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samurai 【真言密教立川流】作者本名鈴木峰晴表紙ページ【サイトナビ】に戻る。

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この小論は、【日本史・歴史のミステリーのシリーズリスト】の一つです。】

***【歴史のミステリー】**********

真言密教立川流の解説】

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真言密教立川流は淫邪教か?


思考としての信仰の位置づけ
真言密教立川流の教義
立川流の成り立ちと経緯
伝えられる立川流の呪詛様式
真言密教立川流・南北朝との関わり

無謀にも我輩は、この物語・皇統と鵺の影人で「日本人の大河ドラマ」を書き始めてしまった。

すると色んなものが見えて考察が面白く成っては来たが、気に成る事を見逃しては歴史の探求者とは言えない。


普通の人間が思考すると、頭を使う事を面倒くさがって単純な白黒の答えで決着を着けたがる。

また、時の政権が統治の為に報じた定説を鵜呑みにして、思考を停止してしまう事も多々在る。

しかし物事の本質はそんな簡単なものでは無く、裏の裏にまで想いを馳せないと本当の真実には辿り着かない。

まぁ物事を深く考えず、不確かな伝承で満足している人間は余り知的とは言えないかも知れない。

また、明確な史実が在るにも関わらず、「嘘でも見栄えする日本史が良い」と言う建前主義者が沢山居るが、そう言う連中は政治信条でも生活信条に於いても平気で嘘を言う連中である。

それは国民も聞き耳が良い方に寄るから、つまり連中は嘘の史実で国民をコントロールしようと言う下心が「見え見えの連中」と言っても過言ではない。

それもその手法が、国民をコントロールする最善策の「正義だ」と、頑なに考える「狂信的確信犯」である。

そして手法に乗せられて、「やらせ疑惑」とでも言うべき事さえ判らない「歴史音痴」に陥(おちい)っている現実に、気が付かない困った者も多い。

その狂信的確信犯の頑なな根拠が史実では無く「俺はこう思う」で、全く根拠に成らない「個人の希望的主張」なのだから話には成らないのだ。


記載項目次ジャンプクリック

思考としての信仰の位置づけ
真言密教立川流の教義
立川流の成り立ちと経緯
伝えられる立川流の呪詛様式
真言密教立川流・南北朝との関わり

このまま下にも読み進めます。

思考としての信仰の位置づけ

思考としての信仰の位置づけ

真言密教立川流は「異常(いじょう)で淫邪な教義である。」とされ、これを解説するには、そのまま現代の思想信条や社会合意では理解が難しいので、今一度歴史を語る上で「異常(いじょう)」の定義について考えて置きたい。

この「異常(いじょう)」と言う判定は、語彙(ごい)から言えば「常なら無い」と言う事であるが、その基準そのものが問題で、基準は歴史と伴に変遷するものである。

「常」の判断は個人の思想信条からその時代の社会合意に到るまでの条件を勘案して下す判定であるから、今貴方が現代に於いて「異常(いじょう)」と下す判定が、過去の歴史シーンでは必ずしも「異常」ではなかった事を留意しなければならない。

つまり「常」と「異常(いじょう)」の判断は、その時代に起こった事象が当時に於いて常態化してしまえば「異常」と言う判定は存在しなくなる。

そう言う訳で、現在の個人の思想信条や社会合意を基準に過去の歴史的な事象を「信じられない」と否定して葬り去ってはならない。


人類は、文明の発達と共に生きる上で大事な事を忘れて来た。

忘れて来た大事な事とは、自然体(ナチュラル)の群れとして生きる近隣愛の共生であり自然種の動植物や環境との共生である。

人間には誰にでも自然体(ナチュラル)の性欲があり、性交の快感は極自然な「神の恵み」である。


国王だろうが奴隷だろうが、性行為はする。

そして最も重要な事だが、性欲を無くせば人類は滅びてしまう。

こんな簡単な事に気が付かずに「禁欲が尊い」とする歪(ゆが)んだ綺麗事だけの宗教は、それだけでもう胡散臭い。

およそ男女の間具合(まぐあい/性行為)に貴賎の別がなければ、「生命の営み」と言う重要な筈の性交を、何を持って「低俗なもの」と言わしめるのだろうか?

信じたく無いかも知れないが、皆んな総論では建前の綺麗事を言い各論では自分だけは「コッソリ性交を犯って居る」と言うのが人間なのである。

それでも性欲を「罪だ」と言う歪(ゆが)んだ綺麗事の矛盾は、この世の中最大の理解に苦しむ謎である。


「姦淫は即ち悪である」と言う先入観は、発想の落とし穴に成る。

この先入観から【真言密教立川流】の評価に入り「淫邪教」と切って捨てる安易な建前主義者が居るから、【左脳域】に偏重した人間ばかりのストレス社会が如何(いか)にもまともな事のように成ってしまった。

元々日本人には、世界に冠たる共生イデオロギーに溢れた宗教観と性に対する考え方が在ったのだが、初代の米国総領事・タウンゼント・ハリスが偏執的なキリスト教信者で、民衆の生活を見聞し、 日本の性規範の大らかさに驚き「軽蔑した」と言う。

これを持って明治維新政府は、「野蛮批判」を恐れて自国の性規範の欧米化に躍起になり、日本人の素晴らしき考え方を、欧米文化の「罪の意識」に変えた事が、日本と言う国の村落社会から「共生社会」を取り上げ、群れ社会を消滅させて極端な私権社会に走り、「親子兄弟でさえも殺す」と言う殺伐とした社会を創造してしまった。


最近世間を騒がせている各種の「偽装問題」は、【左脳域(理屈と計算)】ばかりに視点が行って、【右脳域(感情)】の感性を無視したバランスの悪さが引き起こしたもので、民間・官庁を問わずに【左脳域(理屈と計算)】ばかりの人間が「何と多い事」と呆れるばかりである。

右脳・左脳とベータ・エンドロフィン美しくなれる興奮の解説】飛ぶ。

ペンネームの未来狂冗談(ミラクルジョウダン)は「未来が狂うのは冗談ではない。」と言う気持ちからであるが、実は人類がドンドン【左脳域】ばかりに価値判断を偏らせて行く心配からである。

例を挙げると、現在の教育は【左脳域】ばかりに偏重して、成績が良ければ高資格を得て「将来高い地位に就いて幸せに成れる。」と、そこから落ちこぼれた人間が心の行き所を失うのも構わず、知識の詰め込みを強要する教育体制に親も国家も血眼に成っている。

つまり教育に於いて【右脳域】の無意識の感性を育てる必要性を切り捨て、私権ばかりを追いかける人間を育て、仕舞いには親子兄弟の命の遣り取りにまで発展させている。

右脳域】の無意識の感性が働かない事は「情が無い」と言う事で、厚生労働省の薬害や年金の処理が、【左脳域】の論理や計算に発想が偏っているから被害に遭う国民の救済など眼中に無く、被害に遭われた方々の【右脳域】の被害感情を汲み上げる態度も無く全く噛み合わない状態を長々と続けている。

「成績優秀な官僚」と言っても優秀なのは【左脳域】の論理や計算だけで、人間性のバランス【右脳域】の「無意識感性に欠ける人間に育っている」と言う事である。


政治に【右脳域】の感性を持ち込まない悪政をするから、弱者は【左脳域】の論理や計算の中で切り捨てられ、「障害者支援法」と言う名の聞き触りだけ良い「改悪法」がまかり通る。

政治家は「国益の為」を連発して国民に犠牲を強(し)いるが本末転倒で、国民有っての国家ではないのか?

米国かぶれした小泉氏と竹中氏の五年間は、正にこの【左脳域】の論理や計算だけの政治で、彼らが行なった「規制緩和」と言う箍(たが)を緩めた結果が、ライブドア、構造設計偽装、違法ホテルチエーン、コムスン、駅前留学のノバ、などなどの【左脳域】論理で「儲ける為には手段を選ばず。」の急成長企業を生み、順法に徹した中小企業は彼らに駆逐された。

それのみならず、「規制緩和」はタクシーや観光バスなどの許認可を緩め、結果的に従事する者に過酷劣悪な労働条件を強いる結果になった。

しかし彼らの【左脳域的】な考え方は、国民にすべからく蔓延している。

それにして昨今の風潮として、「結婚すると個人の自由が無く成る」とか、「子供を産むと金がかかり、自分が楽しめなくなる。」と言った【左脳域(理屈と計算)】ばかりのバランスの悪い人も多いので、この国の全てが【左脳域(理屈と計算)】ばかりに「偏った国に成ってしまったのではないか」と、嘆く次第である。



人類は生意気にも神になった。

そして自らの生物学的生態系まで壊してしまった。

最近、不妊夫婦の家庭が増える傾向にある。

これも日本社会が欧米化されて増加した「少子化」の一因なのだが、現代社会では人類が未来に命を繋げる為の男性精子が世界的に虚弱化していて、専門家の間では問題視されている。

つまり「群れ婚」や「真言密教立川流」を、安易に現在の性規範だけで判断する事は出来ないほろ苦い現実も存在している。

実はこの男性精子「虚弱精子劣性遺伝」に拠る不妊家庭の増加は、専門家の間では「一夫一婦制が招いた」とする意見が主流である。

この場合の「一夫一婦制」は家族単位の堅持の為だが、ルール(決め事)が正しいのは或る一面を解決する為の物で万能ではない。

そもそも、現代社会のルール(決め事)は人間が都合で勝手に決めた物で、ルール(決め事)には必ず良い事(都合)がある分だけどこかに悪い事(不都合)も在って、だからこそバランスが成り立つ。

そして人間の良い事(都合)とは、往々にして自然を無視するものである。

こうした男性側の「虚弱精子劣性遺伝問題」だけでなく、実は女性側の子創り時期の遅れ傾向による「卵子の老化(らんしのろうか)問題」も深刻化している。

つまり社会環境や個人の認識による婚期の遅れから、正常妊娠・正常出産に対する障害が起こる確率が高まっているのだ。


何の事は無い、神(聖職者の見解)やお上(統治者の都合)が定めた戒律が「虚弱精子劣性遺伝」を引き起こし、現代の社会環境が引き起こした「卵子の老化(らんしのろうか)問題」が、人類の繁殖能力を削いで滅亡へのカウントダウンをさせている事になる。

いずれにしても、自然科学の分野では「一夫一婦制や不自然な人間の社会環境が人類滅亡の危機を招くかも知れない」と、警告されているのである。


シンプルに考えれば、性欲は「子孫を残す」と言う生物本能から始まっている。

従って、社会秩序の問題をクリアとすれば性欲そのものを「恥ずかしいもの」とするのは稚拙な勘違いである。

そこで問題なのが人間と言う生物の「特殊な進化」なのだ。

脳が異常に発達して物事がシンプルに処理できなくなった為に、人間だけは生殖時期(発情期)に関係ない「擬似生殖行為(生殖なき性交)」を神様に認められている。

つまり生物としての性欲を「恥ずかしいもの」と勘違いする事から様々な悲劇が始まっている。

性欲を「恥ずかしいもの」とする事が「勘違いだ」とすれば、情無き性交を問題視する事は愛情の問題ではなく、ただの既成概念に囚われたプライド(誇り)の拘(こだわ)りか異性に対する独占欲の拘(こだわ)りの問題である。

そこで誓約(うけい)の性交が群れの維持に重要な役割を果たし、その証明としてS(支配者)・M(被支配者)遊技の「擬似の群れ」が誕生する。

言って置くが、男女平等を誤解して男女の生物的特性まで否定する事は、他の動物同様に持ち合わせている人間の「生態系を壊す」と言う事に成る。

つまり人間は、生き物としての自らを否定するほど傲慢な存在なのである。

戦後も六十年を経て、そろそろ私権ばかりに偏った考え方を、「見直す必要が有る」と考えても良いのではないか?

女性が「産まない権利」を主張する事は「生態系上不自然な事」と言わざるを得ず、個人の私権ばかりを言い立てて少子高齢化を引き起こしている日本人は、滅びの道を進む事になる。



そもそも「占い」や「信仰(宗教)」は、【左脳域】の理性や計算を前提とした意識ストレス状態から脱して、その帰結する所【右脳域】の本能的無意識リラックス状態を引き出す為のものである。

つまり、「占い」や「信仰(宗教)」はもっともらしい【左脳域】の理性や論理を並べながら、最後は「目に見えぬ神の力や奇跡」と言った【右脳域】の本能的無意識リラックス状態である「精神世界」へ導くものである。

有名な興奮物質として【左脳系本能】のストレス興奮物質・アドレナリンがある。

アドレナリンはリラックス物質ではなく緊急時の感性に拠る興奮物質で、恐怖や身の危険を察知した時、あるいは争いを必要とする時に素早く対応する為のストレス脳神経系物質である。

このアドレナリンの放出状態から開放される表現が「安堵(あんど)する」で、一気に【左脳域】の思考から【右脳域】の本能的無意識リラックス状態に切り替わった事を意味している。

脳神経系における神経伝達物質・アドレナリンはストレス反応の中心的役割を果たし、血中に放出されると一時的に心拍数や血圧を上げ、瞳孔を開きブドウ糖の血中濃度(血糖値)を上げる作用などがある。

「戦う(闘争)か逃げる(逃走)か」の判断を迫られる緊急時の【左脳域】の活性ホルモンと呼ばれ、人間を含む動物が「敵から身を守る。あるいは獲物を捕食する必要にせまられる。」などと言う状態に相当するストレス応答を全身の器官に引き起こす交感神経が興奮した状態で血中に放出される脳神経系物質がアドレナリンである。

占いや信仰(宗教)などにおいてはその根源に在るのが「恐れ」であるから、当初【左脳域】の理性的意識の恐怖興奮物質・アドレナリンから入ってその後の演出効果から【右脳域】の本能的無意識リラックス興奮物質・ベーターエンドロフィンに入って陶酔状態に成るようにその儀式次第が完成されていて、【右脳域】の活動で「心の救いを感じる仕組み」に成っているのである。

息詰まるような【左脳域(理屈と計算)社会】である現代にあっては、その裏返しとして【右脳域】の「精神世界(本能的無意識リラックス状態)」へ導く占いや信仰(宗教)が、論理的でないからこそ頼りにされているのである。

