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リアルタイム忍者ビジター
samurai 【告白、悪戯(いたずら)の秘密 第二巻】

この小説は、【謎の小説家 未来狂冗談(ミラクルジョウダン)】の小説です。
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本格エロチック調教ファンタジー・サスペンス

告白、悪戯(いたずら)の秘密 第二巻」公開中・下にお読みいただけます。

お断り 十八歳未満の方や性に偏見の有る方はお読みいただけません。ご遠慮下さい。

Less than 18 years old cannot be read. Please hold back.

また、お読みになって恋人や連れ合いを押し倒したり、利き腕(手)をお使いになっても、ご自分の責任です。
作者は一切責任が持てませんので、悪しからず。

【本作品は著述業未来狂冗談(ミラクルジョウダン)の作品です。】

無償で公開はしていますが、
著作権はあくまでも作者にありますので、作者の了解無く
本作を金品収受の対価とはしないで下さい。
もし違法行為を発見した場合いは、法的手段に訴えます。
なお本作に登場する組織、団体、人物キャラクター等は創作であり、
実在の人物を描いた物では無い事をお断り申し上げます。


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姉妹シリーズ・】・・・【現代インターネット奇談シリーズ】


【妻達の非日常調教物語】

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

親の飲み会の秘密

告白、悪戯(いたずら)の秘密

第二巻


未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


お断り告白、悪戯(いたずら)の秘密 第二巻はあくまでも文学作品です。

◆本格エロチック調教ファンタジー・サスペンス◆

【告白、悪戯(いたずら)の秘密・第二巻】

話しの進展

記載目次ジャンピング・クリック

告白、悪戯(いたずら)の秘密 第一巻】に戻る。
〔一〕【前置き(プロローグ)】
〔二〕【第一章(子供会・親の飲み会)】
〔三〕【第二章(女リーダー)】
〔四〕【第三章(ある順番待ちの列)】

【告白、悪戯(いたずら)の秘密 第二巻】この巻きです。
〔五〕【第四章(女リーダー調教)
〔六〕【第五章(深い営業接待)
〔七〕【第六章(猥褻/わいせつ)
〔八〕【第七章(復讐ではない、新たなる展開)
〔九〕【第八章(新たなる試み)


第四章

◇◆◇◆◇◆◇◆◇第四章(女リーダー調教)◆◇◆◇◆◇◆◇◆

同数の男女が薄暗い場にうごめく飲み会で、彼女達比較的若いママのH話しに対する「嫌ねぇ」は建前で、実は興味があるから大概はそ知らぬ顔ながら、烏龍(ウーロン)ハィで酔いながら耳をダンボ(耳が大きい象)にしてそれを聞いている。

正し、男女伴に刺激に飢えている事は確かだから、そうしたH話しでこの群れは一層に興奮の雰囲気を益して行く。

そんな具合だから、大体の所、男女伴に異性の手が太腿を撫でるだけでも脳天に快感が走るもので、子供会の仲間内の飲み会の付き合いは、酒の力を借りて結構に乱れる事が多い。

正直、女性のヒロイン願望心理傾向は結構大胆で、普通や常識、平凡よりも特別や非常識、非凡に心引かれるように無意識の思考構造が出来ている。

それだから結婚して数年もすると、日常生活の平凡に物足りなさを感じ始め、自覚に無くても「何か刺激が無いか?」と無意識の思考構造で探す様になる。

これは、女性に残る原始本能が「選ばれた感(特別感)=自分を特別な存在としたい願望」に重きを置く心理傾向にさせるからで、日常生活の平凡に退屈し、無意識にヒロインとしてのドラマを求めるのである。


実は世の中には、ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)プレイを密かに行っている人々が居る。

そして性癖など元々秘めたるものだから、その人々は誰にも暴(あば)かれず、普通に一般社会人としてその辺を歩いている。

ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)プレイの良いところは願望優先のきわどい快楽プレイも犯らせ放題の所である。

それを多人数の男達と性交したからと言って、夫婦が合意の遊びの上なら安心で、何も大袈裟に考える事は無い。

つまり性癖や性交プレィに関しては、表向きの常識など通用しない深いものが世の中には存在する。

問題は、夫婦は互いに性癖をも共有する「相互理解」の下、夫婦合意の「創意工夫がなければ成らない」と言う事で、もし、その辺りを建前の綺麗事で遣り過ごそうとするから、夫婦の居場所が別々になる。

つまり性癖は綺麗事の理解の外にある欲求だから、それを安易な建前に閉じ込める事こそトラブルの発生を増幅する事になる。

まぁこの飲み会で色気ムードを囃し立てる事に関しては、このメンバーの夫婦は皆共犯関係だった。

それで浮気カップルが出来上がり、子供会役員内で一波乱も二波乱も在った。

一言で「浮気は悪い」と言ってしまえばそれまでだが、違うカップルで密かに愛し合うのはルール違反で、家庭を壊したくなければあくまでも連れ合い公認の遊びの性交が望ましい。

元々生身の人間だから連れ合い以外の異性に興味が在っても当たり前で、そこを無視して抑え付けると、どちらかが返って隠れて浮気が行われ、離婚の危機を迎える事も多い。

結婚して以後その危機を回避し末永く一緒に暮らす為には、夫や妻の性癖を把握しての夫婦の合意と共犯関係が不可欠である。

そんな事なら、「内の女房が、内の亭主が浮気する筈が無い」と何の根拠も無い希望で気持ちを誤魔化すよりも、情が絡まなければ嫉妬はしない。

だから夫婦共犯、目の届く所での合意の遊びの性交をする方がクレバー(賢い)な犯り方 で、心の隙も埋まり論理的である。


妻は私と結婚し、男の子を生んで子供会に参加し、あの職場娼婦の同僚女性の様に列を為すとまでは行かないが、他所の子の父親三人に輪姦(まわ)された訳である。

今でも、「アッご主人、今、犯らせて貰って居ます。」と言われて見た目の前で、愛妻が一人の奴におシャブリしながらもう一人の奴にバックで犯られていた妻のあの三P(三人プレィ)陵辱姿態は、私の脳裏に鮮明に焼き着いている。

妻はあの時、あの同僚女性の三P(三人プレィ)の情景と自分を重ね合わせながら「犯られて居た」と言う。

いずれにしても妻はあの一瞬、その職場娼婦の同僚女性の気分を肉体(からだ)で味わって居たのかも知れない。

とにかく、むせ返るほどのバブル景気の中、日本中が浮かれて露骨な非日常に社会全体が緩(ゆる)んでいたもう二十五年も前の出来事だった。

あのカラオケスナック事件以来何故か妻は地域社会で頭角を現し、子供のPTA、子供会、婦人会などで信望を集めて男達も制御し、会長を片っ端から務め日夜奮闘していた。

そして今、妻の同僚の話を聞いた私にはある疑惑が浮かんだ。

突然覚醒した、妻のあのリーダーシップの源はいったい何なのだろうか?

彼女自身が女王蜂を目指していたとしたら、周囲の雄蜂との関係はどうなっていたのか・・・。

妻にあの職場娼婦の「女王蜂の感性が、育って居無い」とは言い切れないのだ。



亭主の悪戯(いたずら)に、あきらめと開き直りの中から遊びの性交体験をし、その性調教状態を「愉しいのかも知れない」と思い出し始めた一人の別の女性も存在した。

それは妻の吊るし上げに失敗してお仕置きを喰らった、あの罠に嵌(は)まった女リーダーの事である。



女リーダーが体験した仲間内・「白糸会」のソーシャルセックス(社交的な性交)は、息も絶え絶え(たえだえ)に成る程に強烈だった。

「もぅ懲り懲(こりご)り」などと格好を付けては居られないほど、後を引く快感体験だった。

最初は仕方なしに犯られるだけの気分でも、次から次に犯られれば感じ始めて当たり前で、自然と受け腰で抜き挿しにクィクィと応じ始める。

肉体(からだ)の中心を欲棒に貫(つらぬ)かれ、女リーダーの顔は完全に身を委(ゆだ)ねるモードの表情に入っていた。

男のクィクィ言う腰の動きに応じて、「アッアッアッ」と女リーダーの喘(あえ)ぎ声とハァハァと荒い息の呼吸が他人前(ひとまえ)にも抑(おさ)えるでもなく漏れている。

快感を貪(むさぼ)り始めたらもぅ止まらず、そのまま容赦無(ようしゃな)くイカされ続けて男達は二回(ふたまわ)りに入(はい)り、やがて女リーダーは絶叫する。

その女リーダーの肉体反応を、仲間内・「白糸会」の達が目をキラつかせて観ている。

この世に生まれた幸福をエンドレスに感じる絶叫悶絶の快感に、偽善社会の罪悪感も吹っ飛ぶ究極の心地良い疲れは理屈を超越していた。

亭主から「また可愛がってもらうから来なさい。」とお呼びが掛かると、「もぅ、しょうがないわね〜。」と言いながら、内心これから自分の身に起こる出来事に期待してパンティを脱いで出かける女リーダーが居た。

「あの犯され続ける時間がまた遣って来る」と想うと、次の誘いを心待ちにするプレィに味を占めた女リーダーがそこに居た。


本人なり周囲の人間なり、誰が何と言おうと女リーダーは全裸でこの公開性交舞台に「これでもか?」と股を広げて出演した。

本音で言えば、こうした場面で淑女(しゅくじょ)のあられもない究極の姿を観るのは、出席者の偽らない愉しみである。

また、こうした舞台に登ってしまった女リーダーにして見れば、それはもぅアスリートの気分で全力を尽くして、この生々しいエロスを観せるしか無かった。

だからこそ、女リーダーにしてみれば、あれだけ犯って観せたのだから「充分にギャラリーを愉しませた」と言う意識はある。

そして女リーダーには、これを越える曝(さら)け出しは想像出来ないほどに、犯り遂げた想いはある。

「人前で性交する」と言う脳みそが溶ける様な究極の羞恥心は、女性が本来持つ露出嗜好を満足させるものである。

また、このプレィに於けるアベソルティオベデンス(絶対服従)は、女性が持つ究極のM性(マゾ性)を満足させるものである。

そして、同じ類人猿・チンパンジーやオラウータンの群れ婚、発情期に於ける雌に対する雄の連続輪姦の現実は、女性の遠い記憶の中に在る

だから「止む事が無いのでは」と思える連続輪姦の快感は、女リーダーがセックスハイ現象に追い込まれるのに充分だった。

この性接待と言う凄(すさ)まじいセックス・プレィに追い込まれる事態に遭遇するまで、女リーダーはお気楽に生活していた。

しかし生き方に「安易な決まり事」を持ち込むと、楽に生きられるかも知れないが想像力や創造力は育たない。

「何で私が、こんな事を犯らなきゃいけないの?」と想うかも知れないが、何事も妥協しては良い仕事は出来ない。

確かに今までの認識からすればこの事態は異常な状況ではあるが、追い込まれて避けられないのなら今更クヨクヨしても仕方が無い。

素っ裸の女リーダーは、男女の好奇な視線に晒される宴会愛奴隷と言うセックスフアイトのリンクに登った。

正直女リーダーには、これからこれから自分の肉体(からだ)に訪れる遊びの性交に痺(しび)れるほどの期待感が芽生えていた。

「これから何人もの男達に続けて犯される」と想っただけで、その生まれて始めてのインモラル(不道徳/背徳的)な刺激には、女リーダーの脳は厚めに活性化する。

性交している恥ずかしい姿を男女のギャラリー(観客)に披露する事に成るが、女リーダーの本質は露出癖で、腹を括(くく)ればその辺りを満足させる。

これだけのギャラリー(観客)の前で始まる性交ショーに、その場に居る全員が、胸をときめかせるインモラル(不道徳/背徳的)な至福の時を愉しく過ごす事は間違いはない。

性接待は、一般的に「女性を蹂躙(じゅうりん)している」とする解釈も在るが、女性本人の性癖如何では至福の時を過ごす官能的な場面かも知れない。

信じられないかも知れないが、このヤンチャ(悪戯)な状況の当事者に追い込まれてしまえば、後で「あそこでもうチョット頑張れば良かった」と悔やみたくは無い想いが元社長婦人にはある。


女リーダーも人数を熟(こな)し続けて相当体力を消耗しているが、ここは気力で乗り切るしかない。

只、この疲労困憊(ひろうこんぱい)の時機に、ランナーズハイ・と同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に見舞われ、女リーダーの味方に成る。

つまり男達側の交代に依る連続性交で、女リーダーの一旦達したマックス(絶頂)状態が持続したまま突き抜けて、悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に達する。

「白糸会」の輪姦(まわし)を経験すると、このセックスハイのお駄賃(褒美)を得られる事に味を占めた。

究極のソーシャルセックス(社交的な性交)・プレィは、鑑賞に耐えられるアバンギャルド(前衛芸術)でシュール(非日常・奇抜)な光景かも知れない。


その後の女リーダーはこの手の「プレィのお誘い」に「また、あの天国が体験できる」と、「白糸会」に嫌悪感(けんおかん)は起こらなくなった。

しかしこの世に生まれて人生が色々なら、男だって女だって咲き乱れて愉しんでも良(い)いんじゃないか?

つまり女リーダーがそれ成りに成熟した女性なら、年齢相応の思考なり肉体なりに自然に進化しているものである。

女リーダーは非日常の一瞬に、男達の連続性交で散々善がらして貰(もら)っただけで、家に帰った日常はそれ以上でもそれ以下でも無い。

ソーシャルセックス(社交的な性交)の性交なんて、大袈裟(おおげさ)に考えなければ結局こんなもので、大した事では無いのある。

そして、どうせこう言う非日常の事は、経験が無い者に限って声高に批判するだろうから、女リーダーは世間に口を拭(ぬぐ)って知らん顔をして居れば良い。



不倫の性行為は、特に相手との情が絡む所から世間では「情事」と呼ぶ。

しかしセックス・セッション(乱交)は不特定多数相手で、この「情事」の定義は当て嵌(はま)らない遊びの性交である。

女性は、例え素っ裸で他人前に曳き出されても、集まる視線に平然と気品在る好い女でなければ、犯る方は面白くない。

そして女リーダーは、「白糸会の生贄(いけにえ)」として官能的に淫(みだ)らに、遊びの性交で腰が抜けるほど犯られ尽くさなければ成らない。

奇妙なもので、グループの仲間が馴染みのメンバーだから、女リーダーの「輪姦陵辱会・白糸会」の開催も数を多く数えると羞恥心も薄れ、女リーダーも犯られる事に慣れが出て結構犯られる事を愉しんでいる。

つまり「白糸会」のメンバー相手の遊びの性交なら、亭主公認で犯られて当たり前の安心感が育って、抵抗感は薄れて行った。



「**(女リーダー)は、見事にリピート段階(反復)に入りましたね。」

「この白糸会の生贄(いけにえ)にノコノコと犯られに来た所を見ると、味を占めたのじゃないか。」

「そりゃあ**(女リーダー)は、散々に善がって涎(よだれ)を垂らしながら咥え込んだ腰を、結構激しく使ってプレィして居ましたからね。」

「本人が経験して始めて判る事だが、あれ(マルチSEX)は具合が良いから犯られると大抵の女性は淫乱中毒になるからな。」

「えぇ面白いもので、やはりあれ(マルチSEX)は抵抗感を失うほど堪らなく良いんですねぇ。」

「そりゃあ**(女リーダー)は、泡を吹く程の天国を愉しんだのだから簡単だよ。」

「それで今回も**(女リーダー)はプレイへの期待が先に立って、犯る気満々で居るのですね。」

その女リーダーに遊びの性交を犯らせるならば、非日常の卑猥(ひわい)さが濃いほど上等な遊びなのは言うまでもない。

女リーダーは亭主に遊びのパーティのヒロインを命じられただけで、プレィの期待に子宮がキューと収縮するような熱さを感じるまでに成っていた。

それにしても、こんなソーシャルセックス(社交的な性交)と言う過激な遊びをしているなんて、女リーダーは恥ずかしくて実家の両親には言えない。

しかしその恥ずかしさが女リーダーの脳を刺激してドーパミン(神経伝達物質)を発生させ、脳内麻薬・ベータ・エンドロフィン(分泌ホルモン系脳内物質)が生成される。

ベータ・エンドロフィンは快感を誘発する脳内麻薬だから性感を相乗的に過敏にし、為に周囲の目も忘れて積極的に性行為に没頭させる効用がある。

勿論、肉体的には自然無害な脳内麻薬だが、その非日常行為の快感は脳に確り記憶されるから癖に成っていて、再びお遊びの誘いが掛かれば女リーダーはリピート(反復)に応じる。

相手が替わりばんこで、あのイッてもイッても相手が替わってまた犯される息が詰まる様な途切れないアクメ(絶頂)快感地獄が、また味わえるからだ。

言わば一度食べてしまったご馳走が忘れられず、誘われれば脳に記憶された快感を思い出してまたイソイソと犯られに出かけて行くのだ。


実は女性が変身する適齢期がこの三十歳前後で、此処で何らかの外部要因を受けるとガラリと違う生き方を選択する事もある。

女リーダーは、裸身を人前に晒(さら)す機会が増えてからはブラジャーやパンティと言った生々しく着衣跡が残る下着を身に着ける習慣が無くなった。

女リーダーには、セックス・セッション(乱交)を毎週ミッチリと実践で仕込んで、肉体(からだ)にその快感を植え付けてある。

そう成ると正直、誰の欲棒を咥(くわ)えさせられても「これで可愛がってもらえる」と想え、そのカリ首が愛しく想う様に成っていた。

だから女リーダーは犯りたい時に肉体(からだ)が使え、操り人形のように素直に応じて仲間内で重宝(便利)している。

いずれにしても女リーダーは、この大人の遊びがけして嫌では無く、気分をリフレッシュさせる良い時間で有る事に気が付いたのだ。



サーカスは古代エジプト時代に始まり、ローマ時代にその原型がなされた動物を使った芸や人間の曲芸など複数の演目で構成される見世物の事である。

一般的に円形劇場や天幕劇場などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られる。

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)も複数の演目で構成される見世物と言えない事も無い。

まぁ、群集が取り巻いて見下ろす中での「公開輪姦嬲(こうかいりんかんなぶ)りのプレィ」も、ある種のサーカスかも知れない。

亭主の気が向けば遊び仲間・「白糸会」が招集されて、女リーダーの全裸無抵抗の陵辱が愉しそうな男達に拠って始まる。

その度に、女リーダーは酷く卑猥に弄(なぶ)られるのだが、肉体(からだ)は既にその快感を受け入れて喜びに替えて居たのだ。

カラオケスナックが閉店時間に達すれば、女リーダーは物置から店内に曳き出されて男達が囲むテーブルを繋げた舞台に上がり、犯りたい事を犯りたいだけさせる本格的なお遊びのヒロインになる。

何しろ店の真ん中にソファーを並べて設(しつら)えたベッドで、「どんなご要望にも応じます」と素っ裸で待っているのが、あの女リーダーである。

男性陣は皆衣服を脱いでグロテスクな物を剥(む)き出しにブラ下げ、店の真ん中の仮設ベッドに殺到した。

素っ裸の女リーダーの肉体(からだ)のそこかしこに、他人の手の感触が女リーダーの肉体(からだ)を悶えさせながら無遠慮に襲って来る所からそのお愉しみは始まる。

直ぐに女リーダーの裸身が、相手の趣向(しゅこう)に応じて操られ、犯り放題に弄(なぶ)られて大胆・奔放に躍動する。

次々に襲い来る男達との連続性交に翻弄(ほんろう)される女リーダーの身悶(みもだ)えながらの善がり声が、スナック中に響き渡ってギャラリーの興奮を誘っている。

元々男女伴に夫々(それぞれ)の性器が存在し、行為に拠る快感を感じられる様に出来ているのだから、性行為をすれば感じるし、一度快感を経験すれば脳の方がそれを記憶する。

その快感は、度が強いほど記憶に残るのは当たり前である。

この凄(すさ)まじいソーシャルセックス(社交的な性交)・プレィのシュール(非日常・奇抜)な時間を、女リーダーが汗みどろ愛液塗(あいえきまみれ)れで過ごしたからと言って、それはあくまでも日常生活では無い。

ソーシャルセックス(社交的な性交)では、珍しくも無い在り来たりの性接待では相手は喜ばず、官能的で卑猥(ひわい)なプレィが求められる。

女リーダーの丸味を帯びた恥丘の下、敏感な実(サネ)の下の二枚の肉花弁を左右に押し分けながら、三人組の一人の二本指が女リーダーの柔ら壺を生々しく抜き挿しされ善がり声も聞こえている。

相手の趣向に応じて、女リーダーがお任せで股間を好きに弄(いじ)り遊ばせるのもこの「白糸会」のプレィでは当たり前である。

それも、女リーダーの亭主が望んだ調教プレィである。

それ故、今まで想像すら出来ない傍若無人の凄(すさ)まじいセックス・プレィの連続だった。

女リーダーがマットに膝を着いたリーダー男の欲棒を四つん這いで咥(くわ)えさせられ、そのリーダー男に後頭部を手で抑えられて腰をクィクィと使われて強制的に欲棒を喉(のど)の奥まで挿し込まれる。

その一方、女リーダーの四つん這いの後ろからもう一人の仲間の男が二枚の肉花弁の間・柔ら壺に欲棒を挿し込んで抜き挿しを始め、露出公開性交の3Pプレィが完成する。

リーダー男の欲棒が、後頭部を手で抑えられた女リーダーの喉(のど)の奥まで挿し込まれ、女リーダーの尻を抱えた仲間の男が容赦なく突き入れて来る。

そこから体位に移動して、女リーダーが仰向けのリーダー男の上に乗った騎上位スクワットで腰を上下させながらもう一方の仲間の男の欲棒をシャブる。

それから、正常位でリーダー男に抽入されながらもう一方の仲間の男が女リーダーを顔方向に跨(また)いで膝間着(ひざまつ)き欲棒をシャブらせる。

「オラ、オラ、このドスケベ女、犯られて気持ちが良いか?」とリーダー男が欲棒を女リーダーの柔ら壺に突き立てて良子を攻め立てる。

女リーダーの柔ら壺にズッポリ嵌(はま)った欲棒が抜き挿しされ、陰茎が愛液に濡(ぬ)れ光りながら観え隠れしている。

女リーダーは、その快感に腹の肉を波浮かせて身悶え、セックスハィの桃源郷を彷徨(さまよ)っている。

女リーダーも、リーダー男にどう言われようが現実に合意の上で犯らせているのだから、「ドスケベ女」と言われても仕方がない。

現に今、ドスケベ女(女リーダー)の脳がリーダー男の抜き挿しに、快感に気持ち良くトロケて行く・・・。


汗みどろ、愛液塗(あいえきまみれ)れの生贄(いけにえ)3Pプレイだった。

つまりギャラリーの視線も愉しませる様々な3Pプレィが披露される。

経験無いシュール(非日常・奇抜)な事が、女リーダーの身に起こっていたが、現実的に考えれば素直に応ずるしか道は無かった。


女リーダーは女性としては大柄でやや肉付きが良く、裸体も迫力が在る。

その女リーダーの胸に弾み揺れる乳房も、腰のキュッとした括(くび)れも、恥毛に覆われた恥丘のデルタゾーン(三角地帯)の上部にポッンと敏感な花芯と縦に二枚の肉花弁も、あからさまに曝け出している。

素っ裸で男達の前に引き出された女リーダーの耳に、市の職員をして居る夫の少し上ずった「構わないから犯っちゃって下さい」と言う嬉しくてしょうがない声が聞こえて来る。

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などの遊びの性交も多人数相手ではかなりの運動量である。

おまけにこの環境では亭主が始終女リーダーの肉体(からだ)で遊びたがるので、裸体を常に見られる事を意識し、女リーダーの肉体(からだ)が適度に美しく引き締まり、いっそう魅力的になって来ていた。


聞こえる通り、夫の意志で上がった舞台の上では女リーダーの陵辱は「構わないから犯っちゃって」なのである。

仲間内のお遊びで諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せで「他人前(ひとまえ)で性交して見せる」と言う同じ事でも、女リーダーの心の持ち方で受け取り方はポジティブにもネガティブにもなる。

これは夫婦間の問題で、亭主がそう言う男なら「しょうがない」と妻である女リーダーが割り切れば良い。

夫が仲間の男達に自分を陵辱させて興奮するのが嬉しくてしょうがない性癖であれば、「愛」などと言う建前の嘘など夫は許さず、妻・女リーダーがそれに応じるか応じないかで、妻・女リーダーの心の持ち方が本当の気持ちが試される。

此処まで来て、流れに逆らうのは考え難く、「さぁ来い」とばかりテーブルを繋げた舞台上で、女リーダーが仰向けに寝て膝を曲げた大股開きに体勢を構えている。

皆の視線の中心に、輪姦(まわし)終わるまで犯られ続けなければ成らない素っ裸の女リーダーが眩(まぶ)しく見えて居た。

身勝ってな「ロマンチック」に格好着けて生きるより、大人の「シリアスな覚悟」の方が人間には余程立派なのである。

同性も見詰める他人前(ひとまえ)で、恥ずかしい性交を犯らされて女リーダーは羞恥心に燃え上がったが、羞恥心も陵辱の極限を突き抜ければ快感に変わる。

その晒(さら)し者としての雌(めす)に変わる本能の微妙な機微が判らないと、この陵辱のヒロイン感覚の本質は理解できない。

こんな事を犯らせる夫も、それの命令を聞いて他人に犯られて喘(あえ)ぎ善がる自分(女リーダー)も「色情狂」と言う思いはある。

だがその思いは、これだけ違うエロチックな現実世界が本音として在るとすれば単に建前の社会だけの事ではないだろうか?

その挿し込まれた欲棒で股間を激しく抜き挿しされる度に、女リーダーの二枚の肉花弁が、愛液に濡れ光る欲棒に巻き付き捩(よじ)れて生々しく、男達の目に晒(さら)されながら踊っている。


輪姦(まわし)が始まってしまえば、泣こうが喚(わめ)こうが参加者全員を満足させるまでは女リーダーの肉体(からだ)を離す事は無い。

正直、女リーダーにとっては感情込めた性交では無いから、次々と襲って来る男達は生身の大人の玩具(おとなのおもちゃ)みたいなもので、互いに愛だ恋だの感情の発露などは無い。

女リーダーの気分も、こうなると大きなスポーツ試合に奮闘しているアスリート気分で、性交も一種の勝負である。

まだ連続性交へ若干の抵抗心が残る輪姦プレィの出だしはともかく、犯り出して感じ始めて来れば女性の性体感は現金なものである。

女リーダーも、次々と入れ替わる男達の欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を浮かせ、口をパクつかせて善がり声を挙げ、涎(よだれ)を垂(た)らしながらリズム良く尻を振る。

その振られる尻の股間で抜き挿しされる肉花弁と欲棒の隙間から、もう何人分かの溜まった愛液が、押し出されて女リーダーの白い太腿(ふともも)を伝い滴(したた)って床に落ちている。

正直な所、この輪姦(まわし)で良い様に弄(もてあそ)ばれ、嬲(なぶ)られてメチャメチャに犯られるのを体験すると、その快感に溺れない方が不思議なくらいの威力がある。

その快感体験で女リーダーが、今までとは違う考え方を遊びの性交に対してしても、それは自然な反応かも知れない。

元々このお愉しみのメインイベントを仕掛けたのは彼女の亭主で、女リーダーも半ばそれ(輪姦)を承諾(しょうだく)した様なものである。

そうなると、どんなに卑猥(ひわい)な姿で性交に応じようが、夫に嫉妬される謂(いわ)れも無い。

夫に嫉妬される謂(いわ)れが無いのなら、妻にとっては非日常の世界でストレスの発散が出来る「好適環境を手に入れた」と言う事である。

性交のシエアリング(共同所有)と言う新たな価値を得られるのだから、それに折り合いを着ける事が出来ない人間は不幸である。

生き方は無数に在り、利口な人間なら「何事も、気持ちを切り替えれば答えも変わる」と言うものなのだ。

女リーダーの愛液に濡れる二枚の肉花弁の間で、善がり声とリズム良い腰の動きと伴に濡れ光る陰茎が、女リーダーの内壁・海綿体の粘膜を刺激的に擦(こす)りながら見え隠れしている。

始まってしまえば女リーダーも生身の女性で、股間を貫いた欲棒が生々しく抜き挿しされれば、相手の如何(いかん)に囚われず終わらない快感がある。

だから、次々と入れ替わる相手に貫かれて受け腰を使い、女性の素(す)も露(あらわ)に性交快感を味わい、貪欲(どんよく)にイキ続けて見せるしかない。


大勢の男に輪姦(まわ)されるなど酷く被虐的に見えるかも知れないが、その被虐行為が無情の快感をもたらすとすれば、本人に採っては幸せかも知れない。

幸せの形には色々在り、全ては受け取り方の感性の問題である。

「情動性身体反応」と言うのは色々なパターンが存在するが、過去の学習を基にして無意識に選択される無意識行動や反応である。

欲棒が挿し込まれて抜き挿しが始まれば脳が反射的無意識行動で快感を求め、肉体(からだ)が勝手に反応して抜き挿しに応じる受け腰が始まるパターンも在る。

本格的な露出公開性交の場合、性玩具(おもちゃ)扱いに嬲(なぶ)られながら休息と水分補給の時間を三分ほど数回挟み、堪(たま)らない官能の輪姦行為は二時間〜三時間続く。

ヒロイン・女リーダーの輪姦ショー公演中の脳内は、非日常の羞恥心と興奮で脳内快感麻薬・ベーターエンドロフェンが充満し、半ば快感にラリる状態反応が明らかだった。

女リーダーは禁断の露出公開性交を仕掛けられて羞恥心で溶けそうな想いに耐え、ギャラリーの熱い視線を集めながら次々に男の欲棒を受け入れて性交を繰り返し続けている。

男達の欲棒が生々しく抜き挿しを繰り返され、犯られては果て、犯られては果ての激しい輪姦行為の中、女リーダーは極上のオーガズム(絶頂感)を体感し続けていた。


輪姦(まわし)で入れ替わり立ち代り突っかれて居る間じゅう、女リーダーには脳みそがトロケるような快感が切れ目無く続いていた。

女リーダーが口を半開きに鼻の穴をヒクヒク広げて、意識を下半身の刺激に集中すれば、もうこの性交に気が入っているのだ。

女リーダーのデルタゾーン(三角地帯)、生々しい縦に二枚の肉花弁、亭主がワクワクする事にその花弁の真ん中に、仕事のかたずけを放り出したスナックのマスターの欲棒が、既に突き挿さって陰茎が見え隠れしている。

そして空いていた女リーダーの口の方には、三人組リーダーの男が欲棒を捻じ込み、腰を使ってクィクィと女リーダーの喉(のど)の奥まで突きいれ始めた。


ちょうどこの時期が、あのカラオケスナック輪姦事件を切欠にした、妻の下着ストリップ吊るし上げ事件と重なる頃だった。

そしてその吊るし上げの女リーダーは、夫の罠に嵌って私のお仕置きを受ける段取りになった。

結婚して妻を手に入れれば「妻とあれもこれもして見たい」と言う願望は、男の誰にでも有る。

つまり私が、女リーダーの亭主から彼女の性調教を依頼された時期で、「今度はどんな調教を試そうか」と思案していた頃でもあった。

そこに亭主の希望で割り込んで来たのが、例の三人組のリーダーだった奴である。

まぁ、あのカラオケスナックの物置を提供した時から奴は一枚噛んで居たのだが、その内自然にその場に居るように成って段々に女リーダーの調教に加わるように成った。


それで気が付いたのがその三人組のリーダーが結構な遊び人だった事であり、縄掛けやSM攻めなど玄人裸足の高度な遊び方を知っており、為に女リーダーの性調教は多様性の在るものになった。

女リーダーが、女の二面性に身も心も剥(む)き出しの世界観を露にし、迫真の性交合戦を壮絶に繰り広げて堕(お)ちて行く。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的である。

女リーダーの頑なに閉じた倫理観のドアを抉(こ)じ開けるには、「欲棒の鍵」を挿し込んで輪姦(まわ)すしか手がない。

これは妥協では無く工夫で、亭主の性癖で、女リーダーを素っ裸のガチンコSEXハイターに仕立てる事がこのメンバーの目的である。



初期のAV(アダルトビデオ)の名目は、建前上は映像芸術だったりした。

しかしAV(アダルトビデオ)や裏ビデオに、ユーザー(客)はストレス解消の刺激を求めていた居ただけで芸術なんてこれっポッチも考えては居ない。

脳が欲しがる人間の感性なんてそんなものだから、ユーザー(客)の要求に応えて、映像の内容が当初の想像を超えてドンドンとエスカレートして市中に出回って行く。

だからその映像業界のエスカレートの過程と同様に、子供会仲間内での日常のストレス解消の為の女リーダーに対する非日常の遊びも、ドンドンとエスカレートして行く。

しかし面白いもので、一度こうした遊びの世界に女リーダーが入ってしまうと、数度のステップの内に本人の意向など関係なくドンドンとエスカレートしてしまう。br>
すると案外女リーダーも抗(あらが)う場面を得られないままに、亭主と私、そしてリーダー男を含む三人組とカラオケスナックのマスターまで参加し、計男六人にトコトン弄(もてあそ)ばれるまでに発展した。

子供会の飲み会の時を別にして、最近では亭主の依頼でカラオケスナックの休日に店全体を使って女リーダーの大調教大会を開くまでに成った。

その大型のカラオケスナックは間口五間、奥行き七間、厨房やトイレ・物置を別にして床面積がワンフロワー三十五坪と調教スペースには贅沢なくらいの空間だった。

女リーダーの性調教は、良い仕上がりだった。

世間では考えられない筈の過激な性行為を、「遊びのプレィはそんなもの」と他人前(ひとまえ)で平然と熟(こな)すほどに成長していたのだ。


女リーダー夫婦を迎えに行った三人組のリーダー男が運転するコロナマーク・Uが到着すると、「外に出て来い」と言う合図なのか、二度、小さくクラクションが鳴った。

私が立ち上がって玄関に向かうと、「俺も行く」と、マスターも付いて来た。


外の駐車場に出ると、ちょうど三人組のリーダーが手を貸して、女リーダーを車から降ろしている所だった。

驚いた事に、三人組のリーダーの愛車コロナマーク・Uから降りて来た女リーダーの格好は着衣の下のノーブラ・ノーパン何て生易しいものではなかった。

幾ら本道からは死角が在るとは言え、まっ昼間の駐車場で不安そうな表情で目を見開いた女リーダーは、リーダー男に縄掛けされて素っ裸だった。

例の三人組のリーダー男が女リーダーの家に夫婦を迎えに行き、そこで女リーダーを素っ裸にして細めの麻縄を三本束に使って縄掛けを施してコート一枚で店まで連れて来る。

マーク・Uの車内でコートを剥(は)いで一瞬だが野外露出もさせるのだ。

良く肌に馴染むように三人組のリーダーが使い込んだ麻縄で、女リーダーの裸体は後ろ手亀甲縛りに上半身をキッチリと縛り挙げられ、乳房はおろか下半身まで丸出しの状態で犬首輪に繋がれたてリードで曳かれて来たのだ。

プレィに使用する縄は肌に直接巻く縄に太い麻縄を使う事は無く、五ミリ太程度の細めの麻縄を肌に馴染む様に良く扱(しご)いて揉み慣らして柔らかくし、それを三本ほど一本に束ねて使い、太い縄はその三本縄と結んで吊るし用などに使う。

「アッ御主人、今日は旦那さんの希望で縄かけを施(ほどこ)して見ました。」

「しかし本格的だな。」

「前から少し心得が在りましたから。」

後ろ手にガッチリ拘束され、首を廻って手首を経由し、腰に廻した縄まで引き絞って縄目を掛けているから、縄とハィヒール以外身に着けていない女リーダーは自然に胸を張った形に成る。

男の脳中枢(のうちゅすう)を刺激してHモードにさせるのは、まずは視覚、次に触覚で、瞬時に「ドキッ」とさせられるビジュアル(視覚感)は、プレィ導入時の大きな事前興奮効果をもたらせる。

縄目を亀甲に施して絞った柔らかそうな丸みと勃起した乳首を魅せる女リーダーの乳房が白く、股間の二枚の肉花弁が黒い茂みから食み出してが眩(まぶ)しかった。


今日のスタートは、マングリ返しに縛り上げて私に引き渡すと決めて在ったらしい。

店に入ると、三人組のリーダー男が後の二人の手を借りて、後ろ手拘束、上半身亀甲縛りに絞った女リーダーを、床に仰向けに倒して寝かせスルスルと縄目が女リーダーにの裸体にまとわり着つかせる。

両足の太腿と脛(すね)を片方ずつ足首まで縄を巻いて束ね、それぞれの縄掛けした膝頭(ひざかしら)を縄で左右に引いて固定すれば、女リーダーは、股間剥(む)き出しの大股開きに固定される事になる。

左右の足首を別々に何重かクルクルと巻き、その縄を左右順番に頭方向に引いて両足が耳の辺りに無理やり引き絞られ、その縄先が例の鉄パイプに縛り付けられて強制マングリ固定が完成した。

肉感的な女リーダーの剥(む)き出しの股間には、両太腿(りょうふともも)の付け根、薄めの陰毛の隙間から桃色の花芯ボタンが、小さい丸みを帯びてむき出しにせり出し、左右に開き気味の、小さ目で厚さは並程度の可憐な二枚の肉花弁が露(あらわ)に成って、僅(わず)かに濡れて光っている。

店の真ん中を、ソファーを寄せてソファーで囲んだ四畳半程度の空きスペースを作って在るから、行き成り乱交が始まる。

マルチSEX(複数性交)は相手を次々に代える性交行為だが、マルチタスクSEX(同時実行性交)は同時に複数が絡む性交行為で、依り刺激的なシチュエーション(状態/情況)を演出できる行為である。

私が、女リーダーの花弁に硬くなった欲棒のエラの張ったキノコ状の張り詰めたカリ首を宛がうと、女リーダーが「ビクン」と反応した。

いよいよ、身動きが出来ない女リーダーの二枚の肉花弁を圧し分けて、花弁中に私の欲棒が挿し込まれグィと捻じり込まれて行く。

目の前で、私の黒光りする使い込んだ坊主頭の海綿体が、ユックリと妻の大きく開いた股間の、二枚の肉花弁の内側にピンク色の菊の蕾を持つ陰門(いんもん)の中にズブリとメリ込んで行く。

そのメリ込む様が亭主に見え、「アァ。」と女リーダーが小さい声を出した頃には、その欲棒が根元までズッポリと菊座に嵌(はま)っていた。

女リーダーの亭主が見守る眼前で私の欲棒が女リーダーの大きく広げて固定された股間にズブリと突き挿さって、女リーダーの貞操感は文字通り止(とど)めを刺された。


二枚の肉花弁がパックリ開いて、他人(私)の欲棒をグサリと嵌(は)め込まれた女リーダーの生々しい蕾も丸見えである。

羞恥心もあるのか、女リーダーの柔らかい肌触りが興奮でシットリと汗ばんでいる。

女陰器諸出(じょいんきもろだ)し諸見(もろみ)せで拘束され、欲棒を抽入されてしまえば、もう夫に気兼ねなどして居る暇(ひま)は女リーダーには無い。

亭主が食い入る様に見ているのも構わず私が腰を使い始め、気持ち良さそうにユックリと欲棒の抜き挿しを続けている。

その抜き挿しで女リーダーの股間に生々しく私の陰茎が二枚の肉花弁を捩(よじ)らせながら見え隠れし、少し間延びした女リーダーの善がり声が圧し殺した様に漏れていた。


私の口開けの責めが終わると、女リーダーはマングリを解かれ、今は何んと素っ裸の女リーダーが三人組のリーダー男を跨(また)いで欲棒を股間に呑み込み、結合した己の女性器を自らM字開脚に晒(さら)している。

女リーダーは、跨(また)いだ結合したリーダー男をスクワットファックでピッチング(上下動)しながら乳房を揺らして抽送をし、私の欲棒を咥(くわ)えてシャブっている。

コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が始まってしまえば嫌でも女リーダーの肉体(からだ)が反応して思考が停止し、もう周囲の視線を気にするどころでは無い。

他人事で聞けば「そんな酷い事、何で断らないのか?」と訝(いぶか)るかも知れない。

だが、大勢のギャラリーの中に素っ裸で連れ出された当事者の身に成ってしまうと話しは別で、周囲の誰もがそれを赦さないと判っては、女リーダーも中々「嫌」とは言い出せない。

それは成り行きで上がってしまった嫌も応もない引っ込みが着かない舞台の上も同然で、女リーダーも「犯りたく無い」とは言えない状況だった。

こう言う状況に成ればジタバタしても見苦しいだけで、もう吹っ切れてギャラリーの期待を裏切れない心境に女リーダーが成っても自然の流れである。


亭主と男達が互いに顔見知りでの輪姦ゲームだからこそ、そのマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)・イベントは面白い。

そして輪姦(まわさ)れる女リーダーの方は、日常生活を忘れさせる非日常の性交を体験し、暫く忘れていた「女」を取り戻す。

女リーダーは、その生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインだから、考えように拠っては男達に傅(かしず)かれた女王様である。

そこで女リーダーが、「こう言う遊びも考え方次第で、何んにも無い人生依り良いかな。」と思えば、「こう言う卑猥な時間も、在っても良いのではないか。」と、何故か素直に思えて来た。


最初から「愛欲」や「欲情」が関わらない遊びのプレィなら、性交後にややこしく後に引く事が無い。

所詮(しょせん)人間の煩悩(ぼんのう)など生々しいもので、愛情に関わり無く普通に性欲があるのは自然な本能である。

その乱れた性欲を安全に満たす為にこそ、ソーシャルセックス(社交的な性交)の発想がある。

ソーシャルセックス(社交的な性交)は単純に性癖を満足させる為の行為だから、中々妻には犯れ無い事も夫に犯ってもらえない事も遠慮なく犯れる。

女リーダーに亭主の希望である抵抗無く遊び仲間とのソーシャルセックス(社交的な性交)をさせる為には、女リーダーの性規範に対する意識を根底から覆(くつがえ)させる必要がある。

女リーダーが、綺麗事の性規範に囚(とら)われても、人生に何の得も生み出せない。

そして人間老い易いから、女リーダーが勝負をするなら肉体(からだ)が売り物になる若い内の今だけである。

女リーダーの頭の中に在った性規範に対する意識を、一度大きく越えた性交プレィの快感に、肉体(からだ)と脳が味を占めてしまえば、その先はそれが基準に成る。

その為には説得ではなく実行で、女リーダーに有無を言わさず奔放(ほんぽう)なコンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)の性交経験を積み重ねさせ、その経験から答えを出させる企(たくら)みが必要がある。

そして亭主としては、女リーダーのその性交経験の積み重ねを目撃し、女リーダーが変化を遂(と)げる経緯を目の当たりにする事は、密かな愉しみでもある。


此処での公開性交は、ギャラリーに結合部分を見せて姦淫ムードをるのが煽(あお)ルールだから、輪姦(まわ)される間は女リーダーは大股開きで脚は閉じない。

股間を貫(つらぬ)かれた欲棒のカリ首が、堪(たま)らない程に激しく抜き挿しされて、思わず快感を貪(むさぼ)る女リーダーの無意識な腰の動きが艶(なまめ)かしい。

カリ首が女リーダーの下半身の内壁を擦(こす)り、快感に顔が強張(こわば)る女リーダーのその汗に濡れた表情が眩(まぶ)しい。

女リーダーは、入れ替わる男達の好みに応じて素っ裸で操(あやつ)られ弄(もてあそば)れながら、ギャラリーに結合部分を見せる大股開きで輪姦(まわ)される公開性交を勤めている。

それは他人の欲棒が抜き挿しされている自分の股間の結合部分に夫・の熱い視線を感じるのだから、女リーダーが二重に興奮しても仕方が無い。

ヌメヌメとした感触と伴に抜き挿しされる坊主頭のカリ首が、女リーダーの内壁を擦(こす)って堪(たま)らない快感刺激が脳に伝わって来る。


こうした体験に基ずく性癖は、序々に増幅して行く。

もう、女リーダー女も吹っ切れているのだろう。

勢いが付いた乱交は、「待った無し」だから、女リーダーは流れに身を任せて居る間に、通称三Pと言う一対二の体勢に持ち込まれて、口と股間に同時に二本の欲棒を受け入れいるのだ。

やがてその三P行為は激しさを益し、傍(はた)から見る私には、女リーダーが同時に二人から攻め立てられて居るその光景は恐ろしく官能的だった。

ハァハァと荒い息使いが口から洩れるその恍惚の表情は、女リーダーの亭主が最近目にする妻の別の女の顔だった。

「見られながら犯られている」と言う羞恥心も凄いが、別の選択肢は無いだけに女リーダーに押し寄せて来るM性(マゾ性)も半端でなく、その状況がに意識されて依り性感を高めている。

性交は最も姦淫ムードが在る性行為が上等で在って、スマート(格好が良い)な性交など元々在りはしない。

「**、腰を使いながら皆さんに聞こえるようにオマ*コ気持ち良いと言って見ろ。」

「はぃ、アァ〜オマ*コ気持ち良〜い。アァアァ、オマ*コ気持ち良〜い。」

馬鹿でかい女リーダーの声が店中に響いた。

性交中に「オマ*コ気持ち良い」を言わせるのは、それが本人を燃え上がらせる魔法の言葉だからである。

「オマ*コ気持ち良〜い」と叫べば叫ぶほど女リーダーの快感はボルテージを上げ、肉体(からだ)体の方は正直で、女リーダーの乳首が硬くなって立ち上がり興奮している事を隠せない。

生々しく股座にズブリと突き挿さった他人の欲棒の抜き挿しに、女リーダーは善がり声を挙げながら腰を浮かして受け腰で応じているのだから、もう気取っては居られない。

「アァ〜オマ*コ気持ち良〜い。アァアァ、オマ*コ気持ち良〜い。アァアァ、アァアァ。」

女リーダーが、「オマ*コ気持ち良〜い。」を連呼しながら腰を使い続けていた。

その連呼と同時に気が盛り上がって、これからこの奇妙な感覚が自分の肉体(からだ)に訪れる事に、女リーダーには期待と恐怖が交互に訪(おとず)れて来ていた。

何と言っても、大勢のギャラリーが焦点を合わせて見詰める視線の先で、女リーダーは恥ずかしい性交姿を素っ裸で披露し、今「イク」に達しそうだった。

「イク、イク、イク、イク〜・・・。」


散々に肉体(からだ)で快感反応した後で、犯られ終わって呆然と抜け殻みたくなった女リーダーが、精魂尽きた風情で素っ裸のまま大股開きで床に転がっている。

姦淫ムードの心地良い気分を煽(あお)り、輪姦(まわし)を熟(こな)してあれだけ大勢の男達に犯られ続けイカされ続けたのだから、今はその余韻に浸(ひた)って床にしどけなく転がるこれも仕方が無い。


あの輪姦性交の後、女リーダーの態度が極めて従順に変化したにはそれなりの動機を持つ体感学習がある。

生物学的に種の保存に必要な性交は、それを促すように犯れば快感を得られるように脳にインプットされて居て、だから本来誰にでも性欲はある。

性交の快感は本来「非日常の快感」で、全ての日常を一瞬なりとも遮断する刺激的なものである。

日常生活でも非凡な刺激は在る事は在るが、生々しくドロドロしたアクシデントで、苦悩や恐怖そして絶望だったりして、心理的な悪しき苦痛ばかりでストレスの元である。

勿論、非日常のマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)は、女リーダーにとって我を忘れてそれらの苦悩を吹き飛ばす快感の刺激だった。

そして連続性交に於いて、スポーツハイの快感から導かれる脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果と同じセックスハイ状態に導かれる。

これは興奮の中、デェスコや盆踊りを夜明かし踊った後のような快感に溢れた心地良い疲れも同じ脳内麻薬物質・分泌ホルモンベータ・エンドロフィンの効果である。

まぁ女リーダーは次々に代わり来る男達の欲棒を股間に咥(くわ)え、明らかに受け腰を使って抜き挿しに応じながら善がっていたのだから、今更その反応を隠し様が無い。

考えように拠っては、夫との日常定食セックスと違って非日常のそれは、望んでもチャンスが無ければ中々得られない豪華フルコースの贅沢セックスである。

遊びの性交会に生贄妻として夫婦揃って参加すれば、世間では一大事に受け取るかも知れないが、女リーダーには大した事では無い気がした。

それよりも、夫の向上心(やる気/モチベーション)を高める努力が妻としての女リーダーにも必要な事だと考えた。

これは生物学的な基本だが、若い頃の男性は自然の本能として「女性と犯りたい想い」で脳内を充満させている。

正直、基本的に男性の出世欲みたいなものは女性の獲得欲と比例し、為に男性の犯る気と向上心(やる気/モチベーション)は単純に比例している。

逆説的に言えば、犯る気をバネに向上心(やる気)が働くのだから、男性の日々のモチベーション(動機付け)は女性の色気次第である。

しかし「だから」と言って、夫が外で勝手に遊んでいるのはあらゆる意味でリスキー(危険な/危ない)である。

それでいっその事、妻の女リーダーが覚悟を決め一緒に遊ぶ事を選択した。

つまり夫婦揃っての遊びの性交会は日常のストレスから夫を解放し、夫の向上心(やる気/モチベーション)を高める御伽の国(おとぎのくに)ではないだろうか。

ともあれ女リーダーは、夫の要求を完全に消化して見事に精神を分離、肉体の快感を貪って見せたのだ。



女リーダーは私に、口に欲棒をズンズンと突き入れられて涎(よだれ)を垂れ流しながら懸命にシャブらされ、三人組のリーダーに股間に欲棒をズンズンと突き入れられ、愛液を垂れ流しながら懸命に受け腰をクィクィと使っている。

一見それは酷い責め苦に見えるが、実はそうでも無い。

それだからこそ、女リーダーは何時もイソイソと犯られに遣って来る。


何しろ何人もの他人が臨場する開けっ広げの場なのに、信じられない事にこの陵辱行為に妥協など許されない。

世間では考えられない筈の目の玉が飛び出るほど過激なシーンが、女リーダーをヒロインに平然とこの場で生々しく繰り広げられている。

「そう言うプレィをする世界が在る」と噂ではおぼろ気に聞いていたが確かに実在し、今、女リーダーはその世界の現実のヒロインだった。

ギンギンに張り詰めた他人の欲棒が、蛙(かえる)の脚様に足を開いた仰向き体制の女リーダーに次から次に襲って来る。

前の欲棒が抜けて締まりかけた女リーダーの内壁を、次の欲棒のカリ首がまた押し分けて突き入って来てグィグィと突き立てながら一気加勢に追い込んで行く。

息も絶え絶えに、ガクンガクンと肉体(からだ)を反応させ「イキ過ぎてもたない。もう止めて。」と言う口とは裏腹に、女リーダーの腰の方はリズムを合わせて生々しく、確り受け腰を使って居る。

もう女リーダーは性感に拠る忘我の境地に入って快感を貪(むさぼ)るだけで、周囲の事など気にして居る余裕などない。

連続性交は運動量が激しいから、女リーダーの肌から汗が玉に成って溢れ裸身が照明でキラついている。

それで途中の水分補給は欠かせないが、それも欲棒を抽入されたままミニボトルを渡される徹底振りで、犯る事には妥協はない。


例えラレックス製の大人の玩具(おもちゃ)でも、見ず知らずの他人の欲棒でも、抜き挿しされれば肉体(からだ)は感じるように出来ている。

だから無理もないのだが、女リーダーは執拗(しつよう)に輪姦(まわ)されてイキ続けさせられ、クタクタに疲れて他人(ひと)の目を憚(はばか)る余裕も無く大股開きで伸びてしまった。

仕上げにリーダー男が、散々に女リーダーを突き倒した欲棒のカリ首頭で、欲棒のカリ首頭でイッタ後の敏感に成って居る女リーダーの実(サネ/花芯ボタン)をヌメヌメと擦(こす)る。

すると女リーダーは、耐えられない表情で断末魔の善がり声を漏らし、腰を振りながらブルブルと身震いする。

これが息つく暇(ひま)無くイカされ過ぎて荒い息をし、呼吸を整えている女リーダーへの輪姦プレィの堪(たま)らない「とどめ」になる。

肉体(からだ)は正直な物で、この女リーダーの隠せない充分にイッている「とどめの性反応」が犯る者観る者のこの場の醍醐味なのだ。


誤解して欲しくないが、この仲間が何時(いつ)も性交遊びばかりしている訳では無い

正直な所、仲間内の遊びの性交仲間は、普段は然(さ)して刺激が無い平凡な日常生活で、そのほとんどの時間を費やして日々を送っている。

それらは夫々(それぞれ)に仕事であり家事であり、子育てだったり親戚付き合いや近隣の付き合いと結構幅が広い。

つまり仲間内の遊びの性交は犯る方も犯られる方も良いストレスのはけ口だが、そう始終犯って居る訳ではなくたまに訪れる非日常の気晴らしシーンである。

折角仲間内の遊びの性交でマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)を犯るのだ。

だから終わった時、満足感で愉しそうなプレィ仲間の心底の笑顔が無ければ犯った意味が無い。

夫婦生活に於いて愛情は大事な要素の一つではあるが、永い年月を伴に暮らすにはそれだけでは埋め合わせない。

人間は適度の「興奮」の為に恐怖や冒険、異常体験などの刺激体感を必要とする。

注意深いだけで、女性だって秘めたる性欲や好奇心は旺盛にある。

世の人々は性交などには興味が無い様に装っているが、まともな性癖の男女なら性交を愉しもうと言う本能が在って当たり前である。

そしてその性交には心地良い気分の姦淫ムードを愉しむだけの関係も新鮮で在り、必ずしも性交に「愛情」が拘(かか)わる訳ではない。

日常の空(むな)しさ埋める様に行為に集中すれば、この瞬間だけは意外と頭が空(から)に成り「無(忘我)の境地」に入れる事に気が付いた。

結局女リーダーは、自分を納得させる理由が在って安心安全の環境が許せば、本音はこう言う事も「犯って見たかった行為」なのかも知れない。


興奮が薄くなれば、SEX行為は覚めた面白くないものに成り、その段階で何故かアブノーマル(異常)が「興奮」の条件になる,

だからマンネリ化すれば、危機回避の為に「興奮」を要するようになり、夫婦で段々アブノーマル(異常)な行動に走るか、それでなければコッソリと相手を代える裏切りに走る。

女リーダーの亭主は妻の女リーダーを愛すればこそ、その彼女が犯られて居るのを見ると胸をギュウと締め付けられる思いにかられるのだが、それが妙に欲棒を硬くさせ癖になるのだった。

只、普通の夫婦はそうした冒険には中々踏み込めない。

普通の夫婦には「アブノーマル(異常)なSEX行為が相応しくない」と信じられているからである。

そこでアブノーマル(異常)な性衝動を「不謹慎」と押さえ込む夫婦もいるが、そのマンネリ感は無言の内に増幅し、結果、外でその「興奮」の乾きを癒(いや)そうとして浮気に走り、家庭崩壊を招く夫婦も少なくない。

それ故、どこかで均衡を保つ為のガス抜きを脳が唆(そそのか)し、「こんな事は子持ちの人妻にあるまじき行為」と思われる背徳の香りが、心地良い興奮を誘う。

そのノーマル(通常)とアブノーマル(異常)線引きは人それぞれで、歴史的な時代背景や個人の感性で違うのであるから決定的な答えは無いのだ。

答えが無いものなら、夫婦間の合意がSEX行為の許容範囲の筈で、ノーマル(通常)とアブノーマル(異常)の線引きなどは関係が無い話なのである。

つまり各自が「ここまでは許せる」と引いた線が許容範囲で、他人にそれをアブノーマル(異常)と決められるのも実はおかしな話しで、夫婦が合意なら気にする事もない理屈である。


誰だって結婚前に付き合って居た異性の一人や二人在って当然で、多くの男女には異性との過去を持つ。

そして人間の性癖は色々だから、そうした敬意の中で知る性交のバリエーションは結構広い。

勿論その辺りを問題視しないのが大人のルールで、それならば「愛が無ければ性交は出来ない」は矛盾多い怪しい話しである。

そこの辺りは女性たりとも当たり前で、嫌、正直言えば大正ロマンの昔から知性高い女性ほど性交好きで、そこは堂々としている。

つまり永く連れ添ってから育むのが「愛」ならば、行動的な彼女達に取って「恋」は即ち性交で在っても不思議はない。


大正浪漫(大正ロマン)は、時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象を指して呼ぶ言葉であり、その根本は「自我の目覚め」である。

自我の目覚めをデモクラシー(民主的原理)と言い、これは景気が良い時でないと萎縮してしまう繊細な感性で、生活に目一杯では育たないのである。

逆説的に言えば、一昔前の共産主義や社会主義の理性に元ずく規制で、本当に人間の感性を制御出来たかどうかである。

大いなる矛盾ではあるが、規制規制で感性を解き放つ社会でなければ景気など永遠に回復はしない。

確かにデモクラシー(民主的原理)は、言論・集会・結社の自由などの政治運動や人間活動の側面を持つては居るが、本質は正統な人間主義である。

大正ロマン当時は、文学界で名を馳せた二組の文化人夫婦が、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)を実践して自作の書き物のネタにしたり、女流作家二人が堂々と夫を交換したりしていた。

その大正ロマン時代はいささか堕落した風潮だったが、あらゆる芸術の感性が花開きバブル景気時代と同様に景気は戦前で一番良かった。

輪姦(まわ)しを過酷と想うのは実は一方的な既成概念の発想で、世の中には色々な性癖を持つ女性が存在し、輪姦(まわ)される女性が好き者ならそれが天国である。

そして何の変哲も無い女性が、切欠が在って輪姦(まわ)しを経験すれば案外その魅力に嵌(はま)るのだから、経験してみなければその良し悪しは判らない。

人間の考え方など都合の良いもので、同じ人間でもその時の考え方を「理性(左脳域)」で採るか、「感性(右脳域)」で採るかでその言い分は違う。

そしてそこを本音で抜けないと、「理性(左脳域)」と「感性(右脳域)」を合わせ持つ人間の本質に辿り着けない。

今でこそ口を拭(ぬぐ)って知らん顔だが、昭和の終焉直前のバブル景気時代は、昭和ロマンとも言うべき露骨な非日常に日本中が浮かれていた。

つまり歴史的に言うと、江戸期の元禄時代も好景気とエロチックな文化はセットで存在した。

男性の活力の源は、本能的に出世をして良い女性の伴侶に恵まれ、沢山稼いでたまには愉しい遊びの性交をする事で、そこらの希望が薄い時代は寒々と不景気である。

つまり、エロスを抑えた綺麗事だけの偽りの世の中は経済的活力を失い、その時代を生きる者の人生を詰まらなく平坦な物にしてしまう。


そこまで行き着いてしまえば、後は大人数に犯られて続く連続アクメ(興奮の絶頂の連続。オルガスムスの連続)の快感を肉体(からだ)いっぱいに感じて愉しむしかない。

この女リーダー夫婦との遊びの時間は、さながらオープンSEXの形で、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の最も卑猥(ひわい)で最も興奮する性交が、途切れる事無く続いていた。

それも信じられない事に、最初に息を切らしたのは多勢の男達だった。

一服する流れになって、夫からビールが満たされたグラスを受け取った女リーダーが、まだ股間に張り詰めた私の欲棒をグサリと受け入れたまま、グラスを口に運んでゴクリゴクリと喉を鳴らして半分ほど飲み干した。

「フワー旨い。」

「そりゃそうだろう。目いっぱい愉しんだのだから。」

「そう言う事なら私、本当は夫に感謝しなければならないのかしら。」

「そりゃあそうだろう。普通の女性では味わえない連続アクメ(興奮の絶頂の連続。オルガスムスの連続)の快感を味わえるのだから。」

「そうよね。夫がそれを認めているからの環境ですから。」

「漸く判って来たか、こう言う事は個人の考え方だから、犯られると考えるか、犯って貰えると考えるかでエライ違いだから、本人がそう想わなければ説得でどうこう成るもんじゃない。」

「そうね、全ては本人の受け採り方次第ですものね。」

「あぁ、気取って言う建前なんかに惑わされていたら、一生こんな事は味合えないだろうな。」

これは事実だが、悪い奴ほど出世するこの世の中で、建前通りの人生を送る善人など出世する訳が無い。

建前上は「無い事に成って居るものほど」実は出世や財産創りの素材だから、清く正しい善人がそれらに縁などある訳も無く、たまに善人が相続などで財を得ても永くは維持できない。


性に関する事でも同様で、あらゆる性癖が存在する世間に在って表向きの綺麗事などで現実が収まる訳が無い。

つまり男女の性交に定型は無いのだから、「秩序を壊さない、違法行為をしない」を前提に、夫婦合意の上ならマルチSEX(複数性交)であろうがマルチタスクSEX(同時実行性交)であろう。

それが、個人の考え方に起因する事だから何を犯ってもそれを取り立てて異常とは言えない。

何故こんな理不尽なプレィ(遊び)に「女リーダーが度々付き合うのか?」って、犯っても見ない想像で女リーダーの心境を貴方が推し量っても仕方が無い。

SMプレィの習慣性メカニズムだが、痛みに身構えると痛みを緩和するセロトニンを脳内に放出して痛みに備える。

そのセロトニンに興奮状態のドーパミンの放出と重なると、ドーパミンに促された脳内麻薬・ホルモンベータ・エンドロフィン(快感導入分泌物質)が放出され快感は増幅される。

つまり恥ずかしく虐められると、羞恥心や痛みに脳内が活性化して並の性交では得られない癖に成る快感を経験し、その誘惑が女リーダーの脳に逆らえない誘惑として記憶される。

だから誰でも、その癖に成る快感に嵌(はま)れば、外から見るとバカバカしいプレィ(遊び)に嬉々として応じるようになる。

いずれにしても、非日常に位置付けられる性交プレィには卑猥な味付けが必要で、聖人・聖女では性交気分が盛り上がらないのだ。


日本式の建前では「凡そ常識的な範囲」などと表現されるが、日本で日常的に使用されているそれら「常識」と言う言葉は、実は「思考停止」と言う言葉と同意語である。

そもそも「常識」とは、コモンセンス(common sense)の訳語として明治時代頃に日本に普及し始めた言葉で、良識、社会通念、一般知識と言った意味に使用されている。


とある作家兼政治家が、過って「日本の常識は世界の非常識」と言ったが、基々のコモンセンス(common sense)の意味は、盗んでは成らない、傷付けたり殺してはならない、騙しては成らないなどの基本的良識だった。

それが日本的に訳語されて、常識(じょうしき)と言う奇妙で不可解な言語が日本中を蔓延(はびこ)っている。

しかしながら、凡(およ)そ人間が考える「常識」と言うものは、粗方(あらかた)その方の余り知性的では無い思い込みに過ぎない個人の考え方である。

その余り知性的では無い思い込みを振りかざして「常識だ」と強く主張するのだが、常識は時代や環境で変化するものであるから、絶対性はまったく無いのである。

日本には「本音と建前」と言う奇妙な話術文化がある。

正直、「建前」の実態は「嘘」であり、「建前」と言う言葉に相当するものは中華大陸にも朝鮮半島にも無い日本独自の言葉(単語)である。

中国でも韓国でもイエス・オア・ノーをハッキリする国で、建前で無難にボカス習慣は無い。

その「建前」を、「世界的に通用する常識」と想っている所から日本人の恥ずべき誤解は始まる。

この「建前」が問題で、例えば建前上無い事に成って居る事は、無いのだからその事について検討もされない。

性に関する問題も「都合が悪いから蓋」で、真剣に向き合わず建前の綺麗事に逃げ込んで未解決のまま放置してしまう。


例えば未成年を守る事が使命である某監督官庁の調査では、女子高校生の半分は十六歳未満で、残りの四割は高校卒業までにロストバージンすると言う危険なデーターが在っても、それは「在ってはイケナイ事項」であるから「ない事として」として対策は検討されない。

つまりは「都合が悪い事に蓋をする」事が日本式の文化だが、本当にこの「まやかし文化」は筋が通っているのだろうか?

