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遊女(女郎)の歴史

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遊女(女郎)の歴史

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【巫女(みこ/シャーマン)】
【神前祭祀(しんぜんさいし)と大麻(おおぬさ)】
【巫女(みこ)と遊女(ゆうじょ)】
【白拍子(しらびょうし)】
【静御前(しずかごぜん)】
【遊郭(ゆうかく)と遊女(ゆうじょ)】
【吉原遊廓(よしわらゆうかく)と廓内女郎折檻(くるわうちじょろうせっかん)】
【女衒(ぜげん)】
【閏刑(じゅんけい)としての奴刑(しゃつけい)】
【江戸町方人別帳(えどまちかたにんべつちょう)】
【穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)】
【八百屋お七と天和の大火(てんなのたいか)】
【市中引き廻し(しちゅうひきまわし)】
【湯女(ゆな)】
【従軍慰安婦問題(じゅうぐんいあんふもんだい)】
【両班(ヤンバン・特権貴族階級)】
このまま下にも読み進めます。



巫女(みこ/シャーマン)

◇◆◇◆巫女(みこ/シャーマン)◆◇◆◇◆

御託宣(ごたくせん)の神事代主(ことしろぬし)の神に始まるシャーマニズムにおいて「神懸(かみがか)り」とは、巫女の身体に神が降臨し、巫女の行動や言葉を通して神が「御託宣(ごたくせん)」を下す事である。

当然、巫女が「神懸(かみがか)り」状態に成るには、相応の神が降臨する為の呪詛行為を行ない、神懸(かみがか)り状態を誘導しなければならない。

巫女舞に於ける「神懸り」とは、すなわち巫女に過激な舞踏をさせてドーパミンを発生させる事で、神道では恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態の呪詛行為の術で、仏法では脱魂(だっこん)と言い現代で言うエクスタシー状態(ハイ状態)の事である。

現代に於いても人々に踊り好き祭り好きが多いのも当たり前で、ディスコダンスでも盆踊りでも夜明かし踊ればベータ・エンドロフィンが脳内に作用して疲れ心地良いダンシング・ハイの興奮状態を招く。

ダンシング・ハィは、未開地の土人にも共通する「神と伴に」や「神に供える」と言う「踊りと信仰の一体」に解されている。

そして踊り続ける行為は、情報伝達物質「ドーパミン」に依る興奮と共に情報伝達物質「オレキシン」と関わっている。

情報伝達物質「オレキシン」は、睡眠と覚醒を制御する物質であり、神経ペプチドの一種である。

「オレキシン」は覚醒作用の摂物質であり、食中枢として知られる視床下部外側野 限局するニューロンに局在する。

視床下部外側野に存在する神経細胞が産生している「オレキシン」が活性している間は睡眠が制御され、眠気を覚えずに活動ができる。

或いは、夜通しディスコや夜通し盆踊りでダンシングハィ状態になる現象と、この情報伝達物質「オレキシン」に睡眠が制御されて情報伝達物質「ドーパミン」に依る興奮と連動して作用するのであれば納得できるのではないか。

その最も初期に行なわれ、永く陰陽修験に伝え続けられた呪詛行為の術が、すなわち巫女に過激な性交をさせてドーパミンを発生させ、脳内麻薬のベーター・エンドロフィンを大量に発生させる事で、巫女がオーガズム・ハイの状態(ラリル状態)に成れば、その巫女の様子から周囲が神の降臨を認め、「神懸(かみがか)り」と成る。

この神前性交、確かに「現代の精神思想とは掛け離れている」とお考えかも知れないが、簡単に結論を出して「眉唾な話し」とは思わず読み進めて頂きたい。

歴史を知らない者にして見れば、「何で神聖な神社や巫女が性交儀式と結び付くのか?」と疑問に想うかも知れない。

しかし歴史にはその時代時代で必要な事情があり、また、歴史には前代から受け継がれる連続性の記憶がある。

弥生時代から古墳時代までの間、日本列島は縄文原住民族と渡来した多くの他民族・他部族が混在する人種の坩堝(るつぼ)だった。

その日本列島に在って、部族間の争い事に対処するもっとも有効な呪術は、次代が混血する為の性交に拠る人種的和合の「誓約儀式(うけいぎしき)」だった。

つまり異部族間の性交が人種的和合の為の呪術だったからこそ、巫女に拠る神前性交儀式や神前娼婦などの文化が残った。

これは理屈に合っていて、後の江戸末期に「公武合体」のスローガンの下に皇女・和宮を十六歳で徳川十四代将軍・家茂に嫁がせている。

つまり「誓約(うけい)」の概念の基本が、何百年経ても血の混血で在った事が、証明されている。

この巫女が「神懸かり」になる為の社殿神前性交が基と成り、やがて飛鳥期頃に神社と官人(高級貴族役人)の間で社殿神前に於ける官人接待の習慣が起こり、歌舞・音曲・性交がセットに成った神前娼婦と言う形態が出来上がる。

氏神は地域の守り神で、鎮守様とも言う。

成立したばかりの大和朝廷(ヤマト王権)は地方を掌握する為に細かく鎮守を派遣し、赴任して来た氏一族がその地を管理した。

つまり鎮守神も氏神の別称だが、中央の大和朝廷(ヤマト政権)からその地の鎮守を委任されて赴任して来た氏一族が、紛争の仲裁などして地方を掌握して行く。

赴任して来た氏族が、そうした地方運営に成功してあがめ祀(まつ)られて鎮守様・氏神様と神格化した。

それが鎮守様・氏神様の起源である。


神社の氏神(うじがみ・氏上)は文字通りの旧領主や旧赴任者が司執(つかさど)っていて、神社の社領を維持拡大しなければ成らない。

勿論神前娼婦(巫女)は簡単な情報収集の使命も負って居て、現代風に言えばハニートラップ(性を武器にする女スパイ)である。

何故なら、神社側は旧支配者が土着した郷士の末裔であり、官人は現支配者として赴任して来た相手で、御機嫌取りと腹の内を探る必要が在った。

つまり「氏神(うじがみ・氏上)神社」は土着した有力氏族の象徴的な施設で、中央から赴任して来た「官人」との暗闘の場でも在った。

ハニートラップ(性を武器にする女スパイ)は、安全保障の手段である。

日本は平和ボケしているからハニートラップ(性を武器にする女スパイ)など夢物語だが、現在でも世界中で採用されている最も有効な手段である。

いずれにしても、権力者を喜ばせる事は金に成ったり権力と結び付いたりの効果的な手段である。

そこで、新たにその土地に赴任して来る官人(高級貴族役人)を取り込む為の接待は欠かせず、一族の存亡に関わるからその接待は疎(おろそ)かには出来ない。

勿論新たに中央のヤマト政権から赴任して来た官人も、地元の有力者(氏上)と揉(も)めては赴任先での任が果たせなくなるから、そこは思惑が一致して上手く接待に乗る。

飛鳥期から平安期に到る時代的に考察すれば、この時代の巫女は神に仕える憧れの花形の職業で、勿論神前性交も神とのコンタクトと言う神聖な儀式で、性交に違和感は無いのである。

官人(高級貴族役人)接待に於いても、何しろ巫女は神と交わり浄化された身であるから、官人としてもその歌舞・音曲・性交接待を大いに喜んで居たに違いない。

それが遊女の原型と成り、平安末期には白拍子と呼ばれる遊女と繋がって行く。



日本の独自文化と言えば、この国では古来から女神が多いのだが、実を言うとその資格について現代では考えられない条件があった。

それは性交の儀式を執り行う事である。

大和合の国(日本列島)黎明期の女神は、神の言葉を天上から受け取り、御託宣(ごたくせん)として下界の民に伝えるのが役目、つまり巫女(シャーマン)だった。

そこに介在したのが、神事として奉納する性交の儀式である。


弥生期初期の頃は、大きく分けても本来の先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)加羅族(からぞく/農耕山岳民族)系渡来人呉族(ごぞく/海洋民族)系渡来人の三つ巴、その三っも夫々に部族集団を形成していた。

つまり最大の政治(まつりごと)は、それらの勢力の争いを回避する手段の発想から始まり、その和解の為の最も実効があるツール(道具)が誓約(うけい)の性交に拠る血の融合だった。

そしてその誓約(うけい)の性交は、新しい併合部族の誕生を呪詛(祈る)する神事と位置付けられて、主要な「祀(祭・奉)り」となった。

語呂合わせみたいな話だが、祀(祭・奉)り事は政治(まつりごと)であり、政治(まつりごと)は性事(せいじ)と言う認識が在った。

そして誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、巫術と称するシャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。


理解して欲しいのは、当時の物差しが現代と違い、子宝を得る事も実りの豊穣を得る事も、同じ命を産み出す神の恵みであり、その作業を神の御前(みまえ)で執り行い奉納してご利益を願い、同時に巫女を通して神の声(御託宣)を聞くのである。

勿論民人も、只、巫女に何か言われても易々とは信じない。

巫女が神懸(かみがか)りに成って初めてその御託宣(ごたくせん)が信用される。

この御託宣(ごたくせん)を得る為のアンテナが、巫女の女体そのもので、オーガズム・ハイ状態(神懸/かみがかり)の神域を巫女が彷徨(さまよ)う事に拠って、天上神の声が聞えて来るのである。

それ故に神事として奉納する性交の儀式が真面目に要求され、思想的違和感は無かったのである。

これも、もう少し掘り下げると、初期黎明期の征服部族長(氏族の長)の神格化に辿り着く。

当初は専門の巫女が居た訳ではない。

征服地の統治を容易にするには、民人が信用する絶対的な逆らえない武力以外の力が必要で、それは天上からの神の声である。

氏族長の神格化を進めるにあたって、氏族長を神と成し、屋敷を神域化して神社とすると同時に、その后妃(ごうひ/妻)を、シャーマン役の女神に任じ御託宣(ごたくせん)の能力を持たせる。

つまり女神は、氏族長の后妃(ごうひ/妻)であり、「氏族長(神)の言葉」を、后妃(ごうひ/妻)に御託宣(ごたくせん)させる茶番劇的な「ペテン・カラクリから始まった」と考えるのが合理的である。

それが段々に様式化されて行き、氏族長の后妃(ごうひ/妻)から性交の儀式を執り行う専門の巫女(シャーマン)に替わる。

その女体のアンテナで御託宣(ごたくせん)を得るオーガズム・ハイ状態(神懸/かみがかり)の神域を、巫女が彷徨(さまよ)う為の儀式が、性交呪詛(せいこうじゅそ)と言う「術(すべ)」と成って陰陽呪術に発展、後に本書で記述する「人身御供伝説」への流れが形成されて行くのである。

定説では、遊女の原型は飛鳥期頃から始まって「神社の巫女が官人を接待した事」に由来し、平安期の白拍子も「神社の巫女から発祥した」とされる。

その白拍子は源義経の愛妾・静御前で有名で、白拍子の為す遊芸も元は「神事音楽の巫術から」とされている。

その背景に在ったのは、正に巫女のシャーマニズムと性交呪詛が「誓約神話(うけいしんわ)」の古代信仰文化として深く関わっていた事に他ならない。

元々神道のお祀り(祭り)の意味の内には、異民族(異部族)和合五穀豊穣の豊年祈願などの呪詛目的を含んでいる。

いずれにしても、巫女は神事としてお祀り(祭り/性交呪詛)に拠る神懸り(かみがかり/神霊降臨)の依り代(よりしろ/憑り代)を役目として負っていた。

そこから派生して、巫女が官人を接待する風習が出来上がって遊女の原型が生まれて行ったのではないだろうか?


