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samurai 【天下の知将・真田信繁(幸村)と真田丸】作者本名鈴木峰晴表紙ページ【サイトナビ】に戻る。


(真田昌幸・真田信繁・真田家二代記

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◆小説【皇統と鵺の影人】より

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【天下の知将・真田信繁(幸村)と真田丸】

(真田昌幸・真田信繁・真田家二代記)


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***【歴史のミステリー】*********

天下の知将・真田信繁(幸村)と真田丸

真田昌幸・真田信繁・真田家二代記



記載目次ジャンピング・クリック

〔第一話〕  【真田家
〔第二話〕  【真田昌幸(さなだまさゆき)・上田神川の合戦
〔第三話〕  【徳川秀忠関ヶ原遅参
〔第四話〕  【真田信繁(さなだのぶしげ/幸村)・大坂の陣
〔第五話〕  【真田信之(信幸改め)
◇このまま下にも読み進めます。



真田家

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇〔第一話真田家◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

真田氏は、信州山地の谷合いに在る真田郷の在地小豪族として歴史に登場する。

真田氏は清和源氏の発祥で、信濃国小県郡(現在の長野県東御市)の海野棟綱あるいは海野頼昌の子とされる海野幸綱(真田幸綱/幸隆)が小県郡真田郷を領して以後に真田姓を名乗ったとされる。

しかし、本家となる海野氏が滋野氏嫡流を名乗っているので真田氏の清和源氏とする出自は信憑性に欠ける。

真田氏の本家に当たる海野氏は、清和天皇の第四皇子・貞保親王(さだやすしんのう、陽成天皇の同腹の弟)をその家祖とする滋野氏(しげのうじ)三家と呼ばれる望月氏、禰津氏(ねずうじ)、海野氏の内の一家であり、真田氏も海野氏流を名乗っている。

清和源氏は、清和天皇第六皇子・貞純親王(さだずみしんのう)の第六子・経基(つねもと/六孫王)が源を賜姓、経基流清和源氏の初代となりその子孫の系統を清和源氏(せいわげんじ)流としているので、海野氏流を清和源氏とするは強引な創作系図である。

ただし日本国家の成立過程は、その支配階級・氏族に始まる血統至上主義が意識的に維持されて来た為、創作系図は盛んだった。

つまり当時の武将としての最高位・征夷大将軍を名乗る資格が「清和源氏流」とされた時代で、賀茂流三河松平家織田信長との同盟で力を着け、途中から清和源氏流得川(徳川)家と成って天下を手中にした家康が征夷大将軍に就任して幕府を開いている。



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真田昌幸(さなだまさゆき)・上田神川の合戦

◇◆◇◆◇◆〔第二話真田昌幸(さなだまさゆき)・上田神川の合戦◆◇◆◇

真田家がその存在を天下に知らしめたのは、徳川勢との「上田神川の合戦」に勝利した事である。

その顛末を書き記して置く。

時代が下がった戦国期になると、真田氏は甲斐国守護・武田家臣として武田晴信(武田信玄)に仕え、所領を安堵されて勢力基盤を築き、武田家中に於いて信濃先方衆の有力武将として重用される。

しかし、織田信長の軍勢と対峙した長篠の戦いで武田方軍勢として参戦した真田家当主・信綱と次男・昌輝が討死する。

すると、武藤喜兵衛と称していた三男・昌幸(まさゆき)が真田姓に復して家督を相続し、武田氏が滅んだ後には真田昌幸(さなだまさゆき)は織田信長に恭順した。

つまり、真田信繁(幸村)の祖父にあたる幸隆や叔父達、父・昌幸(まさゆき)も、上杉謙信や 武田信玄が一目置く武将だった。

その後、本能寺の変明智光秀に反逆された織田信長が横死する。

父・真田昌幸(さなだまさゆき)は本拠地として上田城の築城に着手しながら、混乱する信濃に在って主家を転々と変え真田家の勢力維持に奔走する。

名将・真田昌幸(さなだまさゆき)が最初に天下に名を轟かせたのは、徳川氏と後北条氏が甲信を巡って対陣したその後の和平に於いて代替の領地は徳川で用意する条件で真田領の北条氏へ明け渡しが決定された事に果敢抵抗した事である。

昌幸(まさゆき)は徳川軍兵七千の攻撃を受けるも僅か二千余りの城兵で上田城を守り切り、独立した大名として世に認識される。

真田家の得意技は篭城戦で、その戦法は元弘の乱(げんこうのらん)当時の名将・楠木正成(くすのきまさしげ)の千早城篭城戦と良く似ている。

つまり最小の軍勢で大軍を破るのに適して居るのが篭城戦であるが、攻め手が大軍で先を急いでいるほどその戦法は効果的だった。

昌幸(まさゆき)は「敵をおびき寄せて叩く」作戦で、数に勝る徳川軍を相手に見事な勝利を収めたのだ。


最初の徳川対真田の戦いは、徳川軍敗戦と成った【上田・神川の合戦】である。

千五百八十二年(天正十年)六月に京都で織田信長本能寺の変で横死し、織田家と友好関係だった北条家が、北条氏直率いる五万六千の兵で織田領上野に侵攻する。

織田政権の関東管領と目される滝川一益率いる二万を神流川の戦いで撃破し、滝川一益は本拠地の伊勢まで敗走する。

これに前後して甲斐の河尻秀隆が一揆により戦死、北信濃の森長可(もりながよし)も旧領の美濃に撤退し、南信濃の毛利秀頼も尾張へと撤退する。

その為、織田領である信濃、甲斐、上野が一気に空白状態となり、越後の上杉景勝や相模の北条氏直、三河の徳川家康など近隣勢力が侵攻し、旧織田領を巡る天正壬午の乱が起こる。