日本人は「本音と建前を使い分ける」と言われているが、実はこの「建前」は日本人のズルイ所で、体(てい)の良い「偽り」である。

他国の人間にすれば、建前が「本音では無い以上」はどう取り繕っても「偽り」以外の何ものでもない。

所が日本人は、「建前」を綺麗に言いさえすればそれで世間を渡り通って来たから、何でも「建前」で済まそうとして核心をはぐらかせてしまう。

「政治家は嘘付きの始まり」と言うが、その嘘付きの始まりが「天孫降(光)臨伝説」となると、純粋な日本人を自負する我輩にはいささか複雑な感は否めないが、まぁこの国には「嘘も方便の内」と言う怪しげな諺(ことわざ)も並立している。

つまりは都合良く「嘘」を使い分けているのが権力者であるのだから、それを後生大事に「正しい道だ」と信じている善人が哀れでさえある。

「建前」の「常識的な範囲」などを押し付ける綺麗事など表向きだけで充分で、本来「本音」である男女の性交に於いては卑猥(ひわい)と興奮がセットの感性であり、それ故に合意の上なら何を犯っても「異常」とは言えない。

逆に言えば、口先と現実と犯って居る事が掛け離れているのが日本の性倫理事情で、表面化しないだけで愉しんでいる夫婦は、けして少なくは無い。

それを信じるかどうかは、多くの週刊誌に登場するモロモロを、「良く在る事」とするか「特殊な記事ネタ」と解釈するかで、受け取り方が違うだけだ。


今に成って妻が思うに、あの職場娼婦の同僚女性はあの支店の男性社員に取っては良い女だった。

つまり口では建前の綺麗事ばかり言って居ても本音が違うのが人間で、世の中結構その線で進む方が多い。

時代遅れの例で恐縮だが、昔の本人同士は蚊帳の外の親達が決めた縁談で、結婚式当日に初めて顔を合わせ、然して話ができないままその夜に初夜を迎えても、永く連れ添う夫婦もいた。

それを勿体(もったい)を着けて「愛情が無ければ性交など出来ない」何て言っている女性ほど、結局は大したドラマも無い平凡な人生を送り、年を取って今更新しい性愛相手を見つける事も出来なくなる。

つまり愛情なんか無くても性交は出来る理屈で、思考に融通が利かなければ、良きに着け悪しきに着け、「思い出」と言う記憶も創れなかった事になる。

大体男女の仲なんてものは、「犯ったから」と言ってそれで決定でもなく取り替えも効き、普通、暗黙の合意事項として結婚前の異性関係は問わないのが夫婦のルールである。

だから妻の同僚女性の生き方の様に取替え引替えで、結婚して責任と子供が出来るまでの若い内に色々愉しんで置く方が余程利口な事かも知れない。

セックス・ジェンダー(生物学的性意識差)は各自夫々(かくじそれぞれ)だから、実行するしないの別を外して蓋を開けて見れば癖のある性癖願望は広範囲で、それを「異常」と指摘すればほぼ全員が「異常」に該当する。

いずれにしても、外聞を秘すプレィだからこそ興奮し、表向き綺麗事とは行かないが、脳科学的に必要性を真剣に考えれば、人間が創った全ての決まりを破壊するからストレスから開放される。

つまり裏を返せば、誰にでも一つや二つは偏向した性的嗜好は持ち合わせていて、それは「異常」に在らず「普通」の事である。

確かに、その性的嗜好を「実践する」となると流石(さすが)に割合は五割位に落ちるが、それでも軽いか過激かの差は在っても半数は何らかの実践経験があり、世間にはそ知らぬ顔で居るだけが大方の人間である。


ハードな所では、ディープ(深く嵌り込む様)なマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)を犯ってしまえば、一対一では得られないその快感が癖に成る。

感性を震わす行為を愉しみたかったら、エクスポースフィールドワーク(野外露出) 、ティードアップ(縛り)、ビリンデス(目隠し)、ハンダードラッシュ(鞭叩き)、ハングアウト(吊るし)は、SMの基本形である。

まぁそんなにハードではない軽い所で青姦(あおかん/屋外での性交)は、他人に見られるリスク(危険)がスリル(期待からくる緊張感)となる露出趣味の一種かも知れない。

そしてソフトSMは、合意の上で支配と被支配の関係を肉体的に愉しむ物で、手首を縛って自由を奪う事から始まって性玩具(おもちや)使用などである。

そしてあなたがそれらの何も行った事が無いとすれば、余計なお世話かもしれないが、それは何とも寂しい性生活では無いだろうか?

口先だけの建前主義者が、「犯りたい衝動」の性的願望や「性癖願望」は「愛情で抑える事ができる」として居る。

だが、その一方で女性の人気ドラマは浮気不倫願望がテーマで、ミステリーやサスペンス、ホームドラマまで不倫がなければ物語は成り立たないくらい一般の認知は浮気不倫を肯定している。

表沙汰には出来ない性癖は誰にも必ず在り、お題目で「愛情、愛情。」と言って居ても、現実には夫婦だけの性生活では必ずマンネリ期のストレスは遣って来て、浮気や買春、或いは離婚と言う事態を引き起こす。

「マンネリだから」と言って結婚相手の了解が無い浮気や買春は、例え「発散の為」とは言えパートナーを裏切る行為で、それこそ家庭崩壊のリスクが在る。

誰と、どう言う性交をするかは気分の内で、自分を「汚れた」と考えるか「充分に愉しんだ」と想うかも、本人の気持ちの問題で過去に拘(こだわ)る意味も無く、今はもぅ同僚女性はあの頃の職場娼婦の「サセコ」では無い。


そうした永い人生の中での危険を回避するには、性交相手との情が絡まない発散方法として、「夫婦が一緒に遊ぶ」と言うマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)がある。

つまりパートナーを裏切る事無くマンネリ期のストレスを発散するには、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)と言う夫婦共犯の遊びを選択する事こそが、一つの幸せな夫婦生活なのかも知れない。

この輪姦手法、犯し続けて女性に休む間を与えてはいけない。

性感の快感を脳に連続して与え、それを持続させる事が肝心で、刺激の集中から生まれるのがハイ状態(高揚状態)の覚醒(かくせい)である。

つまりランナーズ・ハイ(長距離走陶酔状態)やクライマーズ・ハイ(登山陶酔状態)の生理現象で、それと同じ現象を女性の脳内にセックス・ハイ状態(性感陶酔状態)として作り出すのが輪姦調教方法なのだ。

普通の人間には、マラソンや登山は簡単には出来ない。

彼らが幾らキツイ事でも懲りずに再挑戦したがるのは、このランナーズ・ハイやクライマーズ・ハイの感応の虜(とりこ)に成る為で、その応用が輪姦調教なのである。

そのハイ状態(陶酔高揚状態)の覚醒(かくせい)に加え、自分が異常な状態に晒(さら)される「羞恥心や被虐感」と言った興奮が、効果はてき面で、一度この集団輪姦を施された女性は人生観が変わり、性への認識が変わって違う発想を持つ。

リーダー女は、自分の股座(またぐら)に付いて居るグロテスクなものが、男に可愛がって貰う為に在る事に気が付き、それどころか口やア*ルでさえ「男の欲棒を受け入れる」と言う別の使い方がある事を教わった。

性交から独占欲や社会通念を排除すれば、複数相手の連続性交は性感が継続するのだから、「良かったか?」と問われれば、「かなり良かった。」と応え得るリスペクト(価値を認めて心服する・敬意を表す)条件の一つである。


ワクワクする事が性交の要件だから、いわゆるノーマルな性交だけではどんなカップルでもそう長続きしない内に倦怠期に入ってしまう。

倦怠期は一種の精神的な病(やまい)であり、治療薬は刺激しかない。

理屈は判っているのだが、イザと成ると世間体も在ってどうしたら良いのか判らない。

しかし建前の綺麗事で、こうした問題を「精神力で解決しよう」とするのは、先の大戦で日本軍首脳が「精神力を充てにして戦わせた」と言う科学的根拠の無い話と同じ事である。

殻に閉じ篭って居れば目先は安全だが、羽ばたく為にはチョットした冒険心が在れば良い事で、まずは殻を突き破らなくては羽ばたけない。

本気で殻を突き破る気ならチョットした冒険心が在れば良い事で、プロセスさえ確り作ってやれば羽ばたく為に仕込で犯れる。

こうした考え方の基本には、性行為は必ずしも「情」とは一致しない別の本能で、そこをどう理解してどう制御克服して行くかの課題を夫婦で共有する所から始めなくては成らない。

そして性行為が必ずしも「情」とは一致しない別の本能と理解出切るのであれば、口先だけの建前主義者の非難を承知で言わせて貰うと、夫婦の目的に他人との性交を利用する事も見栄外聞さえ排除すれば、むしろ度胸が据わった立派で幸せな生き方の一つかも知れない。

これは考え方の問題で、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)に加わる他人を性玩具(おもちゃ)と想い、他人との性交を自分達の性交を愉しむ為の前技と位置付ければ何て事は無い。



あのカラオケスナック事件の頃はバブル景気の真っ最中時代で、今では考えられないほど地方都市の夜の街も湧き返っていた。

歓楽街は社用族とニワカ成金が、夜な夜な繰り出す者が多くタクシーの売り上げは記録的数字を打ち立て、今では考えられない金使いの荒さを誇っていた。


年明け早々、NTT株が株式上場となり、百六十万円の初値が付くが、三月にはNTT株が三百万円台を記録する。

また、ゴッホの「ひまわり」を安田火災が手数料込み五十八億円で落札し、四月末の日本の外貨準備高が六百八十六億二千万ドルとなり、西ドイツを抜いて世界一となる事が判明、日本の金満振りが頂点に達し始めた年だった。

そんな中、不動産投資で大金を動かす歌う不動産屋と呼ばれる歌手や投げる不動産屋と呼ばれるプロ野球投手が出現し、世をさわがせたりもした。

実は私達夫婦も、そのバブル景気に乗った建設ラッシュで大いに潤っていて、妻にもバブル時代の凄い逸話が在ったのだが、その顛末は次の物語の機会にご紹介しよう。

しかしそんな根拠の無い無茶苦茶な繁栄に、平成二年(1990年)三月、大蔵省銀行局長 土田正顕(つちだまさあき)氏から通達された「土地関連融資の抑制について」による人為的な急ブレーキがかかる。

本来自然に起きる筈の景気後退を不適切に加速させ、危なげな投機ブームは有ったものの、ついには日本の経済の根幹を支えて来た長期信用全体を崩壊させてしまった。

あの時点で急ブレーキとも言うべき不用意・稚拙な規制をせず、景気の軟着陸を計画的にしていれば、年間三万人を越える自殺者を毎年出す「失われた十五年」を迎える事はなかったかも知れない。

そして日本経済の永い低迷期が始まった。

景気が低迷して世の中の色気が減ったのか、世の中の色気が減って景気が悪くなったのか、とにかく禁欲主義の風潮が強化され、そして日本中が大人しくなったのである。


第五章

◇◆◇◆◇◆◇◆◇〔第五章深い営業接待◆◇◆◇◆◇◆◇◆

しとやかな雰囲気の女リーダーが豹変し、三人組の一人に欲棒を抽入された素っ裸騎上位でスクワットの腰使いに上下させ、ハァハァと荒い息の呼吸を漏らしながら乗り熟(こ)なしている。

ギャラリーの視線を集めて踏ん張る女リーダーが、腰を下ろす度に股間に咥(くわ)えられている欲棒が下からも突き挙げられる。

静まり返ったギャラリーの視線を浴びながら女リーダーの肉体(からだ)にグィグィと抜き挿しされる欲棒の陰茎が、生々しく見え隠れしている。

乳首が立った乳房が上下し、周囲の視線も構わず半開きの口から慎みも無く叫び声に近い善がり声が響いてい居る。

その女リーダーの口に、三人組のもう一人から欲棒を挿し込まれ、生身の陰茎がクィクィと女リーダーの唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされて見え隠れしている。

抜き挿しに連れて、女リーダーの口中から押し出される涎(よだれ)が顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。

この遊びの場は女リーダー一人だから、複数プレィはその場に求められるセオリー(公式手法)である。

「奥さんに輪姦(まわし)を犯らせる気に成ったのかね?」と亭主に聞いた。

「その疑問ですか。実はある書物を読んで内の奴に犯らせようと閃(ひら)いたんですよ。」

「エロ本かね?」

「それが生物学の本でして・・・」

女リーダーの亭主が読んだ生物学の本にチンパンジーの生殖行動が輪姦(りんかん)形態と書いて在った。

一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、霊長類の基本的な生殖行動は「群れ婚」である。

チンパンジーの雄(オス)達は一頭の発情期の雌(メス)に順番に群がり、雌(メス)は一日に何頭もの雄(オス)と交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、雌(メス)が依り強くて優秀な精子に回(めぐ)り逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。

これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、雄(オス)雌(メス)の生殖機能には目的に添った違いが在る。

当然、雄(オス)の方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、雌(メス)の方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての現生人類は、「確実な種の保存の為」に本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。

霊長類・類人猿のチンパンジーは輪姦行為が一般的であり、群れで生活していた原生人類も、永く生殖行為の相手は「群れ婚状態」で基本は乱交だった。

その「群れ婚状態」の子育ては「群れ」で担(にな)っていたのだが、個々に「財」を持つようになり、子育てが夫婦と言う番(つがい)に移った本能とは別の要因で社会合意が為された。

学術書を読んで妄想した事を、亭主が女房に実行させたとは奇妙な話しだが、世の中にはそう言う考え方も在ると言う事だ。

つまり輪姦行為に付いては、女性の精神心理面はともかく肉体的には全く問題ない性器構造と受け入れ体力を持っている。


このチンパンジーの連続性交と同じで、深層心理に於ける女性の性向も多くの異性と性交したい願望が本能として在る。

そして深層心理に於ける男性の性向が、幅広く精子を植え付けて歩きたいならたいのなら、結局男性も女性も多くの異性と性交したい願望が、当たり前の様に在る。

だから女性だって、密かに卑猥(ひわい)な妄想を抱いても不思議はない。

これらは生物としての自然本能だから、社会性と言う制約の中で守ればフラストレーション(欲求不満)になり、相手に内緒で浮気すればトラブルになる。

考えてみれば、どうせ浮気騒ぎを起こすのが一般的な人間で、それでスキャンダルや金を使うなら、全くの遊びの性交を仲間同士で愉しむ方が安全で、後腐れも無く結構に愉しめる。

つまり深層心理に於ける男女の本能や性癖を満足させるには、夫婦合意の上の遊びの性交の機会を作る事である。

倶楽部のお披露目で多くの男性から愛玩を施(ほどこ)された  は、その輪姦が一生の大事な記憶に成り、心情的に痴女になった。

建前優先の世間では、ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)プレイのヒロイン何て事は、言ってしまえば痴女以外の何者でもない。

女性の元々の本能がそれならば、日常の社会性から野生に戻って非日常の性交快感を素直に愉しめば良い。



ここまで遊びが進んだので、女リーダー夫婦をM(マゾ)調教で攻めてみるプレィを想い付き実行に移した。

まず夫婦を素っ裸にさせ、亭主を仰向けで寝かせて女リーダーにはシックスナインの形で亭主の上に乗らせてジュポジュポとおシャブリをさせる。

女リーダーの尻が亭主の顔に被(かぶ)さる形で、勿論亭主の方も女リーダーの股間に舌を這わせる。

両者とも多少は感じて居る様で、互いに肉体(からだ)を小刻みに震えさせている。

その体勢でおシャブリを続けさせながら、女リーダーのア*ル(尻穴)に私が欲棒をグィと突込んでユックリと抜き挿しを始める。

女リーダーは一瞬一瞬肉体(からだ)を硬直させておシャブリを止めてが、こちらの意図を理解してまたシャブリ始めた。

亭主の目の前に、妻(女リーダー)のア*ル(尻穴)に抜き挿しする欲棒の陰茎が濡れて光りながら卑猥に見え隠れして、私の玉袋も揺れて見えている筈だ。

私の征服欲を満足させる有無を言わせない抜き挿しに、女リーダーのおシャブリもネチッコさが増し、夫婦の善がり声が合唱されて周囲に木霊(こだま)し始めた。



妻は結婚以来、夫の私が想像する以上の「知らない非日常」を持つミステリアスな女だった。

それは当時妻が、私達夫婦で自営する建設会社の仕事上の付き合いを一手に引き受けて出歩いていたからで、その動向を私が監視するのは極めて困難だったからである。

そしてその妻の告白で、私の知らない妻の時間に零細企業の社長婦人としての隠された非日常が在り、驚く事に、結構に他の男と犯って居た事が判明した。

それも全て「私の事業の為だった」と成ると、微妙に批判ばかりして居られない気分である。

私に言わせて見れば、凡庸な人生の女性には思い込みが多く、つまり甘みも辛味も無いから相応の遊びを犯って見て初めて知る深味も多い。

特に性行為に関しては犯って見て初めて学ぶ事も在り、例えば料理にだって甘みや辛味、色々在って初めて味が深くなる。

女性は経験も無い思い込みで知らない事の判断するが、だからそれでは男性に対する女性としての深味は生まれない。


実は、この先語られる事は聞きように拠ってはかなり猥褻(わいせつ)な内容ではあるが、その全容を妻の言い分として、この物語でこれからご紹介する。

考えるに、色々と大袈裟に考えるから特別の意味を持つ行為と考え勝ちだが、元々性交そのものは自然な生命現象の一つに過ぎない。

妻の言い分を認めるとしたら、穏やかな人生は確かに楽かも知れないが概して面白くなく、波乱万丈は日々苦痛かも知れないが、そこに生きる面白さが満載である。

まぁ本音の所ではド助平の女性も居て、家庭を守りながらもそれとは別に性交プレィを遊びたい欲求は結構多い。

平凡に穏やかに生きるのも波乱万丈に生きるのもその者の選択の問題で、違法でない限りはどう生きようと本人の勝っ手である。

小説や漫画の女流作家でも、そしてDVD作品でさえもAV女流監督の方がエゲツ無くエロテックで、つまり女性は発揮する場を余り得られないだけで結構にエロテックな感性を内なるに秘めて生きている。

此処に到って確信を持ったのだが、まぁ今まで私には見せなかった妻の本性は、結構に助平だったのだ。

とにかく人気ソープランド嬢やノーパン喫茶その他の風俗嬢が、「二年で七千万貯蓄した八千万貯蓄した」と騒がれたのもこの時代である。

バブル景気に蚊帳の外だった庶民には信じられない事だろうが、当事者だった人々はその渦中に在ってまったく違う「何でも在り」の拝金論理に支配されていた。


私達夫婦が子供会の役員を務めていた昭和の末期は、バブル景気に浮かれて国民の多くが猥雑(わいざつ)に緩(ゆる)んでいる時代だった。

そんな中で起こった例のカラオケスナック事件の三P(三人プレィ)は、まるで当時ビデオデッキの普及で流行り出した裏ビデオの光景を見る様に鮮烈だった。

スナックの物置に男三人に連れ込まれた妻は、両手を開いて、壁に寄りかかる一人の男の腰の辺りの壁に手を着いて身体(からだ)を支え、妻の頭の位置がその男の腰の辺りに下向きに在る。

どうやら奴の欲棒を咥えているらしく、せわしなく頭を上下に振って奴の陰茎が、生々しく妻の口元で見え隠れしている。

そしてもう一人の奴は、前屈みにフェラチオをして居る妻のミニ丈のワンピースをウエストの位置まで捲くり上げた丸出しの尻に後ろから取り付いて欲棒を挿し込み、腰を使って、クィクィと抜き挿しをしていた。

私が仕掛けた悪戯(いたずら)が切欠で、妻は男三人を相手に乱交する破目になったのだ。

私は当初、自分の悪戯(いたずら)が「トンデモナイ結果をもたらした」として責任を痛感していた。

しかし妻が告白するに、当時自営する建設会社の仕事上の付き合いを一手に引き受け、私が知らない「秘密の非日常」が存在し、その顛末を聞いて経験の積み重ねがカラオケスナック事件を屁とも想わない強さに育てたらしかった。


エッ、「そんな危険な話は、フィクション以外とても信じられない。」ですって、それが有るんだな。

人は皆、何時(いつ)も小さな奇跡との出会いの中を生きているのかも知れない。

生身の人間が生きて行くのだから、世間の裏側を覗けば想像を遥かに超えるエロティックな闇が、あなたが気が付かないだけで潜んで居るかも知れないではないか。

妻の存在は時代が生みだしたもので、あの時代でなければあのミステリアスな妻は居なかったかも知れない。

妻に言わせれば、あれは情が通わない只の遊びの性交で「私が気にするでも無い事だから、無いも一緒」と、今にして想えば言いたかったのかも知れない。



世の中には、仕事の円滑の為に性接待の愛奴隷プレイを密かに行っている人々が居る。

そして性癖など元々秘めたるものだから、その人々は誰にも暴(あば)かれず、普通に一般社会人としてその辺を歩いている。

愛奴隷の良いところは、願望優先のきわどい快楽プレイも犯らせ放題の所である。

それに亭主が承知の上なら安心で、多人数の男達と遊びで性交したからと言って何も大袈裟に考える事は無い。

つまり性癖や性交プレィに関しては、表向きの常識など通用しない深いものが世の中には存在する。


バブルの好景気が好景気を呼び人々は夢に溢れ、上から下まで「金は使ってもまた入る」と確信できる時代で、今の様に先が見えない暗い時代では無かった。

当然ながら金が溢(あふ)れると、多くの人々が舞い上がる様な好景気に人々の生活は歓楽的に緩(ゆる)み、自堕落の道を辿って「人生を積極的に愉しもう」と言う遥かに開放的な感覚が蔓延していた。

正直妻は今までも、影の接待で夫の私と自営する建設会社を、「自分の力で支えて来た」と自負していた。

女性である妻が、役に立つ手助けをするとしたら接待を担当する事である。

何しろ、この自分達夫婦が築いた従業員三十人の裕福な建設零細企業を支えたのはバブル景気の大金が動く建設業の事で、当時は破目を外した接待など日常茶飯事だった。

その接待の一歩は、夫である私が勤めて修行していた勤め先の社長婦人との酒宴接待から始まっていた。

当時は新婚間も無くで勤め先の会社の社宅に入っていた為に、私の勤務先の社長が妻に接待の助っ人として「会社を助けて」と声を掛け易かったのだろう。

しかしまぁ、妻は酒宴接待が何たるかも知らないまま、勤め先の社長婦人にスーツを一枚買い与えられて出かけて行った。

考えて見れば、接待に向かう社長婦人が普段より艶やかだったから、或いはこの事(性接待)を「本人は半ば承知の上だったのか」と妻は思った。


大きな金が動けば、宴(うたげ)や色気が潤滑油として付いて来る。

妻がまだ二十三歳の結婚間もない頃に、夫である私の勤務先の社長に命じられ、その勤務先の社長婦人と私の代役で大口得意先の酒の席に初めて出て、非日常の接待役を経験した。

夫が営業を手掛けた総額二億五千万のビル建設に絡む接待で、相手の客は四〜五十歳くらいの四人、その小宴席に接待役側の女性は妻と三十歳代半ばと思(おぼ)しき社長婦人の二人だった。

接待相手会社の社長は、四人の中で最年長と思われる五十歳代半ば過ぎの見るからにやり手風な男だった。

「奥さん、今日は無礼講で精々愉しませてもらいます。」

「そりゃあもう、主人からそのようにとくれぐれも申しつかっています。」

「社長さんからお許しが出ている。それじゃあ今夜は遠慮無く羽目を外させてもらいます。」


この料亭はスッポン料理で有名である。

宴の膳に出て来たスッポン料理にうなぎの蒸篭蒸(せいろむ)し、精が着くメニューのオンパレードも思わせ振りで、接待を受ける男達の気分は盛り上がって行く。

最初は中々に良い雰囲気で、芸者など入れて和(なご)やか賑やかに飲んでいた。

所が、酒が廻って来ると接待相手の社長が酔った勢いの酒宴の戯れで社長婦人に「余興をやれ。」と言い出した。

「奥さん、只顔を出しただけで愉しませてはくれないのか?」と面白がられて社長婦人が質濃く迫られ、進退窮(しんたいきわ)まった。

結局、相手の社長が目論見を同席した芸者に「耳打ちしていた」と見え、「このままでは社長はん方も治まりまへん。奥さん、お囃子(はやし)でお手伝いしますよってあんたさんも少しは羽目を外しなはれ。」と背中を押した。

そして、「奥さんが羽目を外しなはっても、わてらもお店さんも商売柄内ら口は堅いおまっせ」と念を押した。

お酌をすれば返杯で酒を返されて勤務先の社長婦人も妻も飲まされ、勤務先の社長婦人は酒の酔いが廻ったのか正気は少し失い掛けていた。

それで勤務先の社長婦人が「この場限りの事ですよ。」と承知をする。

「この場限りは当たり前だ。さぁ、犯った。犯った。」

それで、世間知らずの妻が驚愕する勤務先の社長婦人の接待が始まった。

社長婦人は席を立つと、少し縺(もつ)れる様に歩いてその芸者の助言と手伝いで屏風(びょうぶ)の陰で脱ぎ、スッポンポンの全裸で宴席の小舞台の上に立った。

社長婦人は恥ずかしそうな表情で、「あ〜ワカメに隠れたハマグリちゃん。チラッと見えたかハマグリちゃん。」とお囃子(はやし)に合わせて扇子(せんす)で前を隠すスッポンポンの裸踊りをさせられた。

扇子二枚を交互で何とか股の方は隠せたが、胸の方は隠せないから乳首が立った乳房はプルンプルンと、三味線と太鼓の音に合わせて踊っている。

それを見た妻は驚いたが、とにかくこのバブル景気の猥雑(わいざつ)に緩んだ時代の雰囲気も在り、現に社長婦人が裸踊りをしていて「世間はそんなものか」とも想った。


当然ながら次に妻の番が廻って来たのが、相手の社長が妻にそれを告げると、その裸踊りの後のままで乳房を揺らしながらお酌をして廻っていたスッポンポンの社長夫人がすがるような目で「頼む」と訴え掛けて来る。

前の日の昼に勤務先の社長婦人が遣って来て街一番のブティックに連れて行かれ、接待用のミニ丈スカートの薄ブルー色のスーツ七万八千円なりをポンと買ってくれ嬉しく想ったが、実はこの為だったのか・・・。


建設業界のお座敷接待の色仕掛けは、色気をほのめかすだけのソフトなものでは無く大金が動くだけにハードなものである。

大金が動く建設業界だけに結局は犯りながらの「受注のおねだり」で、現実の接待は卑猥(ひわい)で生々しい。

「色仕掛け」は古典的な手段だが、永く使われて居るからにはそれなりの成果が在るからだ。

さて「どう対処するべきか」と言う時点で利巧な妻は考えた筈で、この仕事の物件が夫の担当でもあり失敗は赦されず、このまま自分が強情を張っても親子三人が勤務先の社宅を追われ、素っ裸で世間に放りだされるだけである。

それにこの接待は夫からの依頼でもあり、この場限りの事で皆口は堅いのであれば、妻の「断って後悔したくない」と言う想いを後から知って感じた。

こう言う状況下で、「嫌や」と言う「右脳域の感性」の心理心情だけで自分だけ安泰に逃げるのは卑怯(ひきょう)である。

確かに女性には、如何なる状況にも順応する能力こそ、世渡りには必要である。

人間、自分が切り開ける運命は精々百の内の十くらいで、後の九十は周りが造るものであれば、その時確かに妻の意志に関係無く筋書きが決まっているのを妻は感じた。

この場ではその勤務先の社長婦人でさえ裸踊りを犯っているのだから、エィ・ヤァーと覚悟を決めれば「自分にも犯れない事は無い」と、妻は考えたのに違いないのである。

それで着て来た薄ブルー色のミニ丈スカートスーツの前ボタンを外し、スカートのホック止めを外し、ブラウスのボタンを外し、ブラジャーの止めを前に回して外し、パンティを摺(ず)り下げて尻から落とし、全てを脱いだ。

羞恥心でカァーッと肉体(からだ)が熱くなる想いが、まさかこれほどの興奮と快感をもたらすものであるとは、犯ってみないと判らないものである。

結局の所、妻は自分を追い込んでしまえば思い切った事が出来るタイプで、その天性が後に私達夫婦の運命を切り開いたのである。

取引に関わる上客を豪華フルコースの贅沢でもてなす習慣は、古(いにしえ)より洋の東西に関わらず存在した。

設宴(宴を設ける)には場を盛り上げる刺激的なヒロインが必要で、そのヒロインを素っ裸にして皆で容赦無く犯りたい放題の陵辱の生贄(いけにえ)なら宴は成功する。

つまり宴を開催する側からすれば、参加者に愉しんで頂くには目玉になる生贄(いけにえ)のヒロインは欠かせない。

人間の愉しみなんて残酷なものだから、普段観れない卑猥な催し物が在って初めて良い宴会なのである。

宴の参加者にしてみればヒロインに輪姦(まわし)を犯るも良し、犯られてあえぐヒロインを観るも良しの刺激的な愉しみである。

陰毛の下部に開く二枚の肉花弁など生々しく卑猥(ひわい)な自分の股間を、大勢の人前で晒すなど、妻は考えても見なかった。

だが、その考えられない事態をイザ犯って見ると、妻は多くの他人の視線を意識して胸を締め付けられ脳が痺(しび)れるような特殊なM(マゾ)感情が湧いて来た。

つまり妻は、人前で多くの突き刺さる様な視線に全裸体を晒す異常な状況に置かれて、不覚にも感じてしまったのだからそれは素直に認めねば成らない。

正直、密かに自慢のプロポーションだから、他人の視線を意識して全裸体を見せる事にも妻は「どうだ」と言う半ば自慢の想いがある。

そしてこの延長線上に自分への輪姦陵辱が待っていると想うと、妻は子宮がカーッと熱くなり中が濡れて来るのが判った。

思考が常識的に否定する行為を、恥ずかしいけれど妻の肉体(からだ)が期待していた。

それで妻は「愉しませれば良いのでしょ。」と社長婦人同様に、思い切り良く屏風(びょうぶ)の陰で脱ぎ、スッポンポンで宴席の座敷に登場した。

後は芸者衆の音曲に合わせて、「あ〜ワカメに隠れたハマグリちゃん。チラッと見えたかハマグリちゃん。」とお囃子(はやし)に合わせて扇子(せんす)で前を隠すスッポンポンの裸踊りを務めた。

イザ裸踊りをして見ると、妻は羞恥心でカァーッと肉体(からだ)が熱くなる想いがし、「仕方なく」と言う被虐的な言い訳が在っての行為に奇妙な興奮を得ていたが、それは心の奥にしまった。

そこまで行けば覚悟は決まり、後は社長夫人同様にそのまま乳房を揺らして、宴席のお膳越に向かえ合わせにお酌をして廻らされた。


かなり理不尽な事態だったが、妻は負けず嫌いだから、どんな時にも弱気は出さずに肉体(からだ)ごと立ち向かって行くタイプである。

暫(しばら)く女二人はスッポンポンで、芸者衆が芸事の披露や座敷遊びなどをしている間は四人の男性客に乳首を摘まれたり股間を撫でられたりしながら酌をして廻っていた。

  その内、羞恥心もあるから返杯の酒も進んで女二人の酔いが廻った頃、「此処からは内々のお遊びだ。」と芸者衆が帰される。

勤務先の社長夫人が「奥さん、さっき飲んだスッポンの生き血酒が効いて来たのかもうビンビンだよ。責任取ってよ。」と迫られる。

最初に始まったのは、69(シックスナイン)のお座敷おシャブリで、男性客の一人が仰向けに寝ている処に頭側からうつ伏せ巴の形で腰が顔に被さるように社長夫人に跨(また)がせ、客が股間を眺める形ちで欲棒をシャブらせる。

客がシャブらせながら下から両手で社長夫人の尻肉を左右に押し広げれば、目の前で尻の菊蕾(きくつぼみ)が左右に伸び、二枚の肉花弁もパックリ割れてピンク色の粘膜が露(あらわ)になる。

シャブって居る相手に股間を凝視される恥ずかしい体勢を意識してか、押し広げられた社長夫人のおシャブリの速度が急に上がって唇がカリ首のエラをヌメヌメと刺激する。

もぅ止まらない。

仕事が出来る男達の自信か、三人の客に、「もぅ堪(たま)らないから味見をしてやる。」と平然と性交を要求して全裸のままの勤務先の社長夫人が屏風(びょうぶ)の陰へ連れて行かれる。

独身時代に垣間見た同僚女性の列と同様の様相で、先方の社長以外の接待客が順番に屏風(びょうぶ)の影に回り、その都度社長夫人の善がり声が聞こえた。

日頃は在りつけない三人客の男達に「輪姦される」と言う卑猥な条件設定の羞恥心に、社長婦人のアドレナニンが脳内で決壊したのか感度は抜群、善がり声は激しかった。

仰向け大股開きにさせた脚の間に陣取って社長婦人に抽入した欲棒をグィグィと抜き挿しすると、勤務先の社長婦人が堪(たま)らず顔を歪(ゆが)め、嫌々をする様に顔を左右に振る。

しかしその嫌々は快感の表現で、勤務先の社長婦人の欲棒を咥え込んだの乳房は大きく波打ち腰は浮き上がって左右に振られ、口からは大胆な善がり声をわめく様に発している。

勤務先の社長婦人の恥毛に覆われたなだらかな丘の下で、三人客の男達の一人の陰茎が濡れ光ながら見え隠れして確りと見えている。

三人客の男達の一人が、社長婦人の肉体(からだ)を欲棒で串刺しにしてグィグィと攻めて居るのだ。

「オィ、この奥さんスゲー受け腰をクィクィ使って来るぞ、これじゃドッチが犯られているのか判らんわ。」

「どうせ結婚して幾年か経て、夫婦の間に倦怠感があるんだろう。」

「それじゃ良い気晴らしだろうが、道理でさっきから良い声でさえずっているわい。」

「さっき酌をしている時に触ったら、もう股座(またぐら)はビショビショだったからな。」

「こう言うシュチエーションなら相手は客で、犯られても自分に言い訳が聞くからな。」

正直社長婦人の善がり声は解き放れたようにけたたましく、それが三人連続で続いたのだから立派な騒音だった。

二人が終わって、勤務先の社長婦人を犯って居た三人目の男がクィクィと突く腰使いはそのままで、横で腕組しながらそれ見ていた男に声を掛る。

「そう言う事なら、お前の所の奥様も危ないんじゃないか?」

同僚が抜き挿しする社長婦人の股間の辺りを、腕組しながら黙って見ていた男がその問い掛けに応じる。

「お前の所こそ、本当はどうなんだ。そうして此処で遊んでいる場合じゃないんじゃないか?」

手酌で徳利からグイ飲みに注いで飲みながら眺めていたもう一人の男が、会話を聞いてまぜっかえす。

「三人とも奥様サービスは疎(おろそ)かじゃないのか、何か気晴らしでもさせないとまずいな。」

すると腕組しながら見ていた男が、犯られて居る勤務先の社長婦人の顔を覗き込んで声を掛ける。

「そうだな、奥さんはどう想います?」

首を振り、腰を浮かし、脚の指先まで丸め、上半身を仰(の)け反らせて善がり声を挙げている勤務先の社長婦人にして見れば、今更格好など付けた返事は出来ない。

「ワ、わたしは、たまには犯って頂いた方が良いと想います。」と、何度か善がり声を混ぜながら漸(ようや)く応えた。

「ほおーれ見ろ、俺達は嫁さん達を何とかしないとまずいだろう。」

「そうは言っても二十年も一緒に居れば、かなり刺激でもないと顔を合わせても互いにその気には成らんからな。」

「どうだ、俺達はこうして互いに犯って見せる穴兄弟だ。嫁さん達を巻き込んで三対三のスワッピングでも犯ったらどうかな?」

「そんな事、内の奴が承知する訳が無いだろう。」

「俺は聞いた事があるんだが、いきなり誘っても断られるが三人がとっ替えこで口説いて二人上手く犯ってしまえば、三対三のスワッピングでも乱交でも案外簡単に持ち込めるそうだ。」

「そりゃ面白い、それなら金も使わないで遊べる。良〜し、それじゃあ互いに出張で留守の夜を作り、手分けして各自トライだ。」

「そうと決まったら、この奥さんをもう一廻り責めるとしょう。奥さん良いね。」

「はぃ。」

これは夢では無く、事実だった。

やはり世の中は、感情的になると必ず負ける。

確かにその場に直面しての妻の決断だから、穏やかに受け入れるしかない。

しかし考えて見れば、二億五千万円プラス・オプションの大型建設物件で、バブル時代に世間並みの接待などで終わる訳が無い。

その間に妻は全裸のまま先方の社長と二人、酒席の上座にて酌をしている結果に成って、社長が手元で酒が飲めるように宴席のお膳を社長の右脇に避(よ)けて妻を近くに呼んだ。

確かに二十歳代前半・新婚、妻の肉体(からだ)が若妻のフェロモンがムンムンだった事も事実だった。

妻を連れて接待に出向いた社長婦人は、例え素っ裸で他人前に曳き出されても、集まる視線に平然と気品在る好い女を要求される。

そして接待として駆りだされた妻は、生贄(いけにえ)として官能的に淫(みだ)らに、遊びの性交で腰が抜けるほど犯られ尽くさなければ成らない。

手遅れな事に、今はもぅ妻はその場に居たのだ。

「サァ、こっちの若奥様も、社長夫人にだけ犯らせて置く訳にも行かないだろう。コッチに来てシャブりなさい。」

「はぃ、喜んで。」


妻の口中に挿し込んだ欲棒がヌメヌメと舌先で嬲(ね)ぶられる快感に、その社長は目を細めて上から覗き込む様にそのおシャブリを愉しんでいる。

妻がおシャブリを始めると、社長の利き腕が妻の尻に廻って手の平が尻肉を撫(な)で廻し、指先がモソモソと菊座の穴や二枚の肉花弁の間に潜(もぐ)り込んで弄(なぶ)り廻している。

その弄(なぶ)りに、妻は社長の欲棒を咥えたまま、恥ずかしそうに顔を赤らめながらも身を捩(よじ)って避けもせず、股間を広げてのお愉しみに為すがままに耐えている。

結局妻は、彼の欲棒をおシャブリさせられた後に、命じられて抱っこ座位で肉体(からだ)に受け入れ、その社長の首に回した腕にぶら下がるように腰を上下し、抜き挿しを続ける攻撃型の性交を、相手がウッとイクまで丹念に犯った。


そこまで行けば当然後の続きができる。

妻は社長のお相手をした後、残りの三人に屏風(びょうぶ)の陰に連れて行かれ、まずは「お道具(女性器)拝見」と仰向けに股を開かされた。

そして、疲労困憊で横たわる勤務先の社長婦人と肌が触れそうな所で、残りの三人に面白がられながら肉体(からだ)を弄(いじ)れた挙句、犯られてしまった。

目の前に素っ裸の女性が、踵(かかと)を宙に浮かせた股を開いて、それが扱(あつか)い自由の生肉体玩具(オモチャ)であれば、男として当然愉しまない手はない。

一人目の男が、生肉体玩具(オモチャ)の妻の顔を観ながら股間に咲く二枚の肉花弁を指二本でパカパカとで開いたり閉じたり、突起した敏感な蕾(つぼみ)の実(サネ)をグリグリと弄(いじ)って観る。

次の男は本格的にお愉しみで、生肉体玩具(オモチャ)の柔ら壺やア*ルに指を挿し込んで抜き挿しし弄(いじ)って反応を観る。

何をされても生肉体玩具(オモチャ)はジッと耐え、股を開いたまま恥ずかしいところを為すがままに弄(いじ)らせている。


妻は正直言うと、犯ってしまって内心ではおシャブリも腰使いも上手く犯れて、相手を満足させたのだから「結構満足が行く出来(デキ)だ」と想って居た。

他人前(ひとまえ)素っ裸で此処まで激しく犯れば上出来(ジョウデキ)で、禁断の露出公開性交だからこそ妻の脳みそは羞恥心で心地良く溶けそうだった。

何しろ二億五千万のビル建設の発注段階の事で、後で聞くと妻の代役出席も私達夫婦が新婚と聴いた先方の社長のご指名で、「奥さんには余興をさせる」は、夫の私も「契約をして貰えれば」と凡(おおよ)そ承知の事だった。

勤め先の社長は、私以上にその接待の実状を了解して送り出していたのかも知れない。



妻のお陰でビルの建築契約は発注され、私は「成約報奨金」と言う名の特別ボーナスを税込み五十万円貰った。

それからは時々、妻はミニドレス風の衣装を買い与えられて和服姿の社長婦人に連れられて受注の最終契約に出かけた。

女性は神経が太く、イザと成れば覚悟良く大胆・奔放に景気良く脱いでスッポンポンに成り、思い切り良く股を開く。

そして最初は勢いで犯ってしまうが、その濃厚な遊びの味を一度覚えると、それは間違いなく癖に成る。

あのイッてもイッても相手が替わってまた犯される、あの物凄い「アクメ(絶頂)快感地獄が、また味わえる」と言う想いが強まるのだ。


性交に何か特別な意味を持たせたがるのは、一体何の為だろうか?

何か建前主義者が「性の何たるか」をろくに分類もしない横着で大枠に一括(ひとくく)りにした事に拠って、その本質を見る目が曇ってしまっては居まいか?

「愛情」は永い時間を掛けて育むものだが、その前駆段階の「恋」は吊橋効果(つりばしこうか)の幻想である。

勿論その幻想は、男女が結び付く為の感情だから疎(おろそ)かには出来ないが、つまり多くの人間が、「愛情幻想と言う不確か」を理由にして性交を交(まじ)えている。

つまり「愛情を条件に性交相手を決める」など、男女関係の前後を錯誤した矛盾極まり無いもので、簡単に言ってしまえば愛情と性交は別のものである。


セックス行為を「情事」とか「情交」とか表現するが、これは一対一の浮気などで「情」が絡(から)む状況のセックス行為である。

それは基本的に種の保存に関わる事だから、性衝動を喚起する為に二人だけの情交でも快感はある。

快感はあるが、それを少しでも濃密な快感にしたいから違法な麻薬に手を出す不埒(ふらち)なカップルも居る。

しかし幾ら麻薬を使った性行為が気持ちが良いからと言って、何もそんな身を滅ぼす様な爛(ただ)れた性交をしなくても別に方法はある。

元々性行為で脳内麻薬の快感物質ベータ・エンドロフィンは脳内に発生するが、それが非日常的性行為(アブノーマル)であればそれだけ分泌ホルモンの密度が濃くなる。

ソーシャルセックス(社交的な性交)で、脳内麻薬の分泌ホルモン・ベータ・エンドロフィンを大量発生させれば天然無害な麻薬効果が得られる理屈だ。

もっともソーシャルセックス(社交的な性交)の快感には習慣性が生まれるから、安全無害は、薬物効果の範囲である。

そしてソーシャルセックス(社交的な性交)は、一度に三Pや四Pの乱交プレィや連続輪姦だから「情」など絡(から)まず、嫉妬をぶつける特定の相手も無い。

純然たるエンジョイ・トゥギャザー(ごいっしょに愉しみましょう)の夫婦合意の遊びだから、互いの性癖を清々と吐き出して愉しめば良いのだ。

人間は清純とエロス、善意と悪意に揺れながら生きる動物で、他人(ひと)前でパンティが尻を通過しながら摺(ず)り下げられて、尻と股間が露(あらわ)に成った気恥ずかしさに貞操観念が吹っ飛ぶ。

露出裸身や露出性交は、魅せる者の羞恥心を煽(あお)り見る者を愉しませる仕掛けで、もう後は妻が股をオッ広げて社長に欲棒を挿し込まれ、股間で生々しく繋がっている陰茎を見え隠れさせながら犯られるしか無い。

社長婦人も妻も、結局男四人組に輪姦(まわ)されてしまったのだが、正気を取り戻して着衣を始めた社長婦人に何故か悲壮感はなく、むしろ満足感が漂っていたのを妻は見た。


そんな接待が在って以後、時折社長婦人は社長に頼まれて例の相手三人の座敷に妻を伴って接待に出かける様に成り、その都度追加工事を受注して会社は順調に成った。

二度目のお座敷接待でも、一時(いっとき)は社長婦人も前回同様の裸踊りを踊らされた。

しかし当然、それだけでは終わらない。

この二度目のお座敷接待の時は、接待相手も社長婦人を性玩具(おもちゃ)として卑猥(ひわい)なお愉しみの仕方に工夫をして来ていた。

接待相手は、社長婦人が想うように我侭(わがまま)に遊べる相手と要領を覚え、「今回は悪戯(いたずら)をして愉しもう」と竹竿と麻縄を用意していたのだ。

接待相手の男三人が全裸の社長婦人に群がり、竹竿と麻縄を使って、アッと言う間に座敷の真ん中に縛り転がした。

座布団を三枚並べて前裸で仰向けに寝かした勤め先の社長婦人の背中、座布団の隙間に竹竿を通し、両足をマングリ返しにさせて左右の足首を竹竿に縛り付ける。

その竹竿に縛り付けた左右の足首の横に左右の手首も縛り付けて、恥毛に覆われたデルタゾーン(三角地帯)を上向きに社長婦人の動きを完全に封じて固定してしまう。

固定し終わると妻に男三人と妻自身のグラスにビールを注がせて四人で一気飲みをし、妻に空になったビール瓶を「これを奥さんのオマ*コに突込みなさい。」と社長婦人の柔ら壷に挿す様に命じた。

妻が、言われるままにビール瓶の細口を社長婦人の二枚の肉花弁の間に宛(あて)がい、柔ら壷にグィと挿し込んで手を離した。

社長婦人の柔ら壷に挿したビール瓶が少し傾いて立っているのを、男三人がビールを飲みながら眺め、妻に「奥さんが感じるまで、少し抜き挿ししてみようか。」と社長婦人が感じるまで抜き挿しする様に命じた。

妻は一瞬戸惑ったが、社長婦人が「構わないから犯って」と言うので、股間にオッ立ったビール瓶の太い胴を持って抜き挿しを始めた。

社長婦人にして見れば、ここまで犯って今更相手の機嫌をそこなう訳には行かなかったのだ。

こう言う場面では、何事も素直(すなお)に応じるのが原則で、逆らえば場の雰囲気を壊(こわ)すだけで何の得も無い。

その内、妻の持つビール瓶で柔ら壷の内壁を弄(なぶ)られた社長婦人は、取引先の男達の前で雇い人の妻に弄(なぶ)られる羞恥心と被虐感に、ハァハァと吐息を漏(も)らしながら感じ始めた。

そう言う社長婦人の反応が妻の加虐の遊び心に火が着き、ビール瓶の抜き挿しは何時の間にか激しさを増して行く。

固定されて身動きがままならない社長婦人は、やがて妻の激しいビール瓶の抜き挿しに全身を震わせ、大きな善がり声と伴に悶絶(もんぜつ)して果てた。

その悶絶(もんぜつ)して果てた社長婦人を、マングリ返しに固定させたまま、三人の男達はビール瓶を抜き取って順番に犯し始め、ふた周り輪姦(まわ)し、社長婦人は犯されながら意識を取り戻した。

その間妻は、おシャブリで次の男をアシストして「立たせる作業をしていた」と言う。


まぁ結果が伴っている事も在ってか、三度目くらいの接待からは社長婦人の出かける時の雰囲気も変わって、結構浮き浮き気分で妻を連れ出して出かけて行った。

今に想えばあの猥褻(わいせつ)な刺激に味を占めたのか、結構愉しそうに堂々と出かける社長婦人の表情を、妻は今でも想いだすのだ。



マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)など「飛んでも無い行為だ」と批判するだろうが、それは生殖行為を前提にした場合の話しである。

人間だけが与えられた擬似生殖行為(遊びの性交)を前提にすれば、それは素直に依りSEXを愉しめる選択肢である。


勿論個人差は在るが、イザその場面に遭遇すると女性のほとんどが意外とマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)を抵抗無く受け入れる。

しかし人類学上では不思議は無い。

女性は、肉体構造に於いても「受け入れる」が基本であるから、「犯るよりも犯られる」が通常の感性で、その犯られる感性が薄い女性はあまり女性的で無い。

実はこの性交に関するマルチ傾向は、人類の生い立ち経緯そのものと関わる原資生殖習慣にその起因を見る。

何と成れば、今でも本能としては進化過程の名残が残っているのだが、人類の元々の自然な資質を考察すると「群れ社会性の生き物」で、当然ながら本能的には「群れ婚」が基本だった。

つまり群れ内は乱交状態が永く続いた種だから、右脳域(感性)的本性にはマルチ傾向にそう違和感がある訳ではない。

しかし人類の生活形態が、次第に「群れ」から「家族」に変化して行く過程で家族単位の維持が必要になり、左脳域(理性)的にマルチ傾向の本能を否定するように成った。

それでも平安中期頃まで「呼ばい婚(夜這い婚)」が主流で、女性の家に男性が通う形の実質女性側に選択権が在る一妻多夫状態のマルチ婚姻形態だった。

そして、「歌垣(うたがき)」と言う名の野外乱交の場に夫婦で出かけて行って歌を詠み合って刹那の相手を探し、実行する遊びをしていた。

この「歌垣(うたがき)」の性習慣は平安貴族に於ける夫婦揃っての合意の上の遊びで、原資生殖習慣であるマルチ傾向の本能に「自然に対応していた」とも採れるのである。

だから性に関して女性の自然な本音と建前には微妙なズレが在り、非日常の刹那を愉しむ事を一旦経験してしまうと口とは裏腹に可愛い顔して平気でエゲツ無い事を犯る。

そして奇妙なものだが、女性の元々の資質には「相手に評価されたい願望が強い」から、プレィを始めてしまうと結構熱心に性交相手に奉仕する。

正直、こればかりは「嫌よ、嫌よも好きの内」で、口とは裏腹の想いが潜(ひそ)んでいても不思議は無いのだ。


接待現場に成った料亭は、お座敷を構えて非日常を遊ばせるだけ在って店の方も芸者の方も客の破廉恥なお遊びにも口は堅かった。

その料亭は、次の間に布団を敷いてあるほどそっちの方はフリーだったが、そのメンバーの男達はワザワザ刺激を求めて屏風(びょうぶ)の陰を選んだらしい。

それにしも、こう言う席では女将も仲居も芸者衆も心得ていて、「良くある事」で見て見ぬ振りだから、刺激として頼まれれば犯られている横でも食器のかたずけなどする。

しかしその位心得てフリーな料亭のお陰で、後に建設会社として独立してからは、妻は随分と良い接待場所として重宝したらしい。

思い起こせばこの頃から妻は艶っぽくなり、それはドンドン益して行った記憶が確かにある。


帰りがけに社長婦人が、「お騒がせしてごめんなさい」と暗に破廉恥の行状を料亭の女将(おかみ)に詫びたのを妻が見たが、「そう言う事を犯りはるお客さんはようけい居てはるけど、わてら見猿、聞か猿、言わ猿の日光さんの三猿です。」と笑って流されていた。

つまりは「全て心得ておますから、安心して破目を外して遊びなはれ。」である。

傍(はた)で聞いて居て妻が判った事だが、その「破目を外す遊び」に需要が沢山在るからこそ立ち行くのがお座敷商売で、極希な話しならそんな業界は無くなる筈だった。

穏やかそうな日々の暮らしの影で、或いは波乱に満ちた生活の影で、何も無いように思える家庭生活でも買春遊びや浮気騒ぎは起こるのだから性の問題に絶対は無い。

だからこそ、この本音に満ちた卑猥(ひわい)な遊びが密かに料亭の奥座敷で行われている事を「絶対に無い」などとは言い切れない。

だいたい、女性二人が呼ばれて男性が呼ばれない接待の席で、工事の成約金額も多かったのだから、多少の色気が要求されるくらいの想像は在った。

つまり夫の私は、妻がそこまで犯られるとは想像しないまま相手社長のバイネーム(名指し/指名)に応じて、多少のお座敷遊びに「妻がクレバー(賢い)に対応する」と期待していたのだ。


正直それがお座敷商売のミソだから、「何を犯っても無礼講」で、遊べない料亭の奥座敷など在りはしない。

手が込んだ事に、相手社長達はその辺りの遊びを充分承知していて場所を社長婦人に指名して来たらしい。

つまり最初から犯る気満々の連中だった訳で、社長婦人と妻以外は皆グルだった。


その社長がこうした遊びに利用していたのは、一山超えた他県半島部の温泉観光地にある芸者のけん盤を抱えた料亭で、言わば観光産業しかないような立地だった。

接待に連れて行かれて、行きがかりで凄い性体験をした妻だったが、翌朝目を覚ますと世間はそんな事は何も知った事ではない。

つまり「犯った犯らない」は本人の拘(こだわ)りの問題で、そんな事に一々気を使ったり引きずったりしても何の意味も無い。

無理やりに犯らせる訳ではないから犯る犯らないは妻の意志次第で、後はその卑猥な接待の状況に早く妻が馴染むしかない。

この建設会社の夫婦が行うクライアント(得意先/顧客/依頼人)に対する枕営業(性接待)は、不倫でも愛人契約でも無く,言わば広義の意味での売春である。

正直、内々の秘密ではあるが、別の業種でも高額取引をスムース(円滑)に運ぶには枕営業(性接待)が効果的である。

最初はプロのお姐いさんに性接待も頼んでいたが、クライアント(得意先/顧客/依頼人)の付加価値評価は然程上がらず、その割にえらく金が掛かった。

思い切って社長夫人が自ら枕営業(性接待)をしたら、これが高評価の上にその分の金が掛からない。

社長も夫人を酒席に送り出し、しかも評判が良く仕事が取れるのだから「裸踊り位は仕方がない」と心得ていたが、それが自然に枕営業(性接待)にまで進んでいた。

そしてクライアント(得意先/顧客/依頼人)の要求も段々にエスカレートし、もう一人若い娘を連れて行く事に成ったらしい。


夜の飲食業の接客嬢やママさんは、建前上は無い事に成っていたが優良客を繋ぎ止める為の枕営業(性接待)は立派な営業努力である。

正直、内々の秘密ではあるが、別の業種でも高額取引をスムース(円滑)に運ぶには枕営業(性接待)が効果的である。

テレビ局の女子アナはアナウンサー室に待機して、おのおので番組出演の声が掛かるのを待つ立場だから、個人の営業努力として局内の権限者に枕営業(性接待)のうわさは多かった。

