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samurai 【豊臣家滅亡の要因・秀頼の実父別人説疑惑】作者本名鈴木峰晴表紙ページ【サイトナビ】に戻る。
(秀吉は虚弱精子劣性遺伝を煩(わずら)っていた)

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◆小説【皇統と鵺の影人】より

この小論は、【日本史・歴史のミステリーのシリーズリスト】の一つです。

***【歴史のミステリー】*********

豊臣家滅亡の要因・秀頼の実父別人説疑惑】

(秀吉は虚弱精子劣性遺伝を煩(わずら)っていた)
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***【歴史のミステリー】*********

豊臣家滅亡の要因
秀頼の実父別人説疑惑】

秀吉は虚弱精子劣性遺伝を煩(わずら)っていた



◆◇◆◇豊臣家滅亡の要因・秀頼の実父別人説疑惑◆◇◆

安土桃山時代」で最も有名な何人かの女性の一人は「織田信秀」の娘、つまり織田信長の妹・お市の方(おいちのかた/織田秀子)である。

お市の方(おいちのかた/織田秀子)は、絶世の美女と後世に伝えられる。

越前浅井家の長政に嫁ぎ、嫁家を兄・信長に攻め落とされ、茶々、初、於江与の三人の娘を連れて柴田勝家と再婚し、二度目の落城に遭遇する悲劇の女性である。

この絶世の美女・お市の方に、織田家武将・羽柴秀吉は浅井家輿入れの頃より適わぬ懸想(片思い)をしていた。

そして浅井の主城・小谷が陥落した時も、お市の方とその娘・茶々、初、於江与を救出した織田方の武将の一人が秀吉だった。

この小谷落城の折、浅井家・長男の万福丸は捕われて殺害され、次男の万寿丸は出家させられて女性だけが赦される。

お市の方(おいちのかた/織田秀子)は、子連れの後家になって織田家に戻って来た。

しかし主君・信長が健在の間、秀吉はお市の方(おいちのかた/織田秀子)に手も足も出せなかった。


明智光秀が突然「本能寺の変」を起こし、信長は大軍に包囲されて割腹死する。

秀吉は、天下とお市の方(おいちのかた/織田秀子)を同時に手に入れるべく行動を起こし清洲会議(きようすかいぎ)で有利に立つも、「織田家を蔑ろにする」とお市の方には嫌われてしまう。

お市の方は、本能寺の変で兄・信長が明智光秀に討たれた後、織田家の権力をソックリ乗っ取ろうと言う秀吉に織田信孝(信長の三男)を立てて対抗する。

同時に、織田家存続を唱える織田家重臣の柴田勝家と、浅井三姉妹(茶々、初、於江与)を連れ子に再婚する。

しかし信長亡き後の織田家内の主導権争いで、羽柴秀吉と柴田勝家の緊張関係が長くは持たず、夫・柴田勝家が羽柴秀吉と武力対立して賤ヶ岳の戦いで敗れ、居城・北ノ庄城に逃げ篭る。

その後お市の方は、夫・柴田勝家と共に居城・越前・北ノ庄城に篭城し、羽柴方と応戦したたが持ち堪えられずに、茶々、初、於江与の三姉妹を逃がして後、勝家とお市の方(おいちのかた)は城内で自害した。

この数奇な運命のお市の方忘れ形見・浅井三姉妹は、その後も波乱含みの人生を送る事に成る。

長姉の「茶々」は豊臣秀吉側室に納まり、その後の歴史を左右する豊臣秀頼の生母・淀の方(秀吉の妾妻)となって息子・豊臣秀頼を押し立てて徳川家康と対立する。

淀の方(秀吉の妾妻)と成った茶々(ちゃちゃ)は、大阪城で三度目の落城に合い息子・秀頼と伴に自害している。



お市の方(おいちのかた/織田秀子)に適わぬ懸想をしていた秀吉は、自らが攻めた北の庄城落城で懸想の相手を失った。

しかしその娘・茶々(ちゃちゃ)の若い肉体を手に入れて、永年の想いのたけをぶつけたに違いない。

実は秀吉と茶々(ちゃちゃ)との間には、秀頼の前に長男・鶴松が居たのだが病で夭逝している。

秀頼は、秀吉の二男に当たるのだが、疑問が残るのは秀吉と茶々(ちゃちゃ)との間に出来た二人の子供・捨(鶴松)と拾(秀頼)が「本当に秀吉の子だろうか?」と言う素朴な謎である。

秀吉は、好色・女好きで知られて側室三百名とも言われ、主だった側室だけでも十三名を数える稀代の艶福家である。 長年連れ添った正妻・北政所「おね(ねね)」との間だけでなく、京極竜子(きょうごくりゅうこ・松の丸/京極殿)、や前田利家娘・加賀殿(摩阿)、織田信長の娘・三の丸殿(蒲生氏郷の養女)を始め、数多く居た側室(そばめ)との間にもいっこうに子を為せなかった。

子が為せない事で秀吉には、別勢力である山窩(サンカ・サンガ)の総領家(王家)の出自とされる名家の定めとも言える虚弱精子劣性遺伝を煩(わずら)っていた疑いがある。

なお、この秀吉の場合は男性側の精子に問題があるが、現代では女性の晩婚化による卵子の老化(らんしのろうか)に依る妊娠リスクが社会問題になっている。

秀吉には、若かりし長浜城主時代の側室に「一男一女を授かった」と言う説があるもその子が成人した痕跡は無く、実在も証明されてはいない。

その秀吉が突然とも言える快挙で、茶々(ちゃちゃ)を二度も懐妊させ得たとは到底考えられない。

若い頃から四十六歳に成るまでほとんど子が為せなかった秀吉に、立て続けに子が出来た事には、誰もがいぶか(疑わしく思う)った。

捨(すて/鶴松)と拾(ひろ/秀頼)の本当の父親を大野治長とする説、また石田三成とする説が有力で、片桐且元説も在る。

秀吉本人もその事は承知の上で、それでもなお茶々(ちゃちゃ)の母・市に憧れていた事や、茶々(ちゃちゃ)の産みし捨(鶴松)と拾(秀頼)が、即ち主家・織田の血を引く事で、世継ぎとして満足していたのかも知れない。

本当は判っているのに、それを認めたがらない事は往々にしてある。

現代に於いては、子が欲しい夫婦に不妊治療に非配偶者間人工授精(AID)と言う夫以外の精液を使用して妊娠する方法がある。

不妊の原因が夫に避けなければならない遺伝子がある場合、夫が無精子症で全く精子がない時やそれに近い条件の時、血液型の不適合、手術・薬剤による射精異常である場合などがAID不妊治療の対象になる。

現代でこそ医療技術が向上して人工授精が施術可能に成った。

だがしかし、昔はそうした事は望むべきも無いから、天からの授かりものとして相手不詳の子種を得るしか方法が無かった。

つまり秀吉も、或いは承知しながら淀君が懐妊した子種が自分の物と想えない事を認めたがらなかったのではないだろうか?

