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【冗談の小論】

「私の愛した日本の性文化

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日本の性文化・本文

項目別ジャンプクリック
日本の性文化・序説
夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった
誓約(うけい)
歌垣(うたがき)
ねんごろ/(懇ん凝ろ)
暗闇祭り
夜這い(よばい)
集団婚(群れ婚)
妻問婚(つまどいこん)・妻間婚(つままこん)
夜這い(よばい)のルーツ
「夜伽(よとぎ)歓待」の「マレビト習慣」
筆下し水揚げ芸妓の水揚げ
寝宿(ねやど)
マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)
文明開化
張り型・張形(はりかた、はりがた)
春画・浮世絵(しゅんが・うきよえ)
右脳と左脳>集団同調性(多数派同調)バイアス
人身御供・掛ける
生贄(いけにえ)
民族性・・「個の性規範」と「集団の性規範」の違い
囚人のジレンマ
シヴァ神(破壊神と再生と性愛の神)
陰間(かげま)と野郎歌舞伎
日本の性文化・本文まとめ


日本の性文化
・付記(武家社会と商家の性風俗文化)

誓約(うけい)から忠誠の証明へ
氏族の婚姻感覚
閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)
百姓(ひゃくしょう)の意味と商家の位置づけ
稚児小姓
御伽(おとぎ)
お召し上げ・お下げ渡し
おかみさん文化
このまま下にも、全文が読み進め頂けます。

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日本の性文化・序説
小説「皇統と鵺の影人」クリックより引用

日本の性文化・序説

◆◇◆◇◆日本の性文化・序説◆◇◆◇◆◇

日本の性文化の原点は、「誓約(うけい)神話 」の伝承から始まる神事である。

誓約(うけい)神話 」は、桓武天皇の御世に編纂された「古事記日本書紀」の根幹を為すもので、つまり性交は異部族を一つの群れに和合し、新たな命を生み出す神聖な行為と捉えられていて、けして憚(はばか)り秘するものではなかった。

元を正せば、集団婚(群れ婚)だった縄文人(蝦夷/えみしの原始信仰に、渡来して来たエロチックな教義の妙見信仰が習合した物で、それを役小角(えんのおずぬ)が統一国家・大和国の「帝の工作機関」として全国に派遣した陰陽師修験山伏が山奥まで入り込んで布教したのである。

それが平安時代以後徐々に花開いて、都市部では「妻問婚(つまどいこん),妻間婚(つままこん) 」、「歌垣(うたがき)」や「暗闇祭り」の風習となり、村落部では、「夜這い(よばい)」や「寝宿(ねやど)制度」の風習となって、実質として村落部での日本の性文化は「おおらかな集団婚(群れ婚)状態」が永く続いたのである。


人類は、他の動物種では類を見ない脳の発達に拠って余分な事を思い過ぎる様になり、絶えず「思い通りに行かない」ジレンマを抱える様に成った。

生き物は自然則として、生き行く必要の為に自らを変身させて行く。

実は、この発達した脳の苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の「擬似生殖行為(快楽性交)」として、生殖を伴わないSEX行為の合意が、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられた。

その為に、他の動物種では滅多に無い事だが、「擬似生殖行為(快楽性交)」と言う生殖目的以外の「癒し目的」と言う性交を必要とする様に成なる。

自然界では例外的なものでは在るが、自然の与えた本能にはけして無駄はなくこの癒し目的の快感である「擬似生殖行為(快楽性交)」も、生きて行く上で必要だから与えた筈で悪いものである訳がない。

そして人間は、その性交に到るまでのプロセスから技巧まで、あらゆる性文化を発展させて来た。

実の所、複雑な思考を持つまでに進化した人類が生きて行くには辛い事も多いから、神が人類の脳に与えた「擬似生殖行為(快楽性交)」が快楽の性交ならば、社会的な慎みさえ考慮に入れればそれを素直に楽しんでも良いのかも知れない。

しかしその一方で、この「擬似生殖行為」の欲求が在るばかりに人間は、欲求を抑え切れずに運命を狂わす失敗行動に出たりするリスクも負った。

そしてその「擬似生殖行為」の為に、人類の脳は益々発達して他の動物に例を見ない高知能生物になった。

もっとも、性欲に限らず仏教用語で言う所の「煩悩」とされるあらゆる欲望も、動物種の中では類を見ないのが人類である。


夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった

夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった

◆◇◆◇◆夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった◆◇◆◇◆◇

昔、「夜這い」と言う、ロマンチックな響きを持つ性風俗が日本の農漁村のほぼ全域にあった。

いや、その昔の上代の頃には貴族社会でさえ「夜這い」はあった。

夜這いこそ私の愛したおおらかな日本の性文化である。


ここで原生人類の本能的生殖行動と現代の倫理規範の矛盾をご紹介して置く。

現代日本人の倫理感覚では、「夜這い婚」の一妻多夫形態など到底理解できないかも知れない。

だが、実は「種の保存」を優先する自然界では人間の生殖倫理の一夫一婦制の方が異例である。

例えば一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、雄(オス)達は一頭の発情期の雌(メス)に順番に群がり、雌(メス)は一日に何頭もの雄(オス)と交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、雌(メス)が依り強くて優秀な精子に回(めぐ)り逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。

これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、雄(オス)雌(メス)の生殖機能には目的に添った違いが在る。

当然、雄(オス)の方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、雌(メス)の方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての原生人類は、「確実な種の保存の為」に本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。

そうした人類発達の歴史の中で培(つちか)われた原始の生殖行動の記憶としての残滓(ざんし/残りかす)が、時代と伴に変化しながら辿り着いたのが「夜這い婚」だった。

言うなれば、元々の人間の原始生殖行動は本来それに近い理由で「群れ婚」に拠る一妻多夫形態が自然な遠い記憶で、それが「夜這い婚」のルーツである。

その結果、女性が一家の家長で家の財産を引き継ぎ、男性が女性の家に通って来る「妻問い婚」が生まれ、「呼ばう」が「夜這い」となった。

つまり「夜這い婚」や「歌垣(うたがき)」、「暗闇祭り」などは、「種の保存」の為に知恵を絞った安全装置だった。

しかし現代日本人の倫理感覚は一夫一婦制で、「虚弱精子劣性遺伝」や「卵子の老化問題」は人権問題も絡む為に余り考慮しないから、子に恵まれない家庭も増えている。

まぁ、欲の為に自然を破壊して此処まで文明を発達させた人類だから、現在の自然に反した生き方で「種としての滅びの道」を歩む事が因果応報かも知れない。

これはあくまでも「人類も生物」としての自然の法則だけで捉えた見解であるが、如何なる社会性を鑑みても「滅亡してから気が付いた」では遅いのではないか?



夜這い」や「寝宿制度」などに代表される当時の身内感覚(共同体意識)の「村落共同体的性規範」を、現在の倫理観で安易に評価して決め付けないで欲しい。

村落の者が「村落共同体的性規範(夜這いや寝宿制度)」を行っていても、妙見信仰から始まった信仰行事の一環から始まった事で、宗教的な戒めの考え方が無い常識の範疇であり、そう異常な事には思われなかったからである。

人類は基本的な本能として他の生物同様に「生存本能」を備えている。

この生存本能の発露が「食欲」であり「性欲(種の保存本能)」であり、二次的なものとして危険を避けたり危険に立ち向かう為の「恐怖心」や「闘争心」なども無視出来ない右脳的な生存本能である。

そうした右脳的な生存本能の一つとして、人類はその種としての生い立ちから、「恐怖心」や「闘争心」を共有する事で生存率を上げる為に「共に生きる(共生意識)」と言う強い「帰属本能(群れ意識)」を持ち合わせて生まれて来る。

つまり人類は、「帰属本能(群れ意識)」を満足させないと、精神的安定を得られない。

そしてその「帰属本能(群れ意識)」は価値判断や心(精神)の安定に影響を与え、良きに付け悪きに付け「人生」と言う固体の一生に影響する。

実は、「帰属本能(群れ意識)」を裏打ちして保障していたのが、同じく「生存本能」に関わる「性欲(種の保存本能)」の結果とも言うべき「性交」と言う行為だった。

「性交」と言う行為は、「恐怖心」や「闘争心」とは好対照に位置付けられる「癒し」や「信頼の共有」に繋がるからである。

つまり誓約神話(うけいしんわ)人身御供伝説が語り継がれた村落共生社会では、思想環境が違うから帰属意識愛でも性交が出来た。

従って日本に於ける村社会の性規範は、「帰属本能(群れ意識)」に起因する共生主義の磨き上げられた珠玉の結晶だったのではないだろうか?


今回「夜這い」を取り上げたのは、現在の社会が「本当に豊かに成ったのか?を、問う鍵に成る」と考えたからである。

物質的には、なるほど目に見えて豊かになった。

その代わり、私権だけが飛びぬけて主張されるようになり、人と人の繋がりと言う「精神的な豊かさ」を、数多く失っては居まいか?

ばかげた事に、私権を中心に発想する事しか考えられなくなり、国、地域、近隣、と破壊が進み、家族と言う最小単位でさえ破壊の危機に直面しているのではないだろうか?

戦前の日本社会は子沢山が一般的で、親が余り一人の子に愛情を注げなかったが、それでも子供達は「まとも」に育った。

それに引き換え、戦後の日本社会は少子化で親はタップリ愛情を注げる筈なのに、子供達が「まとも」に育たない。

我輩に言わせれば、その「まとも」に育たない原因は、戦後日本が採用した米国型自由主義化に拠って「群れ社会」から「孤独社会」に悪変してしまったからに違いないのである。

昔は、私権を中心に発想していたのは「権力者階級」だけである。

庶民は物質的には貧しかったが、互いに信じ合え、皆助け合って素朴でやさしい庶民生活が営まれていた。

村社会、それは共用権的な生活意識であり、根本的な共生主義で成り立っていて、その原点にあったのが、「夜這い」の精神である。


誓約(うけい)

誓約(うけい)

◆◇◆◇◆誓約(うけい)◆◇◆◇◆◇

大抵の解説で、誓約(うけい)を安易に「占いの結論や神に対する祈りの誓(ちか)いの事だ」としているが、実は本質を知っていてその結論を表記する事を避けている向きが多い。

神話や伝説の類を良く読んで見ると、誓約(うけい)は忠誠を示す為のもので、誓約(うけい)の結果として新たなる神や子供が誕生する事が多い。

つまり、性交を伴う現実的な忠誠の証が誓約(うけい)なのである。

大和朝廷成立前後の古(いにしえ)の日本列島は、民族(部族)の坩堝(るつぼ)だった。

古い時代に住み着いた在来部族と、後期に渡来した進入(流入)部族の生きる為の争い。

その手打ち式が天の岩戸の宴席、岩戸神楽だった。

神話に於いては、山の民・天照大神と海の民・スサノウの命は、誓約(うけい)を持って姉弟神となった。

日向の地で決戦に破れ、高千穂の天岩戸で手打ちを行い、誓約(うけい)を持って、心身ともに和合する事で「両者統一に向かった」とするなら、ドラマチックではないか。

世の現実の問題として、唯口先で「信用してくれ」では何も相手には伝わらない。

別々の部族が親密さを増す努力に必要なのは「互いの関わり方の質と量」で、その究極の手段が倫理観や独占欲を超越した誓約の(うけい)の性交(和合)である。

日本列島の民は、この誓約の(うけい)の性交を持って「群れの融合拡大」を図り単一民族への道を歩んだ。

異民族の王同士の結婚、これは民族の和解を意味し双方が滅びないで済む。

究極の和解であり、民族同化の象徴である。

性行為は自分が楽しむものであり相手を楽しませるもので、人間誰しも楽しみを与えてくれる相手には優しく成れ、信じられる。

つまり和解の性交は争いから信頼に変える手段で、それがこの国に古くから伝わる誓約(うけい)の根本精神である。

この誓約(うけい)の概念が、実はその後の二千年の永きに渡り、日本の民の形成に大きな影響を与えて行くのだ。

東アジアの遊牧民は、長旅をする遠来の客を「大事にもてなす習慣」が在った。

驚いた事に、客人に愛妻を「一晩差し出す習慣まで合った」と言う。「そんな馬鹿な」とは言って欲しくない。

広大な台地を行き来して生活する彼らにとって、出会いに対する選択は二つしかない。


つまり、争うか歓迎するかのどちらかなのである。

それは、いつどんな相手に遭遇しないとも限らない条件下に在って、互いに平和を維持する為の究極の知恵である。

この「遠来の客を大事にもてなす習慣」の和合精神、時代の経過と伴に大分変則的に変化しているが、遊牧民の末裔トルコ民族のベリーダンス(回教国なのに、女性ダンサーの露出度が高い)や、中国(漢民族を含む)人の来客もてなし時の「面子(めんつ/恥をかかない接待)」にも、その影響として残っている。

チンギスハーンと孫のフビライ・・・・、大モンゴル帝国(元帝国)の発展は、優秀なら人種や出身国を問わずに登用した事により、「広域な大帝国を築き上げた」と言う。

この「優秀なら人種や出身国を問わずに」の精神には、東アジアの遊牧民の精神「遠来の客を大事にもてなす習慣」が生きていたからに思えて成らない。

大モンゴルは、自分の出身民族に拘っていたら、成されなかったで在ろう偉業なのだ。

この事は、「争いを避ける」と言う意味で、古代日本列島に発生した「誓約(うけい)」と言う民族融合の知恵と、「ある種共通する所がある」と思えて成らない。誓約(うけい)


歌垣(うたがき)

歌垣(うたがき)

◆◇◆◇◆歌垣(うたがき)◆◇◆◇◆◇

そもそも儒教が入る前の列島の国・大和(日本)は、元々、「歌垣(うたがき)」の風習に代表されるように性に対して開放的な習風俗の国だった。

歌垣(うたがき)は男女が集会し相互に自作の掛合歌を読み詠う事によって求愛し、或いは恋愛遊戯をする歌掛けの習俗の事で、中国の南東部に住む少数民族「苗(ミャオ)族」の間では、「遊方(ユゥファン)」と言われているこの歌の掛け合いの儀礼は、既婚に拘らない自由な性的交わり、「目合(まぐわ)い」の許される南方渡来の習俗の場である。

「目合(まぐわ)い」とは古事記日本書紀にも記される言葉で、男女の性行為(せいこうい)の事であり、男女が性的欲求に従いお互いの身体、特に性器(生殖器官)や性感帯などを手・指、唇や舌先にて愛撫刺激し、男性器(陰茎)を女性器(膣)に挿入し射精するなどの行為と、それを含む多様な行為がまぐあい(性交)である。

そもそも儒教が入る前の列島の国・大和(日本)は、元々、歌垣(うたがき)の風習に代表されるように性に対して開放的な習風俗の国だった。

平安時代万葉集(巻九)の高橋虫麻呂が詠んだ歌に「率ひておとめおのこの行きつどひかがふ嬥歌」に 「他妻に吾も交はらむ 吾が妻に他も言問へ・・」と詠まれている。

歌の解釈は、「男女を率いて集い行き、自らが人妻と交わり、わが妻も他が言い寄っている」と歌垣(うたがき)の開放感を詠んでいる。

事、同意の上の性行為に関しては、どこまでがノーマル(正常)でどこからがアブノーマル(異常)なのかの線引きなど、当時は無い。

現代で言えば、歌垣(うたがき)はさしずめ乱交パーティだが、参加者合意のルールであるから人目も憚(はばか)らない大胆な性交相手の獲得遊びで、決まればその場で事に及ぶオープンなものだった。

こうした歌を、半ば公の歌集で堂々と発表出来るほど、当時の貴族間の性は開放的だった。

この歌垣(うたがき)、春の予祝(実り・豊穣/生産祈願)及び、秋の実り(豊穣/生産)の感謝行事としての性格を持って始まり、春秋の特定の日時に若い男女が集まり相互に求愛の歌謡を掛け合い性愛の相手を選ぶ風習俗である。

貴族の間で流行(はや)った習風俗・松茸(まったけ)狩りの余興・「掛唄」は、歌垣(うたがき)同様に妻をスワップ(交換)する野外セックス行事だった。

つまり松茸(まったけ)の収穫・秋の実り(豊穣/生産)の感謝を祝いながら「歌」を読むのだが、これ自体が無礼講の口説(くど)き歌で、妻がその気に成ればその場で事に及ぶ事を夫が許すオープンセックスだった。

「物見遊山」と言う熟語の本来の意味は、神社・仏閣・景勝地の「物見」と歌垣(うたがき)・松茸(まったけ)狩りの「遊山」=スワップ(交換)遊びである。

歌垣(うたがき)の遊山(ゆさん)は、背徳の不貞・不倫では無く夫婦合意の乱交プレィだった。

つまりマンネリ(新鮮みを失う)防止の為に、性交相手を互いにシェア(共有)する合意が仲間内で為(な)されていた。


どうやら歌垣(うたがき)の源は南方文化らしく、同様の風習は中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる所から、所謂原ポリネシア系縄文人か海人族(呉族)系氏族(征服部族)が持ち込んだ「南方文化」と考えられるのである。

古代日本における歌垣(うたがき)は山頂、海浜、川、そして市などの境界性を帯びた地が場所に選ばれ、特定の日時と場所に老若男女が集会し共同飲食しながら歌を掛け合う行事であり「性の解放を伴っていた」とされ、歌垣(うたがき)の風習が民衆の間で広く行われていた事が歌集「万葉集」などに拠り伺う事が出来る。

つまり古代日本において、万葉集の時代に歌垣(うたがき)の性風習が存在した訳であるが、この歌集・万葉集の時代とは仏教が伝来し蘇我氏物部氏がその取り扱いを巡って争った五百二十年代から平城京遷都後十年ほど経た七百二十年の二百年間を言い、儒教が入る前の列島の国・大和(日本)に広く永く存在した性風習で有った事は間違いない。

万葉の時代は同父母の兄妹は流石(さすが)に性愛対象外だったが、今と違って身内も性愛対象で、父母のどちらかが違えば性愛の対象としても余り問題視されなかった。

万葉の当時は「通い婚」の時代で、当時の社会では女性が家を持ち男性が通う婚姻形態から、その男女の間で産まれた子は母親の元で育つ事に成る。

育った家が身内感の中心に成る関係から、父親が同じでも母親が違えば別の家の子であり、兄弟姉妹の感覚はなかった為に「血の繋がりが特に問題にならなかった」と言う事であろう。

そうした環境下の当時の男女の性愛の倫理観から、「万葉集」の中には現代ではタブーとされる異母兄妹の関係での夫婦や恋人、そして同時に夫婦と恋人の乱倫関係にあるなど比較的自由な性愛関係がさして秘する事でもないとされて伸び伸びと詠まれている。

今でこそ「劣勢遺伝」の問題があるので考え難いが、現代では「タブー」とされる異母の間で生まれた兄妹や三親等間の性愛が、皇室や貴族も含めて当時は珍しい事ではなかった。

三親等とは父方と母方のおじ(伯父・叔父)やおば(伯母・叔母)、甥(おい)や姪(めい)、息子の嫁の祖父や兄弟などが該当するのだが、その三親等間の性愛や結婚、一夫多妻や所謂(いわゆる)スワッピング(夫婦交換)など、生殖行為として限定されていない自由で解放された多様で豊かな性や愛のありようを詠んだ歌が万葉集の中に多数散見されるのである。


歌垣(うたがき)の記述は、「万葉集」の他に「古事記」・「常陸国風土記」・「肥前国風土記」などにも見え、その習風俗は日本列島の広い範囲に分布していた痕跡があり、現代でも沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣(うたがき)の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣(うたがき)の遺風が見られる。

長く続いた歌垣(うたがき)の風習俗も、次第に流入する新しい大陸文化の影響で平安時代から鎌倉時代を経て消滅の過程を辿り、近世になって、儒教道徳が氏族社会(貴族・武士)の生活意識を支配し始める事になる。

室町(足利)時代に成ると南北朝並立の経緯から北朝方と足利氏が勢力を増し、仏教に儒教が習合されて「氏族(貴族・武士)社会」は禁欲的な方向に傾倒して行くが、庶民社会(民の社会)は性に対して開放的な感覚を維持し続けて明治維新を迎える。

儒教精神を基とした「固定した身分制度・封建社会」に抗していた民衆の武器が、思想や道徳に囚われない人間の恋愛感情や男女の交情であったから、民衆の風俗思想は性に対しては寛大であったのである。


ねんごろ/(懇ん凝ろ)

ねんごろ/(懇ん凝ろ)

◆◇◆◇◆ねんごろ/(懇ん凝ろ)◆◇◆◇◆◇

渡来部族が流入し続けていた黎明期の日本列島では、誓約(うけい)が群れ同士(部族同士)を平和的に合流させる手段としての性交で、それにより次世代は同一の「帰属本能(群れ意識)」を構成する事を意味していたのだが、実はこの誓約(うけい)の概念を踏襲した古代から今に伝わる言葉に「ねんごろ/(懇ん凝ろ)」がある。

親しい事を示す懇意(こんい)の「こん」はひと文字で「懇(ねんご)ろ」と読む。

懇(ねんご)ろは元々「懇(ね)ん凝(こ)ろ」で、凝(ころ)が 心(こころ)の語源である所から懇(ねんご)ろとは心がこもっている様を意味し、「心のこもった奉仕」の意味から「懇(ねんご)ろに弔(とむら)う」などの用法もあるが、特に男女の仲が親密である様を指して言う。

簡単に言うと「懇(ねんご)ろ」は男女の間柄が「心のこもった親密な奉仕の関係」の意味で、つまり懇(ねんご)ろの仲とは勿論性交を行う仲の事を言い、古代群れ社会から今日まで「懇(ねんご)ろに成れば群れ仲間」と言う事である。

従って懇(ねんご)ろの言葉の意味を正確に言えば、心がこもっている様は即ち性交を行う間柄と言う事に成る。

懇(ねんご)ろの古形読みは「ねもころ」で「ねもごろ」とも言い、万葉集に「我妹子(わぎもこ)が里にしあれば懇(ねもこ)ろに見まく欲しけど」、「足引きの山に生ひたる菅の根の懇(ねもこ)ろ見まく欲しき君 ・・・」、「菅(すが)の根の懇(ねもこ)ろごろ我(あ)が思へる妹によりては」などの恋愛歌がある。

これらの歌の内容が、歌垣(うたがき)と言う当時の性風俗の習俗を彷彿させるもので、そうした歌は現代では考えられないほど率直に「懇(ねんご)ろに成りたい」と口説いているのではないだろうか?


暗闇祭り

暗闇祭り

◆◇◆◇◆暗闇祭り◆◇◆◇◆◇

日本の文化は「恥の文化」と言うが、実はこの「恥の文化」の中身が問題なのである。

本来、自分に恥じる行いをしない事が「恥の文化」の筈であるが、もう一つの「建前文化」に拠ってそれが妖しくなり、自らの心に問うよりも外聞に拘る事に重きが行き、「恥に蓋をする文化」になってしまっている。

「誇りを守りたい」と言う心境が働いての事だが、矛盾する事に「誇りを守りたい」が為に「無かった事」にする愚を犯し、誇りを傷つけている。

つまり日本文化は、余りにも恥を隠す事に心血を注ぐ文化に変遷してしまい。「隠しおおせれば良い」と言う不道徳な「恥の文化?」が蔓延して、職業や地位に関わり無く悪事を働く「本音」が社会に露出して来るのである。

日本は「儒教の影響を受けた国だ」とひと括(くく)りにして、あたかも儒教道徳が日本人全般の生活意識をリードしていたかの様に言う学者がいるが、とんでもない浅知恵である。

歴史を動かしていたのが氏族(貴族及び武士)だったので、氏族中心に考え易いが、それは歴史の派手な方の一部に過ぎない。

儒教の影響を受けたのは、氏族社会(貴族及び武士社会)であって、文盲時代が長かった庶民階級に儒教が浸透していた訳ではない。

庶民における伝統的日本社会は、「性」に対し実におおらかで、開放的だったのである。


その「性」におおらかな証拠は、各地の祭礼に残っている。

人間には誰にでも性欲があり、性交の快感は極自然な「神の恵み」である。

こんな簡単な事に気が付かずに「禁欲が尊い」とする綺麗事だけの宗教は、それだけもうで胡散臭い。

庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。

本来、信心深い筈の庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?