甲斐を制圧した徳川家康が南信濃へ、上杉氏は北信濃へ、そして北条氏は上野国から碓氷峠を越えて東信濃へと侵攻した。

このとき東信濃から西上野に勢力を保っていた真田昌幸(さなだまさゆき)は北条方に属していたが、徳川方の依田氏の工作により北条方を離反する。


千五百八十二年(天正十年)十月には徳川・北条の間で和睦が成立するが、その和睦条件として徳川傘下となっていた真田氏の上野沼田領と北条氏が制圧した信濃佐久郡を交換する事を勝手に約した。

翌千五百八十三年(天正十一年)から昌幸(まさゆき)は上田城の築城に着手しており、沼田領や吾妻領を巡り北条氏と争っていた。


千五百八十五年(天正十三年)には家康が甲斐へ着陣して昌幸(まさゆき)に沼田領の北条氏への引き渡しを求めるが、昌幸(まさゆき)は徳川氏から与えられた領地ではない事を理由にして拒否する。

さらに昌幸(まさゆき)は、所領保持の為に敵対関係にあった上杉氏と通じた。

同千五百八十五年(天正十三年)七月、浜松に帰還した家康は昌幸(まさゆき)の造反を知る。

家康は八月に真田討伐を起こし、家臣の鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら約七千の兵を真田氏の本拠・上田城に派遣する。


徳川軍は甲斐から諏訪道を北国街道に進み、上田盆地の信濃国分寺付近に兵を展開する。

これに対して真田方は約千二百人であったと言われ、昌幸(まさゆき)は上田城に、長男の信幸(信之)は支城の戸石城に篭城した。

また支城の矢沢城には、昌幸(まさゆき)の従兄弟・矢沢頼康が上杉の援兵と共に篭城した。

千五百八十五年(天正十三年)閏八月二日に上田城に攻め寄せた徳川方は、二の丸まで進むがここで反撃を受け撃退される。

さらに後退の際に城方の追撃を受け、戸石城の信幸(まさゆき)も横合いから攻めるに及びついに壊乱し、追撃戦には矢沢勢も加わり神川で多数の将兵が溺死した。

この真田方の地の利を活かした戦法により、徳川軍は千三百人もの戦死者を出したと言われる。

一方、真田軍は四十人ほどの犠牲ですんだと伝えられる。

翌日、徳川方は近隣の小豪族で真田氏に味方した丸子氏(後、真田氏に臣従)の篭る丸子城を攻めるが、これも要害と頑強な抵抗に阻まれ攻略できず、以後二十日日間程対陣を続ける。

この間に上杉勢援軍との小競り合いや更なる増援の報に接し、家康は援軍(井伊直政/一部部隊は当初より参陣)、大須賀康高、松平康重の五千)を出すと共に一時撤退を下令、これを受け徳川軍は二十八日に上田より撤退した。

その後も、大久保忠世ら諸将は小諸城に留まり真田勢と小競り合いを繰り返すも、十一月には譜代の重臣・石川数正が豊臣家に出奔する事態に至り、完全に撤退する事になる。


信州で生き延びた真田昌幸は、やがて豊臣秀吉が天下を取るとその臣下に入り、秀吉の命で徳川家康と和解する。

和解の後、徳川氏の与力大名とされた事から、嫡男・真田信幸(さなだのぶゆき/信之)と家康養女・小松姫(実父は本多忠勝)との婚姻が行われた。

これらの過程で真田宗家は、名目上は徳川氏の与力大名だが実際は豊臣の家臣である真田昌幸と次男・信繁(上田城)と、名目上は昌幸領の一部だが実際は徳川の与力大名である真田信幸(沼田城)のニ家が夫々に主を頂く二家体制となる。

この二家体制が、後に真田氏を二分させて戦う事態となる。

五奉行の石田三成らが五大老の徳川家康に対して挙兵した関ヶ原の戦いが起こると、昌幸(まさゆき)と次男・信繁(幸村)は西軍に、長男信幸(信之)は東軍に分かれる。

但し五大老・五奉行の敬称は後の創作で、リアル豊臣体制では「大老・徳川殿」などとは用いられては居ない。

真田昌幸と次男・信繁(幸村)は、信州・上田城にて二代将軍・徳川秀忠率いる約三万の軍勢を僅か数千で迎え撃ち秀忠軍の足止めに成功、秀忠軍が関ヶ原の戦いに間に合わなかった原因と言われた。