現代科学に於いてもこのジャンルは存在を認めていて、エクスタシー状態(ハイ状態)とは恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態で、宗教的儀礼などでは脱魂(だっこん)とも解説され、その宗教的儀礼に於けるエクスタシー状態の際に体験される神秘的な心境では、「神迎え又は神懸かり」に相応しくしばしば「幻想・予言、仮死状態などの現象を伴う」とされている。

尚、アイヌ語では「オイナ」と発音する女性(おんな)は中文(中国語)では女(ニュィ/ニョイ)と発音し、アイヌ語のオイナカムイ(oyna kamuy)は「巫術の神」と解釈するズバリ女神である。

その「巫術の神」は、アイヌラックル (aynu rak kur)で、人間・臭い・神 (つまり半神半人)であるから、原始神道に於ける巫女の原型かも知れない。
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神前祭祀(しんぜんさいし)と大麻(おおぬさ)

◇◆◇◆神前祭祀(しんぜんさいし)と大麻(おおぬさ)◆◇◆◇◆

ご存知の様に、大麻草(マリファナ)を焼(く)べればその煙を吸引した人は陶酔作用を引き起こす。

為に日本では、大麻草は大麻取締法の規制により、大麻の化学成分(THC、CBDなど)は麻薬及び向精神薬取締法の規制 対象に成って居る。

しかし薬剤について知識が深くない時代の古代信仰に於いて、大麻(マリハナ)の不思議な作用(陶酔作用)を神とのコンタクトに利用する考えを持っても当然ではないだろうか?

そして大麻(おおぬさ)が神前祭祀(しんぜんさいし)に用いられたは、その陶酔作用だけでない効力があったからである。

実は、日本神道に於ける大麻(おおぬさ)の信仰には、経験学的な大麻(おおぬさ)の薬効を奇跡として認知していた。

つまり現在では麻薬として禁止薬物扱いの大麻(おおぬさ)で、当時不治の病と思われた病気が劇的に回復し、その現実で神秘的な信仰を集めたからである。

それが現代医療で見直され、日本では禁止薬物だが末期癌には大麻有効で改善の兆候を示す為、米国の於いては医療用大麻の使用は認められている。


この大麻草(マリファナ)は、陶酔作用・鎮痛作用・食欲増進などの薬理作用がある事などから、日本での古くは「大麻 (おおぬさ/神道)」を神道の神札として活用されて来た。

ご推察の通り、大麻草(マリファナ)の陶酔作用は、神殿に於ける祭祀に感性的な補完作用が在った事から、祭祀の「お払いの草」として採用された。

大麻草(マリファナ)で陶酔すれば幻覚も見、それを素直で真面目な人物ほど「信仰の奇跡」と捉えるのは自明の理である。

祭祀は神(かみ/上)をもてなす為の行為と定義つけられている。

それ故に、初期の神事である「神前娼婦(巫女)の性交接待に於いては大麻(おおぬさ)を焼(く)べた陶酔作用は効果的だった」と想像に難くない。

但し現在の祭祀に使う大麻(おおぬさ)は、白木の棒の先に特殊な断ち方をして折った紙・紙垂(しで)または麻の繊維を原料として作った糸・麻苧(あさお)をつけた祓串(はらえぐし)とも言う「はたき様の道具」である。

祭祀の大麻(おおぬさ)は現代では、お祓いを受け目に見えない罪穢(つみけがれ)を祓い、元の清浄な状態に戻す際に用いられる神道の儀礼様式化した道具で、勿論エロチックなものではない。

「おおぬさ」の本来は「ぬさ」の美称で、「ぬさ」とは神への供え物や、罪を祓う為に使用する物の事である。

主として麻(あさ)や木綿(ゆう)、後には布帛や紙が使われていた事から、神事に使う布帛や紙の事を大麻(おおぬさ)と呼ぶようになった。

只何の裏付けも無く祭祀に採用される訳も無く、その大麻(おおぬさ)採用の本質は、明らかに神懸り的効果を演出する陶酔作用だった。

つまり当時は、学問的よりも純粋に陶酔現象を神懸りと受け止めた所から大麻(おおぬさ)は神をお迎えする神の道具とされた。

この大麻(たいまそう/おおぬさ)は中国を経由して、大量に自然自生する遥かヒマラヤ高地のチベット、ネパール、ブータンと言った山岳仏教の国々からはるばる「夜這いの風習」や「桜の原木」と伴に伝わったものである。

宮中の大嘗祭(おおにえのまつり)に於ける祭祀や、昔から夫々(それぞれ)の神社の祭祀でも、大麻(おおぬさ)は使われる。

大嘗祭(おおにえのまつり)は、天皇が即位の礼の後に初めて行う一代一度限りの大祭であり、実質的に践祚(せんそ)の儀式である。


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巫女(みこ)と遊女(ゆうじょ)

◇◆◇◆巫女(みこ)と遊女(ゆうじょ)◆◇◆◇◆

原始的な土人の踊りや音楽にしても、元々は神に捧げるシャーマニズム(呪術)の踊りと音楽である。

欧米の音楽や踊り、イスラーム社会の音楽や踊りもそのルーツは宗教音楽(教会音楽)から発生して発達し、後世に娯楽の側面を持つに到った。

日本に於ける音楽や踊りにしても例外では無く、最初は神を祀り祈る誓約伝説の神事から発生して神楽舞(かぐらまい/巫女舞)に発達し、神事であるからこそ楽士は神官が勤め、踊り手は巫女が勤めた。

神道発祥初期の頃は、人身御供伝説でも判るが、神官の出自は渡来系氏族である。

実は、神社を司る氏神(うじがみ)は氏上(うじがみ)で、氏神主(うじがみぬし)も氏上主(うじがみぬし)も国造(くにのみやっこ)県主(あがたぬし)の系図(天孫族)を持ち、つまり神主(かんぬし)は氏族の棟梁の兼業であるから、官人(高級貴族役人)接待は身分保身や出世栄達の為に大事な勤めだった。

古墳期から平安期にかけて中央政府の大和朝廷(ヤマト王権)から地方に派遣され赴任が解けた後も土着した氏姓(うじかばね)身分鎮守氏上(うじかみ=氏神)は、その地方の有姓(百姓)・有力者となり一定の勢力を持つ。

そこへ中央政府の大和朝廷(ヤマト王権)から新たな官人(役人)が地方に派遣され、赴任して来てその地方の有姓(百姓)・有力者と権力の二重構造が発生した時、対立するか懐柔策を採るかの地方有力者の選択肢の中で、鎮守氏神を祀る巫女に拠る官人接待は始まった。


巫女は俘囚と呼ばれる身分の蝦夷族の中から調達された。

そして踊り手の巫女はシャーマン(巫術者)であり、その神事の中で神(神官が神の代理を勤める)と性交をし、恍惚忘我(こうこつぼうが)の境地に至り神懸かって御託宣を神から賜った。


神楽(かぐら)の事を「神遊び」とも言い、過って日本の遊女は神社で巫女として神に仕えながら歌や踊りを行っていた貴人(特権階級)相手の神殿娼婦だった。

この遊女について、「本来は芸能人の意味を持つ言葉」と建前の解釈をする方も居られるが、発祥が神社で巫女として神に仕えながら歌や踊りを行っていた「遊び女(あそびめ)」と呼ばれる神殿娼婦だった事から、「芸能のみに従事していた」と綺麗事にするには無理がある。

勿論神前娼婦(巫女)は簡単な情報収集の使命も負って居て、現代風に言えばハニートラップ(性を武器にする女スパイ)である。

何故なら、神社側は旧支配者が土着した郷士の末裔であり、貴人・官人は現支配者として赴任して来た相手で、御機嫌取りと腹の内を探る必要が在った。

日本は平和ボケしているからハニートラップ(性を武器にする女スパイ)など夢物語だが、現在でも世界中で採用されている最も有効な手段である。

特記すべきは「芸能の神様」とされる天宇受売命(あめのうずめのみこと)の岩戸神楽の原型は、「天宇受売命(あめのうずめのみこと)の胸も女陰も露わなストリップダンス」が伝説上での遊芸のルーツとされる点である。

また天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、猿田毘古神(サルダヒコカミ)との誓約(うけい)の和合(性交)の実践者でもあるのだ。

遊女の元々のルーツ(起源)は、「官人(高級貴族役人)の接待に神社が巫女を充てた事に拠る」とされる事から、歌舞音曲の遊芸もそうした環境の中で育ち、次第に様式化されて源義経の愛妾・静御前で有名な平安期の白拍子などもその巫女起源の遊女の分類に入る。

それと言うのも、元々俘囚身分の蝦夷族社会には自然信仰と群れ婚(集団婚)の習俗が残っていて共生村社会を営んでいた経緯が在ったから、それが容易だったのである。

そうした経緯を踏まえて考えれば判る事だが、出雲阿国は最初出雲神社の巫女だったが神社修復の勧進(寄付集め)の為に旅回りの巫女踊りを始め、「そこから大衆演劇・歌舞伎踊りに到った」とされる。

そして阿国が評判を得たのがツンツルテンの衣装を着た「ややこ(こども)踊り」と言う子供の踊りであった。

そうとするなら、現在の映画やテレビドラマのような優雅な踊りではなく、下着を身に着ける習慣がないノーパンティ時代に丈が足りない衣装で腿も露(あらわ)に踊った事に成る。

もっともこれを史実通りに映画化すれば、今の時代では十八禁指定を採らなければ成らないだろう。


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白拍子(しらびょうし)