命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからに他ならない。

神社の祭典は、時代の変遷に伴って現在のように大人しいものに成ったが、当初はエロチックなものだった。

そもそも日本列島の神・事代主(ことしろぬし)は、田の神(稲作神)である。

元々「生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(性交)」なのである。

気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。


日本の祭りのルーツは、「妙見祭」の北斗妙見(明星)信仰が源(もと)であり、田の神(稲作神)・事代主(ことしろぬし)から始まっ陰陽修験の影響を受けているから大抵「暗闇乱交祭り文化」である。

奈良県明日香村・飛鳥坐神社には天狗おかめの情事(ベッドシーン)を演じる「おんだ祭り」があるが、これも明治維新の文明開化前は、広く「日本全国で祭礼をしていた」と言われる。

記紀(古事記・日本書紀)の記述からは「神懸かって舞った」と読める天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、神託の祭事を行なう巫女である。

列島の民(日本人)は、「先住民(縄文人)と渡来系部族の混血だ」と言われていて、天宇受売の夫神・猿田毘古神(サルタヒコ)は先住民(縄文人)、后神・天宇受売命は渡来系弥生人だった。

神話においては、猿田彦が天孫降臨を感知して雲に上って上天し、「途中まで出迎えた(渡来を歓迎?)」とされ、その時天孫(渡来人・進入部族)は猿田彦に対し天宇受売命を「使者として交渉させた(誓約/うけい・性交による群れの一体化の儀)」と言う。

つまりこの夫婦(めおと)二神の役割もまた、「新旧民族の融和(誓約)の象徴」と言う訳で、性交は平和と信頼の証だった。

この夫婦(めおと)二神が、天狗猿田彦)とオカメ天宇受売)に成り、後世に伝承される神楽舞の面(おもて)として残ったのである。


神代伝承史の舞台とされる九州は、天宇受売(アメノウズメ)と猿田毘古神(サルタヒコ)の異民族誓約伝承を神楽にした天の岩戸伝説神楽を始め陰陽信仰(誓約呪詛)の宝庫で、小林市(宮崎県)にある陰陽石神社(中条八幡神社)は男女のシンボルの形をした自然石がご神体である。

よろず生産(豊穣)の神、また子宝の神として信仰されているこのご神体は男女一対で、世界でも珍しいものとされている。

また、日向市(宮崎県)で行われるひょっとこ夏祭りは、天宇受売(アメノウズメ)猿田毘古神(サルタヒコ)の異民族誓約伝承神楽を踊りにしたひょっとこ面やおかめ面、狐の面をかぶり約千人の男女が、「ひょっとこ踊り」と言う性交を思わせるクィクィと腰を突き出すゆかいな仕草で踊り歩くのだが、これに似た腰使いの踊りは「おてもやん総おどり(熊本県)」など九州各地に存在する。

静岡県の伊豆稲取・どんつく神社の奇祭「どんつく祭り」は「二千年間続いて来た」と言われ、御神体は大きさ三メートルの男根型で、その御神体を載せた神輿を女性が担ぎ、神社(女性)へ向かい、どーんと突くから「どんつく」なのだそうである。

夫婦和合、子孫繁栄を願うこのような祭りや御神体は全国各地にあり、愛知県は小牧、田懸(たがた)神社の豊年祭は、男達が男性器をかたどった神輿「大男茎形(おおおわせがた)」を担いで練り歩き、小ぶりな男性器をかたどったものを、巫女たちが抱えて練り歩く。

田懸(たがた)神社の創建の年代は不詳だが、延喜式神名帳に「尾張国丹羽郡 田縣神社」と有るからこちらもかなり古いものである。

また、大縣神社の「豊年祭(姫の宮祭り)」が田懸(たがた)神社の豊年祭と対になっており、こちらは女性器を型取ったものを、巫女達が抱えて練り歩く。

新潟県長岡の諏訪神社 ・奇祭「ほだれ祭」の御神体も男根型である。

「ほだれ」は「穂垂れ」と書き、五穀豊穣や子宝を授かるなどを祈願するもので、神輿に鎮座した重量六百キロもある男根御神体の上には、新婚のうら若い女性が数名、男根型御神体を跨いで乗り、下来伝地区内を練り歩く。

長野県松本・美ヶ原温泉の薬師堂に男根型道祖神を祭り、祭礼には巨大な男根木像・御神体の御神輿を担いで練り歩「道祖神祭り」も有名である。

岩手県遠野の「金精様」とは豊饒と子孫繁栄のシンボルとして男性の性器をかたどった石や木を祀る民俗神で、この金勢様や金精様は全国に存在する。

神奈川県川崎市川崎区の若宮八幡宮境内に在る金山神社は鉱山や鍛冶の神である金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)の二柱を祭神として祀る神社だが、江戸時代川崎宿の飯盛女達の願掛けに端を発して奇祭「かなまら祭り」が行われるように成った。

金山神社は金属製の巨大なの男根(男性外性器・張形)を御神体として商売繁盛・子孫繁栄(子授け)・安産・縁結び・夫婦和合のご利益があると言われ、近年ではエイズなどの性病除けの祭り(Iron Penis Festival)として国際的にも有名になっている。


日本における所謂(いわゆる)庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源(もと)であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交祭り文化」である。

つまり、本音はただの性欲のはけ口かも知れないが(?)、建前は子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。

祭りを性開放の行事とした名残りは各地にあり、例えば、静岡県庵原郡興津町(現、静岡市清水区・興津)の由井神社でも、夏祭の夜は参集する全ての女性と交歓して良い風習があった。

愛媛県上浮穴郡田渡村(現、小田町)の新田八幡宮は縁結びの神様で、毎年旧二月卯の日の祭礼の夜に、白い手拭をかぶって参詣する婦人は娘や人妻、未亡人の別なく「自由に交歓して良い」と言う事になっていた。

毎年六月五日に催され、奇祭として知られる京都・宇治の「県(あがた)祭り(暗闇祭り
)」は、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。

西の京都・宇治「県(あがた)祭り(暗闇祭り)」に対して東の暗闇祭り(くらやみまつり)で有名なのは、源頼義・義家の奥州征伐の「戦勝祈願に寄進した」とされる府中・大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の「暗闇祭り(くらやみまつり)」がある。

大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の祭神は大黒天(大国主)で、この三大奇祭の一つに数えられる神社は武蔵一の宮(総社)である。

この大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の暗闇祭り
(くらやみまつり)は基本的に厳粛な神事として巫女舞神楽が舞われ、宮堂に選ばれた男女が御夜籠りして神を迎えようとする「祭事(さいじ)」である。

信仰を集めるには楽しみが必要で、神事の行われる真夜中の一定時刻には社地はもとより氏子の集落一帯は全部燈火を消し、雨戸を開放しておかねばならぬに約束事になっていた。

この祭りが「夜這い祭り」とも呼ばれ、昔は一般の男女参拝客はその祭りの期間だけ「暗闇の中での情交(夜這い)が許される」とされていた。

この暗闇祭りを猥褻(わいせつ)で非文化的な生々しい伝承と捉えるか、往時の庶民文化を伝えるロマンチックな伝承と捉えるかは貴方の心構え次第である。


そしてこうした祭りの原型は必ずしも庶民のものでは無く、列島史初期の貴族・氏族社会では家長が女性で「よばう形」で男性を寝屋に引き入れる習慣・「よばひ(夜這い)制度」は、虚弱精子劣性遺伝に苦しめられていた古墳時代から平安初期の貴族・氏族社会では、家系を後世に繋ぐ手段として有効だった。

そしてこの妻問婚(つまどいこん)の「よばう形」が無くなり、女性が家に嫁ぐ形に成った平安中期くらいから、今まで「よばひ(夜這い)制度」が塗布していた問題が噴出し、貴族・氏族社会で「養子のやり取り」が頻繁に行われる様に成ったのは皮肉である。

その後この問題の合理的な解決として考えられたのは、祭りの晩の神からの授かりもので、よそ様の種を頂いて自分の子として育てるには、性交相手は顔も判らぬ見ず知らずで性交場所は暗闇が良かったのだ。


多面的に考察すれば、元々自然な人間の生態は群れ婚の生き物で、文明の発達と伴に成立した近・現代の一夫一婦制の考え方は、あくまでも生活単位を主眼にした便宜的なもので、生物学的には本来不自然な男女関係である。


「時代が違う」と言われそうだが、そもそも「知らない相手となど性交は出来ない」は本人の気分の問題で、昔は親同士が決めた結婚で婚礼の夜が初対面でも夫婦の契り(性交)は出来た。
人間としてナチュラル(自然体)な生き方は責められるべきではなく、「乱交などふしだら」と言うけれど、特別な相手では無い性交は元々遊びなのだから、それこそ特定な相手との浮気よりは相手が特定出来ない乱交の方が相方は嫉妬もしないし後腐れはない。

人生中途半端に逃げてばかりで解決する問題など世間には無いのだから、例え望まない人生でも、人間は神に与えられればそれを生きなければ成らない。

刹那刹那を生きる事でそれなりに楽しさもあるのだから、その辺りに信仰として続いた庶民の娯楽、暗闇祭りの真髄が在ったのかも知れない。


祭り事は統治の意味でもあり、「お祭りをする」は性交の隠語でもある。

祭らわぬ(マツラワヌ)とは「氏上(氏神/鎮守神)祭らわぬ」と言う意味だが、つまりは「氏族に従わない」と言う事で、この辺りの民心を慮(おもんばか)ると、氏上(氏神/鎮守神)の祭りに事寄せ、神の前の暗闇で乱交を行なうそれ事態が、ある意味「民の反抗心が為せる事」と言う読み方も伺えるのである。

こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事だった。

そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。

これは祭礼と言うよりは物日なのだろうが、伊勢の山田辺りや越前の敦賀辺りには、旧暦七月十六日の夜は、どこの家へでも勝手につーっと入って、その家の「女房や娘と自由に交歓しても良い」と言う風習「ツト入り」があって、「実は全国的に在った」と言われるこの性開放の行事がはっきりと伝わっていた。


その庶民文化が、明治維新後の新政府の欧米化政策により都合が悪くなる。

諸外国と対等に付き合いたい日本国とすれば、性意識においておおらかな日本が欧米の物差しで計られて「野蛮・卑猥」と評されかねないからである。

性におおらかな風俗習慣は明治維新まで続き、維新後の急速な文明開化(欧米文化の導入)で政府が禁令を出して終焉を迎えている。

そこで、外聞に拘る「恥に蓋をする文化」が増長され、改ざんと隠匿が恒常的に為される社会が膨らんで、本来人の範たるべき政治家や官僚、検察・警察、学者・教師、宗教家に到るまで、「恥の文化」はなく「恥に蓋をする文化」が横行し、日本中がその妖しさの中に生きている。

しかし、「何もわざわざそんな過去を蒸し返さなくても・・・」が本音で、こうした過去は俗説扱いに成り、やがて消えて行くものである。

都合の悪い過去は「無かった事」にする為に、消極的な方法として「触れないで置く」と言う手法があり、積極的な方法としては文献内容の作文や改ざんが考えられる。

意図をもってお膳立てをすれば、やがて時の流れと伴に既成事実化してしまうもので、留意すべきは、たとえ実在した事でも、後に「有ってはならない」と判断されたものは、改ざんや隠蔽(いんぺい)が、権力者や所謂(いわゆる)常識派と言われる人々の常套手段である事実なのだ。


夜這い(よばい)

夜這い(よばい)

◆◇◆◇◆夜這い(よばい)◆◇◆◇◆◇

日本人のブランド好きは、外国人から見ると「滑稽だ」と言われている。

あのみっともないブランド好きは何処からきたのか?

これこそ、日本文化そのものである。

日本の民人(たみびと)は、長い事血のブランドを、価値観として強いられて生きて来た。

日本の歴史は、実は征服者と被征服者の歴史である。

つまり、日本列島の本来の先住民は蝦夷(えみし・縄文人)だった。

時代の誤差はあるが、日本列島の隅々まで、蝦夷(えみし・縄文人)族の領域だった。

それを、朝鮮半島から南下した武力に勝る倭族(加羅族・呉族)や琉球列島を北上して来た倭族(隼人族・呉族系)に次々と征服されて行き、征服部族は次々と小国家を造り支配者になった。

それが邪馬台国や伊都国などの「倭の国々」だった。

彼ら征服部族は、母国の王族を頭に、部隊を率いて大陸や半島から海洋を越えた。

ちょうど二〜三百年前の南北アメリカ大陸を、ヨーロッパの数カ国が原住民を制圧して切り取ったと同じ事が、二千年前の日本列島で起こった事になる。

その後の物語が 、神話から始まる日本の歴史と言う訳である。

つまり、武力に勝る少数部族が支配者となり、その血を維持しながら被征服者の多くの民人(たみびと・村人)から永久に搾取し続けるシステムを構築した。

それが、皇統であり、貴族の血統だった。

それは混血の歴史の中でも、脈々と生きていたが、この血統、枝別れするごとに枝は落とされて、下位の身分になる冷酷なシステムだった。

つまりこの国は、永い事「氏族」と「庶民(良民/常民)身分または賤民・せんみん/奴婢・ぬひ)身分」の二極文化の国で在った。

そうした現実がありながら、歴史的には「氏族文化」のみが日本の歴史がごとく伝えられている「オメデタイ国」である。


先住・蝦夷(えみし)の村人は「面従腹背」を強いられながらも、支配者の恐怖を、学習のトラウマとして醸成し、二千年の遠い記憶の中に持ち続けていた。

この制度に関係ない民人(たみびと)が、為政者に都合の良いこの血の価値観を、長い歴史の中で受け入れて居るのは皮肉な事ではある。

支配者の歴史と支配者の文化が、日本の唯一の文化だろうか?

虐げられた民人(たみびと)は自らの暮らしを守り、強(したた)かに生きていたのだ。


支配者の血統身分である氏族(武門)の間では、その価値観である支配権の為に親子兄弟でも「討つ討たない」の抗争が珍しくない時代が千五百年以上続いた。

支配権の為に、親子兄弟でも武力抗争をする氏族(武門)の精神が立派とは思えないが、それを見てくれだけの格好良さで手放しに「武士道の国」と胸を張るのはいかがなものか?

その一方で庶民(民人)は生きる為に「村社会」を形成し、独特の性習慣の元に村落の団結を図って生き長らえる方策を編み出している。

つまり、支配者である氏族(武門)と被支配者である庶民(民人)は「全く違う価値観と生活習慣でそれぞれが生きる」と言う特異な二重構造が形態化していて両者に武道精神的な統一性など無かった。

そして武士道など知った事ではない被支配者である庶民(民人)は「村社会」を形成し、あらゆる意味で融通し合い助け合い、共同で安全を確保して生活している。

拠って日本を「武士道の国」などと一括りに言う輩は、余りにも歴史を知らないか、何かの危険な目的を持っているかのどちらかである。


夜這い」の起源、或いは全国でここまで広く行われていた「理由」については、諸説がある。

筆者は、「初期妙見信仰の名残ではないか」と勝手に考えている。

詳しくは「人が創りし神と仏の間に ここをクリックを参照していただきたいが、簡単に言うと「渡来呪詛宗教の影響」と、後ほど記述する自然発生的な「集団婚」、初期渡来人がもたらした「妻問婚」が、合致したのではないかと考えている。

天体の中で動かない様に見える北極星は、方向を指し示す事から世界中で神格化されて来た。

北極星の化身としての妙見信仰(妙見神呪経)が日本に渡来したのは紀元後五百〜六百年代である。

伝来当初は渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であったようだが、次第に畿内などに広まって行った。

しかし朝廷の統制下にない信仰であったため、延暦十五年(七百九十六年)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。

表だった理由は「風紀の乱れ」であった。

つまり全国にある妙見宮は、朝廷の禁止があるまで「性的なものを許容もしくは奨励する教義だった」と推測される。

この教義の元が「真言密教」であり、その全国流布には修験者(山伏)があたり、辺境の漁村から山深い猟師村まで分け入って布教に努め、村人を導いていた。

中央の権力者の意向に添わない宗教は、いつの世も草深い野に身を隠す。

隠れ妙見信仰は、修験者(山伏)と伴に村々に散っていった。

かつて、医学の発達していない時代、庶民の間では寺や神社(小祠)と同じくらい修験道士(山伏)は生きて行く上で重要だった。

昔、病は「祟(たた)り」と考えられ、信仰深く素朴な庶民は恐れていた。

つまり、山深い里にまで修験の山伏は庶民の頼り甲斐ある拠り所だった。

その修験道の山伏達は、渡来した様々な宗教を駆使して庶民の平穏を願い、祟りを治めて信頼を勝ち得たのだ。

歴史的に、専業の商家は後発の業種なので、ここでは最後まで習慣が残った「農漁村部の夜這い」を考察してみた。


農漁村(猟村を含む)に於ける村落共同体の性意識は「とても解放的」で、一夫一婦制はあくまでも「建前的なもの」にしか過ぎなかった。

従って、「結婚したから」と言って、その相手を性的に独占できる訳ではなく離婚も簡単だった。

元々当時の農民家には大した家財道具や財産など無いから風呂敷包み一つ持って家を出れば済むような、「極めておおらかな事」だったのだ。


まず、農漁村部における「夜這い」の前提をはっきりさせておきたい。

元々の百姓、漁師などの身分と生活環境を考えてみよう。

百姓や漁師の生活環境は村里集落であり、身分はその地名に住む誰々(山里村のゴンベイ)で苗字に当るものは無いので有る。

つまり公家や神官、武士、僧侶階級の家系単位と違い、村里集落が一つの共同体単位で、「**村のゴンベイの所の娘っ子のオサト」と言う表現の集団だった。

注意)神官は武士兼業などが居た。

僧侶は寺や宗派に所属、別な名を使用。

つまり、村の所属であり、村の名が一体化した村人の苗字の代わりだった。

権力者の搾取、或いは隣村との土地や水利権の争いなどから彼らを守る自治組織としての村には、村人の団結が唯一の手段で有る。

従って団結を壊すルール違反があれば「村八分」と言う形で制裁を受けた。

と成ると、「夜這い」はルール違反ではなく、「積極的公認の事」と解釈するべきである。

これは、「集団婚妻問婚」の名残とみる説が定説で有る。

当然ながら、「郷に入れば郷に従え」の諺(ことわざ)の一部は、こうした地域ごとの「村社会村落共同社会)の性風俗」にも従う事を意味している。

誓約(うけい)の信頼の下で、群れ社会に生きようとするならば、それは虚飾を剥(は)ぎ取ったものでなければならない。

虚飾に色採られた綺麗事からは仲間の信頼は得られないからこそ、自然体(ナチュラル)に身も心も曝(さら)け出しての和合の付き合いが、純粋(ピア)に生きる村社会の掟だった。

つまり村社会は長い事「群れ婚状態」で、「水揚げ」や「筆おろし」に始まり、「夜這い」や「寝屋子宿」と言った言わば村の存続と団結維持の為のボランテイア・セックスの側面も有していた。

それでも村落に於ける夫婦間の愛情は成り立っていたが、それには「大信不約(たいしんふやく/五経の一つ礼記の中の一則)」と言う考え方が在り、「大信は約せず」と読み、ひとえに夫婦間の愛情に対する信頼の重みを大事にしていたからである。

つまり大きな信用に「ルール(約)は必要が無い」と言う事で、本当の理想の人間関係には個人の独占欲などを斟酌(しんしゃく)した改めての夫婦間の約束(ルール)は不要なのである。

この夜這いの習慣が、日本の村落地区から完全に無く成ったのは、欧米化が進んだ戦後の集団就職(しゅうだんしゅうしょく)に起因する地方の若者の減少が止めを刺した事になる。


集団婚(群れ婚)

集団婚(群れ婚)

◆◇◆◇◆集団婚(群れ婚)◆◇◆◇◆◇

元々性交は「自然行為(繁殖行為)」であるから、性交のルールやカップリングの条件は後から付いて来た。

その点では他の動物と余り変わりは無い。

例として挙げ易いので「おしどり」と言う鳥を揚げてみると、「つがい」の仲が非常に良いので、仲の良い夫婦を「おしどり夫婦」と形容するが、実際は大半の「つがい」は一繁殖シーズンだけの仲で、次のシーズンは別のペア(つがい)になるそうだ。

そもそも、日本民族の基本的精神は「農耕の文化」から成り立ち、自然に優しく自然と共生する知恵も持っていた。

在るものを見つけ出す事が「自然との共生」であるから、性欲を頭から否定する風潮や信仰はこの国には無かった。

全村身内気分の精神の根底に在るのが、長く続いた日本民族の「性におおらかな感性」である。

古代日本列島では縄文人が住んでいて、男女の関わりが現在のような一夫一婦制ではなく「集団婚(群れ婚)」だった。

また日本民族は、全村(共通生活地域)身内気分の精神で、隣人と力を合わせて生活する「村落共生社会村社会)」と言う形式の「群れ社会」だった。

或いは、被征服先住の日本列島の民、蝦夷族(エミシ族・縄文人)に、この習慣があったのかも知れない。

つまり歴史的経緯からすると村落社会における夜這いは、言わば「集団婚の一形態である」と考えられるのである。

集団婚(群れ婚)」という婚姻形態は、一言で言えば「複数の男と女がグループ」で婚姻関係を結ぶもので、日本を含めて採取狩猟時代から人類の間で歴史的に長く行われていた。

共生の為の「群れ社会」と言う特別の信用信頼関係を構築するには、特別の間柄が継続して実践証明し続けなくてはイケナイのだが、そうなると一夫一婦制の既成概念は取り払わなくてはいけない。

言ってしまえば、群れ内は「フリーセックス」と言う事に成る。

そして個別の二つの群れ同士の争いに解決方法は二つ、武器を持って争うか仲間として合流するかである。

個別の二つの群れが平和的に合流するとなれば、誓約(うけい)の概念に拠る「集団婚(群れ婚)」が、双方を「特別の間柄」と継続して実践証明する「群れ内フリーセックス」が現実的だった。

群れ社会」での誓約(うけい)の性交は人間の警戒心を解き、安心して人間を繋ぐ触媒の役目を果たすのである。

それで「夜這(よば)い制度」や「寝屋子宿(ねやこやど)・寝宿(ねやど)制度」など、独特な村落集団婚(擬似群れ婚)で全村(共通生活地域)身内気分の精神に拠る共生社会を実現して、老人も子供も全村の責任で面倒を見るシステムを作り上げていた。


最近、不妊夫婦の家庭が増える傾向にある。

これも日本社会が欧米化されて増加した「少子化」の一因なのだが、現代社会では人類が未来に命を繋げる為の男性精子が世界的に虚弱化していて、専門家の間では問題視されている。

つまり「群れ婚」や「真言密教立川流」を、安易に現在の性規範だけで判断する事は出来ないほろ苦い現実も存在している。

実はこの男性精子「虚弱精子劣性遺伝」に拠る不妊家庭の増加は、専門家の間では「一夫一婦制が招いた」とする意見が主流である。

この場合の「一夫一婦制」は家族単位の堅持の為だが、ルール(決め事)が正しいのは或る一面を解決する為の物で万能ではない。

そもそも、現代社会のルール(決め事)は人間が都合で勝手に決めた物で、ルール(決め事)には必ず良い事(都合)がある分だけどこかに悪い事(不都合)も在って、だからこそバランスが成り立つ。

そして人間の良い事(都合)とは、往々にして自然を無視するものである。

何の事は無い、神(聖職者の見解)やお上(統治者の都合)が定めた戒律が「虚弱精子劣性遺伝」を引き起こし、人類の繁殖能力を削いで滅亡へのカウントダウンをさせている事になる。


この「虚弱精子劣性遺伝」を科学的に説明すると、人間の遺伝情報を伝える染色体には]とYがあり、女性の]染色体は二本在って障害に対するスペアー機能が利き新しい卵子に拠って生まれ変われるが、Y染色体は一本限りで生殖の過程でY染色体に遺伝情報的な欠陥が生じても修復される事なく男性に限り延々と子孫に受け継がれるものである。

人間の性染色体の形式は]Y型であり、これ以外の性別決定機構もない為にY染色体の有無に拠って男女の性別が決定する。

つまり男性の場合は「]染色体とY染色体の二本」で構成され、女性は通常「]染色体のみが二本」で構成されるのだが、遺伝子異常などで一本になっても(ターナー症候群)女性として生まれる。

同様に、]染色体とY染色体を一つずつ持つ筈の男性が]染色体二本とY染色体を一本持っていても(クラインフェルター症候群)男性として生まれる事が判っている。

ここで問題なのが、男性に限り延々として子孫に受け継がれるY染色体である。

女性の場合は]染色体のみが二本受け継がれるので、染色体の内一本に損傷が出ても他の一本が正常に機能して正常な遺伝が子孫に受け継がれて行く。

所が、延々として男系子孫に受け継がれるY染色体は、何らかの欠陥が生まれても代替の染色体を持たないから欠陥を抱えたままのY染色体を持つ精子が延々と子孫に引き継がれる為、基本的にY染色体は劣化の道を歩んでいる。

Y染色体を持つ男性でなければ精子は造れない。

そこに現在の社会基盤である「一夫一婦制」に拠り、自然淘汰に拠る強い精子の選別(競争原理)が出来なくなって、殊更に劣化した精子に拠るY染色体が延々と引き継がれる事になる。

Y染色体が正常再生が不可能なものなら、せめて自然淘汰に拠る強い精子の選別(競争原理)が可能となる群れ婚(乱交)状態が子孫の継承には理想的だが、人間は「生活基盤の安定」と言う社会性(男性のエゴかも知れない)を採って、女性にそうした機会を与えてはいない。

また近親婚に拠る劣勢遺伝も、或いは同一染色体の欠陥が増幅されて劣勢遺伝の確立が高まる事も一因かも知れない。


いずれにしても、自然科学の分野では「一夫一婦制が人類滅亡の危機を招くかも知れない」と、警告されているのである。

この時代に在って、先祖の「真似をしろ」は出来ない相談だが、欧米型の「極端な私権主義」とはまったく対極の考え方で、自然に優しく、自然と共生しつつ地域社会を安全・安定して営めるシステムを作り上げ、実践していた知恵に学ぶものは無いだろうか?

