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西郷隆盛の奇病

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***【歴史のミステリー】*********

西郷隆盛・命を賭した西南戦争(西南の役)】

(西郷隆盛の奇病)


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***【歴史のミステリー】*********

西郷隆盛・命を賭した西南戦争(西南の役)

西郷隆盛の奇病



◆◇◆◇西郷隆盛・命を賭した西南戦争(西南の役)◆◇◆

承知で負け戦をするのは愚か者である。
しかし或る意図を持って負け戦をするのは、高等な企てかも知れない。

西郷吉之助隆永(隆盛)が起こした西南戦争(西南の役)は、まさに命を賭(と)した企てだった。


薩摩・島津藩から頭角を現した西郷吉之助隆永、後の西郷武雄・隆盛(たかもり)は、明治維新の立役者の一人である。

千八百二十八年(文政十年)鹿児島城下の下加治屋町山之口馬場で、御勘定方小頭の西郷九郎隆盛(のち吉兵衛隆盛に改名、禄四十七石余)の第一子として生まれた。

西郷氏は藤原則隆または藤原蔵規を祖とする九州の菊池氏の分家・藤原氏流の肥後(熊本県)菊池氏の分家、増水西郷氏の末裔を名乗っている。

肥後・菊池氏は建武の親政から南北朝並立期にかけて、一貫して後醍醐天皇(南朝方)に与力した有力豪族である。

そう、西郷吉之助は、まさしくあの「菊池千本槍(きくちせんぼんやり)」の血筋を受け継ぐ南朝の影人だったのである。

西郷吉之助は、薩摩藩第十一代藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)に見出されて中御小姓・定御供・江戸詰に登用され、お庭方として斉彬(なりあきら)の手足と成って篤姫(あつひめ)の大奥輿入れの実務を担い、第十三将軍・家定への輿入れ支度と実務を担当し、大いに顔を売って多くの人脈を得ている。

しかし斉彬(なりあきら)公が没して、異腹の弟・島津久光の長男・島津忠義(茂久)が藩主を継ぎ、藩主後見人として島津久光が実質最高権力者と成り、吉之助・隆永(隆盛)は久光に疎まれて二度の「遠島」を命じられる。

この「遠島」が、後に西郷隆盛の死に様の遠因と成った。


意外な事に、若き頃の西郷吉之助(隆永/隆盛)は、すこぶる周囲の同僚から評判が悪い男だった。

それと言うのも若き日の隆盛(隆永)は理想が高く、為に役人として要領良く立ち回り私腹を肥やす同僚や上司に批判的だったからだが、信念に基づく大胆な正論の為に煙たい存在と嫌われて居た。

この隆盛(隆永)の周囲に迎合しない信念を持つ辺りが、薩摩藩々主(第十一代)・島津斉彬(しまづなりあきら)や藩重役も隆盛(隆永)を認めるように成り、やがて薩摩藩の若手有志の間で評価され、隆盛(隆永)信奉者が増えてリーダーの一人と目される様になる。

しかし隆盛(隆永)を取り立てた島津斉彬が没すると、大胆な正論は主家・島津家の第十二代藩主・島津忠義(しまづただよし)の父・久光(ひさみつ)の怒りを買い、度々島流しに遭っている。

島津斉彬(しまづなりあきら)に見出され出世の糸口を掴んだ西郷吉之助(隆永)は、しぶといのが身上である。

斉彬(なりあきら)の後を継いだ第十二代藩主・島津茂久(忠義)の実父として最高権力者の島津久光(しまづひさみつ)に何度も遠島(流刑)と言う目に遭いながら、あたかも後醍醐帝の怨念にでも後押しされるかのごとく不死鳥の様によみがえり、薩摩藩をリードして行く。

薩摩藩家老と言う立場で大久保の活動を支援し、反りの合わない島津久光と西郷吉之助(隆永)の間に入り仲を取り持って西郷の活躍の場を作ったのが小松帯刀(こまつたてわき・清廉/きよかど)で、時流を読んで薩摩藩をリードしたその存在は維新史に欠かせない。

確かに彼に相応の資質が在ったのだろうが、長州藩が、かなり孤軍奮闘した後で薩摩藩が倒幕に加わった事など「あらゆる条件が揃う」と言う見えない幸運にも吉之助(隆永)は恵まれている。