◇◆◇白拍子(しらびょうし)◆◇◆◇

平安末期、「保元の乱」の頃から、後白河法皇の庇護(ひご)と贔屓(ひいき)を得て、高級遊女「白拍子」が皇族、貴族社会で活躍する。

飛鳥期神前娼婦(巫女)も簡単な情報収集の使命も負って居て、現代風に言えばハニートラップ(性を武器にする女スパイ)だった。

何故なら、神社側は旧支配者が土着した郷士の末裔であり、貴人・官人は現支配者として赴任して来た相手で、御機嫌取りと腹の内を探る必要が在った。

その神前娼婦(巫女)の進化形ハニートラップ(性を武器にする女スパイ)が、「白拍子」だった。

日本は平和ボケしているからハニートラップ(性を武器にする女スパイ)など夢物語だが、現在でも世界中で採用されている最も有効な手段である。

その流行(はやり)は瞬く間に殿上人の間に広がり、平清盛も例外でなく祗王と仏御前の二人の白拍子を、女間諜とは知らずに妾にしている。


近頃やたらと「品格」が問題になる。

しかしこの「品格」、権力者が求めるのは一般民衆に対してだけで、自分達の事は「棚上げ」である。

どうやら「特権階級」は文字通り特別らしく、白拍子遊びは、高級料亭の「芸奴遊び」に代って、料亭政治は昭和の中頃まで続いた。

もっとも勤皇の志士も、倒幕の密談場所は「似た様なものだった」そうだから、正に「政局は夜創られる」と言う事らしい。

この「白拍子」、実は急造の組織ではない。密教陰陽道の修験呪術「歓喜法」の呪詛巫女として、勘解由小路党が手塩にかけて育成された美しい娘達だった。

それ故に神に対する知識は豊富で、男装の神楽舞と殿方相手の性技は年季が入っている。


この白拍子を、現代の感覚で単なる娼婦と誤解しては困る。

男性にとっての付加価値観は、「高嶺の花を抱く」であり、性技や芸技の修行は基より知性と教養をも修めた女性が始めて白拍子に成れた。

白拍子には諜報機関の女性諜報員としての側面も在ったから、時の為政者も納得するほどの知性と教養を兼ね備えて下手な不勉強者よりも「充分に論議のお相手が出来た」と伝えられている。

後の世の花魁(おいらん)も然りだったが、その遊び女としての価値観は美貌と美しい姿態に加えて知性と教養を兼ね備えた女性と遊ぶ事であり、格式が高い点ではまさに高級娼婦だった。


定説では、遊女の原型は飛鳥期頃から始まって「神社の巫女が官人(高級貴族役人)を接待した事」に由来し、平安期の白拍子も「神社の巫女から発祥した」とされる。

その白拍子は源義経の愛妾・静御前で有名で、白拍子の為す遊芸も元は「神事音楽の巫術から」とされている。

その背景に在ったのは、正に巫女のシャーマニズムと性交呪詛が「誓約神話(うけいしんわ)」の古代信仰文化として深く関わっていた事に他ならない。

元々神道のお祀り(祭り)の意味の内には、異民族(異部族)和合五穀豊穣の豊年祈願などの呪詛目的を含んでいる。

いずれにしても、巫女は神事としてお祀り(祭り/性交呪詛)に拠る神懸り(かみがかり/神霊降臨)の依り代(よりしろ/憑り代)を役目として負っていた。

そこから派生して、巫女が官人を接待する風習が出来上がって遊女の原型が生まれて行ったのではないだろうか?


男の武術と同様な位に、殿方を喜ばせる目的での女の閨房術(けいぼうじゅつ・床技・とこわざ)は、大事な生きる為の女の武器(能力)だった。

一般の女性でもその心得を持たされる時代だったから、遊女(あそびめ)の白拍子は、それなりの高度な修行を積んでいた。

大体に置いて、静御前(しずかごぜん)の鎌倉での舞は、最近の映像で再現される様な優雅な舞ではない。

そもそも白拍子が舞う今様は、男舞を女性が舞う仕掛けの動きの激しいものだった。

それを袴の着用を許されない私奴婢身分の白拍子が激しく舞うのだから、裾が少し乱れる所では収まらず、しかも無防備に今日の様な現代下着は着用していない。

記述した様に、有物扱いの私奴婢(しぬひ)の出身で、身分が低い白拍子が、身分の高い者が着用する袴の着用は赦されない。

身分の低い者の男装をして「男舞」を舞踊る所に、その真髄がある。
この狙いが、当時貴族社会で「白拍子」が流行った、真実の所以(ゆえん)である。

これ以上は露骨な表現を控えるが、膝を上げたり、腰をかがめて中腰に成ったりする「男舞」を舞い踊となれば、その情景はおのずと想像が着く。

その辺りをうやむやにするから、源義経の愛妾・静御前が御家人衆やその女房達の前で舞を強制させられた位で、「大げさなエピソードを」となる。

しかしそうした真実は、情緒的な理由で綺麗事に脚色されて今日に伝わっている。

最もこの名場面、裸身を伴うから史実通りにはドラマで再現し難い事情がある。

それで、静御前の屈辱的心理が表現し難いものになってしまった。


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静御前(しずかごぜん)

◇◆◇◆静御前(しずかごぜん)◆◇◆◇◆

源義経の愛妾・静御前は当時の高級遊び女・白拍子だった。

白拍子は遊び女と言っても、基本的に上流社会の男性を相手にしていたから当時としては相当高度な知識を持っていた。

同時に床技(性技)にも長けて居なければならない白拍子を、「誰が育てたのか」、考えた事があるだろうか?

実の所、静(しずか)には高位の権力者の相手が出来るだけの教養と芸妓術、性技術が備わっていた。

若い義経には、今まで出会った事の無い新鮮な女性に見え、彼はそれにコロリと参ってしまった。

静御前の性格は優しく何事も受動的で、その性格は彼女の性癖にも如実に現れていた。


源義経の愛妾・静御前は、源頼朝北条政子源範頼北条時政梶原景時等を始め、坂東武者とその妻女達の前で、白拍子舞の披露を命じられた。

この白拍子舞、テレビや映画で表現される優雅な舞ではない。

後世までその「エピソードが残る」と言う事は、「何か尋常ならない強烈な事実が存在した」と見るべきである。

状況的に条件が揃っていて、しかも静御前は都一の美女と謳われた白拍子だった。

このエピソードを優雅に描くと源頼朝の人となりが正確には表せないので、夢を壊して申し訳ないが現実を描写する。

永い流人生活で屈折して育った頼朝は、源氏の棟梁でありながら負け戦ばかりの体験で死の恐怖と戦いながら漸くここまで辿り着いた。

そうしたトラウマを持つ頼朝にとって、正直な所義経の愛妾・静は陰湿な愉快を提供してくれそうな存在だった。

静は自分に逆らった義経の愛妾で、これは自分に逆らえばどうなるかを御家人衆に知らしめる見せしめみたいな物だから、それは御家人衆の面前で「静に半裸で踊らせる」と言う効果的な恥をかかせねばならない。


今様神楽と呼ばれる白拍子の神楽舞の原点は、須佐之男の乱暴狼藉で「天の岩屋戸」に隠れてしまう天照大神が、天宇受売命(あめのうずめのみこと)のストリップダンスの賑わいにつられて「何事か?」と覗き見の隙間を開けさせた伝承に拠るもので、里神楽同様に伝承に即したストーリー性を持っていた。

従って今様神楽にはそうしたエロチックな部分が根幹を成していて、遊び女の白拍子舞はお座敷芸として殿方の人気を博していたのである。

つまり白拍子舞の基本は巫女神楽であり、巫女の身体は、本来天岩戸(あまのいわと)伝説の神楽の「天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)」の胸も女陰も露わなストリップダンスの様式を踏襲(とうしゅう)した「依(うつ)りしろ舞」である。

後に囚われの静御前が鎌倉の大舞台で、当節の「当世風白拍子の舞いを舞った」と言う事は、実は殿方相手に座敷で密かに舞うべき淫媚な遊び舞を、裸身が透ける当時としては相当豪華な薄絹衣装で公に舞うと言う「晒し者の屈辱を受けた」事になる。

これは、長い流人生活で鬱積した残忍な性格を持つ鎌倉殿(源頼朝)の仕置きである。

そもそも鎌倉中の御家人とその女房共を集めての八幡宮・白拍子舞の宴で、鎌倉殿(源頼朝)が「わしに逆らうとこうなるぞ」と、自らの力を御家人達に誇示するのが目的のあるから、半裸で舞を舞わせ晒し者にする義経の愛妾・静御前に憐憫の情や思い遣りなどある訳が無い。

目的が辱めであるから、静御前の鎌倉での舞は、最近の映像で再現される様な優雅な舞ではない。

記述した様に、有物扱いの私奴婢(しぬひ)の出身で、身分が低い白拍子が、身分の高い者が着用する袴の着用は赦されない。

身分の低い者の袴を着さない男装をして裸身を晒す「男舞」を踊る所にその真髄がある。

腰巻の上に重ねて着ける裾除(すそよ)けの蹴出(けだ)しは勿論、腰巻の普及さえ江戸期に入ってから武家や裕福な町人の間で始まった物で、時代考証としてこの鎌倉前期に衣の重ね着は在っても下着は無い。

それで白拍子静御前が激しい男舞いを舞ったり、後の案土桃山期に歌舞伎踊りで出雲阿国が丈の短い幼子(ややこ)の衣装で踊れば着物の裾が乱れる結果は明らかで、つまり「見せて何ぼ」の娯楽だった。

娯楽の踊りに色気は付き物で、白拍子の「男舞い」にしても阿国歌舞伎の「幼子(ややこ)踊り」にしても、要は乱れた着物の裾から踊り手の太腿(ふともも)が拝める事で人気を呼んだのだ。

この狙いが、当時貴族社会で「白拍子」が流行った、必然的真実の所以(ゆえん)である。

静御前は、その屈辱的な舞を披露させられた挙句の果てには身ごもっていた義経の子を、男児と言う理由で出産と同時に鎌倉海岸の浜で殺されている。

話が少し脱線するが、この「静御前」の八幡宮舞の折、鼓(つづみ)を担当したのが、「楽曲に巧みな工藤祐経(くどうすけつね)だった」と言うエピソードがある。

頼朝主催の「富士の牧狩り」のおりに曽我兄弟に親の仇を討たれた、あの工藤祐経であった。

後ほど事の顛末(てんまつ)を示すが、この工藤祐経(くどうすけつね)暗殺事件は、源頼朝の弟・源範頼(みなもとのりより)の運命にまで波紋が広がる大事件だった。


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遊郭(ゆうかく)と遊女(ゆうじょ)