男女平等を誤解して男女の生物的特性まで否定する事は、他の動物同様に持ち合わせている人間の「生態系を壊す」と言う事に成る。

つまり現在の人間(我々日本人を含む)は、生き物としての自らを否定するほど傲慢な存在なのである。


(注)蝦夷族に関しては「飛鳥時代を読み解く(古代日本史の考察第二章) ここをクリック


妻問婚(つまどいこん)・妻間婚(つままこん)

妻問婚(つまどいこん・つままこん)

◆◇◆◇◆妻問婚(つまどいこん)・妻間婚(つままこん)◆◇◆◇◆◇

妻問婚」とは、男が女性の下へ通う婚姻形を指している。

中国・雲南省の水耕稲作発祥の地は、未だにこの「妻問婚」が行われて居る土地だが、正月の風習などわが国の習慣に共通点が多いので、昔から初期日本民族(統一大和族)に於ける「習慣の遠いルーツでは無いか」と指摘されている。

この「妻問婚」の呼び名が、「夜這い」の語源で、動詞「呼ばふ」の連用形「呼ばひ、が名詞化した語」と言うのが定説で、「夜這い」と書くのは当て字である。

「呼ばひ」は上代から見られる語で、本来、男性が女性の許に通い、求婚の呼びかけをする「妻問婚」事を意味した。

この求婚の呼びかけ、今ほど厳密なものでなく、「唯の口説き」と区別は付き難い。

当時は男性側に、「多妻・重婚」が多かったのだ。

妻問婚(つまどいこん)・妻間婚(つままこん)は古代の結婚制度で婿入婚(むこいりこん)の一種で、招婿婚(しょうせいこん)とも言う。

この婚姻形態は、数年婚姻が続き関係が安定すると新しい屋敷を作って同居する事もあが、男性が三日夜続けて女性の下へ通うと成立する簡単な結婚制度で、総じて結び付きが弱く結構簡単にくっついたり離れたりする。

夫婦は別姓で、基本的に同居はせず妻の家に夫が通い、従って男性は複数と婚姻関係を結び、妻の方も気に入った男性を家に入れる事もある。

つまり夜這い(呼ばひ)が発展した婚姻形態で、複数の妻の間を夜這い(呼ばひ)歩く者も多かったので妻間婚と書いて(つままこん)とも読む。

所謂女系家長制で、子供は特別の事情がない限り母親の家で育てられ、父親との関係は薄い。


貴族・氏族社会では、家長が女性で「よばう形」で男性を寝屋に引き入れる習慣・「よばひ(夜這い)制度」は、虚弱精子劣性遺伝に苦しめられていた古墳時代から平安初期の貴族・氏族社会では、家系を後世に繋ぐ手段として有効だった。

そしてこの妻問婚(つまどいこん)の「よばう形」が無くなり、女性が家に嫁ぐ形に成った平安中期くらいから、今まで「よばひ(夜這い)制度」が塗布していた問題が噴出し、貴族・氏族社会で「養子のやり取り」が頻繁に行われる様に成ったのは皮肉である。

その後この問題の合理的な解決として考えられたのは、祭りの晩の神からの授かりもので、よそ様の種を頂いて自分の子として育てるには、性交相手は顔も判らぬ見ず知らずで性交場所は暗闇が良い。


やがて、後発で入って来た渡来人や経典の影響で、父系の血筋を繋ぐ貴族社会から、徐々に「嫁入り婚」が支配的になり「妻問婚が、不道徳なもの」と考えられる様になった。

当時は照明が発達していないから昼間働き、「夜、性行為をする」イメージが定着していた為、「夜這い」の文字が当てられた。

時代が下がり、「夜這い」の字が当てられて以降、求婚の呼びかけの意味は忘れられ、「男が女の寝床に忍び込む意味」として用いられるようになった。

その性交習慣の名残が、つい五十〜八十年前まで密かに村里に生きていた。

村人の結び付きの手段で有り、団結の象徴だが、価値観の違う為政者(支配階級)は認めない。

それで、建前は「一夫一妻制」を取ったが、現実には「夜這い」は、本音の部分で村内は公認だった。

夜這い」は男が女の家に侵入して交わって(性交して)帰る事である。

現実問題として、相手にも家人にも了解がなくては成功(性交?)は難しい。

夜這いだけは、年の上も下もない。

身分、家柄もへったくれも関係ないのが村の掟である。

そして、相手は頻繁に変わっても良い。

つまり、「夜這い」を仕掛ける相手も未婚の娘とは限らない「総当り制」で、婆、後家、嬶、嫁でも夜這いが許される村も多かった。

その場合は、永きに渡り守られて来た風習であるから、夫もそれを平然と受け入れなければならなかった。

妻や妹、そして娘を「夜這い」されても、夫や親兄弟は文句を言わない。

それが、村を挙げての合意された「掟」だからで有る。

「掟」である夜這いによって妊娠し、子供が生まれる事があっても、夫はその子供を「自分の子として育てる」のが当たり前だった。

確かに村落一体と成った乱倫では父性の位置は不確実で、実の父親が誰なのかは問題にされない。

しかしこの事は、血統至上主義を「拠り所」とする氏族とは対極の身分に位置した民人(非支配者下層階級/非良民・賤民)の「血統至上主義」へ対抗心が根底に在ったのかも知れない。

この風俗習慣は、遠い昔の修験山伏・陰陽師勘解由小路党の残した性と子作りの規範が、元になったのは言うまでも無い。

村の女性に生まれた者は村の宝で、父親が誰かは詮索しないで女性の家の子として育てる。

つまり村落共生主義のおおらかな性規範は、血統を拠り所とする氏族(武士)の「血統主義」の価値観とは対極に存在した。

彼らは永い時代を超えてその風俗習慣を守って来た。

それが、長年の村のルールだからであると同時に、自分達にもその事に参加権がある「集団婚姻的な性規範」であったからだ。

誰の子か判らない子を、自分の子として育てる事を奇異に感じる者は、感性に偏りがあるから深く考える必要がある。

これは人間性の問題で、「連れ子や養子を愛せるか」と言う事に共通している。

言わば考え方の問題だが、もし、私権である独占欲や血統主義が判断基準であれば、そんな自分勝っ手な奴に連れ子や養子は愛せない。

つまり日常生活を共有する連れ子や養子を愛せるならば、妻への愛情が本物であれば誰の種であろうとも妻の産んだ子を愛する事は、養子依りは更に容易な筈である。

その意味では、夜這いは村内に在って特殊な事ではなく頻繁・日常的だった。

何故なら、子供の親が特定されるより「誰の子か判らない」方が返って村は平和で良いのだ。

いずれにしても、永く続いた村の共生意識の中での価値観は、現在の物差しでは計れないのである。

目的は村の団結(全て身内の気分)で有り、人口の維持発展、治安維持である。

少人数の村では、男女の比率が平均化されない事態がしばしば発生したので、この手段の「総当り制の夜這い」が問題解決の最高手段だったので有ろう。

一夫一婦制で男女の比率が違うと、当然、あぶれる(相手に恵まれない)事態が起こる。

これを、手をこまねいて居ては村落が少子化に陥るから、救済手段が必要だった。

この考え方、今の日本ではまったく支持されないだろうが、「少子化」に悩む当時の小部落の「有効な対策」だったので有る。

村の人数が相対的に多く、若者と娘の員数が均衡している所では、若者仲間にのみ「夜這い」の権限が公認され、対象は「同世代の娘や後家に限られる」と定められていた村の事例もまた多いが、いずれにしても表向きは、一夫一婦制だが、実態的には皆が性的満足を得られる「夜這い」システムで補完されていたのだ。

つまり、おおらかに性を楽しんでいた。

そして現在のように、身体的に婚姻が不利な者やもてない者も、見捨てられ事も無く救われ、その手のトラブルを起こす事もなかった。

こう言う村社会の「夜這い思想」を持ち出すと、直ぐに自分の尺度で「ありえない」と結論を出したがる向きが多いが、チョット待って欲しい。

例えばであるが、高福祉で知られる性に比較的自由思想(フリーセックス)の国スェーデンでは、子供は国の宝で、若年出産の為に生活力の無い親の私生児など、国で引き受けて育てている。

この思想、「村の子供は村の宝」と言う過っての村社会の合意と同じである。

子供はイコール未来の国力で、現在の日本のように、「少子化問題と女性の社会進出」と言う矛盾した奇麗事を並べるより遥かに現実的である。

昔の村落共同体においても、連れ合いを失ったり容姿に問題がありもてなくて独り身の者も居た。

村落共生主義における村落へのロイヤリティ(忠誠)とも言うべき誓約(うけい)は、本来相手の「情」を求めない善意の性交である。

建前に囚われずに本質的な現実として来た村落共生主義であれば、誓約(うけい)の性交が有るのなら善意から発生する「思い遣りの性交」もあるのが「共生社会」である。

この「思い遣りの性交」など、村落共生主義を棄てた現在の私権社会では、本質的問題でありながら建前で切り捨てて最初から対策思考の範疇(はんちゅう)に無い。


夜這い(よばい)のルーツ

夜這い(よばい)のルーツ

◆◇◆◇◆夜這い(よばい)のルーツ◆◇◆◇◆◇

この日本に於いて、平安時代から昭和初期まで農漁村の村落部に存在した「夜這い制度」のルーツは何処から来たのだろうか?

勿論「夜這い制度」は自然発生的な制度で、原始的婚姻制度としては繁殖相手を選択する極自然なものである。

そしてそれを理論的に裏付けたのが、「北斗・北辰信仰(妙見信仰/みょうけんしんこう)」であり、その後に弘法大師(こうぼうだいし/空海)が多くの経典と伴に中国から持ち込んだ密教(真言密教)だった。

チベット仏教(ラマ教)の国であるチベット、同じくブータン、そしてネパールと言う言わば中国・日本への仏教伝来ルートの国々は、現在でも一妻多夫婚(妻問い婚・通い婚)の国である。

「夜這い制度」を守る村落共同体内での「共生主義」の根本精神は妥協や犠牲ではなく、共同体としての「積極的な協調精神」である。

つまり「共生主義」は、女性側に選択権がある「夜這い」と言う極自然発生的な制度や「一妻多夫婚(妻問い婚・通い婚)」の制度である。

また、家族単位の「群れ婚状態」も在り、その家の長男が嫁をとり財産を引き継ぐと、男兄弟が何人居ようとその家に同居し長男の嫁をセックスの対象として共有させてもらう一妻多夫婚が普通である。

逆のケースとして、娘だけ何人も居る家庭では長女にだけ婿をもらい、他の娘はその婿をセックスの対象として共有する一夫多妻も存在する。

これらの国々の婚姻制度に関しては現在進行形と言う指摘や、極近年まで存在したが文明化で「無くなりつつ在る」と言う微妙に不確かな紹介もある。



「夜伽(よとぎ)歓待」の「マレビト習慣」

「夜伽(よとぎ)歓待」の「マレビト習慣」

◆◇◆◇◆「夜伽(よとぎ)歓待」の「マレビト習慣」◆◇◆◇◆◇

昔から、「江戸っ子は女房を貸し借りする」と言う諺(ことわざ)が在る。

つまり一部のキリスト教信者以外の江戸時代当時の庶民社会では、そぅ厳格に女房の貞操観念にこだわっては居なかった。

あくまでも、維新後のキリスト教の価値観の影響が現在の貞操観念で、江戸時代以前は武家社会ででも出世の為に主君の所望に応じて妻を差し出すなど対して奇異な事ではなかった。

本来、地域社会の身内感覚(共同体意識)に依る「集団の性規範」は、民族・部族ごとに存在し、それを他者が自分達の価値観で「奇習だ」と批判するのは傲慢である。

江戸時代の商家のおかみさんは、手代や番頭の性の面倒まで見ていたし、相撲部屋のおかみさんはつい二十年位前まで「弟子の性の面倒をみている」と言ううわさが在った。

いずれも使用人や弟子が外で不祥事を起こさない為の知恵だった。

また、「江戸っ子は女房を質に入れても初カツオを食う」と言う。

庶民に貞操観念自体が薄い時代で不倫は当たり前、初カツオの代金が女房の貞操代金に化けたとは、江戸庶民の粋な話かも知れない。


農村ではお祭りの際に若い男女の乱行的な性交渉を認める地方が多くあり、結果、子供ができれば神事に授かった子供として大切に育てられた。

また、江戸時代当時の旅人(旅行者)は、庄屋(しょうや)・名主(なぬし)、村長(むらおさ)と言ったその土地の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣のある地方では、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた性風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在した。

当時の農村では、働き手である人口の増加や少ない娯楽として「夜這い」が認められていたが、何世代もの長期に渡ると一村全てが血液的には身内に成ってしまう。

つまり狭い範囲の村落での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスクが在り、村に訪れる旅人を「マレビト(稀人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

一部では、「マレビト(稀人)」を客人と書いてマレビトと読ませる。

「つまり、マレビト(稀人=客人)と言い、「外部から来訪した珍しい客人」と提起されている。

勿論、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

この習俗の日本列島への知的伝播の元は、モンゴルの遊牧人の習慣と考えられる。

それは、仏教の伝播と伴に伝来したヒンドゥー教シヴァ神の経典などと伴に伝えられた処世術だった。

モンゴルの遊牧人の習慣として、砂漠の旅人(旅行者)は族長と言ったその部族の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、砂漠の民には「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣があり、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた風習も在った。

台湾島の原住民・高砂十二民族の中にも、マレビト(客人)への夜伽歓待の習慣が在る。

日本統治時代に台湾山岳部を訪れた日本の青年が「マレビト(客人)歓待を受けた」と証言し、小説にも成っている。

アフリカ・マサイ族にも、モンゴルと同じように遠来の客に妻を差出して「夜伽(よとぎ)歓待」する習慣がある。

また、他所から見れば奇妙な習慣かも知れないが、マサイ族の新婚初夜はお祝いだから、新嫁新嫁の初夜権を友人にシェア(分配/共有)するのが当たり前である。

従ってハネムーンベィビーは、本当は誰の子か判らないのだが、できた子は新婚夫婦の子として大事に育てられる。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在し、この情報が早い時期に日本列島に伝播し、村落の習俗となった。

狭い範囲の部族での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスク経験が在り、訪れる旅人を「マレビト(稀人・客人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

勿論モンゴルと同様に、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「性的夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

つまり部族や村の人口維持の為に「性的夜伽(よとぎ)歓待」は必要だった。

まぁ部族や人種の別に限らず、平凡な日常生活を送る夫人にとって、この「マレビト習慣」は、非日常の刺激的イベント(行事)だったのかも知れない。

確かに一夫一婦制に於いては、貞操観念的に疑義がある習慣だが、一つの価値判断が、「全てに渡っては正解では無い」と言う事例の一つである。



筆下しと水揚げ

筆下し水揚げ

◆◇◆◇◆筆下し水揚げ◆◇◆◇◆◇

夜這い」を実践していた村には、「修験者(山伏)の指導」と考えられる性に関する様式がある。

勿論、村によりかなり多様な形態があり、アバウトなので全てがこの様式ではないが、およその処を要約すると村の男は数え年の十三歳で初めてフンドシを締める「フンドシ祝い」、数え年の十五歳で「若い衆入り」と言う通過儀礼がある。

年齢が達すると「筆下し」の儀式を経て成人と見做され、「若い衆」と言う成人男子の集団への参加が許される。

つまり年齢で若い衆入りを果たすと、「筆下し」と言って、村の女が性行為を教えてくれる。


農漁業の村落地区では遊女・遊郭の施設も無いし必要な金もないから、「筆おろし」と呼ばれる童貞若者の初体験の相手は、村の若後家さんや出戻りのお姉さんが引き受ける。

「そのかわり」と言ってしまっては乱暴だが、村落は性までシェア(分け合う)する共生社会だから、若後家さんや出戻りのお姉さんが独居でも生活出来る様な支援が村の合意である。

「筆おろし」だけでなく、彼女達は村の元気を持て余している若者達のはけ口を、暗黙の了解で「夜這い」と言う形で引き受ける。

だから少し先輩の若者達数人が、若後家さんや出戻りのお姉さんのところへ童貞若者を連れて行くのだが、ちゃっかり自分達のお相手もお願いする。

そこで若後家さんや出戻りのお姉さんは一度に三人〜五人、多ければそれ以上の人数と性行為の相手にする事になる。


この女性一対男性多数の生殖行動に関しては、原生人類の本能的生殖行動と現代の倫理規範に矛盾が在り充分に説明が着く。

それは一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、雄(オス)達は一頭の発情期の雌(メス)に順番に群がり、雌(メス)は一日に何頭もの雄(オス)と交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、雌(メス)が依り強くて優秀な精子に回(めぐ)り逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。

これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、雄(オス)雌(メス)の生殖機能には目的に添った違いが在る。

当然、雄(オス)の方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、雌(メス)の方は肉体的に連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての原生人類は、「確実な種の保存の為」に 本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。

この事から、現代の倫理規範では矛盾が在っても、昔の暗闇祭りでは女性が多数の男性と一度に交尾する事に矛盾は無かったのだ。



「筆下し」の役は、若後家さんや出戻りのお姉さんに限らない村も在った。

都合良く独り身の女性が何時も居るとは限らないからで、その相手は、後家、嬶(かかあ)、娘、尼僧と様々で、くじ引きなどで決められる事が多かった為、場合によっては実の母親や肉親がその相手になる事もあった。

その場合でも、相手の変更は禁じられた。

それは、「筆下し」が情の絡まない宗教的儀礼だったからで、神社や寺院の堂がその舞台となった。

実は、神前で挙げる結婚の儀の意味合いも、その原点はこの儀礼習慣にある。

この辺りに、妙見信仰真言密教による「宗教的呪詛」の一端が垣間見える。

この「筆下し」が済むと、漸く公に「夜這い」をする事が許される。



女性の場合は初潮、或いは数え年の十三歳を節目として成人と見做され、おはぐろ祝い、またはコシマキ祝いが開かれ、暫くすると「水揚げ」となる。

この「水揚げ」、親がその相手を探し依頼する事が多かった。

水揚げ」の相手は、村の年長者で性行為の経験が豊富な事には勿論の事、人柄が良く水揚げ後も娘の相談相手になれる後見人として、村長・村主・庄屋・名主や村役と言った資産も政治力も在る村の実力者の男性が選ばれた。

娘は、水揚げ親に性交術を実践伝授される訳で、つまり「水揚げ親制度」は、娘の将来に渡る後見人を獲得する事は勿論の事、同時に日頃のお礼の意を示す事や一家のその後をその実力者に託す為の人身御供伝説を彷彿させる「貢(みつぎ)の正当化」ではなかったのか?

その水揚げを経る事によって、その娘に対する「夜這い」が解禁となる。

これらは、信仰深い人々にとって「神の計らい」だったので有る。

現代の感覚では、古(いにしえ)の水揚げ年齢が十三歳・十四歳では酷く早い様に感じるだろうが、当時の習俗的認識では普通の感覚で在った。

そしてその水揚げ年齢の感覚は、けして古いものでは無く、第二次世界大戦後の暫くまでは続いて居た。


それはその戦後の占領下に於いて、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止の要求がされた事に伴い昭和三十三年に施行された売春防止法(法律第118号)まで続いていたのである。

事例として芸妓を例にとると、御茶屋遊びの芸妓の養成を兼ねた舞妓(年少芸妓/芸妓見習い)は現在は中学卒業後だが、戦前は九歳から十二歳の少女までだった。

京・大阪で言う舞妓は、江戸など関東地域で言う「半玉(はんぎょく)」もしくは「おしゃく」に相当する。

同様に、京・大阪での呼び方は芸妓、江戸での呼び方は芸者なので区別する必要がある。

舞妓見習いは、半年からに年ほどの「仕込み」期間を経た後、一ヵ月間「見習い」としてだらりの帯の半分の長さの「半だらり」の帯を締め、姐さん芸妓と共に茶屋で修行する。

その後に置屋の女将と茶屋組合よりの許しを得て舞妓となり、座敷や舞台に上がりながら九歳から十二歳の間は芸妓を目指して修行する。

少女である舞妓の衣装は振袖・下げ帯(だらり帯び)だが、現在では襟替(えりか)えの時期が二十歳前後の場合が多いが、第二次世界大戦直後までは十三歳から十四歳で芸妓と成った。

そして「正統派の芸妓・芸者は売春を行う事はない」と言われている。

だが、江戸時代以来、芸妓もその他の遊女と同様に前借金を抱えた年季奉公であり、第二次世界大戦終戦前の花街は人身売買や売春の温床となっていた。

芸妓の世界では、誰でも構わず身を売る事は「不見転(みずてん)」として建前戒められていた。

だが、第二次世界大戦後の売春防止法(法律第118号)まで、こうした不見転(みずてん)はほぼ何処の土地でも見られ、置屋も積極的にこれを勧める事が多く、俗に枕芸者と呼ばれた。

また現実には、芸妓も遊女同様に前借金を抱えた年季奉公で在った事から、自分の妻また妾にする為の旦那衆に拠る水揚げや身請け(落籍)は在った。

つまり建前とは別の本音の部分では芸妓の水揚げや身請け(落籍)は実在し、その時に旦那衆から支払われた金は、前借金を差し引いて余れば置き屋と芸妓親元の分け前になる。


現代では、戦後の児童福祉法と労働基準法の改正に伴い現在は中学卒業後でないと舞妓に成れない。

そして現代では、十九〜二十歳に成らないと芸妓には成れない。

だが、第二次世界大戦後の昭和三十三年当時の習俗的認識では、襟替(えりか)えして芸妓と成れる十三歳から十四歳の女性は、既に性の対象だった事に成る。


夜這い」とは、村落共同体を維持する為の有用な慣習だった。

その規則は住民達によって細かく決められていて、その取り決めは村ごとに異なる。

その差異は、「村の規模や性格によるもの」だとされている。

夜這いが解禁される基準も村によって異なるが、数え年の十五歳という年齢が一つの目安となっている。

これは、武士社会の「元服式」にも通じるから、数え年の十五歳の身体は立派に大人なのである。

自然に成熟する若い男女に、大人としての自覚(社会的責任)を身体の成長に合わせて周りがきちんと教える「理に適った」習慣である。

最初から信用できない群れなど、群れの体を為しては居ない。

綺麗事を排して敢えて言えば、肉体(からだ)を許せる仲こそ気を許せる事の証明である。

村落共同体の存続を賭けた「少子化対策」のこうした様式は、広義に解釈すると国家にも通じる。

村民が減っていけば「村の力が落ちて行く」と同様、国民の居ない国家は成立たない。

詳しくは「絶滅危惧品種・日本人 ここをクリック

従って、「夜這い」を現在の固定観念で安易に「低俗」と判断する人は「無知」な人と言わざるを得ない。

現在より余程実践的な性教育システムであり、健全な精神の若者を育てる「民の知恵だった」とも解釈できる。

「再開しろ」とは言わないが、先人の知恵に「教えられる所は多々ある」と言う事だ。

それを現在では、「十八歳までは子供」と法律で決め付けている。

この抑圧は、若者の思春期の精神生成に、害はないのだろうか?