その論理的でない宗教上の教義(無意識リラックス状態)を、【左脳域】の理性や論理を並べて「真言密教立川流は淫邪教である」と決め付けるのは実は次元の違う話である。

用語人名解説・日本史検索・クリックリスト



真言密教立川流の教義

真言密教立川流の教義

真言立川流」を【淫邪教】と決め付ける。

しかし信仰は【右脳域 】の精神世界のものであるから、突き詰めて行って【命】を信仰すればその延長線上にある【命】を創造する為の性行為を教義上の儀式とする事は「充分に在り得る事」である。

真言立川流」は宗教であるから、【右脳域】の精神世界の事で、実は「天孫降(光)臨の神話」や「処女懐胎の奇跡」と同じ性格を持っていて、【左脳域】の理性や論理では眉唾物であっても、他の宗教の「奇跡」と同じで、救われる人間が存在したから成立し、しかも歴史上の一時期「かなり隆盛を見た宗派」である事を前提にしなければならない。

但し近頃、この信仰的な精神世界に託(かこつ)けて、聖徳太子(厩戸の皇子)の存在まで「信仰の対象だから、その有無を問うてはならない」と言う輩が居て閉口する。

つまり良きにつけ悪しきにつけ、信仰となると各々の精神世界であるから、踏み込むのは難しいのである。

所が矛盾する事に、己の信仰する教義は「精神世界だから」と言って、【左脳域】の理性や論理では眉唾物であっても、【右脳域的】に擁護する連中が、己の信じぬ別の信仰についてや都合の悪い事には、途端に現実的な【左脳】の土俵で物を言い始める・・・。

これを読む方には、その辺りの先入観を外して読み進めて貰いたい。


宗教や占術(せんじゅつ)などは、時を経るに従って時代とともに体系付けられ、磨き上げられて大成して行く。

元を正せば権力者の政治利用であっても、定着すれば一応の意義を持つ。

つまり、綺麗事は為政者の統治の道具である。

平たく言えば、先人の【右脳的】発想に後世の人間が【左脳的】な理性や論理であれこれ理屈を並べてさもそれらしく作り上げたものである。

つまりそうした教義は、磨き上げられて重みが増して行くものだが、その過程でそれは一人歩きを始める。

陰陽師の布教した密教・妙見信仰も、一人歩きを始めればそれ自体が意志を持ち進化の過程を辿って行く。


北斗・北辰妙見信仰は、北極星が天体の中で不動の位置に見え、方位を示す「みちしるべ」として世界中で神格化され、その古代妙見信仰が五百年代から六百年代にかけて渡来人と伴に日本列島・大和の国に渡来した。

妙見とは「優れた目を持つ」の意味だが、この優れた目とは「見通せる」に通じ、役小角(えんのおずぬ)が成立させた初期の陰陽組織の修験道の「根幹を為す信仰」として活用された。

初期陰陽修験道は、有る密命を持って列島の隅々に活動範囲を広げて行く。

この密命が大王(おおきみ)の密命なのだがそれは後の章で記述する。

信仰が大衆に広まるには、【右脳域】の本能的無意識リラックスの救いが必要で、「俗」にまで降ろした教えでないと中々理解されない。

実はこの辺りの「俗」が妙見信仰が民衆に受け入れられた重要ポイントなのだが、渡来以後急速に広まった妙見信仰には実にエロチックな内容の「祭事・北辰祭」が存在した。

つまり「北辰祭」が後に全国に広がって、庶民の間で俗に性交の事を「お祭りをする」と言われるくらい当時としては一般的な習俗で、その後明治維新政府が取り締まるまで信仰行事として続いた「暗闇乱交祭り」の原型だったからである。

北辰妙見信仰の「祭事・北辰祭」がエロチックな内容の為、それを理由に大和合の国(大和国/やまとのくに)・(邪馬台国)は七百九十六年(延暦十五年)に「風紀の乱れ」を理由に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止する。

しかし本音の部分では「天孫降臨伝説に拠る、神を持って統治する朝廷」が、人心をコントロールできない新たな信仰の出現に「危機感を募らせた」と言う事態の解消目的が事の「真相ではないか」とする学者が多い。


所が禁止から僅か十年余りで、八百六年に空海(弘法大師)が唐から帰国して高野山(和歌山県)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山すると、北辰妙見信仰を取り込んで「妙見大菩薩」と言う真言密教の仏様に迎え入れる。

実は空海(くうかい/弘法大師・こうぼうだいし)と最澄(さいちょう/伝教大師・でんぎょうだいし)は帰国した時期に恵まれていた。

詳しくは、「桓武帝と平安京」の記述で既に紹介して居るが、両大師が帰国した頃、ちょうど天智天皇(てんちてんのう)系の桓武天皇(かんむてんのう)が即位して、天武天皇(てんむてんのう)系の貴族や寺院の勢力を脱して自らの独自政権の確立を意図して居た。

為に桓武天皇(かんむてんのう)は、平安京の造営とともに天武天皇(てんむてんのう)系の寺院に対抗する意図を持って目を着けた帰国したばかりの空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の両大師に庇護を与えた。

つまりそうした政治情勢がなければ、空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の真言宗天台宗の教義布教は遥かに苦戦したかも知れない。

そして禁止されたばかりの「北辰祭(妙見祭)」が、僅か十年余りでなし崩しに成った事もそうした政治情勢が背景に在ったからである。

弘法大師(空海)が持ち帰った真言密教は、桜の原種・ヒマラヤ桜と同様に中華帝国を経由して日本列島に伝わったネパールやブータン発祥の性文化そのものである。

加えて、この空海(弘法大師)を朝廷が受け入れ重く遇した背景には、渡来宗教・妙見信仰を国家体制の中に組み込む目的があったのではないだろうか?


信者の居る既存の宗派がいきなり教義を変更するのは難しいが、先進国家である中華帝国から修行して帰国した空海(弘法大師)は、コントロールに苦慮していた妙見信仰を国家体制の中に組み込む事にもってこいの存在だった。

日本の真言宗が、真言陀羅尼(マントラダーラニー/しんごんだらに)を唱え、大日如来(本尊)を念じる教義であるが、実は空海(弘法大師)が中国大陸から持ち帰った教義を総合的に整理して教義とした為、空海(弘法大師)が持ち帰った教義の中に北辰妙見信仰と仏教が中国大陸で結び付いた「妙見大菩薩信仰/陀羅尼神呪経(妙見神呪経)」が含まれていたからである。

この北辰妙見信仰は、百三十年余り以前に初期の陰陽組織を成立させた役小角(えんのおずぬ)が起こした修験道と深く関わっていた為、真言密教と初期修験道は一体化して行き東密修験道は総本山金剛峰寺(真言宗)を本拠地に、そして同時期に帰国した最澄(伝教大師)が天台宗を創建すると同じく台密修験道として比叡山延暦寺(天台宗)を本拠地として融合する。

公古文書には意図して事実を隠す為に書かれた物もある事から、別の古文書にポツリと浮き上がる「伝承神話」は史実を追う上で重要な考慮点と成る。

弘法大師・空海が中国修行から日本に帰還した桓武帝の御世は、まだ渡来政権である大和朝廷と原住蝦夷族との武力抗争が日本列島のそこかしこで続いていた。

この武力抗争の問題解決を、弘法大師・空海は陰陽密教呪詛に求め朝廷に進言し、朝廷はその策に乗った。

そしてその策、陰陽密教呪詛とは言いながら陰陽修験者に拠るこの真言密教の布教目的は、実は性交に拠る民族の混血和合(次代は同族)と言う実質的なものだった。

「そんな突飛な事は考えられない。」と安易に否定してしまえば事は簡単だが、当時の日本列島はまだ「民族間の武力抗争」と言う問題が重要課題だった。

そうした秘策を持って全国に散った陰陽修験者から、人身御供伝説が広がったのは言うまでも無い。



古代インダス文明は、東方の国々に多くの影響を与えた。

インド・ヒンドゥー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、日本の仏教に影響を与えている。

弘法大師・空海伝教大師・最澄が日本に持ち帰った経典の中にも、ヒンドゥー教の教義や祭祀の信仰は含まれていた。

従って桓武天皇が設けた中務省・陰陽寮に於いても、ヒンドゥー教の統治に都合の良い部分は組み入れられていても不思議ではない。

実は北辰妙見信仰に於ける天地開開(てんちかいびゃく)神話に於ける世の最高神・天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)=陀羅尼神(だらにしん/全ての祈り神)もヒンドゥー教の三最高神の一柱・ヴィシュヌ神(天地創造神/見渡せる神)が妙見(見通す)に通じる所から、同一の神であると考えられる。

インド・ヒンドゥー教は正直な神で、ヒンドゥー教の三最高神の一柱のシヴァ神(破壊神)の象徴はリンガ(男根)である。

ヒンドゥー教に於けるシヴァ神(破壊神)は災いと恩恵を共にもたらす神で、例えば洪水は大きな災いだが同時に「土地に水と肥沃をもたらして植物を育てる」と言う二面性がある。

神は生活を共にする恋人、神に捧げる踊りの原点はインド・ヒンドゥー教のシヴァ神(破壊神)に在り、シヴァ神(破壊神)の象徴はリンガ(男根)であるから、神楽(かぐら)巫女舞の原点として、或いは陰陽修験道人身御供伝説のカラクリとして時の統治政策に応用されたのではないだろうか?


実は、弘法大師・空海が密教を我が国にもたらした頃が征服王・桓武天皇の御世で、天武天皇が編纂を始めた古事記日本書紀の所謂天孫降臨伝説の時期と重なっていた。

古事記・日本書紀に於ける日本の天孫降臨神話は、天の岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)の「尻久米(しりくめ)縄」から始まっている。

このエロチックな神話から人身御供伝説まで、桓武帝修験道師を使ってまで仕掛け、「性におおらかな庶民意識」を創り上げた理由の背景はいったい何んだろうか、それこそが大和民族成立の原点かも知れない。

初期陰陽修験は、密教の到来と伴に真言宗・東密修験と天台宗・台密修験として僧と修験者の垣根が無くなり、修験者が僧に僧が修験者に教えを請う形で北辰妙見信仰は様々な教義を創設して新しい宗派を成立して行くのである。


日本では祇園神とされている朝鮮半島由来の守護神・牛頭天王(ゴヅテンノウ)=スサノウ(須佐王)であるが、もう少し深く探ると基は多神教であるインド・ヒンドゥー教で、「牛」は神聖な動物として崇拝されている「ナンディン(聖なる牛)信仰」がその源流の様である。

多神教であるインド・ヒンドゥー教では生き物も神であり、シヴァ神の乗る「ナンディン(乳白色の牡牛)神」と成った事で神聖化が進んだ「牛」は、神聖な動物(聖なる牛)として崇拝されている。

そしてこのナンディン(乳白色の牡牛)神、シヴァ神が踊りを舞う時「その為の音楽を奏でる役を担う」とされている。

牛頭天王(ゴヅテンノウ)が、元々シヴァ神が踊りを舞う祭礼音楽の奏者を担う神であれば、祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)の祭礼神で在っても不思議は無い。

そう成って来ると、日本神話に於ける天宇受売命(あめのうずめのみこと)の存在も、ヒンドゥー教の「シヴァ神がモデルではないか?」とも思えて来るのである。



平安時代末期から鎌倉時代、性交による即身成仏を説き、室町期から江戸期にかけて弾圧されて滅びた謎の宗教に「真言立川流」がある。

性交による即身成仏・・・つまり性交に拠る快楽の極致が、即ち即身成仏の「極楽浄土だ」と言うのである。

こうした伝承を扱うに、現代の先入観を重視して安易な結論を出しては成らない。

真言密教立川流を、現代の倫理観で計る単純な発想で「淫邪教」と言うのは簡単である。しかしそんな事では推し量れない何かが、立川流にはある。

人間の認識など発想で変え得(う)るものだから、本来常識とか普通と言うものは本人が思い込んで居るだけで存在しない。

つまり、現実に則さない妖しげな「建前を信じる」と言う事は、その建前を簡単に信じる「オメデタイ連中」と言う事になる。

そもそも、右脳思考と左脳思考の二極面の性格を持つ人間に、思想や宗教で人間の欲心が抑えられる訳が無い。

現に、日本独特の「共生社会」の性文化を批判した西欧文化も裏面では不倫と売春の文化で、その辺りを念頭に物事の発想を始めないと、思考の柔軟性を自(みずか)ら縛る事になる。

性交相手に老若美醜(ろうにゃくびしゅう)を選ばない事が、観音菩薩や弁財天の慈悲の心である。

群れ社会(村落社会/共生社会)においては、この観音菩薩や弁財天がごろごろ居た事になる。

この素晴らしき考え方を、欧米文化の「罪の意識」に変えた事が、日本と言う国の村落社会から「共生社会」を取り上げ、群れ社会を消滅させて極端な私権社会に走り、「親子兄弟でさえも殺す」と言う殺伐とした社会を創造した。

つまり、「現代のこの世の合意認識が、正しい生き方だ」と言う確信など無いのである。


人間の「業(ごう/カルマ)」と言うものは本能の事ように言われるが、実は、「知性・理性」と言った余分な事を考えるように成った事こそ「業(ごう)」なのである。

何故なら、素朴な生物本能に「業(ごう)」何てものは存在しない。

客観的に見れば、本来、素朴な筈の性行為に、「煩悩(ぼんのう)」と言う特別な理由をつけたがるのが人間の悪い所である。

調理(料理)は、基本的な科学である。

人類は食べ物を調理(料理)する事を覚えて他の動物と比べ【左脳域(理屈と計算)】を格段に進歩させて来た。

それまでの【左脳域(理屈と計算)】は、獲物を前にして「戦う(闘争)か逃げる(逃走)か」の判断を迫られる緊急時の決断が主な【左脳】の仕事だった。

そして衣服で気候(寒暖の差)や外敵から身を守るようになると、【左脳域(理屈と計算)】で裸身に羞恥心を抱くように成った。

しかし人類は【左脳域(理屈と計算)】ばかりに価値観を偏重し過ぎて、滅びの道を歩んでいる気がしてならない。

近頃の「地球温暖化」も「少子高齢化問題」も、そして「教育問題」も【左脳域(理屈と計算)】ばかりの価値観で論じていては解決しないであろう。

とかく性に関する事と成ると、「考えるのも気持ちが悪い」や「口にするのも汚らわしい」と言う発言が出て、真面目な論議も無しに事を収めようとする。

こんな事は本音の部分で誰でも承知している事だが、現実を認めない感情論や建前論は正直意味が無い。

信仰(宗教)における性意識は、「個人の好き嫌い」と言った個々の感情が問題ではない。

誰にでも経験がある事だが、現実の人間はそれほど奇麗事ばかりで生活している訳ではない。

中には自分の悪事・悪行を棚に上げて奇麗事ばかりを言う者も居るが、大抵の人間は悪事・悪行を働いても善意も併せ持っている。

それ故に人々を悪事・悪行の罪の意識から救わねばならない。

人々を救わねばならないから、信仰(宗教)はその事に共通する「救い」の機能を持っている。

人間は普通に善人で普通に悪人、普通に清廉だし普通にスケベである。

それらを併せ持つのが人間だから、そうした矛盾から救う事が宗教上の教えで、仏教に限ったものではなくキリスト教でも悪事・悪行を悔い改めて「懺悔(ざんげ)」すれば救いの手を差し伸べる。

