◆教科書に載っていない
【天の岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)の背景】に迫る。
【天照大神・天の岩戸伝説は只の神話か?】
【誓約(うけい)伝説は山の民と海の民の和合の手段だった。】
無謀にも我輩は、この物語・皇統と鵺の影人で「日本人の大河ドラマ」を書き始めてしまった。
すると色んなものが見えて考察が面白く成っては来たが、気に成る事を見逃しては歴史の探求者とは言えない。
普通の人間が思考すると、頭を使う事を面倒くさがって単純な白黒の答えで決着を着けたがる。
また、時の政権が統治の為に報じた定説を鵜呑みにして、思考を停止してしまう事も多々在る。
しかし物事の本質はそんな簡単なものでは無く、裏の裏にまで想いを馳せないと本当の真実には辿り着かない。
まぁ物事を深く考えず、不確かな伝承で満足している人間は余り知的とは言えないかも知れない。
日本の神話の始まりは中華大陸に近い九州(対馬海峡寄り)・山陰地方(中国地方日本海側)、太平洋伊豆七島及び伊豆半島地方に集中している。
これは、それらの神話が原則的に中華大陸の漢字圏から渡海して来た渡来部族が現住民族(蝦夷族)を統治する為に為した自らを神に捏造流布の神話だからである。
宗教を政治に利用したり権力維持に利用するのは当然の発想である。
先の大戦(大西洋戦争)時戦争遂行の為に「戦死したら靖国神社で神として祀られる」とまさに神を利用して国民に刷り込み教育をした事例もある。
出雲の大国主神話、九州の阿蘇・高千穂神話、九州の天岩戸神話、伊豆半島葛城ミステリーなど渡来部族が日本に上陸した足跡が記されて行く・・・。
その後渡来部族の日本統一を目指して、神武天皇の神武東遷により神話の舞台は畿内地方に移り大和朝廷が成立して神話の舞台は皇居のある場所になった。
大和国家創世期の物語は、渡来異部族が建国した小国家群である「倭の国々」の大和合の歴史である。
しかし困った事に、純粋な歴史観ではなく帰属意識や民族意識を主に為さんとした精神論的意味合いから創られる歴史観を主張する者も多である。
日本列島が最初から「倭の国である」と言うこの国の歴史的な誤解も、永い民族的歴史である誓約(うけい)の真実も、所詮帰属意識と建前の民族意識を優先して綺麗事の強情を張るばかりの「嘘付きの建前主義者」には真実は語れない。
精神論的な情を基本にした歴史など現実性に欠けるものは無い。
元々「天孫降臨伝説」は、先住民(蝦夷族/エミシ族)の存在を歴史から消し去る事を目的としてデッチ上げた伝説である。
その辺りを念頭に、我輩なりの「天孫降臨伝説」や鬼伝説を解釈してみた。
この事実と違う伝説神話の捏造の流布に依る都合の良い話題で民衆を誤解で酔わし扇動する統治手法は独裁為政者の特異な手法である。
この独裁為政者の特異な扇動手法は、嘘に嘘を重ねて民衆を破滅に導く「戦争」と言う歴史的過去を持つので人々は話に乗ってはいけない。
日向(ひゆが/宮崎県)は、天の岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)に始まる神話の地で、その天の岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)は、太陽神である地上の最高神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩屋に隠れて岩戸を閉じ、地上が暗闇の世界に成ってしまった事に始まる伝説である。
そもそもの天岩戸伝説に拠ると、陸地を支配する「天照大神」が岩戸に籠もった原因は、海を支配する弟神、「須佐之男(スサノオ)の命(みこと)の度重なる悪行に拠る」とされている。
この事は、我が国・日本列島に於いて、農耕民族系・加羅族(天孫族・山の民)と海洋民族系(呉族・海の民)の覇権争いを伝えているのである。
平穏な世界に災いをもたらす弟神、「須佐之男(スサノオ)の命(みこと)」は、何を暗示しているのか?
