人間以外の動物達には「嘘偽(うそいつわ)り」と言うは行為はない。
「人が為(な)す」と書いて偽(にせ・いつわ)りである。
冗談ではない事に、多くの政治家や高級官僚や宗教家、時の総理大臣さえも、この見え見えの「嘘偽(うそいつわ)り」を、恥ずかしげも無く手段とする。
注)、政府・官僚の嘘偽(うそいつわ)りの例は、◆ 【隠し赤字の実体】を見て欲しい。
この赤字付け替えの「郵政民営化と道路公団民営化」が、小泉内閣の偽(いつわ)りの功績である。
何しろ年金法案は通過させる為に「百年経っても大丈夫。」と言って置いて、その舌の根も乾かない内に「宙に浮いた年金問題」が浮上すれば、「最後の一人まで照合する。」と言い、それも出来ないと判ると「あれは選挙の時だったから。」とシャアシャアしている。
まぁ、【偽装】の本家本元がこの国の内閣では、誰を信じれば良いのだろうか?
つまり【左脳域】 の理性や計算が発達した人間だけが、己の利の為に「嘘偽(うそいつわ)り」を、あたかも「テクニック」と位置付けて「恥」とも思わない者が指導者をしているのである。
これでこの国の指導者は未来の為に、子供達を「どう言う教育をしろ」と言うのか?
日本人は「本音と建前を使い分ける」と言われているが、実はこの「建前」は日本人のズルイ所で、体(てい)の良い「偽り」である。
他国の人間にすれば、建前が本音で無い以上はどう取り繕っても「偽り」以外の何ものでもない。
所が日本人は、「建前」を綺麗に言いさえすればそれで世間を渡り通って来たから、何でも「建前」で済まそうとして核心をはぐらかせてしまう。
ちなみに、この「建前」と言う言葉(単語)は、文化の中継地として我が国(日本列島)の歴史に大きな影響をもたらした筈のお隣りの国、「韓国(朝鮮半島)」でさえ存在しない日本独自の言葉(単語)である。
小生が小学生の頃は、米国から沢山の西部劇映画が入って来て盛んに上映された。
その頃印象に残った映画の台詞(せりふ)が「白人嘘つく、インディアン嘘つかない。」である。
汚れを知らない純真なインディアンは、白人より遥かに【左脳域的】な発想に疎(うと)かったが、それだけ自然に近い【右脳域】の本能的無意識リラックス状態で生活をしていた事になる。
馬鹿正直なインディアンは白人に騙され、また騙されて土地を追われ、自由を奪われて「居留地」と言う名の「狭い土地に押し込められる」と言う悲惨な時代を経験した。
小学生当時は「何と間抜けなインディアンだ」とは思っても、嘘をつく白人にも怒りを感じさせられた覚えがある。
今にして思うと、「白人嘘つく、インディアン嘘つかない。」の台詞(せりふ)に、当時の米国の西部劇映画製作に対する「作り手の良心」を感じる。
まぁ逆説的に言えば、この深い意味のある言葉を「単なるギャグ」にしてしまう日本人の感性に憤懣を覚えるようになるまでには、恥ずかしながら小生自身も二十年からの歳月を要したのが正直な所である。
それから五十年の歳月が経過すると、「人間の生き方」と言う重大なテーマは棚上げにした個々の偽装だけが取り上げられて、「人が為(な)す」と書いて偽(にせ・いつわ)りと読ませ、「インディアン嘘つかない。」の台詞(せりふ)にある深い意味を、考える余裕さえ忘れ去られて、偽(いつわ)りの氾濫する世の中に、現代人は生きている。
◆【美しくなれる興奮の解説・右脳・左脳とベータ・エンドロフィン】に飛ぶ。】
米国の精神は、良く言えば開拓者魂(フロンテェイア・スピリット)、悪く言えば「開拓」と称して他人の土地へ押し掛け、居座り強盗をしたのが開国以来の歴史的な精神である。
この歴史的な背景は、今日でも国際社会における米国の軍事力を背景とした利権姿勢に露骨に表れて来た。
言わば武力を背景にした経済外交をしているのだが、そうしたダーティな部分を建前で切り捨てて置いて、武力を持たない我が国を米国かぶれした首相と学者大臣は愚かにも「米国型と同じ様な自由経済社会にしよう」とした。
基本的に大きく体質が違うのに、自由競争経済の表の格好ばかり真似ても猿真似で、上手く行く訳が無いのである。
◆【拉致問題と日米政府の温度差に飛ぶ。】
アメリカ合衆国の先住民族の総称を「ネイティブアメリカン」と呼び替える動きが進んでいる。
「インディアン」と言う名称そのものが「差別用語だ」とする意見もあるが、小生に言わせれば差別すべきは「嘘をつく白人側」ではないだろうか?