運も実力のうちではあるが、隆永(隆盛)の場合は、さらにその特別な人格が周りを引き付けていた。


本書で西郷隆盛に関して「西郷吉之助・隆永(隆盛/たかもり)」と表記しているには実は大きな意味が在る。

実は維新後、明治政府の担当官が西郷吉之助・隆永の名を父親の名・隆盛(たかもり)と間違えて登記したミスを西郷が咎めずに「ソゲンでヨカゴワス(それで良いです)」として正式に隆盛(たかもり)と名乗るようになったからである。

とにかく西郷は「ソゲンでヨカゴワス(それで良いです)」が口癖で、維新後、明治政府の担当官が西郷吉之助・隆永の名を父親の名・隆盛(たかもり)と間違えて政府参議の登記したのを後で知った時も「ソゲンでヨカゴワス」だった。

鹿児島私学校の職員・生徒が負けると判っている西南戦争(西南の役)を起こした時も「ソゲンでヨカゴワス(それで良いです)」と、頭目を引き受けた。

そんな名前にも生死にも拘らなかった西郷隆盛が、他に何かの目論見が無くて、「征韓論に拘った」とは、とても思えない。

我輩が、西郷隆盛にワクワクする魅力を感じるのは、権力に固執せず、純粋でクールな信念の美学に生きる熱血漢な男達で、この時代に我輩にとって最高に魅力的生き方をしたのがこの男・西郷隆盛である。

坂本龍馬も捨て難い人物だが、西郷の私心を捨てる生き様には少し及ばない。


千八百六十八年(明治二年)に始まった朝鮮・李氏王朝との国交々渉が進展しない事に業を煮やした明治政府内で、武力による開国を迫る所謂(いわゆる)征韓論が台頭する。

元々尊王攘夷運動と明治初期の薩長藩閥政府にも少なからぬ影響を与えた吉田松陰は、幽囚録で蝦夷地開拓とともにカムチャッカ半島、朝鮮、台湾、満州等への武力侵略統治論を展開していた。

ちょうど明治政府は、右大臣兼外務卿・岩倉具視を正使とし、副使に木戸孝允(桂小五郎)大久保利通伊藤博文山口尚芳(やまぐちますか/なおよし)ら総勢百七名に及ぶ岩倉使節団(いわくらしせつだん)を明治四年から明治六年まで、欧米諸国に派遣していた時期とこの征韓論が重なっていた。

その政府主力の多くを欠く千八百七十三年(明治六年)、岩倉使節団(いわくらしせつだん)の帰国前の留守政府閣議に於いて、参議・板垣退助が交渉の行きづまりを打開するため陸軍一大隊の朝鮮への派遣を主張する。

板垣退助の陸軍派遣案に対し、西郷隆盛は使節の派遣案と自らその職への任命を主張するもその後、岩倉具視が帰国し内治優先の立場から使節派遣に反対の上奏をして明治天皇の裁可により派遣延期となる。

正直、大久保利通(おおくぼとしみち)の本音を言うと、西郷隆盛が砲艦外交ではな無く「穏やかに交渉する」と言っても軍を統括する元帥(後に廃止した為大将)である西郷が交渉して李氏・朝鮮に突っぱねられれば面子が無くなる。

そうなれば国論が板垣の言う「開戦は止むを得ない事になる」と言う「危惧」が、「西郷自らの使節派遣案には在る」と大久保は結論着けたのである。

この決定に、西郷隆盛が陸軍大将兼参議・近衛都督を辞し、位階も返上すると上表したのに対し、既に宮中工作を終えていた岩倉具視は、閣議の決定とは別に西郷派遣延期の意見書を天皇に提出した。

翌日に天皇が岩倉具視の意見を入れ、西郷の朝鮮国派遣を無期延期するとの裁可を出したので、西郷隆盛は辞職した。

この時、西郷の参議・近衛都督辞職は許可されたが、陸軍大将辞職と位階の返上は許されず、岩倉・木戸・大久保らは、これらを許可しない事で、西郷ら遣韓派をいずれ政府に復帰させる意図がある事を示したとされる。