無責任な建前主義に陥って、成長期の大事な若者の精神を、無理解に捻じ曲げてはいないだろうか?

この件ついては「人間 の性と精神の考察 ここをクリック

着眼点を変えて良く考えて見ると、収入が無い男は女性とは付き合えず結婚も出来ない現代において、誰にでも性交の機会を与える村落共生主義のおおらかな性規範よりも、建前にしろ、結婚相手かそれに準ずる相手以外の性交を「ふしだら」として、性欲を抱えて悶々とする若者に対する現代の性規範の方が余程残酷なように感じるのは我輩だけだろうか。


少なくとも、昭和の始め頃までは「夜這い」はほぼ全国の村落で行われていた。

最後まで残ったのが、昭和二十年の敗戦の頃までで、漁村を中心としてまだこの慣行が残されていたらしい。

しかし、高度経済成長期の集団就職、出稼ぎ、などの影響で村落共同体の崩壊と共に「夜這いは全滅した」とされている。


寝宿(ねやど)

寝宿(ねやど)

◆◇◆◇◆寝宿(ねやど)◆◇◆◇◆◇

昭和二十年の初めまで、関東から以西の主に沿海部の漁村に分布する独特の風俗習慣に「寝宿(ねやど)」と言う制度があった。

北日本、東日本ではその存在が希薄である「寝宿」は、地方により「泊り宿」や「遊び宿」とも言う。

若い衆には「若い衆宿」、娘衆には「娘衆宿」があるのが普通だが、男女別のものばかりではなく、土地によって同宿のものもあった。

集会場や仕事場としてのみ用いられるものは「寝宿」とは呼ばない。

寝宿」は文字通り寝泊宿で、男子の場合、若い衆へ加入と同時に「寝宿」へ参加するものと、「寝宿」へ加入する事が、逆に若い衆組への加入を意味する「形態」とがある。

娘衆の場合、集会としての娘宿は多いが、寝泊宿の例は比較的少なかった。

たとえ、寝泊宿があったとしても、いずれにせよ、一つの寝宿に兄弟姉妹が同宿する事は避けるものであった。

寝宿の機能は、「婚姻媒介目的」と「漁業目的」の二つに大別され、双方を兼ねる場合もある。


婚姻媒介目的の場合、若い衆は「寝宿」から娘衆の家・娘衆宿・娘の寝宿へ夜這い(よばい)に訪れ、おおらかに相性を確かめた上で将来の伴侶を選んだのであり、そのさい宿親と呼ばれる宿の主人夫婦や宿の若い衆仲間達が、助言や支援を行った。

つまり、明らかに村落共同体としての合意ルールによる「夜這い」である。

いずれにしても、この寝宿制度は「夜這いを容易にする手段でもあった」と言える。

したがって結婚すれば寝宿から卒業する地方もあった。

一方、漁業目的の場合は、寝宿から夜間の漁に出たり、寝宿に宿泊して遭難、災害、紛争(他の村落相手)等の非常時に備える現実的な目的(今で言う自警団)があった。

寝宿」としては、一般に新婚夫婦のいる家屋の一部屋を利用するものが多いが、漁業に関係した「寝宿」は網元の家が用いられる事もあつた。

また寝宿専用の家屋が常設されている地方もあった。

こうした慣習が、関東以西の広範囲に大正末期までは顕著に続けられ、その名残は、地方によっては村の青年団や消防団などがこうした習慣を継承して、昭和の二十年代初めまで続いていたのである。

近世から近代にかけて、為政者主導の社会制度に、民が「性的なものに対する嫌悪感」を植えつけられ、次第に性に対するおおらかさを失って行く。

しかし、為政者主導の「一夫一婦制」は庶民には押し付けたが、都合の良い事に権力者達は「血脈を途絶えさせない為」と称して、自分達だけは正妻以外に「妾」を多数囲っていた。

この、性への嫌悪感の流布には、「お定め。禁令」と言った法律の施行と伴に、中央政権に迎合した宗教の存在が、大きい力になって行く。

少子化問題と性への嫌悪感 ここをクリック

為政者側からすると、庶民どもはそんな楽しい事にうつつを抜かさず、「働いて我々に貢げ」と言う事で有る。

つまり、「民を働かせ、その成果を収奪する」為政者有利な論理に基づく「まやかしの制度」で有る。

主として為政者の目が届き易い平野部が、その制度に染められて行った。


マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)

◆◇◆マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)◆◇◆

共生村社会の村落に於ける寝宿制度や夜這い制度には、村落の人口維持や若者の性欲処理の需要があり、実は一対一の性交ばかりでは無い。

つまり「寝宿」では男女複数参加の乱交も行われたし、「夜這い」にも於いてもターゲットの女性宅に「一緒に行こう」と男共が連れ立って出かけて行く事も多かった。

その制度で為した子が村全体の子である為には、敢えて父親を特定されない為にマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などのマルチ傾向は一般的だった。

実はこの性交に関するマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などのマルチ傾向は、勿論個人差は在るが人類の生い立ち経緯そのものと関わる原始生殖習慣にその起因を見、人類学上では不思議は無い。

何と成れば、今でも本能としては進化過程の名残が残っているのだが、人類の元々の自然な資質を考察すると「群れ社会性の生き物」で、当然ながら本能的には「群れ婚」が基本だった。

つまり群れ内は乱交状態が永く続いた種だから、右脳域(感性)的本性にはマルチ傾向にそう違和感がある訳ではない。

しかし人類の生活形態が、次第に「群れ」から「家族」に変化して行く過程で家族単位の維持が必要になり、左脳域(理性)的にマルチ傾向の本能を否定するように成った。

それでも平安中期頃まで「呼ばい婚(夜這い婚)」が主流で、女性の家に男性が通う形の実質女性側に選択権が在る一妻多夫状態のマルチ婚姻形態だった。

そして、「歌垣(うたがき)」と言う名の野外乱交の場に夫婦で出かけて行って歌を詠み合って刹那の相手を探し、実行する遊びをしていた。

この「歌垣(うたがき)」の性習慣は平安貴族に於ける夫婦揃っての合意の上の遊びで、原資生殖習慣であるマルチ傾向の本能に「自然に対応していた」とも採れるのである。


文明開化

文明開化

◆◇◆◇◆文明開化◆◇◆◇◆◇

現代日本の道徳観念には、儒教・儒学(朱子学)の精神思想が色濃く影響している。

しかし勘違いしてはこまる。言わば、儒教・儒学(朱子学)の精神思想は永い事「氏族の精神思想」で、江戸期にはその「忠孝思想」が「武士道(さむらい道)」の手本に成ったが、けして庶民の物では無かった。

つまり、当時の支配者側と庶民側の「性に対する意識の違い」を理解せずに、現存する支配者側(氏族)の文献にばかり頼ると「暗闇祭り」や「夜這い」の意味が理解出来ないのである。

庶民側のそうした風俗習慣は明治維新まで続き、維新後の急速な文明開化(欧米文化の導入)で政府が「禁令」を出して終焉を迎えている。

明治新政府は、文明開化(欧米文化の導入)で欧米列強と肩を並べるべく近代化を目指し、一方で強引な皇統の神格化を図り、天皇に拠る王政復古によって神道による国家の統一を目指し、それまでの神仏習合から仏教の分離を画策して、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)と銘銘し、仏教の排斥運動や像、仏具類の破壊活動が行われた。

同時に国家の統治の要として儒教・儒学(朱子学)の精神思想を採用、国家と天皇への忠誠を広く庶民に啓蒙したのである。

ここで問題なのは、古来の神道に儒教・儒学(朱子学)は無かった事で、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)とは言いながら、庶民生活においては政府の意向で「神仏習合」から「神儒習合」に変わったのが現実である。

明治維新以後、保守的な漢学者の影響によって教育勅語などに儒教の忠孝純潔思想が取り入れられ、この時代に成って初めて国民の統一した意識思想として奨励された。

つまり、かつての日本的儒教(朱子学)は、武士や一部の農民・町民など限られた範囲の道徳であったが、近代天皇制(明治以後)の下では国民全体に強要されたのである。

従って庶民の大半には、古くからの北斗妙見(明星)信仰陰陽修験の犬神信仰、真言大覚寺派の教えも、明治維新までは根強く残っていたのは確かである。

実は、村社会・地域社会の絆とも言える身内感覚(共同体意識)を支えた「おおらかだった庶民の性意識思想」を代えたのは明治維新に拠る新政府が、近代化を図る為に「文明開化(欧米文化の導入)」を行い、キリスト教の教えを基にした欧米型の精神思想を啓蒙、また国家の統治の要として儒教・儒学(朱子学)の精神思想を採用、広く庶民に啓蒙した事に拠るもので、この事が、徐々に庶民の村社会・地域社会の身内感覚(共同体意識)を失わせた。

宗教上(信仰上)の本来不変である筈の正しい教えが、権力者の都合や宗教指導者の都合、歴史の変遷の中で変化して行く所に、宗教(信仰)の妖しさを感じるのは我輩だけだろうか?

鍵を掛ける習慣がないほどの安定安全社会だった全て身内気分の村落・・「村社会」を破壊したのが米国を含む西洋文明である。

日本の庶民社会が「性に対しておおらか」だった事を米国を含む西洋文明が、性に対して自分達と考えが違うを持って「野蛮」と言うのであれば、この十八世紀から二十一世紀の今日までの米国を含む西洋文明が「野蛮な文明では無かった」と言うのか?

米国を含む西洋文明の歴史は、あれこれと理由を作り「戦争、侵略、暗殺、銃社会」と言う「犯った国(者)勝ち」の身勝手な発想を実行して来た「野蛮な文明」である。

それを真似した明治維新以後の日本政府は、「戦争、侵略」と言う強引な欧米化を推し進め、昭和前期の大戦に国民を巻き込んで甚大な人命被害と財産被害をもたらせた。

近頃苦悩している日本経済の再生は「過去の歴史から学ぶべきもの」である。


明治新政府の皇統の神格化が太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦で代わり、国民主権の民主国家に変貌する。

敗戦後に影響を受けた米国型の個人主義偏重の自由思想は、人々を極端な個人主義に走らせ、遂には個人の主張が身内にまで向けられ、気に入らなければ親兄弟でも殺す人間が急増している。

この明治以後に初めて庶民にまで浸透した儒教的価値観欧米型の精神思想を、まるで「二千年来の歴史的な意識思想」のごとくする所に、大いに妖しさを感じるのである。


日本の文化は、ノーパンティ文化である。

日本女性の性意識は、穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。

勿論、明治新政府成立以後の急速な欧米化路線は、おおらかだった日本人の性意識を折に触れて変革させようと多くの禁令を乱発した事も事実で、性意識におおらかだった陰陽道や、暗闇祭りの性風俗の禁止などである。

しかしそれ以上に、穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用でガードした事が、日本女性の性意識を劇的に変えたのである。

昭和の十五年頃まで、日本女性には永い事ショーツ・パンティ様式の「穿く下着」を身に着ける習慣は無かった。

下着(ショーツ・パンティ)の着用が普及した時期は、千九百三十二年(昭和七年)の白木屋の火事で、確かに新聞の論説では「下着未着用の恥じらいの余り多数の女性が焼死した」と評される例の事件は、話題には成ったが実際には女性が一斉にパンツを穿く契機には成っていない。

時代的に一斉に穿く下着ショーツ・パンティ類を穿くのは先の大戦(太平洋戦争)の戦時中に、もんぺの下着として「ズロース」と呼ばれて普及した事が正解である。

劇的に変化したのは日本女性の性意識だけではない。

男性の性意識も、女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。

本末転倒な事に、中には女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の方に性的興味や性的興奮を覚える性としては邪道の感性を持った男性まで現れたのである。

本来日本の女性は、今で言うノーパンティが普通だった。

呉服」に「腰巻」が普通の衣装だったからで、この着物は和服またはルーツを取って「呉服」と言う。三国史時代の中国・呉の国(蘇州・杭州)で作られた服装様式が、呉人と伴に日本列島に移り住んでその服装様式が渡って来た。

現在の 江蘇省(蘇州) 昆山市は呉の中心地で「日本の着物(呉服(和服))のルーツ」と言われている。

その「腰巻」だが、厳密に言うと安土・桃山期〜江戸時代以前の高級武家女性の夏の正装として使用が始まり、江戸期〜明治維新以後昭和初期以前には、現在の穿く下着(ショーツ・パンティ)の代わりとして広く着用されていた。

気をつけて欲しいのは、高級武家女性の間で「腰巻」が使用され始めたのが安土・桃山期であり、それまでは存在すら無かった事で、「腰巻」が一般的に使用されるようになったのは江戸期以後である。

つまり庶民は、江戸期までは「腰巻」さえ着用しなかったし、農漁村では江戸期もかなり後になってから漸く普及したのが腰巻使用の実体である。

数え年の十三歳を迎えた正月に祝った「腰巻祝い」の風習が文献に残っているが、あくまでも武家や裕福な町家、裕福な豪農の娘達の祝い事だった。

従って町場ならともかく農漁村の村娘の腰巻着用場面のある時代劇は間違いである。

何もミニ丈ファッションは洋風が元祖ではない。農漁村の娘は、ノーパンティに「腰巻」さえ着用して居ず、おまけに水田に入る事から丈が短い野良着姿が通常の服装であった。

野良着姿は木綿紬(つむぎ)の一重(ひとえ)か二重合わせの着流しで、水田作業の時は膝ぐらいまで裾をシッ端折(パショ)りして作業をする。普段でもそんな服装だから、野良着のすそが肌けて女陰が露出するケースが日常的で余り気にしては居ず、女陰が人目に晒される事に対する羞恥心は、当時の娘には「随分と薄かった」と考えられる。

股間が自由空間である開放的な服装は風俗に影響を与え、同時に日本では「女の性欲」が否定される事がなかったから奔放に性を楽しめた。何しろ女神様が天の岩戸の前でストリップを踊る誓約(うけい)の国である。日本人は歴史の大半を通じて性にたいへん寛大で、日本ほど性に開放的で、肯定的に「あけっぴろげ」な国はなかった。

不義密通は氏族の文化であり、卑猥な文化が繁栄した庶民には無縁のものだったのである。

こうした話をすると直ぐに「品が無い」とか「セクハラだ」とか言うが、この変革はあくまでも明治新政府主導の啓蒙に拠る対外的な世間体(欧米の対日評価)を慮(おもんばか)っての事だった。

しかし嘘も度重なると本当に思えて来るがごとく日本女性の意識が次第に変遷を遂げ、欧風化して行ったのである。



一夫一婦制は、重大な別の効果をもたらせた。

庶民が異性に対する独占欲を、強く意識する第一歩となったのだ。

そして、民間で見事に成立されていた「性教育システム」を崩壊して建前の中に蓋をしてしまった。

つまり、本来脳の別の部分で考えている「精神的愛情」と「性的衝動」を集合させ、「独占欲」と言う私権で括(くく)ってしまった。

その間(ハザマ)の中で、最近多発する「未成年にのみ性の興味が向けられる」歪んだ性を育てた可能性を否定できない。

それらが徐々に進んで「私権(私欲的個人主義)」の意識だけが、性の意識に限らず、金品などあらゆる物に及んで行くのだ。

現実に存在する人間の性衝動を、建前主義の絵空事で覆い隠して・・・・・・

現にこのギャップが、多くの事件の元になっている。

しかし、山間部の民や漁場の民は、昔ながらの「未開」の領域を「その制度の中におおらかに残していた」と言う事だろう。

夜這い」に秘められた村人の思い・・・・それは素朴で優しく、隣人愛に富み、美しい。

その心情が失われて行く事を、文明の進歩とは「けして言わない筈」である。


物事を単純化しようとする安易な勢力がある、しかし本当の人間には様々な引出しがある。

つまり、脳の思考回路は一筋縄では行かないのである。

残念ながら人間は、平凡無事無害な人物に魅力は感じ難い。止せば良いのに、危険な香りに心惹(ひ)かれてしまう。

言わば小泉元総理の魅力(人気)の原点はジゴロの危険な香りである。

この男と付き合っていては「身を滅ぼす。」と判っていてもその魅力に勝てない大衆が多い。

にも関わらず、丁寧な検証もせずに結論を出す。

理由は「それでは政策が進まない」と言う無責任な本音である。

戦後の私権教育に拠って、食べ物を分かち与える村落共生主義など、戦後第二世代以降には理解出来なく成ってしまった。

益してやその原点が、「夜這いに在る」などと言ったら、「嘘、信じられない。」と言われるだろう。

しかし近隣愛の原点が無く成れば、「誰でも良いから殺したい」と言う身勝手な発想が生まれる事に成る。

そしてそれに更なる後押しをしたのが、小泉・竹中の薄っぺらな「米国型競争経済化」と言う構造改革の正体である。

勝手に他家に上がり込んで飯びつの飯を家人の断り無く喰らっても、村内の者なら咎められる事のない「過って知ったる他人の家」は、この村落共同体社会の全村身内の気分が連携抑止力を生み、鍵を掛けない平穏な村落風土を育んだ土壌である。

つまり戦後の日本社会が私権を強調し過ぎて「隣りは何をする人ぞ」と失ってしまった隣人との連携は、犯罪抑止力の観点からすれば、隣家・隣室で幼児虐待や家庭内暴力、殺人強盗事件が起きても「そう言えば三日ほど前に異常な物音と叫び声が有った。」と言う他人事の証言になって、児童の通学まで危険に成ってしまった。

人は一人では生きては行けない。しかしその現実は極端な私権意識の中、隣人愛どころか家庭の崩壊さえ進んでいる。

後発で現れた商(あきない・商業)が、やがて大きく広域な経済活動になり、今では拝金主義のマネーゲームに明け暮れている。

日本の文明は、「私権的都会化物質文化」と伴に荒廃して行くのかも知れない。


張り型・張形(はりかた、はりがた)

張り型・張形(はりかた、はりがた)

◆◇◆◇◆張り型・張形(はりかた、はりがた)◆◇◆◇◆◇

日本に西欧の文化が入る前は、張形(はりかた、はりがた)は性におおらかな日本の文化だった。

歴史的に見ると張形(はりかた)は信仰の対象とされ、日本の古代アニミズム(自然精霊信仰)にその源流を見出す事が出来、陽物崇拝で「子孫繁栄」を祈願や豊作祈願などその機能を霊的なものとしてシンボル化したり、または霊的な災い(祟り)による病気を代わりに引き受けてくれるものとして扱われ信仰の対象と成って、現代の日本でも木製の巨大なモノが神社に祭られている神社が多数残っている。

張形(はりかた、はりがた)とは人体の男性外性器の形の性器を擬した物の事を指す。

起源が不明なほど古く、記録に残る日本最古の張形は飛鳥時代に遣唐使が持ち帰った青銅製の物が「大和朝廷への献上品に含まれていた」と云う記述があり、奈良時代に入ると動物の角などで作られた張り形が記録に登場している。

紀元前より張形(はりかた、はりがた)と呼ばれる男性生殖器を模した「器具が存在していた」とみられ、張形は男性が自身の衰えた性機能(勃起力)の代用や性的技巧の補完として女性に用いるなど、勃起機能は男性アイデンティティの根底にある為、類似する物品は世界各地・様々な時代に存在した。

また習俗的なものとして、性交の予備段階または性的通過儀礼の道具として性交経験が無い女性(処女)には処女膜がある為、地域によっては処女が初めて性交する際に処女膜が裂けて出血する事を避ける為に、予め張形を性器に挿入し出血させ、実際の性交時には出血しないようにしていた性交の予備段階または性的通過儀礼の「道具として用いる」とされる。


江戸期に入ると木や陶器製の張り形が販売され一般にも使われ始め、女性が性的な欲求不満を慰める道具として用いられ、江戸時代に「大奥で使われていた」とされる鼈甲製(きっこうせい/亀の甲羅)の張形は、湯で柔らかくして綿を詰めて性的な道具として実用に供され、性交機会を奪われた大奥では女性自身が「求めて使用していた」と言われる。

一方で江戸期には陰間もしくは衆道と言う男色の性文化が存在し、キリスト教的文化圏と違って肛門性愛に対するタブーが存在しなかった為、張形は女性用だけでなく男性が自分の肛門に用いる事もあったほど性におおらかな日本の性習俗文化に密着していた。

それほど一般的性習俗だった張り形だが、明治期に入ると国際化の為に西欧の文化に合わせる事が急務となり、近代化を理由に取り締まり対象となり、多くの性具が没収され処分されたのだが、売春そのものは禁止されていなかったた為、性風俗店での使用を前提とした性具は幾度も取り締まられながらも生き残って行った。

現代の性具としては、千九百四十八年(昭和ん二十三年)の薬事法改正から、正式な市販品は厚生大臣の認可が必要となった為、認可されていない性具は販売が不可能となった。

そこで業者は張形に顔を彫り込んで「こけし」もしくは「人形」として薬事法を避けて販売を行なうようになった為、日本の性具は人、もしくは動物の顔が造形されるようになった。

その為、形状の似ている「こけし」という名称が使用され、また電動式のものは「マッサージ器」もしくは「可動人形」「玩具」として販売された。

それらはディルドーまたはコケシと呼ばれ、勃起した陰茎と同じか少し大きめの大きさの形をしたいわゆる大人の性玩具(おもちゃ)で、電動モータを内蔵し振動するものを「バイブレーター」(略してバイブ)、または「電動こけし」と呼ぶ。



春画・浮世絵(しゅんが・うきよえ)

春画・浮世絵(しゅんが・うきよえ)

