あれから、もう四十年になる。
私にも、人並みに多感な少年時代は在った。
その秘密のような遠い記憶を、忘れないように「辿ってみたい」と筆を執った。
東海地方の中堅都市で生まれ育った私が思春期を迎えた当時の日本は、希望に溢れた活力が日本中にみなぎり、目覚しい経済発展の最中(さなか)だった。
映画は全盛期を迎え、地方の若者が溢れるくらいに集団就職で大阪や東京の大都市に職を求めて旅立つ時代だった。
私が中学校を終える頃には、翌年に東京オリンピツクの開催が控えていて当時高価だったモノクロテレビが爆発的に売れていた。
その一年ほど前から観戦の為に中学、高校の教室にモノクロテレビが一台ずつ設置され、「教室にテレビが来た」と驚かされた時代だった。
私が高校に入った年には日本中がオリンピツクが開催に沸きかえり、喫茶店や食堂で仕事をサボってテレビ観戦するサラリーマンが沢山居た。
そのオリンピツクの熱気が、丸一年経って漸く薄れて落ち着きを取り戻した頃の、懐かしくも哀しい思い出である。
私が、高校二年に成った秋の事だ。
晩秋を迎えた十月の或る日、私の市(まち)の娯楽ビルに、冬季限定開業のアイス・スケート場が今年もオープンした。
スケート場は、市(まち)の中心部の一郭に集積された映画館街のひとつ、「* * 映・映画ビル」の半地下にあった。
私のアイススケート暦は長く、小学校の二年生くらいの時に近所の「お姉えさん」に、毎週連れて行ってもらってからである。
どう言う訳か理由は判らないが、その「お姉えさん」に良く可愛がってもらった記憶がある。
最初にスケートに連れられて行った頃は、私は小学二年生、その「お姉えさん」はまだ中学一年生だった。
そのお姉えさんとは、親同士が近所付き合い程度の間柄で、さほど取り立てて親しい訳ではなかったが、一人娘だったので、どうやら私を弟代わりに可愛がって居たようだ。
それに繁華街のスケート場に中学生に成ったばかりの少女は、独りでは行き難かったのかも知れない。
その関係は足掛け三年ほど続き、お姉えさんとの鮮烈な思い出としては、その後長い事私の胸に仕舞っていた「お風呂事件」がある。
スケートの帰りに、ちょうど家人が留守していたお姉えさんの家で、何を思ったのか「風呂に一緒に入ろう」と誘われたのだ。
お姉えさんが、中学三年、私が小学三年生の頃の事だ。
お姉えさんの家は金持で、まだ内湯を持つ家が町内で半分も無い頃から立派なタイル張りの風呂が設けられていた。
彼女は、「前にもタッちゃんと一緒に入ったじゃない。」と言って私の服を脱がし、強引に風呂に入れて石鹸で身体を洗ってくれた。
私は記憶に無かったが、近所付き合いの貰い湯で彼女が小学校の五年生くらいの時に、一度幼稚園の年中さんだった私と風呂に入ったらしい。
私を強引に風呂に入れたその頃はもう、お姉えさんは胸も膨らみ股間には母と同じ様に黒い茂みも在って、他人の女性の裸を始めて見たのはその時で、子供心にもその光景は未だに忘れられない。
今考えると、お姉えさんは確かに女性に成りかかった時期だった。
お姉えさんに「誰にも言うな」と口止めされたが、実はその時、風呂の中でお姉えさんが何を思ったのか「タッちゃん、お姉えさんのおっぱい吸って見る?」と誘われた。
その誘惑には弱かった。何しろ母の乳から離れてまだそう間もない。母の乳房が恋しい幼児の私だ。
もう、おぼろげな記憶に成ってしまったが、誘われるままに、確かにお姉えさんの乳首にかぶり付いた。
子供の頃の淡い記憶だが、中学生のお姉えさんは何を思ってそんな事をしたのだろうか?
