センセーショナルな事件が発覚して、連日テレビ局の報道番組が加熱気味の報道をしていた。
酷く残虐な事件だったが、その事件に対する警察の対応の悪さも指摘されて、日本中の到る所でにわか評論家も続出するほど話題になった。
それにしても、まさか一市民がそんな事件に関わる事に成るとは夢にも思わないのが極普通の現実である。
しかし私(中村茂夫)に、それは突然遣って来た。
平成21年9月3日、六十歳で定年退職をしたばかりの私(中村茂夫)は、予期せぬ形で国から仕事を命じられた。
国の仕事と言っても臨時のもので、平成21年(2009年)5月21日に施行された裁判員制度の次年度裁判員候補者通知を受けたのだ。
つまり次年度・・・平成22年度の裁判員候補者に選定された訳である。
しかしまぁ定年退職など寂しい物で、38年間勤めた会社も退職すれば翌日からプッリと縁が無くなり、そこにはもう居場所もない訳だ。
愚痴を言ってもせん無い事だが、人生の一番脂の乗っている時期に「会社、会社」とがむしゃらに生きて来て、年齢に達したら「はぃご苦労様」と僅かばかりの退職金と引き換えに「いったいあの会社で俺は何んだったのか?」と侘しさは、早くも翌朝からもう考えさせられる。
それにしても今は過渡期で少しは給付されているが、民間の退職年齢は60歳が主流の現在に、政府は散々納付させて置いて数年先の人間からはサッサと正式給付年齢を変更し「給付はカッキリ65歳からだ」としてしまった。
だが、その人達は給付が始まるまで「5年間どうして暮らせ」と言うのだ。
政府は口先だけで定年延長などと言うが、企業側は延長どころか早期退職を募っているくらいでその絵に描いた餅は誰が喰えるのか?
再就職もままならないこの時期に、この5年間のタイムラグは「運が悪い」では済まされまい。
とにかく退職を期に半年ほど休養して「ユックリと次の生活基盤を考えよう」と目論んでいた私(中村茂夫)は、まだ始まったばかりの裁判員制度に、まさか自分が裁判員候補者に成るなんて夢にも思わず強制されて関わってしまたのだ。
それにしても、素人が裁判で他人を裁く事は想像が着かない。
虫が良い話しだが正直気が重く、一般市民としては他人を裁く責任は持ちたくない想いが強かった。
裁判員候補者通知を受けて「これはえらい事に成った」と思ったが、その裁判員候補者に成ってから実際にお呼びが裁判所から掛かるまでが結構永い。
それこそ、その裁判員候補者通知を受け取った事さえ私(中村茂夫)が忘れかけた平成22年11月の、季節で言えば秋の色が滲み始めた下旬になって、裁判員候補者名簿の中から貴方(茂夫)が選定されたので「籤(クジ)引きに裁判所に来て下さい」と「質問票」と「呼出状」が自宅に送付されて来た。
この質問票に於いては、欠格事由「(法14条)=義務教育を修了しない者、禁錮以上の刑に処せられた者など、就職禁止事由(法15条)=一定の公務員、法曹など法律関係者、警察官などの身分の者、事件に関連する不適格事由(法17条)=被告人・被害者の関係者、事件関与者など、また辞退事由(法16条)=70歳以上、学生、重要な用務がある事、直近の裁判員従事事実」などの存否について質問される。
質問票の回答により、明らかに欠格事由、就職禁止事由、事件に関連する不適格事由に該当する場合および辞退を希望して明らかに辞退事由が認められる者については呼出しが取り消される事もある。
なお、質問票に虚偽の事項を書いた場合には、(法110条、111条)=50万円以下の罰金に処せられるか、または30万円以下の過料が課され、また呼び出されたにも関わらず、正当な理由なく出頭しない者は、(法112条)=10万円以下の過料が課される事があるなどと定められている。
正直迷惑な制度が出来たものだが、罰金や過料まで決められていて現在アラ還失業者の中村茂夫には断る理由は見つからないし制裁覚悟で跳ね付けるほどの余裕はない。
しかしこの裁判員制度、裁判結果に不満を言う庶民に「そんなに文句を言うなら自分で裁いてみろ。」と言われている様な気がしてならない。
裁判員制度に該当するのは、法律上合議体で裁判する事が必要とされている重大事件(法定合議事件)であって故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に関するもので、 例えば、外患誘致罪、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、強姦致死罪、危険運転致死罪、保護責任者遺棄致死などが地方裁判所の受理する事件である。
裁判員制度は刑事裁判第一審(地裁が管轄)に対応するが、事件が控訴されても控訴審に裁判員は関与しない。
なお、内乱罪は高裁が第一審の管轄であり、対象外となる。
裁判員制度の小冊子を見ていて私(中村茂夫)は「オヤッ」と思う事に気が付いたが、とにかく呼び出しに応じる事にした。
この裁判員が関わる裁判は、(法2条1項1号)=死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する罪の重い事件を、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ「日常感覚や常識」と言ったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図る事が目的とされている。
