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リアルタイム忍者ビジター
samurai 【夜鳴く蝉・葉月(陵辱の貴婦人)】作者本名鈴木峰晴

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謎の小説家【未来狂 冗談ミラクルジョウダン)】の小説

この小説は、【謎の小説家 未来狂冗談(ミラクルジョウダン)】の小説です。
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【十八禁 小説サイト◆公式ウエブサイト公開作品◆

夜鳴く蝉・葉月」完結公開中・下にお読みいただけます。

ハプニングバー・体験個人アダルトサイト・投稿複数P・輪姦・SM謎のSEX教団・修行獣姦・体験義父との相姦!

お断り 十八歳未満の方や性に偏見の有る方はお読みいただけません。ご遠慮下さい。

Less than 18 years old cannot be read. Please hold back.

また、お読みになって恋人や連れ合いを押し倒したり、利き腕(手)をお使いになっても、ご自分の責任です。
作者は一切責任が持てませんので、悪しからず。

【本作品は著述業未来狂冗談(ミラクルジョウダン)の作品です。】

無償で公開はしていますが、
著作権はあくまでも作者にありますので、作者の了解無く
本作を金品収受の対価とはしないで下さい。
もし違法行為を発見した場合いは、法的手段に訴えます。
なお本作に登場する組織、団体、人物キャラクター等は創作であり、
実在の人物を描いた物では無い事をお断り申し上げます。


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姉妹シリーズ・】・・・【現代インターネット奇談シリーズ】
【小説参考先リスト】【夜鳴く蝉・葉月*蒼い危険な賭け・京香の参考先御紹介】
【◆】姉妹編・葉月イメージモデル【葉月さん】裏葉月HPトップ頁に飛ぶ。

このまま下にお読みいただけます。

【非日常の愛に生きて】
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

陵 辱 の 貴 婦 人

夜 鳴 く 蝉・葉 月

(よるなくせみ・はづき)  完 全 版

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


お断り 夜 鳴 く 蝉 ・葉 月 はあくまでも文学作品です。

申し訳ありません。次回作「蒼い危険な賭け・京香」は執筆中ですので、暫くお待ち下さい。
現在第一〜六十五話まで公開中蒼い危険な賭け


話しの進展

記載目次ジャンピング・クリック

◆  前 話(千手観音菩薩・葉月光臨)
第一話【(買われた出会い・調教)
◆ 裏一話 【買った婚約者・調教
第二話【(仕組まれた・突然の4P体験)
◆ 裏二話 【仕組んだ・4P計画
第三話【(個人アダルトサイト・投稿)
◆ 裏三話 【投稿した葉月の写真画像
第四話【(ハプニングバー・体験)
◆ 裏四話 【ハプニングバーに連れて行く
第五話【(輪姦修行教団・入信)
◆ 裏五話 【教団入信させる
第六話【(おひろめ祈願・極楽浄土招来)
◆ 裏六話 【おひろめ祈願を葉月に課す
第七話【(教団の教義・真実)
◆ 裏七話 【教団の教義・真実
第八話【(メス犬葉月の獣姦体験・ラブラドール)
◆ 裏八話 【葉月に獣姦を体験させる
第九話【(義父との相姦・呪詛(法力)巫女)
◆ 裏九話 【父との相姦
第十話【(勝也の心情・変わらぬ愛)



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◆夜鳴く蝉・葉月◆

前話(千手観音菩薩・葉月光臨)
◆◇◆◇◆前話(千手観音菩薩・葉月光臨)◆◇◆◇◆◇

蝉(せみ)は、元々夜は鳴かないのです。

しかし近年は環境が変化し、夜鳴く蝉が増えて来ました。

これは、人間が自然環境を勝手に破壊し、「夜も明るい場所が増えたからだ。」と言われています。


蝉の儚(はかな)い成虫としての僅か数日間は、夜も活動する事で消耗を強いられ、なお更儚い(はかない)ものになっています。

今日では地球上の気候さえ温暖化が進み、風水害の被害は増え続けているのです。

自然と伴に生きるなら、人間も自然を理解し受け入れるべきでしょう。

秋に食欲が湧くのは食べ貯めで、昔、冬は食料が手に入れ難かった時の遠い生存本能の記憶なのです。

人間も成長すれば、肉体(からだ)が自然に交尾期を迎えます。

性の本能は種の保存の為で、「有って当たり前」の性欲本能です。


人間は 社会性(集団で生活する必要性)から 側坐核(そくざかく/脳部位)を機能的に成長させて「善悪の概念」を持ちました。

「善悪の概念」を持った人間は、自らを「ヒューマン」と呼び、その意味はつまり性善説で「人間らしい、人間味、人間的」と言います。

でも、現実に「人間て何だろう」と考えた時、本当は「性善説」は綺麗事で、一人の人間が結構善人でもあり結構悪人でもあるのです。

本音で言って、場面場面で善悪併せ持つのが人間でしたら、人間何て然程(さほど)上等なものでは無い様な気もします。

まぁ、「人間らしく生きる」と言う事は、思いがけない事も犯ってしまう恐ろしささえも「在りうる」と言う事で、ヒューマン(人間らしい、人間味、人間的)の「建前のべき論」と現実には、明らかな矛盾を感じます。

そして当然ながら人間は繁殖時期を持たず、他の動物種では滅多に無い年中発情型で、「擬似生殖行為(快楽性交)」と言う生殖目的以外の「癒し目的」と言う性交を必要とする生物なのです。

つまり発達した「脳の苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の行為」として、生殖を伴わないSEX行為の合意が、人類の意識の中に「必要な行為」として与えられたのです。

人間のスケベ差を難しく言えばそんなものですが、簡単に言えば性交を愉しむ目的だけでも行為に及べるのがヒューマン(人間らしい、人間味、人間的)と言う事になるのでしょう。


生き物として当然のSEX行為を隠れてするようになったのは、最中が無防備になる為、外敵を恐れたからで、最初は「恥ずかしい」と言う概念はなかったのです。

「身を守る為」、それで在って当たり前の事を「隠してする様になった」と言うのが真相です。

近頃は人間の文明が格段に進歩してIT化時代に入り、人々の時間と距離が無くなりつつあります。

便利に成った事が、良い事ばかりではありませんでした。

昔、人は夜が来れば寝るものでした。

そして肉体的な人間としての自然な成熟は十四〜五歳で、昔は結婚して子を為すのは当たり前の年齢でした。

所が、人間自らが創った制約の為に十四〜五歳と言う肉体成熟期は無視され、矛盾の中でひたすら子供として性的禁欲を強いる事が健全な成長を助ける事でしょうか?

この文明の進歩は、人間の精神から余裕と言うものを奪い去ります。

これが大きな負担となって、人の心に凶暴性が湧き起こるのかも知れません。

社会制約も多く、現代人に気の休まる時がありません。

蝉と同じように人間も環境の変化に付いて行けず、夜に鳴く(精神が変わる)のでしょうか?


処(ところ)で貴方(貴女)、ストレスが吹っ飛ぶ「良いSEX」をしていますか?

救いは、「凶暴性を抑え安らぎを与える」SEXの平和利用です。

せめて、人間の精神(こころ)だけでも自然に返って、大いに「SEXで癒されるのが良いか」と思いますが?

多くの屋根の下で日常的になされている性交に、言われ無き嫌悪感を抱いてばかりでは生きては行けないでしょう。

乱交などと言うと世間では「見識を疑う」と綺麗事を言いますが、そんな上辺だけを問題にして良いのでしようか?


きっかけが有れば、人は変わります。

私はこの一年間で、人生観も倫理観もガラリと変わったのです。

結婚を機会に、平凡な若い女教師が変貌して、「夜鳴く蝉」になるのは、いと容易い(たやすい)事でした。

夫と婚家の家族の言い付けである宗教に入信し、修行を重ね、観音菩薩の慈悲の精神(こころ)を学びました。

それも、私の気持ちが入り込む間もなく事態が進んで、気が付いたら輪姦の女王に成っていたのです。

修行を勧めて頂いたお義父様もお義母様も、本当に良い人達ですよ、私はお二人を大事にしています。

でも、最初は「この親子、何を考えてるのだろう」って、腹も立ちました。

だって、私を教団の修行場に素っ裸で置いて行ったんですよ。

それも、今は感謝しています。

私に大切な事を教える為だったのですもの。

教えは、社会に刷り込まれた「性への嫌悪感」を拭い去る為の「輪姦修行」から始まります。

多くの方に極楽浄土を味わって頂ける慈悲の精神(こころ)、そして私自身の喜び・・・・・・

多くの男性の手に囲まれて輪姦される私は、さながら千手観音菩薩なのでしょうか?

皆、癒されたいのです。

慈悲の心で、癒して上げられる私が居ます。

最初輪姦される事になった時、それこそ「悪夢だ」と思ったのです。

でも、違うのです。

それが判るには、実体験・・・経験が必要です。

それにもう一つ、女って「見られると段々綺麗になる」ものですねぇ、私、セレブ婚の結果他人に裸を見られるようになって、「段々綺麗になった」と言われます。

キット見せ続ければ、「長く綺麗で居られるのでは・・・」と思います。

私の今の生活、昼は貞淑そうな元女教師のセレブ主婦、夜は「良く鳴く輪姦の女王」なのです。

人間て、結構たくましいですね。

夜凄い輪姦SEXプレイをしても、次の朝には淑女然として「何事も無いがごとく」居られるのですから。

今ではそんな淫乱な自分に、心から満足しています。

それは結婚相手が、そう成る事を強く望んだのですから嫌も応も無かったのです。

彼、自分の意思で陵辱させて私を汚(けが)しますが、どんなに汚れてもそんな私を後で必ず愛してくれます。

それも、凄く愛しいそうに・・・・・・・・

私も彼を愛していますから、証(あかし)に彼が望む時に望む事しか犯りません。

どんな事でも・・・・・・・・・・

どうでしょうか私、理想的な嫁じゃあ在りません事?


遅れましたが私は立川葉月と申します。

現在二十九歳、一歳の男の子の母です。

普段は皆様と同じ貞淑で平凡な生活をしておりますが、御命令があれば何時でも淑女の殻を脱ぎ捨て、多くの方をお相手に輪姦を受け入れる淫乱な「夜鳴く蝉」にならせて頂いています。

そんな私(葉月)が、どうして淫乱な「夜鳴く蝉」に成ったのか、その物語を、これからご案内致します。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

第一話(買われた出会い・調教)
◆◇◆◇◆第一話(買われた出会い・調教)◆◇◆◇◆◇

中学校で理科を教えていた私(立川葉月)が、プライベートHPを立ち上げたのは、四年程前、二十五歳の時でした。

本音で言えば、少しは容姿に自信があるだけで、平凡な女教員なのです。

私(葉月)の一家は、元を正せば大阪の出身でしたけれど、たまたま親の経営している会社が、土地代が安く気候が良い岡山の地を人の勧めで買って本社工場を移転させた事から、立川家は一家で岡山に移住して来ました。

地元の岡山大学教育学部を受験し、合格したので卒業までに教員免許を取得して、お決まりの仕事を淡々と務めています。

勿論パソコンは学生時代から現在の教師まで使い慣れては居ますが、自分のHPの運営は経験が無かったのです。

運営に結構手がかかり、「面倒だ」と聞いたので、長い事敬遠していたのです。

それが、中の良い友人の勧めで立ち上げる事になりました。

私(葉月)には岡大教育学部時代の友人で、卒業後も付き合いを続けている最も親しい女教員仲間が三人ほど居ました。

年に一度はグループ旅行に行く中間で、交流は今も続いているのです。

その内のひとりが歩いて五分の近場に住んでいて、特に交流が深かったのです。

その女教員仲間の友達の名前を、「出石華枝」と言います。

近く結婚の話が在る華枝は現在、母校の付属小学校で二年生の担任をしています。

生来子供好きだから、自分の子が出来たら「さぞかし可愛がる」と思われます。

友人の華枝はIT企業に勤めている兄に教わって、高校時代からHPを開設していました。

私(葉月)は二〜三度覗かせてもらいましたが、顔も知らない遠くの相手と、距離を超え年齢を超えて交流しています。

この交流、相手が判らないだけに、互いに気使って優しく接します。

HPを知らない者には味逢えないプライベートの通信世界が、そこに有りました。

私(葉月)は「楽しいからやってみたら?」と勧められ、最初は華枝に教わりながら、半ば強制的にHPを開設したのです。

まだ何も無い私(葉月)のHPに、最初に訪れてくれたのが、華枝の四歳上の兄、出石誠でした。

妹に頼まれたから「賑やかしに、訪問した」と、BBS(伝言板)に書き込みがありました。

そんな理由でも、私(葉月)は感激してしまいます。

私(葉月)私にしてみれば、書き込みを貰った事がうれしかったのです。

それでお礼を書き込むと、また丁寧な返事が来ました。

そんな事が有って、良く有る話ですが二十五歳の夏に、親友の兄貴出石誠を私(葉月)は好きになり、何かと理由を作り頻繁に親友華枝の家に通う様になりました。

大人の男女でしたから私(立川葉月)と出石誠は極自然に恋に落ちます。

やがて体の関係も出来て、私(葉月)はいずれ彼(出石誠)と結婚するつもりで居ました。

当時、私も(葉月)も岡大教育学部を卒業して三年、教師をしていても、けして世間を知らない年齢でもないので、年相応の男遊びも経験しています。

身体は立派な大人ですから、彼とのSEXもご想像通り、それなりのものでした。

今考えてみれば、彼には男性を喜ばせる「基礎の殆ど」を、ベッドで教わったような気がします。

彼、SEXに対しては結構意識が強く積極的だったから、キットHが好きなのですね。

私(葉月)も誠に出会う前に高校時代に一人、大学時代に一人と二人ほど恋人らしき者が居て、自然に相手に応える形で体の関係も有りましたから、教員とは言え性に対しそれほど堅物ではありません。

ですから年齢(とし)相応の性行為は、既に経験しています。

むしろ愛する男に抱かれるのは当然の事だし、嬉しかったのです。


周りの女教師仲間も、歳を重ねる毎に大人の会話が身に付き、その手の話題はストレートに話すようになり、変な風には飾りません。

二十五歳にもなれば、結構みんなよろしく遣っていたのです。

まぁ、二十歳を過ぎて異性との行為を知らない方が、今時正常とは思えません。

それこそ肉体的には十五歳で大人ですから、教え子の高校生達もそちらの問題を起こす事が多くて、収拾には苦労させられました。

ただ、今考えてみると出石誠とのSEXは、酷くノーマルな若いSEXではありました。

出石誠との蜜月の時期は、私(葉月)が二十七歳になるまで二年ほど続きました。

処が私(葉月)の方に、親が勧める「のっぴきならない状態の縁談話」が起こります。

その縁談話を、私(葉月)は渋々受ける事に成ります。

私(葉月)にすると迷惑な話しなのですが、両親が熱心なのでとても跳ね返す事が出来なかったのです。

聞くと、地元では名門の「加賀美家との縁談だ。」と言います。

加賀美勝也の父親は地元で不動産経営、バス、タクシー、スーパーマーケットなどを経営しています。

特にスーパーマーケットは岡山で創業した小さなお店が繁盛して、手狭になった店を広げ、次に支店を出し、とうとう大型店舗を全国に六百店も展開する国内最大級の全国チエーンに成長させていました。

加賀美家は、今やスーパーマーケット経営を全国チエーンに急成成長、上場に成功した大企業の創業者で、現在では総資産は「数百億に上る」と噂されています。

実の所、父親の加賀美静山は家業の方を番頭的な重役供に任せて政治家に転身、憲政党国会議員を六期も勤めていて財務副大臣などを経験し、現在は党財政再建委員長の要職にあります。

予想される総選挙で再選されれば、次の内閣では入閣を確実視されています。

言わば加賀美家は「地位も名誉も財力も」半端では無い名家でした。

私(葉月)も含め、地元では知らない人が居ないほどの名家でしたから、確かに「凄い縁談だ」とは思いましたが、私(葉月)、お金とか財産にはあまり興味がなかったのです。


「のっぴきならない縁談話」の理由が何故かと言うと、私(葉月)の両親がこの縁談に酷く積極的だったからです。

私(葉月)の家立川家は、祖父の晩年に創業された加工食品の中堅メーカーで、そのスーパーチェーンの惣菜部門に、共同開発した一次加工の冷凍食材を納めていました。

一次加工とは店舗の厨房で即最終調理が出来る様に前処理(下ごしらえ)したもので、味を落とさず、店舗の作業手間がいかに省けるかが勝負です。

加賀美家とは最初は単なる取引上の付き合いでしたが、同じ組で廻ったゴルフコンペのプレーから二人の父親同士は気が合い、その後は、スーパーと納入業者(食品メーカー)の関係を維持し「共に二人三脚で成長して来た」と聞きました。

私(葉月)の父親の会社が、岡山の安くて広い土地の紹介を受けた相手が、加賀美勝也の父親・加賀美静山だったのです。

たまたま、スーパーチェーンの方には副社長をしている息子がいて、加工食品メーカーには年頃の娘が居たのです。

言わば二人は、今流行(はやり)のセレブ婚予備軍でした。

加賀美勝也はその加賀美家の一人息子の跡取りで、スーパーチエーンの副社長と、申し訳に父親の私設秘書の肩書きを持っています。

でも、大半はそれぞれの重役達に運営を任せ、実質加賀美コンッエルンの全体を見渡して経営統括をしていて、必要なら父と相談するのが役目のようでした。

思わぬ縁談話に、恋人の出石誠は驚きます。

それほどの良縁がありながら、私(葉月)の両親に「嫁にくれとは言えない。」と思ったのです。

突如出現した恋敵が強力な相手ですから、出石誠には私(葉月)の親と対決してまで強引に私と結婚する強い意志は無かったので彼は諦めてしまったのです。

簡単に私(葉月)を諦めるほど、彼は強い根性も無く卑怯(ひきょう)だったのです。

彼は、私(葉月)を避けるように、岡山の街から突然姿を消しました。

出石誠との愛を信じていただけに、私(葉月)の心にポッカリと穴が開きます。

それで、私(葉月)は絶望感を味わい、気分は半分人生を投げていました。

その後の私(葉月)の行動にも、その気分が後を引いて居たのかも知れません。

この時点で、私(葉月)の生き方は決まってしまったのですが、まだその時はこの先何が起こるか「何も知りません。」でした。


私(葉月)は、両親の熱心な勧めで加賀美勝也と言う男と見合いをしました。

実は私(葉月)には、真剣に付き合っていた出石と言う相手が他に居て気持ちは決めていたのですが、その事を親に言いそびれている間にこの見合い話が持ち上がったのです。

そこで強く意思表示をすれば良かったのですが、聞くと相手の加賀美勝也は父の友人の息子さんで、父の会社の取引の大半を占める「大のお得意さんだ」と言います。

先方の強い要望も有り、「疎(おろそ)かに断れない義理が有る」と言うので、私(葉月)は付き合いの積りで見合いをしました。
意に添わない見合いでしたが、「相手が、その気になるとは限らない」と、まだ自分をなだめていたのです。


お見合いと言っても、先方が「あまり堅苦しいのはどうか?」と言って来たので、二人きりで会う事に成ったのです。

会って見ると、身体の大きい真面目そうな男で、男前とまでは行きませんが、醜くも無い方でした。

見合いの席上、加賀美は「インターネットHPの運営が趣味だ」と言いました。

「そうですか、私にはパソコンは丸きり判らないわ。覚えれば、面白いらしいですね。」

「そう知らないの、もったいないなぁ、機会が有ったらお教えしますよ。」

加賀美は得意げに言って、私(葉月)を見つめました。

「私、あぁ言う物に、まるで弱くて・・・学校でもオタオタ使っています。」

「そうか、面白いのになァ、・・・」

「趣味が合う」と思われると相手の方に気に入られそうでしたから、パソコン操作は出来ない事にしました。

けして、先方に悪い印象があった訳ではありません。

ただ、まるでその気が無かっただけです。

私(葉月)は見合いの席で、非礼と感じ無い程度になるべく素っ気無く相手していたのです。

それでも、世の中計算通りには成りません。

先方は早くも翌日には「気に入った」と言って来ました。

それを、私(葉月)本人は当惑しましたが、両親は酷く喜んだのです。

私(葉月)も、結婚はともかく加賀美勝也がいかなる人物か興味を持ったから、彼のHPをこっそり覗いて見たのです。

断って置きますが、興味と言ってもチョットした野次馬根性ですよ。

彼のHPからは、富豪の家の息子のイメージはありません。

平凡な三十歳代のサラリーマンと言った感じで、時事問題や社会問題を取り上げ、真面目な論議を展開しています。

そして、その何処を取っても誠実な内容には驚かされました。

何か「断る理由はないものか」と、捜す為でもありましたが、いよいよ断り難いものになりました。

そのうち親同士でトントンと話が進み、嫌々では在ったのですが、まるで追い立てられる様に、加賀美の家に婚約者として通う事になりました。

行って見ると、親が進めるだけ有って豪華なお屋敷に住んでいました。

敷地が八百坪、手入れの行き届いた庭、通いのメイドさんが二人、和風建築の豪邸です。

親子三人の家族構成でしたが、先方のお父様は代議士のお仕事が忙しく、国会開催中は地元と東京を行き来して普段は留守勝ちだそうです。

それでも月に二〜三度は地元に帰り、地元の付き合いも欠かせません。

国会が休会の時期は比較的地元に居る時間が増え、プライベートの事はこの時に集中的にします。

当初「結婚を前提にした交際」と言う形の継続の為に、婚約者として加賀美の家に通うのは、私(葉月)は苦痛でした。

その内、私(葉月)の父親が「先様は独身でご不自由だから、身の回りを少しは気を使え」とうるさく言うので、仕方なく「食事、洗濯」と度々通う様になります。

すると今度は母親が「子供じゃないのだから、たまには先様に泊まって来い。」と言うのです。

赤裸様(あからさま)に、「先様の御両親も現代風に砕けた方達だから、大人同士の事だからと承知している。」とも言います。

つまりは、「早く抱かれろ」と言う事で、余りの露骨さに私(葉月)は親を疑いました。

母の言い分では、恋ならともかく愛情は一緒に暮らしていて徐々に育(はぐく)まれるものだから、今の段階で「愛していないは意味が無い」と言います。

ムッとしましたが、母の方は平然としているのです。

独身だから、そちらの方の「ご不自由も、世話をしろ」とでも、言うのでしょうか?

私(葉月)も三十路に近付きつつあるから「焦っているのか。」と思いましが、実はこの結婚話しには裏がありました。

三度目の親に薦められた「たまには泊まって来い。」の日、私(葉月)は加賀美勝也から直接「泊まれ」と言われました。

私(葉月)が帰ろうとすると、加賀美が、「葉月の気持ちを思って待っていたが、そう何時(いつ)までも待てない。」と、切り出したのです。

加賀美は、「この縁談、断っても良いが私(葉月)の父の会社は間違いなく潰れる。」と言われました。

つまり、「話しは着いているから、早く抱かせろ。」と言う事です。

私(葉月)は親から会社の事など一度も聞いた事は無かったのですが、加賀美に言われて見ると、親の態度が頷けます。

正直お嬢様育ちの私(葉月)は、加賀美に言われるまで気が付かなかったのですが、父の会社は、工場の設備投資にお金がかかり過ぎ、資金繰りに詰まっていたのです。

それで知らない間に加賀美家との間で、借入金と引き換えに私(葉月)を嫁がせる融資話が双方で出来ていました。

バブルの崩壊以後、金融機関は貸し渋りと貸し剥がしで、新規の融資は期待出来ない時でした。

この話、切羽詰っていた立川家に取っては地獄に仏の様なもので、見境なく掴んだ藁(わら)だったのです。

ですから両親は、体(てい)良く娘の貞操を売り飛ばした様なものでした。

「そこまでお約束が進んでいたのですか・・・」

話を聞いて私(葉月)は、加賀美勝也に抱かれる覚悟を決めました。

勿論戸惑いは有ったのですが、それは言っても仕方が無い事です。

何時の間にか、逃れられない所に追い込まれ、見えない糸でがんじがらめにされて居たのです。

人一人生きて行くとなると、思わぬ不条理に遭遇しても不思議は無いのでしょうか?

どうやら今回の事がそう言った類(たぐい)のものらしいのです。

それも信じられない事に、父の会社の窮状を助けた加賀美家の条件が、息子さんの加賀美勝也と一年間試験的に私(葉月)が同棲してみる条件での融資だったのです。

つまり飾り気なく言うと、加賀美勝也が私(葉月)を「一年間抱いてみて、気に入れば結婚する」と言う、女の気持ちをまったく無視した条件なのです。

そんな勝手な約束を・・・プレッシャーですが、破談になれば「融資は引き上げる。」と言います。

まるで私(葉月)の貞操(SEX)のお試し期間の出来の良し悪し(性奉仕の出来)が「結婚の条件だ」と言わんばかりです。
 
早い話が、私(葉月)は勝也さんの性癖を「SEX(性行為)で精一杯満足させなければいけない。」と言う事です。

その条件を、両親が「それで結構ですから・・」と承知していると言うので、諦めて覚悟を決めました。

いずれにしても此処までお膳立てが出来てしまえば、私(葉月)は空(そら)を使っては居られず、腹を括(くく)ってけじめを着けねばならない状況だったのです。

「私は葉月に惚れているから、心配しなくても全て任せてくれればまとまる話だから。」

「加賀美さんがそう仰(おっしゃ)るなら。」

「加賀美は他人行儀だ。勝也で良い。」

「判りました。今夜は泊めて頂(いただ)きます。」

この瞬間が、私(葉月)の人生の大きな転機になりました。

今に続く物語の始まりだったのです。


BGMには、何故かクラシックのピアノ曲が流れていました。

初めての夜、勝也は優しかったのです。

覚悟を決めた私(葉月)はシャワーを使い、先にシャワーを使ってベッドで待ち構えていた勝也に身を任せます。

勝也は年齢の割に少し髪が薄い為、年より更けて見え、良く言えば貫禄のある若干太り気味の男と思っていましたが、裸になると彼のは鍛えられた筋肉と知りました。

「肉体(からだ)、脱いだら立派なのですね。」

「あぁ、学生時代は硬式テニスをしていた。」

彼は、たくましかったのです。

勝也に着ていたバスローブを脱(はず)されれば、私(葉月)は全裸です。

恥ずかしいので、照明を消して欲しかったのですが、お金で買われた私(葉月)には言い出せません。

勝也は、部屋の明かりを煌々と点灯(つけ)、シャワーから出て来た私(葉月)を立たせ、バスローブを脱(はず)すと確かめるように私の全てをじっと見つめました。

そして、「間違いなかった。綺麗だ。」と満足そうでした。

それから、右手で首筋をそーと撫で、胸に降ろして乳房に手を伸ばし、順に片方ずつ掴みました。

肉体(からだ)は正直に興奮していて、シャワーを使っている時から、私(葉月)の乳首は硬く立ち上がっていました。

やがて乳首を摘(つま)み、その硬さを確かめています。

左手は、私(葉月)の腰に廻り、身体を支えますます。

利き手の右手は、背中から下り始め、尻をそっと撫で太腿を撫で、その手が二枚の肉花弁をまさぐり始めます。

私(葉月)は借金の抵当ですから、肉体(からだ)の角から角まで勝也に確かめられても仕方がありません。

右手で花弁をまさぐられたまま、左手で引き寄せられ、唇を求められながらそっとベッドに倒されました。

唇を合わせて吸いあう頃には、私(葉月)の花弁の中の潤いが増し、「アウッ」、勝也の指先が少し潜り込みます。

興奮していた私(葉月)は勝也の欲棒を、自然に掴(つか)んでいました。

「お次は、使い心地をお確かめでしょうか?」

そう、私(葉月)は買われたのですもの。


私(葉月)も誠に出会う前に二人ほど恋人らしき者が居て、体の関係も有ったから、教員とは言え性に対しそれほど堅物ではありません。

こうなった経緯が経緯ですから、初めての夜とは言え「勝手にすれば」みたいな「投げ遣りな態度」は返って出来ません。

自分から犯る気を見せるのが、失礼では無い態度に思えたのです。

私(葉月)は頃合いを見て、勝也の勃起した欲棒を上手に股間に導き、花弁の入り口に宛がいます。

勝也が腰に力を込めて突き出すと、欲棒は私(葉月)の中にグゥーと嵌まりました。

「アァ。」

股間に、勝也の欲棒に押し退けられたような抽入感を感じます。

受け入れが終われば、繋がった互いが呼吸を合わせて腰を使うだけです。

中は充分に潤んでいましたから、勝也を満足させるように深く浅く受腰で欲棒を包み擦り、私(葉月)なりに精一杯応じました。

気分的には消極的な性交の始め方でも、快感はありますから彼の欲棒を包み込んだ花弁の中もヒクヒクと引き締まります。

「アァ、アァ、アァ。」

互いの腰の動きに合わせて内壁が擦(こす)れ、快感が突き上げて自然に善がり声が、私(葉月)の口から漏れ始めます。

堪らず、勝也は「ウッ」と声を上げ、身震いをして満足の中に射精して果てました。

終わると私(葉月)の耳元で「良かったヨ」と囁(ささや)きました。

勝也は、私(葉月)を本当の意味で手に入れた事に感動していました。

私(葉月)が期待以上にベッドで応じたからです。

それに大人の女ですから、抱かれてしまえば私(葉月)にもそれなりに快感もあります。

気持ち良かったのは、勝也だけではありません。

私(葉月)も感じてその行為に我を忘れ、腰を使って快感を貪り恥ずかしくなるほど声を上げました。

その夜以来、勝也が求めれば私(葉月)は逆らわず、娼婦のように応じます。

勝也には、私(葉月)との性行為に満足してもらわなければなりません。

身の置き場を失った私(葉月)にとって、互いの合意に拠ると、此れは私(葉月)の全てが「一年間の御試用期間の内」と言えます。

そう、それが約束ですから、使い心地を毎晩のように試されたのです。

考えて見れば、二ヶ月も男の下に通い続けていて「この、関係への進展は至極普通だった」と思います。

それで教員生活を続けながら、勝也の求めるままに毎晩娼婦に成って、私(葉月)の婚約生活は、「貞操を買われた女」と言う奇妙な同棲状態に入って行ったのです。


暫くすると、勝也は処方も無しに何処から調達したのか、避妊薬の「ピル」を私(葉月)に渡しました。

彼は、「此れからの一年間、葉月には此れが必要だ。」と言いました。

私(葉月)を労(いた)わっての事なのか、自分の都合なのかは判りませんが、この婚約関係がお試し期間なら、「もっともだ」と、私(葉月)は直ぐに納得しました。

それに、冷静になって考えると、「確かめてから結婚する」と言う事も「あながち悪いとは限らない」と思い始めていました。

だってそうでしょう、良く性の相性を確かめない結婚が互いを不幸にしているケースも多いのですから・・・。

勝也の私(葉月)への性行為の要求は少しずつ内容がエスカレートしましたが、私(葉月)もそれ位はどの男も変わらない事を知っていました。

それに立場が、半分大金で体良(ていよ)く買われた様なもので、私(葉月)の方から「それが良いの、悪いの」と勝也に注文は付け難い心理が働きます。

勢い勝也のペースで事が進んで、勿論有り勝ちな事ですが私(葉月)を責める為にネット販売などで求めたのか、大人の玩具(おもちゃ)も多数持ち出して来ました。

それも私(葉月)自身が勝也の性玩具(おもちゃ)ですから、黙って好きに使わせ責めさせました。


この関係、出発がそうした無理強(むりじ)いだったから、いずれ育つにしても私(葉月)の愛情は前提に無かったのです。

現状では、私(葉月)は金で買われて逆らえない生きたダッチワイフ(セックス用人形)みたいな物で、口には出さないが、「どうぞ、お好きな様に私(葉月)の性能をお確かめ下さい。」の気分で受け入れるしか選択肢はないのです。

もうお試し期間の性的関係を暗黙に了承した以上、二人だけの秘め事は素直に勝也のするに任せる積りで居ました。

だから勝也の要求のままに、勝也はおシャブリと呼んでいますが、勝也の男の欲棒を口に含む事も覚え、勝也の細かい仕込みで、勃起した欲棒を愛でる唇や舌の使い方も上達しました。

勝也の両足の間にしゃがんで前かがみになり、アナルに舌先を差し入れながら、欲棒を手で扱(しご)く御奉仕も出来る様になりました。

勝也に言わせると、好きな私(葉月)にこうした奉仕をさせるのが、彼にとっては精神的にも肉体的にも最高の極楽なのです。

気分を高める為に言わされる卑猥な言葉も、私(葉月)は逆らわずに口にします。

「オマ*コ好き。オマ*コ気持ち良い。」

普段しとやかな私が、「オマ*コ気持ち良い。」と卑猥な言葉を口にしながら勝也に抱かれると勝也は燃え上がるのです。

そうした事が、男女の行為の中では一般的に要求されるくらいの予備知識は、私(葉月)も持ち合わせていましたから、そこまでは勝也の期待を裏切らずに出来たのです。

処が、勝也はそんな生やさしい者ではありませんでした。

そのうち少し要求がきつくなり、私(葉月)は酷く抵抗があったアナルにバイブや勝也の欲棒を迎え入れる事も覚えました。

最初勝也の欲棒がそこを訪れようとした時、私(葉月)は「そこは違う」と抵抗を試みたのですが、今ではあきらめてそれも許しています。

勝也が出かけない限り、その行為が毎晩私(葉月)に続くのです。

それと、勝也に器具を使われる事には暫く抵抗がありましたが、電動バイブなどは使われると結構感じて本音では「気持ちが良い」のです。

はしたない話ですが、花芯をクニュクニュと撫(なで)る奇妙な振動に身体の方が勝手に反応して腰が浮き上がり、背骨を反らせて腰を振るほど感じさせられます。

すると、私(葉月)の脳の方には花弁の奥が収縮するような感覚が私(葉月)を包み、身を捩(よじ)って花弁の奥に欲棒の抽入を求めるのです。

そんな時に「お前だって楽しんでいる。」と指摘をされると、正直反論は出来ません。

勝也は、「ほら、学校の先生だって、気持ち良ければこうして腰を振る。」などと、わざわざ私(葉月)を追い込みます。

そりゃあ女教員だって人間で、肉体(からだ)が感じれば身を捩(よじ)り、反り返って腰も振ります。

女性のヒステリーには性感マッサージ治療や性感バイブレーター治療が有効で、実際に医療行為として医師に施術されているそうです。

つまり女性のストレスの解消の良処置は「性的な刺激」と言う事になり、男性のストレスの解消も同様の「性的な刺激」と言う事になります。

それならば、わざわざ医療行為として施術されなくても、ストレス解消の問題解決の為に夫婦合意で遊べば良いのでしょう。

微妙な心理の葛藤はあっても、現実の性的官能は認めざるを得ません。

毎晩嬲られて感じさせられられるので、獣のように大胆な性交を繰り返します。

一方で卑猥な事に嫌悪感を抱きながら、一方では肉体(からだ)が容認し感応を甘受する。

矛盾もありますが、肉体(からだ)の方は正直なのです。

考えたり、感じたりは人の脳の部分部分が担当し、嫌悪感も快感もその両方が素直な私(葉月)だと思います。

事実気持ち良いのですから、嘘は付けません。

人間の感性は、理屈や建前の一筋縄で行けるほど単純では無いのです。

慣れとは恐ろしいもので、その内「ビーン」と言うモーター音に私(葉月)の抵抗感は薄れて行きます。

そう言う性感調教が進むと、私(葉月)は勝也の目論み通り、極太のバイブも抵抗無く花弁の奥へ飲み込み、自ら腰を使って前後させ善がる様になりました。

時としては、あんなに抵抗のあったアナルにさえ勝也の勃起した欲棒を入れて欲しくなります。

アナルSEXは、度重なると癖になります。

狭い中にメリメリと押し入って来て、深く浅くと出入りするあの強烈な感覚は違和感がやがて快感に変わり、何時(いつ)の間にか腰を使って快感を貪る様になります。

元々人間の身体の感性は、性的経験の数を重ねると、誰でも「思いとは別に」身体の方はそれを覚え、それなりに受け入れて快感を求める様に出来ているのです。

それが、いけない事でしょうか?

何の事はありません、何時の間にか時折宅配で送られてくる大人の玩具を、イソイソと受け取るのが私(葉月)の家事の一部になっていました。

後で気が付いたのですが、勝也は着々と私(葉月)を或る目的の為に仕込んでいたのです。

いずれにしても、夜は毎夜のように私(葉月)が加賀美勝也に鳴かされる時間だったのです。

BGMには、相変わらずクラシックのピアノ曲が流れていました。


勝也は仕事の関係で毎週五日から一週間ほど地方に出張して家を空けました。

大半は地方支社や店舗に視察と言う所で、残りが食材の買い付けでした。

近場に行くにはベンツで駆ける事もありました。

そう言う時に、私(葉月)はホッとして実家に帰っていました。

母には、破廉恥な性生活の実態や受けた恥辱は言えませんが、それとなく生活環境や好みが違うと訴えました。

聞いた母親は怒り出し、「葉月が努力して、先様に気に入られろ。」と言います。

「貴女がネンネで困ると勝也さんから聞いていますよ。」

父の会社の食材は部下に任せず勝也自ら出掛けて行きます。

その都度に、私(葉月)の父母と私(葉月)の事を話題にするのでしょう、プレッシャーです。

私(葉月)は心の中で、「私に一生勝也の性玩具(おもちや)になれと言うの。」と叫んでいました。

勝也との性生活はそれなりに充実していますが、私の気持ちは誰も斟酌(しんしゃく)しません。

黙って股を開いていれば、丸く収まって良いような雰囲気です。

余りにも不条理な話しには、別の思いが残ります。

両親が、「金で私(葉月)を売った」と言うわだかまりは、何時も脳裏を過ぎります。

「酷い」と思いませんか?

互いにはっきりと口には出しませんが、「私(葉月)の鳴く夜」を両親はどう想像しているのでしょうか?

それも、毎夜の様に攻め立てられて鳴かされているのですよ。

帰りがけに、「子供じゃ無いのだから、我がままは言わないで勝也さんの言う事は何でも素直に聞くのですよ。おかあさんも、嫁いだ最初はそうだったのだから。」と念を押されました。

母は内容に想像が付かなくても性の問題と察した上で、言外に勝也への性的服従を強いています。

娘のSOSに「聞く耳を持たない」と言う事は、たとえ多少の性的偏向が勝也に有っても、「逆らわずに受け入れろ」と言う事です。

私(葉月)の逃げ場は、無くなって居ました。

生まれ育った実家ですが、気分の問題か帰っても以前ほど落ち着きません。

もう、勝也とのドロドロの性生活が、身体に染み付き始めていたのです。



◆夜鳴く蝉・勝也

裏一話買った婚約者・調教
◆◇◆◇◆裏一話(買った婚約者・調教)◆◇◆◇◆◇

或る偶然から、取引先の会社の社長に美しい娘が居る事を私(勝也)は知った。

娘の名を立川葉月と言った。

葉月の父親をゴルフの迎えに行って、私(勝也)は玄関でそこの娘とすれ違いチラリとブラウスにスーツのキリリとした中学へ出勤する女教師姿の葉月を見かけたのだ。

「今すれ違った方は、社長のお嬢さんですか?」

「はぃ、近くの中学で教員をしています。」

その娘が清楚で美しく、スタイルも抜群で私(勝也)は目を奪われる。

あんな女を自分の嫁にしたい。

正直、美しい女には男の狩猟本能みたいなものが刺激され、「裸に剥(む)いて自由に出来たら、さぞかし人生楽しかろう。」と思いは募るばかりだった。

人目惚れとはそんなもので、その日から葉月の姿が私(勝也)の脳裏から離れない。


独自に葉月の会社を調べて見ると、生産ラインの過剰投資で資金繰りが苦しそうだった。

「おやじ、此間ゴルフで迎えに行った立川と言う家に、良い娘が居たけど。」

「おう、あれか、俺も美しいと目を付けては居たが、お前、こう言う事には結構素早いなぁ。」

「そう言うけど、あんな清楚なお嬢さんを見て犯りたいと思わない男は居ないよ。」

「そりゃあそうだ。同感、同感。」

「この家は結婚となると問題が多いからなぁ。家風に馴染ませる条件があるから嫁捜すのも一苦労だよ。」

少し間を置いて父親が「うん、そうだ!アレ(立川の娘)なら何とか成りそうだぞ。」と言い出した。

「何とか成りそうって・・・・」

「あそこは今金を借りに来ている。相当苦しいらしから、先方の親がキット話に乗るぞ。」

ちょうどタイミング良く、葉月の父親から加賀美家へも融資の相談を持ちかけられていたのだ。

「俺(勝也)も苦しいのは興信所を使って俺も知っている。」

「親が、金を借りに来ているんだ。その親子に因果を含めて覚悟させれば、お前が仕込むのも遣り易いぞ。」

「そりゃあ、そうだけど・・そんな事で危ない会社に金を貸せて良いのか?」

「お前が気に入っているなら、お誂え向き(あつらえむき)じゃないか。額が半端じゃないから断ろうとしたが、あの娘が手に入るなら、俺も考えてやっても良いぞ。」

「ヤッパリ、これも金で縛るのか?」

「バカ、良く考えろ。お前も気に入って居る事だし、逃げられなくしてあの娘に家風を仕込むしか滅多な事で家の家風に合う嫁の来手何んか居無いだろうが。」

確かに親父が言う通り、家の家風を考えればそのプラン(作戦)しか無い。

「親父がそう言うならその融資話、進めてもらおうか。」

「判った。あの娘なら、俺も嫁に賛成だ。」

正式に嫁に欲しいと言うのなら、融資と交換でも先方に取っても「悪い話ではない」筈だった。

それで私(勝也)は、父親の静山を通して積極的に葉月を手に入れる算段をした。

まず、相談された資金援助の事で「話し合いたい」と葉月の両親を呼んだ。

そして、本来なら「大金なので常識では貸し難い額だが、身内相手の貸し借りなら話は別で、ちょうど当家に息子、お宅にはお嬢さんが居る。」

親父の静山は、そう先方に切り出した。

そう持ちかけられて、その良縁に葉月の両親が飛び付かない訳が無い。

相手、つまり加賀美家は資産家で、地元でも指折りの名家である。

それが「内の息子が気に入っているので、お宅の娘を是非嫁に」と言った挙句に、「身内相手の貸し借りなら」と、融資に前向きな話である。

「いやぁ、助かります。そのお話是非。」

追い詰められていた問題が一挙に解決するのだから、案の定、葉月の両親は直ぐに飛び着いて来た。

「ただし、条件があります。資金は貸しますが、お嬢さんとは一年間の試験期間と言う事で・・・」

「試験期間と言いますと?」

「いやぁ、お嬢さんと相性が悪いと困りますので、家の息子と一年間同棲して生活してもらうと言う事でどうでしょう。」

「早い話が娘を一年間抱いてみて、と言う事ですか。」

「いや、そうハッキリ・・・ご無理ならそう言って頂ければ諦めますが、息子がお嬢さんを色々と気に入らないと、夫婦不和で後々もめる元ですから。」

「いぇいぇ、仰(おっしゃ)る通り、夫婦は相性が大事ですから。」

話を聞いていた葉月の母親が口を挟み、「相性の方は、こちらの方としても試験期間中に、ご子息の好みに教育して頂ければ宜しいですから。」

「それじゃあお母さんは、私(勝也)の好みにこちらで娘さんを仕込んで良いと。」

「そりゃあもう、嫁に遣ればそちら様で良い様に嫁を仕込んで頂くのは当たり前の事ですから。」

「お母様の考えは判りました。お父さんの方は反対ですか?」

「いぇ、返って筋の通ったハッキリしたお話です。」

「それじゃあ、お二人とも条件を受けて頂けると仰(おっしゃ)る。」

「はい、そのお話で宜しくお願いします。」

「この際ですからハッキリ言います。娘さん、抱かれ損で傷物にならないように、お宅の方でもヨクヨクご指導願います。」

「それはもぅ、当方でも娘に良く申し付けます。」

「失礼ですが、娘さん次第で融資も引き上げますが、息子の勝也と加賀美家に馴染んで頂かないと困ります。」

あまり念を押すので、私(勝也)と言う息子に「少し変わった性癖でもあるのか」と思ったらしいが、この際贅沢は言えない。

まぁ、誰にでも多少の性的趣味はあるから、娘の葉月がそつなく応じていれば「全て丸く収まる」とでも考えたのだろう。

自分達より遥か大会社を経営する御曹司で、葉月もセレブの仲間入りが出来る。

親としても、事業は助かるし娘の葉月も玉の輿で、多少の条件を付けられるのは仕方が無い筈だ。

「そりゃあもう、戻られても困ります。収まってもらわないと・・・・」

「くれぐれも、勝也に気に入られるように言い聞かせて下さい。この話、壊したくないのはこちらも同じですから。」

「素直で気立ての良い娘ですから、そちら様で少し仕込んで頂ければお気に召すと思います。」

「それじゃあまぁ、娘さんの教育の件は遠慮無く任せて頂くと言う事で。」


加賀美家の方は加賀美家で、何としても、それこそ無理に仕込んでも家風に合った嫁にしなければ成らない。

手段を構えないから金で縛って、子供が出来た頃から家風修行をさせる算段で居た。

それに、その前段階として、葉月が修行に堪えれるように私(勝也)が仕込んで置く必要もあった。

葉月への仕込みは直ぐにでも始めたい。

だが、逃げられても困る。

いささか不自然だったが、そこは確りさせたい所だから親にもヨクヨク念を入れて置いた。

相手は普通の家庭の娘で、こちらの家風に馴染ませるにはそれなりに教育しなければならない。

本意ではないが、条件を付けてギッチリと縛って置かねば成らない。


処が婚約中マンションには通いながら、葉月の態度がはっきりしない。

私(勝也)は葉月の母親に、葉月にそろそろ引導を与えるように言った。

「お母さん、そろそろ、葉月にその気になってもらわないと、こちらとしても余り長くは待てません。」

「あれ、あの娘、まだお待たせしているのですか?」

「葉月にその気があるのですかねぇ。」

「本当にこんな良い方をお待たせするなんて・・どうぞ勝也さんの好みに仕込んで遣って下さい。」

「言い難(にく)いですが、好きに仕込んで構いませんか?」

「勿論です。旦那様の好みの女になって愛されるのが女の一番幸せですもの。私からも言い聞かせておきます。」

「色気の方は何も知らないお嬢さんだから、扱いに困ります。」

私(勝也)は、裸に剥(む)いた葉月を想像しながら、母親に訴えた。

犯れそうで犯れない苛立ちに、ここまで引き伸ばされると、葉月にも腹が立つ。

内心、この母親に立ち合わせて、目の前で葉月を裸に剥(む)きたい位だ。

「済みませんねぇあの娘が何時までもネンネで、私から勝也さんに言われたらどんな事でも聞くように良く言い聞かせます。」

「そうして下さい。一緒になる以上、僕の好みに合わせてもらいます。それに、加賀美家の嫁として父にも気に入ってもらわないと。」

「そうですねぇ、お父様にも可愛がって頂かないといけないし、あの娘は根が素直ですから、お尻の一つや二つ叩いてでも勝也さんのお好きに仕込んでやって下さい。」

「お尻ですね、そうさせて頂ます。」

母親も抱える事情が事情だから、暗に「娘をSEXで好みに仕込む」と言う私(勝也)のエゲツ無い話でも、必死で食い下がって来る。

ここで加賀美家から葉月を返されでもしたら、出戻りを抱える上に借りた金の返済を迫られる。

「お母さんがそう仰(おっしゃ)るなら少し厳しくさせてもらって、遠慮なく仕込みます。お母さんからもその点は心得させて置いて下さい。」

「キッチリ申して心得させて置きますので、そうして遣って下さい。泣き付いて戻って来ても追い返しますので。」

親が、「尻を叩いてでも、好みに仕込んでくれ。」と言うのだから、遠慮なくみっちり仕込ませてもらう。

これで、葉月も親に追い込まれるだろう。

親の方は葉月が娼婦になって尽くしてでも、私(勝也)に好かれる事を望んだのだ。

我慢しても「暫くは待った」と言う事実も積み上げて、ソロソロ、「期が熟した」と言う事だ。

葉月のむき出しの尻に、「ビシッ」とベルトの食い込む情景が、私(勝也)に浮かんでいた。

しかし、親の方も中々娘にハッキリ引導が渡せない。

流石に短刀直入には言えないらしく、遠廻しに言っている様だが埒(らち)が明かない。

とうとう、「勝也さんから直接言ってくれないか?」と言って来た。

「融資の話しもして良いから、本人にしっかり言い渡してくれ。」と言う。

結局、最終的には私(勝也)がはっきりこの婚姻話の背景を葉月に話して引導を渡した。

それが上手く行って、葉月の肉体は手に入った。

葉月は戸惑いの表情を見せたが、婚約の条件に反発はしなかった。

やはり見込み通り、お嬢さん育ちで根が素直なのだろう。

これからの調教が楽しみだ。


元々生命科学的に言えば、人類の男女は惚(ほ)れ脳内ホルモン・フェール・エチル・アミンの作用に後押しされ、出会いを持って「性交相手の選択行為」をする生物である。

「惚(ほ)れる」と言う事は「恋する」と言う事で、気取らないで生物学的に言えば脳内処理的には「性交相手の選択行為」である。

その男性と女性の脳内ホルモン的な「性交相手の選択行為」の「惚れ薬」がフェール・エチル・アミンと言い、これが、「恋のトキメ」を促進させる影の立役者の物質である。

フェール・エチル・アミンは、異性に対して脳内で分泌されるトキメキホルモンで、この時点では「惚(ほ)れ行為」であるが、その「惚(ほ)れ行為」に集中力や快感を倍増させる作用がある。

簡単に説明すれば、「恋する」や「惚(ほ)れる」と言う行為そのものに快感を感じさせたり、その想いを募(つの)らせる(集中させる)作用がある脳内ホルモンなのだ。

つまりフェール・エチル・アミンは、「人類の種の保存」を脳科学的に促進させる作用があるホルモンである。

そしてその「惚(ほ)れる」が片思いであれ両思いであれ、パターンに関係なくフェール・エチル・アミンの作用であるから、迷惑なストーカー行動の源も「惚(ほ)れる」の範疇にある。

当然ながら、フェール・エチル・アミンに後押しされて、双方が「惚(ほ)れの合意」に到れば性交に及ぶ事に成るが、「愛」は連れ添ってから時間を掛けて育(はぐく)むもので、この時点での価値観はまだ「恋止まり」である。

「愛情」と言うのは、結局は自分が創り出した大切な物語であるから、その構築された「情」に嘘は無い。

しかし物語であるからには伴に生きる時間が永く在っての事で、少なくとも出会いの時点では、物語のプロローグ(序章)に過ぎない。

だからこそプロローグ(序章)に過ぎない結婚前の異性経験など、原則問わない事が男女間の暗黙のルールである。

従ってプロローグ(序章)の時点での性行為に於いては「恋」は在っても、とても「愛情」にまでは到っていない現実がある。

昔から「恋の病」と言う様に、ここを勘違いしているから「こんな筈ではなかった。」とカップルの解消や結婚を解消し離婚する事に成る。

つまりフェール・エチル・アミン効果で、良く知らない相手とでもフィーリング(感覚)で性交が可能で、ならば深い意味での「愛情」なんかなくても別の理由でも性交は可能である。

だから、誓約(うけい)目的だろうが、親の薦める結婚だろうが、地位や財産目的だろうが夢を適える手段で在っても、永く続いて「愛情」が芽生えればカップルとしては最高の結末と言える。



初めての夜は、葉月の裸体を確かめる為に照明を落(おと)さずしっかり見た。

出だしから甘い事は出来ない。

立場を認識させ、現実を実感するには、互いにしっかりと「見た、見られた」が良い。

拒否できない、どうしょうも無い事に葉月が拘(こだわ)っていても仕方が無い。

覚悟をした後だから、葉月はこちらのするがままに身を任せた。

だから、賢い女性なら前向きに愉しもうと心掛ければ、被虐の性玩具(おもちゃも)に弄(もてあそ)ばれる事も段々に馴染んで来る。

正直私(勝也)にとっては、獲物をストリップ・サーチ(全裸検査)するのはSMの基本の様式で、委(ゆだ)ねられる肉体(からだ)の品定め権みたいなものである。

葉月を横たえ、目の前の柔らかそうな胸の膨らみも、くっと引き締まったウエストも、丸みを帯びた張りの有る尻肉も、撫でながら確かめた。

ウエストからなだらかな曲線を描いて繁みを蓄える恥丘の丸味を帯びた膨らみも、その下のプリッと可愛く膨らむ小ぶりの二枚の肉花弁も、皆想像したように美しい。

アナルの小さな蕾も可愛く膨らんで、・・・此れが、私(勝也)の手に入ったのだ。

手に入れて抱いてみると、尚更愛しさが募った。

葉月の口中に挿し込んだ欲棒が、ヌメヌメと舌先で嬲(ね)ぶられる快感に、私(勝也)は目を細めてそのおシャブリを愉しんでいた。

葉月は無理強いにも拘らず、けして嫌がる態度ではなく覚悟良く「健気(けなけ)」に行為に応じたのだ。

私(勝也)の欲棒を自らの股間に導き宛がい、その欲棒を収めると、その腰の動きで私(勝也)を快感に導いた。

肉体(からだ)の反応も良く、途中からは葉月自身も行為に没頭して花弁の中も締め付けて来た。

葉月には天性の性感が、神から授かっているかの様だった。

これは、想像以上の掘り出し物、生きた宝だ。

私(勝也)は、本音の部分では「自分の命にも代えがたい」と思っていた。

ただ、私(勝也)の愛し方が葉月の常識とは大きく違った。

現代人は溢れるストレスの中、僅かな幅の塀の上を歩いて正気と狂気の堺を彷徨(さまよ)っている。

それを理解させて、自分の目的に適う女に葉月を変えねばならない。

実は私(勝也)には、最初から「何んとしても、葉月を輪姦に堪える女性に仕込もう」と言う目的があった。

この際、優しく時間を掛けては居られない。

早く葉月を仕込まねば、私(勝也)が自分の両親の期待には応えられないのだ。

私(勝也)は葉月に、「信じたく無い事に目を瞑(つむ)っていては、世間に幾らでも在る現実を何時(いつ)までも認められない。」と口説いた。

人間なんて性も無い生き物で、私(勝也)に言わせれば例え家庭を持っている男女でもどうせ買うなり口説くなりの遊びの機会は幾らでもある。

多くの屋根の下で、当たり前の様に日常的になされている性行為に、葉月が言われ無き嫌悪感を抱いてばかりでは生きては行けない。

それならば夫婦互いにトコトン性癖を曝(さら)け出しあって応じてしまえば、私(勝也)が外で買うなり口説くなりしても性癖に応じさせるに物足りない思いをしてがっかりする事になる。

強引に色々体験させて行ったが、親への融資話が利いたのか、葉月は歯を食い縛(しば)って付いて来た。

アナルファックも抵抗を交わして何とか仕込んだし、性玩具(おもちや)を使って責められる事も受け入れるようになった。

その覚悟を、私(勝也)は「可愛い」と思い、葉月への愛しさは募った。


早速色々試しながら、仕込んで行こう。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

◆第二話(仕組まれた・突然の4P体験)
◆◇◆◇◆第二話(仕組まれた・突然の4P体験)◆◇◆◇◆◇

勝也の出張はそう長くはありません。

時には、苦笑いしたくなるほど早く、私(葉月)の元に帰って来ます。

それが、「私(葉月)と離れたく無い」と言う愛の証かと思うと、その気持ちは嬉しくもあります。

でも、勝也の要求には困る我侭もあります。

たまに勝也の出張が長くなると、週末、抱かれる為に私(葉月)がわざわざ出先へ呼び出される事も有りました。

それが、内緒の話ですが少しばかり勝也に条件が付けられていて、私(葉月)はミニスカートにノーパンティで何処へでも出かけるのです。

ミニスカートのスーツに、生脚ノーパンティが基本です。

もう移動時の階段など、おい茂った私(葉月)の草むらが「後ろの人に見えやしないか」と冷や汗ものです。

私(葉月)、女教師と言う職業柄、スーツの手持ちが多いので、上着の下はブラウスです。

その下はご想像通り、ノーブラです。

勝也の言い付けで、上着のボタンは出来ません。

彼の居場所に近付いたら外し、彼と居る間はボタンは掛けません。

私(葉月)が少しかがむと、肌蹴た上着の間から、薄いブラウスを通して乳房は丸透(マルスケ)なのです。

うっかりすると、お尻も半分見られてしまいます。

それを忘れて前屈(まえかが)みになり、うっかりお尻やノーブラを見られてしまい、マジマジと顔を見られる事も少なくありません。

何故そんなアホな事に「言う事を聞くのか」とお思いでしょうが、出先に尋ねて行くと真っ先に捲り上げて確かめられますから仕方がありません。

尋ねて行く時に下着など身に着けて居ようものなら、お仕置きと称してお尻に勝也の皮ベルトが飛びます。

私(葉月)はまだ返品可能な身の上ですし、父の会社から資金を引き上げられたら大変です。

そして母から、「私(葉月)のお仕置きには、お尻を叩かれる事を母として了解した」と告げられています。

黙ってスカートをまくり、下着を下ろして剥(む)き出しのお尻に皮ベルトの罰を受けましょう。

ビシッと、お尻に皮ベルトが食い込みます。

十数秒の間を置いて、五発、反省の時間を与(あた)えてもらいながら、お仕置きを頂きました。

丸出しのお尻を向けて勝也の皮ベルトを待つ気分は、何とも複雑です。

手加減はしているのでしょうけど、痛いし、お尻に、赤い帯状の跡が付きます。

私(葉月)、恥ずかしいのは少しは我慢できますが、痛いのは駄目なんです。

一度で懲りて、勝也の指示が無い限り家の中でもなるべく生脚ノーパンティで居ます。

でもこのお仕置き、定番になって勝也の気まぐれなSEX遊びに私(葉月)が付き合わないと、必ずされるようになりました。

それにも少しずつ慣れましたが、実はある大事な目的の為に少しづつ私(葉月)の露出とSEXへの抵抗を無くす事が勝也の狙いだったのです。

後で考えると、私(葉月)に見られる羞恥心を慣れさせ、見せる喜び「露出癖を植えつけよう」と言う勝也の計画だったのです。

でも私、裸を見られるのは今でも恥ずかしいし、嬉しくは成れません。

ただ、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)は、どんなにキツく激しくても気持ちが良いから、裸や恥ずかしい格好を他人に見られても仕方が無いかナァって・・・・。


実を言うと、短いスカートにノーパンティは女子高生時代に経験があります。

当時、性に関心が高まる年齢の私(葉月)達女子高生の間で、密かに流行(はや)った罰ゲームがノーパンティ登校でした。

他愛の無い事ですが、多感な年齢のその頃は、大冒険です。

仲間内での他愛の無い嘘がばれたり、男友達と性的関係が出来たのがばれると、女子仲間に翌日のバツゲームが宣告されます。

私(葉月)も二度ほど経験しましたが、目の前の男子がそれを知らない事が何とも楽しく、また、「知ったらどんな顔をするだろうか?」と意外に楽しめた記憶があります。

その日一日、ノーパンティが義務付けられるドキドキの経験は、まんざら悪くは無いスリルです。

そんな経験がありましたが、まさか日常がそうした生活になるとは、思っても見ません。

このノーブラ・ノーパンティで勝也に呼び出されて出かけると、面白い事を発見しました。

東京や大阪などの都会へ出かけて行くと交通機関として電車や地下鉄に乗ります。

田舎は差ほどでもないのですが、都会で混んだ車両に乗ると、まず「必ず」と言うほど痴漢に狙われます。

私(葉月)ノーブラ・ノーパンティですから、触られても騒げませんからいつも覚悟して乗っていました。

当然「触り放題になる」と思いません?

