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リアルタイム忍者ビジター 【茂夫の神隠し物語】作者本名鈴木峰晴表紙ページ【サイトナビ】に戻る。

茂夫の神隠し物語

この小説は、【謎の小説家 未来狂冗談(ミラクルジョウダン)】の小説です。
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☆ペンネームFONT color=#FFFF00>未来狂冗談(Miracljoudan)の由来は、
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samurai


====(日本史異聞シリーズ)第四巻====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

南北朝秘話・切なからず、や、思春期

茂夫の神隠し物語◆


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


【あらすじ】

これは、大人の為のファンタジーである。
思春期真っ盛りの十五歳の少年が、不思議なエロチック・ワールドに迷い込み、
此の世の物ではない体験をする。
少年は、数百年前の壮大な歴史物語の中に巻き込まれて、不思議な神々や仏の使いが現れて少年を助けて大活躍をする。

戦争が終わって十五年ほどたった、昭和の中頃の古い思い出・・・・。
それは、大人版の神隠し物語である。

【この作品のセールスポイント】

◆日本史異聞シリーズ◆

まぐまぐプレミアム第一弾「第六章・たったひとりのクーデター

第二弾・「仮面の裏側」

第三弾「冗談 日本に提言する」

第四弾「第一章・八月のスサノオ伝説」

第五弾「第五章・侮り(あなどり)」

第六弾「第四章・茂夫の神隠し物語」、

第七弾「第三章・鬼嫁・尼将軍」、

第八弾「第二章・倭(わ)の国は遥かなり」、

の中から未来狂 冗談(ミラクル ジョウダン)が、

「日本史異聞シリーズ」として歴史大河推理小説に構成しなおして挑みます。

(全六巻・本文原稿数963枚)


第一巻【弥生時代】
◆八月のスサノウ伝説     全十四話(本文原稿数155枚)

第二巻【飛鳥時代】
◆倭の国は遥かなり      全十二話(本文原稿数139枚)

第三巻【鎌倉時代】
◆鬼嫁尼将軍          全十三話(本文原稿数131枚)

第四巻【室町時代(南北朝時代)】
◆茂夫の神隠し物語      全十話(本文原稿数135枚)

第五巻【安土・桃山時代】
◆侮り(あなどり)        全十三話(本文原稿数160枚)

第六巻【現代】
◆たったひとりのクーデター  全十七話(本文原稿数250枚)


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この日本史異聞シリーズの中で、主人公の小説家「茂夫」は、

日本の歴史の転換期に大きくかかわる、

国民に人気が高い三人の人物たちに、

見事に共通する、二つの定義じみた事がある事に気付いた。

ひとつは、三人の何れもが、新生日本のきっかけは作り上げたが、

その政権基盤の完成を目にしていない事である。

そして今ひとつは、

何れもが少数の供回りの防戦の中、自刃により落命している事である。

源義経・・・衣川館の包囲自刃である。(供回り数十名)

織田信長・・本能寺の包囲自刃である。(供回り数十〜三百名)

西郷隆盛・・城山の包囲自刃である(供回り四百名)

この結果の意味するものは、何で有ろうか?

この作品「日本史異聞シリーズ」は、六部作シリーズの作品で、

WEB(第一章・八月のスサノウ伝説)

WEB(第二章・倭の国は遥かなり)、WEB(第三章・鬼姫、尼将軍)

WEB(第四章・茂夫の神隠し物語)、WEB(第五章・侮り)

WEB(第六章・たった一人のクーデター)

以上の順番で読むと、一つの大きな日本の歴史の流れに成っています。

(勿論、別々の作品として、違う内容の書き方で、

独立もしていますので、念のため・・・。)


作品リスト(短編)
第一弾・ 「青い頃・秋から冬へ」・・・・・・・・・HP無償公開中
第二弾・ 「楢山が見える」・・・・・・・・・・・・・・HP無償公開中
第三弾・ 「我にしてこの妻あり」・・・・・・・・・・HP無償公開中
第四弾・ 「凌虐の裁き(りょうぎゃくのさばき)HP無償公開中
作品リスト(長編)
第一弾・ 「たったひとりのクーデター」・・・・・冗談小書店発刊中
第二弾・ 「仮面の裏側」・・・・・・・・・・・・・・・・HP無償連載中
第三弾・ 「冗談 日本に提言する」・・・・・・・冗談小書店発刊中
第四弾・ 「八月のスサノオ伝説」・・・・・・・・・冗談小書店発刊中
第五弾・ 「侮り(あなどり)」・・・・・・・・・・・・・冗談小書店発刊中
第六弾・ 「茂夫の神隠し物語」・・・・・・・・・・・HP無償公開中
第七弾・ 「鬼嫁・尼将軍」・・・・・・・・・・・・・・・冗談小書店発刊中
第八弾・ 「倭(わ)の国は遥かなり」・・・・・・・冗談小書店発刊中
第九弾・ 「電脳妖姫伝記・和やかな陵辱」・・HP無償公開中
第十弾・ 「夜鳴く蝉・葉月」・・・・・・・・・・・・・・HP無償公開中
第十一弾・「蒼い危険な賭け・京香」全四巻・・HP無償連載中
第十二弾・「夢と現の狭間に有りて」・・・・・・・・HP無償公開中
第十三弾・「皇統と鵺の影人」全五巻・・・・・・・HP無償公開中
第十四弾・「受刑の集落」・・・・・・・・・・・・・・・・HP無償公開予定


作者プロフィール

 ●未来狂 冗談(ミラクル ジョウダン)

  

昭和二十三年、静岡市に生まれる。

  県立静岡商業高等学校卒業、私立拓殖大学商学部貿易学科を卒業した後、実社会に船出。

  従業員二十名足らず小企業に就職、その企業が三百名を超える地方中堅企業に育つ過程に身を置き、

  最終、常務取締役で退任。

  その後、零細企業を起こして現在に至る。



◆茂夫の神隠し物語◆

 

 これからの展開

記載目次ジャンピング・クリック

第一話【(目覚める頃)
第二話【(旅立ち)
第三話【(離れの出来事)
第四話【(迷い込んだ場所)
第五話【(ガタロウの正体)
第六話【(神の使いの白蛇)
第七話【(忠太の陰謀)
第八話【(茂夫、僧正に成る)
第九話【(その後の文観僧正)
第十話【(南朝正統)




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(目覚める頃)
◆◇◆◇◆(目覚める頃)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第一話(目覚める頃)

茂夫は書斎とは名ばかりの一室で、少年時代の遠い昔の記憶を辿っていた。
若い頃の、夢か?現実か?今となっては判らないが、信じられな様な異様な想い出がある。
それは・・・、今となっては懐かしくも不思議な物語でもある。


今から、四十と何年か前・・・、確か昭和三十五年頃の話なのだが、茂夫は不思議な体験をした。
あれは・・・一体何んだったのか、今考えても不思議である。

それは、茂夫が高校受験に合格し、一年の夏休みに入った頃の事だ。

終戦から十五年、戦後復興から発展への切り替わり時期で、町はバラックの闇市から、立派な商店街に変わって、岩戸景気と言われる好景気の中、一万円札が始めて発行され、和製ロカビリー歌手の歌声が日本中を席巻していた。
現在の天皇が皇太子として、美智子妃と成婚されたのもこの年である。

茂男が小学校へ入学して通い始めた昭和二十九年からもう九年の歳月が流れ、その間に継ぎ充ての衣類を身に着ける子供がドンドン減り、今では皆綺麗な服装をして学校に通う様になった。
道は次々に舗装され、当時普及型で売れ始めた小型山林自動車が行き交い、町はバラックの闇市から立派な商店街に変わっていた。

学校も、木造二階建ての長屋みたいな奴から、少しずつ鉄筋コンクリートの四階建てに建替えを始めていた。
その頃の東京の街は、四年後に控えたオリンピックの開催準備で、都市整備の工事が急ピッチで進められ、沸きかえっていた。
巷では、左翼学生運動が益々盛んになり、茂夫には、まだ彼らの主張は難しく、理解出来るでもなかったが、多くの大学生が左翼運動にかぶれ、湧き上がる青春の矛盾に対峙していた。

七月の中頃には池田と言う人が総理大臣になって、「所得倍増計画」とやらで、将来の希望を抱かせていた。
そんな、活気のある時代だった。


高校に入って十五歳の茂夫は、少し大人にな成った様な気がしていた。
この頃はまだ、中学を終えてすぐに勤める子供も多く、同級生の一部が社会に出て、結構「大人の生活」を始めて居たからだ。
職について、稼ぎがあれば一応一人前だ。

茂夫の周りの奴らは近場の就職だが、東北や九州などからは、まだ大都市周辺への集団就職が続いていた。
田舎の三男、五男は地元では食っては行けない時代だった。


親方の下に就職して手に職を付け、上手く行けば将来自分も親方に成れる。
見習いの身分でも、僅かだが給料も貰えた。

彼らは自分の稼ぎだから小遣いも多く、今ではとても考えられないが、当時の周囲は職に着いたら一人前扱いで、酒やタバコをやっていても親も親方も何にも言わない。
親方や先輩に連れて行かれて覚えるのか、いっぱしにキャバレー通いも始めていて休みの日に道で彼らに行き会うと、化粧の濃い女を連れていたりする。
アロハシャツにサングラス、白いエナメルの靴で決めていて、さも女の扱いに慣れているかの様に振舞っていた。
高校一年と言うと思春期真っ盛りで、そう言う姿を見せ付けられると茂夫はみだらな妄想に駆られる。
「あいつ、いいなぁーあの女と、もうやったのかー。」

親が小さいながらも商売をやっていて、周りの商店主と張り合っていたから、茂夫は高校に行かせてもらった。
ぬくぬくとした学生生活ではあるが、その代わり女とは縁が遠くなる。
思春期の茂夫にすると、頭の中はそれで一杯で、経験が無いから女の体の事も良くは判らないが、中学に入って直ぐの時期から自分の身体に変化があり、時折股間の物が硬くなるのを知った。

そのうち、茂夫もそっちの方に詳しい「ませた同級生」やら「上級生」から聞いて、女とやる方法だけは教わった。
正直自分で慰める方法も既に中学時代の悪友から教わって、二日に一度はやっていた。
「やってみ、気持ち良いから。」
中学の頃、それをやっていて後ろめたかったのは何故だろう。
恥ずかしいから、気が許せる相手でないと話題にも出来なかったのだが、高校に成って聞いて見ると、何の事はない誰でもやっているものだった。


高校に入って最初の夏休み、茂夫は「初体験を獲得しよう」と一大決心をした。
茂夫にすると贅沢かも知れないが、気持ちの上で「商売女」は嫌だった。
勿論、金も無かったが、自分にとっても一生の記念だから、「なるべく綺麗な思い出で、残したい」と、虫の良い事を考えていた。

若い茂夫にしてみれば、無理もない話しだが、そう易々とは、望みは叶わない。
それで誰か身近に、自分を受け入れてくれそうな娘はいないか、茂夫なりに色々と候補者を上げて考えた。
近所の幼馴染や、小中学校の同級生が何人か浮かんで、四人ほどデートに連れ出す事に成功したが、「そこまで」である。
相手がどう出るか心配で、とても言い出せないし、行動にも移れないで、いつも家の前まで送って行って綺麗に別れていた。
只のデートも、それ成りに楽しいのだが、内心からだの要求の方は満たされず、悶々とした日々を送っていた。


一度だけ、未だに鮮烈な記憶として覚えている幸運の思い出がある。
近所に、年は一つ上だが幼い頃から仲良く遊んでいた友達がいた。
その友達は中学校を卒業すると、工業高校の夜間に通いながら、電力会社の下請けに就職して電柱に登っていた。

当時、一般の家庭では内湯の風呂持ちは少なく、十軒に八軒までは銭湯通いで、時たま「もらい湯」と言った知人同士の交流もあった。
各戸ともに内湯は憧れで、無理して風呂桶を設置するのが流行っていた。
その友達の家も例外でなく、当時土間造りだった壁もない六坪位の台所兼洗濯場の一郭に、ドンと小判型の木の風呂桶とスノコ板の洗い場を置いたのである。

焚き口も中に一緒で、煮炊きと同様に燃料はまだ「まき」だったから、合理的なのかも知れない。
友人の親が出費を覚悟で買い求めたばかりのその風呂の存在を知らずに、「家に遊びに来い」と友達に呼ばれ、重雄はいつも知ったる裏手に周り、勝手口から入って驚いた。
そこに風呂が置いてあるばかりか、洗い場に茂夫とは一つ年下の友達の妹がからだを洗って居た。

その娘は、茂夫の顔を見ると慌てて立ち上がり、石鹸塗れのままザブンと湯船に潜った。
ほんのチラリだったが、互いに裸体を「見た、見られた」の意識は残った。
あの時その娘は中学二年生だった。

その娘はしばらくの間、茂夫の顔を見ると恥ずかしそうな表情をしていたが、茂夫が高校に合格すると、時々宿題を聞きに来る様になった。
半年後に、それがパタッと止まったので、道で行き合わせた時に聞いて見ると、先方の親が男女の過ちを心配したらしかった。
今考えるとその娘は、茂夫に好意を持っていたのだ。


青春の悩みは果てしない。

世間では奇麗事で、他のもの(スポーツなど)で発散しろと言うが、それは建前である。
現実にはそんなもので、発情期を迎えた若者のナチュラル(自然体)な欲求が癒される訳が無い。
この年頃の若者は皆、頭の中はその事で一杯なのだ。

茂夫は無い頭を絞って考えた。
例えその事で頭の中が一杯でも、近くの娘が相手では後々の事もある。
正直欲望を満たしたいだけで、ずるいかも知れないが、まだ十五歳の茂夫とするとまだ結婚を考える年でも無い。

「そうだ、遠くに行って目的を達成しよう。」
今から思うと「幼稚」としか思えない様な思い付きだったが、それなら、「後腐れがないかも知しれない」と思い、名案に思えたのだ。
そしてその思いは日毎に膨らんで行った。

それで、旅に出る事にした。
旅は小学校の修学旅行で東京と、中学校の九州・関西方面くらいの団体旅行で、高校生に成って初めての一人旅の冒険である。
四十年以上前の当時の事なので、親がその冒険旅行を認めるか不安はあった。
親には、勉強を口実にするのが、一番効く。
「近頃の夏休みの宿題も、大変だね。まぁ、一人旅も勉強になるでしょう。」
母親は、あっさりと信じて、父に言って許しを取ってくれた。

夏休みの自由研究で「関東地区の寺を回ってレポートを書く」と名目を言い、両親を騙して旅費と小遣いをせしめた。
事が大きくなり、話を聞いた親戚からも数口、餞別と言うカンパが集まった。
計画は順調に行き、市営の図書館で調べてあらかじめ行き先のリストも作って、後々のアリバイの為に本気で寺廻りもする事にした。


夏休みも十日ほど過ぎた八月の初めに、茂夫は東京行きの鈍行列車に乗った。
時間は沢山ある、急行などと贅沢は言わない。
途中、ガタンゴトンと一定のリズムを刻みながら揺れる車内で、出発駅で買って来た駅弁を食べた。

六時間ほど時間をかけて列車が東京駅に付いた時、ホームの時計は、午後の四時を少し回っていた。
何しろ、四十年も前の事で、どこへ行くにも時間がかかった時代だった。
日本一の混雑をする東京駅で、苦戦しながら中央線のホームに乗り換えて、武蔵野の方面に向かった。

最初に訪ねたかったのは、「立川」の地である。
たいした理由はないのだが、高校の図書館で寺周りの資料を集めていて、心ときめく文章を見つけた。
見つけたのは真言密教・立川流の、僅か五行ほどの解説文である。
僅かな文面だが、思春期の悶々とした少年にエロチックな想像力をたくましくさせるには、充分の文面だった。

その地、立川が最初の目的地である。
東京駅から列車で二時間、接続などで所要時間は、三時間近くなる。
知らない旅先の町で、「何が起こるか」胸おどる一週間が待っていた。


第二話(旅立ち)に続く


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(旅立ち)
◆◇◆◇◆(旅立ち)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第二話(旅立ち)


八時近くなって駅を降りると、立川の町は、ほの暗く成っていた。
その、僅かに残る陽の明るさの中、夕方の気ぜわしい喧騒に街は包まれていた。
戦後の復興が漸(ようやく)軌道に乗り出した頃で、町並みも本格建築と急場凌(しの)ぎのバラックが入り混じっている様な雑多な雰囲気が在る街だった。

そう言えば二ヶ月ほど前、東京で大きなデモがあって、「東大生の女の人が死んだ」と大騒ぎになった。
この年の年初から、十五年間に及ぶベトナム戦争が始り、「安保反対、戦争反対」と、激しい学生運動が、起こっていた。
有名な米軍基地の町だったから、立川も心配だったが、意外に静かだった。
唯、町の人々は自分達の生活の為に活気に溢れていて、希望の光が見え始めている様な明るさがあった。


そろそろ暗くなる。
夕闇が迫っていて、「心細くなる前に」と今日は宿を探して泊まる事にした。

駅前のタバコ屋のおばさんに、宿の在り処(ありか)を尋ねると、「家出じゃ無いだろうね。」と、尋ねられた。
その筈である。
当時の事だから、茂夫は真夏と言うに黒い詰襟の学生服姿で、白いズック布で出来た肩掛けの学生かばんと、親から借りた皮製の小ぶりの旅行かばんを提げていた。