従って中村茂夫以下5名、計6名の裁判員と裁判官3名に託された事件も、想像を絶する陰惨な殺人事件だった。
本来なら地方裁判所の管轄で静岡地裁が行う裁判を、裁判が開廷される1日目の午前中にとにかく訳の判らない候補者70名程度が静岡地裁沼津支部に召集されて、その内から籤(クジ)引きで6名の裁判員と補充裁判員(予備員)3人が選任される訳である。
そして手続き上、候補者70名の内で集まった40数名の裁判員候補者の中から籤(クジ)引きで選任された6名の裁判員が、その日の午後には第一目の裁判に臨む事に成った。
その籤(クジ)引き当選者の中に不運にも私(中村茂夫)も居て、裁判員に選任された訳である。
当日選任された裁判員6名は性別・年齢・職業はバラバラで2名が女性、パート主婦で20代後半の石井茜と独身アラホー世代のキャリアウーマン山下良子、残りの男性は40代のラーメン屋の主人・安田にスーパーの鮮魚主任・真野、保険会社の30代管理職・竹上に定年退職した自分(中村茂夫)と言う構成だった。
厄介な事に、年齢最年長が私(中村茂夫)だったので、一応担当判事(主任裁判官)から内々でとりまとめを頼まれた。
裁判員が6名選任指名され割り当てられた事件は、主として静岡県内を中心に起こした凄惨な猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の容疑者四人の内共犯とされる未成年・B(19歳)についての裁判である。
加害者・被告人Bは未成年では在るが成人数ヶ月前に犯した犯罪であり、犯行の内容が未成年の許容域を超えるとしてBは少年審判所から刑事処分相当で逆送致されていた。
主犯のA、また別の共犯C・Dについては「裁判を分離して行う」と言うが、まぁ19歳でも死刑判決が出た例は無いでもないが、量刑についてはまさか主犯より重い刑には出来ないので主犯との兼ね合いが出て来る」と思われる。
そしてこの裁判は、公判前整理手続きが終わって弁護側は殺人罪に関しては最初から争そわない旨意思表示があり、有罪がほぼ確定して弁護側の方針も被告人が従属犯で在る事を前面に出して量刑の軽減を狙う方針で、ほとんど量刑の決定が争点になっていた。
公判前整理手続は非公開の為、裁判員はどのような論点が外されたのか知らされずに有罪無罪と量刑の判断をする事になる。
有罪無罪が有罪でほぼ確定していて弁護側が争そわないと成ると、量刑の判断を裁判官3名とこの6名で下す事になるのだが何しろこれが非日常の世界だから、素人には難しい判断だった。
法廷舞台と成った静岡地裁沼津支部は沼津市の駅前中心の駅前通りから旧国道を東へ500メートル、狩野川を御園橋で渡って通称八間通りに入って300メートルほど進んだ東側に建って居る灰色三階建ての建物だった。
この地裁沼津支部前の八間通りは、沼津から伊豆方面に向かう交通量の多い主要道路である。
行き成り初公判は「選任当日の午後一時からだ」と言うので午前中の選任指名後に私は一旦食事に帰り、正午過ぎに再び地裁沼津支部を訪れた。
その建物の裏手に在る駐車場に、かなりくたびれた愛車を乗り入れて裏口から入り裁判員選任通知を職員に提示して案内を請うと、別室に案内された。
裁判員及び補充裁判員は、公判期日や、証人尋問・検証が行われる公判準備の場に出廷しなければならない。
控え室には補充裁判員(予備員)も含めた9名が揃い、暫く待たされて時間きっかりに担当裁判官を名乗る男から裁判員としての注意事項等の説明を受ける。
しかしザッと見渡しても集まった9名からは積極性は感じられず、イヤイヤやって来た空気がかもし出されていた。
とは言うものの、この裁判員裁判は「俺は私は、難しい事は嫌いだ」と言っても、否応無く選任される国民の義務システムである。
公判が始まって入廷すると、既に中央裁判席に裁判官3名が座って居り、裁判員はその左右に3人ずつ着席する。
この制度で他に今までと変わった所は被告人の着席場所で、今までの様に真ん中に座るのではなく弁護士と並んで着席し腰縄と手錠も有罪の先入観を排除する為に裁判員の入廷前に外されている。
私(中村茂夫)を含む裁判員はこの時初めて被告人・B(19歳)を観たのだが、見るからに図体だけが大きいだけの余り知性的では無い印象だった。
この裁判員裁判は、連続4日間の評議で裁判員評決の上判決される事が目安になる。
審理自体は司法に不慣れな裁判員の為に極力専門用語を平易な言葉に直して、負担を減らす為に「休廷を挟みながら進行させる」とされている。
裁判官の開廷が宣言され、まずは担当検事から起訴理由の冒頭陳述が始まる。
裁判員の手元には既に判事(裁判官)から検事側の陳述調書の写しが配られていて、各自それを目で追いながら検事の陳述を聞く。
担当検事から起訴理由が朗読されたその事件の概要だが、「質問票」と「呼出状」が私(中村茂夫)の自宅に送付されて来たほぼ2月ほど前に発生した事案だった。
裁判所での判事(裁判官)に依る冒頭陳述は、何を審理するのかと言う審議内容の朗読である。
その冒頭陳述が終わると次は検事に依る起訴事実の朗読で、その残酷な内容とは思えない淡々とした口調で始められた。