正直枕営業(性接待)は相手の家庭を壊すものではなく、ステークホルダー(利害関係)として目的をスムース(円滑)に運ぶ為のものだった。

女子アナにも枕営業(性接待)が在り、局内の権限者に対してはインサイダー(組織内部)として外部に秘密が漏れない安心が在った。

バブル期の女性保険外交員(生保レデェイ)は、保険契約の為の枕営業(性接待)は建前上は無い事に成って居たが、現場では立派な営業努力とされていた。

この生保レデェイ達の枕営業とも言われそうな宴会営業は、建前、会社は知らない事でレデェイ達のリーダーが会社には勝手自主的に犯っている事に成っている。

しかしそれは暗黙の奨励で、成約件数が多いグループのリーダーには、それなりのギャランティが積み増しされる余禄があるから、形振り構わず必死になる。

これも裏話だが、生保レデェイには母子家庭が多かった。

一つには子供を抱えて中々日勤の職業には着き難かったが、生保レデェイは実績さえ挙げれば比較的自由が利いた事と、本人の「性的な渇き」は枕営業(性接待)で解消していた。

現実的に考えれば、枕営業(性接待)はステークホルダー(利害関係)として、最高に高レベルのコスパ(コストパホーマンス/費用効果)として機能する。

従って枕営業(性接待)のヒロイン・愛奴隷には、女性としての高度な「スペック(性能)」が要求される。

勿論、枕営業(性接待)を「これはお仕事だから」と言う言い訳ができれば、「全ては相手を喜ばせる為」と割り切って行為に対処ができる。

接待の性交プレィだからこそ、犯る以上は「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの努力をする。

そして枕営業(性接待)は猥褻(わいせつ)であればあるほどそのコスパ(コストパホーマンス/費用効果)は高くなる。

「スペック(性能)」は元々コンピューター用語だが、人の身体的特徴、技術、趣味、学歴、仕事などのランク(階級)を表す言葉としてある。

枕営業(性接待)は相手の家庭を壊すものではなく、目的をスムース(円滑)に運ぶ為のものだった。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)に対する性接待は、不倫でも愛人契約でも無く,言わば広義の意味での売春である。

つまりそれは相手の家庭を壊すものではなく、法的に言えば、優良な顧客をつなぎ止める為の性交渉を女性が提供する、つまり「枕営業(まくらえいぎょう)」の類(たぐい)である。

正直、接待相手のクライアント(得意先/顧客/依頼人)にしてもこの遊びは漏れたらスキャンダルで、インサイダー(組織内部)として外部に秘密が漏れない安心がある。


そして奇妙な気持ちだったが、翌朝の妻の周囲は接待を犯る前も犯った後も生活に於いて別に咎(とが)める者も現れる事無く、全く変わりは無い。

何の事はない、「大それた事をした」と思うのは本人の罪悪感だけで、それも「夫に頼まれた」と言う言い訳もある。


ちょうどこの頃、県警本部からこの半島部を管轄する警察署に赴任して半年足らずの署長が地元の要望で更迭された。

その署長だが、実は観光地への赴任は初めてで平常の街と同じ取締りをして地元から大きな反発を受けてしまったのだ。

観光地とは少し特別な場所で、少しは色気も無ければ客が来ないから北陸の三観光地同様の遊びをしていた。

刺身の女体盛にお座敷女体ホールゴルフ、鼻を出入りさせる天狗面ショーに雄犬対女性のドックショー、勿論全裸スナックに二階でチョンの間、赴任して来たばかりの署長がそれらを片っ端から検挙して、その観光地の客寄せアイテムが無くなってしまった。

それでツーリストエージェント(旅行業者)が誘客のシフトから外して観光地は灯が消えたようになって、市町村長から観光協会長まで、県警本部へ「これでは遣って行けない」とその警察署長の苦情が行った。

そこで地元と折り合いが着く警察署長に交代となって、取り締まりは料亭やホテル・旅館に事前に連絡が入る所まで関係が改善していた。

つまり当時のお座敷は治外法権で、中小企業の社長連中と生保レディが宴会を催し保険契約をめぐって肉弾戦で野球拳や浅い川などかなり露骨にエロチックな素人接待を繰り広げていたのもこの時期だった。



第六章

◇◆◇◆◇◆◇◆◇〔第六章(生保レディの営業接待)◆◇◆◇◆◇◆◇

バブル景気時代は、まぁ面白い時代だった。

バブル景気時代の生保レディの名刺には、堂々と「ダンス・カラオケのお相手出来ます。是非お誘い下さい」と書いて在り、引率女性リーダーが現場指揮を取っていた。

それがまた、ダンス・カラオケのお相手などは「隠れ蓑(かくれみの)」とも言える序の口で、素人だけに返って芸者も引くようなエゲツ無いお座敷遊びをする事はザラに在る事で、正に生保の保険獲得は肉弾営業としか言い様がない。


生保レデェイには最初の三ヶ月は保障給が在るが、それから先は契約出来高で収入が上下し、契約が取れ無ければ会社に在籍し難い。

どの会社の保険商品も、中身が究極のところまで行ってしまうとコモデティ(汎用化/差・違い不明瞭化)状態に陥ってしまう。

つまり各社の保険商品の品質が均一化してしまい、差がなければ売り方と言う別の営業力で勝負する事に成り、各社生保レデェイの活躍に期待するように成った。

それに会社側は飴と鞭で、契約出来高多ければ表彰や海外旅行など、鼻先に人参もぶら下がっている。

つまり生保レデェイの就業環境は必死に成らざるを得ない仕組みで、契約競争社会だから影に廻れば生々しいお色気営業活動も要求され甘くは無い。

生保レデェイもそれを仕切るリーダーも、結局は金が欲しい。

バブル華やかな頃は中小企業もウハウハの業績だったから、経営者一族も結構高額な法人保険に入っても保険料が負担できた。

保険料は企業で払い、個人の懐(ふところ)が痛まないから割と安易に法人保険に入れ、そこを狙って生保レデェイの接待に力が入る。

肉体(からだ)を張れば、法人保険の制約がさほど困難では無い時代だった。

目の前で同僚が、多少無理な接待を犯りながらでも大口の契約を取っている。

理論(深層心理論)から言えば、周りが得する状況では「自分だけ損をしたくない」が女性心理の特徴である。

接待に躊躇(ちゅちょして)して他の仲間だけが儲かると成ると、例え裸踊りをさせられても絶対にお色気営業活動から降りない。

だから羞恥心を封印して、金の為に生保レデェイに思い切らせて宴会接待をさせるのがリーダーの役目である。

何しろ集合場所で、引率リーダーからラテックスの避妊具を三個ずつ渡されている。

それを彼女達は黙って受け取っているから、どんな宴会かは納得して理解してその場に居る。

この枕営業とも言われそうな宴会営業は、建前、会社は知らない事でレデェイ達のリーダーが会社には勝手自主的に犯っている事に成って居る。

しかしそれは暗黙の奨励で、成約件数が多いグループのリーダーには、それなりのギャランティが積み増しされる余禄があるから、形振り構わず必死になる。

無礼講の酒席と言う事で、宴会が始まると着衣の上からとは言えアルコールが入った肉体(からだ)を無遠慮に触られ放題になり、その刺激に耐える事で気分は猥褻(わいせつ)に成って行く。

そうなると「気取った女は品が無い」と盛り上がり、宴会芸でかなり卑猥な遊びも抵抗無く大胆奔放に犯って見せる。

正直最初は、こうした接待にはかなりの決意が必要だった。

それが二回、三回と数を重ねると慣れも生じ、おまけに振り込まれる制約報奨金の額を見せ付けられると、「理性」では無く「感性」で消化すべき楽しみの遊びに変化する。

「そんな破廉恥な事を良く犯るものだ」と世間は思うかも知れないが、周囲が皆そうだと勢いでそこまで行ってしまう。

何しろ酒も入って気分が上昇して居る所で、引率リーダーが率先して上手にその卑猥な方向へレデェイ達の気分を持って行くのだ。


当時は生命保険会社もバツ付きの若いシングルマザーを大量に採用していたが、生活の為に必死な彼女達がもっとも「こうした肉弾営業に向いている」と言う判断も、非公式に想定が在っての事と想われる。

まぁ、睦(むつ)みながらのおねだり・・・「色仕掛け」は古典的な手段だが、永く使われて居るからにはそれなりの成果が在るからだ。

しかもこの保険業界の生保レディの「接待の色仕掛け」は、色気をほのめかすだけのソフトなものでは無くハードなものだった。

考えて見れば頷(うなず)ける事だが、毎月多額の掛け金を支払う保険契約を何も旨味無しに契約する何て事は、当時の世相では考えられない時代だった。

それこそ生保レディ側は客の争奪戦で、億単位・二億単位の経営者保険など生半可では仕事が取れない。

だから各々(おのおの)の座敷遊びは真剣で、熱を帯びてエスカレートして行った。

バブルの好景気時代の生保会社のお座敷接待メニューは、仕事を取る為に卑猥(ひわい)を前面に出して過激だった。


誰が考え付いたのか、生保レディの宴会芸に「軍手早脱ぎ競技」がある。

生保レディの素足の両足と両手に軍手を穿(は)かせ、舞台の上や上座に椅子に座らせた状態で手足をバタつかせて両手両足の軍手都合四枚を、二分間で早脱ぎ競技をする。

それがこの競技のミソなのだが、足に履かせた軍手を振り落とすには上品に脚を振って居ては効果がない。

大胆に脚を振らねば振り落とす事が不可能だから、恥ずかしくてもも着ているタイトスカートを腰まで捲(まく)くり上げて稼動範囲を広げなければ負けてしまう。

スカートを捲(まく)くり上げればパンティ丸見えだが、そこは覚悟でその格好で必死で脚をバタつかせて軍手を振り落とす見せる大人の遊びである。

競技者の生保レディの軍手早脱ぎ結果は大抵二〜三枚で、四枚とも脱げたり四枚脱げなかったりは珍しい。

この競技のミソはペナルティ(罰)で、競技者は二分以内で脱げなかった軍手の枚数だけ舞台の上や上座で衣服を脱がなければならない。

脱ぎ方のルールも決まっていて、スーツ上下とブラウスの場合はスーツ上下で一枚、ブラウスで一枚とかぞえ、上着にワンピースの場合は上着で一枚ワンピースで一枚とかぞえ、下着はブラジャーで一枚、パンティで一枚と数える。

つまり四枚とも脱げないと、その後は宴会が終わるまで全裸で居る破目に成る。

まぁこの競技後は、ブラジャーとパンティの下着姿やパンティ一枚の乳丸出しなど、生保レディの肌露出度は上がり、接待される客達のボルテージもあがる。

また宴席を色気で盛り上げる事が目的だから、「ダルマ(達磨)さんが転んだ」の「お触り自由バージョン」と言う極めつけのゲームがある。

ご存知「ダルマ(達磨)さんが転んだ」は、後ろを向いた鬼が「ダルマ(達磨)さんが転んだ」と言って居る間に近付いて行き、鬼が振り向いた時に停止状態で無いとアウトの遊びである。

これを生保レディの宴会ルールでは、客が鬼となりに三人の生保レディが両手を真横か真上に上げた形で近付いて行き、鬼が振り向いて停止した状態で鬼にお触りをされ、それに耐えて動かないルールである。

両手を真横か真上に上げた形で動けないから、胸元に手を入れて乳房を揉まれようがスカートを捲くり挙げられてパンティの中に手を入れられようが二分間は耐えるルールである。

耐え切れずに動くと、公開罰ゲームショーだ。

全裸大股開きの股間に、ラテックス製のお地蔵さんみたいな頭とペンギンのクチバシみたいな突起を持った張り型バイブを花弁のスリットの中へ挿し込み、スイッチを入れて攻め立てる。

その張り型バイブを挿し込んだまま、さらに敏感なマメボタンに電気按摩器を宛がう攻めを犯られ、大勢の前で大悶絶してイカされる破目に成る。


そうしたお座敷遊びの中でも、一番多かった遊びが「人間一輪運搬車(ねこぐるま)遊び」だった。

生保レディが腹這いで腕を立て、客が後ろで両足を持ち挙げて前に押して行く競技が「人間一輪運搬車(ねこぐるま)遊び」で、これは後方で両足を持ち挙げて居るユーザーには相方の生保レディのパンティは丸見えである。

しかし生保レディは、負ければ以後の競技は下半身生パンティ一枚で「人間一輪運搬車(ねこぐるま)遊び」をさせられるから、ユーザーに丸見えのパンティなど構う事無く必死で左右の両手を進めて前に行く。

これを五組くらいで競争し、一本目の最下位者は罰ゲームでスカートを外して下半身をパンストとパンティ姿の丸出しで二本目の競技をする。

二本目で更に最下位者が同一だとその生保レディ、周囲の拍手の中、今度はパンストとパンティも脱がされて下半身丸出し姿で三本目の競技をする。

そうなるともう、後ろで両足を支える男性客にはレディの尻丸出しどころか、脚の付け根で恥毛からはみ出した二枚の怪しい肉花弁や尻穴の菊蕾まで丸見えの、ドキッとさせられるスペシャルサービスである。


「エッ、何んでそんな事まで生保レディがしたのか?」ですって、当時の経営者(社長)保険の額は半端な額では無く、成約額に対するバック(褒賞金)も半端な額ではなかったからだ。

現在は廃(すた)れたが、この楽しい遊びを覚えた者が、一時「人間一輪運搬車(ねこぐるま)遊び」を宴会芸として、芸者衆やコンパニオンに強要して遊んでいた。

果ては、今ではセクハラで訴えられそうだが、この「人間一輪運搬車(ねこぐるま)遊び」を女子社員に、二本目や三本目まではさせないものの会社の忘年会の余興として強要したりした。

「人間一輪運搬車(ねこぐるま)遊び」で負けた生保レディが、生パンティ一枚の下半身を披露した所で、次の「お座敷平背泳ぎ」に突入する。

「お座敷平背泳ぎ遊び」は、仰向けに成ってかえる足で座敷の畳を蹴りながら進む協議で、これまたスカートをたくし上げないと様(さま)に成らないから、前の「人間一輪運搬車(ねこぐるま)遊び」で勝った生保レディも結局パンティは丸出しである。

この「お座敷平背泳ぎ遊び」に負けた生保レディは罰を受け、以後の競技はパンティも取り上げられた生尻で次の「お座敷ビーチフラッグ遊び」に突入する。

「お座敷ビーチフラッグ遊び」はもっと過激で、ユーザーの露出した欲棒を、数人の生保レディが走って行って取り合い、最初にフラッグ(欲棒)を掴んだ生保レディが、パクリと咥(くわ)えてシャブったら勝ちである。

新人は引率女性リーダーに命じられてわかめ・はまぐりの裸踊りも踊って見せ、一通りの宴会騒ぎの後はノーパンティのスカートを捲くり挙げて誘い、契約が決まれば別室になだれ込む。

それでも契約に在り付かない生保レディは、未契約で残った客と混浴に入って最後の勝負をする。

当然ながら温泉は混浴の段取りで、生保レディは契約を取る為には何でも犯った。

此処まで行くと薄暗い浴室で股間に手を伸ばしたり、中には大胆にもシャブリ始める生保レディも出現する。

中には一晩に客を二人取る豪の者も居て、今の生保レディでは考えられないラフ(荒い)な時代だった。

その主戦場が料亭やホテル・旅館のお座敷、手軽な所でカラオケスナックと言った所で、勿論生保会社は建前では生保レディがどんな方法で契約を勧誘したかは預かり知らない事になっていた。

しかし営業成績のグラフ票は一番見える場所に掲示してあり、嫌やが上にも競わせて表彰式も行うなど、全ては引率女性リーダーのポイント成功加算方式で成り立つから、現場では率先して見本を見せる。

その引率女性リーダーに指揮されるのだから、生保レディがどんな想いをするかなど引率女性リーダーには知った事ではなくアドバイスは「契約成立の為なら何でも犯れ犯れ」である。

宴たけなわの頃、引率リーダー女性が宣言する。

「お客様がこの娘達(こたち)を部屋に誘った所で、事前に設計してお渡ししていた保険契約は成立です。勿論娘達(こたち)は、最上級のおもてなしを致します。」

どちらにしても、あれだけ卑猥な生保レディ達の卑猥な肢体を見せつけられて、最後に性行為を犯らないで居る男など居ない。


バブル経済当時の生保レディは、他人前(ひとまえ)でも本番性交を犯って見せるだけの覚悟がなければ、金には成らない時代だった。

そしてこうした宴会接待に新米生保レディが抵抗感を持つのも最初の一度きりで、それで得られた大口の契約に、接待の果実の大きさを知る。

新規の契約獲得に苦しんでいた新米生保レディには、肉体(からだ)一つで稼げる事は目から鱗(うろこ)で、慣れてしまえばおお助かりだった。

その宴会接待は仕事の契約でも味を占めるのだが、もう一つ味を占める事がある。

人間の脳は、一度非日常の強烈な快感の味を占めてしまった性癖は、脳がリピート(繰り返し)を要求するから「抑えよう」と想っても中々抑えられない。

確かに恥ずかしい接待だが、嫌と言うよりは気持ちが良いお遊びのプレィで、益してや、「大口の仕事に繋がる接待」ともなると、自分を納得させ易い。

そして、人間は元々判らない生き物で、裏の非日常の場面では何を犯って居るのかまではどうせ表面からは想像などは出来はしない。

生保会社の大口クライアント(得意先/顧客/依頼人)の宴会接待にエゲツナイ王様ゲームが在るのだが、それが並のものではなく「奴隷付きルール」である。

そしてその生保会社接待の王様ゲームには、ゲーム参加生保レディが招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)に失礼が無いかをチェックする生保会社のマネージャーと言う男性同伴者がいる。

つまり生保レディは、「王様ゲームの奴隷」に成ったらそれこそアベソルティオベデンス(絶対服従)で、お客様である王様の言い成りになるルールなのだ。

「王様ゲームの奴隷」に成ったら、奴隷は王様の要求には絶対服従で、世間の合意では非常識な事も全て応じるルールだった。

奴隷に成った生保レディも、気取って居ては仕事に成らないから、どんなに卑猥(ひわい)な要求にも笑って堂々と応じる事になる。

但しこの王様ゲームでは、あくまでも個室でのプレィは厳禁のルールであり、例え性交本番に到っても王様の要求はそのゲームの場で行われる事になる。

この生々しいゲームが佳境に入る頃には生保レディは全員下着姿にされていた。

そして奴隷に当たった生保レディは素っ裸にさせられた生贄状態で、次々に王様に当たった招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)の如何なる命令をも実行して行く。


最初の王様が生保レディの一人を「奴隷」に指名し、全裸に成るように命じる。

この「王様ゲームの奴隷」は、このゲームの最初から最後まで全裸で通して次々に王様を引き当てる招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)の要求に応じなければならない。

全裸に成った奴隷生保レディは、ソフアーにM字開脚で座って手でオナニー(自慰)を犯るように命じられる。

奴隷生保レディは王様に、左手の指で実(サネ)を愛撫し、右手指で股間のスリット(割れ目)を愛撫するように命じられる。

これは大口契約の接待で、大勢の目があるから奴隷生保レディは本気(マジ)でオナニー(自慰)を犯って観せるしかない。

オナニー(自慰)始めるとすぐ、奴隷生保レディは自分の世界に入って善がり声を漏らしながら腰を浮かせて揺すり始めた。

M字開脚で広げた股間の実(サネ)を、バイブレーションを利かせた指先で擦(こす)る様に愛撫し、右手の中指はスリット(割れ目)の中に潜(も)り込んで内壁を刺激している。

招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)と同僚生保レディ達が、奴隷生保レディのオナニー(自慰)を笑いながら評価している。

招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)の王様になった男が、奴隷生保レディに「招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)全員との輪姦をしろ」と言うメチャクチャな命令する。

勿論、会社の同伴マネージャーがチェックしているから、奴隷に成った生保レディはこの輪姦命令を承諾する。

まぁ、こうしたプレィを観るのは好き者には必見の光景であり、プレィを犯るのは好き者には堪(たま)らない犯り甲斐のプレィなのだ。


全裸で曳き出された時は「恥じらい」の表情を浮かべていても、プレィが始まってしまえば「恥じらい処」ではない。

幾ら気取って居ても、プレィの最中に「結構嫌らしい反応が滲(にじ)んで来て」隠しようが無い。

つまり、「恥じらい」など感じては居られないほど生々しく反応してしまう強烈な公開性交だった。

とにかく「他人前(ひとまえ)で性交して観せる」と言う非日常の羞恥心と興奮で新米生保レディの脳内には興奮物質・ドーパミンが溢(あふ)れ出す。

ドーパミンの活性で、奴隷生保レディの脳内に脳内麻薬ホルモン物質・ベータ・エンドロフィンが生成されて、一種のランナーズハイに似た「心地良い疲れ」の快感を得る。
ベータ・エンドロフィンは、体内で生成される無害の分泌ホルモンで、脳内麻薬(快感ホルモン)である。

この脳内麻薬(快感ホルモン)は無害ではあるが、一旦脳に記憶させると脳がその分泌快感ホルモンを発生するシュチエーションを学習して無意識に要求する。

つまり非日常の快感に味を占め、ソーシャルセックス(社交的な性交)、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などのプレィが癖になる脳内メカニズム(構造)なのだ。


その王様になった男の、無茶苦茶な接待プレィの命令は直ぐに始まった。

ストリップ・サーチ(全裸検査)は、奴隷生保レディの引渡しやSMプレィの基本の様式で、委(ゆだ)ねられる肉体(からだ)の「品定め権の行使」みたいなものである。

だから晒(さら)した股座の肉花弁を指で広げられてスリットの中を観られたり、笑いながらスリットの中に指を入れられて弄(なぶ)られている。

例え指で攻められても、それでも感じ始めれば「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声も出て来るし、腰もリズムを合わせて使い始める。

順番の男の手淫の指攻めに翻弄(ほんろう)されて限界を向かえつつある奴隷生保レディの腰が、ビクンビクンと震えながら、怪しいうごめきを見せ始める。

全裸体の奴隷生保レディを左手で抱きかかえて、ギャラリーに良く観える様にM字開脚で股を開かせる。

右手の指二本を生保レディの大股開きの中心に二枚の肉の花びらを掻(か)き分けてズブリと挿し込む。

奴隷生保レディの太腿(ふともも)の眩(まぶ)しい大股開きの中心を、二本指をクィクィと抜き挿しをして攻めたてる。

奴隷生保レディを取り囲んだ参加生保レディや招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)のギャラリー男女には、手を伸ばせば絡み合う男女の肉体(からだ)に触れられる程の至近距離である。

奴隷生保レディが欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せるこの見世物状態を、西洋ではサーカス(群集が取り巻いて見下ろす見世物)と言う。

生保会社の男性同伴者の目の前で、全裸の奴隷生保レディが王様の男に乳房を握(にぎ)り掴(つか)まれ、揉みしだかれ、M字開脚をさせられて股座を晒(さら)している。

奴隷生保レディは、ギャラリーの注目が集まる股間を少し浮かせ、「アゥ、アゥ」と善がり声を挙げて健気(けなげ)に指の抜き挿しに耐えている。

指攻めに股間からクチャクチャと言う愛液音を発しながら、奴隷生保レディの腰は艶(なまめ)かしくクネリ、時折ビクンビクンと動いて激しく反応して見せている。

抽入された指二本で膣中をディスターブ(掻き回す)され、奴隷生保レディは猛烈な快感に上半身を海老ぞりに反り返り、腰をビクンビクンと痙攣(けいれん)させる。

奴隷生保レディは、わめく様に善がり声を挙げ、のけ反(ぞり)りながら腰を浮かし、身震いして快感反応を露(あらわ)にして居た。

それが続いて、奴隷生保レディがもう耐えられない風情で腰を引き脚を閉じようと試みる。

それで、招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)の王様が抜き挿しを止め、指を肉体(からだ)から抜かれて、やっと奴隷はホッとした表情を浮かべた。


指攻めでイカせるだけイカされると次は、奴隷生保レディはうつ伏せに体位を変えられ四つん這いの姿勢をとらされる。

全裸の奴隷生保レディが白い尻を掲(かか)げて這いつくばされ、目を怪しく光らせたゲストに双っの尻肉を左右に広げられてア*ルの菊座と肉花弁のスリットを晒(さら)している。

招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)の王様は本格的な行為に入る前に、まずは奴隷生保レディにストリップ・サーチ(全裸検査)をさせて居る。

奴隷生保レディの道具を観終えると、招得意先/顧客/依頼人待クライアント(得意先/顧客/依頼人)の王様は奴隷生保レディの前に仁王立ちに成って「シャブれ」と命じた。

全裸で膝間着(ひざまつ)く奴隷生保レディの目の前に、抜き身の名刀(欲棒)が順番の男の股間からポロリとぶら下がっていた。

その名刀(欲棒)を、奴隷生保レディが利き手で握って扱(しご)き始め、ムクムクと反応が始まった。

奴隷生保レディが手で扱(しご)いていきり立った順番の男の欲棒を、上から被せる様にして親指をカリ首に廻し、軽く握って手の甲を腹に充てる様に欲棒の裏を顔に向ける。

まず、奴隷生保レディは欲棒のカリ首を舌先で舐め廻わして刺激し、その欲棒の「裏筋(うらすじ)」を、鼻を擦(こす)り着けながら舌先を使って舐め挙げ、玉袋も舌先で舐(な)め挙げている。

強烈な快感を促(うなが)してから、頃合を見て奴隷生保レディはその裏筋(うらすじ)舐(な)めで握って居た手を放し、パクリとカリ首ごと咥(くわ)えてクィクィとシャブリだす。

奴隷生保レディの口技に身を委(ゆだ)ねた順番の男の顔は極楽を彷徨(さまよ)っている。

シャブられて欲棒が硬さを益せば、次は奴隷生保レディへの抽入と抜き挿しで、奴隷生保レディは、上にさせたり下にさせたりと思い思いの体位で、順番の男との性交を愉しむ。

始まってしまえば、相手は代われど奴隷生保レディには二時間や三時間は「犯られっ放し」と言うか「犯りっ放し」と言うか、ともかく絶頂(イク)が継続する過酷な他人前(ひとまえ)性交ショー状態が続く。

元々「変態の素質」はアンソロポロジー(人類学)的な生物学的特性で、唯一ホモサピエンス(知性人)に潜在する性癖だから、他の生物に「変態」は存在しない。

ギャラリーは、奴隷生保レディの乳房を上下に揺(ゆ)らしながら大きく広げた股間に欲棒が抜き挿しされ、奴隷生保レディの腰がその欲棒の抜き挿しに同調してうごめく様を愉しんでいた。

欲棒の抜き挿しに連れて、奴隷生保レディの肉花弁がよじれたり中に巻き込まれたりと生々しい様子まで、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)が目を光らせて確りと観て居るのを奴隷生保レディは感じてた。

いささか恥ずかしいが、腹を括(くく)って観られるのを愉しみながら犯られるしか奴隷生保レディには選択肢が無いから仕方が無い。

その後も順番の男達の輪姦は続き、今、奴隷生保レディは、脚を床に踏ん張った騎乗位で欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せながら、乳首が立った乳房を上下に揺(ゆ)らし、腰から上半身を上下させている。

すると、仰向(あおむ)けに横たわる男の愛液に濡れ光る陰茎が、奴隷生保レディの上半身上下に合わせて見え隠れしている。

別の生保レディのギャラリーの女達から「ハッスル、ハッスル」の囃子立(はやした)てが起こり、その掛け声に合わせる様に生保レディの腰の上下が激しくなる。

腰の上下が激しくなった奴隷生保レディは、「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声を発しながらリズム良く腰を上下させ、ギャラリーの期待に応える。


奴隷生保レディの肉体(からだ)の中心に、やっと順番が廻って来た男の欲棒が挿し込まれ、クィクィと腰の動きと共に陰茎が見え隠れしている。

順番の男の欲棒を咥え込んだ腰も、奴隷生保レディの口から漏れる「ハッハッハッハッハッハッ」の連続音と共に受け腰で応戦している。

奴隷生保レディの左右に開いた太腿(ふともも)の中央に、二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて生々しくズッポリと嵌(はま)った欲棒が、愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら激しく抜き挿しされている。

奴隷生保レディの快感が強くなったのか、暫(しばら)くの間、「アァー、イクー、アァー、イクー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と言うけたたましい生保レディの絶頂の善がり声が会場中に響いていた。

正直輪姦(まわし)の場合は、攻める順番で言えば「先に二〜三人に犯られてイッ(絶頂)た後」の女性の方が肉体(からだ)の感度が上がっていてヒィヒィもので、犯るのが堪(たま)らなく面白い。

奴隷生保レディの肉体(からだ)は、その感度が上がった状態で次の訪問者を迎えた。


シュール(非日常的)で衝撃的なプレィ光景が、固唾を飲む周囲のギャラリーに良く見えていた。

全裸の奴隷生保レディが四つん這いに尻を高く掲げた姿勢をさせられて、後ろから眺めるとア*ルの菊の蕾(つぼみ)が恥ずかしそうに皺(しわ)を見せている。

そのア*ルの下部、柔らかそうな肌の太腿(ふともも)の付け根に、こんもりと二枚の肉の花びらが「触れてくれ」と怪しく男を誘うように左右から閉じ気味に割れ目を見せている。

今生保レディの肉体使用権を得ている男が、右手を開いて中指で二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて挿し込み、クィクィと抜き挿しして攻め始める。

「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」

攻められた奴隷生保レディが善がり声を挙げ、腰を震わせて反応を始める。

指攻めの反応に興奮したのかその男が硬く張り詰めた自分の欲棒を左手で握り締めて四〜五回扱(しご)き、その欲棒のカリ首を奴隷生保レディの割れ目へ二〜三度擦りつけてグィと挿し込んだ。

四つん這いに左右に開いた奴隷生保レディの太腿(ふともも)の中央、柔ら壺にその男の欲棒がズッポリと嵌(はま)った。

後背位で生々しく嵌(はま)った欲棒が、男の腰の動きに応じて愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら抜き挿しされている。


奴隷生保レディも人数を熟(こな)し続けて相当体力を消耗しているが、ここは気力で乗り切るしかない。

只、この疲労困憊(ひろうこんぱい)の時機に、ランナーズハイ・と同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に見舞われ、良子の味方に成る。

つまり男達側の交代に依る連続性交で、奴隷生保レディの一旦達したマックス(絶頂)状態が持続したまま突き抜けて、悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に達する。

招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)の輪姦(まわし)を経験すると、このセックスハイのお駄賃(褒美)を得られる事に味を占めた。


しかしその内、奴隷生保レディの肉体(からだ)から「ガックリ」と力が抜け、「だらり」と動かなく成った。

「奥さん、気を失ったみたいですね。まだ予定の人数の半分も行っていません。このまま続けましょう。続ければ、その内に気が付きます。」

「判っている。構わない、続けさせよう。」

奴隷生保レディがこう成ったのは生保会社の営業促進の方針で、「気絶したから」と言って赦(ゆる)されないから、同伴者マネージャーはそのまま犯らせて見守ってやるしか無い。

目の前で、奴隷生保レディがぐったりと動かなく成ったまま、男達が入れ替わりながら壮絶な陵辱を受け続けている。

何しろ輪姦(まわし)に馴れた男達が相手で、男がパンパンパンと突き入れる度に、奴隷生保レディの乳房が上下し、肉体(からだ)がガツン、ガツンと波打って見える。

その状態が三人ほど続き、再び奴隷生保レディが息を吹き返し、「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と善がり始めた。

再び恍惚の表情を浮かべて、奴隷生保レディが「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」とわめく様に善がり声を上げ始め、またクライマックス(絶頂)に達したようだ。

奴隷生保レディのクライマックス(絶頂)の悲鳴も一度で終わらず、この輪姦性交ではもぅ何度と無く聞こえていた。

それにしてもあれだけ善がっている奴隷生保レディを観ると、この輪姦(まわし)を「可哀相(かわいそう)な事をさせた」と同情して良いものかどうかも、生保会社の同伴マネージャーには疑問になる。


奴隷生保レディが体験したソーシャルセックス(社交的な性交)は、息も絶え絶え(たえだえ)に成る程に強烈だった。

それは「もぅ懲り懲(こりご)り」などと格好を付けては居られないほど、後を引く快感体験だった。

最初は仕方なしに犯られるだけの気分でも、次から次に犯られれば感じ始めて当たり前で、自然と受け腰で抜き挿しにクィクィと応じ始める。

肉体(からだ)の中心を欲棒に貫(つらぬ)かれ、奴隷生保レディの顔は完全に身を委(ゆだ)ねるモードの表情に入っていた。

奴隷生保レディのクィクィ言うと腰の動きに応じて、「アッアッアッ」と生保レディの喘(あえ)ぎ声とハァハァと荒い息の呼吸が他人前(ひとまえ)にも抑(おさ)えるでもなく漏れている。

快感を貪(むさぼ)り始めたらもぅ止まらず、そのまま容赦無(ようしゃな)くイカされ続けて男達は二回(ふたまわ)りに入(はい)り、やがて奴隷生保レディは絶叫する。

奴隷生保レディの肉花弁が欲棒の抜き挿しに連れて、よじれたり中に巻き込まれたりと生々しい様子まで、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)が目を光らせて確りと観て居るのを奴隷生保レディは感じてた。

肉体(からだ)の中心を、次から次に入れ替わる男達の欲棒で突かれながら、肢体を躍動させる奴隷生保レディは「セックスハイの陶酔」を感じていた。

周囲から丸見えの性交舞台の上で、もぅ興奮がピークに到達して弾(はじ)けたセックスハイ状態の奴隷生保レディは、善がり声を挙げながら裸体を震わせ、受け腰で激しく応じながら裸体を躍(おど)らせ続ける事になる。

本人には赤面物かも知れないが、恥ずかしげも無いソプラノ発声の周囲に良く通る善がり声が、奴隷生保レディの喉を通って唇から漏れて来る。

あれだけ次から次に輪姦(まわ)し犯されてはアクメ(絶頂)が繰り返し続いて、奴隷生保レディがセックスハイの陶酔の中で性交を続けていても不思議は無い。

その奴隷生保レディの肉体反応を、大勢の招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)が他の下着姿の生保レディに欲棒をシャブらせながら目をキラつかせて観ている。

奴隷生保レディの接待営業は毎週土日はこんなもので、彼女達にはもぅ日常風景に成りつつ在った。



そして後で聞いたのだが、妻のあの事件のカラオケスナックの物置は、肉体(からだ)を張った生保レディの多くが利用していて、店のオーナーは固定客作りの為にその目的を充分承知の上で鍵を渡していた。

つまり生保レディとその客の手っ取り早い交流に、あの物置部屋は利用されていたのだ。

勿論真面目な生保レディも居たが、成績が上がらないから勤めが永くは続かなかった。

カラオケスナック店の常連など、音響設備はドンドン新しくなるから何か別の「特殊な良さ(利用価値)」がなければそうは定着しない。

だからリーダー男が常連のカラオケスナック店の、客を定着させる工夫は経験からスナックのマスターなりに物置部屋にベットを置く事を編み出した。

料亭もスナック店も、突き詰めれば同じ奥座敷のエロチックな使い勝手の目的に行き着くのが、本音の現実で在る。


料亭での接待経験は、確かにそれは初めての大人の世界と言うか、妻に取っては「信じられない」などと言うレベルの状態ではなく、脳にドーパミンが噴出する正に仰天(ぎょうてん)の体験だった。

しかし良く考え相手の立場にして見れば、大金を払うのだから多少の愉しみが余禄であるのは当然の時代だった。

そしてその時期はもう、接待に商売女を使うのでは接待にならないほど過激化していて、実は社長婦人が予め相手社長に妻を面通しをさせていた。

行き着く所まで行ってしまえば、妻はもぅ犯ってしまったのだからそれをスポンサー社長に改めて否定する材料は無い。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)の接待に駆りだされた妻は、例え素っ裸で他人前に曳き出されても、集まる視線に平然と気品在る好い女でなければならない。

そして接待として駆りだされた妻は、生贄(いけにえ)として官能的に淫(みだ)らに、遊びの性交でクライアント(得意先/顧客/依頼人)に腰が抜けるほど犯られ尽くさなければ成らない。

どうもその時の若さに似合わない妻の大胆な接待性交を、相手社長が大いに気に入ったらしく、上機嫌でその先は全て私にご指名が来て追加工事の契約もスムーズ行った。

妻は微笑みを絶やさない人間で、キット犯られ終わった後の社長にも嫌な顔一つせずに微笑んで見せたのかも知れない。


その後私は、その時のビル建設の発注社長に「あの嫁さんが居るなら大丈夫だ」と独立話しを持ち掛けられ、それで妻がまだ二十五歳に成って間もない頃に独立し、前の会社から四人ほど引き抜いて建設業を始めた。

当座の運転資金と最初の受注をそのスポンサー社長社長自らの発注に支援されての、宝くじに当たったような独立だった。

何しろ金融機関は、当時は不動産投資にはほとんどめくらで貸し付けたので、スポンサー社長は楽に資金手当てが出来たのだ。


スポンサー社長は、目的の為に肉体を投げ出す女性は「偉い」と言う。

それを犯られて困る世間の何の覚悟も無い横着な上っ面女性が、そんな事を犯る女性は「貞操観念が無い下品な女性」と予防線を張るだけである。

つまり彼女達は自分を安全な場所に置いて、自分には何の覚悟も無くヒステリックに防御戦を張って居るだけである。

私はスポンサー社長が、妻に何を犯らせて居るのかは薄々承知の上で出かけさせてはいる。

それが、普段はこちらが外に出かける機会が多かった分、攻守立場を替えた様な状況はモドカシク、「待つ身の辛さ」を実感させられた。

しかし充分了解した上での遊びのプレィに、私情を挟んでは「粋(いき)」ではない。
嫌、むしろ見っとも無い。

ソーシャルセックス(社交的な性交)の経験を経て判った事だが、他人(ひと)に抱かれた妻でも愛せるのが、本当の愛情かも知れない。

人間なんて、想像しているだけではろくな答えは得られず、実際に経験して始めてあらゆる角度で考える事が出来、正しい答えを得る事が多い。

つまり経験こそ重要な事で、何ら経験も無しに想像しているだけで他人や他人の行動を非難していて、それを正義と勘違いしているのは滑稽な事である。



三味線が美しい音色を出すのに祇園で舞妓・芸妓に教えるのは「調子合わせと勘所」である。

しかし遊妓に教える職業上の極意・「調子合わせと勘所」は、芸事だけでは無い。

この「調子合わせと勘所」が、性交に於いて女性が美しい音色を出す為にも必要な性技としての「腰使い(調子合わせ)」と「思い入れ(勘所)」の教えである。

つまり犯る以上は「気合を入れて犯れ」と言う事で、遊妓の代わりを務める以上は本場での手抜きならぬ「腰抜き」や「気分抜き」など持っての他である。


妻は接待を経験して考えた。

平凡な人生の夫婦間では、時と伴に刺激が欲しくなり満ち足りない想いが育って行く。

しかもこの現代社会だから、皆、大なり小なり重篤(じゅうとく)なストレスを抱えていて逃げ場を求めて居る。

つまり、羽目を外してストレスを解消する接待ならば、金になるのだ。

綺麗事だけで済むに越した事はないが、いざとなれば泥水で焼酎を割って飲むくらいの根性が無ければ事業は遣って行けない事を妻はこの時学んだのかも知れない。

妻は何事にも興味を抱き前向きに実践に到る性格だから、性と言うテーマでも「利」が絡めば恥ずかしいも見っとも無いも在ったものでは無く、機会があれば突き進む方の性格である。

スポンサー社長からは、借りた設立開業資金を早く返して完全独立をするように助言を得ていたから、妻はがむしゃらに接待を繰り返して仕事を取る事になる。


手が込んだ事に、相手社長達はその辺りの遊びを充分承知していて場所を社長婦人に指名して来たらしい。

つまり最初から犯る気満々の連中だった訳で、社長婦人と妻以外は皆グルだった。

確かにそれは初めての大人の世界と言うか、妻に取っては「信じられない」などと言うレベルの状態ではなく、脳にドーパミンが噴出する正に仰天(ぎょうてん)の体験だった。

しかし相手の立場にすれば、大金を払うのだから多少の愉しみが余禄であるのは当然の時代だった。

その料亭は、次の間に布団を敷いてあるほどそっちの方はフリーだったが、そのメンバーの男達はワザワザ刺激を求めて屏風(びょうぶ)の陰を選んだらしい。

それにしも、こう言う席では女将も仲居も芸者衆も心得ていて、「良くある事」で見て見ぬ振りだから、刺激として頼まれれば犯られている横でも知らん振りで食器のかたずけなどする。

しかしその位心得てフリーな料亭のお陰で、妻は後の自前の接待に随分と良い接待場所として重宝したらしい。

思い起こせばこの頃から妻は艶っぽくなり、それはドンドン益して行った記憶が確かにある。

その後私は、その時のビル建設の発注社長に独立話しを持ち掛けられ、それで妻がまだ二十五歳に成って間もない頃に独立し、前の会社から四人ほど引き抜いて建設業を始めた。

当座の資金と最初の受注をその社長に支援されての、宝くじに当たったような独立だった。

平凡な人生の夫婦間では、時と伴に刺激が欲しくなり満ち足りない想いが育って行く。

しかもこの現代社会だから、皆、大なり小なり重篤(じゅうとく)なストレスを抱えていて逃げ場を求めて居る。

沸き立つ好景気の中、建前で無い事に成っていて世間に公に成れば都合の悪い様々な遊びは、阿吽(あうん)の呼吸で無い事のままに当時はヒッソリと大胆に実行されていた。

そこにトライアウト(適性実技試験)に合格したのか、自分を性玩具(おもちゃ)として気に入っている社長から独立話が来た。

どうせ本能で、誰にも刺激的な性交願望の性欲はあるのだから、互いに野放しにするよりも自分の会社と言う枠(わく)の中で性欲を満たして発散させる方が右脳的には合理的で、それで稼げれば越した事は無い。

「これが、お愉しみの相手をさせます**です。良く仕込んでありますから、遠慮なく我侭(わがまま)を言い付けて下さい。」と、スポンサー社長がクライアント(得意先/顧客/依頼人)を紹介する。

目的がそう言う事なら、非日常の性交ほど脳が興奮し媚薬効果を発揮するのだから、性接待や遊びの性交は卑猥(ひわい)であれば卑猥なほど良い。

外からの妻の心情など単なる憶測に過ぎず、仕事を取る為のお遊びで諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せで「他人前(ひとまえ)で性交して見せる」と言う同じ事でも、敢て言えば妻の心の持ち方で受け取り方はポジティブにもネガティブにもなれるのだ。

元を正せば、遊びの性交は非繁殖目的の擬似生殖行為で在って、他の動物のように繁殖期を持たない年中発情の人間種独特のものである。

そして年中発情の人間種が満足を求めての事であるからこそ本能が遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそあらゆる性癖が発生して次第にエスカレートする。

妻は近頃良く、「客を紹介する」とスポンサー社長に呼び出されて外出する。

勿論ながら、子供会・親の飲み会と仕事上の接待では妻の顔も別の顔である。

私は妻がどんな接待をして居るのかは知らないが、建設の本体業務は自分の仕事だから、妻がスポンサー社長に呼び出されて出かけて行く相手のクライアント(得意先/顧客/依頼人)が誰かは承知している。



或る目的の為に愛情無き性交をする事が、そんなに疚(やま)しい事だろうか?

確かにセックス行為を金にするのは、世間の建前上は中々理解できない批判の的かも知れない。

しかし批判するのは簡単でも、現代社会では金や権力を持たないと中々身内や他人に何かしてやれない。

現実、身内や他人に何かしてやれるように成るには、「多少の無理をしても、のし上がろう」と言う矛盾(むじゅん)に眼を瞑(つむ)らなければ、金も権力も容易(たやす)くは手に入らない。

つまりセックス行為が、自分または身内に寄与するユーティリティ(役に立つ・有効な)精神の発露なら、恥ずかしいも見っとも無いも在ったものでは無い。

そう言う事に女性が貞操を賭けて一肌脱ぐのなら、多少の事に目を瞑(つむ)るのも人情で満更責められない情状も理解できる。

この心情心理を批判するばかりで共感出来ないとすれば、そうした人々はかなり独善的な思考の持ち主と言わざるを得ない。


日々の日常生活が「表」なら、夜の夫婦生活は「裏」であり、性癖を満足させる為の「裏の裏」が、遊びのソーシャルセックス(公開・社交的な性交)の存在である。

この「裏の裏」の遊び、体験してしまえば中々濃厚な快感もので、妻も慣れてしまえばそれなりにリピート(繰り返し)の欲求も湧く。

外聞さえ気にしなければ、ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)は亭主一人を相手にするより遥かに濃厚な性感が得られるプレイである。

そして時には、招待したクライアント(得意先/顧客/依頼人)が多人数にのぼり、それを輪姦(まわし)で妻一人で熟(こな)す事もある。

何しろ一度アクメ(絶頂)を迎えたままの妻に、何人もの男達が次々に伸し掛(か)かり、欲棒を柔ら壺に押し込んで犯るのだからアクメ(絶頂)状態が継続して、妻は狂わんばかりの性感に息も絶え絶えになる。

実際に性交状態に入ってしまえば妻の脳の性感が快感に優先されてしまうから、その時は「嫌も恥ずかしい」もない。

妻にアクメ(絶頂)状態が継続すれば、ランナーズハイ(肉体的極限陶酔状態)と同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に達する。

妻には、湧き上がる快感に大きな善がり声を挙げ、欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を涎(よだれ)を垂(た)らしながらクィクィ使って快感を貪(むさぼ)った覚えが在る。

何人もの男達に輪姦(まわし)を犯られたあの忘れられない快感の光景の記憶が、妻の脳裏には折に触れて思い出される。

一度大勢の男達に欲棒を突っ込まれた事実は、もぅ夫婦間の認識では元に戻らないし、その性交で泡を吹くほど善がってしまえば、今更「嫌だった」とは言えない。

だから妻は、スポンサー社長から「また犯るよ」と命じられても、本音では肉体(からだ)が肯定しているこの遊びの誘いを拒否などしない。

問題は世間体(せけんてい)で、本人は「それでも犯って良い」と想っても、世間の建前上は中々理解できない事がこの遊びの現実である。

つまりこの「裏の裏」の遊びは、夫婦が外聞を気にするプライバシーポリシー(守るべき私事の行動方針)ではある。

だが、本音では元々男女の性の事には固有の感性が影響するから、その性癖に多様性が在って当然で、何でも否定すれば良い」と言うものでは無い。

ここまで来ればもぅ、定期的に為(な)す止められない遊びとしての接待のソーシャルセックス(公開・社交的な性交)が、妻が秘すべきプライバシー(私生活の秘密)と合致していた。



スポンサー社長に呼び出されて外出する様に成って、妻は明らかに大人らしく美しくなった。

人間の脳は必要に応じて全身に指令を発して制御するからクライアント(得意先/顧客/依頼人)の接待を犯る様に成ってからは、他人前で裸身を晒(さら)す機会が増えたのを妻の脳が敏感に他人目(ひとめ)を意識して綺麗に成ろうとする。

勿論、良い性交を度々経験すれば、妻の性フエロモンが活性化して驚くほど変化を魅せ、魅力的な女性(おんな)醸成される。

それで他人目(ひとめ)に磨かれた妻には経験が滲み出る様な「良い女オーラ」が着衣の上からも発散され、周囲は日常生活の中からも妻の裸身を想像する雰囲気になる。

それで私には、リアルな妄想が湧いて居た。


妄想の行き先は決まっていて、私も一度挨拶に行った伊豆東海岸に在る静かな別荘地の一郭に立つスポンサー社長の会社が保有する保養所だった。

仕事を定期的に紹介されるようになると、一度妻に連れられて挨拶に行き、先方のスポンサー社長に念を押された。

「君の奥さんを呼び出してわしがクライアント(得意先/顧客/依頼人)と弄(なぶ)るのを、君が不同意なら私が此処で降りても良いんだが。」

「いぃえ、社長には仕事を頂いている事ですし、それには及びません。今まで通りに内の奴をどうぞ可愛がって犯って下さい。」

まぁ、亭主に改めてそう言わせるのが、他人妻(ひとずま)を何時でも遊べる性玩具(おもちゃ)として手に入れた醍醐味(だいごみ)には違いない。

実際仕事も貰(もら)っていたし、「今まで通りに可愛がって犯って」と返事をしてしまったから、その後に今更苦情も言えたものではない。


仕事を廻してくれるスポンサー社長は大切にしなければ成らず、勿論接待を犯る以上は半端な事はできない。

そして紹介されたクライアント(得意先/顧客/依頼人)にも、愉しく遊んで貰わなければ成らない。

遊びの性交は、元を正せば非繁殖目的の「擬似生殖行為(快楽性交)」で在って、他の動物のように繁殖期を持たない年中発情の人間種独特のものである。

そして年中発情の人間種の本能が満足を求めて遊びの性交を要求し、命題が遊びの性交であるからこそあらゆる性癖が発生して次第にエスカレートする。

その「擬似生殖行為(快楽性交)」が脳の活動に組み込まれているからこそ、人類の皆が「性」に興味が在って、「尋常な性交など詰まらぬもの」と言う共通意識が密かに育つのが人間である。

此処(個人の保養所)は善がり声を抑(おさ)える必要など無い場所だった。

まぁ妻も、他人前(ひとまえ)で晒(さら)し者の素っ裸に剥(む)かれて、不安に頼り無い想いをさせられて居ては、今更格好付けても仕方が無い。

「この先は長い。今日はまだ序の口だ、ジックリ味わいなさい。」

こう言う事は妻の犯る気次第だが、行き成りの長期化宣言だった。

それにしても、一人の女性を躾(しつ)けの為に結束して攻め挙げ、仕上げるには仲間内の連帯感の絆も生まれるものである。



スポンサー社長の車が入って来ると、保養所の門衛もオーナーの顔は忘れないから、入るにも車を徐行させて窓から「ご苦労さん」と一言、言っただけだ。

門を入って車が向かったのは本館ではなく、立ち木に囲まれて敷地内に孤立する和風平屋建ての別棟三棟の内、一番奥まった一棟の前だった。

今日は大口の商業ビル建設を予定しているクライアント(得意先/顧客/依頼人)との二回目の接待で、妻は趣向を凝らして前回とは違う趣向でお相手をしなければ成らない。

札束が乱舞する時代で、行く所まで行ってしまった世相の中だから接待をする以上は中途半端な事では駄目で、建前の影で行われていた素人接待には、今では考えられない思い切りが必要だった。

保養所に到着すると、待ち切れなかったのか先に来ていた紹介先の客が、車輪が轢く小砂利の鳴く音を聞き付けて玄関先に出て来た。

そのクライアント(得意先/顧客/依頼人)の前まで引き連れて行くと、スポンサー社長が妻に羽織らせていたコートを剥(は)がし、拘束された妻の肉体を白昼に晒(さら)した。

諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せのエクスポースフィールドワーク(野外露出)が、行き成り会社が保有する保養所の敷地で始まる。

妻は性玩具(おもちゃ)として手を後ろに組ませて手首と腕の固定から手早く縛り、胸元も乳房も麻縄の縄目で引き絞(しぼ)られて居るる。

引き絞(しぼ)られ、縄目が喰い込んで殊更乳房が強調され、縄が掛った胸の乳房が実に見栄えのする見事な「全裸・後ろ手上半身拘束」の愛奴隷の姿に麻縄の二本使いで縄を美しく巻いて縛り挙げられていた。

まぁ若妻の拘束裸体は、男ならビジュアル(視覚感)として涎(よだれ)もので、益してやこれから弄(なぶ)れる獲物となると、それだけで興奮ものである。

接待時、妻のストリップ・サーチ(全裸検査)はクライアント(得意先/顧客/依頼人)の特権である。

後ろ手に縄がかかった妻の胸の乳房は明らかに乳首が硬くなり、剃毛から少し時が経って漸く生え揃った恥毛も、花芯ボタンと短い恥毛が絡む二枚の肉花弁も、クライアント(得意先/顧客/依頼人)の目に晒されて恥ずかしそうだ。

妻は、スポンサー社長が生贄(いけにえ)として裸に剥(む)いてクライアント(得意先/顧客/依頼人)に引き渡した性玩具(おもちゃ)である。

(得意先/顧客/依頼人)が意のままに弄(もてあそ)べる性玩具(おもちゃ)として手に入れた妻の乳房や今から使用する股間の柔らかそうな感触をクライアントは露骨にニヤつきながら面白がって撫(な)でて確かめている。

まぁクライアント(得意先/顧客/依頼人)が、妻の裸体の乳首を容赦無く摘(つま)もうが太腿(ふともも)を撫(な)でようが、二枚の肉花弁の中に指先を挿し込もうが妻は耐えるしかない。

こんな輪姦(まわし)の状況で、妻が素に戻ったら犯っては居られないから、犯られ役のAV女優気分に徹するしか無い。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)は、肌の触り心地を確かめるように撫でたり掴(つか)んだり、一切抗(あらが)う事の出来ない妻の柔らかな肌の弾力を愉しんでいる。
ストリップ・サーチ(全裸検査)が済んだら何時もの様に妻の服従が確かめられ、妻が上ったリングに、これで「ゴングが鳴った」と言う事である。

「それじゃあ、一発確かめの儀式をどうぞ」とスポンサー社長がクライアント(得意先/顧客/依頼人)に薦める。

「どれ、確かめさせて貰おうか。そこに立って足を広げなさい。」

ゲスト客の命じるままに開かれた妻の脚の股間辺りに、クライアント(得意先/顧客/依頼人)が膝立ちでにじり寄り、親指を丹念に花弁に擦りつけ、その手を妻の後ろへ廻すと、妻の尻の辺りでクイッと動かした。

立っていた妻が、「アッ」、歯を食いしばって、半歩前に出そうに成るのを踏ん張ると、後ろ側から股間にゲスト客の親指以外の指が四本、前側に出て来た。

その指四本の内、人差し指と中指が、グリグリと妻の花芯ボタンを弄(なぶ)ったかと思うと、短い恥毛が絡む二枚の肉花弁の下部を巻き込みながら、スリットに「ズブッ」と潜り込んだ。

脚を広げて踏ん張る妻の、乳首が立った左右の乳房が、指先が進入した衝撃で揺れている。

「ウッ」と、妻がまた小さく悲鳴を上げ、瞑(つむ)っていた目は衝撃で見開かれ見ていた。

「うん、後ろのア*ルも親指がスンナリ入る。前も二本入って受け入れ準備はOKだ。

ほれ、廻って後ろ側の親指の入り具合も、社長に良く見せてやれ。」

「はぃ、お見せします。」

命じられて、ユックリと身体を廻した妻のア*ルには、クライアント(得意先/顧客/依頼人)の親指がズブリと生々しく根元までメリ込んでいた。


「良くご覧に成れましたか?」とクライアント(得意先/顧客/依頼人)に命じられた台詞を、妻がスポンサー社長に言った。

「あぁ、前も後ろも確り指を入れて貰っている。」

クライアント(得意先/顧客/依頼人)は、前後の穴に指を三本入れ、妻の身体をわし掴みにしていたのだ。

妻が漸(ようやく)く屋内に連れ込まれたのは、その確かめの儀式の後だった。

その後は座敷遊びとなり、妻の恥毛に覆われた恥丘のデルタゾーン(三角地帯)の上部にポッンと敏感な花芯と縦に二枚の肉花弁、その花弁の真ん中に突き挿さったクライアント(得意先/顧客/依頼人)の、硬く張り詰めた欲棒の陰茎・・・。

白濁(はくだく)した愛液に濡れ光るモロに串挿しとなった陰茎を、菱形に恥毛に覆われた丸みを帯びた恥丘の下に見え隠れさせてクィクィと受け腰を使うエゲツ無い行為の風景をスポンサー社長に閲覧させる。

「この野郎・・」と想ったが、これは私の妄想である。

しかし妻は、本当はどんな接待をして受注をしているのだろうか?

