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samurai 【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】作者本名鈴木峰晴表紙ページ【サイトナビ】に戻る。

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この小論は、【日本史・歴史のミステリーのシリーズリスト】の一つです。】

***【歴史のミステリー】*************

鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)

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鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)

無謀にも我輩は、この物語・皇統と鵺の影人で「日本人の大河ドラマ」を書き始めてしまった。

すると色んなものが見えて考察が面白く成っては来たが、気に成る事を見逃しては歴史の探求者とは言えない。


普通の人間が思考すると、頭を使う事を面倒くさがって単純な白黒の答えで決着を着けたがる。

また、時の政権が統治の為に報じた定説を鵜呑みにして、思考を停止してしまう事も多々在る。

しかし物事の本質はそんな簡単なものでは無く、裏の裏にまで想いを馳せないと本当の真実には辿り着かない。

日本史に於いて、大変多く目に着く歴史のねつ造疑惑を、史学者が問題にしない事こそ問題である。

まぁ物事を深く考えず、不確かな伝承で満足している人間は余り知的とは言えないかも知れない。

記載項目次ジャンプクリック

賤民(せんみん)・奴婢(ぬひ)・俘囚(ふじゅう)
鬼八伝説(きはちでんせつ)と高千穂
桓武天皇のヒタカミ(日高見国)蝦夷の役
俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)
桃太郎伝説の誤解と真実
平安群盗と原初の武士達(自衛武力)
豆まき・「鬼は内」に隠された歴史の真実
源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)と酒呑童子の物語
源頼政(みなもとよりまさ・三位の頼政)の鵺(ぬえ)退治
切捨て御免のルーツ
俘囚長・安倍貞任(さだとう)
蝦夷族最期の抵抗と安倍宗任(むねとう)
身分制度と五パーセントの悪魔の犠牲者


このまま下にも読み進めます。



賤民(せんみん)・奴婢(ぬひ)・俘囚(ふじゅう)

◇◆◇◆◇◆賤民(せんみん)・奴婢(ぬひ)・俘囚(ふじゅう)◆◇◆◇◆◇◆

日本史には虚と実が混在している。

「実(じつ/理性)」の現象で考えたら在り得ない「不思議な現象が起こった」とされる事が「虚(きょ/感性)」の現象で、それらの目的は特定の人物のカリスマ(超人)性を創造する事である。

その「虚(きょ/感性)」の現象が語り継がれると「神話や信仰の世界」なのだが、そう言う意味では日本史の到る所の場面にも「虚(きょ/感性)の伝承が在る」と言える。

つまり憂うべきは、日本史の一般常識(じょうしき)とされる中に、「虚(きょ/感性)」の歴史が当たり前の様に混在し、入試試験やクイズ番組等で「正解」とされている事である。

古文書の存在のついては、歴史過程のヒントになるかも知れないが、一方で「不都合な過去を消す為の捏造(ねつぞう)」と言う政治的効用も在り、「必ずしも事実とは受け取れないもの」と心得るべきである。

古事記日本書紀神武東遷記(じんむとうせんき)などは、大和朝廷(ヤマト王権)の西日本統一過程を美化している為に何処まで信じられるか判らないが、渡来各部族や原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)が連合過程を経て大和朝廷(ヤマト王権)が成立した事は想像に難くない。

その過程で、原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の部族長を含む渡来各部族長が、大和朝廷(ヤマト王権)体制に於いて県主(あがたぬし)国造(くにのみやっこ)と言う称号を得て初期の貴族・御門群(みかどぐん)を形成する。

原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の部族長系の県主(あがたぬし)や国造(くにのみやっこ)と考えられる主な存在に、誓約を持って天宇受売命(あめのうずめのみこと)と夫婦に成ったとされる猿田彦神(さるたひこがみ)の宇治県主(うじあがたのぬし)や越後国造(えちごくにのみやっこ)で後に奥州(東北)蝦夷族の俘囚長を務めた阿部臣(安倍氏)などが有力である。

いずれにしても、恭順した渡来部族長や恭順した原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の部族長は臣王、それに従う部族長の身内までは氏姓(ウジカバネ)を授かって支配階級に列し、それ以外の従った原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)は「良民」、反抗した原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)は「俘囚(ふしゅう)・非人(ひにん)・賤民(せんみん)・奴婢(ぬひ)」などと呼んで隷属させた。

つまりアイヌと呼ばれる原住縄文人(蝦夷族/えみしぞく)は、弥生期の初期の段階では日本列島の隅々に居住し、渡来勢力に追い遣られたのであって、けして最初から居住圏が列島の東部分や東北・北海道に限定していた訳ではない。

賤民(せんみん)・奴婢(ぬひ)・俘囚(ふじゅう)と呼ばれた隷属身分の大半は先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)が渡来系の部族に征服される過程で生まれた。


そもそも日本列島の本来の先住民は蝦夷(えみし/縄文人)だった。

この蝦夷(えみし/縄文人)と呼ばれる先住民族(鵺、土蜘蛛、鬼、の類)が、原日本人系縄文人(原ポリネシア系)と考えられる。

蝦夷(えみし)は侵略部族側が縄文人(先住民族)を呼んだ呼び方で、自らが名乗った訳ではない。

つまり時代の誤差はあるが、日本列島の隅々まで元々「蝦夷(えみし)族/縄文人(先住民族)」の領域だった。

そのネイティブジャパニーズ・蝦夷(えみし/縄文人)の領域を、朝鮮半島から南下した武力に勝る倭族(加羅族呉族)や琉球列島を北上して来た倭族(隼人族・呉族系)に、列島の西側から次々と征服されて行き、征服部族は次々と小国家を造り支配者になった。

縄文人(蝦夷族)と違い、中国大陸・朝鮮半島からの渡来移住者は大陸文明の価値観をそのままに征服野心満々で新天地を目指して来た。

その征服部族が本格的な小国家「倭の国々」を打ち建て、それが誓約(うけい)大和合をして国家・大和朝廷が形成されたのである。

一言で言ってしまえば、原住民族(縄文人)の日本列島へ征服部族(氏族・渡来民族)が次々に流れ込み、勝手に縄張りをして小国家(倭の国々)を作り、やがて武力征服や誓約(うけい)その他の経緯を経て混血を繰り返して「弥生人」が生まれた。

進入部族の方であるが、彼ら後期渡来系征服部族は母国の王族を頭に部隊を率いて大陸や半島から波荒い海洋を越えた。

ちょうど二〜三百年前の南北アメリカ大陸を、ヨーロッパの数カ国が「原住民を制圧して切り取った」と同じ事が、二千年前の日本列島で起こった事になる。


アメリカ大陸の場合当初は、開拓民が苦労して未来を切り開いた物語としてフロンティアスピリッツ(開拓精神)を美化し、開拓史を西部劇映画して世界中に発信していた。

しかし米国も戦後四十年も経つと、この西部劇映画の製作が「勝手に米大陸に渡って原住民(ネイティブアメリカン)から土地を奪った悪行の自白行為だ」と気が付いた。

流石(さすが)に過去の汚点意識が芽生えて、近頃ではハリウッドでの西部劇映画の製作は影を潜めてしまった。

似たように日本の大和朝廷も先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)への迫害は後ろめたかったのか、朝廷の国家事業で古事記・日本書紀の神話創作を行い、先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)の存在そのものを消しに掛かった。

先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)の存在が無ければ迫害の歴史も無い。

その後の物語が、「神話から始まる日本の歴史」と言う訳である。

勿論侵略者側の歴史の記述に、先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)への殺戮や弾圧の証拠は残ってはいない。

それらの悪行を鬼伝説に隠した事は、当時の渡来系征服部族側にもいささか後ろめたい想いが在ったのかも知れない。


征服部族の支配者は、やがて民人(たみびと・蝦夷)の畏怖(恐れ)を得る為に神々を名乗る

つまり、武力に勝る少数部族が大人数の蝦夷(えみし)の支配者となり、その血を維持しながら、被征服者・蝦夷(えみし)の多くの民人(たみびと・村人)から永久に搾取し続けるシステムを構築した。


占領支配された先住民(蝦夷)も、征服者達に隷属・同化した者ばかりではない。

大半は戦闘を繰り返しながら、東に、そして東北へと住居を移して生き残りを図ったが、中には取り残された者達も居る。

当然見つかり難い処に身を隠し、ゲリラで長期に抗戦した集団も各地にいた。

それは確かに現住縄文人(蝦夷/えみし)も、後から乗り込んで来た征服部族には抵抗をしただろうが、ネイティブアメリカン(アメリカインデェアン)の土地を「白人の移民が武力で取り上げた」と同じ様なものだから、実の事を言うと本当に恐いのは鬼や土蜘蛛ではなく「征服に来た氏族達の方」だったのである。