◆◇◆◇◆春画・浮世絵(しゅんが・うきよえ)◆◇◆◇◆◇

明治維新前の日本が世界的に見て「性におおらかだった」と言う証拠とされるのが、日本を代表する絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)や喜多川歌麿(きたがわうたまろ)等の他大勢が描いた大英博物館所蔵の男女交合の春画で、同博物館の所蔵は二百五十点を上回り、ボストン美術館秘蔵の歌麿の浮世絵は四百点に昇る。

春画とは、特に異性間・同性間の性交場面を描いた浮世絵の一種で、笑い絵や枕絵、枕草紙、秘画、ワ印とも呼ばれ江戸時代に流行した性風俗である。

喜多川歌麿、葛飾北斎、鳥居清長、鈴木春信、鳥高斎栄昌、磯田湖龍斎、勝川春潮、歌川国麻呂、歌川国虎、北尾重政、渓斎英泉などなどのそれらの春画作品は、余りに屈託なく奔放な性を享受していた性文化を表す資料としても一級品で、内容に媚薬や快楽道具、複数プレィなどの行為も自由に伸び伸びと描かれている。

野合戦(のがっせん/青姦)は、北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)歌垣(うたがき)暗闇祭りに代表されるように日本の性文化だった。

江戸期を代表する絵師の春画の題材にも、板塀越の男女合戦図はおろか人目も憚(はばか)らない野合戦(のがっせん/青姦)の大胆な性交図を作品としている。


日本人の奔放な性を描いた浮世絵師の、その名匠達の春画の芸術性は欧米では性の秘儀を描写したアートとして高く評価され各地で展覧会が開催されているが、肝心の日本ではそれらの春画作品は際物扱いでタブー視され、臭い物には蓋状態である。

つまり不都合な事実は「日本古来の文化とは認めたくない」のであろうが世界的に美術品としてコレクションされている現状では、本来人間は思想文化に於いて自由であり当時の日本に社会合意が在った物であれば、無理に現在の思想文化に合わせて隠す方が姑息な気がする。



右脳と左脳

右脳と左脳

◆◇◆◇◆右脳と左脳◆◇◆◇◆◇

かって村落共同体における「夜這い」や「寝宿制度」の知恵は、基本的に経験学的な合理性を持って永く存続していた。

性本能は「理性で押さえ込めば良い」と言う安易な考え方は、そもそも「偏向傾向」の【建前】に傾倒した【右脳】的な考え方で、複雑に発達した脳を持つ人間の人間性を否定するものである。

人間の脳は、大別すると左右二つに分かれていて【右脳】は本能的無意識能力系統を司る役割で「無意識脳」と言われ、イメージ記憶・直感・ひらめき・芸術性・創造性・瞬間記憶・潜在意識・リラックス本能などの活動の機能をしている。

そうした意味で【右脳系】の職業人は、性に対しては開放的で奔放な心理の持ち主が多数であっても不思議は無いのである。

それに対し【左脳】は理性的意識能力系統を司る役割で「意識脳」と言われ、言語認識・論理的思考・計算・じっくり記憶・顕在意識・ストレス本能などの活動を機能をしているのだが、【左脳系】はその理性的意識から絶えずストレスに晒されているにも関わらず性に対しては禁欲的で、返って暴発の危険を抱えて生きている。

固体としての人間に取っては、この【左右の脳】の活動バランスが問題である。

つまり、一方に傾倒したままの人生を送る事は余り得策とは言えない。

いずれにしても、【右脳系】【左脳系】に関わらず、「俺は・私は」こちらが得意だから、或いはこちらで成功しているのだから「そっちの方は知った事ではない。」と安易に考えていると、思わぬ落とし穴に遭う。

つまりバランスが悪い「偏向傾向人間」に成ると、その本人にとってはそれが弱点になる。

例を簡単に取り上げると、【右脳派人間】である芸能関係や芸術関係に「薬物常習者」が多いのは、【左脳】の理性的意識能力を発揮すべき問題に直面した時にその能力が不足している為に、より【右脳】に逃げ込もうとする所に有る。

反対に、オーム教団事件に見られるように教団幹部に科学者や医師が幹部として多数含まれていた謎は、【左脳派人間】は理性的意識能力が得意だけに、【右脳】の本能的無意識能力系統に対して劣等感的弱点があり、「何故あれほどの知識人が?」と言う結果を招いた。

左脳】が悲鳴をあげるほど理性的意識に抑圧されるストレス職業に役人(官僚・公務員)、教職関係者、司法関係者(警察官を含む)、宗教指導者、科学者、医学関係者などがあり、本来最も理性的であるべき立場の者が痴漢行為や淫行などの事件を起こす。

つまり職業柄【左脳域】ばかりを使っているストレス職業に携わる人間ほどバランスの癒しを求めて【右脳域】に暴走する。

これは理性だけでは人間が生きて行けない事を意味している。

所が、この【左脳域】ばかりを使うストレス職業に対する世間の理解は不足していて、彼らに【右脳域】のケアをしようと言う風潮は周囲はもとより本人にさえない。

一般的には【右脳派人間】も【左脳派人間】も、宗教のペテンに信者として引っ掛かってしまうと、そこから先は都合良く【右脳】ばかりを刺激・コントロールされて「盲信」に陥る事になる。

勿論、本能的無意識能力系統ばかりに傾倒した極端な【右脳派人間】も、社会性の部分では大いに問題が有るが、結論を言えば人間は適当に本能的であり適当に理性的でなければならない。

つまり【右脳】はリラックス本能的、【左脳】はストレス本能的に活動するものであるから、【左脳】のストレスと活動バランスを上手に取る為に【右脳】の信仰(宗教)や他の動物に無い「擬似生殖本能(性行為のみの欲求)」は生まれた。

人間は発達した脳の為に「擬似生殖行為」と言う生殖目的以外の性交を必要とする様になる。

そしてその「擬似生殖行為」の為に、人間の脳は益々発達して他の動物に例を見ない高知能生物になった。


言わば「畏怖の念」や「未知への恐怖」などの【右脳域の感性】の裏返しに「占い」や「信仰(宗教)」は存在する。

占いも信仰(宗教)も性行為も【右脳域での思考】で、本能的無意識能力系統を司(つかさど)る役割で「無意識脳」と言われ、イメージ記憶・直感・ひらめき・芸術性・創造性・瞬間記憶・潜在意識・リラックス本能などの感性が、人間としての固体に影響を与えている。

従って、理性的意識能力系統を司る役割で「意識脳」と言われ、言語認識・論理的思考・計算・じっくり記憶・顕在意識・ストレス本能などの活動を機能をしている【左脳域での思考】とは相反する「論理的ではないもの」が、「占い」や「信仰(宗教)」そして「性行為」などの範疇である。

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集団同調性(多数派同調)バイアス

集団同調性(多数派同調)バイアス

◆◇◆◇◆集団同調性(多数派同調)バイアス◆◇◆◇◆◇

こう言う当時の村落共同体(村社会)に於ける性風俗事情を行き成り現代の性規範で判断すると理解し難いかも知れないが、これには群れ社会動物である人間の習性「集団同調性(多数派同調)バイアス」と言う行動現象がその疑問を解く鍵である。

此処で言うバイアスとは脳のメカニズムの問題だが、バイアスとは「特殊な、或いは特定の意見等で偏っている事」を意味する人間の行動学上の習性の一つで、こうした集団心理状態は宗教現場や閉鎖された村落部の掟(おきて)などに顕著に現れる。

つまり群れ社会を構成する人間に取って集団同調性(多数派同調)は、安心に生活する為の拠り所となる。

例として挙げるが、特に顕著に「集団同調性バイアス現象」が現れるのは災害時などの状況下で、周りの人々がどう対応しているかも個人の行動に影響し、つまりは本来向かうべき思考とは違う方向に偏る事で、「集団心理」と言ってしまえばそれまでだ。

だが、一人でいる時には咄嗟に緊急事態に対応できても、集団で居ると「皆でいるから」という安心感で「緊急行動や緊急判断が遅れ勝ちになる」と言うのである。

これが「集団同調性バイアス」で、それは人数が多ければ多いほど他の人と違う行動を取り難くくなり、他の人が逃げていないのに自分一人が逃げる事は難しい心理状態になるのだ。

つまりは、その判断が正しいか正しくないかを周囲に求め、個人の判断を封じてしまうのが「集団同調性バイアス」と言う行動現象なのである。


人身御供・掛ける

人身御供・掛ける

「乙女を縛(しば)きて吊るし、掛けに供し・・・」

◆◇◆◇◆人身御供掛ける◆◇◆◇◆◇

男衆、老いも若きも列を成して豊作を祈願す。

鳥居内の神域(境内/けいだい)においては、性交そのものが「神とのコンタクト(交信)」であり、巫女、或いはその年の生け贄はその神とのコンタクトの媒体である。

祭りに拠っては、その神とのコンタクトの媒体である巫女、或いはその年の生け贄の前に、「ご利益を得よう」と、神とのコンタクト(交信)の為の行列ができるのである。

高千穂神楽(たかちほかぐら)と所謂(いわゆる)「日本神話」との関係については、誰も異論は無いだろう。

だが、高千穂神楽を語る時、避けて通れないもう一つの「神話」がある。それが高千穂に伝わる「鬼八伝説」である。

畿内への東征(神武大王の東征?)から帰郷したミケヌ(三毛入野命)は、後に神武大君(じんむおおきみ・神武大王・初代天皇)となるカムヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼琵古命・神日本磐余彦尊)の兄で、高千穂神社の祭神である。

そのミケヌが、「アララギの里」に居を構えた。同じ頃、二上山の洞窟に住んでいた「荒ぶる神」鬼八(きはち・蝦夷族?)は山を下り、美しい姫・ウノメ(鵜目姫。祖母岳明神の孫娘)を攫(さら)ってアララギの里の洞窟に隠した。

或る時、ミケヌが水を飲もうと川岸に寄ると、川面に美しい娘が映って話し掛けた。

「ミケヌ様、鬼八に捕らえられているウノメをお助け下さい。」

水面に映し出されたウノメの姿に助けを求められたミケヌは、他にも悪行を繰り返す鬼八(蝦夷ゲリラ)の討伐を決意する。

「心配には及ばぬ。私が必ず助け出す。」

ミケヌは、四十四人の家来を率いて鬼八を攻めた。

鬼八は各地を逃げ回った挙句、二上山に戻ろうとした処でミケヌらに追い詰められ、遂(つい)に退治された。

しかし、そこは妖怪である。

鬼八は何度も蘇生しようとした為、亡骸は三つに切り分けられ別々に埋葬された。

この鬼八伝説、単純に聞けばよくありがちな「おとぎ噺」だが、一説には往古の先住民族と大陸系征服民族の抗争が描写されていて、その先住民族の末裔達がこの地方独特の「ある姓を名乗る人々ではないか?」とも言われて居る。

後日談では、救出されたウノメはミケヌの妻となり、「八人の子をもうけた」と言う。

その後末裔が「代々高千穂を治めた」とされている。

処が、ここからが問題で、死んだ鬼八の「祟り」によって早霜の被害が出る様になった。

この為、「鬼八の祟り」を静める為に毎年慰霊祭を行う様になった。

「乙女を縛(しば)きて吊るし、掛けに供し・・・」

掛ける】は、古来より性交を意味する言葉である。

この慰霊祭の風習では、過って長い事生身の乙女を人身御供としていた。

だが、戦国時代になって、供される娘を不憫(ふびん)に思った城主・甲斐宗摂(かいそうせつ)の命により、イノシシを「乙女の代用とする事」と、呪詛様式になった。

さて問題は、高千穂神楽には陰陽師の呪詛様式が色濃く残っている点である。

この伝説自体に高千穂神楽との結び付きが出てくる訳ではないが、慰霊祭「猪掛祭(ししかけまつり)」は注目に値するのだ。

いかにも修験者の仕事らしい伝説だからである。

まずこの「人身御供」は、神代の時代からの伝承に基付き、戦国時代の甲斐宗摂(そうせつ)の命令があるまで、生身の乙女を供する事が続けられて居た。

すると、何者かが鬼八伝説を利用して、「人身御供」のシステムを作り上げ、少なくとも数百年間は、それが継続していた事になる。

「この伝説の中で始まった」とされる鬼八の慰霊祭も今日に伝わっていて、高千穂神社で執り行われる「猪掛祭(ししかけまつり)」がそれである。

猪掛(ししかけ)の「掛け」の意味は、人架け(獲物縛りに吊るされてぶら下がった状態の人身御供)である。

代替として「人身御供」の乙女の代わりに、社殿に猪を縄で結わえて吊り下げるからで、単純に考えれば以前は「人身御供の娘を結わえて吊るしていた」と考えられ、陰陽呪詛的な匂いを感じるのである。


掛ける】は、古来より性交を意味する言葉である。

我が国では、四足動物を人為的に交尾繁殖させる行為を【掛ける】と言う。

この【掛ける】の語源であるが、歌垣の語源は「歌掛け」であり、、夜這いも「呼ばう(声掛け)」である。

また異説では、交尾を意味する「掛ける」の語源は、神懸(かみがか)りの「懸ける」から来ていると言う説もある。

つまり陰陽呪詛の信仰に於いて交尾や性交は生命を宿る為の呪詛儀式と捉えていて、その行為は「女性を神懸(かみがか)らせる事」と言う認識である。


こちらは曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」の話であるが、「走る」の意味も「駆ける」であるが、当てる字が違う。

伏姫はフィクションで実在しないので、誰か女性が、忌み祓いの為に、犬を「掛けられた」と言う「昔話(伝承)が存在した」と解釈するのが妥当である。

そうなると、昔話の方は修験山伏の仕事と解釈するのが妥当である。

しかしこの獣姦、現代の感覚で考えてはいけない。

山犬は大神(狼)であり、犬公方と言われた五代将軍・徳川綱吉により、「生類哀れみの令」が発布される時代だった。

つまり、神の子を宿す神聖な呪詛である。

しかも、あくまでも伝承であり、現実には修験山伏の行者の仕業なのである。

犬掛」は当主・里見義豊が叔父(父の弟実堯)の長男里見義堯との家督相続の戦いに破れ、自刃した不吉な古戦場跡で、鬼門の方角に当る。

今以上に信心深い時代の事である。

鬼門封じの呪詛を、里見家が修験道に命じて、密かに執り行った可能性は棄てきれない。

或いは滝沢馬琴が、その土地に密かに伝わる「人身御供伝説の噂」を参考に、作品に取り入れた可能性も棄てきれないのである。

つまり、滝沢馬琴の南総里見八犬伝は、山犬(狼=大神)信仰と人身御供伝説を江戸時代の当世風にアレンジした小説である。

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曲亭(滝沢)馬琴の里見八犬伝の「八」は、日本古来の信仰から「八」を導いている。八犬伝(八剣士)であり、犬の名は八房である。日本の神話のキーワードは「八」と言う数字である。

また、犬に関わる人身御供伝説は、日本全国に数多く存在する。

〔例〕霊犬伝説「しゅけん」霊犬伝説「しっぺい太郎(悉平太郎)」霊犬伝説「鎮平犬」

神話の伝承によると、スサノオ(須佐王)には、八人の子がいる事に成っている。

大八州(おおやしま・日本列島)、八百万(やおよろず)の神、八頭(やあたま)のおろち、八幡(はちまん)神、そしてスサノオの八人の子、つまり、子が八人だったので「八」にこだわるのか、「八」が大事なので無理やり八人の子にしたのか。

恐らく、「八」と「犬」に特別な意味合いが有るから「八犬伝」であり、他の数字では在り得なかったのだ。


生贄(いけにえ)

生贄(いけにえ)

「生きたままの、神に対する捧げ物」

◆◇◆◇◆ 生贄(いけにえ)◆◇◆◇◆◇

贄(にえ)と言う文字は、「神に対する捧げ物」と言う意味が在る。

そして熟語に、生贄(いけにえ)と言う言葉がある。

つまり生贄(いけにえ)とは、「生きたままの、神に対する捧げ物」と言う意味である。

そして一方では、渡来部族が現住民族の蝦夷(えみし)を制圧して、統治の為に壮大な天孫降臨伝説をでっち上げて、支配階級(渡来部族)は「氏神(氏上)」と成った。

今までの日本史は、集団または特定の個人の利益の為に人身を犠牲にする事で、神の支援を願う概念で生きたままの贄(にえ)を捧げ、その命を絶つ事で捧げの完結と解釈されていた。

しかし氏神が地方行政官やその末裔の権力者・氏上であれば、生贄(いけにえ)の意味はセクシャルなものに変わって来る。

これを「人身供犠(じんしんくぎ)」または「人身御供(ひとみごくう)」と称して人間を神(氏上人)への生贄(いけにえ)とする礼式を言う。


古代、大和国の吉野川上流の山地に在ったと言う村落とその住民を、国栖(くず/国巣/国樔/Kunisuの音変化)と呼ぶ。

その人々を国栖人(くずびと)と呼び、宮中の節会(せちえ)に参り、贄(にえ)を献じ、笛を吹き、口鼓(くちつづみ)を打って風俗歌(ふぞくうた/地方伝承歌)を奏した。

つまり歌舞音曲と贄(にえ)と礼式(神式)は中央の宮廷や貴族社会に発祥して、地方行政官やその末裔が自らの支配地域の神社に、「神楽舞」や「人身御供(ひとみごくう)様式」として伝播実践された。


民族性・・「個の性規範」と「集団の性規範」の違い

民族性・・「個の性規範」と「集団の性規範」の違い

◇◆◇◆民族性・・「個の性規範」と「集団の性規範」の違い◆◇◆◇◆

実は、村社会・地域社会の絆とも言える身内感覚(共同体意識)を支えた「おおらかだった庶民の性意識思想」を代えたのは明治維新に拠る新政府が、近代化を図る為に「文明開化(欧米文化の導入)」を行い、キリスト教の教えを基にした欧米型の精神思想を啓蒙、また国家の統治の要として儒教・儒学(朱子学)の精神思想を採用、広く庶民に啓蒙した事に拠るものである。

この事が、徐々に庶民の村社会・地域社会の身内感覚(共同体意識)を失わせた。

おおきなお世話だが、ぺりー提督の黒船の後に来日して初代駐日公使となり、日米修好通商条約を締結させたタウンゼント・ハリスが民衆の生活を見聞し、 日本の性規範の大らかさに驚き「軽蔑した」と言う。

これを持って明治維新政府は、「野蛮批判」を恐れて自国の性規範の欧米化に躍起になる。

「黄色い猿真似」と揶揄(やゆ)された鹿鳴館外交もそのひとつで、まずは形から入って欧米化を進めたのである。

勿論当時の世界情勢を見れば「植民地化」を恐れての事で、理解は出来るのだが・・。

言わせてもらえば、キリスト教徒の中にはフーリングが合えば「神の思(おぼ)し召し」で浮気不倫をする者も居る。

そしてそれが間違いなら、「懺悔(ざんげ)」をすれば赦される仕組みになっている。


キリスト教徒と言えども人間だから、時には悪魔に惑わされる事も有る訳である。

浮気不倫は勿論、合法非合法の別は国に拠って様々だが、現実に「売春・買春」もキリスト社会に存在する。

何だ「性に対する柔軟性は一緒じゃないか」と思うだろうが、実は大きな違いがある。

ここでキリスト教徒が日本の性規範(性意識)を批判したかった決定的な違いは、キリスト教徒の場合は「フーリングが合えば」と言う「個の感性」が基本と言う点である。

その「個の感性」を基本とする欧米個人主義に比べ、一方日本の明治維新当時のおおらかな性習俗は、「寝宿制度」、「夜這い制度」、「暗闇祭り」と、言わば群れ社会の性規範、「集団婚(群れ婚)」の名残である集団的性規範を、「民族性の違い」にも関わらず自分達の感覚と比べ「信じられない」と批判したのである。

一方日本人は、全てに渡って集団共生社会(村社会)だった。

つまりこの「個」と「集団」の違いは民族性の違いで、実は基本的カップルの相手以外と性交する点では余り変わりは無い。

それを欧米諸国は、自分達の感性と違うから明治維新当時の日本は「性に乱れている」と批判し、その批判に文明開化を急いでいた明治政府がバカバカしい事に慌てて、「寝宿制度」、「夜這い制度」、「暗闇祭り」に禁令を出したのである。

ところが、庶民の根底の所で永きに渡って根付いていた共生意識は深層心理として残っている。

簡単に言ってしまえば、「皆で渡れば怖くない」式の集団意識は庶民の間で根強く残っていて、これが現代日本の欧米化、戦後の米国型個人主義化とは意識の中に「個」と「集団」の違いの「ねじれや歪(ゆが)み」となって時折世の中に噴出して来る。

つまり戦後社会は「個」に重きを置いた社会を標榜し、教育も「個」に重点に置いてして来たのに、社会生活意識の合意は相変わらず「集団」を重きにおいている矛盾を抱えていて、そのハザマで育ち苦しんでいる若者が多く存在するのである。


囚人のジレンマ

囚人のジレンマ

◆◇◆◇◆囚人のジレンマ◆◇◆◇◆◇

現代人には奇妙に思える「水揚げ制度」や「筆おろし制度」、「歌垣(うたがき)」や「暗闇祭り」の風習、「夜這い制度」や「寝宿制度」、現代では否定される性文化でも、その時代環境が今とは違う価値観を肯定し、それを誇りに思える場合がある。

これこそ誓約(うけい)精神の原点なのだが、群れを強く意識した村落共生社会では「囚人のジレンマ」と呼ばれる個人性と社会性のせめぎ合いの中から共に生きる為に生まれた協調性が、村の掟(ルール)として採られたのではないだろうか?

囚人のジレンマとは、群れ合意(社会性)と個人の意志が必ずしも一致しない為に、個人の意志を優先すると群れとしての利益を失い、結局個人も大局的には「利」を失う事を言う。

それ自体は応用範囲の広い人類永遠のテーマであるが、二人の隔離した囚人の自白ゲームがモデルとなっている為に「囚人のジレンマ」と呼ばれている。

自らを有利にする自白は、同時に友人を陥(おとしい)れて失う事である為、合理的な各個人が自分にとって「最適な選択(裏切り)」をする事と、全体として「最適な選択」をする事が同時に達成できない事が、ジレンマ(板挟み)なのである。

つまり個々の最適な選択が全体として最適な選択とは成らない状況が存在する事を指して「囚人のジレンマ」と言う。

しかしながら人間は独りでは生きられない動物であるから、結局個人は「群れ」と言う社会性に囚われているので、個人が確実に「利を得る方法」を選ぶなら群れに対する協調性が必要に成るのである。


シヴァ神(破壊神と再生と性愛の神)

シヴァ神(破壊神と再生と性愛の神)

◆◇◆◇◆シヴァ神(破壊神と再生と性愛の神)◆◇◆◇◆◇

日本に於ける性におおらかな習俗の原点には、中国を経由して流入したヒンドゥー教の影響が存在する。

インド・ヒンドゥー教の神や祭祀は、一部形を変えながらも日本の仏教や神仏習合修験信仰に影響を与えている。

弘法大師・空海伝教大師・最澄が日本に持ち帰った経典の中にも、ヒンドゥー教の教義や祭祀の信仰は含まれていた。

従って桓武天皇が設けた中務省・陰陽寮に於いても、ヒンドゥー教の統治に都合の良い部分は組み入れられていても不思議ではない。

「ヒンドゥー」の語源は、サンスクリット語(梵語)でインダス川を意味し、宇宙の創造を司るブラフマー神 、宇宙の維持を司るヴィシュヌ神 、宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司るシヴァ神 、この神々は三神一体(トリムルティ)と呼ばれて「一体を為(な)す」とされている。

しかし現在では創造神・ブラフマー神を信仰する人は減り、現世神・ヴィシュヌ神と愛の神・シヴァ神が二大神として並び称され、多くの信者がいる。

インド・ヒンドゥー教は神々への信仰と同時に輪廻や解脱と言った独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制等を特徴とする宗教である。

ヒンドゥー教は、キリスト教やイスラム教のような特定の開祖に拠って開かれたものではなく、インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ「時代に従って変化したもの」と考えられている。

インド・ヒンドゥー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されて来た多神教であり、また地域や所属する集団によって非常に多様な信仰形態をとる為にヒンドゥー教の範囲は非常に曖昧で、生活に密着した赤裸々な神であり、煩悩を容認し性に赤裸様(あからさま)ある。

何しろインドは、古代から人生の三大目的としてカーマ(性愛)、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)が挙げられる国で、三大性典とされる「カーマ・スートラ」、「アナンガ・ランガ」、「ラティラハスヤ」と言った性典を生み出した愛と性技巧の国である。


インド・ヒンドゥー教は正直な神で、ヒンドゥー教の三最高神の一柱のシヴァ神(破壊神)の象徴はリンガ(男根)であり、つまり性愛の神様でもある。

ヒンドゥー教に於けるシヴァ神(破壊神)は災いと恩恵を共にもたらす神で、例えば洪水は大きな災いだが同時に「土地に水と肥沃をもたらして植物を育てる」と言う二面性があり、古来日本の五穀豊穣と子宝信仰の共通性としての性交信仰に通じる所がある。

日本の元神様は事代主神(ことしろぬしのかみ)で、田の神様(稲作の神)である。

事代主神(ことしろぬしのかみ)には、呪詛巫女が神の御託宣を伝える様式が存在する。

そして五穀豊穣(実り)と子孫繁栄(子宝)は大事な祈りであり、性交(お祭り)は神に祈る儀式だった。

神は生活を共にする恋人、神に捧げる踊りの原点はインド・ヒンドゥー教のシヴァ神(破壊神)に在り、シヴァ神(破壊神)の象徴はリンガ(男根)であるから、神楽巫女舞の原点として、或いは陰陽修験道人身御供伝説のカラクリとして時の統治政策に応用されたのではないだろうか?