世の中の基本は「駆け引きと計算」で動いて居て、妻は此処が勝負所と無我夢中で目一杯努力し、それで会社は順調に受注を重ねていた。

昔から男性は身勝手な事をして来たから、この際一方的に女性だけに貞淑を求める「だから女は・・・」は禁句で、散々奥方を抑え着けていた家庭に限って、「熟年離婚」と言う結果が待っている。

女性だってストレスは溜まるし倦怠感も生まれる、それを都合良く放置していて良い結果など生まれる訳がないから、夫婦合意の上の共犯的遊びが理想的ストレス解消法である。

此処が肝心な所だが、元々男性が勃起しなければ性交は成立せず、勃起は何も子を為さんとして起きる現象では無く、言わば「嫌らしい」と表現される卑猥(ひわい)な感性から勃起するものである。

乱交やSM行為を「異常(いじょう)行為」だと、頭から勝手に思い込みたがるのは結構な事だが、考えて見れば世間の実態はそんなものではなく、現実にそれは実社会でフォアー・アミューズメント・プレィ(おもしろ半分の慰み行為)として存在する。

輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

イク状況に昇り詰めたままの性交が輪姦(まわし)で続けば、妻にSEXハイ状態が続いて脳内麻薬ベーターエンドロフィンが脳内に発生され、一種の超快感状態に成る。

現に妻は連続する性交で、カリ首のエラの海綿体が感度良く内壁を擦(こす)る抜き挿し攻撃に、脳みそがトロケ出して居た。

肉体の中心を貫かれたまま、妻の股間に生々しく抜き挿しされるリズム良く激しい欲棒のピストン運動に、妻は快感に顔を歪ませながら左右に嫌々をしている。

その妻の反応にも構わず入れ替わり攻め立てる淫茎は、抜き状態では濡れ光り見え挿し状態では根元近くまで中に達しているのが見て取れる。

過酷な状況に在って、妻も既に限界は過ぎて居るかも知れないが、此処はもぅ意地と根性で頑張り、歯を食い縛って快感に耐えながら受け腰応戦をしている。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は妻には無い。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的で、これは妥協では無く工夫である。

そして避けられない性交遊びであれば、全員を満足させる到達点に到るまでは妻は愉しみながら犯って見せるしかない。


世の中、普通に仕事をやっていたら、何の付加価値を生み出さないから負けで、「本音の事業はそんなに格好の良いもんじゃない。」は、スポンサー社長の口癖である。

大金が動く建設業界に在って、只の飲食接待やゴルフ接待などは何処の会社でもしていて当然の様に想われる時代だった。

そんなものには接待される方も驚きも感激もしないから、確かに余程思い切ったインパクッが在る事をして設定客を遊ばせなければ、中途半端な接待では相手の気持ちなど掴(つか)めない。

そこでタブー視される性接待を付け加えるなど常識的に「無茶」と考えるのは当たり前かも知れないが、そうした接待が密かに横行していた時代だった。

結果的にこの遊びを最初に仕掛けたのは私の元の勤め先建設会社社長だが、私も半ば承知してスポンサー社長の接待に行かせた経緯がある。

そこから始まった接待営業だから、今更内の奴を接待遊びに連れ出されても苦情の持って行き所が無い。

だから妻への陵辱光景は私の加虐心を満足させ、愛妻が「嬲(なぶ)られ犯かされる」と意識すれば、私の被虐心をも満足させる複雑な心境だった。

つまり在る一面ではそうした感情を愉しむ面もあり、妻が接待に行く事を止めるでもなく空(そら)を使う形で知らぬ顔を決め込んでスポンサー社長の下に送り出していた。


実は飛鳥時代の昔からこの国での接待のルーツ(起源)は、「官人(高級貴族役人)の接待に神社が巫女を充てた事に拠る」とされる事から、接待に性行為は付き物だった。

元々の歌舞音曲の遊芸もそうした環境の中で育ち、次第に様式化されて源義経の愛妾・静御前で有名な平安期の白拍子などもその巫女起源の遊女の分類に入る。

つまり、「飲み・喰い・抱かせる」が接待の基本で、アンカリング効果的な常識に囚われた発想からは何も生まれず、型破りな発想からこそ未来が開けるのである。

業者の性接待を批判する連中は沢山居るだろうが、綺麗事の建前で批判するだけでは誰も助けてはくれない。

それにしても思い切った関係構築方法だが、確かに私も建築会社を立ち上げ会社の維持発展を担う事に成ってからは、「事業は、そんなに格好の良いもんじゃない。」を提唱するスポンサー社長には精神的に気が赦せる。

感情と理性には相反する回答が存在し、内心じくじたる思いが在っても、その感情が人生に於ける正解を導き出すとは到底思えない。

それでも感情を前面に打ち出すか、感情を引っ込めて理性的計算に人生を託すかは個人の選択の範囲である。

価値観に多様性が在るのであれば、世界中の何時の時代でも世の中には水商売から売春やAV撮影業界まで、幅広く色気を使う職業は成立していて、大きな金が動く取引に性接待が存在していても不思議は無い。


妻が、スポンサー社長の欲棒に手を添え、向かえ合わせに腰を落とそうとする。

「違う、そうじゃなく前向きで跨いで、クライアント(得意先/顧客/依頼人)様に俺のが入って行く所を、ユックリお見せしろ。」

命じられた妻が立ち上がり、向きを変えて前向きにスポンサー社長を跨ぎ、少しずつ腰を下げ、右手で彼の欲棒を支えてキノコ状の海綿体のエラの張ったカリ首を花弁の中心に宛がい、「アッフン」と甘い声を洩らして腰をユックリと下げて行く。

妻の二枚の肉花弁を圧し分けてスポンサー社長の欲棒が挿し込まれて行く。

妻の短い恥毛が生々しく絡む肉花弁を押し退ける様に、スポンサー社長の欲棒が、ユックリと呑み込まれて行くのが、クライアント(得意先/顧客/依頼人)にはスローモーションに見えている。


吐息と伴に腰が深々と降り、欲棒が花弁の中心に嵌(はま)り込んでカリ首が埋没し、陰茎さえも見えなくなり、妻は嵌り込んだスポンサー社長の欲棒を支点にして波を打つように乳房を揺らしながら、腰をローリングさせている。

スポンサー社長が何やら妻に耳打ちすると、「クライアント(得意先/顧客/依頼人)様、私のオマ*コ中に、スポンサー社長のオチ*チンが入りましたのでご覧下さい。」と、妻が言う。

スポンサー社長の楽しみが「妻を弄(もてあそ)んで、クライアント(得意先/顧客/依頼人)に見せつける事」だから、こちらは想定内だが、彼の気分は良いだろう。

二〜三度腰をローリングさせた妻は、左右に広げた両足を踏ん張って腰を上下し始めた。


素っ裸の妻がM字に開脚して、確りと貫(つらぬ)かれたスポンサー社長の欲棒を柔ら壺に咥(くわ)え込んで結合した己の生々しい女性器を晒(さら)してユックリと抽送をしている。

同時に、乳首が立った乳房が波打ちながら上下に揺れて、妻の恥毛の付け根、短い恥毛が絡む二枚の肉花弁の中心に、福井の陰茎がM字開脚の陰部で生々しく愛液に光りながら見え隠れしている。

まぁ、光景だけを見れば、中々のそそられる景色には違いない。

肉体を用いた表現形態、そして遂行能力や性能をパホーマンスと言う。

こうした性交の宴(うたげ)では、愛奴隷にはゲストに対して最高の性交パホーマンスが要求されて当たり前である。

そして真面目な人間は今日しか創れないが、覚悟を持ったはみ出し者は明日を創る力を得るのだ。


スポンサー社長の腰の動きに乗じて、妻の顔が歪み、口はパクパクし始めたかと思うと、善がり声が漏れ始めた。

「アッ、アッ、アッ、アッ、」

やがて妻は、僅(わず)かだが腰も振り始め、その格好は煽情的でクライアント(得意先/顧客/依頼人)は見るからに「ドキッ」と、興奮させられた。

「アァー、アァー、アア、アァー、アァー、アア、」

最早(もはや)慎みを忘れた妻の善がり声が、部屋中に響いている。

「パンパン、パンパン」と、激しい音とともに「アッ、アッ、アッ、アッ」と善がり声が続き、スポンサー社長も力が入って「ウッウッ」と声を漏らしながら、汗が飛び散らせている。

やがて、「アッ、アー。」と妻が「イク」に達し、善がり声が止んだが、まだスポンサー社長はしつこく抽送を続けている。

イッタ後の妻は、その余韻に浸(ひた)る事も赦されず、打ち震えながらしつこい抽送に耐えている。

ゲストの快楽の為に供されたのだから、妻が、イコウがイカ無かろうがスポンサー社長にとって問題ではない。

妻の肉体(からだ)は、クライアント(得意先/顧客/依頼人)が快楽を貪(むさぼ)る為の性人形(愛奴隷)で、容赦など最初から頭に無いのだ。

スポンサー社長が抽送を続けながら、「そろそろ交代して犯らせる。」と妻に言い、スポンサー社長は妻から欲棒を引き抜いて、妻を自由にし四っん這いの姿勢を保たせる。

妻が「判りました。」と応じた。

妻にとっては、犯られる相手がここからクライアント(得意先/顧客/依頼人)に代わるだけである。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)が妻の後ろに回り、欲棒を添えた手で二〜三度カリ首の位置を的に合わせて決めると、「クイッ」と突き立てて、腰を使い出した。

「アァー、アァー、アァー、アァー、」

再び、妻の間延びした様な善がり声が始まり、口が半開きになって涎(よだれ)さえ流して居る。

その口へスポンサー社長が欲棒を突き出し、「雌犬、犯られながら舐めろ。」と言った。

妻は舌を出してスポンサー社長の欲棒を舐め上げ始めたが、その内スポンサー社長が中に押し込み、クィクィと腰を使い出した。

口を塞がれた妻のこごもった善がり声が聞こえる。

妻の接待は続いている。

例えクライアント(得意先/顧客/依頼人)接待の性交プレィでも、性交をする以上は「相手に快感を与えよう」とチ*ポをシャブり、渾身(こんしん)の受け腰使いで抜き挿しの努力をする。

それが輪姦プレィの場で、その時妻が置かれた立場の素っ裸で相手に尽くすべき避けては通れない最低限の礼儀である。

言っては何だが、その疎(おろそ)かには犯らない妻の、這い上がる為に笑って性奉仕する直向(ひたむき)な性交姿は神々(こうごう)しい程である。

正直、妻にした所で犯ってる間は無我夢中だから、肉体(からだ)が素直に快感を求めるだけで、このお座敷はけして嫌では無い想いである。

奇妙な発想かも知れないが、スポンサー社長に求められた性行為を真面目に一生懸命犯る事が果たして不真面目な事だろうか?

その男の突き腰に平然とガップリ組んで、赤裸々に生々しく見え隠れする愛液で濡れ光らせた陰茎を、妻は快調に受け腰で抜き挿しを快適に熟(こ)なしていた。

そして互いに通じる情が無くても、大人の男女の成熟した性器と性器が正常に抜き挿しされて海綿体が接触すれば、妻が得られるのは神の与えた「快感」である。

だからその結果として、妻が他人の欲棒を股座(またぐら)に咥(くわ)え込んだまま腰を浮かしてヒィヒィと「気持ち良がって」も、何人(なんびと)も非難は出来ない。

それにビジュアル(視覚的効果)としては、妻が犯られながら身悶(みもだ)えて、感じ捲くって居る生姿を魅せてこそ、本当の意味での相手が満足する遊びの性交プレィである。

妻のあの生々しく鮮烈な性交光景は、今でも鳥肌が立つほど色濃く目に浮かんで来る。

大きく開いて欲棒を咥え込んだ股座(またぐら)の隙間から、突き腰と受け腰の抜き挿しで白く濁した下半身の涎(よだれ)を太腿(ふともも)に垂れ流しながら、妻は奮戦を続けている。

腰使いも激しく愛液に濡れ光らせた陰茎を股座(またぐら)に見え隠れさせられながら、乳首が立った乳房を揺らして犯られている妻の痴態だった。


まぁこの性接待を他者が評価するに「不適切な接待」と評するかも知れない。

性接待など「とんでもない」と決め付けて論議から外すのは簡単だが、しかしそれでは不都合な現実は解決しない。

この「不適切な接待」は「私は嫌らしい事は犯らない。」と、安っぽいプライドか何か知らないが格好付けて居る御婦人方の不足して出来る御主人方の隙間を埋めてやる遊びだ。

御婦人方が「嫌らしい事は犯らない。」のだから、代わって性接待で御主人方の性癖を適えてストレスを慰め、バランスを取る事が「不適切」な事だろうか?

ビジネスライクな性接待など後腐れが無いだけまだ益しで、御婦人方が御主人方の性癖を理解してやらねば貴女の白馬の王子様は外でその不足を満たそうとする。

それが実質第二婦人(妾)だったりすると、正直立場として手抜きの正婦人より遥かに性的な努力や技術が勝るから御主人を寝取られてしまう。

夫婦の愛情なんか永い時間を掛けて育てる物で、「恋」と間違えているならともかく「愛情が無ければ性交など出来ない」は嘘っぱちで機会を得れば余り歯止めは利かない。

寝取られてから「あの女が悪い」とか「内の人は騙されている」とか慌てて騒いでも、その悪い女が依り御主人の性癖を適えて心をつかんだのなら、その間努力不足だった貴女の負けである。

理屈から言って性交技術などは、そちらの方にプロ女性の方が上手いに決まっている。

それでも反対に、御主人が金を使って浮気で遊んでも、「内の奴と犯った方が余程面白い。」ならば、バカバカしいので確実に戻って来る。

つまり世間知らずで詰まらないだけの御婦人が、結果が起こってから自己弁護しても建前の正論ではあるが世間の受け取り方は半分で、それは男女が逆転した場合も同様である。

性に関しては「変態大いに結構」で、男女伴に「釣った魚だから」と気を許す事無く、釣った魚だこそ「気を砕いた餌をやらねばならない」のだ。


こう言う理解の仕方をする私を、世間は「変質者」と言うかも知れない。

しかし本音を隠して生活し、互いに外で欲求を満たしている仮面夫婦がいるとすれば、それこそ本当の「変質者」では無いだろうか?

何故なら、その「異常(いじょう)」と言う判定は語彙(ごい)から言えば「常なら無い」と言う事であり、その基準そのものは考え方の問題で、個人の感性で幾らでも変遷するものである。

SMプレィには魔物が住んでいて、無理やり犯らされた事でも一度応じて犯ってしまえば次には「犯れない」とは言えなくなり、それが或る種言い訳にも成ってプレィは少しつづ過激になって行く。

簡単な話し、「常」と「異常」の判断は、乱交だろうがSM行為だろうが輪姦(まわし)であろうが、起こった事象が本人に於いて「何時(いつ)もの事」として常態化しまえば「異常」と言う判定は存在しなくなる。

自然を礼賛しながら欲の為に自然に逆らい、もっとも不自然な結果を出そうとする際(きわ)どさが人間の悪癖である。

その性欲があるのなら、世間では際(きわ)どい事かも知れないが切り替えは大事で、年中淑女では生き詰まってしまう。

非日常の刹那を愉しむ性交など本当は「有り触れた話」なのに、何故か「特別なものだ」と信じたがる狡(ずる)さが女性にあるのかも知れない。

どうせ男性も機会があれば浮気はするから、そう言う意味では妻の情の絡まない遊びの性交や仕事上の接待などに私が拘(こだわ)っても不平等なのかも知れない。

だいたいに於いて、性交を「愛し合う事」などと情交に限定して表現をするから愛の無い性交が認められなくなり、実は異質な筈の只の遊びも、つまみ喰いの浮気も分けては考えられず同じ意味の「愛」を持ってしまう。

遊びとか仕事とかそう言う目的であれば、妻として精神的に夫を裏切る情交形式は避けるべきで、容姿の美醜や年齢の条件に囚わる情などを排した不特定多数相手の性交の方が良いのである。


私が自分で物件を受注する事も在ったが、土地の名士だったそのスポンサーの社長が客を紹介してくれる事も度々あり、妻が接待に駆り出される事もしばしばだった。

それもこれもスポンサー社長は、他人妻(ひとつま)の社長婦人を素っ裸に剥(む)いて直接接待させる所に、半ば性癖的な魅力を感じていたらしい。

妻はクライアント(得意先/顧客/依頼人)接待の仕事が入ると、それをスポンサー社長に命じられただけで、プレィの期待に「子宮がキューと収縮するような熱さを感じて居た」と言う。

いずれにしても妻は、その大人の遊びの接待時間が気分をリフレッシュさせるけして嫌では無い時間で有る事に、何と無く気が付いたのだろう。

接待に出かければ、妻はクライアント(得意先/顧客/依頼人)客に酷く卑猥に弄(なぶ)られるのだが、肉体(からだ)は既にその快感を受け入れて居た。

確かに紹介されるクライアント(得意先/顧客/依頼人)は良客だが、接待の度にギラギラしたスポンサー社長の視線を浴びながら乳首が立つ乳房を上下に揺らし、髪を振り乱して只管(ひたすら/その事一途に)犯られ続けるしか無い。

そんな日の翌朝、帰宅した妻を見かけると、前の晩に宴会に呼ばれて裸踊りをひと踊りさせられて来た帰りだから目一杯洒落(しゃれ)たものを身に着けていたりする。

それ以来、取引先との酒席で野球拳をやらされ、顔で笑って心で泣いて、パンティまで脱がされた位の付き合いは、仕事と割り切って過ごして来た妻の筈である。

例え肉体(からだ)を接待に使っても、懸命に自分の会社の仕事を取る点では立派な事で或る種大感動をしても良さそうな話しなのだが、性が絡んでしまうと妻のその努力も評価はされ難い。

しかし本人は何も犯らないで手をこまねいていて、「儲からないのは夫の仕事振りが悪い」と平然としている依りは遥かに立派と考えるのは、私の妻への贔屓心からだろうか?


まぁ、女性が酒宴接待の場に出て「無事で居られる」と想う方が間違いで、その代役にプロの芸者が着物の裾を端折って捲り上げ、コンパニオンが肌も露(あらわ)なミニドレスや肌の透けるネグリジェで花を添える。

その時点で、プロが手管宜しく接待するのか、接待側の素人婦人が勤める人妻相手の遊びかでは、接待の受け手の価値が、涎を垂らすほど違うのである。

ここで私が融通の利かない拘(こだわ)り男なら、とても独立して小なりとも企業主などには成れなかっただろう。

つまり妻の行状を責めるよりも、妻の接待に甘えていた自分を責めるべきである。


人生にはメリハリも必要で、安全ばかりを選択していると平凡で詰まらない人生を送る事になる。

そして一方で、上辺の理想論ではない当面の課題として夫婦間の倦怠リスクは存在するから、夫婦が互いに相手の目を盗んで禁断の恋に走るよりも、夫婦合意の上の夫婦揃って共犯のマルチ性交遊びの方が余程良いのではないか。

夫婦揃ってマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などの性交遊びを犯るなど、確かに建前の倫理感には反するかも知れないが、そんな事は考え方一つで違うものが見えて来る。

つまり考え方に柔軟性を持てばあらゆる可能性が広がるのだから、もう少し大胆に成って遊んでも良い。

こう言う事は、安全でさえあればこの臨機応変差は必要で、日常の空間と非日常の空間と言うメリハリが在った方が精神衛生上遥かに良い結果を生むのだ。

どんな仕事でも、「苦しみながら達成して初めて」その仕事が楽しめるもので、もし楽をして仕事を達成しようと想った時点でその仕事は永遠に達成しないだろう。

これは学習指針でも生活の指針でも同じだが、一度本人が脳内にその分野のスタート地点を設けるかどうかで、その事に興味が湧くかどうかが決まって来て、その先の興味と学習能力に繋がる。

従って遊びの性交に対する夫婦間の合意も、互いがその分野のスタート地点を設ければ案外スムースに行き、建前に拘る様だと何のチャレンジも出来ないまま、何処かで禁断の恋に走るリスクが生まれる。

物事とはそんなもので、現実社会に於いても「常識」の言語を用いてその一歩先に踏み込む勇気を持たない者は成功を納めず、「常識」の一歩先にチャレンジする者は成功の確率が上がる。

それこそが人間の本質だからこそ、今までに既成概念の壁を乗り越えて左脳域の理性(論理)部分を発展させて文明社会を築いて来た。

つまり、何事についても「苦手」などと言うのは横着を決め込んだ逃げ口上で、ひとつ「苦手」を創ればドンドンその「苦手分野」は増えて行く事になる。


考えて見れば、それは私達夫婦の何も未来に展望の無い所からの始めの一歩だった。

そして確かに、建築と言う本業は私が私が仕事として熟(こ)なしていたが、仕事上の付き合いを一手に引き受けて居た妻が、尋常な方法であれだけの受注をして来るなどとても考えられない。

察するにかなり際(きわ)どい接待も犯って居そうだが、それを問いただす勇気は私には無く、そしてあのスポンサーの社長の異常なくらいの妻への贔屓(ひいき)・・・・。

妻は何をしてあのスポンサーの社長の機嫌を取り、そんなに可愛がられているのだ?

それにしても、「いざ」と成ると女の方が遥かに度胸は良い。

恥じらいを取り外したアタック(攻撃・挑戦)精神で一線を度胸良く飛んでしまえば、もう妻に歯止めは無い。

「そんな事私には出来ない。」は臆病な言い訳で、実は、制御している自分の中の淫乱性を、剥(む)き出しにすれば良いのだから、女性がその気に成ればさほど難しくはない。

後は限りなく淫乱な女を妻が演じ、それに自らが酔い痴る事が出来れば良いのだ。


そう言えば、私が女リーダーの亭主に依頼され、女リーダーを遊びの性交に適応するように調教したのはこの頃だった。

「こ奴(い)、味を占めたと見えて、誘うと嫌味や文句は言うが嫌とは言わないで自分でパンティを脱いで付いて来る。」

「だってこの人、私が皆さんに犯られるのを観て愉しんでいるのですもの。」

出来る女と出来ない女で考えれば、あの女リーダーは出来る女である。

正直あれから一年間ほど、あの亭主の求めに応じて女リーダーの性調教を引き受け、裸にヒン剥(む)いて様々に扱い、少しづつ手を放して亭主の希望する性玩具(おもちゃ)に仕上げた。


第七章

◇◆◇◆◇◆◇◆◇第七章(猥褻/わいせつ)◆◇◆◇◆◇◆◇◆

雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。

しかし、勿論男女の仲はデンジャラス(危険)で、未婚・既婚を選ばず買い食い(売春)にも拾い食い(浮気)にもリスクがある。

それを踏まえて女リーダーの亭主が想う、人生・・・劇的に中身が濃い方が良い。

性交だって、人生の最も良い一時期しか愉しめないのだから、中身が濃い性交遊びを夫婦揃って遊ぶ方が良いに決まっている。

泡を吹くほどの「濃い性交感」を得るには、こうした浮気とは呼べないマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)が理想的である。

結論を出すには想像より経験が必要で、この濃厚なマルチSEX(複数性交)を何度か熟(こ)なすと、女リーダーの女体も馴れて来て適度に感度の良い成熟を見せる。

それに女性のヒステリーには性感マッサージ治療や性感バイブレーター治療が有効で、実際に医療行為として医師に施術されている。

つまり女性のストレスの解消の良処置は「性的な刺激」と言う事になり、男性のストレスの解消も同様の「性的な刺激」と言う事になる。

どうせ性交の動機付けに、金だったり地位だったりと、とにかく世の中打算が働く場合も多いのだから、要は女リーダー本人が必要と判断すれば良いだけの事である。

それならば、わざわざ医療行為として施術されなくても、ストレス解消の問題解決の為に夫婦合意で中身が濃い遊びを犯れば良い。

女リーダーが、どの時点で亭主のこの破廉恥な遊びに付き合おうと腹を括(くく)ったのかは判らない。

しかし今、女リーダーは他人前(ひとまえ)で素っ裸の裸身を躍動させながら、相手構わずの性交に柔ら壺に欲棒を咥(くわ)えたままの腰を振って善がり声を挙げながら興じている。


女リーダーは、白糸会では「ドスケベ女」と呼ばれる様に成った。

それは亭主が、「あのドスケベ女を裸に剥(む)いて皆で愉しもうや。」と仲間を度々誘うからである。

そう誘われれば、こう言う秘密の性交遊びは面白いに決まっていて、好き者ばかりの仲間だから直ぐに「それじゃあ犯りましょう」と言う事になる。

想いも拠らなかったが、女リーダーは違和感無くおシャブリも腰使いも上手く犯れて次第に大胆(だいたん)に成って行った。

「いかがわしい」と言えばその通りかも知れないが、その後の女リーダーは不思議な女の魅力を感じさせる女性に育って居た。

恐らくもう周囲の事など意識に無いのか、日常の倦怠感(けんたいかん)を埋める様に全裸体を躍動させ大胆(だいたん)かつ奔放(ほんぽう)に性交に応じている。

今は呆然(ぼうぜん)と眺める夫の前で、口と言わずア*ルと言わず女陰に到るまで欲棒を受け入れて、性感に拠る忘我の境地に入っているのだ。

どうやら犯られる方の「ドスケベ女」も味を占めた様で、「白糸会」の呼び出しは心待ちにしているフシがあり、つまり夫婦揃ってこの変態行為の刺激中毒に成って居る様だった。

人生、真面目(まじめ)過ぎたら詰まらない。

場面場面で多少の遊びが在って、漸(ようや)く人生に厚みが出来る。

亭主が「ドスケベ女」と呼んで陵辱性交遊びに誘うのだから、仲間内で何を犯ろうが遠慮は要らない。

本人もそれを黙って受け入れているのだから、つまり女リーダーは仲間内では「白糸会のドスケベ女」で通るように成った。


他人(ひと)が聞いたら驚く事だろうが、女リーダーはこの遊びの場ではメンバーに全て従順でなければ成らない。

まぁ貞操観念から言えば多少の抵抗感は在ったかも知れないが、それでも乗りかかった船に、女リーダーには今更尻尾(シッポ)を巻いて降りられない意地があった。

今では亭主の「おぃ、今日は遊ぶぞ」の一言で気分は戦闘モードに入り、「白糸会のドスケベ女」はパンティを脱ぐ。

亭主が想うほど、「女リーダーの懐(ふところ)は浅くないし、腹も据(す)わっている」と言う事だ。


女性は宝石と同じで、加工され細かな細工を施(ほどこ)されてこそ依り美しく輝きを増す。

仕込み始めて暫(しばら)くすると、やや肉付きが良く大柄で迫力が在った女リーダーの裸体が適度に美しく引き締まり、いっそう魅力的になった。

あのバブル景気に翻弄(ほんろう)され別れた夫婦や別居中の夫婦が多い中、結果的に夫の性癖に合わせて共犯で一緒に遊んだ為か、未だに夫婦仲はすこぶる良い。

輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

イク状況に昇り詰めたままの性交が続けば、女リーダーにSEXハイ状態が続いて脳内麻薬ベーターエンドロフィンが脳内に発生され、一種の超快感状態に成る。

現に女リーダー・「白糸会のドスケベ女」は連続する性交で、カリ首のエラの海綿体が感度良く内壁を擦(こす)る抜き挿し攻撃に、脳みそがトロケ出して居た。

肉体の中心を貫かれたまま、女リーダーの股間に生々しく抜き挿しされるリズム良く激しい欲棒のピストン運動に、女リーダーは快感に顔を歪ませながら左右に嫌々をしている。

その女リーダーの反応にも構わず入れ替わり攻め立てる淫茎は、抜き状態では濡れ光り見え挿し状態では根元近くまで中に達しているのが見て取れる。

過酷な状況に在って、女リーダーも既に限界は過ぎて居るかも知れないが、此処はもぅ意地と根性で頑張り、歯を食い縛って快感に耐えながら受け腰応戦をしている。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は女リーダーには無い。

行き着く所まで犯ってしまえば、女リーダーはもぅ犯ってしまったのだからそれを亭主に改めて否定する材料は無い。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的で、これは妥協では無く工夫である。

そして避けられない性交遊びであれば、全員を満足させる到達点に到るまでは女リーダーは愉しみながら犯って見せるしかない。

女リーダーは生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして、仮面の下の素顔を暴(あば)き出されるように荒い呼吸をしながら壮絶に攻めたてられている。

しかしこれはあくまでも女リーダーには非日常の時間で、日常の生活は平凡でそれが普通だがこんなスリリングな遊びの時間など無い。

勿論そんな卑猥な時間を女リーダーが過ごしているなど、日常生活は到って普通だから世間は知りもしない。

つまりこれは、女リーダーの身に時たまに訪れる遊びの時間で、何も大袈裟(おおげさ)に考える必要は無いのだ。


夫の性癖に正面から向き合った女リーダーにとって見れば、何時の間にか増えて行った参加者の数はハプニング(思いがけない事)だった。

だが、女リーダーの夫を含め周囲は全て承知の上の周到な事で、素っ裸に剥(む)かれて転がされたその場の乱交は抵抗などできる訳も無く、犯るべくして犯った事になる。

妻の女リーダーが男達に無遠慮に犯られ、セックスハイ状態に到達して素の女性(おんな)を曝(さら)け出し、下半身の一点で繋がった肉体(からだ)と肉体(からだ)が、生々しい抜き挿しの腰の動きに共鳴して打ち震えている。

信じないかも知れないが、愛する者が、目の前で他人に肉体的陵辱を受けるのを見るのは、女リーダーの夫の歪(ゆが)んだジェラシー(嫉妬)を満足させる被虐的な不思議な快感である。

他(ほか)でも無い、陵辱(りょうじょく)を受けて居るのが自分の妻であれば、加虐(S)・被虐(M)のどちらもないまぜの、癖(くせ)に成りそうな特別な感情が女リーダーの夫に湧く。

この日確かに、女リーダーは責め挙げられてセックス・ジェンダー(生物学的性意識差)をも凌駕(りょうが)するM(マゾ)気質を開花させたのかも知れない。

ただ、これには「合意の上」と言う絶対条件がある。

つまり精神的意味に於いて、愛する妻を肉体的に陵辱している相手を人間と想うから独占欲が湧いて嫉妬するので在って、陵辱している相手は自分が指定した「生きた電動性具だ」と思えば良いのだ。

女リーダーの夫が「遠慮せずガンガン行け」と男達を煽(あお)り立て、気分を盛り上げている。

「アァ、アァ、アァー、アア、」

女リーダーの捲くれた二枚の肉花弁の間を貫いて、リーダー男の欲棒が愛液に濡れ光ながら生々しく打ち込まれている。

こう言う遊びの露出性交は、世間的にジェンダー(社会的文化的な性差)を有するから恥ずかしければ恥ずかしい行為ほど逆に興奮させるものである。

今は次々と入れ替わる男達の欲棒で無遠慮に犯られ、女リーダーの表情が随喜(ずいき)の表情に変わり、顔をクチャクチャに涙と涎(よだれ)を垂れ流し、受け腰で抜き挿しに応じている。

クィクィ抜き挿しに攻めたてられ、昇り詰めさせられる度に腰を浮かし背を反らしてセックスハイ状態に到達して素の女性(おんな)を曝(さら)け出し、口を半開きにした女リーダーの顔は、臨場する私の目の前で快感に歪(ゆが)んでいた。


目の前で繰り広げられている女リーダーの非日常のマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)について倫理観を言い立てる者の大半は、口先だけの偽善者である。

何と成れば、男女間のコミュニケーション力を高める為の工夫が無く、カミングアウトには抵抗が在って中々広言は出来ないが、その偽善者を含め建前とは別に個々の性癖は密かに存在している。

多面的に考察すれば、本来は「何がして欲しい」と、その個々の性癖が夫婦間では特に尊重すべき合意事項の筈だが、そうした要点は日本式のまぁまぁ体質の中で双方がゴニョゴニョと濁して来た。

つまり夫婦の間で気取って居て、「誰と正直に、性的に甘えられるのだ?」と言う根本にぶち当たるのだ。

「私を愛しているから私の嫌がる事はさせない」は一方的でずうずうしい夫婦関係であり、性に於いてそんな甘えた幻想は現実的では無い。

大半の夫婦がそんな所であり、それこそが他所に性癖の埋め合わせを求める構図であるから、「私と言う者が在りながら」の主張は、男女間のコミュニケーション力を高める為の工夫が為されたからにして欲しい。

実は性に関する倫理観は時代と伴に変遷するもので、「〜に決まっている」と力説する倫理根拠は存在せず、人間は自分の主観が必ずしも正解でない事を知らねば成らない。

しかし人間は自分の考え方と違うと、相手のそれを無条件で否定しようとする。

そこでこう言うすれ違いの性癖問題には第三者が介在すると、他者への遠慮が働いて意外と順調に事が進む事が多い。

そこで非日常の刹那を愉しむマルチSEXを、一度女リーダー夫婦で経験してしまえば、その快感の魅力に負けて積極的に成るのだ。

そして仲間内のお遊びで、諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せで「他人前(ひとまえ)で性交して見せる」と言う同じ事でも、心の持ち方で女リーダーの受け取り方はポジティブにもネガティブにもなる。


人間には、自分と違う思考や生き方をする相手を無条件で認めたがらない傾向が在り、性交に関しても同様の傾向が在る。

しかし、違う思考や生き方をする人間は世間に山ほども居て、それが知らずに結婚した相手の性癖かも知れない。

世の中では遊ぶ事を軽ろんじる傾向が在るが、遊ぶ事と学ぶ事は実は一緒の事で、つまり女リーダーが遊ぶ事から学ぶものは結構多く、「自分と違うから」と言って自分の思考や生き方だけ主張しては夫婦など遣っては行けない。

目先の結婚は建前の綺麗事だけでも出来るかも知れないが、いざ性行為となると綺麗事だけで済まされない個々の性癖も知的性欲求として消化し合わなければ成らない。

つまり貴方が「嘘だろう」と否定したがる旺盛な性欲の男女も存在するから、自分が理解できない事とこの世に存在し無い事は別の次元の話で、女リーダーがそれを認める所から始めないと男女の話しは進まない。

簡単に言えば、家庭を安定させる究極のマネジメント(経営管理)の要点が知的性欲求に対する性行為で、必要に応じて変われない人間に明日は無い。

まぁ結婚した以上は家庭を営む和合努力が必要で、女リーダーが家内安全の為に行き着く所まで先に性行為の体験を躾(しつ)けられれば欲情の装置としてのフェロモン(行動や生理状態に影響を与える分泌物質)の分泌も盛んに成る。

元々人間も「生き物の一種」であるから、自然の本能に導かれて「食欲と性欲」が主たる生活の目的で何んの不思議も無い。

しかしその何んの不思議も無い公然の事実が、「他人に秘すべき行為」に成って返って欲情のメンタリティ(知性。知力。 心理状態。心的傾向)を育むものに成った。

人間の心(心情)とは即(すなわ)ち「自己意識」の事で、言わば如何なる知的性欲求に依る性交形態も「不純・不道徳かどうか」は、一に女リーダー本人がそう思うかどうかの問題で、世の中の現実は時代時代で変わって行く習俗である。

女リーダー夫婦は、「大人の社交場」で性のイノベーション(新機軸。革新。開発。開拓。)を創意工夫し、マルチSEX(複数性交)など非日常の遊びをレシピエント(被術者。受容者。)である女リーダーに「施(ほどこ)す、施(ほどこ)される」が異次元の喜びに通じ、一度被虐(ひぎゃく)の快感の味を占めて仕舞えば、そこが女リーダーの性行為に対する今後の許容範囲になるのだ。


「白糸会」のシークレットパーティ(秘密会合)は「白糸会員」にとって、ガチンコファイト(真剣勝負)の新たなるスタイリッシュ(お洒落れ)な遊びの誘惑だった。

これは曖昧(あいまい)では通らない態度をハッキリすべき事で、女リーダーに大人の覚悟が必要だった。

そして犯ってしまえば確かに、お披露目輪姦一夜で友情とも愛情とも違う仲間意識が醸成され、互いの垣根は低くなり信頼関係は高まった。

大人数の相手を熟(こな)すには、参加メンバーの男達を早くイカ(射精)せる事が最優先で、女リーダーが犯り惜しんではいられない。

そこを自覚した女リーダーは、次々に欲棒を柔ら壺に咥え込んだら、相手より先に積極的にクィクィと腰を使う。

女リーダーは、生々しく汗(あせ)や愛液に塗(まみ)れて善がりながら、卑猥(ひわい)な行為は続いている。

非日常のガチンコファイト(真剣勝負)の空間が、女リーダーの卑猥(ひわい)モードの善がり声と伴に、時に流れながら埋まって行く。

まぁ、女リーダーも他人前(ひとまえ)で、あれだけ惜しげも無く犯ってしまえば、「今更その性向を否定できない」と気持ちの整理が着く。

非日常のガチンコファイト(真剣勝負)の空間が、女リーダーの卑猥(ひわい)モードの善がり声と伴に、時に流れながら埋まって行く。

素っ裸の女リーダーを好きに扱(あつか)い、男達がマットの上でリード(命令)しながら、好みの体位で好みの性交を実地する。

プレィ中の女リーダーは、常に嬉ししそうな表情を浮かべる事を心がけ、どんなプレィ仕掛けられても嫌そうな表情一つしない。

男達の好み(性癖)は女リーダーが素直さ充分に配慮して即応するから、男達のプレィ満足度は大きい。

本音を言えば、何人束に成って掛かって来ても、一人づつイカ(射精)してしまえば、コッチ(女リーダー)の勝ちである。

男達に指責めや性交を犯られている最中、女リーダーは犯り抜ける為に、リーダー男のアドバイスで、恥も外聞も無く或(あ)る事を実行していた。


それは、一般的にオナニー(手淫・自慰行為)と呼ばれる敏感部分の実(サネ)を弄(なぶ)り自らの感度を高めながら犯り抜ける事である。

酷く卑猥(ひわい)で恥ずかしい行為だが、女リーダーはその実弄(サネなぶ)りを実行しながらリーダー男に感謝していた。

例(たと)えビジュアル(視覚)的に痴女(ちじょ)で在っても、このオナニー(手淫・自慰行為)で感度を高めなければ、とても犯り抜けられないほど男達の攻めが激しかったからだ。


一見、自分の妻を素っ裸にして他人に供し、弄(なぶ)らせる女リーダーの亭主を「酷い奴」と想うだろうが、妻をノーパン・ノーブラで飲み会につれて行き、妻と例の三人組の三P(三人プレィ)の再演を画策していた私には彼の想いが理解できる。

簡単に言えば、家庭を安定させる究極のマネジメント(経営管理)の要点が知的性欲求に対する性行為で、それを積極的に取り入れて犯れるか犯れないかは夫婦の合意次第である。

彼は自分の赤裸々な性癖を満たす為に他所で浮気するよりは、一途に「妻と遊ぶ事」を選んだのだ。

つまり赤裸々な性癖が個々の人間に在り、その辺りを真剣に考えて見ないでは「判っていない」と非難されても仕方が無い。

亭主が一途に「妻である自分と遊ぶ事」を選んだ以上、女リーダーがその赤裸様(あからさま)な現実から逃避してもそれでは解決する訳が無い。

そこまで行ってしまった女リーダーにとっては、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の相手など、大袈裟に考えずに亭主が使用する大人の性玩具(オモチャ)と同じ程度に受け止めれば良い。

素っ裸の女リーダーは、この宴の時はほとんどノーメイクで登場するが、これはその後の赤裸々な激戦を考えれば仕方が無い。

これから女リーダーに待っているのは、複数プレィ、同時三穴3Pプレィ、拘束SMプレィ、露出プレィ、輪姦プレィ、果てはSM輪姦プレィと何でもござれの性玩具(オモチャ)扱いである。

被虐(ひぎゃく)感を伴う非日常のマルチSEX(複数性交)は、女性に採って極上の快感を得る性行為の一つには違い無く、女リーダーも毎回抵抗も無くイソイソと亭主に連れられて男達に弄(もてあそ)ばれに来るのだから、それが女リーダーには「まんざらでもない遊び」である事を意味している。

亭主が満足すれば、「皆さんにお礼の挨拶をしろ」と命じられ、女リーダーは横一列に仁王立ちする五人の男に正座して「ありがとうございました」とお辞儀をし、一人一人に膝立ちで欲棒を一夫ほど咥えてシャブり、唇で扱(しご)いて礼をする。

カラオケスナックでの女リーダーと男達五人のマルチSEX(複数性交)の狂演が終わるのは明け方の四時か五時で、女リーダーは連続性交の止まらない快感の余韻に浸りながら、心地良い疲れと伴に家路に着く。

女リーダーは輪姦(まわ)されて、結構にヒィヒィ言わされた。

だが女リーダーには、その輪姦(まわし)でアドレナニンが脳内を決壊させた興奮に拠る脳内麻薬・「ベータ・エンドロフィン」の脳内快感が家に帰ってまで残った。



とにかく私達夫婦の建設会社の受注は ひとえに妻の接待の出来に掛かっていた。

こうした私達夫婦の事業手法を非難する方も居られるだろが、従業員とその家族の生活を抱えればオーナー夫婦は覚悟ある創意工夫が必要ではないだろうか?

何ぁに、「そんな不倫理な事が、この現代の世の中に存在する筈が無い」ですと、あなた「世間知らず」ですな。

あのバブル経済の真っ只中は、ノーパン喫茶とかノーパンしゃぶしゃぶとか、性風俗に対する熱もボリュウムを帯びていた時代で、「接待とはそんな物か」と思わせる時代だった。

ついでに言うと、どんなに真面目な家でも一家に一本裏ビデオが在った時代で猥雑なムードが蔓延し、子供会の仲間内での上映会など余り抵抗無く男女皆で見た時代だった。
つまり沸き返るバブル景気の中で、「何でも在り」の雰囲気が充満していた。

接待の場で全裸に身包(みぐるみ)を剥(はが)がされるのは、妻にとっても最初は悲壮な決意だったかも知れないが、それも先方との生々しいお相手が始まってしまえば、もう哀しいや恥ずかしいなどと考えている余裕など無い。

そして事が終わってしまえば、妻は「酒宴の戯れに過ぎない」と、宴席でのその余興の事は夫の私には内緒にしていたが、お陰で先方からは大きな仕事の成約が次々と入った。

妻に取って、仕事上の付き合いでの出来事は夢のまた夢、つまり性玩具(おもちゃ)としてお世話に成る関係で人間の感情など、その時は確りと棄てている。

何かの答えを決めるのは「どれが大切か?」と言う軸足選択の問題で、それは人夫々(ひとそれぞれ)である。

後で考えてみると、その時の妻の決断が私の独立の切欠だった。

性接待はビジネスの代償或いは謝礼で、単なる仕事と割り切れば「純粋に真面目に生きる」と言う事も質と方向さえ違えばこれは充分に理解出来る事である。

確かに、性交をするほどの間柄なら親しくなる。

スポンサーの社長が「親身になる」と言うのはそう言う事で、この誘いを断り真面目に清純に暮らしているからと言って誰も助けてはくれない。

つまり妻は性玩具(おもちゃ)としてお世話に成る関係でスポンサーの社長に可愛がられていて、接待の「おもてなしの犯り方(性調教)」を仕込まれた。

その癖紹介された客にも犯れる女として接待の場で宛がわれていて、ビジネスライクの間柄だった。

単なる男女が密かに性交したなら浮気だが、妻の接待性交が複数相手の乱交プレイで明らかに只の遊びのお相手である。

まぁ知らず知らずに、夫婦でその社長に飼われて居たのかも知れない。

自分を安全な所に置いて他人(ひと)の批判ばかりしている卑怯(ひきょう)な女性拠りも、自分を曝(さら)け出しても目的に向かう妻の様な女性の方が「余程立派な覚悟だ」と言う見方も出来る。


あの日から妻は、何度呼び出されて出かけて行ったのだろうか? 

そして女性は加工され、細工を施(ほどこ)されてこそ依り美しく輝きを増す生き物だ。

きょうも妻は、スポンサーの社長に「クライアント(得意先/顧客/依頼人)を紹介する」と呼ばれて「六階建てのマンションだって、必ずお仕事を貰わなきゃ。」と言い残し、幾分肌の露出が多い小洒落た衣装で出かけて行った。

接待場所は、あそこなら「何をしても外には漏れない」と私が想像するスポンサー社長の会社が保有する「例の保養所だ」と言うので、また妄想が浮かんで来た。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)が抽送を続けるのを見ながら、スポンサー社長が、「そろそろ例のヤツを犯らせるから支度しなさい。」と妻に命ずる。

妻が「判りました」と応じて一度クライアント(得意先/顧客/依頼人)から肉体(からだ)を離し、料理の乗った座卓近くから続き間の隣座敷の方へ移動し、四っん這いの姿勢を取る。

広々と空いた部屋の真中で、四っん這いの姿勢を保っている妻にスポンサー社長が妻の後ろに回り、欲棒を添えた手で二〜三度カリ首の位置を的に合わせて決めると、「クイッ」と突き立てて、腰を使い出した。

途端に妻の悲鳴にも似た善がり声が、部屋一杯に広がって行く。

一攻めした後、そのスポンサー社長が妻と繋がったまま両手で妻を抱えて畳の上に転がった。

背中乗せの親子亀が、そのまま仰向きにひっくり返った様な無様な格好で、妻の左右の太腿(ふともも)は、ガッチリとスポンサー社長の手が掴んで股間を広げている。

スポンサー社長を背中に仰向(あおむ)きでヒックリ返った妻は、乳首が立った乳房も恥毛を蓄えたデルタ(三角)地帯も露に、もう一人のクライアント(得意先/顧客/依頼人)に無防備体勢だった。


その時初めてクライアント(得意先/顧客/依頼人)が気付いたのは、スポンサー社長の欲棒が或る目的の為に妻のア*ルの方を犯していた事だ。

ア*ルにスポンサー社長の欲棒が収まったまま、仰向けに成って膝が上を向き、不安気に左右に開いた妻の両太腿の付け根、花弁のスリットが大きく開いて、鮮やかなピンク色が目に入った。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)が、空いている方の妻の花弁のスリットに坊主頭のカリ首の海綿体を宛がい、一気に「グ〜ィ」と貫き、太い陰茎が、グィッと蕾の皺(しわ)も伸び切る程に押し広げて、中に納まった。

前と後ろ二本の欲棒が生々しくそれぞれ勝手に抽送を始める二穴同時ファックに、妻は上半身をそり返し歯を食い縛って強烈な快感に耐え始めた。

快感地獄に、妻はまるで気が狂った様に歯を食い縛り、上半身を暴れさせながら受け腰を使って、その二穴同時ファック攻撃が如何に凄まじいものかを体現している。

如何にキツくても妻には「止めてくれ」と言う権利はなく、相手が止めるまで犯られ放題を赦して、受け腰で応戦し耐えていなければ成らないなどと、妻を接待に送り出す度に妄想は膨らむ。

しかしあくまでもこれは、「妻があれも犯っているじゃないか、これも犯っているじゃないか」と言う夫の妄想で、妻に事実を確かめた訳では無い。

つまり妻が出かけて行った先での行動は、あくまでも私の想像に過ぎなかった。


建前は何事も無い事に成って居るクライアント(得意先/顧客/依頼人)へのお座敷接待だが、接待から帰って来た妻をストリップ・サーチ(全裸検査)するのは私の習慣に成った。

「妻を素っ裸にして点検する」と言っても、座敷での事は私が勝手にあぁこう想像して興奮するだけで、お座敷でクライアント(得意先/顧客/依頼人)と犯った事を一度も妻に追求した事はない。

お座敷接待に行く妻に対するそもそもの嫉妬は、実は私の素朴な独占欲に過ぎない。
どうせお座敷で接待するに「お酌だけ」何て言うのは考えられず、かなりの悪戯(いたずら)遊びの相手をしているに違いない。

だが、私はそんなケチな男では無いから、敢えてそこに踏み込む気は最初から無い。

正直、帰宅後のストリップ・サーチ(全裸検査)は口実で、そこから妻を性交に持ち込む為の儀式みたいな物だった。

私からすれば、妻はお座敷接待で充分に興奮して戻って来るのだから、それらの行為は「夫婦性交の前技」とポジティブに受け止めれば合理的である。

その上に、そのお座敷接待が経営する企業の繁栄に結び付くのであればそれは不可欠である。

どうせ接待を犯るのであれば、他所(よそ)と同じ事をしていては何も得る事など出来ないのだから、接待の内容などに拘(こだわ)ってもしょうがない。


妻がこちらの希望を聞いてくれる様に成ると、私には犯って見たかった事が沢山ある。

その中でもひとつだけ、昔から思い描いて居て「妻に言い出せなかった。」悪戯(いたずら)のアイデアがある。

試しに、それをさせて見る事にした。

その悪戯(いたずら)は、妻に実家に電話をさせて「親と話をさせながら犯りたい」と言う目論みで、妻にバックスタイルで尻を突き出させて、電話で話す最中に、まず花弁の中に指を二本入れて抜き挿しして妻を弄(なぶ)った。

妻は尻を少し揺らしながら刺激に耐え、指の抜き挿しにはリズムを合わせながら話をする。

妻の肉花弁の奥は何の抵抗もないほど潤っていて、中のヒダがヒク付いて居るのを指先が感じさせた。

その尻を突き出させた格好で柔ら壷に欲棒の抽入を果たし、抽送しながら電話をさせ、実家の父と話をしていてる。

今日、妻は相当の刺激を受け途端に感じ始めるが、私に犯されながら電話をしている事を相手に気取られる訳には行かない。

妻は抜き挿しを受けながら父と話をして居る口数が少なくなり、盛んに相手の話しに「ウン、ウン。」と合い槌を打つのが精一杯になる。

刺激に耐えるのが精一杯で、私に抜き挿しされながら尻を振り、まともに話が出来ない。

母親が電話に出る頃には妻を横たえ、正常位で欲棒を突き立てて腰をグラインドしていた。

「ウン、そう、ウン、そうそぅ。」

襲い来る快感を耐えながら妻が受話器を握り締めて話しをし、仕舞いには感じ過ぎて妻の声が出なく成ったので、欲棒を抽入したまま抽送を止めた。

妻は電話が終わると、「フー。」と溜息をつき、「あなたぁ、キツかったぁ。だって、声が出せないのだもの。」と妻は甘えて来た。

電話相手が両親と言う条件で、「快感を堪(た)えながら犯られる刺激は強烈だった」と言い、結局「イキたくてもイケ無かったから」と、妻は電話を置いた後に清々犯りたかったようで、「もぅ、意地悪」と言いながら、両手を私の首に巻いて、抱き着いて来た。

妻は、そのまま、ソフアーにもたれ込むと、まだ勃起していた欲棒を握って股間に誘った。

妻の性感度は格段に上がっているようで、電話中は、感じているのにイケ無い生殺しのもどかしさが、強烈に快感を誘ったようである。

そんな趣旨の事を言いながら、妻は私の腰使いに「クイクイ」と受け腰で応じて、近頃の変身振りを見せ付け、激しく反応して果てた。


「もう電話はこりごりか。」

「あなたが電話しろと言えば、たまには良いかな?」

「たまには犯っても良いって?」

「だって、気持は良いのだけど声が出せ無いって、凄い強烈、あなたも意地悪だわ。」

こりゃあ妻の考え方が完全に変わって、SEXを「積極的に楽しもう」と言う姿勢だ。

まぁ妻も大人の女であるから、何時までもメルヘンチックには生きられない。

そう考えれば、妻が至極現実的な考え方に舵を取ったからと言って、そう慌てる必要はない。

つまり個人の気持ちであれば、起こり得る事象に対する個人の気持ちは持って行き様があるもので、同じ事が起こってもその「気分」が楽しいか辛いかは個人の受け取り方である。



私達のスポンサーに成った社長のお陰で、僅か一年ほどでトントン拍子に従業員三十人の裕福な建設零細企業に育って、それで結構に周囲の世間から一目置かれ出していた。

やはり世の中は、感情的になると必ず負ける。

「気高い」と言う事は、自らの倫理的観念を守るのも気高いが、仕事や家庭を守る事も気高い事で、その質がちがうだけだからその一方が正しいなどと決めれるものではない。

そうした妻の日常環境の中であの子供会の役員の交流が始まり、あのカラオケスナック事件が起こった。

「この場は騒ぎを起こすべきではない」と、その場に直面しての妻の決断だから、穏やかに受け入れるしかない。

妻は私が知る以上に強(したた)かで、まぁ私が知らない妻の別の顔が存在し、その別の顔がカラオケスナック事件で大胆に発揮されたと言う事である。

それにしてもあの鮮烈な三P(三人プレィ)の情景は、未だに私を興奮させる思い出である。

そしてその後の妻の社会進出に、その男達が全面協力して飛び廻っていたらしい。


当時妻は、自営する建設会社の仕事上の付き合いを一手に引き受けていたから外出も多く、一々問い質してその動向を監視するのは極めて困難だった。

何時(いつ)の世でも、物事は平面的に見ては成らない。

例えれば、富士山の美しさは遠くから見るアプローチこそで、登って見れば何の事は無い溶岩石と溶岩砂の詰まらない山である。

しかし見る方向を変えて、富士山から周囲を見渡すと絶景が見渡せたりする。

円筒形は、真上から見れば円形で、真横から見れば長方形で、見る角度で見え方が違う。

つまり、「そんな行為は悪いに決まっている」は平面的な見方で、角度を変えて見れば「その行為が良い。」も充分成立する要素は多分にある。

そしてそこに在るのは、常識を嵩(かさ)に着て物事の本質を隠してしまう意図ではないだろうか?

言っては悪いが、凡そ男女の修羅場に到る経緯に於いて自らは努力せず、自分の横着を履き違えて如何にもの自己防衛的言い分を言っては居まいか?

ものの見方が広がれば、今まで考えもしないで否定して来た事が単なる強情で在った事が理解できる。

まぁ強情を強情と想って居ないから、平気で平面的な主張を恥ずかし気も無く言うのである。

つまり当時の妻の生き方が、非難されるべきものだとは到底認められない私だった。
冷静に考えれば、性交の愉しみ方だって夫婦合意の上ならメニューが多い方が良いに決まっている。

人間の心理など微妙なもので、誰だって定食ばかりでは飽きが来る。

無いものねだりは人間の業(ごう)かも知れないが、接待の性交には情を前提としないから、情の絡(から)む夫婦間の繊細な行為には無い大胆な荒々しさで犯られる事に、妻には新鮮な感動があるらしい。


この遊び、妻は結構気に入ったのかも知れない。

何となれば、性感だけは不思議なもので行為のスパイスが乱交だったり輪姦(まわし)だったりと卑猥(ひわい)な情況ほどより興奮のボルテージは高くなり快感は増幅する。
つまりそうした環境下で一度輪姦(まわし)や乱交を経験すると、残念ながら夫との単純な性交は物足りなくなる。

いずれにしても、夫婦の愛情なんか永い時間を掛けて育てる物で、互いに自分の考え方を主張するだけでは愛情は育たない。

「恋」と間違えているならともかく、「愛情が無ければ性交など出来ない」は嘘っぱちである。

何故ならば、まだ相手を良く知らない「恋」の時点の一目惚れでも性交が出来るものなら、つまりは愛情なんか無くても性交は出来る理屈になる。

となると、最終的結論は本人が犯る気に成ればどんな相手とでも性交は成立する訳で、しかもそこが増幅すれば性交相手が単数とは限らない。

女性は表向き、性に関わる話題に対し二言目には「嫌らしい」と否定するが、性交興奮に必要なのがアブノーマルな行為であれば、セックスに淡白な男が真面目なのか探究心旺盛なのが真面目なのか、そんなものを【左脳域的】な感性で判断しては合理性に欠ける。

簡単な話しだが、昔から「昼は淑女で、夜は娼婦のごとく」と言う諺(ことわざ)も在り、自分の妻が色っぽくて夫婦共犯のあぞびが愉しければ亭主は外で飲んだり遊んだりするのがバカバカしくなる。

利口な女性なら、余り既成概念に囚われず応用力を発揮し、そこで導き出された現実を冷静に判断して夫婦共犯で遊ぶ行動を選択する。

性行為を猥褻(わいせつ)と感じるのは性行為を愉しむ感性を持った人間だけで、第一人間のオス(男性)は、猥褻(わいせつ)感が無いと欲棒の勃起すらおぼつかない厄介な生物である。

裏を返せば、性行為を愉しむ感性を持って居なければナチュラル(自然体)な生き物として子孫繁栄の生殖行為である。

そして擬似生殖行為(生殖無き性行為)を愉しむ感性は人間だけの授かりものである。

つまり人間と言う脳が複雑に発展した為に生じる寂しさや空(むな)しさの苦悩から、心を癒す為の手段として繁殖期を持たない擬似生殖行為(生殖無き性行為)を愉しむ感性を神から授かって、猥褻(わいせつ)感が生まれた。


従って、猥褻(わいせつ)感が生まれた経緯からして、本来、猥褻(わいせつ)行為は忌み嫌うものではなく、愉しむものである。

犯らせて見れば、邪(よこし)まかも知れないが愛妻が他人に犯されて善がっている光景も、正直犯されて居るのが愛妻故(ゆえ)の格別な興奮で、嫉妬よりも勃起物だった。

私がそう言う事であれば、妻が見ず知らずの他人と犯って、その快感に途中から腰を使い出し善がり声を張り上げても仕方が無い。

言うまでも無いが、「見ず知らずの他人相手」と言っても知り合う前は誰でも他人だから、肉体(からだ)の方は誰とでも犯れて感じるように出来ている。

つまり犯る気に成りさえすれば、誰と犯っても快感は得られるのである。

男だって同じだが、元々性欲は種の保存本能として備わっているから性交の快感は神からの授かり物で、犯れば気持ちが良い様に肉体(からだ)が出来ていて不思議は無い。

最初は理屈や理由で始める知らない他人相手の性交でも、いざ犯ってしまえば後は体感で「気持ちが良い」と反応するのが偽らない性交の結果である。

そこで予め注意したいのが男女の違いで、買い物一つ取っても男性の方が直感的で即決力があり、女性の方が最後まで「あれこれ」と選択をし続ける為に中々物事を決めかねる特性を持っている。

これは男女の特性であるから、互いにその「感性の違い」を理解しないと、すれ違いの感情が起きる事に成る。

夫婦の気持ちが離れて行くのは、「恋」の時点の「勝手な思い込みで設定した相手像」そ基準に評価する事で、この感性のすれ違いが増幅して行って「こんな相手ではなかった。」と、感情が抜差し成らない所に立ち至る為である。

女性は【左脳域的】な感性の為、肉体への直接的な「接触刺激が無いと興奮し難い資質」なのだが、その女性が性交を不得意な「理性」で考えてしまうから、性を誤解して嫌悪感を抱く。

女性が、その「理性」で完ぺきに生きようとすれば、自分も周囲も行き詰まってしまう。

そんな「理性」は女性の独り善がりのプライドを満足させるだけで、ろくな結果には到れない。

しかし女性が持つ母性の第一歩は性交から始めるものだから、本能や肉体(からだ)がスケベで在っても当たり前で、まったく恥ずべき事では無い。

男性は【右脳域的】で本能の感性が強い為、夫の前では崩れて見せる位の利巧な女性の方が妻として可愛いのである。

百人に百人が「性接待など不真面目な事」と言うかも知れない。

しかしその真面目・不真面目は、何に対して不真面目なのかの対象の問題で、妻は性接待を真面目に犯って自分の会社を発展させた。

それを表面だけの倫理観で、妻の取った手段は不真面目と決め付けて良い物だろうか?