今では考えられ無いが、当時はまだ学生らしく行動させる為に略式の白ワイシャツ姿での県外旅行は、校則で許されてはいなかったからだ。
夏休みの旅行だから、制服の前ボタンは全部外して全開にしていてもこの旅には暑苦しい。

ともかくタバコ屋のおばさんに、「家出じゃ無いだろうね。」と尋ねられた返事をしなければ先には進めない。
「いぇ違います。夏休みの研究に来たのです。旅館や警察に見せる親の手紙も持って来ました。」
「へー、えらいね、それだったら駅裏の上総屋(かずさや)さんが良いわ。」
「上総屋(かずさや)さんですね。行って見ます。」

教えられた通り駅舎を伝って左に下がり、駅舎を外れて先に八十メートルほど行った踏切を渡ると、その上総屋の看板が見えて来た。
看板と言っても白く塗った木の板に黒のペンキ書きで、上から傘つきの裸電球が文字を照らして、それと読めた。
戦災から難を逃れたのか古風な造りで、旅館と言うよりは旅籠と呼びたい風情の構えだった。

土間の玄関を入ると、板の間の上がりが在る昔の商人宿風で、帳場と書かれた小部屋には誰もいない。
「御免下さい。駅前のタバコ屋の小母さんさんから聞いて来ました。」と声をかけると、小部屋の奥の方から五十年配の主人と思しき男が、愛想(あいそ)笑いをしながら顔を出した。
「ハィ、ハィ、あぁ泊まりかね。学生さん。」

出て来た主人は見るからに人の良さそうな感じで、「荷物は、そこに置いて、上がって。」と、言った。
「あ、荷物は自分で持ちます。」
「イヤー、宿の決まりだからそこに置いて、それより学生さん身元が証明出来るもの何か持っているかね。一応警察から言われているのでね。」

そら来た。
何にせ十五歳の一人旅だから、こんな事も有ろうかと用意だけはキチンとして来た。
「学生証と、親の手紙を持っていますが。」
親の手紙持参なら、家出と間違われない。

宿の主人は私から手紙を受け取ると、メガネを取り出し母の書いた手紙を広げた。
「どれどれ、ほぉー夏休みの自由研究ねえ、近頃は、そんな勉強も有るのだねえ。学生さんだから、安くしておくよ。」
主人は手紙を読み終わると「おーい、靖子―。」と人を呼んで、手紙を丁寧にたたみ戻し茂夫に返してよこした。
「はーい。」と奥から出て来たのは、年の頃十八・九の和服姿の少女であった。

この和服姿が、茂夫には新鮮だった。
この頃は、もう和服は珍しく成りつつあって、和服を身に着けるのは何か行事が在る時か特別な職業に限られていた。
「この学生さん、銚子の間に案内して。」
「はい。」

靖子と言う少女は手馴れた手つきで、両の手に荷物を持つと、「こちらです。」と、茂夫を促した。
受付から少し歩いて銚子の間と書かれた部屋に案内される。
「ここは狭いけどお客様はお一人だし、宿代が安いですから。」
「そうですね。贅沢する旅では無いですから、安い方が良いです。」

通されたのは六畳の和室で、二畳ほどの言い訳みたいな次の間が付いていた。
窓の外に中庭があり、木立の先の奥まった処に、「離れ」らしき建物が見えていた。
所々に立ち木があるだけの、飾り気のない庭だった。
少女の姿は、何時の間にか消えていた。

どう対処したら良いのか戸惑い、庭に目をやっていると先ほどの少女が茶と宿帳を持って入って来た。
「お客さんどちらの方からですか。大学生には見えないけど。」
お茶を入れながら、少女は年下らしい茂夫に気さくに声をかけて来た。
「静岡からで、高校一年生です。自由研究の調べ物で、二・三日泊まります。」

「ソーオ、偉(え)らいのね。」
少女は大人びた口調で返事をしながら宿帳を開き、茂夫に擦り寄るように近付いて指を指しながら、「此処に住所と名前を書いて。」と、言った。
茂男が書き始めると少女が確かめるように覗き込んで来て、フワリと少女の髪の匂いがした。

茂夫が宿帳を書き終わると、「食事にします?お風呂が先ですか?」と、決まり文句を言った。
良く聞く台詞(せりふ)である。
「食事を先にします。」と茂夫が言うと、少女は、「お風呂は、十一時までに入って下さいね。」と言った。
既に外はすっかり暗くなっていた。

庭の離れが見えたのは、母屋の数部屋の明かりのせいだと気が付いた。
決まり物の様な宿の食事を持って来て、少女は、「まだお酒も飲めないし、退屈ね。」と言った。
まだテレビが普及しては居ない時代だった。
言われて見れば、食事の後は風呂に入るくらいしかする事が無い。

「静かな所ですね。」
「裏が飛行場だから、飛ばない時は静かだけれど、すぐ裏だから飛ぶとうるさいですよ。」
少女は、済まなそうに言った。
勧められたまま、まっすぐ上総屋に来たので気が付かなかったけれど、裏の広大な土地が有名な米軍の立川基地だった。

「此処(立川)は、安保騒ぎは大丈夫ですか。」
「時々学生さんが大勢来て、米軍基地反対と、騒ぐ事もありますが、今は皆で国会の方に行っているみたい。」


食事が終わると、早々と布団が引かれた。
しばらく寝転んで十時半ごろ風呂に行くと、宿の主人がタイル張りの大きめの風呂に入っていた。
「やー学生さん、風呂まだだったかね、もうお客さん皆終わったと思って先に入ってしまったよ。済まんねー。」
「いえ、湯船が大きいですから。」

茂夫は返事に成なら無い返事をして、木製の腰掛を見つけて腰を下ろし身体を洗い始めた。
ひとしきりして、主人は湯船を出た。
「じゃお先に。ユックリお休みください。」
脱衣序の戸を「ピシャリ」と閉めて主人が立ち去ると、また脱衣所の方向で「ガラッ」と音がした。

ちょうど、茂夫は湯船に入った処だった。
茂夫が、「また誰か来る」と思って風呂の入り口に目をやると、「ガラッ」と戸が開いて先ほどの少女が入って来た。
うつむき加減で入って来た少女は、顔を上げて茂夫がいるのに気が付くと「あれ、お客さんが入って居たの?」と言った。
手ぬぐいは持っていたが、「すっぽんぽん」で、前を隠してもいない。

湯気に霞んで、股間の黒い茂みも見て取れた。
少女は、一瞬引き返そうか迷った様だが、「茂夫が十五歳」と聞いているから無警戒なのか、「良いわ、ご一緒させて。」と、そのまま木製の腰掛にしゃがみ込んで身体を洗い始めた。
そう言われても、茂夫は言葉も出ない。
何が起こっているのか、把握も出来ないくらい舞い上がっていた。

茂夫は子供の頃見た母親の裸以外、友人の妹を一瞬見たくらいで、女の裸を見るのはほとんど初めてで、実を言うとオタオタして居た。
それは僅かな時間だろうが、妙に長く感じられる時が風呂場を支配して居た。
茂夫が湯船で硬くなっていると、身体を洗い終わった少女が風呂に近付いて来て、大胆にタイル張りの湯船の縁を跨ぐとスーッと滑るように迎え合わせに湯船に入った。

「あー気持ち良いね、ちょうど良い湯加減・・・・。」
独り言なのか、話し掛けているのか、どちらとも取れるような話し方で、少女は肩に湯をかけた。
少女が身動きする度に、波打つ湯の中で少女の両の乳房が揺れているのが正面に見える。
それは嫌でも全て見えてしまうが、勿論・・・・嫌では無い。

茂夫にしてみれば、「幸運なのか、子供と馬鹿にされているのか」、少女の態度には少々理解に苦しむ所だ。

思い切って言って見た。
「ぼく、初めてなのです。」
「えっ。」
「女性の裸・・・・。」

「あら、ごめんなさい。気にして居たの。」と、少女は言ったが、別に隠す風でもなく「隠すと余計に変でしょ。」と、自分の行動に同意を求めて来た。
「まぁ、そうですが・・・。」
「そうよ、初めてなら良かったじゃない、良いものを見て。見たい年頃でしょ。でも、此れでおしまい。」
急に恥ずかしくなったのか、少女は「ザブン」と勢い良く湯船から立ち上がると、足早に浴室から出て行った。

ほんの一瞬の出来事で、少女の白くふくよかな尻が、湯船に沈んで居た低い位置の茂夫の瞳に焼き着いた。
湯から上がると、長く湯船に居た為か、かなりのぼせていてクラクラした。
「何か飲み物を」と、玄関の帳場に行くと、少女が和式の寝巻き姿で待っていて、「来ると思った。あんなに長く浸かってのぼせたでしょう。」とお見通しで、「シュポン」と、冷えたラムネを開けて「此れは私のおごり。」と言って渡してくれた。

受け取ったラムネを口にすると、少女は「さっきの事は、内緒。」と一言告げて、帳場の戸を閉めて奥に消えた。
茂夫は少女との間に、二人だけの秘密が出来た様な気がしてうれしかった。
それで茂男は、少しの間呆然と少女の消えた奥の方角に目を向けていた。
後でこっそり、少女が自分の部屋に忍び込むなんて事を、ほんの少し妄想した茂夫だった。

無論あの宿の主人に見つかりそうで、実行は出来ない妄想である。
茂夫の口元に運ばれたラムネが、口から離れる度にカシャン、カシャンと、中のビー玉が宿中に響き渡る様に音を立てていた。
所在無い状態だったから、ラムネを飲み終われば部屋に帰るしかない。
茂男は寝床に潜り込んで、立川での一日を振り返った。

この頃まで、この旅は順調に思えていた。
何人かの他人(ひと)と出会い、少しだけ一寸とした出来事に出会えば、「それで旅は成功」と思っていたのだ。
しかし旅と言うものはハプニングとの出会いで、思わぬ出来事が「茂男を待っている」とは、この時はまだ思いも拠らなかったのである。


部屋に帰って布団に潜り込むと、長旅の為か気が張っていた為か堪らなく睡魔に襲われた。
湯煙の中の少女の裸身を思いつつ、いつの間にか眠りに落ちて居た。


第三話(離れの出来事)に続く


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(離れの出来事)
◆◇◆◇◆(離れの出来事)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第三話(離れの出来事)

茂夫は、ふと目を覚ました。
夢の中で「ゴーッ」言う凄い音に追いかけられて、「大変だ。」と思ったら目が覚めた。
しかし目が覚めても、「ゴーッ」と言う音は鳴り止まない。
慌てて茂夫は身を起こした。

建物が、「ビリビリ、ガタガタ」と小さく速く震えている。
「何事だ、何か違う」と、見慣れない周り様子に、寝ぼけ気味に周りを見回し、「あぁ、一人で旅に出て来たのだ。」と、自分の居る場所を思い出した。 基地に飛来した飛行機の爆音だった。
立川は、ベトナム戦争の後方基地になっていたのだ。

「こんな夜中に迷惑な・・・」と思って、少し腹が立った。
音が止むと、辺りが急に静かに成った。
「今何時だろう」と、宿の備え付けの目覚ましを見ると、三時を少し回っている。
「そんなに長くは寝ていなかった。」と独り言を言って、茂夫は窓の外に目をやった。

夏なので朝が早い、四時を過ぎると少しずつ夜が白む、外はまだ暗かったが木立の奥の方にほのかな明かりが見えた。
「あれ、離れの部屋だ。」
茂夫は「確か、あそこに人は居ない筈。」と、急に興味を覚えた。
庭の奥の離れの部屋に、煌々と明かりが付いているのだ。

こんな夜中に「何をして居るのか。」と、子供らしい興味と冒険心が湧いて来て、慌てて部屋の明かりを消して離れの様子を伺った。
こう言うチョットした異変に興味を持つ年頃だから、怪し気に揺れ見える離れの明かりが、茂夫を誘っている。
覗き見が、余り「格好の良いものではない」事は判っているが、茂夫は好奇心の誘惑に負けた。

幸い学生の上下を着れば真っ黒で、目立ち難い。
それを羽織って窓を開け、窓枠を跨いで庭に降り立ち、ソッと部屋を抜け出した。
緊張感に胸をときめかしながら、音を立てないよう裸足でユックリ忍び足を使い、庭を進んで離れの窓に辿り着いた。


耳を凝らすと、離れの中から微(すか)に艶(なまめ)かしい声が聞こえる。
耳を済ませてジッと聞き入ると、どうやら「あえぎ声」と言うやつだ。
茂夫は、「此れは誰かが性行為をしている。」と、確信した。
そうなると、押さえが利かない。

まだ性行為の実体験が無い茂男だったから、勿論どんな事をしているのか興味が在って窓から覗こうとした。
一度周囲を見回して誰かが見ていない事を確認してから背伸びして覗くと、窓の位置が高いので自然と上から見下ろす格好に成った。
何しろ、相手は横に成っているので窓より低い位置にいる。
一組の全裸の男女が、「組みつ、ほぐれつ」、男女の営みをしているのが目に入った。

茂夫は、ハッとして咄嗟に顔をずらしてバレないか中の様子を見た。
それから、誰かに見つからないか庭に目を転じてまたグルリと辺りを伺い、誘惑に駆られてまた中を覗いた。
いかなる理由でも、他人の私生活は覗く方が悪い事は承知の上だが、歯止めは利きそうも無い。

何しろ、知りたい盛りである。
最初良く判からなかったが、驚いた事にどうやら女の方は宿のあの靖子と言う少女らしい。
「忌々しい、やはり子ども扱いしていた。」
腹がたったが、「四、五歳上ではそう言う事もあろうか」と思い直した。


こんな場面には、出くわす事もめったに無い。
幸運と解釈してとことん見てやれと、腹を決めた。
「男は誰だ」と見ていると、ちょうど男女の上下が入れ替わって、男は上総屋の主人と知れた。
「この二人、親子かと思ったら夫婦だったか。」と、納得した。

「それなら遠慮は要らない」とばかりに、気持ちが見や易く成って思わず身を乗り出した。
それが、何とも間が悪く、馬乗りに成って上半身起こした少女の顔が、窓の正面に向いて、茂夫と目を合わせてしまったのだ。
少女は一瞬動きを止めて、こちらを見た。
茂夫は少女に見据えられて隠れる事も忘れていて、胸の膨(ふくら)みが白く美しかった。

少女は、ひと目で茂夫と承知した様で少し驚いたような顔をし、茂夫の方に視線を向けたままでいたが、別に騒ぐでもなく気を取り直した様にそのまま行為を続けた。
茂夫の方は突然の悪事露見で、少女に射すくめられる様に固まって呆然とその光景を眺めていた。

茂夫に見られているのを知りながら、少女は風呂場の時と同様に黙って見せる覚悟をしたのだろう、少女は承知しながら主人に馬乗りの姿勢で茂夫にわざと見せ付けるかの様に行為を続け、激しく動いていた。
「もう、見つかってしまったのだから」と半ば開き直ってその行為を覗いていた茂夫だったが、そのうち少女の顔つきが崩れると、「嗚呼〜」と大きい声を発して主人の上に打ち伏してしまった。

あれが、「イクって事か・・・」
茂夫は、マセ同級生の話を初めて実際に眼にしたのだ。


中の動きがひと段落して茂夫に少し余裕が出来た。
男女の営みだけに目が行っていたが、良く見るとそこは奇妙な飾りの部屋だった。
茂夫はそれに気が付いて、改めて確りと中を見回してみた。
まるで、寺の本堂のような造りだった。

ほんの二〜三分だっただろうか、身動きしなかった少女が漸(ようや)く起き上がり、チラリと茂夫の方に目を向けると意味有り気に恥ずかしそうに笑って目をそらした。
ヤッパリ少女は茂夫の覗きを承知していたのだ。
少女の無防備な裸身が、茂夫には頼りなげに感じた。

主人も起き上がり、裸のまま二人で正面の本尊らしい仏像の前に進んだ。
何か、赤黄色い丸みを帯びた物を捧げるように取り出して、手前の座卓くらいの高さの台の上に置いた。
二人とも、首から数珠の様な物を提げていた。
茂夫は、「ヤッパリ寺の本堂なのだ」と確信した。

何か儀式をしているらしく、二人とも何か仏、仏(ぶつぶつ)と唱えている。
赤黄色い丸みを帯びたものは、良く見ると髑髏(どくろ)の形をしていた。
少女は何か唱えながら股間に手をやると、その手で、髑髏(どくろ)を撫で回していて髑髏(どくろ)が濡れたように光った。
茂夫にとっては不気味な行為だが二人の表情は神妙で、後で知ったが陰液(和合水・精液)とやらを、髑髏(どくろ)に塗っていたのだ。

少女はなおも自分の手を股間と髑髏(どくろ)に交互に運び、それを主人が手を合わせて拝んでいた。
「何かの、呪いの儀式か?」
それにしても寺の本堂でする事にしては、傍目にもオドロオドロしい物である。
釘着けにされて覗いていると、やがて主人は僧侶の衣装を、少女は白無垢の着物を身にまとい、何か唱えながら髑髏(どくろ)を元の処へ戻した。