母性本能なのか彼女が思春期だったのか、いずれにしても私はまだ色恋には程遠い年頃だった。
それから七年、その「お姉えさん」も嫁に行って、今は滅多に顔を見ない。
何でも就職した東京で良い相手にめぐり合い、二十歳に成ったばかりでサラリーマンの家に嫁いだそうである。
消息はほとんど知らないが、「幸せで居てくれ」と願うばかりである。
その「お姉えさん」の影響で、アイス・スケートが最も得意スポーツになっていた私は、毎年スケート場のオープンを待ち望んでいた。
秋も深く成って、漸(よう)くその日がやって来たのだ。
私は今年から高校生に成っていて、初めて大人料金を払い、通い慣れたアイススケートリンクへ入った。
顔を出すと、「タッちゃん、タッちゃん」とあちらこちらから声がかかる。
軽く手を振ってリンクに降りると、いきなり滑り始める。
この嗅ぎなれたスケート・リンク独特の、ヒンヤリとすえた空気の匂いが、私の心を高ぶらせる。
歩くより氷の上の方が楽だった。
長い事常連だったから、従業員からたむろする若い衆に至るまで「タッちゃん」で顔が効く。
自主的にリンクの清掃なども手伝うから、従業員とも為口で、不良連中相手にも、ここでは恐れは無い。
この頃このアイス・リンクで流れていた曲が、シルビー・バルタンの「アイドルを探せ」だった。
余程この曲を好きな従業員でもスケート場に勤めて居たのか、中尾ミエが歌ってた「日本語訳・アイドルを探せ」を、原曲と交互にかけると言う質濃さだった。
「♪恋の〜喜び〜に、つ〜つまれ〜て〜え・・・」
あのメロデーは、団塊世代には思春期の応援歌である。
何時ものように、「我が物顔」で振舞っていて、ふと、一人の少女の存在に気がついた。
常連がたむろする場内の一郭に、見慣れない少女が、顔見知りの不良少女「カオル」と並んで座っていたのだ。
カオルはこの市(まち)で少しは知られていて、知り合いが多い。
私は氷上を一直線に滑り、彼女達の居るベンチに向かい、「ザッ」と、少しキザに急停止をして見せた。
そして、フェンス越しに声をかけた。
「カオル、その連れの娘(こ)は新顔か?」
いつもの調子で、私は見知らぬ少女にアタリをつけた。
良い子なら、顔見知りとして繋(つな)いでおくのがその時分の私の主義である。
ここでは、声をかけたらアイス・リンク内に誘うのが礼儀だった。
処が、カオルから期待外ずれの応えが返って来た。
「タッちゃん、この娘はだめだよ。私の従妹だから・・・。」
何を思ったのかカオルは、私を慌(あわ)てて遮(さえ)ぎったのだ。
何時ものカオルらしくない態度に、私は一瞬面食らった。
そんな事で、引き下がる私ではない。当然食い下がる。
「名前くらい良い(いー)だろ。」
「そんなじゃないから・・・」
カオルは普段に似合わず、妙に私を警戒している。
「私、美佳。」
その少女が、二人の話を遮(さえぎ)るように横から答えた。
「ミカ(美佳)か、一緒に滑らないか?」
私は、その少女を氷上に誘った。
「良いよ。(いーよ)」
少女はあっけなく応えて立ち上がった。
「そぅ来なくっちゃ。」
私は、美佳がリンクの出入り口に近付くのを氷上で待ち、ミカ(美佳)に手を差し出すと、手を握ってリンク内に誘(いざな)った。
ここの常連は、滑りの下手な少女に教えてやるのも、リンクにたむろする者の「暗黙の奉仕」と、皆(みんな)勝手に思っていた。
彼女のスケーティングは「上手(うま)い」と言うほどではないが、どこで覚えたのかそこそこに滑れた。
滑りを、教える必要も無い。
それで、たわいのないカオルの噂話をしただけだった。
誘いには乗ったが、彼女は防寒フードを被り、室内なのにサングラスを掛けて顔立ちすら良くは判らない。
それでも氷上に誘い出し、正確ではないがリンクを十周ほど一緒に回った。
リンクを一緒に回っている間に、やがてリンク上がスピードタイムに成り、十分ほど常連だけが独占して速さを競い合う時間に成ったのを機にミカ(美佳)とのコンビは自然解消していた。