それが、違うのです。

確かにミニスカートですから狙われて、手が入って来るのは毎度の事です。

でも、痴漢の大半は、私(葉月)が下着を身に着けていないと判ると、ギョッとして手を引っ込めます。

キット近くに、「その趣味の男が同乗している」と警戒するのでしょうね。

それでもたまに、お構いなしの剛の者が居ます。

その時は仕方がありません。

相手の耳元で、「指は二本まで。」と囁き、左右の足を広めにして踏ん張るのです。

私の花弁の中の柔ら壺に二本潜り込んで来て暴れますが、仕方が無いのでさせて置きます。

そう言う時は、ノーパンを調べられる時に勝也に「今痴漢に犯られて来た」と報告します。

だって、中が愛液でグチュグチュですもの。


或る日呼び出されて、大阪に出張して居た勝也の出先宿泊先のホテルに参りました。

「今日は、外に食事に行くから支度をして来なさい。」

顔を見るが早いか、滅多に誘われる事の無い外食に誘われました。

勝也の誘いに私(葉月)はときめきます。

何か思う所があるのでしょう、今日もミニスカートだけれど、特別にパンティの着用は許されました。

色は、無難な処で白を選びました。

ここだけの話、ミニスカートの時はいつもノーパンティでしたので、返って履いている事に違和感を感じます。

某ホテルのディナーの予約席、席について私(葉月)は気が付いたのです。

テーブル・セッティングが四人分・・・・・「二人だけで食事を・・」と、ばかり思っていましから、私(葉月)は不思議そうな顔をして、勝也を見たと思います。

それに気付いた勝也が、私(葉月)に命じます。

「葉月は初対面だが、俺の知人が来る。遠慮の無い気さく奴らだから、気にしないで普通にしてなさい。」

席について五分もすると、薄暗い入り口から四十代後半ぐらいの男性が二人、こちらに近付いて来てニッコリと挨拶を交わしました。

この時はもう、「勝也に何か魂胆がある」と私(葉月)のミニスカートの中が感じていました。

勝也が出先に呼び出す目的は私(葉月)を抱く為です。

他に目的などある筈が無いのですから、また何か悪い遊びを企んでいるに違い有りません。

四人は楽しく世間話をしながらワインを重ね、食事をしました。

程良く良い気持ちになって、顔が赤らむ私(葉月)に勝也がワインを注ぎながら耳元で囁きます。

「今日はこのホテルに部屋をとってあるから、酔っても安心だよ。もっとも、彼らも部屋に招待しているけどね。」

矢張りそうでした。

「凡(おおよ)その見当はつけていた」とは言え、キット、私(葉月)の顔色が一瞬変わった事と思います。

最初から、怪しいとは思っていました。

食事中から彼らの態度で、何となく想像出来たのです。

仕方なくですが、「何か新いステージが有る」と覚悟はしていても、ヤッパリ恥ずかしい。

心は揺(ゆ)れ動きます。

しかし、相手のある事に此処まで話が進んでしまうと、お遊び前提で夫(勝也)がお呼びしたのですから簡単には断れません。

私(葉月)の両親は勝也の性癖も含め、「好みに仕込んでくれ」と私(葉月)を引き渡しています。

それに、勝也の遊びに応じなければ、お二人の前でお仕置きの皮ベルトを頂く事になりそうで、痛いから恐いです。

夫(勝也)の言う事を聞かなければどの道お尻に痛い皮ベルトの上に、結局はこの二人と犯らされるのすから夫(勝也)の遊びには無条件で応じなければなりません。

お試し期間中の「生きた性玩具(おもちゃ)の身」としては「ハイ!」と返事をするしか無い事を、直ぐに悟りました。

実の所、勝也の私(葉月)への要求のエスカレートぶりから、心の中ではいずれそうなると判っていたのです。

キット私(葉月)、勝也の目の前で見も知らない男達に抱かれるのです。

そう理解しながらも、意外と冷静です。

淫らな事をされる自分を想像し、高鳴る心臓の鼓動を感じている自分がそこに居たのかも知れません。

「それでは、そろそろ部屋の方に行きましょう。」

勝也の言葉に、私(葉月)は人形の様にぎこちなく立ち上がります。

同席した方のお一人が「では遠慮なく。」と応えました。

もう、ショックで気もそぞろになり、正常な感覚はなくなっていました。

連れて二人の客も席を立ち、一同連れ立って部屋に向かいました。

私(葉月)が黙って部屋に歩みを進める事が、この事態を容認した事になります。

部屋に入って直ぐ勝也が「先に風呂に行く様に。」と私(葉月)をバスルームに追いやったのです。

何か企みがあるらしく、打ち合わせや準備に私(葉月)は邪魔なのでしょう。

女の心理とはおかしなもので、望まない事態なのに、これから他人に見られる自分の裸身を確かめたり、良く洗ったりと、してしまいます。

私(葉月)がバスを使い終わって出て来ると、男三人は何やら話をしていました。

下着にバスローブを身に纏ってシャワー室から戻った私(葉月)に、勝也は「さぁ、肉体(からだ)をお見せしろ。」と言い、バスローブを剥がすように脱がせます。

パンティだけは身に着けていましたが、他に隠す物がありません。

一瞬胸が締め付けられるような緊張と、自分の心音がドクン、ドクンと聞こえてくるような恥ずかしさを感じます。

私(葉月)は、ソファーに座る二人の前にパンティ一枚で立ちすくみました。

二人の男に「ホオゥ、良い肉体(からだ)だ。奥さんはとても綺麗だ。」と、無遠慮にしげしげと見つめられたのです。

二人の男の目付きが、私(葉月)の裸身を品定めするように変わって行くのを、私は見逃しません。

どうやら私(葉月)は、まだ入籍前ですが二人には妻と紹介されているようでした。

「それじゃ、始めましょうか。」

一人の男が立ち上がり、肩を掴んで私(葉月)を座らせます。

勝也が縄を持ち出し、私(葉月)をソファーに縛り付けて行きます。

私の足は開かれ、両脇の手持たせに片方づつ乗せられて、それぞれのいすの脚に片方ずつしっかりと固定されました。

手もたせが太腿の内側に当たり、少し痛みが伴いますが、言えません。

手は後ろ手に固定され、肉体(からだ)がソファーと一体化して、私(葉月)はもう動く事も出来ません。

身動きが出来なくなると、返って気持ちが落ち着きました。

何をされても、「動けない」と言う立派な理由が出来たからです。

アイマスクが勝也から施されると、男達が近寄る気配を感じました。

Aさんが軽く頬にキスしてきます。

それが首筋に廻り、舌先が耳たぶを撫で、首筋を這い回ります。

ゾクゾクと私(葉月)の全身に震えが走ります。

「だめ、首筋は感じ過ぎます。」

その舌が徐々に私(葉月)の唇に近付き口、にAさんの舌が入ってきます。

Sさんも「奥さん綺麗だね。」と耳元で囁くと、両乳房を掴(つか)み唇で乳首を咥(くわ)え吸い始めます。

「うう・・あっ・・・ん、ああぁ・・・ううぅ」

「さぁ、構いませんので私の妻を何なりと嬲(なぶ)ってやって下さい。」

後ろから、勝也の少し高揚した声が聞こえて来ました。

あぁこれから私(葉月)は、この男達に嬲(なぶ)られる・・・・・

私(葉月)の肉体(からだ)は羞恥心と期待に火照り、その勝也の言葉を悪魔とも天使とも思える自分が恨めしくもそこに居たのです。

ジョリッ!履いていたパンティは、勝也に両脇を挟みで切り落とされ、私(葉月)の股間は他人の目に露に曝け出されます。

「なるほど、使い込んでいないのでまだ綺麗で良い形のオマ*コだ。」

全裸に剥かれて提供された肉体(からだ)だけのシエアリング(共同所有)は、仲間内の既成事実でした。

当然男達は私(葉月)の肌触りを愉しむべく裸身を撫(な)で廻すのですが、此処まで来ればそれは極自然な行動と言えます。

それで私(葉月)は、手始めに裸身その物を男達の玩具(おもちゃ)にされます。

私(葉月)は被虐感と伴に、乳房を掴(つか)まれ乳首を摘(つま)まれようが、股間を撫(な)でられようが指先を入れられようが、相手任せに触り放題で弄(もてあそ)ばれるしかないのでしょう。


目の前に素っ裸の私(葉月)が、踵(かかと)を宙に浮かせた股を開いて、それが扱(あつか)い自由の生肉体玩具(オモチャ)であれば、男として当然愉しまない手はないでしょう。

Aさんが生肉体玩具(オモチャ)の私(葉月)を観ながら股間に咲く二枚の肉花弁を指二本でパカパカとで開いたり閉じたり、突起した敏感な蕾(つぼみ)の実(サネ)をグリグリと弄(いじ)って観ます。

次のBさんは本格的にお愉しみで、生肉体玩具(オモチャ)の柔ら壺やア*ルに指を挿し込んで抜き挿しし弄(いじ)って反応をていまする。

何をされても生肉体玩具(オモチャ)の私(葉月)はジッと耐え、股を開いたまま恥ずかしいところを為すがままに弄(いじ)らせているのです。

恥ずかしいけれど弄(もてあそ)ばれて、思いがけない事に私(葉月)の股間からは凄く大目の愛液が流れを作って滴り落ちました。

脳の一部と肉体(からだ)の方は倫理観とは別に、勝手に興奮していたのです。

「ス、スゴイ、奥さんすばらしい!」

「こんな感度の良い肉体(からだ)を持つ女性が貴方の妻なんて、羨ましいですよ。ここまで調教したご主人は、スゴイ。」

恥ずかしさの余りうな垂れている私(葉月)に、Aさんはクンニを始めます。

Sさんも、乳首を指先で愛撫しながら、ツーッと大腿を舐め始めました。

「それじゃあ、まずは奥さんの肉体(からだの)のカギを開けましょう。」と言うと、二本の指を私(葉月)の柔ら壺に根元まで挿し込んで、攻め始めました。

この指の根元まで挿し込む手淫は、私(葉月)のポルチオを刺激して悶絶(もんぜつ)直前まで追い込む目的の行為だったのです。

ポルチオとは、膣(ウァギナ)の奥の方に存在する、「子宮口(子宮の入口)」の事で、「Gスポットの何倍も気持ち良い」と言われている強烈な快感を感じる事のできる性感帯でした。

指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ私(葉月)の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身するのです。

本来ポルチオは、欲棒のカリ首が突っいたりカリ首エラが擦(こす)れたりの感触に反応する事に優れて存在しているそうです。

この性技に掛かったら、余程鈍感な女性で無い限りは全身が性感帯に成ったがごとき猥褻(わいせつ)な感覚に善がり身悶(みもだ)える事になるのです。

このポルチオ攻めで火が付いたその後は、用意された大人の玩具で花芯ボタンを責めたり、花弁の中に抽し突かれている間にもう一人が乳首をローターで擦ったり、メチャクチャに攻められ、もう堪らない刺激です。

私(葉月)は勝也に見守られながら、二人の男性の玩具になり、感じて背骨を反らせ、腰が求め動いて善がり声を上げてしまうのです。

「いぃ、・・・イク、イク、イク・・・ッ。」

私(葉月)は最初の絶頂を迎えました。

そんな事で、勝也が許す訳もありません。

椅子から開放されて、次の体勢を促(うなが)されました。

待っていたのはベッドでの大の字、M字開脚拘束だったのです。

手枷と足枷がそれぞれベッドの四隅に取り付けられて、そこに据えつけられたものは、もう人間の形をした一個の性玩具(おもちゃ)としか認められないものでした。

シックスナインの体位でSさんが私(葉月)をクンニしていると顔の方ではもう一人のAさんが欲棒を私の口にねじ込んで勃起した物をフェラをさせています。

Aさんが腰を使ってクイクイと欲棒を、私(葉月)の喉の奥まで突き入れる度にAさんのやや膨らんだ腹が、私(葉月)の鼻を潰す様にクイクイと押し付けて来ます。

咥えている以上は私(葉月)も空(そら)は使えないから、上半身を使ってウゴウゴとAさんの欲棒を喉の奥に必死に迎えに行きます。

Aさんのカリ首を喉の奥まで飲み込めば、流石(さすが)に「オェッ!」と苦しいが、口をすぼめて咥えたAさんの欲棒に歯を立てられないので、私(葉月)は涙を流しながら我慢するのです。

Aさんの欲棒を咥えてすぼめた私(葉月)の口元で、唇を擦(こす)りながら唾液に濡れ光る陰茎が生々しく見え隠れしています。

当然ながら、Aさんの腰の動きに連れて坊主頭・海綿体のカリ首が私(葉月)の口中でまで届いて口蓋垂(こうがいすい/喉チンコ)を押し分け、Aさんの欲棒根元の恥毛が私(葉月)の唇にグィグィと容赦無く押し付けられます。

勝也が言うに、これは男性が女性に対する征服欲を満たす行為としては一種の服従儀式で、喉の奥まで欲棒を挿し込む行為は中華大陸で一般的なので、大陸式フェラチオとも呼ぶそうです。

だからこの大陸式フェラチオは単なるおシャブリ以上に過激ですが、その方に服従するお遊びのSEXを、これから始める「挨拶代わりの覚悟のしるし」と言う事になります。


AさんからSさんへ、バトンタッチが行われます。

相手が代わりますが、素っ裸でこの場に居るのですから、私(葉月)も此処まで来てしまえばまな板の鯉で、今更プレィに抵抗は見苦しいでしょう。

結局の所、「どうにでもしろ。」と覚悟を決め、股を開いて相手を待つしか選択枝は無い。

Sさんが仰向きに横たわる私(葉月)の両足首を握って左右に開くと両脚の間に割り込んでSさんに両膝をグィと床方向に押さえ広げられて、私(葉月)は蛙(かえる)の脚様に足を開いた仰向き体制を強いられます。

開かれた脚は、相手のSさんが目的を遂(と)げるまで閉じては成らない事くらい女性の本能的に察せられます。

恥毛が生(は)えるなだらかな曲線の三角デルタ地帯もその下の秘所も丸観えにされた蛙(かえる)開きの体制のまま動きを止め、私(葉月)は相手の動きを待つ事になります。

Sさんは「旦那の前で奥さんを犯るなんて、興奮するな。」と顔をニヤつかせて口元を緩(ゆる)ませます。

それは確かに、Sさんにとっても条件的に滅多に犯れない遊びのプレィで在る事は間違いないでしょう。

それが涎(よだれ)が出る程に極上の陵辱プレィの愉しみ方である事は、良く理解でき認めざるを得ないかったのです。

「それではお借りしますよ。」と言いながら、勝也の目の前で妻・私(葉月)への生々しい公開弄(こうかいなぶ)りの陵辱プレィが始まりました。

目の前で私(葉月)の股間にSさんの二本指が抽入され、スナップ(手首を捻って効かせる)が利いた手首と肘(ひじ)でリズム良く抜き挿しされ、二枚の肉花弁と指の隙間から愛液が噴出しているのが判ります。

その愛液塗(まみ)れの二本指の揃(そろ)えられた根元が、リズム良い抜き挿しに応じて夫・勝也には見え隠れして観えている事でしょう。

Sさんは、私(葉月)の反応が愉しみだから、グィグィと攻め立てながら一気加勢に追い込んで行きます。

感じて私(葉月)の顔が歪(ゆが)み、半開きの口から「アァァァ〜。」と善がり声が漏れ、腰も抜き挿しのリズムに合わせるかのように見えている事でしょう。


そうしたコレクティブセックスプレィ(集団乱交)の様子は、夫・勝也の格好の被写体で、カメラマンの様にその光景を撮影して行きます。

アナルにはバイブが押し込まれ、更に女陰には男の指が押し入り、クンニの刺激をヨリ高めているのです。

「はぁ、はぁ、・・うぅぅん、あっああああ、フェラとオマ*コとアナルが・・気、気持ち良い・・ですぅ・・・ああっ」

「葉月、それで何とお願いするのだ?」

「お願いします。早く、早く私(葉月)のオマ*コに皆様の勃起したオ*ンチンを下さい。」

私(葉月)は、口からよだれを垂らして牝犬のように淫乱な言葉を吐いてしまいます。

勝也の日頃の調教がものを言い、私(葉月)の身体は充分二人を相手に出来ます。

枷を外し四つん這いにした格好でバックとフェラで二人の男の欲棒に挟み撃ちに深く浅く責められ、ペットの様に大きな声で叫び鳴いたのです。

勝也も興奮して来て、私(葉月)の背中を平手でスパンキングしながら「言い声だ、オマ*コ感じるだろう?チャンと教えた通りに言いなさい!」

「私(葉月)は直ぐ感じてしまうマゾです。淫乱で、嫌らしく御*子をされるのが大好きなマゾです。もっと、もっと、調教して下さいませ。」

日頃抱かれながら勝也に言わされている卑猥な言葉が、口を付いて出て来ます。

「良しそれなら次のステージ、四Pだ。」と勝也がと言い出しました。

その言葉に後の二人が直ぐに呼応し、三対一の四PのマルチタスクSEX(同時実行性交)体勢に私(葉月)を持ち込む作業が始まったのです。

仰向(あおむ)けに寝た勝也の横に、私(葉月)を私の股間に伏せるようにしゃがみ込ませ、欲棒を咥えさせておシャブリさせて立たせる事を命じます。

勝也の欲棒が私(葉月)のおシャブリで立ち上がった所で、私(葉月)に跨いで腰を下ろしながらア*ルに入れる事を命じます。

私(葉月)に頭を勝也と同じ方向にして跨がせ、自ら菊座にカリ首を宛がわせ、腰を下ろさせながら勝也の欲棒を「ウムッ」とア*ルに飲み込ませたのです。

押し広げられた菊座にズッポリと根元まで串刺しに飲み込ませた所で、私(葉月)に仰向(あおむ)けに身を横たえさせる体位を取らせます。

体格が違いますから勝也の欲棒にア*ルを犯された私(葉月)の顔が、勝也の首の辺りに位置する形で仰向(あおむ)けになったのです。

仰向(あおむ)けになった所で二人目のAさんが私(葉月)の太腿(ふともも)の間に割り込んで前に抽入を果たします。

前に抽入を果たしたAさんが、私(葉月)の両の太腿(ふともも)を抱える形で抜き挿しを開始した所で、Sさんが三人目の男として登場します。

Sさんは、仰向(あおむ)けに成った私(葉月)の顔の方向を向いて勝也と私(葉月)を跨ぎ、私(葉月)に「上半身を起してシャブれ」と命じます。

私(葉月)は上半身を起こしてSさんの欲棒を咥え、男の両脚に両手を廻して肉体(からだ)を支えながら、頭と上半身を前後させてシャブリ始めました。

すると、ア*ルを犯す勝也も前を犯すAさんも、口を犯すSさんも一斉に腰をクィクィと使い出して欲棒を咥えた私(葉月)の口の隙間から堪らず善がり声が漏れ始めるのです。

何しろ、欲棒に穴と言う穴を塞がれて男三人に攻められるこれは、私(葉月)の限界を超える強烈な快感の刺激でした。


「こんな事を犯ってどうなんだろう」と言う疑問は葉月に在ったのですが、親の事業が人質では仕方がありません。

男達の限界が尽きるまでこの饗宴は続き、代わる、代わるに飽きる事無く抽入を繰り返し、深く浅くと、私(葉月)の身体で快感を貪っています。

途中からは勝也も加わり、三人が交代で私(葉月)の花芯に欲棒を突き立てます。

その間中、喉が枯れるばかりの私(葉月)の善がり声は続きました。

そこには、女教師の私(葉月)の姿はなく、淫乱な一人の娼婦が居たのです。

私(葉月)は原始本能を満たされて、精神(こころ)が重圧から解放されて行きます。

いずれにしても私(葉月)は、この大人の遊びが気分をリフレッシュさせるけして嫌では無い良い時間で有る事に気が付いたのです。

男達の、夫々(それぞれ)の好みも露(あらわ)な性交が、私(葉月)の肉体(からだ)を使って為され続けます。

窓の外に白々と明るみが射して来たのを誰も知らずに・・・・



◆夜鳴く蝉・勝也

裏二話仕組んだ・4P計画
◆◇◆◇◆裏二話(仕組んだ・4P計画)◆◇◆◇◆◇

昔から、「江戸っ子は女房を貸し借りする」と言う諺(ことわざ)が在る。

つまり一部のキリスト教信者以外の江戸時代当時の庶民社会では、そぅ厳格に女房の貞操観念にこだわっては居なかった。

あくまでも、維新後のキリスト教の価値観の影響が現在の貞操観念で、江戸時代以前は武家社会ででも出世の為に主君の所望に応じて妻を差し出すなど対して奇異な事ではなかった。

江戸時代の商家のおかみさんは、手代や番頭の性の面倒まで見ていたし、相撲部屋のおかみさんはつい二十年位前まで「弟子の性の面倒をみている」と言ううわさが在った。

いずれも使用人や弟子が外で不祥事を起こさない為の知恵だった。

また、「江戸っ子は女房を質に入れても初カツオを食う」と言う。

庶民に貞操観念自体が薄い時代で不倫は当たり前、初カツオの代金が女房の貞操代金に化けたとは、江戸庶民の粋な話かも知れない。


農村ではお祭りの際に若い男女の乱行的な性交渉を認める地方が多くあり、結果、子供ができれば神事に授かった子供として大切に育てられた。

また、江戸時代当時の旅人(旅行者)は、庄屋(しょうや)・名主(なぬし)、村長(むらおさ)と言ったその土地の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣のある地方では、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた性風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在した。

当時の農村では、働き手である人口の増加や少ない娯楽として「夜這い」が認められていたが、何世代もの長期に渡ると一村全てが血液的には身内に成ってしまう。

つまり狭い範囲の村落での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスクが在り、村に訪れる旅人を「マレビト(稀人・客人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

勿論、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

この習俗の日本列島への知的伝播の元は、モンゴルの遊牧人の習慣と考えられる。

それは、仏教の伝播と伴に伝来したヒンドゥー教・シヴァ神の経典などと伴に伝えられた処世術だった。

モンゴルの遊牧人の習慣として、砂漠の旅人(旅行者)は族長と言ったその部族の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、砂漠の民には「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣があり、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在し、この情報が早い時期に日本列島に伝播し、村落の習俗となった。

狭い範囲の部族での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスク経験が在り、訪れる旅人を「マレビト(稀人・客人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

勿論、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「性的夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

つまり部族や村の維持の為に「性的夜伽(よとぎ)歓待」は必要だった。


表向きの正論ばかり言いたてるほど、世間知らずの野暮な事は無い。

根本的に、男性は子種(精液)を撒き散らす本能を抱えて生きている。

例え「疑似生殖(快楽性交)」で在っても、その本能が満たされる安全な性交機会とあらば、遠慮する男性はほとんどいない。

女性にしたところで、類人猿のチンパンジーの雌(メス)は、強い子孫を残す為に繁殖期には雄(オス)を並べて置いて順番に交尾する。

人類にしたところで、女性は歴史的に永く「群れ婚状態」で、相当永い間一夫制などの縛りはなかった。

つまり女性も、本能としては「多数相手の疑似生殖(快楽性交)本能」を持っているが、それを社会的に抑制しているだけである。


繁殖期と言う枠を外して「疑似繁殖期(快楽性交)」を得た人類は、日常生活の中に「快楽性交」を定着する。

ガチの「快楽性交」となれば、その行き着く先が多様化して、雄雌一対一の建前で終わるとは思えない危惧がある。

こう言う行為を「特別」と観る風潮があるが、本来「疑似繁殖期(快楽性交)」は多様化して当たり前だから然程(さほど)の事ではない。

人間だから、自らの快感だけを追求する「疑似生殖行為(快楽性行為)」に没頭しても不思議では無い。

時期を逸して若さを失わねば、この遊びを愉しむチャンスは無くなる。

折角だから、日常の夫婦生活では味わえない性感を貪(むさぼ)って、充実した人生を愉しめば良い。

思い切って踏み込んだそれは、みすみす失われ行く性春(青春では無い)を取り戻す機会だった。

確かに一夫一婦制に於いては、貞操観念的に疑義がある習慣だが、一つの価値判断が、「全てに渡っては正解では無い」と言う事例の一つである。



私(勝也)は趣味のPC(パソコン)で、最近雨後の竹の子の様に凄い勢いで繁殖を始めた個人アダルトサイトを覗いていた。

実は、葉月をこれからどう仕込んで行こうか、胸をときめかしながら毎日思い悩んでいた。

葉月は、私(勝也)が手に入れた磨けば光る生きた宝石で、磨くのが愉しみでもある。

本音の所、清く正しい性交など誰が望んで居るだろうか?

性交など、その行為の味付けとして依り濃い猥褻(わいせつ)な物でなければ興奮はしない。

つまり世の中、表面的な綺麗事だけで済む筈も無く、葉月が人生の裏側も認めて曝(さら)け出さないと良い夫婦生活など望むべくも無い。


女性を口説くなら「吊橋の上が良い」と言う吊橋効果とは、恐怖や危機感を共有する事で側坐核(そくざかく/脳部位)が働いて親近感が湧き、好意的な感情が芽生える心理効果である。

或いは、露出プレィの強制者(S)やSMプレィの施(ほどこ)し相手に、女性が究極の羞恥心や恐怖、危機感を抱く事も、或る種の吊橋効果としてM心理が働くのかも知れない。

同様に一度有無を言わせず、こっ酷くグチャグチャに輪姦(まわ)してしまう工夫(くふう)も、広義の意味で側坐核(そくざかく/脳部位)が働くM心理の吊橋効果かも知れない。

不倫の原理は典型的な「吊橋理論」で、つまり吊橋の恐怖感のドキドキ感と不倫の背徳感のドキドキ感が「恋」のドキドキ感と誤認混同され脳に認知される。

つまり、一瞬の「惚れる」はドキドキ感と伴に脳内に発生するホルモン、フェール・エチル・アミンの誤認混同され脳に認知される。

「吊橋上の口説きが極めて有効である」と同様に、不倫には誤認の「トキメキが付きまとう」と言う理論である。

そしてそれらは、平凡な日常生活に不満を感じれば殊更大きな誘惑に膨らんで行く夫婦間のリスクなのだ。


大人しい受け身の女性より、葉月のように活動的で反発心が強い女性の方がM(マゾ)性が強く、壷に嵌ると被支配性向が表面に出る。

つまり「活動的で反発心が強い」は、強弱は在るが被支配性向を隠す為の強がりの方が一般的で、自覚してしまえば素直に修正は可能と私(勝也)は考えていた。

夫のリード(主導)に拠る婦人の性修行行為は、大ヒットしたフランス映画のエマニエル婦人シリーズの様に、毎回エマニエルが夫の命令で性的冒険をさせられる物語に成って居る。

つまり文学や映像に成るのだから夢物語では無く、一種の夫婦合意の上の代表的な遊びの性癖として世の中に存在する。

人間は、色々な出会いと経験を通して成長する。

夫婦合意の上の性修行行為は、説明こそ出来ないが確実に他では得られない「何か」が得られるアイテムである。

こうした夫婦合意の上の性修行行為は、アドベンチャー(冒険)的要素を愉しむ非日常のシーンとしてその存在は密かに認められてもおかしくは無い。


段階的に葉月の性調教は進んでいるが、普通の女性が持ち合わせている性への抵抗感は私(勝也)の理想には邪魔だった。

それで、葉月が裸になる事への抵抗をなくす為に、露出プレーを強要した。

私(勝也)の出張が長くなると、葉月を抱く為にわざわざ出先へ呼び出した。

この際、葉月の意志は考慮に値しないから、私(勝也)は条件を付けて、ミニスカートにノーパンティで何処へでも呼び付けた。

ミニスカートのスーツにブラウスの下はノーブラ、生脚ノーパンティが基本だ。

上着のボタンは掛けさせないから、葉月が少しかがむと、生尻が覗き、肌蹴た上着の間からは薄いブラウスを通して乳房は丸スケになる。

街頭や店内で、それがチラリと見えた時のスリル(危うさ)は、私(勝也)自身の胸をトキメかせた。

葉月の躾(しつけ)けの為だけではない。

その格好で連れ歩けば、私(勝也)の男心も十分に愉しめるのだ。

その時の状況によっては、葉月の裸への羞恥心を半減させる意識を私(勝也)は植え付けなければならないからだ。

羞恥心を無くされては困るが、場面によっては、恥じらいながらも脱げるように仕込まねば前に進まない。

そろそろ葉月を、次のステージに進めなければならない。

それが、現在の為(な)すべき目標だった。

出先に呼び寄せたら、言いつけを守っているか確かめる為に、路地の片隅やホテルの廊下で真っ先にスカートを捲り上げた。

行き成り、あの膨らみを帯びた柔らかい茂みや丸い尻の双丘が見えなくてはいけない。

葉月は、何時も顔を赤らめ、周囲を気にしながら抗う事なくこの検査を受けた。

時々第三者に見られるかも知れないスリルも、結構良いものだ。

言い付けを守らない時は、「何でノーパンの言い付けを守らない。」と皮ベルトで尻を鞭打った。

「すみません、謝ります。」

「今後、謝るだけでは済まさない。守らない時は必ずベルトでお仕置きをするから、パンティを脱いで尻をこちらに向けて四つんばいになれ。」

「はぃ。こうですか?」と葉月は、丸出しのお尻を向けて私(勝也)の皮ベルトを待つ。

「この美しい尻を、赤く汚してやる。」

思っただけで加虐の期待が沸き起こり、私(勝也)の胸は高鳴った。

私(勝也)の皮ベルトがビシッと葉月の尻に食い込む。

白い尻の双丘に、赤い鞭跡が付く。

葉月は歯を食いしばって、「イ・・・ッ」と小さな声を上げる。

「ごめんなさい。今後一切逆らいません。言われる通りに致しますので赦して下さい。」

涙を目に浮かべて赦しを請うが、そう簡単には赦さない。

私(勝也)の言う事を、どんな事でも聞かなくてはなら無い事を肉体(からだ)に染みて覚えさせねばならない。

「ビシッ」

「イ・・・ッ」と、葉月はまた小さな声を上げる。

十数秒の間を置いて、五発、反省の時間を与えながら、私(勝也)はお仕置きをした。

以後、私(勝也)の言い付けを守らなければ即お仕置きをする事にしたら、葉月は今まで以上に言う事を聞くようになった。

あの素敵な葉月の尻に、ベルト鞭が使えないのが残念ではある。

その内、私(勝也)の言う事を聞こうが聞かなかろうが、鞭は使う積りで居るが、そろそろ、どれだけ言う事を聞くか、葉月の予想を上回る事態に追い込んで確かめよう。

葉月を他人の性玩具(おもちゃ)にして見たら、どんな反応を示すのだろうか?

考えただけでも、脳裏に嬲(なぶ)られる葉月の痴態が浮かんで、想像だけで股間を膨らました。

それで、私(勝也)がネットサイトで捜していると、「開放の時」と言う大阪のサイトで、大阪在住のSと言う男に出会った。

「出合った」と言っても、メール交換をしただけだが、こういう事に経験が多いらしく、こちらの希望が適えられそうだ。


十通余り、慎重にメール交換をした後、私(勝也)は大阪でSと合う事にした。

現れたSは、「こう言う時のルールですから、そちらの身元は詮索しません。ご希望を適える事をして、愉しませてもらうだけです。」と言った。

「妻は今回が初めてなので、半ば騙し討ちになりますが・・・」

「良いのですか?了解を取らなくても。家庭を壊すのは後味が悪いから御免ですよ。」

「まず、私の言い付けに逆らわないようには仕込んでありますから大丈夫でしょう。」

「そう仰(おっしゃ)るなら、それを信じましょう。処で、プレィはどんなご希望ですか?」

「そうですね、最初一緒に食事をして景気付けに少し酒でも飲ませ、後はホテルで行く処まで行って朝までタップリ・・・。」

「そうすると御主人を入れた三P(三人プレィ)ですか?」

「いえ、出来たらもう一人くらい男の参加が欲しい四P(四人プレィ)です。私は妻の写真も取りたいし。妻を椅子にでも縛り付けて、二人掛かりで嬲(なぶ)っていただいたり・・。」

「拘束して二人掛かりで犯させたい?本格的ですね、あと一人は私の友人で良いですか?彼なら手馴れている。」

「是非、そうして下さい。妻が身動きできずにメチャメチャに犯され、どう言う反応をするのか見たいのです。」

「そう言う希望を言われる方、結構多いですよ。お任せ下さい。」

依頼を話している間に、自分の股間が膨らむのを私(勝也)は感じた。

男達に犯される葉月の痴態を想像するだけで、この興奮である。

「いやぁ、思っただけでも興奮します。」

「連れて来るAもベテランですから、安心して下さい。二人でご希望通りに、遠慮なく犯らして貰いますから。」

「予定日が、待ちどうしいですね。」

「ハハ、今から興奮では気が早過ぎます。まだ日にちが有りますよ。」


この計画が進んでいる或る日、私(勝也)は葉月を抱いて欲棒を抜き挿ししながら、「そろそろステージを挙げないとね」と囁(ささや)いた。

一瞬だったが、葉月が反応して受け腰使いが激しく成ったようで、囁(ささや)かれた事の意味は理解したようだった。



私(勝也)はネットで知り合ったAとSを使って、葉月(はつき)にマルチタスクセックス(複数性交)を仕掛けた。

そしてその当日を迎え、私達(勝也/葉月)夫婦とAとSの四人は楽しく世間話をしながらワインを重ねながら食事をし、部屋に移って四Pを決行した。

葉月(はつき)は、お仕置きの皮ベルトが怖いから、お試し期間中の「生きた性玩具(おもちゃ)の身」としては「ハイ!」と返事をするしか無い事を悟っていた。

AとSの利き腕が二本、葉月(はつき)の尻に廻って手の平が尻肉を撫(な)で廻し、指先がモソモソと菊座の穴や二枚の肉花弁の間に潜(もぐ)り込んで弄(なぶ)り廻している。

その弄(なぶ)りに、葉月(はつき)は恥ずかしそうに顔を赤らめながらも身を捩(よじ)って避けもせず、股間を広げてAとSのお愉しみに為すがままに耐えている。

Aの手の平が指先が葉月の膝頭を撫でながら這い進み、太腿(ふともも)に達していよいよ大きく開放され露(あらわ)に成った股間の二枚の肉花弁に触(ふ)れる。

葉月の脳が、この先の欲棒の受け入れを意識してか、二枚の肉花弁のスリットの奥は既に淫液に潤んでいた。

その水々しく潤(うるお)った葉月の花弁の隙間に、Aの二本の指先が「さて、どんな声でさえずるかな?」と今コジ入れられて行く。

そしてその数十秒後には、指の抜き挿しに攻められて腰を浮かして身悶(みもだ)えながら、葉月はAに敏感な花芯肉ボタンやら二枚の肉花弁まで舐(な)め廻されて、確かにヒィヒィとさえずりながら耐えている。

海綿体の粘膜は性感帯で、男女の性器だろうが唇やア*ルの菊座だろうが鼻の穴の内側まで、擦(こす)れは快感に通じていて、Aはそれを同時に攻めているのだ。


性的行為に於いて、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)を刺激する興奮が必要である以上、その形態に確たる定型はない。

形態に定型が無い以上、社会的に「性的行為の、何処までが許容範囲であるか」の線引きは在り得ない。

だ、と言うのに、個人の感性で他人の性的行為をあれこれ判断するのは、明らかに間違いである。

そこまで行くと、その相手が単数であろうが複数であろうが、その形態がアブノーマルであろうが、合意の上の遊びなら何処に問題があるのだろうか?

元々遊びの性交に貞操観念など在る訳も無く、愛とSEXは脳の違う部位で情報として処理される。

従って、誤解を恐れずに提案するなら、不倫の性交に「愛の感性を条件」とするべきではない。

それ故、愛の無いSEXをするのは不倫ではなく只の遊びで、大いに愉しめば良い事なのである。

そして只の遊びであれば一度に多数相手のコレクティブセックスプレィ(集団乱交)が理想的で、相手は限定されない方が後腐れはない。

本能で言えば、人間の雄は出来るだけ多くの雌に種をばら撒くようにインプットされているのを、普段は自制心で抑えているだけである。

しかし亭主公認で素っ裸の女が目の前に居、その自制心を必要としない場面であれば、何も遠慮する事などない。

その男達にしてみれば、自分の抜き挿し攻めでその女がどんな表情を見せ、どんな善がり声をサエズルのか、舌舐め摺りしてその反応が愉しみに違いない。

つまり複雑な心境ながら、「この女を早く犯りたい」の彼らの想いは、夫の私(勝也)にも男として充分理解できるのだ。


女性が性交を受け入れる覚悟を決めるとスイッチが入れ替わり、そこから先は別の心理が働いて、当然脳裏に性交への快感期待も横切って犯られるのを待つ心境に成る。

つまりその時点で葉月(はつき)に心境に変化が在った上での事だから、心理が淑女も娼婦に変わてもけして異常な事ではない。

だから海綿体で出来た坊主頭のカリ首が肉体(からだ)の中に入って来て葉月(はつき)の内壁を擦(こす)りながら暴れれば、快感を覚えて無意識に受け腰を使って快感を求めても仕方が無いのだ。


丸裸に剥(む)いた葉月の柔らかそうな全裸体が眩(まぶ)しく、乳首が勃起(ぼっき)した二つの乳房、曲線を描いて括(くび)れたウエスト、チャーミングな臍(へそ)を堺に下半身に続く。

女の性(さが)と言おうか、無意識に見せ様と大股開きに股間を開いた葉月(はつき)の恥毛が絡むデルタ地帯の肌の下に、敏感な花芯ボタンが小さなピンク色の実を膨らませて、淡い光を放ちながら弄(なぶ)られるのを待っている。

恥毛が密集する柔らかく丸みを帯びたなだらかな恥丘の先に、実(サネ)と呼ばれる花芯ボタン、その下に二枚の肉花弁に囲われて縦に割れるスリットが、葉月(はつき)の股下に潜り込む様に見えている。

ソファーに固定して葉月(はつき)を男三人で攻め挙げた後、私(勝也)はAとSに葉月(はつき)を犯らせる三Pをユックリ見物する事にした。


当然ながら人間は、他の動物種のごとく「繁殖時期」を持たず、他の動物種では滅多に無いが、何時(いつ)でも犯れる「年中発情型」である。

簡単に言うと人間は、子創りを目的としない「擬似生殖行為」と言う生殖目的以外の「癒し目的」と言う性交を、性(さが)として必要とする生物である。

つまり発達した「脳の苦悩を緩和する(脳を納得させる)為の行為」として、生殖を伴わない遊びのSEX行為の合意が、人類の意識の中に「必要な行為」として与えられた。

人間のスケベ差を難しく言えばそんなものだが、簡単に言えば性交を愉しむ目的だけでも行為に及べるのがヒューマン(人間らしい、人間味、人間的)と言う事になる。

だからこそ、そのお愉しみ目的の「擬似生殖行為」と言う遊びの好適環境を仲間の合意で成立させ、肉体(からだ)だけのシエアリング(共同所有)する事が求められる。

為に夫婦が、浮気とは呼べないマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)を夫婦揃っての合意で遊ぶのが理想的である。

夫婦揃っての遊びの性交など、表面化しないだけで世間に幾らでも在る現実で、綺麗事で「信じたく無いから」と言って目を瞑(つむ)っていては、何時(いつ)までもそれを認められない。

葉月は、「自分の意思」と言う訳では無く私(勝也)に命じられて人前(ひとまえ)で一糸纏(いっしまと)わぬ素っ裸に剥(む)かれ、柔らかい肌を晒(さら)してしまった。

たわわな乳房に硬く立つ乳首や股間に開き気味に咲く二枚の肉花弁も晒(さら)され、葉月は顔が火照(ほて)る恥ずかしさを味わった。

目の前で妻・葉月の股間に他人の指が抽入され、スナップ(手首を捻って効かせる)が利いた手首と肘(ひじ)でリズム良く抜き挿しされ、二枚の肉花弁と指の隙間から愛液が噴出している。

どんなに美人で、どんなにスタイルが良くても、このグロテスクな女性器は性交の為の肉体の一部として違和感タップリに備わっている。

感じているのか、妻・葉月の顔が歪(ゆが)み半開きの口から「アァァァ〜。」と善がり声が漏れ、腰も抜き挿しのリズムに合わせるかのように見えている。

生々しく陵辱される妻・葉月を見せ付けられて、今更「しまった。」と想っても後悔は後の祭りである

遊びのプレィへの興味本位からこう言う形振(なりふ)り構わずの陵辱プレィ状況に陥(おちい)ったのだから、私(勝也)には黙って見守る以外他に選択枝など無い。

私(勝也)は妻・葉月が他人に好き勝手に犯られる状況にも拘(かか)わらず、「宜(よろ)しくお願いします」と容認の挨拶するしかない。


しかしそれだけで済む訳も無く、葉月にはもっと恥ずかしい公開性交が待っていた。

葉月ももぅ、素っ裸に剥(む)かれて中央に曳き出されてしまえば、他人前(ひとまえ)で多人数に犯られようが、一々深刻に考えても仕方がない。

肉体(からだ)をシエアリング(共同所有)する遊びの性交なんか、完璧に洒落(しゃれ)の乗りで犯るもので、そんなものは「浮気」とは呼べない。

今はもう、大きく開いた葉月の股間に欲棒がクィクィと抜き挿しされ、その腰の動きに連動して愛液に濡れ光る陰茎が見え隠れしている。

始まってしまえば、葉月も生身の女性だから、股間を貫いた欲棒が抜き挿しされれば相手の如何(いかん)に囚われず終わらない快感がある。

その遊びを、後で後悔するようなドロドロな気分なら色々と跡を引くかも知れないが、後悔するような気分でなければ爽(さわ)やかな性交を愉しむのみで跡を引く事は無い。


AやSに欲棒を挿し込まれた生々しい股座(またぐら)の恥部を大股開きの丸出しに、多くの突き刺さる様な視線を意識して燃え上がる羞恥心に葉月(はつき)の脳みそが溶けて行く。

欲棒を挿し込まれた生々しい大股開きの股座(またぐら)の恥部を丸出しにクィクィと腰を使い、葉月(はつき)は善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて腰を使い、抜き挿しを続けている。


こう言う事(他人との性交)をするには、女性は自尊心の為に事情が在って「仕方が無かった」と言う言い訳が欲しい。

そして「犯る」と決めてしまえば、性行為に「どこまで」と言う線引きなどは無い。

だから私(勝也)に命じられて「仕方が無かった」と言う言い訳があれば、実は本音は「かなりのスケベじゃないのか」と思えるほど他人(ひと)には言えない様な卑猥(ひわい)な事も、何故か結構アッサリ犯ってのける。

輪姦(まわし)の場合は、突き立てられた欲棒が絶頂に達して力を失っても、直ぐに引き抜かれて又次のいきり立つ欲棒が突き刺さって来て抜き挿しが始まる。

だから一旦治まりかけた葉月(はつき)の絶頂は継続し、休む間も無く肌に汗を滲ませ、その汗を光る雫(しずく)にして床に滴(したた)らせる。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が私(勝也)に取っては遥かに魅力的で、これは妥協では無く工夫である。

私(勝也)の立場では、例え素っ裸で他人前に曳き出されても、集まる視線に平然と気品在る好い女に葉月は躾(しつ)けられなければならない。

そして葉月は、生贄(いけにえ)として官能的に淫(みだ)らに、遊びの性交で腰が抜けるほど犯られ尽くさなければ成らない。


輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

イク状況に昇り詰めたままの性交が続けば、葉月にSEXハイ状態が続いて脳内麻薬ベーターエンドロフィンが脳内に発生され、一種の超快感状態に成る。

現に葉月は連続する性交で、カリ首のエラの海綿体が感度良く内壁を擦(こす)る抜き挿し攻撃に、脳みそがトロケ出して居た。

私(勝也)の目の前で、葉月の肉体の中心を貫いたまま股間に生々しく抜き挿しされるリズム良く激しい欲棒のピストン運動に、葉月は快感に顔を歪ませながら左右に嫌々をしている。

その葉月の反応にも構わず入れ替わり攻め立てる淫茎は、抜き状態では濡れ光り見え挿し状態では根元近くまで中に達している。

過酷な状況に在って、葉月も既に限界は過ぎて居るかも知れないが、此処はもぅ意地と根性で頑張り、歯を食い縛って快感に耐えながら受け腰応戦をしているのが見て取れる。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は葉月には無い。

行き着く所まで犯ってしまえば、葉月はもぅ犯ってしまったのだから私(勝也)にそれを改めて否定する材料は無い。

そして避けられない性交遊びであれば、全員を満足させる到達点に到るまでは葉月は愉しみながら犯って見せるしかない。


赤の他人の欲棒をズブリと柔ら壺に咥(くわ)え込んだ葉月(はつき)の腰が、勝也の目の前で生々しく踊っている。

今、男達に肉体(からだ)を弄(もてあそ)ばれながら柔ら壺に欲棒が抜き挿しされる生々しい情況に、夫である勝也の視線が注(そそ)がれている事を、葉月(はつき)は自覚しながら犯されていた。

ユックリ・ジックリと弄(イジ)るのがこう言う時のプレィの王道である。

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)を「全然嫌で無い」となれば、本音で愉しめる。

正直葉月が嫌で無ければ、この異常な興奮と被虐の快感にいずれ病み付きに成る。

夫婦共犯の遊びのマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)など、葉月が犯りたくなければ私(勝也)に断れば良い。

だが、幸せの形は人夫々(ひとそれぞれ)で、そこで現実に、「実家の危機を救う」と言う「理性(左脳域)」の打算が葉月に働くものなら、打算がこの「遊びの性交理由」に成っても不思議は無い。

他人に預けられてのSM調教やマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などの行為は、被虐感タップリで刺激的な行為である。

脳が欲しがる人間の感性なんてそんなもので、人間の遣る事だから一見奔放(ほんぽう)のようでもデタラメは難しく、油断すると秩序立ってしまう。

つまり葉月は、新しい性交快感をそれなりに肉体的に納得し、それにもっともらしい理由を構築して遊びの性交ウエルカムの現状を見事に肯定してしまった。


非日常の刹那を愉しむ性交など本当は「有り触れた話」なのに、何故か「特別なものだ」と信じたがる狡(ずる)さが人間にあるのかも知れない。

遊びの性交ならエゲツ無いほど中身が濃くなり、最後の所で節度を保てば後はどんな卑猥(ひわい)な事を手加減や妥協が無い真剣勝負でさせても良いのが遊びの性交である。

この場の葉月(はつき)は、抗(あらが)う事が無い性玩具(おもちゃ)と言う被支配状態だった。

Aの奴は壁に寄りかかり、妻は両手を開いてその男の腰の辺りの壁に手を着いて身体(からだ)を支え、その男の腹の辺りに妻の頭が在る。

壁に寄りかかったAの奴の両手は、葉月(はつき)の頭を両側から支えてリズム良く上下にリードし、葉月(はつき)はAの奴の欲棒を咥(くわ)えている。

至近距離で斜め下方を見下ろす私(勝也)の目に、首を固定した形で上半身を使ってリズム良く葉月(はつき)の頭が上下しながら欲棒をシャブっていて、その口元に濡れ光る陰茎が見え隠れしている。

私(勝也)が少し腰を落として覗き込むと、せわしなく頭を上下に振っている葉月(はつき)の口元で奴の陰茎が見え隠れし、欲棒を咥(くわ)えた顎(あご)の下で、肉玉袋が踊っている。

欲棒を咥えた葉月(はつき)の口元からは、白濁した涎(よだれ)が床に糸を引いて垂れ流しながされている。

もう一人のSの奴は、前屈みにフェラチオをして居る葉月(はつき)の白くコンモリと二つの丸みを魅せる生尻に後ろから取り付いて欲棒を柔ら壺に挿し込んで居る。

Sの奴は、腰を使ってクィクィと抜き挿しをしていて、こちらも私(勝也)に「どうだ。」と言う様に葉月(はつき)の秘所で愛液に濡れ光りながら陰茎を見え隠れさせている。

前屈(まえかが)みの葉月(はつき)の、白くコンモリと二つの丸みを魅せて突き出された尻の谷間に、ズブリと挿し込まれたSの奴の欲棒が、愛液に濡れ光る陰茎を見せながら抜き挿しされているのを見れば、それは誰だってエキサイト(興奮する)。

Sの奴の抜き挿しの腰の動きに共鳴して、下半身の一点で繋がった肉体(からだ)と肉体(からだ)がシンクロ(連動)して打ち震え、明らかに葉月(はつき)は感じていた。

つまり異常な状況に置かれて、葉月(はつき)は不覚にも感じてしまったのだからそれは素直に認めねば成らない。

恍惚(こうこつ)の表情を浮かべ絶え間ない善がり声をあげて腰を使い、奮戦する葉月(はつき)の痴態(ちたい)を目撃し、私(勝也)はモヤモヤとしたエロス効果に入り込む奇妙な感覚に襲われていた。


性交をする間柄は、さしずめ法的には密接交際者と言う事に成るのだが、現実と乖離(かいり)する事に、そこに「遊びの性交」は前提とはされて居ない。

つまり建前上は、性交をする間柄に「情」が無い「遊びの性交」は存在するにも関わらず法的範疇に存在せず、前提とはされて居ない矛盾がある。

簡単に言ってしまえば、認めたくない現実に蓋をして「社会での蔓延を抑止しよう」と言う計算で、建前上無いものは承知していても無視して済ませようとするのだ。

考えて見れば「馬鹿な事を・・・。」と批判するのは簡単であるが、人間の感性は算数ではなく、辻褄が合わない事をするから息抜きが出来る。

まぁ大概の女性は、マルチタスクセックス(複数性交)ともなるとシュチエーションが刺激的で性感がマックス(絶頂)まで上がっての性交で、得られる快感は単独相手の何倍にもなる。

亭主公認なら、表バレする世間体(せけんてい)の心配さえ無ければ自尊心は「仕方が無かった」と納得して、実は性交への興味は「相当強い」と言う事である。


私(勝也)の遊び仲間内のお遊びで、諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せで「他人前(ひとまえ)で性交して見せる」と言う同じ事でも、心の持ち方で受け取り方はポジティブにもネガティブにもなる。

勿論ポジティブが大事で、輪姦(まわ)掛けに遭ったら此処では一人終われば「有難う御座いました。」と礼を言い、また次の男に股を開くルールだ。

乱交が続き、相手の数が多ければマックス(絶頂)に追い込まれてからの犯られて居る時間が永いのだが、根性の粘り腰で性交を続け非日常の刹那を愉しむ。

口もあそこも二本の欲棒で塞がって、なるほどこうなってしまえば葉月(はつき)は、男達の勢いで犯られるだけで周囲の視線などは気にしては居られない。


短い様な永い様な時間が流れ、一番目に犯り終えた方の常連のSと言う奴が一呼吸してから勝也に挨拶に来る。

「あっ御主人、快適にイカして貰いました。奥さん(葉月/はつき)流石(さすが)ですね。それに御主人の前で犯るのは興奮します。」

その言葉に、Aと言う奴が葉月(はつき)を犯りながら口を挟む。

「だな、確かに快適な犯り心地だ。」

目の前で、葉月(はつき)が壁に手を着いた形でバックからAに欲棒をクィクィと打ち込まれ、乳首が立った柔らかそうな乳房を揉みしだかれて身悶えている。

つまり葉月(はつき)は、為す術(すべ)もなく見守るしかない状況で、今はAの奴と「快適」に犯っている事に成る。

勝也は葉月を大勢の男に陵辱させ、欲棒を勃起させて眺め、脳をトロケさせる様な刺激が欲しかった。

葉月の乱交デビューは素晴らしい内容で肉体(からだ)も良く動いて居たし、欲棒を受け入れてからの腰の動きも言う事が無い。

相手の男が無遠慮にガブリ腰で突いて来るのを、葉月がクィクィと受け腰で応戦する。

相手の男にグサリと嵌(は)め込まれた陰茎が、愛液に濡れ光ながら葉月の股間に生々しく見え隠れする。

性器と性器の海綿体が抜き挿しで接触し葉月に快感が襲って来るが、葉月にとってはここは踏ん張り所だった。

「エッ、淑女である葉月が何故、受け腰を使う娼婦に変身したのか?」ってか?

それはもう葉月が、私(勝也)の目の前で、股間に挿さった欲棒を他人前(ひとまえ)の晒(さら)し者状態で「抜き挿しされる」と言う非日常のリアルな性交状態に在るからである。

通常の状態で葉月が性交を考えるのは「理屈(理性)」だが、坊主頭のカリ首の海綿体に肉内壁を擦(こす)られ続ける性交最中の葉月は「感覚(感性)」だけである。

つまり肉体的「感覚(感性)」がモロに脳に伝わって来るのだから、快感を貪(むさぼ)るが先で嫌とか恥ずかしいなどの「理屈(理性)」を考えている暇は葉月に無い。

葉月にしてみれば、私(勝也)の前であれだけマルチSEX(複数性交)の快感に痺(しび)れ、欲棒を咥(くわえ)た腰を浮かせて振ってしまえば、今更格好を付けて「その性交遊びが嫌だった」とは言い難い。

むしろ、思わず向かえ腰クィクィで応じて快感を貪(むさぼ)ったそのマルチSEX(複数性交)は、正直な所「凄く気持ちが良かった」としか葉月には言い様がなかった。

しかも二人の他人が、その快感を貪欲(どんよく)に貪(むさぼ)る葉月の、欲棒を咥(くわ)え込んだ生々しい腰使いの様子を目撃しているから、その二人にも今更格好は付けられない。

その場はもう、開き直って淫乱女の振りを押し通すしかなかった。


終わってから、「うん、今日は奥さん(葉月)に中々良いものを見せてもらった。奥さん、今日は内容が良くて素晴らしい出来でした。」と相手の男二人に褒められていた。

こんな事は、別に「世間に公表すべき」とは想わないだけで、何を犯っても「夫婦が遊び」と認め合えば良い事である。

どちらにしろ遊びなのだから、犯られたからと言って被害意識など持たずに、ポジテブに積極的に愉しんで犯れば全ては良い方に解決する。

葉月は「こんな事は何でも無い」と言う風情を装い、強がって、「夫の気が向けばまた次を宜しくお願いします。」とそれに応じた。

葉月の股間には、まだ何か突き刺さっているような感覚が残っていた。


愛の無い性交には、世の中では建前として批判的である。

益してや遊びの性交など「持っての外」と言うかも知れない。

しかし一般的に、恋は一瞬の閃(ひらめ)きと伴に遣って来るが、愛は月日の積み重ねで築き上げるものだ。

「惚(ほ)れる」と言う事は「恋する」と言う事で、この時点で性交を許す間柄に成るのであれば、それを愛と想うのは勘違いである。

つまり愛情は、永い時間を掛けて育つべき奥深い精神である。

だから「惚(ほ)れたから」と言って、性交を許すその時点では互いの間にはまだ愛情など存在する訳が無い。

そう成ると、愛情が性交の絶対条件ではないのだが、愛が無い勘違いでも性交すれば肉体(からだ)は快感を感じる。

言うなれば、肉体(からだ)は愛情と関係なしに、性交すれば感じるように出来た居る。

その証拠に大人の玩具(おもちゃ)を使って試せば、愛情に関係なく肉体(からだ)はかなり強烈に性感を感じる。

つまり人間の肉体(からだ)は、愛ではなく「好み」と言う短絡的な感性だけで性交に到っても、犯れば充分に快感を感じる訳である。


昔の認識では、十八歳が自然に女盛りの年齢だった。

所が現代では、自然に逆らうように三十歳(みそじ)過ぎの晩婚が当たり前に成りつつある。

しかし女性も三十歳(みそじ)とも成る頃には、少なくとも四〜五人の男性経験が在るのが一般的である。

これをその都度「愛が在って」と弁明した所で、そんなに早く醒(さめ)める愛は愛では無いではないか?

そこで「ものは考えよう」だが、どうせ人間は生きている限り他人と関わりを持つ。

その関わりが夫婦の人生に於いて、確信的に只の通りすがりの性交遊技で在っても良いではないか。

どの道人間は、生き行くだけで「あらゆる穢(けが)れ」と向き合いながらの人生を送る。

だから性に対して不自然に潔癖で在る事は、それだけでもう人間性を病的に失っている事に成る。

であるなら、「性交を愉しみたい。」と言う別の短絡的な感性だけで、遊びの性交に到っても不思議は無い。


私(勝也)は、父親からもある催促をされていた。

「どうだ勝也、あの葉月と言う娘の教育、少しは進んでいるか?」

「えぇ、段々と。今は二人ほど呼んで、マルチタスクセックス(複数性交)に馴れさせる為に三人で輪姦(まわし)をさせています。」

「生ぬるい。もっとギュウギュウ輪姦(まわし)て、早く家風に染める修行まで持っていけ。」
「判りました。急ぎます。」



◆夜鳴く蝉・葉月◆

第三話(個人アダルトサイト・投稿)
◆◇◆◇◆第三話(個人アダルトサイト・投稿)◆◇◆◇◆◇

私(葉月)はソファーに縛り付けられて固定され、剥(む)き出しの股間に、陰毛茂る恥丘、敏感な実(サネ)、パックリ開いた二枚の肉花弁と濃い桃色の柔ら壺の入り口、ア*ルの蕾まで 晒(さら)して見せたのです。

もぅ、何をされても抗えません。

二人の客と勝也に輪姦(まわ)されてヒィヒィ言わされました。

でも、私(葉月)にはそのアドレナニンが脳内を決壊(けっかい)させた興奮に拠る脳内麻薬・「ベータ・エンドロフィン」の脳内快感が、家に帰ってまで残っていました。

後で聞きましたが、あの日のAさんとSさんは古い友人ではなく、勝也がネット上で探したこう言う遊びのパートナーでした。

そう言う相手とコンタクトできるサイトがあるそうです。

勝也は、そのうち機会が有ったら「また相手を募集する。」と言いました。

この日撮った写真は目線引きで私(葉月)の顔を隠し、Sさんが常連にしているネットサイトに勝也が投稿するそうです。

私(葉月)を可愛がって下さったSさんが常連にしているネットサイトは、大阪で運営されていました。

勝也から、「この間の写真が掲載された。」と嬉しそうにネットサイトのディスプレー画面を見せられました。

見て驚きました。

画面いっぱいに、私(葉月)が大股開きで玩具や欲棒で男達に嬲(なぶ)られている恥ずかしい写真などが、十枚程載っていました。

それも私(葉月)が複数の男性に同時に目一杯攻め立てられて、堪(こら)え切れずに善がり捲くっていて、勝也に言わせると「良い表情」をしている写真です。

サイトで募集すると、3Pや乱交、輪姦などの参加希望者は大変多く、皆さんアクセスして良いお相手捜(あいてさが)しをしているようです。

その投稿画面ですが、線で目を隠していましたが何しろ線を一本引いてあるだけで、良く知っている方なら私(葉月)と判ります。

勝也にその事を言うと、「おまえは綺麗だから、本当は目線の目隠しもしたくない。」と言われました。

添え書きには、「お相手してくださる方募集中」とあり、勝也はまだ私(葉月)を陵辱させる遊びを企んでいるようです。

自分のあられもない写真を見ると、その時の自分が思い出されて気恥ずかしいのですが、閲覧の皆様から多くのコメントが寄せられ、それを読むのは楽しみです。

他人が見たら立派な露出狂がですが、その気(け)が元々在ったのかその羞恥心が葉月の本音では快感だったのです。


この投稿、実はチョットした波紋がありました。

思わぬ出会い(再会)があったからです。

それで、出石誠が簡単に私(葉月)から身を引いた訳を知りました。

強力な恋敵の出現で私(葉月)との結婚を諦めた出石誠は、岡山を離れ大阪に居ました。

出石誠は大阪で生活基盤を作り、新しい恋人を見つけ結婚し相変わらずIT企業に勤めているそうです。

彼はPCの技術力を生かせて職場に内密で個人HPを運営していたのです。

実はそちらの方で本業を数十倍凌ぐ、かなりの副収入を得ていました。

インターネット社会が進歩を続け、ネット長者が球団やテレビ局の買収騒ぎを起こす影で、雨後の筍の様に様々なニュービジネスが誕生しています。

その中に性風俗を扱う物があります。

旧来の風俗業界、アダルト映像業界などもHPのネットに参入していますが、それとは少し違う「現代風俗文化」とも言うべきものが、個人HP通信の発達とともに醸成されていたのです。

出石誠のハンドル名はリーフ・ムーンと言い、HPの内容は、「解放の時」と名を付けた個人運営のアダルトサイトで、趣味が高じて何時の間にかそのマニアの間では一目置かれる存在になっていました。

彼(出石)には妻の他に趣味の合う女友達が三人ほど居て、相手に不自由は無いそうです。

彼(出石)は、妻やその三人との私的な性の交際記録を映像で公開していたのです。

それが当って、日に数千、多い時では万に達するアクセスを獲得、リンク希望者も殺到して終(つ)いには一部の公開を「解放の時・メンバーズクラブ」として有料化に踏み切っていたのです。

この有料化が成功し大金を手にしている為、彼の妻も積極的に協力しているそうです。

その道で有名サイトと言う安心感からか、イレギラー単発の輪姦体験希望の若い女性も多く、それらの願望を叶える企画を催す代わりに、映像の使用権を確保してもいました。

流石(さすが)人気が出るだけあって、妻や交際相手の女性との様々な性行為の記録映像をモザイクでギリギリに合法化し、大胆に公開しています。

他の同好の士と合同で開催した性交流会の記録を公開し、或いは交際女性の輪姦会を開催して希望参加者を募り、一対十四の壮絶輪姦映像記録公開など、見所充実サイトでした。

当然の事ながら、妻と三人の女友達は性癖願望が出石の趣味に一致していて、「別に強制されている訳ではない」と言います。

実を言うと、子持ちの人妻も混じって居たのですが、夫との単調な性生活の穴埋めに、年に十数回ほど出石の所に「はけ口」を求めていました。

夫を愛していてもそれだけでは物足りず、日常の平凡な虚無感から逃れる為の精神安定に必要なのだと、その心理状態をサイトで説明していました。

やはり安心安全に身体だけの関係が必要で、情は挟まない場所が良いのです。

情を挟むと、家庭や社会を壊します。

ただのスポーツ見たいな身体だけの遊びが好ましいのです。

ここれらサイトはリンクなどで互いに連携して閲覧者を紹介しあっています。

互いのコンテンツを増やす為に写真や映像の投稿提供、互いに交流を深め手持ちの女性(妻や恋人など)を派遣しての調教依頼や合同スワップなどして、親密さを増して関係を深めて行くそうです。

こうした性行為をさせる仕組みを合法的に運営する為には、原則として金銭のやり取りはありません。

参加費用は実費割り勘払いで別ですが、売春に成らない為にサイト運営者はその女性の提供(犯らせる事)は無償の行為としています。

夫婦で運営しているサイトも多く、最初は個人的趣向が動機でも直ぐに収入に出来る事が判り、有料サイトを併設するのが殆どだそうです。

収入の方は、そうして無償提供された女性の性行為の場面を画像や映像で「有料契約のメンバーにアクセス視聴させる」と言う手段で「ネット配信営業をして稼ぐ」と言う事になります。

コンテンツが良ければ、かなりの有料契約が見込めます。

つまり自分の妻や恋人のあられもない動画映像や写真を売る事になるのですが、この有料サイトは凄いアクセス数で、当ると想像を絶する収入が毎日振り込まれる事になります。

元々設備投資の元手が掛からず、モデルも素人が売りだから自分の妻などの自前で年齢も必ずしも若くなくても良く、安上がりに稼げます。

ネットを利用していますから、田舎でもマンションの一部屋でも可能で、最近は若手の一旗上げカップルも大胆に私生活を公開して、参入し始めていそうです。

しかし世の中の常で、この仕事も遣り出したら手は抜けません。

画像更新の努力を怠るとユーザー離れがあるし、中身も奇麗事ではアクセスが少ないのです。

勢い、激しい内容が要求される様になり、次々と妻や恋人を貸し出し調教やSM調教、輪姦の生贄に提供して話題と映像を得る経緯になります。

リアリティがあり、過激この上ない所までエスカレートするから、プロの業者の物より人気があります。

それでもこの個人ビジネス産業、女性パートナーの了解と協力の元で運営しているから、無修正の猥褻画像と認定される事や十八禁に触れない限り、法的には活動を制約されてはいないのです。

こうした下支えがあって、初めてIT産業が進歩し、ネット文化が成熟して行くのに、建前主義の世間では目の仇にされます。

そんなに上辺の良い所だけで、「世の中進歩する」と信じているのでしょうか?

どうした繋がりなのか、出石のサイトに登場する看板女性は妻以外に三人居て、いずれも相当激しい行為を出石辰夫(タンク)に提供し、その映像を公開する事を許しています。

出石はそのHPサイトの画像更新の為に有料メンバーに参加を呼びかけ、妻や手持ちの女性を提供してオフ会や輪姦会などのイベントを開催していました。

それも、SMやら多人数の輪姦やらを一人または二人、四人一度に登場する事もあるのです。

出石の相手が自分だけでない事も女性達は互いに知っていて、どうやら三人とも愛情関係と言うよりは、「共通の嗜好を互いに満足させる為の協力関係」と言った同志的繋がりと推測されます。

大きな契約件数を得、現在急速に拡大して大型の事業に変貌しつつある個人サイトも出現して来たそうです。

中には「ワンクリック」と呼ばれる悪質業者もいて、覗いただけで法外な料金を請求する所もあるそうですが、趣味のサイトから成長した所は、比較的良心的な所が多いと言われています。

個人サイトが優良サイトと評価が高いのは、運営者の気持ち半分が、「趣味の仲間を増やしたい」と言う目的を持ち合わせているからで、新規の参加者も結構多いようです。

有料一辺倒のサイトより、無料公開画像が多い処ほど、有料メンバーにも良心的で、基本姿勢が信頼されます。

こうしたサイトは知らない間に増殖し、現在多数(平成十六年で二千三十件のサイト稼動)が存在し、PC時代の新しい隙間成長産業として風俗ビジネスモデルとなっています。

出石誠(リーフ・ムーン)のウエブ・サイトもそうしたサイトの一つで、当局に対しての「映像送信型風俗特殊営業許可及び無店舗販売型風俗営業許可」もしっかりと届出済で、闇サイトでは無いそうです。

たまたま、勝也が私(葉月)の写真を投稿したSさん常連のサイトが、出石誠が運営しているサイトだったのです。


私(葉月)は直ぐにそれと気が付きました。

勝也にはPC操作が苦手な事になっていましたが、実は得意なので、留守に勝手に覗いたのです。

気が付いたのは出石のハンドルネーム、「ムーン・リーフ」が、ずばり私の名前なので「もしや?」と思ったのです。

サイトの頁を隅(すみ)まで見て、出身が岡山だったので「間違いない」と確信を持ちました。

世の中、狭い物です。

相手の誠の方も、写真を見て私(葉月)と気が付いていたらしく、その写真の被写体の情景には驚いたようです。

元の恋人が、付き合っている時からは想像できない大股開きの姿で、男二人に嬲(なぶ)られているのですから・・・無理もありません。

それにしても、こんなソーシャルセックス(社交的な性交)と言う過激な遊びをしているなんて恥ずかしくて実家の両親には言えません。

しかしその恥ずかしさが私(葉月)の脳を刺激してドーパミン(神経伝達物質)を発生させ、脳内麻薬・ベータ・エンドロフィン(分泌ホルモン系脳内物質)が生成されるのです。

ベータ・エンドロフィンは快感を誘発する脳内麻薬だから性感を相乗的に過敏にし、為に周囲の目も忘れて積極的に性行為に没頭させる効用があるそうです。

勿論、肉体的には自然無害な脳内麻薬ですが、その非日常行為の快感は脳に確り記憶されるから癖に成っていて、再びお遊びの誘いが掛かればリピート(反復)には応じます。

相手が替わりばんこですから、あのイッてもイッても相手が替わってまた犯される、息が詰まる様な途切れないアクメ(絶頂)快感地獄が、また味わえるからです。

言わば一度食べてしまったご馳走が忘れられず、誘われれば脳に記憶された快感を思い出してまたイソイソと犯られに出かけて行くのではないでしょうか?