この明治天皇の裁可を切欠に、参議・西郷隆盛、江藤新平板垣退助らが辞職する世に言う「明治六年の政変」と呼ばれる事態となり、大久保達使節帰国派は、これ以降政府の実権を握る事になった。

所謂(いわゆる)「征韓論」に対しては、大久保らも交渉決裂に際する朝鮮半島での武力行使の方針自体には「反対ではなかった」とされ、欧米諸国の先進発展の現実を知るが故の内治優先主張と解されている。

この征韓論には、千八百七十一年(明治四年)の廃藩置県によって武士としての職を失った士族の不満が背景にあり、以後千八百七十三年(明治六年)徴兵令公布、千八百七十六年(明治九年)廃刀令、秩禄処分に至る過程で士族反乱が相次ぎ明治政府はこうした不満を「海外に逸らす思惑も在った」と見られる。

そしてこれは憶測の域を出ないが、とにかく西郷は「それで良かごわす」が口癖である。

維新後、明治政府の担当官が西郷吉之助・隆永の名を父親の名・隆盛(たかもり)と間違えて政府参議の登記したのを後で知った時も「それで良かごわす」、鹿児島私学校の職員・生徒が負けると判っている西南戦争(西南の役)を起こした時も「それで良かごわす」と、名前にも生死にも拘らなかった。

その西郷隆盛が他に何か別の目論見が無くて、「征韓論にだけ拘った」とは、とても思えない。

となると、その真相こそが西南戦争(西南の役)の本当の蜂起理由かも知れない。


千八百七十四年(明治七年)二月、閣議で台湾征討が決定した。

この征討には参議・木戸孝允が反対して参議を辞めたが、西郷隆盛も反対していた。

しかし、隆盛三弟・台湾征討軍の都督・西郷従道の要請を入れ、止む無く鹿児島から徴募して、兵約八百名を長崎に送った。

征韓論と「明治六年の政変」で下野した西郷隆盛は、故郷鹿児島で大半を武村の自宅で過ごし、猟に行き、山川の鰻温泉で休養していたこの明治七年三月、佐賀の乱で敗れた江藤新平が来訪し一泊、翌日指宿まで見送ったが、その後江藤は土佐で捕まっている。

西郷の下野に同調した軍人・警吏が相次いで帰県した明治六年末以来、鹿児島県下は無職の血気盛んな壮年者が多数のさばり、それに影響された若者が溢れる状態になった。

これを指導し、統御しなければ、壮年・若者の方向を誤るとの考えから、有志者が西郷にはかり、県令大山綱良の協力を得て、同千八百七十四年(明治七年)の中頃に旧厩跡に私学校がつくられた。

私学校は篠原国幹が監督する銃隊学校、村田新八が監督する砲隊学校、村田が監督を兼任した幼年学校(章典学校)があり、県下の各郷ごとに分校が設けられた。

翌千八百七十五年(明治八年)、この他に西郷と県令・大山綱良との交渉で確保した荒蕪地に、桐野利秋が指導し、永山休二・平野正介らが監督する吉野開墾社(旧陸軍教導団生徒を収容)も創るられた。

西郷の影響下にある私学校が整備されて、私学校党が県下最大の勢力となると、大山県令もこの力を借りる事なしには県政が潤滑に運営できなくなる。

大山県令は私学校党人士を県官や警吏に積極的に採用し、千八百七十五年(明治八年)度や翌年度には西郷に依頼して区長や副区長を推薦して貰った。

このようにして別府・辺見・河野・小倉壮九郎(東郷平八郎の兄)らが区長になり、私学校党が県政を牛耳るようになると、政府は以前にもまして、鹿児島県は西郷の私学校党の支配下に於いて「半ば独立状態にある」と見為すようになった。

しかも千八百七十三年(明治六年)徴兵令公布、千八百七十六年(明治九年)廃刀令、秩禄処分に至る過程で士族最後の特権をも奪われた事に憤慨した熊本県士族の神風連の乱、福岡県士族の秋月の乱、萩の乱と続き、世相は西南戦争前夜の様相を呈していたのだ。