私も、その時はさしてその少女を気にも留めなかったので、そのままそれきり忘れていた。
それから三日後、私は街を歩いていて、いきなり「タッちゃん」と、声をかけられた。
振り向くと、お下げ髪で制服姿の美少女が立っていた。
自分の名を親し気に呼ばれたが、目の前の美少女に記憶が無い。
はて、「誰だっけ・・・」と相手の正体を考えたが、思い当たらない。
私が戸惑っている様子に気がついたのか、少女は、「嫌だぁ〜美佳だよ、スケートリンクで会ったばかりじゃない」と言った。
私は思わず、「お前、こんなに美人だったのか・・・。」と、おかしな挨拶をした。
カオルの従妹の美佳だった。
「ハハ、そーか、顔隠していたものね。」
少女は怒るでもなく、平然と言った。
繁華街に遊びに出かける時は「いつもそうだ」と言う。
「嫌味に取らないでね。」と念押しして言うに、「素顔で繁華街には行けないのだ。」と笑った。
増してや遊技場はナンパ男達の溜まり場で、「質濃く声を掛けられて面倒だから、いつも顔を隠している」と言うのだ。
「さもあろう。」とうなずくほど美人なので、顔を隠して行動するのが嫌味には聞えない。
私の事は、以前からリンクで見かけていたそうだ。
どうやら私の方が、迂闊にも美佳の存在を「気が付かなかっただけ」らしい。
これだけの美少女を見逃していたとは、我ながら間抜けな話である。
しかし女は怖い。
とてもではないが、化けられたら私には見分けがつかない。
その美佳に、向こうから声をかけられた。
私にすれば、胸にキュ〜ンと来る思わぬ幸運である。礼儀も忘れて、しげしげと美佳を見つめてしまった。
良く見ると、美佳は長い髪を三つ網にして左右に振り分けている。
先日リンクで会った時は、髪を長く伸ばしてストレートにしていた。
見覚えが、一致しない訳だ。
「ねぇ、あさって演劇の秋季公演が市の公会堂であるの、見に来てくれる?」
美佳は、声をかけた目的を言い出した。
「演劇部なの?」
この街の高校演劇部は、色々な意味で「派手な存在」と高校生の間で通っていた。
「私は違うけど、カオルが出るから行ってあげないと・・・。」
「カオルが演劇部!!そーか、それで彼女派手なのか・・・」
「私はカオルとは学校が違うし、女同士で行くのも何か寂しいし。」
「じゃ、おれはアクセサリーか?」
「ハハ、そんな処ね。ごめん、今日は時間が無いの。」
待ち合わせの時間と場所を告げると、美佳はさわやかな印象を残して、変わり始めた信号機の向こうへ走り去った。
そして、人ごみに紛(まぎ)れて視界から消えた。
突然の展開に唖然としながら、私は彼女の後ろ姿を呆然と追って、街角に立ち尽くした。
待ち合わせ場所は、城内公園の或る「記念植樹」の前だった。
胸は高鳴っていた。私の中で、完全に恋心が芽生えている。
内緒の話だが、私は待ち合わせ時間の一時間も前からそこに行き、そこら辺りを徘徊して時間を潰した。
傍(はた)から見れば「滑稽(こっけい)」だが、その時の私は真剣だった。
何しろ、私にはもったいないほどの美少女が相手である。
私の育った市(まち)は昔からの城下町で、今でも県庁の所在地に成っている地方中堅都市だった。
中心に幾重かの掘割に囲まれた公園があり、掘割に面して銀杏(いちょう)の大木に囲まれた並木道が走っている。
その敷地に隣接して県庁、市役所、市営公会堂などが軒を連ねていた。
秋季公演は、この公会堂が使われる。
この季節、この辺りは毎年銀杏(いちょう)の色付きとその後の落葉で、秋の匂いに包まれていた。
秋季公演当日は、二人とも制服で来た。
教育委員会とやらが主催で、「補導が出ているから、私服だとうるさい。」と、仲間内の情報が入っていた。
私は、美佳と時間が過ごせれば、服装などどうでも良い。
美佳は制服姿の私を見て、「何時もより幼く見える。」と、笑いながら言った。
その言葉が気に成って、観劇の最中に美佳に「学年は?」と、歳を聞いた。
一つ、年上だった。
「何〜んだ。ませているから同い年かと思った。でも、タッちゃんの歳、私は気にしないら・・・。」