この須佐之男(スサノオ)の命(みこと)の「度重なる悪行」がこの物語のヒントで、異民族同士の支配地争いであれば大陸山間の稲作系民族と海洋民族の図式が成り立ち、実に判り易い。
つまり、大陸山間の稲作系民族の太陽神・天照大神(アマテラスオオミカミ)と海洋民族・須佐之男(スサノオ)の命が、「日本列島の覇権を争そっていた」と解釈できるのである。
日本列島に渡来した呉族系海洋民族が、九州北部で「倭の国々の一つ奴国(なこく)を造る。
その奴国(なこく)が、渡来系ながら部族が違う卑弥呼(比売大神・天照大神)が指導する農耕山岳民族・加羅族(からぞく)の邪馬台国(やまたいこく)に一時期は圧迫された。
やがて奴国(なこく)は九州南部で勢力を盛り返して、海洋民族国家・狗奴国(くなくに)が成立する。
その狗奴国(くなくに)が勢力を増して九州南部・中国・四国・紀伊半島南部に到る広大な地域を支配し、卑弥呼(比売大神・天照大神)の邪馬台国(やまたいこく)を圧迫する。
この天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐王(須佐之男)の誓約(うけい)に到る「天の岩戸の宴」への経緯が、二大勢力に分かれて戦った戦が倭国大乱である。
倭国大乱の件は、「卑弥呼系の邪馬台国」と「スサノウ系の狗奴国(くなくに)」が決戦の末に狗奴国が生き残って列島西日本を統一・神武朝を打ち立てた経緯である。
それにしても、部族同士の戦を何時までも続ける訳には行かない。
そこで考え出されたのが、誓約(うけい)に拠る部族の統合である。
この天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐王(須佐之男)の誓約(うけい)に到る「天の岩戸の宴」への経緯が、二大勢力に分かれて戦った倭国大乱(わこくたいらん)である。
倭国大乱の件は、「卑弥呼系の邪馬台国」と「スサノウ系の狗奴国(くなくに)」が決戦の末に狗奴国が生き残って列島西日本を統一・神武朝を打ち立てた経緯である。
この呉族系海洋民族国家・狗奴国(くなくに)と言う国名を良く見てもらえば一目瞭然で、大和朝廷が進めた修験道と狗奴国(くなくに)は大きく関わりがある。
そして伊豆七島から伊豆半島に起こった同じ呉族系海洋民族国家・伊都国(いとこく)が合流し、その指導者・賀茂葛城一族が大和朝廷の重席を担いながら、修験道の指導者となる。
修験道のイメージシンボルは天狗=(てんのいぬ)であり、統治者に都合が良い伝承を振りまいた修験者の目的だった天狗修験道の別名を「犬神様(いぬがみさま)」と言う。
我輩が指摘する「記紀(古事記・日本書紀)神話」など、為政者の権威の為になる情報操作は、ちょうど現代の「インターネットに拠る権威の崩壊」と真逆の位置に在ると理解して欲しい。
つまり現代のインターネット社会が、権威の為の情報操作を困難にして独裁が難しく成るだけに、当時の修験者に拠る「天孫降臨伝説」を紛れ込ませた「記紀神話」の流布は効果的だったに違いない。
日本の神話の始まりは中華大陸に近い九州(対馬海峡寄り)・山陰地方(中国地方日本海側)、太平洋伊豆七島及び伊豆半島地方に集中している。
これは、それらの神話が原則的に中華大陸の漢字圏から渡海して来た渡来部族が現住民族(蝦夷族)を統治する為に為した自らを神に捏造流布の神話だからである。
出雲の大国主神話、九州の阿蘇・高千穂神話、九州の天岩戸神話、伊豆半島葛城ミステリーなど渡来部族が日本に上陸した足跡が記されて行く・・・。
その後渡来部族の日本統一を目指して、神武天皇の神武東遷により神話の舞台は畿内地方に移り大和朝廷が成立して神話の舞台は皇居のある場所になった。
異部族・異民族も、誓約(うけい)の性交の後に生まれるのは両者混血の子供達で、この誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、シャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。
天の岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の胸も女陰も露わなストリップダンスの賑わいにつられて岩戸を少し開け、外を覗き見た所を手力雄命(手力王の尊/たぢからおうのみこと)が岩戸を引き開けて天照大神を連れ出し、天照大神のまわりに「しりくめ縄を引き巡らした」と言う神話が伝えられている。
この「尻久米(しりくめ)縄」の略したものが「しめ縄」である。
尻久米(しりくめ)縄の久米(くめ)は「出す」を意味している事から、直訳すると「尻を出す縄」と言う事に成る。
神聖な伝承に於いて、天照大神が「しりくめ縄を引き巡らされる」・・・この意味するものはいったい何だろうか?