しかしアメリカの西部劇映画に登場するネイティブアメリカン(アメリカインデェアン)も日本の鬼や土蜘蛛の類も、同様に獰猛(どうもう)な野蛮人に描かれて、征服者側の領土の収奪を正当化している。


古事記日本書紀、各地の風土記に登場した鵺(ぬえ)・鬼(おに)・土蜘蛛(つちぐも)族達は、こうした先住民(蝦夷)の抵抗の事である。

実は日本列島の西半分に大和朝廷が成立後も、蝦夷族(エミシ族/縄文人)の組織的な抵抗(レジスタンス)記録は、平安中期まで坂東(関東)・東北地方で続いていた。

そうした抵抗(レジスタンス)の対応に、下級貴族の平氏流・平高望(たいらのたかもち)、藤原北家魚名流・藤原利仁(ふじわらのとしひと)、藤原北家魚名流・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らの一党が夫々(それぞれ)鎮守将軍として派遣されていた。

同時に機内王城の地域や都に於いても源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)と酒呑童子の物語源頼政(みなもとよりまさ)鵺退治(ぬえたいじ)のような小規模な抵抗(レジスタンス)は存在した。

その過程については、何しろ侵略部族側が侵略に正当性を持たせる為に、最初から彼らを蛮族(野蛮人)扱いで、人間扱いしていなかったからその経緯(いきさつ)の記録は、まったく定かで無い。

このリアルな事案を解決したのは、いったい誰だろう。

断って置くが、この話は、平安中期に朝廷機関「陰陽寮」が朝廷に設立されるズーット以前を前提としての事での疑問である。

大部隊なら征夷将軍、鎮守府将軍などの出番だろうが、小規模の相手に対してどんな対策がなされたのか?

役小角(えんのおずぬ)が編み出した修験道信仰は、その成立目的からして蝦夷族(えみしぞく)の懐柔同化に在った事から、彼等蝦夷族(えみしぞく)の原始的な自然崇拝信仰をも巧みに取り入れて渡来神道と組み合わせ、列島独自の陰陽修験道は成立した。

まぁ我輩にすれば、この陰陽修験=秘密情報工作組織説を認めない者は「嫌らしい建前主義者」以外には考えられない。

こうした秘密情報工作組織の存在は何も珍しい事ではなく、戦後の平和憲法に慣らされて日本人にはピンと来ないかも知れないが、凡そ国家組織やその類の組織には「秘密情報工作組織」が在って当然で、それは現代の各国にも存在していて「存在しない方がおかしい」と言うのが常識である。

山深く移動し、戦闘、説得帰順の為の宗教的知識まで持った古代のレンジャー部隊が山伏(修験道師)の影の役わりで、つまり修験道師は帝の工作機関であり「宣教師兼秘密警察」ではなかったのか?

地方により違うが、代表的な所で、ゲリラ蝦夷の呼び名は鵺(ぬえ)、土蜘蛛(つちぐも)、鬼(おに)、・・・この本拠の一つはどうした訳か、大和の葛城山・大江山などの山々である。

つまり、修験道の「行動守備範囲」と重なっているのである。

そして大和朝廷が最後に平定した東北地方では、節分の豆撒きに「鬼は内」の所がある。

つまり、関東以西で鬼は悪役だが東北では先祖の神様で、ここら辺りに蝦夷(エミシ/先住民が)鬼とされた経緯の「名残が在る」と見るべきである。

陰陽に於ける方位学では、丑寅(ウシトラ)の方角を鬼門(きもん/忌むべき方角)とされているが、その丑寅(ウシトラ)の方角は北東である。

実は蝦夷(エミシ)を鬼と呼ぶ事と、大和王城の畿内を基とする方位の北東が地図的に蝦夷(エミシ)の本拠地と一致するのだ。

つまり鬼門(きもん)の方位が忌むべき方角で在った為に、大和朝廷が最後まで征服をし残した「蝦夷(エミシ)の勢力範囲」が、政治的に「鬼の居る地」と喧伝された訳である。

また、奈良県五條市・真言宗念仏寺・陀々堂の火の祭典・「鬼走り」は、蝦夷族の抵抗戦の終結からから凡そ三百年後の時を隔てて室町時代に始まった神事である。

逆説的に考察すれば当時の人々の認識として、そろそろ蝦夷族・先住縄文人(鵺・鬼・土蜘蛛)の名誉を「幸せを呼ぶ鬼走り」として回復させる狙いが込められていたのかも知れない。


つまり修験道師の主たる役割は、隷属的立場である俘囚に置いた蝦夷族(エミシ族/縄文人)の反抗分子を駆逐し、彼等に天孫降臨伝説(服従心)の啓蒙と民族的同化を促進する役割を負っていて、それ故に、天の岩戸伝説天狗伝説・犬神伝説(しゅけんしっぺい太郎鎮平犬)などが全国に広がった。


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鬼八伝説と高千穂

◇◆◇◆鬼八伝説と高千穂◆◇◆◇◆

「乙女を縛(しば)きて吊るし掛けに供し・・・男衆、老いも若きも列を成して豊作を祈願す。」

この縛(しば)きが「しめ縄」であるなら即ち乙女は「尻久米(しりくめ)縄」に掛けられた事に成り、いかにも性交呪詛の実行が伺われる。

鳥居内の神域(境内/けいだい)に於いては、性交そのものが「神とのコンタクト(交信)」であり、巫女或いはその年の生け贄(いけにえ) はその神とのコンタクトの媒体である。

祭りに拠っては、その神とのコンタクトの媒体である巫女、或いはその年の生け贄の前に、「ご利益を得よう」と神とのコンタクト(交信)の為に、縛(しば)かれて尻久米(しりくめ)縄で吊るされた乙女に、老いも若きもの男衆の行列が出来るのである。

高千穂神楽(たかちほかぐら)と所謂(いわゆる)「日本神話」との関係については、誰も異論は無いだろう。

だが、高千穂神楽を語る時、避けて通れないもう一つの「神話」がある。

それが高千穂に伝わる「鬼八伝説」である。

畿内への東征(神武大王の東征?)から帰郷したミケヌ(三毛入野命)は、後に神武大君(じんむおおきみ・神武大王・初代天皇)となるカムヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼琵古命・神日本磐余彦尊)の兄で、高千穂神社の祭神である。

そのミケヌが、「アララギの里」に居を構えた同じ頃、二上山の洞窟に住んでいた荒ぶる神・鬼八(きはち・蝦夷族?)は山を下り、美しい姫・ウノメ(鵜目姫。祖母岳明神の孫娘)を攫(さら)ってアララギの里の洞窟に隠した。

或る時、ミケヌが水を飲もうと川岸に寄ると、川面に美しい娘が映って話し掛けた。

「ミケヌ様、鬼八に捕らえられているウノメをお助け下さい。」

水面に映し出されたウノメの姿に助けを求められたミケヌは、他にも悪行を繰り返す鬼八(蝦夷ゲリラ?)の討伐を決意する。

「心配には及ばぬ。私が必ず助け出す。」

ミケヌは、四十四人の家来を率いて鬼八を攻めた。

鬼八は各地を逃げ回った挙句、二上山に戻ろうとした処でミケヌらに追い詰められ、遂(つい)に退治された。

しかし、そこは妖怪である。

鬼八は何度も蘇生しようとした為、亡骸は三つに切り分けられ別々に埋葬された。

この鬼八伝説、単純に聞けばよく在り勝ちな「おとぎ噺」だが、一説には往古の先住民族と大陸系征服民族の抗争が描写されていて、その先住民族の末裔達がこの地方独特の「ある姓を名乗る人々ではないか?」とも言われて居る。

後日談では、救出されたウノメはミケヌの妻となり、「八人の子をもうけた」と言う。

その後末裔が「代々高千穂を治めた」とされている。


処が、ここからが問題で、死んだ鬼八の「祟り」によって早霜の被害が出る様に成った。

この為、「鬼八の祟り」を静める為に「毎年慰霊祭を行う様に成った」と言う下りである。

「乙女を縛(しば)きて吊るし、掛けに供し・・・」


【掛ける】は、古来より性交を意味する言葉である。

この慰霊祭の風習では、過って永い事生身の乙女を人身御供としていた。

だが、戦国時代になって、供される娘を不憫(ふびん)に思った城主・甲斐宗摂(かいそうせつ)の命により、イノシシを「乙女の代用とせよ」と、呪詛様式が改革されるように成った。