「俺も同じ・・・・。歳は気にしない。」
本音では、急に年上に見えた美佳に少し気後れを感じていた。
普通に振舞っていた私だが、実はハートが高鳴る鼓動で潰れそうだったのである。
すっかり舞い上がって、演劇の内容など上の空で、余り覚えていない。
漸(ようや)く幕が下り、二人で舞台に上がり、カーテンコールの為に用意した花束をカオルに渡した。
近視なのにメガネをしないカオルは、その時初めて私が誰であるかに気が付き、「この〜ぅ。誰と来ているのかと思ったら」と、冷やかした。
カオルにとっても、それは意外な展開だったのである。
その後カオルに、公演の打ち上げに誘われた。
会場は、カオルの所属する演劇部の溜まり場に成っていた喫茶店で、時折「アイドルを探せ」が、流れていた。
演劇部のメンバーだけでなく、それぞれの親しい友人を招待するのが伝統で、どうも当時の高校生がひねり出した、ある種「合コン」の意味合いもあったのだ。
その集まりでも、美佳は目立たないように大人しくしていた。
そう言う場所に参加したのも美佳は「初めてだ」と言う。
他校の生徒も私を不良とは見ていないが、不良供に顔が利くのは知っていた。
後でカオルに聞くと、「もしタッちゃんが付いていなければ、美佳を狙って男供がうごめいたはずだ。」と言う。
「おれは防虫剤か?」と、私が言うと、「美佳もまんざらでは、ないんじゃない。」と、カオルは真顔で慰めた。
それからの数週間は、私にとって生涯の宝と成った。
美佳は私と会う為に、毎日のようにスケート場に姿を現した。私と居るだけで「たのしい。」と、うれしい事を言う。
手をつなぎ、黙ってリンクを何周か廻っているだけでも、満足だった。
仲間内に美佳との仲を冷やかされても、私には心地良いだけで、むしろ嬉しくさえあった。
つまり、私の覚(さ)めない夢は、暫(しば)らく続いていた。
それにしても、美佳は私の何処が気に入ったのか?
細身で背は高いが、お世辞にも男前とは言えない。
カオルに聞くと、「私もそう思ったので、聞いてみた。」と、抜け抜け言う。
「なんだ、俺が美佳に好かれたら不思議か?」
勿論本気ではないが、少し膨れて見せた。
カオルは「自分でも認めているじゃない」と言いながら、「タッちゃんは悪ぶっているけど、純情だから。」と、美佳がカオルに答えたと言う。
「そう言われて見ると、他の男と違って、タッちゃんは私にも嫌らしい事の誘いはしなかったものね。」と、カオルは言った。
見通されていたのだ。
やや風が強い、ヒタヒタと冬が近着いている抜けるような青空の晩秋の日だった。
「覚めないでくれ。」と願った夢も、何時かは終焉を迎える時が来る。
街はもう木枯らしが舞い、冬を迎えつつあった。
ジングルベルが街に溢れ、コートの襟を立てる季節に成っていた。
県庁前の銀杏(いちょう)並木もすっかり葉を落として、それでも今年の冬は、私にだけは暖かかった。
美佳が居たからだ。
その日も、私はいつものようにスケート場に入った。
約束はしていないが、大抵そこで美佳に会えた。
滑らない時は、大概リンク周りのベンチで取り留めない話をした。
ベンチの前に置かれた石油ストーブの小窓から、チラチラと赤い炎が揺れていた。
小遣いに余裕が有る時は、そこから連れ立って、映画を見たり、食事をしたり(と言っても、喫茶店かラーメン屋)がデートコースで、たわいのないものだった。
恋人ゴッコみたいなものだが、二人ともそれで充分満足していた。
私は、いつものつもりで、スケートリンクに出かけたのだ。
処がその日は、「蛍の光」がかかる時間に成っても美佳の姿は現れない。
言い知れぬ「胸騒ぎ」がよぎったが、寂しく家路についた。
「何か、急用でも出来たのか」と、勝手に納得した。
携帯電話など無い時代だったから、私には成す術(すべ)が無かったのだ。
翌日、「ひょっとしたら」と早めにスケート場に足を運んで、いきなり館内放送で見学席に呼び出された。
カオル・・・だった。
私の顔をみるなり、カオルは泣き崩れた。
「美佳、死んじゃった。」
