無謀にも我輩は、この物語・皇統と鵺の影人で「日本人の大河ドラマ」を書き始めてしまった。
すると色んなものが見えて考察が面白く成っては来たが、気に成る事を見逃しては歴史の探求者とは言えない。
今まで整合性が無い為に疑問に思っていた日本史の謎が、このサイトで「一気に解決した」と言う評価が寄せられている。
この日本史検索で時代ごとの性風俗をエロチックなエピソードとして取り上げると、現代の倫理観に照らして声高に否定する感性が生まれる良識的な御仁(ごじん)も居(お)られる。
しかし日本の性文化は優秀な子孫繁栄装置だった。
そもそも、いかに不服でもその時代ごとに性風俗を形成された歴史的事実は認めなければ成らない。
時代が異なれば「宗教観や性への考え方」も違う。
宗教を政治に利用したり権力維持に利用するのは当然の発想である。
それで、国際紛争や反乱も興る。
日本で「キリスタン弾圧・島原の乱」と伝えられ通常解釈して居る事を解説すると、国家の「国策に宗教を利用している」と言う裏の現実が存在するから表面だけの解釈はお勧め出来ない。
スペイン(イスパニア)国王の布教資金支援されたイエスズ会の宣教師が熱心な布教活動をした狙いは「布教地の植民地化」と言う狙いの投資が在ったからで、当時の徳川政権が目的を見破り禁教弾圧したのは無理からぬところである。
キリスト教布教の宣教師はスペイン王の野望アジア制服計画へ織田信長の戦国統一を支援して利用する目的を持っていた。
織田軍団の鉄砲の玉に使われた鉛はスペインの宣教師のキリスト教布教目的からタイから輸入に助力していた。
つまりスペインの宣教師は武器支援して日本の歴史に介入したのである。
当ブログ・「皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集」は歴史関連記事で、時代に沿った記事内容が現代の社会風俗と比較すれば、当然異なる場合がある。
しかしその内容を、「歴史論」では無く個人が持ち合わせる「感情論」で評価されても議論は噛み合わない。
つまり、歴史的事実と言う「理性」では無く現代の風俗意識で判断する「感性」のみの判断基準で非難するのは品格に劣る稚拙な行為である。
時代ごとに社会常識が変遷するのは、歴史が証明している。
時代が異なれば「宗教観や性への考え方」も違う。
当ブログ・「皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集」は歴史関連記事で、時代に沿った記事内容が現代の社会風俗と比較すれば、当然異なる場合がある。
つまり、歴史的事実と言う「理性」では無く現代の風俗意識で判断する「感性」のみの判断基準で非難するのは品格に劣る稚拙な行為である。
現代では不妊治療技術が子種問題の解決の一旦を担っている。
だが、この技術が無い時代で「止む負えない手段」として庶民の知恵として、問題解決の方便として、「神からの授かりもの」と暗黙の了解を得ていたのが「祭りの夜の子種」の存在である。
歴史が現代化するとともに「女性の結婚の適齢期」という社会合意時期が遅れて、現代社会では三十歳頃の「ソロソロ結婚しようか」となる。
だが、江戸時代だったら「十五歳から十八歳が結婚の適齢期」で三十路(みそじ)は大年増(おおどしま)で結婚には敬遠される年齢である。
自然に「肉体的には出産適齢期」でも現代文明社会では「子育て大難時代」にしてしまいそれを塗布密閉する為に「淫行条例」と不自然な現実を創造してしまった。
十五歳では「社会生活能力や子育て知識能力が不足している。」との社会評価も有るようだが、かと言って自然に逆らい出産適齢期を逃したら、「少子化と言う人口不足」で社会基盤を維持出来ない。
つまり人類文明は必ずしも自然の摂理とは関係ない社会的合意を形成する。
古い歌詞に在るように「十五で姉いや〜あ嫁に行き〜。」が一般的な社会常識だった。
人間の生理学的には極自然に「出産に適しているのは母体が十五歳から十八歳」の時であるから現代の晩婚化は少子化問題とリンクしている。
従って子を為すのに母体の適齢期は「十五歳から十八歳」が正しいのにそれを言えば現在の社会合意に反して「不都合な事実」で世間から袋叩きに合う
つまり時代ごとに社会常識が変遷し、その時点での判断基準に照らして厳密に歴史評価を判断為さなければ成らない。
倫理的にも、時代ごとに社会常識が変遷すると言えば・・・「人間は働かなくては成らない」し{人間は殺しては成らない」そして「人間は盗んでは成らない」。
