った感じだが、奇麗事が「上辺だけの事だ」とすれば本当に歪んでいるのは果たしてどちらだろうか?

現に取り締まる側も、教え諭すべき職業のものも、不祥事の後は絶たない。

この辺りまで勘案すれば、もう少しキメの細かい立法処置があった筈だ。

つまり、「血の通わない立法」を建前だけで安易にするから後に禍根を残し、はけ口の機会を失った若者は暴走して事件は多発している。


この血の通わない立法、「売春防止法」以前には、かなり無責任では在ったが、少なくとも、人間の性に対する衝動や「性についての本音」に、為政者側も少しは理解在る対応や行政をしていた。

戦前から太平洋戦争当時まで、【娼婦(館)・女郎(屋)】と言う物が存在した。所謂、売春宿である。

当時の「日本の現状は」と言えば、【軍部と結託した財閥】に富が集中して、地方経済は貧困にあえいでいた。

いずれにしても当時の庶民は貧しく、特に農家に現金収入を得る道が無かった。

それで当座の金に困ると「生きる為に、身内を喰わす為に、」田畑を質(しち)に借金をしたり、娘の身を売らざるを得ない境遇の農家が数多く居た。

この受け入れ先が、【娼婦(館)・女郎(屋)】である。

これらの娼婦館・女郎屋の類は「民営」で有って公営ではない。

その業者が、戦線の拡大と伴に商売として外地へ進出して行った。

勿論【従軍慰安婦】なる言葉は無かったし、軍が直接管理運営していた訳ではない。

しかしながら、軍が業者に要請していたのは事実で有る。

そう言う意味で、【実質従軍】と取られても仕方が無いが、これが、【強制連行による】とされるのは少々疑問で有る。

実際には【日本人娼婦が大半】で有り、軍の要請も、将兵の好みから出来るだけ日本女性を要請していた現実がある。

軍が要請していた事は、大きく分けて二つの意味(見方)を持つ。

ひとつは【国家絡み】と言う事で、国がその全ての責任を負うべき事である。

その対極にある見方が、今ひとつの、【戦地と言う特殊環境の中で】、見落とされ勝ちだがこの娼館・女郎屋を占領地に帯同したのは、「日本軍の良心」とも取れるべき事である。

建前では無い現実として、明日をも知れぬ命の前線の軍人が、性的行動を戦地で起こさない方が不思議で、表面化しないが個人の犯罪は何処の軍隊にも存在する。

そうした意味では、占領現地の女性を守る為に、軍が要請した【娼婦(館)・女郎(屋)の画期的制度】の事が問題で、野放しの【他国軍の個人の犯罪】は問題視されないとしたら、矛盾ではないだろうか?

世界で唯一本音の対策を考えたのが日本軍である。

つまり、他国軍は対策をしていなかっのだ。

何しろ武器を持った若い野獣が、うろつくのである。

残念ながら、人間の性は一筋縄ではいかない。

この問題、【性の問題】だけに建前でものを考え易い。

建前だけで言うと「そんな悪い兵隊(人間)は世界中に居ない事」になり、軍の要請は【そのものが不埒】と判断され易い。

だが、現地での日本軍の不幸な出来事は、相当に抑止された。

つまり、【日本軍は基本的に紳士だった】ので有るが、この事実も、娼婦・女郎の【犠牲】の下に成立っているので、おおっぴらには威張れない。

現に、戦後の日本復興と伴に【娼婦館・女郎屋】はその存在を問われ始めるのだ。


戦後は環境的にも、【農地開放政策】で農家が【土地持ちの資産家】に変身し、【身売り】の最大の供給源は無くなった。

そして戦後の女性参政、女性運動の高まりと伴に、昭和三十二年「売春防止法」が成立、翌昭和三十三年四月・赤線廃止令が執行され、「売春防止法」施行される。

戦後、世間の様変わりで、女性にそう言う犠牲を強いる事は【社会合意】から外れ、現在では過去のその事実だけでも、相当に後ろめたい気分が、風潮の主流なのである。

軍の要請で、占領地に進出した【娼婦館・女郎屋】であるが、基本的に戦争と言う【異常心理の中での可能性】と言う前提があっての対策である。

だが、この行為は相手国には評価されない。

つまり、【戦争そのものが犯罪】で有り、他国への【軍の進攻そのものがレイプ】なのである。

そう言う意味では、何を言われても仕方が無い。

だが、【世界でも稀な良心的軍隊】の一面があった事を証明出来るのが、【従軍慰安婦問題】の側面でも有る。

この性の問題、【忘れがち】だが敗戦後の米進駐軍占領時代に、臨時日本政府は性的治安に危惧を抱き【性の防波堤】として、「やまとなでしこ」を募集した。

どちらにしても、こうした起こり得る「性の本音」に、現実的な対処をしている所を見ると、建前は民衆に押し付けていても、本音がある事は充分に承知していて、それを使い分けるのが「二枚舌の国家権力」と言う事に成る。

募集され女性達が、無理解な一般の人達から【パンパン又はオンリー】等(など)と卑下されながらも、【尊い犠牲】の上での占領米軍人の暴走対策とした生々しい事実は、戦後直ぐの混乱期に於ける「遠い記憶」になりつつある。

つまり、米進駐軍占領当時の臨時日本政府は、少なくとも人間の本音を、重要対策要件として考慮していたのである。

【強制連行】と【従軍慰安婦】は、事実関係が限りなく怪しい。

これは、戦争の【負の遺産】であるから、どちらかと言うと問題を先送りにして来た過去の官僚、政治家に責任がある。

本来、その【リアルタイムに至近で有るほど】実際に近い検証ができ、【世間の物差しのメモリ】も互いに近いと言える。

六十年も経つと、「身売り」等と言う当時の感覚はなくなり、先方の言い分も「現在の物差し」が基準になる。
これは、【歴史認識問題】も同じで有る。

日本の政治家、官僚は、歴史認識問題の論議に【日本式な蓋をし続けて】他国民の感情をこじらせてしまった。

他国政府から言われ続けている原因が、自分達の先送りにある事に、日本政府は気が付いていない。

いずれにしても、「本音」を捨てた日本は、「性に関して」建前だけの思考に終始し、その建前以外にある真実には蓋をし続けて、恥じる事を知れない。

そうした社会環境の中で育った人間が、建前に頼って思わぬ本音に出会った時が、心配である。
私達の、妻に対する危険な賭けは、注意深く進んで居た。


(第二の処女)
蒼い危険な賭け・京香◆
第九話(第二の処女)