であれば、疑惑の実父には状況証拠から石田三成が浮上して来る。

この物語だからこそ言える事だが、敢えて言えば石田三成が衆道(稚児)で秀吉の愛人なら、子の為せない秀吉が、自らの愛する茶々(淀君)と三成と言う両名の子を「我が子」とする心情も判る気がする。


この捨(鶴松)と拾(秀頼)の父親別人説を豊臣恩顧大名達が百も承知していた。

為に、本文後半で記述する「関が原の合戦」の折やその後に続く「大阪冬の陣・夏の陣」に多数の恩顧大名が「東軍(家康方)に廻ったのではないか」と言う見方も在る。

慎重な徳川家康が、豊臣家に代わって天下を取る事に自信を深めたのは、秀吉子飼い(恩顧)の大名達の大半が豊臣秀頼の実父に別人説疑惑を持っていたからである。

これで秀吉正妻・北の政所が家康の味方に着けば、秀吉子飼い(恩顧)の大名達は「安心して勝ち馬に乗る」と言う決意ができるのだ。


正妻・北政所「おね(ねね)」が豊臣家滅亡を黙認してまで身内の子飼い大名達を東軍に廻らせた事も、父親別人説に信憑性を持たせている。

まぁ血統至上主義の世に在って、豊臣秀吉は徳川家康との「子作り合戦に負けた」とも言えるのである。



文禄・慶長の役(朝鮮征伐)は、天下人と成った豊臣秀吉が「朝鮮及び中華帝国の侵略」と言う野心を持った事から始まった。

その文禄・慶長の役(朝鮮征伐)の出兵最中に、太閤まで上り詰めた天下人・豊臣秀吉が病死する。

秀吉が亡くなると意味を失った朝鮮征伐は中止され、派遣部隊は続々と帰還するが何の恩賞も出ない。

多くの部将(大名)が、戦わされ損の目に遇った。
その時、秀吉の傍近くで権力を握っていたのが、石田三成である。

この男、石田三成は太閤殿下に可愛がられ、のぼせ上がって他人(ひと)の気持ちが判らなく成っていた。

そこへ武将達の嫉妬が集中した。

福島正則加藤清正黒田長政藤堂高虎細川忠興加藤嘉明浅野幸長と言うメンバーだが、蜂須賀家政がいずれかと入れかわってる場合がある。

彼ら武断派の武将七名に命を狙われて、石田三成が逃げ惑う暗殺未遂事件が発生する。

天下分け目の関が原の合戦、東軍・家康陣営に付いた秀吉恩顧の武将達の顔ぶれを見ると、案外男の嫉妬が一番の勝敗の分かれ目かも知れない。

また、石田三成暗殺未遂事件には関与しなかったが、豊臣政権の三中老と並び称された堀尾吉晴(ほりおよしはる)中村一氏(なかむらかずうじ)生駒親正(いこまちかまさ)の三大名も、結局東軍・家康方に付いている。

豊臣政権三中老は、年齢もあり、直前の大怪我あり、病死するなりでほとんど実戦には参戦していない。

そして実戦に参戦すべき三中老の世子達は、親の意向などを汲んでドライに豊臣方を見限っていた。

堀尾吉晴(ほりおよしはる)は世子・忠氏(ただうじ)が、中村一氏(なかむらかずうじ)は世子・一忠(かずただ)が、生駒親正(いこまちかまさ)は世子・一正(かずまさ)がそれぞれに東軍・家康方に付いて戦い、家康から戦功を認められている。



当時の神道や仏教界の「信仰要素」として、稚児(ちご)男色(衆道)の交わり相手である。

この時代、ひとかどの将とも成ると稚児小姓を愛玩し、肉体関係を通じて信頼が置ける側近に育てる習慣が在った。

稚児小姓上がりで最も有名な者は、織田信長の側近・森欄丸である。

稚児小姓とは閨で夜伽の相手(男色)をした小姓を言い、森欄丸の前は若い頃の前田利家が稚児小姓を務めていた。

加賀百万石(加賀藩百十九万石)の太守に成った前田利家も、織田信長の男色(衆道)寵愛を受け信長側近から出世している。

また、徳川家康における井伊直政との間柄も有名な話で、徳川譜代大名・井伊家の藩祖・井伊直政は、家康に見出される。

直政は小姓(児小姓)として、家康の男色(衆道)相手として最も深く寵愛され、やがて側近として育てられた子飼いの武将である。

豊臣秀吉の小姓から凡(およ)そ二十万石の大名に立身した石田三成も、秀吉と出会ったのは寺(観音寺)で稚児小姓をしながら手習いをしていた十五〜十八歳の頃の事である。

その長浜・観音寺(伊富貴山観音護国寺/いぶきやまかんのんごこくじ)に秀吉が休息に立ち寄って茶の接待を受け、三成を見出した事に成っている。

後の創作ではあるが、この出会いを題材に世に有名な「三献茶」の秀才・三成らしい「気働き」の挿話が残っている。

しかし、石田三成が「稚児小姓」として秀吉に気に入られ、観音寺の僧侶から譲り受けられたのであれば、休息に立ち寄った寺(観音寺)で秀吉に献じたのは三杯の茶では無い事になる。

この「三献茶」の逸話とは別に、羽柴秀吉が近江(長浜市)主となった千五百七十四年(天正二年)頃に地元仕官説が在る。

石田氏は旧石田郷の郷名を苗字とした土豪で、近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)に本拠を構えていた。

三成は幼名を佐吉と称し、秀吉が長浜城主となって父・兄と共に秀吉に仕官し「佐吉自身は小姓として仕える」とする説もあるが、いずれも「稚児小姓」として仕えたのでければその後の信任は無い。

ここにある疑いが生じた。

もしも豊臣家二代・秀頼が、淀君(茶々)の不倫の末の子であるなら、天下人・秀吉が我が子誕生にまつわる事でそうも容易(たやす)く信じるものだろうか?