つまり、純朴で心優しいインディアン(ネイティブアメリカン)は嘘をつかない。
その嘘をつかないインディアン(ネイティブアメリカン)を「劣る者」とする発想そのものが、現代人の【左脳域】一辺倒の偏重した認識である。
巨大地震
【浜岡原発の放射能は偏西風に乗って首都圏を直撃する!】
静岡県内陸〜紀伊半島沖〜四国沖にかけて「フィリピン海プレート」が、毎年四cmの速さで日本列島の下へ沈み込んでいる為に・この東海・南海・東南海域で百年から百五十年ごとにプレート境界型の南海トラフ巨大地震が起っている。
現在、小生が安全性を疑っているのは、「企業の食品偽装など」と言う小さなものではなく(最もこれも大きな問題ではあるが・・)国家単位の偽装が疑われる静岡・浜岡原発の「安全偽装」である。
浜岡原発は東海巨大地震の想定震源域の真上に位置し、しかも浜岡海岸の海底部は遠浅で津波の高さを依り高くする構造にある。
つまり浜岡原発は、巨大地震と巨大津波の被害に拠って制御不能に陥るシュミレーションが成り立つのだ。
政府や電力企業は「巨大地震が起こっても安全だ」としているが、【左脳域的】な発想に偏った人が「為(な)している希望的な言い分」ではないだろうな?
政府は原発を「安全だ」と言うが、年金法改正時も「百年経っても大丈夫」と言って、二年も経たずに「少子高齢化」が予想を上回って「情況が変わった」とアッサリ開き直る嘘つき政府である。
原発の耐震安全基準が必ずしもマックス(最大)の地震を基準にしているのではなく、その辺りの安全基準は原発の耐震能力に合わせ、万が一の時は地震規模が「予想を上回った」と言えば良い訳である。
平成十九年七月、柏崎刈羽(かしわざきかりわ)原発 が、新潟県中越沖地震の影響で多数の様々なトラブルを公表した。
国も東電も、柏崎刈羽原発 は「安全だ」と言い張っていて、この様(ざま)である。
そのトラブル原因が、「設計値を大幅に上回る地震だった」と言う話であるが、こうした事の基準は、少なくとも日本列島で過去に起こり得た最大値を入れるべきで、その地域に限定される過去の数値などで基本の数値を誤魔化して「想定外」と言えるものではない。
日本の政府・各省庁の官僚は、「先に目標ありき」でそれを為(な)す為に辻褄を合わせて都合の良い数値を置く。
つまり官僚の仕事は、「辻褄の数値に長けている」と言う事で、【左脳域】の論理や理性の範疇の仕事で、そこに【右脳域】の範疇の想像力が欠落しているのである。
「百年経っても大丈夫」の年金でも、基礎になった数値は実情に反する「希望的出生率」だった。
その辺りを突かれると、「国民に不安を与える」と言う何とも「隠蔽(いんぺい)体質剥(む)き出し」の国民を馬鹿にした論理を平然と言う。
この理屈は戦前の「大本営発表」と同じで、都合の悪い事は国民には報(しら)せる必要はないらしい。
統治者の論理で、人権を無視するのは民主憲法下では憲法違反であるが、歴代の自民党政権と官僚はこの統治者の論理を恥ずかし気もなく言い放ち、現在の自民党・福田政権に到っている。
原発の話に戻るが、いつ新潟県中越沖地震の数十倍規模の「巨大地震が有ってもおかしくない」と言われる、東海プレート上にある静岡県の浜岡原発も「設計値」が柏崎刈羽(かしわざきかりわ)原発とさして違いが無い恐れがある。
予測される「巨大地震(関東・東海・南海・東南海)連動型」は、「とてつもなく巨大な地震である」とその可能性を言われて居るので、「安全」と言い切る事に政治的な意図・偽(いつわ)りを感じる。
疑わしきは戦艦大和建造に代表される「決め事」に対する「己の保身の為」の頑なさで、一旦手を着けてしまったものは「見直さない」と言う融通の利か無さや担当責任の回避が、【戦艦大和症候群】である。
つまり、浜岡原発の安全性公表には【戦艦大和症候群型】の疑いがあるのだ。◆ 【戦艦大和の英霊に捧ぐ・そして靖国】
本来百パーセントでなければ成らない安全判定で、「予測の範囲内の地震では」と注釈が付き、本音で言う安全度は、何パーセントで「安全」と言っているのかが、大いに妖しいのである。
地震は岩盤(プレート)の破壊現象で、岩盤内に蓄えるられたエネルギー(ひずみ)が破壊によって解放される事で地震が発生する。