戻し終わると、二人は髑髏(どくろ)に向かって平伏し手を合わせてまた平伏した。
すると何処からか裸の男女が二組現れ、互いに絡み合いを始めた。
向き直った宿の二人は、二組の男女に向かって、先ほどからの呪文の様なものをまた大きな声で唱えている。
その前で二組の男女は絡み合い、相手を変えてまた絡み合った。

ひとしきりすると少女が立ち上がり、再び白無垢をハラリと落とすと裸身を晒し、先ほどの髑髏(どくろ)をうやうやしく持ち上げ、また台の上に移した。
その時少女は、チラリと茂夫が見ている事を確かめた様な気がした。


数珠以外全裸の少女は、本堂の中央に進み出て二組の男女の中へ加わり、自ら誘って二人の男と交互に交わりを始めた。
少女と一人の男が交わっている間、他の三人は絡むように少女に刺激を加え快感を促していた。
二人の男は入れ替わり立ち代り必死で少女を攻め立て、恐ろしく長い時間その行為は続いて、少女は狂った様に叫び身もだえ続けている。
僧形の上総屋の主人は、その傍らで表情も変えずに、相変わらず呪文の様なものを唱えている。

男二人は、次々に達した様で、少女はまた股間に手をやり何か唱えながら髑髏(どくろ)をなで始めた。
それは思い描いていた茂夫の性行為とは違って凄(すさ)まじく、目の前で為されているのは不気味な儀式だった。
茂夫はそれを見て急に恐く成り、自分の部屋に逃げ帰った。



茂夫は、自分の部屋に逃げ帰った筈だった。
所が、奇妙な事にその部屋がないのだ。
夜が白いで来て、木立も見えているのに、母屋の建物が見えない。
建物はおろか雑草が生い茂る草原で、母屋の在るべき筈の所には何も無いのだ。

「此れはどうした事だ。あの建物は、何処に行った。」と、茂夫は呆然と、立ち尽くした。
茂夫が振り返ると、先ほどのあの離れは立派な寺の本堂に成っている。
その後方には、武蔵野の明け方の大地が、青い稲穂の水田と伴に広がっていた。

タイムスリップでもしたかの様に、とても賑やかな立川の駅周辺とは思えない。
茂夫が目をこすっても、その景色は変わらなかった。
まるきりの、のどかな田園風景である。
気が付くと、着ていた学生服が、一休さんが着る様な小坊主の衣装に代わっていた。

「一体どうした事だ。」
自問自答してみるが、何とも不思議だ。
「此れは、あの儀式を盗み見した祟りか?」
あれこれ思いながら気はあせるが、信じられない事態に答えは出ない。


「遊んでいては駄目よ。」
後ろから少女の声がした。
振り返ると、白無垢姿の「靖子」と言う少女が立っていた。
髪は乱れ胸元もだらしなく空き気味に肌蹴(はだけ)て、乳房が見て取れるが茂夫の視線を気にしている風でも無い。

「お勤めを終えて、皆疲れているのだから。」
先ほどの事が、「当然の事」だった様に言う。
少女は水の入った手桶と雑巾をカッタルそうに茂夫に渡して、「手のかかる小坊主だよ」と呟き、「フワァ」とあくびを一つすると本堂に消えた。
それを目で追いながら見送っても、まだ茂夫には事態が飲み込めない。

「おい小僧、早くしないと、朝飯にありつけないぞ。」
上から声がした。
見ると、カラスが石灯篭に止っていた。
どう見ても、声の主はカラスだ。

「お前しゃべれるのか?」
驚いた茂夫は、改めてカラスに確かめた。
「バカ、当たり前だろう。これでも俺は神だぞ。」
「神様なら聞くが、俺は何をしたら良い。」

「何も知らないやつだな。何でも聞きな、教えてやるから。」
カラスは、くちばしで羽の掃除をしながら、「教えてやる」と得意そうに言った。
偉そうな奴だが、こっちは奇妙な処に迷い込んで途方にくれている。
茂夫は「色々と教わるしかない」と、心に決めた。

「それじゃあ、宜しく頼みます。処で神様は何と言う御名前ですか。」
「俺か、俺様はガタロウだ。」
カラスは、胸を張って言った。 「ガタロウさん、まずお聞きしますが、今は何んと言う時代ですかね。」

「時代?この世界に時代など無い。」
「えっ。」
ガタロウは、話をそらすかの様に、「そら、早く仕事をしないと、御飯(まんま)抜きだ。」と言った。
そしてガタロウはパタパタと羽を煽り、少し飛んで本堂の欄干(らんかん)に舞い降りると、片方の翼を手の様に使って指差し、「この濡れ縁の拭き掃除をしろ。」と、言った。

太陽が少し昇り、本堂に陽光が差し込んで、眩しく映えていた。
茂夫が仕方なく濡れ縁の拭き掃除を始めると、「アァ、今日も暑く成りそうだ。」
ガタロウはそう言って、飛び立って行った。
ぞの飛翔するガタロウの姿はすぐに小さくなって、小坊主の茂夫からは見えなくなった。


第四話(迷い込んだ場所)に続く


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(迷い込んだ場所)
◆◇◆◇◆(迷い込んだ場所)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第四話(迷い込んだ場所)

「カラスがしゃべる。」
何時の間にか迷い込んでしまった不思議な場所だが、ここではそれも「有る」と言う事だ。
「まったく、奇妙な所だ」と独り言を言って、その意味の無さに茂夫は思わず笑ってしまった。

濡れ縁の掃除が終わった頃、見覚えの有る小母さんが「小坊主さん朝飯だよ。」と呼びに来た。
見覚えがあると思ったら角のたばこ屋の小母さんにそっくりで、着ている衣装だけが時代劇の様に古臭い着物だった。
「ボケッとして、この子、どうしちゃったのだろうね。」
小母さんは茂夫が、以前から此処に居るかの様に言った。

後から知ったが、茂夫はこの世界では三年程前にこの寺に川越の在から修行によこされ、小坊主の「吉」と呼ばれていた。
小母さんは何も言わない茂夫を見詰めると、「早くしなさい」と言って、スタスタと歩き出した。
まだ事態が飲み込めない茂夫だったが、付いて行くしかない。

本堂の裏手に回ると、宿坊(修行僧の住居)が数棟並んでいた。
小母さんの後ろから案内されて付い行くと、小ぶりの坊の厨(くり)の板の間に茂夫の朝食が用意されていた。
一汁一菜の粗末なもので、たばこ屋の小母さんは、「修行に入るまでの辛抱だよ。」と言った。
「小母さん。」と茂夫が言うと「何だよこの子、何時も通りに、うめ、と呼んでおくれ。」と言われた。

「修行に入るって、どう言う事ですか?」
「其の内判るさ。」
茶碗に飯を盛りながら、うめさんは答えた。
なるほど寺の食事らしく、食事の中身は味噌汁と沢庵二切れだった。

「電燈の無い時代」の部屋の中は、昼間でも暗い。
茂夫がボソボソした固めの飯を頬張りながら周囲を見回すと、明かりが漏れる所は戸板がツッカイ棒で開けて小窓になっている。
その小窓から光が僅かに漏れ込んではいても、宿坊の中は目を凝らさないと薄暗くて何も見えない事を知った。
まるで映画で見た、時代劇の世界だ。


その日から茂夫の小坊主生活が始まった。
上総屋の主人は、この不思議な世界では、見蓮(もくれん)と言う陰陽師を習得した真言宗の僧侶兼陰陽師で、「真言立川流」を始めた人物だった。

その教義は、遠く印度の仏教に遡る。
印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼(だきに)天と言う魔女が、大日如来(だいにちにょらい)の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。
此れが日本では、後に稲荷神社に成る。

財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗(しにせ)の商家の奥庭に祭られたりしていた。
つまり、幸せにしてくれる神様で、そのダキニ天が真言立川流の御本尊である。

ダキニ天の法力を高める秘法が、密教の儀式である。
密教の儀式では、ダキニ天の法力を高めるには、男女和合のエネルギーが要る。

日本では、呪いの強い隠避(淫乱)な邪教とされているが、ヒンズー教のカーマ・スートラに影響された印度仏教や、ネパール、チベットなどのラマ教では、こうした性的教えは仏法と矛盾しない。
そもそものネイティブ仏教では、性は生きる活力の源と理解されている。
弘法大師(空海)、伝教(でんぎょう)大師達が我が国にもたらした密教は、男女和合のエネルギーに拠る強力な「現世利益の秘法」であったのだ。

この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。
お金に見立てた寺院発行の紙の束を供え物として火にくべ、金持ちに成れる様に先祖に祈るのだ。
そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、強力な現世利益の呪詛法力(じゅそほうりき)として真言密教・立川流が成立した。

本来、男女の交合は尊い物だった。
男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛法力(じゅそほうりき)の為のエネルギーの源が男女交合であり、密教理念としていた。

その理念は、けして浮ついた邪教ではない。
至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、日本の或る時代には間違いなく存在した。


あの初めて寺にタイムスリップした日以来、茂夫は朝食の後「上総屋」、いや違った「見蓮(もくれん)様」の前に呼び出され、毎日立川流の教義の教えを授けられる事が、日課と成った。
そこで、理論的な真言密教の真髄を教わったのである。

朝の講義が終わって質素な食事が済むと、僅かな時間が茂夫の自由に成った。
自由時間には、茂夫は良く庭に出た。
時折、ガタロウがフラリと飛んで来て、茂夫が知らない事を答えてくれた。

何しろ、茂夫が十五年間生きて来た世界と、まるで違う。
道具一つ取っても、使い方の判らない物もある。
ガタロウは、口癖のように「まったく、何も知らない奴だ。」と言いながら、得意そうに何でも教えてくれた。

しゃべる白い蛇も現れた。
その白蛇の名は、「みい」と言う。
尋ねもしないのに白蛇は自分で名乗り、「病で困ったら声を掛けろ。」と言った。
何でも、医術、薬術の心得があり、「茂夫を守るように頼まれてきた。」と言うのだ。
一体誰に頼まれたのか、不思議な話だ。

嫌な奴だが、灰色の良くしゃべる「ねずみ」も現れた。
茂夫が中学生の頃嫌っていた教頭に、顔が良く似ていた。
ねずみの名を、「忠太」と言う。

この「忠太」が、嘘をつく。
ガタロウの留守を見計らう様に現れ、茂夫にまるで反対の事を教えて、後で見蓮に茂夫が怒られるのを見て喜ぶ。
意地の悪い奴だ。


此処に来て、四、五日・・・、いや一ヵ月(かも知れない)経った頃の事だ。
いつもの様に外の空気を吸いに境内の庭に出ると、痩せた、みすぼらしい黄茶味が掛かった白色の犬がいた。

「おい小坊主、何か食わせろ。」
突然犬に話しかけられたが、茂夫はもう驚かない。
奇妙な世界に慣れて来ていた。
「食わせろと言われても、食い物の持ち合わせがない。許してくれ。」

「ばか者、お前によこせとは言ってないわ。ここの坊主に取り次げ。」
犬は、威張りくさって茂夫に言った。

「何だ、横柄(おうへい)な奴だ」と、茂夫はマジマジと犬を見た。
すると面構えが神々しく見え、そして何んだか知らないが、急にその犬の言う事を聞く気に成った。
慌(あわ)てて中に入り見蓮(もくれん)に取り次ぐと、「えっ!!」と叫んで、それこそ見蓮の方がもっと慌(あわ)てた。
あっと言う間に奥に走り込み、たばこ屋の小母さん(うめ・さん)にアタフタと食事の用意をさせた。

茂夫が犬と思っていたのは、「狐」で、この寺の御本尊である。
うめさんに、あれ此れ指図をし終えると、外に転がる様にかけ出た見蓮は、「狐」の姿を見るなり「おお、ダキニ天様。」と地べたに平伏した。
見蓮は、顔を上げると「本堂に食事の用意をしております。どうぞお上がりください。」と言った。

「所で見蓮。この小坊主は見込みが有るぞ。」
言い残して、狐はヒョイと舞い上がるように本堂に上がり込んだ。
慌(あわ)てて、見蓮が狐の後に続く。
見蓮の勢いに驚いて、茂夫もアタフタとそれに続いた。

本堂にはあの白装束の巫女少女が、平伏して食膳の脇に待っていた。
「ダキニ天様、良くお越しで。」
「おお姫の尼、お勤めに励んでいるか。」
「はい、日夜。」と少女は、済んだ良く通る声で答えた。

どうやら、少女の名は「姫の尼」と言うらしい。
励んでいるのは、察するに例の性交のお勤めの事を指しているのだろう。
それを聞いて、ダキニ天は満足そうに肯(うなず)くと、振り返って茂夫に言った。
「そこな小坊主、お前も確りと修行せよ。」

「はい。」
勢いで、つい返事をしてしまった。
それを聞いた見蓮が、「お許しが出たで、今日から修行じゃ。」と言った。
「早速今夜からですね。」と姫の尼はうれしそうに、何度も肯(うなず)いた。
ガツガツと食事をしながら、ダキニ天は「二、三日此処におる。」と宣言した。


その夜、茂夫は初めて本堂の「お勤め」の場に立ち入る事が許された。
松の油を使った灯明の明かりが、とてもそれとは思えないほど明るい。
何時の間にか、近隣の者と思われる男女が呼び寄せられて三組ほど参加していた。
後で聞くと、熱心な信者が争って参加したがるそうで、信者同士の話し合いで順番回り持ちに成っていた。

茂夫の今の格好は、気恥ずかしくてあまり人に見せられたものでは無い。
小坊主の白い上衣だけで、下半身は何も身に着けてはいない。
肝心な処がスースーして、落ち着かない。
「見蓮に、当分の間、修行中はその格好で居ろ」と申し渡された。

その代わり、日々の雑用からは開放された。
唯一救いは、「お勤め」の場では周りも似たような格好だった事だ。


まず、見蓮と姫の尼がダキニ天の前にひれ伏し「始めます。」と挨拶をなし、立ち上がると一礼して着衣を脱ぎ捨て全裸になり、おごそかに和合を始める。
やがて、姫の尼の口から艶(なまめ)かしい声が漏れ始める。
感じているのだ。

この和合は法力を引き出す呪詛だから、巫女が感じなければ、呪法の効果は無い。
組みつ、ほぐれつ、激しい動きで見蓮が姫の尼を攻め立て、他の者は一斉に、般若心経(般若波羅蜜多理趣・・・・)を唱え始める。
絶頂(イク瞬間)感が密教で言う「無我の境地」で、法力のパワーの「源」と考えられている。
その最初の絶頂に姫の尼が達して、長々と横たわった。

すると、見蓮が姫の尼を離して起き上がり、茂夫を手招きする。
自分に代わって、「お勤めをしろ」と言う意味である。
初体験がこんな形に成ろうとは茂夫も夢にも思わなかったが、気が付くと股間の物はそそり立っていた。
茂夫の男の物が姫の尼の中に入って行くと姫の尼が正気付き、再びお勤めを再会した。

アッと言う間に えも言われぬ快感が走り、茂夫は堪らず絶頂を迎えた。
恥ずかしい程、呆気(あっけ)なかった。
しかし、姫の尼は放してくれず、茂夫を受け入れたまま、再びお勤めを始めた。
若さとは凄いもので、茂夫の男の物が姫の尼の仲で再び元気に成るのを感じた。

まるで「姫の尼」の手の中(腹の中?)に、茂夫はあった。
少し余裕が出来て横を見回すと、あのたばこ屋の「うめ」さんが見蓮様と真最中で、裸身が若いのに驚いた。
うめさんは、すごい善がり声を発していた。
そして勝手に茂夫を攻め立てていた姫の尼が、やがて大きくあえいで二度目の絶頂を迎えた。

「良おし、良おし、小坊主が加わったで、此れで法力が強くなるわい。」
ダキニ天が、悦に入って言った。
姫の尼は起き上がると、見蓮とともにあの髑髏(どくろ)をささげて台に据えた。
前に見たように、股間の「和合水」を手に取り、髑髏(どくろ)に丁寧に撫で付けて行く。

後はダキニ天の見守る中、信者を交えての乱交となる。
そして、「和合水の髑髏塗布(どくろとふ)」が繰り返されるのだ。
若い茂夫は引っ張りだこで、休む暇が無い。
余りの事に、「よこしまな目的で旅に出た罰が当たったのか」と、そんな不安も横切った。
快感で気が遠く成って行った。

「初めてにしては上々じゃ。」
顔の上で、ダキニ天の声がした。
本堂の中央で長々と体を横たえていた茂夫は、気が付くとお勤めは終わっていた。
茂夫は、気を失っていたのだ。


それから毎日、茂夫には「お勤め」の修行が待っていた。
最初は口も聞かなかった近隣の信者さん達も少しずつ打ち解けて、「小坊主さん」と声を掛けてくれる。
肌を合わせた女人も多い。
何故か高校生の茂夫がデートをした少女達に、顔が良く似ている。

あの、風呂場の裸身を思い浮かべる友人の妹に似た少女もいた。
呼ぶ時うっかり、その名を言いそうになる。
あの「お勤め」以外はまったく普通で、人の良さそうな人達だった。
信者達は皆ここの風景と同じで、おおらかに暮らしている。