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徳川秀忠関ヶ原遅参

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇〔第三話徳川秀忠関ヶ原遅参◆◇◆◇◆◇◆◇◆

徳川秀忠が関ヶ原の合戦に遅参したのは、後に「上田合戦」と呼ばれる又も真田勢相手の戦にて手古摺(てこずっ)たからである。

千六百年(慶長五年)の徳川秀忠の関ヶ原合戦の遅参の因となった上田城の戦いを第二次上田戦とする。

上田は東信濃の小県郡にあり、この付近は上田城築城以前から武田氏上杉氏後北条氏の国境として不安定な地域であった。

そこを真田昌幸(さなだまさゆき)が武田氏の下で上野国吾妻郡・沼田を平定後、小県郡を平定し、上田城を築城した。

そこに石田三成率いる豊臣方西軍と徳川家康率いる東軍で、東西を二分する関ヶ原の戦いが起きる。

徳川家康率いる東軍は、下野国小山において三成ら西軍の挙兵を知り、東北上杉勢討伐に向かっていた軍を西に返した。

この時、家康の本隊や豊臣恩顧大名などの先発隊は東海道を進んだが、徳川秀忠率いる三万八千人の軍勢は中山道を進んで西に向かった。

そしてその進路に、真田父子が立て篭もる上田城があった。

小諸に到着した秀忠は、昌幸(まさゆき)の嫡男・信幸(信之)と本多忠政(信幸の正室・小松姫の弟)に命じて、昌幸に対して無難に開城を求める。

老練な昌幸(まさゆき)はのらりくらりと返事を先延ばしにして、時間稼ぎに徹する。

数日の後、昌幸(まさゆき)から届いた返答は「返答を延ばしていたのは篭城の準備の為でござった。

充分に仕度は出来たので、一合戦つかまつろう」と言うものだった。

あまりに大胆不敵な宣戦布告に、秀忠は怒って上田城攻略を決意したとされる。

この時本多正信や徳川四天王の一人・榊原康政などは寡兵の真田氏を侮る事はせず、上田城を黙殺して西軍との主戦場(関ヶ原)に急ぐべきだと進言する。

だが、兵力差が圧倒的だった事、土井利勝を始めとする戦場に疎い将が多かった事、さらに前述の第一次上田合戦で真田軍に煮え湯を飲まされた事を恨む者が多かった事もあり、秀忠の決断を覆す事は出来なかった。

これこそまさに昌幸(まさゆき)の思う壺だった。

昌幸(まさゆき)の目的はあくまでも時間稼ぎで、この時点ですでに戦わずして秀忠隊を三日間足止めしており、さらにあからさまな挑発を加える事によって徳川方に揺さぶりをかけた。

仮に徳川勢が挑発に乗らず、上田城を素通りしたとしても、既に三日の足止めに成功し、役目は充分に果たしている。

逆に挑発に乗って攻め来れば、城に籠もって持久戦に徹し、さらに余分な時間が稼げるわけである。

家康隊との合流を急ぎたい秀忠隊の事情を考えれば長期戦が行えない事は明らかである。

兵力で圧倒されていようとも、城に籠もって数日間持ち堪えれば徳川勢は引き上げるだろう、と昌幸(まさゆき)は踏んでいた。

短期決戦を行うしかない徳川勢の採れる戦術は自ずと限られ、その分読み易く御し易すい。

しかも総大将の秀忠はこれが初陣であった。

徳川勢が挑発に乗らなければ良し、乗ればなお良しの二段構えで、狡猾な昌幸の策に陥った徳川勢は戦わずして苦しい状況に陥れられた。

秀忠軍は小諸から上田城の東にある染谷台に陣を移し、真田信繁(幸村)の守る上田城の支城・戸石城に対し、信繁(幸村)の兄である真田信之の軍勢を差し向ける。

徳川首脳陣には真田一族である真田信幸に疑念を覚える者が多く、あえて実弟と戦わせる事によって信之の心中を試すと同時に万が一に備えて上田城攻めから遠ざけようとしたと言われている。

迫り来る軍勢の大将が兄である事を知った信繁(幸村)は兄弟で争う事を嫌い、あっさりと城を捨て上田城に引き上げる。

信之軍は戦わずして戸石城を接収し、勝鬨(かちどき/ときの声)を上げる。

これは、信繁(幸村)が、父弟が敵方に回り、東軍内での立場が危うかった信之に手柄を上げさせ、信幸(信之)に対する秀忠の信用を高めようとした為と推測が出来る。

また、信幸(信之)軍を戸石城に釘付けにする事により、結果的に上田城に攻め寄せるであろう兵を減殺すると同時に、信幸(信之)を上田城攻めから外させ、真田一族での同士討ちを回避しようとしたためと言われている。

事実、信繁が戦わずして戸石城を信幸(信之)に明け渡した事により、東西両軍の真田勢も城も傷つかずに済んだ。

戸石城を落とした後、秀忠軍は早速上田城の攻略に取り掛かる。

短期決戦を狙う秀忠は真田軍を城から誘き出すため、城下の田畑の稲を刈り取る苅田戦法を取り、九月八日、牧野康成(まきのやすなり)率いる手勢が上田城下の稲の刈り取りを始めた。