解釈に拠っては天手力雄命は天照大神を岩戸から引きずり出して尻を出す形で縛り上げ「須佐之男(スサノオ)の命(みこと)に供した」と受け取れるのである。
こんな解釈をすれば嘘で固めた良識派の「尻久米(しりくめ)縄を巡らしたのは岩戸の入り口の方だ」と反発はあるだろうが、この「天の岩戸伝説」を解するに「異民族同士の誓約(うけい)儀式の顛末伝承」と考えれば「尻久米(しりくめ)縄」に神代誓約(じんだいうけい)儀式の「リアルな意味が込められている」とも解釈できる。
つまり「尻久米(しりくめ)縄」に掛けられた天照大神(あまてらすおおみかみ)が、須佐之男(スサノオ)の命(みこと)に供されて異民族同士の誓約(うけい)儀式が成立し、「異民族の和合が成立した」と言う生々しい話かも知れないのである。
長い争いの後、やがて両者は和解(誓約/うけい)に至り、海洋民族も神の子孫と認める為の「宴の席」が、岩戸神楽であるのだろう。
その和解(誓約/うけい)こそが、暗い世が終わり、「平和の陽光が大地に戻った」瞬間である。
この目出たい席に、ストリップダンスが供されたとしても、不思議はない。
天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男(スサノオ)が誓約儀式(うけいぎしき)を持って姉と弟に成り、海洋民族は弟神・須佐之男(スサノオ)の子孫として認められる事で、先住民の仲間入りしたのではないだろうか。
この時から、「海の文字を(あま・あめ)とも読む様に成った」と考えたら、納得できる。
従って、高千穂及び岩戸の二つの神社は、天の一族と隼人族の和合のシンボルなのではないか。
こうした神話は、血なまぐさい歴史を、復讐を繰り返さない為に、「建前の世界」に閉じ込めた祖先の知恵と言える。
これほど「聖母マリアの処女懐胎」と似たような「ご都合主義の解釈はない」と思うのだが、神話に拠ると天照大神と須佐王の姉と弟が誓約(うけい)に拠って子供を創る。
姉と弟が子供を創るのは不自然な事で、本来のメッセージは誓約(うけい)の和合に拠る「異民族(異部族)の合流(群れの一体化)を伝えている」と解釈するのが合理的である。
所が、天孫降臨伝説の「神の領域」に異部族など居てはおかしい。
それでどうやら、誓約(うけい)は「姉と弟の契約」と言う解釈に成り、二人とも神様だから姉と弟が子供を創っても神の領域の話しで「不思議は無い」と玉虫色の誓約解釈(うけいかいしゃく)をさせる。
我が国には古来から政治の事を「政(まつり/祭り)事」と言う表現が在り、隠語として性交をする事を「お祀り(祭り)をする」とも言う。
詳しくは第五章で記述するが、政治と性交の両者は我が国では「神事」として真面目に考えられていた多くの痕跡が残っている。
そして民族和合と言う誓約(うけい)の精神こそ最大の「政(祭り)事」であり、シャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。
この性交巫術に拠る政り事(祭り事)解釈は、実は明治維新に到る永い事、日本人の「性に対するおおらかさ」の原点になっていた。
実はこの神話の応用編とも思われる人身御供(ひとみごくう)の伝説と実行されていた「注目すべき神事」が、同じ日向(ひゆが/宮崎県)に「鬼八伝説の猪掛祭(ししかけまつり)」が存在する。
過って、医学の発達していない時代、庶民の間では寺や神社(小祠)と同じくらい修験道師(山伏)の存在は重要だった。
昔、病や怪我は祟(たた)りと考えられ、信仰深く素朴な庶民は恐れていた。
つまり、山深い里にまで足を運ぶ修験の山伏は、庶民の頼り甲斐ある拠り所だった。
その修験道の山伏達は、渡来した様々な鉱物や植物の薬学知識、精神ケアに要する宗教知識を駆使して庶民の平穏を願い、神の使いとして信頼を勝ち得た。
そこでは、密教・修験道の「山伏」が、その山岳信仰から山岳の主「日本狼」と重ね合わせて「神の使い大神信仰」と敬われて行った。
従って、その根底に流れている密教の北辰・北斗信仰の使いが狼信仰で、{狼=オオカミ=大神}と言う訓読みの意味合いもある。
「信頼を勝ち得る」と言う事は、裏を返せば「信じた者を操れる」と言う事である。