さて問題は、高千穂神楽には陰陽師の呪詛様式が色濃く残っている点である。

この伝説自体に高千穂神楽との結び付きが出て来る訳ではないが、慰霊祭「猪掛祭(ししかけまつり)」は注目に値するのだ。

いかにも修験者の仕事らしい伝説だからである。

まずこの「人身御供」は、神代の時代からの伝承に基づき、戦国時代の甲斐宗摂(そうせつ)の命令があるまで、生身の乙女を供する事が続けられて居た。

すると、何者かが鬼八伝説を利用して、「人身御供」のシステムを作り上げ、少なくとも数百年間は、それが継続していた事になる。

「この伝説の中で始まった」とされる鬼八の慰霊祭も今日に伝わっていて、高千穂神社で執り行われる「猪掛祭(ししかけまつり)」がそれである。

猪掛(ししかけ)の「掛け」の意味は、人架け(獲物縛りに吊るされてぶら下がった状態の人身御供)を指す。

代替として「人身御供」の乙女の代わりに、社殿に猪を縄で結わえて吊り下げるからで、単純に考えれば以前は「人身御供の娘を結わえて吊るしていた」と考えられ、陰陽呪詛的な匂いを感じるのである。


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桓武天皇のヒタカミ(日高見国)蝦夷の役

◇◆◇桓武天皇のヒタカミ(日高見国)蝦夷の役◆◇◆◇

七百八十一年(天応元年)、桓武天皇(/第五十代)が即位した時、大和朝廷(大和王権)の完全支配域は日本列島の西半分に過ぎなかった。

桓武天皇は、次は東北の蝦夷征伐と、七百八十八年(延暦七年)七月紀古佐美(きのこさみ)を征夷将軍に任命、七百八十九年(延暦八年)兵員、五万三千人 を集めて、東海・東山・板東から奥州に大軍を送り、東北に進行を開始する。

蝦夷が反乱を起こしたからその征伐に出掛けるのではなく、侵攻の最終目標は日高見国征服で、何年間も兵たんの準備をして何万もの軍勢でもっての侵攻作戦を立てている国家意志による侵略戦争である。

まず、このヒタカミ(日高見国)蝦夷の役、官軍と賊軍と表現する歴史学者も居るが、その表現は正しくない。

アテルイ(阿弖流為)は賊軍ではなく、祖国防衛軍である。

独立している祖国を、これから征服しようとする相手に、何で「賊軍」と呼ばれなければ成らないのか?

大和朝廷側の文献を鵜呑みに読む歴史学者の、余りにも大和朝廷寄りに偏った発想である。

ヒタカミ(日高見国)は 、七百二十四年に大和朝廷側の蝦夷開拓使・陸奥鎮守将軍・大野東人(おおののあずまびと)が、多賀柵(宮城県)を築いてからは北の方へ支配地を狭められて、主な支配地域は宮城県北を含む岩手県と秋田県内陸になっていた。

周囲は同じ蝦夷族の居住地だが、既に大和朝廷の支配下に置かれてヒタカミ(日高見国)は孤立していた。

ヒタカミ(日高見国)は度重なる大和朝廷の侵略にも耐えてきたが、 ここに大きく強力な敵、桓武天皇が現れる。

ヒタカミ(日高見国)蝦夷の首領にアテルイ(阿弖流為)と呼ばれる指導者がいた。

この名前、個人名なのか、地位の名称なのかまだ結論が出ていない。

アテルイ(阿弖流為)を人名と決め付けたのが現在の事情で有るが、悪路帝(王)説によると、「悪路」と言うのはアイヌ語の「アコロ」と同じ意味で、「われわれの」と言う意味ではないか、と言う事である。

つまり、平泉周辺の人々は、アテルイの事を「アクロオウ」と呼ぶ事で、ひそかに、昔の自分達の言葉で「我々の王」と呼んでいたのではないかと言う説もある。

弱小の村落を平定するのは容易であるが、いかに朝廷軍と言えども組織的に抵抗されるとそう簡単には決着がつかない。

征夷将軍・紀古佐美(きのこさみ)は、蝦夷の首領アテルイに大敗を喫する。

征討軍は北上川にそって北上を始めた。

余談だが、この北上川(きたかみがわ)の呼び名、本当はヒタカミカワ(日高見川)である。

対する蝦夷軍の将軍はアテルイ(阿弖流為)、朝廷軍は隊を二つに分けて進軍した。

アテルイ軍はその館から三百人ほどが出て抵抗を試みるが、適わず退却し、紀軍は村々を焼き払って追撃する。

日高見川(北上川)を渡った朝廷の戦闘部隊、四千人ほどの当時としては大軍が水沢の巣伏村に来た頃に、アテルイは急遽反撃に出る。

一部は後方に回ってこの渡河部隊を挟み撃ちにし激戦となるが、ここで朝廷軍は壊滅的な大敗北を喫する。

紀軍(朝廷側)の被害は戦死者二十五人・矢にあたった者二百四十五人・河で溺死した者千三十六人・河を泳ぎ 逃げて来た者千二百十七人と言う敗北で有る。

紀(朝廷)軍はここに来るまでに十四村・住居八百戸 を焼き討ちにして、アテルイ軍の戦死者は八十九人だった。

この住居焼き討ち戦果の記述、紀(朝廷)軍がまったくの侵略軍だった事を物語っている。


大和朝廷(ヤマト王権)の勢力図は、七百十年代頃の多賀城の鎮守府設営(宮城県)から百年かけて北上を続け、今の青森県の手前に到達している。

この百年間は、大和朝廷(ヤマト王権)勢力の奥州(東北地方)侵略の歴史で、エミシ(蝦夷)側にすれば、アテルイ(阿弖流為)やモレィ(母礼)は民族の英雄だった。

千九百九十年以降、漸(ようやく)くアテルイ(阿弖流為)と言う人名が教科書の歴史に記載される。

千九百九十七年度、中学校歴史教科書七社のうち三社がアテルイを取り上げ、二千二年度までに、八社中七社がアテルイ(阿弖流為)を記述するようになった。

二千年度前後で漸(ようやく)く中学校歴史教育に取り上げられたアテルイ(阿弖流為)の存在は、北海道の先住民族・アイヌに比較し東北の先住民族・エミシの復権が遅れた事を物語って居る。


蝦夷征伐の征夷将軍・紀古佐美(きのこさみ)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての武人公家である。

古佐美(こさみ)の紀氏(きし/きのうじ)は、武内宿禰(たけのうちすくね)系の古代豪族の一つで、宿禰の母・影媛(宇遅比女、武内角宿禰の祖母)が紀伊国造(きいくにのみやっこ)家の出であった事から母方の紀姓を息子に名乗らせたとされる。

紀氏(きし/きのうじ)は、古代は臣姓・朝臣を賜り、紀小弓・紀大磐・紀男麻呂などが廷臣や鎮守府将軍として軍事面で活躍する傾向が目立っていた。

しかしヒタカミ(日高見国)蝦夷の役で桓武天皇に命じられて征夷将軍として出撃した紀古佐美(きのこさみ)は、アテルイ(阿弖流為)の反撃に合い敗退して九月十九日に帰京したが、敗北の責任を喚問されて征夷将軍の位を剥奪された。

その敗戦後を受けてヒタカミ(日高見国)攻略に成功し、初代・征夷大将軍に出世したのが坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)である。


しかしこんな事(紀古佐美の敗退)で諦める桓武天皇ではなかった。

七百九十一年(延暦十年)蝦夷征伐準備のため、 坂上田村麻呂と百済俊哲を東海道諸国に派遣している。

この記述、「征伐準備の為」となっているが、建前大和朝廷が統治権を確立している事に成っている為で、「実は東海道諸国の平定だった」とも言われている。

七月に大伴弟麻呂を征夷大使に任命し、坂上田村麻呂は四人の征夷副使の一人となる。

この間にも七百九十二年には紫波村の首長の胆沢公阿奴志己(アヌ シユ)が朝廷に恭順を示すなど、蝦夷の方でもまとまり(団結)が欠けて行く。

同じ年(延暦十年)の七月、いよいよ討伐軍十万が派遣され、延暦十三年四月にこの大軍が北進を開始した。

七百九十四年、六月には副将軍・坂上田村麻呂以下蝦夷を征すとの報告をしている。

延暦十三年に首級四百五十七個を挙げると言う大勝利を収める。

十一月二十八日、大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が帰京して戦果を奏上した。

この戦で坂上田村麻呂の活躍がめざましく、大いに面目を施した。


紀古佐美(きのこさみ)以後の紀氏(きし/きのうじ)であるが、平安時代に入り藤原氏が朝廷の要職を占めて来るに連れて紀長谷雄(紀大人の子の紀古麿の子孫)以降の紀氏(きし/きのうじ)は政治・軍事面で活躍する機会はほぼ無く成った。