自分達で作った畑の収穫物を、毎日夕方届けに来る。
見蓮を始め、寺の者もガタロウも、ダキニ天様さえ茂夫に優しい。
修行といっても、やりたい盛りの若者に思い切り性行為をさせるのである。
ここでの生活は、或る意味若い茂夫には天国だった。
あの、忌々しい「忠太」を除いては・・・。


白い蛇の「みい」も時々顔を出し、茂夫の体調を聞いて来る。
「修行は順調か?身体に悪い処は、無かろうな。」
「悪い処は無いが、元の世界が恋しい、思い出すと気が暗くなる。」
「我侭を言ってはいかん。それは時が解決する。今は流れに任せよ。」と、「みい」は答えた。

天国と言って置いて何んだが、或る意味修行の身にとって寺での日々の生活は単調である。
寺から外へ、一歩も出ない。
それに、今のこの格好では恥ずかしくて出ても行けない。
もっとも出て行ってもこの時代では、茂夫は生活の術(すべ)を知らないから囚われの身の様なものだ。

もう、此処に来て長い月日が立った様な気がした。
向こうの世界の両親や友人は、無事に生きている居るだろうか?
まさか、浦島太郎の様に何百年も経っているのではないだろうな・・・。


第五話(ガタロウの正体)に続く


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(ガタロウの正体)
◆◇◆◇◆(ガタロウの正体)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第五話(ガタロウの正体)

この不思議な世界に迷い込んで、一体どのくらい時間がたったのか・・・・。
ほんの「数日」のような気もするし、「何ヶ月」も居る様な気もする。
此処には、時間の感覚がまるで無い。
時がユックリと流れている。

田んぼの青い稲穂はいつまでも青く、夏はいつまでも終わらない。
夜昼が訪れて、月日は経っているようだが、季節の移り変わりはまるで無い。
「あの青い稲穂は、いつ実りいつ収穫するのか。」
まるで茂夫の理解を超えた、奇妙な世界である。

時折父や母の事を思い出す。
「会いたい・・・・。」
だが、どうすればこの世界から抜け出せるのか、誰も言わない。
この世界が異次元であれば、歩いても行けない。


「小坊主、少しは慣れたか?」
聞き慣れた、えらそうな声が聞こえた。
茂夫が相変わらず庭で、遠くを見ていると、ガタロウがいつの間にか、濡れ縁の欄干に止っていた。
時々「フラッ」と顔を見せるが、一体何処から飛んでくるのか、不思議に思って聞いて見た。

「ガタロウさんは、一体何処に住んで居るのですか。」
「俺か?俺は多摩国府(府中市)の熊野神社に住んで居る。」
「そこから飛んで来るのですか。」
「ああ、お前の事が心配で、な。」

「それにしても、ガタロウさん、話し方が随分えらそうなのですけど?」
「お前、本当に何にも知らないのだな。俺は偉い神なのだぞ。」
「神様?ですか。」
「信じないのか、俺の脚を良く見ろ、どうだ、三本あるだろう、これは{ヤタガラス}と言って神の使いの証拠(あかし)じゃ、ここの坊主に問うて見ろ。」

ガタロウは、そう言い残してフワリと飛び去った。
自分で偉い神様と名乗るガタロウには、確かに足は三本あった。
そんな鳥、見た事は無い。
もっとも、ここでは何が有っても、不思議は無い。

茂夫は、ガタロウが「言っている事」が何だか判らず、立川流の教義を教わる合間に、見蓮に聞いて見た。
「見蓮様、ヤタガラスって何者ですか。」
「何!!お前の処に時々現れる、あのカラスか?奇妙な奴だと思っていたら、ヤタガラスか、ウーム、それはの・・・・神の化身じゃ。」
驚いた様に、見蓮は言った。
そしてマジマジと、茂夫を見た。

見蓮が言うに、ヤタガラスは古代中国の信仰では、太陽の中にいる巨大なカラスだと言われている。
日本では神魂命(かみむすびのみこと)または「かもたけつの命」と呼ばれ、「熊野大社に使わされた」と、神話に有るそうだ。
知恵と導きの神と言われている。
ヤタガラスにまつわる有名な話としては、「神武天皇が東征の折、熊野山中で道に迷い、ヤタガラスが大和までの道案内をし、その場所に、「大和朝廷は成立した」と言う、伝説がある。


此れは、紀伊半島を勢力圏としていた豪族丹生氏が、「神武天皇に味方した事を指している」と言われている。
紀伊半島では、丹(辰砂・水銀)が採れた。
その丹を司(つかさど)るのが、丹生氏である。
この辰砂(水銀)に目を付けて高野山を真言宗の本山としたのが、弘法大師(空海)であった。

当時、水銀は大変利用価値のある産物で、まず薬として使われ、ついで朱(赤色)が得られるため塗り物に使われ、次に金の精製に使われるなど貴重なものであった。

日本の古くからの「**丸」の対抗として存在する「**丹」は、この水銀が薬として使われた名残である。
従って 、当時「辰砂」の産地を押さえる事は、大きな力を得た事であった。
つまり、弘法大師には「辰砂(水銀)」を背景にした資金力があった。
それで、真言宗は信徒の懐を充てにする事なく全国に寺を展開して、急速な布教が出来たのだ。


茂夫にヤタガラスの言われの話しながらヒョイと何か思い当たったのか、見蓮は「はて、此れは大事、ぞ。」と言って姫の尼を呼んだ。
「姫の尼、急ぎ参れ。」
見蓮の慌て様は、尋常ではない。
「見連様、何事・・・ですか?」

寝ていたのか、乱れた夜衣から乳房を覗かせながら姫の尼は現れた。
「それがのぅ姫の尼、小坊主が大変じゃ。」
見蓮が言うに、ヤタガラスが付きまとうからには「何か大それた仕事が、小坊主を待っている。」と言うのだ。

ヤタガラスは紀州(和歌山県)熊野大社の祭り神で、全国の熊野神社に現れる。
それがここに現れ、「小坊主に話しかけたには、それなりの理由がある筈。」と、姫の尼に告げた。
「それは大変、早く修行を終わらせねば・・・。」
茂夫本人には事態が飲み込めないのだが、騒ぎを聞きつけて本堂に来た「うめ」さんまで「早く修行を終わらせろ」と騒ぎ出す。

ガタロウがヤラガラスと言う神の化身と判った所で、これほどの騒ぎに成ったが、周囲が勝手に盛り上がっているだけで何の事やら茂夫には良く判らない。
姫の尼は、身体を摺り寄せ「小坊主さん、一層お勤めに励みましょう。」と、目を輝かして茂夫に言った。
「そうだ。そうだ。それが良い。」と、見蓮が合槌を打って本尊のダキニ天像に手を合わす。
「・・・・・。」

何しろ、この世界に来て間がないのだから勝手に張り切られても、茂夫は困る。
そんな茂夫の戸惑いなどそっち退けで、これは「ダキニ天様の思し召し」と、見蓮も直ぐに真言立川流の奥義の全てを「茂夫に伝授する。」と張り切った。
茂夫のところにヤタガラスが舞い降りたと言う事は、「天が望んでいる」と言う事である。
見蓮にとって見れば、久しく待ち望んだ後継者の出現だったのだ。


「何を騒いでおる。」
ヒョイとご本尊様の権現、ダキニ天狐が現れた。
突然の事で、見蓮達も何時もの様には、かしこまって挨拶する間もない。
突然の出現に面食らって「権現様は近くに居られたのですか。」と見蓮が言うと、ダキニ天狐は「いや、その小坊主が気に成って、な。」と答えた。

「やはり何かお感じに。」
「うむ、この小坊主、何か背負っていると見てな。」
ダキニ天は、「気」を感じるので離れがたく、近くで様子を見ていた。
それを聞いた見蓮が、「やはりそうですか。実は、ヤタガラスが度々。」と、経緯(いきさつ)を話した。

ダキニ天は、少し首をかしげて考えた挙句、言った。
「中々、此れは修行を急がねばならぬ、わしが立ち会う。この分では、伊豆の国・大仁の仁寛(にんかん・蓮念とも言う)も呼び寄せねば成るまい。」
「それは上々の思案でございます。」

「仁寛(にんかん)様が、お出(いで)になる。」
姫の尼は、喜びの声を上げた。
仁寛(にんかん)は、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶で、陰陽師だった見蓮に真言密教の秘伝を授けた者である。
姫の尼は、始め仁寛に真言密教の手ほどきを受け、和合呪詛の巫女として見蓮に従うように言い付かって立川まで付けてよこされた身だった。


姫の尼は、古くから大仁近くの修善寺に本拠を置いていた堀藤次家(鎌倉幕府成立時の当主は堀藤次近家。)の流れを汲む日枝神社の神主の娘だったが、仁寛の教義に心底ほれてこの生活を選んでいた。
堀藤次(ほりとうじ)家は、頼朝挙兵以来頼朝に従い功をなした。

鎌倉幕府内の権力闘争で北条時政に打たれる前は、鎌倉幕府の要人(御家人)の一族だった堀藤次(ほりとうじ)家の娘・姫の尼は姫と呼ばれて不思議の無い血筋なのだ。
茂夫はこの時、見蓮の本当の妻が「うめ」だと言う事を、茂夫は始めて知った。


弘法大師の開いた真言宗の教えの中に見られる密教には、「超人的修行」による呪力で人を救おうと言う教義があった。
仁寛に限らず高野山系の僧達の多くも、鎌倉時代末期近くまではこの男女交合の「秘術」を理念としていた。
陰陽師の見蓮に、仁寛が密教の秘術を伝授して、かれこれ百年に成ろうとするが二人とも達者なものである。
呪術が効いているのか?

仁寛は、所謂(いわゆる)「千手丸事件」で「鳥羽天皇の暗殺を謀った」として捕らえられて、「伊豆大仁」に流されていた。
言わば、政治犯の流人である。
そこで陰陽師修行中の見蓮に出会い、秘伝を授けたのだ。
その真言密教の和合呪詛の為か、二人とも年齢に似合わず達者この上ない。

もっとも、人間の脳は必要性を感じればそう言う指令を全身に出すものだから、人間から色気が無くなると生気が失せ、野心も若さも失って行く理屈なのだから、この和合呪詛は理に適っているのかも知れない。
流石(さすが)に印度から中国と渡り、渡来して来た密教の経典「理趣経」の真髄だけはあるのかも知れない。


周りが、急に慌(あわ)ただしくなった。
仁寛が到着し、役者が揃えば、本格的な行(ぎょう)を行うと言う。
姫の尼は、信者達を集めてイソイソと本格的「行」の支度の指揮をしている。
本格的なものに成ると、結構に用意するものも多い。

近隣の信者は総動員で支度を手伝い、若手の体力のありそうな男女十組が選ばれて参加する事に成った。
この本格的な「行」は七日七晩に及び、八日目の朝、「開眼供養を迎える」と言う荒行である。
この荒行の中心に、主願人(願主)として「茂夫」がなる。
つまり茂夫自身の本尊を得る為の「行」なのである。

ダキニ天が、「どれ、わしも姿を現そうか。」と、言い出した。
パッと目にも眩しく閃光が走って周囲が明るくなり、茂夫の目の前で一瞬の内に「狐」が人形(ひとがた)に変わった。
それも艶(なまめ)かしい女性の姿だった。

「あれ、ダキニ天様は女だったか。」
茂夫が思わず叫んだ。
見ると、茂夫が男だとばかり思っていたダキニ天は、綺麗いな女性の姿を現した。
しかも薄布を纏(まと)っただけで、全身が艶(なまめ)かしく透けて見え、目が覚めるほど綺麗いだ。

ダキニ天の裸身からは、逃れられない妖力が放たれていた。
茂夫の股間が硬くなり、恥ずかしそうに隠そうとすると「気にせんで、良い、ダキニ天様の法力で、男は皆そうなるわ。」と、笑いながら見蓮が言った。
そう言う見蓮の物も、立派に成っていた。
手伝いに来ていた近隣の信者達は、後光がさす様なダキニ天の裸身に一斉にひれ伏した。

その信者達も、例外なく股間は大きく膨れて見えた。
この世にお姿を現したダキニ天様のお姿を拝めば、男性はたちまち勃起し、女性の場合は受け入れ易くなる様に「そこ」が湿って来るそうだ。
これを「霊験現らたか」と言うのだろうか?


仁寛がダキニ天の命を受け、伊豆から急ぎ到着したのは、茂夫の本格行を取り決めてから二日後の昼だった。
ダキニ天は神様で空をひと飛びだが、いくら修行を積んでいるとは言え仁寛は生身の人間で、伊豆の大仁から二日掛かりで馬を飛ばしてやって来た。
本堂で弟子の見蓮から経緯(いきさつ)を聞いて仁寛は、「どうやら、わしの最後の伝授に成そうだわい。」と、嬉しそうに言った。
ヤタガラスまで守護している小坊主なら本物である。

崖から身を投げて亡くなっている事になっている仁寛は、和合呪詛のおかげで長生きし、もう流人に処した都の方では仁寛はとっくに過去の人で、都の者達も代替わりして久しく、仁寛の生死など気にもしていない。
相当の年配だそうだが、見た処壮年のように若々しく、馬を駆って箱根を越え駆けつけて来たのだ。

それまで立川の方では、食料の調達や儀式に使う新しい髑髏(どくろ)の用意に追われた。
呪法に使う髑髏(どくろ)にも、それなりの確りした仕度がいる。
亡く成って間もない人頭を丁寧に洗い清めて、真言を唱えながら漆(うるし)を塗る。
朱色を出すには「辰砂」を使う。

水銀と硫黄からなる硫化水銀鉱が、「辰砂」であり、細かく砕くと水銀朱の朱が取れる。
朱は血の色であり、活力と蘇生の呪術には欠かせない。
仕上がったら良く乾燥させ、上等な桐箱に収めて置き、それを取り出しては性交の行を行い、その和合水を呪文を唱えながら髑髏(どくろ)に満遍なく塗り付ける。
今回の「行」は、茂夫に本尊を得させる為の、此れが、「髑髏(どくろ)本尊・歓喜法」と言う秘術である。


茂夫の本尊取得の行が始ると、最初に「百歳にはなる」と噂される仁寛が姫の尼と交わり、壮絶に攻め立て頃合を見て手招きで茂夫に繋いだ。
それをかわきりに、茂夫は日に何人もの女性と性交をなし、相手となった女性は、その和合水を秘所よりすくい、「反魂真言」を唱えながら次々に髑髏に塗りつける。

本尊開眼の儀式だから作法があり、茂夫は毎日都合百二十回数えて交わり女達は和合水を塗り続ける。
とても常人には為せない業だが、何しろダキニ天の怪しく艶(なまめ)かしい妖力が茂夫を幾らでも交合可能にさせている。

毎夜それを繰り返し、十二時から二時まで、毎日千回「反魂真言」を唱えながら「反魂香」と言う香を焚いて、香煙を髑髏(どくろ)に沁み込ませる。

この「行」に入ったら、食事もその場で済ませながら、全員こもりきりで、七日七晩絶やさずに性交を続ける荒行である。
見蓮、仁寛、「ダキニ天」立会いの下、姫の尼を始め、信者のうら若き乙女達が茂夫と交わり、和合水を搾り出す。
この時代「ろうそく」は貴重品で、ほとんどが灯明を使う。
その灯明も切らさずに「ともし」続けるのだが、茂夫には幻想的な明るさで、その灯り中での荒行が、まさしく極楽浄土の様に思えてならない。

願主が行をする時は傍らにその化粧髑髏(どくろ)を捧げて仮本尊と為す。
立会いの見蓮や男の信者達は、見守りながら「反魂真言」を絶やさず唱える。
ダキニ天の妖力の色香は強烈で、茂夫の男はすぐにまた活気を取り戻す。
真言密教秘伝の強壮の秘薬と食べ物をとりながら、和合と髑髏(どくろ)に和合水の塗布を続けて七日目の深夜「結願」を迎える。

十二時を過ぎ、八日目に入った深夜からは、「開眼供養」を夜明けまで行う。
和合水と反魂香にまみれた髑髏(どくろ)の頭部に、金箔を幾重にも重ねて張り、口に紅、歯に銀箔を施し、作り物の眼球を入れて、最後に化粧するのだ。
その後、錦の袋に入れて七年間、願主が毎夜抱いて寝る。
その添い寝の期間を経て八年目に、漸(よう)やく「髑髏(どくろ)本尊」が完成する。

陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)や反魂真言を唱えて、性交を繰り返す「歓喜行」は多分に異様である。
しかしこの淫靡な儀式の奥には、別の真実が隠れている。
理趣経は、「本来男性と女性の真の陰陽があって初めて物事が成る」と説いている。

この儀式に七年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が「大日如来」の導きで、悟りを得る事がその目的だからであり、何の事は無い互いの情が移る年月である。そうなれば髑髏(どくろ)本尊は、単なるシンボリックな物に成ってしまうのである。

さて、茂夫の開眼行は順調に進み、七日七晩に渡る「行」が終わろうとしていた。
ダキニ天からは、「結願」を迎えれば「新たな展開が茂夫に待ち受けている」と告げられている。
この先茂夫には、何が待ち受けているのだろうか?