◇◆◇◆遊郭(ゆうかく)と遊女(ゆうじょ)◆◇◆◇◆

元々遊郭(ゆうかく)の発生は、風紀の取り締まりなどを求め「他所での開業を認めない」と言う為政者側の管理思想が背景にある。

江戸幕府は、遊郭惣名主・甚右衛門と条件を交わして江戸市中の遊女街を一ヵ所に集めた公娼(公許)の地を吉原遊郭(よしわらゆうかく)と呼んだ。

吉原遊廓は敷地面積は二万坪余り、最盛期で「数千人の女郎(遊女)がいた」とされ、最大級の規模を誇った公娼街である。

芝居(しばい)の猿若町と日本橋、そして吉原が江戸市中の中でも「一日に千両落ちる場所」と言われて、吉原遊廓は最大級の繁華街と言う事ができた。

また、江戸・吉原のみならず大坂や京都、長崎などに於いても大規模な公娼遊廓が存在し、地方都市にも小さな公娼(公許)遊廓は数多く存在した。

遊郭(ゆうかく)は傾城(けいせい)とも言われ、傾城(けいせい)は囲われた一郭を意味し廓(くるわ)とも同じ意味である。

傾城屋(けいせいや)は女郎屋を意味し、傾城(けいせい)は公娼(公許)の遊女屋の集合設置場所を意味して、江戸及び関八州に限れば町奉行所や寺社奉行所ではなく、幕府公認の穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)が治安を受け持つ特殊例外な一郭の場所だった。


遊女(ゆうじょ)は、女衒(ぜげん)と言う職業の者が仲介し遊郭(ゆうかく)に集められた。

女衒(ぜげん)には仲介ルートがあり、地方(在方)の女衒(玉出し)が貧しい家の親や兄、叔父などから主として十代前半の若い女性を買い、それを都会の女衒に売り都会の女衒はその女性を遊郭などに売った。

多くの遊女は年季奉公という形で働かされて、現実にはそう多くは無かったが一定の年限を働くか遊女を購った金額を返却できれば解放された。

また、非人総取り締まり役の穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)は、死罪一等を減じられる「奴(しゃつ)刑」で穢多(えた)・非人の身分に身を落とされた女性の下げ渡しを受け、遊郭に売る権限を持っていた。

この「奴(しゃつ)刑」の場合は年季明けは無く、建前では穢多頭(えたかしら)配下の非人として一生遊女(ゆうじょ)で暮らす実質娼婦刑である。

遊女の元々の起源は、官人(高級貴族役人)の接待に神社が巫女を充てた事に拠るとされ、平安期の白拍子などもその巫女起源の遊女の分類に入る。

定説では、遊女の原型は飛鳥期頃から始まって「神社の巫女が官人を接待した事」に由来し、平安期の白拍子も「神社の巫女から発祥した」とされる。

古墳期から平安期にかけて中央政府の大和朝廷(ヤマト王権)から地方に派遣され赴任が解けた後も土着した氏姓(うじかばね)身分鎮守氏上(うじかみ=氏神)は、その地方の有姓(百姓)・有力者となり一定の勢力を持つ。

そこへ中央政府の大和朝廷(ヤマト王権)から新たな官人(役人)が地方に派遣され、赴任して来てその地方の有姓(百姓)・有力者と権力の二重構造が発生した時、対立するか懐柔策を採るかの地方有力者の選択肢の中で、鎮守氏神を祀る巫女に拠る官人接待は始まった。

その白拍子は源義経の愛妾・静御前が有名で、白拍子の為す遊芸も元は「神事音楽の巫術から」とされている。

その背景に在ったのは、正に巫女のシャーマニズムと性交呪詛が「誓約神話(うけいしんわ)」の古代信仰文化として深く関わっていた事に他ならない。

元々神道のお祀り(祭り)の意味の内には、異民族(異部族)和合と五穀豊穣の豊年祈願などの呪詛目的を含んでいる。

いずれにしても、巫女は神事としてお祀り(祭り/性交呪詛)に拠る神懸り(かみがかり/神霊降臨)の依り代(よりしろ/憑り代)を役目として負っていた。

そこから派生して、巫女が官人を接待する風習が出来上がって遊女の原型が生まれて行ったのではないだろうか?


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吉原遊廓(よしわらゆうかく)と廓内女郎折檻(くるわうちじょろうせっかん)

◇◆吉原遊廓(よしわらゆうかく)と廓内女郎折檻(くるわうちじょろうせっかん)◆◇

遊郭(ゆうかく)は傾城(けいせい)とも言われ、傾城(けいせい)は囲われた一郭を意味し廓(くるわ)とも同じ意味である。

元々遊郭(ゆうかく)の発生は、風紀の取り締まりなどを求め「他所での開業を認めない」と言う為政者側の管理思想が背景にある。

江戸幕府は、遊郭惣名主・甚右衛門と条件を交わして江戸市中の遊女街を一ヵ所に集めた公娼(公許)の地を吉原遊郭(よしわらゆうかく)と呼んだ。

また、江戸・吉原のみならず大坂や京都、長崎などに於いても大規模な公娼遊廓が存在し、地方都市にも小さな公娼(公許)遊廓は数多く存在した。


吉原遊廓は敷地面積は二万坪余り、最盛期で「数千人の女郎(遊女)がいた」とされ、最大級の規模を誇った公娼街である。

芝居(しばい)の猿若町と日本橋、そして吉原が江戸市中の中でも「一日に千両落ちる場所」と言われて、吉原遊廓は最大級の繁華街と言う事ができた。

そして誤解が多いのだが、吉原遊廓の女郎(遊女)は借金に縛られ女衒(ぜげん)に奉公期間を売られた年季奉公の女性とする解説には欠落がある。 実は吉原遊廓の女郎(遊女)には、重罪を犯して町奉行所で裁かれ、罪一等を減じられて現代で居言う終身刑にあたる奴刑(しゃっけい)に科された者がいた。

つまり吉原の女郎(遊女)には年季奉公の女性と、建前終身非人として遊廓で客を取る奴刑者(しゃっけいもの)の二通りが居たのだ。


女郎(遊女)の年季明けの者の平均年齢は二十七歳で、女郎(遊女)に病死が多く寿命が短いは俗説であり、当時の町人の罹病率と極端な差はなく、早期身請けを含む年季明け率は約八割で、実稼動期間は十年から十五年と言われている。

奴刑者(しゃっけいもの)が年齢を重ねて女郎(遊女)としての仕事が難しくなった場合は「やり手(女郎上がりの世話係り)」「飯炊き」「縫い子」等に再雇用された。

女郎(遊女)にはランクが在り、美貌と機知を兼ね備えて男性の人気を集める事が出来る女性であれば、女郎の中でも高いランクに登る事が出来た。

女郎の最高のランクは、宝暦年間まで「太夫(だゆう)」と呼ばれ、以下「局(つぼね)」、「端(はし)」とされていたが、湯屋を吉原に強制移転した際に花魁(おいらん)と呼ばれるようになる。

花魁は気位が高く、振袖新造と呼ばれる若い花魁候補や禿(かぶろ)と呼ばれる子供を従えており、気に入らない男性は「中々相手にして貰えなかった」と伝えられている。

まぁ、多分にスター娼婦を演出する商売上の付加価値創造と言う所だが、吉原遊廓は一歩中に踏み入れたら寺社奉行所は勿論、町奉行所も管轄外の別世界で、非ずの場であるから非人差配の穢多頭(えたかしら)が管轄していた。

つまり日常生活の場とは異なり、非ずの場であるから粋に振舞う事が男性のステータスと特殊な世界に考えられ、そうした夢想空間として演出され、男性の下心を上手く使ってお金を搾り取るのが遊廓全体の仕事である。


投げ込み寺(浄閑寺)の事を、女郎(遊女)の末路とする解説が多いが、実際には吉原の掟を破った者に限られている事が、最近の研究で明らかになっている。

浄閑寺に投げ込まれてのは、「心中」「枕荒らし」「起請文乱発(恋文乱発勧誘)」「足抜け(逃亡)」「廓内での密通」「阿片喫引(アヘンきついん)」など吉原の掟を破った者と奴刑者(しゃっけいもの)に限られている。

この吉原の掟を破って死に到った場合、人間として葬ると後に祟るので、「犬や猫なみに扱って畜生道に落とす」と言う迷信により亡くなった女郎(遊女)は素裸にされ、荒菰(あらごも)に包まれ、浄閑寺に投げ込まれた。

吉原遊廓内では町奉行所もその権限が及ばないから、「心中」「枕荒らし」「起請文乱発(恋文乱発勧誘)」「足抜け(逃亡)」「廓内での密通」「阿片喫引(アヘンきついん)」など吉原の掟を破った場合、これを裁くのは持ち主である遊廓主である。

また、「足抜け(逃亡)」などで遊廓外に抜けた場合は、その探索を穢多頭(えたかしら)とその配下の穢多役人(えたやくにん)が受け持った。

吉原の掟を破った場合、女郎(遊女)は折檻(せっかん)にかけられるが、その折檻にも誤解が在り、そのまま店に置くにしても他所に売るにしても肉体(からだ)は売り物だから痛め付けると言うよりも苦しめる事を主眼にした見せしめを施した。

例を挙げれば、寝させない、食事(水)を与えない、丸裸にして縄で縛り上げて吊るし、そのまま水に漬けて呼吸を苦しめるなどである。

先を考えない竹木での吊るし叩きなどは、遊廓主が痛め付けて死んでも構わないと判断した特殊な場合だけで、その場合は文字通り「打ち殺す」で在った。


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女衒(ぜげん)

◇◆◇◆女衒(ぜげん)◆◇◆◇◆

女衒(ぜげん)は「女衒(おんなう)り」の意味で、主に若い女性を買い付けて遊郭などで性風俗関係の仕事を強制的にさせる人身売買の仲介業者である。

歴史は古く古代からこのような職業が存在していたと考えられ、古くは「女見(じょけん)」と言い「七七四草(ななしぐさ)」には「女見の女を衒(う)る所より、女衒と書き、音読み転訛してゼゲンと呼ばれるに至れるならん」とある。

女見(じょけん)は文字通り遊女(娼婦)としての商品価値を見極める品定めの意で、その目利きの良い者をそう呼んだと言う。


江戸時代の女衒(ぜげん)は、身売りの仲介業として生計を立てていた。

女性を苦界(遊郭)に落とす職業など「酷い話だ」とするのは簡単だが、当時の身分事情には違う事情の側面も垣間見える。

江戸期当時の女性の刑罰には余り死罪などは為されず、穢多(えた)・非人に身分を落とす閏刑(じゅんけい)が一般的であり、女罪人を受領した非人総取り締まり役の穢多頭(えたがしら)は、それが衒(う)り者になる女性だったら女衒(ぜげん)に売る権利を認められていた。