弘法大師・空海がもたらした真言密教の教えでは「あるがままに眺める」としていて、これはインド・ヒンドゥー教の教義に通じ、欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定し、真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。

つまり弘法大師・空海のもたらせた初期真言密教の教えでは、本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。


陰間(かげま)と野郎歌舞伎

陰間(かげま)と野郎歌舞伎

◆◇◆◇◆陰間(かげま)と野郎歌舞伎◆◇◆◇◆◇

現代でこそ日本が誇る伝統文化と言われる歌舞伎界にも、江戸期にはまだ華やかな表舞台の光に対して陰間(かげま)と言う影の部分が在った。

陰間(かげま)とは江戸期に於ける性風俗の一種で、数え十三〜四から二十歳頃の美少年が茶屋などで客を相手に男色を売った男娼に拠る売色の総称である。

陰間(かげま)は所謂(いわゆる)両刀使いで、男性だけでなく女性も客に取り、特に数え二十五歳を過ぎた陰間は女性を相手にする事がほとんどだった。

語源の由来は、野郎歌舞伎でまだ舞台に出ていない修行中の少年役者の事を「陰の間の役者」と呼んだ事が、彼らが売色を兼業していた為に、陰間(かげま)が「男娼を差す語となった」とされる。

こうした背景には、遡ると歌舞伎の源流である歌舞音曲の発祥が神前巫女舞(神楽舞い)の音楽と舞いからで、神前巫女が娼婦を兼ねていた事からの伝統として娼婦を兼ねる高級遊女・白拍子が生まれ、やがて出雲阿国に拠る巫女舞を発祥とする旅回りの阿国歌舞伎が始まったが、勿論娼婦は兼業だった。

女歌舞伎が娼婦兼業だった為に、「風紀が乱れる」とした江戸幕府は歌舞伎に女性が出演する事を禁じたが、しかし野郎歌舞伎に成っても伝統の売色は無く成らず、女性の売色が美少年の売色に成っただけだった。

江戸期も時代が下ると、陰間(かげま)の語源を離れて舞台に立たない専業の男娼(陰間)を抱える陰間茶屋が出現し、役者が売色もする芝居小屋とは一線を画す業態も出現するようになって行った。

当然ながら、当時の風俗では氏族階層に於ける稚児小姓の習俗も残っている時代だから、「色道の極みは男色と女色の二道を知る事だ」と言われていた為、同性愛者と言うよりは粋と珍奇を求める遊客で陰間茶屋は大いに栄えた。

芸者などが「芸は売っても身は売らぬ」と言うものの、それは現代に成ってからの話しで、つまり我が国の歌舞音曲の遊興には、売色とセットが昭和の始め頃までは永い間常識だったのである。


日本の性文化・本文まとめ

日本の性文化・本文まとめ

◆◇◆◇◆日本の性文化・本文まとめ◆◇◆◇◆◇

ここで一度考えて欲しいものがある。

それは政治家が良く口にする「日本の独自文化」についてであるが、実はこうした事を言いながら、本来の日本と言う国家の基盤となるべき「日本の独自文化」は、良い所取りの都合の良い解釈で、この国の人間性を育んだ歴史的に大切な現実でありながら、性に関わる危ういものは触れずに居る。

祖先が築いた「独自文化の風習」には現実的な知恵が有った。

こうしたナチュラル(自然体)な地域社会が、 村の次代を担う若者達を育(はぐく)み育てる時代だった。

「私の愛した日本の性文化」は、正に「日本の独自文化」である。

それをそのまま復活しろとは言わないが、古人(いにしえびと)の原点を素直に見詰る事は、この国の新しい基盤を作る参考くらいには成る。

一つ言って置きたい事がある。

日本と言う国の事を、武士道の精神の国などと言う輩は、余程の歴史音痴か腹に一物持っている相当片寄った思想の持ち主である。

本来のこの国の大半の人々は、永い事共生主義の思想を持って命を繋いで来たのである。

誓約(うけい)に拠る「共生主義意識」について、「もう意識が変わってしまったのだから、今更そんな事を蒸し返しても仕方が無い」と言う意見もあるだろうが、実はこの意識変化はバランス良く変わったものではない。

矛盾する事に、日本人の意識の中に「共生主義社会時代」の思考価値が習慣的に随所に残っているからである。

例えばこれは対外国人には通用しない独自の欠点に成るのだが、よく外国人から「日本人はイエス・オァ・ノーをハッキリしない」と批判される。

その要因を考察するに、元々誓約(うけい)に拠る「共生主義」が日本民族の歴史だったから、感情摩擦を生まない為の習慣として「イエス・オァ・ノーをハッキリしない国」に成った。

これがかなり特異な例で、西欧はもとより隣国の中国や韓国にもそのイエス・オァ・ノーをハッキリしない習慣が無い。

従ってその辺りの認識の違いが付き合い辛さを感じさせ、日本人は自分の認識の方が特異な事を理解できず、相手にハッキリ言われて「カチン」と成り、見っとも無く怒って「あいつ等は変人だ」と判断する愚を犯す。

しかしながら日本民族の二千年は、誓約(うけい)に始まる「共生主義社会」の信頼関係で、村落共同体の根幹を成していた。

この「共生主義」は日本独特の文化だから、中々他国人には理解出来ない。

ハッキリしない事をズルイと指摘されればその通りだが、確かに「共生主義」を貫くのであれば、摩擦を避ける為に明確な「ノー」は面と向って言い難い。

つまり誓約(うけい)に拠る「共生主義」は日本の独自文化であるが、一方で国際化を目指すならそこに矛盾が生じるから明確な「ノー」は必要である。

ただ、「ノー」を面と向って言い難い意識を育てた要因が、当時村落全体が生きて行く為に助け合って暮らすには誓約(うけい)の「身内意識」が必要だったからである。

当時の村落同体に、誓約(うけい)の「共生主義」が成立したのには、村落内での「夜這い」や「根宿」、「暗闇祭り」と言った性行事に「ノー」は禁句のルールが在った。

これを「もう時代や価値観が変わった」と、現代の倫理観だけで単純に判断をしては成らない。

個人主義に徹した私権社会のこれだけ殺伐とした現状を見るにつけ、果たしてどちらの社会が良かったのか考えさせられるものである。


本来人間は群れて生きる「群れ社会」の動物だった。

その事が村落共同体村落共生主義)の乱倫・村社会を生み出した。

つまり、「夜這い」や「寝宿」の乱倫制度は土地の習慣ではあり、村落共同体村落共生主義)を担保する為の乱倫事実を根拠とした現実的な知恵だった。

勿論その「群れ社会」の動物本能は今も健在であるから、現代の人間でもその拠り所的な本能の要求を満たす為に「擬似の群れ」的な感性を作り出す。

その拠り所が会社だったり組合だったり居住地域の自治交流だったりしたのだが、その「擬似の群れ」の強力な拠り所を、小泉氏・竹中氏が採用した近年の政策、非常用雇用(パート・派遣・バイト)の制度がぶっ壊した。

つまり合理性を重視する余り、人間性(人間の性質)を全く無視したのではあるまいか?

ハッキリと目立った形では表面化しないが、非常用雇用(パート・派遣・バイト)で「擬似の群れ」的な拠り所を失った大量の人々から共生意識を取り上げた事が、「現在の殺伐とした社会を創り上げた」と言うのは言い過ぎだろうか?


現代に在って「限界集落限界集落問題
と言われる過疎の村落が、全国各地で消滅の危機に陥っている。

高齢者が僅かに残っているだけで、若者から壮年まで皆が村落を見捨てしまった。

村落には、「村落維持の為の知恵」とでも言うべき「夜這い」の習慣など村落生活の良さが在ったのだが、その良さを「建前論」で取り払った事から、村落生活の魅力の大半は無くなった。

江戸期に「所払い」と言う刑が重刑として通用したのは、生活の基盤が土地・地域に有ったからである。

それが劇的に変わったのは、戦後の集団就職が切欠(きっかけ)だった。

そしてそれは、今日の「限界集落に繋がった」と言って良い。

何も農村落から若者が消えた原因が、「喰って行けないから」ばかりではない。

戦後の日本復興の為に「集団就職」で農村落から若者が消え、永く農村落の若者達を繋ぎ止めていた楽しみ「夜這い文化」のシステムを崩壊させた所に、決定的な原因がある。

つまり、鹿鳴館外交に代表される欧米化の波の中に庶民の性文化は弾圧され政治的に洗脳されて、「足らぬを補う知恵」を「建前」と言う【左脳域】思考一辺倒の「机上の論理」だけで否定した所に、「限界集落を生み出す原因があった」と言える。

人間は、あらゆる抑圧(よくあつ)の中に生きている。

その抑圧(よくあつ)から開放される僅(わず)かな時間が、【右脳域】の感性に埋没出来る性交の時である。

面白い事に、性的抑圧(せいてきよくあつ)が強い思想や宗教の禁欲的な国ほど「異常な性犯罪」が多発する。

人間は、性に対してもっと利巧に成らねばならない。

つまり、思想や宗教の建前で禁欲的に育てても性に対する罪悪感だけが育ち、それは本能に対する抑圧(よくあつ)にしか成らないのである。

若者の居ない村落は、消えて行く運命の「限界集落限界集落問題
であるが、少子高齢化時代を迎えた日本国そのものが、ヒョットしてこの限界集落に成っている可能性がある。

現にこの十数年間の統計を見ると、高学歴の日本女性が主力と成ってカナダ国、米国、オーストラリア国などの男性と婚姻を結び日本を脱出している。

また、将来の高齢化日本における税負担を予測し、若い男性達の海外移住意欲も盛んに成っている。

魅力を失って、過って村落を捨てたように若者が逃げ出す国は、もはや国家ではない。


論理、理性の【左脳域】が発達し過ぎた人間は、【右脳域】の原始本能を封印してしまった。

ところが【右脳域】の事は感性であるから、ピカソやムンクの作品のように元々論理的でも合理的でもなく抽象的な物になる。

つまり、性行為が合理的発想に「ほど遠い脳域」の思考で在るからこそ、【右脳域】の本能的無意識リラックス状態を生み出すのであり、その性行為を、【左脳系本能】で「そんな嫌らしい事・・」と合理的に解釈しようとするからストレスや抵抗感が生まれる。

凡(およ)そ、社会性を加味した人間独特の【左脳域発想】の行き着く先が「性への嫌悪感」であるから、【右脳域】の本能とは相容れない拒否意識が働くが、その分潜在的な欠落感(不安)が始終付きまとい不安定な精神状態を生じさせる。

つまり、押さえ込んだ【右脳域】の「本能」は、人間の中で行き場を失うのである。

実は、この苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の「擬似生殖行為」として、生殖を伴わないSEX行為の合意が、人間の意識の中に「必要な行為」として与えられた。

自然の与えた本能に、けして無駄はない。

この「擬似生殖行為」も、生きて行く上で必要だから与えた筈で、悪いものである訳がない。

確かに性行為は生々しいもので、性行為中は誰でも不恰好な姿を晒(さら)す事に成る。

その上「外敵に無防備」だから隠れて性行為を行なうように成り、返って人間は「秘する喜び」を覚えた。

秘する喜びを覚えたからこそ、性行為が生々しいものに成ったのである。

つまり「秘する喜び」の裏返しに未成熟の子供を狙ったり、外身の下着に興奮する異常な感性を育てたのかも知れない。

それにしても昨今の風潮はそれがエスカレートして、下手に話すとそれだけで「嫌らしい」と来るが、そう考えると、あまりエスカレートし過ぎた「性への嫌悪感」は、意味の無い行過ぎではないだろうか?

性行為中は不恰好ではあるが、性交が「美しくないから」と言ってそれが現実で、利巧な人間なら、例えグロテスクだろうが、「人間には必要がある行為」と肯定すべきである。


凡人は発想が貧しいから、愛情と性行為をイコールで「唯一絶対のもの」と結び付ける。

そしてそれ以外の「性行為の意義」を認めない。

「性行為をする」と言う事の意義の範囲の問題で、意義の範囲を広げて行くと神が「擬似生殖行為」を人間だけに与えた事も、古代の誓約(うけい)の概念や夜這いに意義が有る事も理解出来る。

,br> 性的な欲求は、人間が生きて行く(生活して行く)上で必要だから備わった快感欲求で、何も繁殖の為だけにあるなら他の動物のように繁殖期を設け、必要に応じた欲求のコントロールで発情期だけのものに限定すれば良かったのである。


生き物の身体は、生きる為にあらゆる進化を遂げて、その為の備えとして調整装置を作り出している。

神が人間に繁殖期を設けなかったのは、複雑に発達した人間の脳の負担を、性交の快感に拠って軽減させる【右脳域的】な「自然の恵みである」と考えるべきで、それ故に、【左脳域的】な複雑で知的な仕事をして居る人間ほど、日頃の性的な欲求は大きくなる。

実は性の問題に成ると、直ぐに「下ネタ」と毛嫌いし、最初から建前に隠して敬遠して深く考えた事すらないのが一般的である。

しかし、ジックリ考えて見る必要は本当に無いのだろうか?

ここで明言するが、実は「常識」と言うアンカリング効果アンカリング効果と一貫性行動理論】の弊害を廃してそこから抜け出し、物事の真実に迫るには発想を大胆に変更する事からのみ突破口が開けるのである。

過去の日本の性文化では、集団婚寝宿、村社会としての夜這い慣習など、乱交文化は半ば公認だった。

「嫉(そね)み」とは女が疾(わずら)い、「妬(ねた)み」とは「石のような女」と言う意味で妬(ねた)みと書く。

その二つが合わさって嫉妬(しっと)が生まれる。

そして男が嫉妬(しっと)すると「女々(めめ)しい」と成る。

正に、性愛においての肉体的独占欲を象徴する言葉が、嫉妬(しっと)なのである。

こう言うと物議をかもすかも知れないが、個人の感情(独占欲)に起因して性行為を倫理として聖域化するのは、本来「詰まらない事」かも知れない。

性に対しての倫理観にはタブー意識が強く、例えこっそり浮気や遊びを行なっては居ても、現実を見つめる事を避けて誰もその事に触れようとしないのだが、率直に言えば或いは新しい倫理観を夫婦で構築する必要を感じても一向に不思議は無い。

つまり、新しい発見や発明は定説からは生まれないもので、まずは定説が正しいものか疑って掛かる事から思考を始めるべきである。

何しろこうした性の倫理観は国や民族に拠って大きく異なるから、「どれが正しくどれが間違い」と誰も断定は出来ない筈である。

そう成ると、夫婦間のこうした性に対してのリスクは、夫婦間の「浮気や遊びを行わない」と言う約束事レベルの話である。

本来人間は群れて生きる「群れ社会」の動物だった。

勿論その本能は今も健在であるから、その拠り所的な本能の要求を満たす為に「擬似の群れ的な感性」を作り出す。

夫婦合意の乱倫遊びにしても、世間では乱倫を大げさに考えるが実はさして大それた話しではなく、嫌も応も本人達の感情次第であるから、単純に互いの合意さえあれば「擬似の群れ的な感性」で、グループSEXは成立する。

本音の部分では実に可能性が高い浮気や遊びを、「しない筈」と言う建前に隠して片方がコッソリとし、それこそ「夫婦間の裏切り行為」と言う結果にするよりも、互いの視覚の範囲内でのグループSEXの方が遥かに夫婦円満の方策かも知れない。

性行為が【左脳域】の合理的発想にはほど遠い【右脳域】の「本能」の思考で在る以上、こう言う事は、体験して始めて学ぶもので、体験してみれば「奇麗事と言うのは欺瞞(ぎまん)偽善である。」と気が付く。


批判を恐れずに言えば、S性やM性は誰にでもある。

本来人間は群れて暮らす動物で、その本能は現代でも深層心理に内在している。

群れにはボス(支配者)が必要であり、逆に支配される事で心理的な安定を得る深層心理が「確実に存在する」と言う事で、被支配を好む者の存在も無視出来ない。

群れのルールはボス(支配者)が決める。

そうした心理の影響が「擬似の群れ」を作り出し、その性的な関わり方でS(支配者)・M(被支配者)の要求を満たす心理的遊びを欲くするのは、さして異常な事ではない。

群れへの服従は目に見え肌で感じるもの、つまり性交で無ければ成らない。

シンプルに考えれば、性欲は「子孫を残す」と言う生物本能から始まっている。

性欲を失っては「子孫を残す」と言う機能すら失う。

従って、秩序をクリアとすれば性欲そのものを「恥ずかしいもの」とするのは勘違いである。

人間だけは生殖時期(発情期)に関係ない「擬似生殖行為(生殖なき性交)」を神様に認められている。

性欲を「恥ずかしいもの」とする事が「勘違いだ」とすれば、情無き性交を問題視する事は愛情の問題ではなく、ただの既成概念に囚われたプライド(誇り)の拘(こだわ)りか独占欲の拘(こだわ)りの問題である。

そこで誓約(うけい)の性交が群れの維持に重要な役割を果たし、その証明としてS(支配者)・M(被支配者)遊技の「擬似の群れ」が誕生する。

つまり合意の上なら、S(支配者)・M(被支配者)願望の深層心理を安心させる事は、宗教観や思想を廃して人間に内在する本質的な心理(学)を採用すればさして異常ではないのである。

この国は元々「建前の国」だから一夫一妻制とは言え昭和三十三年の通称「売春禁止法」までは遊郭・売春宿の類は「公娼」として存在し、妾を何人持つかが出世した男のステータスで、それが男達の意欲の原動力だった。

今はそう言う習風俗が社会の建前で認められないのだから、男の本能的な目標の大事な夢の一部が無くなり、「頑張ろう」と言う意欲を持たせるには別の創意工夫が必要に成る。

過っての村社会夜這いの精神を思えば、独占欲から相方の浮気を赦せずに気持ちが拘(こだ)わって夫婦仲が不安定に成るのだから、最初から夫婦合意でグループ遊びをして居たら、「愛情とSEXを分けて受け止め、浮気による離婚危機も無い」と言う考え方も出来るのである。


勿論、筆者が提唱したいのは「性を無秩序にしろ」と言う事では、けしてない。

現代社会においては生殖科学としての「近親生殖による劣性遺伝」の解明事実も存在を承知しているから、勿論の事ながら無条件・無秩序の性交が良い訳ではけしてない。

ただ言いたいのは、性が嫌らしく不潔で淫蕩な物ではなく、「大切で素晴らしい物である」と定義付ける必要性である。

「私の愛した日本の性文化」の根本に在ったのは、自然の恵み(豊穣と子宝)は、神聖な「神との対話に拠って授かる恩恵」と、素朴に受け止めていた事である。

こんな自然と矛盾した間違いを、誰が教え始めたのだろうか?

或いは、この不自然な制約を、敢えてしなければならない「矛盾に満ちた社会を作り上げた人類の罪」かも知れない。

本能は、明らかに「抑制(よくせい)する思想から制御(せいぎょ)する思想」へ、思考の方向を変えるべきである。

今までは奇麗事の建前に拘わり、この思考の転換が出来なくて、いたずらに抑制(よくせい)を強いる愚を冒して来た。

この手法では、精神と本能は乖離(かいり)し、人の心を混乱させるだけである。


他国と比べた日本の自殺率は世界で十位、先進国ではブッチギリダントツの一位である。

生き物は、最低限の本能として必死に生きる。

その本能を思考で否定し都合で自殺をするのは人間だけで、他の生物には在り得ない。

益してや、繁殖期に到達していない子供を性の対象にするなどの狂った思考を持つなど、生物の中では人間だけである。

そして、本来在るべき生殖本能を、「淫らな行為」と位置付けて本能を無条件で否定し、挙句の果てに、自由の権利の下に個人の都合で「生まない権利」を言い出す。

この自然則を無視した考え方が、果たして文明なのだろうか?


月光仮面川内康範氏の「無償の愛」は、正しく今は軽んじられている【右脳域 】の価値観である。


これが現代の文明社会なのだろうか?

日本の村社会性文化の衰退と伴に個人主義が浸透して近隣意識は薄れ、独居高齢者の孤独死が増えている。

年金支給額が減らされ高齢者の医療負担が増え、僅かな年金収入では医療費や食費にも事欠く事態では近隣との冠婚葬祭の付き合いさえまま成らないから、付き合いはしたくても知らんフリをしざるを得無い。

過疎地域には近隣意識は残っているが、逆に若者が流出して「高齢者同士が支え合う」と言うあまり胸を張れない事態に成っている。

一方で競争経済社会の極端な個人主義を謳い、一方で法律を乱発して税負担を増やして「社会を支えよう」と言う手法は支離滅裂のような気がする。

役人(官僚)のする事は、全て利用出来る口実としての「頑な前例(慣例)」と「頑な計画遂行主義」による保身と利権で、即応力の無い戦艦大和症候群戦艦大和の英霊に捧ぐ・そして靖国】を続けている。

国民の意識改革も含め、国状に合った制度全体の見直しをすべきではないだろうか?