事件が明るみに出たのは平成22年9月3日の事で、どう言う訳か警視庁が管轄外の静岡県まで出張って来て、静岡県富士市十里木の脇道を500メートルほど入った山林を掘り返して、埋められていたコンクリート塊から大手動車部品工場女子社員・和美さん(当時19歳)の変死体を警視庁の捜査官に発見された異例の事件だった。
被害者**和美さん(当時19歳)が、無職・主犯A(当時20歳)、日産自動車栃木工場社員・共犯B(当時19歳)、無職・共犯C(当時19歳)と富士市の女子高校生D(当時16歳)の4人に寄って集(たか)ってひも状の布で首を締められて殺害された事件で、女子高校生Dの証言により、その凄惨な事件の概要が明らかに成っている。
この事件の共犯B・Cは大手動車部品会社富士工場で被害者(和美さん)の同僚であり、共犯B・Cは主犯Aとは中学時代の一学年後輩にあたり3名とも富士市を拠点とした暴走族仲間だった。
さらにそんな悪党3人が沼津駅前の軟派ロータリーで女子高校生Dと知り合い、渋谷のディスコに連れて行くなど遊んで居る内に、不良女子高校生Dは主犯Aの女になった。
この被告4名は共謀の上、気が弱く人の良い被害者(和美さん)を被害者にして遊興費を巻き上げようと電話で呼び出し、猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行を加えた上被害者(和美さん)を殺害後に富士市十里木の山林に遺体を運び、和美さんの遺体を掘った穴に入れてコンクリートを流し込み遺棄した猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄の罪に問われている。
女子高校生Dに関しては「積極的にはこの犯罪に加担はしていない」と見られるが、当初から最後まで行動を共にし、本人は「もし矛先が自分に向くのを恐れて主犯Aの言い成りに被告3名などと情交に及び、和美さん暴行にも加わっていた。」と供述している。
主犯Aは静岡県警に勤務する警察官の次男として出生し、祖母に溺愛され甘やかされて育った。
実はこの主犯格Aは、言わば札付きの悪である。
少年法に守られて前歴が公表されて居なかったが小学生の頃から粗暴で、中学時代から非行を繰り返し、特に同級生を虐めで自殺させている。
同級生を虐めて金を脅し取る手口だったが、少年法の改正前の為「未成年者」が適用され、家庭裁判所で少年院入院の処分を受けている。
この主犯Aは静岡県警**署勤務の警察官の次男で、小学生の頃から非行をかさね、中学生当時には既に同級生から「100万円の恐喝を犯していた」と言う相当な悪だった。
しかし社会復帰後も更生する事無く犯罪の手口が巧妙に成っただけで、強姦まがいに少女を犯すなどしていたが、粗暴さから恐れられて被害者が泣き寝入りしていた。
つまり手が着けられない悪に対して法は無力で、むしろこの加害者を守ってさえ居る感が強い矛盾を感じた。
通信制の高校を退学後は暴走族に入り恐喝や傷害などで少年院入院の処分や保護観察処分を受けるなどの経歴を持っていた。
主犯Aが粗暴になった理由は推測されていて、幼い頃に警察官の父親に厳格に育てられてそれ反発した上に、母親がそれを庇って「甘やかしたのが原因」と分析されている。
共犯Bは会社員の父親とピアノ教師の母親の比較的裕福な家庭の長男として育ち、主犯Aとは小学校、中学校が同じで一学年後輩、共犯Cとは中学校で一緒になった暴走族悪仲間である。
共犯Bは高校に進学したが、体格が良くて周囲が恐れるを良い事に番長気取りとなり、暴走族に入っていた事が学校にバレて退学処分を受けた。
その後共犯Cは、主犯Aが当時勤めていた会社でとび職をしていたが長続きせず退社し、リーダ格の主犯Aの子分としてツルみ非行を繰り返していた。
共犯Cは母子家庭に育ち、高校3年の夏頃から暴走族に入り一年先輩の主犯Aや同級生の共犯Bら不良仲間とバイクを盗むなど非行を繰り返した。
高校卒業後、大手動車部品会社富士工場に就職し、そこで同期入社の女子社員・被害者(和美さん)に出会っている。
主犯Aは事件当時、中学・高校時代の級友を恐喝しては金を巻き上げ交遊費に充てていたのだが、体格の良い共犯Bを背後に構えさせてて恐喝すれば相手は大抵恐れて金を出した。
この事件の発端と成ったのは仲間内の恐喝で、共犯Cは最初は被害者だった。
平成22年6月25日、主犯Aは共犯Bと遊ぶ約束をしていたが金が無かった。
そこで2人は、「誰かを恐喝して金を巻き上げよう」と思案した結果、以前暴走族仲間だった共犯Cを思い出した。
共犯Cは大手動車部品会社富士工場に入社後に自動車事故を起こして入院し、その後は復職せず「ブラブラ遊んでいる」との風の噂を聞いていた。
主犯Aと共犯Bはカモにしょうと共犯Cを捜し回り、パチンコを興じている共犯Cを捜し出して借金(恐喝)を申し込んだ。
主犯Aは背後に暴力団が控えている事をチラつかせ、共犯Cは主犯Aが手に負えない粗暴な人間である事を知っているから逆らえずにサラ金の無人契約機で20万円を引き出さされて渡した。
これに味をしめた主犯Aは数日後、共犯Cに対して再度借金を申し込む。
共犯Cは、このままだと「際限なく金を巻き上げられる」とみて思案を巡らし、大手動車部品会社富士工場での同期入社の被害者(和美さん)を「身代わりにしよう」と思い付く。