過去、陰陽寮を作ってまで宗教と占術を「国家がいじる」と言う歴史は、その目的があるからこそ存在した。
夢を壊して悪いが、各地の山里に語り継がれる「人身御供伝説」の仕掛け人はこの修験道の「山伏」と考えられる。
「乙女を縛(しば)きて吊るし、掛けに供し・・・男衆、老いも若きも列を成して豊作を祈願す。」
この縛(しば)きが「しめ縄」であるなら即ち乙女は「尻久米(しりくめ)縄」に掛けられた事に成り、いかにも性交呪詛の実行が伺われる。
鳥居内の神域(境内/けいだい)に於いては、性交そのものが「神とのコンタクト(交信)」であり、巫女、或いはその年の生け贄はその神とのコンタクトの媒体である。
祭りに拠っては、その神とのコンタクトの媒体である巫女、或いはその年の生け贄の前に「ご利益を得よう」と、神とのコンタクト(交信)の為に縛(しば)かれて尻久米(しりくめ)縄で吊るされた乙女に、老いも若きもの男衆の行列ができるのである。
高千穂神楽(たかちほかぐら)と所謂(いわゆる)「日本神話」との関係については、誰も異論は無いだろう。
だが、高千穂神楽を語る時、避けて通れないもう一つの「神話」がある。
それが高千穂に伝わる「鬼八伝説」である。
畿内への東征(神武大王(じんむおおきみ/初代天皇)の東征?)から帰郷したミケヌ(三毛入野命)は、後に神武大君(じんむおおきみ・神武大王・初代天皇)となるカムヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼琵古命・神日本磐余彦尊)の兄で、高千穂神社の祭神である。
そのミケヌが、「アララギの里」に居を構えた。
同じ頃、二上山の洞窟に住んでいた「荒ぶる神」鬼八(きはち・蝦夷族?)は山を下り、美しい姫・ウノメ(鵜目姫。祖母岳明神の孫娘)を攫(さら)ってアララギの里の洞窟に隠した。
或る時、ミケヌが水を飲もうと川岸に寄ると、川面に美しい娘が映って話し掛けた。
「ミケヌ様、鬼八に捕らえられているウノメをお助け下さい。」水面に映し出されたウノメの姿に助けを求められたミケヌは、他にも悪行を繰り返す鬼八(蝦夷ゲリラ)の討伐を決意する。
「心配には及ばぬ。私が必ず助け出す。」
ミケヌは、四十四人の家来を率いて鬼八を攻めた。
鬼八は各地を逃げ回った挙句、二上山に戻ろうとした処でミケヌらに追い詰められ、遂(つい)に退治された。
しかしそこは妖怪で、鬼八は何度も蘇生しようとした為、亡骸は三つに切り分けられ別々に埋葬された。
この鬼八伝説、単純に聞けばよくありがちな「おとぎ噺」だが、一説には往古の先住民族と大陸系征服民族の抗争が描写されていて、その先住民族の末裔達がこの地方独特の「ある姓を名乗る人々ではないか?」とも言われて居る。
後日談では、救出されたウノメはミケヌの妻となり、「八人の子をもうけた」と言う。
その後末裔が「代々高千穂を治めた」とされている。
処が、ここからが問題で、死んだ鬼八の「祟り」によって早霜の被害が出る様になった。
この為、「鬼八の祟り」を静める為に毎年慰霊祭を行う様になった。
「乙女を縛(しば)きて吊るし掛けに供し・・・」
「掛ける」は、古来より性交を意味する言葉である。
この慰霊祭の風習では、過って長い事生身の乙女を人身御供としていた。
だが、戦国時代に成って供される娘を不憫(ふびん)に思った城主・甲斐宗摂(かいそうせつ)の命により、イノシシを「乙女の代用とする事」とした、呪詛様式になった。
さて問題は、高千穂神楽(岩戸神楽)には陰陽師の呪詛様式が色濃く残っている点である。
この伝説自体に高千穂神楽との結び付きが出て来る訳ではないが、慰霊祭「猪掛祭(ししかけまつり)」は注目に値するのだ。
いかにも修験者の仕事らしい伝説だからである。
まずこの「人身御供」は、神代の時代からの伝承に基付き、戦国時代の甲斐宗摂(かいそうせつ)の命令があるまで、生身の乙女を供する事が続けられて居た。
すると、何者かが鬼八伝説を利用して、「人身御供」のシステムを作り上げ、少なくとも数百年間は、それが継続していた事になる。
「この伝説の中で始まった」とされる鬼八の慰霊祭も今日に伝わっていて、高千穂神社で執り行われる「猪掛祭(ししかけまつり)」がそれである。