妻の選択が正しかったかどうかは判らない。

しかし今の所、現実に私達夫婦は勝ち組に違い無い。

嫌、こう言う考え方をする事そのものが表向き世間では異端ではあるのだろうが、手段と結果に大きなギャップ(隔たり)がある事例を紹介する。

昭和初期に米国留学を経験し、戦前にある地方都市で女学校を立ち上げた女性は、裸一貫から洋行帰りの才女を武器に二人とも三人とも言われるスポンサーを得て戦前の昭和十年代には、若くして曲がりなりにも女学校長に納まっていた。

その彼女が女の武器を駆使して能力を発揮したのは、敗戦と伴に復興させた彼女の新しい女学校の開校経緯である。

実は彼女が得た校地は戦時中に連隊本部が在った広大な軍用地で、米軍が占領管理して居た所を米国留学経験があり語学にも堪能な彼女が、駐留米軍の高級将校に肉体的に取り入って米軍引き上げ時(占領停止時)の接収用地返還時に校地として払い下げさせた。

その後も彼女は、女性インテリ校長の肩書きを持つトロフィー娼婦まがいに有力男性スポンサーを得て、広い校地を幼稚園から新制高校まで一環教育の場と為した。

彼女は正式に婚姻した事は無く両養子夫婦を迎えて跡継ぎとしたが、教育のへの情熱は死を迎えるまで衰える事無く最後は別に校地を取得して大学まで開校し、最後まで教育者だった。

元を正せば性行為は、基本的に血縁では無い普通の男女が犯る事で、それも親兄弟と犯る事では無く他人と犯る事で在れば、殊更性交に特別な意味を持たせ「愛情が無ければ犯れない」などと大袈裟に考える方が理解出来ない事かも知れない。

そう言う事ならば、複数が参加するスポーティな性交を愉しんでも良い訳で、当然一対一の性交よりも遥かに感度の良い快感を味わう事ができる。


妻はスポンサー社長を通してクライアント(得意先/顧客/依頼人)と接触するようになり、「随分勉強した」と言う。

なるほど、クライアント(得意先/顧客/依頼人)は皆そこそこの事業をして居るから接待は勉強にはなる。

妻は、極上の性奉仕をクライアント(得意先/顧客/依頼人)に提供する為にトレーニングとしてスポンサー社長仕込まれ、一糸纏(まと)わぬ素っ裸でクライアント(得意先/顧客/依頼人)の前に立たされて実践経験を積まされる。

勿論、家業の仕事を取る為とは言え、他人前で素っ裸にされて性交をして見せる非日常の情況に妻の脳にはドッとドーパミンが噴出する。

妻は、クライアント(得意先/顧客/依頼人)に無遠慮に犯られ、妻はセックスハイ状態に到達して素の女性(おんな)を曝(さら)け出す。

そこがマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の良い所だが、興奮状態のドーパミンに対応して脳に充満される脳内麻薬ベータエンドロフェンに拠るスポーツ・ハイ同様の効果が羞恥心で増幅し、上質のセックスハイ状態に到達する。



そして二年後、昭和天皇陛下が崩御され年号が平成に改まったこの年も、バブル景気に騒然とした世相に中で暮れつつ在った。

妻を贔屓(ひいき)にして居るスポンサー社長は、当時は金融機関から莫大な借り入れをし、投資で儲けていた。

あの頃は、「先に落とし穴が待っている」などと、冷静に考えた者は少ない。

投機筋の仕事は荒っぽく、目的の無い土地を買い漁(あさ)って転売利益を狙う。

いずれ誰かが「ババ掴み」をするのは目に見えていたが、金融機関がやたら金を貸せるんで、日本中が皆「行け行けドンドン」に成ってしまった。

そして三月、バブル経済が崩壊する。

総量規制の通達が出された当初は、まだスポンサー社長も楽観的で、まさかアレほど酷い事態が日本に訪れるとは、夢にも思っては居なかった。

日銀による金融引き締めは完全に後手に回った上に、崩壊の最中に於いても引き締めは続けられ、経済状況を極度に悪化させる。

土地も建物も資産価値は大暴落し、担保価値が落ちた事で金融機関に融資に対する追加担保を要求され、スポンサー社長は進退窮まって経営は破綻し、無一文に成った。

東京の不動産投資家と組んで、一時はヘリコに乗って空から土地を物色した派手な一時期を送った男の、末路だった。

妻と私は、スポンサー社長の破産手続きが一年掛けて終わった一ヵ月後、自分達の建設会社の顧問に迎え入れた。

妻を弄(もてあそ)んだ男だったが、恩人でも在ったからだ。


日常的に使用されている「常識」と言う言葉は、実は「思考停止」と言う言葉と同意語で、この「常識」を連発する人間は他の考え方を持たない自己満足的な自画自賛人間である。

今でこそ日本では、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)やマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)はアブノーマルの範疇に入るかも知れない。

しかし明治維新以前の日本の性文化には、村落共生社会を基本とした「夜這い制度」や「若い衆宿」・「寝宿制度」に「ふんどし祝い」、「娘宿」に「腰巻祝い」など、村落集団単位の性行為が常態化していた。

これは、「性交相手にあぶれる者が無いように」と言う村落共生社会的配慮であり、人口減少を回避する為に繁殖能力の高い男児の精子を公平に分ける手段でも在った。

つまり日本の農魚村では、永い年月「村落中皆身内」と言う暗黙の合意の中、田植えも稲刈りも、災害対策その他の生活でも助け合う為の現実的裏付けに、村落集団単位の性交は村落経営の重要な要点だった。

江戸幕府が開国を決めて倒幕され、明治新政府も欧米列強から日本のおおらかだった性規範を批判されたが、正直日本の隅々までそれで上手く行っていたのだから大きなお世話である。

そして明治政府の必死の啓蒙活動で建前上無くなったそうしたローカル・ルールも、実は戦後の集団就職で若者が都会に向かうまでは密かに存在していた。

まぁ時代が変われば「常識」も変わり、常識に恒常的なものが無い以上絶対的な性規範も存在しない。

そうなれば、お金にしろ性行為にしろその両方にしろ、それもこれも「生きて行くには必要な事」と考えるかどうかの問題で、その対処の選択は本人がした事だ。

妻は接待となると寄って集(たか)って悪戯(いたずら)をされる訳だが、少しでも被虐嗜好(マゾ性)が在れば性感的に満足する良い思いをしてしまう。

いつか振り返った時、何も無い平凡な人生よりも自分の人生の一時期にこう言う非日常的刺激の時間が在っても良いかも知れない。


日本人の感性として金持ちが「如何(いかが)わしく思える」のは、金持ちが金の生かし方を知らず貯め込むばかりだからである。
簡単な話し、金持ちは金を遣わないから金持ちで、貧乏人は金も無いのに金を遣うから貧乏なのである。

金が世の中に出廻ってこそ経済なのに、金の無い善人の日本人には遣う金が廻って来ず、その金を遣わない金持ちに政府が優遇政策で更に金を持たせてどうする?

国民性と言えば国民性だが、日本人は手持ちの金を貯める人種で余り中国人の様に「投資をする」と言う考え方はない。

日本人は「投資」と言う概念が薄く「他人に金を貸せるな」が先祖伝来の教えで、それは建前の武士道の国が、実は利害で動いている現実に「義」が無い事を知っているからである。

日本的武士道の感性では一度失敗したら切腹物で、事業家が事業を潰したら二度と浮かび上がれないから、もはや手遅れ状態でも返って最後まで踏ん張って、酷い状態まで引きずってしまう。

つまり経験豊富なスポンサー社長も、金融機関がまったく相手にしないでは再起など成り立たない。

同様に、日本の恥じの文化は、当初は「生き方や行動に恥じない事」と解されていたが、武士道精神の責任の取り方から失敗は致命傷になる為、現実は恥に蓋をする文化になってしまった。

全ては、美徳とされる武士道の国の「建前」の弊害そのものである。

つまり建前上は最も正しい事が、本当は嘘である事も世の中には多いのである。

今にして想えば、バブルに膨れ上がって居たかも知れないが自由な・感情・個性などを尊重する「昭和ロマン」の風潮の中、そのいささかエロチックな空気そのものが日本経済の最盛期だった事は事実である。

膨らんだ泡が弾けて日本経済は暴落し、不景気にザ・フュチャー(将来)への希望を失い、そしてセックスレスの風潮が強まって戦闘意慾を失った「草食系男子」が出現し、日本は衰退の一途を辿っている。


第八章

◇◆◇◆◇◆◇〔第八章(復讐ではない、新たなる展開)◆◇◆◇◆◇

単語ばかりの意味不明を発する男が総理に就任していた。

単語と文章の違いは、意味解釈が少ない単語と解釈に厚みや深さを表現する文章の違いだ。

しかし単語は解り易いのでは無く、物事を単純化すれば考えなくて済む典型的な横着で、深い意味が無い分責任も無いのである。

反対に文章は責任を持たなければ成らないだけに、その総理は単語で演説していた影で国民不利の法律を創って居た訳である。

単語解釈の典型を例えて言えば、「障害者支援法」は如何にも障害者を支援するように読め、しかし中身は「障害者支援改悪法」で見事に弱者を切り捨てた。

単語は建前で本音は文章であるからまぁ「めんどくさい事は嫌」と言う腹の内を見透かし、国民を馬鹿にした建前手法に見事に騙された訳である。

馬鹿みたいな話だが、文章なら行間に滲み出る真意があるが単語は言葉の切れ端で、それを「解り易い」と熱狂した庶民はまんまと影で馬鹿にされ、福祉切捨てをされ気が付いた時には逃げられていた。

現代の教育が行き届いて居る筈の女性が「馬鹿っぽい」のは、ひとえに戦後の男女平等教育が「努力しなくても世渡りが出来る」と言う履き違いから起こっているからである。

女性の地位向上は、反面、競争社会に放りだされた事を意味している。

つまり男女平等は女性の薔薇色の未来を無条件に約束した物では無く、男性同様に学ぶ事が求められて居る機会の均等の考え方に過ぎない。

にも関わらず、戦後の小学校教員の七割が女性教員と言う環境の中、女性の地位が上がって「甘えが通る」と理解する女性が増えて、知識の蓄えが無い「馬鹿っぽい女性」が増えたのである。

人間の心理を推し量れば、特に性交には狂気が良く似合い、性交に狂気が無い人間は存在しない。

女性には無意識に身を守ろうと言う本能があるから「アブノーマルな行為などトンデモナイ事」と否定するが、いざ犯って見て「安全で愉しい」となれば、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)への思いは違って来る。

つまり脳をトロケさせる官能の味付けには羞恥心で、カァーッと肉体(からだ)が熱くなる狂気の興奮が必要で、いわゆるノーマルな性交だけではどんなカップルでもそう長続きしない内に倦怠期に入ってしまう。


あの女リーダーのその後はコレクティブセックスプレィ(集団乱交)として現在進行形だが、この物語の新たなる展開の主役はスポンサーだった元社長令婦人のバブル崩壊後の運命の御案内である。

妻が始めて業界接待を経験して七年、あのノーパンティ・カラオケスナック事件から四年、突如バブルが崩壊して日本中が不況の嵐に飲み込まれた頃、この物語にも新たなる展開が待っていた。

栄華を極めていた日本経済は失速し、市中に流れていた資金は一気に枯渇して行った。



子供会の役員が終わった後も暫(しばら)くは大人達の飲み会交流は続いて居たが、二年、三年と月日が流れる中、バブル崩壊で生活スタイルを変えざるを得ない家庭も続出し、一組欠け二組欠けと段々に付き合う夫婦が限られて来た。

夜の飲食街の灯はバブル崩壊後の逆風の中でポツポツと消え始め、例のノーパンティ事件が在った郊外型の大型カラオケスナックも最盛期の客足には遠く及ばなく成っていた。

あの生保レディの活動もかなり地味に成ったが続いていて、懸命に少ない客の獲得に務めカラオケスナックも何とかその活動拠点の一つに成ってはいた。

これは内緒の話しだが、最近は例の物置に何故か剥(む)き出しのマットを敷いただけのスチールパイプ製のベッドが壁に横向きに立てかけてある。

スチールパイプ製のベッドの使い道は想像して貰うしかないが、店のマスターも背に腹は替えられない景気の中で、物置の使い方がそこまで進んでしまった。

私に採ってはあの女リーダーの調教が一段落して距離を置き出した所で、今ではもぅ女リーダーはすっかり亭主と三人組、そしてスナックマスターの愛玩物(おもちゃ)に成って、むしろその非日常の遊びを愉しみにするように成っていた。

しかし同時進行形のコレクティブセックスプレィ(集団乱交)はあくまでも遊びのルールで、情が絡む一対一の性交とは違うから女リーダー夫婦もアッケラカンとして居られる。

まぁ、こうなる事を承知で拒否する事無くイソイソと飲み会に出かけて来るのだから、女リーダーもまんざらこのマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などの生贄(いけにえ)が嫌では無い事に成る。


もう一度指摘するが、簡単に言えば夫婦の性生活にも「創意工夫が大事」と言う事で、「愛しているから努力しないおざなりでも大丈夫」と甘く考えるのは横着で危険な間違いである。

性行為とは、最初からドロドロとした綺麗事ではない部分なのだから、「愛」などと綺麗事でそれを埋めるのは建前の幻想でしかない。

つまり性交スタイルが代わり映えしなければ幾ら美人や美男子相手の性交でも、何年も同じ状況が度重(たびか)さなれば日常化するから自然に飽きるものである。

他人の性交に対しても、何処の夫婦がどんな性交行為しているかなど互いが秘していて判らない事を、「在り得ない」と否定するのは簡単だが、「〜に決まっている」はまさに禁句で、何事にも想像力が無ければ人生は愉しめない。

正直浮気相手がパートナーを寝取る積もりで懸命な性交を駆使して掛かったら、幾ら夫婦でも手抜きの性交では浮気相手の念入りな性交行為に適う訳が無い。

夫婦間に於ける営みには性的知能指数が要求され、性癖や性交への知的性欲求に対するイノベーション(新機軸。革新。開発。開拓。)の創意工夫こそが、家庭を安定させる究極のマネジメント(経営管理)である。

何年も連れ添った女リーダー夫婦が、安全な「大人の社交場」に倦怠感打破の為に刺激と快感を求めても理解出来、特段に驚く事でもない。

そしてその改善目的で一度夫婦で非日常の遊びを経験して、女リーダーが被虐(ひぎゃく)の快感の味を占めて仕舞えば、この卑猥(ひわい)な乱交行為が問題を解決する強力な手段と判る。

夫婦が欲情のメンタリティ(知性。知力。 心理状態。心的傾向)まで行き着いてしまえば、後は妻の女リーダーが大人数に犯られて続く連続アクメ(興奮の絶頂の連続。オルガスムスの連続)の快感を肉体(からだ)いっぱいに感じて愉しむしかない。

非日常のマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)など、こうした乱交の場を支配するのは欲情のメンタリティ(知性。知力。 心理状態。心的傾向)であり、視覚、触覚、聴覚に依る欲情の装置としてのフェロモン(行動や生理状態に影響を与える分泌物質)などが作用して異次元の喜びに男女を誘(いざな)う事になる。

そのレシピエント(被術者/受容者)と成る女リーダーは、まさに「一度被虐(ひぎゃく)の快感の味を占めた」と言う事で「大人の社交場」のヒロインとなるのだ。


女性は、気が強くて状況判断が出来る利口な女性が良い。

私が評するに、女リーダーはこの利口な女性の範疇に入る頭の良い女性で、性に関しては理性と感性の狭間に存在する難しい課題を理解していた。

貞操観念にしても物は考え方で、例えば性交に対する穢(けが)れの思想は情交が介在する欲望果てし無い人間を戒めるものである。

だから交通事故に遭うような情が絡まない「強姦の被害に遭った」からと言って「穢(けが)れた」などとはクヨクヨ想わない方が良い。

益してや夫婦間の性交に穢(けが)れなど存在せず、夫婦合意の上で情が絡まない遊びの性交など穢(けが)れの意味を持たないものである。


女リーダーの亭主は、三対一の公開四Pを女リーダーに施(ほどこ)す事に味を占め、「ほら、内の奴を三人で犯るあれを犯って下さいよ。」とせがみ「お前からもお願いしろ。」と妻に命じた。

女リーダーは調教中で嫌も応も無く、命じられた女リーダーが、絨毯の床に土下座をして「夫に命じられましたので、どうぞ三人で私をお攻め下さい。」と覚悟を示す。

犯る私達も、犯られる女リーダーも四Pは同じメンバーで既に経験済みだから、要領良く事が進む。

女リーダーを素っ裸にして、三対一の公開四PのマルチタスクSEX(同時実行性交)体勢に持ち込む作業が始まった。

仰向(あおむ)けに寝た私の横に、女リーダーを私の股間に伏せるようにしゃがみ込ませ、欲棒を咥えさせておシャブリさせて立たせる事を命じる。

私の欲棒が女リーダーのおシャブリで立ち上がった所で、女リーダーに私を跨いで腰を下ろしながらア*ルに入れる事を命じる。

女リーダーに頭を私と同じ方向にして跨がせ、自ら菊座にカリ首を宛がわせ、腰を下ろさせながら私の欲棒を「ウムッ」とア*ルに飲み込ませる。

押し広げられた菊座にズッポリと根元まで串刺しに飲み込ませた所で、女リーダーに仰向(あおむ)けに身を横たえさせる体位を取らせる。

体格が違うから私の欲棒にア*ルを犯された女リーダーの顔が、私の首の辺りに位置する形で仰向(あおむ)けにになる。

仰向(あおむ)けになった所で二人目のリーダー男の奴が女リーダーの太腿(ふともも)の間に割り込んで前に抽入を果たす。

前に抽入を果たしたリーダー男が、女リーダーの両の太腿(ふともも)を抱える形で抜き挿しを開始した所で、スナックのマスターが三人目の男として登場する。

スナックのマスターは、仰向(あおむ)けに成った女リーダーの顔の方向を向いて私と女リーダーを跨ぎ、女リーダーに「上半身を起してシャブれ」と命じる。

女リーダーは上半身を起こしてスナックのマスターの欲棒を咥え、男の両脚に両手を廻して肉体(からだ)を支えながら、頭と上半身を前後させてシャブリ始めた。

すると、ア*ルを犯す私も前を犯すリーダー男も、口を犯すスナックのマスターも一斉に腰をクィクィと使い出して欲棒を咥えた女リーダーの口の隙間から善がり声が漏れ始めた。

何しろ目を細めて眺める亭主の前で、欲棒に穴と言う穴を塞がれて男三人に攻められるこれは、女リーダーの限界を超える強烈な快感の刺激だった。

まぁこの体勢だと、仁王立ちで女リーダーにシャブらせているスナックのマスターの見苦しい尻が、リーダー男の目の前に在るのが「難点と言えば難点」である。


現実を見れば、結婚なんかは女性が夢見るメルヘンチックなものではない。

日常生活はそんなに甘いものではなく、それこそ力を合わせて世間の荒波を二人で乗り越えて行く最小単位である。

大体に於いて、他人との奔放な性交を不道徳などと評するが、実害はその行為が嫉妬で家庭を壊す恐れが在るからで、詰まりは夫婦合意の上なら最大の危険が除去できる底の浅い話しなのである。

実は高学歴・高知性の者の方が圧倒的に「性」に対する考え方が弾力的で、利巧に後腐れも尾を引く事もなく大人同士が愉しく遊べる工夫をする。

そこが理解出来なくて、結婚相手の欠点を上げ連ねて不満を言い合うのでは夫婦とは言えないのだが、近頃はそう言う組み合わせばかりが目に付く。

あの女リーダーは、すっかり遊ぶには都合の良い女に成っていたが、如何に調教されて「目覚めた」とは言え本人が良くて犯られに来る分には合意の上である。

女リーダーは時間調整までして犯られに出席していたのだから、本音では「嬲(なぶ)られるのが嫌だった。」とはとても思えない。

当たり前だが輪姦(まわし)の時は、レギュラー(正規メンバー)の男性が皆汗ビッショリで慌(あわただ)しく突きせめるから、受け入れる女リーダーの方も汗と愛液塗(まみ)れでヒィヒィ言わされる。

こうなると女リーダーは、経緯(いきさつ)に関係なく世間では立派な淫乱女である。

しかしそれを批判する女性達が、性交技も下手(へた)な癖にそれをまったく認識せずでは、呑気に何も判って居ない世間知らずである。

男と女として、「一晩過ごした知り合いの関係・・・それ以上でもそれ以下でも無い友情」と成れば、中々粋な仲ではある。

それで互いに、「お世話になった」と感謝の念が抱(いだ)ければ、一人前の大人の遊びである。

まぁ、その遊びを実践しているメンバーが言うのだから間違いないが、四対一、五対一の変則乱交で犯られて、女リーダーの運動量は汗まみれの凄い物である。

その女リーダーの裸体は、この遊びを始めて以来始終他人(ひと)目に晒(さら)される緊張感を脳が自覚させられている。

大柄でやや肉感が迫力だった女リーダーの肉体(からだ)は遊びを始めた当初より美しく引き締まり、結局、男達のとの性交を一番愉しんでいるのは女リーダーだった。

その女リーダーの肉体(からだ)作りに、最も貢献しているのが例のSMの心得がある縄師・三人組リーダー男である。

三人組リーダー男は、高校時代に家業だった料亭で遊び人の客・呉服屋の大旦那に縄に拠る女体の縛(しば)き方を手解きされ、立派な縄師に育っていた。

物置のスチール棚の上部にダンボール箱が置いて在り、その中に例の三人組リーダーの奴が使い込んだ女体拘束用の細縄の束が放り込んである。

スチールパイプ製のベッドと縄を使えば、女リーダーは両手脚をベッドに開脚万歳状態で固定されたまま、歓喜の善がり声と伴に五人の男に飽きるまで輪姦(まわ)される事に成る。



さて、この物語の新たなる展開の主役は、スポンサーだった元社長令婦人のバブル崩壊後に待っていた性奴隷転落運命の御案内である。

私達夫婦のスポンサーだった社長は、資金を大きく動かしていただけにバブルが崩壊に手の打ちようが無く会社が倒産、社長一家も保障の判を打っていたから破産した。

スポンサー社長はこの地方の名士一族だったが、この日本国には一度失敗すると切腹の風潮が在り、親類も金融機関も顔を背けるから再起は難しく倒産後に手を差し伸べたのは私達夫婦だけだった。

エッ、「何で妻を弄(なぶ)った相手を助けるのか?」ってか、それでも彼が居なければ私達の会社は無かったからだ。

私達夫婦の建設会社は、幸い自社物件を作らず受注物件に特化していた上に受注先が皆持ち堪えた幸運に恵まれ、妻の接待努力も在ってバブル崩壊後も何とか受注を続け、従業員は十人ほど増えて四十人を数えていた。

取り敢えずこの時点では、私達夫婦は勝っていたのだ。

元スポンサー社長の破産手続きが一年掛けて漸(ようや)く終わり、その一ヵ月後に私達夫婦は自分達の建設会社の顧問に迎え入れ、新たにタイル張り四階建ての小洒落(こじゃれ)たマンションを一部屋借りて元スポンサー社長一家三人を住まわせる事にした。


元スポンサー社長は元々離婚して独身だったが、私の妻が二十五歳で初めて勤めて居た建設会社の社長婦人と接待の宴席に行き、五十歳代半ばの社長に会った頃には三十歳以上若い女性を晩婚で娶って十年、娘さんも十歳近い年齢だった。

あの初対面の接待の宴席から四年、スポンサー社長に支援されて私達夫婦の建設会社は妻の慎重な資金繰りも在って無理な資金操作もなく順調に成長していた。

それが強味で、一年前にバブルが崩壊しても受注こそ大幅に減ったが借金も無く軽微な被害で済んだ。

しかし元スポンサー社長の方は派手に金融機関を利用していて、バブル崩壊時には一千億円近い借り入れ金があり、崩壊時に私達夫婦が支援を申し出た時も「額が多過ぎて焼け石に水だから、巻き込みたくないので手を引け」と言われた。

その後直ぐに、スポンサー社長の会社は倒産、個人補償も入れていたので一家は街の高台に建てたかなりの豪邸に住んでいたのだが、破産で金融機関が処分し住まいを失う事になる。

スポンサー社長は一時は雲隠れも考えたようだが、私達夫婦が「堂々と処理した方が良い」とそれを止めた。

この国は建前が「武士道の国」故に基本が「自己責任の国」であるから、馬鹿気た事だが金が無くて自己破産しているのに事後処理に弁護士費用が百万円以上必要である。

それで始末ができないまま、夜逃げや自殺に追い込まれる哀しい事例が跡を絶たない。


取り敢えず、元社長にはまだプライドも在った事から、破産処理の弁護士費用・百二十万円は私達夫婦が立て替えた。

その後スポンサー社長は、ほぼ一年を倒産の残務整理と個人破産の裁判に費やし、漸く整理が着いた頃には何もかも失った丸裸だった。

それで私達夫婦日の支援で新たにマンションを一部屋借りた頃には、元スポンサー社長は六十歳、奥さんは三十九歳、娘さんは十四歳の中学三年生に成っていた。

その元社長一家も、漸(ようや)く住まいが決まり落ち着いて生活できる筈だったが、肝心の元社長が心労からか心筋梗塞に倒れ入院を余儀なくされた。

私達夫婦に取っては起業に力を借りた恩義が在る相手だから、当然入院手術そして療養の面倒も見る事に成る。

そこは誠意を持って望んだが、元スポンサー社長と私達夫婦の力関係は完全に逆転していた。


元社長は私達夫婦の会社で収入を得る為の名目に顧問に就任したが、現実は療養中で戦力には成らない。

それでも月々三十万円からの手当てを支給されるとなると、元社長婦人も幾ら以前に面倒を見た相手にしても何もしないで金だけ月々受け取り続けるのは心苦しかったらしい。

それに元社長婦人は、弁護士費用の百二十万円を立て替えて貰っている事も承知していた。

今は厚情に甘えて居ても、いずれ何か会社に貢献するなり何か業務を請け負って「一家として一人立ちを図らなくては成らない」と真剣に考えていた。

正直、十四歳の娘さんが順調に大学を卒業するまでにはまだ早くても八年は掛かる。


八年経てば、今三十九歳の元社長婦人も四十七歳と若さも体力も劣って行くのは世の常で、このまま私達夫婦にぶら下がって居ては預金など出来ず、将来がまったく見えて来ない事に不安を抱いていた。

しかし思いは立派でも、二十歳(はたち)そこそこの年齢で地元では知らない人が居ないほどの名士の家に嫁いで温く温く(ぬくぬく)と暮らして来た元社長婦人には「何が出来る」と言うものも無い。

もし元社長婦人に在るとすれば、世間では通用し難い人の良さと素直さだった。

それで、「手っ取り早く稼げるような道はないか。」と相談を受けた。

元社長婦人から相談が在るまではまったくそこまで考えが及ばなかった私だが、確かに何もしないで月々三十万円は私達夫婦としても目一杯の数字ではあり、しかし元社長の療養費も高額で「自己負担も馬鹿に成らない」と成ると、新たな収入の道を求めるのは一つの策だった。



その方策は、在る日の私達夫婦の会話から始まった。

「無一文になった元社長婦人と娘さんの親子も、これからは自力で食べて行かなきゃならんな。」

「あなた、この際元社長の奥さんは例のお座敷接待で稼がせたらどう?」

「お座敷接待で稼がせる?」

「だってあの奥さん、以前にスポンサー社長から聞いたんですけど、女としての覚悟は中々のものよ。」

「あの上品そうな奥さんがお座敷接待か?」

「あの奥さん、嫁いだ日の挨拶で、私はお嬢様育ちで、炊事、洗濯などの家事は苦手です。そのかわり、セックスだけは貴方が喜ぶ様に精一杯努めて気に入ってもらいます。って、言ったそうなの。」

「なるほど、男の喜ばせ方は亭主(社長)から特訓で調教済と言う事か、そう言う女なら接待を犯らせて稼がせても案外上手く行くかもな。」

「多分男の喜ばせ方は、私位は承知しているワ。上品そうに気取っている化けの皮を丸裸に剥(は)がせば、自分の立場を自覚して良いのよ。」

「それじゃあお前は、社長婦人を接待愛奴隷に仕込めと言うのか。」

「立場が変わったのですもの、社長婦人の調教を貴方がタップリと愉しめば良いワ。」

これから元社長婦人に犯らせる事を想像すれば、思わず勃起しても仕方が無い。

「あら、肉体(からだ)は正直ね。」

その硬くなった欲棒を、思わず妻の柔ら壷にヌュルリと挿し込んでいた。


元社長婦人に接待性交を犯らせるなら、その都度愛奴隷が相手に身を委(ゆだ)ねてクライアント(得意先/顧客/依頼人)を愉しませて犯られるのが基本である。

ストリップ・サーチ(全裸検査)やエクスポースフィールドワーク(野外露出)、ティードアップ(縛り)、ビリンデス(目隠し)、ハンダードラッシュ(鞭叩き)、ハングアウト(吊るし)など、元社長婦人に仕込むものは多い。

愛奴隷に、「クライアント(得意先/顧客/依頼人)の悦楽の時間の為に」と言う意識が無いと、「性接待」を犯る意味が無い。

つまりこの時にクライアント(得意先/顧客/依頼人)の前に曳き出された愛奴隷の性交態度が悪いと、致命的な結果に成る。

物事を示す尺度用語に「程度(意味や解説や位置)」と言う言葉がある。

この「程度」を、許される範囲で無設定にする所が、「性接待」の魅力有る真髄(しんずい/本質)かも知れない。


幸い元社長婦人は、同じ人間として不公平な位に風貌(ふうぼう)も肉体(からだ)も美形だった。

そしてその自活相談を電話で受けた時から私は、年齢より数歳は若く見える目の前の元社長婦人の充分に熟れているだろう裸体を想像していた。

「奥さん、お考えは解りますが、奥さんが職に就いた所でパート採用でないと今現在の実収入が返って減ってしまい、そう上積には成りませんよ。」

「それじゃあ、道は無いのですか?」

「稼ぐ道がある事はありますが・・・・言い方はキツくなりますが世間知らずの奥さんには無理だと想います。宜しかったらお会いして提案しましょう。」

まぁ、それが動機の一つに成ったのは間違いないが、格別に妻の報復を考えた訳ではない。

バブル崩壊後のこの御時勢、新卒の学生でも中々困難な時代に何の技能も無い四十歳近い女性に、本人を満足させる収入の仕事などそうそう在りはしない。

しかし何も無い夫婦にこれ以上多額な支給を根拠無しにするのは、会計処理上でも不自然である。

この頃はとても厳しい経済環境に在って、地方の金融機関が次々と破綻し新卒は就職に苦戦し、失業率は急カーブで上がっていた時代だった。

アラウンドホーティの元社長婦人が、新たなスポンサーを見つけられる時代ではなかった。

結論は解っていて、元社長婦人に特殊な才能でもない限り簡単に金を稼ぐ手段など肉体(からだ)を使う事より他には無い。

本人さえその気になれば、地元指折りの名士の所に嫁いで来ただけに、顔立ちも体形も美人で接待には大いに向いている。

そこで妻の助言で私に閃(ひらめ)いたのが、この人の良さと素直さが突出する世間知らずの元社長婦人を素っ裸にヒン剥(む)いて、その夫である元社長が私の妻に施したような性接待のイロハを、今度は私が接待の「おもてなしの犯り方(性調教)」を仕込む事だった。

早速妻には、「あの女性(ひと)なら使い道が在りそうだから、良く仕込んでから現場に廻して欲しい。」と快諾された。

それで「元社長婦人を弄(なぶ)るのは貴方が愉しめば」と妻に承諾され、環境が揃って彼女の接待レビューは決まった様なものだった。

まずはこの人の良さと素直さ、そして世間知らずの元社長婦人を説得し合意の上で性接待を務める事を承知させねばならない。


しかもこう言う事は、翌日などに考える時間を与えては一度は了承しても元の木阿弥で、元社長婦人の決心が着けば時を移さずその場で一気に現実の世界へ引きずり込むに越した事は無い。

そしてこうした事に持って来いの場所は、使い勝ってが良いあの物置部屋が在るカラオケスナックだった。

そこであの三人組のリーダー男を調教師として計画に協力させるべく予め呼んで置いた上で、カラオケスナック事件の店に元社長婦人を呼び出し、酒を飲ませて酔わした勢いでまずは一発、複数性交を決める事を計画した。

あのカラオケスナックの物置や化粧室近くの、奥まったボックス席で二人は話を始める。

例の三人組のリーダー男は、別にカウンターで店のマスターと飲みながら私のゴーサインの合図を待っていてスタンバイOKである。

「それで、世間知らずと仰(おっしゃ)いますと?」

元社長婦人は、こう言う店に慣れないせいか、いささか居心地が悪そうに烏龍(ウーロン)ハイを慌しく口に運びながら私と話した。

勿論、「世間知らず」と言われた事にも「私だって世間くらい知っている。」と言う反発もある。

「奥さんは今まで世の中の汚い所は見ないで過ごして来たでしょうが、無さそうでも実は世の中に沢山在る事も多いですよ。」

「無さそうでも世の中に沢山在る事・・・。」

「お宅の御主人と私達の関係を知っていますか?」

「はぃ、当初会社の立ち上げに主人が尽力したとは聞きましたが。」

「それは正解ですが、そこから立ち入った話をしないと御主人が私達と関わった訳が説明出来ないのですよ。」

「そう言えば確かに詳しい話は聞いては居りません。」

「でしょう、それを今から話しますが、それが奥さんの言う道の一つだと想いますから驚かないで聞いて下さいよ。」

私はスポンサー社長と妻の出会いと出来事、その後の性接待営業の卑猥(ひわい)な実態を話して聞かせ、しかもそれは情が絡む浮気ではなく単なるビジネス上の遊びに徹していたから「私は精神的に許容出来た」と告げた。

元社長婦人は、「とても信じられない」と驚いた様子だったが、結局自分の亭主と私の妻との関わりがそれでなければ合理的な説明が着かない事は事実だった。

元社長婦人が私から聞いた自分の亭主と私の妻との関わりは、ビル発注に絡む性接待に始まっているなど世間知らずの元社長婦人には驚愕(きょうがく)の卑猥(ひわい)な内容だった。


妻は良く、「客を紹介する」とスポンサー社長に呼び出されて外出し、接待をして帰って来たが、子供会・親の飲み会と仕事上の接待では妻の顔も別の顔だった。

殻に閉じ篭って居れば安全だが、殻を突き破らなくては羽ばたけない。

本気で稼ぐ気ならチョットした冒険心が在れば良い事で、羽ばたく為に殻を突き破り接待の「おもてなしの犯り方を仕込で犯れる。」と説得した。

それで正気では聞いて居られなく成って酔いたくなるから、先程から口に運んでいる烏龍(ウーロン)ハイの飲酒ピッチも益々上がって来る。

それを赦した私の神経を疑う抗議をしたが、それに対して私は「単なる男女が密かに性交したなら浮気だが、妻の性交が複数相手の乱交プレイで明らかに只の遊び、つまり情が通って居ないから浮気の気がしない。」と言う見解を示した。

「奥さんだって結婚前に、愛情を感じない性交を犯った事があるでしょう。」

「そりゃ主人と結婚する前に二人ほど関係が在った男性は居ましたけど、そん時はその相手と恋愛関係にありましたから別にそれほど可笑しい事とは・・・。」

「すると奥さんは恋多き女で、その時はその相手を愛して居たから性交に及んだ。」

「チャカさないで下さい。そう言う事になるでしょうから、けして自分が淫乱な訳では無い筈です。」

「エッ、恋愛関係に在ったからけして自分が淫乱な訳では無い。それが何度か在っただけですって、ウゥ〜ン・・・。上手い事言うね。結局会ってそう深く知らない内に、恋愛を理由に性交しているのでしょ。」

「そりゃあそうですけど。」

「だったらその恋愛と言う軽い理由を、内の奴みたいに接待に変えた所でたいした差は無いでしょう。」

心の葛藤とも想われる元社長婦人の抵抗は続いていた。

「そうは言われても、セックスするには本人が納得を必要とする精神的な問題じゃないですか。」

「御主人とは永く暮らして愛情も育んだでしょうが、後の二人は結局良く知らない相手とのゆきずりの性交ではないですか。」

「そこまで言われてしまうと、確かに他人と同じ位の相手だったかも知れません。」

「でしょ、だから内の奴は仕事と割り切ってお宅の御主人ともクライアント(得意先/顧客/依頼人)とも情が絡まない事を前提にした後腐れない付き合いをしていたと私は解釈しています。」


最初から割り切った遊びの性交なら終わった後は互いに他人で、後を引く事が無い。

戦後世代は、「性の一致の確認(性的相性)」と言うお試しの意味も在って、付き合う前に先に犯っちゃうタイプの女性が多く成った。

だが、その行為が貞操とは別の意味に於いて必要性を認めるものならば、結婚後にも別の意味に於ける性交が在っても良い理屈である。

その方がもっとも後腐れが無いのに、わざわざ「愛が無ければ性交など出来ない」と決めて掛るから家庭を崩壊させるような原因を創る。

元社長婦人には、内心自分が知らない性の世界に好奇心は在った。

「言われて見れば私、性交の理由に形だけ恋愛と拘って居たのかも知れませんね。」

「でしょう、第一に御亭主より愛する相手が出来て性交したらそれは本気で、例え不倫でも理由の形だけで言ったらそれも正統な理由に成ってしまう。」

「だから内の主人とお宅の奥さんの関係は情が絡まない遊びの性交で、貞操に拘る意味が無いと仰(おっしゃ)る。」

「えぇ、それが解らないと奥さんは私等から支援を受ける理由を失うし、立場が変わった事を理由に今から飛んで、内の奴と同じ接待で稼ぐ事も出来ない。」

「奥さんと同じ事を、肉体(からだ)を張って犯れと。」

「当たり前でしょう。今から短期間で大金を稼ぐには、それしかないですよ。」

元社長婦人の亭主と妻の関係は只の遊びの接待性交で基本はマルチSEX(複数性交)、正直元社長も婦人を愛して居ての上で倦怠感払拭の遊びをしたに過ぎない。

そこがマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の良い所だが、割り切ってしまえば相手が多数で特定されないだけに情が絡んだ浮気と言う認識は私に無い。

その辺りの認識が一致していたからこそ、妻を遊びで抱いた男と今に到るまで付き合いが継続している訳だから、上っ面でそれを否定すれば元社長と私達夫婦の関わり合いをも否定する事になる。

今、私達夫婦に一家三人の面倒を見て貰っている元社長婦人の立場からすれば、自分の亭主と私の妻の性関係は「そんな遊びの形(かたち)も有る。」と容認しなければ成らない。

所が力関係が逆転した現在、如何なる状況にも順応する能力こそ世渡りには必要で「その遊びの形(かたち)」を元社長婦人が容認すれば、私から自分の亭主と私の妻との関係と同様の要求をされても仕方が無い事になる。


烏龍(ウーロン)ハイのお変わりを勧めながらそうした論理状況を作り出して、「奥さんの言う道の一つは、妻と同様の性接待で稼ぐ事だ。」と囁(ささや)き、「今から認識のズレを克服する現実を肉体(からだ)に教えてあげる。」と告げた。

私の話しを聞いて居てその性玩具(おもちゃ)の惨状に在る自分を想像し、元社長婦人は乳首が立ち子宮が熱く成った。

何処か心の片隅で、これから自分の肉体(からだ)に訪れる卑猥(ひわい)なマルチSEX(複数性交)に、期待と恐怖が交互に来ていた。

自分を安全な所に置いて他人(ひと)の批判ばかりしている卑怯(ひきょう)な女性拠りも、自分を曝(さら)け出しても目的に向かう女性の方が「余程立派な覚悟だ」と言う見方も出来る。

親戚や隣近所にバレれば流石(さすが)に恥ずかしいが、綺麗事だけの世間にバレなければ仲間内でどんなに破廉恥(はれんち)な事をした所で恥ずかしくは無く、組織の秘密の共有は無限の価値を産むものである。


元社長婦人の性調教には、女の扱いに慣れた「白糸会(女リーダーの輪姦陵辱会)」のメンバーを使う事にした。

此処までお膳立てが出来て追い込まれてしまえば、元社長婦人は腹を括(くく)ってけじめを着けねばならず、空(そら)を使っては居られない状況だった。

このカラオケスナックには、既に加勢させる為に呼んだ三人組のリーダー男とこの店のマスターがスタンバイして居て、先程から烏龍(ウーロン)ハイは作るごとに少しづつ焼酎分が濃くなって、元社長婦人が酔うのは予定の内だった。

元社長婦人の酔いが進み、スナックの閉店時刻に到っていよいよ、スタンバイしてい居た三人組のリーダーと店のマスターの出番が廻って来る。

烏龍(ウーロン)ハイのお変わりを続けた元社長婦人の呂律(ろれつ)は、当然ながら少しづつ廻らなくなり閉店時刻にはソファーの背もたれに頭を乗せ、正体無く寄り掛かっていた。

「奥さん、お宅の御主人が内の奴(妻)をトライアウト(適性実技試験)したように犯らせて貰いますからね。良いですね。」と念を推した。

その時元社長婦人は、良いも悪いも言えないほど酔っていて「ウゥ〜ウ。」と否定とも肯定とも受け取れない返事をしただけだった。

まぁそれなりの優しい表情をして居るから、「このまま犯ってしまってもそう心配する場面でも無いだろう。」と解釈した。

元社長婦人の頑なに閉じた倫理観のドアを抉(こ)じ開けるには、「欲棒の鍵」を挿し込んで輪姦(まわ)すしか手がない。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的である。

私の妻に犯れて元社長婦人に犯れない筈は無いから、元社長婦人を素っ裸のガチンコSEXハイターに仕立てる事が目的で、これは妥協では無く工夫である。


そしてその夜二時、閉店したカラオケスナックに私と元社長婦人、三人組のリーダー男と店のマスター、男性三人に女性一人が残った。

本音で言えば、三対一の輪姦(まわ)しをさせようが私には元社長婦人に同情する気は微塵もない。

恨みは無いが、彼女の亭主が妻を散々性玩具(おもちゃ)にしたお返しがこれから始まる訳で、むしろ当然の事と考えている。

元社長婦人はさして構えた訳ではない服装で出かけて来て、シャツブラウスに紺のヒダスカート、カーデガンを羽織った状態だった。

男三人が酔った元社長婦人に襲い掛かり店の絨毯(じゅうたん)張りの床に倒すと、マスターが万歳の形に両手を抑え、リーダー男が脚を抑(おさ)えて、私が彼女が着ていたカーデガンの前を肌蹴(はだけ)ける。

次にシャツブラウスのボタンを皆開け、ブラジャーも上に捲(めく)って強姦同然に乳房を露出させる。

それをマスターが元社長婦人を上半身起こさせてカーデガン、シャツブラウス、ブラジャーと剥ぎ取る間に、私がスカートの止めホックを緩めてスカートを膝下まで刷(ず)り下げる。

パンストとパンティも途中まで刷(ず)り下げた所で、リーダー男がその脚に引っかかった下半身の衣類を脚から外して元社長婦人は白くコンモリと二つの丸みを魅せる生尻も眩しい素っ裸にされた。

元社長婦人の引き締まった全裸体が眩(まぶ)しく、乳首が勃起(ぼっき)した二つの乳房、曲線を描いて括(くび)れたウエスト、チャーミングな臍(へそ)を堺に下半身に続く。

恥毛が密集する柔らかく丸みを帯びたなだらかな恥丘の先に、実(サネ)と呼ばれる花芯ボタン、その下に二枚の肉花弁に囲われて縦に割れるスリットが、元社長婦人の股下に潜り込む様に見えている。

大股開きに股間を開いた元社長婦人の恥毛が絡むデルタ地帯の肌の下に、敏感な花芯ボタンが小さなピンク色の実を膨らませて、淡い光を放ちながら弄(なぶ)られるのを待っている。

スッポンポンにされた元社長婦人は、陰毛の下部に開く二枚の肉花弁など生々しく卑猥(ひわい)な自分の股間を、大勢の他人前(ひとまえ)で晒すなど考えても見なかった。

だが、その考えられない事態をイザ犯って見ると、元社長婦人は多くの他人の視線を意識して胸を締め付けられ脳が痺(しび)れるような特殊なM(マゾ)感情が湧いて来た。

つまり元社長婦人は、人前で多くの突き刺さる様な視線に全裸体を晒す異常な状況に置かれて、不覚にも感じてしまったのだからそれは素直に認めねば成らない。

正直、密かにプロポーションに自信が在るから、他人の視線を意識して全裸体を見せる事にも元社長婦人は「どうだ」と言う半ば自慢の想いがある。

そして私から聞いていたから、この延長線上に自分への輪姦陵辱が待っていると想うと、元社長婦人は子宮がカーッと熱くなり中が濡れて来るのが判った。

思考が常識的に否定する行為を、恥ずかしいけれど元社長婦人の肉体(からだ)が期待していた。


全裸に剥(む)かれて横たわった元社長婦人の股間の肉花びらを、親指と人指し指を使って広げて観る。

クニュとした感触と伴に、ピンク色の粘膜が潤いに怪しく光りながら恥ずかしそうに現れた。

裸に剥(む)いた所で、早速マスターが元社長婦人を四っん這いにして弄(なぶ)り始める。

マスターの利き腕がの元社長婦人尻に廻って手の平が尻肉を撫(な)で廻し、指先がモソモソと菊座の穴や二枚の肉花弁の間に潜(もぐ)り込んで弄(なぶ)り廻している。

その弄(なぶ)りに、元社長婦人は恥ずかしそうに顔を赤らめながらも身を捩(よじ)って避けもせず、股間を広げてマスターのお愉しみに為すがままに耐えている。

調子に乗ったマスターは、直ぐに慌しくフアスナーを降ろして欲棒を取り出し、元社長婦人に咥(くわ)えさせる。

元社長婦人の口中に挿し込んだ欲棒が、ヌメヌメと舌先で嬲(ね)ぶられる快感で、マスターは目を細めてそのおシャブリを愉しんでいる。

やがてマスターは咥(くわ)えさせたまま腰を使い始め。

マスターのやや膨らんだ腹が元社長婦人の鼻を潰す様に腰を使ってクイクイと押し付けられる度に、元社長婦人も上半身を使っての欲棒をウゴウゴと喉の奥に必死に迎えに行く。

マスターのカリ首を喉の奥まで飲み込めば流石(さすが)に「オェッ!」と苦しいが、口をすぼめて咥えたマスターの欲棒に歯を立てられないので、元社長婦人は涙を流しながら我慢する。

マスターの欲棒を咥(くわ)えた元社長婦人の口元で、唇を擦(こす)りながら唾液に濡れ光る陰茎が生々しく見え隠れしている。

マスターの腰の動きに連れて坊主頭・海綿体のカリ首が元社長婦人の口中でまで届いて口蓋垂(こうがいすい/喉チンコ)を押し分け、マスターの欲棒根元の恥毛が元社長婦人の唇にクイクイと容赦無く押し付けられている。

これは男性が女性に対する征服欲を満たす行為としては一種の服従儀式で、喉の奥まで欲棒を挿し込む行為は中華大陸で一般的なので大陸式フェラチオとも呼ぶ。

だからこの大陸式フェラチオは単なるおシャブリ以上に過激だが、その方に服従するお遊びのSEXのお相手を、これから始める「挨拶代わりの礼儀」と言う事になる。

マスターが元社長夫人陸式フェラチオを挿せている間に、リーダー男が取り付いて柔ら壺に指二本を挿し込み指攻めを始めた。

元社長夫人の柔ら壺に挿し込まれたリーダー男の指先が、コリコリとポルチオを刺激している。

膣(ウァギナ)の奥、子宮入口の、指で触るとコリコリ感触がある突起物が、「女体で最も敏感」と話題の性感帯・ポルチオである。

指先がポルチオを弄(いじ)れば、もぅ元社長夫人の全身の力が抜けて後は快感を貪(むさば)るだけの淫女に変身する。

反応し始めた元社長婦人の喘(あえ)ぎ鳴く声が、リーダー男の指攻めに呼応して聞こえて来た。


予想通り元社長婦人の肉体(からだ)と性感反応は見事なもので、これなら充分に売り物になる。

元社長婦人は酔って肉体(からだ)の制御は心持たなく成っていたが意識は在って、素っ裸にされた乳房の乳首は硬く勃起していた。

段取りはリーダー男に任されて居たから、彼は素っ裸にした元社長婦人を「ほれ素直に言う事を聞け」と床に正座させ、用意していた細めの麻縄を三本束にしたもので縄掛けを始める。

酔っていて正体が定かでない元社長婦人は操られるままにスルスルと、アッと言う間に柔らかそうな丸みの茂みを魅せ二枚の肉花弁が黒い茂みから食み出す全裸後ろ手上半身亀甲縛りが完成した。

リーダー男が元社長婦人の前で私に、「咥えさせますので仁王立ちに成って下さい。」と伝え、奴はが縄掛けした元社長婦人に手を添えて操り、膝立ちをさせて顔を私の股間に誘導し私の欲棒を咥えさせた。

行き成りパクッと咥えられ、元社長婦人にジュポジュポとシャブられてその快感に私は仰天する。

流石(さすが)に天下の遊び人だった元社長に仕込まれただけあって、そのおシャブりテクニックは半端では無い。

思わず「奥さん上手いじゃん。」と口から出ていた。

安全でさえあれば、日常の空間と非日常の空間と言うメリハリが在った方が遥かに刺激的なひと時が、元社長婦人に待っている。

結局、悪趣味と言われようが、色々な事に好奇心が強くて日常の日々から一歩踏み出せれば、ワクワクする非日常の刹那を愉しむチャンスに恵まれる運命の悪戯(いたずら)が、元社長婦人に遣って来る事になる。


元スポンサー社長が妻に施(ほどこ)した悪戯(いたずら)を、今度はその婦人に私が施(ほどこ)しても同様の悪戯(いたずら)で、諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せで「他人前(ひとまえ)で性交して見せる事」を、幾ら恥ずかしくても犯られるより仕方が無い。

まずお愉しみの最初はおシャブリからと「シャブれ」と命じ、仁王立ちに立つ私の欲棒を素っ裸の元社長婦人に、床に膝間着いて咥(くわ)えさせる。

そこで驚いたが元社長婦人にシャブらせて見ると、流石(さすが)好き者のスポンサー社長の仕込みらしく、見事な「大陸フェラチオ」で、咥(くわ)えた私の欲棒を唇に陰毛が触れるほど喉(のど)の奥まで飲み込むようにジュルジュルとシャブる。

スポンサー社長に仕込まれたのだろう、喉の奥まで飲み込まず口元でシャブる時には、カリ首の根元を舌先で舐(な)め廻して来る。

欲棒を四〜五回、「大陸フェラチオ」で喉の奥まで飲み込んでいきなり口元でネットリとシャブったり、唇(くちびる)とカリ首のエラを擦(こす)ったりがリズム良く続く。

見下ろすとちょうど、元社長婦人の裸の肩と微妙に上下に踊る二つの乳房、そして目いっぱい私の欲棒を咥(くわ)えた元社長婦人の頭と顔が、リズム良く喉(のど)まで飲み込まれる快感と連動して真下に見えている。

そう言えば、例のカラオケスナックの物置での三P(三人プレィ)で魅せた、妻のあの欲棒を喉(のど)の奥まで飲み込むようなおシャブリは「いったい何処で覚えたのか」と想っていたが、今にして想うと「スポンサー社長だった」と明快に判る。

中国人の性技習慣では、欲棒を喉(のど)の奥まで咥(くわ)える「大陸フェラチオ」と呼ばれる性愛テクニックが一般的で、その「大陸フェラチオ」を妻に仕込んだのが、間違いなくスポンサー社長だった事が、元社長婦人にシャブらせながら気付いたのだ。



そう気が付くと、益々元社長婦人には懸命にマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)を務めさせて犯らねば、気分は収まらない気がした。

リーダー男は、元社長婦人に咥えさせた私の欲棒が硬くなると咥えさせた私の欲棒を一旦放させ、手馴れた調子で縄掛けに手を添えて前屈みに床に座り込んだマスターの欲棒を咥えさせ、尻を掲げさせて「どうぞ。」と私に抽入を果たさせる。

後ろからグィと挿し込み、口も使われて善がり声もまま成らない元社長婦人をクィクィと攻め立てる。


正直元社長婦人は、見事に私に仕留め(しとめ)るられた事になる。

男性を受け入れるかの決断は本能で在るから、イザと成ると性交に関しては女性の方が余程(よほど)男性より度胸が良い。

元社長婦人の喉が枯れるほどの激しい善がり声が、閉店後のスナックに響き渡っている。

「まるで私では無いみたい」と元社長婦人は想いながら、今は貫(つらぬ)かれた欲棒に歓喜の受け腰を使って応じていた。

つまり元社長婦人は、想ったよりもこの卑猥(ひわい)な遊びと、肉体(からだ)が肉欲的に水が合った事に成る。

集団乱交の遊びなど「現実には存在しない噂」だと想っていた元社長婦人にはにわかには信じ難い事だっが、その噂だけの世界が現実に存在した。

しかも亡くなった夫が今は世話に成って居る夫婦の夫人に、それを「犯らせていた」と在っては「私は知らなかった」と空(そら)は使えない。

元社長婦人は、その場の生贄(いけにえ)のヒロインに仕立てられ、こんな乱交プレイを愉しみ愉しませる遊びを犯る連中が居る事を、肉体(からだ)で知らされ様としていた。

大きな仕事の為の接待で、この遊びの性交プレィを、拒絶しても回避できない環境であれば上手く犯るべきで、頑(かたく)なに気持ちだけで拒絶するのは聡明な事では無い。

こう言う事を否定しないで上手く犯るには、気を入れて気分を卑猥(ひわい)に持って行き、積極的に受け入れて性交を愉しむのが利口な女の処し方である。

元社長婦人は、今からこの「大勢の他人前(ひとまえ)で犯される」と想うと、恐ろしさと恥ずかしさで胸がキュンと成った。

けれど不思議な事に、この観られる快感が癖に成りそうな予感が、元社長婦人の心の片隅に複雑に存在した。

現に元社長婦人は、大勢の視線を意識して乳房の乳首を硬く立たせ、戸惑いの表情を浮かべて指示に従っている。

自然な男女の性癖を区分けすると、観て感じる男性と見せて感じる女性に分けられる。

頭の思考で露出癖を論理的に否定していても、経験から別の答えを感性的に受け入れる事もある。

タブーの世界だから余り正面切って表明は出来ないが、現実にAV女優の志願者は多く、事務所登録しているだけで数万人は居て、その彼女達が金の為だけで無い。

建前はともかく本音では、彼女達に「他人前(ひとまえ)で犯られて見せる」と言う究極の露出癖をも満足させる目的でも無ければ、そんな仕事は犯っては居られない。

日本でも欧米でも、大ヒットを飛ばす歌姫に露出の多い衣装は定番である。

つまり女性の「見せたい願望」は女性が男性を誘うカップリングの本能で、それで集まって来た中から相手を選ぶ為に、見せて誘う意識が感性的に働くと言って良い。

男性は観たい癖があるから露出の多い衣装は歓迎だし、女性も本音では「見せたい願望」で歌姫の露出に共感している。

だから元社長婦人は本能をくすぐられ、こう言う特別の場でしか味わえない女性特有の究極の露出癖に目覚めたのかも知れない。

此処まで来てしまえばまな板の鯉で、元社長婦人の顔は、一見すると覚悟の「はにかんだ微笑(ほほえ)み」の表情を含んでいた。

もっともこの快楽の場では今更抵抗は見苦しく、元社長婦人は場の雰囲気を壊さない為に悲壮な顔や嫌な顔は出来ない。

結局の所元社長婦人は、「どうにでもしろ。」と覚悟を決め、秘部も露(あらわ)に股を開いて相手の犯りたい事の受け入れを待つしか選択枝は無い。

そしてどんなに美人で、どんなにスタイルが良くても、絡み合う恥毛の丘とグロテスクな女性器は、性交の為の肉体の一部として違和感タップリに備わっている。

その場に全てを晒(さら)して素っ裸大股開きにされた元社長婦人の顔は、羞恥心を含んだ困惑の表情だった。

その元社長婦人の困惑の表情などお構い無しに、少し乱暴に輪姦(まわ)しは始まった。

この連中はこう言う事に慣(な)れて精神的にも図太く、他人前(ひとまえ)でも躓(つまずく)事も無く柔ら壺にズブリとインサート(挿入)を確り決めて来る

自分達が日頃犯って居る事だから犯る方も犯られる方も笑顔で、この連中が無遠慮に元社長婦人に犯って居る事は当たり前で、悪いとも可愛そうとも想わない。

しかし女性は、一度そちら側に飛んでその露出感覚の快感を味わってしまうと感性の快感が優先されて、次からのプレィは意外とそこまでは抵抗がない。

何しろ休みたくても休めない状態で後ろから前からと輪姦性交が続いて、元社長婦人の絶頂(アクメ)は途切れなく性感に拠る忘我の境地を彷徨(さまよ)っている。

口をパクつかせて喉が枯れるほどの激しい善がり声が、元社長婦人の口から垂(た)れ流されている。

バック攻め独特のブシュ、パン、パン、ブシュ、パン、パンと言う元社長婦人の尻肉がリズム良く発する連続音が、激しくこの閉店後のスナックに響き渡っている。

雄(男性)の本能が子種を撒き散らす事に在る以上、雌(女性)の本能に優秀な子種を求める衝動が在る以上、所謂(いわゆる)性衝動を建前だけで制御するのはむずかしい。

原始回帰すれば、男性が良い母体を探し女性が良い精子を探す「種の保存本能」で相手を代える感性は、ふしだらでは無く当たり前だった。

その性交本能を剥(む)き出しに男女伴に、元社長婦人の肉体(からだ)でタップリ愉しむ事が、この場の約束事だった。


その後は元社長婦人を仰向け(あおむけ)にひっくり返し、後ろ手拘束の変則正常位で私が続きを行い、その後マスターの順番と続いた。

今はリーダー男の欲棒で無遠慮にクィクィ抜き挿しに攻めたてられ、声を圧し殺しながら昇り詰めさせられる度に腰を浮かし背を反らして素の犯られている女性(おんな)を私の前で曝(さら)け出している。

世間から見れば、酔わせて輪姦(まわ)すなど、かなり酷い事をしている風に見えるだろうが、私はそうは深刻には思わない。

勿論この婦人の亭主が妻にした事と同じ事をしていると同時に、彼女自身が「この不況時代に何かしたい」と成ったら、「どう言う覚悟が必要か」は、どうせそんな事は口では理解させるのが困難だから肉体(からだ)を持って判らせる方が親切だった。

こうした事は以前、夫のスポンサー社長が他人妻(ひとつま)の私の妻に性接待を仕込んだと同様の事なので、元社長婦人が幾ら恥ずかしくても嫌とは言えず犯るより仕方が無い。

「貴女には、私の妻の様に犯るのは無理でしょう。」

「いぇ、奥様に犯れたのですから私にもキット犯れます。」

「貴女には無理」と言われれば、極自然に「自分にも犯れる」と反発する事になる。

益してや、「表向きはともかく、世間では犯っている女性はザラに居る。」と言われては尚更の事である。

元社長婦人は、広げて張られた蜘蛛の糸に絡め取られるように容赦無く脱がされ、この場に無防備な全裸で引き出された。

その元社長婦人は、女性としては同じ人間として不公平な位、風貌(ふうぼう)も肉体(からだ)も美形の素材だった。

女性は宝石と同じで、加工され細かな細工を施(ほどこ)されてこそ依り美しく輝きを増す。

無遠慮に繰り出した私の指先が元社長婦人の股間を襲い、彼女の脳が欲棒の受け入れを意識してか、二枚の肉花弁のスリットの奥は既に淫液に潤んでいた。

例えラレックス製の大人の玩具(おもちゃ)でも、見ず知らずの他人の欲棒でも、抜き挿しされれば肉体(からだ)は感じるように出来ている。

だから無理もないのだが、元社長婦人は執拗(しつよう)に輪姦(まわ)されてイキ続けさせられ、息も絶え絶えに疲れて他人(ひと)の目を憚(はばか)る余裕も無く大股開きで伸びてしまった。

仕上げに私が、散々に元社長婦人を突き倒した欲棒のカリ首頭で、欲棒のカリ首頭でイッタ後の敏感に成って居る元社長婦人の実(サネ/花芯ボタン)をヌラヌラと擦(こす)る。