共犯Cは主犯Aに「会社の同僚で和美と言う女が大人しそうだから、一度呼び出して輪姦(まわ)せば言い成りに金を貸してくれるさ」と提案し、主犯Aがその話しに喰い付いてここに被害者(和美さん)に対する猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件のリンチ集団が結成された。
7月2日、共犯Cは被害者(和美さん)を携帯電話で呼び出して「ヤクザの車をぶつけて修理代が要る」と泣き声で借金を申し込んだ。
人の良い被害者(和美さん)は、共犯Cの切羽詰った演技に同情し指定された場所に出かけて行くと共犯Cの背後には強面の主犯Aと体格の良い共犯Bが睨みをきかせていた。
小さい頃から人に親切で優しかった被害者(和美さん)は貯金から全額を7万円を引き出して共犯Cに渡した。
人の良い被害者(和美さん)は電話での呼び出しに応じてしまい、3名の男達に脅された恐怖の余り預金の引き出しを強要される恐喝の被害に遭ってしまうだが、被害者(和美さん)の余りの人の良さに主犯Aが気を良くし、翌日また呼び出して「これだけでは修理代にならない」とサラ金から30万円を引き出させる。
それでも被害者(和美さん)はが怯えて抵抗しないのを良い事に、さらに「金ずるにしよう」と考えて公園内で代わる代わる性的暴行を加え、その後「被害者(和美さん)が逃走しないように」とコンビニで購入した鋏と剃刀で頭髪を剃り落として丸坊主にし、眉まで剃り落としてしまう。
一方、被害者(和美さん)の両親は7月初旬から行方不明になっている娘が方々で借金を重ねて転々としている事に、何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとして静岡県警・**署の生活安全課を訪ねた。
だが担当官は父親に「お嬢さんは自発的に仲間と行動しているようなので、捜査する訳にはいかない」などと言って何の手立てもしなかった。
明らかに「十九歳(じゅうく)の不良娘が仕事もせずに遊び回っている」と言う判断の態度だった。
悪党3人組グループは「大事なカモ」である被害者(和美さん)を監禁したまま手放さず、主犯Aは、和美さんに会社の同僚や先輩に借金申し込みをする電話をかけさせ、和美さんが断ると殴る蹴るの暴行を加えた。
被害者(和美さん)は、職場では「真面目で親切で性格の良い女子職員」として高い評価があった為に、会社の同僚や先輩らは切羽詰った和美さんからの要請を拒否できず、サラ金から借金して被害者(和美さん)に金を渡した。
勿論この金は、主犯Aら3人に渡り交遊費に使い込んだ。
主犯Aは、共犯B・Cに見張りをさせながら、次々と被害者(和美さん)の携帯電話に登録された親友たちに被害者(和美さん)から電話をかけさせ、呼び出してはその親友の前で被害者(和美さん)に暴行の限りを見せ付けて親友を脅し、いたたまれないようにして被害者(和美さん)の借用の形で親友達から20万円〜200万円の自動融資を受けさせる。
そして巧妙にも親友達には、あらかじめ用意した借用書に「返済出来ない時は親が返済致します」と被害者(和美さん)に署名させ、和美さんの親に返済させて恐喝には成らない体裁を整える。
結局Aら四人は、被害者(和美さん)が殺害される2ヶ月間で被害者(和美さん)とその両親から親友達の肩代わり分を含めて都合620万円を巻き上げ脅し取っている。
この強制的な借金行為には相手となった多くの現認者が居たのだが、犯行グループの特に主犯・Aに拠る被害者(和美さん)への目の前での暴行に、同情して金は貸せたものの主犯・A残忍凶暴さに恐れを為し、自分に危害が及ぶ事を避けて口を噤んだ為、両親にも正確な情況は伝わらず警察への証言に協力する者も居なかった。
いざとなれば、皆自分が一番可愛いものだろうが、両親の必死の問い掛けにも一様に口が固かった。
8月12日、両親は再度**署を訪ねた。
父親は担当官に「無断欠勤したとこがない娘が7月2日以来ずっと会社に出社しては居らず寮へも戻った形跡がない事、携帯電話が電源を切られていて通じない事、金を貸した友人の話では娘の背後に複数の男達が居て頭を剃られていた事などの「かなり異常な状態だ」と情報を伝えた。
ところが、その担当官は最初から親身に成る素振りも無く、ボールペンをグルグル指で回しながら「でも今回の件はお嬢さんが自分で(友人から)お金を借りてるんでしょ。」と取り付く暇も与えない。
そればかりか、「複数の男達が居るとは達者なお嬢さんだ。借金を繰り返して遊んで歩くのなら悪いのはあなたのお嬢さんで、借りたお金は他の仲間に分け与えて、おもしろおかしく遊んでるんじゃないの?警察はねチャンと事件に成らないと動けないのですよ。」と信じられない言葉を吐いた。
それには理由があり、突然の我が子の不可解な状況を理解できない和美さんの両親は、大手動車部品会社富士工場に相談していた。
だが、そこに待っていたものは、電話で呼び出した被害者(和美さん)との聞き取りと、会社に呼び出した共犯Cに対して会社が行った社内聞き取り調査が書類にまとめられ、電話で話した和美さん(脅されていて正しい証言ができない)と、面談した共犯Cの証言を鵜呑みにした「調査報告書」が既に用意されていた。
つまり、脅されて金を貸せた被害者(和美さん)の同僚や先輩から、会社にも「不信な情況在り」と報告が上がっていたのだ。
会社側には最初から社員間の事件トラブルを避けたい意向が在り、その「調査報告書」には、「**和美が嘘を言っていると思われる。」と記されてあった。