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本文・了


誓約(うけい)から忠誠の証明へ

日本の性文化・付記】

武家社会と商家の性風俗文化

誓約(うけい)から忠誠の証明へ

◆◇◆◇◆誓約(うけい)から忠誠の証明◇◆◇◆◇◆◇

日本人は歴史の大半を通じて「性」に大変寛大で肯定的だった為に、開国当時日本に来日したキリスト教国の欧米人が仰天したほどに性に開放的で「あけっぴろげ」な国だった。

しかしそれが永い歴史の有る我が国の伝統「性」文化なのだから、キリスト教国の欧米人の指摘は本来なら余計なお世話である。

この辺りの「性」に対する認識の違いは、日本建築にも如実に現れている。

元々日本家屋は、和室の仕切りに使う建具として「襖障子(ふすましょうじ)」を使う。

襖(ふすま)の語源であるが、寝所は「衾所(ふすまどころ)」と言われ、衾(きん)は元来「ふとん、寝具」の意であるが、「臥す間(ふすま)」から「衾(ふすま)」と呼ばれるようになり、言わば寝所の仕切りが襖障子(ふすましょうじ)と成った。

日本家屋は、窓は木製の組子格子で素透視で中を覗き見れるわ、声は素通ししで聞けるわで、御所を始め御殿の類と言えども造りが開放的である。

天皇を始め皇族貴族の寝所でさえそうだから、欧米のような気密性の高い性交の場の必要性は余り感じない文化だった事は間違いない。

この国の建物の建築技術から建具の技術までその洗練された匠(たくみ)の技巧をみれば、気密性を生み出す技術が無かったのでは無く、これは「性」に対する考え方の違いで、我が国の「性」に対する認識が衣装におけるノーパンティ文化同様に、然して秘するものでは無かった事は明らかである。

襖障子(ふすましょうじ)は木製の枠組みの両面に紙または布を張ったものであるから、あまり私生活(含む性生活)を秘するに有効な設計とは思えない。

武士、商家、庶民とどの階層においても、外と部屋との仕切りも部屋と部屋の仕切りも襖障子(ふすましょうじ)と「性生活」は開け広げで、親子間のプライベートも有ったものではない。

不都合があれば改善する能力が有りながら「それをしない」と言う事は、この襖障子(ふすましょうじ)の余りのプライバシーを守れない建築を、当時の人々がさして不都合と感じなかった訳である。

戦後の復興期にアメリカ型自由主義と欧米キリスト文明の性意識が流入して全てが私権的に成り、建物も欧米キリスト文明の考え方が主流に成ってプライベート重視の壁を多用する間取りに成った。

建物の構造が変わって、日本人の意識が変わってしまった。

性行為が未来に子孫を残すおおらか神事から、「秘すべき卑猥な行為」と極端に歪曲されて扱われ、蓋をして「存在しない事」で在るがごとく放置した為に逆に性的に正しい発育を阻害され、性行為の代替に殺人を犯すような人間がたくさん育つ社会に成ってしまった。

近頃騒がれているセックスハラスメント(セクハラ)にしても、パワーセックスハラスメント(パワセクハラ)にしても、要は立場の弱い方が「被害意識」として感じるかどうかの問題で、この国の氏族(貴族・武士)社会の価値観では「被害意識」よりも「幸運な成功のチャンス」と捕らえた時期が永かったのである。

セクハラは「被害意識」の問題だから勿論だが、相手が好ましい相手ならセックスハラスメント(セクハラ)は成立しない。

好ましいの中身でも、「好き嫌いから贅沢をさせてくれる」まで結構判断基準の範囲は広い。

また、パワーセックスハラスメント(パワセクハラ)においても、我が国の永い歴史で言えば実は「お手つき」は力の強い者から「声を掛けて貰った(チャンスを貰った)」と喜ぶに値する事で、パワーセックスハラスメント(パワセクハラ)が立場の弱い方に立場を好転させるチャンスだった時の方が遥かに長い。

つまり今では考えられないが、「誘いを待ち望んでいた」或いはそう言うチャンスを得た者を羨(うらや)んだ歴史がある。

建前の綺麗事を並べ立てても虚しいだけで、辛い事苦しい事を避けて偉業は為し得ない。

誓約(うけい)の国・日本に古くからある連語の「一肌脱ぐ」は、今は「人を助ける」と言う広い意味に使われるが、元来相手に誠意を見せる為のこう言うナチュラル(自然体)な誓約(うけい)対応の時に使うのが正しい。

それだからこそ、「一肌脱ぐ」は効果的な手段と成って「助けたい相手の力に成る」と言うものである。

正に当時は、性交は成功に通じ「お手付き」は出世であり、領主と家臣の主従関係においては「お召し上げ(妻の)」や「お下げ渡し(妾妻の)」、「稚児小姓(男色寵愛/衆道)務め」はどちらかと言うと出世に繋がる幸運だった。


氏族の婚姻感覚

氏族の婚姻感覚

◆◇◆◇◆氏族の婚姻感覚◆◇◆◇◆◇

何しろ家と家の結びつきが第一の婚姻だから、親同士が決めた結婚で婚礼の夜が初対面何て事は普通である。

現代感覚の個人尊重主義では「時代が違う」と言われそうだが、そもそも「知らない相手となど性交は出来ない」は本人の気分の問題で、昔は親同士が決めた結婚で婚礼の夜が初対面でも夫婦の契り(性交)は出来た。

日本史に於いては、基本的に婚姻関係が神代から続く「誓約(うけい)の概念」をその基本と為していて、氏族社会(貴族・武家)では正妻・妾妻と言う変形多重婚社会の上、家門を守り隆盛に導く手段として「政略婚」や父親や夫からの「献上婚」などが当たり前であり、おまけに主従関係を明確にする衆道(男色)も普通の習俗だった。

個人主義が蔓延している現代社会人には、個人の意志を無視する誓約(うけい)の概念を理解する事は難しい。

本音で言えば、自分が可愛いから他人(ひと)の愉快の為に性交を強いられて不愉快な思いをするのは御免(ごめん)である。

しかしそれも自分が可愛いからの気分の問題で、もしかしたらその不愉快はネガティブな思い込みに過ぎないのかも知れない。

同じ自分が可愛いからを置き換えて、「家門や自分の出世の為の目出度い事」とポジティブ考えれば、政略婚、献上婚を受け入れたり、稚児小姓に上がって衆道(男色)の性交を強いられても「不愉快ではない」と納得が出来る。

要は価値観の問題で、氏族社会では一族一家が一蓮托生の群れ社会だったから、血筋や家門の価値観を高める為に女性は重要な役割を担っていたのである。


閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)

閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)

◆◇◆◇◆閨房術(けいぼうじゅつ性行為の技)◆◇◆◇◆◇

日本民族には、欧米のキリスト教文化と違い昔から「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」と言う姫方・女房方が積極的に殿方を喜ばせる性技があった。

殿方を喜ばせる性技「閨房術(けいぼうじゅつ)」は、姫方・女房方にとって大事な積極的に習得すべき心得だったほど、性に対しておおらかで積極的な考え方を日本民族は持っていた。

と言うのも、実は殿方が姫方・女房方の性技に喜ばされて操られる事は珍しくない為、「閨房術(けいぼうじゅつ)」に平和な武器としての価値が認められていた。

当然ながら勢力を競う氏族(貴族や武士)の子女は、誓約(うけい)の概念の元に所謂(いわゆる)「閨閥(けいばつ/婚姻による家同士の連携)」創りの役割を果たす為に世に生まれて来た様なものだった。

日本古来の「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」の発祥は不明だが、考えられる推測としては他の武術同様にその発祥を諜報活動を担っていた陰陽修験に見られる可能性が強い。

以後、修験組織が関わって成立した「白拍子(しらびょうし)遊技制度」の「床技」などで発展、戦国時代の武家の間で戦略的に子女を持って利用されて「術」として確立された。

この「閨房術(けいぼうじゅつ)」、「術」と言う範疇(はんちゅう)に入るからには、修練を積んでその「術」を自在に操れる様になる事が要求される。

つまり大げさに言えば、「閨房術(けいぼうじゅつ)」と言う性技が、氏族の女性に課せられたひとつの習得すべき積極的な技(わざ)だった。

殿方が武勇を競って領地を広げるなら、女性(にょしよう)の戦場(いくさば)は寝所(寝屋)だった。

寝所(寝屋)での事に、正妻と妾妻の分け隔ては無く「如何に殿方を喜ばせるか」の性技勝負の場に成る。

大胆かつ濃厚な性技で殿方を極楽浄土に導き、子種を授かるのが女性(によしょう)の勤めで「手柄」である。

時代により女性の性に対する価値観も違って当り前で、血統を唯一の特権の証明として受け継いできた氏族の女性にとって、この理屈に疑いなどある訳がない。

まず、当時の社会では性技は花嫁の必須条件で、十五歳と言えば嫁入りの時に性技の心得は充分に教わる。

何人もの妾妻を持つ事が普通の世界だったから、「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせ、殿方に気に入られる事から寝所(寝屋)での戦は始まる。

どちらかと言うと正妻は政略結婚で、妾妻は殿方に気に入られての事であるから、実は正妻ほど「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせないと、この勝負は気に入られている妾妻に負けてしまうから切実なのである。

そして当時の氏族社会は極端な「血統主義社会」であるから、殿方の種を受け入れ世継ぎを懐妊・出産する事が女性(にょしよう)の勝利だった。

現在の解釈など通用しないのが、歴史である。

氏族の娘にとって「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」は勝つか負けるかで、殿方の武芸武術に相当する手段だった。

当時の氏族社会は「妾妻」を持つのが当たり前で、実質一夫多妻だったから閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)は現在のように「愛を確かめるもの」と言う拠りも殿方を愉しませ「愛を獲得する為のもの」だった。

原点がその通りだから女性はむしろ性交には積極的で、凡そ人間に考えられる閨房行為に女性には禁じ手など無く、口淫性交や陰間(肛門)を使う事など技の内である。

例えば氏族(武士や貴族)の間では男色習(衆道(しゅうどう/男色)が当たり前で、ほとんどが両刀使いだったから、女性相手でも陰間(肛門)も使っての行為は現在よりも一般的で、武家の娘はその位の事は心得ていた。

恋愛は精神的もので、当時の肉体的接触は、かならずしも恋愛とは一致しない手段である事が常識で、その事を現代の女性に「昔の女性の扱いは悪かった」と同情される謂われも無い。

現代では、女性の肉体を目的達成の手段にするなど、理解され難い事だろう。

しかし親子兄弟でも領主の座を争い、たとえ叔父甥の間柄でも、隙あらば領土拡張の的にする氏族の価値観である。

「殺し合いをしても領土を手に入れる」と言う究極の価値観に生きる者達には、女性の肉体は「領土拡張の道具」と考えられても不思議な事ではない。

つまり、殺し合いも女性の色香も目的達成の手段で、当時は異常な考え方ではなかったのである。

そこの価値観の違いを分けて懸からない事には当時の女性の心情は理解出来ないし、奇妙な現代風の恋愛時代劇が成立してしまう。

しかし良い加減なもので、恋愛時代劇が成立してその物語を楽しみ、女性の敵かのごとくに拘(こだわ)る筈の妾妻と主人公の殿方との恋愛を美しく描いて楽しむ矛盾もロマンチックに受け入れてしまう。

閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」も含めて男女の仲は添ってから育むもので、精神愛まで達した仲が本当のゴールである。

本来一致させるのが難しい精神愛と性愛を、現代女性の願望を満足させる為に金儲けでロマンチックに歴史が歪められるのはいかがなものか?


百姓(ひゃくしょう)の意味と商家の位置づけ

百姓(ひゃくしょう)の意味と商家の位置づけ

◆◇◆◇◆百姓(ひゃくしょう◆◇◆◇◆◇

百姓(ひゃくしょう、ひゃくせい、おおみたから)と言う身分であるが、実は初期の大和朝廷国家での身分は低くない。

補助的な餞民農民(せんみんのうみん)を束ねるのは、氏の子孫、有姓階層全体を指す「百姓」であり、支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層が百姓の総称だった。

それ故、他の多様な生業(なりわい)も含め、安土桃山時代の「太閤刀狩」に至るまでの長い事、武士と百姓は「さしたる差はなかった。」と言うより農業も兼業だった。

中世以降次第に「百姓の本分を農とすべき」と言う思想が広がり、明治維新以後は「一般的に農民の事を指すと」理解されるようになった。

その事を踏まえて領地を意味する地名である苗字(なえあざ・名字)をそれぞれが名乗ったり、熱田大宮司家らが藤原氏から養子を迎え藤原に改姓したり、それらの氏の女子をめとり母系によって藤原、その他の姓(源、平、橘、紀、菅原、大江、中原、坂上、賀茂、小野、惟宗、清原、他の名族の姓)を称した例もあるが、旧姓を名乗る身内も出るなど、膨大な姓が誕生する。

しかし代を重ね、枝分かれして身分は低くなり、高位の身分とは大差が付いて行く。

その総称が、「百姓」の語源で、当初は身分の低い氏族だったのである。

つまり、村主、庄屋、名主は百姓であり、姓を持たぬ民(餞民)とは区分けされていた。

その言い回しが「民と百姓」と言う分け方である。

百姓は氏族、農民は民人(賤民)が本来の身分の分類であり、百姓は農業従事者であっても農民ではなかった。従って当初の村主、庄屋、名主、地主などは、その出自が身分の低い氏族の百姓である。

同様に、町家に在っても氏族系の商人や工業主、鉱山主、船主などの百姓(身分の低い氏族)が居て、それらに従事する民人(賤民)が、本来の町(人)民(賤民)だった。

つまり豊臣秀吉の「太閤刀狩」は、専業武士(統治と武力行使を担当)と氏族系百姓の間に明確な線引きをして、氏族系の商人や工業主、鉱山主、船主を町人、氏族系の地主を百姓と身分を明確に分けた「身分制度改革」だったのであり、それらの身分制度は江戸期に入って確定し、氏族系百姓身分の商業者は町人(商家/商人)と成ったのである。


稚児小姓(ちごこしょう)

稚児小姓(ちごこしょう)

◆◇◆◇◆稚児小姓(ちごこしょう)から忠誠の証明◇◆◇◆◇◆◇

当時の稚児小姓(男色寵愛/衆道)を現在の倫理観で決め付けないで欲しい。

元々日本の稚児小姓(男色寵愛/衆道)は、所謂ゲイではなくバイ・セクシャル(両刀使い)であり、平安期に「僧籍の者の間から始まった」と言われるくらいで宗教的な戒めの考え方は無いから、身分の高い者が行っていても常識の範疇でありそう異常には思われなかった。

稚児小姓の歴史は古く、奈良時代の僧侶に拠って「宗教的な意味合いで男児(少年)と交わった事が最初である」とされている。

それが平安時代には、公家や僧侶とやがては武士と言った氏族全般に一種のステータスとして稚児小姓の愛玩風習が広がり、鎌倉時代から明治維新まで習慣として残っていた。

稚児(ちご)を寵愛する風習の原点は、古来から伝わる我が国の自然信仰に有る。

「神霊は幼い子供の姿を借りて現れる」と言う自然信仰の下、神が降りる為の仮の肉体として「尸童(よりまし)」または「依憑(よりわら)」と呼ぶ稚児の肉体を「神仏の顕現」と見なす宗教的側面が在った。

少年を「神霊の化身」とし、稚児を「尸童(よりまし)または依憑(よりわら)」と言う神が降りる状態にする為の肉体的交わり自体を神聖視する信仰が日本の男色の風習の背後に存在した。

稚児(ちご)は日本仏教や日本神道では穢(けが)れの無い存在とされ、神仏習合修験道(密教)では呪詛巫女(じゅそみこ)と同じ様に呪詛のアイテムであった。

つまり僧侶の間で始まった衆道(しゅどう)は稚児(ちご)と呼ぶ小坊主に御伽(おとぎ)をさせる事で、その根底に在ったのが弘法大師(空海)が中国から持ち帰ったインドヒンズー教に端を発する梵語(ぼんご/サンスクリット語)経典の解釈から始まる呪詛的な意味合いを持っていた。


古来より東大寺、法隆寺、園城寺、興福寺など近畿を中心とした寺院や貴族の間で法会や節会の後の遊宴で猿楽、白拍子、舞楽、風流(ふりゅう)、今様、朗詠などの古代から中世にかけて行われていた各種雑多な芸能が「延年」と言う名で括られて演じられていている。

その「延年」の演目には稚児(ちご)も出るのが特色で、鎌倉時代には「乱遊」とも呼ばれた「延年」にて稚児舞(ちごまい)を舞った少年が、指名されて僧侶と同衾(男色/衆道)する事が行われた。

この辺りを観てしまうと、どこまでが信仰心か疑わしく、むしろ遊興の口実の一環として信仰に結び付けられ「稚児との男色(衆道)の交わりが為されていた」と考えられる。

当時の神道や仏教界の「信仰要素」として、稚児(ちご)は男色(衆道)の交わり相手で当然ながら、「千手丸事件」の千手丸は勝覚僧正の寵愛を得ていた事になる。

つまり稚児との男色(衆道)の交わりは神道や仏教界の「信仰要素」として始まって、奈良・平安時代にはかなり広く仏教界に広まり、さらに公家などの貴族や武士の間にも、美しい少年を傍に召し使わせる風習が広まって行き、特別に寵愛を得た美少年の小姓は、誓約(うけい)臣従の証として閨で夜伽の相手(男色/衆道)もする「稚児小姓」と成った。

院政期の院(法皇・上皇)の近臣達は稚児上がりの者も多く、「院と深い関係を持って居た」と言われ、藤原頼長の「台記」には当時の皇室・朝廷関係者のその奔放な男色関係の多くが描かれている。


一所を構える領主の子息ともなると、武人の嗜(たしな)みとして幼少の頃は御伽(おとぎ)と言われる遊び相手、成長すると稚児小姓(ちごこしょう・御伽小姓/おとぎこしょう)と言う年下の世話係りが宛がわれ、自然に嗜(たしな)みとして衆道(しゅどう)も行う様に成り、結果、臣下の間に特殊な硬い絆が生まれる。

現在では考えられない稚児小姓(ちごこしょう・御伽小姓/おとぎこしょう)の習慣だが、稚児(ちご)は日本仏教や日本神道では穢(けが)れの無い存在とされ、神仏習合修験道(密教)では呪詛巫女(じゅそみこ)と同じ様に呪詛のアイテムで、憚(はばか)る事の無い公(おおやけ)な習慣であった。

稚児小姓(衆道)の習俗については、当時は一般的だったが現代の性規範(倫理観)ではドラマ化し難いから、お陰で誠の主従関係が「互いの信頼」などと言う綺麗事に誤魔化して描くしかない。

しかし現実には、稚児小姓(衆道)の間柄を持つ主従関係は特殊なもので、主の出世に伴い従が明らかにそれと判る「破格の出世」をする事例が数多い。

豊臣秀吉の小姓から凡(およそ)そ二十万石の大名に立身した石田三成も、秀吉と出会ったのは寺(観音寺)で稚児小姓をしながら手習いをしていた十五〜十八歳の頃の事で、秀吉が休息に立ち寄って三成を見出した事に成っている。

後の創作ではあるが、この出会いを題材に世に有名な「三献茶」の秀才・三成らしい「気働き」の挿話が残っている。

しかし、石田三成が「稚児小姓」として秀吉に気に入られ、観音寺の僧侶から譲り受けられたのであれば、休息に立ち寄った寺(観音寺)で秀吉に献じたのは三杯の茶では無い事になる。

武将と言う生業(なりわい)は戦商売みたいなもので、命を的にするから知恵や経験が物を言う。

ある程度己に自信がある武将は、まだ出来上がっていない「これぞ」と思う少年に目をかけて己(自分)流の兵法を「一から仕込もう」と言う願望を持つ。

「己の全てを注(そそぎ)ぎ込む」となると、信頼関係が大事だから稚児小姓(衆道)として常に傍(かたわら)に置き、心身ともに愛情を注(そそぎ)ぎながら教え聡(さと)し有能な部下として育てる。

上杉家の天才武将官僚として今直語り草にされている直江兼続(なおえかねつぐ)は若かりし頃、「不敗名将・仁(じん)の人」と謳われた上杉謙信(うえすぎけんしん/長尾輝虎)の稚児小姓(衆道)として育てられ、言わば上杉謙信(うえすぎけんしん)流武将学の継承者である。


有名な関係を上げると、森欄丸稚児小姓上がりの織田信長側近である。

稚児小姓とは閨で夜伽の相手(男色)をした小姓を言い、森欄丸の前は若い頃の前田利家が稚児小姓を務めていた。

つまり、加賀百万石(加賀藩百十九万石)の太守に成った前田利家も、織田信長の男色(衆道)寵愛を受け信長側近から出世している。

こうした形態の信頼構築の心理は、何も戦国時代の主従関係における特殊な事例ではない。

徳川家康における井伊直政との間柄も有名な話で、徳川譜代大名・井伊家の藩祖・井伊直政は、家康に見出され小姓(稚児小姓)として男色(衆道)相手として最も深く寵愛され、やがて側近として育てられた子飼いの武将である。

戦国期は、親兄弟息子に到るまで油断がならない。

増してや部下などは、下克上を虎視眈々と伺っているやも知れない。

大方が自分もそうして来たからそれが世の習いだった。

それ故この時代、大名は稚児小姓を愛でる習慣があったが、それは、硬い絆の元に安心できる部下の確保育成を目的とする一面を持っていた。

つまり男色は、武士と武士の約束で「身を任せ、死んでもお仕えする」と言う「誓約(うけい)」の主従関係を表す最も具体的な契りである。

稚児小姓になる方も主君の信頼を獲得し出世が保障される所から、氏族社会の世間でもこの関係を、「さして異様なもの」とは扱われていなかった。

この時代、誓約(うけい)の概念における男色(衆道)相手の児小姓を寵愛し、最も信頼が置ける側近に育てる事は異常な事ではなかったのである。

もっとも同性同士はめずらしいだろうが、異性同士なら、実は現代の上司と部下の場合でも「職場不倫」と言う形で存在し、さして珍しいものではない。

けして職場不倫をお薦めしたり肯定する訳ではなく、ただの心理分析であるが、職場不倫には互いに不安を打ち消す手段として奇妙な「刹那的(せつなてき)安心心理」が介在している。

つまり、古代から脈々と流れている性交を交えて信頼関係を築く「誓約(うけい)心理」が、変形して具現化されたものである。

腹心の部下を「懐刀(ふところかたな)」と言う。

職場不倫にも、ある種そうした要求が働く。

基本的に「誓約(うけい)心理」が働いて関係が形成されるものであるから、ドロドロの関係になる危険を孕むにも関わらず、発生する不倫には、ただの肉体的快楽目的だけではなく、相応の、安心の合意に拠る人間的心理が働く。

弱肉強食のコンクリートジャングルの職場社会にあって、上司が本当に気を赦せ信頼できる異性は肉体(性交)を赦す相手である。

部下の方も、上司が愛人なら、職場として安心できる環境が整う事になる。

そうした人間心理「誓約(うけい)」は、何千年も変わらない事を意味している。

困った事に、こうした安心心理の介在を「愛」と誤解するからドロドロの仲になる。

覚めてみると、「愛なんかじゃない」と言う事に気付くのが一般的である。

結局の所、人間の能力のサポートは血統か「縁」である。

血統に弱い者が「能力以上の成果を上げたい」と思えば、「縁」に頼るしかない。

誓約(うけい)の概念に置いて、絶対服従の具体的な証明は身を任す事である。

そう言う意味において、「稚児小姓」として権力者の寵愛を受ける事は、むしろ武士として「潔(いさぎよ)い行為」なのかも知れない。

織田信長稚児小姓から岩村城五万石の大名にまで取り立てられ、本能寺で最後まで傍近くにいた森欄丸は、美濃・斉藤家の家臣から客将、家臣に納まり、近江・坂本城で討ち死にした知将森可成の三男である。

信長の男色寵愛を受け、第二世代の織田・家臣団のトップの位置にいた人物で有る。

井伊直政(いいなおまさ)は、徳川家康の小姓(児小姓)として男色(衆道)では最も深く寵愛され、側近中の側近として関ヶ原の合戦に東軍(徳川方)が勝利した後、石田三成の旧領である近江国・佐和山(滋賀県彦根市)十八万石を与えられ、同地の彦根に本拠地を移して彦根藩の藩祖と成り井伊家は明治維新まで存続している。

関連小論・【日本の、秘められた武門の絆・稚児小姓(ちごこしょう)】に飛ぶ。


御伽(おとぎ)

御伽(おとぎ)