徳川方の狙い通り、苅田を阻止しようと真田方の軍勢数百人が城から飛び出して来た。

そこへ、後備えとして潜んでいた本多忠政隊が襲い掛かり、真田勢はあっさりと敗れ、上田城へと逃走する。

それを酒井家次、牧野康成、本多忠政の各隊が追撃し、一気に上田城の大手門前まで迫った。

それらの流れは、実は全て昌幸(まさゆき)の作戦であった。

徳川勢が上田城の大手門へと迫った時、突如として門が開き、門の向こう側で待ち構えていた真田の鉄砲隊が一斉射撃を浴びせた。

さらに城内からも銃矢が降り注ぎ、徳川方の先鋒は大混乱に陥った。

功を焦った徳川勢は逃走する真田勢を遮二無二追撃していた為、大手門に到達した時は隊列・陣形共に型を成さない状態に陥っていた。

このため、反撃を浴びて崩された先鋒隊が撤退しようとするも、勢いのままに前進してきた後続の軍勢と鉢合わせになり進退窮まったところへ、城内から真田勢が討て出て徳川軍を散々に打ち破った。

さらに昌幸(まさゆき)は徳川勢に追い打ちをかけた。

前日の夜に密かに上田城を出て染谷台の北東に潜んでいた信繁(幸村)隊二百が秀忠本陣に奇襲をかけた。

信繁(幸村)隊は鉄砲を一斉に撃ちかけ、浮き足立った秀忠本陣になだれ込んだ。

秀忠自身は家臣に馬を与えられ、辛うじて小諸へと逃れた。

また昌幸(まさゆき)は神川の上流に堤防を築き、神川を密かに塞き止めており、信繁の合図で堤防が切られると、大量の水が濁流となって染谷台に押し寄せる。

真田勢に追われていた神川付近の多くの徳川勢の人馬が飲み込まれる事となり、第二次上田合戦はわずか一日で真田方の大勝に終わった。

名将・昌幸(まさゆき)と次男・信繁(のぶしげ/幸村)は「敵をおびき寄せて叩く」作戦で、再び数に勝る徳川軍を相手に見事な勝利を収めたのである。

しかし関ヶ原の戦いそのものは東軍・徳川方の勝利となり、戦後に昌幸と次男・信繁(幸村)は紀伊の九度山に蟄居となり、代わって嫡男・真田信之(信幸改め)が上田領を引き継いでいる。



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真田信繁(さなだのぶしげ/幸村)・大坂の陣

◇◆◇◆◇◆〔第四話真田信繁(さなだのぶしげ/幸村)・大坂の陣◆◇◆◇

処分はされたものの、二度も徳川の大軍を退けた名将として昌幸(まさゆき)・信繁(幸村)親子の名声は天下に高まっている。

これだけ知略に抜きん出た真田家が、天下を取るに至らなかったは「運の問題」かも知れない。

「運も実力の内」と言う格言もあるが、「運」だけでかなりの幸運をつかむ者もいるから、それをうぬぼれると歴史がそれを許さない。


紀伊の九度山に蟄居中の真田親子に、孤立無援になりつつある豊臣家から要請がある。

昌幸次男・信繁(信繁・のぶしげ/幸村・さなだゆきむら)は警戒中の紀伊国和歌山藩・浅野幸長(あさのよしなが)の軍勢の目をかいくぐり紀州・九度山を脱して大阪城に参じている。

やがて起こった大坂の陣では、真田信繁(幸村)は大坂城に豊臣方として戦い、弱点として見出した平野口の南に曲輪(出丸)、真田丸(さなだまる)を構築し、徳川方を翻弄する。

その冬の陣に於いて真田信繁(幸村)は、一時は茶臼山の家康本陣まで迫る戦ぶりを見せるが、夏の陣で討死している。



豊臣家では戦争準備に着手し、旧恩ある大名や浪人に檄を飛ばして兵を募った。

また兵糧の買い入れを行うとともに、大坂にあった徳川家をはじめ諸大名の蔵屋敷から蔵米を接収した。

諸大名には大坂城に馳せ参じる者はなく、豊臣秀吉の遺した莫大な金銀を用いて浪人衆を全国から集めて召抱えた。

実はこの時点で、幕府方対豊臣方の戦の行方は遥かに幕府方有利で、敢えて豊臣方に付く大名など居る筈も無く、敢えて言えば復活に望みを託した浪人衆が集まったに過ぎない。

勿論、秀吉が可愛がった恩顧大名達もお家存続を目して幕府方に付いたが、これには秀頼の実父別人説の影響も色濃く反映していた。

この復活願望組浪人衆、戦国時代に武将大名として名を馳せ、勢力を誇った者やその子などで、浪人ながら幾らかの家臣も率いていた。

著名な浪人として真田信繁(さなだのぶしげ/幸村・さなだゆきむら)、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、毛利勝永、明石全登(彼らは五人衆と呼ばれた)、原田(塙)直之(はらだ/ばんなおゆき/団右衛門)、大谷吉治などがいた。

その寄せ集め浪人衆の一人・真田信繁(幸村)は二段構えの作戦を主張する。

真田信繁(幸村)も多分に漏れず復活願望組だったが、一方で戦術家としての自信を持っていた。

まず畿内を制圧して近江国の瀬田川まで軍を進め、ここで関東から進軍して来る徳川軍を迎え撃って足止めしている間に諸大名を味方につけ、その見込みが無い時には初めて城に立て籠もって戦う策だった。

ところが、豊臣家宿老の大野治長を中心とする家臣達は二重の堀で囲われさらに巨大な惣堀、防御設備で固められた大坂城に立て籠もり、徳川軍を疲弊させて有利な講和を引き出そうという方針で籠城を主張していた。