そこに、或る合意のシナリオが浮上する。

秀吉は、豊臣家二代・秀頼について「何もかも承知の上」と言うよりも、むしろ積極的にこの豊家継嗣の誕生を企てたのではないだろうか?

子種が無いと想われたにも関わらず淀君(茶々)の子を我が子としたには、「我が子と想いたかった」や「儚い願望」ではなく、淀君(茶々)の子を我が子として押し通したのではないか?

漸く手に入れた淀君(茶々)は、秀吉が永い間懸想していた織田秀子(市/おいちの方)の娘である。

石田三成については、秀吉の愛玩稚児疑惑がある。

だとするなら或いは自らに子種が無い事を認識して寵愛する三成に淀君(茶々)との子を創らせ、確信的に自らの子としたのかも知れない。



関が原合戦は千六百年(慶長五年)の出来事で、石田三成は千五百六十年(永禄三年)の生まれだから、ちょうど四十歳で男としては盛りであった。

しかし戦に対する周到さは、合戦当時既に五十七歳に成っていた徳川家康の方が遥かに勝っていた。

千五百六十年(永禄三年)の桶狭間の合戦に十八歳で初陣してから、もう三十九年間も事有るごとに戦って負け戦の味も舐めて来た家康にとって、勝ち方は無数にある。

それに引き換え三成は有能な行政官僚ではあるが、賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家軍の動向を探る偵察行動を担当、九州征伐の参陣でも輜重(しちょう/後方支援)を担当するなど、まともに大軍を指揮した実戦経験は乏しかった。

かくして、慶長五(千六百)年九月十五日関ヶ原に、東軍八万(徳川家康方)、西軍十万(石田三成方)が激突する。

一見すると、ほぼ互角か兵力的に西軍有利のようだが、中身が違う、本当の親三成派部将は数えるくらいで、実質総兵力は二から三万程度、あとは付き合いか様子見で、頼りにならない。

それでも緒戦は西軍有利に運び、一時は勝機らしきものもあったが、小早川秀秋豊臣秀吉の甥で小早川家の養子)の裏切りに会い、西軍、石田方は壊滅的敗北をする。

この関が原の戦いで獅子奮迅の活躍した猛将・福島正則(ふくしままさのり)は東軍に布陣して居た。

東西両軍が対峙した関ヶ原の戦い本戦では、福島正則は当初石田勢との直接対陣を希望したが手柄の一人占めを憂慮した家康の思惑で結局叶わず、幾多の戦いで先陣を務めたにも関わらず、功を焦った井伊・松平らに抜け駆けされ激怒し、西軍・宇喜多勢一万七千に福島勢六千余りで戦端を開き死闘を繰り広げた。

宇喜多勢に突っ掛かっては見たが、宇喜多秀家隊の前衛を率いた明石全登は音に聞こえた勇将の上に兵は八千で福島勢は劣勢に立たされて押しまくられ、一時壊滅寸前に追い込まれている。

この福島勢壊滅の危機を、正則自身が血相を変えて叱咤し一進一退の攻防を続けている情況で西軍方に配陣していた小早川秀秋が突如東軍方として参戦、それを機に西軍の戦線は次々に崩壊した為に福島正則隊は甚大な被害を受けながらも宇喜多勢を打ち破る事に成功する。

関が原の戦いは、一万五千名強とも言われる大軍を率いて参加していた小早川秀秋が、松尾山城砦に去就が明らかでないまま西軍として居座って、東軍有利と見るや寝返った為に、僅か半日で勝敗の決着がついた事に成っている。

この小早川秀秋の寝返り、秀秋は秀吉の正妻「おネ(ネネとも言う)」の甥で、淀君や石田三成を嫌う「おネ」を通して家康からの内応話や側近への東軍からの勧誘話が漏れ聞えている。


かくして、慶長五(千六百)年九月十五日関ヶ原に、東軍八万(徳川家康方)、西軍十万(石田三成方)が激突する。

一見すると、ほぼ互角か兵力的に西軍有利のようだが中身が違う、本当の親三成派部将は数えるくらいで実質総兵力は二から三万程度、他(あと)は付き合いか様子見で頼りに成らない。

それでも緒戦は西軍有利に運び、一時は勝機らしきものもあったが、小早川秀秋(秀吉の甥で小早川家の養子)の裏切りに会い西軍、石田方は壊滅的敗北をする。

関が原の戦いは、一万五千名強とも言われる大軍を率いて参加していた小早川秀秋が、松尾山城砦に去就が明らかでないまま西軍として居座って、東軍有利と見るや寝返った為に僅か半日で勝敗の決着がついた事に成っている。

この小早川秀秋の寝返り、秀秋は秀吉の正妻「おネ(ネネとも言う)」の甥で、淀君や石田三成を嫌う「おネ」を通して家康からの内応話や側近への東軍からの勧誘話が漏れ聞えている。

実はこの小早川秀秋の裏切り話、裏切りにあらず、始めから家康方と密約が出来て居た話である。

その証拠は、歴史的に大変重要な小早川側近の勧誘諜略話の後日談があり、その勧誘話の功労者が家康に処遇された結果を見れば明らかである。

関ヶ原は濃霧に包まれていた。合戦は既にその戦端を開き、先鋒の東軍・福島(正則)隊六千と西軍・宇喜多(秀家)隊一万七千が激戦状態にあった。

突然「ドドドー」と言う無数の軍馬のヒズメの音といななき。無数の矢が「シュウ〜シュウ〜ン」と不気味な音を立てて降り注ぎ来、やがて、「ボーン、ボーン」と言う鉄砲の音も、散見される様に聞こえ始めた。