第六話(神の使いの白蛇)に続く


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(神の使いの白蛇)
◆◇◆◇◆(神の使いの白蛇)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第六話(神の使いの白蛇)

太陽がまぶしいとは、正にこの事か。
与えられた大仕事を成し遂げ、気持ちは「ホット」したが、一人に成ると元の世界が恋しい。

友や両親はどうして居るだろう。
長い事家に帰らないから、「さぞかし心配している事だろう。」とセンチメンタルな、気分になる。
元の世界で、余りにも「女と、やりたい、やりたい。」と思った事の、祟(たたり)の様な気もしていた。
性行為も此処まで来ると、まるで「お仕置き」である。
開眼供養が終わって、この時茂夫は、精魂が尽きていたのだ。


数え切れない「無我の境地」を体験し、一生分の性体験を一度にしてしまった様な気がした。
若さ故の「煩悩」は、消えていた。
それで茂夫は、自分なりに悟りを開いた気がしてもいた。

確かについこの間までは小坊主だったのに、不思議な事に何時(いつ)の間にか身体もたくましくなり、二十才代に成長している様だった。
「和合行」をしている間に、立派な青年に成っていたのだ。
これも呪詛の法力なのか?
それでも「行」の消耗は凄(すさ)まじく、体も精神もポッカリと穴が開いた様に、虚ろだった。

見蓮の師・仁寛(にんかん)は、茂夫の「結願」を見届けると満足そうに喜んで、直ぐに伊豆に帰って行った。
もう長くない事を、悟っていたのだ。
後に風の便りで、大仁に帰って直ぐに病に臥せり、「亡く成った」と言う。
亡く成る時の言葉は「全て伝えた。」だったそうで、「満足そうな最後であった」と伝えられた。


「結願」の翌日、茂夫が欄干に持たれて雲を見ていると、例の白蛇が小さな布の袋を口に咥えて現れ、「これを、毎日一粒ずつ服して見よ。」と言い、茂夫に「匂い強い」丸薬を十粒くれた。
丸薬を呑むと、先ほどまで萎えていた肉体(からだ)に見る見る体力がよみがえって来るのが判った。
それ処か、直ぐにでも和合が出来そうに回復して、驚いた。

実際、二日目の夜に姫の尼を本堂に誘い、大願明けと言うのに交わってみせ、尼を大いに驚かせた。
三日もすると、日に日に体力がみなぎる茂夫をいぶかり、見蓮が茂夫に聞いた。
「はて、不思議な事、お前は何でそんなに回復が早い。」
そう問われて、茂夫は白蛇との経緯(いきさつ)を話した。

すると見蓮は信じられない様な顔をして、「此れはたまげた。その白蛇は薬師寺の「巳(みい)様じゃ。」と言った。
そしてその巳(みい)様の謂れを、見蓮は茂夫に話してくれた。

日向(宮崎県)の国に、高天原(たかまがはら)神社がある。
そこに祭られている薬師寺の分院が、金龍山白蛇殿(こんりゅうさん・はくじゃでん)と言う。
白蛇が本尊で、情念(つまり色恋)や財産に「ご利益が有る」と言われている。

高天原神社は神社でありながら、薬師寺の分院、つまり寺の拝殿も併せ持つ神仏習合(しんぶつ・ならいあわす)の、民衆信仰に根付いた信仰の場である。
白蛇はそこの守り神で、関西以西では東の稲荷神社と同じ様なご利益を願う信仰が、巳(みい)様信仰として根付ている。

薬師寺は読んで字のごとく、病(やまい)回復を祈願する「健康の為」の寺である。
「しかし・・・巳(みい)様まで、付いて居るとは・・・神仏はお前に何をさせようと言うのか。」
見蓮は絶句した。
とても、自分の手に負えないものを、茂夫に感じたのだ。

見蓮にも想像の付かない大きな力が茂夫に働いて、何かの目的に向かって神々のプロジェクトは進んでいたのだ。

「どうじゃ、元気に成ったか?」
ヒョイと、白蛇が現れた。
現れたと言うより、ドサッと天井から落ちて来た。
「ああ、巳(みい)様か、おかげさまで元気に成りました。」
流石に蛇の化身だけ在って、意外な出現方法に驚きながらも茂夫は礼を言った。

「それは上々。どうやら見蓮からわしの事を聞いたらしいな。」
「巳(みい)様は神様だそうで。」
「わしは高天原の使いでの、お前にはいずれ国の為に働いてもらわねばならぬから、こうして近くに居るのじゃ。」
「私に何をせよと?」

訳の判らない世界に紛れ込んで、未だに不安で一杯なのに奇妙な呪法の修行をさせられた。
今度は「国の為に仕事をせよ。」と言う。
「まあ、それはいずれ判る。時が来ればガタロウが教える。それまでは達者で、な。」
白蛇は体をくねらせると、器用に柱にまとわりつき、スルスルと登って行った。


漸(ようや)く電燈のない生活に、茂夫は慣れ始めていた。
「結願」から一ヵ月ほど経ったと思われる頃、ダキニ天が狐姿でやって来て、「ヤタガラスに呼び出された。」と言う。
仏の使いが神の使いに呼び出される事など、滅多に無い。
「あ奴、何やら折入った話らしい。」と、難しそうな顔をしてダキニ天は言った。

そうこうする内にガタロウが飛来して来てダキニ天と何かヒソヒソ話しを始めた。
時折茂夫の方を見る事から、どうやら話しの中身は茂夫の事らしい。

ダキニ天は頷(うなず)き、茂夫に見蓮と姫の尼を呼びにやらせた。
二人が来ると、ダキニ天は目蓮に、「小坊主に世間を見せる事に成った。姫の尼と、京や鎌倉にやれ。」と言った。
姫の尼には、「旅の間、しっかりと小坊主の世話を、せい。」と、申し付けた。

基より、姫の尼に異存は無い。
「かしこまりました。」とうれしそうに答えた。
ガタロウが口を出し、「見蓮、今日より小坊主の吉はで終りじゃ。今日からはこ奴を真言宗・僧侶・文観弘真(もんかんこうしん)と名乗らせよ。」
「文観弘真(もんかんこうしん)・・・・で?」

見蓮が、恐る恐る聞いた。
「ばか者、弘真様じゃ。」
ダキニ天が、茂夫(弘真)が見蓮の上席に成った事を、一言で伝えた。
ガタロウの働きで、文観弘真の僧籍は、既に京都の醍醐(だいご)寺の「客僧・小野文観弘真(おののもんかんこうしん)」と言う事に成っていた。

ダキニ天が、「弘真に法衣を用意せよ」と見蓮に命じ、見蓮が慌てて法衣を用意する。
姫の尼に着付けを手伝だって貰い、与えられた僧衣を身に纏(まと)うと、茂夫(弘真)でもいっぱしの僧侶に見えるから衣装は不思議なものだ。


ダキニ天から「世間を見よ」と言われて弘真は、出来て間が無い本尊を抱え(七年間一時も離せない。)、姫の尼を伴って旅に出た。
鎌倉に行くと、鎌倉には幕府が置かれて旅の者の往来も激しく、町人も多く大変に賑わっていた。
当時の、日本の政治の中心である。
もっとも京に朝廷があり、政治の二極分化と言う社会的不安材料もあった。

北条氏が執権として勢力を持っていて、鎌倉幕府の政務を司る時代だった。
弘真は見るからに立派な僧形で、姫の尼は武家の娘風の出立(いでたち)である。

鎌倉の町を歩きながら、弘真は思った。
「ガタロウの奴め、時代など無いと言い居って、チャンと有るではないか。」
「そう言えば。」と、茂夫は思い出した。
最初に寺に来た頃は季節感がまるで無かったのだが、鎌倉に来て始めて季節も感じる様に成った。

不思議な事だが、立川の地、あの寺の周囲には季節の移ろいは、最後まで無かった。
時代も、今やっと「現実的に成った」のかもしれない。


弘真は、茂夫時代の中学校で習った鎌倉時代を、思い出していた。
あの嫌いな、ねずみ顔の教頭が教えた教科が、歴史だった。

教室で良く事実と間違えて教えた。
茂夫に指摘されると、ねずみ顔を真っ赤にして、怒った。
正しく教えるより教師の面子の方が「大事」と考える、小さな人間だった。
鎌倉の町で様子を聞くと、どうやら元寇(モウコ軍の襲来)から三十年ほど経って、鎌倉幕府の力も衰えを見せ始め、朝廷(天皇家)でも内紛が散見される時代だった。


真言の僧侶は尊い事に成っていて、僧・文観弘真は何処に行っても尊敬され、大いに歓迎された。
僧が、「徳を運んでくる」と、素朴に信じられていた。
姫の尼とは夫婦同然で、互いが好きな時に交わった。
旅先の女連れは、心の慰めになる。

不思議な事に姫の尼は、何時(いつ)まで経っても十八・九の少女のままで、肌が衰える事を知らない、聞くと「呪法のおかげ。」だと言う。
これもあの和合呪詛のおかげなのか・・・。
もう、何があっても不思議は無い。
後で知ったが、現代でも色気(色欲)のある女性ほど年配でも若いから、「性は生に通ずる」は道理かも知れない。


弘真はたまに立川に戻ると、呪法による「お勤め」もこなした。
呪力を維持強化する為だ。
何と言ってもこの立川の本堂が、一番呪力の強い結界の力を持っている場所なのだ。

弘真の姿が立川に現れると、近隣の信者が争って行に参加する。
とくに男信者は熱心に妻を引き連れて来る。
皆、徳を得た弘真と交わった妻を、抱きたがったのだ。
会得した僧・文観弘真と和合した女性は観音菩薩になるから、「子宝に恵まれ財も成せる」と、素朴に信じられていた。
此れも道理で、性的に夫婦仲が良ければ子宝も、財も付いて来る。


ガタロウと己(みい)様は、影ながら見守っているらしく、時折旅先にも現れた。
何か有ると、出番を待っていた様に突然現れ、そしてあれ此れ世話を焼く。
ガタロウには何時(いつも)、「世情を学べ」と、口癖の様に言われた。
「いずれ、役に立つ」と言うのだ。

それから何年も姫の尼を伴い、夜の和合行を重ねながら、京、鎌倉、立川を行き来し、世情を検分してその時代を学んだ。
京の地では、ガタロウが用意してくれた醍醐(だいご)寺が、活動の拠点になった。
此れは、醍醐寺・報恩院の僧上「道順」、の支援である。

道順は後宇多天皇の信任厚い僧侶で、密教にも見識があった。
ちなみに後の南北朝並立時代の主役・後醍醐天皇は、後宇多天皇の皇子である。

弘真が後醍醐天皇と結びついたのは、「道順僧上」の存在が在ったからと、言われている。 弘真は、大和の国・奈良西大寺の真言僧として名を成した事に成って居たから、寺内でも一目置かれていた。
そして少しずつ、弘真(こうしん)の名も、世に知られるように成って行った。


何しろ、神仏の付いている僧侶で、事に拠っては奇蹟も起こし得る。
弘真(こうしん)の評判を高める為に、救いを求める人々にガタロウや巳(みい)様が、願いを叶える。
「おお、奇蹟じゃ。」
「弘真様は、生き仏様じゃ。」と、随分(ずいぶん)人々に手を合わせられた。

そんな訳で、弘真の世間の評価は、おのずと「徳」の有る名僧侶に成っていた。
後で考えて見ると、この世間の「名僧」と言う評判作りには、ガタロウや巳(みい)様の次のステップに弘真を上らせる為の思惑が在ったのである。
そうして、長い月日が過ぎて行った。


第七話(忠太の陰謀)に続く


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(忠太の陰謀)
◆◇◆◇◆(忠太の陰謀)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第七話(忠太の陰謀)

そもそも、弘法大師(空海)が日本にもたらした真言密教の教えでは、男女の性的和合は肯定されていた。
経典・理趣経(りしゅきょう)によると、男女の愛欲、性の快楽は「菩薩の境地」とある。
この理趣経は、正式には「般若波羅蜜多理趣本(品・ぼん)」と言う経典で、いかがわしいものでは無い。

真言立川流は此れを主な経典として多くの信者を集め、室町時代には政局に関わる程の力を有したのだ。
今の感覚で、新興のフリーセックス教団などと、軽く一緒には出来ない、重い歴史的意味がある。
それが、政治的に迫害されるに至った訳は、此れから追々明らかになる。

歴史的に捕らえると、政治と宗教の主導権争いが絡み合って見えて来る。
この物語も今は、そこに至る過程にあった。


このエピソードは、弘真が初めて旅に出た頃の話である。
世間を学ぶ為の旅が順調に進んだかと言うと、けしてそうでも無い。
密かに邪魔者に付き纏(まと)われ、行く先々で難題、困難に遭遇する。
何者かに弘真の悪評を吹き込まれた僧や役人が次々に現れ、旅を妨害するのだ。

最初は悪さをする相手が何者か判らなかったが、その内に相手が判った。
見破ったのは姫の尼で、相手の生来のおしゃべり好きが仇と成った。
女と見くびって、姫の尼を騙そうとしてウッカリ得意げに口を滑らせ、正体がばれてしまったのだ。

姫の尼は唯の女ではない。
常人に在らざる修行を重ね、長い事若さを保つ妖力を備(そな)えていた。
相手は、姫の尼を甘く見過ぎたのだ。
忠太であった。


ねずみの忠太は、心底意地が悪いらしい。
最初の出会いからして、どうも弘真に好意は持っていない。
それで、世間にわざと嘘を教えて困らしたりする。

立川にいる時も、色々と悪さをしたが、鎌倉に来てからは一層激しくなった。
弘真が、世間で評判になると、「こ奴ばかりが何故目立つ」とばかり嫉妬をし、目に余る悪さを始めた。
遥々(はるばる)旅先まで出張って来て色々と邪魔をする。
それが、念が入っていて、とても一筋縄では行かない。

大体忠太が、何が楽しくて弘真に纏(まと)わり付くのかも判らない。
忠太は喋る位だから、人にも化ける。
それで悪巧みをして、弘真の評判を落とそうと動き回る。
結構それが災いして、一度などは鎌倉で弘真は盗みの疑いまでかけられそうになった。

侍所(さむらいどころ)から武人達が出て鎌倉の街中で捕り物が始まり、弘真は小路を逃げ隠れる羽目に陥った。
例え濡れ衣でも僧侶が盗みでは洒落(しゃれ)に成らない。
幸いダキニ天が同行していて捕り手に幻覚を見せ、難を逃れたが「狐が化かす」のは本当だった。


当時の鎌倉仏教は右派真言宗が主流で、禁欲的教義であり、女犯など「もっての外」と言う教えが、力を付けて来て居た。
左派真言密教は、高野山でも段々と「異端視」され始めて居たのだ。
それで、姫の巫女を連れて歩く弘真を、右派真言宗の寺僧に訴えては、迫害させようとする。
弘真は、その都度相手の僧を真言の教えで論破し、相手に存在を認めさせて来た。


だが、度重なるとおちおち見聞の旅も出来ない。
厄介なので、ガタロウが忠太を見つけては追廻し頭を突っ突くのだが、何せ素早い。
直ぐにその辺の小穴に逃げ込んで、始末に終えない。
そして、こそこそ這い出して来ては、「悪さ」を繰り返す。

今売り出し中の名僧「弘真」に傷が付いては後で困る。
それにしても、ただならぬ「執拗な悪さ」である。
ガタロウが、「何か訳があるのでは」とダキニ天に相談を持ち込んだ。

ダキニ天が調べて見ると、どうも忠太は伊豆の国三島大社の入り口付近にある巨石の化身らしい。
巨石の名を「祟り(たたり)石」と言う。
この石、以前は境内の別の場所に在ったのだが、邪魔なので「どかそう」とすると、その都度良くない事が起こる。
それで境内の一郭に霊石として祭られている。


三島大社は、平安時代の書物に名が出て来るほど古い神社で、古過ぎて何時(いつ)の頃から在るのかも判らない由緒ある神社である。
鎌倉幕府成立の折、「源頼朝」が兵を集めて旗揚げした神社としても有名で、勿論平家打倒の祈願もしている。
それ故 執権の北条氏もその他の鎌倉武士達もその多くが伊豆の出身で、三島大社に縁が深い。
その神社に祭られている霊石の化身と成ると、結構に厄介である。

どうもねずみの忠太は、三島大社の使いで鎌倉幕府の守り神として動いているらしい。
三島大社の随神であれば、此れから起こる弘真の未来も、充分に見通している恐れがある。
つまり、いずれ弘真が「幕府に仇なす存在に為す」と、予知していたのかも知れない。

相手がねずみに化けている事から、巳(みい)様の出番である。
白蛇とねずみでは神格が違う。
忠太では、とても巳(みい)様には勝てない。
「一呑みに飲み込んでやる。」と己(みい)様が意気込むので、忠太は恐ろしくて弘真に近付く事が出来ない。
それで、遠まきにチョロチヨロと悪さをする。

散々に「いたちごっこ」を繰り返すが、忠太は小利巧で「すばしっこい」ので、容易に退治も出来ない。
埒(らち)が明かないので、ガタロウが白蛇・巳(みい)様と三島大社に直談判の掛け合いに行った。
他(よそ)の神社の使いが直談判に来るなど、滅多(めった)に無い。

しかも熊野大社のヤタガラスと高天原神社の金龍白蛇で、二体とも大神宮の「御神体」である。
一方関わりが有るとは言え、祟り石の忠太は社の随神で格下の霊石である。
最初から勝負はついている様なものだが、鎌倉幕府は三島大社の氏子で、そこは無視は出来ない。
大社始まって以来の、上に下にの大事に成った。