通常はマグニチュード九・0あるいはそれ以上の規模のエネルギーが蓄えられる前に岩盤は破壊され地震がおこってしまう為、マグニチュード九、或いは「それ以上の規模の巨大地震」と言うのは、ほとんど発生する事は無く、マグニチュード九・0を想定して耐震設計をしていればほぼ完璧かも知れない。
従って二千四年十二月二十六日に発生したスマトラ沖の地震は地震の発生規模としては限界に近いもので、過去百年で四番目の「巨大地震だった」と言う事ができる。
しかし、「滅多にない事」と「ない事」は明らかに違う。
例えば、観測単位が百年〜二百年間に遡ると大地震も大津波も結構頻繁に起こっていて、安易に想定外とはとても言いがたい。
現に徳川幕府二百六十年間に於いて、第五代・徳川綱吉(とくがわつなよし)の「元禄大地震と宝永大地震」と、この江戸末期の第十三代・徳川家定(とくがわいえさだ)の代の「安政大地震」の二度も起こっている。
にも関わらず、短い自分の人生経験だけを頼りに「今まで大した事無かった」と津波の規模を根拠なしに予測したり、「今まで事故が無かったから安全だ」は、まさしく間違ったアンカリング効果である。
マグニチュード九・0以上の規模の地震は「滅多にない事」とは表現されても、確率は低いが「ある事」である。
アメリカ地質調査所国立地震情報センターによると、スマトラ沖の地震が発生したのは二千四年十二月二十六日午前九時五十八分四十九秒(日本時間)、震源の位置はスマトラ島の西方沖で、北緯3.244度、東経95.825度、震源の深さは約十キロメートル、マグニチュードは九・0であった。
つまり巨大地震は確実に存在し、過去百年に発生した地震で最大規模だったのは千九百六十年のチリ地震でマグニチュードは九・五であった。
この時は、日本の反対側で発生した津波が二十二時間をかけて日本の海岸に到達し、死者を含む大被害をもたらした。
二番目は千九百六十四年のアラスカ地震でマグニチュードは九・二、三番目は千九百五十七年のアリューシャン地震でマグニチュードは九・一、スマトラ沖の地震はそれに続く規模であった。
なお、千九百五十二年のカムチャツカ地震でもマグニチュード九・0が記録されている。
スマトラ島沖巨大地震(M9・0)による被害が甚大な為、ニュース等で大きく取り上げられる事はなかったが、実は「前兆」と言える巨大地震がその二日前にオーストラリアのタスマニア島の南方沖でマグニチュード八・0と言う大規模な地震が発生していた。
また、スマトラ沖地震が発生した場所は、インド・オーストラリア・プレートがユーラシア・プレートの下に沈み込む所で、地震の多発地帯のひとつであり、最近では二千年六月五日にマグニチュード八・0の地震が発生している。
つまりスマトラ島沖巨大地震は、東海・南海・東南海と同じ連動型地震で、同じプレート上で大地震が続発している。
関東・東海・南海・東南海連動型の巨大地震帯は、まさにスマトラ沖地震と同様の地震の多発地帯である。
近年、東海巨大地震発生の切迫性が伝えられている。
百五十年サイクルで起こる巨大地震の危険地域・東海沖が、既に百五十年を地震発生を見ず経過している。
本来は「来ない越した事が無い」と思う地震ではあるが、今後先に行くほどエネルギーの蓄積が強まり、最大級に成る恐れが大いに有る。
東海巨大地震は、東南海、南海地震と連動して発生する可能性が高く有史以来五回発生しているが、そのうち四回はその直後から二年以内に巨大地震の南海地震も発生する事実で、東海、東南海、南海の巨大地震の発生メカニズムを歴史的に証明した。
記録が残っている過去の巨大地震を振り返ると、まず千五百八十六年(天正十三年)に「東海東山道地震」、その十九年後の千六百五年(慶長九年)に「慶長地震」が発生している。
そして次は「慶長地震」から百年後で、千七百三年(元禄十六年)に「元禄大地震(げんろくおおじしん)」が発生、その四年後千七百七年(宝永四)に「宝永地震」が発生している。
「宝永地震」から約百五十年を経た千八百五十四年(安政元年)に「安政東海地震」が発生、その三十二時間後と言う極めて短時間で「安政南海地震」が発生している。