西南戦争は、明治新政府に反旗を翻した西郷隆盛率いる薩軍と政府軍の日本国内最後の内戦である。

この西南戦争、巷に溢れる諸説は本当なのか、「この戦役は、西郷隆盛の死を覚悟した計画的出来レースで有った。」と言ったら、貴方は信じるか。

実は、そう読めない事も無いのだ。

西郷隆盛は、象皮病(フィラリア症)と言う難病を患っていた。

そしてもしも隆盛が、新政府の政務に自分の身の置き所が見出せず、「引き際を考えて居た」としたら・・・・。

また、明治維新の大業を為したとは言え、多くの血を流した将として燃え尽き、死を望んで居たとしても、心情的には無い訳では無い。

西郷は、自らの役目が「終わった」と感じていたのだ。

何時の時代でもそうだが、政権交代は武力の素養に勝る者で成されても、混乱が収まると次は官僚の素養に長ける者の出番である。

つまり、必ずしも同じ者に継続してこの二つの役割を勤める資質が有る訳ではない。

この両者の軋轢は、その節目の過渡期には必ず現れるものだった。

その時点で、身の置き所を失う名将を、歴史は「嫌」と言うほど見詰て来て居た。

その内の一つが、まさに西郷の始末の付け方だったのである。

如何なる政策変化にも百パーセントの合格政策は無い。

何故なら、政策の変更には必ず損する者と得する者が在るからで、そこを恐れては政治改革など出来ない相談である。

しかしながら、政策の変更で損する者はそれでは収まらない。

それがこの時は、武士と言う特権階級を失う者達だった。

西郷隆盛は、己の死をもってその責めを負う覚悟を決断した。

確かに、もし西郷隆盛が単に政府に不満が在るだけならば、先見を持つ隆盛が、敗けると予測が立つ「西南の役蜂起」はまるで説明が着かない。

明治新政府が新たな政治体制を確立する為には産みの苦しみが必要で、武士を中心とした旧体制は早急に葬る必要が在った。

現に武力に拠る組織的な反抗は、封建武士の不満を一身に請負った西郷隆盛の死に拠って収まっている。

実は、西郷隆盛の「征韓論」の頑なな主張に拠る大久保利通・参義らとの対立と参議を辞しての下野、薩摩(鹿児島)への帰省そして挙兵には、真相が外に有った。

西郷は、欧米列強に伍する国家体制を確立する為に、血統のみを頼りにした旧来からの特権階級・武士の特権を、「無し」と改める必要を強く感じていた。

その為には、古い「武士」と言う階級の存在が、「不要なもの(役に立たない)」として終わった事を示さなければ成らない。

当時最強と謳われた「薩摩藩兵」が、明治政府の民兵に敗れなければ、各藩の不平士族は納まりそうも無かったのである。


鎌倉・室町と言う旧来の幕府政権の慣例として、徳川将軍家は朝廷軍の最高位・征夷大将軍を任じて「徳川幕府」と言う政権を担った。

維新新政府の組織は確かに過去と違うが、西郷隆盛は新政府唯一の大将位で軍を統括する立場にあり、本来なら新政権で最有力の権力に在って不思議は無い。

それがアッサリと軍を辞任した事で、敢えて過去とは違う「天皇親政」を強力にアピールする効果を意図して狙ったのではないだろうか?

理性では割り切れない事も、感性の思い入れが強ければ理解できる。

つまり西郷にとって明治維新は、自分が生み出した身を棄てても(自らを犠牲にしても)惜しくは無い心境の、歴史そのものだったかも知れない。

すなわち西郷は、改革に伴なう痛みとして西南戦争を引き起こした。

しかし最近の小泉総理とは違い、痛みを伴なったのは庶民ではなく特権階級の方だった所が、西郷の英雄たる由縁である。

西郷が、私心を捨てられる人物だったからこその、維新の偉業である。

元々西郷の心に在ったのは、純真に「西欧列強から国を守る為の思い」であり、自らの出世欲ではない。

その私欲の無さが認められていたからこそ、西郷は維新の中心人物足りえた。

政権の中心に座っても、その西郷の気持ちにブレはない。

新政府の目先の難題は、失業し、特権も取り上げられた不満士族(氏族)だった。

今、不満士族(氏族)に圧されて振り子が旧来の封建社会の世に振れ戻ったら、維新は文字どうり水泡に帰す。

「彼らを黙らせなければ成らない。」


千八百七十七年(明治十年)鹿児島を発した薩軍(西郷軍)は北上し熊本鎮台司令長官・谷干城(たにたてき)が守る熊本城を包囲して攻めたのだが、平民主体の軍と侮った薩軍(西郷軍)は、加藤清正の築城した名城の攻略に思わぬ苦戦を強いられる。