猪掛(ししかけ)の「掛け」の意味は、人架け(獲物縛りに吊るされてぶら下がった状態の人身御供)である。
代替として「人身御供」の乙女の代わりに、社殿に猪を縄で結わえて吊り下げるからで、単純に考えれば以前は「人身御供の娘を結わえて吊るしていた」と考えられ、陰陽呪詛的な匂いを感じるのである。
「掛ける」は、古来より性交を意味する言葉である。
我が国では、四足動物を人為的に交尾繁殖させる行為を【掛ける】と言う。
この「掛ける」の語源であるが、歌垣の語源は「歌掛け」であり、夜這いも「呼ばう(声掛け)」である。
こちらは曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」の話であるが、「走る」の意味も「駆ける」であるが、当てる字が違う。
伏姫はフィクションで実在しないので、誰か女性が、忌み祓いの為に、犬を「掛けられた」と言う「昔話(伝承)が存在した」と解釈するのが妥当である。
そうなると、昔話の方は修験山伏の仕事と解釈するのが妥当である。
しかしこの獣姦、現代の感覚で考えてはいけない。
山犬は大神(狼)であり、犬公方と言われた五代将軍・徳川綱吉により、「生類哀れみの令」が発布される時代だった。
つまり、神の子を宿す神聖な呪詛である。
しかも「八っ房」と「伏姫」との「犬掛け」はあくまでも伝承であり、現実には天狗伝説に在るように天の狗(てんのこう/てんのいぬ)=修験山伏の行者の仕業なのである。
下総国(千葉県)に在る地名「犬掛」は、当主・里見義豊が叔父(父の弟実堯)の長男・里見義堯との家督相続の戦いに破れ自刃した不吉な古戦場跡で、鬼門の方角に当る。
今以上に信心深い時代の事である。
鬼門封じの呪詛を、里見家が修験道に命じて、密かに執り行った可能性は棄てきれない。
或いは曲亭(滝沢)馬琴が、その土地に密かに伝わる「人身御供伝説の噂」を参考に、作品に取り入れた可能性も棄てきれないのである。
つまり、曲亭(滝沢)馬琴の南総里見八犬伝は、山犬(狼=大神)信仰と人身御供伝説を江戸時代の当世風にアレンジした小説である。
曲亭(滝沢)馬琴の里見八犬伝の「八」は、日本古来の信仰から「八」を導いている。
八犬伝(八剣士)であり、犬の名は八房で、日本の神話のキーワードは「八」と言う数字である。
また、犬に関わる人身御供伝説は、日本全国に数多く存在する。
神話の伝承によると、スサノオ(須佐王)には、八人の子がいる事に成っている。
大八州(おおやしま・日本列島)、八百万(やおよろず)の神、八頭(やあたま)のおろち、八幡(はちまん)神、そしてスサノオの八人の子、つまり、子が八人だったので「八」にこだわるのか、「八」が大事なので無理やり八人の子にしたのか。
恐らく、「八」と「犬」に特別な意味合いが有るから「八犬伝」であり、他の数字では在り得なかったのだ。
岩戸に隙間を開けさせる歴史的きっかけになった神楽の原型は、「天宇受売命(あめのうずめのみこと)の胸も女陰も露わなストリップダンス」、と言われている。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸(天石屋戸/あまのいわと)に籠った時に、岩戸の前で踊った女神で、「宇受(うずめ)」は「かんざし」の意で、髪飾りをして神祭り(神楽舞)をする女神、更には「神憑った(かみがかった)女性の神格化を示す」とされている。
この天宇受売命(アメノウズメノミコト)のストリップダンスの伝説に直面すると、「これは子供には教えられない」又は「神聖な日本の歴史に、そんな卑猥(ひわい)な話は似合わない」と建前主義の発想が湧き、次に思う事は「その部分には触れないで置こう」か、「無かった事にしてしまえ」である。
表向きの奇麗事(建前)ばかり言って、事の本質に触れずに事を済ませてしまうのが日本人の妖しい所だが、その奇麗事が「歴史の認識にまで及ぶ」と成ると少しおかしな話である。
つまり巫女の神楽舞は、天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)の岩戸(石屋戸)神楽が原形である。