また「安政南海地震」から約百五十年ほど経った千九百四十四年(昭和十九年)に「東南海地震」が発生、その二年後の千九百四十六年に「昭和南海地震」が発生しているが、この時は太平洋戦争中及び戦後の混乱と前後していて、至近の巨大地震でありながら記録が少ない。
以下は【巨大地震(関東・東海・南海・東南海)連動型】(皇統と鵺の影人より転載)
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千七百三年(元禄年間)に、突如、相模国から関八州(江戸府内/関東域)に掛けて巨大地震に襲われ、甚大な被害を出している。
この関東地方を襲った巨大地震は、「元禄大地震(げんろくおおじしん)」と呼ばれ、マグニチュードは八・一と推定推定される巨大地震だった。元禄大地震(げんろくだいじしん)は、後の、千九百二十三年(大正十二年)に発生した「関東大震災とは同型である」と解明されている。
甚大な被害を出したこの巨大地震で、元禄の好景気に沸いていた江戸府内周辺は、陰りを見せ始める。
所が、一度の大地震でも大変な事なのに、徳川綱吉の不運は元禄大地震(げんろくだいじしん)だけでは終らなかった。
僅か三年後の千七百七年(宝永年間)、今度は東海道が我が国最大級の大地震「宝永大地震(東海 東南海 南海連動)」に見舞われる。
宝永大地震は、現代に大警戒されている関東・東海・南海・東南海連動型巨大地震で、遠州灘・紀州灘でマグニチュード八・四の「史上最大」と言われる巨大地震だった。
そして、だめ押しするように宝永大地震から四十五日目、今度は活火山・富士山の「宝永の大噴火」が始まり、山腹に宝永山と火口が出現した。
「宝永の大噴火」は、噴火した灰が偏西風に乗って数日間江戸の街を薄暗く覆い、「市民の人心をも震撼せしめた」と伝えられている。
これが富士山の火山灰だからまだしも、もしもこの地区(浜岡原発付近)で巨大地震が発生、浜岡原子炉が破壊されれば、チェルノブイリ事故並に北関東や房総半島までも放射能汚染域になる。
即ち、関東ローム層と呼ばれる関東一円の「灰の地層」は、富士山の噴火に拠る火山灰が偏西風で運ばれて「関東一帯に降灰堆積したもの」と言われている事からも、万が一の浜岡原発の事故に拠る放射能汚染は、偏西風に拠って首都圏に舞い降りる危険が大なのである。
実は「貞観(じょうがん)の富士山大噴火」から五年後に、奥州三陸地方で貞観大地震(じょうがんだいじしん)が発生していて、火山噴火と大地震は何らかの繋がりが在りそうである。
浜岡原発が「静岡県だから」と言って首都圏地区が安全とは言えない。
つまり浜岡原発の死の灰ならば・・・静岡・山梨・神奈川・千葉・北関東から東北まで・・・・致命傷に成り得るのである。
けして静岡の浜岡原発は「首都圏から離れている」と安心してはならない。
つまり、この事態で最も危険なのは首都圏かも知れない。
そしてそこに住む者は勿論、死の灰の首都圏直撃が懸念されるだけに国家そのものが崩壊しかねない危険な位置関係に在るのが、巨大地震の発生を懸念される東海地区の真上に設置された「浜岡原発」なのである。
南海トラフの地溝に沿って、関東・東海・南海・東南海連動型巨大地震は、今でこそ百年〜百五十年周期で連動発生する事で知られている。
元禄・宝永大地震から約百五十年後、幕末の機運が高まった安政年間(江戸時代後期)、世情不安をもたらす「天変地異」が立て続けに起こる。
千八百五十四年(嘉永七年/安政元年)、東海道地区で「安政東海地震(マグニチュード八・四の巨大地震)」、その僅か三十二時間後には「安政南海地震(これもマグニチュード八・四の巨大地震)」と、立て続けに発生して居る。
その翌年の千八百五十五年、今度は江戸府内および関八州一帯に被害をもたらした「安政の関東大地震(マグニチュード六・九)」が起きている。
この巨大地震を安政三大地震と言い、関東地震(関東)、東海(静岡県)、東南海(中京〜南紀)、南海(南紀〜四国)と、しばしば連動する(同時期または二〜三年後に発生する)と言われ、「約百年〜百五十年の周期で活動期に入る」とされている。
安政三大地震は、関東・東海の各地に甚大な被害をもたらせる。