だが、気が動転していた両親はその文面を良く目を通さず会社の意図が理解できないまま、総務の人間(その大手動車部品会社富士工場に県警から天下った)に言われるまま「調査報告書」を添付して**署に捜索願いを提出してしまっていた。
それからと言うもの、両親が何度**署に足を運んでも大手動車部品会社富士工場の「調査報告書」を鵜呑みにして、返って来る言葉は、「おたくのお嬢さんが、仲間に金を与えて面白おかしく遊んでるんだろう。」とか「そんなに大金を借り歩いているのは、麻薬でも犯ってるんじゃないのか」と両親の言を取り合わない。
その間に主犯Aら4人は、最初は富士、沼津、御殿場界隈のモーテルや各自の友人の家に被害者(和美さん)連れ歩いて泊まった友人に小使い銭を稼ぎ目的で輪姦(まわ)しに加わらせて主として和美さんに性的暴行を加えたり更に女子高校生Dを加えた乱交などして愉しんで居た。
しかし友好費目的で被害者(和美さん)に加える暴行(リンチ)が重なると、次第に被害者(和美さん)を支配する為の暴行(リンチ)がエスカレートして行く。
被害者(和美さん)に加えたリンチは想像を絶する残忍なもので、主犯Aらは被害者(和美さん)を監禁状態にして静岡県内や東京都内を車で連れまわし、所持金が無くなると被害者(和美さん)に借金を強要する。
和美さんが断ると「熱湯調教」と称してホテルのシャワーを熱湯に調節して全裸の被害者(和美さん)に向けて「お金の工面をします。」と言うまでその熱湯をかけた。
主犯Aら4人は、逃げようとする被害者(和美さん)に殴る蹴るの暴行を加えたり、体中に殺虫剤をかけてライターの火を点けるなど凄まじいリンチを加え、被害者(和美さん)の正常な意志を恐怖で奪って行く。
この結果、被害者(和美さん)は重度の火傷(ヤケド)を負ったが4人は治療するどころか、何らかで不愉快になると和美さんに当たり「熱湯調教だ!」と言っては連日連夜リンチを行った。
両親が何度**署に足を運んでも大手動車部品会社富士工場の「調査報告書」を鵜呑みにして両親の言を取り合わず、警察は動かなかった。
そんな対応を警察にされている間に犯人等は、被害者(和美さん)に対し毎夜ホテル内の浴室で熱湯シャワーを浴びせて借金を強要していた。
それが、元々残忍な性格の主犯Aのその行為がドンドンとエスカレートし、殺虫剤スプレーにライターで火を付け、和美さんが泣き叫び、もがき苦しむ姿を笑い楽しむ様に成る。
挙句に彼等は、ホテル内に用意してある湯沸しポットのお湯を沸騰(90℃以上)させ、何杯も被害者(和美さん)の全身にかけた為に皮膚は剥がれ落ち膿が滴り落ちる「悲惨な状態であった」と言う。
8月22日、被害者(和美さん)から両親に「お願いだからお金を振り込んで欲しい」と懇願する電話があった。
危険を感じた父親は、入金すると同時に銀行へモニターチェックを依頼した。
その日の午後、銀行の支店長から「お嬢さんらしき人が男数人に囲まれて現金を引き落としている映像が見つかりました。お嬢さんの顔は火傷を負っている様です。」と慌てた連絡があった。
早速その録画映像を借りた父親は確信を強め「一刻を争う」と**署へ電話で連絡したが、その担当官は「フーン、それじゃあ、もしかしたら刑事事件になるかも知れないなぁ。でも本当にそうなら自分で逃げ出す筈じゃないかな。」と電話口で言っただけで、何ら手立てを講じる気配はなかった。
父親が更に「あのぅ、本人は怖くて逃げられ無いんじゃないかと思うのですが。」と食い下がると、「だけどねぇ、監禁されているならともかく一緒に行動して本人の友人達とも会って金を借りているんでしょ。逃れたい気なら自分で意思表示するでしょうが。それじゃあ事件性は認められないですよ。立て込んでますのでもう切りますよ。」と一方的に電話を切っている。
結局、被害者(和美さん)が殺される2ヶ月間に両親は10回以上、**署をはじめ別の警察署にも相談したが警察は「事件性はない」とまったく動かず、そうこうしている内に運命の電話の日が来る。
9月3日、運命の電話の日に被害者(和美さん)の父親は**署を再訪問する。
父親は警察が動いてくれない事で自分の力で容疑者を捜し当てそその親を**署に同伴したのだが、それでも例の担当官は「また来たのか」と言う迷惑そうな態度であったこの時、被害者(和美さん)の父親の携帯電話が鳴り、電話に出ると和美さん本人の金の工面の懇願だった。
この掛かって来た我が子からの電話を聞かせれば「娘の被害状況を全てを理解してくれる」と思った父親は、「今、お父さんの友達が居るから。電話を代わるから。」と担当官に携帯電話を差し出して電話に出てもらった。
幾らなんでも直(じか)に娘の声を聞けば、流石に担当官も情況を把握する筈だった。
所が、この担当官は携帯を受け取るや否や「**署の者だ。**の警察だ!。」と名乗って「早く帰って来なさい。」と家出娘に説教をするように和美さんに非情な言葉を投げ掛けてしまった。
その直後、被害者(和美さん)からの電話は「プッン」と切れた。
恐らく被害者(和美さん)は、主犯Aらに囲まれて金の催促を父親に電話するように言われ、リンチを受けた末の電話だった。
その電話に行き成り警察官を名乗る男が代わった事が、被害者(和美さん)の運命を決めてしまった。
電話口に警察が出たので、主犯Aらは「警察に知られた。刑務所に行くのは絶対に嫌だ。殺して埋めるしかない」と共犯Bと共犯Cに指示した。