紀淑望・紀淑人(紀長谷雄の子)、紀貫之・紀友則(紀大人の子の紀園益の子孫)以降の子孫は神職や文人として活躍するようになる。

氏族・紀氏(きし/きのうじ)の長は紀伊国造(きいくにのみやっこ)を称し、現在に至るまで日前神宮・國懸神宮(和歌山県和歌山市)の祭祀を受け継いでいる。

紀氏(きし/きのうじ)では、平安期・九百五年(延喜五年)、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集「古今和歌集」を紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒と共に編纂した歌人の紀貫之(きのつらゆき)が有名である。

紀氏の流れを汲む末裔として、浦上氏や安富氏、益子氏、菅谷氏、信太氏、高安氏、中村氏、品川氏、堀田氏(江戸時代の大名家の堀田氏は仮冒(偽)系図の可能性)、などが挙げられる。


国を統治する上で、交通網の整備は欠かせない。

昔の街道は、制定されると土地土地の責任でそれなりに手入れがされ、整備はされていたが今では考えられない程細い「土埃の街道だった。」と思われている。

我輩の理解もそんな処で、そう思うのが自然で在ったが、意外な事に、この街道に対する認識は江戸期以後の認識らしい。

調べてみると、そもそも道の成立ちは二種類ある。

つまり、道が出来て町が出来るのか、町が出来て道ができるのか。

当初開かれた日本の街道は、開拓地に相応しい米国型の道路だった。

七世紀の天智天皇以降に全国に張り巡らされた古代の幹線道路は、有事の際、軍隊や馬をいち早く移動させる必要から、ほとんどが要所に関所と駅屋(うまや・厩駅舎)を配置した「幅の広い直線道路」だった。

つまり、開拓と地方の治安維持が目的の街道だったのである。

その古代の広く真っ直ぐな街道が、やがて使われなくなる。

分国単位の封建統治がその所領ごとの防衛の必要性を生み出して、広い一本道は敬遠されたのである。

また、生活上の地形に合わせて発生した無秩序な集落を繋ぐ為に、「細く曲がりくねった街道になった」と言われ、十二世紀ごろまでには国策の幹線道路が使われなくなっている。

その幅広い道は今の様に海岸線ではなく、主として山の中腹に切り開かれていた。

現在の様に山腹にトンネルをうがつ近代土木技術と違うから、地形の高低さを克服するには、山の中腹と低い山の峠を繋いで行く峠道が有効だった。

その幅広い街道を疾走したのが、坂上田村麻呂と征夷軍だったのである。

十三年の功績により、田村麻呂は順調に階位を上げ、七百八十七年に近衛少将に、七百八十八年に越後守に昇進している。

七百九十五年、(延暦十四年)には抵抗した俘囚大伴部・阿テ良(アテラ)等 六十六人を日向国に流配し、吉弥候部真麻呂父子を斬首している。

七百九十六年、(延暦十五年)田村麻呂は陸奥出按察使・陸奥守、に任命され、 翌、延暦十六年にはついに征夷大将軍に任じられる。

八百一年(延暦二十年)二月十四日、坂上田村麻呂は兵員 四万人を動員して、第三次征夷蝦夷攻撃に出発した。

田村麻呂の戦果は目覚しく、秋には従三位を授けられ、九月二十七日には「夷賊討伐せり」と報告として作戦を終了している。

度重なる攻撃で、蝦夷(エミシ)のアテルイ(阿弖流為)と同盟軍モレィ(母礼)も力の衰えが見えていた。

翌八百二年(延暦二一年)には、長い間朝廷の征夷作戦に抵抗して来た蝦夷の首領・アテルイ(阿弖流為)も・モレィ(母礼)等、「種類(配下)五百余 人を率いて降参する」としてアテルイ(阿弖流為)は田村麻呂の軍門に下った。

田村麻呂は、日高見国の中心だった所に胆沢城(岩手県水沢市の近く)を作り、そこに関東から流浪人(囚人)を四千人ほど入れて永久 占領の構えを見せ始める。

朝廷軍は敵の本拠地を占領して城を作り始めた事になる。


祭らわぬ(マツラワヌ)とは「氏上(氏神/鎮守神)を祭らぬ」と言う意味だが、つまりは「氏族に従わない」と言う事で、東北地方の祭らわぬ(マツラワヌ)山の民「またぎ」が、今日ではこの「日高見(北上)国の阿弖流為達の子孫達ではないか?」と言われて居る。

山の民「またぎ」については、山窩(サンカ・サンガ)と称されて日本列島の広域に存在し、後に豊臣の姓を賜って天下を手中にした日吉丸(秀吉)にも山窩(サンカ・サンガ)出自説が存在する。


勝利成って、田村麻呂はアテルイ(阿弖流為)とモレィ(母礼)を連れて帰京、凱旋している。

七月二十五日朝廷は大喜びして、「朝廷の役人総動員で蝦夷平定を祝賀する」と言う状態だったのである。

何やら、明治、大正、昭和期の戦勝賛賀、「ちょうちん行列」を思い起こさせるしろものである。

八百二年(延暦二十一年)八月十三日アテルイ(阿弖流為)とモレィ(母礼)は河内国の杜山で斬刑に 処せられた。

その後の田村麻呂は八百十年(弘仁元年・平安時代初期)には大納言に任じられ、藤原薬子の乱では鎮圧軍の指揮も任じられた。

そして八百十一年(弘仁二年)五月二十三日、平安京郊外の粟田別業で田村麻呂は死去する。


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俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)

◇◆◇◆俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)◆◇◆◇◆

渡来部族が日本列島にやって来て西日本各地に部族小国家を成立するまでは、列島の原日本人は縄文人である。

その原日本人(縄文人)を、渡来部族側は「蝦夷族(エミシぞく)」と呼び武力で制圧して隷属化(奴婢身分)して行った。

渡来部族は王族・貴族化してその蝦夷族(エミシぞく)を国家の支配下に置き、服属した降伏蝦夷族を俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)として労働力として使役した。

その後、原日本人(縄文人)の一部は渡来部族と混血同化の道を歩んだが、一部はマツラワヌ者として抵抗し、俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)として看視体制下に置かれた。

そしてその俘囚(ふじゅう)と言う存在は、坂東(関東)に於いて平安中期まで、奥州(東北)に於いては平安後期の後三年の役頃まで続いて、一部は奴婢身分(ぬひみぶん/非人)として残った。

坂東(関東)に於いての俘囚(ふじゅう)は、「平安群盗」と呼んだ平安期(寛平・延喜年間東国の乱)の反乱が頻発した記録が残っている。

坂東(関東)に於いての俘囚(ふじゅう)は、「平安群盗」と呼んだ平安期(寛平・延喜年間東国の乱)の反乱(レジスタンス)が頻発した記録が残っている。

そしてこの支配被支配の歴史は、鬼退治(おにたいじ)伝説が残るように、血塗られた歴史も存在する。
後に反政府勢力鎮圧や治安維持警察活動をするトップの役名とされる「検非違使(けびいし)非人(エミシ族)身分のレジスタンスを取り締まる「非人検(ひにんあらため)に違使(つかわされた)」と言う意味だった。

つまり蝦夷(エミシ)族は、初期の大和朝廷(ヤマト王権)下でまだ組織的なゲリラ局地戦をしていて事に成る。

この抵抗(レジスタンス)の取り締まりに活躍し、武門の先駆者として名を挙げたのが、藤原北家魚名流・藤原利仁(ふじわらとしひと)や藤原秀郷(ふじわらひでさと)だった。

また、奥州(東北)に於いての源頼義(みなもとよりよし)と前九年の役(ぜんくねんのえき)の俘囚長(ふじゅうちょう)とされる安倍貞任(あべのさだとう)安倍宗任(あべのむねとう)兄弟の戦乱は有名である。

どうも現代の日本人は、この辺りの歴史経過をロスト(欠落)して物を考えるから間違えるのだが、本来の原日本人(縄文人)ならともかく「全ての現代日本人」に幾許(いくばく)かの渡来人の血が流れていて当たり前である。