見ると赤備えの具足の一団が遠目にも鮮やかに見え、血気はやる井伊直政の軍勢が勝手に動き始め福島隊を出し抜いて先鋒の切り込みを開始していた。

両陣から「ワーッ」と歓声があがり、兵馬の距離が縮まって行き、白兵戦に成った。

地を駆ける「ドタドタ」と走り回る足音が敵味方入り乱れて聞え、気合や怒号と共に、刃(やいば)を切り結ぶ「チャリーン」と言う太刀の当たる響きもそこかしこで上がっている。

霧の向こうから、風に乗って合戦のざわめきが家康の本陣まで流れて来る。

この関が原の戦いに於ける徳川家康本陣には、軍師・南光坊(光秀)指揮下の陰陽陣羽織衆の他に旗本側近として本多忠勝・等と井伊直政が軍勢を率いて守りを固めていた。

実はこの関ヶ原の東西両軍の布陣、誰が見ても西軍有利で、何故この状態で天下の秀才光秀(南光坊)を軍師に据えた家康が迷う事無く戦端を切ったのか、余りにも無謀だった。

家康本陣が桃配山中腹にあり、西軍・松尾山の小早川隊と南宮山の吉川隊に横腹を晒した布陣だったからである。

石田三成はこの東西両軍の布陣を見て、素直に「勝った」と確信したが、そうは成らなかった。

実は、始めから決まっていた事がある。

「天海、松尾山砦の小早川(秀秋)の小せがれは大丈夫か?このまま攻め掛けられれば持たぬぞ。」

「ご安堵召され、林正成めが秀秋殿の傍に仕えております。南宮山の吉川(広家)殿も間違いはございません。」

「合図は?」

「好機を捉え、松尾山下に忍ばせている雑賀孫市配下の手の者が、山裾に鉄砲を撃ち掛ける事になっております。それを合図に、秀秋殿が攻め降りてまいります。」

「合い判った。それにしても三成は、敵ながら底抜けに真っ正直な男よ。」

「いかにも・・・」

「三成めは、才走って己ばかり利巧と自惚れておるわ。」

「左様(さよう)、我らが易々と不利な陣備えすると、東方を舐めてござるな。」

元々三成は、軍人と言うより学者・官僚の器で、戦も図上での考慮でしかない。

戦は日頃の気配りで、味方作りから始める用意周到なものである。

その時になって、三成のように、「筋が通っているから味方になる」などと勘違いするのが、知に溺れる者の弱点と言える。

家康本陣に居た井伊直政は東軍の先鋒として出撃し、家康の四男・松平忠吉(直政の娘婿)を良く補佐して積極的に戦闘に加わり、島津義弘の軍と戦っている。

井伊直政は、家康に見出され小姓(稚児小姓)として男色(衆道)相手として最も深く寵愛され、やがて側近として育てられた子飼いの武将である。

この時代誓約(うけい)の概念における男色(衆道)相手の稚児小姓を寵愛し、最も信頼が置ける側近に育てる事は異常な事ではなかった。

その内に、笹尾山の陣から出陣した三成の本隊と、東軍・黒田(長政)隊五千数百、細川(忠興)隊五千余りが戦闘状態に入る。

三成は、中々戦端を開かない味方の軍勢の呼び水にしようと、陣形を壊して攻め込んで来たのである。

「見よ、三成め業を煮やして笹尾山から出張って来たわ。」

「大殿、そろそろ孫市が合図を撃ち掛ける頃です。松尾山をご覧下さい。」

合戦のざわめきの中、銃声は聞えなかったが松尾山の山腹で無数の小さな白煙が上がった。

小早川隊は、喚声を上げながら西軍めがけて一斉に下山を始める。

過って打ち合わせた通りの、小早川秀秋の行動だった。

松尾山の小早川隊が「西軍に討ち掛かる」と見るや、脇坂(安治)隊、小川(祐忠)隊、赤座(直保)隊、朽木(元綱)隊らの西軍諸隊も小早川軍に呼応し、西軍は総崩れと成って行く。

一方家康本陣から先鋒を務めた井伊直政は、果敢に突撃して島津義弘の本陣を伺い、家臣である敵将・島津豊久を討ち取って居るが、その間島津(義弘)隊は傍観を決め込んで動こうとしない。

島津(義弘)隊が動いたのは、小早川隊が東軍に加勢西軍不利を確認した時で、島津義弘敵前突破を試みている。

島津(義弘)隊の動きを見て追撃に移った井伊直政は、義弘の軍を追撃している際に義弘の軍の鉄砲隊が撃った銃弾が命中し落馬してしまう。

井伊直政はその鉄砲傷が癒えないまま、関が原の戦いから二年後の千六百二年(慶長七年)に破傷風が元で死去している。

敵前突破を敢行した戦闘傍観者の島津(義弘)隊を別にし、西軍部隊は壊滅或いは逃走して、関ヵ原の合戦は東軍勝利の幕を閉じた。

天下分け目の勝敗を決めた小早川側近の勧誘諜略話には歴史的に大変重要な後日談があるが、それは後ほど明らかになる。


関が原の合戦の後、天下の形勢は勝利した徳川家に大きく傾き、朝廷は徳川家康を征夷大将軍に任じて武門の長と認め、関白・豊臣家の天下への影響力は急速に衰えつつ在った。

大坂の役(おおざかのえき)は、千六百十四年(慶長十九年)の冬から千六百十五年(慶長二十年)夏に掛けて、徳川家の江戸幕府が豊臣宗家(羽柴家)を滅ぼした戦いである。

一般には「大坂の陣(おおざかのじん)」とも呼ばれ、大坂冬の陣(おおざかふゆのじん)と大坂夏の陣(おおざかなつのじん)をまとめた呼称である。

千六百十一年(慶長十六年)、御所では後水尾天皇が後陽成天皇の譲位を受けて即位する。

この即位に際して上洛した徳川家康は豊臣家二代・豊臣秀頼の上洛を求め、二条城での秀頼との会見を要請する。

秀頼が二条城に出向いて家康と会見すれば天下に豊臣家の服属を示す事になる為、豊臣家内では反対もあったが、加藤清正浅野幸長ら豊臣家恩顧の大名らの取り成しもあり会見は何とか実現する。