他人に預けられてのSM調教やマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などの行為は、被虐感タップリで刺激的です。

そして「仕込まれる」と言う事はそう言う事なのでしょうが、一度その被虐の性交の味を覚えてしまうと脳や肉体(からだ)がその刺激を求めます。



◆夜鳴く蝉・勝也

裏三話 投稿した葉月の写真画像

◆◇◆◇◆裏三話(投稿した葉月の写真画像)◆◇◆◇◆◇

私(勝也)は、先日の4P慣行で得た葉月の陵辱写真の中から「開放の時」に投稿する写真を選んでいた。

葉月の調教が第二ステージに進むには、「葉月の意識改革」と言う目標がある。

元々愛は独占欲であり、SEXは「種の存続」と言う本能で、これをごちゃ混ぜにするから生きて行く上で答えが出ない。

言い変えれば、愛は精神的なものであり、SEXは肉体的なものである。

この二つを別な物と考える意識を、身を持って葉月に植え付ければ、彼女の人生は明るいものになるだろう。

それで私(勝也)は、半ば騙し討ちに愛と言う精神的なものを介在しない性行為を、赤の他人相手に葉月に体験させた。

愛が介在しないからこそ、相手は見ず知らずの複数が良い。

そこには肉体的接触があるだけだ。

それで、十二分に性的快感を味合わせて、肉体の喜びが精神とは別の所に有る事を認識させる。

実の所、訳在ってこれを教え込まないと葉月は加賀美家の嫁には成れない。

ホテルに食事に誘い、私(勝也)は男達を引き合わせた。

食事中は黙っていたが、葉月には薄々こちらの意図は考え付いたようだ。

何時もより葉月の酒のペースが速い。

しかし、ここは押しの一手で押し切った。

葉月には、元々性格的に相手への思いやりがあり、他人を巻き込んだ事を、途中で自分が異を唱えて壊すような事はしない。

部屋に向かう廊下を歩く時には、ほぼ覚悟を決めたようだった。


目の前で、葉月が戸惑いの表情を浮かべながら、椅子に固定されて男達に陵辱されている。

葉月の色白い肉体(からだ)の全てが男達の前に晒され、乳房も花芯ボタンも花弁の中も手やバイブレーターで自由に嬲(なぶ)られている。

スローモーションのように、葉月の表情が快感に歪みながら、様々に変わる。

「葉月、とっても良いよ、凄く良い表情だ。」

シャッターを切りながら、私(勝也)は心の中で叫んでいた。

そう、葉月を愛すればこその心理がそこにはある。

「陵辱される葉月の秀麗な戸惑いの表情」に、私(勝也)は想像以上に胸をキューンと締め付けられる興奮を覚えた。

葉月が男達に達に弄ばれる姿を見て、勝也は葉月を本当に「愛しい」と思った。

私(勝也)は自分が葉月をこよなく愛している事を、強く実感したのだ。

それから朝まで、三交代で葉月を犯し続けた。

実際、葉月にしても、例えめぐり合わせの遊びのプレィでも性交をする以上は粗相(そそう)が無い様に気を使う。

つまり、「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの快感に努力するのが、置かれた立場の最低限の礼儀である。

葉月の柔ら壺の内壁を擦(こす)る男達のえらが張ったカリ首の、陰茎だけが愛液に濡れ光りながら見え隠れしている。

家の寝室では聞こえないような、葉月の善がり声と身悶(みもだ)えも印象的に観えている。

そして大人の男女の成熟した性器と性器が正常に抜き挿しされて海綿体が接触すれば、得られるのは神の与えた「快感」である。

だからその結果として、葉月が夫の目の前で腰を浮かしてヒィヒィと「気持ち良がって」も、何人(なんびと)もそれを非難出来ない。


葉月は当日の輪姦プレィの場では強がって耐えて居ても、家に帰えれば張っていた心が崩れて泣きながらまだ他人の抜き挿しの感触が残ったまま亭主と性交に及ぶ。

それで葉月は互いの愛情を確かめて、漸(ようや)く倫理観の負い目を吹っ切る場合も多い。

しかしそれは感情的なもので、葉月の肉体(からだ)の方は充分にマルチSEX(複数性交)プレィやマルチタスクSEX(同時実行性交)の強烈な快感を記憶してしまっている。

そうなると性癖を植え付けられた葉月は次のプレィのお誘いを断れないから、まぁ順調に環境が整えば人類は皆快楽性交マニアである事を否定は出来ない。


葉月のあられもない陵辱画像が、「開放の時」に乗った時は、流石に私(勝也)も胸がいっぱいになった。

愛しい葉月(はつき)の痴態を、自分が全国に晒したのだ。

掲載された画像を葉月に見せると、「これでは誰か判る」と抗議めいた事を行ったが、取り合わない。

それでも、自分宛に送られてくる書き込みは熱心に見て、少し嬉しそうだった。

「見せたくないし、見られるの嫌だけど、見られて不思議な気持ち。何なのかしら?」

葉月には、見られる事に、何か違う感覚が芽生えているようだ。

二人三脚で暮らしていると、自然に二人の雰囲気も打ち解けて来た。

葉月(はつき)は、進歩こそして居るがまだまだ加賀美家の嫁としては理想的な所まで到達していない。

彼女の両親も、加賀美家の嫁として仕込む事を希望しているのだから、遠慮はしない積りで居る。

私(勝也)や加賀美家の指示する全てが、葉月(はつき)の生活の一部として自然に受け入れられる様に成るのが理想だ。

少し葉月の調教が軌道に乗ると、私(勝也)は遊びメンバーの常連・Sさんに葉月の調教を任せて月に一〜二度身柄を預けた。

理由は「他人の方が遠慮なく調教をする」と思うからだ。

これから紹介する事は、常連・Sが私(勝也)に報告した調教エピソードの一つである。


常連・Sは、良く郊外の続き長屋式の飲食店街で経営していた十五坪程の小さなスナックに葉月を犯らせに連れて行った。

そこでSは、以前からマスターに葉月を弄(なぶ)らせていたのだが、或る日その積もりで行って見ると、その店の経営者が代わっていた。

その出来事は、真夏の暑い夜の雷鳴が轟く雷雨の中、Sと葉月の男女二人連れが飛び込んで来た事に始まった。

確か、先程まで賑(に)ぎわっていた客が一気に引け、店を一瞬静寂が包んだ閉店間際の時間帯だった。

店に男女二人連れが飛び込んで来て、男の方が入って来るなり顔を見て「あれ。マスター代わった?」と聞く。

「えぇ、一月半ほど前に居抜きで譲ってもらいました。」

「へぇ〜若いマスターなのに店持ちとは、大した物ですねぇ」

「いぇ、親掛かりで自慢にはなりません。」

カウンターに座ったその一組は、「もぅそろそろ看板ですが・・・。」と言うマスターに「まぁそう言わずに、つまみは要らないからビール一本だけ飲ませて」と言う。

そう言われれば無下には出来ず、瓶ビール一本とグラス二個をカウンターに乗せると、二人連れは受け取って飲み始めた。

男性は四十歳前後で、柔道かレスリングでもやりそうな立派な体格をしていて、半袖の薄いグレーのチエック柄のワイシャツに黒のスラックス、はち切れそうな腹をベルトで押さえていた。

女性(葉月)の方は見た所三十路に入ったばかりと見え、ゾッとさせられるほど掛け値無しに美形だった。

その女性(葉月)は、何故か白色長袖のシャツブラウスで、手首の所まで袖を下ろしてボタンも確り止めれられ、下は紺色のスカートを穿いて居て地味な格好に「オヤッ」と思った。

夏場のこの時期の格好は多少肌を露にするのが普通で、女性(葉月)の袖のシャツブラウスがこの季節に馴染まなかったからだ。

不審がってその袖口に目を止めた所を、男性(S)の方が観逃さなかった。

「長袖が不思議ですか?」

「あっ嫌、この時期珍しいと想いまして・・・。」

「いぇね、こ奴(いつ)が好き者でしてね。」

「長袖がですか?」

「そうじゃなくて縛(しば)かれるのが好きで、長袖は手首に着いた縄跡を隠す為でして・・・。」

客は、「今ラブホで一攻めしたプレイの帰りだからビールが上手い」と妙に冷静に凄い事を言った。
そして、そう指摘された同伴女性も、平然とそのやり取りを聞いている。

「手首に着いた縄跡ですか?」

「縄の縛り跡です。こ奴(いつ/葉月)は虐(いじ)められるのが好きなM女(マゾ)でしてね。おぃ、袖を捲くって手首をマスターにお見せしろ。」

「私がM(エム)好き何て嘘ですよ。この人が犯れと言うから、縛(しば)かれるお付き合いをしているだけですのよ。」

女の方が、袖口のボタンを外し袖を捲くりながら言い訳をする。

袖口から現れた手首には、くっきりと縄目の跡がある。

「こ奴(こいつ/葉月)は好きでしてね、縄掛けして可愛がるとヒィヒィ喜ぶんですよ。」

「それじゃあこのM女(マゾ/葉月)さんは、あなたの言う事は何でも聞くのですか?」

「聞くよ何でも。聞く所を観たい。観たいんですよね。」

「そりゃ、このM女(マゾ/葉月)さんが何処まで聞くか見たいですよ。」

冗談だと想いながらカウンター越の会話が続き、男は決定的な一言を発した。

「おぃ、リクエストだ。服を脱いでお前の肉体(からだ)を全てお見せしろ。」

「はぃ。」と冷静に、羞恥心も無い風情でM(マゾ)女性(葉月)がシャツブラウスのボタンを外し始め、既にブラジャーに守られた乳房が現れている。

それを観てマスターは慌てた。

正直水気の無い仕事をしている方には信じられないだろうが、自分(マスター)みたいなスナックやタクシーなんぞは、年に一回有るか無いかでこう言う露出癖の怪しい客にも出くわす。

閉店時刻を廻った雷鳴が轟く雷雨の中、このタイミングで新たな来客が在るとも思えないが、ここでこのM(マゾ)女性(葉月)に勝手に裸に成られて別の客でも入って来ては店の信用が堪らない。

しかし目の前の女性は、淡々とブラウスを脱ぎ捨てブラジャーをも外し、乳房を露出して下半身のスカートに取り掛かる勢いである。

そりゃあ個人的には、こんな美人の裸を拝めるなら止めはしない。

だが、店をやっている身では別の心配もある。

「チョット待って下さい入り口の鍵だけ閉め為すから。」

私は慌ててカウンターの内側からフロワーに飛び出し、入り口の方へ駆け出した。

「それじゃあ、帰って来るまでにこ奴(いつ/葉月)をスッポンポンに脱がしときます。」

後ろから男性の声が追いかけて来るのを聞きながら必死で入り口のドアに辿り着き、鍵を掛けて振り返った。

視界に入ったM(マゾ)女性(葉月)は、ちょうど中腰になってパンティをずり落とした所で、それでマスターは慌てて店のフロントガラスのカーテンを引いた。

店内の証明は落として居ないから、フロントガラスの外から店の中が丸見えだった。

最小限の対処が終わり、カウンターまで近付いた時にはそのM(マゾ)女性(葉月)は既に、乳首がツンとたった円錐形の乳房も股間の二枚の肉花弁も露(あらわ)な、淫をかもし出す全裸で待っていた。

しかも戻りながら観たその彼女の裸体の局所局所に縄目の跡が残っていて、SMプレィの一端を覗かせている。

「露出もプレィの内だから、こ奴(いつ/葉月)の裸も遠慮なくとっくりと観て遣って下さい。」

そのM(マゾ)女性(葉月)は、マスターの舐めるような視線から裸身を隠すでもなく晒(さら)して佇(たたず)んでいた。

「なるほど、良い肉体(からだを)をしていますね。」

「でしょ、隠すのが勿体無い。正直、お咎めが無ければ素っ裸で外を連れ歩きたいくらいです。」

流石に他人目(ひとめ)に晒(さら)すだけ在って自信が在るらしく、乳首の立った美乳やなだらかに締まった腰、少し脚を開いて二本の太腿(ふともも)の付け根に黒く陰ろう恥毛が密集して生えている。

「構いません。こ奴(いつ/葉月)の何処でも触って良いですよ。」

男の弾むような声が聞こえた。

ストリップ・サーチ(全裸検査)はSMの基本の様式で、委(ゆだ)ねられる肉体(からだ)の品定め権みたいなものである。

そう言う事なら遠慮は要らない。

行き成り女性の乳首を摘んだり、肉の花びらを指先で押し広げて観た。

女性(葉月)の膝を撫でた手が、太腿(ふともも)に触(ふ)れながら股の付け根に這い上がり、二枚の肉の花弁に指先が触(ふ)れる。

女性の脳が欲棒の受け入れを意識してか、二枚の肉花弁のスリットの奥は既に淫液に潤んでいた。

「へぇ〜、所でこの彼女(葉月)は奥さんですか?」

「あぁ、確かに奥さんだよ。友人(勝也)のな。」

「エッ、お宅の奥さんじゃない。」

「友人(勝也)が時々お遊びに貸してくれるので借りて来た。」

「なるほど、このM(マゾ)女性(葉月)をあなたに渡して遊んで来いと言う訳ですか。」

「まぁそんなものだ。所でお宅、触るだけでは物足りないじゃないか?」

「実はそろそろ、シャブらせたいと想い始めています。犯ってくれますか?」

「承知した。オィ、心込めてシャブれ。」

「はぃ、喜んで。」

その全裸のM(マゾ)女性このM(マゾ)女性(葉月)は、床に膝を下ろした膝立ちの格好でマスターの腰に取り付く。

そしてマスターのベルトを緩めてスラックスとトランクスを摺り降ろして、転がり出た欲棒を右手で握って十回ほど扱(しご)き、硬さの増した欲棒をパクリと咥(くわ)える。

シュチェーションだけで半ば硬さを持ち始めていたマスターの欲棒は、ヌメッと言う感触を感じてシャキンと最高の硬さに到達していた。

アグアグと欲棒を四〜五回、「大陸フェラチオ」で喉の奥まで飲み込んでいきなり口元でネットリとシャブったり、唇(くちびる)とカリ首のエラを擦(こす)ったりがリズム良く続く。

M女に仕込まれているだけ在って流石(さすが)におシャブリが上手く、喉の奥まで飲み込まず口元でシャブる時には、カリ首の根元を舌先で舐(な)め廻して来る。

「コリャ天国だ、奥さん(葉月)おシャブリ上手いね〜ぇ。」

「この奥さん(葉月)は僕が借りて来た可愛良(い)い性玩具(おもちゃ)なんでね。」

「その旦那(勝也)さん、こうしてお宅がこの奥さんこのM(マゾ)女性(葉月)に他人のチ*ポをシャブらせるのも承知でしょ。良く貸せますね。」

見下ろすマスターの目に、上半身を使ってリズム良くそのM(マゾ)女性(葉月)が上半身のスナップを効かせて頭を前後しながら欲棒をシャブっていて、その口元に濡れ光る陰茎が見え隠れしている。

「勿論承知だよ。後でその日の事をこの奥さん、このM(マゾ)女性(葉月)に詳しく報告させながら夫婦で犯るのが奴(亭主/勝也)の愉しみなんだから。」

「なるほどこの奥さん(葉月)が、外で他人に自分が犯られた恥ずかしい事を、思い出し出しその旦那(勝也)さんに報告させられながら犯る訳だ。」

全裸のM(マゾ)女性(葉月)に膝立ちの格好シャブらせながら、その卑猥な会話は平然と続いている。

「しかし、貴女も良く犯るねぇ。」

マスターがそう言うと、M(マゾ)女性(葉月)は咥えていた欲棒を口から放して、「だって主人が犯られて来いって言って、この人に貸し出すのですもの。」と応え、また咥(くわ)えてクィクィとシャブリ出した。

「御主人から、犯られて来いって言われて送り出される訳だ。」

「それでこの人(S)が面白がって・・・・・以前のマスターの時にも私(葉月)を此処に連れて来たんですのよ。」

M(マゾ)女性(葉月)が、また一瞬だけ咥(くわ)えていた欲棒を放して応え、またパクと咥えて喉の奥までシャブる。

「なるほど、そう言う事か。」と、譲渡手続きの時に以前の持ち主が「あの店にはおまけがある。」と、意味在りげに言っていたのを思い出した。

「じゃあ前のマスターの時もこんな遊びを・・・」

「あぁそう言う訳だから、お宅もこ奴(いつ/葉月)を犯っちゃって構わないよ。言い成りに素直な性玩具(おもちゃ)に仕込んであるから。」

「奥さん(葉月)はそれで良いんですか?」

「えぇ、宅(たく/おっと)には思い切り弄(遊)ばれて来いと命じられています。」

「それじゃあ、私(マスター)が犯らして貰いましょうか。」

「承知した。オィ、犯って頂くのだ。カウンターのへりを握って尻を突き出せ。」

「はぃ、喜んで。」

そのM(マゾ)女性(葉月)は、上半身を倒してカウンターのヘリを握って腰を突き出す台潰しの台の格好で剥(む)き出しの尻を突き出した。

幸いM(マゾ)女性(葉月)に喉の奥までシャブられていたマスターの欲棒は、まだ確り硬さを保っている。

目の前で剥(む)き出しの尻を突き出し「後ろから犯れ」と言う事で、利き手を添えてM(マゾ)女性(葉月)の二枚の肉花弁のスリットに、欲棒のカリ首頭を何度か擦(こす)った上で中にズブリと捻じ込んだ。

「アウン。」と言うM(マゾ)女性(葉月)の反応と同時に、マスターの欲棒はヌメッと言う感触を感じながらM(マゾ)女性(葉月)の肉体(からだ)の中に収まった。

そこまで行けば目一杯興奮したマスターの、バック攻めの激しい抜き挿しが始まり、店の中にM(マゾ)女性(葉月)の善がり声が響いた。

その内にマスターがイクに達する気配を見せると、常連・Sがマスターをカウンターの上に座らせてM(マゾ)女性(葉月)にその欲棒を咥えさせる。

M(マゾ)女性(葉月)は、シャブりながら常連・Sに「カウンターに両手を着いてまた尻を上げろ」と命じられる。

その形に持ち込んだ常連・Sは、M(マゾ)女性(葉月)にマスターの欲棒をシャブらせながら自分(S)が抽入を果たして抜き挿しを始める。

M(マゾ)女性(葉月)が、常連・Sの抜き挿しに耐えながらまた上半身を使ってマスターの欲棒を喉の奥までシャブれば、マスターが堪らず放出するも構わずM(マゾ)女性(葉月)のおシャブリはマスターの待ったが掛かるまで続いた。

まぁこんな遊びの性交を他人を交えて夫婦で犯ると、「破廉恥」と世間に非難されるかも知れないが、それは現実に上面(うわっら)な評価に過ぎない。

「常識々々」と声高に批判されるかも知れないが、それは流れ行く歳月をどう生きるかの問題である。

平凡なら平凡の、非凡なら非凡な人生が在り、平凡(常識)であれば非凡ほど人生は愉しめない。

そして遊べる時間は短いのだから、夫婦のフィーリング(感覚)で「遊びの性交」を愉しんでも、それは個人の価値観の問題で、他人がとやかく言う必要は無い。



人間は何故一目惚れするのか?

そのメカニズムは、本能をくすぐる脳内ホルモン・フェール・エチル・アミンの効果である。

元々生命科学的に言えば、人類の男女は惚(ほ)れ脳内ホルモン・フェール・エチル・アミンの作用に後押しされ、出会いを持って「性交相手の選択行為」をする生物である。

「惚(ほ)れる」と言う事は「恋する」と言う事で、フェール・エチル・アミンの効果である「惚(ほ)れる」は、脳内処理的には「性交の前駆作業」であり、気取らないで生物学的に言えば脳内処理的には「性交相手の選択行為」である。

その男性と女性の脳内ホルモン的な「性交相手の選択行為」の「惚れ薬」がフェール・エチル・アミンと言い、これが本能をくすぐる「恋のトキメ」を促進させる影の立役者の物質である。

フェール・エチル・アミンは、異性に対して脳内で分泌されるトキメキホルモンで、この時点では「惚(ほ)れ行為」であるが、その「惚(ほ)れ行為」に集中力や快感を倍増させる作用がある。

簡単に説明すれば、「恋する」や「惚(ほ)れる」と言う行為そのものに快感を感じさせたり、その想いを募(つの)らせる(集中させる)作用がある脳内ホルモンなのだ。

つまりフェール・エチル・アミンは、「人類の種の保存」を脳科学的に促進させる作用があるホルモンである。

そしてその「惚(ほ)れる」が片思いであれ両思いであれ、パターンに関係なくフェール・エチル・アミンの作用であるから、迷惑なストーカー行動の源も「惚(ほ)れる」の範疇にある。

心して自覚が必要だが、フェール・エチル・アミンの作用は「性犯罪」をも誘発する側面を持っている事である。


現代の理解では、誓約(うけい)の性交など否定的な風潮にある。

その考え方は近頃の個人尊重の考え方に在り、「愛の無い性交」など建前上否定される事柄だからである。

しかし本来、「愛の無い性交」など古来から特別の事ではない。

社会通念とか常識とかには「建前もあれば現実」もあり、言ってみれば人間は「性」に対して興味や性癖が在るのは密かに現実と認められる社会通念とか常識とかに合致している。

つまり口に出さないだけで、建前とは別の観点から観た密かな社会通念とか常識が存在するくらい誰でも知っている認識である。

当然ながら、フェール・エチル・アミンに後押しされて、双方が一瞬でも「惚(ほ)れの合意」に到れば性交に及ぶ事に成る。

むしろ建前を外した本音では、「犯りたい」を後押しずるのがフェール・エチル・アミンの本来の役目である。

「好きに成った相手と性交に及んで何が悪い」と開き直られれば、仰(おっしゃ)る通りであるが、その時点で「好き(恋)」を短絡的に「愛」と勘違いしているのだ。

だが、「愛」は連れ添ってから時間を掛けて育(はぐく)むもので、この時点での性交に及ぶ価値観はまだ「恋止まり」である。

昔から「恋の病」と言う様に、「恋と言う偽りの愛」を勘違いしているから「こんな筈ではなかった。」とカップルの解消や結婚を解消し離婚する事に成る。

つまりフェール・エチル・アミン効果で、良く知らない相手とでもフィーリング(感覚)で性交が可能で、ならば深い意味での「愛情」なんか無くても別の理由でも性交は可能である。

まぁ出会いも惚(ほ)れ方も様々で、周囲や親の薦める結婚でもその出会い時点でフェール・エチル・アミンが作用すれば、自由恋愛でなくても性交が可能な理屈は合う。

だから誓約(うけい)目的だろうが親の薦める結婚だろうが、地位や財産目的だろうが、夢を適える手段で在ってもフィーリング(感覚)で性交が可能である。

それでもその婚姻が永く続いて、互いに「愛情」が芽生えればカップルとしては最高の結末と言える。

つまり「愛情が唯一の性交理由では無い」としたら、めんどくさい色恋を無しにした夫婦合意の上での「遊びの性交」は理論上成り立つ事に成る。

確かに「性」は建前ではタブーだが、正直ヒューマン(人間的)として皆が「性」に興味が在って当然で、それで無ければアダルトビデオや裏ビデオが一般家庭まで蔓延する筈が無い。

そしてヒューマン(人間的)として「性」に興味が在るのならば、尋常な性交など詰まらぬものである。

だからこそ、その興味は単純なものに止まらず、本能をくすぐる様に生々しく卑猥であれば卑猥であるほどその興味を満足させるものである。

何よりもこの卑猥(ひわい)な遊びは、禁断の露出公開性交だからこその観て興奮する男性と魅せて興奮する女性の「性(サガ)」がもつれ合って気分を高めて行く。

夫が合意している遊びだからこそで、此処で他人(ひと)の欲棒を咥え込んだ腰を振りながらが葉月善がり狂っても、安心して家庭の平穏は保たれる。

嫌、従来の夫婦常識を外した事で、その最高に官能的な非日常の時間は本能に対して嘘が無い一瞬の煌(きらめ)きである。

だからむしろ、この非日常の時間を持つ事が、家庭の平穏を創り上げる為の一つの手段かも知れない。

この連続性交の快感を葉月の股間と脳が記憶してしまえば、その後の彼女の「性」に対する答えは新しい遊びの発想で出す事になる。




◆夜鳴く蝉・葉月◆

第四話(ハプニングバー・体験)
◆◇◆◇◆第四話(ハプニングバー・体験)◆◇◆◇◆◇

その後も勝也は、手を変えて私(葉月)を熱心に仕込みます。

もう次から次で、私(葉月)に考える暇を与えないのです。

私(葉月)、このままどうなるのかしら?

しかし、次第にこの生活に馴れて行く自分も感じます。

後から思うと、キット私(葉月)の精神構造を破壊して、精神改革をしたかったのでしょう。

やはり、東京の出先へ呼ばれた時の事ですが、「社会勉強だから。」と、生まれて始めてハプニングバーに連れて行かれました。

この日も、言いつけ通り岡山空港から飛行機に乗り、ミニスカートにノーパンティで遣って来ました。

勿論勝也は、私(葉月)を連れて行く前にこれから起こる事のその趣旨を説明して覚悟をさせています。

「およそ日常とは違うHな場所だけれど、こんな世界もあると人生勉強に行って見るか?」

「勝也さんが私を連れて行きたいなら、連れてって下さい。」

嫌と言っても、どうせお尻にベルトの跡がついて、結局「行く」と言わされます。

私(葉月)にとって、その場所はかなりのカルチャーショックでした。

勝也に連れて行かれたそこは、世間の常識とはかけ離れた非日常のひと時を実現する世界で、日常のストレス解消を求める人々の集う場所でした。

客はセクシーで怪しげな夜に、他の客に迷惑を掛けない程度に羽目を外します。

それが目的のお店ですから、自発的に裸を見せる事や、性行為を見せる事は誰も咎めないのです。

見せるだけでなく、気に入った相手には性行為に参加させ、パートナーの交換をする事も目的として存在するのが、ハプニングバーだったのです。

全国の大都市の繁華街を中心に、千店を超える繁栄を見せているハプニングバーは、来店者主導の遊び場所提供型の風俗ですが、その宣伝手段はインターネットなのです。

だから、勝也はどの土地でもお店の場所は直ぐに検索できます。

相互ネットであらゆる風俗サイトと連携が可能になって、初めて採算が取れる様になった隙間産業と言えます。

店の存在を告知宣伝するにしても、その手の遊びの希望者達が求める横の連絡にも、ネットが役割を担っているのでしょう。

何しろ私的で不道徳な遊びを、半ば公然とさせる為の空間を提供するのがハプニングバーの役割りで、宣伝媒体におのずと制約があるのですから。

私(葉月)は最初驚きましたが、所詮お試し期間の身の上です。

「勝也が求めるなら」と、全て言うに任せました。

店内に入ると、覚悟はしていましたが想像以上の異様な空間がそこに在ったのです。

私(葉月)は「この場の雰囲気に合わせる為」と、来店早々ロッカー室で下着と薄物半裸のスケスケ・ランジェリーを勝也に着せられました。

私(葉月)は、店に入るまで元々ノーパンティだったのですが、流石にそれは考えたのか、今回は勝也が下着の着用は赦してくれました。

店の決まりでそうした扇情的な衣装着る事が義務付けられ、怪しい下着は売られ、透けて肌を隠さない貸衣装は揃っています。

始めて試みる妖艶な格好を、人の集う店内で自分がする事に、私(葉月)は恥ずかしかったのですが、言われた事に従いました。

私(葉月)の様に、自分を騙せる他の理由が有れば、少し位疑問を感じる事でも、それなりに納得出来るのが人間ですもの。

最初のうちは薄暗さに目が慣れず、二人は大人しく寄り添って飲んでいました。

私(葉月)の目が店の明るさに慣れてくると、そこかしこで怪しげな人影がうごめいていました。

人間って、何でこんな事をしたがるのでしょうか、それが愛しくて、少し悲しい気分になりました。

そのうち酒が入って気分が盛り上がったのか、勝也に素早くブラジャーを外されます。

薄暗がりとは言え人の大勢居る店内で、実は少し自信の有る私(葉月)の乳房が露になります。

私(葉月)が大人しく従うと、「えらい、えらい」と勝也に褒められ、やがて「これも取ろうね。」と先ほど履いたばかりのパンテーも脱がされて、私(葉月)は丸透けのランジェリー一枚の恥ずかしい姿になったのです。

この頃にはかなりグラスを重ねていましたから、私(葉月)も酔って気が大きくなり、「どうせこの店の中だけの事だから、少し位気晴らしに羽目を外しても良い」と思えてきました。

勝也から聞いた情報によると、どうも例のSさんや出石誠もこの店の常連だそうで、Sさんの紹介で知った店のようでした。

個人アダルトHPサイトの運営者やそのメンバーは、大抵行き付けのハプニングバーを持っていて、連携して客の紹介やら、イベント会場などに使われます。

暗がりを透かせて良く見ると、周りの客達も似た様なもので、皆半裸や全裸でうごめいています。

自分だけが裸では無いと知ると、私(葉月)も幾らか安心です。

それで私(葉月)は、薄明かりの店内で勝也の愛撫を受けながら飲酒を続けました。

そのうち勝也は、「こうなれば大して変わりは無いから」と、最後のランジエリーも取り上げてしまいました。

もう素ポンポンで、入店の時に付けたパーテー用のアイマスク(仮面)しか私(葉月)を隠す物がありません。

それでも「私(葉月)が逆らわない」と見ると、いたずら心が湧いたのでしょうか?

ひとしきり酒を飲ませた後、勝也は、「場を盛り上げて、皆様に楽しんでもらえ」と、強引に背中を押してステージに立たせ、カラオケを歌わせました。

全裸でカラオケのお立ち台に立つのはスポットライトが当って流石に恥ずかしいのですが、もう此処までくれば私(葉月)も破れかぶれでです。

私(葉月)の裸身はスポットに照らされて白く浮かび上がり、暗がりから無数の視線を感じましが、私(葉月)の方からは暗い客席は何も見えません。

返って相手の顔が見えないのは、申し訳の仮面と共に救いだったのです。

どうやら勝也は女性を裸にして晒し者にするのが好きらしく、私(葉月)がステージでカラオケを歌う事を承知すると機嫌が良いのです。

此れが他の客に大いに受けて、大勢の注目を集めましたから、私(葉月)はたちまちその店で人気者になりました。

この非日常の視線が結構刺激で、私(葉月)の股間は愛液が滴るほど潤んで行きます。

ガブリ付きで見ていた酔っ払い客がそれを見つけて面白がり、勝也に何事か話すと、恐らく勝也の了解を取り付けたのでしょう、歌っている私(葉月)の股間に素早く持参した卵形の振動バイブを挿し込みました。

私(葉月)は驚いて歌と踊りを中断したが、勝也の「そのまま歌い続けろ。」には逆らえず、股間の中に刺激を感じながら腰を振り、歌い続けたのです。

歌い終わる頃には、私(葉月)を取り囲む様に合唱の輪が出来ていました。

ボックスシートに戻って座ると、かなりの人数が私(葉月)に付いて来ます。

勝也が合図のOKサインを出すと、それこそ見知らぬ客達の手が私(葉月)の裸体に無数に伸びて来ました。

「座ってないで、立て。」何時になく、勝也のきつい声がします。

反射的に私(葉月)が立ち上がると、触らせ易くするのが立たせ意図で、前も後ろも胸も尻も、何処にでも手が伸びてきます。

丸みを帯びて膨らんだ丘の茂みを撫で回す手が、茂みの下に下りてきます。

尻の片方の肉を掴まれたかと思うと、その手の指先がアナルの入り口に潜り込みます。

八方から手が伸びて、私(葉月)は揉みくちゃにされています。

ともすればバランスを壊しそうになる姿勢を踏ん張って、私(葉月)は小刻みに震えながらも、彼ら手が意のままに撫で動き、あらゆる所に潜り込んで来るのに任せていました。

その異様な感覚に歪む私(葉月)の顔を、勝也は満足そうに見ています。

私(葉月)は生来廻りに気を使う性格ですから、勝也が許している限り、相手を気使って、何をされても「嫌」とは言えません。

だから勝也は、彼らに私(葉月)を好きに弄らせました。

流石におシヤブリ止まりでしたが、十人くらいの欲棒は口で発射のお手伝いをしました。

勿論、店の中のよその組は、その場で犯っているカップルや誘われて犯らせてもらっている客も居ます。

それでも、ここの客達に乱暴な者は居ません。

基本的に女性にはやさしく、女性が大事な存在で有る事を自覚しているのです。

こんな所に来るにしては、彼らは本質的に女性に優しく、よく気使って接してくれます。

そんな雰囲気だから、私(葉月)はヒロイン扱いで、ある面楽しかったのです。

まるで、日頃の生活では味わえない大勢の男性を従えた女王のようで、主役気分にさせてくれる場所です。

ハプニングバーのお客さんを私(葉月)がおシヤブリしていると、「次は俺」と耳元で懐かしい声が囁きます。

偶然の再会なのでしょうか、あの出石誠でした。

彼は何食わぬ顔で、私(葉月)におシヤブリさせながら、勝也に「良い奥さんですね。おシヤブリも上手いし、うらやましい。」などと話し、「開放の時HP」の運営者と名乗りました。

勝也は以前から気に成っていた利用していた「開放の時HP」の運営者との対面を喜び、いずれオフ会などの参加を約束しています。

ハプニングバー経営者の大半も、人生経験を積んだ人格者で、人を楽しませる気使いは大変な物です。

なるべくこの世界で、名の売れた経営者のお店が、客も良質でお勧めだそうです。

スポットライトに照らされて、シリコーン・ディルド (張形)を股間に抽入して咥(くわ)え込んで腰を上下してみせるハッスルショーも披露しました。

皆さんの「ハッスル、ハッスル」の掛け声、ハッスル囃(はや)しに追いたてられながらM字開脚自慰ショーを披露したのです。

強烈な羞恥心に襲われながらも、私(葉月)は究極の露出シュチェーションに性感度がマックスまで高まり、腰の上下でシリコーン・ディルド (張形)のカリ首が、内壁を擦(こす)って猛烈な快感を味わいました。

この快感もギャラリー居ればこそのもので、こう言う処があるから他人に迷惑掛けなくても心を癒せる人が居るのです。

「此処も非日常のバーチャル世界なのだ。」と、私(葉月)は納得しました。


それが、一人になって考えると、私(葉月)の気持ちには、どうしてもまだ何処か引っかかる所があります。

刷り込まれた倫理観は、そう簡単には拭い去れません。

勝也のする事が、どう考えても私(葉月)の生まれ育った人格を壊し、新しいものと変えようとしているからです。

簡単に割り切れないのが、普通の気がします。

でも、私(葉月)割り切るしかないんですね。

気持ちは半々だったけれど、身体の付き合いとしては、現実の破廉恥な遊びも含め、もう此れ以上無い処まで勝也に許していましたから、私(葉月)はふとした機会に不謹慎にもそれを思い出す事も増えました。

教壇に立っていて、よその教室からクラシックのピアノ曲など流れると、思わず勝也との破廉恥な行為を思い浮かべ、股間を湿らせた事もありました。


或る日私(葉月)は、勝也に命じられてランニングシューズだけの素っ裸で、マンションのエレベーターを使って勝也と地下の駐車場まで降りました。

臆病ではこうした遊びは出来ません。

警備員にモニターで見られている恐れは在ったのですが、プレィだからエレベーター内や駐車場などに設置された防犯カメラは、勝也は無視でした。

勿論露出プレイは「見られるかも知れない」と言うスリルを愉しむ、いや、「見られても構わない」と言う心理的には意表を突く究極の新しい感覚なのです。

地下駐車場には車が待機していて、私(葉月)は全裸で外に連れ出され、車で街の郊外まで露出ショウの為に連れて行かれました。

そして、何時(いつ)誰と遭遇するかも知れないスリルの中、深夜の公道の歩道を二キロほど伴走する車両から見張られながら素っ裸で走らされたのです。

多少寂(さび)れた公道とは言え全裸体の女が走るなどは非日常の異様な光景ですが、この後その熟れた美人が抱けるのだからこその興奮もあるのかも知れません。

それが勝也の遣り方ですから、私(葉月)のプライドを一度破壊する為の見せしめにこの露出ランニングプレィをさせているです。

伴走する車両には、このランニングの後を輪姦(まわ)す予定の男達が勝也を含め三人乗って、素っ裸でワイルドに走る私(葉月)を眺めています。

幸い歩道の方は誰とも出会わなかったが、車道の方は何台もの車両とすれ違いヘッドライトに照らされた私(葉月)の裸身が浮き上がって居ました。
素っ裸の私(葉月)が乳首が立った乳房を上下に揺らして、公道の歩道をランニングジュウズだけで走っているのを、多分何台もの車両が見ている筈でした。

正直私(葉月)は、「またあれ(輪姦/まわし)を犯られる」と思えば胸がときめく、どうしょうも無い肉体(からだ)に成っていたのです。

子宮が熱くなって股間から本気汁が外に垂れ出して太腿(ふともも)を伝わり落ち、私(葉月)は自分のスケベ加減を自覚させられました。

この露出プレィ、公道を全裸でランニングさせるなど傍目(はため)には異常かも知れないが、私(葉月)の中身が異常で無ければ本当は話にも成らないのです。

私(葉月)にはこのランニングが、多くの男達とジェニタリア・コンフロンテイション(性器対決)を余儀なくされる素っ裸のガチンコSEXハイターとして品定めされるセレモニー(儀式)の気分です。

エロスのトキメキを感じるSMプレィのヒロインとして、私(葉月)の裸体はビジュアル(視覚的要素)としては普通に見物に違いないのです。

恥部丸見えの滑稽(こっけい)なだけのランニングですが、走らされる私(葉月)には脳が痺(しび)れるような特殊なM(マゾ)感情が湧いて来るのです。

何故こんな理不尽なプレィ(遊び)に、私(葉月)が胸がトキメかせ子宮を熱くさせて付き合うのかですって?

このバカバカしいセレモニー(儀式)は勝也が私(葉月)に課した服従遊びで、犯っても見ない他人が私(葉月)の心境を想像で推し量っても仕方が無いじゃないですか。

恥ずかしく虐(いじ)められると、羞恥心や痛みに脳内が活性化して並の性交では得られない癖に成る快感を経験し、その誘惑が私(葉月)の脳に逆らえない誘惑として記憶されます。

だから誰でも、その癖に成る快感に嵌(はま)れば、外から見るとバカバカしいプレィ(遊び)に嬉々として応じるように成るのです。

つまり間抜けな女(葉月)が、面白半分の笑い者に素っ裸にされて歩道をランニングさせられているだけなのです。



この半分同棲状態の生活の合間にも、勝也はHPを運営していました。

勝也が不在の時に覗いて見ると、まとも過ぎる位まともな意見を言っています。

最初の経緯(いきさつ)から、私(葉月)はパソコンをいじれる事を言い出せません。

暫くの間は教員の勤めも続けて居た私(葉月)でしたが、勝也の強い要請に抗し切れず今年度一杯で退職を余儀なくされました。

後、僅か数ヶ月しか私(葉月)の教員生活はありません。

やめれば、当然私(葉月)はする事がありません。

それで、退職したらパソコン教室と料理学校に通う事を命じられました。

私(葉月)は中学に入る頃から日舞を習っていましたが、此れも「続けろ」と言われました。

それ以外は、勝也も加賀美家の両親も、自由に優雅に暮らさせ、私(葉月)は静な日々を送っていました。

勝也は、相変わらず私(葉月)を美しく磨く事に、金も努力も厭(いと)いません。

そればかりか、勝也の強い希望で正式に結婚する事になりました。

勝也の性癖に黙って従っていた事が、評価されたのかもしれません。

式は加賀美家の都合が落ち着くまで、暫く見送りますが、「籍は先に入れよう」と言う事に成り、双方の両親を含め内輪だけの祝言もしました。

もう戸籍上は、立派に加賀美葉月なのです。

私(葉月)の父の会社は、加賀美家の多額の出資があり、加賀美コンッエルンのグループ入りと引き換えに、超優良の無借金会社に変身したのです。

私(葉月)の父は、親会社である勝也の会社の役員にも新たに就任し、身内として厚遇されています。

両親とも加賀美親子に感謝し、私(葉月)には「けして勝也を疎かにするな。」と口を揃えます。

後から考えると、加賀美の義父からも両親に何か念を押されていたのか、遠廻しに「勝也さんが葉月を愛していればそれだけで良いのだから、加賀美家の家風には無条件で従いなさい。」と言われました。

「責任もって従わせる。」と、父も応えたそうです。

この時は「加賀美家の家風」の意味に実感はありません。

両親も、恐らく一般的な話としてしたのでしようが、此れは結果的に、私(葉月)を縛る罠に近い話です。

流石に加賀美家の財力はものすごく、馴染みの買い物先は、私(葉月)のサイン一つで数百万でも通ります。

渡されたクレジットカードは無制限で、私(葉月)はその生活に呆れ交じりの戸惑いさえ覚えました。

加賀美の両親も、「息子が気に入ったのなら」と申し分なく優しいのです。

暫くすると私(葉月)の体調に異変があり、気が付くと妊娠していました。

思い出すと丁度四ヶ月前、勝也が意識してそうしたのかは判りませんが、一月間だけピルを渡されない時がありました。

婚家の一同は歓迎してくれ、出産も順調に出来て男の子が生まれました。

そうした環境が何時の間にか揃い、私(葉月)は今年度限りで教職も去る予定を組んだのです。

いずれにしても然(さ)したる不都合は無く、私(葉月)は加賀美家に収まりそうだったのです。



◆夜鳴く蝉・勝也

裏四話ハプニングバーに連れて行く

◆◇◆◇◆裏四話(ハプニングバーに連れて行く)◆◇◆◇◆◇

まぁ、「恋だ愛だ」と何だかんだ理屈をこねても、突き詰めてしまえば赤の他人と性交する為の事前の感情に過ぎない。

そして綺麗事の建前を言った所で、売春やら浮気がデンジャラス(危険)に成立するくらいが、偽(いつわ)らない世間の現実である。

だから、大人同士がその気に成れば恋人や夫婦でなくとも肉体(からだ)だけシエアリング(共同所有)の遊びの性交が、葉月に犯れ無い事はない。

そしてその遊びの性交が夫婦揃っての合意の上であれば、内緒で犯る売春やら浮気依りは遥(はる)かにリスクが少ない好適環境ではないだろうか?

輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

つまり経験こそ重要な事で、何ら経験も無しに想像しているだけで他人や他人の行動を非難していて、それを正義と勘違いしている女性は滑稽な事である。

それで葉月が、そのM性交プレィやマルチSEX(複数性交)プレィに馴れてしまった事で「調教された」と言うのならその通りかも知れない。


遊びの性交など「不道徳」と指摘されるが、女性の側にだって結婚する気は無いけれど寂しいから性交パートナーにキープ(保持)している場合もある。

つまり性交プレィは人間にとって、「生きて行く為の心の隙間を埋める癒(いや)し作業」と言う本能をくすぐる側面を有している。

従って、そうした現実を全て否定した世間など建前だけで、この世の真の現実にはそんな事実は無いのである。


社会通念とか常識とかには「建前もあれば現実」もあり、要領が良い人間なら例えそうした遊びを影で犯って居ても、既成概念と争わず建前に合わせて触れないで置くかも知れない。

しかし自分が変わらなければ環境は変わらず、社会通念とか常識とかに縛られては、どんな事柄に於いても将来の展望など開けない。

女性の女盛りは精々十五年〜二十年間、年齢にすれば十八歳〜大目に見ても三十八歳と言う所で、その間を身硬く生きるか、多少は羽目を外して性交遊技を愉しむのかは本人の生き方の問題である。

そうなると、一対一の尋常な性交など詰まらぬもので、つまり遊びの性交は価値観の問題で、夫婦合意の上で他人を交えた複数性交を「経験しない人生は勿体無い」と言う考え方も出来る訳である。

そう考えれば同じ輪姦プレィのお誘いでも、そう言う遊びの機会が在る仲間環境が在るだけでも幸運な人生かも知れないのだ。

確かに「性」は建前ではタブーだが、正直ヒューマン(人間的)として皆が「性」に興味が在って当然で、それで無ければアダルトビデオや裏ビデオが一般家庭まで蔓延する筈が無い。

そしてヒューマン(人間的)として「性」に興味が在るのならば、尋常な性交など詰まらぬものである。

だからこそ、その興味は単純なものに止まらず、本能をくすぐる様に生々しく卑猥であれば卑猥であるほどその興味を満足させるものである。

「嫌らしい」と非難するだろうが、種の保存が目的だから、その前駆段階に在る性交そのものは基本的に愉しんで犯るように予(あらかじ)め脳の中でセットされている。

だから「ああ犯ろう、こう犯ろう」と想像をたくましくして、性交の実行方法を愉しみにしても当然の事で、「嫌らしい」と非難するには当たらない。



昔から、「江戸っ子は女房を貸し借りする」と言う諺(ことわざ)が在る。

つまり江戸時代当時のキリスト教の影響無き庶民社会では、そぅ厳格に女房の貞操観念にこだわっては居なかった。

江戸時代の商家のおかみさんは、手代や番頭の性の面倒まで見ていたし、相撲部屋のおかみさんはつい二十年位前まで「弟子の性の面倒をみている」と言ううわさが在った。

いずれも使用人や弟子が外で不祥事を起こさない為の知恵だった。

また、「江戸っ子は女房を質に入れても初カツオを食う」と言う。

庶民に貞操観念自体が薄い時代で不倫は当たり前、初カツオの代金が女房の貞操代金に化けたとは、江戸庶民の粋な話かも知れない。


農村ではお祭りの際に若い男女の乱行的な性交渉を認める地方が多くあり、結果、子供ができれば神事に授かった子供として大切に育てられた。

また、江戸時代当時の旅人(旅行者)は、庄屋(しょうや)・名主(なぬし)、村長(むらおさ)と言ったその土地の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣のある地方では、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた性風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在した。

当時の農村では、働き手である人口の増加や少ない娯楽として「夜這い」が認められていたが、何世代もの長期に渡ると一村全てが血液的には身内に成ってしまう。

つまり狭い範囲の村落での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスクが在り、村に訪れる旅人を「マレビト(稀人・客人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。
勿論、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

この習俗の日本列島への知的伝播の元は、モンゴルの遊牧人の習慣と考えられる。

それは、仏教の伝播と伴に伝来したヒンドゥー教・シヴァ神の経典などと伴に伝えられた処世術だった。

モンゴルの遊牧人の習慣として、砂漠の旅人(旅行者)は族長と言ったその部族の有力者の家に招かれ逗留した。

その逗留に、砂漠の民には「性的夜伽(よとぎ)歓待」の習慣があり、旅人(旅行者)に妻女や娘にその相手をさせた風習も在った。

これには経験学的な生殖学の経験・近親婚に拠る劣勢遺伝の現実が存在し、この情報が早い時期に日本列島に伝播し、村落の習俗となった。

狭い範囲の部族での生殖行為は、「血が濃くなる一方」と言うリスク経験が在り、訪れる旅人を「マレビト(稀人・客人)」として大歓迎し、新たなる子種を得る目的が存在した。

勿論、この「マレビト(稀人・客人)」が、そのまま村に滞在する事が、村としては「性的夜伽(よとぎ)歓待」の最大の成果と言える。

つまり部族や村の維持の為に「性的夜伽(よとぎ)歓待」は必要だった。

確かに一夫一婦制に於いては、貞操観念的に疑義がある習慣だが、一つの価値判断が、「全てに渡っては正解では無い」と言う事例の一つである。


「4P体験、画像投稿」と葉月の調教は順調に進んでいる。

この分では、そろそろ計画通り籍を入れて、子供を作る段階に入れそうだ。

親父に調教の経過を話すと、「子供が出来れば後戻りは出来ないだろうから、早く作ったら。」と勧められた。

段々加賀美家の家風に馴染んで行く葉月を、親父も楽しみにしている。

ピルを与えるのをやめて、子種を仕込む事にした。

仕上げと言っては何だが、葉月には大勢に裸体を見られ、触られ、多くのおシャブリ体験させねばなら無い。

別に募集する方法もあるが、ハプニングバーが手っ取り早い。

エロさ感に吊られて人々が群がって来るのだが、その根底に在るのが日常生活の憔悴感から逃れる為の非日常の刺激である。

Sにメールで相談すると、行き付けの店を紹介してくれた。

生憎Sは海外出張で留守だが、ハプニングバーの店主に話を通してくれた。

「開放の時」のHP運営者も常連らしい。

連れて行って店の中で半裸にさせたが、ベルトのお仕置きが恐いのか、さして葉月に抵抗が無い。

酒に酔わせて段々裸にし、仕舞いには全裸でカラオケを歌わせた。

自慢のものを、他人に見せびらかしたいのは心理で、こうした空間ではその私(勝也)の心理がエスカレートして行く。

「どうだ、俺のは良い女だろう。」

見られているのを感じるのか、葉月は股間から愛液を垂らしながら歌った。

想像以上に、「見られたい。」と言う女の本来の本能が呼び起こされ、脳が刺激されたのだろう。

「充分な反応だ。」


ハプニングバーで最初は、私(勝也)が葉月の鼻先に欲棒をぶら下げて咥(くわ)えさせた。

ネットリと葉月の舌が坊主頭の海綿体に絡み着き、私(勝也)の張り詰めた欲棒のエラを舌先が舐(な)め廻して刺激する。

容赦などある訳もなく、夢中で欲棒を咥(くわ)える葉月に私(勝也)がクィクィと腰を使って攻め始める。

葉月の頬(ほほ)を丸く突き上げながら口中の頬肉(ほほにく)の壁が私のカリ頭を擦(こす)り挙げる。

葉月は咥(くわ)えたまま必死にジュポジュポと柔らかい唇でカリ頭を擦(こす)り、舌先でカリ首の付け根を舐(な)め上げて来た。

私(勝也)の坊主頭のカリ首の割れ目を葉月の舌先が押し分けて刺激し、カリ首の粘膜質のエラの淵を舌先が舐(ねぶ)り、首を上下する度に唇がカリ首の淵を擦(こす)る。

欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)える「大陸フェラチオ」と呼ばれる中国人の性技習慣を、葉月はホテルでのプレィ(集団乱交)やハプニングバーのおシャブリ経験で教わっていた。

葉月に欲棒をシャブらせ、堅くさせた所で「さぁ、行くか」と、私(勝也)は後ろに回って葉月の中に捻じ込んだ。

葉月の二枚の肉花弁を圧し分けて、私(勝也)の欲棒が内壁の抵抗を欲棒の先で感じながら気持ち良く挿し込まれて行く。

一時は調教に手を焼かした葉月を、ヒィヒィ善がり声を上げさせながら密着した互いの裸身を伝わって来る柔肌の感触は、私(勝也)に取って蜜の味である。

ここは、私(勝也)が欲棒で思い切り葉月を突(つつ)き倒せば「葉月の貞操への拘(こだわ)りは消える」と言うものである。

「アゥ。」

葉月が奇妙な声をあげたが構わずクィクィと抜き挿しの抽送を始め、突き責める。

「ハッ、ハッ、ハッ、アハッ、アハッ、アハッ。」

私(勝也)にズンズンと突き入れられる度に、葉月の顔が歪(ゆが)み半開きに開けた口から「ハァ、ハァ。」と声が洩れる。

葉月の白い尻が快感にうごめき、乳房がユサユサ揺れているのが生々しい。

限界(オーガズム・ハイ)に達したのだから、もう安っぽい誇り(プライド)等(など)葉月は構っては居られない。

「アッ、アッ、アッ、アハッ、アハッ、アハッ。」

葉月は、曖昧(あいまい)な反応が赦されない状況にあり、全てを忘れ現場の雰囲気に乗って快感の享受に集中すれば、そのクィクィと言う腰使いに渾身の切れがある。

「ア〜ッ、ア〜ッ、ア〜ッ。」

「アウゥ〜、アウゥ〜、アウゥ〜、アウゥ〜。」

欲棒をクィクィと抜き挿しする都度に、葉月が物凄い善がり声を上げながらクィクィと受け腰で応じている。

ヌュルリ、ヌュルリと内壁を擦(こす)る感触が快感と成って私(勝也)のカリ首頭を刺激し、妻・葉月を犯す実感を感じさせる。


さぁ、これから葉月に誰構わずおシャブリをさせるが、そぅそぅ何時(いつ)も私(勝也)に犯る事を皆に犯れば良いだけの事だ。

あらかじめ店長に話を通して有るから、段取りが良い。

OKサインを出して、群がって来た客に葉月を触らせ、おシャブリをさせた。

本当は、無差別に抱かせたかった私(勝也)だが、生憎父親(加賀美)のアドバイスで妊娠させる為にピルの使用を止めさせている。

唯一の収穫は、「開放の時HP」の運営者と名乗る男と直接遭えた事で、この先の展開に希望が持てる出来事だった。


メンバーの一人が、「ソロソロ初参加の雌豚(葉月)にハッスル囃(はや)しをさせましょうよ」と言い出した。

薄暗い店内の一角がスポットライトに照らされて、丸く明るい場所が出来る。

店主が持ち出して来たのは、シリコーン・ディルド (張形)である。

長さが三十センチはあろうかと思われる吸盤付きで、床や壁などに固定して使用するタイプの妙に生々しいカリ首を持っている。

一人のメンバーがその男根型の性玩具(おもちゃ)を両側を踏んで固定される床板に立て、固定している。

私(勝也)は葉月に、「本番(性交)が出来ない初参加の女性は、ハッスルショーを披露する事に成って居る。お受けしますと承諾しなさい。」と告げる。

勿論店側には、店の常連らしい「開放の時」のHP運営者を通して内々に葉月のハッスルショーを依頼してある。

私(勝也)が葉月に命じたのだから、葉月は「喜んでお受けします」と応じ、全裸でスポットライトに照らされた丸く明るい場所に進み出た。

「そう、良い子ね、それじゃあ雌豚はここに来てこれを跨いで両側を踏み、腰を降ろしなさい。」

男根型の性玩具(おもちゃ)を床に立てて「跨いで腰を降ろせ」と言う事は、ディルド (張形)の抽入を命じている」と葉月にも判る。

ここで引き返せないから位置を合わせてユックリしゃがみ、床に立って入る男根型の性玩具(おもちゃ)を股間に抽入して咥(くわ)え込んだ。

「そうそう、それで良いからそしたら皆さんの掛け声で、雌豚(葉月)は気持ちが良くなるように自分で腰を上下させて。ハィのお返事は?」

「はぃ喜んで。」

「それじゃぁ、膝を開いてそれ、ハッスル、ハッスル。ほら、スクワットの要領よ。」

「はぃ喜んで、こうですね。アァ、入りました。」

「そうしたら、抜けないように気を付けながら腰を上下させなさい。」

「はぃ喜んで。アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

「そうそう、そうやって皆さんにお見せしながら自分で性玩具(おもちゃ)に犯され続けなさい。」

「それ、ハッスル、ハッスル」

掛け声に促(うなが)がされて、葉月は強制的に腰を上下させられるシュチエーションに成る。

性玩具(おもちゃ)のシリコンラバーのカリ首が、想像以上に葉月の内壁を擦(こす)り、思わず善がり声が漏れて、葉月の羞恥心が引き出される。

後で知ったが、最近インリン・オブ・ジョイトイと言うタレントがM字開脚ショーを披露して巷で人気を博して居ると言う。

ジョイ・トイは大人の玩具と言う意味で、そのインリンと名乗るタレントが皮製ハイレグ衣装でM字開脚をして見せる。

マァ、こう言う遊びにはジョイ・トイ(大人の玩具)は欠かせないアイテムなのだ。

此処でのハッスル囃子には、吸盤付きで床や壁などに固定して使用するタイプのディルド (現代の張形)が使われる。

勿論、インリン・オブ・ジョイトイの様な生易しいものではない。

ディルド (現代の張形)を股間に咥(くわ)え込んだM字開脚で、ハッスルの掛け声に合わせて腰を上下させ、ギャラリーに感じ悶えている所を見せる趣向である。


「アァ、・・・気持ちが良い。」

葉月は、「こんな姿を皆さんに見せて、恥かしいけどオマ*コ気持ち良い〜」と感じていた。

男女のメンバー達は、葉月の股間で濡れて光りながら見え隠れする性玩具(おもちゃ)を確かめながら、「ハッスル」と囃(はや)し掛ける。

言うまでも無くハッスルの掛け声囃(はや)しは、腰の上下を強要して自分でディルド (現代の張形)に犯させる為のメンバー達の残酷なお愉しみである。

葉月は、メンバーの一人が床に手で床固定する性玩具(おもちゃ)を股間に咥(くわ)え込んだM字開脚で、ハッスルの掛け声に合わせて腰を上下している。

葉月が深く腰を降ろしてラバー玩具を呑み込むから、腰の上下の動きに玩具の茎が見え隠れしている。

「それ、それ、ハッスル。」

「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

「それ、止まっちゃ駄目よ、ハッスル、ハッスル」

「アッ、アァァ〜、アァァ〜、アッ、アァァ〜、アァァ〜。」

「それ、ハッスル、ハッスル、まだまだハッスル。」

メンバー達の意地悪い囃(はや)し声が、何時(いつ)までも続く。

その囃(はや)しに乗って葉月は、何時(いつ)終わるとも判らない陵辱ショーに必死で腰を上下する。


シリコーン・ディルド (張形)を咥え込んで開いた二枚の肉花弁が、葉月の腰の上下に合わせてディルド (張形)の茎に巻き込まれながら生々しく卑猥に捩(よじ)れて見えている。

その肉花弁の隙間からは、白く濁った葉月の愛液が床に向かって少しづつ垂れ下がって行く。

そして、快感に身を委(ゆだ)ねる葉月の半開きの口元からも、涎(よだれ)が顎(あご)を伝い糸を引いて滴(したた)り落ちて行く。

こんな事を犯らせる勝也も、その命令を聞いて股を開き他人に犯られる自分(葉月)も「色情狂」と言う思いはある。

だがその思いは、これだけ違うエロチックな現実世界が本音として在るとすれば、単に建前の社会だけの事ではないだろうか?

例えラレックス製の大人の玩具(おもちゃ)でも、見ず知らずの他人の欲棒でも、抜き挿しされれば肉体(からだ)は感じるように出来ている。

だから無理もないのだが、葉月は執拗(しつよう)に輪姦(まわ)されてイキ続けさせられ、クタクタに疲れて他人(ひと)の目を憚(はばか)る余裕も無く大股開きで伸びてしまった。

仕上げにメンバーの一人が、散々に葉月を突き倒した欲棒のカリ首頭で、イッタ後の敏感に成って居る葉月の実(サネ/花芯ボタン)をヌメヌメと擦(こす)る。

すると葉月は、耐えられない表情で断末魔の善がり声を漏らし、腰を振りながらブルブルと身震いする。

これが息つく暇(ひま)無くイカされ過ぎて荒い息をし、呼吸を整えている葉月への輪姦プレィの堪(たま)らない「とどめ」になる。

肉体(からだ)は正直な物で、この隠せない葉月の充分にイッている「とどめの性反応」が、犯る者観る者のこの場の醍醐味なのだ。



勝也に命じられて、葉月はランニングジュウズだけの素っ裸で、マンションのエレベーターを使って勝也と地下の駐車場まで降りた。

臆病ではこうした遊びは出来ない。

警備員に見られている恐れは在ったが、プレィだからエレベーター内や駐車場などに設置された防犯カメラは無視である。

勿論露出プレイは「見られるかも知れない」と言うスリルを愉しむ、いや、「見られても構わない」と言う心理的には意表を突く究極の新しい感覚である。

地下駐車場には車が待機していて、葉月は全裸で外に連れ出され、車で街の郊外まで露出ショウの為に連れて行かれた。

そして、何時(いつ)誰と遭遇するかも知れないスリルの中、深夜の公道の歩道を二キロほど伴走する車両から見張られながら素っ裸で走らされた。

多少寂(さび)れた公道とは言え全裸体の女が走るなどは非日常の異様な光景だが、この後その熟れた美人が抱けるのだからこその興奮もある。

それが勝也の遣り方だから、葉月のプライドを一度破壊する為の見せしめにこの露出ランニングプレィをさせている。

伴走する車両には、このランニングの後を輪姦(まわ)す予定の男達が勝也を含め三人乗って、素っ裸でワイルドに走る葉月を眺めている。

幸い歩道の方は誰とも出会わなかったが、車道の方は何台もの車両とすれ違いヘッドライトに照らされた葉月の裸身が浮き上がっていた。

素っ裸の葉月が乳首が立った乳房を上下に揺らして、公道の歩道をランニングジュウズだけで走っているのを、多分何台もの車両が見ている筈だった。

正直葉月は、「またあれ(輪姦/まわし)を犯られる」と思えば胸がときめく、どうしょうも無い肉体(からだ)に成っていた。

子宮が熱くなって股間から本気汁が外に垂れ出して太腿(ふともも)を伝わり落ち、自分のスケベ加減を自覚させられるのだ。

経験は大事で、葉月はまるでストリッパーに成った気分だったのではないだろうか。


ハプニングバーを体験させて数日後、葉月が体調の変化を訴えた。

産婦人科医に診せると、見事ヒットしていた。

両親に報告すると酷く喜び、気の早い事に入籍、内輪の祝言、葉月の父親の会社は大幅増資をして子会社化し、父親は役員で取り込んでがんじがらめにした。

暫くは、バイブレーターとおシャブリくらいだが仕方が無い、私(勝也)も我慢もしよう。

妊娠期間は、夫には二つの意味で待ち切れない。

SEXも気兼ねする事なく清々遣りたいし、私(勝也)は早く我が子も見たい。

出産が無事済んだら、葉月の調教は本格的になる。

葉月には試練だが乗り越えてもらわねば、加賀美の家の本当の嫁には成れない。


葉月は男の子を産んだ。

本当に「我が子が可愛い」と実感するのに、私(勝也)は三ヶ月費(かか)った。

加賀美家の跡継ぎだから、勝也の両親も可愛がる。

葉月は両親の事業の心配もなくなり、自分も加賀美家の財力でセレブ生活を満喫している。

子供を生んで気持ちも落ち着き、セレブ生活も板について、葉月の貴婦人ぶりにも益々磨きがかかった。

幸せそうに子育て生活を始めて六ヶ月、そろそろ葉月には次のステージが待っている。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

第五話(輪姦修行教団・入信)
◆◇◆◇◆第五話(輪姦修行教団・入信)◆◇◆◇◆◇

幸せの日々が、或る日一変しました。

私(葉月)の嫁いだ加賀美家は、戦前からその土地で指折りの資産家の家柄を誇り、古風で厳格な家庭でしたが、一つだけ違和感があったのは、一家で有る宗教に入信していた事です。

その宗教の教祖は、私(葉月)に言わせれば相当に胡散臭(うさんくさ)い男でしたが、義理の両親も夫も妄信しています。

事業が順調に拡大を続け、政治家としても当選を積み重ね、政治活動の実績も増え、家族みんなが健康なのは、「この信心のおかげだ」と言います。

確かに、義父のバイタリティは、年齢に不相応のものがあります。

この若さも、「教団の教えを守っているからだ。」と言います。

宗教の教えで「若さが保てる」なんて、普通眉唾ですよねぇ。

最近「お前も。」と入信を強要されましたが、断ると加賀美家の家族の態度が一変したのです。

冷たくされて、日々の家族としての会話もろくに出来なくなりました。

会話がなくなると、子育てもままなりません。

暫く針のむしろ状態が続いたのです。

もう精神的に追い詰められて、私(葉月)の気分は全面降伏でした。

形だけでも入信して機嫌を取ろうとすると、この期に及んで「それでは教祖の許しが得られない」と言います。

まるで私(葉月)の思いを読むように、「形だけの入信のふりは赦されない」と言うのです。

「ならば、どうすれば?」と問うと、「ご神託によると、お前には「悪い霊が付いている。」それを掃(はらわ)無ければならない。」と言われました。

家族はお前の今の気持ちも承知しているから、「お前が浄化されないと一家が破滅する。」と私(葉月)は責められました。

一才に満たない幼い長男もいるので、何とか家族と上手くやりたいのですが、出された条件がその教祖の下で一ヵ月間修行をして「心身を浄化して来い。」と言うのです。

なんでも大金を納める、悪霊を追い出す特別の修行が受けられるそうで、義理の両親はもう、その「大金を納めた。」と言っています。

婚家の家族一同で、私(葉月)を追い詰めるのです。

「どうしたものだろうか?」と私(葉月)は苦悩しました。

その教祖、中堅の美人女優と結婚した事で一時話題に成ったでっぷりと太った人で、名前は全国区です。

一ヵ月間も教祖に預けて若い人妻に修行をさせるなど明らかに内容が怪しいので、私(葉月)には修行の内容に凡その察しが付きます。

日頃の勝也の調教と婚約時の条件から考えると、義理の父母も最初から一枚咬んでいた様に思えたのです。

まったく、何と言う家族なのでしょう。


此れは、現状を守る為に自分を捨てるか、自分を守る為に現状を捨てるかの、私(葉月)にとって「究極の選択」と思われました。

平静を装ってはいたが、夫の義父母の要求を聞いて葉月は明らかに心の動揺は在りました。

しかし現実は、この要求に対する返答をチョイス(自由意志に依る選択)を本気でしなければなりません。

いずれにしても私(葉月)が、此処に到って大人の対応が出来るかどうかに掛かっていたのです。

「冗談じゃない」と拒否したい所でも、親の会社を人質に売られた身では勝手な事は出来ず、加賀美家一家の言い成りに成るしかないのです。

そしてもぅ、世間体を憚(はばか)るかなりの卑猥な行為を犯ってしまったのですから、ここで抵抗するくらいなら今までの妥協は意味が無いのです。



私(葉月)は身の上に起こる事を承知で、一ヵ月間の浄化修行に入る決心をしました。

私(葉月)としたら、現在の他人が聞けば羨ましがるセレブ生活その物が、逃れられない運命的なもので、この勝也の破廉恥な要求も「その続きの内」と言えました。

親に強いられた結果とは言え、仕事もせず、「お稽古事や買い物だ」と贅沢な日々を送っています。

此れが終われば信仰仲間と認められ、「葉月と堂々と結婚披露ができる。」と、勝也は言います。

どうやら、披露宴を先延ばしにしていたのは私(葉月)の宗教上の問題が加賀美家で、クリアされていなかったからなのです。

それでも、心配だから何をさせられるのか、勝也に質濃く聞きました。

勝也はこの修行の為に、前々から私(葉月)仕込んだ積りだから、「指示された事を素直にすれば大丈夫だ」と言います。

やっぱり、そう言う事だったのです。

何で、受ける修行を承知しながら、他人に私(葉月)を教団に預けるのか、婚家の家族の気持ちが判りません。

しかし考えてみれば、加賀美家もタダで数億の金を立川家に用立てる訳はありません。

父の「加賀美家の家風には無条件で従いなさい。」が、甦ります。

高い買い物にならない様に勝也の言う事を聞いて、先方の両親の期待にも応えなければ成らないのでしょう。

「逃れられない」とすれば、私(葉月)は頷(うなず)くしかなかったのです。

そんな訳で、「すごい修行らしい」と、風の便りに知っていたけれど、私(葉月)は修行で多少の破廉恥な事もする覚悟をしました。

婚家・加賀美家の信じる信仰に応じる決意をしたこの時点でもう、私(葉月)への陵辱舞台の幕が上がってしまっていたのです。

私(葉月)、夫の勝也が生贄(いけにえ)として、修行管理部の幹部さんに裸に剥(む)いて引き渡した特殊信者の意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)なのです。

こう成ったら、「小娘じゃあるまいし」と葉月は自分に言い聞かせて、ポルノ映画の様に生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインを務めるしか選択肢は無いでしょう。

引き換えに少しの間、利巧に目をつぶっていれば、「そんな事は勝手に私(葉月)の体の上を通り過ぎる」と、思う事にすれば良い。

「此れも運命の内」と受け入れるのが、私(葉月)の生き方に思えました。

結局私(葉月)は、「どうにでもなれ」と、捨て鉢に加賀美家の破廉恥な要求を受け入れる決意をしたのです。

「判りました。仰(おっしゃ)る通りに修行でも何でも致します。」

返事を聞いた家族は舞い上がって喜び、「此れで我が家は安泰」と、私(葉月)に子供の面倒は心配ないから「教祖様の言い成りに、しっかり修行をする様に」と念を押しました。

後で知りましが、修行の内容は両親も夫も百も承知の上で、私(葉月)の身に相当の忍従を強いるが、私(葉月)がその修行を勤めれば、それで「家族が良くなると」本気で思って、教祖を信じ切っていたのです。

加賀美家にとって、私(葉月)が修行に入る日は余程重要な事なのか、義父も東京から急遽駆け着けました。

私(葉月)は加賀美家の家族一同に連れられて、「加賀美家の家風には無条件で従う為に」その修行場に足を運びます。

私(葉月)は、勝也好みの女教師スタイル、白ブラウスにスカートスーツ姿で勝也の一歩後を歩き、臆するでもなく教団の建物に入ったのです。


私(葉月)が連れて行かれた修行の場所は、多くの信者でごった返す表側の宗教施設とは赴(おもむき)きが違う落ち着いた場所です。

高い生垣と信者の警備員で、そこは世間と隔絶した場所になっています。

鬱蒼(うっそう)とした竹林の中に構えられた教祖の屋敷内に在るゲストルームで、普段は重要な密教祈願や常時行われている女性信者の特別修行に使っている処でした。

中に入ると、世間とは隔絶された修行場は、尋常な処ではありません。

畳五十畳の大広間の和室と廊下兼用の板の間で、一郭には一目で判るSMの設備や縄の類も見かけます。

ずばり性の修行の為の造りで、私(葉月)は自分の修行の日々が察せられました。

義母が、「最初は理解できないけれど、修行が終わればキット判るから、辛抱して犯り遂(と)げなさい。」と言いました。

私(葉月)は、義母から「これから頑張ってもらうから」と小瓶に入った某医薬品メーカーのドリンク剤を渡されました。

「これ何ですか?」と聞いたら、勝也から「医薬品の疲労回復の栄養ドリンクだよ」と返事が返って来て、「この先過酷な事が待っている」と言う予感がした。

なにしろこの医薬品、滋養う強壮剤として「元気溌剌(げんきはつらつ)」が、メーカー謳い文句だった。

私(葉月)は、義母から「元気溌剌(げんきはつらつ)」に悪魔祓いの修行を犯れと言われたようなものでした。

勝也が、余り大した事では無いかの様に「葉月は、日頃鍛(きた)えさせて居るから大丈夫(だいじょうぶ)でしょう。」と両親に自慢気に言っています。

勝也の母が、「さぁ、教祖様ににタップリと可愛がって頂(いただ)きましょうね。」と、嬉しそうに葉月に言ました。

やはり、普通なら庇(かば)ってくれそうな女性のお義母様も、同じだったのです。

修行管理部の「幹部さん」と言う方達が四人程迎えてくれました。

顔見知りらしく、廊下兼用の板の間で勝也や義父母がにこやかに挨拶を交わし、私(葉月)に「手加減なく修行をみっちりさせるように」と依頼していました。

義父に、「此処では一切を修行管理部の幹部さんの指示で動く様に」と紹介され、「お任せしました。」と引き渡されました。

この途端、私(葉月)の身分は修行巫女です。

私(葉月)をどう扱おうが教団の勝手で、家族も私(葉月)も意志は言えません。

引渡しが済むと、私(葉月)はもう修行管理部の幹部さんの管理下なのです。

けじめは付けなければ成りません。

その場(廊下兼用の板の間)で行き成り、修行管理部の幹部さんから衣服を全て脱ぐように指示されます。

教団関係者の人が大勢居て、丸見えの場所なのに容赦しません。

「もう今から修行が始っているから早くしなさい」と勝也に促されたので、しぶしぶ一枚づつ脱ぎました。

柔らかく適度な丸みを見せる両の乳房も、赤ピンクの乳首も、丸く柔らかそうに突き出た草むらの丘も、ピンク色して可愛く開いた小振りのプリティな花弁も、私(葉月)には隠し様がありません。

義父母に見せた事の無い全裸を見られてしまいました。

しっかり上から下まで義父母に見られて、私(葉月)は恥ずかしかったのですが、義父母は安堵の表情を浮かべていました。

普通の家庭では、夫以外には見せないですよねぇ。

私(葉月)、下調べの名目で家族の目の前で修行管理部の幹部さん達に、全身を掴むように触られました。

それこそ、何処もかしこもで、例外はありません。

お尻など指先で両側に開かれて、蕾をしっかり見られました。

乳首や花弁は、「ほぅ・・」と言いながら摘(つま)まれて、引っ張りさえされました。

それを、ニコニコと見ていた内の家族、どう言う神経なのでしょう。

悪魔祓いの修行中の生活は「全て全裸」だと、義父に念を押すように言い聞かされました。

修行管理部の幹部さんに私(葉月)を全裸にさせて引き渡せば、家族はもう用がないのです。

私(葉月)の脱いだ衣類は白ブラウスにスカートスーツは勿論、パンティまでまとめて義母が持ち帰りました。

修行場の廊下兼用の板の間に、私(葉月)は全裸で取り残されて、詰まる処まで追い詰められて、立ち尽くしたのです。

大広間と、廊下兼用の板の間の横には三畳間ほどのベッドだけの奇妙な個室がずらり並んでいますが、「何が奇妙か」と言うと仕切りの壁やドアがないのです。

つまり、大広間側から全ての個室は丸見えで、しかも生活は徹底的に全裸と決まっていました。

修行信者はそこで寝泊りするのが決まりですが、今回は私(葉月)一人だけでした。

どうも義父が金を積んで集中して修行させるように、依頼したようです。

その時確信しましたが、勝也の言葉通り今までの私(葉月)に対する性の仕込みは、この為の事前トレーニングだったのです。

この宗教団体独自の信仰制度設計がこう言う形に成って信者に受け入れられて居るのですから、婚家が帰依している以上、かなり酷い修行でも私(葉月)は受け入れるより仕方が無いのです。