同じ浪人衆の後藤基次・毛利勝永も真田案を元に伊賀国と大津北西にも兵を送り「敵を足止めすべし」と主張して豊臣家宿老の大野治長を中心とする籠城派と対立した為に豊臣軍内部は二つに割れていた。

しかし大評定の末に大野治長ら豊臣家臣の籠城する作戦案で落ち着き、周辺に出城(砦)を築き防衛線を敷いて幕府方を迎え撃つ事になる。

その砦の一つが、真田信繁(幸村)が大坂城の平野口に構築した出城(砦)・真田丸だった。

二条城入城から三週間後の幕府方がほぼ大阪を囲むように結集した頃、家康は二条城を出発して奈良経由で大坂に向かい、茶臼山陣城にて先着していた秀忠と軍議を行っている。

大阪方籠城作戦に寄り、幕府方は大坂城を完全包囲した。

出城(砦)・真田丸正面には前田利常率いる兵一万二千の他、南部利直、松倉重政、榊原康勝など数千、八丁目口・谷町口には、井伊直孝の兵四千、松平忠直の兵一万、他数千が布陣していた。

豊臣方・真田丸には真田信繁(幸村)指揮の兵五千、八丁目口・谷町口には木村重成、後藤基次、長宗我部盛親など、兵一万二千以上が配置されていた。

十二月四日早朝、徳川方の前田利常、井伊直孝、松平忠直らの軍勢が挑発に乗って攻勢を開始し、真田丸の戦いが行われる。


真田丸(さなだまる)は、千六百十四年(慶長十九年)大坂の陣(冬の陣)に於いて、豊臣方武将・真田信繁(幸村)が、籠城戦に弱点と読んだ大坂城平野口の南に構築した曲輪(出丸)である。

織田家相続会議である清洲会議(きようすかいぎ)賤ヶ岳の合戦(しずがたけのかっせん)小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦いを経て、豊臣秀吉織田信長の勢力を引き継ぐ事に成る。

その後秀吉は、紀州征伐(根来衆・雑賀衆征伐)四国攻めそして九州征伐小田原平定の統一戦に勝利して天下を手中にする。

天下を手中にした豊臣秀吉が築いた大坂城は上町台地の北端に位置し、三方を猫間川・平野川・大和川・淀川・東横堀川などに守られた堅城であった。

しかし、地続きとなる南方だけは空堀を設けたのみで、防御が手薄であった。

この南惣構堀である空堀の東部に設けられた虎口が、真田信繁(幸村)が防御を危惧した平野口である。


千六百十四年(慶長十九年)、豊臣秀頼を盟主に据えた豊臣方と徳川家康率いる徳川方が一触即発状態となり、豊臣方(大坂方)は諸国から浪人衆を集める。

以前の上田合戦(第二次)の処分で徳川方に依って幽閉中の真田信繁(幸村)は、高野山から脱出して大坂城に入城する。

大坂城に入城した真田信繁(幸村)は、積極的な出撃を主張するが、豊臣方(大坂方)は篭城策を採る。

致し方なく籠城に応じた真田信繁(幸村)は、大阪城の弱点と見て平野口に南からの攻勢を想定して独立した出城を築き、自らが守備につく事により徳川方の攻撃を食い止めようとした。

千六百十五年十二月四日(新暦一月三日)早朝、徳川方の前田利常、井伊直孝、松平忠直らの軍勢が挑発に乗って攻勢を開始し、真田丸の戦いが行われる。

徳川方・井伊直孝(直政二男)の甲冑を全軍赤色に統一した「井伊の赤備え軍団」と、真田隊の「赤備え軍団」が激突する。

ここで真田信繁(幸村)は徳川方の兵を策によって多く引き込み、散々に打ち破る事に成功する。


接近時包囲戦に於ける最大の戦いである出城(砦)・真田丸及び城南方面の攻防戦が始められ、知将・真田信繁(幸村)が幕府方を撃退、幕府方諸隊に大きな損害を与えた。

信繁(幸村)の知略が効果を発揮したのは、相手武将達の功名心理を推測し、それを逆手にとって翻弄する戦法を多用したからである。

しかし幕府方は、ジリジリと大阪城に迫り、徳川家康は投降を促す矢文を大阪城に射て(送り)、尚且つ甲斐や佐渡の鉱夫を動員して南方より土塁・石垣を破壊する為の坑道掘削を始め、更に船場の堀の埋め立ても命じている。

そして投降を促す矢文から六日目、幕府方全軍より一斉砲撃が始められる。

北方の備前島(都島区網島町)方面だけで大筒百門と石火矢が本丸北側の奥御殿に発射され、南方の天王寺口(茶臼山)からは本丸南方の表御殿千畳敷に目標を定めた砲撃が和議締結まで打ち込まれ続けた。

戦闘の経過で豊臣方は兵糧に加え弾薬の欠乏が進み、また徳川方が仕掛けた心理戦と今までの常識を超える飛距離を持つ輸入したばかりの新型大砲に拠る砲撃で櫓・陣屋などに被害を受けて将兵は疲労し、士気は衰えを見せていた。