熊本城を包囲して攻めていた所に官軍小倉連隊の援軍がやって来た為、これを阻止せんと植木町・田原坂に陣を張り迎え撃つ事にした。

田原坂(たばるざか)は標高差六十mのゆるやかな坂で、一の坂、二の坂、三の坂と頂まで長さ一キロ半の曲がりくねった道が続く。

この道だけが唯一大砲を曳いて通れる二間(三〜四m)ほどの道路幅であり、この坂を越えなければ官軍の砲兵隊は薩軍(西郷軍)に包囲された熊本城まで進めなかった。

明治十年三月四日、薩軍(西郷軍)に取っては進軍の、官軍にとっては熊本城篭城軍の生死を制する道であり、ともに戦略上の重要地でこの在ったが為に南下して熊本城を目指す官軍小倉連隊とこれを阻止せんとする薩軍(西郷軍)がこの平凡な坂道を激戦の舞台とした。

この田原坂の攻防が、三月四日〜二十日までの十七昼夜に及び、一進一退の攻防を繰り返し両軍合わせて一万人余の戦死者を出した西南の役最大の激戦地と成った。

三月二十日に到って官軍は総攻撃をかけ薩軍の防衛陣はついに陥落、薩軍は田原坂の激戦に敗れて熊本城の包囲を解き、矢部(熊本県)に退き、人吉・宮崎・都農(つの)を経て五ヶ月、八月二日、薩軍(西郷軍)は宮崎県延岡に転戦する。

西南戦争最後の激戦は延岡・無鹿近くの「和田越の決戦」で、その和田越の決戦に敗れた薩軍は長井村に包囲され、俵野の児玉熊四郎宅に本営を置き、西郷は解軍の令を出す。

その後薩軍(西郷軍)は官軍包囲を可愛岳(えのだけ)越えで突破、九州山地を敗走して山岳逃避行は故郷・鹿児島城山まで半月近く続く。

いずれにしても西郷隆盛は、最初からこの「西南の役」で薩軍が勝てるなど思ってはいなかった。

つい先程まで、「西洋の列強国に負けじ」と、日本の軍に最新式の装備を急いでいたその張本人が他ならぬ西郷隆盛その人で有る。

つまり、帝国軍全軍の総指揮を執るべき立場にあったのが、只一人の軍最高位、陸軍大将・西郷隆盛である。

薩摩軍の装備の大幅な見劣りなどは、先刻承知の事であった。

政府軍と薩摩軍では、使用した銃一丁取っても格段の差があった。

政府軍で使用したのは最新鋭のスナイドル銃で元込め式である。

対する薩摩軍は、旧式の先込め銃のエンペール銃で、発射後、筒先に玉を込めなければならず、次の発射準備の手間にロスが大きい。

大砲なども政府軍とは数や性能に大差が有った。

この戦、戦場では薩軍が決定的に不利で有ったのだ。

田原坂と言う歌の「雨は降る〜降る〜人馬は濡れる」の一節「人馬」は実は間違いで、「陣場」が正解であり、「先込め銃が濡れて役に立たない薩摩軍の悲哀を歌っている。」と言う説が有る。

この薩摩軍の「西南の役」敗北を境に不平士族は武力抗争をあきらめ、言論による民権運動の方向に不平を転換して行ったのだ。


そして高千穂(たかちほ)から見て日の昇る東の方向に北川町があり、天孫降臨伝説の可愛岳(えのだけ)がそびえている。

神話の国・日向国(宮崎県)の北東部にある北川町(東臼杵郡)の地に可愛岳(えのだけ)はある。

征服(侵略)部族の王達が天孫降臨伝説で神格化された象徴的な記述が、古事記日本書紀に残った山がこの可愛岳(えのだけ)である。

標高七百二十八メートルの可愛岳(えのだけ)にはニニギノミコト(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ)御陵墓伝説があり、古事記に拠ると初代神武天皇の五代前の先祖・天孫ニニギノミコトは高天ヶ原より「筑紫の日向の高千穂のくしふる峰に降りてこられた」と記され、日本書紀にはニニギノミコトが亡くなられたとき「筑紫の日向の可愛(えの)の山陵に葬りまつる」と記されている。