素っ裸で修行に望みますが、恥ずかしいも見っとも無いも在ったものでは無く、実家の安泰に寄与するのなら多少の事に目を瞑(つむ)るのも人情で、満更責められない情状も理解して欲しいのです。


私(葉月)が一ヶ月間の修行に入った時、私は修行管理部の幹部さんから教団の医療チームに引き渡され、普通の女性としては屈辱的な、大股開きの健康診断を受けました。

その医務室も大広間からは丸見えで、まるでプライバシーなどありません。

私(葉月)、教団の医療チームさんに浣腸をされたのです。

それも診察台の様な所で、四っんばいにさせられて、お尻を高く上げるように命令されました。

アナルの中にブスリとゴムサックをした指を入れられ、出し入れされてほぐされた跡、二百ccを一本入れられました。

酷い腹痛を我慢させられ、赦された排泄も丸見えの医務室で洗面器の中、私(葉月)、これでかなり覚悟が出来ました。

酷いのです。

そんな開けっぴろげの場所で、性病検査はともかく性感テストと称して私(葉月)、笑いながら性器具で散々に局所を弄(なぶ)られたのです。

最初は周りの目を意識していましたが、質濃く嬲(なぶ)られ続けているとそれ処ではありません。

感じ始めて腰を使って快感を貪るようになります。

修行場に、私の善がり声が響き渡りました。

何でも私(葉月)の鳴き具合まで調べたのです。

感度は良好との診断をもらいました。

それはそうです、見学の信者さん達も覗く中、のけぞって身震いし、愛液を噴出すまで攻め立てられたのですもの・・・

恥ずかしいやら、悲しいやら、実は気持ちも少しは良かったやら、ずいぶんと複雑な思いをさせられました。

その後「修行に欠かせないから。」とピルを処方され、「この修行は体力的に大変だから、貴女が頑張れる様に」と、親切粉なしに栄養剤と称する注射を射たれました。

射たれると私(葉月)は気持ち良くなり気力も増して、どうやら性的感度も上がる様です。

栄養剤を注射(うたれ)ると、教祖に抱かれる事も気持ちに抵抗がありません。

家族に期待されて送り出されて来ましたから、役目は果たさなければ成りません。

修行管理部の幹部さん達が見守る中、修行はおごそかに始りました。

覚悟の上ですから、教祖様とSEXをする事に戸惑いはありません。

この教祖様に直接修行を施される事を、教団では「引導を渡す」と言う尊い行いなのです。



修行場の一段高くなった舞台様の所に布団が引かれ、私(葉月)は全裸で寝かされて教祖様の手が肉体(からだ)に触れるのを待ちます。

「さて、この美乳の触り心地はどんなじゃろう。」

教祖様は天に向かって丸く膨らんだ私(葉月)の乳房をムンズと掴(つか)んだのです。

手始めに、乳首を硬くした柔らかそうな私(葉月)の乳房が、ポルノ映画の様に無遠慮に教祖に揉みしだかれて波打ち、掌(てのひら)の指に幾分コリコリと挟まれて間から突出した私(葉月)の可憐な乳首が刺激を受けています。

その教祖様の手の平が、突然私(葉月)の恥丘を包み込み、二本の指先が二枚の肉花弁をかき分けて柔ら壺まで挿し込まれてきます。

私(葉月)の柔ら壺に挿し込まれた教祖様の指先が、コリコリとポルチオを刺激しています。

膣(ウァギナ)の奥、子宮入口の、指で触るとコリコリ感触がある突起物が、「女体で最も敏感」と話題の性感帯・ポルチオと言われる部位です。

指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ私(葉月)の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身するのです。

自然に私(葉月)の口から「アァ〜アァ〜」と言う喘ぎ声がほとばしります。

「どれ葉月、肉体(からだ)がほぐれた所でおシャブリをせい。」

「はぃ、心得ました。」

私(葉月)は慌てて身を起こし、教祖様の欲棒に咥え付きました。

般若心経が流れる中、仁王立ちする教祖様の前に膝間付き、習い覚えたおシャブリで教祖様の欲棒に丁寧に御奉仕します。

教祖様の生身の陰茎が葉月の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)が顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。

欲棒が勃起した教祖様に横になってもらい、私(葉月)が上に股がって騎上位で花芯に迎え入れました。

私(葉月)の花弁の中に、硬くなった教祖様の欲棒が突き刺さって、愛液に光っています。

教祖様の欲棒を迎え入れた私(葉月)は、精一杯上下に腰を使い、深く浅くと欲棒を包み擦り、教祖様を行かして差し上げたのです。

教祖様は、「ムフ、ムフッ」と言いながら、私(葉月)の腰使いを欲棒で感じていたようですが、「うっ」と言って、私(葉月)の中へ迸(ほとばし)りました。

実は私も腰を使って快感を貪り同時に行ってしまい、共に極楽を味わいました。

終わった後の教祖様の欲棒は、私(葉月)が口で綺麗にして差し上げました。

それが、流石(さすが)教祖なのです。

私(葉月)の口の中で再び元気になられ、また押し倒されて、二度目のご奉仕です。

今度は上から組み敷かれ、凄い勢いで花弁をつ突き倒されて、二度目の極楽を味わいました。

教祖様に気に入ってもらえたのか、それからの私(葉月)の修行には、教祖様は特に熱心だったのです。

教祖様に言わせると、私(葉月)は稀に見る床上手で、慈悲の心が育てば観音菩薩様の素質が充分にあるそうです。

それには、相手の選り好みや好き嫌いが煩悩で、性に関する嫌悪感もいけません。

誰にでも与え、自らも身体で喜びを感じるのが、菩薩の心なのです。

実際教祖に激しく抱かれて、私(葉月)は今までに無い快感を得ました。

私(葉月)は教祖との修行「引導を渡す」の都度にその栄養剤を射たれて臨むのが日課に成って行きました。

その修行と栄養剤が、教祖の設定した厳しい修行を可能にしている様です。

そう、私(葉月)が知らずに射たれている栄養剤は、シャブでした。

シャブは、この教団の信者幹部でもあるアンダー組織の組長が以前から教団の修行用に渡していたようです。

私(葉月)に与えていたピルの処方も勝也が教団から手に入れていたのです。

何処からか、信者の般若心経の読経が流れて来ます。

この日の私(葉月)の来訪も、彼らにとっては日常の修行風景で、別段変わった事では無いのでしょう。

修行管理部の幹部さんから躾(しつ)けを受ましたが、修行中は正座がありません。

何処に居ても、どんな場合でも、花弁を晒すM字開脚座りが基本です。

脚を閉じたら、修行管理部の幹部さんにこっ酷くお仕置きです。

教祖は土日を挟んで三日間に渡り、社会に刷り込まれた「性への嫌悪感」を拭い去る為の「引導を渡す」修行と称して修行管理部の幹部さん達介添(かいぞ)えの下、昼夜散々に私(葉月)の肉体(からだ)の全ての場所を犯しました。

私(葉月)、息を付く間も無く激しく弄(もてあそ)ばれて、引導を渡され続けたのです。

そして、教祖様のお相手が無い時間は修行管理部の幹部さんのお相手の時間です。

素裸に剥(む)いて、寄って集(たか)って嬲(なぶ)り、輪姦(まわ)し犯すのでから新参女性信者に「過酷な事をさせている」と言う自覚が教団指導部に有ります。

修行で犯るなら、愉しませる欲棒の数は一本も二本も同じですし、十本二十本なら、この苦行はいっそう修行らしいのです。

つまり性交相手の数が多い苦行ほど、特定の男との浮気気分では無い「修行の性交そのもの」を証明しているのです。

でも、教団本部に数人医者が居ますし、驚いた事にそこは用意周到で、この教団の修行会場には携帯の酸素吸入器まで用意してあるのです。

当然ながら、輪姦修行など羞恥心と苦しさばかりが予見され、快感など余り期待して居なかったのですが、犯られて見るとそれが濃密・濃厚な性感を感受した時間でした。


意向に少しでも躊躇い(ためらい)を見せたら、修行管理部の幹部さんから、私(葉月)を縄目もきつく、全裸座禅縄縛りで修行場の板の間に転がし、何時間も放置するお仕置きをされました。

この修行管理部の幹部さんが、皆さん厳しい人達で修行中は容赦がありません。

身動きの出来ない股間丸見えの姿で修行場の板の間に転がって居る間は、信者達の悪戯自由がルールらしく、通りすがりに指を入れられたり、物を入れられたり色々されます。

勿論私(葉月)は、座禅縛りに拘束されていて何をされても何も避けられないし抵抗は出来ません。

前にも言いましたが、私(葉月)痛いのは駄目なのです。

最初は辛くて泣きながら転がされて、悪戯をされていましたが、やがて涙も枯れました。

四日目になると、教祖は漸(ようや)く加賀美家から衣服を取り寄せ、私の中学校への通勤を許しました。

基本的に、昼間の仕事はキチントさせるのが教団の教義です。

そして、夕方帰ってくれば自ら身ぐるみを脱ぎ、般若心経を唱えながら教祖の施す「引導を渡す」修行を待つ毎日を送っています。

修行の規律は激しく、私(葉月)から一切の躊躇(とまど)いは消えて行きました。

教団の何の要求にも無条件で受け入れるのが、唯一私(葉月)の取るべき道なのです。


二週間ほど散々修行を施した挙句、私(葉月)が何事にも従順になると、教祖は私(葉月)の躾けに自信を持ったのでしょう、義理の両親と亭主を修行場に呼び寄せました。

今は義理の両親や夫・勝也の前で、教祖様が仰向けに寝ている処に頭側からうつ伏せ巴の形で腰が顔に被さるように葉月に跨(また)がせ、股間を眺める形ちで欲棒をシャブらせて居ます。

シャブらせながら教祖様が下から両手で葉月の尻肉を左右に押し広げれば、目の前で尻の菊蕾(きくつぼみ)が左右に伸び、二枚の肉花弁もパックリ割れてピンク色の粘膜が露(あらわ)に成ります。

シャブって居る相手に股間を凝視される恥ずかしい体勢を意識して、押し広げられた私(葉月)のおシャブリの速度が急に上がって唇がカリ首のエラをヌメヌメと刺激するのです。

彼らの目の前で私(葉月)に自分の欲棒を口で奉仕させながら、一ヶ月間の修行が終わっても、私(葉月)を時々教祖様が修行に使える様「貸し出す事」を命じたのです。

それで、私(葉月)の修行は一ヵ月では終わらない事になりました。

後で聞くと、教祖様が気に入って「特別な計らい」をしたそうで、教団内では異例の早期出世の道が開けた事だったのです。

教団に帰依して置いて、特別な存在の教祖様との性交を拒むのは本物ではないし、夫を始め家族一同がそれを喜ばないでは信者ではないでしょう。

何故ならば教祖様との性交は信仰上の事で、信仰に於いては無条件が鉄則だから「俗」に落としてそれを「卑猥(ひわい)」と受け止める事こそ信者として無礼だからです。

こうした事で「教祖に犯られた」と訴える信者が居ますが、その信者が多くの信徒を集めて幹部に昇った挙句であれば覚悟が足りず、その見識や人間性を疑われて当然です。

内の家族も、教祖様の「特別な計らい」を喜んで「是非、どうぞ何時(いつ)でも葉月をお使い下さい。」と、手を合わせて了承しました。


彼ら私(葉月)の婚家の家族は、教祖様に命じられるままにかしこまって般若心経を唱えながら、教祖の尊い物が肉花弁を押し退けて私(葉月)の股間に収まるのを暫くの間手を合わせて見守っています。

そしてその教祖の欲棒が激しく深く浅く私(葉月)の柔ら壺に出入りして、私(葉月)に「引導を渡す様」を、家族全員が手を合わせ般若心経を唱えながらしっかりと見届けていました。

これは教祖が直接事を為す尊い神事だから、信者家族が参列して見守っても不思議は無いのです。

義父母にも、此処まで見られてはもう隠すものはありません。

私(葉月)の方も、それを求める家族に監視されて居てはクィクィと腰を使って必死に教祖に応じ、教祖様を極楽に導くお手伝いを犯らざるを得ません。

途中から体が入れ替わって、今は騎上位で、私(葉月)が腰を尻ごとピッチング(上下動)して教祖様の欲棒を花弁に激しく出入りさせています。

ただの騎上位ではありません。

和風トイレスタイルで両脚に体重を掛けて踏ん張り、腰を浮かして、体重を教祖様には掛けません。

腰がピッチング(上下動)しても、繋がって擦(こす)れ合っているのは教祖様の欲棒と私(葉月)の花弁の中、柔ら壺の海綿体だけで「スクワットファック」と言います。

私(葉月)、本当は繋がったまま恥骨を擦り合わせるのが一番感じるのですが、殿方はこの方が良いらしいのです。

計算されたのでしょう、教祖様の頭が家族の方を向いています。

私も家族と向き合ってスクワットをしていますから、家族が正面から見るとキット教祖様の欲棒が私(葉月)の肉体(からだ)を出入りの様子は皆に良く見えるはずです。

出入りの様子を婚家の家族に見せ付けるのが、教祖様の御意志なのです。

「あぁ、こんな姿を婚家の皆に見られている・・・・」

家族に見られながらのメンタル面と、腰を使って私(葉月)の中に深く浅く激しく出入りさせる教祖様の欲棒の感触は凄まじいものです。

肉体と精神の両面から激しい刺激に襲われて、私(葉月)は我を忘れて腰を使って快感を貪り、背骨を反らせ、それでも尚踏ん張って腰をピッチング(上下動)させます。

流石の教祖様も、快感に大声で吼えていましたが、体位を入れ替えて、逆襲に転じます。

私(葉月)は両足が頬や耳に付く程脚を持ち上げられ、組み敷かれて、花弁の中に教祖様の欲棒が削岩機の様に突き入ってきます。

受腰で応戦しながら私(葉月)は婚家の家族の前で大きな善がり声を上げました。

加賀美家の嫁は、今、膝立ちで覗き込む家族の前で、花弁の奥を貫かれて、獣のような声を上げています。

手を合わせ、般若心経を唱えながら覗いている義父と夫の下腹部のチャックの辺りが大きく膨らんでいても誰も責められません。

教祖が私(葉月)を犯しながら、勝也に「お前の女房は中々具合が良い。時間を掛けて良く仕込んだ」と声をかけると、勝也は嬉しそうに「ありがとうございます。」と礼を言って、教祖の欲棒相手に下半身が忙しい私に「良かったな。頑張れ、ょ!」と声をかけるのです。

知らぬ顔も出来ないので、私(葉月)は善がり声の合間に「はい。」と応じました。

勝也は帰りがけに「良いか、くれぐれも教祖様の意のままにするように」と、まだ教祖と深く浅く腰を使い、包み擦り繋がったまま喘いでいる私(葉月)に申し付けて、帰って行きました。

亭主の勝也のこの宣告で、私(葉月)はもう後戻りが出来ない事を思い知らされます。

信者にとって、教祖の言う事が理屈ぬきに正しい事で、疑いは無いのでしょう。

それで、教祖のパートナーとして、時々借り出される為の教団準幹部資格を得る為に「おひろめ祈願をさせられる。」と言うのでした。



◆夜鳴く蝉・勝也

裏五話教団に入信させる

◆◇◆◇◆裏五話(教団に入信させる)◆◇◆◇◆◇

葉月をハプニングバーに連れて行ったのは、大勢の前で卑猥な事をさせられても動じない精神を鍛える為の訓練である。

その訓練が、この先やがて起こる加賀美家の信心家風に葉月を馴染ませる為の、家が信心している教団の神事や修行で何が在っても応じる下地を葉月に計画的に創る為だった。


陰毛の下部に開く二枚の肉花弁など生々しく卑猥(ひわい)な自分(葉月)の股間を、大勢の他人前で晒すなど、葉月は考えても見なかった筈だ。

だからハプニングバーで私(勝也)に強要されたハッスルショーの披露も強烈だった事だろう。

何しろス葉月は、ポットライトを浴びながらM字開脚に開いた股座(またぐら)にシリコーン・ディルド (張形)を咥え込んで、腰をスクワットに上下させて自慰ショーを公開させられたのだ。

だが、その考えられない事態をイザ犯って見ると、多くの他人の視線を意識して胸を締め付けられ脳が痺(しび)れるような特殊なM(マゾ)感情が、葉月に湧いて来た。

葉月は、思考が常識的に否定する行為を、「恥ずかしいけれど肉体(からだ)が期待していた」と私(勝也)に告白した。

つまり葉月は、人前で多くの突き刺さる様な視線に全裸体を晒す異常な状況に置かれて、不覚にも感じてしまったのだからそれは素直に認めねば成らない。

正直、密かに葉月自慢のプロポーションだから、他人の視線を意識して全裸体を見せる事にも「どうだ」と言う半ば自慢の想いがある。

そしてこの延長線上に、あのホテルでのAやSとの事の様な自分(葉月)への輪姦陵辱が待っていると想うと、子宮がカーッと熱くなり中が濡れて来るのが判っていたのだ。

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)を経験すると女性ホルモンの影響が多くなる。

女性ホルモンが活性して発散が増えた所を、本能で察知されて男性からナンパの声を掛けられるなんて事もある。



義父・加賀美静山は、太平洋戦争終結時に二十五歳だった。

静山は、陸軍兵学校を卒業して終戦時は大本営付きの参謀部少尉、前線での戦闘経験が無いままに敗戦を迎える。

元々加賀美家は岡山で十八代も続く豪農で、江戸期は「代々庄屋を務めて居た」と伝えられる。

元々の加賀美氏は甲斐源氏の祖とされる新羅三郎義光の孫・源清光の子・遠光が、甲斐国巨麻郡加賀美郷(現・山梨県南アルプス市)に住して加賀美を名乗ったに始まる源氏流である。

鎌倉初期では、御門葉(源氏流)の御家人として源頼朝より信濃守に任ぜられ、その一流が備前国(岡山県)に派遣されて土着し、旧家・加賀美家として今日に到っていた。

その旧家の資力を使って軍幹部が横流ししたトラックや軍需物資を元にいち早く運輸業や闇市を始めて成功し、財を為して国会議員の議席も手に入れていた。

この戦後のどさくさ時に教団教祖と出会い、その信仰に心酔して互いに利用し合って規模の成長して来た。

勿論教団は、切っても切れない衆議院議員・加賀美静山の集票マシンだった。


葉月を次のステージに上げる機が熟して、イヨイヨ、葉月を根底から意識改革させる時が来た。

こうなれば勝也が教団修行部に託して葉月を寄って集(たか)って犯し、女としての性感をブラッシュアップ(磨き上げ)して犯る事に成る。

つまりこれから修行させる教団のマルチSEX(複数性交)は、葉月を調教する為のエキシビション(公開実演、模範試合)なのである。

これには、一家で葉月の説得に掛かった。

教団でするSXE修行が、加賀美家の総意である事を葉月が理解しなければならない。

説得に少し時間が掛かったが、最後は折れて葉月は覚悟した。

私(勝也)が今まで仕込んだ事が、修行を受ける折に少しは効果を表す筈だ。

親父が教団に根回しして、葉月には特に激しい修行を望んだ。

葉月が、夫を含む周囲が「必ず自分に合わせてくれる」と想っているのは傲慢な心得違いの甘えで、当然ながら自分が周囲に合わせる必要もある。

何よりも夫と婚家の両親に、教団で輪姦(まわ)されろ命じられた事である。

酷い様だがものは考えようで、一対多数の変則マルチSEX(複数性交)は、スケベ女なら涎(よだれ)が出そうな御褒美で、「豪華フルコースの贅沢」と言えない事も無い。

義母に「うなぎは好きか?」と聞かれ、「好き」と応えると、義母は葉月を連れてうなぎ屋に出かけた。

義母は、「今の内に体力を着けて置きましょうね。」と上質高価なうな重を、何度か葉月に食べさせている。

つまり葉月にうなぎを食させて体力を着けさせて、「修行に励(はげ)め」と言う事で在る。

これは妥協では無く考え方の工夫で、こう成ったら実家の窮地を救う為に葉月は、相手が何人だろうが元気を出して犯られるっきゃ無いのだ。


現在の倫理感を前提にした宗教観では、信仰と性を結び付ける感性は無く、こうした物語は理解出来ないかも知れない。

しかしながら、信仰や宗教の類も元は人間が考え出した事で、何も教義が奇跡的に空から降って来る訳ではない。

だから信仰は、教祖や指導者に理性で考え出され積み重ねて構築した哲学であり、勿論教祖や指導者はその信仰を妄信などしていない。

その考え出された信仰は、信じる側からすれば精神(こころ)の救いを得る為に世俗の観念から超越し、妄信するものである。

だから根底には、妄信により世俗の観念から超越した精神(こころ)の救いが信仰の前提にある。

元々日本神道に於ける巫女の存在は「呪詛巫女」であり、稲穂の実りも子宝も同じ天からの授かり物で、それを祈願する性交は呪詛儀式だった。

そうした信仰上の正当性が派生して「神前娼婦」と成った歴史があるのも巫女のれっきとした側面である。

だから、教祖や指導者と女性信者が性交する事は二千年来の宗教史では当たり前で、それが出来ない信者など最初から「なまくら信者」である。

そして神仏混合が国の政策方向だから、神道も仏教も方向性は同じだった。

現実に、十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなりの側室・お美代の方(専行院)の父親、日啓(日蓮宗の住持で子沢山の生臭坊主)が引き起こした大奥女中の醜聞、智泉院事件に於いては、「お祓い・祈祷」が性交の名目だった。

そう言う部分は、現代の建前感覚より当時の現実感覚の方が、返って正直なのかも知れない。


いずれにしても気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的である。

葉月を教団の呪詛(法力)巫女として、素っ裸のガチンコSEXハイターに仕立てる事が加賀美家の目的である。

葉月の頑なに閉じた倫理観のドアを抉(こ)じ開けるには、教団の修行で「欲棒の鍵」を挿し込み、輪姦(まわ)すしか手がない。

自分の意思を挟む事の出来ない状態で徹底的に他人に仕込まれれば、葉月の意識も根底から変わるだろう。

修行管理部の幹部に素っ裸にした葉月を渡して、私(勝也)達は家に帰った。

後はおまかせで、まずは医療チームに嬲(なぶ)られ、次は教祖が味見をする。

葉月の成長が楽しみだ。

葉月は、父親の会社を人質に売られた身では勝手な事は出来ず、「勝也の言い成りに成るしかない」が重なって、妥協のままにここまで来てしまった。

そしてもぅここで抵抗するくらいなら、既に世間体を憚(はばか)るかなりの卑猥な行為を葉月は犯ってしまった。

だから葉月がここで「嫌」を主張すれば、今まで両親の為に妥協を重ねた努力が意味が無いものになってしまう。


葉月を教団に預けて半月、「どうしているだろうか。」とソロソロ気になりだした頃、教団から呼び出しが来た。

葉月の修行成果を、「教祖が特別に披露したい」と言って来たのだ。

両親も呼ばれたので、一家で、葉月の修行の成果を見に行く事になった。

修行場に行くと、素っ裸の葉月が修行管理部の幹部に伴われて姿を見せた。

正座した正面に、婚家の家族が来ていたので驚いた様だが、修行管理部の幹部から「教祖の指示で修行の成果を見せる」と言い渡されると、頷(うなず)いて「よろしくご覧下さい。」と礼儀正しく手を着いて頭を下げた。

寸前まで、家族が来て修行中の葉月の様子を観る事は聞いていなかった様だ。

葉月は、心なしか少し「オドオドしている」が、教えが厳しいから仕方が無い。

教祖が出て来ると、葉月は膝立ちにしゃがんで教祖の股間に口を近付けた。

私(勝也)には流石に複雑な思いになる光景だが、目の前で、葉月が教祖の欲棒をシャブっている。

なるほど、教祖の狙いは判る。

夫や義父母に見守られながらの行為は、葉月の性への既成概念を取り除くには最高の手段だ。


良いも悪いも無く、妻・葉月は全裸のまま、やや腰を前に突き出し気味に腰に手をやった仁王立ちの教祖の欲棒を、床に膝を着いた形で上半身前後に動かしながら熱心にシャブっている。

教祖の淫茎の丈が、妻・葉月の口元で唾液に濡れ光って唇を擦(こす)りながら見え隠れする様を僅(わず)か一メートル足らずの目の前で見た私(勝也)のインパクト(衝撃)は強烈だった。

私(勝也)は、葉月にシャブらせながらの教祖から、一ヶ月の修行巫女の期間を終わっても、時々葉月を貸し出すように教祖に命じられた。

まぁ葉月も懸命に努めたからだが、教祖の葉月の女体使い心地の鑑定は合格である。

葉月は教祖に気に入られて、直ぐに次の段階に修行が進みそうだ。


今は目の前で葉月が、教祖の欲棒を股間に受け入れて、スクワットの騎上位を続けている。

胸を張り、ユックリと上下をする葉月の股間に、出入りする教祖の欲棒が黒く濡れて光ながら見え隠れしている。

葉月は、ズブリと教祖の欲棒を受け入れた自分の女陰への家族の視線を意識すると、カァーと下半身が熱くなる羞恥心を覚える。

そして教祖がクィクィと下から腰を使って繰り出す抜き挿しで、教祖を跨ぐ葉月の内壁を擦(こす)る教祖のカリ首の刺激が葉月の中で一層興奮が高まって来る。

見られながらするのがどんな気持ちか量(はか)りようが無いが、葉月は腰を上下しながら明らかに薄目をあけて、婚家の一人一人の顔を見ていた。


明るい照明の下、私(加賀美勝也)の目の前で一組の全裸の男女が絡(から)み合って、ユックリとうごめく様に濃厚な性交を此れ見よがしに犯っている。

その濃厚な性交の男女は、男は教祖様で、女は私(勝也)の妻・葉月の組み合わせだった。

つい先ほどまで、葉月は前戯と言うには余りにも強烈な教祖様の指攻めで何度もアクメ(絶頂)状態に追い込まれていた。

指攻めは、教祖様に二本指を柔ら壺に挿し込まれての激しい抜き挿しで、葉月の極(きわ)まった善がり声が絶える事無く周囲に鳴り響く。

葉月は泣き喚く様に善がって腰を浮かし、堪(こら)え切れずに「潮吹き」と呼ばれる愛液をほとばしる醜態姿を曝(さら)け出す。

葉月の性感度が高まり、何度かアクメ(絶頂)状態に出来上がった所で教祖様に欲棒を抽入され、一転して今はジックリとした攻めを始めた。

もぅ始まって十分を越えているが、教祖様が私(勝也)の妻・葉月の性感反応を愉しむかの様に、優しく柔らかくねっとりとした腰使いでユックリと生々しく突き入れて葉月を攻め続けて居る。

それは先ほどから、私(勝也)の妻・葉月の股間に教祖の欲棒の抜き挿しが、「何時(いつ)まで犯るのか」と想うほど質濃く永々と続けられている。

葉月も、明らかに行為に集中して反応しているが、夫の私(勝也)が合意して教祖様との性交を認めたのだから、愉しんでジックリ犯られても仕方が無い。

無理も無いのだが、本音で言えば犯られている間の葉月は快感を貪(むさぼ)るに無我夢中で、正直、余計な事は考えられないのが普通である。

性交の佳境に入ってしまえば、もぅ女の性(サガ)で教祖様にああされ様がこうされ様が、要求されるままに身を任せて止められない。

教祖様のネチッ濃いお愉しみに葉月も感じて居て、それに呼吸を合わせて快感を貪(むさぼ)る様に恍惚の表情を浮かべてねっとりと濃厚な受け腰で応じている。

葉月の粘膜の感触を味合うかの様に、教祖様の愛液に濡れ光る陰茎が、喘(あえ)ぎ声と伴に生々しくユックリと見え隠れしている。

葉月は、羞恥の感性の中で気取(キドリ)を捨て去り、今進行しつつ在る自分の性交プレィにジックリ気分を出して、本能で没頭して居る。

しなやかに軽快に、あられもない裸身をなやましく絡(から)ませて、葉月は本能のままに教祖様との濃厚な性交姿を夫の私(勝也)に観せて居る。

互いの目の届く範囲で、性交ショー化してギャラリーに観せながら大胆に犯るオープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)が、夫婦合意の遊びの性交である。

正直、目の前で自分の妻が他の男に抱かれているのは胸が詰まる想いも在るが、その嫉妬と興奮は帰宅してからの夫婦の性交で責め晴らせば癒される。


実は世の中には、身内公開の輪姦プレイを密かに行っている人々が居る。

そして性癖など元々秘めたるものだから、その人々は誰にも暴(あば)かれず、普通に一般社会人としてその辺を歩いている。

修行輪姦の良い心得は願望優先で、きわどい快楽プレイも犯らせ放題の所である。

それを多人数の男達と性交したからと言って、夫(勝也)が承知の遊びの上なら安心で、何も大袈裟に考える事は無い。

つまり性癖や性交プレィに関しては、表向きの常識など通用しない深いものが世の中には存在する。


夫婦間には、生物学的本能に依る浮気の危機が宿命として付きまとう。

浮気だろうが本気だろうが、性行為自体は人間なら誰しも「犯りたい本能」を持っていて、通常は誰しもが犯る事で在り珍しくは無い。

何故ならば、男性にはより多く子孫を残す種(精子)ばら撒きの性交本能があり、女性には選り優秀な種(精子)を得る為に違う男性と性交する欲求がある。

つまり男女共に社会の倫理観とは裏腹に浮気本能が在るのだが、その浮気本能は一夫一婦制と矛盾し、安易に実践すれば夫婦生活崩壊に到る危険がある。

これを、「愛情や精神力」と言う不確かななものだけで規制して、無理やり乗り切ろうとするから「ほころび」が多く、結果、離婚に繋がる。

であるならば、平安期の「歌垣の遊び」の様な浮気本能を代替するような遊びの性交の場を、「夫婦合意の遊びシステム」として構築した方が理想的かも知れない。

その「夫婦合意の遊びシステム」の絶対条件は、浮気の様に影でコッソリ他人(ひと)と性交する事ではない。

夫婦合意の遊びの性交だからこそ互いの目の届く範囲で、隠し事無くセックスショー化してギャラリーに観せながら犯るオープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)が絶対条件である。

遊びの性交を互いにオープンセックスで観せる分には、嫉妬(しっと)無く種(精子)ばら撒き本能や選り優秀な種(精子)を得る本能を擬似的に満足させられる効能が在る。

勿論、オープン・ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)の興奮を抱えて帰るから、帰宅後の夫婦の一戦は濃厚な性交に成る。

そしてこの遊びを始めて以後の私達(加賀美夫妻)の夫婦仲は、互いに互いを思い遣る事で以前よりズット親密に成った。


正直六十歳代半ばでも結構凄いのに、教祖の年齢からすれば、欲棒を漲(みなぎ)らせてまともに性交が出来ると言う事はご立派としか言いようが無い。

確かにセオリー(公式手法)を越えた、シュール(奇抜)な刺激が在るシチュエーション(状況)と言う特別な舞台設定が在っての事だが、まさに神懸りの能力である。

まぁ価値観を変えれば、「人生愉しまなければ長生きする意味が無い」と言う教祖の教えも事実である。

加賀美一家の目の前で行われた教祖との葉月の修行が終わると、そこからは修行管理部の幹部が葉月を指導し、荒行を開始する。

葉月にして見れば、自分に要求されたこの生贄(いけにえ)の状況は、信じられない程余りにも衝撃的だった。

性器も露(あらわ)な素っ裸に剥(む)かれた裸体を他人前(ひとまえ)で晒(さら)すのは、葉月に採って何とも恥ずかしく無防備で頼りない想いである。

それだけでも羞恥心でアドレナリンが噴出するのに、私(勝也)はこの衆人環視の中で「輪姦(まわ)されて見せろ」と、聞いただけで脳みそが溶けるような衝撃的な事を命じるのだ。

しかしこの際、葉月本人が何をどう考えるかは、私(勝也)には問題ではない。

必要なのは、只、葉月を嫌応無しに素っ裸にして皆の前に連れ出し、休む間も無く犯して可愛がり、善がり続けさせるだけの事である。


易々と逃げ切れない状況に追い込まれて、葉月は今、素っ裸で此処に居る。

全裸で呪詛巫女修行会場に曳出された葉月は、今ここにいる男達全ての欲棒を、単身(ひとり)で柔ら壺に受け止める事になる。

葉月はもぅ女達の興味深々な視線の中、男達が待つ陵辱舞台に上がってしまったのだ。

男女の群れの中に全裸の女性が一人居れば、それだけで異様な非日常の空間が生まれ、群れに怪しい雰囲気の世界が幕開けする。

全裸で呪詛巫女修行会場に曳出された葉月は、今ここにいる男達全ての欲棒を、単身(ひとり)で柔ら壺に受け止める事になる。

陰茎に青筋か立つほど硬くそそり立っ欲棒を何本も連続して受け入れるのだから、絶頂の快感が途切れる事無く持続する。

もぅ葉月は、形振(なりふ)り構わず腰を使って快感を貪(ぬさぼ)りながら、男達にイカ(絶頂)され続けるしかない。


男性を受け入れるかの決断は本能で在るから、イザと成ると性交に関しては女性の方が余程(よほど)男性より度胸が良い。

葉月の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、教団のプレィルームに響き渡っている。

「まるで私では無いみたい」と葉月は想いながら、今は貫(つらぬ)かれた名も知らぬ男性信者の欲棒に歓喜の受け腰を使って応じていた。

つまり葉月は、想ったよりもこの卑猥(ひわい)な遊びと、肉体(からだ)が肉欲的に水が合った事に成る。

集団乱交の遊びなど「現実には存在しない噂」だと想っていた葉月にはにわかには信じ難い事だっが、その噂だけの世界が現実に存在した。

しかも葉月は、奇妙な宗教の生贄(いけにえ)のヒロインに仕立てられ、こんな乱交プレイを愉しみ愉しませる遊びを犯る連中が居る事を、肉体(からだ)で知らされ様としていた。

この遊びの性交プレィを、拒絶しても回避できない環境であれば上手く犯るべきで、頑(かたく)なに気持ちだけで拒絶するのは聡明な事では無い。

こう言う事を否定しないで上手く犯るには、気を入れて気分を卑猥(ひわい)に持って行き、積極的に受け入れて性交を愉しむのが利口な女の処し方である。

葉月は、今からこの「大勢の他人前(ひとまえ)で犯される」と想うと、恐ろしさと恥ずかしさで胸がキュンと成った。

けれど不思議な事に、この観られる快感が癖に成りそうな予感が、葉月の心の片隅に複雑に存在した。

現に葉月は、大勢の視線を意識して乳房の乳首を硬く立たせ、戸惑いの表情を浮かべて指示に従っている。

自然な男女の性癖を区分けすると、観て感じる男性と見せて感じる女性に分けられる。

頭の思考で露出癖を論理的に否定していても、経験から別の答えを感性的に受け入れる事もある。

タブーの世界だから余り正面切って表明は出来ないが、現実にAV女優の志願者は多く、事務所登録しているだけで数万人は居て、その彼女達が金の為だけで無い。

建前はともかく本音では、彼女達に「他人前(ひとまえ)で犯られて見せる」と言う究極の露出癖をも満足させる目的でも無ければ、そんな仕事は犯っては居られない。

日本でも欧米でも、大ヒットを飛ばす歌姫に露出の多い衣装は定番である。

つまり女性の「見せたい願望」は女性が男性を誘うカップリングの本能で、それで集まって来た中から相手を選ぶ為に、見せて誘う意識が感性的に働くと言って良い。

男性は観たい癖があるから露出の多い衣装は歓迎だし、女性も本音では「見せたい願望」で歌姫の露出に共感している。

だから葉月は本能をくすぐられ、こう言う特別の場でしか味わえない女性特有の究極の露出癖に目覚めたのかも知れない。

此処まで来てしまえばまな板の鯉で、葉月の顔は、一見すると覚悟の「はにかんだ微笑(ほほえ)み」の表情を含んでいた。

もっともこの快楽の場では今更抵抗は見苦しく、葉月は場の雰囲気を壊さない為に悲壮な顔や嫌な顔は出来ない。

結局の所葉月は、「どうにでもしろ。」と覚悟を決め、秘部も露(あらわ)に股を開いて相手の犯りたい事の受け入れを待つしか選択枝は無い。

そしてどんなに美人で、どんなにスタイルが良くても、絡み合う恥毛の丘とグロテスクな女性器は、性交の為の肉体の一部として違和感タップリに備わっている。

その場に全てを晒(さら)して素っ裸大股開きにされた葉月の顔は、羞恥心を含んだ困惑の表情だった。

その葉月の困惑の表情などお構い無しに、少し乱暴に輪姦(まわ)しは始まった。

この連中はこう言う事に慣(な)れて精神的にも図太く、他人前(ひとまえ)でも躓(つまずく)事も無くズブリとインサート(挿入)を確り決めて来る

自分達が日頃犯って居る事だから犯る方も犯られる方も笑顔で、この連中が無遠慮に葉月に犯って居る事は当たり前で、悪いとも可愛そうとも想わない。

しかし女性は、一度そちら側に飛んでその露出感覚の快感を味わってしまうと感性の快感が優先されて、次からのプレィは意外とそこまでは抵抗がない。

何しろ休みたくても休めない状態で後ろから前からと輪姦性交が続いて、葉月の絶頂(アクメ)は途切れなく性感に拠る忘我の境地を彷徨(さまよ)っている。

教団関係者大勢の視線も忘れ、口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、葉月の口から垂(た)れ流されている。

バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パン、と言うの尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこのプレィルームに響き渡っている。

雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。

原始回帰すれば、男性が良い母体を探し女性が良い精子を探す「種の保存本能」で相手を代える感性は、ふしだらでは無く当たり前だった。

その性交本能を剥(む)き出しに男女伴に、葉月の肉体(からだ)でタップリ愉しむ事が、この場の約束事だった。



私(勝也)にすれば、妻・葉月の貞操と引き換えに「教団幹部」に加わる事で大きなバックアップを得、父の後を追う政界進出の道が出世の方向に開けた。

妻の葉月が、非日常の一時(ひととき)を愉しみとして今後も解脱修行を受け入れるならば、案外これは悪い話ではない。


教団修行場の中心に 解脱(げだつ)修行用のプレィ定位置がある。

定位置にマットを敷いて修行管理部幹部が仰向けに寝、葉月におシャブりをさせて硬く成った所で後ろ向き騎上位で葉月を跨(また)がせて抽入を命じる。

天井からはフックが吊り下げて有り、その先に電車のグリップ付きつり革が肩幅程度で左右に下げてある。

後ろ向き騎上位で欲棒を貫かれた葉月に、そのグリップ付きつり革をまるで体操の吊り輪の様に左右の手で握らせ、懸垂様に腰を上下させて犯り始める様に命じた。

その葉月の顔面に、仰向けの修行管理部幹部の脚を跨(また)いで別の修行管理部幹部が欲棒を突き出し、葉月にシャブらせれば公開三Pが完成する。

修行管理部幹部の腰が軽快なリズムを刻(きざ)んで、生々しく葉月(はつき)の肉体(からだ)の中心を貫抜いた欲棒の陰茎が、愛液に濡れ光って深く浅く見え隠れしている。

そしてもう一人の管理部幹部の欲棒が、激しい腰使いと伴に吊り輪で肉体(からだ)を支える葉月の口中で暴れ、喉の奥まで潜り込んで来る。

これは生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして凄い見世物だが、葉月(はつき)の抑圧されて居た本能が剥(む)き出しに成っただけだ。

だから正直、葉月(はつき)が随喜の涎(よだれ)を垂(た)らしながら大口を空(あ)けて善がり犯られて居ても、私(勝也)が刺激に顔を歪(ゆが)ませる葉月から目を背(そむ)ける事はないだろう。

坊主頭のカリ首に肉体(からだ)の中心を貫かれて柔ら壺に受け入れてしまえば一瞬で心境に変化が起こり、警戒心で入った葉月(はつき)の力は抜けて行く。

現実にもう皆の前で犯られちゃったのだから気取っては居られず、覚悟を決めて本気モードのスイッチを入れるしかない。

当たり前の事だが、性行為は観るにしても犯るにしても、勿論、犯られるにしても下品な方が人間は興奮する。

まぁ元々上品な性行為など無いのだから、依り下品を追求しながら葉月(はつき)を犯る愉しみ方が正しいのかも知れない。

輪姦(まわし)の相手が替わって欲棒をスッポリとこれ観よがしに葉月の開いた股の付け根に挿し込んだ当初、まずはユックリした生々しい抜き挿しから始まる。

葉月ももぅ、欲棒を挿し込まれた状態だから、ユックリした抜き挿しで攻められて居る時は快感を得ようと硬さを緩(ゆる)め、相手に身を委ねた良い顔して犯られている。

それにしても、女の性(サガ)なんてものは男には判らないもので、これから一戦交える相手には自然と優しい穏(おだ)やかな表情で迎え入れる特質が備わっているらしい。

信じ難(がた)い事だが、想わず女としての表情を漏(も)らしたあの良い顔はこれから起こるアクメ(絶頂)への期待の表情に違いない。

相手の交代時の度(たび)に垣間(かいま)見せるその何とも言えない表情は、やがて激しく突き責められて歓喜に顔を壊すまで続く。

「おぅ加賀美君(勝也)、奥さん結構良い顔して犯られて居るじゃないか。」

葉月と犯っている修行管理部の幹部がニコニコして勝也に声を掛けて来た。

「そうですね。驚きですが、この状況で内の奴は意外に良い顔して犯られていますね。」

「珍しくは無い、普通の反応だよ。奥さんも、腹を決めれば後は清々愉しんで犯られる気持ちに成ったのだろう。」

「そうですね。苦痛に想ったら人生が詰まらないですから。」

修行管理部の幹部が葉月と犯りながら勝也と話をするのは、私(勝也)に「今自分の妻が犯られて居る」と自覚させ、葉月に「横で夫が見ている」と言うアナウンス効果を狙ったものだ。

その光景を直視させられるのは、自分(勝也)には複雑な心境だった。



教団のシークレットパーティ(秘密会合)は教団員にとって、ガチンコファイト(真剣勝負)の新たなるスタイリッシュ(お洒落れ)な遊びの誘惑だった。

これは曖昧(あいまい)では通らない態度をハッキリすべき事で、加賀美葉月に大人の覚悟が必要だった。

そして犯ってしまえば確かに、お披露目輪姦一夜で友情とも愛情とも違う信者仲間の意識が醸成され、互いの垣根は低くなり信頼関係は高まった。

大人数の相手を熟(こな)すには、参加信者の男達を早くイカ(射精)せる事が最優先で、葉月が犯り惜しんではいられない。

そこを自覚した葉月は、次々に欲棒を柔ら壺に咥え込んだら、相手より先に積極的にクィクィと腰を使う。

葉月は、生々しく汗(あせ)や愛液に塗(まみ)れて善がりながら、卑猥(ひわい)な行為は続いている。

非日常のガチンコファイト(真剣勝負)の空間が、葉月の卑猥(ひわい)モードの善がり声と伴に、時に流れながら埋まって行く。

まぁ、葉月も他人前(ひとまえ)で、あれだけ惜しげも無く犯ってしまえば、「今更その性向を否定できない」と気持ちの整理が着く。

シークレットパーティ(秘密会合)は葉月にとって、ガチンコファイト(真剣勝負)の、新たなるスタイリッシュ(洒落た様)な遊びの誘惑だった。

非日常のガチンコファイト(真剣勝負)の空間が、葉月の卑猥(ひわい)モードの善がり声と伴に、時に流れながら埋まって行く。

素っ裸の葉月を好きに扱(あつか)い、男達がマットの上でリード(命令)しながら、好みの体位で好みの性交を実地する。

プレィ中の葉月は、常に嬉ししそうな表情を浮かべる事を心がけ、どんなプレィ仕掛けられても嫌そうな表情一つしない。

男達の好み(性癖)は葉月が素直さ充分に配慮して即応するから、男達のプレィ満足度は大きい。

本音を言えば、何人束に成って掛かって来ても、一人づつイカ(射精)してしまえば、コッチ(葉月)の勝ちである。


男達に指責めや性交を犯られている最中、葉月は犯り抜ける為に、夫・加賀美勝也のアドバイスで、恥も外聞も無く或(あ)る事を実行していた。

それは、一般的にオナニー(手淫・自慰行為)と呼ばれる敏感部分の実(サネ)を弄(なぶ)り自らの感度を高めながら犯り抜ける事である。

酷く卑猥(ひわい)で恥ずかしい行為だが、葉月はその実弄(サネなぶ)りを実行しながら勝也に感謝していた。

例(たと)えビジュアル(視覚)的に痴女(ちじょ)で在っても、このオナニー(手淫・自慰行為)で感度を高めなければ、とても犯り抜けられないほど男達の攻めが激しかったからだ。



夫の私(勝也)が合意の上で、夫の為に何か目的が在っての妻・葉月の性交や夫婦揃っての合意の上での乱交修行である。

であれば、例え妻・葉月が目の前で犯され身悶えていても、ここで私(勝也)がその性交に嫉妬するのは返って見苦しい。

そして妻の葉月が修行上で演ずる雌犬輪姦ヒロインの奇妙な緊迫感の陵辱劇を目の当たりにする。

性交は最も姦淫ムードが在る性行為が上等で在って、スマート(格好が良い)な性交など元々在りはしない。

葉月は大人の女性で、犯っちゃったら犯っちゃったでもぅ後戻りはできないから、そこでゴチャゴチャして「その場の雰囲気や相手の気分を壊すのは得策ではない」と考えた。

別の選択肢は無いままに、「見られながら犯られている」と言う羞恥心も凄いが、葉月に押し寄せて来るM性(マゾ性)も半端でなく、その場面状況がに意識されて依り性感を高めている。

生々しく股座にズブリと突き挿さった他人の欲棒の抜き挿しに、葉月は善がり声を挙げながら腰を浮かして受け腰で応じているのだから、もう気取っては居られない。

これからこの奇妙な感覚が自分の肉体(からだ)に訪れる事に、葉月は期待と恐怖が交互に訪(おとず)れて来ていた。

何と言っても、大勢のギャラリーが焦点を合わせて見詰める視線の先で、葉月は恥ずかしい性交姿を今、素っ裸で披露しているのである。

お相手の修行管理部の幹部に良い様に弄(なぶら)られているその臨場感に、見ているだけでの脳にドーパミンを放出され、その淫靡な雰囲気に私(勝也)は快感さえ覚えさせられたのである。

実際に妻・葉月の股間を、他人(ひと)の欲棒が愛液に濡れ光ながら生々しく抜き挿しされているのを見せ付けられるのだ。

魅せ付けられる事は、切(せつ)なくもありながら異様な興奮を覚えるのは、自分(勝也)の男性(おとこ)の性(さが)なのだろうか?


この陵辱乱交パーティで、教団の特別信者達に輪姦(まわ)される修行の為に、毎回素っ裸で引き出される葉月だった。

勿論ルールだから、居合わせた女性信者も葉月の輪姦修行は鑑賞する。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は葉月には無い。

そして避けられない性交遊びであれば、オーガズムの到達点に到るまで葉月は愉しんで犯って見せるしかない。

奇妙な心理だが、既に少なからぬ妥協をした後では引き下がれば犯られ損で、乗りかかった船は今更尻尾(シッポ)を巻いて葉月には降りられない。


仰向けM字様に開いた葉月の股間に男性特別信者の欲棒が挿し込まれ、その欲棒が腰ごと小刻みに前後して抜き挿しされると、葉月が口をパクつかせながら善がり声を張り上げる。

葉月が、どんな顔をして、どんな声を出して犯られるのか、取り囲む男女の露骨(ろこつ)好奇心に満ちて葉月の性反応を期待する視線は感じる。

しかしこの場は、葉月が立場を認識すればポルノみたいに晒(さら)し者で犯られても身を委(ゆだ)ねるしか無い。

そして生身の人間だから、ズッポリと嵌(はま)った欲棒が内壁を擦(こす)れば、快感を感じて悶えても気持ちが良いのだから仕方が無い。

最も敏感な内壁を粘膜質のカリ首で此処(ここ)ぞと攻め立てられれば、例え面白がられても肉体(からだ)が堪(たま)らず、他人目(ひとめ)を気にして気取ってはいられない。

葉月の肉体(からだ)の中で暴れまわる男性特別信者の欲棒の粘膜質のカリ首にクィクィと内壁を擦(こす)り攻められ、善がり狂っている。

それでも葉月が受け腰で抜き挿し応ずるから濡れ光る陰茎が見え隠れし、その内太腿(うちふともも)に伝わりながら愛液が垂(た)れ落ちて生々しい。

葉月は内太腿(うちふともも)を小刻みに揺(ゆ)すりながら、男性特別信者の腰さら持ち上げるほど腰を浮かして「アゥ。アゥ。」と耐(た)え切れない体(てい)で見事に善がって悶絶(もんぜつ)する。


もぅ、彼らは次々に入れ替わって葉月を欲棒でズブリと貫き、クィクィと腰を入れてリズム良く抜き挿しをして来るから、こう成れば葉月も気合を入れて必死に受け腰を使うしかない。

周囲を順番待ち組と鑑賞組の人の輪で囲まれる中、葉月は生々しく結合部も露(あらわ)に、乳房を揺らし善がり声を挙げながら壮絶に相手の抜き挿しに受け腰で応じている。

激しいピストン運動にの顔が歪みながら左右に嫌々をし、股間に抜き挿しされるその淫茎は抜き状態では濡れ光り見え、挿し状態では根元近くまで中に達している。

勿論こんな非日常の興奮は、に取って夫婦で犯る日常の性交ではとても味わえない強烈な刺激で、羞恥心など只の味付けだった。

次々と無遠慮に犯られる葉月は、公開性交の露出羞恥心も脳内に噴出する興奮のドーパミンの快感に後押しされて、脳内麻薬・ベータ・エンドロフィンの誘導が起こる。

やがて葉月は、セックスハイ状態に到達して涎(よだれ)を垂(た)らしながら性交を続けて快感を貪(むさぼ)り、素の女性(おんな)を曝(さら)け出す。

葉月は、その陵辱パーティの予定が入るとそれを私(勝也)に命じられただけで、期待に子宮がキューと収縮するような熱さを感じる様に成っていた。

素裸に剥(む)かれて、葉月の肉体(からだ)のそこかしこに他人の手の感触が、葉月の肉体(からだ)を悶えさせながら無遠慮に襲って来る。

葉月は私(勝也)に見守られながら寄って集(たか)って嬲(なぶ)られ、輪姦(まわ)し犯されるのだ。

ギンギンに張り詰めた欲棒が、蛙(かえる)の脚様に足を開いた仰向き体制の葉月に次から次に襲って来る。

前の欲棒が抜けて締まりかけた葉月の内壁を、次の欲棒のカリ首がまた押し分けて突き入って来てグィグィと突き立てながら一気加勢に追い込んで行く。

息も絶え絶えに、ガクンガクンと肉体(からだ)を反応させ「イキ過ぎてもたない。もう止めて。」と言う口とは裏腹に、葉月の腰の方はリズムを合わせて生々しく、確り受け腰を使って居る。


女性を四っん這いにさせるバックスタイルの性交も動物的で、疑似生殖行為(快楽性交)には人気プレィの一つである。

葉月が尻を高く掲げ、顔は頬(ほほ)を床に着ける猫の背伸びの様な四っん這い姿勢で待ちうければ、柔ら壺もア*ル(尻穴)も、ズッポリと犯りたい放題である。

柔ら壺にしろア*ル(尻穴)にしろ、葉月は粘膜へのカリ首の擦(こす)れ具合いを愉しみながら善がり悶えて、大声を修行場に響かせている。

この姿勢で何人も受け入れた葉月だが、相手の信者の大半は、前の柔ら壺も後ろのア*ル(尻穴)も交互に充分に愉しんでいる。

見事に私(勝也)の企(たくら)みに嵌(はま)って連続性交が始まってしまったのだから、ここはもう葉月の踏ん張り所で根性入れて犯るっきゃ無い。

次から次に相手が代わり、男達が絶え間無く欲棒を葉月の股座に抽入し、性器と性器が抜き挿しされて海綿体が接触し快感が襲って来る。

肉体(からだ)が悶絶するような性交の快楽に溺れて、葉月は人前で性交を犯って居る恥じらいも忘れていた。

こんな卑猥(ひわい)な事が、平気で犯れる自分など以前は全く想像も着かない葉月だった。

だが現に今、葉月は善がり声を振り絞り、口元から涎(よだれ)を垂れ流し、欲棒を咥え込んだ股間から愛液を滴(したた)らせている。

葉月は、目の前で外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い非日常のセックス・セッション(乱交)を素っ裸で、内心興奮しながら熟(こな)していた。

既に輪姦(まわし)の開始からは一時間ほどが経過していたが、激しい抽送に攻め立てられた葉月は、呼吸が止まるかの様なオーガズムに襲われ続けたまま、終わらない輪姦(まわし)に翻弄(ほんろう)されていた。

まだ生々しく他人の欲棒を咥え込んだ葉月の卑猥な受け腰使いと、けたたましい善がり声は好奇の目に晒(さら)されながら室内に響いて見事に続いていた。

だから葉月は、乳首が立った乳房を揺らし持続する快感の中で、歓喜の涎(よだれ)を垂れ流しながら受け腰を使い続ける事になる。

強引に追い込んでの事だが心配する事は無い、苦悩から歓喜へ替わる一瞬が葉月の顔にも表情として表れていた。

輪姦(まわし)は、葉月と多人数の成熟した性器と性器が抜き挿しされて海綿体が接触するのだから、流石(さすが)に犯られっ放しの葉月の運動量は半端ではない。

それでも葉月が渾身(こんしん)の受け腰使いで快感を迎えに行き、抜き挿しの努力をすれば、一人熟(こな)すのに二〜三分、永くて五分あれば相手はイクから、三十分あれば連続十人は快適に行ける。

インターバル(休憩時間)を五分ほど挟(はさ)んで通算五十分ほどあれば、壮絶には違いないが相手の重複トライを数えても累計で二十人は熟(こな)せる計算だ。

これを毎回徹底して繰り返させて持久力を身に着ければ、輪姦(まわし)何か葉月にはもう何でもない。

女性だけ輪姦(まわ)されると成ると一見不公平に見えるが、男性は一回発射すると機能的に回復に遅れ、肉体的には多人数の女性に輪姦(まわ)される能力すら無い。

これだって「公平不公平に何を採るか」の採り方の問題で、快感の享受と言う観点からすれば男性側に不公平かも知れないではないか?

それ処か、大変過激には違いないが過激故に所謂スポーツハィ状態に酔えば天国も見れるのがご褒美で、それを経験すると「また犯りたい」と病み付きになる。

男性が直ぐ終わる一対一の「夫婦の性交」と違い性交感覚の刺激が繰り返し続くのだから、葉月にして見れば肉体的本音は「癖に成るほど良い」に決まっている。

葉月が知ってしまった一対多数の変則マルチSEX(複数性交)で、自分を大事にする感性の裏返しに、性交時の感度さえ良い方に転がれば何でも犯れるのが女性である。

だから葉月は男達の激しい抜き挿しに耐え切れず、途中からタガが外れて欲棒に串刺しにされたまま腰を浮かして物凄い反応で喘(あえ)ぎ善がる。

例え遊びの性交プレィでも、性交をする以上は「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの努力をする。

それが、加賀美家に飼われる立場に置かれた葉月の、その時相手に素っ裸で尽くすべき避けては通れない最低限の礼儀である。

大きく開いて欲棒を咥え込んだ股座(またぐら)の隙間から、突き腰と受け腰の抜き挿しで白く濁した下半身の涎(よだれ)を太腿(ふともも)に垂れ流しながら、葉月は奮戦を続けている。

正直、葉月にした所で犯ってる間は無我夢中だから、肉体(からだ)が素直に快感を求めるだけで、けしてこの陵辱イベントが嫌では無い想いである。

言っては何だが、その疎(おろそ)かには犯らない葉月の、這い上がる為に笑って性奉仕する直向(ひたむき)な姿は神々(こうごう)しい程である。

奇妙な発想かも知れないが、求められた性行為を真面目に一生懸命犯る事が果たして不真面目な事だろうか?

その男の突き腰に平然とガップリ組んで、赤裸々に生々しく見え隠れする愛液で濡れ光らせた陰茎を、葉月は快調に受け腰で抜き挿しを快適に熟(こ)なしていた。

そして互いに通じる情が無くても、大人の男女の成熟した性器と性器が正常に抜き挿しされて海綿体が接触すれば、葉月が得られるのは神の与えた「快感」である。

だからその結果として、葉月が他人の欲棒を股座(またぐら)に咥(くわ)え込んだまま腰を浮かしてヒィヒィと「気持ち良がって」も、何人(なんびと)も非難は出来ない。

「葉月、腰を使いながら皆さんに聞こえるようにオマ*コ気持ち良いと言って見ろ。」

「はぃ、アァ〜オマ*コ気持ち良〜い。アァアァ、オマ*コ気持ち良〜い。」

馬鹿でかい葉月の声が教団の修行場中に響いた。

性交中に「オマ*コ気持ち良い」を言わせるのは、それが本人を燃え上がらせる魔法の言葉だからである。

「オマ*コ気持ち良〜い」と叫べば叫ぶほど葉月の快感はボルテージを上げ、肉体(からだ)体の方は正直で、葉月の乳首が硬くなって立ち上がり興奮している事を隠せない。

腰使いも激しく愛液に濡れ光らせた陰茎を股座(またぐら)に見え隠れさせられながら、乳首が立った乳房を揺らし犯られる葉月のあの生々しく鮮烈な性交光景は、今でも鳥肌が立つほど濃く目に浮かんで来る。

それにビジュアル(視覚的効果)としては、葉月が犯られながら身悶(みもだ)えて、感じ捲くって居る生姿を魅せてこそ、本当の意味での相手が満足する遊びの性交プレィである。


妻の葉月は、私(勝也)の目の前で善がり声を挙げながら明らかに受け腰で性交に応じている。

その犯られる相手が五人目とも成ると、その激しい腰使いに葉月の裸身も乳房の辺りから赤味を帯びて、興奮と快感で体温が上がって、汗が玉に成って肌から噴出しているのが判る。

赤の他人の欲棒を生々しく咥(くわ)え込んだ葉月の、既(すで)に絶頂域を続けている腰の動きが妙に艶(なま)めかしい。

「アッヒィー、アアアアアアアァー、イク、イク、アァー。」

葉月は襲い来る刺激に耐えられず、ガクンガクンと上半身を跳ね上げ、明らかに絶頂を貪(むさぼ)ってその快感に浸(ひた)っている。

それにしても男性と違って肉体的に、連戦で赤の他人との性交を犯る事が出来るのだから女性は凄い。

そこへ別の教団幹部が「ここがまだ空いている」と葉月の口に捻じ込んで、腰をクィクィと使いだした。

「ウグ、ウグ、ウグ。」

葉月は前と後ろから突かれる事になったが、交互ではなく前後タイミングを合わせて同時に突くのでガンガン背骨に響く。

人間のオス(男性)は、猥褻感(わいせつかん)が無いと興奮し、欲棒の勃起すらおぼつかない厄介な生物である。

私(勝也)の時もそうだったが、猥褻感(わいせつかん)の刺激が在る人生は他に変え難い魅力がある。

私(勝也)にしても妻の葉月に輪姦(まわし)を犯らせて見れば、愛妻が他人に犯されて善がっている光景も、正直犯されて居るのが愛妻故(ゆえ)の格別な興奮である。

一度に多人数の輪姦(まわし)の陵辱を受け入れている妻・葉月の痴態を見せ付けられて、邪(よこし)まかも知れないが、嫉妬よりも勃起物だった。

今の私(勝也)には、脳みそが溶ろけるような「夫としての被虐感と男としての加虐感」と言う複雑な感覚が湧き上がって来ているのだ。

私(勝也)にもその感覚の経験があるが、これがまた蜜の味で、否定出来ない上質な刺激の筈だった。


たぶんコンナ奇妙な信仰など、葉月は家族の目の前で教祖と神事(性交)を犯りながらも半信半疑に違いない。

信仰なんてものは無形のものだから、加賀美家のように「それで発展している」と信じない限りは不毛な信心である。

だが一家で信じて居ると成ると、嫁は有無を言わずに入信するか出て行くかである。

葉月が加賀美家の一家が見守る前で、これだけの事が出来る様になるには、やはり教団で修行すればこそだ。

これからの修行の成果が期待できる。

これだけ見せて貰えば、私(勝也)は充分だから、修行の邪魔にならないよう二言三言声を掛けて葉月の善がり声を聞きながら修行場を後にした。

脳の快楽的喜びを記憶するのは、右脳と左脳の中心下部にある一対の大脳基底核の主要な構成要素のひとつ「線条体(せんじょうたい)」と言う部位である。

「線条体(せんじょうたい)」は、運動機能への関与や意思決定などその他の神経過程にも関わると考えられている。

SM性交プレィやマルチSEX(複数性交)が繰り返し行われる事で、中脳からのドーパミン入力に拠って興奮性が高まり、その「線条体(せんじょうたい)」と言う部位での快楽的喜びの完成条件が完結して行く。

連続性交に於いて、スポーツハイの快感から導かれる脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果と同じセックスハイ状態に導かれる。

これは興奮の中、デェスコや盆踊りを夜明かし踊った後のような快感に溢れた心地良い疲れも同じ脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果である。

輪姦(まわ)され終わった後の葉月の気分は、盆踊りやディスコダンスを夜明かし踊った後のような、けして嫌では無い贅沢でさわやかな疲労感だった。

恐らくまだ葉月の脳の中には、興奮状態で発生されるドーパミンに誘導された脳内麻薬・ホルモンベータ・エンドロフィンの名残が、心地好く残っていたのだ。

連続性交で嵌(は)め倒されて無理も無い事に、葉月は素っ裸大の字で心地良い疲労感を愉しんでいた。

益してや集団乱交で「性交を他人に観られている」と羞恥心(しゅうちしん)を強く感じると、興奮で脳にアドレナリンがドバッと吹き出るのを感じる。

防衛本能から脳が感受性を好転させる為にアドレナリンやドーパミンを噴出させるのらしいのだが、結果的にそれが性交快感をより増幅させて今まで経験しなかった快感を得るのだから堪(たま)らない。

その快感の記憶は純粋に快感だけで思考条件などは無く、喫煙や飲酒の快楽感と同等の習慣性を知らず知らずに持つ事になる。

葉月は教団の男達に、「密度の濃い快楽」として「線条体(せんじょうたい)」にミッチリ記憶されて習慣付けられた訳である。

間違いなく、葉月は、少しずつ理想に近付いている。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

第六話(おひろめ祈願・極楽浄土招来)
◆◇◆◇◆第六話(おひろめ祈願・極楽浄土招来)◆◇◆◇◆◇

実は本質的に、信仰と性交は脳域の中で至近な位置にある。

人間を含む生物の機能は便利に発達していて、脳に拠る状況感知により必要な時にはその状態に対応したホルモン物質を生成して送り出し、自らをコントロールする力を持って居る。

これが「信仰の奇跡」に結び付く。

そこら辺りを熟知して利口に応用するか、無知のまま何もしないかで長い人生々活に結構な差が付くかも知れない。

その脳の能力として、ホルモン物質「脳内快感物質ベータ・エンドロフィン」の発生が数えられる。

ベータ・エンドロフィンは、脳と深く関わる脳内麻薬(快感ホルモン)であるが、アルコールや、麻薬を含む薬剤と違い、体内で生成される無害の分泌ホルモンである。

体内分泌ホルモンベータ・エンドロフィンは肉体(からだ)に「最も安全な脳内麻薬(快感ホルモン)」と言う。

そしてそれだけでなく、体調や精神を整える効果がある良質な脳内麻薬で、老化と伴に訪れる肉体(からだ)の痛みをそれと知らずに緩和する鎮痛作用の働きもある。

鍼灸のツボ治療も、刺激によって脳の受け持ち部分を、ピック・アップ・ワンポイントでベータ・エンドロフィンを分泌させる為の行為である。

ベータ・エンドロフィンには麻薬作用に拠る痛みの緩和に止まらず、その発生に誘発されてセロトニンが送り出される。

セロトニンには細胞の活性効果による自然治癒効果や、精神を安定させる効果もある。

セロトニンは、「脳内快感物質ベータ・エンドロフィン」の発生に誘発されて送り出される伝達阻害物質である。

医学的には、脳内麻薬・ベータエンドロィンや痛みの伝達を阻害するセロトニンが、脳で感じる神経性の痛みを抑止作用が働く。

この抑止作用が上手く働けば、その間に自分の免疫細胞が活躍して半年から一年で自然治癒するケースが存在する。

現に椎間板ヘルニヤの自然治癒症例が、医学界では常識に成って来ている。

この痛み抑止・セロトニンや脳内麻薬・ベータエンドロフェンが脳内に噴出して痛みを抑止する切欠に成る物の一つが「信仰の奇跡」で、「信じる者は救われる」の主因である。

この脳内麻薬・ベータエンドロフェンの生成に大きく働く刺激が歌舞音曲に拠るダンシング・ハイや性交に拠るセックス・ハイの快感認識で、昔から大きく結び付いている。

実は、SMプレイに於ける鞭(むち)打ちなどの痛みが大した事に感じ無い理由は、この「痛みの気を紛らわせる脳内でも使われる物質・セロトニンの活生」に拠る結果である。

つまり、M性が強い固体に於ては、被虐感自体が「脳内快感物質ベータ・エンドロフィン」の発生に誘発されて伝達阻害物質・セロトニンを送り出す要素に成るのである。

それだから、脳内麻薬・ベータエンドロフェンに拠る「快感」とセロトニンの「痛みの阻害」と言う合い矛盾した二つの感性が性行為のプレイとして成立するのである。

このM性、実はまともな女性なら誰でも持っている資質である。

女性には「出産」と言う痛みを伴う大役がある事から、基本的にはセロトニン拠る痛みの遮断機能は男性より優れていなければ成らない。

しかしながら、年齢を重ねると、誰でも身体的機能が低下し痛みを止めるセロトニンの調整機能も低下して行く。

「身体の節々が痛い」と訴える中高年女性は、恋愛感情や性的感情から縁遠く成って、「脳にそう言うシグナルが行かなく成っている」と考えられる。

女性の場合、痛みを遮断するセロトニンの生成機能は出産に対する痛みを和らげる目的が最大である。

だから、本人が自ら老化を意識し、性的興奮を抑制すると脳が必然的にセロトニン生成の必要性を考えなくなる。

本人の意識の問題もあるのだが、人間は老化を意識するとこの痛みを抑えるセロトニンの脳内生成が衰えて手足に痛みを感じる。

つまり性的な色気に対する意識は女性の痛みの制御に大切で、特に女性は子供の成長に合わせて性欲を抑え、自分で気持ちが老け込む特性がある。

だから中年になると、結果的に性を回避しセロトニンの脳内生成を抑えて手足に痛みを抱えてしまう。

つまり、齢(よわい)を重ねると脳の自覚が「出産」の現実から縁遠く成ると伴にセロトニンに拠る痛みの遮断機能が衰退して行くのではないだろうか?