「エッ、・・・・・」
聞いた私も絶句して、心が凍りついた。
実感は湧かなかったが、カオルが言うからには、冗談とも思えない。
予期せぬ出来事とは正にこの事だ。
泣きじゃくっていて中々聞き出せなかったが、漸(ようや)く経緯を聞き出した。
彼女には少し手足の不自由な弟がいて、車椅子の生活を余儀なくされていた。
その事を、私は知らなかった。
そう言えば、美香は家庭の話を私にしなかった。
意図的に避けていたのかは、今と成っては確かめる術(すべ)も無い。
カオルに拠ると、兄弟仲は良く、「姉としていつも面倒を見ていた。」と言う。
傍目には「美佳本人の青春」を犠牲にしているような気がして、カオルが時々街に連れ出していたのだ。
それが、私と出会って外出が多くなり、弟の為に費やす時間が少なく成っていた。
元来、心優しい美佳である。
その時間を他で作って埋めようと、美佳は苦労していた。
そんな状況で、起こった事故だった。
その日も文化祭の準備に遅くなり、美佳は無理して家路を急いでいた。
美佳が一瞬の不注意で、通学用の自転車のまま走行中のダンプの横腹に突っ込んでしまったのだ。
そして八メートルから跳ね返され、「電柱に当たって倒れた」と言う。
ダンプの運転手も通り掛かった人も直ぐに駆け寄って美佳を助けお越し、警察も救急車も呼ばれて「処置は為された」と言う。
相手の運転に違反はなく、美佳も頭を打ってはいたがその場では意識も確り有って、一見大した事に見えなかったから大きな扱いのニュースにも成らなかった。
救急車で市立病院に運び込まれたが、受け答えも確りしていて、「全身打撲だが、命に別状はない。念の為に、明日の朝検査をしよう。」が、医師の診断だった。
むしろ、美佳は痛みに堪えながら弟の心配をしていたそうだ。
それが、翌朝の精密検査を待たず、深夜に容態が急変した。
切れかけていた脳の血管が、何かのきっかけで突然切れたらしい。
それからは病院スタッフも緊急処置で頑張ったが、美佳の命は救えなかった。
医師の懸命の治療も及ばなかったのだ。
薄グレイの冬の街が、いっそう暗く見えていた。
晴れてはいたが、木枯らしが落ち葉を舞い上げるような寒い北風が吹いていた。
自らを励ましながら事故現場に行くと、電柱に沢山の花束が寒々と立てかけてあった。
僅(わずか)十八歳の少女の、早過ぎる死の痕跡だった。
同級生達が手向けたのだろうか?
木枯らしに花びらが虚しく震えていた。
その場で、私はまた立ち尽くした。
何故か涙は出なかった。
悲し過ぎたのだ。
葬儀は遠くから見守った。
漸(ようや)く十六〜七歳になろうかと言う年齢の私に、何が出来ようか?
珍しく良く晴れた、暖かい日だった。
僧侶の読経を聞きながら、
「これは一体何なのだ。」と、悲しみよりもやり場の無い怒りが込み上げた。
車椅子に乗った弟が、遠目にも気落ちしている様子が見て取れた。
大勢の参列者が詰め掛けていたが、美佳に取っては虚(むな)しく思える。
私を見かけたカオルが、遠くからそっと頭を下げた。
大泣きに私が泣いたのは、美佳の棺を遠くから見送った後である。
その冬を、私は呆然と送った。
好きだったスケート場通いも止めてしまった。
事故の一旦が、自分との交際に有る様な気がして悲しかった。
楽しくても、悲しくても、青春は必ず通り過ぎる。
美佳との私の恋は、手を握っただけの青い恋のまま、始りかけてピタリと止ってしまった。
悲しくて、胸を・・締め付けられる様な「青い時の記憶・・・」
別れのセレモニーもなく、まるで、「タッちゃん」と、今にもまた声をかけて来そうなまま、美佳は私の青春から忽然と姿を消したのである。
強烈な記憶だけを残して、「プッリ」と、この物語の続きは無くなった。
四十年経った今も、私の脳裏は時折あのメロデーを奏でている。
「♪恋の〜喜び〜に、つ〜つまれ〜て〜え・・・」
よみがえる美香は、いつまでも青い時のまま遠い記憶と成りて、愛惜しくもあり、虚(むな)しくもある。
私は今、人生の晩年を迎えつつある。
|