今までの常識を超える飛距離で天守閣を直撃し淀君を恐怖させた砲弾は、射程五百メートルと当時としては最長射程のカルバリン砲(英国製)だった。

この破壊力五十トンのカルバリン砲(英国製)は、家康が大阪城攻略の為に英国から四門購入したものだった。

特に豊臣家で主導的立場にあった淀君は、幕府方の本丸への砲撃で身近に被害が及び、頑なだった態度を軟化させて和議に応じる気に成た。

織田有楽斎(長増・ながます/織田信長の実弟)を通じて豊臣方との和平交渉が始まり、有楽斎と治長が本多正純、後藤光次と講和について書を交わしている。

和議交渉の場で家康が提示した講和の条件は、絶妙だった。

幕府方は豊臣秀頼の身の安全と本領の安堵と城中諸士についての不問を約し、その代わり大阪城は本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、外堀を埋める城割(城の破却)が主たる条件で、「今後の抵抗は無い」と形にする事である。

また秀頼・淀殿の関東下向を免じ、淀君を人質としない替わりに「大野治長または織田有楽斎より人質を出す事」として和議は成立している。


成立した和議の条件に乗っ取って、大阪城の一部破却が始まる。

なお、冬の陣の終了後の和議の条件により出城(砦)・真田丸は破壊される。


戦功を上げた真田信繁(幸村)の真田丸だが、冬の陣の終了後、和議の条件により破壊された。

夏の陣の終了後に造成された小橋寺町を境に、その西側が真田山、東側が宰相山と呼ばれるようになった。

信繁が真田信繁よりも今では世間の通りが良い真田幸村を名乗ったのは、冬の大阪の陣で一旦和睦し、真田丸を失った以後の文献に登場したからである。

出城(砦)・真田丸の正確な位置については幾つか説が在り、確かな遺構も残っていない為にまだどれも決定的には成って居ない。。


和議条件の内、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められていた。

この城割(城の破却)に関しては古来より行われているが、大抵は堀の一部を埋めたり土塁の角を崩すといった儀礼的なもので在ったが、幕府方は家康の命を受け徹底的な破壊を実行する。

講和後、幕府方に味方した諸将も国表に帰らせ、大御所・徳川家康本人も駿河の居城(駿府城)に引き上げた。

駿府に帰る道中に、家康は埋め立ての進展について何度も尋ねている。

城割(城の破却)はその年の末から美濃の諸将を率いる松平忠明、重臣・本多忠政、重臣・本多康紀を普請奉行とし、家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を埋める。

翌年の一月より二の丸も埋め立て始める。

二の丸は本来豊臣方の受け持ちの為豊臣方は抗議するが、幕府方は「工事が進んでいないので、手伝う」と強引に進め、二の丸の門や櫓も徹底的に破壊している。

約していなかった二の丸まで「だまし討ちで幕府方が埋め立てた」は後の作家の手に拠る俗説で、二の丸の埋め立ては当初からの和議の内なるが、幕府方が受け持ちを逸脱して二の丸の埋め立てに関わったのは事実である。

二の丸の埋め立てについては幕府方も相当手間取ったらしく「周辺の家・屋敷を破壊してまで埋め立てを強行した」と伝えられている。

此処で新たな問題に成ったのが、豊臣方が召抱えていた浪人達である。

幕府方は浪人達の仕置きこそお咎め無しにしたが雇った浪人衆は七万人以上に上り六十五万石の豊臣家には相応せず、まさかそのまま豊臣家が召抱えるなど思いも依らなかった。

和議で一部解雇はしたものの、豊臣家はまだ都合八万ほどの兵力を維持したままで、とてもこのまま収まるとは思えない情勢だった。

家康は和平成立後京都から駿府へ戻り、秀忠も伏見に戻ったが、一方で家康は国友鍛冶に大砲の製造を命じるなど、再戦の準備を行っている。

徳川方の準備が進み、大坂夏の陣(おおざかなつのじん)の開戦は真近だった。


此度の情勢は、前回の大坂冬の陣(おおざかふゆのじん)と比べ遥かに徳川方有利である。

大坂城は本丸を残して丸裸であり、兵力も二万ほど減っていて八万弱と篭城戦など出来る状態ではない。

家康は集結した十五万五千の軍勢を二手に分けて、一方は河内路から、いま一方は大和路から道路の整備と要所の警備を行いながら大坂に向かう事を命じた。

この二手の他、紀伊の浅野長晟(あさのながあきら)にも南から大坂に向かうよう命じている。


交渉が決裂し、再びの開戦は避けられないと悟った豊臣方は、丸裸にされた大坂城では籠城戦は不利と判断したとされ、積極的に討って出る作戦を採用している。

豊臣方は大野治房の一隊に暗峠を越えさせて、筒井定慶の守る大和郡山城を落とし付近の村々に放火その二日後には徳川方の兵站基地であった堺を焼き打ちする。

この大野治房勢、一揆勢と協力しての紀州攻めを試みるが、先鋒の塙直之、淡輪重政らが単独で浅野長晟勢と戦い討死してしまう。

その後、大野勢は浅野勢と対峙しつつ、堺攻防戦を続けている。

五月に入って戦闘が本格化し、幕府方三万五千が大和路から大坂城に向かって来るところを豊臣勢が迎撃した道明寺・誉田合戦が起ている。

しかしこの迎撃、寄せ集めの軍勢である豊臣方は緊密な連絡を取る事が出来ずに、後藤基次隊二千八百が単独で小松山に進出してしまい、伊達政宗水野勝成ら二万以上の敵勢に集中攻撃を受け、奮戦するも基次は討死し隊は壊滅する。

