【国民に負担を掛けない赤字国債の処理方法】
それは即ち、新たなる財源の創出に繋がる
この方法は小泉政権発足当初の提案で、文中の赤字国債発行残高等の数字は現在もっと悪化しています。
また、小泉政権以来多くの中小零細企業を失った現在では実施効果が半減するでしょう。
小生にはとっくの昔に判って、先のバブル経済崩壊時からこの三方両得プランを提案をしていた。
世間では「経済とか経済政策」と言うと馬鹿に難しく考えているが、あんなものは実に不確かな「無から有を生み出すようなもの」で、実態の生産性は別にして、物の価値を膨らませる手品みたいなものが「経済」の一面である。
営々と築いても一瞬のバブル経済崩壊で株式の下落や土地価格の下落で日本中の富が霧霞と消え、近頃のサブプライムローン問題に拠る「リーマンショック」で世界中の富が一瞬で吹っ飛んだ。
そうして起こった経済悪化に対して、自民党政府は「緊急事態だから」と景気を刺激する財政出動手段として予算を膨らませ、その足りない原資を「赤字国債でまかなう」と言う愚行を繰り返している。
要は経済を活性化して景気を回復させたいのだから、国債を発行して景気を刺激しても国の借金を増やすばかりの愚行である。
日本の赤字国債発行残高は八百兆円を越え、計上国家予算約八十兆円の十倍に達してその金利分だけでも国家予算約八十兆円の四分の一を越える二十数兆円ほどの規模になる」と言われている。
近頃、この国の社会福祉予算が大幅にカットされその分野に回す「原資が無い」と騒いでいるが要は簡単な事で、赤字国債が処理できればその金利分二十数兆円が社会福祉予算似まわす事ができるのである。
ソロソロ政治家も経済学者も、経済の正体など実は「雲を掴むようなものだ」と言う事が判っても良い頃である。
有が無になるのが経済リスクであるならば、リスク分散の複雑な金融工学のテクノロジーを絶対視するよりも、無を有に換える素朴で大胆な選択肢もあるのではないだろうか?
無能に消費税増税などと言う安易な発想では、今の政治家も経済学者も偉大なる先人コロンブスの足元にも及ばない事になる。
土地や株価、農水産品、工業製品など物の価値の全てが市場で決まる故に、そこに介在する金融の市場に与える影響は大きい。
そして一方で各国通貨の為替市場や国家ごとの金融市場が土地や株価、農水産品、工業製品など物の価値の全ての市場に影響を与え、価値のリスクを産む事になる。
いずれにしても、市場と言う概念自体が人間の思考から編み出したものであり、一瞬で有から無に霧霞と消え吹っ飛んでしまうほど実態が不安定・不確かなものが経済なら、政策で幾らでも無から有を生み出せる発想が在っても良いではないか?
つまり「経済」などはどうせ手品みたいなものだから、無から有を生み出せる「原資」の創出を考案すればそれで済むのである。
政権与党(自民・公明)の言い分では、野党の政策案には「財源案が無い」と言う。
自由民主党は、二言目には「財源、財源」と言うが、歴史を見ていない証拠で、自由民主党は、現政治体制維持を前提としているから「財源が無い」のである。
現政治体制維持を前提とする事は、全身に転移した癌を「外から傷薬を塗って治そう」と言うがごとき無茶な話である。
それにしても現在の財政危機を創ったのは、政権与党(自民・公明)そのものではないのか?