娘が学校から帰る前に、私達は竹中邸を辞した。

道筋の民家の庭の桜木には、満開には少し早いが花がほころびている。

「暖かく成って来ました。」

妻がうれしそうに言った。

妻はこの所、ノーブラ・ノーパンの薄着で街を連れ廻されていたから、妻には少し寒さが堪(こた)えていたのかも知れない。

人間贅沢なもので、「無いものねだり」と言うか、劇的に波乱な人生ならその苦労を嘆き、平穏無事でも退屈に成る。

だから自分では飛べないくせに、平凡な日々にウンザリしている主婦が大半である。

そう成ると適度に刺激が有る生活が必要で、降って湧いた刺激的な出来事に心弾ませる事も有るのだ。

朝から酒を飲んで、妻にあれだけの遊びをさせた。

これからは毎日が楽しいだろう。

人生、これでなければつまらない。

私と岩代は地上げの交渉の仕事に向かい、妻と細君は家に帰って行った。


夕方帰宅すると、妻がいつもの様に食事を作って待っていた。

今夜も早々と全裸である。

娘は「もう風呂に入れた」と言う。

食事を終え、一時間ほどテレビを見て、娘の宿題を見てやる。

まだ低学年だから、理解させるのが大変だった。

「この娘、寝かせてきますから。あなた、お酒、今夜も飲みますでしょ。」

妻の「今夜も飲む。」の意味は判っている。

「あぁ、飲むよ。」

妻は、「寝かせつけたら用意しますから。」と言って、ソファーのテーブルに私の湯飲みに入れたお茶を置いて二階に上がった。

私はソファーの上に転がって天井を見上げた。

きっかけになる節穴が見えた。

ふと、もしや岩代も「こちらを覗いて居たのではないのか?」と疑惑が湧いた。

テレビを見ながら、タバコを二本ほど吸った。

「お待たせしました。」

妻が台所からお湯割りの焼酎を持って来た。

完全にその気に成っているのか、風呂上りの全裸でそのまま私の帰宅を待っていたのである。

そうなれば、今から犯る事は決まっている。

私は立ち上がって、ベルトを緩め、黙って下半身を露出して座り直した。

「今夜は私も、お酒を少し頂きます。」

妻は私の左横に座り、少し腰を浮かして左手をテーブルの上に伸ばし、自分のグラスを持ち上げると口に運んだ。右手は私の欲棒を握り締め、ゆっくりと上下を始めた。

また妻が、岩代に教わった通りに身体を寄せ、私に柔らかい肌を押し付けてくる。

余程長く裸で待っていたのか、妻の肉体(からだ)はヒンヤリと冷たかった。


性行為を猥褻(わいせつ)と感じるのは性行為を愉しむ感性を持った人間だけで、第一人間のオス(男性)は、猥褻(わいせつ)感が無いと欲棒の勃起すらおぼつかない厄介な生物である。

裏を返せば、性行為を愉しむ感性を持って居なければナチュラル(自然体)な生き物として子孫繁栄の生殖行為である。

そして擬似生殖行為(生殖無き性行為)を愉しむ感性は人間だけの授かりものである。

つまり人間と言う脳が複雑に発展した為に生じる寂しさや空(むな)しさの苦悩から、心を癒す為の手段として繁殖期を持たない擬似生殖行為(生殖無き性行為)を愉しむ感性を神から授かって、猥褻(わいせつ)感が生まれた。

従って、猥褻(わいせつ)感が生まれた経緯からして、本来、猥褻(わいせつ)行為は忌み嫌うものではなく、愉しむものである。

そこが今まで妻の里美に欠けていたから、私は性的に面白くも何とも無い人生を送っていた。

それにしても、刺激が在る人生は他に変え難い魅力がある。

犯らせて見れば、邪(よこし)まかも知れないが愛妻が他人に犯されて善がっている光景も、正直犯されて居るのが愛妻故(ゆえ)の格別な興奮で、嫉妬よりも勃起物だった。

私がそう言う事であれば、妻が見ず知らずの他人と犯って、その快感に途中から腰を使い出し善がり声を張り上げても仕方が無い。

言うまでも無いが、「見ず知らずの他人相手」と言っても知り合う前は誰でも他人だから、肉体(からだ)の方は誰とでも犯れて感じるように出来ている。

つまり犯る気に成りさえすれば、誰と犯っても快感は得られるのである。

男だって同じだが、元々性欲は種の保存本能として備わっているから性交の快感は神からの授かり物で、犯れば気持ちが良い様に肉体(からだ)が出来ていて不思議は無い。

最初は理屈や理由で始める知らない他人相手の性交でも、いざ犯ってしまえば後は体感で「気持ちが良い」と反応するのが偽らない性交の結果である。


発想が自由でなければ斬新な思考は創造(う)まれない。

その性格上、事性接待に於いては何を犯られようが犯らされようが、いかなる性行為に於いても女性に否応(いやおう)の人権は無い。

つまり甘んじて犯られっ放しが愛奴隷のルールである。

一度その禁断の性行為を経験してしまえば、その強烈な快感体験に、次は妻の肉体(からだ)が狂惜(くるお)しい位その強烈な快感を愛欲(いとほし)くなる。

そうなれば、その現実を妻も認めざるを得ない。

つまり妻の肉体(からだ)は、出資者各位の「ご愛用」と言う事である。

何しろ熟れた美人の他人妻(ひとずま)が据え膳で抱けるのである。

勿論(もちろん)こんな美味(おい)しい話を誰が遠慮などするものか。

素直過ぎる今の妻は、謀らずも出逢ってしまったあの乱交の、犯られ捲くった極上の官能に魅入られて、その再びの想いに操られて居るのかも知れない。

一歩踏み出せば人生が変わるのだから、どうせ踏み出すなら開き直って「大胆に中央突破」がもっとも効果的で気持ちが良い。

独立事業を目指して、自らの覚悟で犯ってしまった妻は、もう引き返せない所までドップリ浸(つ)かってしまったのだから、どうせ卑猥(ひわい)な人生なら、いっそ大胆に血湧き肉踊る遊びを「夫婦で犯れば良い」と言う事である。



あれは、夫のお仕置きだったのです。

承知の上だったからこそ騒ぎもせず、夫は目の前で平然と私(里美)を大勢の他人に輪姦を犯らせて、明らかに楽しんで見ていました。

そのシュチェーションは、本来なら怒(いか)る所かも知れませんが、意外にも私(里美)に被虐の快感をもたらせたのです。

とにかく休む間も無く、入れ替わり立ち代り犯され続けて責められると、感じ過ぎて気が遠くなります。

それも産まれて初めて私(里美)が味わう、脳みそが溶けるような強烈な快感で、ふしだらかも知れませんが、「こんな良い思いがあるのか?」と思ったのです。

しかもそれが、「夫に見られながら犯られている」と思うと、強烈です。

思ったのですが、私(里美)が夫を愛しているからこそ、夫が私(里美)を大勢の他人に輪姦を犯らせて楽しんで要る事を、怒(いか)るより被虐の快感に成ったのではないでしょうか?

つまり肉体的な刺激に加えて、「夫の目」と言う精神的な刺激が凄く重要な役割をした事は、私(里美)が夫を愛しているからこそ名のです。

その愛する夫が楽しめる事を犯って、私(里美)が良い思いが出来るなら、それは犯っても良い事なのだ」と気が付いたのです。

私(里美)、大勢の他人に輪姦を犯られ、強烈な快感を味わいながら思ったのです。

どうも現在の世の中、SEXについての権利義務の認識が、入り口で間違っているような気がするのです。

SEXにおける認識は男女五分五分の筈で、本来男女どちらかに責任を被(かぶ)せるべきものではないのです。

つまり、「犯った事の責任を持つ」と言う前提の上で、SEXにおける権利義務は自由同格なのです。

それが、どこでどう間違ったのか誤解されて、「男だけがスケベ」だとか、「スケベで無い女性が高級である」などと言う認識が一人歩きしています。

「貞操観念」とは、女性が自分を大切に守る為の思想です。

しかしそれは、多分に受身のもので、家族制度の延長にある思想で、確かに望まない妊娠を避けたり、良い結婚をする為の条件として「貞操観念」は必要です。

それでもその「貞操観念」が存在する最大の要因は、他でもなく男性側の「独占欲」なのです。

男性側に、「独占欲」と言う身勝手な欲望が存在するからこそ女性に「貞操」を要求し、それに価値観が認められるからこそ、貞淑な女性に価値が産まれます。

夫は、全て承知で岩代夫婦とあの輪姦(まわ)しを仕掛けたようです。

でも、あの時大勢の他人に確り輪姦を犯られていた私(里美)は、誰の責任でもありません。

私(里美)が間違った認識で夫に接していた結果ですし、あの夜岩代さんの所へ行く決断をしたのも、裸に成って縛らせたのも私(里美)が決めた事でした。

三人の企(たくら)みに嵌(はま)って二時間も輪姦(まわし)を犯られてしまいましたが、つまりこれは、今まで性に対して頑(かたく)なだった私(里美)に、身を持って知らしめる為の手段だったのです。

私(里美)の場合は、犯られて見て初めて知ったのですから、私(里美)の心境の変化を、犯られた事の無い女性(ひと)にトヤカク言われたくありません。


考えて見れば、性欲は「男女共にある欲求」であるのが、当たり前です。

それで無ければ種の保存(子孫を残す)と言う最低限の生物行為が為されない事に成ります。

それに付帯して、他の生物と違う高度な働きを得た人間の脳に対し、苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の「擬似生殖行為(快楽性交)」として、生殖を伴わない「癒されたいSEX行為」の合意が、人間の意識の中に「必要な行為として与えられた」と言います。

つまり、他の動物に無い「擬似生殖行為(快楽性交)」も、癒されたい精神的バランスの為に必要だから与えられた神の恵みなのです。

必要な「癒されたい」が男女共にあるものなら、それを解決するには何が必要なのでしょうか?