すると元社長婦人は、耐えられない表情で断末魔の善がり声を漏らし、腰を振りながらガクンガクンと身震いする。

これが息つく暇(ひま)無くイカされ過ぎてイカされ過ぎて荒い息をし、呼吸を整えている元社長婦人への輪姦プレィの堪(たま)らない「とどめ」になる。

肉体(からだ)は正直な物で、この隠せない元社長婦人の充分にイッている「とどめの性反応」が犯る者観る者のこの場の醍醐味なのだ。


注意深いだけで、女性だって秘めたる性欲や好奇心は旺盛にある。

世の人々は性交などには興味が無い様に装っているが、まともな性癖の男女なら性交を愉しもうと言う本能が在って当たり前である。

そしてその性交には心地良い気分の姦淫ムードを愉しむだけの関係も新鮮で在り、必ずしも性交に「愛情」が拘(かか)わる訳ではない。

日常の空(むな)しさ埋める様に行為に集中すれば、この瞬間だけは意外と頭が空(から)に成り「無(忘我)の境地」に入れる事に気が付いた。

結局元社長婦人は、自分を納得させる理由が在って安心安全の環境が許せば、本音はこう言う事も「犯って見たかった行為」なのかも知れない。

益してや未亡人に成った今、これからの人生に於いて、何かにその代替を得なければ成らないのだ。


どんな環境でも人は生きて行かねば成らない。

形振り(なりふり)構って居られない状況に在ってまだ自分の心情に拘る所は、自覚から甘さが抜けていない事になる。

翌朝元社長婦人が凄い事を犯られた目で観た世間の景色は、影であんな事が行われていてもまるで何でも無い様な穏やかな光を浴びていた。

それで世間には建前無さそうでも、何かの弾みで起こる卑猥(ひわい)な行為は世の中には沢山在り「裏表が存在する」と確信した。

それでもまだ、トライアウト(適性実技試験)が終わって家に送る途中で酔いが醒めると、元社長婦人には迷いが在った。

自分の亭主と私の妻の性関係を理解し、半ば酔いに任せて輪姦(まわ)しも受け入れたが、酔いが醒めれば何処か引っ掛かって簡単には飛べない自分が居た。

接待の「おもてなしの犯り方(性調教)」を仕込まれるのだからこれは気持ちの問題で、これから私の建設会社で役割の一郭を占めるには自分が接待を熟(こな)すしか無い事は判った上で、もどかしい事にフッ切れない気分だった。

それで元社長婦人の二回目の調教は、私が呼び出すにも関わらず応じられないままにズルズルと為されないで二ヵ月が過ぎていた。

やはり想像したように、一度輪姦(まわ)されても元社長婦人の抵抗は続いた。

しかし正直言うと、こう言う事は抵抗される事も含めて楽しめるもので、「ならば」と悪知恵も浮かんで来る。


今後の生活設計を思えば「嫌だ」と言っている立場に彼女は無いので一計を案じ、或る日マンションに親子を訪ね、娘を説得の味方に付ける強行手段に出た。

当然ながら、マンションに親子を訪ね「二人に話が在る」と伝えれば娘も同席して来る事になる。

娘も十四歳・中学二年生にも成ると、病身の父を抱えた自分達母と娘がどう言う立場に在るかは充分理解していたから、そこは就け込める要素だった。

そして私が、唯一手を差し伸べた事は承知していた。

マンションを尋ねた当初は入院している父親の症状を話題にし、入院費や療養費は立て替えて置くから心配しないように伝え、少し飲みたいと母親に告げて酒肴の用意をさせている間に娘に母親の事を都合良く吹き込んだ。

「**ちゃんにお願いが在るのだけど。」

「何ですか、おじ様。」

「**ちゃん、お父さんがお仕事出来ない分、お母さんに頑張って貰わなければ借金も増えて困るでしょ。」

「そうですね。全部おじ様に見て頂く訳には行かないでしょうね。」

「だからお母さんにお客様の接待を手伝って貰えば、借金もしなくて済みそうだからと折角お誘いしているのに、お母さんが中々ウンと言わなくて困るよ。」

「何故ウンと言わないのかしら?」

「多分お客様の接待は夜が多いので**ちゃんの事が心配なんじゃないかな?」

「私なら大丈夫です。もう留守番が出来る歳ですから、母が遅く成っても私は構いません。」

「それなら、大人のお付き合いも必要だから夜遅く成っても私は構わないからおじ様の言う通りに犯って。と言ってくれないかな。」

呑気に見える母親に危機感を感じていた娘は、私の提案に「解った。」と飛びついた。


母親が酒と肴の支度をして戻って来ると、その中学生の娘は私が卑猥な誘いをして居る事は知らずに母に対して「おかぁ〜さん、**さんのお客様の接待のお誘いを断ったでしょう。**さんにはお世話に成っているのだから協力しなければ駄目じゃない。」

思わぬ娘の攻撃に戸惑う母親に被せるように、「大人のお付き合いも必要だからチャンと犯らなきゃ、遅く成っても私は構わないヮ。」と更に喰って掛る。

母親にして見れば、娘に「犯られに行け」と迫られた様なものだが、結局元社長婦人に採って目の前で娘に仕掛けた相手は、もぅ一度は男三人で輪姦(まわ)した相手であり、まさかその事は娘には知らせられない。

日頃からこの一家の破産現状の割りに母親が呑気に見えて不満を感じていた娘には、当然シドロモドロになる母親に不安を増幅させて尚更辛辣(しんらつ)に迫る事に成る。

その現実を知らない娘に「お誘いを断ってはいけないからチャンと犯って来い」と迫らせるのは一種加虐的な趣向を満足させる物で、母親の困惑した表情が私には中々の見物のだった。


第九章

◇◆◇◆◇◆◇◆◇第九章(新たなる試み)◆◇◆◇◆◇◆◇◆

元社長婦人は娘に叱咤されて、夫のスポンサー社長が私の妻にさせた性接待の代償行動を犯る覚悟をしたのだろう。

「そうよね。裁判費用も立て替えて貰っているし、パパの病院のお金も払って貰っているし、**チャンが言うように甘えて居てはイケナイのね。」

「じゃ、おじ様のお仕事のお誘いは、もぅ断らないで犯るのね。」

「お母さん迷って居たんだけど、**チャンがそうしろと言うのなら最後は一緒に受け止めてね。」

「解った。それで良いんだから結果は心配しないで。」

それで母の方は、まさか娘に誘いを渋る理由が誘いが卑猥(ひわい)過ぎる性的な要求である事を言えないから、散々娘に迫られて終(つい)に「うん。」と言った。

「やっと良い返事が貰えた。ヤッパリ**ちゃんが言う方が、一番お母さんには効くみたいだね。それじゃあ明日から、お母さんが大人のお付き合いが上手に出来るように毎晩練習して貰うけど、留守番は大丈夫だね?」

「はぃ、私は大丈夫なので、お母さんを宜しくお願いします。」

支度された酒と肴を遣りながら、着衣の上から元社長婦人の裸体を思い出しながら娘に話し掛ける。

「実は以前に、おじさんの所の奥さんが**ちゃんのお父さんから同じようなお仕事を貰っておじさんの会社が大きくなったから、今**ちゃんの家を支援しているんだよ。」

「エッ、そうなんですか。お父さんもお母さんも何にも言わないから・・・。」

「そうだね。だから今度はお母さんに頑張って貰わなくちゃ。ねぇ奥さん、娘さんに明日からチャンと犯るからと約束して安心させないとイケナイねぇ。」

「はぃ、そう致します。**ちゃんも私がお仕事の時は帰りが遅くなるかも知れないから、協力をお願いね。」

「解った。大丈夫だから。」

娘の**ちゃんに「お母さんのお付き合いの練習」を頼まれたのだから、堂々と母親の元社長婦人を接待の「おもてなしの犯り方(性調教)」を仕込む為に呼び出せる事に成った。


翌日夕方、リーダー男に奴のマーク・Uを運転させてマンションに元社長婦人を迎えに行くと、娘の**ちゃんが「母にはあの後もおじ様の言う事を良く聞くように言い聞かせて置きましたから」と言って、「お母さん頑張りなさいよ」と送り出してくれた。

運転手を務めるリーダー男は前回の輪姦(まわ)しに参加して散々に犯られて居るから、元社長婦人もまんざら知らない相手ではない。

当然状況を知った上での運転手だから構わずに、元社長婦人は私に、「娘を使うなんてズルイですね。お母さん頑張りなさいよって言われちゃった。」と抗議したが、「奥さんはもぅ、一度僕らに輪姦(まわ)されて居るでしょ。」と切り替えした。

それでも「でも、あの時は酔っていましたから・・・。」と言い訳をするので、「あの時も本当は、好奇心も在ったし他に選択肢が無い事は解っていたでしょう。」と私が言うと黙ってしまった。

酔わせて輪姦(まわ)すなど非正義かも知れないが、見方を変えればその犯られちゃった」と言う動かし難い事実が「決心の背中を押す事に成る」とも言える。

どう綺麗に言おうが元社長婦人にして見れば、事が性玩具(おもちゃ)に成る他人との性交を求められての事である。

「何でこんな目に遭うのだろうか?」とも想うのだが、自分の亭主に知らない別の顔が在った訳で、それも厳然たる事実であれば、それも存在する世界なのである。


まぁ自分の亭主と私の妻との関わりを聞いていて、密かに子宮に熱いものを感じたのだから、未知の状況で犯られる事に興味が湧いたのも事実である。

後で聞いて驚いたのだが、本人が抵抗したのは「嵌り過ぎるのを恐れたから」と言う何とも微妙な心理だったからである。

理由が在れば、人間は恥ずかしい事でも犯れ無い事は無い。

迷いが在るなら何処かでもう一押ししてやるべきで、本心ではほぼ承知していた事だが、「娘に迫られて決心が着いた」と言うのが吹っ切れた本音だろう。

「それで、**ちゃんから頼まれた事だし、奥さんはどうすれば良いのですか?」

「どうせ嫌だと言っても、また娘をけし掛けるのでしょ。」

「渋っていると、今度はお父さんが内の妻にさせた仕事と、これから母親が犯る仕事を丁寧に説明して娘さんに協力を頼みます。」

「解りました。主人とあなたの奥さんの事も在ったのですから、言われる通りに何でも致しますからどうぞそれでお願い致します。」

「そうですか、その方が利口です。これで奥さんが稼ぐ道も切り開けます。但し、奥さんは私の好きに扱わしてもらいます。」

「しかし貴女には、私の妻の様に犯るのは無理でしょう。」

「いぇ、奥様に犯れたのですから私にもキット犯れます。犯りますよ。」

運転しながら話を聞いていたリーダー男が口を挟み、「奥さん、若い時と違ってもう三十九歳にもなれば、余程テクニシャンで何でも在りじゃないと接待は通用しないよ。」と声を掛ける。

「はぃ、その事は承知しています。」

「そうかい、解っているなら素っ裸にしてミッチリ仕込んで犯るから、覚悟をしときな。」

「はぃ、接待を犯る以上は確り犯りかたを覚えたいのでお願い致します。」

その言葉から、漸(ようや)く元社長婦人のプライドや意地を、角度を変えて発揮する覚悟も決まって見えていた。

リーダーの奴に聞いたのだが、こうした接待を仕込むのに向いているのは血液型がA型で、気質がM(マゾ)タイプだそうで、後はこう言う事に頭の良い分好奇心が強く、積極的に貪欲なのはAB型のM(マゾ)タイプ気質だそうである。

そしてM(マゾ)タイプは優秀運動選手に多い特徴で、つまりきつい練習に耐えられる素養であるから一部の天才的選手を除いた努力の選手はM(マゾ)タイプ気質と想って間違いない。

スポーツウエアの肌の露出が多いのも監督・コーチに厳しく育てられるのも、無意識にM(マゾ)性を満足させてくれるから辛いトレーニングも辛抱できる。


因みにO型とB型にはM(マゾ)気質は少なく、O型は陽気で八方美人、B型は男好きだが性に対しても気持ちはマイペースである。

そう言えば元社長婦人は、学生時代に器械体操の選手として県代表のレベルまで行った頭の良いAB型だそうで、条件的には仕込むのに向いているタイプである。

例えばだが、女性として男性の性玩具(おもちゃ)に成るか成ら無いかの一つの事でも、プライドや意地は発揮する所が違えば結果が違う。

つまり生きる為の選択肢の問題で、性玩具(おもちゃ)を拒否するプライドや意地もあれば、性玩具(おもちゃ)に応じるプライドや意地も存在する。

そして建前だけで何も犯らずに機会を失い続けるよりも、性玩具(おもちゃ)に応じるプライドや意地を発揮した方が「偉い」と言う評価が在るのも事実だ。

マーク・Uの車中で元社長婦人に念を押すと、まずは例のカラオケスナックに向かった。

夕方七時からの本格調教開始では店はまだ営業中で、予定では物置で縄掛け支度だけして出かけ直す事になっている。

予定は決まっていたから既に私の気持ちでは、脳にS(サド)気分が充満していた。

後部座席に並んで座っていた私は、紙袋を元社長婦人に渡し、「奥さん、店に着いたら肉体(からだ)にきっちりと縄掛けするから、今の内にこの中(車中)で素っ裸になりな。脱いだ服は畳んでこの袋に入れるようにしなさい。」と命じた。

元社長婦人は、羞恥心を押さえ込むと言われるままに狭い車中で着ていた物を一枚一枚畳んで紙袋に入れながら衣類を全て脱ぎ、素っ裸に成った。

カラオケスナックの閉店時間は午前二時までで、夕方六時に元社長婦人を店に連れて来ても直ぐに使えるのは物置だけである。

リーダー男とは話が出来ていて、元社長婦人の調教場所は御殿場のラブホ街が予め決めて在った。

カラオケスナックの店に着くと、例の本道からは死角に成っている駐車場にその素っ裸の元社長婦人を降ろして歩かせ、裏口から物置部屋に連れ込んだ。

素っ裸のまま車から降りるのを一瞬躊躇(いっしゅんちゅうちょ)した元社長婦人だったが、そんな甘い根性ではこれからは犯っては行けない。

甘やかす気はさらさら無いから、「何を今更躊躇(いまさらためらう)う。」と叱咤し、無理やり後部座席から引きずり出してほんの二十五歩程度だが、夕暮れ時の赤い陽光が射す野外駐車場を、柔らかそうな丸みの茂みを魅せる乳首が立った乳房を揺らしながら歩かせた。

穏やかそうな日々の暮らしの影で、或いは波乱に満ちた生活の影で、何も無いように思える家庭生活でも買春の遊びや浮気騒ぎは起こるのだから性の問題に絶対は無い。

だからこそ、元社長婦人が疑ったこの本音に満ちた卑猥(ひわい)な遊びが「絶対に無い」などとは簡単には言い切れず、無い事になっているだけの在りそうな事で、夜な夜な何処かで在ったとしても殊更驚くほどたいした事実ではない。

物置のスチール棚の上部にダンボール箱が置いて在り、その中にリーダーの奴が使い込んだ女体拘束用の細縄の束が放り込んである。

リーダーの奴は素っ裸の元社長婦人を物置に連れ込んだ所で、早速そのダンボール箱を下に降ろして細縄の束を取り出し、手で確かめるように扱(しご)いた。

物置に入れた素っ裸の元社長婦人を膝立ちの形にさせて私の欲棒を咥えさせ、シャブらせて居る間にリーダーの奴が元社長婦人の両の腕を後ろ手に三本麻縄で組ませて止める。

その縄を上に引き首に廻して一周すると、一旦組ませた後ろ手の腕を経由して立ての直線を作り、その直線に絡めて肩下の腕から胸を一直線に反対側の腕まで廻し、また立て線に絡めて位置を下げたら今度は乳房の下に腕から腕に直線を一本作る。

今度は別の縄を首から垂らして胸元と乳房下の二本の縄を胸元で絞ってめがね状に乳房を際立たせ、シャブらせたまま上半身の拘束が完成する。

此処(スナックの物置)での作業はそこまでで、おシャブりと縄掛けが終わったら、また全裸縄掛け姿のまま元社長婦人を物置から引きずり出し、マーク・Uに乗せて東名高速に乗り西を目指して次のインターチェンジ、有名な御殿場のモーテル街に向かう。


全裸縄掛け姿の元社長婦人を物置から曳きずり出してスナックの駐車場に出た時、ちょうどカラオケスナックの客が二組・男女四人が車から降りて来た。

リーダーの奴はまるで気にする様子もなく素っ裸の元社長婦人を横に立たせたまま「今晩は。」と挨拶をし、「今からこの女性と遊んで来ます。」と紹介し、元社長婦人も慌てて「今晩は。」と挨拶をした。

他人が見たら立派な露出狂だが、その気(け)が元々在ったのか元社長婦人にはその羞恥心が本音で快感だった。



チョットした衝撃的な出会いだったが、何故か先方の女性の一人から「御ユックリ」と返事があり、そのまま四人は通り過ぎて店に入る頃に何か話し合う声が聞こえ、「ワハハハハハ。」と大きな笑い声が聞こえた。

たぶん素っ裸で露天の駐車場に曳き出されて「今晩は。」と挨拶した元社長婦人を指し、「本物のマゾ女を始めて見た。」などと話題にしたのかも知れない。

しかし駐車場で遭遇した相手の男女四人も驚いた事だろう。

何しろ素っ裸の女が後ろ手に縄掛けされ、乳房を強調するように縄で絞られて曳き連れられていて、常連の顔見知りから「今からこの女性と遊んで来ます。」と紹介されたのである。

元社長婦人にして見れば、自分に要求されたこの状況は、信じられない程余りにも衝撃的だった。

他人前(ひとまえ)で性器も露(あらわ)な素っ裸に剥(む)かれた裸体を晒(さら)すのは、元社長婦人に採って何とも恥ずかしく無防備で頼りない想いである。

それだけでも羞恥心でアドレナリンが噴出するのに、私はこの後衆人環視の中で「輪姦(まわ)されて見せろ」と、聞いただけで脳みそが溶けるような衝撃的な事を命じるのだ。

しかしこの際、元社長婦人本人が何をどう考えるかは、男達には構う事ではない。

必要なのは、只、元社長婦人を嫌応無しに素っ裸にして皆の前に連れ出し、休む間も無くこっ酷く犯し続けさせるだけの事である。


今私の横の後部座席に乗っている元社長婦人は、車に乗った時にリーダーの奴に命じられ背中を後部の背もたれに寄りかかり、両足は大きく開いてシートの上に置いた股間丸出しのM字開脚の姿勢で「けして閉じるな」と命じられて乗っている。

車に乗って御殿場に向かう途中「見られても平然として居たね。」とリーダーの奴に声を掛けると、「社長、この奥さんは今後見知らぬ相手と接待の性交をするのだから、他人に裸を見られたくらいで動じられても困るんですよ。」

「なるほど、それで何も無いように挨拶した奥さんの対応が覚悟の正解だった訳だ。

「まだまだ、どうせあの暗がりの駐車場では裸の女が誰なのかも顔も判らないんで、いずれお明るいお座敷に曳き出すまではこの奥さんの度胸も知れてますワ。」

「なるほど。」とリーダーの奴の高説を聞きながら、傍らの元社長婦人のM字開脚に開いた股間に手を遣ると、ジャリと陰毛の感触、そして二枚の肉花弁の感触が伝わって来てその間のスリットが想いの外の湿っていたのだ。


腹を括(くく)れば女性の方が男性より遥かに大胆になれるし、プライドや意地を発揮する場面も明らかに違って来る。

女性として性玩具(おもちゃ)に成るそれを、屈辱と受け止めるか興奮する遊びと捉えるかは当事者の受け止め方次第で、他人が決め付ける定型などこの人間界に存在しない。

元社長婦人も、これから中学生の娘を抱えて生きて行くには、妻が築いた性接待の犯り方をリスペクト(価値を認めて心服する・敬意を表す)し、女性としてのポテンシャル(潜在能力)を開放してクレバー(賢い)な犯り方を学ばなければ成らない。

それは取りも直さず私の会社のクライアント(得意先/顧客/依頼人)を満足させるM女的・奴隷性社員に元社長婦人を仕込む事である。

それにつけても花の命は短くて、もう三十九歳にもなる元社長婦人には売れる肉体(からだ)を維持できるのは精々五年、幾ら熟れを売りにしてもその先は、余程エゲツ無い事でも犯って見せなければ座敷など掛らない。

つまり年齢との競争だから、必要な調教は一日を争うほど切迫していた。

奴隷性社員として元社長婦人に必要なのは、見知らぬ男達に性玩具(おもちゃ)にされる羞恥心に対する慣れであり、M気質の感性を育てた非支配の快感である。

SMプレィをコンセプトとした御殿場の有名ラブホテルに到着すると、早速羞恥心を責める野外露出から調教を始める。

リーダーの奴がこのラブホを気に入っているのはそのSMプレィ向きの構造で、それ用に造ってあるから周囲を高い塀に囲ませ、門から入って建物の裏側に回り込んだ所に駐車場があり、そこから部屋までは露天と比較的明るい照明の土足廊下が設けてある。

つまりわざわざ野外駐車場と長い土足廊下を設けてあるのは露出プレィ用で、その廊下を歩く間に、ラブホ側がカメラで客を観察して部屋に入ってから泊まりか休息かを確認して小窓から料金を徴収するシステムである。

入って来た客をラブホ側従業員がカメラ画像で確認すると、素っ裸の上に後ろ手に縄掛けされた女が、乳房を揺らしながら不安定に土足廊下を歩く姿が確認できる。


「観て、また外からかなり好みがハッキリした客が来た。」

「ほぅ、確かあの男の一人は時々来る客だ。連れているあれは新しい女だがね。」


「じゃ、もう一人の男が女の亭主ですかね?」

「そりゃ解らないが、奴が何時もの男ならフォワード(主に攻撃を受け持つプレーヤー)だから、次のカメラポイントで何時ものおシャブリショーが始まる筈だ。ほら始まった。」

「ホントですね。チャンと最高のカメラ位置でおシャブリをさせ始めた。」

ラブホ側のモニター画面には、土足廊下の途中でリーダーの奴の股間に立ち膝で向いた元社長婦人が、クィクィと首を前後させながらおシャブリをしている場面が映し出されている。

「わざわざカメラを意識した場所で犯り始めるのだから、あの人達に採っては駐車場を降りた時からプレィは始まっているのね。」

「その露出プレィの為にはラブホのオーナーが計算ずくで、ざわざ露天の駐車場と永い土足廊下が造ってあるのだから、我々も客を咎める訳には行かない。」

「此処の売りなのですね。それにしてもあのもう一人の旦那さんみたいな人も、良くあんな事を平気でさせているのね。」

「まったくだが、ここで客を見ているとああ言う連中が多い事・・・。まぁそれで喰っている商売だがな。」

その時、クィクィと首を前後させながらおシャブリをしている元社長婦人一行の三人に、ホテルの中から出て来て駐車場に向かうカップルと遭遇するが、リーダーの奴は平然とおシャブリを継続させ、カップルに向かって「アッ、今調教中です。御遠慮なく。」と挨拶する。

通りがかりのカップルの男性の方が、「その格好で連れ歩いて、おシャブリさせているのですか。良い愛奴隷ですね。」と褒めながら立ち止まって眺め、「こっちはまだとてもそこまでは行きません」と溜息を付きながら応えた。

リーダーの奴が、動じる事も無く「仕込むなら、考える暇が無いほど一気に犯らなきゃ駄目ですよ。」とシャブらせながら応えている。

相手の男が閃(ひらめ)いたのかリーダーの奴の言に乗って来て、「それならばそちらの方に、御挨拶替わりに内の奴にシャブらせましょう。」と奇妙な展開に成った。

そちらの方とは、元社長婦人のおシャブリをボーッと眺めていて私で、そのカップルの男が「おぃ、この方におシャブリ」と言って命じると、女が膝間着いて迫って来た。

スラックスのファスナーが下げられ手が入って引き出された私の欲棒に、その女が咥えた感触が伝わって来た。

私の生身の陰茎がその女の唇を擦(こす)り、口中の粘膜を擦(こす)りながら抜き挿しされ、連れて口中から押し出される涎(よだれ)がその女の顎(あご)に垂れ下がって床に落ちて行く。



当然ながら、全裸後ろ手に組まれて縄掛けされた元社長婦人の不安定に歩く姿と、それを曳く男達二人の姿も確認しているから、「お三人様ですね。」と小窓からの徴収料金はハッキリと一人増しの三人泊まり料金である。

「チャンとモニターで観てますねぇ。」とリーダーの奴が私に言い、それを聞いた元社長婦人は初めて土足廊下にカメラが設けられて居て、全裸縄掛けで連れて来られ廊下の途中でシャブらされた事も全て観られて居たのを知った。

部屋に入って真っ先にしたのはストリップ・サーチ(全裸検査)で、「まずはお道具の検査だ。」とリーダーの奴が宣言する。

元社長婦人をソファーの上に腰の位置を浅く座らせて両の脚を乗せたM字型の大股開きで背もたれに肉体(からだ)を寄り掛らせ、そのソファーの前の床にリーダーの奴が座る。

リーダーの奴の目の前に、太腿(ふともも)も白くM字開脚の元社長婦人の股間が披露された訳である。

前の床に座ったリーダーの奴がその前に屈み込んで、天井を見上げるように視線を外した元社長婦人のM字開脚された股間に手を遣り、異様な目付きで二枚の肉花弁を二本の指で開いて覗いていた。

それにしても出産時の医者はともかく、プレィでこれほど繁々と観られるのは元社長婦人も初めての経験だろう。

「気取りやがって、今更恥ずかしがっても結構使い込んでいるじゃないか。どうだ大分使い込んだろう。」

「はぃ、使い込みました。」と元社長婦人が応じる頃には、リーダー男の手の平が指先が元社長婦人の膝頭を撫でながら這い進み、太腿(ふともも)に達していよいよ大きく開放され露(あらわ)に成った股間の二枚の肉花弁に触(ふ)れる。

元社長婦人の脳が、この先の欲棒の受け入れを意識してか、二枚の肉花弁のスリットの奥は既に淫液に潤んでいた。

その水々しく潤(うるお)った元社長婦人の花弁の隙間に、リーダー男の二本の指先が「さて、どんな声でさえずるかな?」と今コジ入れられて行く。

そしてその数十秒後には、リーダーの奴の人差し指と中指、二本の指は手の平を上向きに二枚の肉花弁の真ん中に捻じ込まれて、愛液に濡れ光ながらクィクィと抜き挿しされていた。

指の抜き挿しに攻められて腰を浮かして身悶(みもだ)えながら元社長婦人は、リーダー男に敏感な花芯肉ボタンやら二枚の肉花弁まで舐(な)め廻されて、確かにヒィヒィとさえずりながら耐えている。

海綿体の粘膜は性感帯で、男女の性器だろうが唇やア*ルの菊座だろうが鼻の穴の内側まで、擦(こす)れは快感に通じていて、リーダー男はそれを同時に攻めているのだ。


人間も生物の一種属であるからには、強弱の差こそあれ性交への衝動は男女に拘(かか)わらず誰にでも在る。

そこを上手く、女リーダー調教の為に結成された私達「白糸会」のメンバーに引き出された格好だが、夫婦合意の上の仲間内の性交は、夫婦に取ってローリスク(安全)の愉しめるセックス・セッション(乱交)だった。

かなりハードな事でも一度犯ってしまうと、女は「ガラリ」と変わる。

一度犯っちゃえば、「別に犯っても全然大丈夫」と言う事に自分を言い聞かせて行為を納得し、気持ちの上で納得すれば今更もう二度目を否定は出来ない。

いずれにしても、性癖は夫婦で共有すべき物で、性癖まで夫婦間でさえ隠して「建前」で処理して暮らしていては行き詰まって、良い夫婦生活が送れる訳が無い。

淫乱のスイッチがオンに入った元社長夫人は、もぅ恥も外聞も無い浅ましい性交姿を他人前(ひとまえ)のさらして腰を使い、性感を貪(むさぼ)っている。

それにしても元社長婦人は、私の期待通りに見事な犯り犯り女に成ってローリスク(安全)のセックス・セッション(乱交)ライフを満喫(まんきつ)していた。


「元社長婦人は、無事リピート段階(反復)に入りましたね。やはりあれ(マルチSEX)は、堪らなく良いんですねぇ。」とメンバーの一人が声を掛けて来た。

「この淑女の調教場にイソイソと犯られに来た所を見ると、此間(このあいだ)のプレィで味を占めたのじゃないか。」

「そりゃあ散々に善がって、涎(よだれ)を垂らしながら咥え込んだ腰を振ってプレィして居ましたからね。人間、やはり思考的リノベーション(刷新、改善)は必要ですね。」

「頭で考えた事と違って、あれ(マルチSEX)を犯られると女性は大抵淫乱中毒になるからな。」

「えぇ面白いもので、元社長婦人のあの様子を見れば納得です。」

「何しろ元社長婦人は、泡を吹く程の天国を味わったのだから簡単なものだ。」

「それで今回も元社長婦人はプレイへの期待が先に立って、犯る気満々で膝を伸ばして尻を高く掲げた雌犬を演じて居るのですね。」

「あぁ娘の**ちゃんも、母親が何を犯らされるのか良く知らないまま頑張って来いと母親を送り出しているからね。」

「それは娘にキツイ事を言わせましたね。」


ソファーの対面に位置する大型のベッドに座って、私は暫しリーダーの奴の調教を見ていた。

「閉じるな。」と命じられて居るM字開脚を維持しながら、元社長婦人の少し左側に傾いた顔の鼻の穴が広がり、始めは食い縛っていた口は緩んで半開きで押し殺したような善がり声を漏らしている。

「そうそう、此処はお遊びの最中はどんな事が在っても閉じない。解った?」

「はぃ、閉じません。」

クィクィと二本指を柔ら壺に抜き挿しされるリーダーの奴のリズムに、返事をした元社長婦人の腰は思わず応じて振られていた。

元社長婦人は、トンデモナイ舞台に素っ裸で立たされて半ばパニック(恐慌/きょうこう)状態だったが、無意識脳は防御の準備体制に入って一種の興奮をし、身を守る為のアドレナリンを発生、脳を「ハィ状態」にしていた。

つまり元社長婦人の脳内は、三人組リーダーの威圧感と巧みな言葉の誘導に拠って、叙々にM性が滲(にじ)みだされ、秘密パーティのお披露目ヒロインとしての受動モードにスィッチを切り替えて行く。

このM性、実はまともな女性なら誰でも持っている資質である。

女性には「出産」と言う痛みを伴う大役がある事から、基本的にはセロトニン拠る痛みの遮断機能は男性より優れていなければ成らない。

裏を返せば、女性には「痛みと快感」と言う矛盾した二つの感性を脳が受動する能力に長(た)けていて、M性化の資質は高いのである。

しかしながら、年齢を重ねると、誰でも身体的機能が低下し痛みを止めるセロトニンの調整機能も低下して行く。

「身体の節々が痛い」と訴える中高年女性は、恋愛感情や性的感情から縁遠く成って、脳にそう言うシグナルが行かなく成っているのと考えられる。

女性の場合、痛みを遮断するセロトニンの生成機能は出産に対する痛みを和らげる目的が最大であるから、本人が自ら老化を意識すると脳が必然的にセロトニン生成の必要性を考えなくなる。

本人の意識の問題もあるのだが、人間は老化を意識するとこの痛みを抑えるセロトニンの脳内生成が衰えて手足に痛みを感じる。


色気は痛みの制御に大切で、特に女性は子供の成長に合わせて性欲を抑え、自分で気持ちが老け込む特性があるから、中年になるとセロトニンの脳内生成を抑えて手足に痛みを抱えてしまう。

つまり、齢(よわい)を重ねると脳の自覚が「出産」の現実から縁遠く成ると伴に「要済み」と受け取ってセロトニンに拠る痛みの遮断機能が衰退して行くのではないだろうか?

女性が何時までも若々しく居る為には、育児にかまけて旦那様との性行為を疎(おろそ)かにするのは持っての他で、精神的に色気を手放さない事で脳を活性化し続けなければセロトニンの生成機能は維持出来ないのである。

考えて見れば、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)などチョットした冒険心が在れば良い事で、無意識に身を守ろうと言う本能さえ克服すれば、一対一よりも遥かにマックスの性感状態が継続し、一度犯れば忘れられない快感を脳が記憶する。

要はそこに持ち込むプロセスさえ確り作ってやれば、好奇心やセクシャルデスレー(性欲)は在るのだから、その女性のポテンシャル(潜在能力)は開発出来る。

此処は流石(さすが)SMプレイの設備で売っているラブホだけあって、レザー製の責め馬や手足首用の皮製拘束具を取り付けてある張り付けの木製十字架、天井からは吊るし用のロープ、本物の産婦人科の診察台まで揃っている。

しかし犯って見て解ったのだが、本音を言うとSMプレイなどそうスムースに出来る訳が無い。

つまり何かを使って犯ろうとすると結構に準備が必要で、その形が出来上がった所で本格プレイに入る事になる。

しかしそんな面倒な手順を費やしても、SMプレイ人口は密かにかなりに昇るからそう言うラブホも存在する。

リーダー男の奴の様に本物のSMマニアなら準備過程も愉しめるのかも知れないが、女性を責めたい一心の私にはもどかしい準備期間である。

最初にリーダー男が選んだ責め遊びは、半吊り縛(しば)き責めだった。

素っ裸の元女社長をホテルの吊り縄装置の滑車の下へ引き出し、縄で手首を後ろ手に縛(しば)いてその縄を、首を一回りさせて縛(しば)いた手首を上にガッチリ絞(しぼ)る。

もう一本縄を取り出して縛(しば)いた手首に結び、絞(しぼ)りながら肉体(からだ)に巻いて乳房の周囲を絞(しぼ)った亀甲で縛(しば)き、やや脚を開かせて踏ん張らせる。

天井から垂れ下がった縄で後ろ手に縛(しば)いた腕の結び目を結わえ、上半身を前に倒させて腰を後ろに突き出した前屈(まえかが)みの形にさせ、縄丈(なわたけ)を調節し脚が床に届く様に半吊りに吊る。

リーダー男の奴は手馴れているから、僅(わず)か二〜三分で元女社長をこの格好に仕上げてしまう。

全裸拘束は儀式みたいなもので、性的要求に百パーセント服従を体現するのがこのSMの格好である。

この形の半吊り縛(しば)きなら床に脚が着いているので、一人が前に立っておシャブリをさせながらもう一人が後ろから抽入しての三人プレィも可能である。

ご想像通りの激しい修羅場が、前から後ろから元女社長の身に起こった。


次にリーダーの奴が選んだ責め遊びはレザー製の責め馬で、部屋に設置してある有料の大人の玩具(おもちゃ)自販機にセットされている電動の嘴(くちばし)付きの張り方玩具を千円札四枚を使って購入し、責め馬にセットして元社長婦人に慎重に抽入させながら跨がした。

張り方玩具に股間を貫かれる形で責め馬を跨いだ元社長婦人は、命じられて両の脚を左右の鐙(あぶみ)に乗せ、玩具のカリ首に内壁を擦(こす)らせながら、乳首が立った乳房を揺らして肉体(からだ)を上下させ、半開きの口元からは善がり声が漏れている。

「良し、もう少し感じさせてやるか。」とリーダーの奴が元社長婦人の中に納まった張り方玩具のスイッチを入れて、電動の嘴(くちばし)が「ビーン」と花芯ボタンに当たって居て元社長婦人の性感を高めて追い込んで行く。

追い込まれる中、元社長婦人は隣の部屋まで筒抜けの様なワーワーと激しい善がり声を挙げながら乳房を上下に揺らし、濡れて光る玩具の茎を見え隠れさせ、肉体(からだ)を上下させ続けている。

勿論だが、後ろ手に縄を掛けられた上でセットされた張り方玩具を跨いで抽入しているから、幾ら感じても誰かの手を借りなければレザー製の責め馬からは降りられないリーダーの奴好みの一種の修羅場である。

最後は快感の悶絶に後ろに反り返り、責め馬から落ちそうに成ってやっとリーダーの奴に抱き上げられ股間に嵌った張り方玩具から外され、責め馬から降ろされてベッドに後ろ手拘束は解かずに転がされた。

十分間ほど休ませて、今度は脚を座禅に組ませて縄を掛け、その縄を首に回して前に引き絞つて元社長婦人を倒せば尻を突き出した形で身動きが一切取れない座禅ころがしが完成する。

身動きが一切取れない元社長婦人の突き出た尻に、私とリーダーの奴が変わり番こに取り付いて休み無く十五分間、欲棒を柔ら壺に突き入れてクィクィと責め立てる。

これは姿勢がキツイから、元社長婦人も声も出せずに抜き挿しに耐えている。

それが終わると漸く全ての縄を解き、元社長婦人を湯船で十分間ほど休ませている間に、リーダーの奴が縄目の跡を慣れた手つきで揉んでいる。

元社長婦人の休み時間が終わってリーダーの奴は彼女をソファーの上に立たせ、責め馬の時に使った大人の玩具(おもちゃ)の張り方玩具を装着していた責め馬から外し、立たせ彼女の股間に電動の嘴(くちばし)スイッチを入れて押し込み、「観ていてやるからそれを使って自分でイッて見ろ。」と命じる。

元社長婦人は、押し込まれた張り方玩具の根元部分を右手で摘(つま)むように持って抜き挿しを始め、張り方玩具の陰茎が愛液に濡れ光りながら見え隠れし始める。

やがて深く挿した時に花芯ボタンに当たる嘴(くちばし)のバイブレーションにも感じてか、元社長婦人は腰を振り出してけたたましい善がり声を漏らし、男二人の前で自分を快感の極みに追い込んで行く。


正直元社長婦人は電動の嘴(くちばし)の音に微妙な強弱をつけながら、男性観客二人の前で至福の表情を顔に浮かべて涎を垂らし、股間に押し込んだ張り方玩具を自分で抜き挿しする快感に合わせながら、のめり込んで腰を振り善がり声を挙げている。

その自慰ショーを十五分間続けさせ、また湯船で十分間休ませて今度は二対一の三Pで男二人が一度にマルチタスクSEX(同時実行性交)で責め立てる。

強引に追い込んでの事だが心配する事は無い、苦悩から歓喜へ替わる一瞬が元社長婦人にもの顔にも表情として表れていた。

男性が直ぐ終わる一対一の「夫婦の性交」と違い性交感覚の刺激が繰り返し続くのだから、元社長婦人にして見れば肉体的本音は「癖に成るほど良い」に決まっている。

元社長婦人が知ってしまった一対数十の変則マルチSEX(複数性交)で、自分を大事にする感性の裏返しに、性交時の感度さえ良い方に転がれば何でも犯れるのが女性である。

どの道肉体の反応の方は、男達に続けて犯られれば例え他人前(ひとまえ)で在っても「理性(左脳域)」だけでは抑えられない。

男達の腰が軽快なリズムを刻(きざ)んで、元社長婦人の肉体(からだ)の中心を貫抜いた欲棒の陰茎が、愛液に濡れ光って深く浅く見え隠れしている。

股間が空(あ)く事の無い男達の猛攻に元社長婦人は半ばトリップ(無意識)状態で、欲棒を咥え込んだ腰を相手の抜き指しのリズムに肌から汗の玉が滲(にじ)み出るのも構わず応じている。

制御もまま成らなく開いた元社長婦人の口元からは、激しい息使いと伴に悩ましい善がり声が「アァ、アァ、アァ。」と漏(も)れ、その唇の脇からは涎(よだれ)が糸を引いて落ちて行く。

これは凄い見世物だが、正直元社長婦人が涎(よだれ)を垂(た)らしながら大口を空(あ)けて善がり犯られていても、元社長婦人の抑圧されて居た本能が剥(む)き出しに成っただけだ。

だから、随喜の刺激に顔を歪(ゆが)ませる元社長婦人からは、誰も目を背(そむ)ける事はないだろう。

坊主頭のカリ首に肉体(からだ)の中心を貫かれてしまえば一瞬で心境に変化が起こり、警戒心で入った元社長婦人の力は抜けて行く。

現実にもう皆の前で犯られちゃったのだから気取っては居られず、覚悟を決めて本気モードのスイッチを入れるしかない。

当たり前の事だが、性行為は観るにしても犯るにしても、勿論、犯られるにしても下品な方が人間は興奮する。

まぁ元々上品な性行為など無いのだから、依り下品を追求しながら元社長婦人を犯る愉しみ方が正しいのかも知れない。

だから元社長婦人は男達の激しい抜き挿しに耐え切れず、途中からタガが外れて欲棒に串刺しにされたまま腰を浮かして物凄い反応で喘(あえ)ぎ善がる。

この乱交パーティで、輪姦(まわ)される為に素っ裸で引き出された元社長婦人だった。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は元社長婦人には無い。

そして避けられない性交遊びであれば、オーガズムの到達点に到るまで元社長婦人は愉しんで犯って見せるしかない。

奇妙な心理だが、既に少なからぬ妥協をした後では引き下がれば犯られ損で、乗りかかった船は今更尻尾(シッポ)を巻いて元社長婦人には降りられない。

彼らは次々に入れ替わって元社長婦人を欲棒でズブリと貫き、クィクィと腰を入れてリズム良く抜き挿しをして来るから、もぅこう成れば元社長婦人も気合を入れて必死に受け腰を使うしかない。

周囲を順番待ち組と鑑賞組の人の輪で囲まれる中、元社長婦人は生々しく結合部も露(あらわ)に、乳房を揺らし善がり声を挙げながら壮絶に相手の抜き挿しに受け腰で応じている。

激しいピストン運動に元社長婦人の顔が歪みながら左右に嫌々をし、股間に抜き挿しされるその淫茎は抜き状態では濡れ光り見え、挿し状態では根元近くまで中に達している。

勿論こんな非日常の興奮は、元社長婦人に取って夫婦で犯る日常の性交ではとても味わえない強烈な刺激で、羞恥心など只の味付けだった。

次々と無遠慮に犯られる元社長婦人は、公開性交の露出羞恥心も脳内に噴出する興奮のドーパミンの快感に後押しされて、脳内麻薬・ベータ・エンドロフィンの誘導が起こる。

やがて元社長婦人は、セックスハイ状態に到達して涎(よだれ)を垂(た)らしながら尻を振り、性交を続けて快感を貪(むさぼ)り、素の女性(おんな)を曝(さら)け出す。

既に輪姦(まわし)の開始からは一時間ほどが経過していたが、激しい抽送に攻め立てられた元社長婦人は、呼吸が止まるかの様なオーガズムに襲われ続けたまま、終わらない輪姦(まわし)に翻弄(ほんろう)されていた。

まだズブリと犯られてモロにキッチリと、生々しく他人の欲棒を咥え込んだ元社長婦人の卑猥な受け腰使いと、けたたましい善がり声がホテルの室内に響いて見事に続いていた。

元社長婦人は、柔らかく伸びやかな裸身が次々と男を受け入れながら、その度にズブリと欲棒を柔ら壺に串刺しに咥え込んだ腰を、生々しくクィクィと受け腰に踊らせて善がっている。

欲棒をズブリと柔ら壺に咥(くわ)え込んだ元社長婦人の腰が、私の目の前で生々しく踊って居たのだ。

接待の遊びで、クライアント(得意先/顧客/依頼人)の要求に「どんな事にも応じて遊ばせる」となると、その為の調教に犯らせ過ぎはない。

一つには、恥ずかしい事を人前で犯る訓練であり、そしてそれを犯る事の快感を植えつけるのが目的だから元社長婦人が幾ら善がっても十五分間は行為を続けさせ、出来れば息も絶え絶えの失神寸前まで目いっぱい追い込んで、ギリギリの所でやっと十分間休ませる。

まぁ調教に連れ出した都度に、それを六セット都合三時間か十二セット都合六時間に色々犯って、元社長婦人の精神的殻を完全に破壊してしまう事である。

元社長婦人が世間体的な拘(こだわ)りを持つ以上、事情が無ければ踏み込む事はなかった世界かも知れない。

初めて正式に性調教されると成ると、元社長婦人が自分がどうなるのか心配するのは当たり前だが、それとて一通り犯られて見ると違う感性も生まれて来る。

元社長婦人は、男達に輪姦(まわ)される凄い性体験をしたが、翌朝目を覚ますと世間はそんな事は何も知った事ではない。

つまり「犯った犯らない」は本人の拘(こだわ)りの問題で、そんな事は一々気を使ったり引きずったりしても何の意味も無い。

無理やりに犯らせる訳ではないから犯る犯らないは元社長婦人の意志次第で、承知した以上はその状況に早く元社長婦人が馴染むしかない。

輪姦(まわ)され終わった後の元社長婦人の気分は、盆踊りやディスコダンスを夜明かし踊った後のような、けして嫌では無い贅沢でさわやかな疲労感だった。

恐らくまだ脳の中には、興奮状態で発生されるドーパミンに誘導された脳内麻薬・ホルモンベータ・エンドロフィンの名残が、心地好く残っていたのだ。

連続性交で嵌(は)め倒されて無理も無い事に、元社長婦人は素っ裸大の字で心地良い疲労感を愉しんでいた。

犯られてしまって正直言うと、おシャブリも腰使いも上手く犯って相手を満足させたのだから、元社長婦人は内心「結構満足が行く出来(デキ)だ」と想って居た。

禁断の露出公開性交だからこそ、他人前(ひとまえ)素っ裸で此処まで激しく犯れば上出来(ジョウデキ)で、良子の脳みそは羞恥心で溶けそうだったが、癖に成りそうな想いも芽生えていた。



いずれにしても、かなり疲れ気味の元社長婦人を明け方に成ってマンションまで送って行き、開放した時は朝の七時頃だった。

ドアを開けて入って行くと、娘の**ちゃんがちょうど学校へ行く支度をして居て「お帰りなさい。」と迎えた。

男性が二人とも家に上がり込んだので、慌てて元社長婦人がお茶を入れて来た。

「お母さん、朝まで良く頑張ったよ。ねぇ奥さん。」

「**ちゃんに言われちゃったから、お母さん頑張って早くお金が沢山貰えるように成らなくちゃ。」

「所で**ちゃん、この人がお母さんの運転手兼トレーナーで、今夜からはこの人(リーダー男)をお仕事のお迎えに寄越しますから、宜しく。」

「あっ、お母さんを指導してくれる先生ですね。」

「そぅ、**ちゃん宜しくね。それからお母さんが着れるジャージのトレパンの上下はないかな?トレパンの方が動き易いし。」


「お母さん、学校でPTA作業をするのが在るじゃない。」

「じゃ解っていると想うけど、今夜からはお迎えに来たら余分な物はいらないから、それ着て出て来て。」

「はぃ、そうします。」

リーダー男の「余分な物は要らない」は、「ジャージのトレパンの上下以外は身に付けるな」と言う事で、それなら直ぐに素っ裸に剥(む)き易くまた肌に縄の跡が残っても隠せる狙いがある。

お人好しの元社長婦人も、昨夜から今朝に掛けてほとんど素っ裸だったから、流石(さすが)に意図は直ぐに理解出来た。

そして何よりもあれだけ恥ずかしい事をさせられ、その恥ずかしい姿を全てを見られた相手だが、もう何度か肌を合わせ性交した安心感か、リーダー男への元社長婦人の態度も微妙な親しさをかもし出している。

もっとも此処当分の間は、毎晩リーダー男が主導して卑猥(ひわい)な修羅場を演じさせられるのだから、元社長婦人も相手に一種の好意を持たなければ犯っては行けない。

「ジャージのトレパン着るってお母さんのトレーニング、運動の量も多いのですか?」

「あぁ**ちゃん、お母さんの運動の量は半端じゃないよ。」

「そんなに大変じゃあお母さん、昼間の内に少し休んで居なきゃ。」

「そうね、指導してくれる先生がまた今夜七時頃にお迎えに見えるそうだから、今の内に休ませて貰うわ。」

「そぅ、私、学校へ行って来るね。六時頃には帰れるから。」

元社長婦人の接待の「おもてなしの犯り方」を仕込む調教はまだ始まったばかりだが、元々強いM(マゾ)タイプ気質だったのか彼女の態度には僅(わず)かながらも変化の兆候は在った。

娘が登校した後、「トレパンの意味判っているね。」と元社長婦人に確認すると「下着は着けるなと言う意味ですね。」と応じた。

「そぅ、それなら直ぐにスッポンポンに成れるだろ。今夜出かける時も、翌朝娘に遭っても不自然には見えないし。」

「済みません。その方が安心です。」

そして元社長婦人の変化の兆候は、「それじゃあ夜に備えて良く寝て置きなさい」と命じてマンションを出る時、散々に犯られたのに「有難うございました。今夜も宜しくお願い致します」と礼を言っていた事だ。


自分の亭主と私の妻との関わり方が、性接待プレィを「指南実践していた」となれば、元社長婦人も「自分は接待は嫌だ」とは言い難いから、結局、羞恥責めの野外露出からマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)までオープンに犯られてしまった。

最初から亭主と私の妻の関わりが前提で、行き成り世間評価ではアブノーマルな輪姦(まわし)から犯られて始まり、その後も自分の理解を超える事ばかり要求されて建前の倫理感に邪魔されて最初は抵抗感一杯だった。

だが、いざ強(し)いられて犯っている内に、カァーッと肉体(からだ)が熱くなる羞恥心の狂気の興奮に、世間体など忘れて無意識に快楽を貪っていた。

正直あの好き者の社長に性行為を仕込まれた元社長婦人が、恐らく倒産からその処理の一年間そしてそのまま夫は入院してしまったから御無沙汰の期間が長くて溜まっていた。

そうした元社長婦人の新しい心境の変化を前提に、二日目の調教の時刻が迫っていた。

迎えに来たリーダー男の奴が元社長婦人のマンションに上がり込んだ時、もう娘の**ちゃんも中学校から返って来て夕飯を済ませ宿題をする為に自分の部屋に篭っていた。

勿論元社長婦人は、素っ裸の上にトレパンの上下だけ身に着けてお迎えを待っていた。

リーダー男の奴は極め付けのS(サド)タイプ気質だから、娘が部屋に篭って勉強中と知ると一旦車に戻ってバックを持ち込み、「今晩は、部屋から出て来なくて良いから勉強を続けて。お母さんに支度させてを借りて行くね。」と声を掛ける。

そして「はーぃ、今晩は。」と娘の返事を聞いてから元社長婦人に着ていたトレパンの上着を脱ぐように命じた。

元社長婦人は、「何でも犯ります。」と意志を示している。

娘に見られる恐怖も在って裸に成るのを一瞬躊躇(ちゅちょ)した元社長婦人だったが、リーダー男の奴はもうバックから麻縄の三本束を取り出して、扱(しご)き出していた。

まったく、とても市の職員と思えないリーダー男の影の正体である。

無理やり犯らされた事でも一度犯ってしまえば次には「犯れない」とは言えなくなり、それが或る種言い訳にも成ってプレィは少しつづ過激になって行く。


「ここで上だけ縛(しば)いて出かけるから早く上着を脱いで、言う通りにしないと返って娘さんに見られるリスクが増えるよ。それとも上下ともヒッ剥(ぱ)がして、お母さんが言う事を聞かないと娘さんを呼ぼうか?」

「解りました。今、仰(おっしゃ)る通りにします。」

マンションの居間で何時娘が顔を出すか判らない緊張の中、元社長婦人はトレパンの上を脱いで乳房を晒(さら)し、娘が部屋から出て来ない事を祈りつつリーダー男の奴の縄掛けを受け入れた。

リーダー男の奴は元社長婦人の肉体(からだ)に縄掛けをしながら今夜の予定を伝える。

「あのカラオケ屋が休みだから、今日は御殿場まで行かなくても良い。その代わり友達三人とマスター、それから社長婦人(私の)と友達の奥さんが見物に加わるから覚悟しなさい。」

本格調教二日めにして、男六人女二人と自分を弄(なぶ)る人数が格段に増えていた。


「あのう、昨日犯って頂いた様な事を、今日は女性にも見学されるのですか?」

一瞬抗議めいた事を言っては見たが、元社長婦人は女性二人の前で弄(もてあそ)ばれるシュチェーションを想像しただけで、自分の子宮が熱くなるのを感じた。

「当たり前だよ、料亭のお座敷での業界接待なら芸者衆の前でも脱がされるのだから。今の内に慣れて置かなきゃ。」

「そうよ、今時プロの女が脱いだり相手したくらいじゃ世間では珍しくもないもの。」

「・・・・。」

「大丈夫だよ、二人とも普段は犯られている側だから。」

リビングで話しながらの後ろ手拘束の亀甲縛りで縄掛けが終わると、リーダー男の奴は元社長婦人の上半身にトレパンの上着を被せファスナーを閉め、両手が出ていない不自然な格好で外へ連れ出した。

少し闇が迫った七時半頃でなければ近所の人に観咎められる格好だが、「中途半端は赦さないよ。」と、幸い薄暗い駐車場で着ていたトレパンの上下も、リーダー男の奴にヒッ剥(ぱ)がされてから車に乗り込み、スナックへ向かうマーク・Uの中では全裸後ろ手拘束の定番の姿だった。

リーダー男の奴が素っ裸に縄掛けした元社長婦人を曳き連れて例のカラオケスナックへ行くと、私と妻、そしてリーダー女夫婦にマスターと友人と言う二人の男が、定休日の店で待っていた。


リーダー男の奴が素っ裸に縄掛けした元社長婦人を曳き連れて店に入って来ると、真っ先に私達夫婦の元に挨拶をさせに来た。

妻は、私と遊ぶこう言う時に私が着せる為にオーダーし縫製させた、透けるポリエステル百%の黒色表地と透け難い黒色サテン地の裏地でミニ丈のワンピースを身に着けていた。

リーダー男の奴に連れられて来られた素っ裸に縄掛けの元社長婦人は、付き合いが在って顔見知りだから、「お世話に成っています。」と挨拶し、私の妻から、「私も愉しませて貰いますが、今日は皆さんに可愛がって貰いなさい。」と言われている。

元社長婦人の返事は、これから過酷な輪姦陵辱が待ち受けていても「はぃ、宜しくお願いします。」である。

元社長婦人は、立場が逆転するまでは夫が私の妻に命じて居ただろう台詞を、「今度は自分が言われた」と解釈するしかない。


「今日が二度目だが、何から犯りますか?」

「そぅだな、後から好みのお愉しみで弄(なぶ)るにしても、一度男六人で輪姦(まわ)してからにしよう。」

元社長婦人を、店のソファーを向き合せに二つ繋げて、物置から例のマットレスを敷いて在る所に連れて行って転がした。

その臨時ステージの周りには、ギャラリー用のソファーを囲ませてある。

哀しかろうが恥ずかしかろうが、同性のギャラリー二人を目の前に元社長婦人の輪姦陵辱は始まった。

元社長婦人は良く見ると小刻みに震えては居たが、仰向けに後ろ手に拘束され、言われた通り膝たて状態で足を広げ、花芯ボタンも花弁も露(あらわ)に晒(さら)して転がって居る。

この諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せの破廉恥(はれんち)なコレクティブセックスプレィ(集団乱交)に拠る究極の羞恥心が、堪(こた)えられない狂気の興奮と快楽に変わる事を、元社長婦人以外の我々は最初から知っていたのだ。

「ドレドレ」と私が、足を広げ花芯ボタンも花弁も露(あらわ)に晒(さら)して転がされている元社長婦人に近付いて股間を触ると、クニュッとした二枚の肉花弁の柔らかい感触が指先に伝わって来て、その中は、確かにグチョグチョに濡れている。

「こりゃすごい。期待で感じている。」と言いながら、私は指を二本、二枚の肉花弁の下部を巻き込みながら、柔ら壺の中へねじ込んでかき回した。


「ヒィー。」

こんな形で、妻を散々に弄(なぶ)った元社長の婦人を甚振(いたぶ)る事が出来るのは、刺激的だ。

泣いたって遅い、お前はこれから我々にタップリと輪姦(まわ)されるのだ。

見事に私の企(たくら)みに嵌(はま)って連続性交が始まってしまったのだから、ここは元社長婦人の踏ん張り所だった。

次から次に相手が代わり、男達が絶え間無く欲棒を元社長婦人の股座に抽入し、性器と性器が抜き挿しされて海綿体が接触し快感が襲って来る。

だから元社長婦人は、乳首が立った乳房を揺らし持続する快感の中で、歓喜の涎(よだれ)を垂れ流しながら受け腰を使い続ける事になる。


「社長、輪姦(まわ)しに掛る前に、これでほぐして犯って下さい。」とリーダー男の奴から、当時はまだ珍しい電池式の張り型バイブを手渡された。

ラテックス製のお地蔵さんみたいな頭と、ペンギンのクチバシみたいな突起を持った物が付いた張り型バイブだ。

私はそれを花弁のスリットの中、柔ら壷へ抽入しようと試みた。

想定外のパニック(恐慌/きょうこう)でも無意識脳は防御の準備体制に入って一種の興奮をし、身を守る為にアドレナリンを発生し、既に元社長の婦人の脳を「ハィ状態」にしている。

元社長の婦人のムチムチの太腿(ふともも)の付け根に在る二枚の肉花弁を、私が手にした張り型バイブの坊主頭が開いて中を覗く。

そして私は、その張り型バイブを元社長の婦人の柔ら壷の中にグィと突き入れて観た。

元社長の婦人の柔ら壷は「ハィ状態」に水浸(みずびた)しだから、すんなりとそれを飲み込んだ。

バイブのスイッチを入れると「ビーン」と音がして、張り型バイブの小さな突起が振動を始めた。

先を挿し込んだまま、突起のベロ状のものを小豆粒ほどのピンク色した花芯ボタンに宛がうと、元社長の婦人はいきなり肩を左右に振り、腰も浮き上がり、のけ反(ぞ)って振り始めた。

腰の動きが妙に艶めかしい。

「アッヒィー、アアアアアアアァー、イク、イク、アァー。」

元社長の婦人は襲い来る刺激に耐えられず、ガクンガクンと上半身を跳ね上げてその快感に浸(ひた)っている。

それは、バイブ初体験の元社長の婦人にとって、耐え難(がた)いほどの快感だったのである。

ものすごい善がり声がしたかと思うと元社長の婦人は目いっぱい腰を浮かし、背骨を反り返えらせて数秒耐えたが直ぐに果てた。


元社長の婦人が思ったよりあっけなくイッタので、駄目押しでバイブをグィグィと抜き挿ししてみた。

抵抗感はなく、滑る様にヌルヌルと出入りをしているので、思い切ってクィクィと抜き挿しの速度を速めてみた。

花弁がよじれて中に潜り込むのも構わず、「このやろー、これでどうだ。」と、攻め立てたのだ。

「アッ、ワ、ワ、ヮヮー。」

思う壺だった。

元社長の婦人は両足をバタつかせて刺激に耐えていたが、再び感じ始めて腰を浮かせ、両足の太腿を震わせながら反(ぞ)って又果てた。

思いを込め、愛液に塗(まみ)れた張り型バイブを激しく抜き挿しする。

素っ裸に大股M字開脚縄掛けで布団に転がされ、当初は顔面蒼白(がんめんそうはく)、同様に蒼白かった元社長の婦人の裸身も、最初の私のバイブの抜き挿し攻撃が始まってしまえば赤味を帯び、肉体(からだ)は意志とは関係なく反応をし始める。

私には意外だったが、その先は全身を汗でビッショリと濡れ光らせ「息も途切れるか」と思わせる善がり声と伴に、太腿(ふともも)の付け根に咥(くわ)え込んだバイブに激しい受け腰で行為に応じて、愛液に濡れ光るモロに串挿しとなったバイブの茎が見え隠れしている。

「アッ、アアアアアアアア〜。」

張り型バイブの激しい抜き挿しに呼応して再び元社長の婦人の裸身が腰を浮かし、全身が反り返る。

私が意地悪く電動玩具を挿し込んだまま放置して様子を見ると、元社長の婦人は股間にラバー製の電動玩具を咥(くわ)え込んで、その振動に悶絶するような表情を浮かべながら「ヒッヒヒヒヒ〜ッ」と奇声を発して腰を振っている。

面白い様な腰の振り方で、暫(しばら)くその元社長の婦人の悶絶姿を堪能(たんのう)してから電動玩具を引き抜きたのだが、その性感反応だけでかなりの運動量だったのか、婦人の肌に薄っすらと汗が滲(にじ)んで来た。

張り型バイブを抜いても、元社長の婦人の「フゥフゥ」と言う荒い息が止まらない。


固唾(かたず)を呑んでこのバイブ攻めショーを見ていた連中も、一段落すると賑やかに会話を始める。

「もぅ、ウオーミングアップは充分でしょう。」

「ならソロソロ輪姦(まわ)しましょう。」

「俺からで良いか?」


名乗りを上げた三人組の一人が、私が挿し込んでそのままに放置し、「ビーン」と小さなモーター音を響かせていた張り型バイブを抜き取り、開いていた元社長の婦人の脚を両手で持ち上げて肩に乗せた。

持ち上がった股間の二枚の肉花弁の間に、その三人組の一人がエラの張ったキノコ状のカリ首を宛がい、花弁の間に「グイ」と欲棒を押し込んだ。

「アッ。」と小さな声が元社長の婦人から漏れたが、その口にもう一人も三人組の一人が「「失礼します。」と欲棒を押し込んだ。

妙な気分だったが、目の前で乳房を乱暴に揉みしだかれる元社長の婦人のプリッとした上下の唇の口と花弁に二本の欲棒が出入りし、陰茎が愛液に濡れ光って見え隠れしている。

もう一人の三人組の欲棒を咥えた元社長婦人は、口元から涎(よだれ)を垂れ流しながら懸命にシャブって居る。

その男は、元社長婦人にシャブらせながら、「上手いもんだねぇ」と感心している。

元社長の婦人の口の隙間から、「ウゴッ、アッアッ、アッアア。」と善がり声が漏れている。

感じているのだ。

何時(いつ)の間にか、元社長婦人の腰は三人組の一人のリズムに呼応して怪しく欲棒を向かえ動き、ユックリと抜き挿しに腰の動きを同調させ、首も別の欲棒をシャブり、艶(なまめ)かしく動いていた。

私に張り型バイブで散々弄(なぶ)られた後だから、元社長の婦人は直ぐに感じ始めて善がり声を上げている。

身動きが不自由ながら、元社長の婦人の背中が反り返って、エラの張った坊主頭の海綿体が元社長の婦人の中にめり込んで行き、内壁を擦(こす)り始めたに違いない。

「ドレドレ。上手く入った様だな。」

屈み込んで接合部分を覗くと、私の目の前で元社長の婦人の股間を貫(つらぬ)く硬く勃起した欲棒が、花弁をヒク着かせながら、艶(なまめ)かしく濡れて鈍く光ながら深く浅く出入りするのが手に取る様に判る。

「アァ、アァ、アァ〜。」

その善がり声とともに、元社長の婦人の汗が飛び散っている。

意外な事に、元社長の婦人はもう周囲の事など忘れて自ら受け腰を使い快感を貪(むさぼ)っている。

皆の視線の中心に、輪姦(まわし)終わるまで犯られ続けなければ成らない素っ裸の元社長婦人が居た。

ズブリと欲棒を受け入れた自分の女陰への男達の視線を意識すると、元社長婦人はカァーと下半身が熱くなる羞恥心を覚えながら受け腰を使い、行為に没頭して行く。

肉体(からだ)が悶絶するような性交の快楽に溺れて、元社長婦人は人前で性交を犯って居る恥じらいも忘れていた。

こんな卑猥(ひわい)な事が、平気で犯れる自分など以前は全く想像も着かない元社長婦人だった。

だが現に今、元社長婦は善がり声を振り絞る口元から涎(よだれ)を垂れ流し、欲棒を咥え込んだ股間から愛液を滴(したた)らせている。

此処まで来ると、元社長婦人と男達の輪姦(まわし)は壮絶な格闘技で、ここ(カラオケ店)は観衆参加のコロシアム(闘技場)だった。


社長婦人が連れ込まれたカラオケ店には、普段は隠して在るがマットを敷いて使うプレィの設備が在る。

マットを敷いた定位置に リーダー男が仰向けに寝、社長婦人におシャブりをさせて硬く成った所で後ろ向き騎上位でリーダー男を跨(また)がせて抽入を命じる。

天井からはフックが吊り下げて有り、その先に電車のグリップ付きつり革が肩幅程度で左右に下げてある。

後ろ向き騎上位で欲棒を貫かれた社長婦人に、そのグリップ付きつり革をまるで体操の吊り輪の様に左右の手で握らせ、懸垂様に腰を上下させて犯り始める様に命じた。

そのの顔面に、リーダー男の脚を跨(また)いでカラオケ店主が欲棒を突き出し、社長婦人にシャブらせれば公開三Pが完成する。

何しろ何人もの他人が臨場する開けっ広げの場なのに、信じられない事にこの陵辱行為に妥協など許されない。

世間では考えられない筈の目の玉が飛び出るほど過激なシーンが、元社長婦人をヒロインに平然とこの場で生々しく繰り広げられている。

「そう言うプレィをする世界が在る」と噂ではおぼろ気に聞いていたが実在し、今、元社長婦人はその世界の現実のヒロインだった。

ギンギンに張り詰めた他人の欲棒が、蛙(かえる)の脚様に足を開いた仰向き体制の元社長婦人に次から次に襲って来る。

前の欲棒が抜けて締まりかけた元社長婦人の内壁を、次の欲棒のカリ首がまた押し分けて突き入って来てグィグィと突き立てながら一気加勢に追い込んで行く。

息も絶え絶えに、ガクンガクンと肉体(からだ)を反応させ「イキ過ぎてもたない。もう止めて。」と言う口とは裏腹に、元社長婦人の腰の方はリズムを合わせて生々しく、確り受け腰を使って居る。

もう元社長婦人は性感に拠る忘我の境地に入って快感を貪(むさぼ)るだけで、周囲の事など気にして居る余裕などない。

連続性交は運動量が激しいから、元社長婦人の肌から汗が玉に成って溢れ裸身が照明でキラついている。

それで途中の水分補給は欠かせないが、それも欲棒を抽入されたままミニボトルを渡される徹底振りで、犯る事には妥協はない。


あぁ・・・恥ずかしい・・・。

元社長婦人は、私の目の前で外聞を憚(はばか)るような端無(はしたな)い非日常のセックス・セッション(乱交)を素っ裸で、内心興奮しながら熟(こな)していた。

次々と相手の男が代わってその度に、抜き挿しで内壁を擦(こす)るカリ首の刺激で元社長婦人は一層興奮が高まって来る。

同性も見詰める他人前(ひとまえ)で、恥ずかしい性交を犯らされて元社長婦人は羞恥心に燃え上がったが、羞恥心も陵辱の極限を突き抜ければ快感に変わる。

その晒(さら)し者としての雌に変わる本能の微妙な機微が判らないと、この陵辱のヒロイン感覚の本質は理解できない。

まぁ、此処までアッケラカンと「他人前(ひとまえ)で犯れる」と言う事は、見られる事にある種の快感を感じて居るからに違いない。

輪姦(まわし)で、入れ替わり立ち代り突っかれて居る間じゅう、元社長婦人には脳みそがとろけるような快感が切れ目無く続いていた。


幸せの形には色々在り、幸せの形には色々在り、全ては受け取り方の感性の問題である。

口を半開きに鼻の穴をヒクヒク広げて意識を下半身の刺激に集中すれば、元社長婦人はもうこの性交に気が入っている。

大勢の男に輪姦(まわ)されるなど酷く被虐的に見えるかも知れないが、その被虐行為がが無上の快感をもたらすとすれば、本人には幸せかも知れないのだ。

不謹慎とも言える無軌道(むきどう)な連続輪姦の責め苦に、最初は阿鼻叫喚(あびきょうかん)だった元社長の婦人の表情が、何時の間にか私の欲棒を勃起させるほどシンクロ(連動)させ、何とも艶(なまめ)かしい恍惚(こうこつ)の表情に変わって居たのである。

輪姦(まわし)と言うアブノーマル(異常)な狂気を内在する性交は、元社長の婦人の脳内に噴出したドーパミンの興奮で一層の激しさを益したのだろうか?