困った事に現代の日本人は、当たり前なのに二千年から前の事を「天皇の祖先が朝鮮半島から来たと言うのは本当か」と大騒ぎをし、名字を見て「あいつは朝鮮系だ」と愚かに騒ぐ。

そもそも渡来部族が日本列島にやって来た頃はそうした線引きは無く、朝鮮半島と日本列島には朝鮮人も日本人も居なかったし、居たのは朝鮮半島から日本列島の西半分の広域に広がる小国家群・倭の国々の人々だった。


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桃太郎伝説の誤解と真実

◇◆◇◆桃太郎伝説の誤解と真実◆◇◆◇◆

ご承知の桃太郎伝説には、誤解と真実が存在する。

何が誤解かと言うと、この古代史・桃太郎伝説解明の最初の一歩に「思い込み」と言う大きな間違いが存在するからである。

後日談は勝者には如何にでも脚色出来る訳で、敗者は討たれて当然の「鬼(悪人)」と表現されるが、これは大和朝廷の「覇権主義を隠す為の創作多」と解するが妥当である。

元々桃太郎伝説は、夫々に国主(くにぬし)を頂いた広域倭国内の小国家群の夫々が、大国主(おおくにぬし・大王/おおきみ)が統治する大和王権へと統一に向かう途中の出来事を伝承されたものである。

伝承に拠ると、崇神大王(すじんおおきみ/第十代天皇・実存不明)の時代(紀元前五十年前後)、大和朝廷の支配を固める為に日本各地に「四道将軍」と言う軍勢が送られた。

これは、「わが教えに従わない者は兵をもって討て」と言う大王(おおきみ/天皇)の詔(みことのり/命令)が在ったからで、つまり大王(おおきみ)を祀らわぬ(祭・奉/マツラワヌ)者は、当時まだ各地に居たのである。

大王(おおきみ/天皇)は、北陸道(方面)には大彦命(おおひこのみこと)、東海道(方面)に武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、丹波道(方面)に丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)、そして西海道(方面)に彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)を将軍として送った。

西海道(方面)・吉備地方で当時朝廷に叛(そむ)いていたのは吉備冠者(きびのかんじゃ・温羅/うら)で、吉備高原の南端・眼下に総社平野・瀬戸内海を見下ろす標高四百メートルの要衝に、朝鮮式山城と同じ役割を持つ神籠石(こうごいし)式の古代の城「鬼ノ城(きのぎ・朝廷側の命名と想われる)」を築いていた。

「鬼ノ城縁起」に拠ると、温羅(うら)と言う名前の異国の鬼神が吉備に飛来して来て「新山(にいやま/総社市奥坂)に住み着いた」とあり、その温羅(うら)は朝鮮半島・百済(ペクチョ/くだら)の王子だと伝えられている。

吉備冠者(温羅/うら)伝承に関しては、瀬戸内海を中心に中国地方・吉備国から四国地方・屋島周辺まで広い範囲に分布しているから、その地域に「一定の勢力を有していた」と推測できる。

征討将軍・彦五十狭芹彦吉命ひこいさせりひこのみこと)はこの吉備冠者(温羅/うら)と戦い、吉備を平定した為に吉備津彦命(きびつひこのみこと)と名乗った。

つまり確りした広域法治国家が存在して悪人を討った訳ではなく、吉備冠者(温羅/うら)は反乱軍でも賊軍でも無く言わば大和王権とは別の勢力だったのではないだろうか?

この吉備国・吉備冠者(きびのかんじゃ・温羅/うら)討伐平定が、「桃太郎の鬼退治伝説として語り伝えられた」と考えられるのである。


そしてこの鬼退治伝説(桃太郎伝説)話にも、別の見方をすれば捏造(ねつぞう)疑惑が存在する。

温羅(うら)伝説については、「第十代・崇神天皇(すじんてんのう・紀元前二十九年)〜第十一代・垂仁天皇(すいにんてんのう・九十年代)の頃に起こった」とされる討伐事件を凡そ八百年から八百五十年も経った九百二十三年(延長元年)に書かれた「備中一品吉備津彦明神縁起」が元である。

九百二十三年(延長元年)頃と言うと、朝廷が坂東(関東)の本格的経営に着手を始め桓武天皇の玄孫(五代目の子孫)・村岡良文(むらおかよしふみ・平良文)が東国に下り相模の国村岡郷渡内村に館を構えた頃の事である。

当然ながら、蝦夷族(エミシ族)の痕跡を消し部族の統合同化を進めたい状況下に在った時代に「備中一品吉備津彦明神縁起」は書かれている。

従って、温羅(うら)が本当に朝鮮半島・百済(ペクチョ/くだら)の王子だったかどうかも定かではない。

本来、当時の鬼は蝦夷族(エミシ族)の抵抗(レジスタンス)勢力を指す事が一般的だったから、吉備津彦命(きびつひこのみこと)の鬼退治伝説(桃太郎伝説)は、蝦夷族(エミシ族)勢力の鎮圧だった可能性も否定出来ない。

つまり八百五十年後に、被征服民・蝦夷族(エミシ族)の存在を消去する意図を持って温羅(うら)の百済(ペクチョ/くだら)王子説を都合良くでっち上げる事も出来るのである。

参考・【因幡(いなば)の白兎(うさぎ)伝説と大国主の命(おおくにぬしのみこと)】に飛ぶ。


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平安群盗と原初の武士達(自衛武力)

◇◆◇◆平安群盗と原初の武士達(自衛武力)◆◇◆◇◆

平安期に到って貴族武人に代わって登場を始めた「武士」と言う名の存在は、「平安群盗」と呼ばれる武装集団の発生に対抗する下級貴族の自衛武力から始まっている。

凡(おおよ)そ九世紀頃から、平安期の坂東(関東)に於いて国家の支配下に服属した降伏蝦夷族が反乱(レジスタンス)を起こした「貞観年間の俘囚(奴婢身分)の反乱」、同じく降伏蝦夷族(奴婢身分)の反乱「寛平・延喜年間東国の乱」が頻発する。

古墳時代は勿論、平安時代に入っても坂東(関東)やその先奥州まではまだまだ開拓原野が残る未開の地だった。

まだ開拓原野が残るからこそ、平将門(たいらのまさかど)の新田開墾や源義国(みなもとのよしくに)と長男・源義重(みなもとのよししげ)が上野国に新たに田地を開拓し新田荘と為すなど時代だった。

つまり平安群盗の出現には、米国開拓史に於けるインデアンの襲撃と同じような意味と情況が在ったのかも知れない。

この現実は、被占領下での蝦夷族に拠る民族抵抗テロだった可能性が強いのだが、こうした弾圧の歴史はどの国に於いても隠蔽される傾向にあり、正史上は群盗に拠る騒乱である。

つまり平安期の坂東(関東)に於ける原初の武士達(自衛武力)は、文字通り鎮守府将軍と呼ぶ占領軍であり、抵抗テロ鎮圧部隊で在った。

また、この頃に僦馬の党(しゅうばのとう)と呼ばれる群盗が坂東で見られ、これは自ら武装して租税等の運輸を業とする赴任後そこに土着してしまった富豪層の一部、「僦馬の党」の集団に拠る運京途中の税の強奪と言う馬や荷を狙った群盗行為が横行し始めていた。

これらの事象についても、当時の坂東(関東)の「法秩序が乱れた」と言う見かたよりも、まだ坂東(関東)は大和朝廷支配が本格的に及び始めたばかりの「未整備の無法地帯だった」と解するべきかも知れない。

この群盗の活動は九世紀を通じて活発化して行き、朝廷は群盗鎮圧の為に東国などへ軍事を得意とする貴族層を国司として派遣するとともに、従前の軍団制に代えて国衙に軍事力の運用権限を担わせる政策を採った。

これらの僦馬の党の横行を鎮圧し盗賊の取締りで名を上げたのは、平氏流・平高望(たいらのたかもち)、藤原北家魚名流・藤原利仁(ふじわらのとしひと)、藤原北家魚名流・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らの下級貴族らで、この軍団制政策が結実したのが九世紀末〜十世紀初頭の寛平・延喜期であり、この時期の勲功者が武士の初期原型となった。

彼らは自らもまた名田経営を請け負う富豪として、また富豪相互あるいは富豪と受領の確執の調停者として地方に勢力を扶植して行ったが、彼ら同士の対立や受領に対する不平が叛乱へ発展したのが、藤原忠平(ふじわらのただひら)執政期の九百四十年前後に発生した平将門(たいらのまさかど)と藤原純友(ふじわらのすみとも)の承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱である。