三島大社は神社としては格が高い、しかしこちらは高天原の使い「ヤタガラス」と「白蛇・巳(みい)様」である。
天孫の将来に関わる事では、いかに鎌倉から祈られて居ようとも、とても拒み難い。
ヤタガラスと白蛇・巳(みい)様が動くほどの、直接天界からの指示では、三島大社は折れるしか無かったのだ。

三島大社は、ヤタガラスと白蛇・巳(みい)様に詫びを入れて忠太に手を引かせる事にさせる。
忠太は不服そうだったが、大社の指示で手を引く事に成った。
それでガタロウ達は「祟り(たたり)石」と言う大石に締め縄の結界を施(ほどこ)し、忠太を封じ込めた。

封じ込めた、筈だった。
処が、忠太は悪知恵を働かせ締め縄の結界を施(ほどこ)される前に非公式に「祟り(たたり)石」抜け出していた。
この事は、誰も知らない。


その頃、鎌倉幕府の推挙により第九十六代天皇に、後醍醐天皇が即位した。
後醍醐帝は三十一歳と若くてやり手の天皇で、野心も在った。
幕府にすれば、若いから「言う事を聞かせる事が出来る相手」と踏んでいたが、とんだ読み違いである。
後醍醐天皇は、正に歴史の変わり目に必ず現われるスサノウの化身だったのである。

この後醍醐天皇の即位を機に、日本は新たな動乱の時代に流れて行く。
後醍醐帝は鎌倉幕府を倒幕して、自らが国を直に統治する野心を抱いたのである。
この動乱で、長く続いている皇統に大問題が発生する。
そして、天孫の「万世一系」が危機に陥るのだが、この事を、天界は遥か前から予期して神々が動き出していたのだ。


或る朝、茂夫(弘真)が目を覚ますと見蓮が急に老けていた。
見蓮が言うに、真言立川流の呪力が「弘真(茂夫)に移ったのだ」と言う。
立川に帰って、久しぶりに本堂でお勤めをした翌日の事だった。
見蓮は「七年経った」と言う。
弘真(茂夫)が夢中で日々を送っている内に、「所願成就」と成っていたのだ。

弘真の「髑髏(どくろ)本尊」は、此の「所願成就」に拠り強力な呪力を持つ。
無敵の不老の呪力である。
見蓮は「此れで漸(ようや)く、老けて死ねる。」と言って安堵した。

ガタロウが現れ、「文観(もんかん)を名乗れ」と言う。
「此れからは、京の醍醐寺が居場所じゃ。」と言う。
京の醍醐寺は、今の後醍醐天皇の皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する寺である。
ちなみに醍醐寺三宝院は、見蓮(もくれん)や文観(もんかん)の師・仁覚(にんかん)の兄、勝覚(しょうかん)が開基であり、道順僧正の縁も深くあり、僧・文観(もんかん)弘真は醍醐寺三宝院のエリートだった。

ダキニ天が現れ、「イヨイヨじゃで、京にはわしもついて行く。」と宣言した。
文観が京の醍醐寺に行くと、僧正の席が用意されていた。
茂夫が名乗る名は、京都醍醐寺・小野の文観(おののもんかん)上人、またの名を文観弘真(もんかんこうしん)僧正と言う。

醍醐寺に収まって、文観(もんかん)は寺僧の落ち着いた生活を始めた。
京の上流社会との付き合いも始まった。
御所にも招かれ、文観弘真は出世の道を歩んでいた。
この時茂夫は、まさか自分が南北朝時代の火付け役に成るとは、夢にも思わなかったのである。

見蓮は、文観の「所願成就」の二年後、立川で息を引き取った。
京から駆けつけた文観(もんかん)に、彼もまた「事を成し遂げた満足そうな顔だった」と、「うめ」が言った。

 
第八話(茂夫、僧正に成る)に続く


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(茂夫、僧正に成る)
◆◇◆◇◆(茂夫、僧正になる)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆ 第八話(茂夫、僧正になる)

僧・文観弘真(もんかんこうしん)が落ち着いた京都醍醐寺は、朝廷と深い関わりがある。
醍醐寺は、皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺で、つまり天皇家の一方の守り寺である。
ついでながら、当時は皇統が二系統に分かれていて、もう一方の皇統は持明院統(後の北朝)である。

その醍醐寺僧正に、文観弘真(もんかんこうしん)がなった。
時の天皇は、その醍醐寺・大覚寺統(後の南朝)の野心旺盛な若き後醍醐天皇である。
後醍醐帝には、鎌倉幕府を除いて自らが直接国を統治する「親政」への大望が在った。
その為には、親天皇派組織して力を結集して行かねば成らない。

後宇多上皇(第九一代)の皇子尊治親王(後醍醐天皇)は宋学者の玄恵から宋学の講義を受けて宋学の提唱する大義名分論に心酔し、皇子の頃より倒幕を目指して宋の様な専制国家の樹立を志していた。
野心がある後醍醐天皇は、自らの治世に確固たる仏法を起用すべく考えていた所から、二人は意気投合する。
ガタロウ達が、都合良く意気投合するように仕込んだ事かも知れないが、元はと言えば高天原(たかまがはら)の皇統護持の筋書きに違いない。

文観僧正は、後醍醐天皇に真言密教・立川流を直伝する。
文観が後醍醐帝に伝授した真言立川流秘伝・歓喜行和合呪詛に、後醍醐帝は大いに満足して文観を傍に置き、その呪詛を鎌倉倒幕の為に夜な夜な執り行う。
歓喜行には、ダキニ天が衣服の透ける様な美女姿を宮中に現し、その魅力に天皇は絶倫になる。

楽しくない無かろう筈はない。
「色即是空」の本来の意味は性行為をすれば「即無我の境地」に入れるで、その境地で極楽浄土を招来する。
その一方で鎌倉倒幕を祈願し、和合呪詛に拠って北条氏調伏を祈願「鎌倉に不幸をもたらせよう」と言うのだ。


若き天皇は無類の好色なのでこの真言立川流教えをいたく気に入り、自ら実践する事で極楽浄土を体感し、教義は宮中と貴族社会に広がった。
後醍醐天皇相手と成った女妾・女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで十六人に及ぶ親王(しんのう)、内親王(ないしんのう)を設けている。

この「子沢山」は、後の出来事を思うと、「歴史の必然だった」かも知れない。
つまり歴史の要求が、皇統を繋ぐ為には親王(しんのう)が多いに越した事は無い事態に見舞われたのだ。
「姫の尼」も天皇相手に、大活躍したのかも知れないが、記述された記録はない。
唯、夜な夜な「おごそかな儀式が、宮中で盛大に執り行われた」と、想像に難くない。

この教えに傾倒した後醍醐天皇は真言立川流を保護し、文観を政務の補佐役に抜擢(ばってき)する。
文観の権力は急速に強くなり、一時は日本中に真言立川流は広がって行った。
僧侶と言えども流行する教義に乗る事が、生き残りの手段なのは変わりは無い。
それで一時期は、全国どこの真言宗の末寺までもが真言立川を唱えるようになった。


正にこの世の春を謳う真言立川だったが、この辺から雲行きが怪しくなる。
真言宗の分派 真言立川が、余りの隆盛を見せた事で真言宗右派(禁欲派)が嫉妬し、文観(もんかん)の立川流(左派)から、宗派の最高権力を奪取すべく行動を起こす「きつかけ」と成った。
真言右派が後醍醐天皇の対立相手、持明院統方と組んだのである。

如何に文観(もんかん)に力が在っても、宗教上は真言宗の本山の支配下にある。 その真言本山右派が結束して文観(もんかん)を弾劾(だんがい)、文観(もんかん)は宗派の仕置きとして一時甲州(山梨県)の寺に流されている。

これは、宗教上の権力争いで、大覚寺統(後醍醐天皇)、左派(真言立川)連合が勝っていれば、その後の日本の宗教観は変わっていたかも知れない。
「菩薩の境地」が、精神的抵抗無く庶民のものに成っていたかも知れないのだ。
だが、醍醐党が破れ、真言立川は衰退して行った。
つまり、負けた方が「弾圧された」のである。


後醍醐天皇は、本来持明院統から出るべき次期皇太子を拒み、自分の系統(大覚寺統)から皇太子を定め、皇位継承問題で、持明院を支持する鎌倉幕府と対立を始める。
当時天皇は、大覚寺統と持明院統が交互に即位する約束に成っていた。
しかしそれは、基を正せば天皇家が一本にまとまり、団結して「力を集中しない様に」と言う皇室分断作戦で出た鎌倉幕府主導の制度だった。
それに、後醍醐天皇は正面から挑んだのである。

しかし順番で、次に天皇が出せると期待していた持明院統は幕府側に回った。
そう成ると、幕府は持明院側にまわり、ゴタゴタが絶えなくなる。

後醍醐天皇が鎌倉幕府と対峙する構えを見せた為、持明院統・後伏見上皇が幕府の後援を受けて一方的に皇子量仁(かずひと)親王の立太子を企てる。
それが進めば、このままでは天皇は今まで通り「飾り物」に成ってしまう。

業をにやした後醍醐天皇は、即位六年目に鎌倉幕府からの政権奪取を試みる。
この時の謀議は発覚し、日野中納言資朝(すけとも)が首謀者とされて佐渡ヶ島に流される。
画策した後醍醐天皇や文観は、この時はうまく難を逃れている。
だが、鎌倉方の要注意人物に成って、鎌倉方の出先機関・六波羅探題に警戒はされていた。


それから六年後、後醍醐天皇は笠置山(城)に移り、呼応して難波の悪党、楠正成(くすのきまさしげ)が、南河内の赤坂城で挙兵する。
一度失敗したが、後醍醐天皇はあきらめず機会を狙っていた。
楠正成は文観の真言立川の「教義」を支持し、後醍醐天皇を奉じて、鎌倉幕府の倒幕を試みたのである。

この時文観僧正は、後醍醐帝の尽力で甲州(山梨県)の寺から呼び戻されて幕府倒幕の挙兵の謀議に加わり、多くの伝(つて)を頼って味方集めに奔走している。 ヤタガラス(ガタロウ)、巳(みい)様、ダキニ天、がチームワークで、文観僧正をサポートするのだからご利益の信用は絶大なものに成り、次第に後醍醐天皇側に味方に付く武将たちも増えて来る。
文観僧正は後醍醐帝の軍師として活躍する傍ら、幕府転覆の髑髏(どくろ)呪法による「倒幕祈願」を行っている。
後醍醐天皇の依頼で、鎌倉幕府を「呪い倒そう」と言うのだ。

あの凄まじい「性交の荒行」である。
所が、思わぬ伏兵が現れてその七日七晩に渡る文観渾身の呪法は、大願成就する前に「発覚」する。
潜伏していた「たたり石の忠太」が、醍醐寺の修行僧に化け、「恐れながら。」と、持明院統方に通報したのである。

知らせは、急ぎ幕府方に伝わった。
六波羅探題軍が京の御所を急襲して、加担した者、皆逃げる間もなく捕縛された。

「おのれ忠太、誓約を破り文観に仇なすは、高天原に弓引く者なり。」
ガタロウ達神仏の使いは本気で怒って、忠太を追い詰める。
忠太は京、逢坂(大阪)を逃げ惑った。
しかしとうとう逃げ場を失い、追い詰められてしまった。

「俺は、自分の使命を果たしただけだ。許してくれ。」
相手は格式のある神仏の使いで、忠太だけではとても適わない。
忠太はたたり石がしめ縄と呪文で封印される前に抜け出した為に、封印されたたたり石には逃げ込めない。
京の町を散々に逃げ回った挙句、京都三山の一つ北山の麓で追い詰められ、必死に許しを請うが、もう誰も耳を貸さない。

「黙れ、罰当たりが。」
怒った巳(みい)様が、ついに忠太を一飲みにした。
しかし、その時は後の祭り。
文観は首謀者の一人として、六波羅探題に捕まってしまったのだ。

捕らえられて文観が「しら」を切ろうにも、予め忠太が事ごとくバラしてしまっていた。
証拠は、自筆に拠る北条氏調伏・逆賊退治の護摩次第書である。
当時の事で、鎌倉方の尋問は過酷な拷問に拠るものだった。
それで文観は、仕方なく呪詛を認めた。

当時は、呪詛が効果のあるものと万人が信じていた。
幕府を呪詛した重罪人である。
文観は、鎌倉幕府により流罪となり、「鬼界ヵ島(硫黄島)」に流される。

実はこの時捕まった多くの者が、死罪を免れている。
首謀者の多くが、皇室に繋がる「高貴な身分」の者か修行を積んだ「高位の僧籍」の者で、鎌倉方の仕置きも「罰当たりを恐れた」と言うまだ素朴な時代だった。


島流しに合った文観(もんかん)であるが、彼にはガタロウが付いている。
少し本土は遠いが、ガタロウは空を飛んで海を渡れる。
鬼界ガ島に流されてなお、文観は後醍醐天皇に親書を送り、後醍醐方の武将を鼓舞して討幕を指南した。
ガタロウによる「文観通信ネットワーク」は、充分機能していたのだ。

一方、後醍醐天皇は「隠岐(おき)の島」に流される。
その流刑中に、息子の護良(もりなか)親王が吉野に挙兵、楠木正成(くすのきまさしげ)も千早城に挙兵する。
河内の悪党・楠木正成(くすのきまさしげ)は在地の少領主だったが、祖先を遡れば畿内に散らばる陰陽寮縁の修験武術系の武士だった。
楠木勢の味方に馳せ参じる修験武術系の在地武士も多く、修験独特の山岳戦法も有って、鎌倉幕府方の攻めては思わぬ苦戦を強いられ千早城を攻めあぐねる。

護良(もりなか)親王の吉野挙兵と楠木正成(くすのきまさしげ)の千早城挙兵で畿内一帯は騒乱状態となり、後醍醐天皇がその混乱に乗じて隠岐の島を脱出、倒幕の「綸旨(りんじ)」を発する。
後醍醐天皇の呼びかけに応じ、有力武将の足利尊氏や、新田義貞が、呼応して味方となった。
幕府方の関西の拠点、「六波羅探題」を、足利尊氏、楠正成らが攻め、此れを打ち破った。
本拠地の「鎌倉」を新田義貞が攻め、「もはや、此れまで。」と、幕府執権「北条高時」は自害して、鎌倉幕府は滅びる。


鎌倉幕府を滅ぼし、後醍醐天皇が得意絶頂で、「建武の親政」(天皇の直接統治)を行うが、僅か二年で失敗する。
後醍醐天皇は、倒幕に協力した武士達よりも周りの側近や公家達を厚く処遇し、武士達の反感を買ったのである。

そうした不満に押されて、足利尊氏が、政権奪取の野望を抱き、叛旗を翻し、鎌倉に勝手に幕府を開こうとして、後醍醐天皇と対立する。
この時、後醍醐天皇に忠誠を誓っていた新田義貞や北畠顕家が、天皇の命により足利尊氏討伐に立ち上がる。
新田義貞軍は、鎌倉で一旦敗退するが、その後尊氏軍を迎え撃った北畠顕家の京での戦いは優勢で、新田義貞軍、楠正成軍も合流して、足利軍を九州まで追い落とす。

一時は、後醍醐天皇方が日本全土を掌握したかに思えた。
しかしその後、足利尊氏は九州、中国地方の武士の協力を得て勢力を盛り返し、持明院統の光巌上皇(後醍醐天皇の前の天皇)の院宣(いんぜん)を掲げて、京に攻め上る。
関東(坂東・ばんどう)武士も呼応して、後醍醐天皇側は、挟み撃ち状態に陥ったのである。
足利勢―持明院統―真言宗右派の利害が一致、連合が成立したのだ。

両軍対峙した湊川の戦、さらに敷山の戦いに敗れた後醍醐天皇(南朝)は、朝廷の正統性を表す「三種の神器」を携えて残兵とともに吉野山に逃れる。
そう、吉野山はガタロウ(ヤタガラス)の言わば本拠地である。
ヤタガラスは神の使いであり、朝廷に「事有る時」に救いの手を伸ばす。

この壮大な物語は、末代までの「朝廷護持」の為に、予め「神が設定した事」、なのかも知れない。
それに即して、「天孫族の神巳(みい)様とダキニ天が協力した。」とは考えられないか?