女性が何時までも若々しく居る為には、育児にかまけて旦那様との性行為を疎(おろそ)かにするのは持っての他である。

精神的に色気を手放さない事で脳を活性化し続けなければ、セロトニンの生成機能は維持出来ず、信仰の奇跡にはめぐり合わないのである。

つまりこの場合の信仰効果は、宗派・教義が問題では無く本人の信心具合でセロトニンやベータエンドロフェンが脳内に活躍する環境を作るのである。

だから本来、「信じる信仰は何でも良い」のであるが、この宗教を信仰する男女にとっては今の教祖の教えが絶対なのだ。

信仰は右脳域の感性に宿るから、脳内麻薬・ベータエンドロフェンの脳内に噴出に応じて「幻影を見せる事」も在る。

そしてこう言う事象に遭遇すると、その信者の信仰は拠り一層深まって行く。

勿論精神の安定を求める方も多いから、その方が信じる信仰を一概に非難や否定は出来ない。

只、「信仰の奇跡」は、脳科学の発達に拠って解明されつつある。


私(葉月)が上で腰を上下する教祖様お気に入りのスクワットファックですが、時々アナルの方をお使いになる事があります。

これは相当快感らしくて、いつも「極楽だ」とお褒めをいただきます。

夫勝也の要望なのですから、私(葉月)、教祖様に精一杯尽くしたのです。

私(葉月)を気に入った教祖が、そろそろ特別信者達に「葉月のおひろめ祈願をさせる」と言い出したのです。

修行管理部の幹部さんに伺うと、特別信者達とは各界の有名人で大口の寄付をする信者達で有り、別枠の大幹部になっているそうです。

日時は、勿論葉月の了解を得るまでも無く、既に次の土曜日と決まっていました。

教祖が「特別に亭主の勝也を同席させる」と言います。

修行管理部の幹部さんの指示で、それを私(葉月}が実家に伝えに行きました。

自分のおひろめ祈願を告げに帰ると勝也は、「大変な名誉で、出席出来るのはお前のおかげだ。」と喜びました。

「ついては言い聞かせたい事が有る。」と勝也は改まって言いました。

勝也が言うに、「幹部修行のおひろめ修行にはルールがある。宗教上そのルールは破れない。」そこを理解した上で、「かなり乱痴気な祈願修行なので覚悟をして置く様に。」と言われました。

そして、「今回は君が祈願の主役で、修行巫女を勤めるが、自分の面子も有るから、何が有っても素直に応じるように頼む。」と、何度も念を押されます。

つまり、私(葉月)には選択肢の無い話なのです。

子供ではないから、勝也の言う意味は「今にも増して激しい性行為の修行をする事だ」と見当が付きます。

日頃強気な勝也が、これだけ下出に出る処を見ると、私(葉月)にはかなりの事が要求されのでしょう。

それを承知で、「覚悟しておけ」と頼むのです。

何分にもお披露目修行の出来は、「ひとえに修行巫女の頑張りに懸かっている。

だからくれぐれもルール通りにする様に」と念を押します。

そして、「此れを受けないと結婚を解消せざるを得ない。」と脅されました。

そう勝手に言われても、私(葉月)は戸惑うばかりだけれど、どうやら、この男と生きて行くには「到底避けられない事」らしいのです。

しかしこの「お披露目祈願の修行」、後で振り返ると、見事に構築され、計算し尽くされた、「抜け出せない輪姦の蟻地獄」だったのです。

そうとも知らず、教団内で漏れ聞いてはいても「噂ほどの事はないだろう」と、教祖の課す怪しげな修行に、高を括(くく)っていました。

しかしそのお披露目祈願修行で、庶民派の私(葉月)としては想像に絶する、「此れでもか」と言う、酷い恥辱を味合わされました。


その日の特別信者の参加組数は異常に多く男女十一組を数え、少し平均年齢は高いのですが、此処では名を上げるのをはばかる、大物有名メンバーがズラリ揃いました。

驚いた事に、遠路東京や名古屋、大阪から来ている有名人富豪夫婦も多かったのです。

私(葉月)の「お披露祈願修行の為にやって来た」と言います。

お披露祈願修行は「信者に成る為の心身浄化祈願修行」なのです。

お披露祈願修行に参加出来るのは、教団に多大な貢献がある特別信者の権利です。

私(葉月)の輪姦(心身浄化祈願修行)に参加し、大いに極楽を楽しみ、日頃のストレスを吹き飛ばし、英気と活力を得るのが目的です。

早い話、無抵抗の女を好き勝手に嬲(なぶ)れるイベントなのです。

このお披露祈願修行が、掛け値なしに最高に楽しめるので、争って参加を希望するそうです。

修行管理部の幹部さんが私(葉月)に繰り返し教えた教義によりますと、私に特別修行をさせている宗教は、真言宗だそうです。

私の知る限り、戦後の混乱期に現在の教祖の父親が勝手に真言宗の経典勉強会から始めた新興の宗教ですが、勿論真言宗の総本山はその存在を認めてはいないはずです。

現在も互いに相手を批難し合って譲らない状態です。

しかし教団の方は、今の息子の代になって大きく発展、関西や西日本を中心に公称「信者数三十五万人」と言われています。

集票力、集金力もあるから、政界にも幾らか顔が利きます。

政治家・加賀美静山としても、その利用価値は大きいのでしょう。

ここまで大きくなるには、教祖に相応のカリスマ性や運営力もあったのでしょうが、一時、「政官界に女性信者を宛(あて)がっている」と週刊紙に叩かれ、告訴合戦をしていました。

能(よ)くしたもので決局、決定的な事はお互いに示せず、告訴騒ぎはウヤムヤに終わっています。

表ざたにすれば大スキャンダルで、政府も役人も望まないから、週刊紙も長いものに巻かれたようです。

私(葉月)の嫁ぎ先の加賀美家はもう四十年来の信者で、当時青年部の幹部だった義父・静山に、同じく女子青年部の幹部で、教祖が副教祖時代の住み込み世話係女だった義母を静山に進めて教祖が結びつけています。

三流の週刊誌などで「富豪信者に、教祖お手付き信者の女性をお下げ渡し」と噂されたりもした。

確かに義母は教祖の性欲の処理も引き受けて居て、勿論お下げ渡しを受けた義父・静山も充分に承知して居たが、加賀美夫婦の仲は人が羨(うらや)むくらい円満でした。

勿論、記事の内容は当らずとも遠からずで、義母も教祖様のお相手は散々にしています。

しかしそのお下げ渡し、世間の建前の物差しでは測れません。

教団の教義で行けば、性交は徳を積む為の修行なのですから嫁に貰う方に異論などありません。

むしろ多くの徳を積んで、ありがたく出来上がった観音様を手に入れるのですから。

その伝で行くと教団幹部夫婦はすべてその類と言え、夫婦はすこぶる円満なのです。

だから加賀美家同様にどこも円満で、運勢も良く立派な家庭を築いています。

此れを本人達が「ご利益」と思えば、思えない事も無いのです。

「おひろめ祈願」に拠る輪姦(まわし)修行も、けして身を汚(けが)す事では有りません。

教祖様は、「まぁ、法力祈願の呪詛実践が定着した信者家族に、破局したカップルの事例がないから、互いの信頼効果はあるのだろう。」と仰(おっしゃ)ります。

教祖様が仰(おっしゃ)るに、「お披露浄化祈願」の修行は、今まで引きずって来た過去を、一度ご破算にする「禊(みそぎ)」みたいなものだそうです。


素っ裸の私(葉月)を設(しつら)えてある舞台に曳き出し、縄で手首を後ろ手に縛(しば)いてその縄を、首を一回りさせて縛(しば)いた手首を上にガッチリ絞(しぼ)ります。

もう一本縄を取り出して縛(しば)いた手首に結び、絞(しぼ)りながら肉体(からだ)に巻いて乳房の周囲を絞(しぼ)った亀甲で縛(しば)き、私(葉月)にやや脚を開かせて踏ん張らせます。

天井から垂れ下がった縄で後ろ手に縛(しば)いた腕の結び目を結わえ、私(葉月)に上半身を前に倒させて腰を後ろに突き出した前屈(まえかが)みの形にさせ、縄丈(なわたけ)を調節し脚が床に届く様に半吊りに吊るのです。

教団修行部の幹部様は手馴れていますから、僅(わず)か二〜三分で私(葉月)をこの格好に仕上げてしまいます。

全裸拘束は儀式みたいなもので、性的要求に百パーセント服従を精神的に体現するのがこのSMの格好なのです。

この形の半吊り縛(しば)きなら床に脚が着いているので、一人が前に立っておシャブリをさせながらもう一人が後ろから抽入しての三人プレィも可能です。

出来上がったこばから、特別信者様が半吊るしの私(葉月)に群がって来ました。


この連中は本気で、「嫌だ」と言って止める連中では無く、素っ裸の私(葉月)はもう、どうせ輪姦(まわし)で大勢の教団連中に犯られるのが避けられない。

こう成った以上、恥ずかしがったら面白がっている夫や教団連中の思う壺だし、嫌がっても、泣き喚(わめ)いても、見苦しいだけで余計に良い事はない。

それならば、腹を括(くく)って覚悟を決め、堂々と彼らとの性交にアクティブ(前向き・攻撃的)に応じて観せ、見っとも無い態度は止め様と想って心に決めた。


皆さんが御覧になる衆人環視の中で素っ裸にされ、面白(おもしろ)がられながらおシャブリ奉仕やら嬲(なぶ)られ犯されて、私(葉月)の羞恥心は極まって行きます。

でもそこまで羞恥心が極まってしまうと、脳がその現実に対応するのか、この卑猥(ひわい)な露出性交行為を曝(さら)け出す事に快感さえ感じます。

二人の男に口と股間を攻められて、欲棒を咥えた口元から白濁した涎(よだれ)を垂れ流しながら、陰茎を濡れ光らせて見え隠れして性器と性器が抜き挿しされ、海綿体が接触し脳に快感が襲って来ます。

こんなに卑猥(ひわい)な興奮をさせてくれる「非日常感」など、実は誰かが仕掛けない限り滅多に在るものではないのです。

つまり滅多に無い状況に在るのですから大事な経験の機会で、相手の男性が無遠慮にガブリ腰で突いて来るのを、私(葉月)がクィクィと受け腰で応戦します。

そうなると、この晒(さら)し者状態での性交もけして嫌では無い歓喜の時間に変わり、快適快調に腰を使って行為を熟(こ)なす私(葉月)が居ます。

どちらにしろ、晒(さら)し者状態で犯られたからと言って被害意識など持たずに、気持ちが良いのだからポジテブに積極的に愉しんで犯れば全ては良い方に解決するのです。

つまり赤裸々な露出性交行為を実践して究極の新しい感覚を知り、「この卑猥(ひわい)な私(葉月)をもっと見て」と、根性入れて犯って見せるきゃ無いのです。


教祖の神聖な欲棒や特別信者の欲棒が肉体(からだ)の中まで入って、今までの穢(けが)れを掻(か)き出す「禊(みそぎ)」なのですから、内容が厳しくても仕方がありません。

今回は特別信者が勢揃いしたらしく、恐らく十一組目のおまけが加賀美夫婦(つまり私達)と思われます。

流石の私(葉月)も参加人数の多さに、この方々を相手にする自分の体力を思いました。

修行管理部の幹部さんに聞いた所では、祈願巫女が余りの運動量の多さに酸欠に陥る事も多い為、医療チームが酸素吸入器まで用意するそうです。

しかし、此れは結果的に私(葉月)の杞憂(きゆう)でした。

私(葉月)は此れを積極的に受けて立ち、あの、日頃大人しい私とは思えない激しさで性的感度良く善がり続ける事が出来ました。

現実には、「愛情」が在ろうが無かろうが性交をすれば自然に快感を得るように肉体(からだ)は出来ています。

困った事に、女性が本来持ち合わせている露出願望から欲棒を抜き挿しされる恥部を晒(さら)す事に私(葉月)はエロスのトキメキを感じてしまったのです。

心の鍵を夫・勝也に合わせこの非日常の世界に合鍵を渡せば、私(葉月)は極上の官能の世界に入れるのです。

スケベ女なら涎(よだれ)が出そうな、日頃は在りつけない大勢の男達に輪姦されると言う卑猥な条件設定の羞恥心に、私(葉月)のアドレナニンが脳内で決壊したようです。

それで私(葉月)本人も驚くほど性感度は抜群で、正直次の誘いを断れないほど肉体(からだ)がこの遊びの味を占めたのです。

此れには、私(葉月)の現在の修行生活に秘密がありました。

私(葉月)は教祖との修行の都度にその栄養剤を射たれて臨むのが日課に成って行きました。

その修行と栄養剤が、教祖の設定した大人数の「おひろめ」の修行を可能にしている様です。

そう、私(葉月)が知らずに射たれている栄養剤は、性感を高め疲れ知らずにするシャブでした。

教祖相手に修行する意外の時間、私(葉月)は教祖に従順に成るべく教団から日々徹底的に仕込まれ、洗脳されています。

教祖の意向に少しでも躊躇い(ためらい)を見せたら、修行管理部の幹部さんに全裸に縄をかけられ、座禅縛りで般若心経の読経がながれる修行場の板の間に股間を丸見えにされて転がされ、何時間も放置されるきついお仕置きが待っているのです。

此れは教義を教える修行管理部の幹部さんの時も同じで、少しでも教義に反する答えや考えは徹してお仕置きの対象です。

身動き出来ない事だけでも苦しい上に、信者に身体を嬲られ放題で感じさせられ、それが長い事続くのですから気が狂いそうになります。

その都度このキツイお仕置きをされると、女性信者は誰でも大概大人しく教祖の言う事を聞く様に成ります。

余程逆らう事を懲りるのか、それはもぅ傍で見ると可哀想なくらいの変身です。

こうして、教団は修行巫女の精神を追い込んで行きます。

このお仕置きを教団内では「改心の行(ぎょう)」と言うのだそうです。

「改心の行(ぎょう)」は、浄化祈願修行の女性から世間の常識の追放が成されるまで繰り返し課せられます。

つまり修行中の私(葉月)に取って、教祖に対する躊躇い(とまどい)は「世俗の煩悩(ぼんのう)」なのです。

教えによると、性行為を隠すべき不浄な物と卑しめる世間の風潮から脱しないと、心身は浄化されないそうです。

それを超越し、無我の境地に辿り着いた所に、本物の信仰があるのです。

修行巫女として修行させる目的は、「社会に刷り込まれた性への嫌悪感を拭い去る事にある」と教祖様は言いました。

私(葉月)からは一切の躊躇いは消え、その効果は出ているのです。

教祖は、おひろめ修行の始まる前から裸に剥かれて修行場にいる私(葉月)を、短い白木綿の一重一枚で外の玄関前にたたせ、下半身は無防備に特別信者様達の出迎えをさせました。

風に股間の茂みがざわめいています。

「「改心の行の成果が出ている」と言う事でしょうか、命じられていますから、全裸で自分を犯す為に訪れる特別信者様達を迎える私(葉月)は、終始感謝の笑顔を絶やせません。

妙な顔で出迎えては、これから私(葉月)を嬲(なぶ)っていただく方々に失礼ですもの。

これから過酷な事が私(葉月)に起こりますが、ここでは誰も同情しません。

私(葉月)は自分でそれを選び、この場に居ます。

特別信者様達には「おひろめ祈願の修行」は人気が有ります。

何しろ逆らえない相手を、徹底的に嬲れるのですもの。

修行とは言いながら、特別信者様達はVIPですから、さながらパーティ並みの酒食が饗されます。

間違いなく、このおひろめ祈願の修行は、修行巫女を生贄にした特別信者接待の意味合いもあるようです。

ですからそれが楽しみで多額の寄付をする特別信者様が多いのです。

私(葉月)の修行の場所は、各界一流のカップル有名人特別信者ばかりですから、華やかな雰囲気に包まれます。


此処(修行道場)は善がり声を抑(おさ)える必要など無い場所でした。

まぁ私(葉月)も他人前(ひとまえ)で晒(さら)し者の素っ裸に剥(む)かれて、不安に頼り無い想いをさせられて居ては、今更格好付けても仕方が在りません。

「この先は長い。今日はまだ序の口だ、ジックリ味わいなさい。」

こう言う事は私(葉月)の犯る気次第ですが、行き成りの長期化宣言でした。

それにしても、一人の女性を躾(しつ)けの為に結束して攻め挙げ、仕上げるには仲間内の連帯感の絆も生まれるものですね。

遊びの性交は、元を正せば非繁殖目的の「擬似生殖行為(快楽性交)」で在って、他の動物のように繁殖期を持たない年中発情の人間種独特のものです。

そして年中発情の人間種の本能が満足を求めて遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそ、あらゆる性癖が発生して次第にエスカレートするのでしょう。

その「擬似生殖行為(快楽性交)」が脳の活動に組み込まれているからこそ、人類の皆が「性」に興味が在って、「尋常な性交など詰まらぬもの」と言う共通意識が密かに育つのが人間なのです。

「また遊ばせて犯るょ。」は、夫(勝也)からの輪姦プレィのお誘いでした。

夫(勝也)や家族の手前、私(葉月)は信仰仲間を大切にしなければ成らず、勿論祈願修行を犯る以上は半端な事はできないのです。



さて、ヒロイン(修行巫女)の登場ですが、それは私(葉月)にとって相当衝撃的でした。

何と、私(葉月)だけは別室で修行管理部の幹部さんに、下半身がもろに透け通り、ウエストに届くまで深く切れ込んだスリットのある赤く薄い腰巻一枚を宛がわれました。

その姿で、火の出るような恥ずかしさを抑えて、特別信者様の拍手喝さいを浴びながら、私(葉月)は陰毛も乳首も露わに修行場大広間の真ん中に引き出されました。

多少の破廉恥どころか、修行巫女には最初から「全てに無防備」が要求されていたのです。

しかし、加賀美家としてはこの場に嫁を送り出す見栄もあったのでしょう。

勝也がこの日の為に用意したと言う、セレブの身分を現わすネックレスとブレスレットだけは、持ち込んできました。

ダイヤとプラチナのオーダーメイドで「時価数千万円」と言う超豪華な物を身に着けさせられたのです。

あくまでも、美しく豪華な女教師の恥ずかしい姿が今日の祈願修行の売りで、その落差は大きいほど、特別信者様達の私(葉月)に対する加虐の趣は強くなはずです。

自分ひとりだけが恥ずかしい裸体姿で皆の前に引き出され、晒し者にされた私(葉月)の美しい顔が戸惑いに彩られます。

しかしその私(葉月)の戸惑いは、特別信者様達の期待に火を付け、此れからのあそびを殊更過激にさせるに充分だったのです。

暫くの間は、修行管理部の幹部さんに命じられてその姿で談笑しながら飲み食いする特別信者様達の間を、大吟醸をお酌して廻っていました。

話題は至極まともな内容で、まるで私(葉月)が透けた腰巻一枚と言う、全裸同様でいる事など気が付かないような日常の話題や、最近の政治経済の話題などで、私(葉月)の姿に相応しい「浮いた話」は話題ではないのです。

ただし、一つだけまともで無い事がありました。

修行管理部の幹部さんの言い付けで、左手で吟醸酒の入った水差しをアイスキューブの中に漬けたお盆を持ち、右手で水差しからお酌をさせられたから、意図的に両手が塞がっています。

これが、修行巫女を感じるまで嬲る手口だったのです。

あらかじめ、「触らせるのが礼儀だから」と脚は必ず開き気味にして、特別信者様達の間を歩き廻る様に修行管理部の幹部さんから言い付かっていました。

勿論お約束だから、特別信者様達は無遠慮に、私(葉月)の肉体(からだ)に手を伸ばします。

そして、特別信者様達の手が、私(葉月)の身体のどこを這おうが、どこに潜り込もうが、その手を避ける事も、振り払う事も、修行管理部の幹部さんは禁じています。

乳房は乱暴に揉みしだかれ、尻は掴まれ、花芯は弄られ、花弁の間にも指が一本、二本と潜り込み、アナルにも指は伸びてきます。

それでも私(葉月)は表情を変える事も、身をよじる事も許されてはいないのです。

笑顔を絶やさず、その行為が無い事の様に酌をしながら、平然と談笑を続けなければならないのです。

例え気持ちの上で不本意であろうとも、こう公に修行祈願の名目の下、自分にその役目を課せられては、その場に合わせる以外の選択肢は無いのです。

むしろ私(葉月)は、開き気味の足の言い付けを守り、話題とは別に相手の妖しげな手の意図にも目的を遂げ易い配慮して身を処しながら、般若心経の読経が修行場に流れる中、平然と挨拶回りを続けなければならない所に追い込まれました。

おかしな物で、私(葉月)の体制が悪いと、相手の手の動きが意図した所にヒットせず、「いっその事、清々触れ。」と、正直もどかしい事もあったのです。

それは、私(葉月)にとって苦しい忍従の筈でした。

処が身体の方に異変が起きます。

暫くすると、まるで愛撫を受けている様に恥ずかしさと刺激で体温が上がり、望まずとも私(葉月)の女の部分から愛液が滴る様になりました。

そこを触れられれば、恥ずかしい事に自分が感じている事が判ってしまう。

しかし、そんな個人の意思は認められる事は有りません。

誰も口には出しませんが、それを指先で充分に確認した彼らは、私(葉月)の異変を承知しているはずでした。

「恥ずかしい。」望まずとも、身体が勝手に応じる羞恥心もあって、この時には肉体の快楽の序章を向かえつつあったのです。

しかし、そんな事で終わるはずも無く、三十分もすると、「葉月さんが出来上がった様だから早く始めよう」と特別信者の皆様から声が架かります。

「出来上がる」と言うからには、私(葉月)の変化を確実に観測していた事になります。

恐らく一連の出来事は、おひろめ修行の手馴れた段取りなのでしょう。

逃れられない、「刺激的な、無言のお触り」の洗礼を受け続けて、もう私(葉月)の花芯は恥ずかしいほどに濡れています。

「お待たせ、お待たせ、葉月はもう出来上がったの?」

修行管理部の幹部さんが弾んだ声で問い返しました。

この修行管理部の方達は修行中は名前を呼び捨てにします。

「あぁ、充分だろう。」

確認の為か、特別信者様達のお一人が、脚を広げて立ちすくむ私(葉月)の花芯の中を、二本の指でクチャクチャと乱暴にかき回しながら太鼓判を押しました。

「それじゃぁ葉月、皆様に始めて頂きましょう。」

修行管理部の幹部さんは楽しそうに言いました。

刺激的な逃れられないお触りの洗礼を受けて、もう私(葉月)の花芯は恥ずかしいほどに濡れています。

葉月の目の前で、修行管理部の幹部さんが修行場の一郭に固めのマットを四枚引いたので、何が始まるかは察せられます。

もう、後戻りは出来ません。

「此れは私に、行く所まで行けと言う事だ。」と、私(葉月)は無意味な愛想笑いをしながら、次の指示を待ったのです。

大勢の参加者の前で、自分は見世物にされながら屈辱的な性行為を受け入れる。

それが、現実に起こっているのです。

盛大な拍手の中、スックと挨拶に立った私(葉月)は、修行管理部の幹部さんに命じられた通り、腰巻を捲り上げ、自ら腰を前に突き出し、両手で自分の興奮で濡れそぼった花弁を左右に広げながら挨拶をします。

「今夜は教祖様の命令で、今まで人生を浄化して頂く為に、私が皆様にお仕置きの修行祈願をして頂きます。何をお命じ為されても、けして逆らいません、如何様(いかよう)にも申し付け、私で存分にお楽しみください。

また、私を責める道具はこちらをどうぞ」と私(葉月)が指差す方向には、修行管理部の幹部さんが、小型バックを広げています。

開けて広げ見せた小型バックの中身は、ローターから模造男性器付バイブ、アナル用バイブ、強力マッサージ器、それに皮製の拘束具と多数取り揃えて、選り取り見取りでした。

修行管理部の幹部さんが支度している間も特別信者様達の談笑は続き、周りの雰囲気はまるで当然の事をしている様に和やかなもので、私(葉月)には信じられません。

だけど、どう見ても目の前では私(葉月)を大勢で陵辱する道具立てが整って行きます。

大勢の特別信者様達の前で、自分は見世物にされながら、まだ氏名も一致しない相手の屈辱的な性行為を、懸命に受け入れるのです。

考えただけで、答えの無い不安が募ります。

その凄い非日常の出来事が、まるで行われて当たり前のような雰囲気の中、今現実に起こっているのです。

口上は、決まっていて、私(葉月)は「今夜は祈願修行の為、私でお遊び頂きます、お好きに使って存分(ぞんぶん)にお楽しみください。」と覚悟の口上を述べ、土下座の挨拶を指示された。

その頃には、酒はおろか、何処から手に入れるのか非合法の大麻まで持ち込み、会場の全員が、ハイテンションに包まれています。

口上を言わされて気が付きましたが、「私でお遊び頂きます。」なのです。

全員教団にとっては大事な特別信者様です。

このおひろめ祈願修行は、彼らの気晴らしの意味もありますから、身を呈して盛り上げるのが、「浄化修行祈願巫女」である私(葉月)の役目だったのです。

彼ら勝ち組階級は、鬱憤(うっぷん)を安心して一方的にぶつける事が出来る生贄が欲しいのでしょう。

良く考えたもので、新参者をその生贄にすれば、何をされても逆らえません。

「修行祈願巫女」は、祈願修行終了の最後まで、特別信者様達の要求する事の全てに、けして逆らわないで応じるのが、「おひろめ祈願修行」のルールでした。

此れには新参の女性を、教団準幹部や幹部の仲間に迎え入れる「洗礼儀式」の意味合いがあるのです。

つまり日頃の生活の鬱憤(うっぷん)を特別信者様達晴らしだけでなく、新参を向かい入れて、心身供に、教団幹部の仲間にしっかり馴染ませる目的があるのでしょう。

だから口封じを兼ねて、最初に「おひろめ祈願修行」をして、口では言えない位に「こっ酷く辱めて」精神(こころ)を突き抜けさせて置くのです。

そこまで教団の烙印を押してしまえば、大抵の女性は諦めも踏ん切りも付つきます。

その試練を終えて心身が浄化され、初めて教団幹部仲間内と認められるです。

それが目的ですから、主人の勝也本人が嬉々としてその場を盛り上げ、私(葉月)に課す要求のエスカレートを煽(あおる)るのに躍起でした。

挨拶の後、私(葉月)は修行管理部の幹部さんから下半身にゼリーローションを塗られ、床に土下座をして、皆様を待ちます。

修行管理部の幹部さんが、「葉月のどの穴もお使い頂く支度が出来ましたのでどうぞお仕置き修行をお始め下さい。」と参加者をマットの上に招きます。


五分後、私(葉月)は凄まじい陵辱の嵐の中に居ました。

「サァサァ構わないよ、遠慮はいらないから此れも使えば葉月が喜ぶよ。」

私(葉月)を弄る道具立ても修行管理部の幹部さんが揃えていて、ローターから模造男性器付バイブ、アナル用バイブ、強力マッサージ器、それに皮製の拘束具、と選り取り見取りで「好きに使え」と言います。

だから特別信者様達はおおいに乗って、基より遠慮がありません。

私(葉月)はタチマチ赤い腰巻を剥ぎ取られ、特別信者様達から入れ替わり立ち代り、大勢の前で思い切り辱められ思い切り弄ばれる事に成りました。

「私でお遊び頂きます。」の口上の後、土下座のままにしていた私(葉月)が、髪の毛を掴まれて半身を起こした時には、目の前に男の欲棒がそそり立っていました。

「咥えて。」と言われて、思わず言われた通りにすると、後ろから腰を持ち上げられて、女性器にも何かズブリと刺し込まれました。

気が付くと目の前の男性処か、特別信者様の男性全員が何時の間にか躊躇う事もなく全て下半身を露にし、スタンバイしていたのです。

皆、祈願修行の流れは熟知していて、する事の手順に澱みはないのです。


この「浄化祈願修行」には「嫌」の言葉(単語)はありません。

修行管理部の幹部さんや勝也に「けして逆らうな。」と言われていますから、指図があれば私(葉月)はその通りに身体を動かします。

この「けして逆らわない」と言う取り決めは精神的な縛りであり、被虐性があります。

お尻の辺りが少し冷たいと思ったら、誰方(どなた)かにローションでも垂らされたらしく抵抗も無くぬるりとアナルにも何か入ってきました。

それこそ、特別信者様達が私(葉月)に群がる様に襲い掛かり、一瞬のうちに口も花芯もアナルも花弁の中にもあっと言う間に来客を迎える事になりました。

「浄化祈願修行」の間は、私(葉月)の口は、途絶える事無く訪れる多くの男の欲棒を受け入れて、硬くして差し上げる為に有ります。

下世話に言う「おシャブリ」の連続で、硬くなれば入れ替わって、それが下の方に花弁を押し分けて休み無く次々に訪れます。

それを、していただく為の「おシャブリ」なのです。

腰を浮かせて欲棒と花弁の中だけの接触する騎上位も人気で、私(葉月)のスクワット・ファックが続きます。

欲棒(男性器)や電動バイブ器具が、いきなり私(葉月)に無遠慮に入って来て、その全てが深く浅くと小さな音を立てて出入りを始めると、私は強烈な快感に襲われ、堪えきれずに、硬く太い物にウゴウゴと塞がれた口の隙間から善がり声をあげて悶え始めます。

そして、その私(葉月)を追い立てるように、「極楽浄土招来、極楽浄土招来」と、無情にも特別信者様達の行為に、私が進んで快感を貪る姿勢で受け腰を使い、首を前後して奮闘する事を要求されるのです。

だから私(葉月)は、首も腰も使い続けて休まずに、性行為に応じ続ける事になります。

性的宗教を「いかがわしい物」とする、社会合意に迎合した週刊紙のネタにされては困るので、内緒の話ですが、このおひろめ修行で、陵辱の海を漂う「修行巫女」にかける掛け声は、「極楽浄土招来、極楽浄土招来」です。

そして器具攻めだろうが、口と女性器に二人同時に受け入れようが、回りは全て「極楽浄土招来、極楽浄土招来」で囃子(はやし)立てるのです。

それは私(葉月)に一層腰を使って快感を貪る奮闘を「強いる為」の意図ある声援でした。

いかなる場合も、命じられた事に受身は許されないのです。

元来「極楽浄土招来、極楽浄土招来」は、修行巫女に、自分で自分を懸命に責め立てる立場に追い込む為の計算された合理的掛け声なのです。

「極楽浄土招来」の唱和が始ったら、私(葉月)の腰使いは一層激しく欲棒を出入りさせねばなりません。

私(葉月)はそれを忠実に守って奮闘を見せ、特別信者様達を楽しませなければななら無いのです。

好奇の目で、私(葉月)の痴態を見つめる特別信者様達の残酷な意志で、私は情け容赦無く「極楽浄土招来」と追い立てられるのです。

今夜は、聞き慣れた夫の勝也の興奮した声も、「葉月、極楽浄土招来」と、私に奮闘を強いています。

その掛け声に呼応して、私(葉月)は惨めに罰し続けられる為に、必死に踊るのです。

「けして逆らわない」と言う取り決めに加え、「極楽浄土招来」も精神的な縛りであり、受け入れる方に被虐性を感じます。

「極楽浄土招来」の唱和がはじまったら、その掛け声に合わせて、腰を激しく使って快感を貪って皆様にお見せするのがルールです。

修行管理部の幹部さんの「特別信者様に、出入りしている所をお見せする事を心がけろ。」の言い付けもありますから、絶えず見易さを考えて腰を使い、出入りの様を確実にお見せして特別信者様達の目も楽しませなければなりません。

つまり、拘束具も縄も使わないのですが、修行管理部の幹部さんはルールにがんじがらめに縛られて、自分では身動きが出来ない性人形と化していたのです。


コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が始まってしまえば嫌でも私(葉月)の肉体(からだ)が反応して思考が停止し、もう周囲の視線を気にするどころでは無いのです。

他人事で聞けば「そんな酷い事、何で断らないのか?」と訝(いぶか)るかも知れません。

でも、大勢のギャラリーの中に素っ裸で連れ出された当事者の身に成ってしまうと話しは別で、周囲の誰もがそれを赦さないと判っては、私(葉月)も中々「嫌」とは言い出せなかったのです。

それは成り行きで上がってしまった嫌も応もない引っ込みが着かない舞台の上も同然で、私(葉月)も「犯りたく無い」とは言えない状況でした。

こう言う状況に成ればジタバタしても見苦しいだけで、もう吹っ切れてギャラリーの期待を裏切れない心境に私(葉月)が成っても自然の流れだったのです。

此処での公開性交は、ギャラリーに結合部分を見せて姦淫ムードをるのが煽(あお)ルールだから、輪姦(まわ)される間は私(葉月)は大股開きで脚は閉じる事を赦されていません。

股間を貫(つらぬ)かれた欲棒のカリ首が、堪(たま)らない程に激しく抜き挿しされて、思わず快感を貪(むさぼ)る私(葉月)の無意識な腰の動きが艶(なまめ)かしい事でしょう。

カリ首が私(葉月)の下半身の内壁を擦(こす)り、私(葉月)の汗に濡れた顔が快感に強張(こわば)るその表情が眩(まぶ)しいでしょう。

私(葉月)は、入れ替わる男達の好みに応じて素っ裸で操(あやつ)られ弄(もてあそば)れながら、ギャラリーに結合部分を見せる大股開きで輪姦(まわ)される公開性交を勤めているのです。

それは他人の欲棒が抜き挿しされている自分の股間の結合部分に夫・勝也の熱い視線を感じるのですから、私(葉月)が二重に興奮しても仕方が無いのです。

ヌメヌメとした感触と伴に抜き挿しされる坊主頭のカリ首が、葉月の内壁を擦(こす)って堪(たま)らない快感刺激が脳に伝わって来る。


女性はいざとなると、大勢を相手に出来るものですね。

男特別信者達の生の欲棒が、入れ替わり立ち代り私(葉月)の花弁の中を訪れては欲望を吐き出して行くのをズブズブと必死の受け腰で包み擦り、応戦しながら、私は勝也がピルを与えた訳を「あぁ此れだったのか。」と納得した。

その場に身を置いて初めて気が付きましたが、広間のこの為に据え付けられた大鏡に、大股開きで責め立てられ、欲棒が花弁を出入りする私(葉月)の生々しい痴態が、冷酷に映し出されています。

この特別信者様達、私(葉月)に命令する時も、手を出す時も全て優しい笑顔で、けしてきつい顔はしません。

それでいて、笑顔でとても凄い事を私(葉月)にさせます。

まさに「犯られる、犯らされる」の世界で、上品な表現は出来ません。

異様な盛り上がりを見せる雰囲気の中、特別信者様達全員が面白がってこの時とばかり無遠慮に、代わる代わる責め立てるから、私(葉月)の体を出入りする物が器具でも生身でも、絶える事なく襲い掛かります。

私(葉月)は抗う事は許されず、憂いに満ちた表情を浮かべながら、それに「極楽浄土招来」に腰使いのリズムで答えるのです。

性への嫌悪感を拭い去るのが修行の目的ですから、恥ずかしい所を進んで見せなければなりません。

それが役目だから、私(葉月)の花弁を掻き分けて、生の男の欲棒やバイブ器具が出入りする様は、私も大股を開いてお見せしながら、受け腰で応戦し、特別信者様達の目も楽しませなければなりません。

それでも何度も背骨を反らせて、責められたまま私(葉月)は果てます。

人気のスクワット・フアックも、欲棒のおシャブリ付で、無駄がありません。

「恥ずかしい」などと言う、個人の感情などに構っている余裕は与えられては居ないのです。

「出入りしている部分が見えない」と苦情が出れば、膝をM字開脚に左右に目いっぱい広げて、「此れで見えますか?」と聞きながら受腰を続けます。

大勢の特別信者様達に、私(葉月)の股間を欲棒がズブズブと包み擦(こす)り、出入りする様子を見て頂いているのです。

このすごい格好で、メチャメチャにされている私(葉月)を、「勝也も皆も見ている」・・・・・・・・・。

その性的刺激はすさまじく、絶える事の無い私(葉月)の善がり声が、慎みもなしに大きく修行場に響き渡ったのです。

時間が経過して来ますと、私(葉月)の全ての穴は揉み解れて、使い易くなります。

気が付いたら、犯られていたんです。

信じられない事ですが無我夢中の内に、何時の間にか前と後ろと口、三本の男の欲棒を受け入れる「三穴同時攻め四P」と言う荒業をしていました。

私(葉月)の肉体(からだ)は、勃起した欲棒三本が串刺しに嵌(は)まって、擦(こす)りうごめいています。

自分でも驚いた事に、勢いとはすごい物で普段は「到底無理だ」と思われた事を、今私(葉月)は受け入れて、「極楽浄土招来」と全身でリズムに乗っています。

身体に感じる欲棒を包み擦る性感触もすごいのですが、「今三人一度に・・三箇所が同時に包み擦れて・・。」と思うと此れは精神的にもすごい刺激で、堪りません。

元々心と身体は別物で、望まずとも刺激があれば身体の方は正直に感じます。

増してや、三箇所一度に塞がって御使用頂くと、もう頭の中は刺激が突き抜けて、無条件で身体が応じて腰を使い、快感を貪っているだけなのです。

この、頭の中で刺激が突き抜ける感覚ですが、一定の過程を持ち堪えて乗り越えると、マラソンの「ランナーズハイ」に似たような状態を迎えるのです。

さながら宙に浮いた様な、舞い上がった意識の中で、私(葉月)、犯され続けるのです。

けして、普段の私(葉月)ではありませんから、私(葉月)に「極楽浄土」が訪れて居るのかも知れません。

それでも「極楽浄土招来」の要求は続き、けして受身は許されません。

いくら感じても、修行巫女はそれをゆっくり楽しむ事を許される事はないのです。

終わるまでは、私(葉月)には人格などありません、私は特別信者様達の物で、何があっても「お好きに御使用いただく」、それが優先されるのです。

この修行祈願で陵辱の海を漂う「修行巫女」の私(葉月)は、果てしない快感に溺れて、何度も気が遠くなりました。

人間此処まで追い込まれると、もう無我夢中で余分な事など考えられません。

目の前の現実をノルマとして、無心でこなして行くしかないのです。

遠慮も容赦も無い特別信者のメンバーですから、シュチエーションが代わる都度、私(葉月)はアッ言う間に全身一度に来客を迎える事になります。

場慣れした特別信者ばかりで、要求するレベルが圧倒的に高く、それらが楽しそうに私(葉月)の陵辱を競い合います。

そう、私(葉月)は皆さんのお楽しみの道具(生贄)なのです。

毎度の事ですが、その傍らで「まだまだ、もっと極楽浄土招来。」と、修行管理部の幹部さんが特別信者様達を煽(あお)ります。

「浄化修行巫女・加賀美葉月」は手も口も乳房も女性器も、アナルさえも、躊躇(ためらう)事なく特別信者様達の要求に供せられるのです。

乳房やでん部は撫で擦られ、わし掴みに揉みしだかれ、乳首は抓まれ、ひねられる。

下半身には多数の手が伸びてきて、太腿は撫でられ、尻肉は掴まれて左右に押し広げられ、どの穴にも無遠慮にバイブや欲棒が潜り込んで来て暴れ出します。

やがて、口も花芯もアナルも花弁の中に到るまで、男の欲棒やバイブ器具が私(葉月)に入って来て、その全てが勝手に深く浅くズボズボと出入りを始めます。

仰向けにされれば、口と股間に欲棒が押し入り、全身に手や振動バイブが群がって攻め立てます。

四つんばいにされれば、尻穴にバイブを入れたまま、後ろから欲棒に花弁を突き倒され、口には別の欲棒がねじ込まれます。

もうめちゃくちゃで、私(葉月)の花弁は直ぐにでも愛液を滴らせるのです。

それに応戦する様に私(葉月)の腰が包み擦って迎え腰を始めると、私は強烈な快感に襲われ、背筋が反り返り、いきなり大声で善がりながら悶え始めます。

それでも見易いように気を使い、花弁を掻き分けて出入りする様子を腰を浮かせて特別信者様達にお見せしながら、受け腰を懸命に使わないと、満足はしていただけ無いのです。

怠れば、修行管理部の幹部さんのお仕置きが待っています。

仰向けの体位の時は、前後ろ口に加え、両手も勃起した男の欲棒で塞がります。

私(葉月)の肉体(からだ)にそれぞれ迎え入れていれば、此れで一度に五人はお相手が出来ます。

うつぶせの時は両手が使えない分、受け腰の動きは激しく出来ます。

「ア*ルの方が良く締まって具合が良い。」と、四つんばいにされて、そちらをお使いになる幹部信者も多いです。

その体制でも、違う方が私(葉月)の口に欲棒をねじ込みます。


此れは裏話ですが、私(葉月)の全てを特別信者様達に御使い頂くのには、それなりの礼儀があります。

特にアナルはお使いになる前に綺麗にお掃除しておかなければなりません。

私(葉月)、修行管理部の幹部さんに浣腸をされるのです。

今でも恥ずかしいですけど、教祖様にお使い頂く為に、修行中に何度も浣腸をされましたので、かなり慣れました。

四つん這いになって、お尻を突き出し「どうぞお願いします。」と言ってから、五百ccを二本。

催しても直ぐにお許しがでないので、我慢している時間は苦しいのですが、それより楽しそうに浣腸をなさる修行管理部の幹部さんにお尻の穴をいじられるのが恥ずかしいのです。

今夜の私(葉月)は、選りすぐりの特別信者様達に浄化祈願の陵辱を受ける為にこの場に居るのです。

マットの上であらゆる体位を指定され、それに応じて身体に受け入れた物を、自ら首と腰を使って、自分の刺激を高めて見せなければ特別信者様達は満足しないのです。

この被虐感が、私(葉月)の脳裏に強烈な刺激を伝えてきます。

一時間、二時間、いつの間にか、自分がこの陵辱に馴染んでいる事を私(葉月)は思い知らされました。

特別信者様達の加虐性に満ちた要求は、果てしない様に感じられますが、全て受け入れなければなりません。

それに応じながら、ふと、私(葉月)は「気持ちに犠牲を伴う難しい判断だけれど、此れで良いのだ。」と思いました。

それ故、私(葉月)の戸惑いと憂いの表情は健在で、特別信者様達の意欲をそそるには格好の風情と成っていたのです。

教祖に促されたのか、最初呆然として見ていた一部の女性特別信者様達も、目を輝かして張り形玩具を握り締め、私(葉月)の陵辱に参戦して来ました。

初対面の同性(女性)に、惨めに弄ばれるのは特別な感情が湧きます。

でも、この場ではそれを思う余裕さえ、私(葉月)にはありません。

何しろ何処もかしこも同時の責めに見舞われては、襲い来る快感に全身で善がるのに精一杯でした。

ただ、「同性に陵辱されている」と言う被虐の快感は、充分に感じていました。

そして同性の方が、質濃くて残酷だと感じました。

此の修行が終わるまでは、私(葉月)は特別信者様達の物で、何に使おうがどう使おうが、全て彼らの自由が決まりなのです。

今回は私(葉月)のおひろめ浄化祈願修行ですから、「ソレ、葉月ちゃん極楽浄土招来。」が、果てしなく続きます。

特別信者様達の方は悠々と時々休みを交え、飲み食いしながら、交代で和やかに私(葉月)を陵辱して遊ぶのです。

正直、私(葉月)が一番羞恥心で辛かったのが「狸吊(たぬきつ)り」でした。

この教団修行場で私(葉月)は素っ裸にされ、滑車縄で足首と手首をまとめて縛(しば)く「狸吊(たぬきつ)り」に、全体重が手足首に掛からない様に腰が床に着く形に吊るされました。

これで全く抵抗できない「狸吊(たぬきつ)り体制」のまま、私(葉月)は次々と特別信者達の欲棒を受け入れる事に成ります。

始まれば私(葉月)は、「ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜。」とわめくような善がり声を挙げ始めます。

縛(しば)かれて出来た腕や腿(もも)のトンネル越しに下半身を見ると、特別信者様達の欲棒が次々と私(葉月)に突きたてられます。

硬く青筋立てた特別信者様達の欲棒が、私(葉月)の肉花弁を左右に押し除(の)け、肉花びらを巻き込みしながら卑猥に抜き挿しされて見えていました。

まさに「さらし者」で、加賀美家の思惑通りに私(葉月)は恥辱に塗れて、既成概念の砦は崩壊して行くのです。

特別信者様達の全てを、口も性器もアナルも使って、私(葉月)がひとりで満足させねば成りません。

それも、尋常ではない行為の要求全てに「極楽浄土招来」で応じて首を、腰を、振り続けて・・・。

人数が多いので、感じ続けても気絶している間もないのです。

私(葉月)は何度も果ててしまうのだけれど、休む間もなく入れ替わり立ち代り新手が加わって、股間に勃起した欲棒を抽入して来ます。

皆慣れていますから、させている事を私(葉月)に大声で言わせます。

「**様の命令で、葉月は今おシャブりをさせられながらア*ルと**に欲棒を抽入されて腰を使っています。」

それを言わされる事で、陵辱感、被虐感は更に募ります。

言わされた命令を、「極楽浄土招来」とけしかけられ、私(葉月)は必死に応えなければ成りません。

「あぁ、感覚が突き抜けてゆく・・・・あの感覚だゎ。」

これが、極楽浄土なのですね。

その性的刺激はすさまじく、私(葉月)は何度も快感に気が遠くなりました。

この長い陵辱の時間で、唯一股間が空いて休めたのは、皮肉にも公開放尿を命じられた時だけでした。

特別信者様の女性達は、私(葉月)の性的感じ方や性器の形、そこに欲棒が出入りして、花弁が引きつり変化する様に関心があります。

ですから、じっくりとそこを見つめられながら、私(葉月)は「極楽浄土招来」に逆らえず欲棒を包み擦る受け腰の動きが早くなり、善がり声は止まずに快感にのた打ち回ったのです。

特に面白がって攻め立てる同性(女達)の器具責めは激しく、男の欲棒を咥えて首を必死で動かしながら、私(葉月)の「此れ見よ」とばかりに腰を浮かせて大きく開いた股間の付け根には、極太のバイブがモーター音を響かせて挿し込まれます。

その極太のバイブが、女性特別信者様の手でズボズボと抜き挿しを繰り返され、隙間からは体液が止めどなく流れ出ています。

その上、横からは別の女性の手がローターで私(葉月)の敏感な花芯ボタンを弄っています。

その顔ぶれの中には、目を異様に輝かせ、責め具を握り締めて「葉月チャン、極楽浄土招来」と私(葉月)の花弁の中に抜き挿しする見覚えのある顔も、しっかりと混ざっていました。

先ほど、私(葉月)を「まんぐりがえし」にして、上を向いた前とア*ルの穴の両方に花を生けて、花芯ボタンをローターで嬲りながら、「揺らして花びらを散らすな。」と笑った女です。

もうメチャクチャで、半分は意識が飛んで私(葉月)は命令のままです。

経験の有る方も居られると思いますが、本当にいっぱい、いっぱいに追い込まれると、もう善がり声も出ません。

ただ、ヒィヒィと口をパクつくだけなのです。
そうした究極の状態に落ち入っても、私(葉月)の股間に欲棒の出入りが休まる事はありません。

特別信者様が満足するまでは、口もアナルも同様で、器具も男の欲棒も受け入れてそれにリズムを合わせて、極楽浄土招来を続けます。

勝也は、大勢に容赦なく犯られ続ける私(葉月)の姿を見続けています。

私(葉月)もそれを承知していますから、「ここに居る生身の特別信者様達も含めて、全てが勝也の大人の玩具代わりで有り、それを使って自分は勝也に愛されている。」と解釈しています。

私(葉月)への陵辱は粛々と続き、誰かが葉月に何かを要求し、何かの行為を課せる都度、取り巻く参加者からは、情け容赦の無い「極楽浄土招来」の歓声が沸きます。

それが流石セレブの特別信者様達で、笑い声を交えた和気藹々(わきあいあい)の和やかな雰囲気の中で、私(葉月)への陵辱は楽しみながらの風情のまま入れ替わり立ち代り続いたのです。

一度は覚悟を決め勝也の要求を了承した以上、この場は避けられません。

人間の心理とは不思議な物で、たとえ理不尽な辱めを受けていても、出来上がっているその場の雰囲気を壊すには勇気が居ります。

その場に身を置いた以上、私(葉月)は気丈に振る舞い、耐えて浄化の修行を和やかに進める以外に選択肢は無かったのです。

信じられないかもしれませんが、うまく出来ているもので、その場がそう言う和やかな雰囲気で流れていると、安っぽい羞恥心など突き抜けて場違いに思え、余分な思考は止って、「懸命に期待に応え様」と言う気に成ります。

だから私(葉月)は、股間から愛液をしたたり落としながら、特別信者様達のいかなる行為にも「極楽浄土招来」で応じたのです。

そんな訳で、彼らはさんざん私(葉月)を晒し者に陵辱して楽しみ、修行巫女の役目を充分果させました。

その後は大麻と酒と、散々にさせた私(葉月)の痴態に各自興が乗った勢いで途中からは大乱交になります。

この時気が付いたのですが、特別信者様の女性達は全員正装の下に下着は着けていなかったのです。

つまり特別信者様の女性達は、浄化祈願の修行中、男性の要求を拒否出来ないルールで、選り好み無くお相手フリーなのでした。

だから特別信者様の女性達も男性の欲棒を迎え入れる事が出来る場所は、全てその目的の為に供されるのです。

それが参加ルールであり、以後私(葉月)もそれに従う事になります。

犯ってしまって正直言うと、この輪姦洗浄修行、内心おシャブリも腰使いも上手く犯れて私(葉月)には結構満足が行く出来(デキ)でした。

禁断の露出公開性交だからこその羞恥心で溶けそうな想いに耐え、他人前(ひとまえ)素っ裸で此処まで激しく犯れば上出来(ジョウデキ)で、仕掛けた夫(勝也)に褒めて貰いたいくらいでした。


つかの間開放されて、私(葉月)が過酷な浄化祈願の修行を為し得た事に感極まり、泣いていると、近寄ってきた女性に「此れであなたも、皆の仲間よ。」と、囁(ささや)かれた。

先ほど、太いアナルバイブで散々私(葉月)の尻穴を笑いながら突いて、甚振(いたぶ)った女でした。

良く見ると、元三人組アイドルグループが解散して独立し、最近結婚して週刊誌に載った余り売れていない女性タレント武藤裕子なのです。

亭主は某局のプロデューサーで、勝也の会社はCMスポンサーになります。

武藤裕子は、自分も前回この浄化修行の洗礼を受けたが、「割り切って楽しめ。」と言います。

思い様で楽しい経験であり、「修行の後は彼が優しい。」とも言いました。

実際武藤裕子は、この修行を充分に楽しんでいる風情でしたが、どうしたらあんな心境に慣れるのか、私(葉月)には不思議でした。

武藤裕子が言うに、今年の二月頃、子役上がりの負け犬キャラで売っていた女優が名門の御曹司と結婚して浄化修行をしたらしいのです。

処が、プライドは高いし酒癖が悪いので、お披露目浄化修行だけを「ヒィヒィしながらやった」のですが、特別信者様の要求にあれこれと文句を言い、生意気なので特別信者様達の評判が極端に悪く成りました。

それで御曹司の方が面子を潰され、「使えない女」とあきれ、捨てる算段をしているらしいのです。

表には絶対に出ませんが、けじめは必要です。

結局彼女は、数ヶ月後に教団の修行場で両手縛りに吊るされ、特別信者様達に見守られて修行管理部の幹部さん達に尻に鞭打ち五十回されて、教団からは追放されました。

その後も少し揉めました。

負け犬キャラの元アイドルタレントの方は、お披露目修行で特別信者様達に犯られ損になったのが不満らしいのです。

そう言う事になら無いよう「心して勤めろ」と、裕子は私(葉月)に言います。

生意気に私(葉月)にアドバイスしますが、武藤裕子は私(葉月)よりも年は三歳下なのです。

話をしている間もなく、二人は次の男達に抱きつかれました。

そこかしこから、女達の善がり声が聞こえていました。

勿論、私(葉月)は修行の主役・修行巫女ですから、求められれば誰とでも応じます。

教祖様や特別信者様十一組、修行管理部の幹部さんが入り乱れると、すごい事になります。

何人目かで私(葉月)は教祖様にも抱かれました。

教祖様は私(葉月)を抱きながら、私のこれからを耳打ちしました。

私(葉月)にしても将来が心配には違ありません。

修行が終われば、私(葉月)は加賀美家の望む準幹部になると言います。

加賀美家の願望は私(葉月)に浄化祈願修行をさせ、教団幹部の「呪詛(法力)巫女・修術巫女」になる事だったのです。

いずれ私(葉月)には、次のステージが待っていました。

本部所属の男の幹部信者達に下げ渡され、此処で荘厳な般若心経唱和の中、毎週一晩上級幹部三十人を相手に和合を勤める荒修行が待っているのです。

それには、当然教団幹部である私(葉月)の夫や義父も含まれています。

元を正せば夫も義父も同じ他人の男だから、個人の好みや倫理観を超越すれば、およそ男女の性行為の対象範疇には違いありません。

それを相手が義父だと拘(こだわ)っては、煩悩を引きずっている事になります。

女性が相手を選ばず、観音菩薩の胸中で「極楽浄土に導く慈愛」をほどこすのが、教団の教義です。

それで家庭は円満に発展し、世界は平和になるのです。

宗教行事だから、個人の俗世のしがらみは超越した所に、この和合の荒修行は位置付けられているのだそうです。


今、私(葉月)の柔ら壺には、義父・加賀美静山の欲棒が嵌(はま)り込んで、内壁を擦(こす)りながら抜き挿しされています。

悪魔祓いの浄化祈願の修行中は、教団幹部は誰もかれもで義父などと言う線引きは在りません。

夫の前で義父に抱かれるのは当たり前で、この団体ではそうした事例は数が多く、私(葉月)が初めてではない普通の事だそうです。

今の内に私(葉月)をみっちり仕込んで、その義父との場で躊躇う事の無い様にするのは夫の勝也の希望でもあるそうです。

冷静に感情を交えず分析すると、一見世間の倫理観では背徳極まりないのですが、浮気としてでは無い義理の親子の絆として、公開しながらの性行為は家族として通じ合える究極の事かもしれません。

それが教団の教義ですから、私(葉月)はいずれ義父との和合を受け入れ、和やかに陵辱を受け入れる事になります。

私(葉月)が、修行を受けるようになって、家族が優しくなりました。

儀父など、嫁が抱けるのだから息子夫婦が可愛くてならないのも当たり前でしょう。

私(葉月)の方も、身を持って義父を喜ばせ、満足させる自信はあります。

義父との間は、とても良好な物になるでしょう。

共通の倫理観があれば、理解し合い、問題はおこりません。

つまり家族が信仰のおかげで結束した事になります。

教団の目的は、女性信者の教団忠誠心を量り、幹部の団結を強め、家族の絆を強める事にあります。

教えにおいては男女の和合が発するエネルギーが、「幸福を呼び寄せる」とあります。

この教団では、男女和合は信者にとって大事な信心の要素で、心底それを受け入れないと、宗教儀式そのものが成立たないのです。

つまり、理屈や個人感情を抜きに「身も心も教団に帰依しろ」と言う事なのです。

この一連の修行が終わると、私(葉月)は祈願和合を司る「呪詛(法力)巫女・修術巫女」に任じられ、己の和合に「幸福を呼び寄せる法力」が得られる事になっています。

えらくアホな話ですが、信者達は到って真剣なのです。

もっとも、価値観や倫理観、宗教観に共通の定義はありません。

つまり、正解は存在しないのです。

注意深いだけで、女性だって秘めたる性欲や好奇心は旺盛にあります。

私(葉月)は日常の空(むな)しさ埋める様に行為に集中すれば、この瞬間だけは意外と頭が空(から)に成り「無(忘我)の境地」に入れる事に気が付いたのです。

結局私(葉月)は、自分を納得させる理由が在って安心安全の環境が許せば、本音はこう言う事も「犯って見たかった行為」なのかも知れません。


倫理観は、あくまでもその国家及び宗教や社会観の蓄積などの社会合意でその基準が決まるものです。

日本でも、戦前は食べる為に半ば公に公娼制度があり社会合意の上で娘を売ったりしました。

一夫多妻も、宗教によってはその国の定めた社会合意であり、他国(よそ)から是非は言えません。

元々男女の性行為を縛っているのは保身的な倫理観で、そこを理論的に除けばたいして抵抗は無いのです。

つまり、生活基盤の安定の為に合意した保身的な倫理観こそ「世俗の煩悩(ぼんのう)」なのかもしれません。

こうした理屈は、奇麗事で塗り固め、建前の既成概念に囚われた女性には理解出来ませんが、知性的で利巧な女性には本質(教団で言う真理)を理解できるはずです。

私(葉月)も表向きの建前(既成概念)には囚われたくありません。

修行場で教祖様の修行を受ける合間に、修行管理部の幹部さんから教義を教わります。

時には、過酷なお仕置きを受けながらの勉強になりますが、それ故、嫌でも早くに覚えさせられます。

しかし、けしていい加減な教義ではありません。

聞いてみれば、教団の教義にもそれなりの立派な理屈と歴史観が有ります。

弾力的に考証すれば、まんざら出鱈目と否定は出来ないのです。

つまり性的に開放された女性は、保守的人間には厄介な事に、押しなべて知性的な「心の美人」ですから、理解も正確です。

言い方を変えれば、これはこれで可愛いのですが、知性に欠ける女性ほど世間お仕着せの倫理観を、おろかにも一途に信じて、疑問さえ持たずにいます。

その根強い、性への偏見をひっくり返して、教団は成長し続けています。

これだけ現在の世間の常識(倫理観)とかけ離れた教祖の教えが、何故この教団で支持されているのか・・・・。

そして、「男女和合が密かに執り行われている」には、それなりのれっきとした「由緒ある」教義があるからなのです。



◆夜鳴く蝉・勝也

裏六話おひろめ祈願を葉月に課す

◆◇◆◇◆裏六話(おひろめ祈願を葉月に課す)◆◇◆◇◆◇

性に関して女性には本音と建前に微妙なズレが在り、信じられそうも無い夢物語の建前が、「愛が無い相手と性交は出来ない。」である。

世の人々は性交などには興味が無い様に装っているが、まともな性癖の男女なら性交を愉しもうと言う本能が在って当たり前である。

そしてその性交には心地良い気分の姦淫ムードを愉しむだけの関係も新鮮で在り、必ずしも性交に「愛情」が拘(かか)わる訳ではない。

互いを縛り付ける「愛情」などと言う一人善がりの感情の苦悩を捨て去りさえすれば、人はもっと自由に性交を謳歌(おうか)できる。

大袈裟に言えば、人間の欲望には際限が無く、それを安全に満たしてくれる性欲装置があれば「奔放な性交遊びも悪くは無い」と想えるものだ。

だから表向きは性交など興味が無い様に装っていても、秘したる本音ではカップルなり夫婦なりであらゆるパタ−ン(構成)の性交を大いに愉しんで居ても不思議は無い。

そのストレス解消の為の奔放な性交遊びの性欲装置が、お愉しみの為なら何でも在りの「教団の修行場」だった。


それからの葉月は、明らかに依り美しくなった。

人間の脳は必要に応じて全身に指令を発して制御するから勝也の遊びに付き合う様に成ってからは、他人前で裸身を晒(さら)す機会が増えたのを葉月の脳が敏感に他人目(ひとめ)を意識して綺麗に成ろうとする。

勿論、良い性交を度々経験すれば、葉月の性フエロモンが活性化して驚くほど変化を魅せ、魅力的な女性(おんな)醸成される。

それで他人目(ひとめ)に磨かれた葉月には経験が滲み出る様な「良い女オーラ」が着衣の上からも発散され、周囲は日常生活の中からも葉月の裸身を想像する様になる。


どんな美人女性だって種の保存本能が在る以上は、「男嫌い」と言う異常な性癖で無い限り、性交を「犯る事は犯る」の本質は自然な結果である。

つまり当たり前だが、どんなに綺麗事を言っても性交に関心が無い女性の方が社会的・生物学的には不自然なのだ。

嫌、人類が未来に種を繋げて行く為には、「犯りたい」と言う男好き・性交好きこそが女性の偽わらない自然な本質でなければ成らない。

それと矛盾する「私はそんなに助平(スケベ)ではない。」は、本来女性に採っては自分を高く売る手段に過ぎない。

それを真に受けて誤解し「助平(スケベ)ではない。」と本気で想っている女性は、結婚してからも厄介である。

それでも性交すれば肉体の方は必ず快感を感じ、その性交がコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などならその興奮の快感は尚更の筈(はず)である。

集団の性行為はアブノーマル(異常)と批判されそうだが、果たして一対一の男女による密やかな性交がノーマル(通常)で、それ以外はアブノーマル(異常)な事なのだろうか?

第一、男女一組の性交にした所で、ア*ルプレィにSMプレィ、露出プレィなどバイオレーションはかなり在るから集団プレィばかりがアブノーマル(異常)とも言えない。

集団プレィであるマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などの「目的の機会を得易い環境」として、単にその存在を利用しているに過ぎない。

勿論集団に拠る、鑑賞と参加型のSMプレィショーだって好事家を集めて開催され、女性の見学者も結構居る。

勿論赤の他人がSMプレィでヒィヒィ悶えるのを鑑賞するのは良い見世物だし、密かにそう言う性癖が在る女性も、中々カミングアウトできないから納得の為に覗きに来る。

普段女性が密かに野獣みたいな性交を望んでいても、日常生活の延長でマンネリ(固定された形式)気味の性交では、感動も興奮もしないし快感も得られない。

闇に隠れては居るが、こうした性癖要求を持ち合わせる男女は想像以上に多く、その場所や機会を熱望しているのである。

だからと言ってその男女が特殊な訳ではなく、日常では極普通の人達で社会性も持ち合わせている。

そこで日常の不満を解決するような非日常の性交を、密かに求める夫婦も出て来て当たり前である。


サーカスは古代エジプト時代に始まり、ローマ時代にその原型がなされた動物を使った芸や人間の曲芸など複数の演目で構成される見世物の事である。

一般的に円形劇場や天幕劇場などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られる。

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)も複数の演目で構成される見世物と言えない事も無い。

まぁ、群集が取り巻いて見下ろす中での「公開輪姦嬲(こうかいりんかんなぶ)りのプレィ」も、ある種のサーカスかも知れない。


マンネリ(固定された形式)を吹き飛ばすような、「非日常の性交」とはなんだろうか?