男達の元社長の婦人への欲棒の抽入と抽送は、妻の愛液に濡れた股間をズブリズブリと生々しく串刺しにして深く浅く陰茎が見え隠れするを私に見せ付けながら続けられ、絶頂の連続と言う責め苦にあえいでいた。

連続輪姦だから、突き立てられた欲棒が絶頂に達して力を失っても、直ぐに引き抜かれて又次のいきり立つ欲棒が突き刺さって来て抜き挿しが始まる。

だから一旦治まりかけた妻の絶頂は継続し、休む間も無く肌に汗を滲ませ、その汗を光る雫(しずく)にして床に滴(したた)らせる。

今、男達に肉体(からだ)を弄(もてあそ)ばれながら、股間に欲棒が抜き挿しされる生々しい情況に、女性二人を含む周囲の視線が注(そそ)がれている事を、元社長の婦人は自覚しながら犯されていた。

そこがマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の良い所だが、人前で「見られながら犯られる」と言う普通では考えられない羞恥の興奮が、エゲツ無いからこそ元社長の婦人の脳をトロケさせる。

非日常の刹那を愉しむ性交など本当は「有り触れた話」なのに、何故か「特別なものだ」と信じたがる狡(ずる)さが人間にあるのかも知れない。

遊びの性交ならエゲツ無いほど中身が濃くなり、最後の所で節度を保てば後はどんな卑猥(ひわい)な事を手加減や妥協が無い真剣勝負でさせても良いのが愛奴隷で、元社長の婦人は抗(あらが)う事が無い性玩具(おもちゃ)と言う被支配状態だった。


元社長婦人の胸に弾み揺れる乳房も、腰のキュッとした括(くび)れも、恥毛に覆われた恥丘のデルタゾーン(三角地帯)の上部にポッンと敏感な花芯と縦に二枚の肉花弁も、あからさまに曝け出している。

その花弁の真ん中に突き挿さった欲棒の陰茎も、諸出(もろだ)し諸見(もろみ)せで「他人前(ひとまえ)で性交して観せているのだ。

その犯られる相手が三人目四人目と増えて行くと、その激しい精一杯の腰使いに元社長婦人の裸身も乳房の辺りから赤味を帯びて興奮と快感で体温が上がっているのが判る。

元社長の婦人は恍惚(こうこつ)の表情を浮かべ絶え間ない善がり声をあげて腰を使い、奮戦する元社長の婦人の痴態(ちたい)を目撃し、私はモヤモヤとしたエロス効果に入り込む奇妙な感覚に襲われていた。

何人にも連続して犯られ、絶え間なくイキ続けると、下半身が浮いて持って行かれる堪らない感覚になる。

確かに壮絶な輪姦陵辱ではあるが、この善がり声と積極的に快感を貪(むさぼ)る受け腰使いからして、これは地獄では無く天国である。

私やリーダー男の奴、マスターやリーダー女の亭主、三人組の二人と男六人の連続性交で、激しいローテーション(交替)攻撃に遭う元社長の婦人は泡を吹くがごとく「ギャーギャー」と激しい善がり声を挙げて相手の抜き挿しに呼応し、受け腰を使い応戦している。

その柔ら壺にズブリと挿し込まれた欲棒が激しく抜き挿しされる度に、元社長婦人の二枚の肉花弁が愛液に濡れ光る欲棒に卑猥(ひわい)巻き付き捩(よじ)れて踊っている。

輪姦(まわし)が止まらないから絶えず快感に襲われて、もうその性交に流されるままに周囲の目も忘れて、涎(よだれ)を垂(た)らしながら奇声を発し、髪を振り乱し腰を振って善がる元社長婦人がいた。

前の男が射精したのか、陰茎の見え隠れと伴に白い精液が隙間から湧き出し、元社長婦人の太腿(ふともも)に筋を作りながら滴(したた)り落ちている。

それでも流れに乗って乱交行為を続けている所を見ると、元社長の婦人は早くも性接待愛奴隷の「コツを掴(つか)んでいる」と言う事である。


元社長婦人が、女の二面性に身も心も剥(む)き出しの世界観を露にし、迫真の性交合戦を壮絶に繰り広げて堕(お)ちて行く。

輪姦(まわし)で、入れ替わり立ち代り突っかれて居る間じゅう、元社長婦人には脳みそがとろけるような快感が切れ目無く続いていた。

目の前で、三人組のリーダーの良く使い込んで黒光りしている欲棒を二枚の肉花弁の隙間に咥え込んだ元社長婦人の腰が浮き上がって、私の目の前で白濁した愛液を滴らせながら怪し気に左右に揺れている。

輪姦(まわし)の後半は、悶絶に耐えながらも壮絶な善がり声を挙げ、元社長婦人は愛液に濡れ光る欲棒の生々しい抜き挿しにクィクィと受け腰で応じ、結合部の肉花弁の隙間から押し出される白濁した愛液が、元社長婦人の太腿を伝って床に落ちて行く。

男達の視線を意識しながら口を半開きに鼻の穴をヒクヒク広げて意識を下半身の刺激に集中すれば、元社長婦人はもうこの性交ゲームに完全に気が入っているのだ。

現実には、「愛情」が在ろうが無かろうが性交をすれば自然に快感を得るように肉体(からだ)は出来ている。

困った事に、女性が本来持ち合わせている露出願望から欲棒を抜き挿しされる恥部を晒(さら)す事に元社長婦人はエロスのトキメキを感じてしまう。

心の鍵をこの連中に合わせこの非日常の世界に合鍵を渡せば、元社長婦人は極上の官能の世界に入れるのだ。

スケベ女なら涎(よだれ)が出そうな、日頃は在りつけない大勢の男達に輪姦されると言う卑猥な条件設定の羞恥心に、元社長婦人のアドレナニンが脳内で決壊した。

それで元社長婦人本人も驚くほど性感度は抜群で、正直次の誘いを断れないほど肉体(からだ)がこの遊びの味を占めたのだった。



「この調教、想った依り結構調子が良いな。」

「この女、早く取引先の接待に使えるように躾(しつ)けなきゃならんからな。」

突然私達の会話へ、妻が口を挟んで来た。

「そぅよ、私がこの女性(ひと)の御主人から教わったおもてなしの技と心を、今度は確り仕込んでやる。」

「そうだなぁ、この先の事を想うとそれが恩返しかも知れないな。」

妻が女リーダーに、「内の人が犯っている間に貴女のオマ*コをこの女に舐めさせなさいよ。」と言い出した。

女リーダーは亭主と左官職人の兄から私の「機嫌を損なうな」と言わている。

それに今回は、兄に「沢山仕事を割り振っている」私の妻も同席していると成ると、以前妻を吊るし挙げた女リーダーにしてみればアベソルティオベデンス(絶対服従)の姿勢を妻に示すしかない。

女リーダーは慌てて着ていたワンピースを脱ぐと、例に拠って下着を身に着けて居ない全裸体で元社長の婦人の前に回る。

四つん這いで私にクィクィと突かれている元社長の婦人の顔に、股間を近着けて開き気味に足を広げて立ち、「私のオマ*コをお舐め。」と命じ、ザラッとした陰毛が茂る股間を顔に押し付けた。

もぅ元社長の婦人は無我夢中で、後ろから突かれる快感のままに顔に押し付けられた女リーダーの聖域に舌を伸ばした。

女リーダーの花芯ボタンや肉花弁を元社長の婦人の舌が這い始めたのか、やがて女リーダーも「ムゥ」と声を発して細かく腰を震わせ始め、避ける事も出来ずに、元社長の婦人に舐められながら善がり声を漏らして腰を小刻みに踊らせている。

舐めている元社長の婦人の方も、早くなった私の抜き挿し抽送に我を忘れて腰を振っている。

所詮は貞操観念などこんなもので、犯られてしまえば快感を感じ、そう成ると勝手に肉体(からだ)が快感を貧(あさ)るものだ。

人間の行動など奇妙なもので、意識した行動と無意識の行動をする場合があり、つまり人間は、入り込んでしまうとそこから先は「無意識の行動」になる。

私に欲棒を挿し込まれた元社長の婦人は、生々しい股座(またぐら)の恥部を大股開きに晒(さら)して、多くの突き刺さる様な視線を意識して燃え上がる羞恥心に脳みそが溶けて行く。

「淫」を、無理やり引きずり出された女リーダーの腰が怪しく微妙な動きを始め、元社長の婦人は私の抜き挿しに無意識に受け腰を使って快感を追って動いている。

流れに乗ってリーダー男に欲棒を挿し込まれた大股開きの女リーダーは、股座(またぐら)の恥部を生々しく晒(さら)して腰をクィクィと使い、女リーダーは善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。



「いかがわしい」と言えばその通りかも知れないが、その後の元社長夫人は不思議な女の魅力を感じさせる女性に育って居た。

全ての鎧(よろい)を剥(は)がして、輪姦(まわし)で嵌(は)め倒されて身も心も素っ裸に成れば、このグループの一員として元社長の婦人には今までとは別の人生が待っているのである。


ここからはスナックのマスターが加わって、私と二人で女リーダーを締め上げる事に成った。

股座(またぐら)の恥部を大股開きに晒(さら)してクィクィと腰を使い、善がり声を挙げながら愛液を滴(したた)らせて抜き挿しを続けている。

横で元社長婦人を、リーダー男とその仲間の二人が群がるように攻めているのを、妻が笑いながら観ている。

スナックのマスターに仰向け正常位に抽入された女リーダーの頭方向からもう一人、私が覆い被(かぶ)さって欲棒を女リーダーに咥(くわ)えさせ、そのままスナックのマスターに抽入されて抜き挿しされている。

元社長婦人は今、賢(かしこ)く男達の輪姦(まわし)の抜き挿しに、恥毛が絡む肉丘を躍らせクィクィと受け腰で応じている。

腰を浮かせて善がり声を挙げながら元社長婦人の受け腰が踊る股間柔ら壺に、生々しくスッポリと挿し込まれた陰茎を濡れ光らせながら見え隠れさせて見えている。

つまりこのまま何度も犯り続け、元社長婦人の肉体(からだ)をマルチSEX(複数性交)環境の中で熟生させてしまえば、それが彼女の生活の一部になる計画だった。

女リーダーの恥毛に覆われた恥丘のデルタゾーン(三角地帯)にある敏感な花芯ボタンに、私が舌先を当てグリグリと攻め始めた。

つまりスナックのマスターが加わって、変形シックスナインと正常位との複合三P(三人プレィ)形式のコレクティブセックスプレィ(集団乱交)に、我々三人は持ち込んだ。

女リーダーは快感にのたうち震えたい所だったが、股間に一本、口に一本、肉杭(にくくい)が射(う)ち込まれていて身動きが取れないまま、発射するまで耐えねばならない。

舌先で花芯ボタンを攻める私の目には、スナックのマスターに抽入され花弁の真ん中に突き挿さった欲棒が、生々しく抜き挿しされて、その濡れ光る陰茎が私に見えている。
それを観ながら、自分の欲棒が女リーダーの舌と唇でジュボジュボと刺激される快感を感じて、私は女リーダーの口中に腰を使ってクィクィと挿し入れる。

口に欲棒を咥(くわ)えさせた私の腹と胸の間くらいの位置で、乳首が立ったリーダー女の乳房が圧し潰れる様に当たっている。

女リーダーの両脚を腰に抱え込んだスナックのマスターの欲棒を射(う)ち込む腰の動きで、その腹が脈打つように舌先で花芯ボタンを攻める私の頭に当たって来る。


元社長婦人に抵抗無くクライアント(得意先/顧客/依頼人)とソーシャルセックス(社交的な性交)をさせる為には、元社長婦人の性規範に対する意識を根底から覆(くつがえ)させる必要がある。

元社長婦人の頭の中に在った性規範に対する意識を、一度大きく越えた性交プレィの快感に、元社長婦人の肉体(からだ)と脳が味を占めてしまえば、その先はそれが基準に成る。

元社長婦人が、綺麗事の性規範に囚(とら)われても、人生に何の得も生み出せない。

最初から「愛欲」や「欲情」が関わらない遊びのプレィなら、性交後にややこしく後に引く事が無い。

所詮(しょせん)人間の煩悩(ぼんのう)など生々しいもので、愛情に関わり無く普通に性欲があるのは自然な本能である。

その乱れた性欲を安全に満たす為にこそ、ソーシャルセックス(社交的な性交)の発想がある。

そして人間老い易いから、元社長婦人が勝負をするなら肉体(からだ)が売り物になる若い内の今だけである。

その為には説得ではなく実行で、元社長婦人に有無を言わさず奔放(ほんぽう)なコンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)の性交経験を積み重ねさせ、その経験から答えを出させる試(こころ)みが必要がある。

性接待の愛奴隷は、相手のクライアント(得意先/顧客/依頼人)に気使いを持って、快適な性交を提供する以外に余分な事は考えない。

つまり元社長婦人が性技を身に着けて男性の味方に成らなければ、快適な性交の快感を提供する事はできない。

そして母娘の保護者としては、元社長婦人のその性交経験の積み重ねを目撃し、元社長婦人が変化を遂(と)げる経緯を目の当たりにする事は、密かな愉しみでもある。


その狂乱が終わると、激しい運動量に元社長婦人は半ば気絶状態で全裸のままソフアーに横たわっていた。

同じ相手のリピート(繰り返し/再性交)も在ったから、元社長婦人はいったい何本の欲棒に肉体(からだ)の中心を貫抜かれ、犯られ責められた事か。

続け様(さま)に二時間に渡る壮絶な輪姦(まわし)の激戦の官能の時間が過ぎた後は、心地良い疲労感と伴に元社長婦人の股間にはまだ何か突き刺さっているような感覚が残っていた。


元社長婦人は、リーダー男に命じられてほとんどノーメイクで調教に連れ出されるのだが、これはその後の赤裸々なコレクティブセックスプレィ(集団乱交)の激戦を考えれば仕方が無い。

だが十四歳中学生の娘さん・**チャンには、そのノーメイクとジャージのトレパンの上下でお母さんを指導してくれる先生に連れ出されて行く姿はどう見ても色気とは程遠い堅気の仕事の訓練である。

だから**チャンは、母親が素っ裸で大勢の男達に性接待の躾(しつ)けを施(ほどこ)されているなど夢にも想わない。

しかしトレパン上下の下は下着無しの丸裸で、これから元社長婦人に待っている真実は何でもござれの性玩具(おもちゃ)としてのお相手である。

**チャンに見送られて出かける元社長婦人に待っているのは、コレクティブセックスプレィ(集団乱交)のマドンナとして複数プレィ、同時三穴3Pプレィ、拘束SMプレィ、露出プレィ、輪姦プレィ、果てはSM輪姦プレィと究極のエンタテインメント(気晴らしの娯楽)の性奴隷扱いなのである。


此処(カラオケスナック)に来てしまえば、いずれにしても肉体(からだ)は男達の共有使用物で、その陵辱が「元社長婦人の想像を遥かに越えて居た」としても、一旦応諾してこの場に来たからにはもう後悔しても遅い。

しかし、何事も知らないから怖いので在って、知ってしまえば肉体(からだ)が味を占め欲情の装置としてのフェロモン(行動や生理状態に影響を与える分泌物質)に促されて恐怖が快楽に変わる事は、世の中には幾らでも在る。

元社長婦人はレシピエント(被術者。受容者。)として、自らの肉体(からだ)を張って赤裸々な欲情のメンタリティ(知性。知力。 心理状態。心的傾向)を学び、脳内に性のイノベーション(新機軸。革新。開発。開拓。)を起こして性的知能指数を向上させる。

そして元々利口な女性ほど知的性欲求に敏感だから、元社長婦人が一度被虐(ひぎゃく)の快感の味を占めて仕舞えば、そのが異次元の喜びが女性に採って極上の快感を得る性行為の一つに違いない事を覚えてしまう事に成るのだ。


リーダー男はア*ル三Pを目論んで自分がソフアーに座り、元社長婦人に前向きに腰を降ろさせながら元社長婦人のア*ルを、リーダー男の欲棒が貫(つらぬ)く。

ア*ルフアックが成立すると、リーダー男は元社長婦人を貫(つらぬ)いたまま両腿(りようもも)を抱え、そのまま前向きシーシースタイルに抱き上げて元社長婦人を大股開きに立ち上がる。

「さぁ社長、どうぞどうぞ。」

ア*ルは使用中だが、前方は半開きの二枚の肉花弁も露(あらわ)に、欲棒の抽入を待って居る。

リーダー男にア*ルを貫(つらぬ)かれた前向きでシーシースタイルに抱き上げられて居る元社長婦人の中へ私は欲棒を抽入し、二本の欲棒が元社長婦人を前と後ろを貫いた。

その瞬間、「アゥン。」と元社長婦人から抑え気味の声が漏れた。

今は二穴同時フアックで、元社長婦人の薄い皮一枚隔てた肉体(からだ)の中で、私とリーダー男の名刀(欲棒)が鍔競(つばぜ)り合いをしている。

名刀(欲棒)鍔競(つばぜ)り合いのこれは、接待の強力な目玉になる筈だった。


元社長婦人は、順調に接待女性としての調教は進んでいる。

接待デビューが近くなると、私は元社長の病床を尋ね社長婦人に接待婦をさせる了解を取った。

「そうか、あれ(元社長婦人)が犯る気になったか。奥さんに散々犯らせた私だ、君に任せるから犯らして遣ってくれ。」

「そんな訳ですから奥さんも稼ぎますので、安心して療養に励んで下さい。」

正直、躊躇(ためら)いも恐れも無くどんなプレィにも入れる精神状態を、元社長の婦人に実践の中で植え付けるのが目的で、毎晩裸のお呼び出しが続いている。

元社長婦人は、最初は抵抗も在ったマルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)も犯って見れば案外肌に合い、興奮のドーパミンから脳内麻薬快感分泌ホルモン・ベータ・エンドロフィン効果のセックス・ハイ状態は癖になる事を経験した。

肉体(からだ)が並の性行為では得られない快感を知れば、知らず知らずにその非日常の舞台へ上がる誘惑に駆られても不思議は無い。

そして雰囲気が乗らないと盛り上がらないから、どうせ輪姦(まわ)されるならお相手に気分良く犯って貰った方が互いに気持ちが良いし人数も早く熟(こ)なせる。

気分の問題だから、輪姦(まわ)される元社長婦人自らスケベ女に成り切って、姦淫ムードの気分を煽(あお)り、犯られながらもエロスムード(雰囲気)を盛り上げる努力も求められる。

人間の本能から切り離せないのがエロスの魅力で、何だかんだと言ってもエロスこそ男女を引き合う大きな武器である。

何しろ性交がテーマだから、怪しい姦淫ムードがその場に漂わなければエロス気分は盛り上がらない。

そしてスケベ女に成り切って、姦淫ムードの気分を煽(あお)り盛り上げるのが、素っ裸の元社長婦人へ課せられた卑猥過ぎるエロスの演出である。

まぁこう言う不況の時代に成って始める接待だから、元社長の婦人には妻でさえ中々出来なかったきわどい遊びも犯らせねば成らないが、これなら案外本格接待デビューも近いかも知れない。

男性には基本的に「コレクター癖(収集癖)」が存在し、何かに拘って物を収集するから女性に対しても執念深く拘(こだわ)りが強く、従って離婚後も未練タラタラはほとんど男性側で、女性の方がアッサリしている。

反対に女性には本質的に「買い回り癖」があり、色々と取り替える事に愉しみを覚えるから、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)も、案外犯って見れば大概の女性に肌に合う。

セックス・ハイ状態を肉体(からだ)が知ってからは、元社長の婦人は夫の会社の倒産と個人破産で今後の人生に不安気にやつれていたこの接待話の初期の頃より遥かに輝いて見えている。

曲がりなりにも生きて行く道筋が付いた安堵感も在っての安定感だろうが、それに毎晩多数の男女に見られる意識からか元社長婦人の裸体は日に日に美しい肌と体形を獲得している。

いずれにしても元社長婦人は、この大人の接待遊びがけして嫌では無く、気分をリフレッシュさせる良い時間で有る事に何と無く気が付いた。

これで座敷に出すようになれば、何とか七〜八年はクライアント(得意先/顧客/依頼人)に遊んで貰える。



それからの元社長婦人は明らかに依り美しくなって、若返ってさえ見えた。

人間の脳は必要に応じて全身に指令を発して制御するから接待を仕込まれる様に成ってからは、他人前で裸身を晒(さら)す機会が増えたのを元社長婦人の脳が敏感に他人目(ひとめ)を意識して綺麗に成ろうとする。

勿論、良い性交を度々経験すれば、元社長婦人の性フエロモンが活性化して驚くほど変化を魅せ、魅力的な女性(おんな)醸成される。

それで他人目(ひとめ)に磨かれた元社長婦人には経験が滲み出る様な「良い女オーラ」が着衣の上からも発散され、周囲は日常生活の中からも元社長婦人の裸身を想像する様になる。


クライアント(得意先/顧客/依頼人)に悦楽の時間を提供するには、おシャブリにしろ、腰使いにしろ、相応の性交プレィテクニックが伴われなければ接待に値打ちは見い出せない。

そしてプレィテクニックと同時に、クライアント(得意先/顧客/依頼人)に失礼の無い様に奉仕する愛奴隷のマナー(行儀作法)を極めなければ成らない。

コンセプト(基本的な概念)として情が絡まない遊びだからこそ性行為の可視化(かしか/見える仕組み)が、ソーシャルセックス(公開・社交的な性交)プレイの基本である。

ストリップ・サーチ(全裸検査)プレィやエクスポースフィールドワーク(野外露出)プレィ、ティードアップ(縛り)プレィ、ビリンデス(目隠し)プレィ、ハンダードラッシュ(鞭叩き)プレィ、ハングアウト(吊るし)プレィなど、接待愛奴隷に仕込むものは多い。

それでトレーナー(指導者)のリーダー男は、元社長婦人を容赦無く素っ裸にしてグループ仲間の男達に抱かせ、行為中に性交テクニックを指示して愛奴隷に実践プレィ調教する。

元社長婦人は、トレーナー(指導者)のリーダー男に容赦無くプレィ調教され、相手の我侭(わがまま)な性癖にも笑って身を委(ゆだ)ねる極上の助平女に育って行った。



世の中に「清く正しい性交」何んて在るのだろうか?

元々性交は怪しく卑猥(ひわい)なものでなければ成立しない性質(タチ)のもので、夫婦間の性交など何の工夫も無しではマンネリ化してしまう。

だからこそ五感を総動員する工夫が為される多様性があり、夫婦共犯で遊ぶのが理想的なのだが、それもこれも「生きて行くには必要な事」と考えるかどうかの問題で、その対処の選択は本人がするしかない。

そこを理解しないで、マンネリ化してしまった夫婦間を「愛情が無くなった」と投げ出しては何にも成らない。

存在する多様性をただ「嫌らしい」何て非難するのは、性交に間違った考え方をして居るのか、努力しないで横着を決め込んでいるかで、それでは他所(よそ)に愛人を作られても仕方がない。



それは正直、「妻と同じ目に遭わせたい」と言う想いが「無かった」と言えば嘘になる。

忙しい時は、元社長婦人の調教をリーダー男とその仲間に任せているのだが、ソロソロ本格的に接待奴隷業をさせねば成らない。

「どうだね元社長婦人の様子は、続けられそうかね。」とリーダー男に声を掛けて公開調教の首尾を聞いた。

「帰り車の中の様子は、嫌だったと言うよりも、むしろ愉しんでスッキリした様な雰囲気でした。」

「だろう、あれ(輪姦プレィ)を経験した女性の大概はその後好感触だよ。」

あの女は(元社長婦人)は、家に帰った後も、まんざら嫌そうでは無い様子だった。

リーダー男が、「もう一度あの女に(元社長婦人)に輪姦(まわし)を犯らせてみれば、反応感度で調教の出来が判るだろう。」と笑って言い放った。

「そうだな、感触を忘れない間にまた犯らせよう。」


元社長婦人の様にそれ成りに成熟した女性なら、切欠さえ在れば年齢相応の思考なり肉体なりに自然に進化しているものである。

要領も判っただろう二度目の輪姦プレィでは、犯らされる元社長婦人も淑女の仮面を脱ぎ捨ててプレィをテンポ良く熟(こな)し観せ、モタツキなどは赦されない。

お座敷接待の場では陰湿な性交は好まれず、ソーシャルセックス(社交的な性交)の性交は、「明るく愉しく」がもっとうで無ければ趣旨とは違う方向に成る。

こう言う場面では、何事も素直(すなお)に応じるのが原則で、逆らえば場の雰囲気を壊(こわ)すだけで何の得も無い。

つまり犯る者も犯られる者も、そして見物する者も、その時間を愉しく過ごさなければ意味がないからである。

大人(おとな)なら恋と性愛の違いくらい承知していて、馬鹿者な女性は利口者振るが利口者は馬鹿なスケベ女性の振りが出来る。

愛奴隷の性奉仕として、アベソルティオベデンス(絶対服従)と言う合意の中で指図(さしず)されれば、それは相手の性癖を満足させる為のエグゼクティブ(高級・贅沢)な愉しみである。

つまり性行為の形態や技法を想像で否定するのでは無く実際に体験して良さを理解すれば、人間は基本的な考え方が変わるものである。

当然この接待性交舞台は、元社長婦人の心境に「大きな影響が在る」と、親娘を飼育する私に思える状況だった。

正直、親娘を飼育する私にして見ればこの出来事を切欠に、これからの新しい元社長婦人に逢える期待が高まった。

何はともあれ、犯ってくれた相手には「有難うございます。」の感謝を表するのがこう言う接待調教の場面では礼儀である。



それにしても、説明を受けた当初は簡単に考えていた性接待も、本格的な愛奴隷接待だった事に、元社長婦人は今更に驚愕(きょうがく)した。

それが、夫が使っていた性接待婦人の夫婦と立場が入れ替わって、「アッ」と言う間に過激に調教され、今は恥や外聞を捨て他人前(ひとまえ)で生ライブ性交ショーの主役である。

しかし人間の想いなど不思議な物で、同じ事でも悩んでしまえば大変な事で、堂々と「何でもない」と思えば、それは「何でもない事」である。

この卑猥(ひわい)な愛奴隷接待を「犯る」と応じた以上、元社長婦人は気取りを捨てて、相手の腰使いにアクティブ(前向き・攻撃的)に受け腰を使わざるを得ない。

他人前(ひとまえ)に素っ裸で曳き出され、クライアント(得意先/顧客/依頼人)を遊ばせる目的の愛奴隷接待性交に応ずるのだ。

素っ裸にされて会場中央に曳き出され、これから男達の弄(なぶ)り者に成ると言うのに、元社長婦人は私の妻から「元気出しなさいよ。」と激励された。

座敷の中心に、凡(およ)そ六畳くらいのスペースを開けて、その上に九百掛ける千八百のマットレスを三枚敷いたリンク(競技場)が、元社長婦人の舞台だった。

いささか「不条理な要求」とは想ったが、状況を判断するに、ここは相手に身を委(ゆだ)ねて「努力と根性で乗り切るしかない。」と受け入れた。

この状況下では、愛奴隷接待のお約束で元社長婦人の接待プレィに一切の妥協は許され無い。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)を、濃厚な性交で堪能(たんのう)させなければ接待の意味が無いからだ。

全裸で曳き出された時は元社長婦人も「恥じらい」の表情を浮かべていても、プレィが始まってしまえば「恥じらい処」ではない。

犯り始めれば肉弾の修羅場で、どうせ元社長婦人が気取って居ても、肉体(からだ)からは正直に「嫌らしい反応」が滲(にじ)んで来て隠しようが無い。

そしてガチ・バトルが続くこの刺激的マラソン性交プレィに嵌(はま)れば、ランナーズハイと同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・「セックスハイ現象」に達する。

まぁ、人間は元々判らない生き物で、表面からは裏の非日常の場面では何を犯って居るのかまではどうせ想像など出来ないのだから、これは日常生活では無かった事である。

そう、日常生活の穴を埋めるこの大人の遊びを、大袈裟(おおげさ)に禁欲的に考えなければ、元社長婦人の人生は、まんざら悪くは無いのかも知れない。


元社長婦人は、アベソルティオベデンス(絶対服従)の掟で男達にグチャグチャに犯られたが、プレィさせられる事は女の本音で言えば、それほど嫌には思えなかったようだ。

招待客は目(ま)の当りにすれば勃起(ぼっき)もので、家に帰って来ても当分の間、多くの男達と自分(元社長婦人)が犯って観せたあられもない究極の性交姿が脳裏に浮かんで来て興奮が醒(さ)めなかった。

当然ながら、大口クライアント(得意先/顧客/依頼人)からは会社に「また愉しませてくれ」と声が掛かる。

客観的に観ればこれは私が仕掛けた事だから、全裸で元社長婦人が座敷宴会の公開性交舞台で犯り遂げた接待は、今の飼い主としてとして褒めてやらねば成らない。

そしてお座敷での性接待の一週間後、「**さん、また例のお座敷の仕事だよ」と、その元社長婦人の性交舞台が私に依って設定された。

いずれにしても元社長婦人は、この誘いを拒(こば)まずむしろ積極的に応ずる構えだった。

恐らく元社長婦人は、あのランナーズハイに似た快感のプレィに味を占めたのだろう。

とにかく「他人前(ひとまえ)で性交して観せる」と言う非日常の羞恥心と興奮で元社長婦人の脳内には興奮物質・ドーパミンが溢(あふ)れ出す。

ドーパミンの活性で、元社長婦人の脳内に脳内麻薬ホルモン物質・ベータ・エンドロフィンが生成されて、一種のランナーズハイに似た「心地良い疲れ」の快感を得る。

ベータ・エンドロフィンは、体内で生成される無害の分泌ホルモンで、脳内麻薬(快感ホルモン)である。

この脳内麻薬(快感ホルモン)は無害ではあるが、一旦脳に記憶させると脳がその分泌快感ホルモンを発生するシュチエーションを学習して無意識に要求する。

つまり非日常の快感に味を占め、ソーシャルセックス(社交的な性交)、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)などのプレィが癖になる脳内メカニズム(構造)なのだ。

つまり元社長婦人は再びパンティを脱ぎ、あの壮絶なハードボイルド生ポルノ(冷酷非情で妥協しない性行為の実演)輪姦性交を味合う事に成るのだ。


リーダー男が関わったパーティプログラム(進行計画)は、何時(いつ)もほぼ一致していて、性交パホーマンス(表現)の次第には似た流れが在る。

リーダー男は業(ごう/カルマ/行為)の深い生き物で、ある種想ったよりも「感性が強い曲者(くせもの)」だった。

実は既に元社長婦人は、写真でリーダー男のお眼がねに、「この女性なら性接待に良いでしょう」と適(かな)っていた。

リーダー男の、女性のM(マゾ)性の強弱を見分ける嗅覚は天性のもので、僅かな可能性も見落とさない。

元社長婦人は「性癖」の深層を封じて隠し生きる為に、日常地味な装いをしていて、それが実は強いM(マゾ)性を滲ませていた。

元社長婦人には衝撃的だった自分の本性だろうが、つまり元々元社長婦人には天性のM(マゾ)性が滲んでいた。

元社長婦人は内心、高校生の頃から自由に伸び伸びした性交に興味があった。

それを阻(はば)んで居たのは、言わば世間のモラル(道徳)・インモラル(不道徳/背徳的)と言った建前のパラダイム(時代の合意事項)だった。

しかし人類に於けるパラダイム(時代の合意事項)など、正直、不確(ふたし)かな事この上ない。

感性で言えば、中世のパラダイム(時代の合意事項)は「地球は平で在り、天が動いている」が信仰上の感性だった。


正直、シエアリング(共同所有)のソーシャルセックス(社交的な性交)、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)など、想像しただけで胸がキュンとする。

もしかしたら元社長婦人のそうした興味は、本性を素直にバラせば世俗的には「あばずれ」と言われそうな眉をひそめるSEXの遊びへの密かな憧(あこが)れだった。

だが、元社長婦人の深層心理のイメージでは、性玩具(おもちや)として扱われる露出羞恥や輪姦と言うM(マゾ)性の「服従の性交」を予感させるインモラル(不道徳/背徳的)で多様な性交に密かな憧(あこが)れが在った。

結局の所、女が男を甚振(いたぶ)っても、シュール(説明が難しい状態)な違和感ばかりで落ち着かない。

つまり女性には根っ子からM(マゾ)性が本性で、罪悪感的な想いは在ったが、それ以上に感じられる快感に元社長婦人は魅力が在った。


表面的な偽善社会の世論感覚からすれば、性接待のソーシャルセックス(社交的な性交)は大いに羞恥心や罪悪感を感じる行為である。

しかしもぅ女性(おんな)として覚悟を決めたからこそ、モチベーション(犯る気)を証明する為に全裸で此処に居る。

ミッチリ仕込まれた愛奴隷が性接待してこそ、クライアント(得意先/顧客/依頼人)は濃厚な性行為が堪能でき、そこに価値が生まれる。

愛奴隷としてアベソルティオベデンス(絶対服従)と言う合意の中で指図(さしず)されれば、それは相手の性癖を満足させる為のエグゼクティブ(高級・贅沢)な愉しみである。


本来のソーシャルセックス(社交的な性交)の目的は、肉体を駆使して仲間内のシエアリング(共同所有)の精神を快適に愉しむ為である。

それにしても、元社長婦人に人気が在れば在るほど犯りたい男達が群がって、嬲(なぶ)り者にする。

多人数の性交相手を熟(こな)すに大変だが、女心の本音で言えば「敬遠される依りは順番待ちの行列が出来る高い人気を得たい」と言う想いも在る。

性接待のソーシャルセックス(社交的な性交)が、当初は納得が行かない事でも、それに一旦応じてしまえば後は自分で納得が行く理由を見つけるしかない。

愛奴隷はクライアント(得意先/顧客/依頼人)に、素っ裸で犯り放題に弄(なぶ)られる事を承知して全裸で引き渡されている。

本来の愛奴隷の目的は、肉体を駆使してクライアント(得意先/顧客/依頼人)を快適に過ごさせる事の一点である。

それにしても、元社長婦人に人気が在れば在るほど犯りたい男達が群がって、多人数の性交相手を熟(こな)すに大変だが、女心の本音で言えば「高い人気を得たい」と言う想いも在る。



まずは妻のリードで、ショーが開始された。

座布団を三枚並べて裸で仰向けに寝かした元社長婦人の背中、座布団の隙間に竹竿を通し、両足をマングリ返しにさせて左右の足首を竹竿に縛り付ける。

その竹竿に縛り付けた左右の足首の横に、左右の手首も縛り付けて元社長婦人の動きを完全に封じて固定してしまう。

マングリ返しで天井を向いた元社長婦人の柔ら壷に、妻が用意して在った輪ゴムでまとめスキンを被(かぶ)せた花束が挿し込まれ、卑猥(ひわ)な人間生け花が完成した。

これで元社長婦人が弄(なぶ)り放題の性玩具(オモチャ)で在る事を、芸者衆や招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)に充分な宣言をした事になる。


元社長婦人は、私達に仕込まれた「愛奴隷として在るべき姿」を生々しく実践していた。

一人十分間から十五分間、五〜六人ごとに十分間のインターバル(休憩時間)を加え、元社長婦人は十二人の招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)をこなして凡(およ)そ三時間前後の生ライブだった。

取り囲んだギャラリーの男女には、手を伸ばせば絡み合う男女の肉体(からだ)に触れられる程の至近距離である。

欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せるこの見世物状態を、西洋ではサーカス(群集が取り巻いて見下ろす見世物)と言う。

招待クライアント(得意先/顧客/依頼人)と芸者衆の目の前で、全裸の元社長婦人がゲストに乳房を握(にぎ)り掴(つか)まれ、揉みしだかれ、M字開脚をさせられて股座を晒(さら)している。

ストリップ・サーチ(全裸検査)は、愛奴隷の引渡しやSMプレィの基本の様式で、委(ゆだ)ねられる肉体(からだ)の「品定め権の行使」みたいなものである。

晒(さら)した股座の肉花弁を指で広げられてスリットの中を観られたり、笑いながらスリットの中に指を入れられて弄(なぶ)られている。

全裸体の元社長婦人を左手で抱きかかえて、ギャラリーに良く観える様にM字開脚で股を開かせ、右手の指二本を元社長婦人の大股開きの中心にズブリと挿し込む。

元社長婦人の太腿(ふともも)の眩(まぶ)しい大股開きの中心を、二本指をクィクィと抜き挿しをして攻めたてる。

元社長婦人は、ギャラリーの注目が集まる股間を少し浮かせ、「アゥ、アゥ」と善がり声を挙げて健気(けなげ)に指の抜き挿しに耐えている。

指攻めに股間からクチャクチャと言う愛液音を発しながら、元社長婦人の腰は艶(なまめ)かしくクネリ、時折ビクンビクンと動いて激しく反応して見せている。

抽入された指二本で膣中をディスターブ(掻き回す)され、元社長婦人は猛烈な快感に上半身を海老ぞりに反り返り、腰をビクンビクンと痙攣(けいれん)させる。

例え指で攻められても、感じ始めれば「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声も出て来るし、腰もリズムを合わせて使い始める。

元社長婦人は、わめく様に善がり声を挙げ、のけ反(ぞり)りながら腰を浮かし、身震いして快感反応を露(あらわ)にして居た。

それが続いて、元社長婦人がもう耐えられない風情で腰を引き脚を閉じようと試みるので、クライアント(得意先/顧客/依頼人)が抜き挿しを止め、指を肉体(からだ)から抜かれて、やっと元社長婦人はホッとした表情を浮かべた。


次は全裸の元社長婦人が白い尻を掲(かか)げて這いつくばり、目を怪しく光らせたゲストに双っの尻肉を左右に広げられてア*ルの菊座と肉花弁のスリットを晒(さら)している。

愛奴隷のクライアント(得意先/顧客/依頼人)への「快適なおもてなし」は、おシヤブリから始まる。

全裸で膝間着(ひざまつ)く元社長婦人の目の前に、抜き身の名刀(欲棒)がクライアント(得意先/顧客/依頼人)の股間にポロリとぶら下がっていた。

その名刀(欲棒)を、元社長婦人が利き手で握って扱(しご)き始め、ムクムクと反応が始まった。

元社長婦人が手で扱(しご)いていきり立ったクライアント(得意先/顧客/依頼人)の欲棒を、上から被せる様にして親指をカリ首に廻し、軽く握って手の甲を腹に充てる様に欲棒の裏を顔に向ける。

元社長婦人は、その欲棒の「裏筋(うらすじ)」を、鼻を擦(こす)り着けながら舌先を使って舐(な)め挙げ、玉袋も舌先で舐(な)め挙げて来る。

元社長婦人の口技に身を委(ゆだ)ねたクライアント(得意先/顧客/依頼人)の顔は極楽を彷徨(さまよ)っている。

頃合を見て、元社長婦人はその裏筋(うらすじ)舐(な)めで握って居た手を放し、パクリとカリ首ごと欲棒を咥(くわ)え、クィクィとシャブり始めた。

元社長婦人の口技に身を委(ゆだ)ねたクライアント(得意先/顧客/依頼人)の顔は極楽を彷徨(さまよ)っている。

シャブられて欲棒が硬さを益せば、次は元社長婦人への抽入と抜き挿しで、クライアント(得意先/顧客/依頼人)は、上にさせたり下にさせたりと思い思いの体位で、元社長婦人との性交を愉しむ。

始まってしまえば、相手は代われど元社長婦人には二時間や三時間は「犯られっ放し」と言うか「犯りっ放し」と言うか、ともかく絶頂(イク)が継続する過酷な他人前(ひとまえ)性交ショー状態が続く。

セックスショー化してギャラリーにライブ(実況)で観せる事で気分が高まり、脳内に発生するドーパミンの興奮がセックスハイの陶酔を引き起こして、密度が濃いプレィが演出される。

言わば舞台装置みたいなものだが、観られてこその興奮で、このショー化が綺麗事の裏側に存在するもう一人の元社長婦人の本性を暴(あば)き出す。

そして元社長婦人は、羞恥の感性の中で気取(キドリ)を捨て去り、しなやかに軽快に、あられもなく裸身を弾(はず)まさせてギャラリーの前で性交プレィをする。


シュール(非日常的)で衝撃的なプレィ光景が、固唾を飲む周囲のギャラリーに良く見えていた。

全裸の元社長婦人が四つん這いに尻を高く掲げた姿勢をさせられて、後ろから眺めるとア*ルの菊の蕾(つぼみ)が恥ずかしそうに皺(しわ)を見せている。

そのア*ルの下部、柔らかそうな肌の太腿(ふともも)の付け根に、こんもりと二枚の肉の花びらが「触れてくれ」と怪しく男を誘うように左右から閉じ気味に割れ目を見せている。

今元社長婦人の肉体使用権を得ている男が、右手を開いて中指で二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて柔ら壺へ挿し込み、クィクィと抜き挿しして攻め始める。

「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」

攻められた元社長婦人が善がり声を挙げ、腰を震わせて反応を始める。

指攻めの反応に興奮したのかその男が硬く張り詰めた自分の欲棒を左手で握り締めて四〜五回扱(しご)き、その欲棒のカリ首を元社長婦人の割れ目へ二〜三度擦りつけてグィと挿し込んだ。

四つん這いに左右に開いた元社長婦人の太腿(ふともも)の中央に、その男の欲棒がズッポリと嵌(はま)った。

後背位で生々しく嵌(はま)った欲棒が、男の腰の動きに応じて愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら抜き挿しされている。


クライアント(得意先/顧客/依頼人)の男達は、元社長婦人の両膝に手を置いてパカッと脚を左右に開き、遠慮も無く股倉に欲棒を抽入して来る。

欲棒が中に納まると男達は、抽入した欲棒を「此処ぞ」とばかりに気分を高めてピッチ良く攻撃的にグィグィと抜き挿しして元社長婦人を攻め愉しんで来る。

パカッと開いた股倉に怪しく欲棒を咥(くわ)え込んだまま、元社長婦人が会心の受け腰でクィクィと応戦して観せている。

その攻撃が、元社長婦人が被っていた淑女の仮面を脱ぎ捨てさせ、気取を捨て去ってしなやかに軽快にあられもなく裸身を弾(はず)ませいる元社長婦人が、そこに居た。


その後も元社長婦人の男達の輪姦は続き、今、元社長婦人は、脚を床に踏ん張った騎乗位で欲棒を咥え込んだ股倉を意識して開いて見せながら、乳首が立った乳房を上下に揺(ゆ)らし、腰から上半身を上下させている。

すると、仰向(あおむ)けに横たわる男の愛液に濡れ光る陰茎が、元社長婦人の上半身上下に合わせて見え隠れしている。

ギャラリーの芸者衆から「ハッスル、ハッスル」の囃子立(はやした)てが起こり、その掛け声に合わせる様にクライアント(得意先/顧客/依頼人)への腰の上下が激しくなる。

出来るだけ早く人数を消化しなければ身が持たないから、恥女に変身した元社長婦人は、クィクィとリズム良い腰使いで咥え込んだ欲棒に快感刺激を与えている。

腰の上下が激しくなった元社長婦人は、「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声を発しながらリズム良く腰を上下させ、ライブ(実況)で観ているギャラリー(観客)の期待に応える。


元社長婦人の肉体(からだ)の中心に、やっと順番が廻って来たクライアント(得意先/顧客/依頼人)の欲棒が挿し込まれ、クィクィと腰の動きと共に陰茎が見え隠れしている。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)の男の欲棒を咥え込んだ腰も、元社長婦人の口から漏れる「ハッハッハッハッハッハッ」の連続音と共に受け腰で応戦している。

元社長婦人の左右に開いた太腿(ふともも)の中央に、二枚の肉の花びらを掻(か)き分けて生々しくズッポリと嵌(はま)った欲棒が、愛液で濡(ぬれ)れ光る陰茎を見え隠れさせながら激しく抜き挿しされている。

元社長婦人の快感が強くなったのか、暫(しばら)くの間、「アァー、イクー、アァー、イクー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と言うけたたましい元社長婦人の絶頂の善がり声が会場中に響いていた。

正直輪姦(まわし)の場合は、攻める順番で言えば「先に二〜三人に犯られてイッ(絶頂)た後」の女性の方が肉体(からだ)の感度が上がっていてヒィヒィもので、犯るのが堪(たま)らなく面白い。

元社長婦人の肉体(からだ)は、その感度が上がった状態で次々と訪問者の欲棒をズブリと迎えた。

しかしその内、元社長婦人の肉体(からだ)から「ガックリ」と力が抜け、「だらり」と動かなく成った。

「あの奥さん、気を失ったみたいですね。まだ予定の人数の半分も行っていません。このまま続けましょう。続ければ、その内に気が付きます。」

「判っている。構わない、続けさせよう。」

元社長婦人がこう成ったのは元社長のせいで、「気絶したから」と言って赦(ゆる)されないから、そのまま犯らせて見守ってやるしか無い。

目の前で、元社長婦人がぐったりと動かなく成ったまま、男達が入れ替わりながら壮絶な陵辱を受け続けている。

何しろ輪姦(まわし)に馴れた男達が相手で、男がパンパンパンと突き入れる度に、元社長婦人の乳房が上下し、肉体(からだ)がガツン、ガツンと波打って見える。

その状態が三人ほど続き、再びが息を吹き返し、「アァー、アァー、アァー、アッ、アッ、アッ、アッ。」と善がり始めた。

再び恍惚の表情を浮かべて、元社長婦人が「アッ、アッ、アッ、アッ、アー。」と善がり声を上げ始め、またクライマックス(絶頂)に達したようだ。

元社長婦人のクライマックス(絶頂)の悲鳴も一度で終わらず、この輪姦性交ではもぅ何度と無く聞こえていた。

それにしてもあれだけ善がっている元社長婦人を観ると、この輪姦(まわし)を「可哀相(かわいそう)な事をさせた」と同情して良いものかどうかも疑問になる。


元社長婦人が体験した性接待のソーシャルセックス(社交的な性交)は、息も絶え絶え(たえだえ)に成る程に強烈だった。

「もぅ懲り懲(こりご)り」などと格好を付けては居られないほど、後を引く快感体験だった。

最初は仕方なしに犯られるだけの気分でも、次から次に犯られれば感じ始めて当たり前で、自然と受け腰で抜き挿しにクィクィと応じ始める。

肉体(からだ)の中心を欲棒に貫(つらぬ)かれ、元社長婦人の顔は完全に身を委(ゆだ)ねるモードの表情に入っていた。

クライアント(得意先/顧客/依頼人)のクィクィ言うと腰の動きに応じて、「アッアッアッ」と元社長婦人の喘(あえ)ぎ声とハァハァと荒い息の呼吸が他人前(ひとまえ)にも抑(おさ)えるでもなく漏れている。

快感を貪(むさぼ)り始めたらもぅ止まらず、そのまま容赦無(ようしゃな)くイカされ続けて男達は二回(ふたまわ)りに入(はい)り、やがて元社長婦人は絶叫する。

その元社長婦人の肉体反応を、クライアント(得意先/顧客/依頼人)達が見知らぬ女に欲棒をシャブらせながら目をキラつかせて観ている。

この世に生まれた幸福をエンドレスに感じる絶叫悶絶の快感に、偽善社会の罪悪感も吹っ飛ぶ究極の心地良い疲れは理屈を超越していた。

「あの犯され続ける時間がまた遣って来る」と想うと、次の誘いを心待ちにする元社長婦人がそこに居た。


本人なり周囲の人間なり、誰が何と言おうと元社長婦人は全裸でこの公開性交舞台に「これでもか?」と股を広げて出演した。

本音で言えば、こうした場面で淑女(しゅくじょ)のあられもない究極の姿を観るのは、出席者の偽らない愉しみである。

また、こうした舞台に登ってしまった元社長婦人にして見れば、それはもぅアスリートの気分で全力を尽くして、この生々しいエロスを観せるしか無かった。

だからこそ、元社長婦人にしてみれば、あれだけ犯って観せたのだから「充分にギャラリーを愉しませた」と言う意識はある。

そして元社長婦人には、これを越える曝(さら)け出しは想像出来ないほどに、犯り遂げた想いはある。

「人前で性交する」と言う脳みそが溶ける様な究極の羞恥心は、女性が本来持つ露出嗜好を満足させるものである。

また、このプレィに於けるアベソルティオベデンス(絶対服従)は、女性が持つ究極のM性(マゾ性)を満足させるものである。

そして、同じ類人猿・チンパンジーやオラウータンの群れ婚、発情期に於ける雌に対する雄の連続輪姦の現実は、女性の遠い記憶の中に在る

だから「止む事が無いのでは」と思える連続輪姦の快感は、元社長婦人がセックスハイ現象に追い込まれるのに充分だった。

この性接待と言う凄(すさ)まじいセックス・プレィに追い込まれる事態に遭遇するまで、元社長婦人はお気楽に生活していた。

しかし生き方に「安易な決まり事」を持ち込むと、楽に生きられるかも知れないが想像力や創造力は育たない。

「何で私が、こんな事を犯らなきゃいけないの?」と想うかも知れないが、何事も妥協しては良い仕事は出来ない。

確かに今までの認識からすればこの事態は異常な状況ではあるが、追い込まれて避けられないのなら今更クヨクヨしても仕方が無い。

素っ裸の元社長婦人は、男女の好奇な視線に晒される宴会愛奴隷と言うセックスフアイトのリンクに登った。

正直元社長婦人には、これからこれから自分の肉体(からだ)に訪れる遊びの性交に痺(しび)れるほどの期待感が芽生えていた。

「これから何人もの男達に続けて犯される」と想っただけで、その生まれて始めてのインモラル(不道徳/背徳的)な刺激には、元社長婦人の脳は厚めに活性化する。

性交している恥ずかしい姿を男女のギャラリー(観客)に披露する事に成るが、元々女性の本質は露出癖で、腹を括(くく)ればその辺りを満足させる。

これだけのギャラリー(観客)の前で始まる性交ショーに、その場に居る全員が、胸をときめかせるインモラル(不道徳/背徳的)な至福の時を愉しく過ごす事は間違いはない。

性接待は、一般的に「女性を蹂躙(じゅうりん)している」とする解釈も在るが、女性本人の性癖如何では至福の時を過ごす官能的な場面かも知れない。

信じられないかも知れないが、このヤンチャ(悪戯)な状況の当事者に追い込まれてしまえば、後で「あそこでもうチョット頑張れば良かった」と悔やみたくは無い想いが元社長婦人にはある。


元社長婦人も人数を熟(こな)し続けて相当体力を消耗しているが、ここは気力で乗り切るしかない。

只、この疲労困憊(ひろうこんぱい)の時機に、ランナーズハイ・と同様の驚くべき悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に見舞われ、元社長婦人の味方に成る。

つまり男達側の交代に依る連続性交で、元社長婦人の一旦達したマックス(絶頂)状態が持続したまま突き抜けて、悦楽(気持ち好い)状態・セックスハイ現象に達する。

性接待のソーシャルセックス(社交的な性交)を経験すると、このセックスハイのお駄賃(褒美)を得られる事に味を占めた。

その後の元社長婦人はこの手の「プレィのお誘い」に「また、あの天国が体験できる」と、性接待に嫌悪感(けんおかん)は起こらなくなった。

しかしこの世に生まれて人生が色々なら、男だって女だって咲き乱れて愉しんでも良(い)いんじゃないか?