基本的に女性に科される見せしめの為の「奴(しゃつ)刑」であり、受刑した非人は既に人ではないから女衒(ぜげん)に売られても文句は言えない。

最も、世間も裁きを言い渡す方も、穢多頭(えたがしら)が女衒(ぜげん)に売り渡すのは承知の上で、言わば苦界(遊郭)で身をひさぐ事が、実質的な刑罰の執行だった。

しかし女郎に成る事は、生まれ付いて先祖末代まで穢多(えた)・非人とされた女性や貧しい家の女性にとっては喰って行ける道だった。

そして、そうした境遇に生まれの女性や、この刑罰に拠って穢多(えた)・非人に落とされた女性にとって、女衒(ぜげん)の行いはその境遇から抜け出し、差別を抹消できる唯一の方法でもあった。

女衒(ぜげん)に売られて遊郭を回りに回ればいつしか出自が判らなくなり、年季明けや身請けなどで無事に遊郭を出て来る事が出来れば、町人になる事が出来た。

この女衒(ぜげん)にも仲介ルートがあり、地方の女衒(玉出し)が貧しい家の親や兄、叔父などから十代前半の若い女性を主として買い、それを都会の女衒に売り、都会の女衒はその女性を遊郭などに売った。


江戸期が終焉を迎えた明治維新、欧米列強の影響で人身売買禁止法が制定され女衒は消えたかと言うと、それは表向きの話で実際はそのような事はなかった。

明治期から大正・昭和期になっても貧しい家では女衒により女性の売買が続行され、当時日本は現在の台湾や南樺太を領有し、大韓帝国(朝鮮)を併合し傀儡国家・満州国を建国して、国の内外に娼婦として売り飛ばされて行った。

強制で在ったのか或いは高額の金を条件に本人や親の承諾が在ったのかは定かでは無いが、内地(本土)の女性以外にも日本領朝鮮や台湾から、現地女性が女衒の仲介を経て「からゆきさん」と呼ばれる娼館の女郎に売ったりしたとされている。

この事実に、朝鮮人が朝鮮人の女性を拉致し売り飛ばしたや日本人が強制的に連行して慰安婦にしたとの証言も存在し、従軍慰安婦問題として現在でも未解決となっている。


この女衒(ぜげん)に相当する職業は、現在でも国や地域によっては半ば公然と行われている所もある。


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閏刑(じゅんけい)としての奴刑(しゃつけい)

◇◆◇◆閏刑(じゅんけい)としての奴刑(しゃつけい)◆◇◆◇◆

江戸期の講談話しなどで、生き残った心中の片割れの女性が女郎に売られる話がある。

実は、江戸期に於ける穢多(えた)奴婢(ぬひ/奴隷)身分つまり非人の補充は、主として罪を減じた閏刑(じゅんけい)に拠るものである。

町人身分の男は人別改帳から除籍(本籍を除き)し、穢多頭(えたがしら)に下げ渡され非人手下(ひにんてか)としての人生が待っている。

町人身分の女性なら奴刑(しゃつけい)と呼ばれる身分刑で、人別帳から除籍され穢多頭(えたがしら)に下げ渡された後に女衒(ぜげん)に売り渡されて遊郭女郎に身を落として客を取る。

非人手下(ひにんてか)と奴刑(しゃつけい)は犯人の社会的身分に影響を与える身分刑で、言わば良民身分から奴婢(ぬひ/奴隷)身分に落とされる刑である。


江戸期の司法は身分によって犯罪の構成や刑の適用が違い、閏刑(じゅんけい)は身分者や弱者に関する刑罰で、身分の高い有位者或いは僧侶・婦女・老幼・廃疾の人に閏刑(じゅんけい/本刑に代えて科せられる寛大な刑罰)として行われる事が多い。

律令制の下では、官吏の免官、僧侶の還俗(げんぞく)などの寛大な刑罰を閏刑(じゅんけい)とし、江戸時代には、武士の閉門、婦女の剃髪刑(ていはつけい)などの寛大な刑罰を閏刑(じゅんけい)とした。

江戸期の刑罰にも身分刑は存在し、大名・大名・旗本の場合は死刑を免じてその領分・地行所の没収、役儀取上・御家断絶を意味する改易と言う武士に対する閏刑(じゅんけい)が在った。


江戸期当時の町家女性の刑罰には余り死罪などは為されず、大罪でも晒(さら)し刑である罪状書きの高札で罪を示しての市中引き回しの上、穢多(えた)・非人に身分を落とす奴刑(しゃつけい)と言う「身分刑」としての閏刑(じゅんけい)が一般的である。

穢多(えた)・奴婢(ぬひ/奴隷)などと言うと随分古い話しだと思うかも知れないが、江戸期にもまだこの身分制度は存在し、その身分に落とす身分刑も存在した。

つまり町奉行所では女性には刑一等を減ずる慣習があり、よほどの重罪でなければ女性に死刑判決が下る事がなく、見せしめの為に「奴刑(しゃつけい)」とする事が多かった。

奴刑(しゃつけい)とは庶民たる婦女にのみに適用される閏刑(じゅんけい)で、女性の罪囚に対し人別改帳から除籍(本籍を除き)し希望者に下付し奴婢(ぬひ/奴隷)として無償で下げ渡される刑罰で、早い話が女郎屋に下し置かれて建前では一生遊郭から出られない身分刑である。

人別改帳から除籍された女罪人を受領した非人総取り締まり役の穢多頭(えたがしら)は、それが衒(う)り物になる女性だったら女衒(ぜげん)に売る権利を暗黙の了解で認められていた。

理論的には、処罰として法も倫理観も適用されない卑しい家畜身分にされた訳で、女性は結果的に女郎にされても仕方が無い。

そして衒(う)り物にならない女性女性の場合は、そのまま非人手下(ひにんてか)の群れの中に留め置かれて慰め者の日々を過ごす事になる。

つまり「奴刑(しゃつけい)」は、事実上の娼婦刑だったのである。

苦界と言うからには接客態度で客から苦情を言われたり、客取りに励まなければお仕置きの私刑(リンチ)に遭うのが相場の業界で、勿論、過酷な肉体労働であり半端な気持ちでは女郎は勤まらない。

この遊郭女郎にして客を取らせる現代で在ったら人権問題に成りそうな奴刑(しゃつけい)の刑罰でも、当時のおおらかな性習俗の価値観では死刑よりは随分お情けのある裁きで在った点は、現代の感覚とは大分時代的な相違がある。

それにしても、現代では終身系に相当する非人手下(ひにんてか)や奴刑囚(しゃつけいしゅう)を早々に牢屋敷から穢多頭(えたかしら)に下げ渡して無駄飯を喰わせない辺り、経費の点では現代より遥かに経済的である。

確かに人道人権問題は残るが、犯罪を犯された上にその被害者まで税金で間接的に受刑者を喰わせるのは釈然としない話で、被害者側の人権はどうなっているのか?

被害者側からすれば、死刑に成らないなら「一生酷い目に合って貰いたい」と想うのが普通の感情かも知れない。


只し、こうした身分刑は日本だけの存在ではない。

例えば、隣の国・旧李氏朝鮮王国でも罪を犯した者の刑には、身分刑として良民(ヤンミン)から奴婢身分(ぬひみぶん)に落とす刑罰が存在した。

奴婢身分に落されると、国が所有する公奴婢(くぬひ)や個人が所有する私奴婢(しぬひ)となり、人格は認められない。

女性の場合は、公奴婢(くぬひ)の遊技・妓生(キーセン)や私奴婢(しぬひ)は抱え主の両班(ヤンバン)の愛玩、また宮廷の医女(イニョ)も身分は公奴婢(くぬひ)であり、王侯貴族のヘルス嬢的な慰め者だった。

朝鮮王朝(チョソンワンジョ)の身分制度は、上から王族、両班(ヤンバン・特権貴族階級身分)、中人(チュンイン・科挙に合格した役人身分)、良民(ヤンミン・常民と呼ぶ普通の身分)、最下級は奴婢(ヌヒ・奴隷身分)で、日本の制度と若干の共通性がある。

日本では、吉原以外の闇娼婦が摘発されれば、吉原へ三年間無償奉公させるのもこの奴刑(しゃつけい)の一種である。


穢多(えた)は読んで字のごとく「穢(けが)れ多き」と言う意味だが、仏教の教えに絡んで家畜の屠殺(とさつ)やその皮革の取り扱い、或いは死人の始末や磔獄門などの刑死の下働きを生業とした特殊な身分の者の事である。

非人手下(ひにんてか)とは庶民のみ適用される刑で、罪囚の庶民たる身分を剥奪し庶民の人別改帳より除籍した上で非人頭(えた頭)に交付され非人に身分を落とされ非人別改帳(ひにんべつあらためちょう)に登載し、病死した牛馬の処理や死刑執行の際の警護役などの使役をさせた。

なお、犯罪内容が凶悪な場合は遠国非人手下として遠方に送られる。


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江戸町方人別帳(えどまちかたにんべつちょう)

◇◆◇◆江戸町方人別帳(えどまちかたにんべつちょう)◆◇◆◇◆

将軍家のお膝元江戸の地は大発展を遂げ、当時でも人口が百万人を超える世界有数の都市と成って行く。

人口は絶えず拡大を続けて江戸を東日本に於ける大消費地とし、日本各地の農村と結ばれた大市場、経済的先進地方である上方(近畿地方)と関東地方を結ぶ中継市場として、経済的な重要性も増した。

人別帳の正式名称は人別改帳(にんべつあらためちょう)で、基本的に流動性のあるものだから常に変動実態の把握調査をしていた。

江戸の人口は、参勤交代に伴う地方からの単身赴任者や地方から流入する出稼ぎの者など流動的な部分が非常に多く、幕府もその人別(戸籍)管理には苦慮していた。

中でも町方の出居人・出稼人に関しては江戸に居付いて江戸の下層町人となる者が多く、さながら現代の米国に入国して下層階級を形成している移民や密入国者のような状態だった。

またその反面として現在の農業政策問題にも通じる所であるが、諸国人別(在方)が減少して村高と村の機能を維持する事が難しく成っていた。

つまり都市人口集中問題が、当時から政策課題になっていた。

その為に幕府は、千七百八十年(安永年間)頃に村役人へ村高と村の機能を維持するのに必要な人数を見積もり、余剰人員のみを出稼人として出すように命じている。

町方人別制度の改定が行われ、江戸に入り込んで妻子なく裏店を借り受けている者の内には、裏店を一期住まい(いちごすまい、終の棲家の意)とする者もあるが、これらの者は早々に帰国を命じるとし、ただし商売をして妻子のある者は、この改定の特例として格別の御仁恵をもって帰国を命じないものとする。