夫婦の合意として、「貞操観念と独占欲」と言う妖しげな思考を、見直す本物の愛情が、最も必要なのです。

しかしそれは、口で言っても中々理解され難い事柄です。

だからこそ夫は、私(里美)の身体に「擬似生殖行為(快楽性交)」と言うものを良さを教えたのではないでしょうか?

頑(かたく)なだった私(里美)が、今まで夫に詰まらない思いをさせた事を考えると夫には済まない事をして居たし、今回こうして私をお仕置きをする事で、それに気が付かせてくれた夫には感謝しています。

私(里美)に言わせれば、世の女性はその認識(社会風潮)が、実は男性の「独占欲の陰謀に乗せられた結果だと、誰も気が付いては居ないのでは」と思います。

少なくとも夫は、「愛が無い」とかでは無く私(里美)に「擬似生殖行為の良さ」を思い知らせる為に、男性の「独占欲」を放棄して、私(里美)に他人と犯らせてくれたのです。

私(里美)は、夫に見られながら他人に犯られていて、そこに気が付いたのです。

あれだけの事を夫の前で犯ってしまい、感じて善がる所を見せてしまいました。

私(里美)の女性(おんな)を、あれだけあからさまに曝(さら)け出せば、もう二度と元の私(里美)には戻れません。

私(里美)は竹中さんから「夫婦喧嘩をすると、奥さんが利口かバカかはすぐに判る。」と教わりました。

竹中さんに言わせると、バカな女は何の徳にも成らないのに自分の言い分を強情に言い通してけして譲らず、「益々揉め事を大きくする。」と言います。

反対にそれが利口な女なら、揉め事を大きくする前に「夫の欲棒にシャブリついて股を開く。」と教わりました。

それが男を誘導し結果勝利するコツで、何にも「男に負けた事には成らない」と言うのです。

ともすれば夫婦生活の事など放り勝ちに成り易いのですが、岩代さんには「夫婦の間柄でも、時々違う景色も見せなければマンネリ化は否めない。」と教わりました。

確かに私(里美)の違った景色を見せた事で夫婦生活に刺激が戻り、夫は怒るどころか一層私を慈しんでくれて居る様です。

要は「素直になれば愛される」と言う事で、折角夫が、私(里美)の身体に教えてくれたのです。

これからは、引き返す事無く、夫が欲求する女性に成って生きて行かねばなりません。

岩代さんに教えられ、全裸でおシャブリのサービスしながら夫の晩酌の相手をして、積極的に成った私(里美)を、夫は喜んでくれました。

それにどうやらこれは、「私(里美)が困らないように」と、接待の予行演習を、夫や岩代さんがさせたようなのです。

キット竹中さんから出された課題も、接待の訓練かも知れません。

ゲスト様のお愉しみの性プレィ遊戯に興醒(きょうざ)めは厳禁なのですから、愛奴隷は口答えもプレィ拒否も赦されないのです。

プレィの内容は勿論フルカバー、つまり私(里美)に要求されるプレィ内容は無制限でNGは無しのボランテイア・セックスで、正にM(マゾ)性のハードボイルドな世界でした。

ハードボイルドを直訳すると「カタユデ」つまり良く火を通した茹で物の事で、固茹(ゆで)転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格に批判を加えない客観的で簡潔な手法の世界なのです。

つまり、批判を加えない客観的で簡潔な手法でゲスト様にお愉しみ頂くのが、愛奴隷の心得なのです。

岩代さんや竹中さんが仰(おっしゃ)る理屈は私にも理解出来ました。

私達は自ら起業するのですから、他人を超えて行くには「他人と違う事」に思い切って兆戦しなければならないのです。

お金も力も無い私達ですから愛奴隷接待は強力な武器で、つまり兆戦者の私達夫婦は他人と同じ事をしていて他人を越える事は出来ないのです。

企業も他社と違う事に挑戦しなければ発展しないのは同じなのですが、そこで走り勝ちなのが合法スレスレか違法行為をするから企業倫理が問われる事になるのです。

その点で愛奴隷接待は法的に想定外ですから世間に知られれば批難はされるかも知れませんが、私(里美)が割り切ってしまえばまぁまぁ安全で有利な手段なのです。

普段の生活は別段変わった事は無いのですが、只一つ愛奴隷に成ってからは岩代さんに爪を伸ばす事を禁じられました。

おシャブリの時に、お相手のア*ルに指を挿し入れて刺激しながらシャブる業(わざ)が出来ないからです。




「ねぇ、私、お風呂で指を入れてみたのです。」

「指を?」

「だって、竹中さんから宿題を頂いたでしょ。」

「あぁ、その事か。それで?」

「私、どうしたら良いのか・・・。お尻には、入りそうに無いですもの。」

妻の困惑した顔が、真剣な表情に変わった。

「それは、何とかしないと上手くない。お前、次は自分の番だと竹中さんに簡単に返事をして、どうする積りだった。」

「でも、あの場で私はア*ルは犯りませんとは言えないでしょう。」

妻が、必死な勢いで反論する。

「俺には何もしなかったのに、他人に言われれば何でもハイハイと・・・・。」

私が嫌味を言うと、妻の右手に少し力が入り動きが早くなった。

グラスから一口すすってゴクリと飲み干すと、またすすって飲み干す。

妻の肉体(からだ)に赤みが差して来た。

「だから、あなたに相談に乗って欲しいのに・・・。」

言いながら一杯目のグラスを飲み干し、二杯目を注いでいる。

「あれは、結構慣れるに大変らしからなぁ、それに俺一人ではやり方も判らない。」

「それじゃあやっぱり、岩代さんに相談した方が良いのかしら。」

二杯目もグビグビと、喉を鳴らして飲みながら、妻は岩代に相談する話を持ちかけた。

妻はあせっていたのだ。

「相談と言うより頭を下げてお願いして、訓練と言うかア*ルを開発して貰って、ア*ルSEXを仕込んで貰らわないと駄目じゃないかな。」

「やっぱり、そうですよねぇ。あなたさえ良ければ、お願いして仕込んで頂いて良いかしら。」

「お前、岩代にそんな事を頼んで恥ずかしくないのか?」

「そりゃぁ、恥ずかしいです。でも、竹中さんを怒らせても困るから・・・」

そうそう、納得出来る理由さえあれば妻は安心して自分のア*ルを開発してア*ルSEXを仕込んで貰うと言う卑猥な相談もする。

「そうだなぁ、竹中さんを怒らせても困るなら岩代達夫婦に仕込んで貰うより仕方がないだろう。じゃぁ、頭を下げて頼むか。」

「はぃ、そうさせて下さい。」


エクスタシーとは特に性的な快感に浸(ひた)っている恍惚状態であるが、実は妻が生まれて初めてこのエクスタシーを感受したのは、羞恥心と被虐感に味付けされた拘束輪姦(縄掛けまわし)の、息つく間もない学生達との果てし無い連続性交の体験中だった。

それで妻は、エクスタシーに到るには「場所と情況と言う味付けが必要」と痛感した。

輪姦(まわし)に掛けられている最中に、夫との性交では味わった事がないフト気を失う様な恍惚状態に落ちて時間が止まり、ファッとした感覚で抜き挿しされるに任せた時、「これがエクスタシーた」と妻は確信したのだ。