結局、この共犯Bと共犯Cの2人が殺害の実行犯となり9月3日に静岡県富士市の山林で被害者(和美さん)をネクタイで絞殺したのだった。
被害者(和美さん)殺害から2日後の9月5日、彼等と行動を共にしていた女子高生Dは流石に怖くなって、遊びに出かけた東京で隙を観て彼等と離れ警視庁・**署に自首した。
動かなかった静岡県警とは異なり、警視庁の対応は迅速だった。
翌朝、女子高生Dの供述を基に日の出を待って本庁から殺害現場へ直行し、山林にコンクリート詰めにされて埋められていた被害者(和美さん)の遺体を発見した。
この猟奇的事件は直ぐにマスコミで大々的に取り上げられ、犯行グループの主犯A、共犯B、共犯Cの3名は指名手配されて行方の追及が始まった。
9月6日の事件発覚から連日マスコミの報道合戦が続く中、四日後の同月10日に警視庁は東京に潜伏していた主犯A、共犯B、共犯Cを死体遺棄の疑いで逮捕し、その後本人達の自白などで容疑を固めて殺人に切り替えている。
検事に依る論告求刑は、被告人の行為は稀に見る残虐行為であり被害者(和美さん)や残された遺族の心情を思うに19歳と言う年齢を持ってしても「死刑判決が相当」としている。
それにしても被害者(和美さん)はどんなにか怖ろしくまた無念だった事だろうか、そしてご両親の無念は察するに余りある。
犯人は逮捕されたが、被害者(和美さん)は帰って来ない。
警視庁の調べでは、「もっと早く警察が動いていれば」と悔やまれる事件だった。
所が、被害者(和美さん)の両親が県警の不手際を告発しても、警察署は事実と違う説明を頑(かたく)なに繰り返して責任逃れをする。
検事側参考人で法廷に呼んだ**署担当官の言い分では、「本人(和美さん)に意志があれば何時でも逃げられた筈で、最初は合意で遊び歩いて居たのだろう。」と主張して殊更に被害者(和美さん)を辱めてまで正当性を訴えて引かない。
担当官は女子高生Dの供述が在るにも関わらず、当初合意で遊び回って居た被害者(和美さん)が「仲間割れを起こしてリンチされたのではないか」と死人に口無しの持論を展開する。
何やら数ヶ月前に起きた母親を殺して二女を連れ回した事件の、恐怖で精神的に無抵抗に成った事件を彷彿されるが、そうした心理状態は警官でさえ理解できない現実の様だ。
異常な状態にある被害者(和美さん)心理は理解されなくて、加害者側の異常心理状態は量刑に考慮されるのなら片手落ちである。
担当官は最後まで自分の主張を繰り返し、被害者(和美さん)及び被害者には謝罪めいた事は言わなかった。
Aを主犯とするこの犯行グループの犯行には巧妙性は無く、大胆と言うよりは幼稚とも言える無計画で粗暴なだけの行き当たりバッタリで、警察が動いていれば明らかに被害者(和美さん)の殺害は阻止できた。
審議の中で、被害者(和美さんの)人と成りや短いこれまでの人生も明らかに成った。
「思い切って何かをやる」と言った危険を冒す事も無く、小・中・高校と地味で真面目な生活を送った目立たない被害者(和美さん)が、唯一世間の注目を浴びたのが「この不幸な事件の被害者だった」と言う理不尽は、やりきれない思いである。
人生の折り返し地点に到達した私(中村茂夫)の経験では、真面目に仕事をし生きたからと言って必ずしも幸運は遣っては来ない。
むしろ悪い奴の方が遥かに良い思いをしている事も事実だ。
被害者(和美さんの)両親は「警察の不手際が、息子を死に追いやった」と厳しく批判し、訴訟行動を起こしている。
訴状に拠ると、現在この警察の認識に拠る一連の対応の遅れが、「事件を拠り凄惨なものにさせた」として県(県警)及び好い加減な「調査報告書」を提出した大手動車部品会社、加害者側を相手に被害者側家族が民事訴訟の準備をして居る。
だが、私(中村茂夫)はその民事々件には関われないので密かに心中で声援を送るのみである。
審議の2日目からは加害者・Bの弁護士に拠る弁護が始まり、加害者・Bは母一人子一人の母子家庭で弁護士を雇う資金が無い為に弁護士は国選弁護士が選任された。
その弁護士が、罪状は争そわず主として情状酌量に拠る量刑の軽減を狙った作戦で裁判員に訴え掛けて来た。
弁護士の弁護の後、裁判員控え室で裁判員6名による合議に拠る評議・評決の場が設けられ、量刑に関する意見交換が始まる。
裁判官のアドバイスでは「感情的に成らず冷静に判断して欲しい」と言われたが、私(中村茂夫)はこの凄まじく凄惨な犯罪に唖然とし、次にその犯行グループの理不尽さに無性に腹が立っていた。
犯行グループはもとより真摯な態度で対応しなかった地元警察の無能振りも問題だが、それはこの裁判では裁けない。
確かに裁判官は冷静にこの事件を熟(こな)している様だが、「同じ心境になれ」と言われても素人には無理な気がした。
まぁ裏を返せば、その素人感覚を求められているのが裁判員制度である。
起訴事由を聞く限り、Bは共犯とは言え被害者(和美さん)に対する残虐な行為には積極的に関わり、「主犯・Aに命じられた」とは言え最後に和美さんの止めをさしている。
私(中村茂夫)一人だけなら断然極刑であるが人の考えは夫々で、最初に述べたように裁判員に任命された6名は性別・年齢・職業はバラバラだった。