男女の間で、「愛情が無ければ性交など出来ない」とは言うが、本当は愛情などと言うものは夫婦が永く添ってから育つもので、行き成り愛情ある性交は眉唾である。

では「男女が当初性交に到る理由は」と言えば、「恋」を愛情と勘違いした凡(およ)そ衝動的な「感性(右脳域)}の発露で在って、この時点で愛情など在る訳が無い。

いやむしろ、「恋」を愛情と勘違いして始めた夫婦の仲なんてものは、平凡な日常生活ばかりで三年も経過すると結婚生活など互いに醒めてしまうものである。

女性が密かに野獣みたいな性交を望んでいても、代わり映えしない一対一の日常生活の延長では感動も興奮もしないし快感も得られない。

そう成ると、「恋」と言う凡(およ)そ衝動的な「感性(右脳域)}の発露だけでは無い覚悟が男女の仲には必要になる。

人間の考え方など都合の良いもので、同じ人間でもその時の考え方を「理性(左脳域)」で採るか、「感性(右脳域)」で採るかでその言い分は違う。

これは人類永遠のテーマで、男女の仲から政治経済まで考え方の採り方が「理性(左脳域)」か「感性(右脳域)」かいずれかで合致しなければ行き違いは埋まらない。

言い返れば、身勝っ手で刹那的な「ロマンチック(感性)」に格好着けて生きるより、大人の「シリアスな覚悟(理性)」の方が人間には余程立派な覚悟である。

そこで「理性(左脳域)」で考えると、夫婦の仲が三年も経過すると互いに醒めてしまうものであれば、夫婦間にも非日常の刺激が欲しくなるのだ。

つまり非日常の刺激が欲しくなる此処で、夫婦間に「真摯な疎通」が無いと、互い勝ってで新しい「恋」の勘違いを始めて家庭を壊す事になる。

互い勝ってで新しい「恋の勘違い」を始めて夫婦間の危機を作り出すくらいなら、夫婦共犯で一緒に愉しめる非日常の刺激シーンを創り出す創意工夫が必要である。

元々現実に、男女の間で「理性(左脳域)」と言う打算が働くものなら、打算が性交理由に成っても世間に良くある事で不思議は無い。

つまり夫婦が有利に生きる為の打算や配偶者と上手く生きて行く為の打算を理由に、夫婦が共犯で「理」に適う遊びの性交シーンに入って行っても、然(さ)して不自然では無い。

互いに不特定多数を相手の公開性交なら、間違いなく見る見られるの遊びの性交で、嫉妬も情が移る事も在り得ない。

その「理」に適う夫婦共犯の遊びがマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などである。

開けっ広げの公開性交を薦めるには理由が在り、それが浮気では無い夫婦共犯の遊びの象徴だからこそのルールである。

つまり影でコッソリと犯る「浮気」と言う「情」が絡んだものでは無く、夫婦合意の遊びの象徴がコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などの遊びである。

だからこそ、性交姿を夫に隠すでもなく堂々とギャラリーの前で晒(さら)し犯られる公開性交シーンが、性交相手を特定しない故に嫉妬を抑えた安全且つ非日常の刺激なのである。

この性交相手を特定しない晒(さら)し者の羞恥心と引き換えに、夫の独占欲に拠る疑心暗鬼から只の遊びと夫を安心させ嫉妬は回避される。

「信じられ無い」などと自分の基準で御託(ごたく)を並べるが、現実には世の中にそれ(性交)が好きな女性も沢山居れば、遊びの性交を犯って見て病み付きに成る女性も居る。

赤の他人の男達との遊び性交など「私には出来ない」と想うだろうが、それはただの気分の問題である。

相手が赤の他人だろうと、犯って見れば肉体(からだ)は性交すれば快感を得るように出来ているし、出会いの頃の夫とだって勘違いの「恋」を理由に犯っている。

勿論、こうした夫婦共犯の遊びなど犯りたくなければ断れば良いのだが、犯って見ないで「嫌」だの「酷い」だの「可哀想」だのと、想像では言って欲しくない。

夫との性交がラーメンなら、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)などは中国宮廷料理の満漢全席(まんかんぜんせき)くらい快感に差がある。

何しろ夫婦共犯の遊びの性交シーンは、五感の感性的刺激も肉体的刺激も強烈な環境で、エンドレスな性交がもたらす快感は女性本人がその気に成らなければ得られない。

つまり批判は、夫婦共犯の遊びの性交を犯って見てから言うべきで、何事も犯って見てから事の良し悪しが判るものである。



愛情と性交をセットにして考えるから思考や行動の範囲が狭くなるのだが、残念ながら本当の男女の仲はそんな単純なものではない。

夫・加賀美勝也が承知して「呪詛巫女修行を犯れ」と言っているのだから、もぅ葉月には選択肢はない。

そして相手が亭主だと嫁に甘えが出るから、嫁に性技を仕込むに仕込み手は他人の方が遥かに良い。

だからこのシークレットパーティ(秘密会合)で、全裸の葉月を扱うハンドラー(調教師、訓練士)は、教団幹部の男達である。

それなら発想を変え、相手の生身の男達を、いつも夫・勝也が持ち出して私(葉月)を攻めたてる「電動玩具」と思うしかない。

相手の男達は「生身の電動玩具」だが不倫などとは次元が違い、夫・勝也が自らがこのシークレットパーティ(秘密会合)で、ハンドラー(扱う人、調教師、訓練士)に託したのである。

性交好きを否定する事は天に唾(つば)するようなもので、性欲に於ける男女の仲は本人が認識していない無意識脳に於ける意識では右脳がリード(導く)するのだ。

だから節度は必要だが、命を繋ぐ生き物としての人間の本性は天性の性交好きで当たり前で、それを非難する事は出来ない。

「決まっている」は進歩を妨げ、脳に刺激が在って初めて脳は活性化するのだから、それを避けて何も考えないではろくな結果は得られない。


この教団の呪詛巫女修行の場は、何でも有りのNG無しだから、犯られ放題やり放題が当たり前で、それは葉月も事前に承知させられている。

犯らせ放題やり放題を犯らせる方にも、求めれば様々な性癖を満足させてくれる安心感が愉しめる。

教団の輪姦プレィでは、これは呪詛巫女の躾(しつけ)の為のルーティン(お決まりの手順・定番)である。

「あぁしたい、こうしてみたい」の猥褻(わいせつ)な想いを、直ぐに他人妻(ひとつま)で実現できる事が、このKIYOUBI(京美)グループの接待プレィの良いところだ。

意外な事に、輪姦(まわし)を受けると腹を括(くく)ってしまえば、大抵の女性は「見苦しい真似はしまい」と何でも素直に応じる。

何事にも流れに乗る事が大切で、そこが止まると全てに良い事は無い。

不満があるなら葉月も黙っていない筈だが、もぅ夫・勝也の説得で納得したのだから意地でも黙って従うしかない。

勿論腹を括(くく)っての事だから、他人前(ひとまえ)多人数でムチャクチャに弄(なぶ)られ、ムチャクチャに犯かされるのは覚悟の上だ。

その場がそう言う雰囲気なら、もうその勢いは止まらないし、相手を一々選んでは居られない。

妙な話と受け止めるかも知れないが、例え望まぬ相手でも下手に抵抗して怪我をしてもつまらない。

基本的に日本人は生真面目で規律正しいのだが、それが仲間内のお遊びプレィの輪姦に於いても発揮される。

つまりお遊びプレィのヒロインは、一旦その場立てば例えそれがお遊びの輪姦プレィで在っても仲間内の規律を順守し、生真面目にその勤めを果たす。

妙な話と受け止めるかも知れないが、実は日本人の紛れ無い性「サガ」かも知れない。

利口な女なら、相手がシャブらせたいならパックリ咥(くわ)え、クィクィと首を使ってシャブって犯れば良い。

仁王立ちする男の欲棒をおシャブリするには、膝間着いて相手の顔を見上げ、嬉しそうに咥えてシャブるのが喜ばれるコツである。

犯りたいなら、別に大した事ではないのだから股を開いて精々犯らせ、抜き挿しされる欲棒に腰をクィクィ使って応じて犯れば良い。

どうせ性交を犯り始めてしまえば、肉体(からだ)は相手構わず気持ち良く成るものだから、こちらも無我夢中で性的快感を貪(むさぼ)るだけだ。


人間の欲望は果てしないもので、犯り始めてしまえば「この際だから、あれも犯りたいこれも犯りたい」と様々なバージョン(形態や変形)を試して愉しみたくなる。

それは国王だろうが大統領・総理大臣だろうが、各宗教の最高聖職者だろうが、大企業経営者だろうが現実は皆同じである。

だからこう言う時は、考えられないくらいに型に嵌(はま)らない様々なプレィが  に要求される瞬間なのだ。

勿論それは、初体験の葉月にとって以後の人格が変るほどの衝撃で、全身の身震いがしばらく止まらない程イカされた。

輪姦(まわし)は続いていて、葉月の柔ら壺は既(すで)に何人もの射精を受け入れている。

ようやく葉月が弾けて反応が激しくなり、益々現場の熱気が上がって来た。

葉月の柔ら壺の中で何人もの精液が入り混じった愛液が、今の相手にクィクィと突かれる度に溢れ出し泡状に床に滴(したた)り落ちている。

葉月は既に男達に追い込まれ、ド助平女に開花しているから、次から次の男達から柔ら壺に挿し込まれる欲棒を、腰を貪欲(どんよく)に使って快感を貪っている

葉月は腰を振り、善がり声を挙げ、ビクンビクンと肉体(からだ)を反応させながらイキまくる。

大体この輪姦(まわし)に葉月が応じるのは夫・勝也の依頼だから、浮気でも不貞でも何でもない。

言ってしまえば、他人前(ひとまえ)で全てを曝(さら)け出したのだから、もぅ怖いものは無い。

ならば葉月が、堂々と性交の快感を味わって善がり鳴いても、文句を言われる筋合いは無い。


男が次々と襲って来るので、葉月は仰向けの姿勢で踵(かかと)を宙に浮かせた大股開きのまま次の男を受け入れる。

その、次の男を受け入れる頃には射精終った前の男が今まで葉月の柔ら壺で暴れていた欲棒を口中に捻じ込んで来る。

仰向けの姿勢で踵(かかと)を宙に浮かせた大股開きのまま、口中に捻じ込んで来た欲棒の愛液を綺麗に舐め取っている間に、次の男が射精を終えてシャブらせに来る。

シャブらせに来る頃には次の次の男の欲棒が、宙に浮かせた大股開きの葉月の柔ら壺に挿し込まれて抜き挿しされ始めている。

これが十人十五人と続き、手加減抜きの、葉月には驚愕の犯られ方だった。

それにしても手加減抜きの、あの驚愕の犯られ方にしては、葉月の体力回復力は驚異的だった。

並のアダルト映像よりかなり過激なプレィの連続で、全身の身震いがしばらく止まらない程イカされた。


駅弁ファックは、互い向き合って欲棒を女性の柔ら壺に抽入したまま抱え歩き、抱えた腕力で女性を上下させて抜き挿しする性交法である。

その変形で、ア*ル駅弁ファックは女性を前向きに欲棒をア*ルに挿し込み女性の左右の両太腿(りようふともも)を両手で抱え支えるア*ル性交法である。

この二つの駅弁ファック組み合わせて、先に葉月がア*ル駅弁ファックを決め、更に葉月を駅弁ファックに向かい入れれば、欲棒二本挿しの二穴駅弁ファックが成立する。

同時に葉月は、止められない状況で突然放尿した。

葉月得意の、極まった時の「快感おもらし」である。

勿論それは、初体験の葉月にとって以後の人格が変るほどの衝撃では在った。

そして葉月は、沢山(たくさん)嵌(は)められて悶(もだ)え狂い、輪姦(まわし)にドップリ嵌(は)まった。

他人のギャラリー前で沢山(たくさん)嵌(は)められて、葉月は他人前(ひとまえ)で犯られる恥ずかしさに構っては要ららないほど腰を使って快感を貪(むさぼ)った。

一度、肉体(からだ)が呪詛巫女修行の輪姦(まわし)を経験すると、その世界にドップリ嵌(はま)るほど、脳がその快感から逃れられなくなる。

呪詛巫女修行のヒロインには、女性としての高度な「スペック(性能)」が要求される。

「スペック(性能)」とは、元々コンピューター用語だが、人の身体的特徴、趣味、学歴、仕事などのランク(階級)を表す言葉としてある。



葉月の修行は佳境に入った。

想いも拠らなかったが、妻・葉月は違和感無くおシャブリも腰使いも上手く犯れて次第に大胆(だいたん)に成って行った。

恐らくもう周囲の事など意識に無いのか、日常の倦怠感(けんたいかん)を埋める様に全裸体を躍動させ大胆(だいたん)かつ奔放(ほんぽう)に性交に応じている。

今は呆然(ぼうぜん)と眺める私(勝也)の前で、口と言わずア*ルと言わず女陰に到るまで欲棒を受け入れて、性感に拠る忘我の境地に入っているのだ。


この狂宴の修行の場に全裸で曳き出されたら、タップリと陵辱プレィで弄(いじ)り放題の女体である事を意味している。

全ては遊びの発想から生まれたもので、深刻な事実は無い。

輪姦(まわさ)れる事を恐がったらギャラリーを愉しませるだけだから、こう成ったら意地でも恐れの表情なんかギャラリーに見せられない。

余り大した事では無い振りでもしなければ、葉月も大勢の他人前(ひとまえ)で晒(さらし)し者で犯られては居られない。

その場の雰囲気を感じ取ったのか、葉月に恥ずかしい想いは在っても、何故か開いた股をこの場では閉じてはイケナイ気がした。

それで葉月は、この狂宴が終わるまでグロテスクな女の部品も露(あらわ)に股を大きく広げたままだった。


どうせゴチャゴチャした理由など不用の教団の修行だから、その場の者が性癖を曝(さら)け出して日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らせば良い。

葉月も、全てを曝(さら)け出して奔放(ほんぽう)に愛玩(かわいが)って貰(もら)えば、仮初(かりそめ)でも親近感が湧き、情が醸成される。

大勢の視線を浴びる輪姦ショーのヒロインを勤めさせられるのだから、葉月の性感が日常の夫婦の性交より過敏に成って当たり前である。

女体は良く出来ているもので、葉月は素っ裸で修行道場に曳きだされた時点で、もぅ滑りを良くする潤滑油が股間で湧き出しているのを感じていた。

大勢の視線を浴びる輪姦ショーのヒロインを勤めさせられるのだから、葉月の性感が日常の夫婦の性交より過敏に成って当たり前である。

女体は良く出来ているもので、葉月は素っ裸でプレィルームに曳きだされた時点で、もぅ滑りを良くする潤滑油が股間で湧き出しているのを感じていた。

勿論、女性心(おんなこころ)としては、犯られた相手に「使いものに成らない」などとは言われたくないから、精々踏ん張って喜ばせようとする。

始まってしまえば、皆が葉月の性感反応興味深々で、ギャラリーは面白(おもしろ)そうに囃(はや)したて、性交相手はグィグィと過激に攻めたてる。

後背位を採らされた葉月が、口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、  の口から垂(た)れ流されている。

バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パン、と言う葉月の尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこの会場に響き渡っている。

相手が替わって体位が変わり、騎乗位に欲棒を咥え込んで葉月自(みずか)らが腰を浮かして沈めて陰茎を見え隠れさせている。

葉月の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、形振(なりふ)り構わず「ヒィヒィ」とプレィルームに響き渡っている。

「まるで私では無いみたい」と葉月は想いながら、今は貫(つらぬ)かれた欲棒に歓喜の受け腰を使って応じている。

めいっぱい感じているのか反応が凄く、葉月は上半身をガクンガクンと奇妙に揺(ゆ)らし、乳房は踊り腹は小さく波打っている。

タップリと弄(いじ)り放題に、大勢から愉しそうに責め上がられた葉月だったが、その狂宴が終わってみると意外な事に嫌悪感は無く、達成感と疲労感、そして満足感が在った。


葉月は、夫の勝也が教団への生贄(いけにえ)として裸に剥(む)いて引き渡した性玩具(おもちゃ)である。

教団が意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)として手に入れた葉月の乳房や今から使用する股間の柔らかそうな感触を、教祖は露骨にニヤつきながら面白がって撫(な)でて確かめている。

まぁ教団の男達はおろか女達まで、葉月の裸体の乳首を容赦無く摘(つま)もうが太腿(ふともも)を撫(な)でようが、二枚の肉花弁の中に指先を挿し込もうが葉月は耐えるしかない。

こんな輪姦(まわし)の状況で、葉月が素に戻ったら犯っては居られないから、犯られ役の女優気分に徹するしか無い。


異例の事だが、教祖の好意で一ヶ月の修行期間の内に、第二ステップまで進ませると言う。

第二ステップは、準幹部になる為の資格を取得する為の物で甘くは無い。

特別信者様達の男女による輪姦陵辱の生贄を勤めなければならない。

葉月の修行性交の場で、葉月を増長させると修行行為が横着になり修行結果が悪くなるので性交マナーを厳しく仕込んで学習させる。

それが教団の方針だから修行管理部の幹部達も特別信者様達も、誰もかも葉月にはまったく容赦無くヒィヒィさせて責める。

彼らのやりたい放題で、一切の妥協は無いだろう。

修行に入って間もない葉月に果たして勤まるのだろうか?

幸い私(勝也)はメンバーの一人に呼ばれたので、攻め手の一人に加わりながら葉月の健闘を見守る事にする。

教祖は私(勝也)にその光景を見せる事で、より葉月に陵辱感を与える積りだった。

私(勝也)の両親は、思っても居無い修行の進展に手放しで喜んでいるが、私(勝也)は心底心配した。

何しろ、始ったら連続数時間に及ぶ超ハードな輪姦(まわし)で、中々短い修行期間では本来とても受けられない。

しかし、始ってしまうと教団の仕込みが良いのか、天性のものなのか葉月は健闘する。

「さぁ、支度が出来ました。葉月さん、皆さんに可愛がって犯って頂きなさい。」

教祖の輪姦修行宣言に、特別信者様達が葉月の肉体(からだ)に群がって来る。

私(勝也)に仕込まれてホテルでのコレクティブセックスプレィ(集団乱交)やハプニングバーのおシャブリ経験で、犯って居た葉月はこうした場合に犯る事は心得ていた。

そぅそぅ、何時(いつ)も私(勝也)に犯る事を皆に犯れば良いだけの事だ。

結局葉月は素っ裸の雌犬として、肉体(からだ)を張って夫の私(勝也)と教団の連中とのケジメを着けなければならない。

世間で「浮気・不貞」と定義されるのは、男性にとっても女性にとっても連れ合いに内緒で犯す過ちで、情が絡(から)むから赦せなくなる。

しかしこの教団の激しいお披露目輪姦は、性交をした所で信仰上の修行である。

もはやリスペクト(価値を認めて心服する・敬意を表す)した男達と葉月の「フアィティング(闘志・好戦的・挑戦的)行為」と言う表現が正確に思える。

妻・葉月の公開性交に於いて、その奮戦と性反応を生々しく確り確認させる為に、ギャラリーの最前列・目の前が夫である私(勝也)の定位置である。

此処まで来ると、葉月と男達の輪姦(まわし)は壮絶な格闘技で、ここ(教団修行場)は観衆参加のコロシアム(闘技場)だった。

クィクィと抜き挿しに応じて見え隠れする特別信者様達の陰茎に、葉月の肉花弁が生々しく巻き込まれ捩(よじ)れ震えて見えている。

生身の欲棒が葉月の股間に嵌(はま)って、葉月をヒィヒィ言わせながら蠢(うごめ)く様(さま)に、夫として私(勝也)はドッキリさせられ、一瞬後悔の念も浮かぶ。

だが、この情を挟まない遊びの場では、その生身の欲棒は葉月に与えた「大人の玩具(おもちゃ)」と想うしかない。

一つ目小僧・坊主頭のカリ首が無遠慮に葉月の確信部分にズブリとご厄介になり、愛液に濡れ光る陰茎が二枚の肉花弁も押し広げて巻き込み、見え隠れしていた。

観せる事を命じられ、意識して抽入部分をタップリ披露する究極の羞恥心(しゅうちしん)が、葉月の貞操観念を根底から覆(くつがえ)している。

葉月は、強(し)いられて他人前(ひとまえ)で公開性交を披露するその被虐感と集まる視線にも、此処まで追い込まれてしまえば、もう「惨(みじ)め」何て言っては居られない。

現に葉月は、脳みそがトロケそうな刺激を感じながら善がり声を絞(しぼ)り出し、抜き挿しに涙に涎(よだれ)に玉の汗、受け腰で激しく応戦して居る。

葉月を犯る特別信者達が盛上がってしまえば、シナリオ(脚本)の無い無遠慮な輪姦遊びが続々と続いて、葉月を散々に善がらせながら想い想いに陵辱して行く。

何しろ衆人環視の中、素っ裸の葉月が他人の男達に何度も替わりながら切れ目無くシャブらされ嬲(なぶ)られ犯かされ、忘我(ぼうが)を彷徨(さまよ)い続けている。

相手が替わる度に、その特別信者が坊主頭のカリ首を二枚の肉花弁のスリットへ縦に二〜三度擦(こす)って馴染ませ、抽入位置を合わせる。

その位置を合わせたスリットにカリ首を宛がい、腰を入れてグィと押し込み、中に収まったらクィクィと抜き挿しを始める。

葉月は抜き挿しされる欲棒の擦(こす)れに腰を浮かし、他人目(ひとめ)も憚(はばか)らず欲棒を咥え込んだ腰を、生々しく卑猥(ひわい)に振って善がっている。

性感極まった顔が左右に振られ、乳房が不規則に揺れ、股元に欲棒を咥え込んだ卑猥な腰が多人数相手に譲らない凄(すご)さでリズム良く踊っている。

頭の中が姦淫ムードいっぱいの中、非日常の卑猥な空間に在って、快感に人妻としての抵抗感を失うほど、葉月は「歯止めが利かない極上の性感」を貪(むさぼ)っているに違いない。

確かにこの特別信者の連中はこう言う依頼調教遊びに慣れて居て、見るからに素材(女性)を上手く調理する無遠慮に長けて居た。

この奔放な性交遊びを葉月に仕掛けたのは私(勝也)だから、葉月が欲棒を股元に咥え込んで善がりながら腰をクィクィ使っても文句は言えない。

まるでポルノ映像を観ているように客観的に、次から次と切れ目無く葉月の股元の柔らかそうな肉花弁の間に、愛液に濡れ光ながら男達の欲棒が生々しく抜き挿しされて、ボンヤリと卑猥(ひわい)だった。

その目の前で他人男(ひとの)欲棒を咥え込んだ腰を振って散々に善がっている葉月の光景は、私(勝也)の嫉妬交じりの刺激的な感情を揺さぶるもので、心地良い気分を煽(あお)り新鮮だった。

それにしても大袈裟に言えば 、人間と言う生き物の愚かさか、その欲望には際限が無い。

私(勝也)は目の前で愛妻が男達に輪姦(まわ)され犯されるのを観て、けしてそれが不機嫌では無い他人事めいた微妙な感情に襲われていた。

男達の葉月への陵辱光景は加虐心を満足させ、葉月が嬲(なぶ)られ犯かされと意識すれば被虐心をも満足させる複雑な心境である。

つまり「妻が輪姦(まわ)されている」と言う非日常の設定の陵辱光景を、特別な珍しい見物(みもの)と愉しんで居る私(勝也)がそこに居たのだ。


「情動性身体反応」と言うのは色々なパターンが存在するが、過去の学習を基にして無意識に選択される無意識行動や反応である。

欲棒が挿し込まれて抜き挿しが始まれば脳が反射的無意識行動で快感を求め、肉体(からだ)が勝手に反応して抜き挿しに応じる受け腰が始まるパターンも在る。

本格的な露出公開性交の場合、性玩具(おもちゃ)扱いに嬲(なぶ)られながら休息と水分補給の時間を三分ほど数回挟み、堪(たま)らない官能の輪姦行為は二時間〜三時間続く。

ヒロイン・葉月の輪姦ショー公演中の脳内は、非日常の羞恥心と興奮で脳内快感麻薬・ベーターエンドロフェンが充満し、半ば快感にラリる状態の反応が明らかだった。

葉月は禁断の露出公開性交を仕掛けられて羞恥心で溶けそうな想いに耐え、ギャラリーの熱い視線を集めながら次々に男の欲棒を受け入れて性交を繰り返し続けている。

男達の欲棒が生々しく抜き挿しを繰り返され、犯られては果て、犯られては果ての激しい輪姦行為の中、葉月は極上のオーガズム(絶頂感)を体感し続けていた。

葉月は、ソーシャルセックス(社交的な性交)のサプライヤー(供給者)として、おシャブリも腰使いも、行為に専念する怪しい表情で良い顔して上手く犯られている。

葉月を犯って良い汗をかき、溜まったものを抜(ヌ)いて満足すると欲棒を抜いて次の順番待ちの男に葉月の使用権を譲る。

犯られ終わった葉月の方は、直ぐに次の男が行為の要求を始めるから、前の男との行為の余韻に浸(ひた)る間もなく、また喘(アエ)ぎ始める。

葉月はもう、連続性交の性感に拠る忘我の境地に入っていて欲棒を抽入された正常位素っ裸で、教団幹部の男達に激しく乗り熟(こ)なされている。

葉月の無意識な腰の動きが艶(なまめ)かしい。



冷静に考えて見れば、「恋の感情」など儚(はか)く消える虚(きょ)の迷いであり、愛情は永く一緒に生活し時間を掛けて湧いて来る本物の感情である。

つまり「恋の内の感情」を「愛」と間違えるから後々「こんな筈じゃ無かった」と離婚する者が後を絶たない。

そう言う経緯が在るならば、大概の男女の性交は「恋の内の感情」で肉体(からだ)を許していて、いわば「相手への情」は泡沫(うたかた)の儚(はか)ない確信である。

つまり恋の時点では、事実上行きずりの性交に過ぎないから、馬鹿正直に、「品行方正・清廉潔白」と言う世間体(せけんてい)を信じて居る方が、お人好しかも知れない。

それなら、元々愛情が性交の条件など現実には成り立たず、只の自己満足に過ぎない事に葉月は気が付いた。

元々人間の本性は好き者だから、こうした遊びの実行は表面化しないだけで影では結構そこかしこで行われているのかも知れない。

それが表面に出ないだけで、どんなに貞淑な女性でも正直言えばメチャメチャに犯され弄(もてあそ)ばれたい衝動本能を片隅に秘めている。

だから客観的に心の深層を知ってしまえば、上面(うわっつら)では無い真実が心に刻(きざ)まれて行く。

例え葉月が仲間内で秘すべき遊びを犯ったとしても、世間体(せけんてい)を恐れているだけだから、関係者の口が固ければ心配するほどの事ではない。

そして葉月が、衆人環視の場で他人の欲棒を幾本シャブろうと、幾人と性交しようが、そこで「何が起きているか」など、世間の知る由も無い秘められた謎でしか無い。

つまり隔絶された場所に在っては、葉月が腹を括(くく)れば済む事で、そこで何か在ったとも何も無かったとも世間はどうせ知る由も無い。

後で落ち着いて考えるに、このプレイは私(勝也)自身には自虐的であり葉月には加虐的と両方の感性を震(ふる)わす良質の遊びだった。


信仰上で「性交修行をする」と言うのは唯の言い訳かも知れないが、地位在る者は建前論の餌食(えじき)に成り易く、それで失脚する事も多い。

確かに代議士にしても代議士夫人にしても、個々に外で遊ぶのは無防備でトラブルやスキャンダルのリスクが多過ぎ、それは高級官僚やその婦人、財界人なども同様である。

かと言って一人の人間である以上、立場故に納得しなくても妥協せざるを得ない不本意は、地位・責任在る者には並大抵の物では無いストレスである。

並大抵の物では無いストレスだからこそ、その捌(は)け口は卑猥(ひわい)な非日常の遊びでなければ解消は難しい。

葉月が教団に呼び出されて雌犬を務めれば、いずれにしても葉月は多くの男達とジェニタリア・コンフロンテイション(性器対決)を余儀なくされる。

生々しい話しだが、葉月は毎回二十から三十本の欲棒相手に尻をクィクィと躍(おど)らせて彼らの性欲を熟(こな)す事に成る。

やはり何本もの欲棒を次々に挿し込まれ、オープン(公開)の場で股間で生々しく繋がっている陰茎を見え隠れさせながら性交を熟(こな)すのである。

だからこれは、秘匿性が強い個人的な「浮気・不貞」とはまったく違う唯の信仰上の修行である。

これは葉月のプライドの問題だが、卑猥(ひわい)な要求を拒否して自らが傷付かない事もプライドなら、卑猥な要求を受け入れて自らが傷付ても押し通すプライドもある。

現状がこうした場合、大人の女性である葉月には最善のプライドとして何が答えで、どう行動すべきかは充分に察しが着く。

つまり葉月は、オープン(公開)の場で善がりながら生々しく「犯って見せるプライド」を選んだ。

男達に輪姦(まわ)されると言う、日頃は在り得ない卑猥な条件設定の羞恥心に、葉月のアドレナニンが脳内で決壊したのか感度は抜群だった。

正直こう言う多人数の輪姦(まわし)を一人で受けるとなると相手が順番で続くから、葉月が渾身の受け腰使いで早く何本ん抜けるかが勝負になる。

最初に何人か熟(こな)して受け切れないと、葉月の方が中々相手を抜けないまま一方的に責められてイキ過ぎ続ける無残な姿を見せる事に成る。

仰向け大股開きにさせたの脚の間に特別信者の一人が陣取ってに抽入した欲棒をグィグィと抜き挿しすると、葉月が堪(たま)らず顔を歪(ゆが)め、嫌々をする様に顔を左右に振る。

しかしその嫌々は快感の表現で、葉月の乳房は大きく波打ち、欲棒を咥え込んだ腰は浮き上がって左右に振られ、葉月の口からは大胆な善がり声をヒィヒィとわめく様に発している。

股間が空(あ)く事の無い特別信者達の猛攻に葉月は半ばトリップ(無意識)状態で、欲棒を咥え込んだ腰を相手の抜き指しのリズムに肌から汗の玉が滲(にじ)み出るのも構わず応じている。

制御もまま成らなく開いた葉月の口元からは、激しい息使いと伴に悩ましい善がり声が「アァ、アァ、アァ。」と漏(も)れ、その唇の脇からは涎(よだれ)が糸を引いて落ちて行く。

葉月の恥毛に覆われた柔らかな恥丘の下で、特別信者の陰茎が濡れ光ながら見え隠れして確りと見え、生々しく抜き挿しされるその陰茎の隙間から愛液が葉月の太腿(ふともも)を伝り落ちている。

赤の他人特別信者が、夫・勝也の目の前で葉月の肉体(からだ)を欲棒でズブリと串刺しにしてグィグィと攻めて居るのだ。

その挿し込まれた欲棒が激しく抜き挿しされる度に、葉月の二枚の肉花弁が愛液に濡れ光る欲棒に卑猥(ひわい)巻き付き捩(よじ)れて、特別信者の目に晒(さら)されながら踊っている。

葉月は今、賢(かしこ)く特別信者様の輪姦(まわし)の抜き挿しに、恥毛が絡む肉丘を躍らせクィクィと受け腰で応じている。

腰を浮かせて善がり声を挙げながら葉月の受け腰が踊る股間に、生々しくスッポリと挿し込まれた陰茎を濡れ光らせながら見え隠れさせて見えている。

つまりこのまま何度も犯り続け、葉月の肉体(からだ)をマルチSEX(複数性交)環境の中で熟生させてしまえば、それが彼女の「生活の一部になる」と加賀美家の一族は考えていた。

輪姦(まわ)され終わった後の葉月の気分は、デェスコダンスを夜明かし踊った後のようなけして嫌では無い贅沢でさわやかな疲労感だった。



それにしても、説明を受けた当初は簡単に考えていた教団の修行も、本格的な性奴隷研修だった事に、葉月は今更に驚愕(きょうがく)した。

それが、夫が両親夫婦と信仰していた教団に素っ裸で置き去りにされ、「アッ」と言う間に過激に調教され、今は恥や外聞を捨て性交修行の主役である。

しかし、この卑猥(ひわい)な修行を「犯る」と応じた以上、葉月は気取りを捨てて、相手の腰使いにアクティブ(前向き・攻撃的)に受け腰を使わざるを得ない。

夫・勝也を含む他人前(ひとまえ)に素っ裸で曳き出され、輪姦性交に応ずるこの状況下では、仲間で遊ぶ目的の性行プレィのお約束で、プレィに一切の妥協は無い。

教団幹部や特別信者を、濃厚な性交で堪能(たんのう)させなければ接待の意味が無いからだ。

全裸で曳き出された時は葉月も「恥じらい」の表情を浮かべていても、修行のプレィが始まってしまえば「恥じらい処」ではない。

犯り始めれば肉弾の修羅場で、どうせ葉月が気取って居ても、肉体(からだ)からは正直に「嫌らしい反応」が滲(にじ)んで来て隠しようが無い。

そしてガチ・バトルが続くこの刺激的マラソン性交プレィに嵌(はま)れば、ランナーズハイと同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・「セックスハイ現象」に達する。

人間の想いなど不思議な物で、同じ事でも悩んでしまえば大変な事で、堂々と「何でもない」と思えば、それは「何でもない事」である。

まぁ、人間は元々判らない生き物で、表面からは裏の非日常の場面では何を犯って居るのかまではどうせ想像など出来ないのだから、これは日常生活では無かった事である。

そう、日常生活の穴を埋める夫婦公認のこの遊びを、大袈裟(おおげさ)に禁欲的に考えなければ、葉月の人生は、まんざら悪くは無いのかも知れない。



特別信者達の激しい要求と性的責めに快感を感じながらも、葉月は奮闘を繰り返す。

「極楽浄土招来」の掛け声にも必死で応じて、欲棒の出入りを披露しながら腰を使った。

見世物としても圧巻で、ましてやそのヒロインが愛しい葉月だった。

葉月が、目の前で股間も露に「極楽浄土招来・極楽浄土招来」と奮闘している。

おひろめ修行の輪姦は過酷なので、失神する修行者がでる。

教団の医療チームは酸素吸入器を用意するほどだが、その壮絶な修行も、一定の過程を持ち堪えて乗り越えると、マラソンの「ランナーズハイ」に似たような状態を迎える。

多人数相手の性交に拠る絶頂が切れ目無く続くので、宙に浮いた様な舞い上がった意識の中で犯され続けるのだ。

見ている私(勝也)は、涙物の感動と心配、そして勃起を味わっていた。

一緒に犯るき満々でここに来たが、今日は見守るだけにしょう。

葉月の奮闘を見守る私(勝也)の所へ、教祖が歩み寄って来た。

「教祖様のお陰で、内の嫁を大胆な呪詛巫女が務まる様に教団幹部の皆様にタップリ磨いて頂きました。」

「犯る事を確り犯らせんと、本人に呪詛巫女修行の良さが判らないでな。」

「はぃ、内の奴が犯る事を確り犯れば、教団の皆に可愛がってもらえます。」


「どれ、後ろを使う前に少しほぐして置こうか。」と教祖が球団幹部の一人にハンドクリームの広口壜を「私(勝也)に手渡せ」と声を掛ける。

教祖の命令で、教団管理部の幹部が、何やら掴(つか)んでやって来た。

「用意周到」と言うか、殺菌力もあるハンドクリームが滑りを良くする為に用意されていて白色の広口クリーム壜が管理部の幹部から渡された。

受け取ると目的は明らかで、葉月のア*ルを使う時に負担をかけないように欲棒に塗って「滑りを良くさせる為」と見た。

「勝也君、これから皆さんに使って頂くア*ルだ。奥さん(葉月)が痛がらないように、このハンドクリームでア*ルに指を入れて良く揉み解してやりなさい。」

私(勝也)が慌てて駆け寄り、広口壜の蓋を緩(ゆる)めて開けるとクリームを指ですくい、葉月のア*ルに塗りながら指を挿し込んで揉み解す。

この教団の修行の場でお披露目女性のア*ルを使う時に、出席メンバー御用達で使うのが殺菌剤入りのハンドクリームだった。

男性の欲棒と女性のア*ルに塗布するのは立会いの女性信者か、お披露目女性(葉月)の亭主(勝也)の役目である。

葉月の方は奇妙な表情で夫がア*ルを揉み解(ほぐ)す指を受けていたが、私(勝也)の方は必死の形相である。

私(勝也)は受け取ったハンドクリームを指ですくい、葉月を伏せさせてア*ルに塗る。

葉月を伏せさせたのは角度の問題で、頭側を少し低めにさせて直腸が真っ直ぐな角度に成ると欲棒をア*ルにスムースに入れられるからである。

葉月のア*ルに塗り付けて残りを自分(勝也)の欲棒に塗り、葉月の尻に取り付いてクリームまみれの欲棒をア*ルに宛がい腰をグイと入れた。

葉月がいきなりア*ルに抽入され、その強烈な刺激に悲鳴を上げる。

「ギャア〜。」

私(勝也)の欲棒にア*ルを貫抜かれた時、歯が噛み合わないほどの痛みを感じたようだが、葉月はその痛みを堪(こら)えてを受け入れる以外にない。

服従を表す誓約(うけい)の性交は、非情で在ってこそ意味があるのだ。

見ると、私の欲棒が生々しく葉月のア*ルに嵌(はま)り込んで抜き挿しされ、葉月の白い肌と対照的な黒褐色の陰茎が濡れ光って見え隠れしている。

無理やりア*ルを貫抜かれ、葉月の脳が強烈な痛みに襲われているのだろう。

これは征服感満点で、私(勝也)としてはヤッタァと言う気分である。

ア*ルに欲棒を捻じ込まれた葉月の脳は、激痛に慌ててドーパミンを噴出、ベーターエンドロフィンを生成する。

脳内麻薬のベーターエンドロフィンで痛みを快感に変えるとともに、痛み伝達物質のセロトニンを出動させて、脳への痛み伝達を阻害する。

制御物質が脳に満たされれば、ア*ルに欲棒をねじ込まれた激痛もア*ルを貫(つらぬ)く欲棒の抜き挿しもビビッと電流のような快感になって葉月の脳へ伝わって行く。

「アフン、アァ、アァ、アァ、アァー、アフン、アゥ、アフン、アゥ、アァー。」

人間を含む生物の機能は便利に発達していて、脳に拠る状況感知により必要な時にはその状態に対応したホルモン物質を生成して送り出し、自らの体調や精神をコントロールする。

音楽ライブ会場で失神する固体が出現したり宗教儀式の場で信者が神掛かる現象も、快楽系快感ホルモン物質ベータ・エンドロフィンが脳内に分泌放出される事に拠って起こる身体的な異変である。

そこら辺りを熟知して、利口に応用するか無知のまま何もしないかで、長い人生々活に結構な差が付くかも知れない。

葉月は流れの中で教団管理部の幹部メンバーに誘導され、自然にマルチタスクSEX(同時実行性交)に入って居た。

マルチSEX(複数性交)は相手を次々に代える性交行為である。

マルチタスクSEX(同時実行性交)は同時に複数が絡む性交行為で、依り刺激的なシチュエーション(状態/情況)を演出できる行為である。

私(勝也)から葉月を受け取った教団管理部の幹部メンバーの一人に後ろからお尻に欲棒を挿し貫かれたまま羽交い絞めに仰向(あおむ)けに転がされる。

葉月はア*ルに抽入された状態で仰向けに股を開いた状態で、今度は別の教団幹部から強引に交合されて所謂前後二本挿し性交の体位を葉月に執(と)らせた。

その二本挿し体位のまま、夫(勝也)の見ている場で葉月は、交合している幹部に両膝を掴(つか)まれて押し広げられた股間に欲棒を抜き挿しされている。

だから、葉月には今更嫌も恥ずかしいも有ったものでは無い。

強烈な刺激に再び叫び声とも善がり声とも言えない雄叫(おたけ)びを挙げ出した葉月の口に、また「まだここが空いている」と三人目の欲棒が押し込まれる。

つまり仕上げに、葉月の口にも強引に捻じ込こんで三穴攻めを完成させ、夫々(それぞれ)が抜き挿し抽送を始めた。

三本目の欲棒を咥えた葉月の頭を三人目の教団幹部が両手で固定し、腰をクィクィと喉の奥まで欲棒を抜き挿しし始めた。

葉月のア*ルはあまり開発されていないのに欲棒で串刺しにされ、行き成り究極の三穴攻めで強引に攻め立てられたのである。

「ウグゥ、ウギャァ、ウギャァアア、アァア、アウゥ〜。」

くぐもった葉月の声が、口に捻じ込まれた欲棒の隙間から洩れている。

下から一人の教団管理部の幹部が腰を使って突き上げ、別の幹部がアナルに抜き挿しをして口には三人目の教団幹部が欲棒をクィクィと突き入れていた。

男二人の欲棒でア*ルと女性器と言う前後を同時に貫かれる三P、それに口まで突き込まれる四Pなど、常識で言えば変態行為そのものである。

葉月には恋愛や遊びでならば到底承服できない行為である。

だが、今度ばかりは教団仲間入りの誓約(うけい)の証明で抗(あらが)う訳には行かず、手馴れた男達に導かれるままに夫(勝也)の前で犯られてしまった。

素っ裸の葉月を教団メンバー三人が「容赦無く可愛がって犯る」と言う事は、爽快な気分である。

葉月が、男三人から同時に攻め立てられるその光景は壮絶だった。

「アウゥ〜、アウゥ〜、アウゥ〜、アウゥ〜。」

葉月は、三人目の教団幹部に口に欲棒をズンズンと突き入れられて涎(よだれ)を垂れ流しながら懸命にシャブらされる。

教団管理部の幹部に股間に欲棒をズンズンと突き入れられ愛液を垂れ流しながら腰をクィクィと使い、アナルも挿し貫かれて欲棒が抜き挿しされている。

私(勝也)の目の前で、葉月が素っ裸で男三人に一度に攻められる激しい陵辱(りようじょく)を受けている。

俗に好事家の間で四Pと呼ばれるプレィだが、これまで三穴同時性交など経験が無い葉月には激しそうだ。

「ヒーッ、オマ*コ気持ち良い。」

恥も外聞も忘れた葉月の悶絶するような犯られ声が、けたたましく続いている。


目の前で葉月が三穴攻めを受けて善がっている。

女性は不思議な生き物だ。

持久力に優れ、これだけの人数を相手に修行を熟(こ)なしている。


輪姦(まわし)が始まってしまえば、泣こうが喚(わめ)こうが参加者全員を満足させるまでは葉月の肉体(からだ)を離す事は無い。

正直、葉月にとっては感情込めた性交では無いから、次々と襲って来る男達は生身の大人の玩具(おとなのおもちゃ)みたいなもので、互いに愛だ恋だの感情の発露などは無い。

葉月の気分も、こうなると大きなスポーツ試合に奮闘しているアスリート気分で、性交も一種の勝負である。

まだ連続性交へ若干の抵抗心が残る輪姦プレィの出だしはともかく、犯り出して感じ始めて来れば女性の性体感は現金なものである。

葉月も、次々と入れ替わる男達の欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を浮かせ、口をパクつかせて善がり声を挙げ、涎(よだれ)を垂(た)らしながらリズム良く尻を振る。

その振られる尻の股間で抜き挿しされる肉花弁と欲棒の隙間から、もう何人分かの溜まった愛液が、押し出されて葉月の白い太腿(ふともも)を伝い滴(したた)って床に落ちている。

この輪姦(まわし)で良い様に弄(もてあそ)ばれ、嬲(なぶ)られてメチャメチャに犯られるのを体験すると、その快感に溺れない方が不思議なくらいの威力がある。

その快感体験で葉月が、今までとは違う考え方を遊びの性交に対してしても、それは自然な反応かも知れない。

元々このお愉しみのメインイベントを仕掛けたのは夫の勝也で、葉月も半ばそれ(輪姦)を承諾(しょうだく)した様なものである。

そうなると、どんなに卑猥(ひわい)な姿で性交に応じようが、夫の勝也に嫉妬される謂(いわ)れも無い。

夫に嫉妬される謂(いわ)れが無いのなら、妻にとっては非日常の世界でストレスの発散が出来る「好適環境を手に入れた」と言う事である。

性交のシエアリング(共同所有)と言う新たな価値を得られるのだから、それに折り合いを着ける事が出来ない人間は不幸である。

生き方は無数に在り、利口な人間なら「何事も、気持ちを切り替えれば答えも変わる」と言うものなのだ。

葉月の愛液に濡れる二枚の肉花弁の間で、善がり声とリズム良い腰の動きと伴に濡れ光る陰茎が、葉月の内壁・海綿体の粘膜を刺激的に擦(こす)りながら見え隠れしている。

始まってしまえば葉月も生身の女性で、股間を貫いた欲棒が生々しく抜き挿しされれば、相手の如何(いかん)に囚われず終わらない快感がある。

だから、次々と入れ替わる相手に貫かれて受け腰を使い、女性の素(す)も露(あらわ)に性交快感を味わい、貪欲(どんよく)にイキ続けて見せるしかない。


葉月の健闘は長々と続き、修行場には葉月の善がり声が、何時までも響いている。

私(勝也)の心配を他所(よそ)に、私(勝也)の密かな愛しさの思いの胸を焦がしながら。

途中の慰みで葉月にさせたまんぐり返しの人間生け花の情景は、鮮烈に目に焼きついた。

葉月は私(勝也)の想像以上に進歩していたのだ。



雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。

しかし、勿論男女の仲はデンジャラス(危険)で、未婚・既婚を選ばず買い食い(売春)にも拾い食い(浮気)にもリスクがある。

それを踏まえて私(勝也)が想うに、人生・・・劇的に中身が濃い方が良い。

性交だって、人生の最も良い一時期しか愉しめないのだから、中身が濃い性交遊びを夫婦揃って遊ぶ方が良いに決まっている。

泡を吹くほどの「濃い性交感」を葉月が得るには、こうした浮気とは呼べないマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が理想的である。

結論を出すには想像より経験が必要で、この濃厚なマルチSEX(複数性交)を何度か熟(こ)なすと、葉月の女体も馴れて来て適度に感度の良い成熟を見せる。

それに女性のヒステリーには性感マッサージ治療や性感バイブレーター治療が有効で、実際に医療行為として医師に施術されている。

つまり女性のストレスの解消の良処置は「性的な刺激」と言う事になり、男性のストレスの解消も同様の「性的な刺激」と言う事になる。

どうせ性交の動機付けに、金だったり地位だったりと、とにかく世の中打算が働く場合も多いのだから、要は葉月本人が必要と判断すれば良いだけの事である。

それならば、わざわざ医療行為として施術されなくても、ストレス解消の問題解決の為に夫婦合意で中身が濃い遊びを犯れば良い。

まぁ考えて見れば、特定の相手と工夫(くふう)もしない定食の性交をしていては、新しさが伺えない日常のマンネリ(形式・様式主義)である。

つまり、多様な相手と多様な非日常の性交を犯らなければ、女性としてのブラッシュアップ(磨き上げ)は望めない。

人間は、現実と向き合って修正しながら生きるもので、本人も自分の気持ちに決定的なケリを着ける為に、こう言う非日常の時間が必要だった。

但し「だから」と言って、「世間に良く在る」と言う夫婦交換の、「別室でコソコソとプレィする」なんて言うのは間違いの邪道である。

あくまでも他人との性交は感情を伴わない遊びのプレィだから、配偶者や恋人の視野の中で行われるべき物である。

これは冷静に考えて、洒落の乗りで犯る遊びの性交だから、エキシビション(公開実演、模範試合、特別実演)で無ければ成らないのだ。

この葉月が、どの時点で腹を括(くく)ったのかは判らない。

しかし今、葉月は他人前(ひとまえ)で素っ裸の裸身を躍動させながら、相手構わずの性交に欲棒を咥(くわ)えたままの腰を振って善がり声を挙げながら興じている。

葉月の気分も、こうなると大きなスポーツ試合に奮闘しているアスリート気分で、性交も一種の勝負である。

まだ連続性交へ若干の抵抗心が残る輪姦プレィの出だしはともかく、犯り出して脳が感じ始めて来れば女性の性体感は現金なものである。

葉月も、次々と入れ替わる男達の欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を浮かせ、口をパクつかせて善がり声を挙げ、涎(よだれ)を垂(た)らしながらリズム良く尻を振る。

その振られる尻の股間で、花弁が捩(よじ)れて中に潜り込むのも構わず、グィグィと欲棒に膣中をディスターブ(掻き回す)され、生々しく抜き挿しされる。

葉月の捩(よじ)れる肉花弁と欲棒の隙間から、もう何人分かの溜まった愛液が、押し出されて溢(あふ)れ、白い太腿(ふともも)を伝い滴(したた)って床に落ちている。


まぁ貞操観念から言えば多少の抵抗感は在ったかも知れないが、それでも乗りかかった船に、葉月には今更尻尾(シッポ)を巻いて降りられない意地がある。

言わば夫の私(勝也)が想うほど、「葉月の懐(ふところ)は浅くないし、腹も据(す)わっている」と言う事だ。

葉月が、段々私(勝也)の理想の妻に近付いている。


まったく面目無(めんぼくな)い事だが、男の性(さが)なんて見っとも無い程正直で単純である。

勝也は愛妻が輪姦(まわ)されているのを観て想わず自分の欲棒を硬くし、スラックスにテントを張った。

それを「あらお元気だわ」と特別信者の女性に笑いながら見咎められた。

「いや〜面目ない。」

「良いのですよ。だいたい殿方の反応は同じですから。」

「それなら安心だが、この親不孝息子(欲棒)の始末が困った。」

見咎めた特別信者の女性に、「アラアラ、どうしようも無い親不孝息子ね。今、お口で良い子良い子してあげますからね」と応じられた。

特別信者仲間の女性にスラックスのファスナーを開けられ、欲棒をつまみ出されてパクリと咥えられ、ウゴウゴと気持ち良くシャブられる始末だった。

基本的な性別特性として、女性は「触覚」で感じ男性は「視覚」で感じるから、この愛妻が輪姦(まわ)されのを観ながらシャブらせる状況は極上のプレィの一つである。

この場面で特別信者仲間の女性がこう言うおシャブり行動に出るのは、プレィ経験豊富で男性の性(さが)を心得ているからである。


勿論、犯られて居る葉月には、当面の相手を早くイカせるのが先決で、それを夫の勝也が見ている何んて事を考える余裕など無い。

正直愛妻が必死だからこそ、他人妻(ひとづま)にシャブらせる快感に浸(ひた)りながら、他人男(ひと)が犯る愛妻への陵辱を観るのは、癖に成る様な贅沢な遊びである。

この非日常が舞台の「奔放な性交遊び」が夫婦合意の上であれば、夫婦間のマンネリを埋めて余りある知恵の結晶かも知れない。

つまり勝也は、愛妻が犯られて愛液塗(まみ)れ汗塗(まみ)れで受け腰を使いながら善がり、身悶えているのを観て他人のポルノを見る様に興奮させられたのだ。

葉月にしてみれば輪姦(まわし)は想像以上にキツかったが、こんな事でノンバメてゲームオーバーにでもなれば、葉月の奇妙なプライドが赦せない。

しかしそれでも、輪姦(まわし)の究極の快感を一度も味遭わない女性の人生など、勿体無(もったいな)い人生かも知れない魅力が、この遊びに在りそうだった。


散々に肉体(からだ)で快感反応した後で、犯られ終わって呆然と抜け殻みたくなった葉月が、精魂尽きた風情で素っ裸のまま大股開きで修行場の床に転がっている。

激しい運動量に教団の修行場で伸びてしまった素っ裸の葉月を、教団管理部の幹部が両脇を抱えて寝所まで運んだ。

同じ相手のリピート(繰り返し/再性交)も在ったから、葉月は続け様(さま)に、いったい何本の欲棒に肉体(からだ)の中心を貫抜かれ、犯られ責められた事か。

二時間に渡る壮絶な輪姦(まわし)の激戦の官能の時間が過ぎた後は、心地良い疲労感と伴に葉月の股間にはまだ何か突き刺さっているような感覚が残っていた。

姦淫ムードの心地良い気分を煽(あお)り、輪姦(まわし)を熟(こな)してあれだけ大勢の男達に犯られ続けイカされ続けたのだから、今はその余韻に浸(ひた)って床にしどけなく転がるこれも仕方が無い。


この場の呪修行巫女・葉月が幹部男子信者に輪姦(まわ)され終え、半ば気を失う様に全裸のまま脚を広げてノビてしまう。

するとその後は、その場に居た女性信者が衣服を全て脱ぎ棄て、葉月を攻め終えて抜き身をぶら下げたままの幹部男子信者と思い思いの大乱交が始まる。

ここからは、葉月の修行輪姦を観ながら待ちに待った女性信者達の発散の場で、この時ばかりは妖艶な痴女となって快感を貪り狂う。

幹部男子信者との善がり声、喘(あえ)ぎ声の組つ解れつ(くんつほぐれつ)汗塗(あせまみ)れの壮観な肉弾戦が、辺り一面に繰り広げられる。

互いに相手とは、一度や二度の性交経験があるから、プレィの流れはスムースで、移動しながらの豪快な者も、一度に多数と複数プレィを犯る剛の者も結構いる。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

第七話(教団の教義・真実)
◆◇◆◇◆第七話(教団の教義・真実)◆◇◆◇◆◇

この宗教が提唱しているのは、実は遠く鎌倉室町時代にかけて勢力を有していた真言密教を取り入れて、教義としていたからです。

鎌倉時代より少し前、真言宗の密教で、「真言立川流」を始めた人物が居ました。

その教義は、遠く印度の仏教に遡ります。

印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼(だきに)天と言う魔女が、大日如来(だいにちにょらい)の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがあります。

此れが日本では、後に稲荷神社に成るのです。

出自(しゅつじ)が仏教なのに神社に化ける所が凡そ日本的知恵ではありますが、後述する理由で、「現世利益」の為に神社の様式に変えざるを得なかったのです。

「茶吉尼(だきに)天」=「稲荷神社」は財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗(しにせ)の商家の奥庭に、祭られたりしていました。

つまり、生きている人々を幸せにしてくれる仏様(神様?)で、そのダキニ天が、真言立川流の御本尊なのです。

ダキニ天の法力を高める秘法が、密教の男女和合の儀式と、経典にあります。

人々を極楽へ導くダキニ天の法力を高めるには、日常を超えた激しい男女和合のエネルギーがいるのです。

従って、真言密教立川流では、この男女和合の乱交輪姦儀式が法力将来の秘法として寺の本殿で厳かに執り行われていました。

この激しい男女和合の教義を取り入れた事が、加賀美家が信心するこの新興宗教の基となり、原始性本能の煩悩に悩む人々の支持を得、密かに信者を集め増やしています。

真言とは呼んで字のごとく「真理を言ずる」と言う事なのです。

およそ理性と性欲では司る脳の部分が違います。

だからこそ人間は原始性本能の煩悩に悩まされるのです。

従って全ての人類がこの葛藤に悩まされ、中には犯罪さえ引起します。

その性欲を肯定し実践する所に、信者が解放される真の救いがあるのです。

日本では室町時代以後、呪いの強い隠避(淫乱)な邪教とされているが、ヒンズー教の聖(性)典カーマ・スートラに影響された印度仏教や、ネパール、チベットなどのラマ教では、こうした性的教えは、仏法と矛盾しないのです。

性は生きる活力の源、知恵の元と理解されているのです。

弘法大師(空海)、伝教(でんぎょう)大師達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのです。

つまり、初期の仏教は「信じればご利益がある」と言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、社会合意の道徳的な目的から「悪行をつむと地獄に落ちると言う死後の利益に変わって行った」と言うのです。

その大きな切掛けは、歴史の中ではさして古い物ではなく、ズット下って高々三百数十年前の徳川政権成立の頃の事です。

当時神社と寺院の宗教的勢力争いが絶えなかった為、政権安定の為に「神仏混合政策」を取って、幕府主導で分業化させました。

すなわち、生きている間は神社の担当であり、神様にお賽銭でご利益を願います。

お寺のお布施は、仏様(死者)を媒介にお寺にもたらされる物です。

身内の弔いの為にお布施をする様になったのはそんな訳で、「日本仏教界の苦肉の作」と言えない事も無いのです。

江戸時代以後、死んでからの心の拠り所を寺院が担当した事から、「現世利益」は信者に言難くなりました。

それで、「死後の利益」を主に説く様になります。

つまり、生前悪い事をすると、死後「地獄に落ちる仏罰が下る」と言うのです。

けして悪い教えではありませんが、経典から向いているものを選び出し、手を加えて後で付け足した教えなのです。

「姦淫」と言う性を良い事としない概念も後付けで、元々の仏教では「性行為は命を繋ぐ為の儀式で、良い事を招く」とされていました。

それに宗教が違う儒教の教えを混合させて、全く違う宗教観が足利幕府の成立前後に完成された。

従って、形(外観)は似ているが、「日本の仏教は政治の都合によって本来の教えでは無い独特の進化を遂げた」と言って過言ではないのです。

良く言えば仏教は新たな教義に活路を見出した。

悪く言えば「死後の不安を掻き立てて、お布施を稼いでいる」と言う罰当たりな表現も考えられるのです。

本来の仏教は祈りによる「現世利益」で、まずは手っ取り早く、「長命や裕福の願い」と言った幸せを願う物だったのです。

この「現世利益」については、現在の中国式寺院にその面影を見ます。

お金(札)に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様先祖に祈ります。

本来仏教で言う所の「極楽往生」は、言うまでもなく死んでから先の事ではありません。

あくまでも「楽しい人生を送り死んで行きたい」と言う庶民の素朴な「現世利益の願い」なのです。

庶民の願いなどささやかな物で、ストレートに言ってしまえば、その中に気持ち良い性行為をする楽しみも極楽として含まれのです。

そしてそれは、あらゆるシュチェーションで、数多く楽しみたいのが庶民の本音です。


そうした庶民の生きがいを取り入れた教えが、真言宗の密教として伝えられ、男女和合に拠る「現世利益招来の秘法」、真言密教・立川流が成立したのです。

「罰当たり」と言われそうですが、それを捻じ曲げて、禁欲とお布施を強いるから、今では「坊主は信用されなくなった」と教祖様は言います。

だいたい、その辺の寺の僧侶自身がどう見ても「現世利益」を追い求めていて、今の日本式仏教には説得力が無いのです。

理屈はともかく、「本質がぶれている」から、現代の若者達には肌に馴染まず、通じない宗教になりつつあるのです。

そもそも、弘法大師(空海)が日本にもたらした真言密教の教えでは、男女の性的和合は肯定されていました。

理趣経(りしゅきょう)によると、男女の愛欲、性の快楽は「菩薩の境地」とあります。

この理趣経は、正式には「般若波羅蜜多理趣本(品・ぼん)」と言う経典で、いかがわしいものではありません。

真言立川流は此れを主な経典として、多くの信者を集め、南北朝並立時代から室町初期にかけては政局にかかわるほどの力を有したのです。

南朝・後醍醐天皇の軍師と言われた京都醍醐寺の僧正文観(もんかん)は真言密教の提唱者でありました。

北朝・持明院統派と南朝・醍醐寺統派は同じ真言宗で覇権を争い、南朝の衰退と供に醍醐寺統派も衰退、戒律の厳しい持明院統派の教義が全国的に広がって「女犯」なる戒律の教えが広がって行ったのです。

「菩薩の慈悲の境地」を何時の間にか本質から変えてしまったのも後世徳川幕府と結びついた禁欲主義仏教界は儒教の精神を取り入れたので「求められれば与える」と言う優しい「菩薩の慈悲」は、ただのふしだら女と定義付けられてしまったのです。

千手観音の原型は、インドの性典、カーマスートラの壁画がモデルであり、多くの男性を一度に受け入れる皇女の姿が仏法の慈悲深い菩薩になったと言う説を、持明院統派は握り潰して今日に到っています。

昔は春をひさいで居ても心優しい女性は居ました。

今の女性は自分の主張だけで、そんな気使いはありません。

貧しさ故、或いは観掛けが悪い故、「相手に恵まれない」などの不幸な者は、菩薩に見捨てられて、性的欲求のはけ口がおかしな方向に変わらざるを得ないのです。

此れは犯罪を誘発するかも知れません。

本来、男女の交合は尊い物だったのです。

男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛(法力)の為のエネルギーの源が男女交合であり、密教の理念としていました。

絶頂(イク瞬間)感が密教で言う「無我の境地」で、法力のパワーの「源」と考えられています。

つまり現世利益の一つとして、素直に「性感の幸福も有難い事」と、されていたのです。

その理念は、けして浮ついた邪教ではありません。

至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、間違いなく存在しました。

平和と愛、五穀豊穣の実り、その全てを激しい男女和合の秘法、つまり「未来に繋ぐ生命力で呼び寄せよう」と言うものです。

それはそうでしょう、武器を携えて破壊と殺戮に行くよりよほど良いと思いませんか?

私(葉月)が嫁いだ加賀美家の信仰する教団はその真言密教の「現世利益の理念」を教義として復活させていました。

だから男女和合の儀式や修行が教団内で行われている事に教義的な矛盾はなく、私(葉月)が嫁として修行をしていても不思議は無いのです。

加賀美家の嫁としては、早く解脱修行を達成して、「法力祈願」のお相手が出来る呪詛巫女にならねば成りません。

私(葉月)は、その教えに心酔した訳ではありませんが理論的には理解出来ました。

ベトナム戦争当時、ジョンレノン・ヨーコ夫妻が「公開ベットイン」による反戦抗議をしたように、男女の和合は平和と安定のシンボルだからです。

従って般若心経の読経の中、激しい男女の和合で法力を高める現世利益(幸せの追求)がこの宗派の教義であります。

この幹部相手の輪姦男女和合の修行は、私(葉月)に毎週一回五年間続き、終わると婦人部の上級幹部になります。

激しい輪姦修行と引き換えに、「呪詛(法力)巫女」と言う、資格が与えられます。

此れは完全に教義をマスターして、実践も出来るように成った女性幹部信者を「解脱(げだつ)開眼」したと言い、その女性信者に与えられます。

「呪詛(法力)巫女」になると、法力が身に付き、和合しながら繁栄と幸福の祈願が出来るようになります。

私(葉月)の加賀美の家の義母も十年程昔に修行をなし終えているそうです。

それで、読めてきました。

加賀美家の繁栄と幸福を願う呪詛(法力)は長いこと義母が担って実践し、大きく事業を発展して来ました。

義母が呪詛(法力)巫女として激しい輪姦和合を実践して「極楽浄土」を招来し、そのパワーが義父の静山に乗り移って加賀美家繁栄を支えてきました。

それを私(葉月)に引き継がせる為に、何としても浄化祈願の修行をさせ、呪詛(法力)巫女にさせねば成らないのです。

私(葉月)があえて納得しているのは、この修行が、「好きだ、嫌いだ」の好みや相手選別の個人感情が排除され、個人の意思が入り込まない無差別和合(輪姦)の処なのです。

これは、結婚相手と言う人生のパートナーを裏切る「浮気」とは、精神的にまったく異質のものなのです。

つまり「好き嫌いの気持ち」を介在させない肉体的喜び追求するもので、無差別和合がその証であり、その点「潔い宗教儀式」と思えない事もありません。

この教団、若い女性信者には挺身布教隊と言う、某国の「喜び組」みたいな組織があり、色々なイベントで色気を武器に若い男性信者獲得に活躍しています。

通常はいくら若くて美人でも教祖の修行は受けられない決まりです。

日頃の布教活動で、自分が獲得した信者数が多くなると、初めて幹部になる修行が受けられるようになります。

冷静に考えれば、まるでマルチ商法のランクを見る様な話ではあります。

それ故入信の勧誘は熱心なのですが、私(葉月)の場合はそれを手っ取り早く多額の寄付で補った事になります。

この辺りの物差しが世間と違う処で、わざわざ成績を上げるか金を積む事で、ご褒美に「やっと教祖に陵辱していただく」と言う珍妙な事がまかり通るのが、宗教の恐ろしい所であります。

周りが冷静に見ると途轍もなく異常な事ですが、私(葉月)がそれを受け入れたのは、今回の事を「家族の素朴な信仰」と捕らえる事にしたからです。

信じられないかも知れないが、信じてしまった信者は盲目的にその教えを信じます。

信仰に寄る自爆テロだってそんなものでしょう。

たまたまこの宗教の幹部修行(無差別和合)やその後の祈願和合は、私(葉月)にとって常識外のものでしたが、嫁いだ一家がそうであれば、今後の家庭内の平和維持の為に受け入れるのも選択肢の一つだったのです。

私(葉月)もまた、般若心経の読経の中、和やかに陵辱され続ける平和の道を選んだのです。

近頃、私(葉月)は思っています。

宗教や倫理は価値観を共有すればさしたる問題はなくなるのです。

修行は、受けて見ると存外に辛くはありません。

あの栄養剤を注射(うち)さえすれば、どんな事でも、幾らでも出来ます。

およそ男女の原始性本能は、男は「見たい、犯りたい。」であり、女は「見せたい、犯られたい。」が基本で、此れに何か自分を騙す理由が付けば、刺激的な生活は、それなりに魅力的な人生かも知れないのです。

理性以外の処で、原始性本能は私(葉月)にも確実に存在しているのですから・・・・。

教団の教義を受け入れて、お仕着せの倫理観から突き抜けてしまえば、無差別和合の修行もそれなりに楽しめます。

まだ教員の仕事を続けていますが、そちらのもろもろのストレスは、教団の週に一度の輪姦修行で救われ、確かにホッとするほど発散出来ます。

加賀美家の勝也、義理の両親とも、この事を除けばごく普通で、日頃は穏やかに優しく暮らしていて、世間との摩擦は一切ありません。

むしろ社会人として立派な暮らしぶりで、私(葉月)にも優しいのです。

戒律の中で、日常生活との摩擦なき共存に対する教えを説く事に特に力を入れているからです。

つまり彼らにとって、私(葉月)に課された輪姦陵辱は、あくまでも人間として立派に生きる為の宗教儀式で、私が此れを受け入れれば、後は平穏な主婦生活が送れるのです。

そう信じてしまえば、波風立たずに幸せに暮らせるのです。



◆夜鳴く蝉・勝也

裏七話教団の教義・真実

◆◇◆◇◆裏七話(教団の教義・真実)◆◇◆◇◆◇

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などの遊びの性交も多人数相手ではかなりの運動量である。

おまけにこの修行環境では裸体を始終他人に見られる事を意識しているから葉月の肉体(からだ)が適度に美しく引き締まり、いっそう魅力的になった。

確かに現在の家庭とか社会性に鑑みると、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などトンデモナイ事かも知れない。

しかし教団に言わせれば、そのルールは人間生活の打算の中で「左脳の利(都合)」的に徐々に醸成されたもので、実は唯一の正解とは言えない。

自然に於ける人間は群れを作る生き物で、本来は「群れ婚」が一番本能に近く脳に理想的な婚姻(性交環境)状態である。

つまり人間には、「左脳の利(都合)」とは対極上に「右脳の感性」と言う別の一面が存在し、その二面性をどうコントロールするかが課題だった。

その「右脳の感性」の部分を埋め合わせたのがこの教団の教祖が提唱して信仰で、そのストレス発散の癒し効果が信者を集めたのである。


解脱開眼修行(げだつかいがんしゅぎょう)の場で葉月に課せられた事は、コンプライアンス(要求や命令への服従)である。

だから葉月は、荒行で多くの特別信者様達に輪姦(まわ)されて一気に攻め立てられ、マーキング(烙印や標識を付ける行為)されてしまう事になる。

兆(きざ)しは在った。

この話を勝也から持ち込まれた時、何故か「犯られて見たい」と内心トキメク気持ちが在った筈だ。

人類の学びの一歩は「経験」で、「経験」が蓄積されて学問に成ったのであるから、「経験」もせずに物事をとやかく言う事には違和感を感じる。

勿論、合法が前提であるが、経験学的に学ぶ事にはリアリティー(現実)がある。

世の批判はあるだろうが、簡単に言ってしまえば「知りもしないのに建前で物を言うな」と言う事である。


腹を決めれば簡単な事で、葉月本人が本能で感じて「そう在る事」を望めば、全ての拘(こだわ)りから開放されるのだ。

全裸で修行場に曳き出された葉月は、何か想像とは違う奇妙な気分を味わって戸惑って居た。

何度も言うが、男性の視覚本能と女性の露出本能は天の恵みで、それを同時に満足させる手段がセックス・セッション(乱交)である。

セックス・セッション(乱交)は、外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い非日常の性行為だからこそ興奮するのだ。

まぁ女性の性癖は露出で、現金なものだが卑猥(ひわい)な全裸体を修行場で披露しただけで葉月の呼吸が興奮で荒くなり、ハァハァと荒い息使いが口から洩れ始めている。

葉月は適応力を発揮してもう脳の別のどこかの引出しを開け、子宮が熱く感じて被虐(ひぎゃく)の期待で興奮し、既に股間からは本気汁が滴(したた)り流れて居るのだ。

肝心の目的は葉月の誓約(うけい)の証明で、男性メンバーが勃起しなければ肝心の輪姦(まわし)が出来ない。

男性を興奮させる怪しいビジュアル(視覚感)も必要で、そのムード創りは、輪姦(まわし)を課せられた葉月本人の責任に於いて為される。

つまり葉月の素っ裸に剥(む)かれた肉体(からだ)と限りなく卑猥(ひわい)な行為で表現させられる事になる。

勢い開眼修行は、輪姦(まわ)される葉月本人も心得て「卑猥(ひわい)に卑猥(ひわい)に」とムードを創って行く事になるのである。

教団修行場での荒行プレィは社会的に見て闇から闇に葬るのが常識で、当事者だけの秘密である。

つまりこの信者仲間は一蓮托生なのだから、葉月は夫にも見せた事が無い女性(おんな)の全てを曝(さら)け出し、特別信者様に披露する事を要求される。

仲間内信者だけの修行事だから、こんな事は恥ずかしくはない。

葉月はそう自分に言い聞かせた。

そう言う判断が出来るのは常識に照らせば凄(すご)い事かも知れないが、葉月はそれを受け入れる決断をして、今、全裸で陵辱(りょうじょく)の場に曳き出された。

歩く度に、葉月の尻肉の双丘が交互にモコモコと動いて、その中心部の生々しい女の部品が人目を誘っている

「さぁもう甘えない。貴女は誰にでも犯られる雌犬よ。」

葉月は加賀美の義母からここ(修行道場)で上手く犯るコツはとにかく「自(みずか)ら卑猥に卑猥に行動する事だ」とアドバイスされている。

「良い事、ここ(修行場)で上手く犯るコツはとにかく自(みずか)ら卑猥(ひわい)に卑猥に行動する事よ。」

「はぃお義母様、判りました。」

葉月も、どっち道他人(ひと)前で恥ずかしい事を犯るのだから、度胸を決めたら開き直って大胆に卑猥に行動すれば間違いはない。


葉月究極の陵辱劇、「和合の荒修行」が始まった。

剥(む)き身の欲棒をブラ下げた男性信者達に取り囲まれた時、葉月は一瞬恐怖の表情をしたが、そこまでだった。

「こんな・・・アァ、アァ、アァ、・・」

腰をクィクィと使い、抜き挿しを続けている大股開きの股座(またぐら)に集まる多くの突き刺さる様な他人の視線を意識して、これは和合解脱(わごうげだつ)の修行である。

欲棒を挿し込まれた生々しい股座(またぐら)の恥部を大股開きに晒(さら)して、葉月はクィクィと腰を使い、善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。

この荒行が始まってしまえば、もう考える暇など葉月には無い。

「ギャアァ〜ン、ギャアァ〜ン、ギャアァ〜ン。」

そしてもぅ、夢中で犯られるだけで葉月には周りなど見えない。

はしたない事に、夫相手でも上げなかったもの凄い善がり声を、知らず知らずに上げていた。

気が付くとそこに本能のままに快感を貪(むさぼ)り、腰を使ってうごめく自分がいた。

今まで経験しなかった興奮と刺激に襲われ、襲い来る快感に悶絶しながら欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を使う。