そんな事を認めれば、悪事・悪行をしても「信仰(宗教)をすれば赦されるのか?」と批判されそうだが、実はその通りである。

裏返せば、信者の居ない信仰(宗教)は成り立たない。

人間、何らかのご利益が無ければ信仰(宗教)などしないのである。


弘法大師・空海が真言宗の教えの中ではっきり言っているが、手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」とされてる教えが真言密教の理念である。

仏教を現代風聖人解釈で考察すると、弘法大師・空海が日本に伝えた密教の本質を理解できない。

本来密教には、エロチックな色彩に彩られた神々が存在するのでご紹介する。

例えば、帝釈天(たいしゃくてん)は力の神、阿修羅(あしゅら、あすら)は正義の神だが、何度戦っても阿修羅(正義)は帝釈天(力)に勝てず、未だ天上で戦っている。

その戦いの始まりだが、そもそも阿修羅の一族は密教の守護神である天部の一・帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天とも言う)に住んでいた。

また阿修羅には舎脂(シャチー)と言う娘が居り、「いずれ帝釈天に嫁がせたい」と思っていたのだが、その帝釈天が舎脂(シャチー)を力ずく(誘拐して凌辱した)で奪ってしまう。

しかも力ずくで奪(うば/強姦)われた舎脂(シャチー)は、そのまま帝釈天に惚れて親の許しも無く結婚してしまう。

その帝釈天(たいしゃくてん)の無法を怒った阿修羅が、帝釈天に度々戦いを挑む事になる。

この阿修羅が帝釈天に度々戦いを挑む所から、その戦いの場所を称して「修羅場」と呼ぶ用法が出来た位である。

しかし帝釈天は力の神の為、戦いは常に帝釈天側が優勢で阿修羅は何度戦っても阿修羅(正義)は帝釈天(力)に勝てずに居た。

それにしても、神である帝釈天が強姦したり、強姦された阿修羅の娘・舎脂(シャチー)がそのまま帝釈天に惚れて妻と成り、母・阿修羅に逆らうなど人間臭いのがヒンドゥー教・サンクリットの神々である。

つまり性に関する戒律は、渡来当時の密教の本質には存在しなかったのだ。


鎌倉期以前の真言密教は「煩悩」を容認し、その矛盾する現実生身の人間の生き方を念ずる事で救うものだった。

そして現在に至る鎌倉期以後の真言密教は弘法大師(空海)が唱えた教えではなく、開祖・弘法大師が否定した儒教思想(朱子学)を取り入れた「修正真言宗」なのである。

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立川流の成り立ちと経緯

立川流の成り立ちと経緯

「真言立川流」を始めたのは見蓮(もくれん)と言う人物で、陰陽師を習得した真言宗の僧侶兼陰陽師だった。当然ながら見蓮(もくれん)は勘解由小路(かでのこうじ)党の手の者、草である。

北斗・北辰妙見信仰に始まる「交合に寄る歓喜行(かんきぎょう)」は、日本の信仰史上に連綿と続いた呪詛巫女の神行(しんぎょう)であるから、真言宗の僧侶兼陰陽師だった見蓮(もくれん)が創始した八百万の神・陰陽修験と陀羅尼真言密教の習合教義である真言密教立川流に、その奥義が取り入れられていても「自然な流れ」と言える。

この真言立川流、今の時代ではとても理解されないが、当時、素朴な民衆を矛盾無く導く為に、性に対していたずらに禁欲をさせるより、「肯定した上で民意をリードしよう」と言う考え方があった。

つまり宗教上、人類の「種の保存」と言う基本的本能をどう導き、どう処理するのかは、支持を得て信者を増やす為に、勘解由小路党としても重要な事だった。

真言密教立川流の基本になった醍醐(だいご)寺三宝院の秘伝奥義を見蓮(もくれん)に伝授したのが、伊豆に流刑になっていた仁寛(にんかん)僧正である。

この二人の出会い、偶然でも何でもない。

伊豆に配流され、大仁に住まいし仁寛(にんかん)僧正の動静を探る為に、白河上皇に命ぜられた勘解由小路党の草、立川の陰陽師・見蓮(もくれん)が近付いて、ミイラ取りがミイラになった図式で有る。

勿論、見蓮(もくれん)は勘解由小路党の手の者であるが、見張るべき仁寛(にんかん)僧正は村上源氏流であり、同じ真言宗の僧籍最高位「阿じゃ梨」である。

更に、仁寛僧正の兄の「勝覚僧正」は、真言系修験道の総本山である醍醐寺三宝院の開祖で、醍醐寺座主である。

言わば尊敬してやまないあこがれの師の見張をさせられた様な物で、見張ると言うより直ぐに心服してしまった。つまり、結果は最初から判っていた様な物である。

醍醐寺は、京都市伏見区に在る真言宗醍醐派總本山で、国宝五重塔をはじめ数々の国宝・重要文化財を蔵する世界遺産である。

醍醐とは仏教用語で非情に手間の掛かる貴重な牛・羊乳化工品の食べ物で濃厚な肉汁の甘みを有する食べ物の事である。

醍醐味はこの貴重な牛羊乳化品の味を指し、それが転じて醍醐味は「貴重な」とか「真髄」と言う意味に転用されて、帝の名前(醍醐天皇・後醍醐天皇)や寺の本山の名前に用いられる様になった。


真言密教立川流の始祖と言われ、立川流開祖見連(もくれん)に奥義を授けた仁寛(にんかん)僧正の伊豆配流が、永久元年(千百十三年)と言うから、八幡太郎源義が「後三年の役」と言われた奥州攻めを公務と認められず、自腹で恩賞を配り、寂しく没してから数年後の事である。

仁寛僧正は、村上天皇の皇子、具平(ともひら)親王の子師房(孫)が臣籍降下して源氏朝臣を賜姓し、始まった村上源氏の血を引く、有力貴族の出自である。

仁寛は、後三条天皇の遺命により第三皇子輔仁(すけひと)親王の「皇太弟(幼少よりの側近)」として祖母から英才教育を受けていた。余談だが紫式部が源氏物語に登場させた「光源氏」のモデルは、この具平(ともひら)親王説がある。

仁寛の父はその村上源氏の嫡流の源俊房で、左大臣の位を持っていた。

また叔父の顕房は右大臣、従姉妹の中宮賢子は白河天皇(第七十二代)の皇后で堀河天皇(第七十三代)の母にあたる。

正に権力の中枢に居る皇統出の高級貴族なのだ。

仁寛の兄の勝覚は、真言宗の歴史の中でも大変に重要な高僧である。

と言うのも、彼こそが真言系修験道の総本山である醍醐寺三宝院の開祖で、醍醐寺座主である。

仁寛は、この兄の勝覚の弟子となり、真言宗の教学を学び、真言宗の僧の最高位である「阿じゃ梨」となる。

そして、後三条天皇の第三皇子で、天皇位につく事が確実視されていた輔仁(すけひと)親王の護持僧となるのである。

後三条天皇は、摂政、関白を独占していた藤原氏一族を遠ざけ、左大臣に源俊房、右大臣に源師房を就任させた。

村上源氏を取り立てる事で、中臣(臣王)藤原氏に対抗する皇統重視の権力独占を図って天皇親政へと向かい、院政の時代が始まる。

後三条天皇(第七十一代)は自分の次の天皇として皇子・白河天皇(第七十二代)を据え、同時に、その次の天皇には、白河天皇の弟にあたる先の第三皇子輔仁(すけひと)親王を据えるように遺言したのである。

しかし、白河天皇は色々と理由を付けて自分の幼い子の堀河天皇(第七十三代)を据えた。

所謂(いわゆる)「白河院政」の始まりである。

白河上皇は、堀河天皇即位の時周りを納得させる為に、「次には輔仁(すけひと)親王を天皇位につけてやる。」と約束していた。

しかし、堀河天皇が夭折すると、約束を破りわずか五歳の鳥羽天皇(第七十四代)を即位させてしまう。

自分の院政の権力を守る為に、父の遺言時の約束とその後の弟との約束を、二度も反故にしたのである。

この時、村上源氏の一族は、輔仁(すけひと)親王が天皇位に就く事を期待して親王を支持していた。

それに、村上源氏の源俊房を左大臣、弟の顕房は右大臣と優遇してくれた「後三条天皇(第七十一代)の遺言」が反故にされては当然不満である。

この為に勘解由小路党は、白河上皇の命令で、意に沿わない仕事をしている。

鳥羽天皇(第七十四代)が即位してから六年後の千百十三年の事である。白河上皇(第七十二代)の内親王・令子の御所に匿名の落書が投げ込まれた。

内容は「輔仁(すけひと)親王と村上源氏が共謀して天皇暗殺を計画している」と言うものである。

更にこの落書には、「暗殺実行犯として、千手丸なる童子の名が書かれていた。

この千手丸は、醍醐寺三宝院で仁寛の兄の勝覚に仕えていた稚児だった。

所謂「千手丸事件」である。

当然の事ながら、勘解由小路党と醍醐寺は深い繋がりがある。

しかし白河上皇の命は無視できない。

そこで妥協案を考え、仁寛(にんかん)に犠牲になってもらう最小範囲の連座に止める事にした。

千手丸は検非違使に捕らえられて尋問の末、「仁寛に天皇を殺すように命じられた」と白状した。

仁寛も捕らえられ、尋問を受ける。当初彼は否認したが、六日目には自白したされている。

仁寛は伊豆に、千手丸は佐渡に流罪となった。

この事件は、不自然極まりない。罰を受けたのは仁寛と千手丸だけである。

この事件によって、輔仁親王と村上源氏の力は大きく削がれたが、二人以外特に罰は受けていない。

千手丸の師、勝覚僧正すらお咎めは無かった。

仁寛の取調べの時も、白河上皇以外の公卿達は「やる気の無い様子だった」と言う。

それに、「暗殺計画自体が余りに杜撰すぎる。」と言うのも、勘解由小路党の仕事に最初から手抜きがあり、逃げ場を作っていたからである。

要するに、これは白河上皇(第七十二代)が「自らの院政継続の為に仕組んだ陰謀だったのではないか?」と言う事だ。

邪魔な輔仁(すけひと)親王と村上源氏の力を削ぐ為に、嘘の自白をさせ、事件をでっちあげたが、流石に輔仁(すけひと)親王達には直接手を出さず「仁寛(にんかん)だけを罰した」のは、修験道・勘解由小路党の「組織力に遠慮した」と憶測される。

見蓮は、理論的な真言密教と陰陽道の真髄を仁寛(にんかん)に教わった。

北辰・(星辰信仰)の上に立脚した陰陽五行(木・火・土・金・水)の自然哲学思想の講義である。この真言宗や天台宗の密教教えと、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者(しゅげんじゃ)が生まれた。そして、初期修験道が目指した性(生命パワー)による呪詛の教義も、進化して行った。


修験道の祖神は八咫烏(ヤタガラス)である。八咫は当時尺度を示すが、意味としては「大きい」を表現している。

八咫烏(ヤタガラス)は古代中国の信仰では、太陽の中にいる「巨大なカラス」だと言われている。

日本では神魂命(かみむすびのみこと)または「かもたけつの命」と呼ばれ、「熊野大社に使わされた」と、神話に有るそうだ。知恵と導きの神と言われている。

役小角(えんのおづぬ)は「八咫烏(ヤタガラス=かもたけつの命)」の子孫である。

修験道には役小角(えんのおづぬ)を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。

修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。

修験道の祖「役小角(えんのおづぬ)」は修験道系密教の祖と言われる人物で、後に神格化されてしまっている。

ただし、役小角(えんのおづぬ)は間違いなく天武大王(おおきみ/天皇)の御代現実に居た人物で、文献にも残っている。

「役君小角(えんのおづぬ)」は初め葛木山(葛城山=かつらぎさん)に住み、呪術をもって称えられたが、弟子の韓国連広足(からくにのむらじひろたり)に、ざん訴され、伊豆島に流された」とある。

その後赦されて、都に舞い戻るが、伊豆半島には「(旧)賀茂郡」と言う土地の名称が未だに存在している。

この伊豆配流、その後修験道が朝廷の機関「陰陽寮」に組見込まれる経緯から考えると、額面通り受け取れない。もしかすると、「役小角(えんのおづぬ)」が、伊豆半島に立て籠もった「蝦夷族反乱の掃討作戦」に、秘密裏に出陣していたのかも知れない。

または、我輩の主張通り、「葛城氏発祥の地伊豆」に潜り、秘密諜報組織「陰陽師」の組織化を進めていたのかも知れない。

前者の場合を考察し、何故こうした「報道の統制が行われるか」と言うと、伊豆の蝦夷族反乱が全国の一斉蜂起に繋がる恐れがあり、局地戦に留める為には、その事実さえ覆い隠す「政治及び軍事的配慮の必要性があった」と考えられる。

藤原南家の氏族大量投入は伊豆支配の再構築であり、伊豆葛城山、伊豆の賀茂郡の名が残ったのは、「大和朝廷の支配が届いている」と言うアピールの為では無いのだろうかとも考えられる。