それで今の妻は、一気に今までの貞操観念を取り払って新しい性行為にもチャレンジ(挑戦)する姿勢に替わっていた。


「あなたが良いと返事をしてくれて、やっと安心しました。」

妻は結論を聞くと二杯目も飲み干し、立ち上がってソファーに座る私の前の床に座り込んだ。

乳房を膝に押し付け、足の指で私に花弁を探らせながら欲棒を咥(くわ)えて口で扱(しご)き出した。

格段に上達した所を見ると、このおシャブリの方法もどうやら岩代の仕込みで有ろう。

いずれにしても、妻は竹中氏の宿題を真剣に受け入れる準備をしている。

面白いもので、M感が強い人間が一度無抵抗に操られ弄(なぶ)られる性的な被支配の快感を味わってしまうと、只の性交では物足りないほどにそれが病み付きに成る。

流石(さすが)に本人も、犯る前は「そんな事は出来ない」と思っていた居たかも知れないが、今は素っ裸にされて麻縄で括(くく)られただけで、これから弄(なぶ)られる期待で胸キュンでは妻にはその資質が「充二分に在った」と言う事である。


しかし、シャブらせながらの酒が旨い。

僅(わず)か一月で、妻のこの変わり様は何なのだ。

私の今までの妻へ接し方は間違っていたのか。

「お前変わったな。急に積極的に成ったものだ。」

「だって、岩代さんに耳元で囁(ささや)かれると、ついその気に成りますもの。」

妻の言を聞いて、それが岩代に関わる説明の付かない現象である事を知った。

それはそうだろう。

ズット首をひねって「おかしい」と思っていたが、幾ら何でも岩代に何か不思議な力でもない限り、そうそう上手く事が運ぶ訳が無い。

「アァ、ウ〜ン。」

突然、私の全身に快感が走る。

気分がたかまったのか、私の欲棒を咥(くわ)えた妻の首の動きが何時もより早い。

気持ちが良い。

妻の全身が、アルコールで赤く染まっている。

まだ、面と向かって私にア*ル調教の話を言い出すには、酒の力が必要な内容かもしれない。

それだけ必死なら、上手く事が運びそうだ。

「相談事は判った。明日、会社でお前の希望は岩代に告げて置くので、夜にでも一緒に頼みに行こうか?」

「ホワぃ。」

張り詰めた私の欲棒を咥(くわ)えたままの妻の返事は、こごもって聞こえた。

私や岩代夫婦が画策して、妻に取って見れば突然勝手に運命を変えられた事になる。

所が、どうやら妻は嵌(は)まった輪姦(まわし)の罠がそれなりに気に入るほど気持ち良かったらしい。

確かに、平凡な主婦業より遥かに刺激的で、一度犯って味を占めた上に「独立話」と言う必要とする大義名分があり、犯っても「夫婦間で波風が立つ恐れがない」と成ると、大胆に変身した方が得策ではある。

だが、これは「私の想像以上に妻が変身した」と言う事で、私には岩代の怪しげな「気に拠る不思議な力の影響ではないのか?」と言う疑念が、心の隅に引っ掛かっていた。

しかし、どこで狂ってしまったのだろう?

身持ちの固過ぎて性的に面白くも無い妻への不満から、ひと時のときめきと安らぎを求めて軽い気持ちで始めた事が、この後戻りの出来ない情況まで岩代に誘導されて夫婦でスッポリと嵌(はま)ってしまった戸惑いが残った。



考えるに、SEX行為の何処までがノーマル(通常)で、何処からがアブノーマル(異常)なのだろうか?

明治維新後タブーに成った部分だが、ハッキリ言えば女性の肉体には男根を受け入れる穴が三つあり、男性の肉体にも穴が二つある。

つまり衆道(男色)・稚児小姓は、その二つを使って主(あるじ)と性的な行為をする事である。

現代の思想信条や社会合意を基準にすると、確かに稚児との男色(衆道)の交わりは異常(いじょう)な行為である。

ただし現代のように男性同士に偏った個人的な性癖ではなく男女両刀使いが一般的で、そして明治維新前の主従関係では、それは上流社会の嗜(たしな)みとして公然と認められていた。

従って日本に於いては平安末期から明治維新までの永い間、肛門性交を否定する環境に無かった訳で、今は口に出すのはタブーだが行為は少し高度な行為として廃(すた)れずに残っている。

この事でも判る通り性的な倫理観など時代時代で変化する物だから、当時の性的な倫理観を現在に当て嵌めて批判するのは知的で無い。

つまり性の倫理観に於いて、何が常識で何が普通などと言うは元々刹那的な一時代の合意事で、普遍的な倫理観ではない。

残念ながら、SEX行為から快感を得るにはワクワクする「興奮」と言うスパイスが必要で、同じカップルでも付き合いが永くなり、毎度同じ相手による御馴染みのノーマル(通常)な行為ばかりではマンネリ化して興奮が薄くなる。

つまり贅沢な話だが人間の脳快感要求は複雑で、例えそれが無事なものであっても平凡・平坦・無変化ほど拷問に近い退屈を感じ、それがやがて不満に成る。

夫婦生活に於いて愛情は大事な要素の一つではあるが、永い年月を伴に暮らすにはそれだけでは埋め合わせない。

人間は適度の「興奮」の為に恐怖や冒険、異常体験などの刺激体感を必要とする。

興奮が薄くなれば、SEX行為は覚めた面白くないものに成り、その段階で何故かアブノーマル(異常)が「興奮」の条件になるからマンネリ化すれば、危機回避の為に「興奮」を要するようになり、夫婦で段々アブノーマル(異常)な行動に走る。

只、普通の夫婦はそうした冒険には中々踏み込めない。

普通の夫婦には「アブノーマル(異常)なSEX行為が相応しくない」と信じられているからである。

そこでアブノーマル(異常)な性衝動を「不謹慎」と押さえ込む夫婦もいるが、そのマンネリ感は無言の内に増幅し、結果、外でその「興奮」の乾きを癒(いや)そうとして浮気に走り、家庭崩壊を招く夫婦も少なくない。

それ故、どこかで均衡を保つ為のガス抜きを脳が唆(そそのか)し、「こんな事は子持ちの人妻にあるまじき行為」と思われる背徳の香りが、「心地良い興奮」を

そのノーマル(通常)とアブノーマル(異常)線引きは人それぞれで、歴史的な時代背景や個人の感性で違うのであるから決定的な答えは無いのだ。

答えが無いものなら、夫婦間の合意がSEX行為の許容範囲の筈で、ノーマル(通常)とアブノーマル(異常)の線引きなどは関係が無い話なのである。

つまり各自が「ここまでは許せる」と引いた線が許容範囲で、他人にそれをアブノーマル(異常)と決められるのも実はおかしな話しで、夫婦が合意なら気にする事もない理屈である。

幸い私達夫婦の場合、「自分の事業を始める」と言う納得させられる立派な言い訳が出来、しかも岩代夫婦と言う私達夫婦をリードしてくれる者が居た。

それで私達夫婦間にも、刺激体感による「興奮」と言うスパイスが戻って来て人生が変わった。



翌朝私が出社すると、岩代が何食わぬ顔をしてデスクで書類仕事をしていた。

「おはよう、昨日はご苦労さん。」

「アッ、所長こそお疲れさんです。接待上手く行きましたね。」

「いゃあ、君のアドバイスのおかげだ。チョット打ち合わせしたいのだが。」

「はぃ、応接に移りましょう。」

何しろ昨夜の事は社内では話をし難く、社内で岩代との密談に密室に成れるのは応接室くらいのものである。

若い女子事務員が、お茶を持って来た。

男二人が、良からぬ計画を話しているなど、思いも寄らないだろう。

「内の奴が、竹中さんの宿題の件で、君に頼みたいと言っているけど。」

「やはり心配で、言い出しましたか。奥さんに自分から頼まさせれば、少々手荒く仕込んでも、文句はないでしょう。」

「手荒くか?」

それには応えず、岩代はニヤリと笑みを浮かべた。

「どうです、晩酌は?」

「あぁ、おかげで気持ち良い旨い酒を飲ましてもらっている。」

「今の女性は愛に拘(こだわ)り過ぎて、SEXを愉しむのは罪悪だと、馬鹿げた事を思っている。奥さんも段々真理が判って来ます。」


家に帰ると、妻がエプロンで手を拭きながら台所から出て来て迎えた。

小学生の娘は、もう遅いので食事を済ませて寝ていた。

恐らく妻も、岩代の所へ行く予定を意識して娘を早く寝かせたのだろう。

「晩酌をしながら話をしよう。」

「はぃ、今支度します。」

晩酌と聞いて、妻の動きが慌(あわただ)しく成った。

近頃人が変わったように素直で、早速お決まりの「晩酌スタイルになろう」と言うのである。

妻は慌てて焼酎の水割りを作り、私の見て居る前でエプロンを外し、着ていたセイターを脱ぎ、スカートのハスナーを下に下げ床に落とすと、足元に落ちたスカートから足を左右順番に抜き取った。