朝廷の側に立ち、反乱側に立った自らと同じ原初の武士達を倒して同乱の鎮圧に勲功の在った者の家系は、承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)勲功者、すなわち貴族とは一線を画す正当なる武芸の家系と認識された。

当時、成立した国衙軍制に於いて、「武芸の家系」は国衙軍制を編成する軍事力として国衙に認識され、このように国衙に拠って公認された者が家業武士へと成長して行った。


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豆まき・「鬼は内」に隠された歴史の真実

◇◆◇◆豆まき・「鬼は内」に隠された歴史の真実◆◇◆◇◆

大和朝廷が最後に平定した東北地方では、節分の豆撒きに「鬼は内」の所がある。

つまり、関東以西で鬼は悪役だが東北では先祖の神様で、ここら辺りに蝦夷(エミシ/先住民)が鬼とされた経緯の「名残が在る」と見るべきである。

青森県弘前市字鬼沢の「鬼神社」の豆まきは、「鬼は内」である。
東北だけではなく群馬県鬼石町でも「福は内、鬼は内」と言い、埼玉県比企郡・武蔵嵐山の「鬼鎮神社(きじんじんじゃ)」の豆まきも「鬼は内」なのだ。

鬼鎮神社(きじんじんじゃ)の祭祀は、陸奥国地頭職・鎌倉有力御家人畠山重忠の手に拠るもので、東北の鬼とされた「安倍氏」に対する同情心や遠慮とされている。

また、陸奥国安達郡二本松城に拠った戦国大名・二本松畠山氏(はたけやまし)は、秩父平氏・支族で、武蔵国・畠山庄に在した鎌倉有力御家人・畠山重忠にその名跡を発している。

奥州合戦の功により陸奥国葛岡郡地頭職に任官した畠山重忠は北條時政に謀られ鶴ヶ峯で戦死するも、妻(北条時政の娘)は重忠の死後、源氏系流・足利義兼の子・義純と再婚する。

足利義純は畠山氏の名跡と領地を継承して室町期から戦国初期に戦国大名とし活動、また、その子孫の一部は二本松畠山氏となり伊達氏の興隆に圧されて滅亡した。


凡(おおよ)そ九世紀頃から、平安期の坂東(関東)に於いて頻発した「貞観年間の俘囚(奴婢身分)の反乱」、同じく降伏蝦夷族(奴婢身分)の「寛平・延喜年間東国の乱」がある。

平安群盗と呼ばれ文献に残るそれらは、国家の支配下に服属した降伏蝦夷族が起こした大規模な反乱(レジスタンス)だった。

つまり平安時代中期の武将・源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)と酒呑童子の物語や、平安末期・源(三位)頼政が生きた時代の妖怪・鵺(ぬえ)の物語は、後の世に先住民族・蝦夷(エミシ)の存在を無い事として覆い隠す同化策の御伽話に伝えられたのではないだろうか?


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源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)と酒呑童子の物語

◇◆◇◆源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)と酒呑童子の物語◇◆◇◆

源頼光(みなもとのよりみつ)は清和源氏の三代目にあたり、鎮守府将軍・源満仲の長子で平安時代中期の武将であるが、俗に「らいこう」とも呼ばれる。

頼光(よりみつ)は、父・満仲(みつなか)が初めて武士団を形成した摂津国多田(兵庫県川西市多田)の地を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれた。

その源頼光(みなもとのよりみつ)の異母弟には大和源氏の源頼親(みなもとよりちか)と、後に武家源氏の主流となる河内源氏初代・源頼信(みなもとのよりのぶ)が居る。

尚、河内源氏の二代が奥州で前九年の役を始めた源頼義(みなもとよりよし)で、その息子が八幡太郎源義家(はちまんたろうみなもとよしいえ)へと続く。

頼光(よりみつ)の父・満仲(みつなか)は摂津国多田に源氏武士団を形成し頼光はそれを継承し、自らは摂関家の警護なども務めているなど武士としての性格も否定できないが、頼光は藤原摂関家の家司としての貴族的人物と評される傾向に在った。


九百八十六年(寛和二年)頃、居貞親王(おきさだしんのう / いやさだ・三条天皇)が皇太子となった際に、摂津源氏の棟梁・頼光(よりみつ)は春宮権大進(皇太子近習)に任じられる。

その後の九百九十年(正暦元年)、関白・藤原兼家の葬儀に際しての藤原道長の振る舞いに感心して、頼光(よりみつ)は「側近として従うようになった」と伝えられる。

九百九十二年(正暦三年)には、頼光(よりみつ)は備前守に任官しているが都に留まっており、「遙任であった」と思われる。

東宮大進時代には朝廷の儀礼や典礼関係の年中行事に記録が見られ、藤原道長の主催した競馬などに頼光(よりみつ)も参加している。

千一年(長保三年)には、源頼光(みなもとのよりみつ)は受領に拠り美濃守を兼任、この時は「任国へ赴いていた」と推測される。

一方で源頼光(みなもとのよりみつ)は、後世に成立した「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」、室町時代になって成立した「御伽草子」などで、丹波国大江山での酒呑童子討伐や土蜘蛛退治の説話でも知られる。

その説話では、母の一族の嵯峨源氏の渡辺綱(わたなべのつな/俗称・金太郎)を筆頭にした頼光四天王や藤原保昌などの「強者の家臣がいた」と言われ頼光が実際に郎党を従えていたと考えられる。

酒呑童子(しゅてんどうじ)は、京都と丹波国の国境の「大枝(老の坂)に住んでいた」とされる鬼の頭領で、「盗賊で在った」ともとも伝えられるが、鬼にしても土蜘蛛にしても、当時の群盗と呼ばれる集団は蝦夷(エミシ/先住民)マツラワヌ者達である。

室町時代の物語を集めた「御伽草子」などに拠ると、酒呑童子の姿は「顔は薄赤く髪は短くて乱れた赤毛、手足は熊の手のようで背丈が四十尺(六メートル)以上で角が五本、目が十五個も在った妖怪」と言われる。

酒呑童子(しゅてんどうじ)が本拠とした大江山では、彼は「龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていた」と言う。

その酒呑童子(しゅてんどうじ)を討伐したのが、源頼光(みなもとのよりみつ)とその部下達である。


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源頼政(みなもとよりまさ・三位の頼政)の鵺(ぬえ)退治

◇◆◇◆源頼政(みなもとよりまさ・三位の頼政)の鵺(ぬえ)退治◇◆◇◆

貴方は、「鵺(ぬえ)」と言う不気味な妖怪を御存知か?

鵺(ぬえ)は、邪気を放つ怨念の妖怪で有る。

「平家物語」に拠ると、その姿は、頭が猿、体は狸、尾は蛇で、手足が虎であるとされ、その鳴き声は聞く者の心を蝕み、取り殺し、その「魂を喰らう」とされている。

いやはや「鵺(ぬえ)」は、不気味な妖怪である。

鵺(ぬえ)は想像上の生き物であるが、言わば人間が抱く「恐怖の象徴」と言える。

昔は、都と言えども夜は闇の世界だった。

照明はかがり火や油灯明で、無いに等しい。

闇に紛れて、妖怪が跋扈(ばっこ)するのは恐怖心理的に充分理解できた。

都の御所に出没し、帝を御心を震撼させた鵺(ぬえ)が現れた時、御所の警備をした鵺(ぬえ)退治の源(三位)頼政は、平安時代末期の人物である。

摂津源氏の嫡流である源頼政は、保元の乱では後白河天皇(第七十八代)方に属して平清盛源義朝(頼朝の父)らと共に崇徳上皇方と戦った。

源氏嫡流の摂津源氏の武将だった源頼政が、三位頼政(さんいのよりまさ)と呼ばれたのは、平治の乱の折りに御所の大内(内裏/だいり)守護としての立場から、幼帝・六条天皇(ろくじょうてんのう・第七十九代)と後白河法皇を奉じていた平清盛方の陣営に助勢、その功績でそれまで源氏の最高位が正四位下が定番だった叙任慣習を破り従三位に叙せられたからである。

後に後白河天皇の皇子、以仁王(もちひとおう)の令旨に従い、木曾(源)義仲より早く、伊勢平氏の平清盛一族打倒の最初の挙兵を行い、嫡子の源仲綱や源宗綱らと共に平氏と戦い、宇治(宇治橋の合戦)にて討ち死した人物だった。

参考・【伊豆の国長岡・あやめ御前と源頼政の物語】に飛ぶ。


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切捨て御免のルーツ

◇◆◇◆切捨て御免のルーツ◆◇◆◇◆

別名を無礼討ち(ぶれいうち)とも言う「切捨て御免」は、苗字帯刀と並ぶ江戸時代武士(氏族)の特権である。

もっとも、「切捨御免」と言う言葉は江戸時代のリアルタイムのものではなく後の表現として広まった物で、当時の史料に於いては「手討」・「打捨」などと表現されていた。

「手討」・「打捨」などは、無礼な行為に拠って武士(氏族)の名誉が傷つけられる事を制止する為の特権的地位の正当な行為と認識されていた。

これは当時の江戸幕府の法律である「公事方御定書」の七十一条追加条に拠って明記され、武士(氏族)が平民(町人・百姓)及び穢多(エタ)・非人から耐え難い「無礼」を受けた時は、「斬殺しても処罰されない」とされた。

勿論その「手討」・「打捨」が正等だったか審査は在り、実際に切捨御免を行い「正当な権利行使」と認められた事案はそれほど多くはないが、「切捨て御免」は特権階級の地位的象徴とされた。

それにしても、この随分不公平な法制度は何を根拠に成立したのだろうか?