それを反省するどころか大威張りで「財源の根拠を示せ」と野党に言うのは、いかにもさもしい人間達であり、行き着くところまで行って、手の打ちようが無いから総理大臣が一年足らずで二人も投げ出した。
自由民主党政権は、詭弁を弄(ろう)して国民を欺(あざむ)き「金が足りない、足りない」と安易に赤字国債の発行を続けて来た。
永い事何もできなかったのだから、もうソロソロ政権担当はご遠慮願いたい。
もはや泥沼の借金を抱え、多くの国民が生活の安定した基盤を失った現在、民主党が根性を入れて政権交代を目指すなら、今回の政変は「民主革命」と捉えねばならない。
政権交代を「革命」と位置付けられるものであれば国体(制度)を根底からひっくり返す事が出来、根底からひっくり返す事が出来れば、実は大胆に財源を搾り出す事が出来るのである。
我輩のと言う新たなる財源の創出に繋がる【国民に負担を掛けない赤字国債の処理方法】プランはかなり大胆なものであるが、これをやる強い意志が民主党新政権になければ、またぞろ財源問題で政権が立ち往生してしまうだろう。
政権交代は革命で、明治維新政府の打ち出した改革を見て見れば判るが、維新政府は「帯刀と禄の支給(知行地)召し上げ」から財源をひねり出し、第二次大戦後の民主国家の財源は「農地解放と新円切り替」からひねり出した。
すなわち、既成概念に囚われていては「財源の捻出など出来ない」と相場は決まっているが、革命であれば今までの制度を代えて、「財源」はひねり出せるものである。
「人間の思い込み」と言うものは厄介なもので、例えば最近騒がれている「夫婦別姓問題」でも「嫁に来たらその家の姓を名乗る事が当たり前だ」と主張する人が多いのだが、その「当たり前」が日本史上に於いて明治維新以後現在までの僅かな期間しか夫婦同姓の実積が無いのを知らないからである。
また、お隣の中国・台湾・韓国などは昔から現在までも夫婦別姓であり、広義の意味でアジアでは夫婦別姓が当たり前である。
つまり「当たり前の定義」が、当人のアンカリング効果と一貫性行動理論を根拠にしているもので説得力は無い。
つまり財源の新たなる創出は、既成概念に縛られた既存の政権には出来ない事だが、何時の世も政権が交代すれば「コロンブスの卵」のごとき発想で財源はひねり出して来た歴史は存在する。
要は発想の問題で、発想を変えれば国民に負担を掛けないで中小零細の農林水産商工業を活性化させ、国の借金(赤字国債残高)を減少させて国の活力を取り戻す事は出来るのである。
ただし小生は、赤字国債の解消を「国債の紙屑化」などと言う稚拙な事を提案している訳ではない。
国債の引き受け先は金融機関で、図式とすれば国民の預金を原資に金融機関が国債を引き受けているのだから、これは何としても守らなければならないもので、赤字国債の発行残高を「如何に減らすか」が目的である。
当然ながら、これを書いている小生には「財源」をひねり出す「三方両得」の名案はある。
「財源」などは、発想を転換すれば思わぬ所から「国民から支持される方策」でひねり出せるので、この先の提案を良く読んで欲しい。
本来、少子高齢化対策問題、年金問題に端を発する社会補償問題と医療介護問題、中小企業空洞化問題(不況対策)はリンクしていて切り離して考えるのは間違いである。
このリンクする諸問題は、いずれも先立つ「原資」が争点なのだから発想を柔軟にすれば一度に解決する為の秘策がある。
一見乱暴なようだが、先送りして来た多くの問題を一気に解決する「原資創出方法」なのである。
前回のように、原資と成るべき開放するような農地は、既に無い。
赤字国債はどうする、年金はどうする、増々ふえる高齢者の医療はどうする?