しかし、「蝦夷族の反乱」と言うそんな事は「在り得ない」と我輩は考える。後者の方が合理的だからである。

後者の場合であれば、文字通り秘密組織をホームグランド(地元)に帰って、賀茂一族の身内主体に、「秘密裏に組織する必要性があったからだ」と考えられる。

我輩の推測は、この後者の立場を採っている。

何故なら、身内主体に組織する理由は、組織の秘匿性であり、目的に秘匿性があったからである。

そして、何にも動かされない伊豆七島から三島までの賀茂葛城の史跡が存在する。


小角(おずぬ)の生まれた家の氏は「賀茂役君(かもえのきみ)」と言い、後に奈良(都)で賀茂神社を奉る賀茂氏の流れである。

従って、小角(おづぬ)は賀茂氏流れの血筋と言う事にある。

上・下賀茂社の社家・鴨氏は、山城国葛野郡賀茂郷に在住した土豪・鴨県主(かもあがたぬし)の後裔である。

皇室の神鳥、八咫烏(ヤタガラス)にまつわる有名な話としては、「神武天皇が東征の折、熊野山中で道に迷い、八咫烏(ヤタガラス)が大和までの、熊野路を先導して功績をあげ、案内をした場所に「大和朝廷は成立した」と言う伝説がある。

その後、その八咫烏(ヤタガラス)が「鴨県主(かものあがたぬし)の遠祖となった」とする伝説で、「鴨県主(かものあがたぬし)」が賀茂・葛城氏の事である。


奈良県宇陀市榛原区の八咫烏神社は鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)を祭神としている。

八咫烏(ヤタガラス)は、紀伊半島を勢力圏としていた豪族・丹生氏が、神武天皇に味方した事を指していると、言われている。

賀茂氏の方はその八咫烏(ヤタガラス)神魂命(かみむすびのみこと)の祭祀を司る賀茂神社を奉る祠官である。

紀伊半島では、丹(辰砂・水銀)が採れた。

その丹を司(つかさど)るのが、丹生氏である。

この辰砂(水銀)に目を付けて高野山を真言宗の本山としたのが、弘法大師(空海)であった。

当時、水銀は大変利用価値のある産物で、まず薬として使われ、ついで朱(赤色)が得られるため塗り物に使われ、次に金の精製に使われるなど貴重なものであった。

日本の古くからの「**丸」の対抗として存在する「**丹」は、この水銀が薬として使われた名残である。

従って、当時「辰砂」の産地を押さえる事は、大きな力を得た事であった。

つまり、弘法大師には「辰砂(水銀)」を背景にした資金力があった。

それで、真言宗は信徒の懐を当てにする事なく全国に寺を展開して、急速な布教が出来たのだ。

そして仁寛(にんかん)は、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶で、陰陽師だった見蓮(もくれん)に、真言密教の秘伝「歓喜法」を授けた者である。

陰陽師だった見蓮(もくれん)の方は、表向き修験道の祖「役小角(えんのおづぬ)」の所縁の地、伊豆の賀茂郷を訪れ、大仁の里で仁寛(にんかん)にめぐり合っていた。

悠久の時を経て、命を繋いで来たのは生きる者の「本能」である。

その本能を、愚かにも文明人は「嫌らしいもの」として「否定する事が文明」と思い続けている。

入り口を間違えては、如何なる発想も正しき答えは導き出せない。

しかしこの考え方、中国から密教を持ち帰った時点では、弘法大師(空海)も伝教大師(最澄)も勿論持っては居なかった。

簡単に言ってしまえば、最新鋭の仏教である密教が日本に渡来以後、編成作業の発展段階で密教に解釈上の違いが生じたのである。


弘法大師の開いた真言宗の教えの中に見られる密教には、「超人的修行」による呪力で人を救おうと言う教義があった。

仁寛に限らず高野山系の僧達の多くも、鎌倉時代末期近くまではこの男女交合の「秘術」を理念としていた。

仁寛は、鳥羽天皇の暗殺を謀ったとして、捕らえられて、「伊豆大仁」に流されていた。言わば、政治犯の流人である。

そこで陰陽師修行中の見蓮に出会い、醍醐三宝院流秘伝の奥義を伝授されたのだ。

古書によると、元々伊豆島(半島)は、修験道の祖「役小角(えんのおづぬ)」が配流され、賀茂郡の名が残ったほど陰陽師・所縁の土地である。

しかし、今後記述する伊豆七島に端を発する賀茂氏の伊豆半島支配の経緯を見ると、この配流が皇統交代の事実を隠す後世のカモフラージュであり、賀茂氏の「旧本拠地」と言う事になる。

裏を返せば、勘解由小路党の血縁者も残る特異な土地柄で有る為、警備上容易だった事から、「しばしば政治犯の流刑地に当てられた」と、考えられるのだ。

後に源頼朝が配流されたのも、この慣習に機械的に拠った為で有る。


現代的に理解すると、仏教の教えは殺生を禁じている。

神の教えも平穏(平和)を願うものだ。

しかしながら、神官は武士であり、仏教僧も武士だった。

上杉謙信武田信玄も入道(仏門に入る)してまだ戦(いくさ)をしていた。

九州の大友宗麟は仏門に入った後、キリスト教に宗旨変えしてもまだ戦(いくさ)をして居る。

現代風に信仰を解釈すると、一見「言動不一致」に見えるこの状態、実は何の不思議も無い。

現代人の宗教観とは合致しないであろうが、本来、いずれの宗教も「現世利益」が基本である。

つまり他人の事はどうでも良く、祈る者だけに「利を与える」のが元々の教義だった。


それ故、「祈れば勝利を得られる」と現世利益を願って信仰するものであるから、戦(いくさ)で他人を殺生する事に何の矛盾も無い。

これが変化したのは江戸期に入って以後、徳川幕府の政策で「神仏混合策」がとられ、神と仏が生死分業になり、仏教が主に死後の世界を担当するようになって初めて、仏の道と殺生を禁じる事が結び付いた。

本来、信者の本音で言えば「現世利益」が無い信仰など魅力がある訳が無い。

従って、近・現代に於いて「教えが改善された」と言えばその通りだが、元々の信仰はそんなに立派なものではなく、自分の「利」の為に祈るもので、呪詛的には「相手を呪い殺す願い」をも受け入れる事が「信仰(宗教)の実態」と言って良かったのである。

この辺りを理解すると、個人の「現世利益」の考え方から、極楽浄土に「性的な境地」が結び付く教義「真言密教立川流」に、現実感が出て来ても不思議ではないのである。


常識的に見て密教経典の意味解釈は、解釈する側の意志で加工が可能である。

弘法大師(空海)が日本にもたらせた密教は、やがて日本で加工されて行ったが、その原点に近いものがインド・ジャンム・カシミール州最大の地方「ラダック(Ladakh)」に残っている。

過って独立した仏教王国であったラダックは、ジャンム・カシミール州の東側半分以上を占めて、パキスタン、中華人民共和国との国境に接し、アフガニスタン北部にも近い位置に存在する。

十七世紀、ダライ・ラマ五世による侵略計画によりチベットとの関係が崩れ、それに乗じてカシミール王国がラダックを併合する。

その後英国がインド全域を領有した為、ラダック王国は英領インドの一部を経て国土がインド、中華人民共和国、パキスタンに分割されている。

このラダック地方の土着宗教がタントラ教の影響を受けた密教で、いわゆるチベット仏教である。

ラダックには多数の仏教寺院、ゴンパがあり、全人口が敬けんな仏教徒である。

釈迦生誕の地に近く、「真言・天台両宗の源流」とも言える「敬けんな仏教徒の地ラダック地方」には、つい近代の英領インド時代に禁止されるまで「一妻多夫」の習慣があり、一人の妻を兄弟で共有していたが、それはチベット仏教においては「けっして教えには背いては居ない」のである。

つまり密教において、性はかなり「おおらかな扱い」であり、現在の日本人が意識する厳しい戒律は「無かった」のである。



信仰(宗教)や性をテーマにするにあたって、我輩はそれらを否定や肯定する為に書いているのではない。

我輩の文章を調べてもらえば判るが、どちらかと言うと我輩は無神論者なのだがそれを他人に押し付ける気は無く、信仰(宗教)や性のパートナーの存在で、精神が救われる人間は多い筈であり、何を信ずるかは各々の勝手で有る。

信心におけるプラスもマイナスも性に絡むリスクも、その責任は各々にある。

自分と「価値観が違うから」と言って、相手の価値観を「間違った考え」と頭から決め付けてはいけない。

いかなる価値観にもそれなりの理屈があり、そこから軋轢(あつれき)が始まり、争いになる。

冒頭で申し上げた通り、「姦淫は即ち悪である」と言う先入観は発想の落とし穴に成る。

この先入観から【真言密教立川流】の評価に入り「淫邪教」と切って捨てる安易な建前主義者が居るから、【左脳域】に偏重した人間ばかりのストレス社会が如何(いか)にもまともな事のように成ってしまった。

元来性行為と言うものは、単に「男女が交われば良い」と言う即物的なものではない。

そこには精神的感情が介在する。

それも複雑で、一口に「愛」とばかりにかたずけられない。

性交の本質は、想像力をたくましくして、被虐心、加虐心、羞恥心に触覚、聴覚、視覚を駆使して、初めて上等な性感を得る。

つまり【右脳域】の本能的無意識の境地に入る為の「行」として捉えるのである。

人間の感性は複雑で、あらゆる情報を脳で処理する事で、結論を導きだす。

従って、性的快感も単純ではなく、それに拠る精神的癒し効果も認められる。

つまり、性と精神はリンクしていて、人格の形成にも関与する重大事項と言えるのだが、これを「無理やり離して考えよう」と言う間違った傾向がある。

喜怒哀楽は人間の基本的な感性で、【右脳域】の思考である。

その内の「喜」を以って「楽」を為すのが、密教における性交呪詛所謂(いわゆる)「歓喜法」に拠る「極楽浄土」の境地である。

人間は、性行為や食事、音楽や映像鑑賞の際に「ベータ・エンドロフィン」と呼ばれる快感ホルモン物質を分泌させ快感を得る。言うなれば、宗教行為と性行為、音楽の演奏などは、ある意味同質の目的、快感ホルモン物質の分泌を促す為にある。

「歓喜法」に付いては、「性は生に通じる」と言う考え方から、「精気をよみがえらせる」、つまり気力をみなぎらせる呪力があり、生理学的に、まんざら出鱈目ではない。

道徳的には意見があろうが、体調としては、抑制する事が良いとは限らない。

だいたい、日本人も二枚舌で、以前第一次南極観測越冬隊に「南極二号」と言うダッチワイフを携行した時は、建前上の批判的ではなく、「さもあろう」と、そうじて本音の理解を示している。

宗教に陶酔したり、音楽に聞き惚れたり、視覚、嗅覚、五感の刺激がこの快感ホルモン物質の分泌を促すのなら、人は神の教えで救われても不思議はない。

それを経験的に学習しているから、いかなる宗教にも音楽や雰囲気創りの演出は付き物で、そのトリップ状態は、けして否定すべき物でもない。

言うなれば、宗教行為と性行為が合体した真言密教立川流は、「究極の奥義」だったのではないだろうか?

この快感ホルモン物質がモルヒネと同じ作用を持つ「脳内麻薬」で、精神的ストレスの解消と肉体的老化防止の特効薬であり、必要なホルモン物質なので、健康な性行為の抑制は必ずしも人間の為にはならない。

当然の事ながら、気の持ち様で「自然治癒力が増す」などの奇蹟は現に症例が多いから、宗教の奇蹟も存在する。真言密教では、この生物反応的効能を肯定して、「修験道に活用しよう」と考えた。

快感ホルモン物質が大量に分泌されると、人間はトリップ状態になる。

従ってかがり火の燃え盛る呪詛の場で、陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)が流れる荘厳な雰囲気の中、激しい性行為を繰り返す事によって、常人には無い激しい反応を見せる。

それが呪詛の効果で、真言密教で言う所の「極楽浄土」である。

その状態が「呪術の効果をもたらす為に必要だ」としていたから、立川流は成立した。

それにしても、呪詛の為に身体を提供して「歓喜法」を体現する呪詛巫女の存在は、現在の感覚では理解が難しい。

しかし、密教の教えの詰まる所は「空(くう)」である。

空(くう)に私心は無い。

有にしても無にしても、そこには私心が介在するから、空(くう)に成れば、如何なる行(ぎょう)を求められても、それを不条理と思う事は無い。

実は、「気」も、奇跡と扱うには「ペテン染みた」物理現象である。

言わば、思い込み(既成概念)と言う物差しを外した所に奇跡とも思えるパワー現象が生じる。

しかし、そこに到達するには、「空(くう)」が要求されるのである。

その「空(くう)」に、成りおおせないのがまた、人間である。


行(ぎょう)を施され、呪詛巫女が空(くう)に及ぶには、その行(ぎょう)の厳しさに相応の覚悟が要る。

女性の身体は不思議なもので、縛り上げて三日ほど変わる変わる攻め立てれば「脳で考える気持ち」とは別に、身体が性交の快感を覚えてしまう。

つまりそちらの感性は【右脳域】の本能的無意識が覚醒するからである。

そうなればしめたもので、女性から呪詛(性交)に応じる様になり、滞りなく行える呪詛巫女が完成する。

当初の呪詛巫女の仕込み方は大方そんな処である。

呪詛巫女の確保については多くの方法がある。

その一つが、前述した律令制における被差別階級として賤民(せんみん)の利用である。

奴婢(ぬひ)として地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢(しぬひ)呼ばれる身分の者の中から「婢(ひ)」の身分の女性奴隷を選び出し、執拗に性交を施して極楽浄土を体現させ、呪詛巫女に仕立て上げた。

実はもう一つ奇抜な方法も存在するが、その代表的なものを後ほど第四巻の冒頭で詳しく記述する。


八百六年(大同元年)、ちょうど桓武天皇が崩御し、第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)の準備をしていた頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。

仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。

金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。

大陸での修行を終えた空海(弘法大師)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。

当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。

空海(弘法大師)の教えは、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に「密教呪法」に拠り身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる)、口に真言(真実の言葉)陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事により、仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」としている。

その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂(かんじょう)」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶(さんまや)と呼んでいる。


空海(弘法大師)が唐から伝えた経典の一部に、密教がある。

密教とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結び付いて発展した。

手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。

つまり本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。

この真言宗の教えの中の密教と日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者(しゅげんじゃ)が生まれている。