この年から徳川家康は江戸に二代将軍・徳川秀忠の幕府を置いたまま二条城を居城に二元政治を始め、家康は在京の大名二十二名を二条城に招集させて「幕府の命令に背かない」と言う誓詞を提出させ、その翌年(慶長十七年)になると東北・関東などの大名六十五名からも同様の誓詞をとっている。

この時点で、家康は豊臣家の討伐を選択していたのだ。

加藤清正や浅野幸長らの助力で秀頼が二条城に出向いて家康と会見する二条城の会談が実現し、両者の緊張は緩和したものと思われた。

だが、二条城の会談直後の慶長十六年には浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正が、慶長十八年に成ると池田輝政浅野幸長が、そして慶長十九年には家康に次ぐ大老として豊臣家の後ろ盾となっていた前田利家の前田家を継承した二代・前田利長が亡くなる。

百万石の大々名・前田利長が亡くなると、秀吉恩顧大名の主力のほとんどが代替わりと共に徳川家に臣従するか改易減封になって頼るべくも無く豊臣家は孤立して行く。

ただ大阪城の金蔵には、太閤・秀吉が溜め込んだ莫大な軍資金があった。

孤立に焦った豊臣家は、資金を使って幕府に無断で朝廷から官位を賜ったり兵糧や浪人を集めだして幕府との対決姿勢を前面に押し出し始める。

実はこうした緊張状態を、だれよりも待っていたのが家康である。

勿論家康も戦の準備は怠らず、大阪城攻略の兵器として国友鍛冶に大鉄砲・大筒の製作を命じると共にイギリスやオランダに対し大砲・焔硝・鉛(砲弾の材料)の注文を行っている。

準備は整えつつ在ったが、家康はきっかけを探していた。

今後諸侯の上に立つ将軍家の立場として、主家筋である豊臣家を討つ事は秩序の否定に繋がり跳ね返って来ないとも限らない。

もはや「きっかけ待ち」だった家康は、主家筋である豊臣家を討つ事の倫理的な問題をどう解決すべきか苦悩していた。

そのきっかけとして目を着けたのが、「方広寺鐘銘事件」である。

こうした状況下で、西国大名五十名から「幕府の命令に背かない」と言う誓詞をとって家康のもくろみは着々と進んでいた。

片桐且元・貞隆は大坂城を退去し、相前後して秀頼に近侍していた織田信雄、石川貞政なども退去するに到って期が熟すと、いよいよ家康は諸大名に大坂城攻撃を宣言し、大坂冬の陣が始まっている。


豊臣家では戦争準備に着手し、旧恩ある大名や有力浪人に檄を飛ばして兵を募った。

また兵糧の買い入れを行うと伴に、大坂に在った徳川家をはじめ諸大名の蔵屋敷から蔵米を接収した。

豊臣秀吉の遺した莫大な金銀を用いて浪人衆を全国から集めて召抱えたが、諸大名には大坂城に馳せ参じる者はなく、著名な浪人として真田信繁(さなだのぶしげ/幸村・さなだゆきむら)、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、毛利勝永、明石全登(彼らは五人衆と呼ばれた)、塙直之、大谷吉治などがいた。

浪人を併せた豊臣方の総兵力は約十万、浪人達は歴戦の勇士が多く士気も旺盛で、徳川家への復讐に燃える者、戦乱に乗じて一旗上げようとする者などだったが、いかんせん寄せ集めに過ぎない為に中々統制が執れず、結果、実際の戦闘では作戦に乱れが生じる元ともなっている。

その寄せ集め浪人衆の一人真田信繁(さなだのぶしげ/幸村・さなだゆきむら)は二段構えの作戦を主張し、まず畿内を制圧して近江国の瀬田川まで軍を進め、ここで関東から進軍して来る徳川軍を迎え撃って足止めしている間に諸大名を味方につけ、その見込みが無い時には初めて城に立て籠もって戦う策だった。

ところが、豊臣家宿老の大野治長を中心とする家臣達は二重の堀で囲われさらに巨大な惣堀、防御設備で固められた大坂城に立て籠もり、徳川軍を疲弊させて有利な講和を引き出そうという方針で籠城を主張していた。

同じ浪人衆の後藤基次・毛利勝永も真田案を元に伊賀国と大津北西にも兵を送り「敵を足止めすべし」と主張して豊臣家宿老の大野治長を中心とする籠城派と対立した為に豊臣軍内部は二つに割れていた。

しかし大評定の末に大野治長ら豊臣家臣の籠城する作戦案で落ち着き、周辺に砦を築き防衛線を敷いて幕府方を迎え撃つ事になる。

一方の幕府方であるが、徳川家康は豊臣方が戦の準備を始めた数日後に軍勢を率いて駿府を出発し、その家康の軍勢が十日ほどの行軍で二条城に入る頃、二代将軍・秀忠が六万の軍勢を率い江戸を出発している。

家康は二条城に入城二日後には作戦を開始し、藤堂高虎・片桐且元を呼び先鋒を命じている。

籠城を決めた豊臣方は、水も食料武器弾薬も豊富に備蓄していた事から、大坂城を浮城にしようと淀川の堤を切って大坂一帯を水没させ様としたが幕府方の本多忠政・稲葉正成などにより阻止され、幕府方の被害は行軍に支障をきたす程度に止まっている。

幕府方の動員した兵力は約二十万に上ったが、豊臣家恩顧の福島正則黒田長政が豊臣方に寝返るのを恐れて江戸城留め置きとし、その子達を大坂に参陣させている。

二条城入城から三週間後の幕府方がほぼ大阪を囲むように結集した頃、家康は二条城を出発して奈良経由で大坂に向かい、茶臼山陣城にて先着していた秀忠と軍議を行っている。

千六百十四年(慶長十九年)十一月十九日、大坂冬の陣(おおざかふゆのじん)の戦闘の火蓋は木津川口の砦に於いて切って落とされる。

その一週間後には鴫野・今福で、三日後には博労淵、野田・福島に於いて激しい戦闘が行われるが、数ヶ所の砦が陥落した後、豊臣方は残りの砦を破棄して大坂城に撤収する。

豊臣方が籠城した大坂城を幕府方は約二十万の軍で完全に包囲した頃、家康は方広寺の炉で作成させた鉄盾を各将に配布し、茶臼山を皮切りに各将の陣を視察し各将に仕寄(攻城設備)の構築を命じている。