薄いピンク色のレースのブラジャーと同じく薄ピンク色のレースのパンティが現れたが、見慣れているはずの妻の下着姿に胸がときめくなど、我ながらつくずく男と言う生き物の性(さが)は、哀しいものである。

妻は、続いて手を後ろに廻してブラジャーのホックを外すと、立派に存在を主張している乳房がこぼれ出た。

パンティ一枚になった所でパンティを一気に下げ下ろし、それも足から外してスッポンポンに成った。

全裸の妻を居間で眺めるなど、以前には考えられない快挙だった。

「それでな、昼間岩代に相談があると告げて置いた。あれを今夜九時過ぎに頼みに行こう。」

「お尻の事、忘れずに言って頂けましたのね。」

余程思い悩んで居たのか、妻が安堵の表情をした。

急に、「こいつ、自分が何を頼みに行くのか考えているのか?」と思えて、意地悪をしたくなった。

ここまで来たら大した差は無い。

私は「こいつ、出かける前から素っ裸にひん剥(む)いてやる。」と、腹の中で思った

どうせ岩代が言うに、トコトン仕込んで置けば、何にでも応用が利く。

「それでナァ、岩代が、旨い晩酌はしているかと聞くから、おかげで酒が旨くなったと応えると、奥さんに、人にものを頼む時はそれなりにする様に伝えて下さいと言って、晩酌の格好でそのまま来いって言ったぞ。」