修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。

当然の事ながら、陰陽修験は呪詛を使う。

呪詛の目的は、それを行なう事に拠ってあらゆるものを操ろうとするものである。

修験道には、役小角(えんのおづぬ)を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。

弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのだ。

本来の仏教は祈りによる現世利益で、まずは手っ取り早く長生きや裕福と言った幸せを願う物だった。

この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。

お金に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様、先祖に祈るのだ。

そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、陰陽修験の呪詛を使う真言密教・立川流が成立した。


真言密教立川流は陰陽修験の呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行を採用した。

立川流の教義は、真言宗の「即身成仏・即事而真(そくじにしん・物そのものが真実)」、「当相即道(とうそうそくどう)」の意味は、「ありがたちそのままが理想」と言うであり、つまり「自然の欲望(煩悩)は自然な事である」としている。

「本有平等(ほんぬびょうどう)」の意味は「本来もっているものが皆同じく真実を宿す」という真言を、男女二根の交会、淫欲成就の妙境をそのまま「即身成仏の意味」に解したもので、ごく自然な人間の命の営みを、素直に容認したものである。

この教義の根拠として「首拐厳経」、「理趣経」などが用いられて、なかでも「理趣経」の十七清浄句の、「欲望は浄らかなり〈大楽の法門〉」と言うその教えは「一切の法は清浄なり」と言う句門であった。

この時点で、愛欲に対する罪悪の考え方はまったく存在しない。

「一切の法(手段)は清浄なり」を「男女の性交も清浄なり」と解すれば、良いのである。

如来(にょらい)は十七の清浄なる菩薩の境地を挙げて、男女交合の「妙適なる恍惚境」も、欲望、箭の飛ぶ様に速く激しく働くのも、男女の触れ合いも異性を愛し堅くい抱き、男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由である。

男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由とは、解釈の仕方では現代で言うSM的な行為まで性愛の形として肯定している。

つまり、欲望に身をゆだねて「恍惚境」に入る事を、真言密教は教義として肯定しているのである。

それはそうだろう。

禁欲主義は生き物としての最も基本的な「種の保存本能」に矛盾している。


「全ての主である様な心地となる事」、「欲心をもって異性を見る事」も、また、男女交合して「適悦なる快感を味わう事」、男女の愛、これらの全てを身に受けて生ずる「自慢の心」も、ものを荘厳る事、全て思うにまかせ「意滋沢ばしき事」、満ち足りて光明に輝く事も、身体の快楽も、この世の色も、香も、ものの味もまた清浄なる菩薩の境地である。

と、立川流では、全てのものをその本質において積極的に肯定している。

つまり色欲の煩悩を含めて、人間の存在が完全に清浄なもの、菩薩のものとして肯定されており、性欲肯定の句として知られている処である。

何が故に、これらの欲望の全てが「清浄なる菩薩の境地」となるのであろうか。

それは、菩薩が人々の【右脳域】に存在し、これらの欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定しているからである。

故にもし、真実を見る智慧の眼を開いて、これら全てを「あるがままに眺める」ならば、人は真実なる智慧の境地に到達し、全てに於いて「清浄ならざるはない境地」に至るのである。


真言宗開祖・弘法大師(空海)は、仏教とは異教である儒教を廃してその禁欲思想に攻撃こそすれ認めてはいない。

現代人の感覚では理解し難いかも知れないが、弘法大師・空海が日本に持ち帰った経典の中にインド・ヒンドゥー教の影響を受けた経典が多数含まれていた事も事実で、日本の初期密教の成立にヒンドゥー教の生命への畏怖を根源とした性的な教義が混ざっていて当たり前である。

つまり真言密教・立川流に拠ると、弘法大師・空海が持ち帰った真言密教の教義解釈は「性交に拠って穢(けが)れが浄化される」と言う解釈なのである。

儒教の抑制的な考え方は人間の本質と矛盾する教えであるから、現実に起こり得る様々な事象を闇に葬るばかりで結果的に「在る事」を「無い」と建前で覆い隠すに過ぎず、何ら解決には至らないからである。

ところが、後ほどこの章で記述するが後世の真言宗僧侶達は時の権力におもねり、開祖・弘法大師(空海)の教えを翻して儒教の抑制的な考え方を取り入れて真言密教の王道たる立川流を「淫邪教」と廃し始め、弾圧の挙句その存在まで闇に葬った。

愛欲は生きる事の一部であり、後世に血脈を引き継ぐ原点である。

開祖・弘法大師(空海)が「あるがままに眺める」とした真言宗の抑制的改宗は、信念とは別の御都合主義の為せる業で教義を変節したのであり、人間の本質として必ず「在る事」を「無い」と建前で覆い隠して対処を放置する事こそ、現実に正面から向き合わない「邪教」ではないのか?

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伝えられる立川流の呪詛様式

伝えられる立川流の呪詛様式

立川流の経典は理趣経(りしゅきょう)を習している。

そして呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行「歓喜行」を採用した。

邪神とされる荼枳尼天(だきにてん)を拝し、特に髑髏(どくろ)を本尊とする為、世間から邪教と解される原因と成っている。

確かに、髑髏(どくろ)の存在は「死と言う現実」を見せ付けられるものであり、並みの人間で有ればそれだけでも不快に感じるのは事実である。

また、髑髏(どくろ)には生前のその持ち主の魂が宿っていそうで、精神的には犯すべからぬ畏怖の対象であるから、その辺りの抵抗感が存在して、違和感が生じても不思議はない。

にも関わらず、真言立川流が髑髏(どくろ)を本尊としたには、こうした精神的な意識に元付く既成概念そのものを、共通して一気に変革させる狙いを試みていたのではないのだろうか?


真言密教立川流の髑髏(どくろ)本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は、王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂と一千人の髑髏の上部を集めたもの、「法界髏(ほうかいろ)」と言う儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。

その様に選ばれた髑髏(どくろ)の表面に、女人の協力を得て、性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、更に髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。

しかもその七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。

こうして約七年間もの歳月を「歓喜行」に費やして作られた立川流の髑髏本尊はその位階に応じて「三種類の験力を現す」と言う。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して「三千世界の全ての真理を語る」と言う強烈な現世利益の本尊である。

真言密教立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、「大日如来と一体になる事」である。

立川流の金剛杵は特殊な金剛杵であり、片方が三鈷杵(さんこしょ)、もう片方が二鈷杵(にこしょ)になっている。

この金剛杵を割五鈷杵(わりごこしょ)と言う。

本堂のお勤め場所の周りに星型の結界が、蝋燭としめ縄で張られる。

しめ縄はいわば神の「結界占地」を標示するもで、神域に張られる事になっている。

蝋燭の炎は、「歓喜行」の間絶やす事は無い。反言真言を唱え、星形の結界(五芒星)は陰陽師家、安倍晴明の判紋である。

格子状のしめ縄の結界は、九字紋と同じ形状であり、九字紋は横五本縦四本の線からなる格子形(九字護身法によってできる図形)をしている。

九字結界は、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を星型に配置し、その間を結んで五芒星(晴明判紋)となす。

安倍晴明判紋は晴明桔梗とも呼ばれ、五芒星と同じ形をしている。

五芒星(九字護身法に拠って出来る図形)の意味は、一筆書きで元の位置に戻る事から、「生きて帰ってくる」と言う意味でもある。

「歓喜行」はこのしめ縄の結界の中で全ての障害を排して執り行うのである。


呪法に使う髑髏にも、それなりの確りした仕度がいる。

亡なって間もない人頭を、丁寧に洗い清めて、真言を唱えながら漆(うるし)を塗る。

朱色を出すには「辰砂(水銀)」を使う。

水銀と硫黄からなる硫化水銀鉱が、「辰砂」であり、細かく砕くと水銀朱の朱が取れる。

この「辰砂(水銀)」、弘法大師(空海)が多用していた事で知られている。

真言密教立川流に取って、朱は血の色であり、活力と蘇生の呪術には欠かせない。

仕上がったら、よく乾燥させ、上等な桐箱に収めて置く。

そして七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」を行い、八日目の朝、「開眼供養を迎える」と言う荒行である。

この本格的な「歓喜行」は、真言密教立川流の僧正が呪詛を用いる為に強力な呪力を有する淫液に塗れた髑髏(どくろ)本尊を会得させる為の物だった。これが、「髑髏本尊・歓喜法」と言う秘術である。

立会いの僧正や男女の信者達は、願主が「歓喜行」を行うを、眼前にて見守りながら「反魂真言」を絶やさず唱える。

一度達しても、茶吉尼(だきに)天の妖力の色香は強烈で、男はすぐにまた活気を取り戻す。願主は真言密教秘伝の強壮の秘薬と食べ物をとりながら、和合と髑髏に和合水の塗布を続けて、七日目の深夜「結願」を迎える。


いよいよ「結願」を迎えた八日目に入った深夜十二時を過ぎからは、「開眼供養」を夜明けまで行う。

和合水と反魂香にまみれた髑髏の頭部に、金箔を幾重にも重ねて張り、口に紅、歯に銀箔を施し、作り物の眼球を入れて、最後に化粧するのだ。

その後、錦の袋に入れて七年間、願主が毎夜抱いて寝る。

願主が歓喜行をする時は傍らに捧げ、仮本尊となす。

八年目に、ようやく「髑髏本尊」が完成する。

この本尊に妖力が宿り、「呪詛祈願の達成効果を保持する」としていた。

陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)や反魂真言を唱えて、性交を繰り返す「歓喜行」は多分に異様である。

しかしこの淫靡な儀式の奥には、別の真実が隠れている。

理趣経は、「本来男性と女性の真の陰陽があって初めて物事が成る」と説いている。


この儀式に七年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が「大日如来」の導きで、悟りを得る事がその目的だからであり、何の事は無い互いの情が移る年月である。

そうなれば髑髏本尊は、単なるシンボリックな物に成ってしまうのである。


この宗教の奇怪な儀式、現在の感性に寄り「邪教」と決め付けるのは簡単である。

しかし当時の考え方では米作に於いても、子作りに於いても命をもたらすのは神の奇蹟である。

その奇蹟を「引き出したい」と言う素朴な思いを叶える本尊作りに、命を作り出す「神秘な行為を込めた」と考えれば、さして違和感がない。

大体に於いて、「邪教」と決め付ける方々もこれが武将の国取りだと「当時の世情だから」と容認して英雄扱いするが、「規模の大きい強盗」ではないか?時によって、或いは内容に拠って論旨が変わるのは正しく無い。

何故こうした信仰が成立するのか、種明かしをして置く。

人間は「恐怖心や高揚心、羞恥心」と言った興奮を背景にすると、普段の判断とは全く違う感覚で物事を受け止める。

こうした興奮の心理的な影響は極論理的なものであるが、当事者は意外と「興奮に影響されている」とは思い到らずに「自分の正常な判断」と結論着けてしまう。

その興奮に影響される判断が、興奮が覚めても「正常な判断」と確信されて残る所に所謂(いわゆる)「洗脳状態」に陥(おちい)る状態が、信仰などに利用される心理的な手段である。


真言密教立川流、その教義は、遠く印度の仏教に遡る。

印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼(だきに)天と言う魔女が、大日如来(だいにちにょらい)の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。

これが日本では、後に稲荷神社に成る。

財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗(しにせ)の商家の奥庭に、祭られたりしていた。

当時の商人の考え方は、「商(あきない)は長くやるもの」であり、家業、商売を代々繁栄させるのが使命であるため、老舗跡(しにせ)の跡継ぎの確保は重要だった。

その為には跡継ぎに困らない様に妾を持つほどの艶福家で無ければならず、性的パワーのある稲荷の社を祭ったのである。

つまり、幸せにしてくれる神様で、その茶吉尼(だきに)天が、真言立川流の御本尊である。茶吉尼(だきに)天の法力を高める秘法が、密教の儀式である。

茶吉尼(だきに)天の法力を高める為には、男女和合の性エネルギーのパワーが必要で有る。

つまり初期の仏教は、信じればご利益があると言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、道徳教育的な目的から「悪行を積むと地獄に落ちる」と言う死後の利益に変わって行った。

一方で修験道師が村々に分け入って布教し、植え付けて行った矛盾とも取れる「おおらかな性意識」は、庶民の中で生き続けていた。

真言密教立川流の本尊・荼枳尼天(だきに天)は、元々はインドのヒンドゥー教の女神で、「荼枳尼天」は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したもので、ヒンドゥー教ではカーリー(インド神話の女神/仏教・大黒天女)の眷属(けんぞく/属神)とされる。

このヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられ、荼枳尼天(だきに天)は仏教の神となる。

元々は農業神であったが、インドの後期密教においては、タントラやシャクティ信仰の影響で、荼枳尼天(だきに天)は裸体像で髑髏(どくろ)などを抱えもつ女神の姿で描かれるようになって、後に性や愛欲を司る神とされ、さらには人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるようになった。

荼枳尼天(だきに天)は、自由自在の通力を有し、六ヶ月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べると言われたが、その荼枳尼天(だきに天)が、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、仏教神となって「死者の心臓であれば食べる事を許(ゆる)された」とされる。

日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて、荼枳尼天(だきに天)は、性愛を司る神と解釈された為、その男女の和合で「法力を得る」とする真言密教立川流と言う密教の一派が形成され、荼枳尼天(だきに天)を祀り、髑髏(どくろ)を本尊とし性交の儀式を以って即身成仏を体現したとされる流派が興隆を極めた。

真言密教では、胎蔵界の外金剛院・南方に配せられ、形像は小天狗の白狐にまたがる形をしている為に「辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)」とも呼ばれ、天皇の即位灌頂儀礼において「荼枳尼天(だきに天)を祀っていた」と言う記録も存在し、平清盛や後醍醐天皇などが荼枳尼天(だきに天)の修法を行っていた事でも知られている。

インドに於いてはジャッカルが荼枳尼天(だきに天)の使い神の象徴とされていたが、中国や日本に伝わった時、インドに居たジャッカルが居ない為に狐が代用されて使い神とされた為に日本では神道の権現・稲荷(大明神)と習合する。