各隊は竹束・塹壕・築山などの仕寄の構築を行いつつ大坂城に接近して行く。

この接近時に包囲戦における最大の戦いである真田丸・城南の攻防戦が豊臣方の挑発に乗って始められ豊臣方が幕府方を撃退、幕府方諸隊に大きな損害を与えた。

家康はこの大阪城の攻撃には慎重で講和を策していたが、岡山に着陣した秀忠は家康が講和を策している事を知り家康に総攻撃を具申する。

家康は敵を侮る事を戒め「戦わずに勝つ事を考えよ」とこれを退け、住吉から茶臼山に本陣を移して新たに到着した部隊にも仕寄の構築を命じている。

家康は、予め前の月から淀川の流れを尼崎に流す長柄堤を、伊奈忠政・福島忠勝・毛利秀就・角倉素庵に命じて建設していた。

その長柄堤が茶臼山に本陣を移した翌日辺りに竣工し、大和川がある為に淀川が干上がる事はなかったが川の深さが膝下まで下がった為に大和川の塞き止めも行い、家康はいよいよ大坂城に対する城攻めを本格化させる。

また、茶臼山に本陣を移した翌日辺りから諸隊に命じて毎夜三度(酉・戌・寅の刻)、鬨の声を挙げて鉄砲を放たせ、敵の不眠を誘い、大坂城総構への南方からの大砲射撃も本格化し、幕府方の仕寄は堀際まで松平忠明隊は二〜三十間、藤堂隊は七間に近接している。

しかし、此処に到って家康は多くの難題を抱えていた。

まずは兵糧不足で、豊臣方の買占めに拠る深刻な兵糧不足の上に真冬の陣でもあり、幕府方の士気が落ちていた。

それに、豊臣を攻め滅ぼすは良いが、戦後処理も頭の痛いものだった。

それで和議を模索したのだがこの目算を為す手立ては、まず豊臣方を疲弊せねば成らない。


徳川家康は投降を促す矢文を大阪城に射て(送り)、尚且つ甲斐や佐渡の鉱夫を動員して南方より土塁・石垣を破壊する為の坑道掘削を始め、更に船場の堀の埋め立ても命じている。

そして投降を促す矢文から六日目、幕府方全軍より一斉砲撃が始められる。

北方の備前島(都島区網島町)方面だけで大筒百門と石火矢が本丸北側の奥御殿に発射され、南方の天王寺口(茶臼山)からは本丸南方の表御殿千畳敷に目標を定めた砲撃が和議締結まで打ち込まれ続けた。

この砲撃では国友製三貫目の大砲が用いられており、またイギリスより購入したカルバリン砲四門やセーカー砲一門、つい最近兵庫に到着し漸く間に合ったオランダ製四・五貫目の大砲十二門も含まれていた。

この砲声は京にも届き、「その音が途切れる事はなかった」と伝えられている。

徳川方が奥御殿や表御殿を砲撃する為に接近して来たので、豊臣方はその近接する徳川方に激しく銃撃する。

当初、寄せての防御が竹束のみだった為にその銃撃で徳川方に三〜五百の死傷者が出たが、徳川方が築山・土塁を築いた為に豊臣方の鉄砲の効果は激減している。

豊臣方はこの幕府方の激しい砲撃に対抗して砲撃したり、塙直之が蜂須賀至鎮に夜襲をしかけ戦果をあげたたりしたが、以前劣勢を覆す事ならず、評定の結果、投降を促す幕府方の矢文に応じて和議する事を決する。

戦闘の経過で豊臣方は兵糧に加え弾薬の欠乏が進み、また徳川方が仕掛けた心理戦と今までの常識を超える飛距離を持つ輸入したばかりの新型大砲に拠る砲撃で櫓・陣屋などに被害を受けて将兵は疲労し、士気は衰えを見せていた。

特に豊臣家で主導的立場にあった淀君は、幕府方の本丸への砲撃で身近に被害が及び、頑なだった態度を軟化させて和議に応じる気に成た。

織田有楽斎(長増・ながます/織田信長の実弟)を通じて豊臣方との和平交渉が始まり、有楽斎と治長が本多正純、後藤光次と講和について書を交わしている。

交渉を始めて十日余り、淀君が人質として江戸に行く替わりに篭城浪人の為の加増を条件とした和議案が豊臣方より出されるが、和議は一時の時稼ぎである考えの家康はこれを拒否する。

徳川方の京極忠高の陣に於いて、家康側近の本多正純、阿茶局と、豊臣方の使者として派遣された淀君の妹である常高院(京極高次の正室/浅井初)との間で行われた和議交渉の場で家康が提示した講和の条件は、絶妙だった。

幕府方は豊臣秀頼の身の安全と本領の安堵と城中諸士についての不問を約し、その代わり大阪城は本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、外堀を埋める城割(城の破却)が主たる条件で、「今後の抵抗は無い」と形にする事である。

また秀頼・淀殿の関東下向を免じ、淀君を人質としない替わりに「大野治長または織田有楽斎より人質を出す事」として和議は成立している。


成立した和議の条件に乗っ取って、大阪城の一部破却が始まる。

和議条件の内、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められていた。

この城割(城の破却)に関しては古来より行われているが、大抵は堀の一部を埋めたり土塁の角を崩すといった儀礼的なもので在ったが、徳川側は家康の命を受け徹底的な破壊を実行する。

講和後、味方した諸将も国表に帰らせ、大御所徳川家康本人も駿河の居城(駿府城)に引き上げた。

駿府に帰る道中に家康は埋め立ての進展について何度も尋ねている。

城割(城の破却)はその年の末から美濃の諸将を率いる松平忠明、重臣・本多忠政、重臣・本多康紀を普請奉行とし、家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を埋め。