しかし時代に依っては、統治者の都合により「戦働き(いくさばたらき)で人殺し」が評価され国盗り物語が盗みを合法化して来た歴史が現実に存在する。
そもそも、物欲・金欲・色欲・権力欲、人間の煩悩(ぼんのう)である「野心」や「欲望」が絡まない「綺麗事の日本史」程、嘘っぽくて信用ならない物はない。
そして「欲望絡み」の、凄(すさ)まじい権力闘争こそが、歴史そのものである。
それを、「外聞が悪い」や「教育に良くない」と建前の綺麗事を重視して、本当の歴史を捻じ曲げ、又は「統治の為の政治的都合」や「信仰上の都合」で歴史を捻じ曲げてしまう。
歴史的に「イエス・キリスト」も「仏陀(ブツダ)」も「アッラー」も信仰を始めた人は「善意と誠意」に溢れて居ても後に続く品格無き宗教指導者が自分に都合の良い解釈をしてし権力に利用する愚を犯し「武力で他宗教を排斥」する。
自由主義や共産主義などのを利用した品格無き政治家の主義主張も同様で意見の違う者を指導者が強引に「武力で排斥しよう」とする・・「善意と誠意」でかんがみたら、凡(おおよ)そ見っとも無い現実である。
歴史に「虚(きょ/感性)」と「実(じつ/理性)」 が存在する。
例を挙げるなら広島・長崎核爆弾投下・・この広島・長崎 に対する米国民の解釈が問題なのである。
例えば、八月六日の広島原爆投下から七十年経った現在でも、米国民の半数を超す人達が「広島への原爆投下は正しかった」と理解している。
何故なら戦後の米国内教育が、長期に渡り「広島への原爆投下は、戦争終結の為に正しかった」と一貫して居たからだ。
これはもぅ各国の為政者が、自分達の為に創る「お定まりの「フェイク伝説(創作神話)」みたいな偽りの歴史例である。
しかしその広島原爆投下の現実は、一瞬にして地方の大都市を破壊し、ほとんどが非戦闘員だった十四万人強の人々を無差別に殺戮している。
それでもインテリジェンス(知性)溢れるあなたは品格無き宗教指導者や品格無き政治家を信奉するのか。
つまり現実には、「人間の強欲さ・・・こそが、歴史的事実を構成している。」と言っても過言ではない。
例えば、日本史の正史と伝えられる「古事記・日本書紀」は、現代の説明解釈ではその記載内容を証明できないまま、あくまでも「と、伝えられている」とされて居てその内容に疑問符が付いている。
本来、日本の国と日本人の成り立ちを考えるなら、「日本人の祖先は何処から来たのか?」と言う事の始まりから考える必要があるのに、「天孫降(光)臨伝説」と言う歴史的な捏造(ねつぞう)が、歴史学のまやかしになっている。
この国の歴史を扱うに及んで、問題にしたいのは「現実的な時間軸」を無視した強引な「卑劣なイデオロギー(観念形態や思想傾向)主体の主張が多過ぎる」と言う事である。
時代が異なれば、「宗教観や性への考え方」も違う。
当、日本史検索集・「皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集」は歴史関連記事で、時代に沿った記事内容が現代の社会風俗と比較すれば、当然異なる場合がある。
しかしその内容を、「歴史論」では無く個人が持ち合わせる「感情論」で評価されても議論は噛み合わない。
つまり、歴史的事実と言う「理性」では無く現代の風俗意識で判断する「感性」のみの判断基準で非難するのは品格に劣る稚拙な行為である。
歴史的に考察すれば、日本人と言う民族も本来日本人の元祖とされるネイティブジャパニーズは、ポリネシア・ミクロネシア系縄文人(蝦夷族)である。
良く、ナショナリズム(民族主義)を働かせて中国人や韓国人・朝鮮人を敵視する人物がいるが、現在の日本人には中国人や韓国人・朝鮮人をルーツに持つ渡来氏族の血脈を保持していて当たり前である。
確かに、永い時の流れに連れて各々(おのおの)の民族の考え方は違って来ているが、租を基にする近隣民族をその人種と言うだけで馬鹿にする者は傲慢である。
つまり、ナショナリズム(民族主義)や侍主義(武士道)を主張したがる人物ほど、実は一部を除いて渡来系氏族をルーツに持っている。
そして、国家の品格 などと言う耳触りの良い「たわ言」を聞かされて洗脳されてしまう。
恥かしい事に多くの日本人が、日本史の歴史的事実の実証に、「偉い人が言った」や「教祖様が言った」、或いは「私が思った」と言う本来根拠が無い不確(ふたし)かを「正しい」と主張する愚を犯す。