その予期せぬ自らの反応に、葉月は己の性癖に気付いて内心驚き慌てて居た。

何だかんだ言っても本能は正直で、無我夢中の内にメチャメチャに信者達に輪姦(まわ)される。

その先は無我夢中の中で肉体(からだ)を操られながら犯され続けるに精一杯で、葉月に恐怖を味わっている暇(ひま)さえない。

男達に続けて犯られれば、例え他人前(ひとまえ)で在っても肉体の反応の方は「理性(左脳域)」だけでは抑えられない。

だから葉月は、男達の激しい抜き挿しに耐え切れず、途中からタガが外れて欲棒に串刺しにされたまま腰を浮かして物凄い反応で喘(あえ)ぎ善がる。

その輪姦修行の内に、快感の桃源郷に入り込んで抜き挿しされる欲棒を貪(む)るように夢中で受け腰を使っていた。

普通の女性・葉月が、諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せで「他人前(ひとまえ)で大勢と性交して見せる」と言う荒行である。

呼吸が荒くなる程の葉月の羞恥心が、相手が次々に入れ替わりエンドレスに気持ち良い輪姦(まわし)の洗礼で変化し、ドMの喜びを知った瞬間だった。

終盤にさしかかると、流石(さすが)の葉月も息切れして「ムフムフ」と小さく善がるばかりに反応が小さく、受け腰の動きも少なくなる。

まぁ、これだけの人数を相手に続けて性交すれば、葉月が体力を消耗しても仕方が無いが、それでも順番待ちして居た連中は順番が廻って来れば息切れした葉月を容赦無く攻め立てている。

葉月は次々と弄(もてあそ)ばれながら、夫との性行為などと比べ物に成らない興奮と刺激が自分にもたらされて、受け腰を使いながら悶絶する。

一人終われば三つ指ついて「有難う御座いました。」と礼を言い、また次の男に股を開く。

「葉月さん、ここ(教団修行場)はこう言う所よ、もう観念しなさいね。」

加賀美の義母が、葉月の耳元で囁(ささや)いている。

肉体を用いた表現形態、そして遂行能力や性能をパホーマンスと言う。

入信お披露目の荒行の場では、見る者を勃起させるビジュアル(視覚感)を駆使したパホーマンスが要求される。

つまり、こうした群れ(信仰集団)に加わる為の乱交お披露目のヒロインには、最高の性交パホーマンスが施(ほどこ)される訳だ。

群れに対する無条件のロイヤリティ(忠誠)を、葉月に肉体(からだ)で証明させるのが、お披露目荒行の場の輪姦目的である。

教団管理部の幹部は教祖の直伝のS(サド)風の役割を心得ていて、そのリアルタイムの調教を葉月に容赦なく行なうのだった。


教団幹部にレクチャーアされたが、輪姦(まわ)しを犯られ始めてしまえば、自然の感性に上手く乗るのがこの場に置かれた葉月の取るべき秘訣である。

折角同じ輪姦(まわ)されるにしても、生意気では価値は半減で犯られ損になるから、控え目に謙虚な態度で輪姦(まわ)しに臨まなければ葉月の誠意は通じない。

例えヒィヒィ言わされても何事も明るく自然に受け入れ、自然の感性に上手く乗って限りなく淫乱に振る舞う事である。

ここに到って、もう葉月にはネチョネチョ、グチョズチョ、ドロドロに弄(なぶ)り倒される陵辱が始まっていた。

新参の入信荒行での輪姦(まわし)では、メイン・プレィヤーの葉月にただ犯られている事は許されない。

次から次と入れ替わる相手を満足させるそれぞれへの奉仕が要求されて、素っ裸で奮闘する葉月の姿を私(勝也)は長々と見せ付けられる事になる。


「落ちる」は女性の最も基本の感性である。

葉月の心境を言うと、修行を犯る前は不安だったが犯ってしまうと何故か安心した。

開き直りかも知れないがそこは明確で、犯ってしまえばこんな事は別に大した事ではない気に成る。

大事なのは、精神的な夫との結び付きだった。

「アァ〜ン、アァ〜ン、アァ〜ン、アァ〜ン。オ、オマ*コ気持ち良い、アァ、オマ*コ気持ち良い。」


葉月は生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして、仮面の下の素顔を暴(あば)き出されるように荒い呼吸をしながら壮絶に攻めたてられている。

しかしこれはあくまでも葉月には非日常の時間で、日常の生活はそれが普通だが平凡でこんなスリリングな遊びの時間などでは無い。

勿論そんな卑猥な時間を葉月が過ごしているなど、日常生活は到って普通だから世間は知りもしない。

つまりこれは、葉月の身に時たまに訪れる遊びの時間で、何も大袈裟(おおげさ)に考える必要は無いのだ。



加賀美葉月は、股間に欲棒を咥(くわ)えて気持ち良さそうに受け腰を使い、男のリズム好い抜き挿しの腰使いとのやりとりを愉しんでいる。

初めての時は戸惑いも在ったが、葉月は教団の解脱修行と言うソーシャルセックス(社交的な性交)を一度経験して、今は葉月自身が犯る事に好感触の自信も確信もした。

自信も確信も「確りとモノにした」から、葉月の生々しく卑猥(ひわい)な性交ガチ・バトルは裸身を躍(おど)らせながらも安定した乗り切りを観せて次々に熟(こ)なし続けている。


確かに葉月は、セックスショー化してギャラリーに観せながら犯る過激で破廉恥なソーシャルセックス(社交的な性交)を行っている。

そしてそれが、今までの葉月の貞操観念の意識からすれば、世間の解釈ではこのソーシャルセックス(社交的な性交)は「充分過度に破廉恥」で在る事は葉月も承知している。

しかしその「破廉恥」な性交遊びを、葉月がアクティブ(活動的・積極的)に犯れるには、それなりに確りした理由や納得出来る自然な感情がある。

「破廉恥」な遊びの性交は、元を正せば非繁殖目的の「擬似生殖行為」で在って、他の動物のように繁殖期を持たない「年中発情の人間種独特のもの」である。

つまり、生殖目的では無い「擬似生殖行為」そのものが、人間の本質として単に「快感を愉しむ目的の遊び」に他ならない。

そして「年中発情の人間種の本能」が快感の満足を求めて遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそ、あらゆる性癖が発生して次第にその内容が過激にエスカレートする。

その性癖を満足させるソーシャルセックス(社交的な性交)を行っている事は、「他人(ひと)に言えない破廉恥な御乱行」と言えばその通りだ。

だが、最も人間らしい本能なのだから、例え「破廉恥な行為」であろうとも「合意の上の遊び」ならば、そんなものは公表しないで個々に愉しめばそれで良い。

そして公表されない「破廉恥な御乱行」は秘すべきものとして隠されが、実は何処にも在るエピソードで、本当は然して珍しくは無い。

しかしこう言う事は、個人の想像だけで「破廉恥」と批判して良い物だろうか、ソーシャルセックス(社交的な性交)の経験を通じて初めて綺麗事の疑惑を感じる。

つまりその「破廉恥」を、然(さ)して遊びを経験しない連中が、善人振って表向きの綺麗事だけで批判する。

どうせそう言う事なら、葉月は大袈裟(おおげさ)に考えずに痴女に成り切ってソーシャルセックス(社交的な性交)を愉しめば、人生はまんざら悪く無い。


そもそも現代の倫理観では、乱倫(乱交)や輪姦が「非倫理的」だと言う印象が強いが、本来の人類は「群れて生きる」が基本で、婚姻関係も「群れ婚」だった。

そして人類の生殖スタイルの基本は、雌に対して多くの雄が群がる輪姦で、その性交の結果多くの精子から最も優秀な精子が子宮に定着する子孫選別システムだった。

つまり人間の生物学的な婚姻関係の正しくは「群れ婚」で、天が与えた自然本能としての性交の基本は乱倫(乱交)や輪姦だった。

そしてその乱倫(乱交)や輪姦の「群れ婚実践」は、日本の場合、平安期から形を「呼ばう=夜這い」に変えて昭和の大戦終戦まで、村落地域で永く続いた。

即ち人類は、現代の環境条件である「夫婦つがいの子育て条件システム」を思考から除外すれば、性的興奮だけで性交は充分可能で、女性の肉体的構造と性感もそれが可能に出来ている。

だからこそ人類は、日常のストレスを本能的に消化する為の非日常の部分で、遊びの性交は必要かも知れない。

もしかしたらそれは、遠い過去から人類が引き継いで来た本能として葉月の目の前に広がった新たなる開かれた道かも知れないのだ。


大人(おとな)なら、恋と性愛の違いくらい葉月も承知している。

性行為と愛情は必ずしも一致しないもので、性行為は性的興奮だけで犯れるものだから、「愛か無ければセックスなど出来ない」などとややっこしい事を言うから世の中が混乱させる。

そうした嫉妬(しっと)は恥ずかしく、婚姻相手以外の他人(ひと)と遊びの性交をしたからと言って、それは愛情の有無として問題にするべきでは無い。

つまり他人との性交プレィは、日々のストレス解消程度の只のシュール(非日常的)な遊びであると容認出来なくは無い。

このシュール(非日常的)で衝撃的な性交プレィの機会を得て、葉月の性生活に於けるバリエーション(変化)が格段に広がり、多くを学習したのは現実だった。



葉月は輪姦(まわし)で犯られながら、自分の強いM性を知った。

「私(葉月)、皆に見られなが犯られて・・・こんな状態でも感じて居る。」

理屈で否定しても、感覚的に肉体(からだ)がマッチング(相性/適合)しているのだ。

被虐的なこの常態が思いの他興奮を呼び、肉体(からだ)の負担は感じたが、それにも勝るオーガズム・ハイを経験していた。

今は、私(勝也)の目の前で他人の欲棒を股間にグサリと嵌(は)め込まれた妻・葉月の腰が、肉花弁が捩(よじ)れるのも厭(いと)わず快感を貪(むさぼ)っている。

欲棒を咥え込んだ葉月の腰が生々しい抜き挿しの動きを見せ、私(勝也)を思わず勃起(ぼっき)させていた。

何だ、こいつ(葉月)結構感じて楽しんでいる・・・・・私(勝也)はそう思った。

派手に声を上げて腰を使い、「オマ*コ気持ち良い」と善がっているからには、特別信者様や教団幹部に犯られている事に葉月にはさして不満は無い事になる。

私(勝也)は、直ぐに女信者の一人が咥(くわ)えた自分の欲棒に力がみなぎるのを感じた。


教団の教義については、私(勝也)は異論が無い。

とにかく、変に禁欲的な宗教がまかり通っているが、下手(へた)に自然な本能を押さえ込むより、ハッキリと認めた上で、どう対処しながら生きて行くかを教える方がより現実的である。

それを誤魔化し、隠し、本能を抑圧した倫理観を押し付けるから、幼児を狙ったり、性の代替に暴力に走るなど、おかしな人間が育つ。

性本能(性衝動)を押さえるだけで、自然に沸き起こる物を解決できるとは思えない。

基本的に無理がある事を保守的に守ろうとすると、その反発はより過激に大きな物になる。

教団の教えは、真言(真実を言う事)にあり、脚色して信者を騙し、「到底無理がある奇麗事」にした現在の宗派とは一線を画して居る。

だいたい、この前の太平洋戦争敗戦前まで、皇室、大名(後に受爵家)、大商人(後に財閥)など特定の身分のものには、「血脈を途絶えさせない為」と称して妾(愛人)の存在は許容されていた。

それを、特別の事と許容して、たしなめた宗教などなかった。

いや、むしろ宗教家も妾を持つ者が多かった。

つまり、庶民だけに押し付けた禁欲の思想や倫理観は、信念の無いご都合主義の教えなのだ。

背後に権力者の意思、庶民を働かせて搾り取る階級の、「SEXなどにかまけていないで働け」と言う計算が見え隠れしている。

そうした権力者の思惑が、宗教家を利用して社会合意となり、時間を掛けて醸成されたのが現在の倫理観で、「精神と性欲」を前提に分析すると、合理性にかける。

希望的な合意を妄信していても、空しい事である。

勿論、浮気や心代わりから、家庭の崩壊を防ぐ為の合意でもあるが、これほど頼りない合意はない。

契約や倫理観で人は縛れない。

禁じられると、それをしたい欲求に駆られるのも人間だからだ。

それに、いくら声高に叫んでも、どの宗教も戦争は止められない。

挙句の果てに、宗教間で戦争まで起こす。

稚拙に「自分と考え方が違う」と頭から否定するから、悪い結果になる。

性に対する嫌悪感も同様で、「それが絶対に正しい」と、人の生き方を非難するものではない。
宗教は「人は罪深い者」と逃げて、「懺悔せよ、悔い改めろ」と諭す。

それで赦されるのが、「宗教の目玉商品」と、人を建前で救っている。

それだけならまだ良いが、「金を出せば救う、命を捧げれば(殉教)救う」と言う。

私(勝也)は金だけでは幾ら出しても救われるとは思えない。

やはり解脱して「法力祈願」の実践をしなければ救われる筈はない。

罪深いものなら、性欲も教えでは止められない。

互いの合意で、楽しむ人生を切り開く生き方が有っても良いでは無いか?

葉月には、心を伴わないSEXがある事を身を持って知ってもらい、「法力祈願」の相手が出来る呪詛巫女にさせねばなるまい。



その修行から後は、葉月は教団幹部の義父を通して教団修行部から呼び出されて時々修業道場へ通う事になる。

二度ほど呼び出されて修行をすると、葉月は三度目からは「次は何時か」と期待するように成る。

何故か不思議なのだが、世間は女性の性癖にはタブーで余り話題にしない。

確かに男性の性癖は、隙あれば「子種」を使って子孫を残したいのが本能で、不貞浮気の機会作りも熱心で多いかも知れない。

つまり男性は、性に関してはどうしょうも無い生き物である事は間違いない。

しかし女性も中々の物で、信頼出来る日本の政府機関の統計に依ると夫婦間に出来た筈の子供の二十五人に一人は「夫との子供では無い」と言うデーターがある。

それは女性側にした所で、平凡な日常生活ばかりの人生は安全かも知れないが、退屈で心が乾き切ってしまう。

本音では、日常の平凡な人生を長々と送ってそのまま朽ち果てるよりも、贅沢かも知れないが時々シュール(奇抜)な刺激が在る方がストレスを発散できる。

つまり女性も、本能的には絶えず優秀な「子種」を求めて機会を伺って居るのが偽らない自然な姿である。

そうした人間の心理を、この教団の教祖は上手に使って居るのかも知れない。


秘められた人間の性癖など、滅多な事で本音は露(あらわ)には成らない。

中々環境が揃(そろ)わないだけで女性の中にもドスケベ女は存在し、誘われれば応じる主婦も結構居る。

つまり女性の貞操と言うものも条件次第で、貞操を必ず遵守(じゅんしゅ)するかは個人に拠って別物である事の証明である。

だが、個々の妻に内緒、夫に内緒の浮気では相方に夫にバレれば修羅場もので、だからもう少し利口な夫婦合意の遊びが良い。

教団で行われるコンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)は全く奇妙な男女の性宴である。

だが、元々性行為なんてものは多少変態の方が上等で、清く正しくなんて訳には行かない。

秘められた人間の性癖など滅多な事で本音は露(あらわ)には成らず、そしてソーシャルセックス(社交的な性交)は質の高い娯楽である。


愛情と性的独占欲は違う物で、勘違いすべきではない区別すべき感情である。

しかし性的独占欲が強いと勘違いし、想い通りに成ら無いからDVなどに結び付く。

つまり婚姻相手が例え遊びで性交していてもその嫉妬は性的独占欲で、本来は愛情とは別の感情である。

ただしその性交を互いに内緒にする所に、修復が難しい裏切りが発生する。


つまり男女伴に不倫の浮気や愛人を持つ事は大いに可能性がある。

だが、そんな一対一の性関係よりも、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の方が遥かに後腐れが無く刺激的な大人の遊びである。

ソーシャルセックス(社交的な性交)での他人前(ひとまえ)でコンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)を犯って見せる刺激は、生々しくシュール(奇抜)な快感だった。

葉月にした所で他人(ひと)前で変態的に弄(なぶ)られる羞恥心は、本音ではウキウキさせられる様な大人のパラダイスで、脳みそが溶ける様に生々しくシュール(奇抜)な光景だった。

この遊び方、安全と判ると実に「婦人の七割近くが嵌(はま)る」と言うから、日頃のストレスは結構多い事になる。

そうなると上面(うわつら)の綺麗事など意味が無く、夫婦間のストレスの捌け口を夫婦合意の下で「遊び」として理性的に構築する方が利巧かも知れない。


滅多な事で本音が露(あらわ)には成らない秘められた人間の性癖が、ここ教団の修行の場ではファスト(手軽)に行使され、さながら大人のパラダイスである。

こんな教団の修行の場では、葉月も妥協無く痴女に成り切らなければ、期待される様な脳が震える新感覚の面白味(おもしろみ)が無く成る。

葉月は多くの教団信者の至近距離の視線に囲まれて、全裸で尻だけ膝上の高さに掲げたうつ伏せ四つん這いの姿勢を採らされ、後ろから見れば股間の全てが生々しく曝(さら)け出ている。

尻の双肉を左右に広げられて下半身のパーツを鑑賞されても、葉月は苦笑いしながら堪(た)えるしかない。

その葉月の白い尻の溝に沿って葉月が見知らぬ男の二本の指先がア*ルの菊蕾(きくつぼみ)を撫(な)で、パックリと割れた二枚の肉花弁の内側へと潜(もぐ)り込む。

葉月は乳房を揺らし、挿し込まれた二本の指の抜き挿しに腰をうごめかして快感を堪(こら)え、口から善がり声を漏らしている。

見え隠れする挿し込まれた二本の指を伝わって葉月の白く濁る愛液が、弄(なぶ)る男の手の平に伝い下り、手首の辺りから床に向かって滴(したた)り落ちて行く。

変態的に弄(なぶ)られ、脳みそが溶ける様な羞恥心に葉月の股間から滑りを良くする潤滑油が湧き出し、抜き挿しされる二本の指の刺激にビクンビクンと腰を浮かして反応し、堪えきれずに潮を噴出する。

葉月は、うつ伏せ四つん這いの姿勢のまま抜き挿しされる二本の指に悶(もだ)え、善がり声を張り上げている。

その葉月の反応に、攻めての男の欲棒は漲(みなぎ)りを見せ、葉月のパックリと割れた二枚の肉花弁の内側へ、その漲(みなぎ)った欲棒を突き入れる。

教団の修行道場で葉月を後背位に組み敷いた男がクィクィと腰を使い、葉月の股間で愛液に濡れ光る欲棒の茎が男の腰使いに応じて見え隠れしている。

欲棒を荒くガンガンと突き入れられて目一杯感じて居るのか、うつ伏せ四つん這いの葉月が泣きわめく様に善がっている。

ハァハァと荒い息の呼吸が漏れ聞こえ、目の前で葉月を主役にした汗と愛液に塗(まみ)れた勃起ものの修羅場が展開されている。

普通では無い何か特別な、生々しくシュール(非日常的)なアクテビティ(活動・行動)が、この時間の此処(ここ)には在る。

一人目がイク(絶頂)に達し、代わった二人目が葉月をギャラリーに向けさせて左手で抱え葉月の股を開かせ、ムチッとした眩(まぶ)しい両大股(りょうふともも)の中心に二枚の肉花弁が生々しい。

その男は全裸の葉月を左手で抱えながら乳首を吸い、余った右手は大股に開いた太腿の付け根を弄(なぶ)りながら指を二本挿し込んで激しく抜き挿しして攻め立てる。

葉月の臍(へそ)の下のV字ゾーンのちじれ毛が密集した柔らかそうな恥丘の下部で、男の腕使いがその二本の指を生々しく見え隠れさせている。

葉月は乳房を揺らし、挿し込まれた二本の指の抜き挿しに腰をうごめかして快感を堪(こら)え、口から善がり声を漏らしている。

見え隠れする挿し込まれた二本の指を伝わって葉月の白く濁る愛液が、弄(なぶ)る男の手の平に伝い下り、手首の辺りから床に向かって滴(したた)り落ちて行く。

その攻め立てられて居る葉月の鼻先に三人目の男が腰を突き出して欲棒をシャブらせ、こちらも口中を激しく抜き挿しして攻め立てるシュール(奇抜)な光景だった。

プチュウ、プチュウと言う欲棒のエラが葉月の唇を引っ掛けて鳴らす音が聞こえ、口の端から涎(よだれ)が顎(あご)を伝って落ちて行く。

四人目に順番が廻って来た男が「シャブれ」と命じ、両足を開いて仰向けに寝た。

葉月は、その男の剥(む)き出しの欲棒にうつ伏せ四つん這いの姿勢で取り付いて咥え、ジュポジュポとシャブリ始める。

その葉月の尻に、先ほどまでシャブらせていた三人目の男が取り付いて欲棒を挿し込み、クィクィと抜き挿しを始める。

勿論、生々しくシュール(非日常的)なマルチタスクSEX(同時実行性交)の光景の方が、観て愉しいし興奮する。

二本指で葉月を攻め立てて居た男が、葉月を仰向(あおむ)けに転がすと、両手で両膝を掴んで押しながら脚を開かせ、欲棒のカリ首を入り口に宛がった。

困惑気味の表情を浮かべる葉月にグィと欲棒を挿し込むと、ユックリした抜き挿しからバシバシと肉が当たる音を響かせて急速で突き入れ攻め始めた。

肉体(からだ)の中心を欲棒で貫(つらぬ)かれての強烈な突き攻めに、葉月は口を半開きに顔を歪(ゆが)めて襲い来る脳みそが溶ける様な快感を受け止めている。

抽入からだと、男達がイク(絶頂・射精)に達するまで一人当たり短くて五分から長くて七分を費やす。

十人も熟(こ)なすなら約一時間、二十人熟(こ)なすなら約二時間で、その長丁場の露出公開輪姦性交は、葉月にとって見れば犯られっ放しのマラソン性交修行である。

六〜七人目になると、葉月がイキ続けて肉体(からだ)がまだヒクついているのに次の男の欲棒が挿し込まれて攻め始めるので、泣き叫ぶほどに感度が高まって豪快に受け腰を使う。

ソーシャルセックス(社交的な性交)のサプライヤー(供給者)としての調教が進めば、夫の前で他人の男に変態的に弄(なぶ)られる事にも慣れて来る。

葉月は、信者の漲(みなぎ)った欲棒を股座(またぐら)に咥え込んだ腰を、クィクィと振って快感を貪欲に甘受している。

素っ裸で男達に操られながら葉月は明らかに興奮して扇情的表情で鼻の穴を広げ、乳房を揺らし行為に奮闘している。

夫の勝也にしてみれば、妻が他人(ひと)前で変態的に弄(なぶ)られる光景は、ウキウキさせられる様な大人のパラダイスで、脳みそが溶ける様に生々しくシュール(奇抜)な光景だった。

勿論ギャラリーも、生々しくシュール(非日常的)な光景の方が観て愉しいし、この場にしか無い貴重な扇情的興奮もする。

公開輪姦(こうかいりんかん)修行は、他人前(ひとまえ)で犯られる究極の露出コンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)ショーである。

大人数の男達を相手にする輪姦(まわし)の生贄(いけにえ)にされ、次から次に男達の欲棒が股間に突き挿さって葉月の肉体(からだ)の中で蠢(うごめ)く。

一人一人、相手がイクまでは犯られ続ける壮絶な露出公開性交ショーだから、他人前(ひとまえ)だからと言って恥ずかしがって居る暇など無い。

先ほどまでギャーギャーとけたたましい善がり声を挙げていた葉月も、今は受け腰を使いながらもウゥウゥと押し殺したような善がり声を漏(も)らしている。

とにかく上に成ったり下に成ったり後背位に成ったりと、相手が発射するのに一人に五分から十分が必要で、それを葉月が熟(こな)す事に成る。

騎乗位など、男がガブリ腰で突き挙げて来るのを、上に乗った葉月がピッチング(上下動)で腰が抜ける程に応戦する。

形振(なりふ)り構わずの自らの激しい腰使いに、クチャクチャと言う愛液音を股間から発しながら身悶(みもだ)え、「アゥ、アゥ、アゥ、アゥ」と艶(なまめ)かしい善がり声を会場に響かせている。

夫・勝也が観て居ようが他人女(ひと)が観て居ようがお構い無しで、欲棒を咥(くわ)えた腰をクィクィと巧みに使って早くイカさなければならない。

ギャラリーの視線を集めて踏ん張る葉月が、腰を下ろす度に股間に咥(くわ)えている欲棒が下からも突き挙げられる。

静まり返ったギャラリーの視線を浴びながら葉月の肉体(からだ)にグィグィと抜き挿しされる欲棒の陰茎が、映像シーンの様に生々しく見え隠れしている。

乳首が立った乳房が上下し、周囲の視線も構わず半開きの口から慎みも無く叫び声に近い善がり声が響いてい居る。

男達全員を満足させねば解放されないこの状況から逃げられない以上は、自ら積極的に腰を使って少しでも早く人数を熟(こ)なさなければ、肉体(からだ)が持たないのだ。


官能的な服従の性交が長々と続き、刺激に反応して欲棒を咥え込んだ腰が艶(なまめ)かしくクネリ、時折激しく反応して腰がビクンビクンと動きを見せる。

ハァハァと荒い息の呼吸が漏れ聞こえ、汗と愛液に塗(まみ)れた修羅場で変態的に弄(なぶ)られて、葉月の全裸体が海老ぞりに反り返える。

大股に開いた太腿(ふともも)の付け根に挿し込まれた欲棒を周囲に見せ付けながら、上目使いに夫・勝也の視線を確かめる葉月の生々しくシュール(非日常的)な光景だった。

欲棒が抜き挿しされる股座を見せ付けて犯られながら感度良く反応して善がり狂い、此処まで曝(さら)け出してしまえば葉月ももう慎(つつし)み深さを装(よそお)う必要も無い。

長時間の連続抽入は感度を益し、「性欲の極限」と言う究極の新感覚にトランス状態(通常とは異なった変性意識状態)に脳が震える至福の時を過ごす。

葉月を組み敷いた男がクィクィと腰を使い、葉月の股間で愛液に濡れ光る欲棒の茎が男の腰使いに応じて見え隠れしている。

欲棒を荒くガンガンと突き入れられて目一杯感じて居るのか、葉月が泣きわめく様に善がっている。

次から次と一人当たり五分から八分、変態的に弄(なぶ)られて犯られ通しの男達の陵辱が葉月に続く。

続けて何人もと性交するから、葉月は時々ガクンガクンと落ち(イキ)ながら、犯られ続ける事に成る。

快感に肉体(からだ)に波打たせる葉月は、オーガズムの快感反応の一つ背骨の反り返りを見せ、加えて足の指が開くバビンスキー(ババンスキー)反射を見せている。

判り易く言えば、足の指が開くバビンスキー(ババンスキー)反射は性交中の女性の「イク時」の反応のひとつである。

まぁ、バビンスキー(ババンスキー)反射までは演技では出来ないので、そこまで反応すれば演技では無く、本当にイッタと言う事である。

だが、まだズブリとモロに犯られた他人の欲棒をガッチリと咥え込んだ葉月の卑猥な受け腰使いと、けたたましい善がり声は反応後も見事に続いていた。

つまり絶頂が繰り返し続くのだから、性愛欲の極限と言う究極の新感覚に脳が震える至福の時を過ごす事になる。


こうしたソーシャルセックス(社交的な性交)の遊びをするのは、何も特別な女性では無く極普通の女性が状況次第で幾らでも覚えて犯るものである。

そしてその資質は、「どの女性にもある」と言う。

一人の女性に大勢の男性が寄って集(たか)って輪姦するなど、一見「酷い」と想うだろうが、実は女性には潜在的にその性癖や能力が備わっている。

現代日本人の倫理感覚では、「夜這い婚」の一妻多夫形態など到底理解できないかも知れないが、実は「種の保存」を優先する自然界では人間の生殖倫理の一夫一婦制の方が異例である。

輪姦など、「何と酷い陵辱であるか。」と解釈されるもので、葉月も勿論そう言う想いは在ったのだが、その場の成り行きで断りも出来ずに仕方なく妥協してそう言う身に成った。

しかしその輪姦(まわし)の最中に、葉月の本能のスィッチがオンに成って「このプレィ」が満更では無い事を感じた。

素っ裸で犯り放題に弄(なぶ)られ羞恥心で溶けそうな想いに耐えるのは、脳が震える新感覚だった。

この葉月の輪姦(まわし)肯定感覚が、実は女性の隠された本質的性本能の目覚めでだった。

つまり女性の原始的な性癖が連続性交だったからこそ、輪姦(まわし)の官能的な性愛欲の極限と言う究極の新感覚が成立する。

いささかタブー染みた情報であるが、一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、霊長類の基本的な生殖行動は「群れ婚」である。

チンパンジーの雄(オス)達は一頭の発情期の雌(メス)に順番に群がり、雌(メス)は一日に何頭もの雄(オス)と交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、雌(メス)が依り強くて優秀な精子に回(めぐ)り逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。

これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、雄(オス)雌(メス)の生殖機能には目的に添った違いが在る。

当然、雄(オス)の方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、雌(メス)の方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての現生人類は、「確実な種の保存の為」に本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。

この学説を証明する為に、新疆ウイグル自治区の四千年前に描かれた世界初のエロ本とでもいうべき壁画には、女性一人に順番待ちする多数の男性の姿が描かれている。

意見を押し付けてはイケナイが、現代女性にも祖先の記憶は間違いなく存在し、その機能を肉体的に有して居る事になる。

本来の生物的なコア(核)は変わらないから、そこに目覚める事はロジック(論理)として充分に在り得る。

いずれにしても、連続性交の物凄い快感を感じた葉月の脳は、家事をして居ても時折卑猥(ひわい)モードがフラッシュバック(体験が明確な感覚として思い出される)して、次の誘いを待つ様に成っていた。

女性の原始的な性癖が連続性交だったからこそ、輪姦(まわし)の官能的な性愛欲の極限と言う究極の新感覚が成立する。

この修行は、葉月にはあくまでも非日常の時間で、それが普通だが日常の生活は平凡でこんなスリリングで愉しみな遊びの時間など無い。

輪姦(まわ)しを過酷と想うのは実は一方的な既成概念の発想で、世の中には色々な性癖を持つ女性が存在し、輪姦(まわ)される女性が好き者ならそれが天国である。


勝也が教団に呼ばれて行くと、「どうだね奥さん(葉月)の様子は、修行を続けられそうかね。」と教祖が公開調教の首尾を聞いて来た。

「実の処、内の奴(葉月)の様子は、嫌だったと言うよりも、むしろ愉しんでスッキリした様な雰囲気でした。」

「じゃろう、あれ(輪姦プレィ)を経験した女性の大概はその後も好感触だよ。」

「はぁ、家に帰った後もまんざら嫌そうでは無い様子でした。」

教祖が、「もう一度葉月に輪姦(まわし)を犯らせてみれば、反応感度で調教の出来が判るだろう。」と笑って、勝也に言い放った。

「えぇ、連れて来ますからまた皆さんで修行を犯ッちゃって下さい。」


葉月の様にそれ成りに成熟した女性なら、切欠さえ在れば年齢相応の思考なり肉体なりに自然に進化しているものである。

大人(おとな)なら恋と性愛の違いくらい承知していて、馬鹿者な女性は利口者振るが利口者は馬鹿なスケベ女性の振りが出来る。

教団の性奴隷研修の場では陰湿な性交は好まれず、ソーシャルセックス(社交的な性交)の性交は、「明るく愉しく」がもっとうで無ければ趣旨とは違う方向に成る。

つまり犯る者も犯られる者も、そして見物する者も、その時間を愉しく過ごさなければ意味がないからである。

教団の修行として、アベソルティオベデンス(絶対服従)と言う合意の中で指図(さしず)されれば、それは相手の性癖を満足させる為のエグゼクティブ(高級・贅沢)な愉しみである。

つまり性行為の形態や技法を想像で否定するのでは無く実際に体験して良さを理解すれば、人間は基本的な考え方が変わるものである。

当然この性交修行経験舞台は、葉月の心境に「大きな影響が在る」と、夫の勝也思える状況だった。

正直、夫の勝也にして見ればこの修行を切欠に、これからの新しい葉月に逢える期待が高まった。


教団の公開修行で、葉月がグチャグチャに犯られるのを見せ付けられた勝也は胸キュンものだったが、目(ま)の当りにすれば勃起(ぼっき)ものでプレィさせる事はそれほど嫌には思えなかった。

勝也は、家に帰って来ても当分の間、多くの男達と葉月が犯って観せたあられもない究極の性交姿が脳裏に浮かんで来て興奮が醒(さ)めなかった。

客観的に観ればこれは自分が仕掛けた事だから、全裸で葉月が教団の公開修行の舞台で犯り遂げた事は、勝也として褒めてやらねば成らない。

そして一週間後、「また教祖様が、葉月をお召しです」とその公開修行の舞台が、設定された。

いずれにしても葉月は、この誘いを拒(こば)まずむしろ積極的に応ずる構えだった。

恐らく葉月は、あのランナーズハイに似た快感のプレィに味を占めたのだろう。

とにかく「他人前(ひとまえ)で性交して観せる」と言う非日常の羞恥心と興奮で葉月の脳内には興奮物質・ドーパミンが溢(あふ)れ出す。

ドーパミンの活性で、葉月の脳内に脳内麻薬ホルモン物質・ベータ・エンドロフィンが生成されて、一種のランナーズハイに似た「心地良い疲れ」の快感を得る。

ベータ・エンドロフィンは、体内で生成される無害の分泌ホルモンで、脳内麻薬(快感ホルモン)である。

この脳内麻薬(快感ホルモン)は無害ではあるが、一旦脳に記憶させると脳がその分泌快感ホルモンを発生するシュチエーションを学習して無意識に要求する。

つまり非日常の快感に味を占め、ソーシャルセックス(社交的な性交)、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などのプレィが癖になる脳内メカニズム(構造)なのだ。

つまり葉月は再びパンティを脱ぎ、あの壮絶なハードボイルド生ポルノ(冷酷非情で妥協しない性行為の実演)輪姦性交を味合う事に成るのだ。


表面的な偽善社会の世論感覚からすれば、修行のソーシャルセックス(社交的な性交)は大いに羞恥心や罪悪感を感じる行為である。

しかしもぅ女性(おんな)として覚悟を決めたからこそ、モチベーション(犯る気)を証明する為に柔らかそうな肌の全裸で此処に居る。

要領も判っただろう二度目の輪姦プレィでは、犯らされる葉月も淑女の仮面を脱ぎ捨ててプレィをテンポ良く熟(こな)し観せ、モタツキなどは赦されない。


本来のソーシャルセックス(社交的な性交)の目的は、肉体を駆使して仲間内のシエアリング(共同所有)の精神を快適に愉しむ為である。

それにしても、葉月に人気が在れば在るほど犯りたい男達が群がって、嬲(なぶ)り者にする。

多人数の性交相手を熟(こな)すに大変だが、女心の本音で言えば「敬遠される依りは順番待ちの行列が出来る高い人気を得たい」と言う想いも在る。

修行のソーシャルセックス(社交的な性交)が、当初は納得が行かない事でも、それに一旦応じてしまえば後は自分で納得が行く理由を見つけるしかない。

修行は教団管部のメンバーに、素っ裸で犯り放題に弄(なぶ)られる事を承知して全裸で引き渡されている。

葉月は、友人の康子に仕込まれた「生贄(いけにえ)として在るべき姿」を生々しく実践していた。

一人十分間から十五分間、五〜六人ごとに十分間のインターバル(休憩時間)を加え、良子は十二人の相手をこなして凡(およ)そ三時間前後の生ライブだった。

取り囲んだギャラリーの男女には、手を伸ばせば絡み合う男女の肉体(からだ)に触れられる程の至近距離である。

欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せるこの見世物状態を、西洋ではサーカス(群集が取り巻いて見下ろす見世物)と言う。

夫・勝也の目の前で、全裸の妻・葉月が順番の男に乳房を握(にぎ)り掴(つか)まれ、揉みしだかれ、M字開脚をさせられて股座を晒(さら)している。

ストリップ・サーチ(全裸検査)は、愛奴隷の引渡しやSMプレィの基本の様式で、委(ゆだ)ねられる肉体(からだ)の「品定め権の行使」みたいなものである。

晒(さら)した股座の肉花弁を指で広げられてスリットの中を観られたり、笑いながらスリットの中に指を入れられて弄(なぶ)られている。

例え指で攻められても、感じ始めれば「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声も出て来るし、腰もリズムを合わせて使い始める。

順番の男の手淫の指攻めに翻弄(ほんろう)されて限界を向かえつつある妻・葉月の腰が、ビクンビクンと震えながら、怪しいうごめきを見せ始める。

全裸体の妻・葉月を左手で抱きかかえて、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)に良く観える様にM字開脚で股を開かせ、右手の指二本を妻・葉月の大股開きの中心にズブリと挿し込む。

妻・葉月の太腿(ふともも)の眩(まぶ)しい大股開きの中心を、二本指をクィクィと抜き挿しをして攻めたてる。

指二本をクィクィと抜き挿しされて、大股開きの下半身をヒクつかせ感度の良さをギャラリーに体現している。

妻・葉月は、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)の注目が集まる股間を少し浮かせ、「アゥ、アゥ」と善がり声を挙げて健気(けなげ)に指の抜き挿しに耐えている。

指攻めに股間からクチャクチャと言う愛液音を発しながら、妻・葉月の腰は艶(なまめ)かしくクネリ、時折ビクンビクンと動いて激しく反応して見せている。

抽入された指二本で膣中をディスターブ(掻き回す)され、妻・葉月は猛烈な快感に上半身を海老ぞりに反り返り、腰をビクンビクンと痙攣(けいれん)させる。

妻・葉月は、わめく様に善がり声を挙げ、のけ反(ぞり)りながら腰を浮かし、身震いして快感反応を露(あらわ)にして居た。

それが続いて、妻・葉月がもう耐えられない風情で腰を引き脚を閉じようと試みるので、順番の男が抜き挿しを止め、指を肉体(からだ)から抜かれて、やっと妻・葉月はホッとした表情を浮かべた。


指攻めでイカせるだけイカされると次は、妻・葉月はうつ伏せに体位を変えられ四つん這いの姿勢をとらされる。

全裸の妻・葉月が這いつくばされ、目を怪しく光らせたゲストに双っの尻肉を左右に広げられてア*ルの菊座と肉花弁のスリットを晒(さら)している。

順番の男は本格的な行為に入る前に、まずは妻・葉月にストリップ・サーチ(全裸検査)をさせて居る。

妻・葉月の道具を観終えると、順番の男は妻・葉月の前に仁王立ちに成って「シャブれ」と命じた。

全裸で膝間着(ひざまつ)く妻・葉月の目の前に、抜き身の名刀(欲棒)が順番の男の股間からポロリとぶら下がっていた。

その名刀(欲棒)を、妻・葉月が利き手で握って扱(しご)き始め、ムクムクと反応が始まった。

妻・葉月が手で扱(しご)いていきり立った順番の男の欲棒を、上から被せる様にして親指をカリ首に廻し、軽く握って手の甲を腹に充てる様に欲棒の裏を顔に向ける。

妻・葉月は、その欲棒の「裏筋(うらすじ)」を、鼻を擦(こす)り着けながら舌先を使って舐め挙げ、玉袋も舌先で舐(な)め挙げている。

頃合を見て、妻・葉月はその裏筋(うらすじ)舐(な)めで握って居た手を放し、パクリとカリ首ごと欲棒を咥(くわ)え、クィクィとシャブり始めた。

妻・葉月の口技に身を委(ゆだ)ねた順番の男の顔は極楽を彷徨(さまよ)っている。

シャブられて欲棒が硬さを益せば、次は妻・葉月への抽入と抜き挿しで、妻・葉月は、上にさせたり下にさせたりと思い思いの体位で、順番の男との性交を愉しむ。

出来るだけ早く人数を消化しなければ身が持たないから、恥女に変身した妻・葉月は、クィクィとリズム良い腰使いで咥え込んだ欲棒に快感刺激を与えている。

始まってしまえば、相手は代われど妻・葉月には二時間や三時間は「犯られっ放し」と言うか「犯りっ放し」と言うか、ともかく絶頂(イク)が継続する過酷な他人前(ひとまえ)性交ショー状態が続く。

その後も順番の男達の輪姦は続き、今、妻・葉月は、脚を床に踏ん張った騎乗位で欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せながら、乳首が立った乳房を上下に揺(ゆ)らし、腰から上半身を上下させている。

すると、仰向(あおむ)けに横たわる男の愛液に濡れ光る陰茎が、妻・葉月の上半身上下に合わせて見え隠れしている。

ギャラリーの女達から「ハッスル、ハッスル」の囃子立(はやした)てが起こり、その掛け声に合わせる様に妻・葉月の腰の上下が激しくなる。

腰の上下が激しくなった葉月は、「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声を発しながらリズム良く腰を上下させ、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)の期待に応える。

セックスショー化してギャラリーにライブ(実況)で観せる事で気分が高まり、脳内に発生するドーパミンの興奮がセックスハイの陶酔を引き起こして、密度が濃いプレィが演出される。

言わば舞台装置みたいなものだが、観られてこその興奮で、このショー化が綺麗事の裏側に存在するもう一人の葉月の本性を暴(あば)き出す。

そして葉月は、羞恥の感性の中で気取(キドリ)を捨て去り、しなやかに軽快に、あられもなく裸身を弾(はず)まさせてギャラリーの前で性交プレィをする。


教団の男達は、葉月の両膝に手を置いてパカッと脚を左右に開き、遠慮も無く欲棒を股倉に抽入して来る。

欲棒が中に納まると男達は、抽入した欲棒を「此処ぞ」とばかりに気分を高めてピッチ良く攻撃的にグィグィと抜き挿しして葉月を攻め愉しんで来る。

パカッと開いた股倉に怪しく欲棒を咥(くわ)え込んだまま、葉月が会心の受け腰でクィクィと応戦して観せている。

その攻撃が、葉月が被っていた淑女の仮面を脱ぎ捨てさせ、気取を捨て去ってしなやかに軽快にあられもなく裸身を弾(はず)ませいる葉月が、そこに居た。


妻・葉月の肉体(からだ)の中心に、やっと順番が廻って来た男の欲棒が挿し込まれ、クィクィと腰の動きと共に陰茎が見え隠れしている。

順番の男の欲棒を咥え込んだ腰も、妻・葉月の口から漏れる「ハッハッハッハッハッハッ」の連続音と共に受け腰で応戦している。

妻・葉月の左右に開いた太腿(ふともも)の中央に、二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて生々しくズッポリと嵌(はま)った欲棒が、愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら激しく抜き挿しされている。

妻・葉月の快感が強くなったのか、暫(しばら)くの間、「アァー、イクー、アァー、イクー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と言うけたたましい妻・葉月の絶頂の善がり声が会場中に響いていた。

正直輪姦(まわし)の場合は、攻める順番で言えば「先に二〜三人に犯られてイッ(絶頂)た後」の女性の方が肉体(からだ)の感度が上がっていてヒィヒィもので、犯るのが堪(たま)らなく面白い。

葉月の肉体(からだ)は、その感度が上がった状態で次の訪問者の男性を迎えた。


シュール(非日常的)で衝撃的なプレィ光景が、固唾を飲む周囲のライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)に良く見えていた。

全裸の葉月が四つん這いに尻を高く掲げた姿勢をさせられて、後ろから眺めるとア*ルの菊の蕾(つぼみ)が恥ずかしそうに皺(しわ)を見せている。

そのア*ルの下部、柔らかそうな肌の太腿(ふともも)の付け根に、こんもりと二枚の肉の花びらが「触れてくれ」と怪しく男を誘うように左右から閉じ気味に割れ目を見せている。

今葉月の肉体使用権を得ている男が、右手を開いて中指で二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて挿し込み、クィクィと抜き挿しして攻め始める。

「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」

攻められた葉月が善がり声を挙げ、腰を震わせて反応を始める。

指攻めの反応に興奮したのかその男が硬く張り詰めた自分の欲棒を左手で握り締めて四〜五回扱(しご)き、その欲棒のカリ首を葉月の割れ目へ二〜三度擦りつけてグィと挿し込んだ。

四つん這いに左右に開いた葉月の太腿(ふともも)の中央に、その男の欲棒がズッポリと嵌(はま)った。

後背位で生々しく嵌(はま)った欲棒が、男の腰の動きに応じて愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら抜き挿しされている。


葉月も人数を熟(こな)し続けて相当体力を消耗しているが、ここは気力で乗り切るしかない。

只、この疲労困憊(ひろうこんぱい)の時機に、ランナーズハイ・と同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に見舞われ、葉月の味方に成る。

つまり男達側の交代に依る連続性交で、葉月の一旦達したマックス(絶頂)状態が持続したまま突き抜けて、悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に達する。


葉月の解脱(げだつ)修行が始まってしまえば、教団の女信者にシャブらせながら列を作って順番待ちの男信者が並ぶ。

一人犯り終わると、まだ前の男信者の欲棒が引き抜かれたばかりで湯気が立っているような葉月の股間に次の男信者の欲棒が続けて突き入れられ、また抜き挿しが始まる。

葉月が歯を食い縛って乳房を躍(おど)らせ、渾身(こんしん)の受け腰使いで男信者の抜き挿しに素直(すなお)に応じ犯る。

ガチの性交バトルが続くこの圧倒的な刺激的マラソン性交プレィを、世間はどう受け止めるべきか?

その歯を食い縛った葉月の口から、「ウゥ、ウゥ、ウゥ。」と叫び声の様な善がり声が漏れて、取り囲み観るギャラリーの加虐心を満たす。

大勢の男信者達に犯され続ける女がどう言う反応をするのかを観る愉しみは、至近距離から性交ライブ(実演)を観る信者達男女の醍醐味である。

葉月は、もはや許容範囲を超えたセックスハイの陶酔(とうすい)の中で無意識に歓喜の受け腰を使い、女を曝(さら)け出して快感を貪(むさぼ)って居る。

葉月に求められた恥女としてのマラソン性交プレィを採点すれば、かなりの高得点が与えられるであろう渾身(こんしん)の大奮闘である。

やはり葉月は、教団に拠って肉体(からだ)に覚え込まされた、アベソルティオベデンス(絶対服従)の「高機能性交マシンに調教された」と言って過言では無い。

欲棒を挿し込まれ、白濁(はくだく)した愛液に濡れ光る陰茎を見え隠れさせながら、股間で生々しく繋がっている葉月の信者相手の輪姦性交は続いている。

このマラソン性交プレィの状況からすると、今はまだまだやっと折り返し地点を廻ったくらいで、激しい性交ライブ(実演)プレィのゴールまではまだ程遠い感覚だった。

イク(絶頂)に達したのか、葉月は肩を震わせながら上半身をガクンガクンと大きく揺(ゆ)らしているが、股間を串刺しにした欲棒の抜き挿しは容赦なく続いている。

襲い掛かる人数を熟(こな)し続けて葉月は相当体力を消耗しているが、ここは気力で乗り切るしかない。

只、この疲労困憊(ひろうこんぱい)の時機に、ランナーズハイ・と同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に見舞われ、葉月の味方に成る。

葉月は、終わらない性交ライブ(実演)の被虐快感に悶絶し、痙攣(けいれん)しながら堕ちて行く。

教団幹部達の輪姦(まわし)を経験すると、このセックスハイのお駄賃(褒美)を得られる事に味を占めた。

しかしその内、妻・葉月の肉体(からだ)から「ガックリ」と力が抜け、「だらり」と動かなく成った。

「奥さん、気を失ったみたいですね。まだ予定の人数の半分も行っていません。このまま続けましょう。続ければ、その内に気が付きます。」

「判っている。構わない、続けさせよう。」

妻・葉月がこう成ったのは夫の勝也のせいで、「気絶したから」と言って赦(ゆる)されないから、そのまま犯らせて見守ってやるしか無い。

目の前で、妻・葉月がぐったりと動かなく成ったまま、男達が入れ替わりながら壮絶な陵辱を受け続けている。

何しろ輪姦(まわし)に馴れた男達が相手で、男がパンパンパンと突き入れる度に、妻・葉月の乳房が上下し、肉体(からだ)がガツン、ガツンと波打って見える。

その状態が三人ほど続き、再び妻・葉月が息を吹き返し、「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と善がり始めた。

再び恍惚の表情を浮かべて、妻・葉月が「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声を上げ始め、またクライマックス(絶頂)に達したようだ。

妻・葉月のクライマックス(絶頂)の悲鳴も一度で終わらず、この輪姦性交ではもぅ何度と無く聞こえていた。

それにしてもあれだけ善がっている妻・葉月を観ると、この輪姦(まわし)を「可哀相(かわいそう)な事をさせた」と同情して良いものかどうかも、勝也には疑問になる。


妻・葉月が体験したソーシャルセックス(社交的な性交)は、息も絶え絶え(たえだえ)に成る程に強烈だった。

「もぅ懲り懲(こりご)り」などと格好を付けては居られないほど、後を引く快感体験だった。

最初は仕方なしに犯られるだけの気分でも、次から次に犯られれば感じ始めて当たり前で、自然と受け腰で抜き挿しにクィクィと応じ始める。

肉体(からだ)の中心を欲棒に貫(つらぬ)かれ、妻・葉月の顔は完全に身を委(ゆだ)ねるモードの表情に入っていた。

妻・葉月のクィクィ言うと腰の動きに応じて、「アッアッアッ」と妻・葉月の喘(あえ)ぎ声とハァハァと荒い息の呼吸が他人前(ひとまえ)にも抑(おさ)えるでもなく漏れている。

快感を貪(むさぼ)り始めたらもぅ止まらず、そのまま容赦無(ようしゃな)くイカされ続けて男達は二回(ふたまわ)りに入(はい)り、やがて妻・葉月は絶叫する。

その妻・葉月の肉体反応を、夫の勝也が見知らぬ女信者に欲棒をシャブらせながら目をキラつかせて観ている。

この世に生まれた幸福をエンドレスに感じる絶叫悶絶の快感に、偽善社会の罪悪感も吹っ飛ぶ究極の心地良い疲れは理屈を超越していた。

「あの犯され続ける時間がまた遣って来る」と想うと、次の誘いを心待ちにする妻・葉月がそこに居た。


本人なり周囲の人間なり、誰が何と言おうと葉月は全裸でこの公開性交舞台に「これでもか?」と股を広げて出演した。

本音で言えば、こうした場面で淑女(しゅくじょ)のあられもない究極の姿を観るのは、出席者の偽らない愉しみである。

また、こうした舞台に登ってしまった葉月にして見れば、それはもぅアスリートの気分で全力を尽くして、この生々しいエロスを観せるしか無かった。

だからこそ、葉月にしてみれば、あれだけ犯って観せたのだから「充分にギャラリーを愉しませた」と言う意識はある。

そして葉月には、これを越える曝(さら)け出しは想像出来ないほどに、犯り遂げた想いはある。

「人前で性交する」と言う脳みそが溶ける様な究極の羞恥心は、女性が本来持つ露出嗜好を満足させるものである。

また、このプレィに於けるアベソルティオベデンス(絶対服従)は、女性が持つ究極のM性(マゾ性)を満足させるものである。

そして、同じ類人猿・チンパンジーやオラウータンの群れ婚、発情期に於ける雌に対する雄の連続輪姦の現実は、女性の遠い記憶の中に在る

だから「止む事が無いのでは」と思える連続輪姦の快感は、葉月がセックスハイ現象に追い込まれるのに充分だった。


この輪姦(まわし)と言う凄(すさ)まじいセックス・プレィに追い込まれる事態に遭遇するまで、妻・葉月はお気楽に生活していた。

しかし生き方に「安易な決まり事」を持ち込むと、楽に生きられるかも知れないが想像力や創造力は育たない。

「何で私が、こんな事を犯らなきゃいけないの?」と想うかも知れないが、何事も妥協しては良い仕事は出来ない。

確かに今までの認識からすればこの事態は異常な状況ではあるが、追い込まれて避けられないのなら今更クヨクヨしても仕方が無い。

元々「変態の素質」はアンソロポロジー(人類学)的な生物学的特性で、唯一ホモサピエンス(知性人)に潜在する性癖だから、他の生物に「変態」は存在しない。

何しろ葉月には、本来なら世間では「ふしだらな淫乱女」と罵(ののし)られる卑猥(ひわい)でエキサイティング(興奮させる)な遊びを、大勢を相手に犯らせているのだ。

表面的な偽善社会の世論感覚からすれば、教団の研修輪姦修行のショーは大いに羞恥心や罪悪感を感じる行為である。

しかしこれは、犯らせたい相手への教団が仕掛けた拘(こだわ)りの上、勝也の妻である葉月にしか出来ない役回りだった。

そしてもぅ、女性(おんな)として覚悟を決めたからこそ、モチベーション(犯る気)を証明する為に葉月は全裸で此処に居る。

相手の男が、パンパンパンと二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて葉月に欲棒を突き入れる度に、葉月の身体がガツン、ガツンと波打って見える。

マットレスを敷いた性交舞台の上で、葉月はライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)の卑猥(ひわい)な視線を集めながら「ハッスル、ハッスル」の囃子声(はやしこえ)に急(せ)かされるように欲棒を咥え込んだ肉体で奉仕をして居る。

葉月は、半ばランナーズハイ現象に似たセックスハイの陶酔の中で、男達の輪姦(まわし)に応じて噴出した汗に塗(まみ)れ、精液混じりの愛液を垂(た)れ流しながら奮戦していた。

葉月が、妖艶(ようえん)な姿態を露(あらわ)に、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)と凄(すさ)まじい性交を繰り広げている。

多数の男達を相手に、大勢で寄って集(たか)って激しく攻め犯され、乳房を揺(ゆ)らし、腰を使い、裸体を踊らせながら奮闘している。

男達に続けて犯られれば、例え他人前(ひとまえ)で在っても肉体の反応の方は「理性(左脳域)」だけでは快感反応を抑(おさ)えられない。

だから葉月は、男達の激しい抜き挿しに耐え切れず、途中からタガが外れて欲棒に串刺しにされたまま腰を浮かして物凄い反応で涎(よだれ)を垂(た)らしながら喘(あえ)ぎ善がる。

続けて性交しているから、アクメ(絶頂)に陶酔してまだ前の男の欲棒の感触が残っている葉月の股間に、次の男がまた欲棒をコジ入れて来る。

股間に欲棒を咥え込んだ葉月の裸体が、大胆にそしてしなやかに受け腰を使い、男達の激しいプレィに応じて怪しく踊っている。

この輪姦(まわし)は一プレィあたり十分から十五分、五プレィごとに五分ほど休ませて二十プレィほど男相手の取り組みが続き、当然葉月は数プレィ消化後から快感反応の連続陶酔状態でプレィを続ける事になる。

葉月は、男が変わる度に絶頂に達して歯を食い縛り、腰を小刻みに震わせながら同時に左右に捩(よじ)り、仕舞いには海老ぞりに反り返り絶叫する。

亭主としては、それを眺(なが)めて妻・葉月の奮闘振りを褒めているのだから、他者が聞けば冗談みたいな「おかしな話」に聞こえるかも知れない。

しかしその時は、被(かぶ)っていた仮面を夫婦共に脱ぎ捨てて居たから、葉月の奮闘振りを「流石(さすが)内の奴だ」と褒めてやれた。

一匹の獣(けもの)の雌(メス)と化した葉月の恥さらしな激しい性交姿を、夫の勝也もギャラリーに紛(まぎ)れて眩(まぶ)しそうに観ていた。

妻・葉月の性反応が、とても日頃の夫(勝也)相手では見せないほど激しく大胆だったからである。

もっとも、あれだけ次から次に輪姦(まわ)し犯されてはアクメ(絶頂)が繰り返し続いて、葉月がセックスハイの陶酔の中で性交を続けていても不思議は無い。

目の前で妻・葉月が犯られている気分は複雑だったが、妻の肉体(からだ)に他人の欲棒が抜き挿しされている光景には、正直勝也は抑え切れない興奮も感じていた。

ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)は、葉月の乳房を上下に揺(ゆ)らしながら大きく広げた股間に欲棒が抜き挿しされ、葉月の腰がその欲棒の抜き挿しに同調してうごめく様を愉しんでいた。

葉月の肉花弁が欲棒の抜き挿しに連れて、よじれたり中に巻き込まれたりと生々しい様子まで、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)が目を光らせて確りと観て居るのを葉月は感じてた。

肉体(からだ)の中心を、次から次に入れ替わる男達の欲棒で突かれながら、肢体を躍動させる葉月は「セックスハイの陶酔」を感じていた。

周囲から丸見えの性交舞台の上で、もぅ興奮がピークに到達して弾(はじ)けたセックスハイ状態の葉月は、善がり声を挙げながら裸体を震わせ、受け腰で激しく応じながら裸体を躍(おど)らせ続ける事になる。

究極の感性は隠し様も無く、恥ずかしげも無いソプラノ発声の周囲に良く通る善がり声が、葉月の喉を通って唇から漏れて来る。

いささか恥ずかしいが、腹を括(くく)って観られるのを愉しみながら犯られるしか仕方が無い。

教団の研修輪姦修行のショーが、当初は納得が行かない事でも、それに一旦応じてしまえば後は自分で納得が行く理由を見つけるしかない。

葉月が体験した教団の研修輪姦修行のショーは、息も絶え絶え(たえだえ)に成る程に強烈だった。

「もぅ懲り懲り(こりごり)」などと格好を付けては居られないほど、後を引く快感体験だった。

最初は仕方なしに犯られるだけの気分でも、次から次に犯られれば感じ始めて当たり前で、自然と受け腰で抜き挿しにクィクィと応じ始める。

快感を貪(むさぼ)り始めたらもぅ止まらず、そのまま容赦無(ようしゃな)くイカされ続けてやがて絶叫する。

その葉月の肉体反応を、夫の勝也が見知らぬ教団信者の女に欲棒をシャブらせながら目をキラつかせて観ている。

この世に生まれた幸福をエンドレスに感じる絶叫悶絶の快感に、偽善社会の罪悪感も吹っ飛ぶ究極の心地良い疲れは理屈を超越していた。

教団から「また修行を犯るから来なさい。」とお呼びが掛かると、「もぅ、しょうがないわね〜。」と言いながら、内心これから自分の身に起こる出来事に期待してパンティを脱いで出かける葉月が居た。

「あの犯され続ける時間がまた遣って来る」と想うと、次の誘いを心待ちにする葉月がそこに居た。


素っ裸の妻・葉月は、男女の好奇な視線に晒される修行と言う名のセックスフアイトのリンクに登った。

正直妻・葉月には、これからこれから自分の肉体(からだ)に訪れる遊びの性交に痺(しび)れるほどの期待感が芽生えていた。

「これから何人もの男達に続けて犯される」と想っただけで、その生まれて始めてのインモラル(不道徳/背徳的)な刺激には、妻・葉月の脳は厚めに活性化する。

性交している恥ずかしい姿を男女のライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)に披露する事に成るが、元々女性の本質は露出癖で、腹を括(くく)ればその辺りを満足させる。

これだけのギャラリー(観客)の前で始まる性交ショーに、その場に居る全員が、胸をときめかせるインモラル(不道徳/背徳的)な至福の時を愉しく過ごす事は間違いはない。

輪姦(まわし)は、一般的に「女性を蹂躙(じゅうりん)している」とする解釈も在るが、女性本人の性癖如何では至福の時を過ごす官能的な場面かも知れない。

信じられないかも知れないが、このヤンチャ(悪戯)な状況の当事者に追い込まれてしまえば、後で「あそこでもうチョット頑張れば良かった」と悔やみたくは無い想いが妻・葉月にはある。

究極のソーシャルセックス(社交的な性交)・プレィは、鑑賞に耐えられるアバンギャルド(前衛芸術)でシュール(非日常・奇抜)な光景かも知れない。

教祖は業(ごう/カルマ/行為)の深い生き物で、ある種想ったよりも「感性が強い曲者(くせもの)」だったからこそ、教祖をしていた。

実は既に葉月は、写真で教祖のお眼がねに、「この娘なら嫁に良いでしょう」と適(かな)っていた。

教祖の、女性のM(マゾ)性の強弱を見分ける嗅覚は天性のもので、僅かな可能性も見落とさない。

葉月は「性癖」の深層を封じて隠し生きる為に、日常地味な装いをしていて、それが実は強いM(マゾ)性を滲ませていた。

つまり元々、葉月には天性のM(マゾ)性が滲んでいた。

葉月は内心、高校生の頃から自由に伸び伸びした性交に興味があった。

それを阻(はば)んで居たのは、言わば世間のモラル(道徳)・インモラル(不道徳/背徳的)と言った建前のパラダイム(時代の合意事項)だった。

しかし人類に於けるパラダイム(時代の合意事項)など、正直、不確(ふたし)かな事この上ない。

感性で言えば、中世のパラダイム(時代の合意事項)は「地球は平で在り、天が動いている」が信仰上の感性だった。


正直、シエアリング(共同所有)のソーシャルセックス(社交的な性交)、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)など、想像しただけで胸がキュンとする。

もしかしたら葉月のそうした興味は、本性を素直にバラせば世俗的には「あばずれ」と言われそうな眉をひそめるSEXの遊びへの密かな憧(あこが)れだった。

だが、葉月の深層心理のイメージでは、性玩具(おもちや)として扱われる露出羞恥や輪姦と言うM(マゾ)性の「服従の性交」を予感させるインモラル(不道徳/背徳的)で多様な性交に密かな憧(あこが)れが在った。

結局の所、女が男を甚振(いたぶ)っても、シュール(説明が難しい状態)な違和感ばかりで落ち着かない。

つまり女性には根っ子からM(マゾ)性が本性で、罪悪感的な想いは在ったが、それ以上に感じられる快感には魅力が在った。


その後の葉月は、この手の「プレィのお誘い」に「また、あの天国が体験できる」と、修行の呼び出しに嫌悪感(けんおかん)は起こらなくなった。

しかしこの世に生まれて人生が色々なら、男だって女だって咲き乱れて愉しんでも良(い)いんじゃないか?