翌年の一月より二の丸も埋め立て始める。

二の丸は本来豊臣方の受け持ちの為豊臣方は抗議するが、幕府方は「工事が進んでいないので、手伝う」と強引に進め、二の丸の門や櫓も徹底的に破壊している。

約していなかった二の丸まで「だまし討ちで幕府方が埋め立てた」は後の作家の手に拠る俗説で、二の丸の埋め立ては当初からの和議の内なるが、幕府方が受け持ちを逸脱して二の丸の埋め立てに関わったのは事実である。

二の丸の埋め立てについては幕府方も相当手間取ったらしく「周辺の家・屋敷を破壊してまで埋め立てを強行した」と伝えられている。

此処で新たな問題に成ったのが、豊臣方が召抱えていた浪人達である。

幕府方は浪人達の仕置きこそお咎め無しにしたが雇った浪人衆は七万人以上に上り六十五万石の豊臣家には相応せず、まさかそのまま豊臣家が召抱えるなど思いも依らなかった。

和議で一部解雇はしたものの、豊臣家はまだ都合八万ほどの兵力を維持したままで、とてもこのまま収まるとは思えない情勢だった。

家康は和平成立後京都から駿府へ戻り、秀忠も伏見に戻ったが、一方で家康は国友鍛冶に大砲の製造を命じるなど、再戦の準備を行っている。

そうした中、京都所司代・板倉勝重より駿府へ大坂に浪人の乱暴・狼藉、堀や塀の復旧、京や伏見への放火の風聞と言った「不穏な動きがある」とする報が届く。

幕府方はその報告を受け、浪人の解雇と豊臣家の移封を要求し、その二週間後には畿内の諸大名に大坂から脱出しようとする浪人を捕縛する事、小笠原秀政に伏見城の守備に向かう事を命じた。

三日後、家康は徳川義直(家康の九男)の婚儀の為と称して駿府を出発、名古屋に向かう。

その道中の途中で、大野治長の使者が来て「豊臣家の移封は辞したい」と申し出る。

もはやこれまでの回答に、家康は常高院(京極高次の正室/浅井初)を通じて「其の儀に於いては是非なき仕合せ(そう言う事ならどうしようもない)」と豊臣方に伝え、すぐさま諸大名に鳥羽・伏見に集結するよう命じている。


六日間ほど費やして徳川家康が名古屋城に入った頃、二代将軍・徳川秀忠も早々に江戸を出発していた。

その頃豊臣方では和平交渉の当事者・大野治長が城内で襲撃される事件が起き、内部の混乱が露呈していた。

名古屋城にて徳川義直の婚儀が行われ、家康はその足で上洛し二条城に入った。

この頃、関が原合戦での遅参の失敗経験を持つ二代将軍・徳川秀忠は藤堂高虎に対し、自分が大坂に到着するまで開戦を待つよう藤堂からも「家康に伝えてくれ」と依頼している。

四月下旬に、関東の軍勢を従えた秀忠は無事二条城に到着し、家康と本多正信・正純父子、土井利勝、藤堂高虎らと軍議を行った。

此度の情勢は、前回の大坂冬の陣(おおざかふゆのじん)と比べ遥かに有利である。

大坂城は本丸を残して丸裸であり、兵力も二万ほど減っていて八万弱と篭城戦など出来る状態ではない。

家康は集結した十五万五千の軍勢を二手に分けて、一方は河内路から、いま一方は大和路から道路の整備と要所の警備を行いながら大坂に向かう事を命じた。

この二手の他、紀伊の浅野長晟にも南から大坂に向かうよう命じている。

交渉が決裂し、再びの開戦は避けられないと悟った豊臣方は、丸裸にされた大坂城では籠城戦は不利と判断したとされ、積極的に討って出る作戦を採用している。

豊臣方は大野治房の一隊に暗峠を越えさせて、筒井定慶の守る大和郡山城を落とし付近の村々に放火その二日後には徳川方の兵站基地であった堺を焼き打ちする。

この大野治房勢、一揆勢と協力しての紀州攻めを試みるが、先鋒の塙直之、淡輪重政らが単独で浅野長晟勢と戦い討死してしまう。

その後、大野勢は浅野勢と対峙しつつ、堺攻防戦を続けている。

五月に入って戦闘が本格化し、幕府方三万五千が大和路から大坂城に向かって来るところを豊臣勢が迎撃した道明寺・誉田合戦が起ている。

しかしこの迎撃、寄せ集めの軍勢である豊臣方は緊密な連絡を取る事が出来ずに、後藤基次隊二千八百が単独で小松山に進出してしまい、伊達政宗水野勝成ら二万以上の敵勢に集中攻撃を受け、奮戦するも基次は討死し隊は壊滅する。

次いで到着した明石全登・薄田兼相(すすきだかねすけ)ら三千六百の豊臣方も、後藤基次隊を壊滅させて小松山を越えた幕府方二万と交戦し、薄田兼相らが討死した。

この小松山の戦闘に、更に遅れて真田信繁(幸村)、毛利勝永ら一万二千の豊臣方が漸く到着し、真田隊が伊達政宗隊の先鋒片倉重長隊の進軍を押し止める。

そうした小松山道明寺・誉田合戦の激戦の他、八尾・若江合戦が起こっている。

河内路から大坂城に向かう徳川本軍十二万を、豊臣方・木村重成の六千と長宗我部盛親、増田盛次ら五千三百の兵が迎撃している。

まず長宗我部隊が霧を隠れ蓑に藤堂高虎隊五千を奇襲し、藤堂一族その他多数の首を獲ったが、幕府方の援軍に阻まれ後退中に追撃を受け長宗我部隊は壊滅する。

木村重成も藤堂隊の一部を破った後、井伊直孝隊三千二百らと交戦に入り激戦の末に重成は討死した。

いずれにしても幕府方は大軍で、豊臣方は意地を見せたが大勢は幕府方優勢で戦闘は推移している。

真田信繁(幸村)、毛利勝永ら一万二千の豊臣方は、小松山で幕府方大和路隊三万五千を押し止めていた。

しかし豊臣方は八尾・若江での敗戦の報を受け、後藤隊・薄田隊の残兵を回収して後退を余儀なくされ、大坂城近郊に追い詰められている。

この豊臣方の撤退を、幕府方も連続した戦闘に疲弊した為に追撃を行わなかった。


大坂城近郊に後退した豊臣方は、最後の決戦の為に現在の大阪市阿倍野区から平野区にかけて迎撃態勢を構築する。

天王寺口は真田信繁、毛利勝永など一万四千五百、 岡山口は大野治房ら四千六百、別働隊として明石全登三百、全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊計一万四〜五千が布陣する。