「えっ、晩酌の格好そのままですか?」

妻は直ぐに「全裸で来いと岩代が言っている」と受け取った。

「だいぶ暖かく成ったし、直ぐ隣だ。それに夜の九時過ぎだし、走れば直ぐだろう。」

「そりゃ直ぐですけど、ヤッパリご近所に見られたりしたら。」

「良いじゃないか、見られたって。どうせ独立が軌道に乗れば、一戸建てに引っ越す積りだ。披露の時は君の親友のキミチャンも呼ぼう。」

「車も買わないと・・・。何時までも会社の名前の入ったライトバンじゃ・・・ネェ。」

「だからぁ、隣に素裸で行く位らい良いだろう。何しろ札束が飛び交うご時世だ。」

「そうですね。岩代さんが言っている事だし、こう成ったら私、なりふり構わずつっ走(ぱ)しらないといけないのね。」

どうやら私の命令はともかくパートナーの岩代の命令なら、妻は「断れないから仕方が無い」と自分を納得させられるらしい。

単純と言えば単純な話だが、妻は自宅から全裸で隣に出かける事を何時(いつ)の間にか納得して居た。

興奮しているのか、乳首が立ちっ放しだ。


夜の九時過ぎ、玄関の明かりを消して二人で岩代家の玄関に向かった。

夜空には白く輝く三日月が妙に輝いて浮かんで、星も瞬(またた)いていたが、落ち着いて眺める余裕は私達夫婦には無かった。

時折前の道を通り過ぎる車のライトを掻(か)い潜(くぐ)るように暗闇を利用して、隣の玄関に移動した。

勿論岩代の方は玄関灯を明々と灯っている。

チャイムを鳴らした後、岩代が降りて来るまで、全裸の妻は私の着ているジャージの端を握り締めて道路の方を盛んに気にしていた。

まだ、第三者に見られる事には恥じらいも抵抗もあるが、それで良い。

私の手で、仕込む楽しみも無ければ詰まらないのだ。

妻が素っ裸で外を歩くのは、僅(わずか)数メートルで、時折、車のライトが灯かりを放って通り過ぎるが、ほんの一瞬妻の裸体を浮き立たせるだけだ。

近所付き合いは無いから、滅っ多に夜尋ねる客はない。

多分この小さな冒険も、二〜三度してしまえば妻も慣れて度胸が付く。

チャイムだけでは待ち切れず、隣の玄関先で、「今晩わ〜」と声を掛けた。

「は〜ぃ。」と岩代の返事が聞えてからは、えらく時間が長く感じられる。

ガラリと音がして玄関が開くと、妻は慌てて「今晩ワ。」と小さく挨拶をした。

妻は早く中に入りたい風情だが、私はわざと玄関先で「済まんな、厄介事を頼んで。」と、挨拶をした。

「やぁ、いらっしゃい。酒、用意してありますから。入って二階にどうぞ。」

岩代は妻の全裸の来訪には触れず、ニャッと笑って、中に案内した。

私は妻を先にして階段を登らせ、目の前で動く妻の尻を指差して、岩代に「今度から、飲みにこちらに伺う時はこの格好にさせますから。」と言った。

「えぇ、それが良いです。」

岩代が応えながら、後ろから妻の股間に手をやった。

妻が「ビクン」反応したが岩代は構わず触っていて、勿論その岩代の手を妻は振り払う事が出来ない。

「もうビショ濡れですよ、奥さんの此処。」

蒼いジュータンの部屋は、相変わらず蒲団が中央に敷いてある。

細君(京香)が今日も全裸で待っていた。

「今日は妻の頼み事ですから。」

私は妻を手前の廊下に正座させ、「自分でチャンとお願いしろ。」と告げた。

「済みません、竹中さんの宿題が出来るように、私を仕込んで下さい。」

「竹中さんの宿題って・・・えぇと。」

「あのぅ、お尻に入れる話です。確かめたのですが、指も入り難くて自信がありません。」

「あぁ、その事ですか。里美さんは以前に経験が無いのですか?」

「済みません。一度もした事が無くて・・・」

「困りましたね、それなら一週間じゃ奥さんを仕込むにしても毎晩じゃないと間に合わない。」

「でも、竹中さんにお約束してしまいましたから・・・何とかしないと困ります。」

「それじゃあかなり強引になりますけど、良いですか?少しくらいの事は我慢してもらわないと使い物には成りませんよ。」

「我慢は構いません。済みません毎晩お手数を掛けますが、宜しくお願いします。」

妻は手を着いて頭を下げた。

「奥さん、本当に良いのですね。」

「はぃ。お任せしますので、お願いします。」

「それじゃ、ここに来て座って下さい。また奥さんを縛りますから。」
「はぃ。」

「基本的な事は内の京香にやって貰いますから。今夜はまず浣腸で中を綺麗にしてから始めましょう。」

岩代が、妻に聞こえるように私に言った。

蒲団の上のビニール製の敷物が敷き詰められ、妻は前回の輪姦(まわし)の時の様に岩代に後ろ手で拘束された。

今は尻を大きく突き出した姿勢で、うつ伏せに成っている。

「奥さん、中を綺麗にする為に、これから石鹸水を二百CCお尻に入れるけど、出来るだけ我慢するのですよ。」

「はぃ。」

細君(京香)が、注射器の太い奴のような注入器に用意した洗面器から石鹸水を吸い込んでいる。

液が泡立ちながら注入器に吸い込まれいく。

「本当はグリセリン溶液が良いのですけど、生憎切らしていまして。明日、奥さんに薬局へ買いに行かせてください。」

「判った、自分が使うものだ、自分で買ってこなければ失礼だ。」

「里美さん、入れるわよ。」

「はぃ、お願いします。」

浣腸は妻にも、出産の時に経験がある。

覚悟を決めているのか、妻はジット待っていた。

細君(京香)が、注入器の先端を妻のア*ルの蕾に充てがい、「クッ」とねじ込んだ。

細君が注入器の後ろを押し、中の石鹸液が妻の体内に吸い込まれて行く。

「どうです、里美さん?まだ大丈夫ならもう一本入れるけれど。」

「はぃ、少しだけ痛いですけど、まだ何とか。」

妻が応える頃には、細君(京香)は吸い上げを終わり、二本目の抽入を始めていた。

「京香、奥さんは今日が初めてだからそこらで止めて、栓をしとけ。」

妻のア*ルには細君によってゴム製の栓が押し込まれ、前の花芯はタマゴ型のバイブでビーンと撫でられている。

暫(しばら)くすると、妻の身体が細かく揺れ始めた。

それも、三十秒もするとタマゴバイブの快感と、断続的に起こる排便の要求の二つに耐えて悲鳴の様な声を出し始めた。

「あの、ウッ、出そうです。」

「奥さん、もう少し我慢して居なさい。」

強い口調で妻に我慢を強いた岩代は、もう少し妻を嬲(なぶ)る積もりだった。

「はい。」

「良し、所長、私が口に入れますから、所長はオマ*コの方に入れてやってください。」

「浣腸したままか?」

「ですから、これが締まってまた犯る方は堪(たま)らないですよ。奥さん良いね。」

「はい・・・・・。」

妻の尻を持ち上げ、私が後ろから花弁に勃起したカリ首を宛がい、「グイ」と奥に欲棒を抽入ると、何時もと違う感触がまとわり付いてくる。

思ったほど抵抗感が無いのは、蕾が解(ほぐ)れている証拠か。

「アアアアア、アアアアア、出そう、アアアアア、出ちゃう。」

私の抽送に合せ、妻が苦しそうに耐えながら、鳴き声を発している。

その妻の口に、岩代が欲棒を捻じ込んだ。

妻の身体の中は、熱く成って潤みを増し、微妙に律動して明らかに何時もとは違う。

快感と排便を耐える異様な板ばさみに、妻の身体からは冷や汗が噴出して、ガタガタと全身がふるえている。

そのうち妻が、慌(あわ)てて咥(くわ)えていた岩代の欲棒を吐き出し、「済みません。お腹がグルグルしてもう限界です。」と、耐え切れない様に助けを求めた。

顔が見る見る凄い形相に変わって青白く震えている。

涙と鼻水が妻の顔をクチャクチャにしていた。

細君(京香)が、洗面器を持ってきて後ろに宛がい、「これにしなさい。」とア*ルの栓を抜いた。

「此処でですか、おトイレは?」

一瞬、抗(あらが)いを見せたが、押さえ切れずに洗面器にプシューッと音を立てて「アァ〜」と言いながら噴出した。

細君に腹を擦(さす)られながら、思ったより長く、だらだらと妻の排便は続いたが、それが止まると、「今度はお湯で洗いましょう」とぬるま湯をまた三本、細君(京香)が入れた。

どうやら岩代は、細君に里美のア*ル開発係りを任命した様だ。

中を洗って、次に進むにはもう一度この洗礼が待っている。

今度は、ぬるま湯浣腸ア*ル栓中の妻を岩代が犯している。

「ア〜ア、アア、ア〜ア、アア、きつい、出そう、アアアアア。」

「所長、中が綺麗に成ったら、無理すると裂けるので、京香に指から初めて段々に広げさせますから。」

岩代は、便意に耐えて頑張る妻に、容赦なく欲棒の抽送を繰り返しながら言った。

どうやら今度は細君の指が、里美のア*ルを犯す事に成る、同性にア*ルに指を入れられるなど、つい最近までの妻なら卒倒しかねない恥ずかしい事だったろう。

今夜は長くなりそうだ。


(ア*ル調教)
蒼い危険な賭け・京香◆第十話(アナル調教)>


これはゲームである。

こう成ると、私達夫婦の行き着く先は、果たして天国なのか地獄なのか?

しかし妻の方は、石にかじりついても、この運命から逃れる積りは無いらしい。

妻が他人の玩具(おもちゃ)に成る姿は、私の胸を詰まらせるものがある。

所が、相半ばする別の気持ちでは、その妻の痴態に、愛するが故に胸がときめくのであるから、中々歯止を掛けられないままに、とうとうここまで来てしまった。

人間、誰しも先の事は闇で、人生多かれ少なかれ思いも拠らぬ事一瞬でその人生は変わる。

妻は日常生活に閉塞感を抱(いだ)き、投資話の「好機(チャンス)」に夢を託したのであろう。

そして妻は賢明にも、内心夢を実現するには、漠然と夢を語っていれば良いものだとは元々思っていなかった。

妻は、その方法手段までは思い至らなかったが、何かしらの努力が在って初めて夢が具体化する位は察しが着いていた筈である。

そこに、このリアル(現実的)な条件の投資話が持ち上がって、竹中氏相手の裸の接待を経験し、並みの手段では夢が適わない世間の現実を悟った。

妻の血液型はA型である。

血液型がA型の女性の性格は誠実・勤勉・几帳面を挙げられる場合が多い。

A型血液の女性を調べて見ると、恋愛においても控えめで引っ込みがちな行動傾向があるが、根本的にプライドが高く裏を返せば意地っ張りだから、本音は性交(セックス)を犯りたくても素振りには出さない。

特にA型の女性は日頃の態度から品性人格が高く一見清楚であるが、しかしその品性人格に反する羞恥プレイには滅法強く反応する。

その道に詳しい者に言わせると、A型の女性は自制心や羞恥心が強いので抑圧感を抱きながら生活しているから、その抑圧感から開放される本気の羞恥プレイに出会う切欠があると、傾向的に「ズブズブの真性M(マゾ)に育つ」と言われている。

つまり、妻の里美は、本音犯りたくても素振りには出さないA型女性だからこそ、一度羞恥プレイに嵌(はま)ってしまうと、ズブズブの真性M(マゾ)行為にも誠実・勤勉・几帳面に成るのである。


事業の為に裸の接待をする。

それを一般論的に言えば、酷く非倫理な話である。

人に拠っては「信じられないバカバカしい結論だ」と一笑に付すかも知れないが、それなら悪事をすれば良いのか?

他所と同じ事をしていても、簡単に「利」を上げる事は出来ないのが世間である。

表向き立派な大企業でも、脱税から始まり、政治家との癒着、談合行為やら違法操業やら、バレないだけで大半が怪しい。

はては危険な製品の欠陥隠しなどは、間接的殺人ではないのか?

それらの、手段を選ばぬ「何でも有り」が、裏で横行している企業の利益優先の論理である。

妻にすれば、思い至らなかった方法手段が見えて、方向性は理解出来た。

交渉の接待で身体を開けば、相手が喜びスムースに事が運ぶ。

その方が遥かに具体的かつ現実的で、可能性が裏付けられる有効手段だった。

他の悪事よりは遥かに気が楽な事に、自分が受け入れれば事足りる極めて悪意性の薄い方法手段で且つ有効なのである。
・・・つまり妻は、裸の接待が「犯りがいある仕事だ」と確信した訳だ。



五分ほどすると、岩代が漸(ようや)く「ウッ。」射精をして、やっと妻は解放された。

「奥さん良く頑ん張りました。出して良いです。」

妻が尻を掲げたまま、ホットした顔で細君の充(あて)がう洗面器にぬるま湯を放出している。

「綺麗に成ったら、段々に揉み解(ほぐ)しますから。」

出し終わると、細君が声をかけてタオルで尻を拭く。


里美のア*ル調教が始った。

最初は細君(京香)が指を挿し込んで充分に揉み解(ほぐ)し、次は、私が指を入れた。

今までの妻だったら、私にそんな事はさせない。

ふざけているが、事実である。

今は後ろ手に縛られて尻を高々と上げ、誰の指も拒めない。

誰が手を出しても、「ウグウグ」と小さく声を出してやられ放題だ。

今、私の指は妻のア*ルに潜り込んでいる。

まだかなり抵抗を感じる。

「中々簡単には解(ほぐ)れないですね。」

「ハンドクリームを使えば抵抗が少ないです。これを使って見て下さい。」

岩代が白い広口のクリーム壜を手渡した。

人差し指でひと掬(す)くいして、妻の菊座に塗りつけた。

そして、その指をそのままズブリと挿し込んだ。

「なるほど、これは滑(すべ)りが良い。おぃ、どんな感じだ。」

「何か、変な気分です。出そうで、出ないような感じもするし、他の今までに無い感じもします。」

「気持ち良くはないのか?」

「気持ち良いと言う感じはありませんけど、何か変な感じが。」

「後は、京香に任せて、我々は高見の見物で飲みましょう。」

岩代がビールを勧める。何故か喉が渇くので、こう言う時はビールが旨い。


唖然(あぜん)とするほど妻は大胆に変身し、今までだったら到底考えられない痴態を晒(さら)し、岩代の特訓を受けている。

女性に取って、他人にア*ルを特訓されるなど、恥辱以外の何ものでもない筈である。

見て居て「加虐感が強い」と言う事は、妻は被虐感を味わっているに違いないのだが、フト私は、「いやに素直な妻は、果たして正気なのか?」と、疑問を持った。

それとも妻は口にこそ出さないが、「被虐の喜びを知ってしまった」と言う事か?