まだ地震を科学的に理解する時代ではない江戸末期、天変地異は民心を不安ならしめ、幕府の権威失墜には大きな力になっても不思議ではない。
ちょうど、黒船でぺりーが来航した時期(千八百五十三年〜四年の二回)と、この安政三大地震が重なるなど、幕府にとっては泣きっ面に蜂である。
この権威失墜に乗じて、反幕派による「尊皇攘夷運動」を引き起こし、千八百五十八年頃の「安政の大獄事件」にと、歴史の場面が移る事になる。
この関東・東海・南海・東南海連動型巨大地震に関しては、六百八十四年の飛鳥時代(あすかじだい)の記録以来、過去十数回の記録が残されている言わば地震の老舗(しにせ)みたいなものである。
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どうも、この関東・東海・南海・東南海連動型巨大地震に関して、東南海から関東に掛けてマグニチュード八超級の巨大地震が、その一つでも発生すれば、過去に事例があり連動する可能性が極めて高いにも関わらず、政府は「別々の地震」としてしか国民に予備知識を与えていない。
そうした危惧があるにも関わらず、静岡県知事は静岡空港の開港を強引に押し進めているが、その金があるなら浜岡原発を含む地震対策に費やすべきである。
特に高齢者世帯や独居老人など弱者は、やりたくても住まいに耐震処置をするなどの経済的余裕はない。
今回の「中越沖地震」でも、そうした高齢者世帯や独居老人など世帯が被害が大きく、倒壊して亡くなった方も高齢者が圧倒的である。
好い加減に、政府や官僚も「隠蔽体質」を止め、保身に走らないで国民に正しい情報を伝えるべきである。
予想される関東・東海・南海・東南海連動型巨大地震がマグニチュード八・0以上のものであれば、エネルギーは、阪神大震災(兵庫県南部地震)の「十五倍程度が想定される」と言う説もある。
この原発安全偽装疑惑がもし存在し、予測以上の連動型巨大地震が発生した時には、日本の人口が半減しかねない大惨事になるであろう。
関東・東海・南海・東南海連動型巨大地震は天災でも、その真上に設置された浜岡原発で起こり得る二次災害は間違い無く「人災」である。
それでも「安心安全」と応え続けるのであろうか?
何しろ、「年金は百年経っても大丈夫」と作為的強調をした前歴がある自民党政府を、貴方は信じるか?
「今度は大丈夫だ」と言った年金不明データーの照合作業の公約を、「あの時は選挙だった」と恥ずかしげも無く言い放っ政府を貴方は信じるか?
つまり偽りの本家本元として嘘偽りを重ねる政府が「浜岡原発は安全だ」と言っても、貴方に信じられるだろうか?
利の優先の為に、安全性を無視した過ちは過去に数が多い。
経済活動において、「巨大地震時の原発を安全だ」と信じる指導者は本物で、「巨大地震時の原発の安全を信じられない」と思う指導者が、それでも指導者であり続ける事はそれ自体が詐欺師である。
しかしながら、「原発を安全だ」と信じる指導者は、己の心をも詐欺しているに違いない。
一般庶民が、巨大地震時の我が家の倒壊を信じたくない心境だけで、「安全だ」と思いたがっているに等しい「根拠の無い心境」と同様だからである。
事が起こってから「あれは想定外の規模だった。」では、とても済まされない問題なのだ。
【追加文章】
経済産業省原子力・保安院は、二千四年のスマトラ沖地震でインドの原発が津波被害を受けた事で二千六年八月に勉強会を開き、五原発の津波深刻被害として「電源喪失」を指摘していた。
指摘五原発は、泊原発、女川原発、福島第一原発、浜岡原発、大飯原発の各原発で、文章に拠るといずれの原発でも原子炉建屋拠り一メートル高い津波で「全電源が喪失される」と指摘されていた。
しかしこの指摘を中部電力・浜岡原子力発電所は無視し、福島第一原発の大惨事を経て漸く対応を始めた程度である。
つまり中部電力・浜岡原子力発電所は「たまたま運が良かった」だけで、地震災害の順序が違っていたらトンデモナイ大被害を引き起こしていた事になる。
【若狭湾の原発再開、チョット待った。】に続く。
関連小論・【南海トラフ巨大連動地震と浜岡原発】に飛ぶ。
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