仏教が「死後の利益」に変化した大きなきっかけは、歴史の中ではさして古い話しではない。

ズウット下って、高々三百数十年前の徳川政権成立の頃の事で有る。

当時神社勢力の武士と寺院の仏教勢力とで争いが絶えなかった為、政権安定の為に「神仏混合政策」を取って、幕府主導で分業化させた。

あくまでも権力者の統治の都合が、分業化の目的で有る。

すなわち、生きている間は神社の担当であり、神様にお賽銭でご利益を願う。

お寺のお布施は、仏様(死者)を媒介にお寺にもたらされる物である。

身内の弔いの為にお布施をする様になったのはそんな訳で、日本仏教界の苦肉の作と言えない事も無い。


江戸時代以後、徳川幕府の政策的住み分けにより、死んでからの「心の拠り所を寺院が担当した」事から、現世利益は言い難い。

止む負得ず日本の仏教は、死後の利益を主に説く様になった。

従って形(外観)は他国の仏教と似ているが、「日本の仏教は政治の都合によって本来の教えでは無い独特の進化を遂げた」と言って過言ではない。

良く言えば仏教は新たな教義に活路を見出した。

悪く言えば「死後の不安を掻き立てて、お布施を稼いでいる」と言う罰当たりな表現も考えられる。



真言密教と陰陽道を究めた人物に仁海(じんかい)僧正がいる。

醍醐寺隨心院は、九百九十一年(平安時代中期・正暦二年)に雨僧正と呼ばれていた仁海(じんかい)僧正によって建立され、千二百二十九に門跡寺院となった真言宗善通寺派の大本山である。

「雨僧正」と呼ばれ、占術の祈祷で「祈雨祈願に成功した」とされる仁海(じんかい)僧正は和泉国の小豪族の家に生まれ、七歳で高野山に上る。

そこで、占星術を身につけ、学僧としても、知られるようになる。

仁海はしばしば五行の考えに基づく易を使う。

安倍晴明より少し後の時代に活躍した仁海は、しばしば五行の考えに基づく易を使う。

このことは当時の僧侶が仏教の経典だけではなく、中国の「易経」のような中国特有の古典にも通じていたことを示している。

仁海(じんかい)僧正の私生活を「生臭坊主であった」とする評があるが、それは当時の僧を後世の常識感覚で評するからである。

そもそも、日本の神官や僧侶は、長い事氏族が武士や官僚と兼務していたもので、勢力争いもするし女性も抱く。

高僧と言えども例外ではないから、正妻を置いたかどうかを問わなければ、江戸期以前の僧侶は全て「生臭坊主」である。

と言うよりも、「女性との交わりを呪詛パワーの源」と言う解釈が、密教に於いては為されていたのである。


陰陽師の見蓮に、仁寛(にんかん)が密教の秘術を伝授して、かれこれ百年に成ろうとする頃、北条(平)政子が心血を注いで礎を作った流石の鎌倉幕府執権・北条得宗家も、代を重ねて落日を迎えようとしていた。

鎌倉幕府が弱体化していた頃、敵対していた勘解由小路(賀茂)家土御門(安倍)家の両家は天皇の皇統護持の為に和解している。

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真言密教立川流・南北朝との関わり

真言密教立川流・南北朝との関わり

北条(平)政子が心血を注いで築きあげた「鎌倉幕府執権・北条得宗家」も、体制百三十年余りを数えて独裁への反感も膨れ上がり、流石に屋台骨が揺らぎ、「時節到来」と倒幕の機運も、静かに盛り上がりつつあった。

そんな時に、皇位に目覚めた後醍醐天皇(第九十六代)が、突如現れた。

それは取りも直さず、地に潜っていた「勘解由小路党」を、そして幕府御家人衆に甘んじていた「源氏の血筋」を目覚めさせる事となった。この後醍醐天皇(第九十六代)、まさしく密教の申し子だったのである。

京都醍醐寺は、皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺であり、後醍醐天皇の支えだった。

その醍醐寺は、真言密教の教義を支持していた。従って後醍醐天皇は、真言密教を信奉していたのである。

本来、男女の交合は尊い物である。

男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛(法力)の為のエネルギーの源が、男女交合の歓喜パワーであり、密教理念としていた。

この教義を後醍醐天皇が信奉した事は、彼がしごく「人間的であった」と言う事である。

そして後の世で、その結果的意義が証明される事になる。

真言密教の理念は、けして浮ついた邪教ではない。

至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、間違いなく存在した。

それはそうだろう、武器を携えて破壊と殺戮(さつりく)に行くよりよほど良い。

ベトナム戦争当時、ジョンレノン・ヨーコ夫妻が「公開ベットイン」による反戦抗議をしたように、男女の和合は平和と安定のシンボルだからである。

精神的な愛に於いて、性交はあってもなくても良い。

そして独占欲はそれも愛情で有るが、それが愛情の全てではない。

その違いが判らないと、大人の対応は出来ない。全てに拘束を欲する愛情もあれば、全てを赦す愛情もある。

難しい所で有るが、愛し方はそれぞれで、自分と違うからと言って、愛が無いとも言いきれない。

空海(弘法大師)が唐から伝えた経典では、何よりも性に対する位置づけが「生命力パワー」と言う前向きな思想からなっている。

真言密教でも、その「生命力パワー」は認められていた。

それが政治的に迫害されるに至った訳は、これからおいおい明らかになる。

歴史の必然とは、後世に成って見ないと判らないものである。つまり、前が存在して初めて後が存在する。

偶然と思われた様々な事の集積が後の世で思わぬ事態に発展し、新しい歴史が噤(つぐ)まれて行くものである。



京都醍醐寺に文観弘真(もんかんこうしん)と言う僧侶がいた。

彼は先人で有る仁寛(にんかん)僧正を信奉し、その弟子が興した見蓮(もくれん)の真言密教立川流を継承していた。

勿論同じ醍醐寺に、文観弘真に対立する勢力もある。

後醍醐天皇(第九十六代)と文観弘真僧正が結び付けば、当然反対派もまた結び付くのが世の習いである。

話は、鎌倉時代末期の事である。

後宇多上皇(第九一代)の皇子・尊治親王(後醍醐天皇)は宋学者の玄恵や文観から宋学の講義を受け、宋学の提唱する大義名分論に心酔し、鎌倉幕府の倒幕を目指し、宋の様な専制国家の樹立を志した。

千三百十七年の文保の御和談に於いて花園天皇から譲位され践祚(せんそ)した尊治親王(後醍醐天皇)は野心満々で、平安時代の聖代(延喜帝・醍醐天皇や天暦帝・村上天皇の政治)のような復古的天皇親政を行うべく、当時の醍醐天皇(第六十代)に肖って自ら後醍醐天皇(第九十六代)と名乗り、手初めに父である後宇多上皇が行っていた院政を停止させ、天皇としての実権を確立した。


即位した後醍醐天皇(第九十六代)は、本来持明院統から出るべき次期皇太子を拒み、自分の系統(大覚寺統)から皇太子を定め、皇位継承問題で持明院を支持する鎌倉幕府と対立を始める。

京の地では、醍醐(だいご)寺が、勘解由小路党と文観弘真(もんかんこうしん)の活動の拠点になった。

これは、醍醐寺・報恩院の僧上「道順」の支援である。

道順僧正は後宇多天皇の信任厚い僧侶で、密教にも見識があった。

当時、道順僧正は真言密教立川流の奥義の第一人者だったのである。

ちなみに後の後醍醐天皇は、後宇多天皇の皇子である。弘真が後醍醐天皇と結びついたのは、「道順僧上の存在が在ったから」と言われている。

文観弘真(もんかんこうしん)は、大和の国・奈良西大寺の真言僧として、名を成した事に成って居たから、寺内でも一目置かれていた。

そして少しずつ、文観弘真(こうしん)の名も、世に知られるように成って行った。

この文観の本音で言えば、「理屈はともあれ」人間の性的欲求は自然なもので、「ただ禁じれば良い」は「好結果をもたらさない」と考えていた。

明確な信念だったから、その教義が崩れる事は無い。

揺らぎ無い信念は、「尊い悟り」と解される。

文観弘真の世間の評価は、おのずと「徳」の有る名僧侶に成っていた。

そうして、長い月日が過ぎて行った。


鎌倉時代末期、北条寺の僧・道順から真言密教立川流の奥義を学んだ文観(もんかん)は、「験力無双の仁」との評判を得ていた。

これを耳にした後醍醐天皇は彼を召し抱え、自身の護持僧とした。

文観は後醍醐天皇に奥義を伝授し、文観(もんかん)は醍醐三宝院の権僧正と出世した。

天皇が帰依したという事実は、文観にとって「大きな後ろ盾ができた」と言う事であった。

賀茂の錫杖(しゃくじょう)は、道順僧正から文観弘真(もんかんこうしん)僧正の手に渡っていた。

文観弘真僧正は、小野文観(おののもんかん)とも名乗っている。

実は出自不明と言われる文観弘真は、勘解由小路吉次の三男、伊勢(三郎)義盛の忘れ形見で、後に伊勢国(三重県亀山市 関町小野・旧鈴鹿郡関町小野)の国人武将となった小野(伊勢)義真の末裔小野(伊勢)弘真だったので有る。

伊勢の国(三重県)関町は戦国から江戸期にかけて火縄の産地として有名だった。


京都醍醐寺は、朝廷と深い関わりがある。

皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺である。

つまり天皇家の一方の守り寺である。

ついでながら、もう一方の皇統は、持明院統(後の北朝)である。

その醍醐寺僧正に、文観弘真(もんかんこうしん)がなった。

時の天皇は、野心旺盛な若き後醍醐天皇で、二人は意気投合する。

醍醐寺大覚寺統の密教僧侶達が仕込んだ事かも知れないが、高天原の執念(呪詛)の筋書きに違いない。

文観僧正は、後醍醐天皇に真言密教立川流を直伝する。

茶吉尼(だきに)天のイメージが演出され、衣服の透ける様な美女姿を宮中に現し、天皇は絶倫になる。

退屈な宮中生活にあって、これが「楽しくない」筈はない。

若き天皇は好色でこの教えを痛く気に入り、自ら実践する事で極楽浄土を体感し、教義は宮中に広がった。

後醍醐天皇の相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで、十六人に及ぶ親王(しんのう)、内親王(ないしんのう)を設けている。

この「子沢山」は、後の出来事を思うと、「歴史の必然だった」かも知しれない。

つまり、「皇統を繋ぐには親王(しんのう)が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。

「勘解由小路党の女人(白拍子)」も天皇相手に、歓喜の行で大活躍したのかも知しれないが、詳しい記述はない。

唯、夜な夜な「おごそかな歓喜儀式が、宮中で盛大に執り行われた」と、想像にするに難くない。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」は、九字呪法である。そして男女による「歓喜法」で「極楽浄土」を体現する。その強烈なパワーを持って、四方に幸せをもたらす。

この教えに傾倒した後醍醐天皇は真言密教立川流を保護し、文観を政務の補佐役にする。

文観の権力は強くなり、一時、日本中に真言立川流は広がって行った。


この辺から、雲行きが怪しくなる。

真言立川流が、余りの隆盛を見せた事で、真言宗右派(禁欲派)が嫉妬し、文観(もんかん)の立川流(左派)から、宗派の最高権力を奪取すべく行動を起こす「きつかけ」と成った。

右派が、後醍醐天皇の対立相手、大覚寺(持明院統方)と組んだのである。

これは、宗教上の権力争いで、醍醐寺統(後醍醐天皇)と左派(真言立川流)連合が勝っていれば、その後の日本の宗教観は変わっていたかも知れない。

「菩薩の境地」が、精神的抵抗無く庶民のものに成っていたかも知れないのだ。

だが、醍醐党が破れ真言立川流は衰退して行った。

つまり、負けた方が「弾圧された」のである。

そこに至る経過が、南北朝並立の争いとリンクしていた。


文観は、当時としては珍しく、八十歳と言う長寿を全うしたそうである。真言立川流の呪法の効き目なのかも知れない。

文観は死期を迎える僅か前まで、村娘を相手に日々のお勤めを欠かさず、真言密教立川流を守っていたのだ。
真言密教立川流(真言宗左派)は、対立する宗教勢力(真言宗右派)と結び付いた政治勢力(北朝方)が、南朝方に勝利すると、倫理観を前面に出して「淫邪教」の烙印を押されてしまった。

所が、本来の立川流の教義の形成経緯は、密教の命の持つ力(パワー)に対する純粋な信仰心と土着の呪術・占術を一体化した修験密教の教義を、誓約(うけい)の概念をも含めて理論武装し、再構築したもので、ただ単に淫蕩な目的の宗教では無いのである。

真言宗右派(反立川流禁欲派)と北朝(持明院統・光明天皇)、足利尊氏派が、真言宗左派(密教立川流・文観弘真僧正)と南朝(大覚寺統・後醍醐帝)、新田義貞北畠顕家派に勝利し、文観僧正に拠って頂点を極めた真言密教立川流は、急速に衰えて行く。

元々、仏教と儒教は異なる宗教であるから、仏教・真言宗の開祖・弘法大師(空海)が儒教を否定した。

その開祖・弘法大師否定した儒教思想を、主流と成った真言宗右派は、チャッカリ教義に取り入れて真言密教立川流を邪教とし禁欲の教義を広めた為、安土地桃山期には立川流はほとんど無くなり、江戸初期には完全に消滅してしまった。

実は、儒教思想採用後の「性欲を煩悩」とする宗教観は、一見正論の様で根本的に間違っている。

人間の「業(ごう/カルマ)」と言うものは、本能の事ように言われるが、実は、「知性・理性」と言った余分な事を考えるように成り、人間が利の追求の為に嘘つきに成り、手段を選ばなく成った事こそ「業(ごう)」なのである。

何故なら、素朴な生物本能に「業(ごう)」何てものは存在しない。

客観的に見れば、本来、素朴な筈の性行為に、特別な理由をつけたがるのが人間の悪い所である。

この教義上の争いは、人間の本質を生かして調和して行くのか、建前に紛らわしてしまうかの「せめぎ合い」だったのだが、結果的に建前に紛らわす無理な方法を採ってしまったのである。

しかし不思議な事にこの禁欲の教え、支配階級だけは血統の維持を名目に例外で、昭和の敗戦で民主憲法が出来る前までの永い間、天皇を始め、氏族(貴族や武士)から大商人まで「妾」を沢山こしらえて居た。

つまり、矛盾する事に姦淫を禁じられたのは貧しい民ばかりで、「お前らは家庭や社会を乱さず、真面目に働いて上納しろ。」と言わんばかりである。

もっとも、戦後の昭和三十三年までは、売春(公娼制度)が公認されていたから、儒教精神も諸々の仏教信仰も、かなり鈍(なまく)らの「建前」だったのかも知れない。


そこを取り上げれば、真言密教立川流が建前ではなく赤裸々に人間の本能に迫り、そこから人間の本質を生かして「調和して行こう」としたのは、それなりに一つの真理の探究ではなかったのか?