2名が女性、二十台後半のパート主婦・石井茜とアラホー世代の独身キャリアウーマン・山下良子、残りの男性は40代のラーメン屋の主人・安田にスーパーの鮮魚主任・真野、保険会社の30代管理職に定年退職した自分(中村茂夫)と言う構成だった。
そして裁判員控え室での裁判員の話し合い(合議)は、各自の思惑が絡んで紛糾する。
裁判員控え室には8名がゆうに座れる大きな丸テーブルと椅子が7脚用意されていて、1脚は担当裁判官用で「後は自由に座る場所を決めてくれ」と言われて着席を促された。
丸テーブルでは上座も下座もないから、6名が手近な椅子に座り終えると担当裁判官は「それじゃあ皆さんで審議をお願いします。法律的な質問など発生しましたらお呼び下さい。」と言い残して席を立った。
「ねぇこんな酷い話し、話し合うまでもなく3人とも死刑でしょ。」と、独身アラホー世代のキャリアウーマン・山下良子が口火を切る。
スーパーの鮮魚主任・真野が「それで良いんじゃないですか。俺早く帰らないと店が困るのです。」と、アッサリと死刑に同意する。
保険会社の30代管理職・竹上が「まだ5分も経っていませんよ。そんなに簡単に死刑と他人(ひと)を裁いて良いのですか?」と、その流れを静止する。
「あの〜、私は同情の予知は無いと思いますが、竹上さんは死刑に反対ですか?」と、二十代後半のパート主婦・石井茜が竹下を睨み付ける。
「イェ、私も酷い事件で死刑が妥当だと思いますよ。」と竹上が応え、山下良子がそれに「なら、何故そんな風に言い出すのですか。」と話をかぶせる。
「しかしねぇ、そのBと言う男を私達で殺すような気がして、一生気が病みそうなんでね。」
四十代のラーメン屋の主人・安田がこの竹上の言い分に「私も何か後味が悪そうでね。竹上の気持ち判るなぁ。」と同意する。
2名が死刑に難色を示した所で全員が沈黙し、視線が私(中村)に集まって来る。
「中村さんは先ほどから黙って居らっしゃがいますけど、最年長者ですから発言をして下さい。」と山下良子が援護を期待する様に言葉を投げかけて来た。
「私も原則死刑に同意ですが、Bは19歳でギリギリ未成年です。相場と言うものがあるんじゃないですか?」
石井茜が若いに似合わず「あの〜、相場を考えて居るなら裁判官だけの今までと変わらないのでは?」と切り込んで来た。
「それも道理だ。石井さんは若いのに確りしていますね。」
「すみません。私主婦ですけど、これでも法学部を出ているのです。」
「そうかね。俺なんか高校もまともに出ていないけど、悪い事したら責任取るのは当然だと思うよ。死刑、死刑。」と真野が言う。
すると竹上が「真野さん、あんたね。死刑、死刑って魚をさばく訳じゃないんだから。」と言い出した。
「何だ。魚屋で悪いかよぅ。俺は元々難しい話は嫌だから、アッサリと死刑に決めている。」
「そう言う訳じゃないが真野さん、相手は人間だからなぁ、素人には酷な判断じゃあないか。」
安田が割り込んで「私もしがないラーメン屋で、早く帰って仕事をしたいけど、他人(ひと)を死刑にするのは抵抗があるりますよ。」と言う。
「安田さんあなたねぇ、何でも竹上さんに乗ってるけど本当の自分の考えはないの?」
只、主犯Aの残虐な性質には矯正の予知は無さそうで、戻ってくれば再犯の確立が高いと思える。
無理も無い話しだが、この女性・山下良子には復讐心に近い感情が育って段々に大きく成っているようだった。
「私は口下手だから同じ意見の人に乗っているけど、死刑を言い渡すのは抵抗があると言う考えはまともだよ。」
「それって、逃げてるだけじゃないですか。卑怯ではないですか?」と石井茜が抗議し、山下良子がウンザリした様に口を出した。
「どうやら4対2ですね。それで、安田さんも竹上さんもいったいどう言う量刑にしたいのですか?」と咎める様に言う。
事件の経緯を観る限り、一方的に身勝手で陰惨な事件であり被告人達に同情の余地は無い。
裁判員全員が、量刑は「死刑相当」と判断したのだが問題は幾つもあり共犯Bと共犯Cは未成年である。
一応少年裁判所に回され逆送致された関係から、「極刑相当は難しい」と言う裁判官のアドバイスがあるが、女性裁判員二人は感情的に共犯B、共犯Cも赦せない様で、主犯Aともども3名の死刑を強行に主張する。
暫し沈黙の後竹上が「弁護士が言うように、Bの育ちの事も量刑の考慮に入れるべきではないですか?」と提案する。
これには石井茜が「竹上さん、貴方それは外部の人間の綺麗事じゃないですか。自分の身内があんな目に合っても同じ事がいえますか。」と切り込んだ。
竹上が黙り込んで嫌な空気が流れ、皆何を考えているのか判らない状態が数分間続いた。
一方的に身勝手な「赦しがたい犯罪である」と言う心象は裁判員全員同じだった。
女性裁判員二人は感情的に共犯Bに極刑を求めて居るようだ。
所が、40代ラーメン屋の主人・安田と保険会社の30代管理職・竹上は自らが死刑を主張する事に難色を示し、スーパーの鮮魚主任・真野と私(中村茂夫)は極刑容認派だが未成年と言う縛りには一応の限界がある事は理解はする部分もあった。
刑の量定について裁判員の意見が分かれ、構成裁判官及び裁判員の双方を含む過半数の一致ができない時もある。
その場合は、合議体の判断は構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数になるまで、被告人にとって最も不利な意見の数を順次利益な意見の数に加えその中で最も利益な意見によるとされている。