岩代と言う男は、奇妙な術「気」とやらを操り、油断がならない。

それとも単に、妻が「何か掴(つか)み取った」と言う事か?


今度は妻が仰向け状態にされて、背中側に通した縄で両足首を固定された開脚状態にされて、ア*ルに刺激を受けている。

細君(京香)がタマゴバイブで妻の花芯ボタンを嬲(なぶ)りながら、ア*ルに指を入れて動かしている。

「アッ、アッアッアアー、アアァァアー。」

妻は二種類の刺激に翻弄されて、腰を震わしていたが、やがて「アッ」一声残し、天井に向かって高々と放尿を始めた。

妻は失禁したのだ。

「あぁあ、やっちゃいましたね。限界です、拘束を解きましょう。」

岩代が、縄を解いたが、妻はうずくまったままだった。

近寄ると泣いていた。

恐らく意地を張っていた緊張の糸が切れたのだろう。

ここまで晒(さら)け出すと、妻のプライドはズタズタに成っているに違いない。

急に哀れに思ったが、ここで手を引くと返って「心を閉ざすだけだ」と考えた。

「おぃ、何を泣いている。自分で頼んだ事だろう。」

そう、元を正せば自分のリクエストで調教を頼んだのだから、里美がそれにのんばめる訳には逝かない。

「すみません。直ぐまた始めて頂(いただ)きます。」

「いや、今日は此処までにして置きましょう。奥さん、明日の晩もまた裸で来るのは大丈夫ですか?」

岩代の念押しに、妻は妙に素直(すなお)だった。

「はぃ、昼間のうちにグリセリン買って置きます。」

何で、私より岩代の言う事なら素直(すなお)に聞く・・・。

少し腹がたったが、岩代の妻を誉める言葉にかき消された。

「立派、立派、その覚悟なら何とか成るでしょう。おぃ京香、所長とア*ルを犯って、奥さんに見せてやれ。」

「はぃ。」

「良いですか社長、欲棒をア*ルにスムースに入れるには角度の問題で、直腸を真っ直ぐな角度にさせるには頭を低く尻を高くすれば楽に入ります。」

「すると、伏せの格好かね?」

「えぇ、年配の人が様式より和式の方が使い易いと言うでしょ、あれは角度の問題ですから様式でも前屈(まえかが)みに成って踏ん張れば良いのですよ。」

「すると女性上位の騎乗位でア*ルSEXをする場合は、女性を前屈(まえかが)みに伏せさせる方がスムースで良いと言う事か。」

「えぇ、抱っこスタイルも結構和式の角度に近いですよ。」


細君(京香)が近寄って私の欲棒を咥(くわ)えて硬くすると、例の抱っこちゃんスタイルで私の上に乗り、後ろの菊門に宛がって「グ〜イ」と腰を下ろした。

行き成り、凄い締め付け間が欲棒を包んで来る。

私の欲棒を包み込む妻のア*ル括約筋が、肉ひだがまとわりつく様に微妙な律動とともに欲棒の根元をグィグィと締め付けて来る。

「奥さん、良ぉく見て置いて下さい。後ろは時々使わないと、元の戻って維持できません。判りますね。」

「はぃ、時々使うのですね。」

細君が私の肩に捕まって上下運動をしている。

これは気持ちが良い。

「あなたどうですか?」

妻が、気に成ったのか突然聞いて来る。

「良いよ、締まり具合が凄く気持ちが良い。」

「そうですか、済みません京香さん。内の主人を気持ち良くして頂いて。」

「大丈夫、心配しなくても、里美さんも慣れると気持ちが良くなるワ。アァァ、アア。」

細君(京香)が、妻に応える。

「そうです。慣れると奥さんも今までに無い感覚が得られます。覚えると楽しめますし、相手も喜びますから、知らないより人生ずぅっと徳ですよ。」

岩代が妻にア*ルSEXの効用を説いている。

細君(京香)の上下運動は序々に激しさを増し、受ける刺激も激しくなる。

「うっ。」

私は上り詰め、身震いして発射し果てた。

その力尽きた私の欲棒を、細君(京香)が咥(くわ)えてシャブり、愛液を綺麗に舐め取った。


岩代は不思議な人物だが、私に言わせれば細君(京香)はもっと不思議だ。

一見何の変哲も無い女性であるが、何かとてつもない謎を持ち合わせているような気もする。

何しろ、女性に有り勝ちな性への嫌悪感や羞恥心は、自他ともに微塵も無い。

彼女はそ辺りの事を、どう消化しているのか?

その事に気付いたのは、かなり早い段階だったが、日を追うごとに私のその気持ちは強くなり、確証に変わった。

それにしても、話が順調に進み過ぎる。

今回の事も言い出したのは妻で、何とも釈然としなかった。

その疑問は後で解けた。

後で聞いた話だが、このア*ル調教は妻が先に岩代に相談して、「私の了解を取り、一緒に来るように」と、予め指示をされていた。

いずれにしても、まったく無意味な性交などこの世には有りはしない。

傍(はた)から見ればバカバカしい不安かも知れないが、その場に立った私(里美)にして見れば決心はしたものの性接待の犯り方が判らなければ現実困る事になる。

この頃にはもう、妻の本格的な接待愛奴隷の調教が、私に内緒で始まっていたのだが、それを知ったのはズット後の事である。


明日の事を岩代夫婦に、妻に正座でお願いさせて家に帰った。

家に帰ると、妻が「飲み直おそう」と言う。勿論出かける前に脱いで以来、何も身に着けてはいない。

私をソファーに残し、台所でお湯割りを作って来た。

一口お湯割りを口にすると、妻は今日も私の欲棒を咥(くわ)えてシャブり始めた。

ゴムを使ったとは言え、先ほど細君のア*ルに入って居た事など構いもしない。

「お前、今日泣いたけど、あれは何だ。」

「済みません。私あなたに悪くて泣いたのです。」

「悪いって、何が。」

「私、もっと早く、あなたには、全てを曝(さら)け出さなければ行けなかったのですね。あなたにまで格好を着けて接していました。こう言う事で、今になって初めてあなたに見せる事ばかりで、申し訳ないと思いました。」


私(里美)、強がって堪(こら)えていた感情が一気に噴出し、夫の前で泣いてしまいましたが、泣いてスッキリ覚悟が決まりました。

それは幼い頃からの倫理観で、今度の接待体験は性倫理的に後ろめたさは有りました。

しかし、「独立して事業をする為」と一度踏み出してしまったものを、「嫌だ」と投げ出すのも、今度は別の観点から私(里美)の負けです。

私(里美)個人の、それもほんの一部の感情を優先するか、私(里美)の別の思いも含め、周囲と強調して目標の為に頑ん張るかの、選択の問題です。

今、私(里美)に要求されているのは、接待の性奉仕です。

正直三十年近くも生きて来た私にとって、培(つちか)った性交認識を変える事は大変でした。

でも、自己暗示を高めてイメージすると、まったく違う考えが浮かんで来ます。

性交は本能であり、最大の快楽です。

簡単に言えば、生き物として「入れるように出来ている場所」へ、「入れるように出来て居るもの」を入れて、何の不思議があるのでしょうか?