次いで到着した明石全登・薄田兼相(すすきだかねすけ)ら三千六百の豊臣方も、後藤基次隊を壊滅させて小松山を越えた幕府方二万と交戦し、薄田兼相らが討死した。

この小松山の戦闘に、更に遅れて真田信繁(幸村)、毛利勝永ら一万二千の豊臣方が漸く到着し、真田隊が伊達政宗隊の先鋒片倉重長隊の進軍を押し止める。

いずれにしても幕府方は大軍で、豊臣方は意地を見せたが大勢は幕府方優勢で戦闘は推移している。

真田信繁(幸村)、毛利勝永ら一万二千の豊臣方は、小松山で幕府方大和路隊三万五千を押し止めていた。

しかし豊臣方は八尾・若江での敗戦の報を受け、後藤隊・薄田隊の残兵を回収して後退を余儀なくされ、大坂城近郊に追い詰められている。

天王寺口は真田信繁、毛利勝永など一万四千五百、 岡山口は大野治房ら四千六百、別働隊として明石全登三百、全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊計一万四〜五千が布陣する。

これに対して幕府方の配置は、大和路勢および浅野長晟四万を茶臼山方面に、その前方に松平忠直一万五千が展開し、 天王寺口は本多忠朝ら一万六千二百、その後方に徳川家康一万五千が本陣を置き、 岡山口は前田利常ら計二万七千五百、その後方に近臣を従えた徳川秀忠二万三千が本陣を置いた。

果敢に攻め込む豊臣方の真田信繁(幸村)・毛利勝永・大野治房などの突撃により、幕府方の大名・侍大将に死傷者が出て幕府方徳川家康・秀忠本陣は大混乱に陥る場面も在ったが、兵力に勝る幕府軍は次第に混乱状態から回復し態勢を立て直す。

この果敢な攻撃に豊臣方は多くの将兵を消耗し、流石の真田信繁(幸村)も松平忠直の越前勢に討ち取られて午後三時頃には壊滅状態に陥り、唯一戦線を維持した毛利勝永の指揮により豊臣方は城内に総退却した。

天下の知将・真田信繁(幸村)は豊臣家に請われて大阪城に入ったが、残念ながら豊臣家首脳にはこの一代の知将を生かす術を持たず、真田信繁(幸村)が戦の作戦を立案しても豊臣首脳は信繁(幸村)の進言のほとんどを却下した。

真田信繁(幸村)が縦横無尽にその力を発揮するには、豊臣首脳はその戦の全てを知将・信繁(幸村)に任せて置けば良かったのだが、度々信繁(幸村)を統制しに掛かって彼の能力を封じてしまった。

つまり豊臣首脳は、信繁(幸村)の知力よりも自分達の面子を重んじる愚を犯して、戦をより不利なものにしてしまったのである。


有名な戦国武将には有能な家臣がいたとされるが、真田信繁(幸村)に仕えたとされる「真田十勇士」は、全て後の小説家や脚本家の創作に依る架空の人物で誰も存在しない。

勿論真田家には有能な臣下は存在したが、創作された「真田十勇士」の様な異能の人物達は居なかった。



用語人名解説・日本史検索・クリックリスト


真田信之(信幸改め)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆〔第五話真田信之(信幸改め)◆◇◆◇◆◇◆◇◆

一方、徳川方として参陣した嫡男・真田信之(信幸改め)は戦功を上げ、松代藩十三万石へ加増移封となって真田の家名を残している。

徳川家康は本多忠勝の娘・小松姫を養女に迎えた後、真田家長男・真田信幸(信之・沼田三万石)に嫁がせている。

豊臣秀吉死後の千六百年(慶長五年)、石田三成が徳川討伐を掲げて挙兵する。

父・昌幸と弟・信繁は三成ら西軍石田方に付いたのに対し、信幸は家康ら東軍に参加する事を決め、徳川秀忠軍に属して上田城攻め(第二次上田合戦)に参加する。

徳川秀忠軍本隊三万五千の中仙道軍は、またも上田城に在った父・昌幸の善戦に合って関ヶ原の戦いには遅参し、本戦には参加する事ができなかった。

徳川方に付いた真田家長男・真田信幸(信之・沼田三万石)は、関ヶ原戦後、父・昌幸の旧領三万五千石に加え三万石を加増されて九万五千石となり上田藩主となったが、引き続き沼田城を本拠とした。