天孫降臨伝説が終焉を迎えたのも実はこの伝説の地だったが、その話はこの物語を最後まで読んでいただければ判る。

つまり可愛岳(えのだけ)は、氏族(征服部族)に拠る日本列島統治の始まりの象徴みたいな山だが、驚(おどろ)く事に氏族(征服部族)終焉の地もこの可愛岳(えのだけ)だったのである。


氏族の終焉は、西郷隆盛率いる明治新政府への最後の氏族の抵抗・「西南戦争」の敗戦である。

その西郷軍が、北川から薩摩に向けて落ち延びたルートが、古代史に名高い、可愛岳(えのだけ)越えの獣道だった。

この可愛岳(えのだけ)だが、神代の時代からの伝説の山である。宮崎県東臼杵郡北川町もまた、北浦町と同じ、高千穂町、北浦町のスサノオの通り道のライン上、つまり高千穂の真東に在る。

北浦町より直線で真西に一里(四キロメートル)ほど高千穂町に近い所に、北川町がある。

実際には山塊が北浦、北川両町の間にあるので、人間達にはそう近くは感じないが、神々にとってはこの山塊は行き来の障害には成らない。

その北川町に、標高七百二十七メートルの可愛岳(えのだけ)がある。

この山が、神話の山なのだ。

まず不思議な事に、高い岩山ならともかく、この高さの土に覆われた山では、けして説明が付かない多くの巨石がこの山にはある。

山頂の鉾岩や三本岩などは、考古学者によると弥生時代に建造された人工的立石で、他にも石組と考えられる多くの巨石が点在している。人間の手が、加わっているとしか考えられないのだ。

可愛岳(えのだけ)は神秘的で、謎の多い山である。

そして記・紀(古事記や日本書紀)の記述に符合しそうな、伝説がある。

古事記によると、神武(じんむ)天皇に始まる皇室の五代前に、高天原から光臨したニニギノ命(みこと)が、「日向の高千穂のくしふる峰に降りた」と記されている。

これをもって、高千穂の天孫降臨とする解釈も多い。

すると、それ以前は神ばかりいて、人はこの世に居なかった事になる。

我輩は、この地に降(光)臨したのが天照大神なら、「判り易い」と思っている。

しかしこの「高千穂のくしふる峰」の記述が、朝鮮半島の加耶(伽耶諸国)の建国神話である「加耶国」の始祖・首露王(スロワン/しゅろおう)が「亀旨峰(クジボン)に天降る話・・・と似ている」との指摘が在る。

つまり、「記紀神話(古事記・日本書紀)」の一部は、朝鮮半島・加耶(伽耶諸国)から持ち込み輸入された伝承を採用し加工して記載した疑いが強いのである。

こうした伝聞借用の疑惑に関しての事例は、古事記・日本書紀には沢山ある。


日本書紀によると、ニニギの命が亡くなられた時、「日向の可愛(えの)の山陵に葬り祭る」と記されている。

学術的証明(確証)までは至らないとの事だが、ニニギノ命の御陵墓伝説は、地元で数百年も続く「御陵墓祭り」と伴に受け継がれて居て、これは「重みの有る伝承」と言える。

そして因果な事に、この天孫族所縁の愛岳(えのだけ)を、最後の氏族軍「西郷敗残軍」が越えた時、「氏と民の時代」が終わった。

同時に、中華皇帝と対等な存在に成る為に多くの国々を支配する天皇(大王/おおきみ)の統一国家としてとして倭の国々時代からの習慣として表記、呼び続けられた地方の国名が県の表記呼称に変わったのである。