ここまで赤字国債の発行残高に苦しめられる情況であれば、「一石二鳥。」所ではなく一石百鳥ぐらいの事をしなければ、事足りないのである。
小生の解決プランでは、その原資は、「不況の内側」に眠っている。
それは、企業が銀行から借り入れた「事業資金」である。
今、赤字国債と並んで日本経済の上に乗って重石となり「日本の会社の九十%に相当する」と言う中小零細企業企業を「押えつけている」のは、この事業用の借り入れ資金である。
現在は不況で企業の財務体質が悪化し、金融機関も資金はダブついていても危なくて貸出先が無いのが現状である。
借り手の中小零細企業企業も貸し手の銀行も、デフレスパイラルの中で身動きが出来なくなっているのだ。
これを政策的にコントロールしながら企業と銀行を身軽にすれば、日本経済は活性化し、再び新たなる四、五十年を歩み始めるだろう。
つまり、「中小零細企業の銀行からの借金を、一旦無くしてしまえ。」と、言う事である。
この手段は既に政府が主導して、一部の大企業に対しての銀行の「一部債権放棄」として時々試みられている。
だが、当(的)を得ないモグラ叩きのごときやり方の悪さの為に、一番効果の薄い、その場凌(しの)ぎ的な方法になってしまっている。
言うなれば日本の財政・金融行政は、度胸の無い「安物買いの銭失い」を大規模にやっているだけで、実効性に欠けるのである。
これは銀行にのみその責任を負わせ、下手をすれば、銀行そのものの存在を危うくさせる為に、「銀行も中々応じかねている」、のである。
当たり前の事だが、金融機関にしても現状の政府統制状態を変えないで「損だけさせる」と言うのでは話が進まない。
こんな事しか出来ないのは、官僚や政治家に責任を取る気構えが最初から無いからである。
従って、「どこかに押し付けよう」と言う姑息な手段に悪知恵を絞る。
政府より力の有るものは無い筈なのに、力の無い所に政策失敗の付けを押し付けようとするから、一向に改善しないのは自明の理である。
まさに、「木を見て森を見ない事」をしているからだ。
だいたい日本の企業の九十%は中小零細であるのに、「影響が大きい。」として大企業だけ助けても、冷え込んだ九十%が活性化しないと大企業の売り先や受注先は「国内には無い」ではないか。
此れでは、少しくらい大企業や金融機関の債権を放棄してもザルに水の状態で、大企業もたち直れない。
自助努力でリストラや減給をするのもまったく同じ事だ。
一時的に給与や経費の負担が減って財務内容が好転しても、リストラした彼らも立場を変えれば消費者である。
各大手企業が競ってリストラや減給をすれば、間接的に自分の所の製品の売り先を失う事になる。
此れでは近頃の財務内容の好転策も、そう長くはもたない。
日本の再生、特に教育や医療と言った社会福祉制度を立て直すには、中小零細企業そして弱者を救う大胆な政策こそが急務なのだ。
ましてや銀行は、本来バブル助長の責を負うべき「正統な相手」である中小零細企業に、弱者に未だに何もしてはいない。
彼らへの債権こそ、放棄すべきものである。
つまり彼ら中小零細企業や弱者が経済的に元気になれば、大手企業は黙っていても立ち直るのである。
そして中小零細企業の支援策であればモラトリアム(返済猶予制度)と言う手法も在るが、これを行うにしても大変なエネルギーを必要とする特例措置なので、それならば一気に赤字国債の解消を狙った方が国家百年の計である。
勿論、過去の徳政令には「借金チャラ」と言うのが多いので、歴史的に見れば只のモラトリアム(返済猶予)は政策程度的には大した事ではない。
今回日本の経済をリセットをするのに、国民に負担を掛けないで政府の原資を捻出するには、借金から赤字国債解消の原資を生み出す中小零細企業の事業借り入れ資金を「棒引する」と言う「秘策」がある。
なお、中小零細企業が活性し、高齢者や若者の働き口が増える。
税収が増えれば社会補償問題も余裕が生まれ、将来に夢が出来れば少子化にも好影響が出て来る。
技術的に言うと、この中小零細企業の債権放棄プランの実行は現状ではむずかしい。