本来男性は、存在そのものが生殖本能の塊であり、今は社会環境(社会的制約)が許さなく成って、発揮する範囲が極端に減った。

だが、本来「男性の向上心や闘争心」の原動力は女性の存在である。

男性の基本的本能にある潜在意識は、女性と良い交尾する事で、その為に努力するように思考回路は出来ている。

この辺りの、否定出来ない男性の本能については女性の理解が必要で、そこを無視して女性の感性を押し付けるから、男性の向上心や闘争心が削(そ)がれて、頼り無い男ばかりが出現する事になる。

貴女の旦那様が、面白くも無い無気力で平凡な男性なら、それが貴女に原因があるかも知れない。

現在の社会事情では、当然ながら男性が無分別に「良い交尾」をして歩く事は出来ない。

男は、単純な生き物であるから、いたずらに本能が抑制されれば、力を発揮する意欲は自然に減退する。

そう言う制約の中で旦那様が本能に火を着けて、向上心や闘争心を発揮させるには、「貴女の心掛けが必要」と言う訳である。

つまり、貴女が妻や娼婦を使い分けて演じ、旦那様の本能に火を着ける事で、新しい未来が開けるのかも知れないのだ。

そうした貴女の心掛け無しに、ただ「頑ん張れ」と尻を叩いても、単純な男性としての旦那様は、餌も無しに向上心や闘争心が燃える訳が無いのである。

必要なのは人間と言う動物に「何が大切か」と言うと「発想の転換である」である。

頑(かたく)なに、既存の常識・建前を振りかざしていたのでは、自ら生き方を狭くするばかりで、けして得策ではない。

物事を柔軟に考えると、哀しいかな、動物の一種類としての人間の本能には、犬と同じに「優劣主従の関係」を欲求する心理的遺伝子が残っている。

これは群れを作る動物には必ず存在する自然本能で、後に発達した論理「人間平等精神」とは矛盾がある。

所が、人間界の建前ではその本能を無視し、「人間は平等だ」と奇麗事を言う。

そこで、その本能と建前の乖離(かいり)により、様々な問題が引き起こっている。

つまり一部の人間には、支配欲や被支配欲(支配されたがる)が深層心理に強く存在する訳である。

所が、世間の建前は「人間は平等だ」と言う事に成って、深層心理にフラストレーションが溜まる。

このはけ口が、時として学校での虐(いじ)めや家族内虐待に向かったり、絶対権力者を求めて新興宗教の教祖に、無条件で嵌(はま)ったりする。

果たして、性欲に蓋をするだけで様々な精神葛藤への癒しに事足りるのだろうか?

高齢者にだって、性欲はある。

世間の建前では、「良い年をして。」が、前提になっていて、老人の性は切り捨てられている。

何故ならば現代社会において、老人の性は社会秩序と相容れない制約環境に取り囲まれているからだ。

つまり老人達の生命の人間性を無視し、社会秩序の安定と言う別の理由の為に理性を強いているだけだ。

人間は、もてたいパワーから人生が始まり、もてたいパワーが、生きる希望や向上心の原動力になっているのは、誰も否定出来ない。

今でこそ、性欲の事をおおっぴらにする事を「はしたない事、社会秩序に反する事」と、密封されているが昔は違った。

弘法大師(空海)がもたらした真言密教の、鎌倉初期に封印された教えには、性は「生きる為の活力の元」と書いてある経典も数多くあった。

中国で古くから在る「医食同源」と同じように、「性は生に通ず」が、この教えの基本である。

勿論、「社会秩序を配慮する」と言う注釈付ではあるが、健康の為の特効薬である事は間違いない。

現代に於いて、高齢化社会の出現は社会問題になっている。

元気に働ける高齢者を創出する事が求められているのだ。

だとするなら、高齢者の性欲を否定する事は、彼らの生きがいを取り上げる事にならないのか。

この理解の無さが生きる気力を低下させ、精神や肉体の老化を促進させるとは考えられないか?

批判も多いと思うが、一つの真理である。


どうも都合の悪い過去は「無かった事」にするのが人間である。

真言密教立川流についても、現存する文献から導き出して「淫邪教とは別の信仰だ」とする研究者も多い。

しかしながら、我が国のみならず洋の東西を問わずに、権力に敗れた側の信仰の教義は根こそぎ隠滅されて当然である。

ましてやその教義が、勝った側の教義と正反対であれば、「無かった事」にしなければ都合の悪い過去である。

当然の事ながら、生き残る為や外聞を慮(おもんばか)って「文献の改ざん」などが行なわれる事、つまり「無かった事」にする事も有って然るべきで、現存する文献からのみ結論を導き出すのはバランスが悪い。

この物語の当初から申し上げている通り、現代まで残る文献には必ず何らかの意図が含まれるものである。

現在の社会合意の物差しから大いにはみ出しているこの「真言立川流」の存在に於いて、時代背景を考慮すれば「都合の悪い過去」として葬り去るには好都合の文献しか残らなくて当然である。

「始めに結論ありき」でそこを意図的にホジリ出して、無理やり「無かった都合の悪い過去に仕上げよう」と言うのであれば、それは少し違うのではないか?

それ故、あえて「真言密教立川流」の案外事実かも知れない俗説を採って物語を進めた。

「根拠」は何かと尋ねられれば、証拠がないので憶測の域を出ないが、後醍醐天皇が吉野へ逃れ、足利氏と持明院統(北朝)が勢力を拡大すると、醍醐寺大覚寺統の「真言密教立川流」は徹底的に弾圧されて先細りと成り、やがて衰退して消滅している。

一度広まった信仰を消滅させるのは、本来並大抵の事ではない。

それを攻撃し消滅させるには強力な材料が必要である。

この徹した「真言密教立川流」へ弾圧振りの理由が、かの教義が、髑髏(どくろ)信仰とまで行かなくても、「世俗的、かつ非禁欲的だったからこそではないか」と推察されるのである。


真言密教に大きく影響を及ぼした理趣経(りしゅきょう)の経典は、その基礎に大陸での「妙見信仰」がある。

実はこの妙見信仰は弘法大師・空海が経典として持ち帰る前に、既に大陸からの移住者(渡来人)達に拠って先行して伝来し普及していた。

そして列島独自の原始宗教と習合し、陰陽修験道として集成していたのである。

そうした経緯から、弘法大師・空海の真言密教は陰陽修験道とは一体化の道を辿り、総本山金剛峰寺は修験道の修行の地と成るのである。

さて妙見信仰の伝来当初は、渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であった様だが、次第に畿内などに広まって行った。

しかし朝廷の統制下にない信仰であった為、統治者としての統制が取れない。

神の威光で統治する朝廷にとって、庶民の間で勝手に広がった「妙見信仰」は危険な存在だった。

七百九十六年(延暦十五年・平安遷都直後)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。

表だった理由は「風紀の乱れ」であった。

これは何を意味するのか?

庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。本来、信心深いはずの庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?

命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからに他ならない。

元々「生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(性交)」なのである。気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。

日本における所謂(いわゆる)庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源(もと)であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交闇祭り文化」である。

つまり、建前(本音はただの性欲のはけ口かも知れないが?)子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。

例えば、京都・宇治の「暗闇祭り」、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で、相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。

京都府宇治の県(あがた)神社の「くらやみ祭り」は、明治維新まで無礼講の祭りだったのである。

こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事である。

◆【私の愛した日本の性文化飛ぶ。

当時の庶民感覚は、元々「性」に対しておおらかだった。

信仰が庶民に浸透して行くには、それなりの現世利益が必要で、「北辰祭(妙見祭)」は、当時の庶民が日頃の憂さをおおっぴらに晴らす有り難い行事として、「大いに支持された」と言う事だろう。

そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。


朝廷の「北辰祭(妙見祭)」禁止から十年、八百六年(大同元年)唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。


空海(弘法大師)が信徒獲得の為に目を付けたのが、北辰祭(妙見祭)禁止に対する「庶民の不満」である。

空海の教えは、身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる事)、口に真(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事により「即身成仏(煩悩にまみれた生身のままでも救われる)に成る事が出来る。」として「性」を積極的に肯定している。

この妙見信仰や、修験道と結び付いた弘法大師(こうぼうだいし・空海)の真言密教は庶民にも浸透して行った。

所が、そのライバルが現れる。

鎌倉期〜安土桃山期にかけて大陸で「元」が起こりその侵攻を避けて南宋から渡って来た知識人が朱子学等最新の「儒教」を伝て、否定されて一度は衰退していた「儒教」が幅を利かせ始め、日本の「性」に対する意識は主として支配者側と庶民側に二分して行く。


日本と言う国は、皇統を始めとする血統至上主義氏族社会が永く続いたので、現代の人々も未だに血統に対しては異常な程「氏族で在りたい病」として反応する。

現代人もそうした心理背景を思考の中に内在しているから希望的に先祖が氏族で在る事を望み、儒教・儒学(朱子学)を基本として採り入れた「武士道精神」などと言う綺麗事に騙され易い。

しかし勘違いしては困る。

言わば、儒教・儒学(朱子学)の精神思想は永い事「氏族の精神思想」で、江戸期にはその「忠孝思想」が「武士道(さむらい道)」の手本に成ったが、けして庶民の物では無かった。

つまり、当時の支配者側と庶民側の「性に対する意識の違い」を理解せずに、現存する支配者側の文献にばかり頼ると「暗闇祭り」の意味が理解出来ないのである。

庶民側のそうした風俗習慣は明治維新まで続き、維新後の急速な文明開化(欧米文化の導入)で政府が禁令を出して終焉を迎えている。

明治維新以後、保守的な漢学者の影響によって教育勅語などに儒教の忠孝思想が取り入れられ、この時代に成って初めて国民の統一した意識思想として奨励された。

つまり、かつての日本的儒教(朱子学)は、武士や一部の農民・町民など限られた範囲の道徳であったが、近代天皇制(明治以後)の下では国民全体に強要されたのである。


従って庶民の大半には、北斗妙見(明星)信仰や陰陽修験の犬神信仰、真言大覚寺派の教えも、明治維新までは根強く残っていたのは確かである。

この明治以後に初めて庶民にまで浸透した儒教的価値観を、まるで二千年来の歴史的な意識思想とする所に、大いに妖しさを感じるのである。

鎌倉期以後、京都五山、鎌倉五山等、禅宗寺院において研究された「儒教」は、やがて支配者側に浸透し、儒教を批判した弘法大師のお膝元真言宗も、一部が「儒教」の知識を取り入れて二派に分かれて行く。

もっとも儒教・儒学(朱子学)の精神思想が盛んだったお隣の韓国にも、都合が良い事に「奴婢(ヌヒ)身分」には儒教の精神思想は例外と言う両班(ヤンバン・特権貴族階級)と言う制度上の抜け道は存在したのだが、勿論「儒教」一派も都合の悪い事は意図的に考慮から外している。

後醍醐天皇の「建武親政」当時、皇統は大覚寺統と持明院統に分かれ皇統の継承争いに発展していた為、皇統護持の寺・真言宗醍醐寺も大覚寺統と持明院統に分かれ、弘法大師の真言密教を発展させた立川流の大覚寺派と真言宗に「儒教」を取り入れた持明院派の教義上の主導権争いがリンクしていた。

南北朝並立時代は、皇統同士の継承争い、皇統と武門の権力闘争、大覚寺派と持明院派の主導権争いが複雑に絡んで、南北朝四十五年、後南朝五十数年と約百年に渡り内乱が続いたのである。

南朝方の抵抗は続いていたが、国土の大半を統治下に収めた皇統持明院統と足利(源)尊氏、真言宗持明院派がほぼ勝利を収めると、当然の事ながら、「儒教」を取り入れた持明院派の教義が真言宗の主流となり、真言密教立川流は弾圧され衰退の道を辿って行く。

一度根付いた大規模な信仰を根こそぎ消滅させる事は、本来並大抵ではない。

そこで攻撃する為の信者さえ納得し得る大義名分(淫邪教と呼ぶ)が採用され、真言宗は殊更儒教色の強い教義となった。


近頃、金沢文庫(かねさわぶんこ)の文献を引用して真言密教立川流は「淫邪教では無かった」と唱える学者がいるようだ。

性的教えだから即「淫邪教」と決め付けるのは短絡過ぎるので「淫邪教では無い」までは賛成だが、金沢文庫(かねさわぶんこ)の文献を引用して別の名も無い一派を登場させ、その一派が「淫邪教」で在るかのごとく摩り替えるのはかなり無理がある。

室町期以後に「淫邪教」として散々弾圧し、衰退させた歴史的経緯がある「真言立川流」を、今に成って別の名も無い一派が「淫邪教」であって、「真言密教立川流は全く違うものだった」とする研究者が存在するが、それでは、一度根着いた信仰を徹して弾圧し根絶やしにする為の大儀名分はいったい何だったのか?

それを言うなら、太平記に「文観僧正の手の者と号して、党を建て、肘を張るもの洛中に充満して、五〜六百人に及べり」とある。

この記述に拠り、文観僧正が非人達を武装組織した「私兵だった」と言う指摘があり、徒党を組んで乱暴狼藉に及び婆娑羅な風俗を「洛中に蔓延させた」とされるが、歴史物語は主役敵役・敵味方が在って初めて面白くなる。

何しろは文観僧正は稀代の妖僧で、真言立川は淫邪教と鎌倉方と真言宗右派(禁欲派)に排斥されて後の記述なので、お定まりの時勢に沿った捏造物語かも知れない。

元々日本の仏教や神仏習合修験信仰については、弘法大師・空海や伝教大師・最澄が日本に持ち帰った経典の中にも、ヒンドゥー教の教義や祭祀の信仰は含まれていた。

ヒンドゥー教の国インドはカーマ(性愛)を生活の糧とする思想が在り、シヴァ神(破壊神)ダキニ天(荼枳尼天)カーマ・スートラ(インド三大性典のひとつ)などを生み出した思想の国だったから、日本に持ち込まれた仏教や神仏習合の修験信仰にその影響を与えている。

そして冷静に考えれば、「淫邪教」と決め付けるだけのエロチックな要素(必要条件)が「真言密教立川流」に存在しなければこの弾圧の根幹が説得力に欠ける話で、徹底弾圧の大儀名分足り得無いではないか?

その揺ぎ無い徹底弾圧の事実と、「別の名も無い一派が淫邪教」だったする事の整合性がない。

文章を読む基本の心得だが、文章を文面通りに読むかその中身を読み取るかは問題で、独創性が無い文面通りの鵜呑みを「此処にこう書いてある」と他人に主張するのは恥ずるべきではないだろうか?