今後江戸に人別(戸籍)を持たない者が新たに在方から「江戸の人別に入る事」は禁止し、特に必要があって在方から江戸に入る場合は出稼ぎの期限を定め、支配の代官・領主地頭に願い出て、これら役人の印と村役人の連印の免許状を持参して出府(江戸へ出る)すると決められていた。

江戸に住居する者(人別を持つ者)は、この免許状によって同居させたり店(たな)を貸したり(借家人に)する場合は、免許状は家主が預かり、当人を人別帳に加えずに出稼ぎの者・仮人別帳に記入して置き、期限が来て帰国する際に免許状を返してやる。

また、武家方中間、町方下男、武家町方下女等奉公出稼人も同様に出稼ぎの期限を定め、支配の代官・領主地頭に願い出てこれら役人の印と村役人の連印の免許状を持って出府する。

江戸に住居する者(人別を持つ者)は、この連印免許状に拠って請人となり奉公をさせ、免許状は奉公先主人が預かり奉公人が暇を取る際に返すものとしていた。

また、江戸市中の内に於ける転居の場合は、出元支配の町名主から転出先支配の町名主へ転居通知を送達する「人別送りをする事」とした。

いずれにしても人別政策は厳重で、名主が保管していた人別帳は毎年四月に両町奉行所に人別帳を一通ずつ差し出し、町名主には控えを預けて置く。

人別改めは家主が、店子その家族、召仕、同居の者まで生国・菩提所・年齢など詳しく記して名主へ差し出し、名主は一人ずつ呼び出して判元を見届けて人別帳に調印させた上で、両町奉行所に差し出す分を町年寄へ提出する。

名主が保管する人別帳には改め後の存亡、結婚による増減はもちろん、同居人の出入まで委細に記入しておき、判形を改める者があればその旨断り書きをして調印させ、不時に奉行所から尋ねられた際に差し支えのないようにしていた。

四月に名主が奉行所へ人別帳を差し出す際には、奉行所で前年の人別帳と付き合わせて取り調べるものとし、毎年九月には四月に差し出した人別帳を名主に下げ渡すから、四月以降の増減を断り書きして書き出す事としている。


またこの町方人別帳(まちかたにんべつちょう)搭載者に於いて罪を犯した場合、その刑の裁きに罪囚の庶民たる身分を剥奪し庶民の人別改帳より除籍した上で非人頭(えた頭)に交付され非人に身分を落とされ非人別改帳(ひにんべつあらためちょう)に登載し、男性なら非人手下(ひにんてか)、女性には奴刑(しゃつけい)と言う事実上女郎身分に落とされる刑が存在した。

尚、町方の者が出家したり頭を剃って道心者や願人坊主になったり、吉田(神道)・白川(伯家神道/はっけしんとう)・陰陽師・神事舞太夫などの門下となるなど身分不相応の許状を得た際は、町役人(町年寄・名主・家守)から町奉行所へ申し出、奉行所は吟味した上で許可するものとする。

この内、吉田神道は亀ト占術(きぼくうらない)を司どるト部(うらべ)氏の後裔・吉田兼倶(よしだかねとも)が室町末期に唱えたもので、白川・伯家神道(はっけしんとう)は朝廷の祭式儀礼を継承してきた神祇伯白川家(じんぎはくしらかわけ)の事である。


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穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)

◇◆◇◆穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)◆◇◆◇◆

穢多頭(えたがしら)・矢野弾左衛門(やのだんざえもん)は、江戸時代の被差別民であった穢多・非人身分の代々世襲頭領で、江戸期を通じて十二代(十三代名があるが、初代と二代は重複)を数える。

戦国期、小田原近在の山王原の太郎左衛門が後北条氏が認めた関東の被差別民の最有力者で在ったが、徳川家康が関東支配を始めると、徳川家康は鎌倉近在の由比ヶ浜界隈の有力者・弾左衛門に被差別民支配権の証文を与えた。

山谷堀の今戸橋と三谷橋の間に弾左衛門屋敷はあり、屋敷一帯は浅草新町とも弾左衛門囲内とも呼ばれた広い区画であった。

弾左衛門囲内は、周囲を寺社や塀で囲われ内部が見通せない構造になっていて、屋敷内には弾左衛門の役宅や私宅のほか蔵や神社が建ち、穢多頭(えたがしら)差配の三〜四百名の穢多役人(えたやくにん)家族が暮らす住宅も在った。

弾左衛門は、支配地内の配下は勿論の事、関東近国の天領の被差別民についても裁判権を持っており、罪を犯したものは屋敷内の白州で裁きを受け、屋敷内に設けられた牢屋に入れられた。

弾左衛門(だんざえもん)・矢野家は、幕府から関八州(水戸藩、喜連川藩、日光神領等一部を除く)・伊豆全域、及び甲斐都留郡・駿河駿東郡・陸奥白川郡・三河設楽郡の一部の被差別民を統轄する権限を与えられ、触頭(ふれがしら)と称して全国の被差別民に号令を下す権限をも与えられた。

「穢多頭(えたかしら)」は幕府側の呼称で、自らは代々長吏頭(ちょうりがしら)・矢野弾左衛門を名乗り称した。

矢野家は浅草を本拠とした為に、通称として「浅草弾左衛門」とも呼ばれた。

大きな権力を世襲する弾左衛門(だんざえもん)家であるが、身分はあくまでも非人・穢多頭(えたかしら)であり、名字帯刀を許された訳では無いので矢野と言う名は私称で、公文書に矢野が使用される事はなかった。

弾左衛門(だんざえもん)は、非人・芸能民・一部の職人・傾城屋(けいせいや・遊廓/ゆうかく)などを支配するとされ、傾城(けいせい)は囲われた一郭を意味し廓(くるわ)と同じ意味である。

傾城(けいせい)は公許の遊女屋の集合設置場所を意味し、遊女の元々の起源は神社の巫女による官人の接待とされ、平安期の白拍子などもその遊女の分類に入る。

芸能民に関しては、猿飼(さるかい)・大道芸を生業とした乞胸(ごうむね)などが、非人同様に弾左衛門(だんざえもん)の差配下にあった。

また町方の庶民が罪を犯し、町奉行所の裁きで女性の罪人が非人穢多(えた)身分に落される「奴刑(しゃつけい)」や男の罪人が非人穢多(えた)身分に落とされる「非人手下(ひにんてか)」は、弾左衛門(だんざえもん)に下げ渡され、女性は廓(くるわ)に売られ、男性は市中引き回し刑や処刑場の手下(てか)となる。

弾左衛門(だんざえもん)は幕府から様々な特権を与えられ、皮革加工や燈芯(行灯などの火を点す芯)・竹細工等の製造販売に対して独占的な支配を許され、多大な資金を擁して権勢を誇り、格式一万石、財力五万石などと伝えられた。


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八百屋お七と天和の大火(てんなのたいか)

◇◆◇◆八百屋お七と天和の大火(てんなのたいか)◆◇◆◇◆

天和の大火(てんなのたいか)とは、「八百屋お七の火事」とも呼ばれた江戸の大火である。

千六百八十三年一月二十五日(旧暦天和二年十二月二十八日)に駒込大円寺から出火したとされ、正午ごろから翌朝五時頃まで延焼し続け、死者は三千から三千五百名余と推定される。

この天和の大火により焼き出された加賀藩御用達の大商人(おおあきんど)・八百屋・八兵衛(太郎兵衛説あり)の一家が吉祥寺(本郷の円乗寺とも言う)に避難して八兵衛の十六歳に成る娘のお七が、寺小姓・生田庄之助(山田左兵衛説あり)と知り合い恋仲になった。

所が、やがて八兵衛の八百屋が再建され、お七は寺の小姓と離れて暮らさねば成らなくなり、寺小姓・生田庄之助へ恋しさが募ったお七は、また家が焼ければ会えると想った。

為にそのお七はまた会いたい想いばかりで、幸い大きな火事にはならなかったが、あちこちに放火してみつかり捕縛されてしまった。

放火は大罪で死罪(火刑)が相当だったが、捉えた奉行所ではお七を哀れに想いなんとか助けようとして、当時の十五歳以下の罪が減一等規定を適用しようと何度も「十五歳であろう」と年齢を尋ねたが、お七は頑として十六歳と正直に申告した。

現代のような戸籍制度がない時代の事で、年齢の確認は本人の申告次第で在った為にそこで奉行所の意図を汲み「十五歳」と応えればお七の命は助かったのだが、お宮参りの記録まで提出して十六歳で在る事を証明した。

実はこれには訳が在り、当時の死罪相当刑の女性の罪一等を減じれば奴刑(しゃつけい)となり、人別改帳から除籍(本籍を除き)され、非人・穢多(えた)として穢多頭(えたがしら)に下げ渡される。

奴刑(しゃつけい)を科せられた女の非人・穢多(えた)は、下げ渡された後に女衒(ぜげん)に売り渡されて遊郭女郎に身を落として客を取らされるのが相場だった。

判り易く言えば、十六歳の八百屋お七は命が助かっても下げ渡された穢多頭(えたがしら)に陵辱された後、一生遊郭女郎として客を取らされる運命が待っていたのだ。

苦界と言うからには接客態度で客から苦情を言われたり、客取りに励まなければお仕置きの私刑(リンチ)に遭うのが相場の業界で、勿論、過酷な肉体労働であり半端な気持ちでは女郎は勤まらない。

こうした奴刑(しゃつけい)が存在した事実を過去の汚点として、体裁の為に触れずに「お七が素直過ぎて嘘が付けなかった」とする解説が目立っている。

まぁ、人情話しの越前守・大岡忠相や遠山金四郎景元が、映画やテレビドラマのお情けの裁きで、死罪を減じて「奴刑(しゃつけい)」と言う訳には行かないので「遠島刑」で誤魔化す事になり、通念として事実が歪められたのかも知れない。

時代ごとの民衆意識と定め(司法)には、時と伴に「ずれ」が生じる事は多い。

元々「奴刑(しゃつけい)」に裁かれるような大罪を犯す女性は、相当の「阿婆擦(あばず)れ」か群れ婚状態の共生村社会の在方から出稼ぎで流れて来たものだから、そう女郎家業には抵抗がない。

死罪を免じるのだからお情けの裁きで在ったが、それが氏族である百姓文化側に育ったお七は大店の娘で、受け取り方が違った。

この奉行所の慈悲とお七との量刑上の価値観に対する認識の違いは、お七が町場ではなく村落部の人間であれば夜這い文化の共生村社会でさほど苦にならない女郎の生業(なりわい)が、既に性の習俗に変化が起こりつつ在った町娘には大きな抵抗に成った為である。