そこで、「特別立法。」と言う、「法的処置」が必要となる。
この法案の狙いは、まさに多くの目的を持っている。
つまり、「一石百鳥。」の達成の為の原資を捻出させ、経済の歯車を再度力強く回させる為の法案である。
まず債権を放棄する金融機関の事である。
債権を放棄すれば、「金融機関はもろに大損害」と見るのは早計である。
現行の「金融行政」の元で、個々に発生して行く不良債権は、絶えず銀行の存続を脅かし続けている。
銀行の財務体質が悪化すれば、「金融庁」のきつい処置がまっていて、現状では結構綱渡りなのであり、従ってこの十八年間、金融機関は後ろ向な仕事ばかりして来た。
金融機関からは本来の中小零細企業と伴に育つ姿勢は消え、国内の産業は冷え込んだ。
金融機関の中小零細企業への債権放棄と同時に、一定のルール内で、政府が十年間の存続を保証してやれば良いのだ。
間違えては困るが、金融機関の財務内容評価基準である「自己資本比率四パーセント」は金融庁が勝手に定めた基準で、世界的なものではない。
つまり財務内容評価基準が勝手に決めた基準ならば、国の財務内容を健全化させる特別措置であるから時限立法で金融機関の債権放棄分は算定しない事にすれば事足りるのである。
実は、此れに寄って銀行の得る所は「意外に大きく」、景気さえ回復すれば銀行の手持ち資産は評価額で増加に転じる。
土地、建物、株式、などであり、その規模はかなり大きいのである。
正に「損して得取れ。」であるが、それだけではない。
彼らの目の前の中小零細企業は、その大半が、「財務優良」の新規貸出先に生まれ変わっているのだ。
金融機関は「貸し倒れ」になるが、これは会計帳簿上での特殊処理を分離計上する事を認める法案を作る。
放棄した分の債権に付いては十年間別途会計に繰り入れる事を認め、銀行が要注意先や懸念先用に積んである引当用の資金に大きな余裕が出来るので、その「運用」を認めてやれば、新たな投資も産まれて来よう。
間違えては困るが、金融機関の財務内容評価基準である「自己資本比率四パーセント」は金融庁が勝手に定めた基準で、世界的なものではない。
つまりその勝手に決めた財務内容評価基準を盾に金融機関を評価しているのだから、この法案を施行しても国家に潰さない意志があれば金融機関は生き残る。
世界的な金融ショックで大きな損害を出しても持ち堪えるのだから、政府がセーフティ・ネットを張った上でなら、国民の窮乏時にも国から救われて来た金融機関が一度くらい国や中小零細企業のお役に立っても罰は当たらない。
また現在金融機関が政府発行の赤字国債を引き受けているのだから、この抱えている国債の償還処理が進めば、金融機関の当座の資金は潤沢になるので財務評価を免じてやればやって行ける筈である。
金融機関の中小企業向け融資(貸し出し金)をチャラにしてしまうと、金融機関が破綻すると懸念するかも知れないが、実は世間が想像するほど金融機関のダメージは少ない。
何故ならば金融機関の資金(顧客からの預金)は、かなりのウエートで中小企業向け融資(貸し出し金)よりも安全度が高く金利が良い国債と比較的安全度が高い大企業向け融資に振り向けられているからである。
この事が中小企業を資金難に陥らせ現在の「不景気の最大原因にも成っている」のだが、実は金融機関の資金が中小企業向け融資(貸し出し金)に廻らない原因に成っているのが政府発行の国債の引き受けにある。
政府にして見れば、赤字国債を金融機関にスムースに引き受けてもらうには利率を上げなければならず、国債の金利が高ければ安全有利な投資先で、誰が危険度が高く受け取り金利が安い中小企業向け融資を積極的に遣るものか。
つまり政府は公にせず、マスコミや評論家も余り指摘しないが、不景気で税収が減りそれを補う国債発行で国の借金がドンドン増えている悪循環の大きな原因は、国債発行を通して金融機関に楽な儲けをさせている事にある。
何か、借金苦に嵌った家庭が高金利の金に手を出す構図に政府の赤字国債発行の悪循環がそっくりで、こんなものは荒療治しないと抜け出せない。