真田信幸(信之)は西軍に付いた父との決別を家康に表す為に、昌幸らの助命を嘆願し名を信幸から信之に改めている。

義父の本多忠勝の働きかけもあり、昌幸らは助命され、紀州九度山へ流罪となる。

その後、父・昌幸が九度山で亡くなったおりに、信之は父の葬儀を執り行えるよう幕府に許可を願い出たが、許されなかった。

千六百十四年(慶長十九年)、豊臣対徳川の決戦・大坂の役が勃発するも真田信之は病気の為に出陣できず、長男の信吉と次男の信政が代理として出陣している。

大坂の役から八年後の千六百二十二年(元和八年)、信之は信濃国松代藩に加増移封され、十三万石(沼田三万石は継承)の所領を得るも、真田氏の本拠地上田を失う。

千六百五十六年(明暦元年)、長男・信吉や信吉の嫡孫で長男・熊之助が既に死去していた為、信之は自らの次男・信政に家督を譲って隠居する。

しかし千六百五十八年(万治元年)二月にその信政も死去した為、真田家では後継者争いが起こる。

長男・信吉の次男で沼田城主・信利が、信之次男の血統・幸道(信政の六男)の家督相続に異議を唱えて幕府に訴える事態となり、幕府や縁戚の大名を巻き込んだ騒動となる。

最終的には幸道が幕閣の許しを得て第三代藩主となるも二歳の幼少の為に、九十三歳の高齢にも関わらず信之が復帰して藩政を執った。

この騒動により信利の領地は沼田藩三万石として独立し、松代藩は十万石となって真田騒動は落ち着くが、その数ヵ月後信之も死去して居る。






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未来狂冗談の作品リスト


【*】短編人生小説 (4)

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裁判員制度シュミレーション

凌 虐 の 裁 き

(りょうぎゃくのさばき)


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。


【*】短編人生小説 (3)

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短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】女性向短編小説 (1)

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短編小説(1)

「アイドルを探せ」

青い頃…秋から冬へ


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】社会派短編小説(2)

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社会派短編小説(2)

「生き様の詩(うた)」

楢山が見える


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


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「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

未来狂 冗談 作

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◆メルマガサイト◆
冗談 日本に提言する・・・(来るべき未来に)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 冗談の発想が詰まった内容です!
ぜひぜひ読んで、感想をお聞かせ下さい。
異論・反論も大歓迎!!

====(日本史異聞シリーズ)第六作====
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「小説・怒りの空想平成維新」

◆たったひとりのクーデター◆

未来狂 冗談 作

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◆メルマガサイト◆
{「たったひとりのクーデター}・・・・・・・・(現代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 特に経営者の方には目からウロコの内容です。
小説としてもおもしろく、実現できれば
不況は本当に終わります。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

非日常は刺激的

 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

◆仮面の裏側◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
仮面の裏側・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(現代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 人の心って複雑ですね。
とくに男女の恋愛に関しては・・・
ちょっとHでせつない、現代のプラトニックラブストーリー。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

非日常は刺激的

 

◆仮面の裏側外伝◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆{短編集 仮面の裏側・外伝}・・・・・・・・(現代)

◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 東九州で起きた連続怪死事件。
そして現代に甦るスサノウの命、
時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
侮り(あなどり)・・・・・・・(戦国〜江戸時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 天才信長とその最高の理解者、明智光秀。
だが自らを神と言い放つ信長は
「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

南北朝秘話・切なからず、や、思春期

◆茂夫の神隠し物語◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
茂夫の神隠し・・・・・・・・・(室町南北朝時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 誰もが通り過ぎる思春期、
茂夫の頭の中はHなことでいっぱい。
そんな茂夫が迷宮へ迷い込んでく・・・

====(日本史異聞シリーズ)第三作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

◆鬼嫁・尼将軍◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 今は昔の鎌倉時代、
歴史上他に類を見ない「鬼嫁」が存在した。
その目的は、権力奪取である。

====(日本史異聞シリーズ)第二作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

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◆メルマガサイト◆
倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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◆作者 【未来狂冗談(ミラクル ジョウダン)ホームページ紹介 】

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【この作品群は著述業未来狂冗談(ミラクルジョウダン)の著作品です。】

公開はしていますが、
著作権はあくまでも作者にありますので、作者の了解無く
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もし違法行為を発見した場合いは、法的手段に訴えます。
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実在の人物を描いた物では無い事をお断り申し上げます。

作 品 一 覧

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(18禁)夜鳴く蝉・葉月 作品をを見る

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この文章は修了です。
















































貴方は、冗談(ジョーク)を深く考えた事があるだろうか?
冗談(ジョーク)には「軽口」とは違う、もっと重く深い意味が密かに潜んで居る事も多いのである。
【作者プロフィール】●未来狂 冗談(ミラクル ジョウダン)本名・鈴 木 峰 晴
昭和二十三年、静岡市に生まれる。
県立静岡商業高等学校卒業、私立拓殖大学商学部貿易学科を卒業した後、実社会に船出。
従業員二十名足らず小企業に就職、その企業が三百名を超える地方中堅企業に育つ過程に身を置き、最終、常務取締役で退任。
その後、零細企業を起こし、現在に至る。
現在他家に嫁いだ娘二人に外孫三人、同居の愛妻が一人居るが、妾や愛人は居ない。

性別・男性 /生年・1948年/住所・静岡県東部在住
【メッセージ 】
ネット作家として文学・歴史・政治・宗教・教育・科学・性・脳などを研究し小説やエッセ、そしてブログでコラムなど書いています。
☆ペンネーム未来狂冗談(Miracljoudan)の由来は、「悪い未来に成った事は冗談ではな無い」と思う気持ちからで、けして「冗談に付けたのではない」つもりです。念のため・・・。
また、「冗談」とかざしたペンネームの真意は、作品により政治や信仰・占術、歴史に対する批評及び性描写に、タブーを恐れない過激な表現を用いる事がある為、利害関係者との余分な論争を避ける為です。




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作者本名鈴木峰晴