つまり4対2でも量刑はきめられるのだが、全員一致の方が多数派も気持ちが良い。
裁判の審議入り3日目には、被害者参加制度に拠り被害者の父親が被害者家族を代表して法廷に立会い加害者・B質問する。
しかしながら被害者・父の質問に対する加害者・被告人Bの応答は、弁護士に指導されているのか「酷い事をして反省している。」の一点張りに終始して、人間らしい反省は見られない。
その後被害者・父は、加害者・Bへの量刑について裁判員に向かって「あなた方の身内がこれと同じ目に合わされたと思って極刑(死刑)を下して欲しい」と、泣きながら意見陳述を述べ、傍聴者の涙を誘っている。
過去は、例え殺人事件でも被害者が一人ではまず死刑判決は下りないのが相場で、それが未成年犯罪と成ると極刑は絶望的だった。
しかしその判例を相場にする職業判事の手法に疑問を持たれての裁判員制度である。
こうした手続きを経て、裁判員裁判は控え室で評議・評決の上、連続4日間の評議で裁判員評決の判決を言い渡す事に成る。
しかし自らの「寝覚め」を理由に死刑判決に躊躇する安田と竹上は、被害者・父の意見陳述にも心は動かされなかった。
「しかし中村さん、これじゃあとてもまとまりませんね。」
「整理してみましょう。安田さんも竹上さんも死刑に反対ではなくて、それを裁く責任が持てないと言う事ですね。」
「まぁそう言う事です。キット始終思い出して後悔しそうですから。」
「お二人とも、まず後悔はしませんよ。」
「何故後悔しないんです。」
「安田さんも竹上さんも、後悔しない理由があれば死刑でまとまりますか?」
「そりゃ、本当に後悔しない方法が在れば・・・しかし在るんですか、そんな方法?」
「中村さん、また妙な事を言い出しましたね。」と竹上が私(中村)の提案をいぶかっている。
「実は私(中村)、定年で退職しましてね。今は時間があるので、裁判員制度の事を少し調べましてね、私達が出す結論は極刑ほど良い事に気が付いたんですよ。」
「何ですかそれは。」
「極刑を言い渡せば、多分被告は量刑不服で控訴するでしょう。事件が控訴されても控訴審に裁判員は関与しない取り決めですから、仮に控訴審以後死刑判決が確定しても私(中村)ら6名の責任ではないでしょう。」
「えぇ、それじゃあ我々は此処で何を真剣に言い合って居たんだ。バカバカしい。」
「本当ですね。重刑犯対象で控訴審の確立が高いとなれば、この裁判員制度は余り意味が無いじゃないですか。」
「時の総理が思い付きで言い出して、国会で法案を通過させてしまった。結局、司法関係者が頭をひねって見かけだけ取り繕(つくろ)った制度なのでしょう。」
「しかし、余り実効が考えられない制度を大騒ぎして・・・」
「それじゃ中村さん我々は余り意味が無いじゃないですか。」
「酷いじゃないですか、あんな惨い話を聞かされた上に守秘義務でしょ。」
「その上見ず知らずの皆さん言い争って・・・。」
「そう言えば以前に、確かこの制度の広報活動費用の使い方が日当を払って人集めした説明会などの無駄使いで批判されていましたね。」
「本当よ。今の政治家、頭が弱いのよ。」
ドアがコンコンとノックされ、担当裁判官が「どうでしょう。ソロソロ決まりましたか?」と控え室に入って来て椅子に座る。
「皆さんの意見は死刑で決まりましたが。」
「厳しいですね。従犯で未成年では相場は15年くらいの懲役刑で、死刑の前例は無いのですが・・・。」
「判事さん、前例や今までの相場を言うくらいなら、裁判員制度は不要でしょう。」
「それはそうですが・・・我々判事3名は10年〜12年の不定期刑が相当かと・・・。」
「それじゃあ不一致と言う事で裁判員を入れ替えますか。」
「待って下さい。まだ始まったばかりの制度で入れ替えはこちらも困りますから、協議の時間を下さい。」
確かに事務的に処理しようとすれば前例や相場が目安になる。
しかし本件の様に、長期間に渡る監禁リンチの上殺害に到る残虐な犯行は、そもそも司法の前提には成っていない。
結局判事側3名が折れて裁判官と裁判員が合意し、一審判決は有罪・被告人Bは死刑とされた。
当然ながら裁判員の判定は極刑にすべしで、「死刑判決」だった。
4日目が結審の日で被告人に死刑が言い渡された。
だが、結局直ぐに控訴となりBの命は高裁の判断に委ねる事になった。
裁判員裁判制度の導入に拠り、4日間と言う短い期間の集中審理で裁判が迅速化されたのは確かだが、一審のみの一般人に拠る司法参加はセレモニーの様な気がした中村だった。
それにしてもこの裁判員裁判、一般市民に被害者の残虐な遺体写真などを見せて量刑の判断材料にするのだが、PTSD(心的傷害)を負わせるリスクが在りはしまいか?
実際この裁判でも、目を背けたくなる被害者の写真を見せられ、怒りも感じたが生々しく体験が明確な感覚として思い出される「フラッシュバック」も植え付けられている。
被害者遺族は、その判決を「当然の社会的判断だ」と歓迎したが、弁護側は即日高裁へ上告し裁判は裁判員の手から高裁の裁判官に移って行った。
そこから更に一年間、その裁判に月日が費やされ、高裁の判決は裁判員制度以前と変わらぬ量刑の相場が適用され、僅か「懲役10年」と言う社会的には理不尽な刑が確定した。
完
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