鹿児島市中央部に在る城山は鹿児島城(鶴丸城)の裏手の山で、元々万が一の時には後詰めの城域として使う為に軍事整備された城郭部を持つ「上之山城」で在った。

熊本鎮台司令長官・谷干城(たにたてき)が守る熊本城の陥落に失敗、田原坂の攻防に敗れた西郷隆盛率いる薩軍は、人吉、小林、宮崎と敗走を重ね、難路・可愛岳(えのだけ)越えを敢行して出陣から七ヶ月後に故郷鹿児島の城山に辿り着き立て篭もった。

一時三万人まで膨れ上がった薩軍兵力は、城山に辿り着いた時には僅か四百名にまで減少し装備も百五十挺の先込め小銃と数門の砲、一方、城山を包囲する政府軍は五万の大軍だった。

城山を包囲した政府軍は、千八百七十七年九月二十四日午前四時の号砲を合図に総攻撃を開始、西郷軍も徹底抗戦するが次々と陣地を破られ、包囲網は縮まって西郷自身も大腿部を銃撃され歩行困難となるなど惨憺たる戦況となる。

自分の役目が終わったと感じた西郷は自らも数箇所傷つきながら、心静かな安らぎの中に最期を迎えようとしていた。

死を目の前に、西郷隆盛が心穏やかな気分に成ったのは久しぶりだった。

「わー」と言う辺りを威圧する時の声。時折響く「ど〜ん」と言う不気味な砲声。「どし〜ん」着弾の音、舞い上がる砂埃。

「だぁ〜ん」銃声の先で「バタッ」と倒れる兵の姿。

乱れ飛ぶ怒号や気合と斬り合いの響きが、遠く近く聞こえながら迫って来ていた。

西郷隆盛は傍らの別府晋介に声をかけ、「晋どん(別府晋介)、もうここいらで良かでごわはんか。」と介錯を頼み、自刃する。

西郷が自軍の将兵に解散を布告した北川の地から可愛岳(えのだけ)越えを敢行して終焉の地城山まで従った四百名の中には薩軍幹部・村田新八(むらたしんぱち)、篠原国幹(しのはらくにもと)、桐野利秋(きりのとしあき)、池上四郎(いけのうえしろう)等が居て最後は四十数名が残っていた。

その残っていた四十数名が、城山陥落時は西郷隆盛の自決を見守った後に岩崎口の塁をめざして進撃、途中、弾雨の中で自刃、刺し違え或いは戦死した。

実は、西郷隆盛が士族兵制論者か徴兵制支持者なのか、その行動から当時の政府関係者ですら意見が分かれ、彼が積極的に薩摩士族の反乱を支持して居たとは考えられない。

西郷隆盛はこの城山の自刃で、自らが生み出した維新政府と言う作品に、密かに魂を入れたのかも知れない。

理性では割り切れない事も、感性の思い入れが強ければ理解できる。

今一度言うが、明治維新は隆盛にとって、自分が生み出した身を棄てても(自らを犠牲にしても)惜しくは無い心境の、歴史そのものだったかも知れない。


西郷隆盛は、始めから「勝てない」と判っていて不満不平の鹿児島士族に依る武装蜂起の頭目を引き受けた。

隆盛の西南戦争於ける「敗戦覚悟の蜂起」の裏には、成し遂げた維新大業の名声と陰嚢(睾丸)が肥大化する奇病との板ばさみが在った。

隆盛は流刑先の沖永良部島で、風土病のバンクロフト糸状虫と言う寄生虫に感染し、この感染の後遺症で、象皮病(フィラリア症)を患っていた。

象皮症(フィラリア症)とは、寄生虫によって引き起こされる足や陰嚢(睾丸)に巨大な腫瘍を生じ、肥大化する奇病である。

晩年は、隆盛の陰嚢(睾丸)が人の頭大に腫れ上がっていた為に晩年の隆盛は馬に乗る事が出来ず、移動手段はもっぱら駕籠だった。

病とは言え、笑えない八畳敷き(たぬきのナントカ)、鼻付きの象(エレハントマン)で、隆盛のプライドは穏やかでは無かった筈である。

今と成っては本人の心情を推測する他(ほか)無いのだが、その陰嚢(睾丸)肥大と言う外聞が悪い症状は、内心武士として潔(いさぎよし)しとは出来なかったのかも知れない。

西南戦争に於いて城山で自害し、何者かが介錯して首を持ち去った首のない死体を、隆盛本人のものと特定させたのはこの巨大に膨れ上がった陰嚢(睾丸)であった。

つまりかなり不自由な生活を強いられて生きるに疲れていた隆盛が、「命を賭して維新の仕上げをした」とは考えられないだろうか?