つまり葉月がそれ成りに成熟した女性なら、年齢相応の思考なり肉体なりに自然に進化しているものである。

葉月は非日常の一瞬に、教団幹部の男達の連続性交で散々善がらして貰(もら)っただけで、家に帰った日常はそれ以上でもそれ以下でも無い。

教団の修行なんて、大袈裟(おおげさ)に考えなければ結局こんなもので、大した事では無いのである。

そして、どうせこう言う非日常の事は、経験が無い者に限って声高に批判するだろうから、葉月は世間に口を拭(ぬぐ)って知らん顔をして居れば良い。




◆夜鳴く蝉・葉月◆

第八話(メス犬葉月の獣姦体験・ラブラドール)
◆◇◆◇◆第八話(メス犬葉月の獣姦体験・ラブラドール)◆◇◆◇◆◇

私(葉月)は、教祖に教義としての解脱(げだつ)性交修行の意味をレクチャー(講義)されています。

教祖いわく、人間と言う生き物は、格好を付けたところで他の動物の繁殖期と違い「擬似生殖」と言う生殖目的無しの性交を随時に「遊びのプレィ」として行う。

つまり、何を持って正常・異常を問うならば、「擬似生殖」と言う「遊びの性交」を愉しむ時点で、半ば本来の正常な生殖行動とは立派に外(はず)れている。

その「擬似生殖」の相手が恋人だったり夫婦だったりするのだが、理屈で言えば、どうせ生殖目的無しの「遊びのプレィ」としての性交なのだ。

遊びが前提だから、性交相手の範囲をプレィ仲間に広げて大胆な性交で遊んでも、遊びは遊びである。


まぁ、人間は元々判らない生き物で、表面からは裏の非日常の場面では何を犯って居るのかまではどうせ想像など出来ません。

勿論、「愛が無ければ性交出来ない何て話し」は建前の綺麗事で、人間は愛など無くでも性的興奮だけで充分性交は可能です。

大人(おとな)なら、恋と性愛の違いくらい承知していて、馬鹿者は利口者振るが利口者は会心の洒落(しゃれ)か喜劇で馬鹿な振りが出来るのです。

それで理屈の上では、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)やマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などのソーシャルセックス(社交的な性交)が成立します。

人間の想いなど不思議な物で、同じ事でも悩んでしまえば大変な事で、堂々と「何でもない」と思えば、それは「何でもない事」なのです。

つまりそれらは特別な事では無く、時と場合、条件が一致すれば、「その遊びのプレィは、誰にでもアクティブ(活動的・積極的)に犯る可能性がある」と言う事です。

そして人間の脳は、一度強烈な快感の味を占めてしまった性癖は、「抑えよう」と想っても中々抑えられません。

何しろその時に得た尋常では無い快感を思い出すと、涎(よだれ)が落ちそうになるほどの執着(しゅうちゃく)を感じるものです。


その後の輪姦修行に戻ります。

一週間ぶりの、「葉月に解脱(げだつ)開眼修行をさせる」との教務幹部からの呼び出しでした。

私(葉月)、大事な所が「壊れてしまうか」と思いました。

もう、メチャメチャに使い続けられて、休ませないのですもの。

でもやり遂げました。

女って、結構頑張れるものですね。

建前上は「在るべきでは無い事」ですが、無礼講の戯(たわむ)れの場で教務幹部の集団に拠る私(葉月)への輪姦が、また現実に起こっています。

まぁ「在るべきでは無い事」が解釈としては一般的かも知れないのですが、意識して現実的に考えれば世間には当然在って当たり前かも知れません。


夫婦合意の下、無礼講の戯(たわむ)れの場で、呪詛(法力)巫女の修行輪姦(しゅぎょうまわし)で複数のメンバーとの肉体関係を築く事で、私(葉月)には新たな人生が始まったのです。

どんな環境でもその場のヒロインで居たいのが女心で、その場の同じ境遇の相手はライバルであるか、共通するパホーマー(表現者)としての仲間意識もあります。

そしてこの場は、いっぱいいっぱい(限界)の官能的な性交パホーマンス(表現・披露・人の持つ能力)が、私(葉月)に求められる舞台でした。

この場の私(葉月)の肉体(からだ)は、参加男性のシエアリング(共同所有)がルールでしたから、彼らの全てに満足を与えるまでヒィヒィ言いながら犯られ続けられても文句は言えないのです。

最初の修行輪姦(しゅぎょうまわし)行為は、私(葉月)の性感を曝け出す強制バイブ攻めから始まります。

バイブレーターで股間の花芯を攻められて、脳みそが溶ける様な快感に攻められている腰を私(葉月)は浮かし、海老ぞりに反り返りながら善がり声を発し、イキ続ける醜態を披露します。

勝也には、股間にバイブレーターを咥(くわ)えたまま悶える私(葉月)の適度に熟れた肉体(からだ)の白い尻や太腿(ふともも)が眩(まぶ)しかったそうです。

やがて本格的性交が始まり、しとやかな雰囲気の私(葉月)が豹変し、欲棒を抽入された素っ裸騎上位でスクワットの腰使いに上下させ、ハァハァと荒い息の呼吸を漏らしながら乗り熟(こ)なしているのです。

私(葉月)の臍(へそ)の下のV字ゾーンのちじれ毛が密集した柔らかそうな恥丘の下部で、男の腰使いに漲(みなぎ)る欲棒がその陰茎を生々しく見え隠れさせて勝也に見せています。

私(葉月)はもう、性感に拠る忘我の境地に入っていて欲棒を抽入された正常位素っ裸で、教務幹部の男達に乗り熟(こ)なされている雌豚です。

愛液に塗(まみ)れて抜き挿しされる欲棒に私(葉月)の肉花弁が押し開かれ、或いは絡み着きながら生々しくうごめいています。

続けて何人もと性交するから、私(葉月)は時々ガクンガクンと落ち(イキ)ながら、犯られ続ける事に成ります。

私(葉月)は、破目を外して刹那(せつな)の性交を愉しむ教務幹部連中に犯られっ放しの生贄(いけにえ)状態でした。

勝也の目の前で、叫び声を挙げるほどイカされ続けて私(葉月)は上半身を海老ぞりに反り返り、腰をビクンビクンと痙攣(けいれん)させ悶絶するのです。

つまり絶頂が繰り返し続くのですから、私(葉月)は性愛欲の極限と言う究極の新感覚に脳が震える至福の時を過ごす事になります。

これは私(葉月)にはあくまでもシュール(非日常)な時間で、それが普通だが日常の生活は平凡でこんなスリリングで愉しみな遊びの時間など無いでしょう。

連続性交は、抽入からだと教務幹部連中の男達がイク(絶頂・射精)に達するまで一人当たり短くて五分から長くて七分を費やします。

十人も熟(こ)なすなら約一時間、二十人熟(こ)なすなら約二時間のパホーマンス(披露)で、その長丁場の露出公開輪姦性交は、私(葉月)にとって見れば犯られっ放しのマラソン性交なのです。

六〜七人目になると、私(葉月)がイキ続けて肉体(からだ)がまだヒクついているのに次の男の欲棒が挿し込まれて攻め始めるので、泣き叫ぶほどに感度が高まって豪快に受け腰を使います。


輪姦(まわし)を犯られ終わった私(葉月)には、何故か気分がスッキリして正直嫌な気分は無かったのです。

長時間の連続抽入に、私(葉月)本人が自分でも意外に想うほど感度を益し、性愛欲の極限と言う新感覚に脳が震える至福の時を過ごしたからです。

まだ男の欲棒が抜けたばかりで大きくホールが開いて閉じない私(葉月)の腰が、イキ続けた余韻に浸(ひた)っているのか、大股ひらきのままヒック、ヒック、と小刻みに揺れています。


嵐の時間は四時間に及び、終わった時、私(葉月)は嬲(なぶり)捨てられ、精根尽き果てて修行場の床の上に転がっていました。

しかし私(葉月)は、そんな惨めな姿の自分に言い知れない達成感と満足感を感じていました。


特別信者様達は粗方帰宅の途についたようです。

傍らで教祖様、それに三組がまだ談笑していて、時折笑い声が聞こえています。

勝也も談笑の中にいて、次回に葉月を「どう浄化修行をさせるかの相談話」を熱心にしています。

加賀美家とすれば、少し強引にでも修行を早め、早く幹部のレールに私(葉月)の精神を高め、実践をさせて行き、教祖に認められ「呪詛(法力)巫女」にさせたいのです。

私(葉月)に次はあれをさせよう此れをさせようは女達が熱心で、どうやら名案があるらしく話が熱をを帯びて笑い声も混じっています。

「今度は黒人の、オチ*チンがど太いのを二〜三人呼んで来て、葉月チャンを犯らして見ましょうか。」

「なぁに、嫌だ、そんな事をさせるの。」

「ハハ、それ良いからそれも犯らして見よう。早く呪詛(法力)巫女に仕込まないと。」

勝也の声です。

そこに聞き覚えの有る女の声が割り込みます。

三人組アイドルグループ解散後、独り立ちした武藤裕子の冷たい声でした。

「甘いなぁ勝チャンは、急いで意識改革の浄化修行がさせたいのでしょ、この、際徹底的に仕込むべきョ。知り合いに調教済みの犬がいるから、葉月チャンと犯らして見たら。」

「えぇ、犬とぉ犯らすの・・・それは酷く無ぁい。」

「犬とは、チョット可哀相じゃない。」

「大丈夫よ、ちゃんと予防接種済みのラブラドールだから。」

裕子が、何が何でもの勢いで、押し切ろうとしている。

「そうかぁ、葉月が犬にやられる処、見てみたいと言えば見てみたいな。」

どうやら、加賀美は興味を示したようだ。

「ねぇ、そうでしょ、徹底的に倫理観をぶち壊すべきョ。葉月チャンがどんな顔しながら犬と解脱修行を犯るか、すごく楽しみ。」

「やっぱり、犬とは可哀相じゃない。」

「なぁによ、私の二回目の時なんか、特別信者サンの一人が(生きたうなぎ)持って来て、もぞもぞ動いているのにゴム被せてねじ込まれたのよ。皆笑って見てたじゃない。」

「あった、あった、あれやられたの貴女だったぁの。」

「私(武藤裕子)よ、もぅ、うなぎが中でもごもご暴れて、大変だったのだから。」

「外では、尻尾がバタついてたぞ。」

「あのうなぎ可哀想に、結局裕子ちゃんが中で絞め殺しちゃったんでしょ。」

「私の泥鰌(どじょう)三十匹より余程ましよ。クスコで広げられてドボドボ入れられたのよ。」

「それぞれ、色々経験が有るじゃない。」

「そぅね、じゃぁ、犯らしちゃおうか?」

「何ょ、貴女、さっきは可愛そうだって言ったのに。」

「犬の手配なら任せて。それに葉月チャンの了解も、私が取るから・・。ねぇ、良いでしょ、教祖様。」

「葉月も解脱(げだつ)して法力祈願のお相手が出来るように成るまでは、何でもさせないと駄目じゃないか?」

教祖が「犬とするのも和合に成功すれば、呪詛(法力)巫女に成る早道」と賛同しています。

「ハハ、裕子チャンはキツイね。でも面白そうだなぁ。犬も仏法諸天の内だから、解脱(げだつ)修行をさせても問題は無いが、葉月が応じるかな?」

応じるも応じないもありません。

神道でも万物は神ですから、教祖が賛同した以上もう「犬とするのは決定」に違いありません。

その企みが、疲れて横たわる私(葉月)の耳に聞こえてくるのです。

もう彼らに、今夜は用済みでボロボロの私(葉月)の事など、気に留める風情もありません。

話していた三組は、私(葉月)も知る著名人カップルです。

最近売り出し中の若手実業家と若手女優、若手の売れっ子評論家と女子アナ、例の売れない女性タレント武藤裕子と、プロデューサーのカップルも居ました。

可愛そうと言いながら、面白そうと言ったのは、、旦那がIT長者で採用されて三年目に結婚した女子アナでした。

外部に漏れればスキャンダルになります。

名前を知られた連中の、秘そやかなる信心であり、気晴らし遊びでもあります。

勝也は彼女達と、どの道この教団の信仰仲間だから仲が良いのでしょう。

下世話に言えば、能く(よく)浄化修行や祈願修行で勝也に抱だかれる間柄の女達なのです。

彼女達は、「可愛そうに、勝ちゃんは平気で酷い事をさせるのね。」と、奇麗事を言っていますが、言った女達が、先ほどまで一番先頭になって、「サァ、葉月チャン、極楽浄土招来」で私(葉月)を陵辱する事に余念がありません。

建前は「可愛そうに」ですが、本音は残酷な物で、性的に責め立てた時の私(葉月)の反応に好奇心いっぱいなのです。

こういう時は、本来同性の方が残酷で、言葉とは裏腹にとことんいたぶります。

武藤裕子など、すっかり加虐性(サド)が目覚めたのか、葉月を面白がって攻め立て、散々に弄んだ挙句、最期はとどめで「葉月チャンはよく平気で、皆にこんな事を犯らせるわネ。」と、蔑(さげすむ)様に言います。

そして、卵バイブレーターで私(葉月)の花芯のボタンを刺激しながら、「勝チャンが、この次は黒人の太いのやオス犬とやらせると言っているけど良いの?」と聞きます。

恐い話を告げられているのですけど、アァ、バイブが気持ち良いんです。

私(葉月)が、「教祖様や勝也さんがおっしゃるなら。」と応えると、「そう、葉月は犬とでもやるのね。楽しみだわ。」と念を押し、「私には、とてもそこまで出来ないけど。」と付け加えるのです。

とどのつまりは、「自分は嫌だが人にさせるのは楽しい。」と言う事ですが、どの道教祖様の意向が入っているのです。

日頃テレビ画面では少し足りないキャラで売っている武藤裕子の、画面では伺えない一面がそこにありました。

少し休んで、私(葉月)も漸く落ち着きました。

今夜の私(葉月)の立場だって、考え方によっては女性として一度は経験したい秘そやかなる憧れかもしれません。

今日は、いったい何度皆様の欲棒から吐き出る物を受け入れた事か、全身がそれに塗れてしまっています。

浄化祈願の修行の最期に、私(葉月)は「修行巫女」の感謝の言葉を言わされました。

「皆様には私でお遊び頂き、ありがとうございました。おかげさまで、少しは浄化していただきました。お楽しみ頂けたでしょうか?」

後は特別信者様達全員が帰るまで、大勢の体液に汚された裸身のまま、シャワーを使う事も許されず、何度でも玄関の外に出てお見送りしました。

中学校で理科を教えていた私(葉月)の頭の中には、このメンバーに「マーキングをされた」と言う思いがあります。

勿論最後の一人が帰るまで「修行巫女」に着衣は許されません。

その全てが、新参者に対する躾(しつけ)であり入信の調教なのです。

あと少し自分を棄てて修行を積めば呪詛(法力)巫女になる幹部和合の修行に入れます。

翌日の夜は、修行明けで帰宅を赦され、久しぶりに勝也と夜を伴にしました。

私(葉月)は抱かれながら、勝也の口から教祖と武藤裕子の経緯を聞かされました。

先程から、勝也は私(葉月)を組み敷いて欲棒を私の股間に収め、ユックリと味わうように抽送しています。

「修行場で見た輪姦される葉月は、さながら慈悲深い千手観音だな。」

「観音様ですか?」

「アァ、千手観音が俺には輪姦を引受ける慈悲の女仏に見える。」

「そうですか、私でも皆様を幸せに出来るのですね。」

「当たり前だよ、どうだ、修行をして葉月も少しは嬲(なぶ)られる事を楽しめるようになったか?」

「はい、本当にすごく感じて楽しかったです。社会に刷り込まれた性への嫌悪感を拭い去る為の浄化を努力しますので、またお願いします。」

「その件だけど、あの武藤裕子がお前の解脱(げだつ)修行に犬を貸せると教祖に言っているが?」

勝也が、抽送を繰り返しながら、恐る恐る話を切り出しました。

いよいよ犬が相手と聞いて、私(葉月)の頭に、「キーン」と言う疲れた様な不思議な被虐の感覚が湧きました。

「その事でしたら、お借りしても宜しいですわ。」

「エッ、ホントに良いのか?」

「教祖様も了解済みですから、仰せの通りに従います。」

「そうか、葉月も承知しているなら話が早い、皆も凄く期待していた様だから、三日後にでも企画して見るか?」

話の進展に私(葉月)への加虐の気持ちが高ぶったのか、勝也の欲棒が硬さを増し、動きが激しくなります。

「そうなさいませ、当分浄化修行だと仰っていましたから、アッ、あなたがお望みなら。アァァァ。」

欲棒の出入りが激しくなって、私(葉月)の腰の動きも激しさを増し、これから起こる被虐の興奮を隠せません。

二人だけの時は、勝也は私(葉月)の好きな行為、繋がったまま恥骨を擦り合わせるようにグラインドをしてくれます

「あぁ、良い浄化修行になるだろう。あの売れないアイドルタレント、お前の宝石や衣装に嫉妬している様で、色々と言うわ。」

「裕子さんにギブアップはしませんゎ。アァ。それにもう犬とさせると決めていらっしゃるのでしょ。アァ。」

臨時の獣姦修行は、結果的に内輪の人数でする事に決まりました。

告知時間が短いので、集まったのは教祖様にあの雑談のメンバー三組と、ラブの飼い主夫婦、そして勝也と私(葉月)でした。

折角の「初獣姦浄化修行」に、参加人数が少ないのを武藤裕子が残念がりましたが、遠方の特別信者様が多くてそれも仕方がありません。

私(葉月)には、自分の中に犬の物が入ってくるなど想像も付きませんけれど、不思議と嫌悪感は湧きません。

ここまでやってしまうと、「今更何を言え」と言うのでしょう。

犬も勝也の用意した「バイブレーター」と思えば何でもないのです。

それに、此れは「性への嫌悪感を拭い去り、呪詛(法力)巫女」になる為の修行なのです。

私(葉月)は犬相手でも、キット「極楽浄土招来」と、腰を振ってみせます。

当日修行場に行くと、早い時間帯に飼い主夫婦が黒ラブのブラックを連れて来ていました。

私(葉月)がブラックを相手に鳴くのは夕方からの予定です。

不思議そうな表情で私(葉月)を観る、たれ耳で可愛いく澄んだつぶらな目をした大人しい大型犬でした。

飼い主夫婦は、私(葉月)が相手と聞いても別に驚きません。

「良く調教してありますから、上手く行くと思いますが、早くから葉月さんに馴れていた方が良いでしょう。」

そう言うと、奥さんが私(葉月)を誘い、二人でブラックを慣れさせるウオームアップを始めました。

その時から女二人とも全裸で、ブラックとじゃれ合ったり、餌をやったり親近感を作って行きます。

開始時間が近くなると、女二人でブラックを風呂に入れ、隅々まで洗ってやりました。

ブラックは頭が良く、「今日の相手」と状況が理解できるらしく、可愛い事に私(葉月)に擦り寄ってきます。

見ていた教祖が、「ほぉ、利巧な犬だ、今日の交尾の相手が誰か判っている。」と、感嘆の声を上げました。

教祖も修行管理部の幹部さん達も、今回の浄化修行は興味津々です。

時間が来ると、飼い主の奥さんは着衣し、調教師に変わります。

私(葉月)は裸のまま勝也に首輪とリードを着けてもらい、ブラックと修行場の玄関前に四つん這いの姿勢で参加者を迎えます。

今日の仕掛け人だから、武藤裕子が開催の挨拶をしました。

彼女の挨拶によると、今日のゲストのブラックは武藤裕子から私(葉月)への入信祝いで、ブラックの招請費大枚二十万円は「裕子のポケットマネーだ」と言います。

自分とは桁違いのセレブで、美しく気品に満ちた葉月だからこそ、非日常では「落差のある汚され方をさせたいから。」と、趣旨を言いました。

今夜私(葉月)は本格的にメスでしたから、会食して頂いている間、四つん這いで特別信者様の股間の物を男女に関わらず舌と唇でご奉仕して歩きました。

武藤裕子も調子に乗っていたから、私(葉月)を「メス犬」としか呼びません。

尻尾が無いのはおかしいと、武藤裕子から革鞭を柄の方からアナルに挿しこまれ、「メス犬尻尾を振りながら食え」と、皿に盛った餌を床に置いて与えられました。

それを、尻尾を振りながらブラックと一緒に食べました。

本格的な犬との交尾は、そう長い時間は出来ません。

それでも、ブラックに私(葉月)のバターを塗った股間を舐めさせると、強烈な快感に襲われました。

お返しに私(葉月)は、ブラックの雄(オス)を口で丁寧に愛撫し立たせました。

硬くなると、飼い主婦人の誘導で、後背位の定番体位になり最初の交尾をしたのです。

ブラックの前足に靴下を履かせ、爪で葉月を傷つけない様にして頂きました。

両足を葉月の腰の辺りに乗せ、まさに「突つき入れる様に」ブラックの腰が前後して、先太の物が私(葉月)の花弁を押し退けて、中に潜り込んで来ます。

犬の欲棒は、細長い筆の頭の様な形状のピンク色のカリ首に淫茎には細かい毛がビッシリと生えていて、その淫茎が私(葉月)の中に入って抜き挿しされるとその刺激は強烈です。

ブラックの激しいピストン運動に私(葉月)の顔が歪みながら左右に嫌々をし快感に耐えるのですが、股間に抜き挿しされるそのブラックの淫茎は、根元近くまで中に達して来ます。

それが、けっこう気持ちが良いのです。

私(葉月)は大声で善がり声を上げ、その感触を楽しみました。

しかし見物の参加客から、「この体位では、入って出入りして居る所が良く見えない。」とクレームが来ました。

「よくお見せしよう」と言う事に成り、私(葉月)は参加者が取り囲むソファーに仰向けで大股開きになり、見易い体位の交尾を試みます。

いきり立った物を受け入れようとしますが、抽入はブラックだけでは困難で、飼い主婦人が手で介添いして抽入を果たしました。

ブラックの太い物が、ブスリと私(葉月)の花弁を掻き分けて入って来たかと思うが早く、ブラックは嬉しそうに尾を振りながら激しく腰を前後に使いシンボルを抽送ます。

「アッ、アアアア、アッアッ、ァァァァァ」

武藤裕子から、「葉月チヤンどう?気持ち良いの?」と声をかけられます。

こんなに声を出しているのですもの、良いのに決まっているのに・・・・・・。

激しい快感を覚えながら私(葉月)は受け腰で応戦し、激しく腰を使って快感を貪ります。

「極楽浄土招来・極楽浄土招来」と、心で、つぶやきながら・・・・。

日頃は気品溢れる葉月の、これ以上無い恥ずかしい姿です。

強烈なブラックのピストン運動に私(葉月)は圧倒され、皆の見守る中、葉月は外にまで響くような、大きな善がり声を上げ続けました。

やがて私(葉月)は股間から愛液を噴出し、クチョクチョとブラックのピストン運動に陵辱されながら気絶して行きました。

そのブラックのピストン運動がピタリと静止し、ブラックは葉月の中に挿し込んだまま永い射精に入ったのです。

教祖様や勝也は満足したようですが、武藤裕子から「メス犬がそんな格好でするものか。」とクレームが付き、二回戦は本格ドックスタイルで交尾する事になり、介添は「私が入れる。」と裕子が買って出ました。

このスタイルでは、二匹が激しい動きは出来ない、繋がったままじっとするだけです。

その代わり私(葉月)の中でブラックの物が脈打っているのがはっきりと感じられます。

私(葉月)がブラックと尻を合わせて繋がると、裕子が耳打ちをします。

「皆様、メス犬葉月は、今ブラックと交尾をしています。どうぞこの恥ずかしい姿をご覧ください。」

私(葉月)は、ブラックと交尾したまま、大声でそう叫んだのです。

言わせておいて「助平なメス犬、だこと。」と、裕子は楽しそうに勝ち誇って笑いました。

すかさず参加者の一人が、私(葉月)の口に自分の欲棒を押し込んできて、腰を動かし始めます。

それは喉の奥までグイグイと潜り込んで来きますが、相手がほとばしるまで耐えました。

参加者男性の欲望の始末もして帰ってもらうのが、葉月の責任でもあります。

「私はメス犬なのだ。」と、葉月は思い知らされました。

しかし、これだけでは教祖が浄化修行を終わらせません。

「まだ余裕がある」と見たのでしょう、畳み掛けるように、「SM修行をさせろ」と言い出します。

「解脱(げだつ)開眼」に少しでも近付ける為です。

教祖様の御意志は絶対で、私(葉月)も仰せの通りするしかありません。

突然だったので、修行管理部の幹部さんが、仕度の為に慌てて走り回ります。

修行場にパイプ椅子が置かれ、私(葉月)が座させられます。

全裸の私(葉月)がM字大開脚に両手は万歳の体制で、両手足を拘束され、その艶かしい格好のまま、「この通り、明け広げてお待ちしております、如何(いか)様にも存分にお楽しみください。」と挨拶をします。

「お好きにどうぞ」で、物理的にもけして抗えず、これ以上の無防備はありません。

思い思いの責め具を手に、あっと言う間に特別信者様達が、私(葉月)に群がって来ます。

十秒もしないうちに私(葉月)は快感に打ち震えます。

器具で責めるもの、そのまま圧し掛かって抽入する者、何をされても身動きできず、相手が私(葉月)から離れるまで、唯、快感に耐えるしか成すすべがありません。

花弁を押し広げて深く浅く出入りする様々な物が、愛液に濡れて音を立てています。

身動きが出来ない分、感覚が一点に集中して快感が並ではありません。

多くの方の物が、花弁の中にほとばしります。

すごい善がり声を上げ続けて、私(葉月)はパイプ椅子の上で気を失いました。

教祖様は私(葉月)を休ませません。

今は畳み掛けて、責め上げる時だとおっしゃいました。

この修行場には天井にロープを通す太いパイプが据えてあります。

修行管理部の幹部さんが私(葉月)を抱き起こして真ん中に立たせ、両手を縛って縄を天井のパイプに通し、縄を上に引きます。

私(葉月)の両手は天井に向かって目いっぱい挙がり、足がやっと届く所で止まりました。

私(葉月)の裸身が縄で立たされています。

特別信者様達も修行管理部の幹部さんの支度が終わるのを待ち構えています。

此れから、半吊りの状態で「自由が利かない私(葉月)を弄(もてあそ)ぼう」と言う体制です。

私(葉月)の片足に縄をかけ、修行管理部の幹部さんが上に絞って、私(葉月)が片足立ちに、なっています。

私(葉月)の身体はバランスを保てずに揺れ続け、股間は大きく広がって茂みも花弁も丸見えを晒していました。

数人が近寄り、私(葉月)の股間にバイブレーターを挿しこみます。

いきなり抽入されて、「あっ、」と私(葉月)は小さい声を漏らします。

私(葉月)、片足立ちで吊るされて武藤裕子にバイブを股間に挿し込まれ、ズコズコと抜き差しされて責められ善がり声を上げ続けます。

その後、武藤裕子から代わった特別信者さんの一人が、暫くバイブを出し入れをして、私(葉月)の反応を楽しんでいましたが、何を思ったのか、急にタマゴ型ローターをアナルに押し込んだのです。

続いて花芯にもローターを宛がうと、細縄で固定をして、両方のスイッチを入れました。

それが、カチカチとぶつかるもの凄い二つのローター音と同時に、私(葉月)の悲鳴に近い善がりのさえずりが起こり、片足吊りの不安定な身体は、ビクンビクンと絶頂を向かえ尚鳴き続け、揺れ続けます。

蝉が夜賑やかに、絶える事なく鳴き始めました。

固定されたローターは私(葉月)が何度イッても、花弁ボタンから離れません。

「気持ち良いです、良過ぎて死にそうです。あぁ、た、助けてぇ・・・・」

私(葉月)は、快感を押し殺すように訴えました。

掛けられた縄は食い込んで痛いが、それとて妙に快感を覚えます。

私(葉月)は、自分が完全に「マゾ」に仕込まれたのを改めて自覚しました。

もう、明らかに陵辱される事に日頃の癒しを依存しています。

お仕着せの理性に拘らなければ、この状態を「極楽浄土」と楽しみながら生きていけます。

武藤裕子に、今は感謝の念が湧いています。

私(葉月)を苛(いじ)めたかった彼女の思惑とは違うのでしょうが、彼女が躍起になるほど、こちらは極楽浄土なのです。

今度、彼女は黒人を沢山連れて来るのでしょうか?

どんな経験が出来るか楽しみです。

実はその武藤裕子ですが、過日の「私にはとても出来ない。」発言を教祖様に咎められ、「自分の我を棄て切れていない。」と、毎週一回、仕事の合間にお仕置き修行を受ています。

此れには、教祖様の「引導を渡す」はありません。

修行管理部の幹部さん達のなぶりものになるお仕置きで、縛られたり吊るされたりしながら、犯され続けて自分の我を棄てる修行です。

私(葉月)修行場で良く行き会いますが、何しろ丸見えの修行場でしょ、裕子さんがヒィヒィ言って嬲られているの良く見えるのです。

「法力祈願」の修行は、修行管理部の幹部さんのOKが出るまで、何ヶ月でも続けるそうです。


勝也は飼い主夫婦に、一頭ラブを育てるように注文をしました。

調教済みを一頭買い取るのに「千五百万円は費(か)かる」と言う贅沢なものですが、「葉月の為に散財する」と言います。

私(葉月)の解脱修行の為にする散財ですから感謝せねば成りません。

飼い主の妻は、自分の身体でラブに人とやる事を(獣姦)を仕込んで売る事で稼いで居るそうです。

夫婦で実演デモンストレーションもして歩くのですが、「結構注文も来る」と言います。

当初の頃はビデオ製作会社等だったのですが、「最近は密かにセレブ階級や、個人アダルトサイト運営者からの注文が多くなっている」と言いながら、愛想笑いをしました。

年に一、二頭売れれば、彼らは遊んでくらせるのです。

(葉月)の性に関する呪縛は吹っ切れています。

教祖の教えでは、呪詛(法力)巫女に成る早道は己を捨て去り、全てを受け容れる事だと教わりました。

パートナーが望み、他人を楽しませ、自分が楽しむ気持ちになれば、新しい倫理観が生まれ、世間に押し付けられたお仕着せの倫理観など関係なのです。

あんな卑猥(ひわい)な事を平気で犯るように成った私(葉月)ですけど、あれは家族と教団内だけの事で「別にどうって事は無い」のです。

勝也の遊びの生贄(いけにえ)を務める時は勿論、買い物で出かけるにもノーパンティで出かけますが、街行くすれ違う人々はそんな事は知る由も無いのです。

それで、事なかれ主義を前提とした倫理観から解放され、気持ちは楽になりました。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

裏八話葉月に獣姦体験をさせる
◆◇◆◇◆裏八話(葉月に獣姦体験をさせる)◆◇◆◇◆◇

考えて見れば、葉月は時間調整までして犯られに教団に出席していたのだから、本音では「嬲(なぶ)られるのが嫌だった。」とはとても思えない。

当たり前だが輪姦(まわし)の時は、レギュラー(正規メンバー)の男性が皆汗ビッショリで慌(あわただ)しく突きせめるから、受け入れる葉月の方も汗と愛液塗(まみ)れでヒィヒィ言わされる。

こうなると葉月は、経緯(いきさつ)に関係なく世間では立派な淫乱女である。

しかしそれを批判する女性達が、性交技も下手(へた)な癖にそれをまったく認識せずでは、呑気に何も判って居ない世間知らずである。


男性に独占欲が在る所から女性の淫乱症は敬遠される為、女性は駆け引きで一見「性」に関心が無いようにして居る。

しかし現実には、女性に「性」の関心が無い訳がない。

人間として子孫を為す本能があるから、女性にも男性に負けない秘めたる性欲が在るように出来ている。

本音の性本能がそうで、世の中再婚を繰り返したり浮気を繰り返すのだから、家庭崩壊のリスクが無ければ女性も安心して犯られ放題を愉しむ遊びの性交がある。

だから本当に性欲が無い女性は一種の病(やまい)であるから、一度医者に診てもらった方が良い。

そして、男女伴に「性」に興味が在っても、観て興奮する男性と魅せて興奮する女性、元々男女の資質と役割に少し違いがある。

男女に資質と役割の違いがあるこそ、こうした公開性交の「秘密の遊び」がワクワク感を持って成立する。

それは嘘が無い男女の生き様として、一瞬の煌(きらめ)きかも知れない。

そして、その「秘密の遊び」を犯った者でないと判らないが、一度その秘密の遊びを問題も無く犯れてしまうと癖に成るほど嵌(はま)る遊びに違いない魅力が在った。


教祖や武藤裕子から「葉月を犬と犯らせる」と提案された時は、私(勝也)も正直悩んだ。
余りにも展開が速すぎて、私(勝也)も付いて行けない。

教祖にその辺を聞くと、葉月には感性(才能)があるから、考える時間を与えずに一気に悟りを開かせた方が良いと言う。

まぁこう言う犬との獣姦ショーは、温泉観光地へ行くとたまに鑑賞を誘われて私(勝也)も観ているから、葉月が応じさえすればまったく不可能な行為ではない。

獣姦とSM輪姦修行で一挙に追い詰め、葉月が幹部信者による月一度の修行に入る頃には「仮の呪詛(法力)巫女」資格を与えてしまおうと言うのだ。

しかし流石に「犬と犯れ」とは葉月に言い難い。

獣姦修行は教団としても始めてだが、精神と肉体の分断を標榜している以上、教祖が容認すれば、肉体の方は別に何を相手に「法力祈願」をしようが、精神(こころ)は傷付かないし気にする物でもない。

私(勝也)は意を決して、葉月を抱きながら話を持ち出して見た。

しらふで、何も無い時には中々言える物ではなく、やはり怪しい雰囲気で無いと持ち出すのを憚(はばか)るような話だ。

「その件だけど、あの武藤裕子がお前の浄化修行に犬を貸せると教祖に言っているが?」

抽送を繰り返しながら、私(勝也)が恐る恐る話を切り出した。

おそる、おそる、言い出して見ると、意外にも葉月は簡単に応じた。

「その事でしたら、その犬をお借りしても宜しいですわ。」

「お借りしても宜しい」とは、自分の意思で「獣姦を受ける」と言う事だ。

「エッ、ホントに良いのか?」

「教祖様も了解済みですから、仰せの通りに従います。」

葉月は、顔色も変えずに話を受けた。

葉月の本音は判らない。

しかし、畳掛けてもこれを進めなければならない。

「そうか、葉月も承知しているなら話が早い、皆も凄く期待していた様だから、三日後にでも企画して見るか?」

もう、私(勝也)の脳裏に浮かぶのは、葉月に挑む犬の姿だった。

思わぬ話の進展に、葉月への加虐の気持ちが高ぶって欲棒が硬さを増し、私(勝也)の動きが激しくなった。

「そうなさいませ、当分浄化修行だと仰(おっしゃ)っていましたから、アッ、あなたがお望みなら。アァァァ。」

欲棒の出入りが激しくなって、葉月の腰の動きも激しさを増し、これから起こる被虐の興奮を隠さない。

教団の教えが、勝也の想像以上に葉月に浸透していたのだ。

そう思って、獣姦修行に望んだが、とんでもない。

犬の欲棒は、細長い筆の頭の様な形状のピンク色のカリ首に淫茎には細かい毛がビッシリと生えていて、あの淫茎が葉月の中に入って抜き挿しされると思うとその刺激は強烈に違いない。

葉月は参加者が取り囲むソファーに仰向けで大股開きになり、見易い体位の交尾を試みる。

いきり立った物を受け入れようとするが、抽入はブラックだけでは困難で、飼い主婦人が手で介添いして抽入を果たした。

ブラックの太い物が、ブスリと葉月の花弁を掻き分けて入って来たかと思うが早く、ブラックは嬉しそうに尾を振りながら激しく腰を前後に使いシンボルを抽送する。

「アッ、アアアア、アッアッ、ァァァァァ」

両足を葉月の腰の辺りに乗せ、まさに「突つき入れる様に」ブラックの腰が前後して、先太の物が私(葉月)の花弁を押し退けて、中に潜り込んで行く。

ブラックの激しいピストン運動に葉月の顔が歪みながら左右に嫌々をし、股間に抜き挿しされるそのブラックの淫茎は、根元近くまで中に達している。

そのブラックのピストン運動がピタリと静止し、ブラックは葉月の中に挿し込んだまま永い射精に入った。

細かい毛がビッシリと生えた淫茎での激しいピストン運動の交尾と、永く挿し入れたままの射精が犬の性交スタイルである。

ラブラドールのブラックを相手に、犬特有のクィクィクィと言う高速性交の見事な犯されぶりで善がり、葉月はメス犬になり切った。


葉月も、避けられないどうしょうも無い事に、気持ちだけで何時(いつ)までも拘(こだわ)っていても仕方が無い。

輪姦(まわ)しを犯られて見て判ったが、葉月はかなりの拒否できないスケベだった。

経験した者でないと判らないが、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)は、嫌で無ければ異常な興奮と被虐の快感に病み付きに成る。

そしてどうせ輪姦(まわ)されるなら、気分良く犯って貰った方が互いに気持ちが良いし人数も早く熟(こ)なせる。

だから輪姦(まわ)される葉月自らスケベ女に成り切って、姦淫ムードの気分を煽(あお)り、犯られながらもエロスムード(雰囲気)を盛り上げる努力も求められる。

だから、葉月ほどの賢い女性なら前向きに愉しもうと心掛ければ、被虐の性玩具(おもちゃも)に弄(もてあそ)ばれる事も段々に馴染んで行けば良い。


あの輪姦性交の後、葉月の態度が極めて従順に変化したにはそれなりの動機を持つ体感学習がある。

生物学的に種の保存に必要な性交は、それを促すように犯れば快感を得られるように脳にインプットされて居て、だから本来誰にでも性欲はある。

性交の快感は本来「非日常の快感」で、全ての日常を一瞬なりとも遮断する刺激的なものである。

日常生活でも非凡な刺激は在る事は在るが、生々しくドロドロしたアクシデントで、苦悩や恐怖そして絶望だったりして、心理的な悪しき苦痛ばかりでストレスの元である。

勿論、非日常のマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)は、葉月にとって我を忘れてそれらの苦悩を吹き飛ばす快感の刺激だった。

そして連続性交に於いて、スポーツハイの快感から導かれる脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果と同じセックスハイ状態に導かれる。

これは興奮の中、デェスコや盆踊りを夜明かし踊った後のような快感に溢れた心地良い疲れも同じ脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果である。

まぁ葉月は次々に代わり来る男達の欲棒を股間に咥(くわ)え、明らかに受け腰を使って抜き挿しに応じながら善がっていたのだから、今更その反応を隠し様が無い。

考えように拠っては、夫との日常定食セックスと違って非日常のそれは、望んでもチャンスが無ければ中々得られない豪華フルコースの贅沢セックスである。


ともあれ葉月は、教団の教えを完全に消化して見事に精神を分離、肉体の快感を貪って見せたのだ。

教祖も、「仮の解脱(げだつ)開眼」を認めた。
葉月のアイデンティティー(独自性自己認識)は勝也によって完全なる変貌をとげた。

この分ではもう、毎週一晩夜を徹して施される幹部信者との三十人修行に拠る「法力祈願」の相手もこなせるだろう。

「極楽浄土招来」の唱和が聞こえている。

そこで、親父にも抱かれれば、「呪詛(法力)巫女」として教団幹部になれる。

加賀美家は、私(勝也)の代も安泰に発展を続けるだろう。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

第九話(義父との相姦・呪詛(法力)巫女)

◆◇◆◇◆第九話(義父との相姦・呪詛(法力)巫女)◆◇◆◇◆◇

「輪姦地獄」なんて、嘘なのです。

嫌だと思うから地獄なので、嫌でなければ極楽なのです。

私(葉月)、それが判ったので「自分に特別な素質があったのでしょうか?」と、教祖様に聞きました。

教祖様は笑ってお答えになり、「まともな女性なら、誰にもある素質ですよ。」と言われました。

要は考え方の問題で、刷り込まれた性への嫌悪感で自分の気持ちを真っ先にするから、何も判らなくのです。

私(葉月)、「解脱(げだつ)開眼」をしました。

教団の修行で、悟りを開いたのです。

無我の境地、我を棄てて、初めて本来の正直な自分が見えて来るのです。

あの教団の修行中は、我(われ)など何処(どこ)にもありません。

ただ、ただ、命令通りに相手選ばずに我を忘れて「法力祈願」のお相手をし、犯され続けるのです。

そうすると、「好きだ嫌いだは精神(こころ)の問題だ」と気が付きます。

千手観音の菩薩の心で、殿方のお相手が出来る様になります。

「色即是空」って、本当は「SEXすれば即無我の境地に入れる」って事でしょ、その境地で極楽浄土を招来する。

そんな境地になれてこそ、本来の宗教、信心かもしれません。

それを、まるで政府の憲法解釈みたいに都合良く捻じ曲げて、建前ばっかりの観念を植えつけちゃって・・・・・。

そんなものを「信じさせよう」と企んだのは、誰なんでしょうか?

私(葉月)はもう、呪詛(法力)巫女として義父との交わりの祈願和合「法力祈願」のお相手も回を重ねています。

教団の教えもあり、「必ず家族の前で幸福を呼び寄せる祈願和合を行う」の限定付ですから、夫やお母様に必ず傍らに立ち会って頂きます。

お義父様も政務や事業の傍ら、合間を見つけては私(葉月)の「法力祈願」のお相手をしてくれます。


修行場で実践した三十人相手の幹部和合の「法力祈願修行」で、中に混ざっていた何度も義父と和合していましたから、家でも繁栄と幸福を願う呪詛(法力)を行う事に今更抵抗はありません。

夫とお義母様の唱和される般若心経の流れる中、修行場で教祖様にしたように座敷にお立ちのお義父様の欲棒を、立ち膝になり口でウグウグと御奉仕させて頂く事から始めます。

見上げてかいま見るお義父様の極楽の表情が嬉しくて、一層気持ちが入ります。

お義父様にまで慈悲を与える菩薩になれた喜びを、私(葉月)は感じます。

勝也や義母に見守られてお義父様の欲棒を咥え、唇と喉で刺激を加え、お義父様にご奉仕している間に、私(葉月)の花弁からも期待の証が滴(したた)るのが判ります。

今、口で確かめている硬いものが、もうすぐ私(葉月)を極楽に導いて下さるのですから期待もします。

お義父様は私(葉月)を促して横になります。

私(葉月)は教祖様にするように、お義父様の少したるんだお腹の上に騎上位に跨り、腰をうかしたまま欲棒を花弁の中に受け入れます。

お義父様に体重をかけないで、花弁と欲棒だけで繋がった腰をユックリと上下させます。

教祖様直伝のスクワット・フワックです。

「アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

最初は余り激しく腰使いはしません。

極楽は長く味わった方が良いのですもの・・・ユックリ、ユックリです。

暫くその体制で深く浅くと上下を繰り返して居ますと、堪え切れなくなったお義父は起きあがって私(葉月)を四つんばいにさせます。

後ろから私(葉月)の柔ら壺の中に欲棒をねじ込むと、腰を激しく前後させて、私(葉月)をリズミカルに突き立てます。

「アッアッアア、アッアッアア、アッアッアア。」

堪らず私(葉月)が善がり声を張り上げますと、お義父様の腰の動きは一層激しさを増します。

後ろから差し込まれて攻め立てられる受身のポジションでは、私(葉月)、お義父様のなされるままなんです。

「アッアッアア、アッアッアア、」

「極楽浄土招来・極楽浄土招来」

傍らの勝也やお義母様の唱和にも力が入ります。

私(葉月)は呪詛(法力)巫女として、お義父様に朝まで犯され続けるのです。

義父も若い嫁の肉体に元気が出ると見えて、深く浅く抽入を繰り返し、「極楽浄土招来・極楽浄土招来」と激しく私(葉月)を責めます。

私(葉月)も義父に極楽浄土の幸せを味合わせる為に修行の成果を発揮して、受腰で応戦します。

お義父様が果てられて、お疲れになったら、勝也と交代です。

満を持しての交代ですから、勝也の攻撃は半端ではありません。

それを受けてたって、私(葉月)も何度か果てながら、勝也も極楽へ導きます。

何度目かの交代をする頃には、夜が明けて鳥のさえずりが聞こえてきます。

これが出来なければ、幹部信者の「呪詛(法力)巫女」ではありません。

加賀美家には、この世の極楽があるのです。

義父(おとう)様も私(葉月)と「法力祈願」を犯るのがお楽しみらしく、国会からお帰りになると必ず「法力祈願」をなさいます。

私(葉月)、義父(おとう)様の好みで時々縛られます。

でも上半身だけで、後手にして胸まではきっちり縄掛けされます。

それで、暫く私(葉月)の股間を手やバイブでお嬲りになるのですが、どんなに感じても脚を閉じる事をお許しになりません。
上半身は身動きがとれないし、もう、のけぞって耐えるしかないのです。

私(葉月)が感じているのを見ると、義父(おとう)様の欲棒も元気になります。

元気に成ったら私(葉月)が上に乗って差し上げるのですけど、上半身に縄がけされていますから、勝也かお義母様の手助けで騎上位に繋がります。

バランスが取れないので、義父(おとう)様の上で直ぐに前屈(まえかが)みに倒れ込みます。

すると、決まって、勝也が後ろからアナルの方に入れるのです。

前と後ろと、親子にサンドイッチで入れられるのですが、親子だけあって呼吸を合せるのがとても上手ですよ。

皮一枚へだてて、親子の欲棒が擦(こす)れ合うのです。

これでは、私(葉月)の方は堪りません。

二人が果てるまで、ひたすら極楽浄土を彷徨(さまよ)い続けます。

とにかく義父(おとう)様は、私(葉月)とSEXで若返るのか、とてもお元気です。

私(葉月)も精一杯尽くしますから、国政を担うストレスは吹っ飛び、リフレッシュされます。

人生に張り合いが出来たのでしょう、最近は、「発言に切れが出て来た」と、政界でも評判です。

そんな評判を聞くと、私(葉月)がお役に立っているので嬉しいのです。

勿論お義父様は、他の方のように愛人を持ったり、火遊びをしたりはありません。

ご利益は凄いもので、お義父様は若返って元気になり、その後必ずお義母様も抱くのでお義母様もそれには大喜びで一家は仲良く心配事も無しに暮らしています。

私(葉月)が、「解脱(げだつ)開眼」をして喜ぶ方は多いけれど、「淫乱に成ったから」と言ってどなたにもご迷惑は掛けていません。

良いSEXに恵まれて、私(葉月)他の方より数十倍幸せなのです。

それでも不道徳で淫乱、「背徳的な生き方だ」と言うのでしょうか?

私(葉月)、お義母様が私にしたように、将来息子の嫁も、教団のあの修行をさせるつもりです。

最初は戸惑うかもしれないけれど、私(葉月)のように身に染みてしまえば、キット新しい考えが身に付くはずです。

お義父様が言うに、「男は女の為に働き、女の為に戦う。」

それに価しない考え方の女性には、「良い男は作れない」と言います。

男は単純だから、女性がその気になれば男性をその気にさせるのは容易いらしのです。

その本質を知らなくて、「男女は同権だ」などと言うインテリ女は多いそうです。

教祖様がおっしゃるに、本当の女の権利は男を攻撃する事ではなく、お神(かみ)さんの立場で「上手く操る事」だけど、「結婚もしない中途半端なインテリ女性には判らない」と言われました。

お神(かみ)さんって、観音様の事なんですよ。

男って、SEXには子供のような処があるでしょ、女が広い心で男を扱わないと、家庭も国も滅びるって言ってます。

良いSEXで極楽に行かせてくれる女性に、男は適う訳が無いそうです。

本来なら、結婚生活も暫くすると夫婦互いの相異から間柄がギクシャクします。

夫婦がお互いに違う価値観、違う気持ちを主張しあって譲らないからです。

元々他人なのですから、結婚した時に建前の価値観など棄てるべきなのです。

オスとメスが「つがい」になって、遣る事は決まっています。

2人で極楽浄土を築いて行くのが自然な事です。

それにはルールなど無い筈ですが、刷り込まれた性に対する嫌悪感が、女性をおかしな倫理観で性交渉に消極的にします。

世間では嫁と姑の確執などが露になって、波風の立つ事が枚挙に暇が無いはずですが、共通の価値観が築け、また、呪詛(法力)巫女に成長した私(葉月)に、義父母は感謝してくれているので、その弊害は全くありません。

私(葉月)の子供もスクスク育ちます。

どうやら加賀美家では、教祖の教えは間違いなく、積極的に「現世利益」を実証しているのです。

私(葉月)納得したのです。

勝也を始めとする加賀美家のアイデンティティー(独自性自己認識)は「私(葉月)に性的修行を経験させる事で正確に伝達される」と考えられていたのですね。



◆夜鳴く蝉・勝也

◆裏九話 父との相姦
◆◇◆◇◆裏九話 (父との相姦)◆◇◆◇◆◇

人間は勝手な生き物で、例えタダマン(無料性交)で葉月を犯ったとしても、犯った後でその肉体(からだ)の性能から性技まであれこれ評価をする。

折角タダマン(無料性交)を犯らせた挙句に、「詰まらない女」と低評価では加賀美家の面子を潰す事になり、両親にも申し訳が立たないし、そこは義母に教団の入り口で衣服を剥ぎ取られながら懇々と教えられて素っ裸で預けられている。

だからそうなると、葉月は肉体(からだ)の全てを駆使して懸命に相手の男性を善がらせようと努力をするのが人情である。

父・静山は勝也に「なぁに、葉月が誰に犯られようが、他人に犯られて居ると思うから気になる。それは夫婦の楽しみの為に大人の性玩具(おもちゃ)に犯らせていると思えば何でも無い。」と言った。

つまりあの教団の特別信者のメンバーは、乱倫乱交で互いに刺激し合い興奮し合う事が、若さと夫婦愛を継続する秘訣と割り切って居るのかも知れない。

父も母も実年齢より十歳は若いから、確かにそうした行為で若さが保てるなら信心のご利益と言えるのかも知れない。

こう成って見て気が付いたが、心底惚れていれば配偶者が他人と遊びの性交を犯った所で本物の愛情に変わりは無い。

欠点の無い完璧は、実は平凡と然(さ)して変わらないのであるから、生身の人間に完全を求める事は、「愚行」と言える。

味や素っ気は、ユニークな不完全を兼ね備えてこそ出て来るものである。

葉月は、ある程度の社会性を維持できるなら、ナチュラル(自然体)な性思考に拠る「非日常の時間が在っても良いではないか」と考えるように成っていた。

そしてその先に見えるのは、加賀美家の嫁として義母が長い事担って来た「呪詛(法力)巫女」としてその業(ぎょう)を引継ぎ、巫女体に呪詛行(法力行)を行う。

この呪詛行(じゅそぎょう/法力行)は一家揃って行うもので、当然ながら葉月と義父・静山との性交呪詛も範疇にある。

つまり葉月は教団に預けられて修行を積み、まったく違う性感を植えつけられて色情化し、SEXマシーンに変身して居た。

教団での解脱(げだつ)修行中は、「極楽浄土招来」の唱和をしながらの相手構わずの連続輪姦神事である。

その輪姦相手の中に、義父が混ざろうと夫が混ざろうと葉月は順番に受け入れるだけで精一杯、抽入された相手の顔を見て気が着いた時は互いに腰を使って快感を貪(むさぼ)っていた。

そこまで犯ってしまったから、上手い事仕込まれた思いは在るが家に戻って来て「極楽浄土招来」の唱和をしながら家族で行う性交祈願も、もぅ葉月には同じ事で抵抗は感じない。

教団の信者に混じって散々犯った後だから、教団の修行明け後家に帰っても父・静山との性交に葉月は抵抗が無い。

正直葉月が「相手が誰だ」と言う事に拘(こだわ)らなければ性行為は誰に犯られても肉体(からだ)は気持ち良くなる。

教団の修行で「解脱(げだつ)開眼」するのはそう言う事で、それこそ家庭に「極楽浄土」の招来を実現できるのだ。


葉月は利(き)き手でお義父(静山)の欲棒の陰茎を握(にぎ)って素早く十回ほど扱(しご)き、半立ちに成った所でカリ首に口を近付け、舌を使ってエラの方からペロペロと舐(な)め上げる。

舐(な)められているお義父(静山)の方は、そんな葉月の口元を気持ち良さそうに目を細めながら見下ろしている。

横で正座して観ていた勝也の母が、「私もお義父様(他界した静山の父)が存命の頃は、良くおシャブリを犯(し)て差し上げたものです。」と言った。

おシャブリなどもう慣れたもので、葉月は首を固定した形で上半身を使ってクィクィとリズム良く頭を高速度で前後上下しながら義父・静山の欲棒を必死でシャブる。

葉月の胸元で乳首が乳房に翻弄されるように上下に踊って、その口元に濡れ光る父・静山の陰茎が見え隠れして居る。

その父の至福の表情を、慈愛に満ちた笑顔の母が私(勝也)と見守っている。

ありがたい事に、葉月が自分の肉体(からだ)を使って父を慰めている。

こんな事は、妻が理解を示さなくては中々頼めない。

しかし葉月は修行の末に「解脱(げだつ)開眼」をし、父への感謝の念が溢れ、今「法力祈願」の相手をして居る。

そう、先ほどまで父の欲棒を口で丁寧に愛でていた嫁の葉月が、目の前で父の上に跨っているのだ。

床に仰向きで寝る父・静山の欲棒を葉月に後ろ向き騎乗位で抽入させ、その前に私(勝也)が立って欲棒を咥えさせシャブらせる。


「フフフ、葉月は良い買い物だったわい。」

勝也の父親・加賀美静山が葉月にシャブらせながら笑顔でそう言った。

酷い言い様だが、所詮男女の仲なんてものは、性を主体とした金か魂の売り買いみたいなものだ。

葉月は教祖様にするように、父のお腹の上に騎上位に跨り、腰を浮かしたまま欲棒を花弁の中に受け入れると、父に体重をかけないで花弁と欲棒だけで繋がった腰をユックリと上下させる。

葉月の花弁の中は、感じ始めるとギュウッと締まりを診せる。

私(勝也)が垣間見る父の表情は正に極楽そのものである。

葉月が、女の二面性に身も心も剥(む)き出しの世界観を露にし、迫真の性交合戦を壮絶に繰り広げて堕(お)ちて行く。

夫(勝也)と義母に見守られながら義父と犯って居る間じゅう、葉月には脳みそがトロケるような快感が切れ目無く続いていた。

義父・静山の良く使い込んで黒光りしている欲棒を二枚の肉花弁の隙間に咥え込んだ葉月の腰が快感に浮き上がっている。

私(勝也)の目の前で、ズブリと嵌った静山の黒光る欲棒の抜き挿しに葉月の腰も白濁した愛液を滴らせながら怪し気に左右に揺れている。

私(勝也)の視線を意識しながら口を半開きに鼻の穴をヒクヒク広げて意識を下半身の刺激に集中すれば、葉月はもうこの性交ゲームに完全に気が入っているのだ。

教祖様直伝のスクワット・フワックである。

これは勝也も始終味合うが、欲棒が締め付けられるように擦れて、最高に気持ちが良い。

葉月のスクワット・フワックは、最初は快感をじっくり味合う為に、余り激しく腰使いはしない。

ユックリ、ユックリと葉月が腰を上下すると、父の欲棒が葉月の花弁を押し分けながら、擦れるように出入りしている。

「アァ〜、アァ〜、アァ〜、アァ〜。」

葉月が腰使いと同じようなリズムで、ユックリと善がり声を上げている。

子供夫婦として、これ以上の親孝行は無い。

これに精神(心・愛情)が伴うと穏やかな話ではないが、葉月が父に持たなければならないのは感謝と慈悲の心だ。

それを一家中で合意しているから、何の心配も無い。

ただただ、教団と葉月に感謝するのみである。

今、父は体制を変え、後ろから葉月の中に欲棒をねじ込むと、腰を激しく前後させて、リズミカルに突き立ている。

「アッアッアア、アッアッアア、」

堪らず葉月が善がり声を張り上ると、父様の腰の動きは一層激しさを増し、パンパンパンと葉月の尻に下半身が突き当っている

葉月の声も、父の腰の動きに応じて、「アッアッアア、アッアッアア、」とリズミカルに鳴いている。

見守る私(勝也)と母の唱和にも自然に力が入る。

「極楽浄土招来・極楽浄土招来」


現在の性的な倫理観は一夫一婦制に拠る制度設計に起因するもで、実は一つの選択肢に過ぎない刹那的な社会合意である。

しかし一夫一婦制に拠る制度設計に於いて、その制度設計に拘束されるが故に現実的或いは本能的な矛盾も存在するからこそ離婚が多発する側面もある。

古(いにしえ)を紐解くと群れ内乱婚の「群れ婚」や女の下へ男達が通う「通い婚(夜這い婚)」、また現代の他国でも二夫一妻やイスラーム信仰の国々では一夫四妻まで赦される国もある。

実は性的な倫理観など時代時代で変化する物だから、性的な倫理観を現在に当て嵌めて全てを否定や批判するのは知的では無い。

つまり性の倫理観に於いて、何が常識で何が普通などと言うは元々刹那的な一時代の合意事で絶対性が無く、普遍的な倫理観ではない。

人は皆、自分の力で人生を切り開かねばならない。

信ずる物を、夫々(それぞれ)に信じて・・・・・・・・・。



◆夜鳴く蝉・葉月◆

第十話(勝也の心情・変わらぬ愛)

◆夜鳴く蝉・勝也


◆◇◆◇◆第十話(勝也の心情・変わらぬ愛)◆◇◆◇◆◇

処で加賀美勝也だが、実の処、真実彼なりに葉月を心底愛している。

葉月に獣のような修行をさせたからと言って、それが愛の物差しではない。

或る偶然から、取引先の会社の社長に美しい娘が居る事を、勝也は知った。

葉月の父親をゴルフの迎えに行って、チラリと中学へ出勤する葉月とすれ違い見かけたのだ。

それが清楚で美しく、スタイルも抜群で、勝也は目を奪われる。

その日から葉月の姿が、勝也の脳裏から離れない。

思いは募るばかりだった。

好きな女性を手に入れて、思うように抱きたいのは男の本能だった。

しかし加賀美家には重要なお家の事情があった。

加賀美家の繁栄はある宗教の教えのおかげで、私(勝也)の母が長い事「呪詛(法力)巫女」としてその業(ぎょう)を担って来た。

それを継承する事が、私(勝也)の嫁としての絶対条件だった。

しかし、まともに葉月に言っても、世間の常識では受け入れる訳が無い話だった。

葉月の会社を調べて見ると、過剰投資で資金繰りが苦しそうだった。

ちょうど加賀美家へ、葉月の父親からも融資の相談を持ちかけられていたのだ。

それで、父親の静山を通して積極的に葉月を手に入れる算段をした。

大金なので常識では貸し難いが、「身内相手の貸し借りなら話は別で、ちょうど家に息子、お宅にはお嬢さんが居る。」と言う。
「正式に嫁に欲しい」と言うのなら、悪い話ではない筈だ。」

そう持ちかけられて、その良縁に葉月の両親が飛び付かない訳が無い。

自分達より遥か大会社を経営する御曹司で、葉月もセレブの仲間入りが出来る。

加賀美家の方は加賀美家で、何としても勝也の嫁に「呪詛(法力)巫女」の継承をさせねば成らない。

手段を構えないから金で縛って、子供が出来た頃から修行をさせる算段で居た。

その前に、私(勝也)が葉月を修行に堪えれるように仕込んで置く必要もあった。

処がマンションには通いながら、葉月の態度がはっきりしない。

私(勝也)は葉月の母親に、葉月にそろそろ引導を与えるように言った。

「お母さん、そろそろ、葉月にその気になってもらわないと、待てません。」

「あれ、子供じゃあるまいし。あの娘、まだお待たせしているのですか?」

「葉月にその気があるのですかねぇ。」

「本当にこんな良い方をお待たせするなんて・・構いませんから、どうぞ勝也さんの好みに仕込んで遣って下さい。」

「言い難いですが、好きに仕込んで構いませんか?」

「勿論です。旦那様の好みの女になって愛されるのが一番ですもの。私からも言い聞かせて置きます。」

親の方は葉月が娼婦になって尽くしてでも、私(勝也)に好かれる事を望んだ。

「良いから、本人にしっかり言い渡してくれ。」と言う。

結局、最終的には勝也がはっきりこの婚姻話の背景を葉月に話して引導を渡した。

それが上手く行くって、葉月は手に入った。

手に入れて抱いてみると、なお更愛しさが募った。

本音の部分では、私(勝也)は「自分の命にも代えがたい」と思っていた。

ただ、愛し方が葉月の常識とは違った。

勝也には最初から「葉月を輪姦に堪える女性に仕込もう」と言う目的があった。

優しく時間を掛けては居られない。

早く葉月を仕込まねば、両親の期待には応えられないのだ。

強引に色々体験させて行ったが、実家の浮沈に関わる融資話が利いたのか、葉月はどんな陵辱にも歯を食いしばって付いて来た。

その覚悟を、「可愛い」と思い、愛しさは募った。

彼にとって、祈願修行の輪姦は信者仲間内で当たり前の事で、信者仲間内の友人達の連れ合い同様、「葉月も次第に慣れるもの」と思っていた。

特にセレブ階級の信者の妻達は、職に付かない。

だから日々が退屈で、習い事と買い物では間がもてない。

亭主の方も、彼女達が何時までも自分ひとりが相手では持たない事位知っている。

もともと大概の女性は、結婚前に何人かの男を知っている。

したがって、普通の主婦でも退屈が理由で浮気や男遊びはする。

増してや何不自由ない生活であれば、退屈の極みで、相応の刺激が要る。

贅沢な話だが、金持ちの「何不自由ない生活」くらい退屈なものは無い。

傍目には幸せに見えるが、退屈は結構不幸で有る。

その心の隙間を信仰で埋める為に、教団の祈願修行に走る。

夫達にしてみれば、有閑マダムが亭主の知らない間に、ホスト遊びや、素性の怪しい相手と浮気をされても困る。

この点では妻達も同様で、知らないうちに夫の女遊びから自分の生活基盤を脅かされるのも困る。

そこでいっその事、セレブ同士が連携して、互いが不安なく遊び合う組織が自然発生的に出来上がって、教団の真言密教の教えに飛びつく。

それなら、後腐れない性行為の遊びが、互いの了解の下、信仰の名に於いて出来る。

倫理感は互いの誓約の問題であって、伴に楽しもうと言うなら、話が少し違う。

輪姦修行も数をこなせば、それが普通に成る。

実際多くのセレブ信者で、私(勝也)はこの輪姦修行を、まともに嫌がる女性を目にした覚えは無い。

大概の所、退屈しのぎに待ち望んでいて、夫公認だから気が楽だ。

慣れてしまえば、彼女達には刺激的で楽しみな主教儀式なのだ。

そして、葉月を手に入れて以後、私(勝也)が積極的に乱交修行にのめり込んだのも、彼が他所の女を抱きたかったからではない。

私(勝也)が、葉月への歪んだ愛の快感に胸を焦がしたからだ。

私(勝也)にとって、容姿端麗な葉月は、何処に出しても恥ずかしくない自慢の婚約者だった。

それを修行の為に、ネットで知り合った二人の男達にホテルで嬲(なぶ)らせた。

頼んであったから、容赦ない陵辱が葉月に続く。

私(勝也)は、二人の男に弄ばれ押さえ切れずに善がり声を上げながら犯し続けられる、可憐な葉月の痴態を目の当たりにした。
その戸惑いをふくんだ表情と、歯を食い縛り歓喜に堪える葉月に、私(勝也)の胸が締め付けられたのだ。


垣間見た「陵辱される葉月の秀麗な戸惑いの表情」に、私(勝也)は想像以上に胸をキューンと締め付けられる興奮を覚えた。

葉月が信者達に弄ばれる姿を見て、葉月を本当に「愛しい」と思った。

勝也は自分が葉月をこよなく愛している事を、強く実感したのだ。

「好きな娘に意地悪をしてしまう・・・」

あの、遠い少年の頃にそれはあった。

相手を好きだと言う「ほのかな思い」とは反対の意地悪な行動は、大半の人間にほろ苦い幼い思い出として残っている。

「愛するほど汚したい」、このメンタルな衝動にかられていても、私(勝也)は純愛を否定している訳ではない。

私(勝也)は心底葉月を惚れ込み、愛している。

今度は家族の総意で、葉月を性の生贄の浄化祈願修行をする事になった。

これは完全無抵抗の究極の輪姦で、葉月はどんな要求も逃れられない。

憂いを湛えた表情で、特別信者達に過酷に弄ばれる葉月の痴態を目の当たりにして、益々胸を締め付けられた。

愛すればこそ、感じる胸の痛みだ。

だからこそ、目の前で繰り広げられる葉月の陵辱される姿に、私(勝也)の「嫉妬」の炎はヨリ強く湧き上がり、愛を感じ、その気持ちを確認させる。

また、その過酷な要求に葉月が応じる事で、当初金で買ったような頼りない自分への愛を、私(勝也)は確かめようとている。

つまり、私(勝也)の泣きたい位に微妙な心理の上で、この行為は成立っている。

葉月の裸体は美しく、信者達の羨望の的だった。

だから、葉月を愛すれば愛するほど、その愛しさを求めた。

その思いは、強く、強く、何時までも私(勝也)の心の中に生きているのだ。

愛しているからこそ、ルールの範囲内なら葉月の身体がいくら汚れても、返って精心(こころ)は磨かれる。

だがら、汚れたとは思わないし、愛する心に曇りは無い。

良く強姦されて酷く傷付く女性がいるが、精心(こころ)は汚されては居ないのだから、あまり傷付くと余計に損するだけだ。

ただ、育った環境の違う葉月に、最初からその私(勝也)の思いを理解されるはずは無かった。

その葉月が教団の修行を終え、生まれ変わった。

葉月は漸く「夜鳴く蝉」になって、加賀美家に幸福をもたらす。

加賀美家からは、毎夜、繁栄と幸福を願う呪詛(法力)の鳴き声が聞こえている。

「極楽浄土招来・極楽浄土招来」


自宅修行も怠り無く続け、今では家族こぞっての荒行が日課になったて四人が一同に会して葉月の肉体(からだ)を巫女体に呪詛行(法力行)を行う。

勿論父・静山が中央での政争の合間にリフレッシュに家に帰って来た時は、必ず呪詛行(法力行)を行う。

日々の暮らしの中に非日常の贅沢な遊びが在って、それでリフレッシュが出切れば人生は幸せである。

まず床に仰向きで寝る私(勝也)の欲棒を葉月のアナルに後ろ向き騎乗位で抽入させる。

その体勢で葉月自身も仰向きの二段重ねにさせて父・静山が前に抽入すれば前後二本挿し性交が完成する。

その親子二本の欲棒が、葉月の中で薄い皮一枚隔(へだ)ててひしめくように夫々(それぞれ)勝手に動き出し葉月の脳天強烈な感触が伝わってうめき声を漏らす。

私(勝也)はそんな葉月を見守りながら、母同様に「嫁が家業の為、家の為に一肌脱ぐのは当たり前だ」と加賀美家の安泰を念じていた。


今ではもう、勝也の要求があれば私(葉月)、喜んで何時でも遊びに付き合います。

「開放の時」の出石誠ともわだかまりは無くなり、オフ会の乱交や私(葉月)の輪姦会で、一緒に楽しんでいます。

彼は、勝也の趣味の良きパートナーになりました。

そう、勝也の趣味は「私(葉月)なのです。」

長く一緒に居れば判るのです。

勝也の実像が、優しく繊細で、私(葉月)をこよなく愛している事を・・・。

ただ、愛し方が世間の建前と、違うだけなのです。

でも、ドロドロの独占欲より彼の精神の方が良いと思いません。

そう、精神的な価値観が違うのです。

究極の愛は精神的なものであり、「肉体(からだ)の繋がりに愛を混同してはならない」と。


夫と楽しいSEXライフを送る私(葉月)、世間ではふしだらな女と目の敵にされるのかしら?

無意識に防衛本能が働くから、自分が努力しないのを棚上げで、「良い女は、自分達女の敵」ですものねぇ。

でも、言わせて貰えば、オスの成犬でさえ子犬のメスは狙いません。

暴力や殺人、自殺、曲がってしまった精神(心)より、それをさせない精神(こころ)の私(葉月)の方が、余程良い女と思いませんか?

私(葉月)、今は両親も義父母も勝也も、教祖様や教団の皆様に極楽浄土をお教え頂いた事を感謝しています。

だって、私(葉月)生まれ変わって、人生が楽しめるのですもの。

処で、貴方の彼女、本当は建前に毒された詰まらない女じゃないですか?

一度きりの人生をそんな詰まらない女と一生クラスのですか?

自分から詰まらない女を演じている貴女、そんな人生で本当に間違っていませんか?

貴女も、旦那様の目の前で楽しく輪姦されて見ません事。

「内(家)は夫婦共まともだ」と思っているそこの奥さん、旦那さんはストレス溜まって浮気していませんか?

それとも貴女の不理解で欲求不満の挙句、「痴漢か覗き」で捕まるかもね。


性行為は菩薩の境地、イクは極楽浄土、私は博愛の観音菩薩


【あとがき】

この作品で、主人公の女性を心身共に徹底的に破壊して、まったく新しい性格と倫理観の女性に変身させてみた。
日本の政権も、官僚組織も、破壊が甘いと何の成果も無く、それまでだ。
ついでに、人間の奇麗事ではない多面性も暴いてみた。
何か、文句は有るのだろうか?
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本来女性には露出癖がある。

それでなければ、女性の服装のデザインは説明が困難になる。

太古の昔、本能でメス(女性)は股間を晒してオス(男性)を誘った。

その遺伝子的記憶が、間違いなくある。

見られながらのSEX(性行為)は、恥ずかしさの中で本能を刺激し、異様な感覚に包まれて、例え様が無い。

通常では味わえない見せる喜びに、露出癖という「日常眠っている遺伝的な女の感性」が覚めるのだ。

なぜ見せたい願望と、建前それを否定する二面性を持ち合わせる様になったのか。

それはひとえに、男性に責任がある。

男性の独占欲が、長い事女性に貞淑を求め続けて来た。

それはあくまでも男性に都合の良い話だ。

それが安っぽい社会合意となって、女性の防衛本能に定着したのだ。

女性は、男性社会の合意に飼いならされただけである。

つまり、本能とは正反対の倫理観を「刷り込みとして」正しい物として来た。

そういう意味で、女性には全からく娼婦やAV女優の素質はある。

それを否定したがるのは、自分をそう思い込ませようと懸命だからだ。

どんな生物にも、異性を引き付ける本能は備わっている。

ただ、それが人間の場合、女性が自分を見せて男性を誘うシステムになっているだけである。

女性が、自然本能的に露出癖があるなら、良くしたもので、男性は基本的に「見て感じる本能」を持ち合わせている。
「見たい、見たい願望」だ。

性的な意味見合いでの覗き犯罪は、「男性固有」と言って過言ではない。

これは男女(オス、メス)一対の、互いを引き合う為の極自然な本能で、否定は出来ない。

ただし、見たい本能を抑え切れないで、犯罪的「覗き」などしてもらっては困る。

犯罪を肯定する為に書いている訳ではない。

基本的な人間の持って生まれたものを確認しているのだ。

本来「見せたい、見たい」で初めて自然界はバランス良く、人間の「種の保存」の為のカップルを作っていたのだ

                   あとがき 了

姉妹シリーズ・】・・・【現代インターネット奇談シリーズ】

参考章「人が創りし神と仏の間に」
天上の最高神は一体でなければならない。
しかし、日本の大和朝廷が古事記と日本書紀で創出した天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同等な神、陀羅尼神(だらにしん)が、渡来した仏教の中に居た。
日本列島の支配者と民はそれを否定することなく同一の神として受け入れた。
その陀羅尼神(だらにしん)、実はエロスの神様だったのです。

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「夜這い」は、日本の歴史的文化である。
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日本人なら知っていて損は無い教科書に載っていない歴史の謎】に迫る。

大日本史仮説小説陰陽五行九字呪法大王(おおきみ・天皇)の密命◆】

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