◆◇◆◇◆御伽(おとぎ)◇◆◇◆◇◆◇

前項で述べた稚児小姓(衆道)習俗の男色仏教界起源説を証明するに「御伽(おとぎ)」を解説する。

伽(とぎ)は梵語(ぼんご/サンスクリット語)のカ・ガの音に当てた字で、清浄閑静な場所を指す「伽藍(がらん)」、仏に手向ける水を意味する「閼伽(あか)」、極楽浄土に居ると言う想像上の鳥「頻伽(びんが・迦陵頻伽/かりょうびんが)」、冥想による寂静の境地を指す「瑜伽(ゆが/ヨーガ)」などの仏教用語使われる文字で、伽(とぎ)は訓読みである。

我が国では仏教の極楽浄土の解釈から転じて、御伽(おとぎ)とは貴人・敬うべき人を慰める事を意味し、御伽話(おとぎばなし)とは若君の夜の連れ連れ(つれづれ)を慰める為に話し相手又は物語の語り部(かたりべ)となる為の空想的な伝説・昔話である。

伽(とぎ)とは、主君や病人の為などに夜寝ないで付き添う人を伽(とぎ)と言い、また寝所に侍(じ/仕え)る侍妾(じ‐しょう/そばめ)が男の意に従って夜の共寝をし、貴人の夜の連れ連れ(つれづれ)を慰める事を伽(とぎ)または御伽(おとぎ)夜伽(よとぎ)と言う。

幼君に仕えて、その遊び相手となる小姓を御伽小姓(おとぎこしょう)と言うが、御伽小姓(おとぎこしょう)には往々にして敬うべき主君に仕え夜の連れ連れ(つれづれ)を慰める衆道(男色)稚児小姓の場合も存在する。

この稚児小姓の習俗が、奈良時代の僧侶に拠って「宗教的な意味合いで男児(少年)と交わった」とされている事から、御伽(おとぎ)伽(とぎ)の文言が仏教用語から発生していて不思議は無い。

この他に通夜を仏教用語で伽(とぎ)と言い、通夜(つや)の夜に死者の傍(かたわ)らで夜通(よどお)し過ごす事も夜伽(よとぎ)と言う。


お召し上げ・お下げ渡し

お召し上げ・お下げ渡し

◆◇◆◇◆お召し上げお下げ渡し◆◇◆◇◆◇

こうして書くと庶民だけが性に開放的だったように受け取られかねないが、勿論の事、この事ばかりは氏族も庶民もさして違いはない。

この辺りが、見事に「武士道の精神」の建前の形骸化が証明されるのだが、氏族(武士)社会にはそれなりの別のいささか残酷で都合の良い制度が確立していた。

血筋がものを言う氏族(武士)社会では、血筋を残す事が最優先の了解事項だから言い分として妾は正当な存在で、正婦人は言うに及ばず妾に到るまで勢力維持・拡大の具として「閨閥(けいばつ)」の対象に成る。

領主同士の婚姻関係は軍事同盟を意味し、出世を望む部下は我娘を領主の妾に送り込み、領主は見込みのある部下に妹や娘を下し置いて頼りとする。

氏族(武士)社会の主従関係には特殊な家臣(部下)を試す制度が存在し、家臣(部下)に娘が居るなら「召し上げ」て妾にし、忠誠心を試す。

意味合いとしては「稚児小姓文化」と同じで、誓約(うけい)の概念に置いて、絶対服従の具体的な証明は大事な者の身を任す事である。

独身男性の場合は「お下げ渡し」と称してお上(殿)の手の付いたその女性を娶る事を求められ、その家臣(部下)の忠誠心が試される。

試すべき家臣(部下)が結婚していて妻がいるなら、「お召し上げ」と称してその妻を差し出させ、暫らく寝屋を伴にしてから「宿下がり」と称して夫に返し、夫が自分のお手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。

敵対危惧関係や敵対関係と目される相手との場合はまた別で、「人質」と言う事になる。

これらは全て古代に在った誓約(うけい)の進化系で、 家臣(部下)の忠誠度や敵対及び危惧関係相手との信頼関係を試す手っ取り早く具体的な手段だった。

「お召し上げ」の例は枚挙に暇が無いだろうが、代表的な「お下げ渡し」の例は、斉藤道三の妻・小見の方(織田信長の妻・帰蝶(濃姫)の母)である。

斉藤道三がまだ西村勘九朗を名乗っていた頃、主君・土岐頼芸から美濃一番の美女と謳われた側室・小見の方を弓の手慰めの賭けで勝拝領している。

もうひとつお下げ渡しの代表格にあげられるのは、あくまでも俗説だが、第五代将軍・徳川綱吉と大老格側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)と吉保側室・染子の関係である。

側室の染子は、かつて綱吉の愛妾であり綱吉から吉保にお下げ渡しされた「拝領妻である」とも、懐妊した側室・染子を護る為に、柳沢吉保が「母子の身柄を預かった」とも言われている。
事の真相は定かではないが、柳沢家が異例の松平の姓を綱吉から許され、柳沢家を「連枝(将軍家血筋)の待遇」とした為に、柳沢家の家督を譲った長男の柳沢吉里(やなぎさわよしさと)は「綱吉の隠し子である」とも言われ、染子が吉保の側室になってからも息子・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)の顔を見に柳沢私邸を訪れる将軍・綱吉は、側室・染子を「綱吉の寝所に召される事が多かった」とされている。

綱吉の柳沢保明(やなぎさわやすあき)の寵愛振りから、綱吉と吉保(よしやす)が男色(衆道)関係であれば、一人の女性(にょしょう)を共有しても然したる抵抗は無いかも知れない。

そして戦乱期、こう言う女性の閨閥(けいばつ)的価値観の扱われ方や近習(稚児小姓)は、何の疑いもなく信じられた氏族(武士)の男女として、家名のお役に立つ為の当然の役目だったのである。


おかみさん文化

おかみさん文化

◆◇◆◇◆おかみさん文化◆◇◆◇◆◇

江戸期、日本の町屋社会(商家社会)には「おかみさん文化」と言うものが在った。

御上(おかみ)さんと書いて、人妻や主人筋の妻や女主人などを指す言葉だが、日本史的に上(かみ)は神(かみ)に通じる言葉である。

そもそも論で言えば、おかみさんは「お神さん」で、古い時代の呪詛巫女の慣習が変化しながら残っていた可能性が有る。

現在の社会合意では、誓約(うけい)の性交など「理解出来ないとんでもない事」である。

しかし時代背景を考えれば、部族混血に拠る「部族間の争いに対する平和の獲得」の神事は必然とも言え、当然考えられる知恵である。

つまり、祭り(祀り)事は政(マツリゴト・政治)であると同時に政治は性事で、誓約(うけい)の性交は神聖な神事(マツリゴト・政治)である。

こうした日本古来の性交呪詛思想の原点が、賀茂葛城の性交呪詛巫女とアイヌの呪詛巫女・「オイナカムイ」の習合信仰であれば、もしかしたら商家の繁盛を支えた「おかみさん」は、アイヌの呪詛巫女・「オイナカムイ」の思想が変化して江戸期にまで文化として伝わったのかも知れない。

稲荷神社は、財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗(しにせ)の商家の奥庭や繁華街の一郭に、商売繁盛(現世利益)の神様として祭られたりしていた。

この場合の大商家や上級武家、豪農では、跡継(血筋)確保も含めて艶福(性交相手に恵まれる)である事が、家名繁栄の条件であったのは言うまでも無い。

つまり、一夫一妻制は明治維新まで、多分に怪しかった。

日本の元神様は事代主神(ことしろぬしのかみ)で、田の神様(稲作の神)である。

事代主神(ことしろぬしのかみ)には、呪詛巫女が神の御託宣を伝える様式が存在する。

そして五穀豊穣(実り)と子孫繁栄(子宝)は大事な祈りであり、性交(お祭り)は神に祈る儀式だった。

印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼(だきに)天と言う魔女が、大日如来(だいにちにょらい)の教え(導き)で、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。

これが日本では、後に稲荷神社(おきつねさん)に成る。

出自(しゅつじ)が仏教なのに、神社に化ける所が凡そ日本的知恵ではあるが、後述する理由で「現世利益」の為に無理やり神社の様式に変えざるを得なかった。

稲荷神社が、油揚げ(豆腐)を好物としているのが、仏教の出自(しゅつじ)を物語っている。

仏教の教義では動物を食する事を嫌い、たんぱく質を摂取するに豆腐や胡麻を用いた。

油で上げた豆腐は、体力維持に欠かせない食べ物だったのだ。

此処で言う動物の大半が、実は仏教で言う所の「仏法諸天」であり、仏天である四足動物は、明治維新の文明開化(西洋文明を積極的に取り入れた。)に到るまで、庶民でさえ宗教上の理由で食する事を忌み嫌っていた。

いささか蛇足であるが、三蔵法師の旅を守った西遊記の孫悟空、猪八戒、沙悟浄、は人間ではないが「仏法諸天」であるから法力が使えるのであって、妖怪ではない。


江戸期に入る前は、商工氏族は武士兼業だった。

日本列島に渡来した氏族は、夫々の得意分野で農業工業(鋳造業)、商業、神主(宮司)、僧侶などを兼業していた。

代表的な例は平安末期の武門貴族・平清盛(たいらのきよもり)の宗貿易で、つまり清盛は大貿易商人でもあり、ついでに彼は僧侶にも成った。

その流れで渡来氏族の一部が武士に成ると、江戸期に商人が純粋に業種として独り立ちする前は、商人の大半は武士と兼業か武士が副業で商いをやっていた。

天皇の京都御所を守る「北面の武士」を出自とする松波峯丸(斉藤道三/さいとうどうさん)が山崎屋庄五郎として油屋を営んで居たのは有名な話である。

そして、もう少し時代が下がる室町時代戦国時代には武士兼業の豪商が力を持ち、財力を使って大名と協力関係を結んだり、一部の豪商は茶人として名声をはくす者も出た。


「おかみさん文化」は、武士兼業の商工氏族が多かった上方(関西地区)で始まったものだが、「商家特有の文化」として江戸期には日本全国に広まった。

昔から、「江戸っ子は女房を貸し借りする」と言う諺(ことわざ)が在る。

つまり江戸時代当時のキリスト教の影響無き庶民社会では、そぅ厳格に女房の貞操観念にこだわっては居なかった。

また、「江戸っ子は女房を質に入れても初カツオを食う」と言う。

庶民に貞操観念自体が薄い時代で不倫は当たり前、初カツオの代金が女房の貞操代金に化けたとは、江戸庶民の粋な話かも知れない。


農村ではお祭りの際に若い男女の乱行的な性交渉を認める地方が多くあり、結果、子供ができれば神事に授かった子供として大切に育てられた。

また、江戸時代当時の旅人(旅行者)は、村長、庄屋と言ったその土地の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、「夜伽(よとぎ)歓待」の習慣のある地方では、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験が存在した。

つまり狭い範囲の村落での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスクが在り、村に訪れる旅人を「マレビト」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

勿論、この「マレビト」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

つまり一つの価値判断が、「全てに渡っては正解では無い」と言う事例の一つである。


昔の商家には一生を独身で済ませ、お店(たな)大事を貫く番頭の存在が落語や講談、読み本などで紹介されているがあれには裏がある。

実はその番頭は、おかみさんの肉体で満足していた。
けして不義密通ではない。

それが商家に嫁いだおかみさんの現実的な役目だった。

大店(おおだな)を内側から守るのがおかみさんの役目で、それには信用できる使用人の育成は欠かせない。

肉体的繋がりほど強いものは無いので、丁稚(でっち)はともかく、目端が利きそうな手代(てだい)辺りから、おかみさんが性欲の面倒を見て手懐ける習慣が、町屋社会(商家社会)では公然の秘密だった。

この関係、小使いは少なくても我慢させて忠誠を尽くすだけでなく、悪い遊びを覚えてお店(たな)の金に手を付けたり悪い病気を拾って来るのを防ぐ役割もあって、当然お店(たな)の旦那公認の「面倒見の行為」だった。

旦那公認で、使用人の性欲の面倒見の行為が、平然と行われていた。

すると不義密通話は何なのか?

あれは、情が通って駆け落ちなどをする場合いで、唯の性欲の面倒を見て使用人を手懐けるのとは訳が違うのである。

正に肉体的繋がりの信頼関係を、昔の町屋社会(商家社会)のおかみさんが勤めていた事になる。

「情が通わない肉体のみの性行為と言う点では昔の方が現実的な考え方で、今の上辺だけの考え方を「さも真実だ」とする主張の方が空虚なのである。

勿論、使用人に所帯を持たせて「のれんわけ}をする事も有るが、考えて見れば商売敵の同業者を増やす事になるのだから、理想はお店(たな)に縛り付けるに越した事は無いのである。

それにしても、大店(おおだな)の「おかみさん」も、「それを覚悟の嫁入り」と言う事になる。

当たり前ながら当時はそれが常識で、今の物差しで見るから読み間違う。何しろ、大店(おおだな)の旦那には妾の二〜三人は居て、その妾にもおかみさんの方が「旦那が世話になる」と盆暮れに付け届けの挨拶をする文化だった。

自分も手代(てだい)や番頭の性欲の面倒を見てから、それで互いのバランスを取って居た訳である。

つまり、繁盛している商家程使用人の数が多く、おかみさんの身体は、信用が置ける使用人の育成に忙しかった事になる。

そんなので旦那とおかみさんは、「上手く行っていたのか?」と言うのは当時の事情を知らず、現代の倫理観に当て嵌めようとするからである。

その辺はお店(たな)の旦那は商いの為と割り切っていたし、おかみさんもそう言うものだと割り切っていた。

商家の奥座敷は奥が深かったらしいが、それにしてもそう言う事であれば、内々において公然の秘密でなければ、おかみさんもとてもそんな事は秘密に出来ないであろうから皆それと承知していた事になる。

情が通わない性的な奉仕は、「単なる手段」と割り切った所が、現在の世の中の常識より余程現実的な事は私にも理解できる。

つまりは、わが国成立初期の昔から存在した「お家大事主義」の、肉体を使うお役目、閨閥構成社会(誓約・うけい)の正当性を、完全に認めるような話である。

まぁ、このおかみさんの内助の功(ないじょのこう)が、商家としてのお家隆盛に貢献していたのだ。


この「おかみさん文化」の習慣は実に良く出来ている。

元々上方(当時の皇居所在地である京都近在の関西地区)で発生した商家の形態は、武家の感性を踏襲して「お店(たな)大事」が何よりも優先していた。

氏姓制度の名残を残す豪商の発想が、手本だったのである。

商売は商(あきない)と言うくらい永く続くのが信条で、後継ぎは絶やせない。

都合の良い事に、「使用人の性欲の面倒を見る」と言う、このおかみさん文化の習慣は、旦那が「種無し(子種が無く)」でも使用人が密かにカバーする。

嫁が「生まず女」なら妾がカバーする。

言わば商家存続の安全弁の役割も担っていて、「実は若旦那の実父は独身の大番頭だった。」などと言う人情話に、当時を伝えているのである。

まぁこの「若旦那の実父は独身の大番頭」を現代風の解釈で個人的な「おかみさんと番頭や手代の色恋沙汰」と解釈するか、その時代の「町屋商家の習俗」と捉えるかで随分当時のおかみさん文化の理解が違うものになる。

この物語ではもう毎度の事に成ってしまったが、この「おかみさん文化」を現代の倫理観や価値観の意識そのままに当て嵌(は)めては、到底信じられない事かも知れない。


現代風に考えれば、それこそ性に対する倫理観も女性個人の尊厳もあった物ではない。

良識派を自認する学者達には「無かった事にしたい過去」だろう。

しかしこの時代は、武家も豪商も、通常「お家の繁栄」が全てに優先する価値観であり、一般的に男も女もその「お家の為」にする犠牲行為は、不謹慎なものではなく「美徳」だった。

人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)がある。

つまり、現代の物差しとは違う価値観が昔存在した理由は、当時の女性は「お家大事を基本にした考え方が正しい」と考えていた意識の違いである。
,br> 従って、現在の意識を基にした「一貫性行動理論」の物差しを現代に当て嵌めて、「そんな事は有り得ない」と過去を判断するのは危険な判断方法である。


江戸期に於ける「おかみさん」のついでに、「商家の娘さん」についても少し書く。

「商家の娘さん」についても、修験道師絡みの、江戸期独特の風俗習慣が存在する。江戸時代から明治中期まで町屋(商家)を中心に流行した「狐つき祓い」が、まさしくこれである。

この時代、まだまだお店(たな)の娘としては自由恋愛とは行かず、親の都合の縁談が当たり前で、お店(たな)の示(しめ)しとしても、親に逆らってもらっては困るのだ。

この辺りの厳しさが商家の習慣にあるから、心中事件などと言う手段もあった訳である。

実はこの「狐つき」、商家の娘が、都合の悪い恋愛や恋わずらいをした時に、便宜上付ける厄病で、修験者を呼んで「狐(恋愛感情)」を落としてもらう為の方便だった。

修験者の「お祓い」と称するものの実体が集中的輪姦で、娘を犯し倒す性感の波状攻撃により、娘の人生観さえも変えてしまう。

簡単に言えば、既成事実を作って諦めさせるのが目的だが、修験者の「お祓い」ならば神事で、世間も納得する。

つまり、娘から「狐着き」が落ちて、親の薦める縁談がまとまり、経験を積んで性的に成熟しているから、嫁に行っても、婿を貰っても相手を飽きさせない。

これは、「性交による矯正」と言う事であり、昔からそう言う手段はあった訳である。

御祈祷の奇跡についてはこんな事例がある。

若い夫婦に中々子宝が授からなかった。

現代のように夫に子種が無いなどと言う科学的な思考の無い時代は、子宝が授からないのは何かの「呪い・因縁の類では無いか」と恐れを抱く。

それで評判高い陰陽修験の修行を修めた行者様に若妻を預け、加持祈祷をして頂く。

神前祭祀(しんぜんさいし)に於ける邪気払いの大麻(おおぬさ)は、修験道の「祈願・焚(た)き行」でも使われていた。

大麻草(マリファナ)は、真言密教の遠祖・チベット仏教(ラマ教)の地であるヒマラヤ高地一帯で自然に自生していた薬草である。

当然ながら密教・修験道師(山伏)は、大麻草(マリファナ)を焼(く)べればその煙を吸引した人が陶酔作用を引き起こす事をしばしば信者獲得に利用した。

大麻草(マリファナ)で陶酔すれば幻覚も見、それを素直で真面目な人物ほど「信仰の奇跡」と捉えるのは自明の理である。

つまり密室での「焚(た)き行」の陶酔の中で、願主と修験道師(山伏)が如何なる加持祈祷儀式を為して居たかは当事者しか知らない。

加持祈祷を済ませた若妻は家に帰り、そのご利益が薄くなる前に早速夫と同衾する。

陰陽修験の行者の祈祷は霊験あらたかで、「アァら不思議」と若妻に子宝が授かってメデタしメデタしとなる。

ただしこの御祈祷は秘伝中の秘伝であり、御祈祷中の行者様の気を乱してはいけないので、どんな御祈祷が為されるのかは行者様と若妻以外誰も知らない。

後はこれを読む方の御想像に任せるが、とにかく奇跡は起こるのである。

そんな馬鹿な事はない。

「真面目に祈祷をしている行者も居る筈だ。」とお叱りを受けるかも知れないが、あなたは祈祷のご利益が本当に信じられるのか?

この現代科学で考えれば、突然子宝が授かるには合理的な理由がある筈である。


こう言う裏話をすると、直ぐに理想論者の反論が湧き起こるが、現実に密教的修験の「お祓い」の常套手段が立ち入り禁止の非公開(呪術が効かなくなると言う理由)であり、酷い話になると、「覗けば目が潰れる」などの予防線が張られていたりする。

現実に、十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の側室・お美代の方(専行院)の父親、日啓が引き起こした大奥女中の醜聞、智泉院事件においては、「お祓い・祈祷」が名目だった。

そう言う部分は、現代の建前感覚より当時の現実感覚の方が、返って正直なのかも知れない。


これは余談に近いが、江戸期に入って盛んになった雛(ひな)祭り、子供は夢を託して無邪気な喜びの日である。

しかし、良く考えて見ると段飾り雛は、世界でも珍しい「身分制度を表したもの」で、上に上るほど高位の雛の居場所である。

これを平等の現代社会では「おかしい存在」とは誰も思わない所を見ると、およそ氏姓制度が「日本人の中に染み付いている」と言う事だろう。

一応「祭り」と言うからには信仰行事で、子供の健やかな成長を祈りながら、ついでに身分制度も学習させる寸法だったのではないか?

まぁ、目くじらを立てる程のものではないが、逆説的に言うと、存在するものは深く考えないで容認するのが日本人気質かも知れない。



誓約(うけい)の国・日本では、明治維新の文明開化まで日本人は性行為を「猥褻(わいせつ)」とする考え方は薄かった。

日本人は、人間としての性規範に対してはナチュラル(自然体)な考え方を持っていた。

性行為を「猥褻(わいせつ)」と強く感じる様に成ったのは、明治維新政府の急速な欧米化政策に伴う学校教育方針で、欧米キリスト教性規範を植え付けられたからである。

いずれにしても我輩は、「美しい国・日本」の答えが「地球を救う共生主義と言うイデオロギーに変換する事に在る」と考えている。



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【*】短編人生小説 (4)

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裁判員制度シュミレーション

凌 虐 の 裁 き

(りょうぎゃくのさばき)


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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。


【*】短編人生小説 (3)

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短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


未来狂 冗談 作

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【*】女性向短編小説 (1)

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短編小説(1)

「アイドルを探せ」

青い頃…秋から冬へ


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】社会派短編小説(2)

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社会派短編小説(2)

「生き様の詩(うた)」

楢山が見える


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


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「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

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====(日本史異聞シリーズ)第六作====
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「小説・怒りの空想平成維新」

◆たったひとりのクーデター◆

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 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

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とくに男女の恋愛に関しては・・・
ちょっとHでせつない、現代のプラトニックラブストーリー。

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◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
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東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

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八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

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時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
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「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

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「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
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南北朝秘話・切なからず、や、思春期

◆茂夫の神隠し物語◆

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====(日本史異聞シリーズ)第三作====
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鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

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====(日本史異聞シリーズ)第二作====
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うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

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倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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この文章は修了です。
















































貴方は、冗談(ジョーク)を深く考えた事があるだろうか?
冗談(ジョーク)には「軽口」とは違う、もっと重く深い意味が密かに潜んで居る事も多いのである。
【作者プロフィール】●未来狂 冗談(ミラクル ジョウダン)本名・鈴 木 峰 晴
昭和二十三年、静岡市に生まれる。
県立静岡商業高等学校卒業、私立拓殖大学商学部貿易学科を卒業した後、実社会に船出。
従業員二十名足らず小企業に就職、その企業が三百名を超える地方中堅企業に育つ過程に身を置き、最終、常務取締役で退任。
その後、零細企業を起こし、現在に至る。
現在他家に嫁いだ娘二人に外孫三人、同居の愛妻が一人居るが、妾や愛人は居ない。

性別・男性 /生年・1948年/住所・静岡県東部在住
【メッセージ 】
ネット作家として文学・歴史・政治・宗教・教育・科学・性・脳などを研究し小説やエッセ、そしてブログでコラムなど書いています。
☆ペンネーム未来狂冗談(Miracljoudan)の由来は、「悪い未来に成った事は冗談ではな無い」と思う気持ちからで、けして「冗談に付けたのではない」つもりです。念のため・・・。
また、「冗談」とかざしたペンネームの真意は、作品により政治や信仰・占術、歴史に対する批評及び性描写に、タブーを恐れない過激な表現を用いる事がある為、利害関係者との余分な論争を避ける為です。







































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作者本名鈴木峰晴