歴史の真実が「後ろめたいもの」だと、後ろめたさを感じる方がそれと「別の物語り」を創作して何とか隠そうとする。

例えば、北米大陸の西部開拓史に於けるネイティブアメリカン(アメリカンインデアン)の存在を、米国映画では白人を襲う獰猛な野蛮人として西部劇を大量に制作した。

本来は先住ネイティブアメリカンの土地を、欧州から渡り来た白人が銃や大砲と言う強烈な武器でネイティブアメリカンを追い出し、占拠して勝手に町を創って自分達の国を打ち立てた。

先住ネイティブアメリカンは隷属して、理不尽にも狭い居住地の中に囲われて生かされたた。

それと同様の「後ろめたいもの」が、縄文人(ネイティブジャパニーズ)の日本列島へ当時最新の武器を携えて渡り来た渡来人が先住縄文人を「獰猛な野蛮人・鬼」に仕立てた鬼伝説である。

ここまで史実を解明しても、「嘘でも見栄えする日本史が良い」と言う国粋主義者が沢山居るが、そう言う連中は政治信条に於いても平気で嘘を言う連中である。

つまり嘘の史実で、国民をコントロールしようと言う下心が「見え見えの連中」と言っても過言ではない。

それも、「その手法が正義だ」と頑なに言う狂信的確信犯なのだから、困ったものである。

その狂信的確信犯の頑なな根拠が史実では無く「俺はこう思う」で、全く根拠に成らない「個人の希望的主張」なのだから話には成らないのだ。


この武士(氏族)の特権思想の原点は遠く弥生時代まで遡り、当時列島に渡来した部族が日本列島に現住する縄文人(蝦夷/エミシ)を武力制圧して隷属した事に始まる。

つまり征服部族(氏族)の被征服部族・縄文人(蝦夷/エミシ)に対する優位性が、そのまま江戸時代の武士(氏族)の特権として制度に反映したのである。

この「切捨て御免」の制度を見ても、日本人は単一民族に成るのはズット時代が下がってからで、現住する縄文人(蝦夷/エミシ)を制圧して日本列島を乗っ取った歴史が存在する証拠である。

天武帝(てんむてい)桓武帝(かんむてい)に到る皇統が編纂した「古事記」と「日本書紀」は、皇統に拠る統治を補完する「虚(きょ/感性)」の部分を多く含み、同時にこの後ろ暗い列島乗っ取りの歴史を覆い隠す事に在った。


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俘囚長・安倍貞任(さだとう)

◇◆◇◆俘囚長・安倍貞任(さだとう)◆◇◆◇◆

奥州藤原家は、源氏とは歴史的に経緯(いきさつ)が有る。

源頼朝の五代前に遡る村岡五郎(平)良文の孫・平忠常(上総介)に拠る「長元の乱」以後関東地区で勢力を広げ、あら方の関東武士を従えていた河内源氏・源頼義(みなもとよりよし)が、源氏の棟梁として、奥州(東北)の鎮守府将軍に、朝廷より任じられて着任する。

この鎮守府将軍、かなり出世意欲が強く、奥州を平定して「自分の勢力下に置こう」と企んでいた。

それで、当時奥州で一定の勢力を持っていた豪族「安倍氏」にちょっかいを出す。
安倍氏については、蝦夷(エミシ・えぞ)族長説や土着した下級役人が時間を掛けて豪族化した説など色々有るが、たとえ後者としても安倍氏は蝦夷との「混血が進んだ氏族」と考えられる。

蝦夷(エミシ)については、当時、「俘囚(ふしゅう)」などと言う差別制度があり、阿部氏は、「俘囚長であった」と記述する文献も存在する。

朝敵として仕立て上げ、討伐して手柄にするには格好の相手である。

そのタイミングは、源頼義が任務を終え帰任する直前に起こった。

安倍頼時の息子・安倍貞任(あべさだとう)が、部下を襲ったから「処刑するので差し出せ」と、源頼義が言い出したのだ。

明らかに言いがかりだった。
拒んだ安倍頼時に対し、それをきっかけに頼義は源氏の白旗を掲げた大軍を差し向けるが、安倍氏(頼時一門)も良く戦う。

当初、相手を甘く見ていた源頼義は、蝦夷馬(南部馬)を良く使う安倍頼時軍に、思わぬ苦戦を強いられる。

一時は安倍側が戦況有利に成って、源頼義は窮地に立った。

だが、頼義は安倍氏と似た様な出自(しゅつじ・出身)の豪族「清原氏」をくどき落して味方につける事に成功し連合して安倍氏を討ち、永い戦いの後に安倍一族を壊滅させる。

奥州・清原氏は、安倍氏と同じ蝦夷(エミシ)族長説がある俘囚長の家柄である。
しかし、当主・清原武則(きよはらたけのり)には奥州で強大な力を誇る安倍氏に取って変わる野心があった。

それで実際には十二年かかった「前九年の役」と呼ばれる東北の戦乱において、源頼義方に付き、形勢不利だった戦局を一変させて頼義に勝利させている。

【安倍姓】安倍晋三と安倍姓二千年の歴史に飛ぶ。

何事も一方行からしか物を見ない偏った見方では、肝心な事を見落とす。

印象派の巨匠・セザンヌの作品は、描く素材のを個々様々な角度から研究し、上から見たり斜めや真横から見たりとその最良の角度を採用して描いた個々の素材を一枚の作品に集約して配置している。

それ故に、一枚の絵としては視線角度がバラバラで現実にはけして見えない風景だが、個々の素材美を最高に引き出された物が多くを物語ながらその一枚に収まっている。

歴史観に於いても、単純で平面的なものではその本質は描き切れないから、寂しいけれど、妄想の日本史とおさらばしなければ、この国の歴史観はいつまでも御伽話(おとぎばなし)のレベルから抜け出せない。

この国の正史は建前で出来ていてどうせ建前と本音を使い分けるのが人間だから、皮肉を込めた批判精神で世間と対峙する方が「まともな人間ではないか」と思えて来る。

他人(ひと)は「素直じゃない。」と非難するかも知れないが、素直な人間なら「簡単に信者に成る」と言う事で、本当にそれが本人にとって良い事かどうか・・・「素直に成れ。」とは、権力者の術中に嵌る不気味な要求である。


用語人名解説・日本史検索・クリックリスト


蝦夷族最期の抵抗と安倍宗任(むねとう)

◇◆◇◆蝦夷族最期の抵抗と安倍宗任(むねとう)◆◇◆◇◆

安倍宗任(むねとう)は、平安時代・陸奥国の豪族、蝦夷(エミシ・えぞ)俘囚長とされる安倍氏の安倍頼時の子で、安倍貞任(あべさだとう)の弟に成る。

奥州・鳥海柵(とりみのさく)の主で、鳥海三郎とも呼ばれていた。

宗任(むねとう)は娘をひとり奥州藤原家二代・藤原(清原)基衡の妻に嫁して居たが、前九年の役にて源頼義(みなもとよりよし)源(八幡太郎)義家(みなもとよしいえ)率いる軍勢に厨川柵(くりやがわのさく・岩手県盛岡市)で兄・貞任(さだとう)と共に戦って破れ、難攻不落を誇っていた鳥海柵(とりみのさく)も源氏・清原連合軍に攻められ落柵、降服し一命をとりとめ、源(八幡太郎)義家に都へ連行された。