つまり元社長婦人がそれ成りに成熟した女性なら、年齢相応の思考なり肉体なりに自然に進化しているものである。

元社長婦人は非日常の一瞬に、男達の連続性交で散々善がらして貰(もら)っただけで、家に帰った日常はそれ以上でもそれ以下でも無い。

ソーシャルセックス(社交的な性交)の性交なんて、大袈裟(おおげさ)に考えなければ結局こんなもので、大した事では無いのある。

そして、どうせこう言う非日常の事は、経験が無い者に限って声高に批判するだろうから、元社長婦人は世間に口を拭(ぬぐ)って知らん顔をして居れば良い。



私も妻も会社も、一時期はスポンサー社長に好きに飼われていた。

今度はスポンサー社長婦人と御令嬢を、私達が弄(もてあそ)びながら飼う事に成る。

正直、性交は獣(けもの)の営みだからこそ、清純・清廉などと言う言葉は最初から似合わない。

益してや、クライアント(得意先/顧客/依頼人)の接待の場ともなると、素直(すなお)に限りなく卑猥(ひわい)なほど上等の性交なのである。

妻は最近、調教が済んだ元社長婦人を曳き連れて相変わらずクライアント(得意先/顧客/依頼人)の接待に出かけている。

スポンサー社長に紹介されて、妻のクライアント(得意先/顧客/依頼人)だった中にもバブル崩壊をしぶとく生き残った者も居て、私の会社も未だに特別な接待は続いている。

勿論そう言う相手は、スポンサー社長の婦人とも色々なシーンで面識が在る場合が多く、元々挨拶程度はする顔見知りだった。

彼女(元社長婦人)は、着物やパーティドレスが似合う美貌とスタイルの持ち主でパーティ会場を華やかす存在だった。

だから当然、内心の本音では「一度で良いからこの奥さんを犯りたいものだ」と想っていた知人も多かった。

こう言う類の面識の場合は言わば接待資源の様なもので付加価値が在り、接待の場にその憧れだった元社長婦人を素っ裸にして連れて行けば、大いに喜ばれる。

流石(さすが)に元名家の社長夫人だったから、まだ箪笥(たんす)内には高価な着物が沢山在った。

それで美容院へ行かせて髪を和風に結わえさせ、持ち物の高価な着物を身に着けさせて接待の座敷に行かせる。

座敷でクライアント(得意先/顧客/依頼人)に挨拶させたら一通りお酌をさせ、その次はお座敷ストリップをさせて足元の白足袋(しろたび)以外は全て脱がせて素っ裸である。

その白足袋(しろたび)一双(いっそう)だけが、接待の場での元社長夫人の売り物の制服姿だった。

易々と逃げ切れない状況に追い込まれて、元社長婦人は今、多くの視線を感じながら素っ裸でこの宴会上に居る。

元社長婦人が眩(まばゆ)い裸身を曝け出して引き出されたお座敷は、陵辱プレィのセックスフアイトリンクだった。

名家の御曹司だった元社長を知るだけに、その未亡人が素っ裸でお座敷性交ショーのヒロインとも成ると、それは取って置きのエンジョイ・トゥギャザー(ごいっしょに愉しみましょう)である。


一糸まとわぬ素っ裸で他人前(ひとまえ)に曳き出され、里美は脳みそが溶けそうな何とも表現し難い想いの羞恥心に耐え、子宮がジワッと熱くなる興奮を感じた。

元社長婦人にしてみれば、逃げ切れない状況に易々と追い込まれて、止むを得ずに承知した陵辱接待の、日常生活では在り得ない最初の儀式だった。

この肉体(からだ)がフワッ浮き上がる様な表現し難い頼りな気な羞恥感覚は、実際に経験してみないと判らない。

あのイッてもイッても相手が替わってまた犯される、息が詰まる様な途切れないアクメ(絶頂)快感地獄が、今日もまた味わえる。


白足袋(しろたび)一双(いっそう)だけの素っ裸で、恒例の「あ〜ワカメに隠れたハマグリちゃん。チラッと見えたかハマグリちゃん。」とお囃子(はやし)に合わせて扇子(せんす)で前を隠すスッポンポンの裸踊りをさせまずは場を和らげる。


元社長婦人の性調教は、良い仕上がりだった。

世間では考えられない筈の過激な性行為を、「遊びのプレィはそんなもの」と他人前(ひとまえ)で平然と熟(こな)すほどに成長していたのだ。

マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)、或いはコレクティブセックスプレィ(集団乱交)などの接待性交も多人数相手では元社長婦人にはかなりの運動量である。

おまけにこの環境では始終裸で曳き出されるから裸体を常に見られる事を意識しているから元社長婦人の肉体(からだ)が適度に美しく引き締まり、いっそう魅力的になった。

それで元社長婦人は着物姿や素っ裸で宴会場に連れて行かれ、以前にパーティ会場で面識がある男に「この機会を有効に愉しもう」と大いに弄(もてあそ)ばれる。

一人終われば三つ指ついて「有難う御座いました。」と礼を言い、また次の男に応じて股を開く接待の日々が続いた。

まぁ、元社長婦人が旧来の顔見知りに素っ裸で引き渡される時は、知っていて空(そら)を使っては失礼だから「以前から知り合いである」と言う挨拶が大事である。

妻が元社長婦人を曳き連れて行って上座のクライアント(得意先/顧客/依頼人)の会席膳の前に股間の恥毛やパックリ開いた肉花弁を曝(さら)け出すM字開脚で座らせ、ワザと「お久しぶりです。**のパーティ以来ですね」とキッチリ再会の挨拶をさせる。

次は席の横に廻ってクライアント(得意先/顧客/依頼人)の欲棒を咥え、挨拶代わりにおシャブリをさせてから、屏風の陰で淫乱接待ショーの支度をする。

こうした事は以前、夫のスポンサー社長が他人妻(ひとつま)を仕込んだと同様の事なので、元社長婦人が幾ら恥ずかしくても素直に犯るより仕方が無い。



リーダー男に命じられて、元社長婦人はランニングジュウズだけの素っ裸で、自宅マンションを出た。

臆病ではこうした遊びは出来ない。

入り口で待機していた車に滑り込むように乗って、元社長婦人は全裸で外に連れ出され、車で街の郊外まで連れて行かれ招待客への露出ショウをさせられた。

そこで何時(いつ)誰と遭遇するかも知れないスリルの中、深夜の公道の歩道を二キロほど伴走する車両から見張られながら素っ裸で走らされた。

多少寂(さび)れた公道とは言え、全裸体の女が走るなどは非日常の異様な光景だが、この後その熟れた美人が抱けるのだからこその興奮もある。

勿論露出プレイは「見られるかも知れない」と言うスリルを愉しむ、いや、「見られても構わない」と言う心理的には意表を突く究極の新しい感覚である。

それがリーダー男の遣り方だから、元社長婦人にプレィ度胸を着ける為に「プライドを一度破壊して観念させよう」と言うのだ。

伴走する車両には、このランニングの後元社長婦人を輪姦(まわ)す予定の招待客の男達が四人乗っていて、素っ裸でワイルドに夜道を走る元社長婦人を眺めている。

幸い歩道の方は誰とも出会わなかったが、車道の方は何台もの車両とすれ違い、ヘッドライトに照らされた元社長婦人の裸身が浮き上がっていた。
素っ裸の元社長婦人が乳首が立った乳房を上下に揺らして、公道の歩道をランニングシューズだけで走っているのを、多分何台もの車両が見ている筈だった。

正直元社長婦人は、「またあれ(輪姦/まわし)を犯られる」と思えば胸がときめく、どうしょうも無い肉体(からだ)に成っていた。

子宮が熱くなって股間から本気汁が外に垂れ出して太腿(ふともも)を伝わり落ち、自分のスケベ加減を自覚させられるのだ。

この露出プレィ、公道を全裸でランニングさせるなど傍目(はため)には異常かも知れないが、元社長婦人の中身が異常で無ければ本当は話にも成らない。

エロスのトキメキを感じるSMプレィのヒロインとして、元社長婦人の裸体はビジュアル(視覚的要素)としては普通に見物に違いない。

恥部丸見えの滑稽(こっけい)なだけのランニングだが、走らされる元社長婦人には脳が痺(しび)れるような特殊なM(マゾ)感情が湧いて来る。

元社長婦人にはこのランニングが、多くの男達とジェニタリア・コンフロンテイション(性器対決)を余儀なくされる素っ裸のガチンコSEXハイターとして品定めされるセレモニー(儀式)の気分である。

何故こんな理不尽なプレィ(遊び)に、元社長婦人が胸をトキメかせ子宮を熱くさせて付き合うのかって?

このバカバカしいセレモニー(儀式)は元社長婦人に課した服従遊びで、犯っても見ない他人が元社長婦人の心境を想像で推し量っても仕方が無い。

恥ずかしく虐(いじ)められると、羞恥心や痛みに脳内が活性化して並の性交では得られない癖に成る快感を経験し、その誘惑が元社長婦人の脳に逆らえない誘惑として記憶される。

だから誰でも、その癖に成る快感に嵌(はま)れば、外から見るとバカバカしいプレィ(遊び)に嬉々として応じるようになる。

つまり間抜けな女が素っ裸にされて面白半分の笑い者に、歩道をランニングさせられているだけである。

この後元社長婦人には、陰茎に青筋が立つほど硬くそそり立つ何人もの陰茎を、入れ替わり立ち代り突き込まれる脳みそが溶ける様な快感地獄が十分〜十五分と続く場面が待っている。


正直、元社長婦人が一番羞恥心で辛かったのが、設備が揃ったSMラブホテルで犯られた「狸吊(たぬきつ)り」だった。

元社長婦人は素っ裸にされ、滑車縄で足首と手首をまとめて縛(しば)く「狸吊(たぬきつ)り」に、全体重が手足首に掛からない様に腰が床に着く形に吊るされる。

これで全く抵抗できない「狸吊(たぬきつ)り体制」のまま、元社長婦人は次々とメンバー達の欲棒を受け入れる事に成る。

始まれば元社長婦人は、「ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜、ア、ヒィ〜。」とわめくような善がり声を挙げ始める。

縛(しば)かれて出来た腕や腿(もも)のトンネル越しに下半身を見ると、メンバー達の欲棒が次々と元社長婦人に突きたてられて居る。

硬く青筋立てた特別信者様達の欲棒が、元社長婦人の肉花弁を左右に押し除(の)け、肉花びらを巻き込みしながら卑猥に抜き挿しされて見えていた。

それでもこの「狸吊(たぬきつ)り」は、元社長婦人の今後のリアルな接待業務には必要な修行だった。


リーダー男が、余り大した事では無いかの様に「まぁ、色々犯らせて、日頃鍛(きた)えて居るからソロソロ大丈夫(だいじょうぶ)でしょう。」と言う提案で、元社長婦人のお座敷接待デビューが決まった。

それもリーダー男がズブリと元社長婦人の中に挿し込んだ欲棒をクィクィと抜き挿ししている最中の事である。

「奥さん、これからはクライアント(得意先/顧客/依頼人)様の性玩具(おもちゃ)に成るのが仕事ですから、精々タップリと可愛がって頂(いただ)きなさい。」

リーダー男の決定的な言葉に、元社長婦人は受け腰でリーダー男の抜き挿しに応じながら「ハィ、その様に致します」と応えていた。



淫乱ショーや本番性交を犯りながらの受注のおねだり・・・「色仕掛け」は古典的な手段だが、永く使われて居るからにはそれなりの成果が在るからだ。

しかも建設業界のお座敷接待の色仕掛けは、色気をほのめかすだけのソフトなものでは無く大金が動くだけにハードなものである。

性接待の現場は、お座敷に呼ばれる事が多いから、実年齢に関係なく先輩である妻は接待現場では元社長婦人から「お姐さん」と呼んで絶対的に妻の言い成りである。

妻から聞いた接待計画では、元社長夫人を美容院へ行かせて髪を和風に結わえさせ、持ち物の高価な着物を身に着けさせて接待の座敷に行かせる。

座敷でクライアント(得意先/顧客/依頼人)に挨拶させたら一通りお酌をさせ、その次はお座敷ストリップをさせて足元の白足袋(しろたび)以外は全て脱がせて素っ裸にさせる。

接待の場での元社長夫人の売り物の制服姿が、その白足袋(しろたび)一双(いっそう)だけである。

白足袋(しろたび)一双(いっそう)だけの元社長婦人は、皮製の犬首輪とリードだけを装着された素っ裸で屏風の陰に隠して置き、ひとしきり芸者衆の踊りや飲み食いが進んだ所で曳き出し、更に淫乱接待ショーをさせて場を盛り上げる。

正直言えば、他人が虐(いじめ)め犯られる陵辱プレィを観るのは、芸者衆や同伴の女達には蜜の味だった。

それに芸者衆は、元社長婦人の夫であるスポンサー社長のお座敷に出ていた過去を持っている。

だから元社長婦人が、大勢の男に次々に激しく犯られて居る同性の犯られぷりやイキ(絶頂)の表情などを興味深々で愉しそうに眺めている。

他人のおシャブり技術を確かめるように欲棒を加えた元社長婦人の口元や、腰使いを確かめるように欲棒を抽入された元社長婦人の股間に、その場に居合わせた女達の無遠慮な視線が集中している。

「面白い見世物がある」と誘われて招待客と同伴して来た女性や、賑(にぎ)わいに呼ばれた芸者衆も本音は残酷である。

酷(ひど)い様だが、元社長婦人は素っ裸でこのお座敷(陵辱舞台)に上がった晒(さら)し者だから、「恥ずかしい」何て甘っチョロイ事を言っては居られない。

まぁ、「他人の性反応に関心が無い」と言ったら嘘になり、「可愛そう」などと言う口とは裏腹に、この時とばかりに顔をニヤつかせて歓声を挙げながら元社長婦人が犯られるのを確りマジマジと眺めている。


「これから寄って集(たか)って犯られる」と想うと、元社長婦人の股の付け根の奥がジーンとして来る。

そのソーシャルセックス(社交的な性交)行為が卑猥(ひわい)であればあるほど羞恥心が高まり、興奮が腰を突き挙げ悶え震える程の息苦しい快感を誘う。

その興奮のあの快感の誘惑に肉体(からだ)が味をしめたのか、また誘われて犯られたい気分が満々なのだ。

こんな事では「端無(はしたな)い女」と非難されそうだが、気持ちが良いのだから仕方がない。


座敷の中央へ元社長婦人を曳き出して仰向けにし、板前が登場して活魚を盛った女体盛(にょたいもり)にする。

それを食べ尽くしたら元社長婦人を股間上向きのマングリ返しにセットし、花束の根元にラテックスの袋を被(かぶ)せて前後の穴に活ける女体活花(によたいいけばな)を披露する。

この女体活花、想像して貰えば判るが元社長夫人のア*ルと女性器に挿し込まれて何とも奇妙に卑猥(ひわい)な雰囲気をかもし出し、座敷が大いに盛り上がる事間違い無かった。

それにしても良くしたもので、晒し者にさせ始めてから元社長夫人は、観られる事を意識してか肌艶が美しく成って居る。

その美しい裸体が、底を宙に浮かせた白足袋(しろたび)も眩(まぶ)しく、柔らかそうな太腿(ふともも)間の股間に活けられた花束を引き立てている。


元社長婦人は、宴会酒席のお座敷で「変態接待の生贄のヒロイン」として駆りだされ、露(あらわ)にソーシャルセックス(社交的な性交)を提供する痴女に成った。

良家の若婦人が、私に仕込まれて変態接待の痴女に成るのだから世の中は面白い。

何故か不思議なのだが、世間は女性の性癖にはタブーで、余り話題にしない。

確かに男性の性癖は、隙あれば「子種」を使って子孫を残したいのが本能で、不貞浮気の機会作りも熱心で多いかも知れない。

つまり男性は、性に関してはどうしょうも無い生き物である事は間違いない。

しかし女性も中々の物で、信頼出来る政府機関の統計に依ると、夫婦間に出来た筈の子供の二十五人に一人は「夫との子供では無い」と言うデーターがある。

それは女性側にした所で、平凡な日常生活ばかりの人生は安全かも知れないが、退屈で心が乾き切ってしまう。

本音では、日常の平凡な人生を長々と送ってそのまま朽ち果てるよりも、贅沢かも知れないが時々シュール(奇抜)な刺激が在る方がストレスを発散できる。

つまり女性も、本能的には絶えず優秀な「子種」を求めて機会を伺って居るのが偽らない自然な姿である。


秘められた人間の性癖など、滅多な事で本音は露(あらわ)には成らない。

中々環境が揃(そろ)わないだけで女性の中にもドスケベ女は存在し、誘われれば応じる主婦も結構居る。

つまり女性の貞操と言うものも条件次第で、貞操を必ず遵守(じゅんしゅ)するかは個人に拠って別物である事の証明である。

だが、個々の妻に内緒、夫に内緒の浮気では相方にバレれば修羅場もので、だからもう少し利口な夫婦合意の遊びが良い。

コンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)は全く奇妙な男女の性宴だが、性行為なんてものは多少変態の方が上等で、清く正しくなんて訳には行かない。

秘められた人間の性癖など、滅多な事で本音は露(あらわ)には成らず、そしてソーシャルセックス(社交的な性交)は質の高い娯楽である。

愛情と性的独占欲は違う物で、勘違いすべきではない区別すべき感情である。

しかし性的独占欲が強いと勘違いし、想い通りに成ら無いからDVなどに結び付く。

つまり婚姻相手が例え遊びで性交していてもその嫉妬は性的独占欲で、本来は愛情とは別の感情である。

ただしその性交を互いに内緒にする所に、修復が難しい裏切りが発生する。

つまり男女伴に不倫の浮気や愛人を持つ事は大いに可能性がある。

だが、そんな一対一の性関係よりも、マルチSEX(複数性交)やマルチタスクSEX(同時実行性交)の方が遥かに後腐れが無く刺激的な大人の遊びである。

ソーシャルセックス(社交的な性交)での他人前(ひとまえ)でコンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)を犯って見せる刺激は、生々しくシュール(奇抜)な快感だった。

元社長婦人にした所で他人(ひと)前で変態的に弄(なぶ)られる羞恥心は、本音ではウキウキさせられる様な大人のパラダイスで、脳みそが溶ける様に生々しくシュール(奇抜)な光景だった。

この遊び方、安全と判ると実に「婦人の七割近くが嵌(はま)る」と言うから、日頃のストレスは結構多い事になる。

そうなると上面(うわつら)の綺麗事など意味が無く、夫婦間のストレスの捌け口を夫婦合意の下で「遊び」として理性的に構築する方が利巧かも知れない。


元々狭い土地柄で宴会酒席には夫と親交が在った知人も多いが、元社長婦人はお座敷に出れば素っ裸の「変態生贄ヒロイン」で駆りだされる。

現実的に考えれば隠し様などないのだから、「犯る」と心を決めた以上は開き直って挨拶するしかない。

「ご無沙汰してます。本日はお愉しみのお相手を務めさせて頂きますので宜(よろ)しくお願い致します。」

「おぅ、噂を聞いて、奥さんと遊べるなんて愉しみだった。今日は遠慮なく遊ばせて貰(もら)うよ。」

「はぃ、勿論私(元社長婦人)もその積りです。」

自然に固まった評価だが、元社長婦人の接待性奴隷としての女体使い心地の鑑定は合格である。


破目を外して、知人の人妻と刹那(せつな)の性交を愉しむ味は格別のものがある。

元社長婦人の夫と親交が在った知人達に、元社長婦人は素っ裸の「変態生贄ヒロインとして駆りだされる」と言う信じられない幸運の遊びが訪れた訳である。

この日の宴会(うたげ)は酔客も乗りに乗って、邪魔な芸者衆を下げて元社長婦人の輪姦(まわし)が始まった。

滅多な事で本音が露(あらわ)には成らない秘められた人間の性癖が、ここではファスト(手軽)に行使され、さながら大人のパラダイスである。

此処はお座敷接待の場で、元社長婦人はギャラリーに期待される生贄のヒロインである。

こんな場では、元社長婦人は妥協無く痴女に成り切らなければ、ギャラリーに期待される様な脳が震える新感覚の面白味(おもしろみ)が提供できない。

生贄ヒロインの元社長婦人は全裸でお座敷に駆りだされ、多くのギャラリーの至近距離の視線に囲まれている。

元社長婦人は、尻だけ膝上の高さに掲げたうつ伏せ四つん這いの姿勢を採らされ、後ろから見れば股間の全てが生々しく曝(さら)け出ている。

酔客に「どれどれ」と尻の双肉を左右に広げられて下半身のパーツを鑑賞されても、元社長婦人は苦笑いしながら堪(た)えるしかない。

その元社長婦人の白い尻の溝に沿って社長妻が見知らぬ男の二本の指先がア*ルの菊蕾(きくつぼみ)を撫(な)で、パックリと割れた二枚の肉花弁の内側へと潜(もぐ)り込む。

元社長婦人は乳房を揺らし、挿し込まれた二本の指の抜き挿しに腰をうごめかして快感を堪(こら)え、口から善がり声を漏らしている。

見え隠れする挿し込まれた二本の指を伝わって元社長婦人の白く濁る愛液が、弄(なぶ)る男の手の平に伝い下り、手首の辺りから床に向かって滴(したた)り落ちて行く。

変態的に弄(なぶ)られ、脳みそが溶ける様な羞恥心に元社長婦人の股間から滑りを良くする潤滑油が湧き出し、抜き挿しされる二本の指の刺激にビクンビクンと腰を浮かして反応し、堪えきれずに潮を噴出する。

元社長婦人は、うつ伏せ四つん這いの姿勢のまま抜き挿しされる二本の指に悶(もだ)え、善がり声を張り上げている。

その元社長婦人の反応に、攻めての男の欲棒は漲(みなぎ)りを見せ、元社長婦人のパックリと割れた二枚の肉花弁の内側へ、その漲(みなぎ)った欲棒を突き入れる。

元社長婦人を後背位に組み敷いた男がクィクィと腰を使い、元社長婦人の股間で愛液に濡れ光る欲棒の茎が男の腰使いに応じて見え隠れしている。

欲棒を荒くガンガンと突き入れられて目一杯感じて居るのか、うつ伏せ四つん這いの元社長婦人が泣きわめく様に善がっている。

ハァハァと荒い息の呼吸が漏れ聞こえ、目の前で元社長婦人を主役にした汗と愛液に塗(まみ)れた勃起ものの修羅場が展開されている。

普通では無い何か特別な、生々しくシュール(非日常的)なアクテビティ(活動・行動)が、この時間の此処(ここ)には在る。

目の前で繰り広げられるソーシャルセックス(社交的な性交)の卑猥な光景に、座敷芸者達は愕然とさせられた。

繰り広げられる卑猥な光景に芸者達は愕然とさせられたが、とても元社長婦人の様な真似までは犯れそうも無く完敗だった。

一人目がイク(絶頂)に達し、代わった二人目が元社長婦人をギャラリーに向けさせて左手で抱え元社長婦人の股を開かせる。

ムチッとした眩(まぶ)し元社長婦人の両大股(りょうふともも)の中心に、二枚の肉花弁が生々しい。

その男は、全裸の元社長婦人を左手で抱えながら乳首を吸い、余った右手は大股に開いた太腿の付け根を弄(なぶ)りながら指を二本挿し込んで激しく抜き挿しして攻め立てる。

元社長婦人は乳房を揺らし、柔ら壷に挿し込まれた二本の指の抜き挿しに腰をうごめかして快感を堪(こら)え、口から善がり声を漏らしている。

見え隠れする挿し込まれた二本の指を伝わって元社長婦人の白く濁る愛液が、弄(なぶ)る男の手の平に伝い下り、手首の辺りから床に向かって滴(したた)り落ちて行く。

その攻め立てられて居る元社長婦人の鼻先に三人目の男が腰を突き出して欲棒をシャブらせ、こちらも口中を激しく抜き挿しして攻め立てるシュール(奇抜)な光景だった。

プチュウ、プチュウと言う欲棒のエラが元社長婦人の唇を引っ掛けて鳴らす音が聞こえ、口の端から涎(よだれ)が顎(あご)を伝って落ちて行く。

二本指で元社長婦人を攻め立てて居た二人目の男が、元社長婦人を仰向(あおむ)けに転がすと、両手で両膝を掴んで押しながら脚を開かせ、欲棒のカリ首を入り口に宛がった。

困惑気味の表情を浮かべる元社長婦人にグィと欲棒を挿し込むと、ユックリした抜き挿しからバシバシと肉が当たる音を響かせて急速で突き入れ攻め始めた。

元社長婦人の臍(へそ)の下のV字ゾーンのちじれ毛が密集した柔らかそうな恥丘の下部で、男の腰使いに漲(みなぎ)る欲棒がその陰茎を生々しく見え隠れさせている。

肉体(からだ)の中心を欲棒で貫(つらぬ)かれての強烈な突き攻めに、元社長婦人は口を半開きに顔を歪(ゆが)めて襲い来る脳みそが溶ける様な快感を受け止めている。

四人目に順番が廻って来た男が「シャブれ」と命じ、両足を開いて仰向けに寝た。

元社長婦人は、その男の剥(む)き出しの欲棒にうつ伏せ四つん這いの姿勢で取り付いて咥え、ジュポジュポとシャブリ始める。

その元社長婦人の尻に、先ほどまでシャブらせていた三人目の男が取り付いて欲棒を挿し込み、クィクィと抜き挿しを始める。


勿論、生々しくシュール(非日常的)なマルチタスクSEX(同時実行性交)の光景の方が、観て愉しいし興奮する。

抽入からだと、男達がイク(絶頂・射精)に達するまで一人当たり短くて五分から長くて七分を費やす。

十人も熟(こ)なすなら約一時間、二十人熟(こ)なすなら約二時間で、その長丁場の露出公開輪姦性交は、元社長婦人にとって見れば犯られっ放しのマラソン性交である。

六〜七人目になると、元社長婦人がイキ続けて肉体(からだ)がまだヒクついているのに次の男の欲棒が挿し込まれて攻め始めるので、泣き叫ぶほどに感度が高まって豪快に受け腰を使う。

一人当たり、抽入からだと男達がイク(絶頂・射精)に達するまで短くて五分から長くて七分を費やす。

十人も熟(こ)なすなら一時間、二十人熟(こ)なすなら二時間で、その長丁場のこの露出公開輪姦性交は、元社長婦人にとって見ればマラソン性交である。

ソーシャルセックス(社交的な性交)のサプライヤー(供給者)としての調教が進めば、夫の前で他人の男に変態的に弄(なぶ)られる事にも慣れて来る。

素っ裸で男達に操られながら元社長妻は明らかに興奮して扇情的表情で鼻の穴を広げ、乳房を揺らし行為に奮闘している。

私にしてみれば、元社長妻が他人(ひと)前で変態的に弄(なぶ)られる光景は、ウキウキさせられる様な大人のパラダイスで、脳みそが溶ける様に生々しくシュール(奇抜)な光景だった。

勿論ギャラリーも、生々しくシュール(非日常的)な光景の方が観て愉しいし、この場にしか無い貴重な扇情的興奮もする。

公開輪姦(こうかいりんかん)ショーは、他人前(ひとまえ)で犯られる究極の露出コンバインSEX(複数の形式を組み合わせる性交)ショーである。

大人数の男達を相手にする輪姦(まわし)の生贄(いけにえ)にされ、次から次に男達の欲棒が股間に突き挿さって元社長妻の肉体(からだ)の中で蠢(うごめ)く。

一人一人、相手がイクまでは犯られ続ける壮絶な露出公開性交ショーだから、他人前(ひとまえ)だからと言って恥ずかしがって居る暇など無い。

先ほどまでギャーギャーとけたたましい善がり声を挙げていた元社長婦人も、今は受け腰を使いながらもウゥウゥと押し殺したような善がり声を漏(も)らしている。

とにかく上に成ったり下に成ったり後背位に成ったりと、相手が発射するのに一人に五分から十分が必要で、それを元社長妻が熟(こな)す事に成る。

騎乗位など、男がガブリ腰で突き挙げて来るのを、上に乗った元社長婦人がピッチング(上下動)で腰が抜ける程に応戦する。

形振(なりふ)り構わずの自らの激しい腰使いに、クチャクチャと言う愛液音を股間から発しながら身悶(みもだ)え、「アゥ、アゥ、アゥ、アゥ」と艶(なまめ)かしい善がり声を会場に響かせている。

他人女(ひと)が観て居ようがお構い無しで、欲棒を咥(くわ)えた腰をクィクィと巧みに使って早くイカさなければならない。

ギャラリーの視線を集めて踏ん張る元社長婦人が、腰を下ろす度に股間に咥(くわ)えている欲棒が下からも突き挙げられる。

静まり返ったギャラリーの視線を浴びながら元社長婦人の肉体(からだ)にグィグィと抜き挿しされる欲棒の陰茎が、映像シーンの様に生々しく見え隠れしている。

乳首が立った乳房が上下し、周囲の視線も構わず半開きの口から慎みも無く叫び声に近い善がり声が響いてい居る。

元社長婦人は、漲(みなぎ)った欲棒を股座(またぐら)に咥え込んだ腰を、クィクィと振って快感を貪欲に甘受している。

男達全員を満足させねば解放されないこの状況から逃げられない以上は、自ら積極的に腰を使って少しでも早く人数を熟(こ)なさなければ、肉体(からだ)が持たないのだ。


官能的な服従の性交が長々と続き、刺激に反応して欲棒を咥え込んだ腰が艶(なまめ)かしくクネリ、時折激しく反応して腰がビクンビクンと動きを見せる。

ハァハァと荒い息の呼吸が漏れ聞こえ、汗と愛液に塗(まみ)れた修羅場で変態的に弄(なぶ)られて、元社長婦人の全裸体が海老ぞりに反り返える。

大股に開いた太腿(ふともも)の付け根に挿し込まれた欲棒を周囲に見せ付けながら、上目使いに夫の視線を確かめる元社長婦人の生々しくシュール(非日常的)な光景だった。

欲棒が抜き挿しされる股座を見せ付けて犯られながら感度良く反応して善がり狂い、此処まで曝(さら)け出してしまえば元社長婦人も、もう慎(つつし)み深さを装(よそお)う必要も無い。

長時間の連続抽入は感度を益し、「性欲の極限」と言う究極の新感覚にトランス状態(通常とは異なった変性意識状態)に脳が震える至福の時を過ごす。


元社長婦人の裸身が、相手の趣向(しゅこう)に応じて操られ、犯り放題に弄(なぶ)られて大胆・奔放に躍動している。

お座敷接待の真髄(しんずい)は、秘密の性交ショーである。

次々に襲い来る男達との性交ショーに翻弄(ほんろう)される元社長婦人の身悶(みもだ)えながらの善がり声が、お座敷宴会場に響き渡ってギャラリーの興奮を誘っている。

元々男女伴に夫々(それぞれ)の性器が存在し、行為に拠る快感を感じられる様に出来ているのだから、性行為をすれば感じるし、一度快感を経験すれば脳の方がそれを記憶する。

その快感は、度が強いほど記憶に残るのは当たり前である。

この凄(すさ)まじいソーシャルセックス(社交的な性交)・プレィのシュール(非日常・奇抜)な時間を、元社長婦人が汗みどろ愛液塗(あいえきまみれ)れで過ごしたからと言って、それはあくまでも日常生活では無い。

綺麗事の批判を恐れずに言えば、メンタル・ヘルス(心の健康管理)に、ソーシャルセックス(社交的な性交)はクライアント(得意先/顧客/依頼人)にとって有効な手段だった。

つまり、この遊びの時間が癒しの時間である。

珍しくも無い在り来たりの性接待では相手は喜ばず、ギャラリーを愉しませる官能的で卑猥(ひわい)なプレィが求められる。

それ故に性接待は、元社長婦人が今まで想像すら出来ない、傍若無人の凄(すさ)まじいセックス・プレィの連続だった。

このお座敷性交ショーには、例のリーダー男とその仲間二人が面白がって協力した。

元社長婦人がマットに膝を着いたリーダー男の欲棒を四つん這いで咥(くわ)えさせられ、そのリーダー男に後頭部を手で抑えられて腰をクィクィと使われて強制的に欲棒を喉(のど)の奥まで挿し込まれる。

その一方、元社長婦人の四つん這いの後ろからもう一人の仲間の男が二枚の肉花弁の間に欲棒を挿し込んで抜き挿しを始め、露出公開性交の3Pプレィが完成する。

後頭部を手で抑えられたリーダー男の欲棒が元社長婦人の喉(のど)の奥まで挿し込まれ、元社長婦人の尻を抱えた男が容赦なく突き入れて来る。

そこから体位に移動して、元社長婦人が仰向けのリーダー男の上に乗った騎上位スクワットで腰を上下させながらもう一方の仲間の男の欲棒をシャブる。

それから、リーダー男に正常位で抽入されながらもう一方の仲間の男が元社長婦人を顔方向に跨(また)いで膝間着(ひざまつ)き欲棒を突き出してシャブらせる。

汗みどろ愛液塗(あいえきまみれ)れの生贄(いけにえ)3Pプレイだった。

つまりギャラリーの視線も愉しませる様々な体位の3Pプレィが披露される。

経験無いシュール(非日常・奇抜)な事が、元社長婦人の身に起こっていたが、現実的に考えれば素直に応ずるしか道は無かった。


元社長婦を組み敷いた男がクィクィと腰を使い、元社長婦の股間で愛液に濡れ光る欲棒の茎が男の腰使いに応じて見え隠れしている。

欲棒を荒くガンガンと突き入れられて目一杯感じて居るのか、元社長婦が泣きわめく様に善がっている。

次から次と一人当たり五分から八分、変態的に弄(なぶ)られて犯られ通しの男達の陵辱が元社長婦に続く。

続けて何人もと性交するから、元社長婦は時々ガクンガクンと落ち(イキ)ながら、犯られ続ける事に成る。

快感に肉体(からだ)に波打たせる元社長婦は、オーガズムの快感反応の一つ背骨の反り返りを見せ、加えて足の指が開くバビンスキー(ババンスキー)反射を見せている。

判り易く言えば、足の指が開くバビンスキー(ババンスキー)反射は性交中の女性の「イク時」の反応のひとつである。

まぁ、バビンスキー(ババンスキー)反射までは演技では出来ないので、そこまで反応すれば演技では無く、本当にイッタと言う事である。

だが、まだズブリとモロに犯られた他人の欲棒をガッチリと咥え込んだ元社長婦人の卑猥な受け腰使いと、けたたましい善がり声は反応後も見事に続いていた。

つまり絶頂が繰り返し続くのだから、性愛欲の極限と言う究極の新感覚に脳が震える至福の時を過ごす事になる。


元社長婦人は、ソーシャルセックス(社交的な性交)のサプライヤー(供給者)として、おシャブリも腰使いも良い顔して上手く犯られている。

元社長婦人を相手に良い汗をかき、溜まったものを抜(ヌ)いて満足すると欲棒を抜いて次の順番待ちの男に元社長婦人の使用権を譲る。

犯られ終わった元社長婦人の方は、直ぐに次の男が行為の要求を始めるから、前の男との行為の余韻に浸(ひた)る間もなく、また喘(アエ)ぎ始める。

元社長婦人はもう、連続性交の性感に拠る忘我の境地に入っていて欲棒を抽入された正常位素っ裸で、元社長婦人に乗り熟(こ)なされている。


こうしたソーシャルセックス(社交的な性交)の遊びをするのは、何も特別な女性では無く極普通の女性が状況次第で幾らでも覚えて犯るものである。

そしてその資質は、「どの女性にもある」と言う。

一人の女性に大勢の男性が寄って集(たか)って輪姦するなど、一見「酷い」と想うだろうが、実は女性には潜在的にその性癖や能力が備わっている。

現代日本人の倫理感覚では、「夜這い婚」の一妻多夫形態など到底理解できないかも知れないが、実は「種の保存」を優先する自然界では人間の生殖倫理の一夫一婦制の方が異例である。

輪姦など、「何と酷い陵辱であるか。」と解釈されるもので、元社長婦人も勿論そう言う想いは在ったのだが、その場の成り行きで断りも出来ずに仕方なく妥協してそう言う身に成った。

しかしその輪姦(まわし)の最中に、元社長婦人の本能のスィッチがオンに成って「このプレィ」が満更では無い事を感じた。

素っ裸で犯り放題に弄(なぶ)られ羞恥心で溶けそうな想いに耐えるのは、脳が震える新感覚だった。

この元社長婦人の輪姦(まわし)肯定感覚が、実は女性の隠された本質的性本能の目覚めでだった。

つまり女性の原始的な性癖が連続性交だったからこそ、輪姦(まわし)の官能的な性愛欲の極限と言う究極の新感覚が成立する。

いささかタブー染みた情報であるが、一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、霊長類の基本的な生殖行動は「群れ婚」である。

チンパンジーの雄(オス)達は一頭の発情期の雌(メス)に順番に群がり、雌(メス)は一日に何頭もの雄(オス)と交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、雌(メス)が依り強くて優秀な精子に回(めぐ)り逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。

これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、雄(オス)雌(メス)の生殖機能には目的に添った違いが在る。

当然、雄(オス)の方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、雌(メス)の方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての現生人類は、「確実な種の保存の為」に本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。

この学説を証明する為に、新疆ウイグル自治区の四千年前に描かれた世界初のエロ本とでもいうべき壁画には、女性一人に順番待ちする多数の男性の姿が描かれている。

意見を押し付けてはイケナイが、現代女性にも祖先の記憶は間違いなく存在し、その機能を肉体的に有して居る事になる。

本来の生物的なコア(核)は変わらないから、そこに目覚める事はロジック(論理)として充分に在り得る。

いずれにしても、連続性交の物凄い快感を感じた元社長婦人の脳は、家庭に居ても時折卑猥(ひわい)モードがフラッシュバック(体験が明確な感覚として思い出される)して、次の誘いを待つ様に成っていた。

女性の原始的な性癖が連続性交だったからこそ、輪姦(まわし)の官能的な性愛欲の極限と言う究極の新感覚が成立する。

これは元社長婦人にはあくまでも非日常の時間で、それが普通だが日常の生活は平凡でこんなスリリングで愉しみな遊びの時間など無い。

輪姦(まわ)しを過酷と想うのは実は一方的な既成概念の発想で、世の中には色々な性癖を持つ女性が存在し、輪姦(まわ)される女性が好き者ならそれが天国である。


「エッ、そんな事を元社長婦人が犯るなんて信じられない。」ですって、甘い甘い、貴方は世間知らずですな。

当時は「天狗の鼻ショー」も含めて有名な温泉観光地では珍しくも無いショーでしたよ。

そしてショーの後は、クライアント(得意先/顧客/依頼人)の気の向くままに、元社長婦人はどんなプレィも受け入れてお相手をするのが決まりだった。

接待に駆りだされた元社長婦人は、例え素っ裸で他人前に曳き出されても集まる視線に平然と気品在る好い女を要求される。

そして接待として駆りだされた元社長婦人は、生贄(いけにえ)として官能的に淫(みだ)らにクライアント(得意先/顧客/依頼人)に、遊びの性交で腰が抜けるほど犯られ尽くさなければ成らない。

渾身(こんしん)の生々しい遊びの接待プレィが出来ない女性は、愛奴隷としては欠陥品である。


何しろお座敷の真ん中で、「どんなご要望にも応じます」と素っ裸でクライアント(得意先/顧客/依頼人)を待っているのが、あの有名々家の元社長婦人である。

招待したクライアント(得意先/顧客/依頼人)の男性陣は性交希望者続出で、皆衣服を脱いでグロテスクな物を剥(む)き出しにブラ下げ、座敷の真ん中に殺到した。

輪姦(まわし)が始まってしまえば、泣こうが喚(わめ)こうが参加者全員を満足させるまでは元社長婦人の肉体(からだ)を離す事は無い。

正直、元社長婦人にとっては感情込めた性交では無いから、次々と襲って来る男達は生身元社長婦人の大人の玩具(おとなのおもちゃ)みたいなもので、互いに愛だ恋だの感情の発露などは無い。

まだ連続性交へ若干の抵抗心が残る輪姦プレィの出だしはともかく、犯り出して感じ始めて来れば女性の性体感は現金なものである。

例え遊びの公開性交に於いても、基本的に女性には張り合う気質があるから、元社長婦人も犯る以上は他者と比較されて「詰まらない女」と負ける訳には行かない心理が働く。

つまり大勢の目が在れば、自身の為にも夫の為にも奇妙なプライドが働き「良い女」に成り切ろうとして見事な性交を披露する。

それで、元社長婦人の腰の動きが妙に艶めかしい。

「アッヒィー、アアアアアアアァー、イク、イク、アァー。」

元社長婦人は襲い来る刺激に耐えられず、ガクンガクンと上半身を跳ね上げてその快感に浸(ひた)っている。

元社長婦人も、次々と入れ替わる男達の欲棒を咥(くわ)え込んだ腰を浮かせ、口をパクつかせて善がり声を挙げ、涎(よだれ)を垂(た)らしながらリズム良く尻を振る。

その振られる尻の股間で抜き挿しされる肉花弁と欲棒の隙間から、もう何人分かの溜まった愛液が、押し出されて元社長婦人の白い太腿(ふともも)を伝い滴(したた)って床に落ちている。

この輪姦(まわし)で良い様に弄(もてあそ)ばれ、嬲(なぶ)られてメチャメチャに犯られるのを体験すると、その快感に溺れない方が不思議なくらいの威力がある。

その快感体験で元社長婦人が、今までとは違う考え方を遊びの性交に対してしても、それは自然な反応かも知れない。

元社長婦人の気分も、こうなると大きなスポーツ試合に奮闘しているアスリート気分で、性交も一種の勝負である。

元社長婦人の愛液に濡れる二枚の肉花弁の間の柔ら壺に、善がり声とリズム良い腰の動きと伴に濡れ光る陰茎が、元社長婦人の内壁・海綿体の粘膜を刺激的に擦(こす)りながら見え隠れしている。



輪姦(まわし)にしろSMプレィにしろ、「とんでもない事」と想っているのは未経験だからで、一度経験するとその快感体験から味を占める女性は案外多い。

イク状況に昇り詰めたままの性交が続けば、元社長婦人にSEXハイ状態が続いて脳内麻薬ベーターエンドロフィンが脳内に発生され、一種の超快感状態に成る。

現に元社長婦人は連続する性交で、カリ首のエラの海綿体が感度良く内壁を擦(こす)る抜き挿し攻撃に、脳みそがトロケ出して居た。

肉体の中心を貫かれたまま、元社長婦人の股間に生々しく抜き挿しされるリズム良く激しい欲棒のピストン運動に、元社長婦人は快感に顔を歪ませながら左右に嫌々をしている。

その元社長婦人の反応にも構わず入れ替わり攻め立てる淫茎は、抜き状態では濡れ光り見え挿し状態では根元近くまで中に達しているのが見て取れる。

過酷な状況に在って、元社長婦人も既に限界は過ぎて居るかも知れないが、此処はもぅ意地と根性で頑張り、歯を食い縛って快感に耐えながら受け腰応戦をしている。

理屈では「そんな恥ずかしい事を・・良く犯るよ」と想うかも知れないが、現場の空気を感じれば一方的にそれを壊す度胸は元社長婦人には無い。

行き着く所まで犯ってしまえば、元社長婦人はもぅ犯ってしまったのだからそれを私に改めて否定する材料は無い。

気取って自分大事に何も犯らない女性より、這い上がる為には「あほな遊び」をさわやかに犯れる女性の方が男性に取っては遥かに魅力的で、これは妥協では無く工夫である。

そして避けられない性交遊びであれば、全員を満足させる到達点に到るまでは元社長婦人は愉しみながら犯って見せるしかない。

元社長婦人は時間調整までしてクライアント(得意先/顧客/依頼人)に犯られに出席していたのだから、本音では「嬲(なぶ)られるのが嫌だった。」とはとても思えない。

当たり前だが輪姦(まわし)の時は、レギュラー(正規メンバー)の男性が皆汗ビッショリで慌(あわただ)しく突きせめるから、受け入れる元社長婦人の方も汗と愛液塗(まみ)れでヒィヒィ言わされる。

こうなると元社長婦人は、経緯(いきさつ)に関係なく世間では立派な淫乱女である。

しかしそれを批判する女性達が、性交技も下手(へた)な癖にそれをまったく認識せずでは、呑気に何も判って居ない世間知らずである。

元社長婦人は生ライブ(生実況風景)のセックス・ヒロインとして、仮面の下の素顔を暴(あば)き出されるように荒い呼吸をしながら壮絶に攻めたてられている。

しかしこれはあくまでも元社長婦人には非日常の時間で、日常の生活は平凡でそれが普通だがこんなスリリングな遊びの時間など無い。

勿論そんな卑猥な時間を元社長婦人が過ごしているなど、日常生活は到って普通だから世間は知りもしない。

つまりこれは、元社長婦人の身に時たまに訪れる遊びの時間で、何も大袈裟(おおげさ)に考える必要は無いのだ。

そうした元社長婦人の使い方は聞いているが、私がその接待の場に同行するでも無く、妻本人がその接待の場で何を犯っているかは私には相変わらずまったく聞かされては居ない。


人の心にわだかまりさえ残さなければ遊びの性交など無かったに等しい事で、確かに何も私に話さない方が気が利いているのかも知れない。

お座敷遊びから色気を外して、何が面白いのだろうか?

まぁ遊ばせるには思い切った内容で遊ばせなければならず、他と同じで効果が無ければ接待の意味が無い。

妻もそこを心得て私の同席を拒み続けているのだが、それも今では「妻の知恵」と思えるように成っていた。

元々人間の思考は、「左脳域の理性」と「右脳域の感性」で構成されている。

だから、五年、十年、数十年と夫婦生活を送るにあたり、その思考の一方である「左脳域の理性」だけを宛てにして、「内のに限って内緒で浮気や遊びをしないだろう」と不確かに「右脳域の感性」に対するリスクを考えないのは、男女伴に論理的態度とは思えない。

女性が持つ母性の最初の段階が性交欲であり、「子供が要らない」と考える特殊な女性を別にすれば、そこは切り離して評する事は出来ない。

そして男性は、機能的に性交には勃起が必要である。

同じ相手と変わり映えしない性行為で、何時も「興奮が持続的に得られる」と想ったらそれは「悲劇の始まり」と言える。

勃起の要件には興奮が必要で、性癖・性交の類は、基本的に「右脳域の感性」を満足させる非日常の興奮が要求される空間である。

異性同士が一緒に生活するにあたり、その肉体(からだ)の違いを考えないパートナーは結婚する資格がない。

つまり始めから、性癖・性交に関する「右脳域の感性」は「左脳域の理性」とは程遠い事を認めた上で対処すべきを、「左脳域の理性」で押さえ込む愚策しか採らない事に欲求が溜まり、外で浮気や売春、性犯罪事件を起こす現実の問題がある。


バブル崩壊後の世の中は以前にも益して拝金主義の時代に入り、格差が広がって多くの貧乏人と僅かばかりの極端な金持ちが登場する時代だった。

世の中は実業よりも金が金を産むような虚業の方が手っ取り早く大金が稼げる時代で、ITの風雲児が逮捕され、急成長投資ファンドの主催者も逮捕された。

庶民金融のグレーゾーン金利が否定され、取り過ぎた金利の返還が始まって大手庶民金融が銀行の傘下か倒産・廃業に追い込まれて行く。

非正規雇用の拡大問題は庶民の平均年収を下方に引っ張り、結果消費経済は低迷して街に明るさは戻って来ない。


接待のシークレットパーティ(秘密会合)は、クライアント(得意先/顧客/依頼人)にとって、ガチンコファイト(真剣勝負)の、新たなるスタイリッシュ(お洒落れ)な遊びの誘惑だった。

これは曖昧(あいまい)では通らない態度をハッキリすべき事で、元社長夫人に大人の覚悟が必要だった。

そして犯ってしまえば確かに、お披露目輪姦一夜で友情とも愛情とも違う仲間意識が醸成され、互いの垣根は低くなり信頼関係は高まった。

非日常のガチンコファイト(真剣勝負)の空間が、元社長夫人の卑猥(ひわい)モードの善がり声と伴に、時に流れながら埋まって行く。

大人数の相手を熟(こな)すには、参加メンバーの男達を早くイカ(射精)せる事が最優先で、元社長夫人が犯り惜しんではいられない。

そこを自覚した元社長夫人は、次々に欲棒を柔ら壺に咥え込んだら、相手より先に積極的にクィクィと腰を使う。

元社長夫人は、生々しく汗(あせ)や愛液に塗(まみ)れて善がりながら、卑猥(ひわい)な行為は続いている。

まぁ、元社長夫人も他人前(ひとまえ)で、あれだけ惜しげも無く犯ってしまえば、「今更その性向を否定できない」と気持ちの整理が着く。

非日常のガチンコファイト(真剣勝負)の空間が、元社長夫人の卑猥(ひわい)モードの善がり声と伴に、時に流れながら埋まって行く。

素っ裸の元社長夫人を好きに扱(あつか)い、男達がマットの上でリード(命令)しながら、好みの体位で好みの性交を実地する。

プレィ中の元社長夫人は、常に嬉ししそうな表情を浮かべる事を心がけ、どんなプレィ仕掛けられても嫌そうな表情一つしない。

男達の好み(性癖)は元社長夫人が素直さ充分に配慮して即応するから、男達のプレィ満足度は大きい。

本音を言えば、何人束に成って掛かって来ても、一人づつイカ(射精)してしまえば、コッチ(元社長夫人)の勝ちである。

男達に指責めや性交を犯られている最中、女リーダーは犯り抜ける為に、リーダー男のアドバイスで、恥も外聞も無く或(あ)る事を実行していた。


それは、一般的にオナニー(手淫・自慰行為)と呼ばれる敏感部分の実(サネ)を弄(なぶ)り自らの感度を高めながら犯り抜ける事である。

酷く卑猥(ひわい)で恥ずかしい行為だが、元社長夫人はその実弄(サネなぶ)りを実行しながらリーダー男に感謝していた。

例(たと)えビジュアル(視覚)的に痴女(ちじょ)で在っても、このオナニー(手淫・自慰行為)で感度を高めなければ、とても犯り抜けられないほど男達の攻めが激しかったからだ。


生きて行くには覚悟が要る。

出口が見えない低迷に見舞われた日本経済に抗(あらが)って、元社長婦人は女の武器を使い強(したた)かに生きて居たのだ。

いずれにしても元社長家は地元の名家だったので接待を受ける方も地元の顔見知りで、その夫人が怪しげな接待をする事が地元で噂(うわさ)に成る可能性が高まった。

それで始めてから一年後、急遽、母の怪しげな接待仕事が娘の**の耳に入らない内に全寮制・英語授業のアメリカンスクールに入れる事にした。

費用はかなり高価だったが、元社長夫人の心配を取り除いて仕事に専念させればその方が良い。



日本経済は明るさを見せないまま失われた十年は二十年に伸び、周囲の建設会社が次々と倒れる中、私達夫婦の会社は何とか業績を維持して来た。

以前スポンサーとして援助を受けた元社長は三年後に他界し、その婦人の接待業務も四十六歳まで八年間、娘の**ちゃんが大学を卒業して性接待の役目を終わった。

元社長婦人も会社では役員の席に居るが、今は流石に現役を勤めるのは遠慮して、八年間の接待キャリアを生かして妻の代わりに接待嬢の引率をして居る。

妻も勿論四十路に入って昔の様な接待は出来なく成ったし、世間も様代わりして座敷遊びそのものが段々と変に健全化し、裏が無くなって表ばかりの詰まらない遊びになった。



月日は私が想った以上に早くめぐり、人は何時の間にか老けて行く。

私のこの物語に登場した女性達は夫々(それぞれ)にかなり過激な性体験をしたが、あの性体験は彼女達に取って不幸だったのか幸せだったのか、それは本人のみが知る事だろう。


あれから二十年、バブル崩壊後は少子高齢化社会に成ったが、ノーパンティ・カラオケスナック事件当時小学三年生だった息子が伴侶を得、初の子(孫)に娘を得て父兄会の役員・子供会の役員をして居る。

しかし子供会も渋くなったもので、飲み会は年に三〜四回ほど「大手の居酒屋チエーンで健全に催される」と言う。

子供会は破目を外すくらいがちょうど良く、とても昔の様に週一回ペース・カラオケスナックで怪しいドンチャン騒ぎ何て元気は今の若者の懐にも精神にも無く、寂しい限りである。

そんな息子から「お父さん、今夜は子供会の役員でカラオケに行きます。」と声を掛けられた。

私も年を取ったもので、珍しくカラオケの名を聞いて、昔の、在ったのか無かったのかも判らない「卑猥(ひわい)」な思い出を、思い出した私だった。

まぁ若い人に伝えたいのは、「若い内でないと中々体験出来ない遊びも在る」と言う事か?

この数々のエピソードが、創作者の実体験かどうかは敢えて公表しないので、貴方の想像に任せよう。




参考「人が創りし神と仏の間に」

天上の最高神は一体でなければならない。

しかし、日本の大和朝廷が古事記と日本書紀で創出した天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同等な神、陀羅尼神(だらにしん)が、渡来した仏教の中に居た。

日本列島の支配者と民はそれを否定することなく同一の神として受け入れた。

その陀羅尼神(だらにしん)、実はエロスの神様だったのです。

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【*】短編人生小説 (4)

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裁判員制度シュミレーション

凌 虐 の 裁 き

(りょうぎゃくのさばき)


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。


【*】短編人生小説 (3)

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短編小説(1)

「黄昏の日常」

我にしてこの妻あり


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

【*】女性向短編小説 (1)

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短編小説(1)

「アイドルを探せ」

青い頃…秋から冬へ


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。


【*】社会派短編小説(2)

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社会派短編小説(2)

「生き様の詩(うた)」

楢山が見える


未来狂 冗談 作

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ショート・ストーリーです。よろしかったら、お読みください。

◆HP上 非公式プロモート・ウエブサイト公開作品紹介◆

【小説・現代インターネット奇談 第一弾】


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「小説・現代インターネット奇談」
【電脳妖姫伝記】

【*】和やかな陵辱


(なごやかなりょうじょく)


未来狂 冗談 作

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【小説・現代インターネット奇談 第二弾】

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戦 後 大 戦 伝 記

夢と現の狭間に有りて

(ゆめとうつつのはざまにありて) 完 全 版◆


未来狂 冗談 作

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「あえて、暴論」

ジョウダンの発想

◆冗談 日本に提言する◆

未来狂 冗談 作

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◆メルマガサイト◆
冗談 日本に提言する・・・(来るべき未来に)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 冗談の発想が詰まった内容です!
ぜひぜひ読んで、感想をお聞かせ下さい。
異論・反論も大歓迎!!

====(日本史異聞シリーズ)第六作====
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「小説・怒りの空想平成維新」

◆たったひとりのクーデター◆

未来狂 冗談 作

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◆メルマガサイト◆
{「たったひとりのクーデター}・・・・・・・・(現代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 特に経営者の方には目からウロコの内容です。
小説としてもおもしろく、実現できれば
不況は本当に終わります。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

非日常は刺激的

 愛の形ちは、プラトニックにいやらしく

◆仮面の裏側◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
仮面の裏側・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(現代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 人の心って複雑ですね。
とくに男女の恋愛に関しては・・・
ちょっとHでせつない、現代のプラトニックラブストーリー。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

非日常は刺激的

 

◆仮面の裏側外伝◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆{短編集 仮面の裏側・外伝}・・・・・・・・(現代)

◆ウエブサイト◆「仮面の裏側外伝」

====(日本史異聞シリーズ)第一作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

東九州連続怪死事件・事件は時空を超えて

◆八月のスサノウ伝説◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
八月のスサノウ伝説・・・・・・・・・(神話時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 東九州で起きた連続怪死事件。
そして現代に甦るスサノウの命、
時空を超えたメッセージとは・・・

====(日本史異聞シリーズ)第五作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「権力の落とし穴」

本能寺の変の謎・明智光秀はかく戦えり

◆侮り(あなどり)◆

未来狂 冗談 作

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆メルマガサイト◆
侮り(あなどり)・・・・・・・(戦国〜江戸時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 天才信長とその最高の理解者、明智光秀。
だが自らを神と言い放つ信長は
「侮り」の中で光秀を失ってしまっていた・・・

====(日本史異聞シリーズ)第四作====
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

南北朝秘話・切なからず、や、思春期

◆茂夫の神隠し物語◆

未来狂 冗談 作

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◆メルマガサイト◆
茂夫の神隠し・・・・・・・・・(室町南北朝時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 誰もが通り過ぎる思春期、
茂夫の頭の中はHなことでいっぱい。
そんな茂夫が迷宮へ迷い込んでく・・・

====(日本史異聞シリーズ)第三作====
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鎌倉伝説

非道の権力者・頼朝の妻

◆鬼嫁・尼将軍◆

未来狂 冗談 作

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鬼嫁 尼将軍・・・・・・・・・・(平安、鎌倉時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 今は昔の鎌倉時代、
歴史上他に類を見ない「鬼嫁」が存在した。
その目的は、権力奪取である。

====(日本史異聞シリーズ)第二作====
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うその中の真実・飛鳥時代へのなぞ

◆倭(わ)の国は遥かなり◆

未来狂 冗談 作

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倭の国は遥かなり ・・・・・・・・・・・(飛鳥時代)

◇◆◇メルマガ・サンプル版◇◆◇ 韓流ブームの原点がここに・・
今、解き明かされる「二千年前の遥か昔」、
呼び起こされる同胞の血

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◆作者 【未来狂冗談(ミラクル ジョウダン)ホームページ紹介 】

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*活人の悟り無くば、わが文に当わず。
未来狂 冗談(ミラクルジョウダン)の名で小説を書いています。
尚、小説の方は登場人物がいてストーリーの有るものです。
 自作小説の案内 その他(日記・コラム)
 HP名は、「冗談の部屋」

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未来狂冗談(ミラクルジョウダン)の

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【この作品群は著述業未来狂冗談(ミラクルジョウダン)の著作品です。】

公開はしていますが、
著作権はあくまでも作者にありますので、作者の了解無く
本作を引用等しないで下さい。
もし違法行為を発見した場合いは、法的手段に訴えます。
なお本作に登場する組織、団体、人物キャラクター等は創作であり、
実在の人物を描いた物では無い事をお断り申し上げます。

作 品 一 覧

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(18禁)夜鳴く蝉・葉月 作品をを見る

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(18禁)蒼い危険な賭け・京香 作品を見る

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(18禁)仮面の裏側・ナナ 作品を見る

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作者本名・鈴木峰晴