ただ金沢文庫(かねさわぶんこ)の「文献に在ったから」と、南朝・後醍醐帝まで信仰した「真言密教立川流を全く違うものだ」とする事こそ、強引なこじ付けではないだろうか?

鎌倉幕府が滅亡した後、南北朝・室町幕府時代以後に金沢文庫(かねさわぶんこ)の文献を明治期まで管理したのは、真言律宗別格本山・称名寺 (しょうみょうじ)で、真言密教立川流については同じ真言宗門として生き残る為には、「有っては成らない」と言う都合が悪い立場の寺なのである。

そうした周辺事情を考慮すると、金沢文庫(かねさわぶんこ)の文献内容にも手放しの信頼は置けないのである。

事、良識派を気取る研究者の「有ってはならない」と言う希望的な意図する思いが、該当する文献を掘り起こした「研究成果」と、うがって考えるのは我輩だけだろうか?


そして真実から目を背(そむ)けられ、歴史も文献もでっち上げられて「無かった事にする」のである。

我輩は、時代考証に拠る推測で、現在とは違う宗教観や風俗習慣が「有って当然」と思うが、こう言うエロチックな伝承を取り上げると、直ぐに良識派を気取る連中が希望的作文で対抗してくる。

彼らの言い分は、「先祖がそんなにふしだらの訳が無い。や、子供達に説明が出来ない。または外聞が悪い。」と言うもので、けして明確な根拠がある訳ではない。

それでは伝承風聞の類は最初から検証をしない事に成る。

所が、公式文献より伝承風聞の類の方が案外正直な場合がある事を忘れてはならない。

伝説や風聞を疎(おろそ)かにする研究者は、本物ではない。

時の権力を慮(おもんばか)っての真実口伝(くでん)も充分に考えられ、真実の歴史を紐解くヒントは、伝説や風聞の中にこそ眠っているのである。

伝説の中に秘められたメッセージを、「謎解きの原資」としてその真実に近付かなければ歴史は語れない。


「社会的現実」と言うものは、時代と伴に変遷するものであるから、現在の「社会的現実」を持ってその時代の庶民意識や価値観を判断すべきではない。

実は、宗教(信仰)と言えども、常に「社会的現実」には迎合して変節するものである。

例えば、元々仏教と儒教は異なる宗教であるから、仏教・真言宗の開祖・弘法大師(空海)が儒教を否定していた。

所が、時代の変遷と伴に南北朝並立期の北朝・持明院統と結び付いた「真言宗右派」が、南朝・大覚寺統と結び付いた性におおらかな「左派・真言立川流」に対抗する為にその性に厳格な儒教思想を取り入れ、北朝の勝利に拠って左派・真言立川流を淫邪教として排除に掛り、仏教諸派が追随して儒教思想を取り入れた。

つまり真言原理主義からすると、生き残った真言宗右派は変節した事になる。


確かに性行為は生々しいもので、性行為中は誰でも不恰好な姿を晒(さら)す事に成る。

その上「外敵に無防備」だから隠れて性行為を行なうように成り、返って人間は「秘する喜び」を覚えた。

秘する喜びを覚えたからこそ、性行為が生々しいものに成ったのである。

つまり「秘する喜び」の裏返しに未成熟の子供を狙ったり、外身の下着に興奮する異常な感性を育てたのかも知れない。

そう考えると昨今のあまりにもエスカレートし過ぎた「性への嫌悪感」の風潮は、意味の無い行過ぎではないだろうか?

性行為中は不恰好ではあるが、性交が「美しくないから」と言ってそれが現実で、利巧な人間なら、例えグロテスクだろうが「人間には必要がある行為」と肯定すべきである。

それを宗教の戒律で「姦淫」と決め付け、性が関わると何でも「邪悪」としてしまい、返って社会を嘘で塗り固めてしまっているのではないだろうか?

はっきり言うが、「最初に結論有りき」の良識派を気取る人々の意見は、大衆受けはするかも知れないが信用は置けない。

性の現実に蓋をして、蓋をする故に現実が語れない。

つまり良識派の意見は真実の追究ではなく、「大衆受け」なのである。

そしてその証明の為には、意図的に改ざんされた後世の文献を、鬼の首を取ったがごとく取り上げる。

都合の悪い過去は「無かった事」にする為に、消極的な方法として「触れないで置く」と言う手法があり、積極的な方法としては文献内容の作文や改ざんが考えられるのである。

歴史の流れを読む事とは、バラバラのパズルチップをかき集め、当て嵌めて行く作業であり、断片を捉えても正しい答えは見えてはこない。

そもそも密教には、人間は「汚れたものではない」と言う「自性清浄(本覚思想)」と言う考えがある。

真言立川流弘法大師(空海)の「東密(真言密教)の流れを汲む」とされるのに対し、伝教大師(最澄)台密(天台宗の密教)でも男女の性交を以って成仏とし、摩多羅(またら)神を本尊とする「玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)」と言う一派があった事からも、性交を通じて即身成仏に至ろうとする解釈が密教中に存在したのは確かである。



この南朝方の存在は、どうした事か、遥か後の明治維新後、正式に認められて戦前の歴史教科書などに「吉野朝時代」と明記された事もある。

うがった考えだが、もしかするとその後の権力者達の朝廷離れの歴史を予測して、スペヤーとして二系統、「神が用意した」とするのは強引な解釈だろうか。実は、明治維新の折、この吉野朝(南朝)の皇統が、ひょっこり顔を出す、「奇妙な噂話」がある。それが妙見信仰、つまり真言密教所縁(ゆかり)の地だったのは偶然だろうか?


多々良姓は、周防、長門地方を平安時代の昔から長く治めた大内氏の古い姓である。

そして大内氏は、妙見信仰の最大の庇護者だった。

すると、南朝のお血筋を持つ親王を匿うには絶好の土地柄だった。

下松(くだまつ)市、光市、田布施町などの町々は、瀬戸内海に連なる北辰尊星妙見大菩薩(ほくしんそんじょうみょうけんだいぼさつ)と朝鮮半島、百済(くだら)の国の琳聖(りんしょう)太子の来朝帰化の伝承の地である。

この降星伝説、周防、長門に五百年間と長く君臨した「大内氏の政治工作」とも言われているが、いずれにしてもこの地では、妙見信仰は長く保護され人々に根付いていた。

南北朝時代には、大内弘世は南朝側として周防、長門の豪族を服属させ、「建武親政」に協力すると、正平十八年には一転、北朝側に寝返って周防、長門両国守護に任じられた。

実はこの寝返り、大内氏の存続を守りしいては南朝の皇子「良光(ながみつ)親王」を密かに匿い、守る為の算段だった。

庇護した皇子の南朝方が天皇に返咲けば、関白太政大臣も夢ではない。大内氏は戦国時代に配下の陶(すえ)氏に下克上に会い、その陶氏は毛利氏に取って代わられたが、大内氏の血脈が、「良光親王」の血統を守り、神主などの武門以外で多々良姓を名乗り、永らえていたとしても、不思議は無い。

この大内氏の密かな陰謀は、毛利家にも引き継がれ、良光親王を守って下向した藤原氏の枝、佐藤氏を名乗る世襲代官がこの地を代々ひっそりと守って明治維新を迎える。

この世襲代官・佐藤氏の家が、戦後総理大臣を輩出する地元の名家・佐藤氏だった。

防周(山口県)は本州最西端に位置し、大和朝廷成立前の神武朝の祖、須佐王(スサノウ)所縁の須佐町がある。

ある種、朝廷のスペアーが所在しても、違和感が無い。

藤原姓の前の姓は中臣(なかとみ)で、中臣鎌足(なかとみのかまたり)を祖とする呉族系の血筋で、隼人の一族である。

まだ、大和朝廷初期の頃は、関東から東北にかけては、朝廷の支配が及んではいなかったから、強い戦人(いくさびと)の協力が欲しかったのかも知れない。


源頼朝以前の、源氏の緒将の白い旗印には、十の字は良く使われていた事実がある。

源氏を武門の棟梁の血筋と決定付けた八幡太郎義家は、源義家と言い、頼朝の五代前の源氏の棟梁である。

鎌倉幕府の御家人の苗字も、薩摩の国人の苗字と共通するものが顕著に多いのだ。

この件に関しては謎が多く、決定的な繋がりは不明だが、薩摩の国人と源家の間にはかなりの接点が存在する。

そう考えると、源平の合戦で、平家が西国や九州を頼り、また一部が落人(おちゅうど)となって、日向の国の山深い所に落ち延びた事にも、何か、正反対の歴史的な裏付けがあるかも知れない。

この合戦で、平家が源氏に滅ぼされた事に、歴史的必然性があるとするなら、勘解由小路党もまた、「時代の要求と伴によみがえるもの」かも知れないのだ。

そもそも、戦国の大乱は室町幕府成立に端を発している。

後醍醐天皇の呼びかけに応じ、足利尊氏や、新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼし、後醍醐天皇が「建武の親政」(天皇の直接統治)を行うが、身近の宮廷公家を身贔屓して武士の多くに反感を買い失敗する。

やがて足利尊氏と後醍醐天皇(大覚寺統)が皇統問題で対立し、経過は割愛するが後醍醐天皇方が敗れて吉野に逃れる。

足利方は、光巌上皇―光明天皇(持明院統)を立てて室町幕府を成立させるが、吉野に逃れた後醍醐天皇方はこれを認めず、南北二つの朝廷が並立して、四十五年に及ぶ武力対立が続いた。

この戦い、後醍醐帝が皇子を各地に派遣した為、九州や東北の地でも、土地の有力者がそれぞれに組して戦った。

これを、南北朝並立時代と言う。

この騒乱のなかで、有力部将が力を着けたり失ったりしながら、入れ替わって行き、後の守護大名の成立に辿り着いて行く。

やがて守護大名は、勝手に領地争いを始め、幕府の統制は利かなくなる。

しかしながら、この入れ替えの学習が、その後の「下克上」に形を変え、戦国大名の割拠する時代を作り出してしまったのである。この戦国時代の幕開けを告げるのが「応仁の乱」であった。

つまり時の権力者が、朝廷に手を入れて、「意のままにしょう」とする時、或るいは天皇が自らの意思で、直接統治をしようとする時、日本中が混乱に巻き込まれるのだ。

それは、歴史が物語っている。


この南北両朝並立が、実は皇室が全ての力を失う重要なターニングポイントだった。

それまでは勘解由小路党を始め、曲がりなりにも「影人達」を確保して、帝なりに、朝廷なりに力を発揮していた。

所が、その多くが後醍醐帝(南朝)方だった為に、北朝・足利幕府成立後に敗退を重ねながら四散して行き、北朝は武力的には丸裸に近くなってしまった。

矛盾をかかえながらも、朝廷が抱えていた「諜報工作機関」の子孫達との直接的な繋がりが、完全に切れてしまったのである。

この事が、皇室としては手足をもがれた酷く痛い結果だったので、以後は形式の上の皇位として永い冬の時代を送る事になる。

そして朝廷は、「神の威光で統治する」と言う呪術的発想の「建前の世界にのみ」生き続ける事になって、明治維新までの永い眠りに付く事に成るのだ。

南北二つの朝廷が並立した時代の置き土産は、後の世に意外な形で芽吹く事になるが、それは遥か明治維新まで待たねばならない。

そしてもう一つ、これもまだ先の話だが、「承久(じょうきゅう)の乱」から三百五十年後に、平将門村岡五郎(平良文)の孫忠常(上総介)の「長元の乱」、平清盛のおごる平家、平(北条)政子「承久(じょうきゅう)の乱」、この「平氏の精神を継ごう」と言う阿修羅を背負った男が、忽然と現れる。





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裁判員制度シュミレーション

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未来狂 冗談 作

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未来狂 冗談 作

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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


未来狂 冗談 作

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「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

未来狂 冗談 作

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◆メルマガサイト◆
冗談 日本に提言する・・・(来るべき未来に)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 冗談の発想が詰まった内容です!
ぜひぜひ読んで、感想をお聞かせ下さい。
異論・反論も大歓迎!!

====(日本史異聞シリーズ)第六作====
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「小説・怒りの空想平成維新」

◆たったひとりのクーデター◆

未来狂 冗談 作

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{「たったひとりのクーデター}・・・・・・・・(現代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 特に経営者の方には目からウロコの内容です。
小説としてもおもしろく、実現できれば
不況は本当に終わります。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

非日常は刺激的

 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

◆仮面の裏側◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
仮面の裏側・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(現代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 人の心って複雑ですね。
とくに男女の恋愛に関しては・・・
ちょっとHでせつない、現代のプラトニックラブストーリー。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

非日常は刺激的

 

◆仮面の裏側外伝◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆{短編集 仮面の裏側・外伝}・・・・・・・・(現代)

◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 東九州で起きた連続怪死事件。
そして現代に甦るスサノウの命、
時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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侮り(あなどり)・・・・・・・(戦国〜江戸時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 天才信長とその最高の理解者、明智光秀。
だが自らを神と言い放つ信長は
「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

南北朝秘話・切なからず、や、思春期

◆茂夫の神隠し物語◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
茂夫の神隠し・・・・・・・・・(室町南北朝時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 誰もが通り過ぎる思春期、
茂夫の頭の中はHなことでいっぱい。
そんな茂夫が迷宮へ迷い込んでく・・・

====(日本史異聞シリーズ)第三作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

◆鬼嫁・尼将軍◆

未来狂 冗談 作

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鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 今は昔の鎌倉時代、
歴史上他に類を見ない「鬼嫁」が存在した。
その目的は、権力奪取である。

====(日本史異聞シリーズ)第二作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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【この作品群は著述業未来狂冗談(ミラクルジョウダン)の著作品です。】

公開はしていますが、
著作権はあくまでも作者にありますので、作者の了解無く
本作を引用等しないで下さい。
もし違法行為を発見した場合いは、法的手段に訴えます。
なお本作に登場する組織、団体、人物キャラクター等は創作であり、
実在の人物を描いた物では無い事をお断り申し上げます。

作 品 一 覧

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(18禁)夜鳴く蝉・葉月 作品をを見る

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(18禁)蒼い危険な賭け・京香 作品を見る

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(18禁)仮面の裏側・ナナ 作品を見る

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作者本名鈴木峰晴