記紀(古事記及び日本書紀)の記述からは「神懸かって舞った」と読める天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、神託の祭事を行なう巫女である。
列島の民(日本人)は、「先住民(縄文人蝦夷族)と渡来系部族の混血だ」と言われていて、天宇受売(アメノウズメ)の夫神・猿田毘古神(サルタヒコ)は先住民(縄文人)、后神・天宇受売命(アメノウズメノミコト)は渡来系弥生人だった。
誓約神話に於いては、猿田彦が天孫降臨を感知して雲に上って上天し、「途中まで出迎えた(渡来を歓迎?)」とされ、その時天孫(渡来人・進入部族)は猿田彦に対し天宇受売命を「使者として交渉させた(誓約・性交による群れの一体化の儀)」と言う。
つまりこの夫婦(めおと)二神の役割もまた、「新旧民族の融和(誓約)の象徴」と言う訳である。
この夫婦(めおと)二神が、天狗(猿田彦)とオカメ(天宇受売)に成り、後世に伝承される神楽舞の面(おもて)として残った。
そして誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、シャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。
誓約神話(うけいしんわ)を、一人の人生に於いて「理不尽」と見るか多くの人々の民族の将来と言う観点に於いて「合理的」と見るか、これは単(ひとえ)に考え方の問題である。
いずれにしても、愛も情も許し合って初めて生まれるもので、部族間でイガミ合って居てはそこからは何も生まれない。
この夫神・猿田毘古神(サルタヒコ/先住縄文人)と后神・天宇受売(アメノウズメ/渡来系弥生人)の誓約神話(うけいしんわ)、そして太陽神・天照大神(アマテラスオオミカミ)と海洋民族・須佐之男(スサノオ)の命の誓約神話(うけいしんわ)が、他部族乱立の日本列島に初めて大和民族と言う統一民族を産み出す経緯を語っているのではないだろうか?
尚、この蝦夷(えみし/縄文人)族と渡来部族との異部族間の混血過程は、日本語の成立過程にも歴然と現れている。
我が国の「祭り(祀り/奉り)」の意味合いでは、政治を「マツリゴト」と表現し「お祭りをする」は性交の隠語でもある事の解釈であるが、これこそ天岩戸伝説を始めとする誓約(うけい)に拠る異民族統合を経験したこの国の成り立ち意味しているからである。
つまり最大の政(祭り)事(政治行動)が誓約(うけい)の性交に拠る異民族和平だったからこそ、祭事(祀り/奉り)=政治(マツリゴト)=性交(せいこう)と言う言葉への解釈に、同じ意味合いを持たせる共通認識が過去に存在したのではないだろうか?
国家を形成する重要要件の一つが帰属意識(きぞくいしき)である。
人間には帰属意識(きぞくいしき)があり、その帰属意識(きぞくいしき)は人種(民族意識)だったり国(国民意識)だったり、同一宗教や勤務先企業だったりするのだが、その根底に在るのは「人間が群れ社会の生き物である」と言う極原始的な本能にある。
また、その帰属意識(きぞくいしき)の形成過程に影響を与えるのが、この「群れ社会の生き物」と言う原始的な帰属本能と「集団同調性(多数派同調)バイアス」と言う心理効果の利用である。
この集団同調性(多数派同調)バイアスに関してだが、多くの場合は宗教指導者や為政者、またはその両者が協力して「信仰心や民話の刷り込み」が応用され帰属意識(きぞくいしき)を醸成して行く事になる。
天武帝や桓武帝が進めた古事記・日本書紀の編纂とその天孫降臨伝説を広める陰陽修験道師の活動は、正に帝の下に国家を統一させる為の国策だった。
つまり、大王(おおきみ/天皇)を始めとする渡来貴族(氏族)の支配層を「神」と主張する為のアリバイ作りが、「古事記・日本書紀」の編纂事業だった訳である。
古事記・日本書紀に於けるエロチックな神話から人身御供伝説まで、桓武帝が修験道師を使ってまで仕掛け、「性におおらかな庶民意識」を創り上げた背景の理由は簡単な事で、為政者にとって見れば搾取する相手(領民)は多いほど良いのである。
了
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