放火の大罪を犯せば火刑か、命が助かっても女郎屋に売り飛ばされて客を取らされる事は当時は周知の事実で、まぁ本人が「死んでも女郎は嫌」と言う事なら火刑も仕方がない。

死を選んだお七は、ご定法通り八百八町を引き廻しの上、鈴ヶ森刑場で火炙りの刑(火刑)に処せられ、浄瑠璃や歌舞伎芝居などの題材と成って今に伝えられている。

お七がこの連続放火事件を起こすきっかけになった火災が天和の大火(てんなのたいか)だった事から、天和の大火(てんなのたいか)を人々が「八百屋お七の火事」と呼んだ。


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市中引き廻し(しちゅうひきまわし)

◇◆◇◆市中引き廻し(しちゅうひきまわし)◆◇◆◇◆

市中引き廻し(しちゅうひきまわし)は、江戸時代の日本で行われた死刑で、死刑囚を馬に乗せ、罪状を書いた捨札等と共に刑場まで公開で連行して行く制度である。

市中引き回しは死罪相当の重罪に対する見せしめの付加刑で、本刑は打首獄門や極刑である火刑や磔(はりつけ)が該当し、知名度の高い罪人が引き回しに処される時にはさながら物見イベントと化した。

罪人が貧相な風体をしていると江戸市民の反感を買いかねない為、それを嫌った幕府は引き廻しの時に調度を整えさせ、死出の旅と言う事で、罪人には金子(きんす/お金)が渡され、求めに応じて道中酒を買わせたり煙草を買わせたりした。

伝馬町牢屋敷から江戸城の外郭にある日本橋、赤坂御門、四谷御門、筋違橋、両国橋を巡り、当時の刑場である小塚原や鈴ヶ森に至る「五ヶ所引廻」の後打首獄門なら牢屋敷、火刑は鈴ヶ森の刑場、磔(はりつけ・磔刑/たっけい)は小塚原の刑場で執行された。

この市中引き廻し(しちゅうひきまわし)とその後の処刑・火刑や磔(はりつけ)の一切の雑用をするのが同じ穢多(えた)・奴婢(ぬひ/奴隷)身分の男性・非人手下(ひにんてか)の役目だった。

八百屋お七の火刑場について一部の解説に小塚原刑場説があるが、火刑は鈴ヶ森の刑場と決められていた。

断って置くが、今でこそ死刑を「残酷だ」などと言っている西洋文化では近代化以前の処刑はもっと残酷で、日本の処刑のように罪人を着飾ったり求めに応じて酒食を与えたりせず、男女構わず素裸体で市中引き廻す見せしめをした。

その上、鋸挽き刑(のこぎりびきけい)、十字架刑(じゅじかけい)、杭打ち刑(くいうちけい)、串刺し刑(くしざしけい)、石打ち刑(いしうちけい)などの絶命までに時間を要する処刑を公開でしている。

正直共産政府の一部では現在でもみせしめの市中引き廻し(しちゅうひきまわし)は存在し、回教徒の国では宗教上の理由から今でも杭打ち刑(くいうちけい)や石打ち刑(いしうちけい)が残っている。

つまり近代化が図られる前の江戸期の刑罰は、若干「目糞鼻糞を笑う」の感はあるものの、当時の処刑水準としては飛び抜けて残酷とは言い難いものだったのである。


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湯女(ゆな)

◇◆◇◆湯女(ゆな)◆◇◆◇◆

湯女(ゆな)の起源については、中世に於いて有馬温泉など温泉宿にその原型が見られ、次第に「諸国の都市部に移入された」とされている。

また文献を紐解くと、江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗の生母・於由利の方は紀州藩第二代藩主・徳川光貞を湯殿で世話をしてお手が付き、源六(吉宗幼名)を懐妊したとされる。

大名家や大身旗本などでは奥女中が湯殿で世話をするのは一般的だったから、そうした情報も庶民に伝わって湯女(ゆな)誕生に影響したのかも知れない。

湯女(ゆな)と言う名称が一般化したのは、江戸時代初期の都市部に於いてであり、当初は銭湯で垢すりや髪すきのサービスを提供した女性とされ、垢すりや髪すきだけだったが、次第に飲食や音曲に加え性的なサービスを提供するようになって諸国で湯女が流行(はや)った。

つまり現代のソープラントに於けるソープ嬢の走りが、江戸前期の「湯女(ゆな)」と言う事になる。

性的なサービスを提供するようになった為に幕府はしばしば湯女禁止令を発令し、江戸では千六百五十七年(明暦三年)以降は吉原遊郭のみに限定された。

禁止後は、三助と呼ばれる男性が垢すりや髪すきのサービスを行うようになり、湯女(ゆな)は「あかかき女」、「風呂屋者(ふろやもの)」などの別称で幕府の禁止令を逃れようとした歴史が在って現代に至る。


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従軍慰安婦問題(じゅうぐんいあんふもんだい)

◇◆◇◆従軍慰安婦問題(じゅうぐんいあんふもんだい)◆◇◆◇◆

戦前戦中の負の遺産に「従軍慰安婦問題」が在る。

従軍慰安婦?

この名称「従軍慰安婦」は、戦時中に娼婦として軍に同行していた女性が補償を求めて訴えを起こした事から、戦後に後追いで名付けられたものである。

歴史的背景を考えない歴史認識とは何だろうか?

戦前から太平洋戦争当時まで、【娼婦(館)・女郎(屋)】と言う物が存在した。

少なくとも当時は「公娼制度が社会合意されていた」と言うその肝心な歴史的視点を忘れ、インテリジェンスに欠ける感情論だけでこの問題を論じて良いものだろうか?

古来多神教自然主義の日本列島の民(大和族)は性におおらかで、性行為は神との共同作業であり新しい命の恵みを授かる「お祭り」と言う神事の文化を持つ国だった。

そうした庶民性文化の歴史的流れがあり、この頃の日本では「公娼」が認められていて、事の善悪は別にして「合法の存在」だった。

所謂、公に許可された売春宿である。

戦前の「公娼制度」は、良くも悪くも社会的安全弁に成って居て、性犯罪の防止効果は勿論、経済困窮に対する一つの救済制度の側面も持っていた。

日本政府は、建前とは別に本音の「必要悪」と考えて「公娼制度」を温存する現実的な方策を採っていた。

当時の「日本の現状は」と言えば、予算の多くが軍事費に回される軍事大国を標榜し、為に【軍部と結託した財閥】に富が集中して地方経済は貧困にあえいでいた。

蛇足ながら、これは最近の国際競争力のお題目に拠り【政府・官僚と結託した大企業】の富の集中化に酷似していて将来的に恐い話しで有る。

いずれにしても当時の庶民は貧しく、特に農家に現金収入を得る道が無かった。

それで当座の金に困ると「生きる為に、身内を喰わす為に、」田畑を質(しち)に借金をしたり、娘の身を売らざるを得ない境遇の農家が数多く居た。

今でこそ「公娼」と言うと単純に「下劣な職業」と思われ勝だが、果たしてそんなに単純な受け取り方で良いのだろうか?

当時の社会情勢で、米作以外に収入が無かった地方の農村にとって、不作や米価下落に見舞われれば生きては行けない。

そこで娘が「公娼」に身を落として親兄弟の窮状を救った。

これは受け取り様の問題だが、「公娼に身を落として親兄弟を救う」と言う行為は「下劣」ではなく「高尚(こうしょう)」である。

つまり業として行う娼婦行為と「親族を救おう」と言う心情精神とでは、心情精神の方が遥かに重いのである。

それを、「下劣な職業」と見下してかたずけてしまう所に、現在の極端な個人主義社会の病根を見る思いがする。

「時代が違う」と言われる事を承知で言うが、現在の私権主義に害され「自分が大事で親兄弟は二の次」と言う精神よりも、例え身を汚す職業でも親兄弟の為に「公娼」に身を落とす娘の方が「心が高尚(こうしょう)だ」と思うが如何か?

この身を落とす娘の受け入れ先が、【娼婦(館)・女郎(屋)】だったのである。


列強国と言われた日本の内地でも当時の社会環境がその状態だったから、半島や大陸の人々の現実はモット経済的に困窮して居た筈である。

それで仕方なくとは言え、娼婦や女郎の成り手は多かった。

つまり、半島の女性は【応募した】と言う説がまともであるが、「親に売られた」と言う現実を認めたくない心情は理解できる。

また、帰国後に取り巻く社会環境においても、「強制された犠牲者」で居続けなければ身の置き場が無いのも理解できる。

これらの娼婦館・女郎屋の類は「民営」で有って公営ではない。

その業者が、戦線の拡大と伴に商売として外地へ進出して行った。

勿論【従軍慰安婦】なる言葉は無かったし、軍が直接管理運営していた訳ではない。

しかしながら、軍が業者に要請していたのは事実で有る。

そう言う意味で、【実質従軍】と取られても仕方が無いが、これが【強制連行による】とされるのは少々疑問で有る。


実際には【日本人娼婦が大半】で有り、将兵の好みから軍の要請も出来るだけ日本女性を同行するように慰安婦業者に要請していた現実がある。

軍が要請していた事は、大きく分けて二つの意味(見方)を持つ。

ひとつは【国家絡み】と言う事で、国がその全ての責任を負うべき事である。

その対極にある見方が、いまひとつの、【戦地と言う特殊環境の中で】、見落とされ勝ちだがこの娼館・女郎屋を占領地に帯同したのは、「日本軍の良心」とも取れるべき事である。

世界で唯一本音の性に関する治安対策を考えたのが日本軍であり、他国軍は性に関する治安対策をしていなかっのだ。

残念ながら、人間の性は一筋縄ではいかない。

何しろ武器を持った若い野獣が、うろつくのが戦争である。

建前では無い現実としても、明日をも知れぬ命の前線の軍人が性的行動を戦地で起こさない方が不思議で、表面化しないが兵による個人の性犯罪は何処の軍隊にも存在する。

そうした意味では、占領現地の女性を守る為に軍が要請した【娼婦(館)・女郎(屋)の画期的制度】の事が問題で、野放しの【他国軍の個人の犯罪】は問題視されないとしたら大いに矛盾ではないだろうか?