明治天皇は西郷の死を聞いた際にも「西郷を殺せとは言わなかった」と洩らしたとされるほど西郷の事を気に入っていた。

明治天皇の意向や黒田清隆らの努力があって千八百八十九年(明治二十二年年)、大日本帝国憲法発布に伴う大赦で赦され正三位を追贈され、継嗣の寅太郎が侯爵を賜っている。







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【*】短編人生小説 (4)

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裁判員制度シュミレーション

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未来狂 冗談 作

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【*】短編人生小説 (3)

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短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


未来狂 冗談 作

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【*】女性向短編小説 (1)

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社会派短編小説(2)

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◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


未来狂 冗談 作

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「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

未来狂 冗談 作

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冗談 日本に提言する・・・(来るべき未来に)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 冗談の発想が詰まった内容です!
ぜひぜひ読んで、感想をお聞かせ下さい。
異論・反論も大歓迎!!

====(日本史異聞シリーズ)第六作====
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「小説・怒りの空想平成維新」

◆たったひとりのクーデター◆

未来狂 冗談 作

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{「たったひとりのクーデター}・・・・・・・・(現代)

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不況は本当に終わります。

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非日常は刺激的

 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

◆仮面の裏側◆

未来狂 冗談 作

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◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 人の心って複雑ですね。
とくに男女の恋愛に関しては・・・
ちょっとHでせつない、現代のプラトニックラブストーリー。

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非日常は刺激的

 

◆仮面の裏側外伝◆

未来狂 冗談 作

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◆{短編集 仮面の裏側・外伝}・・・・・・・・(現代)

◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
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東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

未来狂 冗談 作

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八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 東九州で起きた連続怪死事件。
そして現代に甦るスサノウの命、
時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
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「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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侮り(あなどり)・・・・・・・(戦国〜江戸時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 天才信長とその最高の理解者、明智光秀。
だが自らを神と言い放つ信長は
「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

南北朝秘話・切なからず、や、思春期

◆茂夫の神隠し物語◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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茂夫の神隠し・・・・・・・・・(室町南北朝時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 誰もが通り過ぎる思春期、
茂夫の頭の中はHなことでいっぱい。
そんな茂夫が迷宮へ迷い込んでく・・・

====(日本史異聞シリーズ)第三作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

◆鬼嫁・尼将軍◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 今は昔の鎌倉時代、
歴史上他に類を見ない「鬼嫁」が存在した。
その目的は、権力奪取である。

====(日本史異聞シリーズ)第二作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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貴方は、冗談(ジョーク)を深く考えた事があるだろうか?
冗談(ジョーク)には「軽口」とは違う、もっと重く深い意味が密かに潜んで居る事も多いのである。
【作者プロフィール】●未来狂 冗談(ミラクル ジョウダン)本名・鈴 木 峰 晴
昭和二十三年、静岡市に生まれる。
県立静岡商業高等学校卒業、私立拓殖大学商学部貿易学科を卒業した後、実社会に船出。
従業員二十名足らず小企業に就職、その企業が三百名を超える地方中堅企業に育つ過程に身を置き、最終、常務取締役で退任。
その後、零細企業を起こし、現在に至る。
現在他家に嫁いだ娘二人に外孫三人、同居の愛妻が一人居るが、妾や愛人は居ない。

性別・男性 /生年・1948年/住所・静岡県東部在住
【メッセージ 】
ネット作家として文学・歴史・政治・宗教・教育・科学・性・脳などを研究し小説やエッセ、そしてブログでコラムなど書いています。
☆ペンネーム未来狂冗談(Miracljoudan)の由来は、「悪い未来に成った事は冗談ではな無い」と思う気持ちからで、けして「冗談に付けたのではない」つもりです。念のため・・・。
また、「冗談」とかざしたペンネームの真意は、作品により政治や信仰・占術、歴史に対する批評及び性描写に、タブーを恐れない過激な表現を用いる事がある為、利害関係者との余分な論争を避ける為です。




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作者本名鈴木峰晴