足利尊氏は、京に光明天皇(北朝)を擁立して、天下に「天皇を名乗るものが二人居る」、南北朝並立時代に突入する。
吉野に逃れた後醍醐天皇方は北朝・光明天皇を認めず、南北二つの朝廷が並立して、五十年以上に及ぶ武力対立が続いた。
此れを、南北朝並立時代と言う。


第九話(その後の文観僧正)に続く


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(その後の文観僧正)
◆◇◆◇◆(その後の文観僧正)◆◇◆◇◆◇


◆茂夫の神隠し物語◆第九話(その後の文観僧正)

少し前に遡り、流刑後の文観僧正の物語に戻る。
鎌倉幕府が崩壊後醍醐天皇のして「建武の親政」が始まると、文観はやっと「赦免」となって鬼界ガ島から帰って来た。

政治の実権を掌握した後醍醐天皇が、鬼界ガ島に流されていた盟友の文観を忘れる訳が無い。
早速の「赦免」の沙汰である。
姫の尼、ダキニ天、ガタロウ、巳(みい)様と総勢に迎えられた。
彼らの顔を見て、文観は思わず涙をこぼした。


この日を文観は、一日千秋の思いで待っていたのだ。
しかし帰って来た文観は、大僧正に復帰させて重用されるだろう後醍醐天皇の元へ行かなかった。
流人の生活は過酷で、文観の法力はめっきり衰えて精神にかつての気力は残っては居ない。
京に行っても、改革を始めた後醍醐天皇の御役に立つ自信はなかったのだ。

体力的に、和合の呪詛が出来ない。
食料事情が悪い鬼界ガ島の流刑時代に、著しく体力を失っていたのだ。
文観は楠木一族の地、河内の国・高安の金剛寺に居を構えて、養生する事にした。
巳(みい)様の勧めである。

島の人々は僧侶には親切だったが、自分達も食べるのがやっとで、文観を食べさせるにはよほどの犠牲を払っていた。
流刑の間、法力を高める相手の女人も、島には居なかった。
女人も居るには居たが絶対数が足りず、島の男達の共有物みたいな「おきて」が生きていた。
独占を主張すると、殺し合いに成りかねないのが、島の事情だ。

島の生活は過酷で、文観は呪法処では無かった。
ボロボロに成った文観が回復するのに、巳(みい)様の薬効をもってしても、二年の歳月を要した。
その間に、南北二つの朝廷が並立して、乱世が始まってしまった。
後醍醐天皇の「建武の新政」(天皇の直接統治)が、二年と持たなかったのである。

足利勢と持明院統の連合に追われた後醍醐天皇方は、吉野山に逃れ徹底抗戦を謀っていた。
法力を弱めていた文観の、朝廷への中央復帰の目は無くなってしまった。
此れは同時に、真言密教立川流の衰退を意味していた。
その、挽回の余力は、もう文観には無かった。

何よりも、心血を注いだ「髑髏本尊」を、流刑の捕縛の祭に幕府方に押さえられ、手元から失った事が、文観の法力を弱めていた。
宿敵真言宗右派が、忠太の進言により文観所有の「髑髏本尊」が、鎌倉幕府に対する倒幕祈願の呪詛の証拠と訴えられ、鬼界ガ島、流刑の間に焼却されてしまった。

この本尊の埋め合わせは、簡単には出来ない。
新たな本尊の開眼には、七日七晩の荒行と、八年の歳月が必要となる。
文観の回復を待っていては、とても間に合わない。
神様チームの誤算なのか?

ダキニ天は、文観の次の後継者を考え始めていた。
現金なもので、ダキニ天にとって自分を本尊とする立川流の後継者が何よりも必要である。
後醍醐天皇の親王の中から、それを見つけようと言うのだ。

姫の尼は、ダキニ天の指示で、親王達と吉野山にいた。
相変わらず、女官達と親王は毎夜乱交を繰り返していた。
南北朝の争いは一進一退の膠着状態が続き、今は南朝の皇統を絶やさぬ為にも親王の数を増やす必要があったのだ。


ヤタガラスの「ガタロウ」は、吉野山の南朝防衛に忙しく、巳(みい)様は、文観の体力回復がやっとだった。 南朝は東北や九州で親王達の兵が頑張り一定の勢力基盤を築いていたが、肝心の畿内では徐々に吉野を中心とする山岳部に押し込まれる劣勢に立っていた。
呪詛が効かねば、文観の出番は無い。
河内高安、「金剛寺」の生活は、文観にとって隠遁に近かった。
一度だけ、後醍醐天皇のたってのお召しで吉野宮に出向いた事があったが、激しい合戦の最中であった。

良くしたもので、吉野山中と近隣の村々、遠くは京の都まで隠れて味方する者があり、上手く「裏の行き来のルート」は出来ていた。
吉野宮に行き着くには「さぞかし難渋する」と覚悟して居たが、案内が居れば行き着く事は存外に容易い。
文観は獣道をかき分けて、吉野宮に辿り着いた。

「おぉ、文観か。良う良う来やった。」
かつての盟友の到来に、後醍醐天皇も玉座から立ち上がって「小躍りするか」と思えるほど喜びと伴に文観を迎えた。
「流罪の折に弱りまして、お上のお力にも成れず恐れいります。」
「何の何のご苦労じゃた。此度の頼み事には文観が離れて居って好都合でな。」

「さて、面妖な仰(おお)せで・・・」
「文観、親王達の行く末が心配じゃ、此れを頼みまいらせる。」
 文観は、天皇から一通の書状を預かった。
後醍醐天皇は、自らの死期が近い事を察して、文観にある事を頼む為に召し出したのである。


二人の間には、信頼があった。
後醍醐天皇は、吉野朝の子孫が京の都を奪還する事を願って、その時必要な軍資金を用意してあった。

吉野朝が軍資金を「豊富」なのには、れっきとした理由がある。
実は吉野山一帯は、弘法大師が目を付けた、豊富な丹(に/水銀)の産地である。
中国から経典を持ち帰った弘法大師(空海)は、水銀を使って「金を精製する技術」も持ち帰っていた。

弘法大師の布教にも、この資金は大いに役立った筈だ。
つまり、金を得るには吉野の地が戦略上重要だった。
その豊富な資金を五分割し、四人の親王と、文観に託したのである。

文観にとっては自分を信じて最高位まで取り立ててくれた帝の仰(おお)せである。
どうやら天が我に与えし「まだ残された仕事が在った」と腹を括(くく)り、その任の全(まっと)うを誓った。

しかし秘した筈のこの試み、帝と文観の対面は瞬く間に足利方にも伝わった。
この二人の対面、何も用が無くて実現する訳が無い。
しかも文観が「直ぐに吉野宮を辞して帰った」となると、何か申し付けられているに違いない。
いや、帝に信頼されている文観僧正であれば、何か重要な物を託されたに違いない。

その噂は、直ぐに都に広まった。
楠木一族が、寺の警護を申し出たが、文観は「無用じゃ。」とそれを蹴った。
警護が付いたのでは、益々噂が本当になる。
何も警護が無ければ、返って疑われ難いのが世の習いである。
それに、いざと成ったら、ガタロウに書状を吉野朝に運ばせ、返してもらえば良い。

だが、その楠木一族の懸念は実際に起きた。
噂を聞き付けた北朝方の軍勢五百騎に、金剛寺が取り囲まれたのである。
北朝方の軍勢が踏み込んで驚いたのだが、寺に護衛はまったく付いては居ず、文観自らが出て来て寺に招きいれ、そこでもう心理的に疑心暗鬼にさせられた。
文観の読みが、北朝方の常識を上回っていた事になる。

間一髪、ガタロウが間に合い、書状は文観の手を離れた。
文観は少しも慌(あわ)てず、「何も無いから、好きに捜せ。」と切り抜けた。
北朝方の兵士どもは、それこそ仏像の中から竈(かまど)の灰の下まで掘り起こしたが、何も出ないので単なる「流言の類」と結論付けた。
高位の僧に刃(やいば)を向ける度胸は、軍勢の将には無かった。

それが、「文観」最後の帝へご奉公であった。
ガタロウに持たせた書状は、中国地方に落ち延びて行った「ある親王」の手に渡って、無事だった。
その親王の子孫は、その書状の秘密を五百五十年間余り守り抜き、明治維新の折にその軍資金が「長州の倒幕資金に宛てられた」と言う、噂がある。
あくまでも、噂である。


書状を、無事に南朝方に返した文観は、平穏な日々を送っていた。
その内に後醍醐天皇も吉野宮で崩御され、この時代は移り行く・・・。
気のせいか、時の流れは茂夫が醍醐寺の僧侶・文観になった頃より早く感じられる。

三年もすると、文観は悟った。
「もはや、自分の時代は終わった。」
見蓮の顔が浮かんだ。
あの「やっと老いて死ねる。」と言った、あの安堵の表情が・・・。

漸(ようや)く体力は回復したが傍(そば)に居たのが巳(みい)様だけと言う事は、神は後継者をお望みで、私の復活ではない。
思えば神の命ずるままに、重い責任を背負ってここまで来た。
どうやら、ここらで「荷を降ろせ」と言う事らしい。
若かった文観も、今は老僧の体(てい)を為していたのだ。

南北朝の争いは近くで激しく続いていたが、心は穏やかだった。
此れが、「悟り」かも知れない。
夕焼けに染まる河内の野山を望みながら、フト空を見上げると、黒い羽根の翼を悠々とあおりながらガタロウがやって来た。

何時もの様に三本足で欄干に止ると、「久し振りじゃ文観、高天原の定めた行く末の事は、どうやら成された様じゃ。」と、話しかけて来た。
「私達の使命は終わりましたか?」
文観の問いかけに、ガタロウは翼を片方広げて左右に振った。

「いや、文観だけじゃ。わしには南朝を絶やさぬよう、此れからも助力しろとの事じゃ。」
「神使いが荒いですね。」
「仕方あるまい、それが役目じゃで。」
ガタロウは、もう「あきらめている」ように言った。

文観は、「近頃、疑問に思っていた事」を、聞いた。
「ガタロウさん、結果は前からお見通しだったのですか?」
「悪いな、これでも神様だ。判って居たさ。」
「それでも、意味があった。」

「意味の無い事など、この世には無い。遠い将来、文観の存在もその意義を認められる時が来る、でな。」
「それなら、良いです。」
何時に無くシンミリとしたガタロウ(ヤタガラス)の口ぶりから、ガタロウとの別れの時が近着いているのを感じていた。
「察したか、去り難いが、わしには勤めの続きがあるでな。」

ガタロウは、もうひとつ提案をした。
「白蛇の巳(みい)殿も、そろそろ日向に返したらどうか、奴も長い事日向の白蛇殿を留守にしておる。」
「はい、判りました。巳(みい)様には世話にな成りっぱなしで・・・。」
「あれは元々、人を助けるのが好きな薬師の神だで。」

「処で私、茂夫にはいつ戻れるのですか?」
茂夫はソッと、聞いて見た。
「最初から、戻っているさ。」と、ガタロウはキッパリ言った。
「え。」

茂夫には何の事か、さっぱり判らない。
「今に判る。では達者で、な。」
ガタロウは羽をバタつかせてフワリと浮き上がり、小さくクルリと茂夫の上を回ると、また悠々と吉野山の方向に向けて飛び立った。 薄暗く成りかけた吉野の山並みに、ガタロウの姿は、黒い点に成って消えて行った。


ガタロウが見えなく成ると、文観は巳(みい)様を捜した。

「巳(みい)様、何処に居られるのですか?」
「さっきから、ここに居る。」
天井の梁(はり)に白蛇はいた。

例によって、「ドサッ」と落ちて来ると、「聞いて居ったわ。」と言った。
「色々と有難う御座いました。」
文観は、心から礼を言って頭を下げた。
「何の、何の、途中からは、息子のよう・・じゃったわ・・・。」
白蛇の声が、少し涙声だった。

「どれ、去り難く成るので、わしも行くわ。」
グーンと言う感じで、白蛇が急に大きく成って行く。
その姿は、まさしく「白竜」であった。

突然空が暗黒に変わり、稲光と滝のような雨が降り出した。
ゴロゴロと言う稲妻を伴った「雷鳴」とゴーッと言う「雨音」にも関わらず、巳(みい)様の声はハッキリと聞こえた。
「さらばじゃ。文観。」
白竜は、稲妻の光を遡るように鱗(うろこ)を輝かしながら舞い上がると、西の空めがけて飛んで行った。

その姿はやがて雲間に消え、一瞬の雨は止んだ。
彼は西方、白蛇殿の地・九州日向の国(宮崎)に向かったのだ。
ふと足元を見ると、白く透けた抜け殻が残っていた。
巳(みい)様の置き土産なのか、蛇の抜け殻は幸運と蓄財の守り神である。


最終話(南朝正統)に続く


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(南朝正統)
◆◇◆◇◆(南朝正統)◆◇◆◇◆◇

◆茂夫の神隠し物語◆最終話(南朝正統)

南北朝並立初期の頃はまだ南朝方の勢力も強く、互いに味方を募り予断を許さない状況が続いた。
その後、宿敵・新田義貞を筑前で破り討ち取った足利尊氏は、光明天皇(北朝)より「征夷大将軍」に任ぜられた。
此れをもって室町(足利)幕府は成立する。
しかし南朝方は「三種の神器」を奉じ、吉野山中一帯を本拠地として度々京にも攻め上り、まだ健在で抵抗を続けていた。

抵抗を続けていた南朝方だったが、三年に亘る激しい攻防戦で、楠木、新田、北畠、千種、名和、結城などの名だたる武将が戦死し、その戦いの最中に後醍醐天皇も崩御される。
これも天命と言うべきか、真言立川流の呪力は終(つい)によみがえらなかったのである。

それでも醍醐寺統の皇統は続き、天皇を名乗って政権奪還を試みる。
後醍醐天皇が亡くなって十年ほどする頃、勢力は次第に衰えて吉野宮も陥落する。
だが、南朝方はその後も抵抗を続け四十五年間がんばり、一度三代将軍足利義満の時代に和解、「三種の神器」も引き渡すが「明徳和約」による約束を反故にされる。

持明院統が交代で皇位を渡さなかった為に、また吉野を本拠に抵抗を始め、更に五十年余の抵抗の歴史が存在する。
南朝苦難の百年間である。


一方の持明院統の方であるが、こちらにも色々あった。
足利氏の後押しで、北朝が圧倒的に有利となり南朝は紀伊半島の山岳部などに追いやられて行く。
南朝が吉野に立て篭もった為に、南北朝並立ながら治世は既に北朝と足利幕府に移り、この優勢に、北朝の天下は順調に事が進んだかに見えたが、北朝の系統にも疑問を投げかける歴史家もいる。


南北朝時代突入から約四十五年、足利第三代将軍義満の時代は、室町幕府が最盛期の頃である。
(北朝第五代後円融天皇・南朝第九十九代後亀山天皇の時代)に両朝廷は一旦和解した。

「明徳和約」をもって、南朝後亀山天皇から北朝の御円融天皇の皇子「後小松天皇(第百代)に繋がれた事になっている。
この、後小松天皇には「出生疑惑が有る」と言うのだ。
彼の実の父は、当時並ぶもの無き権力者の第三代将軍・足利義満と言う説である。

後小松天皇の先帝・後亀山天皇は、「自殺した」と言うのだ。
原因は時の権力者足利将軍義満に、飾り者にされて皇后・妃三人を次々犯され、反撃も出来ず、「世を儚んで命を絶った」と言う哀れな噂が存在するのだ。
決果、皇后から生まれた後小松天皇は、将軍・義満の種で、「北朝の皇統は途絶えた」と言う噂である。

将軍義満は将軍職を第四代・義持に譲ると、朝廷を差し置いて明の洪武帝から「日本国王」の称号を得ている。
此れは明らかに明国からの冊封(さくほう)であり、国際認知から言えば足利義満が国家元首である。

冊封(さくほう)とは、多分に建前の部分(形式的)ではあるが、ある種「国際秩序」の形成に欠かせないもので在ったのだ。
中国を中心にした「国際秩序」の形成は、当時無くてはなら無いもので、それが、冊封(さくほう)朝貢(ちようけん)の制度である。
すなわち、多分に実効性は無いが、建前中国に臣下の礼(属国)をとる事で、ある種の国際関係の形式を成立させていたのだ。
つまり、近隣国の存在を国際的に認定する役目を、中国歴代帝国の皇帝は長い事負っていた。

冊封(さくほう)は、近隣国の権力者(小国の王)が中国皇帝から形式的に官位をもらう事で、権力の裏付けとする利便性があった。
その対外的地位を、義満は朝貢(ちようけん)により、獲得していた。

更に義満の死後ではあるが、朝廷より「太上天皇」の尊号を賜って、息子の四代将軍「義持」が慌てて辞退しているが、後小松天皇の実父の件が事実なら在り得そうな話である。


その後、「明徳和約」に反して足利氏・北朝方は南朝方に天皇の位を回さなかった為に、南朝方はまたも吉野に潜行(後南朝)およそ五十年のゲリラ戦を展開する。
この後南朝の動きそのものが、「足利義満・北朝のっ取りが原因」とする研究者もいる。


文観僧正は、当時としては珍しく八十歳と言う長寿を全うしたそうである。
養生の末に、僅かによみがえった立川流の呪法の効き目なのかも知れない。
文観は死期を迎える僅か前まで、村娘を相手に日々のお勤めを欠かさず、立川流を守っていたのだ。


老人にだって、性欲はある。
世間の建前では、「良い年をして。」が前提になっていて、老人の性は切り捨てられている。
何故ならば、現代社会において老人の性は社会秩序と相容れない制約環境に取り囲まれているからだ。
つまり、老人達の生命の人間性を無視し、社会秩序の安定の為に理性を強いているだけだ。

元々人間は、もてたいパワーから人生が始まり、もてたいパワーが生きる希望や向上心の原動力になっている事は誰も否定出来ない。
今でこそ、性欲の事をおおっぴらにする事は社会秩序に反する事と密封されているが、昔は違った。
弘法大師(空海)がもたらした真言密教の、鎌倉初期に封印された教えには、性は「生きる為の活力の元」と書いてある経典も数多くあった。
中国で古くからある「医食同源」と同じように、「性は生に通ず」が、この教えの基本である。