この悪循環の金融構造を荒療治で是正するには中小企業向け融資(貸し出し金)を一旦チャラにしてその特別措置で生まれる「税収原資」を赤字国債の償還に廻せば、その国債投資資金は金融機関の懐に戻って来る事で、一時的に政府がホローすれば金融機関が破綻する懸念など無いのである。
そして此処からが肝心な所であるが、政策で金融機関に中小零細企業の債権を放棄させる政府の赤字国債解消のプランである。
ただ中小零細企業の債権を金融機関に放棄させても、一気に赤字国債の解消には結び付かない。
ここからがこのプランの核心部分なのだが、会計学的に言うと企業が借金していた金が「棒引き」、つまり返済しなくて良くなると言う事は、「儲かった。」と言う事である。
企業に利益が出たら、税金を払うのが当然である。
そしてその税金であるが、まともに取っては体質の弱い中小零細企業は返ってそれでまいってしまう。
そこで特別の処置を立法化する事になり、放棄してもらった債権の五十%を、「十年分割、無金利」で納税する事になる。
ここで借り入れ資金の放棄を受けた中小零細企業に納税義務が発生するが、借り手側からすれば金融機関に元利合計で返済して重荷になって苦しんで来た中小零細企業であるのだから、元金の半分を無金利十年割賦で「納税」に変わった訳で遥かに楽な条件の筈である。
つまり債権放棄該当企業の企業会計上は「特別処置納税」として別枠で計上し、単月度ずつに納付する。
此れで、借り手側企業は、「実質半額無金利」で、十年かけて月割りで支払う事に成り、財務内容が健全化して企業体質は格段に強化される。
中小零細企業の企業体質が強化されれば新規の事業意欲が産まれ、雇用が産まれて人々の未来が開けるのである。
実行に当たっては、駆け込み借り入れ防止の為に前年以前の借り入れを対象とし、「特別処置納税」の経営者保障を持って税理士・会計士に依る合法処理を行い、その中小零細企業の納税引き落としを金融機関が代行して政府(税務署の新設部署)に納税する。
この方法こそ最良の方法で日本経済の建て直しと赤字国債の残高減少を、「同時に進める離れ業」と言う事になる。
ただし具体的な実行には対策が必要である。
事前に相応の取り決めをしないと、実行時に混乱になるからだ。
まず、対象に枠を嵌めねばならない。
前回の農地開放での弱者・小作人に相当するのは、今回は「中小零細の法人、個人企業(個人事業者)」と言う事になる。
すなわち、資本金五千万円以下、従業員数五百人以下、放棄される債権の限度額は一億円以内を対象枠とする。
現在、稼動中の企業である事とし、また、この法律の国会審議入り一年前以前に実行された事業用の借入金に限定しその他の目的のものは認めない。
国民生活金融公庫等、公庫系の債権はこの対象に含まない。
そして、個人企業主はもちろん、法人の代表者も、「特別処理納税。」の完済を法的に保証する。
この特別措置法成立後、金額の確定は金融機関と借主側代表者及び公認会計士又は税理士かその正式代理人の三者立会いにより、その場で特別処置確定書を作成してすみやかに届け出る。
この間の金融機関及び会計士、税理士の手数料は各々(おのおの)五万円とする。
不動産等の抵当権は、処置納税の完納までその企業の本店所在地の税務署に移行し管理にあたる。
その手続きには、五万円の印紙税以外無料で税務署があたる事になる。
企業が既に納付済みの保証協会の保証料は、これを返還しない。
特別処置納税の納付開始は、「確定日の翌月から。」とし、納付窓口は放棄銀行の口座とする。
この、無から有を生み出す「特別処置納税金」が、新たに政府が使える原資となる。
つまり赤字国債を減らし、年金制度を立て直して国民の医療負担の増額を抑える原資となる。
しかしそれだけでは無く、当然ながら景気が回復して消費が増えれば、現行の消費税五%をそれ以上に上げなくても税収額は増えて来るし、企業収益が上がれば「法人税」も増えて来るので、こちらの税収(歳入増)も期待できる。
政府が国民の為に自由に使える資金が飛躍的に増え、同時に赤字国債はこの「特別処置納税金」で償還出来るのである。