しかしその偉い人達が、「仁徳天皇(にんとくてんのう)」や「聖徳太子(しょうとくたいし)」のエピソードを、皇統と日本人の説話に永年使っていた。
周知のごとく「日本の皇統は凡そ三千年間の長期に渡る歴史を持っている」と言われている。
本来、日本の国の歴史と皇統は切っても切れない「日本人の精神的象徴」となつている歴史的実事が存在し天皇は民衆の尊敬を集めている。
日本人の成り立ちを考えるなら、「日本人の祖先は何処から来たのか?」と言う事の始まりから考える必要があるのに、「天孫降(光)臨伝説」と言う歴史的な捏造(ねつぞう)が、歴史学のまやかしになっている。
ヨーロッパや中国の皇帝は武力を持っ実力者の「取って代わろう」と言う野望に地位を奪われてきた。
ヨーロッパや中国と違い日本の皇統が永く続いた訳は時の実力者(領主)が民をひれ伏され納得させる「統治に裏つけ保障と証明」が必要だったからである。
日本列島に於いて、古来から統治に際する領主の地位の裏つけ保障と証明は天皇から授けられる形で存在していた。
だからこそ、どんな有力者が他から現れても連綿と天皇家(皇室)の存在が実力者(領主)の追認機関として成立していた。
日本人の永年培われた皇統を敬(うやま)う感性は脈々と続けられて来た。
しかしその天皇家(皇室)の保障と証明の裏つけは、古事記・日本書紀に関わる三種の神器(みくさのかむだから/さんしゅのじんぎ)と言う証明物の所持を以て納得させると言う手段しか無かった。
そう言う方の立場にすれば、心情的に「初期の古事記・日本書紀神話は、架空の人物の話」とは今更認め難いのかも知れない。
それらの、「邪心(よこしま)な歴史観の流布」を目的とした「粉飾された日本史」が、この世には幅を利かせている。
「俺はそうは思わない」も同様だか、正確な論証では無く、生かじりの漠然とした希望的歴史観の「個人的に思った事」を根拠に「正しい」と主張する人々も多い。
「俺はそうは思わない。」は、「思いたく無い事を否定する為の個人心情の言葉」で、確たる意味が無く、具体的事象を挙げての反論ではない。
誤解されては困るが、例え出発点が天孫降臨伝説や天皇制の根拠が歴史的な捏造(ねつぞう)であっても、二千年以上の歴史が在る天皇制の現在や各神社それぞれの歴史は、長期に渡り現存するのだからその現在を否定する訳では無い。
為政者は民衆に幻想や夢を持たせ、その民衆の行動を易々と操る為に創作された「フェイク伝説」の拡散手段を弄して目的を達成する。
だとしても、現実的でない天孫降臨伝説などの伝説の、そこは当時の統治上のフィクション(虚構)であり歴史的事実として主張してはならない。
歴史は、ミステリー(謎)とトリック(陰謀)に満ちている。
維新の十傑の内、岩倉具視を除く九名全員が明治十年前後の「紀尾井坂の変(大久保利通暗殺事件)」までに、暗殺もしくはなんらかの理由で死亡している。
十傑が去った後に明治政府を主導して行ったのは、何故か伊藤博文や山県有朋、井上馨と言った長州藩出身者に絞られた元老達である。
その歴史的事実に「隠された明治維新」にまつわる噂の謎のミステリーが存在する。
つまり正しい日本史を学ぶ者としては、これは綺麗事にフィクション(虚構)を創作して歴史や人間のの醜い部分を覆い隠すか、シリアス(まじめ/本気)に歴史捏造の意図を曝(さら)け出すのかの問題ではある。
罪な事に、結局庶民は権力者に都合が良い物語を、もぅ永い事「国の為と思い込み」、それを信じて同じ間違いの歴史を繰り返して気が着かないでいる。
現実的な整合性が無い伝説に、「何かがおかしい」と気持ちがピア(純粋)でなければ、邪(よこしま)な意図をもって創られた歴史の捏造(ねつぞう)はとても見破れない。
日本史評は、常に多数の国民目線でなければならず、益してや一部の主義主張や信仰などに組してはならない。
歴史には連続性が在り、歴史上起こり得る事象の要因には必ずそれ以前の事象が反映していても、多くは現在の価値観で解釈して居て、その洞察に対して欠落認識が無い。
つまり日本史の説は、あらゆる事象と整合性が無ければ確かとは言えないし、タブーが在っては本物とは言えない。
いずれにしても、不確かな日本史への問題提起は必要で、夫々(それぞれ)の立場を忖度(そんたく)していては正しい日本史は語れない。
従って、「綺麗事の日本史の、半分は疑ってかかる必要がある。」が、この「日本史検索データ記述者」の歴史探求精神である。
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