降伏して四国配流、後に九州に配流された安倍宗任の子孫に安倍季任がいて、季任は水軍大名松浦党に婿入りして松浦実任(まつらさねとう・三郎大夫実任)を名乗り、北部九州で勢力を拡大して行く。

この安倍宗任(あべのむねとう)の子孫が、後に長門国(長州)に住み着いて現代の政治家として活躍する山口県の安倍家である。


参考・【壇ノ浦の戦いと松浦(まつら)水軍】に飛ぶ。


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身分制度と五パーセントの悪魔の犠牲者

◇◆◇◆身分制度と五パーセントの悪魔の犠牲者◆◇◆◇◆

為政者が統治を安定する為の手法として、「出世」を目標にさせて忠誠心を醸成させる事が身分制度の目的である。

しかしそれだけでなく、「自分より不幸な存在が在る。」と言う比較感を創出する事で不満を逸らせる狙いが、身分制度の陰に隠されている。

他国の事例でもほとんど同じだが、こうした隷属民の比率は五パーセントから十パーセント以内の少数である。

何故ならば、この賤民(せんみん)の存在が、被統治者の不満をかわす為の物で、「統治の安定」と言う政治的効果を狙ったものだからである。

狙いを明確にすると、惨めな身分の下層階級を作り出して大多数の比重を占める一般民衆の「不満と抵抗をそらす役割」を果たさせるのが目的である。

つまり数パーセントを犠牲者にして、一般民衆を自分達よりも下の身分の者が居る事で納得させ、武士支配を容易にするのが狙いである。

従って、この身分差別制度は「狙いが先に在ったもの」で、その差別を始めた被差別側には、被差別の強制世襲まで負わされる負い目や必然性などまったく無い。


大和朝廷は成立後、中華文明の身分制度を模倣採用した。

つまり、「中世」に制定された「律令制(りつりょうせい)」に於いて、同じ下層階級の非支配者層の民は「良民(常民)」と「非良民」に分けられていた。

支配階級の氏姓制度と下層階級の「良民(常民)」と「非良民(賤民・せんみん、奴婢・ぬひ)」の組み合わせで、身分別の居住エリアの分類が始まり、それぞれの居住地区が「本所と散所」に分離され、「散所(さんじょ)」に住む「非良民」と言う不当な身分の既存化・固定化が促進された。

此処で言う「中世」とは、おおむね平安時代終わり頃の十一〜十二世紀の事である。

当初、身分制度の最下級に在ったのが被征服部族である縄文人(蝦夷族/えみしぞく)の抵抗勢力俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)だった。

平安末期から戦国時代末期の十六世紀まで、この身分制度は多少の変遷を伴いながら実質的に続いた。

ここれらの時代、戦乱や飢饉が繰り返される中で、所有地または耕作地を失い生活ができない人々を排出した。

その中には荘園の免税地(散所)などに住み、公家や寺社に使われて労役奉仕をする事で生き長らえる道を選択した為に、その居住区が発生して「非良民・賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)」の身分が定着した。


賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)身分は、我が国日本では律令制(りつりょうせい)の解釈が完全消滅する江戸末期まで、お隣の朝鮮半島では両班(ヤンバン・特権貴族階級)制度が解消される大韓帝国成立まで、人間性を認められず「家畜身分」だった。


人間は残酷な生き物で、自分が安心する為に「見下す相手」を作りたがる。

それは現代の学校でも企業でも同じ事だが、多くの無知な者が、必ず虐めたり見下したりする被害者を作りたがる。

根にあるのは、生きる事に対する自信の無さ、「不安感」である。

こうした民衆心理を、巧みに利用したのが卑劣で不当な江戸期の身分制度だった。

子供の社会で起こる「虐(いじ)め問題」も、根にあるのは虐(いじ)める側の「不安感」である。

本来、その「救い」となるべきが「信仰の教え」の筈(はず)であるが、どう言う訳か宗教指導者は、信者を増やす為に不安心理を煽りたてる。

つまり、この差別願望と信仰は、精神的には究極の所で「同根」であり、いずれも目的は自分を安心させる為のものである。

この不合理な身分制度は、、千八百七十一年(明治四年)明治新政府発布の戸籍法に基づいて、翌明治五年に編製された壬申戸籍 (じんしんこせき)が発効され言われ無き差別は建前上なくなったが、その後も社会的に消滅するには尚時間が必要だったのである。





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日本人の祖先は何処から来たのか?】に飛ぶ。
天孫降(光)臨伝説と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)】に飛ぶ。
ネイティブジャパニーズ・縄文人(蝦夷族)の秘密】に飛ぶ。
山幸彦・海幸彦(やまさちひこ・うみさちひこ)と浦島・竜宮伝説】に飛ぶ。
神武東遷物語・神話顛末記】に飛ぶ。
因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)伝説と大国主(おおくにぬし)】に飛ぶ。
欠史八代(けっしはちだい)と香殖稲(かえしね/根を反す)】に飛ぶ。
鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】に飛ぶ。
大和民族(ヤマト民族/日本人)の成立過程】に飛ぶ。
「日本の天皇家の祖先は朝鮮半島から来た」を検証する】に飛ぶ。
古代ヘブライ(ユダヤ)伝説・秋田美人とナニャドヤラ】に飛ぶ。
暗闇祭り(くらやみまつり)の歴史認識】に飛ぶ。
広域倭の国論(定説・日本倭国論の疑惑)】に飛ぶ。
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古代国家・邪馬台国の卑弥呼は何者か?】に飛ぶ。
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葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。
陰陽師=国家諜報機関説】に飛ぶ。
天狗(てんぐ)修験道と犬神・人身御供伝説】に飛ぶ。
政府の犬(官憲)表現は由緒正しい】に飛ぶ。
賀茂忠行(勘解由小路家)と安倍晴明(土御門家)の謎】に飛ぶ。
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聖徳太子は実在したか?その疑惑を追う】に飛ぶ。
冠位十二階と十七条の憲法制定の謎】に飛ぶ。
継体大王(けいたいおおきみ・天皇)即位のある疑い。】に飛ぶ。
大海人皇子(おおあまのみこ)は何者か?】に飛ぶ。
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この【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】は【皇統と鵺の影人】の「検証部分」の抜粋です。
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裁判員制度シュミレーション

凌 虐 の 裁 き

(りょうぎゃくのさばき)


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。


【*】短編人生小説 (3)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


未来狂 冗談 作

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】女性向短編小説 (1)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

短編小説(1)

「アイドルを探せ」

青い頃…秋から冬へ


未来狂 冗談 作

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】社会派短編小説(2)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

社会派短編小説(2)

「生き様の詩(うた)」

楢山が見える


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

未来狂 冗談 作

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

◆メルマガサイト◆
冗談 日本に提言する・・・(来るべき未来に)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 冗談の発想が詰まった内容です!
ぜひぜひ読んで、感想をお聞かせ下さい。
異論・反論も大歓迎!!

====(日本史異聞シリーズ)第六作====
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

「小説・怒りの空想平成維新」

◆たったひとりのクーデター◆

未来狂 冗談 作

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

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{「たったひとりのクーデター}・・・・・・・・(現代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 特に経営者の方には目からウロコの内容です。
小説としてもおもしろく、実現できれば
不況は本当に終わります。

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非日常は刺激的

 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

◆仮面の裏側◆

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未来狂 冗談 作

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◆{短編集 仮面の裏側・外伝}・・・・・・・・(現代)

◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
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東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

未来狂 冗談 作

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八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 東九州で起きた連続怪死事件。
そして現代に甦るスサノウの命、
時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
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「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

未来狂 冗談 作

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侮り(あなどり)・・・・・・・(戦国〜江戸時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 天才信長とその最高の理解者、明智光秀。
だが自らを神と言い放つ信長は
「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
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南北朝秘話・切なからず、や、思春期

◆茂夫の神隠し物語◆

未来狂 冗談 作

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茂夫の神隠し・・・・・・・・・(室町南北朝時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 誰もが通り過ぎる思春期、
茂夫の頭の中はHなことでいっぱい。
そんな茂夫が迷宮へ迷い込んでく・・・

====(日本史異聞シリーズ)第三作====
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鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

◆鬼嫁・尼将軍◆

未来狂 冗談 作

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鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 今は昔の鎌倉時代、
歴史上他に類を見ない「鬼嫁」が存在した。
その目的は、権力奪取である。

====(日本史異聞シリーズ)第二作====
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うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

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倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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◆作者 【未来狂冗談(ミラクル ジョウダン)ホームページ紹介 】

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作者本名鈴木峰晴