この問題、【性の問題】だけに綺麗ごとの建前でものを考え易い。

建前だけで言うと「そんな悪い兵隊(人間)は世界中に居ない事」になり、軍の慰安婦業者同行要請は【そのものが不埒】と判断され易い。

だが、現地での日本軍の不幸な出来事は、慰安婦業者同行で相当に抑止された。

つまり、【日本軍は基本的に紳士だった】ので有るが、この事実も、娼婦・女郎の【犠牲】の下に成立っているのでおおっぴらには威張れず、現に、戦後の日本復興と伴に【娼婦館・女郎屋】はその存在を問われ始めるのだ。

後の昭和33年4月・赤線廃止令は執行される。


戦後の社会情勢の中で売春防止法(昭和三十三年施行)が成立し、確かに表向き「公娼と言う下劣とされる職業」は無くなった。

結果、その後の日本社会は本能の逃し所を失って売春組織は非合法化して闇に潜り、その手の女性は存在しているに関わらず非合法化で蓋をされた為に保護が得られず、返って危険な状態に身を置く結果に成った。

表向き安全な性的捌(はけ)け口が無くなって本能の行き場を失った為に性に関する治安が悪化し、折からの携帯電話やインターネットに拠る性犯罪が急増し殺人事件に至るケースさえ有る。

戦後は占領政策で欧米化教育が成されて個人の私権が強くなると同時に、環境的にも【農地開放政策】で農家が【土地持ちの資産家】に変身し、【身売り】の最大の供給源は無くなった。

欧米化教育が成されて私権が強くなると、世間の様変わりで女性にそう言う犠牲を強いる事は【社会合意】から外れ、現在では過去のその「公娼制度」が存在した事実だけでも相当に後ろめたい。

軍の要請で、占領地に進出した【娼婦館・女郎屋】であるが、基本的に戦争と言う【異常心理の中での可能性】と言う前提があっての性的治安対策である。

建前だけ「レイプはするな」と命令した他国の軍隊より、日本の占領政策の方が余程現実的で実効が在ったのだが、この行為は相手国には評価されない。

つまり、【戦争そのものが犯罪】で有り、他国への【軍の進攻そのものがレイプ】なのである。
そう言う意味では、何を言われても仕方が無い。

だが、【世界でも稀な良心的軍隊】の一面が在った事を証明できるのが、【従軍慰安婦問題】の側面でも有る。

この性に関する対策問題、【忘れ勝ち】だが、実は戦後の早い時期にも政府の対策として施行した実績がある。

敗戦後の米進駐軍占領時代に、臨時日本政府は性的治安に危惧を抱き【性の防波堤】として、「やまとなでしこ」を募集した。

どちらにしても、こうした起こり得る「性の本音」に、現実的な政府が対処をしている所を見ると、建前は民衆に押し付けていても本音が別にある事は充分に承知していて、それを使い分けるのが「二枚舌の国家権力」と言う事に成る。

募集され女性たちが、無理解な一般の人たちから【パンパン、オンリー】等と卑下されながらも、【尊い犠牲】の上での占領米軍人の暴走対策とした生々しい事実は、遠い記憶になりつつある。

戦中の【軍の慰安婦業者同行】や戦後すぐの【性の防波堤「やまとなでしこ」】を募集した背景に、当時の政府がまだ日本国家が成立した頃からの「誓約(うけい)の概念」や「夜這(よば)いの文化」と言った我が国独自の性におおらかな文化が在ったからである。

つまり在って当然の現実に、建前の綺麗事を採らず具体的かつ現実的な有効手段を講じたのである。

【強制連行】と【従軍慰安婦】は、事実関係が限りなく怪しい。

あえて「強制的だった」としたら、これは国内の日本女性の身にも有った事だが、考えられる事は「借金の肩に」と言う当時の日本の清算習慣に拠る貸し金業者や公娼業者の強引さだったかも知れない。

しかしそれは、良くも悪くも当時の日本の社会慣習であり、米国議会がこの当時の日本国の社会慣習を考慮に入れないで現在の物差しで安易に非難するのであれば、米国における先住民(ネイティブアメリカン/アメリカンインデアン)の処遇や奴隷貿易に拠る黒人奴隷の歴史を今更蒸し返されても仕方がない。


でもね、これは時代の置き土産だから強制連行だったかどうかは別にして彼女達に「国家賠償はするべきだ」と考えている。

結果的に軍票や戦前の紙幣は敗戦で屑同然になって、彼女達にまともな金を払ってはいないからである。

従軍慰安が例え合意の上で在っても労働対価は払うべきで、敗戦は国家責任で「雇い主の責に負わすべきでは無い」と考えれば、当時日本の法律では売春が合法だったのだから彼女達にまともな労働対価を「国家が賠償するべきである」と考えても良いのではないだろうか?

これは、戦争の【負の遺産】であるから、どちらかと言うと問題を先送りにして来た過去の官僚、政治家に責任がある。

本来、その【リアルタイムに至近で有るほど】実際に近い検証ができ、【世間の物差しのメモリ】も互いに近いと言える。

六十年も経つと、「身売り」等と言う当時の感覚はなくなり、先方の言い分も「現在の物差し」が基準になる。

これは、【歴史認識問題】も同じで有る。

日本の政治家、官僚は、【日本式に蓋をし続けて】こじらせてしまった。

他国政府から言われ続けている原因が、自分達の先送りにある事に、日本政府は気が付いていない。


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両班(ヤンバン・特権貴族階級)

◇◆◇◆両班(ヤンバン・特権貴族階級)◆◇◆◇◆

清廉を謳い文句に「儒教の国」と誇り高き朝鮮半島においても、性的愛玩を含む身分階級制度は、間違い無く存在していた。

朝鮮王朝(チョソンワンジョ)の身分制度は、上から王族、両班(ヤンバン・特権貴族階級)、中人(チュンイン・科挙に合格した役人)、良民(ヤンミン・常民と呼ぶ普通の身分)で、最下級は奴婢(ヌヒ・奴隷)である。

最下級は奴婢(ヌヒ・奴隷)は、公に王朝政府が抱える賤民(せんみん)を公奴婢(くぬひ)、地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢(しぬひ)と呼ばれる身分の者が定められ、被差別階級に組み入れて隷属的に支配されていた。

つまり、公奴婢(くぬひ)と私奴婢(しぬひ)は非人(奴隷)であり、家畜同然だったから儒教の精神は都合良く及ばない理屈で、公奴婢(くぬひ)の遊技の妓生(キーセン)制度は公に存在し、私奴婢(しぬひ)は抱え主の両班(ヤンバン)の愛玩要素を含む慰め者だった。

処罰として法も倫理観も適用されない卑しい家畜身分にされた訳で、女性は結果的に性の愛玩物にされても仕方が無い。

この辺りの考え方は、ご多分に漏れず国家体制を維持する為に特権階級を設けて実力者を取り込み、王朝に忠誠心を持たせる狙いである。

貴族特権とは王権に対抗し得る有力者の懐柔目的も在るから、如何に儒教の国とは言え王権維持の為の実利的例外に性奴隷としての奴婢身分は、法の抜け道として必要だったのだろう。

都合が良い事に、人に非(あら)ずの家畜である「奴婢(ヌヒ)身分」には儒教の精神思想は除外で、奇麗事の「儒教の精神」に組しない例外の扱いだったのである。

また宮廷の医女(イニョ)も身分は家畜扱いの公奴婢(くぬひ)であり、遊技の妓生(キーセン)同様に女医と言うよりも両班(ヤンバン)のストレス解消の為の慰め者だったのが実情で、現代で言うヘルス嬢的な愛玩要素を含んでいた。

身分を示す帽子状の被り物の形状が、医女(イニョ)と妓生(キーセン)はまったく同じで、医女の身分は「奴婢(ヌヒ)」であった。

だから、両班(ヤンバン)に取っては逆らえない性奴隷同然の存在で、医女を妓生(キーセン・日本で言う芸者)扱いする悪弊は、李氏朝鮮の燕山君の時代に生まれ、内医院(ネイオン・宮中の医局)の風紀が乱れ、「儒教の国」の精神も多分に統治上の権力的例外が存在したのである。


旧李氏朝鮮王国でも罪を犯した者の刑には、身分刑として良民(ヤンミン)から奴婢身分(ぬひみぶん)に落とす刑罰が存在した。

奴婢身分に落されると、国が所有する公奴婢(くぬひ)や個人が所有する私奴婢(しぬひ)となり、人格は認められない。

女性の場合は、公奴婢(くぬひ)の遊技・妓生(キーセン)や私奴婢(しぬひ)は抱え主の両班(ヤンバン)の愛玩、また宮廷の医女(イニョ)も身分は公奴婢(くぬひ)であり、王侯貴族のヘルス嬢的な慰め者だった。

その点では日本の江戸期までの女性に対する奴刑(しゃつけい)と扱いが共通する。




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この【遊女(女郎)の歴史】は【皇統と鵺の影人検索キーワード・ダイジェスト集】の抜粋です。
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【*】短編人生小説 (4)

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裁判員制度シュミレーション

凌 虐 の 裁 き

(りょうぎゃくのさばき)


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。


【*】短編人生小説 (3)

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短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】女性向短編小説 (1)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

短編小説(1)

「アイドルを探せ」

青い頃…秋から冬へ


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】社会派短編小説(2)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

社会派短編小説(2)

「生き様の詩(うた)」

楢山が見える


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


未来狂 冗談 作

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「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

未来狂 冗談 作

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冗談 日本に提言する・・・(来るべき未来に)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 冗談の発想が詰まった内容です!
ぜひぜひ読んで、感想をお聞かせ下さい。
異論・反論も大歓迎!!

====(日本史異聞シリーズ)第六作====
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「小説・怒りの空想平成維新」

◆たったひとりのクーデター◆

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{「たったひとりのクーデター}・・・・・・・・(現代)

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小説としてもおもしろく、実現できれば
不況は本当に終わります。

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非日常は刺激的

 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

◆仮面の裏側◆

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とくに男女の恋愛に関しては・・・
ちょっとHでせつない、現代のプラトニックラブストーリー。

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非日常は刺激的

 

◆仮面の裏側外伝◆

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◆{短編集 仮面の裏側・外伝}・・・・・・・・(現代)

◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
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東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

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八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

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そして現代に甦るスサノウの命、
時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
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「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

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侮り(あなどり)・・・・・・・(戦国〜江戸時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 天才信長とその最高の理解者、明智光秀。
だが自らを神と言い放つ信長は
「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
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南北朝秘話・切なからず、や、思春期

◆茂夫の神隠し物語◆

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茂夫の神隠し・・・・・・・・・(室町南北朝時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 誰もが通り過ぎる思春期、
茂夫の頭の中はHなことでいっぱい。
そんな茂夫が迷宮へ迷い込んでく・・・

====(日本史異聞シリーズ)第三作====
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鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

◆鬼嫁・尼将軍◆

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鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 今は昔の鎌倉時代、
歴史上他に類を見ない「鬼嫁」が存在した。
その目的は、権力奪取である。

====(日本史異聞シリーズ)第二作====
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うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

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倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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◆作者 【未来狂冗談(ミラクル ジョウダン)ホームページ紹介 】

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実在の人物を描いた物では無い事をお断り申し上げます。

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作者本名鈴木峰晴