実は中小零細はこの不況の中、産業の構造変化を感じ取り、それに対応すべき発想は多々考え出している。
生き残る為に必死で考えた、将来日本の宝と成る「名案」が、そこにはある。
しかし、不幸にも実現にそれに取りかかれる所は少なかった。
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既に「財務的体力」を失っていたのだ。
自公政権政府は「不況の中にも工夫で元気な企業も在る」などと呑気な言っているが、ほんの一部の企業が新たな事に挑戦したに過ぎない。
この不況の中で財務内容を悪化させて事業資金を得られない中小零細の体質を、向上させての新たなる挑戦をさせる機会を与える事は、「未来の日本経済の基盤になりうる宝」であり、この特別立法に寄って、そのスタートラインに彼らの大半が並べるのだ。
そうなれば、この不況時の学習も「無駄にはならない事」だろう。
日本の産業構造の再生に付いて夢がある。
それが、此の三方両得プランで叶う・・・。
今、日本の大企業は安い土地や労働力を求めて、中国大陸に生産の拠点を移しつつある。
国際的な企業間競争の世にそれも止むを得ない事ではあるが、その後のホロー(うめあわせ)も考える必要がありはしまいか。
長い歴史的なスパンで日本の将来を考える時、今切り捨てられている下請け企業は、見捨てるには余りにも、勿体無いものだ。
少子化、少子化と騒いでいるが大企業が採用するのは一部の人間だけで、万一出生率が上がっても受け入れる就職先が無く成っては話にならない。
中小零細企業が生まれて来る新たな人材の受け皿になり、その企業と共に成長する事こそ未来への展望が開けるのである。
中小零細企業の債権だけ放棄させれば、住宅ローンなどを抱える個人から不公平とのクレームが出るかも知れないが、これは別で個人に濡れ手に粟は本意ではない。
勤め先が倒産、或いはリストラ等で失業すれば、ローン所では無いし安心して子供も作れ無い。
先ず、働き先が健全に成る事だ。
企業の定年年齢が60歳の時代に、「年金の給付開始は65歳だ」と言う。
*注意(この定年年齢は現在延長され65歳になっている。)
勿論、今時の60歳は充分働ける年齢であるが、働き口の受け皿が無い。
中小零細企業が活性化すれば、60歳代は貴重な即戦力として定年延長や再就職先の道が開けて来る。
世情を安定させ、社会不安を無くし、誰しもが職に就けるようにしたい。
安心して、未来の子供らに日本が託せるようにしたい。
「まじめに学び、まじめに働けば、老後の不安も無い。」
それを早急に実現しないと、日本の社会は「駄目になってしまう。」
このプランを「荒唐無稽な案だ」と既成概念で侮らないで欲しい。
何度もリセットはあった。
1)江戸時代やそれ以前の鎌倉・室町時代にも「改革・徳政令」で借金棒引はあった。
2)明治維新で武士の所領と扶持米(米換算の給与)の廃止により新たな財源を生み出した。
3)敗戦時の財閥解体、農地解放、預金封鎖と新円切り替により新たな財源を生み出した。
つまりは政権交代のタイミングこそ、大胆な改革のチャンスなのである。
この国民に負担を掛けない三方両得の赤字国債の処理方法と地方分権、即ち霞ヶ関解体の2プランを実行すれば、民主党新政権の歴史に残る大改革となるだろう。
ただ、この地方分権構想で安易に「道州制」などと考えると、霞ヶ関が道州政府に引っ越すようなものである。
官僚組織の弊害を削減する目的であれば有効なのは道州制の設置や県の存続では無い中抜き案で、中央政府と300程度に集約された市町村(地方自治体)があれば良いのである。
行政の組織改革の間に道州や県が入っては名前のすり替えに過ぎず、自由に使える予算をキチンと市町村(地方自治体)に交付すれば、地方独自の優先する行政事業に取り掛かれるのである。
小説「たったひとりのクーデター」より
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