勿論、「社会秩序を配慮する」と言う注釈付ではあるが、健康の為の特効薬である事は、間違いない。
だとするなら、老人の性欲を否定する事は彼らの生きがいを取り上げる事にならないのか。
この理解の無さが、生きる気力を低下させ、呆けさせるとは、考えられないか?
批判も多いと思うが、一つの真理である。


この南朝方の存在は、どうした事か遥か後の明治維新後、正式に認められて、戦前の歴史教科書などに吉野朝時代と明記された事もある。
うがった考えだが、もしかするとその後の権力者達の朝廷離れの歴史を予測して、スペヤーとして二系統、「神が用意した」とするのは強引な解釈だろうか。

実は、明治維新の折、この吉野朝(南朝)の皇統がヒョッコリ顔を出す、「奇妙な噂話」がある。
倒幕派の陰謀である。
吉田松陰、坂本竜馬、高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞、西郷隆盛、大久保利通、維新の立役者を数え上げたらきりが無い。
この維新の本拠地になったのは、薩摩、長州、土佐、肥前、の各藩であった。
後の維新政府高官に、この四藩の出身者が群を抜いて多く居たのは言うまでも無い。

中でも、長州には恐るべき隠し玉があった。
和暦・文久三年八月の変で尊皇攘夷派の長州藩は抗争に破れ、都に居た藩兵は本拠の長州に落ち延びる。
此の撤退を指揮した秀才「久坂玄瑞」と伴に、同じく尊皇攘夷派の為に長州に流れ下った公家が七人居た。
此れを、「七卿落ち」と言う。

この七卿の存在が倒幕派の長州集合を招き、密談の中で松陰派がかねて関心を寄せていた「南朝末裔の存在」と結び付いたのである。
その南朝末裔が長州の吉田松陰が目を付け密かに親交を結んでいた南朝の系図を有する「大室家」と言う家の存在であった。
そこに、中央の尊王攘夷派公家が落ち延びて来て、挽回の策を画策した事が、謀議に因る南朝末裔擁立を決定付けた。

「大室・某」は、吉野から防周(山口県)に逃れた南朝「良光親王(ながみつしんのう)の末裔だ」と言うのである。
多々良姓は、周防、長門地方を平安時代の昔から長く治めた大内氏の古い姓である。
そして大内氏は、妙見信仰の最大の庇護者だった。

下松(くだまつ)市、光市、田布施町などの町々は、瀬戸内海に連なる北辰尊星妙見大菩薩(ほくしんそんじょうみょうけんだいぼさつ)と朝鮮半島、百済(くだら)の国の琳聖(りんしょう)太子の来朝帰化の伝承の地である。
この降星伝説、周防、長門に五百年間と長く君臨した「大内氏の政治工作」とも言われているが、いずれにしてもこの地では妙見信仰は長く保護され、人々に根付いていた。

南北朝時代には大内弘世は南朝側として周防・長門の豪族を服属させると、正平十八年北朝側に寝返って周防・長門両国守護に任じられた。

実はこの寝返り、大内氏の存続を守り、しいては南朝の皇子「良光親王」を密かに守る為の算段だった。
庇護した皇子の南朝方が天皇に返咲けば、関白太政大臣も夢ではない。
「良光親王」は、その「隠し玉」と大内氏は密かに企んでいたのだ。
大内氏は戦国時代に配下の陶(すえ)氏に下克上に会い、その陶氏は毛利氏に取って代わられたが、大内氏の血脈が神主などの武門以外で多々良姓を名乗り永らえていたとしても不思議は無い。

この大内氏の密かな陰謀は、毛利家に引き継がれた。
防周(山口県)は本州最西端に位置し、大和朝廷成立前の、朝廷の祖、スサノウ所縁の須佐町がある。
或る種、朝廷のスペアーが所在しても違和感が無い。


時が流れて明治維新の折に、この南朝「大室・某」が、ひょっこり顔を出す、「奇妙な噂話」がある。
それは、「睦仁親王(明治天皇)」別人説である。
つまり病弱だった明治天皇が、維新のどさくさの折に屈強な「誰か」と「入れ替わった」とする、とんでもない話が有るのだ。
ご丁寧な事に、この「誰か」は、密かに正統な、南朝の皇位継承者だと言うのである。


明治維新を迎える少し前、日本は各国から開国を迫られ歴史的大変換期を迎えていた。
黒船騒ぎである。

この、日本の存続も危ぶまれる大変な時に、朝廷と徳川政権は、古い思想の保守的な考えを守ろうとしていた。
守旧派のトップは、北朝系「孝明天皇」と徳川第十四代将軍「家持」で、二人の思想は、「公武合体、鎖国攘夷」である。
二人は和宮(孝明天皇の妹、家持の妻)を通じて義兄弟で、旧体制の維持を謀っていた。
その二人が、相次いで亡くなった。

その死が不自然で、今でも、根強く暗殺説が囁かれている。
この時明治維新の大業がなされなければ、日本の運命は何処かの植民地に、変わっていたかも知れない。
しかし、孝明天皇は病死した。
その跡を継いだ睦仁親王(明治天皇)が、途中で「誰かと入れ替わった」と言う。

維新の大業の前と、後では、睦仁親王がまったくの別人に比較される事柄が、「多い」と言うのだ。
それを裏付けるような資料を、提示する研究者も数多い。
その「誰か」は古くから長州に住み、「南朝の系図を保持していた者であった」と、まことしやかに言われている。
薩長を中心した討幕派が維新に利用するには、その存在は確かに都合の良い話だった。


長州に流されていた七卿の筆頭は、三条実美(さんじょうさねとみ)であり、公家一番の過激派であった。
南朝の系図を有する「大室・某」を天皇に擁立する計画は、長州討幕派と公家の討幕派の共同謀議として長州の一角でなされた事になる。

このとんでもない噂が本当なら、此れに同じく過激派公家の岩倉具視(いわくらともみ)が参画、朝廷での迎え入れ工作を担当したものと思える。
そして、後に明治の元勲と言われる維新の立役者の大方は、この事実を知っていた事になる。

徳川家新政府入りを画策した坂本竜馬はこの入れ替わりの秘密を守る為に倒幕派に暗殺され、同じく松平春嶽はその事を知るが故に功労者で有りながら維新後の表舞台から退いている。
その倒幕資金に、「南朝の隠し軍資金」が使われたと言う噂もある。
ヤタガラスのガタロウは、それさえ見抜いて、落ち延びる親王に「軍資金のありかを書いた書状を託した」と言うのか。


事の真贋は定かではないが、明治維新以後、急に南朝の正当性も認められ、楠正成や新田義貞が、天皇を助けた英雄として祭られたのは、事実である。
この二人は神社になり、戦前、戦中は学校で「歌」も歌われていた。
楠木正成(湊川神社・明治五年)、新田義貞(藤島神社・明治九年)、北畠顕家(阿倍野神社・明治十五年)・・・・・・。

後醍醐天皇(吉野神宮)を始め護良親王(鎌倉宮)、尊良親王(金崎宮)など後醍醐天皇皇子の神社は四社を数える。
つまり、維新以後南朝方の神社は急激に建立され十四社に及ぶ。
下松(くだまつ)市、光市、田布施町などの小さな町々から、伊藤博文を始めとして三人もの総理大臣を輩出している。

不思議な事に、岩徳線と言うJR線は近道を走っているのに対し、山陽本線は遠回りに海岸沿いに大きく迂回、複線電化のメインルートになって人口の少ない田布施町を停車駅にしている。
この田布施町、文献によると、南朝の系図を有する「大室家」が、数百年に渡って毛利家から庇護され居住していた土地である。

小さな田布施町から、戦後ふたりの総理大臣が輩出されている。
岸信介氏と佐藤栄作氏である。
橋本竜太郎氏も二代遡ると縁があると言う。


巷に流れる噂話が真実なら、南朝こそ正統な皇統であり、今の皇室も「密か」に正統と言える。
そして、今また終戦時の「玉音放送」の音声が、時を超えて鮮やかによみがえる。

あの時(昭和二十年八月十五日)、昭和天皇の玉音が流れなかったら日本人は、あの戦いを「ピタリ」と止める事が出来たのか、大いに疑問ではないか。
玉音がなかったら、本土決戦という泥沼に嵌まっていたかも知れない。
皇室は、日本の守り神として、機能したのである。

余談ながら、敗戦後「熊沢天皇」なる人物が現れた。
彼は、自分こそ「正統な南朝の後継者」と占領軍や国民にアピールし、「皇位を譲れ」と言い出した。
それが返って、「日本の占領軍統治に、皇室が必要である」と判断される材料になり、戦争責任を問われない形で、皇室の存続は決まった。
つまり皇統が危ない時、南朝は現れる。
或る種、皇室の存続を助けている結果が、何を意味するのか・・・・、神の意志かもしれない。


吉野宮陥落後も南朝は吉野山中にあって、四十五年、一旦和解の後、更に五十有余年と言う長い歳月をかけ、抵抗が続けられ、室町時代末期まで生き残って来たのには、「神の意志が働いていた」としか、考えられない。
その間に吉野を離れ、全国各地に影宮家を起こし、事有る時に備えた皇子の存在が、在ったとしても違和感は無い。

あれからもう、六百七十有余年になる。
そして、未だに南朝の子孫を名乗る者も数多い。
天界(高天原)の神々は、この大仕事の為に、あらゆる準備をした。

その時代の人々はまだ信心深く、神様は何処にでも居た。
経典が信じられ、呪法が信じられる時代だからこそ、ダキニ天やヤタガラス、巳(みい)様たちが現れて活躍した。
何時の頃からか神も仏も忘れられ、現代と言う暗黒の時代に人々は生きている。



「お客さん、まだ寝ているの。」
姫の尼の声がした。
いや、宿屋の少女、靖子の声だった。
昼間に見ると、少女は昨夜思ったより若そうだ。

「あんまり良く寝ているので起こさなかったけど、もうお昼になるわ。冷やしたスイカを食べて、目を覚ましなさい。」
「あぁ、済みません。」
 「熱いのに良く寝ていたから、長い汽車の旅で、よほど疲れたのかしら。」
少女は茂夫が寝坊した言い訳を、勝手に自分でしながら布団を畳むと、「後で掃除に来ます。」と言って部屋を出た。

座卓の上に、大き目に切ったスイカが一切れ乗っていた。
洗面に行き、トイレを済ませて顔を洗った。
鏡に映った顔は、元の十五歳の茂夫だった。
スイカにカジり付くと、「冷たくて、甘い」此れは確かに現実である。

昼の食事は、宿の主人が運んで来た。
「あのー、あの娘さんはお出かけですか?」
「靖子なら、部活に行ったよ。」
ませた「口を利くからまさか」と思っていたが、何と高校一年生だった。

突然、耳をツン裂く轟音とピシピシと言う振動が始まった。
「基地、迷惑ですね。」
「学生さん、確かに基地は迷惑だけれど、今ではこの街はあの基地で喰っている人も多くてね、その人達の生活もあるから一概に出て行けとばかり言えない事情も有るのだよ。」

「そうですね。それで生活している人も居る難しい問題でも在るのですね。」
「そうそう、内だって泊まるお客さんの半分は基地に出入りする業者だからね。迷惑とばかり言い切れないもどかしい話しだよ。」


夕方、制服姿の少女が帰って来たのを、茂夫は眼にした。
昨夜は和服で大人に見えたが、制服を着た少女は、凡(およ)そ清純そうだった。
あの少女の入浴姿を見ただけでも、茂夫は幸せと言える。
しかしあの入浴姿さえも、今となっては現実だったのかどうか、自信が無い。

やはり・・・あの事は、夢だったのか?
立川基地の米軍機の編隊が離陸を開始したのか、ゴーゴーと続けざまに轟音が響き渡った。


二泊目を宿の主人に頼んで、昨夜の事を確かめる事にした。
その夜十二時過ぎに、恐る恐る庭を見ると、「離れ」には「煌々と電気の明かり」が付いていた。
時折、人影の動くような、明かりの揺れも見て取れる。

「もしかして前世に、俺は、あの時代を確かに生きたのかも知れない・・・・。」
あの庭が、「前世と現在の出入り口かも知れない」と、茂夫は思った。
唯の夢か、それとも遺伝子レベルの、遠い記憶なのか・・・・?
確かめる勇気は、無かった。


翌日、上総屋の主人に、「離れの明かり」の事を聞いた。
「学生さん、何かの見間違い、ではないかね。」
主人は何とも怪訝(けげん)そうに茂夫の顔を見ながら、そう言った。
庭の「離れ」は、戦前に解体したそうで、見える筈は無い。
「今は更地になっている。」と言う。

話を聞いて庭に出て見ると、先ほどまで見えていた「離れ」の建物は消え、確かに更地だった。
茂夫が見ていたのは、唯の幻なのか?

茂夫は旅立つ前に庭に下りて「離れ」の跡と言う更地に立って見た。
そこで、白く透き通った真新しい「蛇の抜け殻」を拾った。
その時は随分大事にしていたが、長い人生の「時の移ろい」の中で、それは何時(いつ)の間にか失われていた。


「虹」を追いかけて、終(つい)に届かない人生だった。
四十五年も経って戦後の復興期など今は昔となり、今日本は「物余りの中の豊かな不況」と言う不可思議な時代の只中に居る。
その社会不安の中で、かつては無かった集団自殺や、身内の殺人事件が頻発している。
昔を懐かしむのは、中年男のノストラジーなのか・・・


もう、随分昔の話である。
あの不思議な歴史物語は他人に話しても笑われるだけなので、誰にも話した事など無い。
今思えば、最初から見えない糸でガタロウ達に立川へと導かれて行ったような気がする。

あの若き日から、もう四十五年以上たって、未だに彼らの事が思い出される。
妻の実家の異変を小説にした時は、それこそ卑弥呼やスサノウが現れてこの神隠しを思い出した。


茂夫が本当に童貞を捨てたのは、それから数年後の事である。
相手が「今の妻だ」などと言ったら笑われるから、口が裂けても言えない。
夏休みの自由研究は、鎌倉時代後期から室町・南北朝時代に至る歴史を書いて県知事賞をもらった。
何しろ茂夫にはリアルな思い出だったのだから、「当たり前。」と言えば当たり前だ。

ダキニ天も、ヤタガラスも、巳(みい)様も、キット何処かにいる。
「今日も、暑くなりそうだ。」
ガタロウの声がしたような、気がした。


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】【従軍慰安婦と日本人拉致問題(拉致問題と日米政府の温度差)


】【チャングムの誓い「徐 長今 ソ・ジャングム のメモ」

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舛添東京都知事と沖縄米軍軍属の蛮行・・最新版
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連立与党議員に、何としても天誅を最新版
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ASKA(飛鳥涼)の麻薬逮捕の裏に潜む権力の闇(竹中疑惑)
渡辺喜美氏は、政治資金疑惑で政治家として失格
嫌悪感さえ感じる慰安婦問題の渡辺喜美
破綻危機に在るアベノミクス
安倍晋三首相・靖国神社に参拝する
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民主党・野田政権は最低の政権〔U〕
企業経営に於ける「共生理念」を提案する
小泉改革の正体
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日本の針路は大丈夫か?パートT
日本の針路は大丈夫か?パートU内閣府特命大臣の美名?
日本の現状と小泉内閣への私見
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【◆】浜岡原発は無防備ではないのか?
【◆】福島第一原発の危機は去ったのか?
【◆】大飯原発再開はおおいなる矛盾
【◆】南海トラフ巨大地震・「東海地震と三連動の記録史」
【◆】首都直下型巨大地震の記録史
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【◆】未曾有の大震災・日本政府は「今、何を為すべきか?」
【◆】今こその東北復興と政治力
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【◆】インターネットの脅威と知り過ぎた反乱の時代
【◆】パソコン遠隔操作事件
【◆】ホモサピエンス(知性人)の「種の保存と遺伝子」
アンカリング効果と一貫性行動理論

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【*】短編人生小説 (4)

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裁判員制度シュミレーション

凌 虐 の 裁 き

(りょうぎゃくのさばき)


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。


【*】短編人生小説 (3)

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短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】女性向短編小説 (1)

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短編小説(1)

「アイドルを探せ」

青い頃…秋から冬へ


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】社会派短編小説(2)

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社会派短編小説(2)

「生き様の詩(うた)」

楢山が見える


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


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「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

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ぜひぜひ読んで、感想をお聞かせ下さい。
異論・反論も大歓迎!!

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◆たったひとりのクーデター◆

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 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

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とくに男女の恋愛に関しては・・・
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非日常は刺激的

 

◆仮面の裏側外伝◆

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◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
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東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

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八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

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そして現代に甦るスサノウの命、
時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
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「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

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侮り(あなどり)・・・・・・・(戦国〜江戸時代)

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だが自らを神と言い放つ信長は
「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
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南北朝秘話・切なからず、や、思春期

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茂夫の頭の中はHなことでいっぱい。
そんな茂夫が迷宮へ迷い込んでく・・・

====(日本史異聞シリーズ)第三作====
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鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

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====(日本史異聞シリーズ)第二作====
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うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

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倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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