そんな簡単に割り切るべきものを、奇妙な事に、人間はそれを最大の問題として捉(とら)え、拘(こだわ)って生きています。

人間は、性に感情を持ち込むから人生が複雑に成るのです。

勿論、それを楽しむのも生き方では有りますが、その感情の発露に拠って人生が左右される事もまた事実です。

つまり人間に取って、性交の相手に拘(こだわ)る事は、「最大の弱点」なのです。

そこの拘(こだわ)りを捨て、性交の時は本能の発露に価値観を絞ると、思考が限りなく自由に成り、まったく違う生き方を選択出来る事に、私(里美)は気が付いたのです。

周囲の流れは既に出来つつあります。

そう成ると、何を主眼にしてものを考えるかは「個人の価値観の選択」なのです。

泣いて見て判ったのですが、都合の良い事に人は別の観点から考えて見る事も出来るのです。

そして、その目標の為に私(里美)の新しい役割が出来ました。

その役割を、自分が「嫌だ(ネガティブ)」と思うから堪(こら)える必要が生まれます。

だから「好きだ(ポジティブ)」と思えば、感情を堪(こら)える必要はないのです。



妻は返事をすると、また私の欲棒を咥(くわ)えてシャブリ出した。

やっと、妻は何か感じ始めた。

今までは夫婦で有りながら、線を引いて気取っていた。互いに隠す物が無くなって、初めて本当の夫婦に成るのかもしれない。

「お互い、気取っても仕方ないだろう。私はスケベではないと言う奴は、嘘つきか勘違いだ。本能は脳の別の部分で考えたり感じたりするのだから、奇麗事を考えるのは、また脳の別の部分だ。」

「そうでした。」

詰まる所、あれだけ犯られてしまえば、今までの倫理観では自分さえ騙せない。

妻は考え方を変えて、納得しなければならないのだ。

「私達、あの後も、お互い何も気持ちが変わらないですね。」

「いや、俺は今の方が、遥かにお前が愛しい。」

「それなら嬉しいのですが、何故です?」

「嫉妬交じりの、奇妙な愉快感を与えてくれるからかな。」

「私に色々させて、何も感じて居らっしゃらないと思いましたら、嫉妬してくれているのですね。」

「当たり前だろう。お前がされている所を見ると、胸が締め付けられる。」

「でも、止めろとは仰(おっしゃ)らないから、犯れと言う事でしょ。」

「あぁ、色々犯られているお前を見るのが好きだ。」

「あなたがお好きなら続けます。私も犯って見て思ったのですが、さして嫌ではないですから。」

「ここまで来て、今までとは違う楽しみも覚えてのだから、続けよう。」

「はぃ、自分の会社を持つ夢の為でも有りますから。」

無差別に相手をする事を、「最初は汚いと思ったが、一度してしまえば抵抗感は無く成った。」と、妻は言う。

結局の所、妻の心理は岩代の言う通りに成っていたのだ。

実際、妻を愛しているからこその複雑な感情はある。

しかし、それだからこそ、「それを見たい」と矛盾した欲求が湧いて来て、見れば、満足感のある中身の濃い興奮する。

性癖は誰にでもあるから、この複雑な心理が、岩代の言う「同じ匂い」の、私の感性らしい。

「その匂い」を妻が感じ取らなくてすれ違って来たのだ。

妻は、岩代を通して、そんな私を「理解した」と言う。

そして長期に渡り、自分の理想で、夫との性の交わりのあり方を、勝手に決め付けていた。

その思い遣りの無さを知って、今は悔やんでいた。

妻は、この独立の件で色々起こった事を、「チョット前からあなたにお仕置きされている。と思っている」と言う。

今までなんの思慮も無く、間違って夫に対してまで「貞淑な態度をして来た報い」そう思えば、「何があっても受け入れて行ける」と言うのだ。

「それなら、当分お仕置きが続いても犯り通すのか?」

「いぇ、当分で無く、あなたが望むならずっと。」

里美が私の欲棒を掴み、上に股ぐと「アッフン」と甘い吐息をしながら花弁の中に押し込み、ローリングと腰の上下を始めた。

「良いのだな。」

「えぇ、何でもおっしゃって下さい。私があなたの望むその事を好きになれば良いのですから。」

「どうしてそんな考え方をするようになった。」

「京香さんです。あんなに何でも出来るので聞いたら、全て夫が望む事を好きになれば良い。簡単でしょ。と言われました。」

京香さんの凄さ立派さには「改めて感心しました。」と妻は言う。

「そうか、それで考えたのか。」

「さっきあなたにした事も、京香さん心では、旦那さんにしたのでしょうね。」

「それで、お前も生き方を変えると言うのか。」

「はぃ。」

妻は貞操観念と言う奇妙な憑き物が落ちて、目から鱗が取れた思いかも知れない。

思いがけない座位ファックは続いている。

「それなら、正直に言ってみろ。それで、竹中の爺さんや岩代に犯られたり、学生に輪姦(まわさ)れて、どうだった。?」

「それは感じました。身体は刺激を受ければ感じます。」

「良かったのだろう。愛情の無い他人に犯られるのも。」

「はぃ、体の方は凄く感じました。ア、ァァ。」

「何で、良かったのに黙っていた。」

「良かったなんて、アッ、恥ずかしくて言えませんでした。アァァ。」

「良かったら良かったと正直に言って、またお願いしますと、言えばよい。」

「そう仰(おっしゃ)るなら、今度からそうします。」

「これからは、積極的に身体の快感を楽しむ様に、心がければ良い。」

「良いのですか?ァァ。」

「あぁ、お前が善がって居るのを見るのも結構楽しい。」

「それなら、私が犯られて善がって居る処を、あなたにお見せすれば良いのですか?」

「お前は、どうなのだ?俺は結構興奮させてもらって、それなりに満足だけど。」

「私はもうあなたが望めば、アア、体の方は愛情と別に考えて楽しませてもらいます。アア。」

「それで、良い。相手は大人の玩具(おもちゃ)と思って楽しめ。お前に色気がある方が俺の仕事の励みになる。」

「そうですか、私が色気を出せば、あなたがお仕事を頑ん張れますか?アーァ。」

「そりゃあ、俺の要求でするならお前がSEXをしても浮気にはならない。他の女でなく、お前の善がって居るのが見られるから良いのだ。」

「そう言う事なのですね。アァァ。私が判っていなかったのは。アァァ。」

「他の女では、同じ事をしてもそうは興奮しない。今のお前なら、詰まらない女房より遥かに頑ん張れる。」

「良いのです。自分でも満足しているのですから心を入れ替えて、あなたに着いて行きます。」

「俺は初めてお前に、本音で話せたような気がする。」

「済みません、アアアァ、私が世間知らずで。アッ。」

「判ったら、取り敢えず竹中さんの宿題、片付けないと。」

「はぃ、アァッ、何としても岩代さんに仕込んでもらいます。」

「岩代の事はどう思う。」

「あの方は、不思議です。アァァ、どう言う方なのか判りませんけど、何か判らない力を感じます。」

「しかし、極端で強引な事ばかりお前にさせる奴だ。」

「貴方は岩代さんに付いて行けないと思うかも知れなくても、私はそれでも着いて行くしかないのですもの。」

妻は、竹中の要求に応える為に「明日も岩代の教えを請う」と言う。

京香さんのように、気品のあるセクシーが、妻の課題で有る。

浣腸用のグリセリンは、いそいそと昼間のうちに薬局で買って来るだろう。

犯ると決めた以上は、妻も性接待に使い物にならなくてはどうしようもない。

岩代夫婦と竹中氏のお陰で、妻の愛奴隷調教はだいぶ進捗(しんちょく)しているらしい。

岩代の奴、彼は何を考えているのか・・・、人生めぐり合いである。

明日は、どう言う楽しい明日が来るのか?




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