これに対して幕府方の配置は、大和路勢および浅野長晟四万を茶臼山方面に、その前方に松平忠直一万五千が展開し、 天王寺口は本多忠朝ら一万六千二百、その後方に徳川家康本人が一万五千が本陣を置き、 岡山口は前田利常ら計二万七千五百、その後方に近臣を従えた徳川秀忠二万三千が本陣を置いた。


豊臣家滅亡を画していた徳川家康の野望は、正に大詰めを向えていた。

戦国最大にして最後の戦いとなる大阪攻め、大激戦となった天王寺・岡山合戦は正午頃に開始された。

果敢に攻め込む豊臣方の真田信繁(幸村)・毛利勝永・大野治房などの突撃により、幕府方の大名・侍大将に死傷者が出て幕府方徳川家康・秀忠本陣は大混乱に陥る場面も在ったが、兵力に勝る幕府軍は次第に混乱状態から回復し態勢を立て直す。

この果敢な攻撃に豊臣方は多くの将兵を消耗し、流石の真田信繁(幸村)も松平忠直の越前勢に討ち取られて午後三時頃には壊滅状態に陥り、唯一戦線を維持した毛利勝永の指揮により豊臣方は城内に総退却した。

城内に総退却をしてみたものの、大坂城は本丸以外の堀を埋められ裸同然となってもはや殺到する徳川方を防ぐ術が無い。

真田隊を壊滅させた松平忠直の越前勢が一番乗りを果たしたのを始めとして徳川方が城内に続々と乱入し、遂には大坂城本丸内部で内通者によって放たれた火の手が天守にも上がり、豊臣秀頼淀君らとともに籾蔵の中で毛利勝永に介錯され自害し大坂城は陥落した。

豊臣秀頼に嫁していた徳川秀忠の娘・家康の孫・千姫は落城寸前に大阪城を脱出、秀頼の子の国松は潜伏している所を捕らえられて処刑、また娘の奈阿姫は僧籍に入る事で助命された。

この大坂の役は言わば戦国生き残り合戦の最終章にあたり、殺傷力が強い史上最多の最新銃砲火器に拠る交戦だった。

そうした事から、過っての弓矢・槍・太刀と言った武器に依る交戦と違って死傷者も多く、また相手の選別には不向きな武器の為に大阪城に立て篭もる女子供・町人なども無差別に攻撃を受ける悲惨なもので、つまり死屍累々の地獄絵図が繰り広げられた戦だった。

戦後の大坂城には松平忠明(奥平松平家初代)が移り、街の復興にあたった。

幕府は大坂城の跡地に新たな大坂城を築き西国支配の拠点の一つとした為、以降大坂は将軍家の直轄地となり、「天下の台所」と呼ばれる大商業都市となる。

大坂復興が一段落すると、松平忠明は大和郡山十二万石に加増移封された一方、松平忠輝(家康の六男)は総大将を務める天王寺合戦で遅参した事が理由の一つとなり翌年に改易となった。

また松平忠直(結城秀康の長男)は、予(かね)て家康が腐心した「無い袖は振れない」を読めずに大坂城一番乗りの褒賞が大坂城や新しい領地でもなく茶器・「初花肩衝」と従三位参議左近衛権中将への昇進のみであった事を不満としており、後に乱行の末改易となった。







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【*】短編人生小説 (4)

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裁判員制度シュミレーション

凌 虐 の 裁 き

(りょうぎゃくのさばき)


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【*】短編人生小説 (3)

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短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


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【*】女性向短編小説 (1)

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短編小説(1)

「アイドルを探せ」

青い頃…秋から冬へ


未来狂 冗談 作

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【*】社会派短編小説(2)

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社会派短編小説(2)

「生き様の詩(うた)」

楢山が見える


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◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


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◆冗談 日本に提言する◆

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====(日本史異聞シリーズ)第六作====
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◆たったひとりのクーデター◆

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 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

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時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
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「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

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「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
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南北朝秘話・切なからず、や、思春期

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====(日本史異聞シリーズ)第三作====
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鎌倉伝説

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====(日本史異聞シリーズ)第二作====
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◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

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倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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この文章は修了です。
















































貴方は、冗談(ジョーク)を深く考えた事があるだろうか?
冗談(ジョーク)には「軽口」とは違う、もっと重く深い意味が密かに潜んで居る事も多いのである。
【作者プロフィール】●未来狂 冗談(ミラクル ジョウダン)本名・鈴 木 峰 晴
昭和二十三年、静岡市に生まれる。
県立静岡商業高等学校卒業、私立拓殖大学商学部貿易学科を卒業した後、実社会に船出。
従業員二十名足らず小企業に就職、その企業が三百名を超える地方中堅企業に育つ過程に身を置き、最終、常務取締役で退任。
その後、零細企業を起こし、現在に至る。
現在他家に嫁いだ娘二人に外孫三人、同居の愛妻が一人居るが、妾や愛人は居ない。

性別・男性 /生年・1948年/住所・静岡県東部在住
【メッセージ 】
ネット作家として文学・歴史・政治・宗教・教育・科学・性・脳などを研究し小説やエッセ、そしてブログでコラムなど書いています。
☆ペンネーム未来狂冗談(Miracljoudan)の由来は、「悪い未来に成った事は冗談ではな無い」と思う気持ちからで、けして「冗談に付けたのではない」つもりです。念のため・・・。
また、「冗談」とかざしたペンネームの真意は、作品により政治や信仰・占術、歴史に対する批評及び性描写に、タブーを恐れない過激な表現を用いる事がある為、利害関係者との余分な論争を避ける為です。


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作者本名鈴木峰晴






作者本名鈴木峰晴